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Page 1 Page 2 「ドイツ主導文化 (Leitkultur)」 論争について 1. はじめに

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Page 1 Page 2 「ドイツ主導文化 (Leitkultur)」 論争について 1. はじめに
\n
Title
Author(s)
Citation
「ドイツ主導文化 (Leitkultur)」論争について
福田, 善彦, Fukuda, Yoshihiko
国際経営論集, 22: 253-275
Date
2001-11-26
Type
Departmental Bulletin Paper
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
「ドイツ主導文化 (
ei
L
t
kul
t
ur
)
」
論争 について
福
田 善 彦
1.は じ め に
(
1
)ドイツの極右問題 :欧州では,オース トリア等での極右政党の入閣な
ど極右政党の活発化 は ドイツだけに限 らない。経済のグローバル化 と移民,
難民の欧州への大量流入が西欧の一般大衆 に強い不安感 を与 え,これが極右
政党の伸張の一原因 とみなされている。 しか し, とりわけ ドイツはその歴史
的過去 との関連で,極右政党の動 きには敏感である。
2
∝)
0年秋の ドイツは極右対策 に追われていた。特 に1
0月 2日か ら 3日にか
けての夜,デュッセル ドルフのシナゴークが放火で炎上 し, また,1
0日 6日
ベルリンのシナゴークの窓が投石で破壊 される事件が続いたことは,社会 に
大 きなシ ョックを与 えた。
一方同年 1
0月に入 ると,シリー内相 は極右政党 NDP の禁止問題で各党の
意向を打診,保守的なシュ トイバー ・キリス ト教社会同盟
(
CS
U)党首 とも
NDP禁止で意見が一致 したなど慌 ただ しい動 きが伝 えられた。当時の ドイ
ツはそのような状態であった。
(
2
)ドイツの移民受 け入れ ・統合問題 :これは とか く国民 をエモーシ ョナ
253
ルにする問題である。自己のアイデンティティーがゆさぶ られるか らである。
人々は外国人 との相互接近 と自己の文化的アイデ ンティティー保持 との閣の
乳蝶 を感 じ不安定 になる。例 えば ドイツの田舎で も トルコ ・レス トランなら
まあいいだろう。 しかい ミナ レットと祈祷時間を告げる呼び声が視覚,聴覚
に否応 な く入 り込 んで きたらどうだろう。そこに心理的抵抗が生 まれる。従
ってこの ような問題 を政治的論争のテーマ とすることは政界,言論界 ともに
タブー視 されていた。 シュレーダー連立政権 も1
9
9
8年の発足後極めて慎重 に
対応 し,2
0
0
0年 7月 (
以下月 日のみ記載の場合はすべて2
0
0
0
年のこと,また,
西暦は前 2桁 を省略)に至 りようや く政府委託 による超党派的体裁 をとった
所謂ジュスムー ト移民委員会が発足 した。
(
3
)同年 9月は,前 回総選挙で社会民主党 (
以下 SPD) ・同盟9
0/緑の党
(
以下緑の党)の勝利 により与野党が交替 してか ら丁度 2年 を経過 し,次回
選挙-の折 り返 し点 となる。従 って野党保守党 (
キリス ト教民主同盟 (
以下
CDU)/キ リス ト教社会同盟 (
以下 CSU)
) は夏休暇明けになると,刺激的
な論戦テーマを仕掛け,政局の主導権 をとらねばならない との焦 りを感 じた。
保守党が論戦テーマ として選んだものはそれまで タブー視 されていた移民問
題であった。 しか し実際の論戦は移民受入れ ・統合問題その もの よりち,野
党 CDU/CSU連邦議会院内総務 フリー トリッヒ ・メルツ (
Fr
i
e
dr
i
c
hMe
r
z)
1
)
が図 らず も使用 した定住外国人の受容すべ き 「ドイツ主導文化 (
Le
i
t
kul
t
ur
)
」
の言葉 をめ ぐって専 ら展開され,短期間なが ら一時は文化論闘争の観 を呈 し
た。論争が主題である移民受け入れ ・統合政策 自体の問題 を一時的にはなれ,
,
,
「
主導文化 とは何 か」 「ドイツ的 とは何 か」 「ドイツ人のアイデ ンテ ィティ
ーとは何か」 など抽象的な事柄 について論 じられたのは,移民受け入れ ・統
合政策が ドイツ人のアイデンティティーの保持あるいは自己理解 に影響 を与
える問題 を含 んでいたか らであろう。 しか しなが らこれを契機 として今 まで
漠然 とした不安感 に包 まれていたアイデ ンテ ィティー保持の問題が意識的に
論争の盤上 に上 り,結果的には各党,政府それぞれの移民受け入れ ・統合案
2
5
4
国際経営論集
No
.
2
22
0
0
1
の接近が促進 された。そこか ら現在の ドイツ人のアイデ ンティティーの所在
を知る手がか りがえられないか と考 え,以下において論争 を0
1
年 7/ 8月頃
までの間ほぼ時系列的に発端,経過,沈静化の順 に辿 り,その評価 を試みる
こととした。 また, この過程で名前のあが る 「
主導文化」概念の生みの親,
シリヤ系帰化 ドイツ人バ ッサム ・ティビ (
Ba
s
s
a
mTi
bi
)ゲ ッチ ンゲ ン大教
授が この概念 を道 に至 った理由について も検討 を加えたい。
2.「ドイツ主導文化」論争の発端 とそれまでの政府 の
移民問題 に対 する対応
(
1
)1
0月1
0日,メルツ CDU/CSU院内総務 は,同党議員団会合後の記者会
見 において,同会合では,シュレーダー政権の任期半ばの評価 を行 なった結
果,政府 はこれまで選挙民 を感情的にするとして移民問題 をタブー視 して き
たところ,今後の選挙ではいかなるテーマ もタブー化 されてはならず ,0
2
年
の総選挙前 に移民法案が提出されなければ,移民問題 を同選挙戦の中心テー
マにすえ,公の討論 に付す こと,移民法では基本法 における亡命権の改正 を
も考慮 していること,定住外国人による 「ドイツ主導文化」の受け入れを規
定する統合計画 も含 まれるべ きあること等,語 った と報 じられた。
この記者会見でマス コミが特 に注 目したのは,テーマ化が回避 されていた
移民問題 を,野党保守党が,次回総選挙の選挙戦 に論争テーマ として持ち込
むことを表明 した点である。 この際メルツは後で問題 となる 「ドイツ主導文
化」 について も言及 したが,この時 これを報 じたマス コミは ドイツの 4主要
全国紙 (
フランクフルター ・アルゲマイネ紙 (
以下 FAZ)
,南独新聞 (
SZ),
フランクフルター ・ル ン トシャウ紙 (
FR),We
l
t紙)の うち SZ,FR の 2
紙のみであ り, しか も同概念 についての発言の事実 を簡単 に報 じただけで終
わ り,この時点では 「ドイツ主導文化」の言葉 には殆 ど関心が向け られなか
った。
「ドイツ主導文化 (
Le
i
t
k
ul
t
ur
)
」論争 について
255
(
2
)ところで, シュ レー ダー連立政権 は,9
8年 1
0月発足 の後 この種 問題 は
国民及び各党 との コンセ ンサスな しには包括的解決 は困難であ り,機が熟す
るまで移民問題 を論争の対象 とすることをタブー化 し,その間急 を要す る個
別問題 はその都度処理す るとの現実的態度で終始 した。同政権発足後の移民
問題 ない し外 国人問題 に対す る同政権の対応 を振 り返 ってみ よう :
2
)
(
a
)9
8年1
0月2
8日 SPD と緑の党が締結 した連立協定中の外 国人問題関連
,
箇所 をみ る と 「
我 々は後戻 りで きない移民の プロセスが過去 に
発生 したことを認識 し,我々の下で長期 間生活 し,我 々の憲法的価値
を受 け入れている移住者の統合 に努力す る」 とあるが,移民 プロセス
の発生 を認識 しなが ら, これ以上移民受 け入れ ・統合政策 については
全 く触れてお らず,ただ 「
我 々の統合政策の中心 に,現代的な国籍法
の成立が置かれている」 として,専 ら改正 されるべ き国籍法の重要点
のみ とりあげ,最後 に地方参政権 について 「
統合 を促進するため, ド
イツに生活 している EU加盟国の国籍 を所有 しない外 国人 も市町村 に
おける選挙権 を取得すべ きもの と考 える」 と述べ ているが,その実現
についての約束 は していない。つ ま り,赤緑連立協定では,国籍法改
正以外移民問題 について何 も公約 していなかったのである (
改正国籍
9年 5月可決成立,その大部分 は00年 1月施行)。
法 は9
すで にこれ よ り少 し前の9
8年1
0月1
6日付 S
Z紙 は 「
緑の党 は移民法
現
の要求 を貫徹 で きないでい る。SDP の ドイブラ--グメ リー ン (
3
)
法相) は,現状 では誰 も移民法 を真剣 に求めていない」 と語 った と報
じた。 これは移民問題 に対す る SPD の姿勢が当初か ら慎重であった
ことを示 している。
さらに,9
8年1
1月当時各紙の報道 によれば,シリー内相 (
SPD)は,
ドイツは これ以上 の移民 に対応 で きない,移民法 は必要ない と述べ,
シュ レー ダー首相 もシリー内相 を支持 し, ドイツは欧州で最 も多 くの
移民 を受 け入れていることを強調 した。 こうした態度 に対 し,緑 の党
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国際経営論集
No
.
2
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0
01
とF
DPの両党 は強 く批判 し,F
DPは同月移民割 り当て法案 を連邦議
4
)
会 に提出 したが,否決 されている。
(
b)9
9年 1, 2月 CDU は CSU とともに,政府が検討 していた国籍法改
正の内の二重国籍容認の点 をとらえ,折か らのヘ ッセン州議会選挙 と
か らめて二重国籍反対 キ ャンペ ー ン署名運動 を全 国的に展 開 した結
果 ,CDU が勝利 したが, この苦い経験か らシュ レーダー首相,シリ
ー内相の移民問題 に対する態度 は一層慎重 となった。
(
C
)9
9年 3月,CDU/CSU は政府側の国籍法改正案の国会審議 に対抗 し
て,独 自の同法改正案 を提出 した他,同時に移民流入 を規制する外国
人法改正案及び定住外 国人統合の包括的計画案 を連邦議会 に提 出 した
が,いずれ も否決 された。CDU/CSU の案 は規制色 の相当強い もの
であるが,外国人問題 に対する政府の個別的対応 とくらべ,包括的で
ある点 に特色があった。
(
d)ところが ,00年 3月,シュレーダー首相 はハ ノーファーの コンピュ
ーター見本市 Ce
BI
T開会 に当た り演説 し,経済界の申 し立てによれ
ば,現在約 7.
5万人の コンピュー ター専 門家が不足 してい る と して,
高技術の外 国人 コンピューター専門家の東欧お よびイン ドか らの一定
定数 (
最高 5年の労働許可付 き)の募集 を提案 した。 これは滞在期間
限定付 きとはいえ,
7
3
年以来のガス ト ・アルバイター募集中止の放棄,
労働移民の受け入れ再開を示唆するに等 しい措置であるととられ,そ
の反響 は大 きかった。 これに対抗 し保守政党は再び労働移民 と亡命者
を規制す る包括的な移民法 を要求 し,また, 5月のノル トライン ・ウ
エス トファー レン州議会選挙では, リュ トウガ-ス CDU 同州党首 は
外国人労働力 を入れるよりむ しろ ドイツ人の教育 と家族計画の方 に力
を入れるべ Lとの立場か ら 「
Ki
n
d
e
rs
t
a
t
tl
n
d
e
r(イン ド人ではな くて
子供 を)
」 とい う語呂合わせのスローガンを掲 げたが,選挙 に敗れた。
保守党 はすでに世界的に頭脳労働者の獲得競争が始 まっているとの状
「ドイツ主導文化
(
Le
i
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山t
u
r
)
」論争 について
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7
況 の変化 を読 み とれず,経済界 の要望 に反す る立場 をとったこ とが致
命傷 であった。
結局 5月 に,政府 は高学歴で税込年所得 1
0万マルク以上 の非 EU 諸
国か らの コンピュー ター専 門家 を取 り敢 えず 1万人, 5年 間の労働 許
可付 き,家族呼 び寄せ可の所謂 グ リー ン ・カー ド政令 を 8月 よ り実施
す ることを決定 した。 この過程 で,保守党 の同制度 に対す る反対 は弱
ま り,一方 SPD も緑 の党 も, この ような情勢 をふ まえ,次 回総選挙
後 と考 えていた移民法 についての準備 を予定 した よ りも早 く着手す る
5
)
用意 のあることを表明 した。
(
e
)これ に加 え 5月 1
2日, ラウ大統領 (
SPD 出身) はベル リンで 「
不安
も幻想 もな く :共 同で ドイツに生活す ること」 と題す る演説 を行 なっ
たが,その中で,出生率低下 と高齢化 に伴 う人 口動 向 に基づ き外 国人
の移民受 け入れが必要である と主張 し (これは コール政権以来堅持 さ
れていた 「ドイツは移民受 け入 れ国ではない」 とのテーゼの放棄 を意
味 す る),同時 に移民受 け入れ と統合 に関す る新 たなルール を設 ける
6
)
ための幅広 い討議 を求めた。
(
f
)外 国人労働 力受 け入 れの事実上 の再 開 とラウ大統領 の演 説 の影響 を
考慮 して,シ リー内相 は 7月,リ夕 ・ジュスムー ト (
Ri
t
aSue
s
s
mut
h)
前連邦議会議 長 (
CDU 内の リベ ラル派) を長 とす る各党各界代表 21
人の メ ンバ ーか らなる専 門家委員会 (
通称 ジュス ムー ト移民委員会)
を発足 させ,外 国人法等改正 のための実際的勧告 の策定 を委託 し, 1
年後報告書 を提 出す る よ う求 めた。CDU も, これ に対抗 してザ ール
ラン ド州首相 ベ ー ター ・ミュラー を長 とす る独 自の移民委員会 を発足
させ,同党 としての案 を策定す ることとなった。
シュ レー ダー首相及 びシ リー内相 のなお も慎重 な姿勢 は上記 ジュス
ムー ト委員会 について もみ られた。 同委員会 は CDU の ジュスムー ト
を トップ とす る超党派的構成 を と り,いはば コンセ ンサス を求めつつ,
2
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国際経営論集
No
.
2
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0
01
無理 をせず に進めてい こうとの姿勢が濃厚 であった。
(
3
)一方,野党 CDU/CSU はヘ ッセ ン州議会選挙 での勝利以後全体 として
守勢 に立たされていた。コール前首相 の閣献金問題 による信用 の失墜,年金,
税制等の問題での政府の議会外 での CDU 支配諸州の切 り崩 しとい う巧みな
l
a Me
r
ke
l
) を党首 とす る CDU 指
手法 を前 に,アンゲ ラ ・メルケル (
Ange
導部 は攻めあ ぐね,メルケルの権威が低下 したのに対 し, シュ レーダー政権
は, 4年 の任期半 ばに して早 くも次期総選挙 での勝利が ささやかれ出 した。
CDU としては この状況 を脱 し,攻 め に転 じなければな らない。1
0月1
0日,
メルツ CDU/CSU 院内総務 は, シュ レーダー政権 の任期折 り返 し点の この
時期 に当た り,同政権 の過去 2年 間の業績 を批判す る記者会見 を行 なった際,
移民問題 をあえて0
2年の総選挙戟の中心テーマ に置 き,その タブー化 を打破
す ると宣言, にわかに移民問題が政界及びマス コミの注 目をあびることとな
った。
メルツとしては, シュレーダー首相がヘ ッセ ン州議会選挙 の苦い経験 に基
づ き,移民問題 を選挙戦のテーマか らはず し,議会外 の コンセ ンサス方式で
解決 しようとしている との判断か ら,逆 にそこを突 き,移民問題の全面的討
議 を求め,野党 に有利 な流れをつ くろうとした もの と思われる。とい うのは,
移民 ・統合問題 では SPD の支持層 のかな りの部分 (グローバ ル化 か らとり
残 された所謂新 しい下層)が CDU の伝統的支持層 と同 じ強い制限的立場 を
求めていたか らであった。
(
4)メルツ発言の反響 を追 ってみ よう :
(
a)移 民 問題 を選挙 テ ーマ とす る との メル ツ発 言 に対 して は,他 党
(
SPD,緑 の党 ,FDP,PSD),多 くのマス コ ミ (
特 に FR,SZ紙)
,
経済界 のみ な らず ,CDU 内の所謂 リベ ラル派 よ り批判が相次 ぎ,辛
実上 メルツは孤立状態 に陥 った。批判の共通点は極右 の攻撃が続いて
いるとき,選挙民 を感情的にす る移民問題 を選挙 テーマ とすることは,
社会 を一層先鋭化 させ不穏 当である, とい うものであった。
「ドイツ主導文化 (
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山t
u
r)
」論争 について
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CDUの リベ ラル派の多 くは移民問題 をタブー化す る必要はないが,
セ ンシテ ィブなテーマには もっと慎重 な論拠,適切 な言葉の選択が必
要であるとしてメルツのや り方 に反対 し,党内不一致が露呈 した。メ
ルケル党首 (
元来は リベ ラル派) 自身 もメルツに距離 を置 き,総避挙
の 2年前 にテーマ を確 定す る必 要 はない として,分裂 の防止 に努 め
た。
(
b)孤立 したメル ツは1
0月1
8日ライニ ッシェ ・ポス ト紙 との対談で,移
民の適応すべ き 「ドイツ主導文化」の重要性 を改めて強調 し, これが
2
0日付 We
l
t紙等 を通 じ転載 された ところ,CDU党内及びマス コミに
新 たな論争の種 を提供す る結果 となった。同紙 によると 「メルツの意
見では,長期滞在 を意図す る移民 はこの国で成長 した "自由な ドイツ
主導文化" に適合 しなければな らない。 (
-
) メル ツは,標準 的な
主導文化 の例 として,移民 も自ら統合 に努力すべ きであ り,その場合
この国で成長 した文化 的基本観念 に適合す ること,従 って例 えばイス
ラム学校 を ドイツ学校監視 当局の監視外 に置いた り,少女の強制的性
器一部切断や強制結婚 を行 なった り,あるいは,青年期 に達 した子 を
一時期親の母国に帰すのは主導文化 に合致 しない こと,などを挙 げた」
とい う。
,「自由な ドイツ主導文化」 の正確 な定義 はな されていな
ここでは
いが, これに合致 しない ものが例示 されている。それは専 らイスラム
教徒 に関す るものであ り, ドイツの場合実際上その大部分 は トルコ人
である。 この例示 は,選挙民 に分か り易 く説明す る政治家の手法 と見
ることもで きるが,その中に外 国人統合問題 に関す る ドイツの保守党
政治家の最 も関心のある問題 は何 かを明 らかに している。
(
C)それでは ドイツにおける トル コ人の現状 は どの ような ものであろう
か?
ヴェ レン ト ・アルス テ ン (ノル トライ ン ・ウエス トフ ァー レン州
260
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No
.
2
22
0
01
7
)
CDU 幹部会員, リベ ラル派)の寄稿文によると, ドイツ在住の約7
3
0
万人 (
9
8年現在)の外 国人はなんら等質のグループではな く,おお よ
そ次 にように 3分することがで きるとい う :即 ち,EU 市民 (
全体の
約25%) は EU 法 により様々な権利が保証 され,文化的にも余 り離れ
てお らず,独 自のグループを形成する。その他の外国系住民の小 グル
ープは,各々人数が少 ないため ドイツ社会 に同化せ ざるをえない。第
3のグループは約21
0万人の トル コ系住民である。比較的数が多 く,
比較的異 なる文化 をもち, 自己の文化共同体 を形成 している。 トルコ
系住民は6
0,7
0年代 は滞在意図は期間限定的であったが ,7
0年代 の終
わ り頃か ら長期暫定主義 にかわ り,家族 を呼び寄せ, 自己の文化 と宗
教 を行 なう必要が生 じた。9
0
年代 中頃か ら長期滞在 を決心 し, 自己の
文化的価値への固執が強 ま り,ドイツ全体 に トルコ的インフラ (
団体,
食料品店,食堂,モス ク,医師,弁護士等),特 にテ レビ,新聞など
平行的メディアが発達 した。
また,ウォルフガング ・ボスバ ッハ (
CDU/CSU 院内副総務, リ
8
)
ベ ラル派) もその寄稿文の中でおお よそ次のように述べている :特別
の問題 は トルコ人の集中化,ゲ ッ トー化である。 トルコ社会の中で生
活する トルコ人は ドイツ語の知識がな くとも トルコ的環境で問題 な く
生活で き, ドイツ語学習の必要がない。平行社会が形成 され, ドイツ
人が 自国で外国人 として感ぜ られるようになる。 これを是正するよう
な都市開発が重要である。
さらに,外国人問題 オンブスマ ン報告 に対す る1
1月1
6日の連邦議会
討論 において,CSU の社会問題専 門の ヨハ ネス ・ジ ンクハ ンマ一議
9
)
員は, トルコ人の集中化現象 を具体的に述べている : 「
平行社会がす
すんでいる。大都市の一定地区の多 くの学校では80%以上が非 ドイツ
人であ り, ミュ ンヘ ンでは ドイツ人が 1, 2人 とい うクラスがある。
両親は子供 を引 き揚げ,引 っ越 している。 これは現場の問題 だ。「ドイツ主導文化 (
Le
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k
山t
ur
)
」論争 について
261
共通基盤のない任意的諸文化の並存 は非常 に危険。-
言語の島がで
きないか と心配である」。異質 な社会が ドイツの中で混 じり合 わず に
形成 され,次第 に拡大す る現状 に警鐘 を鳴 らした。
3. ドイツ主導文化論争の展開
(
1
)「ドイツ主導文化」 のメルツ発言 を契機 に,マス コ ミ,知識人,政党
間では,「ドイツ的 とは何 か ?」,「
主導文化 とは何 か」 をめ ぐるやや神学的
ともいえる論議が始 まった。 これは概念 だけが先行 し,明確 な内容 の定義が
遅れたことが大い に影響 している。
「ドイツ主導文化」概念 に対する批判理 由 としては,言葉が不明瞭で誤解
されること,政治的には 「
指導的」又 は 「
優越」す る ドイツ文化 と解釈 され,
第三帝国時代 の思想が連想 され,極右勢力の鼓舞が憂慮 されること,あるい
は 「
何が ドイツ的本質か」 とい う問い を誘発 し ドイツ史 に照 らし危険,外 国
人敵視 を予感 させ る,文化 の階層性の存在 を想定 し思い上がっている,欧州
主導文化 の存在 は認め られるが欧州統合の時代 ドイツ主導文化 は認め られな
い, ドイツの諸文化 の共通基盤 をい うな ら基本法 しかな く,それを意味す る
なら,あえて主導文化 とい う必要がない等様 々な論議が出現 し,要す るに批
判者 は有害無益 な概念であるとし,一方賛成者 は移民 も遵守すべ き基本法の
価値秩序 の簡潔 な表現であるとした。
(
2
)沸上 った 「ドイツ主導文化」論争 を前 に して,メル ツはさらに1
0月25
目付 We
l
t紙上で 「ドイツ主導文化」 についての 自己の考 えを披露 している。
例 えば ドイツ人が 自分 の町で少数者 とな り,
その要点 をひろってみ る と,「
その アイデ ンテ ィテ ィー を心配す る」 とい う問題が発 生 しているが,一方
「
最良の頭脳」 を求めて 「
別種 の移民の構成 を必要」 としている として,近
い将来 ドイツが移民受 け入れ国 となることは避 け られない ことを示唆すると
ともに, これに対応 して ドイツ人のアイデ ンティテ ィー も維持 されなければ
26
2
国際経営論集
No
.
2
22
0
0
1
ならず,それ故 「
移住 と統合のルールが必要 となる」 としている。その場合
「
受け入れ国は寛容でなければな らないが,移住者 も ドイツの共同生活の規
則尊重の用意がなければならない。私 はこの規則 を "自由な ドイツ主導文化"
と呼ぶ」。 ところが 自分 はこの表現で憤激 と同意の双方 をえたが, これは
「これまで一般的受 け入れ可能な定義がなかった」 ためであ り,従 って 「そ
の概念 についてではな く,その内容 について論争 しなければならない」 とし
て, まず 「ドイツ基本法の憲法伝統」,ついで 「
第二次大戦後 ヨーロッパ理
念 により決定的に刻印 された ドイツ文化」つ ま り 「
平和で 自由な欧州 との 自
己同一化」, さらに暗 にイスラム教徒 の習慣 との対比 を強調 して 「ドイツ社
会 における女性の地位」などをあげ,最後 に 「
平行社会の発生は甘受で きず」
「
一般的に受け入れ られた価値 を基準 としてのみ,その未来 を共同で築 きあ
げることがで きる」 とし,その際移民 ・統合政策が成功するためには, ドイ
ツ語の習得が不可欠 としている。 これが発言のすべてであれば,妥当な内容
といえよう。
(
3
)CDU党内情勢 は ドイツ主導文化論争 を契機 としてにわかにメルツ院内
総務 とメルケル党首間の対抗関係 を軸 に動 き出 した。マスコミ各紙の報道 を
まとめると,1
0月2
3日開催の
CDU/CS
U議員団の会合 を前 に,1
9日ごろよ
り孤立 していたメルツ-の支持が特 に両党議員の間で急速 に高 ま り,会合で
はメルツの立場が認め られ, リベラル派は強い批判 にさらされた。 これはお
そ らく移民問題 に敏感 に反応す る選挙民支持層の動向を両党議月の多 くが察
知 したか らであろう。
この ような議員の動 きに対 し,この間際立 ったことはメルケル党首の沈黙
振 りであ り,やがてメルケルは留保 を表明 したが,メルツへの支持の空気が
強 まると移民問題の選挙のテーマ化支持 に転 じ,それまでいかがわ しい言葉
として不快感 を示 していた 「ドイツ主導文化」の概念 をもしぶ しぶ受け入れ
た。その表面的理 由 として,「
主導文化」 の概念が ドイツの過去 とは関係 の
ないシリア系帰化 ドイツ人ティビ教授の造語であることを知 ったことを挙 げ
「ドイツ主導文化
(
L
e
i
t
k
u
l
t
u
r
)
」論争 について
2
6
3
ているが,転 身の よい切 っ掛 け となった。 (
なお,メルケルの次 々 と変わる
態度変更 はメルケル,メルツ間の党内指導権争いによる面が強い。)
テ ィビ教授 自身が 「
主導文化」の言葉 を使 いだ したのは9
6
年か らであ り,
9
9
年1
月,国籍法改正 に伴 う二重国籍反対署名運動 の過程 で,C
S
U州議員
団が同教授 に講演 を依頼 し, この言葉が気 に入 った C
S
Uによ りしば しば便
1
0
)
用 されたが, これ まで注 目されなかった ものである。
(
4
)メル ツへ の党 内の支持 の高 ま りと,党 内保守派対 リベ ラル派の対立 の
0
月末
深 ま りを眼前 に し,メルケル党首は,1
CDU移民委員会議長の ミュー
ラーに急いで移民政策の基本ペーパ ーを作成す ることを依頼 し,党内 とりま
とめのイニシアチブをとった。その狙 いは基本ベーパ によって党指導部が共
通の立場 を示 し,対外 的に党内分裂の印象 を回避す ること,同時 に対 内的に
はあいあまいな 「ドイツ主導文化」概念の内容 を満たす ことによ り,党内意
見 を一定範囲内に収めることにあった。
ところが,1
1月 2日, リベ ラル派 に属す る ミュラー議長の作成 した原案か
ら,それ まで入 っていた リベ ラル派の主張 に基づ く 「ドイツは移民受け入れ
国である」 と 「ボー トは一杯ではない」 の 2文句が メルケルの強い反対で削
DU保守
除 された。 この 2つの文句 は党 として公式 に認 めたことはな く,C
派とC
S
Uが挿入 に反対 したか らである。一方 ミュラーは誤解 を招 く 「ドイ
ツ主導文化」の言葉の挿入 に強 く反対 し (
代 わ りに,基本法遵守,人文主義,
啓蒙主義,キ リス ト教 的 ヨーロッパ的伝統, ドイツ語の習得等の具体的な文
句 の挿入 を提案),一旦 はこの概念 は挿入 されない ことで了解 された。 しか
しメルケルは翌 3日に態度 をかえ,再度 この言葉 を挿入す ることにつ きミュ
ラーを説 き伏せた。ただ し 「ドイツにおける基本文化」 と若干表現 は変更 さ
れた。他 国文化 に対す る優越 とい う誤解 を回避 し, ドイツ的特殊性 の意味合
い も希薄 となるか らであろう。それで もメルケル党首が このキーワー ドを残
させ たのは,姉妹政党
CS
Uへの配慮 ,及 び,S
P
Dに対抗 して移民問題 とそ
れ と関連す る国民のアイデ ンテ ィテ ィー問題 をこの概念 によって占拠 しよう
2
6
4
国際経営論集
No.
2
2 2
∝)
1
1
1
)
との政治的判断か らでた ものであろう。
1
2
)
(
5
)11
月 6日の CDU 幹部会で可決 された移民に関する基本ペーパーは今後
の CDU 移民委員会の作業基礎 となるものであるが,関係部分の要 旨は次の
とお りである。要す るに主導文化の内容 を詳 しく定義す ることにより誤解 を
予防 し,党内をまとめ ようとした努力のあ とがみ られる。
その特徴的な点は, コール政権以来の 「ドイツは移民受入れ国ではない」
とのテーゼを事実上変更 し,「ドイツは移民受入れ国である」 とは決 して謳
ってはいないが,「
移住 の全体的規制 は必要である」 として暗黙の うちにこ
れを認めていること。ついで,統合政策 においては共通の基本的価値基準の
移民 による受 け入れが重要であ るとして,具体 的には 「ドイツ語の習得」,
「
我 々の国家 ・憲法秩序の受 け入れ」,「
我 々の社会的,文化的生活関係-の
参入」 をあげ,それ らは 「キリス ト教,ユ ダヤ教,古典哲学,人文主義,ロ
ーマ法及び啓蒙主義 により特徴付 けられたキリス ト教的西洋的文化の価値秩
序の受け入れ」 を意味すること,「
多文化社会 と平行社会 はいかなる将来の
モデルにもな らない」 こと,「これ らの価値の尊重が, ドイツにおける主導
文化 として示 されるならば,そのことは理解 されるであろう」 として,非常
に慎重 に 「
主導文化」の言葉 を挿入 した。
(
6)しか しなが ら,批判す る側 にはこれで も不十分であった。11
月 9日ベ
ルリンのブランデンブルグ門で開かれた各党,各団体参加の 「
外国人敵視反
対」大規模 デモ集会において, ドイツ ・ユ ダヤ人中央評議会議長バ ウル ・シ
1
3
)
ユピーゲルはその演説の中で,「デュ ッセル ドル フ,ベル リンでのシナゴー
グへのテロ行為のあ と連邦議会特別会議 における演説で反ユ ダヤ主義が非難
されて も,その次の 日に若干の政治家が誤解 されるような言葉 を選ぶ とき,
これは何の役 に立つのだろうか ?」,「
主導文化 についてのお しゃべ りは何 な
んであろうか ? 外国人 を追いかけ,シナゴークに放火 し,路上生活者 を殺
すことが,例 えば ドイツ主導文化であるのか ?」,「
基本法第 1条 (
人間尊厳
の不可侵)-
この原則が ドイツ主導文化 として理解 されるならば,それは
「ドイツ主導文化 (
Le
i
t
ku
lt
ur
)
」論争 について
265
肯定で きる。 しか しそれな らば私はすべての政治家 にその人気取 りの言葉 を
抑制 し,第 1条が履行 される-
ことを義務付 けたい」 と訴 え,あいまいな
ドイツ主導文化概念の使用 を激 しく非難 した。
実はメルケルは1
1
月 6日の幹部会の前 にシユ ピーゲル と会談 して調整 した
が,行 き違いがあったようであ り,シュピーゲルは特 に Le
i
t(
主導)の言葉
が ヒエラルギーを前提 とし,気 に入 らない と再三いっていた点が原因であっ
た として報 じられた (
例 えば11月 3日付 SZ, 11月11日付 We
l
t
)。 しか し,
ラウ大統領 は Ze
i
t紙 (
1
1月23日付) とのイ ンタビューの中で 「シュピーゲ
ルが概念の影響 を指摘 したのは正 しい。良 くない言葉のあ とに良 くない行為
が続 くものだ-
」 と語 っていた。問題 は不明瞭な言葉の影響 にあ り,極右
の活動が納 まらない状況下での政治家 の言葉の選択 に慎重 さを求めること
に,シュピーゲルの真意があったもの と思われる。
(
7
)一方,メルツはこの間 リベ ラルで有名 な Ze
i
t紙の発行者テオ ・ゾンマ
- もすでに9
8年当時 「ドイツ主導文化」の言葉 を使用 していたとして,決 し
て右翼的な言葉ではないことの傍証 として挙げたことも,波紋 を起 した。確
かに9
8年 7月1
6日付 Zei
t紙 に,ゾンマ-は移民の統合問題 をとりあげ,統
合の方法 としてのルツボ論,サ ラダ ・ボール論,モザイク論 を紹介の うえ,
拘束的基本価値 としての民主的基本秩序,憲法国家,寛容,共通言語の必要
性 を指摘 し,「
統合 は必然的に ドイツ主導文化 とその中核価値へのかな りの
同化 を意味する」 と書いている。ゾンマ-は0
0年 11
月1
6日の同紙紙上で,こ
れを書いたこと及びティビ教授か ら借用 した らしいことを認めたが, 自分の
主導文化の定義は遥かに精密で,誤解 を与 えるものではな く,引用が正 しく
なされなかった と反論 し, さらに主導文化 はヨーロッパ的に理解 されるべ き
こと (
つ ま り欧州主導文化のみがあること)で コンセ ンサスがで き上 ったと
主張 した。確かに後述の各党,政府の案 をみると,主導文化の内容の最大公
約数が ヨーロッパ的価値 に基づ く基本法 に収赦 している
。
2
66
国際経営論集
No
.
2
22
0
0
1
4.移民 ・統合問題における与野党の接近
(
1
)ただ し, このシュ ピーゲル発言 は CDU に と り大 きな打撃であった。
CDU は,移民問題で強い流れ をつ くることに失敗,以後党内ではこの概念
を使用 して も,対外的には使用 されな くな り,マス コミによるこの概念の取
り扱 い も急減 した。CDU の関心 は,移民流入数の割 り当て方法,亡命権 を
基本法上の個人権か ら制度的保証 に切 り替 えるか否か, ドイツ語,歴史,文
化の習得の義務化 など移民受け入れ ・統合政策の具体策へ と移動 した。それ
とともに与野党の接近が始 まった。
1
2月 9日マイヤーCDU, ミュンテフェリング SPD 両幹事長の対談で,マ
イヤーは移民問題では CDU はコンセ ンサスですすめることに関心がある旨
1
4
)
表明 し, ミュンテフェリングが これを歓迎 している。 この背景 には両党支持
者の意見の接近 を示唆する世論調査結果がある。F
A
Z(
1
2月2
0日付)の報ず
るところによると,この数か月移民法への支持が急増 し,6
0%が移民数割当
てを定める移民法制定 を支持 してお り,移民受け入れ条件 としては,第 1位
が過激政治グループの流入阻止の8
3%,第 2位が ドイツ語の習得の81%,第
3位が ドイツ文化 に統合 される用意のあること67% との結果がでている。 メ
ルツが与 えた世論喚起の衝撃 はそれな りの効果があった といえる。
(
2
)一方姉妹政党の CS
U の方は,1
1月に独 自の移民委員会 を発足 させ,莱
年 3月 までに独 自案 を,ついで CDU との間で共通案 をつ くることとした。
ペ ックシュタイ ン同委員会議長がガイ ドライ ンとして提示 した1
2テーゼで
は,「
主導文化」の概念 は固執 されている ものの,概念 の源泉 は 「キ リス ト
教的西洋的価値の伝統 と啓蒙主義,人文主義」 とされ,基本法の価値の尊重
1
5
)
と男女平等が うたわれてお り,亡命権等若干の問題 を除けば,1
2テーゼは基
本的には CDUの基本ペーパー とそれほど差がない。
(
3
)ところで,CDU 内部ではなお論争が続 き,CDU 系の雑誌 「
Po
l
i
t
i
s
c
he
「ドイツ主導文化 (
Le
i
t
k
ul
t
u
r
)
」論争 について
267
Me
i
nun
g
」 の0
1
年 1月号 には 「
主導文化」 についての特集 を組み 8編 もの論
文がのっていたが,全体 としてみて穏当な内容 となっている。多文化社会,
平行社会 を批判 していること,「
主導文化」 を他 国に対す る優越要求 とみる
のは間違 った解釈 であること,西欧文明の各 国民国家 はその憲法 において
様 々な建築様式 をもって多様 な変化 をつけているいるが,その基本的実質に
おいて相異はな く, ドイツの主導文化 もキリス ト教的西洋的伝統 に基づ くも
のであること,国民国家 はその歴史的特性か ら特別の形で形成 されたことは
英仏の国民 にとっては自明のことだが,歴史的に遅刻 し,ナチスに傷ついた
ドイツ人には自明のことではな く,国民的アイデンティティーの存在 を今 だ
に忌避 しているのは正 しくないこと,などが語 られていた。そこには米英仏
のごとく, 自国の歴史 を語 ることが,同時に普遍 に通ずることにならず,逆
に特殊 を語 ることになる ドイツ人のい らだちが現われている。
(
4
)CDU と CSU の各移民委員会の問題点の擦 り合 わせが なされた後,01
年 5月1
0日,「移民の調整 と制限に関する CDU と CSU の共通ポジシ ョン ・
1
6
)
ペーパ ー」が発表 された。同ベーパではコール政権以来 とっていた 「ドイツ
は移民受け入れ国ではない」 との立場か ら 「ドイツは古典的な移民受け入れ
国ではない」へ と定義替えされ,事実上移民受け入れ国であることを承認 し
たこと,及び,「ドイツにおける主導文化」 の言葉 は最早入 ってお らず,辛
らその内容 に当たる文句 として 「
統合は ドイツ語の習得及び ドイツの注秩序
の承認以上 を意味す る。統合 は寛容及び内国人が義務 と感 じている規範 と習
慣への配慮 をも含 む。 これはキ リス ト教,古典哲学,人文主義,ローマ法,
啓蒙の精神 によ り特徴付 け られたキ リス ト教的 ・西洋的文化の価値秩序が受
け入れ られることを意味する」 との詳細 な内容の記述 となってお り, ヨーロ
ッパの共通価値 の存在が強調 された。
ついで,CDU は同年 6月 7日の臨時党大会で上記共通 ポジシ ョン ・ペー
1
7
)
パーに基づ く同党の移民構想案を可決 した。同案 にも主導文化の言葉 はな く,
その前文で 「
移民政策 と統合政策は自らの国民的及び文化的アイデンティテ
268
国際経営論集
No
.
2
22
0
0
1
イーを確信す る者のみが成功する」 として,アイデンティティーの重要性 を
うたった上
,「我 々のアイデ ンテ ィテ ィーは我 々の憲法秩序,共通の歴史,
言語および文化 により特徴付 け られている-
ドイツはキ リス ト教的西洋の
価値共同体 に所属する。我々は欧州文化共同体の一部である。-
」として,
アイデンティティー といって も,最早欧州か ら離れた特殊 ドイツ的なもので
はないことを明言 している。 ここではアイデ ンティティーは内容か らみて主
導文化の代替物であろう。 さらに,統合政策 も,移民 に対 し義務的な学習 コ
,
ース を設 けること,そこでは ドイツ語の学習だけでな く 「ドイツ法秩序,
ドイツ史, ドイツ文化の大要 も伝達 されるべ きである」 としてこの箇所で ド
イツ的な ものへの適合 ない し理解 を求める記述が入 っている。C
S
Uが要求
していた基本法上の亡命権の削除 とその単純 な法的保証-の改正 (これには
S
P
D,緑の党は強 く反対 している) も上記共通ポジシ ョン ・ペーパーにおけ
ると同様実質上放棄 された。S
PD もシ リー内相 も同案 を良い方向への一歩
として評価 した。
(
5
)ところで,主導文化の言葉 自体 をのぞ くと,CDU と政府与党 とは移民
が受け入れるべ き共通価値の必要性の承認 とその内容 はそれほど異 なってい
ないことが注 目される。
1
8
)
連立与党の うち緑の党 は,11月1
3日 「
移民政策 に関する 3本柱構 想 」 を発
表 し,その中で 「
主導文化の概念は他の文化 を引 き下げるもの」 として批判
するとともに,移民の形成 は多文化社会へのチ ャンスを含 む もの として評価
するが,多文化的移民社会の社会的展望 にとり 「
共生の共通規則 を示す統一
,
的な帯が必要である」 「その帯 とは人権の一般的宣言,欧州の憲法的伝統,
我々の基本法の中心的価値である民主主義,すべての人間 と性の平等である」
,
とし 「
民主主義 と多文化社会の概念 を結 びつけた ものが多文化民主主義で
あ り」, これを目標 とするとして多文化民主主義 を定義 している。つ ま り多
文化社会だけでは,平行社会 との批判 を受け易いので,それに共通価値 を導
入 し,緑の党がめざすのは多文化民主主義であるとい うのである。要するに
「ドイツ主導文化
(
L
e
i
t
k
u
l
t
u
r
)
」論争 について
2
6
9
緑の党 にも C
DU との共通項の萌芽がみ られる。キュナス ト党首 (当時)は
「
多文化社会」の言葉 は意 を志 してお らず,社会の必要な統合の帯 を措いて
1
9
)
ない として共通価値の概念 を導入 したと報 じられてお り,メルツ旋風 に対す
る緑の党 としての対応であろう。
(
6
)政府与党 SPD 側 はどうであったか。 まず9
8年赤緑連立協定 (
前記 2.
(
2
)
(
a
)
参照)中に 「
我々の憲法的価値 を受け入れる移住者の統合-
」 との記
述があ り,すでに憲法的価値 とい う共通価値の受け入れを条件 としてる。つ
9年の国籍法改正 に伴 う外国人法改正の帰化条件 に,新 に
いでシリー内相 は9
「
基本法の 自由な民主的基本的秩序の遵守の表明」 と 「ドイツ語のかな りの
1月 2日付 Ze
i
t紙のインタビューの
知識」 を加 えてお り, これについて,1
中で,移民が受け入れる条件 として憲法,法の尊重, ドイツ語 と答 え,この
前提 をすでに自分が新国籍法 に (
実際は改正外国人法 に)書込み,旧国籍法
よりこの点厳 しくさえ している, と述べ, さらに, ドイツ的 とは何かの問い
,
に 「ドイツ語 とい うすぼ らしい母語,歴史,景観,時代 とともに形成 され
,「メル
た一定の特徴」 をあげ (
これこそ保守党が言いたい点である),また
ツは法の遵守 と ドイツ語の知識 をあげているが,当然 なことは我々と一致す
る。 しか し (
主導文化論争 は)余計 な論議だ」 として,内容的に双方に大差
のないことを認めた。
年 7月 4日政府 に提出 した報告書 「
移住 を組
ジュスムー ト移民委員会が01
織化 し,統合 を促進す る」では,オランダ方式 を参考 に移民 との統合契約 を
結 び, ドイツ語,労働市場,社会問題 に関するコース6
00時間への参加 を義
2
0
)
務付 ける等の極めて具体的な提案 を行 なってお り,さらに,シリー内相が これ
2
1
)
年 8月 3日発表 した移民法草案 (
内務省案)の概要
らをふまえて作成 し,01
,
滞在法 には,国家 による統合のために提供 される最小枠 (
語学
によると 「
コース,ドイツの法秩序,文化及び歴史の入門コース)が法的に規定 される」
こととされてお り,0
1
年 6月の C
DU移民構想案 (上記 4.(
4
)
参照) と類似
し,語学のほか, ドイツの歴史,文化の学習の義務付 も要求 している。
2
7
0
国際経営論集
No
.
2
22
01
また,ラウ大統領 も0
0
年 5月1
2日の外国人の移住 と統合のための新 たな規
2
)
(
e
)
参照)の中で,「
我 々は我 々の行動 を共同で
則 を求める演説 (
前記 2.(
結びつける明確 な基本的価値 を必要 とする。-
憲法愛国主義は重要である
が,我 々はそれを越 えたある種の感情的な共同体 を必要 とす る。それは根 な し革 になることで もな く,顔のない同化で もない。-
統合,
定住の権
利 をもつ どの人 も我々の社会,価値観念,伝統,特 に言葉 に習熟 しなければ
ならない」 と述べた。CDU との実際上の距離 は短い。
(
7
)なお0
1
年 6月2
0日付 FAZ紙の報ずる世論調査結果 によると,移民流入
の限界設定 をのぞむ者が SPD 支持者の71%,CDU 支持者 の75%,FDP,
PDS支持者の大多数, これに対 し緑の党支持者では僅 かにその3
0%であ り,
SPD が緑の党 より CDU/CSU との間のコンセ ンサスを求める背景 には両党
の支持者の接近により説明することがで き,また, ドイツ文化への移民の適
緑の
応 を望む者は全体の61%, これに対 し文化の同権的並存 を支持する者 (
9%であ り,ここで も CDU/CSU,SPD,FDPの支持者
党支持者 に多い)2
に広いコンセ ンサスが見 られる, と分析 している。 こうした傾向が上述の よ
うな与野党間の接近 を支えているとみてよいであろう。ただ し,こうなると,
CDU/CSU のプロフィルが失われ,0
2
年秋の総選挙 は野党 に とり厳 しい も
のとなるので, このコンセ ンサスが このまま維持 されるか否か大いに問題で
あ り,また,緑の党側か らの反擬 も予想 される。
5.「主導文化」の造語をつ くったシリア系帰化 ドイツ人
テ ィビ教授の見解
2
2
)
(
1
)ティビ教授 は01
年 1月の寄稿文 「
価値 コンセ ンサス としての主導文化」
において,「
主導文化」の概念 を9
6
年の寄稿文 「
多文化主義的価値相対主義
2
3)
2
4)
と価値喪失」の中で初めて自分が造 ったこと,9
8
年 にこの概念 をさらに詳述
したが,あまり成功せず,今回の 「
主導文化」論争でオープンに語 られるよ
「ドイツ主導文化 (
Le
i
t
k
u
l
t
u
r
)
」論争 について
271
うになった として,この論争での使われ方 を正す形で 自らの考 えを説明 して
いる。
9
6
年の寄稿文の主眼は,イスラム原理主義 に対する多文化主義者の 「
寛容」
を批判 し,欧州人 と在欧イスラム教徒 との間の内的平和のための ヨーロッパ
主導文化の承認の必要性 を説 くことにあった。即 ち,世界の 「
非西洋化」 と
ともに西洋的価値の普遍的有効性 は後退 している。欧州人,特 に極端 に走 る
ドイツ人はその普遍主義 を放棄 し,多文化主義のイデオロギー的本質である
文化相対主義 を価値相対主義 として導入,その結果価値拘束性の欠如,西洋
の価値危機が招来 された。欧州-は大量の移住が発生 しているが, (
原理主
義者を暗に指 して)前近代的文化か ら来た移民は多文化主義者の励 ましをえ
て民主主義等の西洋的価値 を拒否 し,平行社会の危機がみ られる。内国人 と
移住者 は各 々の 自己価値 の多様性 と平行 して,価値拘束性 の源泉 としての
「
主導文化」 についての コンセ ンサス を承認 し,内的平和 を確保 しなければ
ならない, とい うものである。
さらに上述の01
年 1月の寄稿文の中で,9
8年の同人の著書 「アイデ ンティ
ティーのない ヨーロッパ」の中の1
8
0-1
8
3頁が指摘 されている。そこにおい
ては,欧州内では移住者 と共有 されるべ き主導文化が必要であ り,欧州外で
は国際的道義が必要であると述べるとともに,Sc
ha
r
i
a (イスラムの神 の法)
は欧州の人間によって形成 された世俗的な憲法 と真 っ向か ら矛盾 し,交渉の
対象 にならず,欧州内では欧州人 と欧州内で 自らの文化の有効性 を主張する
非欧州人 との対話が必要であるが,主導文化の要件が この要求に限界 を定め
るとして,重ねて主導文化の重要性 を指摘 した。
01
年 1月の寄稿文その ものは,前年 1
0月以来の主導文化論争 に対するティ
どの考 えをまとめた ものである。 まず, 自分が強調 したのは欧州の主導文化
であって, ドイツのそれではないことを指摘 し,結論 として, ドイツにおけ
る移民統合の阻害要因の一つは市民 についての民族的規定の点にあ り,この
市民は例 えば Ci
t
o
ye
nのフランス的理解 とは異なるとして ドイツ的民族規定
2
72
国際経営論集
No
.
2
22
0
01
を批判 した うえ, ヨー ロ ッパの啓蒙主義か ら生 まれた文化 的モ ダンは民族 的
性格 をもたず,文化越境 的有効性 を獲得す るの に適 しているので,欧州 的主
導文化 はこの文化 的モ ダンの価値 に基づ き, ドイツ人 ない し欧州人 と移民 と
の コンセ ンサス的共生 の土台 となるべ きであ るこ と,それは同時 に価値任意
的な平行社会 に対 す る選択肢 とな りうることとして啓蒙 的 な主導文化 の必要
性 を訴 え,最後 に主導文化 の内容 として, イス ラムの絶対 的真理 の有効性 に
対す る理性 の優位 ,個 人の人権 (
原理主義者 な どの主張す る少数者 の団体権
で はない),政教分離 の世俗 的民主主義 ,文化多元主義 ,相互 的寛容等 をあ
げた。
(
2
)さらに,テ ィビは0
0年1
2月1
8日付 FAZ に 「ヨーロ ッパへ の Hi
ds
c
hr
a
」
の一文 をのせ,イス ラム教徒側 に も問題があることを明 らか に してい る。即
ち,移住 はアラビア語 で Hi
ds
c
hr
a とい うが, イス ラムの拡大 とい う宗教 上
の ミッシ ョン的意味合 い を もってい る。 同時 に貧 困な移民 の一定 の宗教 を伴
った社会的周辺化 はデ ィアスボラ としてのイス ラム教徒 の民族化 とい う新現
象 を もた らした (
イス ラム教徒 は本来民族 で はない)。一方移民 に何 らの ア
イデ ンテ ィテ ィーの見本 を提供 しない脆弱 な ドイツのアイデ ンテ ィテ ィーが
ある。これ らの要素が イス ラム教徒 の ドイツ社会へ の統合 を困難 に してい る,
としている。
(
3
)テ ィビ と して は,欧州 で イス ラム教徒 が置 かれ てい る現実 を もとに,
如何 に して欧州 において ドイツ人 ない し欧州人の間でイス ラム教徒 が平和 的
に共存 し,安心 した生活 を営 めるか,そのため に双方 は どこを変 えた らよい
のか,啓蒙的 イス ラム教徒 として,その方途 を模索す る中か ら,共通基盤 と
しての ヨーロ ッパ的価値 を体現す る 「
主導文化」 の概念が生 まれた もの と思
われる。
ただ し,テ ィビは フラ ンスの 「
Ci
t
o
ye
n」 を理想 的 に とらえ過 ぎてい ない
であろうか,あるいは, ドイツ的民族規定 を固定的 に見過 ぎてい ないであろ
最早
うか。上記 4.でみた ように,各党 ,政府 の統合案 に表 れた共通価値 (
「ドイツ主導文化
(
Le
i
t
k
u
l
t
u
r
)
」論争 について
2
73
「
主 導文 化」 の言葉 は使 用 され てい ないが ) の 中核 は ヨー ロ ッパ の共通価 値
を基盤 と した基本 法 の諸原則 に収赦 してい る。 それ に加 えて ラウ大統領 が述
べ た よ うに 「
憲 法 愛 国主 義-
を越 えた あ る種 の感 情 的共 同体 」 (
前記 4.
(
6
)
参 照) もまた必 要 で あ り, そ こに何 を盛 るか で各 人,各 党 間 に異 な る色 合
が 出て くるだ ろ う。 しか し基 盤 を基本 法 にお く共通認識 の存 在 は無視 で きな
い。 ドイ ツ的特殊 性 とい うもの はあ るだ ろ う。 だが ,それ は柔 らか な色 に変
わ って行 くで あ ろ う。
注
1
) ドイツ語の 「
de
ut
s
c
heLe
i
t
kul
t
ur
」の内容が不 明瞭なことが反映 し,その
訳語 も日本語,英語 ともに一定 していない。例 えば,読売 (
1
1月 9日付) は
「
優越文化」,朝 日 (
01
年 2月 7日付 )は 「
主導文化」,アスチオン (
01
年55
号)では寄稿文 によ り異 な り,「中核文化」 あるいは 「
支配的文化」。英語で
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11月 4日付)。筆者は取 り敢 えず本
稿では 「
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」の部分の訳語 を 「
主導文化」 に統一 して使用 した0
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274
国際経営論集
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「ドイツ主導文化
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」論争 について
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