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Title 生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育 Author(s) 生方

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Title 生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育 Author(s) 生方
Title
生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育
Author(s)
生方, 秀紀
Citation
釧路論集 : 北海道教育大学釧路校研究紀要, 第43号: 77-85
Issue Date
2011-12
URL
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2871
Rights
Hokkaido University of Education
釧路論集 -北海道教育大学釧路校研究紀要-第43号(平成23年度)
Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.43(2011):77-85
生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育
生 方 秀 紀
北海道教育大学釧路校自然環境教育研究室
Environmental education challenging the crises of biodiversity and ecosystems
Hidenori UBUKATA
Department of Natural Environmental Education, Hokkaido University of Education Kushiro Campus
はじめに
でに顕著に減少させる」という「2010ターゲット」は空手
私たちは、エネルギー代謝や自己複製を行う有機物の複
形におわった。セヴァンの言葉に代表される生物多様性保
合体である生命を誕生させた、宇宙で唯一知られている生
護への叫び声は、グローバリゼーションのもとでの経済活
命の星、すなわち地球の上に人類の一員として生まれ、生
動の拡大の嵐によってかき消されているかのようである。
きている。原初の生命がその後の40億年の間に様々に変異
しかし経済活動による開発行為のみに責任を押し付けるこ
し、それぞれの棲み場所の環境や種間関係に適応しながら
とはできない。そのような行為を行うのは人間であり、人
種分化を繰り返すことで、高度の多様性を持った現存生物
間が生物多様性をないがしろにしているのである。そのよ
群に姿を変えてきた。人類の祖先も、環境に適応して生き
うな行為を行うことに対して疑問を感じたり、非倫理的で
残る過程を繰り返しながら、アフリカの草原で二足歩行を
あると感じない、あるいは感じても経済的利益の方を優先
獲得し、道具を使う集団生活者として生態系の中に新しい
してしまうところに問題がある。環境教育は、環境保全に
地平を切り開いた。少なくとも狩猟採集経済のもとで生活
とって望ましい行動をとる人材を育てる責任を負ってきた
していた人類は、その生活の糧のほとんどすべてを生活圏
わけであるが、それが十分達成されているとは言い難い。
の自然生態系の中から得られる生物資源に依存していた。
生物多様性にかかわる環境教育についての国内の研究
その後の農耕・牧畜の発展と国家の成立、更に工業の発達
報告としては、これまでに、タイにおける環境問題と環
と市場経済の進展という社会進歩を成功させる中で、人類
境教育の現状(生方・サンカム 1998)、地域社会におけ
は自然生態系を急速に悪化させた。その結果、地球上の全
る生物多様性の保全に基づく環境教育(小堀 2005)、学
生物種を6,500万年前の恐竜絶滅以来、地球史上6度目と
校園づくりを事例とした学校緑化についての構想(長島
いわれる大量絶滅の危機に直面させている。20世紀後半か
ら 2007)、自然と共存する社会を目指した論考(北野 ら21世紀を通して進行しているグローバリゼーションのも
2008)
、パートナーシップによる都市近郊緑地の保全にか
とでの生態系の破壊と種の大量絶滅は、ひとえに人類の責
かわる事例研究(戸川 2010)などがある。しかし生物多
任であり、それを食い止める潜在能力を持っているのも人
様性の定義、その価値、その現状、その衰退の原因、その
類をおいて他にない。
保全のあり方について網羅的に検討し、その上で生物多様
リオの地球サミットで、カナダの1中学生(セヴァン・
性についての環境教育のあるべき姿を論じた研究報告はほ
スズキ)が、地球環境を守り将来世代に生き物たちに満ち
とんどない。
た自然を残すために行動することを訴えた。セヴァンは言
そこで、本稿では、生物多様性・生態系の危機に立ち向
う、
「私がここにいるのは、未来の全ての世代のために話
かう環境教育の在り方について、生物多様性について論点
すためです。…行くところが失われて死んでゆく無数の動
の整理をした上で、考察する1)。最初に生物多様性を定義
物たちのためです。…絶滅した動物をどうやって元にもど
し、次に生物多様性の価値について整理する。その上で、
せるか、あなたがたは知りません。…どうやって直すか知
生態系・生物多様性の危機の現状を概観し、問題点を浮き
らないものを、こわすのはやめてください。
」と(Suzuki
彫りにする。また、その危機を作り出している原因と対策
。
1992 in Syahir 2008)
についての知見をまとめる。最後に、生態系・生物多様性
しかしながら、
リオ・サミットから今日までの20年間に、
を持続させることに貢献する環境教育はどのようなもので
生物多様性を含む地球環境の悪化は一層加速している。
あるべきかについて検討する。
2002年にオランダ・ハーグでの生物多様性条約締約国会議
COP6で採択された「生物多様性の損失速度を2010 年ま
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生 方 秀 紀
1.生物多様性とは何か
(2) 遺伝的多様性
生物多様性(biodiversity)という用語は、1986年にア
人類の肌や頭髪、眼の色や顔かたちが個人や民族の間で
メリカで開催された「生物多様性に関するナショナル・
変異しているのと同様に、野生生物においても種内の遺伝
フォーラム」の報告書(Wilson 1988)のタイトルに、編
的な性質は変化に富んでいる。同じ地域の同種個体群も遺
者のE.O.ウイルソンが採用したことをきっかけに広く用
伝的に様々なタイプの個体から構成されており、個体群間
いられるようになり、1992年のリオデジャネイロでの地球
の地理的な距離が増すにつれ、特に海峡や山脈などで分断
サミットではその利用と保全のありかたが主要議題の一つ
されると、遺伝子の交流の機会が低下し、それぞれの地域
となった。生態系が「ある地域に存在する動植物・微生物
に独特の形態や色彩の変異(地理的変異)が見られるよう
の総体である生物群集と物理化学的環境とで織り成す複雑
になる。明瞭に区別可能な場合は亜種として記載されるこ
な網目を通した栄養塩循環・水循環・エネルギー流動のシ
とも多い。この遺伝的多様性には、同じ種内の個体間にお
ステム」を指すのに対して、生物多様性は「陸上・海洋・
ける食物の選択傾向や、病気や環境悪化への抵抗性などの
陸水の各生態系を含む原産地における生物の間、およびそ
質的な差異も含まれる。そのため、個体群の一部がその影
れらが構成する生態学的複合体の間の変異性をさし、種
響で滅んでも、異なる遺伝的変異をもつ個体が生き残るこ
内、種間および生態系の多様性を含む」
(1992年地球サミッ
とで、種そのものは大きな気候変動や生態系の変化などの
ト)と定義される。このうち、種内の多様性は「遺伝的多
環境変化をかいくぐって次世代へと生き延びるという可能
様性」と呼ばれることが多い。
性が担保される。絶滅の危機に瀕した希少な野生生物は、
個体数の減少によって遺伝的多様性をも失い、絶滅に向か
(1) 種の多様性
うスパイラルからの脱出を困難にさせられる(鷲谷・矢原
種の多様性はその地域における種の数で表される。熱帯
1996)。遺伝的多様性は、人類による利用(とくに医薬品
林やサンゴ礁で高く、極地、高山、砂漠といった厳しい環
の開発や農作物の遺伝的改良)の面からも貴重な生物資源
境では低くなっている。日本国内の場合、伐採をほとんど
として認識されている。
受けていない天然林などでは多くの種を観察できる。たと
えば沖縄本島北部の山林地帯「やんばる」からはヤンバル
(3) 生態系の多様性
クイナを始めとした4,000種を超える生物が知られている
それぞれの野生生物種が生存を続けられるのは、彼らが
(沖縄・生物多様性ネットワーク 2010)
。生態系の中で、
生活を適応させてきた健全な、言い換えれば過度の撹乱や
これら多様な種がそれぞれの置かれている特有の生態的役
汚染のない、生態系の中でである。つまり、種の多様性の
割(例:光合成、捕食、寄生、分解、花粉媒介など)を果
維持は多様な生態系の存在が前提となる。ある広い地域を
たすことで、バランスのとれた生態系の営みが成立する。
とりあげたとき、その地域が一様に同一の生態系で占めら
したがって、ある地域における種の多様性が高いことは健
れている場合よりも、数多くのタイプの生態系(例:樹林、
全な生態系を示すバロメーターとなる。
草原、湖沼、湿原)から構成されている場合のほうが、生
それでは、地球全体にはどれだけの生物種が現存するだ
態系レベルでの生物多様性は高い。生態系の多様性が高い
ろうか? これまでに、およそ160万種(植物30万種、キ
地域は、それ自体、種の多様性を高めるだけでなく、人の
ノコ類3万種、地衣類1.7万種、動物123万種(うち、脊
眼からみても豊かな自然景観を作り出す。たとえば、
群馬・
椎動物6.1万種、昆虫95万種、甲殻類4万種)を含む)が
福島県境の尾瀬は湖沼、湿原、落葉広葉樹林、亜高山性針
命名・記載されている(Vié et al. 2008)
。未記載の種を
葉樹林、高山草原ハイマツ群落などの生態系が独特の景観
含めた全種数の推定は一筋縄にはいかない。Erwin(1982)
を織り成している。森林の伐採や湿地の埋め立てなどはそ
は、パナマの熱帯林の1種類の樹木から定期的に燻煙法で
の地域の生態系多様性を真っ先に損ない、ひいては種の多
落下させて採集された甲虫の種数、その樹種だけに依存す
様性、遺伝的多様性を蝕む。
′
る種の割合、熱帯の樹木の種数、樹冠性の種の割合、甲虫
の全節足動物に対する割合の各推定値から逆算する外挿法
2.生物多様性の価値
により、熱帯林の節足動物だけでも3千万種はいると推定
生物多様性の減少はリオの地球サミット以来、地球環境
した。その後もいろいろな推定値が提出されたが、最近、
問題の一つとなっている。では、生物多様性はなぜ守られ
Hamiltonら(2010)は、外挿法におけるパラメーターの
なければならないのか、その価値はどのようなものである
推定値に不確実性を組み入れたモデルを用いて計算し、世
かについて、現在受け入れられている考え方を整理し、若
界の節足動物の推計種数の中央値として約370万種(90%
干の検討を行う。
信頼区間、200万種~740万種)という結果が得られたこと
を報告している。ひかえめに見ても、現在までの命名・記
(1) 生物多様性の価値の分類
載種の2倍以上の種が人知れず地球上に息づいていること
生物多様性の価値について、プリマック・小堀(2008)は
になる。
保全生物学における論議を整理している(表1)。これは、
経済学的視点からの分類である。
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生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育
自然・半自然生態系から収奪した多種多様な野生動植
表1. 生物多様性の価値の分類(プリマック・小堀 2008 を一部改変)
物・微生物を食用に供している。
1.使用価値:人類によって経済的な恩恵をもたらす生物資源としての価値
(1)直接的使用価値:生物資源を収穫し消費することによって生じる価値
1) 消費的使用価値:市場を通さず地域で直接消費される生物資源の
価値
(例:自家消費の薪、魚、木の実)
2) 生産的使用価値:市場を通して売買され消費者にわたる生物資源
の価値
(例:流通している木材、薬草、毛皮)
(2)間接的使用価値:収穫することなしに生態系が人類にもたらす経済
的価値
1) 非消費的使用価値:生態系の永続的機能から享受している間接的
使用価値
(例:洪水調節、気候調節、レクリエーション)
2) 潜在的利用価値:将来の人類社会に経済的利益をもたらす可能性
をもつことの価値
(例:将来の医薬品や食料)
2.存在価値:野生生物や自然景観が人類に経済的利益ではなく精神的充
足感を与えることの価値
(例:畏敬の念、審美性、はかなさ)
・木材:世界の木材生産量の55%が燃料として利用さ
れ、このほか建物や橋梁などの建設用材、家具や工芸
品などの用材、製紙原料など多方面に利用されてい
る。開発途上国では家畜の糞も燃料にされていて、薪
不足になると本来肥料にしていた糞を燃料に利用する
結果、作物の生産力が低下する事態も起きている。
・繊維:化学繊維や金属繊維は人工繊維であるが、天然
素材の繊維は生態系の恵みの一つである。植物繊維の
うち、木綿、亜麻、麻、黄麻(ジュート)、サイザル麻、
マニラ麻、カラムシ、カポックなどは農作物として生
産される。ココヤシ、タコノキ属などの野生植物から
も繊維が採取されて製品に利用されている。ウールは
(2) 生態系サービス
羊、ヤギ、アルパカから、絹は桑で育てられたカイコ
生態系・生物多様性の人類にとっての価値を生態系の機
から得られる。天蚕糸は野生のヤママユガから得られ
能の側面から明らかにし、整理分離して名称を付したもの
る。
が21世紀になって登場した新しい概念「生態系サービス」
・その他の生物体:植物の花や蔓、動物の皮革、貝殻な
である。国連のコフィ・アナン事務総長(当時)の演説を
ど、動植物の体の一部または全部が装飾品の素材や造
園などに利用される。
受けて2001 ~ 2005年に実施された「ミレニアム生態系評
価(MA)
」は、生物多様性および生態系が人類にもたら
・生化学物質:生物は種がそれぞれ環境に適応する中
す恩恵(生態系サービス)を網羅的に検討・総括する一
で様々な性質をもつ化合物を細胞内で合成するように
大プロジェクトである。その成果報告書(Hassan et al.
なっている。それらの物質は医薬品や化粧品、食品添
2005,Millennium Ecosystem Assessment [以 下、MAと
加物などの形で人類に役立てられる。たとえばアスピ
略称] 2007)において、生態系サービスは、大きく、「供
リンはヤナギの樹皮から得られた物質に由来し、ニチ
給サービス」
、
「調整サービス」
、
「文化的サービス」
、「基盤
ニチソウ属の植物からは白血病や悪性リンパ腫に高い
サービス」の4つに分けられている(表2)
。
薬効をもつビンクリスチンなどの化合物が得られる。
・遺伝子資源:人類は多様な生物が持つ遺伝子資源の恩
恵を受けている。たとえばキャベツ、カリフラワー、
表2.生態系サービスの分類(MA 2007 から抜粋)
ケール、メキャベツはそれぞれ個性的な野菜である
1) 供給サービス(生態系から得られる生産物をさす):食糧(動植物・
微生物)
、木材(燃料、用材、原料)、繊維その他の生物組織、生化学
物質(医薬品、化粧品、食品添加物)、遺伝子資源(農作物改良)、淡
水(農工業、生活用、発電)、意匠(バイオミミクリー)など。
2) 調整サービス(生態系のプロセスに付随する調節機能から人類が得て
いる便益をさす)
:大気組成の調節、気候の調節 、水の調節、土壌侵
食の抑制、自然災害の防護、疾病の制御、病害虫の抑制、花粉媒介など。
3) 文化的サービス(生態系から受けているさまざまな非物質的な便益す
なわち、精神的・文化的な恩恵をさす):文化的多様性、精神的価値、
インスピレーション、審美的価値、文化的遺産価値、レクリエーショ
ンと観光、社会的関係、知識体系 、教育など。
4) 基盤サービス(上掲のすべての生態系サービスを支える基礎となる):
土壌形成、光合成、一次生産、栄養塩循環、水循環。
が、いずれも野生のキャベツが保有していた雑多な遺
伝子を選り分けて作られた。また、小麦やトマトが病
害を受けずに毎年多量に収穫されるのは野生種の遺伝
子を導入したおかげである。
・淡水:世界の地表水の 57%が森林システムに、28%
が山岳地システムに存在していて、これは40億人(世
界人口の6割が使用する再生可能な水に相当する。
農耕地システムと都市システムの地表水はそれぞれ
16%、0.2%であるが、そこに住む45~50億人がこの
以下に、それぞれの生態系サービスについて、Hassan et
水に依存していている。河川の水は水力エネルギー源
al. (2005)、MA(2007)およびマイヤーズ&ケント(2006)
としても利用される。
をベースに概観する。
2) 調整サービス
1) 供給サービス
調整サービスは、生態系のプロセスに付随する調節機能
供給サービスは、生態系から得られる生産物であり、生
から人類が得ている便益のことで、生物多様性の価値分類
物多様性の価値分類では直接的使用価値(および潜在的利
では間接的使用価値のうちの非消費的使用価値に相当す
用価値の一部)に相当するものである。これは、以下のよ
る。これは、以下のようなものを含む。
・大気組成の調節:生態系は大気中に化学物質を放出す
うなものを含む。
・食糧:人類は農耕、畜産、水産養殖という人工的な
るとともに、大気から化学物質を吸収し、大気組成
システムからの収穫だけでなく、淡水・海洋・陸上の
にさまざまな影響を及ぼしている。たとえば、温室
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生 方 秀 紀
な文化を発展させてきた。
効果ガスの収支にかかわって生態系は二酸化炭素と
・精神的価値:人は生態系あるいはその構成要素に精神
対流圏オゾンの吸収源であると同時にメタンと亜酸
的な価値を見出し、それらは信仰や宗教における崇
化窒素の放出源である。
拝の対象や修行の場として利用される。
・気候の調節:生態系は、局地的規模では土地被覆の変
化が気温と降水量の両方に影響を及ぼしている。ま
・インスピレーション:生態系は、音楽・美術・演劇・
た、世界的規模では、土地被覆によるアルベド(太
舞踊といった芸術を始め、民間伝承・建築様式・国
陽放射反射率)の変化や、温室効果ガスの吸収・放
のシンボル・広告などに、豊かな着想の源を提供し
出によって、生態系は気候に大きな影響を及ぼして
ている。
・審美的価値:自然景観豊かな国立公園はもとより、居
いる。
住地周辺や交通路沿線の景色には生態系のもつ美的
・水の調節:森林や湿地は自然のダムであり、これら生
な要素を活用している例が多い。
態系は、流出水、洪水、帯水層の再補充のタイミン
グと強度をコントロールしている。森林の農地化、
・文化的遺産価値:多くの社会は、生態系構成要素のう
湿地帯の転換はその地域の水の調節に強く影響する。
ち、自分たちの歴史や文化とかかわりの深い優れた
・土壌侵食の抑制:植物の被覆は、とりわけ傾斜地の土
景観を文化遺産として、あるいは文化的に重要な生
物種を天然記念物といった保護対象としている。
壌の保持と地滑りの防止に重要な役割を果たしてい
・レクリエーションと観光:人々が自由な時間に心身を
る。
・水の浄化と廃棄物の処理:陸水・沿岸・海洋の各生態
リフレッシュする際に、自然が多く残された、ある
系は、生態系に流入した有機性廃棄物のろ過や分解
いは人工物や造園をとりいれた景観を、その活動や
を促進し、水の浄化に貢献する。また、土壌や底質
休息の場として利用する。
における生態プロセスは、化合物を吸収・分解し、
上記以外にも、生態系は、社会的関係(例:漁村社会、
それにより解毒作用も持つ。
・自然災害の防護:マングローブやサンゴ礁など沿岸生
牧畜社会)や、知識体系 ( 伝統的・慣習的 ) 、教育(フォー
態系は、台風や津波による高波の被害を軽減させる
マル、ノンフォーマル)の内容や場所、人々にとっての場
効果を持っている。
所の感覚、にも強い影響を及ぼしている。
・疾病の制御:森林伐採、ダム建設、水田への転換、灌
漑などの生態系の改変は、マラリア、デング熱、日
4) 基盤サービス
本脳炎、住血吸虫症などの感染症を蔓延させること
基盤サービスは、上に掲げたすべての生態系サービスの
につながることから、改変前の生態系が蚊などの病
提供を支える基礎となっているものである。供給・調整・
原体媒介者の個体数を制限するなどのプロセスを通
文化的サービスにおける変化の人々への影響が直接的かつ
して、これらの疾病を制御する効果を持っているこ
短期的であるのに対して、基盤サービスにおける変化は
とがわかる。
人々に及ぼす影響が間接的で、非常に長期間にわたること
・病害虫の抑制:人為的に改変されていない生態系では
が多い。土壌や水にかかわる生態系サービスは、時間スケー
食物連鎖を通した個体数調節や生態的地位の細分化
ルと人々への影響の直接性によって、基盤サービスと調整
によって特定の昆虫や病原体が大発生することは稀
サービスのどちらにも分類される。基盤サービスは、以下
である。農地化され、単一栽培されるようになると
のようなものを含んでいる 。
・土壌形成:人々が何気なく「土」と呼んでいるものは、
特定の病害虫が大発生しやすくなる。
・花粉媒介:顕花植物と花粉媒介動物(ハナバチ、ハナ
単に岩石が風化して細粒になったものではなく、おび
アブなどの昆虫やハチドリなど)は長い進化の歴史
ただしい数の無脊椎動物、菌類、細菌類が複雑な食物
の中で相互に適応した関係を築いている。森林伐採
網を形成し、また中から耕している小宇宙であるが、
や外来種の進入などによる生態系の改変は、これら
この土壌というものは陸上生態系が長い年月をかけて
花粉媒介者の分布、個体数、有効性に影響を及ぼす。
作り上げてきたものである。
・光合成:生態系の中で緑色植物が行う光合成は、太陽
光のエネルギーを全生物に必要な化学エネルギーに変
3) 文化的サービス
人類は、生態系からさまざまな非物質的な便益すなわ
えるだけでなく酸素の生産も担っている。
ち、精神的・文化的な恩恵を受けている。この文化的サー
・一次生産:植物は光合成で二酸化炭素と水から炭水化
ビスは、生物多様性の価値分類では非消費的使用価値のう
物を合成するだけでなく、栄養塩類も同化し、植物食
ち、文化的なもの、および存在価値に相当し、以下のよう
の動物や菌類・細菌類といった寄生者や分解者を養う
ことで生態系の礎石の役割を果たしている。
なものを含む。
・文化的多様性:人間社会は、それぞれの国や地域で生
・栄養塩循環:窒素、リン、カリウムをはじめとした20
態系の恵みや厳しさと向き合いながら、多様で独特
種ほどの栄養塩類は生物の発育や機能の維持に不可欠
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生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育
な材料となる元素であるが、これらは生態系の中を循
(4) 種の保護とその価値
環し、多様な生物の生存を支えている。
一方、生物多様性の観点からいえば、種が一つでも絶滅
・水循環:地球の陸上には年間11万9千km3の降水があ
3
3
していくことは、種の多様性の低下を意味する。このよう
り、7万2千km が蒸発する。その差の4万7千km が
な種の絶滅を防ぐことの意味はどのようなものであろう
地表水・地下水として生態系の中を循環し、すべての
か。消えていく種が、たとえばジャイアントパンダである
生き物の命を支えている。
とか、トキやタンチョウであれば、その審美的価値ゆえに
保護しようという世論が沸き起こり、資金・政策・人材が
5) 生態系保護と生態系サービス
手当てされる。それに対して、なんの変哲もないような小
このように人類は、生態系がもたらす温和な気候、きれ
魚、草、ハエやダニ、カビなどの種が一つ、二つと消え
いな空気、浄化された水、豊饒な大地の実りから心への癒
ていくことに対してはどうであろうか。それらを守る価値
しに至るまでの、数え切れないほどの恩恵のもとで生きて
があるとする一つの回答は、将来の薬品その他の有用化学
いる。一度絶滅した生物種は甦らせることはできない。し
物質あるいは遺伝子が得られるかもしれないという、供給
たがって、生態系の破壊はこれらの自然の恵みを永遠に失
サービスのうちの「潜在的利用価値」である。このような、
うことにつながる。このことが生態系を守らなければなら
人類にとって利益があるから生物多様性を守ろうという考
ない大きな理由である。生態系の調整サービスがもつ機能
えは、実は「人間中心主義」から一歩も出ていない。それ
の一部(例:洪水や高波の防止、水や空気の浄化)は人工
に対して、地球全体の生物多様性はそれ自身、固有の価値
的な機械や装置、金属・石油製品で代替可能であるが、莫
を持ち、人間にとっての価値の有無にかかわらず侵害すべ
大な経費(開発、設置、稼動、補修など)やエネルギーが
きものではない、という「生物中心主義」の考え方がある。
かかり、かつ非持続的である。それだけでなく、それら人
たとえば、アルネ・ネス(Næss 1973)は、
「生物は生命
工的代替機能に依存した場合、生態系の供給サービスや文
圏のネットワークもしくは内在的諸関係の場における結び
化的サービスを失うことになる。
目として存在する」という、関係しあう場全体のイメージ
でとらえ、
「生態系内のすべての生物は平等な権利をもつ」
(3) 生態系保護と生物多様性保護
と主張している。この主張は科学的に論証不可能であり、
生態系の保護と生物多様性の保護は共通点も多いが、重
信念の表明に過ぎないが、傲慢に環境を破壊してきた人類
要な点で異なる。ある生態系(例:ひとつの湖)を構成す
に対しての、物言わぬ生き物たちの悲痛な叫び声を代弁し
る動植物のどれか1種や2種が絶滅したとしても、その生
ているともいえる。
態系の食物連鎖のほころびが、同様の生態的機能を持つ別
の生物によって埋め合わされるなら、生態系全体の機能
3.生態系・生物多様性の危機の現状
は実質的に変わらない。つまり生態系を構成する種のいく
人類は、その経済発展の歴史を通じて、目先の利益を追
つかが絶滅することによって生物多様性の一部が欠けたと
求する中で、じわじわと自然の生態系を破壊し、農業生態
しても、生態系機能が維持されることは十分ありうる。た
系や都市生態系へと作り変えてきた。とりわけ過去数十年
とえば、外来の魚種や花粉媒介昆虫を生態系に導入した場
の間の物質文明の肥大化、人口増加、経済のグローバル化
合、それによって在来種が絶滅することはしばしば生じる
は、世界中の生態系に大きなダメージを与え続けている。
が、見掛け上、生態系の機能は維持されることが多い。し
「ミレニアム生態系評価」によれば、24項目の生態系サー
たがって、生態系の機能さえ保護されればそれでよいとい
ビスのうち、15項目(魚獲、木質燃料、遺伝資源、災害制
う考え方は、
生物多様性の保護の立場から見れば
「ゆるい」
御など)で、悪化または非持続的利用が確認されている。
ものになっている。
ミレニアム生態系評価では、世界の生態系を大きく10タ
さて、生物多様性の崩壊、すなわち絶滅の進行によって
イプの「システム」に分けて、それぞれの現状を分析して
ある生態系から脱落する種数が増え続けるケースを想定し
いる。以下に、若干のデータを補いながら、そのあらまし
よう。最初は生態系は機能し続けていたとしても、ある限
を紹介する。
界を超えたところで生態系が機能不全に陥ることは明らか
だ。これはジェット機の機体のパーツ同士を留めつけてい
(1) 世界の生態系の変貌とその主要因
るリベットの脱落にたとえられる(Ehrlich and Ehrlich
1) 海洋システム
。このたとえは、種多様性の大切さを教えてくれる
1981)
世界の海洋システム(水深50m以上)の漁獲量は過去50
一方で、少しばかりの種は絶滅しても生態系は実質的には
年間にわたり年々増加し、1980年代後半にピークに達した
維持されるという、生物多様性の保護にとってむしろマイ
後は捕獲努力が増しているのに漁獲量は変動しつつも横
ナスになりうる。したがって、これは生物多様性保護のた
ばい状態で推移している(MA 2007;水産庁2010)
。2002
めの有力な根拠とはならないであろう。
年には年間7千万トンであったが、養殖のものを合わせ
ると、FAOが推定した持続可能な漁獲量の限界である年
間1億トンのレベルに達している(マイヤーズ&ケント
- 81 -
生 方 秀 紀
2006)。この過剰な漁獲の結果、世界の多くの海域におい
ている。
て、漁獲対象種と混獲される種の生息量は水産業が始まる
前の10分の1に減少した(MA 2007)
。また、過剰利用ま
4)都市システム
たは枯渇状態の資源状況にある水産資源は1970年代の10%
人口5千人以上の居住地が対象とされた。世界の都市人
から2006年の25%超にまで増えている。これに該当する例
口は1900年の2億人から2000年の29億人まで増加している
として大西洋のクロマグロ、北西部大西洋のマダラなどが
(MA 2007)
。都市の肥大は、周辺の生態系に過大な圧迫
ある(水産庁2010)
。
を加えている。
海洋の主な汚染源は農業
(肥料、
殺虫剤、
除草剤)
、
都市(有
毒物を含む排水、石油、砂泥)
、工業(難分解性化合物、
5) 乾燥地システム
重金属を含む廃棄物)
、原子炉(放射性廃棄物)
、石油精製
年間降水量が最大蒸発散量の3分の2以下の地域(極地
(石油)である(マイヤーズ&ケント 2006)
。
を除く)で、砂漠、半砂漠、サバンナ、草原、低木林、耕
作地が含まれる。乾燥地システムは陸地面積の41%を占
2) 沿岸システム
め、世界人口の3分の1が住み、世界の家畜の約50%が飼
水深50mより浅い沿岸域および満潮時海水面から50mの
育されている。ここに住む人の90%は開発途上国に置か
標高以下(または渚線から100kmまで)の陸域のことであ
れ、年間一人あたり1,300m3以下(2,000m3が最低限の福
り、サンゴ礁、潮間帯、河口域、マングローブ、藻場など
利と持続可能な開発に必要)の淡水供給のもとで生活して
を含む(MA 2007)
。沿岸システムは、廃棄物の投棄、工
いる(MA 2007)。乾燥地システムでは過度の耕作、森林
業団地・石油コンビナート造成などの埋め立て、浚渫など
破壊、過放牧、不適切な灌漑により砂漠化が進んでおり、
人間の開発行為による破壊を受けやすく、アメリカでは
地球温暖化がそれに拍車をかけている。そのため、2億5
90%以上の沿岸湿地が失われている。マングローブ林は農
千万人以上の人々が燃料不足や土壌の不毛化などによって
地、工業用地、エビ養殖、木材・燃料供給のために伐採さ
直接苦しめられている(マイヤーズ&ケント 2006)
。
れ、フィリピンでは70%、タイでは80%が失われた。サン
ゴ礁は世界全体で10%がすでに破壊され、30%は危機的状
6) 極地システム
況にある。世界の30%のサンゴ礁が失われると、そこにす
一年のほとんどの期間凍結している高緯度地域をさし、
む生物種の10%が絶滅すると警告されている。フィリピン
氷冠・永久凍土に覆われた地域、極地砂漠、極地沿岸域を
では90%以上のサンゴ礁が消失または劣化している。サン
含む。地球温暖化に伴い、極地システムの平均気温は過去
ゴ礁の危機の原因は、浚渫、建設のための除去、土壌浸食、
400年間の中で現在が一番高くなっている。その結果、永
下水・産業廃棄物、温排水・淡水の流入、石油汚染、観光、
久凍土、海氷が減少し(MA 2007)、そこにすむホッキョ
沿岸開発、鉱業、石油・天然ガス生産、魚の乱獲、気候変
クグマやペンギンにも影響が現れている。
動などである(マイヤーズ&ケント 2006)
。
下水や肥料流入による富栄養化も深刻で、藻類が異常繁
7) 森林システム
殖し、その分解の際に多量の酸素を消費するために、他の
高木性(高さ5m以上)の樹木が優占する(面積比40%
生物が窒息する事態がいたるところで起きている。アメリ
以上)土地のことである。世界の森林システムの面積は過
カ大西洋岸のチェサピーク湾は、世界でも屈指の生産性の
去30年の間に2分の1に減少した。森林は25カ国において
高い場所であったが、富栄養化や工業排水によりかつては
事実上消失し、29カ国では90%以上の面積が失われた。
1億トンあった漁獲量が、2001年にはわずか150万トンに
1990年から2000年の間に世界の温帯林は年あたり300万ha
まで落ち込んでいる(マイヤーズ&ケント 2006)
。
増加し、熱帯では過去20年間に年あたり1,200万ha以上の
森林が伐採された(MA 2007)
。熱帯林と熱帯疎林は毎年
3) 島嶼システム
17~18万km2の面積(新潟・福島県以南の本州の面積)が
大陸から2km以上離れた1.5ha以上の面積の島が該当
消滅している(マイヤーズ&ケント 2006)。森林の中でも
し、グリーンランド、ニューギニアをはじめ、日本も含ま
天然林や二次林、特に熱帯林は生態系も複雑で動物を含め
れる。とりわけ本土と隔たった小さな島では、人間の影響
た種多様性・遺伝子多様性が高いので、これらの破壊・
による種の絶滅が顕著に現れる(MA 2007)
。たとえば、
喪失は、遺伝子資源をはじめとした供給サービスや文化的
筆者が2009年に視察した小笠原諸島では野生化ヤギ、アフ
サービスの劣化・喪失を意味する。人工林を含む森林伐採
リカマイマイなどの外来種による食害等により植生が破壊
は調整サービスとしての保水力や炭素固定による気候調整
され、固有種植物158種のうちの108種が環境省レッドデー
能力を低下させる。過剰伐採は中国やバングラデシュをは
タ種に指定されるまでになっている。これは日本のレッド
じめ各国の洪水の主要因となっている(マイヤーズ&ケン
データ植物の6.4%にあたる。また、多くの固有種の陸産
ト 2006)。
巻貝、昆虫類がそれぞれニューギニアヤリガタウズムシと
グリーンアノールによる捕食で絶滅しつつあると指摘され
- 82 -
生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育
8) 農耕地システム
ンゴ類2,175種のうち11%(海水温上昇、白化、沿岸開発、
栽培化・家畜化された種が優占している土地であり、陸
乱獲、土砂堆積、汚染);裸子植物980種のうち33%(生息
上面積の24%を占める。発展途上国の1961~1999年の間
地破壊・劣化、コレクション)である。
の穀物生産量の増加分の29%が耕作地の拡大、残りは生
産力の増強(化学肥料の投入、機械化など)による(MA
(3)生物多様性損失の要因相互の関係
2007)
。世界の人口の81%が住む発展途上国には世界の
生物多様性条約事務局は、生物多様性損失の要因相互の
家畜の74%が飼われているが、そこで生産される肉や乳
関係を整理し、直接的要因として、乱獲、生育・生息地の
の44%は先進国に輸出されている(マイヤーズ&ケント
変化、栄養蓄積と汚染、侵略的外来生物種、気候変動を挙
2006)。農業経営の機械化、大規模化は単一作物種の広域
げ、それらを引き起こす動因として食物需要とエネルギー
作付け(モノカルチャー)につながり、化学肥料や農薬に
需要の増大を指摘している。これらの需要は一人当たりの
よる環境汚染とあいまって、
生物多様性の減少に加担する。
消費量・人口・資源強度に依存し、経済的、社会政治的、
文化・宗教的、科学・技術的要因が間接的に作用している
9) 陸水システム
とした。
沿岸域や内陸に存在する永続的な水域を中心としたシス
テムのことであり、河川、湖沼、氾濫原、貯水施設、湿原、
4.生態系・生物多様性をどう保全するか
汽水湖などを含む。河川湖沼から取水される水は年々増加
(1) 生物多様性損失の要因の大幅削減に向けて
を続け、1960年~2000年の間に2倍になった。取水される
生物多様性の持続可能性を脅かす原因を大幅削減しない
水の70%は農業用に使われている(MA 2007)
。取水や埋
限り、われわれも未来世代もその恵みを失う一方である。
め立てにより、
世界の陸水面積の50%
(大きな湖沼を除く)
ここまで見てきた生物多様性の衰退原因を振り返ると、大
が消失されたと推測されている。ダムなどの建造物で世界
きな要因の一つとして①乱獲がある。自然資源を枯渇に向
の大規模河川システムの60%が分断化され、その結果、流
かわせるような漁獲・狩猟、そしてその流通は強く規制し
量減少や下流・沿海部への堆積物の供給が30%減少した
なければならない。消費者の立場ではたとえば遠洋マグ
(MA 2007)。上流における過度の取水により、実際に黄
ロ、天然ものの毛皮、天然林の木材、サンゴ製品などの購
河等で1990年代に断流がしばしば起き、水質汚濁や乱獲も
入を差し控えることが必要である。
加わって魚類150種の3分の1が絶滅し、漁獲量も40%に
別の要因は、②生育・生息地の変化であるが、これは多
なった(新華網2007)
。アラル海では面積が3分の1以下
岐にわたる。農地拡大やエビ養殖による森林面積減少は、
に縮小し、そこにすむ野生生物の多くが絶滅した。
人々の毎日の食事が贅沢(必要以上の肉食や、反収の低い
作物の摂取)になっていくことと人口の増加に起因するの
10) 山岳地システム
で、それを改めていくことが必要である。居住地拡大、工
標高の高い土地または急峻な土地をさす。山岳システム
業用地造成、浚渫、廃棄物投棄など、都市空間の拡大に関
にすむ人々の90%は開発途上国あるいは経済的に過渡期に
連するもののうち、生態系を破壊するものは環境にとって
ある国々に住み、貧困や食料不足の問題を抱えている。そ
非持続的な経済開発である。木材燃料、土壌侵食、土砂堆
のため、森林伐採によって荒廃している地域も多い。生物
積、観光、鉱業、過度の耕作、過放牧、灌漑、モノカルチャー、
多様性の観点からみて、山岳地帯は温暖化や山麓部の開発
取水、ダムによる分断などは、地方農山村部や開発途上国
から逃れた生物種の最後の拠り所であり、個体群の絶滅が
で起きており、人口の増加や市場経済の導入のほか、貧富
起こりやすい場所である。
の格差増大や先進国多国籍企業の農産物支配などに起因し
ている。このような原因の除去のための教育は環境教育だ
(2)生物多様性の減少
けでは不足で、開発教育や人権教育をも融合したESD(持
以上見てきたような地球上の生態系の破壊・劣化に伴
続可能な開発のための教育;生方ら編 2010も参照)が必
い、 生 物 多 様 性 は 減少の一途をたどっている。 以 下、
要となる。
種多様性に焦点をあてて、その状況を要約する。Vié et
さらに別の要因、③栄養蓄積と汚染の原因は、肥料、殺
al.(2008)およびBaillie et al.(2010)によれば、国際自然保
虫剤、除草剤、有毒物を含む排水、石油、砂泥、難分解性
護連合(IUCN)のもとで、全世界の生物種164万種のう
化合物、重金属を含む廃棄物、放射性廃棄物、温排水など
ちの約4万5千種が専門家によって精査され、約1万7千
があるが、これらは、環境の持続可能性を犠牲にした過度
種が絶滅危惧種であることが判明した。記載されている種
の農業生産性向上という路線から、有機無農薬農業の普
数に対する絶滅危惧種の割合(およびその主要因)は両生
及・発展、モノカルチャーからの転換などを含む、環境に
類6,347種のうち、30%(農業、生物学的資源利用、居住
対して持続可能な農業へと転換することによって、そして
用および商業用開発)
;哺乳類5,488種のうち、21%(森林
自然分解性の無毒な化合物の使用、環境の持続可能性を蝕
伐採、農業、狩猟、わな、商業開発)
;鳥類9,990種のうち
む産業廃棄物の大量排出を伴わない鉱工業への転換、消費
の12%(農業の大規模・集約化、森林伐採、外来種)
;サ
生活における電力エネルギーや化学産品の大量使用の抑
- 83 -
生 方 秀 紀
制、などによって、解決の方向へ向かうであろう。
が持つ回復力と自己維持力を活用する順応的管理システム
次の要因、④侵略的外来生物種については、政策レベル
を採用している。
では外来生物の出入りの管理の厳密化、すでに侵入した種
に対する分布拡大・増殖の抑制が、個人レベルでは外来生
5.生態系・生物多様性保全への環境教育のあり方
物を持ち込まない・買わない・飼わない・放さないように
以前の環境教育では自分達の住む地域や自国の環境保全
する意識向上が必要である。最後の要因、⑤気候変動に
に注意が注がれていたが、1997年のテサロニキ会議以降、
ついては、その影響が生物多様性だけでなく、海面上昇や
環境教育は途上国の貧困や衛生・福祉など開発にかかわる
異常気象現象の多発などにより人間生活にも直接及んでお
内容をも組み入れたグローバルなものへと拡大し、現在の
り、地球環境全体のためにも、温暖化の人為的要因を削減
①
「世
ESDへと発展してきている。4つのシナリオのうち、
することが必要である。従来、温暖化防止の波に乗って原
界協調」④「テクノガーデン」では途上国の開発を含めた
子力発電が増設されてきたが、このほどの東日本大震災に
グローバルな視点に重きを置き、②「力による秩序」
、③
よる福島第一原子力発電所の事故=メルトダウンによる放
「順応的モザイク」はどちらかといえば、国・地域単位で
射性物質の大量放出が起きたことで、温暖化防止の切り札
の解決に力点を置いている。今後の環境教育では、とくに
とはならないことが証明された。自然エネルギーの開発普
生物多様性保全の観点からは、③「順応的モザイク」のシ
及も進められているが、何よりも大切なのは1人ひとりが
ナリオによる流域規模の地域単位での政治経済活動、強力
エネルギーおよびそれから作られ、流通している人工生産
な地域的事前的生態管理を大いに参考にすべきである。そ
物の消費を強く抑制していくことであろう。
の際、途上国の発展を取り残さず、かつグローバルに問題
が解決することも保障される枠組みを構築すべきである。
(2) ミレニアム生態系評価における生態系サービス保全の
従来、環境教育は環境問題一般に対処するために、児童・
シナリオ
生徒の気づき、知識、スキル、態度、参加などの能力を培
ミレニアム生態系評価では、実際に実現可能な範囲内
うことを目標に行われてきた。その結果、環境への意識が
で、どのように生態系の管理を行えばもっとも生態系の劣
向上し、環境に配慮した行動をとる市民が多少なりとも形
化や生物多様性の損失を低く抑えられるかについて、様々
成されてきたことは確かである。しかし、その一方で地球
なシミュレーションを行い、施策の特徴および変化が明瞭
温暖化ひとつをとっても、環境問題は解決せず、肥大化を
な4つのシナリオを提示している。そのシナリオとは、①
続け、より複雑化する様相すら帯びている。これは、環境
「世界協調」
、②「力による秩序」
、③「順応的モザイク」、
教育がミクロレベル(個人の環境行動の向上など、意識向
④「テクノガーデン」であり、それぞれのシナリオの下で
上の面)では向上的な変化をもたらしているにもかかわら
の環境および経済発展の近未来予測を行っている(MA編
ず、マクロレベル(地球全体で見た場合の問題)では解決
2007)
。
に貢献していないことを示す。これでは、焼け石に水を掛
①「世界協調シナリオ」では、グローバルな貿易と経済
けている程度の貢献といわれても仕方がない。いいかえれ
の自由化、貧困・不平等の緩和を追及するが、生態系の問
ば、市民一人一人のライフスタイルや行動パターンを環境
題には事後対応となる。②「力による秩序シナリオ」では
に優しいものにしただけでは地球環境問題は解決しないと
地域ごとに分断され、保護貿易と安全保障に関心が払われ
いうことである。
る一方で、途上国の発展は取り残され、生態系の問題には
環境教育を真に問題解決に貢献できるものにするために
事後対応となる。③「順応的モザイクのシナリオ」では流
は、マクロレベルでの問題解決を引き寄せるように設計さ
域規模の地域単位で政治経済活動が行われ、地域的な事前
れた教育内容・方法・システム、いわばマクロ環境教育が
的生態管理が強力に行われる。④「テクノガーデンのシナ
必要である。前節で紹介したMAによる4つのシナリオに
リオ」ではグローバルに連結された世界のもとで科学技術
組み込まれた「世界協調」、「力による秩序」、「地域単位の
を信頼し、テクノロジーを活用した高度の事前的生態系管
政治経済活動」、「高度の事前的生態系管理」といった経済
理を行う。
活動の自由の一定程度の束縛や、同じ方向を向いた意思統
MA編(2007)は、これらのシナリオのもとでの、2050
一・財政運営が示唆することは、ミクロ環境教育がそうで
年における生態系サービス(供給・調整・文化のそれぞれ)
あったような環境行動を個々人に任せるものではなく、マ
の予測が、2000年とくらべて向上したものと劣化したもの
クロ環境教育の立場から、環境保全に向けた政治経済社会
を集計し、比較した結果を図示している。それによると、
システムを作り上げるリーダーシップやソリダリティー、
順応的モザイクのシナリオで先進国・途上国のいずれのタ
公正さ、国民主権行使といった、社会変革(単なる社会参
イプの生態系サービスにおいても、2000年と比較して向上
加では不足)を育む環境教育が必要であるということであ
する予測を示した。この順応的モザイクのシナリオとテク
る。
ノガーデンのシナリオで採用している事前生態系管理は、
結局、生物多様性保全の環境教育は、環境保全だけに焦
モニタリングを行い、変化しつつある状況や新たな局面に
点をあてた局地的・短期的な視点での狭い意味の環境教育
対応でき、水・エネルギー・肥料などの有効利用、生態系
ではその目的は実現されず、グローバルに途上国の持続可
- 84 -
生物多様性・生態系の危機に立ち向かう環境教育
能な開発をも視程に入れ、個人のライフスタイルの変更に
Næss, A. (1973) The shallow and the deep, long-range
ecology movement. Inquiry, 16: 95-100.
留まらずに政治経済社会システムの変革を志向し、ESD
の幅広さを取り入れた環境教育であることが求められ、そ
長島康雄,川下一明,平吹喜彦 (2007) 学校緑化に対す
の充実・発展が期待される。ここで力説しておきたいこと
る環境教育からのアプローチ(2)仙台市立上野山小学
は、ESD一般を推進していれば生物多様性は守られると
校の学校園づくりを事例とした生物多様性緑化マス
いうことにはならない、ということである。ESDの守備
タープランの構築.宮城教育大学環境教育研究紀要,
10:73-82.
範囲はあまりにも広いし、持続可能な開発という概念その
ものが開発を持続させるという解釈まで出ている始末であ
沖縄・生物多様性ネットワーク(2010) 『第459回 沖縄大
るからだ。ESDの輪に加わりながらも、生物多様性保全
学土曜教養講座 シンポジウム 沖縄の生物多様性の
の環境教育の旗印はいつまでも鮮明に保たなければならな
現状と課題~沖縄の豊な生物多様性を守るため、未来
いのである。
に繋げるため Part2~』
.沖縄ブックレット10.沖
縄大学地域研究所.
プリマック,R.B.・小堀洋美(2008)
『保全生物学のす
注
すめ 改訂版 ~生物多様性保全のための学際的アプ
1)本稿は拙稿(生方 印刷中)において記述した内容を再
ローチ~』.文一総合出版.
構成し、大幅に加筆したものである。
Syahir, K. (2008) Severn Suzuki's Earth Summit 1992
引用文献
speech. http://www.khairul-syahir.com/topics/
Baillie, J. E. M., Griffiths, J., Turvey, S. T., Loh, J. and
life/2008/if-you-dont-know-how-to-fix-it-please-stopbreaking-it. html 2011.11.23. アクセス。
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London (Web publication). http://static.zsl.org/files/
群已
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1月16 日 .http://news.xinhuanet.com/politics/2007-
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スと人類の将来:国連ミレニアムエコシステム評価』.
オーム社.
- 85 -
Academy Press.
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