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外務省 総合職採用案内 - Ministry of Foreign Affairs of Japan

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外務省 総合職採用案内 - Ministry of Foreign Affairs of Japan
を紡ぐ、
合同庁舎2号館
日比谷線
警視庁
国土交通省
法務省
裁判所合同庁舎
霞ヶ関駅
丸ノ内線
A4出口
外務省
●
A8出口
農林水産省
●
国会議事堂前駅
経済産業省
財務省
MINIS TRY OF FOREIGN AFFAIRS
千代田線
虎ノ門駅
外務省総合職採用については
銀座線
〒100-8919 東京都千代田区霞が関2-2-1
Tel:03-3580-3311
(代)
(内線:2197)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/
外務省
太 陽 の 沈 まな い 職 場 で 、
日 本 を 代 表し て
未 来を創る。
新 たな 歴 史 が 動くとき。
そこには 、あなた の 活 躍 が あります 。
メッセ ージ
日本 の 歴 史 の ペ ージを
03
開き続 ける外 務 省
日本 の 安 全と
繁 栄を守 るた め
−政 策 立 案 のブレーンたち
「外交」の目的は、国際社会の中で日本の安全と繁栄を確保し、国民の生命と財産を守ること。
それは、
「 国家」の存在意義そのものと言っても過言ではありません。
相互依存が深まる世界の中で、
日本の将来は、国際社会全体の未来と不可分に結びついています。
その中で、いかに日本が国際社会の一員としての責任を果たしつつ、
自国の利益を追求していくか。
安全保障や経済外交、情報収集、国際的なルールメイキングへの参加や交渉、海外の日本人の保護、
日本の正しい姿の発信などに努めるか。
尽きることのない困難かつ多様な課題に対応すべく、外務省は昼夜を問わず日々業務を行っています。
外務省は、1869年(明治2年)
に創設されて以降、名称を変えることなく現在まで日本の外交の歴史を紡いできました。
古くは、明治の英傑と呼ばれた人々が躍動し、数々の歴史を変えてきました。
そして現在に至るまで、国のために尽くす情熱と使命感、それを支える知性、
人間としてのタフさと誠実さ、更には、あくなき向上心を持った外交官たちが立ち止まることなく成長しています。
これからは、みなさんの時代です。外務省という
「太陽の沈まない職場」で日本の代表として、未来を創る。
そんな壮大なスケールの挑戦が待っています。
05
外交の最前線で
日本を体 現 する
−現 場 主 義 の 外 交 官 たち
みなさんは外務省の仕事と聞いて、
どんな内容を想 しますか?
01
11
世 界を舞 台 に 活 躍 する
女 性 職 員 たち
15
政 府 の 中 枢を支 える
外 務 省 出 身 者 たち
17
キャリアパス
19
国 際 機 関 で 活 躍 する
外 務 省 職 員 たち
27
そして 、未 来 は
新 世 代 へ 託される
−在 外 研 修 員 の 声 の 声
29
外 務 省 の 組 織と機 構
31
外 務 省 Q & A・採 用 情 報
33
採 用 担 当 からのメッセ ージ
34
MINISTRY O F FO REIGN AFFAIRS
01
02
日 本 の 歴 史 の ペ ー ジを 開き続 け る 外 務 省
国際社会における日本 国 及び
日本国 民の利 益の増 進のために
外 交の最 前 線
現在、私たちを取り巻く国際社会は、
グローバル化と技術革新が進み、経済の相互依存が強まる一方で、
在外公館
国際社会におけるパワーバランスが変化し、非国家主体による脅威が顕在化するなど、
日々刻々と変化を
続け、私たちに新たなチャンスとリスクを生み出しています。
そのように激動する国際社会の中で、今、私たち
世界139カ国・207公館
(大使館・総領事館・代表部)
が当たり前のように享受している安全と繁栄を守り、未来につなげるため、外務省は、外交政策を企画・立
案し、世界中に張り巡らせた在外公館のネットワークを通じて外交の最前線で日々活動しています。
歴 史と共 にある外 務 省
情 報 収 集・分 析
外務省の敷地内にひっそりとたた
ずむ石像を御存知でしょうか。明
「外務本省」
では、外交政策を企画・
治期の日本外交の最大の課題の
立案して日本外交を推進しています。
一つであった欧米列強諸国との
海外拠点である
「在外公館」
では、本
指示
不平等条約改正に向けて、駐米
公使、
そして外務大臣として活躍
的に様々な外交活動に取り組んでい
した陸奥宗光の像です。
同じ外務
ます。
省出身で、戦後日本のめざましい
発展の基礎を作ることとなったサ
ンフランシスコ平和条約の締結に
尽力した吉田茂首相が発起人と
なり、現在の像は建てられていま
す。外務省が日本の歴史と共に歩
んできていることを実感させてく
れる場所です。
外務省の沿革
1869年8月15日
(明治2年7月8日)
です。
この日、
日本政府は
「職員
令(しきいんりょう)」
を制定し官制を改革しました。
その結果、太政
官(だじょうかん)
のもとに設置された6省の一つとして外務省が設
置されました。以来現在に至るまで、外務省は、
日本外交の政策立
案・実施の中枢として機能してきています。
外務省の任務
外務省の任務は、外務省設置法で以下のように規定されています。
03
省の意向を受けつつ、24時間精力
外 交 政 策の実 施
報告
司令 塔
外務省(本省)
霞ヶ関
外 交 政 策の企 画・立案
外交の最前線で日本を体現する
−現 場 主 義の外 交 官たち
日本の安全と繁栄を守るため
・アジア
11
−政 策 立 案のブレーンたち
・アフリカ
12
・国 際 機 関
13
・中東
14
・安 全 保 障
05
・経 済 連 携
06
・マルチ外交
07
・国 際 協 力
08
・国 際 法
09
・朝 鮮 半 島と安 全 保 障 1 0
大使館
総領事館
政府代表部
「外務省は、平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに主体
通常、相手国の首都に置かれ、
日本政府を代表して相手
通常、首都とは別の主要都市に置かれ、 日本政府を代表し、
国際機関に対して外交活動を行う機関。
的かつ積極的な取組を通じて良好な国際環境の整備を図ること並び
国政府との交渉や連絡を行います。
また、政治・経済その
その地方の在留邦人の生命・財産保護、 2014年1月現在、
国際連合日本政府代表部
(ニューヨーク)、
に調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本
他の情報収集・分析、
日本を正しく理解してもらうための
通商問題の処理、政治・経済その他の情
在ウィーン国際機関日本政府代表部、在ジュネーブ国際機
国及び日本国民の利益の増進を図ることを任務とする。
(
」第3条)
広報文化活動、邦人の生命・財産の保護なども行います。
報収集・広報文化活動などを行います。
関日本政府代表部など、9つの政府代表部があります。
04
日 本 の 安 全と繁 栄 を 守 るた め −政 策 立 案 の ブレーンた ち
安全保障
経済連携
日本の安 全を守るための日米外交
■ 本省
■ 本省
北米局日米安全保障条約課 課長補佐
経済局経済連携課 課長補佐
村上 学
木戸 大介ロベルト
MURAKAMI , Man ab u
2001年入省
2005年 在スペイン日本国大使館 二等書記官
2008年 大臣官房広報文化交流部文化交流課
2009年 総合外交政策局人権人道課 課長補佐
2010年 北米局日米安全保障条約課 課長補佐
2011年 大臣官房人事課 課長補佐
2012年 宮内庁 侍従
2013年 現職
2014年 現職
外 交 官は「 国 際 社 会 」
を主 戦 場に
「国益」
を勝ち取るエキスパート
外務省員として培うべき専門性、
それは、
国々の利権が絡み合う
「国際社会」
という戦場で日本の国益を勝ち取れるよう
「個」
のスキル
を常に向上させるということだと思います。
そして、
1つの分野に精通
する余りそれに固執してしまっては、
柔軟な頭で政策を遂行できませ
ん。
単に軍事の知識を積み重ねれば良いというものではありません。
経済、
国際協力、
広報文化など幅広い業務に携わり、
視野を広げる。
外務省におけるキャリアは、
時間のかかる、
まさに一生のチャレンジで
すが、
真の安全保障のエキスパートへの近道ではないでしょうか。
日米同盟の歴 史 的 瞬 間の現 場から
ます。我々の役割は、
そうした
「違い」
を理由に争うのではなく、
「違
い」
を理解した上で歩み寄り、
いざという時に備える、
そうした信頼
や二国間会合の場で議論するのですが、各国の利害や事情は複
戦後、我が国は、
日米同盟を基軸とした盤石な安保体制を維持・
雑に絡まるこのような場で、利己的な主張のみを押し通すことはほ
ならない。一連の業務を通じて肌身で実感しました。
強化する一方で、
自由貿易体制の下で貿易立国としての道を歩
歴史と向き合うことも大切です。戦後日本の外交・安全保障に
とんど不可能です。
そのような現場で外交官に求められるのは、
そ
み、現在の豊かな社会を築き上げてきました。我が国の繁栄は、
こ
ついては、
その基軸である日米同盟なくして語れません。先人たち
れら多種多様な利害対立や制約を踏まえ、
自国を含むすべての交
のようにして築かれた諸外国との緊密な経済関係に根差している
の苦労や努力は、
膨大な資料の山となって残っています。時には古
渉参加国にとって利益となる仕組みを作り出す構想力と粘り強さ
といっても過言ではありません。
です。
近年、世界の貿易競争はむしろ激化しています。WTOドーハ・
豊かで安定した世界があってこそ、我が国の製品やサービスが
ラウンド交渉が停滞する中、主要国は二国間の自由貿易協定(F
大いに求められ、
かつ、食料やエネルギー資源を十分に確保でき
TA)
に加え、
メガFTAと呼ばれる広域な貿易圏を形成しつつあ
ます。
すなわち、
貿易立国である日本の繁栄は世界の繁栄の中にこ
るのです。
そのような中、我が国としても、有利な貿易・投資環境を
そ見出されるわけです。世界屈指の経済力を有するとともに、民主
確保し、成長著しい新興国の活力を我が国の成長に取り込むた
主義を始めとする普遍的な価値を諸外国と共有する日本は、国益
めに、経済連携協定交渉を積極的に推進することとし、2015年7
を追求しつつ世界を良くしていく気概と能力がある稀有な存在な
月現在までに15の国・地域との経済連携協定(EPA)
を締結・
のです。
い文献に当たり、
それを政策に活かす必要があります。非常に地道
な作業ですが、
ふとした瞬間に背筋がブルっとくるような発見があ
ることも、
外務省での仕事の醍醐味です。
紙面では到底語り尽くせませんが、
厳しい国際情勢の中で如何
に
「国益」
を最大化するか。
いかに今の平和を続け、
未来の笑顔を
増やすか。悩みは尽きません。
署名するとともに、現在も、環太平洋パートナーシップ(TPP)協
定を始め、
8本のEPA交渉を同時並行で進めています。
18年振りとなる新ガイドラインの発表がニュースとなりました。私
の業務の一つは、
成果文書の案文をイチから作成し、
政府内の調
日本の繁栄は
整と米側との協議を繰り返すこと。
どれも今後の日米同盟の方向
世界の繁栄の中にこそ見出される
性を決める重要な文書であることから、
一言一句、
米側と文字通り
膝をつき合わせて何度も協議しました。特に新ガイドラインの場
合、
一年半に亘り集中的に作業しましたが、
その中で一緒に作業
れた米側関係者の力強い握手や、
直後の打ち上げの際のお酒の
味は忘れられません。
経済交渉には、攻めと守りがあります。
すなわち、高度な技術力
学 生のみなさんへ
M es s age
数十年後の未来を想像したことはありますか。外務省に入ったら
「国益」
とは何かを常に考え行動することが求められます。
「歴史」
を
創る、世界を舞台に
「人と人」
の絆を培う、
「国と国」
を繋ぐ世界に飛
を誇る日本製品の輸出促進や海外投資の拡大を図るために交渉
相手から譲歩を引き出したい一方で、高い価格競争力を有する外
学生のみなさんへ
Me ssa g e
僕は入省後既に10年を超えていますが、外務省には、未だに追い
に食い止める必要があります。私たち経済連携課の仕事は、対立
つくことすらできないすごい先輩たちがいます。少人数制の語学研修
しかねない関係省庁や各分野の利益や主張を分析・調整して、攻
「歴史」
を知り
「絆」
を強め
「未来」
を創る
お
「国益」談義をする先輩や同僚と一緒に過ごす。個人的にはそれが
とめ上げることです。
一番の成長の糧です。皆さんをお待ちしています!
しかし、
日本の方針をまとめ上げたとしても、
それが自分勝手な
満たしてくれる唯一無二の職場です。
そして何より、職場を離れてもな
(写真提供:共同通信社)
国の農産物やサービスの流入による国内産業への影響は最小限
び込む、純粋に世界を良くする・・・。外務省はそんな意欲・好奇心を
同盟国といえども常に利害が一致することはなく、
考え方も違い
ら、20を超える分野を担当する交渉官らが一堂に会して全体会合
る、
当然かもしれませんが、
特に安全保障分野だからこそ忘れては
に初めて集う歴史的な会合でした。
2015年4月の
「2+2」
では
係も強固になりました。
「2+2」
当日、会場入りした我々を迎えてく
ば、
TPP交渉では、政治体制から経済状況まで異なる12か国か
外交とは、端的に言えば、国の安全と繁栄を確保することです。
直後(2013年秋)
の
「2+2」
は日米の外務・防衛四閣僚が東京
した防衛省の仲間や省内の同僚との絆が強まり、
米側との信頼関
繁栄を確保する経済外交
K ID O , D a i s uke R o be r to
2004年入省
関係を築くことです。近視眼的に走らず中長期的な利益を追求す
ワシントン出張と日米協議を繰り返したこの2年間、
例えば着任
05
通商交渉の舵取り
めと守りのバランスのとれた日本政府全体としての交渉方針をま
から日々の業務に至るまで、
自らを鍛錬する機会にこれほど恵まれてい
る職場はそうないと思います。
日本の繁栄、
加えて世界の繁栄のために
尽くさんという若人、
待っていますよ。
ちなみに、
学生時代は、
高校生と
社会人の間に位置する貴重な瞬間です。若い時旅を致さねば年寄っ
ての物語が無い。
今、
自分の五感で世界に触れてきてください。
国益を主張するものであれば、国際交渉はまとまりません。
例え
06
日本の安全と繁栄を守るため−政策立案のブレーンたち
マルチ外交
マルチ交 渉の現場で日本のプレゼンスを発揮する
国際協力
日本の開発協力政策の青写真を描く
■ 本省
■ 本省
国際協力局地球規模課題審議官組織気候変動課 気候変動交渉官
国際協力局政策課 課長補佐
吉田 綾
濱田 摩耶
YOS HI DA,Ay a
1995年入省
H AM AD A, M a ya
2005年入省
2006年 北米局北米第二課 課長補佐
2007年 在フランス日本国大使館 外交官補
2008年 アジア大洋州局南部アジア部南西アジア課 首席事務官
2009年 在セネガル日本国大使館 二等書記官
2010年 在インド日本国大使館 参事官
2011年 中東アフリカ局アフリカ部アフリカ第一課 課長補佐
2013年 現職
2013年 現職
気 候 変 動 交 渉とは
外務省の行う開発協力
私が担当している気候変動交渉とは、大気中に放出される温室
私は今、
日本の開発協力政策全体の青写真を描く仕事を担当
効果ガスの蓄積が地球温暖化と相関関係にあるとの認識のもと
しています。開発協力の担い手は、
JICA、国際機関、
NGO、企
で、CO 2をはじめとする温室効果ガスの排出削減にむけた合意
業、市民社会と様々ですが、外交政策の一環として行う開発協力
の政策立案を担うのが外務省です。
(2015年合意)
を今年12月パリで開催されるCOP21(気候変動
日本は、国際社会の平和や繁栄のために汗を流し、諸外国と信
枠組条約第21回締約国会合)
において採択するための交渉です。
温暖化を食い止める枠組みとしては京都議定書(1997年採
頼・友好関係を築くことで、国際社会の荒波の中で自らの生きる
択)がありますが、
この京都議定書は、
当時の先進国のみを拘束
道を切り拓いてきました。
そんな日本の平和外交の柱である開発
し、今後ますます排出が増加する途上国には義務を課しておらず、
えて、相手国の立場、国内政治や経済状況に鑑みて、交渉の各々
協力はいかにあるべきか。国際社会にも日本にも意義のある開発
地球全体の温暖化対策として実効性を欠いています。現在交渉さ
の局面や展開がどう見えているのか、相手国の目線で話を聞き、
協力とは何か。様々な開発課題や多様な途上国の実情、国際機
れている2015年合意は、
中国やインド、
ブラジルといった新興国を
考えることです。交渉は各国がどうしても受け入れられない点が残
関や他ドナーの動向、
日本らしさや日本への期待、
日本の国内外
含む
「全ての国の参加」
を得た京都議定書に代わる新たなルール
ればまとまりません。視点を変えて、歩み寄れる文言や妥協点を
の状況。様々なことを考えながら、新たな時代の開発協力を創るべ
を決めるための交渉です。一方、途上国にも自国の貧困削減や経
探っていくことができる柔軟さをこれからも磨いていきたいなと
く奮闘する日々です。
済成長という重要な課題があります。温暖化を食い止め、経済成
思っています。
また、
日本代表団としての仕事に加えて6月から、
長を維持するという二つの目標のバランスをとることは、途上国に
2015年合意に向けたファシリテーターの役割を拝命し、共同議
も、先進国にも容易なことではなく、2015年合意に今度こそ合意
長から指名された11名のファシリテーターと共に2015年合意を
できるかは予断を許しません。言い換えると、今までにない新しい
とりまとめていく役割も担うことになりました。
このように、
日本の立
形の多国間条約を作るという、前例のない方程式を解く交渉とい
場と、合意をまとめる立場、
との両方の役割で交渉に臨むことによ
えるでしょう。
り、新しい視野が開けるのではないかと楽しみにしています。
内外での議論やパブリック・コメント・公聴会を経て推敲を重ねま
した。本当に長く大変なプロセスでしたが、数限りない困難を乗り
越え、
自分の書いた文章が新大綱として閣議決定された時の感動
は一生忘れないと思います。
この一連のプロセスで鍵となったのは、
ODAの現場から国際場
裡まで様々な立場の声や途上国の多様なニーズ、
国内外の様々な要
請等、
色々な声やニーズをバランスよく取り入れ、
1つの現実的な政
策文書にまとめあげるバランス感覚だったと思います。
そして、
その土
台となったのは、
それまでの経験を通じて肌で学んだことでした。
そ
れは例えば、在セネガル大使館で現地の人達と共に汗を流しプロ
ジェクトを創り上げた経験であり、
本省でTICADV
(第5回アフリカ
開発会議)
に携わり、
開発のフロンティアであるアフリカ全体にとって
何が大切なのか、
アフリカ各国や国際社会の様々なドナーと議論し、
1つの政策にまとめあげた経験でした。
外務省で開発協力に従事す
ることの醍醐味は、現場のミクロな世界から開発の上流まで様々な
政策を作ることの醍醐味
経験をした上で、
それを活かして、
開発協力政策全体の大きな方針
を創るダイナミズムを味わえることだと改めて実感しました。
∼ODA大綱の改定∼
相 手の視点から
考えることのできる柔 軟 性
私の役割は、
日本の首席交渉官を補佐して、
日本が表明すべき
立場について関係省庁と相談の上で交渉において表明したり、交
渉の裏での各国との会話や打合せを通じて、
日本が受け入れられ
ない点や重視している点につき働きかけることです。
その過程で私
が大事にしていることは、
日本の立場をきちんと主張することに加
07
その中でも、私は十数年に1度の一大プロジェクトである、
OD
学生のみなさんへ
外国と関わる仕事が数多くある中、外務省で働く醍醐味は、異な
A大綱の改定を担当しました。
ODA大綱は
「ODAの憲法」
とも
外務省の魅力は、
何と言っても、
日本人であることを大切にしながら、
る案件・地域を担当する中で、多様な考え方を知り、
自らの視野が広
言われるODA政策の基本文書です。前回の改定から10年以上
世界を舞台に仕事ができることです。
また、
扱う分野やフィールドが多
学 生のみなさんへ
M es s age
がることです。
私は在米大や在インド大で在勤し、
外務本省では日米、
日・中東、
日印関係、国連政策等を担当してきましたが、
その中で培わ
れた
「勘所」
や知識があるからこそ、今担当している多国間交渉に不
可欠な、相手の立場を分析し、次の一手を考えるための
「切り口」
が
が経ち、国際社会も日本も大きく変化する中、更なる進化が求めら
れている開発協力。
これからの開発協力はいかにあるべきか。
そん
な真摯な問いかけからこのプロセスは始まりました。
Me ssa g e
種多様であるのみならず、
若いうちから、
草の根の触れあいも、
相手国
政府高官や閣僚との交渉も、国際場裡での真剣勝負も、幅広い経験
をし、
豊かで深みのある人間性や豊富な知識を身につけられること、
そ
してそれ自体が日本の外交力になっていることを日々実感できることだ
見えるようになってきました。外務省は、幅広い経験があるほど次の
それから約1年。有識者懇談会や市民社会との意見交換会は
と思います。
30年後、
50年後の日本と国際社会を思って夢を語り、
そ
仕事が面白くなる、常に成長し続けられる職場だと思います。
もちろん、経済界や有識者、他ドナーや国際機関等様々な方と熱
れを実現するため共に働ける仲間をお待ちしています。
い議論を闘わせ、
それを土台に新大綱の草案を書き、更に、政府
08
日本の安全と繁栄を守るため−政策立案のブレーンたち
国際法
外 交ツールとしての国際法
朝 鮮 半 島 情 勢と安 全 保 障
■ 本省
■ 本省
国際法局国際法課長
アジア大洋州局北東アジア課長
御巫 智 洋
小野 啓一
MIKANAGI,Tomohiro
1991年入省
O N O , K e i i chi
1988年入省
2003年 大臣官房会計課 首席事務官
2008年 国際連合日本政府代表部 参事官
2006年 北米局日米安全保障条約課 企画官
2009年 在中華人民共和国日本国大使館 参事官
2008年 アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第一課長
2012年 総合外交政策局国連政策課長
2010年 現職
2013年 現職
国 際 秩 序と法
理解し、関連する国際法の学説、判例等を最大限調査して判断を
「今のような状態がそのまま続く場合、
日本は・・・我が方の目の前から
日本大使館に指示を出し、現地の北朝鮮「大使館」
を通じて、
この国連安
示さねばなりません。
これには非常にプレッシャーがかかります
永遠になくなる存在となる」
「ひとたび自主権守護の聖戦を開始すれ
保理決議違反という国際法違反の行為を行った北朝鮮に対して直接の
国際法は国内法と異なり違法行為があっても当事国が同意し
が、
このプレッシャーの下で適確な判断を下し、関係者にわかりや
ば、
・・・日本も丸ごと焦土化され、水葬されなければならない」
「横須賀、
抗議を行います。次に、米国、韓国を含む関係国との連携、意思疎通で
なければ裁判はできません。
また、仮に裁判が行われたからといっ
すく説明することが求められます。
三沢、沖縄、
グアムはもちろん、米国本土も我が方の射撃圏内にある」
す。正式には在外公館に訓令を発出し、
それぞれの首都を中心に大至急
これらは、
いずれも過去数年間に北朝鮮の当局が発した声明あるいは
意見・情報の交換を行います。
ただ、
この北朝鮮によるミサイル発射のよ
公式メディアの論説です。朝鮮半島においては、
現在も非武装地帯を挟ん
うな重要かつ緊急を要するケースでは、
それに加えて、担当者同士が電
で南北双方の大規模な軍隊が対峙する状態が続いており、
北朝鮮は核・ミ
話で連絡をとることも必要であり、実際、六者会合の首席代表級で電話
て国連安保理が動かなければ判決の履行を強制することもでき
ません。
したがって、外交における国際法の役割に限界があること
は事実です。一方、国連憲章の下では武力行使が禁じられ、紛争
を平和的に解決する義務が課されました。
その結果、国際社会に
おいて、
力によらず、平和的手段によって問題を解決しなければな
らないという規範が確立されてきました。交渉等によって問題を解
決する際には、一方的な主張を続けても解決できず、
当事者に共
通するルールにしたがって議論する必要があります。
そのため、交
渉等のベースをなすルールとして国際法が果たす役割は重要で
す。
また、交渉等に当たっては国際世論を味方につけることも大切
であり、
その観点からも、国際法という共通ルールに基づき主張す
ることが重要になります。
「リーガル・アドバイザー」の仕事
外交戦略の一部としての国際法
10年前と比べて国際法課の業務量が増えているように感じま
サイル開発を継続しながら、
上記のような挑発的な言動を繰り返していま
でのやりとりを重ねました。
さらに、高い政治レベル、首脳や外相のレベ
す。
これは、我が国の外交において国際法が果たす役割が大きく
す。
これは、
日本の平和と安全に対する重大な脅威です。
ルで連絡を取り合うことも重要です。
このようにして、
日本自身、国際社会
なってきているということではないでしょうか。業務量とプレッ
このような安全保障環境において、外交の現場ではどのような取組が
が同じトーンで北朝鮮の行為を非難するため、意見調整をする役割を果
シャーは増大していますが、
その分やりがいも大きくなっていると
行われているのでしょうか。重要なことは、抑止と備えに万全を期し、
そし
たしました。
思います。国際法課にいると日本が直面する重要な問題の多くに
ていざというときには素早く断固たる対応をとるということです。
このような、
いわば初動の段階が過ぎると、国連安保理での対応、
すな
横断的に関与することが出来ます。国際法の専門家として、特定の
私たちは、
日頃から、
日米同盟を通じた抑止力の強化に努め、
また、
日
わち、議長声明を発出するのか、安保理決議を作成するのか、
その中身
分野や地域を見ていると思いつかないようなアイデアを出したり、
他の分野や地域における我が国の立場を害しないためのアドバイ
スをしたりしながら、全体として我が国にとって有利な国際ルール
が形成されていくようにしていく、
というのは、
「法の支配」
を重んじ
る我が国にとって重要な外交戦略の一部であり、
とてもやりがい
のある仕事だと思います。
米韓の連携、六者会合担当者間の協議、国連、
さらにはG7やASEANと
をどうするかといった点についての調整が始まります。
日本が安保理のメ
いった国際会議等のあらゆる枠組みを活用しながら、北朝鮮に対し、挑
ンバー国である場合には直接安保理での議論に参加できますが、
そうで
発行為を自制し、非核化に向けた具体的行動をとるよう、繰り返し強く求
ない場合には、安保理メンバーである関係国に日本の考えを伝え、緊密
めてきています。
しかし、
こうした国際社会の再三の要求にもかかわらず、
に連携して対応するなど、一層の努力が必要になります。
いずれにせよ、
北朝鮮が核実験や弾
国際社会の共通認識を早く作り上げることが重要であり、
そのためには、
道ミサイル発射を強行
素早い対応と説得する論理(すなわち、北朝鮮が何と称しようとも弾道ミ
する場合には、断固と
サイル技術を用いた発射は国連安保理決議違反であり、国際社会は断
した対応をとる必要が
固とした対応をとるべし)
が必要なのです。
あります。
北朝鮮に対する働きかけの場としては、
日朝の当局者が実際に会って
話をする日朝政府間協議等の場も重要です。
日本は拉致問題を解決す
コミュニケーションを良くして、積極的に協力しています。
たとえば、
例えば、2012年12
月、北朝鮮は「人工衛
べく累次の協議を行ってきていますが、同時に、核、
ミサイル問題も我が
昨年春にはロシアによるクリミア
「編入」
の問題が生じましたが、我
星」
と称する長距離弾
国の安全保障上極めて重要な課題であり、私が参加した2014年の日朝
が国の対応を決めるためには
「編入」
が国際法上合法かどうか判
道ミサイルを発射しま
政府間協議のいずれにおいても、
日本側の強い懸念を伝えました。
断することが必要になりました。外交的な問題は、往々にして急速
した。
このとき、私は外
日本は、
「対話と圧力」
の基本方針の下、拉致、核、
ミサイルといった諸
国際法課の仕事の基本は、外務省が取り組む様々な外交課題
について法的助言を行うことです。法的助言というと受け身的な
印象を受けるかもしれませんが、実際には担当の各部局との間で
な展開を見せます。
そのため、限られた時間の中で状況を正確に
学 生のみなさんへ
M es s age
外務省の仕事の醍醐味は、様々な角度から日本外交に関わること
ができることです。政治と経済、
バイとマルチ等々、
「外交」
と一口に言
務省内のオペレーショ
懸案の包括的な解決を目指しています。
こうした問題の解決は決して容
ンルームに詰めていま
易ではありませんが、国民の生命と安全に直結する課題であり、
引き続き
した。発射期間が予告
全力で取り組んでいきます。
されており、発射が確
認され次第、一刻も早
く対応するためです。
っても全く毛色の異なる様々な分野がありますが、
それらがすべて合
発射の直後から、発射
わさって
「日本外交」
です。外交官としてのキャリアの中で、
こうした様
に関する情報は防衛
々な分野を経験し、時にカルチャー・ショックを感じながらも最終的
省や米国その他の関
には日本外交全体についてバランス良く考えられるようになること、
こ
係機関から続々と入っ
れはもちろん簡単なことではありませんが、
チャレンジする価値のあ
てきました。私たちの役割は、
これを把握、分析した上で、
日本政府として
る有意義な目標ではないでしょうか。
の対応策を策定し、実際にその措置をとることでした。
(写真提供:朝日新聞社)
その後の核実験(2013年2月)
の場合も同様ですが、
まず、北京にある
09
(写真提供:共同通信社)
10
外 交 の 最 前 線 で日本を体 現 する −現 場 主 義 の 外 交 官 たち
互いの国益をかけた交渉
対アフリカ外 交の現場から
■ 在外公館
■ 在外公館
在中華人民共和国日本国大使館 参事官
在ジブチ日本国大使館 二等書記官
大平 真嗣
水谷 俊彦
ODAI RA,Masat su g u
1998年入省
M IZ U T AN I, T o s hi hi ko
2010年入省
2012年 北米局日米安全保障条約課 首席事務官
2010年 国際協力局地球環境課
2013年 内閣官房 内閣官房副長官補付
2011年 在フランス日本国大使館 外交官補
2014年 内閣官房 国家安全保障局
2014年 現職
ジブチ
2015年 現職
ジブチへ
りがとう。」
と手書きの日の丸を振りながら、帰途につく私たちを、
い
「こういう国です」
と一言で語るのが難しいのが中国です。都市
「遠くまで来た」。
フランスでの留学を終え、空港に着陸した飛行
やって良かった、
と心から達成感を感じる一時でした。
部と地方、知識人と農民工、体制内と体制外など、様々な顔を見せ
機のタラップを降りた時、
こんな思いで胸が一杯になりました。
2014年秋、
日中関係が長らく冷え込み、北京APECで2年半
もちろん、頻繁に起きる停電や断水、娯楽の乏しさ、逃げ場のな
るのが中国の魅力であり、難しさです。
そもそも体制が異なる国。
5年前、
日本の豊かさを守りたいという思いから、私は外務省の
ぶりに日中首脳会談は行われるのかに世間の関心が向けられる
い暑さ。途上国における生活上のストレスは生易しいものではあり
一筋縄ではいかないことも多いです。
それでも外交官として、
中国
扉を叩きました。
そして今、
世界屈指の海洋交通路、
バブエルマンデ
中、
日中関係の改善に向けて静かに話合いを進め、四項目につい
ません。
しかし、交渉やスピーチ、通訳を通じて、
自分の言葉が「日
の現状や変化を東京に伝え、
また、
日本の考えを中国人に伝えると
ブ海峡を通過する年間約1万7000隻の商船を海賊の被害から
て意見の一致に達しました。
まさにお互いに国益を背負ったギリ
本」
の言葉となる瞬間の達成感、
「日本」
という大きな看板を背負
いう双方向のコミュニケーションは、
すべて自分という
「レンズ」
を
守るため、
自衛隊が活動拠点を設け、
世界の国々と協力しながら海
ギリの文言調整でした。勿論、一人ではなく、
チームで臨むわけで
って仕事をする使命感、
そして心の中でのガッツポーズは、
5年越
通します。
いかに数多くの中国人と深く付き合い、
「中国の今」
を的
賊対処活動を行っている、
ここジブチで政務を担当しています。
すが、時に自分が最前線で中国側と調整をする場面もありました。
しの私の夢を叶える喜びであり、将来に向け、更にその夢を膨らま
確に発見する感度を上げられるか、
そして、
自分が語るからこそ聞
大使館における政務の仕事とは、政策決定の基礎となる、任国
日中首脳会談に至るまで、言葉では表現し尽くせない、様々な瞬
せてくれる、何物にも代えがたい糧となっています。
く耳をもつという人間関係を中国人と築けるか。
まさに
「個」
の力が
内外の動きに関する情報を収集することが主要な業務です。
ジブチ
間を経験しました。精神的に厳しい日々が続きましたが、
それも外
試される瞬間です。
まだまだ試行錯誤の日々ですが、難しくもあり、
においては、
自衛隊の皆さんとも協力をしながら、我が国にとって、
ど
交の醍醐味と言えます。
やりがいがある舞台です。
のような情報が必要とされているのか、誰に、
どのような聞き方をす
目前の懸 案 処理と
中長 期 的な戦 略
「個」の力が試される舞台
在外公館で日本国政府を代表して中国側と交渉するに当たり、
つまでも見送ってくれた女性たち。大変な仕事ではありましたが、
れば情報が得られるかを考えながら、
ジブチ政府関係者や各国大
目前の懸案をどう適切に処理するかという視点とともに、中長期
使館のみならず、
当地で活動しているフランス軍やアメリカ軍等から
的に日本にとって望ましい環境をいかに築いていくかという戦略
も情報を集めています。
ジブチならではとも言える、
自衛隊や各国軍
的な視点も忘れないように心がけています。
と仕事をするという経験、
また様々な場所を活用し、人脈を広げた
結果、
有益な情報が得られ、
それが政策に反映された時の充実感
オール・ジャパンで中国と向き合う
は、
それまでの苦労を忘れさせてくれる達成感を与えてくれます。
中国は、
もはや一握りの専門家だけで相手をする国ではありま
「遠い国から、ありがとう」
せん。政府だけでなく、政党・議会、経済界、学界、
マスコミ、地方自
治体、更には留学生・観光旅行者に至るまで、
あらゆるツールを駆
使して、
自分の子供や孫の世代になっても、
日本という国が繁栄の
学 生のみなさんへ
中で安心して暮らせる国であり続けられる、
そうした未来を支える
20代で一生の仕事を決めよと言われても、
よくわからないと思い
日何時間もかけて荒野の中を往復しなくてはならなかったり、子
日中関係を構築しなければなりません。
中国で頑張っている日系
ますし、
そこに疑いを持たない方が不思議だと思います。
ただ、悩み
供や女性に十分な基礎教育が与えられない等、豊かな日本から
どこを就職先として選べば良いのか悩みました。
しかし、
ここで良かっ
抜いて、
自分が歩む方向を見つけて、
その門を叩くことは大事な一歩
は想像が出来ないほどです。我が国は、
このような人々の生活を改
たと思っています。
「日本」
を背負うという経験は、外務省でしか得ら
です。私は諸先輩の仕事ぶりを見て、
自分の思考の軸がきちんとでき
善すべく、様々な支援を行っています。最近、私は大使館を代表し
企業はたくさんあります。初めて日本に行き、
日本の社会や日本人
の素晴らしさを知った中国人もたくさんいます。中国の若者も、
日
本の若者が見るアニメやドラマを見て、
同じように感動しています。
北京の日本大使館では、
日中両国の変化に敏感に反応し、政治、
経済、広報文化など幅広い分野で、中長期的な展望をもって、創
造性豊かに企画を練り、
日々仕事に取り組んでいます。
11
M es s age
ていれば、相手がどんな議論をぶつけてきても骨太な反論で応じ、
建設的な提言をし、時に言い争っても、相手から敬意を払われる存
在となることを学びました。
外務省は、
国を背負って仕事をすることで、
自分自身も成長できる貴重な職場だと思います。
また、後発開発途上国であるジブチの生活は、水汲みのため一
て、我が国の支援により完成した施設の開所式に出席しました。
た
どたどしい現地の言葉でスピーチをする私に満面の笑みで拍手を
送ってくれた村の人々。
そして帰り際、
「日本という遠い国から、私
たちの生活を良くするために、
こんな遠くまで来てくれた。本当にあ
学生のみなさんへ
Me ssa g e
海外に関わる仕事がしたいという夢を持っていた私は、学生の時、
れないものですし、外務省は私のような年次の若い職員にも、
「やっ
てご覧なさい」
とチャンスを与えてくれる職場です。
もし、皆さんがその
様な仕事を面白そうだなと思うのであれば、是非外務省の扉を叩い
てみてください。
きっと、皆さんの夢を叶えるためのパスポートがそこ
にはあるはずです。
12
外交の最前線で日本を体現する−現場主義の外交官たち
国連の場で日本を代表する
イラクの地で日本の国 益を実 現
■ 在外公館
■ 在外公館
国際連合日本政府代表部 参事官
在イラク日本国大使館 参事官
野々村 海 太 郎
三宅 浩史
NONOMURA,Kait aro
1998年入省
M IY AK E , H i r o fumi
1994年入省
2006年 アジア大洋州局中国課 課長補佐
2006年 外務副大臣秘書官
2008年 国際法局条約課 首席事務官
2008年 総合外交政策局国連政策課 首席事務官
2012年 大臣官房 外務大臣秘書官事務取扱
2011年 在ベトナム日本国大使館 参事官
2014年 現職
2014年 現職
安 保 理 改 革とG4との協 力
国連の場での日本への信頼と期待
イラクでの仕事
国連安保理は国際の平和と安全の維持のため、
193の加盟国
安保理改革に限らず、国連の他の会議に参加していて思うの
イラクにおける日本の外交活動には三つの柱があると考えてい
を拘束する決定を行うことができる唯一の機関です。
この極めて重
は、
日本という国への信頼と期待です。
193も加盟国が存在し、
ます。
いずれも日本の国益に深く関わることです。
要な機関に、国連創設から70年で起こった世界の現実を反映さ
毎日何十という会議が行われる中で、
日本の意見は他国も大事に
第一に、
イラクや国際社会と協力し、
国際テロ組織ISILの脅威
せる改革を行い
(日本の常任理事国入りもその一つです)
、
より効果
してくれていると感じます。関心を持つ国による小グループでの非
を食い止めることです。今やISILは日本を含む国際社会全体に
的な安保理とすること、
そのために現場で動くことが私の仕事です。
公式な協議に招かれることも多くあります。
その背景には、
日本が
とっての脅威です。
ISILの拡大を阻止するためには、
イラクの民生
改革というのは常に難しく、賛成しない国も少なくないため、志
財政のみならず、平和構築、軍縮・不拡散、開発、防災などの様々
安定化が重要であり、
日本も人道支援等の分野で積極的に貢献し
を同じくする国々と共に協力していくことが重要になります。
日本
な分野で現実に貢献をしていること、
10年遅れで国連に加盟して
ています。
国際社会が協調して効果的な支援が実施できるよう、
現
省に入省しました。一方、国益というものについては漠然としたイ
は、
ブラジル、
ドイツ及びインドと共にG4として活動しており、私の
から60年の間に、
10回計20年もの間安保理の非常任理事国
地レベルで各国大使館や国際機関が集まって話し合っています。
メージしか持っておらず、
入省後は長い間、国益の追求をテーマに
仕事の多くはこのG4の仲間との議論の中から生まれます。例え
を務め、国際の平和と安定の維持に貢献している実績があるよう
第二に、
日本とイラクが共に経済的繁栄を享受できるようにす
仕事をしていきたいと考えていました。
ところが、
アラビスト
(アラビア
ば、安保理改革に関する交渉の日時はいつになりそうか、
G4から
に思います。国連での仕事は、
このような幾多の先輩の積み重ね
ることです。
日本は、
イラクが早く復興を遂げて、
発展の潜在性高い
語の専門家)
として中東外交に携わる他、
貿易や国防、
国連PKO、
はどのような発言を行うのが効果的か、他にどのような国々が同様
のありがたさを感じられる場でもあります。
イラクと再び緊密な経済関係を築くことを望んでいます。
それには
ODA、
国連政治といった様々な分野の仕事を経験していくうちに、
の考えを持っているか、
それらの国々との協力をどのように手分け
まだ何年もかかりますが、
少しでも多くの日本企業がイラクで活動
国益を追求するのではなく実現するものだという思いが強くなりま
して行うか等々を頻繁に集まって議論します。志を共にする仲間で
できるよう、
日本企業からの要望を踏まえ、
ODAを活用したり、
イ
した。
国益は実に多様であり、
その時代の国際情勢や相手国によっ
はあっても、進め方では意見の違うこともあり、激論になることもあ
ラク側へ働き掛ける等の支援を行っています。
て、
また、
日本政府の政策方針によって、
優先される国益は変わって
りますが、東京に逐一報告しながら、大使レベルでの議論を経て、
第三に、
中東地域にいる日本人の安全確保です。
この十数年で
いくと考えるようになったためです。私は今、
イラクの地で日本の国
G4としての意見をまとめるまでが一苦労です。
イラクや隣国シリアで日本人が犠牲になったことを重く受け止め
益を実現しているという実感とともに仕事をしています。
もちろん、最も大事なのは交渉の本番です。事前の想定とは異
ています。現地治安情勢について、
日本人に対して随時情報を提
なる展開になる場合もあり、交渉の合間の休憩時間を使って、他
供するほか、
治安当局や各国大使館の警備担当との情報交換等
国の席に寄って行って話を聞いたり、以前の交渉経緯を調べたり
を通じ、
緊急時に備え協力関係の構築に努めています。
など、変化する交渉の中でやるべきことも変化していきます。
そし
て、交渉終了後には、交渉をどのように評価するか、今後はどのよう
に進めるのが良いかも議論します。刻々と変わる情勢の中で、
どう
行動するのが日本とG4にとりベストなのかを常に考えることは、
大変ではありますが、
やりがいのある仕事です。
学 生のみなさんへ
M es s age
外務省の仕事で面白さを感じるのは、政策を考えること、
それを実
学生のみなさんへ
施することの両方を自分で経験できることです。東京での勤務では、
日本にとって望ましい外交政策は何かを、国内政治全体の状況も見
ながら考えて、
在外公館にその実施を指示します。
在外公館に行くと、
そうしてできた政策を国際社会の中や相手国に対して説明していく
ことになります。政策立案は在外公館からの情報がなくては行えず、
外交政策の実施は外国や国際社会の状況と日本国内の考え方の両
方を理解しないとできません。東京と在外を交互に経験することで、
外交の仕事がどんどん面白くなっていくと感じます。
国益の実現
情勢が不安定なイラクでは、
常に大使館の敷地内で生活してい
ます。厳重な警備に囲まれ、尋常ならざる環境にいると、何のため
に日本はイラクに大使館を置いていて、
自分は何をするためにバグ
ダッドに来ているのかについて考えずにはいられません。
Me ssa g e
国際社会、特にイラクのような混乱期にある国や地域においては、
物事は筋書き通りに進むのではなく、様々な思惑が複雑に作用し合
って展開していきます。刻々と変化する状況に応じ、
中東地域の平和
と安定のために国際社会は知恵を出し合い、試行錯誤しながら支援
を行っています。
こうした取組みに日本の外交官として参加し、大きく
変遷する時代の最前線で仕事が出来ることを意気に感じます。来た
れ、外交のフロンティアへ!
私は、
外交を通じて日本のために働きたいという思いから外務
13
14
世 界を舞 台に活躍する女性職員たち
ベルギーより
支えてくれる周囲の人達に感謝。
W o m e n s Vo ic e s
ベルギーとE Uを相手に、
アイスランドより
やりがいの大きい仕 事をしています。
みんな違って、だから興味深い。
在ベルギー大使館で政務・経済班長として日本とベルギーの協力関係の強化に関わる傍ら、
日本
これが国際社会の魅力だと思います。
とEUの経済連携協定
(EPA)
交渉の交渉官としてEUとの交渉に携わっています。
平日は小学2年生
国際社会には言語も文化も歴史も異なる国々が存在しています。
だ
大使館では、
日本政府の窓口となってベルギー政府のみならず幅広い関係者と協議したり、働
から、国際関係は難しいし、面白いのです。外交とは、
このような多様な
きかけを行ったりしています。様々な人々と出会い、関係を築きながら二国間関係の深化と発展
国際社会の価値観を理解し、
ともに働いていくことですから、
日本の外
を図っていくことが大使館の仕事の醍醐味だと思います。
片やEPA交渉は、
日本とEUの経済とそ
交も多様な価値観を受容し、多様な価値観を発信できるだけの幅が
の制度の現状について深く理解し、
お互いの要望をぶつけ合い、両者にとってより望ましいルー
必要だと思います。
ルを探るという作業で、
日本の経済的利益に直結する非常に刺激的なものです。
女性外交官だからといって、特別な能力や技術があるわけではあり
ません。女性というのは、
いわば個性の一つみたいなものです。
とはい
え、食の安全や和食の魅力も、
自分で料理をする人から説明された方
が実感があります。平和の大切さや地球環境の課題も、
自分で育てた
次世代を持つ人の方がより説得力があるでしょう。男性と女性では、
特に多く経験したこと、特に強い関心をもって取り組んできたこと、特
に価値を重く置くことが、少し違うかもしれず、
この個性の豊かさが、外
交の幅につながるのではないかと思います。
言葉を換えれば、
自国の利益のみを追求する外交なのであれば、
そ
の専門性に特化した代表団を構成すれば良いでしょうが、国際社会
が直面する多様な課題に責任ある対応をする意思のある外交なので
あれば、個性豊かな代表団の方が望ましいのではないでしょうか。
の息子と2人で暮らし、
週末はパリ在住の夫がブリュッセルに駆けつけるという生活をしています。
ドレスコード:ダークスーツ
招待状に良く見かける文言です。
これを見て、
どうしようかと悩む男性
二つの仕事と家庭とを、
バランスをとりながらそれなりにこなすことはそれ自体チャレンジですが、
家族、
同僚、
ベビーシッターさんなど色々な人の助けを借りながら充実した生活を送っています。
はいないでしょう。
しかし、
女性は大変混乱します。
ダークな色のスーツを
そこで、
某女性大使は、
なぜ、
その行事がダークスーツを要求している
事だからなのか、
ビジネス性の高い行事だからなのか。
そして、
行事の趣
い)
をまとい、適切な高さのヒールの靴と適切な鞄と適切な持ち物(大
課長補佐
2009年 大臣官房総務課外交記録・情報公開室
首席事務官
2010年 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部 参事官
2013年 現職
「出産後もフルタイムで働き、
担当業務で必要な時には、
残業や海外出張もできる限り同僚にお
量の名刺、涙を拭くハンカチ、記録のための筆記用具etc.)
<そして適
願いせず、
自分でできるようにしたい」
との思いがあり、
育児休業中、
復職後の体制を整えられるよう
切な濃さのお化粧>を探し出して、
行事に参加するのです。
努めました。
家族と保育園のおかげで、
自分の希望した分野で思い切り仕事させてもらえる環境に
その行事でも、平和の大切さを訴える行事では母親の気持ちで、人
感謝しています。現在は、保育園の時間外保育に登録し、
この制度を活用しながら、週末も含めて
アジア大洋州局南部アジア部南西アジア課
課長補佐
海外出張にも行かせていただいています。
今は、
家族も仕事も大切に、
充実した毎日です。
育児休業
中、
子供とずっと過ごせたことは本当に幸せでしたが、
仕事を再開してからの子供との時間は、
子供
な個性をフル活動させながら、主催者と同じプラットフォームを探し
作増 彩
て、参加します。別に女性外交官だからといって、特別な能力も技術も
2010年 領事局政策課
あるわけではありません。
ただ、
男性が「ドレスコード:ダークスーツ」
で
2011年 総合外交政策局安全保障政策課
素通りするところで、
モノゴトの本質はなんなのか、考えざるを得ない
2006年 総合外交政策局国連企画調整課
受け入れる外務省の懐の深さ。
旨に最も適切と考えられる服装
(かならずしもダークなスーツとは限らな
える行事では得意料理を紹介するママの気持ちで、
自分が持つ多様
HOKUGO,Ky o k o
1995年入省
男性女性を問わず、多様な働き方を
のか、行事の趣旨を考えます。慶事なのか、
弔事なのか、格式の高い行
を訴える行事ではおしゃべりなオバさんの気持ちで、和食の魅力を伝
北郷 恭子
本 省より
着れば良いのか。
しかし、
今更リクルートスーツの年齢でもあるまいし…。
権を求める行事ではマイノリティーの気持ちで、言語と文化の多様性
在ベルギー日本国大使館 参事官
SAK U M ASU , Aya
2006年入省
にとっても私にとってもまた違った良さがあるように思います。外務省では、
皆さん既に世界のいろ
んな勤務地でそれぞれに工夫されてきたからか、
本当に理解の深い方々ばかりで、
子供が病気の
時など、臨機応変に支えていただける環境があると思います。
男性女性を問わず、多様な働き方を
世界中で受け入れられる懐の深さが外務省の魅力のひとつだと感じています。
2013年 国際協力局国別開発協力第一課
2015年 現職
機会が与えられている、
そういうメリットはあると思います。
ワーク・ライフ・バランス実現に向けた様々な取組
取組
内容
育児休業
3歳未満の子を養育するために、
3歳の誕生日の前日まで休業できる制度
育児時間
小学校就学の始期に達するまでの子を養育する職員に対し、
1日2時間以内の範囲での短時間勤務を認める制度
育児短時間勤務制度
小学校就学の始期に達するまでの職員に対し、週の勤務時間を短縮し、希望する日及び時間帯に勤務することを認める制度
①小学校就学の始期に達するまでの子を養育する職員
早出遅出勤務制度
アイスランド国駐箚 特命全権大使
志野 光子
SH IN O , Mi tsuko
1987年入省
2006年 経済局経済連携課 企画官兼アジア太平洋経済協力室長
2008年 総合外交政策局人権人道課長
2010年 在イタリア日本国大使館 公使
2014年 現職
15
②放課後児童クラブに託児している小学生の子を迎えに行く職員
③配偶者、父母、子等を介護する職員に
1日の勤務時間を変更することなく、始業・終業時刻を変更して勤務させる制度(勤務時間の割振り変更)
配偶者出産休暇
男性職員の育児参加のための休暇
妻の出産に伴う入・退院の付添い、
出産時の付添い、入院中の世話等を行うために認められる休暇
妻が出産する場合に、その出産に係る子又は小学校就学の始期に達するまでの子を養育する男性職員が、
これらの子の養育のために認められる休暇
海外勤務にかかる人事上の工夫
夫婦ともに外務省職員の場合、可能な限り1回は、夫婦で同一または近隣の勤務地となるよう配慮
テレワークの活用
育児、介護、業務効率化等の観点から、一部業務を在宅でも行えるようテレワーク制度を整備
16
政府の中枢を支える外務省出身者たち
T PP(環太平洋パートナーシップ)交 渉を
取り仕切る首席交渉官
国 家 安 全 保 障局から
外 交を見つめる
外 交は未 来への挑戦だ。
国際社会の中で、
交渉は知的格闘技。
日本の国益を考え、実現する力。
TPP交渉はアジア太平洋そして世界の将来を作る作業です。
日本の繁栄は世界の平和
私は、現在、
2014年1月に設置された国家安全保障局
(NSS)
で、朝鮮半島、
中国、
ロ
と繁栄なくしては確保できません。
シア等を担当するチームの長として、
日々各省から上がってくる情報を分析するとともに、安
外交の任務は、平和を守り一人ひとりが豊かに暮らせる国際社会を構築することです。
全保障政策の企画・立案・調整を行っています。
日本の安全保障に最も影響を与える地域
外交を担う組織は政府ですが、現場で政府を代表するのは個人です。
日本を代表するに値
に日々目を光らせ、対応を行っていくこと仕事は、緊張感と責任感を伴うものですが、
同時
内閣官房 内閣審議官(TPP政府対策本部首席交渉官)
する素養を磨き、他国の外交官と真剣に議論し、魅力のある人間として評価され尊敬され
内閣官房 内閣参事官(国家安全保障局)
に大きなやりがいも感じています。現職の前には、
ソウルの政治部長(公使)
として、朝鮮半
鶴岡 公 二
ることが成果を生みます。
船越 健裕
島の安全保障や日韓関係の最前線で仕事をさせて頂き、
その前は、本省の日米安保条約
TS U R U O K A , K o j i
1976年入省
します。
日本の外交官は幸せです。大きな目標を掲げて仕事をすることはやりがいがありま
2008年 国際法局長
2010年 総合外交政策局長
2012年 外務審議官(経済)
2013年 現職
外交交渉の目的は国益の実現です。
日本外交は日本の国益とともに世界の利益も目指
課長として、
日米間の安保交渉に携わってきましたが、
こうした外交官の経験があってこそ、
現在の仕事が務めることができているものと考えます。外交官の仕事は、国際社会の中で、
す。
日本は、世界の主要国であり、かつ、先人達が築いた信用が基礎にあるので日本の見
FUNAKOSHI,Takehiro
1988年入省
日本の国益をどう考え、実現するかという、
ある意味で果てしない仕事ですが、今後とも、一
解は注目されます。世界は多様です。
日本の近代史への登場は世界史に多様性を与えまし
2009年 北米局日米安全保障条約課長
日一日ていねいに仕事をしていきたいと考えています。
た。今さらに多様な世界が広がりつつあります。人種、文化や宗教の違いが争いを招かな
2011年 在大韓民国日本国大使館
いようにお互いを尊重し、
ともに平和と繁栄のために努力するように働きかけることは日本
にふさわしい役割です。特に、過去に戦争を戦い、多くの人命を犠牲にした過ちを犯した日
本には平和を守る責任があります。外交を通じて多様性を尊重する平和で幸せな世界を
政治部長(公使)
2013年 内閣官房 内閣参事官
(国家安全保障会議設置準備室参事官)
2014年 現職
実現することは日本に課された世界史的使命です。
官 房 長 官のサポート役として
霞ヶ関の司令塔としての
内閣官房
「風格ある外交」
を目指して。
政府の重要課題や危機管理。
これらを日々さばくのが政権の要である内閣官房長官で
す。
その官房長官を外交・安全保障の分野で直接サポートするのが私の役目です。
国の命運を左右する。
私が常に目指していることは
「オールジャパンの外交」
です。役所が陥りがちな縦割りを
途方もないからこそ、やりがいがある。
排して、外務省はじめ関係省庁から情報がタイムリーに官房長官に上がり、省庁間の連携
が確保されるように腐心しています。
さらに、
「政」
と
「官」
と
「民」
の力を結集していくことも必
要です。外交とは平時における戦争とも言われます。
日本の総力を結集してこそ、国益を確
国民から権力の信託を受けた総理大臣が、
自ら主導して政府全体の指揮をとる時に誰
保できるのです。
が総理を直接お支えするのか。様々な省庁にまたがる案件において省庁間で意見が収斂
しない時、誰がこれをまとめるのか。
それが、
内閣官房に与えられた役割です。
内閣官房は、
宮中や、
国権を分有する国会、
裁判
内閣官房 内閣官房副長官補
所との関係に気を配り、
同時に、
行政権の最高機関である内閣を支えて、
総理大臣、
官房長
兼原 信克
官の意を受け、
関係各府省庁を取りまとめて、
複雑な利益を調整し、
政策を企画遂行します。
KAN E H A R A , N o b u k atsu
1981年入省
時には、
積極的に間に立ち、
政府一丸となった取組を主導していかなくてはなりません。
内閣
官房は、
霞が関の司令塔と潤滑油という二つの顔を持つ組織です。
特に、外交は、国家の命運を左右します。外政と内政の接点を繋ぐことは、決して容易で
2011年 在大韓民国日本国大使館 公使
はありません。
それは、途方もなく重い荷車を引くような仕事です。
だからこそ、
やりがいがあ
2012年 内閣審議官 内閣情報調査室次長
ります。公に尽くす高い志をもった若い優秀な人材と一緒に働くことを心待ちにしています。
2012年 国際法局長
2012年 現職
戦略的な対外発信も私の重要な仕事です。官房長官は、
1日2回、記者会見を行ってい
内閣官房 内閣官房長官秘書官
ますが、記者からの質問の実に6∼7割は外交・安全保障に関するものです。
そこでの官房
市川 恵 一
長官の発言は、米国はじめ諸外国に対する外交上の重要なメッセージです。
したがって、官
IC H IK AW A, K e i i chi
1989年入省
房長官とは事前に綿密に打ち合わせをします。私自身、毎日朝5時に起きて、ニュースを
チェックしながら、
いかなるメッセージを発信すべきか考えています。
私は、
日本という
「国の風格」
を大切にしたいと思っています。困難な課題に直面して、国
2008年 総合外交政策局総務課
益の観点から、原則を重んじて毅然と一本筋を通すとともに、勤勉、調和、他者への配慮を
主任外交政策調整官
重んじる日本人の心が感じ取れる堂々とした外交を展開していくということです。新興国の
2009年 アジア大洋州局大洋州課長
2010年 総合外交政策局安全保障政策課長
2011年 現職
台頭などにより既存の国際秩序や価値観がさまざまな挑戦を受ける中、
こうした風格ある
外交がますます大事になっていると考えます。
言うまでもなく、
こうした外交の担い手は私たち一人ひとりです。志ある若い方々が、
この
外交の世界に飛び込んできて存分に活躍されることを強く願ってやみません。
17
18
C a r e er P ath
外交が「人 」
を育て、
「 人」が 外 交を支える。
2 1 年目
課長
2013 中東アフリカ局中東 第 二 課
湾岸地域を担当。
イラクなどの紛争地を駆け巡る。
管理職としてマネジメントとリーダーシップを心がける。
「ツール」の修得、そして
「ライフワーク」
を持つことで、
1 8 年目
外交は格段に面白くなる。
企画官
外務省は、間口の広い組織だと思います。外交と一口で言っても、地球上の全
2010 人事課
ての地域と海洋と宇宙を対象とし、
カバーする分野は、安全保障、軍縮・不拡散、
若手の人事異動や採用を担当。
科学、経済、
ODA、地球環境、文化、国際法、領事(邦人保護)、
インテリジェン
外務省志望の学生の熱意に触れ、
ス、
と多岐に亘っています。外交上の課題には困難な問題が多いですが、幅広い
「初志貫徹」
を胸に刻む。課長の代理。
分野に精通することで、問題解決のための様々な
「ツール」
を修得できます。
このよ
うに、
自らの
「ツール」
を駆使して、問題解決のために自分なりの独自の解決策を
1 4 年目
提示できるのが、外務省での仕事のやりがいです。
同時に、
自分なりの
「ライフワーク」
を持つ、
ということです。
どんな部署に配属され
参事官(大使館)
ても、
自分の
「ライフワーク」
に関心を持ち続けることは、重要なことだと思います。
2006 在米国大使館(総務班→政務班)
私自身は、
どんな部署でも、
日本の安全保障に強い関心を持ち続けてきました。
米国の安保・国防政策を担当。
日本の視点を反映させることに苦労。
現在の職場でも、
中東の不安定が日本の安全保障に与える影響は何か、例えば
大使館と本省との連携が何より大事。
総合職の皆さんに是非お薦めしたいことは、様々な
「ツール」
を修得することと
ペルシャ湾の安全のため日本は何ができるか、
を常に考えるようにしています。
「ラ
イフワーク」
を持つことで、外交は格段に面白くなると思います。
1 2 年目
首席事務官
中東アフリカ局中東第二課長
金井 正彰
KANAI ,Masaak i
1992年入省
2004 北米局北米第一課
米国・カナダとの政務関係を担当。
初めての中間管理職(課のナンバー2)。
6∼1 0 年目
人を使う難しさを痛感。
課長補佐
1997 総合外交政策局総務課
4∼5年目
入 省∼1年目
実務研修
1992 入省
在外研修
大使館
1995 在英国大使館(政務班)
1993 在外研修(英国)
英国の欧州政策を担当。
オックスフォード大で政治学・経済学を専攻。
日本人の元憲兵と英国人の
外交青書の編集を担当。
人脈づくりで苦労(後に糧となる)。
元戦争捕虜との和解に感動。
文書の書き方など、
BBCニュースで苦手のヒアリング特訓の毎日。
1 9 9 2 情 報 調 査局企 画 課
霞ヶ関の仕事のイロハを叩き込まれる。
19
2∼3年目
朝から晩まで情報取りに奔走。
1999 条約局条約課
2001 大臣秘書官室
2002 北米局日米安全保障条約課
初の原子力空母の横須賀への展開を担当。
日本の安全保障を真剣に考える日々。担当官としてのやりがい。
外 交は、国と国との関 係ですが、それを支えるのは「人」です。
ですから、外 務 省では、本 省 勤 務 、在 外公館勤務、
在 外 研 修( 留 学 )の機 会を全ての職員に与え、
キャリアを通した成 長の機 会を用意しています。
20
一人ひとりのキャリアパス−職員の現在地
国 際社会の中での
異 動の度に新しい経 験。
日本の魅力向 上のために貢 献したい。
そこで得た知識と人 脈で外 交官として成長したい。
「世界の中の日本」
をより素敵な存在にしていくことが、
日本
入省後2年間の本省勤務中は、
日本外交の最前線の一つ
のためにも世界のためにもなるはず。
そんな思いに責任を持っ
である朝鮮半島をめぐる外交課題への対応を通じ、政策の立
て真正面から取り組むことのできる場所に身を置きたいと思
案から実施までのプロセスを学ぶ貴重な経験が得られました。
い、外務省に入りました。最初の配属は、途上国開発における
英国での在外研修では、
ロンドンの開放的かつ活気に満ちた
多国間協力を扱う部署。
いかに日本の得意分野を活かしな
環境の中で、各国の学生と大学院で国際法を共に学び、専門
がら国際援助潮流の中で貢献し、
日本の政策を効果的にア
的な議論を英語で何とかやり抜くスキルを磨くことができまし
7
ピールするか、
という私の問題意識にまさに合致する課題に
関わる経験を得ました。海外留学中はシンガポールとロンド
ンに一年ずつ暮らし、世界中から集まった同級生たちと切磋
琢磨する刺激的な日々を送りました。研修後はミャンマーの
大使館で、大使の秘書官に。変化の著しい国で、世界各国各
界のハイレベルが何をどう動かそうとしているのか、
その思考
と行動を間近に見たのは得がたい経験となりました。帰国後
い期待をせず、
説得力を持ってアピールするのに役立ちました。
年目
また、異なる政治・経済的環境にいるインドと日本が共通の課
題に協力して対応した経験は、金融庁へ出向した際に、外務
省の同僚と、互いの強みを生かしながら政府全体で国際的
課題に取り組んでいく際の自信につながりました。
そして、今
はサブサハラ・アフリカ
(サハラ砂漠以南のアフリカ)担当部局
の日米間の貿易交渉では、
出向時代に得た金融分野の知識
に配属され、
国際場裡におけるアフリカ関連議論への貢献や、
や当時の人脈に助けられながら、交渉プランの立案・実施に
アフリカの平和と安定に向けた日本の政策の立案・実施など
携わっています。
この10年間、異動の度に新しいチャレンジが
■2013年
待っていましたが、
その度ごとに、
これまでの経験を基礎とし
北米局北米第二課
の課題に取り組んでいます。
まだまだ修行の必要な身だと痛
■2014年
感する日々ですが、国際社会の中での日本の魅力向上に少し
中東アフリカ局
アフリカ部
アフリカ第 一 課
でも貢献できるよう、今後も頑張っていきます。
中東アフリカ局アフリカ部アフリカ第一課
外務事務官
菊地 理美
■2013年
サミット等におけるアフリカ関 連 議 論や、
アフリカの平 和と安 定に向けた
施 策などを担当。
「 平 和と安 定 」は、
T ICA DⅤ
( 第5回アフリカ開 発 会 議)で
打ち出されたアフリカ開発の三本 柱の一つ。
在ミャンマー
日本 国 大 使 館
KI K U C H I , S a t o m i
2009年入省
てそれを一つ一つ乗り越え、実務を担う外交官として成長す
北米局北米第二課
■2011年
課長補佐
金融庁へ出向
柴田 隆
金 融 庁 国 際 室でアジア担当として、
日本の銀 行・保 険 会 社・証 券 会 社の
アジアでのビジネス環 境 整備のために
各 国の金 融当局と協 議を行う。
SH IB AT A, T a ka s hi
2005年入省
■2009年
在インド日本国大使館(政務班)
毎 年 開 催される定 期 首 脳 会 談の準 備や
原 子 力協 定 交 渉といった二 国 間のアジェンダに加え、
国 連 安 保 理 改 革やミャンマー・スリランカ政 策 等 、
地 域やグローバルな課 題についての協 力を推 進 。
■2011年
在外研修
( 海 外 留 学:シンガポール及び英 国 )
■ 2007年
両国の公共政策大学院の修 士 課 程で学びつつ、
英語力の向上に努めた。
長期休暇中は国際機関でのインターンシップを経 験し、
国際機関の立場から物を見る機 会も得た。
在外研修
(海外留学:英国)
■ 2009年 入 省
国際協力局
地球規模課題審 議 官 組 織
地球規模課題総 括 課
ミレニアム開発目標(M DG s )関連政策の
補佐的業務を担当。分野別開発政策
(ジェンダー、人の移 動、人口)の担当官として、
国際会議に出席する機会も与えられた。
年目
エネルギーやインフラ等の
幅広い日米間の経済協力に加え、
TPPと並行して行われる日米並行交渉
(自動車、保険等)の担当として、
首席交渉官を補佐。
ることができたと感じています。
東 南アジア勤 務を希 望し、
ミャンマーへ 。
儀 典( 大 使 秘 書 官 )
・政 務・総 務を担当。
ミャンマーが史 上 初めてA SEA N 議 長 国を務めた2 0 1 4 年には、
総 理や閣 僚をお迎えする業 務にも携わった。
21
10
た。
これは、続くインドでの大使館勤務において、
日本の考え
を相手に伝える際に、
「何となく空気を読んでもらう」
ことに甘
■2005年 入省
英 国・ロンドンの大 学 院で国 際 法 、
開 発 法 学を専 攻 。
本 省 勤 務 時 代の経 験を踏まえ、
国 際 法 的 視 座から日本と北 朝 鮮の
関 係を論 考する修 士 論 文を執 筆 。
アジア大 洋 州局北 東アジア課
北 朝 鮮 問 題( 核 実 験 、
ミサイル発 射 への対 応 )、
日韓 関 係( 環 境 協 力、ワーキングホリデー)
22
一人ひとりのキャリアパス−職員の現在地
国 際社会の流れを肌で感じ、
在 外 勤 務は外 務 省の醍 醐 味 。
日本 外交の重要な課題に責 任 感と緊 張 感をもって携わる。
日本の顔となることが求められ、チャレンジングな毎日。
私のこれまでの外務省生活のキーワードは3つです。
久しぶりに外交官として海外に赴任し、改めて、外務省の
キーワード1:横浜
醍醐味は在外勤務だなと感じています。
日本の政策や主張を
過去二回、
横浜での大規模な首脳会議を担当しました。
2008年の
きちんと相手に伝えつつ信頼関係を築いていくことに加え、様
TICADⅣ
(第四回アフリカ開発会議)
と2010年のAPEC首脳会議です。
々な場面で日本の顔となることが求められ、面白いとともにチ
TICADは日本が主導する国際会議で、
横浜に42か国のアフリカの首
ャレンジングでもあります。個人の裁量が大きく、比較的自由
脳や国際機関が集まり、
アフリカ開発の未来の指針(横浜宣言)
を採
に動けることも魅力です。海外から日本を客観的に見る機会
15
択しました。
APECではアジア太平洋の20の国・地域の代表が集まり、
地域の繁栄に向けたビジョン
(横浜ビジョン)
につき議論しました。
キーワード2:アメリカ
アメリカでの二年間の在外研修後、
ワシントンDCの大使館の広文部で、
米国で日本の立場や魅力を
「売り込む」
ために、
メディア・有識者に対するブ
リーフィング、
有識者との討論会開催から落語公演の際の音声・照明担当ま
で何でもやりました。
2005年愛知万博の際は、
着ぐるみに入って街中で万
見方をするためにも重要なことだと思います。
また、直近に2つの異なる国際機関を相手に仕事をし、
マ
年目
博を宣伝しました。
また、
日本の外交官として初めて、
米国務省で1年間勤
務する機会を与えられました。
ブッシュ政権からオバマ政権への移行のま
ロシア課での北方領土問題、
北東アジア課での北朝鮮による拉致・
核・ミサイル問題、
韓国との竹島問題。
いずれも一朝一夕に解決する問
■2 0 1 1 年
欧 州局ロシア課
総 理による10年ぶりのロシア公 式 訪 問。
題ではないですが、
日本外交が抱える非常に重要な課題です。
責任感
と緊張感をもって職務に励んでいます。
感じ、
その流れに身を任せるのではなく能動的に歴史を作る側に回り
たい、
③多くの人々・出来事との
「出会い」
を通じ、
職業生活を通じて研
鑽・学習を積み重ねたい、
という動機で入省しました。
いずれの点に照
らしても、
申し分のない、
やりがいある経験をしてきています。
アジア大洋州局北東アジア課
首席事務官
網谷 耕介
AM I Y A , K o s u k e
20 0 0 年 入 省
を強くしました。
マルチでは、
自分の主張を押し通すだけでは
なく、
日本にとって重要なこととそうでないことを整理し、時に
譲歩して妥協点を探ることも必要です。
そのような姿勢が仲
年目
ながっていくのです。OECD・DAC(開発援助委員会)
の副議
■2 0 1 3 年
アジア大 洋 州局北 東アジア課
( 北 朝 鮮 班 長 → 首 席 事 務官)
韓 国・北 朝 鮮 関 連 業 務
キーワード3:難しい外交課題
を考えて具体的行動に移したい、②激変する国際社会の流れを肌で
ルチ
(多数国間の枠組み)
はダイナミックで面白い、
との思い
間を増やし、結果として、
日本にとっても満足できる成果につ
っただ中で、
米国の政策形成を内側から観察することができました。
私は、
①日本のため、
国際社会のため、
という大きなスケールで物事
22
があることは、
日本の政策や方向性についてバランスがとれた
■2 0 0 9 年
経 済局アジア太 平 洋 経 済 協 力室
横 浜 A PEC:首 脳・閣 僚 会 議 、
全 国 各 地で各 種 閣 僚 会 合 等を開 催 。
■2 0 0 8 年
米 国 務 省(日米 外 交 官 交 流 )
えながら合意点を探っていく仕事をしたことは、
とても貴重な
■2 0 0 2 年
在 外 研 修( 海 外 留 学:米 国スワースモア大 学 政 治 科 学・学 士 号 取 得 )
日本とASEANの関係促進のため、
協力案件の形成の他、情報収集などを行う。
経験でした。今後もマルチにおける日本のプレゼンスを高める
ことに微力ながら貢献できればと思っています。
■2011年 経済協力開発機構(OECD)
日本政府代表部(参 事官)
OECD・開発援助委員会(DAC)
を担当。DAC副議長に就任。
EU援助審査では審査官を務めた。
東南アジア諸国連合日本政府代表部
公使参事官
■2008年 外務省欧州局西欧 課(首席事務官)
岡野 結城子
西欧地域にある21カ国を担当する課を総括。
■2007年 外務省国際協力局総合計 画(首席事務官)
O K AN O , Y uki ko
1993年入省
ODA
(政府開発援助)
の年度別重点方針の策定、
ODA大綱の運用等を総括。
■2005年 経済局海洋室・漁業室(首席事務 官)
国連海洋法条約に基づく大陸棚の延長申請や漁船拿捕事案、
マグロや捕鯨関係等を総括。
■2003年 内閣官房内閣情報調査局内閣衛星情報センター(出向)
■2006年
中東アフリカ局アフリカ審 議 官 組 織アフリカ第 二 課
第四回アフリカ開 発 会 議(TICADⅣ)
( 於:横 浜 )の開 催 。
■2 0 0 4 年
在アメリカ合 衆 国 大 使 館
パブリック・ディプロマシーを担当。
■2014年 東南アジア諸国連合(ASEAN)
日本政府代表部(公使参事官)
長を務め、
日本のみならずDAC全体の利益とは何なのかを考
情報収集衛星の打ち上げ運用を行うセンターの総務課に所属。
■2001年 条約局条約課
日シンガポール経済連携協定、
KEDO
(朝鮮半島エネルギー開発機構)、安全保障法制等を担当。
■1999年 経済局国際機関第二課
経済協力開発機構(OECD)
を担当する課で、
貿易委員会、農業委員会等を担当し、
サービス貿易のルール作りなどに関与した。
■1998年 内閣中央省庁等改革推進本部事務局(出向)
省庁再編に関する業務を行う事務局に出向し、独立行政法人に移行する機関の選定や省庁再編の対外広報に従事した。
■1996年 在豪州日本国大使館
政務班に所属。戦後処理、軍縮不拡散、
日豪情報協力等を担当。初めて要人通訳を経験。
■2000年 入省(東京大学大学院法学政治学研究科中退後)
国際社会協力部 地 球 規 模 問 題 課( 現 在の地 球 環 境 課 )
■1994年 在外研修(海外留学:英国ケンブリッジ大学)
St.Edmunds Collegeで社会政治科学(学士)
を専攻。
■1993年 入省 条約局国際協定課
条約の締結作業を任され、法制局審査や国会審議を経験。
23
24
一人ひとりのキャリアパス−職員の現在地
国 際社会で堂々と発言し、一 流の人 達と議 論し、
世 界のいろんな地 域 への深い理 解と洞 察 力が、
魅了し、必 要な時には説得する。
日本の次 世 代に役 立つ。
現在、広報文化外交戦略課長として、
日本の広報文化外
1981年の入省だから、
もう35年目になる。
当時はまだま
交を担当しています。
だ中東への日本人の関心は低く、
アラビア語を学ぶ人もそう
私の仕事は、国際社会において日本の主張、
日本の考え、
多くはなかった。
さらには日本の名誉が守られるよう、国際世論を形作っていく
しかし、振り返ってみると、省エネや代替エネルギーといっ
ことです。例えば総理訪米前にアメリカ世論に働きかけたいと
た現代的な課題は、中東地域を震源とする過去の二度の石
します。
まずは外務省や大使館が何をどうやって発信していく
油危機が遠因だ。
さらにこの地域には、
21世紀のこの時代に
25
かを考えます。
しかし同時にアメリカ世論全体を動かしていくた
めには多くの影響力のあるアメリカ人に日本の立場を理解して
もらい、
それをどんどん発信してもらうことも重要です。
そのため、
シンクタンクの関係者を説得してシンポジウムを開いてもらい、
そこに日本から著名な学者に行って頂く、
アメリカの著名な有
識者にウォール・ストリート・ジャーナルに書いてもらう、
アメリ
カ議会のスタッフと話しをし、
アメリカの議員に発言してもらう
の命が奪われているところもある。国際政治の厳しい現実だ。
このように中東は、政治的にも経済的にも、社会的にも常に世
年目
など様々なことを考え、
実施しなければなりません。
私が今、
課長としてそれが出来るのはこれまでの外務省にお
■2013年 広 報 文 化 外 交 戦 略課長
日本のイメージ向上のために尽力。
ているからです。
中東外交を担当している20代で戦時下のカン
■2010年 在 韓 国日本 国 大 使 館( 参 事官)
ダハールに飛び、
タリバーンと議論した経験、30代でモスクワ
延坪島砲撃事件、金正日死去、
李明博大統領の竹島上陸などの際の関連情報を現地で収集。
でロシア外務省の人達とアジア太平洋の安全保障を議論した
りジュネーブで人権委員会の分科会の議長を務めた経験、
こ
■2008年 日米 安 全 保 障 条 約 課( 企 画 官 )
こ最近では、
日米安全保障条約課で日米豪や日米韓の議長を
日米韓、
日米豪などの枠組みや海兵隊の
グアム移転問題などの議事を日本側議長として担当。
したりソウルで韓国の要人や在韓米軍と様々なことを議論した
■2006年 北 米 第 一 課( 首 席 事 務 官 )
経験、
これら全ての蓄積の上に現在の職務があります。
外務省に入る皆さんには、国際社会で堂々と発言し、一流
の人達と議論し、魅了し、必要な時には説得する、
日本を代表
して議論できる人物に是非なって欲しいと思います。
広報文化外交戦略課長
新居 雄介
界の大きな流れの中心にあり続けている。
もちろんこの中東という地域、
紛争や流血がすべてではない。
実に多様な民族や宗派、
バラエティに富んだ美しい風土、
そし
て豊かな文化と歴史に裏付けられた興味の尽きない地域でも
日米首脳会談をはじめ、
あらゆる日米間の接触に従事。
ブッシュ大統領とも握手。
■2004年 在ジュネーブ国 際 機 関日本 政 府 代 表 部
一つの地域のすべてを理解するには外交官の半生ではと
界のいろんな地域への深い理解と洞察力が、
日本の次の世
■2012年 領事局長
代の平和と繁栄に少しでも役に立つことを思えば、地域専門
アルジェリアのイナメナスにおける
プラント襲撃事案を担当。
家としての外交官冥利に尽きる。
■2010年 中東アフリカ局
(参事官→審議官)
■2007年 在エジプト大使館(公使)
中東アフリカ局長
■2004年 国際協力局政策課長
上村 司
ODA予算の獲得のため、
さまざまな工夫に取り組んだ。
また、経済協力全体の仕組みの再構築、特にJICAの組織改編に取り組んだ。
U E M U R A, T s uka s a
1981年入省
■2003年 在イラク大使館(参事官、臨時代理大使)
イラク戦争終結後の大使館再開に取り組む。
イラク復興支援の過程で同僚の奥大使、
井ノ上書記官、
イラク人運転手を武装集団の襲撃で喪う痛恨事に遭遇。
人権委員会における作業部会の議長として議事を采配、
その過程で調整のため、ASEAN諸国などを飛び回る。
■2001年 在ロシア日本 国 大 使 館
■2002年 南東アジア第二課長
ロシアの対米政策や対北朝鮮政策などについて日々意見交換、
ロシアという国の対外政策の理解に尽力。
アジアのイスラム諸国に関する知見を深めた。
■2000年 中東第一課長
■1999年 日米 安 全 保 障 条 約 課
00年秋に交渉が頓挫するまで、
中東和平問題解決のための多国間協議の一翼を担う。
■1997年 在サウジアラビア大使館(参事官)
■1997年 経 済局総 務 参 事 官 室
中東地域の一つのコアであるサウジアラビアで、
アラブのみならず、
ペルシャやトルコといった非アラブも含めて
中東情勢を俯瞰する見識を積むことが出来た。
同時に、湾岸の王政についての認識も深めた。
アジア経済危機を担当。
G7/G8サミット、APEC、ASEAN+3などのあらゆるプロセスを経験。
■1992年 中東を離れて、北米を担当する業務
■1995年 中近 東 第 二 課
イランの核開発問題、
アフガニスタンの和平工作、
湾岸諸国との石油外交を担当し、
中東諸国を飛び回る。
■1993年 国 際 報 道 課や国 連 政 策課に勤 務
安保理改革を担当。
■1991年 海 外 留 学( 在 外 研 修:米 国 )
■2014年 中東アフリカ局長
ても足りない。
それでもチャレンジする価値は大いにある。世
周辺事態安全国保法の国会通過に尽力。
その後、2011年9月11日に伴う
日本の安全保障政策を担当し、
テロ特措法の起案などを経験。
AR A I , Y u s u k e
19 9 0 年 入 省
年目
ある。
私たちのアジアとはまた違った素晴らしい魅力がある。
ける様々な経験と20年以上かけてつくってきた人脈が活きてき
大臣官房
35
なっても平穏な市民生活が脅かされ、毎日のように暴力で人
最初の3年は北米第二課首席事務官として日米経済関係を担当。
後半の3年は在米国大使館広報文化班一等書記官(経歴の中で唯一の非中東諸国での勤務)。
■1990年 海部内閣の官房副長官秘書官として官邸勤務
90年8月の第一次湾岸戦争を巡る一連の動きを政権の中枢で目の当たりに出来たことは、
それ以降の地域専門家としてのものの見方に大いにプラスとなった。
■1987年 経済協力局や官房総務課に勤務
■1982年 在外研修と最初の中東勤務
■1990年 入省 北 米 第 二 課
領事移住部領事 移 住 政 策 課
シリアでアラビア語研修(2年)、今の混乱が信じられないほど安定していたダマスカスで、
シリア国内もトルコ領内も津々浦々を巡り、地域の風土文化への見方を育んだ。
■1981年 入省 中東第一課
入省直後、
日米経済摩擦、湾岸戦争を経験。
25
26
国際 機関で活 躍する外務省職員たち
国際原子力機関(IA E A)
世界銀行
国際原子力機関事務局長特別補佐官(オーストリア・ウィーン)
世界銀行日本理事室(アメリカ合衆国・ワシントン)
市川とみ子
石塚 恵
I CHI KAWA,Tom ik o
1985年入省
ISH IZ U K A, M e gumi
2004年入省
2006年 軍縮不拡散・科学部 不拡散・科学原子力課長
2008年 アジア大洋州局大洋州課
2009年 経済局政策課長
2012年 国際協力局国別開発協力第三課 課長補佐
2011年 在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使
2012年 内閣府 国際平和協力本部事務局 参事官補佐
2014年 現職
2014年 現職
私は現在、国際原子力機関(IAEA)
で天野事務局長の特別
る文化的背景を持つ人々と共に仕事を進めるには、
常にオープンマ
補佐官を務めています。約20年前には旧ユーゴスラビアに展開し
インドであると共に、
相手に理解される形で自分の立場を主張する
た国連の平和維持活動(PKO)
に出向しましたので、国際機関勤
務は2回目です。外務本省でも国際機関に関係するポストを多く
「極度の貧困撲滅」
と
「繁栄の共有」
達成という大局的観点から発信していく方が、事務局や他国の理
事室からの共感や尊敬を集められ、物事を望ましい方向に進めら
ことが不可欠です。筋道の立った説明と説得力のある英語が欠か
を目指す世銀のガバナンスを司る
れやすいことが分かってきました。
せず、
日々の仕事がグローバルコミュニケーションの実践の場です。
世界銀行グループは、開発途上国の貧困削減と持続的な経済
それぞれの分野の専門家集団である世銀職員と対等に議論を
経験し、出向直前の3年間は在ウィーン国際機関日本政府代表
国際機関勤務は、
日本という立ち位置を一旦離れて、外から日
成長の実現を使命として、途上国に対し融資や技術支援を提供し
することは決して容易ではありません。
ですが、
多様な国籍やバック
部でIAEAを担当していました。
本外交を見る貴重な機会でもあります。
グローバルな課題に日々
ている国際機関です。
2030年までの
「極度の貧困撲滅」
と
「繁栄の
グラウンドを持つ人たちと交流しながら、開発支援に関する様々な
向き合いますので、
日本の視点からでは見えにくい各国の関心事
共有」
を二大目標に掲げる世銀グループは、
一つの組織内にあらゆ
課題に対して日本としてどう考えるかという課題に日々向き合い、
そ
項や国際関係をより良く知ることもできます。
こうした経験の全てを
る分野の専門家が揃い、
開発支援のためのグローバルな知見・ノウ
れを世銀の業務や運営を通じて実現するため効果的なアプローチ
いずれ日本の不拡散外交・マルチ
(多国間)外交の強化に活かせ
ハウを提供できることを強みとしています。
世銀本部に常設されてい
の仕方を考えて実践していく仕事には、外務省本省での政策形成
ればと考えています。
る理事会は総裁と25名の理事から成り、
世銀の業務や組織運営全
とはまた違った醍醐味があり、世銀という国際機関で働くことの魅
務の最大の魅力は、
そのトップの間近で、重要な政策決定過程や
般を監督し、
世銀のガバナンスを司る役割を担っています。
力を感じています。
100カ国近くからの職員約2500名を擁する組織の運営に、
日々関
日本は米国に次ぐ第二の出資国として世銀に単独の理事室を
われることです。
数人いる事務局長特別補佐官の中で私はマネジメ
構えており、私はその日本理事室に所属しています。毎週の理事会
ントを担当しています。
昨年夏の着任直後から担当部局と共に2年
審議にかけられる個々の融資プロジェクトや新政策について、事
に一度(2016-17年)
の予算編成に取り組み、加盟国の財政状況
前に事務局からの説明を聞き、本省と相談したり欧米を中心とし
が厳しい中で予算の実質増が理事会で支持され、多くの国がIA
た他の理事室の考えを聞いたりしながら日本の対応を検討し、理
国 際 機 関トップの間 近で
IAEAは、核不拡散と原子力の平和利用という日本にとっても
世界にとっても極めて重要な役割を担う国際機関です。現在の職
EAのマネジメントを評価する発言を嬉しく聞きました。
また、
イラン
事会等の場で理事をサポートしたり、
自ら出席して発言したりする
の核問題からIAEA付属の研究所の改修に至るまで、
幅広い活動
ことを日々の業務としています。
に財政と人事の観点から関与し、
6名いる事務次長と頻繁に連絡す
マルチ外交のダイナミクスの中で
日本のプレゼンスを発揮
るので、
組織全体の動きがわかります。
福島第一原子力発電所事故
直後に外務省で対外情報発信を担当した経験を踏まえて、
IAEA
による事故の報告書のレビューにも加わりました。
国際機関、特にIAEAが外務省や日本の省庁と大きく違うの
は、
トップダウンかつ少人数の関与で迅速に政策決定が行われる
こと、及びその時々のニーズに応じて事務局内の組織や担当をか
なり柔軟に変更できることでしょう。
どの組織も活動を支えるのは
学 生のみなさんへ
マネジメントですが、
この言葉が通常与える
(であろう)印象とは異
なり、
ダイナミックで刺激に満ちた毎日です。
日常=グローバルの日々
国際機関では業務はもちろん、
勤務環境もグローバルです。
国連
PKO勤務の際最も親しかった同僚2人は、
ケニアとヨルダンの出
身でした。
現在も様々な国籍の同僚と一緒に働いています。
全く異な
27
理事会の場は、
各国が国益を背景に意見を主張し合ったり自国
(Photo:D.Calma/IAEA)
の政策をアピールし合う国連のような国際機関の構図とは趣が少
M es s age
し異なっており、
世銀グループがその使命を効果的に達成するため
学生のみなさんへ
Me ssa g e
私は、
日本の貢献を通じて国際社会における紛争の解決と平和維
はどうあるべきかという観点から、二大目標に照らして業務遂行や
持・構築、
その後の開発に携わりたいという思いで外務省の門を叩き
「国際機関」
というと、各国とは切り離された別の組織というイメー
組織運営が適切な方向に進むよう大所高所から指針を与えること
ました。
これまで、
中東・アフリカ向けODA、国連PKO、世銀といった
ジがあるかもしれませんが、実際には、加盟国が議論をたたかわせる
が求められます。
以前外務省の国際協力局で二国間のODAを担当
様々な分野の異なる部署・組織で勤務する機会を得てきましたが、
フォーラムであったり、各国と共同して事業を行う実施主体であった
りします。
また、何千人もの人々の職場でもあり、外務省をはじめ各国
政府から職員を派遣する制度もあります。国際機関や多国間の会議
で各国の主張が飛び交う
「筋書きのないドラマ」
を経験することも外
交官の魅力のひとつだと思います。
する課で勤務をしていた時は、
国際社会に対して如何に日本の支援
をアピールするかという視点で仕事をしていたので、着任当初は立
ち位置の違いに戸惑うこともありました。
理事室での業務を通じて、
世銀理事会のように先進国と途上国が混在するマルチの場では、
新しいポストに就くたびごとに新たな世界が広がり、紛争解決と開発
の分野の知見を深められるだけでなく、関心の幅もまた広がっていき
ます。外務省は、
日本と国際社会の発展と繁栄に貢献したいという意
欲と志を持つ方にとって、幅広い可能性と他にはない機会を提供し
てくれる職場だと思います。
自国の立場のみに立った主張を展開するのではなく、
世銀の使命
28
そして、未 来 は 新 世 代に託される−在 外 研 修 員 の 声
米国
多様な国籍の同僚と様々な「視点」
を学ぶ
エジプト
私は今、米国ボストンにある大学院で在外研修としてinterdisciplinaryな国際関係を学んでいます。米国
語 学や地 域 情 勢を学び、魅 力ある外 交 官となるための研 修
アラビア語研修生としてエジプトの首都カイロで研修しています。
カイロは2011年から2013年にかけて2
内外からの学生は、政府機関や軍、民間企業の勤務経験者やNGO等現場で活躍してきた人など様々で、広
回の
「革命」
を経たばかりであることに加え、
中東・アフリカ地域最大の都市であることから近年はシリアやイ
く深く多様化する国際関係の問題や日々ニュースで流れる緊迫した情勢について、
その道の実務経験もある
エメンからの難民も多く、国際情勢を肌で感じることのできる刺激的な街です。
中東は問題の多い地域です
教授陣や学生と議論できる環境は常に刺激的です。研修では視点について学ぶことが多いと感じています。
が、
そのような中で懸命に生きる彼らとアラビア語で直接議論すると、
よりよい未来を築こうとする彼らの情熱
東アジア情勢のように、
日本が中心となる話題については、
日本の立場を発信し、積極的に意見交換をするよ
に心が震えます。私は地方出身で、
入省までアラブどころか外国とは無縁な人生でしたので、
私のような者でも語
うに努めています。他方で、
それは国際関係の様々なイシューのひとつにすぎず、
中東情勢やジェンダーなど、
学や地域情勢に関してみっちり学び専門性を身につけることができる研修制度は、
日本外務省を志望した理由の
日本が着実に貢献してきているとはいえ、特に欧米の高い関心と指導力の下、
日本の存在抜きで語られる分
ひとつでした。
これまでの1年間は語学の習得に専念してきましたが、今夏はイスラエル及び英国でのサマース
野や地域が多くあることに気づかされます。
そういう分野で、
アメリカや世界はどう考えているのか、
日本は今
クールに参加するとともに、
3年目の英語圏研修では、米国の大学院で研究することで、学術的にも世界の一
後いかなる行動をとっていくのか、
どんなアイディアや視点を打ち出せるのか。研修を通じ、外交が個人として
の力量を問われるchallengingな世界だと改めて感じています。広い視野と多様な視点を持って日本と世界
の平和と安定に貢献できるよう、努力したいと思います。
在アメリカ合衆国
日本国大使館 外交官補
在エジプト
日本国大使館 外交官補
流の専門家たちと渡り合えるレベルを目指しています。入省しなければ絶対に得られなかった貴重な機会を
青島 秀典
たいと思っています。
存分に活かし、研修が終わる頃には語学や知識の習得のみならず、
ひとりの人間として魅力的な外交官になり
AO SH IM A, H i de no r i
2012年入省
橋本 紗恵 子
2012年 中東アフリカ局中東第二課
2014年 現職
HAS H I M O T O , S a e k o
2012年入省
2012年 国際協力局地球環境課
2014年 現職
ドイツ
外務省員としての足腰を鍛える日々
2014年夏から、
ドイツのミュンヘン大学にて政治学部に所属しつつ、
ドイツ語の学習に励んでいます。
日々
の学習と生活を大使館および本省での勤務や今後の国際関係にいかに結び付けるべきか。
こうした目的意
識を持っているからこそ、
そこから逆算して現在すべきことが明確に見えてきます。社会人になってから留学す
る機会を得られるということは、非常に幸せなことだと思います。大使館での勤務や通訳が出来るほどの語学
力を習得することはもちろんのこと、任国の文化・慣習、経済、政治等に精通すること、人と人とのつながりを大
切にすることなど、
2年間の研修期間内にすべきことは多く、
また求められる質も高く、
1日1日が真剣勝負で、
密の濃い時間を過ごしています。
これまで最も面白かったのは、
EU統合の将来に関するゼミ、聖書や歴史に関するゼミです。
EU域内各国
から集まった学生との議論では、様々な意見が飛び交い、刺激的で新たな発見の連続です。
また、
ミュンヘン
大学には日本に興味がある学生が多く、
日々 日本のスポークスマン になりきって日本の情報や見解を正確に
伝えようと努力しています。
この2年間、
どれほど外務省員としての足腰を鍛えたかが、
これから働く際の基礎
在ドイツ
日本国大使館 外交官補
堀田 祥吾
HOTTA,Shogo
2012年入省
2012年 アジア大洋州局地域政策課
2014年 現職
29
体力を決める。大使館勤務が始まる日を想像しつつ、
こうした思いで研修に臨んでいます。
研修制度
1
2
3
4
5
入省の春。1ヶ月間、研修所で語学の基礎体力づくり
外務省の総合職員には、原則として、英、仏、独、
スペイン、
ロシア、
中国、
アラビア、朝鮮の8言語の中の一つが研修語として指定されます。
入省直後の4月は、実務や教養とともに、外務省研修所で研修語の学習に集中的に取り組みます。
実務を学ぶ2年間。語学や専門知識の研鑽はその間も続く
5月になれば、
いよいよ勤務開始。
それぞれの勤務先で外務省の仕事のやり方を学びながら、担当官として業務に取り組みます。
この間、
週に2回、本省内の研修所分室において、語学研修が行われます。
また、英語の集中研修の機会もあります。
留学前の2ヶ月。語学への理解を深め、同期の絆を強める貴重な時間
2年間の本省勤務を終えたら、再び研修所で合宿形式の集中研修を2カ月間行います。研修員とはいえ、海外に出れば日本の外交官とし
ての気概と品格を求められることに変わりはありません。業務を離れて静かな環境で語学と外務講義に専念し、在外研修に備えます。
世界各地へ
集中研修が終われば、全員が語学毎に世界各地に飛び立ちます。研修期間は語学によって2年から3年。研修地では、語学の習得はもち
ろんのこと、研修地の歴史、政治、経済、社会、文化も含めて勉強し、
その国の専門家として必要な知識を身につけます。
自らの専門
分野について更に深く勉強をすすめることも可能です。
いざ、在外公館へ
在外研修を終えると、
いよいよ在外公館勤務へ。
それまでに培った専門言語を活かしながら、外交交渉や通訳など、外交官として様々
な経験を積むことになります。外務省員の自己研鑽に終わりはありません。
30
外 務省の組織と機構
■ 構造図
国際社会というグローバルな舞台を視野に
それぞれの英知が生かされています。
大臣政務官 3
外務大臣
副大臣 2
外務審議官 2
外務事務次官
大臣官房
監察査察官
外務省研修所
儀典長
在外公館 207
外務報道官
国際文化交流審議官
本省
外務省の司令塔として
総合外交政策局
軍縮不拡散・科学部
アジア大洋州局
南部アジア部
北米局
霞が関の本省は、
日本外交の「頭脳」であり
「心臓」。
中南米局
日本の安全と繁栄を確保するために、
在外公館と緊密に連絡を取りながら、
外交政策の企画・立案・実施にあたっています。
欧州局
世界の中で生きる日本の
安全と繁栄を実現するために
外務本省で働く職員は約2300名。
世界有数の経済大国としてはコ
ンパクトな組織ですが、
日本外交の中枢にあって、
幅広い分野で外交政
策を方向づけていく司令塔的役割を担っています。
目指すのは、
大量
破壊兵器、
テロ、
麻薬、
感染症、
環境破壊などの地球規模の諸課題に
対処していくにあたり、
国際社会の潮流を日本が率先して形作っていく
こと。
そして、
近隣国から地球の裏側に至るまで、
他の国々との相互理
解や協力関係を深め、
世界の中で日本が生きていく上で良好な環境を
在外公館
中東アフリカ局
アフリカ部
外 交の多 様な現 場
世界各地に張りめぐらされた207の在外公館
(大使館、総領事館、政府代表部)のネットワークは、
創り出していくこと。
世界各地の在外公館と日々コミュニケーションを取り
外務省の目であり、耳であり、手足。同時に、本省の政策決定に
ながら、
そのために積極的な政策形成を進めています。
欠かせない情報や意見を提供する役割を果たします。
経済局
広く深く日本を理解して貰うために
日本の真の姿や考え方を理解して貰うために、在外公館では、積極的に海外発信を行っていま
す。具体的には、現地の報道機関や有識者と関係を構築し、
日本の外交政策や文化をはじめとする
様々な情報を提供しています。
また、
日本に関する誤解に基づく現地報道があれば迅速に反論する、
戦略的な外交を展開する
情報収集と交渉の
機動的な組織
世界の在外公館では、約3500名の職員たちが外交の最前線に身を置いています。
日本と相手国
本省の組織は、事務全般を総合的に調整する大臣官房、総合的
との二国間の接触においては、大使館のスタッフが、安全保障や経済から開発、地球規模課題に至
な外交政策の企画・立案・総括を行う総合外交政策局に加えて、経
済、国際協力、国際法、領事を分野別に扱う4つの機能局と、
アジア
大洋州、北米、
中南米、欧州、
中東アフリカを扱う5つの地域局に分
かれています。
また、情報の収集・分析を行う国際情報統括官組織
のほか、関係部署の下に、軍縮不拡散・科学部、南部アジア部、
アフ
リカ部、地球規模課題審議官組織がそれぞれ置かれています。
これ
ら各部署が互いに連携しながら、流動する国際情勢に機動的に対
応し、戦略的な外交を展開しています。
31
は「人脈」
るまで幅広い分野の外交政策について、相手国から日本の方針への理解や支持を引き出したり、
お
互いの妥協点を探ったりしながら、二国間関係の深化に貢献しています。一方、国際連合など多国
間の交渉の場では、政府代表部の職員が国際会議で日本政府を代表して意見を表明し、条約をは
じめとする国際的な文書の作成に携わる中で、
日本の国益にかなう成果を導くことを目指します。
この
ような交渉を成功裏に行うには、
日頃から、相手国政府や有力な有識者、他国の代表部職員、国際
機関の事務局などに食い込み、情報収集や意見交換を密にしておくことが欠かせません。現場の感
触をふまえた意見や提案を本省に送りつつ、現地で培った人脈を駆使して厳しい交渉局面を切り抜
けるために貢献することは、在外公館の仕事の大きな醍醐味と言えるでしょう。
などの活動を行っています。更に、大使や館員が各地で講演活動を行って日本の政策の発信に努
国際協力局
地球規模課題審議官
めるほか、
日本の伝統文化からポップカルチャー、観光資源まで日本の様々な魅力を紹介する取組も
積極的に進めています。
国際法局
海外で日本人を守る
海外における日本人の生命・財産を保護し、利益を増進することは、在外公館の重要な任務の1
つであり、近年、外国人を標的としたテロの脅威が拡散する中、
その役割が大きくなってきています。
領事局
そのため、
テロ・誘拐を含む事件、紛争、
自然災害、感染症などに関する情報収集を日頃から行い、
適時に必要な情報を提供することに努めています。更に、
こうした緊急事態が発生した場合には、外
務本省や現地の関係機関等と緊密に連絡を取りつつ、
日本人の安否確認や被害者支援を行い、状
国際情報統括官
況により国外退避を支援することもあります。
32
採用Q&A
Q1
A
Q2
A
どのような人材が求められていますか?
厳しい国際社会の中で日本の利益を追求していくため、
(1)国民のために働きたいという強い意志と責任感を持つこと、
(2)未知の課題に
積極的に取り組むチャレンジ精神を持つこと、
(3)冷静に考え、
かつ、機動的に動くことができることが求められています。
未だ見ぬ時代へ。
英語ができないと外務省には入れないのでしょうか?
採用選考は学力、適性等を総合的に勘案し、人物本位で行っています。外務省総合職職員として活躍するために英語力は重要ですので、
外務省としては、官庁訪問の際に、TOEFL又はIELTSのスコアを提出することを推奨しています。優れたスコアは高い語学能力を示すもの
未来への志のある学生の皆さんへ
として評価されます。他方、英語力のみによって採用の可否を決めることはありません。外務省は多様な人物を求めており、語学力が不十
分であっても、高い能力と意欲が評価されて採用され、入省後に語学力と外交官としての素養を得て活躍している職員も少なくありませ
ん。
なお、英語以外に得意言語があれば、
当該語学の公的な語学試験のスコアの提出を推奨しています。
Q3
A
私たち外務省の職員一人ひとりは、
この舞台の上で、明日の日本のため、
その全人格を以て業務に当たっています。
留学経験・海外生活経験がないのですが、採用されますか?
外交の最前線で日本を体現する。
採用選考は学力、適性等を総合的に勘案し、人物本位で行っています。留学経験・海外生活経験については、
その経験を通して何を会得
したかが重要であり、経験の有無のみを以て採用の可否を判断することはありません。
なお、外務省では、採用後、本省での研修及び勤務
を経て2−3年間の在外語学研修の機会が与えられます。
この研修の機会に高いレベルの語学力を得、
かつ、外交官としての素養を学ぶこ
とが求められます。
Q4
A
Q5
A
Q6
A
激動する国際社会において外務省は、
日本の安全と繁栄、
日本人の生命と財産を守るという大きな使命を背負って、
日々外交の最前線で業務を行っています。
皆さんは、
10年後、
どこで、
どのような仕事をしていたいですか?
30年後、皆さんの子供たちが生きる日本をどのような国にしたいですか?
国のために働きたい、
グローバルに活躍したい、未知の世界でチャレンジしたい、様々な人と共に平和で安全な国際社会を作りたい、
理系区分でも採用されますか?
外務省は、
その業務が多岐にわたることから、多様な人材を求めており、国家総合職試験の区分にとらわれず、人物本位で採用選考を行
っています。
どの区分の合格者も、官庁訪問において、面接等を通じた採用を行っています。
そのような熱い思いを持っている皆さんを外務省は求めています。
外務省採用担当一同
配属や転勤の希望はかないますか?
本人の能力、適性、希望等を総合的に考慮し、配属先が決定されます。概ね2−3年ごとに配属先が変わりますので、様々な仕事を通してよ
り多くの知識や経験を得る機会があります。
海外勤務はどれくらい続きますか?
新規採用者は、本省での2年間の研修を終えたのち、研修後を履修するのに適した国の大学、大学院などで2−3年間の研修を行いま
す。研修終了後はそのまま在外公館で勤務するか、帰国して本省で勤務することになります。
その後はおおむね2−3年ごとに異動があり、
本省と在外公館を交互に繰り返して勤務するのが一般的です。
Q7
A
女性の活躍の場はありますか?
外務省職員の約3割が女性職員であり、
男女によって仕事を区別することはありません。育児休業、配偶者同行休業などの各種制度を積
極的に活用しやすい雰囲気も醸成されていますので、女性が大いに実力を発揮できる職場です。
過 去 5 年 間の採用実績
院 卒
大 卒
採用年度
H22※
H23※
H24
H25
H26
行 政
­
­
7(2)
1
3
法 務
­
­
­
0
0
その他(工学・人間科学等)
­
­
2(1)
1
1(1)
法 律
16(5)
15(4)
9(3)
11(2)
14(8)
経 済
3
9(2)
1
4
5(1)
政治国際(旧行政)
3
1
0
1(1)
0
教養
­
­
­
7(2)
3
理工・農学・人間科学等
0
0
1
1
0
※平成22年度、
23年度は国家Ⅰ種試験を実施。
平成24年度からは総合職試験に移行。
院卒区分と大卒区分が分けられて、
さらに教養区分が導入された。
33
括弧内は女性の数
34
Fly UP