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Graduate School of Policy and Management, Doshisha University
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書 評
マーク・ベコフ著 藤原英司・辺見栄訳
『動物の命は人間より軽いのか―世界最先端の動物保護思想』
(中央公論新社 2005年)
矢 野 百 合 子
我々の生活は、人間同士のみならず、他の多
くの生物との関わり合いのなかで成り立ってお
り、人間とこれら生物がよりよい形で共生して
いくための道を探ることは、非常に重要な課題
であると考えられる。
本書は、動物の生存権をテーマに、我々人間
が動物の存在をどのように考えればよいのか、
人間と動物の関係はどうあるべきなのかを考え
るための手ほどきとして書かれている。また、
本書は同時に、現代社会に蔓延した人間中心主
義的な自然観に対して警鐘を鳴らしている。
第一章において、著者は、人口が世界規模で
急速に増加している一方で、野生動物の生息数
や植物の個体数が減少し、地球全体の生物多様
性が確実に失われつつある現状を危惧し、動物
たちは人間が消費するための資源ではないこと
を強調している。そして、すべての生き物の生
命の美しさと価値を認めることの重要性を説き、
いま一度、人間と動物たちの生活について分析
し、議論することが必要であると記している。
第二章では、法的側面から動物の立場につい
て考察が加えられている。動物は、法的には所
有物であり、人間が使用し、消費するための単
なる資源、すなわち「物」にすぎない。著者は、
動物に対するこのような見方を変え、動物を
「物」または「財産」として見るのではなく、
生活の主体者として考えることの重要性を主張
する。
続く第三章においては、「スピーシーシスト
(種差別者)」と「ノン・スピーシーシスト(非
種差別者)」が取り上げられている。前者は、
動物がどのように扱われるべきかを決定する際
に、その動物がどの種に属しているかで決める
ものであり、後者は、どの種に属するかを決定
要因としないものを指す。スピーシーシストが
人間を他の動物と区別する際、その認知能力に
依拠するが、人間のなかにも、幼児や知的障害
を持つ人がおり、スピーシーシズムに則ると、
こうした人間は「人ではない」とみなされ得る
という問題が生じると著者は指摘する。
第四章、第五章では、動物は痛みや苦しみ、
不安を感じるのか、また、動物には自意識があ
るのかについて論じられている。著者は、動物
にももちろんこのような感情があり、人間だけ
が深い情緒的な感情を経験できるように進化し
た動物であると考えることを、心の狭い独りよ
がりであると諌めている。
そして、動物の痛み、苦しみに関連し、第六
章では、動物の権利論と動物の福祉論について
紹介されている。「権利論者(rightist)」は、動
物に対して与えられるすべての苦痛を否定し、
動物はある種の道徳的権利や法的権利を有する
と考える。一方、動物への苦痛を認容するが、
不必要な苦痛を生じさせないよう留意する、す
なわち、動物の福祉や福利を考慮する人々を「福
祉論者(welfarist)」と定義する。福祉論者は、
動物の権利については是認しない立場をとると
される。
第七章から第十三章にかけては、動物の利用
に関して、動物園等テーマパークに飼育される
展示動物や食用動物、化粧品テストなどに用い
られる実験動物が例に挙げられ、これらの考察
がまとめられている。
続く最終章では、動物や自然環境と共生する
ための具体的な考え方や行動が提示されてい
る。また、人間が自然の一部であるだけでなく、
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矢 野 百 合 子
自然に対して独自の責任を負うことについての
認識を求め、「ディープエソロジー」という言
葉を紹介し、本文を括っている。
冒頭でも述べたとおり、本書は、動物の生存
権を追求するとともに、人間中心主義的自然観
を警告している。科学技術のめざましい進展は、
人間に物質的な豊かさをもたらした。このよう
な豊かさを保証する「科学」を前に、自然環境
はなすすべもなく、人間の支配下に置かれてい
くこととなった。豊かさの追求という大義名分
のもと、おびただしい数の動物が犠牲になって
いく。自身の科学者としての経験から、このよ
うな状況に違和感を覚え、人間を含む生物世界、
さらには自然環境におけるそれぞれの関わり合
いを理解しようと真摯に努める著者の文章は、
非常に説得力のあるものであった。さらに、本
文に挙げられている様々な事例からは、人間が
いかに自分たちと動物を区別しようと試みてき
たか、すなわち、いかに人間を自然から切り離
そうとしてきたかを、容易に見てとることがで
きた。また、そうすることによって、人間が他
の生物にどれほど簡単に多大な苦痛を与えてき
たかも理解することができた。
しかしながら、上記のような動物の利用に関
する事例において、動物園には教育的効果がな
いとする主張には、いささか疑問を感じる。た
とえば、先日そこを舞台にした映画が公開され
るなど、近年注目を集めている北海道・旭山動
物園では、動物園の果たすべき4つの役割のひ
とつに「教育」を掲げている。同園は、「命を
伝える動物園」として、動物の老いを隠さず展
示し、また、「喪中パネル」によって死亡を告
知している。子どもたちと生き物が触れ合うこ
とのできる「こども牧場」では、子どもたちの
抱く感想が「かわいかった」から「温かかった」
へと変化するなど、命を学ぶ機会を提供してい
る。さらにいえば、旭山動物園では、動物それ
ぞれの持つ能力を発揮することができるよう
「行動展示」という展示方法を採用している。
この展示方法は、動物の福祉をも考慮している
ということができるのではないだろうか。本書
の記述を見る限り、旭山動物園のように教育的
効果を持ち、かつ、高い動物福祉の水準を実現
している動物園は世界的にも珍しいのかもしれ
ない。だとすれば、旭山動物園の手法が広く世
界に普及することを願うばかりである。
ところで、先ほど旭山動物園の成功を記した
ばかりであるが、日本の動物保護や動物愛護に
対する思想の歴史をたどってみると、世界にお
けるそれに比べ後進的であり、いまだ発展途上
にあるといわざるを得ない。イギリスやアメリ
カなどのいわゆる動物愛護先進国では、19世紀
のうちに動物保護に関する法律が制定され、動
物愛護団体が設立されたのに対し、日本におい
て最初の動物愛護活動が行われたのは20世紀に
入ってからであった。というのも、日本にはも
ともと動物に対する虐待が存在しなかったた
め、かえって動物愛護活動は衰退していくこと
になったのである。
このような初期における動物愛護政策の遅れ
が致命的であったのだろうか。ペット愛好家な
ど一部において動物愛護活動の隆起は見られる
ものの、日本の動物愛護や動物福祉に関する
人々の意識や一般的な制度基準は依然低く、た
とえば、年間約35万頭にものぼる犬や猫の殺処
分や(2006年度)、諸外国におけるSPCA(Society
for the Prevention of Cruelty to Animals)のような
アニマルシェルターの不整備など、その認識不
足を否定することはできない。このような現状
を打開するためのひとつの手段として、動物愛
護先進国において人間と動物の成熟した関係が
構築されていることに鑑みて、これらの国々の
思想に倣うことは大きな意味を持つ。事実、本
書はアメリカで出版されたのち、スペイン、ド
イツ、イタリア、中国でも訳書が刊行されてい
るという。
人間中心主義的な自然観から脱し、動物や自
然環境との調和を図るために著者が示した具体
的な方法は、誰にでも可能な実にシンプルな習
慣から実践的な活動まで多岐に渡る。著者が文
中に込めたとおり、本書がまさに手引書となっ
て、読者を世界最先端の動物保護思想へと導い
てくれることを期待する。
参考文献
・小菅正夫『<旭山動物園>革命―夢を実現した復活プ
ロジェクト』角川書店、2006年。
・小菅正夫『生きる意味って何だろう?―旭山動物園園
長が語る命のメッセージ』角川書店、2008年。
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