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「柔道試合審判規定」 の在り方に関する研究

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「柔道試合審判規定」 の在り方に関する研究
 r柔道試合審判規定」の在り方に関する研究
一「国際規定」と「講道館規定」に対する実践者の認識を通して一
専 攻 教科領域教育専攻
コース 生活健康系
学籍番号 MO5303D
氏 名 佐藤 博信
1.目的
平成18年現在、目本において適用される柔道
3.上記にもとづき、実践者に対する質問内容を
の試合審判規定には、主に「国際柔道連盟試合
作成し、アンケート調査を実施した。予備調査
審判規定」とr講道館柔道試合審判規定」の2
を経た本調査は平成18年9月∼ll月に行い、
っが在る。
有効回答者数757名を得た(回収率は85.5%)。
これら2つの規定は、大会の種類や性格によ
って使い分けられているが、両規定間のr相違」
皿.結果および考察
が選手と審判員、さらに指導者や観衆に困惑や
主な調査結果は、以下のようにまとめられる。
わずらわしさをもたらしてきたのが実情であり、
①「体重制」の考え方については、すでにそ
「柔道が世界的に発展した今、ルールを一つに
れが定着して40年以上が経過しているにもかか
統一すべきではないか」という意見も出されて
わらず、r無差別」による試合への希求が残存し
きた。そこで、何故に日本において2つの規定
ていた。
が存在し続けているのか、そして、2つの規定
②r技の評価」については、基本的にはr一
が併用されることによる「困惑やわずらわしさ」
本」への求めが存続し、「国際規定」に顕著な「ポ
を解消するにはどうすればよいのかという問題
イント」は時間内で勝敗を着ける便査上あ必要
意識により、本研究は、r国際規定」とr講道館
から容認される傾向にあった。
規定」に対する実践者(選手、審判員、指導者)
③「罰則」(ポイント化された積極的戦意の欠
の認識・考え方の把握を通して、規定のよりよ
如に対する罰則)については、全般的には肯定
い在り方を考究することを目的とした。
と否定に分かれる賛否両論であったが、指導者
あるいは審判員はやはり時間内で勝敗を着ける
H.方法
便宜上の必要からそれを容認する傾向にあり、
1.現行の商規定の主な相違点として、次の7
選手は「罰則」よりも「技」による勝敗決着を
点を抽出した(①r体重制」の考え方、②r技
望む傾向にあった。
の評価」、③「罰則」、④「勝負判定」、⑤「審
④「勝負の判定」については、「国際規定jで
判員ライセンスと段位」、⑥r礼法」、⑦rブル
採用されている「延長戦」(2005年∼)と、「講
ー柔道衣」)。
道館規定」が従来採用してきた「旗判定」の相
2.それらの相違点が生じた理由・背景にっい
違からみたが、全般的に「延長戦」の肯定が多
て、あらかじめ検討し整理した。
かった。その理由には、「旗判定」における審判
の主観をなるべく排除したいことがあると考え
を行う者が多いため、特に「講道館規定」によ
られた。ただし、選手では、指導者や審判員に
る審判との相違にわずらわしさを感じているか
比して、延長戦による体力消耗の激しさからそ
らであると捉えられた。
れに対してやや否定的な傾向にあった。
⑤「審判員ライセンスと段位」の関連につい
IV.結論および今後の課題
ては、全体的には柔道経験は審判員にとって必
以上の各論における実践者の認識を踏まえた
要不可欠であるとすう傾向にあり、特に指導者
うえで、今後の試合規定の在り方に対する結論
および審判員では「審判技術と選手時代の技術
をいえば、現場での混乱を避けるためには、実
は関連している」と捉える傾向が、選手よりも
践者がr中心となる規定」を明確に認識するこ
やや強かった。
とが重要となろう。そして、r中心となる規定」
⑥「礼法」については、基本的には伝統維持
とはやはり「国際規定」にならざるえず、それ
の傾向が認められたが、一方でr審判員が正面
に対していわば「周縁となる規定jが「講道館
に背を向けても失礼にならない」やr国際規定
規定jとなろう。これらが有機的に連関するこ
のように立ち姿勢で服装を直す方が良い」など
とが望ましいが、現行の「講道館規定」は「国
の項目では、やはり便宜上の必要から多くの者
際規定」に近似しつつあり、その存在意義が分
が肯定的であった。
かりにくくなっている。
⑦「ブルー柔道衣」については、全体的には
ただし、今回の調査結果を通して、例えばr技」
賛否両論であるが、国内での導入については特
や「礼法」への考え方については戦前来の競技
に指導者層を中心に、普及に関わる経済的負担、
観が根強く継承されており、試合規定の在り方
そして、誤審にはつながらないという理由から、
に対する実践者の認識は、今目なおも複層的で
現時点では「不要」で落着していると捉えられ
あることが確認された。その点も踏まえ、以下
た。
のような筆者の意見を提示したい。それは、「国
⑧両規定の在り方についてのr総論」として、
際規定」は競技者として最も力を発揮できる年
r講道館規定と国際規定の両方があって良い」、
代(高校生∼30才程度まで)に対して、しかも
「国際規定のみで良い」、「国際規定はスポーツ
高度な柔道を目指す者に対して採用すべきもの
としてのものであるため、伝統的な教育として
であり、少年柔道や学校体育の授業、一般の市
あるべき講道館規定を改訂せよ」、という3項目
民大会等の「大衆のための柔道競技」では、従
の中から1項目を選択させたが、全体的には過
来の「講道館規定」の考え方にもとづいた柔軟
半数を超えるものはなく、意見の分かれる傾向
性のある規定を設け、より多くの実践者が試合
にあった。ことに、r両規定があって良い」への
に参加できるように工夫する必要があろうとい
選択者数は、「30才以上」では他項目に比して
うものである。しかしその具体化については、
最も少なく、「30才未満」では他項目に比して
今後の課題である。
最も多かった。この結果は、r30才以上」では、
主任指導教員
千駄 忠至
高校部活動、大学部活動、その他社会人に対す
指導教員
永木 耕介
る指導者でかつ、B常的に「国際規定」で審判
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M05303D
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目次
1.研究の動機および目的………一一一……一一一一………一一一一一一一一…一 1
H.方法一…………一…一一…一……一………一一一一………一…一一一…一…4
1.r講道館規定」と「国際規定」の相違点一一一一一…一一一一一一一一一一…5
1)「体重制に対する考え方」一…一…一…一一一…一…一一一一一一……一…一…一・6
2)「技評価のポイント化に対する考え方」一…一…一……一一一一一15
3)「罰則のポイント化に対する考え方」………一…一…一一………20
4)「審判員制度に対する考え方一特に段位との関係から一」一一一一一一24
5)「礼法に対する考え方」一…………一…一………一…一一…一…一…・28
6)「ブルー柔道衣に対する考え方j一…一一………一一一一一…一一…一一・29
2.質問紙法による実践者の認識の把握……一…………一一……一…一32
1)質問紙の作成……………一…一……一一一一一一…一一一一…一……一・32
2)調査対象・時期…一…一…………一一一…………一一…一…………32
「本調査用・質問紙j一一一……………一一…………一一一一一……一一一33
皿.結果および考察一一一一…一一…一一一………一一…一一一……一一一一一37
1)
「体重制」について一………一…一…一一一一…一…一一一…一…一一一一39
2)
「技評価」について一……一…一一一…一一………一一一……一一……一45
3)
「罰則」について………一一一一……一……一一一一一…一一一一一一…一一一一57
4)
「旗判定と延長戦(ゴールデンスコア方式)」について一一一一一一……66
5)
「審判員ライセンスと段位」について一一一…………一一一一一…一一70
6)
「礼法等の違い」について一一一……一一一一一一一…一一一………一一75
7)「ブルー柔道衣」について……一一……一…一一・……一…一一一……・一80
8)「総論」として…一………一一・一一一一…一………一一一一……一一一…84
1V.結論および今後の課題…一…一一一…一…一一……一一…一一……一…一一一…88
参照文献一覧…一………一一…一…一…………一…一一…一一一……一一一一一一・92
1.研究の動機および目的
平成18年現在、目本において使用される柔道の試合審判規定には、主に「国際柔
道連盟試合審判規定」(以下、r国際規定」という)とr講道館柔道試合審判規定」(以下、
「講道館規定」という)の2つが在るn。
これら2つの規定は、大会の種類や性格によって使い分けられているが、例えば「目
本に試合審判ルールが2つもあるのが原因で試合で戸惑いがある」(金当国臣、柔道新
聞・平成2年6,月10日付2面)と述べられているように、これらの「相違」が選手と審
判員、さらに指導者や観衆に困惑やわずらわしさをもたらしてきたのが実情である。
筆者は現在、日常的に大学柔道部の指導に当たって各種の競技大会に選手を参加さ
せ、また、審判員も務めている。そのような立場から、何故に日本において2つの規
定が存在し続けているのか、そして、2つの規定が併用されることによる「困惑やわ
ずらわしさ」を解消するにはどのように在ればよいのか、そのことを考えてみたい、
というのが本研究の動機である。
「国際規定1は、1951(昭和26〉年にヨーロッパを中心に発足した「国際柔道連盟j
(lntemati・na1Jud・Feder孤i・nl以下、「IJF」と略記)2》によって1967(昭和42)年に制定された
1〉その他には、日本で初めて明文化された試合規定である「武徳会柔術試合審判規定」が明治32
でん
年に制定されているが、その制定を担ったのは、「日本傳講道館柔道」(以下、「柔道」という)
の創始者である嘉納冶五郎(以下、「嘉納」という)であり、翌年の33年に制定された「講道館
規定jとほぼ同じ内容であった(ちなみに、「講道館規定」当初の正式名称は、「講道館柔道乱捕
試合審判規程」であった)。また、「警察柔道試合審判規定1や、旧・高等専門学校において流布
した寝技重視の審判規定など、いわばローカル・ルール的なバリエーションも存在してきたが、
それらの基本となっているのはやはり「講道館規定!である。なお、明治15(1882)年に江戸期の
柔術諸派(主に、天神真楊流と起倒流)をもとに柔道を興した嘉納(万延元(1860)年生一昭和B
(亜938)年没〉は、東京大学卒業後、東京高等師範学校長および文部省参事官を長く務めた教育
界のエリートであり、また、明治42(1909)年からはアジア初のオリンピック委員を務め、目本
の体育界にも多大なる貢献を為した人物である。
2)なお、日本のIJFへの正式加盟は翌年の1952(昭和27)年である。
一1一
ものであるが、当初からしばらくの問は、「講道館規定」に則ったものであった1)。
そして、詳しくは本論において後述するが、これらの規定に相違が生じた基本的な
原因は、戦後のオリンピックに象徴される柔道競技の国際化により、他の競技スポー
ツ種目と同様、異文化間における競技者が共通に理解しうる試合規定がHFによって
求められたからであると考えられる。また、ことに1990年代に入ってからのIJFは、
「ダイナミックな柔道」をスローガンとし、テレビ・新聞等のメディアや観衆に対す
るアピールを意識してきたことも関わっていよう。1997(平成9)年、主要な国際大
会では競技者の一方がrブルー柔道衣ユを着用すると決定されたのもその一例である
(だが、日本では現在もブルー柔道衣の着用は認められていない)。
今日では、IJFへは187の国・地域が加盟しており、目本はその一つの加盟国であ
る。「体重制」、「技評価のポイント化」、「罰則のポイント化」、「ブルー柔道衣」、「ゴ
ールデンスコア(延長戦)方式1等々、IJFが提案するr国際規定」の改訂について、
これまで日本は総意としては反対してきた。そして、「講道館ルールは本来の柔道を
守るためにあるユ2)というのだが、一方では日本国内からも、「柔道が世界的に発展
した今、ルールを一つに統一すべきではないか」3)や、「国際ルールに一本化した方
がよい14》という声も出されてきた。つまり、日本における実践者の2つの規定に対
する捉え方は決して一様ではなく、交錯してきたのである。そして、「講道館規定」
も明治時代から一定不変であったわけではなく、細かな改訂5)が続けられ、ことに平
成7年には「国際規定」にかなり近づくように改訂されている。
1)「国際規定」が制定されるまでの世界選手権(第1回・1956年∼第5回・1967年)や東京オ
リンピック(1964年)では「講道館規定」がほぼそのまま適用され、また、当初の「国際規定」
は「講道館規定!をほぼそのまま英訳したものであった。
2)嘉納行光、柔道新闘・平成8年1月1目付1面、日本柔道新聞社.
3)徳、柔道新聞・平成7年11月10日付1面、日本柔道新聞社.
4)正木照夫、柔道新聞・平成8年1月20目付6面、日本柔道新聞社。
5)なお、「審判規定」の内容が改められた場合、斯界では通常、「改正」と呼ぶ。本文中におけ
る「引用文」が「改正」としている場合はもちろんそのまま使用するが、筆者自身が表現する場
合には、「改訂」もしくは「改変」とする。その理由は、「変化」したという事実に筆者の価値判
断をはさまず客観的に表現するためである。
。2一
このような情況に対する筆者の問題意識は、これまで、「国際規定」にしても「講
道館規定」にしても、時々の改訂に際しては斯界の中枢部における考え方によるのみ
で、例えば何らかの調査によって現場での実践者の意見が吸収され、それが反映され
るなどの手続きがとられることはなかった、という点にある。「改訂」は、いわゆる
「上意下達」方式によってなされてきたといえる。筆者は基本的に、柔道に限らずス
ポーツにおけるルールの改訂は、実践者の二一ズ(求め)を十分に考慮したうえで為
されるべきものであると考える。さらにいえば、若い競技選手と年配の指導者や審判
員との問には、規定に対する考え方にズレがあるようにも思われる。そのようなズレ
を把握したうえで、規定のよりよい在り方を模索する必要があろう。
以上から本研究の目的は、「国際規定」と「講道館規定」に対する実践者(選手、審
判員、指導者)の認識・考え方の把握を通して、規定のよりよい在り方を考究するこ
とにある。
。3一
II.方法
先述の目的を達成するための研究方法として、本研究では以下の手続きをとる。
①事実・現象としての「講道館規定」と「国際規定」の主な相違点を抽出する。
②それらの相違点を生じさせてきた、規定に対する考え方としての理由・背景につい
てあらかじめ検討し、整理する。
③上記の①および②にもとづいて質問紙を構成し、実践者へのアンケート調査を行う。
一4一
1.「講道館規定」と「国際規定」の相違点
平成18年現在に至るまでの、事実・現象としての「講道館規定」と「国際規定」
の主な相違点1)は、次の表1に示すものである。
表1.「講道館規定』と「国際規定』の主な相違点
講道館規定(明治33年∼)
体重制
国際規定(昭和42年∼)
昭和25年;学校柔道の課題
和27年;全国青年大会で実施
和39年;東京オリンピック以降に定着
たが、体重制無しで行う試合も多い
昭和42年∼;体重制が前提となり、細分化
進められた
技評価
大正期∼現在1一本→技あり→有効
昭和48∼現在;一本→技あり→有効→効果
罰 則
昭和56年∼現在;「教育的指導」有り
平成2年∼;「教育的指導」の削除
極的戦意の欠如1計5回で反則負け
寝 技
抑え込み時問130秒→一本
極的戦意の欠如;計4回で反則負け
抑え込み時間;25秒→一本
25秒→技あり
平成9年∼) 20秒→技あり
20秒→有効
15秒→有効
10秒→効果
ブルー柔道衣
不許可(平成18年現在まで)
平成9年∼義務づけ
勝敗判定
個人戦;戦後∼主に旗判定による
個人戦;平成14年∼延長戦による
審判員制度
段位による資格条件有り
段位による資格条件無し
礼 法
正面への礼の義務づけ
正面への礼の義務づけ無し
1)ここに挙げた相違点以外にも、「積極的戦意の欠如(消極的柔道)」や「標準的な組み方」筆
に対して罰則が与えられるまでの時間の長短(すべてにおいて「国際規定」の方が短い)や、「国
際規定」における通称・「5秒ルール」(場内の外枠を示す赤畳に両足を着けて5秒以上停止した
者に対する罰則)等、細かな相違点はまだある(ただし、「5秒ルール」は2006(平成18)年の
改訂で廃止された)。ここに挙げた相違点は、次節で述べるように、特に相違に根深い背景があり、
かつ、実践現場における問題として取り上げられることの多いものである。
一5一
では次に、上記の各々の相違点を生じさせてきた、規定に対する考え方としての理
由・背景についてあらかじめ検討し、整理しておく。
1)「体重制に対する考え方」
「体重制1とは、試合・競技において選手の体重を区分する制度であり、それは戦
後に新しく導入され実施されたものである’)。
ただし、戦前に「体重制」の発想が全く無かったわけではない。創始者の嘉納は「体
重制」について、「軽量の者から希望があれば、体重制の試合をしてもよいが案外軽
量の者が強く、希望する者がいないからやらないのだ」2)、「体重制もわるくはない
が、身体の小さい、目方の少ない日本人から、体重制にしてほしいといってはいけな
い。身体の小さい目方の少ない目本人が一番柔道は強いんだからな」3)と述べていた
という。もちろんこれらの発言から嘉納の「体重制」に関する考え方のすべてを知る
ことはできないが、少なくとも「体重制」の発想自体は戦前にすでにあったこと、し
かし一方で、「案外軽量の者が強い」というように、柔道の強弱は体重によって決定
1)なお、断っておくが、「体重制!にっいては正規の「国際規定」あるいは「講道館規定」に
おいて明記されているのではなく、試合競技の運用に関する「コード」において定められている
ものである。IJFによる「スポーツコード(ORGANAIZINGANDSPORTINGCODEORGANIZATON
RULES)」は、「国際柔道連盟規約と国際柔道連盟試合審判規定とともに、世界選手権大会、およ
び国際柔道連盟の責任と主催のもとで開催される全ての大会の運営を拘束する文書である」とさ
れるように、行事予定、年齢別、体重別、試合時間、試合方法などの運営面が規定されたもので
ある。これが初めて規定されたのは昭和42(1967)年であるが、日本の全柔連がこれに倣って
r柔道大会・試合運営要領」を規定したのは、平成4(1992)年とかなり後になってからである。
鮫島元成(1998)競技団体の組織化と発展.競技柔道の国際化一カラー柔道衣までの40年一.不
昧堂、PP.25−27。
2)発言の時点は不明;小谷澄之、柔道新聞・昭和36年1月1日付6面、目本柔道新聞社.
3)東京高等師範学校柔道部出身の小谷澄之が昭和8年に嘉納に随伴して欧州で指導を行った際
の発言;工藤一三、柔道新聞・昭和35年9月20目付2面、日本柔道新聞社.
一6一
づけられるものではない、と判断されていたことがわかる。この点について永木らは、
嘉納はやはり江戸期の柔術以来継承されてきた、「柔よく剛を制す」あるいは「小よ
く大を制す」という技術原理にもとづき、「体重制」の採用には踏み切らなかったの
であろうと推察しているn。つまり、「体重制」は、小さな者や力の弱い者でも大き
な者やカの強い者を制することができるという柔道の根本的な技術原理に抵触するも
のであるがゆえに、戦前ではその導入・採用に対する反対意見が支配的であったと考
えられる2)。さらにこの考え方を補強するのは、すでに戦前の「全目本選士権大会」
等ではすでに「年齢別」や「技術レベル別1に区分した試合が行われていたにもかか
わらず、「体重制」は導入されなかったという点であろう。
このように、戦前における「体重制」の導入・採用は慎重を期すべき大きな問題で
あるとされていたのだが、戦後においてそれが押し進められていった理由には、以下
で述べるように大きくは二つあるとみられる。
一つは、戦後直ちにGHQ(連合国軍総司令部)によって禁止された「学校柔道」が
昭和25年に復活許可されるに際して、「今後は柔道を競技スポーツとして行うこと」
が制約され、そこでは早くも「体重制の採用」が一っの課題として挙げられたことに
よる。もう一つは、昭和39年の東京オリンピックでの柔道競技採用という出来事に
よるものである。
終戦直後の昭和20年、柔道、剣道、弓道等のr武道」はGHQによってr軍事技
術(Militarya貢s)」であり、かつ、「軍国主義または超国家主義養成の温床1とみな
され、学校という公教育機関で行うことは全面禁止となった。しかしその後、主に柔
道界と文部省は学校柔道復活へ向けて地道な運動を展開し、昭和25年5月に復活が
1〉永木耕介・入江康平(2002)戦後柔道の「体重制1問題にみる競技観の諸相.武道学研究
Vo1.31,No。1,PP2−3.
2〉補足しておくが、明治15年の柔道の創始以降、嘉納による柔道界の統率力は絶大なもので
あった。例えば、嘉納が没する昭和13年までに講道館への直接の入門者は12万人に至っており、
間接の門人はすでに明治末頃には全国に数十万人在ったが(老松信一(1976)柔道百年.時事通
信社,pp.90−93)、その間において、嘉納の柔道に対する考え方(思想)への反駁はほとんどみら
れない。また、組織的な内部分裂も起こってはいないことから、彼による統率力も強大さは明ら
かであろう。
一7一
許可されることになる。その際、当時の文部大臣・天野貞祐は、GHQ総帥のダグラ
ス・マッカーサー(DouglasMacAfthur)に対して、次のような請願書を提出している1)。
r終職直後、文部省が戦時色を彿拭するために、學校における髄育の教材から除外し、
これまでのその實施を中止してまいりました柔道は、その後文部省において、各種の
資料にもとづき研究の結果、現在の柔道は、完全に民主的スポーツとしての性格、内
容をそなえ、その組織も民主的に運螢され健全に襲達しっっあって、もはや過去のよ
うな軍國主義との連關性において、取り扱われるような懸念がなくなりましたので、
學校スポーツの一教材として實施することはさしっかえないとの結論に達しました。
進駐軍關係者において柔道を愛好される方々が増加しつっある今日、貴當局において
もこのことの事實であることは、既におみとめくださっていることと存じます。(以
下、略)… ユ
そして、この前文でいうようなrスポーツとして行う」ためのr実施方法」として、
以下に示すように、「体重制」が記されたのである(傍、点・筆者)。
(二)実施方法にっいて
1.段別の外に体重別、年令別の試合も実施するようになった。
2.儀礼的なものは殆どなくなり、スポーツとしてたのしく行われるように
なった。
3.戦時中行ったような野外で戦技訓練の一部として集団的に行う方法を全
面的に廃止した。
4.当身技、関節技等の中で危険と思われる技等を除外した。
(三)審判について
1.誤審防止の徹底を期し主審の他に二名の副審をおき合議制にした。
2.完全に勝敗が決しなくても技術、態度、体重等を勘案して判定勝ちを認
めるようになった。
(四)一般人の関心について
1)大滝忠夫ほか(1951)学校柔道。不昧堂、pp。57−58。
一8一
1.新しい柔道に対する一般人の関心が高くなって観衆が多くなった。
2.特に女性の観衆が多くなった。
3,明るい気軽なふん囲気をつくってきた。
(五)競技会について
1.試合が戦前のように勝敗にとらわれなくなったので、ふん囲気が明朗に
なった。
2.競技設備や掲示報導の方法等を改善し、観衆の便宜を考慮するようになった。
3.出場者ならびに観衆に対して各種の儀式、作法等を強制しなくなった。
(六)柔道界の組織について
1.柔道をスポーツとして愛好する人々によって民主的組織が結成された。
2.役員ならびにその選出法、組織の運営は民主的になされた。
3.全国団体である全日本柔道連盟が、新たに、アマチュア団体である目本
体育協会に加盟している。
この際新しい柔道を学校スポーツ教材として實施することは適当な措置であると信
じますので、その實施をおみとめくださいますことをお願いいたします。
一九五〇年五月十三日 文部大臣 天野貞祐 マッカーサー元帥殿
このように、戦前では行われることのなかった「体重制jが、柔道を競技スポーツ
化するための具体的な方法の一っに挙げられた。補足しておくが、日本で「体重制」
が採用された公式な大会は、昭和27年の文部省主催による「全国青年大会」からで
あり、つまりこの請願書が出された昭和25年の時点では、「体重制」は未だ実際には
一9一
普及しておらず、「今後の課題」として挙げられたものであった1)。
では、もともと「体重制」の発想はどこから来たのであろうか。それは、すでに戦
前にオリンピック種目であったレスリングとボクシングから来たものといえる。特に
レスリングと柔道は素手で組み合うという競技形態が共通しており、例えばすでに明
治期において海外で活躍した幾人かの柔道家はレスラーとの異種格闘技戦を行ってお
り、互いに肌を合わせて接触していた2)。
そして、例えばアメリカでは、rボクシングやレスリングが世界的に体重別になっ
ている以上、同一形態の柔道を分ける意見が出るのは当然である。目本の柔道が体重
別なしで試合しているということを不合理に考えている」3)と報告されているように、
戦後の早い時期においてすでに種々の大会にr体重制」(主に四階級制)が採用されて
いた。つまり、競技スポーツであるならば、「体重制」は競争条件の平等化という点
1〉なお、永木によれば、この請願書の「実施方法について」のうち、「年令別」の試合はすで
に戦前の昭和5年に行われた第1回・全日本選士権大会から実施されており、「当身技、関節技等
の中で危険と思われる技等」もすでに戦前から除外されたものであった。また第三項に挙げられ
ている「三人制による審判」にっいても、昭和4年に行われた初の天覧試合で採用されており、
第三項の「判定勝ち」の決し方についても正式には規定されていなかった。このような事実から、
永木は、「特にルール面については、すでに戦前に実施されていたものや、その時点では未定のも
のが混在しており、その多くが当時において全く新しく改善されたとはいえないもの」であり、
したがってこの請願書は、GHQに対するいわば「便法」として提示された面があるとしている。
永木耕介(2006)嘉納柔道思想の継承と変容一国際化に伴うr教育的価値1と「競技化促進」の
相克一.筑波大学大学院・人間総合科学研究科・博士論文(体育科学),pp.146−153。
2〉例えば、講道館創設当初から嘉納を支えた高弟で、明治36年にアメリカに渡り当時の大統
領であったセオドア・ルーズベルトに柔道を教えた山下義紹は、アメリカ海軍兵学校の正課に柔
道が採用される際(明治37年)にルーズベルトの要求に答え、レスラーとの試合に応じている。
また、同じく高弟であった富田常次郎も明治38年にアメリカでレスラーとの試合を行っている。
なお、レスリングと並んで、ボクシングとの異種格闘技戦も世界を渡り歩いた柔道家によって数
多く行われた。また下るが、東京高等師範学校柔道部出身の小谷澄之(後に十段)は、昭和7年
にレスリングの日本代表選手として第10回・ロサンゼルスオリンピックに出場している。
3)伊集院浩、柔道新聞・昭和27年4月30日付3面、日本柔道新聞社.
一10一
から当然の如く求められたものであった1)。
そして、目本では昭和30年頃から柔道競技のオリンピック参加が問題となり、さ
らにr体重制の採用jが後押しされていくことになる。柔道競技のオリンピック参加
を提案し、また、そこでの「体重制の採刷を課題としたのは、やはりアメリカであ
った2)。その背景には、柔道をよく知る日系人や軍人などによってアメリカの柔道熱
が盛り上がっていたこともあるが3)、当時、10Cの中心的メンバーにアメリカのブラ
ンデージが在り(昭和20年から副会長、27年∼48年まで会長)、アメリカが10Cに直結し
た政治力を有していたこともあろう。
そして、1959(昭和34)年に第18回オリンピック大会が東京で行われることが決
定し(10C総会・ミュンヘン)、1960(昭和35)年に柔道が正式種目に取り上げられる
ことが承認(10C総会・ローマ)、そして1961(昭和36)年に、東京オリンピックでの
体重制採用が承認された(UF総会・パリ)。
「体重制」が初めて採用された東京オリンピック (1964・昭和39年)では、体重
区分は3階級(軽量級・中量級・重量級)であったが、っづく1972(昭和47)年のミュ
1)なお、例えば昭和30年の時点では、イギリスに柔道を定着・普及させた第一人者である小
泉軍治が、「英国はじめヨーロッパ柔道連盟では体重制は認めない。しかし、イタリーやドイツで
は体重制を希望している」(小泉軍治、柔道新聞・昭和30年3月1目付2面、目本柔道新聞社)
と述べているように、体重制の導入については欧州でもしばらく意見が分かれていたようである。
ちなみに小泉軍治の経歴は次のとおりである。もともと(嘉納と同じく)天神真揚流柔術を修行
した小泉は、1905(明治38)年に渡英、その後アメリカに渡ったが、1910(明治43)年から再び
ロンドンに滞在し、以来、1975(昭和40)年に79才で死去するまで当地で柔道指導を続けた。1918
(大正7)年には谷幸雄とともに「武道会」(当初は「ロンドン武道館」と呼称)を創設している。
そして嘉納は、1928(昭和3)年に「武道会」を訪れ、小泉と面会している。1933(昭和8)年、
嘉納に随行してf武道会jを訪れた小谷澄之は、「ロンドンには小泉、谷両先輩のように、英国婦
人と結婚されて長年この地で柔道の指導をされていた関係で、正しい柔道が普及していた」(傍点
・筆者、小谷澄之(1984)柔道一路一海外普及につくした五十年一.ベースボール・マガジン社,
p.39)と述べている。
2)伊集院浩、柔道新聞・昭和27年4月30目付3面、日本柔道新聞社.
3)前掲、小谷澄之(1984)、pp.30430.
一11・
ンヘンオリンピックと1976(昭和51)年のモントリオールオリンピックでは5階級
(軽量級・軽中量級・軽重量級・中量級・重量級)となって、徐々に細分化されていった1)。
また、昭和31(1956)年に東京で第1回が開催された「世界選手権大会」では、第4
回大会(昭和40・1965年)からオリンピックに倣い3階級が採られたが、昭和42(1967)
年の第5回大会から5階級となり、昭和52(1977)年の第10回大会からオリンピッ
クに先行する形で7階級となった(オリンピックでは昭和55・1980年のモスクワ大会から7
階級を採用)。また、「無差別級」については、世界選手権大会をはじめとして今目(平
成18年現在)に至っても残存しているが、オリンピックでは、10Cの競技全体に対す
る縮小政策のなかで、無差別級に勝つものは重量級の選手が圧倒的に多いという理由
により、1988(昭和63)年のソウル大会以降、廃止された2)。そのように、大会の運
営面からも無差別級の試合の存在意義が問われて現在に至っている。
以上のような「体重制」の導入・採用の過程で、日本は対外的には反対の立場をと
った。例えば昭和47年のIJF総会(ミュンヘン)では、かって第3回・世界選手権の
監督であった松本芳三を中心とした日本代表団は次のように提案している。
「柔道の技術は、体重無差別を建て前として構造化されている。体重無差別による
形と乱取が柔道の二大練習方式であり、この練習成果を競い合うのが試合本来の立場
である。したがって、HFの世界選手権試合などで体重別制を細分化することは、柔
道技術の本質を大きく変える危険性があり、技術の進歩を遅らせることになろう。ま
た優勝者の増加は、体重無差別の建て前を弱くさせる。(中略)現在における柔道の
試合は無差別が本体となり、各国ではこれに体重別、階級別、年齢別などの試合が段
階的、方便的に併用されて、それぞれの効果をあげている。問題は体重区分の細分化
によって柔道試合のあり方が、レスリングのような体重別制本位の傾向に移り、柔道
の優れた特性を失うのではないかとする点にある。」3)
1)なお、昭和43(1968)年のメキシコオリンピックでは、開催地における体制の不備という理
由から柔道競技は実施されなかった。
2)小俣幸嗣(1998)競技システム.競技柔道の国際化一カラー柔道衣までの40年一.不昧堂,P.159,
3)松本芳三(1975)柔道のコーチング.大修館書店,pp.374−375.
一12一
しかしながら、永木の研究によれば、このような反対意見は目本柔道界の総意とは
言い難いものであった。つまり国内では、昭和30年代を中心に「体重制の採用」に
ついての賛否両論が渦巻いていた。永木は、昭和27年から発刊された「柔道新聞」
を中心に、「体重制」に対する意見を「保守型」、「折衷型」、「革新型」の3類型に分
類し、検討している’)。その結果、東京オリンピックが開催されるまでの昭和30年
代において出された意見の総出現数が多く、また、「体重制」に反対する「保守型」、
およびその中間的な「折衷型」も出現している一方で、数的には「体重制」の導入・
採用に積極的な「革新型」が最も多かったことが明らかにされている(図1参照)。
25 〆∼♂譜■!∼/∼
年
図1.各類型からみた「体重制」に関する意見の出現数(「柔道新聞」による)
r革新型」の意見は、やはりr体重制」がもつ合理性に依拠したものである。例え
ば、岡部平太は、「カは則ち体重である」として、「精密に体重を測って、一人宛綱引
きをやらせて見ると三キログラム体重に差がある場合、百人やらせて九十五人までは
体重の重い方が勝つ」2)といい、他にも重量挙げや相撲を例に挙げて、体重制は合理
的であると主張している。また、東京教育大学教授であった大滝忠夫は、昭和28∼35
年までの全日本選手権をはじめとする通算991の国内試合を体重の大小から統計的に
1)永木耕介(2006)嘉納柔道思想の継承と変容一国際化に伴う「教育的価値」と「競技化促
進」の相克一。筑波大学大学院・人間総合科学研究科・博士論文(体育科学),pp.325−335。
2)岡部平太、柔道新聞・昭和27年8月20目付3面、日本柔道新聞社.なお岡部は、大正2∼6
年の間、東京高等師範学校柔道部に所属。後にアメリカヘ留学し、医学博士号を取得している
(後に八段)。
一13一
分析し、「大の勝ちが49%、小の勝ちが27%、引分けが24%となり、大の勝率は断然
群を抜いて高い」1)として、体重制を支持した。
また、明らかな反対意見を唱える「保守型」では、「『術』であるから体重制の要な
し」2)や、「柔道は芸術なり一柔道の本質を無視した体重制を採用したことは、柔道
をことさらに非芸術化し、代下りに質の低下を招来するものとして絶対反対を叫びた
い」3)などというように、基本的には戦前来の考え方を継承し、「柔よく剛を制す」
にもとづく芸術的な技の追究が求められた。また、r保守型」における別の視点から
発せられた意見として、(体重制は)「精力善用に制限を加えるj4)というものがある。
せいりょくぜんよう じたきょうえい
戦前に嘉納は「精力善用・自他共栄」という教育的理念を唱えた。「精力善用」とは
「心身の力を善いことへ向けて最も有効に使用すべし」というものであり、「自他共
栄」とは「お互いに助け合い譲り合いながら向上すべし」という平和思想にも結びつ
くものであった(なお、今日でもそれら「八文字」は柔道のスローガンとして受け継がれてい
る)。そして、それらの理念は畳の上の柔道実践へ向けられただけではなく、生活諸
般に活かすことが最大の目的とされた。そして、このように「生き方への活用」を(畳
の上での勝敗よりも)重視する「精力善用・自他共栄」論に立脚すれば、体重制は、「お
互いに学び合うべき相手を体重区分によって制限する」ことになり、柔道を行う価値
を減少させることになる、というわけである。すなわちこの種の意見は、「競技」と
いう枠内における単なる勝ち負けを超越し、広い視野における教育的な価値観から「体
重制」に反対するものといえる。
だが、先に述べたように、UFを中心に「体重制」は確立されていき、また図1に
示したように、目本国内でも、「体重制」が既成事実となった東京オリンピック以降
は、それに関する意見も全般に減少して今目に至っている。しかしながら今日でも、
例えば目本一の強者を決定する「全日本選手権」などは「体重無差別」で行われてお
り、先に示したようなr保守型」が全く消滅したともいえない情況にある。特に国内
にあっては、これまでにも体重の軽い者が重い者に勝っというケースを賛美し支持す
1)大瀧忠夫、柔道新聞・昭和36年9,月10日付4面、日本柔道新聞社.
2)松本尚山、柔道新聞・昭和28年2月1目付1面、日本柔道新聞社.
3)広田秀一、柔道新聞・昭和36年6月1目付2面、日本柔道新聞社.
4)西文雄、柔道新聞・昭和29年1,月1目2面、目本柔道新聞社.
一14一
る傾向には根強いものがある。例えば、昭和34年の全目本選手権での猪熊功選手の
優勝は、「体重制を必要としないことを証明した」1)といわれ、また同様に、昭和44
年の同大会での岡野功選手の優勝は、「久しぶりの柔よく剛を制すである」2)といわ
れ、そして、平成2年の同大会の優勝決定戦は体重130kgの小川直也選手と71kgの
古賀稔彦選手で争われたが、その結果準優勝した古賀選手は「古賀はよくがんばった。
軽量級のいい刺激になる」3)と評されたのである。
以上のことから、「体重制に対する考え方」は、いわゆる「革新型」と「保守型」
が交錯し、それらが膠着した状態で今日に至っていると考えられる。本研究ではその
点について検証しておきたい。
2)「技評価のポイント化に対する考え方」
すでに表1にも示したように、今目の「国際規定」と「講道館規定」の「技の評価」
にっいての相違点は、「国際規定」には「効果」があって、「講道館規定」にはそれが
ない、という点である。「効果」とは、技の評価の最下に位置するものであり、それ
を有する「国際規定」では、最上に位置する「一本」から、「技あり」→「有効」→
「効果」へと下る4段階評価となる。したがって、「効果」を有さない「講道館規定」
の3段階評価に比してよりr細分化」されており、元来「一本」しかなかった技の評
価はより「ポイント化」されているということになる。では、そのように技の評価が
細分化され、ポイント化されてきた経緯をみてみよう。
「講道館規定」では、明治33年にそれが制定されて以降、「一本」とは「完全・十
分なる技1のこととされてきた。そして、例えば「投技」の「一本」では、「大体に
いきおい
おいて仰向けに、相当のはずみまたは勢を以て、相手を投げる」という条件も、今
目に至るまでほとんど変化せずに維持されてきた4)。
1)広田秀一、柔道新聞・昭和34年5月20目付2面、日本柔道新聞社.
2)広田秀一、柔道新聞・昭和44年5月20日付4面、日本柔道新聞社.
3)神永昭夫、柔道新聞・平成2年5月10日付2面、日本柔道新聞社.
4)なお、柔道の技術体系はr投技、固技、当身技」の3種類から成っており、試合競技でr投
技」とともに用いられてきた「固技」については後述する。
一15一
そして「技あり」も、すでに明治33年の規定に顕れており、そこでは「投技にし
て十分の一本と見なし難きも技として相当の価値ありと認められるべきとき」と条件
づけられている。より詳しくいえば、「技あり」とは、「一本」に対する「八分∼九分」
(いわば80%∼90%の完成度)の「技」のことである1)。そして、明治33年の規定当初
において注目すべきは、「不十分なる技(技ありのこと;筆者注)幾回あるも審判者が
『合して一本』と掛声せざる前、試合者何れかに於て十分なる一本の勝を得たるとき
は其前に於て得たる不十分なる勝は総て効力を失ひ消滅するものとする」(傍点・筆者)
と示されているように、「技あり」を何回取ってもそれが審判によって認められない
時は「一本」とはみなさず、勝ちには至らない、とされていたことである。つまりこ
のことから、柔道においてはr一本」こそが勝敗を決定づけるものであり、如何にそ
れが重視されていたかが知れる2)。
そして、大正14年の規定改訂において、「技あり2回で一本」とされた。その理由
について、詳細は判明しないが、大正時代には学校間対抗試合等が盛んとなって全般
に試合数が増加したことから、便宜上、「八分∼九分」・の技を2回取れば「十分」(っ
まり、r一本」)とみなすようになったと推察される3)。だが、そこでも重要なのは、「技
あり」が「一本」の半分の評価(っまりr五分」)では決してなかったことである。つ
まり、「技あり」とは定量化されたポイントではなく、あくまで「一本」に迫るもの
であり、技の質を評価するものであったのである。なお、戦後の昭和26年の規定改
訂に至るまでは、「技あり1回」では確かな勝ちは得られなかった。言い換えれば、
1)嘉納治五郎(1916)柔道審判規定解説.柔道2(6),嘉納冶五郎大系2所収,本の友社,p.403,
等1なお、以下において、嘉納が遺した著述のほとんどを収録した「嘉納冶五郎大系」について
は、「大系」と略記する。
2)なお、大正14年の規定改訂に至るまで、「試合者の優劣は2回の勝負にて決すこと」(つま
り、「二本勝負」)が原則とされていた。その理由にっいての詳細は判明しないが、柔術時代から
引き継ぐ「武術としての真の実力」を試すという意味で、「二本」取ることが求められたものと考
えられる。尾形敬史(1998)審判規定の変遷.競技柔道の国際化一カラー柔道衣までの40年一,
不昧堂,P.44.
3)なお、後述する嘉納の考え方からもうかがえるように、大正14年の規定改訂より以前にも、
便宜上から「技あり2回で一本」とされるケースは概ね定着していたようである。
一16一
戦後の昭和26年の規定改訂から1回の技ありの取得が「優勢勝」に結びつくことが
明記されたのであるが、その規定(第31条)でも、r但し、『技あり』をとってもそ
の試合者が見苦しい試合をしたときは必ずしも『優勢勝』とはならない」(傍点・筆者)
とされていた。この「見苦しい試合をしたとき」という点にっいては、「罰則規定」
とも関わるため後項において述べるが、戦後初の規定改訂である昭和26年の時点か
ら、「技ありを取れば勝ちになる」という、「技のポイント化」がなされ始めたといえ
る。
次に、「有効」についての考え方は、以下のように、嘉納による大正5年の「柔道
審判規定解説」1)によく示されている。
わざ
「九分の業の後にさらに八分か九分の業が掛れば合せて一本とするのがもちろん当
然であるが、最初六分の業があってその後また六分や七分位の業があったならば、そ
の二本を合せて一本とすることは出来ぬ。」
ここでいう「九分の技」とは先述のように「技あり」のことで、「六分∼七分の技」
というのが「有効」のことである2〉。ここでも示されているように、「技あり」はあ
くまで「一本」にほぼ近い技であるから「2回で一本」であるが、その下位の「六分
∼七分の技」(っまり、r有効」)は「一本」へは結びつかない「技」であるとして、そ
れらは明確に区別されていた。そして、現行(平成18年現在)に至るまで、r『有効』
は何回取っても一回の『技あり』に及ばない」ということは一貫して不変であり、そ
の点では嘉納による「技の質的評価」に関する考え方が継承されていることになる。
そして、「国際規定」では、すでに述べたように、「有効」の下位に「効果」が設け
られている。「効果」の導入は、「国際規定」が制定されてから5年後の、昭和48(1973)
年、第8回・世界選手権の総会(スィス・ローザンヌ)で決定してから以降である。「効
果」の導入経緯について調査した尾形によれば、「効果」を「宣告ジェスチャーする
ことは、スポーツ委員会で多数の反対意見があり、総会でも多数の棄権票がありなが
1)嘉納治五郎(1916)柔道審判規定解説.柔道2(6),大系2,p.403.
2)なお、このr有効」は、昭和50年の規定改訂まではr技ありに近い技」と表現されていた。
一17一
ら、僅か一票の差で決定され」たという1)。さらに、それを受けた目本では、r『効果』
程度の技の効果は、複雑な総合判定を行わなければならない試合においては、その一
要素にしか過ぎないという場合もあるので、明示することは弊害が多いとの結論に達
し、国内では採用しないことにした」(傍点・筆者)2)。このような経緯からうかがえ
るのは、「国際規定」には勝敗を目に見える形で決定づけたい(っまり、できるだけ客
観化したい)という志向性があり、その背景にはやはりレスリングやボクシングのポ
イントによる勝敗の決定方法が影響しているように思われる。つまりそれは、競技ス
ポーツとしての柔道競技の捉え方といえる。そして、「講道館規定」では、先述のよ
うに基本的には「一本」を中心とした「技の質的な評価」にこだわってきたのである
が、やや異なる視点からうかがえるのは、先に示した、「『効果』程度を問題とせずに、
複雑な総合判定を行わなければならない」という点である。このr複雑」というもの
の中には、昭和26年の規定においても示されていた、「見苦しい試合をした時」とい
う試合態度の問題が含まれており、この問題をさらに拡大して捉えれば、やはり嘉納
時代から重視されていた、「人間教育としての柔道であるべし」という価値観にも関
わるであろう。つまり、勝敗の決着のみが試合の目的ではなく、試合は教育の一手段
である(したがって、r効果」という些末な技の評価に囚われない)という価値観が作用し
ていると捉えられるのである。
さらに言及しておけば、この捉え方の違いは、表1でも示した、「旗判定か、延長
戦か」という勝敗の決定方法の違いともっながる。従来から「講道館規定」では、時
問内に勝敗が着かない場合(極論すれば、r一本」を取れない場合)には、r引き分け」と
いう決着の付け方が存在してきた。っまり、何が何でも勝敗を決定するという強い志
向はなく、その理由は、やはり「試合は教育の一手段」であり、結果としての勝ち負
けよりも、「試合から何を学んだのか」の方が重要であるという考え方によろう。だ
が、ことに戦後では、競技スポーツとして行う以上、時問内においてできるだけ客観
的な形で勝敗を決することが求められ、先のr(試合者の態度・精神も含めた)複雑な総
合判定」を審判員が行うという、「旗判定」が用いられてきたのである。しかし、三
1)尾形敬史(1998)審判規定の変遷,競技柔道の国際化一カラー柔道衣までの40年一,不昧
堂,p。70.
2)試合審判規定研究委員会議事録・昭和48年12,月24目付.
一18一
人の審判員による「旗判定」という方法によっても、以前として主観が作用する面を
払拭できないということから、「国際規定」では「延長戦」(ゴールデンスコア方式と呼
ばれ、試合者のどちらか一方がポィントを奪った時点で競技が終了する)」の採用に至るわけ
である。
また、ここで「固技」としての「寝技」の評価法の相違について述べておく1)。「固
技」,は「抑え込み技、関節技、絞技」の3種類から成っているが、そのうち、「関節
技、絞技」についてはケースは少ないが立った状態で施される場合もある。そして、
立った状態で施される技群(つまりr投技」と、希ではあるがr関節技、絞技」)をその現
象面から「立技」と呼ぶのに対して、寝た状態で施される技群(っまり、「抑え込み技、
関節技、絞技」)が「寝技」と呼ばれてきた。そして、「関簿技、絞技」には「一本」
の判定しかない(技を掛けられた者がr参った」の合図をするか、試合続行不能に陥った場合
にのみ「一本」となる)が、「抑え込み技」はそれが施されている時間の長さによって、
投技と同様、「講道館規定」では「一本、技あり、有効」、「国際規定」ではそれらに
プラスして「効果」で評価される。そして、すでに表1に示したように、「国際規定」
の方がそれら各々の時間が短縮されている。「国際規定」が「抑え込み」時間を短縮
している理由には、完全な「抑え込み」に入れば逃れることが難しいため「講道館規
定」のr一本が30秒」では長すぎるとの判断があり、またそのことには、抑え込み
が長時間に及べば「見る側が退屈する」という点や、全体の試合時間を短縮したいと
いう運営上の問題も考慮されているように思われる。だが、かっての日本では「寝技1
の時間を無制限にとる(っまり、どちらかがr参った」するまで)といったローカル・ル
ールも存在しており、ことに旧・高等専門学校における対抗試合では「寝技」が重視
され、このことが「寝技」の技術開発・向上に多大な貢献を為してきたといわれてい
る。「寝技」が重視された理由には、技術の向上が「立技」に比べて早い、「一本」が
取りやすい、そして、始めから寝ているので投げられることがない、などがあった。
現行の規定では、「寝技において試合者双方の動きが止まった場合には『待て』とな
って立たせる」.ことになっており(この点では現行のr講道館規定」とr国際規定」に大き
な違いはない)、そのことに対して、「もっと寝技の時間を長くとってほしい」という
1)なお、先にも触れたように、柔道の技術体系はr投技、固技、当身技」の3種から成ってい
るが、試合競技では危険性の点から当身技が除かれ、r投技、固技」の2種で行われている。
一19一
選手による声を、筆者もしばしば耳にレてきたところである。したがって、以上のよ
うなr抑え込み時間」やr寝技の攻防への時間」に対する今目の実践者の捉え方につ
いても本研究で検証しておきたい。
なお、現行の「国際規定」でも、以上で述べた「寝技」・r立技」を問わず、「『有
効』は何回取っても『技あり』に至らず、『効果』は何回取って,も『有効』に至らな
い」となっており、その点では、「講道館規定」と同じく、嘉納時代の技の質的評価
法に従っている。ただし、これまでにも、例えば一時期ヨーロッパから、「一本」を14
点、「技あり」を7点、「有効」を5点、r効果」を3点とし、「有効」を3回とれば「一
本」相当の15点となって(また、r効果」を5回とれば同じくr一本」相当となって)試合
が終了するという「ポイント累積制」の考え方が発想されたこともあった’)。また、
日本においても、「スコアの累積も賛成論が多い。.よほどカの差がないと一本で勝て
ないのが最近の競技柔道である。『効果』二つで『有効』と累積するのはそれなりの
意味がある』2)という意見も出されている。このように、嘉納時代からの技の質的評
価法が今後も維持されるのかについては、予断を許さない情況となっている。
3)「罰則のポイント化に対する考え方」
「罰則」には様々な種類があるが、今目の試合競技の場において、最も頻繁に試合
者に与えられるのは、「積極的戦意の欠如(消極的柔道)1 対する罰則」である3)。
そして、今日ではこのr積極的戦意の欠如(消極的柔道)に対する罰則」について、
「講道館規定」と「国際規定」に相違が生じている。すでに表1に示したように、「講
道館規定」では、最初に与えられる「教育的指導」は「罰則」扱いではなく、2回目
以降から「指導」という「罰則」としてカウントされ、順次、累積されて「注意」、
「警告」、そして計5回で「反則負け」に至る。それに比して現行の「国際規定」で
は、「罰則」としての「指導」から始まり、「講道館規定」よりも1回少ない計4回で
1)柔道新聞記者(無記名)、柔道新聞・昭和63年9,月10日付2面、目本柔道新聞社.
2)徳、柔道新聞・平成9年4月1日付1.面、日本柔道新聞社.
3)もちろん、あらためて断るまでもなく、その他の罰則の主なものには、武術としての基本的
な技術特性から生じる、「危険な技や行為に対する罰則」がある。
一20一
「反則負け」に至る1)。
このr積極的戦意の欠如(消極的柔道)に対する罰則」は、一見、細かな違いのよ
うにみえるが、先述したように実際に試合現場において多発され、かつ、それが勝敗
に結びつくケースも多いため、選手と審判員にとってはかなりの違いとして認識され
ているように思われる。したがって、本研究ではこの点についても今日の実践者によ
る認識を検証しておきたい。
遡って、r積極的戦意の欠如(消極的柔道)に対する罰則」は、戦前のr講道館規定」
では明文化されたことはなく、したがって明確な「罰則」として扱われたことはなか
った。つまり、試合中に逃げ回ったり、一向に攻撃を仕掛けないなどといった行為や
態度は、r暗黙」のうちに戒められていたと思われる。この点について文化的な背景
から考察するなら、江戸時代の柔術において形成されていた「恥を知れ」という武士
的観念が柔道へと継承されたものであり、それをいちいちルールとして明文化するま
でもない、ということであったのだろう。
そもそもこの種の「罰則」は、先項でも触れたが、昭和26年の講道館規定の改訂
における「見苦しい試合をしたとき」という条項から始まったといえる。繰り返すが、
その規定から1回の「技あり」の取得が「優勢勝」に結びつくことが明記されたので
あり、「但し、『技あり』をとってもその試合者が見苦しい試合をしたときは必ずしも
『優勢勝』とはならない」(第31条;傍、点・筆者)とされたのであった。つまり、r見
苦しい試合をしたとき・・」という条項は、当時において技のポイント化による「優
勢勝」が多くなる傾向に対し、そのような「勝ち方」への「歯止め」として必要であ
った(具体的にいえば、「技あり」を取ったからといってその後逃げ回るような戦い方を許さな
いためのr罰則」であった)、と解釈できる。しかしながら結果的に、この条項の設定
がその後の「罰則」のポイント化を進めることになる。なぜなら、ますます客観的な
「勝敗の決定」が求められるという流れの中で、「技あり」だけでなく、「有効」とい
う技評価によっても「優勢勝」が認められるようになり、それに対応して整合性をも
1)なお「国際規定」では、平成15(2003)年の改訂から「注意」、r警告」という呼称は無くな
り、すべての「罰則」は「指導もしくは反則負け」の2種に絞られており、この呼称の相違とそ
れによる罰則の重みの相違もしばしば実践者に戸惑いを生じさせている。
一21一
たせるためには、r見苦しい試合をしたとき」という表現では曖昧すぎ、r罰則」も評
価・段階づけられる必要が生じていったからである1)。そして、しばらくの議論を経
た後に、昭和33年の規定改訂で、「警告」がr技あり」と同等、「注意」が「有効」(た
だし、当時に用いられた表現はr技ありに近い技」)と同等と明記され、「注意1回は、優
勢勝判定の資料となるj(第31条)とされた2)。
このように、昭和30年代に規定された、「技と罰則」の評価関係とそれらのポイン
ト化は今目へと受け継がれ、もはや定着しているが、その後もしばらくの間、それら
について反対意見が出されている。以下にその代表的なものを挙げておく。
r本来、柔道の勝負は『一本』または無勝負(引き分け)の二種しかなかったもの
だが、多勢の選手によってトーナメント法が採用されるにおよんで、『判定勝ち』が
必要となってきた。『技あり』は一本に少しう足りないが、技の効果(歩合い)を見
るために宣告するようになった。だが、『技あり』を幾つとっても一本にならなかっ
た時代もあった。そののちに『技あり』二つで『合わせ技』という奇妙な『技』をつ
くったのである。(中略)口を開くと、『一本尊重』という人は多い。たしかに『一本』
の冴えを失なってきた。最近の柔道はおもしろくもおかしくもないという不評を買っ
た。その原因は、何といっても審判規定である。無理をし、危険をおかして、一本を
とらなくても、柔道の勝負には勝てるからである。この弊害はどの試合にも随時随所
にはっきり現れている。(中略)一本が理想ではなく、技ありが理想である、とする
規定の改悪や、技ありと警告を合わせて『総合勝ち』などというバカげた規定をつく
って得意然としているのは情けない。」3)・
1)ただしここで断っておくが、「見苦しい試合をしたとき」として当時特に問題視されていた
のは、相手の攻撃から逃れるためにr場外に出ること」であり、一定の時間、攻撃動作をとらな
いこと、つまり積極的戦意の欠如に対するr教育的指導」が問題視されたのは、後になってから
である。
2)ちなみに、昭和36年の「準改正」でr技あり」と「警告」を合わせて「一本」とみなす
「総合勝」が明記された。
3)黙雷、柔道新聞・昭和45年6月1日付1面、目本柔道新聞社.
一22一
r僅差だ、有効だと審判される今の規定では選手も、効果や有効、場外など考えて
思いきりのいい、文字通りの熱戦激闘という壮絶な試合は出来ないのではなかろうか。
何が何でも勝負をつければいい、試合のための試合という審判の点数かせぎのための
試合では、何の味も魅力もなくなり、柔道の本質をだんだん失っていくと私は思う。」1)
そして、冒頭でも触れたように、「国際規定」が制定された昭和42(1967)年当初
は、ほぼ完全にr講道館規定3に依ったものであったため2)、先述のr講道館規定」
における「技と罰則」の評価関係とそれらのポイント化ももちろん「国際規定」に導
入された。そして今日の「積極的戦意の欠如(消極的柔道)に対する罰則」の相違点
となっている「教育的指導」は、「国際規定」では昭和49(1974)年からその表現が
用いられるようになり、「講道館規定」でそれが明記される昭和56(1981)年よりも
実は早かった。この点については、国際大会において技によるポイントを先取した選
手がその後守りに入って攻撃しないというケースが多く生じたこと、また、先に触れ
たように目本では、いわば「恥」の領域であるこの種の罰則を強いて明文化すること
に抵抗があったからであろうと思われる。
だがその後、「国際規定』では平成2年(1990)の改訂で「教育的指導」は無くな
り、それを犯した1回目から「指導」として罰則化された。その理由の詳細は不明だ
が、おそらく外国人の選手・審判にとって「教育的指導」の意味が十分に理解されず、
他の「罰則」と同様に「ダメなものはダメ」とはっきり規定した方が分かりやすい(っ
まり合理的である)という意見が勝ったからであろう。尾形は、「国際規定」で「教育
的指導」が削除された理由への考察を通して、r(国際規定では)反則は反則として位
置づけ、(中略)そこには、審判員の裁量や教育的な配慮が入り込む余地はなく、極
めて合理的・単純である」3)と結論づけている。
そして、このように「罰則」のポイント化がなされてきた結果、特に「技の評価」
1)武田力、柔道新聞・昭和50年11月10日付2面、目本柔道新聞社.
2)「国際規定」の原案作成は、当時IJFのスポーツ理事であった目本人・川村禎三(後に九段)
が行い、昭和42年のソルトレークのIJF総会で承認された。
3)尾形敬史(1998)審判規定の変遷.競技柔道の国際化一カラー柔道衣までの40年一,不昧
堂,P。83,
一23。
との整合性について、合理的な観点からは大きな問題が残されていることになる。つ
まり、すでに先項でみたように、r技評価」が質的評価であるのに対して、r罰則」は
累積評価(っまり、量的評価)となっていることである。その点からいえば、一時期に
ヨーロッパから発想されていた、r有効を3回取れば(あるいは効果を5回取れば)、合
計ポイントが一本相当となって試合が終了する」という評価法もある意味では説得力
があり、無視できないものがある。
さらに、現行の「技の質的評価法」の点から付け加えておけば、「一本」、「技あり」、
「有効」、「効果」’
いった評価はもちろん審判員が判定を下すものであるため、当然
ながら、その判定が正確なものかどうかが厳しく問われることになる。つまり、現行
の評価法では、片方の選手が「有効」をたとえ数回取っても、他方の選手が「技あり」
を1回でも取れば、「技あり」を取った選手が勝ちとなるため、時々の判定において、
r技ありなのか有効なのか」(また同様に、r有効なのか、効果なのか」)がシビアなもの
となるのである。このようなことから、特に戦後では判定の客観化をはかるために副
審を伴う三人審判員制(主審1名、副審2名)が採られ、また、主な国際大会では「誤
審」等の間題に対応するための「審判諮問委員(JURY)制度」1)が導入されるなど、
努力が払われてきた。日本(全目本柔道連盟)でも、平成18年度から国民体育大会(於
;兵庫県)等ではこの「JURY制度」に近いものが試行されているが、国際大会での
その制度の導入に比べれば、かなり遅れているといわざるえない。また、IJFでは「国
際規定」制定当初の昭和42(1967)年から「公認審判員制度」が導入されているが、
日本でのその導入も平成2年になってからとやはり遅かった。この辺りの審判員制度
に対する考え方の相違についても次項で確認しておきたい。
4)「審判員制度に対する考え方一特に段位との関係から一」
ここでは特に、審判員制度に関わるもののうち、審判員を何らかの客観的な手続き
によって公認する、「公認審判員制度」を中心にみておきたい。というのは、日本の
1)r審判諮問委員(JURY)制度」の機能は、①審判員の申し出により相談に応じる、②審判員
の重大な過失に対してこれを助ける、③諮問委員会の意見に沿って、審判員がその責任において
最終的に決定する、というものである。小俣幸嗣(1998)競技システム.競技柔道の国際化一カ
ラー柔道衣までの40年一,不昧堂,pp.139441,
。24璽
「公認審判員制度」では、その資格条件としてr段位」が設定されているが、諸外国
およびUFではその資格条件が明確に規定されていない、という相違があるからであ
る。特にIJFにおけるr公認審判員制度」がr段位」という条件を付帯しないことに
ついては、諸外国はこれまで独自の段位を発行しており、段位が必ずしも世界共通の
基準とは成り得ないということがあると考えられる(例えば、オランダ柔道連盟では+
段の人物が、目本の講道館が発行した段位では六段ということがあり得る)1)。だが、日本に
おけるr審判員と段位の関係性」については、以下でみるようにr柔道の教育性」と
いう問題が絡んでおり、慎重に検討すべき根深いものがある。
先に触れたように、IJFではr国際規定」制定当初の昭和42年から公認審判員制度
が導入されている。その理由は、すでに世界選手権が催され、オリンピックの種目と
もなった柔道競技では、世界の各地域連盟から偏りなく審判員を選出し、公正を期す
べきことが求められたからに他ならない。最初に公認された国際審判員には、アジア9
名うち日本人8名、ヨーロッパ5名、パンアメリカ2名の計16名が認定されたが、
昭和47(1972)年のミュンヘンオリンヒ。ック以降、国際大会の増加に伴ってその人数
は倍増していった。国際審判員の認定の手続きは、まず5大陸(アジア、ヨーロッパ、
パンアメリカ、アフリカ、オセアニア)各連盟の「Aj資格を有した者が「UF公認審判
員」の「BJ資格となり、その後、資格審査を経て「A」となる。なお、平成8(1996)
年現在で、国際審判員の「A」資格者は274名、rB」資格者は598名と報告されてお
り、平成9(1997)年以降では、rA」資格者は「インターナショナル・レフリー」、「B」
資格者は「コンチネンタル・レフリー」と呼ばれている2)。
そして、先述のように、この「IJF公認審判員制度」でも、また、多くの諸外国に
おける「審判員制度」でも、審判員の資格条件として明確に「段位」が位置づけられ
てはいない。一方、平成2年に設けられた目本の公認審判員制度では、「Aj「B」「C」
1)UFでは1981(昭和56年)以降、個人の「段位」を公式に「証明」する制度をもっているが、
これは、「各国連盟が主体をもって授与した段位をUFが認めることであり、UFによる段位とし
て認めることではない」と解釈されている。鮫島元成(1998)競技団体の組織化と発展.競技柔
道の国際化一カラー柔道衣までの40年一,不昧堂,pp,24−25.
2)小俣幸嗣(1998)競技システム.競技柔道の国際化一カラー柔道衣までの40年一,不昧堂,
PP.143軸148、
一25一
の3ランクに分けられる審判員ライセンスの取得において、男子の場合、rA」は六
段以上、rBJは四段以上、女子の場合、rA」は四段以上、rB」は三段以上、rC」は
男女ともに初段以上として、各々に「段位」が条件づけられている。
遡ってみれば、戦前においては「審判者は試合者より高段の者が審判するのを原
則」Pとされていた(傍点・筆者)。また戦後の早い時期においても、r五、六段の実
力がなければ審判は無理であろう」2)といわれているように、審判員の資格として暗
黙にr段位」が機能していた。そしてその理由は2つあると考えられる。1つは、段
位の高い者はもちろん十分な柔道経験者であり、その経験が特にr技の質的評価」の
際に不可欠であるという考え方にある。「柔道の経験は、審判員の絶対的条件だ。そ
れでないと微妙なところが見えない」3)というわけである。もう1つは、そのような
「技を観る目」とは別に、審判員には従来から教育者としての側面が求められてきた
ということがある。つまりそれは、「試合は教育の一手段」であり、言い換えれば、
「試合は人を育てるために行うものである」という競技観に依拠している。その競技
じ じ ロ ロ ロ の 観は、例えば嘉納が「目の前の勝敗ということより柔道修行の終極の目的を考えて、
ひ ヨ ご ピ ら ね の ひ の ひ の び ロ ら の の ひ の の
あくまでも柔道の修行が人格の養成、精神の修養に資するようにしたいものである」4)
(傍点・筆者)と述べていることによく示されている。さらに嘉納は、審判における
いわゆる「誤審」に対しても、「例え誤審があったとしても、試合者の方があきらめ
るべきである」という主旨の発言をしたという5)。このように、ことに戦前において
はr勝敗」よりもr教育」が重視されていたといえる。
そして「段位」とは、柔道修行による成果を評価するシステムである。この「段位
制」は、柔術時代の「位階制」が受け継がれたもので、ただ単に「技能の高さ」のみ
1)村上邦夫(1937)柔道審判規程解説(・一).柔道8(2),pp.10−11.
2)商廣三郎、柔道新聞・昭和27年6月30日付2面、日本柔道新闘社f∫
3)座談会、柔道新聞・昭和49年1月20日付3面、目本柔道新闘社.,、直,㌔’
4)嘉納治五郎(1918)柔道の修行者に告ぐ.柔道4(2),大系2,鱒210−211.
5)工藤一三、柔道新聞・昭和31年9月蜂陣鯵4薗、日本柔道新聞社.
一26一
ではなく、r継続陶を必須条件としてきたn。そこには、r修行という技術習得のプ
ロセスが人格の向上に結びつく」とする価値観が含み込まれており、それ故に、継続
性のうえに成り立つ「段位」は、人間性への評価と結びつくのである2)。
したがって、「段位」というものが人間性に対する評価を重視したものであり、試
合という場に、人(審判員)が人(選手)を教育的に評価するという従来の意図が加
わるかぎりにおいて、高段者は審判員としてふさわしい者とされるわけである。
しかしながら、戦後における柔道の競技スポーツ化の波は、当然の如く、審判員に
対する公正さと審判技術の向上を求めていくことになり、例えばr柔道技術の向上と、
柔道審判能力の良否とは判然たる別個の存在であることをここに明示しなければなら
ない。(中略)柔道技術に精励した人だからといって、かならずしも誰でもが審判の
適格者であるとは、むしろ言えない場合が多い現状である」3)というように、柔道そ
のものに対する経験の深さ(≒技能の高さ)乏審判能力は「別もの」であるという見
方が、戦後の早い時期からも起こっていく。同様に、「商段者が必ず名審判であると
は限らない、むしろ新人審判の起用を求める」4)というような審判員の「若年化」も
求められるようになる。そして、このような考え方の延長として、例えばr柔道界で
も審判員は『段』や『年齢』でなくテストを行ない公認審判員として、それぞれの大
会に格付けをして審判をやらせたがよいのではないか」5)というような、「公認審判
員制度」の必要性も問われ始めていったのである。このような考え方は、IJFによる
1)永木耕介(1999〉武術の運営システムー柔術流派にみる家元制一.体育科教育47(11),大修
館書店,pp,73・75.
2)例えば、戦前(昭和12年および13年)の講道館内での出来事として、嘉納を交えた「勉強
会」において、ある者が「人格的に問題がある高段者を教育者として認められているようですが
一」という質間を発したが、それに対して嘉納は、「道場における修行歴の長いものを一応指導者
と認めている」と返答したという証言がある(r嘉納師範との対話」、山崎孝治、柔道新聞・昭和56
年2月1日付4面、日本柔道新闘杜)。このことからも、r修行の継続性」が精神・人格面を推し
量る一つの基準として重視されていたことがわかる。
3)阿部謙四郎、柔道新聞・昭和28年2月20日付2面、日本柔道新聞社.
4)小川長治郎、柔道新聞・昭和27年11月10目付3面、日本柔道新聞社.
5)黙雷、柔道新聞・昭和41年9月10日付1面、日本柔道新聞社.
一27一
.「公認審判員制度」と同じ方向性をもつものといえるが、先述したように日本におけ
るr公認審判員制度」の成立はかなり遅れた。その理由について極論すれば、r日本
には段位制があるので、審判員に対するテストなど不要」という考え方があったよう
に思われる。例えば、「柔道の試合の審判は規則を熟知しただけのロボット的技術者
であってはならない。柔道によって高度に磨き上げられた人格が、審判としてもその
光芒を放つものであろう」nや、「ワザの判定だけの審判でなく、柔道精神に徹する
見識をもった審判をする、(中略)つまり、あの人の審判は、『うまい』と評されるこ
とも好ましいが、『りっぱ』だと云われることが、もっと尊ばれることが大切である
ことを知ってほしい」21というように、暗黙のうちに審判員にはr段位がもつ人格」
を期待する意見も存続してきた。そして、遅れて制度化された日本の「公認審判員制
度」にも、やはりその資格条件には「段位」が設定され今日に至っているのである。一
以上のことから、本研究では、審判員と段位の関係性について今目の実践者がどの
ように捉えているのか、その点についても検証したい。
5〉「礼法に対する考え方」
「礼法」は、遡ってみれば、江戸期の柔術以来、武術における行動規範として定め
られてきたものである。しかし、江戸末期の柔術には200近くの流派が存在しており、
「礼法」は個々の流派によってかなりの相違があったとみられる。明治期に至って、
嘉納による柔道が次第に柔術洗派を統合していき3)、「礼法」についてもいわば「講
道館流」が全国的に流布していったと考えられる。また戦前期においては、礼法にお
けるr右起左座」(座礼において右足から立ち上がって左足から座ること)や、道場に神棚
を置くこと等、さらに統一的な様式化が為されたが、それは、柔道に限らず武道全般
を統轄していた「大目本武徳会」によって進められたものである4)。そして、例えぱ
「神棚の設置」は、(武道とは)「神武の道」といわれたような表現からも理解される
1)盲蛇、柔道新聞・昭和36年7月20日付2面、日本柔道新聞社.
2)工藤一三、柔道新聞・昭和42年12月10日付3面、日本柔道新聞社,
3)永木耕介(1998〉講道館による柔術流派の統合とr自由乱捕」。柔道69(12),講道館,pp.71−76,
4)中村民雄(2004)今、なぜ武道か一文化と伝統を問う一第17回・「礼」.武道VG1.450,日
本武道館,pp,30・33、
廟28・
ように、当時の天皇制教育の一環として強制的に行われたものであった。そこで、戦
後の新たな教育体制の下での学校柔道の復活時には、すでに「体重制」の項でみたよ
うに、r儀礼的なものは殆どなく」した(昭和25年の天野文相による学校柔道復活の請願
書)として、以降、学校における道場から神棚は除去され(さらには、r道場」という表
現すら公的には使用されず、「格技場」と言い換えられた)、また「礼法」についても「学ぶ
べきもの」として学習指導要領に明記されることはなかった1)。さらに、「礼法」に
対する強制力あるいは拘東力が弱まっていった理由には、やはり国際化によって異な
る宗教を文化背景にもつ人々が集う機会が増え、日本式・r礼法」への共通理解が得
られにくくなったこともある。・例えば、r講道館規定」では「正面(上座)への礼」
は行うべきものと規定され、日本の競技試合では今目でもそれが慣行されているが、
「国際規定」ではそれへの明確な規定はない。っまり広く外国人に対して、選手同士
がお互いに礼をする様式は西洋流の握手と同様に「相手への敬意を示す行為」である
と説明しうるが、「正面(上座)とは何であり、具体的には誰への礼であるのか」に
ついては、十分な説明ができないのである。また、目本では審判員が「正面(上座)
に背中(つまり、尻)を向けて立つことは無礼である」ということについて今だに暗
黙の了解があるように思われるが、「国際規定」では「審判員は競技を見やすい位置
に立つこと」が前提となっており、国際大会ではたとえ「正面(上座)に背中を向け
て立っこと」があっても何ら取り沙汰される問題ではない(日本では、たとえ「国際規
定」を用いた審判を行っていても、やはり正面に背中を向けて立つことへの違和感は残っている
ように思われる)。このように、「礼法」そのものへの考え方や、それを支えている文
化的背景には意味深い相違があるのであり、したがって、それらに対する今日の目本
の実践者の考え方はどのようなものであるのか、その点についても本研究で検証して
おきたい。
6)「ブルー柔道衣に対する考え方」
日本では、柔道が創始されて以降、太綿制で色を染めない柔道衣が着用されてきた
1)ただし、試合の規定上においては「礼法の定め」は途絶えることなく今日まで存続しており、
「礼法の遵守』が口やかましく指導されてきたのは確かである。
・29一
⊥)
その主な理由には、柔道普及のために、できるだけ安価な道衣が望まれたことが
あるとされている2)。したがってその点からいえば、r柔道衣は白でなければならな
い」という理由は見当たらず、また、これまでの規定上においても、柔道衣の色が規
定されたことはない。
「ブルー柔道衣」の採用の経緯は、まず、昭和63(1988)年のヨーロッパ選手権(ス
ペイン・パンプローナ)でブルー柔道衣が採用され、その後、平成元(1989)年および
平成5(1993)年の2度にわたり欧州柔道連盟によって国際大会におけるrカラー柔
道衣採用案」がUF総会に提案された。そして当案は、目本をはじめとする反対によ
って一旦否決されたが、平成9(1997)年のIJF総会における三たびの提案で、r127
対38」の票差でもって可決された3)。
当初の欧州柔道連盟による提案には、カラー柔道衣は、主に視覚障害者が柔道を行
う際に役立つという意図もあったようである4)。そして、本質的な理由として強調さ
れたのは、カラー化によって「誤審を防ぐ」という点であったが、実際上の主な理由
は、テレビ等のメディアを中心とした「観る側」に試合を分かりやすくさせるという
点にあり、いわぱ試合のアピール度を高め、柔道競技が生き残るための手段としてで
あったといえる。rカラー柔道衣はテレビが要求しているのです。(中略)全く柔道を
知らない人にも分かるようにしないと、他の派手なスポーツに押し出されてしまうこ
とになります」6)というようにである。
そして、先に述べたように、目本は総意としてはカラー化に反対したが、実際は国
1)ただし、例えば嘉納が柔術の修行時代に用いていた道衣はいわゆる「ちゃんちゃんこ」の類
で無色ではなかった。また戦前では、嘉納を初め、高段者による公式的な「形」の演武の際には、
紺染めの羽織袴を着衣することもあった。
2)永木耕介(2004)r柔道」,中村哲編,和文化一日本の伝統を体感するQA事典,明治図書,
PP、248・249・
3)鮫島元成(1998)競技システム.競技柔道の国際化一カラー柔道衣までの40年一.不昧堂,
PP.164・17L
4)弦間美枝子ら(2005)ブルー柔道衣導入の背景に関する研究一柔道衣における色彩の意味一
武道学研究Vo1.38・別冊大会号,p,31.
5)ビルヘルム・ホフケン、柔道新聞・平成5年2月1日付4面、目本柔道新聞社.
一30一
内においてもその問題に対する種々の意見が出されており、ブルー柔道衣の着用を肯
定する意見もみられる。例えば、「確かに、柔道は白い柔道着に黒帯という装いが一
般的であるが、他の武道に目を転じてみれば、必ずしも『白』は絶対的ではない。(中
略)その昔、戦場に赴く武士が、色あでやかな装束、よろいかぶとに身を固めたこと
を思うと、別の角度から『なぜ目本人が白に固執しなければならないのか?』という
素朴な疑問がわいてくる」1)というように、「柔道着は白色でなければならない」と
いうことに対する本質的な疑義も投げかけられている。しかし、「少なくとも白は柔
道の心や礼節を表現する色だし、柔道が始まった時からの伝統の色を大切にしたい」2)
など根強い反対意見もあって、平成18年現在においても国内大会での「ブルー柔道
衣」の着用は認められていない。なお、日本(全柔連)がrブルー柔道衣」に反対し
た理由の1つに、各選手が白と青の2着を購入、運搬しなければならないという「経
済的負担増」3)の問題があるが、この点にっいては、明治時代からの「柔道普及のた
めには安価な柔道衣を」という考え方を踏襲したものといえる。
以上を踏まえ、「ブルー柔道衣」についても今目の実践者の捉え方を検証しておき
たい。
1)橋本敏明、柔道新聞・昭和63年8,月20日付4面、日本柔道新聞社;初出は朝目新聞・同年8
月11目付の「声」の欄,
2)嘉納行光、柔道新聞・平成8年1月1日付1面、目本柔道新聞社.
3)桐生らは、最近の研究で、「ブルー柔道衣」の導入に関するUF議事録を再検討しているが、
この「経済的負担増」という反対意見には「発展途上国の貧しさ」も考慮されていた。桐生習作
ら(2006)「ブルー柔道衣」導入過程における目本と諸外国間の意見の相違.身体運動文化学会第11
回大会・大会号抄録集,pp.10−12。
一31一
2.質問紙法による実践者の認識の把握
1)質問紙の作成
上記の相違点にもとづいた質問紙を作成し、平成18年6月に予備調査を実施した
(対象:大学生柔道部員約30名、大学柔道部指導者5名)。そこでは、質問紙を提示した面
接法により、質問内容が理解可能であるか、各項目の意味内容に重複はないか、等を
検討し、また、回答結果に極端な偏向のある項目は削除する等の処理を行い、本調査
用の質問紙を作成した(P32∼35r本調査用・質問紙」を参照)。
2)調査対象・時期
本調査は、平成18年9月∼11月において実施した。対象は、平成18年度におけ
る全国大学生大会出場校の柔道部員、大学柔道部指導者・コーチ、高校および中学校
柔道部指導者、警察柔道指導者および練習者、刑務所柔道部指導者および練習者、実
業団柔道部指導者および練習者であった。これら対象者は、技能レベルの高い十分な
柔道経験者であると判断され、また、種々の大会試合においてr国際規定」と「講道
館規定」の双方を経験している1)。なお、調査用紙の配布は、手渡しおよび郵送法に
よった。全体の回収率は85.5%(868名÷配布数;1015名)であり、欠損値のある回答
者(111名)を除いた有効回答者数は757名であった。
1)ただし、中学校柔道部指導者については、中学校現場では「講道館規定(少年規定)」が適
用されているため、「国際規定」の運用経験はやや低いと前提された。しかしながら、彼らの多く
は「国際規定」を含めた公認審判員試験によるライセンスを取得し、また、r国際規定」で行われ
る競技現場へも出向いているため、それへの理解・認識はあるものと考えられた。
一32一
「本調査用・質問紙」
*まず、個人に関するご質問です。
以下、空欄には当てはまる内容を記入、もしくは該当する箇所や番号にOを付けてください。
1.年齢( 才)
2.性別(男 ・女)
3.段位( 段)
4.柔道経験年数(約 年)
5.審判ライセンス(・なし、・C級、・B級、・A級、・その他 )
6.競技する(あるいは過去にしていた)時のおおよそのr体重」は、( kg)
7.現在も何らかの競技大会に、(・出場している、 ・出場していない=引退した)
(ただし、競技大会には、r高段者試合」は含みません)
*指導歴についてお尋ねします(複数に○も可)。
1.指導歴はない。2.主に小学生以下を指導。3.主に中学校部活動で指導。4.主に高校部活
動で指導。 5.主に大学部活動で指導。6.主に実業団で指導。7.主に警察で指導。
8.その他( )
*審判歴についてお尋ねします。
1.[審判歴はない] 2.[5年未満] 3.[5年以上∼10年未満] 4.[10年以上∼20年未満]
5.[20年以上]
1.「効果』と「有効』の技評価について
ご存じのように、講道館規定では「有効」以上、国際規定では「効果」以上が技の評価基準とな
っていますが、それらについて日頃どのようにお考えでしょうか?(以下の質間①∼⑥を一通り読
んでから、「そう思う∼思わない」のいずれかの番号にOを付けて下さい)
①元来の柔道は「一本」が理想であり、「効果」を認め
るから技の質が低下する。したがってr効果」は
不要、r有効」以上で良い。
②「効果」でも一本を目指した結果であるから、
評価すべきである。
③時間内に勝負が着きやすいので、「効果」は
在った方が良い。
④国際試合がr効果」をとっているので、選手の
慣れの点から国内でも「効果」をとるべきである。
⑤「少年柔道jでは今後「一本」を目指そうとする選
手の育成のため、「効果」は不要、「有効」以上で良い。
⑥全日本選手権などのハイレベルの試合では
「有効」以上で良い。
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
やや あまり
そう思う
そう思う 思わない 思わない
→( 1
2 3 4 )
→( 1
2
3
4 )
→( 1
2
3
4 )
→( 1
2
3
4 )
→( 1
2
3
4 )
→( 1
2
3
4 )
]
[
一33一
”.「罰則』について
現行の講道館規定では、r教育的指導」やr注意・警告」が残されているなど、国際規定との違
いがありますが、それらについて日頃どのようにお考えでしょうか?(以下の質間①∼⑦を一通り
読んでからお答え下さい)
①講道館規定による1回目のr教育的指導」は、
やや あまり
選手の自覚・自律を促す教育的な意味があるので、 そう思う そう思う 思わない 思わない
現行のように罰則ではない方が良い。 →( 1 2 3 4 )
②r教育的指導」は意味がないので不要、国際規定
のように直ちに罰則の「指導」で良い。 →( 1 2 3 4 )
③そもそも罰則によって勝敗が決することに反対
なので、罰則ではない1回目の「教育的指導」は
あった方が良い。 →( 1 2 3 4 )
④国際規定ではr指導」の累積が4回でr反則負け」
となり、講道館規定(の5回)よりも早く勝敗が着き、
また競技がキビキビやれて良い。 →( 1 2 3 4 )
⑤全体に「積極的戦意の欠如」に対して罰則が与え
られるまでの時間が長い講道館規定の方が、余裕を
もって競技がやれて良い。 →( 1 2 3 4 )
⑥国際規定では罰則がr指導と反則負け」の
2種に絞られたが、講道館規定の「注意・警告」
は審判・選手ともに「累積」の程度をはっきり
認識できるので在った方が良い。 →( 1 2 3 4 )
⑦そもそも「積極的戦意の欠如(消極的柔道)」
に対する罰則はr返し技」を退化させると考えるため、
現行の講道館規定にも国際規定にも反対である。 →( 1 2 3 4 )
*その他、「積極的戦意の欠如(消極的柔道)に対する罰則」を中心に、ご意見等があればお書き
下さい。
[ 〕
1”.r旗判定』とr延長戦(ゴールデンスコア方式)」について(以下0)質間①∼③
を一通り読んでからお答え下さい)
①「旗判定」Fは、審判員の主観によって勝敗が左右
される度合いが大きいため、国際規定のように
なるべくr延長戦」によって決する方が良い。
②r延長戦」は技の勝負というより体力勝負
となるので、良くない。
③「延長戦」が「指導」等の罰則で決するのは、
良くない。
やや あまり
そう思う そう思う 思わない 思わない
→( 1 2 3 4 )
→( 1 2 3 4 )
→( 1 2 3 4 )
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
〔 ’
]
一34一
lV.r寝技』について(以下の質問①∼④を一通り読んでからお答え下さい)
①講道館規定の「抑え込み・30秒で一本」は
長すぎ、国際規定の「25秒で一本」で良い。
②国際規定のr抑え込みは10秒以上で効果」は
いい加減である。つまり、「抑え込み1と宣告する
やや あまり
そう思う
そう思う 思わない 思わない
→( 1
2 3 4 )
→( 1
2
3
4 )
→( 1
2
3
4 )
→( 1
2
3
4 )
審判のタイミング、および計時の開始によって、
時間的ズレが生じやすいので、10秒以上で「抑え
込みに効果があった」とするのは短すぎる。
③国際規定では寝技における「待てjが早く、
十分な攻めができないので、良くない。
④両規定ともに寝技におけるr待て」の時問が早く、
もっと寝技の時問を長くとるべきである。
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
[
コ
V.r礼法等の違い」について(以下の質問①∼③を一通り読んでからお答え下さい)
①講道館規定では「試合の始めと終わりに正面を
向いて礼を行う」となっており、国際規定では選手
のr正面(上席)への礼」は定められていないが、
常に正面への礼を重んじるのは当然である。
②特に国際規定では審判員は試合中どの位置にあっ
ても良く、正面に背を向けて立つこともあるが、審
判員は試合を観ることが仕事なので失礼にはならない。
③講道館規定ではr服装等を直すときは正座して
所作することを原則」としている。国際規定では
そのような規定はなく、試合の流れを止めないため
には、立ったままで服装を直す方が良い。
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
やや あまり
そう恩う
→( 1
そう思う 思わない 思わない
2 3 4 )
→( 1
2
3
4 )
→( 1
2
3
4 )
[
]
Vl.「審判ライセンスと段位』について(以下の質問①∼②を一通り読んでからお答え下
さい)
①例えば野球の審判員のように、審判技術と選手
としての技術は別ものである。したがって、段位
による審判ライセンス取得の制限は不要である。
②日本では段位によってライセンス取得が制限され
ているが、諸外国では必ずしもそうではない。審判員
自らの柔道経験や柔道技術は審判を行ううえで不可欠
なので、段位とライセンスは関連しているべきである。
やや あまり
そう恩う そう思う 思わない 思わない
→( 1 2 3 4 )
→ ( 1 2 3 4 )
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
[
]
一35一
V“.『ブルー柔道衣』について(以下の質問①∼②を一通り読んでからお答え下さい)
①UF主催による国際大会では試合者の一方が「ブルー」
を着用することを定めているが、それはテレビや観衆の
そう思う
ためであり、日本国内では不要である。
→( 1
2 3 4 )
→( 1
2
3
4 )
[二
②rブルー柔道衣」の着用はテレビや観衆のため
だけでなく、「誤審」を防ぐためにも役立っと考え
るので、日本国内でも着用した方が良い。
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
やや あまり
そう思う 思わない 思わない
]
Wl.r体重制」について(以下の質問①∼③を一通り読んでからお答え下さい)
そう思う 思わない 思わない
2 3 4 )
44
33
[
やや あまり
22
①軽量級と重量級が戦うことには無理がある。
そう思う
したがって、全ての試合は「体重制」で行うべきである。 →( 1
②「体重」に左右されないのが元来の柔道のはず。
したがってr体重制」は不要、全てr無差別」で良い。 →(
③「体重制」と「無差別」の試合の両方があって良い。
→(
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
]
lX.r総諭」として
講道館規定と国際規定の関係に対するあなたの基本的な考えを以下の3つの中から1つだけ選
び、Oを付けて下さい。
1.現行の講道館規定と国際規定の違いは微妙なものなので、このまま2種が存在していても矛盾
や困惑は感じない。
2.国際規定のみでよく、講道館規定は不要である。
3.国際規定は国際スポーツとして確立するためにあるが、講道館規定は日本の伝統的な教育のた
めにあるべきなので、講道館規定をもっとはっきり違う規定へと改訂すべきだ。
*その他、ご意見等があればお書き下さい。
]
⊂
一36一
皿』結果および考察
まず、有効回答者(757名)の特徴について以下に示しておく。
表2.性別
男
663名
女
94名
性別については、表2に示すように男性が多く、女性が少ない。これには、女性の実
践者数が全般に少ないことが影響しているが、サンプリングに偏りがあることは否め
ず、女性の調査対象者を増やすことは今後の課題として残された。
表3,所属
大学生(14大学)
590名『
大学指導者(8大学)
8名
中学校・高校指導者(3県)
96名
警察柔道指導者・練習者(2県)
23名
刑務所指導者・練習者(1県)
25名
実業団指導者・練習者(1企業)
15名
所属については表3に示すように、大学生柔道部員が多い。指導者層の対象者を増や
すように務めたが、結果的に不十分なものとなった。
表4.現在もなんらかの競技大会に出場している
出場している
606名
弓1退した
151名
「競技者として現役か否か」については、すでに示したように、回答者に大学生が多
いことから、表4の結果となった。
一37一
表5.審判ライセンス
A級
16名
B級
56名
C級
91名
無
594名
審判ライセンスについても、指導者層の対象者が少ないことから、表5の結果となっ
た。
表6.蕃判歴
無
597名
5年未満
59名
5∼10年未満
21名
10∼20年未満
26名
20年以上
54名
審判歴についても、概ね審判ライセンスの取得者数に準じるものとなったが、特に20
年以上の審判歴を有するものが50名以上あり、貴重な意見を収集できるものと期待
される。
表7.指導歴(複数回答)
無
524名
小学生
102名
中学生
49名
高校生
74名
大学生
16名
実業団
6名
警察
11名
その他
15名
一38一
指導歴については、やはり大学生を中心に「無し」が多いが、その他は各職域に分散
している。
以上の回答者の特徴を踏まえ、以下では「方法」の箇所で述べた「相違点」に添っ
て結果を分析し、考察していく。
1)「体重制」について
r体重制」については、すでに調査内容を示したように、①r軽量級と重量級が戦
うことには無理がある」、②「体重制は不要、すべて無差別で良い」、③「体重制と無
差別の両方があって良い」の3つの観点による項目から調査した。各々の単純集計の
結果は、次のものであった。
①「軽量級と重量級が戦うことには無理がある」
そう思う
ややそう思う
149
人数
あまり思わない 思わない 計
161
217
30.4%
圖そう思う
圏ややそう思う
口あまり思わない
□思わない
28.7%
図2.軽量級と重量級が戦うことには無理がある
一39一
230
757
②「体重制は不要、すべて無差別で良い」
50
人数
あまり思わない 思わない 計
ややそう思う
そう思う
128
37,0%
299
280
757
園そう思う
■ややそう思う
口あまり思わない
□思わない
39.5%
図3,「体重別」は不要すべて無差別で良い
③「体重制と無差別の両方があって良い」
人数
あまり思わない 思わない 計
ややそう思う
そう思う
564
137
42
1。8%
固そう思う
■ややそう思う
□あまり思わない
口思わない
図4,r体重別』とr無差別」の両方があって良い
一40一
14
757
以上の単純集計の結果において、まず、①r軽量級と重量級が戦うことには無理が
ある」は、3項目の中で最も肯定群と否定群が数的に拮抗しており、そのことから、
日本においては未だ「体重無差別」による試合への価値づけと期待が残されているこ
とがうかがえる。例えば、これに関する本調査の自由記述において、r無差別の試合
は観ている人もおもしろいと思う」や、「柔よく剛を制すが柔道の面白さなので無差
別はあるべき」等の意見が記されていた。しかし、だからといって、②「体重制は不
要、すべて無差別で良い」という項目に対しては否定群が明らかに上回っており、全
ての試合がr無差別」で行われることについては反対意見が多くなっている。その理
由には、「軽量級の選手にも試合で活躍するチャンスを公平に与えるため」、「国際試
合では体重制が基本となっているため、そこで活躍する選手の体重も目頃からそれに
合わせておく必要がある」、「軽量級の選手が重量級の選手と戦うことには怪我等の危
険がある」等、競技としての実利性・合理性があると考えられる。実際、自由記述に
おいてもこれら各々に関する記述がみられた(自由記述の表8参照)。つまり、これら
2項目の結果を総合的にみれば、「無差別」を理想として求めつつも、競技としての
合理性の点から「体重制」を肯定するという考え方が存在しているといえる。そして、
その考え方は、③の「体重制と無差別の両方があって良いjという項目に対する肯定
的な意見の優位(rそう思う」+rややそう思うjで92.6%)となって示されていること
になる。
一41一
表8.r体重制について』の自由記述
軽量級が勝つためには寝技を重視した規定や試合後体重を計り軽い方を勝ちにするなどの方法をとる
元来無差別が基本である、体重別をなくす必要はないが無差別の大会をもっと増やすべき
国際規定の無差別(団体も含む)は軽量級が非常に不利なので、もう少し軽量級に有利な規定にしてほしい
体重区分が多すぎる
無差別の試合は観ている人もおもしろいと思う
体重別は色々な選手にチャンスがあるのでよい
無差別は柔道の大きな魅力である
体重別のほうがフェアである
無差別は怪我につながり危険である
元来無差別が基本である、無差別は残すべき
柔よく剛を制すが柔道のおもしろさなので無差別はあるべき
体重別と無差別それぞれに得手、不得手があるので両方あってよい
高校選手権の無差別(個人)を復活してぼしい
国際試合はほとんど体重別なので体重別に慣れる必要がある
体重区分が多すぎる3階級ぐらいにすべき
生涯スポーツの観点から体重別は必要である
遡ってみれば、すでにr II.方法」で述べたように、r体重制」が導入されていく昭
和30年代において、それへの考え方には、r無差別という理想」とr競技としての合
理性による体重制」とが交錯したものであった。そして、それらが「膠着した状態で
今目に至っていると考えられる」という永木による指摘1)は、本調査でも確認された
ことになる。
ここで、筆者の「体重制について」の考えを述べれば、基本的にはやはり、現状肯
定型のr体重制と無差別の両方があって良い」ということになる。だが、さらに具体
的に述べるなら、「体重制の在り方」には柔軟性があって良いと考える。例えば、国
際試合で採用される7階級という区分よりも幅の広い、かって採用されていた「軽量
級・中量級・重量級」の3階級程度で行われる試合が多くあって良いと考える。その
1)永木耕介(2006)嘉納柔道思想の継承と変容一国際化に伴う「教育的価値」と「競技化促
進」の相克一。筑波大学大学院・人間総合科学研究科・博士論文(体育科学),pp.325−335.
一42一
主な理由は、やはり小さな者が大きな者を制するための技術の追求に柔道の魅力があ
ると思え、筆者のこれまでの経験からも、3階級程度であればその階級内で互いが十
分に戦えるからである1)。ただし、現行の「国際規定」では、ますます小さな者が大
きな者を制するための技術は発揮しがたくなっていることを指摘しておきたい(そし
て、この件については「講道館規定」もほぽ同様)。例えば、平成2年の全目本選手権(講
道館規定を採用)で決勝まで勝ち進んだ古賀稔彦選手(71kg)は、小川直也選手(130kg)
に対して、「片襟を握ること」で攻防していた。このような「片襟」は、それ以後、
「講道館規定」、「国際規定」ともに禁止され、今日に至っている。その背景には、や
はり「国際規定」における「時問内で早く勝敗を決着させたい」という志向性が影響
していると思われるが、「片襟」は防御だけでなく、実は攻撃にも有利な技術なので
ある。先に示した「自由記述」の中にも、「無差別はもう少し軽量級に有利な規定に
してほしい」(34才、5段)とあるように、「体重制」を前提とする規定によって失わ
れていく技術があるのである。このような技術的な観点からも、日本国内ではより自
覚的に、「体重制」の区分、そして「無差別」における試合規定への考慮を望みたい。
また、さらに実践的な観点からいえば、細かな体重制は選手に過酷な「減量」を強い
るものであるため、国際大会に出場の可能性のある選手は致し方ないとしても、柔道
の大衆化を考える時、実践者の全てが体重に囚われることには問題があろう。
ただし、このような技術的観点、あるいは柔道の大衆化という観点による「体重制」
の在り方について、今日の若い実践者が将来において指導者となった時にどのように
考えるかについては、一抹の不安が残る。図5に示すように、回答者を「30才未満」
1)例えば現行の国民体育大会(団体戦)は、「軽量級・中量級・重量級+無差別」の4階級で
行われているし、種々のマイナーな大会ではそれに準じるような体重区分で行われている試合も
ある。
一43一
(633名)と「30才以上」(124名)に分けてみた場合1)、特に質問項目①のr軽量級
と重量級が戦うことには無理がある」について、両群に明らかな有意差が認められた。
園そう思う
30才以上
國ややそう思う
□あまり思わない
30才未満
日思わない
0%
50%
100%
図5.軽量級と重量級が戦うことには無理がある
表9.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
35.42178537
自由度
P値
3
判 定
0.0000
**P<.01
1)「30才未満」と「30才以上」に分けたのは、前者はほとんどが現役選手であり、後者のほと
んどが引退した指導者であるからである。そして、この年齢区分は、柔道経験年数、段位、審判
ライセンス等による区分とも概ね相関するものであり、かっ、以後でも示すように、質問項目全
般に及んで最も統計的な有意差が認められたものである。なお、r体重制」に関する質問では、実
践者自身の体重が関与することが予想されたが、体重区分による分析では、当3項目において統
計的な有意差(5%水準)は認められなかった。
一44.
表10.残差分析の結果
年齢
N
そう思う
ややそう思う
あまり思わない r 思わない
30才未満
633
十226%・**
十22.9%・*
一26.9%・*
一27.6%・**
30才以上
124
一4.8%・**
一12.9%・*
十37。9%・*
十444%・**
**p〈.01 *p〈.05
そして、表10に示すように、両群における人数の偏りの原因を特定するために施
した残差分析11の結果、全てのセルにおける両群の人数割合の多少には有意差が認め
られ、「30才以上」に比して、「30才未満」では明らかに肯定群(rそう思う」+「やや
そう思う」)が多く、否定群(rあまり思わない」+r思わない」)が少なくなっているこ
とがわかる(また、r30才以上」では特にrそう思う」が少なく、「思わない」が多くなってい
る)。このことから、若い実践者はr体重制」を念頭において実践する傾向にあるこ
とがうかがえる。したがって、彼らが指導者となる将来においては、r体重制」によ
る試合はますます前提となり、「無差別」による試合への肯定は減少していくことが
予想される。
2)「技評価」について
「技評価」にっいては、すでに示したように、①「効果は不要、有効以上で良い」、
②r効果でも評価すべき」、③r勝負が着きやすいので効果ありが良い」、④r国際試
合のために効果ありが良い」、⑤「少年柔道は有効以上で良い」、⑥「ハイレベルの試
合では有効以上で良い」、の6っの観点による項目から調査した。各々の単純集計の
結果は、次のものであった。
1)ここでの残差分析は、全体(757名)が「そう思う∼思わない」の各々に回答した割合
(%)に対して、両群の各セルにおける人数の比率が有意であるか否かを示すものである。
一45一
①r効果は不要、有効以上で良い」
そう思う
ややそう思う
87
人数
あまり思わない
128
259
思わない
計
283
757
國そう思う
圖ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
図6.r効果」は不要、r有効」以上で良い
②「効果でも評価すべき」
そう思う
人数
ややそう思う
413
あまり思わない
217
88
團そう思う
囮ややそう思う
ロあまり思わない
ロ思わない
一46一
思わない
39
計
757
③「勝負が着きやすいので効果ありが良い」
そう思う
336
人数
あまり思わない思わない計
ややそう思う
265
114
42
フ57
圓そう思う
■ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
④「国際試合のために効果ありが良い」
そう思う
人数
ややそう思う
317
あまり思わない思わない計
284
119
國そう思う
國ややそう思う
□あまり患わない
□思わない
一47一
37
757
⑤「少年柔道は有効以上で良い」
そう思う
302
人数
あまり思わない思わない計
ややそう思う
210
159
86
757
團そう思う
圏ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
⑥rハイレベルの試合では有効以上で良い」
そう思う
ややそう思う
168
人数
あまり思わない 思わない 計
162
249
23、5%
圃そう思う
ロややそう思う
口あまり思わない
□思わない
32,9%
図1・1・.ハイレベ・ルの試合ではr有効』以上で良い
一48一
178
757
以上の単純集計において、まず、①の「効果は不要、有効以上で良い」への回答結
果(肯定群:28.4%、否定群:71.6%)から、全体的に「効果は不要」とする者の数が
少ないことがわかる。そしてそのことは、①の反転を含意する②の「効果でも評価す
べき」の結果において、それが肯定的に捉えられる傾向にあることからも確認される
(肯定群:832%、否定群:16.8%)。したがって、一見すれば、すでに「H.方法」に
おいて述べたように、今目では「国際規定」が目本でも浸透し、「技評価のポイント
化」が容認される傾向が強いようにみえる。だが、ことはそう単純ではなく、なおも
一歩踏み込んだ考察が必要となる。例えば、次に示すように、先項でもみた「年齢別」
の観点から、特に指導者層では、まだまだ「技の質」に対するこだわりのあることが
わかるからである。
圃そう思う
30才以上
■ややそう思う
□あまり思わない
30才未満
ロ思わない
0% 50% 100%
図12.「効果」は不要、「有効」以上で良い
表11、カイ2乗検定の結果
κ2乗値
自由度
判 定
P値
3
27.25321906
0.0000
**P〈.01
表12.残差分析の結果
年齢
N
30才未満
633
30才以上
124
そう思う
ややそう思う
一92%・**
十23。4%・**
あまり思わない
思わない
一16.6%・**
34.0%
十40.3%・**
十18。5%・**
35.5%
一22.6%・**
**P<.01
一49一
図12に示すように、「30才以上」群では、41.9%(52/124名)の者が「効果は
不要である」ことを肯定しており、それを否定する者が圧倒的に多いとはいえない。
ただし、「30才未満」群では肯定者は少なく、表11、12に示すように、「30才以上」
群との問には統計的に有意な差が認められる(なお、当質問の反転である②の「効果でも
評価すべき」の結果についても、当然ながら、「30才未満」群における否定者が、「30才以上」
群における否定者を数的に上回り、両群の人数の偏りには統計的な有意差が認められた。それら
結果の表示は省略する)。
したがってこの結果から、若い実践者においては、より「国際規定」を十分に受容
しており、r技評価のポイント化」を認める傾向が強いように映る。だが、その若い
実践者においても、最下位のポイントである「効果」をいかなる試合でも認めるべき
であるとは考えていないことが、次に示すような⑤の「少年柔道は有効以上で良い」、
⑥の「ハイレベルの試合では有効以上で良い」の結果からうかがえる。
國そう思う
30才以上
國ややそう思う
□あまり思わない
30才未満
ロ思わない
50%
0%
100%
図13.少年柔道は「有効」以上で良い
表13.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
7.347419003
自由度
P値
3
判 定
0.0616
一50一
なし
國そう思う
30才以上
國ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
30才未満
0% 50% 100%
図14.ハイレベルの試合ではr有効』以上で良い
表14、カイ2乗検定の結果
κ2乗値
一自由度
P値
3
26.22344739
判 定
0.0000
**P〈.01
表15.残差分析の結果
年齢
N
そう思う
ややそう思う あまり思わない
思わない
30才未満
633
一18。8%・**
22.3%
34.0%
十25、0%・*
30才以上
124
十39.5%・**
16.9%
27.4%
一16、望%・*
**pぐ01 *p〈.05
⑤の「少年柔道は有効以上で良い」については、すでに単純集計で示したように、
全体としては67,6%(512/757名)の者が肯定している1)。そして、図13に示すよ
うに、「30才未満」群でも、⑤の「少年柔道は有効以上で良い」を肯定する者が67.3
%(426/633名)あり(r30才以上」群では69.4%)、しかも表13に示すように、両群
1)「少年柔道」の対象者は小・中学生であり、そこでは「講道館規定」が一般の試合規定とは
別に定める「少年規定」が採用されている(ちなみに、「国際規定」では「少年規定」は定められ
ていない)。すでに戦前から定められている「少年規定」の主な特徴は、小学生では絞技と関節技、
中学生では関節技が除外されている等、安全性の確保にある。嘉納は当初から医科学的な見地に
よって柔道の身体への効果や安全性を考究しており、戦前の昭和7年には「講道館医事研究会」
(昭和23年に「講道館科学研究会」と改称)を設けている。「少年規定」における安全性につい
ても、大学研究者らが中心となって検討されてきたものである。
一51一
の間に人数の偏りは認められない。つまり、当質問内容の「少年柔道では今後『一本』
を目指そうとする選手の育成のために、効果は不要、有効以上で良い」一
傍点・筆者)
に対して、若い実践者も肯定的傾向にあることから、いかなる試合でも「ポイント」
によって勝負を決するのではなく、やはり基本的には「一本」を目指すべきであると
いう志向性が確認されるのである。当質問に関する自由記述において、「効果・有効
はあったほうが勝敗は決しやすいが、一本を目指すべきである」(20才、2段)という
記述もみられた(また、r30才以上」群でも、r少年柔道でも本来の一本をとる柔道が失われて
いる」という記述がみられた)1)。
また、⑥の「ハイレベルの試合では有効以上で良い」の結果においては、図14お
よび表14・15に示すように、「30才以上」では肯定者が過半数を超え(56.5%)、「30
才未満」との間に人数の偏りが認められた。しかし、「30才未満」でも41.1%(260
/633名)の者が肯定しており、「全日本選手権だけは本来の一本をとる柔道を守って
ほしい」(22才、3段)という自由記述もみられた。
以上の結果を全体的にみれば、「一本を目指すべきである」という志向性には根強
いものがあること、しかしながら、競技という限られた時空において勝敗を決しなけ
の む ればならないという便宜上の必要から、「効果」というポイントも容認される傾向に
あるといえる。そしてそのことは、単純集計の結果において示したように、③の「勝
負が着きやすいので効果ありが良い」では79.4%(601/757名)の者が肯定してい
ること、また、④の「国際試合のために効果ありが良い」では同じく794%(601/757
名)の者が肯定していることに顕れているといえよう2)。
以上を踏まえた筆者の意見を述べれば、基本的には「柔道は一本を目指すべきもの
1)なお、反対意見として、「30才未満」では「一本を目指すことにこだわる必要はない」(21
才、2段)、「30才以上」では「世界を目指すなら子どもの時から国際規定に慣れるべき」、「有効
以上の少年柔道は一本をとる技術が未熟なため、掛け逃げにはしりやすくなっている(つまり、
効果の採用に賛成;筆者注)」、等がみられた。
2)なお、③「勝負が着きやすいので効果ありが良い」、および④「国際試合のために効果あり
が良い」において、「30才未満」と「30才以上」の両群には有意な差が認められ、両質問ともに
「30才未満」群の方が肯定的であった(p〈,01)。当結果については省略する。
一52一
であり、技の質的評価は保持すべき」であるが、まさしく便宜上の必要から「効果と
いうポイントはあって良い」、というものである。だが、ここで注意を喚起しておき
たいのは次の点である。それは、「効果」あるいは「有効」といったポイントを採用
するからといって、それを奨励しているわけではなく、求めるのはあくまで「一本」
であるということについて、実践者に対する指導を徹底させる必要があること(本調
査の結果からいっても、特に若い実践者に対してはその必要がある)、したがって、ことに日
常の練習では、些末なポイントに囚われずに、互いにr一本」を奪い合うことに専念
するよう指導すべきであること、である。別言すれば、r国際規定」の「効果」は、
あくまで「便宜上の必要」において採用されているものであることについて、すべて
の実践者による共通認識を図るべし、ということである。そのためには、個人的ある
いは部分的な指導ではなく、全国組織的な指導体制をとることも求められるであろう。
ここで、「寝技」についてみておきたい。すでに「II.方法」において述べたよう
に、「寝技」についても、「国際規定」では「抑え込み」における「効果」(lo秒以上)
が採用されている、「一本」と評価される時間は25秒と、「講道館規定」の30秒に比
して短縮されている、等の相違がある。また、「国際規定」、「講道館規定」ともに現
行では、「寝技において試合者双方の動きが止まった場合には『待て』となって立た
せる」ことになっているが、このことに対して、「もっと寝技の時問を長くとってほ
しい」という声も聞かれる。これらの点は、「寝技」の質的評価と関連するものであ
り、これまでにも種々の問題が提起されている。例えば小室は、「立技における消極
的姿勢には罰則規定があるが、寝技では消極的姿勢に対する罰則がない」、「評価まで
達しなかった抑え込み、極まりかけていた絞技・関節技と、投技との攻勢点の評価に
おいて、優劣の判断基準がない」、「国際規定において、寝技の攻防が停滞したときの
『待て』による中断に対し、具体的な時間が明示されておらず、審判員によって個人
差が生じている」、等の問題を指摘している1)。
では、本調査における単純集計の結果をみてみよう。
1)小室宏二(2004)柔道の固技における技術・規定の発展過程に関する研究.武道学研究第37
巻別冊(目本武道学会第37回大会研究発表抄録),p.3.
一53一
①「抑え込み・一本は国際規定の25秒で良い」
357
人数
あまり思わない
ややそう思う
そう思う
198
140
思わない 計
62
757
圖そう思う
■ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
図15.r抑え込み・一本」は国際規定の25秒で良い
②r抑え込み・効果の10秒以上は短すぎる」
ややそう思う
そう思う
99
人数
あまり思わない
308
188
21.4%
図そう思う
■ややそう思う
ロあまり思わない
□思わない
40.7%
図16,「抑え込み・効果」の10秒以上は短すぎる
一54一
思わない 計
162
757
③「国際規定では寝技の待てが早すぎる」
そう思う ややそう思う あまり思わない
240
人数
90
164
思わない 計
63
757
tf3%1
團そう思う
29.4%
團ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
図17,.国際規定では寝技の待てが早すぎる
④「
定ともに寝技の時問を長くとって1ましい」
そう思う ややそう思う あまり思わない
人数
219
275
183
回そう思う
■ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
図1』8.両規定ともに寝技の時間を長くとってほしい
一55一
思わない 計
80
757
まず、①の「抑え込み・一本は国際規定の25秒で良い」については、73.3%(555
/757名)の者が肯定している。そして、②のr抑え込み・効果の10秒以上は短すぎ
る」については、62.1%(470/757名)の者が否定している。これらから、全体的に
は現行の「国際規定」における「一本は25秒で良い」、そして「10秒以上で効果を
とる」ことを容認する傾向がやや強いといえる。この点については、やはり立技と同
様、基本的には競技での勝敗を付ける便宜上の必要から容認されているものと考えら
れる。「国際規定」では、「抑え込み」における時間短縮と同様、罰則等についても「講
道館規定」に比して時問短縮がなされており、そのことには、すでにrH.方法」で
触れたように、試合時間の全体的な短縮、そして、ことに「抑え込み」については完
全に極まれば逃れにくいことから、「見る側が退屈する」という点が配慮されている
ように思われる。つまり、「国際規定」の「ダイナミックな柔道」という志向性がこ
の「抑え込みの時間」にも影響していると捉えられる。筆者も、先の「立技」と同様、
「競技での勝敗を付ける便宜上の必要」という点から、この「一本は25秒、10秒以
上で効果をとる」ことを容認する。しかしながら、r寝技の質」を保持するという点
からは、日常の練習ではより長く完全に「抑え込む」ことが求められるべきであると
考える。実践における経験上からいっても、25秒を超えてから「抑え込み」を逃れ
るケースはそこそこあるし、また、②の質問内容でも記したように、「10秒以上で効
果」という評価には、審判が「抑え込みに入った」と宣告するタイミング、そして、
計時係がタイム・カウントに入るタイミングによるズレはかなり影響すると思われる
からである。ちなみに、①の「抑え込み・一本は国際規定の25秒で良い」について
は、「30才以上」と「30才未満」で人数の偏りが認められ(p<.01)、「30才以上」で
それを否定する者は、46.0%(57/124名)あった。このことは、特に指導者層にお
いては、「寝技の質」を保持すべく、「講道館規定」の「一本は30秒jに賛成してい
ると捉えられる(なお、②のr抑え込み・効果の10秒以上は短すぎる」については、年齢別
による人数の偏りは認められなかった)。
そして、③の「国際規定では寝技の待てが早すぎる」、④の「両規定ともに寝技の
時間を長くとってほしい」については、各々図17、18に示すように過半数を超えて
肯定しており、「寝技」における攻防の時間を今以上にとることが望まれる傾向にあ
る。そして、両質問ともにやはり「30才以上」の肯定者が「30才未満」の肯定者を
上回るという人数の偏りが認められ(p〈.Ol)、やはり指導者層の方がより強く「寝技
一56一
の質の保持」を求める傾向にあることが示唆される。
なお、今回の調査では、先述の小室が指摘しているような、「寝技の待て(つまり攻
防が許される時間)に対する基準の曖昧さ」や、r寝技の攻勢点、特に絞技や関節技が
ポイント化されていない」という問題について、踏み込むことはできなかった。今後
の課題としたい。ただし、自由記述において、「寝技の待ての判断については統一す
べき」という意見が多くみられたため、その点も含め、単に.r寝技」の時間を長くと
るということではなく、寝技の技術的発展という質的側面からも、何らかの改善は必
要であると考える。
3)「罰則」について
すでに「H.方法」で述べたように、今日の試合で最も頻繁に選手に与えられる「罰
則」は、r積極的戦意の欠如(消極的柔道)に対する罰則」であり、なかでも、r講道
館規定」で残されている「教育的指導」は1回目にそれが与えられる時は罰則ではな
く (っまり、r教育的指導」は2回目以降から罰則)、r国際規定」ではr教育的指導」は無
く1回目から罰則としての「指導」が与えられるという点で、相違がある。この相違
は、一見些細なもののようにみえるが、「講道館規定」では計5回で「反則負け」と
なるのに比して、「国際規定」では計4回で「反則負け」となり、また、「講道館規定」
では「約30秒間、攻撃動作を取らない場合」に「教育的指導」が与えられるのに比
して、「国際規定」では「約25秒間、攻撃動作を取らない場合」に「指導」が与えら
れるという時問差もあるため、実際における戦い方には、かなりの違いとなって現れ
るものである。両規定において、このような差異が生じている理由を簡潔にいえば、
r講道館規定」では現象的に攻撃動作を取らずとも心理的な攻撃心はある場合があり、
また、元来の「相手のカを利用する」という考え方からは、相手の攻撃に対する「返
し技」をねらう場合があるからで、r国際規定」では「ダイナミックな柔道」という
点から、現象的(っまり見た目)にも積極的な攻撃動作が望まれているからである。
ではまず、「講道館規定1の「教育的指導」についての結果をみてみよう。
一57一
①「教育的指導は罰則でない方が良い」
そう思う
ややそう思う
176
人数
あまり思わない
220
228
思わない 計
133
757
團そう思う
団ややそう思う
ロあまり思わない
□思わない
図↑9,「教育的指導」は罰則でないほうが良い
②r教育的指導は意味がないので不要」
そう思う
ややそう思う
205
人数
あまり思わない
249
204
13,1%
圏そう思う
26.9%
■ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
図2、0.r教育的指導」は意味がないので不要
一58一
思わない 計
99
757
まず、図19に示すように、①の「教育的指導は罰則でない方が良い」については、
肯定者(52.3%)と否定者(47.7%)が拮抗しており、賛否両論となっている。そし
て、①の質問と意味内容がほぽ反転である②のr教育的指導は意味がないので不要」
では、肯定者(60.0%)が否定者(40.0%)をやや上回っているが、やはり全体的に
は賛否両論といえる。したがって、この結果からだけでは、「講道館規定」の「教育
的指導」を支持する者と「国際規定」のr指導」を支持する者の「意見は分かれる」
としか言いようがない。だが、さらに細かな分析を加えれば、いくつかの示唆が得ら
れる。一つは、①で「教育的指導は罰則でない方が良い」と回答し、②で「教育的指
導は不要」と回答した者のなかで、自由記述において「少年柔道では教育的指導は必
要」(38才、3段、高校部活動指導者)、「初心者に教育的指導は必要」(45才、5段、中学
校部活動指導者)と記している者があった。このことから、比較的ハイレベルの(極端
には国際大会に通じるような)試合では「指導」という罰則から取りはじめても良く「教
育的指導は不要」であるが、「少年」や「初級者1では「教育的指導は必要」という
考え方の存在が知れる。また、②の「教育的指導は不要」と回答した者のなかで、「高
段者大会やシニアの大会では積極的戦意の欠如に対する指導(教育的指導も含むとみら
れる;筆者注)は不要」(55才、4段、高校部活動指導者)、「競技スポーツとしては指導
の罰則は必要であるが、生涯スポーツとしては(教育的指導も含み)不要」(42才、4段、
高校部活動指導者)という記述もみられた。これらの意見を総合的にみれば、技術レベ
ルや年齢に応じて「積極的戦意の欠如に対する規定」には柔軟性があってよいという
考え方、および、特に「国際規定」における罰則の「指導」は、勝敗を決するための
便宜上において必要であるという考え方の存在がうかがえる。そしてさらにいえば、
そのような考え方の底流には、やはり「罰則」によって勝敗が決することよりも、「技」
によって勝敗が決することへの求めがあるように思われる。
そしてそのことは、③「罰則によって勝負がつくことに反対である」という項目の
結果からもうかがえる。
一59一
そう思う
人数
ややそう思う
145
あまり思わない 思わない 計
215
249
148
757
圏そう思う
囮ややそう思う
□あまり思わない
口思わない
図21に示すように、③「罰則によって勝負がつくことに反対である」についての
単純集計の結果もまた、肯定者(47.6%)と否定者(524%)が拮抗する賛否両論に
ある。しかし、当結果を年齢別の観点から分析すれば、図22および表16、17に示す
ように、「30才以上」の指導者層の方が否定的であることがわかる。つまり、この両
群の違いは、指導者層は勝負を決着するものとして「罰則」を重視する傾向が選手層
よりも強く、逆に、実際に選手として試合を行う者は「技」による勝負の決着を望む
傾向が指導者層よりも強いことを示唆している。
飼そう思う
置ややそう思う
□あまり思わない
30才以上
ロ思わない
30才未満.
0% 50% 100%
図22、罰則によって勝負がつくことに反対である
一60一
表16.カイ2乗検定の結果
﹃P値
κ2乗値
『自由度
r判 定
3
23.65466381
**P<.01
0.0000
表17.残差分析の結果
N
年齢
30才未満
そう思う
633
30才以上 124
あまり思わない
ややそう思う
思わない
19.9%
+30.3%・**’
33.2%
一16.6%・**
15.3%
一18.5%・**
31.5%
十34.7%・**
**Pぐ01
そしてこのことは、やはり指導者層の方が「便宜上の必要」から積極的攻撃の欠如
に対する「罰則」を容認する傾向にあることを示唆している。その点をさらに確認す
ることができるのは、「審判員であるか否か」の観点からの分析によってである。
表18,「罰則によって勝負がつくことに反対である』
ライセンス\回答
Aライセンス
Bライセンス
そう思う
あまり思わない r 思わない
ややそう思う
3
5
3
5
5
16
10
15
26
56
Cライセンス
14
18
42
17
91
ライセンス無し
122
184
187
101
594
表18に示すように、rライセンス無し」(すなわち審判員ではない)の者による当質
問結果は、肯定者(51.5%)と否定者(48、5%)が拮抗しているが、「ライセンスを有
する」者による結果は、各々「A」、「B」、「C」を問わず、否定者の方が上回ってい
一61一
るL)。このように、審判に携わる者の目からみれば、競技の質的な保持のためにこれ
まで問題視されてきた「かけ逃げ」2)等を許さず、そして限られた時間内での便宜上
の勝敗決着のために、積極的戦意の欠如に対する「罰則」を重視していると捉えられ
る。
また、④「国際規定は罰則の累積が早く競技がきびきびして良い」の質問について
は、図23に示すように、肯定者が否定者をかなり上回る結果となり、全体的には「国
際規定」による「ダイナミックな柔道」という志向性を容認するものとなった。
そう思う
人数
ややそう思う
264
あまり思わない思わない計
284
168
41
757
圃そう思う
団ややそう思う
口あまり思わない
□思わない
自由記述においても、r積極的戦意の欠如(消極的柔道)に対する指導が遅いと試合に
しまりがなくなるj(38才、5段)という意見がみられ、競技の質的保持という点から、
日本国内で「講道館規定」によって行われる試合に対しても、「国際規定」がもたら
1)なお、すでに「H.方法」で触れたように、「A」、「Bj、「C」のライセンス取得には「段
位」が条件づけられており、さらに段位取得には経験年数による制限があるため、各々のライセ
ンス取得者は自ずと年齢別の構成となる(ただし、ある程度の年齢幅はある)。また、段位取得に
はいわゆる実力も必要であるため、ライセンスが上位になるにつれてその取得者の人数は減少す
る。
2)先にポイントを奪った後、技を掛けるふりをして逃げること。
一62一
した好影響といえるのではないだろうか。なお、当質問については、年齢別や審判員
ライセンス別の観点による分析から違いは認められなかった。
また、⑤「講道館規定は罰則への時間が長く余裕があって良い」の質問については、
先の④の質問の反転も含意するものであるため、否定者の方が明らかに上回る結果で
もおかしくないが、図24に示すように、単純集計では肯定者(47.8%)と否定者(52.2
%)に大きな差はみられなかった。
そう思う
人数
ややそう思う あまり思わない 思わない 計
123
239
292
103
757
圃そう思う
圏ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
だが、年齢別に分析した結果、「30才未満」の肯定者が「30才以上」の肯定者を有
意に上回っていた(P〈.01;図示は省略する)。このことは、特にr30才未満」の者で、
先の質問④では「国際規定は罰則の累積が早くきびきびやれて良い」としながら、⑤
の質問では「講道館規定は罰則への時問が長く余裕があって良い」とする者があった
一63一
ことを示すP。さらに、この結果の原因には、選手層のr体重差」が関係しているの
ではないかと考え、体重別の観点からさらに分析を行った。その結果、表19に示す
ように、質問④の肯定者による⑤への肯定者と否定者の間には、r90kg以上」とr70kg
未満」2》で人数に偏りが認められた。そして表21に示す残差分析の結果から、「国際
規定は罰則の累積が早くきびきびやれて良い」としながら、「講道館規定は罰則への
時間が長く余裕があって良い」とするのは、r90kg以上の者」、すなわち「体重の重
い者」が多いことがわかる。
以上のことから、全体的には、「罰則」によって勝負が早く着く国際規定に対して
肯定的であるが、若い選手層、そして中でも体重の重い者は、罰則が与えられるまで
の時間の長い講道館規定の方がやりやすいと考える傾向にあるといえる。そのことに
は、「返し技を攻撃としてもっと評価するべき」(21才、3段、81kg)という自由記述が
みられるように、見た目で攻撃しない者に対して何でもかんでも罰則をとるのではな
く、やはり技の質的評価と関連した「罰則」の取り方が必要となろう3)。
表19.質問④の肯定者による⑤への肯定者と否定者
肯定
90kg以上
否定
84
70kg未満 r 66
計
84
168
105
171
1)再度、確認のため質問内容を正確に記すと、質問④は「国際規定では指導の累積が4回で反
則負けとなり、講道館規定(の5回)よりも早く勝敗が着き、また競技がキビキビやれて良い」
であり、質間⑤は「全体に「積極的戦意の欠如」に対して罰則が与えられるまでの時間が長い講
道館規定の方が、余裕をもって競技がやれて良い」である。つまり、質問内容の相違は、④では
「反則負けに至るまでの累積の回数」についてであり、⑤では「罰則が与えられるまでの時間」
についてであった。
2)「90kg以上」と「70kg未満」に分けたのは、全ての回答者の平均体重(80.2kg)および度数
分布における中央値(76kg)によっている。なお、いわゆる現役選手でない者については、すで
に調査内容に示したように選手時代の体重として把握している。
3)ただし、「罰則」に関する質問⑦の「消極的柔道に対する罰則は返し技を退化させる」の結
果では、肯定者(35.7%)よりも否定者(64.7%)が上回った。その結果の図示については省略
する。
一64一
表20.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
自由度
P値
1
4.467134503
判 定
0.0346
*P〈.05
表21.残差分析の結果
N
⑤への回答
肯定
否定
90㎏以上
168
十50.0%・*
一50.0%・*
70kg未満
171
一38、6%・*
十61,4%・*
*Pぐ05
また、質問の⑥「講道館規定の『注意・警告』は罰則の累積程度が認識できて良い」
については、図25に示すように、肯定者(75.3%)が否定者(24.7%)をかなり上回
った。
そう思う
人数
ややそう思う
271
あまり思わない思わない計
299
141
46
757
囲そう思う
圏ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
図25,講道館規定のr注意、警告』は累積程度が認識できて良い
さらに、年齢別では、r30才未満」の選手層の方が肯定者が多く(77.6%;491/633
名)、「30才以上」との間に人数の偏りが認められた(p〈.01)。このことから、「国際
規定」では「罰則」を「指導と反則負け」の2種に絞ったが(2004年∼)、現行の「講
道館規定」では引き続き採用されている「指導、注意、警告、反則負け」という段階
一65一
的な罰則区分の呼称の方が、特に選手にとっては分かりやすいと考えられる(選手は
試合に集中していることから、いちいちスコア・ボードを確認する余裕は少ない)。「国際規定」
が「罰則を指導と反則負けの2種」に絞ったのは、外国の審判員にとって目本語によ
る発声をより単純化するためであったともいわれており(正確なところは不明である)、
一見、合理的なようにみえるが、本調査の結果からも、罰則が累積である以上、結果
的には紛らわしくなっているともいえる。
4)「旗判定と延長戦(ゴールデンスコァ方式)」について
すでに記したように、「勝敗の決定方法」として、「講道館規定」では三人の審判員
による「旗判定」という方法がとられてきたが、より客観性のある方法として、「国
際規定」では「延長戦」(ゴールデンスコア方式と呼ばれ、試合者のどちらか一方がポイント
を奪った時点で競技が終了する)」の採用に至っている。では、この「延長戦」について、
実践者はどのように捉えているのであろうか。
①「なるべく延長戦を行う方が良い」については、図26に示すように、肯定者(654
%)が否定者(34.6%)を上回った。
そう思う
人数
ややそう思う あまり思わない 思わない 計
250
245
155
107
757
團そう思う
■ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
図26,なるべく延長戦を行う方が良い
しかし、この結果を年齢別にみると、図27に示すように、「30才以上」における
一66.
肯定者の比率(80。6%;100/124名)が「30才未満」における肯定者の比率(624%;395
/633名)を上回り、両群における人数の偏りには違いが認められた(P〈,Ol;表22参
照)。
圃そう思う
固ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
0% 50% 100%
図27.なるべく延長戦を行う方が良い
表22.カイ2乗検定の結果
23.1195387
rp値
κ2乗値
自由度
3
判 定
0.0000
**P〈.01
この結果から、指導者の方が「延長戦」による勝敗決着を望む傾向の強いことがわ
かるが、それにはさらに、表23に示すように、なかでも「審判員」が「延長戦」を
望む傾向の強いことが影響している。そして、その基本的理由には、例えば「見てい
る側もはっきり勝敗が分かって良い」(45才、5段、Bラィセンス)という自由記述にみ
るように、できるだけ十分な戦いによって勝敗を決する方が選手も納得するし、客観
的であるという見方があろうが、逆からいえば、従来の「旗判定」には主観が入りや
すく、判定が困難であるケースが多いと実感しているからではないだろうか。トーナ
メント方式の個人戦では当然ながらどちらかの選手を勝者にしなけれぱならず、本当
はr引き分け」にしたいといういわゆるr審判泣かせjを、r延長戦」によってでき
るだけ画避したいという心理が働いているように思われる。
一67一
表23.「なるべく延長戦を行う方が良い」
ライセンス\回答
そう思う
ややそう思う
7
Aライセンス
あまり思わない
5
計
思わない
3
1
16
7
3
56
Bライセンス
32
14
Cライセンス
29
32
18
12
91
181
194
127
92
594
ライセンス無し
また、質問②の「延長戦は体力勝負となるので良くない」について、単純集計の結
果は図28に示すものであり、全体的にはそうとは思わない否定者(63.8%)が上回
った。
そう思う ややそう思う あまり思わない 思わない 計
人数
122
152
296
187
757
囲そう思う
■ややそう思う
ロあまり思わない
□思わない
「延長戦」ははじめの試合時間と同時間によって行うものであるため(っまり、試
合時問が5分の場合、r延長戦」も5分)、「延長戦は体力的にきつすぎる」(18才、2段)
という自由記述がみられるように、「延長戦」をフルに戦った場合、かなり体力を消
一68一
耗するのは事実であるP。それに対しては、「体力的にも精神的にも強い方が勝つの
で良い」(19才、2段)や、r稽古量の差が表れるので延長戦は良い」(20才、2段)と
いうように肯定意見もあり、賛否両論である。
そして、表24に示すように、当質問についても、「ライセンス別」でみると特に審
判員は「体力勝負となっても良い、あるいは仕方がない」と考える傾向がより強くな
っている。そしてこのことにも、先の質問①で述べたように、「できるだけ十分な戦
いによって勝敗を決する方が良い」とする反面、「旗判定による判定が困難であるケ
ースを延長戦によってできるだけ回避したい」という心理がどこかにあるのではない
だろうか。
例えば、r延長戦の時問を短くした方が良い」(19才、2段)、r延長戦は国際大会だ
けで良い」(20才、2段)という自由記述がみられるように、「延長戦」はそれが採用
されてから日が浅いため、実際に戦う選手層の意見を考慮しながら工夫・改善する余
地があるように思われる。
表24.「延長戦は体力勝負となるので良くない」
ライセンス\回答
そう思う
あまり思わない
ややそう思う
Aライセンス
1
3
Bライセンス
3
5
Cライセンス
ライセンス無し
7
計
思わない
5
16
23
25
56
13
17
35
26
91
105
127
231
130
593
また、質問③の「延長戦が罰則で決するのは良くない」について、単純集計の結果
は図29に示すものであり、賛否両論となっている。
1)なお、「延長戦」においては、どちらかの選手が技の「効果」、あるいは罰則の「指導」以上
のポイントを取った時、即座に試合終了となる。ただし、それでも決着しない時は「旗判定」と
なる。
一69一
そう思う
人数
ややそう思うあまり思わない思わない計
182
179
218
178
757
團そう思う
圏ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
当質問については、年齢別、あるいは審判員ライセンス別による違いは認められな
かったが、これに関する自由記述で、「延長戦は指導2っ以上で決したらどうか」(25
才、4段)、「技の効果で勝負を決するべき」(38才、6段、Bラィセンス)、「延長戦は技
あり以上で勝負が決まる方が良い」(28才、4段、Cライセンス)、r延長戦では本戦の罰
則が遅くなる傾向があると思う」(35才、5段、Bラィセンス)等の意見が出されており、
やはり工夫・改善の余地はあるように思われる。
5)r審判員ライセンスと段位」について
すでに「n.方法」において述べたように、HFでは「国際規定」を設けた当初か
ら「公認審判員制」が採られてきたが、日本ではその制度的実施はかなり遅れ(平成2
年∼)、また、今日まで公認ライセンスの取得には「段位」という資格条件が付与さ
れている。目本の戦前では、「高段位の者が低段位の者を審判する」のが当然とされ
ており、そこにはr技を見る目」と、r高段位の者がもつ人格」という要素が審判員
には不可欠であるという考え方があり、それが今目まで受け継がれていると思われる。
しかしながら、戦後の早い時期からも、「審判技術と段位は別もの」という意見が出
されており、また、今目の若い実践者では、段位そのものに対する関心が低下してい
一70一
るという報告もあるD。
まずは、質問①の「審判技術と選手としての技術は別ものである」の単純集計結果
を示す。
①r審判技術と選手としての技術は別ものである」
そう思う
人数
ややそう思う
167
あまり思わない思わない計
203
241
146
757
國そう思う
團ややそう思う
□あまり思わない
ロ思わない
図30に示すように、①「審判技術と選手としての技術は別ものである」については、
肯定者(48.9%)と否定者(51.1%)に分かれ、賛否両論の結果となった。しかし、
この結果を年齢別にみると、図31に示すように、「30才以上」における否定者の比
率(62,9%178/124名)がr30才未満」における否定者の比率(48.8%1309/633名)
を上回り、両群における人数の偏りには違いが認められた(p〈.05;表25参照)。
1)永木耕介(2006)嘉納柔道思想の継承と変容一国際化に伴う「教育的価値」と「競技化促
進」の相克一.筑波大学大学院・人間総合科学研究科・博士論文(体育科学),pp.204−206.
一71一
圃そう、思、う
30才以上
圃ややそう,思う
□あまり思わない
0% 50% 10己%
図31.審判技術と選手としての技術は別ものである
表25.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
自由度
P値
3
8.497921924
判 定
*P<.05
0.0368
さらに、単純集計の結果をライセンス別にみると、表26のようになる。
表26,「審判技術と選手としての技術は別ものである』
そう思う
ややそう思う
Aライセンス
1
Bライセンス
8
あまり思わない
2
思わない
3
計
10
16
13
24
11
56
Cライセンス
23
22
31
15
91
ライセンス無し
135
166
183
109
593
表26をさらに「ライセンス有りとライセンス無し」にカテゴライズし、「肯定者と否
定者」に統合して分析すると、10%水準で有意傾向にあることが認められる(表27、28
を参照)。
表27.ライセンスの有無における肯定者と否定者(質問①)
肯定者
否定者
計
ライセンス有り
69
94
163
ライセンス無し
301
292
593
一72一
表28.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
自由度
3.633952786
P値
1
0.0566
これらの結果から、特に指導者および審判員では「審判技術と選手時代の技術は関
連している」と捉える傾向が、現役選手よりもやや強いことがわかる。当質問に関し
ては、「試合の流れなどを読めることも大切、柔道初心者では問題がある」(53才、6
段、Bライセンス)等、やはり審判の際にはある程度の柔道経験や技術が必要であると
いう意見が出されている。
また、②の「柔道経験は審判に不可欠で段位とライセンスは関連すべきである」に
ついての単純集計結果は、図32に示すものであった。
そう思う
人数
ややそう思う
235
あまり思わない 思わない 計
319
159
44
757
國そう思う
圏ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
当質間は、①に比して、さらに「段位」の必要性について踏み込んだ質問であるが、
全体としては肯定的であり、年齢別およびライセンス別においても違いは認められな
かった。だが、自由記述において、「柔道初心者では問題があるが、段位とライセン
スの関係は現行よりも幅を広げて良い」(38才、6段、Bラィセンス)、という意見が出さ
れているように、必ずしも高段位の者がそれよりも低段位の者を審判すべしという戦
一73一
前のような厳格な段位による審判資格の格付けは弱まっている。そしてその理由には、
例えば「段位による制限は要らないが、ライセンスの試験をもっと厳しくするべき」
(20才、2段)という意見が出されているように、審判技術そのものが複雑・高度化
していることによる影響があると考えられる。
以上を踏まえれば、ライセンス取得に段位をどの程度関連づけるかについては再考
の余地があり、さらにいえば、ライセンス取得に際する試験内容を問うことや、取得
後の審判技術に対するチェックが今後はより厳しく求められ、重要となっていくよう
にように思われる。ただし、付記しておきたいのは、柔道経験や段位が不可欠のもの
とされ、なおかつライセンスに対する絶対的な厳しさが求められる必要があるのは、
高度な技術レベルの試合、さらにいえば、勝敗が人生を左右する類の試合(その象徴
はオリンピックである)に対して、という点である。先項の「罰則」のところでも触れ
たように、一般的に楽しさを優先させるような試合のすべてにおいて、高度な審判技
術が求められる必要はないであろう。極論すれば、日常の練習では審判不在であるが、
練習者は双方が互いに自己判定を行いながら、競い合うことが可能なのである1)。さ
らに現実的な点をいえば、審判員は基本的にボランティアで審判を務めているのであ
り、如何なる試合でも審判員の高度化を求めてしまうと、なり手が減っていくことに
なる。つまり、全体的な柔道の大衆化の側面を考えれば、やはり審判員への求めも、
レベルに応じて考慮される必要があり、その点にっいては共通認識をもつべきであろ
うと思われる。
また、審判員がもつべき人格・識見あるいは教育性の要素と、ライセンスにおける
段位との関連にっいては、自由記述においても一切みられなかった。この点について
1)例えば、戦前に嘉納から直接の教えを受けた望月稔は、次のように述べ、柔道人のモラルを
高めるためにも「セルフジャッジ」が有効であると唱えている。「本来、裁判だの審判などの制度
は、法律や規則を破ったりごまかす者がいるので作られた制度であってそれがなければ不必要な
ものである」(望月稔、柔道新聞・昭和63年4月20日付、目本柔道新聞社)。これは極端な考え
ともいえるが、例えば日常において楽しまれるテニスやバスケットボールにしても審判員がいる
わけではなくセルフジャッジで行われており、このような自己判定の習慣化は、技の効果を冷静
に見る目や他者への配慮を育てるという意味でも確かに有効かもしれない。
一74一
さらに追究することは今後の課題としたいが、すでにrH.方法」でも触れたように’)、
もはや審判員の役割は、単純に試合内容を判断することに徹するべきものと捉えられ
ているように思われる。
6)r礼法等の違い」について
すでに「H.方法」で述べたように、「国際規定」と「講道館規定」では、「礼法」
の取り扱いについても、微細ながら相違している。その主なものは、「講道館規定」
では「正面(上座)べの礼」は行うべきものとして規定されているが1「国際規定」
ではそのような規定はない。また、「国際規定」では「審判員は競技を見やすい位置
に立つこと」が前提となっており、たとえr正面(上座)に背中を向けて立つこと」
があっても何ら取り沙汰される問題ではないが、日本では、たとえ「国際規定」を用
いた審判を行っていても、やはり正面に背中を向けて立つことへの違和感は残ってい
るように思われる。このことに関連して、筆者が知るところによれば、概ね昭和50
年代より以前に柔道を習い始めた人々のほとんどが、試合中であっても開始線に戻る
時は審判員の目前を横切らずに背後を通るよう指導を受けており、それは常に上座を
意識した指導であったといえる。
さて、まずは質問①の「常に正面への礼を重んじるのは当然である」について、単
純集計の結果は図33に示すものであり、肯定者(78.9%)が否定者(21.1%)をかな
り上回った。
1)再引するが、尾形は、国際規定では「審判員の裁量や教育的な配慮が入り込む余地はなく、
極めて合理的・単純である」と分析している。尾形敬史(1998)審判規定の変遷.競技柔道の国
際化一カラー柔道衣までの40年一,不昧堂,p.83.なお、永木は、戦後における審判員のカリス
マ性や信頼性の低下は、いわゆる「スポーツの世俗化」に同調したものであると指摘している。
永木耕介(2006)嘉納柔道思想の継承と変容一国際化に伴う「教育的価値」とr競技化促進」の
相克r筑波大学大学院・人間総合科学研究科・博士論文(体育科学),PP.301−303.
一75一
そう思う
人数
ややそう思う あまり思わない 思わない 計
345
252
129
31
757
圃そう思う
圏ややそう思う
口あまり思わない
□思わない
この結果については、年齢別あるいはライセンス別において大きな違いは認められ
ず、自由記述においても、「礼法は日本の伝統でありしっかりとやるべきである」(47
才、5段Bラィセンス)、「国際規定も礼法は講道館規定と同じにすべき」(53才、7段、A
ライセンス)、「礼法は国際規定でもしっかりとやるべきである」(20才、2段)という
意見がみられ、基本的には伝統維持の意識が強く表れた。ただし、反対意見としては
「大会役員が主ではなく、選手が主役」という記述がみられたのみで、こちらが意図
した「外国人には正面(上座)への説明がつかない」という点についての記述はなく、
これ以上の考察は深められない結果であった。
また、質問②の「審判員が正面に背を向けても失礼にならない」について、単純集
計の結果は図34に示すものであり、肯定者(76.7%)が否定者(23.3%)をかなり上
回った。この結果は、先の①からみれば逆転するものであり、自由記述においても、
「審判員は誤審をなくすため一番見やすい位置でジャッジするべき」(29才、3段)と
いう意見が出されているように、審判員の役割を優先する「国際規定」の流れに乗っ
たものである。
一76一
そう思う
ややそう思う
338
人数
あまり思わない 思わない 計
243
129
47
757
團そう思う
圖ややそう思う
□あまり思わない
口思わない
そして、この結果を年齢別からみれば、図35に示すように、「30才以上」におけ
る肯定者の比率(86.3%l lO7/124名)が「30才未満」における肯定者の比率(74、9%
;474/633名)を上回り、両群における人数の偏りには違いが認められた(p〈.01;表29
参照)。
圃そう思う
30才以上
團ややそう思う
□あまり思わない
30才未満
□思わない
0% 50% 100%
図35.審判員が正面に背を向けても失礼にならない
表29.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
17.37520703
自由度
P値
3
判定
0.0006
一77一
**P〈.01
さらに、単純集計の結果をライセンス別にみると、表30のようになる。
表30.「審判員が正面に背を向けても失礼にならない」
そう思う
あまり思わない
ややそう思う
9
Aライセンス
5
思わない
計
1
1
16
4
2
2
56
Bライセンス
36
董4
Cライセンス
45
29
15
ライセンス無し
248
195
109
41
91
593
表36をさらに「ライセンス有りとライセンス無し」にカテゴライズし、「肯定者と
否定者」に統合して分析すると、やはり人数の偏りに違いが認められた(表31、32を
参照)。
表31.ライセンスの有無における肯定者と否定者(質問②)
肯定者
否定者
計
163
ライセンス有り
138
ライセンス無し
443
150
P値
判 定
25』
593
表32.カイ2乗検定の結果
X2乗値
1自由度
7.126344171 ■ 1
0.0076
**P〈.01
以上のことから、質問①では、指導者や審判員も当然の如く伝統的形式としてのr礼
法」を重んじる態度がみられたが、②でみたように、むしろ彼らの方が審判の役割を
遂行するうえで必要な行為であればそれを優先させる傾向の強いことが確認された。
一78一
また、質問③の「国際規定のように立ち姿勢で服装を直す方が良い」1)について、
単純集計の結果は図36に示すものであり、肯定者(77.8%)が否定者(22.2%)をか
なり上回った。
そう思う ややそう思う あまり思わない 思わない 計
人数
318
271
129
39
757
團そう思う
圏ややそう,思う
□あまり思わない
□思わない
自由記述においても、「座った状態では服装が直しにくい。実利的にするべき」(44
才、5段、Bラィセンス)や、「試合の流れを止めないように服装を直すべき」(21才、3
段、cラィセンス)という意見が出されているように、この結果は、やはり便宜上から
のものである。そして、この結果については、図37および表33に示すように、年齢
別にみて「30才未満」の方が肯定的であり、やはり選手層の方が実戦上の経験から、
立った姿勢で服装を直す国際規定により賛成していることが確認された。
1)「講道館規定」では、服装を直す時は正座することを原則としている。この行為形式には、
服装を「正す」という意味における目本流の品性の示し方が込められていると捉えられる。ちな
みに、剣道はじめその他の武道でも、服装等に乱れが生じた時には、正座して直すのが常識とな
っている。
一79一
團そう思う
30才以上
圃ややそう思う
30才未満
□思わない
□あまり思わない
0% 20% 40% 60% 801% 100%
図37.国際規定のように立ち姿勢で服装を直す方が良い
表33,カイ2乗検定の結果
κ2乗値
10.34672802
自由度
P値
3
判 定
0.0158
*P〈.05
7)「ブルー柔道衣」について
すでに「H.方法」で述べたように、「ブルー柔道衣」が導入された基本的な理由
は、見る側、つまり審判員をはじめ観衆を意識することから生じたとみられる。審判
上においては、「誤審」を防ぐという正当な理由が挙げられているが、観衆という点
については、主にメディアを意識し、柔道競技をアピールするという外部へ向けての
発信性をもっていた。「ブルー柔道衣」については、目本国内でも当初から賛否両論
があったが、現行では国内の試合での着用は認められていない。
さて、質問①の「テレビや観衆のためのブルー柔道衣は日本では不要である」につ
いて、単純集計の結果は図38に示すように、肯定者(52.3%)と否定者(47.7%)は
拮抗し、やはり賛否両論であった。自由記述において「ブルー柔道衣は不要」とした
意見では、「柔道衣は白でよい」(26才、4段)、「国際試合だけ着用でよい」(20才、2
段)等がみられ、また、「不要ではない」とした意見では、やはり「見ている人が分
かりやすいのでよい」(29才、3段、他多数)が目立った。
一80一
そう思う
人数
ややそう思う
241
あまり思わない思わない計
155
230
131
757
圏そう思う
團ややそう思う
ロあまり思わない
ロ、思わない
ただし、この結果を年齢別にみると、図39に示すように、「30才以上」において
「ブルー柔道衣は不要」とする者の比率(613%176/124名)が「30才未満」におい
て「不要」とする者の比率(50.6%1320/633名)を上回り、両群における人数の偏
りには違いが認められた(p〈.05;表34参照)。
囲そう思う
30才以上”
図ややそう、思、う
ロあまり思わない
ロ思わない
30才未満.
0% 20% 40% 60% 80% 100%
図39。テレビや観衆のためのブルー道衣は日本では不要
表34,カイ2乗検定の結果
κ2乗値
10.9329802
自由度
P値
3
判定
0.0121
*P〈.05
この違いは一見、年齢層が上がるにつれて、従来の「白色」への思い入れが強いか
のように捉えられる。だが、自由記述において、「30才以上」における「不要」論で
は特に「白色」にこだわるといった意見はなく、目立ったのは、「経済的負担がかか
一81一
る」というものであった。確認しておくが、この「経済的負担がかかる」というのは、
仮に試合の参加条件に「ブルー柔道衣」が規定されれば、一人が「白」と「ブルー」
の2着を常に用意しなければならなくなるからである。すでに「H.方法」で述べた
ように、当初、日本が「ブルー柔道衣」の導入への反対意見として挙げた理由の中に
は、この「経済的負担」があった。そしてこの点についてはすでに嘉納時代において、
「柔道普及のために、できるだけ安価な道衣が望まれた」ことから、木綿製の道衣が
用いられ、その色が結果的にr白」であったわけである(再度、確認しておくが、当初
から試合規定の中に柔道衣の色に関する規定はなかった)。柔道の普及を考える立場の指導
者層にとっては、「経済的負担」への配慮は当然の事と思われ、したがって今目でも
その点からの「不要」論は多いと捉えられる。
さらに、「ブルー柔道衣」が発想された当初からの理由であった、「誤審を防ぐのに
役立つ」(質問②)については、単純集計結果を図40に示すように、肯定者は57。2%、
否定者は42.8%で決定的な違いはなく、やはり賛否両論であった。
そう思う
ややそう思う あまり思わない 思わない 計
219
人数
214
212
112
757
14.8%
國そう思う
28.0%
厘ややそう,思う
□あまり思わない
□思わない
図40.ブルー柔道衣はr誤審」を防ぐのに役立つ
ただし、この結果を年齢別にみると、図41に示すように、「30才未満」における肯
定者の比率(59.9%1379/633名)が「30才以上」における肯定者の比率(43.5%;54
/124名)を上回り、両群における人数の偏りには違いが認められた(p〈.011表35参
照)。
一82一
図そう思う
30才以上
圏ややそう思う
□あまり思わない
□思わない
30才未満
0% 20% 40% 60% 80% 1』00%
図41.ブルー道衣はr’誤審」を防ぐのに役立つ
表35.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
33.12289405
−自由度
P値
3’
判 定
0.0000
**Pぐ01
「30才以上」における自由記述では、「国内では使用していないが、ほぼ問題ない」
(51才、5段、Bライセンス)や、「審判や監督は集中しているので間違えることは少な
いと思う」(38才、5段、Bライセンス)等の意見がみられ、「誤審を防ぐ」については
それを積極的に肯定する意見はみられなかった。
以上の結果を踏まえれば、国内における「ブルー柔道衣」の導入については、全体
的には賛否両論であるが、特に指導者層を中心に、普及に関わる経済的負担、そして、
誤審にはつながらないという理由から、現時点では「不要」で落着していると捉えら
れる。ただし、指導者層においても、「柔道衣は白色でなければならない」という積
極的意見は持ち得ず、仮に「大衆のための試合」と「スペシャリストのための試合」
とを分けて考える時、後者において、「ブルー柔道衣」の着用に対する観衆(テレビ等
のメディアを含む)の要望の高まりと経済的なバックアップが用意されるならば、今後、
国内でもそれが容認される可能性は否定できないであろう。
一83一
8)「総論」として
以上の、「講道館規定」と「国際規定」の相違点から立ち上げられた「各論」とし
ての質問を経て、最後に「総論」として、①「講道館規定と国際規定の両方があって
良い」、②「国際規定のみで良い」、③「国際規定はスポーツとしてのものであるため、
伝統的な教育としてあるべき講道館規定を改訂せよ」、という3項目の中から1項目
を選択させた。その単純集計の結果は次の表36、図42に示す通りである。
表36.総論として
両規定でよい
人数
334名
国際規定のみ
講道館規定変えよ
175名
248名
計
757名
この結果を選択者数の多い順からみれば、①「講道館規定と国際規定の両方があって
良い」→③「国際規定はスポーツとしてのものであるため、伝統的な教育としてある
べき講道館規定を改訂せよ」→②「国際規定のみで良い」となるが、最も多い①にし
ても、過半数を超えるものではなく、はたまた意見の分かれる傾向にある。
そして、この結果を年齢別にみると、表37および図43に示すように、「30才未満」
と「30才以上」において人数の偏りには違いが認められた(p〈、01;表37参照)。
一84一
表37.年齢別にみた「総論』の選択者数
商規定でよい
国際規定のみ
講道館規定変えよ
計
30才未満
309
130
194
633
30才以上
25
45
54
124
30才以上
圃両規定でよい
團国際規定のみ
□講道館規定変えよ
30才未満
0%
100%
50%
図、43「総論』・として
表38.カイ2乗検定の結果
κ2乗値
自由度
P値
2
35.6932288
判 定
0.0000
**P<.01
表39、残差分析の結果
年齢
N
両規定でよい
国際規定のみ
講道館規定変えよ
30才未満、
633.
48.8%・**
20.5%・**
30。6%・**
30才以上
124
2α2%・**
36.3%・**
43.5%・**
**P〈.01
ことに、r両規定でよい」とする者は、r30才未満」が他項目に比して最も多いの
に対して、「30才以上」では他項目に比して最も少なくなっており、明らかな違いが
ある(表39の残差分析の結果を参照)。このことから、自由記述においても、「規定を一
本化してほしい」(38才、6段、Bライセンス;その他多数)という意見がみられるよう
に、特に指導者は2つの規定が採用されていることに対する困惑感を抱く傾向が強い。
また、ライセンス別にみた場合、その傾向は特にBライセンス保持者に明らかであっ
一85一
た(表40参照)1)。Bライセンス保持者は高校部活動、大学部活動、その他社会人へ
の指導者が多く、そのことから「国際規定」を中心に審判を行う場合が多いため、た
まにr講道館規定」による審判を行った場合、それらの相違による紛らわしさを強く
感じているものと捉えられる。
表40、ライセンス別にみた「総論』の選択者数
両規定でよい 飼際規定のみ
講道館規定変えよ
計
Aライセンス
5
4
7
Bライセンス
6
25
25
56
16
Cライセンス
39
24
28
91
ライセンス無し
284
122
187
593
しかしながら、単純集計の結果からもわかるように、全体的に「国際規定のみでよ
い」とする者が多いとはいえず(ただし、特に年齢別でみた場合には違いがあり、指導者に
「国際規定のみでよい」とする傾向は強い)、そこまでは割り切れていない傾向がうかが
える。そして、「国際規定のみでよい」とする者に比して、「講道館規定を変えよ」と
する者は多く、それは特に、指導者あるいは審判員に多いことがわかる。
そしてこの結果は、次のように捉えられる。
自由記述においても、「双方のよいところをとって一っにするべきだが、少年規定
は必要」(32才、4段、Bライセンス)、「国際規定のみでよいが、少年規定は必要」(64
才、6段、Bラィセンス)、「規定は統一した方がよいが、礼法はしっかりすべき」(45才、5
段、Bライセンス)等の意見が出されているように、便宜上からは何らかの統一が望ま
れており、その形としてはすでにオリンピックにまで通じグローバルなものとなって
いる「国際規定」が中心的に志向されるが、それだけでは不十分であり、「少年規定」
や「礼法」等、従来から目本の柔道がもっ大衆性や教育・文化性といった点は保持・
継承すべきであると考えられている。自由記述においてさらに、「体重別試合は国際
1)また、Cライセンス保持者に「両規定でよい」とする者が多いのは、その中には中学校部活
動の指導者が多く、日常的に「講道館規定」に慣れていることがあると考えられる。
一86.
規定、団体試合、無差別試合は講道館規定にし、技あり以上にする」(47才、5段、B
ラィセンス)、「講道館規定がなくなると柔道の本来あるべき姿が失われてしまう」(38
才、3段)、「競技では国際規定、生涯スポーツとしては講道館規定がよい」(42才、4
段)という意見がみられるように、「国際規定」とは別に、伝統的な要素を維持でき
るような規定の存在が求められていることから、現行のように「国際規定」に近似す
る「講道館規定」ではなく、「それを変えよ」という判断にむすびついていると捉え
られるのである。
一87一
IV.結論および今後の課題
本研究は、今日、目本国内で採用される試合規定に「講道館規定」と「国際規定」
の2つがあり、そのことが実践者を悩ましているという問題意識から、よりよい試合
規定の在り方について考究することを目的としたものであった。そのための方法とし
て、まずは2つの規定の相違点(①r体重制」の考え方、②r技の評価」、③r罰則」、④r勝
負判定」、⑤r審判員ライセンスと段位」、⑥r礼法」、⑦rブルー柔道衣」)を抽出し、その相
違点が生じた理由・背景にっいてあらかじめ整理したうえで、実践者への質問を構成
し、調査によって考察の手がかりとなる資料を収集した。
調査結果の要点は、以下のようにまとめられる。
①「体重制」の考え方については、すでにそれが定着して40年以上が経過してい
るにもかかわらず、「無差別」での試合への希求が残存していること。
②「技の評価」については、基本的には「一本」への理想は存続し、「国際規定」
に顕著な「ポイント」は時間内で勝敗を着ける便宜上の必要から容認される傾向にあ
ること。
③r罰則」(主にポイント化された積極的戦意の欠如に対する罰則)については、全般的
には肯定と否定に分かれ賛否両論であるが、指導者あるいは審判員はやはり時間内で
勝敗を着ける便宜上の必要からそれを容認する傾向にあり、選手は先述の「技の評価」
と関連し、「罰則」よりもr技」による勝敗決着を望む傾向にあること。
④「勝負の判定」主に2005年から「国際規定」で採用されている「延長戦」と、「講
道館規定1が従来採用してきた「旗判定」については、全般的に「延長戦」の肯定が
多かった。その理由には、「旗判定」における審判の主観をなるべく排除したいこと
があると考えられる。ただし、選手では、指導者や審判員に比して、延長戦による体
力消耗の激しさからややそれに対して否定的であることもうかがえた。
⑤「審判員ライセンスと段位」の関連については全体として、柔道経験は審判員に
とって必要不可欠であるとする傾向にあり、特に指導者および審判員では「審判技術
と選手時代の技術は関連している」と捉える傾向が、現役選手よりもやや強いこと。
⑥「礼法」にっいては基本的には伝統維持の傾向にあると考えられるが、一方で「審
一88一
判員が正面に背を向けても失礼にならない」や「国際規定のように立ち姿勢で服装を
直す方が良い」などの項目では便宜上の必要から大半のものが肯定意見であること。
⑦「ブルー柔道衣」については、全体的には賛否両論であるが、国内での導入につ
いては特に指導者層を中心に、普及に関わる経済的負担、そして、誤審にはつながら
ないという理由から、現時点では「不要」で落着していると捉えられる。
さて、以上の結果を踏まえた、各々の相違点に対する筆者の考えは随所で述べたの
でここで繰り返すことはしないが、試合規定の在り方として、総論的な結論をいえば、
やはり現場での混乱を避けて試合規定の統一化を図るために、今後は「国際規定」を
中心とすべき、というものになる。ここで念を押していえば、現行の「講道館規定」
は「国際規定」に近似しつつあることから、その存在意義が分かりにくくなっている
からである。
ただし、今回の調査結果を通して、例えば「技」や「礼法」への考え方において戦
前来の競技観を根強く継承する面もみられ、試合規定の在り方に対する実践者の認識
は、今目なおも複層的であることが確認された。その点も踏まえ、以下のような筆者
の意見を提示したい。それは、「国際規定jは競技者として最も力を発揮できる年代
(高校生∼30才程度まで)に対して、しかも高度な柔道を目指す者に対して採用すべ
きであり、少年柔道や学校体育の授業、一般の市民大会等の「大衆のための柔道」で
は、従来の「講道館規定」の考え方にもとづいた柔軟性のある規定を設け、より多く
の実践者が試合に参加できるように工夫する必要があろうというものである。従来の
「講道館規定」の考え方とは、「試合とはあくまで日頃の練習・修行の成果を試し合
うもの」であり、その目標を煎じ詰めていえば、「一本を目指すこと」と、「自己の品
格・他者への礼儀を大切にすること」であり、結果としての勝敗は二義的なものであ
った。つまり、そのような考え方・目標においては、何が何でも勝敗を着けるための、
技や罰則のポイントは不要であり、また、体重制や時間制限もその場の参加者に応じ
て柔軟に適用してよいものとなる。ちなみに、創始者の嘉納は、「規定規則をつくる
のが嫌らいな方であった。(中略)『根本方針だけ簡単につくっておけばよい。それを
活かして使うのは人だよ」(傍点・筆者)1)と述べたといわれている。このことには、
1)江橋力,柔道新聞・昭和46年6月1日付2面、日本柔道新聞社,
一89一
柔道においては人間修行が最も重視され、試合自体には動機づけとしての意味しか付
与せず、がんじがらめの規定をっくってまで勝敗を決する必要はない、という考えが
示されていよう。
ある言い方をすれば、そのような試合規定、つまり、一本を目指し、自己の品格・
他者への礼儀を忘れないという従来の柔道試合の考え方・目標に則った規定とは、「目
頃の練習」をそのまま(自然に)試合へと移行できるような規定である。そして、今
回の調査結果を踏まえれば、そのような規定の在り方について考え得るいくつかの象
(イメージ)を示すことができる。まずは、「一本」に対する価値を絶対・至上のもの
とする規定である。具体的にいえば、例えばr試合者のどちらかが一本を取らなけれ
ば引き分け」という規定も考えられよう(ただし、これは団体戦向きといえ、トーナメン
ト方式の個人戦における勝者の決定方法については別途考える必要がある)。そして、そのよ
うな「一本のみ」の試合と関連して、立技の試合と寝技の試合を分けて行うなど、寝
技についても長時間による決着を奨励していくのも一考であろう。また、消極的柔道
に対するr罰則」についても細かな規定は設けず、例えばrはじめから組んだ状態」
で試合を行って無駄な組み手争いを無くし、技の向上を目指すのも一考であろう(そ
の方法では当然、体重差による有利・不利が生じるので体重別であった方がよいが、その区分の
仕方は、その場に集まった人々を適宜3階級程度に分けるなど柔軟でよいだろう)。また、品
格や礼儀の保持という点については、礼法という行為形式の遵守も大切であるが、場
全体における穏和な雰囲気づくりが最も重要であると考える。要は、その場に集って
いるのが柔道愛好者同士であるという共有感が、内面からの礼の発揮に大いに関わっ
てくると思われる。したがって、(規定ではなく)マナーの領域となるが、少なくとも
周囲の者が試合相手を誹諺・中傷するような言動は慎むよう指導されるべきである。
もちろん、以上で述べたような「柔軟な規定の在り方」については、今後さらに具体
的な検討を要する。
なお、今回の調査で、例えば「少年規定」について、「将来、国際選手を目指すな
ら、国際規定に慣れておくべき」という自由記述もみられたが、このような考え方は
筆者には狭量なものに思える。経験上からも、たとえ一流競技選手を目指す場合でも、
高校生程度から「国際規定」による試合を行い始めても十分に問に合うし、要は、r一
本をとる」という基本が身に付いていることが大切であると考える。すでに中村が分
一90一
析しているように1)、最近の「国際規定」でも「一本」を取れるカの有無が勝敗を決
定づける要因になっているし、国際試合での目本選手の活躍はやはり「一本」を取れ
るカによるものと思われる。
そしてさらにいえば、「国際規定」自体についても、手放しでそれを受け容れるの
は良くないであろう。例えば「技の評価」や「罰則iにおけるポイント化も、限られ
た時間内で勝敗を決するための「便宜」であるという認識を実践者全体がもつことが
重要であると考える。つまり、「国際規定」は「競技スポーツとしての柔道」を促進
させるものであるという、割り切った認識を日本国内でもより定着させることである。
ただし、その割り切った認識だけが押し進めば、先に述べたような大衆性および教育
・文化性を念頭に置いた目本での試合規定との「分離」が生じることになる。そこで
日本は、現在では187の国・地域からなるIJFの1メンバーに過ぎないけれども、そ
のUFが主導する「国際規定」に対しても、積極的かつ思慮深くその在り方について
要求し続ける必要があると考える。そのためにも、一つのモデルとして、先述したよ
うな、柔道がもつ本質を核とした試合規定の存在が必要となる。いわば、グローバル
なr国際規定」と、ローカルな(だが柔道の本質を踏まえた)規定との相互作用によっ
て、柔道という文化をより豊かにしていくことが望まれるのである。
最後に、本研究では、日本国内において存在する2つの柔道試合規定に対する実践
者の認識について把握することができた。だが、背景には日本文化としての柔道と国
際文化としての兀∫DOの交錯があり、試合規定にっいてもそれによる根深い問題が
横たわっていることが明らかとなった。そのような問題を如何にすれば止揚すること
ができるのかについて、今後も実践者の立場から考究することを自らの課題としてい
きたい。
1)中村勇(2005)最新の国際柔道競技の動向一ダイナミック柔道と日本一.月刊・武道,20052
月号,日本武道館,pp.122−127.
一91一
参照文献一覧
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の脚注において既記したので省略する。
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謝辞
本稿を終えるにあたり、多くの方々に御指導、御協力を賜りましたことに心から感謝を
申し上げます。
御校閲を賜りました主任指導教員である千駄忠至教授、指導教員である永木耕介先生に
は、終止変わらぬあたたかい御指導、ご助言をいただきました。ここに厚く御礼申し上げ
ます。また生活健康系の先生方からも貴重なご助言をいただき、本研究に生かすことがで
きました。重ねて御礼申し上げます。
また、アンケート調査に御協力いただいた兵庫県学校柔道連盟所属の先生方、広島県学
校柔道連盟、新潟県学校柔道連盟の先生方、岡山商科大学、近畿大学、甲南大学、国際武
道大学、国士舘大学、仙台大学、筑波大学、東海大学、道都大学、日本体育大学、松山大
学、名城大学、立命館大学、龍谷大学柔道部の先生方ならびに部員の皆様、兵庫県警、広
島県警、三重県警、香川県警の先生方ならびに選手の方々、名古屋矯正管区所属の先生方、
旭化成柔道部の先生方ならびに部員の皆様、芦屋少年柔道教室の先生方、以上の皆様に対
しまして、この場をおかりし深く御礼申し上げます。
今後は、本研究が少しでも柔道や教育の現場に寄与できるよう、更に考究してまいりた
いと思います。
平成19年1月10目
佐藤博 信
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