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2013成城大学「コミュニケーション講義VII」:マスコミ理論史概論 担当:後

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2013成城大学「コミュニケーション講義VII」:マスコミ理論史概論 担当:後
2013成城大学「コミュニケーション講義VII」:マスコミ理論史概論 担当:後
藤将之
[講義の位置づけ、実施方法、評価] : 説明済みのため省略
第1章 マスコミ研究という学問の基本的な性格
一般に、確立した学問は、-ology 等の語尾がつく言葉で呼ばれることがままあ
る。sociology 、psychology、 ecology、 philosophy などなど。この他にも、
一定の語尾になることが多い。その意味では、マスコミ研究 mass
communication studies は、まだ確立した学問ではない。研究ジャンルという程
度にとどまっている。ただし、マスコミ研究は、しばしばイメージされるほどには
「新しい」学問ではない。とはいえ、各国で生じた複数のルーツを持っているた
め、その全体像が見えにくくなっている。
(1)広義の「マスコミ研究」の系譜:ドイツ新聞学、フランス群集心理学、欧米
言論思想、アメリカ行動科学など:この講義の見取り図
しばしば、「マスコミ」なら漠然と知っているように感じても、「マスコミ研
究」についてそう感じることは少ない。中学でも高校でも、社会学や心理学はおろ
か、マスコミ研究についての授業はない。じっさいのところ、「マスコミ研究mass
communication studies」は、これから見るように、そのルーツ、展開、当事者、
目的などについて、きわめて複合的で多様な研究ジャンルである。どこを重視する
かで、「マスコミ研究」の意味合いも変わってくる。とはいえ無制限ではなく、一
定の明瞭な傾向はある。
1)ドイツ新聞学 (Zeitungswissenschaft 新聞-学問)
国家としての統一が遅れた(1871年統一、つまり19世紀後半、明治4年)ド
イツ(という名前では当時なかったが)では、今後の国の将来がどうあるべきかを
めぐって、多くの新聞が発行され、学者、知識人もそれに参加する活発な言論動向
がみられた。ここから、言論機関としての「新聞とは何か、それはいかにあるべき
か」に関する研究が、社会経済学的な当時の学者たちの間で行われ、ドイツ「新聞
学」と総称された。「公示学Publitistiks」と称されることもあるが、こちらは「公
にする作業についての研究」という含意で、新聞Zeitungのみならず、大衆メディ
ア一般を含みうる表現だった。
代表的な学者としては、
カール・ビュッヒャー(Karl Bücher, 1847-1930)がまず挙げられる。1916
年、ライプツィッヒ大学に世界最初の新聞学研究所を設立した経済学者。新聞の社
会に占める重要性を強調し、新聞史を記述した。19世紀末には「新聞学」の発想
を得ていたとされる。
エミール・ドヴィファット (Emil Dovifat, 1890-1969) は、ベルリン大学の新聞
学者。第1次大戦が終わると、ジャーナリストとして活躍、1921年にはキリスト
教労働組合連盟の機関紙『ドイツ』を創刊する。なお、この時期の多くの「新聞学
者」は、同時に新聞経営者や記者であることが多く、理論と実践を併せて実行して
いた(これはその後も、この学問領域での1つの珍しい特徴となる。研究対象の従
事者が、その研究対象の研究者を兼ねる、という現象は珍しい)。その後「新聞
学」(1931)を刊行している。ナチの台頭に影響され、戦後は「公示学」の著書があ
る。また、ベルリン自由大学のジャーナリズム研究所の所長となった。
これ以外にも、経済史学者カール・クニース (Karl Knies, 1821-1898)ハイデル
ベ ル ク 大 学 。 経 済 学 ・ 社 会 学 者 ア ル ベ ル ト ・ シ ェ フ レ (A l b e r t S c hä ffl e ,
1831-1903)ウィーン大学、などなどが「新聞学者」としてしばしば言及される。
いずれも現代ではあまり論じられない(影響もそれほど直接的とはいえない)学者
たちである。
現在でも論じられている学者としては、社会学者マックス・ウェーバー (Max
Weber, 1864-1920)が、新聞の重要性を説いている(「職業としての政治」の中
の一部分)が、その業績中ではもっとも検討されない部分であるといわれる。「本
当に優れた新聞記事を書くことは、少なくとも学者の業績と同じほど要求の高いこ
とであるが、このことは、誰もが理解しているわけではない」(1918)といった彼
の主張は、しばしば色々な意味で引用された。
全般に、ドイツ新聞学は、社会経済史の傾向が強く、効果論や受け手論が主題で
はなく、現在の目でみると、いささか違和感があると思える。新聞どうあるべきか
という論調の、政治記事・政治評論のような傾向も強い。とはいえ、マスコミ研究
といえば、まずその現代的な嚆矢は、このドイツ新聞学に求められることになって
いる。
2)フランス群集心理学
フランス革命が初期の大規模な市民革命だったこともあり、「普通の人」である
群集による意思表明や、政治過程への参加について、フランスで初期の研究がなさ
れている。これらは実質的に、その後のアメリカにおける社会心理学、その中の集
合行動論の先駆といえる。なお、「集合行動 collective behavior」という概念を
造語したアメリカ社会学者のロバート・パークは、フランスではなくドイツである
が、ヨーロッパに留学して、「群集と公衆」についての博士論文を執筆している。
グスタフ・ル・ボン (Gustave Le Bon, 1841-1931)は社会学者であるが、群集心
理についての先駆的な著作「群集の心理学」1895により、今日でも知られてい
る。人々が無意識への暗示によって凶暴な群集化する、という論調は、今日なおし
ばしば見られるものであり、本書は、戦時プロパガンダ作業においても、しばしば
参照されたといわれる。
ガブリエル・タルド (Gabriel Tarde, 1843-1904)は社会学者、犯罪学者である
が、その「世論と群集」1901において、新聞を読んで世論を担う者としての公衆
public、直接に対面して情緒的に影響し合う群集crowdを区別し、マスコミ(=新
聞)が、公衆を通して世論過程に与える影響を検討している。
ドイツにおいては、散発的ながら、新聞研究の高等研究教育機関が存在したが、
継続しなかった。フランスでは、言論思想や群集と世論などの問題意識は存在して
いたが、組織的にはあまり展開していなかったようにみえる。ただし、革命期の民
衆と言論の歴史研究、ドレフュス事件と言論など、フランス言論思想・民衆史、と
いう枠での検討はある。
そもそも啓蒙期18cのフランス学者ヴォルテールなどは、民主主義的な言論、
「表現の自由」との関連で、今でもしばしば参照されている(「あなたの意見には
反対だが、あなたがそれを言う権利には反対しない」という意味の主張。これこそ
が民主主義的言論の原則とされる。例:90年代アメリカ映画「ラリー・フリン
ト」などにすら反映されている(アメリカのエロ雑誌「ハスラー」出版者と弁護士
の関係)。)
3)以上に加えて、西ヨーロッパおよび英米の民主主義言論思想が、マスコミ研究
の背景には存在している。これらは基本的に、18世紀末から19世紀へ続く市民
革命と、市民社会・民主主義社会の成立、という全体的な社会動向の上にあるもの
といえる。
・フランス革命における群集の活躍(ジョルジュ・ルフェーブル「革命的群集」:
ル・ボンを批判しつつ集合心性の成立を検討)、パリのカフェにおける「政治的民
衆=公衆」の成立。
・イギリスにおける議会制民主主義の成立、ロンドンのコーヒーハウスにおける
「公衆」の成立。
・フランスの政治思想家アレクス・ド・トックヴィル (Alexis de Tocqueville,
1805-1859)による「アメリカのデモクラシー」(1835,1840)に描かれた、アメリ
カ的な民主主義社会の像。たとえば、プレス自体が少数で集中している英仏に比較
して、それに認可も課税もないアメリカでは、多数のプレスが存在し、意見の多様
性を保証していることなどを指摘。
これらが現実にどこまで民主主義的なものだったかは検討の余地があるが、これ
らについての全般的な「イメージ」が、あるべき民主主義社会と、その担い手とし
ての市民=公衆、彼らが担う社会運動と世論、彼らに情報を伝え、争点についての
議論の機会を与える「社会の公器」マスメディア=新聞、という基本的な構図を用
意した。以上の意味で、マスコミ研究は、元来、きわめて「欧米的」な言論・社会
思想の伝統の上に立つものである(現状いわれる民主主義の要素が、この時期の先
進的な西欧的価値意識から導かれたため)。その意味で、マスコミ研究は、すぐれ
て18、19、20世紀的な存在であった。
4)アメリカ知識人のヨーロッパ留学
19世紀から20世紀初頭までのアメリカの社会科学者の多くは、ヨーロッパ
(独仏)の高等教育機関に留学し、そこで当時の先端科学だった独仏の社会科学を
習得している。
分かりやすい実例で言えば、アメリカで最初の社会学部をもったシカゴ大学の教
授ロバート・E・パーク(Robert Ezra Park, 1864-1944)の経歴は、ミシガン大学
でジョン・デューイの下で学士、ジャーナリストとして働いたのち、ハーバード大
学でウィリアム・ジェイムズの下で修士、渡欧して、ドイツでは社会学者ゲオル
ク・ジンメルらの下で博士(博士論文は『群集と公衆:方法論的、社会学的研
究』)。帰国して、シカゴ大学の社会学部などで教える。ここでの弟子が職業社会
学者エヴァレット・C・ヒューズ、その弟子がハワード・S・ベッカー、アンセル
ム・L・ストラウスら戦後のシカゴ学派アメリカ社会学者、という系列となる。こ
の経歴では、アメリカ科学であるプラグマティズムのデューイ、ジェイムズと、ド
イツ社会学者であるジンメルからの影響が考えられる。
心理学者の場合も同様で、多くのアメリカ学者が、いわゆる「ヴント参り」(ラ
イプツィッヒ大学のヴィルヘルム・ヴントの研究室に留学し、その世界初の心理学
実験室で実験を行う)をしている。「小さな池small pond」と俗称される、北大西
洋を挟んだ欧-米の間の学的交渉は現在まで継続しているものだが、この時期はとり
わけ顕著にそれがみられた。この交渉を通して、初期アメリカ社会科学が形成され
ていった。シカゴ学派の社会学ではこの影響は明瞭にみられる。
例:地球は球体なので、どこから描くかで、別種の印象を与える世界地図になる。
上:「小さな池」が分かりやすい地図(超音速のコンコルドで4時間弱) 下:太
平洋を真ん中に描いた地図
5)ヨーロッパ知識人のアメリカへの亡命
第二次世界大戦のおりに、ユダヤ系に限らず、多くのヨーロッパ知識人が、ナチ
スの追及を逃れて、アメリカに亡命している。これら亡命知識人の中に、多くの社
会科学者が含まれており、マスコミ研究を新大陸で発達させた。
分かりやすい具体例として、オーストリア生まれでアメリカに帰化した社会心理
学者ポール・F・ラザースフェルト(Paul Felix Lazarsfeld, 1901-1976)がいる。
もともと数学者として出発し、ウィーン大学の心理学者カール・ビューラーとシャ
ルロッテ・ビューラー(Karl Buhler und Charlotte Buhler)の不肖の弟子としても
知られる。ラザースフェルトは、すでにウィーン時代に、世界初の市場調査や、ラ
ジオ調査に手を染めていた。また、最初の妻メアリ・ヤホダらとの共同研究「マリ
エンタール研究」は、失業社会学の最初期の研究実例である。
ユダヤ系であったことからアメリカに亡命し、コロンビア大学とプリンストン大
学に、マスコミの調査研究所を設立し、とりわけ1940年代前後に、以後長くア
メリカ的なマスコミ調査の標準となる多くの研究を実施し、あるいは組織した(こ
れらについてはこれから詳説する)。ラザースフェルトは、70年代に、ユネスコ
編集の「世界の社会学の現状」を執筆しており、国際的にも高く評価された代表的
存在だった。
マスコミ研究は、もともと新しい「学際的な」研究ジャンルだったため、既存の
大学の学部学科に設置されることが少なく、当初は特に、非定常的な「研究所」形
態にて実施されることが多かった。スポンサー(政府、基金、自治体、企業など)
を探してきて、その資金にて調査を実施し、調査結果を報告して報酬を得、その研
究成果によって学術業績とする方式であり、本質的に外部資本家に依存しているた
め、完全にイデオロギー的に自由とはいえないことから、のち78年には、トッ
ド・ギットリンTodd Gittlin から「行政的調査administrative research」と 称
されることになる。
6)アメリカにおける「4大始祖」
社会心理学のポール・F・ラザースフェルト、説得と態度変容の心理学者カー
ル・I・ホヴランド(Karl Iver Ho vland)、政治学者のハロルド・ラスウェル
(Harold Lasswell)、「場の理論」や「グループダイナミクス」などを研究したゲ
シュタルト心理学者クルト・レヴィン (Kurt Lewin)の4人のことを、しばしば、
(マス)コミュニケーション研究の「4大始祖」と呼ぶことがある。彼らの開始し
た研究プログラムが、その後多年にわたり、多くの研究を生み出した「学派」と
なったからである。
・ラザースフェルト学派については、これから詳述する。
・イェール大学のホヴランドの説得と態度変容の研究は、きわめてオーソドックス
な実験心理学研究であり、むしろ心理学(または心理学的社会心理学)において教
わる方が望ましいが、代表例については略述する。
・ラスウェルは多才な学者で、政治的プロパガンダをフロイト派の精神分析などに
依拠して分析したが、独自の学派というほどのグループを作ったようではない(当
人はシカゴ学派の社会科学者だが)。ただし、その着想や方法は独創的だったとさ
れる。とりわけ「ラスウェルの定式化」(1948)において、マスコミ研究で
は、
誰が言ったか? Who says
何を? What
誰に対して? to Whom
どの経路で? in What channel
どんな効果をもって? with What effect
を特定することが重要とした(論文「社会におけるコミュニケーションの構造と機
能」の冒頭部)。これは影響力の大きかった定式化の1つで、初期の「マスコミ・
モデル」の代表例。
・レヴィン派のグループダイナミクスは戦後の心理学で大いに流行したが、集団か
らの対人的影響を重視するものであり、必ずしもマスコミ影響だけを研究するもの
ではない。結局、4大始祖のうちでは、マスコミ研究という見地からは、ラザース
フェルト学派とホヴランド学派が、きわめて代表的なものだといえる。フォロワー
も多かった。
7)アメリカにおける制度化された学問としてのマスコミ研究mass
communications study の成立、拡大、変容
過去から現在にいたるまで、高等教育に制度化された(大学内の永続的な部局と
しての)マスコミ研究教育機関は、海外でも日本国内でも、むしろ少数である。
メディア大国アメリカ(国土が広いため発達)においては、もともと「大学」の
枠内に「専門学校」「カルチャースクール」的なものが含まれていることが多いた
め、様相は複雑である。 アメリカのマスコミ関連学科としては、
1.
マスコミ従業者を養成する専門学校、いわゆるJスクール。多くの大学にある
が、教師はしばしばマスコミOBであり、日本でいうジャーナリスト養成学校のよ
うなもの。難易度は高くないが、それほど高く評価されるわけでもない職業訓練
校。大学院を持たなかったり、修士課程のみだったりし、コミュニティカレッジな
どに多い。
2.
「スピーチ・コミュニケーション」学科などと呼ばれることがある、英語学科
(というかアメリカでの国語の学科)の変種。これは、古代ギリシャ以来のいわゆ
るリベラルアーツ自由7科(三学四科)の中に、「修辞学」(言葉のレトリックで
人を説得する話術の研究)が含まれているため。アメリカのみならず、欧米では、
コミュニケーション研究といった場合、この「修辞学、レトリック」の教育研究で
ある場合が多い。「言葉だけで人心を動かす=アリストテレス以来の雄弁術の伝
統」ということ。余談:大学の雄弁会などもこの系統(弁論部。ちなみに「大日本
雄弁会」=講談社の前身)。
その担い手は、当然ながら、英文学など語学文学科、ということになる。これは
伝統と格調のある学科のことが多いが、「メディアの」影響を問題視するというよ
りも、メッセージ、文章の手法や効果を考察する。手法としては文学的であり、社
会科学的ではないことが多い。語学科の教員が主に担当している。ただし、これら
1、2とも、社会科学系との「相乗り」状態になっている場合も多い。伝統的に、
アイビー校にはこのタイプがあり、かわりに、以下の3はほとんど存在しなかっ
た。
アイビー校であるイェール大学で、前出ホヴランドが説得コミュニケーションを
研究できたのは、つまりそれが「修辞学」的な言語による説得を扱っていたためで
ある。また、戦時の兵士への説得効果、教育効果の研究として、当時は実利的でも
あったための例外だった。
3.
社会学者、心理学者、社会心理学者、計量的な政治学者らが、主として行動科
学・社会科学的な方法によって、マスコミ、マスメディアを研究対象とする社会科
学の学科。数は多くない。
世界初の Professor of Mass Communication となったマスコミ学者のウィル
バー・シュラム (Wilbur Lang Schramm, 1907-1988、出身はハーバードの英文
科)が、設立に関与したものがままある。イリノイ大学シャンペーン・アーバナ校コ
ミュニケーション調査研究所、スタンフォード大学コミュニケーション調査研究
所、ハワイ大学イースト・ウエスト・コミュニケーション研究所、など。これらの
組織の設立に関与した。また、多くの代表的なマスコミの「読本 readings」(重要
研究の重要個所のみを集成したダイジェスト論文集)を編集し、それが広く読まれ
たことにより、マスコミ研究が一般化していった。このため、シュラムは「アメリ
カにおけるマスコミ研究の制度化の父」とされる。
このタイプの学科は増えているが、基本的にそれほど多くはない。数的に圧倒的に
多いのは1、2のタイプであり、ここは勘違いしない方がいい。
4. 80年代後半からとりわけ増えてきた、工学系、情報科学系の学科(もともとは
計算機科学、機械工学などの関連)が、「情報」「メディア」「デジタル」などの
キーワードを冠した学科や研究所を持っていることがあるが、基本的に工学部の関
連とみた方がいい。まれに、上記と「相乗り」していることがある。
これは、communication に、工学畑では「通信」の意味があり、もともと「通
信技術」のことをcommunication technology と呼んでいる。情報理論の始祖ク
ロード・シャノン(Claude E. Shannon 情報量とエントロピーの概念を定義した
「コミュニケーションの数学的理論」の著者)、制御科学であるサイバネティクス
の始祖ノーバート・ウィーナーNorbert Wiener、いずれも理工系の学者である。
現在、この系統のメディア研究開発は非常に活発である。
欧米の場合、上記リベラルアーツの「修辞学」に象徴されるような「言葉による
相手の説得、操作」こそを重視する学的風土がきわめて強い(人文学主義)。分か
りやすい実例として、literate という語には2つの意味がある。1つに「文字が読
める」。リテラシーなどと同じ語源。2つに「知識、教養がある」。つまり「読み
書きが高度にできること」こそが「知識であり教養の証」である、という意識。こ
のため、上の2こそが学の中心である、という意識は大学人を中心として強固であ
り、ために、言葉そのものだけではなく、メディアを通した言葉や、メディア特性
などを重視する3的な方向が、大きく扱われないままできている。「レベルの高い
大学にはマスコミ学科は存在しない」という状態がある(もちろん4を除く)。
ともあれ、人文学の典型から情報通信工学まで(文学、社会科学、理工学)、き
わめて幅広いバックグラウンドを歴史的経緯から結果的に持つことになってしまっ
ている、というマスコミ研究の現実があり、ために「明瞭で一元的なこの学問ジャ
ンルの見取り図」が見えにくくなっている。学科の内実としても、職業訓練校(Jス
クール)、英文科(スピーチ・コミュニケーション)、社会科学(一部のマスコミ
学科)、理工学系(情報、通信、メディア、デジタルなどがつくことが多い)、辺
りの教員が混在することが多い。
8)日本における展開
日本においては、日本新聞学の開祖といえる小野秀雄(1885-1977)が、昭和
4(1929)年、東京帝国大学に、新聞研究のための組織として新聞研究室を開設(法
文経の相乗り、「学際」のはしり)、これは戦後、昭和24年に、新聞研究所に発
展する。また、同研究所には、主にマスコミ従事者育成のための「研究生課程」も
併設された。小野はまた、新聞記者養成のため、昭和7年、上智大学に新聞学科を
開設させている。これら2組織が、戦前から行われていたマスコミ教育研究関連の
代表例といえる。
敗戦後、「マスコミの時代」の到来とともに、GHQの指導下に、いくつかの
私立学校にマスコミ関連の学科が設置されるが、これらは上のアメリカにおける1
と3を混合させたような形式のものが多かった。80年代でも20数校ていどしか
存在していなかった。現実の政治との関連が強い東大では、プロパガンダ協力も含
めて、戦前からマスコミ研究が実施されていたが、これ以外の帝国大学には、マス
コミ関連の部局は存在しなかった。
9)マスコミ研究の重要性と低評価の理由
以上のように、「マスコミ関連の調査研究」は、社会にあるさまざまな組織が実
施している。そもそも民主主義社会では、大衆、公衆、受け手、消費者、世論の担
い手、などなどと呼ばれる「一般的な多数の人々」の意向を早く知ることが必須と
なるためであり、その層を効果的に説得し、その行動と意見を自分の望む方向へ変
容させたものが勝者となるからである。
にもかかわらず、これだけ一般的なものでありながら、マスコミ関連の教育は、
すでに述べたように、とりわけ日本では、きわめて限られている。理由としては、
・このような説得技法(民意をつかむ、世論を醸成する)は、しばしば支配層、指
導層の持つ手段であり、一般大衆に知られることが、とりたてて望まれなかった
(拠らしむべし知らしむべからず、の態度)ということ。
・非常に「実利」的な「生臭い」ものであるため、「学問」の枠に、そもそもなじ
まないものと考えられたこと(この意味では、逆説的ながら、役に立つものごとは
(低俗なので)学問ではない、ということにすらなりうる。高踏主義、貴族主
義)。
・マスコミを含む「情報の生産と流通」は、そもそも普通の物財の生産流通に属す
るものごとでは必ずしもない(情報や文化財は、原価も利益率もあいまいで、社会
的必要性すらよく分からない)。実業に対する虚業と呼ばれることが多い(ただ
し、多くの第三次産業、サービス業には、そもそもこの傾向があり、現代は第三次
産業化した時代である)。
・同様に、実利がからむものであるため、偏向しやすく、政治性・イデオロギー性
が反映されやすく、学問としての客観性の維持が難しいこと。
・要するに「下世話な俗事のものごとなので、研究し論ずるに値しない、とみなさ
れていたこと」が大きい。
研究サイドからみれば、戦後のマスコミ研究は、当時の「若い、才気ある社会科
学者のための、新奇でニッチな研究領域」としても機能した。アメリカのマスコミ
学者バーナード・ベレルソンが1959年に「マスコミ研究の危機」について指摘し
たように、50年代後半には、すでにマスコミ領域の創始者たちは(自分の独創的
な研究を達成したあと)別領域へ展開していき、その後は、研究領域全体が、やや
沈滞した(この意味で、マスコミ研究の黄金期は40∼50年代である)。
60∼70年代には、研究領域を「コミュニケーション」全般に拡大することで
継続し、80∼以後は、研究対象に「情報」「デジタル」を加えることで持続して
いる。新聞研究(ジャーナリズム)→マスコミ研究(マスコミュニケーション)→
コミュニケーション研究(コミュニケーション)→情報研究(情報、メディア、デ
ジタル)というふうに、キーワードが100年間のうちに変化してきた、と要約す
ることもできる。ために、きわめて錯綜した研究史をもつ研究領域となっている。
10)「狭義のマスコミ研究」
(行動科学的マスコミ研究、20世紀半ば以後、「戦後」のマスコミ研究)の時代
的変遷:この講義の目次(予定)
ここでは、ある程度まで客観的な科学的手法に依拠した社会科学的なマスコミ研
究を扱う。このようなマスコミ研究には、いくつかの「代表例」があり、しばしば
言及される。知っておいた方がいい。講義ノートを現在準備中なので変更の可能性
はあるが、およその目次としては、以下を考えている。
1)マスコミ研究前史:選挙予測調査(ポール poll)と1936年のギャラップの成
功ーー「社会を正確に知る」ということ:代表性サンプルの重要性と問題
2)マスコミの大きな影響力への懸念:「皮下注射モデル」、A・M・リーの「コ
クラン神父の演説分析」、キャントリルの「火星からの侵入」、マートンの「大衆
説得」ーーそれは「巨大な影響力」なのか? 人々は無力なのか? めにはどうすればよいのか?
されないた
3)「コミュニケーションの2段の流れ」の発見(コロンビア学派1):ラザース
フェルトとカッツら「ピープルズ・チョイス」と「パーソナル・インフルエン
ス」ーーパネル調査の有効性とオピニオン・リーダーの発見
4)初期利用と満足の研究(コロンビア学派2):ヘルツォーク「ラジオリスナー
調査」、ローウェンタール「マス・アイドルの勝利」ーー質的社会調査と内容分析
の意味
5)説得効果の研究(イェール学派):ホヴランド「コミュニケーションと説
得」、ティッチナー「知識ギャップ仮説」ーー実験手法の有効性と知識の効率的な
伝達の方法
6)認知枠組みへの影響(アネンバーグ・スクール):ガーブナー「文化指標と暴
力インデックス」、アン・ベッカー「フィジーでの拒食症の発生」ーーメディアと
文化の調査、「世界観」への強大な影響
7)対人過程からの影響:ノイマン「沈黙のらせん」、オールポートら「多元的無
知」ーー対人コミュニケーションの研究、メディアが主導する同調指向
8)70年代における利用と満足の研究
9)テレビが構成するイメージの世界(シカゴ学派を含む):リップマン「世
論」、ラング夫妻「マッカーサーデイ」、ブーアスティン「幻影の時代」、カッツ
「メディアイベント」ーー「その場のリアル」と「メディアが媒介するリアル」の
比較
10)メディア論(トロント学派):マクルーハンとその展開
11)議題設定効果の発見
12)メディアコングロマリットとメディア独占
*フランクフルト、バーミンガム学派はここではあまり扱わない。
*以上の講義計画は、時間の都合で変更される可能性がある。
第2章 マスコミ研究前史1:選挙予測調査(ポール poll)と1936年のギャラッ
プの成功ーー「社会を正確に知る」ということ:代表性サンプルの重要性と問題点
マスコミ研究に限らず、社会科学にも限らず、「社会を正確に知る」「世論を知
る」「世の中の現実を正しく知る」などは、適切な意思決定のためには必須の前提
だろう。しかし、それは必ずしも容易なことではない。理由は、(1)現代社会が
「メディアシステム依存 media system dependency」の高い社会(ボール=ロ
キーチとドフルールの概念)であるため、外界の物事の多くはメディアを通してし
か知り得ない反面、(2)個人の直接経験できることがらが、実際にはかなり限定
されているので、「自分の直接の経験を超えた、しかもメディアに媒介されない世
の中の現実」を知る機会が少なくなっているからである。
一見して「ある状態が自然である」ように見えても、それ自体がすでに「社会的
に構成されたもの」である実例は多い。
例1:ハワイのワイキキ・ビーチ:まったく人工的に造成された砂浜である。本来
は沼地だったが、アメリカを中心に観光地として造成した。ために砂が沖合に流出
している。
例2:カリフォルニアそのものが、本来なら砂漠化する南部の地域に、北部(サン
フランシスコ周辺)などで取水した水をパイプラインで輸送し灌漑しつづけている
「人口の楽園」である。これが停止すればLAあたりは砂漠となる。
例3:「∼∼の土地の部族」といっても、実際には本来の民族習慣は失って、欧米
化している場合が多く、「観光資源」として「部族のふるまい」を実演してみせる
場合が多い:人類学的調査の困難化→「都市人類学」などの発生(調査フィールド
がなくなりつつある)。
これらは専門家に教わるか、独自に調べない限り分かりにくい事実である。この
ような「限られた私的な直接経験と、大幅にメディア依存した情報」という現状
は、現代に限ったものではない。個人の直接経験には限度がある。この制約条件の
もとで、では、どのようにしたら、「世の中についての偏りのない見識」が持てる
のだろうか? ひとつは社会調査を行うこと(アンケートなどで世の中の意見を調
べること)である。だが、ここにも留意点がある。
この問題は、要約すれば、「意見の代表性」はどのようにして得られるか、とい
うことである。代表性とは、「それに関連する人々の意見が、もれなく、偏りな
く、できるだけ正確に反映されている」ということ。
もちろん、「全数調査(悉皆調査)」を実施すれば、とりあえず全員の意見を
ねることはできる。しかし、たとえば「国民世論」について全数調査は不可能だろ
う。ここで導入されるのが、「代表性サンプル」representative sample という
発想である。
このようにして、「代表性のあるサンプル」を集められれば、そのサンプルに質
問することで、母集団についてのある程度正確な推測ができる(推測統計学を使
う)。たとえば「都内の住民の、沖縄問題についての世論」を調べるために、(そ
こが一般的な地区だと仮定して)世田谷区の住民台帳から一定の間隔で住所と名前
を抽出、こうして得られた「世田谷区の代表性サンプル」にアンケート用紙を送付
して回答を集計すれば、それはある程度まで、「都内(のある地区だが)の代表性
サンプル」への調査となり、母集団(=都民)の意見も推測できる(はずであ
る)。
こうした「サンプリング手続き」「代表性サンプリング」がいかに重要なことか
は、1936年アメリカ大統領選の選挙予測合戦のおりに、印象的に証明されるこ
とになった。これが以後も長く語られつづける「ジョージ・ギャラップとリテラ
リーダイジェスト誌の、選挙予測合戦の結果」という実例である。
(以下、ーー内は出題されません)
ーーーーーー
方法的な厳密さを考えないならば、消費者の好みに関する市場調査的なものは、
アメリカ社会では、19世紀末から実施されていたとされる。ミネソタ大学の心理
学者ハーロウ・ゲイル Harlow Gale は、1895年に、広告に対する反応について
の質問紙調査を使った。アメリカの広告産業は19世紀半ばには出現しているの
で、さらに以前の市場調査があった可能性も高い。ただし、1920年代まで、市
場調査に使われた金額はきわめて少ない。大恐慌(1929)以後の不況の中、効率
的な広告活動のため、この領域の発展が始まった。
30年代半ばには、代表的な調査会社として、クロスリー社、チェリントン・
ローパー&ウッズ、アメリカ市場調査社、ロス・フェデラル・サービス、ハウ
ザー・アソシエーツ、A・C・ニールセン、クラーク・フーパーなどが存在してい
た。この時期に調査法が発展したこともあり、市場調査会社が世論調査にも手を出
し始める。心理学のジェームズ・キャッテルを中心とした心理学者たちが、全米世
論調査を実施したのが1932年、これはギャラップ社とローパー社に先行してい
た。
ーーーーー
1936年の大統領選(民主:F・D・ルーズベルト 対 共和:アルフレッド・
M・ランドンの対立)について、代表的な世論調査会社3社(アーチボルド・クロ
スリー、エルモ・ローパー、ジョージ・ギャラップ)が予測を公開して競い合っ
た。とりわけギャラップと、過去における正確な選挙結果の予測で当時有名だった
「リテラリー・ダイジェスト」誌との対立が、しばしば引用される。
「リテラリー・ダイジェスト」誌の世論調査は、きわめて大量のサンプルにもとづ
くものだった。主として電話帳と自動車オーナーの名簿にもとづく郵送アンケート
法だが、1930年までにその郵送先リストは2000万人にまで拡大していた。
うち500万通ほどが返送されていた(1/4が返送)といわれ、「不気味なほど
の正確さ」ゆえに、政治家からも恐れられていた(予測の事前公開で生じるバンド
ワゴン効果への恐怖)。アメリカの人口は、1940年に約1億3000万人。リ誌
では、この大規模調査にもとづいて、ランドンの得票率を56%で勝利すると予
測。
これに対して、ギャラップは、5万人への直接面接法による社会調査を実施し
た。サンプル数の規模にして、リ誌と比較してはるかに小規模な世論調査だった。
ギャラップはFDRの得票率を54%で勝利、と予測した。(他2社も、類似の予測
を出してリ誌と対立した。)
にもかかわらず、実際には、FDRが61%を獲得し、地滑り的な勝利となった。
なぜ数百万人へのアンケートが予測を外し、5万人でいっそう正確になったのか? のちに世論調査を用いた「民主主義の伝道師」と呼ばれるギャラップは、この原
因を各所で説明している。
(1)リ誌の調査では、アンケート用紙は、「電話帳」と「自動車オーナーリス
ト」から得られた住所に、大規模に郵送されていた。しかし、1936年に、電話
を所有していた世帯は40%、自動車オーナーは55%程度だった。これらは当
然、「高所得者」「アッパークラス」構成員であり、母集団(=全アメリカ有権
者)の「正確な横断面図 cross section 」ではなかった(上流層を、偏って過大に
代表させていた)。これに対して、ギャラップは綿密に構成した作為的な比率割当
サンプル quota sample を使用していた(計算にもとづいて、全米の階級構成をサ
ンプルに代表させていた)。
(2)リ誌の調査は、郵送法によっていた。しかし、郵送法への回答者は、高所
得、高学歴者に偏る(上流ほどよく回答する)傾向があるのを無視していた。これ
に対してギャラップでは、調査員を各世帯へ派遣して、上の比率割当サンプルと
なった対象者へ、直接、面接調査法でのアンケートを実施していた。ために回答に
おいて、階級での偏りが少なかった。この時の大統領選では、低所得層の動向がカ
ギを握っていたが、そこの動向をリ誌の調査では掴めなかった。
(3)リ誌の調査は、投票日の直前まで継続されなかった。しかし、直前に意思決
定や意思変更する者が多くいた可能性があった。これに対してギャラップは、直前
まで自分のサンプルに対して、投票意図を調査しつづけた。
以上のドラマチックな実例は、「科学的な世論調査の開始」を告げるものだとさ
れる。つまり、どれほどカネをかけて大規模な調査を実施しても、「母集団の横断
面」となる代表性サンプルを捕らえていないならば、正確な世論の測定はできな
い、ということであり、以後、この「母集団の正確な横断面としての代表性サンプ
ル」を捕まえることこそが、20世紀を通して、市場調査、世論調査、社会調査に
おける第一の重要事項となる。
さらに、上の(1)正確な代表性サンプルを捕らえること、だけでなく、(2)
郵送法では回答バイアスがかかるので、代表性サンプルへの確実な面接法が必須で
あること、(3)調査時点によって意見が変動し、意思決定が変更されるので、適
切な時系列での調査が必要なことも多いこと、が指摘された。これらはいずれも、
科学的な社会調査において、その後も長く最重要事項と合意される。この1936
年の出来事は、科学的な社会調査の有効性と経済性(方法が正しければカネはそれ
ほどかからない)を実証するものとして、社会調査史に残るエピソードとなってい
る。
ギャラップには、社会調査関連の多くの著作がある。その主著は「民主主義の鼓
動 The Pulse of Democracy」という。ここでいう民主主義の鼓動とは、定期的な
世論調査によって日々測定される、大衆の調査された意見こそが、脈拍のように、
時々刻々、民主主義社会の動向を伝えるものだ、という含意である。世論調査至上
主義の「民主主義の伝道師」ギャラップの真骨頂というべきであろう。個人を単位
とした民主主義の考え方としては、現代のネット民主主義に通じるものがあるが、
それには問題がないだろうか? 第2章 マスコミの大きな影響力への懸念:「皮下注射モデル」、第一次大戦以後
のプロパガンダ戦、A・M・リーらの「コクラン神父の演説分析」、キャントリル
の「火星からの侵入」、マートンの「大衆説得」ーーそれは「巨大な影響力」なの
か? 人々は無力なのか? されないためにはどうすればよいのか?
1)まぼろしの「皮下注射モデル」
「マスコミの巨大な影響力」というステレオタイプ(=偏った固定観念。社会科
学の用語)が、いつ、どのようにして成立したのかは確定していない。ただし、こ
の関連でしばしば用いられる表現に、「弾丸理論 bullet theory」「皮下注射モデ
ル hyperdemic model」といったものがある。これらは、強大なマスコミの影響
が、弾丸のように、あるいは皮下注射のように、個人の内部に直接に注入される、
という(想像上の)事態を、イメージ的に言葉にしたものである。ただし、この
「皮下注射モデル」は、実際には、「ほとんど否定形でしか、学術論文の中には現
れないモデル」でもあり、その意味で「まぼろしのモデル」でしかない。例:「マ
スコミ研究の初期には、電子回路が電気を電球に送り込むように、情報を人々の中
に打ち込める、と考えられていた」(シュラム「マスコミの過程と効果」
1971)。
「第二次大戦以前のまともな社会科学者で、のちに皮下注射モデルと呼ばれたもの
と取り組んでいた者は、いたにしてもごく少数だった」(ラング夫妻「マスコミと
世論:調査のための戦略」1981)。
これらのように、「かつては、そういうものがあった(らしい)が、いまは違
う」という形式でしか語られることがない、不可解な想像上の存在である。
マスコミ研究の黎明期は1920∼30年代であるが、この時期(2つの大戦の
戦間期)に、マスコミ研究で、具体的にどのような調査上の目的が設定されていた
か、やや不明瞭である。理由は、当時は大学にマスコミの研究機関が少なかったこ
と、戦時プロパガンダへの恐れと実用的な対策などが多く論じられていたため、プ
ロパガンダなどに効果があることは、ほぼ自明と扱われていたこと、などであろ
う。
この時期のマスコミ研究は、戦時プロパガンダへの対策やその手法について実用
的な研究を、戦時部局などが実施したものがきわめて多い。いわゆる「通俗科学」
的な信念として、弾丸理論、皮下注射モデル的なものごとが、広く信じられていた
と想定するしかない。
行動科学の方法の根本には、自覚的に「何らかの測定手法を、目の前の対象に当
てはめて、その測定値を計る」という「モノサシ第一主義」「計測第一主義」があ
る(アンケート調査などはその代表例)。それが一般化するのは、ノーベル賞物理
学者ブリッジマン Percy Bridgman による「操作主義 operationalism 」の提唱
(1927年)以後である。ちなみに操作主義とは、「何らかの測定操作で得られ
る値をもって、その対象の性質とみなす」「意味とは、測定操作の結果だ」、とい
う形式的な測定主義の立場のことであり、社会科学において操作主義は、ちょうど
この20∼30年代から、急速に普及する。この意味で、プロパガンダ研究が盛ん
だった時期は、まだ行動科学的な社会科学は未発達な時期である。あるいはマスコ
ミ研究と行動科学とが一緒に発展していった(このプロセスで、過去の曖昧な「皮
下注射モデル」が見直されて、(学術的には)実在しなかったと判断された)。
2)戦時プロパガンダの実例
とはいえ、大規模プロパガンダが脅威と受け取られても仕方がない世情もあっ
た。第一次世界大戦は、最初の世界戦争であり、最初の総力戦が行われた戦争でも
あった。したがって、銃後の情報戦も重要な戦闘の一部とされ、それが世界規模で
行われることにもなった。当時の戦争パンフレットなどは多く残っている。例示:
実例
ドイツの国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、いわゆるナチス)における大規
模なプロパガンダの成功は、その後の世界に大きな衝撃と恐怖を与えた(大衆レベ
ルでも、研究書レベルでも)。例示:リーフェンシュタールの「意志の勝利」
3)「ラジオ神父Priest of Air Wave」コクラン神父の演説の分析
初期のプロパガンダ研究は多く実例が残っているが、代表的なものに、リー夫妻
が行った「ラジオ神父コクランの説教の分析」がある。
20年代半ばから始め、とりわけ30年代末に、チャールズ・E・コクラン神父
Father Charles E. Coghlin という論争的な人物(右翼的?)が、アメリカで、ラ
ジオを用いた自分の定期的な演説番組をもち、政治組織「全米社会正義同盟」を率
いて、反ユダヤ主義、一部ヒトラーとムッソリーニ支持などの政治活動を展開し
た。リスナーは全米で3000万人に及んだと言われ、非常にポピュラーな番組
だった。当時テレビはなく、ラジオが非常に大衆的な新メディアだった。これは
もっとも初期のラジオによる政治プロパガンダの実例として、しばしば引用されて
いる。
アメリカの社会学者リー夫妻が、コクラン神父のラジオ放送の内容を分析した研
究が、1939年、アメリカのプロパガンダ分析研究所から刊行され、内容分析の名
著として、よく知られている。The Fine Art of Propaganda, 1939.
内容分析は、一定の分類基準(コーディング基準)を設けて、それに忠実に依拠
して、大量のメディア内容をシステマチックに分類することにより、一見して分か
らない当該コンテンツの「全体の傾向性」を明らかにしていくマスコミ研究の一般
的な手法である。ここのコーディング基準や着目点は多岐にわたるので、たやすく
概観しがたいが、この授業でも、代表例は適宜紹介する。
リー夫妻は、コクラン神父のラジオ演説の実例(とりわけ38年11月から翌3
9年1月まで、一部は録音、一部は印刷パンフレットから)を詳細に文章単位で検
討した。それに含まれる表現上の特徴を抽出して、「プロパガンダにおける7つの
装置」を類型化している(このような一般化に持ち込めると、内容分析としては成
功例とされやすい)。レトリック手法を類型化した、ともいえる。
1:悪名付け
:ある考え方に「悪いもの」というラベルを貼ること。これ
により、事実を検証することなく、無反省に、ある考え方を拒否したり非難したり
させる。
2:きんぴかの一般化
:あるものごとを、何らかの「良い言葉」と結び
つける。これにより、事実を検証することなく、それを受け入れさせ、承認させ
る。
3:転移:別のものを受け入れられやすくするために、尊敬されているものの権威
や威光を、その別のものに転移させる。あるいは逆に、別の拒否させたいものを拒
否させるために、承認されていないものの性質を、その別のものに転移させる。
4:証言
:尊敬された/憎まれた人に、特定の考え方・計画・生産物・人物
などを、よい/悪いと言わせる。「あの立派な誰それさえ、こう言っている」と証
言を利用。
5:一般人
:その考え方は、「一般的なもの」「人々がみな持っているも
の」だから、よいものだ、と信じさせる。
6:札隠し
:特定の考え方・計画・生産物・人物などを再考によく/悪く
扱わせるために、事実や例示や文章などを操作する(うまく札を出したり隠したり
する)。
7:バンドワゴン
:「もうみんなやっている」という主張で、「したがっ
て我々も、そのバンドワゴンに乗らなければならない」、と確信させようとする。
以上のような「プロパガンダの7つの装置」を特定化したのち、さらにコクラン神
父のプロパガンダ演説を、それぞれの符号を文中に入れ込んで、これら装置の所在
を明示化している。実例:コクラン演説の分析
リー夫妻の研究は、この時期(30∼40年代)の典型的なプロパガンダ分析の
具体例であり、現在までしばしば言及される成功例になっている。
(1)影響力の大きいとされるコンテンツを大量に、一定期間、収集し、
(2)よく考えられたコーディング基準を、そのコンテンツにシステマチックに適
用して、
(3)当該コンテンツ全般について妥当し、おそらくその他のコンテンツについて
も妥当するだろう「コンテンツ内部の一貫した傾向性、特徴」を抽出する。
ことに成功しているためである。
同じコーディング基準を当てはめれば、類似のコンテンツについても、その「傾
向性や特徴」を抜き出すことができる。うまくいった内容分析は、このように、先
行例を、その後の多くのコンテンツ実例にも応用できる(=標準的な手法として使
える)点で有効性を発揮する。
現在の内容分析では、リー夫妻の行ったタイプの作業からさらに進んで、各分類
(この場合にはプロパガンダの装置)が使われる頻度や、どんなタイプのコンテン
ツだとどのタイプの「装置」が多く使われる傾向にあるかの比較研究、などを統計
的に処理することなどが行われている。
リー夫妻のコーディング基準は、近年の本学卒論でも使われ、多少の「装置」分
類を追加すれば、ある程度はまだ実用的なものになっている。
4)1938年10月30日ハローウィンの日、「火星からの侵入」事件とその分
析:ハドリー・キャントリル『火星からの侵入』
いわゆる「メディアがパニックを引き起こした事件」として、もっともよく知ら
れた実例であろう。ラザースフェルトのラジオ調査室での研究協力者だった社会心
理学者のハドリー・キャントリル Hadley Cantril のチームによって詳細な分析が
なされた他、今日でもしばしば引照される実例となっている。
事件を引き起こした原因となったのは、オーソン・ウエルズが率いたマーキュ
リー劇団が、CBSラジオでハローウィンの夜に放送した「宇宙戦争」(H・G・ウ
エルズの小説の翻案)のラジオドラマだった。原作自体は、これまで何度も映像化
されている。
ウエルズ本人を含む劇団員が複数の役を演じ、楽団が音楽を演奏し、効果音が加
わる。
ただし、ドラマ自体が、「通常のラジオ番組(音楽番組など)に、緊急ニュース
が挟まる、現地中継が挟まる」など、あたかも「現実に、それが起きているかのご
とき口調で進行する(架空の)報道番組」というフォーマットを取っていることに
特徴があった。このため、そもそも、気をつけて聞かないと、本当のことと勘違い
しやすい形式になっていた(ハローウィンのびっくり演出を意図していたと考えら
れる)。
実例:当該放送は、音声、台本ともに保存されており、しばしば研究対象となてい
る。
以下は冒頭の、火星表面で爆発が観測されたという箇所
以下は、シリンダーが開く箇所
非常に迫真性にとんだラジオドラマだったため、全米で、これを現実だと誤認し
てパニックに陥るリスナーが続出した。そのため、急遽、ラザースフェルトの調査
室(プリンストン大ラジオ調査室→コロンビア大学では応用社会調査室)が調査に
乗り出した。
この研究は、パニック研究の古典とも呼ばれている(パニック panic には殺到す
るパニックと逃走するパニックがある。これは「逃走パニック」の典型例:逃げよ
うとする人があふれて、混乱状況が発生)。ただし、実際の混乱の規模について
は、いつでも疑問視されている。キャントリルも、「少なくとも600万人がこの
放送を聞き、少なくとも100万人がおびえたり、不安におちいった」と報告して
いる。当時のアメリカ人口1億3000万人であるから、たしかにCBSラジオの
サービスエリア内各所で、社会的混乱が発生したことは事実だろうが、この程度の
「パニック」だったともいえる。
*しばしば、この事件について、「マスコミの大きな影響で社会がパニックに陥っ
た」といった概括的な紹介がなされるが、この程度のリスナー規模(600万/1.3
億)、この程度の数の「おびえたり、不安におちいった」( 「パニックに陥っ
た」)人(100万/1.3億)を、広汎なパニック現象と判定するべきかは長く問題
とされている。
調査の方法は、主として、インタビュー調査だった。独自の調査対象者=135
人。財政上の都合から、ニュージャージー州でのみインタビューが実施された。そ
の意味で、代表性のある全米調査ではない。ただし詳細である。調査時期は、放送
後1週間で開始し、3週間かけて終了。
この他に、アメリカ世論調査所が放送後6週目に実施した質問紙調査も利用され
ている。全国規模の数千人のサンプルから調査した、と記録されているが、対象は
有権者に限られる。12%がこの放送を聞いたと回答している。地域差、社会階層
差もみられた。(太平洋岸などで20%、南部とニューイングランドで8%。上中
所得層で13%、低所得層で9%。30歳以下で14%、30∼50歳で12%、
50歳以上で10%、など)。
28%が「ニュースだと信じた」と回答。うち70%が、驚いたか不安になっ
た。実数にして推計すると、全米でおよそ170万人がニュースだと誤認し、12
0万人が驚きまたは不安を感じたことになる(アンケート時の回答バイアスによ
り、現実よりも少数が、こう回答したと推測される)。驚き/不安を感じた者の割
合には地域差があり、ニューイングランドで最低の40%、南部で最高の80%を
示した(所得、教育程度に起因するものと推測される)。
CBS放送が実施したインタビュー調査も利用されている。
また、州の教員名簿から、1044人の高校の校長にもアンケート調査票を郵送
している(彼らは多くの一定の年齢層に接触しているから)。回答数305票(2
9%)、うち39%の校長は、自分の学校で驚き/不安を感じた学生がいるのを
知っている、と回答。平均して生徒の5%がそう感じたと推定。回答率が低く、代
表性の評定は困難。ただ、生徒数から推測して、25万人の高校生が混乱したと推
定。
電話量の激増も調査された。この記録は電話会社から得られている。北部ニュー
ジャージー州の大都市で、この放送時の通話量は普通の日の同じ時間の39%増し
だった。他地域でも類似の増加傾向あり。同番組を流した92放送局に、手紙にて
調査したところ、回答した52人のうち、50人までが、番組中および終了直後
に、電話量が増加と回答。
郵便物の量も調査された。放送終了後、放送局では、通常の2倍を超える手紙を
受け取った。いくつかでは5倍を越す増加を報告。コロンビア放送の中央局WABC
では1770通(1086通は好意的、684通は非好意的)、直接マーキュリー
劇団に1450通(91%が歓迎、9%が非難)。FCC連邦通信委では644通
(60%が放送局に非好意的、40%が好意的)。FCC(管理側)とその他で、意
見に相当の違いがある。
新聞の報道内容も調査された。ヒステリーについての一般的な報道は掲載され
た。報道後2週間後でも、この事件について新聞の一定スペースが使われており、
驚きが長く続いたことを示す(新聞の報道量も計測)。報道量は、2日後、3日後
で急減するが、かなりの関心は5日間保たれ、最初の週の終わりまで、当初量の3
0%以下には落ちなかった。
ここまでの分析で明らかなように、インタビュー調査、(別組織の調査に急遽依
存してだが)質問紙調査、学校長へのアンケート調査、電話量調査、郵便量調査、
新聞報道量と内容の調査、そして番組そのもののコンテンツの内容分析、という複
数の社会調査を組み合わせたものとなっている。大きな事件の際の社会調査(ラ
ザースフェルトはこれを好んだ)なので当然ではあるが、本来、このように、調査
対象の性質に応じて、複数の調査手法を組み合わせて用いることは珍しくない。社
会調査=社会問題の解決の手法。
この事件の調査の場合、「ラジオ放送による影響の範囲」をまず特定化し、それ
が一定程度まで広範囲にパニック「的」な状況を生み出したことを確認した上で、
その後の詳細なインタビュー調査へと進んでおり、典型的な「探査→精査」型の調
査設計となっている。
・重大発表の伝達機関というラジオ認識:当時、日常的に、ラジオで戦況などの
ニュースが報道されていた。したがって、何かあればそれはラジオのニュースで流
れる、という認識が持たれていた。
*これらの特徴は、すべて詳細なインタビュー証言から得られている。
・話し手の威光:このラジオドラマでは、ウエルズをはじめとする役者たちが、天
文台の「ピアソン教授」など、専門の権威をもった人として登場して、事件を伝え
る話者の威光を高めている。
・受け手が想像しやすい出来事のリアルな描写:具体的な固有名詞や事件の詳細な
描写など、リアリズム手法のドラマであるため、受け手は、「その場面」「その現
地」を、これらの固有名や詳細な描写から信じやすかった。
・番組全体としての雰囲気(ナチの「ニュールンベルク大会のような」、との形容
すらあり):番組全体の雰囲気が、説得力あるものとして作られていた。
・一部のリスナーが遅れて番組にダイアルを合わせたこと:これによって、とりわ
け冒頭部の「おことわり」を聞いたか聞かなかったかの相違が出た。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
| ダイアル合わせた時点
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
解釈 |
開始時% 開始後% 計(人)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ニュース
20
63
(175)
ドラマ
80
37
(285)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
計%(人) 100(269) 100(191) (460)
ダイアル合わせた時点と解釈の関係(CBS調査)
開始時点からダイアルを合わせていたリスナーでは、8割が、この番組をドラマ
だと正しく認識した一方、開始後では6割以上がニュースと誤認している。このこ
とは、「番組が中断されニュースが入る」(というドラマ構成)に多くの人が影響
されたためである。当時、このように定期番組の間に戦争ニュースが挿入されるこ
とはしばしばあった。CBS調査では、当初から聞いていて、しかもニュースと誤認
した54人のうち33人(61%)が、この中断してのニュースを事実だと誤認し
た。
・リスナーの分類
1)放送の中の手がかりをチェックした人
ウエルズの原作を知っていた人。声がオーソン・ウエルズだと分かった人。雑誌
で読んだ話と似ていると気づいた人。事態の進行が速すぎることに気づいた人。そ
の現地周辺には三個連隊などいないと知っていた人。などなど、無理のあるフィク
ションの細部に気づいた人は信じなかった。
2)他の情報とチェックしてドラマだと分かった人
別局では報道されていないことをチェックした人。新聞のラジオ欄で、予定され
たドラマと分かった人。友人に電話した人。窓の外を見て確認した人。
3)他の情報とチェックしようとしたが色々な理由でニュースと信じた人
上のような電話や外部確認をしても、チェックに失敗した人。「外は普通だった
ので、まだここまで来ていないと思った」「夜空をみたが、何か安心できなかっ
た」「親に電話したら(出かけていて)出なかったので、被害にあったと誤解し
た」「外には車が多かったので、逃げようとしていると誤解した」「車がなかった
ので、道路が破壊されたと誤解した」「別の局の教会音楽を、神への祈りと誤解し
た」「ガスの臭いを感じた。火が近づいているように感じた」「緑の光をみた。怪
物と思った(車のライトだった)」など。
4)放送内容または事件をチェックしなかった人
驚きのあまりラジオを聞くのをやめて逆上したり、マヒ状態に陥った人。(これ
がもっとも本格的なパニックに陥った人)。1、チェックするなど思いつきもしな
かった人。「こわくて何もしなかった」2、完全にあきらめてチェックもしなかっ
た人。「もうダメだと思った」3、逃げる準備や死の用意をした人。「何かしなけ
ればと思って、荷物をまとめた」「もう覚悟を決めた」4、チェックをせず、一部
だけ聞いて信じた。「何だろうと、災害だと思った(火星人は聞かなかった)」
「飛行船の攻撃だと思った」「ドイツのガス攻撃だと思った」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
反応のタイプ 事例研究% CBS調査%
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
内在チェック 23
20
外在チェック
外在に失敗
チェックせず
18
27
32
26
6
48
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
計 100(99) 100(151)
-------------------------------------------------キャントリルらのインタビュー調査は、北部ニュージャージー州を中心に実施さ
れ、CBSの調査は全国サンプルへの代表性のある調査だったが、結果はかなり類似
している。3分の1以上の人は、チェックしなかった。2割ほどが、番組内に手が
かりを探して成功し、外部とチェックしようとした人の半数以下が成功している。
*以上のように、全体の傾向としては大規模な質問紙調査を利用して概観し、それ
らの個々の具体例としてはインタビュー結果を用いる、というのが望まれる調査方
法である。本来可能であれば、両者併用が望ましいが、手間がかかる。
・インタビューによると、うまくチェックできなかった/全くチェックしなかった
人の全部が、少なくとも不安を感じていた。内在的なチェックをした人は、誰も驚
かなかった。(冷静であると、チェックができるので、パニックにならない、とい
うこと。)これを「批判能力」として、批判能力があって、チェックができれば、
パニックになりにくいと考える。
・批判能力は、学歴と相関している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教育程度と解釈
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教育程度 ニュースと誤解% 対象者数 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大卒 28
(69)
高卒
36
(257)
中卒 46
(132)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高学歴者ほど、誤解した人は少なくなる傾向がみられる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
経済状態と解釈
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
経済状態 ニュースと誤解% 対象者数
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上
35
(240)
中
37
(152)
下
49
( 66)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
経済状態が高いほど、誤解した人は少なくなる傾向がみられる。
・さらに、以上の傾向への例外的な人々のインタビュー結果が紹介されている。
多岐にわたる調査作業をまとめた研究なので、全てを紹介することはできない
が、おおよその調査設計、各調査の手法と内容などは以上の通りである。ここに示
されているように、内容の分析、大規模な影響についてのアンケート調査、関連す
る社会組織への調査、いっそう詳細なインタビュー調査、など複数の調査手法を組
み合わせて、例外的な大事件の実態と内部の構造を分析しており、事例研究として
は例外的に大規模な調査計画となっているが、総合的にこの事件の実態と構造を分
析している。
本来、社会調査は、「社会問題」を調べるものである。どんな社会問題を調べる
か、によって、ふさわしい社会調査の手法がある程度まで決まってくる。機械的に
特定の手法を当てはめるのは不適切な調査の利用法であるが、どうしてもその傾向
はみられる。
5)1943年9月21日、ケイト・スミスの戦時債券販売マラソン・ラジオ・
キャンペーンの研究:ロバート・マートン著(マージョリー・フィスクとアルバー
タ・カーチス協力)『大衆説得』1946
出来事の概要は、同日、18時間におよぶCBSラジオ放送で、当時の人気歌手、
ラジオ・パーソナリティだったケイト・スミス Kate Smith が、全米のリスナーに
対して、戦時債券販売活動 War Bond Drive を行った。ケイトの呼びかけに対し
て、莫大な金額の債券が購入され、当該ラジオキャンペーンは大成功となった。こ
の事件を、社会学者のマートンが、ラザースフェルトに説得されて分析したもの。
大衆説得の古典的な実証研究とされる。
ロバート・キング・マートン Robert King Merton は、重要研究(科学社会学、
アノミー論、逸脱研究、中範囲の理論、自己実現的予言、準拠集団論など)が多い
が、とりわけ多くの「有名概念」を造語していることでも知られる:「ロール・モ
デル(自分の目標になる立場や役割を提供している重要な他者)」「パブリック・
イメージ(当該個人の公人としての広く認知されたイメージ)」などは、マートン
が作った概念である(概念には作者があるが、しばしば強調されない)。もともと
理論家的な側面が強いが、キャリアの初期には、ラザースフェルトのコロンビアの
研究所に雇用されて、マスコミの実証研究にも従事していた。キャリア確立期以後
は、この関連の研究は行っていない(つまりこのタイプの典型的な人物)。『大衆
説得』は、この時期のマートンの代表的な著作。
以下に示すように、ラザースフェルト的な「(短期の)効果研究(=意見行動変
容)」の視点と、ヘルタ・ヘルツォーク的な「利用と満足研究」の手法(=焦点面
接法)が混在し、さらに、コロンビア学派の実証的計量的な社会調査と、フランク
フルト学派的な大局的な社会観に依拠したメディア批判の意識とが併存する、とい
う意味からも、ユニークな研究とみなされている(後述のローウェンタールとマー
トンは、コロンビアで近い関係だった)。
ケイト・スミスは、当時アメリカで人気のあった歌手およびラジオ・パーソナリ
ティで、愛国歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」を最初に流行らせた(1938)ことでも
知られている。当時のスミスは、夜の「ケイト・スミス・アワー」、昼のトーク
ショー「ケイト・スミス・スピークス」という2つのラジオ番組をもち、料理や
ガーデニングといった家庭的な話題から愛国心まで、幅広いテーマでトークをして
いた。絶頂期には、トークショーは、毎週、全米で2000万、夜のショーは25
00万のリスナーを持っており、毎年300万通のファンレターを受け取っていた
といわれる。
子供歌手としてWW1慰問でも歌っていたことなどから、愛国者としてすでに知
られており、「ゴッド・ブレス∼∼」は65週間にわたってラジオショーで歌い続
けられた。ルーズベルトは、1939、英国王・女王に、ケイト・スミスを、「彼
女がアメリカです」と紹介したという。
調査対象となったラジオ番組は、1943年9月21日朝8時∼22日早朝2時
までの18時間で、この間スミスは、計65回、各数分間のラジオ・トークを行っ
て、全米のリスナーに戦争債券の購入を呼びかけた。21日日暮れまでには、多額
の購入があったことをラジオを通して公表、結果として900万ドル分の債券が売
れた。この事例はスミスの3回目の債券販売だったが、初回で100万ドル、2回
目で200万ドル、この3回目が最高額だった。
調査手法としては、内容分析、焦点面接、質問紙調査の組み合わせが採用されて
いる。複数の調査を組み合わせて実施するのはコストがかかるが、問題の性質に
よっては当然必要とされる。
・内容分析:スミス放送の内容が、どのようにリスナーを刺激したかを内容分析す
る。
・焦点面接 (focused interview):この研究チームによって開発された調査手法だ
が、その後、一般的に使用されるようになる。同題の著書がマートン著で刊行され
ている。
放送を聞いた100人に対して、各3∼4時間のインタビュー。焦点面接は、イ
ンタビューと類似するが、特定の調査関心に沿った質問(この調査では、スミス放
送を聞いて、具体的にどう感じ、どう対応したか)を集中的に行う点に特徴があ
る。これによって、当人が自覚している以上のことを話させるというのが目的。面
接対象100人のうち、75人は債券を購入、残りは購入しなかった比較対象者。
・質問紙調査:上の焦点面接で得られた知見だけでは一般性に疑問がありうるの
で、それを通例のアンケート調査で補足する。「注意深く選択されたニューヨーク
市圏の横断面的サンプル978人」への調査によって、焦点面接で得られた質的
データを量的に検証する。
以上3種類の調査手法を組み合わせて実施し、以下のような多くの知見を得てい
る。
・放送全体については、「15分ごとに、1人の有名人が、18時間にわたり、呼
びかけを続ける」という「マラソン」的な形態が、そもそも人々にアピールした。
次回を聞かないではいられない、という気分にさせた。スミスの「ゴールへの接
近」もまた注目の的となった。反復される放送の構成も、人々の説得において効果
的だった。長時間には、スミスとリスナーの間に相互作用が生じ、これは説得効果
を持った。ちなみに、このマラソン放送というフォーマットは、その後、日本にお
いて「24時間テレビ」(1978 )に、そのまま流用されることになる。
・内容分析から、放送内容は、いくつかのテーマに分類することができた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
犠牲のテーマ51%:
軍人の犠牲26%
市民の犠牲20%
スミスの犠牲5%
参加のテーマ16%
家族のテーマ6%
競争のテーマ12%
簡単のテーマ7%
個人的テーマ6%
その他2%
ーーーーーーーーーーーーーーー
計 100%
「犠牲のテーマ」:戦争なので、アメリカ兵が犠牲になっている、市民が犠牲に
なっている、債券を販売するためにスミス自身も18時間の連続放送に耐えてい
る。「ではあなたは?」という形で、多くの犠牲とバランスを取る形で、「犠牲の
3角形から4角形へ」と、リスナー本人の犠牲=債券に出費すること、を訴える。
このテーマがもっとも頻繁に聞かれた。
「参加のテーマ」:誰もがエゴを捨てて国家の事業に参加できる、として国民の参
加を促す話題。
「家族のテーマ」:子供を戦地へ送っている家族に直接訴えかける。少年兵を帰国
させる手段だ、と語りかける。
「競争のテーマ」:これまでのスミスの売り上げ記録を更新する競争、地域ごとの
競争など、「競争して債券購入」を訴えた。
「簡単のテーマ」:電話ですぐに購入できるので簡単、という訴え。
このように、効果的な割合で、スミス放送の内容自体が構成されていることが判
明した。
・焦点面接および質問紙調査からは、債券販売行為とケイトスミスのイメージとの
適合性が示された。
ケイトスミスに対するイメージ(実質的にパブリック・イメージ調査)
ーーーーーーーーーーーーーーー
誠実 60
博愛 39
愛国的 36
「平凡な人」 26
案内者、指導者 20
母性的 16
有徳 16
芸能人 7
「成功者」 6
その他 30
ーーーーーーーーーーーーーーー
回答者 計 100 人
スミスのパブリックイメージとしては、「誠実」「博愛」「愛国的」が極めて高
い。同時にまた、大衆に訴求する一因「平凡な人」も高い。人々の「案内者、指導
者」も20回言及されている。これらがスミスの信頼できる、自己犠牲的なイメー
ジを作り出していた。これらのスミス・イメージは、信頼できる債券販売者として
適合的なものだった。
・罪の意識と債券購入:
購入者の債券販売への先有傾向predisposition(すでにある態度傾向)を調べる:
先有傾向は、この時期ラザースフェルトが好んで使っていた概念でもある。
購入者の債券への先有傾向
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1. 関与者:感情的に関与し/追加で購入するつもり 35(人)
2. 敏感者:感情的に関与し/追加購入意図なし 28
3. 無関心:感情関与はなく/追加で購入するつもり 8
4. 非関与:感情関与はなく/追加購入意図なし 3
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
計 74
これら4タイプに対する説得の働き方:
1、関与者の場合:スミスは「触媒」として機能。
2、敏感者の場合:すでに義務は果たしているが、「スミスの犠牲」「スミスへの
愛着」「他者の犠牲」などに反応し、罪の意識から追加購入。
3、無関心および非関与の場合:基本的に、債券を現実的な投資とみなす傾向があ
る。スミス放送を聞いた回数は少ない。「スミスと話ができるかもしれない」と考
えた(実利的動機)が多かった。債券購入への感情的な執着はなかった。
・さらに詳細に、どのような学歴、経済レベルの者が、どのように行動したか、あ
るいはスミスや他の有名人をどのように支持したか、が面接と質問紙調査から示さ
れている。
・スミスのパブリック・イメージが受容され、それに大衆が好感をもって接触し
て、かつ説得された背後には、広汎に広まっていた社会不信のムードの中で、母親
的人物としてのスミス像が好意的に受け入れられたことなど、当時の大局的な社会
状況、世間のムードなどからの影響が大きかったことを、結論的に述べている。こ
の部分の存在によって、単に短期の説得による行動変容に関する実証調査というの
みならず、フランクフルト学派的な社会批判の視点をももっていた、と指摘されて
いる。
以上のように、1)まず放送の膨大なコンテンツを内容分析して主要な説得テー
マに整理、分類し、2)それらの説得テーマのどれに、どのような先有傾向の者
が、いかに反応したかを焦点面接の詳細なデータから分析し、3)同時に、大規模
なアンケート調査によって、ここで発見された傾向を検証している。さらに、4)
それを大局的な社会や時代状況との関連で位置づけている。
1940年代前半に実施された調査であるが、一方で内容分析により、問題と
なっている当該コンテンツの特徴的な要素を抜き出し、これと焦点面接で得られた
インタビュー結果を照合させることにより、「どんなタイプのリスナーが、どんな
タイプのメッセージにどれだけ接触し、またそれによって、どのように説得された
か」の実態を、やはり典型的なタイプに分類しながら検証している。それを大規模
なアンケート調査データでさらに検証している。これらを通して、大衆説得の実
態、その内実、効果、影響されるリスナーのタイプを検出しており、問題→解決型
のよく構成された調査設計となっている。
たとえば卒論レベルで、このような包括的な問題解決型の社会調査が実施できる
ことはめったにないが、本来、社会調査はこのような方向で実施されるべきもので
あり、「内容分析をしたから、それだけでよい」「アンケート用紙を撒いたからよ
い」といったものではない。基本の社会問題=社会調査の出発点がまず明瞭に自覚
され、それを検証するために、必要な手法があとから決まってくる。本調査の場合
には、たまたまそれは内容分析とリスナー調査だった。ただし、内容分析と受け手
調査の組み合わせは、マスコミ研究ではきわめて一般的な方法になっている。
ちなみに、本書には、ほとんど言及されていないサンプルの特徴があり、後年の
研究で問題視されている。すなわち、焦点面接のサンプルの88%、質問紙調査サ
ンプルの71%が女性だった、という事実である(巻末の集計表一覧には掲載)。
これは、一見して、サンプルの代表性を損なう配分であるようにみえる。ただしま
た、そもそも、「とりわけ昼の時間帯には、リスナーの多くは女性だった」と仮定
することも可能である(「生活時間」と「視聴程度」は、しばしば看過されるが、
重要なメディア接触の制約条件)。サンプルの代表性は「注意深く選択され」てい
ると明記されているが、その配慮が、具体的にどのようなものだったかは、やや曖
昧ではある(ランダム・サンプルではなかった可能性がある)。結果として、実質
的に本書は、「主として女性リスナーを中心とした、ケイトスミス放送への反応に
ついての研究」という側面を持っていることになる。
*ランダム・サンプル(無作為サンプル)とは:母集団から、「一定の、無作為な
方法によって、統計的に代表性が保証されうると考えられるサンプルを抽出」した
とき、それが無作為サンプルとなる。(無作為抽出法を使ったことになる)。ここ
でいう「ランダム」「無作為」は、「てきとう」「でたらめ」「いい加減」という
意味ではなく、無作為性が統計的に保証されている、という意味。具体的には、乱
数表(統計的に無作為な数が列記されている表)を用いて、ある学年から、対応す
る学生番号の学生を順次抽出していけば、それは乱数表に基づいたランダム・サン
プルとなる。無作為な開始番号から、一定間隔で住民票から住民を抽出していって
も、これに相当するサンプルとなる。この研究では、無作為サンプルを用いたかど
うかはやや曖昧である。
なお、本調査は、大多数が女性のインタビュー調査員、2名の女性の協力者(う
ち、フィスクは、後のローウェンタール夫人)など、女性研究者からの協力を得て
実施されたものであり、本文の分析の一定部分に、女性研究者からの助言によるも
のが含まれている可能性がある(著作者名としてはマートン単独であるが)。これ
らの特徴は、近年になって指摘されはじめたものである。
本書はラジオ放送とリスナーの分析であるが、ちょうど同時期に、(ラザース
フェルトの二番目の夫人である)ヘルタ・ヘルツォークが、昼のラジオドラマのリ
スナーについて、最初期の、「利用と満足の研究」を実施してもいる(ただし、本
書ではヘルツォークへの言及はない)。いずれにせよ、当時の「量的、効果論」派
コロンビアにおける「質的調査派」および「(効果論ではない)利用と満足論グ
ループ」の存在をうかがわせる研究例の1つともいえる。
第3章 「コミュニケーションの2段の流れ」の発見:ラザースフェルトら「ピー
プルズ・チョイス」と「パーソナル・インフルエンス」ーー因果関係を特定するパ
ネル調査の有効性とオピニオン・リーダーの発見
「マスコミには大きな影響力があるか」は、つねにマスコミ研究の最重要な問題関
心だった。というか、そもそもそれへの懸念から、この研究領域そのものが始まっ
たと言ってよい。この問題への、もっとも影響力の大きかった(80年代まで事実
上、学界を支配していた)回答のひとつが、「限定効果モデル」の提唱であり、そ
れを裏付ける「オピニオンリーダーの存在」「選択的注目の存在」および「コミュ
ニケーションの2段の流れ」の発見だった。これらは1940年代に、ラザース
フェルト、ベレルソン、ゴーデット『ピープルズ・チョイス』1944において提唱
され、その後、ベレルソン、ラザースフェルト、マクフィー『投票:大統領選挙
キャンペーンにおける意見形成の研究』1954およびカッツ、ラザースフェルト
『パーソナル・インフルエンス』1955において再検証される。
・オハイオ州エリー郡調査
(1940年大統領選の調査。ラザースフェルト、ベレルソン、ゴーデット「ピープ
ルズ・チョイス」1944となる調査)
・ニューヨーク州エルマイラ郡調査(1948年大統領選(民主トルーマン/共和
デューイ)の調査。ベレルソン、ラザースフェルトとマクフィー「投票」1954と
してまとめられる調査)
・イリノイ州ディケーター調査(1944年の調査。カッツとラザースフェルト
「パーソナル・インフルエンス」1955となる調査)
以上、3つの調査計画から、3つの調査の分析結果として、代表的な3著がまと
められた。合わせて「コロンビア調査」と通称される、コロンビア学派の代表的な
業績である。著者は3冊で異なるが、全てにラザースフェルトが一貫して関係して
いる。また、調査テーマ、調査方法、主張される結果、いずれもが同一傾向である
(以下では、実例としては最初の「ピープルズ・チョイス」から多く引用する)。
最後に「パーソナル・インフルエンス」がまとまるまで、調査実施から10年か
かっており、エリフ・カッツは、これがラザースフェルトのやり方だ、と後年指摘
している。
「コロンビア調査」は、結局のところ、20世紀において最も影響力の大きかった
マスコミ研究であり、トーマス・クーン的な言い方をすれば、この研究ジャンルで
の「科学革命」をなし遂げた「パラダイム転換」となった支配的な言説だと言え
る。おそらくこの「コロンビア調査」(および、おそらくイェール学派の説得研
究)こそが、20世紀におけるマスコミ研究のもっとも支配的なパラダイムとみな
せるものであろう。その理由は、以下の多くの点において、それ以前の研究とは異
なった、独創的な科学的貢献だったからであり、大量の追随者を生んだからであ
る。
(1)社会調査法として:
(社会)科学において、単なる相関関係ではない「因果関係の特定化」こそが最も
重要な課題である。例:「ある商品のユーザーには、その商品のコマーシャルを見
ている人が多かった」=これだけでは「相関関係(=事象の共起)」がみられたと
いう以上のことは、当然ながら言えない(「特定商品のユーザーであること」と
「そのコマーシャルを見ていること」とが結果的に相関しているだけ)。つまり、
「商品を(偶然に)買った結果として、とても気に入ったので、結果的にそのコ
マーシャルにも好感をもち(スルーしないで)見ている」のか、「コマーシャルを
見た結果として説得され、はじめてその商品を購入したのか」が、まったく分から
ない。
ところで、多くの市場調査では、「コマーシャル接触→商品購入」にいたる広告
効果、影響関係を測定しようとするが、上の相関関係だけでは、その逆の可能性が
除外しきれない。
そもそも、ある一定時点での「情報接触」と「商品購入」を調査するだけでは、
厳密な意味での「因果関係」は特定化できない(統計的に擬似的に推測するなどの
手法はあるにせよ)。もし「情報接触→特定の意思決定」という因果関係を特定化
したいならば、複数時点におけるサンプルの意識と行動を測定しなければならな
い。1回の調査では、因果関係は分からない。
この目的で導入されるのが、「パネル調査」という基本的な調査設計である。同
一のメンバーからなるサンプル集団(=「パネル」)に対して、一定間隔で、繰り
返し、意識や行動を調査することによって、各調査時点におけるパネルの意識と行
動の「変化」を、具体的に跡づける。また、各期間における情報接触の実態も跡づ
ける。これによって、「一定の情報に接触した結果として、過去においてAだった
意識や行動が、現在においてBに変化した」といった、パネルへの情報接触からの
影響・効果を特定化するとともに、因果関係の方向を明示化することが可能とな
る。
ラザースフェルトらのコロンビア調査は、このようなパネル調査設計を初めて採
用した社会調査として、社会調査史に名前を残すものとなっている。彼らの研究に
よって、マスコミの影響が、初めて、明示的な因果関係として特定化された。
*以下には、「ピープルズ・チョイス」におけるパネル調査設計を示す。この19
40年は大統領選挙の年であり、3期目をねらう民主党のFDRと、共和党のウィル
キーとの対立となった。同書では、民主、共和両党の支持者が、5月から11月
(投票時期)までに、どのように投票候補を変えていったか、また、それぞれに時
期に、どのようなメディア(新聞、ラジオ、対人)に接触したかを継続的に調査し
ている。
このように、全体で3000サンプルを確保しながら、そのうちで、実際に調査
そのものに利用されたのは600人のメインパネルだけである。すでに述べたが、
サンプル数は多ければそれだけでいいというわけではない。この調査では、メイン
パネルにおける「繰り返し質問による偏向」の有無を検証するため、統制群サンプ
ルA∼Cを用意して、3時点において、統制群とメインパネルで、回答に有意な偏
向が存在しないことを確認した上で、メインパネルのみを分析に用いている:良好
なサンプル集団が得られれば、それを中心に調べればよいので、メインパネルの代
表性を3度にわたって検証し、それだけを用いている。
このような、「統制群を立てて、実験群(メインパネル)との比較を行う」とい
う手法は、心理学の実験においてむしろ多用されるものであり、「ビューラー夫妻
の不肖の弟子」、実験心理学者としてのラザースフェルトのルーツを示していると
もいえる。また、この部分が、マクロな統計データなどの分析をする「社会学」で
もない、ミクロな心理測定をする「心理学」でもない、その中間の「社会心理学」
としての、独特の立脚点ともなっている。同時に、メインパネルには定型文のアン
ケート的な質問を繰り返し質問しているが、それにしても、訓練した面接調査員に
よって実施させ、かなり「刺激ー反応の測定実験」的な調査設計になっていること
も、マクロな社会調査とミクロな心理実験の中間的な方法であり、これも「社会心
理学」的と評されるゆえんでもある。
*調査手法の区別について:注意深く、対面の面接形式で実施すると、「アンケー
ト調査」も、「インタビュー」や、時には「心理実験」的なものに近づく。厳密な
質問紙調査では、事前訓練を受けた面接調査員が、厳密に同一の質問文(=言語刺
激)を読み上げ、それへのサンプルの回答(=反応行為)を確認して記録する形式
で、答えを記入する(回答者が自分で読んで、自分で○をつけるのではない)。こ
のため、言語刺激→回答反応の測定、という形式で、実際には、心理測定に近い調
査フォーマットとなりうる。また、調査が双方向で実施される、という意味ではイ
ンタビュー的でもある。ただし、このようなよく訓練された多数の調査員を使う質
問紙調査法は、コストがかかるので、なかなか実施できない制約もある。
(2)調査結果から得られた新概念について:
このような斬新な調査設計による研究から、以下のような新たな概念が得られ
た。それらは、以後のマスコミ研究において、少なく見積もっても1980年代ま
で、長く依拠されることとなった。
・先有傾向 predisposition :特定の情報に接触する以前から、あるいは一定の
キャンペーンなどに接触する以前から、受け手の内部には、ものごとについて、あ
らかじめ抱かれた好悪や支持不支持などの漠然とした心理・行動傾向が存在する。
これを先有傾向と呼ぶ。具体例としては、投票候補を決める前から、支持政党とい
う形で、漠然とした一定の政治的な選好性が事前に存在する。投票候補の決定は、
先有傾向としての支持政党が、具体的な行為として結晶化したものと考えられる。
・選択的注目selective attention :人々のマスコミへの注目において、多くの人
は、自身の先有傾向と一致するタイプの情報をあらかじめ選択して、それについて
主に接触する(フェスティンガー的にいえば、認知的不協和を回避する方向でメ
ディア接触する)。したがって、先有傾向と矛盾するマスコミ内容への注目は、概
して回避される傾向がある。したがって、いくらメディアでキャンペーンを張って
も、先有傾向と矛盾する場合は、そもそも注目されず、効果も期待できない。類似
語として、選択的接触selective exposure などがある。
・意見の顕在化 activation of opinion :漠然とした先有傾向を持っていた
人々は、各種の情報に接触すると、その先有傾向を、いっそう明瞭で行動指示的な
意見へと固定化させる。このことを意見の顕在化と呼ぶ。意見の顕在化の過程は
「顕在化の4段階」と呼ばれている。
(1)メディアのキャンペーンが関心を起こさせ、
(2)関心の高まりがキャンペーン接触を増大させるが、
(3)そこでは選択的な注目が払われたうえで、
(4)投票意図が結晶化し、潜在的な先有傾向が活性化される。
(支持政党(=あいまいな態度)→特定候補者への投票意図(=具体的な行動方
針)へ、というふうに結晶化する。)
・オピニオン・リーダー opinion leader :支配者、指導者という意味のリー
ダーではない。それはどんな社会集団にも存在している。積極的に新しい情報源に
触れて、新しい意見を受け取り、しばしばそれを、周囲の、いっそう情報接触にお
いて受動的な人々(「フォロワー」follower)に伝達する人のこと。つまり新規採
用者という含意。マスコミの情報は、オピニオン・リーダーを介して、フォロワー
に広がる。「ピープルズ・チョイス」では、「政治的な争点について、相手を説得
しようとしたか」「誰かからそれについて意見を求められたか」のいずれかに該当
する者、として特定化された。
なお、この概念(オピニオン・リーダー/フォロワー)を拡大して、のちにカッ
ツらが、医療関係での新薬の採用をめぐる新規採用者=イノベーターの研究を行
い、マスコミ研究が、スタンフォード大学などでのエヴァレット・ロジャーズ
(「イノベーションの普及過程」1962)らのイノベーション研究(=技術革新の
普及過程の研究)へと展開することになる。コールマン、カッツ、メンツェル「医
師の間でのイノベーションの普及」1957 →「メディカル・イノベーション」
1966)。
・コミュニケーションの2段の流れ two step flow of communication:マスコ
ミの影響は、かつてそう仮定されていたような「マスコミから受け手全員への直接
の影響関係」ではなく、むしろ、「マスコミからオピニオン・リーダーへ、オピニ
オン・リーダーを介してそのフォロワーへ」という、マスコミ過程と対人的コミュ
ニケーション過程の両者を含む、少なくとも2段階を媒介したものである。(選挙
の情報を、対人的に受け取っているか、マスコミから受け取っているかを調査し比
較した結果として判明する)
(3)調査結果の含意として:
以上の新概念を発見し、パネル調査を実施した調査の結果として、
・限定効果仮説 limited effect hypothesis :マスコミの効果は、(1)先有傾向に起
因する選択的注目の存在と、(2)マスコミ内容を対人コミュニケーション過程へと仲
介するオピニオン・リーダーの介在によって、むしろ限定的な改変効果しかもたな
いことが多い。
・補強効果仮説:同じ原因から、マスコミの効果は、先有傾向に従う方向での意見
の結晶化を促す、すなわち、先在した態度や意見を補強する方向で作用することが
多い。
・以上から、マスコミの意見・行動の「改変」効果は「限られたもの」でしかな
い。これを大雑把に拡大解釈して、「マスコミには影響力はない」という議論だと
誤解もされた(実際にはそうではなく、むしろ「あまり改変はしないが、補強効果
は高い」、という意味だったが、通俗的にはこのように受け取られることもあっ
た)。
*最初の本格的なマスコミの効果、影響を因果的に検証した社会調査において、通
念的な意味での「マスコミの効果(=改変効果)」は少ないことが実証されてし
まった。
選挙キャンペーンの投票意図への効果(5月から10月)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
|10月時点(投票時点)の意図
|
5月時点の意図|先有傾向に従う 先有傾向と逆 未決定
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先有傾向に従う 「補強」36% 「改変」2% 部分的改変3%
先有傾向と逆 「復元」3% 「補強」17%部分的改変3%
未決定 「活性化」14%「改変」6% 効果なし16%
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*上から明らかなように、「ピープルズ・チョイス」のエリー郡調査では、5月時
点での先有傾向(支持政党)、5月時点での投票意図(投票候補)、10月時点で
の投票意図(投票候補)を比較することから、マスコミの選挙キャンペーンに接触
した結果として、「補強」効果が正36+逆17=53%、「改変」および「部分
的改変」が2+6+3+3=14%、「活性化」が14%、「効果なし」16%、
「復元」3%、という結果が示されている。過半数において「補強」効果がみら
れ、「効果なし」が16%、「活性化」14%、「改変、部分的改変」は合計で1
4%だった。すなわち、マスコミ接触への効果は、先有傾向の「補強」が過半数の
割合を占めていることが示された。対照的に、改変は部分的改変を含めても14%
にすぎなかった。
これと類似の結果は、「パーソナルインフルエンス」において、選挙の投票行動
以外の消費行動(歯磨きなど日用品、映画、ファッションの選択行動)においても
該当することが示されている(選択的注目と2段の流れ論の妥当性が、これら消費
行動の領域においても検証された)。
ちなみに「ファッションリーダー」は、このカッツとラザースフェルト「パーソ
ナルインフルエンス」で使用された概念(ファッション領域でのオピニオンリー
ダーのこと)。
これらの結果から、マスコミのもつ主たる効果として、限定的な改変効果、一般
的な補強効果が指摘される。
ここで提起された結論は、決して最終的なもの、決定的なものではなかったが、
その後、20世紀後半における支配的な「検証されるべき基本的な問題構成」「研
究パラダイム」を提供した。以後のマスコミ研究は、彼らに同意するにせよ反対す
るにせよ、彼らの結論への「後続する研究」として展開されることになった(つま
り支配的パラダイムが設定された)。この意味で、コロンビア調査は、20世紀後
半におけるマスコミ研究での「科学革命」として機能し、上記の新たなパラダイム
を設定すると同時に、後続研究の多くを「通常科学」化させることになったといえ
る。
*ただし、いわゆる「マスコミの効果、影響が大きい」、という事実を(直感的に
であれ)信奉している場合、これらの結論は、やや「意外な展開」という印象を与
えるものでもあるだろう。なぜなら、「マスコミの効果はどれほど大きいのか?」
への回答として、「現状を維持させる効果(補強効果)=変えない効果が大きい」
「(先有傾向に対する)改変効果は少ない」「対人的影響がむしろ大きい」と言っ
ているので、「期待していた回答と違う」「煙に巻かれた」といった印象が抱かれ
がちだからである。
とはいえ、「大衆社会の超越的な影響力であるマスコミ」という漠然としたイ
メージに対峙させて、「オピニオン・リーダーの役割」「対面的な社会的コミュニ
ケーション過程の重要性」を強調したことは、その後のマスコミ研究の幅を広げる
(対人コミュニケーション過程まで、マスコミの研究領域を広げる必要が出てき
た)ことに直結した。また、ワイマール共和国時代に社会主義の信奉者として研究
活動を始めたラザースフェルトの面目躍如、という印象もある結論ではある。
*とりわけ「選択的注目」「オピニオン・リーダー」「コミュニケーションの2段
の流れ」の発見は、戦中∼戦後の漠然とした受け手像「強大なマスコミの影響下に
ある、原子化された無力なオーディエンス」(「皮下注射モデル」的なイメージ)
に対抗して、受け手の主体性と自由意志を保証するものとして、戦後の社会環境の
中で、熱心に議論されることになった(=第一次的集団、ゲマインシャフト、対面
関係、対人関係、対人的コミュニケーション過程などの重要性を強調するものだか
ら)。
*このコロンビア調査が設定した「選択的注目、限定改変効果」パラダイムからの
転換は、
(1)短期のキャンペーン効果ではなく、長期の累積的効果に着目する(ガーブ
ナーらが行った方向)
(2)個別の意思決定ではなく、全般的な認知効果に着目する(ガーブナーに加
え、議題設定効果の発見などでも重視された方向)
(3)対人過程をさらに詳細に検討する(「沈黙のらせん」仮説など、対人過程か
らの影響をより重視する方向)
(4)マスコミの効果・影響ではなく、「個々人がそのコンテンツをどのように主
体的に利用し、主観的な満足を得ているか」について、個々人のサイドから「利用
と満足」を研究する方向(「利用と満足」の研究)
(5)メディア企業の寡占と巨大化に伴う「メディアシステム依存社会」「メディ
アコンテンツのシナジー効果」を強調することで、選択的注目が事実上、不可能で
あることを指摘する方向(巨大メディア産業論)
(6)とりわけ電子メディアに固有の特性を論じる方向(マクルーハンとその影
響)
(7)「支持政党(漠然と下支持の態度、先有傾向)から投票候補(結晶化した行
為)へ」、という関連が弱まっている現状を強調することで、スプリットヴォート
(矛盾する2候補のそれぞれへ、戦略的に投票する行動)など、複雑な意思決定過
程に注目し、ストレートヴォートを前提にしたパラダイムから脱却しようとする方
向(意思決定過程の研究)
などなどで試行されることになった。以上の脱却の諸方向は、事実上、「ラザー
スフェルト以後のマスコミ研究の主要な展開の全て」といってよい。つまり、その
後の研究の脱却方向をも規定してしまっている。
ただし、短期の小規模な意思決定においては、依然として、コロンビア調査の結
論は有効であることも多い。
*すでに述べたように、1959年には、ベレルソンが「マスコミ研究の沈滞」を
指摘している。ベレルソンの指摘は、コロンビア調査に匹敵するだけの新たな調査
テーマ、調査手法、調査結果、その含意が見られない、という意味だったと考えら
れる。あるジャンルが、その創始者を超えられない(創始者が終わらせる)ことは
ままあるが、マスコミ研究にも、そう言いたくなる側面がある。
第4章 初期「利用と満足 Uses and Gratifications 」の研究実例:ヘルタ・
ヘルツォークのラジオリスナー研究とレオ・ローウェンタールの「マス・アイドル
の勝利」その他ーーコロンビア調査時代における効果研究以外の方向
ラザースフェルトらの「コロンビア調査」は、影響力が大きかったため、とかく
コロンビア学派の代表例とみなされがちである。それは事実ではあるが、同時代
に、同じ場所で、別種のアプローチが試行されていたことは看過されるべきではな
い。そもそもキャントリル「火星からの侵入」、マートン「大衆説得」ともに、コ
ロンビア学派の成果である。これ以外にも、同時期のラザースフェルトの研究所か
らの刊行物に、効果研究に尽きない各種のアプローチの方向が掲載されている。そ
れらを紹介する。
1)ヘルツォークの初期「利用と満足」研究の実例
ヘルタ・ヘルツォーク Herta Herzog 1910-2010はオーストリア出身のアメリカ
の社会心理学者、市場調査関係者。ウィーン大学で心理学専攻、渡米してコロンビ
アの研究所へ。その後マッキャンエリクソン社で調査主任、また同社の関連シンク
タンク、ジャック・ティンカー社でも働く(市場調査実務の経歴)、のち大学に戻
る。
ヘルタ・ヘルツォークのこの関連での40年代の研究例は、少なくとも3つあり、
いずれも書物の長さではなく、論文である。
「プロフェッサークイズ:充足の研究」1940は、ラザースフェルト編「ラジオと
印刷物」1940所載、同題のラジオの人気クイズ番組を内容分析し、リスナーが得
る「充足」の種類を分類した最初期の研究。ハドリー・キャントリルの指導のもと
で執筆されたと謝辞がある(この時期のコロンビアの研究報告は多数あり、関係す
る人間関係は錯綜している)。
「借りられた経験について On Borrowed Experience 」は、『哲学社会科学研究』
誌(ニューヨークに移動したフランクフルト学派の機関誌)に、1941年に掲載
されている。これは下記研究と同傾向の、ラジオリスナーの「利用と満足」につい
てのインタビュー研究であり、ラジオ・リスナーのアメリカ主婦100人へのイン
タビュー調査によって、その特徴を描き出している。
同誌に同時掲載されているのが、アドルノ「ポピュラー音楽について」、ホルク
ハイマー「芸術と大衆文化」、マルクーゼ「現代技術の社会的意味」など、フラン
クフルト学派の代表的な研究例である。この点や、後述する研究自体の傾向から
も、この研究を、フランクフルト学派にむしろ属するものとする見解もある。ラ
ザースフェルトは行政調査について寄稿している。
ちなみに、ラザースフェルトは、ウィーン時代に、ホルクハイマーから、フラン
クフルト社会調査研究所の調査を請け負っている(家族と権威主義についての研
究)。この調査が、のちに、アドルノを中心として、「権威主義的パーソナリ
ティ」1950として出版される研究の一部をなしている。このような関係で、もと
もとラザースフェルトはフランクフルト学派と交渉があった。
これらの先行研究に依拠して、それをさらに発展させたのが、「昼のラジオ連続
ドラマのリスナーについて実際に知られていることは何か? What Do We Really
Know about Daytime Serial Listeners? 」(1944)であり、ラザースフェルト
とフランク・スタントン(CBS調査部長から当時副社長)編の「ラジオ・リサー
チ1942-43」(1944) 巻頭論文となっている(なお、この1巻を実際に編集したの
がヘルツォーク自身だった)。
*ある研究ジャンルの草創期に、「研究機関」「現場の企業」「基金」などが連携
して、そのジャンルの研究開発(そのまま営利活動に直結する)に投資する事態が
ままみられる。マスコミ研究では、20∼30年代のプロパガンダ研究、30∼5
0年代のマスコミ研究がこのパターン。日本でも、∼60年代頃までは、このタイ
プの関係が有効に機能していたようだ。
一般に、ヘルツォークのこれらの研究は、マスコミ「効果」論ではなく、「利用
と満足」論の嚆矢として扱われている。じっさい、本論の重要部分は、ラジオドラ
マの受け手である主婦層に対して、インタビューによる詳細な充足項目(何に満足
しているのか、何に使っているのか)の調査を行ったものではある。一般に、「利
用と満足」研究とは、「効果研究」の対語で、マスコミが受け手にどんな影響を行
使するかではなく、能動的と想定された受け手が、送り手の意図と無関係に、マス
コミ内容から、どのような主観的な満足、充足を引き出しているかを問題とするア
プローチである。ただし、この研究が、後の自覚的な「利用と満足」研究が唱導す
るような「能動的な受け手」像といえるものを提出しているかといえば、そこには
議論の余地がある。結局のところ、「あまり社会的に活発ではない主婦層の主観的
な満足を指摘したにすぎない」という批判も可能ではあり、その点が検討されてい
る。ただし、そこまで扱うと概論ではなくなるので、概して「利用と満足研究の嚆
矢」として扱われている、という指摘にとどめておく。
この「ラジオ・リサーチ」掲載の論文は、冒頭から、あたかもラザースフェルト
的な方向への批判であるかのごとき問題意識を続々と提示している。すなわち、
「我々が知りたいのは、何年も定期的にラジオ番組を聞いてきた女性への、これら
番組の影響である」「1回の統一的なキャンペーンなら、現代的な社会調査の手法
で、その効果を測定できる。しかし、連続ドラマがもつと想定された影響力は、
ゆっくりした蓄積を通して次第に生じるものだ」「連続した観察と注意深い解釈に
よってのみ、その効果を跡づけることができる」。これらの指摘は、
・長期の蓄積的な影響を知りたい(短期のキャンペーンの影響ではない)。
・現代的な社会調査の方法ではなく、連続した観察と注意深い解釈の方法をとる。
という点で、同時期のコロンビア調査への対案となっている。
当時は、ラジオが唯一の電波マスコミであり、昼間に在宅している主婦層を対象
としたお昼の「ソープオペラ」「デイタイムシリアル」などと呼ばれた連続通俗ド
ラマが人気を博していた。現在の日本での「昼メロ」に近い感覚。こうした大衆向
けジャンルの、リスナーへの影響が議論されていた。ちなみにP&Gなど、せっけん
会社がスポンサーになることが多かったので、ソープと呼ばれたとされる。
調査手法として、(1)ドラマの内容について体系的に知ること(内容分析の必
要性)、(2)リスナーと非リスナーの比較検討が必要、(3)リスナーへの詳細
な調査で、「どんな満足を得ているのか」「なぜラジオドラマへの傾倒が生じてい
るのか」を知ること、を挙げている。この論文では、(1)については同書の中の
別論文(ルドルフ・アルンハイム著:映画学、美術批評、知覚心理学者)にゆず
り、(2)(3)について検討されている。
ちなみにアルンハイム論文には、当時よく聴取されていたラジオのソープ番組とし
て、
Against the Storm, Arnold Grimm's Daughter, Backstage Wife, Betty and
Bob, David Harum, Edith Adam's Future, Ellen Randolph, Girl Alone, などな
どが大量に挙げられている。このうち、Betty and Bob について内容の実例を例
示しておけば、
(音声ファイル:略)
調査上の仮説としては、
(1)自分の住むコミュニティから孤立していると、ラジオドラマの聴取により多
くの時間を使う。
(2)リスナーの知的関心の範囲は、非リスナーよりも狭い。
(3)ほとんどのラジオドラマは「あなたに似た人」の体験を扱っているので、そ
れに興味を持つ人は、自分の個人的な問題に関心をもっている。つまりリスナー
は、非リスナーよりも、公的問題(政治や時事など)には、低い関心しか示さな
い。非政治的=私生活主義、という発想。
(4)リスナーは、非リスナーよりも、不安と不満をもった女性だろう。ラジオド
ラマは、彼らへの慰めと補償を与えているのだろう。
(5)リスナーと非リスナーでは、一般的なラジオ聴取そのものについても、好み
に違いがあるだろう。
以上の5仮説を挙げているが、これらの仮説構成じたい、一定の(当時の知識人
の)価値観を反映していると指摘されている。具体的には、低学歴者は社会参加・
社会関心ともに低く、「低俗(ロウブロウ)な」余暇をすごしている、という基本
的な発想を前提とする(この部分はまた、フランクフルト学派におけるデリケート
な問題関心とも共通する。「伝統的な価値、価値意識の残る旧世界」から「金ぴか
の実用主義のアメリカ社会」への移住にともなうカルチャーショック、という意味
でも)。
*仮説の構成:仮説とは、それを使用した社会調査によって、検証または反証され
るべき、問題事象についての経験的な命題のこと。調査者を引きつけた「問題」が
ある→その「問題」を、「インタビュー」や「アンケート」で調査して、経験的に
検証するさいに、「問題そのもの」では抽象的すぎるので、正誤の判定が可能ない
くつかの「命題」に変換する。これが「仮説」となる。
ヘルツォークの研究では、調査データは以下の4つの調査から得られている。
(1)農村部以外の全米の女性への社会調査
(2)アイオワ州の代表性サンプル(5000人程度)への、ラジオドラマ聴取量
についての調査。これによって、上の5仮説が検証できた。
(3)オハイオ州エリー郡の代表性サンプル(300人)への、好きなラジオ番組
の調査。これによって、ラジオドラマ好きの女性とそうでない女性の比較ができ
た。(このサンプルは、ほぼ確実に「ピープルズ・チョイス」調査と同一のもの
だった。その意味で、この研究は「ピープルズ・チョイス」の副産物である)。
(4)シラキューズ、メンフィス、ミネアポリスの女性へのインタビュー調査。サ
ンプル数が150程度と少ないので、リスナーと非リスナーの代表的な属性の違い
ていどしか比較できなかった。
以上4つの調査データから、5つの仮説を検証するとともに、主婦によるラジオ
ドラマの「利用と満足」を検証していく。すべてデータと統計表が示されて検討さ
れていくが、時間がないので、概括的な結果のみ示す。
(1)社会参加の度合い
これはリスナーと非リスナーで、有意な差はみられなかったと報告している。
参加回数の中央値
リスナー 非リスナー
-----------------------------------------------教会出席(過去2週)1.54
1.62
他の集会(〃)
0.58
0.74
映画(過去4週間) 0.58
0.51
-----------------------------------------------実数
2545
2780
(2)知的関心の範囲
これはリスナーの方がより狭い、という結果が見られた。
農村部でのリスナー数は、都市部の1.5倍で、中規模の町がこの間にくる。大都市で
は、いっそう多くの娯楽が提供されるので、それを意識するのだろう。
読書量(書籍、雑誌、新聞)については、リスナーと非リスナーで相違がなかっ
た。ただし、読書のタイプには相違があり、ミステリーものをリスナーが好むのに
対して、非リスナーは歴史ものを読む傾向がある(ミステリーもの<歴史もの、と
いう位置づけを行っている)。
多くの雑誌は、リスナーでも非リスナーでもきわめて一般的に読まれていた。
「マッコールズ」「レディーズホームジャーナル」「ウーマンズホームコンパニオ
ン」は1000/5000人が読んでいる。「グッドハウスキーピング」「ベター
ホームアンドガーデン」「コリアーズ」「ライフ」「ルック」 なども、500∼
1000/5000人の講読率だった。
ただし、より少部数の雑誌では、リスナーと非リスナーで講読に相違がみられた。
リスナーが読んでいる雑誌、アイオワのサンプル
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「True Confession (真実の告白)」
67 %
「True Story (実話)」
66
「ハウスホールド」
57
「ペアレンツマガジン」
55
「タイム」
33
「ヴォーグ」
31
「ハーパーズ」
29
「マドモアゼル」
28
「ニューヨーカー」
25
-----------------------------------------------------------サンプル全体平均 48% (5325)
一見して明らかなように、リスナーの読む雑誌では、実話もの、家庭ものなどが高
くなっている反面で、いわゆる高級誌への接触は高くなく、このことから(全般傾
向はすでに述べた通りだが)、これらの雑誌では、リスナーにおける雑誌の好み
は、連続ラジオドラマと同様の内容の「実話もの」であるか、あるいは家庭生活も
のである、という傾向を指摘している。
*余談:日本では、実話もの告白ものでオピニオン誌「婦人公論」が売っていたよ
うに、「コミコミで」(色々混ぜて)誌面を作る傾向があり、上のような分業が不
明瞭なので調査が困難。
「なぜ、低学歴の女性は、いっそう連続ドラマを聞いているのか?」の回答として
は、これらのドラマが、ナイーブな女性に対して、代理的であるにしても、切望さ
れている人間的な出来事に触れる機会を提供するからだろう、と推測している
(いっそう広い社会経験をもった高学歴者ならば、普通に、直接の機会としてもっ
ている)。(高学歴者=広い交友関係、であることに注意。歴史を感じる認識)。
また、ステレオタイプ的な人物や状況が頻出する連続ドラマは、いっそう識別の細
かい高学歴層には満足をあまり与えない、とも考えられる。連続ドラマが大衆教育
の1手段となるか、偶然と愛と非論理性のばかばかしい物語となるかは、今後のコ
ンテンツ次第だが、それがより教育の低いアメリカ女性の主要な娯楽形態であるこ
とは間違いない、という。
*繰り返しだが、以上の論旨は、ハイブロウ/ロウブロウ(高尚/低俗)、エリー
ト文化/大衆文化などの対立項について、それ自体が「1940年代アメリカ(にお
けるヨーロッパ知識人)の見解」という、現代ではおそらく、やや偏向的とみなさ
れるだろう視座に立脚している。つまり、「知的な層:高学歴、大都市層、歴史も
の、広い交友関係、活発な地域活動、非リスナー。その反対:その反対」。という
ごく明瞭な対比関係を前提として、その枠の内部での、リスナー/非リスナーの比
較でしかない。
ヘルツォークの先駆的な研究の評価は分かれているが、その一因は、研究視座の
この基本的な部分(フランクフルト学派的ともいえ、この学派においてもそこがデ
リケートだとされる、知的エリート層とその他の層についての古典的な序列意識の
問題)を、どのように評価するかが疑問視されているためである。ヘルツォークの
仮説検証の部分は、このような古典的な意識を前提にして、以後も展開されてい
る。
(3)公的出来事への関心(政治関心)
それは知的関心一般の一部であるので、リスナーではより低いと仮定できる。
ただし、
・ニュース番組への関心
・町外の新聞への関心
この2つについて、リスナー/非リスナーで相違はみられなかった。
・実際の投票率では違いがあり、リスナーでは、投票に行った人ははるかに少な
かった。事実、社会参加度は低かった、ということ。
・リスナーは、新聞記事でも、家庭ものに多く関心を示している。つまり個人的な
関心が高く、政治的な関心を追いかけるまでのことはしない。政治キャンペーンへ
の参加度は低かった。
(4)パーソナリティ特性
・リスナーの方が、若干ながら、自信をもたない傾向がある。
・「元気さ」は、非リスナーの方が高かった。
・「活発に話すか」では差がない。
・「感情的か」についても差がない(期待された結果ではない)。
全般に、それほどパーソナリティ特性での差はみとめられなかった。
(5)コミュニケーションのメディア
・明らかに、リスナーの方がずっと長く、昼および夜の連続ドラマを聞いている。
中毒的になっている。これは予想された結果(「連続ドラマ依存の主婦」像)
・選挙キャンペーン情報をどこから得るか、について、
リスナー 非リスナー
---------------------------------ラジオ 40.2 33.3
新聞雑誌 32.4 41.7
友人知人 25.4 22.2
演説映画
2.0
3.0
---------------------------------計
100(299) 100 (363)
リスナーにおけるラジオ偏重傾向、非リスナーでの文字偏重傾向が示されている。
*以上の部分(リスナー/非リスナーの属性比較)に対して、後半部の、リスナー
へのインタビュー調査の部分は、ややトーンが異なり、リスナーの生の声から、彼
らの充足項目についての経験的な聞き取り結果が記述されていく。「利用と満足」
研究の先駆として重視されているのはこの後半部分である。
この「利用と満足」調査の部分をみると、まず、先行する「借りられた経験につい
て」論文の中で、3つの主要な充足タイプを指摘していた。それを適用している。
(1)感情解放の手段。「涙を流すチャンス」を望み、「幸福や不幸のサプライ
ズ」を楽しみたいということ。また、攻撃性を発露できることも充足となる。リス
ナーは自分自身がトラブルを抱え込んでいるので、「他の人もトラブルを持ってい
ると知ることで、安心する」。また、ドラマ主人公の哀しい経験は、リスナー自身
のトラブルへの補償として享受される。
「こうして、夫を亡くして子供2人を苦労して育てたある女性は、『丘の上の家』
のヒロインをお気に入りの一人だと挙げて、「彼女が孤児院でしている素晴らしい
仕事を続けたいなら、決して結婚しないのがいい」と感じた、という。つまり、自
分のものよりも悪い運命(=未婚、独身のまま)を、お気に入りのヒロインに期待
することで、自分の後悔された過去を補償している。自分の夫との死別に心を奪わ
れて、ヒロインには、まったく結婚せず、孤児院の子供たちのために、自分を犠牲
にすることを期待していた」。
「他方で、自分と自分の些細なトラブルを、ヒロインのものと同一視することで、
リスナーは、自分の悲哀を賛美できる。これは、リスナーが、まだそうした深刻な
経験をしていない他者に対して、「優越感」を感じられる場合に限って、享受され
ることである。」
(2)願望充足思考 wishful thinking :連続ドラマを聞いて自分のトラブルを「沈
めて」しまう人がいる一方で、それを、自分の人生のギャップを埋めるのに用いた
り、ドラマの成功パターンを通して自分の失敗を補償する人もいる。
「幸福な結婚をしたが、夫が慢性患者になったある女性は、「楽しいエピソード」
のために『ヴィックとシェード』を聞いている。そして、この二人が、自分と夫だ
と思おうとする。また、1週間に5日は帰ってこない夫と駆け落ちした娘のいる女
性は、『ゴールドバーグ一家』『オニール一家』をお気に入りとして挙げた。いず
れも幸福な家庭生活と、成功した妻にして母親を描いたものだった」。
(3)助言が得られる:はっきりとものが言えないリスナーに対して、「物事を説
明してくれる」ので、そういうストーリーを好む人がいる。さらに、ドラマが彼ら
に、適切な行動パターンを教えている。典型的なコメントとしては、「もしそれを
聞いておいて、自分の人生で何かが起こっても、どうすればいいかがわかるで
しょ?」といったもの。これらの女性は、番組をアドバイス源とみている。
この所見がとても印象深かったので、1942年の夏、アイオワ調査への回答者で、
リスナーだった人に、以下を質問した。
「これらの番組(連続ドラマ)は、あなたが日々の問題に対処するのに有効です
か?」はい、いいえ、考えたことがない、分からない、で回答。
41%が有効だったと回答、28%がいいえと回答。残りは考えたことがない、ま
たは無回答。この後、一定の集計を行った結果として、「教育程度が低いほど、こ
れらの番組が役に立つと回答する」傾向を発見。このことは、以前の、「低教育の
女性ほど、友達を得たり他人に影響したりする方法を知るすべをもっていないの
で、いっそうこの目的で、連続ドラマに依存する」ということの傍証となる。
また、どのような教育レベルであっても、他人よりも悩みやすいと考えている女
性は、いっそう頻繁に、連続ドラマ聴取から解放感を得ていた。
ドラマで助かった人の割合
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
大卒 高卒 中卒
悩みが % % %
高い 42 50 52
低い 34 37 44
上の表のように、「どの悩み層でも、学歴と相関してドラマで助かり」、「どの学
歴層でも、悩みが高いと思っているほど、助かったと考える割合が高い」ことが分
かる。
以上からでは、「助けになる」という充足の「具体的な内容」までは分からない。
そこで、ニューヨークとピッツバーグの150人サンプルに対して、訓練したイン
タビュアーにより、「具体的な連続ドラマで得られるアドバイスについて、充分な
実例」を質問するようにした。結果、連続ドラマから得られる影響の範囲は非常に
広範囲だった。
・他人とどう付き合うか
・夫やボーイフレンドの扱い方
・子供の育て方
など。これらについて、具体的なサンプルの回答を引用しながら(インタビュー記
録を引用しつつ)、検討している。いくつか例を示すと、
「夫のフレッドが帰宅したとき、もっと陽気にふるまうために、『パパ・デビッ
ド』が有効でした。疲れているけれど、陽気にみせました。『ゴールドバーグ一
家』もそういうお話です。ミスター・ゴールドバーグは帰宅して叱り出しますが、
そうしようとしていたわけではないんです。このことから、フレッドが分かったよ
うな気がします。彼が怒鳴り出すと、彼をミスター・ゴールドバーグと呼びます。
彼は、私をモリーと呼びます。夫は妻がどんなことを経験しているか、本当には分
かっていません。こうしたドラマで、そういうことが分かりました。女性が優しけ
ればうまくいくもんです。よく思うんですが、妹がもっと優しければ、離婚しない
ですんだでしょう。あの男性にはいいところもたくさんありましたから」
「『ベス・ジョンソン』で、子供の扱い方がわかります。彼女はあらゆる年齢の子
供を扱ってます。多くの母親は子供を平手打ちします。彼女は、何かを奪うように
しています。そっちの方がいいです。私は、彼女の方法を子供には使っています」
・特定状況での振る舞い方
「ドラマでクリフォードの奥さんが出産時に亡くなったとき、(ドラマで)ポール
が彼にしたアドバイスを、自分の甥の奥さんが亡くなった時に、彼にしました」
「ヘレン・トレントが好きですが、もう35歳なんです。でも髪を染めてるなんて
聞いたことがないでしょう。男性を誘うのに、魅力や仕草を使って、それがうまく
いくんです。彼女にやれるんなら、私にできないわけないでしょう? エイジング
と戦っていて大変なんです。髪の毛をどうにかしたいと思うこともありますが、ド
ラマが勇気をくれて、受け入れなければならないことを分からせてくれるんです」
「『白衣の女』では、兄弟が戦地にいきますが、お国のためにしているんだと彼女
は自分を納得させます。それを聞いて、自分の息子についても納得させました。私
の息子だけじゃないんだ、と。ドラマでは、その兄弟はとても家族思いでした。心
配しないで、大丈夫だから、帰ってくるから、と言いました」
・悩んだときに自分をなぐさめる
「ヘレン・トレントがたいへんなトラブルに遭遇しても、彼女はそれを穏やかに受
け止めました。だから、彼女のようにして、動揺しない方がいいと思います」
以下、十数例の、具体的なリスナーによる「利用と満足」の充足の実態が、インタ
ビューから引用されて示されており、この部分が、質的な実例を列記したにとどま
るにせよ、この方向での研究の嚆矢とみなされている。後続する70年代の研究で
は、いっそう詳細に、充足項目や充足タイプを分類して、量的な分析へと展開され
る。
一般的な行動科学では、質的なデータ(個々人がどう考えた、どう振る舞った)
を、何らかの方法(質問紙調査など)で集約して、量的なデータ(多数の人々や、
一般的な人々の意見や行動の傾向)へと統合する(このことで全体的な傾向がみえ
てくるので、政策的な対応などが可能となる)。本研究は、あくまで質的、具体的
なレベルでの、個々人による連続ドラマの利用の仕方の実例を列挙しており、それ
にとどまる。ただし、当時のラジオ・リスナー主婦の肉声が記述されている印象は
ある。
*この研究の意味:
1)「マスコミの効果(マスコミが人をどう変えるか)」ではなく、「個々人によ
るマスコミの利用(人々がマスコミをどう使うか)」に着目した、利用と満足研究
のもっとも初期の実例である。しかも、「ピープルズ・チョイス」の同時期に、そ
の反対側で、この問題意識が展開されていた。
2)「はい、いいえ」の選択肢に帰着させ、数値的に回答を処理する効果研究(と
いうかコロンビアの機能主義社会学の傾向)ではなく、「具体的な事例」をインタ
ビューで得られた情報に基づいて記述することで、質的に分析していく手法が取ら
れている(対比的にいうならシカゴ学派的。コロンビア内部のシカゴ、という印象
のアプローチになっている)。あるいは、コロンビア内部でのアプローチの多様性
を例証している。
3)リスナーに概して共感的ではあるが、大枠としては、アメリカの大衆文化、ロ
ウブロウな生活様式に対して距離や違和感を隠さない、その意味でヨーロッパ知識
人的な(フランクフルト学派的ともみえ、そう批判もされている)基本的なスタン
スをもっている。このことで批判されているが、コロンビアとフランクフルトの接
点のひとつという性格ももつ研究実例である。
以上のように、コロンビア、シカゴ、フランクフルトの境界的なスタンスともみえ
る複雑な立場にある研究だろう。
4)すでに述べたキャントリル「火星からの侵入」、マートン「大衆説得」や
「ピープルズチョイス」の裏面に見え隠れする、「女性学者による女性の受け手研
究」、という側面。すでにみたように、効果研究への反論としては、明瞭にそれを
打ち出している(「ピープルズチョイス」と同時進行で)。本研究でも、家庭にい
る女性への教育メディアとしてのラジオ、という視点には言及がある。研究のテク
スチュアとしては、大枠ではロウブロウ文化にやや距離感を出しているものの、と
りわけインタビューに依拠した具体的な充足の記述にあたっては、「当時の主婦層
の心理や願望を細やかに追いかけている」印象があり、その他の部分とやや感触が
異なるようにみえる。
2)「スタントン=ラザースフェルトの番組分析器 S ta nton-L a za rsf e ld
Program Analyzer」について:受け手反応のリアルタイム測定の試行
1930年代終わり頃の時点で、CBS調査部のスタントンとラザースフェルトが
協力し、「番組分析器(プログラム・アナライザー)」と呼ばれるオーディエンス
反応測定器が開発されている。
装置をテストする両名
この装置の使用結果レポートが、やはり「ラジオ・リサーチ1942-43」の中のあ
る程度の部分を占めて、掲載されている。
番組分析器は、100人分の緑色の「好き」ボタン、赤色の「嫌い」ボタンを備
え、それらの押されている時間を、長いロール型記録用紙に逐次記録していく装置
である。テスト・オーディエンスは装置の設置された放送局の1室に集められ、彼
らの着席する椅子には、一方に「好き」ボタン、他方に「嫌い」ボタンがある。事
前に制作されたラジオ番組が流され、100人がそれを聴くが、内容が「好き」/
「嫌い」なら、その時間だけ、そのボタンを押すように求められる。この100席
からのボタン押し反応は、100本の横へ流れる線書きとして、ロール紙に、時間
的に記録されていく。オーディエンスは、リアルタイムに聴取している番組内容に
ついて、いま聞いている部分が「好き」な間は「好き」ボタンを押し続け、「嫌
い」な間は「嫌い」ボタンを押し続けるように指示される。ボタンを押さない部分
は「無関心」と判定される。結果は、
無反応であれば: __________
「よい」時間は: _____ーーーー_
このような反応線が、時間経過だけ、人数分だけ、記録されていくことになる。
このことによって、「あるラジオ番組の内容の、どこからどこまでが、何人によっ
て「好き」と反応され、どこからどこまでが、何人によって「嫌い」と反応された
か」を、リアルタイムで調べることが可能となる。このロール記録紙データに加え
て、テスト聴取の直後に、一般的なアンケート用紙での質問とインタビュー調査を
併用することで、「どうして、好き/嫌いだったか」の理由が判明し、テスト・リ
スナーの基本属性なども確認できるので、リスナーの属性ごとの比較も可能となる
ものとされた。
放送の事前に、この番組分析器を使って、あらかじめ好悪反応を測定すること
で、「嫌い」だった部分のコンテンツを改善して、「どこもが「好き」なラジオ番
組」を制作することができると期待された。ロール紙記録の実例は以下のようなも
のになる。
この装置の長所としては、アンケートでの調査ではせいぜい「番組全体への概括
的な好悪印象」ていどしか測定できないが、ここでは、時系列的に、番組の最初か
ら最後まで、「どの箇所が、どんな理由で」好悪を感じさせたかを、詳細に測定す
ることができる。逆に問題点としては、「悪役登場の場面」などは、そもそも「嫌
われるように設定した人物を不愉快に描く」箇所なので、必須であるにもかかわら
ず、「嫌い」ボタンが押されてしまう、など。このような「嫌い」まで含まないよ
うにした番組は、ひたすら受け手にとって好ましい印象だけを与える内容になって
しまう。
また、テスト会場に、毎回100人を着席させて機械を調整して反応をみる、と
いう手続き自体も、ある程度煩瑣なものになる。その100人を、何らかの代表性
を持たせて選出しないと、特定嗜好の人だけが満足する番組になってしまうが、多
くの立場を100人で代表させられるか、という問題もありうる。ただし、番組分
析器じたいは、その後のテレビ時代になっても、一定程度までは利用され続けたと
言われている。
もはやこの装置では、オーディエンスの生理的反応に近い、リアルタイムでの
「番組そのもの」への反応が時々刻々と記録される。ほとんど心理測定の実験に近
い手法である。ラジオ時代にすでに、ここまで詳細な番組内容とオーディエンス反
応の測定が試行されていた(ただし、その後あまり一般化しなかった)。
ちなみに、この番組分析器自体は、日本でも試作試用されていた。測定結果の解
釈が難しかったといわれている。
3)ラザースフェルトとマートン「マス・コミュニケーション、大衆の趣味、組織
化された社会的行為」1948 論文について
この講義では、「実際に社会調査を実施して、マスコミ理論史上の重要な知見を
得た実証研究例」を中心に、紹介している(社会調査と調査法になじんでもらうた
め)。ただし、重要研究と呼ばれるものの中には、必ずしも単独の社会調査結果か
ら得られた知見に基づいているわけではないタイプのものも存在している(ここで
は極力紹介しないが)。その1例として、きわめて影響力の大きかった上記の論文
について概説しておく。ここで提起された3つの概念は、その後もしばしば、マス
コミの社会的な機能を考えるさいに参照されることになる有名なものだからであ
る。
上記論文は、ライマン・ブライソン編「観念のコミュニケーション」論文集に
1948年に初出、その後も多くの論文集に再録されつづけている。邦訳もシュラム
編「新版マス・コミュニケーション マス・メディアの総合的研究」1968 に採録
されている。この両名が、それぞれすでに、代表的な実証調査を実施した後で、今
後検討されるべきマスコミの機能について集中的に論じたものといえる。この中
で、著者らは、マスメディアの社会的機能について、代表的な3つを指摘してい
る。この部分が、現在でももっともよく引用される。
(1)地位付与の機能 status conferral fuction: マスメディアは、公的争点、人
物、組織、社会運動に対して、地位を付与する。論説などで支持される場合もそう
であるが、単にメディアで注目をあびるだけでも、地位は高められる。マスメディ
アは、個人や集団の地位を正当化することで、威信を与え、権威を高める。新聞、
ラジオ、雑誌によって認知されることは、ある個人や集団が、その他の無名の大衆
から選抜されるほどに重要だ、ということを証明するものとなる。また、その行動
や意見が、公衆によって認知されるだけ重要だ、ということをも証明するものとな
る。これは、「有名人がある製品を推薦する」、などの広告の場合に明瞭に見られ
る。その証言で、製品の威信が高められるのみならず、その証言をした有名人にも
威信が反映する。その有名人の意見は、大衆の多くにとって重要だ、というに充分
なだけの高い地位をもつものだとして、産業界がその人を認めている、という公的
なお知らせになっているからだ。つまり、その有名人の証言は、当人自身の重要性
への証言ともなっている。
(2)社会規範の強制 enforcement of social norms : 「プレスの権力」「メディ
アからの強い注目」などのキャッチフレーズは、この機能について言及したもので
ある。マスメディアは、公衆の道徳性と一致しないものごとを「晒す」ことによっ
て、人々の組織化された社会的行為を発動させることがある。これが、ただ単に、
「逸脱を広く知らしめる」だけのことだと考えてはいけない。ひとたび逸脱が周知
されれば、「秘かに我慢して受け入れられていること」と「公的に認められうるこ
と」のズレが明示化されるからだ。多くの人は、手心を加えて社会規範を自分にも
相手にも適用している。しかし、自分の立場を明示する必要が出てくると、その態
度は続けていられない。逸脱の発生が強制的に告知されると、人々は立場をはっき
りさせねばならなくなる。非同調者として、自らも規範の外側に立つか、あるい
は、個人的にどう思っていようと、規範を支持するしかなくなる。報道すること
は、「私的な態度」と「公的な道徳性」の間の 間を閉ざしてしまうことである。
争点の持続的な回避を許さないことで、複数ではなく単一の道徳性への圧力を行使
する。時として、メディアは、この「晒し」活動を、「十字軍的なもの」へと組織
する。人々に組織的な社会的行為を起こさせるには、単純な二者択一の形で、問題
を示す必要がある。それはまた、自己維持的な循環過程にもなる。メディアが公共
の利益に関心を向けることで、メディアの権力と威信がさらに高まり、それはメ
ディア自身の利益と一致している。マスメディアは社会規範の再確証に役立つ。
(3)麻酔的逆機能 Narcotizing dysfunction : あまり指摘されない重要なマスメ
ディアの機能として、これを挙げている。政治的アパシーと不活発さは本来望まれ
ないことだが、それが発生するメカニズムとして、麻酔的逆機能が挙げられる。よ
り多くの時間がマスメディア内容の消費に費やされているが、この大量の供給に
よって、社会問題についての浅薄な関心だけが喚起され、この浅薄性によって、し
ばしばアパシーが生み出されることになる。こうした情報の洪水への接触は、一般
的な受け手を活性化させるのではなく、むしろマヒさせる。メディア接触時間が増
加するにつれて、組織化された行為のための時間が減少する。人は、争点や問題の
解説を読んだり、それについて別の選択肢について議論し合ったりすらするだろ
う。しかしそれが社会的行為を発動させることはない。政治的現実との二次的な接
触を、実際の遂行の代替品と考えてしまう。問題について知ることを、それについ
て行動することと勘違いする。社会的な良心は汚れないままになる。関心をもち、
情報を得て、どうすべきかについてあらゆる考え方を持っているが、夕食をとり、
お気に入りのラジオと新聞に接触したあとには、もうベッドの時間になっている。
この特定の側面において、マスコミは、もっとも効率的な社会的麻酔薬のひとつ
である。それは非常に効果的なので、中毒患者に、自分の病気を気づかせないまま
にするほどである。マスメディアによって、大衆のもつ情報水準が高められたこと
は確実だが、意図されたかどうかとは別に、マスコミの増大する投与によって、
人々のエネルギーは、能動的な参加から、受動的な知識へと、意図されずに変換さ
れてしまう。
この麻酔的逆機能が発生していることは、ほぼ疑い得ない。ただし、その程度に
ついては今後確定されることだ。この方面での調査は今後の課題である。
以上、(1)地位付与の機能、(2)社会規範の強制、(3)麻酔的逆機能とい
う3つのマスコミの未検討の社会的機能について指摘している。(1)は、「メ
ディアに露出することで偉いとみなされる」「偉いものを出演させている媒体も偉
いものとみなされる」、(2)は、「誰かを晒しものにすることで、それを通し
て、その背景にある以前は曖昧だった社会規範を、それだけ強調して、確定させる
(スケープゴートを立てて、価値意識を望ましい方向へ確定させる)」「一定の価
値や流行などを大々的に取り上げることで、同調をあおり、その他を結果的に排除
する」、(3)は、「メディア中毒にすることで、思考能力を低下させるがそれを
気づかせず、実際の行動は取らせなくする」、という、それぞれ現在でもごく一般
的にみられるメディア機能を端的に示している。
これらの機能については、もはや研究者の間では、上の表現で長く合意されてい
るものであり、それが実在することは認められている。ちなみに、相互が矛盾する
こともままある。(1)の手法で権威を与えて(2)のように価値意識を画一化し
ても、(3)なので現実の行為(投票とか消費とか)につながらないことも多いか
らである。いずれにせよ、ごく一般的に知られた概念についての説明なので、知っ
ておくことが望まれる。
この後、さらに、
・マスコミ所有と運営の構造について:アメリカのマスコミが、英国やソ連と異な
る私企業であることを指摘。メディア特性と無関係にそうであること、それらビッ
グビジネスが、マスメディアの制作と拡散に財政根拠をあたえていること、どんな
意図があれ、それとは無関係に、「笛吹きにカネを払う者が、曲を選んでいるこ
と」を指摘している。
・社会的同調性について:マスメディアは企業に依存するので、それを維持するこ
とに貢献し、たえず現状の再確認を繰り返し、それを受け入れる義務を強調してい
る。メディアの影響は、メディアが伝えたことだけでなく、むしろ、メディアが言
わないことの影響が大きい。現状を肯定するだけではなく、社会構造への本質的な
疑問は語らない。マスメディアにこうした微妙な問題を回避させることで、社会的
同調が促進される。
・大衆の趣味への影響について:大衆的な価値観に依拠したコンテンツによって、
美的水準や趣味が低下する、という議論。
などなどについて、簡にして要をえた指摘を行っている。マスコミの社会的機能
を分類するとともに、その内在的な問題について、周囲の社会構造との関連で指摘
していく、密度の高い理論的論文といえる。この論文の存在によって、単なる調査
屋というに尽きない彼らの側面が例証されていると言われる。
*「調査」と「理論」は相互に影響する関係があり、何らかの理論(仮説群として
示される)を調査が検証し、検証されなければ理論が改訂される。理論は調査の方
向を示すオリエンテーションとして重要であるが、長期にわたって適切さを維持す
る場合と、あまりそうではない場合とがある。上の研究実例などは、60年たって
もなお有効な理論的指針の実例だろうが、全ての「理論」がそうとは限らない(理
論の質の問題)。一般に、問題の全体を理解したある程度の専門家が提出するもの
なので、そうでない場合には、あまり大胆に論じない方が安全。この点からも、
いっそう調査指向の作業を行ったほうが、一見地味ではあるが、特に初学者レベル
では妥当だとされている。
4)レオ・ローウェンタールの「マス・アイドルの勝利」と内容分析の実例
前出の「ラジオ・リサーチ1942-43」の末尾に「大衆雑誌の伝記」という題で最初
に掲載され、のちにローウェンタール自身の論文集に再録される際に、標題が「マ
ス・アイドルの勝利 The Triumph of Mass Idols 」と改題された論文がある
(「意志の勝利」への皮肉か?)。フランクフルト学派のローウェンタールによ
る、社会批判的な意識をもった、同時に計量的な、コロンビア系の仕事として、し
ばしば言及されている。大衆雑誌に掲載の「有名人の伝記」を大量に集め、内容分
析することによって、「大衆が求めるヒーロー像の時代的変遷」を通年的に比較し
た研究として知られる。
*内容分析はマスコミ研究固有の調査手法として発達し、各種の手法があるが、
「日頃だと見落としてしまいがちな、しかし一般性の高いテキスト・コンテンツ」
に着目して、それを大量に収集し、通時的、共時的に比較すると、それまで分から
なかった傾向や時代変化などが発見されることがある。ただしもちろん、コンテン
ツそのものだけを分析して、一定の傾向を導いても、「それを受け手がどう受け止
めたか」はまったく別問題なので、本来は、これまで紹介してきた代表例のよう
に、受け手調査と組み合わせるのが望ましい。ただし、印象的な傾向を初めて指摘
した場合、内容分析だけでも評価されることがありうる。この研究は、「20世紀
における大衆ヒーロー像の変化」があまりにも明瞭に跡づけられたので、その点で
評価されている。
伝記(バイオグラフィー)の流行がおきているようだ。それを掲載する雑誌類が
増えている。個人への関心が大衆ゴシップの1種となっており、大多数の定期刊行
物に、毎号、誰かのライフヒストリーが掲載されている。「ニューリパブリック」
「ハーパーズ」のような雑誌でも、寄稿者について、主な経歴や業績が載せられて
いる(これら全てが伝記類、ということ)。それらは書店やドラッグストアの一角
にも見られる。こうした定期刊行物に掲載の伝記類を内容分析する。
分析対象となるのは「サタデーイブニングポスト」「コリアーズ」2誌の、19
40年4月から41年3月までを詳細に検討。加えて、1901年以後のこれら誌
面における掲載数である。さらに対象誌を追加すれば、別の傾向がみえるだろう、
と指摘しつつ、これらに限定して実施している。結果は、
(1)生産の英雄:過去
以下の表のような傾向が見いだされた。
1901-14
22-30
30-34
40-41
うち5年分 6年分 4年分 1年
---------------------------------------------------政治家 46
28
31
25%
実業家
28
18
14
20
芸能人
26
54
55
55
---------------------------------------------------100
100
100
100%
(177) (395) (306) (125)人
---------------------------------------------------毎年の 36
66
77
125
伝記数
(平均)
---------------------------------------------------上記の結果から、20世紀初頭から、伝記の掲載数は3倍以上に増加している。伝
記の流行があるのは間違いない。しかし、「どのような型の人の伝記が増加してい
るのか」を、人物を「政治家」「実業家(ビジネス)」「芸能人(エンターテイ
ナー)」の3領域に分けてみてみると、1901∼14では、伝記の約半数が政治
家、25%が実業家、25%が芸能人だったのが、WW1後まったく変化して、2
2年以降では、政治家が3割弱、実業家が2割弱、芸能人が過半数、となり、芸能
人が倍増し、そのままになっている。20世紀初めには政治家が半数だったので、
政治家と芸能人の割合がちょうど逆転する、という大局的な変化がみられる。以上
の大局的な傾向から、伝記は流行っているが、しかし、政治、経済の実業分野、生
産分野が注目されているのではなく、むしろ生産に直結しない芸能人の伝記が注目
されていることを示唆する。このこと(人が読みたがる伝記の主題が、「生産のア
イドル」から離れていること)から、生産にかかわる英雄は、過去のものとなって
いる、と指摘している。
*内容分析を実施する場合、上のように、「ある程度大きな時代的変化」を意識し
た方が、よい結果がでやすい。あまり短期間を対象にしても、世相や社会意識がそ
れほど急速に変化しないのと同じで、さしたる変化が見られないことが多い。ただ
し、長期の内容分析をする、ということは、そのまま、その期間の具体的なデータ
にアクセスできる、ということを意味する(が、しばしばそこができない場合が多
い)。
続いて、この期間の「芸能人」について、それが「シリアス・アート(文学、絵
画、音楽、舞踊、演劇)」ジャンルの「芸能人」かどうか(要するに、「真面目
な」芸術に関わる人かどうか)を判定した。結果は、
時期 シリアスアート 芸能人
の割合(%) 総数
--------------------------------------------01-14
77
47
22-30
38
211
30-34
29
169
40-41
9
69
--------------------------------------------上の結果から明らかなように、時代ごとに、シリアスアートの関係者の伝記は激減
している。20世紀初めに3/4がシリアスアート関係者だったものが、現在では
ほとんど消えつつある。さらに詳細にみると、20世紀の前25年間は、スポーツ
選手や大衆娯楽の関係者の伝記はなく、明らかに、社会的、経済的、文化的な前線
での指導的な人物の伝記が好まれていた。20年代後半に、はじめて、ジャズ作曲
家とスポーツ人が、伝記ヒーローに認められている。とはいえ、技術的な要求や各
人の達成についての記事であり、それ自体が注目される特別な現象として扱われて
いるわけではない。
(2)消費の英雄:現代
現代の(40年代の)伝記ヒーローは、質的量的に、過去のそれからは隔たったも
のになっている。かつて無視できる程度でしかなかった芸能領域の人々が、量的に
第一のグループになった。スポーツ選手もトップ位置に近く扱われている。「真面
目な側面」を代表していた政治経済は、75%から45%程度へと減少した。「政
治」以外の部分でみてみると、69人が娯楽とスポーツ分野、25が「真面目な側
面」から、その25のうち10が、新聞記者やラジオ解説者。残り15が、実業界
や専門家(ここで固有名を挙げているが、分かりにくいので省略)。これら「真面
目な」人物たちにしても、結局、それほど「真面目な」人たちというほどでもな
い。産業界、実業界、専門職の重要で特徴的な人物は、9人のみで、そのうち6人
は新聞記者かラジオ解説者だった。
これらの人々は、「生産のアイドル」に対比させて「消費のアイドル」と呼べる
だろう。ほとんど全員が、レジャー領域に関連した人たちである。社会の基本的な
ニーズを満たす仕事ではない。さらに、この娯楽とスポーツの69人に、新聞記
者、ラジオ解説者、モデル、スポーツ道具の発明者、にせ医者、 博師、おもちゃ
の発明家、アイランドリゾート所有者、レストランチェーンのオーナーという、実
業ジャンルの人々を加えれば、94人の「政治」以外ジャンルのうち、87人まで
が、消費の世界で活躍している。
さらに詳細に40-41の2誌だけでみると、我々のヒーローの職業的な特徴は、
伝記数 %
-----------------------------------------------生産領域 3
2
消費領域
91
73
娯楽スポーツ
69
55
新聞ラジオ従事
10
8
消費材の関係者
5
4
軽い小説の話題
7
6
政治領域
31
25
-----------------------------------------------合計
125人
100%
産業的、専門的な営為が大々的に進んでいる時代にあって、大衆にとってのアイ
ドルとは、かつてそうであった生産の戦場の指導者ではなく、映画とスタジアムと
ナイトクラブの主役になっている。1900年から20年代ですら、雑誌のヒー
ロー分布は、現実社会のそれをある程度正確に反映していた。今日では、ヒーロー
の選択は、それとはまったく異なるニーズに対応している。伝記を、オリエンテー
ションや教育や階層上昇の手段とするわけではない、大衆にとっての夢の世界に続
いているようにみえる。大衆が受け取るのは、生産に関する人物や手法についての
情報ではなく、消費にかかわる人物や手法についての情報である。余暇に人々がよ
む伝記は、その余暇を提供している人についてのものになっている。この職業配置
は、まるで、生産過程が根絶されているか、暗黙裏に了解されているか、さらなる
理解は不要であるかのようである。かわりに、レジャーが、大量の読書が行われ検
討がなされるべき、新たな社会的なナゾとなっているようだ。
以上の分析を通して、ローウェンタールは、大衆に意識されるヒーロー、アイド
ルが、「生産のアイドル」から「消費のアイドル」へ、とアメリカでは20世紀前
半に転換したことを指摘している。この現象、つまり、実際に社会での生産に従事
している大衆が余暇に接触しているのが、自分たちの職業上の未来にオリエンテー
ションと教育を与える「生産に関わる」ロールモデルではなく、カネを使わせる
「消費させる」領域でのそれに変わってしまっている現象を称して、「マス・アイ
ドルの勝利」と皮肉に表現したものと考えられる。この新たなヒーローたちは、社
会のニーズに直結していない種類の富を体現している。文化は、経済と社会の実質
的な駆動力を適切に反映しなくなっている。また、新しいヒーローたちは、我々を
道徳的に導くのではなく、むしろ我々を楽しませ、ありえない世界に誘っているよ
うだ、と論じている。
*最終的に、旧大陸から移住してきたヨーロッパ知識人の、アメリカ消費社会に対
する違和感、ショックを前提として執筆された社会批判的論文であるので、現状批
判のニュアンスが強いのは当然である。ただし、長期間の(対象資料は限られてい
るが)マス媒体の内容分析を通して、アメリカ大衆の準拠するヒーロー像(と、そ
れに基づくだろう自己像)が、生産のアイドルから消費のアイドルへ変化した、と
いう指摘は慧眼と呼ばれるべきであり、アメリカでは20世紀前半に、この大衆社
会的なシフトが起きていることを示唆できたことも、メディアの分析による社会変
動の指摘、という意味で重要だった。
ただし、彼のいう消費のアイドルにしても、まったく余暇、レジャーの領域でし
か意味をなさないのか、あるいは消費アイドル崇拝にも、生産的な意味合いはみら
れないのか、などといった反論は、現在ではおそらく可能であろうとは考えられ
る。その立場からみれば、現状では、やや一方向的な社会批判ともみえてくるだろ
う。
*内容分析はマスコミ研究固有の手法だが、「それで何が分かるのか」は、しばし
ば問題視されている。ある媒体の内容に特徴や経年変化が見られたとして、それ
は、「受け手の変化」をそのまま含意しているのだろうか。あるいは、受け手の変
化と無関係に、単に「作り手の意図」だけを示すものなのか。内容に変化があって
も、それに接触する受け手の数はどの程度あるのか。この点、つまり明らかになっ
たメディア内容の傾向や特徴は、受け手への影響を示すものか、作り手送り手の意
図を示すに過ぎないのか、は、受け手調査を併用しないと判明しないものであり、
内容分析単体では意味がない、と言われることも多い。
ただし、本研究の場合、代表的な国民的雑誌の長期の経年変化(その間に2つの
世界大戦を含む)を追いかけているので、それだけでも一定程度の意味はありうる
だろう。また、「メディア内容を、もし現実社会の実際の傾向と比較したら、どれ
だけズレているか」という発想(ここでは、雑誌の伝記にみられる職業構成を、現
実社会のそれと比較して考察)は、「メディア的現実と実際の現実の比較」という
意味からも、無意味ではない(のちにガーブナーらが組織的に展開した方向と同
様)。
第5章 テレビと「現実の構成」をめぐって:ウォルター・リップマン「世論」、
ラング夫妻「テレビ独自の現実構成:マッカーサー凱旋パレード」、ダニエル・
ブーアスティン「幻影の時代」、など
これまで見てきたように、マスコミ研究の基本的なフォーマットが整ったの
は、1940年代のことである。ただし、当時は、まだ電波メディアとしてはラジ
オしか存在していなかった。この後、戦後の1950年代以降の世界は、本格的な
「テレビ時代」に突入する。テレビは、いくつかの点で、それ以前には見られな
かった特徴のあるメディアであり、この段階で、マスコミ研究は、一定の再考を迫
られることになる。
何よりも大きなテレビの特徴は、それが「動画付き」の電波メディアだったこと
である。「動く絵のついたラジオ」としてのテレビは、それまで劇場でしか見られ
なかった「音声付き動画」つまり「映画」的なものを、家庭のお茶の間にダイレク
トに運び込むことになった。
さらに、ラジオにおいて典型的だった「生放送」の手法、またはそれに近い、ほ
とんどリアルタイムの映像を各家庭に送ることを可能とした。映画時代ですら、こ
の「生動画」「リアルタイム動画」ということは基本的にあり得ないことだった
(大量のフィルムに撮影したのち編集して作品となるから)。「リアルタイム動
画」の送り出し(ということ自体は、テレビの場合、記録メディアのビデオテープ
が高額だったため、むしろよくあることだったが)によって、「リアルタイムな無
媒介の現実」と「リアルタイムなテレビ経由の映像」という、2つの種類の「リア
ルタイムなリアリティ」について、混同される可能性や、比較検討する余地が生ま
れることになった。
もともと「現実の性質」が何か、については、認識論的な、あるいは社会理論か
らも、問題意識が持たれていた。その段階で、「リアリティを操作する装置として
のマスメディアとりわけテレビ」が出現したため、それはこの古典的な問題につい
て、新たにメディア論的な検討を促すこととなった。
1)リップマンの「世論」と「疑似環境」「ステレオタイプ」
ウォルター・リップマンWalter Lippmann, 1889-1974 は、アメリカの政治関
連で多面的な活躍をしたが、その著作「世論 Public Opinion 」1922は、「ステレ
オタイプ」概念を用いて、「現実の環境」と「疑似環境」の比較を行い、以後、世
論研究のみならず、社会心理学、マスコミ研究で長く参照されることになった古典
的著作。実証調査ではなく、理論的考察だが、そこで提起された発想は、その後、
多くの実証研究を触発することになる。
「世論」冒頭部に、次の有名なエピソードが載っている。「1914年、ある島
に、イギリス人、フランス人、ドイツ人が滞在していた。電信もなく、2ヶ月に1
度、船が来るだけだった。人々はそこで、日常的な話題を交わしつつ過ごしてい
た。9月半ばに船が着いて、初めて彼らは、すでに6週間前から、英仏と独とが戦
争状態になっていた(1914の8月から、ドイツと英仏など連合国での開戦。つま
り、各国の国民である彼らも、すでに6週間、じっさいには敵同士だった)ことを
知った」。つまり彼らは、「外界 world outside 」ではなく、自分たちの「頭の中
の像 pictures in our heads 」を信じて行動していた。
このエピソードなどから、「現実の外界 world outside」と頭の中の「疑似環境
pseudo-environment」とは同一ではないことが指摘される。人間は、複雑で広大
な外界の全てをそのままに把握することができない。そこで、主としてメディアを
通して提供される、それのいっそう簡略化された像、ステレオタイプ( 偏見
prejudice)によって、その広大な外界を把握する。そして、そのステレオタイプに
対して行為しかえすが、しかし、そのしかえした行為は、現実の外界そのものに対
してなされる。つまり、人が理解する「世界像」は、そもそも簡略化された世界の
「地図」にすぎないが、それに対する人の行為は、「現地」そのものに向けられ、
実体的な影響となる。ここに、ステレオタイプに依拠した世界理解の基本的な問題
があるとする。
上のように、人が「認識する世界(ステレオタイプ)」と「それに依拠して行為
しかえす世界(外界)」とは別物であり、間違ったイメージに依拠して、本当のそ
のイメージの元になる現物にやり返している可能性がいつもある。同じ物理的世界
の中に住んでいても、二人の脳裏の世界は同じとは限らない。外界の実態とは無関
係に、いかにそれのステレオタイプを、自分たちに有利な対応する行為をもたらす
方向へと操作するかこそが、社会勢力にとって重要な課題となっている。誰も本当
の外界を容易に知り得ないのだから、社会勢力による意図的なプロパガンダ、世論
操作、合意の乱造ねつ造 manufacture of consent 、などのすべてが、ステレオタ
イプの操作によって円滑に行える。
*なお「合意のねつ造 manufacturing consent」は、後のチョムスキーらの巨大
メディア批判書の書名としても使われた。
リップマンの「世論」は、(1)客観的な現実(外界)と主観的に知りうるそれ
の像(頭の中の像、ステレオタイプ)には、原理的、本質的にズレがあること。
(2)ステレオタイプの形成によって、大衆の「疑似現実」を操作することが可能
であること。(3)ひとたび大衆に「疑似現実」が教化できれば、彼らのそれへの
対応は、無自覚に「疑似現実」に対するものでありながら、その結果の行為は、
「現実の外界」へ作用する(操作されていると無自覚に、脳裏のステレオタイプに
依拠して、別の現実に対して行為しているが、それが分からない)。以上の「外界
=現地」「頭の中の像=地図」「地図=ステレオタイプの外界=現地への影響」
「社会勢力によるステレオタイプの操作を通した大衆支配」という図式を明瞭に描
いてみせたことから、長く、マスコミの影響論について参照される視点となってい
る。
リップマン自身はハーバードの出身だが、彼のステレオタイプ論は、ウィリア
ム・ジェームズ、ジョン・デューイの心理学から展開されている(当該書の「ステ
レオタイプ」の章)。そしてジェームズ、デューイがアメリカのプラグマティズム
思想の初期人物であり、シカゴ社会学の基盤となったことは周知の事実である。こ
のようにして、リップマンの「世論」の一部は、当然ながら、シカゴ社会学の社会
的構成論に近い論理的な特徴をもっている。
なおこの関連で、「現実の社会的構成 social construction of reality」論(「現
実」はそのものとして自然に存在するわけではなく、社会的に構成された「人々の
合意の所産」である)という発想は、20世紀初頭に、アメリカ社会学シカゴ学派
では、すでにみられたものである。基本的に、マスコミ研究は機能主義の社会学、
社会心理学でとりわけ発達したものであるが、このような「現実の多元性、構成
性」(メディアがそれを構成する)という発想は、むしろシカゴ社会学のものとい
える。
もっとも分かりやすい頻用例は、「トーマスの公理 Thomas' Axiom 」と呼ばれ
る「状況の定義 definition of the situation」概念である。シカゴ社会学者ウィリ
アム・アイザック・トーマスが、1920年代前後から使用していた概念。「人々
が、ある状況を真とみなせば、それは結果においても真となる」という表現でしば
しば定式化される。ある状況が、「内在的に、本質的に」最初から一定の意味を
持っている、というのではなく、その意味は、「外在的に、関係者によって、相互
主観的に」、事後的な解釈と「意味付け」によって付与されるのだ、社会的に意味
が付与されるのだ、という発想のこと。
分かりやすい実例としては、「虐められっ子は、まず何か些細なきっかけで虐め
られはじめるが、あとから、その虐めを正当化するような理屈が、後付けで周囲か
ら押し付けられる」などの事態を想起すればいい。まず、何かの(あいまいな)
きっかけで「結果(虐め)」が起こり、それを理由付けする目的で「原因(虐めら
れる理由)」が後付けされる。その結果、「虐められるような性質が当該子供に<
まずあった>から、虐めがおきたのだ」といった「社会的現実」が「構成」される
わけである。この「原因」「結果」の倒錯構造、結果を正当化するために原因が後
から構成される、という視点が、「現実の社会的構成」論にはしばしばみられる。
2)ラング夫妻「テレビに固有のパースペクティヴ:マッカーサー凱旋パレードの
研究」1952
このような「現実の社会的構成」を一歩進めれば、「現実のメディア的な構成」
という視点に到達する。リップマンの発想は、それを評論的に描いたものだった
が、現実に、この発想を実証した研究が、1952年に、シカゴ学派のカート・ラ
ングとグラディス・E・ラング Kurt and Gladys Engel Lang 夫妻による初期のテ
レビ調査において実施されている。のち両名共著「テレビと政治」1984の第2章
として改稿。
1951年に、トルーマン大統領がマッカーサー元帥をアメリカに帰国させる
と、全米で彼の凱旋パレードが行われることになった。当時、シカゴ大学大学院
で、タモツ・シブタニ講師の群集行動のゼミに参加していた大学院生のラング夫妻
が、シカゴでのパレードの熱狂する群集について観察調査を実施しようと考えた。
実査の結果、意外な事実が発見された。
大急ぎの調査準備をへて、29人の訓練された観察者を、パレードのルートに
沿って配置し、出来事の観察にあたらせた。一方、当時まだビデオがなかったの
で、2人の観察者を、テレビの生中継の観察に当たらせた。テレビでは、3時間に
わたるパレードの生中継が予定されていた。この調査は、当初、街頭での群集行動
を調べる目的だったので、テレビ視聴者に対する観察は実施されなかった。パレー
ドが終わったあと、観察者たちの調査結果を調べていくと、テレビを媒介した出来
事の再構成と、街路でのそれとの間に、顕著な相違がみられることが判明した。こ
のため調査目的を変更して、テレビ現実と目前の現実の比較、というテーマに切り
替えた。
大きな興奮が生じることが予期されていたイベントだった。テレビ中継された現
実は、この期待にかなうものだった。とても大きな群集とその熱狂がみられた。他
方で、現実の群集は失望していた。よい見物場所について間違った情報を与えられ
ていたため、パレードが一瞬通り過ぎていくのが見えただけだった。儀式は見えも
聞こえもしなかった。パレードも音楽もなく、緊張はごく低かった。誇りや、わず
かでもスリルを感じた者もいた。元帥を一瞬だけ目にした人もいた。テレビカメラ
に向かって演技し始めた人もいた。自宅でテレビをみていた方がよかった、という
声も聞かれた。他方で、テレビは、現実を独自に構成して提示していたので、いっ
そうよい物語を語っていた。2つの現実は、まったく別種のものだった。この観察
結果の比較から、ラング夫妻は、以下のような点を指摘している。
(1)テレビは、不定形で時たまの、単調なイベントに、生き生きした形を与えて
いる。ナレーターが持続性を与え、カメラが前景と後景を操る。その一方で、観客
は興奮して写っており、そこにドラマが作られる。
(2)「現実」のイベントは、テレビによって歪曲されている。群集はあたかも熱
狂しているように描かれる。集団の規模は誇張され、シカゴ市がどれほど機能停止
したかも誇張された。局所的な観客の喝采を集めることで、連続する喝采の幻影を
作り出した。メディアには選択性があり、(a)カメラ操作による技術的なバイアス、
(b)言語的構造と意味を与える解説のバイアス、c)現実世界を再配置して、メディア
の時間と要求に合うようにする、(d)視聴者の期待を満足させる。などの方向で、現
実を再構成している。
(3)テレビは、イベントの文脈については何も言及しなかった。ラング夫妻は、
マッカーサーの帰米の理由について観客が知っていなくとも、テレビニュースがそ
れを提供すると考えていた。しかし、テレビはその役割を、称讃するだけに限定し
ており、徴用されているのではないか、というほどだった。テレビは、世論がそれ
を期待するように誘導されていた祝祭の記録になっていた。テレビには、この意味
での政治的機能がある、と考えた。
(4)自宅で一人でイベントをテレビで見ている受け手は、テレビの無批判的な
メッセージにたいしてとりわけ弱い。路上の観客は、お互いに対する資源をもって
いる。つまり、周囲の他者の考えや感じ方を感じ取ることで、現実を「テストす
る」ことができる。テレビ視聴者にはこれができないので、いっそう容易に間違い
へ導かれやすい。(この部分が、「多元的無知」「沈黙の螺旋」「バンドワゴン」
「洗脳」の社会心理を予期していた、という指摘もある)。
(5)このイベントは、地上ではあまりよく計画されておらず、そのスケジュール
は、現場の観客よりも、放送の求めることに合致するようだった。これは、現実の
観客を犠牲にしても、メディアが自らの視聴者を優遇する、というやり方について
の初期の洞察だとされる。現在では、メディアがその要求に応じてイベントを作り
出し、時間調整することは常識になっている。
ラング夫妻の調査は、たまたま企画された小規模調査が、実行してみると、意外
な現実を明らかにする、というものだった(社会調査の「事実発見的」な作用はま
まみられるが、これもその実例)。限られたデータに依拠したものなので、ケース
スタディと読んだ方がよいものであるが、「テレビ独自の現実構成」が実在し、そ
れが「現場の現実」とどれほど異なる「固有の特徴」を持っているかを実証的に示
した点で、先見的な研究だったとされる。機材の不足(ビデオ録画がない)などの
不十分さはあるが、ここで行われた「2つの現実の比較」「テレビ独自の現実構成
の存在の指摘」などは、その後も長く先行研究として引用されつづけることになっ
た。
3)ダニエル・ブーアスティンの「幻影(イメージ)の時代:アメリカにおける疑
似イベント・ガイド」1961
アメリカ議会図書館長もつとめたアメリカ史の歴史家ダニエル・J・ブーアス
ティン Daniel J. Boorstin の著作「幻影(イメージ)の時代 The Image 」は、1
960年代に広く読まれた、アメリカ文化におけるメディアが製造する「疑似イベ
ント pseudo event」についての批判書。「メディアが製造する現実」の性質につ
いて、豊富な実例をもとに論じている。社会調査に依拠したものではないが、分か
りやすい具体例を通して、メディアが演出する疑似的な出来事について詳細に論
じ、大きな影響をもった。1冊の書物であり、翻訳も出ているので、代表的な論調
だけ紹介する。
翻訳書の解説に引用されたエピソードが、疑似イベントとは何かを明瞭に語って
いる。「当日の夕刊報道によれば、1964年の東大の卒業式で、総長が、J・
S・ミルの「太った豚になるよりは痩せたソクラテスたれ」という言葉を語った、
とのことだった。しかし現実には、その時、式場の都合から、総長は、式辞のこの
部分を省略して話していた。にもかかわらず、現実には語られなかったこの言葉
が、語られたと報道された。原因は、事前のプレスリリースで、総長式辞の内容
が、メディアにはあらかじめ公開されており、そこにはこれが含まれていたから
だった(現地取材ではなく、プレスリリースに基づいて記事が書かれていた)」。
このため、メディアが、実在しなかったイベントを、自分たちの判断として、虚報
してしまうことになった。しかし、上のイベントは、その「実在しなかったバー
ジョン」の方が、「よりそれらしいもの」だった。これは、疑似イベントがそれと
発覚した事件といえる。
このように、「あらかじめメディアで報じられることを念頭にして計画される
「事件」」のことを、その計画性、予定性などから、本物の突発事件と区別して、
疑似イベントと呼ぶ。この疑似イベントという概念で社会事象を検討したのが本書
である。
われわれは、毎日、時々刻々、大事件が起こっている、大ニュースがたくさんあ
る、等に代表される「途方もない extravagant 期待」を抱いており、幻影について
の需要を作っている。お金を払ってそれを作ってもらうのだ。このニーズを満たす
べく、幻影を製造する産業が存在する。
合成的な新奇なイベントのことを疑似イベントと呼ぶ。例:ホテルの30周年の
記念として、関係者や著名人からなる委員会を組織し、祝典イベントを計画し、そ
れが新聞で大きく報道されれば、この祝典は、典型的な疑似イベントである。その
特徴は、
1)自然発生的でなく、誰かがそれを計画して起きる。
2)しばしば、報道され再現されるという目的のために仕組まれる。したがってそ
れは、報道するメディアの都合のよいように準備される。その時間は、人工的であ
り、「いついつ発表」などの予告が先行して配布される。
3)疑似イベントと、その状況の背後にある現実との関係は、曖昧である。疑似イ
ベントへの関心は、まさにこの曖昧さから生じる。「それが何を意味するのか」で
はなく、「本当にそれが起きたのか?」という関心が重要になり、この曖昧さなし
では疑似イベントはさして興味深いものとならない。
4)疑似イベントは自己成就的予言である。(自己成就的予言:マートンの概念
で、「当初は正しくない状況の定義なのだが、その定義そのものによって、それが
後続的に、 真実 となるもの」のこと。言ったことによって、その言った内容を、
後から正しくさせるような予言)。ホテルの30周年式典の例では、そこが優れた
施設だと述べるまさにそのことによって、そこが優れた場所とみなされるようにな
る。
*いわゆる「マッチポンプ」「自作自演」と機能的には類同である。
以後、アメリカ社会に広くみられる疑似イベントの実例を紹介しつつ検討してい
く、という構成になっている。ブーアスティンは、本書の中で、上のリップマン
「世論」およびラング夫妻の調査を引用して議論しており、これらを先行研究とし
て扱っている。
疑似イベントの特徴として、
1)疑似イベントの方がよりドラマチックである。たとえば、疑似イベントである
「テレビの候補者討論会」は、現実である「候補者たちの偶然の出会い」よりも、
いっそうサスペンスがあるように計画されうる。
2)疑似イベントは拡散させるために計画されているので、拡散が容易であり鮮烈
なものにさせやすい。その参加者は、ニュース価値と、それがドラマチックかどう
かで選択される。
3)疑似イベントは意図的に繰り返せるので、印象を強化できる。
4)疑似イベント製造にはカネがかかるので、それをみる価値・信じる価値がある
として、それを拡散させたい人がいる。それで、投資を回収するために、事前に宣
伝され、何度も再放送される。
5)疑似イベントは、分かりやすさを意図しているので、分かりやすい。従って人
を安心させる。候補者の相応しさや複雑な争点について議論できずとも、テレビの
パフォーマンスの有効性なら判定できる。理解できる政治問題があるのは極めて快
適である。
6)疑似イベントは社交の話題にしやすく、見るのに便利にできている。その発生
は、我々の便利さに合わせてある。日曜版は、それのためのヒマな朝があるので出
現する。ビールを手にした時にテレビ番組が始まる。
7)疑似イベントについての知識、何が報道され、どう舞台に上がったかの知識
が、「見識をもつ」ことの試金石となる。疑似イベントは、かつては名著の中に見
いだされることが期待された「共通の談話」を提供し始めている。
8)疑似イベントは、他の疑似イベントを幾何級数的に生産する。それらは、単純
に、どんどん増えていくという理由から、我々の意識を支配する。
もともと受け手の側に「いつでも何か、大事件や突拍子もないイベントが起きて
いて欲しい」という願望がある。その「途方もない期待」に訴求するために、メ
ディア(に限らない)としては、自己成就的予言の1形態である疑似イベントを演
出し、それを繰り返す。このため、自然発生的な「本当のものごと」が、次第に、
計画された「疑似イベント」で置き換えられていく事態を説明している。オリジナ
ルではなく、そのコピーの方が影響力をもつ。「コピーの支配」と呼ばれた事態で
あるが、現状でも進行中といえる。
具体的なジャンルに従って、疑似イベントの解説が続く。
・宣伝の専門家は、何がニュース価値かを知っており、それゆえにニュースを発生
させる地位にあるイベントの創造者である。社会的現実としての疑似イベントを、
宣伝関係者が造出している。ここから、「疑似イベント」と「出来事」の区別が曖
昧化する。(一方には、メディアと無関係に、「現実」には、社会的に構成される
という傾向があった。ここにメディアが自分たちに好都合な「疑似イベント」を造
出するという形で介在するようになったために、「現実」の社会的に構成される性
格が、いっそう顕著になった、ということ)。
・観光地は、そのものとしてではなく、観光しやすい場所、観光すべき名所のある
場所、として演出される。観光地としての整備が進む。
・かつて危険だった「旅」が、事前に計画された「旅行」に変わっている。本来、
「旅」は危険を伴い、帰ってこられるかも不明なものだった。それは一部の人がす
るものだった。パッケージ旅行が演出されるようになると、それが提供するのは、
こうした本来的な「旅」ではなく、安全であることが確約された「旅行」になっ
た。
・ダイジェスト版なら、およその概要を短い時間で知ることができる。本物の原著
を読むのは手間と時間がかかるが、ダイジェスト版ならば要点だけをつかむことが
できるし、その方が話題にする目的では便利である。
・スターは疑似イベントであり、ハリウッドのスターシステムは、作品よりもス
ターのキャラクターに関心をもつ。「有名さ」それ自体が重視されるようになる。
スターが出演していることによって、ある「作品」が観られるようになる。作品は
二義的であり、登場するスターのキャラクターこそが重要な要因となる。
・こうしたものごとは、本質的に「循環的な定義」しかできない傾向がある。
「ベストセラー」=「よく売れていることによって、よく売れつづける本」
「セレブリティ」=「メディアに露出することで、露出しつづける有名人」
とりたてて、例外的な特徴、性質、個性がある必要はない(ベストセラーのリスト
を見れば分かるように、共通する特性が必ずしもみえない)。いったん売り出しに
成功すれば、まさにそのこと(成功裏に売り出されたこと)によって、これらのも
のごとは、内容そのものと無関係に、売れ続けることになる(名声は名声を呼び続
ける。なぜなら、それ以外が、事実上、存在を意識されない(宣伝されない)か
ら、選択肢に入らないため)。メディアが与えた「初速」が大きければそれだけ、
その後にわたって、あるジャンルの代表例として売れ続ける、ということ。→メ
ディアが大々的に売り出せば、どんなものでも売れる、どんな現実でも作り出せ
る、という態度、価値観。これは60∼70年代にはすでに身近なものだった。
(例:日本でも「白い本」事件など)。
*ちなみに「セレブリティ」の類似語の「社交家(ソーシャライト):社交界にお
いて、顔が知られていることで、顔が知られ続ける人」には、その社交界におい
て、一定の機能的な意味合い(事情通など)があることも多い。
*日本における「アイドル」は、このような疑似イベントの典型例であって、その
必要条件は「何かの(ふとした)輝き、親しみやすさ」である。才能が必要とされ
るわけではなく、それが必要となるとしても、有名になったその後のことである。
ある意味、誰でもいいので、量産が可能である。
これが1960年代前半に、すでに指摘されていたことである。この後、70∼8
0年代を通して、「模造の現実」「コピーの支配」「現実の演出」などに関わる傾
向(とそれを強調する論調)が増大しつづけた。じっさいこの期間を通して、「コ
ピーの作成と流布」が次第に容易になった。いわゆる「コピー文化の社会」が成立
する。そこでは「本物よりも本物らしい、そして接触するのに手間のかからない、
いっそう刺激的で、我々の途方もない期待を満足させる」現実のコピーとしての疑
似イベントが増殖し続けることになる。その後の不況の中で、多少は変化してきて
いるようだが、そもそも現在の世界そのものが、上のような経緯を背景にして成立
している。
4)カッツとダヤンの「メディア・イベント」論 (時間不足のため今回は省略)
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