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Pindaros Nemea VI 1~7 Author 西村, 太良(Nishimura, Taro)

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Pindaros Nemea VI 1~7 Author 西村, 太良(Nishimura, Taro)
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Cosmogonia と Analogia : Pindaros Nemea VI 1~7
西村, 太良(Nishimura, Taro)
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.58, (1990. 11) ,p.377(12)- 388(1)
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00580001
-0388
Cosmogoniaと A
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時
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NZ 丸
(Nem.VI 1∼2
2
)
(大意一人間の種も神々の種も(元来) 1つ。そしてわれわれは両方と
も一人の(同じ)母親から生命の息吹を得ている。そうは言っても全く
かけ離れた(神々に与えられた)力が(われわれを)分け隔てている。
即ち一方(の人間)には何 1つないのに対して、他方(の神々)には青
ウーラノス
銅の天空が永遠に揺らいぐことのない台座をささえているのだから。し
かしにもかかわらずわれわれは(ゼウスの)偉大な意思か、あるいは生
まれついた素質に恵まれる時、多少なりとも神々に近づくこともある。
確かにわれわれは昼間もまた夜の問も運命がわれわれにいかなる走路に
そって走るよう書き記したのか知らないけれども。
そして今もアルキミ夕、、ースはその生まれもった力を目に見えるしるし
として示している。ちょうど巡り来る時に従い、ある時は土地から年毎
の生活の糧を人間に与え、またある時は反対に休息して力を貯える、あ
の実りをもたらす耕地のように。ネメアのなじみ深い競技会から少年選
手が帰ってきた。ゼウスから分与された運命を追い求め、今またレスリ
ングでも不運な猟師ではないことを実証してみせた。
祖父プラクシダマースの血のつながった足跡に自らの足をのせて。と
いうのはかの人(プラクシグマース)こそオリュムピア(競技会)優勝
者として最初のオリーブの冠をアルペオス川からアイアキ夕、イ家にもた
らし、イストミア(競技会)で 5度、ネメア(競技会)で 3度、(優勝の)
冠に輝いて、(父)ソークレイダースに対する忘却を終らせたのだから。
(そのおかげで)彼(ソークレイダース)はハーゲシマコスの息子たち
の内で最も名高くなったのだが。)
(
2
)
-387-
1.P
r
o
o
i
m
i
o
n (序歌)
ピンダロスのネメア祝勝歌集第 6歌 (
= NemVI)の P
rooimion(序歌)
(
v
.
1
7)は、その cosmogoniaを思わせる内容と謎めいた暖味さのため
.
e
に古来問題となってきた。問題の焦点は第 1に v
.
l包vav8pw\ぅtv ε
のν
r
t
v
o
i
; の解釈とその背後にあると思われる c
osmogoniaの正体、そし
.
4∼ 5
て第 2に v
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λ
λ
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α
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;
,の人間と神々の親近性の意味にしぼることができるだ
ろう。
先ず冒頭の
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J
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; は 1)~v av8pwvK
α itv
'
ε
Owvytvo~ (人間と神々のytvoi;は同一)なのか、それとも 2)tv
ε
τpoveε
wvytvoi; ( 人間と神々の ytvo~は 5.jljイ周)なのかで意見が
av8pwv,g
分かれている。 s
c
h
o
l
i
a(古注)は人間と神々は共通の母親をもつがi に
同ーのがv
o
i
;だとし 2、
) 1
8
世紀末の Heyneの刊本に至るまで概ねこれに
従っていたが 3、
) 1
9
世紀初頭、 Boeckh-D
i
s
s
e
nはこれを文法的誤まりで
o
i
;てやあるのは
あり、意味的にもカの点で全く異なる人間と神々が同じがv
)を主張したぺしかし、その後 C
h
r
i
s
tも指摘している
おかしいとして 2
ように、文法的にどちらか一方が正しいとする決め手はなく、今日に至
o
i
;の意味も前者の場合は同じ起
るまで平行線を辿っている 5)。またがv
源から発した(通時的) ytvo~ であるのに対して、後者では同質的な(共
時的) γ
t
v
o
i
;ということになるべ
Kμ
i
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v
f
o
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v
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o
i
;a
μφ
τ
εpoi の人間
これに関連して次の l
と神々の共通の母親とは誰なのかという問題になると、 y
t
v
o
i
;が通時的で
あれ、共時的であれ、その c
osmogonia的背景についての様々な意見が展
c
h
o
l
i
aはへシオドスの「神統記J1
2
6
/
7と「仕事と
開されることになる。 s
ガイア
の日々 J 6
0
/
2を援用して大地がその母親だとしている。しかしその引用
箇所は r
α
f
α μtvW lπ
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o
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'
y
αμivn&pimivrarnA.vnr
・
訂
,
(大地は先ず最初に彼女自身と
ウーラノス
等しい大きさの星々に彩られた天空を生み出した。彼女を隅から隅まで
-386ー
(
3
)
覆うようにと T
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1
2
6
/
7)
、及ぴ e’
H伊α
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(そして(ゼウスは)名高し五
カ。イア
へーパイストスに次のように命じた。出来るだけ急いで、土を水で担ね、
その中に人間の声と力を吹きこみ、姿形は不死なる女神に似せよと。ゆ.
6
0
/
2)であり、確かに y
α
f
α は両方ともに出てくるが、一方は世界創生の
ヵーイア
時の女神力、、イアであるのに対して、他方は材料としての土に過ぎない。こ
ウーラノス
れらの 2つの引用は、むしろこの後に続く v
.
3
4の天空及ぴ v
.
5の ψ
6
σl
<
;
を説明するためにこそ相応しいのではないだろうか 7)。これに対して大
地が母親であることは認めながら、より一般的な万物の母としての大地
osmogoniaとは敢えて結びつけない考え
という程度にとどめ、特定の c
方の方が今日では一般的である 8)。しかし、その一方で、、例えばアレクサ
ンドリアのクレメンスのようにここがピュタゴラス派の哲学の影響を受
けており、 1人の母親とは原初物質 6
λ
η を表わしているとか 9)、あるい
は逆にこの部分をもってピンダロスがオルペウス派の T
heogoniaを熟
知していた証拠であるとみなす考え方もある 10)。この問題についても、
われわれはそれを直接判断できるだけの充分な材料をもっているとは言
えない。しかし、いずれにしてもピングロスがここで、人間を神々によ
って作られたとか、神々の子孫としてではなく、共通の母親をもつある
意味で対等な存在として位置づけていること、言い換れば神々の世界と
人間の世界の背後により広い根源的な存在を見ていることは確かで、あろ
)。
第 2に v
.
4
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o
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vt
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i
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αv
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0
1
£
'
, だが、ピン夕、、ロスは v
.
1
2て、人間と神々が共通の母親を
もっと歌った後、しかし人間と神々の置かれている状況はまるで違う、
神々には恒常的で安定した世界があるのに、人間には何もないと続け、
更に再ぴここで留保付きではあるが人間と神々の親近性に戻っている。しか
し、それはどのような意味での親近性なのだろうか cもし π
po
σ伊t
p
o
με
vが
s
c
h
o
l
i
aがパラフレーズしているように「似ている」という意味ならば、
(
4
)
-385ー
奇μty
αVv6ov可
τ
o
t伊6
σi
v という限定の下で人間が神々に似ていると
言われている訳だが、この限定が一般的条件(全ての人間のもつある部
分が神々に似ている)なのか、特殊な条件(人間はそれらをもっ時、あ
るいはそれらをもつある人間たちは神々に似ている)なのか、もう 1つ
明確で、はない。 scholia は v6o~ の説明としてエウリピデスの
Oεδ~yap
τi~ l
:
v'
l
j
μ
i
v (われわれの内にはある神性が宿っている f
r
.
1
0
1
8)を引用
し、また伊6σl~ については(先のへシオドス Op.60/2 からも)身体の見事
さと美しき( Karard~εv<pvta~ τwv σmµaτmv mir
ddλλ1)とパラ
フレーズしていることから、人間の一般的条件ととっているようである
11)0
しかし ψ6σl~ についてはいわば神人同形説とでも言えるものと考え
られるが、 v6o;の説明はよく判らない。確かにピンダロスは v6osを神々
t
y
a
c
;v6o
£
' も乃.
についても、人間についても同じように用いており、 μ
Vl22ではゼウスの考え、意思として用いてはいるのだが。今日までの研
究者は、例σl£
'をもっと広い意味でとるべきだと考える人たちも含めて基
本的にはこの枠組の中で解釈している 12)。即ち、人間の中のある部分は
神々に由来するか、神々をモデルとしている、それ故それらの点におい
て人間は神々に似ている、とでも言えようか。
しかしピンダロスが言おうとしているのはそういうことなのだろうか。
先に触れた π
po
σ戸p
r
oという動詞は s
c
h
o
l
i
aによれば「似ている」(か<
p
S
-
pt
£
'
口
々
。μ
εV,fo{Kα
μ
ε
v)とノマラフレーズされているが
)、本来は他動
13
詞であり、この場合のように限定の対格と共に自動詞として用いられて
いる例は LSJによれば本例を含めて 3例しかない 1ぺその内にはもう
1つピングロスの断片(斤.
4
3)が含まれているが、
wτ£KVOV, lWVτiov
O
ηPO
£
'ε
πrpαiovXPW
τ
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t
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α v6ovπ
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'π
o
λ
i
ε
σ
σl
V
δ
μ
1{
ε
λl•••
(息子よ、海に住む岩のような生物(ニ蛸)の(場所によ
って変化する)皮膚にお前の考え方を似せて、あらゆる国々で交際する
ように…)というように、そこには「自分自身を」という意味が含意さ
れ、「似ている J ではなく「似せる」という意味を表わしている。そうだ
とすれば同じ v6ovを限定の対格としてもつ本例も同じように考えうる
-384-
(
5
)
のではないだろうか。この違いは一見小さいように見え、実際あまり注
意が払われていないが、先に述べた一般的条件と特殊な条件の違いを考
える上では重要な意味をもっている。そしてピンダロスの他の作品の中
での言葉はむしろ特殊な条件下にのみ人間は輝きを得ることが出来ると
いうことを強調している 1九この場合でも例えば競技会での(優勝)( ψふ
σl~ ) とその栄光の詩歌による不滅化 (µtyαg v6o~=σ0伊iα)などが最も相応
しい条件かもしれない日)。あるいはエピニキアの神話のテーマとしてし
ばしば登場する(神的な生まれをもっ)=伊何時)若き英雄が敢えて試練に
々
g v6o~) により自らを実証してみせ
立ち向かう勇気を発揮すること(μ α
るという exemplumも考えられるだろう 17。
)
しかしここでも両者の違いは非常に微妙で、暖味な言葉の中に隠れて明
r
o
o
i
m
i
o
nを通じである一貫し
確な形では表わされていない。もしこの p
たc
osmogonia的背景が存在するとしても、それは少なくともこの部分
の内部からは明らかにできないと言わざるをえない。そしてそれは多分
にピングロス自身の意図に添ったものでもある。
2
.A
n
a
l
o
g
i
a
Prooimionはその本来の起源が何であれ、神々への祈りの形をとるに
二
コ
せよ、この場合のように gnome(格言)の形をとるにせよ、歌の本題(競
ピニキア
扶祝勝歌の場合には勝利のテーマ)を引き出す役割を果さねばならない
ことに変りはない問。この場合も c
osmogoniaのような見かけを持ち、
人間と神々との間の分離と融合を繰り返しながら、基本的には意味が暖
昧な文(例えば
e
Eva
v
8
p
w
v
,f
r εwvytvo~ )に対してそれを補促説
'
明する文(例えば lKµiii~ 8主 wfoµεvµατpo~ &µ村τεpoi )が応答す
るような形でリズミカルに、しかも次第に調子が高まっていくように話
題が発展し、最後の d
λ
λanπpoσ伊t
p
o
με
v...の文に対する説明(具
体例)のような形で本題のアルキミダースの勝利を導き出しているので
ある lヘこの一般的な真理(gnδme
)から特殊なケースへ絞りこんでいく
手際のよさはピンダロスの得意とするところだが、この後延々と続いて
く
6
)
-383ー
いく勝利者の一族の栄光の歴史の前にやや唐突とも言える形で耕地の比
.9-11)が挿入されている。
除(v
ern.VIはアイギナ出身のアルキミダースのために、ネメア競技
この N
会での少年レスリンク。競技優勝を祝って書かれた歌である。アルキミダ
ースは名門ノ〈ッシダイ家の出で、椅羅星のょっに有名な運動家を一門に
持つが、特に祖父プラクシダマースはイストミア競技会で 5度、ネメア
競技会で 3度、更にオリュムピアでも優勝した大運動家であり、またそ
の祖父のハーゲシマコスも優れた運動家であった。つまり奇妙なことに
この家系は一代おきに優れた競技者を出してきた訳で、これが耕地の比
聡の直接の背景になっているのである。 a
r
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ikαpπ0
伊6
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1
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v
o
i
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lα
P
l
/
I
αv
. (ちょうど巡
'
,
り来る時に従い、ある時は土地から年毎の生活の糧を人間に与え、また
ある時は反対に休息して力を貯える、あの実りをもたらす耕地のように。
v
.
9
1
1
) ここでのアナロジーは極めて明隙だろう。一代おきに優れた
競技者を出してきたバッシダイ家の血筋が、休息期間をおいて実りをも
たらす耕地に除えられている。
/神々
a
, (共通の母親一一く
20)
(
十8
r
5
v
αμ
i
i
;)一一天空の座
\人間
y
ゲイア
(大地)
e
t
v
o
i
;)一一生活の糧
/実りの年(十 u
耕地
く
\休息の年(−
I
I
)一一ナシ
;Hagesimachos P
r
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i
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m
c
s A
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s
パッシダイ家一一く
\
ノ\
ノ
'
S
o
l
e
i
d
e
s
Theen
-382ー
(
7
)
しかし同時にこの耕地の比喰は p
r
o
o
i
m
i
o
nに見えた人間と神々の共
方、イア
通の母親である大地とも連想、上のつながりをもっている。そして更に注
意深く見ていくと、この耕地の比日訟を軸として p
r
o
o
i
m
i
o
n全体とパッシ
.
8
2
2)の聞にルーズな形ではあるが一定のアナ
ダイ家の栄光の歴史(v
ロジカルな関係があることが判る。それを図示してみると上記のようにな
る
。
r
o
o
i
m
i
o
nと耗地の比磁の聞には言葉の表現の上での照応も見
更に p
られる。例えば '
a
μ伊6
τ
εpoi (
v
.
2)に対して '
a
με
z
f
3
6
με
v
α
z(
v
.
9
’
)O
V
V
1
α
:
μ
i
i
;
−
(v.3)に大すして σetvo~ (
v
.
1
1
、
)δ
τ μtv δ
o
t
(
v
.
3)に大すして r6K
αμtvr6K
α8
s
(
v
.
1
0
1
1)など。また p
r
o
o
i
m
i
o
nの後半は、これほどはっきりした形
ではないが、アルキミダースの勝利との間のアナロジーが見られる。
b
. 人間は µtyα~v6o~ と伊6σl~
で神々に近づく
I
f
生まれもった力( τ
d
σvyy
ε
vis)
イ
Lゼウスから与えられた運命
(L
1
z
6
)
(ε
v
α
i
σ
α)
しかし運命の σ
τ<
i)(μαは不可知
……祖父の足跡(' f
x
v
ε
σi
v
)
,
Tδσυyyεvt~ が伊じσl~ に対応するのは問題ないが、 µty,α~ v6o~ の場合
は丹.V 1
2
2
/
3 L1z6~ r
o
zv6o~ μ
t
y
a
r
;KV/3εpv~ 8αi
μ
o
v
'avopwv<
p
i
A
r
o
-
v
. (まことにゼウスの広大無辺な考えがお気に入りの人間の運命をお導
きになっている)から L
1
z
6
)
(ε
v
α;
σ
α とのつながりを考えてみた 21)。それ
までの p
r
o
o
i
m
i
o
nの組立から見て v
8以下のアルキミダースの勝手J
Iが
v4∼ 5
の d
λλdn npoσ
ψ{p
o
με
v••• を補足説明していると解釈できる
カ込らで、ある。
これらのアナロジーの関係は一方において歌の各部分を有機的に結ぴ
r
o
o
i
m
i
o
n
つけ、必要な話題を引き出していく役割を果しているが、逆に p
の方が、引き出されたアルキミダースの勝利及ぴ耕地の比鳴によって唆
味だった意味が限定され、明確化されていくという効果もある。それは
く
8
)
-381ー
必ずしも p
r
o
o
i
m
i
o
nが当初与えた印象が誤まりだったということを意
味しないが、先にも見た通りピングロス自身が意図的にそうした効果を
計算していたとも考えられる。しかしそれらが全くその修辞的機能だけ
のために考えられたとすることもできないはずで、ある d 最後にその問題
について考えてみたい。
3.Cosmogonia
そこだけ他と切り離して考えてみると、いかにも謎めいて暖昧きにみ
ちていたこの p
r
o
o
i
m
i
o
nも、その修辞的構造やアルキミダースの勝利の
部分とのアナロジカルな関係から見直してみると、全体のコンテクスト
の中での意味(あるいは機能)が多少なりともはっきりしてきたように
思う。今、その主な点をまとめてみると次のようになる。
ぅt
ve
ε
wvytvo~
① 'Evav8pwi
p
r
o
o
i
m
i
o
n内 部 の 構 造 か ら 比
μ
i
f
i
s8
tr
c
v
f
o
με
v
μτ
αpasa
μ似ε
τpoi が意味を補足していると考えると、
人間と神々の種は(元来=起源として)同ーとなる。
②
π
po
σ伊t
p
o
μ印 私π
αv奇μ
t
y
1
αvv6ovi
f
τ
Ol <
p
r
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αvaτ
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i
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.
,アノレ
キミダースの勝利の部分とのアナロジーから μ
t
y
1
αvv6ov が.
1
i
6
8
ε
valψ
6
σi
sが ゆ σ
υy
y
,
εv
i
sに対応しているとすると、「運命」と「素質」
σ
α,
に恵まれれば、神々にも近づくとなる。
r
o
o
i
m
i
o
nの構造、及ぴアナロジーという観点に立つての
勿論これは p
解釈であり、これで問題が全て解決した訳ではない。むしろ本当の問題
は修辞的な骨組が明らかにされた地点から始まると言うべきかもしれな
し •o
先にも述べた通り、この p
r
o
o
i
m
i
o
nの背後に何らかの cosmogoniaが
存在しているか、否かについては、われわれには判断を下すだけの充分
osmogoniaなど
な材料があるとは言えない。仮に例えばピンダロスの c
というものがあったとしても、それは恐らくへシオドスやピュタゴラス
osmogoniaとはかなり性質を異にするものではないだろうか。確
派の c
かに s
c
h
o
l
i
aをはじめ多くの学者が説いているように、この p
r
o
o
i
m
i
o
n
-380ー
(
9
)
にはへシオドス的表現がいくつか含まれており、また人間も神々も共に
カ事イア
ウーラノス
大地と天空の子であるという点は、オルペウスの教義の中核をなすもの
ではあるが、 22)ピンダロスにこの prooimionを書:〉せた動機は、そうし
た仰々しい cosmogoniaの体系に照らして、 1人の少年の勝利の意味を
説いて聞かせるというよりは、むしろ逆に平若いアルキミダースの勝利
という現実の出来事の輝きと家系の問題性という不思議さを(そこから
発して)宇宙的規模にまで投射、展開してみせることだったのではない
だろうか。現実の事件、耕地の比除、そして神々と人間の関係をめぐる
遠大な gmomeの 3者の問にはいかなる意味でも因果関係は存在しない。
しかし、それらの問のアナロジーの各層の中心にあるのは、人間と神々
の共通の母であり、大地の生産力の源でもあり、更に 1つの血筋の間歌
的な輝きの源泉でもある、仮に大地とでも名付けるしかない普遍的で根源
的な力である。その意味ではこの a
n
a
l
o
g
i
aそのものこそがピングロスの
詩的世界にとっての真の意味での cosmogoniaだったと言えるかもしれ
ない。
i
玉
I
)
テキストは P
i
n
d
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i Carmina c
u
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9
7
1
、
) I
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1
9
7
5
(Drachmann) I
I
I(
1
9
2
7
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1
9
6
6)による。
2) Drachmannρ.101、s
c
h
o
l
i
aは当然のょっに e
xµta~µα-rpo~ を補なって
解釈している。
3) P
i
n
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5
)
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s
t
r
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c
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a(
C
h
r
i
s
t
)
二
(
1
8
9
6
)p
.
2
7
7 Boeckh・D
i
s
s
e
nへの反論は J
.
B
.
B
u
r
y:TheA乍meanO
d
e
s
o
fPindar (
1
8
9
0二 1
9
6
6)ρ103。I
)の同種説は C
r
o
i
s
e
t、Bury
、F
a
r
n
e
l
l、
Rose、Norwood、F
i
n
l
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y、Duchemin、Thummer (
R
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l
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g
i
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s
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t
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、
)
Bowra、H
.
F
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k
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l、
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r
n
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r、S
l
a
t
e
r
、Conwey
、L
l
o
y
d
J
o
n
e
s、など、 2
)
(
1
0
)
一 379-
の異種説は Boeckh、Rumpel、D
o
n
a
l
d
s
o
n、Sandys
、J
e
b
b(
P
i
n
d
a
r
、
)
Wilamowi旬
、P
u
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c
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l
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e、J
a
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、M
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s、Bundy
、Lesky(H
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r
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)、N
i
s
e
t
i
c
h、L
a
t
t
i
m
o
r
e、など。
6) F
i
n
l
e
y:P
i
n
d
a
randA
e
s
c
h
y
l
u
s(
1
9
5
5
)7
3
7
6、参照。
7)
へシオドスではむしろ T
h
e
o
g
.
1
0
6
/
7
、参照。
8
)
Boeckh・D
i
s
s
e
n
ρ
.
4
0
3
9) ClemensA
l
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x
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5
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4、1
0
2
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2
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1
0
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eTomeXXXI(
1
9
8
4)ρ
.
2
7
2
1
1
)
Drachmannβ.102∼ 3
、Bury
、C
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r
i
s
t、
1
2
) cpv<JL;< を よ り 広 く と ら え よ う と し た の は Mezger
Puech、S
a
n
d
y
s、H.Frankel、M
e
a
u
t
i
s、Thumm
e
r、Werner
、N
i
s
e
t
i
c
h
など。
1
3
)
Drachmannp
.
1
0
2
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3
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ψtpmv
1
4
) もう 1つの例は作者不詳悲劇断片 K
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.
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1
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4
5
3
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.
I
I
I
.
1
2
7 奇妙なこと
に 3例ともピングロスに関係している。
1
5
)
cf乃•• V
D
!9
6・7
1
6
)
Bowra:Pindar (
1
9
6
4)ρ
.
9
7
1
7
)
c
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l
.V/57∼ 7
0
i
8
)
Bundy:
S
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l
1
8(
1
9
6
2)ρ
.
3
6
4
4
1
9
)
Prooimionの構成は以下の通り。
"
'
E
va
v
8
p
w
v
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ve
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wvytvo~~
、
'b
eµia~ £
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a
μ判官p
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ovotv, δ ot χdλKεo~ aσ伊αえた
\ 、φ
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vgso~ μ
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v
.
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Eovp
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6
s
.
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1
1
)
dλλdnπpoσ
ψs
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v€µπαvii μ
s
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αvv6ovf
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vaeαvaτOl~,
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.
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ε
1{oe}K
'
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vv'AλK'lµi8α5τdσυyy,εvt~ i
o
ε
i
v
人間の家系の問駄性と大地の実りのリズムのアナロジーは λ1
e
m
.
X/37∼ 4
3でもより手がこんだ形で繰り返されているが、他方不幸の後
に再ぴ幸福が訪れるというパターン(乃.
VlO∼ 1
1、l
s
t
h
.
I
V
I
6∼ 1
9e
t
c
)
に見られる季節の変化のリズムとは明らかに性格を異にしている点に
注目したい。
v9のτ
ε
ψ
αi
p
ε
lは Nem.X/43∼ 4
4のゼウスからのτ
f
r
μαp
と呼応し
てL
1
i
6
8
ε
v
α
f
σ
α の意味を限定している。
,
2
2
) 西村太良「個体の変容−P
i
n
d
a
r
o
sOlI
I5
6∼ 8
0」(慶大言語文化研
究所紀要 xx (
1
9
8
8
) 191-200)参照。
(
1
2
)
-377ー
Fly UP