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天皇家は 万世一系の ダビデ王朝の

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天皇家は 万世一系の ダビデ王朝の
天皇家は
万世一系の
ダビデ王朝の
末裔である!
警告の角笛シリーズ
も く じ
はじめに............................................................................................................................... 8
1章
天皇家はダビデ王朝の末裔である
1. 天皇家とダビデ王朝............................................................................................. 014
・不思議な偶然の中で、このことは隠されてきた.............................. 014
2. そもそもダビデ王朝とは何か?.................................................................. 017
・ダビデは、イスラエルの歴史の中で特別な存在.............................. 026
・ダビデは、その勇敢な信仰のゆえに神に選ばれ、
用いられた..................................................................................................................... 027
・ダビデ王は、神により直接選ばれ、
油を注がれ、王となった..................................................................................... 034
・イスラエルの初代王、サウルはその神への不従順のゆえに王位
から外され、捨てられる..................................................................................... 037
・日本の皇室の存続の理由は、
父祖ダビデの忠実さによるものである.................................................... 041
・神は万世一系を守るために、その手を伸べられる......................... 042
・日本の皇室にも、不思議な神の御手が臨んでいる......................... 045
・ダビデは神の宮を建てることを計画した.............................................. 047
・天皇家の祭儀の問題.............................................................................................. 051
・自分を神としてはいけない.............................................................................. 056
・ダビデは歌を作った.............................................................................................. 058
3. ダビデ王朝においては、ダビデ以来延々と万世一系、
すなわち男系の系図が保持されてきた.................................................. 062
・北のイスラエル王朝の歴史と日本の皇族の歴史とは、
似ても似つかない.................................................................................................... 065
もくじ
4. ユダ国のバビロン捕囚により、21代続いたダビデ王朝は失
われ、歴史の闇へと消えてしまった、それは、2600年程
前のことである........................................................................................................ 070
5. ダビデ王朝に関して神は約束を与え、そのダビデの血筋が決 して絶えないこと、ダビデの家に、王となる子が絶えないこ
とを聖書の中で堅く約束している............................................................. 074
6. 2600年もの長い間、万世一系を継続している王朝など世
界のどこにも存在しない、イギリスにもモナコにもタイにも 中国にも......................................................................................................................... 077
7. ただ、一つ例外があり、この日本の国の天皇家こそ、
世界でただ一つ、2600年の歴史を誇る万世一系の王族 である.............................................................................................................................. 080
8. 日本は失われた北朝イスラエル10部族ではない...................... 080
9. 北朝イスラエル国と南朝ユダ国の違い................................................. 081
10. 北のイスラエル王朝とユダ王朝の違い : 北のイスラエルは 万世一系ではない.............................................................................................. 081
・北朝イスラエルの子孫は、中国を始めとしたアジアに存在して ................. 082
いる可能性が高い(中国の漢字と、聖書との類似性)
11. ユダとイスラエルの違い............................................................................ 084
2章
聖書に記されたユダ族の特徴
1. 聖書に記されたユダ族の特徴①
................... 090
「ユダ、日本は兄弟民族の中で卓越した存在となる」
2. 聖書に記されたユダ族の特徴②
.................................................................... 093
「ユダ、日本は軍事強国となる」
3. 聖書に記されたユダ族の特徴③
................................... 096
「ユダ、日本は相手のお株を奪い、成長する」
4. 聖書に記されたユダ族の特徴④
.................................................... 098
「ユダ、日本にダビデ王朝は存続する」
5. 聖書に記されたユダ族の特徴⑤
.............. 100
「ユダ、日本の首都はエルサレム(平安の都)である」
6. 聖書に記されたユダ族の特徴⑥
.......................................................................................... 103
「神殿はユダにあった」
7. 聖書に記されたユダ族の特徴⑦
.......................................................... 106
「ユダのシンボルは、獅子であった」
8. 聖書に記されたユダ族の特徴⑧
................................... 108
「ユダは、戦いに孟き民、戦いの先陣を切る」
9. 聖書に記されたユダ族の特徴⑨
............................................................................... 110
「契約の箱もユダにあった」
10. 聖書に記されたユダ族の特徴⑩
............................................................................................... 125
「獅子は身を伏せる」
11. 日本がダビデの血統を保つユダ国である証拠 :
ユダで使われる神名........................................................................................ 136
12. 中国の王朝こそ、北朝イスラエルの王朝に近い............................... 139
13. 日本語とヘブル語の類似.................................................................................. 140
14. ナギアド・ヤラの衝撃 : イスラエルの国歌が日本の民謡に...... 145
15. 天皇家とダビデ王朝との関係を語った川守田博士....................... 148
3章
天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
1. ダビデと天皇家の類似点①
............................................................ 152
「神に仕えることを重要視する」
2. ダビデと天皇家の類似点②
............................................................................................... 155
「万世一系の王族」
3. ダビデと天皇家の類似点③
................................................................................................................. 157
「歌を作る」
4. ダビデと天皇家の類似点④
.............................................................................................................................. 164
「音楽」
もくじ
5. ダビデと天皇家の類似点⑤
................................................................................................................. 170
「戦いの人」
6. ダビデと天皇家の類似点⑥
.................................................................. 173
「死者のために身を汚さない」
7. ダビデと天皇家の類似点⑦
........................................................................................... 175
「王女の服、振り袖」
8. ダビデと天皇家の類似点⑧
............................................................................................................ 177
「何人もの妻」
9. ダビデと天皇家の類似点⑨
................................................................................................ 180
「神殿を建設する」
10. ダビデと天皇家の類似点⑩
........................................................................................... 186
「エルサレムに住む」
4章
ユダヤ人であると嘘をついている人々
1. 彼らは偽ユダヤ人?
「ユダヤ人であると嘘をついている人々」について述べる...... 194
・聖書で言うユダ族とは、黄色人種のことである............................... 195
・ヤペテ(白人)の分布........................................................................................... 200
・ハム(黒人)の分布................................................................................................ 201
・セム(黄色人種)の分布..................................................................................... 203
2. 偽ユダヤ人が生まれた経緯............................................................................... 206
・聖書は偽ユダヤ人について語る..................................................................... 206
・聖書は偽ユダヤ人の存在について語る...................................................... 209
3. 日本人こそ、真のユダ族であることを証明することへの
いくつかの妨害、壁.............................................................................................. 213
4. なぜ、日本に真のユダ族の子孫が住んでいるのか?
バビロン捕囚の歴史.............................................................................................. 217
5. 日本にはあり、偽ユダヤ人にはないもの.................................................. 220
6. 偽ユダヤ人の歴史、また、行い...................................................................... 226
・ルターの偽ユダヤ人に関する説明................................................................ 226
・恐るべきタルムード................................................................................................ 227
・ベニスの商人の話...................................................................................................... 234
7. 日本人と偽ユダヤ人の比較 : どちらが本物のユダヤ人か?............ 237
・結論....................................................................................................................................... 247
8. 日ユ同祖論という誤った考え............................................................................ 249
5章
ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続し
た理由
1. 神はダビデのゆえに、その子孫、天皇家の王位を
この国で守られる................................................................................................... 256
2. ダビデは神への忠実のゆえに、イスラエルの王位に着いた.......... 258
3. 神への不忠実のゆえに、敵に破れ、王位を追われる王族.......... 260
4. 日本の天皇家に関しても同じはかり、同じ重りが使われる......... 262
5. 天皇家の歴史はまた、受難の歴史................................................................ 264
6. ダビデを王位につけた神は、その子孫である天皇家に
今も目を注がれる................................................................................................... 266
7. 結論.................................................................................................................................... 268
はじめに
この本は、日本の天皇家が、聖書に記されているイスラエル南朝
ユダ国のダビデ王朝の正統な子孫である、という事柄を扱った本で
す。題名を見てトンデモ本か?と思う人もいるかもしれませんが、
著者の私としては、できる限りまじめに、真摯に、客観的な史観や
考察を重ねて書いたつもりですので、内容を一考いただければ幸い
です。
日本とイスラエルの不思議な関係、類似性に関しては、多くの人
がすでにいくつかの本を出し、語っています。
いわく、日本のお神輿(みこし)は、イスラエルの契約の箱と似
ている。
いわく、日本のお正月の餅は、聖書の種入れぬパンと同じもので
ある。
いわく、日本の神社の構造は、イスラエルの神殿の構造と同じで
ある、等々。
これらは、たしかにそうだろうと私も思っています。
しかし、それらのイスラエルと日本の関係を語るいくつかの本の
中で、故意なのか、ただの不注意なのか、なぜだか、忘れ去られて
いることがある、書かれていない大事な事柄があるので、私はあえ
て、この一冊を追加として書いてみたいと思っています。
8
はじめに
書かれていない大事なこととは、すなわち日本の王である皇族と
イスラエルの中心王族、
ダビデ王族との不思議な一致に関してです。
ダビデ王朝のすべての歴代の王の名前と系図は、聖書の歴代、列
王の書に記されています。
丹念にそれらの記述を読み、これらの王の系図を読み、その上で
はっきり分かることは、ダビデ、ソロモン、レハベアムと続く歴代
のダビデ王朝は、すべて「王の子が王となる」という原則を守って
いるということです。すなわち、王ダビデの子、ソロモンが次の王
となり、また、ソロモン王の子、レハベアムが、また、次の王とな
る、というように、歴史の中で、必ず王の血族の継承の保持が守ら
れ、決してダビデ王の血統が王の座から絶えないようにと守られて
きたのです。日本風に言うなら、万世一系です。
また、このことは聖書の神からの約束でもあり、神は以下のよう
に、ダビデにその子孫が必ず王座にとどまることを約束しておられ
ます。
Ⅱ歴代誌23: 3
23. こうして、全集団が神の宮で王と契約を結んだ。そのとき、
彼はこう言った。
「ご覧のとおり、主がダビデの子孫について約束
されたように、王の子が王となるのです。
」
9
詩篇132: 11
11. 主はダビデに誓われた。それは、主が取り消すことのない真
理である。
「あなたの身から出る子をあなたの位に着かせよう。」
エレミヤ書33: 20ー22
20.「主はこう仰せられる。もし、あなたがたが、昼と結んだわ
たしの契約と、夜と結んだわたしの契約とを破ることができ、昼と
夜とが定まった時に来ないようにすることができるなら、
21. わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、彼に
は、その王座に着く子がいなくなり、わたしに仕えるレビ人の祭司
たちとのわたしの契約も破られよう。
22. 天の万象が数えきれず、海の砂が量れないように、わたしは、
わたしのしもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人とをふや
す。
」
このようにダビデ王朝が途切れないことは、神により約束されて
います。しかるに、このような固い神からの約束にもかかわらず、
21代続いたダビデ王朝は紀元前6世紀頃に起きたバビロン捕囚に
より、歴史の闇に消えてしまったのです。
今から、2600年位前のことです。
その後、ダビデ王朝はどこへ行ってしまったのでしょうか?
神のダビデへの固い約束は破られ、それは反古になってしまった
のでしょうか?
10
はじめに
さて、ここにおどろくべきことがあります。
極東の島国である一国に、2600年の歴史を誇る万世一系の王
族が存在しているのです。すなわち神のダビデへの約束通り、王の
子が王となる、という原則を延々と忠実に継承し、しかもその国の
国民にとって、たった一つの王族として大切に扱われている由緒正
しい王族、すなわち皇族が存在するのです。このような万世一系の
王族は世界広し、と言えど、どこの国にも存在してはいないのです。
もしかすると、この国の王族こそ、神の約束されたダビデ王朝の
末裔かもしれません。
かつて神がダビデに与えた約束は、この国の中で実現しているの
かもしれません。
さて、その国とは一体どこの国なのか?
その王族と聖書に書かれているダビデ王朝の類似性とは?
それらをまとめたのがこの本です。
*この本で使用されている聖書の記述は、新改訳聖書(いのちのこ
とば社)からの引用です。
11
1章
天皇家は
ダビデ王朝の
末裔である
13
1. 天皇家とダビデ王朝
さて、前書きに書きましたように、この本の主旨、ポイントは非常に明
白で、要するに、聖書に登場する古代イスラエルのダビデ王朝の正統な末
裔、子孫が、他ならない、日本の天皇家であるということ、逆に言うと、
日本人が大いに興味を持っている日本の皇族のルーツ、皇族の先祖は他な
らない、聖書のダビデ王朝に連なるというポイントに尽きます。
結論は非常に明白ですのであとはそれを補足し、さらに分かりやすく説
明したいと思います。
不思議な偶然の中で、
このことは隠されてきた
イスラエルのダビデ王朝が日本の皇族と関係がある、そんなことは聞い
たことがない、そもそも本当にそんなことが事実なら、とっくに誰かが提
唱したり、声に出したりするのではないか?とそんな意見もあるかもしれ
ません。じつは私自身も、なぜ、このことが人々に分からないのだろう、
皆気づかないのだろうと、長年疑問に思ってきたしだいです。なぜ、ダビ
デ王朝と皇室の関係に気づく人がいないのか?と言うと、私の推測では多
くの日本人にとって皇室のことはともかく、ダビデ王朝のことなど、ほと
んど知識が無いからだと思います。
卑近な言い方をすると、
「モナリザの顔と田中君の奥さんはそっくりだ、
そう思わないか?」と言われても、そのモナリザの絵は思い浮かぶとして
も、肝心の田中君の奥さんに会ったことがなければ、
「似ている」とも、
「似
ていない」とも、言いにくいものです。
14
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
同じ話で、ダビデ王朝のことは聖書の中に詳しく記載されているのです
が、多くの日本人にとり、聖書は縁遠い本であり、どうもまともに読む人
は少ないようですので、今まで気づかれなかったのかもしれません。聖書
をまともに読む日本人が少なかった、その記事をまともに受け取る人々が
この国には少なかった、それがこのような明々白々な事実に気づかずに、
今に至るまで進んでしまった、その理由かもしれません。
しかし、聖書を詳しく読むなら、イスラエルのダビデ王朝は聖書の中で
特別な存在であり、神御自身が何度もダビデの子孫が代々その王座に着き
続ける、
すなわちダビデ以来の万世一系は継続することを約束しています。
前書きに書いた、以下のことばの通りです。
Ⅱ歴代誌23: 3
3. こうして、全集団が神の宮で王と契約を結んだ。そのとき、彼はこう
言った。
「ご覧のとおり、主がダビデの子孫について約束されたように、
王の子が王となるのです。
日本とイスラエルの明確な類似、このことは聖書に親しい人には明らか
な事実です。事実この国で、日本とイスラエルの類似性に気づいた人々の
多くは聖書に親しいキリスト教の牧師さんです。
イスラエルと日本の類似性について書いた恐らく始めての日本人、小谷
部全一郎さん、さらに日本こそ南朝ユダの子孫であることを語った川守田
英二博士など、皆牧師さんです。
ついでにと言っては恐縮ですが、この本を書いている私も東京で小さな
キリスト教会を開いている牧師です。私はバイブルネーム“エレミヤ”と
いう名前の日本人の男性です。バイブルネームは聖書に基づく名前で本名
は他にありますが、とりあえずこの名前でこの本を書くことにします。
15
キリスト教の牧師の仕事は何かと言えば、基本的には聖書からメッセー
ジをすることです。それで私は職業柄、毎日のように聖書を読みます。そ
してその聖書の中には、ダビデ王朝について記した歴代、列王の書などが
含まれているので、聖書通読の一環として当然、私はそれらの箇所を読む
わけです。
そしてその通読のたびに、ダビデ王朝と日本の皇室の類似点に思いをめ
ぐらされます。
それらの思いをこの本に書きたいと思います。
竪琴を弾くダビデ : ダビデ王朝こそ、日本の天皇家のルーツである
16
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
2. そもそもダビデ王朝とは何か?
この項では、そもそもダビデ王朝とは何か?ということについて書いて
みたいと思います。
ダビデ王朝とは簡単に言えば、イスラエルの国の中で起きた王朝のこと
です。イスラエルの国の歴史は、その先祖であるイスラエル(ヤコブ)以
来数千年という長い歴史なのですが、その歴史の中で王朝が存在していた
のは割と短く、400年前後のことです。
そのイスラエルの国の最初の王の名前は、サウルと言います。
彼は背の高い青年で、初めは謙虚な青年だったようです。
しかし、後に彼は神に背き、神のことばに従わなくなったため、神はも
う一人の少年に油を注ぎ、彼をサウルにとって代わるこの国の王とするよ
うにしたのです。その少年の名前がダビデなのです。
その後の紆余曲折はありますが、何はともあれダビデはその後、サウル
に代わってイスラエル国の王となったのです。
このダビデはイスラエルの数ある王の中でも非常に特別な存在で、神の
恵みと恩顧を一身に受けています。
そして以下のように、神からダビデの王座が決して絶えないことが約束
されています。
エレミヤ書33: 20ー22
20.「主はこう仰せられる。もし、あなたがたが、昼と結んだわたしの
契約と、夜と結んだわたしの契約とを破ることができ、昼と夜とが定まっ
た時に来ないようにすることができるなら、
17
21. わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、彼には、そ
の王座に着く子がいなくなり、わたしに仕えるレビ人の祭司たちとのわた
しの契約も破られよう。
22. 天の万象が数えきれず、海の砂が量れないように、わたしは、わた
しのしもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人とをふやす。」
さて、イスラエルの王朝について考える時、はっきりと理解しなければ
ならないこと、また、誤解しやすいことは、イスラエルの国の分裂という
ことです。
イスラエルという国の名前の由来は何かと言うと、かつての先祖、一人
の人、その名をイスラエルという名前の人物から発します。彼は元の名前
をヤコブと言っていたのですが、彼はヤボクの川のほとりで神と相撲をと
った時から名前を変え、イスラエルという名前を与えられたのです。
この相撲は日本にもあります。というよりも、日本の相撲はこの聖書の
故事が由来となっているのでしょう。だからこそ日本の相撲は単なる格闘
技というより、宗教的な意味合い、儀式的な意味合いが強いのです。
なにしろ神と相撲をとったのですから、宗教的なのです。
さて、話は変わりますが、そのイスラエルには全部で12人の息子がい
ました。簡単におおざっぱに言えば、彼らがそれぞれイスラエル12部族
の先祖になりました。
それで彼、イスラエルをもとに始まったイスラエルの国には12の部族
がいるのです。
18
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
神と相撲をとるヤコブ : 後に“イスラエル”と改名
さて、そのようにイスラエルの部族は12集まって一つの国を成してい
たのですが、ある時を契機にこの国は二つに分裂してしまいます。
それはソロモン王の子、レハブアムが王となった時です。
その時、今まで一つであったイスラエルの部族は分裂をし、12ある部
19
族のうち10部族が、ダビデ王とは血縁の無いヤロブアムを王として一つ
の国を作りました。その国は今までのイスラエルの名を継いで、イスラエ
ルという名前の国になりました。
そしてユダとベニヤミン族の計2部族も、また、ユダという国を作るこ
とになりました。このように、今まで一国だった国が二つに分裂したので
す。
20
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
イスラエル国と王朝の分裂の図
21
地理的な区分を言えば、イスラエル国は北に位置し、ユダ国は南に属し
ます。たとえて言うなら、今まで一つだった朝鮮半島の国が二つに分裂し
て、北の北朝鮮と南の韓国に分かれたようなものでしょうか。
ユダ国は2部族なので人数的には少ないのですが、王朝のことを言うな
ら、ダビデ王の血を受け継ぐダビデ王朝はユダ国に引き継がれました。で
すから南朝、ユダ国の歴代の王は、皆ダビデの血を引いた人物が受け継い
だのです。この王族の血縁の連続に関して正確に言うと、一度ダビデ王朝
には危機があり、アタルヤというダビデの血族とは無縁の女性が王座に着
き、王族を皆殺しにしようとしたこと、すなわち万世一系が絶たれようと
したことがあったのです。しかし、祭司エホヤダの勇敢な行動により、ダ
ビデの血筋はこの危機から免れます。彼の尽力により数年の後、悪女アタ
ルヤは殺され、ダビデの血筋を継ぐヨアシュ王に王座は戻されました。
このような危機を経ても神の以下の約束のことばの通り、ダビデ王朝の
血筋は奇跡的に継続したのです。
そしてダビデの王族は、ユダ国が国として存在している間はこの国の王
としてとどまりました。
エレミヤ書33: 17
17. まことに主はこう仰せられる。
「ダビデには、イスラエルの家の王座
に着く人が絶えることはない。
しかし一方、北のイスラエル国の王族に関しては話が違います。
北のイスラエル国は12部族のうち10部族が集まっており、人数は多
く、しかも正式な国名イスラエルも彼らが継いではいるのですが、王朝に
関してはまったく正統性も神からの信任も無い状況です。まず、北のイス
ラエル国の初代王になるヤロブアム自身、
ダビデ王朝の血筋とは無縁です。
さらにこの国では万世一系というように、同じ血筋の王が継続するという
22
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
ことは行われませんでした。
ヤロブアムの王の家系の王座は何代も続かず、別の家系の人物バシャに
王の座を奪われます。そして同じく、バシャの家系もしばらくして、他の
人物にとって代わられ、王座を奪われます。
他の国の王族について考えるなら人間的に言えば、このような形、一人
の王が建て上げた王権も、いずれ他の家系に奪われていく、王権は他の家
系へ移っていくというパターンのほうが、世の中では普通の事柄だと思わ
れます。
世の中、権力争いは激しいのが常ですから、その国のもっとも大きな権
力、王の座は、みんなが鵜の目鷹の目で狙う、とは、よくあることなのです。
23
日本の政治権力の中心である首相の座にしろ、同じ血筋の人間がいつも
独占などとはうまくいきません。
戦後だけでも何十人という人が首相の座に上り詰め、そして追い落とさ
れています。皆が権力のトップに着きたいのですから、一族で独占という
ようにはうまくいかないのです。
このように一族が長い間、王の座に着くということは、普通はあり得な
いのに、例外的にユダ国においてはこのことは実現し、400年程の間、
ダビデの子孫が代々王の座に着くようになる、との神のことばは実現し続
24
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
けたのです。歴史を支配し、真の意味合いで歴史を作る神の御手の力を感
じざるを得ません。
まとめますが、
イスラエルの南北2国にそれぞれ存在した各王朝のうち、
日本の王朝である天皇家の家系と似ていると、その類似性が指摘されるの
はあくまでも、ダビデ以来の万世一系が継続されている南朝ユダ国なので
す。しょっちゅう王が入れ代わっており、同じ家系の王朝が続かない北王
朝である北のイスラエル国の王朝ではありません。
そもそも王朝が長い間続かないということは、世界の歴史においてはご
く当たり前のことであり、特筆すべきことではないのです。しかし続かな
いはずの王朝が続いており、しかもその神が、ダビデに約束した万世一
系の王朝の継続が、他ならない極東の島国である日本において、なんと
2600年もの間綿々と継続していた、ここに大きな特徴があるのです。
ですから日本は失われたイスラエル10部族の末裔だ、なんて知ったか
ぶりをして語る人々は、このもっとも大事なポイントを見逃している盲目
な研究者であるということになります。
なぜなら失われたイスラエル10部族とは、先に書いた北イスラエルの
国のことであり、その王朝は今申し上げた通り、とっかえひっかえ王が交
代する、普通の王朝を持つ国なのです。北イスラエルの王朝のことを言う
なら、
それは世界で稀有な万世一系を誇る日本の王朝とは比べようもない、
継続性のない、乱立、混乱している、由緒正しくない王朝なのです。
ですから日本は失われた北イスラエル10部族の子孫だ、などと知った
かぶりを言う人々は、このもっとも大事な点、王朝の継続ということをま
ったく見ていない盲目な人々ということになります。
25
北イスラエルの王ヤロブアム(北イスラエル10部族の王朝は万世一系ではない)
ダビデは、
イスラエルの歴史の中で特別な存在
彼、ダビデはイスラエルの歴史に起きる多くの人物の中で、非常に特殊
な存在です。他でもないイエス・キリストの系図の中にもあらわれ、イエ
ス・キリストがダビデの子孫であることが、聖書の中では何度も強調され
ています。
たとえば、以下の聖書の節を見て下さい。
26
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
マタイの福音書1: 1
1. アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
ダビデは、
その勇敢な信仰のゆえに神に選ばれ、
用いられた
彼ダビデは、もともとは羊飼いであり、王家の出でも何でもありません
でした。
エッサイ家の8番目の息子です。
しかし、彼は神により認められ、イスラエルの王として特別に選ばれま
した。
その彼の勇敢な信仰を彷彿(ほうふつ)させる場面が知る人ぞ知る、ペ
リシテ人の巨人、ゴリヤテとの一騎討ちです。聖書では、以下のように記
述しています。
Ⅰサムエル記17: 1ー54
1. ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集ま
り、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。
2. サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人
を迎え撃つため、戦いの備えをした。
3. ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上
に、谷を隔てて相対した。
4. ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その
名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。
5. 頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けてい
た。よろいの重さは青銅で五千シェケル。
6. 足には青銅のすね当てを着け、肩には青銅の投げ槍を背負っていた。
27
7. 槍の柄は機織の巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。
盾持ちが彼の先を歩いていた。
8. ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おま
えらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらは
サウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。
9. おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴
隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの
奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。
」
10. そのペリシテ人はまた言った。
「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶ
ってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」
11. サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いた
とき、意気消沈し、非常に恐れた。
12. ダビデはユダのベツレヘムのエフラテ人でエッサイという名の人の
息子であった。エッサイには八人の息子がいた。この人はサウルの時代に
は、年をとって老人になっていた。
13. エッサイの上の三人の息子たちは、サウルに従って戦いに出て行っ
た。戦いに行った三人の息子の名は、長男エリアブ、次男アビナダブ、三
男シャマであった。
14. ダビデは末っ子で、上の三人がサウルに従って出ていた。
15. ダビデは、サウルのところへ行ったり、帰ったりしていた。ベツレ
ヘムの父の羊を飼うためであった。
16. 例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て姿を現わ
した。
17. エッサイは息子のダビデに言った。
「さあ、兄さんたちのために、こ
の炒り麦一エパと、このパン十個を取り、兄さんたちの陣営に急いで持っ
て行きなさい。
18. この十個のチーズは千人隊の長に届け、兄さんたちの安否を調べな
さい。そしてしるしを持って来なさい。
28
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
19. サウルと兄さんたち、それにイスラエルの人たちはみな、エラの谷
でペリシテ人と戦っているのだから。
」
20. ダビデは翌朝早く、羊を番人に預け、エッサイが命じたとおりに、
品物を持って出かけた。彼が野営地に来ると、軍勢はときの声をあげて、
陣地に出るところであった。
21. イスラエル人とペリシテ人とは、それぞれ向かい合って陣を敷いて
いた。
22. ダビデは、その品物を武器を守る者に預け、陣地に走って行き、兄
たちの安否を尋ねた。
23. ダビデが兄たちと話していると、ちょうどその時、ガテのペリシテ
人で、その名をゴリヤテという代表戦士が、ペリシテ人の陣地から上って
来て、いつもと同じ文句をくり返した。ダビデはこれを聞いた。
24. イスラエルの人はみな、この男を見たとき、その前を逃げて、非常
に恐れた。
25. イスラエルの人たちは言った。
「あの上って来た男を見たか。イスラ
エルをなぶるために上って来たのだ。あれを殺す者がいれば、王はその者
を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは
何も義務を負わせないそうだ。
」
26. ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。「このペリシテ
人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。
この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶる
とは。
」
27. 民は、先のことばのように、彼を殺した者には、このようにされる、
と答えた。
28. 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブ
はダビデに怒りを燃やして、言った。
「いったいおまえはなぜやって来た
のか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、お
まえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろ
29
う。
」
29. ダビデは言った。
「私が今、何をしたというのですか。一言も話して
はいけないのですか。
」
30. ダビデはエリアブから、ほかの人のほうを振り向いて、同じことを
尋ねた。すると民は、先ほどと同じ返事をした。
31. ダビデが言ったことを人々が聞いて、それをサウルに知らせたので、
サウルはダビデを呼び寄せた。
32. ダビデはサウルに言った。
「あの男のために、だれも気を落としては
なりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」
33. サウルはダビデに言った。
「あなたは、あのペリシテ人のところへ行
って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時か
ら戦士だったのだから。
」
34. ダビデはサウルに言った。
「しもべは、父のために羊の群れを飼って
います。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、
35. 私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出し
ます。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺していま
す。
36. このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受け
ていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける
神の陣をなぶったのですから。
」
37. ついで、ダビデは言った。
「獅子や、熊の爪から私を救い出してく
ださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」
サウルはダビデに言った。
「行きなさい。主があなたとともにおられるよ
うに。
」
38. サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着させた。頭には青銅のか
ぶとをかぶらせ、身にはよろいを着けさせた。
39. ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩い
てみた。
慣れていなかったからである。
それから、
ダビデはサウルに言った。
30
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
「こんなものを着けては、
歩くこともできません。慣れていないからです。」
ダビデはそれを脱ぎ、
40. 自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、そ
れを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人
に近づいた。
41. そのペリシテ人も盾持ちを先に立て、ダビデのほうにじりじりと進
んで来た。
42. ペリシテ人はあたりを見おろして、ダビデに目を留めたとき、彼を
さげすんだ。ダビデが若くて、紅顔の美少年だったからである。
43. ペリシテ人はダビデに言った。
「おれは犬なのか。杖を持って向かっ
て来るが。
」ペリシテ人は自分の神々によってダビデをのろった。
44. ペリシテ人はダビデに言った。
「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や
野の獣にくれてやろう。
」
45. ダビデはペリシテ人に言った。
「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持
って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の
神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。
46. きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、お
まえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の
鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知
るであろう。
47. この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。こ
の戦いは主の戦いだ。主はお前たちをわれわれの手に渡される。」
48. そのペリシテ人は、
立ち上がり、
ダビデを迎え撃とうと近づいて来た。
ダビデもすばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。
49. ダビデは袋の中に手を差し入れ、
石を一つ取り、石投げでそれを放ち、
ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。
50. こうしてダビデは、石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。
ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、このペリシテ人を打ち殺して
31
しまった。
51. ダビデは走って行って、このペリシテ人の上にまたがり、彼の剣を
奪って、さやから抜き、とどめを刺して首をはねた。ペリシテ人たちは、
彼らの勇士が死んだのを見て逃げた。
52. イスラエルとユダの人々は立ち上がり、ときの声をあげて、ペリシ
テ人をガテに至るまで、エクロンの門まで追った。それでペリシテ人は、
シャアライムからガテとエクロンに至る途上で刺し殺されて倒れた。
53. イスラエル人はペリシテ人追撃から引き返して、ペリシテ人の陣営
を略奪した。
54. ダビデは、あのペリシテ人の首を取って、エルサレムに持ち帰った。
武具は彼の天幕に置いた。
この箇所で見るように、羊飼いの少年、よろいもろくに着けられない戦
場に慣れていない少年ダビデがあろうことか、敵軍の代表戦士、背の高さ
三メートルはあろうかという大男、ゴリヤテをたった一つの石で倒してし
まったのです。また、このダビデの勝利により敗色が濃かったイスラエル
軍は一気に勝利に転じ、敵を打ち破るようになったのです。
彼の特筆すべきことは、その彼のことばにあらわれています。
“ダビデはペリシテ人に言った。
「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、
私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万
軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを
私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、き
ょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべて
の国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。この全集団も、
主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。
主はお前たちをわれわれの手に渡される。
”
32
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
彼は剣や槍(やり)
、投げ槍(やり)を持ち、よろいで完全武装して挑
んで来る敵の兵士に対して、「イスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名」、
すなわち聖書に記されている神の名によって立ち向かったのです。
いわば信仰の戦いです。そしてそのダビデの態度、歩みを神が良しとし
たゆえ、彼はイスラエルの国でまったく無名の存在であったのに、直々に
神により選ばれ、油を注がれ、王として招かれ、イスラエルの王座に着く
ようになったのです。
巨人ゴリヤテを倒すダビデ
33
ダビデ王は神により、直接選ばれ、油を注がれ、
王となった
彼が神により直接選ばれ、イスラエルの王となるべく油を注がれたこと
は、以下の記事に明記されています。
Ⅰサムエル記16: 1ー13
1. 主はサムエルに仰せられた。
「いつまであなたはサウルのことで悲しん
でいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満
たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは
彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」
2. サムエルは言った。
「私はどうして行けましょう。サウルが聞いたら、
私を殺すでしょう。
」主は仰せられた。
「あなたは群れのうちから一頭の雌
の子牛を取り、
『主にいけにえをささげに行く。
』と言え。
3. いけにえをささげるときに、
エッサイを招け。あなたのなすべきことを、
このわたしが教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油を
そそげ。
」
4. サムエルは主が告げられたとおりにして、ベツレヘムへ行った。する
と町の長老たちは恐れながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでに
なったのですか。
」
5. サムエルは答えた。
「平和なことです。主にいけにえをささげるために
来ました。私がいけにえをささげるとき、あなたがたは身を聖別して私と
いっしょに来なさい。
」こうして、サムエルはエッサイとその子たちを聖
別し、彼らを、いけにえをささげるために招いた。
6. 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、
「確かに、主の前で油を
そそがれる者だ。
」と思った。
7. しかし主はサムエルに仰せられた。
「彼の容貌や、背の高さを見てはな
34
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
らない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人は
うわべを見るが、主は心を見る。
」
8. エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前にすすませた。サムエ
ルは、
「この者もまた、主は選んでおられない。
」と言った。
9. エッサイはシャマを進ませたが、サムエルは、
「この者もまた、主は選
んではおられない。
」と言った。
10. こうしてエッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サム
エルはエッサイに言った。
「主はこの者たちを選んではおられない。」
11. サムエルはエッサイに言った。
「子どもたちはこれで全部ですか。」
エッサイは答えた。
「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をし
ています。
」サムエルはエッサイに言った。
「人をやって、その子を連れて
来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」
12. エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い
顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者
に油を注げ。この者がそれだ。
」
13. サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主
の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がって
ラマへ帰った。
油を注がれるとは、日本人には聞き慣れないことばかもしれませんが、
イスラエルにおいて人が王となる時、油を注がれて王となるという習慣が
あるのです。
また、上記、「主はサムエルに仰せられた。
」とのことばの中の「主」と
は、
「聖書の神、主なる神」を指すことばなのです。
このようにイスラエルの国でまったく無名だったダビデ、父親にさえ、
その存在を忘れられて、
「
(そういえば)まだ末の子が残っています。あれ
は今、羊の番をしています。
」などと、あとで思い出されるような存在で
35
あったダビデですが、神は、はじめから、このダビデを選んでいました。
そしてこのダビデこそが、長く続くダビデ王朝の始祖だったのです。
そしてもしかすると彼は、この日本の万世一系の天皇家の始祖でもある
かもしれません。
ですからこの箇所から受ける教訓、日本の我々がその天皇制とか天皇制
のあり方などを考えるなら、そのポイントは、
「ダビデ王朝の存在のもっ
とも基本、唯一の根拠」は神にあり、神の選びにある、ということに尽き
ます。
そういうわけでこのポイントを外すなら、祝福というより、呪いや災い
が起きます。
口幅ったい(くちはばったい)言い方をするなら、また、失礼を承知で
苦言を申し上げるなら、
今の日本の皇室はあまり幸せそうにも思えません。
そしてそのことに何か原因があるのなら私の理解では、王朝の始祖であ
るダビデを選んだその神、真の神を今の日本の人々は捨て、逆に偶像の神、
天の太陽をかたどった神を拝んできたこと、他でもない日本の皇室が長年
崇めてきた異教の神崇拝、アマテラスオオミノカミ崇拝にその原因がある
のではないのか?と、私にはそう思えるのです。
このことは、また、後程書きます。
36
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
サムエルに油を注がれるダビデ
イスラエルの初代王、
サウルはその神への不従順
のゆえに王位から外され、
捨てられる
王権が立つのも倒れるのも神次第などと言うと、日本では聞き慣れない
意見かもしれませんが、このことは聖書を貫く原則です。
ダビデは正確に言うと、イスラエルにおいて王として立った2番目の王
です。彼の前の王、サウル王は、その神への不従順のゆえに王位から外さ
れるようになります。サウル自身もその命を戦いの中で失い、また、彼の
家はイスラエルの王家の座から外されてしまいました。
37
参考までに、このサウル王の記述も見てみましょう。
Ⅰサムエル記13: 8ー14
8. サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエル
はギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。
9. そこでサウルは、
「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持
って来なさい。
」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。
10. ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがや
って来た。サウルは彼を迎えに出てあいさつした。
11. サムエルは言った。
「あなたは、なんということをしたのか。」サウ
ルは答えた。
「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定めら
れた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たから
です。
12. 今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしてい
るのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけに
えをささげたのです。
」
13. サムエルはサウルに言った。
「あなたは愚かなことをしたものだ。あ
なたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなた
の王国を永遠に確立されたであろうに。
14. 今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、
主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じ
られたことを守らなかったからだ。
」
上記のように王であったサウルは神の戒めを破り、その結果、彼の家は
王位から外されることになったのです。神の預言者であるサムエルは以下
のように、サウルの家が王位から外されることを述べています。
「あなたは愚かなことをしたものだ。
あなたの神、
主が命じた命令を守らな
38
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
かった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
今は、
あなたの王国は立たない。
主はご自分の心にかなう人を求め、主はそ
の人をご自分の民の君主に任命しておられる。
あなたが、主の命じられたこ
とを守らなかったからだ。
」
サウルがその神なる主からの命令を守らなかったゆえに、彼サウルの王
国は立たず、彼の家が王位から外されることを述べているのです。
ですから繰り返すようですが、イスラエルの国における王権の確立は、
神の選び次第、その神の戒めを守るかどうかにかかっているのです。なぜ
なら当たり前ですが、王権は神から付与されるからです。
もし日本の天皇家がこのダビデ王朝の末裔であるなら、(そうである可
能性は大いにあるのですが)
、その王位が立つのも倒れるのも皆、この神
にある、ということを知るべきだと思います。
王権ということをまじめに考えるなら、正直、日本の王族である皇室は、
もうすでに実質的な意味では王ではないし、形ばかりの王という存在にな
っています。
政治においての実権も、軍隊統率等の実権も、皆奪われて、よく言えば
象徴天皇制、
悪く言えば実権の無い形ばかりの存在に追いやられています。
このことも失礼ながら、すべて神から来ていることを知りましょう。
サウルがその神への不従順のゆえに神から切り離され、その家も王家か
らは追い出されたように、この国の真の王として召され、立つはずの天皇
家であっても真の神を忘れ、離れ、偶像の神を拝し、アマテラスオオミノ
カミ礼拝を行い続けるなら、王としての実権を奪われ、形だけの王となり、
儀礼だけの王としての地位しか与えられないのです。
聖書の原則通り、王であってもそうでなくても、すべての誉れは神から
39
来ることを知りましょう。
聖書で見るかぎり、神に愛されたダビデ王にしても、ソロモン王にして
も、実際に国の実権を握り、すべての権限を握り、実際にその国を治めて
いました。
国内を治め、役人を任命し、将軍を任命し、実権を持っていたのです。
これが王のあるべき姿です。日本の皇室が、もしダビデの王位を継ぐ王
家なら、
(そうである可能性が大いに高いのですが)、今の状態、王として
の実権を奪われた姿は、先祖と比べるなら恥ずべき姿、王としてあるべき
姿ではないことを知るべきだと思います。
そしてその恥は、どこまでも神から来るものであり、今の皇室がダビデ
を選び、皇室を王家として選んだ方、すなわち真の神以外の神を神として
崇めている、そこに大きな原因があるように私には思えます。
もちろん外因はあるのですが、その外因を許し、今の皇室が実権の無い、
ただのお飾りみたいな存在になってしまったことのその裏には、神の意図
があるのです。
40
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
神への不従順のゆえに王座から外されるサウル王
日本の皇室の存続の理由は、
父祖ダビデの忠実さ
によるものである
聖書の原則を言うなら、日本の皇族の父祖が、もしダビデ王朝からのも
のなら、皇族のその誤った邪神礼拝、アマテラスオオミノカミ礼拝にもか
かわらず、いまだに天皇制がこの国で続いているその理由は天皇一家の卓
越なる御人格、人徳だけによるのでは決してありません。(もちろん、立
派な方々なのでしょうが。
)
聖書的に言うなら、それはあくまで神がダビデのゆえに、その子孫であ
41
る天皇家への恵みをとどめることをしなかったということに過ぎません。
そして神は人と違って約束を破ることは無いので、一度ダビデと結んだ
約束を破ることはせず、3000年後の今でも忠実に守っておられるとい
うことに過ぎないのです。神はかつて、ユダの悪王アビヤムに関してこう
言われました。
Ⅰ列王記15: 3ー5
3. 彼は父がかつて犯したすべての罪を行ない、彼の心は父ダビデの心の
ようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
4. しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一
つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てら
れた。
5. それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことの
ほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからで
ある。
アビヤムは悪王であったのに、その王家が断たれることも、その子が王
座に着かないということも起こりませんでした。その理由は神がその父祖
ダビデのゆえにその子孫をかえりみたからである、そのことに尽きるとい
うことが上記箇所には書いてあるのです。
このことは現代のダビデ王の子孫に対しても同じことです。
たとえダビデ王の子孫である皇族が間違えた歩みをしても、なおかつ神
はダビデに免じてその万世一系の約束を守り続けられるのです。
神は万世一系を守るために、その手を伸べられる
聖書に書かれた神は歴史に介入される神であり、そしてその歴史の中で
42
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
御自分の語られたことばを守る方です。
前に少し書きましたが、
神の約束、
「彼
(ダビデ)
に一つのともしびを与え、
彼の跡を継ぐ子を起こし」との約束にもかかわらず、長いダビデ王朝の歴
史の中では王族絶滅の危機がなかったわけではなく、事実子孫がいなくな
りそうである、という危機は起きました。しかし不思議な神の介入、配慮
の中で、神のダビデへの約束は保たれ、万世一系は保たれてきたのです。
ダビデ王朝存続の危機は、悪女アタルヤの時に起きました。
以下のことばの通りです。
Ⅱ列王記11: 1
1. アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の
一族をことごとく滅ぼした。
ユダ国の悪王、アハズヤが死んだあと、その後、なんとその母であるア
タルヤが国の王となったのです。
そもそもダビデ王朝は万世一系であり、また、当然男系が万世一系なの
です。また、女が王となることなど聖書的にも、また、ユダ王朝の歴史か
ら言っても、まったくあり得ない話なのです。
しかるにダビデとは血縁的に何も関係も無い人物がダビデ王朝の王座に
座る、しかも女が国の王となる、という二重にとんでもない冒涜をこの女
性は犯しているわけです。
まことにダビデ王朝存続の危機です。その上悪いことに、この女はダビ
デ王朝の子孫が自分の権力に邪魔と思ったのかどうか、
「ただちに王の一
族をことごとく滅ぼした。
」
、すなわち王の座に座る資格のあるダビデ家の
血縁、王族を、皆滅ぼしてしまったのです。
絶体絶命の危機をダビデ王朝は迎えたわけです。
43
全能の神がダビデに与えた王朝存続の約束もあわや露と消えてしまう
か、という危機です。
しかし歴史を支配し、ご自分のことばを守る神の御手は変わりません。
以下のように書かれています。
Ⅱ列王記11: 2, 3
2. しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹のエホシェバが、殺される
王の子たちの中から、アハズヤの子ヨアシュを盗み出し、彼とそのうばと
を寝具をしまう小部屋に入れて、彼をアタルヤから隠した。それで、彼は
殺されなかった。
3. こうして、
彼はうばとともに、
主の宮に六年間、身を隠していた。その間、
アタルヤがこの国の王であった。
その親族の機転により、ダビデの血を継ぐ王の子が一人、助け出されま
した。
その助け出された子、ヨアシュは宮に6年間隠され、7年目には祭司エ
ホヤダの尽力で王の座に着きます。そして悪女アタルヤは、その時に殺さ
れてしまいます。その結果、一時は断絶か、絶滅かと思われたダビデの王
家の血統は奇跡的に存続し、再度ダビデの家系が王座に着くようになった
のです。
44
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
悪女アタルヤは、万世一系を途絶えさせようとした
日本の皇室にも、不思議な神の御手が臨んでいる
かくのごとく目には見えないのですが、しかし、神は不思議にも歴史に
介入し、そのダビデとの約束を守られました。そして私たちの確信は、そ
の神のダビデへの約束は21世紀の現代においても反古になったわけでは
なく、今も守られているということです。
そして神の約束がこの日本の皇室にも与えられているなら、神はその危
機の時に介入され、やはりダビデとの約束を守るのではないだろうか、と
私には思えます。
このことは日本の長い皇室の中で起きてきましたし、また、今も起きて
いるのではないか、と私は思います。
45
天皇家万世一系の危機と言えば、何と言っても道鏡事件でしょうか。
時の女性天皇孝謙天皇(称徳天皇)に取り入った僧、道鏡は宇佐八幡の
御神託を利用して、自分が天皇になろうという野望を持ちます。
天皇家以外の血筋の人物が、天皇の位に着こうと画するわけです。
しかし不思議な助けがあり、再度宇佐八幡に神託を伺いに行った和気清
麻呂は、
「天皇の座は皇孫が着くべし、道鏡は除けよ」と本当の神命を語
りました。彼の勇気により、万世一系は守られたのです。
そして21世紀の今でも、神はそのダビデとの約束を果たすべく歴史に
介入される、そう私は信じています。現代における万世一系の危機は、な
んと言っても皇太子殿下のご家庭に男の子が生まれなかったということで
しょうか。万世一系とは、要するに男の王族が続くことですから、女性で
ある愛子様だけでは皇族の血が断たれてしまうからです。そして弟の秋篠
宮家もその当時は女のお子様たちだけなので皇族全体で男の子が存在せ
ず、万世一系もこの世代で断たれてしまうのか、というある意味、非常に
重大な危機の時がありました。その時は、日本中が心配していました。私
も正直どうなるのかと心配してなんとか解決をと、その頃は神に祈らされ
た記憶があります。
しかし神のダビデへの約束は消えず、不思議な方法、しかし人間的には
普通の方法で解決の道が開かれました。それは、もうお子様も大きくなっ
ておられる秋篠宮様の奥様である紀子様がご懐妊され、しかも男の子を産
まれたのです。
他でもない、悠仁様のことです。このことを通して皇室には、やはりダ
ビデの子孫として神の御手が臨んでおられると個人的には思わされまし
た。
思い起こせば2006年、時の首相、小泉首相の下で、大いに女系天
46
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
皇推進の論議が進められ、2600年続いた日本の天皇家の万世一系の歴
史も潰える(ついえる)か、というその時でした。その時、彗星のように、
紀子様ご懐妊の一報が伝えられたのです。そして、その年の9月6日に悠
仁様がお生まれになりました。この9月6日という日はある意味、因縁の
日であり、それは他でもない、自分が天皇になろうと野望を持ったあの悪
僧、道鏡の企てが失敗した日なのです。このことはとても偶然とは思えま
せん。悠仁様誕生に関する、深い神の意思を感じざるを得ません。
天皇の位を奪取しようとして失敗した道鏡 : 神は日本においてもダビデの万世一系を守
られる
ダビデは神の宮を建てることを計画した
さて、聖書におけるダビデの記載を見ているのですが、そのダビデの生
涯のもう一つの特徴は、彼が神の宮を作ることを発案し、計画したことで
す。
47
以下のように書かれています。
Ⅰ歴代誌22: 1ー10
1. そこで、ダビデは言った。
「これこそ、神である主の宮だ。これこそ、
イスラエルの全焼のいけにえの祭壇だ。
」
2. そして、ダビデは命じて、イスラエルの地にいる在留異国人を召集し、
神の宮を建てるため石材を切り出す石切り工を任命した。
3. ダビデは、門のとびらの釘および留め金用の鉄をたくさん用意し、青
銅も、量りきれないほどおびただしく用意した。
4. また、杉の木も数えきれないほど用意した。シドン人とツロ人がダビ
デのもとに杉の木をおびただしく運んで来たからである。
5. ダビデは言った。
「わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主のために
建てる宮は、全地の名となり栄えとなるように大いなるものとしなければ
ならない。それで私は、そのために用意をしておく。」こうして、ダビデ
は彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。
6. 彼はその子ソロモンを呼び、イスラエルの神、主のために宮を建てる
ように彼に命じた。
7. ダビデはソロモンに言った。
「わが子よ。私は、わが神、主の御名のた
めに宮を建てようとする志を持ち続けてきた。
8. ある時、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流
し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはな
らない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。
9. 見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わた
しは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。
彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイ
スラエルに平和と平穏を与えよう。
10. 彼がわたしの名のために家を建てる。彼はわたしにとって子となり、
わたしは彼にとって父となる。わたしはイスラエルの上に彼の王座をとこ
48
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
しえまでも堅く立てる。
』
Ⅰ歴代誌22: 17ー19
17. そして、ダビデはイスラエルのすべてのつかさたちに、その子ソロ
モンを助けるよう命じた。
18.「あなたがたの神、主は、あなたがたとともにおられ、周囲の者か
ら守ってあなたがたに安息を与えられたではありませんか。主はこの地の
住民を私の手に渡され、この地は主の前とその民の前に服したからです。
19. そこで今、あなたがたは心を尽くし、精神を尽くして、あなたがた
の神、主に求めなさい。立ち上がって、神である主の聖所を建て上げ、主
の御名のために建てられた宮に、主の契約の箱と神の聖なる器具を運び入
れなさい。
」
上記の箇所から分かるように、ダビデはその生涯の間自分を守り、一介
の羊飼いの身から王の座へ引き上げてくれた神に感謝し、神の宮を建設し
たいと願っていたのです。
その宮の建設を最終的に実現したのはダビデの子、ソロモンでしたが、
しかし資材、木材など、多くの準備は父ダビデにより行われました。
ですのでダビデ王朝の大切な点は、神への正しい礼拝を行うこと、神を
正しく敬うこと、そんなところにある、と言えるかもしれません。
そして日本の皇室が、もしダビデの血統を継いでいるなら(そうである
可能性は高いのですが)
、皇室のあり方として大事なこととはこれです。
それは父祖ダビデのように、ダビデ王朝を確立された神を正しく礼拝す
る、その点が大事なことだと思われるのです。
ウィキペディアによると宮中の主な祭儀は、
以下の通りだとのことです。
49
●主な祭儀
1月1日 四方拝
(しほうはい)
、
歳旦祭
(さいたんさい)
1月3日 元始祭
(げんしさい)
1月4日 奏事始
(そうじはじめ)
1月7日 昭和天皇祭
(しょうわてんのうさい)
1月30日 孝明天皇例祭
(こうめいてんのうれいさい)
2月17日 祈年祭
(きねんさい)
春分の日 春季皇霊祭
(しゅんきこうれいさい)
、
春季神殿祭(しゅんきしん
でんさい)
4月3日 神武天皇祭
(じんむてんのうさい)
、
皇霊殿御神楽(こうれいでん
みかぐら)
6月30日 節折
(よおり)
、
大祓
(おおはらい)
7月30日 明治天皇例祭
(めいじてんのうれいさい)
秋分の日 秋季皇霊祭
(しゅうきこうれいさい)
、
秋季神殿祭(しゅうきしん
でんさい)
10月17日 神嘗祭
(かんなめさい)
11月23日 新嘗祭
(にいなめさい)
12月中旬 賢所御神楽
(かしこどころみかぐら)
12月23日 天長祭
(てんちょうさい)
12月25日 大正天皇例祭
(たいしょうてんのうれいさい)
12月31日 節折
(よおり)
、
大祓
(おおはらい)
毎月1、
11、
21日 旬祭
(しゅんさい)
毎日 日供の儀
(にっくにのぎ)
、
毎朝御代拝
(まいちょうごだいはい)
これらを拝見したかぎり、天皇家の主な仕事として礼拝、祭儀が行われ
ていることが分かります。
このことは、そもそもダビデ王朝の祖であるダビデやソロモンが神を礼
50
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
拝することや、宮である神殿を建設することに大いに力を用いたことを思
えば納得がいきます。
ダビデ以来の王家としての重要な役目、神への礼拝が3000年を経た
今でもその子孫である天皇家において、脈々と受け継がれていることを見
ることができるのです。
しかし、と言ってはなんですが、もし天皇家がダビデ王朝の末裔である
のなら、その礼拝に関して少し問題があります。いいえ、失礼を承知で申
し上げるなら、今の礼拝、祭儀には大いに問題があります。
天皇家の祭儀の問題
その問題は何か?と言うと、天皇家はそもそもダビデがかつて礼拝し、
崇めてきた神と違う別の神を拝んでいるらしいということです。
たとえば大嘗祭において、天皇はアマテラスオオミノカミと一晩同衾す
ることになっています。そしてその儀式を通して、アマテラスオオミノカ
ミの霊が天皇に宿る、そういうことのようです。
アマテラスオオミノカミとは、天を照らす神という意味合いですから、
天を照らす太陽の神と理解できます。
しかし聖書の神はアマテラスオオミノカミのように太陽神ではありませ
んし、そもそも天の万象を拝むことは、聖書の中で禁止されています。
以下の通りです。
申命記4: 12ー19
12. 主は火の中から、あなたがたに語られた。あなたがたはことばの声
を聞いたが、御姿は見なかった。御声だけであった。
51
13. 主はご自分の契約をあなたがたに告げて、それを行なうように命じ
られた。十のことばである。主はそれを二枚の石の板に書きしるされた。
14. 主は、そのとき、あなたがたにおきてと定めとを教えるように、私
に命じられた。あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地で、
それらを行なうためであった。
15. あなたがたは十分に気をつけなさい。主がホレブで火の中からあな
たがたに話しかけられた日に、あなたがたは何の姿も見なかったからであ
る。
16. 堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないように
しなさい。男の形も女の形も。
17. 地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も、
18. 地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。
19. また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せら
れてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、
あなたの神、主が全天下の国々の民に分け与えられたものである。
上記の記述のように、神は、
「どんな形の彫像をも造らないようにしな
さい。
」として、偶像、彫像を作ることを神は禁じました。ですから日本
の神社において、何の偶像も置いていないのは、そのためだと考えられま
す。
しかしその礼拝も時と共に変質し、神が禁じられた事柄が礼拝祭儀の中
に入ってきます。
それが上記で禁止されている、「天に目を上げて、日、月、星の天の万
象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさ
い。
」との命令です。
アマテラスオオミノカミはその名前を見ても、また、紀記の「天の岩戸
にお隠れになりあたりが暗くなった」との記述を見ても、明らかに太陽を
52
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
意味する神であり、聖書で禁じられている日を礼拝すること、太陽礼拝に
通じるのです。
そもそも聖書の神は、アマテラスオオミノカミのように女神、女の神で
はありません。ですから天皇家にしても、また、アマテラスオオミノカミ
を祭る神社を拝む庶民にしても、今の私たちは本来、先祖が拝んでいたの
とは別の神を拝んでいるのです。
本来、真の神を拝んでいたこの国の民が、一体いつから天の万象やら太
陽やらを拝むようになったのかは定かではないのですが、じつは天の万象
をイスラエルの民が拝むということは、すでに聖書の時代、正確にはエレ
ミヤの時代にもあったことなのです。
以下の記述の通りです。
エレミヤ書7: 16ー20
16. あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだ
り、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならな
い。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。
17. 彼らがユダの町々や、エルサレムのちまたで何をしているのか、あ
なたは見ていないのか。
18. 子どもたちはたきぎを集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこ
ねて、『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、わたしの怒りを引き
起こすために、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いでいる。
19. 彼らはわたしの怒りを引き起こすのか。♢♢主の御告げ。♢♢自分
たちを怒らせ、自分たちの赤恥をさらすためではないか。」
20. それで、神である主はこう仰せられる。
「見よ。わたしの怒りと憤り
は、この場所と、人間と、家畜と、畑の木と、地の産物とに注がれ、それ
は燃えて、消えることがない。
」
53
ここでは当時の民が主である神を離れ、他の神である天の女王に捧げ物
を捧げている、それゆえ神の怒りが引き起こされる、そのことが書いてあ
ります。聖書の神は真の礼拝を好まれますが、他の神を拝することに怒り
をもって接せられる神なのです。
今の皇室が忠実に祭儀を行い、熱心に祭儀を行っている、このことはた
しかにそうかもしれませんが、なんでもかんでも拝めば良いというもので
はありません。
父祖ダビデを立て、選んで、その恵みを注いだ神とは別の神を拝んでお
いて、神から祝福を受ける、というわけにはいかないのです。
対神(たいかみ)ということだと、あまりピンと来ないかもしれません
が、人間に置き換えたら分かるでしょうか。
いくら愛妻家だ、妻のことを一番に考えているなどと言っても、実際に
愛情を注ぐ相手が他の女性だったら、いくら熱心でも妻からは喜んではも
らえません。逆に奥様を怒らせてしまうのです。
♂
「良子、僕は君を愛している、この家も君のために買ったし。
」
♀
「・・・・・・」
♂
「毎週買い物にも付き合うようにしている。」
♀
「・・・・・・」
♂
「いったい何が不満なんだ、そんな顔をして、良子、聞いているのか、
返事をして
くれ良子!」
♀
「あなた、いいかげんにして!私の名前は和子よ。」
そんなことになってしまうのです。
54
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
奥様の名前を間違えるなんて冗談みたいな話ですが、しかし、これが対
神(たいかみ)のこと、
神を礼拝することに関しては、冗談でもありません。
そもそも皇室の祭儀において何の神に祈るのか、神の名前も定かでない
ように思えます。名前も定かでないなら、まともに神を礼拝しているとは
残念ながら言いがたいです。
アマテラスオオミノカミ(この神はダビデが拝した神とは異なる)
55
自分を神としてはいけない
失礼を承知の上で、いくつものことを申し上げるなら、たしかに歴代の
天皇は父祖ダビデのゆえに祝福を受ける存在ですが、しかし、なんでもし
ていい、なんでも許されるというわけではなく、そこには神の定めた範囲、
権威の範囲があります。
それを超えて、王だからといって高ぶってしまってはいけない、まして
自分を神の位置に置くべきではないのです。
ダビデ王朝の始祖であるダビデもソロモンも、決してそのような間違い
を犯してはいません。
また、聖書の中でも厳に戒められていることです。人を神の位置に置く
こと、それは反キリストに通じます。以下のように、反キリストが自分を
神の位置に置くことが書かれています。
Ⅱテサロニケ人への手紙2: 3, 4
3. だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、
まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の
日は来ないからです。
4. 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その
上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言し
ます。
反キリストは人に過ぎないのに、
自分は神であると宣言します。そして、
その冒涜のゆえに滅びます。ですからどれほど偉い人でも、自分を神の位
置に置くべきではないのです。
56
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
私は長々と何を言っているのかと言うと、戦前の天皇制、自分を現人神
(あらひとがみ)であるとした天皇の問題について語っているのです。
戦前の時代において天皇は神格化され、現人神(あらひとがみ)とされ
ました。
そしてそれゆえ、その天皇を神としない人々は、場合によっては法を犯
す者とさえされました。
そして天皇を神と認めないがゆえに、投獄されたキリスト教の牧師さえ
いました。キリスト教は真の神以外の神を神としないため、その信仰を貫
いた牧師さんは尋問され、投獄されました。
中には獄中で命を落としたクリスチャンさえいます。
なぜ、そんなことを私が知っているのかと言うと、私が若い頃に通って
いたホーリネス系のキリスト教会では、その教会の初代牧師がやはり、そ
のようにして逮捕され、投獄されたからです。
現人神(あらひとがみ)と言っても、もちろんすべてが天皇の責任では
なく、周りの人々の意向、特に天皇を神格化し、思想を統一したい人々の
意向もあったのでしょうが、しかし天皇が何も知らないで、このことが行
われていたわけではないでしょうから、その責任の一端はあると思われる
のです。
神ならぬ人が神の位置に着いたその結果は、ろくでもないことになりま
した。
この国はアメリカとの勝算のない戦いに巻き込まれ、その戦争の結果、
日本は負け、この国は多くの人の命を失いました。
また、その戦争に敗れたゆえ、天皇はその権力の地位を追われ、戦後は
何の実権も無いようなお飾りのような地位に落とされてしまいました。
57
日本を占領したマッカーサー、GHQの下で天皇の地位は低められまし
た。
これらのすべては神から来たのであり、
神はその天皇の越権、現人神(あ
らひとがみ)などとの冒涜的な言い方を容認する歩みに怒りを発し、真の
神は天皇をその神のような地位から落とし、貶めた、そのように理解でき
るのです。
人間宣言後の昭和天皇(人を神の位置に置くことは神に忌み嫌われる)
ダビデは歌を作った
ダビデに関して特筆することが他にあるのなら、彼が歌の人、また、音
楽の人であったことです。
彼は竪琴を弾く者として、初代王サウルのもとに召されました。
以下の通りです。
58
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
Ⅰサムエル記16: 16ー23
16. わが君。どうか御前にはべるこの家来どもに命じて、じょうずに立
琴をひく者を捜させてください。神からの悪い霊があなたに臨むとき、そ
の者が琴をひけば、あなたは良くなられるでしょう。」
17. そこでサウルは家来たちに言った。
「どうか、私のためにじょうずな
ひき手を見つけて、私のところに連れて来てくれ。」
18. すると、若者のひとりが答えて言った。
「おります。私はベツレヘム
人エッサイの息子を見たことがあります。琴がじょうずで勇士であり、戦
士です。ことばには分別があり、体格も良い人です。主がこの人とともに
おられます。
」
19. そこでサウルは使いをエッサイのところに遣わし、
「羊の番をしてい
るあなたの子ダビデを私のところによこしてください。」と言わせた。
20. それでエッサイは、一オメルのパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子や
ぎ一匹を取り、息子ダビデに託して、これをサウルに送った。
21. ダビデはサウルのもとに来て、
彼に仕えた。サウルは彼を非常に愛し、
ダビデはサウルの道具持ちとなった。
22. サウルはエッサイのところに人をやり、
「どうか、ダビデを私に仕え
させてください。私の気に入ったから。
」と言わせた。
23. 神からの悪い霊がサウルに臨むたびに、ダビデは立琴を手に取って、
ひき、サウルは元気を回復して、良くなり、悪い霊は彼から離れた。
上記のように、ダビデは竪琴を巧みに弾く音楽の人でした。その名残が
宮中に雅楽として残っているのだろうと思われます。
また、彼は詩や歌の人でした。聖書の歌を集めた書、詩篇には、彼の作
った多くの歌が記されています。
たとえば、以下の歌です。
59
詩篇122: 1ー9
都上りの歌。ダビデによる
1. 人々が私に、
「さあ、主の家に行こう。
」と言ったとき、私は喜んだ。
2. エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。
3. エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。
4. そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかし
として、主の御名に感謝するために。
5. そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。
6. エルサレムの平和のために祈れ。
「おまえを愛する人々が栄えるように。
7. おまえの城壁のうちには、
平和があるように。おまえの宮殿のうちには、
繁栄があるように。
」
8. 私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平
和があるように。
」
9. 私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。
この歌にはダビデの都上りへの喜び、主なる神の家に行こうとする時の
喜びが溢れています。
このような歌を、いくつも彼は作ったのです。
なお、詩篇はダビデに限らず、イスラエルの多くの人々の歌が集まった
歌集のようなものです。
日本で言えば、万葉集のようなものです。なぜだか日本では万葉集を始
め、古今集、新古今和歌集というように、歌集を編纂する歴史があります。
また、宮中の歌会始めのように、皇室主催で歌を読むことが行われます。
歌会では天皇家のご家族お一人お一人が歌を読み、天皇家と歌を読むこと
は密接なつながりがあるように思えます。そのルーツはどこにあるのでし
ょうか?
万葉集には天皇をはじめ、貴族、庶民に至るまで多くの歌が掲載されて
いますが、このような歌集のはしり、原形は、もし日本がイスラエルの子
60
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
孫であるのなら、それは聖書の詩篇に見ることができます。
もし天皇家のルーツがダビデ王朝にあるのなら、それはダビデ自身が歌
の人だった、そのことに起因するのです。
竪琴を弾くダビデ(ダビデは音楽の人だった)
61
3. ダビデ王朝においては、ダビデ以来
延々と万世一系、
すなわち男系の
系図が保持されてきた
ダビデ王朝においてはその王朝の歴史の間、ずっと王の子が王となる、
ということで万世一系、男系の血統が王として継続してきました。
記載すると、以下の通りです。
ダビデ王→ソロモン王
(ダビデ王の子)
→レハベアム王(ソロモン王の子)→ア
ビヤ王
(レハベアム王の子)
→アサ王
(アビヤ王の子)→ヨシャパテ王(アサ王
の子)
→ヨラム王
(ヨシャパテ王の子)
→アハズヤ王
(ヨラム王の子)(注)→
ヨアシュ王
(アハズヤ王の子)
→アマツヤ王
(ヨアシュ王の子)→ウジヤ王(ア
マツヤ王の子)
→ヨタム王
(ウジヤ王の子)
→アハズ王(ヨタム王の子)→ヒゼ
キヤ王
(アハズ王の子)
→マナセ王
(ヒゼキヤ王の子)→アモン王(マナセ王の
子)
→ヨシヤ王
(アモン王の子)
→エホアハズ王
(ヨシヤ王の子)→エホヤキム
王(ヨシヤ王の子)
→エホヤキン王
(エホヤキム王の子)→ゼデキヤ王(ヨシヤ王
の子)
(注)アハズヤ王ののち、6年間、ダビデ血統以外の女性アタルヤが王となっていた
時期がある。しかし、その後、彼女は殺され、ダビデ王の血統であるヨアシュ王が王
となり、ダビデの血族が王に復帰し、継続された。
62
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
ユダの王朝の系図
全部で21人の王が記されています。これらの王は、皆ダビデの血統な
のです。その血統は南朝、ユダ国の王として継続されたのです。
そして最後のゼデキヤ王の頃、ユダの国は大国バビロンに敗れ、国の王、
貴族を始め、多くの人々はバビロンに捕らえ移されてしまい、ダビデ王朝
は歴史の闇に消えてしまいます。紀元前6世紀頃、今から2600年程前
63
のことです。そして不思議なことに、万世一系の天皇を押し戴く日本の皇
紀、歴史は2600年程なのです。
戦前よく、皇紀は2600年とうたわれていましたので、古い人は知っ
ているかもしれません。
要約するとこういうことです。
1. 神は聖書の中で、ダビデの王家は代々存続し、その子孫が代々王座に
着くことを約束しておられる。
2. しかるにダビデ王朝は、今から2600年程前に歴史の闇に消え、そ
の王族の子孫もどうなったかは不明である。
3. さて、ここ、東の果てに延々と2600年もの歴史を誇る万世一系の
皇族、王族の血筋を誇る民族が存在する。
この民族以外、そのような長い間、万世一系を続けている王族は世界に存
在しない。
4. 結論として、ダビデ王朝はその東の国で継続している可能性が高い。
このようなことを、私は申し上げたいのです。
64
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
ダビデ王朝~天皇家
北のイスラエル王朝の歴史と日本の皇族の歴史
とは、
似ても似つかない
さて、上記南朝ユダ国において、ダビデの家系は一貫として守られてき
たのですが、対して北朝イスラエルの王朝においてはまったく万世一系な
どは守られていません。
他の国の権力闘争と同じように下克上が行われ、2、3代ごとに王家の
血筋は変わり、決して継続などしていないのです。そしてダビデの血筋と
は無縁の家系が、この北イスラエルの王朝を占めています。
ですので神からのダビデに対する約束とはまったく無縁の王朝、それが
北イスラエルの王朝なのです。ですから日本の天皇家、万世一系の天皇家
が北イスラエルの王族の血を引いていると主張することは、じつは非常に
無理のある事実を反映しない主張なのです。
65
しかしなぜだか、日本とイスラエルの関係を主張する研究者はおしなべ
て、日本は北イスラエルの子孫である、失われたイスラエル10部族の子
孫であり、天皇家は北イスラエルの王朝の末裔だ、などと主張します。
まったく無理のある、意図的な、何か裏があるのかと勘ぐられるような
結論です。
このことをこの本では少しずつ書くつもりです。
北イスラエル王朝は、以下のように血統が連続しません。
北イスラエル王朝の系図
66
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
初代、北イスラエルの王ヤロブアムはネバテの子であり、彼からして、
ダビデ家とは無縁であり、血族関係がありません。
2代目の王ナダブは上記ヤロブアムの子です。
しかし3代目のバシャ王はアヒヤの子であり、もう、ここで初代王ヤロ
ブアムの血は断たれています。
4代目の王エラはバシャの子ですが、バシャの血もこの代で断たれま
す。
5代目の王ジムリは戦車隊の長であり、バシャ家の血筋とはまったく無
縁です。
彼により、バシャの血族は皆殺しにされます。
そのジムリの天下も7日間程で別の家系、軍隊の長オムリが6代目の王
座に着きます。
以下、省略しますが、延々とこんな感じです。これらを見ても分かるよ
うに、北イスラエルの王朝の歴史は典型的な下克上の歴史であり、家来が
王を殺してその王座に着くということが頻繁に行われ、一つの王家が長い
間、王座を占めるという歴史ではないのです。
また、南朝ユダ国の王朝の歴史のように、神のダビデへの約束、恩恵が
延々とその子孫に続くという歴史でもないのです。
むしろその王の悪い歩みのために王の一族が殺され、根絶やしにされる、
ということが頻繁に起きる歴史なのです。以下を見て下さい。
Ⅰ列王記16: 1ー13
1. そのとき、
ハナニの子エフーにバシャに対する次のような主のことばが
あった。
2.「わたしはあなたをちりから引き上げ、
わたしの民イスラエルの君主とし
たが、
あなたはヤロブアムの道に歩み、
わたしの民イスラエルに罪を犯させ、
その罪によってわたしの怒りを引き起こした。
3. それで今、
わたしはバシャとその家族とを除き去り、あなたの家をネバ
67
テの子ヤロブアムの家のようにする。
4. バシャに属する者で、
町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空
の鳥がこれを食らう。
」
5. バシャのその他の業績、
彼の行なった事、
およびその功績、それはイスラ
エルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
6. バシャは彼の先祖たちとともに眠り、
ティルツァに葬られた。彼の子エ
ラが代わって王となった。
7. 主のことばはまた、
ハナニの子、
預言者エフーを通して、バシャとその家
とに向けられた。
それは、
彼が主の目の前にあらゆる悪を行ない、その手の
わざによって主の怒りを引き起こし、
ヤロブアムの家のようになり、また、
彼がヤロブアムを打ち殺したからである。
8. ユダの王アサの第二十六年に、
バシャの子エラがティルツァで、イスラエ
ルの王となった。
治世は二年である。
9. 彼がティルツァにいて、
ティルツァの王の家のつかさアルツァの家で酒
を飲んで酔っていたとき、
彼の家来で、
戦車隊の半分の長であるジムリが彼
に謀反を企てた。
10. ユダの王アサの第二十七年に、
ジムリははいって来て、彼を打ち殺し、
彼に代わって王となった。
11. 彼が王となり、
王座に着くとすぐ、
彼はバシャの全家を打ち、小わっぱ
から、
親類、
友人に至るまで、
ひとりも残さなかった。
12. こうして、
ジムリはバシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーに
よってバシャに言われた主のことばのとおりであった。
13. これは、
バシャのすべての罪と、
その子エラの罪のためであって、彼ら
が罪を犯し、
また、
彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々に
よって、
イスラエルの神、
主の怒りを引き起こしたためである。
上記箇所には、北イスラエルの王バシャの全家が、その神への罪のため
に根絶やしにされ、誰一人生き残らなかったことが書いてあります。
68
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
この北のイスラエル国の王族が神の怒りを買う王族であり、決して模範
的な王族でも、同じ血統が継続する王族でもないことが分かるのです。
はっきり言って、日本の皇室の歴史とはまったく違います。
ですからこのような北イスラエル、失われたイスラエル10族の王朝を
持ち出して、日本の皇族はこの北イスラエルの王朝の末裔だ、などと真顔
で言う人は、これらの聖書の記述にまったく無知な、ものを知らない人々
か、はたまた意図を持って人々を惑わし、別の結論に持っていこうとする
人々か、そのどちらかであると、そのように私には思えるのです。
繰り返しますが、イスラエルの南北2つの王朝を見比べ、どちらが日本
の王朝、天皇家の特徴と似ているのかということを考えるなら、ダビデ以
来の万世一系が固守された南朝ユダの歴史こそ、日本の天皇家の歴史とよ
く似ている、と答えるのがまったく妥当な結論なのです。
69
北イスラエル王バシャ(北イスラエルの王朝は万世一系ではない)
4. ユダ国のバビロン捕囚により、
21代続いたダビデ王朝は失われ、
歴史の闇へと消えてしまった、
それは、2600年程前のことである
さて、このように神に愛され、神からの恵みにより、長い間継続したユ
ダ国のダビデ王朝ですが、しかし、その反逆のゆえに、バビロンに捕らえ
移される日がきました。それは以下のように、ゼデキヤ王の時です。
70
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
Ⅱ歴代誌36: 11ー20
11. ゼデキヤは二十一歳で王となり、
エルサレムで十一年間、王であった。
12. 彼はその神、
主の目の前に悪を行ない、
主のことばを告げた預言者エ
レミヤの前にへりくだらなかった。
13. 彼はまた、
ネブカデネザルが、
彼に、
神にかけて誓わせたにもかかわら
ず、
この王に反逆した。
このように、
彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざ
して、
イスラエルの神、
主に立ち返らなかった。
14. そのうえ、
祭司長全員と民も、
異邦の民の、
忌みきらうべきすべてのな
らわしをまねて、
不信に不信を重ね、
主がエルサレムで聖別された主の宮を
汚した。
15. 彼らの父祖の神、
主は、
彼らのもとに、
使者たちを遣わし、早くからし
きりに使いを遣わされた。
それは、
ご自分の民と、
ご自分の御住まいをあわ
れまれたからである。
16. ところが、
彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、
その預言者たちをばかにしたので、
ついに、
主の激しい憤りが、その民に対
して積み重ねられ、
もはや、
いやされることがないまでになった。
17. そこで、
主は、
彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣
で、
彼らのうちの若い男たちを、
その聖所の家の中で殺した。若い男も若い
女も、
年寄りも老衰の者も容赦しなかった。
主は、
すべての者を彼の手に渡
された。
18. 彼は、
神の宮のすべての大小の器具、
主の宮の財宝と、王とそのつかさ
たちの財宝、
これらすべてをバビロンへ持ち去った。
19. 彼らは神の宮を焼き、
エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を
全部火で燃やし、
その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。
20. 彼は、
剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕え移した。こうして、
彼らは、
ペルシヤ王国が支配権を握るまで、
彼とその子たちの奴隷となっ
た。
71
なぜ、栄光あるダビデの国、ユダは敵国に敗れ、その王も貴族も民も、
敵国バビロンに連れ去られるような屈辱を受けたのか?
その理由に関して、聖書は上記のように、「ところが、彼らは神の使者
たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにした
ので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、
いやされることがないまでになった。そこで、主は、彼らのもとにカルデ
ヤ人の王を攻め上らせた。
」と、語っています。
ですからその理由とは、このユダの民も王も、神のことばを侮り、その
神の代弁者である預言者を馬鹿にしたからです。
この災いは、神から来たのです。
それで、もしこの日本がこの聖書の民、ユダの子孫であり、日本の天皇
家がダビデ王朝の末裔ならば、その祝福も呪いも神から来ることを知るべ
きであると思います。
さて、このようにバビロンに捕らえられ、その国に捕囚の民として70
年の間捕らえられていたユダの民ですが、聖書のエズラ記、ネヘミヤ記を
見るかぎり、その一部はその後、ユダの国へ再度帰還したようです。
しかし、すべての民が帰還したわけではなく、王族を始めとした多くの
ユダの民は帰還しませんでした。
その民はどこへ消えてしまったのか?
もし、神がダビデに約束したダビデ王朝が、代々継続するとの約束が本
当なら、この世界のどこかにユダ族の子孫が残っており、また、ダビデの
王朝が継続しているはずなのです。
そして客観的に考えても、世界広し、と言えど、どこの国にも3000
年も前のダビデ以来、延々と続く王朝など存在せず、あのダビデへの神の
72
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
約束は反古になったか?と思えたのですが、
しかし奇跡的にこの極東の島、
日本に長い万世一系を誇る王室が存在しているのです。
これらの2つの王族を結び付けて考えることは、荒唐無稽(こうとうむ
けい)でも、強引な結論でもなく、まったく客観的な、妥当な考え方なの
です。
天皇家(ダビデ以来の王朝は日本の天皇家で続いている)
73
5. ダビデ王朝に関して神は約束を与え、
そのダビデの血筋が決して絶えないこと、
ダビデの家に、王となる子が絶えないことを
聖書の中で堅く約束している
さて、何度も繰り返すようですが、ダビデ王朝の特殊性、また、その繁
栄は聖書的に言えば、どこまでいっても神がダビデに対して決して変わら
ない約束を与えられた、そのことに尽きます。
神はダビデの子孫が王族に着くことに関して、以下のように何度も約束
されています。
Ⅰ列王記11: 36
36. 彼の子には一つの部族を与える。
それはわたしの名を置くために選ん
だ町、
エルサレムで、
わたしのしもべダビデがわたしの前にいつも一つのと
もしびを保つためである。
Ⅱ列王記8: 19
19. 主は、
そのしもべダビデに免じて、
ユダを滅ぼすことを望まれなかっ
た。
主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、彼に約束さ
れたからである。
Ⅱ歴代誌7: 17, 18
17. あなたが、
あなたの父ダビデが歩んだように、わたしの前に歩み、わた
しがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定め
とを守るなら、
18. わたしが、
あなたの父ダビデに、
『あなたには、イスラエルを支配する者
となる人が絶えることはない。
』
と言って契約を結んだ通り、あなたの王座
74
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
を確立しよう。
Ⅱ歴代誌21: 7
7. 主は、
ダビデと結ばれた契約のゆえに、
ダビデの家を滅ぼすことを望ま
れなかった。
主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約
束されたからである。
詩篇132: 11, 12
11. 主はダビデに誓われた。
それは、
主が取り消すことのない真理である。
「あなたの身から出る子をあなたの位に着かせよう。
12. もし、
あなたの子らが、
わたしの契約と、
わたしの教えるさとしを守る
なら、
彼らの子らもまた、
とこしえにあなたの位に着くであろう。」
エレミヤ書33: 17ー21
17. まことに主はこう仰せられる。
「ダビデには、イスラエルの家の王座に
着く人が絶えることはない。
18. またレビ人の祭司たちにも、わたしの前で全焼のいけにえをささげ、穀
物のささげ物を焼き、いつもいけにえをささげる人が絶えることはない。」
19. エレミヤに次のような主のことばがあった。
20.
「主はこう仰せられる。
もし、
あなたがたが、
昼と結んだわたしの契約
と、
夜と結んだわたしの契約とを破ることができ、昼と夜とが定まった時に
来ないようにすることが出来るなら、
21. わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、彼には、その
王座に着く子がいなくなり、
わたしに仕えるレビ人の祭司たちとのわたし
の契約も破られよう。
上記のエレミヤ書の箇所では、昼と夜の契約、すなわち太陽が上れば
昼となり、太陽が沈むと夜となる、という不変の法則となぞらえて、ダビ
75
デと神との約束、すなわち、
「彼(ダビデ)には、彼の後胤が王座に着き、
その王座に着く子がいなくなることはない」
、ことが約束されています。
ですのでこのこと、ダビデの王座が継続し、万世一系がダビデ以来
3000年もの間継続しているか否かを論じることはかなり、いや、大分、
重大な事柄なのです。
神様が、「昼と夜とが定まった時に来ないようにすることが出来るなら、
わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ」と語り、昼のあと
に夜が来るという絶対不変の法則を変えることができないかぎり、神がダ
ビデと結んだ契約を破ることはできない、と絶対的な約束をしておられる
ので、このことは少なくとも、聖書の世界においては非常に重大な事柄な
のです。
分かりやすく言うと、神がダビデと結んだ約束は反古にされ、もうダビ
デの子孫は今の時代には存在せず、また、彼の子孫は王座に着いてはいな
い、と主張することは、
「神は無能であり、あのように固くダビデと結ん
だ約束を反古にしてしまい、自分のことばを守ることのできない嘘つきで
ある」と、そう語るのに等しいのです。
牧師である私、神のことばに仕えることを職務にする私はどういう立場
に立つかと言うと、当たり前のことですが、神は嘘つきである、という立
場にはつきません。
と、 言 う よ り、 何 度 も 繰 り 返 し て 語 っ て い る よ う に、 神 の 約 束 は
3000年もの間、破られず、この極東の国において3000年前の約束
通り、今もダビデの子孫はこの国で王、天皇として崇められている、そう
考えることが妥当だと思っているのです。
ですので再度繰り返すようですが、日本の天皇家が北イスラエル王朝の
末裔である、すなわち王家がまったく継続しない王朝の末裔であり、日本
76
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
はイスラエル10部族の子孫である、などと主張する人々は、特に神のこ
とばを預かっているはずの牧師でありながら、そう主張する人々は単なる
学問的見解を述べるというより、じつは神はダビデとの約束を守らない、
守れない嘘つきで無能である、そう主張しているのに等しいことを悟るべ
きです。
少なくとも、私はそのような立場には立ちません。
6. 2600年もの長い間、万世一系を
継続している王朝など世界のどこにも
存在しない、イギリスにもモナコにも
タイにも中国にも
万世一系、すなわち同じ血統の一族が代々王の座に着く、ということが、
それほど重大なこと、難しいことなのでしょうか?このことを考えてみま
しょう。
まず、日本の王室より長い歴史を持つ王室は世界に存在しているのか?
そのことを考えてみましょう。
以下のウィキペディアの記事を見てください。
ウィキペディア
「王室」
の項「2012年現在、
:
同君連合による重複を除き、世界の独立国家
には27の王室が存在している。
現存する王室でもっとも長い歴史を持つ
のは少なくとも6世紀以前までさかのぼる日本の皇室であり、これに次ぐ
のは10世紀までさかのぼるとされているデンマークの王室である。」
77
答えはあっさり、
「ない」ということになります。
世界にはイギリス王室、スウェーデン王室、モナコ王室など、多くの王
室が存在しますが、いざ、先程の視点、
「3000年前のダビデ以来の王
朝が、万世一系として続いている可能性のある王朝」という視点に立って
考えるなら、日本の王朝天皇家以外は存在しないのです。
もちろん、今のイスラエル国にもありません。
ですのであとで説明しますが、彼らイスラエルに住むユダヤ人が、本当
にかつてのユダ国の子孫なのかどうかに関しては疑問があります。なぜな
ら本当に彼らがユダの子孫なら、ダビデ以来の王朝を持っているはずだか
らです。
ウィキペディアによれば、日本の次に長いのが10世紀、すなわち今か
ら1000年程前に成立したデンマーク王朝だとのことです。
1000年の間、王朝が続いていることは、普通に考えれば短くはない
歴史ですが、しかし、いざ先程の視点、3000年前のダビデ王朝の末裔
という観点から考えるならまったく不適当であり、該当しません。
すると話は最初に戻り、やはり世界広し、と言えど、また、世界の歴史
を血眼になって探してみても、3000年前のダビデの血統を受け継いで
いる可能性のある王朝は日本の天皇家以外に無いのです。
私は日本人ですが、しかし、ひいき目とか身びいきとかそのような考え
を差し引き、客観的に考えてみても、誰が見ても同じような結論に至ると
思います。
随分長く書いてきたようですが、結論として日本の天皇家は、その時
間的な面(ダビデ王朝が消失した2600年程前に成立している)、また、
神の言われる王の子が王座に着くという原則(万世一系)の面から見ても、
世界で唯一ダビデ王朝の末裔である資格を満たした王朝だということが言
えます。
78
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
あとはこれらの面のみにこだわらず、それ以外の面、両者の言語とか風
習とかの類似を見ていきたいと思います。それらの面でも一致するなら、
日本の天皇家こそダビデ王朝の末裔である、という考えは、単なる妄想と
か思い込み、錯覚ではなく、じつは大いに意味のある推論、また、この日
本の獏として知り得ないルーツに関して、はっきりとした光を与える考え
となるかもしれないからです。
天皇家の住まわれる皇居 : 日本の皇室は、世界で一番長い歴史を誇る、万世一系の皇室
である
79
7. ただ、一つ例外があり、この日本の国の
天皇家こそ、世界でただ一つ、2600年の
歴史を誇る万世一系の王族である
不思議なものですが日本にいると、
皇室が存在するのは当たり前であり、
また、万世一系なんて聞いても、ただ長いだけじゃないか、古いというだ
けじゃないか、なんて思ってしまって、特に深い意味合いを自覚しないも
のです。
逆に、戦前への反動か、万世一系の天皇などと唱えると、右翼か危ない
人みたいに思えるかも知れませんが、しかし他国と比較して、この問題を
とらえてみた場合、他の国にはこのような王室が存在しない以上、このこ
とは大いに特筆されるべきことなのでしょう。
8. 日本は失われた北朝イスラエル
10部族ではない
日本とイスラエルの不思議な関係に関して言及した本は多くあります。
それらの本で必要なことは、みな書かれているようですが、私から言わ
せると、そうではありません。逆に間違えた認識があります。
それは先程から書いているように、日本は明らかにダビデ王朝の正統な
血統をいただく南朝ユダ国の末裔と思われるのに、多くの本では、しきり
に日本は北朝イスラエルの失われた10部族の末裔である、と語られてい
ることです。
80
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
それでこの本ではこの点に集中し、日本がいかにユダ国ならではの特徴
を持っているか、ということに関して見ていきたいと思うのです。
いわゆる一般的に言われる日ユ同祖論やら、日本とイスラエルの類似を
述べた本はすでにいくつかありますので、それらのポイントには力点は置
かず、むしろ南朝ユダとこの日本との類似点を集中的に見ていきたいと願
っているのです。
9. 北朝イスラエル国と南朝ユダ国の違い
北朝のイスラエル国と南朝ユダ国とは、もとは同じ先祖イスラエルに属
する12人の兄弟部族に属していたわけですから、基本的には類似点が多
いのです。
しかし先程書いたように、いざ天皇家のルーツを考えるなら、そのルー
ツを北朝イスラエルとするか、南朝ユダとするかで、それこそ天地の違い
があります。
それでこの本では北のイスラエル国と南のユダ国との違いを確認し、ユ
ダ国ならではの特徴を見付け出し、それらの特徴が日本に存在する、しな
い、ということを見ていきたいと思います。
そのようなわけで、この2国の区分に注意を払いたいと思うのです。
10. 北のイスラエル王朝とユダ王朝の違い :
北のイスラエルは万世一系ではない
北のイスラエル国と南のユダ国とは同じ兄弟の国なので、基本的に大き
81
な違いはないのですが、しかし、ひとつ大きな差異があり、そのもっとも
大きな差異は、王朝の継承の特異性にあります。
繰り返しになりますが、イスラエルの歴史を知っている、分かっている、
と言い、色々と述べる人々が、このもっとも大きな日本とユダ国の類似点、
すなわち天皇家こそ、ダビデ王朝の血筋を継ぐ可能性のもっとも高い王朝
であることを述べないのは、まったくの片落ちです。
思いついたところを言えば、あと違うのは、北イスラエルの国の首都は
サマリヤ、ユダの首都はエルサレムである、そんなところでしょうか。
北朝イスラエルの子孫は、
中国を始めとしたアジ
アに存在している可能性が高い
(中国の漢字と、
聖書との類似性)
北朝イスラエルもその歴史において、強国アッシリヤに捕囚されます。
紀元前8世紀頃のことです。ユダより先に捕囚されているのです。そして
その捕囚された彼らがどこへ消えてしまったのかは、獏として今でも知り
えません。歴史のミステリーなのです。
しかし、もし日本が南朝ユダ族の子孫であるなら、日本と同じくアジア
の国々に北朝イスラエル10部族の子孫が散らばっている可能性がありま
す。これらの国は、もとは同じ兄弟国家なので、近い地域に住んでいる可
能性はあるのです。
たとえば中国の王朝などは歴代、いくつもの王朝が建てられたり、倒さ
れたりしています。そういう意味では、先程見た北イスラエルの歴史にそ
っくりです。また、中国由来の漢字には、聖書の創世記由来かと思われる
意味が含まれています。このように、この国にはイスラエルの影響が色濃
くあるのです。
82
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
あとでさらに見ていきますが、それらのアジアの国の中で、この日本に
だけは多くのユダ国ならではの特徴が残ります。それで私はよく言われて
いる思い込み、日本は何が何でも北イスラエル10部族の末裔という思い
込みや固定観念を捨てて、客観的にこのことを再検証したいと願っている
のです。
秦の始皇帝 : 中国の王朝は、北イスラエルの王朝と同じく、万世一系ではない
83
11. ユダとイスラエルの違い
聖書に記されたユダ族の特徴を見ていきたいと思います。
イスラエルの特徴ではなく、南朝であるユダ部族の特徴を見ていきたい
と思っているのです。
繰り返して言うようですが、日本の歴史、そしてダビデ王朝と日本の王
朝である天皇家との歴史の類似を考える時、イスラエルとユダとの区分を
はっきりと付けることは大事です。
繰り返すようですが、聖書によればイスラエルという国の起源は、イス
ラエル(改名前はヤコブ)という名前の一人の人物から始まった国なので
す。
そういうわけで、もとは一つの国だったのです。そのイスラエルには全
部で12人の息子がいたので、この国は細かく言うと、12部族に分かれ
ていました。それはちょうど、日本という一つの国が47都道府県に分か
れているようなものです。
さて、一つの国だったイスラエルという国が、二つに分裂する時がきま
した。南北の二つの国に分かれた朝鮮半島のように分裂してしまったので
す。
北の地域に住む10部族は集まり、イスラエルという国の名前をそのま
ま継続して使います。そして、南の2部族はユダという国の名前を使いま
す。
日本とイスラエルの関係を語る人、本は多いのですが、ほとんどの本の
主張はここで言う、日本と北イスラエルの国(10部族)の類似性を語っ
84
1章 天皇家はダビデ王朝の末裔である
ているのです。
しかしこの本の主張はどこまでも、日本と南のユダ国との類似性を語る
ものです。
それで私たちは少し細かい話、イスラエル12部族の中の、特にユダ族
の特徴に注目し、そのユダ族と日本、また、日本の天皇家との類似性を見
ていきたいと思っているのです。
今まで日本でこのテーマで書かれた多くの本は、この大事なポイントに
ついてはあまり、もしくはほとんど触れていないようです。
北イスラエルのバアル崇拝(神の怒りを買ったイスラエル北10部族は日本とは無関係)
85
2章
聖書に記された
ユダ族の特徴
87
聖書に記されたユダ族ならではの特徴を見ていきましょう。
以下の記述を見ていきましょう。
創世記49: 8ー12
8. ユダよ。
兄弟たちはあなたをたたえ、
あなたの手は敵のうなじの上にあり、
あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。
9. ユダは獅子の子。
わが子よ。
あなたは獲物によって成長する。雄獅子のよう
に、
また雌獅子のように、
彼はうずくまり、
身を伏せる。だれがこれを起こすこ
とができようか。
10. 王権はユダを離れず、
統治者の杖はその足の間を離れることはない。つ
いにはシロが来て、
国々の民は彼に従う。
11. 彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、
その雌ろばの子を、良いぶどうの
木につなぐ。
彼はその着物を、
ぶどう酒で洗い、
その衣をぶどうの血で洗う。
12. その目はぶどう酒によって曇り、
その歯は乳によって白い。
この記述は何かと言えば、先程書いたイスラエルの国の始祖、イスラエル
(元の名前ヤコブ)の語った最後のことばの一部です。
彼は亡くなる前に自分の12人の息子たちに関して、それぞれ預言的なこ
とばを与えました。その中のユダに関することばが、上記のことばです。
これらのことばはユダ、特に終末の日のユダの国に関する預言、未来を語
るものとなっています。
それは、これらのことばの冒頭に語ったイスラエルのことばの通りです。
創世記49: 1
1. ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。
「集まりなさい。私は終わりの日
に、
あなたがたに起こることを告げよう。
」
ここに書かれたことは、つまり終わりの日である現代に起きるユダに関す
88
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
る預言であり、もし日本が本当にユダの末裔なら、終わりの時である現在
のこの国に成就する預言なのです。
このことを前提に、これらのことばを順に見ていきましょう。
イスラエル12部族の長、イスラエル(ヤコブ)
89
1. 聖書に記されたユダ族の特徴①
「ユダ、日本はアジアの兄弟民族の中で
卓越した存在となる」
“ユダよ。
兄弟たちはあなたをたたえ、
あなたの手は敵のうなじの上にあり、
あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。
”
ここでは、
ユダがその兄弟である他の部族からたたえられる存在である、
伏し拝まれる存在となることが書かれています。
このことは日本において、たしかに成就しています。
もし日本がユダ族であるなら、ユダ族とは12ある部族の一つなので、
他の部族の子孫も日本の近辺のアジアの国々に住んでいる可能性がありま
す。
そしてその視点で考えるなら、たしかにそのような可能性があるように
思えます。
アジアの日本近辺の国々に住む人々は、日本人とその身体的特徴が良く
似ています。たとえば韓国や台湾の人々は日本人と良く似ていて、日本に
住んでいても、
「韓国人」だ、
「台湾人」だと言われなければ、なかなか区
別がつかないことがあります。
見た目だけでは日本人と、そうは区分がつかないのです。
このことは、もしこれらの国々が、もとはイスラエル12部族の一つで
あると考えれば何となく合点がいきます。
イスラエル12部族の一つということは、もとは同じ一人の人、イスラ
90
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
エルから生まれた兄弟民族なので、そもそも体も顔も似ていて当然なので
す。
じつは韓国や中国などのアジアの国々にはイスラエルの12部族の末裔
では?と思われる可能性が大いにあります。旧約聖書のイスラエルの国と
似ている特徴がいくつもあるのです。しかし話が飛んでしまいますので、
この件は別の機会に話をしたいと思います。
さて、そのように仮定して、韓国、台湾、中国などのアジアの国々にイ
スラエル12部族の末裔が住んでいると仮定して、改めてそれらの国々と
この日本とを比べてみましょう。
日本がユダの末裔であるとして上記のことば、
「ユダよ。兄弟たちはあ
なたをたたえ、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。」とのことばは、
この国において成就していないでしょうか?
このことばはイスラエルの12人の息子、12の部族の中でユダ部族こ
そ卓越した部族となり、他の兄弟にたたえられたり、伏し拝まれるような
存在になるとの預言なのです。
日本の歴史を考えるなら、このことは成就しており、日本はアジアの多
くの国々の中で、まさに卓越した存在、他の国から伏し拝まれるような存
在となっています。
日本が電機、自動車等、多くの産業において、アジアで卓越した先進国
であることは、誰も疑う余地の無いことと思えます。
今でこそ、韓国、中国などのアジアの国々の産業も大いに発展していま
すが、それらの国々の多くの産業の基礎は、はっきり言って、日本からの
91
技術援助、技術供与によりもたらされたものです。
日本が長い鎖国を経てアジアに登場する頃、アジアの国々は、みなヨー
ロッパの国々の植民地でした。産業革命を経たヨーロッパの文明にアジア
は対抗できず、彼らの技術には対抗できなかったのです。
400年もの長い間、イギリスの植民地に甘んじていたインドを始め、
多くのアジアの国々は、白人には勝てないと思い込んでいたのです。
しかしその後、日本が世界の表舞台に登場します。
日本は白人にしか理解できない、操れないと思われていた科学技術を取
得し、自動車、家電と、あらゆる産業で白人国家のお株を奪う発展をしま
す。その後、日本に追随してアジアの国々は発展を遂げました。
アジアの多くの国の産業の発展は、日本の成功におうところが大いにあ
るのです。
日本こそがアジアで卓越した技術を得て、先駆的な発展を遂げた国であ
り、「ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、
・・・あなたの父の子らはあな
たを伏し拝む。
」とのことばは、たしかにこの国において成就しています。
92
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
輸出される日本の自動車 : 明治維新以来の日本の産業進歩は、アジアにおいて卓越した
ものであった
2. 聖書に記されたユダ族の特徴②
「ユダ、
日本は軍事強国となる」
さて、ユダのもう一つの特徴、それは聖書によれば、軍事強国であるこ
とです。前述の箇所には、以下のように書かれています。
「ユダは獅子の子。
わが子よ。
あなたは獲物によって成長する。」
ユダは動物で言えば、獅子であることが書かれているのです。
獅子、ライオンの特徴は百獣の王と言われるように戦いをし、戦いに勝
93
つ動物です。
他の箇所では、
「あなたの手は敵のうなじの上にあり」と、やはり敵と
の戦いにユダが勝つことが語られています。
この視点で日本を見るなら、日本の歴史の特徴は小さな島国に過ぎない
のに、大国との戦いにもおじけず勇敢に戦うこと、そして大国に打ち勝つ
ことの歴史であったことに気づきます。
古くは鎌倉時代の元冦です。当時の世界一の大国、元からの降伏命令を
受けた時の執権、北条時宗は元の使者を切り捨て、獅子の国の心意気を表
します。怒った元は二度に渡って海路日本を攻撃しますが、日本の武士の
反撃、また、神風、台風に会い、敗北、撤退します。
小国日本が、大国元に打ち勝ったのです。
また、明治に入り、世界の表舞台に飛び出した日本は、また、獅子の本
領を発揮し、日清、日露の戦争に勝利します。
このような小国なのに、大国である清(中国)、さらにロシアをも打ち
破って勝利したのです。
獅子の国の面目躍如(めんもくやくじょ)です。
さらに時は下って昭和になり、日本は大東亜戦争を始めます。ヨーロッ
パの白人の植民地とさせられていたアジアの国々の解放を求め、戦争を起
こしたのです。
結果、この戦争を契機としてアジアの多くの植民地とされていた国々は
独立を果たします。日本の戦争の目的は達せられました。アジアにおける
ヨーロッパの白人支配は一掃されたのです。しかしこの戦争時、日本はア
メリカとの熾烈な4年に及ぶ戦争を行い、結果、敗北を喫します。
勝ち負けだけを気にするなら、たしかに日本はこの戦争で負けたのです
94
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
が、相手が恐竜のような戦争大国アメリカであることを思う時、その獅子
奮迅の戦いと勇気は賞賛される面もあると思われます。
と言うのは、今の世界において、この戦争大国アメリカと面と向かって
戦いを仕掛けるような国は、世界にどこにも存在しないからです。
アメリカは対ベトナム、対アフガン、対イラクの戦争において、自国の
被害など一切受けることなく、一方的な勝利を得、相手国を粉砕した恐竜
のような世界一の戦争大国です。相手が違うのです。
たしかに日本はこの国を相手に戦い、負けたのですが、しかし、ただ、
負けたのではなく、この大国アメリカの心胆を寒からしめるような戦いを
行い、がっぷりと四つに組み、4年もの長きに渡って戦いを行ったのです。
アメリカの多くの軍艦を沈め、飛行機を打ち落とし、兵隊をほふり、アメ
リカに恐れを抱かせたのです。
この戦争は、どこの国も成し得ない勇気ある戦いを行ったという意味合
いで、獅子の国の面目躍如(めんもくやくじょ)たる戦いだったのです。
アメリカは卑劣にも、日本をABCD包囲網で孤立させ、脅かしを行いま
したが、日本は怯むことなく、この大国に戦いを挑みました。獅子の血が
騒ぎ、大国だからといって恐れをなさなかったのです。
たしかに獅子の血が、この国に流れていることが分かります。
95
大国ロシアを破った日露戦争
3. 聖書に記されたユダ族の特徴③
「ユダ、日本は相手のお株を奪い、成長する」
「ユダは獅子の子。
わが子よ。
あなたは獲物によって成長する。
」
この箇所には日本が獅子の国であり、相手の獲物により成長することが
書かれています。
獅子は草食系というより肉食系の動物であり、その獲物を獲得すること
96
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
により食料を得ます。そしてその獲物により、小さな獅子は大きな獅子へ
と成長するのです。
日本を見る時、その成長の原則もこのことば通り、獲物により成長する
国であることが分かります。
長い間、鎖国していた日本を開国させたのはアメリカのペリーです。
彼は4隻の黒船で日本を威嚇し、日本に強制的に開国を迫りました。
そのようにして、未開の野蛮国日本に対して開国を迫った文明国アメリ
カなのですが、それから百数十年を経た今、立場は逆転しています。
かつての未開国、非文明国の日本は大きく様変わりをし、世界有数の近
代国家となっています。家電、自動車、ITと世界のトップを走っていま
す。どうしてそうなったのか?その理由は、日本がアメリカのお株を奪っ
たからです。家電、自動車、コンピューター、あらゆる分野で日本はアメ
リカの産業のシェアを奪いました。その結果、
アメリカの自動車産業の町、
デトロイトは日本車のアメリカ攻勢により死の町と化しています。
「あな
たは獲物によって成長する。
」とのユダへの預言も、この国日本において
成就しているのです。
97
自動車産業が崩壊したデトロイト : 日本はアメリカ自動車産業のお株を奪った
4. 聖書に記されたユダ族の特徴④
「ユダ、日本にダビデ王朝は存続する」
さらに、また、以下のようにダビデの王権がユダを離れないことが語ら
れています。
「王権はユダを離れず、
統治者の杖はその足の間を離れることはない。」
以前から繰り返して語っているように、このこと、王権が常にユダ国に
あり、共にダビデ王朝が存続することは、ユダのユダたる大きな特徴なの
です。
98
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
そしてそれは、また、日本の特徴でもあります。日本のアイデンティテ
ィー、ずっと変わらない日本独自の特徴とは、ころころ変わる日本の首相
ではありません。
そうではなく、それは日本ならではの王族、日本の天皇家なのです。
そしてその王権、ダビデ以来の王権こそがユダの特徴であることが、こ
の箇所でも語られています。
悠仁親王様 : 万世一系の王権はユダを離れない
99
5. 聖書に記されたユダ族の特徴⑤
「ユダ、
日本の首都はエルサレム
(平安の都)
である」
さて、ユダ国の首都はどこかと言うと、それはエルサレムです。
エルサレムはイスラエル、ユダの歴史の中で登場し、聖書の中で度々登
場する都です。以下のダビデの歌も、有名なエルサレムを歌った歌です。
詩篇122: 1ー9
都上りの歌。
ダビデによる
1. 人々が私に、
「さあ、
主の家に行こう。
」
と言ったとき、私は喜んだ。
2. エルサレムよ。
私たちの足は、
おまえの門のうちに立っている。
3. エルサレム、
それは、
よくまとめられた町として建てられている。
4. そこに、
多くの部族、
主の部族が、
上って来る。
イスラエルのあかしとし
て、
主の御名に感謝するために。
5. そこには、
さばきの座、
ダビデの家の王座があったからだ。
6. エルサレムの平和のために祈れ。
「おまえを愛する人々が栄えるように。
7. おまえの城壁のうちには、
平和があるように。
おまえの宮殿のうちには、
繁栄があるように。
」
8. 私の兄弟、
私の友人のために、
さあ、
私は言おう。「おまえのうちに平和
があるように。
」
9. 私たちの神、
主の家のために、
私は、
おまえの繁栄を求めよう。
日本の首都は、今は東京ですが、それはここしばらく、ほんの百数十年
の間のことであり、それまでは長い間、首都は京都でした。
そして、京都とエルサレムには類似点があります。
エルサレムということばの意味合いは「平安の都」という意味ですが、
100
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
それは京都の都の名前、平安京に通じます。
ユダ、日本とも、その首都の名前が同じなのです。
ここにもユダと日本との偶然を超えた不思議な一致があります。
さらに日本の都の中には、明日香京という名前の都がありますが、その
「アスカ」ということばは韓国語で「平安」という意味だと聞いたことが
あります。ここにも平安(エルサレム)との一致があるのです。
さらに都の構造に関する一致もあります。エルサレムには、以下のこと
ばのように12の門がありました。
ヨハネの黙示録21: 10ー12
10. そして、
御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖
なる都エルサレムが神のみもとを出て、
天から下って来るのを見せた。
11. 都には神の栄光があった。
その輝きは高価な宝石に似ており、透き
通った碧玉のようであった。
12. 都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の
御使いがおり、
イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。
そして日本の都、平城京や長岡京にも同じく12の門があったことが伝
えられています。門の数一つをとっても、
偶然を超えた一致があるのです。
さらに、もう一つ、先程の詩篇の歌に「そこには、さばきの座、ダビデ
の家の王座があったからだ。
」とのことばの通り、エルサレムの都には王
家があり、王座がありました。日本も同じであり、代々天皇が京に住み、
治めていたのです。
王が首都である都に住み、治める、ここにも一致があるのです。
ちなみに北朝イスラエルの国の首都は、サマリヤと言います。
101
日本の多くの学者、
「日本のルーツは北イスラエル10部族」であると
論ずる人々が言うように、もし日本が本当にイスラエル北朝の末裔なら、
この国のどこかにその首都、サマリヤの名前の名残があってもよさそうな
ものです。しかるに日本のどこにもそんな地名も名前もありません。逆に
上記のように、日本の昔からの首都である京都には、南朝ユダの首都エル
サレムと同じ名前、平安を意味する名前がはっきりと付けられていたので
す。
このことは歴史的な事実なので、誰も今さら変えることも否定すること
もできないことなのです。
それでこのことから見ても、日本はたしかにイスラエルと関係はありま
すが、その中でも特に南朝ユダの王朝と関係がある、逆に北のイスラエル
10部族の末裔である可能性はあまりないと語ることは正しいのです。
平安神宮 : 平安京はエルサレム(平安の教え)と同じ名前
102
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
6. 聖書に記されたユダ族の特徴⑥
「神殿はユダにあった」
ユダ国は良くも悪くも宗教的な国であり、その国の中心は神を礼拝する
神殿にありました。そして神殿はユダ国のエルサレムにあったのです。
以下の記述の通りです。
Ⅱ歴代誌3: 1
1. こうして、
ソロモンは、
主がその父ダビデにご自身を現わされた所、すな
わちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのた
め、
エブス人オルナンの打ち場にある、
ダビデの指定した所に、場所を定め
た。
ユダ国の首都エルサレムに全イスラエル部族が礼拝に参上する神殿があ
りました。それでユダの国の一つの特徴は神殿がその国に存在する、とい
うことなのです。
さて、同じようなことが日本にもあります。
日本全国どこへ行っても存在する宗教施設とは神殿である、神社なので
す。天皇陛下の行われる儀式も神式であり、この日本と神社における礼拝
とが切り離せないものであることは、上記ユダの神殿における礼拝と似て
います。
そして、そもそも日本の神社とユダ、エルサレムにある神殿とは、その
構造がそっくり似ています。
エルサレムの神殿は、以下の3重構造でした。
103
◇大庭
◇聖所
◇至聖所
日本の神社も、以下の3重構造です。
◇境内
◇拝殿
◇本殿
それぞれの区分は、以下の通りです。
◇大庭 : 一般の人が入れるのはここまで
◇聖所 : 神に仕える専門的な祭司のみが入る所
◇至聖所 : 専門的な祭司であっても、
誰でも入れる所ではなく、年に一 回、
大祭司のみが入れる
日本の神社にも、同じような規定があります。
◇境内 : 一般の人が入れるのはここまで
◇拝殿 : 神職の人のみが入れる
◇本殿 : 神職の人もめったに入れない
ですから神殿のその構造、3重構造ということを見ても、日本とイスラ
エルとの間には一致があります。
ユダの国において、都であるエルサレムへ上り、その神の宮である神殿
に礼拝に行くことは、喜びの習慣でした。
以下の詩篇の歌にも、その心境が表れています。
104
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
詩篇134: 1ー3
都上りの歌
1. さあ、
主をほめたたえよ。
主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕
える者たちよ。
2. 聖所に向かってあなたがたの手を上げ、
主をほめたたえよ。
3. 天地を造られた主がシオンからあなたを祝福されるように。
このようにユダの民にとり、都に上り、神の宮に上ることは、楽しみだ
ったのです。
その習慣というか、DNAは日本人の血に受け継がれているように思え
ます。
毎年、年が明けると日本中こぞって神の宮である神社に参拝します。
毎年何千万人もの人々が参拝するのです。
そのことを考えると、この国は必ずしも無神論の国というのではないこ
とを思わされます。
なぜだか人々は宮に詣でる、それははるか昔、ダビデの時代から行われ
ていたことなのです。
105
日本の神社はユダの幕屋、神殿と同じ構造である
7. 聖書に記されたユダ族の特徴⑦
「ユダのシンボルは、
獅子であった」
前述した、以下のことばのように、ユダ国のシンボルは獅子でした。
「ユダは獅子の子。
わが子よ。
あなたは獲物によって成長する。」
106
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
イスラエル国の先祖イスラエル(ヤコブ)は、その死の前に12人の息
子、12部族に関して、それぞれ異なった預言を与えました。
その中でイッサカルはろば、ダンは蛇など、それぞれ異なったシンボル
が伝えられています。ユダには獅子とのシンボルが語られました。それで、
もし日本が本当にユダ国の末裔なら、この国には獅子のシンボルが溢れて
いるはずです。
実際のところはどうなのでしょう?
このこともよく考えれば、たしかに獅子は日本に溢れています。
たとえば正月の獅子舞です。日本の正月では、ろば舞いでもなく、蛇舞
いでもなく、獅子舞を行います。日本がたしかに、ユダの国の末裔である
証拠となりえます。
そもそもこの日本の島には、昔から獅子、ライオンなど住んでいません。
ライオンがいるのは動物園くらいです。
熊やイノシシは日本に生息していますが、獅子、ライオンなどは昔から
住んでいないのです。それでは、なぜ日本に獅子舞が伝わるのか?
それはやはり、この国の先祖が獅子、ライオンの住む所、中東あたりに
住んでいたからだと考えるのが妥当なのです。
獅子は、また、神殿である神社にもいます。それは他ならない、神社の
入り口に鎮座する狛犬のことです。これは狛犬と言うように犬と呼ばれて
いますが、しかしその狛犬の像をよく見るなら長い爪、たて髪など獅子、
ライオンにそっくりです。
そのようなことから結論として、この国日本には、ユダの特徴である獅
子がシンボルとして残っている、そのことが言えます。
107
神社の狛犬はユダ族のシンボル獅子である
8. 聖書に記されたユダ族の特徴⑧
「ユダは、
戦いに孟き民、
戦いの
先陣を切る」
ユダ国のもう一つの特徴は、戦いが起きた時、12部族の中で、まず、
ユダが先頭を切って戦いに出て行く、ということです。
たとえば、以下の記述です。
民数記10: 14
14. まず初めにユダ族の宿営の旗が、
その軍団ごとに出発した。軍団長は
アミナダブの子ナフション。
ユダ、日本が戦いの先陣を切るということは、たとえば第二次世界大戦
108
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
の時のことを思い起こせば分かります。
先述したように、この戦争が起きる前、アジアのどの国も、白人ヨーロ
ッパの国々の植民地として呻吟(しんぎん)していたのです。しかし、そ
のような中でアジアから日本が先頭に立ち、その独立の戦いはユダ、日本
が行いました。
日本が大東亜の理想を掲げて戦争に踏み切ろうとした時、多くのアジア
の民は共鳴しました。たとえば韓国では、日本の戦争に志願する多くの若
者がいたのです。
そして日本はいわば、アジアの期待を担ってこの戦争を行い、そしてそ
の戦争の結果、アジアの多くの植民地は独立したのです。
その戦争に先陣を切って戦いを始めたのはアジアのどこでもなく、この
島国日本なのです。
日本にこそ戦いの先陣を切る、ユダの血が流れている、と主張すること
は、これらの歴史を見れば、無理のある主張ではありません。
109
シンガポールを陥落させる日本軍 : 日本はアジア植民地解放の戦いの先陣を受けもった
9. 聖書に記されたユダ族の特徴⑨
「契約の箱もユダにあった」
聖書から読み取れるユダ国ならではの特徴、他のイスラエルの部族と異
なる特徴は、神の契約の箱がユダにあったということです。
そして、その神の契約の箱の特徴をよく見ると、それは今、日本の祭り
で使われるお神輿(みこし)とそっくりなのです。
それでアジアの国、そこにはイスラエルの12部族の子孫が住んでいる
と思われるのですが、その中でほぼ唯一お神輿(みこし)、すなわち契約
110
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
の箱の伝統が残っている日本こそ、イスラエル12部族の中のユダの正統
な子孫である可能性の高い国であると言うことができる、と思われます。
神の契約の箱はユダ国の都、エルサレムにある神の神殿の中に鎮座して
いました。以下のことばの通りです。
Ⅰ歴代誌22: 17ー19
17. そして、
ダビデはイスラエルのすべてのつかさたちに、その子ソロモン
を助けるよう命じた。
18.
「あなたがたの神、
主は、
あなたがたとともにおられ、周囲の者から
守ってあなたがたに安息を与えられたではありませんか。主はこの地の住
民を私の手に渡され、
この地は主の前とその民の前に服したからです。
19. そこで今、
あなたがたは心を尽くし、
精神を尽くして、あなたがたの
神、
主に求めなさい。
立ち上がって、
神である主の聖所を建て上げ、主の御名
のために建てられた宮に、
主の契約の箱と神の聖なる器具を運び入れなさ
い。
」
ここでダビデが神である主の聖所、すなわち神殿を建て上げることと、
また、その神殿に主の契約の箱を運び入れるよう命じているように神の契
約の箱、日本で言うお神輿(みこし)は、ユダの都エルサレムに位置する
神殿の中にあったのです。
すなわち神の契約の箱とは、北朝であるイスラエル国、そこに属する
10部族の間には、あまりポピュラーなことではありません。
また、契約の箱そのものが北のイスラエル国には存在していなかったの
で、祭りの中で契約の箱、すなわちお神輿(みこし)をかつぐような習慣
は、北イスラエルの10部族の子孫の間には残されていないはずです。
私の理解では北イスラエル国の子孫、北の10部族の子孫は中国を始め
111
としたアジアの国々に住んでいると思われます。
中国には日本と同じように、イスラエルの子孫かと思われるような習慣
や風俗が残っています。たとえば中国の漢字には、聖書の創世記由来とし
か思われない意味合いが残っています。
その点では、中国にはイスラエルの12部族のどれかの子孫が住んでい
る可能性があります。しかし一方、中国の祭りに日本で行われているよう
に、お神輿(みこし)をかつぐ習慣があるとは聞いていません。
ということは、中国にはイスラエル12部族のどこかの子孫、恐らく北
イスラエルの10部族の子孫が住んでいるのでしょうが、しかし、ユダ国
ではない可能性があるのです。なぜなら前述したように、契約の箱はユダ
のエルサレムの神殿に存在しており、契約の箱、すなわちお神輿(みこし)
をかつぐ習慣は、ユダ国において行われていた習慣だからです。聖書によ
れば、北イスラエルにも神殿があったようですが、それは神に認められた
神殿でも礼拝でもありませんでした。もとより契約の箱も、そこにはあり
ませんでした。
神の契約の箱は一つしか存在せず、それはユダ国の都、エルサレムに建
設された神殿の中にあったのです。
112
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
日本の神輿(みこし)は、ユダにあった契約の箱と同じ構造
忘れないうちに書いておきますが、中国の漢字の意味の由来は聖書の創
世記ではないか、とは知る人ぞ知る有名な話です。
例を挙げると、たとえば、
「船」という漢字です。
「船」と言う漢字は3つの部分から構成されています。
左側の舟という部分の意味合いは、要するに舟、海に浮かぶ乗り物を意
味します。そして右側の上には八、すなわち数字の8があります。
そしてその下に口、という文字があります。口は昔、人を意味する文字
として使われました。ですので八口とは、すなわち8人の人間を表す文字
となります。
ですから結論として、
「船」ということばの意味合いは、「船」とは、す
なわち舟に8人の人間が乗ったものである、ということになります。
聖書、創世記を見ると、8人の人間の乗った有名な「船」の記述があります。
以下の記述です。
113
創世記6: 5ー14
5. 主は、
地上に人の悪が増大し、
その心に計ることがみな、いつも悪いこと
だけに傾くのをご覧になった。
6. それで主は、
地上に人を造ったことを悔やみ、
心を痛められた。
7. そして主は仰せられた。
「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。
人をはじめ、
家畜やはうもの、
空の鳥に至るまで。
わたしは、これらを造った
ことを残念に思うからだ。
」
8. しかし、
ノアは、
主の心にかなっていた。
9. これはノアの歴史である。
ノアは、
正しい人であって、その時代にあって
も、
全き人であった。
ノアは神とともに歩んだ。
10. ノアは三人の息子、
セム、
ハム、
ヤペテを生んだ。
11. 地は、
神の前に堕落し、
地は、
暴虐で満ちていた。
12. 神が地をご覧になると、
実に、
それは、
堕落していた。すべての肉なる
ものが、
地上でその道を乱していたからである。
13. そこで、
神はノアに仰せられた。
「すべての肉なるものの終わりが、わ
たしの前に来ている。
地は、
彼らのゆえに、
暴虐で満ちているからだ。それで
今わたしは、
彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
14. あなたは自分のために、
ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部
屋を作り、
内と外とを木のやにで塗りなさい。
上記は、有名なノアの箱舟の記述です。誰でも名前くらい聞いたことが
あるでしょう。
ノアの箱舟に乗った人の数を数えると、それは8人であることが分かり
ます。
すなわちノアとその妻、さらにノアの3人の息子たちと、その妻たちで
す。合計8人になります。
中国の漢字は、船とはすなわち舟、入れ物の中に8人の人々が乗ったも
114
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
のであることを告げます。9人でも7人でもなく、8人が乗ることを告げ
ます。そしてそれは、聖書の中でもっとも有名な船、ノアの箱舟の記述と
ぴったり重なるのです。
中国に伝わる漢字が聖書由来のものであり、中国の文化、伝統は、じつ
は聖書に基づいたもの、また、中国の先祖は、じつは北イスラエル10族
である可能性が高いことが伺われるのです。
船=「舟」
+
「八」+「口」
もう一つ、漢字の話をしましょう。漢字が創世記の記述と大いに関係す
る、という話です。
漢字の中に「禁」という漢字があります。この漢字は禁止、禁断のよう
な用法から分かるように、禁止やとどめることを意味する漢字です。この
漢字は2つの部分に分かれます。上部に2つの「木」という文字、そして
下部に「示」すという文字があります。
すなわち、
「禁」じるという漢字とは、2本の木を示すことから成り立
っているのです。2本の木を示すことが、すなわち禁じることなのです。
さて、聖書、創世記の中に有名な2本の木の話が出てきます。
以下の箇所です。
創世記2: 15ー17
15. 神である主は、
人を取り、
エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこ
を守らせた。
16. 神である主は、
人に命じて仰せられた。
「あなたは、園のどの木からで
も思いのまま食べてよい。
17. しかし、
善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取っ
115
て食べるその時、
あなたは必ず死ぬ。
」
これは有名なエデンの園における会話です。最初の人間、アダムに対し
て神が、「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。」と、木から実
を取って食べることを禁じているところです。
いわば禁断の木の実に関する命令の箇所です。
しかし残念ながら、のちに彼、アダムの妻、エバがサタンにだまされて、
この実を2人して食べることになり、結果アダム以来、人間は誰も彼も、
死を経験するようになったのです。
結果、彼はいのちの木から切り離され、永遠に生きる道からは閉ざされ
るようになりました。以下の記述の通りです。
創世記3: 22ー24
22. 神である主は仰せられた。
「見よ。
人はわれわれのひとりのようにな
り、
善悪を知るようになった。
今、
彼が、
手を伸ばし、いのちの木からも取っ
て食べ、
永遠に生きないように。
」
23. そこで神である主は、
人をエデンの園から追い出されたので、人は自
分がそこから取り出された土を耕すようになった。
24. こうして、
神は人を追放して、
いのちの木への道を守るために、エデン
の園の東に、
ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
もう1本の木の名前は、いのちの木です。その木の実を食べるなら、永
遠に生きることができたはずなのですが、しかし、神が禁じた木の実を食
べたアダムもエバもその木から遠ざけられ、エデンの園から追い出されて
しまったのです。
そのようなわけで、中国の漢字、
「禁」という漢字の意味合い、すなわ
ち禁じることは、2本の木を示すことであるとの説明は、まさに聖書、創
116
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
世記の記述と一致しています。
なぜなら神は、まさに善悪を知る木、及びいのちの木という2本の木を
示し、その上で善悪を知る木の実から食べることを「禁」じたからです。
3本の木でも4本の木でもなく、しかし、2本の木なのです。
このことは偶然とは思えず、しかし、中国の文化、習慣の中に根付く聖
書の影響をあらわすものと思われます。
禁=「木」
+
「木」+「示」
このような例はいくつもあり、このこと、中国の漢字が聖書由来である
ことを語った本もありますので、少なくとも私はこのことを偶然であると
は思っていません。
もう一つだけ、例を挙げましょう。
漢字の中に、
「義」という漢字があります。この漢字の意味合いは正義、
義人という用法から分かりますように、正しいこと、正義であることをあ
らわします。
この、
「義」という漢字の構成を見てみます。
その時、この漢字の構成は2つの部分から成ることが分かります。
上の部分には、羊という文字があります。下の部分には、「我」という
文字があります。すなわち聖書で言う「義」
、正しいこと、義人であるこ
との意味合いは、その人、我の上に羊を乗せることであると分かるのです。
芸人のかぶりものじゃあるまいし、羊を乗せるなんておかしな話だと思
われてしまうかもしれませんが、しかし、これは聖書に詳しい人にはピン
と来る話です。
と言うのは、聖書的な意味合いで人が義人になる、正しい人になること
と羊は大いに関係するからです。
117
以下のことばを見てください。
レビ記5: 5, 6
5. これらの一つについて罪に定められたときは、それを犯した罪を告白し
なさい。
6. 自分が犯した罪のために、
罪過のためのいけにえとして、羊の群れの子
羊でも、
やぎでも、
雌一頭を、
主のもとに連れて来て、罪のためのいけにえと
しなさい。
祭司はその人のために、
その人の罪の贖いをしなさい。
義=「羊」
+
「我」
ここに書かれているように、聖書はその人が「義」、すなわち正しい人
と見なされるためには罪が赦される必要がある、そのためには羊をいけに
えとして殺し、その血が流される必要がある、ということを述べます。
そして、それが聖書全般を流れる教えなのです。神の前に罪が赦されて
義となることと、羊が犠牲になることとが聖書の中では、繰り返し、繰り
返し、書かれているのです。
そしてその延長線上に、イエス・キリストの十字架の死もあります。
以下のことばの通りです。
Ⅰコリント人への手紙5: 7
7. 新しい粉のかたまりのままでいるために、
古いパン種を取り除きなさ
い。
あなたがたはパン種のないものだからです。
私たちの過越の小羊キリス
トが、
すでにほふられたからです。
ここではイエス・キリストこそが過越の小羊である、すなわち羊であら
118
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
わされ、象徴される罪のための犠牲であることがあらわされています。
このことを通してキリスト教でよく言われるキリストの十字架の死の意
味合いがはっきり分かります。キリスト教の教会のシンボルは十字架です
し、十字架のネックレスをかけているクリスチャンも多いです。
しかし、そもそも十字架とは何かと言えば、キリストの受難の絵を見て
も分かりますように、死刑の道具です。
なぜ、キリストが死刑になったかと言えば、直接的には弟子ユダの裏切
りやキリストの人気を妬んだ当時の宗教指導者による計略、謀殺です。
しかし、それは人間的な側面に過ぎず、キリストの死、十字架の死は、
前もってキリスト誕生以前から預言者によって預言されていた、ある意味、
神の計画の一部だったのです。キリストご自身も知らないでだまされたわ
けでもなく、不本意に十字架に付けられたわけでもありません。逆に誰が
裏切るのか、自分がどのように死ぬのかをよく知っていました。以下のこ
とばの通りです。
マルコの福音書14: 17ー21
17. 夕方になって、
イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。
18. そして、
みなが席に着いて、
食事をしているとき、イエスは言われた。
「まことに、
あなたがたに告げます。
あなたがたのうちのひとりで、わたしと
いっしょに食事をしている者が、
わたしを裏切ります。」
19. 弟子たちは悲しくなって、
「まさか私ではないでしょう。」とかわるが
わるイエスに言いだした。
20. イエスは言われた。
「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょ
に、
同じ鉢にパンを浸している者です。
21. 確かに、
人の子は、
自分について書いてあるとおりに、去って行きま
す。
しかし、
人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生ま
119
れなかったほうがよかったのです。
」
キリストは上記のように、自分が裏切られることを前もって知っていま
した。
マタイの福音書16: 20, 21
20. そのとき、
イエスは、
ご自分がキリストであることをだれにも言っては
ならない、
と弟子たちを戒められた。
21. その時から、
イエス・キリストは、
ご自分がエルサレムに行って、長老、
祭司長、
律法学者たちから多くの苦しみを受け、
殺され、そして三日目によ
みがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
上記のように、キリストは自分の身にいずれどのようなことが起きるの
か、具体的には十字架の死が迫っていることを知っていたのです。
しかしそれなら、自分の死が迫っているなら、なぜ逃げなかったのか、
それが私たち凡人の疑問ですが、その理由は、キリストがそもそも地上に
来られたその大きな目的は、小羊として多くの人の罪が赦されるために自
分の命を犠牲として捧げる、という意味合いがあったからなのです。
キリストは自分の使命を理解し、そして実際に十字架の上で命を犠牲に
し、神の小羊としての使命を果たしたのです。それでキリスト教会では、
その死を記念して、十字架をシンボルとして用いるのです。
聖書の言う、人が義となる、正しい者となる、と言う時、それは善行や
修身ではなく、しかし羊であるキリストの死を強調します。
そしておどろくべきことは、中国の漢字にはこのことに関するメッセー
ジがあり、人が義とされるためには、どうしても羊の犠牲が必要であるこ
とを漢字は語り、義という漢字は我の上に羊を乗せる文字となっているの
です。
120
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
言い方を変えると、聖書やキリスト教のもっとも中心的なメッセージが
中国の漢字の中に含まれているのです。
そうではあっても、中国、そして日本とも、どちらの国民とも、まさか
自分たちがかつての聖書の民の末裔である、などとは夢にも思わないでし
ょうが、しかし今の例のように、その中国人の使っている漢字の中に聖書
のメッセージがあり、また、日本で用いられるお神輿(みこし)は、また、
聖書由来のものなのです。
たとえ日本や中国のすべての人々が、その過去をすべて忘れ去っていた
としても、漢字は今に至るも、その中国の真のルーツを語り、日本の神輿
(みこし)も、その真のルーツについて語るのです。
さて、大分話が飛んでしまったようですが、もう一度本来の話題、契約
の箱の話に戻ります。
契約の箱と日本のお神輿(みこし)が似ているということを書きましょ
う。
そもそも契約の箱とは何かと言うと、神の存在そのもの、神ご自身が存
在されている箱なのです。
以下のように書かれています。
民数記10: 35, 36
35. 契約の箱が出発するときには、
モーセはこう言っていた。
「主よ。立ち
上がってください。
あなたの敵は散らされ、
あなたを憎む者は、御前から逃
げ去りますように。
」
36. またそれがとどまるときに、
彼は言っていた。
「主よ。お帰りください。
イスラエルの幾千万の民のもとに。
」
121
契約の箱は移動式の神殿、神が存在する箱なのです。
その外形は長さ113cm幅、高さはそれぞれ68cmほどです。
2本の棒でかつぐようになっています。日本のお神輿(みこし)も同じ
ような外形で、棒でかつぐようになっています。
契約の箱のその上部には、ケルビムという天的な存在が羽を広げていま
した。
日本のお神輿(みこし)も、その上部には、鳳凰(ほうおう)という金
の鳥の像が羽を広げています。
この面でも似ています。契約の箱は、
その全体が金で覆われていました。
日本のお神輿(みこし)も要所、要所、金で覆われています。
これらは非常によく似ています。
ダビデと契約の箱との関係を見てみましょう。
以下のように書かれています。
Ⅱサムエル記6: 12ー23
12. 主が神の箱のことで、
オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのも
のを祝福された、
ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行っ
て、
喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。
13. 主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、
ダビデは肥えた牛をいけに
えとしてささげた。
14. ダビデは、
主の前で、
力の限り踊った。
ダビデは亜麻布のエポデをま
とっていた。
15. ダビデとイスラエルの全家は、
歓声をあげ、
角笛を鳴らして、主の箱を
運び上った。
16. 主の箱はダビデの町にはいった。
サウルの娘ミカルは窓から見おろし、
ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさ
げすんだ。
17. こうして彼らは、
主の箱を運び込み、
ダビデがそのために張った天幕
122
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
の真中の場所に安置した。
それから、
ダビデは主の前に、全焼のいけにえと
和解のいけにえをささげた。
18. ダビデは、
全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、万
軍の主の御名によって民を祝福した。
19. そして民全部、
イスラエルの群集全部に、
男にも女にも、それぞれ、輪
型のパン一個、
なつめやしの菓子一個、
干しぶどうの菓子一個を分け与え
た。
こうして民はみな、
それぞれ自分の家に帰った。
20. ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダ
ビデを迎えに出て来て言った。
「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳
がございましたね。
ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、
あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。」
21. ダビデはミカルに言った。
「あなたの父よりも、その全家よりも、むし
ろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はそ
の主の前で喜び踊るのだ。
22. 私はこれより、
もっと卑しめられよう。
あなたの目に卑しく見えても、
あなたの言うそのはしためたちに、
敬われたいのだ。」
23. サウルの娘ミカルには死ぬまで子どもがなかった。
ここに書かれているように、神の契約の箱が上って来る時、イスラエル
の民は皆大喜びでそれを迎えました。
「ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱
を運び上った。
」と書かれている通りです。
このような姿は日本の祭りでお神輿(みこし)が運ばれている時の光景
と似ています。日本の祭りでは笛や太鼓の音や囃し(はやし)と共に、に
ぎやかにお神輿(みこし)を運びます。
また、
ダビデが、
「そして民全部、
イスラエルの群集全部に、男にも女にも、
123
それぞれ、輪型のパン一個、なつめやしの菓子一個、干しぶどうの菓子一
個を分け与えた。
」との記述も、日本の祭りに似ています。
日本でも祭りの時に、たとえば山車を引っ張った人にお菓子や果物を分
け与える習慣があります。
この時ダビデはこの神の契約の箱の前で力のかぎり踊ったので、少し衣
服がはだけてしまったようです。
それを妻にとがめられているのですが、しかし明らかに力のかぎり踊っ
たダビデのほうが正しいと聖書は語っているように思えます。
その記述のあとにさりげなく書かれたことば、そのように神の前に力一
杯踊ったダビデを非難した妻ミカルには、
「死ぬ迄子供がなかった」こと
が書かれているからです。
ダビデがこのような先例、神の契約の箱、日本で言うお神輿(みこし)
の前で力のかぎり踊る、たとえ荒っぽく、衣服が多少はだけても踊る、と
いう先例を付けたので、日本の祭りにも、代々そのような習慣が根付いて
いるように思えます。
日本のお神輿(みこし)をかつぐ男たちも胸をはだけたり、ふんどし姿
だったり、裸に近い格好をしていますし、そもそも上品にお神輿(みこし)
をかついでいません。ですから日本のお神輿(みこし)はその外形といい、
それを運ぶ人たちの様子まで含めてあらゆる形で契約の箱と似ているので
す。
繰り返すようですが、この契約の箱が存在していること、それがユダ国
のエルサレムの神殿に存在していること、それこそがユダの大きな特徴で
す。
そして日本の隅々まで、その契約の箱に基づいたお神輿(みこし)が祭
124
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
りで用いられ、存続していること、これは日本こそがユダ族の子孫である
ことの大きな証拠なのです。
10. 聖書に記されたユダの特徴⑩
「獅子は身を伏せる」
創世記49: 9
9. ユダは獅子の子。
わが子よ。
あなたは獲物によって成長する。雄獅子のよ
うに、
また雌獅子のように、
彼はうずくまり、
身を伏せる。だれがこれを起こ
すことができようか。
さて、百獣の王ライオン、獅子になぞらえられるユダですが、しかし世
の終わりの時、身を伏せ、うずくまることが預言されています。
「雄獅子
のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。」と書か
れている通りです。
うずくまり、身を伏せるとは、どういう意味合いなのでしょうか?
うずくまれば、小さく低くなります。身を伏せれば、高い位置から人を
見下ろしたりできなくなります。
ですのでここで言われていること、預言されていることは、ユダ、日本
が人から賞賛されたり見上げられ、尊敬されるような位置から一転、低い
位置や、人から同情されたり見下げられたりするような経験をする、そん
な預言ではないか、と思われます。
そういう視点で今の日本を見るなら、当たっている部分もあるかと思い
ます。2011年3月11日に起きた地震、津波、原発事故で日本は大変
125
な被害を受け、それこそ外国から同情される存在となってしまいました。
かつての他国からうらやましがられる存在から、逆に他国から同情され
たり、遠ざけられたり、忌避されるような存在となってしまったのです。
高い所から低い所へ移され、
身を低くするようになってしまったのです。
そういう意味では、このことばの通りです。
しかし、このままで良いのではなく、起きること、低い位置から立ち上
がることを神は語られているようです。
「だれがこれを起こすことができ
ようか。
」とのことばが、このことを語ります。
この国をあるべき位置に戻すことが大事なのです。
この国のあるべき姿は何かと言うと、天皇家の最初の祖先であるダビデ
の位置に戻る時、見えてくると思います。
そもそも一介の羊飼いに過ぎなかったダビデが王として選ばれ、建てら
れ、しかもそのダビデの王座が約束通り、3000年後の現代まで存続し
ている、ということのその理由、ダビデが他の人より優れていたことは、
彼のその神への忠実さだったのです。
しかるにそのダビデの血を継いでいるはずの日本の皇族においては、そ
もそも自分たちがどの神を拝しているのか、その神の名前もよく分からな
いという状態ではないでしょうか。
2011年3月11日の災害は、その神からのこの国、かつてのユダへ
の悔い改めを促す懲らしめのむちのように、私には思えるのです。どのよ
うな災いも、神の許しがなければ起きないものです。
以下のように書かれています。
126
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
アモス書3: 6
6. 町で角笛が鳴ったら、
民は驚かないだろうか。
町にわざわいが起これば、
それは主が下されるのではないだろうか。
ここに、「町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだ
ろうか。
」と書かれているように、災い、それは神から来るのです。
まして今回の2011年3月11日の大災害のように、何万人もの命が
失われるような災いは、ある意味、神の深い意図と意志がなければ起きえ
ないものなのです。
かつての日、エルサレムの民は神への背信のゆえに、大きな災いに会い
ました。
エレミヤ書には以下のように書かれています。
エレミヤ書5: 1ー31
1. エルサレムのちまたを行き巡り、
さあ、
見て知るがよい。その広場で捜し
て、
だれか公義を行ない、
真実を求める者を見つけたら、わたしはエルサレ
ムを赦そう。
2. たとい彼らが、
「主は生きておられる。
」
と言っても、実は、彼らは偽って
誓っているのだ。
3. 主よ。
あなたの目は、
真実に向けられていないのでしょうか。あなたが彼
らを打たれたのに、
彼らは痛みもしませんでした。彼らを絶ち滅ぼそうとさ
れたのに、
彼らは懲らしめを受けようともしませんでした。彼らは顔を岩よ
りも堅くし、
悔い改めようともしませんでした。
4. そこで、
私は思いました。
「彼らは、
実に卑しい愚か者だ。主の道も、神の
さばきも知りもしない。
5. だから、
身分の高い者たちのところへ行って、
彼らと語ろう。彼らなら、
主の道も、
神のさばきも知っているから。
」
ところが、彼らもみな、くびきを
127
砕き、
なわめを断ち切っていました。
6. それゆえ、
森の獅子が彼らを殺し、
荒れた地の狼が彼らを荒らす。ひょう
が彼らの町々をうかがう。
町から出る者をみな、
引き裂こう。彼らが多くの
罪を犯し、
その背信がはなはだしかったからだ。
7. これでは、
どうして、
わたしがあなたを赦せよう。あなたの子らはわたし
を捨て、
神でないものによって誓っていた。
わたしが彼らを満ち足らせたと
きも、
彼らは姦通をし、
遊女の家で身を傷つけた。
8. 彼らは、
肥え太ってさかりのついた馬のように、おのおの隣の妻を慕っ
ていななく。
9. これらに対して、
わたしが罰しないだろうか。
♢♢主の御告げ。♢♢この
ような国に、
わたしが復讐しないだろうか。
10. ぶどう畑の石垣に上って滅ぼせ。
しかし、
ことごとく滅ぼしてはなら
ない。
そのつるを除け。
それらは主のものではないからだ。
11. イスラエルの家とユダの家とは、
大いにわたしを裏切ったからだ。♢♢
主の御告げ。
♢♢
12. 彼らは主を否んでこう言った。
「主が何だ。
わざわいは私たちを襲わ
ない。
剣もききんも、
私たちは、
見はしない。
13. 預言者たちは風になり、
みことばは彼らのうちにない。彼らはこのよ
うになる。
」
14. それゆえ、
万軍の神、
主は、
こう仰せられる。
「あなたがたが、このよう
なことを言ったので、
見よ、
わたしは、
あなたの口にあるわたしのことばを
火とし、
この民をたきぎとする。
火は彼らを焼き尽くす。
15. イスラエルの家よ。
見よ。
わたしはあなたがたを攻めに、遠くの地から
一つの国民を連れて来る。
♢♢主の御告げ。
♢♢それは古くからある国、昔
からある国、
そのことばをあなたは知らず、
何を話しているのか聞き取れな
い国。
16. その矢筒は開いた墓のようだ。
彼らはみなつわもの。
17. 彼らはあなたの刈り入れたものとあなたのパンを食らい、あなたの息
128
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
子、
娘を食らい、
あなたの羊の群れと牛の群れを食らい、あなたのぶどうと、
いちじくを食らい、
あなたの拠り頼む城壁のある町々を、剣で打ち破る。
18. しかし、
その日にも、
♢♢主の御告げ。
♢♢わたしはあなたがたを、こ
とごとくは滅ぼさない。
」
19.
「あなたがたが、
『何のために、
私たちの神、
主は、これらすべての事を
私たちにしたのか。
』
と尋ねるときは、
あなたは彼らにこう言え。『あなたが
たが、
わたしを捨て、
あなたがたの国内で、
外国の神々に仕えたように、あな
たがたの国ではない地で、
他国人に仕えるようになる。』
20. ヤコブの家にこう告げ、
ユダに言い聞かせよ。
21. さあ、
これを聞け。
愚かで思慮のない民よ。
彼らは、目があっても見え
ず、
耳があっても聞こえない。
22. あなたがたは、
わたしを恐れないのか。
♢♢主の御告げ。♢♢それと
も、
わたしの前でおののかないのか。
わたしは砂を、海の境とした。越えられ
ない永遠の境界として。
波が逆巻いても勝てず、
鳴りとどろいても越えられ
ない。
23. ところが、
この民には、
かたくなで、
逆らう心があり、彼らは、そむいて
去って行った。
24. 彼らは心の中でも、
こう言わなかった。
『さあ、私たちの神、主を恐れ
よう。
主は大雨を、
先の雨と後の雨を、
季節にしたがって与え、刈り入れのた
めに定められた数週を私たちのために守ってくださる。』と。
25. あなたがたの咎が、
これを追い払い、
あなたがたの罪が、この良い物を
拒んだのだ。
26. それは、
わたしの民のうちに、
悪者たちがいるからだ。彼らは、待ち伏
せして鳥を取る者のように、
わなをしかけて人々を捕える。
27. 鳥でいっぱいの鳥かごのように、
彼らの家は欺きでいっぱいだ。だか
ら、
彼らは偉い者となって富む。
28. 彼らは、
肥えて、
つややかになり、
悪事に進み、さばきについては、みな
しごのためにさばいて幸いを見させず、
貧しい者たちの権利を弁護しない。
129
29. これらに対して、
わたしが罰しないだろうか。◇◇主の御告げ。◇◇こ
のような国に、
わたしが復讐しないだろうか。
30. 恐怖と、
戦慄が、
この国のうちにある。
31. 預言者は偽りの預言をし、
祭司は自分かってに治め、わたしの民はそ
れを愛している。
その末には、
あなたがたは、
どうするつもりだ。」
この箇所には、「これらに対して、わたしが罰しないだろうか。◇◇主
の御告げ。◇◇このような国に、わたしが復讐しないだろうか。恐怖と、
戦慄が、この国のうちにある。
」と書かれています。
かつての日、イスラエル、ユダの国はその背信のゆえに、神からの恐怖
と戦慄がその国を覆いました。それらの災いは、神から来たのです。
それは今から2000年以上前のことですが、今も神の方法に変わりが
あるはずはありません。
ダビデに約束した神の約束が3000年経た今でもこの国において守ら
れ、今でもこの国の王座にダビデの子孫が着いているように、神がかつて、
その預言者たちを通して語ったことばが、それから2000年以上経たか
らといって変わるわけではないのです。
神はこの国、民に対して変わらないのですが、しかしこの民は変わり、
もうこの神を拝することも心に留めることもなくなったので、それで悔い
改めを促すために大きな災いがこの国に下ったのです。
それで私たち、この神のことばに仕えることを生業(なりわい)とする
者たちの勧めは、この国の民はこれらの災いを真摯に受け止め、この国を
かねてから守ってこられた方に目を留め、その方の前にへりくだることで
130
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
す。
天皇家を始めとするこの国の民が、この方、真の神を正しく拝するよう
になるなら、これらの災いを神は思い返すでしょう。
日本の国へ、神がその悔い改めを促すために手を伸べられたことは、今
に始まったことではありません。
400年も昔、スペインやポルトガルの宣教師たちは神の声を聞き、こ
の極東の国にも聖書の福音、神のことばを伝えに、遠路はるばるやってき
ました。しかしこの国は、それらの神のことばを宣べ伝えた人々をどのよ
うに遇したでしょうか。秀吉、家康を始めとしたこの国の指導者はこれら
の宣教師を捕らえ、また、信じたキリシタンをも捕らえ、拷問を行い、見
せしめにし、火であぶり、槍(やり)で突き刺し、惨殺したのです。
これらのことを彼らはただ、異国の宣教師を迫害しただけだ、と思って
いるのでしょうが、しかし、
「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わ
たしにしたのです。
」
(マタイの福音書25: 40)とのことば通り、彼ら
は神に対してこのことを行ったのであり、
キリストに対して行ったのです。
徳川300年の歴史の中で、この国のあちこちで聖書の神を信じるキリ
シタンへの迫害が行われました。
彼らキリシタンは辱められ、軽蔑され、疎外され、捕らえられ、命を失
ったのです。
「えた」とか「非人」とさえ呼ばれました。「非人」なのです
から、人間ではない、とされたのです。
これらのことをこの国を治める徳川政府も、また、国民も、彼ら頑強な
キリシタンに行ったと思っていたのでしょうが、しかし、それは神に対し
て行われたものであり、聖書の神、今もこの国を真に治める神に対して行
われたことなのです。彼らキリシタンの誰一人、その理不尽な行いに関し
て、復讐も仕返しもしなかったでしょうが、しかし、その復讐は神から来
131
ます。以下のことばの通りです。
ローマ人への手紙12: 19
19. 愛する人たち。
自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。
それは、
こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。わた
しが報いをする、
と主は言われる。
」
長い鎖国時代を経たこの国は明治の時代に入り、富国強兵の掛け声と共
に、大いに、軍事に産業に発展しました。日清日露の戦争にも勝ち、飛ぶ
鳥を落とす勢いだったのです。おごりにおごった国民は昭和に入り、アメ
リカを相手に戦争をも始めました。
結果、日本はアメリカに負け、日本の100以上の都市は空襲により焼
けてしまいました。また、2つの原子爆弾さえ落されてしまいました。
数百万人もの日本人の命がこの戦争で失われたのです。
何もかも失い、
完全な敗戦を迎えたのです。かつての日に吹いた神風は、
この国に吹かなかったのです。
なぜ神風は吹かず、この国は理不尽な戦争に負けたのか?
その理由は私の理解では、この国でかつて流された無実な人々、キリシ
タンの血にあると思います。
神はその無実の人々の流された血のゆえにこの国に裁きを行い、そのキ
リシタンの殺害に関して復讐を行われたのです。
しかしこの国は、その神の前にその罪を悔い改めようとはしません。
世界のどこの国にも落ちたことのない原爆が2発もこの国に落ちたこと
は、尋常なことではないと思われるのですが、しかしこの国にその罪を認
めさせる人はなく、悔い改める人もいません。
132
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
阪神大震災は、この国がその歩みを神の前に悔い改めるチャンスだった
のかもしれませんが、しかし、この国にその罪を知らしめる人がいません。
そして2011年3月11日の大震災も、この国にその歩みを糺す(た
だす)ために神から与えられたチャンスだと思われたのですが、やはりこ
の国にその罪を知らしめる人がいません。
この国はかつてのユダ国であり、神に仕えていた国だったのですが、久
しく神を忘れ、かえりみようとはしません。そしてそれゆえに、恥と不名
誉はこの国を覆います。
日本は隣の中国や北朝鮮からは脅かされ、韓国からは理不尽な目に会わ
されています。
「彼はうずくまり、身を伏せる。
」とのことば通り、身を低くさせられ、
行いたくもない謝罪やら、要求に屈する屈辱的な日が続いているのです。
しかし、神の聖書にこのことば、
「彼はうずくまり、身を伏せる。」との
ことばが記されているように、それは神から来たことなのです。
この国の天皇の先祖は神に忠実に従ったダビデであるのに、この国は、
この方に背を向け、それどころか海外からわざわざこの神に関する教えを
伝えに来た宣教師を歓迎するどころか、その命を奪い、また、この神を信
じるキリシタンを一人も逃すまいと捕らえ、命を奪いました。
それらの非道な行いを今に至るまで悔い改めようとしません。
それでそのような神の前に身を低くせず、傲慢不遜な歩みを続けるがゆ
えに、その代わりに周りの国々に頭が上がらないようになり、理不尽な扱
いを受けるようになったのです。日本を代表するはずの首相があちこちの
国に謝罪をしたり、頭を下げたり、身を低くしたり、この国の国民である
私たちも、なんだか情けないような気持ちに度々させられるのは、皆意味
なく起きていることではないのです。
133
それは神から来ていることなのです。
それはこの国が、その罪を悔い改めるべき方に対して今も傲慢であり、
かつての殺害も、迫害も悔い改めようとしないその罪のゆえ、それゆえこ
の国は、この民は身を伏せ、低い位置に置かれるようになったのです。
さて、ユダへの預言には、「彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれ
を起こすことができようか。
」と、誰がこれを起こすことができようか、
このうずくまった獅子を起こすことができるのは誰か?と言うことが書か
れています。
うずくまった獅子が起きるためには、そのうずくまった原因を取り除く
ことが大事です。
足に釘が刺さってうずくまったなら、その釘を取り除くべきですし、荷
物が重くてうずくまったのなら、その荷物を取り除くべきです。
先程から見ているように、この獅子である日本がその意志に反してうず
くまっており、威張ろうとしても威張れず、誇ろうとしても誇れず、逆に
今日はあの国、明日はこの国と謝罪をしたり、身を低くしたりすることが
続くのは、神から来ているのです。ですのでこの獅子を起こすことができ
る人は、このことを獅子である国、ユダ、日本に告げる人であると思いま
す。前述のエレミヤはかつての日、背信の民に対して神のことばを告げて
こう語りました。
エレミヤ8: 4ー7
4. あなたは、
彼らに言え。
主はこう仰せられる。
「倒れたら、起き上がらな
いのだろうか。
背信者となったら、
悔い改めないのだろうか。
5. なぜ、
この民エルサレムは、
背信者となり、
背信を続けているのか。彼ら
134
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
は欺きにすがりつき、
帰って来ようとしない。
6. わたしは注意して聞いたが、
彼らは正しくないことを語り、
『私はなん
ということをしたのか。
』
と言って、
自分の悪行を悔いる者は、ひとりもいな
い。
彼らはみな、
戦いに突入する馬のように、
自分の走路に走り去る。
7. 空のこうのとりも、
自分の季節を知っており、
山鳩、つばめ、つるも、自分
の帰る時を守るのに、
わたしの民は主の定めを知らない。
たとえ背信の時があっても、
神の元に返ることを神は語っているのです。
そうです、それがどれほど長い背信であっても、この国が何千年もの間、
神を忘れ去ってきたとしても、神から正しく神の元に立ち返ることが語ら
れているのです。このことばに耳を傾けることに、ポイントがあると思い
ます。
2011年3月11日の災害 : 日本、ユダは、身を伏せる
135
11. 日本がダビデの血統を保つユダ国
である証拠 : ユダで使われる神名
さて、日本こそイスラエル南朝、ユダ国であることを語っているのです
が、もう一つの証拠を見てみましょう。
それは神の名前です。聖書を見ると、神に関してその原語であるヘブル
語で、エローヒイム、ヤーウェ、エルシャダイなど、複数の呼び方があり
ます。
その中で、北イスラエルでよく用いられた神の名前と、南のユダで用い
られた神の名前とがあります。
ユダで用いられた神の名前が日本のあちこちに残っており、逆に北のイ
スラエルで用いられた神の名前が日本のどこにも残っていないなら、日本
はやはり、ユダの子孫と言えることになります。
こんな例で分かるでしょうか。同じこどもでも、小学校では児童と呼ば
れます。小学1年生も6年生も小学校では、みな児童なのです。
しかし同じこどもでも、中学校では生徒と呼ばれます。中学1年生も2
年生も、みな生徒なのです。
それで区分ができます。先生がクラスの子を児童と呼ぶなら、それは小
学校の教室、また、同じく先生がクラスの子を生徒と呼ぶなら、それは中
学校の教室であると区分ができるのです。
さて、このような視点で見る時、日本に残る神の名前は、みなユダ族で
用いられたものであり、北のイスラエルで用いられた神の名前は皆無なの
です。
このことからも、明らかに日本は南朝ユダ族の子孫ということができま
136
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
す。
「日本ヘブル詩歌の研究」
で有名な川守田英二博士は、こう述べています。
“日本に残るたくさんのヘブル詩歌を研究するとき、その中には神の名前、
「ヤー」
「ヨー」
「ヤーウ」
「ヤーエ」
のエホバの4種の別名、及び「エル」「エ
ローイ」
の普通名詞が使われている。
しかし、
イスラエル北朝の神名「エロー
ヒイム」
が一度も出てこない。
”
ですから神の名前という点から見ても、日本は北のイスラエル10部族
の子孫というより、南朝ユダの子孫と言うほうが正しいのです。
さらに神の名前だけでなく、国の名前があります。もし日本が本当に南
朝ユダ国の子孫であるなら、そのユダ国の名前がこの国には多く残ってい
るはずです。
逆に北イスラエルの国の子孫なら、イスラエルの国名が残っているはず
なのです。事実はどうでしょうか?
同じく川守田博士によれば、以下の通りです。
“南朝ユダの国名は、
日本には
「ヤワダ」
(八幡)
として多く存在する。同じ南
朝ユダの名前は、
日本ヘブル詩歌にも
「ヤーウド」
「ヨーウド」となり何度も
登場する。
しかるに、
北朝イスラエルの国名は、
ただの一度も出現しない。”
これらは日本こそ北朝イスラエルの子孫ではなく、真のユダ族の子孫で
あることを示す決定的な証拠となると思います。しかるに日本とイスラエ
ルの関係を語る多くの本は、このような明白な証拠に目をつむって、強い
て日本は北イスラエルの子孫であると誤導させるかのような論調になって
137
います。このことは問題です。
川守田博士 : 博士は、日本にはユダの国名が残っていることを述べた
138
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
12. 中国の王朝こそ、北朝イスラエルの
王朝に近い
前にも少し書きましたが、たしかに北イスラエルの10部族も歴史の闇
に消えており、その行方が分からなくなっています。その末裔が、たとえ
日本ではないにしても、アジアのどこかの国に移住して来ている可能性は
あると思います。
そして南北に分裂したイスラエル2国のうち、北のイスラエルの国の王
朝の特徴は万世一系ではないこと、また、ダビデ王の血筋は継いではいな
いことです。万世一系ではなく、逆に下克上を繰り返し、絶えず、別の王
朝へと変わる歴史を繰り返しています。
このような視点で中国を見るなら、私たちの知っているだけでも、中国
の国は、秦、漢、随、唐、遼、宗、元、明、清など、多くの国によって治
められましたが、
これらは、
みな違う王朝であり、
違う血筋の王朝なのです。
そういう意味では、アジアにイスラエル北朝の子孫が移り住んでいる、
また、アジアのどこかで北イスラエルの王朝が続いているのでは、と考え
るなら、中国の王朝がそうである可能性があります。
先程見たように、中国の漢字には、明らかに聖書の創世記の影響があり
ますのでそれらを総合すると、中国の王朝は北イスラエル王朝の末裔でな
いか、
と考えることは荒唐無稽(こうとうむけい)な考えでもありません。
しかし繰り返すようですが、中国の王朝はユダ国のダビデ王朝、万世一
系を神から堅く約束された王朝とは、まったく異なります。万世一系、神
から堅く約束されたダビデの子が王となる、その子孫が代々王となる、と
いう王朝に近いのは、日本の天皇家のみなのです。
139
万里の長城:中国の王朝は北イスラエル王朝の末裔か?
13. 日本語とヘブル語の類似
この本では、天皇家の先祖がダビデ王朝に至ることを書いています。初
めて聞く人には少しびっくりする内容かもしれませんが、しかし、一つ一
つ確認すると、あながち荒唐無稽(こうとうむけい)な論議でもないこと
が分かると思います。
巷間よく言われることではありますが、日本の風俗習慣は、なぜだかイ
スラエルのものと似ているのです。この件を細かく見ていくと、多くの資
料や事実がそのことを語ることが分かると思います。
この本ではそれらをすべて見ていくことはできませんので、少し言語的
140
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
な類似を見ていきたいと思います。
イスラエルの言語であるヘブル語と日本語は、
以下のように似ています。
以下にイスラエルのことば、へブライ語と日本語の対比一覧表を記載し
ます。
1行目 : ヘブライ語またはアラム語(読み)―その意味、
また
は、
説明
2行目 : 日本語―その意味(説明、解釈など)
アグム
(AGUM)
: 悲しい、
悲嘆にくれた
あぐむ : 嫌気がする、
困る、
もてあます
バレル
(BARER)
: 見付け出す
ばれる : 見付ける、
破れて成立しなくなる
ダベル
(DABER)
: 話をする
だべる : おしゃべりをする、
無駄な話をする
ダハ
(DAHA)
: 打ちのめす
だは
(打破)
: 打ち負かす、
打ち破る
エフオダ
(EPHOD)
: ヘブライ祭司長が、
昔、
着けた祭司衣裳であった、聖
なる刻印を刻んだ胸飾りも着けていた
おふだ
(御札)
: 神社の護符・お守り
ゴイ
(GOI)
: 非ヘブライ人、
外人
ガイ
(外)
: 非日本人、
もしくは外人につける接頭語
141
ハエル
(HAER)
: 輝く
はえる
(映える)
: 照り輝く、
鮮やかに見える
ハカシヤ
(HAKASHA)
: 拍手
はくしゅ : 拍手
ハラ
(HARA)
: 怒る
(腹)
腹を立てる : 怒る
ヒン
(HIN)
: 品、
美
ひん : 品、
優美
ホレル
(HORER)
: くりぬく
ほる、
掘る : 地面に穴をあける、
植物の根を取り出す
ヘスル
(HESUR)
: 物の量を減らす
へずる : 盗んで物の量を減らす、
削り取る、
かすめ取る
カバン
(KABAN)
: 包む
かばん : カバン
コール
(KOR)
: 寒さ
こおる
(凍る)
: 水が冷えて氷になる
カサ
(KASA)
: 覆う
かさ
(傘)
: 雨や日光を防ぐために、
さしかざすもの
142
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
カレル
(KARER)
: 風邪をひく
(通常のどの荒れと共に)
かれる
(嗄れる)
: のどの具合が悪く、
声がしわがれる
コシ
(KOSHI)
: 障害
こしょう
(故障)
: 差し支え、
さわり
モノ
(MONO)
: 物、
事
もの ( 物 ): 物体、
事柄
ミツ
(MITS)
: 果汁
みつ
(蜜)
: ねばねばして甘い液体、
甘露
ミシゲ
(MISHGE)
: 誤り
みちがい
(見違い)
: 見間違い、
誤り
ナハク
(NAHAK)
: 泣く、
叫ぶ
泣く : 泣くこと
ナケル
(NAKER)
: 動かす、
取り出す
のける
(除ける)
: 取り除く、
どける
ナシ
(NASI)
: 長、
指導者
ぬし
(主)
: あるじ、
長
ヤエ
(YAE)
: 良い、
素晴らしい
よい
(良い・善い)
: 良好な様子、
素晴らしい
143
ヤーン
(YAAN)
: ゆえん、
理由
ゆえん
(所以)
: 訳、
特別の理由
ヤラ
(YARA)
: 撃つ、
発射する、
投げる
いる
(射る)
(弓を引いて)
:
矢を飛ばす
ユルシェ(YURSHE)
:
: 許される
ゆるし
(許し)
: 許可、
戒めを解く
上記のように、イスラエル、日本、両国の言語は似ています。
この本では、イスラエルのダビデ王朝と日本の天皇家の類似を語ってい
ます。そしてたしかに類似点は多いのですが、しかし日本の天皇家は日本
の中で独立して存在しているのではなく、日本の文化習慣の中で存在して
います。
それでこれらの王朝が似ていると言う時、その王朝を囲む国の文化、習
慣なども含めて類似があるはずなのです。
そしてその視点で見る時、大きな視点、国の文化や言語の類似を見てい
く時、やはりそこにも同じような類似があることを我々は見出すのです。
ですので結論として、日本の天皇家とイスラエルダビデ王朝の類似は単
なる偶然を超えていることが分かると思います。
144
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
14. ナギアド・ヤラの衝撃 : イスラエルの
国歌が日本の民謡に
日本語の中にイスラエルのヘブル語と同じ意味合いの単語が多く含まれ
ていることを述べました。
さらに、もうひとつのことを述べます。
古代から伝わる日本の民謡の中に、イスラエルの歌が含まれていること
です。
このことを調べた前述の川守田英二博士は、東北民謡ナギアド・ヤラに
関して以下のように述べています。
―以下、
「日本の中のユダヤ」川守田英二著、
たま出版からの引
用―
東北民謡「ナギアド・ヤラ」解釈史
この民謡は西暦紀元前1447年、
即ち、
今より無慮3400年前、モーゼ
という英雄に指導されてエジプトの奴隷の境涯から脱出し、カナンの地を征
服に向かったイスラエルの民衆の軍族の歌である。
「われエジプト人の手より救いて乳と蜜の流れる地、即ちへテ人、ヒビ人の
いる処に到らしめんとす」
[出エジプト記3: 8]
という神託に対して民らは
歌った。
ナニァド ナッサレ ヘテ
ナニァド ヤドー ヤーリャー
ナニァド ナッサレヒヰヤー
ナニァドー ヤーレー
145
行く手にわれら追い払わんとすへテ人を
その領土に向かって攻め上り給えエホバょ
行く手にわれら追い払わんとすヒビ人を
彼に向かって攻め上り給え
へテ人、
ヒビ人の住むカナンの国境はヨルダン川であるので「ヤドー」
(領土)
の代わりに
「ヤラド」
(ヨルダン川の古名)
を差しかえて唄うこともある。か
れらは、
昼は雲の柱、
夜は火の柱に導かれつつこう唄った。
ナアニァッハアド ヤーラ ヤウ 民の先頭にエホバ進み給え
ナニァッハアド ナサレヤエーテ ハサーイル 民の行く手にエホバ悪魔を
追い払い給う
ナーニァッハアド ヤーラ ヤウ 民の先頭にエホバ進み給え
この民謡は降って西暦紀元前千年のダビデ王時代になると、改作されて「ユ
ダ民族」
「ダビデ」
「イダデヤ」
(ソロモン)
その仇敵「ハダデ」「ハダデゼル」
の固有名詞が飛び出して来て多種多様な歌詞となる。更にこのイスラエル
の国歌が日本へ移植せられて日本建国の歌に転用され、蝦夷(ヒビ人)アエ
ノ族名、
エノ王族名、
神武天皇の御名であるサノ
(狭野)イハレ(伊波札、磐
余)
の固有名詞が差しかえられて唄われる。
私はこの発見と研究を発表したため、
種々の論争を展開させたがその記録
を保存するつもりでここに書きとどめたのがこの章となった。
(1951年12月25日)
―引用終わり―
この記述のように、日本には多くのイスラエル、ユダと似た習慣がある
146
2章 聖書に記されたユダ族の特徴
のみか、さらに聖書の言語、イスラエル、ユダの言語であるヘブル語によ
る歌まで伝わっているのです。しかもその内容はいかにもかつての日、ダ
ビデの子孫たちがこのカナンの地を征服した時に用いたような、神をたた
える進軍歌なのです。
不思議に思わざるを得ません。
また、この本で繰り返し語られている内容、日本の民はかつての南朝ユ
ダ国の子孫であり、天皇家はダビデ王朝の末裔であるとの論調を裏付ける
ものであることが分かると思います。
ナギアド・ヤラの踊り
147
15. 天皇家とダビデ王朝との関係を
語った川守田博士
日本の天皇家とイスラエルダビデ王朝とが関係あるなどと言うと、荒唐
無稽(こうとうむけい)な話に聞こえるかもしれませんが、まったく根拠
のない話ではありません。また、今まで誰も語ったことのない話でもあり
ません。前述の川守田博士がこのことをすでに述べています。
博士の書いた「日本ヘブル詩歌の研究」上巻、
八幡書店の序文において、
「わが皇室はイスラエルの大王ダビデの永遠の位を踏襲している」と記載
しています。
そしてさらに、彼は当然のように、日本はイスラエルの失われた10部
族の末裔ではなく、南朝ユダ族の末裔であることを述べています。
同博士はヘブル語の研究者として、日本に残る民謡の中にヘブル語のこ
とばが残っていることを研究しました。
148
3章
天皇家と
ダビデ王朝との
多くの類似点
151
この章では、ダビデと天皇家との類似点を見てみましょう。
もし、天皇家が本当にダビデの子孫であるなら、これらの2者の間にある
程度は類似点があるはずです。その類似点があるかどうかをここでは確認し
たいと思っているのです。
1. ダビデと天皇家の類似点①
「神に仕えることを重要視する」
ダビデの生涯を見る時、その大きな特徴は、彼が神により選ばれ、王とな
ったこと、それゆえ彼が神に仕えることにおいて非常に忠実であったことで
す。
人は自分を取り立ててくれたり、出世させてくれたりした人に対しておの
ずから感謝の念を持つものです。
ダビデに関しては、彼を一介の羊飼いの身から取り上げ、王に任じたのは
神ご自身だったので、彼は死ぬまで神に仕え、神に忠実な人生を送りました。
また、彼の人生の救いは、他でもない神ご自身でした。
以下の詩篇のダビデの歌を見てください。
彼がいかにこの神を自分の救いとし、助けとしたかが分かるでしょう。
詩篇142: 1ー7
ダビデのマスキール。
彼が洞窟にいたときに。
祈り
1. 私は主に向かい、
声をあげて叫びます。
声をあげ、主にあわれみを請いま
す。
2. 私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、
私の苦しみを御前に言い表わします。
3. 私の霊が私のうちで衰え果てたとき、
あなたこそ、私の道を知っておられ
る方です。
私が歩く、
その道に、
彼らは、
私に、
わなを仕掛けているのです。
152
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
4. 私の右のほうに目を注いで、
見てください。
私を顧みる者もなく、私の逃
げる所もなくなり、
私のたましいに気を配る者もいません。
5. 主よ。
私はあなたに叫んで、
言いました。
「あなたは私の避け所、生ける
者の地で、
私の分の土地です。
6. 私の叫びに耳を留めてください。
私はひどく、
おとしめられていますか
ら。
どうか、
私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強い
のです。
7. 私のたましいを、
牢獄から連れ出し、
私があなたの御名に感謝するよう
にしてください。
正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなたが
私に良くしてくださるからです。
」
「彼が洞窟にいたときに。
」と、この詩の題に書かれていますが、それは
彼が観光で鍾乳洞の洞窟にいたというわけではありません。
そうではなく、彼ダビデはその王位に着く前、その前の王サウルにより
妬まれ、憎まれ、その命を狙われ、追いかけられ、イスラエルの国中、逃
げ回っていたのです。
自分の住む家もなく、洞窟の中にまで逃げていました。その時に作った
のがこの歌なのです。
彼が、「私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表
わします。
」と歌った時、儀式として、また、劇の演目として会衆の前で
歌ったのではなく、そうでなく、逆に自分の命を救ってくださる唯一の救
いとして神に真剣に祈り求めて歌ったのです。
そのようなわけで、
神に仕えることはダビデにとって普通のことであり、
もっとも大事なことでした。そしてそれゆえ、ダビデの血を引くダビデ王
朝においては、このことが大事な事柄として引き継がれていたように思わ
153
れます。
前述したように、宮中には多くの祭儀があります。
祭儀とは、すなわち神に仕える儀式であり、その形、神に仕えるという
形は今に至るまで天皇家に伝わっています。
これはこの点において、天皇家がダビデの血筋を継ぐ王朝であることを
示す大きなポイントであると思われます。
宮中の祭儀 : ダビデが神に仕えたように、日本の皇室の大きな役目も神への祭儀である
154
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
2. ダビデと天皇家の類似点②
「万世一系の王族」
このことは、もう何度も書きましたが、ダビデ王、また、ダビデ王朝の
大きな特徴は、神が特別に、その王朝が代々続くことを約束した王朝であ
るということです。神はイスラエルの最初の王、サウルにはそのような約
束を行いませんでした。逆に彼は神に逆らい、背き、結果、彼の王朝はす
みやかに滅ぼされてしまいました。
しかし、それに反して神はダビデに関しては、イスラエルのどの王とも
異なって、特別にその王朝が続くことを約束しています。以下のダビデの
ことばの通りです。
Ⅰ列王記2: 4
4. そうすれば、
主は私について語られた約束を果たしてくださろう。すな
わち
『もし、
あなたの息子たちが彼らの道を守り、
心を尽くし、精神を尽くし
て、
誠実をもってわたしの前を歩むなら、
あなたには、イスラエルの王座か
ら人が絶たれない。
』
イスラエルの王座から人が断たれないと、ここで書かれているように、
イスラエルの全土を通して正統な王朝とは、じつは一つであり、それは南
ユダ国に伝わるダビデの王朝のことなのです。
そしてそれはここで約束されているようにダビデの家系が続く、その血
筋が延々と続くとの約束なのです。
そしてそれは日本で言う万世一系のことであり、日本の天皇家が延々と
守り続けている万世一系のそのルーツはダビデにあるのです。
155
日本の天皇家はご存知のように万世一系であり、このような同じ血筋が
2600年も続いている、ということは、全世界を見渡しても似た例がま
ったく見当たりません。
そして日本では、このような由来、聖書に書かれた由来を知っているわ
けでもないのに、なぜかその歴史の中でこのことは確固として守られ、歴
代の将軍も権力者も、このことに関して干渉も妨害も行うことができませ
んでした。
武家の将軍が鎌倉に建てられた時も、また、秀吉が大阪で日本を支配し
た時も、徳川家康が江戸で全国を支配した時も、天皇家の万世一系には何
の変化もありませんでした。そしてそれは今でも同じです。
神がダビデに約束したダビデの子が王となる、との約束は、今でもこの
国で守られているのです。
かくのごとく万世一系を守り続けるとの点で、たしかにダビデと天皇家
とには、類似点があります。
156
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
今生天皇 : ダビデに約束された万世一系の約束は日本の天皇家において実現している
3. ダビデと天皇家の類似点③
「歌を作る」
ダビデがその生涯で行った特徴的なことは前述のように、歌を作ったと
いうことです。その上、彼は楽器も弾きましたので、今で言えばシンガー
ソングライターみたいな人だったのです。
彼の歌は聖書の中、特に詩篇の書に沢山納められています。
その歌の一つ一つを見る時、彼が神に対して忠実に仕える人であったこ
とが分かります。たとえば、以下の歌です。
157
詩篇14: 1ー7
指揮者のために。
ダビデによる
1. 愚か者は心の中で、
「神はいない。
」
と言っている。彼らは腐っており、忌
まわしい事を行なっている。
善を行なう者はいない。
2. 主は天から人の子らを見おろして、
神を尋ね求める、悟りのある者がい
るかどうかをご覧になった。
3. 彼らはみな、
離れて行き、
だれもかれも腐り果てている。善を行なう者は
いない。
ひとりもいない。
4. 不法を行なう者らはだれも知らないのか。
彼らはパンを食らうように、
わたしの民を食らい、
主を呼び求めようとはしない。
5. 見よ。
彼らが、
いかに恐れたかを。
神は、
正しい者の一族とともにおられ
るからだ。
6. おまえたちは、
悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。し
かし、
主が彼の避け所である。
7. ああ、
イスラエルの救いがシオンから来るように。主が、とりこになった
御民を返されるとき、
ヤコブは楽しめ。
イスラエルは喜べ。
ダビデは上記の詩篇のことばで、“愚か者は心の中で、「神はいない。」
と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行
なう者はいない。
”と歌いました。
彼は神がいない、ということを本気で信じたり、論じたりする人々は愚
か者である、と語っているのです。
このことはたしかであり、大いに同意させられる事柄です。
聖書の他の箇所では目に見えないが、しかし、存在する神に関して以下
のように書かれています。
158
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
ローマ人への手紙1: 18ー20
18. というのは、
不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔
と不正に対して、
神の怒りが天から啓示されているからです。
19. なぜなら、
神について知りうることは、
彼らに明らかであるからです。
それは神が明らかにされたのです。
20. 神の、
目に見えない本性、
すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造
された時からこのかた、
被造物によって知られ、
はっきりと認められるので
あって、
彼らに弁解の余地はないのです。
ここでは、「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認
められる」、すなわち神はたしかに目に見えないが、しかし、その神が創
造した被造物 : 鳥、馬、花、虫、海、自然などを通してはっきりと神がお
られることも、どのような方であるかを知ることができるのであって、神
が目に見えないから信じられないなどとは弁解の余地がない、と語られて
いるのです。
会ったことのない人でも、その人が書いた文章や作った作品を通してそ
の人を理解できます。スティーブ・ジョブズは、マッキントッシュのコン
ピューター製作者として有名な人です。私もマッキントッシュのコンピュ
ーターを20年以上使用しており、今、この原稿もマックで打っています。
失礼ながら、Windowsと比べると使いやすく安定していて、直感的
で分かりやすいコンピューターだといつも思っています。
彼、ジョブズには会ったことはないのですが、しかし、彼がこのコンピ
ューターを作る時、どんなことを優先していたのか、分かりやすい直感的
なコンピューターを作った彼の心遣いが理解できるような気がするので
す。
159
さて、これはコンピューターのことです。ご存じのようにコンピュータ
ーは人間の脳の機能に似ており、人間の頭脳はどんなコンピューターより
も優秀です。今、優秀なコンピューターはメガならぬ、ギガ、テラ単位の
記憶容量がありますが、記憶容量一つとっても人間の頭脳にはかないませ
ん。実際、人間の脳は生まれて以来、死ぬまでの出来事のデータをみな、
この小さな頭脳の中に貯蔵できます。
文字のみならず、画像も記憶し、いつでも取り出せるのです。
コンピューターのOSの場合だと、バージョンアップが必須です。
WindowsのOSだと、Windows 95、98、ミレニアム、
XP、Vista、7’と頻繁にバージョンアップしています。
フロッピーだのCDだのDVDだの、新しい媒体や機能がアップされる
たびにOSのバージョンアップをしなければ対応できないからです。しか
し、我々の頭脳のコンピューターに関してはバージョンアップなどなくて
も、どのような場面でも対応できるのです。
普通に歩く時も対応できるし、科学が進歩して自動車を運転する時も、
また、飛行機に乗る時も、さらにロケットに乗る時にも、このコンピュー
ター、すなわち人間の頭脳で対応できるのです。
逆に言うと、人間の頭脳は将来を見越し、すなわち人間がいずれ自動車
や飛行機、ロケットに乗る日をも見越して設計されていることが分かるの
です。そしてそれは、神にしかできないことなのです。
私がジョブズに会ったことがないように、皆神に会ったこと、見たこと
はないのですが、しかし、神の作られたもの、創造されたものはいつも見
ています。神の作られたこの脳の機能一つ見ても、その神の能力の優秀さ、
配慮などは大いに理解できるのです。
さて、話が少しずれましたが、ダビデはかくのごとく、いくつも歌を作
160
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
りました。
さて、日本の天皇家でも歌を作る習慣が代々続いています。毎年、年の
始めには天皇家主催で歌会始めという会さえ催されます。
ウィキペディアによれば、現在の歌会始めの概要は以下の通りです。
―以下引用―
「歌会始め、現在の概要」
例年、
一定の題にしたがって
(兼題の歌会)
国民からの詠進歌を募集してい
ます。
(9月30日頃が締め切り)
応募された詠進歌の中から選者によって
選出された
「選歌」
の詠進者は皇居に招聘され、
宮殿松の間における歌会始
の儀にて詠進歌が披講
(=読み上げること。
披講は綾小路流で行われます。)
される他、
官報の皇室事項欄及び新聞等にも掲載されます。選歌にならな
かった場合も、
佳作として新聞等に掲載されるものもあります。
歌会始の儀では、
まず、
天皇皇后の御前で東宮以下の詠進歌が以下の順で披
講されます。
講師が
「年の始めに、
同じく、
(お題)
ということを仰せ事に依りて、詠める
歌」
と言い、
披講が始まります。
選歌
(10首、
詠進者の年齢の低いものから。
歌に先立ち、都道府県名と氏名
〔氏と名の間に
「の」
を入れる〕
が呼称されます。
)
選者の詠進歌
(選歌を選出する選者のうち代表1人)召人(めしうど―特に
天皇から召された者、
毎年1名)
の詠進歌皇族
(三后並びに皇太子及び皇太
子妃を除く)
の詠進歌
(代表1人。
歌に先立ち、
親王は「―のみこ」、親王妃は
「―のみこのみめ」
、
内親王は
「―のひめみこ」
と呼称される)東宮妃(ひつぎ
のみこのみめ―皇太子妃)
の詠進歌東宮
(ひつぎのみこ―皇太子)の詠進歌。
以上の者は自らの歌の披講の際は起立し、
天皇に一礼する慣わしです。
161
その後、
「皇后宮御歌」
(きさいのみやのみうた―皇后の歌)が2回、
「御製」
(おほみうた―天皇の歌)
が3回、
繰り返して講ぜられる(皇太后が健在時に
は、
皇后宮御歌に先立って
「皇太后宮御歌」
(おほきさいのみやのみうた)が
講ぜられます。
なお、
皇太后宮御歌、
皇后宮御歌、
御製が講ぜられる直前には、まず、講師が
その年のお題を読み上げ、
「…ということを詠ませ賜える御製(おおみう
た)
」
などと講師が言うと、
天皇以外の出席者が全員起立して御製を拝聴す
るのが慣わしとなっています。
これらの歌を講ずる披講所役は、
司会にあたる読師(どくし・1人)、最初に
節を付けずに全ての句を読み上げる講師
(こうし・1人)、講師に続いて第
1句から節を付けて吟誦する発声
(はっせい・1人)、第2句以下を発声に
合わせて吟誦する講頌
(こうしょう・4人)
からなる。これらの所役は「披講
会」
という団体に属する旧華族の弟子が宮内庁式部職の嘱託として務めま
す。
歌会始の模様は、
NHKの総合テレビ
[6]
で全国に生中継され、当日の
ニュースでもその模様や御製・皇后宮御歌・詠進歌が紹介されます。
披講所役による朗詠そのものの持つ
「質的な魅力」に加え、各地の国民の詠
進歌が披露されるという全国大会のような興味、
また、天皇・皇后をはじめ
皇族の詠進歌には、
心情・近況が示唆されることもあり、注目を浴びる宮中
行事の一つです。
―引用終わり―
この記事から分かることは、皇族はみな、その年の題にならって歌を作
られること、さらに国民一般からも歌を募集する、ということです。
ダビデは歌の人であり、その子孫と思われる日本の皇族の方々もみな、
歌を作る人々なのです。ここにも不思議な一致があります。
162
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
さて、さらに一般の国民から歌を募集する、というスタイルですが、こ
のスタイルは日本においては、古くは万葉集の昔から守られています。
万葉集には天皇から庶民まで、500人もの人が歌を歌っています。
同じパターン、
王も庶民も同じ歌集に歌を掲載されるというパターンは、
じつは聖書にもあり、それは聖書、詩篇の中で行われています。というよ
り、この習慣は恐らく聖書が原形なのでしょうが。
詩篇には、主に王であるダビデの歌、さらにソロモンの歌、それと共に
それ以外の人々の歌も含まれています。
ですからダビデも歌の人であり、また、日本の天皇家においても歌を作
る習慣が延々と続けられている、さらに歌の選集には一般の人の歌も含ま
れる、これらの点においてもこれらの両者には類似点があるのです。
歌会始め : ダビデは歌の人であり、それは天皇家にも引き継がれている
163
4. ダビデと天皇家の類似点④
「音楽」
ダビデのもう一つの特徴は音楽、
楽器を奏でる人ということでしょうか。
このことは前述の歌とも関連します。楽器を奏でて歌を歌うわけですか
ら。
聖書には、彼が琴を弾く人であったことが書かれています。以下の通り
です。
Ⅰサムエル記16: 23
23. 神からの悪い霊がサウルに臨むたびに、
ダビデは立琴を手に取って、
ひき、
サウルは元気を回復して、
良くなり、
悪い霊は彼から離れた。
この当時、まだ若かったダビデは当時の王であるサウルから召し抱えら
れ、そのもとで竪琴を弾いていました。
サウル王のもとに悪い霊が下るのですが、ダビデが竪琴を弾くたびに、
その悪い霊が王から離れることが書かれています。この記述のように、音
楽とはたしかに霊的なものなのです。
神の霊からの音楽や演奏は悪い霊からの解放を与えるでしょうが、しか
し、反面、悪い霊からの音楽は人を霊的に悪くさせます。
例としては、ロック音楽を見れば分かります。
ロックを好きな人もいるでしょうから悪く言うと語弊があるかもしれま
せんが、牧師としては語らないわけにはいきません。
医者が患者に嫌われても、体に悪いたばこ、酒は悪いと言うように、牧
164
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
師は霊的に悪いものは、悪いと言う義務があると思っているのです。
ロックはサタン礼拝やら不道徳、暴動などを奨励しますが、こんな音楽
にかかわり、このようなロックの霊にかかわると、ろくなことなど起きる
はずがありません。
そもそもロックスターは、早死にします。
ロックスターの「早すぎる死」は、珍しいことではないのです。ジミ・
ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンら「3J」しか
り、シド・ヴィシャスしかり、ジョニー・サンダースしかり、ブライアン・
ジョーンズ、マーヴィン・ゲイ、フレディ・マーキュリー、ジョン・レノ
ン、そしてマイケル・ジャクソン・・・と枚挙に暇がないのです。
ジョン・レノンのように他人に殺される人もいるし、自分で絶望して死
んでしまう人もいます。たとえば、カート・コバーンです。
―以下、ウェブサイト『カート・コバーンの遺書を詠む』より引用―
“衝撃的なデビュー・アルバムと、
エキセントリックな言動で大衆的成功を
収めたカート・コバーン。しかし、それは自分がもっとも忌み嫌う<スター>
<偶像>への階段だった・・・。
とは言うものの、92年には女優で歌手で
もあるコートニー・ラブと結婚し、
「90年代のシド・アンド・ナンシー」と
称され注目される。
こういう騒がれることが分かり切っている、確信的な行
動をしておきながら、
彼はプライバシーの欠如やマスコミが報道する無数の
ゴシップに怒り狂った。
その怒りと苦悩は93年発表のセカンド・アルバム
「イン・ユーテロ」
に詰め込まれた。
これが前作よりも過激で、内向的で絶望
的で、
本人いわく
「売れないように作った」
というほどの怒りに満ち満ちた
問題作だったにも拘わらず、
又もや全米ナンバー・ワンを獲得。ますますス
165
ター街道一直線。
売れたくないのに、
スターにはなりたくないのに、世間は騒がしたい、注目
されたい・・・自己矛盾とジレンマに陥った彼はドラッグに溺れ出し、そ
の行動も痛々しいくらい不可解になっていった。
自分はもうずっと長いこと、
音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、何か
を書くことにも、
喜びを感じなくなってしまった。たとえば、ステージ裏に
戻って、
ライトがすべて消えたあと、
熱狂的な聴衆の絶叫も、聴衆の愛と崇
拝を喜び楽しんでいたフレディ・マーキュリーが感じたように喜び楽しむ
ことはできなかった。
フレディ・マーキュリーみたいにできるのは、本当に
立派だし羨ましいと思う。
自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。
ただの一人も騙したくない。自分が
考えるもっとも重い罪とは、
100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、
人を騙すこと。
そう、
時々ステージに出て行く前にタイムカードでも押して
いるかのような気分にかられていたんだ。
そして94年の3月、鎮静剤の過
剰摂取で入院するが、
脱走。
同年4月、
自宅で猟銃自殺を遂げる。
”
―引用終わり―
かくのごとく音楽は霊的なものであり、そしてそれが、神や道徳に反旗
を翻すロックの音楽だったりすると、それを用いる人にも影響を与え、ろ
くでもない結果になるのです。
さて、話を戻しますが、このようにダビデは音楽の人、楽器の人でした。
下記の聖書、詩篇の中には、ダビデと関連して歌や楽器の記述が出てき
ます。
たとえば、以下です。
166
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
詩篇4: 0
0. 指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデの賛歌
詩篇5: 0
0. 指揮者のために。フルートに合わせて。ダビデの賛歌
詩篇6: 0
0. 指揮者のために。八弦の立琴に合わせて。ダビデの賛歌
さて、日本の皇室、宮中にも音楽が雅楽として長年用いられてきました。
以下の記述を見てください。
ウェブサイト「雅楽的音楽研究書」より、引用。
―以下引用―
平安時代の貴族たちは儀式や行事に明け暮れていましたが、節会(せち
え)
・宴(うたげ)
・といった行事を行うたびに、雅楽が演奏されていまし
た。楽曲のほとんどは、その曲自体の意味を持たないにもかかわらず、そ
れぞれの節会にはこの曲、宴にはこの曲と定められている場合が多かった
ようです。それらを少し紹介します。
一月(睦月)のみ紹介します。
「宮中行事と雅楽」
●元正
(がんしょう)
・・・元旦節会とも言います。楽の調子は双調です。曲
は「胡飲酒破」
(こんじゅのは)
・
「酒胡子」
(しゅこうし)の二曲を立楽(た
ちがく・節会の時、
楽人が庭に立ったまま演奏すること)を必ず奏していま
167
した。
●白馬節会
(あおうまのせちえ)
・・・正月七日、
天皇が左右馬寮(さうめりょ
う)
の引く
「あおうま」
を見る儀式。
嵯峨天皇の時から儀式として、整うよう
になったようです。
平安末期より儀式は衰退してゆき、応仁の乱以降は途絶
えて、
代わって七草の節会が盛んになりました。
調子は平調で、
曲は
「三台塩急」
(さんだいえんのきゅう)と「鶏徳」(けいと
く)
を毎年奏していました。
●上元
(じょうげん)
・・・中元、
下元と共に三元の一つで正月十五日を指
します。
いわゆる七種粥の日ですが、
昔は草ではなく、米や大豆など、七種類
の穀物だったようです。「平調の中から四・五曲を用いる」とあって特定
の曲はありません。
●踏歌節会
(とうかのせちえ)
・・・天皇が紫寝殿
(ししんでん)で踏歌を観
て、
そのあと五位以上の群臣
(いわゆる貴族)
に宴をたまわった行事。立楽と
舞楽の両方あり、立楽は
「賀殿急」
(かでんのきゅう)・「酒胡子」(しゅこ
うし)
又は
「胡飲酒」
(こんじゅ)
。
舞楽は、
「振鉾」
(えんぶ)・「万歳楽」(ま
んざいらく)
・
「延喜楽」
(えんぎらく)
・
「桃李花」
(とうりか)
・
「登殿楽」(と
うてんらく)
・
「陵王」
(りおう)
・
「納曽利」
(なそり)の七曲で、退出音声(ま
かでおんじょう・舞人が退出するときに奏する曲)には、
「長慶子」(ちょう
げいし)
を奏していました。
●賭弓
(のりゆみ)
・・・朝廷で正月十八日に、
近衛
(このえ)
・兵衛(ひょうぶ)
の舎人の弓射を試みる
(競う)
儀式です。
儀式が終わったあと、勝った方の大
将の邸で行われる饗宴を、
賭弓の還饗
(のりゆみのかえりあるじ)と言いま
す。
舞楽だけで、
「陵王」
(りおう)
・
「納曽利」
(なそり)を奏していました。
―引用終わり―
168
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
上記のように、宮中の行事と共に雅楽が用いられてきたようです。
このことは、ダビデが神への礼拝と共に楽器を用いていたことに似てい
ます。そういうわけでかくのごとく、音楽、楽器を礼拝に用いるという点
においても、ダビデ、天皇家には類似点があることが分かるのです。
雅楽 : 竪琴を弾くダビデの音楽の習慣は皇室にも雅楽として残っている
169
5. ダビデと天皇家の類似点⑤
「戦いの人」
ダビデの生涯でさらに特徴的なことは、彼が勇士であり、戦いの人であ
ったことです。前述のゴリヤテとの一騎討ちのように、ダビデの経歴は華
麗な戦績、勝利の歴史に満ちています。
彼がサウル王の娘と結婚し、王の婿となる、という時です。
持参金として敵軍、ペリシテ人の陽の皮100人分を要求された彼は、
あっさりと200人分の皮を用意します。以下の記述を見て下さい。
Ⅰサムエル記18: 20ー27
20. サウルの娘ミカルはダビデを愛していた。
そのことがサウルに知らさ
れたとき、
サウルはそれはちょうどよいと思った。
21. サウルは、
「ミカルを彼にやろう。
ミカルは彼にとって落とし穴となり、
ペリシテ人の手が彼に下るだろう。
」
と思った。
そこでサウルはもう一度ダビ
デに言った。
「きょう、
あなたは私の婿になるのだ。」
22. そしてサウルは家来たちに命じた。
「ダビデにひそかにこう告げなさ
い。
『聞いてください。
王はあなたが気に入り、
家来たちもみな、あなたを愛
しています。
今、
王の婿になってください。
』
」
23. それでサウルの家来たちは、
このことばをダビデの耳に入れた。する
とダビデは言った。
「王の婿になるのがたやすいことだと思っているのか。
私は貧しく、
身分の低い者だ。
」
24. サウルの家来たちは、
ダビデがこのように言っています、と言ってサウ
ルに報告した。
25. それでサウルは言った。
「ダビデにこう言うがよい。王は花嫁料を望
んではいない。
ただ王の敵に復讐するため、
ペリシテ人の陽の皮百だけを望
170
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
んでいる、
と。
」
サウルは、
ダビデをペリシテ人の手で倒そうと考えていた。
26. サウルの家来たちが、
このことばをダビデに告げると、ダビデは、王の
婿になるために、
それはちょうどよいと思った。
そこで、期限が過ぎる前に、
27. ダビデは立って、
彼と部下とで、
出て行き、
ペリシテ人二百人を打ち殺
し、
その陽の皮を持ち帰り、
王の婿になるためのことを、王に果たした。そこ
でサウルは娘ミカルを妻としてダビデに与えた。
注 : 陽の皮とは、男性器の包茎の皮のこと。
ダビデを嫉妬し、疑いの目で見るサウル王は、敵であるペリシテ人の陽
の皮を要求することで彼を殺そうとしたのですが、ダビデはあっさりと敵
の陽の皮を持ち帰り、それも2倍の数を持ち帰り、王の娘をもらうにふさ
わしい勇者であることを自ら示しました。
このことにかぎらず戦いに挑み、連戦連勝の勇者の歩み、それがダビデ
の生涯の大きな特徴です。
日本の天皇はどうかと言うと、現代はいざしらず、古事記に見る天皇は
勇ましい戦いの人であり、自ら戦いに赴く勇ましい人々だったようです。
―以下ffortune . net「崇神天皇」
の項より引用―
時代の流れを追いかけていくと、
崇神天皇・垂仁天皇の2代で福島県から
広島県付近まで勢力を拡大したあと、
垂仁天皇の子供の景行天皇の時代に
今度はヤマトタケルが出て、
九州・出雲・関東に遠征します。そしてヤマト
タケルの嫁にあたる神功皇后が朝鮮半島にまで兵を進め、その神功皇后の
子の応神天皇が畿内で安定政権の樹立に成功します。崇神天皇から応神天
皇までは大和朝廷の戦いの歴史であり、
「初めて国を治めた天皇」が「和国に
171
君臨する大王」
に成長する記録でもあります。
―引用終わり―
ですから戦いに臨む王という点においても、
ダビデと天皇家との間には、
たしかに類似点があります。
軍服の明治天皇 : ダビデは戦いの人であり、その戦いの習慣は天皇の歴史に残る
172
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
6. ダビデと天皇家の類似点⑥
「死者のために身を汚さない」
ダビデのことをさらに言うと、彼は死者のために身を汚さない、という
規定を守っていたはずです。それはダビデだから、ということではないの
ですが、彼もイスラエル、ユダの民の一人ですから当然、その民として当
時の聖書の規定を守っていたはずです。そして聖書は、死者のために自分
の身を汚さないことを以下のように規定しています。
民数記6: 6ー8
6. 主のものとして身を聖別している間は、
死体に近づいてはならない。
7. 父、
母、
兄弟、
姉妹が死んだ場合でも、
彼らのため身を汚してはならない。
その頭には神の聖別があるからである。
8. 彼は、
ナジル人としての聖別の期間は、
主に聖なるものである。
レビ記21: 1ー4
1. ついで主はモーセに仰せられた。
「アロンの子である祭司たちに言え。
彼らに言え。
縁者のうちで死んだ者のために、
自分の身を汚してはならな
い。
2. ただし、
近親の者、
母や父、
息子や娘、
また兄弟の場合は例外である。
3. 近親の、
結婚したことのない処女の姉妹の場合は、身を汚してもよい。
4. 姻戚の縁者として身を汚し、
自分を冒涜することになってはならない。
民数記19: 13
13. すべて死んだ人の遺体に触れ、
罪の身をきよめない者はだれでも、主
の幕屋を汚す。
その者はイスラエルから断ち切られる。その者は、汚れをき
よめる水が振りかけられていないので、
汚れており、その汚れがなお、その
173
者にあるからである。
これらの規定の中には、祭司やナジル人の規定も含まれており、厳密に
は祭司でもナジル人でもないダビデには適用できないのですが、なにしろ
死者のために身を汚さない、ということが聖書の教えであることはよく分
かるでしょう。ダビデも当然このこと、死者のために身を汚さない、とい
うことを心に留めて生活していたことは大いに想像できます。
さて、一方、天皇家ですが、同じように、死者のために身を汚さないと
いう教えが今でも残っています。
近年、高円宮様、すなわち陛下の弟である三笠宮崇仁親王の三男である
宮様がご逝去された時も、天皇陛下はその葬儀に出席されなかった、とお
聞きしました。
その解説として私の記憶では、ラジオが、
「昔からの習慣に従い、陛下は、
葬儀に出席されなかった」
、そんなことを語っていた記憶があります。
さて、このことは普通の世間の感覚では、
「近親の葬式にも出席しない
なんて」ということで非難の対象にされてしまうかもしれないことなので
すが、天皇家がダビデ王朝の末裔であり、ダビデ以来の習慣を堅く守って
いる家であるなら、当然のように起こり得ることだと、私には思えました。
その理由は、ダビデに連なるイスラエル、ユダの民に対して前述のように
聖書は、
「死人により、身を汚す」ことを明確に禁じているからです。そ
ういうわけでこの場合、天皇陛下はダビデ以来の教えに忠実に従っている
のであって非難されるいわれはない、ということになります。
かくのごとく死人により身を汚さない、ということに関しても、ダビデ
174
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
と天皇家には類似点があることが分かります。
7. ダビデと天皇家の類似点⑦
「王女の服、
振り袖」
さて、もう一つの類似点ですが、服のことです。
聖書の記述によると、ダビデの時代、王の娘が着るのに特別な服があっ
たことが分かります。以下の記述を見てください。
Ⅱサムエル記13: 18
18. 彼女は、
そでつきの長服を着ていた。
昔、
処女である王女たちはそのよ
うな着物を着ていたからである。
召使は彼女を外に追い出して、戸をしめて
しまった。
この箇所は、ダビデの娘、美少女タマルに関する記事です。
ここに書いてある、袖付の長服という着物、これこそ当時、王の未婚の
娘たちが着ていた特別な服だったのです。
さて、日本では、未婚の女性は振り袖の着物を着ます。
この振り袖を既婚の人が着れば、場違いに思う風習が残っています。
なぜなのか?その理由は上記聖書の記述、未婚の王女が袖付の長服、す
なわち振り袖を着たという記述に帰します。
この日本の振り袖こそ、上記未婚の王女、タマルが着た袖付の長服なの
です。
今は皇室といわず、庶民の娘でも着る振り袖ですが、平安時代などは皇
175
族、貴族などが着ていたものです。
そういうわけでダビデの王朝の習慣が日本に今でも残っていること、そ
の類似点があることが分かります。
振袖 : 振袖は王族の未婚の娘が着る衣服だった
176
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
8. ダビデと天皇家の類似点⑧
「何人もの妻」
聖書に記述されたダビデの特徴、そのもう一つは、彼が何人もの妻を持
ったことです。
最初の妻だったサウルの娘ミカル、さらに業突く張りな男、故ナバルの
妻だったアビガイル、さらに、これはよくないことですが、忠臣ウリヤか
ら奪った妻バテ・シェバなど、何人もの妻がいました。
さらに側室も10人ほどはいたようです。そんなに何人もの奥さんを持
つなんて不謹慎だという考えもあるでしょうし、複数の妻を持つなど、今
ではとんでもないことなのでしょうが、しかし、良くも悪くも彼が何人も
の奥さんを持っていたのはたしかです。
私は牧師なので、沢山の妻を持つことは正しいと、ダビデの擁護はでき
ないのですが、しかし、奥さんが沢山いたり、妾(めかけ)が沢山いると、
少なくとも一つは良いことがあります。特にダビデのように万世一系、そ
の血筋が絶えないことを神から約束され、至上命令のように血筋を絶やさ
ないことを語られている人物にとっては。
何を言っているのかと言うと、子孫が絶える心配をする必要がない、と
いうことです。
奥さんがたった一人なら、その奥さんが不妊で子宝に恵まれなければ、
それだけで子孫は絶えてしまいます。しかし、奥さんが多数いて、その上、
妾(めかけ)までいれば、その女性たちとの間に何人かの男の子が生まれ
るでしょうし、その中から一番出来の良さそうな息子を王の世継ぎにすれ
177
ば良いので、子孫が絶える心配をする必要がありません。
そういう意味合いで、単純に子孫の種を絶やさない、もしくは子種のセ
ーフティーネットを持つという視点から考えるなら、ダビデのような結婚
形態は、じつは子種の安定ということでは、安全な方法だと言えるかと思
います。
もちろん一人の男子が一人の女性と添い遂げるという結婚の定義から考
えると、ロマンチックのかけらもない言い方で恐縮なのですが。
このような結婚の形式、複数の妻を持ったり、側室を持ったりするとい
う形式は、じつは日本の天皇家では代々守られてきました。
昭和天皇が「皇室から、側室制度を廃止する」という英断をされた、と
いうことを聞きましたが、逆に言うと昭和以前まで、つい最近まで、この
側室制度は代々天皇家で守られてきたのです。そして道徳的なことは別と
して、その時代まで天皇の世継ぎがなくなる、などということはあまり心
配しないで良かった時代が続いたのです。
そういう意味合いで世継ぎの心配、という意味合いで言うと、今の皇室
は不安定と言えるかもしれません。
今の皇太子様、雅子様ご夫妻のように、女のお子様だけだとそのまま天
皇の子種が途絶えてしまうからです。
しかし、よくしたもので、神様はやはりダビデとの約束を守っておられ、
秋篠宮様に男のお子様、悠仁様が生まれました。
とりあえず、しばらくは安定です。
このように、しばらくは男系が絶える心配はありません。
それなのに何を間違えたのか、最近言われているように女系天皇だの、
女性宮家の創設などと、とんでもない方向に話を持っていくべきではあり
178
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
ません。
ダビデ王朝の存続とは、ダビデの血を引く男系の王が継続していくこと
であり、実際ダビデ王朝の歴代の王は、途中で割り込んで来た悪女アタル
ヤ(数年で殺され、その後、ダビデの血筋に王座は復帰)を除いて、みな
男性の王です。日本の天皇家の歴史も同じであり、天皇は、みな男性が占
め、男系が継続してきたのです。途中で女性が天皇になっても、それはあ
くまで例外、ピンチヒッターのようなものであり、天皇在位中は女性が結
婚することはせず、
他の血を天皇家に入れることは決してなかったのです。
女性宮家を創設して他の男性の血を皇室に入れることは、万世一系の天
皇家の伝統を絶やすことになり、ひいては聖書の神のダビデに対する約束
に真っ向から反対する、恐るべき行為なのです。
神を敵に回すつもりなのか?
馬鹿なことを言うべきではありません。
さて、少し話が別の方向にいったようですが、複数の妻を持つという点
においてもダビデと天皇家には類似があることが分かったと思います。
179
ダビデの妻バテ・シェバ : ダビデには何人もの妻がいた
9. ダビデと天皇家の類似点⑨
「神殿を建設する」
ダビデの生涯の特徴、その別の点は、ダビデが神殿の建設に取り組んだ
ということです。これは前述した通りです。
しかし正確に言うと、神殿建設を実際に行い、これを実施したのはダビ
デの子、ソロモンであり、神殿が完成したのはソロモンが王を引き継いで
からのことです。ダビデと神殿建設に関しては以下の記述があります。
180
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
Ⅰ歴代誌28: 1ー5
1. さて、
ダビデはイスラエルのすべてのつかさ、
すなわち、各部族のつかさ、
王に仕える各組のつかさ、
千人隊の長、
百人隊の長、王とその子らが所有し
ている財産、
家畜全体の係長たち、
宦官たち、
勇士たち、つまり、すべての勇
士をエルサレムに召集した。
2. ダビデ王は立ち上がって、
こう言った。
「私の兄弟たち、私の民よ。私の
言うことを聞きなさい。
私は主の契約の箱のため、私たちの神の足台のため
に、
安息の家を建てる志を持っていた。
私は建築の用意をした。
3. しかし、
神は私に仰せられた。
『あなたはわたしの名のために家を建て
てはならない。
あなたは戦士であって、
血を流してきたからである。』
4. けれども、
イスラエルの神、
主は、
私の父の全家から私を選び、とこしえ
にイスラエルを治める王としてくださった。
ユダの中から君たる者を選ばれ
たからである。
私の父の家はユダの家に属している。主は私の父の子どもた
ちのうちで、
私を愛し、
全イスラエルを治める王としてくださった。
5. 主は私に多くの子どもを授けてくださったが、私のすべての子どもの
中から、
私の子ソロモンを選び、
イスラエルを治める主の王座に着けてくだ
さった。
これらの記述のように、ダビデは神の家である神殿建設を志し、その意
志を持っていたのです。
Ⅰ歴代誌28: 9ー12
9. わが子ソロモンよ。
今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と
喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。
主はすべての心を探り、すべての
思いの向かうところを読み取られるからである。
もし、あなたが神を求める
なら、
神はあなたにご自分を現わされる。
もし、
あなたが神を離れるなら、神
はあなたをとこしえまでも退けられる。
10. 今、
心に留めなさい。
主は聖所となる宮を建てさせるため、あなたを選
181
ばれた。
勇気を出して実行しなさい。
」
11. ダビデはその子ソロモンに、
玄関広間、
その神殿、宝物室、屋上の間、内
部屋、
贖いの間などの仕様書を授けた。
12. 御霊により彼が示されていたすべてのものの仕様書であった。すなわ
ち、
主の宮の庭のこと、
回りにあるすべての脇部屋のこと、神の宮の宝物倉
のこと、
聖なるささげ物の宝物倉のこと、
これらの記述のように、ダビデは神殿建設のための仕様書きを用意し、
さらに資材も用意しました。ですからエルサレムに建設された宮、神の神
殿建設にはダビデの尽力が非常に大きかったのです。
さて、日本の神殿にあたる神社や神宮にも、同じくその建立や建設には
天皇が関係しています。
以下のウェブサイトTNC百科事典「伊勢神宮」に関する記述を見てく
ださい。
“『日本書紀』
垂仁天皇25年3月の条に、
「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささ
はた)
に祀り、
さらにかえりて近江国に入りて、
東の美濃を廻りて、伊勢国に
いたる。
」
とあり、
皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたと
記されている。
内宮起源説話である。
この話は崇神天皇6年の条から続いて
おり、
『古事記』
には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀っ
たとのみ記されている。
移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、
外宮は平安初期の
『止由気神宮儀式帳』
(とゆけじんぐうぎしきちょ
う)
[11]
によれば、
雄略天皇22年7月に丹波国
(後に丹後国として分割)
の比沼真奈井原
(まないはら)
から、
伊勢山田原へ、せん座したことが起源で
あると伝える。
”
182
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
この記述から、伊勢神宮の建立には、何人かの天皇が関係していること
が分かるのです。
さて、伊勢神宮のことが出たので、ついでにこの神宮ならではの特徴的
なこと、式年遷宮に関して述べます。
式年遷宮のHPには、以下のように記載されています。
―以下引用―
Q . 式年遷宮って何のことですか?
A . 式年遷宮の制度は今から約1300年前に、
第40代天武(てんむ)天
皇がお定めになり、
次の第41代持統
(じとう)
天皇の4年(690)に皇大
神宮の第1回目のご遷宮が行われました。
以来長い歴史の間には一時の中
断(戦国時代)
はありましたが、
20年に一度繰り返されて、来る平成25年
には第62回目の御遷宮が行われます。
遷宮とは新しいお宮を造って大御神にお遷
(うつ)りを願うことで、式年と
は定められた年を意味します。
神宮には内宮・外宮ともそれぞれ東と西に
同じ広さの敷地があり、
20年ごとに同じ形の社殿を交互に新しく造り替
えます。
また、
神様のご装束神宝も新しくされます。
Q . なぜ、
20年ごとですか?
A . なぜ、
20年かという定説はありませんが、
その理由はいろいろ推定
されます。
まず20年というのは人生の一つの区切りとして考えられるで
しょう。
また、
技術を伝承するためにも合理的な年数とされていますし、掘
立柱に萱
(かや)
の屋根という素木造り
(しらきづくり)の神宮の社殿の尊
厳さを保つためにもふさわしいとされています。
他にも中国の暦学から伝
わったという説などいろいろあります。
183
しかし、
神宮の式年遷宮は建築物の朽損
(きゅうそん)が理由ではありませ
ん。
この制度が定められた時、
もう奈良の法隆寺は建てられていました。法
隆寺は現存する世界最古の木造建築です。
当時の技術で立派に永久的な社
殿はできたはずです。
神宮の
「唯一神明造
(ゆいいつしんめいづくり)
」
は、いつでも新しく、いつま
でも変らぬ姿を求めて20年ごとに造り替えることにより永遠を目指した
のです。
世界中には永遠を目指した石造の古代神殿がいくつもありますが、
世界の建築家や文化学者が
「伊勢は世界の建築の王座だ」と絶賛します。そ
れは、
原初のスタイルがいつまでも、
どの時代にも存在し、今も昔も変らぬ
まま毎日お祭りがなされているからです。
20年ごとに生まれ変わるという発想、
これは世界のどの国にも見られな
いものです。
しかも神宮が新しくなることで、
大御神のより新しい御光をい
ただき、
日本の国の
「イノチ」
を新鮮にして日本全体が若返り、永遠の発展を
祈るのです。
そこには常に若々しい生命の輝きを求めて止まない日本の民族性を伺うこ
とができます。
―引用終わり―
このHPの記述から分かることは、日本の天皇の社である伊勢神宮には
天武天皇以来の歴史で式年遷宮という制度がある、その制度は具体的には
神宮をそっくり20年ごとに造り変えるという制度である、ということで
す。そして、一体なぜ、その期間が20年なのか?
その理由はよく分からない、ということのようです。
30年でも40年でも良さそうですし、長いほうが、費用がかからなく
て良さそうなのですが、しかし、20年ごとと昔から決まっているのでそ
うなっている、それが関係者の偽らざる解答、そういうことのようです。
184
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
たしかにこの20年ごとの建設ということを伊勢だけにかぎって考える
なら分からないのですが、しかし、この神宮の原形がかつてのダビデ、ソ
ロモンの建設した神殿にあると考えるなら、その理由はあっさりと理解で
きます。
以下の聖書の記述がその答えです。
Ⅱ歴代誌8: 1
1. ソロモンが主の宮と自分の宮殿を二十年かかって建て終わったとき、
ここには、そのダビデ、ソロモンの建てた最初の神の神殿、その神殿の
建設期間が20年であったことが記されています。
18年でも19年でも、また、30年でも40年でもなく、しかし、
20年なのです。伊勢神宮の式年遷宮の年とぴったり一致します。
伊勢神宮では今現在建っている神宮と別に、次の神宮を20年かけて建
設します。そしてその新しい宮のその次の宮も、やはり20年かけて建設
され、古い宮と交代するのです。そんなことを延々とこの神宮は繰り返し
ており、そしてその建設期間は、なぜだか20年であり、誰もその由来を
知らないのですが、しかし聖書に明確にその由来の答えがあるのです。
とても不思議な話です。
天武天皇がその年を20年と命じたとのことですので、少なくともその
頃まではこの記憶、宮の建設には20年を要するというダビデ、ソロモン
以来の記憶が残っていたのでしょう。
さて、そのようなわけでダビデ、天皇家、どちらにも神の宮の建設とい
う共通点、類似点があることが分かります。
185
エルサレムの神殿
10. ダビデと天皇家の類似点⑩
「エルサレムに住む」
さて、このことも前述しましたが、ダビデが王として住んだのは、ユダ
国の首都エルサレムでした。
以下のように記載されています。
Ⅱサムエル記5: 4, 5
186
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
4. ダビデは三十歳で王となり、
四十年間、
王であった。
5. ヘブロンで七年六か月、
ユダを治め、
エルサレムで三十三年、全イスラエル
とユダを治めた。
上記の聖書箇所の記述のように、ダビデはエルサレムに住み、そこから
イスラエル、ユダを治めたのです。
Ⅰ列王記15: 4, 5
4. しかし、
ダビデに免じて、
彼の神、
主は、
エルサレムにおいて彼に一つのと
もしびを与え、
彼の跡を継ぐ子を起こし、
エルサレムを堅く立てられた。
5. それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことのほ
かは、
一生の間、
主が命じられたすべてのことにそむかなかったからであ
る。
この箇所ではダビデの跡を継ぐ子を起こす、すなわち万世一系を継続す
ることと共に、エルサレムという都を堅く建てることが神により約束され
ています。
そういうわけでエルサレムという都は聖書の中で、神により目をとめら
れた特別な都なのだ、ということが分かります。
それはイスラエル、ユダの民にとっても同じであり、彼らは異国の地に
おいてもこの都を思いつのっていたのです。
以下に記載する、捕囚された地バビロンにおけるユダの民の歌は、その
彼らのエルサレムへの遠い望郷の思いが溢れた歌となっています。
詩編137: 1ー9
1. バビロンの川のほとり、
そこで、
私たちはすわり、シオンを思い出して泣
いた。
187
2. その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。
3. それは、
私たちを捕え移した者たちが、
そこで、私たちに歌を求め、私た
ちを苦しめる者たちが、
興を求めて、
「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったか
らだ。
4. 私たちがどうして、
異国の地にあって主の歌を歌えようか。
5. エルサレムよ。
もしも、
私がおまえを忘れたら、
私の右手がその巧みさを
忘れるように。
6. もしも、
私がおまえを思い出さず、
私がエルサレムを最上の喜びにもま
さってたたえないなら、
私の舌が上あごについてしまうように。
7. 主よ。
エルサレムの日に、
「破壊せよ、
破壊せよ、
その基までも。」と言った
エドムの子らを思い出してください。
8. バビロンの娘よ。
荒れ果てた者よ。
おまえの私たちへの仕打ちを、おまえ
に仕返しする人は、
なんと幸いなことよ。
9. おまえの子どもたちを捕え、
岩に打ちつける人は、なんと幸いなことよ。
上記に、「もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の
喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうよう
に。
」と記されているように、エルサレムはユダ国の民にとり、非常に特
別な都だったのです。
そしてユダの国の中心であったダビデの王座は、その生涯の終わりまで
エルサレムにありました。そしてダビデに連なるダビデの血を継ぐユダの
歴代の王たちは、みな例外なくエルサレムに居を構え、そこからユダの国
を治めたのです。
そのようなわけで、ダビデ王家とエルサレムの都は切っても切れない密
接な関係だったのです。
エルサレムが特別な都である、それは舞台が変わり、時代が変わってイ
188
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
エス・キリストの時代になった時もそうでした。
キリストの時代においてもユダの中心地は、
もちろんエルサレムでした。
無名の地、ナザレから出たイエスは一路、エルサレムを目指し、そこで
神から語られた使命を果たしました。
以下のことばの通りです。
ルカの福音書9: 51
9: 51. さて、
天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレム
に行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、
このようにして、まっすぐエルサレムに向かって進んで行ったイエス・
キリストですが、かといって、何か楽しいことがエルサレムで彼を待って
いたわけではありません。
それどころかエルサレムで彼を待っていたのは、彼を憎み、異端視する
宗教家の面々です。以下のことばの通りです。
マタイの福音書16: 21ー23
21. その時から、
イエス・キリストは、
ご自分がエルサレムに行って、長老、
祭司長、
律法学者たちから多くの苦しみを受け、
殺され、そして三日目によ
みがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
22. するとペテロは、
イエスを引き寄せて、
いさめ始めた。「主よ。神の御
恵みがありますように。
そんなことが、
あなたに起こるはずはありません。」
23. しかし、
イエスは振り向いて、
ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あ
なたはわたしの邪魔をするものだ。
あなたは神のことを思わないで、人のこ
とを思っている。
」
彼はエルサレムで起きる自分の運命を前もって知っていたのです。「エ
189
ルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、
殺される」ことを知っていたのです。
それどころか、「そんなことが起きるはずがない」と人間の情でいさめ
た弟子のペテロを叱責さえしています。
正直、このような事柄は、人間的な考えでは全く理解できない世界です。
自分を待っている非難、逮捕、殺害の運命から何とか逃亡したり、弁明
して逃れたりすることを考えるのが普通の人のすることですが、イエス・
キリストに関しては、エルサレムの都で自分の身に起きることを知ってい
ながら、なおかつそこに進んでいったわけですから。
キリストがそのようにされたその理由は、彼の以下のことばを読むと理
解できるでしょうか。
マタイの福音書20: 27, 28
27. あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべ
になりなさい。
28. 人の子が来たのが、
仕えられるためではなく、かえって仕えるためで
あり、
また、
多くの人のための、
贖いの代価として、自分のいのちを与えるた
めであるのと同じです。
」
贖いとは罪の価を払うことであり、具体的には前述の羊を身替わりにし
て、自分の罪を神の前に赦してもらうことに通じます。
羊が殺され、血を流して命を失う、しかし、その羊の犠牲のゆえに、旧
約時代の人々は自分の罪を神の前に赦してもらったことは前述の通りで
す。
そしてイエス・キリストの十字架で血を流して死んだその死は、その羊
の死や血を流すことに通じ、イエス・キリストの犠牲のゆえに、我々の罪
は神の前に赦されるとは聖書が語ることです。
190
3章 天皇家とダビデ王朝との多くの類似点
そしてそのことを、キリストご自身がよく知っていてそれゆえ、
「多く
の人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与える」と語っている
のです。
生まれた時からその死が語られ、そして自分の避け得ようもない運命や
使命を甘んじて受け入れ、未練なく、その死地、エルサレムに向かった人、
それが聖書で語るイエス・キリストの歩みだったのです。
さて、少し話が飛びましたが、エルサレムに関して日本のほうではどう
でしょうか?
前述したように平安時代に天皇が住み、統治した都は平安京であり、そ
の名前は他でもない、エルサレム(平安の教え)と似た名前なのです。
ですから王はエルサレムで治める、この点においてもダビデと日本の天
皇家とには類似点があることが分かるのです。
エルサレムの都 : ダビデはエルサレムに住み、国を治めた
191
4章
ユダヤ人であると
嘘をついている人々
193
1. 彼らは偽ユダヤ人?「ユダヤ人であると
嘘をついている人々」について述べる
さて、かくのごとく日本には、この国が南朝ユダ国の子孫である可能性を
示す事柄が多数あるのです。そして、また、ユダ国の子孫の人々のことをユ
ダヤ人と呼びます。
そして私はこの本で、日本の天皇家こそユダ国の王朝、ダビデ王朝の子孫
であり、また、日本人は南ユダ国の子孫である、すなわち正統なユダヤ人と
は日本人のことである、と述べているのです。
ユダヤ人という名前の定義に関して研究者の書いた本の中にも混乱、勘違
いがあるので、今一度定義したいと思います。
すべてのイスラエル人は、ユダヤ人ではありません。
繰り返すようですが、ユダヤ人とはイスラエル南朝のユダ国の人々のこと
を指すだけです。それ以外の北イスラエル10部族の人々は、ユダヤ人では
ありません。不思議にも、この明白な区分さえおぼつかない人々が、この件
に関する本を書いたりしていますが、まったく混乱した話です。
さて、日本人こそ、その南朝ユダの子孫であるユダヤ人であると私は述べ、
その主張には今まで書いてきたように、大いに根拠も論拠もあるのですが、
一つ困ったことがあります。それはすでに、
「自分はユダヤ人である」と述
べている人々が存在する、という問題です。この問題をどう考えればよいの
でしょうか?
これはたとえてみれば、いわば前もって予約した新幹線の指定席に行って
みたら、すでに他の人が座っているような状態です。
まさか、一つの席に二人は座れませんので困ります。このような場合、多
くの場合、番号の見間違えとか列車が違うとか、どちらかが間違えている可
能性が高いのですが・・・
194
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
さて、この2種類のユダ国、2種類のユダヤ人に関して、私なりに結論
を言ってしまえば、私の理解では今、
「ユダヤ人である」と称している人々
が間違えており、日本人こそ聖書で言う正統なユダ族の子孫である可能性
が高い、と思っています。その論拠を少しずつ見ていきましょう。
ユダヤ人キッシンジャー : 彼らは本物のユダヤ人ではない
聖書で言うユダ族とは、
黄色人種のことである
今、中東のイスラエルに住む人々、また、アメリカのニューヨークに住
む、いわゆるユダヤ人である、と自称する人々は、人種で言うなら明らか
に白人系の人々です。
ユダヤ人として有名なアンネ・フランクもキッシンジャーも、明らかに
白人系の顔だちをしています。しかし、聖書で言うイスラエル、ユダの血
筋は、
セム系、
すなわち黄色人種なのです。
(セム語系ではなく、セム系です。
この違いは重要です。このことは後述します。
)
ここで、すでに大きな矛盾があります。
195
しかるになぜ、彼らはユダヤ人と自称しているのか?
その理由は今、簡単に言えば、彼らの祖先がもともとヨーロッパ、黒海
近辺に住む白人系の種族、ハザール民族に属する人々であり、そのハザー
ルの国の人々が8世紀頃、国を挙げてユダヤ教に改宗した。
その結果、人種的には白人であるが、しかし、宗教的にはユダヤ教を信
じている、という、少しややこしい民族となり、今に至っている、という
ことなのです。この件もあとで詳しく説明する予定です。
さて、これで日本人が本物のユダヤ人だと、もう分かったでしょう?と
言われても、すぐに納得できる人ばかりではないでしょうから、もう少し
説明をします。
人間にも種類があり、その種類を大きく分けるなら、白人、黒人、黄色
人種と言う区分があります。
この3つの人種の区分は明白であり、非常に大きなものです。
たとえば、黄色人種の中にも当然小さな区分があり、細かく言うなら同
じ黄色人種でも、日本人は韓国人と少しは違います。しかしその区分は、
白人とか、黒人という大きな区分に比べれば取るに足らないものです。
事実、日本に韓国の人が住んでいても特に言われなければ、あまり分か
らないものです。日本語が流暢ならほとんど分かりません。
この区分は聖書的に言うなら、ノアの時代に起因します。
大洪水で全人類が滅び、ノアの家族が助かった話が聖書、創世記にあり
ますが、そのノアには3人の息子がありました。セム、ハム、ヤペテと言
います。その3人こそ、世界の3人種の祖先であるとは、よく言われるこ
とです。すなわちセムは黄色人種の祖先であり、ハムは黒人種の祖先であ
り、また、ヤペテは白人種の祖先になったのです。
196
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
洪水の後、ノアがこの3人に関して語ったことばがありますが、それは、
また、この3人種、黄色人種、黒色人種、白色人種の未来を予表したよう
なことばとなっています。
創世記9: 18ー27
18. 箱舟から出て来たノアの息子たちは、
セム、
ハム、ヤペテであった。ハム
はカナンの父である。
19. この三人がノアの息子で、
彼らから全世界の民は分かれ出た。
20. さて、
ノアは、
ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
21. ノアはぶどう酒を飲んで酔い、
天幕の中で裸になっていた。
22. カナンの父ハムは、
父の裸を見て、
外にいるふたりの兄弟に告げた。
23. それでセムとヤペテは着物を取って、
自分たちふたりの肩に掛け、う
しろ向きに歩いて行って、
父の裸をおおった。
彼らは顔をそむけて、父の裸
を見なかった。
24. ノアが酔いからさめ、
末の息子が自分にしたことを知って、
25. 言った。
「のろわれよ。
カナン。
兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
26. また言った。
「ほめたたえよ。
セムの神、
主を。カナンは彼らのしもべ
となれ。
27. 神がヤペテを広げ、
セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのし
もべとなれ。
」
黒人の先祖、ハムがノアの裸を見るという親を敬わない行いをしたため
にハムの子、カナンに対して呪いを語りました。その結果、
「兄弟たちの
しもべとなれ」との呪いは、黒人種に実現するようになりました。アメリ
カの黒人奴隷制度を始め、黒人にはそのような運命、しもべとなる運命が
たしかに起きるようになったからです。
さらにヤペテ、白人に関しては、「神がヤペテを広げ」との祝福通り、
大きな領土が実現するようになりました。
第二次大戦前の世界においては、
197
アジア、アフリカのほとんどの国は白人の植民地でした。この預言も実現
したのです。
そしてイスラエル、ユダの民族は繰り返しますが、セム族、黄色人種の
系統なのです。以下を見てください。
創世記11: 10ー26
10. これはセムの歴史である。
セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年
後にアルパクシャデを生んだ。
11. セムはアルパクシャデを生んで後、
五百年生き、息子、娘たちを生んだ。
12. アルパクシャデは三十五年生きて、
シェラフを生んだ。
13. アルパクシャデはシェラフを生んで後、
四百三年生き、息子、娘たちを
生んだ。
14. シェラフは三十年生きて、
エベルを生んだ。
15. シェラフはエベルを生んで後、
四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。
16. エベルは三十四年生きて、
ペレグを生んだ。
17. エベルはペレグを生んで後、
四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。
18. ペレグは三十年生きて、
レウを生んだ。
19. ペレグはレウを生んで後、
二百九年生き、
息子、娘たちを生んだ。
20. レウは三十二年生きて、
セルグを生んだ。
21. レウはセルグを生んで後、
二百七年生き、
息子、娘たちを生んだ。
22. セルグは三十年生きて、
ナホルを生んだ。
23. セルグはナホルを生んで後、
二百年生き、
息子、娘たちを生んだ。
24. ナホルは二十九年生きて、
テラを生んだ。
25. ナホルはテラを生んで後、
百十九年生き、
息子、娘たちを生んだ。
26. テラは七十年生きて、
アブラムとナホルとハランを生んだ。
このセムの系図の終わりに出てくるテラの子、アブラム(後に改名して
198
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
アブラハム)こそ、イスラエル民族の祖先、イスラエル(ヤコブ)の祖父
なのです。すなわち祖父アブラハムの生んだ父イサクから生まれたのが息
子ヤコブ(後に改名してイスラエル)なのです。
ユダは前述したように、イスラエルの12人の息子のうちの一人です。
日本の民族がどのような人種に属しているのか、ということは、大事な
ことだと思われますので、このことをもう少し詳しく見てみましょう。
イスラエル民族の祖、アブラハム : 彼は、日本人と同じセム族(黄色人種)に属する
199
ヤペテ ( 白人 ) の分布
まず、ヤペテ、白人がどのように分布したのかということですが・・・
以下のように書かれています。
創世記10: 2ー5
2. ヤペテの子孫はゴメル、
マゴグ、
マダイ、
ヤワン、
トバル、メシェク、ティラ
ス。
3. ゴメルの子孫はアシュケナズ、
リファテ、
トガルマ。
4. ヤワンの子孫はエリシャ、
タルシシュ、
キティム人、ドダニム人。
5. これらから海沿いの国々が分かれ出て、
その地方により、氏族ごとに、そ
れぞれ国々の国語があった。
この記述を考えてみましょう。
「ヤペテ」の名は、
「広い」ということば(パーター)の派生語です。
事実、ヤペテ系民族はその名の通り、非常に広い範囲に移り住みました。
ヤペテから出た諸民族は、
「白人」
と呼ばれる欧米人やロシア人をはじめ、
ペルシャ人、インド人などとなりました。
200
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
ヤペテ : 白人種はヨーロッパ近辺に住んだ
ハム ( 黒人 ) の分布
ハム、黒人民族の分布に関して聖書はこう書きます。
創世記10: 6ー20
6. ハムの子孫はクシュ、
ミツライム、
プテ、
カナン。
7. クシュの子孫はセバ、
ハビラ、
サブタ、
ラマ、
サブテカ。ラマの子孫はシェ
バ、
デダン。
8. クシュはニムロデを生んだ。
ニムロデは地上で最初の権力者となった。
9. 彼は主のおかげで、
力ある猟師になったので、
「主のおかげで、力ある猟
師ニムロデのようだ。
」
と言われるようになった。
10. 彼の王国の初めは、
バベル、
エレク、
アカデであって、みな、シヌアルの
地にあった。
201
11. その地から彼は、
アシュルに進出し、
ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、
12. およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町で
あった。
13. ミツライムはルデ人、
アナミム人、
レハビム人、ナフトヒム人、
14. パテロス人、
カスルヒム人♢♢これからペリシテ人が出た♢♢、カフト
ル人を生んだ。
15. カナンは長子シドン、
ヘテ、
16. エブス人、
エモリ人、
ギルガシ人、
17. ヒビ人、
アルキ人、
シニ人、
18. アルワデ人、
ツェマリ人、
ハマテ人を生んだ。
その後、カナン人の諸氏族
が分かれ出た。
19. それでカナン人の領土は、
シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソ
ドム、
ゴモラ、
アデマ、
ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。
20. 以上が、
その氏族、
その国語ごとに、
その地方、その国により示したハ
ムの子孫である。
この記述を見ていきましょう。ハムから出た諸民族は主にアフリカ大陸
や中近東、パレスチナやスリヤ(今のシリア)
、また、小アジア地方(今
のトルコ)方面に移り住みました。
ハムの子孫の多くはアフリカ大陸に広がったのです。彼らはアフリカ北
部から次第に南下して、やがてアフリカ全土に広がったでしょう。
したがって、いわゆるニグロイド(黒人)はハムの子孫、ということに
なります。
しかし、ハムの子孫のすべてがアフリカ大陸に移り住んだ、というわけ
ではありません。また、ハムの子孫のすべてが黒人、というわけでもあり
ません。
202
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
ハム族(黒人種)
セム ( 黄色人種 ) の分布
今度はセム、黄色人種の分布を見てみましょう。
この分布は、以下のように記述されています。
創世記10: 21ー31
21. セムにも子が生まれた。
セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、
ヤペテの兄であった。
22. セムの子孫はエラム、
アシュル、
アルパクシャデ、ルデ、アラム。
23. アラムの子孫はウツ、
フル、
ゲテル、
マシュ。
24. アルパクシャデはシェラフを生み、
シェラフはエベルを生んだ。
203
25. エベルにはふたりの男の子が生まれ、
ひとりの名はペレグであった。
彼の時代に地が分けられたからである。
もうひとりの兄弟の名はヨクタン
であった。
26. ヨクタンは、
アルモダデ、
シェレフ、
ハツァルマベテ、エラフ、
27. ハドラム、
ウザル、
ディクラ、
28. オバル、
アビマエル、
シェバ、
29. オフィル、
ハビラ、
ヨバブを生んだ。
これらはみな、ヨクタンの子孫で
あった。
30. 彼らの定住地は、
メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。
31. 以上は、
それぞれ氏族、
国語、
地方、
国ごとに示したセムの子孫である。
この章の記述を、もう少し詳しくみましょう。
セムの子は、「エラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム」
(創
世記10: 22新改訳)でした。
はじめに3番目の「アルパクシャデ」から、見てみましょう。聖書によ
ると、セムの子アルパクシャデの孫に「エベル」という人がいました(創
世記10: 24)
。
この「エベル」は、ヘブル人の先祖です(創世記11: 14)。すなわち
「エベル」から、イスラエル人とかユダヤ人と呼ばれる人々が出ました。
また、聖書によると、アルパクシャデの子孫の中には、「シェレフ」「ハ
ツァルマベテ」
「ウザル」などの人々もいました。
「シェレフ」は、アラビア南部に定住した民族です。
「ハツァルマベテ」は、今日のアラビア半島南端のハドラマウト地方に
定住した民族です。名前が似ているのは、この地方に移り住んだのが彼ら
だったからです。
「ウザル」もアラビア半島に移り住みました。イエメン辺りに移り住ん
204
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
だのです。イエメンの首都サヌアの旧名は「ウザル」であって、これは彼
らの先祖の名に由来するものです。
このようにセムの子「アルパクシャデ」からは、ヘブル人以外にも、ア
ラビア半島に住む諸民族が出たわけです。
セム系の人々の肌は、だいたい黄色をしています。ですので、現在アジ
アに住む黄色人種の人々は、このセムの子孫が東へ移って来たと考えるこ
とがもっとも普通、妥当な考えです。
結論として言えることは、聖書で言うユダ国の人々はセム系であるとい
うこと、そして日本人もセム系、黄色人種である、ということです。
すなわちその人種の面においても、日本こそ正統なユダ国の民族の子孫
であると言うことは正しいのです。そして今まで見てきたように、それ以
外にも日本には多くの真のユダ族の子孫であることを示す証拠がありま
す。
エルサレム(平安京)
、神殿(神社)
、そして、天皇家の存続などです。
そしてそれらは、今、ユダヤ人であると称しているイスラエルに住む白
人系の「偽ユダヤ人」が持っているユダヤ人としての証拠より、さらに信
憑性があるもの、正しいユダヤ人としての証拠となるものなのです。
205
イエス・キリスト : ユダヤ人は、日本人と同じセム族に属する
2. 偽ユダヤ人が生まれた経緯
聖書は偽ユダヤ人について語る
さて、ユダヤ人とは聖書のある意味中心民族なのですが、そのユダヤ人
に関して、新約聖書ヨハネの黙示録はおどろくべきことを言っています。
以下の通りです。
206
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
ヨハネの黙示録2: 9
9.「わたしは、
あなたの苦しみと貧しさとを知っている。◇◇しかしあなた
は実際は富んでいる。
◇◇またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでな
く、
かえってサタンの会衆である人たちから、
ののしられていることも知っ
ている。
ヨハネの黙示録3: 9
9. 見よ。
サタンの会衆に属する者、
すなわち、
ユダヤ人だと自称しながら実
はそうでなくて、
うそを言っている者たちに、
わたしはこうする。見よ。彼ら
をあなたの足もとに来てひれ伏させ、
わたしがあなたを愛していることを
知らせる。
上記のように黙示録は、「ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、
うそを言っている者たち」について言及しているのです。黙示録には、そ
れ以外の偽者については語られていません。すなわち偽アメリカ人にも偽
イギリス人にも言及していませんのでこのこと、
偽ユダヤ人が終末の時代、
黙示録の時代には大きな意味を持つことを想像できるのです。
繰り返しますが、上記のように聖書、黙示録は2度にわたって偽ユダヤ
人について言及します。ですからそのように思えるかどうかは別として、
とりあえず偽ユダヤ人という類の人々が地上に存在するのかもしれない、
と頭の片隅に思い、その可能性があるかどうかを別途吟味、確認すること
が必要かと思います。
さて、そのような目、視点で物事を見、また、偽ユダヤ人について考え
る時、現在世の中でユダヤ人であると自他共に認められている人々が、じ
つは人種的にその出所が怪しいことに気づくと思います。
何を言っているのかと言うと、中東のイスラエルに住み、また、アメリ
207
カに住み、アンネ・フランク、キッシンジャーに代表されるあの白人の「ユ
ダヤ人」たちは、果たして本物かどうか、その出所が怪しいと言いたいの
です。
このことは私の言いがかりでも何でもなくて、知る人ぞ知る事柄です。
そもそも彼らは、その肌の色からして本物のユダヤ人とは異なります。
なぜなら聖書によれば、真のユダヤ人はセム系、黄色人種であるはずだ
からです。
白人ではないはずなのです。
前述のように聖書で言うノアの洪水後、ノアの3人の息子から世界のあ
らゆる民族が誕生します。
そして3人の息子は、それぞれ世界の3大人種、すなわち黄色人種、白
色人種、黒色人種の祖先となります。
すなわち息子セムは黄色人種の祖先となり、ハムは黒色人種、ヤペテは
白色人種の祖なのです。
そしてアブラハム、イサク、ヤコブ、すなわちイスラエル民族の先祖は
聖書の系図を辿っていくかぎり、セム族、すなわち我々と同じ黄色人種で
あるはずなのです。
しかし、我々がもし現代のイスラエル人、ユダヤ人の風貌を見るなら、
それは明らかに黄色人種というより白人系、ヤペテ系としか見えません。
代表的なユダヤ人であるアンネ・フランクもキッシンジャーも、どう見
ても白人系の顔だちをしています。聖書的に言うならセム系ではなく、ヤ
ペテ系なのです。
ですからこの件に関してはヨハネの黙示録が正しく、彼らは偽ユダヤ人
である可能性があるのです。
ユダヤ人、アーサー・ケストラーの書いた「ユダヤ人とは誰か」(副題 :
第十三支族、カザール王国の謎)
、三交社はこの主題、現在のユダヤ人が、
208
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
じつはアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)に連なるセム系の民で
はなく、ヨーロッパ黒海付近の帝国カザール(ハザール)出身の白色人種
であることを書いたものです。
この国の民が8世紀頃ユダヤ教に集団改宗したため、彼らは今でもユダ
ヤ教を信じていますが、しかし、人種的なことを言うなら、その出所は真
のユダヤ人とは無関係な白人系の民族なのです。
ハザール帝国 : 今の“ユダヤ人”は、もとは黒海近辺の白人王国ハザールの子孫
聖書は偽ユダヤ人の存在について語る
さらに以下のように、いくつもの資料がこのことを裏書きします。
●ユダヤ年鑑
1980年度版における
“ユダヤ人
(Jew)
ということばの簡潔なる歴史”
209
という項目は次のとおりである :
“そのことに関して厳密に言うならば、
古代イスラエル人をユダヤ人と呼ぶ
こと、
もしくは現代のユダヤ人をイスラエル人または、ヘブル人と呼ぶのは、
正しくない”
(1980ユダヤ年鑑、
3ページ)
すなわちユダヤ人の年鑑であるユダヤ年鑑が、「現代のユダヤ人をイス
ラエル人・・・と呼ぶのは、正しくない」ことを認めているのです。
もっとはっきり言えば、聖書で言うイスラエル人、すなわちアブラハム、
イサク、ヤコブの血統の民族と現在のユダヤ人とは、民族的にも血縁的に
も無関係であることをこのユダヤ年鑑は語っているのです。
●Encyclopedia Americana
(アメリ
カ百科事典1985)
“カザール人・・・7世紀から11世紀半ばにかけて、コーカサス山脈の北
方のステップ地帯に、
巨大かつ強大な国家を統治した、いわゆる古代トルコ
語を話す人々なのだが・・・8世紀に、
その政治的、宗教的指導者は、カザー
ルの貴族社会の大多数を率いて、
異教を捨て、
ユダヤ教に改宗した・・・
(カ
ザール人は、
ロシアや東欧のほとんどのユダヤ人の先祖であると信じられ
ている)
”
すなわち現在のロシアや東欧のほとんどのユダヤ人の先祖は、アブラハ
ムでもイサクでもなく、逆にユダヤ教に改宗した白人系のカザール人種で
あることを権威ある“Encyclopedia Americana”
は認めているのです。
●Encyclopedia Britannica
(ブリ
タニカ百科事典15th edition)
210
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
“カザール人・・・6世紀後半、
現代のヨーロッパ=ロシアの南東部一帯に、
巨大な商業帝国を築き上げたトルコとイラン系部族の連合で、8世紀半ば、
その支配階級は、
彼らの宗教としてユダヤ教を受け入れた。”
権威あるブリタニカ百科辞典も、カザール人がユダヤ教を受け入れたこ
とを語ります。アブラハムとは無縁の彼ら白人カザール人こそが、今のユ
ダヤ人の先祖なのです。
●The Jewish Encyclopedia
(ユダ
ヤ百科事典)
“カザール : セム系ではない、
アジア系でもない、
約1世紀に東欧に移住し
たモンゴル系部族国家で、
拡大しつつあったロシアが、カザールの人口を吸
収しようかというとき、
7世紀に国家を挙げてユダヤ教に改宗し、よって、
そのことが、
現在ロシア、
ポーランド、
リトアニア、
ガラティア、ベッサラビア、
ルーマニアなど東欧において、
イディッシュを話すユダヤ人が多く存在する
理由である。
”
今の「ユダヤ人」の先祖であるカザール人がセム系でもなく、アジア系
でもない、すなわちセム系であるアブラハムとは何の関係もない人種であ
ることを、ユダヤ人の百科事典である“The Jewish Ency
clopedia”が認めているのです。
さて、今度はユダヤ人自身の百科事典が、ユダヤ人はアブラハムとは無
縁のアシュケナジー人種であることを認めている記事を見てみましょう。
それは以下の通りです。
211
●The Universal Jewish Encycl
opedia(ユニバーサルユダヤ百科事典)
“ヘブル人の中でアシュケナジーのもっとも重要なポイントは、ドイツとドイ
ツ人である。
このことは、
ドイツ人の元々の先祖の出身は古代メディヤ王国
にあるという事実であって、
メディヤは聖書のアシュケナジーであり、クラ
ウスは中世初期において、
カザールは時々アシュケナジーとして語られてお
り、
すべてのユダヤ人の約92パーセントもしくは、おおよそ1千450万
人はアシュケナジーであるという学説がある。
”
このように、ユダヤ人の百科辞典でさえ、わざわざ、ほぼすべてのユダ
ヤ人が(アブラハムとは無縁の)アシュケナジー人種に属することを書い
ています。
わざわざ百科事典に書くということは、それが無視できない、もしくは
歴史上の変更することのできない事実であることを彼ら自身が認めている
からなのでしょう。さて、上記アシュケナジーとは、どのような民族かと
いうことは聖書に記載されています。
それは、以下の通りです。
創世記10: 1ー3
1. これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、
彼らに子どもが生まれた。
2. ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、
ティラス。
3. ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。
上記箇所から分かるように、今のユダヤ人の先祖であるアシュケナズ、
すなわちアシュケナジーはヤペテ、すなわち白人系の人種なのです。すな
212
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
わち聖書はアシュケナジー=ユダヤ(カザール)は、アブラハムが属した
セムの子孫ではないし、セム族であり得ないということをはっきりと証明
しているのです。
かくのごとく多くの文書が彼ら、ユダヤ人であると称する白人系の人々
が、じつはアブラハムとは無縁のヤペテ系の人々であり、彼らの「自分た
ちは本物のユダヤ人である」との主張は嘘であることを証明しているので
す。
ここでのとりあえずの結論は何かと言うと、この点、すなわち「偽ユダ
ヤ人」がまさに現代において存在する、という点において聖書の主張、黙
示録の主張は正しかったということが確認できたということです。
ブリタニカ百科事典 : この辞典にも、“ユダヤ人”がハザール出身であることが記され
ている
3. 日本人こそ、真のユダ族であることを
証明することへのいくつかの妨害、壁
日本人こそ、真のユダ族であることを証拠付ける資料は多く、その証拠
はいくつもあるのですが、しかし、この作業、日本にこそ、真のユダ族の
子孫が住んでいる、と語ることに関しては、いくつかの高い壁や妨害があ
ります。
213
そのうちの一つは、肝心の日本人がまるで記憶喪失にでもかかったかの
ように、まったく自分たちの過去のルーツに関しての認識も知識も無いこ
とです。
よく小説やマンガに記憶喪失にかかった人の話が出てきます。その記憶
喪失にかかった人は、自分の身近な親や兄弟に会っても何も思い出せませ
ん。ここはどこ?私は誰?の状態で、何も覚えていません。
今の日本人の状況もそのようであり、自分たちのルーツに関して、一体
自分はどこから出て、どういう歴史を辿ってきて、この国日本に辿り着い
たのか、誰も分からないのです。別の言い方をすれば、たとえば、幼いこ
どもが迷子になり、警官に保護されて、
「住所は?電話番号は?」なんて
聞かれても、何も答えられないような、なんともおぼつかない状況なので
す。
そして、もう一つの障害があります。それは前述のように、もうすでに
自分たちがユダヤ人である、ユダ族の子孫である、と称している人々が現
に存在している、という事実です。
彼らは聖書によれば偽ユダヤ人であり、後述するようにそうである可能
性が大いに高いのですが、しかし、何はともあれ、もし、日本人が自分た
ちこそ真のユダヤ人であると論ずるためには彼らがじつは偽者であり、偽
ユダヤ人である、という証明をしなければならない、そのような追加作業
まで必要になるのです。
このことは障害です。
たとえば、道路に自分の財布を落として交番に探しに行ったら、幸い届
けられていた。良かったひと安心と思ったら、他にも自分が落とし主だ、
と主張する人がいる、しかも、もっともらしい語り口で交番の警官に説明
するので困った状態だ、場合によっては本物の落とし主である自分が偽者
214
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
と思われそうだ、そんな状態なのです。今の日本人の状況は。
さらにこのことに関して加えて言うなら、その追加の作業、彼ら白人系
のユダヤ人は偽者である、と証明する作業には、多くの困難があることが
言えます。
なぜならはっきり言って、相手が悪いからです。偏見を恐れずに言うな
ら、彼ら偽ユダヤ人と聖書で名指されている人々は、昔から嘘つきで有名
です。
プロテスタントの祖である、あのマルチン・ルターも彼らの嘘に辟易し
て、
「ユダヤ人と彼らの嘘」という本を書いているほどです。
その彼らが、
「自分たちこそ、本物のユダヤ人だ」と、あらゆる論法を
もって語ろうとしているわけです。
それをみな、ひっくり返して真のユダヤ人は日本人である、と語ること
は、いかに正しい証拠がある、としても、なかなか骨の折れる一筋縄では
いかない作業なのです。
後述しますが、彼らの一部は、わざわざ日本にまで来て、日本の研究者
を誤導すべく、偽の結論、
「日本人は失われたイスラエル北10部族の一
部である」などとの嘘までばらまいています。
日本にこそ、
真のユダ族の子孫が住んでいるとの論拠を進めることには、
これらの嘘をつく人々への反論、さらに惑わされ、誤導された日本人研究
者の結論を訂正する作業まで含まれているのです。なかなか大変なことで
あることは、想像していただけるでしょうか?
さらにさらに追加して言うなら、相手が悪いというより、出版妨害さえ
平気で行う名うての妨害民族を相手にしなければならない、という困難が
あります。
215
偽ユダヤ人が出版妨害を行うとは、日本においても知る人ぞ知る事実で
す。有名なところでは、マルコ・ポーロ事件という出版妨害事件が日本で
はあります。
アウシュビッツに関する記事を掲載しようとした文芸春秋社の雑誌、マ
ルコ・ポーロの出版への妨害が偽ユダヤ人により行われ、雑誌が廃刊して
しまったという強力な出版妨害事件です。
イスラエルどころか、遠い日本の雑誌にさえ出版妨害を行い、廃刊に追
い込むこともできる民族を我々は相手にしなければならないのです。
なんともはや、
大変な仕事であることは、
ご理解いただけるでしょうか?
ユダヤ人の圧力により、廃刊にされた雑誌マルコ・ポーロ
216
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
4. なぜ、日本に真のユダ族の子孫が
住んでいるのか?バビロン捕囚の歴史
ユダ族が本来住んでいた国は中東であり、イスラエルの国でした。それ
は聖書に書かれていることです。その中東のイスラエルに住んでいたユダ
族の民は、紀元前6世紀頃異国バビロンに捕囚となってしまいました。以
下の箇所の通りです。
Ⅱ列王記24: 11ー16
11. バビロンの王ネブカデネザルが町にやって来たときに、家来たちは町
を包囲していた。
12. ユダの王エホヤキンは、
その母や、
家来たちや、高官たち、宦官たちと
いっしょにバビロンの王に降伏したので、
バビロンの王は彼を捕虜にした。
これはネブカデネザルの治世の第八年であった。
13. 彼は主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、イスラエルの
王ソロモンが造った主の本堂の中のすべての金の用具を断ち切った。主の
告げられたとおりであった。
14. 彼はエルサレムのすべて、
つまり、
すべての高官、すべての有力者一万
人、
それに職人や、
鍛冶屋もみな、
捕囚として捕え移した。貧しい民衆のほか
は残されなかった。
15. 彼はさらに、
エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、
その宦官たち、
この国のおもだった人々を、
捕囚としてエルサレムからバビ
ロンへ連れて行った。
16. バビロンの王は、
すべての兵士七千人、
職人と鍛冶屋千人、勇敢な戦士
を、
すべて、
捕囚としてバビロンへ連れて行った。
217
上記箇所を見ると、ユダの王一族さらにその家来、高官たちはバビロン
王に降伏し、そしてバビロンに捕らえ移されたことが書かれています。
その捕囚は、その後70年程続いたのですが、その捕囚のあとはどうな
ったのでしょうか?
バビロン捕囚後の歴史を書くエズラ、ネヘミヤ記などを見ると、ユダの
一部の住民はユダ、エルサレムへ戻って来たようです。
しかし、それは文字通り一部であり、ユダ族の中心を成す王の一族や高
官たちがみな、帰って来たようには思えません。
なぜ、そう言うか、と言うと、上記エズラ、ネヘミヤ記には、ユダ族の
王の記述や、その王がユダ、エルサレムに帰還したとの記述は皆無だから
です。
それらの書にエルサレムに帰還した人の名前が記載されていますが、そ
の中にユダの王の名前もその子の名前もありません。
すなわち王を始めとしたユダ族の王族は、バビロン捕囚を機にどこか別
の地方へ移ってしまった可能性が高いのです。
ですので、この紀元前6世紀頃起きたバビロン捕囚を契機にユダ族の民
は、その住む地によって分けられ、少なくとも2種類の地に住むことにな
ったと言えるのです。
一つは、ユダ、エルサレムへ戻った人々です。
もう一つは、バビロン捕囚後、ユダ以外の地へ移ってしまった人々です。
その中にはダビデ王朝の血筋を受け継ぐ王族及びその家来、高官などが
含まれます。
そして、
その王族を始めとしたユダの中心グループが東へ東へと移動し、
最後に東の島国、日本にまで辿り着いたと考えることは、あり得ないこと
218
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
ではありません、否、大いにあり得ることです。
と言うのは、ダビデに神が約束した万世一系の王族、天皇家が日本にあ
る以上、この国日本こそ、そのユダ族の終(つい)の住みかとなった国で
ある可能性がもっとも高い国なのです。
繰り返しますが、ユダ族の民族のうち、もっともコアな部分の人々、ダ
ビデ以来の王族関連の人々はバビロン捕囚以降ユダには帰還していない、
したがって(恐らく)東のどこかの国に移住した可能性が高いのです。
そして、そのバビロン捕囚が起きたのは紀元前6世紀、今から2600
年程前ですが、日本の皇室の起源も2600年程前であり、年代的にも大
いに一致するのです。
これらはとても偶然とは思えません。ですので日本の皇室がダビデ王朝
の末裔であるという、一見とんでもないような主張はこれらのユダ族の捕
囚の歴史やその時期を考える時、大いに整合性があり、信憑性のある主張
なのだ、ということをご理解ください。
バビロン捕囚
219
5. 日本にはあり、偽ユダヤ人にはないもの
日本人が真のユダ族の子孫であり、真のユダヤ人である、逆に今、ユダ
ヤ人である、と称している人々は偽者である、と言う時、どちらに分があ
るように思うでしょうか?
普通に考えれば世界中の人々が、彼ら中東のイスラエル国に住む人々こ
そユダヤ人である、と考えているので、日本人=真のユダヤ人説は、分が
悪いように思えます。しかし、よく見ていくとそうでもない、日本には真
のユダヤ人が持つべき決定的な証拠が存在することが分かります。
そして逆に彼ら、ユダヤ人である、と称している人々にはその証拠が存
在していません。
それはいくつかあるのですが、その筆頭は繰り返して言うようですが、
何と言ってもユダ族のもっとも中心的な存在、ダビデ以来の王族の存在で
す。
今、ユダヤ人であると称している人々には、そのダビデにさかのぼれる
ような王族はまったく存在していません。
ダビデにさかのぼれるどころか、
彼らの大部分は血筋的にはユダヤ人でもありませんので論外です。
もっとも大事な証拠、神が度々その王座が後々まで続く、存続すること
を約束しているダビデ以来の王族が存在していない、この点で今、ユダヤ
人であると称している人々の信憑性には大いに欠落があり、疑問があるの
です。
もう一つの彼らの弱点、ユダヤ人であると言い張るためには決定的に大
きなウィークポイント、彼らが真のユダヤ人、ダビデに連なる民と主張す
るには妨害となるポイントは、彼らがセム族、黄色人種ではなく、明らか
に白色人種の系統の人種だということです。このことはどのように反論し
ても言いつくろってもぬぐいきれない疑問であり、隠しきれない彼らの嘘
220
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
なのです。
考えてもみて下さい。たとえば、有名なユダヤ人であるアンネ・フラン
クみたいな白人系の女の子がいきなり日本の小学校に入って来て、「私は
生粋の日本人です。父も母も何十代も続く日本の血筋です。」なんて言っ
ても、やはり無理があるのです。どこから見ても、西洋系の顔立ちだから
です。
このような場合、調べてみると、本人の言うことは正しくはなく、じつ
は父親が白人だったりするわけです。
そのようなわけで、
「白人系の容貌を持つ人はその親や先祖も白人系で
ある」という人間の常識、基本はしっかりと持っていてください。何でそ
んな決まりきったことを強調するのか、と言うと、そのあたりの常識を失
い、偽ユダヤ人の嘘の主張である遺伝子がこうだとか、DNAがああで、
こうでなんていう嘘にだまされて、すっかり白人系の彼らが黄色人種であ
るセム系の子孫であるとまじめに信じ込んでいる頼り無い「研究者」がこ
の国には多いからです。
ついでにもう一つ、セム系ということばとセム語族ということばは、異
なることばであるということを知っておいてください。
具体的に言うと、彼ら偽ユダヤ人はたしかにセム語を操り、ユダヤ人の
ことばであるヘブル語を操るのですが、それとまた、彼らの血筋は別だと
いうことです。
前述したように、彼ら偽ユダヤ人の先祖は8世紀頃ユダヤ教に集団改宗
したヨーロッパ、白色人種のハザール人の子孫です。
彼らがユダヤ教に改宗し、また、どうもその言語や習慣も取り入れたよ
うなので彼らにはユダヤの習慣があり、また、彼らは自由にヘブル語を操
221
ります。
しかし、だからといって、いくらヘブル語がうまくなり、彼らがセム語
系のことばを語っているからといって、それによって肌の色が変わるわけ
でも、白が黄色の肌に変わるわけではないのです。
そんなことは当たり前と思うでしょうが、例を挙げます。
たとえば、初期の日本のサッカー J リーグで活躍した人に、南米のラモ
ス選手がいます。
彼は日本語もうまいし、日本の文化や精神に通じていて、場合によって
はよっぽど日本人よりも日本的なところもあるようです。
しかし、そうだといって彼が、いくら日本語がうまいからといって、彼
の持って生まれた肌や瞳の色が変わるわけではないのです。
日本人よりも日本人ぽい彼ですが、しかし、やはり生まれてくるこども
は彼の血をひいて、南米系の肌や瞳を持つ可能性が高いのです。
今、彼ら、ユダヤ人であると称する白人系の彼らも同じであり、その言
語といい、風習といい、真のユダヤ人のように思えるのですが、しかし、
かといって、それらをもって血筋までは変えられないのです。
彼らが人種的には真のユダヤ人ではない証拠はいくつもあるのですが、
その一つを挙げれば、
彼らがユダヤ人の定義として、
「母親がユダヤ人なら、
その人はユダヤ人」であると定義していることです。
このような母方の家系による定義は血筋や系図を語る聖書の定義とは異
なり、また、日本の定義とも異なる、少し異常な定義です。
何を言っているのか、と言うと、聖書では、そのユダヤ、イスラエルの
血統を語る時、原則男系、男の家系、すなわち父方の家系を記載するから
です。たとえば、イエス・キリストの系図です。
222
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
以下の系図を見てください。
マタイの福音書1: 1ー17
1. アブラハムの子孫、
ダビデの子孫、
イエス・キリストの系図。
2. アブラハムにイサクが生まれ、
イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダと
その兄弟たちが生まれ、
3. ユダに、
タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生ま
れ、
エスロンにアラムが生まれ、
4. アラムにアミナダブが生まれ、
アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンに
サルモンが生まれ、
5. サルモンに、
ラハブによってボアズが生まれ、
ボアズに、ルツによってオベ
デが 生まれ、
オベデにエッサイが生まれ、
6. エッサイにダビデ王が生まれた。
ダビデに、
ウリヤの妻によってソロモン
が生まれ、
7. ソロモンにレハベアムが生まれ、
レハベアムにアビヤが生まれ、アビヤにア
サが生まれ、
8. アサにヨサパテが生まれ、
ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが
生まれ、
9. ウジヤにヨタムが生まれ、
ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが
生まれ、
10. ヒゼキヤにマナセが生まれ、
マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤ
が生まれ、
11. ヨシヤに、
バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。
12. バビロン移住の後、
エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベル
が生まれ、
13. ゾロバベルにアビウデが生まれ、
アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤ
キムにアゾルが生まれ、
14. アゾルにサドクが生まれ、
サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデ
223
が生まれ、
15. エリウデにエレアザルが生まれ、
エレアザルにマタンが生まれ、マタンに
ヤコブが生まれ、
16. ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。
キリストと呼ばれるイエスはこ
のマリヤからお生まれになった。
17. それで、
アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバ
ビロン移住までが十四代、
バビロン移住からキリストまでが十四代になる。
以下の系図は男系の系図であり、系図に記載されているのはほとんど男
性です。
例外的にタマル、ラハブ、ルツ、バテ・シェバ、マリヤなどの女性が記
載されていますが、
それはあくまで男系を補助する意味合いでの記載です。
すなわち日本で言えば、天皇陛下にその皇后である美智子様を通して皇
太子殿下がお生まれになり、といった説明する意味合いでの女性の登場な
のです。
そしてこれはイエス・キリストだけでなく、聖書の系図の書き方は、み
な、このような男系を語る書き方なのです。
しかるに聖書の民であり、その正統なルーツを主張するはずの人々、セ
ム族、黄色人種系であると主張するには、やけに色の白い人々は、なぜ、
自分たちのルーツに関して聖書の方法に従わず、逆に女系を主張し、「母
親がユダヤ人なら、ユダヤ人であると認める」などと言うのでしょうか?
その理由は私が察するに、彼らのルーツにあります。
彼らが言わんとしていることは、こういうことです。
「もし、父親のルーツを辿っていけば、それは白色ハザールに至る。ヤ
ペテ、白色人種のアシュケナジーに至る。結果、黄色人種である、セム系
224
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
とは異なる人種ではないか、との疑問に至る。しかし、母親のルーツを考
えるなら、白色人種であるハザール人と結婚したユダヤ女性のルーツに至
る。だからユダヤ人の定義は母親がユダヤ人であることと定義しよう」
そんな考えがあったと理解できます。
逆に言うと、彼らが母系、女系にこだわる、ということ自体、じつは彼
らの男系、父親系を調べたら、白色人種であるハザールに至ることを彼ら
自身がよくよく知っているからと理解できるのです。
そういうわけで、彼らにはその出自やルーツ、血筋に関してぬぐっても
ぬぐいきれない疑惑がある、それは彼らが大手を振って我々こそ真のユダ
ヤ人であると述べるには、大きな妨害となる致命的な欠点であることを知
ってください。
逆に日本人はまぎれもなく、セム、黄色人種であり、この面においても
日本のほうに大きな得点ポイントがあります。
ユダヤ人 : 彼らの父方のルーツはユダヤには至らない
225
6. 偽ユダヤ人の歴史、
また、行い
彼らが、果たして本物のユダヤ人であるのか、果たして偽ユダヤ人なの
かを考える時、彼らの過去や評判について一考することは有益であると思
います。
私の主張、今、イスラエルに住む人々、色の白いユダヤ人は、じつは偽
者であり、本物のユダヤ人ではない、という主張は聞きようによってはと
んでもない主張なのですが、しかし、落ち着いて冷静な耳を持ち、この色
の白い人々の過去を見ていくなら、彼らならそういう嘘もあり得るな、と
いう結論に入っていくと思われます。
ルターの偽ユダヤ人に関する説明
ルターは彼ら、ユダヤ人であると称する色の白い人々に関して、どう言
っているでしょうか?彼は前述の「ユダヤ人と彼らの嘘」という本の中で、
以下のように述べています。
―以下引用―
彼らの宗派は、悪魔の巣くつである
それゆえあなた方はユダヤ人たちに対して警護を固め、次のことを知るべ
きである。
すなわち、
彼らが集いを持つ場所は悪魔の巣くつ以外の何者でも
なく、
そこでは自分たちをみずから讃美し、
虚栄、
嘘、冒涜を語り、神と人間
に恥辱をもたらすといったことが、
悪魔がなすのと同様に、もっとも強烈に
226
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
して、
もっとも有害なやりかたで実行されているのだということをである。
ユダヤ人たちが説教しているところで聞くということは、それがどこでも、
「一にらみで人々を傷つけ殺害した、
危険なバシリスク(中世の伝説)」が話
すのを聞いているのと同じことであると、
あなた方は考えねばならない。
神の怒りをとおして彼らは自分たちを自慢すること、虚栄、神に偽りを言う
こと、
すべての異邦人を呪うことなどのすべてが正しく、そうしたことが神
への偉大な奉仕であり、
このような高貴な父親の血筋と割礼した聖人にふ
さわしいことなのだと信じるよう教えられてきた
(たとえ彼らが、はなはだ
しい悪徳の中にあって、
他のところでどんなに自分たちをいやしいと思っ
たとしても)
彼らはこうしたことによって神の加護が与えられてきたと考
えているのである。
彼らを監視せよ!
―引用終わり―
かくのごとく、プロテスタントの祖であるルターは、ユダヤ人の宗派は
悪魔の巣くつである、と述べているのです。
恐るべきタルムード
ユダヤ教の教典はタルムードですが、そのタルムードは聖書とは無関係
の恐るべき人間中心の書です。以下、
「阿修羅」HPより、少し引用します。
―以下引用―
●神はユダヤ人にすべての方法を用い、
詐欺、
強力、高利貸、窃盗によってキ
227
リスト教徒の財産を奪取することを命ずる。
(オルディン1、トラクト一、
ディスト四)
●われわれはタルムードがモーセの律法書に対して絶対的優越性を有する
ことを認むるものなり。
(イスラエル文庫、
一八六四年)
●律法
(聖書)
は多少とも重要ではあるが、
長老方が聖典に記されたことば
は常に重要である。
●タルムードの決定は、
生ける神のことばである。エホバも天国で問題が起
きたときは、
現世のラビに意見を聞き給う。
(ラビ・メナヘン、第五書の注解)
●神は夜の間にタルムードを学び給う。
<メナヘム・ベン・シラ法師>
●なんじらは人類であるが、
世界の他の国民は人類にあらずして獣類であ
る。
(ババ・メチア、
一四六の六)
●なんじらイスラエル人は人間なれど、
他の民族は人間に非ず。彼らの魂汚
れし霊より出でたればなり。
<メナヘム・ベン・シラ法師>
●イスラエル人は人間と呼ばる。
しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出
でしものなれば、
豚と呼ばるるなり。
<ロイベン法師>
●悪魔と世界の諸民族とは、
畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>
●犬は異邦人より勝れたるものなり。
<アシ法師>
●なんじ殺すなかれ、
とのおきては、
イスラエル人を殺すなかれ、との意な
228
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
り。
ゴイ、
ノアの子ら、
異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・
マエモン>
●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモ
ン>
●拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、
ユダヤ人に対してのみ守らるべ
きものにして、
ゴイに対しては然らず。
このことに就き亡きわれらの教法師
たちの言えるあり。
すなわち、
「遺失物とはすべてなんじの兄弟の失いしと
ころの物を指すものにして、
ゴイの失える物は然らず。その理由は、ゴイは
神に属する者に非ずして、
地の邪神に属する者なるゆえなり。ゆえにゴイの
失えるすべての物は、
この世にては再び見つけらるることなき遺失物にし
て、
その所有者にかえるべきにあらず。
財宝は唯一イスラエル人にふさわし
く、
他の民はこれに値いせざるものなればなり。
これ預言者イザヤ(二六ノ
一九)
の言えるがごとし」
と。
<ゲルソン法師>
●他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえ
になんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。
(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)
●ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、
その責任を負うべきであ
るが、
ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセ
フタ、
アブダ・ザラ八の五)
●「盗賊」
ということばの解釈。
ゴイは、
ゴイからであろうとユダヤ人からで
あろうと、
盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だが彼(ユダ
ヤ人)
はゴイに禁じられているこれらのすべてのことをなしても禁じられ
ない。
(トセフタ、
アボダ・ザラの五)
229
●偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び、
いやしき牧人はこれを殺すことを
許さず。
されど彼らが危険に面し、
また死に瀕せりとて彼らを救うことは許
されず。
例えば彼らの一人が水に落ちたるとき、
報酬ある場合と雖も彼を救
い上ぐべからず。
また彼らを瀕死の病よりも、
いやすべからず。報酬ある場
合と雖も。
しかれども、
われらと彼らの間に敵意の生ずるを防止するためな
らば、
報酬無き場合にも彼らを救出し、
また、
いやすことをゆるさる。しかれ
ども偶像を拝む者、
罪を犯す者、
おきてと預言者を否む者は、これを殺すべ
し。
而して公然と殺すを得ば、
そのごとくなせ。
しかするを得ざる場合には、
彼らの死を促進せよ。
たとえば彼らの一人井戸に落ちたるとき、その井戸
に、
はしごあらば、
これを取去り、
直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い、か
くすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハ
ン・アルフ、
第二巻智慧の教)
●ユダヤ人はゴイから奪ってよい。
ユダヤ人はゴイから金をだまし取ってよ
い。
ゴイは金を持つべきではなく、
持てば神の名において不名誉となるだろ
う。
(シュルハン・アルフ、
コーゼン・ハミズパットの三四八)
●ゴイに向って誓いを立てた者は、
盗賊であれ税吏であれ、責任を取らなく
てよい。
(トセフタ・スゼブノットの一一)
●ゴイにわれらの信教を教える者は、
ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイ
がわれらの教説を知ったならば、
かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リ
ブル・デヴィッドの書の三七)
●ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら、ただた
だ、
うその説明をするべきであり、
本当のことを教えてこの指示を裏切る共
犯者となってはならない。
この律法を破る者は生かしておいてはならない。
(リブル・デイヴィドの三七)
230
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
●ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではない
かと聞いたら、
偽りの誓いを立てなければならない。そして、そのようなこ
とは誓って書いてないと言わなければならない。
(ザーロット・ウザボット、
ジュル・ダの書の一七)
●タルムードを学ぶゴイ、
それを助けるユダヤ人はことごとく生かしてお
いてはならない。
(サンヘドリン、
五九、
ア・アボダ・ゾラ、八の六。ザギガの
一三)
―引用終わり―
これらのいくつかのタルムードからの引用を見ても分かるように、ユダ
ヤ教とは、
とんでもない悪魔的な教えであり、
また、そのタルムードを信じ、
実行する偽ユダヤ人とは、とんでもない人々である、と想像できるのです。
それはこういう論理です。
人はその読む本によって、
その人の性向や趣味ということが分かります。
愛読書が料理の本、家事の本、家計のやりくりの本という女性は良い奥
さんになるだろうな、と予想します。
逆に愛読書が競馬やパチンコ、競輪など、ギャンブル関係ばかりの男性
に関しては一獲千金を狙う、刹那主義的な男か、と類推できるのです。
読む本と読む人とは、無関係ではいられないのです。
タルムードはユダヤ人には必須の宗教書ですが、しかし、
「ユダヤ人は
ゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金をだまし取ってよい。」など
と公然とゴイ(ユダヤ人以外の異邦人)からの金の強奪、だまし取ること
を勧める、泥棒教本みたいな本を一生懸命読み、記憶し、育つユダヤ人た
ちが、ろくな人間に育たないだろうな、ということは想像できます。
231
事実、歴史を振り返るなら、彼らはあちこちの国から追放令を受け、ヨ
ーロッパのあらゆる国から追い出されてきました。イギリス、フランス、
ドイツ、スペイン、ロシア、あらゆる国が彼らを追い出しました。
その理由について偽ユダヤ人たちは、
「私たちは神の民だから、迫害を
受けた」などと、とんでもない嘘を言いますが、実際にはそんなことはあ
りません。
事実はこれらのヨーロッパの神を信じる国々は、その偽ユダヤ人たちの
悪行があまりにもひどいので、彼らを追い出したのです。
「なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類で
ある。
」などと語り、他国の人々を獣扱いする彼らユダヤ人の悪行にうん
ざりしたヨーロッパの人々が彼らを追い出したのです。
特に我々が、彼ら偽ユダヤ人のことばを信用すべきかどうかを判断する
時に、参考にすべきなのは、
「ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であ
れ税吏であれ、責任を取らなくてよい。
」と嘘や虚偽の誓いを積極的に勧
めているタルムードの記述です。
嘘をついてもよい、虚偽の誓いをしてよい、と神の名において勧めてい
る本を教典として信じる人々のことばを、掛け値なしに信じてよいのかど
うか?という問題があるのです。
この質問に対する答えは当然、そのような人々のことばは話半分として
むやみに信じるべきでない、ということになります。
しかるに悲しいことにこの領域、日本とイスラエルの関係を語る日本で
出された本の著書を見るかぎり、このような必須な注意事項に目を留める
人は皆無のようで、みな、誰も彼も手もなくだまされたり、誤導されたり、
という結果に至っているようです。
232
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
かくのごとく日本の真のルーツ、明らかに認められる日本と南朝ユダ国
との関係を語る時、単に学問的な面や資料の良し悪しといった問題にとど
まらず、それ以外の要素、すなわち、わざわざ間違えるような論議、結論
を提起し、さらに誤導すべく他の道を示す人がいる、という事実にも目を
留めなければならないことは、ぜひ覚えておいていただきたいものです。
これは結構、思う以上に大変なことなのです。
なお、彼ら偽ユダヤ人とタルムードの関係を語る時、一つ追加して語っ
ておきたいことがあります。それは彼らと聖書との関係です。彼らは一般
に聖書、旧約聖書を信じる民と言われています。
そして、その関係のゆえに、彼らが悪魔的なので旧約聖書も悪魔的な本、
旧約の神も悪魔的な神であるというとんでもない論議を語る人もいる、と
いうことです。具体的な名前を言えば、故太田龍氏を始めとした陰謀論者
の論理です。
しかし、これははっきり言ってとんでもない間違い、表層的な議論です。
聖書を引用した人が悪魔的だからといって、聖書そのものが悪魔的であ
るとの結論はあまりにも短絡的な結論です。彼らがおかしな人々だからと
いって、聖書がおかしな本、聖書の神がカルト的な本だとは、お門違いな
論議です。
じつは聖書を引用しておかしなことを言う、カルト的な教えのよりどこ
ろとするとは、昔からよくあるインチキな手法なのです。たとえば、キリ
スト教の異端と言われる、輸血拒否のエホバの証人、さらに集団結婚で有
名なカルト宗教統一教会、さらにカルト的な一夫多妻宗教、モルモン教、
おかしな霊界の人、スウェーデンボルグなど、みな聖書を基に、聖書を根
拠にとんでもない教えを語る人々です。
233
タルムードもその類いのおかしな宗教であり、聖書を基にしていると言
いながら、そのじつ本末転倒し、聖書とまったく反対の教え、人を殺した
り嘘をついたり、といったことを教える変形したカルトの教えなのです。
それどころか自分たち、愚かなユダヤラビたちの教えは聖書の本、さら
に聖書の神よりまさるものであるとし、上記タルムードの中で、「われわ
れはタルムードが(聖書の)モーセの律法書に対して絶対的優越性を有す
ることを認むるものなり。
」と述べています。
このことは彼らの妄想、傲慢を語るものです。
ここに記されたモーセの律法書とは、聖書の最初のモーセ5書のことで
あり、聖書の教えの中核を成すものです。その教えをさしおいてタルムー
ドの教え、隣人を殺せ、異邦人の物を奪え、と命じるタルムードの教えを
優先するとはまことに妄想のきわみです。
このような方策、論法をカルトの教え、カルトの宗教と言うのですが、
まさにタルムードはそのような書です。
ベニスの商人の話
ヨーロッパにおいて偽ユダヤ人はどのような行いをし、また、どのよう
な評判を得たのでしょうか?
日本でもその名前を知られているユダヤ人に関する話として、シェーク
スピア作の戯曲「ベニスの商人」の話があります。
その内容はイタリア、ベニスにいるユダヤ人高利貸し、シャイロックに
関する話です。
その話は高利貸しを営む金に汚いユダヤ人、シャイロックが、自分が憎
234
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
むキリスト教徒である商人アントニオ、無利子で金を貸し、人に好かれる
アントニオを罠にかけようとするが、裁判官の機転により、そのもくろみ
に失敗するという話です。
もちろんこれは劇であり創作話ですが、しかし、このような劇が成立し、
しかも、みなに拍手喝采で上演されていた、ということは、当時のヨーロ
ッパにおいてユダヤ人がどう思われていたかを推察させます。すなわち当
時においては彼らユダヤ人の悪行、すなわち高利貸しを行い、無慈悲に人
から取り立てることが横行して、みな反感を持ったり、辟易したりしてい
る、という背景があるからこの劇は当時成立し、成功したということに思
いをはせるべきだと思われます。
日本の劇のことを考えても分かります。
江戸時代以降、流行った忠臣蔵は、そのエピソードのすべてが事実と
はかぎらずいくつかの演出もあるのですが、しかし、だからと言って、歴
史や史実、また、庶民感情とまったくかけ離れた劇ではないのです。殿中
で刃傷沙汰が起きたことは事実ですし、その結果片方が切腹、もう片方は
おとがめなし、という不公平な裁きがあったこと、また、その主君の仇を
討った赤穂の浪人たちに当時の庶民が拍手喝采したという事実はあるので
す。
劇や芝居でも、当時の世相や庶民感情とまったく無縁では成立しない、
否、当時の劇はもっとも敏感に、その当時の庶民の感情や反応を忠実にと
らえているものであるとも言えるのです。
その伝で言えば、無慈悲な高利貸しであるユダヤ人のこと、友人のため
に借金をした人情味あふれるアントニオに対して借金のかたにその胸の肉
一ポンドをもらう、という残酷な証文を書き、その実行を迫る悪魔的なユ
ダヤ人、シャイロックの姿は劇を見る当時の人々にとって、何も違和感が
無かったことを覚えましょう。
235
「ユダヤ人の金貸しなら、たしかにそんなあくどいことをする」という
当時の庶民の共通認識の上に、この劇は成り立っているのです。
なお、彼らがヨーロッパの各地であくどい高利貸し業を行っていたこと
は、前述のルターの著、
「ユダヤ人と彼らの嘘」にも記述されています。
ですから、彼らはその悪行やら無慈悲、人の持ち物を奪うべく行う高利
貸しなどのゆえにヨーロッパ各地で嫌われ、追放されたのです。
ある意味、自業自得なのです。
ですので、私たちが偽ユダヤ人の主張、自分たちは正統なアブラハム、
セム族の子孫である、との主張を聞く時、これらの偽ユダヤ人の過去をも
参考にして判断すべきなのです。
なんでもかんでも彼らの主張を鵜呑みにし、愚かな結論、日本人=北の
イスラエル10部族の子孫説を標榜する愚かな日本の研究者の愚を犯すべ
きではありません。
ベニスの商人 : ユダヤ人の論法には、詭弁、嘘が多い
236
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
7. 日本人と偽ユダヤ人の比較 : どちらが
本物のユダヤ人か?
さて、これらの事柄をもとに日本人と偽ユダヤ人、どちらが本物のユダ
ヤ人の資格があるのか、ということを考えてみましょう。
いくつかの視点で考え、これらの2者を比較してみましょう。
いくつかの視点とは、すなわちその人種、ダビデ王朝の存続、さらに言
語、習慣などです。
人種
人種的なことを考えれば、日本はアブラハム、イサク、イスラエル(ヤ
コブ)と同じセム族、
黄色人種に属します。以前のページで見た通りです。
逆に偽ユダヤ人に関しては、これも前述のように彼らは白人であり、彼
らの先祖はヨーロッパ黒海近辺に存在していた白人国家ハザール国民の末
裔です。
ユダヤ人の定義をイスラエル南朝ユダ国の国民という定義にして考える
なら、彼らは人種的にはセム族の子孫であるユダ部族とは、まったく無関
係な国民であり、人種なのです。
ダビデ王朝の存続
ユダヤ人、すなわちユダ族の正統な子孫である、と言う時、聖書的には、
そのユダ国の核であるダビデ以来の王朝を持っているのかどうか、という
ことは、非常に非常に大事なポイントである、ということは前述の通りで
237
す。
その王族を持たないユダ族などは、あたかも黄身の無い卵、首の抜けた
お内裏様やお雛様、ハンドルの無い自動車みたいなものであり、もっとも
大事な部分が欠けた状態となっています。
しかし、以前から書いているように、日本においては世界で唯一の万世
一系の王朝、ダビデ以来の王朝にもっとも近い立場にいる王朝である天皇
家が存続しています。
一方、今、ユダヤ人であると称している人々に関しては、ダビデ以来の
王朝などまったく存続していません。ですからこの点において、ダビデ以
来の王朝の存在という点に関しても、
日本は圧倒的な得点ポイントがあり、
他方自称ユダヤ人にはそのポイントが無いのです。
地理的な面
さて、地理的な面を考えてみましょう。
ユダの国はもともと中東の地、今のイスラエルの地にありました。
ですので真のユダヤ人はその地にいるべきなのです。
そういう点から考えると、中東から遠い極東の島国に住む日本人には真
のユダヤ人としての資格があまり無いように見えます。
しかし、前述したように、もし、ユダ国の歴史をかえりみるなら、中東
から遠い極東の地に住む日本人が真のユダ族だ、と言ったとて、じつはあ
まり奇異な意見とは言えないのです。
なぜならすでに書いたように、ユダ族のほとんどの民は紀元前6世紀頃
当時の強国バビロンによりユダ国から引き抜かれ、遠いバビロンへ捕囚と
なってしまったからなのです。これらのことは聖書に明記されています。
そして捕囚以降、王族を始め、ユダ族の中心的な人々はユダ国には帰還せ
ず、どこかの地へ消えてしまったことは事実なのです。
そのユダ族の中心的な人々が東へ東へと移り、最後には極東の島国、日
238
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
本に辿り着いた、と考えることはとっぴなことではなく、大いにあり得る
ことなのです。
ですので遠い極東の地に住む日本人である我々が中東の地、イスラエル
から来た民族であるとの主張は荒唐無稽(こうとうむけい)なものではな
く、逆に可能性としては大いにあり得る論議なのです。
地理的な面から言うなら、今、自称ユダヤ人と称している人々は、かつ
てのイスラエルの地に住んでいます。
そういう意味合いでは、彼らに若干ポイントがつくかもしれません。
しかし、彼らがそのイスラエルの地に住むようになった経緯、さらにそ
の地を獲得するために行ったパレスチナの人々への土地、家の強奪、さら
に殺りくを考えるなら、そもそもユダの末裔、神の民の末裔としては少し、
いえまったく資格に欠けると言わざるを得ません。本当に神の民なら殺す
な、盗むなとの律法を守るはずだからです。彼らは神の民らしからぬふる
まいの民族です。逆にその行い、強奪、虐殺は、黙示録の言う、「ユダヤ
人であると称しているがその実、嘘をつく、悪魔礼拝者」ということばの
ほうが近いように思えます。
言語
言語に関してはどうでしょうか?
かつてのユダ国では、聖書の言語であるヘブル語を話していました。
そういった意味では、今、ユダヤ人であると称している彼らに高いポイ
ントが与えられるように一見思われます。なぜなら、彼らこそヘブル語を
話す民だからです。
対する日本のことばはヘブル語とは何の関係も無いことばなので、この
面で日本には得点が無いように思えます。しかし、それはじつは表面的な
観察であり、知る人ぞ知ることなのですが不思議にも、日本とヘブル語に
は不思議な縁があります。
239
それは多くの日本のことばが、ヘブル語と一致するからです。
たとえば、以下のように、ヘブル語と日本語は一致します。
以下、前はヘブル語(もしくはアラム語)
、後ろは日本語。
アガム(agam): 悲しむ、疲れる
ユガム(yugamu): 歪む(曲がる、捻れる)
アイカ(aika): 哀歌(悲しみを歌ったもの)
アキ(aki): 飽き(飽きること)
アケル(akeru): 空ける(部屋を空ける)
このように、ヘブル語と同じ意味を持つ日本語が多数存在します。
ですので思いがけないことかもしれませんが、日本語の中には多数のヘ
ブル語が含まれているのです。
ですからユダ族の言語と関係があるか、という点に関しても、日本には
得点があります。
文化、
風習
文化、風習のことを考えてみましょう。
今、ユダヤ人であると称している人々にはユダヤの文化、風習が受け継
がれています。
前述したように、彼らは国を挙げて白人国家ハザールからユダヤ教に改
宗したのでその文化や伝統を受け継ぐようになったのでしょう。そういう
意味合いでは、彼らはこの面に関してポイント得点が得られます。対して
日本はどうでしょうか?
日本では誰も強いてイスラエルの文化を取り入れようとなどしていない
ように思えます。
少なくとも日本の政府はそんなことを奨励していません。
しかし、これも不思議なことなのですが、そうであるのに改めて見ると、
240
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
日本の文化、習慣には、実際はイスラエル、ユダで行われているのと同じ
習慣や文化が含まれているのです。我々が気づかないだけなのです。
それはあまりにも多岐にわたるので、簡単なことばでは言い尽くせない
のですが、たとえば例を一つ挙げると、日本の相撲の伝統です。
なぜだか日本においては相撲が国技となり、非常に神聖な競技であり、
神事であるとして伝えられてきました。しかし、なぜ相撲が神事なのか?
と言うと、日本に伝えられた話では今一つはっきりしません。
しかし、この件に関しても、イスラエル、ユダの歴史を見ると、その理
由が分かります。
イスラエル民族の始祖、先祖であるイスラエル(ヤコブ)の個人の歴史
を見ると、彼の人生の非常に大事な時に神と相撲をとる、という大きな契
機があるのです。
それは、以下の創世記の記録です。
創世記32: 24ー32
24. ヤコブはひとりだけ、
あとに残った。
すると、ある人が夜明けまで彼と
格闘した。
25. ところが、
その人は、
ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもも
のつがいを打ったので、
その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつが
いがはずれた。
26. するとその人は言った。
「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しか
し、
ヤコブは答えた。
「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださら
なければ。
」
27. その人は言った。
「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコ
ブです。
」
28. その人は言った。
「あなたの名は、
もうヤコブとは呼ばれない。イスラ
241
エルだ。
あなたは神と戦い、
人と戦って、
勝ったからだ。」
29. ヤコブが、
「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人
は、
「いったい、
なぜ、
あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場
で彼を祝福した。
30. そこでヤコブは、
その所の名をペヌエルと呼んだ。
「私は顔と顔とを合
わせて神を見たのに、
私のいのちは救われた。
」
という意味である。
31. 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、
太陽は彼の上に上ったが、彼はその
もものためにびっこをひいていた。
32. それゆえ、
イスラエル人は、
今日まで、
もものつがいの上の腰の筋肉を
食べない。
あの人がヤコブのもものつがい、
腰の筋肉を打ったからである。
上記箇所はイスラエルの先祖、ヤコブ(後のイスラエル)が、これから
何十年かぶりに兄のエサウに会う前の場面です。
普通、久しぶりに兄弟に会うなら楽しい機会なのでしょうが、この時の
ヤコブにとってはそうではありませんでした。なぜならかつて彼は兄をだ
まして家督(家を継ぐ権利)を奪い、結果、兄に殺されそうになって逃げ
て来た、という経緯があるからです。
会えば、かつての恨みで殺されるかもしれない、そんな不安でいっぱい
だったのだと思います。
そんな不安の中で、彼はその前の晩、川のほとりで一人の人と会い、そ
の人と格闘(相撲)をします。そしてそれは、何と神ご自身だったと書か
れています。
そして彼、ヤコブはその経験を契機にイスラエルという名前に変わりま
す。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなた
は神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。
」と、書かれている通りです。
それでイスラエル民族にとって他の格闘技と異なり、相撲は非常に神聖
242
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
なスポーツ、神と出会うスポーツとなったのです。
そして、その伝統が日本にも伝えられているのです。
日本には今、柔道、剣道、弓道など、いくつもスポーツがありますが、
神事と言われるのは相撲だけです。そういった意味では、日本は不思議に
もイスラエルの伝統を継いでいるのです。
相撲以外にも、他にも正月の習慣、また、神社とイスラエル神殿の構造
の一致、
お神輿(みこし)と契約の箱の構造の一致など、いくつもあります。
思いもかけないことですが、たとえばお花見という習慣も、じつは聖書
由来の習慣である可能性があります。聖書の中で「見る」ということに関
係することばは、日本語でアーモンドの木です。この木はたとえば聖書の
中で、以下のように呼ばれています。
エレミヤ書1: 10, 11
10. 見よ。
わたしは、
きょう、
あなたを諸国の民と王国の上に任命し、ある
いは引き抜き、
あるいは引き倒し、
あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるい
は建て、
また植えさせる。
」
11. 次のような主のことばが私にあった。
「エレミヤ。あなたは何を見て
いるのか。
」
そこで私は言った。
「アーモンドの枝を見ています。」
アーモンドということばの意味合いは、見るとか見張るという意味合い
です。
ですので、このアーモンドの木は、見るということと直結しているので
す。
そして、このアーモンドの花は、日本の桜とそっくりなのです。
聖書には色々な木や花が登場しますが、
「見る」ということに関連して
語られているのは、このアーモンドだけです。アーモンドということば自
体、見ることに関係していますが、そして他でもない、このアーモンドは
243
桜にそっくりなのです。
ですので日本の花見という不思議な風習も、聖書由来の風習である可能
性があります。
かつて日本に渡って来たユダ族の子孫が、アーモンド(見る)という木
の花をそのまま日本に持ち込み、アーモンドにそっくりな桜の木を見ると
いう形でその風習を今に至るまで日本に伝えた、と考えることは不思議で
はないのです。
祝福のもといとなる
イスラエル、ユダの民の一つの特徴は、全地の祝福のもととなる、とい
うことです。
このことはイスラエル、ユダの民族の先祖であるアブラハムの時、神が
語られたものです。以下を見てください。
創世記12: 1ー3
1. その後、
主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、
あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。
2. そうすれば、
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あな
たの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
3. あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはの
ろう。
地上のすべての民族は、
あなたによって祝福される。」
この箇所で、神はアブラハムに対して、「地上のすべての民族は、あな
たによって祝福される。
」として、アブラハムの子孫により、全世界の民
族が祝福を受けることを預言しました。
アブラハムはイスラエル民族の祖であるイスラエル(ヤコブ)の祖父に
244
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
当たります。
すなわち、わかりやすく言うと、アブラハムの子孫であるイスラエル、
ユダの民族により、世界の民族が祝福を受ける、ということを預言してい
るのです。
したがって祝福に関連して以下のことが言えます。
もし、その民族が本当にアブラハムの子孫であり、真のイスラエル、ユ
ダの民族に属するなら、全世界の民にとり、祝福のもといとなる、全世界
はこの民族から祝福を受ける、ということです。
しかし、その民族が本当にアブラハムの子孫でなく、真のイスラエル、
ユダの民族に属していないなら、全世界にとり、呪いや災いのもといとな
る、あらゆる災いがその民族を通して来る、こう言えるのです。
さて、事実はどうでしょうか?
正直なことを述べ、また意図的に語らなくても、今のユダヤ人と称して
いる人々、イスラエルに住む人々は、はっきり言って世界の祝福のもとい
となっておらず、逆に呪いや災いのもといとなっています。
それは彼らの歴史を見れば分かります。
前述のように、彼らのヨーロッパにおける歴史は追放や蔑視、人々に忌
み嫌われる歴史でした。ヨーロッパのあちこちの国で、自称ユダヤ人であ
る彼らは追い出されてきたのです。その追い出された理由は彼らが神の民
であり、正しいからではなく、前に見たように、彼らがベニスの商人のシ
ャイロックのように自己中心的、他人を借金の奴隷にしても自分が富めば
よいとの考えの人々であり、また、ルターの「ユダヤ人と彼らの嘘」に書
かれているように、尊大、傲慢な人々、さらにタルムードの記述のように、
悪魔的な道徳規範の下に歩む品性下劣な人々だったからなのです。
簡単に言えば、
彼ら自称ユダヤ人がそれらのヨーロッパの国々において、
245
祝福のもといどころか、呪いや災いのもといだったから追い出されてきた
のです。
さらにそれどころか、彼らはその移住して行った今のイスラエルの地に
おいても呪いのもといとなっています。
もとからこの地に住んでいたパレスチナの人々は彼らのゆえに家や土地
を失い、さらにその軍隊のゆえに命さえ失っています。
彼らパレスチナ人に「ユダヤ人はあなたにとって、祝福のもといです
か?」と聞けば、決してイエスと言う人、その通りだと言う人はいないで
しょう。
彼ら隣人パレスチナ人にとり、自称ユダヤ人たちは悪魔、最悪の悪魔の
ような存在なのです。
さらにそれ以外にもユダヤ人が世界に貢献したことと言えば、ろくでも
ないことばかりです。
共産主義を発明して全世界のその共産主義の害によって1億人もの殺害
をもたらしたマルクスはユダヤ人ですし、また、もっとも呪われた兵器、
原爆もユダヤ人、アインシュタインの発明、また、実際の原爆製造もマン
ハッタン計画のユダヤ人オッペンハイマーの下で作成されました。
他にも兵器産業、メディアの独占などを述べていけば、きりがありませ
ん。
祝福どころか、みごとに全世界の呪いのもといとなっている民族、それ
が自称ユダヤ人たちなのです。
さて、それでは全世界の祝福のもとい、という意味合いで、日本の民族
はどのような立場にいるでしょうか?
日本は前述したように、戦前のアジアの国々にとり、救世主のような存
在でした。
アジアの国々は戦前欧米の植民地にされ、その下で呻吟(しんぎん)し
246
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
ていたのですが、日本の戦争を通して独立を獲得するようになりました。
さらに日本が欧米の専売特許であった自動車、テレビ、洗濯機などの電
気製品、工業製品を自力で作れるようになったことはアジアの人々の歩み
を変えました。
日本に追随して台湾、韓国、中国なども同じように工業が発展するよう
になったのです。この面においても日本は救世主のような国なのです。
また、日本は国際貢献にも怠りのない国、たとえば他国へのODA開発
援助に関しても、その援助額は世界1、2のレベルです。
現代の日本により、多くの国は祝福を受けているのです。
結論として、アブラハムの子孫として世界の祝福のもといとなる、とい
う点に関しては、これらの2国にはまったく評価が異なる結論が出ると思
われます。
自称ユダヤ人は、祝福のもといとなるとのことばにはまったく当てはま
らず、逆に呪いのもといとなっています。逆に日本は祝福のもといとなっ
ており、このことばが当てはまるのです。
結論
今までの話をまとめてみましょう。以下のようになります。
人種
自称ユダヤ人
(×)
日本人 (○)
☆自称ユダヤ人は、
セム、
黄色人種ではなく、
白人
247
ダビデ王朝の存続
自称ユダヤ人
(×)
日本人 (○)
☆自称ユダヤ人にはダビデ以来の王朝が存続しない
地理的な面
自称ユダヤ人
(○)
日本人 (○)
☆どちらも優劣なし
言語
自称ユダヤ人
(○)
日本人 (○)
☆どちらも優劣なし
文化、
風習
自称ユダヤ人
(○)
日本人 (○)
☆どちらも優劣なし
祝福のもといとなる
自称ユダヤ人
(×)
日本人 (○)
☆自称ユダヤ人は、
全世界の呪いのもといとなっている
248
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
結論として、6対3で圧倒的に日本人のほうが、自称ユダヤ人の民族よ
り真のユダヤ人の資格を持っていることが判明しました。
ですので日本人こそ、聖書で言うユダヤ人であるという説は、一見トン
デモの理論に思えるのですが、よく見ると、客観的にもこちらの考え方の
ほうが真実性が高い意見なのです。
8. 日ユ同祖論という誤った考え
日本とユダヤの関係を考える時、よく出てくるのは日ユ同祖論という考
え方です。日本とユダヤは同じルーツを持っている、先祖は同じという考
え方です。
日本とイスラエルの関係を語る人の中に、結構な数でこの考えを持つ人
がいます。果たしてこの考え方は正しいのでしょうか?
結論から言えば、これはまったく間違えた考え方である、と言うしかあ
りません。
理由はこどもでも分かることではありますが、日本人と、今、ユダヤ人
であると称する人々との間は人種的にはまったく異なり、大きな相違があ
り、同じ祖先から出ていないのは一目瞭然、明らかです。片方は明らかに
白人系の人種であり、片や日本人は典型的なアジアの黄色人種であり、両
者が同じはずがないのです。
そして本来のイスラエル、ユダの民族は、人種的には黄色人種系であり、
その意味では、日本人こそ真のユダの血族である可能性が高いのです。
それでは今、ユダヤ人であると自称している彼らはどのような人々か、
と言うと、前述したように、本来白人種に属しているヨーロッパ、黒海近
辺の民族、ハザール民族が8世紀頃ユダヤ教に集団改宗し、自分たちは本
物であると偽って称しているのに過ぎないのです。
249
過去のそのような歴史の結果、彼らはたしかにユダヤの習慣、言語、宗
教を取り入れ、まさにユダヤ人のような生活をしているのですが、だから
といって肌の色まで変わるわけでもないし、人種が変わるわけでもないの
で、
今に至るまで彼らは「色の白い」ユダヤ人として生活しているのです。
いわば王子と乞食の物語のように、本来人種的にはユダヤ人でない人々
がユダヤ人として、すり変わってしまったということなのです。
そしてこの不思議な歴史の偶然の上に、さらにおどろくべき偶然が加わ
ります。
それは本来のユダヤ人、その本流であるダビデ王家やその家来たちは東
の地、島国日本で生活を始めたのですが、その長い歴史、2000年以上
もの歴史の中で自分たちが一体どういう民族なのか、どこから来たのか、
ということを忘れてしまったのです。簡単に言えば、本物の王子は自分が
王子だったことを忘れ、一方、偽者はすっかり本物らしくなり、結果、偽
者が本物になりかわって王子の座に居座り、今に至る、という状態が続い
ているのです。冗談か小説みたいな話ですが、本当の話です。
さて、日ユ同祖論とは、このようにこどもでも分かる間違えた論議なの
ですが、しかし、どんな嘘でも本当らしく語れば信じる人もいるようです。
日本の研究者でもすっかり信じ込んでいる人が多いです。
しかし、どう見ても白人の自称ユダヤ人が、自分たちは黄色人種である
セム族であると言い張るには無理があるのですが、色々な理屈があるもの
です。最近では、日ユ同祖論を語る人々は何かと言えば、「今のユダヤ人
の遺伝子が本物のユダヤ人と同一のものであると証明された」などと、遺
伝子やらDNAのことなどを持ち出して、無理な論理を重ねていることを
覚えておきましょう。
科学に弱い我々は、遺伝子の調査をしたぞ、DNAから判断されたぞ、
250
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
などと一見科学的な言い方をされるとすぐにコロッとだまされやすいので
すが、しかし、このことは覚えておきましょう。すなわち、この遺伝子だ
のDNA鑑定などのシロモノは、
実際はしょっちゅう間違えが起きている、
科学的でもなんでもない不安定な方法であることは、物事を理解する人は
知っているべき事柄なのです。
論より証拠、日本でもDNA鑑定の結果は、度々間違えがあるのです。
DNA鑑定の結果、犯人だとされた人物がじつは無罪だった、要するにD
NA鑑定が大間違いだった、ということも、度々新聞をにぎわすニュース
として起きているのです。
以下を参照ください。
―以下時事通信より引用―
飯塚事件で再審請求=DNA鑑定「判定誤り」
:足利と同じ
手法・福岡地裁
2009年10月28日16時45分配信 時事通信
福岡県飯塚市で1992年、
小学1年の女児2人が殺害された飯塚事件で、
死刑が執行された久間三千年元死刑囚=当時
(70)=の妻(62)が28
日、
福岡地裁に再審請求した。
同事件では、
再審が開始された足利事件と同
じ手法で行なわれたDNA型鑑定が証拠として採用されており、鑑定結果
に対する判断が注目される。
弁護団は、
「捜査段階の鑑定は血液型やDNA型の判定を誤っている」など
とする専門家の鑑定書を提出。
「久間元死刑囚と犯人とは一致せず、無実は
明らか」
として再審開始を求めた。
鑑定を行なったのは、
足利事件の再審開始を認めた即時抗告審でDNA型
再鑑定を行なった本田克也筑波大教授。
犯人の血液が付着した当時の資料
は使い切られて再鑑定ができず、
弁護団は7月、
元死刑囚の遺品や遺族の口
251
の粘膜を本田教授に提出するとともに、
鑑定手法の検証も依頼していた。
―引用終わり―
上記の記事は、DNA鑑定の結果、死刑を行われてしまった犯人とされ
た人物の鑑定結果が、じつは再度調べたら間違いである、ということを伝
える記事です。 悲しいことに、本人はすでに死刑を行われ、命を奪われているのです。
DNA鑑定なるものがそうそう信用に値しない、それなのに盲目的に捜
査、逮捕を強行した警察の誤りを指摘する記事となっています。DNA鑑
定、遺伝子情報とは、この程度のものなのです。
ですので、我々日本人のルーツに関すること、また、日ユ同祖論なるあ
り得ない論議を進めるのに遺伝子がどうだの、DNAがどうだの、と言い
出す人は、あやふやな方法や科学的でない方法を用いて論旨を惑わす人々
であり、これらの論議は到底、信用するには値しないことを覚えましょう。
252
4章 ユダヤ人であると嘘をついている人々
ユダヤ人アンネ・フランク : 白人であるユダヤ人と日本人が同祖であるはずはない
253
5章
ダビデ以来
3000年もの間、
万世一系が
存続した理由
255
1. 神はダビデのゆえに、
その子孫、
天皇家の王位をこの国で守られる
神は、聖書の神は、ご自分が言われたことばを守られる方です。
それで聖書に書かれた神の約束、預言はどれもこれも実現します。
日本人には聖書は馴染みの少ない本かもしれませんが、聖書とは、そうい
う本なのです。
有言実行ということばがあります。言うことは簡単ですが、そのことばを
実行するのはとても難しいのです。選挙の公約、マニフェストを見ても、な
かなか当初の予定や以前のことば通りに物事は進まないものです。
自分の生きている間でさえ言った通りに物事は進まないので、まして何百
年、何千年先のことなど、我々が語った通りにはならないものです。
しかし、聖書はそうではありません。
聖書こそ、有言実行の書なのです。
聖書に書かれた事柄は、それが何百年、何千年先であろうと実現します。
たとえば、イエス・キリストに関する預言です。
キリストの誕生前何百年も前から、聖書はキリストについていくつもの預
言を語っていました。
いわくベツレヘムで生まれる、いわく処女から生まれる、いわく友に裏切
られる、いわく人の罪を負ってあがないとして死を迎える、あらゆる前もっ
て語られたことばがキリストの生涯において成就したのです。イエス・キリ
ストの誕生の700年も前に、イスラエルの預言者ミカは以下のように預言
しています。
ミカ書5: 2
2. ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、
256
5章 ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続した理由
あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
これは神が預言者を通して語られたことばなので、そのことばは成就し、
キリストはベツレヘムで生まれました。このように聖書の神は単にことば
を発するだけでなく、その自分のことばを実現させ、成就する方なのです。
いわば有言実行の人(神)なのです。
そしてその神が、他でもないダビデの子孫が代々、王の座に着くこと、
すなわち万世一系を約束してくださっているのです。
エレミヤ書33: 20, 21
20.
「主はこう仰せられる。
もし、
あなたがたが、
昼と結んだわたしの契約
と、
夜と結んだわたしの契約とを破ることができ、昼と夜とが定まった時に
来ないようにすることができるなら、
21. わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、彼には、その
王座に着く子がいなくなり、
わたしに仕えるレビ人の祭司たちとのわたし
の契約も破られよう。
ですので日本において天皇制が続いていること、その万世一系が保たれ
ていることに関しては、他でもないこの有言実行の方、神の後ろ盾があり、
約束があるのです。
日本の長い歴史の中では天皇制、また、その万世一系に関していくたび
か危機がありました。先述の道鏡の時もそうです。
天皇家とまったく血筋が異なる道鏡が、自分が天皇となろうと野心を起
こしたのです。しかし、和気清麻呂の勇気により、その野望は退けられま
した。
257
他にもたとえば、天皇が退位させられた承久の乱、さらに自分の子を天
皇にしようとした足利義満の時など、大いに天皇制が不安定な時期はあっ
たのですが、しかし、不思議な守りがありました。
かくのごとく、いくつかの危機を乗り越えながら、しかし、世界に類例
のない日本の天皇制、万世一系の天皇制は守られてきました。
そのことの裏には人間的な理由もあるでしょうが、しかし、私の理解で
は他でもない、神の確約、昼と夜が定まった時に来ることと比べてまで、
ダビデ直系の皇族の存続を約束する神のことばに起因すると思えます。
そして裏返した言い方をするなら、今でもすなわちダビデ以来3000
年も経った現在でも、この日本の国でダビデ王朝の直系としか思えない王
族が継続しているということは他でもない、この国日本、さらに日本の皇
族は聖書の神の守りの中にあった、こう言えると思うのです。
2. ダビデは神への忠実のゆえに、
イスラエルの王位に着いた
あるべき天皇制のあり方とは、どんなものなのでしょうか?
このようなことは、
私のように下々の者が考えることでもないのですが、
しかし、聖書を読む者としてこのことを少し考えてみたいと思うのです。
あり得べき、理想的な天皇のあり方は、その万世一系の最初の始祖であ
るダビデの歩みの上にあります。
彼こそが理想的な王であることは、聖書の中で度々語られています。
たとえばソロモンが王となる時、神は以下のように語りました。
258
5章 ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続した理由
Ⅰ列王記3: 14
14. また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきて
と命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」
ここではダビデの歩みこそが、王として理想的な歩みであることが描か
れています。
さらに正しく神の前に歩まなかった北イスラエルにおける初代王である
ヤロブアムに対して、ダビデと比べて以下のように語られています。
Ⅰ列王記14: 7ー9
7. 帰って行ってヤロブアムに言いなさい。イスラエルの神、主は、こう
仰せられます。
『わたしは民の中からあなたを高くあげ、わたしの民イス
ラエルを治める君主とし、
8. ダビデの家から王国を引き裂いてあなたに与えた。あなたは、わたし
のしもべダビデのようではなかった。ダビデは、わたしの命令を守り、心
を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの見る目にかなったことだけを行
なった。
9. ところが、あなたはこれまでのだれよりも悪いことをし、行って、自
分のためにほかの神々と、鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、
わたしをあなたのうしろに捨て去った。
ヤロブアム王に対しても、ダビデのように歩まず、神の命令を守らなか
ったことを非難しているのです。
ですので、ダビデ以来の王族である天皇家に関しても、同じ規範が用い
られると考えたほうが正しいように思えます。
分かりやすく言えば、もし日本の天皇家が、ダビデが歩んだように、こ
の神の前に、その教えの前に正しく歩むなら、祝福を得、逆にヤロブアム
259
のように歩みからずれるなら、呪いを受けるということです。
3. 神への不忠実のゆえに、敵に破れ、
王位を追われる王族
イスラエル、ユダの王朝において何代もの王がその座に着きましたが、
それぞれの王の歩みの状況、もっとはっきり言えば、明暗、幸不幸、祝福、
呪いはそれぞれの王により異なります。
ある王は祝福と恵みと賞賛の中で歩みましたが、しかし、逆に神からの
怒りと叱責を受け、他国からの攻撃を受けたり、王自身が命を失ったりし
たこともあったのです。
たとえば、前述の北イスラエルの最初の王、ヤロブアムに関しては、以
下のように書かれています。
Ⅰ列王記13: 33, 34
33. このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることもせ
ず、引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも
志願する者を任職して高き所の祭司にした。
34. このことによって、
ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、
地の面から根絶やしにされるようになった。
ここでは北イスラエルの王であるヤロブアムの家が、その罪のゆえに地
の表から根絶やし、すなわち絶滅することが描かれています。
神の言われた歩みから外れることに関する厳しい神の手を見ます。
260
5章 ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続した理由
また、ユダ国の王、マナセに関しては、以下のように書かれています。
Ⅱ列王記21: 11ー13
11.「ユダの王マナセは、これらの忌みきらうべきことを、彼以前にい
たエモリ人が行なったすべてのことよりもさらに悪いことを行ない、その
偶像でユダにまで罪を犯させた。
12. それゆえ、イスラエルの神、主は、こう仰せられる。見よ。わたし
はエルサレムとユダにわざわいをもたらす。だれでもそれを聞く者は、二
つの耳が鳴るであろう。
13. わたしは、サマリヤに使った測りなわと、アハブの家に使ったおも
りとをエルサレムの上に伸ばし、人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せる
ように、わたしはエルサレムをぬぐい去ろう。
ダビデの直系であるマナセ王ですが、しかし、彼が偶像崇拝に陥り、神
の前に罪を犯すようになると災いに会い、その都エルサレムがぬぐい去ら
れることが描かれています。
これらの記述から理解できることは、神により建てられたダビデ王朝、
また、その直系の王たちの歩みの基準は、あくまでも神の前に正しく歩む
か、また、その教えを正しく行うかであり、もし、その歩みが正しくない
なら、たとえダビデ以来の王族であろうと、災いや敗北に入ることが分か
るのです。
分かりやすく言うなら、ダビデ以来の万世一系の王の歩みの基準は人で
はなく、しかし、神にある、そのように語られているのです。
261
マナセ王 : 神に対する不忠実な歩みのゆえ、裁かれる
4. 日本の天皇家に関しても
同じはかり、
同じ重りが使われる
さて、私が書くのはおこがましいようにも思えるのですが、もし、日本
の天皇家がダビデ以来の王朝の子孫であり、末裔であるなら(そうである
可能性は大いにあるのですが)
、
ダビデを導き、
祝福を与えられた同じ神が、
この国の天皇家への祝福、または呪いを与えていると考えられます。
そして今まで見てきたように、日本の言語、習慣、風俗、歴史は、大い
に聖書の民と似ていますので、この国は聖書の神により導かれ、また、こ
の国の王族である天皇家は聖書の神によって立てられ、導かれている可能
性が大いにあるのです。
262
5章 ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続した理由
もし、そうであるなら、この国、また、この国の王である天皇家の祝福
も呪いも聖書の神から来ており、また、今までも来ていたと考えるほうが
妥当だと思われます。
このことは、突然そう言われても、すぐには受け入れがたい考えかもし
れません。しかし、日本の天皇家のルーツが本当にダビデ王朝に由来する
なら(そうである可能性は大いにあるのですが)、そのように考えるほう
が妥当です。私たちはこの国の歩み、また、皇室の歩みの正しさを考える
時、かつての日、その万世一系の最初の王、ダビデを王に立て、また、彼
の人生、歩みに祝福を与えた聖書の神に目を向けるべきであることを覚え
てください。
なぜなら、もし、皇室がダビデの末裔なら、かつてのダビデ王、また、
それに続く王たちへ与えられたのと同じはかり、規範、錘(おもり)をも
って、この国の皇室は神に裁かれる可能性があるからです。
このことはたとえて言えば、こういうことでしょうか。
日本には日本の交通ルールがあり、たとえば車は左側通行です。
しかし、同じ日本人である我々でも、一旦他の国、たとえばアメリカで
車を運転するなら、その運転はアメリカの交通規則に従って行われるべき
なのです。アメリカにおいては、車は右側通行ですから私たちもアメリカ
では、車で右側を走るべきなのです。
国が違えば交通ルールも違うのです。
同じように日本の私たちも、また、皇室も、もし、今この時代、この国
の真のルーツを初めて知り、また、万世一系の王族の真のルーツを初めて
悟るなら、その王族を導くルール、法則、教えを尊重すべきです。
その法則、教えとは聖書に明言されており、それは聖書の神の教えを尊
重することなのです。
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私が見たかぎり、この国の歴史、また、天皇家の歴史には明らかに聖書
の神の手が臨んでおり、この国の歴史は聖書の神によって導かれ、裁かれ
ているように思えます。
もっと分かりやすく言うと、天皇家の歴史はダビデに与えられたのと同
じはかり、重りで量られ、判断されているように思われます。
5. 天皇家の歴史はまた、
受難の歴史
おそれ多いことですが、天皇家の歴史を客観的に振り返り、考えてみた
いと思います。
正直に率直に言わせていただくなら、その歴史は必ずしも理想的なもの
でも、また、天皇の思惑、願い通りに進んだものばかりでもありませんで
した。
日本の歴史の初期においては、天皇家は実際に国の権力を持ち、軍事力
を持ち、政治を動かす権力者、王として歩んできました。
このことはダビデ以来の王族も、みな、そうであり、ダビデ王朝の王は、
みな、実質的な国の権力者であり、国の政治も軍事も王が掌握し、権威を
振るっていたのです。日本の古い歴史を見るかぎり、当初はそうだったよ
うに見えます。
しかし、その歩みはある日からとどめられ、天皇からは実質的な権力が
取り去られ、単なるお飾りとなるようになりました。
その天皇の権力の衰退は、また、天皇がどのように真の神を拝するかと
いうことと密接につながっていたように思えます。
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5章 ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続した理由
外国の神である仏教が皇室に広がる中で、天皇家も神の前に捨てられ、
疎外され、辱めを受けるようになります。
平氏、源氏の武士階級の台頭と共に、天皇家はその実質的な国の政治統
治権、軍事統治権を失い、実質お飾りのような存在になったのです。
その父祖ダビデが国の統治権、政治権力を掌握しており、実質的にも、
名目的にも、王の名に恥じない歩みをしていたのに比べるなら、天皇家が
単なるお飾りのような存在であることは、決して祝福でも名誉的な状態で
もないことを覚えましょう。
そして、その祝福も呪いも神から来るのです。
ダビデは自分を王として抜擢し、王として立てた方である神に忠実だっ
たのです。しかし、天皇家がこの方を捨て、他の神を拝し、アマテラスオ
オミノカミという邪神を拝し続けるなら、ダビデに与えられたような名誉
も、祝福も与えられないでしょう。
幕府を開いた源頼朝 : 武士により、天皇から政治の実権は奪われた
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6. ダビデを王位につけた神は、その子孫
である天皇家に今も目を注がれる
今まで見てきたように、ダビデ王、そしてその王家はユダ族の中で非常
に特殊な家系でした。
神により直接立てられ,権威を受けた王族の家系だったのです。
そして、聖書の神の前には王族であろうと、一般庶民であろうと、何ら
分け隔てはありません。
聖書に、「神は人を分け隔てなさいません。
」
(ガラテヤ人への手紙2章
6節)と書かれている通りです。
神の前に正しく歩む者は祝福を受け、そうでない者は災いを受けるので
す。
神の目は、今の日本の皇族にも注がれているのでしょうか?きっとそう
でしょう。ダビデの歩みに目を注がれた神が、今もその子孫であるこの日
本の皇族に目を注いでおられる、と考えたほうが正しいと思われます。
口幅ったい(くちはばったい)言い方を控え、偉そうに言わず、逆に民
として謙虚な立場に立って申し上げたいのですが、しかし、この本の性質
上、どうしても考えなければならないことがあると思います。それは今の
皇族の歩みは、果たして祝福の中にあるのか、ダビデのように神の祝福の
中を歩んでいると言えるのか、それは疑問であるということです。
失礼ながら今の今上天皇も、あまり傍目からは幸せそうに見えません。
ご高齢であり、世間ならもうとっくに引退してもよいお年なのに、自ら引
退をすることはできず、ただただ、スケジュールに追われている毎日。そ
してダビデ王のような政治の権力も、軍事権も持つわけではなく、ただた
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5章 ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続した理由
だ、お飾りのような存在。
天皇としての重い義務だけは終生ついて回るが、しかし、自らの意見は
何も言えない存在、そのような歩みに幸せがあるのでしょうか?
余計なお世話かもしれませんが、あまり幸せそうには見えません。
個人的な意見で恐縮ですが、天皇陛下というお方が何の発言も許可され
ていない、厳しく発言が統制されている、それこそ駕籠(かご)の中の鳥
のような存在であると私が一番びっくりしたのは、あの「女系天皇」の騒
ぎの時でした。
天皇家が男系一系の家系であることなど、当の天皇陛下ご自身がもっと
もご存知だと思われるのですが、この件に関して、肝心な天皇陛下ご自身
が何のことばも発しなかった、いや恐らく「政治的な発言は禁止」とかの
理由で、
「発言することが禁じられていた」と思われるのですが、しかし、
このことは改めて正直、びっくりしたことでした。
「天皇家の根幹に関することさえ、発言が禁じられている天皇」とは、
失礼ながら、まさにお飾りの究極の姿であり、王として褒められるべき存
在でも、あるべき理想的な姿でもありません。
万世一系の始祖であるダビデ王の姿、すなわち民の模範として自分の意
見を語り、民がそのことばに聞き入ったダビデ王の姿とは比べようもあり
ません。
失礼を承知でことばを続けるなら、現在の天皇家のこの不名誉は、神か
らきたものであり、神が許したものです。
そして、その理由は聖書によれば、以下のことばの通りです。
Ⅰサムエル記2: 30
30.「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじ
267
られる。
」
現在の天皇家で行われている邪神アマテラスオオミノカミ礼拝を悔い改
め、かつてダビデが仕えた神へ正しく心を向けないなら、恐らく今のよう
なお飾りの歩みから天皇家が抜け出すことはなく、神からの祝福を受ける
ことはないでしょう。
そしてその悔い改めがないなら、この国で天皇家がかつてのダビデ王の
ように、あるべき王としての地位に戻ることは決してないでしょう。
7. 結論
長い間お読みいただき、ありがとうございます。
ここまでで、この本は、一応終わりにしたいと思います。
振り返って改めて言わせていただくと、この本のテーマ、主旨は難しい
ことでも、複雑なことでもないと思います。
以前このテーマで、私の教会でセミナーを開きましたが、その時に出席
した小学生のお子様でさえ理解していました。簡単な話なのです。
主旨を再度繰り返せば、それは2600年以上の歴史を誇る日本の万世
一系の天皇家に関して、そのルーツとぴったり重なる王族がイスラエルに
存在していた、ということに尽きます。
今から3000年前の人、イスラエルのダビデ王を起点としたユダ国の
王族は綿々と400年程万世一系の王族の血筋を継続し、そして今から
2600年程前、バビロン捕囚を契機に彼らは歴史の闇に消えてしまい、
その存在は不明となりました。
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5章 ダビデ以来3000年もの間、万世一系が存続した理由
そしてちょうど同じ頃に、日本の天皇家の歴史は始まるのです。
分かりやすく言えば、片方の万世一系の王族が歴史から消えたその頃、
もう一方の万世一系の王族、
すなわち日本の天皇家の歴史は始まるのです。
これらの2者はそれぞれ関係があるのでは、と考えることは普通の考え
であり、とっぴなことでも異常なことでもありません。
しかし、誰もこのことを言わなかったのは、ただただ、誰も今までこの
ことに気づかなかったということに過ぎません。
それこそ神の絶妙な配慮の中で、このような明々白々たる事実は隠され
てきたのです。
すべての情報が表に出ておりながらです。
日本の天皇家が万世一系であることは世界に明白な事実であり、この事
実、情報は隠れもなく公開されています。
他方、聖書の中のダビデ王朝が万世一系の血筋であることは、聖書を普
通に読む人には誰でも分かりそうな事柄であり、明白な事実であり、公開
された情報です。そもそも聖書とは、世界20億人のクリスチャンが読む
大ベストセラーであり、これ以上ポピュラーな本はありません。
しかし、不思議にも、これらの事実には誰も気づかなかったのです。
神の手の配慮、不思議を思わざるを得ません。
しかし、今はそれらを明確にしようと神が志しておられるように感じま
す。
自分の結論を押し付けるつもりはさらさらありませんが、今の私の考え
を言うなら、たしかに日本の天皇家はダビデ王朝の末裔である、それ以外
の結論は考えられないというものです。
それは、前述の故川守田博士の結論でもありました。
このことは私の目には明々白々たる事実なので、それで私は自分の浅学
非才も省みず、書きました。聖書を信じ、聖書のことばに仕えることを仕
269
事とする者、牧師としてこれらのことを日本の愛する同胞に伝えることは
義務であると信じ、非力ながら力を尽くしてこの本を書きました。これを
契機に、このことに目を留められる方が一人でもおられれば幸いです。
エレミヤ拝
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著者略歴
エレミヤ
日本人男性。1951年生まれ。東京都府中市在住。
府中にあるレムナントキリスト教会牧師。
終末預言解釈HP「エレミヤの部屋」
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/
終末警告HP「角笛」主催
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/
連絡先 (e-mail):[email protected]
<レムナントキリスト教会>
所在地 : 東京、京王線府中駅前「府中グリーンプラザ」本館内
http//www.fuchu-cpf.or.jp/green/access/map_02.html
礼拝 : 毎週日曜日 午前 :10:30-12:30、午後 :2:00-4:00
「天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である !」
2013 年○月○日初版 第1印刷
著 者 エレミヤ
発行所 / 印刷所 有限会社下田タイプ印刷
〒 170-0018 東京都豊島区東池袋 1-44-8 パークサイドビル 7C
電話 03-3982-1708 FAX 03-3988-1103
発 売 元 株式会社星雲社
〒 112-0012 東京都文京区大塚 3-21-10 電話 03-3947-1021 FAX 03-3947-1617
ISBN978-902937- XX - X
不居複製。Copy right
乱丁落丁は交換・価格表示はカバーに記載。
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