...

2008_エリア山口37号

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

2008_エリア山口37号
ANNALSOFTHEYAMAGUC回 GEOGRAPHICAL
ASSOCL生TION
(AREA1':叫1AGUCHl)
エ リア山 口
第 37
Eヨ
τヲ
2008年 1 月
[研究]
肇 ( 1)
琉球列島における第四紀の地殻変動に伴う初期カルスト凹地の種々相………ー・ 三
浦
輪中地域における地形図の読解のための問題設定
……………………・・高
田
準一 郎(1 1)
秋吉台固定公園における絶滅危慎植物の現状とその生育地としての評価…・・…太
田
陽
子 (26)
Time-framef
o
rt
h
eI
n
i
t
i
a
t
i
o
no
fG
u
l
l
yE
r
o
s
i
o
ni
nt
h
eC
o
a
s
t
a
lRedSandFormation
a
s
tCoasto
fI
n
d
i
a (インド東海岸ヴィシャカパトナム近傍の
nearVisakhapatnam, E
赤色砂層地帯におけるガリー 侵食の始期に ついて)
.K
.NAGESWARARAO ,CH. UDAYABHASKARARAOandN.SADAKATA (
3
5
)
慶安五年「周防国絵図 J I長 門国 絵図」の記載 内容について・…………ー河村克典 (45)
[フォーラム]
京都市における L RT(次世代型路面電車)導入を巡る諸問題と提言...・ H ・-戸
田
千速 (54)
村
克
[書評・紹介]
飯島祥二 ・ 野本晃史編: ~三浦肇教授御退職記念誌』・………・・……・…・・…河
[学会記事]
[平成 19 年度巡検会記録]
[他学会からの寄贈文献]
地理学
(1947年創立)
ム冨
山
口
典 (63)
:
100
1
'
1
関2
与論議地形菌(茶花半島地域を示す)
う浅海部に、空中写真(医J
密3
4)判読と小型測深器
による海底:探査の結果、およそ 50 カ所に及ぶ沈水
ドリーネの存在することが確認された。
茶花半語ド 1) ーネランド密
の原地形而とみなされるが、ここにド 1) ーネがは
られないのは、いわゆる有効起伏 (Sweeting , M.M.
1972) の効果が不十分で、カルスト溶食の;並行が緩
沈水ドリーネの規模や分布状態は陸上部のもの
とホ11 似形である。したがって、更新役後期の海成
砂!船討を載せた更新世中期の琉球石灰岩から構成
慢であることを意 i床しているといえよう。
2. 南大東患のドリーネ湖群
された、隆起した茶花半島の海成段丘面がカルス
南大東島は沖縄島の東方 370km に位 i置する降起
ト溶食の進行によって、ドリーネランド化した後、
1j阪胡島で、部積31 kn1の小島であるが、北大東山Cl flî
茶花湾は沈水し、茶花半島もわず、かに沈降した状
積 12.7 kn1)とともに、フィリピン海プレート!ーの
態にあって、陸上部のカルスト溶食が遅滞したた
大東海嶺に載っている典型的な隆起環礁として広
め、溶会 11:I] t告の拡大、深化が{手滞し、浅い血状ド
く知られている。南大東島は層!']i 400m 以上に及
リーネ群をほぼ初期のまま残しているものと考え
ぶ古大東石灰岩(砂質、泥質石灰岩)を詑う新大
られる。
東石灰岩(礁性石灰岩、砂質、泥質石氏お)によっ
なおまた、しかしながら茶花半島のドリーネラ
て構成され、地形的には高度30'"" (ìOm の事1: (は
ンドを仔細に見ると、 lヨ 3 に示したように、円弧
ぐうえ)と呼ばれているドーナツ状の JJ\'{iíf.(\白地と、
状にお灰岩堤が 3 列の低い稜線を形成しており、
高度20'""25m以下の幕下(はぐした)と呼ばれて
これによって束、中、西部の 3 区に分かれて異なっ
いる!日礁海底から変じたやや不整形の楕ドJ~犬の内
た IlU地景観をあらわしていることにも注目する必
部低地からなる。幕上台地にも幕下低地にもドリー
要がある。東部で、は高度 10'"" 15m のやや起伏のあ
ネやウパーレの凹地形が発達しているが、法 hLì
る :'V.t旦面に、平均的なサイズの j泣状ドリーネが比
i也の問地は不規則な形態をなし、起伏が大きくウ
較的均等に分布している。そして中部では高度
ノ f ーレ状に発達したものが多い。一方、事 1" 低地
20m前後の 2 列の円弧状の石灰岩堤の稜線開の高
の山地の多くは小規模な P3j杉で発生初期の形態を
度 10m前後の王子羽地に、やや不規則な形態の大型
示している。この内部低地でもっとも注 11 すべき
(径80'"" 120m) の血状ドリーネが不均等に分布し
は低地間半部のドリーネ湖群である。
ている。つぎの最西宮11 の半丹形の高度 5'"" 10m の
fMlli で与は、
ドリーネでもウノ f ーレで、もない、
l
内部低地はほぼ高度 3m以上の東 ~v:m) では、浅
い血状の溶食ドリーネが分布し、高度 3m 以1"の
ha 以上の広さをもっ不明確な形態の凹地が 7'""
西半音11 では、図 5 に見るように 40 カ所以 1: のドリー
8 カ所あり、全体としてさらに広い白地帯をなし、
ネ湖が群在する。日本のカルストではほかにiYU の
高度からみて、一番遅く隆起、陸化したものと考
ない景観である。小さいドリーネ湖は円形か長 I'J
えられる。このような地形面がカルスト侵蝕初期
形の形状をしているが、大きいドリーネ rm は数fl,!ij
2-
下の 写真 は国土地理院撮影 (昭和 52年 11 月 24 日)
に
ûO
1/ 10 , 000
L
Q
(
)M
COK-77 引・ C70-3 0 の空中 写真 の
一部を使用した 。
図4
茶花湾沿岸の沈水ドリーネ
のド リーネ湖を連結して不規則 な形状となり、ウ
阿弥陀池のように水深 8mtこ及ぶすり鉢状(漏斗
ノ T ーレ湖と もいうべき複雑な形態を示している。
状)の形態(新井正、 1979) を残しているドリー
なかでも最大の「大池」と呼ばれる湖は面積0 . 3
ネ湖もある 。
Mで、湖内に面積0.03km前後の円錐状の 4 つの小
m 以上海水準が低かった時期(武永健 一 郎、
島(高度 7"-' 1
Om ) を含んでいて、大池のすぐ南
1 965) に、内部低地一帯に 20m前後の高度で、漏斗
の淡水池そばの高度 7.0m の小丘のほか、周辺に
状ドリ ー ネ群が発生して後、沈降によって西半部
分布する 5"-'6 カ所の低い丘状の高みの存在を考
の多くのドリ ー ネが湖沼化した 。 大池の南西側近
これらのことから、おそらく 5"-'6
慮して、小規模なコックピットカルストの地区の
くを北西方向に新大東石灰岩層に弱い背斜構造が
沈水地形で、あると考えられる 。 大池の水面は高度
存在するが、環礁台地の各地の高度の違いや内部
0 . 5m で、水深は 一 部で
10m に 達するところも
低地の漏斗状ドリ ー ネ湖の分布も考慮すると、南
ある 。 なお、その水深の上層は真水であるが、下
大東島の北西方への傾動沈降が原因であると考え
層は塩水であり、干満潮差に感応する 。 また、そ
られる 。 これは初期ドリ ー ネ地形が地殻変動によっ
れぞれのドリ ー ネ湖の周辺は大部分泥質湿地化し
てドリ ー ネ湖・ウパ ーレ 湖の湖沼群となった数少
ており、ところによっては厚さ 5m 以上の泥炭層
ない事例であろう 。
が堆積し、湖底の埋没も進んでいるが、淡水池や
-3-
.~
Imm
図5
図6
官。
1 ・"
南大東島地形図
空から見た南大東島のドリーネ湖群
図7
- 4-
南大東島ドリーネ湖群のひとつ「大池j
3.
二 ノ池の径は 55m)
下地島の陥没性ドリーネ湖
とその南 900m のところにあ
るドリ ー ネ湖はいずれも崖に固まれた深い壷型の
下地島は宮古諸島に属し、宮古島の西方数キ
窪地となっている 。 下地島の飛行場を含む西半部
ロにある伊良部島の西側に接して狭い水道を隔て
はその東部の宮古島石灰岩と不整合に、それより
て位 置する 面積9 . 5km の小島で、ある 。 多孔質の琉
も多孔質の下地島石灰岩が分布しており、ここに
球石灰岩に覆われ、高度 1 0m前後のきわめて低平
発生した溶食ドリ ー ネはともに海岸に近接してい
な隆起台地である 。 ドリ ー ネ 凹地の分布は 1 /2 . 5
るところから、より多 孔質の 石灰岩の エピカルス
万地形図ではきわめて少なく、 32 カ所を数えるの
ト化が比較的早く促進され、地下の空洞網化が進
みであるが、空中写真の判読によると、およそ 80
行し、海水の浸透によって、ある意味での海食作
カ所以上が分布し、その多くは小凹地で、あって、
用によって陥没性ド リー ネの湖水化 へ発達したも
それ故に石灰岩台地のカルスト化が始まったばか
のであると考えられる 。
りの凹地形の発生期のカルスト地形の調査フィ ー
水して海中洞窟を通り、通り池( ー ノ池)の湖面
ルドとしてきわめて貴重である 。
に出ることができるし、さらに天然橋の下を潜っ
しかし、日本で
唯一 のジェットパイロット訓練基地である下地島
この通り池は海岸から潜
て 二 ノ池にも通じている。
空港が島の西半部に建設されており、原地形の改
なお、この海岸線は屈曲の多い高さ 10 "-'2 0 111 の
変が進んでいることが惜しまれる 。 注目すべきカ
海食崖の連続した景観をあらわしているが、図 9
ルスト地形は下地島西海岸に分布するドリ ー ネと
に示した空中写真に見られるように、海岸に接し
ドリーネ湖と沈水ドリ ー ネである 。
た海中には径 50mから 3 00m までの沈水ドリ ー ネ
が23 カ所以上も分布している 。
下地島では、分散的に小凹地 が分布し、明らか
これらのことを総
にきわめて若い溶食性のカルスト凹地の発生期の
合してみると、低平な石灰岩島の隆起台地面にド
状態を示している 。
リ ー ネ凹地の分散的な発生が始まってまもなく続
しかし、ドリーネ湖となって
いるものが 1 2 カ所(うち 3 ケ所はゴルフ 場 内の池)
いて起こった沈降によって海食崖が発達し、多く
あるが、いずれも海岸線近くにあって、おそらく
のドリ ー ネ凹地を蚕食し、海岸に近接したドリ ー
下地石灰岩台 地島がわずかに沈降したことによっ
ネの陥没湖水化が進行していると考えられる 。
て、その凹地底に海水が浸透してドリ ー ネ湖化し
れは海岸カルストとして、特異な成因と発達を示
たものである 。
すドリネ地形の例として注目される。
とくに通り池( 一 ノ池は径75m 、
図8
空から見た下地島・伊良部島
(昭和 61 年 8 月 2 日南西空港 Y
5
SI I 機内から綴影)
こ
左の写真は国土地理院擬影
(昭干1]52年 11 月 2 1 日)
1/ 10, 000 COK- 77- 03 ・ C6A-3 の空
中写 真の 一部を使用した 。
図9
図 10
下地島の陥没ドリーネ湖(ーの池・二の池)
下地島の陥没ドリーネ湖・通り池(ーノ池)の景観
-6-
M町風n
H剛川
4 ・・
。
4. 久米島の境界性ウパーレ凹地
久米島は沖縄諸島西端の島腕で、沖縄鳥那覇の
西方約 1 00km に位置している 。 面積 58 . 8kni、中央
部に新第三 系の上部安山岩類(輝石安山岩、集塊
岩)からなる高度 3 00m あまりの宇江城岳 山地 が
そびえ、南部には新第 三 系の下部安 山 岩類(角閃
石安 山 岩、凝灰角醸岩)からなる高度 1 00m前後
の丘陵地が広がり、これらの山麓帯や海岸低地に
仲 里村、具志川 村の集落が立地している 。 久米島
の西部には半 円形 の半島状に高度 50m 以 下に面積
5.6krrl を占める石灰岩台地が発達しいる 。
この石灰岩台地は、宇江城岳安山岩山地の西麓
海岸に第四紀に入って裾礁として発達した珊瑚礁
が隆起して、層厚約 200m の 多孔質の琉球石灰岩
からなる二段の海成段丘を形成している 。 ヤジャ ー
ガマ石灰岩からなる上位の段丘は高度30-----50mで、
やや起伏があり、大原石灰岩からなる下位の段丘
図 11
久米島の涜界性ウパーレ凹地
は高度 10 -----3 0mで、ほとんど平坦な地形である 。
新しい下位の大原面にはわずか7 カ所のドリ ー ネ
の等高線で固まれる範囲で、その中には 2 カ所の
が見られるのみであり、古い上位のヤジャ ー ガマ
大きいドリ ー ネを含み 、 ウパーレの凹地面積は O. 印
面には、 字江城安 山岩 ・ 集塊岩からなる具志川 丘
刷であり、このウパ ー レの最低点は高度 8m で、あ
陵との境界付近に複雑な形態のウパ ー 凹地が 2 カ
る。仲地川 の流域面積は 1 . 83krrlであって、凹地面
所、ほかに大小のドリ ー ネ凹地が 1 5 カ所ある 。
積と流域面積の比はほぼ 1
こ
:10 である。両ウパ ー
のカルスト台地はドリ ー ネ数も少なくおおむねカ
レとも流域の広さと凹地の規模との間にある程度
ルスト化の初期にあるとみなされるが、注目すべ
の相関関係を認める こと ができる 。
きはこの異常に大きい 2 カ所のウパ ー レ凹地であ
れぞれの河川 流量と凹地の容積との 比を問題とす
る。
べきであるが、簡易法 として 流域と凹地 の面積比
(厳密にはそ
両ウパ ー レはともに具志川山麓丘陵地と石灰岩
で代用した)なお、両ウパ ー レの凹地底は暗赤色
台地との境界部に発達しており、宇江城岳 山地 に
土で充填された平地となっていて、大部分が畑地
発する上溝川 及び仲地川が非溶解性の岩石からな
となり、 一部は水田として利用されていたが、現
る山麓帯を流下して、溶解性の多 孔質琉球石灰岩
在では 仲地 ウパ ー レの閉塞凹地としての地形がそ
の部分に流れ込んできたところに形成されている 。
のまま利用されて溜池となっている 。
北側 の上溝ウパ ー レはほぼ45m の等高線で、固まれ
久米島の西部具志川の石灰岩台地はその上位段
る範囲で、その中に 3 カ所のドリ ー ネを含み、ウ
丘面との地質境界部に異常に大きいウパ ー レ凹地
ノて ー レの凹地面積は 0 .09krrlであり、ウパ ー レ内に
がカルスト 化 の比較的初期に形成されていること
流れ込んだ上溝川 の水流が消失する最低点は高度
が特徴であり、それは久米島の亜熱帯多雨性の気
27m で、ある。
候環境、酸性岩である輝石安 山 岩からなる 山地、
このウパ ー レの北側斜面の露頭にお
いて、基底岩層をなす安山岩砂離などからなる集
山麓丘陵から流下する溶食能力の高い外 来河 川
塊岩層の上に琉球石灰岩が載る地質境界部を観察
(
alogeni
cstream)
が多孔質石灰岩の台地に単
することができる 。 なお、上溝川 の流域面積は 0.99
線的に集中的に流入するとし寸気候的 、地質的、
畑2 であって、 凹地面積と流域面積の比はほぼ 1 :
地形的諸条件が複合的成因となって強く関与 して
1 0 であ る。一方、南側の仲地ウパ ー レはほぼ25m
いると考えられる 。
7 一
5. 伊良部島の j回れ省地形
平坦な中位段丘面(地形的にはこの島の高位の地
形商)では単一のドリーネもかなり分布している
伊良部島はその北東側の海岸に沿って顕著な断
が、おおむね複雑な澗れ谷が広く卓越し、長い主
層援が発達しており、その断層線の方向は宮古島
谷と短い校谷からなる分岐構造を示す山地形が顕
本島に卓越している北西
南東方向の断層群と相
著である。次の 15"'35m地帯で、はこれらは短く並
似しており、伊良部島の最高点は東部の牧山の
行して流下し、さらに下位段丘面ではそれらは 2
88.8m で、ある。平坦な患の地表面は南西に向かつ
"'3 つの谷が合流したり、あるいは消失したりし
てゆるく傾いている傾動地塊とみなされ、全島を
て低地に入ってくる。くわしく見ると、ほとんど
覆う琉球石灰岩の厚さは 70m以上あって、その基
の掴れ谷は浅い箱谷状の平坦な谷底と、上流から
盤岩の島尻層群の砂岩、泥岩の上面は海水準下20
下流までほぼ同じ谷帽をもち、現地の観察ではそ
"'30m にあり、同じく西南方に{頃斜している。図
の両側にはところどころにお灰岩堤状の高まりも
12 に見るように、全島くまなく地表の傾斜に必従
見られる。
的に西南方に向かって刻み込まれた詔れ谷群が広
伊良部島ではドリーネ凹地(その中には地下洞
く密に発達している。これらの澗れ谷を現地にお
窟の陥没によるものも多い)もかなり見られるが、
いて仔細に観察すると、この澗れ谷網は高度帯に
全島に広く密に樹校状のìl!'!1 れ谷地形が発達してお
よってそれぞれ異なった地形上の特徴が見られる。
り、この面積30kulの小さい傾動地塊島において、
伊良部島の地形面は 4 つの部分に分けられ、比
初期のカルスト田地としてドリーネよりも j図れ谷
較的平坦な傾斜 3 。未満の高度 35m 以上の中位段
地形が卓越して分布しているという事実はきわめ
丘面、傾斜 7"'8 を示す高度 15"'35m の部分、
0
て特徴ある現象と見てよい。たとえば、 15"'35m
'
"15m の下位段!壬聞と高度
地帯の並行状の潤れ谷列の地形は、おそらく隆起
5m 以下の低地である。この島ではもっとも広い
以前の海面下における旧礁斜面の縁溝縁脚帯の地
傾斜 2 。未満の高度 5
国 12
伊良部島・下地島の j~ れ谷地形(荒川・井Jl I 、 1990 による)
8-
形にその起源があるかもしれないし、原地形の反
那国島の西部の久部良{岳地は久部良岳傾動地塊と
映である部分もありうるであろう。
その北側の久部良石灰岩台地(低位段丘面)との簡
伊良部島のほぼ全島にわたる初期カルスト地形
に形成された断層角盆地で、久部良のミト池はそ
としての潤れ谷綿の発達は、新期の多孔質石灰岩
の西端の一部が沈水してポリエ湖となったもので
の岩質や地質構造と地下水条件、地殻変動後の地
ある。この久部良低地の東続きには、与那国岳館
形条件、気候変fじなどの諸条件が複合的に働いて、
勤地塊とその北側の北牧場石灰岩台地(中位段丘
この特異なカルスト地形の形成にあず、かっている
面)との間にも不規加な形態のウパーレ状の田地
と考えられる。
をいくつも含む広いポリエ状の低地があって水田
がひらけたところもあり、ここも水理地質的にす
6. 与那国島のミトポリエ湖
ぐれた地下水盆(立田 f~flt也下水盆)を形成してい
琉球列島最西端の与那国島は面積28.5kn1の狭い
る地毘になっている。ほかにも、天蛇鼻傾動地塊
島腕であるが、島内はさらに小さい 10 以上の断層
の東側の低地も典型的な断層角盆地で、島内でもっ
傾動地域が集合して構成されている。与那国島の
とも広い田原川の沖積低地が広がり、島の主邑祖
地質は新第三系の八重山層群(砂岩や泥岩)を基
納(そなし l) の集落の立地しているところである。
盤とし、高所を除いて広く第四系の琉球石灰岩に
久部良のミト池は断層角盆地の一部が沈降して
覆われている(坂井卓ほか、 1978) 。この小さい
湖沼化したもので、一種のポリエ湖とみられるが、
鳥で少なくとも 8 カ所の断層角盆地が複雑な傾動
年間の水位変化のほとんどない優れたJlj'水池で、
運動によって、石灰岩地域に発達している。これ
その西口から 200m流れて久部良ìif1tに排水している。
らの断層角盆地起源の問地はその初期からポリエ
地形発達的にはカルスト化の初期j にすでに構造的
状の地形として形成され、良好な地下水盆(黒 )11
にボリエ低地として成立している稀有の例であろ
!@生、 1986) をなし、水利上注目されている。与
うか。
国 13
与那鴎島の翻層角輩地性ボリエ湖
-9
図 14
全士
市口
与那国島のボリエ湖ミト池
号五
面ロ
亜熱帯多雨気候下の琉球列島において新期石灰
岩の分布する各島に発達する初期とみなされるカ
見ることができる 。 カルスト 地形の発達には気候
条件もさることながら、より以上に地盤運動や地
質的、水理的、地形的諸条件などの解析が重要で、
あるといえよう 。
ルスト地形の諸例をここにとりあげてみた 。 与論
なお、本論文は 1 99 1 年 8 月、中国桂林でのユ
I
G
C
P
2
9
9
島の ドリーネランド、南大東島のドリーネ湖群、
ネスコ ・ プロジェクト
下地島の海食性陥没ドリーネ湖、久米島のウパ ー
際シンポジウムにおいて行った英文発表の邦文原
カルスト国
レ凹地、伊良部島の j回れ谷地形、与那国 島の 断層
稿を、その後の知見を含め加筆、補正を行い、さ
角盆地ポリエなど 、 いずれも 最近の地殻変動の影
らに関連する図版や写真を加えてまとめたもので
響下にそれぞれ異なったカルスト地形を出現して
ある 。
おり、カルスト地形の成立と発達過程の多様性を
10 一
エリア山口第 37号
2008
輪中地域における地形閣の読解のための罷題設定
高田準一郎
のの、何のための地形図学習なのか、地形図の読
1.問題の所在
解から地域を JÆf1卒する学習内容には至っていない。
1-1.本稿の目的と事Ø1J 地域
本稿の目的は、地形図を教材とした具体的な学
関谷(1 966) は、「地形図の学習はむずかししり
習展開の提示である。学習展開に関わる問題設定
という表題で、「歴史的観点から平野の科用を考
や問題配列などを検討し、地形罰の読解から地域
えよう」と提案している。平野は「起伏の少ない、
を理解する学習内容を提示したい。事部地域は、
高度の低い王子坦な地形である
筆者が勤務している大学の身近な地域とした。こ
(p. 2)J 。だから、
生産活動の拠点の場となったのか。日本列島の平
の事例地域は、長良川流域の沖積平野(沼濫原)で、
野のほとんどは、沖積平野である。かつて、沖積
輪中地域(輪中地帯)として扱われる 2 )。本稿で
平野は「たえずくり返される氾濫のために、不毛
検討する輪中地域では、沖積平野に関わる自然堤
の地でさえあった (p.
7)Jo
居住すれば、水害に
襲われる危設な土地であった。にもかかわらず、
では、どのようにして、沖積平野は、生産活動の
防や後背湿地(後背{岳地)川、!日河道などが基本
的な地形となる。
苦手例地域は、木曽三 111 (木曽 111 と長良川、揖斐
)
11)
拠点の場となったのか。
が合流する濃尾平野西南部にあたり、洪水の
本稿は、関谷(1 966) の提案に対して、地形図
常襲地帝であった。この地域では、洪水から集落
を教材とした学習展開を検討した。学習展開の具
や耕地を守るため、その周囲に堤前を築き、水防
体化にあたっては、どのような問題を設定するの
共同体が形成されていた。輪中f;I:ミ藷の分布地域は、
かが、重要な作業となる。学習展開は、いくつか
岐阜県南部を中心に、三重県や愛知県の隣接部に
の問題の設定とそれらの問題をどのように配列す
及んで、いる。江戸時代には、幕府もこの地域の治
るかによって決まる。
水にカを入れ、薩摩藩の宝暦治水などに代表され
高等学校における地理歴史科の「地理 BJ では、
る御手伝普議が施行された。明治時代に入り、オ
「身近な地域 J 1 地形環境 J 1 村落と都市 J などの
ランダ守人技師、ヨハネス・デ・レイケなどが立案
学習と関連させ、地形図を扱う。地形閣の読解は、
した近代的工法による河川改修で、「三川分流」
地域を哩解するための重要な技能の i つである。
の実現をみた。近年では、昭和 51 (1 976) 年に 19 ・
「地理 BJ の教科書:や「副教材」では、地形関を
12輪中災害」、いわゆる安八洪水が起こり、かつ
掲載するだけではなく、作業や問題、解説などの
ての輪中堤や水屋、上げ舟などが再認識されてい
提示がある。しかし、これらの作業や開題、解説
る。
だけでは、授業としての学習展開は難しい。意味
のある命題に即した問題設定や問題配列などの授
業設計が必要になる。
1-2.
本稿の構成
本稿では、まず、高等学校の地理歴史科におけ
地理学習に関わる「新しい(新 )J 1工夫とアイ
る教科書「地理 BJ での教材の取り扱い、および、
デア」を書名のキーとした書籍 1) では、地形図
高等学校「地理」に関わる説教材での取り扱いを
の読!翠に関わる具体的な学習展開の検討や考察が
整理する。次いで、、読国内容に関わる授業設計を
意外にも少ない。中学校における地理的分野の内
検討し、学習展開に関わる問題設定と問題配列を
容を扱った関田 (2003) は、「方位と地酪記号 J 1縮
提示する。読図内容は、歴史的な観点から捉えた
尺と等高線」を「地形関の学習」として紹介して
沖積平野の読解であった。治水や利水を中賠項に
いる。具体的な指示や発問、説明、板書はあるも
した読解と命題化について、言及しておきたい。
-11
あわせて、教育学部で実施した受講生の感想を紹
利用④J に掲載がある。事例地域は、新潟県阿賀
子?した。
野川下流域(新潟(越後)平野)で、地形隠は
2 万 5 千分の 1
2. 沖積平野の読図に関わる教材の取り扱い
2-1. 高校教科書 f地理 BJ での取り強い
I水原 J (平成 13 (2001) 年修正)
である。読図内容は、作業 1-----2 からなる。作業
1-----2 の内容は、表 1 に示した。作業 l は着色作
業であり、作業 2 は考察への指示で、ある。あわせ
考察の対象とした高校教科書「地浬 BJ は、学
て、上空からの事例地域の空中写真が掲載されて
校での採用率が高い帝国書院と東京書籍、二宮署:
いる。本文中に「日本では、自然堤防上は集落や
f占とした。
畑として、後背視地は水田として利用されること
沖積平野の読図は、帝箆i 書i涜 (2007) では、勺
が多い (p .l 9)J
と土地利用への言及がある。
章自然環境と生活」の「技能をみがく地形図の
表 1
:r作業j
の読囲内容(情態審院、 2007、 p.31 より引用)
作業 1 :畑を黄、集藷を赤色で着色してみよう。
作業 2 :灰塚、山飯野、平林の集落は三日月湖に沿うように立地しているが、ここはどのような地
形と考えられるだろうか。また、なぜそこに立地するのだろうか。
東京書籍 (2005) では、「第 1 章自然環境、 1
位界の地形」にある。事例地域は、
2 つある。
1
修正)である。東京書籍 (2005)
と同様の事例地
域である。作業のような指示内容はなく、文章に
つは、北海道石狩川中流域(石狩平野)で、地形
よる説明がある。ここでは「北海道月形町の石狩
I砂川! J(平成 9
図は 5 万分の 1
(1 997) 年発行)
}I! 沿いには人工堤防がつくられているが、J1!沿い
である。説明文は、指示内容を含んだもので、後
の畑に利用されている部分は自然堤防の微高地で
半部分には「地形図上で蛇行していたときの石狩
ある。水田に利用されている部分は後背湿地で、
川を復元してみよう。この部分で、fiITkm短くなった
そこには!日流路のあとである三日月期が多数分布
だろうか (p.15)J
とある。地形図は、縮小され
している
(p.18)J
と土地利用への言及がある。
ているため、やや判読しづらい。あわせて、上空
あわせて、上空からの事例地域の空中写真が掲載
からの事剖地域の空中写真が掲載されている。
されている。
もう 1 つの事例地域は、「第 1 章自然環境、 l
帝国書院 (2007)
と東京書籍 (2005) 、二
世界の地形」の「小地形を読む」に掲載がある。
店 (2007a)
青森県岩木J1!中流域(津軽平野)で、地形図は
部分を掲載している。!日河道は、自然堤防を判読
2 万 5 千分の 1
I 五所川原 J
(平成 10 (1 998) 年
発行)である。あわせて、上空からの事例地域の
はともに、三日月湖のある地形閣の
する決め手となる。また、帝悶書院 (2007)
と二
宮書店 (2007a) は、地形閣を読解する教材となっ
空中写真が大きく掲載されている。作業などの指
ているのに対し、東京書籍 (2005) では、地形図
示内容はなく、文章による説明がある。ここでは
が縮小されているため、空中写真との対応で、地
「岩木川に沿って、様色に見えるところが自然堤
形医i を見る教材となっている。また、帝国書院
防である。集落や道路のほかは、ほとんどがリン
(2007) には、読図に関わる「作業」の内容があり、
ゴ関となっている。水田として利用されていると
授業の学習展開を意識した構成となっている。
ころは後背湿地である
(p.22)J
と土地利用への
言及がある。
2-2. 高等学校「地理j の説教材での取り扱い
二宮書店 (2007a) では、「第 i 章現代位界の
考察の対象としたのは、帝閤書続編集部(以下、
系統地理的考察、第 2 節自然環境」に掲載がある。
帝国書院編)の 3 語、二宮書店の l 種、数研出版
事例地域は、北海道石狩}I! 中流域(石狩平野)で、
編集部(以下、数研出版繍)の 1 1室、東京都地理
地形図は 5 万分の 1
I 砂川! J(平成 7
(1 995) 年
教育研究会の l 撞である。帝国書院編(l 993a)
12-
とニ宮書店 (2007b) は、白地図作業を中心とし
成元(1 989) 年発行)、
た副教材であり、帝国書院編(1 993b)
と数研出
元(1 989) 年修正、平成元(1 989) 年発行)であ
版編(1 993) 、東京都地理教育研究会(1 973) は、
る。小見出しに「かつての洪水のあと一自然堤防j
地形図作業に特化した副教材である。帝国書続編
とあり、「図の大部分を占める田は後背混地、集
5 万分の 1
ï新津 J (平成
(2007) は、高校教科書「地理 BJ に準拠した資
落や畑・果樹慰は旧流路や現流路に沿った自然堤
料集である。
防上に立地している
(
1)白地図作業を中心とした副教材
で構成されている。「作業 j
(p.
4)
J と土地利用に言及
した説明がある。読図内容は、「作業」と「問」
と「問」の内容は、
沖積平野の読閣は、帝国書続編(1 993a) では、
表 2 に示した。「作業 1"-'3J は自然堤前や後背
「地閣 (4)J に掲載がある。事例地域は、新潟県信
温地の判読となる。あわせて、上空からの事部地
濃 JI! 下流域(新潟(結後)平野)で、地形図は
域の空中写真が掲載されている。
5 万分の 1
表2
ï 新潟 J (昭和 60 (1 985) 年修正、平
:r作業J
と f 問j の読図内容(帝国書践鶴、 1993a、 p.4 より引用)
作業 1 :信濃JI! 右岸の集落を赤、畑を黄、果樹盟を様で着色せよ。
作業 2 :三角点・水準点・標高点など標高数字を青で囲め。
作業 3:0m の等高線を青で允どれ。
潤 1 :信濃 JI! はどの方向に流れているか。
間 2 :着色した集落はどのような形をしているか。また、どうしてそのような形になったのか。
閤 3 :本図で中心的役割をはたしている地域はどこか。次の地名より 1 つ選びO 印をつけよ。
a.桜町
b.大野
C.JL潟
d. 滋野木団地
e.和田
f.酒屋町
問 4: 洪水対策が最も必要な地域はどこか。間 3 より l つ符号で選べ。
二宮書店 (2007b).1 )では、Ïf也形の読図 -1日濫
(1 993a)
と同様の事例地域である。読囲内容は、
源(ママ)一」に掲載がある。事例地域は、新潟
「作業」と「問題」で講成されている。「作業」と
県信濃}I! 下流域(新潟平野)で、地形図は 5 万分
「開題」の内容は、表 3 に示した。脚注に「ワン
の 1
ポイント解説」があり、氾漉原の地形に関わる説
ï新潟 J (修正年や発行年の記載なし、以下、
同様)、
表3
5 万分の 1
:r作業j
ï 来IT津」である。帝国書:続編
明がある。
と f 問題j の読圏内容(ニ富書店、 2007b、 p.59より引用)
作業 1 :信濃川右岸() I! の流れる方向を示す→で確認)の集落を赤で、畑を黄、果樹圏を樫で着色
しよう。
2 :ï 潟」のつく地名を青で臨みなさい。
3 :水準点、三免点、標高点など擦高数字を茶で囲みなさい。
4:ï 曽野木」周辺にみられる
Om の等高線を茶でーなぞってみよう。
問題 1 :ï 舞潟」から「楚 }I! J に吏る集落と f 天野」集落は、平行してわん出した形をしているの
はなぜか。
2 :信濃!日右岸の酒屋町以北の地域で、標高の最も高い地点と、最も低い地点との差はおよそ
伺 m か。
3 :図の大部分を占める田や新興住宅地「曽野木」は沼濫源(ママ)の中でどのような地形を
利用し、もしくは立地したものか。
-13-
(2)地形菌作業に特化した副教材
編(1 993a) や二宮書店 (2007b)
と同様の半開
帝国書院編(1 993b) では、「自然堤防 j に掲
地域である。読図内容は、「作業 j
と「解説」で
載がある。事例地域は、
1 つは、新潟
構成されている。「作業 J の内容は、表 4 に示した。
県信濃川下流域(新潟平野)で、地形簡は 5 万分
2 つある。
「解説」には、「曽Jl I の北方に Om 以下の低地がみ
の 1 '新潟 J (昭事IJ55 (1 980) 年修正、昭和 56 (
19
8
1
)
える。しかもそこに新潟市の発展に伴う住宅問地
年発行)、
の一部が立地するのが気になる
S 万分の 1
'新津 J (昭和 60 (1 985) 年
修正、昭和 62 (1 987) 年発行)である。帝国書院
表4
:r作業j
(p.20)J
と、「曽
野木団地」への言及がある。
の読囲内容(帝国書読錦、 1993b 、 p.20より引用)
1 :大部分の集落はどのような地形に立地していると思われるか。集落の形状から 1判断せよ。
2 :水田が立地しているのはどのような地形のところか。
3 :曽野木団地の集落は、 l の集活とくらべて問題がある。それは何か。
もう 1 つの事例地域は、小見出しの 'q恥や」に
掲載がある。本稿で対象とする輪中地域である。
三重県、愛知県、岐阜県木曽三 }II 下流域(濃尾平
がみられる
(p.20) J è ,輪中地域の変容にも言ー
及がある。
数研出版編(1 993) では、ワ地形 J の「ワー
野)で、地形図は 5 万分の 1 '桑名 J (昭和 60 (
19
8
5
)
クコーナー、沖積平野の読 iヌ:JJ ,こ掲載がある。
年修正、 H百和 63 (1 988) 年発行)である。作業な
例地域は、新潟県{訪問 11 下流域(新潟平野)で、
どの指示内容はなく、説明文がある。ここでは「右
地形図は 5 万分の 1
閤付近一帯は、木曽・長良・揖斐川の 3 河川 i には
修正や発行の記載なし、以下、同様)、
さまれた地帯で、低湿地でもあり、しばしば洪水
'新潟 J (昭和 62 (1 987) 年、
5 万分の
1 '新津 J (昭和 56 (1 98 1)年)である。帝国議
に悩まされてきた。洪水から家屋や耕地を守るた
院編(1 993a、 1993b) 、二宮書店 (2007b)
と同
め、低波地を取り関むように堤防が築かれている。
様の事例地域である。読閣内容は、「作業」で指
l道中の長島町は典型的な輪中集落の町で、集落は
示されている。表 5 に「作業」の内容を示す。別
堤防上や盛土をした…段と高いところに立地する。
冊の解答編にマfIì足」があり、事例地域の解説が
しかし、宅地化の進鼠 lこ伴い低湿地での住宅地化
ある。関副に即した内容で判読に役に立つ。
表5
:r作業j
の読密内容(数研出版編、 1993、 p.10より引用)
①:集落を赤色で着色せよ。
②:集落はどのような地形のところに立地していると推測できるか。
③:水田はどのような地形のところに立地していると推測できるか。
④:図 I:jJ の A の部分は、集落が 2 つ弓形にならんでいる。この部分の地形はかつてどのようであっ
たと考えられるか。簡潔に説明せよ。
⑤:海抜 Om 以下の土地を赤色で着色せよ。
東京都地理教育研究会(1 973) 5) では、「集落・
様の事例地域である。「読図のポイント j
という
都市」の「輪中集落 J に掲載がある。本稿で対象
小見出しで、説明文があり、「千本松の堤防」や '1 日
とする輪中地域である。三重県、愛知県、 i岐阜県
河道」などへの言及がある。地形図と i可縮尺の「千
木曽三山下流域(濃尾王子野)で、地形図は 5 万分
本松の堤防」や 'IB 博道」などを図示したトレー
の 1 '桑名 J (昭和 37 (1 962) 年部量、昭和 41 (
19
6
6
)
シング、ペーパーが付されている。地形図と重ねら
年資料修正)である。帝国書院編(1 993b)
れ、判読に役に立つ。
と悶
-14
(3)教科書「地理 BJ に準拠した資料集
ほか、「作業」と「読関 J で構成されている。「作
帝国書院編 (2007) G) では、「技能をさらにみ
業」と「読図」の内容は、表 6 に示した。「読関 J
がく地形図の読閣 3 一応用編一」に掲載がある。
では、「寺社J に着目した点が注目される。説明
事例地域は、新潟県信濃Jl I 下流域(新潟平野)で、
文には、「信濃川下流域にある|目白根市は、洪水
地形図は 2 万 5 千分の 1
の被害を受けやすく、これを避けるために、周盟
í 新潟南部 J (修正年や
発行年の記載なし)で、帝国書続編 (1993a 、
より 1"'2m 高い微高地で、ある自然堤防上に集落
1993b) や二宮書店 (2007b) 、数研出版(1 993)
がつくられた (p .l 94) J
と同様の事例地域である。読図内容は、説明文の
ある。
表6
:r作業j
と、集落立地への言及が
と I読図 j の読圏内容(稽国書続編、 2007、 p.194より引用)
作業 1 :樹木に凶まれた居住地(ママ)引を赤で着色しよう。
2 :水準点、三角点、標高点をみつけ青で阻もう。
読図 1 :寺社はどのような地形に多く分布しているだろうか。
然堤防に着百し、輪中地域のイメージの深化を図
3. 授業設計の襖要と学醤展開
る。ここでは、自然堤防に着色するなどの読図作
業を通して、 i 日河道やかつての洪水流路を推定す
3-1. 授業設計の概要
る。このような学習展開の構成で、成史的観点か
学習展開では、王子成 12 (2000) 年修正測量、地
形図(医11 ):2 万 S ヂ分の 1
í 岐皐開tfllJ 8) で、
ら捉えた生産活動の場としての沖積平野の理解を
事例地域を提示する。まず、 ~II隔中の人工堤防に
図る。いいかえれば、木曽三Jl I に関わる治水や利
呂し、輪中地域のイメージ化を図る。ここでは、
水の iiE 史を中間項にした学帝展開である。読~内
人工堤防。)に着色するなどの読図作業を過して、
容に関わる問題は、「地理 BJ の学習内容を検討
堤防に留まれた集落地域を抱握する。次いで、自
して設定した。授業設計の概要は、表 7 に示した。
表ア:授業設計の概要(筆者作成)
事例地域の提示…地形図 :2 万 5 千分の 1 íl岐阜西部 J (平成立 (2000) 年修正測量、平成 13
年発行)
•
人工堤防の着色…輪中地域のイメージ化( 1
)
•
坤堤防に屈まれた集落地域の把握
臼然堤防の着色…輪中地域のイメージ化(2)
=今 !日河道やかつての洪水流路の推定
•
陛史的観点、から捉えた生産活動の場としての沖積平野の理解
木曽三川に関わる治水や利水の控史を中間項にした理解
1
5
(
2
0
0
1
)
〔問題 2J
・図組内における長良 JI! の湾岸にある堤防は、連続していると思いますか。
予想ア.いる(連続堤)
イ.いない(不連続堤)
〔作業幻
-長良川の河岸にある堤防の部分を色鉛筆で着色してみよう。
・堤防を示す記号 (5 種)に対応した断面図をそれぞれ描いてみよう。
〔説明 2J
-薩摩藷による宝麿の治水は、「三 JI! 分流」の陪
-堤防を示す記号 (5 種)に対応した能rr面図を描
題に対 11侍した大工事であった。宝謄 3 (1 753) 年、
くと、その差異がよくわかる。板書で肘立しミた堤防
幕府は治水工事の実行を御手伝普 íî吉として臨摩藩
の断面図は、図 2 に示した。断面図からみたそれ
に命じた。第 1 1坊は水害復!日工事で、第 2 期は三
ぞれの堤訪の特色は、散歩道か、サイクリング道
流分流工事で、油 J烏締切堤や大樽JI! 洗堰の建設な
路か、車道か、などで考えてみよう。輪中堤(水
どが行われた。宝暦 5
除堤の囲堤)は、連続堤である。不連続堤では、
た。しかし、完全な三流分流は実施されなかった。
(1 755) 年に工事は完了し
武田信玄による釜無 JI! の霞堤や、富士川のJf正堤な
薩摩藩による出費は、総額40万両にのぼった。:月
どの築堤が知られている。生きている堤防か、遺
初の予定は 10万雨。病死や自刃など 80人余りにお
構となった堤紡なのか、機能から判読してみよう。
・長良川の右岸における自然堤防には、墨俣の集
よぶ犠牲者をだし、薩摩藩総奉行であった平 IH 鞠
負は自刃した。
活がある。墨俣といえば、美濃の斉藤氏攻 111各のた
・オランダ技銅、ヨハネス・デ・レイケによる明
め秀吉が築城とした「一夜城」で知られる。国幅
治改修で、「三 JI! 分流」は実現した。明治 6 (
18
7
3
)
1:1=1 に「一夜城主b
年、来日。淀川を改修し、木津川水系の不動川上
とあり、城跡の地図記号の記載
で確認できる。永禄 9
(1 566) 年 9 月、美濃の斉
流に、わが国最初の巨石積砂崩堰堤を築堤した。
藤氏攻略のため、木下藤吉郎(のち秀吉)が築城
明治 11
に着手。必要な資材や道具を上流に準備し、木曽
実施し、政府への謡査報告書を提出した。明治 II
JI! や境川|の水運を利用して墨俣に運び入れ、一気
に築城した。現在の模採天守閣は、平成 3
(
19
91
)
(1 878) 年、デ・レイケは、木曽川調査の
(1 886) 年、デ・レイケの意見に基づく木目 JI! 改
修計画が作成された。明治 12 (1 887) 年、オミ曽ゴ
年、歴史資料館として建造。局開に馬柵を復元し
川下流域の工事に着手。第 i 期工事は、明治 20
た0
(
18
8
7
)"
'
2
8(1 895) 年、第 2 期工事は、明治 29 (1 896)
・「宝暦治水目論見絵国」では、網状流となって
いる木関三 JI! の様子がよくわかる。輪中集落は、
"
'
3
2 (1 899) 年。明治 33 (1 900) 年、三 JI! 分流工
事は完了した。第 3 Jî:Jj工事は、明治 33 (
19
0
0
)"
'
水に浮かぶ「たらい」のような状態である。美濃
3
8 (1 905) 年、第 4 期工事は、明治39 (
19
0
6
)"
'
測における洪水の多発は、東高間低になっている
4
4 (l 9II)
地形的な要因のほか、尾張藩の「御閤堤」などの
事が完了した。流路は直線状となり、分流により
政策上の問題(定説? )がある。
洪水は激減した。
関 2: 板番で描いた堤防の断面図
年。大正 1
(1 912) 年、木曽川改修工
〔問題 3
J
・明治の初期には、輪中集落の数は、どのくらいあったと思いますか。
予想ア. 10 ぐらい
イ. 30 ぐらい
ウ. 80 ぐらしミ
〔作業 3J
-境J1 1 の河岸における堤防の部分を色鉛筆で着色してみよう。
〔説明 3J
であった。出積では、
l 位は高須輪中で、 46.5knl
・輪中集落は、明治の初期には、 80 を数えたとい
(1岐阜県海津郡平田町,海津町 )0
2 位は大垣輪中
う。分布範囲をみると、北限は交人1恥い(岐阜市)、
で、 44.4 k
m (岐阜県大垣市域 )0
3 位は桑原輪中
南限は松蔭輪中(三重県長島町)、 im 限は大墳輪
で、 24.4knl (1岐阜県議島市域)である。
C
!
J (1岐阜県養老町)、東限は加納輪中(岐皐 ríJ)
〔問題 4J
・詔!幅内の地域では、奈良時代に集落はあった(成立していた)と思いますか。
予想、
ア昏あった
イ.なカ〉った
〔作業 4J
.r~条」のつく地名を色鉛筆で i忍んでみよう。
・「別府 J r領家」の地名を色鉛築で屈んでみよう。
・ r~新田 J r 更 ~J のつく地名を色鉛筆で阻んで、みよう。
〔説明 4J
-輪中集落の景観的な特色としては、連続堤によっ
・地名との関係で、集落の成立時期を推定してみ
て洪水を統秘する河川景競が自を引く。水屋や水
よう。 r -1ヅし条 J r六条 ~J は、条思集落(古代)。
塚、段蔵などの妨水建築は、土台が石造りで堅牢
耕地の地割は、 lì没後の溜j 場整備事業によるものか。
なものが多い。輪中集落では、水院共同体が重要
「別府 J r領家 J r領毛 J ?は、荘扇集落(中世)で、
な役割を果たしてきた。過水地域特有の水論もあ
「茶屋新聞 J r 野田新問 J r野自殺?出 J r 更屋敷」は、
り、隣接する共同体との問に対立抗争と熟談和解
新宿集落(近世)にそれぞれ推定できょう。
の争論が相次いだ。
〔問題 5J
・明治時代には、
予想、
rî若手鳥」集落はあったと思いますか。
ア.あった
イ.なかった
〔作業 5J
.r 鶏j 集落の地域で、民家がたくさん集まっている(密度が高い)ところを、色鉛筆で着色して
みよう。
-地形図(図 3): 2 万分の 1 r笠松町 J (明治 24 (1 891) 年部圏、明治 27 (1894) 年発行)で、「鶏」
集藷の分布を対応させてみよう。
-19
〔説明 5
引]
微地形が多く、等高線では担握しにくい。したがっ
.民家の密度をみると、 I 東鶏J 吋下司1"
IC づ弓唱
3喜到í!~J I西手鶏志 J 叶I仁司1
て、民家や畑地、桑畑、果樹闘などの分布が決め
佐 j波皮 J I 下佐波 J などの集落 lはま筏密z集度が高いのに
手となる場合が少なくない。これは、!倫中地域に
対しト、「南鶏j の集落はややf低民くなつている。
もあてはまる。いっぽう、 f炎背混地は、71< 1王 I{じさ
I笠
れている場合が多い。水稲耕作のほか、蓮田(レ
松 mJJ で読解してみよう。自然堤前の高さを判読
・明治 24 (1 89 1)年測図、地形図 :2 万分の 1
ンコン栽培)も見られる。かつては、堀由が広がっ
すると、「佐波村(上佐波 )J は、 9.7m (水準点)、
ていたが、国場整備事業により、格子状に整然と
「柳津村」は、1O .9m (水準点)である。「鶏村」
した耕地割りとなった。水稲r の作付面積は、転作
の集落南側、水田部分は、 7.6m (補助曲線)で
や宅地造成などで大きく減少している。
ある。この数値が、ほぼ後背混地の高さと推定で
-寺社の分布では、「墨俣」集落の密集度が高い。
きょう。
本正寺(浄土真宗)の山門は、美濃路墨俣宿の脇
・土地利用との関係で、沖積平野における基本地
本陣の門で、明台寺(浄土宗)の境内には、守護
形を把握する。輪中地域の氾濫原には、自然堤防
代斉藤利藤の墓がある。犀川の右岸堤防は、桜堤
と後背湿地がみられる。自然堤防は、一般的には
防の愛称で親しまれ、春には花見客で賑わう。
図 3: 大日本帝鴎陸地 jHU墨部 (1891) 、
1:20 , 000
r笠松前J
年発行)の部分
20 一
(絹治24 (189 1)年測圏、明治27
(
1
8
9
4
)
〔問題 6J
・かつて境問の流路は、木曽三三} 11 の本流でした。持という河川だったと思いますか。
予想ア.長良 }II
イ.木曽 }II
ウ.揖斐川
(f乍業 6J
・境 }II を中心にして、「中鵠」集務の付近(北)から「北塚」集落(南)に至る土地の起伏(地形
のおよその断面図)を蟻いてみよう。
成時期との関係で捉えたい。気象災害の知見によ
〔説明 6J
・自然堤防の形状から、!日河道の推定が可能とな
ると、中部や三重では、 12世紀以降から河川流量
る。「鶏」の集落(,東鶏J '中鶏J '商事島J) や「佐
が;増加し、洪水の多発期となった推定される。馬
波」の集落(,上佐波 J '中佐波 J '下佐波 J) に着
見塚選勝や元屋敷遺跡(一宮市)などでは、自然
目すると、湾illIした自然堤防の形状が把握できる。
堤防の堆積物中に 12"'-' 13世紀の:建物が含まれてい
この自然堤防の形状から、かつての洪水時の河道
る。 13 世紀頃、あるいはそれ以降、自然堤防の形
(氾濫原)を推定してみよう。現在の境問は、か
成が活発化したという。
つての木曽川であった。旧河道は、自然堤防の形
〔開題 7J
.JR 新幹緯 '1岐阜羽島駅」の土地は、周囲と詑べて高くなっていると患いますか。
予想ア.高くなっている。
イ. ~尽くなっている。
〔作業 7J
-地形関(国 4) :2 万分 5 千分の 1 '作鼻 J (王子成 9 (1 997) 年修正測量、平成 10 (1 998) 年発行)
で、 J R 新幹線「蚊卒羽島駅」の土地の高さ(標高)を、照辺の土地と比較してみよう。
〔説明 7J
-平成 9
農兵や 11羽生物の運搬、水路交通では、もっぱら田
(1 997) 年修正測量、地形図: 2 万分
舟が利用された。
J R 新幹
-水神さんとよばれる小さな柄が祭られている集
5m で、等高
落は多い。7_)(ネll1 さんは、決壊守護神(堤防守護神)
線(補助曲線)などで判読できる。周辺の土地は、
である。祭礼の日時で、決壊した日時がわかると
5 千分の 1
'竹鼻j で読解してみよう。
線「岐阜羽島駅」の土地は、 4.8"'-'
5"'-'6m。恥i 狂i がみられた湿田地域で、土地は安
価であった。昭和 36 (1 96 1)年の集中豪 RTI では、
1 週間以上にわたって、冠水したという。
J R新
いう。深夜の祭礼もある 0
・区画整盟事業では、昭和 22 (1 947) 年~昭和 44
(1 967) 年に実施された高須土地改良事業がある。
幹線「岐卒羽島駅J は、昭和 39 (1 964) 年、逃避
この事業で、堀田の景観はほぼ消滅した。大型機
駅の格上げ駅(高架式)として開業した。当時は、
械による近代農業の成立し、トマトやキュウリ、
「田んぼの中の政治駅」ともいわれた。
ナス、ピーマンなど、のハウス園芸もさかんになっ
-掘田は、輪中地域にみられた独特の土地利用形
た。
態で、江戸時代の中期以降に始まった。一部の自
-架橋によって大きく変容した地域もある。かつ
闘の土を掘り下げ、その土を隣接する田屈に盛土
ての高須輪中は、陸の孤島だといわれた。他地域
をして、水自の績え付け揺を高くした。土を盛り
との交通手段は、渡船しかなかった。今尾渡船は、
上げた留を「掘上げ田 J といい、掘った部分を「堀
大垣(上流部)と桑名(下流部)とを結んでいた。
潰れ」といった。クリーク状の短冊型の池沼は、
今毘橋が架矯されたのは、大正 13 (1 924) 年。今
水路の役害u を果たしてきた。農作業での往来や、
尾町には、大型スーパーなどが進出している。
-21-
図 4: I票土地理院 (1997)、
1
:25 , 000
r 竹爵 J
(平成 9
(1997) 年修正潤髪、平成 10 (1998) 年発行)
の部分
4. 歴史的な観点から捉えた沖積平野の読解
4-1. 治水や春日水を中間項にした読解と命題化
関谷(1 966) は、「歴史的観点から平野の利用
会的、経済的な条件がある。
本稿で提示した学習展開は、治水や利水を "I~ 問
項とした読関内容である。沖積平野は、水害との
戦いの歴史のなかで、生産活動の拠点となった。
を考えよう」と提案した。沖積平野は「たえずく
水害の予防が弱ければ、生産力は不安定で\生産
り返される氾濫のために、不毛の地でさえあった
活動は俸滞を余儀なくされる。水害の予防が強け
(
p
.7)J 。水害に襲われる危険な土地が、どのよ
れば、生産力は安定し、生産活動の拠点として発
うにして、生産活動の拠点となったのか。そこに
展する。意味ある命題に即した問題設定や問題配
は、水害予防や排水工事などの技術的な展開があっ
列を本稿では、検討して提示した。命題北に関わ
た。背景には、技術的な展開を可能にしている社
る概念図は、表 9 に示した。
表 9: 命題化に関わる概念図(筆者作成)
•
水害の予訪(技術的な展開)が図られた土地=今水田化
-技術的な展開が弱い(低い)司
・技術的な展開が強い(高度)坤
不安定な土地利用…不安定な生産力
安定した土地利用…安定した生産力
-22-
4-2. 教育学部での受講生の感想
本稿で提示した学習展開は、大学の授業で実施
た。また、地形図の学習と開いて、地図記号など
の培記学習を想起する受講生も少なくなかった。
した。授業は、平成 19年度前期における社会科教
どちらかといえば、地形図の学習は、歓迎されな
育に関わる内容の講義 10) で、教育学部生がおも
い雰屈気のなかで始まったといってもよい。でき
な受講生であった。受講生で高校における地理の
れば、地形閣の読解の楽しさに気づいてほしいと、
履修は、歴史と比較するとかなり少なかった。し
アンケートの形で感想を求めた。受講生の感想の
たがって、受講生の多くは、地形i翠の読解に関わ
いくつかは、表 10 に紹介した。
る技能の智得についていえば、分とはいえなかっ
表 10 :教湾学部での受講さ主の感想
-今回はそのつづきで、地名から推測して、古代・中世・近祉の集落形態についてやりました。特
に mÎI~1 かったのは、集落が自然堤防の場所に立地していることがわかり、集落を色で、ぬっていくと、
IEI 木曽 JII の流域がうかびあがってきたことでした。きれいにみえてきたので、すごいと思いました 0
・自分の想像していたよりも堤防の数が多くて驚いた。しかし、境問を 1:1:1 心 lこ見ていくと、 i ヨ熱堤
防がつくられており、堤!坊というと人々がつくったイメージがあるが、洪水により作られた堤防と
いうことが、はじめて知れて嬉しかった。
・一番驚いたのが、議集落です。 J !IがJ:流から速んだ砂などが堆積しでできた自然堤防の周りは安
全だということでできたのが詩集落だとわかり、このように地閣の場所で関連性、関係性をもっと
みると、新たな発見ができるので、おもしろいと感じました。又、単に地区i をみるだけでなく、歴
史背景や堤防のしくみといった面からも結びつけて見られるのがとてもよく、新たな知識を得るこ
とができました。
-前回と今@の授業を通して、地図はただ見て場所がわかるというだけではなく、昔の出来事やそ
の旬の特徴をとらえることができるんだと思いました。探:高点を調べることで、洪水につかったこ
とがあるとわかったし、岐主主はこんなにも堤訪に屈まれているんだと理解できました。また、色を
つけることで、 J !Iが作った堤防を自で見て理解することができて、楽しかったです。
-地図、地名から古代、中世、近世などの集落を予想、できるとは思いもしませんでした。また、地
図上の集落のかたまりからJl I の流れを予想したりと、一枚の地図からさまざまなことを考察できる
んだとおどろきだった。こういう考察のしかたを、授業に生かせたらと思います。
5. 令後の譲題と罷望
近代的な水害予訪の技術的な展開に伴い、輪中
地理教育懇話会 (E SD 訴究グループ、地理科学
学会ワーキング・グループ)において「輪中地域
における地形図読解の視点( 1)
J 、第 157@ (
2
0
0
7
地域における洪水の被害は激減した。輪中地域は、
年 7 月)において「輪中地域における地形図読解
大きく変容している。この変容をどのように地形
の:視点(
図から読解するか。本稿では、国幅中の「長良大
会の見方・考え方を育成する講義内容の構築一平
橋」の架橋や「流通センター」の展開など、読図
成 19年度前期担当講義における受講生の感想から
内容として十分には言及できなかった。また、日
一」として、それぞれ発表したものです。懇話会
I
I)J 、第 159 閉 (2007年 9 月)において「社
本列島は有数の地震地帯でもある。とくに、沖積
では、貴重なご意見をいただきました。また、教
平野では、軟弱地盤での被害が心配される。!日河
育学部での受講生のみなさんの感想、は、よき励み
道など液状化の危険性をもった地域への対策は急
になりました。ここに記して感謝いたします。
務である。今後の課題としては、このような問題
(岐阜聖語学園大学教育学部)
も含めた地形閣の読解に関わる新たな可能性を考
察していきたい。
i主
付記
『新しい地理授業のすすめ方見方・考え方を予言て
1)井上征造・相棒善雄・戸井田克己編(1 999) :
本稿の内容は、第 156 屈 (2007年 6 月)の広島
る』や、識津文隆編(1 994) :Ii'新高校地理授業の
23-
工夫とアイデア』、滋津文隆編 (2002)
:IT'新地理
た。
授業を拓く・創る』、山口幸男・清水幸男編 (2005):
5) 4) に前掲。
『これが新しい地理授業の現場だ』などの書籍で
6) 4) に前掲。
ある。なお、井上征造・相漂善雄・戸井田克己編
7) 図!揺中には、「樹木に屈まれた居住地」に該
(1 999) には、ワ:jß形の見方・考え方」で、
当するものは見当たらない。
5 万分
の l 地形図「大宮」と 2 万 5 千分の l 地形図「東
8) 教育学部で実施した授業では、関|揺を 122%
京西南部」におけるそれぞれ図幅の一部の掲載と
に拡大して配付した。
言及とがある。
9)輪中地域では、自然堤防を利用して人工堤防
2) 小学校では、輪中地域は「低地のくらし J な
を築いている事例も多い。
どで扱われる。
10) 輪中地域における地形閣読解のための授業は、
3)鈴木(1 998)
は、後背低地としているが、本
社会科教育に関わる講義での授業内容(表 1 1)に
構では、教科書「地理 BJ で…般的に使用されて
おける「展開 2: 長良川流域の i中積低地」で実施
いる後背漉地とした。
した。この「展開 2J を踏まえて、「展開 5 :干
4) 発行年が記されていないので、購入年を記し
拓地の歴史」の読解を実施した。
表 11 :社会科教育に関わる講義での授業内容(平成 19年度前期)
1.はじめに(オリエンテーション) :社会の見方・考え方
2. 展開 1 :肉じゃが(社会の統計法則一臼本列島の食文化一)
3. 展開 2: 長良川流域の沖積低地(地形図の読図 I 一輪中地域の自然堤防一)
4. 展開 3 :指導要領の内容について
関心円拡大議
5. 展開 4: 授業書案の構造について
予想検証アプローチ
6. 展開 5 :干拓地の歴史(地形図の読図 II
7.
広島の IB 海岸線…)
おわりに(まとめ) :I 夕凪の街、桜の閤 J
1
5
6
.
文献・資料
板倉聖宣(1 984)
:IT'仮説実験授業の ABC
楽し
圏土交通省中部整備局河川部河川計画課・国土交
い授業への招待』、仮説社、 1984年版、 128p.
伊藤安男編(1 996)
通省国土地理読地理調査部社会地理課 (2007):
:
IT'変容する輪中』、古今書院、
r 木曽三} 1 Jl I の流れと歴史のあゆみ』、中部地
1
7
6
p
.
方の古地理に関する調査報告書、 142p.
伊藤安男編(1 999)
:IT'地図で読む岐阜飛 LLi濃水
岐阜県高等学校教育研究会編 (2006)
の風土』、古今書院、 186p.
井上征造・相棒善雄・戸井田克己編(1 999)
:IT'新
京都大学教養部人文地理学教室編(1 978)
しい地理授業のすすめ方見方・考え方を育てるふ
古今書院、 220p.
海津正倫(1 994)
:}II
:IT'新版
地形図演習』、ナカニシヤ出版、 49p.
話出雲文隆編(1 994)
と海がつくる平野の自然一
濃尾王子野IT'日本の自然地域編4 中部』、貝塚
:IT'事IT高校池辺授業の工夫とア
イデアム iî今書腕、 252p.
滅津文隆編 (2002)
爽平ほか編、岩波書店、 pp.138-150.
:IT'新地理授業を拓く・創るふ
古今書院、 241p.
大迫輝通(1 980) :大塩・3J3J島(亦・坂・墨俣・安八・
美濃高田・竹鼻)
:IT'岐阜県
の庶史散歩』、 111 J1 11出版社、 317p.
数研出版編集部(1 993)
IT'日本国誌体系中部 h 、山
:rr重要整理と読図・白地
開高校地理作業ノート改訂版』、数研出版、
9
7
p
.
口恵一郎ほか編、朝倉書店、 pp.322-329.
大西宏治 (2007) :岐阜羽島市の景観変容と地域
鈴木陵介(1 998)
変化一女工の活気と映画館一IT'都干ぢの景観地
理日本編 2 jJ、阿部手口俊編、古今書院、 pp.152
:IT'建設技術者のための地形歯読
図入門第 2 巻低地』、古今書続、 554p.
関谷雅臣(1 966) :地形の学習はむずかしいIT'地
-24
帝国書院編集部(1 993a)
理教材のとらえ方(2)~ 、古今書院、
pp.l-ll
.
:D"高等学校地理白地国
十訂版』、帝国書院、 50p.
関田真司 (2003a) :地形図の学習… 1 .方位と地
帝国書続編集部(1 993b)
帝国書続編集部 (2007)
藤井英之ほか編、明治図書、 pp.30-33.
園田真司 (2003b) :地形図の学習- 2.
:D"新編コンターワーク
地形図学習の基礎八訂版』、帝国書腕、 42p.
図記号D"新中学地理基礎基本十発展教材 50選』、
:D"新詳地理資料
COMPLETE 三訂版』、帝国書院、 209p.
縮尺と
:D"地理 B~ 、東京書籍、 328p.
:D"地形図読み方
等高線D"新中学地理基礎基本+発展教材50選』、
東京書籍 (2005)
藤井英之ほか編、明治国書、 pp.34-38.
東京都地理教育研究会(1 973)
高田準一郎(1 995) :中学校地理におけるワークシー
ト教材の開発一選択技の意味と教材の構成一D"地
と作業』、日本写真新聞社、 38p.
富田義道(1 994) :輪中(木曽川・長良}1I・揖斐
理科学』、地理科学学会、 vo l. 50、 no.3 ,
}II 三 }II 合流地域) .D"地域と生活…「身近な地域j
p
p
.
1
7
8
1
8
4
.
の調べ方・教え方一』、清水幸男 f編、古今書続、
武井正明(1 983) :
D"入試地理地形図・統計の整理』、
p
p
.
8
3
9
0
.
(
2
0
0
7
a
):D"詳説新地理 B~ 、ニ宮書自、
三省堂、 165p.
3
2
8
p
.
谷口研吾(1 993) :輪中D"国史大辞典第十四巻』、
国史大辞典編集委員会、吉川弘文錦、 pp.895-
二宮書店 (2007b)
書店、 64p.
8
9
6
.
帝国書続 (2007)
:D"基本白地問新訂版』、ニ宮
:D"新詳地理 S 初苦販』、帝国書
山口幸男・溶水幸男編 (2005)
:D"これが新しい地
理授業の現場だ』、古今書焼、 220p.
段、 332p.
-2
5
エリア LLJ 1二!第 37号
2
0
0
8
秋吉台 E認定公関誌おける絶滅命撰植物の現状と
その生膏地としての評髄
太田陽子
要旨: 111 口県では最大規模の草原域を有する秋吉
閣内の草原は火入れのみで維持されており、草地
合国定公鼠において、維管束植物の絶滅危慎指定
の利用状況や社会環境を考えると、生育地面積の
種(以下、絶滅危慎植物)の分布状況を調査した。
維持や生育環境の保全に向けたシステムの再構築
まず、「レッドデータブックやまぐち(以下、 111
が重要な課題であると考ーえられた。
口県版RDB)J に掲載されている種を、生育環境
を表す記述を参考に、「森林」、「岩石地 J , I 海浜」、
KeyWords: レッドデータブック、草地、生育地
「湿地」、「草地」および「農地」の 6 積類の生育
の保全、生物多様性
環境に分類した。その結果、秋吉郎認定公閣内で
は、「培地」に生育する種が最も多く、 39.1% を
占め、次に「森林j に生育する種が30.4% でつづ
はじめに
いた。反対に、公民!外では「京地」に生育する絶
人の生活と関わりの深い里山生態系の構成要素
滅危慌植物は 10.8% にとどまり、「森林」に生育ー
の一つである草地(半 iヨ然草地)は、放牧や耕地
する種は 53.1% と最多であった。また、秋吉台!三i
へ投入する肥料の採集場所として利用されてき
定公隆司内の絶滅危慎横物のうち、LlI 口県版RDB
た。しかし、戦後の高度経済成長期における社会
と環境庁(現環境省)発行の全窪!版RDB の双方
的・経済的な変化の中で、草地は開発の対象とな
で絶滅危唄指定されているものは 40.8% 、山仁i
り、あるいは植林地や改良草地などに転換されて
p
z
版RDBtこのみ指定されているものは 54.9% 、全
きた。また、草地の管理形態の変化により植生が
国版 RDB のみに指定されているものは 4.2% で
選移して森林化した地域もある。その結果、現在
あった。公開外では、両方の RDB で絶滅危悦指
の草地は匡!ことの 3% 程度にまで減少した(環境庁
定されている種は 2 1. 7% 、LlI 口県版 RDB にのみ
1994) 。
指定されている種は 72.8% 、全国版RDB にのみ
近年の社会i環境の中では経済的価値は低いと判
指定されている顛は 5.6% であった。さらに、絶
断されてきた草地であるが、従来の観光資源とし
滅危倶植物を草地環境に依在して生育する草原性
ての錨値に加えて、最近は資産資源として再評価
の種と草原性以外の種に分けると、秋吉台国定公
され(閲脇・横託I 2001) 、多くの植物が生育する
園内・外ともに、草原性の種の方が両方の RDB
生物多様性の高い場所としての官1Iî飽が見庭されて
により絶滅危倶指定されている鵠合が高かった。
きている(高橋・内藤 1997) 。
また、絶滅危倶植物を指定ランク別に分類すると、
LLJ 口県秋吉台地域にはカルスト地形の発達した
両方の RDB に掲載されている種に関しては、全
石灰岩台地が広がり、その中でも、秋7
芳
引町}悶町
5
11U
江美東
国版 RDB における指定ランクの方が山口県版
町にまたがる '}東
I友ミ台 J には L県尽内;最設大級の 1草宇地が広
RDB におけるランクより絶滅危険性の高い場合
がり
k、多数の動根植:物が生
が多かった。草原性の種は、両方の RDB での指
I中
fや1 には、絶滅の危機に瀕している種も多く含まれ
定ランクが同じ種の 30.8% 、全国版RDB におけ
ている。これまで秋吉台地域の草地については、
るランクの方が絶滅危険性が高い種の 60.0% を占
開発や観光利用によるダメージからの草原の「保
めていた。これらの結果から、秋吉台固定公圏は
護」が中心的な課題であったが、現在、草原の維
全国的にみても絶滅危倶植物の生育地として重要
持を担う住民の高齢化や過疎北などが大きな問題
であり、特に草原性の絶滅危慎植物の保全には欠
になりつつあり(秋吉台草原シンポジウム・サミッ
かせない地域であると判断できた。秋吉台国定公
ト実行委員会 200 1)、今後は管理の粗放化やそれ
-26-
にともなう植生の変化など、草原の「保全j に関
45.2knlが 1955年に盟定公閣の指定を受けた。公個
中心部の 12.7knl は 1964年に国の特別天然記念物に
する問題が深刻化すると思われる。
そこで、本研究では、保全・管理計画の基礎資
指定され、現在の指定面積は 13.8km となっている
料とするため、維管東植物の絶滅危倶指定種(以
(秋芳町史編集委員会 1963) 。また、 2005{r:には
下、絶滅危慎植物)の同地域における分布状況を
秋芳潟、大正洞、景清ìf可を含む地下水系の一部が
招握し、それをもとにこの地域の絶滅危倶植物の
ラムサール条約の登録線地となった。
生脊地としての重要性を評価することを自的とし
秋吉台国定公園内には、アカネスゲやケキンモ
ウワラビなどの石灰岩地を好む植物や、地下j同穴
た。
なお、本研究の一部は、近畿中国間匡i農業研究
につながる j関口部特有の微気象により、コタニワ
センター 2006年度および 2007 年度研究強化費の
タリやギンパイソウ、キパナノアマナなど、の温帯
助成を受けて実施した。
性の植物が生育している(塩見 199 1)。他にも、
ムサシアブミやクスドイゲ、トベラ、マサキなど
の沿海性の植物や、1ì誌鮮要素といわれるコパノ
調査地概要
チョウセンエノキやケグワなども分布している
山口県の中部、美;持、郡美東町と秋芳l旬、美祢市
(塩見ほか 1992) 。また、吸い込み穴付ー近は雨季
にまたがる秋吉台地域には広大な石灰岩の地層が
は湛水j也、それ以外の季節は湿地となり、サクラ
あり、その面積は約 130km と国内最大である。こ
タデやコパギボウシ、イ、ミズオトギリ、ホソパ
の地域の年平均気識はは。C 、年間降水量は 1700mm
オグルマなどの滋性植物が生育している。秋吉台
である。秋吉台はほぼ中央を流れる厚東川より東
上の草原はネザ、サ w ススキ群落が中心で、あるが、
台と西台に二分されており、沼会は主として大理
石灰岩の露呈j や地形などお11 かな立地環境の遣いに
石や五灰岩の採揖などにより開発が著しい。東台
よりさまざまな障が分布している(塩見 1969) 。
は工業などの利用はなく、この地域の一部、面積
このように、多様な環境を有する秋吉台国定公
問問
範
の
屋
台の
公
定図
忠範
吉原
秋一自十
一コ
km
関1.秋吉台毘定公園の地図
-27-
i室i であるが、全体として比高 100m程度の低い丘
駿が広がっており(園 1 )、台上の京原は近世よ
種に指定された
(111 口県 2002) 。
この山口県版RDBtこ掲載された維管束植物の
り周辺住誌の生活の場として重要な役割を担って
絶滅危慎指定種(以下、絶滅危慎植物)について、
いた。草原はまず草刈り場として大いに利用され
各種の説明文を参考に生育環境を特定し、「森林」、
た。また、カルスト地形特有の窪池であるドリー
「岩石地」、「海浜」、「混地j 、「草地」および「農地 j
ネでは、ゴボウや大根などの根菜類、大豆、ソパ
の 6種類の生育環境ごとに撞を分類した。この際、
などが栽培され、現在でも一部のドリーネでは耕
複数の環境に生育すると判断された謹もあった
作が行われている。台上のドリーネの底面の部分、
が、それらはすべての生育環境に重擾して分類した。
すなわち耕作地の部分は所有権がはっきりしてお
さらに、山口県版RDB に掲載された絶滅危倶
り、ドリーネの斜面は底面の所有者が率を利用す
植物のうち、;臨見ほか(1 992) が作成した高等植
る権利をもち、その他の草地は入会地の性格を
物目録に掲載されている 1084種に該当するものを
持っていた。また、刈った草は農家で飼育されて
秋吉台国定公閣内に生育する種とし、生育環境ご
いる牛馬の錦料にも利用されたが、農業形態の変
との絶滅危慎植物をさらに国定公園内と公園外に
化のため、台上の草を刈って農用・畜産用に利用
生育するものに分類した。
する農家は激減し、現在では主に美東町の 10肝あ
また、秋吉台関定公園は大規模な草地を有し、
「草地」環境に依存する種の重要な生育池である
まりの農家が利用するのみになっている。
秋吉台上の草地面積は、 2006年の空中写真から
と思われたため、公園内に生育する絶滅危娯植物
判読すると 12.5kn1であった。これは国定公園面積
を「主主地」に生育する草原性の種とそれ以外の環
の 27.7% を占める。現在の草地面積は往事の 2分
境に生育する種に分類し、その種数を比較した。
の l 製度であるといわれているが、全国的に大規
その捺、環境庁(現環境省)発行のレッドデータ
模な草地が姿を消す中、秋吉台上の草地は中国地
ブック
方で最大規模をほこる。毎年 2 月には、山焼き(火
危倶指定されているかどうかも調べ、絶滅危倶植
(2000、以下、全国版RDB)
により絶滅
入れ)が行われ、草地景観が維持されている。し
物を山口県版と全国版RDB の雨方に掲載されて
かし、作業を担う地元住民の人口減少や高齢化で
いる語、山口県版のみあるいは全国版のみに掲載
年々作業が難しくなってきており、面積も徐々に
されている種の 3 つのグループに分け、絶滅危倶
縮小してきている。
の指定状況を確認した。
方法
結果
山口県では 2002年に「レッドデータブックやま
山口県版 RD Btこ掲載されている絶滅危倶植物
ぐち(以下、山口県版RDB)J が発行され、自然
の種数を秋吉台国定公閣内外で集計した結果を表
界で絶滅のおそれのある野生動・植物が絶滅危倶
l に示す。山口県版RDB には 626種の絶滅危慎植
表 1 .山口県版 RDB に掲載された絶滅危慎植物の生育環境別額数
生育環境
のべ種数合計種数
生育地域
森林
農地
不明
6
(
8
.
7
)
6
(
8
.
8
)
8
5
6
8
(
10
0
)
1
1
6
6
1
9
4
(
2
0
.
6
) (
10
.
8
) (
16
.
7
)
3
5
(
6
.
3
)
7
3
7
5
5
8
(
10
0
)
3
2
0
47
1
2
5
8
8
1
0
0
4
1
1
0
1
(
5
0
.
6
) (
6
.
5
)
16
.
0
) (
7
.
4
) (
19
.
8
) (
13
.
9
) (
15
.
8
) (
8
2
2
6
2
6
(
10
0
)
岩石油
海浜
湿地
草地
秋吉台国定公圏内
2
1
1
2
(
3
0
.
4
) (
17
.
4
)
4
9
2
7
13
.
0
) (
3
9
.
1
)
(
5
.
8
) (
秋吉台閤定公園外
2
9
9
8
9
(
5
3
.1
) (
15
.
5
)
4
3
(
7
.
6
)
(%)
(%)
山口県全域
(%)
-28
物が掲載されており、このうち生育環境が特定で
に隈ると、両方の RDB に掲載されている種数は
きた絶滅危倶植物の種数は 585 で、不明の種数は
2
9 (40.8%) 、山日県版RDB にのみ掲載されてい
41 であった。また、絶滅危慎植物の生育環境は 6
る種数は 39 (54.9%) 、全国版RDB にのみ掲載さ
種類設定したが、複数の生育環境に分類された種
れている種数は 3 (4.2%) であった。公圏内に
も存在するため、すべての生育環境の種数を合計
生育する絶滅危慎植物は、山口県版と全国版の両
したのべ種数の値は 822 と、実際の合計撞数より
方の RDB に掲載されている種が 4 訴を占め、そ
かなり大きくなった。
の割合は公圏外のそれと比べて既倒的に大きかっ
山口県版RDB1こ掲載された 626種の絶滅危倶植
た。
物のうち、秋吉台国定公開で確認されたものは 68
次に、秋吉台国定公国の内外で、絶滅危倶横物
種で、これは 10.9% にあたる。その内訳は J森林」
を草原性と草原性以外の種に分け、それらの絶滅
に生育する種が21 種 (30.4%) 、「岩石地 J 、「海浜」、
危慎指定状況を示したものが関 2 である。秋吉台
ri湿地」に生育する種はそれぞれ 12揺れ 7.4%) 、
国定公鴎内では両方の RDB に掲載されている草
4 種 (5.8%) 、
原性の種が 44.8% であり、草原性以外の種の
9 種(1 3.0%) であり、「京地」、
「農地」に生育する種は 27積 (39.1 %)、 6 種 (8.7%)
37.2% よりもかなり大きな数値となった。さらに
であった。秋吉台国定公園内は、公鴎外に比べて
公園外の種をみると、両方の RDB に掲載されて
「草地j や「岩石地」に生育する種が多く分布し、
いる草原性の種は 27.0% 、草原性以外の種は
逆に、「森林 J 、「混地 j 、「海浜 j 、「農地」に生育
21.6% と、やはり草原性の種の値が大きくなった。
する種は少ないことがわかった。
山口県内の絶滅危倶植物全種のうち両方の RDB
山口県版RDB のような地方版のレッドデータ
に掲載されている種の割合は 24.1 %であり、公閣
ブックには、その地域を「分布の局隈」とする種
外に生育する種と i可程度の値で、あった。このよう
が多く含まれるが、地方版での絶滅危慎指定の上
に、両方の RDB に掲載されている割合は、秋吉
に全国版での指定を重ねることによって全国的に
台国定公閣内の絶滅危倶植物は公園外の種より高
減少している種のみを抽出することが可能になり、
かった。さらに、公園内外を問わず、草原性の種
「分布の局限」の種を排除することができる。
の方が草原性以外の種より両方の RDB に掲載さ
れている割合が高かった。
出口県の場合、両方の RDB に掲載されている
絶滅危'誤植物は、絶滅危険性の度合いに応じて
種は 157撞であり、これはいずれかの RDB により
の
ランク付けされているが、そのランクは、河RDB とも
23.7% を占めていた(表 2) 。逆に、山口原版
絶滅の危険性が高い頗に、絶滅 (EX) 、絶滅危慎
絶滅危倶指定されている種の総数 (662)
RDB にのみ掲載されている種数は 469 (70.8%) 、
IA類 (CR) 、絶滅危倶 IB類 (EN) 、絶滅危倶 II類
全国版RDB にのみ掲載され山口県内に分布する
(VU) 、準絶滅危倶 (NT) 、情報不足 (DD)
種数は 36 (5.4%) であった。秋吉台毘定公閤内
ている。これに加えて、山口県版RDB では地域
表 2.
となっ
山口県瓶および全国版 RDB により絶滅危棋指定された種数
計
合
絶滅危倶指定状況
生育地域
山口県版RDB と
山口県版RDB
全国版RDB
全国版RDB の両方
のみ
のみ
秋吉台国定公園内に生
育する種数
2
9 (
4
0
.
8
)
3
9(
5
4
.
9
)
3(
4
.
2
)
7
1(
10
0
)
秋吉台国定公園外の山
口県内に生育する種数
1
2
8 (
21
.7
)
4
3
0(
7
2
.
8
)
3
3(
5
.
6
)
5
9
1(
10
0
)
絶滅危慎植物の種数
1
5
7 (
2
3
.
7
)
4
6
9(
7
0
.
8
)
3
6(
5
.
4
)
6
6
2(
10
0
)
-29-
%
100
80
60
40
20
。
草原性
の種
草原性
以外の種
秋吉台盟定公園内に
生育する』種
草震性
の謹
草原怯
山口累内の
以外の謹絶滅危慎植物
全種
秋吉台国定公園の
外に生育する謹
臼全国版 RDB にのみ記載
~両方に記載
白山口県眼 RDB にのみ記載
図 2. 寧顕性の絶滅危慎植物の分布
ランクが i吟じもののうち i12 も出耐えの険性がi;奇
fI司体 11下 (LP) 、全 1m 版 RDB では野生絶滅 (EW)
いのはエゾニガクサであり、次にヒナノキンチャ
というカテゴリも;没けらオLている。
夕、さらにイヌハギ、キセワ夕、ノハラテンツキ、
表 3 は、秋合 l王I í;ι 公鴎内に生育する絶滅危倶
植物 71 極について、各RDB でどのようなランク
ミシマサイコなど 9 部が続し〉た。このうち草原性
に認定されているかを剥べたものである。秋吉台
の郁は 6積 (60.0%) であった。また、
ILJ 11 県版
国定公l支え内に生育する絶滅危慎植物は、 II11こ i 保版
RDB における指定ランクの/ヴが絶滅の危険性が
RDBIこ関しでは絶滅危倶 II類が22穣と最も多く、
ifJ い穏としては、ムラサキ、オキナグサ、チョウ
次し h で絶滅危 'IWA類と fffi 絶滅危 'Wl が同数の 21 、
ジソウ、キドイノモトソウ、マツバ:ラン、ミゾコ
絶滅危'lJ UB 類が 4 額と続いた。同様に、会問版
ウジュの 6 語があり、そのうちキリ以性の簡は 2 限
RDB では絶滅危'IJHI類が25極と最多で、絶滅危慎
(33.3%) であった。逆に、全信i 版 RDB における
IB類と準絶滅危 'IH が同数の 3 種、組滅危慎 IA類
指定ランクの方が絶滅の危険自:がい種として
は i 種であった。いず、れかの RDB に掲載されて
は、キエビネ、キキョウ、スズサイコ、タカサゴ
いる草原性絶滅危倶植物の種数は 28 であったが、
ソウ、ヒメヒゴタイ、ムラサキセンブリ、イヌノ
山口県版 RDB における指定ランクについては IA
フグリ、ミヤコミズなど 13種があげられ、草原性
類が 10醸で最も多く、全国版 RDB については絶
の種は 4 種 (30.8%) 含まれていた。
このように、秋吉台 l認定公園内では、両方の
滅危倶II類が 11 種と最も多かった。
秋吉台国定公園内の絶滅危倶植物で両方の
RDB に掲載されている種に隠しては全国版 RDB
RDB に掲載されている 29種のうち、草原性の穣
による指定の方が絶滅の危険性が高く位置づけら
は 12種 (4 1. 3%) であった。両方の RDB での指
れた極が多かった。草原性の種については両方の
3
0
表 3. 秋吉台国定公園内における絶滅危慎植物の指定ランク
会図版RDB
総計!
芸草原性
の奪還数
イチョウシダ
イワオモダカ
「ヲ存否亨寸
キパナノアマナ
チョウジソウ
絶滅危綴IA 綴
クロミノサワフタギ 1
キドイノモトソウ
2
1
10
4
3
ケキンモウワラビ
マツバラン
ツクシヤブソテツ
ヤナギイポヲ
絡滅危燦18 綴
ノニガナ
ヒオウギ
絶滅危1爽i慨
む3
加問必
ヒカゲミツパ
はi ロ然絞
ギンパイソウ
RDB
シ J~八ギ
I
l
I
詩書絶滅危機
._...
キエビネ
. -.
!
11 カサゴソウi
什→ふ日今日刊
I
I メヒゴヲイ i
タヌキモ
・:.
ホソパオグルマ:<<:
l ムラサキセンブリ
ミヤコミズ
22 I 8
ヒメノハギ
ミツJ てベンケイソウ
区五三百
タチデンダ
イヌザクラ
ツルデンダ
イワウメヅ)[,
ヒメガンクピソウ
ウメパチソウ
ミヤマシキミ
i2
1
ら
記震設なし
しZ江主支店主j
{金飯飯沢 DB に
3
2
7
1
28
のみ記総)
総計
喜草原性の機数
。
3
25
2
1
1
ー山口燦綬RDB と会図綴RDBの筒方で絡滅危機指定のカテゴリがf湾じ務
.山口爆版RDBによる搭定の方が絡E裂の危険性が商い襲撃
金図版RDBによる綴定の方が終草惑の危険性がE惑い綴
3
28
口:捌叩
RDB での指定ランクが同じ種が最も多かった。
櫛物に|喝しての報告はなされていない。この目録
したがって、これらの絶滅危'慎横物は、LlJ口県内
には、 1975年からの謡査により 1084穂が掲載され
のみならず全国的にみても保全の対象として重要
ているが、 2007年の現在ではさらに 260撞あまり
であり、特にすみやかに保全の対策がとられるべ
の分布の可能性があり、個体数が減少している種
も含まれることから、本格的な諦査の必要性が高
きだといえる。
一方、全国版RDBtこは掲載されておらず、山
まってきている。本研究ではこの 1992年の植物呂
口県版RDB にのみ掲載されている 39種は、全国
録を利用したために、それ以降新たに生育が確認
的にみると絶滅危険性の低い種であると考えられ
された種は欠落しており、その中には全国版
る。この中には、ササパラン、ヤマトキソウ、コ
RDB掲載種も含まれている。したがって、今回
キンパイザサなどの草原性の種が 14積 (35.9%)
得られた数値は現状よりも小さい可能性がある。
含まれる。逆に、全匡i 版RDB にのみ掲載されて
いる種はアソノゴコギリソウ、シラン、カワヂシヤ
また、山口県版と全国版の 2 つの RDB では、
絶滅危険度は向じでもその判断基準が厳密には異
の 3密であり、土木工事による移入種の可能性が
なっているため、今回行ったような絶滅危慎指定
あるアソノコギリソウを除くとしても、他の 2種
のカテゴリを比較することには慎重になるべきで
は秋吉台国定公園内や山口県内には多数生育して
ある。しかし、地方版の RDB では種の生育状況
おり、絶滅の危続性は低いと考えられる。
の情報を集めることさえ困難な状況にあり、全由
版 RDB のような絶滅リスク評価を行うためには
今後まだかなりの時間が必要である(藤井
考察
2002) 。このような状況の中で、今回のような手
本研究の結果から判断すると、県面積の 1% に
法を用いると、現状での指定状況を比較するだけ
も満たない秋吉台国定公園内の種を保全すること
でも種の重要性や生育地としての評価が可能にな
で、
り、生育地面積の変位などの情報と合わせれば、
LLJ 口県版 RDB 掲載種の 11 %、また、山口県
内の全国版 RDB掲載種の 17% を保全することが
各地域で平急に保全の対策をとるべき揮を決定す
できるようになる。また、草原性の絶滅危倶植物
る際の判断材料としては有効で、あると思われる。
については、秋吉台国定公関内で、山口県版
しかし、ひとつの種は倒体群として、また植物
RDB 掲載種の 31 %、全国版 RDB 掲載離のうち山
群落の一員として存在するため、絶滅のおそれの
口県内に生育する種の 47% が保全されることにな
ある種を保全する場合も、それらの種を含む群落
る。秋吉台国定公開内の草地面積は公闘面積の
そのものを健全な状態で保全する必要がある(鷲
27.7% であり、「草地」に生育する積は公圏内の
谷・矢原 1996) 。撞の絶滅要民は、開発などによ
絶滅危倶植物の 39.1 %であることから、秋吉台匡!
る生育・生息地の破壊や分断など直接的なものか
定公関内には「草地」に生育する麗がより集中し
ら、管理放棄による生育・生怠環境の悪化などの
ていることになる。加えて、秋吉台国定公関内の
間接的なものまでさまざまである(鷲谷 1997) 。
絶滅危慎植物は、草原性かどうかに関わらず、全
秋吉台を形作るカルスト台地では、石灰岩地特
国版 RDB により絶滅危倶指定されている種が公
有の環境に適応した環が生育し、これらも生育環
圏外よりも多かった。これらのことから、秋吉台
境の特殊さから全国的にも希少な種となってい
国定公園は県内のみならず全国的にも絶滅危倶植
る。これらの撞の保全には、現在の生育環境をそ
物、特に草原性の絶滅危慎植物の重要な生育地で
のまま維持することが必要であり、その絶滅要国
あるといえよう。
は生育地の破壊などの直接的なものである場合が
草原景観は観光資源としての{函館も高く、秋古
多い。対して、草地は人為的な撹乱を前提に保た
台地域では動物や植物に関する情報が古くから公
れているものであり、草地環境を維持するために
開されている(例えば、池田 1940 ;行村 1953 ;阿
は何らかの人為を加え続けなければならない(内
武 1971) 。このような過去の情報は絶滅危倶植物
藤ほか 1999) 。したがって、草地の利用形態の変
やその生育地の保全において重要な資料であるが、
化により部積が縮小するとともに、多様で、あった
塩見ほか(1 992) が作成した高等植物目録以峰、
生脊環境が単純化し、それに伴って種の組成も単
-32-
純化するという「質の悪化」は間接的な絶滅要因
現状を変更する行為に対してのみ規制を加えてき
にあたる。
た自然公園行政も、草地の無管理・無利用に起因
草地の保全・管理に有効な技術には「火入れム
する環境の劣化に対して敏感になるべきである。
しかし、生活様式も大きく変化した現在の社会
「採草」および「放牧 j の 3 つがあるが(高橋
2004) 、現在の秋吉台では「火入れ(山焼き )J の
において、草地のかつての利用形態をそのまま復
みが車地景観の維持や観光の目的で行われてお
元できるというものではない。今後は、草地を経
り、堆把や牛馬の飼料とするため以前は盛んで
済的に利用しながら管理を行うのか、経済活動と
あった「採草j は、現在では一部地域で行われて
は切り離して種や生息環境の保全を行うのかの判
いるのみである(太田ほか 2008) 0 r 放牧 j に関
断も必要になってくると思われる(高橋 2004) 。
しては、「採草」が盛んであった頃、刈主主の運搬
そういった状況の中で、秋吉合間定公菌内の絶滅
のために連れてきた牛に台上の草を食べさせてい
危倶植物およびその生育環境を髄全に保全するた
たと語られているが、比較的規模の大きい放牧は
めには、より詳細な現状担握とモニタリングが現
秋芳町営牧場で 1958年から 1995年まで行われたの
段階では必要で、あり、さらに、草地のもつ多面的
みであった。現在では草地内での放牧は行われて
機能など、保全活動の原動力となる新たな価値付
いない。
けが不可欠だと思われる。
秋吉台のように「火入れ」のみの管理では木本
の侵入を妨ぐことは難しく、また、優占種である
ネザ、サやススキは栄養を蓄えて繁茂し(瀬田
1995) 、単純な植生になりやすい。したがって、
多様な植生構造を維持するには、「火入れJ に加
えて「採草」あるいは「放牧j
韻辞
ÚJ 口県版RDB掲載の各種データについては、
山口県環境生活部自然保護課より資料を提供して
という管理が施さ
いただいた。また、近畿中国四国農業研究センター
れることが必要だとされている。さらに、秋吉台
の高橋佳孝氏には、解析や本稿の取りまとめにあ
で喰ーの草地管理ともいえる「火入れ(山焼き )J
たって丁寧なご指導をいただいた。また、三三瓶自
に関しでも、延焼を i涜ぐための「火道切り」作業
然館学芸員の井上雅仁氏、芸北高原の自然館学
が高齢・過疎化した地元住民の負担となっており、
の白川!勝信氏、広島大学大学院国際協力研究
ボランティアなどの導入が不可欠と思われる。し
科研究員の渡護国子氏、開研究科博士課程の兼子
かし、急斜面や石灰岩露岩の点在する地形での作
仲吾氏、中外テクノス株式会社の佐久間智子氏に
業は大きな危険を伴うため、行政はボランティア
は、データの解析法などを一緒に検討していただ
導入に消極的であり、多くの地区で、は導入は実現
き、有益な助言やコメントをいただいた。以上の
していない。
方々には心よりお礼を申し上げる。
全国有数の草地が存在する熊本県阿蘇地方(山
内・高橋 2002) や北海道の小清水原生花園(津
田ほか 2002) 、島根県の三嬬山地域(内藤・高橋
2002) などでは、草地を維持する社会的システム
の保全をも含めた活動が展開されている。農業や
引用文献
秋吉台草原シンポジウム・サミット実行委員会.
2001.
秋吉台車原シンポジウム 2001 全悶 111 焼
畜産業といった産業との結びつきが強いこれらの
きサミット in秋吉台報告書
地域とは遣い、秋吉台地域では草地は生業とは分
原シンポジウム・サミット実行委員会,秋芳町.
離されているため、草地の保全にはまず、東地を
利用し管理するシステム自体を再構築する必要が
阿武歪期.
1979.
120pp.
秋吉会の動物植物
秋吉台草
116pp.
河
武至朗先生記念出版事業会,秋芳町.
ある。その際には、持続可能な農業のあり方や生
藤井伸ニ. 2002. 地方版レッドデータブックの成
活様式、草地文化の伝承や生物多様性保全などの
果と開題点.保全と復元の生物学野生生物を
多様な観点からの議論を行ったよで、地域の実龍
救う科学的思考(額生物学会編), 95-107. 文
に合わせた管理指針を示すことが重要だと思われ
一総合出版,東京.
る。国定公園内の風景を維持するという観点から、
-33
池田美成.
1940.
秋吉台の植物.秋吉台の研究,
2
3
7
8
.
1
0
0
1
1
9
.
潔境庁.
1994.
第 4 問自然環境保全基礎誠査植
生調査報告書(全国版). 390pp.
環境庁自然
保護局,東京.
秋芳IllJ 史編集委員会.
1963.
秋芳町史
852pp.
秋芳 IllJ.
高橋佳孝. 2004. 半自然草地の植生持続をはかる
環境庁. 2000. 改訂・日本の絶滅のおそれのある
野生生物 8 [植物 I
(維管東植物) ]
.6
6
0
p
p
.
自然環境研究センター,東京.
内藤手[1 1現・真鍋
徹・中越信和.
修復・管理法.
日本草地学会誌,
高橋佳孝・内藤和明.
1999. 草原の管
理!と種多様性.遺伝, 5
3(
10
) :31 …36.
1997. 半自然草地の植物と
保全管理L 種生物学研究, 2
1:1
3
2
6
.
津田
内藤和明・高橋佳孝. 2
0
0
2
. 三瓶 111 の主手伝然草地
5
0(
1
):
9
9
1
0
6
容/・富士田裕子・安島美穂・西坂公仁子・
辻井達-
2002.
小清水原生花園における海岸
における生物多様性保全.日本草地学会誌,
草原復元のとりくみ.日本草地学会誌,
48:2
7
7
2
8
2
2
8
3
2
8
9
西脇亜 i品・横 EEI 浩!五. 2001. 野草と野草地の再評
{ílIî
結言一.
日本草地学会誌, 4
7:1
9
4
1
9
5
.
太田 i湯子・高橋佳孝・井上雅仁・自}l I 勝信・ j度注
48:
山口県. 2
0
0
2
. レッドデータブックやまぐち一 LL!
口県の絶滅のおそれのある野生生物一.
5
1
3
p
p
. 111 口県環境生活t.lí gf 然保護課.
秋吉台 j二草地における
ilJ 内康二・高橋伎孝. 2
0
0
0
2
. ~iiJ蘇千年の草原の
土壌の化学性と硬度に及ぼす採草の影響.秋吉
現状と市民参加による保全への取り組み.日本
留子・兼子仲吾.
2008.
台科学博物館報告;
瀬田信哉.
昆n ,
43:5
5
6
8
. (~fJ mlU lll)
草地学会誌,
1995. 野焼きとボランティア.Qi1立公
534: 62
2
.
塩見陵行.
1969. 秋吉台草原の植生 r~1.秋吉台科
秋吉台科学博物館報告,
1997. 植物の保全生態学の今一「選
に一.生物科学,
1
6
:
7
1
9
3
.
塩見 i径行・阿武五郎・中村久.
結谷いづみ.
1(
1
):3
4
3
9
.
伝子から景観まで」を読野に入れた総合科学
199 1.秋吉台の洞穴効果による植物の
生態的分析Þ.
1953. 秋吉台カルスト産横物目録.山
口生物,
学博物館報告, 6:3
5
4
6
.
塩見隆行.
行村義雄.
4
8 (3) :2
9
0
2
9
8
.
4
9(2):6
1
6
7
.
いづみ・矢原徹
一遺伝子から景観まで
1992. 秋吉台国定
東京.
公匿の高等植物.秋吉台科学博物館報告, 2
7:
34-
1996.
保全生態学入門
270pp. 文…総合出版,
エリア山口第37号
2
0
0
8
すi 間程-fram 告すor 也容 Initiati争時金子 Gully 監 rosion i
nth 告
Coastal 良告 dS 器開 d Formatio ロ$間容器 r Visakh 器 pat口昌師事
産 ast C
oastofI 口 dia
インド東海岸ヴ、ィシャカパトナム近傍の赤色砂層地帯におけるガソー浸食の始期について
1
2
3
iく. NageswaraRao, Ch 悶 Udaya 器 haskara Rao andN. Sadakata
1D
epartmentofGeo-Engineering ,
AndhraUniversity, Visakhapatnam , I
n
d
i
a
2DepartmentofGeography, MizoramUniversity , Aizawal , India
3DepartmentofGeography , YamaguchiUniversity, Yamaguchi , Japan
ABSTRACT
Them
o
u
n
d
l
i
k
ec
o
a
s
l
a
lr
c
ds
e
d
i
m
e
n
lf
o
r
m
a
l
i
o
n
s
c
c
l
a
r
e
s0'
1a
r
c
al
o
c
a
t
c
da
la
b
o
U
l
s
p
r
e
a
do
v
e
r1000h
20 kmn
o
r
t
ho
fl
h
cp
o
r
lc
i
l
yo
fV
i
s
a
k
h
a
p
a
t
n
a
m
e
x
h
i
b
i
tb
a
d
l
a
n
dl
o
p
o
g
r
a
p
h
ydu 巴 to i
n
t
c
n
s
cg
u
l
l
y
erosion , c
s
p
e
c
i
a
l
l
ya
l
o
n
gl
h
cc
a
s
l
e
r
ns
c
a
w
a
r
d
s
l
o
p
c
so
ft
h
emound. T
h
e
r
ea
r
ea
b
o
u
l1
6m
a
j
o
r
g
u
l
l
i
c
sw
i
t
hah
o
s
lo
fl
h
cr l
r
i
b
u
l
a
r
i
e
so
c
c
u
p
y
i
n
ga
combincda
r
c
ao
f217h
a
_ Thcl
o
t
a
lamounto
f
s
e
d
i
m
e
n
tt
h
a
ti
sa
l
r
e
a
d
yl
o
s
td
u
c10 c
r
o
s
i
o
nfr・ om
t
h
i
sd
e
p
o
s
i
tis 己 stimalcd 10 b
ci
nt
h
co
r
d
c
ro
f5
.
2
7
m
i
l
l
i
o
n cubic metcrs , bascd on t
h
ef
i
c
l
d
m
e
a
s
u
r
e
m
c
n
t
so
ft
h
cg
u
l
l
ydim巴 nsions i
nt
h
ca
r
e
a
.
Thcp
r
e
s
e
n
lr
a
l
co
fe
r
o
s
i
o
ni
sc
s
t
i
m
a
t
e
dt
ob
c
i
l
l
i
o
nc
u
b
i
cm
e
l
e
r
sp 巴 r y
e
a
rb
a
s
c
do
n
a
b
o
u
t0.04m
r
c
m
o
t
es
e
n
s
i
n
ga
sw
e
l
la
sf
i
e
l
ds
u
r
v
e
y
s
.C
o
n
s
i
d
e
r
i
n
g
t
h
et
o
t
a
la
m
o
u
n
to
fs
c
d
i
m
e
n
la
l
r
c
a
d
yl
o
s
ta
n
dt
h
e
p
r
e
s
e
n
tr
a
t
co
ferosion , at
i
m
e
f
r
a
m
ef
o
rt
h
e
i
n
i
l
i
a
t
i
o
no
ft
h
egully 巴 rosion i
nt
h
ea
r
c
awas
a
r
r
i
v
c
da
t
. Possibly , e
r
o
s
i
o
nwast
r
i
g
g
e
r
e
dby
humana
c
t
i
v
i
t
yb
ywayo
fc
l
e
a
r
i
n
gt
h
cv
e
g
e
t
a
t
i
o
nf
o
r
a
g
r
i
c
u
l
t
u
r
ei
nth 巴 area s
o
m
e
t
i
m
ed
u
r
i
n
gl
h
ee
a
r
l
y
p
a
r
to
f1
9'h c
e
n
l
u
r
yo
ri
nl
a
t
e 18山 century. Oncc
巴rosion w
a
striggered , t
h
eg
u
l
l
i
c
sw
e
r
ef
o
r
m
e
da
n
d
ext巴 ndcd a
l
o
n
gth巴 lineaments i
nt
h
i
st
e
c
t
o
n
i
c
a
l
l
y
a
c
t
i
v
e (?) u
n
c
o
n
s
o
l
i
d
a
t
c
ds
a
n
df
o
r
m
a
t
i
o
n
.
1
.I
n
t
r
o
d
u
c
t
i
o
n
Thee
a
s
tc
o
a
s
to
fI
n
d
i
ae
x
h
i
b
i
t
se
x
t
e
n
s
i
v
e
red sediment formations a
t number o
f
l
o
c
a
t
i
o
n
s
. The mostspectacularo
fthes
e
unconsolidatedsandd
e
p
o
s
i
t
si
sl
o
c
a
t
e
da
t
about 20 km north of the port c
i
t
yo
f
Visakhapatnami
nt
h
es
t
a
t
eo
fAndhraPradesh
c
o
v
e
r
i
n
gana
r
e
ao
fa
b
o
u
t1
0km2 r
i
g
h
tfrom
t
h
ebackshorezoneupt
o2
.
5km inland ,
e
x
h
i
b
i
t
i
n
gane
l
e
v
a
t
i
o
nr
a
n
g
efromabout1
0m
up t
o 90m abovet
h
es
e
al
e
v
e
l(
F
i
g
.1
)
.
I
n
t
e
n
s
eg
u
l
l
ye
r
o
s
i
o
ni
nap
a
r
to
ft
h
i
sd
e
p
o
s
i
t
g
a
v
er
i
s
et
oas
p
e
c
t
a
c
u
l
a
rbadlandtopography
whichi
sa
w
e
i
n
s
p
i
r
i
n
gt
oo
n
l
o
o
k
e
r
sandhas
become an enigma t
ot
h
ee
a
r
t
hs
c
i
e
n
t
i
s
t
s
(
P
h
o
t
o
s 1and2 )
. However , t
h
ewestern
f
l
a
n
ko
ft
h
e area belongingt
o the naval
establishmenti
s nota
f
f
e
c
t
e
dbyt
h
eg
u
l
l
y
erosion , possibly , because o
ft
h
el
a
c
ko
f
a
g
r
i
c
u
l
t
u
r
a
llanduseandt
h
et
e
c
t
o
n
i
c
a
l
l
y
a
c
t
i
v
el
i
n
e
a
r
m
e
n
tc
r
o
s
s
i
n
gt
h
ea
r
e
a
.
Althought
h
i
sdome-shapedd
e
p
o
s
i
ta
p
p
e
a
r
s
predominantlyi
nb
r
i
c
k
r
e
dcolour, t
h
e
r
ea
r
e
s
e
v
e
r
a
lw
e
l
l
d
e
f
i
n
e
ds
t
r
a
t
i
g
r
a
p
h
i
cu
n
i
t
si
nt
h
e
sedimentsucha
st
h
ebottommedium-grained
o fine-grained
yellow sands , medium t
reddish-brownconcretionbearingsands ,
f
i
n
e
g
r
a
i
n
e
dbrick叩 red sandsandt
h
eupper
t
h
i
nl
a
y
e
ro
fl
i
g
h
t
y
e
l
l
o
ws
a
n
d
.I
naddition ,
somes
t
r
i
k
i
n
gmarkerh
o
r
i
z
o
n
sl
i
k
el
a
t
e
r
i
t
i
c
d
u
r
i
c
r
u
s
t and pebblebeds a
l
s
o occur a
t
d
i
f
f
e
r
e
n
te
l
e
v
a
t
i
o
n
s withinthese d
e
p
o
s
i
t
s
(UdayaBhaskaraRao , 1
9
9
8
;NageswaraRao
e
ta
"
l 2
0
0
6
)
.
Q
u
i
t
eanumbero
fs
t
u
d
i
e
smadee
a
r
l
i
e
rl
e
d
t
ov
a
r
i
o
u
sunmatchedo
p
i
n
i
o
n
sont
h
eo
r
i
g
i
n
-35-
ARεA
E. NLARGε 。
OF
間八閤
γ/
8
"flNGAL
o
5Km
l_ω'-町J
VISAKHAPATNAM
170
52'30"
B A Y
B
E
o
F
N
G
バ
L
LEGENi
)
仁コ
Study o
r
e
a
A言、
8adlands
17 。
D
u
n
es 口 nds
50'
S
t
u
d
yare 自
/¥0-
boundory
C
o
n
t
o
u
r
s n
m
e
t
r
e
s
C
o
n
t
o
u
rl
n
l
e
r
v
o
l
:1
0m
e
t
r
e
s
ぐ:::::::::.
Tanks
830 127'30"
F
i
g
u
r
e1 L
o
c
a
t
i
o
no
ft
h
es
t
u
d
ya
r
e
a(
s
h
a
d
e
d
)t
ot
h
es
o
u
t
h
w
e
s
to
fBhimunipatnamtown
si
nt
h
e
Notet
h
a
tt
h
ec
r
e
s
to
ft
h
eredsedimentmoundw
i
t
hmaximume
l
e
v
a
t
i
o
no
f)90m i
northwesternp
a
r
t
. Thee
a
s
t
e
r
nplanko
ft
h
ea
r
e
ai
sg
u
l
l
i
e
d
. Theroadr
u
n
sp
a
r
a
l
l
e
lt
ot
h
e
s
h
o
r
e
l
i
n
e
.
-36-
Photo1 O
v
e
r
l
o
o
k
i
n
gt
h
eg
u
l
l
yf
r
o
n
ta
r
e
a(
e
a
s
t
w
a
r
d
)
Photo2 G
u
l
l
yf
l
o
o
randremnantp
i
n
n
a
c
l
e
so
fsediment
-37-
o
ft
h
e
s
edeposits , fくing (
18
8
6
)s
u
g
g
e
s
t
e
dt
h
a
t
t
h
e
s
ea
r
et
h
ed
e
n
u
d
a
t
i
o
n
a
lremnantso
ft
h
e
g
r
e
a
tsandbanko
ft
h
ep
o
s
t
P
l
i
o
c
e
n
et
i
m
eo
r
i
s
o
l
a
t
e
dbanksformedaroundt
h
et
h
e
nsunken
hills , Mahadevan and Satapathi (1949)
c
o
n
s
i
d
e
r
e
dthema
st
h
ec
u
m
u
l
a
t
i
v
eworko
f
both wind and running water ,
VishnuvardhanaRaoandDurgaP
r
a
s
a
d
aRao
(
19
6
8
)s
u
g
g
e
s
t
e
dduneenvironment , Ont
h
e
r
u
d
h
v
iR
a
j
uandVaidyanadhan
o
t
h
e
rhand , P
(1 978) , RamanandRao (
19
80) s
u
p
p
o
r
t
e
d
f
l
u
v
i
a
t
i
l
eorigin , whereasP
r
u
d
h
v
iR
a
j
ue
ta l,
(
1985) inferred beach and dune
environments , Raoe
tal , (
19
9
3
)i
d
e
n
t
i
f
i
e
d
s
e
v
e
r
a
lv
e
r
t
i
c
a
lu
n
i
t
so
ff
l
u
v
i
a
landa
e
o
l
i
a
n
deposits , Rao (1 978) , Raoe
tal , (1 993) ,
Madabhushi (
19
9
5
)i
n
f
e
r
r
e
dHoloceneo
r
i
g
i
n
t
ot
h
e
s
esediments , whereasS
r
i
h
a
r
i (1 980) ,
Dur‘ gaprasada Rao and S
r
i
h
a
r
i (1 980) ,
Durgaprasada Rao e
t al , (1982) r
e
f
e
r
r
e
d
thema
sl
a
t
eP
l
e
i
s
t
o
c
e
n
er
e
ds
e
d
i
m
e
n
t
s
Ar
e
c
e
n
t morphostratigraphic studyby
NageswaraRaoe
tal , (
2
0
0
6
)b
r
o
u
g
h
tt
ol
i
g
h
t
someo
ft
h
eh
i
t
h
e
r
t
ounreportedd
u
r
i
c
r
u
s
t
l
a
y
e
r
sandp
e
b
b
l
eb
e
d
st
h
a
to
c
c
u
ri
nbetween
andw
i
t
h
i
nt
h
e
s
esandyhorizons , andt
h
e
knick points and minor but s
i
g
n
i
f
i
c
a
n
t
w
a
t
e
r
f
a
l
l
scausedbyt
h
e
s
el
a
y
e
r
sa
tv
a
r
i
o
u
s
l
o
c
a
t
i
o
n
sa
l
o
n
gt
h
eg
u
l
l
ycourses , Then
a
t
u
r
e
o
ft
h
em
a
t
e
r
i
a
l
so
ft
h
ed
i
f
f
e
r
e
n
tsandu
n
i
t
sand
t
h
ep
o
s
i
t
i
o
n
so
fd
u
r
i
c
r
u
s
tandpebblebeds
suggested apolygenetic and m
u
l
t
i
c
y
c
l
i
c
e
v
o
l
u
t
i
o
ni
n
v
o
l
v
i
n
gfluvial , f
l
u
v
i
o
m
a
r
i
n
eand
a
e
o
l
i
a
nprocesses , c
o
m
p
l
i
c
a
t
e
dbys
e
al
e
v
e
l
changes , weatheringandneotectonics ,
Geomorphic evidences l
i
k
e a wave-cut
terrace , av
a
l
l
e
y
i
n
v
a
l
l
e
yformandas
p
r
i
n
g
i
nag
u
l
l
ys
t
r
e
a
mt
h
a
tappeart
obeo
r
i
e
n
t
e
d
a
l
o
n
goneo
ft
h
emajorl
i
n
e
a
m
e
n
t
st
h
a
tc
r
i
s
s
ュ
c
r
o
s
st
h
e area , besides the presence o
f
pebble beds now even a
t 38 t
o 42 m
e
l
e
v
a
t
i
o
n
smuchabovet
h
ebedl
e
v
e
l
so
ft
h
e
i
r
p
o
s
s
i
b
l
e source streams nearby , suggest
t
e
c
t
o
n
i
cu
p
l
i
f
t
m
e
n
to
ft
h
e area probably
d
u
r
i
n
gt
h
el
a
t
e
rs
t
a
g
e
so
fd
e
p
o
s
i
t
i
o
ni
nt
h
el
a
t
e
P
l
e
i
s
t
o
c
e
n
et
oHoloceneepochs (Nagesもvara
Raoe
ta 1., 2006) ,
Owingt
ot
h
eu
n
c
o
n
s
o
l
i
d
a
t
e
dn
a
t
u
r
eo
ft
h
e
m
a
t
e
r
i
a
li
nt
h
edeposit , t
h
ea
r
e
ai
spronet
o
i
n
t
e
n
s
eg
u
l
l
yerosion , I
nfact , a
b
o
u
t217ha
a
l
o
n
gt
h
ee
a
s
t
e
r
nseawardf
l
a
n
ko
ft
h
er
e
d
sandmoundwas degradedduet
oi
n
t
e
n
s
e
gullying mostly by slope f
a
i
l
u
r
e and
a
c
c
e
l
e
r
a
t
e
dheadwarderosion , Therefore ,
t
h
ea
r
e
ai
sr
e
n
d
e
r
e
da
sbadlandtopography
with s
t
e
e
pg
u
l
l
yw
a
l
l
sr
i
s
i
n
g even up t
o
30-35m from t
h
e
i
r bed l
e
v
e
l
sa
t some
l
o
c
a
t
i
o
n
si
nt
h
ea
r
e
a
_ Therea
r
ea
b
o
u
ts
i
x
t
e
e
n
major g
u
l
l
y streams and ahost o
ft
h
e
i
r
t
r
i
b
u
t
a
r
i
e
sc
u
t
t
i
n
ga
c
r
o
s
st
h
es
a
n
dmoundw
i
t
h
1
4o
fthemt
r
a
v
e
r
s
i
n
gi
t
se
a
s
t
e
r
nf
l
a
n
kt
o
w
a
r
d
t
h
eshoreline , w
h
i
l
et
h
eremainingtwoa
r
e
along t
h
ewestern margin o
ft
h
e mound
j
o
i
n
i
n
gt
h
eC
h
i
t
t
i
g
e
d
d
a streamwhichi
sa
t
r
i
b
u
t
a
r
yo
fPeddaGeddariver , E
x
t
e
n
s
i
o
no
f
g
u
l
l
i
e
sbyheadもvard e
r
o
s
i
o
ni
n
t
ot
h
ec
r
o
p
l
a
n
d
a
l
o
n
gt
h
eg
u
l
l
yf
r
o
n
ta
r
e
a
sl
e
a
d
st
od
e
s
t
r
u
c
t
i
o
n
o
fmango , cashew , c
a
s
u
a
r
i
n
aandcoconut
plantations , especially i
ni
t
s western
boundary , Eachincidence o
fr
a
i
n erodes
hundredso
ft
o
n
so
fs
e
d
i
m
e
n
tfromt
h
eg
u
l
l
y
s
l
o
p
e
s(
a
i
d
e
dbys
l
u
m
p
i
n
g
) andt
r
a
n
s
p
o
r
t
e
d
towards t
h
eshore zone , As aresult , t
h
e
c
u
l
v
e
r
t
sb
u
i
l
ta
c
r
o
s
st
h
e
s
eg
u
l
l
i
e
sf
o
rt
h
er
o
a
d
t
h
a
tr
u
n
sa
b
o
u
t250m i
n
l
a
n
dandp
a
r
a
l
l
e
lt
o
t
h
e shore a
r
e choked and a
tt
i
m
e
s even
b
r
e
a
c
h
e
dd
i
s
r
u
p
t
i
n
gt
h
etraffic , Ana
t
t
e
m
p
ti
s
madei
nt
h
i
ss
t
u
d
yt
oe
s
t
i
m
a
t
et
h
er
a
t
eo
f
e
r
o
s
i
o
nandt
h
evolumeo
fs
e
d
i
m
e
n
tt
h
a
th
a
s
beena
l
r
e
a
d
yl
o
s
tduet
oerosion , whichi
n
t
u
r
nh
e
l
p
e
di
nu
n
d
e
r
s
t
a
n
d
i
n
gt
h
et
i
m
e
f
r
a
m
e
f
o
rt
h
ei
n
i
t
i
a
t
i
o
no
ft
h
eg
u
l
l
yerosion ,
2, E
s
t
i
m
a
t
i
o
no
ft
h
ev
o
l
u
m
eo
fs
e
d
i
m
e
n
tl
o
s
t
Thevolume o
fsediment t
h
a
thas been
removedfromt
h
er
e
dsandmoundbye
r
o
s
i
o
n
-38-
i
se
s
t
i
m
a
t
e
dt
a
k
i
n
gi
n
t
oc
o
n
s
i
d
e
r
a
t
i
o
nt
h
e
d
i
m
e
n
s
i
o
n
so
ft
h
eg
u
l
l
i
e
si
nt
h
ea
r
e
a
.F
o
rt
h
i
s
purpose , t
h
ee
n
t
i
r
ebadlandp
a
r
to
ft
h
es
t
u
d
y
a
r
e
ai
sd
i
v
i
d
e
di
n
t
ot
h
r
e
esegments , namely
Zone-l , Zone-2andZone-3 , basedont
h
e
v
a
r
i
a
t
i
o
n
si
nt
h
edimensions l
i
k
e lengths ,
w
i
d
t
h
sandd
e
p
t
h
so
fg
u
l
l
i
e
s(
F
i
g
.2
)
.
The g
u
l
l
i
e
si
n Zone-l i
nt
h
eheadward
p
o
r
t
i
o
n
so
ft
h
ea
r
e
aa
r
edeeperthanwider
w
i
t
hamaximumd
e
p
t
h
t
o
w
i
d
t
hr
a
t
i
oh
a
v
i
n
g
an average depth o
f 14 m a
sa
g
a
i
n
s
t an
a
v
e
r
a
g
ew
i
d
t
h9m. G
u
l
l
i
e
si
nt
h
i
szonea
r
e
veη/ a
c
t
i
v
ei
nt
h
a
tt
h
e
ya
r
em
o
s
t
l
yengagedi
n
down-cutting , e
x
t
e
n
d
i
n
gheadwardt
h
e
r
e
b
y
removing l
a
r
g
eq
u
a
n
t
i
t
i
e
so
fsediment.
E
x
h
i
b
i
t
i
n
gs
l
i
g
h
t
l
ysteeper・ gradients (0.05m/m)
whencomparedt
ot
h
o
s
ei
nt
h
eo
t
h
e
rtwo
zonesande
x
t
e
n
d
i
n
goverat
o
t
a
ll
e
n
g
t
ho
f
2
6
.
7
4kmo
u
to
ft
h
et
o
t
a
la
r
e
ao
f1
3
2
.
7
8hao
f
t
h
i
szone , t
h
eg
u
l
l
ybedsi
nZoneω1 occupy
a
b
o
u
t2
4
.
0
6h
a
.Z
o
n
e
2i
nt
h
em
i
d
d
l
er
e
a
c
h
e
s
o
ft
h
ebadlandt
e
r
r
a
i
ni
sc
h
a
r
a
c
t
e
r
i
z
e
dby
g
u
l
l
i
e
st
h
a
thaveana
v
e
r
a
g
edeptho
f1
2m
andw
i
d
t
ho
f15m. F
o
l
l
o
w
i
n
gac
o
m
p
a
r
a
t
i
v
e
l
y
gentle gradient o
f0.02 m/m , t
h
eg
u
l
l
y
segmentsi
nZone 之 cover at
o
t
a
ll
e
n
g
t
ho
f
about9.04km. Thea
r
e
a occupiedbyt
h
e
g
u
l
l
ybedsi
sa
b
o
u
t1
3
.
5
6hao
u
to
ft
h
et
o
t
a
l
a
r
e
ao
f7
0
.
3
4hao
ft
h
i
sz
o
n
e
. Ont
h
eo
t
h
e
r
hand , t
h
eg
u
l
l
i
e
si
nZone-3 e
x
h
i
b
i
tavery
s
m
a
l
ld
e
p
t
ht
ow
i
d
t
hr
a
t
i
oh
a
v
i
n
gana
v
e
r
a
g
e
d
e
p
t
ho
f10ma
g
a
i
n
s
tana
v
e
r
a
g
ew
i
d
t
ho
f20
m. Thea
v
e
r
a
g
eg
r
a
d
i
e
n
to
ft
h
eg
u
l
l
i
e
si
sa
l
s
o
や
、
、
、
忌
、
、、
、
tう
、
1
¥
、
、
、
、
、
。
、
1
せ
、
、
争
、
、
9
I
1
。
、
IK m
、
、
、
、
、
F
i
g
u
r
e2 D
e
m
a
r
c
a
t
i
o
no
ft
h
eg
u
l
l
i
e
da
r
e
ai
n
t
ot
h
r
e
eZones (1 , 2and3) basedonv
a
r
i
a
t
i
o
n
si
n
t
h
eg
u
l
l
yd
i
m
e
n
s
i
o
n
s
39-
veryg
e
n
t
l
ea
t0
.
0
1 m/m. Thecombined
l
e
n
g
t
ho
fa
l
lt
h
eg
u
l
l
ys
e
g
m
e
n
t
si
nt
h
i
szonei
s
about 1
.
3
6km. The g
u
l
l
ybedsoccupyan
a
r
e
ao
f2
.
7
2hao
u
to
ft
h
et
o
t
a
la
r
e
ao
fa
b
o
u
t
1
4
.
1
1hai
nt
h
i
sz
o
n
e
.
Byas
i
m
p
l
em
u
l
t
i
p
l
i
c
a
t
i
o
no
ft
h
ed
i
m
e
n
s
i
o
n
s
o
ft
h
eg
u
l
l
i
e
si
na
l
lt
h
et
h
r
e
e zones put
together , t
h
evolumeo
ft
h
es
e
d
i
m
e
n
tt
h
a
ti
s
l
o
s
tduet
oe
r
o
s
i
o
ni
se
s
t
i
m
a
t
e
dt
obea
b
o
u
t
5
.
2
7m
i
l
l
i
o
nc
u
b
i
cm
e
t
e
r
s(
T
a
b
l
e1)
3
.E
s
t
i
m
a
t
i
o
no
fe
r
o
s
i
o
nr
a
t
e
1
nordert
oe
s
t
i
m
a
t
et
h
ep
r
e
s
e
n
tr
a
t
eo
f
erosion , a
e
r
i
a
l photographs and s
a
t
e
l
l
i
t
e
rmagerγof d
i
f
f
e
r
e
n
td
a
t
e
ss
p
r
e
a
do
v
e
rs
e
v
e
r
a
l
decades a
r
es
t
u
d
i
e
d
. Besides , p
l
a
n
e
t
a
b
l
e
s
u
r
v
e
ywasconductedi
nt
h
r
e
es
e
a
s
o
n
sd
u
r
i
n
g
1994-95a
tc
e
r
t
a
i
ns
e
l
e
c
t
e
dl
o
c
a
t
i
o
n
sa
l
o
n
g
t
h
e gullyωhead a
r
e
a
st
o map t
h
echanging
t
c
o
n
f
i
g
u
r
a
t
i
o
no
ft
h
er
e
c
e
d
i
n
gg
u
l
l
yf
r
o
n.
Based on t
h
e
s
e two methods , t
h
er
a
t
eo
f
T
a
b
l
e1
.D
a
t
ao
nd
i
m
e
n
s
i
o
n
so
fg
u
l
l
i
e
sandv
o
l
u
m
eo
fs
e
d
i
m
e
n
tl
o
s
tf
r
o
mt
h
es
t
u
d
ya
r
e
a
Zone-l
Parameter
Zone-2
Zone-3
2
6
.
7
4
9
.
0
4
l
.3
6
Averagew
i
d
t
ho
ft
h
eg
u
l
l
i
e
s (m)
9
.
0
0
1
5
.
0
0
2
0
.
0
0
Averaged
e
p
t
ho
ft
h
eg
u
l
l
i
e
s (m)
1
4
.
0
0
1
2
.
0
0
1
0
.
0
0
3
.
3
7
1
.6
3
0
.
2
7
k
m
)
CombinedL
e
n
g
t
ho
fa
l
lg
u
l
l
i
e
s(
Volumeo
ft
h
es
e
d
i
m
e
n
te
r
o
d
e
d(
m
i
l
l
i
o
nm
l
)
-・-由四四町時四』
一『情瑚』
‘、
'_....__
_'"'岬燐-申 e 岬四由 h
『司'柚曲 F
司
h
zi
制同議議官
E 又?合れ t
of G
u
l
l
y Front i れ:
ゆ 79
一一一
(
A
i
r Photo)
。
1995
(Satellit母
Imog 母}
F
i
g
u
r
e3 S
h
i
f
ti
nt
h
eg
u
l
l
yf
r
o
n
tduet
oheadwarderosion , basedo
na
e
r
i
a
lp
h
o
t
o
g
r
a
p
hf
r
o
m1
9
7
9
ands
a
t
e
l
l
i
t
ei
m
a
g
ef
r
o
m1
9
9
5
-40-
e
r
o
s
i
o
ni
nt
h
ea
r
e
ahasbeen ca1cu1ated ,
s
e
p
a
r
a
t
e
1
y
.
3
. 1E
s
t
i
m
a
t
i
o
nt
h
r
o
u
g
hRemoteS
e
n
s
i
n
g
Fort
h
i
sstudy , a
e
r
i
a
1photographsfrom
1979ands
a
t
e
l
l
i
t
eimage (
I
R
S
I
B
) from1995
o
ft
h
es
t
u
d
ya
r
e
a on 1:50000s
c
a
1
ehave
beenu
s
e
d
. The g
u
l
l
yf
r
o
n
tboundaries o
f
t
h
e
s
etwod
a
t
e
sweremappedfromb
o
t
ha
e
r
i
a
1
photographs and s
a
t
e
1
1
i
t
e image. The
d
i
f
f
e
r
e
n
c
ei
nt
h
e
s
etwob
o
u
n
d
a
r
i
e
si
susedt
o
e
s
t
i
m
a
t
et
h
es
e
d
i
m
e
n
t1
0
s
td
u
r
i
n
gt
h
ep
e
r
i
o
d
between 1979and 1995 (
F
i
g
.3
)
. Basedon
t
h
e
s
etwoknownyears , t
h
ea
v
e
r
a
g
er
a
t
eo
f
1andwardm
i
g
r
a
t
i
o
no
fg
u
l
l
yf
r
o
n
ti
se
s
t
i
m
a
t
e
d
t
obea
b
o
u
t1
.
0m p
e
ry
e
a
r
. Thea
v
e
r
a
g
er
a
t
e
o
fs
e
d
i
m
e
n
t1
0
s
th
a
sbeene
s
t
i
m
a
t
e
dt
a
k
i
n
gt
h
e
a
v
e
r
a
g
ed
e
p
t
ho
ft
h
eg
u
l
l
i
e
sa
s1
4m (
s
i
n
c
e
t
h
eg
u
l
l
i
e
sh
e
r
ecomeunderZ
o
n
e
l
)o
v
e
ra
1
e
n
g
t
ho
fa
b
o
u
t3kmwheres
e
v
e
r
e1andward
e
r
o
s
i
o
nhas o
c
c
u
r
r
e
d
. Basedont
h
et
h
r
e
e
p
a
r
a
m
e
t
e
r
s
(
l
)
t
h
e1
e
n
g
t
ho
fe
r
o
s
i
o
ni
s3km , (
2
)
t
h
ea
v
e
r
a
g
ed
e
p
t
ho
ft
h
eg
u
l
l
i
e
si
s1
4m , and
(
3
)t
h
eaverager
e
c
e
s
s
i
o
nr
a
t
ei
s1
.
0m per
year, t
h
evo1umeo
fs
e
d
i
m
e
n
t1
0
s
td
u
r
i
n
gt
h
e
1
6
y
e
a
rp
e
r
i
o
d(
19
79-1995) wasc
a
1
c
u
1
a
t
e
d
tmeanst
h
e
t
obe0
.
6
7m
i
l
l
i
o
nc
u
b
i
cm
e
t
e
r
s I
l
vo1umeo
fs
e
d
i
m
e
n
t1
0
s
ti
s0
.
0
4m
i
l
l
i
o
nm
:p
e
r
y
e
a
r
.
3
.2 E
s
t
i
m
a
t
i
o
nt
h
r
o
u
g
hF
i
e
l
dMapping
Ap
1
a
n
e
t
a
b
1
es
u
r
v
e
ywasc
o
n
d
u
c
t
e
da
tf
i
v
e
s
e
1
e
c
t
e
d1
0
c
a
t
i
o
n
s(
F
i
g
.4) a
1
0
n
gt
h
eg
u
l
l
y
ュ
f
r
o
n
ta
r
e
a
si
no
r
d
e
rt
oe
s
t
i
m
a
t
et
h
es
e
a
s
o
n
a
1
changei
nt
h
eg
u
l
l
yf
r
o
n
tb
o
u
n
d
a
r
y
. Ateach
station , about one-ha1fo
fameterhigh
c
o
n
c
r
e
t
ep
i
l
l
a
rwasc
o
n
s
t
r
u
c
t
e
di
no
r
d
e
rt
o
havegroundr
e
f
e
r
e
n
c
eandt
of
i
xt
h
o
s
eground
c
o
n
t
r
o
1p
o
i
n
t
sont
h
emappings
h
e
e
twhichi
s
a
f
f
i
x
e
dt
ot
h
e p1ane ぺ ab1e. These c
o
n
t
r
o
1
p
o
i
n
t
swered
e
s
i
g
n
a
t
e
da
sA, B, C, D andE
a
s showni
nt
h
ei
n
s
e
tmap o
ft
h
ea
r
e
ai
n
F
i
g
u
r
e4
.G
u
l
l
y
f
r
o
n
ta
r
e
a
sweremapped
using amicroptic alidade a
ta
l
lt
h
ef
i
v
e
selected l
o
c
a
t
i
o
n
s
. The method was
followedt
o map g
u
l
l
yf
r
o
n
t
s duringboth
pre- , andpost-monsoons
e
a
s
o
n
sa
tt
h
esame
h
em
u
l
t
i
d
a
t
eb
o
u
n
d
a
r
i
e
so
f
1
0
c
a
t
i
o
n
s
. Thus , t
g
u
l
l
yf
r
o
n
t
swereo
b
t
a
i
n
e
dbasedonwhicht
h
e
r
a
t
eo
fsedimentr
e
c
e
s
s
i
o
ni
sfound t
o be
a
b
o
u
t1
.
2m p
e
ry
e
a
r
. Thea
v
e
r
a
g
ed
e
p
t
ha
t
eachg
u
l
l
yf
r
o
n
tmeasuredwithmeasuring
t
a
p
ewas 1
2m f
o
rt
h
ee
n
t
i
r
er
e
p
r
e
s
e
n
t
a
t
i
v
e
s
t
r
e
t
c
ho
f3km (
a
l
lt
h
ef
i
v
el
o
c
a
t
i
o
n
sp
u
t
t
o
g
e
t
h
e
r
)
. Basedont
h
e
s
eparameters t
h
e
a
v
e
r
a
g
er
a
t
eo
fe
r
o
s
i
o
nwascomputedt
obe
a
b
o
u
t0
.
0
4
3m
i
l
l
i
o
nc
u
b
i
cm
e
t
e
r
sp
e
ry
e
a
r
.
Notably, t
h
es
t
u
d
i
e
sbasedonremotes
e
n
s
i
n
g
a
sw
e
l
la
st
h
ef
i
e
l
ds
u
r
v
e
y
shavei
n
d
i
c
a
t
e
d
a
p
p
r
o
x
i
m
a
t
e
1
ys
i
m
i
l
a
re
s
t
i
m
a
t
e
sf
o
rt
h
ea
n
n
u
a
l
r
a
t
eo
fe
r
o
s
i
o
nandt
h
evo1umeo
fsediment
l
o
s
t
4
.R
e
s
u
l
t
sandD
i
s
c
u
s
s
i
o
n
Thet
o
t
a
ls
e
d
i
m
e
n
tl
o
s
tfromt
h
es
t
u
d
ya
r
e
a
h
a
sbeene
s
t
i
m
a
t
e
dt
obea
b
o
u
t5
.
2
7m
i
l
l
i
o
n
c
u
b
i
cmeters , b
a
s
e
dont
h
ec
a
l
c
u
l
a
t
i
o
no
ft
h
e
g
u
l
l
ydimensionsi
nt
h
et
h
r
e
ezonesi
nt
h
e
area a
s described i
nS
e
c
t
i
o
n 2above
Similarly , the present r
a
t
e of erosion
e
s
t
i
m
a
t
e
db
o
t
hfromt
h
eremotes
e
n
s
i
n
gs
t
u
d
y
(
S
e
c
t
i
o
n3
.
1
)a
sw
e
l
la
st
h
ef
i
e
1
ds
u
r
v
e
y
s
(
S
e
c
t
i
o
n3
.
2
)i
s about0.04m
i
l
l
i
o
ncubic
m
e
t
e
r
sp
e
ryear , onana
v
e
r
a
g
e
. Takingt
h
e
p
r
e
s
e
n
tr
a
t
eo
fe
r
o
s
i
o
na
s astandardand
assumings
i
m
i
l
a
rc
l
i
m
a
t
i
cc
o
n
d
i
t
i
o
n
s and
e
r
o
s
i
o
nr
a
t
e
sp
r
e
v
a
i
l
e
dthroughout , as
i
m
p
l
e
a
r
i
t
h
m
e
t
i
ct
oe
s
t
i
m
a
t
et
h
et
i
m
ei
n
v
o
l
v
e
df
o
r
t
h
el
o
s
so
fa
b
o
u
t5
.
2
7m
i
l
l
i
o
nc
u
b
i
cm
e
t
e
r
so
f
s
e
d
i
m
e
n
ta
tar
a
t
eo
f0
.
0
4m
i
l
l
i
o
nc
u
b
i
cm
e
t
e
r
s
p
e
ry
e
a
rh
a
si
n
d
i
c
a
t
e
dt
h
a
tt
h
ee
r
o
s
i
o
nm
i
g
h
t
havebeeni
n
i
t
i
a
t
e
dabout 1
3
1y
e
a
r
sb
e
f
o
r
e
t
h
er
e
f
e
r
e
n
c
ey
e
a
ri
nt
h
i
sstudy , i.e. , 1995
during which the f
i
e
l
d surveys were
c
o
n
d
u
c
t
e
d
.I
tmeanst
h
a
tt
h
ee
r
o
s
i
o
np
r
o
c
e
s
s
m
i
g
h
thaves
t
a
r
t
e
dd
u
r
i
n
g1
8
6
0
sA
.
D
.
However , i
tmayhavet
oben
o
t
e
dt
h
a
tt
h
e
t
i
m
e
f
r
a
m
eo
b
t
a
i
n
e
df
o
rt
h
ei
n
i
t
i
a
t
i
o
no
ft
h
e
41-
、代
A
,
11,
Y
oF
4
BENGAL
o
!~
LEGEND
1
6
t
hF E.' b.199 1,
N+
十i
1
9
t
hNov.199 1,
16thFeb.19 雪 5
o
C
500 Mctres
し一一一J
10 ME
.
't
r
e
s
L一一一ム__J
、、白
ぶ巴
‘,
l
\、J
可
、
1
11
、
、・、
、
F
i
g
u
r
e4 Changesi
nt
h
eg
u
l
l
yf
r
o
n
tl
i
n
eduet
oheadwarde
r
o
s
i
o
nbasedo
nplane幽table s
u
r
v
e
y
d
u
r
i
n
g1
9
9
4
1
9
9
5
Arrowsi
n
d
i
c
a
t
et
h
ed
i
r
e
c
t
i
o
no
fheadwarde
x
t
e
n
s
i
o
no
fg
u
l
l
i
e
s
. Thel
o
c
a
t
i
o
n
so
ft
h
e
)a
r
eshowni
ni
n
s
e
tmap.
f
i
v
emappedg
u
l
l
yf
r
o
n
ta
r
e
a
s (A , B, C, DandE
42-
l
a
n
dd
e
g
r
a
d
a
t
i
o
ni
nt
h
ea
r
e
ai
sbasedont
h
e
p
r
e
m
i
s
et
h
a
tt
h
ep
r
e
s
e
n
tr
a
t
eo
fe
r
o
s
i
o
nh
o
l
d
s
goodt
h
r
o
u
g
h
o
u
t
.I
ti
se
q
u
a
l
l
yp
o
s
s
i
b
l
et
h
a
ta
t
t
h
eb
e
g
i
n
n
i
n
go
ft
h
i
sd
e
g
r
a
d
a
t
i
o
nprocess , t
h
e
nt
e
r
m
so
ft
h
equantumo
f
r
a
t
eo
ferosion , i
s
e
d
i
m
e
n
tremoved , c
o
u
l
dbemuchslower ,
s
i
n
c
ei
nt
h
ei
n
i
t
i
a
lstages , t
h
ee
r
o
s
i
o
n
p
r
o
n
e
a
r
e
ai
nt
e
r
m
so
fg
u
l
l
yf
r
o
n
t
sandg
u
l
l
ybank
s
e
c
t
i
o
n
a
la
r
e
a
smusthaveo
c
c
u
p
i
e
dv
e
r
ys
m
a
l
l
e
x
t
e
n
t
s
. Hence , i
ti
sl
i
k
e
l
yt
h
a
ti
n
i
t
i
a
l
l
ywhen
t
h
ee
r
o
s
i
o
nhadstarted , t
h
ea
n
n
u
ls
e
d
i
m
e
n
t
e
r
o
d
e
dwasmuchl
e
s
st
h
a
nwhati
se
r
o
d
e
da
t
p
r
e
s
e
n
ta
l
t
h
o
u
g
hs
u
c
hr
a
t
e
sc
o
u
l
dn
o
tp
o
s
s
i
b
l
y
bee
s
t
i
m
a
t
e
di
nt
h
ep
r
e
s
e
n
ts
t
u
d
y
. Therefore ,
t
h
ee
r
o
s
i
o
nmightd
a
t
ebackmorethant
h
e
c
a
l
c
u
l
a
t
e
dd
a
t
eo
f1860A.D
Then
a
t
u
r
eo
ft
h
em
a
t
e
r
i
a
landt
h
et
o
r
r
e
n
t
i
a
l
r
a
i
n
f
a
l
ld
u
r
i
n
gt
h
emonsoonp
e
r
i
o
dcoupled
perhapsw
i
t
ht
h
en
e
o
t
e
c
t
o
n
i
ca
c
t
i
v
i
t
yi
nt
h
e
a
r
e
aa
r
ec
o
n
s
i
d
e
r
e
dt
ober
e
s
p
o
n
s
i
b
l
ef
a
c
t
o
r
s
i
na
d
d
i
t
i
o
nt
ohumani
n
t
e
r
f
e
r
e
n
c
ef
o
rt
h
e
severe gully erosion i
n the area.
Basically, t
h
e
s
esandys
o
i
l
sa
r
ee
a
s
i
l
yprone
t
o erosion by water and wind. The
u
n
c
o
n
s
o
l
i
d
a
t
e
dn
a
t
u
r
eo
ft
h
em
a
t
e
r
i
a
la
i
d
e
d
byc
o
n
c
e
n
t
r
a
t
e
ds
u
r
f
a
c
er
u
n
o
f
fp
a
r
t
i
c
u
l
a
r
l
yi
n
r
a
i
n
ys
e
a
s
o
npromotess
e
v
e
r
eg
u
l
l
ye
r
o
s
i
o
n
.
Over引 eepening o
ft
h
eg
u
l
l
yw
a
l
l
sc
u
ti
nt
h
i
s
unconsolidated sediment l
e
a
d
st
o slope
f
a
i
l
u
r
e
. Moreover , a
st
h
ea
r
e
ai
sa
d
j
o
i
n
i
n
g
t
h
ecoast , i
te
x
p
e
r
i
e
n
c
e
ss
t
r
o
n
ge
o
l
i
a
na
c
t
i
v
i
t
y
d
u
r
i
n
gmostp
a
r
to
ft
h
ey
e
a
r
. Generally ,
d
u
r
i
n
gsummert
h
es
e
d
i
m
e
n
tbecomesd
r
yand
l
o
o
s
eandhencee
a
s
i
l
yg
e
t
sd
r
i
f
t
e
dbyt
h
e
s
t
r
o
n
go
n
s
h
o
r
ew
i
n
d
s
.
C
o
n
s
i
d
e
r
i
n
gt
h
ep
o
s
s
i
b
i
l
i
t
yt
h
a
tt
h
eg
u
l
l
y
e
r
o
s
i
o
ni
nt
h
ea
r
e
am
i
g
h
thavebeeni
n
i
t
i
a
t
e
d
aboutac
o
u
p
l
eo
fc
e
n
t
u
r
i
e
sback , e
i
t
h
e
ri
n
t
h
ee
a
r
l
yp
a
r
to
f1
9
t
hc
e
n
t
u
r
yo
rl
a
t
e1
8
t
h
century , i
tmaybepresumedt
h
a
thuman
a
c
t
i
v
i
t
ybywayo
fc
l
e
a
r
i
n
gt
h
ev
e
g
e
t
a
t
i
o
ni
n
t
h
ea
r
e
af
o
ra
g
r
i
c
u
l
t
u
r
em
i
g
h
thavet
r
i
g
g
e
r
e
d
P
h
o
t
o3 S
t
o
n
ew
a
l
l
st
op
r
o
t
e
c
tt
h
ea
g
r
i
c
u
l
t
u
r
e
f
i
e
l
d
sf
r
o
mg
u
l
l
ye
r
o
s
i
o
n
t
h
ee
r
o
s
i
o
ni
nt
h
ea
r
e
a(
P
h
o
t
o3
)
. Thea
r
e
a
i
sa
l
s
o considered t
o have subjected t
o
neotectonic a
c
t
i
v
i
t
ya
s evident from t
h
e
p
r
e
s
e
n
c
eas
p
r
i
n
ga
l
o
n
gagully , d
o
u
b
l
econe
structures , t
h
ed
r
a
gn
o
t
i
c
e
a
b
l
ei
nt
h
ed
i
p
so
f
sedimentaries , andt
h
es
u
b
t
r
e
l
l
i
sp
a
t
t
e
r
no
f
g
u
l
l
i
e
si
nt
h
e area (Madabush i, 1995).
Further , geomorphicf
e
a
t
u
r
e
sl
i
k
eaw
a
v
e
c
u
t
ter・race muchi
n
l
a
n
dandabovet
h
ep
r
e
s
e
n
t
h
e
t
i
d
eleve l, avalley-in べTalley f01・m , andt
p
r
e
s
e
n
c
eo
fp
e
b
b
l
eb
e
d
sa
t38-42me
l
e
v
a
t
i
o
n
s
muchabovet
h
ebedl
e
v
e
l
so
ft
h
e
i
rp
o
s
s
i
b
l
e
source streams nearby a
l
s
o suggest the
possible tectonic upliftment o
fthe red
sediment formations post 句 depositionally
(Nageswara Rao e
t al. , 2006). The
alignment of several g
u
l
l
i
e
s with the
lineaments i
n
f
e
r
r
e
di
n the area further
c
o
r
r
o
b
o
r
a
t
e
st
h
et
e
c
t
o
n
i
ci
n
f
l
u
e
n
c
eont
h
e
gully formation (Madabushi , 1995;
0
0
6
)
. Therefore , i
t
NageswaraRaoe
tal. , 2
i
sl
i
k
e
l
yt
h
a
toncet
h
ee
r
o
s
i
o
nwasi
n
i
t
i
a
t
e
d
duet
oc
l
e
a
r
i
n
go
fv
e
g
e
t
a
t
i
o
nf
o
ragriculture ,
t
h
eg
u
l
l
i
e
swereformedandr
a
p
i
d
l
ye
x
t
e
n
d
e
d
a
l
o
n
gt
h
el
i
n
e
so
fweaknessmarkedbyt
h
e
l
i
n
e
a
r
m
e
n
t
s
.
5
.C
o
n
c
l
u
s
i
o
n
s
Basedon t
h
e remote sensing and f
i
e
l
d
s
u
r
v
e
ymethods , i
ti
si
n
f
e
r
r
e
dt
h
a
te
r
o
s
i
o
ni
n
t
h
es
t
u
d
ya
r
e
awasi
n
i
t
i
a
t
e
daboutac
o
u
p
l
e
hundred years ago , most l
i
k
e
l
y due t
o
-43-
clearing of vegetation for agriculture.
Therefore , human activity seems t
o be
p
r
i
m
a
r
i
l
yresponsiblef
o
rlanddegradationi
n
thearealeadingt
oformationofspectacular
h
ei
n
f
l
u
e
n
c
eo
f
badlandtopography, althought
Prudhvi Raju , K
. N. , Mahalakshmi , K
. B. ,
P
r
a
s
a
d
aRaju , P
.V
. S. , Bhagavan , S
.V
.B
. rく.,
and Emmanuel , B
.D
. (1 985) , Geomorphic
processes i
nt
h
eformation o
f(
r
e
d
) sandso
f
Bhimunipatnam , Andhra Pradesh:JO U7 ηα loJ
G
e
o
l
o
g
i
c
a
lS
o
c
i
e
t
yo
JJndiα , v
. 26 , P
P
.3
3
6
3
4
4
.
.
neotectonicsmaynotber
u
l
e
dout
References
.V
.N
.andSrihari , Y
. (1 980) ,
D
u
r
g
a
p
r
a
s
a
d
aRao , N
Claymineralogyo
ft
h
el
a
t
e Pleistoc 巴 ne red
a
s
t
sediments o
ft
h
eVisakhapatnam region , e
. 27 ,
c
o
a
s
to
fI
n
d
i
a:Sedimentα ry Geology , v
p
p
.2
1
3
2
2
7
.
DurgaPrsada Rao , N
.V
. N. , Srihari , Y
. and
. K. A
. (1982) , Columnarc
o
n
c
r
e
t
i
o
n
s
Behary, A
i
nt
h
eVisakhapatnamr
e
ds
e
d
i
m
e
n
t
so
fth 巴 east
c
o
a
s
to
fI
n
d
i
a:SedimentaryGeology , v
. 31 ,
p
p
.3
0
3
3
1
6
.
King , W (1886) , The geological sketch o
f
Visakhapatnam d
i
s
t
r
i
c
t:ReviewoJGeologicαl
Surveyo
JJndia , v
. 19 , 1
4
3
1
5
6
.
Madabushi , S
. (1 995) , P
o
s
s
i
b
l
ei
n
d
i
c
a
t
o
r
so
f
n
e
o
t
e
c
t
o
n
i
ca
c
t
i
v
i
t
yn
e
a
rBhimunipatnamcoast ,
AndhraPradesh:C
u
r
r
e
n
tScience , v
. 68 , P
P
.
5
5
2
5
5
5
Mahadevan , C
. andSatapathi , N
. (1 949) , Th巴
o
r
i
g
i
no
ft
h
eW
a
l
t
a
i
rh
i
g
h
I
a
n
d
s:Geogrαphicαl
J
o
u
r
n
a
lo
JJndia , v
. 24 , P
P
. I2
6
.
NageswaraRao , K., UdayaB
h
a
s
k
a
r
aRao , Ch. ,
V
i
j
a
y
aPrakash , P
.andThimmaReddy , K
. (2006) ,
Morphostratigraphy and evolution o
ft
h
e
Quaternary ‘ Red Sands' 日 ear Bhimunipatnam ,
e
a
s
tc
o
a
s
to
fI
n
d
i
a:J
o
u
r
n
a
lo
fG
e
o
l
o
g
i
c
a
lS
o
c
i
e
t
y
ofI ndia , v
. 68 , P
P
.8
5
7
8
7
3
.
P
r
u
d
h
v
iRaju , K.トJ. andVaidyanadhan , R
. (1 978) ,
Geomorphology o
fVisakhapatnam , Andhra
P
r
a
d
e
s
h
:
J
o
u
r
n
a
lo
JG
e
o
l
o
g
i
c
a
lS
o
c
i
e
t
yo
JJndiα , v
.
19 , P
P
. 26ω34.
Raman , C
.V
. andRao , A
.T
. (1 980) , Textm‘ al
a
n
a
l
y
s
i
so
fr
e
ds
e
d
i
m
e
n
t
sfromVisakhapatnam
JG
e
o
l
o
g
i
c
a
l
district , AndhraPradesh:Journalo
S
o
c
i
e
t
yo
JJndia , v
. 21 , p
p
.4
8
5
3
.
Rao , A. つr. (1978) , Red sediments of
Visakhapatnam , AndhraPradesh:JournaloJ
. 19, P
P
.7
9
8
2
.
G
e
o
l
o
g
i
c
a
lS
o
c
i
e
t
yo
JJndiα, v
Rao , A
. T. , Rao , P
. N. , Verma , D
. 0 and
.P
. (1 993) , C
o
a
s
t
a
l sediments along
Rao , K
Visakhapatnam-Bhimunipatnamregion , Andhra
Pradesh ・ Jom ηα l o
JJndiα n Associα tion oJ
Sedimentologists , v
. 12 , p
p
. 1
9
.
Srihari , Y
. (1 980) , O
r
i
g
i
no
fVisakhapatnamr
e
d
a
s
tc
o
a
s
to
fI
n
d
i
a:P
h
.D
. thesis ,
sediments , e
AndhraUniversity , 152p , (
U
n
p
u
b
l
i
s
h
e
d
)
.
Udaya Bhaskara Rao , C
h
. (1998) , Quaternary
巴 volution a
nd environmental degradation o
f
a
s
tc
o
a
s
t
c
o
a
s
t
a
ls
e
d
i
m
e
n
t
so
fVisakhapatnam , e
o
fI
n
d
i
a:unpublishedP
h
.D
. thesis , Andhra
University , Visakhapatnam , 1
3
7
p
.
VishnuvardhanRao , M. andD
u
r
g
a
p
r
a
s
a
d
aRao , N
.
o
t
cont
h
eo
r
i
g
i
no
fW
a
l
t
a
i
r
V
.N
. (1 968) , A n
. 37 , P
P
.
high-Iands:Current Science , v
4
3
8
4
3
9
.
44-
エリア山口第37号
2
0
0
8
慶安五年 r題防図絵国 J r長門圏絵図 j の記載内容について
滞村克典
の図形をもとに作られている。麗安 5 年「周防関
1.はじめに
絵図 J 1長門盟絵図j を「正保周隣国給関 J 1正保
萩藩の領域を描いた絵図は、防長両国の閤絵図、
長門国絵図 J 1 長門周訪両国絵間」と比較すると、
防長碍間関、郡図、海岸深浅絵図などがみられる
慶安 5 年「周防国絵国 J 1 長内国絵図」は「長門
(表 1 )。これらのうち、国絵図に関しては、村井
周防両国絵国」と盟形が近似している。これらの
益男ほか、 )11 村博忠、喜多祐子、犠永和貴、河村
閣は、本土の出境、郡境、海岸線は一致し、瀬戸
克典らによって分析が行われてきたりが、慶安
内海、日本海に描かれた島の形、位置は異なる。
5 年「周|勿国絵歯 J 1長門国絵図 J 2) については、
「正保照的国絵図 J 1正保長内国絵閤 J は l 里 6
寸の縮尺で、問中の道筋にー里山を 6 寸i置きに図
これまでに紹介されていない。
江戸幕府は正保元年(1 644) に、全国一斉に諸
示している。「長門賂防両国絵国」では、一盟 111
国の主たる大名および、代官へ国絵閣などの調進を
の開が約 6 cm で、あることから、
令達した。それに対して、萩藩は周防、長門両国
作成されていると考えられる。慶安 5 年「周防国
の悶絵圏、郷帳、道i援を慶安 2 年(1 649) から悶
給関 J 1 長門閤絵図」は、閤形が「長門周防両国
5 年(1 652) にかけて )1賢次に提出した:1 )。慶安 5
絵国」と重なることから、
年「周防国絵図 J 1長門田絵国 J は、これと向じ
ことになる。
1 盟 2 すの縮尺で
l 里 2 寸の縮尺である
時期に作成されており、記載内容には関心の持た
方位表示は、「正保周防医i 絵図 J 1正保長門田絵
れることろである。本研究では、慶安 S 年「周防
図 J 1長門周防両国絵 ~J は盟国四辺の各中央に
国絵図 J 1長門臨絵函」の記載内容について紹介
「東 J 1西 J 1 南 J 1~~J の方位文字を内側向き合わ
する。
せに記されている。慶安 5 年「周妨国絵図 J 1長
2 盆慶安 5 年 f 周妨盟絵図 J
問題i絵図」も関じである。
r 長門国絵図 j
(2)
の記載内器
顕式
図式についても、「正保周防図絵図 J 1正保長円
慶安 5 年「周防図絵図 J 1 長門恩給図」の記載
園絵図 J 1 長門周訪i帝国絵図 j
内容について、これらと同時期に作成された「正
検討してみたい。
保周防関絵図 J 1 正保長門国絵図 J
①村形
4)
1 長門周防
両国絵図」 5) との比較を通して検討してみたい G) 。
との比較を通して
「正保周防国絵図 J 1 正係長門出絵図」は村名・
(
1) 図形・鋸尺
村高ともに村形内に記入され、村高記載は「何石
「正保席前田絵図 J (写真 1 )の寸法は 330x 5
5
3
余」あるいは「何石」と石未満が省略されている。
師、「正保長門閣絵図 J (写真 2) は 335 x480cm、
「長門局肪両国絵図 j 、箆安 5 年「周防国絵図 J 1長
「長門周訪再開絵関 J (写真 3) は 165 x262cm、慶
門田絵国」は村形の中は村名だけで、石高の記載
x148cm、
は 107 x1
4
8
c
m
安 5 年「周防国絵図 J (写真 4) は 107
はみられない。
慶安 5 年「長門国絵図 J (写真 5)
②郡区分
である。「正保周防国絵図 J 1正保長門田絵国 J は
「正保周防国絵図 J 1正保長内閣絵図」は、黒の
大型の絵図であるのに対し、「長門周防両国絵図J
郡境線で顕したうえ、村形を各郡、別色で色分け
f周防関絵図 J 1長門国絵図」は小型である。
する方法がとられている。「長門周防河盟絵菌」
「長門局防両国絵図 j は「正保周防国絵図 J 1正
も悶じ方法で郡を区別し、周防・長門の国境につ
保長門田絵図」を合成したものではなく、全く別
いては、二本の墨筋で引かれている。慶安 S 年「周
-45
表1
山口県文書館蔵の防長時態思
411三
"j 悶?会主i
引げ苛防医i創立J
I妥2S: 5 年
GI J\局防関絵間際7,(
5 壬fè
IljJj合 1
明治 11 年写
長 I"JI諸防評TI tTIl 絵図
8 I 防長潟都判あ;加地ぽi
袋入絵隠i
毛利家文Ilìi
2
4
5
絵 IZJ
防長両国防絹地図
ITI.I~ 切絵!ヌ!の写、本文・;
~*~二半日の区 7jlJ
君1~1切、本支務の i豆別
袋入絵図
22~27
防長雨悶君1~ 7JUfi樹立!
天保 12司王
袋入絵図
20~21
防長関図君j~別絵!羽天保 12年
者i収本支務・宰半日の I
[
8
:
7
JU
1[1 ドtt専!J,{
'
'
(
1
;
)
8
4
)
!羽l 切、本文ì;1F ・ 5宇和j の
区別
治伴浅i祭絵
以!
袋入絵 [>;(J
[袋入絵!主i
2
8 I.災!可際問 i狩 ~jiiifi:;" 干す別!取数喜g~官;主深台場t
2
9
長 I"J 国周防湾 ilifi下車、;日目立1数浅i~~絵 lヌi
袋入手会対
3
3
長門箆l北海主主 WI立!
袋入絵凶
3
4
iミ門紛おf 浦ヨリ荻城下j冬虫数産会i立j
山手l紋版印
2
5
4
i ち利灼詳細i
2
5
5
gt能隠l
毛利家文庫絵ぽl
2
4
1
その他
袋入絵隠1
主主門局紡喜gjf官以i
(
19
9
9
)
弘化 3 年
[i)J:t主尚臨海洋出t:J畷 ffLI'向海底 {35i長il!Ur;l 欣i
i 設;永 3 年
街[Î南関 ìHU 没絵 i立!
1
2 I 俗米防炎,J, f!!J
(
19
8
8
)
臼ヂrm 図書館・上関HlJ
に同額の図あり
毛利家文減絵図 i
2
5
0
周防長門盟1í IZJ
I
毛利家文庫絵反, I
2
5
1
ニ鍍紫外主11 行所 IZI
2
5
3
長防御両国間各絵図
毛利家文庫絵医J
I
![i付制
袋入絵図
1
0
袋入絵図
1
1 I 幕末妨長潟箆図
周防災門沼郡色分絵 IZJ (写:)
-46
1
写真 2
正保隠防罷絵題
山口県文書舘 ffl蔵毛利家文隆
正保長門菌絵閉
山口県文書館所藤毛利家文庫
47-
写真 3
写真 4
長門関前両国絵関
山口県文書館所蔵毛利家文康
慶安 5 年周防鹿絵密
山口県文書館所蔵袋入絵函
48-
写真 5
麗安 5 年長門閣絵図
妨国絵国 J'長門間絵図」は色分けする方法はなく、
山口県文醤館所蔵袋入絵図
れているが、着色はされていない。慶安 5 年「周
郡境を墨筋で引かれている。
防国絵図 J '長門国絵図 J は、隣国色分けはみら
③郡付
れない。最前の文字は記されているが、安芸、石
「正保周防国絵図 J '正保長門閣絵図」は、郡色
分と向時に郡高の記載がみられる。「長門周防両
国絵関 j は君fl名だけで、郡高は記載されていない。
慶安 5 年「周防閤絵図 J '長門田絵図」は短冊の
見の文字はみられない。
⑥城郭
「正保長門盟絵図」は萩城下に「萩城下 j の文
字が記載され、「長門周防両国絵囲」も同じよう
中に、郡名が記されている。「潤訪問絵図 j は大
に記されている。慶安 5 年「長門図絵図」は「寵j
島郡、熊毛郡、都野(都j農)都、佐波郡、吉敷郡、
の文字が記されている。
「長門国絵関」は阿武郡、大津郡、厚狭郡、厚東部、
⑦道路・一里山
美祢郡、豊田郡、豊束郡、畳間郡である。
④所領区分
「正保周防韻絵関 J '正保長門 ~I絵図 J は、村形
「正保湾訪問絵国 J '正保←長門間絵図 j は道筋を
本道と脇道に区別して、朱筋の太・細によって表
し、一思山は黒丸点(片側)で示されている。「長
縁の色分け(ニ重輸)によって、本藩と長府、下
門潤妨両国絵図」は黒丸点()付期)の他に黒・朱
松の各支藩の区別を行っている。「長円周防両関
丸点対謹がみられる。慶安 5 年「周防国絵図 J '長
絵図」にはそれぞれの村形に、長府藩域では「ム」、
門閣絵図」は、朱筋で道を表している。朱筋は太・
下松 'OJ 、岩国「⑫ j の記号が示されている。
細の麓類はない。一里山は黒丸点(片側)、朱丸
慶安 5 年「周紡国絵図 J '長内閣絵図」は、所領
点(片{目的、黒・朱丸点対置で表現している。
度分がされていない。
cà 宿町・馬継
⑤隣国色分
「正保府間国絵図 J '正保長内国絵閤」は、外辺
「正保周防闇絵図 J '正保長門閤絵図 J '長門周
防両国絵図 j は、馬継を一般の村形とは区別して、
の憐聞をそれぞれ色別で塗り分けている。「長門
丸輪型の国式を用いて図示している。慶安 5 年「周
局訪問国絵閣」は安芸、石見、豊前の各国は描か
防閤絵図 J '長内田絵図」は、丸輪型は用いてい
49-
ない。村形の横に「馬次」の文字が記されている。
周防閤柏木村エ出ル
⑨舟路
周防国宮野村エl1i ル
「正保周防図絵図 J '正保長門 I~ 絵国 J '長円周
周防田山口エ出ル
防両国絵図」は、舟路を朱筋で表現している。慶
周防留畑村エl:I:!ル
安 5 :Î戸照防国絵国 J' 長門間絵 IzJJ も向様である。
周訪問朝田村エ出ル
(
3
) 5:主記
周隣国賀川庄村エ出ル
①道法
「正保周防国絵図 J '正保長門図絵図 J は、沿道
この国境道法は、「正保周防国絵菌 J '正保長門
において、一里山より宿町、馬継までの閥の距離
国絵i鶏」とは表現方法は異なる。
を逐一記載している。「長円周防雨匡i絵図」は「正
③ ilJ 坂・難所
保周防国絵図 J '正保長門罰絵図」に比べて大部
':t:E保周防 i君絵図 J '正保長門国絵図」は道筋の
分は省略されており、「右田坂 1:1'三丁余 J 'ーノ坂
うち、
ilJ 坂、 ilJ 仁þ 難所、冬季に積雪などにて牛馬
壱里」などの…里山より時までの道法の記載に限
の通行が不可能となる揺i所の記載がみられる。「長
られる。また、各国境、湊より主要な場所までの
門周防両国絵図」は、これらの記載はほとんど ì'íU
距離については、「正保周防国絵関 J '正保長門間
除されている。慶安 5 年「周 i治国絵図 J '長門医i
絵関」の記事をそのまま写している。慶安 5 年「席
絵!立IJ は記されていない。
防 l君絵|玄IJ '長門医!絵 i玄:JJ (ま、道法はほとんど記
④渡河点
されてなく、「一・ノ坂壱里」などに製られる。
②国境道法
「正保周防 i主i絵図 J '正保長門田絵図」は、道筋
主要汚川の渡河点に、'}制度り」か「歩渡り」の別、
「正保賂防国絵図 J '正保長門図絵関」は、国境
河 11話・水深、橋があれば石橋か板橋かの別、その
i越え道筋が隣国のど、の村へ至るかの記載はみられ
長さなどが注記されている。「長門周防両国絵図 J
るが、「長門周紡両国絵関」にはこの記載はみら
もこの注記はみられるが、「正保局防国絵 IZIJ '正
れない。鹿安 5 年「周防関絵図 J '長門図絵図」
保長門国絵図」に比べて、記載量は少ない。慶安
には次のような記事がみられる。
5:q三「周防 i翠絵図 J '長,)'J 国絵図」は記されてい
ない。
慶安 5 年「周防図絵図」
⑤海辺・湊
「正保周防毘絵図 J ':t:E保長門図絵閤」は海辺の
尾瀬村ヨリ安芸田小方村エ出ル
秋穂(秋掛)村ヨリ安芸国浅原村エ出ル
地形、沖~l や風との関係による湊の着船状況、湊の
大原村ヨリ安芸問中道エ出ル
規模などを細やかに注記している。「長門局防両
宇佐村ヨリ安芸国ヒエパラエ出ル
国絵i玄lJ もこの注記がみられるが、記載量は少な
大原村ヨリ石見回展坂村エ出ル
い。慶安 5 年「周防関絵図 J '長門閲絵圏」は記
大野村ヨリ石見国立海内村エ出ル
されていない。
長門民地福村エ出ル
(
4
) 絵園田録
鹿安 5.'qô ,局防国絵図 J '長門田絵図 J には、
長門国篠 iヨ村エ出ル
長門国佐々並村エ出ル
石高、村数が記載されている。
長円国大田村エ出ル
盛安 5 年, J湾防国絵図 J
長門田長田村エ出ル
周防国
長門国 111 中村エ出ル
高二十万ニ千七百八十五六斗
右之内
慶安 5 年「長門田絵図 j
五万八千二百九拾九石壱斗壱升四合
石見回飯井村エ出ル
玖珂郡四拾四ヶ村
石見間実ヶ小野村エ出ル
壱万三千壱石二斗壱升四合
大島郡二十七ヶ村
石見国徳地村エ出ル
石見国中道村エ出ル
三万四千二百六十石八斗九升五合
5
0
熊毛郡二十七ヶ村
美祢郡十八ヶ村
三万四千四百拾九石間斗壱;1+
壱万八千七百三拾ニ石田斗二升七合
豊田郡拾六ヶ村
都濃郡三十三ヶ村
弐万五千七百四拾八石四斗九升三合
壱万九十五百七拾壱石壱升
佐波郡二卜四ヶ村
豊束郡二十九ヶ村
三万七千五ト六石田斗七升四合
壱万三千七百五拾四石七斗五升
吉敷郡二十三ヶ村
堂西郡廿ーヶ村
慶安 55ド「長門国絵国」
長門岡
本閣は、周防国は 6 郡、長門局は 8 郡である。長
高拾六万六千六百二拾三石間斗
門の君Il数変更は、覚文 4 年(1 664) の御朱印改め
右之内
の際に幕府の指示で決まっており ïl 、本国は周訪
三万六千三百五拾四石二斗七チト九合
問 6 部、;長門国 8 郡であることから、寛文 4
邦武郡三拾七ヶ村
(1 664) 以前の情報である。
壱万七千六石(百)八拾石六斗八升三合
「正保周防関絵 i玄IJ 1正保長内閣絵図」に記載さ
大津郡十八ヶ村
れている周防、長門各部の村数、石高と周防、長
壱万八千九拾壱石五斗
門それぞれの国の総数は、 1-長門周防両国絵図 J
厚束郡廿三ヶ村
にも記されている(表 2) 。鐙安 5 :9~1周防関絵図」
壱万二千四百拾四五八斗八チ1-八合
!手狭l!fl
「長門図絵悶」の石高は、「正保周防思絵 jgjJ 1 正
十ヶ村
保長門出絵図 J 1長門周防両国絵図」と一致するが、
村数に関しては、府関国は「周 II1J‘;長門一枚絵関 JS)
三万二千三石八斗六チト三合
表2
防長両罰絵函に記載された省高、村数
毛 238
石高
1
3
0
01
.2
.1
.4
5
8
2
9
9
.1
.1
.4
3
4
2
6
2
.
8
.
9
.
5
3
4
4
1
9
.
4
.1.。
2
5
7
4
8
.
4
.
9
.
3
3
7
0
5
6
.
4
.
7
.
4
2
0
2
7
8
7
.
6
.
3
6
3
5
4
.
2
.
7
.
9
1
7
6
8
0
.
6
.
8
.
3
3
0
0
2
3
.
8
.
6
.
3
1
8
0
91
.5
.O. 。
1
2
4
1
4
.
8
.
8
.
8
1
8
7
3
2
.
4
.
2
.
7
1
9
5
71
.O
.1.。
13754.7.5. 。
大
島
13001 昏 2.1.4
玖
珂
古包
毛
5
8
2
9
9
.1
.1
.4
3
4
2
6
2
.
8
.
9
.
5
者1;
ミlJ.r:,
持4C1
34419.4. 1.。
性
j皮
二仁と1
首万'Ìir
人
東
2
5
7
4
8
.
4
.
9
.
3
3
7
0
5
6
.
4
.
7
.
4
2
0
2
7
8
7
.
6
.
3
6
3
5
4
.
2
.
7
.
9
1
7
6
8
0
.
6
.
8
.
3
3
0
0
2
3
.
8
.
6
.
3
1
8
0
91
.5
.O. 。
1
2
4
1
4
.
8
.
8
.
8
1
8
7
3
2
.
4
.
2
.
7
1
9
5
71
.O
.1.。
五
H三t五z
間
13754.7.5. 。
2昼a
主
j甫
見
島
周防匡i
F可
武
大
津
主ブ主
三
主主
厚
狭
232忌~!
出
5312五
1
東
長門盟
防長岡田
毛 240
石高
1
6
6
6
2
3
.
4
.
袋5
干す
3
2
3
8
2
6
3
2
2
1
2
1
3
1
1
6
1
6
2
3
9
1
5
2
9
2
1
1
3
0
01
.2
.1
.4
5
8
2
9
9
.1
.1
.4
3必邸~
3
4
4
1
9
.
4
.1
.0
2
5
7
4
8
.
4
.
9
.
3
3
7
0
5
6
.
4
.
7
.
4
2
0
2
7
8
0
.
6
.
3
6
3
5
4
.
2
.
7
.
9
1
7
6
8
0
.
6
.
8
.
3
3
0
0
2
3
.
8
.
6
.
3
1
8
0
91
.5
.O. 。
1
2
4
1
4
.
8
.
8
.
8
1
8
7
3
2
.
4
.
2
.
7
1
9
5
71
.O
.1.。
13754.7.5. 。
1
6
6
6
2
3
.
4
.
1
6
6
6
2
3
.
4
.
3
6
9
4
1
1
袋6
石高
毛 239
毛 242 袋 1
がI
お高
干す
2
7
4
4
2
7
3
3
2
4
2
3
1
3
1
9
5
.
6
.1
.5
5
3
5
3
2
.7
.8
.1
3
5
7
1
8
.
9
.
3
.
1
3
4
9
1
3
.
9
.
8
.
3
2
6
7
91
.O
.1
.4
3
8
6
3
5
.
3
.
4
.
6
2
0
2
7
8
7
.
6
.
7
.
3
8
5
1
5
.
0
.
3
1
8
2
1
4
.1
.3
.7
3
1
9
21
.7
.4
.
5
2
7
4
4
2
7
3
3
2
4
2
3
1
7
8
3
7
1
8
1
8
3
2
3
0
6
.
4
.
6
.
3
3
3
4
5
0
8
2
.
2
.
2
.
9
5
8
4
.O
.4.1.
1
6
6
6
2
3
.
6
.
4
.
5
6
6
3
7
1
8
2
3
1
0
1
8
1
6
2
9
2
1
毛 238 :毛利家文庫絵図 238 、正保j河防図絵図、正係長門図絵図、(防長雨国大絵図、慶安 2 年)
毛 239 :毛利家文庫絵図 239 、周防長門一枚絵図
毛 240 :毛利家文庫絵図 240、長門周防両国絵図
毛 242 :毛利家文康絵図 242、周防長門両国絵図
袋 l:;袋入絵図 l 、防長雨思絵図
袋 5::袋入絵図 5 、児防図絵図、慶安 5 年
袋 6 :袋入絵図 6 、長門毘絵図、慶安 5 年
-51
1
7
3
「周防長門両思絵国」 9) 「防長両国絵図」川と一致
前述のように、本図は 8 郡であることから、寛文
する。長門国は慶安 5 年「長内国絵囲」は 8 郡で
4 年以前の f吉報である。
あり、「局防長門一枚絵国 JI周防長門両国絵図 JI 防
長両国絵関」は 6 郡である。このように慶安 5 年
以上、 (1)から (4) を整理すると、本図は裏書きな
ど、に慶応 S 年(1 652)
と書かれているが、村名の
「周紡国絵図 J I長門出絵国」は、開時期の絵図と
「野上 J など、鹿安 3 年(1 650) までの古い情報
は、石高は一致するが、村数は異なる。
が記載されている。また、領主名は承応 2 年(1 653)
3. 慶安 5 年「国防盟絵図 J
r 長門臨絵図 j
の作成年代
から寛文 6 年(1 666)
までであり、「周防閤絵図」
の村数は元禄期の絵図に記載されている内容であ
る。
(
1)裏
本図が収納されていた袋には、「周防国長門
4.
おわりに
田絵関弐枚慶安五年之制明治十一年再写之
慶安 5 年「周防国絵関 JI長門密絵図」について、
分明治十四年八月改」の記載がある。鹿安 5 年
記載内容を検討した。図形に関しては、「長門周
「周防匡!絵図」の裏書には「周防国
国
箆安五年之
妨両国絵国」に近似しており、図式、注記は「正
明治十一年再写之j 、「長内国絵悶」は「長門
保周防国絵図 J I正保長門田絵図 J I長円周防両国
国鹿安五年之図明治十一年再写之J
とあり、
絵圏 J
と関連があることがわかった。作成年代に
慶安 5 年の作成であることが分かる。
ついては、本簡は裏書きなどに慶応、 5 年(1 652)
(
2
) 領主名
と書かれているが、村名の「野上」など、慶安 3
本国には、領主の名前が記載されている。「周
訪問絵図」には「古川美濃守居所 J
(広正)の記
年(1 650) までの情報が記載されている。また、
領主名は承応 2 年(1 653) から寛文 6 年(1 666)
載がある。吉)1/美濃守(広正)は慶長 19 (
16
1
4
)
までであり、「周防国絵 i玄JJ の村数は元禄期の絵
に家督、寛文 6
図に記載されている内容である。本国の作成目的
(1 666) に死去している ll) 。「長
円国絵図」には「長府毛利甲斐守 J (織元)の
などについては、今後の課題である。
記載がある。毛利甲斐守(綱元)は承応 2 (
16
5
3
)
に家督、宝永 6
(1 709) に死去している 12) 。両者
が重なるのは、承応 2 年(1 653) から寛文 6 年
(1 666)
までである。この範閤は裏書きの慶安 5
年(1 652)
とは l 年ずれている。
JI/ 村博忠は、「長門周防両国絵図」は正保城絵
j主
1)①村井益男・鈴木圭苦・橋本政宣・宮淳(1 980) :
「現存古地簡の摩史地埋学的碗究、
I 毘絵図関
部、 5 LlJ 仁!祭文書館」、東京大学史料編纂所報、
第 14号、 49頁。②)1/村博忠、(1 984) :If'江戸幕府
図とともに「松平千代熊 ÁJ (毛利縄広)の記名
撰国絵図の研究』、古今書院。③喜多祐子(1 999) :
があり、両国は秀就の死去した同 4 年(1 651 )以
正保匡!絵図における支藩領記載について一局防・
降に作成されたと指摘しているがi ヘ本図には、
長門両国を事例に一、歴史地盟学、第 196号。
「松平千代熊丸」の記載はみられない。
④沌村克典(1 999) :周防長門両国「国絵図 j
(
3
) 野上村
関係史料、山口県文書館研究紀要、第 26 号。⑤
6 月に居館を野上村
河村克典(1 999) :毛利家文庫「元禄周防・長
に移し、同 9 月に徳山に改称した 1.1)。慶安 5 年「周
下松藩は鹿安 3 年(1 650)
門両国国絵図j の性格、山口県地方史研究、第
防国絵図 J には、「長門周防両国絵図 J I 正保周防
81 号。⑥喜多祐子 (2001) :防長両国一枚絵図
関絵図」と同様に改称される前の「野上」の村名
の表現と系譜一国絵図との比較を中心に一、兵
が記され、さらに領主の居住地を示す「口」の記
庫地理、第46号。⑦川村博忠 (2002) :If'寛永十
号が揖かれている。これは、慶安 3 年以前の情報
年巡見使関絵国
である。
房。⑧川村博忠、 (2007) :寛永日本閣の改訂と
日本六十余州間』解説、柏書
その実像、 f 大地の潟像』京都大学学術出版会、
(4)
長門爵 8 郡
寛文 4 年(1 664) に長門国 8 郡は 6 郡になるが、
298-325 貰。⑨磁永和賞 (2007) :絵図の方位
表現一周紡・長門国絵図を例に一、総合人間科学、
52-
9)山口県文書館蔵、毛利家文庫、絵関 2420
第 7 巻。
2) 山口県文書館蔵、袋入絵図 5 ,
6
10) 山口県文書館蔵、袋入絵図 l 。
0
3) 前掲 1) @、 412頁。
1 1)石川 i 卓美編修(1 976) :w 山口県近世史研究要
4) 山口県文書館蔵、毛利家文庫、絵関 238 0
覧』、 187頁。
5) 山口県文書館蔵、毛利家文庫、絵図 240。
12) 前掲 11 、 184頁
6) 河村克典(1 999) :毛利家文庫「長門局防両
13) 前掲 1 )②、 443頁。
国絵図」の記載内容、山口県地方史研究、第 82
アゴ。
7) 前掲 1 )②、 437 頁。
14) 小川園治(1 991) :近世を分担執筆、 f 山口県
の控史』、 315"'-'318貰、留守進監修、山口県広
報連絡協議会、ぎょうせい。
8) 山口県文書館蔵、毛利家文庫、絵盟 239。
-53-
[フォーラム]
エリアiJJ 口第 37号
2
0
0
8
京都申における LR す(次官代型路顕電車)導入を巡る韓関題と提言
芦田千遼
1.はじめに
2. 地域住民・商業者のコンセンサス
!日京都市電の存廃を巡る議論においては政党間
現在、京都市において LRT 導入が最有力視さ
の代樫戦争という fHUlliî もあり、京都市と廃止反対
れているのが、今出川 i 通りを運行するルート(今
運動側の聞で、 19l1えば外f,'iJ 線だけでも存続させる
日リ1[線)である(図 1 )。すでに今出川通りにお
といった妥協策がi玄l られることもなく、結局、市
いては、‘般自動車車両の通行規制を行った L で、
は、 1978年に全廃に追い込まれた 1) 。その後、
LRT 路線の車両に見立てたパス利i可を走らせる
東京や大阪のように路面電車が担っていた機能を
という、
代詩する十分な地下鉄網も整備されなかったた
2007 年 1 )
=
j2
4[ミ!に行われるなど計闘が具色体化して
LRT 敷設を想定した社会実験 -1) が
め、観光シーズンともなれば道路状況は最悪と
いる。本壊では、最有力の路線として今出川 i 線が
いっても過言ではない~)。
選定されるまでの経緯と、今出}I[通りに LRT を
こうした京都の交通事活に対して地域住民・観
光客の双方から不満の声が i二がっているが、勿論、
導入するに際して欠かせない地域住民・商業者の
コンセンサスを 1*11むに;命じる。
京都市も現状を打破する必要性は認識している。
また、 1997年に国立京都国際会館で、第 3 [8]気候変
動枠組み条約締約盟会議 (COP 3) が催されて
1)今出 )11 線が選定されるまでの経緯
今出川線に i彼らず、京都市における LRT 導入
以降、京都市誌の問で環境保全に対する意識が高
の議論をおおいに加速させる契機となったのが、
まったこと、ならび、に趨高齢化社会の到来を見据
前述の「新しい公共交通システム調査報告書」で
えて、高齢者をはじめとする移動制約者が生活し
ある。間報告書の 't~. 子は、以下の 2 段階からなる。
やすいバリアフリー社会やコンパクトシティを実
第 1 に、新しい公共交通システムとしてふさわ
現する必要性が高まったことともあいまって、
しい交通手段の検誌である。京都市は、①ミニ地
2
0
0
1"-'2003年にかけて「京都市都市計両」、「京都
下鉄、②モノレール・新交通システム、③ガイド
市都市計画マスタープラン」、 r lì'歩くまち・京都』
ウェイパス、④ LRT 、⑤基幹パス、の S つにつ
交通まちづくりプラン J (京都市 TDM施策総合
いて比較検討を行った。京都では、 1964年の京都
計両)など次々に策定された都市計略案において、
タワー建設を中心とする諸卒業を巡って「第…次
事rr しい公共交通システム導入の検討が位置づ、けら
景観論争」が巻き起こり、また京都ホテルの高層
れたへこの流れを受けて、 2005年 8 月に京都市
改築や高速道市内乗り入れといった諸事業を巡る
は L RT (次世代型路面電車)導入を検討する鼠
「第二次景観論争 J 5) においては、財界すら分裂
のレポート「新しい公共交通システム調査報告書」
したへそれらに代表されるように、京都は景観
を発表し、その後も LRT 導入へ向けて様々な施
に対して非常に敏感な土地柄であり、高架上を走
策を実施してきた。しかし、実際に京都に LRT
るモノレール、新交通システム、ガイドウェイパ
を導入するにあたっては課題も多い。本稿では、
スの建設は好ましくないとされた。また、建設コ
地域住民・観光客の双方が快適に過ごせるまちづ
ストの観点からも、
LRT は他のモードより優れ
くりを目指す観点から、導入に際しての懸案事項
ている。というのも、
を明らかにし、併せてその解決策に関する提言を
形態にも左右されるが、基本的に用地買収が不要
行う。
LRT の建設コストは軌道
なため、キロあたり 10"-'30億円程度で済む。対し
て、ミニ地下鉄は 350億円弱、モノレール・新交
-54-
道弘、、
一畑
)55JJJ
四条大宮
真鰯
olzJ\
郡明噺 蝿 幅
ll
一一家都録所ケ一議
削一山岡崎!
・
内
4iiiii
ニ条域
一千
Cいいば
J
寸断
門
一
1ii
習F
J鉄蹄
〈穏繍
瓦一一
念頭寺
\\年
ι句
li
--‘,
日三
南禅寺
子芝
理由
記清水寺
-d
F
F
J
F
.崎明-‘・
r
J
旬、司恥
‘、、
-嶋崎
-
-ー
子ピ東福寺
しれ
図1
m
。
4E・ 2
叩一一地下鉄
一一日・私鉄
京都市におけるし RT 導入計画錯綜
京都市 (2005) :新しい公共交通システム調資報告書 p .19 を改変
通システムは 100f!窓丹程度、ガイドウェイパスは
強化(パス輸送の代替 )J 及び「交通拠点間等の
50億円程度 ï) となる。こうした景観・建設予算
連絡強化J)の観点から、今出川総を含む 7路線
などの留を考虚した結果、京都市は、
LRT が最
適との結論に遣した。
を提案した。この 7 路線、は!日市電営業区間と重複
する区間も多く、改めてかつての市電全魔という
第 2 に、実際の建設ルートに関する検討である。
判断の是非が問われる形となった。
報告書では、<J) í まちづくりの視点 J (í 中心市街
報告書発表後、各界で活発な議論が交わされた
地の活性化」及び「観光客の移動支援 J) 、②「公
が、仮に LRT を建設する場合のルートとして一
共交通の利便性向上の視点 J (í既存の公共交通の
番手に躍り出たのがルート 3 í今出 }II 線」である。
-55
「今出 }II 線」は、北野岳梅町から今出川通りを経
由して出町榔若しくは銀閣寺を結ぶ路線である。
3) 市民グループの寄与
従来、わが国では地域開発の中心は自治体によ
北野白梅町側では京福電気鉄道(嵐電)との、出
る公共投資が中心という日本的な地域経済の構造
町柳1ftUで、は叡 Ù-'電車との相互直通運転が想定され
上、住民の視点を取り入れたまちづくりが行われ
ている。同線が最有力視されている理由としては、
てこなかった。しかし、近年ではまちづくり・都
京福電気鉄道及び叡山電車との相互直通運転を見
市の再開発において、 NPO をはじめとする市民
据えており、嵯峨嵐山・太秦から立命館大学・北
グループとの連携が活発化している I 九また、京
野天満宮・同志社大学・相閣寺・京都御所・京都
都は市中心部で伝統的に町衆的な気分が強く、ま
府立医科大学・京都大学など沿娘局辺に多くの観
た革新政党の地盤が強力でもあり、従来から市民
光資源や大学を有する今出川通り 8) を経由して
的な活動が活発な地域であった 14) 。
鞍馬・八瀬比叡山口もしくは銀閣寺道がダイレク
トに結ばれ、広域にわたって利舘性が高まること
が予想されている。また、(予測)輪送密度も 6 , 600
人(銀閣寺ルート) '
"12 , 700人(出町柳ルート)
9)
京都市\とりわけ今出川通りにおける LRT 導
入の動きも、こうした動きと連動しており、行政
主導ではなく、市民グループ主導で始まった。
1999年より市民グループの「今出川通りに路面電
と出較的高く、採算性でも優れている点が挙げら
車を走らせる実行委員会(通称今電会 )J が、
れる。
今出川通り沿綜の活性化や交通網整備を話的に活
動を行ったことが、京都市における LRT 導入の
動きが活性化する契機となったお)。京都 LRT 構
2) 沿道商業者への対応
京都 LRT 構想、を実現させるには、京都市民、
とりわけ導入ルートである今出川通り沿線住民の
コンセンサスを得ることが重要で、ある。
想、の具体化に、今電会が果たした役割は大きい。
その今電会は発展的に解消し、沿線の京都大学、
同志社大学、立命館大学、今出川通・日本画茶の
確かに京都市都市計画局交通政策室のホーム
湯美術館連絡会今出川神社連合会、西陣織工業組
ページ上でのアンケート謂査では LRT 導入賛成
合、西陣千本商1苫街振興組合といった諸面体も加
RT (次世代型路面
派が約 6 言語を占め 10) 、また 2001 年には京都商工会
わる形で、「今出川通りに L
議所の地域開発・都市整備委員会が総延長 78km を
電車)の実現を推進する会 J (新今電会)が設立
対象とした「京都市における次世代型路面電車 (L
される 16)0
RT) 導入に関する提言 j を行い 11) 、京都商工会
加者層に広がりが生まれたことで、導入に向けた
LRT 導入を求める市民グループの参
議所は LRT 導入の旗振り役となっている。
動きは一層加速するであろう。
だが、肝心の今出Jl I 通りの沿線では LRT 導入
ところで、軌道事業は長らく事業者と行政のみ
への慎重識が根強い。それでも沿線住民の反対は
によって担われてきたが、全国的にみても、近年
後述の今電会の働きもあり約 5 割に留まっている
は路間電車・ LRT に関する活動を行う市民グ
が、
LRT 導入の場合に荷さばきが難しくなるこ
ループの存在感が増している。それら市民グルー
とへの不安感もあって、沿道商業者の反対は、依
プは、活動内容に応じて以下の 2 つに大別できょ
然約 7 割に達しているな)0
LRT 推進派が現在直
う。
l つは LRT 路線の新設を求めて活動するグ
面している大きな課題は、沿道商業者の合意を取
ループ、いま l つは既容の軌道会社に対する支援
り付けることである。沿道の商工者のコンセンサ
活動を行うグループである。前者の代表例として
スを得るには、例えば LRT の運賃支払いの際に
は今電会の他に「雷都レールとちぎ J
用いる 1 C カードを商店での買い物でも使えるよ
都宮市)や「枚方. LRT 推進会J (大阪府枚方市)
うにして、
が、後者の代表例としては「函館チンチン篭車を
LRT 利用客の商店利用を{足すなど、
(栃木県宇
LRT 導入が観光客の利便性を高めるだけでな
走らせよう会 J (函館市交通局の支援)や「土佐
く、沿道商業者や沿線住民にもメリットをもたら
電鉄の電車とまちを愛する会 J (土佐電気鉄道の
すことを明確に示す必要があろう。
支援)が挙げられる。これら市民グループの活動
は、国鉄時代の住民運動とは大きく様相を異にす
る。前者は、採算性を考えない単なる新線建設を
56-
求める掠情活動ではなく、市民グ、ループが率先し
洛西ニュータウン・乙訓郡次箇への鉄道アクセス
て費用便益分析を行った上で、新線建設を求めて
向上 19) を含め、京都盆地全体を視野に入れ、快
いることも多い。後者についても、同様のことが
適に京都市内を移動できる公共交通体系の整備
言える。国鉄末期から J R 発足当初の時期に行わ
を、自家用車乗り入れの総量規制 20) などと併せ
れた沿線住民による廃緯反対運動は、乗持客数の
て行う必要がある 21) 。本項では、この観点から今
調査日に限って利用の必要性がないにも拘らず乗
出川通りへの LRT 導入と併せて検討すべき市内
降して乗降客数を不正につりあげて社会から批判
公共交通のあり方を論ずる。
を浴びた事象に代表されるように、時に非生産的
な場合もあった。しかし、近年、鉄軌道事業者に
1)市バス路隷との兼ね合い
対して支援活動を行う市民グループは、事業者や
行政と協観する形で様々な施策を企画・実行し、
少なからぬ京都市民が LRT 建設後の市内・公
共交通について、不安を抱いている。というのも、
観光客をも含めた利用者を呼び込もうという積穣
過去 (1997年)に地下鉄東西線が開業した際、京
的な姿勢が自立つ 17) 。また、岡山市の市民グルー
都市交通局は沿線住民を東西線へ誘導するために
プ 'RACDAJ は、自ら岡山で岡山電気軌道を
提翻地区を走る市ノ f ス路線の多くを廃止した。し
中心に据えた「まちづくり」の活動を行うのみな
かし、当然のことながら東西擦のみで、市ノ T スが
らず、(万葉綿の支援活動を行っていた) 'RAC
担っていた機能を全てカバーすることは不可能で、
DA 高岡」や(貴志川線の支援活動を行っていた)
あり、地域住民からは強い不満の声が出た。その
「貴志川線の未来を“つくる"会」の支援活動を
後、醍醐地区では地域の自治会・女性会が中心と
行うなど、媒介機能を持つ中間支援的な組織とし
なって「醍醐地域にコミュニティパスを走らせる
ての役割も担っている。いわば、 'RACDAJ
市民の会」を結成、ヤサカパス・匿療法人医仁会
は事業 NPO と支援 NPO 、双方の性格を併せ持
武田総合病院・ NPO 法人「京のアジエンタヨ 1J
つ市民グループと言えるのである。
といった諸国体の協力もあり、河会が運営するコ
今後、新今電会が高度の専丹性を有する軌道事
ミュニティパス事業が、「コミュニティビジネス
業について、より現実味のある提案をするために
成功の典型例 j として全国的に注目されるほどの
は J雷都レールとちぎ」や「枚方・ LRT 推進会 j
成功を収めた 22) 。しかし、鉄軌道の建設が市バス
など他都市で LRT 導入を自指して活動する市民
路線の廃止を招いた前例があることを知る京都市
クツレープや、軌道事業に関するノウハウ・実績を
民から LRT 路線の建設について合意を取り付け
持つが故に媒介機能を果たして市民グループを相
るには、京都市が LRT 路線建設後の市ノ f ス網の
互に結び付ける lR) ことも可能な 'RACDAJ
再繭について住民のコンセンサスを得る必要があ
など中間支援的な紙織との連携も欠くことのでき
ろう。
ない要素となるであろう。
行政ではなく、市民グループが前面に出ること
で、
2)
し RT 運行ルートの再検討
LRT 導入に向けた「市民世論J の形成がよ
京都市民の中には、今出川|線建設は単に京福沿
り容易になり、また開業後を見据えて治鰻住民の
線・今出川通り・叡山沿線エリアの利便性が増す
間に「マイレール意識」が麟成されやすくなるこ
だけであり、京都市全体の交通状況を抜本的に改
とを勘案すれば、新今電会の今後の活動が京都 L
させるものではないのではないか、という懸念
RT 構想の成否を握っていると言っても過言では
を抱く人もいる。なぜ、なら、今出川線にせよ、次
ない。
いで導入が有力視されている小環状線にせよ、京
都駅に全く接続しないからである。
かつては汽車が吐き出す煙が市民から敬遠され
3. 公共交通網の再繍成
たために、ターミナル駅と中心街が離れているこ
LRT を京都に導入する場合、第 l 段階として
とが多かった。特に京都や広島など西日本の古く
は今出川ルートから着工するとしても、京福沿線・
から栄えた都市で、その傾向は顕著でーあった。し
今出川通り・叡山沿綜エリアの交通に留まらず、
かし、近年は名古屋駅や京都駅の再開発に代表さ
一羽一
れるように、ターミナル駅周辺地区の利便性が見
住民(東山区民)から強い不満の声が上がってい
直されている。名古屋で、商業の中心が栄から名駅
る。その現状を勘案すれば、「東大路線」の再検
周辺に移ったと言われて久しいが、京都でも 1997
討を議論の組上に載せても良いのではなかろうか。
年の] R 京都伊勢丹開業以降、同様の現象が起こ
りつつある。] R 京都伊勢丹の攻勢を受け、 1920
年に地元の特産品を扱う百貨店として開業した京
都物産館・丸物以来の缶統を持つ京都近鉄百貨誌
はプラッツ近鉄と改名、デパート部分を縮小した
k で、大型書店(旭屋書店)やコンビュータ専門
4. 商都・京都のシンボルとしての LRT
京都市をはじめ京都への LRT を推進しようと
している諸機関は、
LRT を単なる都市交通の
モードとしてのみ捉えるのではなく、
LRT を吉
店などを導入することで、{哉の百貨店と差別化を
者1) ・京都のシンボル的存在として佼 "ii~I付けている。
凶ったお)。その後、プラッツ近鉄は 2007年 2 月に
本項では、その観点から LRT が古都・京都のシ
閉店したが、その一方で開店の跡地などに大手家
ンボルとしてよりふさわしい存在になるための方
電量販店が 3W~tIl相次いで、開業する予定であり、
策について検討する。
]R 京都伊勢丹開業から 10 年ほど絞った現在でも
大雪り;!治n の入れ替わりが激しい。京都駅周辺地区
1)前並み・都市環境との謂和
は一躍京都における rfH業の中心地に躍り出た J惑が
前述の通り、数次にわたって活発な景観論争が
ある。京都市民の間でも、従来京都における商業
繰り広げられるなど、京都は町議みの維持に対し
の中心地であった四条河原町よりも京都駅周辺に
て極めて敏感な郁子ii である。 2007年 9 月施行のすf
勢いを感じている者が多い。
景観条例では、新規建築物の高さ(最高31mへ 51
このように近年の京都駅(周辺)は京都の友関
きれ1')やデザイン、嵐外広告に対する規制が強
!こ!として鋭光答が利用するだけでなく、泌 i丞!とし
化されたことからも、京都は短期的な経済面の利
ての地位が向上したため、京都市内外から多くの
益を犠牧にしてまで伝統的な IIJJ放みの保子会に注力
住民が集うようになった。従って、京都駅 (J司辺)
している。従って、
に集う大;誌の人 IMj を無視した交通政策の立案には
並みや都市環演を損なうようでは、
無期!がある。実際、「新しい公共交通システム調
ついて京都市弐のコンセンサスを得ることは極め
査報告書J でも、京都駅から前述のように混雑が
て難しい。
ひどい東 ill の観光地(博物館三十三開業:・清水寺・
LRT 導入が古都・京都のIlIJ
LRT 導入に
都市環境との調和が図れた LRT 及び LRV
祇嗣・吉田神社)を経由して、①印 11 まわりで銀
(高性能かっ低床式でデザイン性に優れた路面電
閣寺道を結ぶ、もしくは、②元問中まで LRT 新
車車両)に関する最新の技術として詰自を浴びて
総を建設した!二で、元 IE1 rl::Jから先は叡 1111屯鉄との相
いるのが、①ノ T イモータゃル交通システムと②架線
互南通運転を行う、ルート 2
レストラムシステムで、あるお)。
r 東大路線」が提唱
欽軌道とパス双方の機能を持つパイモーダル交
されている。
「東大路線」は、とりわけ叡山電車とのキ11 7i.直
遊i システムの 1-1;;ま毛15itl カ人ゴムタイヤトラムであり、
通を仮定している元 IfIrドルートで(予測)輸送密
中でもトランスロールは日本 i意向(堺市)の実験
度が LRT としては極めて高い約 18 , 000人/日
線で走行試験を行い、安全土問題ないとの評価を
と、今出Jl I 線を上自るほどでありながら、五条坂
受けたシステムである。トランスロールは他のシ
及び東山三条付近で、用地買収が必要となり、平面
ステムと比較して振動・騒音が少なく、急勾配・
計画上の問題がある 24) ことから、本格的な検討
急曲椋にも対応でき、また軌道も案内レール 1 本
ルートとしての採用が見送られた。
で済み軌道構造も簡便なものにできる 2G) 。だが、
だが、かなりの区間を「東大路繰」と重複する
とりわけ京都への導入を考えた場合、ゴムタイヤ
現在の市バス 206系統が、京都駅と博物館三十三
トラムよりも、架線レストラムの方が優れている
間堂・清ー水寺・祇園・吉田神社などの多くの観光
と思われる。その理由として、第 l にゴムタイヤ
地を結ぶことから観光客のニーズが高いながらも、
トラムでは京福・叡 ilJ線など既存の鉄軌道路線と
道路渋滞があまりにもひどいために観光客や地域
の相互直通運転ができない点、第 Z に架線を必要
-58-
成宗電気軌道から 1910年に購入した車両を復元し
とする点、が挙げられる。
LRT 関係の設備で景観に悪影響を与える最た
た「箱館ハイカラ競」を、岡山電気軌道は①
るものは、架総をはじめとする電化設慌であろう。
100% 超低床式路面電車 'MOMOJ と②岡山城(烏
そこで注目されるのが、バッテリーを電源とし、
城)の「烏の濡れSJ~ 色」を纏うレトロ調の 'KUROJ
架線を必要とせず、かっ環境にも優しい架線レス
を、看板車両としてそれぞれ大々的に宣伝してい
トラムである 2九具体的には、①NEDO (独立行
る。また、土佐電気鉄道の支援活動を行っている
政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)
前述の「土佐電鉄の電車とまちを愛する会」は、
から委託を受けて開発が進められたリチウムイオ
かつて山口県下関市で路面電車を運行していた LLI
ン二次電池を用いた 'Hi-tram (ハイ!トラム) J
防逗気軌道(現サンデン交通)から土佐電気鉄道
と、②ニッケル・水素蓄電池(,ギガセル J) を用
へ譲渡された後に塗装が塗り替えられていた車両
いた SWIMO-Xの 2 方式の車両の試験が行われて
について、必要経費をカンパで、募った j二で、山陽
いる。また、現在は気動車の代替を想定して!摘発
電気軌道時代の塗色に復元した。向車は「ふくふ
が進められている燃料電池車両の技術を、将来的
く下関号」と命名されたが、お披露呂の際に高知
にはトラムへ応用することも考えられ、架線レス
県在住者による 111 口県人会・会長が招待されたこ
トラムのバリエーションは今後鳩えていくと思わ
とを皮切りに日ぺ「ふくふく下関号 J の見学・乗
れる刻。架線レストラムが実用化されれば、
車体験を目的として、 j 日山陽電気軌道関係者をは
LR
T 導入反対論は景観への悪影響という主要な根拠
じめ山口県関係者が高知を訪れるケースが跡を絶
の一つを失うことになり、京都をはじめとする各
たない。まさに「土佐電鉄の電車とまちを愛する
都市で、の LRT 導入賛成派の発言力が増すことに
会J の活動が引き金となって、長州と土佐の交流
なると忠われる。
が進展したのである。土佐電気鉄道の車両群はバ
2) 観光客の取り込み
博物館」の様相を呈している。土佐電機鉄道の車
ラエティに富んでおりお)、さながら「動く電車の
従来、鉄道は観光地へのアクセス機能としての
役割を担っていた。しかし、近年はその役割に加
両そのものが観光資調と化しているが、「ふくふ
く下関号」も見事にその一翼を担っている。
え、産業観光やヘリテージツーリズムといった
京都での LRT 路線新設に捺しでも、 CI 修学旅
テーマツーリズムが観光容の人気を集める中で:::m
行生をはじめ多くの間体容が訪れる点、②事rr路線
札幌・函館の両市電が北海道遺産制に選定され
を邪:に薫る街・京都の新たなシンボルとすること
るなど、「鉄道・路面電車そのものが観光資源と
を見据えている点を考慮すると、団体客向けのレ
化しているケースが多々見受けられる:1Il。
トロ調車両の導入が望ましい。だが、
国内の軌道会社が採る「自社線・観光資源化 J
LRV を基
調とする LRT 事業者が形式の異なるレトロ調率
両を導入することは、保守整備費などを考1怠、する
の戦略は、大別すると以下の 2 点である。
第 1 に団体客向け専用車両の導入による、団体
と、財政的に余織のない限りは難しい。そこで、
客の取り込みである。具体的には、函館市交通局
他の公営・第三セクター鉄道事業者のように、制
の 'AMUSEMENT
TRAMJ や土佐電気鉄道の
日本宝くじ協会の支援による「宝くじ号」の枠組
「おきゃく電車」が挙げられる。カラオケ設館j な
みを活かして、魅力説れるレトロ認の車両を導入
ど団体客向け設備を搭載しているこれらの車両
してはどうだろうか。実際、路面電車関係でも
は、団体客によるツアー・イベントで用いられる
2007年に東京都交通局(都電荒川線)が「宝くじ
ことが多い。
号」の枠組みにより、レトロ謡車両を導入してい
第 2 にレトロ調主主婦の導入・復元である。国内
る。レトロ調車両導入により、乗車体験を白的と
の軌道会社には、移動制約者も含め誰もが利用し
して観光客が新路線を利用するようになることが
やすいユニヴァーサルデザインを採用した最新鋭
の LRV とレトロ調車調をこ枚看板として売り出
まれる。
幸い、京都では(防京都市都市緑化協会が維持・
している事業者が多い。例えば、部館市交通局は
管理する梅小路公園において、復元 N 震の動態保
①純国産初の 2 連接 L RV 'らつくる号」と②!日
存が行われている討)。レトロチックな新たなるデ
-59-
ザインを模索するよりも、!日京都市電の息吹が感
主体となって発足した新生・和歌山電鍛翼志川線
じられるレトロ車を導入した方が鉄道愛好家の心
が実施した、①貴志駅構内・小山商店の飼い猫「た
に響くこともあり、
LRT への乗車体験を目的と
ま」の貴志駅長に就任、②沿線(貴志)の観光イ
して京都を訪れる観光客も増加すると思われる。
チゴ農園にちなんだ「いちご電車」運行、③和歌
収益増を図るために、
山県のおもちゃ会社 íT J ホールディングカンパ
LRT そのものが観光客を
ニー」が打ち出した「ガンダム電車」構想を「お
呼び込める観光資源となることが重要である。
もちゃ電車j という形で実現閥、といった地域密
着型の企画は集客増につながるものとして、各方
5. 結びにかえて一経営車体の公募を一
面から高い評価を受けている。このように、貴志
今後、京都に LRT を導入するにあたり、市民
川線における公募は成功したと言えよう。
の間で議論を巻き起こすと思われるのが、経営主
岡山電気軌道は貴志川繰に限らず、全国各所の
体の問題である。というのも、欧米と異なり、わ
鉄軌道事業者の経営を引き受ける意向を示してい
が思では公共交通は利用者負担/税負担によって
る。勿論、岡山電気軌道が京都 LRT を経営する
運営されるべきとの認識が一般化していない。そ
ことが妥当か杏かということは別にして、公営・
のため、感情的かっ一方的なマスコミの報道や「識
三セクによる経営では住民の合意を取り付けるこ
者」の昔説により、闇民の間で「地方公営企業や
とが難ししまた公益事業にも民間の経営感覚が
三セク会社は財政赤字を増大させる非効率的な存
求められている状況を勘案すれば、京都 LRT の
在J という認識が一般化してしまっている。この
経営主体を民間から公募することもー案ではなか
ような状況下では、
ろうか。
LRT の経営主体が京都市の
車営や三セク会社で、は、
LRT 建設について市民
の合意を取り付けることは至難の業であろう。
そこで、京都 LRT の経営主体を民聞から公募
してはどうだろうか。鉄軌道路線の経営主体の公
(注・文献)
1
)a
村 1:: 弘 (2003) :日本の地方自治と都市政策
ドイツ・スイスとの比絞.
募は、過去にも和歌山県を走る貴志川線で行われ
法律文化社,
た事関がある。同線沿娘はほたる池や神社・イム閤・
2
3
5
p
.
b 村上弘(1 989) :財政問題及び公営企業.
古墳・熊野古道といった歴史財産などの観光資源
が豊富なエリアであり 35) 、また南海時代の 2004年
c
から地元の NPO 法人「自然回復を試みる会
村松岐夫総「京都市政治の動態 J ,有斐間,
ビ
ーなど沿線住民のマイレール意識も比較的強かっ
た。しかし、毎年 5 億円ほどの赤字を生み出して
おり、南海電気鉄道が貴志川線から撤退の意向を
沿線の 3 自治体一和歌山県・和歌山市・貴志川町
公金を注入する第三セクタ一方式での路線維持は
不可能として、全国でも初の試みとなる運営主体
pp.
40
3
2) 人気スポットの東山や嵐山では、救急車や消防車
といった緊急車両も自由に動けないほど自家用車と
観光客で溢れかえっている状態である。
岡田空[1 弘 (2006) :観光産業の変容と観光振興の
課題.
示して存廃問題が持ち上がった。好余曲折を経て、
36) は貴志川線の存続を決定したものの、多額の
山間浩之(1 981) :京都市の交通政策.三宅一郎・
~425.
オトーフ。孟子」が貴志川線の利用促進を見据えて
沿総エリアに観光コース「僧兵の道J を設定する
京
都市会史・続編, pp.285~383.
!湾問知弘綴半年「京都経済の探求
業 J ,高菅 111 版,
3)京都市
変わる生活と産
1
6
6
p
.
(2005) :新しい公共交遜システム調査報告
1p
.
I
l
r
t
l
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
c
i
t
y
.
k
y
o
t
o
.
j
p
/
t
o
k
e
i
/
t
r
a
f
f
i
c
p
o
l
i
c
y
i
n
d
e
x
.
h
t
m
l
警(報告書概要).
の公募を行った。公募の結果、ことぶき食販(械や
4) 京都市 (2007) :今t1J JII 3mりにおける LRT 交通社
有限会社トラベルプランニングオフィスなど 9 者
4p.
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
c
i
t
y
.
k
y
o
t
o
.
j
p
/
t
o
k
ei
/t
r
a
f
f
i
c
p
o
l
i
c
y
I
l
rt
!
j
i
k
k
e
n
.
h
t
m
l
5)野自治資 (2007) :景観政策.がf と弘・回定雅夫・
が名乗りを上げたが、最終的に事業計画に最も現
実味があり、また事業の運営に必要なノウハウや
資金力を有しているとして経営主体に選定された
のが向山電気軌道であるへ岡山電気軌道が経営
会実験実施結果の概要.
佐藤満編
60-
「京都市政公共経営と政策研究 j ,法律文化社,
に長岡までの延伸を目指す地下鉄・通常鉄道方式か、
pp.157~ 1
5
9
.
あるいは LRT でニュータウンと JR. 絞急の最寄
6) 京都ホテルの高層改築や高速道市内乗り入れといっ
り駅を結ぶなど LRT の活用に軸足を移すのか、コ
た諸事業を巡り、「京セラ j í 島津製作所」など府外
ストと利便伎のバランスを踏まえて、各方式を比較
発祥の新興大手企業は建設賛成派であったのに対し、
検討すべきであろう
a 村上弘 (2007) :京都市政の流れと基本計額.
生八つ橋の「井筒八ツ橋本舗 J など老舗の地場企業
は反対にまわり、京都財界は分裂状態に紛った。
村上弘・田尾雅夫・佐藤満編
問問知弘 (2006) :京都大学経済学部特殊諮義「京
都経済論 j.
「京都市政公共経営と政策研究 j ,法律文化社,
(口述筆記)
4
0
p
.
b 京都南部事[5m 広域行政樹推進協議会 (2002) :
7) 浅井康次 (2004) :ローカル線、に明日はあるか.交
通新聞社, pp.79~8 1.
京都南部都市広域行政圏計画
8) 今出川ルートの沿線は、近年不振が続く地場産業(活
陣織)の中心的な生産地でもある。今出川ルート開
業により、近年の産業観光ブームに乗る形で西陣織
152p.
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
w
a
o
.
o
r
.
j
p
/
k
y
o
n
a
n
k
/
2
0
) LR T にも、一定の駅間隔はある。よって、
LR
T への利用者の誘導を目的として、一般自動車率向
を観光客にアピールすることで、地域経済・地場産
の乗り入れ規制を行うことに対しては、雨天時や荷
業の活性化を図ることが望ましい。
物の多い特に不使であるとの批判がつきまとう。そ
9) 京都市 (2005) :新しい公共交通システム調査報告
書,
4
3
p
.
こで、
LRT を補完する交通システムとして、環境
に優しい電動式のタウンカートを自動率乗り入れ規
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
c
i
t
y
.
k
y
o
t
o
.
j
p
/
t
okei
/t
r
a
f
f
ic
p
o
l
icy
I
l
r
t
l
houkoku.html
10) 京都市都市計画局交通政策室:新しい公共交通シ
制地域に導入することが考えられる。タウンカート
の時速は1O ~15km程度であるが、
LRT があれば、
規制地域内で高速移動可能なガソリン自動車や
ステムの導入に関するご意見募集
ディーゼル自動車は必要ない。勿論、総最規制とい
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
c
i
t
y
.
k
y
o
t
o
.
j
p
/
t
o
k
ei
/t
r
a
f
f
icpol
icy
I
l
rt
!
enq_a.html
なく、行政あるいは市民組織が管理し、 [[1 民が共同
11) 服部重敬 (2006) :路面電車新時代
う観点から、タウンカートはマイカーとするのでは
LRT への軌
利用することが望ましい。
:LRT (新
pp .42~45.
奥野郊 (2007) :森の都市 E G E C.
跡.山海堂, 2
1
7
p
.
12) 京都市都市計画局交通政策室 (2007)
君主路面電東)ニュース NO.3
/
http://www.c
αIty
μ.kyotωO
下
仏.伊Itωokei/ハtraffi
会icpol抗icY/lr
れtν
n巴wS.html
13) 大沢真知子 (2003) :コミュニティビジネスの経済
効果.
本 r,,9 正明・金子有[í 容・山内夜人・大沢真知子・玄
間有史著
「コミュニティビジネスの持代
NPO が変える産
業、社会、そして個人ム
岩波書店, pp.I17~118 ,
1
21
.
2
1
) 2) , 1
7
4
p
.
2
2
) 6)
2
3
) a 6)
b 1) a , pp.255~256
2
4
) 9) , 4
3
p
.
25) 水間毅,松本揚 (2006): LRT に関する最新の話題.
RRR2006年 11 月号, pp.2~3.
2
6
) a 11) , pp.53~54.
b 25) , pp.3~4.
27) 架線レストラム以外にも架線を必要としない方式
14) 出尾経夫 (2007) :市政改革と市民参加.村上弘・
は現存し、世界的にはフランス・ボルドーの地表集
電方式が有名である。しかし、この方式は池上設備
問尾雅夫・佐藤満総
「京都市政公共経営と政策研究 j ,法律文化社,
が割高な上、日本の法規制との関係もあり、わが闘
で導入することは難しい。よって、地上設備による
pp.85~86.
1
5
) 11) , 2
1
7
p
.
16) 京都新開,
彩国社,
のではなく、架線を必要としない車両の開発が必要
2
0
0
7
/
1
0
/
0
9
となる。既にわが国でも、札幌市交通局 DI Ol O 系や
17) 大穂耕一郎 (2007) :がんばれ
まつやま書房, pp.153~154 ,
わたらせ渓谷鉄道.
1
7
5
.
18) 閏尾雅夫 (2004) :実践 NPO マネジメント
といった電化設備を必要
としない(非電化区間を走行できる)率問の走行実
経営
管湿のための怒念と技法.
ミネルヴァ議房,
伊予鉄道「坊ちゃん列車 j
績があるが、これらは例外的存在であり、今後とも
ディーゼル動力による率調が軌道線において広範に
pp.61 , 66.
使用されることはないと思われる。こうした点を踏
19) 洛西ニュータウン・乙訪 11 副次閣の鉄道アクセス向
まえると、やはり架線レストラムの導入が有益であ
上についても、地下鉄東西線を高度経済成長期(1 971
年)の計画返り洛 gg ニュータウンまで結んだ上で更
ると言える。
28) これらの技術に対しては、リチウムイオン二次電
-61-
j自やニッケル・水素謡電池といったこ次電池と燃料
36) 現住は合併により、紀の川市となっている。
電池の組み合わせにより、従米の気動車と遜色のな
37) 佐藤信之 (2007) :鉄道経営を考える 2
い性能を持つ車両の設場も将米的に見込まれること
鉄道ジャーナル 485 ,
から、軌道経営者だけでなく、地方を中心に非 fS 化
路線を抱える鉄道事業者も大きな期待を寄せている。
市のパワーフロー制御.
pp.5~10
b 野崎雄一郎,鈴木武海,藤井康 1 1:,大熊栄一
(
2
0
0
7
) :燃料電池~ø: }f(走る! !
.
電気学会誌,
c
交通新聞 ,
127巻 7 号,
pp.3~17~400.
2
0
0
7
/
1
0
/
3
1
29) 近年は従米型のマスツーリズムから、エコ/グリーン
/マリーン/ウェルネスツーリズムといったテーマツーリ
ズムへのシフトがお二しい。 2006::f には、城間同際大;-j互
に観光学部ウェルネスツーリズム学科が設けられる
など、テーマツーリズムに関する数予言・研究も活発
化している。
3
0
) H197 年に当時の品li 透也知事が叶七の位界遺産 t/lifJ:\J
を提 H討したことを契機に、北海道選 jlfl;!j間よ!捻進協議
会により JJi\{とまで 2& に波り 52{'1二が選定されている。
選定基療はかなり厳しく、例えば第 2 間選定に際し
ては、オホーツクビールや IU 北海道J'+í )
i
[
i
!
Z
H11 本 1,1; な
ど 1311 fl: の応募があったが、 i設終的に兆 ìfIj ){ü立 i1j','に
選定されたのは僅か 27{'1: である。
北海道選店構忽1封Jô 進協議会 (2007'j三データ取得)
:
北海道遺産とは
h
tlp:llw,^'Vv.hokkaidoisan.or g/ abou t. html
31) 観光資源としての鉄道としては、
j1kW(ý'.i には「マ
ンクス電気鉄道」などマン!誌の鋭光刈の保守鉄道が
有名である。わが限でも、例えば LU 11 県内で r SL
やまぐち」や {IJl 的 11\身の Z抗議詩人会子みすゾに!なん
だアール・デコ制の「みすず沖ïJ 彩」といった観光列
車が逆行されており、これらの車両の飛車体験を目
的として山口県を訪れる者も多い。
32) …I-:f五175 欽の霞 '11 とまちをきをする会 (2005) :山陽電
気軌道復沈没装電車運行仁1"
htlp:llwww5f
.biglobc.ne.jp/-heartram/newsl
news05vol2.htm
33) 段新鋭の L
RV
r ハートラム」、レトロ干11íffij r 維新
口. J 、英同・ノルウェー・ポルトガル・ドイツ・オー
ストリアからの外国 fj河村、団付いイベント周の「カ
ラオケ電車 J r おきゃく ~J存」、名占民鉄道 i 日岐阜:. j
T
内線からの譲渡工作などがある。
34)
ちなみに愛知県犬山市のテーマパーク「博物館明
治村 J でも、同じく復元 N 需が運行されている。
35)
pp.90~92
38) 小約光信 (2007): 附備ク守ループ代表メッセージ.
a 小1'l:ïE道, E
HI1 義兄 (2006) :ハイブリッド沼
鉄道総研報ff ,第 20巻7 号,
経営移行
後の和歌山霞餓.
日本政策投資銀行 (2005) :地方鉄道の再生にかけ
る南海貴志 JII 線、
存続から永続に向けて. D
BJournalNo.20 , 1
2
p
.
http://www.dbj.go.jp/japanese/download/
journal
.html
-62
http://\れれv.ryob i. gr.jp/mcssagc/mcssagcI7.hlml
[書評@紹介]
10. 芸予諸島ならびに周辺地域の中世五輪塔
飯島祥ニ・野本晃史編
佐藤昭嗣
r三浦翠数援御退職記念誌』
1
1 r 中間・四国地方における市町村観光行政j
向山商科大学商学部態擦観光学科
捧富雄
2004年 5 月 20 臼発行
1
2 T
o
u
r
i
s
t
s
'E
v
a
l
u
a
t
i
o
no
fD
e
s
t
i
n
a
t
i
o
n
s:The
(非売品)
B5版
a
k
e
t
oNaoi
C
o
g
n
i
t
i
v
eP
e
r
s
p
e
c
t
i
v
e?T
1
5
5p
.+12P (雛醤き和文)
13
樋口一葉 f にごりえ』と半井桃水全円子
三j甘i号室先生は、平成 3 年 4 丹、 111 日大学を定年
これら日本の論文のうち、三浦論文を取り上
退官された後、同年 4 月に向山商科大学に着任さ
げて、詳しく紹介する。三浦論文の構成は次の
れた。岡山商科大学在職中は、平成 9 年から同 12
ようになっている。
年まで、商学部国際観光学科の初代学科長を努め
はじめに
られ、同 15年 3 月に定年退職された。本警は、退
1
職記念の論文集である。
2
カルスト観光資源等の分類
3.
岡山県におけるカルスト観光資源の特質
4
岡山県カルスト観光地における観光客の動向
まず、本書のJ構成であるが、以下のようになっ
ている。
1.岡山県におけるカルスト自然公園の特質と観
手027) "
'
1
9
6
6 (昭和 41 )の年表〕
r 売春旅行 j 始末記
を巡る一考察一
5. 結諮
第 l 章では、高梁 )11 上流県立自然公園とその勉
光客の動向三浦
2. “若き日の観光謂査教育巡検放浪記"[1 952 (昭
3
.
関山県におけるカルスト観光資源の分布
野本晃史
の降山県のカルスト観光地を対象に、それぞ、れの
自然的観光資源、人文的観光資源を明らかにして
…観光旅行とセックス
いる。第 2 章では、カルスト景観について、その
今井成男
特徴を述べている。第 3 章では、関山県における
4. チボリ公圏における来鼠者満足度アンケート
カルスト観光資源を秋吉台や帝釈|挟などと比較し
説査報告柴田雅行
5.
適正について
6.
て、全国的に高い評価を与えうるものについて考
岡山県の陸上競技選手におけるスポーツ心理
岩橋邦彦
察している。第 4 章では、岡山県カルスト観光地
における、 j隠窟観光の特徴、特色あるカルスト観
ネットワーク環境における学習コンテンツ
光施設、カルスト高原の文化観光について分析し
小松原実
ている。第 5 章の結語では、向山県のカルスト公
7
. Ther
e
l
a
t
i
o
nbetweens
t
o
n
ec
o
l
o
rand
s
t
r
e
e
t
s
c
a
p
ec
o
l
o
ronv
a
r
i
o
u
sb
l
o
c
k
si
nac
i
t
y
a
st
ot
o
u
r
i
s
mr
e
s
o
u
r
c
e -A c
a
s
es
t
u
d
ya
t
Ghenti
nFlanders , Belgium- S
h
o
j
iI
I
J
I
M
A
8
. Shakespear‘e の旅の憶轍と語金松浦芙佐子
9
. A Study o
fAttitudes ofUniversity
S
t
u
d
e
n
t
sTowardS
t
u
d
y
i
n
gE
n
g
l
i
s
h?P
e
t
e
r
Burden
園は多様な資源を持っており、これからの観光地
の適地であると結論づけている。
本論文は、陪山県におけるカルスト観光の分析
であるが、各地におけるカルスト観光の将来的な
方向性も示しているといえる。研究者の他、関部
各自治体も、是非、計画策定のための文献として、
活用していただきたい。
-63-
(河村克典)
@平成 18年度 2 月例会
コU
寸・
-盟問回
A試Q
品同
事
画・予算案の承認、名誉会員について総会で承認
平成 19年 2 月 17 日仕)1 4 :0
0
"
"
'1
5:40、山口大学
教育学部にて行った。横山優次:萩三角州におけ
された。前年度決算・本年度予算は以下のとおり
である。
る歴史的水路「藍場} 1J に関する地理学的研究、
〔研究会]
福永美佳:下関市における在臼韓国・朝鮮人の人
河村克典:近世佐波Jl I の洪水
権に関する人権教育、井藤寿子:下聞における「ふ
三浦肇:カルスト地形の分類について
くコの観光商品化について、高田準一郎:フライ
@巡検会
ブルクにおける環境政策と市民活動
平成 19年 8 月 1 日 13 時45分から 16時、佐波} 11 下
流の近世治水と干:rE と題して、頓蔵主(とんどす)
@役員会
平成 19 年 6 月 12 日附 18 :0
0
"
"
':[協議題]
平成 19年度大会・総会・巡検会開催の件、
その他について協議した。
1)
土手、水舗などを見学、翌 2 日(木)9 時からは佐波
川上流の重源にまつわる歴史遺構と題して、関水
2)
1 )については 8 月 1
日に大会、総会を行い、翌 8 月 2 臼に巡検会を行
遺構、「霊源の里」などをめぐり、昼食後解散と
した。なお詳しい巡検記録は別に掲載する。
うことが決定された。
争言ト報
平成 19年 11 月 9 日(金118 :0
0
"
"
':[協議題]
成 19年度 2 月例会の件、
件、
1) 平
本学会の渡遼昌郎会員が、平成 20年 1 月 8 日に
2) エリア山口 37号発行の
逝去されました。謹んで、哀悼の意を表するととも
3) その他について協議した。
1 )については
に、ご冥福をお祈りします。
平成 20年 3 月 2 日間に山口大学教育学部で行うこ
とが決定された。
2) については原稿投稿予定者
についての情報を交換し、出版の日程を確認した。
@平成 19年度総会・研究会・巡検会
出口地理学会のホームページは
h
t
t
p
:
/
/
w
w
w
.
e
d
u
.
y
a
m
a
g
u
c
h
i
u
.
a
c
.
j
p
r
s
o
c
/
G
e
o
g
r
H
o
m
e
/
y
a
m
a
g
u
c
h
i
c
h
i
r
i
.
h
t
m
l
[総会]平成 18年 8 月 I 日制、湯野温泉「紫水間 j
です。最新構報を発信するほか、ネット上で過去
にて実施した。
の「エリア山口 j 、「山口地理学会年報j の掲載論
前年度事業報告・決算報告の承認、本年度事業計
文一覧、巡検一覧などをみることができます。
平成 19年度予算
平成 18年度決算
[収入]
(平成 18年度予算)
[収入]
前年度繰越金
前年度繰越金
雑収入
229, 665
(229, 665)
246, 000
(300, 000)
0 ( 8 )
合計
475 , 665
メ入
会費収入
(529, 673)
雑収入
王 1.
平成 19年慶予算
メ入
仁3
検
備
o
o
19, 496
o
301 , 1
0
1
(230, 000)
(65 , 000)
(10, 000)
(5 , 000)
(5 , 000)
(5 , 000)
(209 , 673)
(529 , 673)
[支出]
刷
{言
務
メ入
口
検
織
-64-
資資費費拘只費費一計
務
(平成 18年度予算)
225 , 750
50 , 140
5, 715
印通事会巡雑予一合
信
努(費費費費費費一一計
印通事会巡雑予一合
胤
429 , 564
<=l白 i
平成 18年度決算
[支出]
174 , 564
255 , 000
会費収入
230, 000
65 , 000
10 , 000
5, 000
5, 000
5, 000
109, 673
429 , 564
平成 19 年度巡検会記録
日時:平成 19年 8 月 1 日制・ 2 日嗣
ていた。向じ場所で、配布された地国で見ながら、
場所:佐波)11 下流域・上流域
江戸期より築造されてきた干拓地を観察する。自
宿泊:湯野温泉「紫水間」
家用車に分乗し、車中より水刻、子t石地を観察し
浅原純一、荒木一視、石 )11-崩、河村克典、 )11 村
調整し、湯野温泉へ向かう。
博忠、木村耕司、貞方昇、新宅腸久、高田準一
巡検(2) :佐波)1 1 上流の重掠にまつわる歴史遺播
郎、中野澄男、藤井宏志、藤)11 邦治、藤田隆義、
(関水遺構、「霊源の郷j 、岸見の石風呂)
ながら移動する。防府市役所で自家用車の分乗を
:3
0 自家用車で湯野温泉から佐波)1 1 ダ
松村亮一、三浦議、ミホパ・ D. J 、安重義之、
2 日同 8
巡検(1) :佐波)11 下流域の近世治水と干拓(頓蔵主
ム下の関水遺構へ移動する。汚原に降りて、どの
(とんどす)土手、水郷、子拓前線)
ように材木が流されたか、構造を観察する。自家
用車で「霊源の郷」へ移動する。下重源の郷」は「株
:3
0 防府駅、防府市役所駐車場にそれ
式会社ちょうげん j が穏営している。「重i燥の郷j
ぞれ集合の後、防府駅集合の会員は防府市役所駐
の入口から専用パスで谷の奥へ向かう。レストラ
車場へ移動し合流する。自家用車に分乗し、江戸
ン「花ひとえ」で昼食。徒歩で「文化{云承舘J な
期に築造された霞堤の観察で、佐渡川 i 下流左岸の
どの施設を観察する。「重掘の郷」は、桜、しゃ
1 日体:)13
「頓蔵主 j 土手へ向かう。明治期の 2 万分 1 地形
くなげ、あじさい、しょうぶ、紅葉など、四季折々
図で「頓蔵主」土手の位置を確認する。「頓蔵主」
の花を観賞できるとの説明を受ける。駐車場から
土手の跡地は、現在、道路として利用されている。
自家用車に分乗し、岸見の「石風呂」へ移動する。
次に、水郷、子拓地の観察で、
「石風呂」の構造などを観察する。
JR 山陽本線を横
切り、佐波)11 左岸の土手を河口に向かう。干潮時
今田の巡検は、新たな試みで、一つの河川の流
であったことから、おを積んだ水制を観察できた。
域を上流から下流まで(下流から上流へ向かつて)
「水舗は柴枝、石あるいは木で築く堤防状のもの
観察してみてはという提案があり、佐波川が対象
であり、河岸と直角に河中に築設し、河流を水釧
となった。本巡検の準備、全体調整では事務局の
で所定の方向に向かせ、河流を保持するものであ
る。 J
(
I
f
'B 本の水制 JJ 1996年)。現在の強留な土手
(堤防)が設寵される前は、7]<舗が土手を保護し
-65
山口大学貞方
昇先生、荒木一視先生に大変お世
話になりました。ここに記して、感謝いたします。
(河村克典)
他学会からの寄贈文献(平成 19年 l 月 "'-'12 月)
0秋吊地理,
27 , 2007 ,秋田地理学会
0字大地理,
10, 2007,宇都宮大学教7守学部地理
学教室
諸事小々控総白次 III ,
2007 ,山口県文書館
。えりあぐんま,
13 , 2007 ,群馬地理学会
O お茶の7](女子大学所蔵外子 1)1玄!日録, 2007 ,お茶
の水女子大学文教育学部地理学教室
。貝塚博物館紀要, 34 , 2007 ,千葉市立賀曽利貝
塚博物館
O文書韓ニュース, 41 , 2007 ,山口県文書館
0 山口県内所在史料目録,
33 , 2007 ,山口県文書
自主
O LlJ 口保文書館研究紀要, 34 , 2007 ,山口県文書
館
。熊本大学地理学研究,
2 , 2007 ,熊本大学文学
部地域科学科地理空間学分野
0熊本地理,
0 山口県文書宣告蔵
行政資料自録,
10 , 2007 ,山
口県文書館
18, 2007 ,熊本地理学会
O研究紀要(地理), 42 , 2007,日本大学文理学
部自然科学研究所
。立命館地理,
18, 19 , 2006 ,立命館地理学会
or布地研究報告,
2 , 2007 ,東京学芸大学教育学
部地i史学研究室
。国士舘大学地理学報告,
15 , 2007 ,国土館大学
。和歌山地理, 26 , 2006 ,和歌山地理学会
OConceptsandModellingi
ngeomorphology ,
地浬学会
0駒沢大学大学院地現学研究,
35 , 2007 ,駒沢大
学大学院地理学研究会
理学研究室
OGeographicalReporto
fTokyoM
e
t
r
o
p
o
l
i
t
a
n
University , 42 , 2007,東京都立大学大学説浬
54-3 , 4 , 55-1 , 2 , 2006 , 2007 ,
学研究科地理学教室
OJapnaeseP
r
o
g
r
e
s
si
nClimatology, 2006,気
日本地理教育学会
0戦後沖縄における米軍当時の実態と地方政治の
形成に関する政治地現学的研究(科研成果報告
書), 2007 ,大阪市立大学文学部
0地域と環境,
2003 ,東京大学大学院新銀域劇成科学部究科自
然環境学専攻
。秋大地理, 54 , 2007 ,秋田大学教育文化学部地
。新地理,
究科
O 毛利家文庫目録別 HTt
山崎孝史
7 , 2007 ,京都大学大学院人間・
候学談話会
OScienceReporto
fTohokuUniversity7th
5 1/2 , 2006 ,東北大
s
e
r
i
e
s (geography) , 5
学大学院理学研究科地理学教室
環境学研究科「地域と環境J 研究会
0地事雑誌, 115-5 , 6 ,
116,
1 , 2 , 3 , 4.5 ,
2006,東京地挙協会
0地理学研究, 53 , 54 , 55 , 2004 , 05 , 06 ,香川
大学教育学部地理学研究室
0地理学研究報告,
18 , 2007 ,千葉大学教育学部
地理学研究室
。地浬学野外実習報告, 2005 , 2006年度, 2006 ,
中部大学人文学部歴史地理学科
0 地理誌叢, 4
8-1 , 2 , 2006 ,日本大学地理学
ぷ入
テ
0奈良大地理,
13 , 2007 ,奈良大学地理学会
0法政大学大学院地理研究,
14, 2007,法政大学
大学院地理学専攻編集委員会
0法政地理, 39 , 2007,法政大学地理学会
0待兼山論叢, 40 , 2006 ,大阪大学大学院文学研
66-
f支
稿
世晶叫
事克
忌
1.投稿資格特別の場合を除き、投稿は本会の会員に限る。投稿は本学会において口頭発
表した内容のものであることが望ましい。
2. 原稿の種類と制限枚数論説・研究の場合は 400字原稿用紙(横書き) 30枚以内とする。
それを超える場合は超過分実費を執筆者の負担とする。資料その他は原則として向上 15枚
以内とする。
3. 国表・写真
図表・写真は必要で、最小限であること、図表・写真はいずれも別紙とし、
本文原稿欄外に挿入箇所を朱書きにて指示する。図表には題、写真には説明文を付し、番号
をつけること。製版は原別として l 段l幅 (68mm) から 2 段幅(1 40附)になるのでスケール
を考慮のこと。
4. 英文題目
題自を英訳し、原稿の末尾に付すこと。
5. 参考引用文献次の要領で記載する。
1)山口太郎(1 980) :防府平野の開発.エリア 111 口,第 8 号, p
p
.2
5
"
'
2
9
.
学(1 981) :新田開発の研究.平川出版, p
p
.1
3
1
'
"1
5
2
.
2) 吉田
19
7
9
) :Ur‘ ban Geogr‘ aphy andChicagoi
nRetrospect , Geogr
.Rev. ,
3
) Mayer, M. (
Vo 1. 67 , NO.1 , p
p
.2
1"
'
2
5
.
4
) Boggs , S
.W. (
19
4
0
) :I
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
1Boundaries.NewYork , 5
9
p
.
6. 抜
刷執筆者に 50部を進呈する。 50部以上必要な場合は事務局宛連絡のこと。
7. 原稿募集
学会事務局にて常時受付ける。ただし、各号の受付期限は毎年 11 月末日とする。
山口地理学会役員 (2006年度・ 2007年度)
*昨年「エリア山口 J 36号における役員一覧が一昨年のままでした。昨年度・今年度役員一
覧は下記の通りです。訂正と共にお詫び申し上げ、ます。
会
副
長:貞方昇 (111 口大学)
会
長:河村克典(山口県文書館)
常任委員・総務:荒木一視(山口大学) .D. ミホパ(山口大学)
編集委員:大竹義則(徳 111大学)、高田準一郎(岐阜聖徳学園大学)
藤田降義(萩高校)、吉津直樹(下関市立大学)
藤井正彦(黒石中学校)
監
査:大谷博昭(山口市歴史民俗資料館)、辻美彦(白石小学校)
エリア出口第37号
編集発行
2008~ 2 丹 25 日発行
山口地理学会
〒 753-8513
山口市吉田 1677-1
山口大学教育学部地理学研究室内
電話 (083) 933-5325 , 5
3
2
0 (FAX兼用)
振替
印刷所
0
1
5
1
0
8
5
6
2
0
株式会社桜プリント社〒 753… 0212
(
0
8
3
)9
4
1
1
6
0
0
111 口市下小鯖3139-7
A
N
N
A
L
SO
FT
H
EY
A
M
A
G
U
C
H
IG
E
O
G
R
A
P
H
I
C
A
L
A
S
S
O
C
I
A
T
I
O
N(AR日 YAMAGUCHI)
No.37 January, 2008
CONTENTS
A
r
t
i
c
l
e
s
V
a
r
i
a
t
i
o
n
so
fI
n
i
t
i
a
lD
e
p
r
e
s
s
i
o
nA
r
i
s
e
nfromC
r
u
s
t
a
l
a
p
a
n
Movementd
u
r
i
n
gQ
u
a
t
e
r
n
a
r
yonS
e
v
e
r
a
lI
s
l
a
n
d
si
nt
h
eRyukyus , J
Mo中hological
/H. 恥lIURA
TeachingP
l
a
nf
o
rReadi
ngA Topographyo
f"Wajy Area
/J . TAKATA … . .. ・ H ・..……... ・ H ・ .. … . . . ・ H ・ . .. .. ・ H ・. .…
11
E
v
a
l
u
a
t
i
o
no
fH
a
b
i
t
a
t
si
nt
h
eA
k
i
y
o
s
h
i
d
a
iN
a
t
i
o
n
a
lParkfromt
h
e
6
D
i
s
t
r
i
b
u
t
i
o
no
fEndangeredP
l
a
n
t
s/YokoOHT
A .…...・ H ・..……………・・ 2
Time-framef
o
rt
h
eI
n
i
t
i
a
t
i
o
no
fG
u
l
l
yE
r
o
s
i
o
ni
nt
h
eC
o
a
s
t
a
lRedSand
a
s
tC
o
a
s
to
fI
n
d
i
a
Formationn
e
a
rVisakhapatnam , E
/K
.NAGESW
ARARAO,CH.UDAYABHASKARARAOa
n
dN.SADAKATA......… 35
AS
t
u
d
yont
h
eP
r
o
v
i
n
c
i
a
lMapso
fSuohandNagatoMadei
nt
h
e5
t
hYear
o
fKeian(
16
5
2
)/K
.KAW AMURA ………… ・ ・…・… ー ………………………・ 4
5
I
s
s
u
e
sandP
r
o
p
o
s
a
l
sa
b
o
u
tt
h
eI
n
t
r
o
d
u
c
t
i
o
no
fLRT(
L
i
g
h
tR
a
i
lT
r
a
n
s
i
t
)i
n
Kyoto/C . TODA …… … … … …... . ・ H ・ . .……ー………………ー…………ー……一 54
NoteandNews .. . ・ H ・. . ... ・ H ・ ... . .・ H ・ H ・ H ・-…...・ H ・..……………...・ H ・..….... . ・ H ・. 6
3
TheYamaguchiGeographicalAssociation
Foundedon1947
I
n
s
t
i
t
u
t
eofGeography
FacultyofEducation
YamaguchiUn
iv
e
r
s
i
t
y
Yamaguchi753-8513 , Japan
Fly UP