...

エルンスト・トラーの初期のドラマについて

by user

on
Category: Documents
19

views

Report

Comments

Transcript

エルンスト・トラーの初期のドラマについて
die
frtihen
DramenErnst
は当時の西プロイセ
To))ers
エルンスト・トラ-の初期のドラマについて
Uber
エルンス-・-ラ-(1八九三-一九三九年)
ではポ-ランドに近いこの国境の都
ン州、ザモ-チンという小都市の生まれ.母親は裕福なユダヤ人の家
系だった。自伝『ドイツの青春』
市で経験した人種差別問題も語られる。しかもそういう地方都市では
二
色の目をしているのを誇りに思う)というのと同じである。」と書-0
を誇りに思う)という言葉は私には愚かし-聞こえる。ちょうど(渇
はドイツ人であることを誇りに思う)あるいは(ユダヤ人であること
的な文化ばかりでない、汎ヨ-ロッパ的な文化だった。後に彼は「(私
がどうにもならなかった。服はズタズタ、髪はメチャメチヤ、顔も血
はなぐられる。彼女らはドイツ語で自分たちはドイツ人だと抗議する
女性が二人フランス語をしやべったと主張するものが現われた。二人
は容易でなかった。兵舎が志願兵で満員だったのだ。」仕方な-ミュン
ヒエンの街を歩-ことになる。「シュタッフスは大騒乱の最中だった。
砲兵隊員として参戦した。一九一四年からほぼ一三箇月勤務している0
『群衆・人間』と題するドラマだけでな-、群衆と個人というイメジはーラ-の戯曲の中で常に重要なモチ-フであり続ける。-ラ-は
だらけになり、警官に連れて行かれた。」早-も戦争に対する錯綜した
た。ミュンヒエンで下車せねばならない。夜遅かったからホテルに行
った。次の朝、志願兵に応募するつもりだった。しかし兵士になるの
郷だった。警備兵が総髭を磨かせるのを見ると、ドイツの森がざわめ
-のを聞-思いがした。--私は取りあえず家には帰らない決心だっ
ルンの国土防備兵に合図を送った。ここではすべてが故国だった、故
Shoji-MOTO
鴫
(以下、特にことわらない限り、ドラマ以外-ラ-自身からの引用は『ド
迫害だけでな-、ユダヤ人は経済面の他、文化的に広範な知識と影響
本
思いが展開する。
フランス遊学中に第一次世界大戦となり、故国に帰って参戦するこ
とになる。「汽車がドイツ領のリンダウに差しかかったとき、我々は再
井本
『ドイツ'すべてに冠たるドイツ』を歌った。駅を警備するバイエ
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
l七
力を持っていたという複雑な社会事情もあった。それは決してユダヤ
井
イツの青春』 による。)
び
ン州ではl九1九年二月'人望のあった首相アイスナ-が暗殺された
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
ある塑壕堀りの際の経験が語られる。「私は聖壕のかたわらに立ちピッ
にぐつと引っ張った。そこには何かねばねばしたものが付着していた0
なかった。口の中で何度もどもりながら、それでもやっとのことで(死
たのだ。」しかし(死んだ人間)という言葉がどうしても一気に出てこ
になったのも歴史の皮肉である。ーラ-は捕らえられ五年の要塞禁固
が、ここがヒ-ラ-時代アウシュヴィッツと並ぶユダヤ人大虐殺の地
身をかがめてよ-見るとそれは人の内臓だった。死人が埋められてい
んだ人間)なのだという事実が認識された。と同時にそれは「死んだ
械破壊者』と獄中からのさまざまな書簡、および詩集『燕の書』
まれた。しかし彼は「その夜はベルリン民衆劇場で私の
『群衆・人間』
人間--死んだフランス人ではない--死んだドイツ人ではない--
死んだ人間」なのだという認識へとスラスラと運んだ。
ーラ-は心臓病に精神疾患も加わって戦線を離れる。ふたたびハイ
が初演された。しかし、ああ私には一切れのパンの方がいい。」と書-0
ミュンヒエンでスーライキ加担のかどで三箇月の獄中生活を送ること
力、感情移入の能力を発展させ、心情の怠惰と戦い、それを克服する
如、心情の怠惰のために人間は戦懐すべきことをもやってしまうのだ
と思う。--未来の学校の最も重要な課題は子どもの人間らしい想像
「私は人間の(よこしまな)本性というものを信じない。想像力の欠
になる。裁判ではマックス・ヴェ-バ-も証言、弁護した。ここで生
ことである。」政治の時代にこそーラ-は人々の想像力に期待した。当
時の世界各地の飢佳、政治的迫害例も列挙されている。
王政が倒れたとは言っても王の親政はもうとっ-に実権を失っていた。
世界史に関与しょうとするとき、政治的行動者となる人間を待ち受け
看守の命を奪うことになるのを恐れて、その計画を拒否した。正しい
と認識した倫理的理念を大衆闘争の中で実現しょうとする時、つまり
「しかしシュタ-デルハイムの刑務所で脱走の機会が与えられた時も、
革命が当面もたらしたのは、新たな階級闘争でもあった。各地にレ-
ているものは何であろうか'と私は自問する。マックス・ヴェ-バ-
になる。レ-テとはラ-ーの複数形。つまり少な-とも中世の苦から
都市参事合'大聖堂参事合などを意味する協議界を複数形にしたもの
であり、1面では(ソヴィエ-)のドイツ語訳でもあった。バイエル
しかないものとして生きなければならないと述べたのは正しかったの
が、我々が悪に対して暴力で抵抗しょうとすれば、アッシジのフラン
シスコのように、絶対的要求のためには唯一の絶対的な道、聖者の通
テと呼ばれる革命評議会が設置され、従来からの政府と対立するよう
ヴィッテルスバッハ家の王政が倒れる。しかし時はすでに二〇世紀。
た。ベルリンではホ-エンツォレルン家の、そしてミュンヒエンでは
一九一八年十月末以降はまさに革命の、つまりは政治の季節となっ
まれたのがl九1八年三月に完成した処女作『変転』であるo
マリ-ア・リルケと親交を結び、ハイデルベルクではマックス・ヴェ
-バ-にも学ぶ。しかししだいに社会主義に傾きつつあった-ラ-は
デルベルクとミュンヒエンの大学に学ぶ。ミュンヒエンではライナ-・
が生
刑を受ける。ミュンヒエン近郊のシュタ-デルハイム'ニ-ダ-シエ
-ネンフェルーなどに収監された。ここで戯曲『群衆・人間』と『機
選出される。しかしこれは全国政府の反革命軍によってもろ-も潰え
る。ーラ-はミュンヒエン近郊のグッハウで赤軍の指揮を取っていた
ことから、同年四月レ-テが共和国を宣言して、-ラ-がその議長に
一入
ケルで土を掘っていた。はがねの先が何かに引っかかった。力まかせ
井本
ではないだろうか。」看守の命を奪って云々はそのまま
『群衆・人間』
のソ-ニャの最期の場面に使われている。聖者の非暴力の話しも含め
て、太古の苦から-り返される古-て新しい、決して解決されること
のない問題であろう。
年代は一九三七年以降とあるだけではっきりしないが、英文で書か
たぶんアメリカでの講演用の原稿の
(ないしは他人により翻訳)
主要人物はきわめて少ない。労働者たちの他は主人公のソ-ニヤ、
官吏であるその夫の他はほとんど不特定多数の労働者である。ただし、
冒頭の「人物表」では、男女の労働者たち、捕われの女たちが先で、
最後に夫、ソーニャの順で並べられている。これも当然意図あっての
ことであろう。しかも作中ではソ-ニヤは「女性」でしかない。
れていた。ただしこの(景)の番号は全体を貫-通し番号であった。
全体は七つの(景)からなる。『変転』は六つの
(後に述べる)(シ
ュタツィオ-ン)からなり、そのそれぞれがい-つかの(景)に分か
たものである。
二、四、六景は始めから「夢の景」と銘打たれているが、第三、五、
一節に次のようにある。『ドイツの青春』に基づき、後に大幅に拡大し
「政治的な宣伝者が選挙民に政策を示すとき、彼はそれが現在の危檎
を救う唯1の解決だと主張する.他の政治家の政策には決して敬意を
七景に関しても人物表の次ぎに「幻想的な夢としての距離をおいて」
と但し書きがついている。
『群衆・人間』の方がある意味で暮形式からの離反は徹底している。第
払わない。いやむしろすべて誤りとして弾劾する。しかし彼にはそれ
なりの権利がある。誰も彼からその他のことは期待しない。
第一景。大衆酒場の真部屋。
労働者達がスーライキの準備をしている。「女性」が興奮して勝利を
確信した叫び。秘密の会場だったはずなのに、官吏である夫が不意に
到来。国家に忠誠を誓った官吏と国家に反逆しょうとする妻の間でい
ささか単純すぎるやりとり。
愛は憎しみよりも偉大である。
非暴力は暴力より偉大である。
第二景。夢の景。証券取引所。
最初の政治活動に続-獄中経験が-ラ-のその後の創作活動に大き
な影響を及ぼしたことは想像に難-ないが'彼の活動の軌跡をたどる
ことが本論の目的ではない。結果的に獄中のみで書かれることになっ
「政治と文学」を探ることにする。
井本
『変転』『群衆・人間』 『機械破壊者』の三作を中心にーラ-の初期
の戯曲の意義と彼の
『群衆・人間』 について
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
汰される。総指令部が多-の学者、教授を呼んで原因と対策を研究さ
せた結果、人民を'男たちを奮起させるために「戦争意欲強化のため
の保養施設」を設置することになったらしい。要するに国営の売春宿
。等などが真剣に討
であった。その株がどんな売れ行きになるか--
議される。
パロディ-そのものである。国家や社会的経済的機構が巨大化しっ
一九
*
銀行家多数が登場。書記は夫の顔をしている。戦況の不利が取り沙
平和は戦争よりも偉大である。」
人間性は人種的な誇りよりも偉大である。
自由は専制政治よりも偉大である。
それ以上に高度な判断は期待しないのである。
れた
た
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
けが知っていて、その他の大多数が知らないことを知らせるだけでも
ずれも時代を暴-場としても使われた。それは現場にいる少数の人だ
術の大規模化に始まって、新聞の出現にせよ、映画の出現にせよ'い
のか。醜をかける方が立派な信念をもっているからという理由で、君
るがいい。幾百万の人々が椀をかけられているのに放っておけという
女性は拒否する。無名の男の考える大衆と女性の考える大衆の違いに
よる、い-度も-り返された議論。「他の物たちを、いや人生を告発す
が黙っていれば、君の罪は少な-なるのか。」結局は力でしかない政治
と'女性の考える正義のための自分の行為。無名の男も女性を説得す
死刑囚、娼婦、見張り達の「死の舞踏」。囚人の一人は「夫の顔」0
中世以来の、少な-ともペス-大蔓延以来の死の舞踏の喧燥。死刑囚
第四景。夢の景。
ない。)これはス--ンドベリが『ダマスカスヘ』で始めて用い、ゲオ
する訳は「留」となっているが、ドラマとの結びつきでは訳がなじま
ス-の受難劇に由来するもので、キリス-が様々な場面で受ける苦難
表現手段と考えるか、反って自由な表現を縛る足蜘と感ずるかは時代
ろは完結性にある。そういう形式を、無から有を生むための大いなる
の最大の特徴は起承転結性にあろう。五幕形式とか、提示部・展開部
・最高潮・破局ないしは大団円と言いつつも'その最も意味するとこ
シュタツィオ-ネン・ドラマに従来のドラマを対比させる時、後者
て概観しておきたい。
イザ-に関する拙稿で分析したが'ここでその背景や影響などについ
『朝から夜中まで』でさらに発展させたことは、カ
を表現している。その一場一場がシュタツィオ-ンであり、これに対
が叫ぶ。「我々の最後の願いを聞け。舞踏への招待を。舞踏は万物の塞
女性と夫は互いにまだ理解し合えないまま。夫は国家が妻の無罪を
第七景。独房。まず女性、夫、無名の男。
間展示場」だと説明する。神なき最後の審判。
多-の(影)、銀行家。互いに罪をなすりつけ合う。看守がここは「人
第六景。夢の景。
第五景。労働者、女性、無名の男の議論。
へ。」
ルク・カイザ-が
どと訳語も様々であるが、いまだ通訳が見当たらない。もともとキリ
式で書かれている。(これは「宿駅ドラマ」とか「段階場割ドラマ」な
『変転』『群衆・人間』はシュタツィオ-ネン・ドラマと呼ばれる形
*
本。舞踏より生まれた生は舞踏へと急ぐ。死の舞踏へ'死の時の舞踏
義」と叫ぶ。無名の男が登場して市庁舎突入と流血を呼びかける。
女性はスーライキを信ずる。「あなたは--群衆--あなたは--正
第三景。スーライキを準備する労働者。
っとグロテスクだったかもしれない。
ることはできない。
は女性に脱走を勧める。ただし看守を一人殺すことが前提と分かり、
認めたことを喜び、妻は「無罪で有罪だ」と自分を責める。無名の男
云
存在理由があった。面白おかし-する必要は必ずしもなかった。いや、
それはもともとそれが書かれた時点ではパロディ-でさえなかったか
もしれない。あるいは、事実はもっと奇なり、もっと奇っ怪なり、も
れを暴-ことは、それだけで意味があった。テレビという視覚に訴え
るもののない時代では、映画演劇はそれだけでも意味があった。印刷
つ、それが誰の目にも見えな-なって行-中で、たとえ一面であれそ
井本
は何らかの意味のある同時的現象とする考え方もある。これらも直接
一枚の平面上にい-つもの観点・視点を同時に展示して見せた。従来
れとても人類史上において完壁な意味で噂矢とは言えないだろうが)
史上何度も-り返された出来事のひとつであろう.
度欄熟して、それを相対化する新しい動きとも言えようか。これも歴
すべてを従来の形式を破壊する動きと言えば簡単であるが'もう少
し進めて'人間の認識が自然に、あるいは必然的に持つ形式がある程
的な感覚との直観的なつながりを拒否している。
のまとまりという観点からは画期的な変化に違いない。さらにマティ
にち(それを利用しただけで)縛られなかった-ラ-がドラマを書こ
により創作者により様々であろう.
しかし表現主義の時代が歴史上に何度も-り返された形式破壊の時
ス、ルオ-それにドイツでの
「ブリユッケ」派などを始めとする画家
たちは従来の色彩感覚を一挙に破壊した。それらは確かに内面性の表
うとした時、時代はまさに表現主義。政治にせよ芸術にせよ、人間の
代の一つであったことは確かである。絵画におけるキユ-ビズムが(こ
出という意味で表現主義という名で--ることができようが、観点を
営みが何度目かの大きな相対化の時期を迎えた時であった。
革命家と言ってよいであろうが、結局のところ何らのイデオロギ-
変えれば人間の視覚の直接的な感覚に訴えるやり方を放棄したものだ
ったo 対象を1つのまとまりと見て表現するのでな-、まとまりその
ものを拒否しており、したがってここでも視覚的な感情移入の放棄が
働いている。
各シュタツィオ-ンを貫-一本の糸は必ずしも考える必要はない。
少な-とも意識しない方がいい。無視し続けて、それでも最後に浮か
た方がよいであろうが)従来の調という'最有力、いや不可欠とさえ
い。それがぼんやりと一人の人間に見えてこなかったら、それはそれ
う多面体を言わば無理やり一平面に広げたようなものと考えた方がよ
り、その時その時に真剣だったそれぞれの発言を、それこそ人間とい
び上がって-る何かがあるなら、それを糸と言ってもよいが。それよ
言える表現手段をとにか-破壊してみよう'少な-とも無視してみよ
うという運動があった。しかし、転調も含めて詞という聴覚にとって
で仕方がない。作が悪いのか。観客が悪いのか。いや、両者の相性が
(これも正確には西洋の伝統音楽においてと断わっ
きわめて直接感覚的な手段が用いられなければ、少な-とも従来の感
悪かったのだろう。ぼんやりとほの見えて-ることに意味があるのだ
ろう0始めから直に見えていたものでな-、それを1応捨象した上で、
態度が要求される。直接的なまとまりは与えられないのだから。無調
それでも自分の認識に訴えかけて-る新しい像。その形成過程は作者
と観客の共同作業と言えようか。もっともそれは常に合意の上とは限
情移人的な聞き方は大幅に拒否される。聞-側にもかなり再構成的な
音楽においても
*
二一
カイザ-の『珊瑚』における「社長」は本格的な自己変革を遂げる。
らない。むしろ多いなる誤解の方が生産的だったということもあり得
よ、つ。
から何が出て-るか'それは誰にも分からない。ともか-調の破壊が
先に立った。自分が表現しょうとするものが従来の形式の枠に入り切
らないのか、それとも形式を破壊しょうとする衝動が先か。いずれの
場合もあろう.
これに自然科学における量子論や相対性原理の発展を同列視ないし
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
井本
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
が、複数の感覚をそのまま重ねただけで見せて-れるドラマもあって
ザ-のドラマをどれだけ知っていたかには直接の関係はなしに。
それは必然的な形式だったのではあるまいか。スーリンドベリやカイ
れることな-、ただ(人間)だけを求めようとしたーラ-にとって、
特に(政治)に否応なしに関わり、かつ何らのイデオロギ-に捕わ
がlつに統1される感情移入は、それはそれなりに素敵なことである
では一応従来の常識は捨てられる。光子が粒子であると同時に波動で
もあるという発想。これは新しい発想というだけで、いまだに人間の
ーラ-は初期のドラマにしばしば夢の場面を登場させる。または前
記のように、「夫」がさiMざまな姿で現われる.顔だけ同じで別の人物
として。あるいは「同伴者」を影のようにつきまとわせる。「同伴者」
--ドッペルゲンガ-の手法はカイザ-もプレヒ-も'ある意味では
の手法そのものは
かなり伝統的である。五暮形式で、しかもかなりの感情移入を前提に
している。ある意味で-ラ-の夢の世界自体のドラマ化、ユ--ピア
『変転』 『群衆・人間』に比べたら『機械破壊者』
に対立させることにはなかった-.作者にとってそれはどちらも現実で
『セチユアンの善人』におけるシュンテとシュイタであろ
問題、人間不信の問題、アナ-キ-の問題を話し合うところは『群衆・
ずる草刈りの老人からも'無頼の従たる乞食からも好かれて、信心の
のようにさえ見える。社会改革者たる若いジミ-・コベッーが神を信
プレヒ-の
実でどちらが(仮の姿)か分からな-なることが多い。一つの典型は
あった。ドラマで用いられる場合、筋が進むにしたがってどちらが現
ホ-フマンスタ-ルも好んで用いた。その最も単純な存在理由は(夢
と現実)ということになろうが、その意味するところは夢と現実を単
*
けである。
いいではないか。そういう時代だったのではないか。
前向きに生きている。た-さんの(平行)を抱えて生きている。感覚
抱えつつ、それぞれの認識を総合的に合理化することな-、とにか-
互いに矛盾する、ないしは少な-とも同調することのできない認識を
わせ)の発想はい-らでも活用して生きているのではないか。多数の
しかし考えてみれば人間は日常の社会生活では、こういう(重ね合
もそれが新しい表現であることは間違いない。
事実を(重ね合わせ)て、新しい認識を得ようとするのか。少な-と
やそもそも、人間の認識そのものが直線的、あるいはせいぜい平面的
にできていて、立体的な認識を許さないから、人はせめてい-つかの
一つの平面に無理やり押し広げて見せるための方便かもしれない。い
う。これも人間という立体的な存在を'ドラマの進行という、いわば
買
直観では解決してはいまい。二つを(重ね合わせ)て理解しているだ
生まれながらに持つ
(又は生まれて直後の感覚器形成の段階で決定的
になる)直観は、個別にはもちろん前提になるとしても、総合の段階
である。前述の絵画でも、音楽でも、演劇においてもこの点では一致
していた。新しい観点を提供した物理学でも、直接的な感覚、人間が
らの芸術的な諸状況がいずれも直接的な感情移入を拒否するのは当然
は確かであろう。少な-とも認識の段階では無理である。だからそれ
そういう多面性が直観的、ないしは直接的な感覚になじまないこと
書いた。
映画にはオムニバス形式というものがある。カイザ-はついに『平行』
と題する、(二つの筋)が最後まで交わることな-進行するドラマまで
しかし、カイザ-でもその後の登場人物はえてして日和見的である。
井本
人間』 においては
「夢の景」 に当たる。ジミ-は最終場面で裏切り者
いるのだ。そうでもしておれ達はあの男を殺した罪をあがなうつもり
「刑務所にぶち込んで-れ。おれたちは自分のやったことをみな知って
の中傷を信じてしまったネッド・ラッドも彼の真意を悟ってこう叫ぶ。
切り者に踊らされ、単なる機械破壊者として弾圧の口実を与えたに過
ぎなかったことを悟る。ジミ-の親友でありながら'ついに裏切り者
労働者たちは無頼の徒'騒真の徒として官憲に囲まれている自分たち
を発見する。乞食がほんのl一言三言しゃべっただけで、自分たちが裏
て、ジミ-の善意を理解していた乞食が登場して事の次第を説明する。
心的、精神的な息づかいのみである。」
はないし、登場人物は
(ソ-ニヤの役に至るまで)個性を強調されて
いない。『群衆・人間』のような戯曲では何が現実的であり得るだろう。
の(現実)場面は決して自然主義的な(あるがままの現実の断片)で
『群衆・人間』に関して演出家7ェ-リングに宛てた書簡が後に加筆
されて第二版への序文となったが'次のように書かれている。「これら
無傾向で永遠なものだ」とも述べている。
伝は聞-者を直接的な行動に駆り立てる力も持っているから文学以上
であり、文学は生と芸術が生まれる悲劇的な根底についての予感を与
に役立つ。それは文学以上のものであり、文学以下のものである。」宣
だ。おれ達よりはもっとものをよ-知った、もっと勇気のある、他の
そこへ一瞬遅れ
誰かが出て-るだろう。そして本当の敵と戦って-れるだろう。そし
例えば同時代のクラウス・ケンドラ-は『ドラマと階級闘争』
で『変転』を評して、劇中の幻想性は-ラ-の表現主義への逃走と述
の中傷によって労働者の激情から撲殺されてしまうO
て勝って-れるだろう。世界のブルジョワども、お前たちの王国はも
べている。そういう見方が多かったのは事実であろう。そして逆に-
ラ-のドラマは政治的なプロパガンダに過ぎないという見方も。同時
「(政治的なドラマ)か否か。おそら-そこに向かうおぼつかなき第
娼婦を蔑むな′.)」
枠内での話しである.(モッ--‥慈悲深-あれ.(同じ)人間である
「(傾向的なドラマ)か否か。傾向的とはブルジョワ的な改良主義の
のではないかと考える。
彼が政治そのものに深-関わっただけに、いっそうそれが可能になる
での政治を一応別にできるのではないか。特に-ラ-の政治と文学は
のも無意味ではないだろう。その時代のみの政治と、歴史を貫-意味
今'過去の(政治的)の持つ意味、-ラ-の政治と文学を考えてみる
代的な乱蝶を越えて、また政治が幅を利かせそうな気配の感じられる
の中
えて-れるから宣伝以上ということになる。「偉大で純粋な形式は常に
うぐらつきだしたのだぞ。」
「暴徒と革命家のこのような葛藤と衝突、人間と機械の戦いと'人間
の危機を私は『機械破壊者』において形象化しょうとした。ラッダイ
-運動の歴史の中に私は、さまざまな類似の現象を見出した。」とーラ
-は記している。彼は獄中にあっても前世紀イギリスの有名な機械破
壊運動に関する資料をかなり克明に調べることができた.
「政治と文学」 についてい-つか引用し
井本
段を使った宣伝と取り違えてはならせ心.宣伝はもっばら日々の目的
多-の偉大な芸術作品は政治的文学であるが'政治的文学を文学的手
「芸術家は命題を論証するのではな-、実例を形象化すべきである。
次に-ラ-自身が語る彼の
*
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
冒
よ、つ.
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
によっても生の(神秘)や(不条理)
は独断的な社会主義者の信じているようには完全に合理化されること
間的なものの形成へと通じる道であり限りにおいてのみ、プロレタリ
(神秘)(不条理)が先に引用した手紙の中の人間の精神生活の多様性
と近い関係にあることは明らかである。いずれの場合でもいわゆる政
治優先の文学を強-否定したことも。
分かれていた。『群衆・人間』に
政治的と一言に言っても、-ラ-の時代は国家の体制そのものが揺
らいだ時代だった。国家は意識的には少な-とも二つに(実際には無
数にと言った方が当たっていようが)
おいて、理性的な意識内では自分は労働者の側に立っていると思って
-も悪-も健在であるかに見える。
革命と、さらなる大戦での敗北を経てもなお、伝統的な市民社会はよ
台頭は決して一筋縄には進行しない。脅迫と妥協と、思い込みと錯覚
と、あらゆるものを巻きこんで行-。少な-ともドイツでは二〇世紀
なくなった現代社会とも言えようOしかしこの分離または新しい層の
の社会が厳然としてあることを知らざれた、そこに目を向けざるを得
言うより、自然主義のころからの発想で、伝統的な市民社会の他に別
人民を酷使し、圧迫し、苛責し、彼らの権利を剥奪します。」少な-と
も理想上は存在していた市民社会がここでは二つに分かれている。と
家は戦争を行い、あなたの国家は人民を裏切ります.あなたの国家は
ここでプロレタリアなる語を、現在の時点ではそのまま(人間)と
生まれるには'常に社会的、より広-言えば人間的な要因がそこに働
べるほどのものが(たとえそれが後世でしかそれと認識されな-ても)
いよう。しかし、人間の営みである以上常に他からの刺激を受けつつ
自己発展している。少な-ともある様式が欄熟して、新しい様式と呼
の芸術内の問題であろう。その限りにおいてその内部でも発展もして
技術であり、知識である。だからその切瑳琢磨、洗練熟練の過程はそ
届-範囲内の多-の民衆から受けていた。芸術はもちろんある意味で
ではなかった。あらゆる芸術は常にその刺激を、その時代時代の手の
間の精神生活の多様性が永遠に人間的なものの形成へと通じる道-ーラ-にとって最終的にプロレタリア芸術が存在し得るか否かは問題
いるソ-ニャは国家の官吏である夫に向かってこう叫ぶ。「あなたの国
ア芸術なるものは存在するのである。」
どころのないことはいぜんとして変わりありません。」ここで言う生の
生活の精神的内容を改革し、腐敗した形式を破棄するものである。(常
に何らかの意味で宗教的詩人でもある)政治的詩人の前提は、自分と、
生のように、死のよう
「プロレタリア芸術もまた究極には人間的なものに到達せねばならな
一度言おう。自らに責任を感ずる人間である。」
はないでしょう。ただ(制限)され、後退するだけで、それの捕らえ
「しかしそれ(社会建設の諸力)
一九二一年'シュテファン・ツヴァイク宛の手紙の一節にこうある。
までに政治的な時代であった。
いていた。-ラ-の場合その要因がたまたま政治であった。それほど
二四
人類的な共同体の各成員に対して責任を感じている人間である。もう
に)鋤き返したり構築したりするのではな-、(自然に)人間の共同体
(目的)の無制限さからこそ政治的ドラマが誕生する。それは(意識的
一歩であろう。(精神的な衝動と理性の強要との総合である)革命的な
井本
であらねばならないことは、私が強調するまでもないだろう。
-
置き換えても、ーラ-を理解するのに何等の支障もないであろう。人
。
い。その最深部ではすべてを包括するも・の
-
創造的な芸術家にとってプロレタリアの精神生活の多様性が永遠に人
に
ドラマでも、もちろん
『群衆・人間』 においても、圧迫されたはず
たとえ道徳的理念を断念しな-てはならな-ても、目標を達成しょう
とする。私はこの矛盾を行動を通じて体験しただけに、この矛盾はと
きがたいものであるように見える。そして、この矛盾を形象化しょう
の側の問題も当然浮かび上がる。(少な-とも表現主義のころまでは作
家は例外な-インテリであったことの必然的な結果であろうが。)
家であったことも確認されている。
えている。裁判での証拠調べ、証言からも-ラ-が非常に冷静な政治
政治家としての自分と芸術家としての自分をはっきりと峻別して考
の目で見る。」
何らかの事情がそれ自体あたかも現実に与えられた事実であるかのよ
うに振る舞う。芸術家としての私はそれらの(現実的な事実)を疑い
「政治家としての私は個人として、集団として'職務遂行者として--
が成立した。」
とする。こうして戯曲『群衆・人間』
ぶ「無名の男」である。『機械破壊者』でも、何とかして労働者を団結
させて機械破壊ではな-組織的なスーライキに持ちこもうとするジミ
『汚れた手』 でも似た
イ・コベッ-よりも、彼をインテリだと言って中傷する裏切り者に労
働者は引っ張られてしまう。サル-ルのドラマ
関係が登場する。労働者出身で今は党幹部のボディガ-ドになってい
る腕力の強い男が、青白いインテリ革命家を語間する。「おれたちは食
うものが無かったから革命に参加したのだ。お前さん方とは違うんだ0
偽善や同情はた-さんだ。」サル-ルの場合は主体が第一の問題であっ
た。主体が自分にとっての問題にどう関わるか。そういう実存的な問
題が優位を占めていた。人間同士の対立は必然的で究極的だった。し
かし-ラ-でも決して博愛万歳が幅を利かせている訳ではない。それ
(政治劇)がある時代を過ぎればほとんどの意味を喪失するのは理
の当然である。誰もが政治の流れて行-先を暗中模索しているときに
しかそれは本来の意味を持たない。だから逆に、ある時期が過ぎてか
らその(政治的)な意味を探ってみても不毛である。
味があるとしたら--
。生物の進化では(できるだけ)神の意思は視
しかし、いわゆる進化した生物とそれ以前の生物を比べることに意
た。ただ、問題をあ-まで「群衆・人間」という図式の中で考えよう
野の外に置かれる。進化の過程を可能な限り物質自体が持つ内的な理
由で説明しようとするのが科学としての進化である。
人間の内面でも行われているのではないか。個人としては正しいと認
(進歩)は肯定するにしても)行-先は誰にも分からない。た-さんな
かもしれない。生物の進化も、社会の変化も、(ご-微視的な意味での
政治や社会の変化においては、それは人間の意思と言えそうで、ま
った-そうでない面があまりにも多い。いや'ほとんどそうではない
めた道徳的理念にしたがって行動する。たとえ世界が没落しょうとも、
胃
可能性の中のどれになるか分からないのではな-、皆目分からないの
「個人と大衆の間の戦いは社会のなかでのみ演じられるのではな-、
現力をもっている。
としただけである。『汚れた手』
の観点も『群衆・人間』 におけるそれ
も、決して解決することのない問題である。どちらもが同じほどの表
を信じないだけの理由を彼は現実の政治で十分すぎるほど味わってい
*
労働者を(弱き者)と呼ぶソ-ニヤではな-、労働者を(愚者)と呼
衆・人間』 において労働者からいわゆる心情的な支持を受けるのは、
『群
それにつかえようと欲する。大衆としては社会的衝動にかりたてられ、
エルンス-I-ラ-の初期のドラマについて
井本
である。
エルンス-・-ラ-の初期のドラマについて
表現主義時代の(政治演劇)がどんなものであれ、それはまったく
その時限りのものであった。その(政治性)を云々すること自体がす
でにそれを別の時代に(当てはめよう〉とする態度につながる。表現
(政治性)はそんなものであった。
主義の政治性はあ-まで一回限りのものと見た方が生産的である。少
な-ともーラ-の
それが-ラ-が個人の意志と大衆、つまり政治を峻別しょうとした
理由だった。ドラマでは-ラ-は個人にこだわった。それも単に自由
狗--さまざまあろう。それを、あらずもがなの理想像と比べること
はもちろん、まして(当時よりも発展)した現在からそれを眺めると
何々的とはつまり例えば民主的、社会主義的、自由主義的、人道主義
か'彼の文学がどこまで(何々的)であったかを問うべきではない。
ていたかが問題なのであって'彼が両者を互いにどう反映させたかと
二大
いう視点は、政治と文学の関係を見誤るものであろう。ーラ-の政治
と文学はそれを教えているのではないか。
*
Wreke
in∽Bd.
エルンス-・-ラ-の引用は次の全集による。
Ernst
Gesamme】te
実の場面では右往左往しながら、かつさまざまな幻想を且つつ生きて
Car)HanserVer)ag)978
ーラ-があれ程の政治の中でドラマを、したがって文学をどう考え
をも見誤ることになろうO
政治や民主主義にはそのもっと幼稚な姿のみを見るのは、現在も未来
必要がある。現代の民主主義にある程度の疑問を抱きつつも、過去の
にも空想上も存在しない。」という-ラ-の言葉もそんな関連で見直す
「理想的な形態としての民主主義というものはない。そんなものは現実
れて-る。そうでない限り過去の政治的演劇を考えてみる意味はない。
前提とすることな-、変化のみに目を見据える時、新たな視座が生ま
の範囲内では、その発展の意味はきわめて疑問視されている。発展を
社会史'文化史を始め歴史研究でも(発展)概念は昨今特に極力避
けられつつある。見直されつつある。少な-とも数千年の(文明史)
表現も試みられた。
ない。シュタツィオ-ンの形式によるさまざまな平行現象の同時的な
男なるアナ-キスーも登場している。しかし彼とて決断のみの人では
いる人間だった。その姿を浮かび上がらせるためにかえって、無名の
意志を持った独立完成した個人ではな・-、多面性を持った、つまり現
To--er
井本
Fly UP