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モバイルメディアの利用と家庭・家族の構築

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モバイルメディアの利用と家庭・家族の構築
05-01013
モバイルメディアの利用と家庭・家族の構築
代表研究者
共同研究者
加 藤 文 俊
天 笠 邦 一
慶應義塾大学環境情報学部准教授
慶應義塾大学大学院政策メディア研究科後期博士課程
1. 概要
本研究は、モバイルメディアを介した家庭・家族の構築を、個別具体的を重視する仮説探索的な定性的社
会調査によって記述し、その社会的意味を考察するものである。
収入状況や家族構成等の条件が異なる全 12 家族に対して、携帯電話(以下ケータイ)注 1 を中心とするメデ
ィアの利用動向・ライフスタイル等に関する定性的調査を実施した。家庭訪問の上での半構造化インタビュ
ーや参与観察といった従来的手法に加えて、インタビューを伴った家庭内のビデオ撮影やインフォーマント
自身による生活・メディア利用記録等、一般的ではない手法も試験的に行い、その有用性を検討した。
調査の結果、複数の家庭で、血縁・地縁関係に加え、個人が歴史的に形成してきたパーソナルネットワー
クが、家族としての役割・アイデンティティの構築に積極的な役割を果していた。ケータイをはじめとする
モバイルメディアは、このようなパーソナルネットワークの維持・構築に大きな役割を果たしている。そし
て家族に、個人が持つ歴史的・趣味的・ジェンダー的な関係性が導入される可能性、すなわち家族が従来的
な家庭・家族の枠組みの外部で構築される可能性を高めている。
2. 研究背景
本論では、家族という共同体・家庭という空間における、ケータイを中心とするモバイルメディアの利用
について調査・議論する。以下では、なぜこの「家庭・家族」と「ケータイ」という 2 点を着目するに至っ
たのかその背景と、議論を進める上での問題意識について整理したい。
2-1 携帯電話の普及と日常化
現在、ケータイの日本国内契約数は 1 億契約の大台突破目前である(TCA, 2007)。総務省が行った情報通信
機器の利用状況調査(総務省, 2006)においては、ケータイの利用率が十代を除くすべての世代でパソコンを
上回っており、利用率も、ほとんどの世代で 80%を超えている。ケータイは、近年普及した情報通信機器の
中で人々の日常生活に最も溶け込んだ存在であり、多くの人の生活に欠かせないものとなっている。ケータ
イは日常生活を支える基礎的な社会インフラとなりつつあると考えられる。
このようなケータイとその社会的受容に関しては、既に様々な研究が行われている。松田(2006)が述べる
ように、ケータイが爆発的普及を果たした 90 年代半ばから 2000 年前後にかけては、アーリーアダプターで
あり既存の社会的枠組/制度の破壊的受容者であった「若者」の利用を中心にケータイ研究は行われてきた。
既存の社会的枠組みを破壊し社会的混乱を引き起こしていた「若者」に対する議論の一部としてケータイ研
究は行われてきたのである。しかし、ケータイの日常生活への浸透が進むにつれ、若者論のような特定の(な
おかつセンセーショナルな)人々に焦点を当てた研究だけでは、その社会的インパクトを正確に理解すること
は難しくなりつつある。このような背景から、2000 年頃からより日常的な生活領域、特に家族や家庭空間に
おけるケータイの利用を対象とした研究も進展することとなった。しかし、これらの先行研究は、ケータイ
による「家族関係の希薄化」に関する議論(例えば、辻,2003; 斎藤, 2005)に代表されるような、ケータイが
家族に対して与えた「一般的な影響」に関する考察がほとんどである。しかし、ケータイはそのモビリティ
や社会的受容のプロセスを考えても新規性の高いメディアである。加えて、近年人々の日常的なライフスタ
イルに関しても多様化が進んでおり、その日常生活に高度に練りこまれた「ヴァナキュラー」(岡田, 2002)
なメディアであるケータイの利用に対して、研究者の一面的な理解のみで仮説を構築し、その検証を進める
ことは非常にリスクが高いと考えられる。このような新規性の高い社会的事象に関する研究においては、本
来、個別具体的な仮説探索的調査による各事例の詳細な理解を踏まえた上で、仮説検証的調査及び研究を行
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うべきである。ケータイの日常的受容に関する研究においては、一般化を行う前提となる仮説探索的研究が
不足しているのではないだろうか。本論では、以上の問題意識に基づき、個別具体的な仮説探索的調査の実
施を通して、ケータイが日常生活の中で利用されるプロセスとその文脈の詳細な理解を試みる。
2-2 家族の変容とメディア
2-1 では、本論の主要な 2 つのテーマのうち「ケータイ」に関する問題意識の整理を行った。ここでは、
本論のもう 1 つのテーマであり調査対象となる家庭・家族に関する社会的状況と問題意識を整理してみたい。
日本において、「家族/家庭」は、広く一般的な社会的目標を実現する為の最も基礎的な機能を果たす社会
的共同体としての役割を、長らく担ってきたと言われている。(例えば 上野, 1994) 戦前の家族の社会的地
位についての議論はここでは割愛するが、戦後は高度経済成長を支える消費の場としての社会的機能を家族
は持っていた。この時代、消費を仲立ちした愛情表現によって構築・維持される成長を前提とした消費型家
族が一般的な家族モデルであり(山田, 2005)、この「豊かさ」を求める消費型家族は、
「男は仕事・女は家庭」
という消費型家族を効率的に運用する為の性役割分業体制とともに、「郊外」に大量生産されることとなった
のである。(三浦, 2000) しかし、この消費型の家族モデルは、近年の経済の低成長化によって次第に一般的
モデルとしての妥当性を失った。先述の山田はこれと期を同じくする形で、フランチェスカ・カンシアンの
いう「愛情の女性化」のプロセス(Cancian, 1987)が進行したと主張する。消費によって得られる物理的なモ
ノやサービスすなわち「結果」として表現される男性的愛情ではなく、コミュニケーションという絶え間な
い「プロセス」によって表現される女性的愛情に、家庭内で必要とされ表現される愛情がシフトしつつある
と主張したのである。
こうした家庭の変容は、家族・家庭内での実践において表象される。特に高度経済成長以後、家庭内に多
く導入されたテクノロジは、家族の関係を可視化し変容させ再生産する実践を生み出すものであると考えら
れ研究の対象となってきた。例えば、松田(2002)は、1980 年代後半の電電公社の民営化に伴うキャンペーン
CM として放送された職場から帰宅前に「今から帰るよ」と自宅に電話連絡する「カエルコール」の一般化を
取り上げ、メディアを介したコンサマトリーな「努力」によって構築・維持される家族像を見て取った。ま
た、上野(2004)はテクノロジの利用による家庭内のジェンダー的権力関係の再生産を指摘した。
テクノロジの家庭への導入は、家族・家庭の変容と不可分な存在であり、相互的な影響下にあると考えら
れる。その意味で家族の関係性や家庭空間に深く浸透したケータイは、近年の家族・家庭生活の変化と不可
分な関係であることが予想される。本論では、家族・家庭におけるケータイの利用のプロセスの詳細な記述
を通じて、両者の関係を明らかにしていきたい。
3.理論的枠組
ここでは家族・家庭におけるモバイルメディアの利用を記述していく上で、理論的枠組となる家庭内のテ
クノロジ消費に関する先行研究及び技術社会的ネットワーク関する先行研究についてまとめる。
3-1. 家庭・家族内におけるテクノロジの消費
家族や家庭といった日常的な領域におけるケータイ以外のテクノロジの利用に関しては、これまでも数多
くの研究が行われてきた。ワックマン(Wajcman, 1992)は、初期の家庭内のテクノロジ利用に関する研究を、
1.工業化の結果生産されたテクノロジが家庭内に導入される事で、家庭外から提供されていたサービスがテ
クノロジを利用した家庭内のセルフサービスに置き換わるとするポスト工業化論の議論(Gershuny, 1978)、
2.愛情表現としての家事労働を家庭内へのテクノロジの導入が再生産し、家庭内における性役割の不平等が
拡大するとするフェミニズムの議論(Oakley, 1974; Cowan, 1983)、以上の 2 つの流れに整理した。これらの
議論は、それまでブラックボックスとして扱われてきた一般家庭内のテクノロジの生産・消費活動を学問上
の枠組みに乗せ、再評価し、議論の対象とするという意味で大きな役割を果たしたといえる。一方で、これ
ら初期の研究成果には、言外に公的な領域としての経済・社会システムと、それに「従属する」私的領域と
しての家庭空間という二項対立的枠組が存在している。その中で描きだされていたのは、公的社会の変化・
技術的革新により変化がもたらされる受身的な私的領域としての家庭/家族であり技術決定論であった。しか
し、公的社会で形成された技術は、このように一方的に私的領域の構造を決めるものではない。フィッシャ
ーがアメリカにおける固定電話の普及過程の研究(2000)で示しているように、私的領域での利用の中で形成
された意味が、公的領域における技術全体の意味を変革することもある。シルバーストーンら(Silverstone,
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1992)は、このようなメディア・テクノロジの利用における私的領域と公的領域の相互関係と家庭内における
消費のサイクルを家庭内のテクノロジ消費モデルとしてモデル化した。シルバーストーンは、テレビの視聴
研究(例えば、Morley, 1986; Spigel, 1992)の中で発展してきたメディア・テクノロジの意味を構築する文
脈としての「家庭・家族」という概念の拡張を行った。そして、1. 公的世界で生産されたテクノロジは、購
入と家庭内の利用・設置によって「ドメスティケーション」すなわち家庭内独自の意味を付与され「消費」
される。2. その付与された意味は、家庭内での表出・利用を通して改変・維持・再生産される。3. 構築さ
れた意味が家族の構成メンバーの公的領域における活動により公的領域に流通する。というサイクルを提案
したである。
本論では、上述した社会と技術の相互構築・公的領域と私的領域の連続性を前提とするシルバーストーン
の議論を下敷きに、それを批判的に検証しつつ議論を進める。ケータイは、家族・家庭外への接続性という
意味でこれまで家族・家庭に導入されてきたテクノロジと異なる性質を持っている。この理解を前提に、高
い外部との接続性とパーソナル性を持つケータイの消費にも既存のモデルが適用可能か検討を行いたい。
3-2. 家庭・家族と社会技術的ネットワーク
3-1.では、メディアの利用における家族と家族外部との関係性についての理論的枠組を議論した。しかし、
ケータイの利用とそれを介した家族・家庭の構築、アイデンティティの獲得を理解する為には、内部と外部
の関係性という大枠の枠組を理解するだけでは十分ではない。ケータイの利用によって進行する個別の状況
やプロセスを理解する為の枠組みも重要なものとなる。
この点において強調したいのが、ケータイのメディアとしての特性が家族の実践の形を変容させる訳でも
なければ、家族のあり方がケータイの利用実践の形を規定している訳でもないという点である。例えば、家
庭・家族内でのケータイの利用について「主婦」の利用を焦点に先駆的な研究をおこなった土橋(2006)は、
その仮説探索的な定性的調査の結果から、ケータイと家庭内に存在する既存の性役割分業体制の強化との関
係性を指摘した。しかし、同時に土橋は、ケータイが持つメディアとしての特質がこのような結果をもたら
した訳ではないことも強調する。家事をしながら、家事の合間に利用できるケータイの特性が、従来から家
庭内に存在した性役割分業規範と結びつき、その解として、ケータイを介して断続的に家族をマネージメン
トする母親を生み出したと考えたのである。伊藤・岡部(2006)はこのような社会的な関係性と技術的な特性
が相互に構築し合う状況を、「技術社会的な状況(Techno-social situation)」と呼び、その布置の理解の重
要性を指摘した。ケータイの意味や家族のあり方は、家族・家庭のメンバーが行う実践によって動的に形成
される人・モノ・メディア・技術によるネットワークの関係性の中で明示化され、構築されるものであると
考えられるのである。
本論でも、ケータイと家族・家庭との関係を他のアクターとの関係の中で相互構築し合うものとして捉え、
議論を進める。そして、どのようなプロセスを経て、どのような価値体系や歴史性に基づき、どのような布
置のネットワークが形成されるのか、詳細な探索的調査と記述によって明らかにしていきたい。
4.研究目的・リサーチクエッション
以上の問題意識を元に、本論では、ケータイを利用した実践によって構築される家族・家庭の社会技術的
ネットワークの布置の記述を行う。更にその布置の中で、家族のメンバーがどのように家族としての役割・
アイデンティティを獲得し、仕事や趣味などで発生する他の役割・アイデンティティとの衝突・交渉をマネ
ージメントしているのか、そのプロセスの理解を図りたい。
5.研究手法・調査概要
以上の目的を達成するため、本論では、個別具体性を重視する仮説探索的な定性的調査を行った。家族・
家庭生活の現場から得られる知見を重視する為、
インフォーマントの自宅を訪問の上、各種調査を実施した。
なお、インフォーマントのプライバシーには最大限留意した。本論の記述においても、氏名はすべて仮名と
し、個人の特定が出来ない形での情報の開示に努めている。調査の概要は以下の通りである。
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・全 12 家族
インフォーマント
…年収、労働形態、家族形態にばらつきが出るようリクルーティング。
…関東圏在住者、中心となるメンバーに子どもがいる家庭に限定。
→ 12 家族のうち、外部との関係が特徴的であった 6 家族に追加調査を実施。
・家庭訪問及び参与観察と家庭の状況の記録。(ビデオ・写真撮影)
調査手法
・半構造化インタビュー(1 時間半/人、13 歳以上のメンバーに実施、録音有)
・コミュニケーションダイアリー(伊藤・岡部, 2006)
・家庭内のマインドマップの執筆。
分析手法
注意事項
・獲得したテクスト(音声・映像・写真)をトランススクリプトの上コーディング
→ 特徴的な行動や、コンセプトの抽出を図る。
インフォーマントのプライバシーには最大限の配慮をし、本論における記述において
も、個人の特定が出来る形での情報の開示は行わないよう編集した。
表 1. 実施調査の概要
5-1.調査上の工夫
家族・家庭という私的領域での調査においては、
その実施の上で以下の 2 点の問題点があると考えられる。
1.非常に私的な空間であり、調査者にとって継続的なアクセシビリティを得るのが困難な対象である。2.
インフォーマントにとっても過度に日常的であり、改めてその様子を思い起こすのが困難な対象である。こ
のような対象から、日常を記述するために必要な生活に関する詳細で文脈的な情報を獲得するため、新規性
の高い手法も含めて以下のような工夫を試みた。
(1) 家庭に対するマインドマップの執筆/ビデオ撮影を伴うインタビュー
インフォーマントにとって調査の対象となる家庭空間は、日常的な生活空間であるが、調査者にとっ
ては、ほぼ初見の空間となる。このような調査対象に対するギャップを可能な限り小さくする為、イン
フォーマントに家庭内の地図を描いて貰った上で、それを相互に参照し、互いの認識を一致させながら、
インタビューを行った。また、ビデオを撮影しながら家の中を案内してもらい、その流れの中でインタ
ビューを試みるなど、調査者とインフォーマントで可能な限り、話題の対象を共有するよう心掛けた。
以上のような工夫は、日常的な家庭空間に対してインフォーマントが改めて振り返りを行う契機を与え
る意味でも重要であったと考えている。
図 1.撮影したビデオのスクリーンキャプチャ(左)とインフォーマントが描いた図の例(右)
(2) コミュニケーションダイアリーの執筆
インタビューだけでは理解することの難しいケータイ利用や日常生活の詳細で文脈的な情報を獲得
するため、追加調査を行ったインフォーマントに対しては、ケータイのメール・通話等の利用履歴の記
録を行うコミュニケーションダイアリー(伊藤・岡部, 2006)の執筆を依頼した。この記録を、半構造化
インタビューの素材として利用することで、より詳細なケータイ利用状況・日常生活の把握を試みた。
(3) インフォーマント自身の手によるカメラ付ケータイを利用した生活の記録
調査者がアクセシビリティを持たない日常生活の記録を行うため、1 つの家庭では、インフォーマン
トが所持していたカメラ付ケータイを用いて、その生活の記録を依頼した。撮影した写真はメールに添
付して所定サーバに送られ、調査者と共有された。この試みでは、インフォーマントによって記録の頻
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度が大きく異なり、そのマネージメントの難しさが問題となった。しかし、積極的に参加するインフォ
ーマントの場合、その生活の様子をインタビュー等で想起し共有する上で非常に有効な資源となった。
図 2. インフォーマントが撮影した写真の例(文字はその写真を送ったメール表題とタイムスタンプ)
(4) 固定カメラによるリビングルームの定点観測
(3)と同様の理由から、リビングルームに固定のビデオカメラを設置し、その様子を記録・観察した。
しかし、こういった「すべて」を記録する手法は、私的意味合いの高い家庭という空間において、イン
フォーマントに受け入れられず、1 家庭のみの実施となった。また、その映像という情報量の多さゆえ
に分析も困難であり本論においては十分に活用することができなかった。
4-2.探索的理解
研究の初期段階においては、家庭空間の内部や、家族メンバー間におけるコミュニケーション実践に焦点
を当て、記述・解釈を行ってきた。しかし、そのような試みの中で、家庭・家族内部に存在するアクターや
内部で完結するネットワークだけでは説明できない夫婦の役割関係などに直面することとなった。そこで、
本論では家庭・家族の内部の構造だけに囚われず、家庭・家族とその外部との関係性について、積極的に記
述・解釈を進めることとした。このような家族がその外部と構築するネットワーク構造と、役割分担・アイ
デンティティの関係性については、社会学的ネットワーク研究の先駆者である Bott(1955)が、扱ったテーマ
でもある。本論でも、彼女の議論を積極的に援用しつつ、記述・解釈を進めたい。
5.調査結果と考察
以下では、12 家族のうち、特に夫婦間の役割分担と、家族と外部の関係性に特色があった 3 家庭の記述を、
それぞれの比較を行いながら進めることとする。調査結果の探索的理解の中でも、ケータイの利用文脈を理
解する上で家族内における役割意識と家族の外部との関係性は鍵となるコンセプトであった。そこでここで
は、この 3 家庭を記述の中心としたい。以下は、記述の中心となる 3 家庭の概要である。
夫婦の構成
子どもの構成
就労形態
世帯年収
居住形態
小川家
夫-俊輔:30 代前
妻-優子:30 代前
2 名:
0,3 歳(男性)
夫:研究者
妻:専業主婦(産休中)
600 万円台
持ち家
二世帯住宅
内田家
夫-一彰:30 代中
妻-由香:30 代中
夫:教員
妻:教員
900 万円台
田中家
夫-洋介:40 代中
妻-育枝:30 代中
3 名:
2,4,6 歳(女性)
3 名:
2,8 歳(男性)
6 歳(女性)
夫:会社員(サービス業)
妻:病院関係
900 万円台
表 2.記述の中心となる 3 家庭の概要(氏名はすべて仮名)
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持ち家
二世帯住宅
持ち家
下世帯は夫の
兄/親世帯
5-1. 小川家の事例:明確な性役割分担と外部ネットワークを介して構築される「母親」
小川家は、都心から一時間圏内にある郊外都市の二世帯住宅(玄関別)に暮らしている。夫の俊輔は 30 代前
半の研究者で、同じく 30 代前半の妻の優子は現在 3 歳と 0 歳の男の子の育児と家事をこなす毎日だ。優子は
産休中で、家が生活の基盤となっている。一方俊輔は、論文の執筆などで忙しく、関係先の大学と自宅とを
自家用車を使って行き来する生活である。小川家には 2 台自動車があり、車がないという理由で互いの行動
が縛られることはない。俊輔は在宅作業も可能だが、最近は子どもの賑やかさもあり、よい作業環境を求め
て職場の研究室で仕事に打ち込むことが多い。俊輔には家に独立した部屋もある(妻は寝室の納戸を自室代わ
りに使っている)。基本的には妻が家の管理はしているが、自室だけは俊輔が自己管理をする。
初回調査時は、
冷房が効く部屋がリビングしかなかった為、自宅での仕事はリビングで行っていた。しかし、その後は自室
にて仕事を行う機会も増えたと語っていた。夫婦の外出時の連絡手段は、主にケータイのメールで、内容は
事務的なものがほとんどだ。緊急時だけケータイの通話を行う。優子にとって、俊輔とのメールは 1 日のメ
ール量の 1、2 割である。俊輔/優子の双方にとってメールに対するレスポンシビリティはそれほど高くなく、
緊急時以外、返信が遅れてもあまり気にしていない。これらのことから、俊輔の仕事領域は、比較的家族や
家庭といった領域から切り離されている様子が見て取れる。一方で、俊輔は仕事のみに注力している訳でも
ない。優子は「(子育てや育児に)よく協力してくれる」と語っており、夫の家事・育児への参与も確認でき
る。しかし、この参与は、あくまで家事・育児の主要な従事者としての優子の存在が前提となったものであ
る。優子は、俊輔の協力について、風呂掃除とゴミ捨ては「いるときに」
「やってくれたりする」もしくは、
自分が体調を崩したときに「こっそりやってくれる」と語っており、俊輔の家事・育児への参与は優子の補
完的な側面が強い。このような明確な家事/育児と仕事という役割分担とそれぞれへの「協力」体制は、ケー
タイの利用でも確認出来る。優子は子どもの小さなイベント(初○○など)の際、俊輔に写真付メールを送る
と語っていた。俊輔はそれをネタに帰宅後子どもに話かけることもある。そこには妻から「供給」される子
ども情報と、それを利用し妻に協力する(もしくは協力をネグレクトする)夫の姿が見てとれる。
優子のケータイでのメールは、こうした全体の 1,2 割を占める俊輔とのメール以外は、ほとんど「ママ友」
とのメールである。平日、優子は基本的には家で子どもと 3 人で過ごす。しかし自身で「外が好き」と明言
することもあり子どもたちを連れた外出も多い。その外出の受け皿になっているのが育児サークルや育児に
関わる妻の個人的な友人関係である。優子は、こうしたママ友とケータイメールを使って、一緒に「おでか
け」する機会のコーディネートや、育児サークルのマネージメントを行っている。優子はこのような育児サ
ークルに少なくとも 3 つ所属している。関係性も大学や昔の職場の友人からママになってからの友だちまで
多様である。優子はこのようなネットワークから子育てに関する知識を得ている。加えて、愚痴のこぼし先
や大人の他者から「母親としての熟達の実感」を得る場所としてもこれらのサークルは機能している。
強調したいのが、優子の育児サークル・ネットワークは必ずしも、物理的な近接性に依らない点である。
近くに同年代の子どもがいないという郊外地区特有の事情もあるが、優子が所属している「演劇を子どもと
見るサークル」は子育て前からの友人に誘われたものであり、その会合も近所の公園ではなく、それぞれ自
家用車でファミレスに集まって行われる。こうした妻のパーソナルネットワークに起因するコミュニティに
夫である俊輔はアクセシビリティを持たない。一度参加しようと試みたが、「波長が合わず」断念してしまっ
た。ケータイというパーソナルなツールによって維持され、しかも、個人の趣味や歴史性・ジェンダー性に
起因するコミュニティは、それらの共通項を持たない他者に対して一定の参入障壁を持つのである。ゆえに
夫である俊輔は、これらのコミュニティを中心に行われる「(母)親としての実践」に参与できず、結果、「箱
根旅行に五世帯(一緒に産休中の同僚)みな父親抜きでいく」「ピューロランドに父親抜きで友だち一家と車
三台連ねていく」といった。「父親抜き」のレジャー/子どもとの非日常的体験という実践が、小川家では生
まれていると考えられるのである。
5-2. 内田家の事例:
「親」になるための分担と分担ゆえの役割の衝突
上記で記述した小川家は、夫のみが外部で労働するという「夫は外で仕事、妻は家で育児」という就労形
態をとっていた。以下では、共働き家庭におけるケータイ利用と育児実践を詳細に記述してみたい。
内田家は、関東地方の地方都市に住む 5 人家族である。玄関のみ共用する二世帯住宅に夫の両親と暮らし
ているが、別棟でありまだ両親は働いている為、限定的な交流しかない。(2 回目の調査時には夫の父親は定
年退職していた。) 三十代前半で教師をしている夫の一彰と、同じく教師として働いている夫と同い年の妻、
由香、加えて二人の子どもである 6 歳、4 歳、2 歳の 3 姉妹が家族のメンバーである。世帯年収は 900 万円ほ
どで、二人とも地方公務員である為、一彰と由香の収入はほぼ同額である。家計も 2 人から同額ずつ拠出さ
れる家計用の口座によって管理され、それ以外の収入はそれぞれが独立した口座で管理し利用している。家
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事の役割分担に関しても話し合いで妻は掃除と料理、夫は洗濯と子どものお風呂/寝かしつけといった具合に
かなり細分化されその通りに実行されている。一日の流れも、
帰宅時間による変動以外はかなり定式化され、
育児と仕事と家事の効率的な両立を図るべく夫婦で話し合っている。内田家の夫婦は互いの独立性を尊重し
ており、家族をめぐる諸側面で夫婦が平等で均質な役割をこなすことを目指している。いわば、「親」という
同等の役職に性別と性格が違う平等な 2 名が付いている状況である。ケータイ利用に関しては、由香の利用
量の方が多い。由香は実母や実姉妹など親族との連絡や、職場や学校時代の友人、夫との連絡など幅広い相
手に対してケータイを利用している。一方一彰は、職場関係の連絡と妻との連絡にほぼ利用が限られており、
家ではバックの中にケータイを放置している。夫婦間ではメールで 1 日 2, 3 通、通話は多くて 1,2 回と程度
とそれほど頻繁でない。加えてそのほとんどが娘の幼稚園の迎えなど、家事・育児の調整である。
幼稚園の迎えは、原則どちらが迎えに行くという事も決まっておらず、「先に仕事が終わった(終わる目処
がついた)方が迎えに行く」という決まりになっていた。その為、どちらも仕事が終わらない場合、ケータイ
を介して「どちらが迎えに行くか」という「駆け引き」が盛んに行われることになる。しかし、状況によっ
て、この駆け引きは逆の形になって発現する。互いに休日になると、ケータイでの連絡を介して夫婦でどち
らが子どもに迎えに行くか競い合うのである。こうした行為の多義性から解釈されるのは、仕事と家庭の両
立に苦心し「対等」な関係の中で限られた「親」としての役割を競い合う夫婦の姿である。
こうした競い合いの中における「親」としての役割獲得においては、小川家における「育児サークル」の
ような外部コミュニティとの関係性が非常に重要な要素となる。小川家と同様に由香はケータイを積極的に
活用し、育児という実践を共有し、子どもと一緒の時間を過ごすことの出来る外部コミュニティを、複数抱
えていた。しかし、夫の一彰は、このような子どもと体験を共有できるコミュニティを、二世帯住宅の別棟
に住む自らの両親しか持っておらず、妻が持つコミュニティに対してもほぼ接点を持たない。さらに、内田
家の子どもたちは、みな女の子であり、男性である一彰とは遊びを共有できないというハンディもある。こ
の差異は、互いの育児に対する満足感と行動力の差となって現れる。内田家の夫婦は、インタビューにおい
て共に子どもと接する時間の少なさを嘆いていたが、この不満に対して妻は、積極的に子どもと過ごす時間
を増やそうと、ディズニーランドに行く、料理を一緒に行うなど行動を起していたのに対して、夫は、不満
を言うものの具体的な行動に移せず、趣味の車やラジオに代わりの満足感を求めていた。内田家の妻は育児
実践の基礎となるコミュニティを持つが、夫にはそのようなコミュニティは存在しないのである。
5-3. 田中家の事例:地縁的ネットワークに支えられる家族
パーソナルネットワークが「家族の構築」に対してもたらす影響は、地縁的なコミュニティに支えられて
いる家族との比較の中で更に浮き彫りになる。都内の下町に住む田中家は、40 代半ばのサービス業に勤務す
る夫洋介と 30 代半ばで病院関係の仕事に就く(2 回目の調査時はキャリアアップの為、医療関係の学校に通
っていた)妻育枝、更に小学生の長男、長女、幼稚園に通う次男の 5 人家族である。3 階建ての住居の 3 階に
暮らしており、2 階には夫の兄世帯が、1 階には夫の両親が暮らしている。2 人とも休日は不定期であり、特
に夫は毎日帰りが 23、24 時前後になるほど忙しい。ゆえに家事や育児は、互いが出来るときに出来ることを
するかなり柔軟な分担性となっている。休みが被らないこと・夫婦が一緒に家にいる時間が少ないこともあ
ってか、田中家には内田家のような互いの役割を巡る競争は明確な形では存在していない。夫がサービス業
ということもあり、日中ほとんどケータイに出られないことから、夫婦間のケータイのやり取りもほぼ行わ
れない。育児・家事を巡る調整は、ほぼ家に居るときに対面式で行われ、緊急時は下世帯に住む夫の両親に
連絡することになる。
また、田中家においても妻の育枝は、先に紹介した 2 家庭と同様に、ケータイを積極的に活用し構築した
パーソナルネットワークを基に、子どもとの実践を創り出していた。対して夫の洋介は、休日になると子ど
もを家の前の路地や近くの公園で遊ばせるだけであった。しかし、この地域では路地や公園にいると同世代
のこどもが前を通りかかり、通りがかりの大人には近況を尋ねられる。(実際、調査者が調査終了後にインフ
ォーマントと子どもたちと外に出ると、上記のような状況とコミュニケーションが生まれていた) 妻も近所
で子どもを遊ばせていることもあり、このようなネットワークには当然参与している(参与せざるを得ない)。
結果として、この夫婦は非同期にではあるが、ネットワーク・コミュニティを共有し、育児実践を行ってい
る。この点が、田中家が内田家と決定的に異なる点である。このような共同体の共有により、夫と妻は競争
しながらではなく協力しながら、それぞれの親としての役割を獲得していると考えられる。
5-4. 記述のまとめ
田中家の夫婦が参与しているような機能している地縁的なネットワークには、趣味性やジェンダーを基礎
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にした大きな参与障壁は存在しない。むしろ、そこに住んでいるだけでネットワークに参与させられるある
種の「強引さ」が存在する。故に地域ネットワークの中では夫婦が共にアクセス可能な実践が行われること
になる。しかし、個人が歴史的に形成してきたパーソナルネットワークに参与する為には、趣味性・歴史性・
ジェンダー性など非常に多くの障壁が存在する。このようなパーソナルネットワークが、家族を構築する上
でのアクターに加わることで、家族における役割を実現する為の実践がメンバー毎に独立した非連続なもの
となっていると考えられる。すなわち、従来家族的な役割・価値観であったものが、家族の枠組の外で構築
されることになるのである。しかし、その社会的意味は、家族が形成するネットワークの布置の差異により、
夫婦の性役割分業体制の強化や、夫婦間の親としての競争関係の促進等まったく異なったものとなっている。
6.結論
ケータイの積極的な利用は、
「家族をする」という実践が従来的な家庭・家族の内部に完結することを難し
くしている。家族の各メンバーが持つ排他的なパーソナルネットワークが、家族の構築実践と深く結びつく
ことで、家族・家庭における価値体系は分離し複層化する。家庭は、そういった異なる価値体系のより直接
的な衝突と調整の場となっていると考えられる。
従来、家庭・家族という領域は、公的社会における価値体系とは異なる独自の私的な価値体系を持った独
立した存在であると考えられてきた。先行研究で紹介した Sivlerstone のメディア消費モデルもこのような
公と私の二項対立的枠組みを前提とし、
両者の限られたインタラクションを想定したものであった。しかし、
ケータイの利用を前提とした本研究における調査からは、このような単純な 2 項対立的な構図ではなく、も
っと複層的で複雑な家庭・家族ネットワークの構造が浮き彫りになる。家庭・家族は、その内部で行われる
実践に加えて、特有の歴史性・趣味性・ジェンダー性を持った既存の家族の枠組みに納まらない共同体を基
盤とした実践が複合的に組み合わされることによって構築されている。このような共同体の存在により、家
族は家庭の外部に漏れ出し拡大すると同時に、その内部においては、アプリオリにそこに存在する訳ではな
い、より相対的な存在として浮かび上がるのである。
本論における議論は、
制度としての家族を否定するものではなく、
あくまでローカルな実践レベルでの人々
のメディア消費の理解を目指したものである。ゆえに個別具体的な記述を中心とした議論であり、一般論を
語る為にはその為の方法論に基づいた議論を待たねばならない。しかし、一般論を語る上での可能性も見え
にくい多様な社会において、本論のような現実の可能性を探求し議論する研究にも一定の価値があるものと
確信している。本論で得られた知見が今後の家族・メディア研究の一助となれば幸いである。
6.謝辞
本研究を実現する機会を頂いた電気通信普及財団殿に深く感謝いたします。また、負荷の高い調査に最後
までお付き合い頂き、本研究にご協力いただいたインフォーマントの皆様にも厚く御礼申し上げます。
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(注 1) 現在、携帯電話は、機能的にも社会的にも単なる「電話」を超えた役割を持っている。ここでは、
携帯電話の持つ様々な側面を複合的に指し示す言葉として、近年一般的にも利用される「ケータイ」という
言葉を用いることにする。
〈発
題
名
育児活動をめぐるメディア消費と家族の構築
表
資
料〉
掲載誌・学会名等
情報社会学会誌 vol2. no2.
32
発表年月
2007, 6
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