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中国市場形成――変わりゆく企業形態――

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中国市場形成――変わりゆく企業形態――
中国市場形成――変わりゆく企業形態――
山崎敦子
はじめに
中国経済は 1978 年に改革・開放を開始し、その後の約 20 年にわたって計画経済システ
ムから市場経済システムに転換し、工業化を急速に進めてきた。この間、中国の国民総生
産は年平均 10%、一人当たりGNPが 8∼9%と驚異的な高度成長を遂げている。巨大な人
口と領域をもつ中国が、市場経済化によって活力を高め、現段階では上海・浦東新区の急
速な開発、大連・経済技術開発区の発展、海南島の「中国のハワイ化」など、深釧経済特
区および珠海経済特区を拠点とする広東省や福建省一帯の開発とともに進展している。い
まや中国は、「21 世紀の経済大国」と世界から注目を集めている。
だが、その一方で社会主義下での市場経済化の進展により、国有企業の経営悪化が進み、
休業や倒産が相次いでいる。自宅待機者を含む実質的な失業者は 1300 万人を超える、とい
われている。毛沢東の時代には、「社会主義計画経済の下で、“失業”なんてありえない」、
とされてきたが、現状は大変な変わり様である。都市と農村、沿海地区と内陸地区の貧富
の格差も拡大してきている。しかも格差は地域間だけでなく、同一地域内の個人間でも広
がっている。中国は中華人民共和国成立時から 1987 年まで、労働力の 70%が生産性の低
い農業部門に配置されていたが、改革前に伝統経済システムの下で大量な過剰労働力をか
かえてしまったために、農業部門では工業化のための資金の余剰を生み出すことは不可能
に近くなっていた。しかし、労働過剰経済の発展のために工業という近代的な部門が導入
され、農業部門の過剰労働を吸収しながら拡大しなければならないという窮地に追いやら
れた状況の中で、労働力の農工業移動を可能にしたのは鎮郷企業の存在であったと思われ
る。こういった視点からその鎮郷企業について述べていくとともに、その他中国の市場形
成に欠かせないと思われる私営企業の復活についても触れることとする。
そして 1990 年代に入り、中国経済の市場化は上記に挙げた企業などが拡大するなかで、
国有企業も対等に市場で争わねばならなくなった。大部分の国有企業は経営環境が激変し
たことから悪化せざるを得なくなってしまった。つまり、現在の中国では、持続的高度成
長の背後で、経営不振の国有企業を抱えているのだ。その国有企業を何とか「生産と雇用
のための企業」から「利益のための企業」へと本格的に転換させようとする国有企業改革
はまさに困難なことであるが、大枠として国有企業を「会社」として定義し直し、政府は
企業を国有資産の管理者としての立場から監督するものと位置付けようとしている。同時
に、条件の整った企業から株式会社制度を導入することを意図し、大きな変化をもたらし
ていることは真実である。その変化を通じて今後中国の市場形成にどのような影響をもた
らしていくのであろうか、国有企業の成り立ちや現在の改革状況に注目しつつ考察を加え
ていきたいと思う。
1
1.民工潮と郷鎮企業
1978 年末に開催された中国共産党三中全会にて党の路線変更が行われた。従来のイデオ
ロギー重視の路線から「四つの現代化(農業・工業・国防・科学技術の近代化)」路線への政策転
換を決定し、本格的な「改革・開放」路線へと移行した。そして第 2 段階として 1992 年、
社会主義市場経済が打ち出された。しかしながら「改革・開放」政策による沿海地区の経
済成長に比し、農村部の立ち遅れと貧困が著しい中国には、近年、沿海地区へ出稼ぎに向
かう膨大な農民群が存在しており、こうした現象を「民工潮」と呼んでいる。その数はすで
に 1 億人とも 1 億 2000 万人とも推計されており、著しい所得格差がもたらす現象が深刻な
社会問題になっている。その出現の背景として、沿海都市の経済成長に伴う人手不足の進
行のほか、「改革・開放」体制下の中国農村における戸籍の移動措置、つまり世帯登録制度
が意味をなさなくなり、戸籍の移動がかなり自由に行われるようになったことがあげられ
る。しかし、より根本的な問題はやはり所得格差と農村余剰労働力の増大という問題であ
るといえる。とくに人民公社の解体により、農民の労働効率が急速に向上して「人多地少」
(労働力が多く耕地が少ない)という矛盾が生まれたのである。
このような「民工潮」と対比される問題が「改革・開放」体制下の郷鎮企業の発展であ
る。「民工潮」のような問題を解決するべく、84 年に中央が発布した「四号文件」の中に社
隊企業を鎮郷企業に改名することを決定し、鎮郷企業の国民経済の中に占める重要な位置
を肯定し、その発展方向を明らかにした。郷鎮企業とは、いわば中国農村の小規模企業の
ことであり、郷、村営企業(社隊企業時代の人民公社)発展させたものである。その大半
は工業および手工業分野であるが、各種養殖業、交通運輸業、建築業なども含み、社隊企
業時代に実施してきた原則を打破し、都市工業企業との間で生産協力、委託加工、合資経
営などの形態で協力関係を結んだ。したがって、都市工業企業との間に委託・下請けとい
った企業間の分業・協業、つまり垂直的分業を開始したことにより、郷鎮企業は発展の道
をたどっていった。
図1からも読み取れるように、83 年から 84 年まで各企業で増加した就業者がほとんど鎮
郷工業企業での新しい雇用者となっていることから、工業部門での雇用吸収力はかなり強
かった事が分かるが、その他に建築業、交通運輸業なども 84 年以降、徐々に雇用者が増加
していっていることも分かる。これは、まさに従来の人民公社の「社隊企業」が 1984 年来の
人民公社消滅の過程で、公社が「郷」に、生産大隊が「鎮」となった、鎮郷企業の特殊な雇
用方法から拡大したものである。農村の潜在的余剰労働力、つまり失業人口を吸収し、都
市への「民工潮」による農民流出を避けていることでもある(表1)
。また近年、中国では
農民の収入を増やすために食糧など農産品の買い付け価格を引き上げた。多くの農村地域
は、鎮郷企業が直接あるいは間接的に現地の農民に関る社会福利厚生支出(文化、教育、
医療、道路橋梁の建設、年末配当など)を負担するため、鎮郷企業の収入が良ければ、現
2
地の人の福利厚生待遇も良くなる、ということになる。そして、今まで長期にわたって農
業への投資が不足して、災害に対処する能力は全く強くなかったのに対して、こうして鎮
郷企業の発展している地域では、通常、工業収益と農業製品収益間のギャップの問題を軽
減できる一方、農業生産を拡大するための資金確保もできる。これは、中国鎮郷企業によ
る一つの重要な貢献である。
鎮郷企業の発展は、中国の労働力農工間移動の特徴を明らかにするとともに中国が長年
にわたり求めている「工農差別、城郷差別」(工業と農業、ワーカーと農民、都市と農村の
ギャップ)の縮小と「民工潮」の問題解決、中国の市場形成、および経済成長に大きな貢
献をしている。実際に鎮郷企業の開発と発展に伴い、1995 年から 96 年までの間に 1491 万
人の労働力を吸収した。全体のトレンド変化をみると、96 年に農業部門就業者合計に占め
る鎮郷企業と農業部門割合がそれぞれ 27.5%と 64.6%まで変化していた。さらに、鎮郷企
業の発展は背後に市場経済の発展条件が隠れていることを忘れてはならないだろう。
1996 年 10 月に開かれた第 8 回全人代常務委員会第 22 次会議に「中華人民共和国鎮郷企
業法」が公布された。その後、鎮郷企業はこの法律のもとで持続的に発展していき、中国
経済を促進させている。
鎮郷企業の問題点
しかし、この発展のなかで数多くの問題がひそんでいることを無視してはならない。
中国の鎮郷経済は十数年の急速成長を経て、今日の経済環境は、鎮郷経済が発足した時期
と比べて一部変わった。鎮郷企業にとって有利な変化の一つは、多くの人が鎮郷経済の重
要性を認識しており、鎮郷経済を軽蔑視する人が少なくなったことである。一方、社会主
義市場経済が全面的に広がっている中で、国有経済を含めあらゆる形態の企業がほぼ同様
な政策環境の下で競争を展開している。まだ多くの製品が中国市場では供給過剰状態にあ
り、過去のように作れば売れる時代と比べ、競争がさらに激しくなってきている。鎮郷経
済の発展において一部の問題点が浮上している。
一番大きな問題点としては、環境問題であると考える。中国の鎮郷企業の環境保護意識
は一般的に高くない。また、生活設備、技術が簡単であるため、汚水、廃棄処理手段がな
いか、簡単な手段しかないところが多い。現地政府も、目先の利益のために、ある程度鎮
郷企業の公害問題を容認している。近年、鎮郷企業の発展につれて鎮郷企業による公害も
急速に増加している。95 年、鎮郷工業企業による亜硫酸ガス、スモッグ塵、粉塵の放出量
はそれぞれのその年、全国工業企業汚染物放出量の 28.2%、54.2%、68.3%を占めた。現
在政府は農村部での環境保護を重視し始め、公害の多き工場に対し、罰金、改善措置を要
求、工場を締めるまでの強制措置を実施している。
2.私営企業の復活
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鎮郷企業とともに社隊企業時代の人民公社の解体によって、同時に個人経営、共同経営
など所有形態企業の発展を支持する政策により、農民は農作業の余暇を利用して自由に副
業に励むことができるようになった。やがて副業を専業とする農家も各地に出現した。専
業戸は養鶏・養魚・養豚などの養殖業から製粉・搾油などの農産物加工業、建築製造業、手工
業、さらには育種・育苗などの技術サービス業、運輸業、商業、飲食業へと広まった。専
業戸の発展はやがて農村での個人経営商工業者の輩出となる。そして農村部にとどまらず、
都市部でも急速な復活・発展を遂げる。都市の個人経営の業種も工業・商業・運輸業・飲
食業から、文化教育・医療衛生・社会福祉・コンサルタントなどのサービス業にまで及ん
でいる。
個人経営企業の資本蓄積と生産・経営規模の拡大にともなって、家族労働力だけでなく、
主として雇用労働力に頼る私営企業が全国の都市・農村に出現した。
1988 年 7 月に公布・施行された「私営企業暫行条例」によると、
「企業資産が私人に属
し、8 人以上雇用している営利性経済組織」が私営企業とされている。こうした私営企業は
正規に登録したものだけでも、1992 年末までに 13.9 万社に達した。2000 年「中華人民共
和国個人独資企業法」の公布についても誰もが認める私営企業の発展をより一層促すもの
と見ており、北京での情報会社による 360°調査システムが「企業のオーナーになることに
夢中になろうとする人は一体どれほどいるか。
」という調査をおこなったところ、結果、870
人の調査対象のうち、企業のオーナーになることに夢中になっている者は 25.17%を占め、
企業のオーナーになろうと考えたことがある者は 30.8%を占めていることが判明した。上
海のあるマスコミの調査結果によると、80%の上海の人がオーナーになろうとしていると
いう。
「個人独資企業法」の公布は、創業のチャンスが獲得しやすくなるとともに、とり多く
の就業のチャンスを創り出すことが目的とされているので、疑いもなくより多くの人が私
営企業を経営することを励ますものになるだろう。マスメディアの伝えるところによると、
「個人独資企業法」が公布される前後に、これまでなかった中小企業に対する銀行貸付扶
助と政策的支持を受けるベンチャー投資機構も次々と設置されている。新しい風が吹いて
いることをあらわしているのではないだろうか。最も人々の注目を集めるところは、雇用
人数に基づいて個人商工業経営者と私営企業を区別する従来のやり方を打破し、私営経済
に対して科学的管理、法による保障を行い、発展を奨励するという新たな飛躍が現れたこ
とである。
しかし、その反面、私有部門をめぐる問題の一つは、実態がつかみにくく、統計がとり
づらく、上の立場からすると税金がとりにくいことである。従って、私営企業が成長する
であろう今後の中国経済の重要課題は、政府がいかにして私有部門からしっかり徴税し、
拡大する所有格差を調整するべく再分配を行うかという点にある。
しかし、私有財産や個人所得に対する課税が強化されれば、人々はまず徴税の公正さを
問い、やがてはいわゆる納税者意識を高めてゆくことであろう。そこで問題とされるのは
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為政者の清廉さと実績であり、最終的には共産党の指導の当否が問われることとなろう1。
もっとも、この共産党の指導の当否が問われる問題は私営企業だけにはとどまらない。今
日、中国で最大の赤字で問題視されている国有企業への政策も重要視されている。
3.国有企業改革
国有企業は、従来の光度集中的計画経済を支える柱となってきた。しかし長い間、国有
企業はヒト・モノ・カネに関する自主権を持たず、単なる政府機関の付属物として、国家
計画の執行者の立場をとってきた。つまり企業の生産計画と投資活動は政府により支配さ
れ、必要な資金や原材料、労働力なども政府から提供され、生産したものは政府の計画に
よって配分されてきた。このような「大鍋飯」
(大釜の飯)
・
「鉄飯碗」
(鉄のどんぶり)
・「鉄
交椅」(鉄の椅子)・「鉄工資」(鉄の資金)体制は、企業の活力と職員・労働者の労働意欲
の欠如、経営の非効率などの害をもたらし2、これらを取り除くため、政府は 1970 年代末
から国有企業の改革に乗りだした。
現在の中国の国有企業改革は、大企業については少数の企業集団に集約し、小企業は見
放し切り捨てて国有企業の全体を再編していこうというもの、すなわち国有企業改革全体
の「戦略的改組」である。中国には現在、国有工業企業は 6 万 8,000 社あり、1 万 5,000 社
が大中型企業、5 万 3,000 しゃが小型企業である。この大中型企業のうち電力・石油化学・
鉄鋼・家電・ハイテク産業などから約 3,000 社を選定し改革をここで本格化する。その一
方、小型企業は市場の荒波に身を委ねさせ、破産、資産売却、吸収合併などを要求する。
この戦略的改組の過程で大量の余剰人員が発生することは避けられない。
国有企業の赤字
しかしながら改革後、国有企業は赤字企業の増大と経済効率の悪化をもたらした。1985
∼93 年の間、赤字国有企業数は 7000 社未満から約 2 万 2000 社に増加し、国有企業全体に
占めるシェアも 10%未満から 30%以上に上昇した。隠れ赤字を含めれば、3 分の 2 の国有
企業が赤字経営といわれている。
1
李東明「改革は経済から政治へ」『ジェトロ中国経済』1998.2 年、24‐25 ページ。
2
「大鍋飯」
(大釜の飯)…公平優先を原則とする。働いても働かなくても同じという風潮
が生まれる。
「鉄飯碗」(鉄のどんぶり)…政府が全責任を持って統一的に労働力を配置
すること。企業や他の雇用先が自主的な人員採用も人員解雇も出来ない。 「鉄交椅」(鉄
の椅子)…企業(機関)の幹部がいったん「幹部」(管理職)のポストにつくと昇格するこ
とはあっても降格することはなく、生涯「幹部」のポストから離れない。「鉄工資」(鉄の資
金)…本人の労働量の質および企業経営状態の如何を問わず、固定的に給料や他の福祉を
与えられることである。
5
赤字経営の増大は、国有企業全体の経済効率の低下を招いている。80 年代以降、国有企
業の資金に対する利潤・税金比率と売上高に対する利潤・税金比率はいずれも半減した。
78 年に 78%だった全工業生産総額に占める国有企業の割合が、93 年には半分以下の 43.1%
に下がった。このような国有企業の赤字問題はとどまるところを知らずに悪化しつづけて
いる。
国有企業の経営不振は多くの要因によるが、改革の遅れと重すぎる負担がもっとも重要
な要因とされている。国有企業は平均で 30%以上の過剰人員と数多くの定年退職者を抱え
ている。国有企業労働者が長期にわたってそこに身をおいてきた場所を、そう簡単に捨て
去るはずもなく、失業者に対するセイフティ・ネットつまり社会保障制度がほとんど整備
されていない現状では、人件費・医療費と定年退職金の負担がその経営を強く圧迫してい
る。
国有企業と三角債
上で述べたように、計画経済に基づく国有企業の経済活動が中心であるが、国有企業の
業績不振にあって、その 4 割近くが赤字経営に陥っているために、石炭や鉄鋼といった産
幹産業部門の国有企業を中心とした三角債の問題が浮かび上がっている。三角債とは、企
業間の不良債権をたらい回しにすることで、つまりA社が B 社に、B 社が C 社に、C 社が
A社にそれぞれ返済すべき債務を完済しえないために、互いに焦げつき債務をたらい回し
する企業間のたらい回し現象のことである。近年、国有企業を中心とする三角債は総額 3000
億元以上、つまり国家財政の半分以上にのぼるといわれた。三角債問題が深刻化したので、
国務院は 90 年代初頭、三角債整理弁公室を設置し、工作組の派遣や滞納金の徴収など、そ
の解消に本腰を入れて取り組むことになった。1992 年 7 月末には、三角債の整理が完了し
たと当局は発表したが、問題の根本的解決は容易ではなく、94 年 6 月には従来以上の 6∼
7000 億元の規模にふくらんでいると「人民日報3」が報じた。三角債はいまや、中国の国家
財政を圧迫するのみならず、中国経済全体にとって極めて解決困難な問題になってきてい
る。
国有企業の赤字解消と三角債の解消という 2 つの課題が解決されれば、中国経済に明る
い見通しが見出すこともできるのであろうが、事態はますます悪化の道をたどっていると
いわざるをえないのである。そんな中で国有企業の改革に曙光ともいえるべく、国有企業
の経営環境の改善と管理の強化につれて国有企業を改革し 2003 年までに苦境から脱出させ
る目標をたてた。それは、国有企業の株式会社化である。
1997 年秋の中国共産党第 15 回全国代表大会において国有企業の株式会社化の本格的展
開が決議された。今後どのようになっていくかは分からないが、もし、この国有企業の株
式会社化が順調に進んでいくとなれば、国有企業資産の所有者が国家から多様な株主へと
3
中国共産党の日刊機関紙で約 300 万の発行部数を持つ。
6
代わり、配当収入に強い関心を持つ株主は国有企業の効率化と収益性に高い関心を寄せ、
企業もまたその関心と要請に応えるだろう。中国国有企業の資産は民有化を通じて市場の
中に流動化してゆき、これまでとは異質の企業効率向上への実質的な圧力になっていくに
違いない。そして、国有企業に「自主経営、損益自己負担、自己発展、自己規制」をまち
がいなく促す最適の方針であると評価することができる。
また、苦境から脱却させることを保障するため、国は政策、管理、企業の外部環境など
の面で「債務の株式化」をも行った。この国の助成政策は、金融資産管理公司を投資の主
体とし、商業銀行の以前の不良融資を金融資産管理公司が保有する。つまり、企業に対す
る株主に転じることである。しかしこれは企業の債務をすっかり取り消すことではなく、
企業は依然としてすべての資産で企業の債務を負わなければならないのである。そして、
「特定融資」を行って、国有企業に対して特定の資金を特定の用途に使い、単独で考察を
繰り返して、供給、生産、売上をそれぞれ記帳し、コストの費用を清算し、効果、利潤を
確認していった。こういった融資により、「特定融資」を獲得した国有企業の中の 8 社が欠
損をなくし、15 社は欠損を減らした。それと同時に国有企業は新技術開発の能力を増強す
るため、財政債権の一部を企業の技術改造に用い、繊維、石油化学、非鉄金属、機械、情
報、製紙などの業種に重点的に改造を行ってきた。結果的には国有企業に新しい曙光が見
えてきたことは明らかであるが、倒産は増えているうえに合併することに力を注いでいる
実体はとどまらない。1999 年までの 3 年間に、銀行の 900 億元の貸し入れ準備金を償却し、
6400 社の倒産企業を合併させ、リストラによる企業効率の向上を実現した。
この「国有企業の株式化」や「債務の株式化」から明らかなのは、現在の中国が共産党
一党支配体制下での市場経済化の道をたどっており、行政と企業を切り離そうとしている
ことである。中央の党・政府機関が自ら設立した経済の実体を切り離し、新しい企業形態
を創り出そうとしている。この株式導入によって、社会主義市場経済の「社会主義」はその
意味をますます薄いものになってきているように思える。しかし、中国における、この「社
会主義」とは、中国が今後とも共産党一党支配体制の下で国家を運営するという志しをも
つ。現代中国の国是を反映した概念であると受けとめなければならない。
まとめ
以上のように、現在の中国は「改革・開放」により、社会主義市場経済の下で大規模な
変化が起こった。それに対するとらえ方は様々であるが、高成長を遂げている反面、二重
三重の意味を持って深刻な中国の社会問題をよく耳にすることがある。内陸諸省から沿海
部に出稼ぎに行く「民工潮」の群れが、ようやく手にした仕事で稼いだ金を自分の家に送金
しようとしても、それさえもままならず、郵便送金が中途で消えてしまうという悲惨な状
況もおこっている。いまや、「改革・開放」による経済の自由化は、今まで管理能力を持っ
ていた“単位”を著しく低下させ、そのために中国社会の末端は混乱してしまった。市場
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には盗品が出回り、それを管理する警察もまた腐敗警官によって汚染されているという事
実や、国有企業が所有する機械設備や資材などの資産も帳簿上の操作をして大量に売り払
われていることなど、深刻な問題が多発してきている。やはり、これは市場経済化が起こ
したことであり、共産党一党支配体制と流動的・分散的経済社会との激しい相互関係の渦
中に置かれた上での「不安定さ」であると思われる。第 15 回党大会における江沢民報告は「鄧
小平理論の偉大な旗印を高く掲げて中国の特色をもつ社会主義を建設する事業を全面的に
21 世紀に推し進めよう」と題し、国有企業の株式会社化への方途に最終的な「お墨付き」
を与えたものであった4。この報告は、株式会社化を社会主義公有制の枠内で承認するため
の極めて便宜的な主張であって、市場経済の考え方とはかけ離れた主張であったことは確
かであったであろう。共産党一党支配制を断固として固持するといった頑固な考え方が私
にはなかなか理解しにくい。企業形態は明らかに変化している。国民の意識も意識調査な
どからわかるように変化している。そんな中で中国はこれからどういったアイデンティテ
ィーを見出し向かっていくのだろうか、という疑問を残している。
参考文献
1.渡辺利夫『中国経済は成功するか』筑摩新書、1998 年。
2.河地重三・藤本昭・上野秀夫『現代中国経済とアジアー市場化と国際化』世界思想社、
1994 年。
3.藤本昭『中国
21 世紀への軟着陸』日本貿易振興会(ジェトロ)、1997 年。
4.中嶋嶺雄『中国経済が危ない』東洋経済新報社、1995 年。
5.上村幸治『中国路地裏物語―市場経済の光と影』岩波新書、1999 年。
6.矢吹晋『図説
中国の経済』蒼蒼社、1992 年。
7.馬成三『中国経済がわかる事典―改革・開放のなかみを読むー』ダイヤモンド社、1995
年。
8.『知恵蔵』朝日新聞社、1999 年。
9.李東明「改革は経済から政治へ」『ジェトロ中国経済』1998.2 年。
10.
渡辺利夫「中国の国有企業改革は何を帰結するか」『ジェトロ中国経済』 1998.9 年。
11.
ジェトロ香港センター「資料・中国の鎮郷企業」『ジェトロ中国経済』 1998.3 年。
4
渡辺利夫「中国の国有企業改革は何を帰結するか」『ジェトロ中国経済』 1998.9 年、28−29ペ
ージ。
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