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社会学研究科教授

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社会学研究科教授
﹁ブッフ・ア・ラ・モード﹂の由緒
温製の他に、冷製があり、そちらを望むべ
その名を聴いて友が迷いなく作ってくれた
肉を薄切りにし、型に入れて周りに人参を
の脂をよく濾すこと。冷製の場合には、牛
玉葱を加える。熱いままで出す場合は、汁
ッシュ作︶はなかなか味わい深い。群衆の歓
ガロ﹂紙に載った謝肉祭牛の画︵カラン・ダ
日の﹁フィ
﹃失われた時を求めて﹄の読者が心惹かれ
ずにはいられないこの料理を初めてふるまわ
きだったと。プルーストの小説美学の比喩
年2 月
れたのは、1997年夏、ノルマンディのス
並べ、濾した汁を全体にかけて冷やす。翌
人参を輪切りにして入れ、その一時間後に
リジー=ラ=サルで開かれたプルーストの国
になっていたのは、
﹁書物のなかで個々の存
いたのだ。
﹁ブッフ・モード﹂︵とも言う︶には、
際シンポジウムに、友人夫妻の所有する城館
あの日の味を想いながら、ラ・ヴァレンヌの
料理書﹃フランスの料理人﹄
︵1651年︶の
日には、ゼリーに閉じこめられた牛肉の冷
記載にまで遡る由緒正しき、かつ家庭的でも
い空腹感を覚えた私たちは食堂に向かった。
を呆れ顔で見下ろしているなか、やがて程よ
火で七∼八時間煮込む。供する四時間前に
肉、仔牛の足、赤玉葱、丁子、砂糖、胡椒、塩、
をよく叩き、ベーコンを刺し込む。豚の胸
レシピは次の通りである。
﹁牛の股肉か臀肉
に因む名を牛に付けることもあり︵﹃ゴリオ
っ子の楽しみであった。時の流行作家の作品
たび中断されたものの、 世紀初頭までパリ
謝肉祭の最終日を盛り上げる﹁飾り立て
た巨大な雄牛﹂の行進は、革命や戦争でたび
極みに君臨しているってわけか﹂
。最終コマ
はまだ序曲なんだな。俺は明日、この世の
なるんだね 〟とか言ってるぞ。じゃ、今日
﹁あの小僧、
〝明日はこの牛、ア・ラ・モードに
通 り を 進 み 行 く、 牛 の 最 後 の つ ぶ や き は、
呼に感激し、見物人の美女に目配せしつつ
製、人参添えが出来上がっている﹂
。
ある料理へのプルーストのこだわりに、ふと
豊かな風味を与えた﹂牛肉の蒸し煮の﹁ゼ
ある。ちなみに﹃フランスの美味しい料理﹄
思いを馳せてみた。
リー寄せ﹂であったのを思い出したからで
ぎ、庭に続く森を散策し、城付きの旧礼拝
の一つに挙げた﹁ブッフ・ア・ラ・モード﹂の
︵1913年︶でパンピーユが﹁国民的料理﹂
待つ間、私たちは 世紀築の館のサロンで寛
堂内で卓球に興じた。金泥の剥げかけたバロ
し煮﹂が深鍋のなかで美味しく仕上がるのを
ックの天使が、ピンポン球を追う冒瀆者たち
在が数多くの印象から出来ている﹂ように
中野知律
﹁たくさんの選り抜きの肉を加えてゼリーに
社会学研究科教授
調理法に則って準備された﹁牛肉と人参の蒸
「ブッフ・ア・ラ・モード」
の由緒
から通うことになった時だった。昔ながらの
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ブランデー、水とともに鍋に入れて、とろ
②煮込みの完成
鍋の蓋を怖々とると、仔牛の足はゼラチ
ンが溶け出して、元の可哀想な形を失って
①鍋の煮込み始め
いた。しかし嗚呼、皿を前にして私は気づ
18
爺さん﹄
﹃ モ ン テ・ ク リ ス ト 伯 ﹄
え過ぎだな! 下げたまえ!﹂
は﹁翌日﹂のレストランでの客の一言だ。
﹁煮
は 呼 び さ え し た の だ っ た。 フ ロ
り牛は天才作家に似て
ベ ー ル は﹁ 謝 肉 祭 の 飾
い る、 ど ち ら も や が て
切り刻まれる運命にあ
る ﹂ と 言 っ た が、 ま さ
に﹁人 気 の 牛 ﹂は解体
よって新た
を書物の比喩に使うのは、プルーストにと
って無意志的なことではなかったのだろう。
て、創造の苦悩は贖われるのか。この料理
か人参と決まっている。1903
なって人々に供されたのである。
難劇によっ
えた牛の受
復活祭を控
トの寓意か。
文学テクス
な命を得る
1869年2月7日「レクリプス」紙
その付け合わせは、いつの頃から
さ れ、同 じ 名 の 料 理 に
嚼され消化さ
ブッフ・モードは、読者に咀
れることに
等︶
、
﹁文学的な動物﹂とゴーチエ
20
に街を練り歩いた翌日
③皿に盛りつけられた料理
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