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Untitled - アステラス製薬社友会

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Untitled - アステラス製薬社友会
。
けでなく妻、幼稚園の長男も感激 し た
札 幌 に 着 い た ら 福 岡 で 一緒 に 仕 事 を
てくれたので、良い会社に入り良い上司
し た こ と の あ る 山 田 三 二二さんが迎え
井村重光(東京)
は直接御指導戴き有難く思っている。
年で東京転勤となり、社長に
札 幌 =一
社長が御亡くなりになった時、
に恵まれたことを伝えて 二人で喜んだ。
いだ市で現在はま
私は島原市(二
ぼろ し の 邪 馬 台 国
云 い 聞 か せ た 。 其 の 後 一本 も 吸 っ て い
十本吸っていた煙草を止めると自分に
十年程前噴火で騒
の ロ ケ 地 )の隣、
ない 。 私 が 今 健 康 で い る の は 社 長 の お
一日六
深江村に農家の長男として生れた。小
陰 だ と 感 謝 し て い ま す 。 次 長 に は 一歩
来年は七回目の年男になります。特
学校三年の時父が五人の子供を残して
別に新しく目標を樹てることも無い。
死亡したので、農家の長男として家を
行くことになったが、中学に入っても
唯健康で長生きをしたい。決して介護
前を歩いて戴き吾々の家族の手本を示
農家出身者の進む道は厳しかった。結
を要する身体にはなりたくない。其の
継ぐものと私も思っていたのに、五年
局陸土に入校したのは厳しい戦争中で
為には元気の中から骨折、風邪、脳、
して戴いていると思っています。
もあり、国及び国民の皆さんが大変大
幌支庖の営業管理課長を命ぜられた。
た。やっと 一人前になった三六才の時札
年 一月 終 戦 引 揚 者 と し て 身 一つ で 帰
て の 社 命 に て 上 海 山 之内勤務。二十一
し図案部 経 理 に 勤 務 。 暮 に は 女 子 初 め
ております。昭和十六年大阪支庖入社
第に小さくなり、再び点になって、や
がて消えて行った。インターネット情
、
報では、この飛行船は全長 253mで
日本海軍の誇り戦艦大和の全長が2 6
3 mで あ っ た こ と と 比 較 す る と 如 何 に
巨大な飛行体であったことが理解でき
ま す 。 こ の 時 、 昭 和 4年、ツエツペリン
325同
号 は 世 界 一周 で 総 距 離336、
岡 吉彦(東京)
。
に飛来したもので した
を2 7 3時 間 で 走 破 し 、 そ の 途 中 東 京
平 成 二十
一年 元 日 に 邑
なると満八 内
ながら永く
十四才。五円
生きている
F
と思う。学 園
友の半数以
又その半分位。
上は死亡し、生きているが元気無しが
山 之 内 退 職 後 、 既 に 二十 七 年 位 。 在
職中おつきあいのあった人達が殆んど
前回六十才頃、社友に書かしていた
社友会に入会して来た。
した。
だいた時は元気に色々やっていると書
さて、六年前にはソフトバレーボー
ルの選手引退。川越市国際交流センタ
ー及び南公民館で十五年続けて来たボ
ランティア。外国籍市民が日本での生
活にとけ込めるよう、日本語学習支援、
て来た。それも今年で止めよう。そし
市内外を見学させ、友達作りを手伝っ
て川越 か ら 消 え よ う と 決 心 し 、 息 子 の
-2-
になって担任の先生が母と話し中学へ
事にして戴いた事を今でも強く感じて
動により身体を鍛える様努力する。
土曜日に社長、営業部長に挨拶し、日
国。空襲により家族や大阪庖との連絡
・-司 い 下 さ り 感 謝 致 し
曜朝ターミナルに着いたら営業部次長
も取れず、
・
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IA;h アステラス附社友
v ﹄凪E・・・・ 会 よ り 私 に も 心 遣
岩井里子(大阪)
v 山之内側を去っ
・咽蝿咽﹄↑Jd て 六 十 三 年余り、
.
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らゆる努力をすること。特に食事、運
そして心臓等の病気にならないようあ
敗戦後一年余りで学校を卒業し山之
おります。
内製薬に入社し最初の仕事が日計表の
計 算 。 若 い 女 性 が 二十 分 で 出 来 る 仕 事
を半日懸っても正解が出て来ない。この
時程惨めさを感じたことは無い。考え
てみれば 一、 二 年 の 実 務 の 勉 強 を 飛 び
越えて三年の理論へ転入学したので止
が見送りに来て戴いたのには恐縮した。
出社出来、ず自然退職の状態(帰国一ケ
むを得ない。其の日から猛勉強を始め
羽田空港にパスが着いたら、山之内社長
一人 で 家 族 探 求 。 会 社 に も
が見送りに来て戴いていたのには、私だ
の
で筒沿嚢はゆををッ 苧~~通量舎画面・
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置 体 い に て な 天 く 上 え リ マ 田 睦男 園
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固 部 美 し 間 た 覆 と て 事 飛 七 ベこ .
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大他元
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ご社刊支出皆りしの、不困平切界を現前
多の会え来様ま現毎以随難成によ離在に
幸益社とるとす在日来で。二過りれ息父
を々のし楽ご υ普。 十 一 七年し三、子故
定にして 隔 O い、いを行 伝‘~
心 G ,恩、 し ー お 通 白 人 時 年 二 て 十 曽 二 人
さ は い か で 円 隠 次 る 思 船 園田 区
よ晃恵良み緒陰の分年生脳月お年孫人と
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2008年 1
2月2
2日 発 行
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アステラス製薬社友会会報
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のも山之内で働かせていただいたお蔭
いて過そうか。 ﹁こ ん な 生 活 が 送 れ る
の行程は八十才から始めた水彩画を描
圃 とは自分でも不思
E の丑年を迎えるこ
監 った私が、七巡り
田中泊三郎(大阪)
3 余り丈夫でなか
住む土浦市近くに家を新築。人生最後
だね。﹂と市 川嘉一郎氏と話した。
鈴木清遥(東京)
退職後に趣味の写真撮影を楽しんでい
む 議で、この一因は
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一JU邑・ 声 が か か る と 、 ふ
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za が 、 社 友 会 か ら お
島監・曹噌問a
向 調関
帯
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r固Bmも な く な り ま す
写真同好会、その後大阪支部の写真同
お り ま す。 社 友 会 で 私 は 、 東 京 支 部 の
勤務を経て、社友会のお世話になって
に入社し、その後、東京支庖、本社の
昭和十七年に山之内製薬の大阪支店
ることかなと思っております。
リレ﹄ 丑 年 を 七 巡 り も
ー
迎えると余り感動
円以 強
獄 詩 寸 渇戸
と思いだすのが退職してもう二十六年
翠 嘘
になるなあということでした。百才以
好会で皆さんと趣味を楽しんでおりま
編 集 を 担 当 し た り 、 ホ ー ムベ lジ を 作
上 の 高 齢 者 が 三万 六 千 人 以 上 も い る 御
ってもいいのかなと希望は持てます
ったりして余暇を過しています。イン
す。家の近所にも写真クラブがあり、
が、現実は厳しく検査のたびに血圧、
ターネ ッ ト で 自 分 の 名 前 で 検 索 す る
ところを歩くのは好きで励んでおり、
すので先ずは散歩からと、空気のいい
と共に、社友会のお世話を頂いた歴代
て活動が一層盛んになったことを喜 ぶ
社が益々発展し、社友会も人数が増え
山之内製薬と藤沢薬品が合併して会
と 弱 い 頭 を 絞 り に 絞 っ て 勉 強 中 で す。
し、新しいソフトを早く使いこなそう
支の友達はみんな 一
と 云 うけれど、十 二
m才 か 、 丑 は ノ ロ イ
目こフのれ。ど覚が中。つな何なき
言
時世と聞くと﹁まだ八十四才だ﹂と思
糖尿、心臓、尿酸などいろいろ指摘さ
と、私の色々な写真が表示されること
又妻 と 二 人 で 園 芸 と 庭 仕 事 や 買 物 も 楽
を最近に知りました。
れ、健康管理に気が抜けません。
しくやっています。他にもやりたい事
の方及び現在お世話頂いている方々に
自分のベ l ス を 乱 す と 体 調 を 崩 し ま
は結構あって日々退屈することなく穏
感 謝 し て お り ま す。
田名見早苗(東京)
やかに過しています。
好きな囲碁も対局は血圧が上がって
オレも七巡りした
か10 フlン、特に感
鼻血が出たりしてから殆どご無沙汰、
独り棋譜、詰碁などで楽しんでいます。
こんな生活や、楽しみな社友会総会へ
ぜ。社友会の皆様お
緒、ノンビリ行こう
想 も 生 じ な い ネ1o
の参加などいつまで出来るか、心掛け
又最近は古くなったパソコンを更新
次第かなと思っています。
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J潜主空調関 指 れ 会 は が 古 こ え 良 の ち い 固 い ま 身 達
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2008年 1
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アステラス製薬社友会会報
に十は脳ボ私
限 内情 沼
は二な梗リは 静四
勺
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には右の腎臓・尿管の切除・摘出手術
を 受 け 、 現 在 に 到 っ て い る の で す。
幸い、すばらしい専門医のお医者さん
を始め、 看 護 師 さ ん の 医 療 チlムは勿
論のこと、世界に通用する、独創的な新
薬によって命を救って戴き、普通の社会
生活に復帰できた訳で、感謝の念、 一
杯でございます。更に私の周囲の方々、
特に家内が支えてくれて、今日の自分
が あ る こ と も 感 謝 に 堪 え な い 次 第 で す。
みますと、先ず私の生活習慣が間違って
併し乍ら、八十 三年の生涯を振り返って
いたと痛感します勺即ち会社、仕事優先
で家庭のことは 妻 に委せきりであったこ
とです勺之を家庭、家族優先に改めるこ
が な け れ ば 家 庭 で 家 族 と 一緒 に 戴 く の
とです勺例えば夕食などは、会社の行事
です勺そ して若い時から早寝、早起で心
身を鍛え、元気で永生きをして健康保
険のお世話にならぬことです勺聖 路 加 国
九 一 一年のお生まれですから、 二O O八
際 病 院 の 名 誉 院長の日野原先生は、 一
りたいと、毎日診察 しておられるとのこ
年には九十七才ですが、生涯現役であ
いのではないかと思います。先生を目標
とですから、私などは、老人とは云えな
に、今日 一日、今日 一日 と 精 一杯、生
きて参りたいと思う昨今でございます。
末筆 乍ら、アステラス製薬社友会の
皆 様 方 の ご 健 康 と ご 多幸 を 心 よ り お 祈
り申し上げます。
中村義夫(東京)
昨年の春、子供たちが企画した房総
周 遊 の 小 旅 行 に 行 き ま し た 。 菜の花、
ポピ l が 咲 き 乱 れ る 快 晴 の 海 沿 い を 行
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の落語、吉本の漫才等)、毎月定例の
ことになった。最大の理由は薬剤師で
名鉄傘下の調剤薬局で週 三日勤務する
あるからには調剤を経験してみたかっ
S Sクラブの各イベント(天満繁盛亭
たのである。 =一ヶ月余り、汎用薬の知
半島、天橋立、鳥取砂丘、出雲大社、
私的なグループの同好会(夕方の懇親
識、剤型別の調合法、器具操作法、患
鳴門海峡、金万比羅宮、熊野古道等を
会付でハイキング、写真、ボウリング
ドライブして来ました。
しかし、七十才を過ぎる頃からは、
等)に参加し、二人で少しストレスを
夫人同伴の旅行が幹事(矢田郷氏)の
又
、 F杜同期入社有志で昨年より、
てしまった 。その私の日常は、大まか
標は初期設定したものとかなり異なっ
になり、二年半になる。このため、目
者対応など若い先輩の指導で懸命に学
遠出が少しキックなったので、軽いも
て、自家用の野菜作りに励み、雨の日
に次の三タイプの日々を送っている。
習した。どうにか独り立ちできる状態
には読書をしています。二年前からは
総勢口人(夫人 3人)で韓国の歴史、
、
尽力で実現し、昨年は 9月に 3泊 4日
名鉄神宮前調剤薬局にて同僚薬剤師
①出勤日一(月、火、土。十1十九時)
与え合いながら小旅行を楽しんでおり
図書館で﹁時代物﹂を借り、主に﹁藤
文化に触れてきました。今年は6月に
ます。
沢周平﹂氏の作品を多く読み、﹁用心
2泊 3日、総勢ロ人(夫人 4人)でひ
僅かばかりの庭を﹁家庭菜園﹂とし
のに変えました。
棒日月抄﹂は﹁忠臣蔵﹂の元禄時代
がし北海道(知床、阿寒湖方面)で懇
剤と患者対応。
②在宅日一午前散歩、午後趣味、学習、
と二人で、一日処方筆約六十枚の調
(一七O O年 頃 U の江戸は本所・深川
を舞台に物語が展開するもので、とて
来年は九州方面で決まり、再来年は
親を深めました 。
年に 一回﹁佐久市﹂で行う健康診断
き、旅行に年二十回ほど出かけてい
愛車や一般交通機関を駆使した山歩
③旅行日一妻との共通の趣味として、
永井啓孔(静岡)
晴耕雨読を退職前には羨望的でもそ
れなりに描いて故郷に落着いた。
-5-
も良いものでした。
夫婦聞の会話は﹁あれ、あれ﹂が多
る。最近は鳥取三徳山、奥入瀬、黒
休養、夜妻共に雑談や T V視聴など。
ので、これからも急がず・慌てず・転
る孫に﹁お爺ちゃん﹂と呼ばれてニコ
くなっておりますが、時々訪問してく
部渓谷などを訪ねた 。平成 二十年五
海外と盛り上がっております。
ばずに、安全と健康を第 一に続けて行
ニコ笑って答える甘い爺パカになって
では、全項目をクリャーしていました
きます。
おります。
スの旅をした。
月にスペインへ十日間ビジネスクラ
杉原腸(大阪)
とにかく、目の前の事に意識を向け
夫婦 二人の生活
十年余り、妻はボ
六巡りの丑年を迎えるにあたり、私
の日常はほぼ前出のくり返しである
て、皆様に遊んでもらって、くよくよ
が、精神的、肉体的、経済的にどうや
ランテア活動に専
旧藤沢定年後、
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与, 札仙笥哨吋Y 一七年 一耳月円満退社
g晶圃圃聞卿vlし した三= 以後毎日が
ら落ち着いている。七巡りまでは出き
るだけこのようにありたいと願うが、
谷典之(名古屋)
せずに、元気に過ごしております。
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自分の時間であり、心身共快適な老後
然し乍ら、元来がずぼらで煮えたら
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品 f
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念、私は健康管理
ー と趣味の為、出来
るだけ外出を心掛け、天気の日は近所
の山、地理的に近くてすばらしい文化
じ場所でも季節が変わればいろいろ違
を送るために如何に活用すべきかと
食わずのその日暮らしが身上。十一年
果たして如何なるでしょうか。
った景色が写し出され、興味深いです。
日々の目標を企てスタートした 。とこ
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各会合でもお世話になっており、ア
ろが、間もなく友人からの誘いがあり、
財、神社、仏閣がある奈良、京都方面
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ステラス社友会大阪支部の各行事(新
にカメラ持参で散策しております。閉
年会、納涼会、麻雀同好会等)、 J A
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てらる廻間
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所自白目過
詮問責にぎ
極自の垂、
貧答念ん干
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アステラス製薬社友会会報
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。 NHKラジオで聞いた﹁片足で立
てる時聞が短くなれば大股で歩けなく
ス思考で過ごすことを心がけていま
の山登り等の適度な運動、そしてプラ
すが、バランスの取れた食生活・低山
友会でお会い出来ます事を楽しみにし
最後に皆様方のご健康をお祈りし、社
が、ゲーム感覚で楽しんでおります。
回参加し、なかなか上手になりません
おります。社友会の麻雀教室にも月一
不規則な生活
難、若い頃の
りの頃の食糧
ある。育ち盛
慨深いものが
う人や鳥達に明日
取り入れ、往き交
鮮な酸素を体内に
の距離ですが、新
キング約 一時間弱
ょう。と御挨拶す
も元気に会いまし
る日課です。
等を経て良く
ここまで来た
一一、野菜作りを楽
ております。
ものだ。だが
しんでいます。新
なり、よちよち歩きになって老人臭く
生涯現役
羽田哲夫(東京)
幻%が健在で
薬学同期の
なる﹂を参考に姿勢を正しく保てる様
u河 口と云う言葉
N誕
楽しんでいます。その中には八十歳か
JWM
bを耳にして
気をつけながら、趣味の写真を大いに
らデジタルカメラ・パソコンを始める
始めた。町内会世話役等の務めも果た
安心と新鮮さで心良いものがありま
自分で作る無農薬に近い野菜、果物は、
食に対する不信感があります。その点
メラミンの混入等
し、今は自適の生活をおくつている。
す。特に今年の夏は、西瓜が豊作で御
聞紙上に汚染米、
? ‘ 久しい処で
¥
桁 サ すが、五巡
司
ふ
趣味は若い頃より継続して﹁園芸﹂パ
近所にもお裾分けし喜んでもらいまし
あり、今ではこの歳は普通で一通過点
未知の距離
ラ、草花、ブル l ベリl等楽しんでい
方もいてその好奇心に勇気づけられて
へ挑戦して診ょうと地域のマラソン愛
る。何れも地球温暖化の影響を受け生
かも知れない。 7年前福岡へ一戻り住み
生田目節子(東京)
好者と各地の大会を走り始め、互いの
ι
退職後 一巡りを
健脚を称え合うと共に沿道からの声援
りが出来ればと思っています。
、
います。先輩諸氏の隣人パワーで七巡
14M圃・田ご
迎え、早いもので
Aヴ 温 り 辺 り か ら
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園: 4J ⋮ すね、先日 二年に
一
一
hvi 一回の小学校の同
一
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テラス製薬社友会になりまして今現在
製薬社友会では四O団連続出場、アス
フ同好会にも参加させて頂き、山之内
ゴルフを今も続けており、社友会ゴル
本社総務部に在籍しました時に始めた
私はお陰様で今のところ健康でして、
それぞれ家路へと帰って行きました。
じさせないほど元気で又の再会を誓い
皆、童心にかえったようで年令など感
城県の常陸太子温泉に集合しました。
ソンの女房と共に参加し無事完走する
二回目になる第話回ホノルルに初マラ
間数回参加しています。昨年は、自身
五キロからフル迄で県内外の大会に年
一緒に大会を楽しんでいます。種目は
女房が、数年前から練習を始め現在は
る各地の大会に何時も応援して呉れた
七巡りを目指す所存です。私が参加す
ています。今後も健康に留意しながら
生涯現役ランナーを目指し現在に至っ
走る事の面白さを知りました。そして、
と達成感が忘れられずに、苦しい中に
に感謝と同時にフィニッシュ時の感動
ければならないかは、当然の事ながら
気楽な生活です。今、何を大切にしな
子供達もそれぞれ独立し夫婦だけの
す事がある。己に照し戒めとしている。
変調は否めず、時折奇妙な場に出くわ
一見若く見える老人も精神の老化・
いる。
古川光平(静岡)
こなし家族、友人達の映像を記録して
の技術革新は著しい。これ等を何とか
ビジョンデジタルビデオへとこの分野
﹁ムービー﹂ 8ミリフィルムからハイ
た書物、興味の有る分野の書物を。
てきている。﹁読書﹂今まで読み損ね
育過程も様変わりし管理が難しくなっ
しております。特に趣味もない私です
年相応に元気で、毎日を大過なく過ご
た。お陰さまで、
近づいてきまし
齢 者 に 今 一歩まで
を重ねて、後期高
これからも前向に坐活したいと思いま
た o﹂と云う事で記念品を戴きました。
を受ける事なく、元気に過ごされまし
度中ご家族そろってお医者さんの診療
様 ﹂ と書留が届きました。﹁平成四年
た。最近、市役所から﹁健康優良家庭
藤岡健(福岡)
目窓会に参加し、茨
も続けております。これからどこまで
事ができ感動と充実感を満喫して帰国
dい
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一
U
M
,
司
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続けられるか自分自身に挑戦しがんば
しました。以上近況を述べさして戴き
、 新しい丑年を迎え感
還暦から 一巡
﹁健康﹂が一番と思っています。その
て、軽装備のフィールドスコープとコ
楽しんでおります。当初は体力も考え
が、少し前から野鳥の写真を撮影して
いつの間にか齢
一、毎朝自宅から和田浜までのウォ l
為実行している事は
す
。
っております。その他にも地元の人達
筆を綴じます。
琴を習い始めて十年になります、年に
二木寿雄(東京)
一
との交流を持ちたいと思いまして大正
何回か演奏会、発表会などを楽しんで
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2月2
2日 発 行
2008年 1
友 (
N
o
.
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)
社
アステラス製薬社友会会報
大きく飛んで、丑年五巡回の誕生
ある。家族皆元気、人が気楽に寄って
での無農薬野菜作りに精を出す毎日で
そうなものがある
何か区切りの付き
前は年男、何かを
も撮りたくなり、現在は望遠レンズを
日 一 還 暦 に な り ま し た 。三 十 六 年 間 大
る
。
くれる日々を過したいものと考えてい
はほぼ完成、一千株以上となり、久住
た、山埼薬(絶滅危倶種)の実生増殖
書けと言われて、
担いであちこちさまよっています。目
過なくこられたのも、皆々様の支えが
望月圭司(静岡)
し 、 年 数 回 の ゴ ル フ 。 約 4 0 0坪 の 畑
下 の 目 標 は 、 菊翠 色 の カ ワ セ ミ と 風 格
あったからと感謝致しております。さ
皆様には 御 元 気
水谷さんとか云われた薬局勤めも辞
さえ感じるヤマセミの飛期姿と、ダイビ
て 此 年 よ り 妻 と 二人 暮 し で す 。 息 子 二
でお過しの事と存
毎年の三千米登山も、聖岳(三千十
千歳空港発・花巻空港迄、約五十分で
ング姿を撮る事ですが、達成は何時に
四人、近いから時々遊びに来て食事等、
人とも独立﹁札幌在住﹂孫も二人ずつ
一米)を残すのみで、今年目的を達成
ンパクトデジカメを繋いだデジスコで
なるやら:::。しかし、団体行動があ
で 退 職 し て 十 二年
じます。早いもの
運 行 し て お り ま す。
まり得意でない私にとって、公園で、
共にしております。終りに末筆ですが
撮影しておりましたが、飛んでいる姿
河原で、あるいは里山の中で、いつ出
皆様方のご健康を祈っております。
する見込み。
連山の自然に帰せる時期にきている。
た。八年前、美花薄命に魅せられ始め
のか振返ってみ
てくるかも分からない烏をただじっと
目、退職前に受け
なるゴルフ仲間に、何時まで、技術と
た。会社ではセフアメジンの生産が始
ました。小学校が家の裏に開校しまし
ュース番組に、憤りを感じながら、六
明るくする社会責任を忘れた昨今のニ
碁盤に石を並べる今日この頃、世間を
七段の力には、まだ少し足りないと、
禅寺の和尚をはじめ、全く職業の異
水谷功一(東京)
道具で今のハンデ ィを維持するのか
ついかんばん
待っている時間は、意外にくつろげる
何とか六巡回の丑年を迎えられまし
まりました。忘れられない年です。退
度目の干支がきても、まだ、自分の庖
た腰の椎間板ヘルニア手術も悪化せず
時間でもあります。そういう訳で、今
た。ささえてくださった皆様のおかげ
合いをつけ、機材の準備を急いでいま
朝も、天気予報を確め、神経痛と折り
M a回限開帆制組 終 の 棲 家 信 州
圃・困
闘騒 上 田 に 帰 省 したの
園 開 爾 ぷ樋 繍 は 、 長 野 冬 期 五 輪
か、自分にもわからない。
と、酒の肴にされるが、いつ廃めるの
・
闘1
と 感 謝 し て 居 り ま す 。 在 職 時 の 一番の
職後は地区年金受給者協会に入会し、
す
。
E' お 閉幕直後の、平成
園田'幽閣
思 い 出 は 昭 和 四 十 六 年 で す。 家 を 建 て
会員への連絡、会費集め手伝い、日帰
仕舞いは早いと思っている。
0
田園田園圃圃・・E m年 3月 日 日 、 定
していたものの、
年に数回は里帰り
り の パ ス ツ アl、 協 会 主 催 行 事 な ど に
私、丑年二巡目
高橋兼夫(札幌)
するのは、夫婦
参加する他、好きなスポ ーツ見物、庭
圃圃・園町骨,th遇、 ‘年 の 日 で あ っ た
共々初めて、特に女房は不安であった
木の手入れなど多忙な日々を過してい
V
ν
らしい。帰省して叩年経過、新幹線
ます。又趣味で、新聞切り抜き集めな
. .. 合 、凋
﹄
F
ー
t 実際に田舎で生活
r
'
"a
います。社友会の益々の発展と皆様の
日 々 を 健 康 第 一に 大 事 に 過 し た い と 思
昔より人と牛との拘わりは、農耕動物
も六巡目丑年(七 二才)を迎えました。
L閣 し 上 げ ま す。 小生
﹁lillil
臨町料一
社友会の皆様に
一年 を お 迎 え に な ら
パー、ドラッグ、葬祭場、本屋等も出
山本横(福岡)
聞E-d圃 臨 臨 V
a
ζ;
1v h 盆 は 希 望 に 満 ち た 新
一気、
r
身で、正月等の帰省時は、国鉄利用、
来、生活の仕様も大様変りである。明
御健勝祈念します。
肥料の素になる牛ふんを提供する替り
として牛が田畑を耕し、荷車を引き、
青雲寮に入れて頂
﹁札幌支庖﹂早速、
社致しました。
に、中途採用で入
(東京迄日時間)、長野道の開通、近く
どもしています。これからの残された
司
ム eJ
きました。寮には、寮母さん、寮長、
の道路事情も急変、我々の帰省を待っ
士旦兎修(大阪)
副寮長他寮生十名程で、とても家庭的
て い た か の 如 く の 様 変 り で あ る 。 スー
1lili---画
話は変わり、私、岩手県花巻市の出
な 雰 囲 気 で 、 毎 日 が 楽 し い 一年半の独
一
一
身生活でした。お世話になりました。
札幌駅より函館本線にて、函館駅着、
治生れの父もピックリ。その父とは、
企業という損得の社会を離れ、趣味
j
連絡船に乗り替えて、津軽海峡を渡り、
色 々 な 事 を 教 わ っ た が 丁 度 一年 生 活 出
の世界に入って久しいが、目標が多く、
に、人は牛に対し午舎、牛食(草、ヮ
λ 4必 込 れ た 事 と お 喜 び 申
i
1 izmmuu
“
"
現
青森駅着、東北本線に乗り帰省してお
来た 。 家族想いの父らしく、
ラ、水、塩等)を提供する共存共栄の
す
りました。所要時間大凡十六時間程だ
全員(但名)に見送られて幻才で逝っ
ったのか、忘れていたのか。今年、お
年を重ねている事を考えようとしなか
.泌
っ た と 思 い ま す 。 当 時 、 北 海 道 と 本州
た。現在は二巡り違う丑年生れの母と
一y
は、国鉄使用が、主力手段だったと思
老妻との老人三人暮しである。癒しの
一族 郎 党
います 。 因 み に 今 は 、 航 空 機 利 用 、 新
-7一
2008年 1
2月2
2日 発 行
友 (
N
o
.
l4
)
ネ
士
アステラス製薬社友会会報
りました。牛は記憶力の良いおとなし
に生れ子供の頃六頭の牛が飼われてお
関係にあったと思います。小生は農家
口1 万 8千人の
南側に接する人
m
m本)、タブノキは幼木も含めると 5
松津パズルに挑戦する
岸田鴻作(比阪︺
唱和よ
d
. ..噸
¥ 同
九年が過ぎようと
圃掴退職してからもう
11111Ell圃 ・ 早 い も の で 定 年
ζ
.
v
,
一闘 ぺ叩 一 V
4
ふ FEELている 。定 年 直
一7F
︺
八
大きいように思われる。最近は数独に
また雑学的趣味で気分転換をしてスト
レスを溜めないようにしてきたことが
それには、 日 々の出来事、感じたこ
となどを日記の形で記してきたこと、
世の中、永く生きているといろんな
出来事や出会いがあったが、何とかメ
ランコリアにもならずにこられた。
している。
の人生もこれといった話題もなく経過
をも実施するに至りました。
最近ではこの本を片手に巨木巡りを
の収集をして来ましたが、定年をむか
え改めて当町の蝶類の分布調査に取り
も う 一つの報告は﹁蝶﹂に関するも
のです。
中学生の時から昆虫少年として﹁蝶﹂
発になって来ました。
ω
その後も月に 1回の観察会を継続し
ており会員数も 名 を 超 え る 規 模 と な
り、他の市町村の観察会との交流も活
する町民も増えてきました。
2 1 9本をカウントして H 口年日月に
mpの小冊子(巨木マップ付き)と
は
してまとめあげ発行、町民への講演会
手から眺める富
士山にかかる夕
日は素晴らしく
時にはカメラマン
が並ぶこともあ
ります。農家と
東京のベットタウ
ンが入り混じっ
﹁ーハドlll圃・園前に母の介護が始
まり、それがずっと続いていて、第二
﹁水と緑の町﹂で
す。利根川の土
い動物だと思います。例えば人の言葉
と手綱捌で進め、止まれ、後退り、右
行け、左行けが出来る事、家より遠く
離 れ た 回 の 所 在 地 、 田 迄 の 道 順 を 一回
行けば覚える事等が、子供の頃牛に関
する想出であります。小生の定年後の
主な暮らしは家庭菜園での野菜作り、
草花、山野草及び盆栽の手入、週二回
の囲碁等です。少し運動不足気味の時
民館活動の活発な町でもあります。
た静かな田舎町
ですが非常に公
ます。最後になりましたが、社友会の
は公園等を歩き健康維持に努めており
皆様の御健康と御多幸をお祈り申し上
掛かりました。
H H年には教育委員会からの要請で
はまっていますが、金がかからないう
した公民館講座﹁里 山 の植物を知ろう﹂
が町の人々との交流の大きなキツカケ
﹁利根町の蝶類展﹂を開催し、その後
公民館講座﹁親子で楽しむ昆虫採集﹂
ー ト し た の は 第 三 号 (二O O六・三・
現在まで 8科品種の蝶を確認するこ
とが出来ました。
に成りました。
報告の第一はこの講座の受講者有志
を 3年 間担 当いたしました。
その後も小学校からの要請で昆虫採
ばならない。﹁社友﹂に松淳良和氏出
題の﹁シャユウ﹂ことばの遊びがスタ
え、理屈の雪隠詰めでやれます。
ところで、タイトルの本文に戻らね
で﹁利根町の巨木とタブノキ﹂という
二O) からだった 。 一、 二回では 一見
して手が出ないと思いパス。 三 回目で
初めて回答を投函したところ、幸運に
この 3 1 4年 で 我 が 利 根 町 で も 普 通 に
見られるほどになって来ました。
ゲハ ﹂ がその分布を北に拡大している
とのニュースも報じられていますが、
をしなければならない。それでも、何
動員してあちこち探し、かなりの苦労
使われない言葉等々。作者の博識に敬
意を表しながら、手持ちの辞書類を総
出て、身近なことなのに意外と最近は
福の時間です。
地球温暖化のためか南方系の蝶﹁ツ
この夏から、小学生達と﹁ツマグロ
マグロヒョウモン﹂とか﹁ナガサキア
ヒョウモン﹂の幼虫の飼育観察を始め
ら丁寧なご返事をいただき恐縮の次第
時ぞや不援な質問にも拘らず、作者か
見られるため﹁タブノキ会﹂ と 名 付 け
ました。新たな昆虫少年達の誕生を期
も図書カ lドを戴いた。
当方にとっては、とにかく難問なの
だ。毎回とも幅広いジャンルの言葉が
調査は町内全域を歩いて踏査する方
待しつつ楽しんでいる毎日です。
講師の先生の指導を仰ぎながら会の
の交流を楽 し んで参りました。 一方田
舎暮らしでの私ながらの楽しみ方を 二
つほどご紹介しながらこの叩年を振り
法をとり、 H 日年日月から H U年 6月
ま で 、 ほ ほ 毎 月 2回のベ l スで合計お
宇
品 1レれ 。
活動の 一環 と し て 利 根 町 の 巨 木 調 査 と
タブノキの分布状況を調べることにし
返って見たいと思います。
私の住んでいる茨城県利根町は、利
回、調査した樹種は幻種(調査本数は
ました。
の観察会﹁利根タブノキ会 ﹂ を立ち上
げました。タブノキは当町では数多く
小冊子を上梓したことです。
講座終了後、有志叩名で里山の植物
集や煤の出前教室も行って居ります。
子供達との交流は何にも変えがたい至
きめこんで居ましたが、半年後に入会
退職当初は﹁毎日が日曜日﹂と、家
庭菜園と散歩が中心の﹁晴耕雨読﹂を
定年退職から
アッという聞に
叩年が過ぎてし
まいました。
j稿 j
その問、﹁歩
け歩け同好会﹂
にはいつも参加させていただき皆様と
j投 j
根 川 の河 口から約制加湖った取手市の
-8-
げます。
j由;
タブノキと蝶
j自 j
2008年 1
2月2
2日 発行
友 (
N
o
.
14
)
社
アステラス製薬社友会会報
でした。おかげで、その後は益々挑戦
く、始めても途中で諦めて応募する 事
見ても、 二000年 六 月 に ウ ィ ー ンの
になってから専ら使用している電子辞
ている知識だけでは到底無理で、老眼
書を駆使しても追い付かない。まず分
シェ l ン ブ ル ン 宮 殿 を パ ッ ク に し て い
其の後、クロスワ ー ド・パズルを始め
は有りませんでした。
る部分を埋めていったあと、私がパソ
字数の多いのは比較的楽なのです
る 一枚 の 横 に は 翌 月 の 七 月 は じ め に は
ア メ リ カ の モ ニ ユ メ ン ト ・ パ レ l でネ
ローするというコラボ作戦で毎回なん
する気力が湧いてきました。
イティブ・アメリカン(インディアン)
と 一緒 に ポlズ を と っている 。
ので、辞 書 や イ ン タ ー ネットを使い、
あ れ こ れ と 調 べるのに苦労しています。
遭遇した時には、自分の手に負えない
出来るパズルが増えて喜んでいます。
クロスワード・パズルで難しい問題に
あまりやってなかったが、健康と 地域
手伝いと事務局だけで実際のプレーは
の歳になるまで、息 子 の少年野球のお
チl ム に 参 加 し 、 春 と 秋 の 大 会 以 外 に
毎週三回の練習で汗を流している。こ
ている還暦野球で五年程前から地域の
晴 ﹂ の ほ う は 、 六 十 歳以上でやっ
﹁
クしているはずなのに、こんなことが
り 、 年 齢 を と る と 二人 で 充 分 に チ ェ ッ
個数を勘定間違いしていたこともあ
見 出 し た 答 え が ﹁ ア ス テ ラ ス ﹂、幸い
に し て 当 選 者 の 中 に 入 っ て い た 。 時に
とか全てのマスを埋めることが出来て
いる 。 ある 意 味 で は 、 夫 婦 で 共 同 作 業
コンで検索し、家内が電子辞書でフォ
仕事の時にはなかった東奔西走をや
た切っ掛けは、会社を辞めてから、時間
で す 。 其 以 来 、 毎 月 購 読 し ている雑誌
っていたが、八年近くも経つと落ち着
をする良い機会になっている。
こ の パ ズ ル の 第 一回 が 二 年 半 程 前 だ
が、短いものほど迷うことになります。
中のパズルに挑戦してはせっせと葉書
いてきて、時々旅行(温泉が多くなっ
ったと記憶しているが、それまでに出
を持て余していた頃、暇潰しにと、何気
が推測されるようになりました。おそ
た) に も 出 か け る が 、 ﹁ 晴 耕 雨 読 ﹂ な
会ったことのない難しさで、なんとか
無く始めたパズルに眠ってしまったから
ら く ﹁000﹂ で し ょ う 。 こ の 作 者 の
に答えを書いて応募しております。社
らぬ﹁晴野球雨パソコン&クイズ﹂の
の出題の参考にされている主要な辞書
難問に挑む大きな武器として役立ちそ
パターンが定着してきた。
これまで何回 かやってきますと、作者
うな辞書があります、それはおそらく
社友﹂にクロスワード・
友会の季刊誌 ﹁
パ ズ ル が 載 る 様 に な り 、 ま た 一つ挑戦
ク ロ ス ワ ー ド・パズルの面白さは、
﹁陣地戦﹂の様に少しずつマス目を埋
﹁
OOき000﹂ではないでしょうか。
これからも引き続き楽しい出題をお待
め、試行錯誤しながら、全部のマス目
スワード・パズル
﹁皆さん、クロ
私のクロスワード・パズル
大石武
ちしております。
は、何処で何の様
を埋め尽した時に味わう達成感であ
﹁雨﹂というよりも野球以外の屋内
せない楽しみとなっている。
の人たちとの交流・親睦の面から欠か
苦労した末に知らなかった 言葉 を 導 き
難しいほうが脳の活性化にも役立ち、
難易度に関してはいろいろと意見の
起 こ る なlと笑い合ったものである。
はA の言 葉は正解していたのに、 B の
に発明されたか御
り、満足感でもあります。
での過ごし方では、パソコンとクイズ
出すことが出来た時の 喜 びが大きいの
ではないかと考えている 。
曜 版 の ﹁ファン ﹂ に 掲 載 し た の が 最 初
による脳の活性化を促し、﹁ボケ予防﹂
パズルですが、 ﹃
じっくり考えること﹂
時間潰しにと始めたクロスワード・
だ手元に残っているものがあるが、家
のレベルになると私には解けないでま
﹁
数 独﹂ が主である。どの新聞にも出
題されるようになっているが、高難度
クイズは普段は今(?)流行りの
浮 き ん の ご 苦 労 は 大 変 だ と 思 い ま す。
執 筆 のためのいい原動力になりました。
第 一回 か ら 出 題 を 担 当 さ れ て い る 松
当選者十名の中に名前が入っていて、
友﹂九月号を開くと、うれしいことに
分れる所かもしれないが、これぐらい
クロスワ ー ド ・ パ ズ ル の 欠 点 は 、 時
間を忘れ、夢中になるあまり、ついつ
である 。
存知ですか?﹂
のパズルをヒントに考え出したもの
い の め り 込 ん で し ま う 事 で す。
と さ れ て い ま す 。 そ の 十 一年 後 ( 大 正
に繋がればと、期待しながら今月も挑
内(クイズはなんでも好き)はその全て
一九 一三 年 に 、 ア メ リ カ で イ ギ リ ス
人 の 記 者 アl サl ・ウィンが子供向け
で 、 ﹃ ニ ュ ー ヨ ー ク ・ ワ ー ル ド ﹂ の日
十 三年 ) 、 日 本 に も 新 聞 や 雑 誌 に 初 め
戦 中 で す。
をクリアしているのでとても敵わない 。
私のクロスワード・パズルとの出合
しまくりとばかり
は、この際旅行の
退職した当初
目
回
樺田清彦 (東京︺
さ し く チ ャ レ ン ジ と い う言 葉 が ぴ っ た
ー ド ・ パ ズ ル は 、 家 内 と 一緒 に な り ま
﹃シャユウ﹄ことばの遊びのクロスワ
そ し て 三 ヶ 月 毎 に 届 く ﹁社 友 ﹂ の
含めて三千人を超える社友のメンバ ー
に、これからも ﹁
頭 の 体 操﹂ で楽しま
の句の 言 葉 が 考 え ら れ て い て 出 題 者 の
また、答えの二重枠文字にはその時々
この原稿を書いている所に届いた﹁社
て 登 場 し た 。 ク ロ ス ワ ード ・ パ ズ ル が
約百年を経過した今でも、新聞や雑誌
難 問 劃 ま た 楽 し か5 す や
いは、はっきりと覚えてはいないが、
りである 。 このパズルは非常に難度が
了させる何かがあるからでしょう。
等に掲載され続けているのは、人を魅
新聞か雑誌の何処かの様な気がしま
にあちこちへ出か
せ て 頂 く こ と を 願 っ て お り ま す。
心 配 り を い つ も 感 じ て お り ま す 。 私を
す。旧山之内製薬の社内報﹁協同﹂に
高く、二人がかりで取り組んでも持つ
今、机の前に飾つである写真立てを
けていた 。
たが、其の頃は余りパズルに関心もな
もパズルが載っていた時期がありまし
9
2008年 1
2月22日 発 行
友 (
N
o
.
l4
)
杜
アステラス製薬社友会会報
アステラス製薬社友会会報
友 (
N
o
.
l4
)
社
2008年 1
2月22日 発 行
f
eALLERY
小春日
井村重光(東京)
落 日 小)
1
1 修(名古屋)
房総の早春本多光夫(東京)
宝福寺三重塔森山早苗(大阪)
紅葉見頃村瀬清志(東京)
秋田和岡田亘(大阪)
晩秋の渓流矢崎滋(仙台)
-10-
アステラス製薬社友会会報
友 (
N
o
.
14
)
ネ
士
2008年 1
2月22日 発 行
夏の白樺湖川上英世(東京)
娘からの贈り物(花)
大屋俊郎(東京)
柿中本健一郎(大阪)
近江八幡森井教萱(大阪)
秋の果物松尾宏(東京)
ポランドの女高塩芳男(東京)
パイナップル他宮武峻司(大阪)
ム
1E
Eム
悔
申
み
上
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げ
•
す
ま
8
3大阪
6
7 東京
9
3 東京
6
4 東尽
8
5大阪
6
9大 阪
7
6 名古屋
8
3 東京
8
4 大阪
6
6 大阪
8
4 東京
「トップページ J 行事予定 J
「定款 J 運営規約」
r
f
愛
[1月更新予定]
[2月更新予定]
「
同好会記事・写真」
・「社員動向 J
i物故者 J
は毎月更新しています。
ぜひご覧になって下さい
ットした部分もありご容赦下さい
o
面の都合で、ご家族一緒の写真でカ
稿を頂き、有難うございました。紙
V U名 の 方 々 か ら 丑 年 を 迎 え て の ご 投
して頂きました 。
な干支をモチーフにした作品を提供
お願いして、東北の雄大で、のどか
ト ッ プ の 写真 は 、 仙 台 写 真 同 好 会 に
V明 け ま し て お め で と う ご ざ い ま す 。
[
1
2月更新]
r
ZZ
ロ
H
﹃ U
「
ト ップペ ージ J 行事予定」
「
作品展示コーナー j写真・絵画・俳句
集
r
[
1
0月更新】
(敬称略~.
物故社員報告
ては、次号以降の掲載となります。
v本号に未掲載の自由投稿数本につい
-1
2
字年 支 部 お
ご逝去日 氏 名
11
0
8
.
0
9
.
1
4 久保恒信
21
0
8
.
0
9
.
1
4 近藤芳春
31
0
8
.
0
9
.
1
6 中村安雄
41
0
8
.
0
9
.
2
4舟 山 重 雄
51
0
9
.
0
9
.
2
6森 田 寛
6
1
0
8
.
1
0
.
1
6矢 野 尚
71
0
8.
1
0
.
1
7 八子幸雄
8
1
0
8
.
1
1
.
0
5 川島祐次
91
0
8
.
1
1
.
1
3 野上一夫
1
00
8
.
1
1
.
2
2 古川雄輔
1
10
8
.
1
1
.
2
7 遠山正芳
.
ω
4月2
7日(月) 福岡支部 ホテルセントラーザ博多
比阪度四
ω
4月2
4日(金) 仙 台 支 部 江陽グランドホテル
ホームページ更新連絡
.
ω
.
ω
.
ω
4月2
3日(木) 広島支部 ホテルグランヴィア広島
平成二十年十月十五日
秋一雨に犬の散歩も小走りに
一橋忠行
宵弧高なる
垂 直 に 半 月 A7
岡島雛子
たんの-つに生きし兄の忌・刀ンナ燃ゆ
岡田正
跳んで知れ風におたれのたするばった
片岡幸八
命この一つなるもの天高し
河村信弘
4月2
3日(木) 静岡支部 t
尭j
章グランドホテル
編
年度予算書案の件
三
四.同好会新規承認の件
五.社友会の将来像(マスタープラン)
に関する件
六.推薦入会社員承認の件
七.新入会社員承認&社員動態報告
年度ホ lムベ Iジ 更 新 計 画 の 件
八
年度主要日程に関する件
九
年114月主要日程に関する件
十
十一.その他
︻お知らせ︼社友会の正式名称変更
、 一般 社 団 ・ 財 団 法 人
的∞年ロ月 1日
法の施行に伴い中間法人法は廃止とな
り、社友会は有限責任中間法人から
﹃一般社団法人アステラス製薬社友会﹄
に名称変更になりました 。
会の目的や活動内容は従来と変わり
ませんが、今後とも引き続きご支援・
ご 協 力 よ ろ し く お 願 い 申 し 上 げ ま す。
4月2
2日(水) 東京支部 東京禽舘
-
ω年度支部総会日程
ω
4月2
1日(火) 名古屋支部 名古屋観光ホテル
各支部の 年 度 支 部 総 会 日 程 が 左 表
の通り決まりました。
支部総会案内・出欠葉書等は 年 3
月中旬発送予定です。
皆様お誘い合せの上、 一人 で も 多 く
の方のご出席をお待ちしています。
4月2
0日(月) 札幌支部 ホテルオークラ札幌
平成二十年十一月二十八日
山茶花や墨絵ぼかしの筑波山
1
共に病み便リピだへて秩深む
志井謹子
氷雨に清れて吾、が影さすらひぬ
除門一喜
ピの曇る一汰ピ明るき花芙ゑ
友井正明
里山に鶏脅さ交ふ秋の雨
西田弘
石庭に浮遊許さる赤どんぼ
西野良治
天高くリレ!の子ピも手を振りて
橋本喜代美
鏡中の四隅にひそむ秋の冷え
橋本美川
ごぼうはピの長き甘藷を堀リにけり
東虫恭子
明日呑風乙女の案山子立つ棚田
堀田建夫
秋日和異人乗りくる遣し舟
桃井克夫
揺れあうて白萩の情人の情
横田喜久太
千年紀﹁明石の上﹂の十三夜
米田鎖敏
中野正士
︻第国回理事会︼侃年ロ月 3日
一
. 侃 年 度 第E 四 半 期 決 算 報 告 の 件
二. 回 年 度 予 算 案 績 見 通 し の 件
4月2
0日(月) 大阪支部 ヒルトン大阪
酒井湧甫
っきぬける空を飾リて冬紅葉
秋田美智
籾がらのたんぼに還る神無月
天瀬克雄
三 代 の 膝 せ め ぎ Aロふ矩娃かな
市川稲舟
勾あそびで介護わするる扱矩娃
大場ひさし
税め事を少し漏らして矩娃適
川脇信久
矩娃居のよろづ聞に令ふ小袖斗
小林達治
紳 無 月 百 度 詣 で の を ん な ゐT
佐藤喜仏
雪吊りの庭師の鉄響きをリ
島村能率明
地の紳の怒リか大根抜き難し
竹田正明
門 虫 れ ば 襟 敬Tてタ時雨
田島昭久
前月定に追わるる日々や一恭の忌
田中保代
ぽつねんど故郷守る堀矩娃
藤原少砂
菊 清L愛 す る こ ピ は 命 な リ
,
引uf
'
↑
ヨ
バ
川 kd巳V白
Jt ゐ
宵
,
F
棒枯れひピ夜で庭に降り積り
本郷宗祥
御手洗に袴清らして七五三
森田一宗
畳上げ矩娃仕立てる日和かな
森田武
編み棒や古るさ燈下に矩娃かな
横田豊
場所
支部
開催日
2
0
0
8年 1
2月2
2日 発 行
友 (
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o
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14
)
士
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アステラス製薬社友会会報
ホパズルです。チャレンジして下さいl
※お年玉ジャン日
一
・ 内容も、少し易しくいたしましたので、多数の方の応募をお
待ちしています。文、正解者の中から、今回は五名増員して
十五名の方に賞品を用意しました 。
﹃シャユウ﹂
小 豆 揮 正 ・ 市川 敏 夫 ・ 桜 井 雅 恵 ・
二重 枠 に 入 った 文 字 を A← 枠 Hの順 に
並 べ る と 言 葉 が で き ま す。 それは何と
いう言葉でし ょう ?
.
﹁ ユ﹂
﹁ウ﹂
﹁ヤ ﹂
解 き 終わ った 盤 面 で ﹁シ﹂
の 入 った マ ス は い く つ あ る で し ょう ?
合 計 で 答 え て く だ さ い。
ことばの遊び語
辞
~
以上同名(敬称略)
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︿集。一九 O 一年(明治
-国木田独歩の第 二 V
三四年) 刊 、 清 新 な ロ マ ン 的 香 気 に 富 み 、
自然美を描いて有名川
2ーーを隔てて痔きを掻く。
3自 分 の 持 っ て い る 金 銭 。 ま た 、 自 分 の 金 で
払うこと 。
4句 の 意 味 、 俳 句 の 意 味 。 二 ' f
5赤 ん 坊 の 泣 く 声 、 特 に 、 乳 呑 子 の 泣 き 声 。
6 ﹁くし﹂の美称。
7綱 渡 り の 輯 お で 、 室 町 時 代 か ら 江 戸 時 代 初
めにかけて流行したもの。
B栃 木 県 南 西 部 の 市 。 江 戸 時 代 は 日 光 街 道 の
宿場町、縮の産地。
叩舞踏、音曲などを教える家 。また、その人 。
ローーがらす、 ーーーたけ、 ーー のかに 。
川 ﹁ 東 海 道 中 膝 栗 毛 ﹂中 の 人 物 。 江 戸 の 住 人
で 、 喜 多 八 と と も に 失 敗 や こ つけ い を 演 じ
ながら、東海道、京、大阪を旅する 。
村山アブラナ科の 一
1 二年草。春、黄色小形の 十
字花をつけ、葉は辛昧があり塩漬けで食せる o
自 分 自 身 を た の み と す る こ と 。自 負 。
引 シ ョ ウ ガ 科 の 多年 草 。高 さ 約 五 O m根茎は
黄 色 で 多 肉 、 バ シ ョウに似た長い葉を四、
五枚出す 。根 茎 を 染 料 や カ レ │粉の原料に、
熱帯アジア原産。
幻母、女親のこと。
お禅寺の寺務所、また厨房。
U伊 勢 地 方 で 行 わ れ た 柱 聞 の 寸 法 。 臨時の五
) を 一間とする。
尺 八 寸 ( 約 一七六 m
お 雅 楽 に 用 い る 琵 琶 。他 の 琵 琶 よ り 大 き く 主
として管弦合奏などに使う 。
m
uこ と の お こ り 、 原 因 、 由 来 。
引稲などの穂が出てならぶさま 。また、その穂 o
)を中
m
記長野県諏訪湖の北東、車 山 (一九二五m
心とする標高 一六Oo-- 九OOmの高原地
O
1 ライダー練習地、スキ│場として知られる
帯 グ
M薙 刀 の 刃 の 反 っ た 部 分 。
お あ る 人 の 配 偶 者 。 ま た 、 夫 婦 の 一方 が 第 三
者に対して他方を呼ぶ称。
おプロダクション、プログ ラムなどの略 。
ぬ花札の、赤色の短冊を描いた札のうち松、
梅、桜の札 。また、それが揃 って 出 来 る 役 。
動植物に広く分布し、特
削代表的なリン脂質の一 。
に脳、神経、卵黄や大豆、酵母に多く含まれる。
必酸化アルミ ニ ユム (アルミナ ) の通称 。
初江戸時代、鯨を網に追い込み、もりを打つ
役をした船。
円引壁の下部の、床と接する部分に張る化粧用
の横板 。 (損傷を防ぐため)
相僧侶たちが住んで仏道を修行する清浄、閑
静な所。
引タンポポの 古名 。
目以災い、欠点、困難 。
日魁身匪の略 。
弱気がまえ、心のひろさ 。
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u
ω
。
AN
NO
巾
矛
・
2;
引ホトトギスの異称。
日山 中 に 立 つ も や 。青 々 と う る お う 山 気
m--じけん、││ぶくろ、 ー ー まめ 。
口出ある事柄がいつまでも続くこと 。永 遠
o
o
げ庭の池や泉水の中にある築山 。また、池や
築 山などがある庭。
市長野県北部、信濃町にある斑尾火山の溶岩
流によるせきとめ湖。昭和三七年以来の発
掘でナウマンゾ門沈どの化石が出土 。
ゆ 古 代 都 市 の 城 の 外 郭。
ll おうぎ、はご !ーー 、ーー がみ o
記
明 奈 良 市 に あ る 法 相 宗 の 大 本 山 。南 都 七 大 寺
の一つ 。 六八 O年 天 武 天 皇 の 発 願 以 後 、 持
統 ・文 武 朝 を 通 じ て 藤 原 京 に 造 営 さ れ た
が、平城遷都後、現在地に移る 。
おことさらにた くらむこと、心あってすること o
絵にかいたもち、実際の役にたたないもの
のたとえ。
初全長 二O m程度のボラの幼魚。
引その人の戸籍のある 市 区 町 村 の 区 域 。
お柑橘類の果実中に遊離 し て存するほか、生
物界に広く分布する水酸基を含むカルポン
酸、また、細菌などの発酵生成物 。
おまぐろ 。特に、缶詰のまぐろ。
お魚 ・肉 な ど を 、 ワ イ ン ・酢 ・油 ・香 辛 料 な
ど を 混 ぜ た 漬 け 汁 に 漬 け 込 む こ と 。 また、
その料理 o
石油化学の略。
お商品につける景品。割増金 。
ーーー思う、故に我あり 。
位 牛 乳 ・卵 黄 ・砂 糖 ・ゼ ラ チ ン ・生 ク リ ー
ム ・香 料 を 混 ぜ 合 わ せ 、 型 に 流 し 込 ん で 冷
やし固めた菓子。
糾歌舞伎年中行事の一 。 江 戸 時 代 、 年 一度の
各座の俳優の交代のあと、新規顔ぶれで 行
う最初の興行。
川崎本流から分かれた別派 。支 流 。
特溶かした金属を注入して鋳物の形をつくる
ための型。その材料によって金型、砂型な
どがある 。
日長くしまっておいたため古びて使えない
瓦。
、はん│
│ 。
3ー ー ご 、 え ん Le - 5ケ シ 科 の 多 年 草 。高山に生え、高さ約十 m。
葉は細かく切れ込み、夏、数個の淡紅色の
花 を つ け る 。 高 山植 物 の 女 王 と い わ れ る 0
9川魚 の 産 卵 す る 場 所 。
日頑 固 で 自 分 の 考 え を 曲 げ な い 人 。 町立駅地な
人。
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刊日夜の十 二時 。 真 夜 中 。 子 の刻 。 ヲ
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時短根の頂 上 の 部 分 、 ま た 、 屋 根 に 葺 い た 棟
々
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ー利 益 の な い こ と 、 む だ な こ と 、 ま た 、 そ の
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m鵜 飼 を す る 時 に つ か う 船 。
︿応募方法﹀
-記 入の し か た 官 製葉書に、
﹁第ロ回の答え﹂として、問団圃
に)、郵便番 号 、住所 、氏名を
AHO0000
ふたつの解答 (
000、BHO個 と い う 具 合
お書き下さい 。感想があればお
書きください 。同居の方(家族)
の応募も歓迎いたします。
東京都中央区 日本 橋堀留町 1 2 M
10 012
-宛名 一T1 0 3
アステラス製薬社友会までお送
りください 。
-締 切 1月お日(金)消印有効 0
・賞品 正解者の 中から抽選で今
回は、日名様に各2千円の図書
カlドをお贈りします。
-発表 第日号 (2009年 3月
発行)の杜友にて発表します 。
解答も同時に掲載します。
-第 日回 (
日 号)の答えは、
タイイクノヒ(体育の日)、
﹁叩個﹂ でした 。
1
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島村能宥・島村政子・ 鈴木信吾 ・
牧野勝 己 ・
溜喜美子 ・
田中あづさ ・
松山泰俊
B A
2008年 1
2月22日 発 行
友 (
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社
アステラス製薬社友会会報
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