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メルキゼデクの謎

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メルキゼデクの謎
メルキゼデクの謎
ヘブライ書の福音 14
メルキゼデクの謎
7:1-10
朗読を聞いただけで、初めから拒絶反応を覚えるような、やたら難しそう
な、魅力の無い箇所でしょうか? 大体この 6 章 7 章というくだりは、旧約聖
書をよく読んでいる人にも(その人がユダヤ人でない限り)発想について行
きにくい部分もあって、この前の「神が神かけて誓う」もそうでしたが、特
にこの「サレムの王メルキゼデク」のくだりは、ヘブライ的発想の謎に包ま
れています。それでも、全然「五里霧中」ということはなくて、なぜそこの
所へつないでそう飛躍するか……それが、日本人にも西洋人にも説得的でな
いというだけで、これも、同時代のユダヤ人の学者たちが旧約聖書をどんな
流儀で解釈したかが、少し分かると、このメルキゼデクという人物をヘブラ
イ書がなぜ、イエス・キリストの影かシンボルみたいに見ているのか、その
中心点が見え始めます。ヘブライ書には、確かにイエス・キリストの福音が、
一つの角度からくっきりと描き出されていて、この 20 頁あまりの内容がまさ
しく福音の書、間違いなく神の言葉でありますけれど、これを書いた人自身
が、まさに百パーセント骨の髄までイスラエル、ヘブライ人であったことも
無視できないのであります。
まず、創世記の物語と史実をまとめておさらいしてみますと、時代は
B.C.2000 年から少しこちら、青銅器時代のユダヤ。まだ国家や民族としての
イスラエルが生まれる前です。モーセの時代から言うと、数百年前。もちろ
んエルサレムはまだ、この民族の都じゃなく、田舎の山の上の町でした。サ
レムと呼ばれて、カナン人の小さな都市国家があった時代です。アブラハム
はと言えば、一豪族の身分で南のヘブロンに。ここは都市国家ではなくて遊
牧民の大テント村。アブラハムはその首長です。(創 14 章)
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そこへ、今のイラン方面から大軍がどっと侵入して、死海南部の小都市国
家を総なめにして略奪して、町を焼いて引き上げた。アブラハムの遊牧テン
ト村なんかは無視して素通りしたのかも知れません。甥のロトはソドムにい
たので難に会います。大体ことの起こりが、ソドム・ゴモラほか五つの都市
国家が反乱を起こしたことからです。ケドルラオメルの属領から独立しよう
として、反旗を翻した。それを、ケドルラオメルが連合軍を率いて、鎮圧に
来たのです。彼らも目的さえ達すれば、ヘブロンやサレムまで近隣の掃討作
戦まではしなかったのでしょう。でも、金目の物と奴隷に使えそうな男女は
みなつかまえて、引っ張って行った。
征服された都市国家でも、全住民がやられたのじゃなく、一部は山へ逃れ
たと書いてありますね。その総退却の途中で、ソドムの王とゴモラの王は、
アスファルトの立て坑に落ちて(創 14:10)、命拾いします。
アブラハムはこの時、身内の者が捕虜になったと知ると、家の子郎党 318
人のコマンドを率いて、ダンでしんがりに追い付き夜襲をかけて成功します。
元々アブラハムの作戦は、甥ロト一家の奪還が目的ですから、目標をソドム
の人質に絞ったのでしょうが、ダマスコの北まで二百数十キロも追撃したの
は、恐らく捕虜の群と財宝を運搬する車(らくだ隊?)がそこに集結してい
たからでしょう。こうして彼はそのホバで、おもにソドムの町の捕虜と財宝
を取り戻し、外にも多分かなりの戦利品を得て、南に引き上げたのでした。
ソドムの王がシャベの谷まで礼を尽くしてアブラハムを迎えたのは当然で
す。お礼に来た時は、王もアスファルトの汚れを洗って正装して威儀を正し
ておったのでしょう。「捕虜になった人間だけ返して頂ければ、財宝はお礼
として差し上げる」と言うソドム王に、アブラハムは主の名にかけて「それ
は受けない」と断言するところが、実に堂々としてアブラハムの面目躍如です。
ところで、サレムの王ですが……メルキゼデク。この人がなぜか立ち会っ
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て、シャベの谷に出て、アブラハムに敬意を表するのです。パンとぶどう酒
は、戦いに疲れたアブラハムと家の子らのエネルギー源として、好意的に持
って来たものでしょう。中世の学者はここに、聖餐の影を見ておりますが、
少し解釈過剰でしょうか……? そしてここで、メルキゼデクは「いと高き神
の祭司」として、アブラハムを祝福したのです。
このあたり、謎に満ちていますが、間もなくバアル礼拝と退廃の中に落ち
たこの死海周辺の地域に、実質上アブラハムの信仰と通じ合うような宗教が
存在していて、その宗教の祭司と王を兼ねた人物が忽然と現れて、アブラハ
ムを祝福します。そして忽然として姿を消すのです……聖書の頁から消える
という意味でですが。この人物メルキゼデクについては、後にも先にもこの
10 行しか資料はありません。ヘブライ書はこの人物の、この短い記録に見る
限りでの意味と、そして語られていない謎の部分に注目します。そしてその
注目の仕方、象徴的な見方が、正にヘブライ的というか、昔のラビたちの聖
書の扱い方と似ております。
1.メルキゼデクが象徴するもの。 :1-3.
この人は王兼祭司でした。英語では“priest-king”という言葉があります。
王として統治すると同時に、人々と生ける神の前に立って執り成しをする。
しかも忽然と現れては忽然と消えるこの人の素性は、何をヒントするか? ヘ
ブライ書はこう見ます。
1.このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王
たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。 2.
アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。
……ということは、ソドムの王に返してやったもの以外にも、アブラハムは
かなりの戦利品を持っていた筈です。その十分の一を献げるということで、
アブラハムとしてはいと高き神の祭司への敬意を表していることになります。
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メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、
(マルキ・ツェデク
qd,c,-yKil.m;
はヘブライ語で「義の王」です)次に「サレムの王」、つまり「平和の王」
です。(シャレーム
~lev'
とシャローム
~Alv'
は同語根に発し、「平和・
完全・無傷」という意味が元になっています)3.彼には父もなく、母もなく、
系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者
であって、永遠に祭司です。
もちろんメルキゼデクと言えどもただの人の子、父も母もあったわけです
けれど、聖書の頁に関する限り、ただあの一場面だけに現れて消える、謎の
人物です。その陰に隠れて見えない部分を初めも終わりもない永遠の神の子
を暗示するヒントと見ている訳です。こういう扱い方が、ユダヤのラビ流儀
の聖書解釈です。いと高き神の祭司としても一瞬光を浴びてすぐ消える。そ
の代わり彼の残像はいつまでも残っているんです。もちろん前任者もなけれ
ば後継者もない。著者はそこに、前任者もあれば後継者もあるような、エル
サレム神殿の祭司とは次元の違ったものを見ているわけです。この、創世記
の残像だけが強烈に残っている謎の人物の中に、ヘブライ書は永遠の祭司を
見ているのであります。
2.メルキゼデクが超越するもの。 :4-10.
大アブラハムを凌駕するということと、エルサレムの大祭司も含めて、モ
ーセの律法に基づく全祭司職もこの人には及ばない。これは一体、誰を暗示
しているか考えよ……! 話は理詰めでそこへ絞られて行きます。
4.この人がどんなに偉大(は「桁外れの貴い人物」という感じで
しょう)であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の
戦利品の中から十分の一を献げたのです。古代の社会では、ギリシャも含め
て、神に仕える人たちを支えるために十分の一を納めるという習慣が広く行
き渡っていました。ヘブライ書は、この時のアブラハムの十分の一贈与とい
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うものに宗教的な意味を見て、アブラハムはちょうど自分の神に献げるよう
にしてこの人に十分の一を贈った、と言います。5 節から後はモーセ律法に
よるイスラエルの十分の一の献げ物に言及します。
5.ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの
子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、
律法によって命じられています。 6.それなのに、レビ族の血統以外の者が、
アブラハムから十分の一を受け取って、……つまり、無関係な異民族の祭司
が、アブラハムから宗教的な献げ物を受け取って、約束を受けている者を祝
福したのです。……つまり、常識から言えば、神が神かけて誓ったという位
の大きな約束を受けている人、この人より位の上の人はいないと思われる大
アブラハムを神の祝福で祝福したとすると、アブラハムがメルキゼデクより
位が上という通念は果たしてどうなるか?
7.さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。8.更に、
一方では死ぬはずの人間(エルサレム神殿の大祭司やレビ族)が十分の一を
受けているのですが、他方では(あの創世記 14 章の物語では)、生きている
者と証しされている者がそれを受けているのです。……「生きている者」と
いう神の証言は何を指すか……これは前に出た詩篇 110 の言葉を指すものと
思われます……「あなたはとこしえの祭司、メルキゼデク。」この永遠に生
きている祭司というイメージを、創世記 14 章の強烈な残像にかぶせているの
だと思います。
もちろんヘブライ書の著者は、本当は、もう一人の最終的な大祭司の姿を
もダブらせて考えています。すべての人のために死んで、その一度きりで罪
の清めを全部終えて、死者の中から復活して生きている方が見えるか……と
いう訳です。これは著者の無言の暗示の部分ですが、以下 9 節からはそのア
ブラハムがこの人に宗教的な意味で最大の敬意を払ったということは、アブ
ラハムの子も孫もこのとき、事実上メルキゼデクに十分の一の献げ物をし
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た! ことになり、エルサレム神殿のユダヤ最高の祭司職をも含めて、「メル
キゼデクの位が自分たちとは次元的に違う」ということをはっはり告白した
のである。これが 9~10 節です。
9.そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハ
ムを通して十分の一を納めたことになります。 10.なぜなら、メルキゼデク
をアブラハムが出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。
この最後の表現、アブラハムの息子がまだ生まれてもいなくて「まだ父の
腰の中にいた」というのはヘブライ語の表現で、これは我々にも分かるので
すが、曾孫のレビまでが曾祖父の腰の中にいたという所が、表現のスケール
が大きくて、面白いですね。このレビはエルサレムの祭司職の先祖に当たる
わけです。
《 まとめ 》
ところで「それがどうした……」という所から、福音を福音としてどう受
け止めるかが、関わってきます。旧約聖書を読んで、ヘブライ書を書いた人
の言葉を一つ一つ噛みしめて、趣旨をできるだけ正確に把握する努力をした
上で、このくだりは、イエス・キリストについて、信仰について、何をどう
受け止めよということなのかです。
著者はメルキゼデクの神秘的な絵をキリストと重ねて、ぐっと押し出しな
がら、レビの祭司職=エルサレム神殿の大祭司を、メルキゼデクとは比べる
値打ちもない、遥かに低い一時的なものに過ぎない、と言いたいかのようです。
最後の絵など、聖なる大祭司の先祖レビがアブラハムの腰の中にいて、ア
ブラハムと一緒にメルキゼデクに最大の敬意を表したというのですから、聖
なるエルサレムの大祭司がメルキゼデクに最敬礼している感じです。はっき
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り言うなら、モーセの律法とユダヤの宗教行為の全部がメルキゼデクの前に
色褪せて、とにかくそれは絶対的なものでも永続的なものでもなくて、ほん
の一時期の用を果たしただけのものだった。祭壇も、犠牲獣の血も、立ちの
ぼる燔祭の煙も、聖所に満ちた香煙も、メルキゼデクの輝きの前にはみんな
薄れてしまう。そしてこの全く次元の違うメルキゼデクが、王であってしか
も執り成しの祭司という姿で厳然と立っているのです。こういう描き方は、
パウロのガラテヤ書 3 章くらいにしか見られない、と言えるでしょう。
モーセの律法も、聖神殿のすべての儀礼も、言わば「後から付け加えられ
た」臨時の、一時しのぎの措置で、本当は、神様の意志の本筋はアブラハム
の時点で決まっていた(ガラ 3:17-19)という使徒パウロの大胆かつユニ
ークな断定です。このヘブライ書で言うと、アブラハムがメルキゼデクの祝
福を受けて、メルキゼデクに十分の一を献げた時に、いちばん大事なことが
はっきり示されて、やがてあなたが仰ぐべきキリストがどんな方なのか、そ
の輪郭が映し出されたということです。
その方は、あなたを治める王である、と同時に、あなたの罪と死について
天の父の前に執り成す大祭司です。その方は、人間の短い地上の歴史の上で
は、ベツレヘムから始まってエルサレムの墓場で終わったように見えるが、
本当は、生涯の初めもなく終わりもない、聖なる神の子です。彼は永遠の大
祭司としてあなたの前に立っていらっしゃる。
あなたは、その王様にひれ伏して治めて頂かねばいかんともしがたい者
か? この大祭司の執り成しにすがる必要のある悲しい者か? それを謙遜に
考えてみよう! まあそれだけでも分かれば、謎の人メルキゼデクの影絵も意
味を持ってくるのではありませんか。
(1987/08/30)
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《研究者のための注》
1.アブラハムのコマンド作戦については、いくらかの謎も残りますが、主としてソドム
の財宝と人質を奪還したと理解しました。もちろん、三人の指揮官に与えた恩賞のほ
か、メルキゼデクに十分の一を贈るだけの余分の戦利品を持って帰ったのです。ただ、
この時ゴモラ、アデマ、ゼボイム、ゾアルの全損害を回復したと断定する必要はない
かも知れません。ケドルラオメルがこの時なぜ全軍を引き返させなかったか、小豪族
アブラハムくらいは捻り潰す武力を充分に保有しながら、なぜ戻って対決報復しなか
ったかについては、神の摂理のほかに色々な理由があったのでしょう。なぜかは分か
りませんが、遊牧民のゲリラに奪われた戦利品の一部を犠牲にしてでも、シナルへ急
遽軍を返すことがこの時は得策だったのでしょうか。
2.創世記 14:19 でメルキゼデクが使っている「天地の主なる、いと高き神」`#r,a'w"
hnEqo !Ayl.[, lae
~yIm;v'
はそのまま、アブラハムの誓いの中にも出て来ますから、アブラハム自
身この名を生ける神ヤハヴェの意味で受け入れて、自分もその同じ神名を使って誓っ
ている訳です。アブラハムの言い方とメルキゼデク言い方の違いは、アブラハムはそ
の同じ名を使いながら、これにはっきり「ヤハヴェ」hwhy の一語を付け加えているこ
とです。この点については、1987 年 6 月 9 日大阪聖書学院でのスピーチ「アブラハム
の念押し」を参照して下さい。
3.パウロの「ガラテヤ書 3 章にしか見られない大胆かつユニークな断定」と言いました
のは、カラテヤ書 3:17-19 に示されている、福音信仰に基づいた律法観のことです。
録音シリーズでは、ガラテヤ書の福音第 10 講「パウロにとっての律法」第 11 講「ア
ブラハムへの約束と律法」の二篇でこれを扱いました。
4.詩篇 110:4,「アル・ディヴラティー」ytir'b.D-lc; の訳し方は口語訳「の位にしたがっ
て」、新改訳「の例にならい」から新共同訳「わたしの言葉にしたがって」と大きく
変わっています。この詳しい説明は次講「本当に神に連れて行く祭司とそうでない祭
司と」の註にゆずります。
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