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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析

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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
Japan Marketing Academy
★
論文
韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
〜急激なグローバル・シフトの深因〜
❶
❷
❸
❹
❺
———
———
———
———
———
はじめに
韓国の主要小売業態の成熟化と海外ラッシュ
ロッテ・ショッピングの年代記:誕生からグローバル・シフトまで
ロッテ・ショッピングのグローバル・シフトの分析
結びに:小売国際化研究への含意
崔 相鐵
では,その韓国の小売企業の中でもリーディン
● 流通科学大学 総合政策学部 教授
グ企業のロッテ・ショッピングの事例を取り上
❶ ——— はじめに
げる。同社は,韓国の流通市場のトップの地位
を巡って長らく激しくぶつかり合った「新世界」
バブル経済の崩壊後,日本経済が停滞するな
が,中核のハイパーマーケット 1)企業である「E
かで,日本の小売企業は従来のアジア進出戦
マート」に比べ相当遅れた 2007 年になって初
略を見直した結果,出店規模の縮小または既
めて海外市場に進出したために,グローバル化
存店舗の撤退を余儀なくされた(Dawson and
の第 1 歩は遅れたものの,それからの成績表は
Mukoyama,2006)
。一方で,その空白を埋める
刮目に値する(崔,2009)。実際に同社のハイパー
かのように,西欧のグローバル・リテイラーが,
マーケット部門の「ロッテ・マート」は,中国
アジア地域の規制緩和や対外小売市場開放の動
をはじめ,インドネシアやベトナム市場へ積極
向に合わせて,現地小売市場の革新を推し進め
的に進出し,今や韓国国内より海外で多くの店
るリーダーの地位を築いた(矢作,2007)
。
舗を構えており,同社のグローバル・シフトの
このように,1990 年代中盤以降,アジア小
中核的存在となっている。
売市場におけるリーダーの地位を巡って日本企
さらに一般に百貨店の海外進出は難しいとい
業から欧米企業へという先進国間の交代が行わ
う世論とは裏腹に,同社のコア部門である「ロッ
れる中で,新たな動向が注目される。端的に自
テ百貨店」は,まずは遠くロシアに 1 号店を開
国に進出した先進国の小売企業との競争や協調
店してから,次に大都市の多い中国市場にも進
から,多くの小売技術を学んだ地元の小売企業
出を果たし,今後,本格的に多店舗を展開して
が逞しくなり,間もなく狭小な自国市場から
いく戦略を立てている。
打って出て他のアジア地域に進出する事例が現
以上のようなロッテ・ショッピングの積極的
れている。
かつスピーディなグローバル化の歩みは,同社
その中でも先進国の仲間入りを急ぐ韓国の小
の企業文化から判断した際に驚くべきである。
売企業のアジア進出は注目すべきである。本稿
なぜならば,ロッテ・ショッピングは,韓国小
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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
売市場で長らく排他的な市場地位を保ちながら
も,市場リスクを嫌い安定的な成長と利益を最
❷ ——— 韓国の主要小売業態の成熟化と
海外ラッシュ
優先とする企業文化をもつために,長らく保守
的経営を続けてきたからである。
本稿では,以上を踏まえ,まずは韓国の主な
1.韓 国小売市場における百貨店とハイパー
マーケット業態の飽和
小売業態の成熟化とそれに伴う海外進出状況に
について簡略に説明する。次にロッテ・ショッ
韓国の小売市場は,大ざっぱにいうと,その
ピングの概要を紹介し,それから同社のグロー
規模は膨らみつつあるものの,業態の浮沈が非
バル化の実態について述べる。さらに典型的な
常に激しい様相を呈している。表− 1 は,流通
ローカル・リテイラーだった同社が,昨今にな
市場開放が始まった 1996 年から 2010 年までの
り,グローバル・リテイラーに向かっての挑戦
韓国における小売業態の売上高の推移を示して
に踏み切った深因について分析する。最後に同
いる。
社のグローバル・シフトの事例が問い直す小売
主要業態の動向については,次のように要約
国際化研究への含意について若干触れることに
できそうだ。第 1,韓国小売市場の牽引役は,
したい。
百貨店とハイパーマーケットが担っている一方
で,コンビニエンス・ストアと無店舗販売業態
が急速に成長している。第 2,前近代的経営の
■表 —— 1
韓国小売業態別売上高の推移(単位:兆ウォン,%)
1996年
区分
2000年
売上高 シェア
2007年
売上高
シェア
売上高
2010年
2000-2010 2007-2010
シェア
売上高
シェア
CAGR7)
CAGR 7)
24.3
12.5
4.9
6.9
12.5
13.8
15.1
12.8
18.7
11.7
2)
ハイパーマーケット
2.1
2.3
10.5
8.9
28.9
18.1
33.7
17.3
12.4
5.3
スーパーマーケット3)
5.6
6.2
6.3
5.4
11.6
7.3
23.8
12.2
14.2
27.1
コンビニエンス・ストア 4)
1.0
1.1
1.3
1.1
5.5
3.4
7.0
3.6
18.3
8.4
無店舗販売5)
-
-
3.2
2.7
20.6
12.9
31.1
15.9
25.5
14.7
百貨店1)
その他・在来市場6)
69.7
76.7
81.3
69.1
74.3
46.7
75.2
38.5
−0.8
0.4
小売業全体
90.9
100.0
117.7
100.0
159.6
100.0
195.1
100.0
5.2
6.9
出所:韓国統計庁『卸小売業統計調査報告書』各年号及び韓国チェーンストア協会の内部資料より筆者作成。
注 1)現代的販売施設を揃えた直営中心の店舗で,4,000 ㎡以上の売り場面積をもつ。
2)ディスカウントストア,倉庫型小売企業,総合量販店,アウトレットなど,各種商品を他の業態より廉価
で販売する店舗で,3,000 ㎡以上の売場面積をもつ。
3)食料品や日用雑貨をセルフで販売する店舗で,165 ㎡(50 坪)以上の売り場面積をもつ。
4)フランチャイズ契約下,1 日 20 時間以上の営業とセルフで運営し,広義の食品の売上高比重が全体の 50%
以上を超える。
5)インターネット・ショッピング・モール,テレビ・ショッピングの合計。
6)無店舗販売やコンビニを除く従業員数 20 名以下の中小小売業者を指す。
7)CAGR(Compound Annual Growth Rate)は,年平均成長率(%)を指す。
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ためにハイパーマーケットの攻勢で苦しい立場
ているものの,概ね成熟期に達し,今後の持続
に置かれていたスーパーマーケット市場は,ハ
的な成長には疑問の余地がある。なお 1997 年
イパーマーケット市場の成熟化を見込んだ財閥
に 140 店舗を抱えた百貨店業界は,2011 年末に
系企業による参入によって現代型スーパーマー
82 店舗にまで減っている。
ケット(SSM)市場に生まれ変わり再成長の
可能性をうかがっている。第 3,伝統的な非
2.韓国小売企業の海外ラッシュ
チェーン型の中小スーパーマーケットと在来市
現在,韓国の有力な大手小売企業は,生き残
場の急速な退潮は避けられない(崔,2009)
。
りをかけて新興市場として注目されるアジア地
注目すべきは,まず,ハイパーマーケット業
域への進出速度を上げている。それを促した国
態が成熟期に突入したということである。とり
内要因としては,その間,高速成長を続けてき
わけ 1996 年に売上高は 2.1 兆ウォンで,全体小
たハイパーマーケットや百貨店,そしてテレビ・
売業の売上高の 2.3%に過ぎなかったが,2010
ショッピング業態の成長が鈍化しており,間も
年には 33.7 兆ウォンで 17.3%にまで急成長した
なく飽和状態に達することがあげられる。海外
ことは注目すべきである。
要因としては,中国に続き,ベトナムもその巨
しかし,ウォルマートやカルフールが撤退
大な流通市場を全面的に開放するなど,新たに
してからの 2007 年~ 2010 年の年平均成長率は
世界の成長センターになりつつあるアジア地域
5.3%に過ぎず,2000 年~ 2010 年の 12.4%の半
が海外企業からの新たな店舗展開を呼びかける
分にも至らなくなってきている。なお,2011
ことがあげられる。
年末に店舗数は 444 店になり,飽和水準に達し
このような状況を踏まえて,先述したように,
つつある。
すでに成熟期に到達したといわれる韓国の小売
次に,1996 年に 12.5 兆ウォンと 13.8%で最大
業態群,すなわち,まずはハイパーマーケット
の小売業態であった百貨店が,成熟化に伴い売
業界が,次は(無店舗販売業の)テレビ・ショッ
上高が伸び悩み,2003 年には割引店にその地
ピング業界 が走り出し,そして最近は百貨店
位を譲ることになったことも特記すべきであ
さえも,国外進出を試みている。その業態別様
る。小売業全体で占める比重は 2007 年に 11.7%
相をまとめたのが表− 2 である。
にまで落ちている。最近には消費二極化による
要するに韓国の大手小売企業は,成熟期を迎
リッチー層向けの商品・サービスの提供,さら
えた小売業態の店舗を発展著しいアジアを中心
に大規模ショッピング・モールへのキー・テナ
とした新興国にシフトしょうとしている。その
ントとしての入店などの経営努力で,売上高は
中でも,ロッテ・ショッピングの動きは,そ
反転の兆しを見せ,2007 年~ 2010 年には 2000
の第一歩こそ,韓国での唯一無二の競争相手
~ 2010 年の平均伸長率の 4.9%より高い 6.9%を
の「新世界」のEマートに比べて出遅れたもの
呈した。2010 年の対小売業全体比重も 12.5%に
の,昨今において大胆で迅速,そして広範囲で
回復する。
ある。すなわち,中国・上海で 1997 年に進出
しかし,最近の百貨店の売上高が好調を示し
を果たしたEマートに比べては 10 年ほど後に
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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
■表 —— 2
韓国小売企業の海外進出の模様
出所:各社HPより,筆者整理。
なったが,Eマートがハイパーマーケット単一
た「ロッテ製菓」である。ロッテ製菓は,設立
業態を中国のみでのビジネス展開で腐心してい
以来,他の食品関連企業の設立や M&A を通し
る反面,ロッテ・ショッピングは,海外進出当
て,短期間で韓国最大の総合食品メーカーとし
初から僅か数年も経たないうちに,百貨店とハ
て躍進した。
イパーマーケットの複数業態を,複数の国家に
しかし,日本屈指の総合食品メーカー集団で
多店舗展開しているのである。
ある日本ロッテ・グループは,韓国での本格的
なビジネス展開において製菓を中心とした軽工
❸ ——— ロッテ・ショッピングの年代記
業部門のメーカーとしては,企業の成長と発展
:誕生からグローバル・シフトまで
に限界があると判断した。そのために下された
結論は,観光業と流通業への新規投資を通した
1.ロッテ・ショッピングの誕生とロッテ百貨
店の躍進
経営多角化戦略であった。観光業は付加価値が
高い上に外貨獲得ができ,流通業は未だ前近代
3)
ロッテ・ショッピングの誕生の背景を知るた
性を免れていないことを勘案しての戦略的意思
めには,韓国屈指の財閥の一つである韓国ロッ
決定であった。
テ・グループについて述べる必要がある。ロッ
これによって,取り急ぎ 1973 年 5 月に「ホテ
テ・グループのルーツは,日本ロッテ・グルー
ル・ロッテ」が設立された。ホテル・ロッテは,
プが韓国へ投資するために 1967 年に設立され
1976 年 10 月に百貨店事業のための基本戦略に
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依拠し,
「ショッピングセンター事業部」を正
の経済を追い求め,2002 年に経営危機に陥っ
式に発足した。ホテル・ロッテは,日本の高島
たミドパの 8 店舗を買収し,2010 年には GS リ
屋と業務提携を結び,マーチャンダイジングに
テイルの 3 店舗を引き受けた。
関する指導,百貨店の運営と社員教育に関する
2011 年末現在,30 店舗を抱えることになり,
支援を要請した。さらに日本の百貨店出身で衣
第2位の現代百貨店(13店舗)と第3位の新世界(9
類担当および食品・雑貨を担当する数名の人材
店舗)を大きく突き放すことになった。国内で
を迎え入れた。結果的に日本の先進的な百貨店
の圧倒的な地位を築いたロッテ百貨店だが,市
経営のノウハウがスムーズに移転できるよう
場の成熟化は避けられない。
になった 。なお,同事業部は,形として外国
人投資法人のロッテ・ホテルに属していたが,
2.業態ポートフォリオと二大業態への偏り
1979 年 11 月 15 日に別途の内国法人の「ロッテ・
1993 年 11 月に新世界はEマート 1 号店をソ
ショッピング株式会社」として生まれ変わった。
ウル近郊にオープンすることで韓国におけるハ
同社は,この日を創立記念日と見なしている。
イパーマーケット業態の旗揚げを告げた。そ
同社は営業初年度の 1980 年に 454 億ウォンの
れから 1996 年の流通市場の全面開放によって,
売上高を上げ,1981 年には当時まで百貨店業
カルフール,ウォルマート,テスコなど低価格
界の先導企業であった新世界百貨店とミドパ百
を武器とするグローバル・リテイラーが続々と
貨店の売上高を追い越した以来,業界のトップ
ハイパーマーケット業態に進出した。
の地位を一度も譲らなかった。これによって,
ロッテ・ショッピングは,自社の経営資源を
従来ガムとアイスクリームが連想されたロッ
圧倒的に百貨店業態へ集中したために,この有
テ・グループのメイン・イメージは,百貨店に
望な市場への参入がEマートなどのライバルに
とって代わることになり,いきおいロッテ・グ
比べて相当遅れてしまった(崔,2009)。しかし,
ループの寵児として浮上した。
不況の波が押し寄せる中で続く価格破壊ブーム
1985 年には,百貨店業界では唯一に 1986 年
の中で,同社も 1995 年に新業態推進チームを
アジアン・ゲームと 1988 年ソウル・オリンピッ
発足し,3 年間の準備期間を経て,1998 年 4 月
クの公式百貨店として指定され,一層その知名
にソウル近郊に「マグネット(Magnet)」と
度を上げる。同社は,規制緩和によって 1988
いう店名で 1 号店をオープンし,ハイパーマー
年 11 月に従来の店名であった「ロッテ・ショッ
ケット業態への参入を決行した。同社は,1999
ピング・センター」から「ロッテ百貨店」に商
年にマグネット事業部門からマグネット事業本
号変更を行って今日に至っている。
部に組織を拡大し,2000 年 12 月には 1 兆ウォ
ロッテ・ショッピングは,競争相手との販売
ンの売上高を達成した。マグネットは 2002 年
競争で優位性を保つために,さらに流通構造の
に「ロッテ・マート」に商号変更され,2003
近代化を図るために,百貨店の多店舗ネット
年からは独立経営体制に分離された。百貨店業
ワークを構築する計画を立て,ソウル郊外や地
態に続き,ハイパーマーケット業態でもトップ
方への出店を急いだ。一方,同社は一層の規模
を狙った同社は,2005 年と 2006 年に撤退した
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カルフールとウォルマートの買収を試みたが実
同社が,韓国の二大業態の成熟化を見込んで
らなかった。その結果,ロッテ・マートは韓国
業態ポートフォリオ戦略を採っていることは間
のハイパーマーケット業界 3 位に留まり,新た
違いない。ただし,屋台骨としての二大業態の
な成長のために海外進出の機会を窺うほかはな
成長こそが,他の小売業態の今後の成長のため
かった。
の糧になることもまた事実であり,同社の経営
なお,ロッテ・ショッピングは,
「ロッテ百
者もこの点を強調している 。そこで出された
貨店」と「ロッテ・マート」を中心的事業部に
当然な結論は,すでに成熟してしまった国内市
位置づける一方で,他でも独立性の強い事業部
場から,成長可能性の高い新興市場への進出に
としての多様な業態を抱えている。すなわち,
他ならない。
スーパーマーケット(SSM)業界トップの「ロッ
テ・スーパー」に加えて,セブンイレブンを抱
3.急速なグローバル・シフトの実態
える「コリア・セブン」
,テレビ・ショッピン
詳しい内容は後述するが,2006 年 2 月にロッ
グ企業の「ウリ・ホーム・ショッピング」を買
テ・ショッピングが上場を果たして以来,同社
収し商号変更した「ロッテ・ホーム・ショッピ
はグローバル・リテイラーの途を急ぐことにな
ング」
,ネット・ショッピングのロッテ・ドット・
る。実際に 2006 年以降から最近まで,同社の
コム(Lotte.com)を傘下に収めている。さらに,
百貨店とハイパーマーケットの国内および国外
金融部門の「ロッテ・カード」
,マルチ・プレッ
における店舗ネットワークの様子を示した表−
クス・シアター・チェーンを展開する「ロッテ・
3 を見れば,同社のグローバル・シフトは一目
シネマ」等をも抱えている 。
瞭然である。
以上で見てみたように,同社は,百貨店から
繰り返すが,同社は,圧倒的な市場地位を保っ
始まり,ハイパーマーケット,コンビニエン
ているものの,百貨店市場が成熟期に突入して
ス・ストア,スーパーマーケットなどへと有店
いる状況に置かれている。この状況を打開する
舗小売業態の多角化を推し進める一方で,無店
ために,韓国企業最初という百貨店の海外進出
舗販売の小売業態にも参入することで,規模の
を図り,まずは 2007 年にロシアのモスクワに
経済性と範囲の経済性を享有している。消費者
第 1 号店の出店を果たした。次に 2008 年に中国
ニーズ多様化の動きに対して,業態多角化戦略
の北京で第 2 号店を出店した。両国での更なる
をもって対応するロッテ・ショッピングのあり
出店も計画中である。
方は,長期的に競合相手に対して排他的な競争
ロシアと中国以外にも,ロッテ百貨店は海外
優位性を生み出す可能性が高い(Lee, Kim &
出店を試みている。とりわけ,インドネシアの
Joo,2010)
。ただし,このような業態ポートフォ
ジャカルタに 2013 年までに同国第 1 号店をオー
リオ戦略は,一見,業態間のシナジー効果を作
プンする予定である。一方,2014 年中にはベ
り出す理想的な戦略のように思われるものの,
トナムのハノイ市にも出店する計画を立ててい
現実的には百貨店とハイパーマーケットの二大
る。ロッテ百貨店は,海外店舗を 2018 年まで
業態に非常に偏った形で組まれている。
に中国 23 店,ベトナム 4 店,インドネシア 5 店,
6)
5)
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論文
■表 —— 3
ロッテ・ショッピングの国内外店舗ネットワーク(年末基準)
出所 ; Lotte Shopping Co., Ltd., Investor Relations, Jan. 2011 & Feb. 2013.
注)* 中国の北京と天津所在の CTA Makro8 店舗を買収。
** インドネシアでマクロの 18 店舗を買収。
*** 中国のタイムズ(Times)の 68 店舗(スーパーマーケット 11 店を含む)を買収。
ロシア 6 店の店舗ネットワークを築き,海外 38
年にはインドネシアとベトナムへ進出した。
(後
店舗に拡大する目標を立てている(
『日本経済
述するように)ロッテ・ショッピングの上場に
新聞』2011 年 5 月 31 日付)
。毎年 5 店舗を出さ
よる豊富な資金が,主に現地企業の M&A を通
ないと到達できない高い目標である。
して,大胆かつ迅速に投入された。結果的に同
ロッテ百貨店側は,今後の進出方式として,
社は,ハイパーマーケット業態において 2009
従来の賃貸や新規敷地開発方式よりも,多店舗
年末に国内が 69 店しか持たないのに対して,
ネットワークの構築が短期で実現可能な M&A
海外で 101 店を抱えることになった。以後,国
方式を選好している。店舗開発形態は,基本的
内と海外店舗の格差は広がる一方である。
に百貨店または,百貨店がキーテナントとして
ロッテ・マートのノー・ビョンヨン代表は,
入店する複合ショッピング・モールであった。
2018 年まで,韓国国内で 300 店,海外で 700 店
これまで中国へは単独百貨店での進出,他の国
を抱え,合計でハイパーマーケット 1000 店時
へは複合ショッピング・モールへの進出が主で
代を切り開きたいという野心的な目標を提示し
あったが,今後は後者を選好する方針である。
た。とりわけ,外国では中国で 500 店,インド
一方,ハイパーマーケットは,同社のもう一
ネシア 100 店,ベトナム 30 店で合計 630 店の店
つの成長動力として改めて認識される中で,国
舗網を構築し,さらにインドでも 70 店舗体制
内から脱して海外への積極的な出店を目論んで
を築きたいと述べられた(『コリア・ファイナ
いる。同社は,まずは,2007 年に中国,2008
ンシャル・ニューズ』2011 年 8 月 30 日付)。
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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
ある。
❹ ——— ロッテ・ショッピングのグロー
1922 年,日本統治時代の朝鮮(現韓国)の
バル・シフトの分析
慶尚南道・蔚山で誕生した武雄氏は,1942 年
に関釜連絡船に乗って来日し,1945 年にカッ
1.グローバル跳躍のための初期条件
ティング・オイルからの石鹸,ポマードなどの
ロッテ・ショッピングの急速なグローバル・
製造販売に乗り出す。1947 年に チューインガ
シフトは,まずはロッテ・ショッピングの 2 大
ムの製造を開始し,1948 年に「株式会社ロッ
業態である百貨店とハイパーマーケットの成熟
テ」を設立し,代表取締役社長に就任する。そ
化がその要因としてあげられる。次はロッテ・
れから 1964 年にチョコレートの製造を開始し,
ショッピングが進出しようとする新興国の経済
成長の基盤を作る。以後,「お口の恋人」とい
成長ポテンシャルと小売市場開放などがあげら
う有名なコピーとして良く知られる日本ロッテ
れる。いわば小売国際化研究における古典的な
は,日本有数の総合製菓メーカーとして成長し
参入動機モデルで規定するプッシュ要因およ
た。
びプル要因にほかならない(Alexander,1990;
武雄氏は,二十歳の時に断腸の思いで後にし
Treadgold and Davies,1988; Dawson,1994)
。
た母国への思いを断ち切れず,本業である「ロッ
しかし,プッシュおよびプル要因にロッテ・
テ製菓」を韓国に進出させる。間もなく成功し
ショッピングのグローバル・シフトを還元させ
た在日企業家として「起業報国」の念を抱き,
る結論は,基礎的な小売国際化理論の教えに充
韓国への投資拡大を図る。それから当時の韓国
実に従うものの,あまりにも一般的である。な
政府の意向もあり,先述のように本業とは距離
ぜ他の競合企業,例えば新世界や GS リテイル・
がある小売業へ進出し,「ロッテ・ショッピン
グループとは異なり,最近になってロッテ・
グ」を創業することになる。ロッテ・ショッピ
ショッピングだけが,それほど大規模でかつ迅
ングの創業は,韓国ロッテ・グループの急成長
速にグローバル・リテイラーへの途を歩もうと
の転機をもたらした(ロッテ・ショッピング,
しているのか。この問いに答えるためには,
ロッ
2009; 林,2010)。
テ・ショッピングの創業の歴史を振り返ること
強調すべきは,韓国出身の武雄氏が,まずは
が求められる。
青年期に日本で起業し成功を収め,次に母国の
とりわけ,ロッテ・ショッピングの母体であ
韓国でビジネスを行ったために,日韓の狭間で
るロッテ・グループを一代で韓国を代表する財
境界人経営者としての途を歩んできたという点
閥に育て上げた創業者,
すなわち「重光武雄(韓
である。両国間の歴史的な対立関係のために,
国名,辛格浩)
」会長の個人史を覗いてみる必
彼は独特なキャリアの持ち主になった訳であ
要がある。何せロッテ・グループは彼が一代で
る。現に彼には,韓国では,奇数の月には韓国で,
創業し,育て上げた企業集団であると同時に,
偶数の月には日本に留まってグループを経営し
ファミリー・ビジネス型企業の代表各として,
てきたために,
「大韓海峡の経営者」というニッ
今でも彼が絶対的な影響力を持っているからで
クネームが付けられたほどである。
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★
論文
日韓のいずれの国の財界にも完全に属しない
営を継続してきたが,そろそろ臨界点に達し,
彼に,ナショナリズムが渦巻く韓国と日本のマ
グローバル・シフトの形で飛翔することになる。
スコミなどから批判の対象になる場合も度々
それこそが,ロッテ・ショッピングの「ターニ
あった。いわばアイデンティティ・クライシス
ング・ポイント」にほかならない。
を経験しながら,いつの間にか,彼は派手な財
界の表舞台に立たず,マスコミを嫌う隠遁と自
2.グ ローバル・リテイラーへのターニング・
ポイント:「2018 ビジョン」の宣言 重の経営者になっていく。彼が一般にベールに
包まれた経営者とも呼ばれる由縁である。
1997 年の IMF 経済危機を経験した韓国企業
このような創業者の独特なキャリアと性格が
の多くは,新興国市場の先取りが不可避な選択
影響したせいか,韓国のロッテ・グループは非
肢であることを悟り,グローバル企業への変貌
常に保守的で安定志向の企業文化を持つことに
を試みた。遅ればせながら,2005 年 12 月にロッ
なった。さらに,このことが内需向けの産業中
テ・ショッピングを主力企業として抱える韓国
心の企業集団,言い換えれば,リスクが少ない
ロッテ・グループは,2006 年を「グローバル
キャッシュ重視型ガバナンス構造をもつコン
経営の元年」として宣布した。同グループは,
ツェルンに同グループを成り立たせた遠因にな
主力の食品及び流通部門の系列企業が,向後
る。その独特な企業文化は,韓国ロッテ・グルー
進出すべき新興市場として“VRICs(Vietnam,
プの中核企業であるロッテ・ショッピングにも
Russia, India and China)”と定めた(『毎日経
継がされ,長らくそのまま温存していた。
済新聞』2006 年 1 月 11 日付;『コリア・ファイ
しかし,忘れてはならないのは,韓国ロッ
ナンシャル・ニューズ』2006 年 1 月 23 日付)。
テ・グループ,そしてその傘下の企業に対して,
着々とグローバル構想を練ってきたロッ
日本から,資本移転だけでなく,多くの技術お
テ・グループは,いよいよ 2009 年 5 月に“2018
よび知識移転が行われたという点である。なか
ASIA Top10 GLOBAL GROUP”ビジョン(以
んずくロッテ・ショッピングは,当時まで韓国
下,
「2018 ビジョン」)を内外に宣布した。2018
の小売産業が前近代的な状況に置かれていたた
ビジョンによると,ロッテ・グループは 2018
めに,日本の先進的な百貨店および総合量販店
年までに 200 兆ウォン(約 2 千億ドル)売上高
のノウハウを積極的に取り入れざるを得なかっ
達成を目指すが,そのための方法論として,ま
た。結果的に,ロッテ・ショッピングは,日韓
ずは積極的な M&A 戦略を通して,次は海外事
の「ハイブリッド経営」の色彩を帯びることに
業の拡大を通して,グループの規模を拡大して
なる。敢えて言えば,ロッテ・グループもそし
いくということである。問題なのは,2008 年
てロッテ・ショッピングも,保守的な内需型の
度の同グループ全体の売上高(約 41 兆ウォン)
企業文化を保っているものの,創業の経緯から
のなかで 4.5%しかなかった海外事業(売上高
推測した際に,日韓という異国間を束ねる国際
合計で2兆ウォン)の比率をどう上げるかにあっ
経営を強いられていたと言える。強いて言えば,
た。2018 ビジョンにしたがうと,2018 年には
グローバルへの意欲を秘めたままでの内需型経
30%に高める計画で,つまり 2018 年には海外
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マーケティングジャーナル Vol.32 No.4(2013)
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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
事業の売上高を 60 兆ウォンまでに拡大させな
ロッテ・ショッピングの企業公開
ければならない。僅か 10 年で 200 兆ウォンを目
2006 年 2 月,ロッテ・ショッピングは,韓国
標とすることは,2008 年度の約 5 倍の成長を実
取引所とロンドン証券取引所に同時に上場し
現すべきで,グローバル企業へと変身すること
た。この企業公開(IPO)を通して,同社は 3
が絶対不可欠であった。言うまでもなく,ロッ
兆 6,000 億ウォンの公募金額を手に入れること
テ・グループは,傘下企業の VRICs への進出
ができた。これによって,同社は 2006 年 4 月時
において,ロッテ・ショッピングを最優先的に
点で,韓国における時価総額 11 位の優良企業
考慮した 。
として位置づけられ,透明で効率的なガバナン
現に「ロッテ百貨店」とハイパーマーケット
ス・システムをもつことができた。
の「ロッテ・マート」の二枚看板業態部門のグ
何よりも,ソウルとロンドンでの同時上場に
ローバル化が急がれた。ロッテ・ショッピン
よって,その間,暖めていた海外出店構想のた
グ側は,グループ次元の「2018 ビジョン」の
めの資金を確保したことは特記すべきである。
中心に自社のグローバル化が不可避と認識し,
さらに上場による資本金の増大と負債比率の改
別途の「ロッテ・ショッピング 2018 ビジョン」
善(2005 年の 159.3%から 2006 年には 58.0%に
を樹立した。同社は,2018 年にはアジア・トッ
アップ),そして債権に対する信用等級の AA+
プ 3 を目指し,2018 ビジョン達成のための基軸
へのアップのために,上場以降,有償増資や社
になることを内外に知らせた。安定と保守の代
債発行などで資金調達能力が飛躍的に向上す
名詞のような企業であった同社は,2018 ビジョ
るに違いないので,海外現地小売企業向けの
ン提示後,
「ニューロッテ」
(
『月刊朝鮮エコノ
M&A にかかる資金の目処が付くことになり,
ミープラス』2012 年 3 月号)の象徴として完全
一気呵成で海外出店のスピードを上げることが
に様変わりした。
可能になった(ロッテ・ショッピング,2009)。
この同時上場は,国内市場で圧倒的な市場地
3.グローバル・シフトのドライビング・フォース
位を誇りながらも,同族経営のための内弁慶の
ロッテ・グループの 2018 ビジョン,そして
内需企業として揶揄されたロッテ・ショッピン
そのためのロッテ・ショッピングのアジア・トッ
グが,いよいよグローバル・リテイラーとして
プ 3 構想の宣言こそが,グローバル・リテイラー
飛び立つ転機をもたらした。実際に同社は,こ
の途を歩むべくロッテ・ショッピングのターニ
の同時上場を待ち望んだかのように,さっそく
ング・ポイントであることを強調した。言うま
海外市場に目を向け,自社の主力小売業態であ
でもなく,ビジョンや宣言だけでは巨大な組織
る百貨店とハイパーマーケットの海外出店を急
は動かない。ロッテ・ショッピングさらにロッ
ぐことになった。
テ・グループ次元での取り組みが不可欠である。
以下,同社のグローバル・シフトのためのドラ
経済危機を打開するための積極的な M&A 戦略
イビング・フォースについて述べることにした
の実施
い。
周知のように,韓国は,1997 年に IMF 経済
7)
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論文
危機に直面する。当時のほとんどの韓国財閥系
たブラジル(‘B’razil)の代わりにアジアの
企業は重工業部門を中核とする輸出関連産業を
中で人口が多く急速な成長が見込めるベトナム
抱えていたために,設備投資などの用途で巨額
(‘V’ietnam)を入れたために VRICs をターゲッ
の負債を抱えていた。この状況を非常に深刻と
ト市場として定めた。
判断した当時の政府の強制的要請もあって,財
なお,ロッテ・グループは,流通市場が開
閥系企業はやむを得ず系列企業の切り離しに動
放されず,非常に煩雑な法規制が残っている
かざるを得なかった。ただし,製菓や飲料など
インド(‘I’ndia)も,ベトナム同様に発展著
の軽工業部門と百貨店や免税店など典型的な内
しいインドネシア(‘I’ndonesia)に入れ替え
需型産業を抱えていたロッテ・グループだけは
た。ただし,中国と印度をメイン・ターゲット
例外的であった。非上場のファミリー経営を貫
とするいわゆる「チンディア(Chindia)戦略」
き,そもそも銀行の借り入れに頼らない企業文
(Sheth,2008)の重要性を認識しているために,
化をもっていたからである。
ロッテ・グループは,インドを改めてターゲッ
このような内需型かつ保守的経営を好む企業
ト に 取 り 入 れ る「VRICI(Vietnam, Russia,
文化をもったロッテ・グループは,IMF 時代
Indonesia, China and India)」戦略を打ち出し
に非常に安い価格で財閥系企業が手放した企業
ている(辛,2011)
を買い取ることができた。ロッテ・グループ
が韓国財閥企業群から頭角を現すことになっ
若き「変革的リーダー」へのバトンタッチ
たのは,この IMF 経済危機の到来とそれによ
上記したロッテ・ショッピングの企業公開と
る M&A 戦略に起因すると言えそうだ。なお,
大胆な M&A 戦略の実施を先頭で指揮した人物
同じ状況は,2008 年のリーマン・ショックの
が,現在の韓国ロッテ・グループ会長の重光昭
勃発による韓国経済の冷え込みの際にも訪れ
夫(韓国名,辛東彬)氏である。
た。ロッテ・グループは,この時にも積極的な
創業者の次男として日本国籍の持ち主である
M&A 戦略を通して,業容を広げた。
昭夫氏は,組織文化の変化をもたらしたという
意味で,Bass(1990)での変革型リーダーシッ
グローバル・ターゲットの変更:BRICs から
プ(transformational leadership)を備えている。
VRICs へ,さらに VRICI へ
昭夫氏は,創業者から経営の基本とハイブリッ
既述のように韓国のロッテ・グループは向後
ド経営のノウハウを学んだ「2世経営者」として,
進出すべき新興市場として,ひとまず「VRICs」
「準備万全の CEO」である。
と定めた。VRICs とは,米国ゴールドマン・
彼は,アメリカ・コロンビア大学でMBA(ファ
サックスが 2001 年 11 月に発表したレポートの
イナンス専門)を取得し,1980 年に野村証券
O'Neill(2001)で取り上げられた新興国群とし
へ入社後,世界金融の中心地であるロンドンで
て,ブラジル,ロシア,インド,中国のことを
5年間勤務した。その後,1988年から日本のロッ
指すBRICsとは似て非なるものである。ロッテ・
テ商事勤務を経験し,1990 年より韓国に渡り,
グループは,BRICs の中で,地理的に遠く離れ
湖南石油化学の常務,セブンイレブンを運営す
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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
るコリアセブンの専務,グループ企画調整室の
で出遅れたという評価を一気に反転させた。
副社長を経て,1997 年にグループ副会長になっ
ただし,昨今に注目される進出類型は,ロッ
た。
テ・ショッピングだけでなく,ロッテ・グルー
2004 年にロッテ・グループ政策本部の新設
プの多様な系列企業間のシナジー効果を利用し
に合わせて,昭夫氏は本部長に就任し,本格的
た進出方法である。ロッテ・グループは,小売
にロッテ・グループとグループの中核企業の
だけでなく,ホテル,テーマパーク,建設,シ
ロッテ・ショッピングの経営の指揮官になった。
ネマ,金融などの幅広い系列会社を抱えている。
昭夫氏の時代の幕開けが始まったのである。先
端的にロッテ・グループ次元で推進中の瀋陽
述のロッテ・グループとロッテ・ショッピング
複合テーマパーク事業は正にロッテ・グループ
の「2018 ビジョン」も彼が主導したものとし
の総合力の集大成である。この事業は,ロッ
て知られている。
テ・グループが中国東北地方の遼寧省の瀋陽に
このようにロッテ・グループさらにロッテ・
総額 2 兆ウォン規模の開発費を投資し,海外初
ショッピングのグローバル化の責任者としての
の複合テーマパークを建設するプロジェクトと
昭夫氏は,
「三星のように海外で認められる正
して,2008 年 4 月に瀋陽市内に約 19 万 4,000 ㎡
統なグローバル企業になりたい」という抱負を
の土地使用権を確保し,本格化したものである。
抱いている 。そして,いよいよ 2011 年 2 月に
キー・テナントとしては,ロッテ百貨店,ロッ
韓国ロッテ・グループ会長になり ,同グルー
テマートといった基軸小売業態を中心にロッ
プは,
「創業者体制」から「2 世経営体制」へ
テ・ホテル & リゾートとテーマパークのロッ
転換することになった。
テ・ワールド,ロッテ・シネマ,マンションな
どが一緒に入店するそうだ。そして石油化学と
韓国ロッテ財閥のグループ・パワー
建設エンジニアリング,ロジスティックスと SI
8)
9)
ロッテ・ショッピングの海外進出は,いくつ
(System Integration)部門も何らかの形で参
かの類型に分けられる。まずは,長期間の市場
加することが知られている。2008 年 10 月末に
調査に基づき,慎重に検討し,注意深くアプロー
着工し,2014 年竣工を予定している。
チする方法である。ロッテ百貨店がモスクワに
要するに,海外進出の際に単純に百貨店だけ
第 1 号店を出すまでは,10 年以上の歳月が要し,
をオープンするのではなく,ホテル,オフィス,
トップマネジメントを含めた多くのスタッフが
ハイパーマーケットなどの業態に加えて,テー
緻密な市長調査を行った。次に,M&A を通し
マパークや映画館などのエンタテインメント部
て数十店舗を一気に買い占めることで,マー
門が一緒に進出することで,海外顧客の様々な
ケットシェアを引き上げる方法である。ロッテ・
ニーズを一度に充足させる多重使用複合空間
マートの場合,インドネシアに進出する際に,
(Multi-Use Complex)を構築する方法である。
マクロを引き受けることで瞬く間に 19 店舗を
世界に羽ばたくグローバル・リテイラーとして
確保でき,中国でもマクロとタイムズを引き受
の夢を見る若きグループ総帥がロッテ・ブラン
けて店舗数を 79 店までに引き上げ,中国市場
ドの相乗効果を存分に利用しながら指揮をとっ
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論文
ているので,そのような大型プロジェクトも驚
グローバル・ソーシングの構築とグローバル人
くほど速いスピードで行われている。今後,中
材の育成
国だけでなく,インドネシアやベトナムにもこ
ロッテ・ショッピング,なかんずくロッテ・
のような方式が考慮されるだろう。
マートのグローバル・ソーシングへの並々なら
ぬ意欲は特記すべきである。ロッテ・マートの
業態ポートフォリオのシナジー効果
積極的なアジア攻略は,単純に海外出店が目的
先述したように,ロッテ・ショッピングは,
ではなく,海外市場での出店による小売ノウハ
ほとんどのオフライン小売業態を抱える一方
ウの学習,とりわけグローバル・ソーシング能
で,
オンライン小売業態としてインターネット・
力を高めることで,海外の優れた商品を廉価で
ショッピング・モールとテレビ・ショッピング
国内に供給 10)すると共に,国内の中堅・中小メー
までを加えることで,全ての小売業態を傘下に
カーの製品の海外販路を開拓する先兵役割も果
収めている。実際に同社は,オンラインとオフ
たしている。現在,韓国をはじめ中・越・尼の
ラインの小売業態を自社の事業部(または子会
4 ヶ国間で,競争力のある商品間のグローバル・
社)として網羅する韓国唯一の小売企業になっ
クロス・ソーシング(相互供給)体制が出来つ
た。この全天候小売業態の存在が,海外進出の
つある。
際にも,シナジー効果を発揮している。とりわ
一方,海外出店が多ければ多いほど,優秀な
けインドネシアとベトナムへのハイパーマー
グローバル人材も多く必要になる。あまりにも
ケット業態の進出には,他業態も同時に進出す
急速なグローバル店舗ネットワークの構築は,
る形でその威力を存分に発揮している。
人材育成が追いつかない恐れがあるので,それ
このような業態ポートフォリオのシナジー効
を補うために人材開発が不可避だ。ロッテ・グ
果の重要性は,韓国で実施しているロッテ・メ
ループは,2018 ビジョンを打ち出す前の 2008
ンバーズ制度の確立から学んだことが大きい。
年から当時の副会長の昭夫氏の指示で「グロー
2006 年 6 月より,ロッテ・ショッピングの各系
バル・スクール」を,2009 年からは「VRICs
列企業を利用する顧客らは,どこで買い物して
研究会」を立ち上げ,海外で通用できる人材教
も同じポイントをもらえ,どこでも現金のよう
育に取り組んでいる。一方で,2008年から始まっ
に使えるようになった。従来はロッテ百貨店,
たグローバル・ロッテ・エキスパート(GLEP)」
ロッテ・マート,ロッテ・スーパー,ロッテ・
は,現地駐在員および海外事業担当者を対象と
ドット・コム,ロッテ・カードなどの各系列別
し現地の政治,経済,社会,文化への理解を
にそれぞれ運営されていたメンバーシップ・ポ
高める機会を提供している(『韓国経済新聞』
イント制度を,
一つに統合したロッテ・メンバー
2010 年 7 月 5 日付)。このようなグローバル人
ズ・サービスを運営することになったからであ
材育成プログラムの恩恵を最も多く受けている
る(ロッテ・ショッピング,2009)
。このよう
のが,数多くの海外店舗を抱えているロッテ・
な仕組みは,今後,海外でも持ち込まれるだろ
ショッピングにほかならない。
う。
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韓国ロッテ・ショッピングの新興市場進出戦略の分析
社のグローバル化への取り組みは例外的であ
❺ ——— 結びに:小売国際化研究への含意
る。次に,同社のグローバル・シフトのスピー
ドと程度は,現地化のための骨折りのプロセス
本稿の分析は,ロッテ・ショッピングの海外
を省くところか,わざと避けて通り越すほど破
出店戦略と現地でのビジネス・システムをポジ
格的だという点である。現に同社は M&A 戦略
ティブに評価する形で行われた。ただし,成熟
を多用するために,地道な現地化プロセスにか
した韓国小売市場から打って出て主にアジアの
かる時間と手間を超越するような方法論をとっ
現地小売企業への M&A を通して,急速にかつ
ている 。端的にじっくりと現地化に取り組む
大規模にグローバル・シフトを推し進めている
ために小売国際化研究のテキストにしたがうよ
同社は,小売国際化研究の知見から見れば,あ
うな日本の小売企業とは大いに異なる。
まりにも異色の存在である。
このようにロッテ・ショッピングのグローバ
矢作(2007)で指摘されたように,小売国
ル・シフトは,従来の小売国際化研究の枠組み
際化研究の最大課題は,自国市場の成熟化に
を逸脱するものの,「新興国小売企業による国
直面し海外進出を図る小売企業が,進出対象
際化の可能性」と「小売国際化プロセスの圧縮
国の固有な市場特性に起因する複雑多岐な
または跳躍の可能性」という新たな研究アジェ
ローカルティ(Locality)問題を克服すること
ンダ
であり,そのためにはローカライゼーション
ロッテ・マートの中・越・尼での成功的着地
(Localization)
,すなわち「現地化をキーワード
とロッテ百貨店のロ・中での繁盛ぶりが伝わる
とするプロセスの究明」
(6 頁)こそが肝要であ
ものの,ロッテ・ショッピングのグローバル化
る。昨今の小売国際化研究は,
このローカルティ
の歴史があまりにも短いだけに,アジア市場に
という難題の解決のために地道に現地化プロセ
おける同社の一気呵成のビジネス・モデルが,
ス・モデルを探し求めてきたといえそうだ 。
小売国際化研究に組み込まれるべき新たな業
敢えて言えば,ロッテ・ショッピングはこの
界の叡智(industry wisdom)
(cf., Gielens and
ような従来の小売国際化研究の射程に組み込ま
14)
Dekimpe,2007)になりうるかどうか ,今後の
れていない行動をとっているように思える。ま
帰趨に注目したい。最近になり,日本のイオン
ずは,進出主体としてロッテ・ショッピングが
が,マレイシアのカルフール現地法人を M&A
韓国の小売企業だという点である。小売国際化
で買収し(『日本経済新聞』2012 年 11 月 1 日付),
は,ほかならず小売経営ノウハウ(または小売
同社に負けずと,スピード重視の現地化戦略を
知識)の国際移転(矢作,2007)であるために,
取り始めたことは示唆に富む。
暗黙的に小売国際化の主体として先進国の小売
12)
11)
を示している。
13)
企業を前提としてきたと思われる。韓国が日本
【謝辞】本稿の作成において,ロッテグループ
や欧米諸国から多くを学んだものの,資本主義
本部・未来戦略センターの流通担当役員の白寅
の歴史が浅く,未だに小売システムが発展途上
秀氏にいろいろとご協力頂いた。記して感謝す
であることを勘案すれば,韓国企業としての同
る次第である。
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★
論文
注
1)本稿における「ハイパーマーケット」の業態定義に
ついては,後の表− 1 の注2に従う。
2)なお,以下の記述において,店舗の海外進出を伴わ
ないテレビ・ショッピングについては言及しない。
3)本節の記述は,主にロッテ・ショッピング(2010)
に基づく。
4)このことについては,川端(2001;2011)および藤
井(2006)を参照のこと。
5)同社のアニュアル・レポートによると,2011 年に同
社の年間売上高 22 兆 2,253 億ウォン(売上総利益は
7 兆 20 億ウォン,純利益 1 兆 130 億ウォン)の中で
百 貨 店 と ハ イ パ ー マ ー ケ ッ ト の 比 重 が 36.2 % と
37.2%に登り,全体売上高の4分の3にまで至って
いる。ちなみに,同社のコンビニエンス・ストア部
門が全体売上高で占める比重は 8.7%,スーパーマー
ケット 7.4%,金融部門 5.9%,テレビ・ショッピン
グ 3.1%, シ ネ マ 1.4% の 順 で あ っ た(Lotte
Shopping,2012)。
6)ロッテ・ショッピング代表理事・社長の李哲雨氏へ
のインタビューによる(2011 年 2 月 14 日,ソウル
のロッテ・ショッピング本社)。
7)前記の李哲雨ロッテ・ショッピング代表とのインタ
ビューによる。
8)chosunbiz.com へのインタビュー記事(2010 年 6 月
21 日付)。
9)一方で,創業者の重光武雄氏は統括会長に就任した。
10)実際にロッテ・マートは,2011 年より中国,インド
ネシア,ベトナムの現地店舗に韓国の中小メーカー・
ベンダーとの共同進出を進めている(『韓国経済新
聞』2012 年 1 月 20 付)。
11)日本の小売国際化研究も,現地化プロセスの究明に
向けて進化してきた。すなわち,向山(1996)がい
ち早く提示した「中心 - 周辺品揃え形成モデル」に
対して,それが一般理論のゆえに,アジア各国の固
有な市場特性への認識に欠けていると反論する川端
(1999)が「フィルター構造」への理解を促した。
ただし,矢作(2007)は,川端モデルが,「主体側
の適応化戦略の分析概念が示されていない」(48 頁)
と批判し,抽象的な向山モデルと川端モデルを発展
的に受容する中範囲理論として「知識ベースのプロ
セス・モデル」を提起した。
12)一つの例として,筆者が行った,ロッテ・マートの
インドネシア事業への現地調査(2012 年 3 月 6 日)
について触れたい。2011 年 12 月末現在,現地のロッ
テ・マートには,5,636 名(正規職員 2,321 名 , パート・
派遣 3,315 名)が働いているが,本社から派遣され
た韓国人は,28 店舗を管轄するインドネシア法人長
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マーケティングジャーナル Vol.32 No.4(2013)
と課長級のスタッフの2名のみであった。現地化に
最も時間と苦労がかかることは,店長級の育成と現
地スタッフの教育にあるとされるが,2008 年 11 月
に現地進出してから,僅かの歳月しか過ぎていない
ロッテ・マートは,現地スタッフへの全面的依存と
いうコロンブスの卵のような手法を使って,あまり
にも簡単にこの難題をクリアしている。
13)同社の海外進出の事例は,向山(2008)が矢作(2007)
の書評で提起した小売国際化研究の残された課題と
しての二つのイッシューについて,ある程度の答え
を用意しているので興味深い。すなわち,まず,従
来の小売国際化研究が,暗に単一業態の進出戦略に
拘っているという点について,本稿での同社は複数
業態の進出戦略を割とスムーズに進めている。次に,
グローバル化の主体を明確にし,その主体の意図こ
そが重視すべきだという問題について,本稿では,
ロッテ・グループの創業者の意志と変革型リーダー
シップをもった承継者のビジョンに注目している。
14)ロッテ・ショッピングのグローバル・シフトの事例
は,あくまでも特殊例にすぎないのではないかとい
う反論があり得る。ただし,同社と似た事例として,
台湾の統一企業がある。元々メーカーから始まった
同社の創業者(高清愿薫事長)が「みな日本企業か
ら学んだ」(『日経ビジネス』2011.12.12)と語る製
販統合型のビジネスモデル(鍾,2005)を築き,そ
して中国の小売市場を闊歩し,今やアジアを代表す
るようなコンチェルンになったことは注目に値する。
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川端基夫(2000)『小売業の海外進出と戦略:国際立地
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川端基夫(2011)『アジア市場を拓く:小売国際化の
100 年と市場グローバル化』新評論。
崔相鐵(2009)
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向山雅夫・崔 相鐵編著『小売国際化の新展開』中
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鍾淑玲(2005)『製販統合型企業の誕生』白桃書房。
辛東彬(2011)「ロッテ : 流通への挑戦とビジョン」流
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崔 相鐵(ちぇ さんちょる)
流通科学大学総合政策学部教授。韓国の国策研究機
関の韓国産業研究院(KIET)で研究員として在職中
に渡日し,神戸大学経営学研究科博士課程修了。香
川大学経済学部助教授,流通科学大学商学部助教授
および教授を経て,2011 年 4 月より現職。
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http://www.j-mac.or.jp
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マーケティングジャーナル Vol.32 No.4(2013)
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