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校 創 立 百 二 十 周 年 を 迎 え て

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校 創 立 百 二 十 周 年 を 迎 え て
母
校創立百二十周年を迎えて
きまして同窓の皆さんにご協力
ます。これらの必要経費などにつ
の活動も活発に行われ、若者達が
くよう期待申し上げご挨拶と致
有能な人材を送り出していただ
これからの人類社会に貢献する
明けましておめでとうございます。恒例の青山同窓会の新年会を開催いたします。
普段会えない方々と大いに歓談していただきたいと存じます。
開催要領は下記のとおりです。各期幹事の皆様からも同期の方々に連絡をしていただきたいと存じます。
また参加を希望される方はお誘い合わせて事務局までご一報ください。
百二十周年の記念すべき年に
当 たり、学 校、PTAおよび同
をお願いいたしましたが、幸い計
として充実した高校生活を送って
その持てる多くの能力を鍛える場
します。
※ 平成 25 年2月7日(木)~8日(金)は推薦入試の為、事務局はお休みします。
窓会が共同で「百二十周年記念
のであります。
画を上回るご協力を頂くことが
いることを嬉しく思います。
記
日時:平成 25 年2月 14 日(木)
受付 午後6時
≪新年会は生徒の吹奏楽の演奏はありません≫
開宴 午後6時 30 分
会場:ホテルイタリア軒 TEL 025-224-5111
会費:6,000 円
申し込み締め切り:平成 25 年2月5日(火)
念事業の企画準備を進めて参り
創 立以 来の「 質 実 剛 健 」
、
「自
主自 律 」
、
「文武両 道」を目指す
材の育成が求められていますが
現代では、グローバル化の進展
に伴って国 際 的に活躍できる人
青山同窓会事務局:TEL / FAX 025-266-5268
青山同窓会電子メール アドレス [email protected]
事業実行委員会」を設立し、記
同窓生でもある国際的に活躍し
とになります。
校風の歴史は同窓生一同が誇りと
校への熱い思いに敬意を表します
できました。ご関 係の皆 様の母
内最初の中学校として開校した
昨年は母校創立百二十 周 年 の ご 挨 拶
記 念 す べ き 年 に 当 た り、 式 典 、
新潟県立新潟高等学校は明治
年に中学校令に基づく新潟県
上げます。
新潟県立新潟中学校を創立とし
れましてはお健やかに新春を
等整備事業、名簿発行、 記 念 祝
伝統を受け継ぎながらも、常に
きます。
賀会など諸事業を同窓の 皆 様 を
て居ります。
平成 年 月 日
新潟県立新潟高等学校
創立百二十周年記念事業実行委員会
会長
お過ごしのこととお慶び申し
はじめ、保護者会や教職 員 な ど
材として後輩たちの活躍を期待
20
青山同窓会会長 長谷川 義明
10
講演会、記念演奏会、電 子 黒 板
学校関係の皆様のご協力を頂
爾来 年にわたって約4万人
の卒業生を送り 出し、その多く
新しい時代の要請に応えうる人
き、無事に実施すること が で き
するものであります。
120
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
ました。記 念式 典の挙 行、共に
ている石 丸 由 佳さんによるパイ
館長の神林恒道氏による記念講
阪 大 学 名 誉 教 授、會 津八一記念
年の長い歴史の中で多くの
困難も会った中で、約4万人に
継がれているものであります。現
するものであり、現在でも 受け
とともに深く感謝申し上げます。
賀会、さらに学校教育環境の整
も及ぶ若き有能な人材を世に送
役の生徒達も難関大学への進学
たゆむことなく人材育成に取り
り出してきた新潟高校の偉業に
者も多い一方、運動部や各クラブ
上げる次第です。現在百二十年
た。ここに全文を掲載させて頂
新 年 お め で と う 御 座 い ま す 。 敬意を表して、式典においてご
青山同窓会会員の皆様におか 挨拶を申し上げてまいりまし
年の歴史と伝統の上に立っ
て新潟高等学校がさらに発展し、
備として各教室に電子黒板の設
歴代の校長を始め教師の方々 演、 ま た 同 窓 会 名 簿 の 発 行 と
が、若者たちに真摯に向き合い、 百二十年史の編集発行、記念祝
居ります。
地域社会に大きな貢献を致して
いて、実に多様な分野で活躍し、 プオルガンの記念演奏並びに大
TEL 0 2 5 - 2 8 5 - 7 1 6 1
FAX 0 2 5 - 2 8 2 - 1 7 7 6
置など充実を図ったものであり
青山同窓会会長
株式会社第一印刷所
組んで来て頂いたお陰であり、そ
回) 〒950-8724 新潟市中央区和合町2-4-18
のご努力に深く敬意を表するも
長谷川 義明(
〒951-8127 新潟市中央区関屋下川原町2-635
史の発行準備が進められてお
’
53
卒
り、これをもって完了というこ
61
は全国あるいは世界の各 地にお
120
120
ました。ご協力に深く感 謝 申 し
24
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
(1)
25
※ '00卒 =卒業した西暦の年数を示したものです。
青山同窓会新年会のお知らせ
青山同窓会会長 長谷川義明
新年のご挨拶
佐藤のぶあき(
参議院議員
回) 潟の宣伝マンとして、また一層
て良い程知られて無い。私も新
ながら全国の人には全くと言っ
ます。
き年となるよう心から祈念致し
拠点として大きく飛躍する幸多
そしてふる里新潟が日本海側の
ばならない課題です。これらを
んが、これらは全て解決されね
可問題……枚挙に暇がありませ
度改革、経済連携協定、大学認
今年こそ日本の雇用、経済が 言うだけではどうしようもあり
再生し、
デフレ脱却するように、 ません。原発政策、社会保障制
混迷の時代ですが、丈夫健児
として恥ずかしくないよう、精
ております。
定期間が必要ではないかと感じ
家を選びかつ、実現のための一
変える為には、一定期間が必要
なさまにとって佳き年になりま
す。平成 年が青山同窓会のみ
一杯努力して参りたいと存じま
てる為により多くの本物の政治
の魅力ある新潟づくりの為に活
のは無い、と思う食物が、残念
動します。
皆様と共に更に新潟の良いとこ
です。瞬間的な成果を求めても
だ け で す。 新 潟 市 民 に と っ て、
いて海水浴場に行けるのは新潟
例えば海の身近さです。県庁
所在地でまちのまん中から、歩
ています。
渉力も国力の減退とともに衰え
た日本は、外交上の存在感や交
経済力をもって国力を保ってき
てしまいます。政治や政党を育
一時の感情や空気で政治を選
んでしまっては、政治は漂流し
新年の挨拶といたします。
いきたいものです。
あまりにもあたり前のことです
国比例区での5年を含め て 、 一
国土交通省を経て、参議 院 の 全
ん。もちろん漁業として成立す
いる方が少ないかも知れませ
ことは、むしろ市民でも知って
越 え ま し た。 こ の 間、 建 設 省 、 活 動 、 繁 殖 事 業 が 営 ま れ て い る
うございました。
り御礼申し上げます。ありがと
たすことができました。衷心よ
青山同窓会のみなさまのお陰
様で、辛くも3度目の当選を果
ることだと考えております。そ
に国家としての決断を行い続け
どんな状況においても冷静沈着
教養・胆力・人脈を備えた上で、
かがなものか。
政治家の仕事は、
貫して国土、ふる里のイ ン フ ラ
新潟をベースとした全国 区 の 議
護のボランティアです。
んでいるのではないかと危惧し
厳しく、政治の混迷が日本を蝕
おかれている内外の情勢は誠に
さて、突然の解散総選挙を経
て、年が明けましたが、日本の
治家とは区別すべきです。国民
意識がなく評論だけしている政
に入っている政治家や、当事者
ティー番組に出演することで悦
のようなリーダーとバラエ
員として、全国を訪ね、 そ の ま
更に食物の豊富さとうまさは
ビックリものです。新潟のカニ
づ く り に 汗 を か い て き ま し た。 る訳は無く、漁業組合は自然保
ちづくりや災害からの復 旧 、 復
はうまくて安い、味は越前ガニ
の政治家を見る目が厳しく問わ
れる時代になりました。
ております。
興を支援し、国政に反映 さ せ て
い ま す。 最 近 つ く づ く「 あ あ 、 と 一 緒 で す よ 、 と 言 っ て も 「 ホ
ントにうまいのか」と疑われる
高齢化・少子化・財政難は経
こ と が 多 い。 ル・ レ ク チ ェ も、 済成長を阻み、日本の経済的な
新潟はこんなに良いとこ ろ が あ
ポッポ焼きもこんなにうまいも
野放図に行ってきた国の借金
立 場 は 相 対 的 に 低 下 し ま し た。 に対して、耳障りの良いことを
るな」と今更ですが、気 が つ く
す よ う 衷 心 よ り 祈 念 申 し 上 げ、
が、新潟以外の人達にとっては、
衆議院議員
青山同窓会の皆様、明 け ま し
ておめでとうございます 。 今 年
るよう祈りながら、年頭の所感、 す。そして佐渡を望む海岸に多
あっては本物が必要です。芸能
政治リーダーの役割は今こそ
高まっています。混迷の時代に
くの眺望客達が集う風景も他の
人化した政治家や、評論家然と
災害に強いふる里をつくろ
う、ふる里をもっと安全に、もっ
ご挨拶を申し上げます。
大都市には珍しい、自然に恵ま
詰まるところ、国家感・歴史感・
と住みやすく、と国土建 設 の 仕
事についてから、早くも 年 を
した政治家は、国家にとってい
れている姿です。
新年あけましておめでとうご
また自然の恵みです。信濃川、 ざいます。
阿賀野川でも鮭が遡上し、漁業
にわかには信じがたい話なので
25
こそ明るい希望の見える 年 と な
鷲尾 英一郎(
決して得られません。
新春ごあいさつ
かここに上げて、青山同窓会の
’
66
卒
103
40
機会が増えてきました。 い く つ
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
74
ろを見つけ出し、つくり出して
回) ’
95
卒
(2)
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
新年のご挨拶
衆議院議員
石﨑 とおる(
回) み込んでしまうでしょう。
新春挨拶
業研究センターが6月にオープ
ン、新しい「フードバレー」を
いることを肌身で感じた次第
期待が、若い世代に求められて
他にないでしょう。日本海軸や
最大の救援拠点は新潟を置いて
なげ、「行ってみたいまち・新潟」
前進させ、交流人口の増加につ
か再生やアニメのまちづくりも
めるゾーンになります。まちな
て、新潟高校OBの皆様 方 か ら
く知名度も低い私にとりまし
力を頂戴致しました。地 盤 も 無
選挙戦では青山同窓会 有 志 の
皆様より多大なるご支援 、 ご 尽
ます。宜しくお願い致し ま す 。
回卒の石﨑とおる と 申 し
て い る 』『 専 門 学 校 や 大 学 を 出
新潟在住の若い友人たちから
も『給料やボーナスが減り続け
刻さを増す一方です。
しております。そして事態は深
かなければならない問題が山積
たなしに指針を示し実行してい
差社会…。外交についても待っ
問題、TPP、教育の荒廃、格
済と不況、少子高齢化、原発の
ます。長期化しているデフレ経
今、日本という国は転形期の
渦中にあると私は認識しており
臨んだ次第です。
青山同窓会の皆様方からの叱
咤激励と熱いご声援とを心から
鑽を積んでいくつもりです。
実現する政治を目指して日々研
私は今年 才の若輩者ではあ
りますが、今ひしひしと感じて
だ、と思っております。
世界でできることがあるはず
の目標です。そのために政治の
いける日本にしたい、それが私
明るく前向きな気持ちで生きて
もう一度日本という国に希望
と自信を取り戻したい、国民が
した。
国民が未来を信じ前を向いて
歩いて行くことのできる国で
意見をいただきながら、国に改
を提示し、市民の皆さまからご
市制度について具体的な選択肢
持ってもらうなど、目指す大都
く の 皆 様 の お 言 葉 に 耳 を 傾 け、 行政区にさらに大きな裁量権を
いるこの危機感と共に生き、多
革を求めていきます。
うに思います。
た競い合いが徐々に出てきたよ
感の上に、各区の特性を活かし
ます。おかげさまで新市の一体
新潟市が大合併して8年、政
令市に移行して6年近くになり
します。
す。今年もよろしくお願いいた
青山同窓会の皆さん、新年明
けましておめでとうございま
都市の活気を呼ぶ取り組みで
は、航空機のエンジン部品を製
なげていきます。
持続可能なバス路線の再編につ
てくれました。この機を逃さず
山まで伸ばす意欲的な提案をし
いて、新潟交通さんはさらに青
らせる基幹公共交通軸構想につ
議論しています。
新潟市も今後、 間に連節バスや超低床バスを走
国ではいま、地方制度調査会
で大都市制度を初めて本格的に
造 す る 共 同 工 場 が 発 進 し ま す。
公共交通の強化は喫緊の課題
です。新潟駅から白山駅までの
り組みます。
障碍者施設・雇用の充実にも取
住 宅 リ フ ォ ー ム を 支 援 し ま す。
増やし、終の棲家とできるよう
やっていただける医師チームを
加え、在宅医療・介護の前進を
超高齢社会の対応では、特別
養護老人ホームの整備前倒しに
した
形成していきます。
鳥屋野潟南部の食育花育セン
ター隣接地には子ども創造・動
回)
ですが今後は首都圏直下型地震
新潟市長 篠田 昭(
ために頑張って!」とたくさん
物ふれあいの両センターが春に
こ の 数 カ 月、
「若い人が一番
頑張らないといけない。新潟の
の方々から励ましの声を頂戴し
や3連動地震など太平洋側の大
大形中学校を経て新潟高校は
列島横断軸をしっかりと整備
災 害 へ の 備 え が 欠 か せ ま せ ん。 開設され、親子連れが一日楽し
回の卒業でございます。慶応大
し、新潟の救援・減災機能を大
私は昭和 年に新潟市で生ま ました。新潟にそして日本全体
れました。新潟市立大形小学校、 に漂っている閉塞感を打破する
学 法 学 部 を 経 て 財 務 省 に 進 み、 です。
づくりに挑戦しますので今年も
のお力添えは何よりの励 ま し で
て も 就 職 先 が 無 い 』『 商 店 街 が
祈念申し上げまして、年頭のご
具体的施策では、3・ 大震
災で新潟が大きな救援拠点と
また、6次産業化を支援する農
よろしくお願いします。
きく伸ばして防災首都としてい
あり、集票の原動力とも な り ま
寂れ、街全体に活気がない』等
なった実績を踏まえて「防災首
きます。
した。
の声を非常に多く聞きます。こ
挨拶とさせて頂きます。
都」を目指します。残念なこと
かつての日本は成長の実感で
きる国でした。
諸先輩、同級生、後輩 の 皆 さ
んからのご支援無しには 、 到 底
のままでは、こうした若者たち
本当にありがとうございまし
た。そして今後とも何卒宜しく
て財務省を退職、今回の選挙に
当選はおぼつかなかった こ と と
が明日に希望を持てない状況が
申し上げます。
110
めて立候補し当選させて 頂 き ま
存じます。
一層その度合いを増し、いわば
図 り ま す。 在 宅 で 看 取 り ま で
衷心より御礼申し上げ ま す 。
こうして文章を以て同 窓 の 皆
様にご挨拶させて頂くの は 初 め
「巨大津波」となって日本を呑
党新潟1区の公募に選ばれまし
しておりました。昨年自由民主
更に内閣官房国家戦略室に出向
110
ての機会ですので、私の 簡 単 な
明けましておめでとう ご ざ い
ます。年末の衆議院選挙 に て 初
’
02
卒
経歴を述べさせて頂きま す 。
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
110
59
’
67
卒
75
11
29
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
(3)
120
18
日 世紀型学習環境の整備
実行委員 事業部 横堀 真弓( 回) 井産業様、日青堂様、第一電設
フィルムと、電子黒板を始めと
教室に、エアコン効率の良い窓
事が、8月
ございました。
をいただきました。ありがとう
細かなご対応と、大きなご配慮
工業様より、工事に際し、きめ
するICT機器設備が整えられ
現在、ICT設備を用いた新
た な 授 業 が 展 開 さ れ て い ま す。
全 体 が 集 中 し、 生
つのテーマに教室
き ま す。 ま た、 一
を高めることがで
訴 え、 生 徒 の 理 解
入 に よ り、 視 覚 に
す。 電 子 黒 板 の 導
県内初であり全国でもあまり類
ました。
をみない画期的なとりくみで
創立百二十周年記念事業の大
きな柱である標記事業の設備工
’
83
卒
徒はますます生き
生きと授業に臨ん
で い ま す。 こ の よ
うな恵まれた学習
環境を実現してく
ださいました青山
同窓会の大きな力
に、深く感謝申しあ
うございました。
げ ま す。 あ り が と
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
―コンピューター化とエコ対応―
21
窓フィルムは田中組様、Aブ
レイン様より、ICT設備は敦
日に完了し、全
91
新潟県立新潟高等学校
創立百二十周年記念事業報告
25
30
お礼のことば
12
17
学校長 草間 俊之
青山同窓会の皆様方に は 、 本 校 創 立 百 二 十 周 年 記 念 事 業 の 実 施
に当たり、格別の御尽力 を 賜 り 、 感 謝 申 し 上 げ ま す 。
月 日の記念式典、 そ し て 記 念 講 演 会 及 び 演 奏 会 は 、 い つ ま
でも生徒の思い出に残る も の と 思 い ま す 。 ま た 、 記 念 事 業 の 一 環
として設置していただきました電子黒板ユニットは、今後、学力向上
における本校の新たな飛 躍 に 寄 与 す る も の と 確 信 し て お り ま す 。
今後とも、生徒ととも に 、 教 職 員 一 同 、 青 山 年 の よ き 伝 統 を
後世に引き継ぐべく、頑 張 っ て ま い り た い と 思 い ま す 。
最後に、青山同窓会の 今 後 益 々 の 御 発 展 を 祈 念 申 し 上 げ て 、 御
礼とさせていただきます 。
月
電子黒板を使った授業風景
20
式 辞
年
俊之 学校長 草間
20
溢れる、美しいフォルム、ますら
をに仕上げられ、受け継がれてい
るものと思われるのであります。
勉学は勿論のこと、部活動や学
校行事においても、自主自律の精
神のもと、仲間とともに切磋琢磨
し、青春を謳歌する姿は、まさに、
青陵健児ここに在りと自負してお
ります。
さて、青陵健児の皆さん、未来
は歴史の中にあります。本日の式
典に臨み、先人の労苦を偲び、そ
の歴史に思いを寄せ、自分を省み
るとともに、現在の世界に思いを
めぐらし、未来に思いを馳せてほ
しいのであります。
いつの時代にあっても、若者は、
好 む と 好 ま ざ る と に か か わ ら ず、
未来に向かって、期待される存在
であります。
現在、我が国は、経済、財政上
の問題、外交上の問題等々、多く
の課題を抱えており、いわば内憂
外患ともいうべき状況にあるとい
われております。
その課題解決は、否応なく、皆さ
んに委ねられているのであります。
皆さんには、これからの日本を、
世界を、我々が変えてやるぞとい
う 気 概 と 覚 悟、 志 を 高 く も っ て、
大学に入るための受験勉強のみな
らず、いわゆるポピュリズムやマ
ニピュレーションに打ち克つ、幅
広い確かな教養を身に付けるべ
く、真に、学ぶことに支えられた
青春の探求を願って已みません。
最後に、創立百二十周年の節目
の佳き日に、青陵健児、教職員一
同、これまで新潟高等学校を支え
てこられた、全ての皆様に感謝す
る と と も に、 本 日 か ら、 創 立
百三十周年に向かって、覚悟新た
に、 ま す ら を の こ こ ろ を も っ て、
愚直に精進する決意を表明し、今
後とも、より一層、本校への御支
援、叱咤激励を御願い申し上げま
して、式辞といたします。
平成
10
10
新潟県立新潟高等学校創立
百二十周年記念式典に当たり、新
潟県教育委員会様をはじめ、多数
の御来賓の皆様方の御臨席を賜
り、心から御礼申し上げます。有
難うございます。
ここに本 校 創 立百二十 周 年 記 念
式 典 を 挙 行でき ま すことは、青 山
同 窓 会 を は じ め と す る 関 係 者の 皆
したものであります。
爾来、幾多の変遷を経て、明治、
大正、昭和、平成に渡り、その時
代の波動を受けながらも、設立当
初の使命に応え、この青山の地で、
理想に燃え、真理を求めて已まな
い真摯な若者の学舎として、これ
まで4万人の有為な人材を国内外
の各界に輩出しつつ、 年の歴史
と伝統を積み重ね、今日に至って
おります。
本校創立百十周年からの 年を
顧みれば、昭和 年に、通信教育
部 と し て 発 足 し た 通 信 制 課 程 は、
本県、勤労学生の学びの原点とし
て、厳しい社会生活の心のよりど
ころとして、校歌をともにしてま
い り ま し た が、 平 成 年 3 月 を
もって、新潟翠江高等学校に統合
され、惜しまれながらも、本校で
の 年の歴史に幕を閉じたのであ
ります。
現在の新潟高等学校は、勉学に
おいては、今春の東京大学や京都
大学など、いわゆる難関大学と医
学部医学科への入学者数では、全
国公立高校の上位に位置するな
ど、全国にその名が知られており
ます。
部活動においても、2012北
信越かがやき総体では、陸上競技
部が、女子 メートル、全国三位
に入賞し、更に、先般の岐阜国体
では、全国優勝を飾りました。
また、将棋部は、全国高等学校
竜王戦で二連覇を達成し、加えて、
新潟県アマチュア名人を獲得した
ところであります。
他にも、多くの部が全国大会に
出場するなど、勉学に追われ、限
ら れ た 時 間 の 中 で は あ り ま す が、
日々、逞しく、活動しております。
ま た、 伝 統 行 事 の 青 陵 祭 で は、
雨の中の全校応援、縁あって青山
に集う青陵健児が、心を一つにし
て歌うますらをが、青山に谺した
と き、 忘 れ て い た 豊 か な 感 情 が
蘇ってきたのであります。
それは、伝統と歴史の中で、若
者の激発する感情、非合理なパト
スを理性をもって制御し、ロマン
24
120
様は勿論のこと、生徒、保護者、教
職員にとりましても、誠に有難きこ
とであり、大いなる喜びであります。
創 立以 来、これまで新 潟 高 等 学
校を支えていただきました全ての皆
様方に、謹んで、衷心より敬意と感
謝の意を表するものであります。
また、青山同窓会、PTAから
なる記念事業実行委員会には、記
念事業として、全教室に電子黒板
ユニットを設置していただきまし
た。この場をお借りして、改めて、
御礼申し上げます。有難うござい
ました。
新潟県立新潟高等学校は、明治
年 月の勅令「尋常中学校は各
府県に於いて一校を設置すべきも
のとす」に基づき、新潟県議会に
お い て、「 将 来 国 家 の 本 幹 た る 青
年子弟を養成するところ」と位置
づけられ、翌、明治 年、本県唯
一の新潟県尋常中学校として開校
24
(4)
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
58
800
23
10
創立百二十周年
者を得て祝賀会が開催されまし
クラ新潟において、 名余の参会
すべての事業・行事が無事に、
また成功裡に行われましたこと
た。ソプラノ・今井あい氏( 回) に、改めて御礼を申しあげ、式典・
草間俊之学校長の挨拶、篠田昭
式 典 後、 同 ホ ー ル に お い て、 歳三唱で閉会となりました。
神林恒道氏(大阪大学名誉教授・
講 演「 會 津 八 一 の 美 学 」、 さ ら
曲ほか」がひきつづき行われ
ページに掲載
なお、神林恒道先生ご講演の
要旨を次号(7月発行)に掲載
の演奏のあと、長谷川義明会長、 祝賀会のご報告といたします。
新潟市長の祝辞とつづき、風間士
郎青山同窓会副会長の乾杯によ
會津八一記念館館長・ 回)の
山内春夫青山同窓会副会長の万
ホテルオークラ新潟で、 そ れ ぞ
に石丸由佳氏(パイプオルガン
式典は進められました。
れ盛大に挙行されました 。
奏者・ 回)の演奏「百里流れ
( り ゅ ー と ぴ あ ) で、 祝 賀 会 が
秋晴れの下、りゅーと ぴ あ で
行われた記念式典には、 全 校 生
ました。
ル の 座 席 を 埋 め つ く し ま し た。 援 歌 に よ る コ ラ ー ジ ュ 風 幻 想
草間俊之学校長の式辞、 長 谷 川
コラージュ風幻想曲《百里流れて》
作曲家・上越教育大学大学院教授 後藤 丹( 回) 新旧二つの校歌と八つの応援歌による
徒と青山同窓会員を中心 と し た
て~新旧二つの校歌と八つの応
65
また、同日 夕 刻、ホテルオー
りゅーとぴあで行われた百二十
やたらと長いタイトル。これ
は、 昨 年 の 月 日 に 新 潟 市
ての応援歌もぶち込んで音楽に
いたのですが、ある日突然、全
を並べれば良いくらいに考えて
両方とも大和田愛羅氏の作曲)
周年記念のパイプオルガン・コ
に 逸 脱 し た 大 作 と な り ま し た。 奏 さ れ ま す が、 最 大 の ク ラ イ
マックスはその後で、新旧二つ
よる壮大な記念碑を打ち立てよ
の校歌が対位法的に組み合わさ
うと思い立ちました。ネットの
丸さんは、シャルトル国際オル 「 新 潟 高 校 デ ー タ ラ イ ブ ラ リ 」 ま ず 足 鍵 盤 に よ る 保 続 音 上 に
れ、同時に鳴り響く部分。ここ
ンサートで石丸由佳さんに弾い
陵に精気あり」のモチーフが絡
に よ っ て 七 つ の 応 援 歌 を 採 譜。 「 天 は 晴 れ た り 」 と「 嗚 呼、 青
象徴しようと思いました。
ただ、このサイトの管理者(残
石丸さんは私の意図を完璧に
理解し、見事な演奏をされまし
ガンコンクールでグランプリを
ら登場。一通り盛り上がったと
た。会場の皆様も、感動された
獲得した同窓の若いオルガニス
ころで旧制の校歌が朗々と二度
かどうかはともかく、面白く聴
み 合 い な が ら 始 ま り、 や が て、 で旧制中学と新制高校の融和を
繰り返され、その間には「ます
さまざまな応援歌が呼応しなが
らお」が響き渡ります。短いカ
いてくださったようで、苦労し
念なことにお名前がわかりませ
茶の袴」は最近、伝承が途絶え
ド イ ツ 在 住 の 石 丸 さ ん か ら、 「 海 老 茶 の 袴 に 」 が な か っ た の
「海老
そのコンサートで校歌を弾きた で、 記 憶 で 補 い ま し た。
よく知っていました。
ているとも聞いていたので、是
て作った甲斐がありました。
ん)が言及しておられるように
いから編曲してくれないかと依
デンツァを挟み、いよいよ「百
ト。私は彼女が中学生の頃から
頼され、仕事に着手したのが昨
里流れて」のメロディが力強く
曲は結果的に「編曲」を大幅
非加えたいと思ったのです。
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
105
年の夏。当初は新旧二つの校歌
記念演奏会 パイプオルガン演奏者 石丸由佳さん
記念式典・祝賀会、盛大に挙行
実行委員会 行事部 古沢 俊明( 回) ’
80
卒
1500人余がコンサー ト ホ ー
演奏会が新潟市民芸術文 化 会 館
20
義明実行委員会会長(青 山 同 窓
79
111
23
88
平 成 年 月 日( 土 )、 創 作新潟県教育委員より祝辞、小 り祝宴が始まりました。歓談後 する予定です。
立百二十周年記念式典・講演会・ 柴 多 郎 前 生 徒 会 長 の こ と ば と、 は新旧校歌・応援歌斉唱とつづき、
式典の写真は
しています。
10
会会長)の挨拶のあと、 北 村 泰
’
71
卒
24
250
20
ていただいた曲の題名です。石
10
(「玲瓏の天」と「百里流れて」
。
記念講演会 講師 神林 恒道さん
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
(5)
生徒代表の言葉
新たなスタートを切るというの
に、自分の人生に節目をつけて
す。つまり、自らの生まれた日
てて新たな一歩を踏み出しま
り返り、次の一年間の目標を立
う伝統を守るとともに、夢に向
り受け継いだ「丈夫」の力とい
校生は、また明日から先輩方よ
み出そうとしています。私達在
その新潟高校が新たな一歩を踏
続く懇親会は、渡邉毅実行委
員長( 回)による開会宣言の
より報告されました。
られていることが、長谷川会長
の発行等々の事業が順調に進め
百二十年史の刊行、同窓会名簿
行い、
会場が一つになりました。
士郎副会長( 回)のご発声に
よる「丈夫」斉唱、さらに風間
行田充さん( 回)のリードに
た。会の締めには元応援団長の
り、よりいっそうこの力を感じ
歴史が作られたということを知
年の
歴史を振り返り、誇りをもって
べ き こ と は、
《初心にかえって
います。つまり、今日私達がす
百二十周年にも当てはまると思
これと同じことが、新潟高校の
に誇りをもって集い、皆様とと
度は同窓生として一層新潟高校
いです。そしてまた
年後、今
高校を見守っていただけると幸
ます。これからも皆様方に新潟
の力を益々発信
存在感が増す昨今、新潟の文化
新潟市長( 回)より「新潟の
会で進みました。来賓の篠田昭
後、村山朋彦さん(
回)の司
窓会総会・懇親会でした。
き年にふさわしい、大盛況の同
創立百二十周年という記念すべ
よる「万歳三唱」を声高らかに
さわやかな青空の広が る 秋 の
佳き日に、私達在校生は 新 潟 高
とることができました。そして
が「祝う」ということなのです。 かって邁進していきたいと思い
校をここまで支えて下さ っ た ご
また、新潟高校は「丈夫」の力
「丈夫」の力
3年 小柴 多郎
来賓の方々、そして誇る べ き 歴
様々な困難も乗り越えて
史をつくってきてくださ っ た 諸
すべき」とのご
ることがあります。それは、「新
の力として明日につなげるこ
私 は 新 潟 高 校 が 大 好 き で す。
と》なのではないでしょうか。
10
挨拶をいただき
75
生徒代表
成り立っているというこ と を ひ
校 は、「 丈 夫 」 達 の 力 に よ っ て
だと思いますが、私は、 新 潟 高
じる人、誇りを感じる人…。色々
を知って驚く人、懐かし さ を 感
でしょうか。知らなかっ た 事 実
の百二十周年に何を感じ る こ と
のです。在校生の皆さん は 、 こ
何かを感じるのが人間と い う も
には
新潟高校を人に置き換えて考
えてみましょう。人生の記念日
の意義を考えました。
だと思いますが、私はもう一つ
それはそれで十分意義あること
し む だ け で よ い の で し ょ う か。
演や演奏に感動し、心豊かに楽
史に思いをはせ、素晴らしい講
の式典において、新潟高校の歴
い の か。」 と い う こ と で す。 こ
総会に先立ち行われたミニ・
校
長
、
猪口孝東京青山同窓会長
コンサートでは、恒例の本校吹 ( 回)
、倉茂周典東北青山同窓
ました。
480余名を数える盛会となり
昨 年 7 月 日( 木 )
、同窓会
総会がANAクラウンプラザホ
抽選会等が実施
表 彰、 お 楽 し み
回)からの
しひしと感じました。青 陵 祭 や
ンレキ)と大きな単位もありま
回)の挨拶をいただい
現職員 鈴木 信行(
回)
露、 君 英 夫 さ ん
( 回)の指揮に
よる
「旧校歌」「新
校 歌 」の 斉 唱の
回 )の
後、 敦 井 栄一副
会 長(
ご 発 声 で 乾 杯、
れさせる快活な調べが会場内に
響き渡りました。
賑やかな 歓 談が
始まりました。
総会は、富山修一幹事長(
回)の司会のもと、長谷川義明
た交流に一層の
テルを会場に開催され、出席者
回)
、草間俊之学
同 窓 会 長(
歓談の合間に
は最多出席期の
顧問(
花を添えまし
た 後、 議 事 が 進 め ら れ ま し た。 さ れ、 期 を 超 え
創 立 百 二 十 周 年 を 記 念 し、「
21
かし
世紀型学習環境の整備」
、青山
歳( カ
メッセージ披
青山祭に代表される行事 や 、 部
すし、一年ごとの誕生日という
奏楽部に続き、今年は三味線プ
年度青山同窓会総会
活動での活躍、あるいは 、 日 々
のもあります。誕生日にはその
67
る演奏が披露され、梅雨空を忘
75
平成
の生活の中でも「丈夫」 の 力 を
人の誕生をみんなで祝い、楽し
69
’
91
卒
い時間を過ごすとともに、それ
61
までの一年、ひいては人生を振
61
歳( ハ タ チ )、
年の歴史を振り返ると
感じる場面は多々ありま す 。 し
(
ま し た。 佐 藤 信
平成 年 月 日
秋参議院議員
新潟県立新潟高等学校
小柴 多郎 ( 回)、鷲尾英
一郎衆議院議員
か け る 力 を も ら っ て、
「 丈 夫 」 きたいと思います。
もに「祝える」よう努力してい
百 二 十 周 年 を 祝 う こ と が で き、 るのだと思いました。
潟高校の百二十周年を祝うため
ところで、私はこの式典に参
加するにあたって一つ心に考え
私達在校生は百二十周 年 を 迎
えるにあたって、新潟高 校 の 歴
大変うれしく思っており ま す 。
史について振り返る機会 を い た
10
レ ー ヤ ー 史 佳 Fumiyoshi
さ
ん(小林史佳さん、 回)によ
だきました。歴史を振り返る時、 に、私達在校生は何をしたらよ
24
同 窓 会 総 会 報 告
74
103
20
99
24
12
き、「丈夫」の先輩方の力によっ
120
101
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
84
64
お互いをたたえあい、夢を追い
95
があるからこそ新潟高校と呼べ
85
先輩方とともに、新潟高 校 創 立
120
60
て、戦争・火事・地震の よ う な
70
20
(6)
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
東京青山同窓会平成
年度総会
した。
果たしたことなどが紹介されま
文化部も全国大会で上位入賞を
した。
を作りたいとの提案がありま
の挨拶がありま
力に対する御礼
か ら、「 放 送 部 を 応 援 す る 会 」 記念事業への協
標記の会が開催されまし た 。 新
月9日(金)ANAインター
コンチネンタルホテル東 京 に て
市川副校長からは、母校音信
として、百二十周年記念事業で
こと、などのお話がありました。
奏には身が震える感動を覚えた
心したこと、パイプオルガンの演
熱心に聴講する高校生の姿に感
を振りかえる坂井さんのすてき
した。新潟高校や世の中の動き
回生青春の軌跡」が披露されま
れ、エキシビジョンとして「
の司会により和やかに進めら
り ま し た。 坂 井 敬 さ ん(
でお開きとなりました。
窓会副会長(
回)の閉会の辞
夫を斉唱し、太田裕東京青山同
さん( 回)の音頭で校歌・丈
り、宮本真理子さん、池田和史
回) さ れ て 若 手 が ス テ ー ジ に 上 が
続 い て 寺 田 秀 夫 さ ん( 回 )
最後に、学年幹事( 回)の
の乾杯の御発声で懇親会が始ま 島津孝さん、星野紹英さんに促
ど、 生 徒 た ち の
ちで混雑するな
うとする生徒た
教師に質問しよ
に職員室の前が
ら は、 休 み 時 間
櫻井校内幹事か
回 )、 市 川 亮 副 校 長、 校
ま っ て お り、 進
学習意欲が昔と
ジに並んだ 名の
にご尽力くださった学年幹事お
回生が、「赤
とんぼ」
「雪の降る町を」
「惜春
学の状況にも表
ま だ。 単 位 取 得
つ も、
「卒論は
に就職内定しつ
北地方の某企業
その後のス
ピ ー チ で は、 東
ました。
どの紹介があり
れていることな
会」を合唱されました。同窓会
申し上げます。
よび事務局の皆様に深く感謝
また、
宮本真理子さん( 回)
らしい心温まる歌声でした。
東北青山同窓会幹事 田村 岳裕( 回) 東北青山同窓会
第2回総会を開催
回 ) 活躍ぶりや、将棋や放送などの
し た。 続 い て、
回 )、 富 山 修 一 幹 事
潟からは、風間士郎青山 同 窓 会
設置された電子黒板のこと、イ
回) 長(
した。
総 会 は 榎 本 飛 鳥 さ ん(
の司会で行われ
ま し た。 猪 口 孝
回)の
東京青山同窓会
会 長(
挨 拶 後、 日 下 部
回)より会
朋子事務局長
(
務 報 告、 佐 藤 茂
会計幹事( 回)
より会計報告が
の東北地方発展のための課題に
日本大震災からの復興や、今後
回)
。 冒 頭、 濱 田 会 長 よ り、 東
総会後の懇親パーティーの進
行役は、片桐一夫代表幹事(
支予算を審議しました。
らん限りに背を反りつつ
〝丈夫〟 の様子は東北青山同窓会ホーム
宴 も た け な わ、 恒 例 の 校 歌、 の皆様のご参加を心待ちにして
応援歌の大合唱。老若男女が有 おります。なお、懇親パーティ
ました。
の中で懇親パーティーは進み
る な ど、 終 始 和 や か な 雰 囲 気
笑を誘っていた大学4年生もい
露 し、 場 内 の 爆
第3回総会は、来年秋頃開催
を予定しております。より多く
な盛り上がりとなりました。
ムスリップしたかのような大変
も危うい」と吐
日
などを目的として、東日本大震
ついての熱い想いなどの挨拶が
会計年度収
に発足しました。
ありました。また、来賓の長谷
月
川義明青山同窓会長からは、創
は、会場全体が高校時代にタイ
を大声で歌うクライマックス
で、是非ご覧ください。
ページでも紹介しておりますの
回 ) が 議 長 と な り、 平 成
会 計 年 度 収 支 決 算 報 告 の あ と、 立百二十周年記念事業の紹介と
(
災から半年後の一昨年
る同窓生」の親睦を深めること
加 を 得 て 開 催。 濱 田 敏 克 会 長
会則の改正と平成
’
89
卒
第2回総会は、昨年9月 日
(土)に仙台市内で約 名の参
東北青山同窓会は「東北6県
に在住または勤務したことのあ
97
24
あ り、 承 認 さ れ
ました。
来 賓 挨 拶 とし
て、風 間 副 会 長
周 年 式 典の報 告
より、創立百二十
人 材 豊 か で、 事
が あ り ま し た。
あると非常によ
く ま と まる同窓
71
118
90
64
23
86
64
副 会 長(
内幹事櫻井の計四名が参 加 し ま
84
比べて格段に高
’
86
卒
約 名が世代を超えて親交を
深めることができました。準備
94
なナレーションと共に、ステー
校内幹事 櫻井麻利子(
24
ンターハイや国体での運動部の
50
64
120
15
22
10
50
77
13
64
70
会 だと実 感し た
117
75
こ と、講 演 会 を
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11
82
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
(7)
第 96 号
青山同窓会報
講演2
「夢はできるだけ大きく、
信じた道を!」
よこざわ けい子さん(79 回)
○声優を志す
両親の「娘にはきれいな言葉
を話させよう。
」という思いから、
小3でNHK児童劇団に入団し、
劇団解散後も引き続きラジオド
ラマにずっと出演していました。
ですから、高3の進路を決める時期には、
「声優になり
たい!」という気持ちに自然となっていましたが、
「でも、
どうやったらなれるのだろう?」と、ラジオドラマのディ
レクターに自分の夢について相談したところ、
「君の声で
は無理だね。
」との忠告。私の事を思ってのありがたい忠
告でしたが、夢を諦めたくありませんでしたので、無視さ
せていただきました。
○大学に進学、夢をかなえる
声優を目指して進学した日本大学芸術学部放送学科は、
いざ入学してみると、ディレクターやアナウンサー等を育
てる教育を行っていて、声優は育てていなかったのです。
困ったなぁ、と悩んで探し出したのが俳優生活協同組合の
養成所。大学と養成所に両立して通う学費を補うため、住
み込みのアルバイトもしました。
チャンスは卒業目前に訪れ、テレビドラマのオーディ
ションに合格。まずは、
テレビなど映像の仕事からのスター
トとなりました。しかし、声優になりたいという夢は諦め
ていないので、事務所に希望を伝えたところ、また無理だ
との忠告。もちろん、このありがたい忠告も無視させてい
ただき、チャンスを待ち続け、ようやくアグネス・ラムさ
んの声の仕事をきっかけに、CM・アニメーション・洋画
吹き替えなど声の仕事を次々にするようになりました。
○出演した代表作品
「ドラえもん」
のドラミちゃん役や、
「お母さんといっしょ」
にこにこぷんのぴっころ、
「エスパー魔美」の魔美ちゃん、
「はいからさんが通る」の紅緒役などなど。
私の中で1番大切に思っている仕事は、
「天空の城ラピュ
タ」のシータ役です。
皆さんにいつまでも愛される素晴らしい作品のお仕事が
出来て、嬉しく思っています。
○次のステップ
声優としての仕事を続けているうちに、ナレーターもや
りたい、という気持ちになってきたのですが、またまた事
務所からは無理だとの忠告。でも、
「今まで何回無理だと
言われても諦めずに夢をかなえてきたので、今度も絶対に
あきらめない!」と、
この忠告も無視させていただき、
独立。
自分で営業し、それからはナレーターの仕事もたくさんす
るようになりました。
○自分が大きくなるために選んだ新たな道
仕事も順調で忙しい日々を過ごしつつも、一人で活動し
ていることに疲れを感じ、ふとプロダクションに入ってし
まおうかな?と思った時期がありました。そんな気持ちの
時に神社でひいたおみくじが、
何と「大凶」
。びっくりして、
これは「楽な道を選んではダメだよ、前向きに行きなさい」
と言う神様のお告げだと思い、自分をもっとビッグにしよ
うと、自分自身でプロダクションを立ち上げ、声優・ナレー
ターを育てるスクールも作りました。
その時に、前向きに生きることを絶対に忘れないように
書いたのが、次の詩です。
平成 25 年1月1日
(8)
冬の木枯らしに乗って春を求めて飛んで行きました。自分
がいいと思った事は人から何を言われようと前向きに進ん
で行きたい、そのような選択をする人間になっていきたい、
という気持ちを込めています。
しかし会社を経営し、人を育てる事は「自分が、自分が」
では上手く行きません。社長・先生業に専念するとともに、
現役からは遠のくようになりました。
このように「自分が大きくなりたい」という目標からす
ると大誤算でしたが、表現者という観点では、現役のころ
よりももっと成長できたように思えます。
そのきっかけになったのが、文章を書いたことでしょう。
表現で大切なのは、テーマを伝えることです。そこで、テー
マを間違えて指導しないように、表現の指導をする教材や
脚本を自分で書くようにしたのです。その結果、声優や女
優でいた時よりも、表現について深く考えるようになり、
表現力がアップしたと思います。
例えば、先程の詩で、自分の昔と現在の表現の違いを
お聞かせしましょう。
○読み聞かせについて
1.ただきれいに詩を読む。
2.気持ちを込めて詩を読む。
3.色々な五感を使って読む。
昔は2くらいの表現しかできなかった私ですが、人を教
える立場になり、文章を書くようになってからは「3.
五感
を使って」情感を表わせるような朗読が出来るようになり
ました。自分の読みやすいようにではなく、書き手の気持
ちを汲み、また、どんな気持ちなのかで表現方法も変わっ
てきます。おそらく、一人の声優として活動していたまま
だったら、書き手の気持ちを表現しようとか考えずに外側
だけを見て読んでいたかもしれません。
最後に私の処女作を朗読いたします。まだまだ未熟な私
ですが、現在の私の表現をお聞き下さい。
○処女作「ゆきんこゆうりん」
(アプリ絵本)の朗読
(ストーリー:目が見えないモリーはサンタさんからプ
レゼントされた「目が見えるようになる薬」をつけようと
はしない。モリーに綺麗な雪景色を見せてあげたいと思っ
たゆきんこのゆうりんは、その薬をなんとかモリーに付け
てもらうようにお願いするのだが…。
)
娘が小さい頃、私は仕事が忙しく、ゆっくり読み聞かせ
をしてあげられないかわりに書いた作品で、
「ゆうりん」
は娘の呼び名です。こぼれ話ですが、最初書いた時はゆ
うりんが死んで終わっていたのですが、
「可哀そうな話は
いや」と娘に言われてしまい、最後に涙となって生き返る
というハッピーエンドの結末にしました。
○最後に
スクール生の指導、作品の執筆や演出など表に出ない
仕事が多くなっていましたが、最近ぴっころが復活して、
時々テレビに出るようになりました。アイドルユニットを
組んで来年の紅白歌合戦に出演するかも!ぴっころを見た
ら、是非私の事も思い出して下さい。
「夢はできるだけ大
きく、信じた道を!」
(坂井奈津子)
○自作の詩「春に生まれたかかし」の朗読
かかしは、そこにいればいずれ春が来るのもわからずに、
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
(9)
第 96 号
青山同窓会報
平成 25 年1月1日
第9回 青山学術文化講演会開催報告
会報編集委員 坂井奈津子(96 回)
樋口真佑子(113 回)
昨年 11 月 27 日第9回青山学術文化講演会が、新潟高
校視聴覚ホールで開催されました。
今回の講師は次の方々です。
1 西村宏子さん(63 回)
新潟医療福祉大学 特任教授
米国テネシー大学医学部 名誉教授
2 よこざわけい子さん(79 回)
株式会社ゆーりんプロ 代表取締役
よこざわけい子声優・ナレータースクール 学校長
以下、それぞれのご講演について要旨を報告します。
講演1「成人病は胎生期から始まる
―動物実験から臨床まで―」
西村宏子さん(63 回)
はじめに
成人病は年をとってからかか
るものではなく、その原因の一
部はまだ赤ちゃんが母親のお腹
の 中 に い るときに あ る。 体 力、
臓器、機能の衰えにつながる「加
齢 」を 促 進 す る要 因とし ては、
⑴遺伝的素質、⑵環境と生活習慣、⑶胎生期の環境と“プ
ログラミング”が考えられるが、⑶は「成人病胎児期発
症説」によるもので、成人病/老年病の重要な要因となっ
ている。胎生期に低栄養、低酸素など異常な胎内環境に
曝されると、胎児は発育が遅れ、出生時体重が低くなる。
更に胎児は異常環境に反応して代謝・内分泌・生理機能
などを異常にプログラムし、高血圧、糖尿病、血管障害
等の発生率や、社会的適応障害の発現が成長後に高くな
る。しかし、その機序解明や対策は不備な点が多い。
胎生期の栄養障害と低出生体重の現状
近年、先進国における低出生体重児(2500 g以下)の
発生頻度が上昇しており、日本では 5.2%(1980 年)が
9.6%(2008 年)に増加した(人口動態統計)
(図1)
。そ
の原因として、⑴高年齢の出産(特に初産)の増加、⑵医
療技術の進歩にともなう未熟児救命の増加、⑶妊娠中の
過剰なダイエットなどが挙げられている。さらに若い女性
(中学生、高校生を含め)の痩型嗜好にともなう骨格、筋
肉の発育不全が、将来の胎盤形成不備の原因につながっ
ている可能性がある。実際に最近 10 年間に、小学校(高
学年)
、中学校、高校女生徒の急激な体重減少が見られて
いる。それに相関して、学校内の特別支援学校に通う児童
生徒数が増加している。また従来、成人病、老年病であ
る巣状糸球体硬化症(体液を濾過し尿を作る腎の糸球体
が固くなり正常に働かなくなる)が小児に増加する傾向に
ある。これらは、個人や家庭の問題だけでなく、教育、医
療、福祉を含め社会的に重要な問題を提起する。
胎児のプログラミング
Baker ら(1989 年、イギリス)は、虚血性心疾患(心
筋梗塞など)による死亡率は、出生時体重の低い人ほど高
いことを報告し、この説はその後疫学的、実験的に証明さ
れた。
「プログラミング」とは、胎児の環境や胎生期の出
来事に反応して、胎児の組織の形質や機能が永久的に変
化し、成長後に疾患に対する感受性が変わることである。
プログラミングの成因としては、遺伝子配列の変化という
より、遺伝子から情報が発現していく過程や遺伝子環境の
変化(epigenetic modification) が大切であると考えられ
ている。つまり、栄養障害、ストレス、低酸素といった状
態が胎生期の大切な時期に起こり、それに遺伝的素質が
加わって遺伝子環境の変化につながり、疾患になる感受性
が増加するというメカニズムである。
動物実験
胎生期、特に妊娠後期における胎児環境の異常に起因
する出生後の異常は、数多くの臓器に報告されている。成
長後の腎糸球体数 ( 体液の濾過や体液量のバランスに大
切 ) が正常より少なく腎疾患を含めた諸疾病にかかりやす
いことが、重要な所見の一つである。
上記の所見を裏づけるための動物実験として、日本ウズ
ラの卵から卵白の一部を無菌的に除去することにより胎生
期の栄養障害を起こし、加齢とともに早期の糸球体硬化症
を示すかを検討した。トリのエンブリオは哺乳類とは異な
り、母体の栄養状態やホルモンの影響を受けずに発育し、
環境の調節が容易であるという利点がある。
結果として、卵白の一部を除去したウズラは胎生期に栄
養障害を起こし発育が遅れ、孵化時の体重が正常群より
低かった所見を得た。孵化率が低下し、成熟した卵白除
去ウズラは腎糸球体数が正常より少なく(糸球体のサイズ
は大きい,代償性肥大)
、水分保持も悪かった。また、栄
養障害ウズラの腎糸球体ではメサンギウムに異常物質(繊
維性)が溜まり、加齢とともに増加した。
臨床所見
新潟大学医歯学総合病院小児科の腎グループ(池住洋
平講師)と共同研究を行い、
低出生体重児と小児腎疾患(特
に腎糸球体硬化症)の相関を 1993 ~ 2009 年の間に腎生
検を行った 207 例を用い検討した。小児で腎糸球体硬化
症と診断された症例の 33%が低出生体重児であり、尿の
形成に大切な腎糸球体上皮細胞数の高度の減少が見られ
た。所見は動物実験の結果に類似しており、低出生体重
は成長後、腎疾患にかかる危険因子の一つと考えられる。
今後の方針
低出生体重児の増加を防ぐには、今後どのような手段、
方法を取ったら良いか。まずは、若い女性が健康的な身
体になり、しっかりした胎盤を持ってもらうことが大切で
ある。近ごろ痩せ過ぎファッションモデルが問題になって
いるが、
「痩せたい気持ちだけで食事をおろそかにすると、
肉体だけでなく精神の豊かさも失いかねない」
(
「ヴォーグ」
日本版編集長、
渡辺三津子氏)
。今後の方針のまとめとして、
⑴低出生体重児と種々の疾患の関係を地域で、また全国
的な規模で調査する、⑵医療機関や保健所による妊婦の
正しい栄養指導、⑶情報伝達するメディアの利用、⑷個
人の家庭を始め、小学校、中学校、高校保健教育をとう
して健康な心身の育成と生活の充実をはかるなど、皆で考
えていきたい。
(樋口真佑子)
図1:本 邦における平均出生体重と低出生体重児の年次
推。人口動態統計より、池住洋平。
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
青山同窓会報
第 96 号
平成 23 年度青山同窓会収支決算書
平成 24 年  7月 12 日(木)
総会
平成 24 年 11 月 17 日(土)
青山学術文化講演会
平成 25 年  2月 14 日(木)
新年会
※ 同窓会名簿発行 平成 24 年6月発行
※ 新潟高校創立百二十周年記念事業募金 平成 23 年7月~平成 24 年7月
(単位:円)
前期繰越金
予算額
決算額
差 異
3,800,309
3,800,309
備 考
0 前年度繰越金
Ⅰ収入の部
基本財産会計
受 入 収 入
0
入会金収入
757,200
会 費 収 入
5,500,000
7,877,455 △ 2,377,455 同窓会年会費1口 1,000 円
総 会 収 入
3,900,000
3,225,720
674,280
新年会収入
660,000
738,000
△ 78,000
入
1,000
12,818
△ 11,818
当期収入合計
10,818,200
15,608,593 △ 4,790,393
合
14,618,509
19,408,902 △ 4,790,393
雑
収
計
3,000,000 △ 3,000,000
754,600
2,600
会
費
3,900,000
3,198,470
701,530
新 年 会 費
660,000
753,530
△ 93,530
校歌・応援歌 CD・名簿・校章バッ
チ代金、預金利子
費
1,140,000
1,130,700
通
信
費
1,500,000
2,826,415 △ 1,326,415
会報発送、
総会、
役員会案内郵便料金、
振替料負担金、電話料金
印
刷
費
500,000
1,487,448
封筒、振替用紙、総会案内状、はが
き印刷代
慶
弔
費
150,000
79,565
広
報
費
1,150,000
1,805,681
会
議
費
600,000
681,566
講 演 会 費
250,000
207,611
旅
費
500,000
394,675
105,325
卒業生記念品費
300,000
278,880
9,300 職員1名、給料、交通費
70,435 離任職員餞別、弔電
越
4,751,422
3,800,309
743,400
757,200
会 費 収 入
6,500,000
5,500,000
総 会 収 入
3,900,000
3,900,000
0 1人 6,000 円× 650 人
新年会収入
660,000
660,000
0 1人 6,000 円× 110 人
入
1,000
1,000
収 入 合 計
11,804,400
10,818,200
986,200
合
16,555,822
14,618,509
1,937,313
費
3,900,000
3,900,000
0
新 年 会 費
660,000
660,000
0
収
計
951,113 前年度繰越金
△ 13,800
1年生 1人 800 円× 363 人
2・3年生 1人 600 円× 755 人
1,000,000 同窓会年会費 1口 1,000 円
0 預金利子
Ⅱ支出の部
総
会
0 職員1人給料、交通費
通
信
費
1,500,000
1,500,000
0
会報発送、
総会、
役員会案内郵便料金
振替料負担金、電話料金
印
刷
費
500,000
500,000
0
封筒、振替用紙、案内状印刷代、デー
タメンテナンス代
21,120
慶
弔
費
150,000
150,000
0 会員慶弔電報、香華料、離任職員餞別
東京同窓会補助 500,000、関西同窓会
補助 100,000、
東北青山同窓会 100,000、
47,795 通信制部会補助 100,000、クラブOB
会補助、青陵祭補助、学校行事補助、
激励費
広
報
費
1,150,000
1,150,000
0
会
議
費
600,000
600,000
0
講 演 会 費
250,000
250,000
旅
費
600,000
500,000
卒業生記念品費
300,000
300,000
1,400,000
1,300,000
△ 81,566 42,389 学術文化講演会
19,150
退職積立預金
100,000
100,000
諸
費
400,000
441,584
費
2,148,509
0
2,148,509
当期支出合計
14,618,509
14,657,480
△ 38,971
計
金
入会金収入
1,140,000
20,000
次期繰越金
Ⅰ収入の部
繰
1,140,000
母校支援費
合
備 考
費
1,252,205
当期収支差額 △ 3,800,309
増 減
件
1,300,000
備
年2回発行会報印刷代、学校案内掲
載広告代
本年度予算額 前年度予算額
人
△ 655,681
費
予
助
(単位:円)
雑
件
補
(自 平成 24 年4月1日 至 平成 25 年3月 31 日)
科 目
人
△ 987,448
平成 24 年度青山同窓会収支予算書
1年生 1人 800 円× 362 人
2・3年生 1人 600 円× 775 人
Ⅱ支出の部
総
(10)
平成 24 年度青山同窓会会務計画
(自 平成 23 年4月1日 至 平成 24 年3月 31 日)
科 目
平成 25 年1月1日
850 卒業生連絡ハガキ
0
△ 41,584 光熱水費、消耗品費、パソコン代金
補
951,113 △ 4,751,422
0
4,751,422 △ 4,751,422
14,618,509
19,408,902 △ 4,790,393
平成 24 年4月5日 上記の通り相違ないことを確認します。
監事 江口 良介 ㊞
監事 渡辺 国夫 ㊞
助
費
0 学術文化講演会
100,000 東京、
関西、
東北同窓会総会出席旅費
0
東京同窓会補助 500,000、関西同窓会
補助 100,000
100,000 東北同窓会補助 100,000、通信制部会
50,000、クラブOB会補助、青陵祭
補助、学校行事補助、
母校支援費
20,000
20,000
退職積立預金
100,000
100,000
諸
費
400,000
400,000
費
3,885,822
2,148,509
1,737,313
計
16,555,822
14,618,509
1,937,313
予
合
備
年2回発行会報印刷代、学校案内掲
載広告代
0 卒業生連絡はがき代
0
0 光熱水費、消耗品費、パソコン代金
『青山百二十年史』予約締切迫る
旧制新潟中学から始まる 120 年の校歴はさすがに読み応えがあります。皆さんの所属していた各部の歴史
をたどるのも一興かと思います。
★頒価 書籍1万円 CD-ROM 版 2,500 円
★平成 25 年1月末までに同窓会事務局へ
‘日本郵便はがき’または‘メール’に①ご住所(送付先)、②ご署名、③卒業回、④ご希望が書籍か CDROM 版かをご記入の上お送りください。
はがき宛先 〒 951-8127 新潟市中央区関屋下川原町 2-635 新潟高校内
E-mail [email protected]
★青山同窓会総会のお知らせ ―予定―★
★同窓会ホームページが新しくなりました★
日時:平成 25 年7月 12 日(金)
会場:ホテルオークラ新潟
TEL 025-224-6111
会費:6,000 円
青山同窓会のホームページを一新いたしました。
それに伴いホームページのアドレスが下記に変わりまし
たのでご注意願います。
http://www.aoyama-dousoukai.com/
★青山同窓会 百二十周年名簿発刊★
会員皆様のご協力により平成 24 年6月末に発行となり名簿購入希望者及び広告掲載をご協力いただきました方々へ
発送させて頂きました。大変ありがとうございました。
これから名簿購入を希望される方は、同窓会事務局へご連絡宜しくお願い致他します。部数の可能な範囲で送付させ
て頂きます。
また、会員名簿には、約 39,000 名の名簿が掲載されております。取扱いにはご留意下さい。
★百二十周年記念募金は目標を達成★
★校歌・応援歌のCDを販売中★
百 二 十 周 年 記 念 募 金 は 目 標 額 3,000 万 円 に 対 し て
3,693 万円余と目標を大幅に上回りました。これもひとえ
に皆様の母校愛のたまものと感謝申し上げます。
なお余剰金につきましては、これから掛かるであろう教
室に据え付けました機器の保守・修繕費・消耗品等に充当
させていただきます。本当にありがとうございました。
校歌・応援歌の入ったCDを販売しています。
同期会やクラブOB会の時にBGMで流され皆さん
から喜ばれています。
一枚……1,000 円
お申し込みは同窓会事務局まで
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
から昭和 年3月まで 年 間 勤
先生は、母校である新 潟 高 校
の体育教師として昭和 年 4 月
んにお話を伺いました。
きだったという環境で、小さな
上のお兄様( 回)も柔道が好
です。お父様が柔道四段、8つ
高校生になってからなのだそう
が、柔道を始めたのは意外にも
学生時代から今に至るまで柔
道と深く係わってきた先生です
じました。
かれました。
が新潟県を天皇杯総合優勝に導
たり、柔道競技はもとより、我
監督として県選手団の指揮にあ
第
協会常務理事を歴任し、その間
八海高校校長を務めた後、県
教育庁保健体育課課長、県体育
てくださいました。
段に合格した話も楽しそうにし
球部の生徒が授業だけで柔道初
ありません。私の同期の代で野
てさぞ嬉しいことだったに違い
その母校で 年に渡り後輩た
ちに教えたことも、先生にとっ
まさに青山の畳の上でした。
けても堂々と胸を張っていられ
負けたっていい。ただ一つ、負
して使う。一生懸命やったなら
を鍛え、最後にそれらを知恵と
と。様々な情報・知識を得、体
努力を重ねた後に勝負するこ
言葉で聞く方が大きくうなずけ
す。
」 と 話 す 先 生。 私 に は、 行
の敬意が込められているんで
が…』という相手に対して最大
当にたいした物ではないのです
らしい貴方に差し上げるには本
方を大変尊敬しています。素晴
の話になり「これには『私は貴
…」という日本独特のフレーズ
の副社長としてご活躍。将来の
藤社長は本年6月まで東北電力
規模で業務をされています。加
いる人達を含めると6000人
社員は1800人で、関わって
東北発電工業㈱加藤博社長を
仙台の本社に訪問いたしまし
られそうな日本伝統の心が柔道
めて深く感じています。忘れ去
先生の内にある柔道の精神を改
機を急遽ポーランドから探し出
また、中古の2万 の緊急発電
ど、 苦 慮 さ れ た と の 事 で し た。
停電を指令せねばならないかな
画停電実行時には、どの時点で
ろや保線人員の配置、更には計
建 設 な ど を 事 業 と し て い ま す。 ところ、やむなく停止するとこ
青山の後輩へのメッセージで た。東北発電工業は東北電力の
す。「男一匹、
戦うということは、 全ての発電所の点検修理や設置
る気がしました。
電力市場の競争に向けあらゆる
確保のやりかたなど、供給する
家への節電のお願い、復旧作業、
がとうございました。
祈りたいと思います。大変あり
願い、先生と県柔道界の発展を
ります。
この原稿を書きながら、 を通じ受け継がれていくことを
同 窓 生 訪 問
務されました。ちょうど 私 の 在
頃から柔道の話を聞き、興味を
県連の会長となられた今、今
後の県柔道のビジョンをいくつ
る 人 で あ れ! = 柔 道 で 言 う な
会報編集委員
小山 佳子(
平成 年度から新潟県 柔 道 連
盟会長に就任された立川 克 雄 さ
智裕( 回)
ら、試合後の礼だけを見たら勝
されました。東日本大震災時で
コストの削減、企画策定に努力
的に通常時では問題ない手続が
し大型輸送機で空輸したり、法
会報編集委員 石井
は計画停電を覚悟し、大口需要
病院、消防、警察への電力供給
者がどちらかわからないくらい
回トキめき新潟国体では総
ました。
ついて伺ったところ、
先生は
「柔
つ 対 応 さ れ た そ う で す。 な お、
道をする者として大変有難い
東北電力では緊急時の出動態勢
に入部。1年間過ごすも試合で
す。津波で太平洋側の発電所は
ができており、発令がなくとも
1勝もできず退部。その後無所
壊滅的被害を受け日本海側の発
待ち合わせ場所に現れ た 先 生
はお変わりない若々しさ 。 た だ
電所だけでの運営を迫られた時
緊急時では復旧実行の妨げにな
人を投げてしまう技とその爽快
り、これも行政の要請に応えつ
いかにガッチリしていたか容易
サッカーなどとの違いを問われ
さ 」 と あ げ て く だ さ っ た 先 生。
は復旧、計画停電等の責任者と
に 想 像 で き ま す。 新 潟 高 校 に
法にすっかりかかったのかも知
と は、 挨 拶 の 仕 方 に“ 決 ま り ” 幼い頃の先生の心は、そんな魔
れば、一つはっきりと言えるこ
れません。お話の中から先生の
して陣頭指揮を取られたそうで
入ったら柔道をやる!そう思い
があることだと言います。勝負
の挨拶・態度ができたらいいの
続けた立川少年は、新潟高校柔
をする相手に敬意をはらい相手
です。
」
道部に入部すると、1年の時か
柔道に対する熱い思いが随所に
事。授業時間のうち、まず最初
ら県の強化合宿に呼ばれるほど
ことのない私の質問に本当に丁
する「我が国伝統の行動の仕方」 うかがえました。柔道をやった
の目を見て呼吸を合わせて礼を
寧にお答えいただき感謝してお
は柔道着を着ないで、柔道の素
に。2年の時にはエースとして
は武道の中に見ることができる
属となりますが、3年生の秋に
インターハイ出場を遂げまし
の で す。
「つまらない物ですが
新潟市の中学相撲大会に出てな
た。この先ずっと続くことにな
災地に向かって行ったとの事で
援部隊が続々と市内を通って被
頃には、新潟ナンバーの保線応
では、震災の翌朝白々と明ける
信されるシステムがあり、仙台
的仕向け地が直接車載ナビに通
で自立出動し、移動途中で具体
復旧保線部隊は一定の要件警報
る先生の柔道人生のスタートは
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
を訪ねて
学時、同じ学年部の担任 を し て
持っていました。しかし柔道に
か上げられていますが、その中
’
71
卒
新潟県柔道連盟会長
立川克雄さん( 回)
いらしたこともあり、卒 業 以 来
憧れながらも進んだ中学校には
で中学での「武道」の必修化に
回)
三十数年振りにちょっと 怖 そ う
柔道部がなく、野球部に入部す
東北発電工業㈱ 取締役社長 加藤 博さん( 回)
を訪ねて
だ っ た(?)体育の先生にお会
るも1週間で退部。次に卓球部
79
’
67
卒
17
少し違っていたのは、丁 寧 な 挨
’
80
卒
拶と襟元のチーフタイに 、 怖 そ
儀作法の先生よりも立川先生の
いできるのを楽しみにしており
75
’
64
卒
んと優勝。当時の先生の体格が
64
72
講道館創始者、嘉納治五郎師範の掛軸の前にて
うではなく穏やかな優し さ を 感
17 46
88
64
24
63
柔 道 の 魅 力 の 一 つ に、
「まる
晴 ら し さ を 話 し て あ げ た い。
」
と 言 わ れ ま し た。 柔 道 と 野 球、 で“魔法”のように切れ味鋭く
kW
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
(11) 第 96 号
火力発電所で毎週 万ト ン ク ラ
発電事業は原料となる 燃 料 の
安定確保が何より大切、 一 つ の
んだと話されました。
げていくんだという心構 え で 臨
いときほど笑顔を忘れず や り 遂
旧に関し徹底的に議論し 、 厳 し
( 南 相 馬 市 ) も 復 旧。 社 内 で 復
機構(NEDO)のメンバーと
代で新エネルギー産業技術開発
ことなどをお話されました。
合宿所に寝泊りして生活された
のも大変な奥地で、同僚たちと
電所に赴任、町に買い物に出る
し、初任地として山奥の水力発
と、東北電力の試験を受け合格
などを興味深く聞いて育ったこ
ており山奥で電線を設置する話
東北電力で用地関係の仕事をし
卒業後は日本大学理工学部に
時間体制で
や っ て き た 復 旧 も め ど が 立 ち、 進み電気工学を専攻。お父様が
るべからず」丈夫精神で前進あ
な 気 が す る。
「 時 々 の 初 心、 忘
た経験の積み重ねで決まるよう
ないかは、これら緊張感を持っ
る。その時踏み出すか踏み出せ
うか決断せねばならぬときがあ
覚悟を決めて一歩踏み出すかど
長が止まってしまう。人生には
る時点で自己満足してしまい成
かと感じる。これを忘れるとあ
つまでも広げて行くのではない
行している人が、心の世界をい
が大切ではないのか。これを実
とをお祈りいたします。
れからも益々ご活躍されますこ
お人柄のように感じました。こ
いが言葉に乗って伝わってくる
ますが、それに加え心からの思
身はざっくばらんとおっしゃい
ちだったと話されました。ご自
られ、肩から重荷がおりた気持
された日は、やっと見通しが得
加藤社長は震災の復興が一段
落して東北電力の副社長を退任
るのみ。と語られました。
チ ャンで奮闘した強
年記念祝賀会と連
ルフ、創立百二十周
にはさらに翌日もゴ
ルフを楽しんだ。中
この会に先立って
昼間は有志 人がゴ
カゲの声あり)
る。
(年を考えろと
会で痛飲した者もい
会は古町の某所でカ
ラオケ。さらに3次
スの船が一年中入港し、 燃 料 を
す。 1 年 半 の 間
補給しないと発電が停止 し て し
して石炭をガス化してクリーン
者も少なくない。
さて、母 校は創 立
百二十周年を迎えた
は、まだ夢に近いプロジェクト
れはもう毎度恒例になってい
カー協会理事・星野陸夫君。こ
校に入学、
新校歌
「百
に迎えられて新 潟 高
は旧校歌「玲瓏の天」
文武両道、硬軟相許すと い う 自
覚えた。あのころの新潟 高 校 の
くよく読んでいたことが役に
年を迎えたのだった。
新 校 歌はこの年に制
定された。われわれ
その年、同期の桜は傘寿を迎え
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
最後に残った原町火力発電所
まう。大量の電気を使っ て い る
日 本 で は、 電 力 が 足 り な い と 、 で 燃 料 効 率 を 上 げ る 研 究 業 務 に
は2年 生で在 学 中の
が、われわれ
回生
参加。米国の学会で発表した思
来でクリーンコールパワーとい
る。物故者に黙とうを捧げて開
周
きしました。
う会社で実現することになった
われわれ 回生(昭和 年卒
業)は今年、喜寿を迎えた。そ
年に創立
子供の頃から理科系の 事 が 好
きで、新潟高校では地学 部 で 天
そうです。いろんな分野の技術
の年が母校の創立百二十周年に
昭和
文学を勉強し星を見るの が 好 き
進展がある中、技術の組み合わ
青山
だったそうです。夜空を 見 て い
せにも、新技術発展の可能性が
卒業した。いささか
里流れて」を歌って
が、喜寿ともなると物故者も
おかしな自慢になる
であったものが、後年福島県勿
ると星座の中の恒星が一 つ 一 つ
会。卒業時
が、同様のかたちで
日
人を超えた。しかし「人生七十
入学、卒業した学年、
月
古来希なり」と言った昔を思え
つまり在学中に新旧
永井 梓(
色が違うことに驚きいろ い ろ 夢
当たるということで、創立記念
人類発展の歴史になっていると ( 金 ) に「 青 山 回 生 喜 寿 を
思 っ て い る。 ガ モ フ の 本 な ど、 祝う会」を新潟グランドホテル
ば、
「 希 」 は お ろ か、 多 く が 健
人いた同期の桜だ
式典と祝賀会の前日、
た。出席者は県内、県外合わせ
由な垣根の無い校風は好 き だ っ
立ってきたと話されます。
なる。
歌った学年は、われわれが2年
早 い も の で、 あ れ か ら 年。
次 の 同 期 会 は 3 年 後 の 予 定 だ。
若いときに読書が好きで、幅広 ( 中 央 区 下 大 川 前 通 3) で 開 い
た。本を読むのが好きで い ろ ん
在 校 生 に 語 る こ と と し て、 間の集いであるが、創立百二十
日々最善を尽くす事が大切と話 周年前夜祭の趣もあって盛り上
応援歌を高らかに歌った。2次
欣快至極というべきだろう。
校歌を両方ともわが校歌として
な本をよく読んだ。行間 に あ る
司会は地元代表の元日本サッ
がった。
60
る。
また元気で会いたいものだ。
在で、なかんずく、元気でこれ
作者との対話を感じると き 世 界
されます。感性を磨くことも大
70
80
積 も る 話 に 花 が 咲 き、 大 い 生の時に在校した 、 、 回
に 飲 み か つ 食 べ て、 新 旧 校 歌、 生 の 3 学 年 だ け と い う こ と に
だけの仲間が顔をそろえるのは
が広がっていく感じが好 き だ っ
切だが、日々の経験の積み重ね
63
62
たと思い出を話されまし た 。
62
19
27
て総勢 人。懐かしい同期の仲
339
29
10
62
60
61
投げられたりして自然と 受 身 も
あることを学んだ。このような
62
が膨らんだ。体が大きか っ た の
62
で 柔 道 部 に よ く 遊 び に 行 っ た。 幅広い様々の組合せ積み重ねが
回生 喜寿を祝う会
い出もお聞きしました。その時
同 期 会 報 告
24
とんでもない世界になる と い う
’
54
卒
エネルギー供給の大切さ を お 聞
回)
62
30
24
10
(12)
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
第9回「青山
年)とその家族によ
した。この日の為に、そ れ を 励
迎えてくれます。そして 世 話 役
まず、入り口前には片 桐 靖 孝
による手作りの絵凧の案 内 板 が
ました。そして山
により行われて来
もメンバーの指導
理教室・絵画教室
く?、今から準備にかかること
人余にも及
と思います。そしてお陰様で今
回の来場者数は
び、会場を盛り上げて頂いた皆
様 の ご 協 力 に 感 謝 い た し ま す。
また来年にもお会いできますよ
うに。
卒業
周年同期会報告
田中 信( 回)
~創立百二十周年と卒業 周年を迎えて~
50
き、「卒業時には予想もしなかっ
た古稀を同期会で皆と一緒に迎
え感無量です。これからは健康
に気をつけ体を鍛えて長生きし
たい」との思いに共感された方
れ か ら も 元 気 で や れ。」 と
年
とのない違ったことをやれ。こ
ろ。私のように今までやったこ
が移動し深更まで歓談しました。
ましたが、2次会場にほぼ全員
諸兄のご苦労に感謝して閉会し
楽しく懇親を深めるうちに
あっという間に時間がたち幹事
も多かったと思います。
あけましておめでとうござい
ます。
前を上回る力強いパワーを注入
業
周年にあたり、
歳の古稀
翌日、恒例の青山 回マスター
ズゴルフがフォレストカントリー
る楽しいスピーチに大いに沸
え磨きのかかったユーモア溢れ
東京地区・関西地区同期会幹
事と登壇された方々の古稀を迎
勝、
増田勝弥君が準優勝しました。
倶楽部で行われ金子健三君が優
h t t p : / / w w w. k i t a m u r a s s . を迎えるという誠におめでたい
年に当たりました。
co.jp./aoyama68
名がご来賓に
周年プラス古稀を
福を祈り黙祷を捧げました。
斉藤邦政君、田中靖夫君のご冥
重也君、山田修君、平山賢一君、
根彰円先生、宮下忠雄君、鈴木
前回の同期会後に逝去された関
勝 弥 会 長 の 開 会 の 挨 拶 の あ と、
斉藤忠正君と白石(久保)旺
子さんの総合司会のもと、増田
イタリア軒でお祝いしました。
周年と卒業
宮地先生をお迎えし創立百二十
月2日、同期生
2年おきに開いていた同期 会
をこのおめでたい年にあわせ、6
していただきました。
昨年、われわれ 回は、奇し
くも母校の創立百二十周年が卒
いで第二第三の人生に挑戦し
70
会作品展」の報告
田中 光弥( 回) 去る9月5日(水)~9日(日) メンバーの江戸千家・真野宗昭
まで、
新潟市のNSTギャラリー 社中による抹茶のサービスも行
年・昭和
にて、
青山 回卒業生(1960
みに、制作に勤しむ古希を過ぎ
の 若 松 昌 弘 の 挨 拶 文 に は、「 出
歩きの会やゴルフ
いです。
その他の詳細・会場の様子に
われました。
「青山 会」のホー
会場の設営・準備から後始末・ つ い て は、
撤 去まで、すべて 会メンバー ムページをご覧いただければ幸
当初は継続する予定ではありま
年 9 月 で し た。 の協力によるイベントでありま
せんでしたが、その終了後の打
た面々の1年間の成果の発表の
1 回 は、 平 成
る作品展が開催されました。第
ち上げ反省会で、ぜひ来年もや
品者は、半世紀以上も前 の 高 校
会や茶道の会は活
’
62
卒
50
’
60
卒
場でした。
の 文 化 祭 気 分 で い ま す。」 と あ
発に行われていま
知識を出し合っ
歳の誕
佐賀市から参加された酒井
(田川)ゆき子さんに乾杯の音
頭をとっていただき、
生日を迎えられますますお元気
な松浪清先生のご健康を祈念し
ました。
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
50
いつまでも若々しい宮地先生
から「定年後はじっとしていな
76回生(昭和43年卒)同期会(東京会場)のお知らせ
う8年も経過しました。
ります。会場の中に入る と 、 青
て、リタイア後の
70
日 時 平成 25 年2月 16 日(土)
12:00 ~ 14:30(2次会も開催予定です)
会 場 新宿ワシントンホテル新館
東京都新宿区西新宿 3-2-9(tel.03-3343-3111)
会 費 8,000 円 連絡先 西沢芳樹(4組)
携帯電話 090-3534-0223 携帯 E-mail [email protected]
その他 東京会場では4年ぶりの開催です。前回は 71 名の参加でした。新潟等
にお住いの方々の参加もお待ちいたします。
68
ろう!と、皆で盛り上がっても
青山 会として
は、これまでに料
木彰による自主録音制作 の C D
か ら の B G M が 流 れ て い ま す。 す。お互いにそれ
特別出品をお願いしてい る 、 長
生活を少しでも高
ま ず 始 め に お 眼 に 留 ま る の は、 ぞれの持てる力と
谷川義明・青山同窓会会 長 に よ
めようと、協力し
る掛軸の書です。そして 、 多 士
済々のメンバーとその家 族 の
さて来年は 回
目となるわけです
人 に よ る、 各 種 の 絵 画 か ら 書 ・ 集 ま っ て い ま す 。
船模型などなどの 作品 が 展 示
が、皆が元気で
“有
陶器・手芸品・写真・能 面 や 帆
されました。また8日( 土 ) に
70
92
68
70
96
68
10
50
16
300
68
68
28
50
35 68
は、特別協賛として昨年に続き、 終の美”を飾るべ
41
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
(13) 第 96 号
第
回卒業生還暦祝賀会報告
後はお決まりの「丈夫」を相沢
裕吉君の音頭で声高らかに歌
い、我々の記念すべき祝賀会は
祝!還暦 回生学年同期会
’
71
卒
盛り上がるのですが、このよう
に豪華に運営できたのも、今井
君のリーダーシップの賜物です。
月 日に「還暦祝賀会」 を 開 催
た人もいましたが、平成 年 8
では、既に 歳になって し ま っ
をしよう、とのことで我 が 期
4月1日生まれの人ま で 全 員
が 歳になってから還暦 の 祝 い
にはそれぞれが懐かしい顔に声
だく先生以外をフリーにした席
で集合写真。上座に座っていた
酔眼朦朧とならないすっきり
した顔のうちにと、まずは全員
宴に突入したのでした。
に移していよいよお楽しみの祝
く終了し、場所を二階の大広間
く始まったのでした。
徳先生の乾杯のご発声で賑々し
ずおいでになれなかった石黒明
があり、祝賀会には都合が付か
2次会はイタリア軒に会場を
移し、そこにも 名近い出席者
ます。
た。以下、皆様に報告申し上げ
同期会」が盛大に開催されまし
平成
潟高校
回生の「還暦記念学年
年8月
たちで、ずいぶん年配に見えて
した。高校生の時は、怖い先生
生からそれぞれご挨拶を頂きま
渡辺卓爾先生、9組上杉雅之先
なー? ここにいる人は皆 歳
だ!」。
で す。 さ る 御 仁 は、「 不 思 議 だ
酔うにつれ、隣のおじさんが、
懐かしい高校生に戻ってくるの
しました。同期会は毎年 開 催 し
を掛け合い、すんなりと収まり
うちに賑やかな声が会場を満た
相成った次第。とは言いながら、 声で始まった宴席はたちまちの
外の明るさなど物ともせ ず 、 大
上げてくれたのが古町芸者のお
いに盛り上がった「還暦祝賀会」 したのですが、さらに場を盛り
の報告をさせていただき ま す 。
こと言うこと無し。更に 名 物 の
内は風が通り抜け、気持 ち 良 い
の門を潜ると木立に囲ま れ た 園
差しではありましたが、 行 形 亭
れたのでした。
勿論のこと女性達にも大変喜ば
た文化の素晴らしさは、男共は
その湊町新潟に引き継がれてき
振 袖 さ ん の 姿 は 粋 で 華 や か で、
残 暑 の 厳 し か っ た 今 年 の 夏、 姐さん達でした。地方のお姐さ
その真っ只中の会当日も 強 い 日 ん の 三 味 線 と 唄 に 合 わ せ て 踊 る
流しそうめんで喉を潤し て い ざ
た仲間達のご冥福を祈っ て の 黙
た祝賀会は、志半ばで亡 く な っ
なっていました。2時間の予定
言葉もいつの間にか新潟弁に
ちに気持ちは昔に戻り、交わす
こうして一同に会すと忽ちのう
卒業以来 年が経過し、地域
本番へ。
小田一彦、本田至の両先生と、 も職種も立場も環境も異なる中
同期生 名の参加を得て 始 ま っ で そ れ ぞ れ 生 き て き た 仲 間 が 、
祷のあと、代表幹事の五 十 嵐 祐
時間はあっという間に過ぎ、最
の後、古町芸妓さん柳都さん全
は、今井幹文実行副委員長。こ
代だったのですね。乾杯の音頭
いたのですが、当時はまだ
で声高らかに斉唱しました。思
委員長・白井行雄君です。全員
の人しかいません。我らが実行
最後は恒例の「丈夫斉唱」で
す。指揮を執るのは、やはりこ
歳
名
名を加えて、全国から総勢
場所は、湊町新潟の文化香る
「 鍋 茶 屋 」 さ ん。 恩 師 の 先 生 4
だき、大いに旧交を温めあった
のであります。
まだまだ暑さの残る4時過ぎ
より続々と集合して、早くも待
合 室 は 大 い に 盛 り 上 が り ま す。
午後5時より、3班に分かれて
記 念 写 真。 そ し て 5 時 半 か ら、
いよいよ同期会の始まりです。
司 会 は、 神 林 裕 君。 ま ず は、
我らが学年幹事で、今回の実行
委員長を務めてくれた、白井行
雄君の開会宣言です。今回これ
だけの皆さんが集まることがで
きたのも白井君が卒業以来、住
所やメールアドレスなどを丹念
に 整 理 し て く れ て い た か ら で、
本当に感謝したいと思います。
校歌斉唱の指揮を執ってくれ
たのが、
後藤丹君。豪華ですね。
駆けつけていただいた5組丸山
ました。
当にありがとうござい
て実行委員の皆さん本
いたサポーター、そし
支援と活躍していただ
し ま す。 企 画・ 運 営・
次回もよろしくお願い
く れ た 同 期 の 皆 さ ん、
た。全国から集まって
ありがとうございまし
た恩師の皆様、本当に
が、参加していただい
か。最後になりました
とえば4年に1回と
催したいものです。た
少し期間を短縮して開
た。これからは、もう
今回は、卒業以来2
回目の学年同期会でし
すね。
一生懸命勉強したんで
えばこの歌を歌いたいばかりに
60
員による「祝舞」で会は一気に
11
の同期の皆さんに参加していた
79 24
康先生、6組曽我浩先生、7組
30
78
24
日、我らが新
ていましたが、節目の年 の 記 念
ました。4月から新潟市の副市
実行副委員長 吉田 至夫( 回)
79
すべき会とのことで、会場は「行
無事に終了したのでした。
79
形亭」と気張ったものの 、 予 算
熊木 徳次郎( 回) ’
70
卒
長になった若林孝君の乾杯の発
78
42
110
61
司君の挨拶、お二方の先 生 か ら
67
の祝辞と続いて祝賀会は 滞 り な
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
78
の関係もあり午後2時半 開 会 と
60
11
60
(14)
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
卒業
回)
入田先生からは今年度から
月1日に制定された古典の日に
景を堪能しました。
望室を一部貸し切り、新潟の夜
階展
がより活発になったと思いま
ちなみ、日本が豊かな文化遺産
す。2次会は同ホテルの
諸先生方の元気なお姿には
代半ばを迎えようとしている私
を持つ国だという認識し触れて
)
共一同、大いに勇気づけられま
ワイ仕込み
会場で販売された同期の小松
原雅之君作成の前回同期会時の
した。
人数集めが幹事の最大の課
題 で は あ り ま す が、「 参 加 す る
りました。
DVDや、梶原裕君の会社作成
と 元 気 に な る 」 会 を め ざ し、
た印象です。
のロゴ入り記念ポロシャツ、佐
欲しいということ、同期の荒木
藤やよいさんの画集等も忽ち売
浩君が国際日本文化研究セン
り切れました。多少の利益が生
次回開催時にも是非、健やか
なお姿をお見せ下さいますよう
し合ったり往時の思い出話に話
今後の開催を工夫したいと思
また幹事よ
り同期の栗川
を咲かせたり…、最後は当時の
います。
11
ターの教授とし古典の世界で御
治君が本を出
心から祈念致します。
切ってくれた代表幹事の小松原
版したことの
じましたので次回同期会開催の
雅之君と、快く会場でのビデオ
ための経費に充てたいと考えて
撮影を引き受けてくれた小松原
応援団長塩田拓哉君の音頭の元
2次会は同ホテル最上階のラ
ウンジで、また3次会は古町に
紹 介 が あ り、
に一同で「丈夫」を歌い、瞬く
場所を移して、更に思い出話に
君ご子息の 回卒小松原悠司君
を迎えました。
興じ歓を尽くした次第です。散
最後になりますが、企画から
当日の運営まで全てを取り仕
ル新潟に於い
て、 周年を記
念して同期会を
開催しましたの
は百二十周年
の記念事業
で各教室全
部に電子黒板
の先生方のお話、乾杯(前々年
次君)による開会の挨拶、担任
なった経緯等
初)ことに
教室配備は
高等学校で全
が入る(県内
平成 年 月3日ホテル日航
新潟において、 回の第3回同
まで新潟高校のPTA会長で
ました。第1回、2回ともに9
期生にも大きな変化をもたらし
の年月は恩師の先生方も我々同
の開催です。若い頃と違い、こ
平成
おいてはグローバル人材育成が
柴野先生からは今の若者が内
向きであり、これからの日本に
唱で締めくくりました。
会の最後はもちろん丈夫の大合
ました。
とが紹介され
駆的役割の学
の自己紹介と続き、
歓談そして、 お聞きし、I
きしました。
(
「Try!」はハ
お互いの交流
時 間 を 設 け、
て自己紹介の
校でもあるこ
CT教育の先
名の先生方に参加していただき
課題であること、御自身は夏目
漱石を見習い、船でハワイに向
ましたが、今回は柴野章一郎先
軽妙な司会進行で幹事(渡辺政
司会進行は1組の玉木正己君 かいハワイ大学に進学、大学院
で 第 1 回 同 期 会 の 幹 事 長 で す。 までいらしたということをお聞
となりました。
生、入田年夫先生お2人の参加
年1月で、4年
あった五十嵐実君)
、各組単位
回) 五十嵐君から
に深く感謝申し上げます。
幹事 中川佳代子(
回生第3回同期会報告
会した時には日付が変わってお
おります。
’
77
卒
間に3時間が過ぎ去ってしまっ
85
去る8月 日(土)午 後 6 時
よりANAクラウンプラ ザ ホ テ
渡邉 毅(
周年同期会のご報告
35
⁉
活躍のことをお聞きしました。
50
ヶ月後
’
78
卒
で、その時の模
様をご報告させ
て頂きます。
当日は同期生
人 が 集 ま り、
また恩師の先生
方6人にもお越
し頂き、3年生
115
86
期会が開催されました。前回は
86
今回は3回
目にして初め
10
時のクラス毎に
テーブルを囲み
ました。集合写
真の撮影に続い
て諸先生方から
お言葉を頂戴
し、懐かしい在
校時のスライド
や青陵祭の現況
の上映など盛り
沢山の内容に大
11
11
いに会場が湧く
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
35
昭和 年に新潟高校を 卒 業 し
た私共 回生は今年卒業 周 年
85 52
35
中、近況を報告
86
24
20
71
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
(15) 第 96 号
31
会を待ちました。
や当時を偲ばせる写真を映し開
り欠席された先生のメッセージ
撮影を行いました。最後に撮影
栗間聡君のカメラで参加され
た先生を囲み各クラス毎に写真
御挨拶を頂戴しました。
ちらで笑顔と笑いの絶えない宴
きました。退職後講師をされて
授業終了後お話をさせていただ
と、ほとんど変わっていなかっ
歓談の中、百二十周年祝賀会 に物理の授業を行っている三ツ
よ り 野 坂 泰 司 先 生 が 到 着 さ れ、 井先生でした。風貌は 数年前
会となりました。
いるとのこと。残念ながらお誘
り先生を確認に行きました。正
まさかと思いましたが、気にな
こえました。また、孫の話や健
の頃の話があちらこちらから聞
した。ひと時
いする方もいて、あらためて同
した。卒業以来 年ぶりにお会
すでに大半の方が、お集まりで
早 め に 会 場 に 行 っ た の で す が、
けでなく北は北海道、仙台・首
た の で、 す ぐ に わ か り ま し た。 期会を行ってよかったと思いま
年前に戻り、あ
卒業以来初めてと
康のことなど話しているうち
に、あっという間に予定してい
いしていた同期会は、御都合が
た。近いうちに、またの再会を
悪く欠席でした。
やっぱり阿賀野市は不便な所
か、あるいは時期が悪かったの
約束して散会しました。
みで写ることとなり良い記念と
最後は、灰野正宏君のリード
による丈夫を声高らかに歌い盛
か、当日の参加者は9名と少数
なりました。
俊員、柳下明也、渡辺寛各先生
精鋭でした。幹事の私は、少し
ました。緊張が解れたところで
いました。
より近況や当時の思い出、私た
会の内に閉会致しました。
青山体友会の集い
中川 弘( 回)
た4時間が過ぎてしまいまし
当日は、母校創
立百二十周年の記
ちへの激励を頂戴いたしま
念式典・祝賀会が
回) しい会となりました。
した。
行なわれる日と
その後、お酒も入り、お互い
に当時の記憶が蘇り、あちらこ
回卒の集い
石塚 晶(通
あって開催に人が
集まるだろうか心
配がありました
が、種々の事情に
よりこの日の開
催とさせて頂き
つ記憶が呼び戻さ
てもらうと少しず
名前を名札に書い
3年時のクラスと
日
同期会を、あやめ祭り開催中の
を酌み、 数年ぶりに2度目の
た私が、同期の皆さんの御意向
師を囲む会に久しぶりに参加し
た。このたびは、昨年9月の恩
業参観に行ったところ、授業案
子の通う高校のPTA総会・授
びっくりしたのは、5月末に息
かんできました。偶然とはいえ
ると皆さん一人ひとりの顔が浮
お返事を頂きました。読んでい
5月の連休過ぎに皆さんに御
案内したところ、大半の方から
ばらしい又それをとりまく器具
を揃えて言う。体操の進歩はす
野蛮で単純な体操だったねと口
えるから不思議である。幼稚で
十年前の体操部の生活がよみが
ンバーでした。顔を見れば、○
高齢化のため、当日出席の2
名が急遽、欠席となり6名のメ
回青山体友会は開かれた。
つ。新聞のおくやみ欄にも 代
の合言葉はきかれてから大分た
です。長生きの時代になったね
以上である。高齢化したもの
る。体友会も 歳が最年少で皆
減少するのを感じると皆同感す
が 歳に入ると1年毎に体力が
たとの自負はほこりに思う。
ました。
会等は、誰かが段取りをしてく
すが、日々の生活に追われ同級
生 と 同 じ 名 前 を 発 見 し ま し た。 のがある。しかし、吾々の基礎
内文書に私たちの担任だった先
や補助具の進歩は目を見張るも
26
会場内では、プ
ロジェクターによ
歳は5年毎の体力維持が出来た
70
代は当り前
代が目立つ。人
80
80
生 歳時代に入ったのかも知れ
100
80
80
90
100
20
ま っ て き ま し た。 までに2度同期会を開催しまし
れ再会を喜ぶ姿が
阿賀野市瓢湖湖畔で、6月
暑い夏もアッと云う間に過ぎ、 があるから今日があるのだと思
秋たけなわの最後の日曜日に第 うと、歴史の一頁を吾々が作っ
’
50
卒
に行いました。私は今もそうで
の会は一番若い私が段取ること
58
O B 会 報 告
再会を誓い、会場を後にしま
したが、次回開催につながる楽
出席いただいた、田辺隆、目黒
として挨拶をさせていただきま
近況報告や昔話が始まっていま
した。
した全体の写真は全員満面の笑
30
あちこちに見られ
私たち 名は、昭和 年3月
に卒業しました。卒業して 年
ました。
’
77
卒
れるものと思っていますが、こ
19
受付開始時間に
なると懐かしい顔
52
のようです。
59
余りの歳月が過ぎました。いま
19
10
20
回卒業 同期会開催のご報告
都圏・岐阜・神戸・愛媛より
神戸より出席の上田登志雄君
の乾杯の発声で酒宴が開始され
星井 利樹( 回) 平成 年 月 日土曜 日 、 新
潟グランドホテル悠久の 間 に 於
名が恩師5名をお迎えして高校
司会の西條和佳子さんが開会
を告げ、小生が同窓会学年幹事
いて、 回卒業生が新潟 県 内 だ
’
81
卒
ぶれの同窓生が集
35
17
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
35
35
89
なる同期会を行な
80
89
24
89
(16)
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
第 96 号
るのを楽しみにしてい
が、いずれの時か復活す
母校には、体操部はない
と話をしている。現在は
になる迄頑張ろうと会長
る。高齢化とは言え2人
はすばらしいことであ
り、話をするということ
の体操部のOBがあつま
して活躍して
る。恒例の渋谷氏の手品、 唱団の指揮者と
才能は抜群。合
劇部員で音楽の
中の1年下の演
青木彰君(
回)は私が在学
の末である。
たのは平成 年
劇の練習を始め
で毎月一回朗読
顧問教官にもなられたのが我々
国語の教師として着任、演劇部
私が高2か3年の時に滝沢強
一先生が大学を卒業して県高に
アな発声は最高だ。
理してくれた。声の良さとクリ
ただき、会計係他を手際よく処
が、事務方を快く引き受けてい
田中光二君( 回)は我々の
中で唯一の現役の社長なのだ
である。
と言う重要な役割を荷っているの
を取って自分の出 番を確認する
舞台に立ちたいものである。
沢組の出演機会があれば又あの
それにしても滝沢先生も関
わった県高の舞台は予想以上に
に配って説明して下さった。
を含めて数枚のプリントを我々
いて、最近の話題を古典、歴史
市内私立有名校校長などを勤め
校の校長を最後に退職、その後
との接点である。先生は新潟高
ない。日本人には体操が 合 っ て
出 席 者 土 田 卯 八 郎( 回 ) ない、あわてな
い、とぼけたよ
渋谷興司( 回)青山茂郎(
を期して散会する。
好きな同志の健康と来年の再会
えましい。体操を愛し、体操を
分近い時間を割
どこでも、いつでも、簡
いる。
からくりだす低
いるのかもしれない。新 潟 の 体
うな感じの話し
定した。
も 支 援 することに満 場一致で決
無理なくぴった
息を切らしながらも青山柔道を
政局の重大な局面を迎えてい
る中、佐藤信秋会長が駆けつけ
杯し懇親会が始まった。
寝技の乱取に、OBは年を忘れ (
回)の音頭で声高らかに乾
りであった。
伝 え て い た。( 今 年 は 黒 帶 の 1
の仕事は、まず近くの教 室 か ら
が出来た。
きのゴーシュ」を披露すること
平成 年9月 日、約 年隔
ててこの舞台で朗読劇「セロ弾
と出来そうなものだった。
を「ディレクター」と呼ぶこと
た。何時の間にか、我々は彼女
の読み方の指導をして下さっ
回も休みなしに参加して、我々
るのが常だった。脚本の始めか
も豊富で、毎回「語り手」をす
近藤束穂君( 回)は大学時
代に演劇部に所属して舞台経験
みさん)を会場に開催された。
亭羅言」
(女将が 回の風間まゆ
6時には、これも恒例となった
東堀通八、ホテル金寿二階「海鮮
に作ってくれて大変有難かった。 必ず入賞者を出している。)
閉 会 は 丸 山 澄 夫 先 輩( 回 )
の 万 歳、 そ の 後 は こ れ も 例 に
なく楽しく飲み且つ語った。
とく年齢差など全く感じること
22
50
73
告があった。そして、例年のご
で活動している」と、力強い報
教壇を運び、積み重ねて 舞 台 を
会の冒頭に青山柔道部OB会
と し て、佐藤信秋会長を今後と
が多かった。
作ることから始める。
ら終わりまで彼の語りに引っ張
67
ら れ て 我々や音楽がタイミング
年生5人を迎え稽古にも一層熱
「青山健児の心意気
が入っている。
県大会でも近年、 て く れ た。
71
旧 姓 伊 予 部 閲 子 さ ん( 回 ) の よ さ が 良 く 分 か る。 彼 女 は
は東京在住にもかかわらず、一 我々の劇の宣伝チラシをキレイ
事 業・ 会 計 等 報 告、 そ し て、
(土)に行なわれた。
1時半から始まった母校道場 母校竹石監督からの現役の活動
で の 現 役 と の 稽 古 会 で は 立 技、 状況の報告の後、奥村紀男先輩
恒例の青山柔道部OB会稽古
会・総会は、平成 年 月 日
立川 克雄( 回)
東京青山柔道部OB会佐藤信秋会長(
回・参議院議員)を迎えて
年度青山柔道部OB会総会
素晴らしかった。次に朗読劇滝
られた。毎月
単に出来る、ハンカチと
心に自分のハンカチと
中音の声が魅力
操は新潟中学より幕をあ け 、 全
方が彼の役柄に
’
64
卒
よって会場を学校町の
「佐和村」
73
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
30
72
平成
五十嵐松夫君
金貨の手品を披露し、覚
えておいて下さいと皆熱 ( 回 ) は 長 身
円硬貨を出してやってい
のハンサムボー
国にも新潟の体操として 注 目 さ
回)安倍豊( 回)中川弘(
イである。
る姿は童心に帰り、ほほ
れ た の で あ る。 そ の 体 操 部 で
回)中野文郎( 回)以上6名
曽我勝四郎君
( 回)は力ま
あったと思うと、ほこり に 思 っ
17
17
68
ていいわけである。年に 一 度 昔
夢の舞台で演劇部OB朗読劇
74
24
91
新潟高校の焼け残った 木 造 体
育館で全校生徒に見せる 演 劇 部
11
70
70
73
24
100
58 55
旧姓鷲尾紀子さん( 回)は
私の卒業した礎小学校跡地に
建 設 さ れ た「 ク ロ ス パ ル 新 潟 」 台詞回しがゆったりとして育ち
永井 健司( 回) 59
51
’
59
卒
53
58
67
それに引き替え母校の 視 聴 覚
ホールは演劇でも合唱で も 堂 々
71
24
平成 25 年1月1日
青山同窓会報
(17) 第 96 号
)、 相 澤 裕 吉、 齋
野両先輩(
ぜか分からないが小屋番をして
りに向かうという馬場さん、な
回)からの、高1
の夏合宿で悪天候のため果たせ
)、 儀 同 政 宏、 齋 藤
回OB現役交流会報告
いると言う石沢君を除く 名は
須 田 剛(
第
それぞれのペースで井戸尾根を
)、 栗 林 仁
なかった立山から槍ヶ岳への北
登った。馬場さんの向かった米
)、大沢満( )、橋本伸( )、
アルプス完全縦走のリベンジを
子沢は、僕らが1年生の秋、エ
82
竹石健、目黒孝之(顧問)
藤成昭、佐藤信秋、小川もりと、 田 仁 史(
古 寺 吉 和(
)、 倉 田 久 郎 衛、 広 井
84
俊 隆、 山 下 義 昭(
歳の年齢
年ぶりに果たし感動の涙にむ
(
せんだ、という話は
ベレスト・ポストモンスーンの
83
に移し再び気勢を上げ次 回 の 再
会を約束した。
差を一気に解していった。
黒先輩
(
び 入 り 参 加、
年生3名が加
回)
くれた食事に舌つづみを打ちな
翌日は秋晴れの元、巻機山登
山を楽しんだ。その年になって
山際 岩雄(
がらの交流会。さらに暗闇の中
)、 渡 邊 久 雄( )、
2 0 1 2 年 9 月 1 ~ 2 日 に、 監督する顧問の先生方3名。夕
名塚武史( )、小田将之( )、 恒例の新潟高校山岳部OB現役 闇の迫る頃、現役諸君が作って
俊弘( )、野沢雅行( )、福
交流会が実施された。OB会会
を関東地方からなんの前触れも
た沢で、 年の歳月を経てもな
91
)、 立 川
長の馬場さん( 回)のブログ
気が狂ったとしか思えない沢登
さらに当日行
回)の飛
問であった藤田先生の発案で始
われた模擬試
わり、総勢
回)
に連れられて登っ
ファーストサミッターである石
お強烈な印象として残ってい
る。滝の途中のジャンプ、チム
ニー滝登り、上部一面に続くス
ラブの美しさ、最上部の紅葉と
針葉樹の緑のコントラスト(同
級 生 西 沢 君、
「ふくろう」より
引 用 )。 今 日 は 穏 や か な 尾 根 登
り。下部のブナ林が美しい。頂
上で久しぶりに「ますらお」の
合唱。山はいい。
山岳部は2013年に創部
年を迎える。すでに一部のOB
でその準備にあたっている。
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
克雄( )、丸山澄夫( )、佐
によればこの交流会は1993
なくやってきた若手OB渡辺君
まったものとのこと。現役3年
験のため遅れ
翌日巻機山をピストンするとい
名の交流会は
いった。現役
の話、これか
代の思い出な
50
出席者 奥
: 村 紀 男(
年に開催された創部 周年記念
生の追い出し山行を兼ねた1泊
事業の企画の中から、当時の顧 (
2日の交流で、巻機山の麓にあ
う企画で、途切れることなく続
和気藹々とし
る 山 小 屋 に 集 ま り 懇 親 会 の 後、 て参加した3
回目と言うことにな
いているので計算が正しければ
君(
からは最近の
今年で
を戴いていたが、当時住んでい
夏合宿など活
た雰囲気のな
た山形からは遠すぎたし、6年
動状況や、印
かに続いて
前新潟に移り住んでからも、い
回)からお誘いのメール
つも何かとバッティングしてし
象に残った山
る。当初よりOB会幹事の石沢
ま い、 今 回 が 初 め て の 参 加 で
あった。
られた。OB
らの抱負が語
薄暮に染まる山小屋に着く
と、おおむね 台のOB諸氏4
どが話され
名 は ア ル コ ー ル も 入 り 昔 談 義。 からも現役時
やれ
㎏担いだの、登りでも走
らされただの。現役の2年生2
才を迎
60
詳細は [email protected] 迄
50
76
20
えた小林・水
67
18
日時:2014 年 1 月 3 日
午後 3 時より
会場:万代シルバーホテル3F
108
名と1年生6名
(うち女子3名) た。
は夕食の準備に忙しい。それを
山岳部創部 60 周年祝賀会を、
下記にて行います。
40
74
60
67
73
86
10096
19
19
50 73
山岳部OB会
創部60周年記念祝賀会
79
40
藤 斉(
74
87
90
95
97
72
78
(18)
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青山同窓会報
第 96 号
’
68
卒
72
れた部旗が古く小さいもので
「 今 年 は、 地 元 で イ ン タ ー ハ
イが開催され、競技場に掲げら
る人数で開催しています。
も広がり、毎年総勢 名を超え
長)など、今では参加する後輩
回大橋誠五(国際総合計画社
ければ幸いです。
この記事を見ていただいた先
輩後輩諸氏は私に連絡をいただ
とができました。
部旗」を現役後輩諸君に贈るこ
寄付金が集まり、
「
『丈夫魂』の
見栄えのする応援旗を贈ろうと
ても現役部員に我々が遊んで
つけられた。対抗リレーといっ
る若さと強さをまざまざと見せ
簡単に抜かれ、高校生のはじけ
私自身は最初のレースでいとも
部員達を励ますことが目的であ
会」
とタイトルがつけてあった。
後日、桝山さんから頂いた集
合写真には「互いに励まされる
部 員 の 気 持 ち が う れ し か っ た。 があり、丈夫で締めとなった。
句も言わず本気で泳いでくれた
るが、部員達の笑顔に触れ一緒
した後は、横瀬さんの激励など
る蝉修行、合宿最終日には屋上
「青山陸上競技OB・OG会」
の
還暦祝の報告
平成 年8月に青海道 寛 氏
回(以下敬称略。現アル ビ レ ッ
高山 俊彦( 回) コンクリート上での一時間の
携帯電話
て楽しいひとときであった。
部員達と一緒に泳ぐことができ
通りである。何事でも一所懸命
ギーを分けて貰った。タイトル
貰 っ て い る の が 真 相 で あ る が、 に泳いで我々が部員達のエネル
090
水友会・水泳部関川村合宿
は、その後、この会の提案者で
そんな先輩方に感謝の意を表
す意味で始めたこの還暦の祝い
は思っています。
キューをご馳走することが恒例
決 を し、 昼 に 部 員 に バ ー ベ
最終日の午前に部員とリレー対
関川村合宿が8月3日から5
日まで行われた。水友会OBが
しの対決であるが、ハンデに文
OBチームの勝ちたい下心丸出
た。結果は1勝2敗。もともと、 く う ち に 部 員 の 胃 袋 に 収 ま っ
プールの後は宿舎裏山でバー に突き進める若い部員達の成長
ベキュー。
焼きそばから始まり、 と活躍を心から願う。
で7回目の開催になりま す 。
回 伊 藤 宏( 静 岡 大 学 教
回)
当時、天下の県高・青 山 と い
えども、昭和 年頃には 陸 上 競
ある
山際 和明(
8999
あった」との報告があり、その
しかし、この「しごき」を克
服できた体験こそがその後の人
1663
場で参加者全員からより大きく
「正座」でした。
生を歩む上で、大きな力になっ
ク ス R C 取 締 役 )、 豊 岡 示 朗
還暦を祝う「青山陸上O B ・ O
回(大阪体育大学教授) 両 氏 の
G還暦を祝う会」が開催 さ れ ま
たことは間違いないと後輩一同
技を専門的に指導してく だ さ る
授 )、 同 期 の 小 池 哲 雄( 新 潟 市
山形牛など焼き上がる端から瞬
参加をお願いしたい。
体育館の改築・建て替えを数回
経ているが、そのコートは、ま
と先輩後輩の関係の重要さやあ
なってしみじみその伝統の重さ
数年前より当OB会の会長を
仰せつかっているが、この年に
じめて女子生徒が入学したとあ
の沿革によると、昭和 年には
のものであったであろう。本校
したたり落ち重なりあう結晶そ
ル部の歴史に想いをはせてみた。 さに先輩諸氏の青春の汗と涙が
本校の創立百二十周年にあた
り、あ らためてバスケットボー
和澄孝男( 回)
創立百二十周年を迎えて
青山バスケットボールクラブ
た。最後にそうめんで腹を満た
施している。多くの水友会員の
関川合宿は毎年8月上旬、水
差 し 入 れ の 手 作 り ウ ィ ン ナ ー、
友会総会は隔年で8月上旬に実
先生はおられず、私たち の 練 習
易 か ら 独 立、 B C S S 社 長 )、 参加したが、水友会OBは4日
の昼過ぎからカジカ取りなどで
準備運動を始めている。夕刻か
らの懇親会には関川村村長であ
る平田会長、松本さん( 回)
、
小熊さん( 回)も加わり、準
備運動の成果を確認しつつ近況
報告や水友会の思い出話で大い
に盛り上がったようである。
5日はOB対現役部員対抗リ
レーである。OBチームは勝て
そうな女子部員を相手にハンデ
キャップ付きレースを挑むのが
常であるが、今年は女子選手が
子部員を相手にする羽目になっ
は先輩方の助言を得なが ら 自 主
になっている。私は最終日のみ
夏休みに行われる6泊7 日 の 合
宿(その当時は教室に寝 泊
りをしていた)に「頼り に
なる」多くの先輩方が足 を
運んでくださることが恒 例
でした。その期間の猛練 習
が今思い出しても忘れる こ
と の で き な い 体 験 で あ り、
現在の自分がある」と断 言
「その事があったればこそ
できるものでした。その 内
容の一例を挙げると、早 朝
練習から連帯責任が問わ れ
る無限の懸垂、護国神社 で
り が た さ を い つ も 感 じ て い る。 るが、女子バスケット部も昭和
年代に誕生し、すでに多くの
る歴史を有している。新潟県の
まもなく創立
当OB会は、OBの会費(強
制的なものではないが)で運営
OGも輩出している。
年を迎えんとす
バスケットボール協会は昨年で
されている。それを原資として、
本 校 の バ ス ケ ッ ト ボ ー ル 部 は、
周年を迎えたが、それをもし
の ぐ キ ャ リ ア で あ る。 こ の 間、 現役のレベルアップと親善交流
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
’
70
卒
日
’
75
卒
78
的 に 行 っ て い ま し た。 し か し、 民 病 院 長 )、 大 石 憲 一( 極 東 貿
した。今回の平成 年8 月
-
30
いない。可愛いマネジャー達に
’
75
卒
25
55
83
83
72
73
12
76
勝負を挑むわけにもいかず、男
90
58
40
の連続ウサギ跳び、木に 登
50
24
-
18
り「ミーン…」と叫ばさ れ
80
74
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はかっているが、せわし な い 時
催し、現役諸君とOBの 交 流 を
いる。OB会は、毎年正 月 に 開
いくばくかの活動費を援 助 し て
ケットボール大会」を毎 年 3 月
を 目 的 と し た「 青 山 親 善 バ ス
通じて、先輩後輩の関係から人
活躍をしている。OB会の場を
卒業生は社会のあらゆる分野で
り、すでに 年以上を経過した。 を、社会に出てから知ることと
にOB会の主催で開催してお
のつながりを広げていくのも楽
調 費 の 足 し に し て も ら う た め、 その一人である。特に、本校の
また、遠征費やユニフォ ー ム 新
しいものである。
ところで、学生時代の部活動
や同窓会を通じた人脈の重み
いを感じている。
でも 上 達し た 実
すが、未経験者
なくなっていま
入賞が実現でき
種大会での上位
く、なかなか各
者の入部が少な
学校からの経験
した。最近は中
くことができま
話 を一人一人 聞
選手と6名のマネージャーとい
年生が残り、下級生含め
ました。昨年の現役は3人の3
あいと交流をはかることができ
し、終了後の懇親会で和気あい
が、現役との交流試合に汗を流
幅で言えば
年卒業の
山ラガークラブ会長から、一昨
りました。 回の丹羽正之・青
くれた方もおり、大変盛り上が
ていただきたいと思います。
すのでより多くのOBに参加し
なった人は多いであろう。私も、
代のためかOBの参加数 が 減 少
今年もラグビー部のOB会活
回 の 若 手 O B ま で、 動にご協力をお願い致します。
歳違うOBたち
名の
そ ば を 食 べ ま し た。 秋 空 の 中、
準備が大変なの
ベキュー大会も
最後になりま
すが、このバー
と思います。
張ってほしいな
後に向かって頑
たことから、今
例が話題になっ
期待しています。
まってくれることをOBとして
ポーツも経験し面白さを体験し
ラグビーという泥臭い青春ス
員は多いそうですが、是非とも
サッカー人気でサッカー部の部
うメンバー構成でした。近年は
していることに少しさび し い 想
暑くもなく寒くもなく食欲も旺
平 成 年 月 6 日、 曇 り 空 、 わ り 、 火 お こ し 終 了 後 思 い っ き
恒例の現役とOBの合同 バ ー ベ り 焼 肉 や ウ イ ン ナ ー そ し て 焼 き
高橋 裕之( 回) 青山バドミントンクラブ
キュー大会が行われまし た 。 参
二つ目は現役高校生の支援で
す。 回の三膳氏を中心として、
では、信濃川河川敷で開 催 し て
しながらでした)
良による欠席)参加部員全員の
おかげで(部員の減少と体調不
すが、今回は参加人数が減った
ればよいと思います。
も増え、一年でも長く継続でき
等 の 支 援 等 を 行 っ て お り ま す。
練習参加、合宿支援、部の備品
月に行われた花園予選県大会
おりました。しかし、今 年 度 は
な 時 間 を 過 ご せ た と 思 い ま す。
食後一同車座になって、全員
から発言をしてもらい、有意義
『青山ラガークラブ・2012活動報告』
護岸工事のため立ち入り が で き
では、3年生が3人しか残って
いないメンバーながら、4年ぶ
生の様々な経験にもとづいた話
先輩方からは、過去の栄光と人
残してくれました。準決勝では
りのベスト4進出という成績を
週 間 前 に 発 覚 )。 し か し、 結 果
回)
的にこの会場は新潟高校 か ら 近
と対戦し健闘してくれました。
昨年は8月 日(土)に母校の
た。中にはご家族で参加をして
OBにご参加をいただきまし
一つには夏の
『青山ラガー祭』 盆に近い土曜日という日程が良
で す。 毎 年 の 恒 例 行 事 と し て、 かったのか、 名という大勢の
で行っています。案内を送りま
て、 古 町 の「 居 酒 屋 よ さ 来 い 」
今年は期待できるでしょう。
近年にない強さの新潟工業高校
く、トイレもあり、水場 も あ る
日というお
なりました。今まで、時間の関
グラウンドで行いました。いつ
ております。8月
が あ り ま し た。 現 役 生 か ら は、
昨 年 も『 青 山 ラ ガ ー ク ラ ブ 』 もながら、OBと現役高校生の
として、ラグビー部のOB会活 激しくも楽しい交流の場になっ
係で顧問の先生方の話と男女両
三つ目は新年会です。毎年1
月の第一土曜日を新年会とし
部長の話しか聞けなかったので
11
日ごろのシャトルの援助に対す
る お 礼 と、 部 活 への 意 気 込 み、 動を行うことができました。
年以上も続くもので、 昨 年 ま ( 昨 年 は 残 暑 の 中 熱 中 症 を 気 に
て、 少 し で も 多 く の 部 員 が 集
加者は総勢 名で、西海 岸 公 園
ですが、参加者
21
こ と か ら、 変 更 し て よ か っ た
小見 毅(
11
ね!という意見が多く、 来 年 以
’
84
卒
そして今後の抱負などが話題と
きいです。
予定時刻より1時間も 早 く 集
合でき、準備から現役生 も か か
11
39
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
72
119
47
盛 だ っ た の で は? と 思 い ま す。
’
76
卒
にて行われました。この 行 事 は
84
20
10
31
ず、場所が変更になりました(1
79
24
降もこの場所になる可能 性 が 大
92
25
(20)
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青山同窓会報
第 96 号
特 別 寄 稿
創立百二十周年記 念
届かず、他の期から軽んじられ
時折り雨の混じる強風の 中 で 激
いう幸運に恵まれましたが、ペ
顯君が個人戦で優勝・準優勝と
選 手 が 出 場 し て、 でした。今回は私、江花と廣島
戦を繰り広げました。同 期 出 場
リア戦で3人とも上位に入らな
を勝って改めて感じたところで
う団体戦は、 回(昭和 年 卒 ) け れ ば な ら な い 団 体 戦 の 難 し さ
わせる機会ともなりますし、市
ゴルフ愛好者は多いと思われ
ます。同期が久しぶりに顔を合
す。優勝は偉いことです。
という節目の年に念願の 優 勝 を
回は昨年(2012 年 ) 還
暦を迎え、また創立百二 十 周 年
果すことができました。 青 山 ゴ
内に戻って夜の表彰式・懇親会
も大いに盛り上がります。賞金
ルフ会には例年最多人数 を 出 場
日
を手に2次会に繰り出すもよ
し。 次 回 開 催 は 今 年 5 月
( 日 ) を 予 定 し て い ま す。 多 く
の青山同窓生の参加を期待した
回、⑥
回、⑦
回、⑧
最後になりましたが、毎回大
59
ます。
母 校 は 今
としてレシピ風に演奏
ターハイを終えた時、満足のい
魚 料 理 等 ) に 見 立 て、 は、
「悔しい」という思いが影
全音楽譜出版社
く3位でした。
ところが、
終わっ
私 が「 ピ ア ノ・ シ ェ フ 」 響 し て い た と 思 い ま す。 イ ン
回) てみると、周りからかけられる
で自分が頑張ることができたの
す。思い返してみると、ここま
分でも信じられない思いでいま
の優勝を果たすことができ、自
に行われた岐阜国体では、念願
8月に行われた地元開催のイ
ンターハイで3位、そして 月
記録更新を目指したいと思い
持ちを胸に刻みながら、更なる
います。これからも、悔しい気
ここまでこれなかったことと思
きでした。優しい言葉だけでは、
思いが自分に芽生えたことは驚
はありませんでしたので、この
ちたいという思いで臨んだこと
上の大会で、ここまで誰かに勝
チャンスでした。実は今まで陸
えるのは、今回の国体がラスト
高校3年生の平野さんと直接戦
い と い う 思 い が 芽 生 え ま し た。
高校の平野さんにリベンジした
私の原動力
2年 広田 有紀
のこつを説くという趣
つ は「 お め で と う。
」そしても
のために》では「ソナタ、 言葉には二種類ありました。一
向。 例 え ば《 エ リ ー ゼ
う一つは「残念だったね。」
。後
インターハイで優勝した横須賀
変 奏 曲 な ど、 比 較 的 高
ます。
後藤 丹(
フルコース(全二巻)
カロリーのセットメ
者の声は予想外だったので
ト ー ヴ ェ ン の 作 品 か ら、 シ ョ ッ ク で し た。 そ の 頃 か ら、
愛らしい単品料理を取
り 上 げ ま し ょ う。
」とい
う 調 子 で 始 ま り、 肉 入
りシチューに即して解
説 が 進 み ま す。 最 も 苦
労したのが曲の展開に
手順が合う料理を見つ
け る こ と で、 多 分 百 以
好家のため」
と銘打っています。
一 応 は ピ ア ノ 名 曲 集 で す が、 上のレシピを読んだことでしょ
「遊び心に満ちたピアノ愛
一種の奇書と言っても良いかも う。
ピアノレシピ
ニューを主とするベー
申し上げ報告とさせていただき
な お 団 体 戦 2 位 以 下 の 結 果 会事務局の労をとっていただい
は、 ② 回、 ③ 回、 ④ 回、 ている本間組同窓の皆様に感謝
⑤
70
回でした。
84
同 窓 の 本
回、⑨ 回、⑩
88
しれません。
《愛の挨拶》
《月の
10
68
71
69
61
光》など8つの名曲を、
フルコー ( 作 曲 家・ 上 越 教 育 大 学 大 学 院
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
回青山ゴルフ会(報告)
第 回青山ゴルフ会は 月
日(日)紫雲ゴルフ倶楽 部 で 開
ておりましたので、喜びは一入
第
催され、最年長 期の上 村 光 司
させながらなかなか優勝に手が
江花 和郎( 回)
79
いと思います。
参加賞(オリジナルマーカー)
’
71
卒
26
’
71
卒
28
が優勝させていただきま し た 。
46
者上位3人のネットスコ ア で 争
氏をはじめ
50
72
スの8品(オードブル、
スープ、 教授)
新潟日報 2012 年 10 月6日付 新潟日報社提供
53
79
79
10
34
34
79
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第 96 号
青山同窓会報
平成 25 年1月1日
(22)
平成 24 年度 文化部大会結果報告書
放送
第 59 回 NHK 杯全国高校放送コンテスト新潟県大会
アナウンス部門
2位 井田 優子
3位 阿部花奈子
奨励賞 川崎 夏帆
朗読部門
3位 阿曽 美雪 5位 平山 佳奈
奨励賞 池上 味花
テレビドキュメント部門 1位「笑顔写真家-写真に秘めた思い-」
3位「ファーマーズ・ハイ」
ラジオドキュメント部門 2位「あの優しさは今」
創作テレビドラマ部門 1位「Aren't you me?」
創作ラジオドラマ部門 2位「AMI」
3位「これは彼と彼女のお話」
第 59 回 NHK 杯全国高校放送コンテスト
テレビドキュメント部門 優良賞(6位相当)
「笑顔写真家-写真に秘めた思い-」
創作テレビドラマ部門 入選(ベスト 10 相当)
「Aren't you me?」
第 25 回新潟県高等学校放送コンクール
兼第 32 回 QK 杯校内放送コンクール
朗読部門
1位 阿曽 美雪 アナウンス部門
2位 井田 優子 〔2名 全国大会出場〕
テレビ番組部門
3位 「新潟なう~ゆとり的未来図~」
アナウンス部門
奨励賞 小萩 朱里 〔1作品 3名 北信越大会出場〕
写真
第 16 回撮影大会
デジタル部門 特選 諸橋 俊大 奨励賞 鈴木 薫子
第 36 回全国高等学校総合文化祭・富山大会 文化連盟賞 阿部佳代子
第 26 回写真専門部展
モノクロ部門 優秀賞 諸橋 俊大(全国高等学校総合文化祭出場)
優秀賞 大嶋 和海(全国高等学校総合文化祭出場)
学校賞 5位
合同撮影会フォトコンテスト 優秀賞 諸橋 俊大 特選 相原 瞳
演劇
新潟県高等学校総合文化祭演劇部門
下越地区(A)
演劇発表会 優秀賞
新潟県高等学校総合文化祭演劇部門
新潟県高等学校演劇発表会 関東高等学校演劇研究大会県予選会 優秀賞、創作脚本賞
囲碁
全国高等学校囲碁選手権大会
男子団体戦 4位(小林 賢登 三輪 龍大 佐藤 勇人)
男子個人戦 ベスト 16 小林 賢登
全国高等学校総合文化祭富山大会
県代表団体戦 出場(主将 三輪 龍大)
男子個人戦 出場 小林 賢登
女子個人戦 11 位 莪山 叶実
新潟県高等学校総合文化祭囲碁大会
個人Aブロック 1位 小林 賢人 2位 三輪 龍大
個人Bブロック 1位 長谷川拓也 3位 津野 貴之 4位 林 智久
個人Dブロック 1位 山田 果步 4位 大野 李奈 以上 北信越大会出場
北信越高等学校囲碁選手権大会
男子団体 1位 新潟高校(小林 賢登、三輪 龍大、長谷川拓也)
女子団体 1位 新潟高校(莪山 叶実、山田 果步、大野 李奈)
以上 全国大会出場
書道
第 13 回高校生国際美術展 奨励賞
斎藤多佳子
佳作
関 春菜
第 11 回岐阜女子大学全国書道展 準大賞
関 秋菜
第 24 回 「道風展」全国書道展覧会
小野道風公遺跡保存会賞 関 秋菜
中部日本書道会賞 関 春菜 秋萩賞 斎藤多佳子
新潟県高等学校総合文化祭
書道部門展
関 秋菜 関 春菜 早福あやか 布施 千尋 宮山千紗都 関 春菜「臨 伊都内親王願文」
全国大会出場決定
新大全国競書大会
新潟大学長賞(第1席)
齋藤多佳子
新潟県高等学校長賞(第5席)
生田 竜晨
新潟市芸術文化振興財団賞(第8席)
関 春菜
朝日新聞新潟総局賞
関 秋菜
特選
大森 愛 高橋 哲
準特選
布施 千尋 平山いずみ 渡辺 千晶 金井涼海 藤崎綾衣子
大澤ひかる 豊島 菜緒 渡辺 紗生
新潟県競書大会
新潟県高等学校長協会賞
関 秋菜
特選
齋藤多佳子 渡辺 千晶 高橋 哲 関 春菜
準特選
吉澤 諒 金井 涼海 生田 竜晨 平山いずみ 藤崎綾衣子
第 28 回全日本高等学校書道公募展 日本書道専門学校賞(第3席)
関 春菜「臨 李嶠詩雑詠」
将棋
第 21 回新潟県高等学校文化連盟将棋大会(全国高文祭富山大会将棋部門新潟県予選)
男子団体1位 新潟高校A(渡邊 靖之・桑野 弘英・捧 博人)
全国大会出場
男子個人1位 高橋 海渡 全国大会出場
第 48 回全国高等学校総合文化祭富山大会将棋部門
男子団体予選敗退 新潟高校(渡邊 靖之・桑野 弘英・捧 博人)
男子個人ベスト 16 高橋 海渡
第 21 回新潟県高等学校文化連盟将棋新人大会(全国高等学校将棋新人大会新潟県予選会)
男子個人2位 渡邊 靖之 全国大会出場
合唱
第 79 回NHK全国学校音楽コンクール新潟県大会 銅賞
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青山同窓会報
(23) 第 96 号
平成 25 年1月1日
牧 野 榮 策
17回S50年
岡 部 徹
丸 山 耕 藏
武 者 敏 夫
46回H16年
12回S45年
大 橋 恒 次
片 桐 登
陽 田 ナツ子
36回H6年
大 崎 シ ズ
秋 間 一 男
水 品 と い
駒 形 俊 明
30回S63年
椎 谷 郁 子
小 柳 トミエ
阿 部 勇太郎
18回S51年
中 野 藤 美
小 川 春 世
37回H7年
丹 後 沙穂子
小野塚 操
立 川 佐智子
24回S57年
長 濱 隆 道
遠 藤 輝 久
47回H17年
小 林 京 子
諸 橋 正 子
会 田 正 延
本 多 孝 一
神 林 早 苗
小 森 雅 且
斉 藤 平三郎
矢 部 恵三子
稲 川 正 行
増 田 朋 子
笹 川 薫
田 辺 辰 次
19回S52年
今 井 栄 作
31回H1年
38回H8年
田 村 幸 栄
勝 島 テル子
須 貝 幹 雄
石 井 幸 代
柿 崎 フミ子
中 屋 春 美
若 林 道 子
髙 松 昭 夫
金 子 よ う
轡 田 敏 春
平 澤 信 子
20回S53年
25回S58年
関 テル子
成 田 二 郎
三 國 令 子
喜多村 勇 夫
渡 辺 久美子
田 中 麻紀子
古 瀬 勝 人
吉 野 久美子
小 島 英 二
26回S59年
田 巻 ナホ子
39回H9年
13回S46年
嶋 田 博
近 藤 英 子
宮 崎 圭 央
小 林 弘
中 山 雅 之
清 野 喜美男
清 田 輝 雄
32回H2年
小 林 優喜江
服 部 栄 子
和 田 恒 夫
山 崎 喜 男
神 田 光 子
樋 口 節 子
本 保 勝 晴
21回S54年
山 田 春 代
武 正 志
40回H10年
目 崎 町 子
清 野 義 昭
27回S60年
山 賀 利 夫
曽 我 昭 仁
八 木 清 宣
22回S55年
阿 部 幸 一
33回H3年
永 原 正 朋
吉 沢 利 子
佐 藤 マツイ
荒 木 恵美子
蕪 木 フ ミ
星 恒 市
14回S47年
種 村 昭 久
安 倍 武 勇
桑 原 恒 夫
41回H11年
佐 藤 芳 子
種 村 惠美子
石 川 孝 子
丸 田 賢 一
小 林 幸
佐 藤 隆 英
田 村 和 男
岡 田 忠 雄
渡 辺 作 司
本 間 明 子
高 橋 ユリ子
戸 嶋 孝
熊 田 照 子
渡 辺 むつ子
42回H12年
宮 澤 洋 子
外 山 トミヱ
栗 原 隆
34回H4年
畔 柳 圭
矢 口 和三郎
藤 田 栄 六
永 野 正 人
斉 藤 幸 子
大 滝 智
渡 辺 恵 子
藤 田 キミエ
山 田 幸 子
田 中 博 子
岡 田 武 雄
15回S48年
松 原 俊 昭
28回S61年
森 岡 一 雄
金 野 真 紅
石 川 富 子
丸 山 秋 一
伊 藤 雅 子
吉 澤 ミ エ
星 野 レン子
佐 藤 キヨ子
向 川 幸 子
中 澤 功
米 山 賢 治
44回H14年
16回S49年
山 本 ヤヨイ
長谷川 勇
35回H5年
石 原 マサ子
梅 田 和 恵
23回S56年
渡 辺 ハ マ
伊 藤 歌余子
近 雄 介
小 川 栄
青 木 和 枝
渡 辺 久 子
小 林 直 樹
堂 薗 佳津輝
小 黒 恒 雄
五十嵐 タツミ
29回S62年
齋 藤 康 男
45回H15年
古 川 と み
太 田 光 雄
竹 内 正 朋
福 田 知恵子
大 杉 貴美枝
◦編集後記◦
10 月 20 日に挙行されました創立百二十年
記念式典は盛会裏のうちに終了いたしました。
記録を DVD にいたしましたので、著作権
等の問題をクリアできれば皆さんに実費でお
分けしたいと考えています。いましばらくお
待ちください。
同期会を開催される期の幹事の方へお願い
同期会の開催に合わせて、是非、会費納入者の拡大にご協力下
さい。早めに、開催の期日を連絡頂ければ、事務局で、同窓会報・
会費納入のお願い・振込用紙そしてA4サイズが入る角2の同窓
会封筒を人数分用意しておきます。よろしくお願いします。
会報へ寄稿される方へ、原稿字数のお願い
回)
原稿の字数は800字から1,000字の間で書いて下さるよ
うお願いします。1,000字以上ですと紙面の関係で載せられ
回) イラスト…池主 憲夫(
68
なくなることがありますのでよろしくお願いします。原稿につい
小川 和恵(
101
て字、句を修正させていただくことがあります。
表紙題字
:
部活動の練習風景
(撮影 写真部)
創立百二十周年記念式典の様子
事務局よりお願い
平成 24 年9月 10 日に神田錦町郵便局より、年会費
(2,000 円)のお振り込みをいただきましたが、お名前が
ありませんでした。通信欄に「転居しました」とご記入が
あります。お心当たりの方は、事務局までご連絡ください
ますようお願いいたします。
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青山同窓会報
第 96 号
平成 25 年1月1日
(24)
後 藤 泉
斉 藤 忠 志
森 知 之
高 橋 直 樹
斎 藤 浩 子
鈴 木 利 枝
佐 藤 雅 史
三 浦 千 晶
120回H24年
後 藤 重 則
白 倉 雅 晴
若 林 昌 哉
田 崎 新
斎 藤 道 明
橋 詰 政 之
中 村 竹 志
横 井 大 樹
大 沼 萌 子
桜 井 秀 昭
高 橋 建 造
渡 邉 毅
土 屋 真 規
斎 藤 結 花
94回S61年
沼 宏一郎
112回H16年
小 柳 篤 也
佐 藤 悌二郎
高 橋 裕 之
86回S53年
長 場 秀 彦
佐 藤 雄一郎
阿 部 素 子
濱 ひとみ
川 崎 貴 嗣
川 嶋 祥 之
塩 谷 暢 夫
高 山 有 子
阿 部 二 郎
服 部 浩 志
佐 藤 之 彦
今 井 卓
早 藤 新 一
佐 藤 朋 弥
坂 詰 博 仁
島 田 茂
田 崎 和 之
阿 保 聖 子
林 恭 弘
隅 木 信 利
大 谷 勝 成
宮 内 信 芳
中 川 亮
髙 橋 杏 奈
清 水 孝 祐
田 沢 博
五十嵐 実
藤 木 達 広
袖 山 敏 明
櫻 井 麻利子
若 槻 良 宏
野々村 頼 子
田 中 文 彬
関 矢 孫 史
知 野 猛
伊 賀 敏 朗
藤 本 健 介
高 橋 美 和
佐 藤 元
101回H5年
吉 田 丈 夫
種 田 朝 音
高 橋 克 人
中 村 恵 子
伊 藤 健 一
本 多 剛
田 辺 文
佐 藤 孝 幸
阿 部 雅 也
113回H17年
田 原 正 崇
高 橋 慶 子
根 本 昌 子
稲 田 秀 一
松 田 幸 治
田 辺 裕 美
鈴 木 謙 也
荒 井 康 弘
大 塚 智
手 塚 朱 映
高 山 郁 男
野 口 和 子
稲 月 原
松 本 俊 輔
田 辺 靖 貴
濱 藤 直 人
今 井 教 雄
佐 藤 あずさ
外 山 倫 成
高 山 佳 郎
服 部 博 明
岡 田 修 司
渡 辺 政 城
塚 田 裕 子
福 田 満
今 井 慶 貴
清 野 智
中 澤 佑 介
竹 内 公 英
長谷川 百合子
小野島 恵 次
88回S55年
土 屋 亨
本 多 孝
臼 田 敦 子
関 本 智 美
三 木 さくら
玉 木 慎 一
畠 野 達 郎
加賀田 豊
五十嵐 修 一
富 山 栄 子
村 井 丈 寛
片 桐 朋 美
長谷川 創
水戸部 慶 彦
田 宮 浩
日野浦 雄 治
片 桐 一 夫
池 田 全 之
中 村 泰
柳 本 和 貴
上 村 顕 也
原 太 一
渡 邉 公 則
塚 本 裕 二
藤 岡 近 子
栗 山 敏 昭
池 田 寛 雄
埜 上 洋
遊 佐 浩 子
小 林 史 佳
樋 口 真佑子
渡 邉 広 樹
登 石 守
本 間 新 哉
小 林 正 明
石 原 基 規
樋 口 正 史
横 田 さおり
鈴 木 由貴子
真 壁 枝 里
富 山 武 美
正 木 清 貴
小 山 妙 子
今 井 信一郎
本 間 洋
渡 辺 康 明
山 口 久美子
渡 邉 綾 子
通信制
豊 岡 幹 也
丸 山 正 行
斎 藤 暁 子
江 波 恒 夫
宮 腰 貴和子
95回S62年
102回H6年
114回H18年
1回S34年
豊 田 清
宮 崎 清 也
斎 藤 健
大 島 慶 子
村 上 恭 子
浅 岡 俊 宏
小 島 祐 司
楠 慧 子
上 重 正 一
中 村 昌 子
村 上 誠
坂 本 朋 顕
長 田 裕
山 田 修 敬
上 杉 知 之
佐 藤 邦 栄
佐 野 満実子
2回S35年
仲 村 スイ子
森 岡 哲 夫
佐々木 元
岸 亮 子
横 井 義 彦
加 賀 稔 理
佐 藤 宗 広
115回H19年
桜 井 修
長 澤 恵依子
山 岡 比呂志
佐 藤 朗
君 伸一郎
渡 辺 栄
河 原 俊
髙 橋 謙 介
石 川 成 明
3回S36年
西 田 博 子
山 口 義 弘
渋 木 義 春
木 村 裕 毅
渡 辺 竜 助
小 林 茂 子
松 澤 陽 子
郷 慎久朗
川 端 欽 吾
橋 本 多佳子
山 崎 辰 男
白 倉 俊 隆
小 竹 聡
渡 部 幸之助
佐 藤 玄
103回H7年
小 山 貴 之
4回S37年
平 松 健 二
山 崎 元 彦
鈴 木 正 孝
指 中 さつき
91回S58年
佐 藤 三貴子
阿 部 司
近 佳菜子
大 谷 孝 二
藤 崎 直 美
行 田 充
関 晴 子
渋 谷 聡
五百川 裕
関 川 茂 樹
小 林 聡
佐 藤 雄 一
加 藤 守
藤 田 祐 子
芳 川 敦 子
瀬 谷 信一郎
白 井 栄 一
市 川 健
土 田 圭 一
小 林 義 雄
髙 橋 明由実
近 藤 一 弥
古 川 靖
若 木 立 也
高 橋 聡 子
種 村 潔
出 塚 次 郎
中 村 有 里
佐 藤 弘 恵
髙 橋 茉 那
5回S38年
本 間 憲 之
85回S52年
高 松 哲 也
常 木 郁之輔
上 野 伸 二
福 田 仁 史
細 川 陽 祐
塚 崎 哲 子
高 橋 一 夫
町 田 昇
安 沢 智
田 中 照 夫
遠 山 斉
長 田 充
町 田 一 越
若 林 健 一
戸 田 史 織
星 野 リ エ
丸 田 拓 雄
石 田 富美子
田 辺 慶 直
戸 松 康 雄
風 間 まゆみ
吉 中 淳
104回H8年
長谷川 宝 史
6回S39年
水 原 章 貴
今 井 豊 重
坪 野 俊 広
南 場 充
梶 慎一郎
96回S63年
大 谷 茂
林 康 貴
幸 田 進
宮 内 博 英
岩 崎 龍 一
外 山 真 治
藤 木 一 浩
小 竹 聖 一
石 賀 洋 介
川 端 周
藤 田 裕
髙 橋 富 榮
村 尾 弘 子
上 田 桂 子
中 川 佳代子
古 澤 俊 明
小 林 裕 之
猪 又 尚 子
鈴 木 貴 裕
116回H20年
本 保 銀 一
最 上 正 人
大 沼 文 男
中 山 均
古 村 昌 子
後 藤 透
江 口 直
濱 勇
内 山 寛 之
山 川 春 雄
森 平 淳 子
大 橋 裕
南 野 伸 之
本 間 候
後 藤 寛 志
江 部 則 行
堀 本 万貴子
久須美 智 子
養 田 太一郎
山 際 和 明
奥 村 基
林 光 洋
本 間 茂
齋 藤 天
鈴 木 周
105回H9年
佐 藤 憲 明
7回S40年
山 口 虎 彦
小 熊 隆 夫
樋 口 健 一
三 木 公 一
佐 藤 弥 生
高 橋 雅 子
磯 野 寿 育
塚 野 豪 仁
天 野 昭 治
山 作 房 彦
加 野 貴 志
樋 口 敬 和
峰 本 義 明
真 保 恵美子
中 島 正 好
遠 藤 尚 史
福 村 望
内 山 紀 子
吉 澤 篤
河 治 政 俊
広 沢 利 幸
諸 橋 博 樹
高 橋 正 史
橋 本 薫
小 松 絵理子
星 野 悠 樹
片 原 裕 子
吉 田 徳 治
川 村 和 忠
堀 内 貞 子
八 木 博 徳
野 沢 雅 行
浜 田 恒 平
田 中 健 一
本 間 友香理
高 橋 茂 子
吉 田 友 章
桑 原 敦 志
本 田 佐和子
吉 田 巌
張 替 凉 子
林 正 子
寺 尾 仁
若 林 拓 哉
外 山 悦 子
吉 田 信 男
小 林 喜代司
本 間 祐 子
渡 邊 治 夫
本 間 正 隆
山 岸 義 晃
福 沢 栄 樹
117回H21年
南 場 健 一
吉 水 敦
小 林 孝 平
正 木 智 子
渡 辺 徳 昭
松 永 恵
97回H1年
渡 邉 千 絵
伊 藤 ひとみ
8回S41年
若 杉 忍
小 林 敬
宮 腰 重三郎
89回S56年
横 堀 真 弓
今 井 幸
106回H10年
大 塚 拓
太 田 耕 一
渡 辺 淳 子
小 山 朗
森 屋 剛
相 場 恵美子
渡 辺 輝 浩
遠 藤 啓 一
東 都 優 佳
坂 上 真帆子
金 田 静 江
渡 辺 卓
近 藤 真 一
山 田 規 夫
荒 木 里 美
92回S59年
桑 野 一 美
107回H11年
永 井 翔
木 村 洋 子
渡 辺 友 昭
佐 藤 敬以子
山 本 泰 明
石 栗 健 一
青 木 敦 子
佐 藤 愛
阿 部 剛
萩 原 かな恵
小 林 勝 代
渡 辺 正 昭
佐 藤 隆 司
渡 辺 昭 夫
伊 藤 孝 憲
大 野 潮 子
佐 藤 隆 之
大 塚 健 太
樋 口 健 佑
高 橋 栄 治
84回S51年
佐 藤 やよい
渡 辺 彩 子
今 井 あかね
小野島 あゆみ
高 橋 綾 子
真 柄 洋 平
宮 前 巧
間 島 キソ子
相 田 百合子
佐 野 牧 夫
渡 辺 裕 之
加 島 彰 二
河 内 康 志
名 塚 武 史
真 柄 望
118回H22年
松 縄 清
青 木 裕太郎
志 賀 徹 也
渡 辺 政 次
川 嶋 薫
菊 池 芳 裕
堀 越 康 裕
108回H12年
会 田 俊 貴
八木野 初 枝
阿 部 俊 幸
清 野 泰 之
87回S54年
倉 田 裕 一
北 尾 彰 朗
三 浦 一 人
井 上 勉
酒 井 拓 行
湯 浅 恒 太
荒 川 朋 明
園 田 裕 久
荒 川 一 成
佐々木 裕 道
小 見 毅
矢 部 正 浩
田 邉 彩 子
笹 川 健 太
9回S42年
石 井 史 郎
高 須 洋 子
五十嵐 昌 子
佐 野 義 孝
近 藤 善 龍
98回H2年
本 間 拓 也
白 井 雄 介
木 村 美 枝
今 井 康 晴
高 野 裕 久
伊 藤 聡
関 康 弘
真 田 一 宏
齋 田 陽 子
増 井 由紀子
鈴 木 啓
橘 栄 子
今 湊 良 信
高 橋 覚
伊 藤 量
田 村 雅 彦
島 田 稚
高 橋 信 太
109回H13年
髙 野 真 行
田 村 清三郎
岩 崎 孝 秋
竹 内 一 彦
井 上 智
栃 原 真与子
清 野 美 保
敦 井 一 友
遠 藤 公 太
中 里 真由美
田 村 三 男
遠 藤 和 彦
田 尻 博 志
今 西 博 一
中 山 望
田 下 祐 子
登 坂 覚
坂 上 悠 太
若 林 知 哉
角 田 清 宣
岡 田 憲 明
田 中 清
内 柴 晴 子
長谷川 雄 一
中 島 貴 子
丸 山 貴 広
高 口 均
渡 邉 義 彰
寺 尾 ヒデ子
小 黒 志津江
田 村 誠
遠 藤 聡 一
ハドリー 浩美
野 沢 孝 広
森 内 正 和
髙 橋 佐和子
119回H23年
松 澤 美知子
勝 山 綾 子
筒 井 敦 子
大 森 克 利
星 井 利 樹
長谷川 泰 史
渡 邉 嘉 代
山 際 章
川 上 達 也
湯 浅 ヨシミ
加 藤 雅 一
戸 枝 秋 夫
岡 村 克 彦
山 上 浩 志
藤 嶋 尚 美
渡 邊 隆 興
110回H14年
河 村 醇
10回S43年
加 藤 佳 彦
遠 山 知 良
押 木 洋
渡 邊 克 彦
本 多 晃
99回H3年
伊 藤 誠
久須美 裕 子
阿 部 恭 平
小 出 奈 々
苫米地 令
小 野 和 宏
90回S57年
本 多 久 子
遠 藤 剛 史
上 野 佑
小 島 知 之
今 井 明 子
小 塚 洋 子
富 山 泰 男
加 藤 真理子
五百川 浩
若 月 秀 光
鈴 木 信 行
小 島 昌 太
小 林 夏 美
吉 楽 政 子
小 林 正 史
長 野 曜 子
北 尾 嘉 朗
伊 藤 寿
渡 邊 二三枝
遠 山 剛 志
鈴 木 健 太
近 菜々子
木ノ下 健 次
小 林 みどり
梨 本 哲 哉
駒 村 美佐子
石 見 鉄 夫
93回S60年
西 山 浩 美
清 野 豊
島 垣 朔 歩
佐 藤 イチ子
小松原 宏
長谷川 亮 子
斎 藤 武
勝 山 達 志
行 形 和 滋
水 澤 泉
由 比 克 憲
鈴 木 智 仁
佐 藤 達 夫
小 山 芳 明
広 瀬 通 子
斎 藤 光 雄
加 藤 公 則
岡 村 恵
100回H4年
111回H15年
関 谷 祐 香
立 石 香 代
近 藤 公 男
藤 田 郁 代
佐 野 佳 男
神 田 武
小 沢 謙 一
安 藤 栄 吾
阿 部 元太郎
高 須 保 紘
山 田 一 夫
郷 秀 人
藤 田 信 也
清 水 忠 明
畔 柳 順 一
金 子 真奈美
岩 城 孝 和
齋 藤 真 理
宮 島 謙 太
渡 辺 洋 子
郷 扶二子
逸 見 和 宏
須 田 剛
古 藤 浩
川 嶋 大 介
門 田 美保子
藤 田 大 介
山 口 彩
11回S44年
齋 藤 泰 晴
星 山 松太郎
Saltzgaber 純子
斎 藤 俊 弘
川 村 仁 誠
小 林 一 大
堀 あ い
渡 邉 緑
小 林 幸 子
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青山同窓会報
(25) 第 96 号
平成 25 年1月1日
加 藤 直 久
伊 藤 哲 夫
星 野 雅 博
田 宮 洋 一
富 田 正 博
矢 沢 公 一
廣 嶋 顕
桑 原 隆
小 針 隆
金 井 隆 夫
岩 崎 義 則
堀 一
田 村 俊 作
永 井 恵 一
山 崎 一 正
藤 井 大三郎
小 出 三 省
駒 井 早 苗
賀 谷 正
上 田 茂
本 田 晴 久
戸 枝 哲 郎
永 井 透
吉 澤 哲 彦
藤 巻 則 夫
小 出 千 秋
小 亦 斉
川 上 耕
上 原 恒
本 間 均
栃 倉 幸 一
西 和 男
吉 田 弓 子
藤 原 明
鴻 田 利 治
斎 藤 直 子
河 崎 順 昭
薄 井 勇
松 井 幸 博
中 俣 正 美
西 山 達 士
若 月 秀 男
保 苅 俊 治
斉 藤 直
坂 上 極
木 村 和 彦
江 口 芳 春
松 村 泰 夫
長 北 学
野 澤 治 夫
渡 辺 茂
本 間 義 康
坂 田 光 子
笹 川 稔 郎
倉 島 敬 雄
大 瀧 丈 司
丸 山 義 博
長 沢 菊 男
野 村 裕 子
渡 辺 美 映
前 田 和 夫
佐 藤 宏 晃
佐々木 広 介
桑 原 三 恵
大 塚 惠 子
三 冨 修
西 沢 芳 樹
生 野 勝
79回S46年
丸 潟 孝
佐 藤 弘
佐 藤 佳 彦
解 良 和 郎
大 野 敏 雄
皆 川 信
根 津 則 子
萩 野 一 廣
会 田 立 人
丸 山 直 昌
佐 藤 弥 生
澤 田 俊 明
小 池 哲 雄
大 野 道 子
宮 純 一
浜 倉 義 昭
長谷川 次 郎
青 山 義 明
南 多喜雄
佐 野 恭 子
紫 竹 伸 子
小 出 信 治
大 原 哲 三
宮 永 進
林 誠
長谷川 実
浅 井 敬 一
三 保 恵美子
佐 野 裕
七 里 佳 代
古 賀 良 生
岡 田 政 文
室 塚 泰 二
広 川 純 夫
波田野 節 子
浅 間 恒 男
村 井 圭 子
澤 口 昭 一
清 水 敬 三
小 菅 大 介
尾 形 幸 生
百 都 健
福 田 賢 一
日野浦 広 昭
石 井 智 裕
山 田 実和子
島 垣 斎
白 倉 真 澄
小 竹 孝 之
押 木 泉
八 木 健
不二崎 順 二
藤 崎 克 己
石 田 まさ子
横 川 憲 司
白 石 義 人
高 橋 英 明
斉 藤 弘 一
小 籏 一 男
山 上 卓 夫
古 川 恒 一
藤 原 正 博
伊 藤 靖 夫
横 山 由美子
杉 本 年 行
田 中 仁
笹 川 久 男
小 原 克 己
山 﨑 信 行
星 野 洋 子
桝 山 健 一
井 上 隆 二
吉 田 至 夫
須 佐 智 明
谷 長 行
笹 川 雅 之
小 柳 幹 夫
山 田 優
細 谷 洋 一
松 崎 澄 義
猪 股 裕紀洋
吉 成 潤
砂 田 徹 也
津 野 吉 裕
佐 藤 成 昭
笠 井 忠
山 根 英 郎
本 間 村 紀
丸 山 修 史
今 井 誠
80回S47年
高 木 実
戸 田 史 朗
佐 藤 俊 栄
勝 見 敏 雄
結 城 隆 行
丸 山 俊 夫
三井田 実
今 井 幹 文
安 住 利恵子
田 口 祐 子
富 川 拓 朗
佐 藤 信 秋
加 藤 博
吉 田 孝 一
三 浦 まゆみ
水 澤 秀 雄
植 木 秀 任
足 立 亘 宏
竹 石 邦 夫
富 山 文 男
志 田 常 弘
川 上 滋
渡 邊 研 二
水 間 秀 一
水 野 義 行
内 山 修
池 淳 一
竹 石 尚 史
百 々 秀 心
関 憲一郎
神 田 正 一
渡 邊 勝 斗
箕 輪 光 泰
宮 田 純 一
江 花 和 郎
今 井 敏 明
竹 内 淳
中 林 昭 裕
関 川 修 一
北 場 勉
渡 邊 令 子
村 山 ひろみ
武 藤 敏 明
大 野 俊 治
岩 崎 泰 則
武 田 正 之
中 林 二 郎
高 木 顕
北 村 順 作
渡 辺 新
村 山 裕 一
山 崎 健
岡 田 均
植 木 邦 彦
田 尻 美砂子
南 雲 郁 子
高 橋 保
木 村 陽 子
渡 辺 秀 雄
安 田 充 年
山 田 恆 樹
小 田 章 治
内 山 政 二
田 中 秀 人
南 雲 建 男
高 橋 信 郎
小 泉 慈 行
渡 部 一 俊
山 添 明 子
大 和 裕 子
小 野 章
扇 嘉 明
張 高 明
野 崎 秀 明
高 橋 秀 憲
小 島 秀 男
渡 部 信 子
山 田 俊 郎
78回S45年
小 原 正 男
大 竹 尚 毅
茅 原 保
生 野 隆 史
高 橋 典 久
小 島 富美子
76回S43年
湯 本 雅 恵
相 沢 裕 吉
梶 島 秀 雄
大 塚 善 紀
富 井 信 喜
平 田 カオル
竹之内 明
小 林 正 美
相 田 光 治
吉 岡 俊
相 田 浩 輔
片 岡 道 夫
小 片 守
中 西 由 里
福 嶋 元
田 中 秀 明
小 山 隆
青 山 耕 一
渡 辺 薫
青 木 孝 一
勝 山 照
長 正 子
長 井 智 子
不二崎 正 人
塚 野 憲 一
斎 藤 昭 雄
明 村 澄 雄
渡 辺 力
雨 森 和 夫
勝 山 昇
上 村 諭
長 北 敏 弥
本 多 明 彦
堤 葵
斎 藤 謙 二
安 達 修
渡 辺 拡
安 藤 朝 夫
河 正 子
河 合 均
成 澤 林太郎
真 谷 誠 祐
堤 芳 夫
斎 藤 隆 男
荒 川 秀 夫
渡 辺 雅 夫
五十嵐 祐 司
川 合 千 尋
菊 池 隆 宣
平 田 栄 子
松 浦 恵 子
戸 枝 一 明
坂 井 克 夫
飯 田 基 一
渡 辺 友 一
板 井 一 彦
河 野 雅 子
菊 池 のぞみ
広 島 勉
松 田 正 史
富 樫 孝 一
坂 井 啓 二
五十嵐 博 喜
77回S44年
伊 東 真知子
神 林 裕
小 池 雅 彦
藤 沢 直 子
宮 島 一 敏
殿 内 重 政
坂 元 正 広
石 田 芳 博
阿 部 悦 雄
岩 城 文 夫
神 戸 和 彦
小 林 好 樹
藤 村 修
宮 島 静 一
富 澤 慶 栄
佐々木 珠 夫
伊 奈 良 重
荒 川 恭 延
岩 瀬 耕 一
北 原 宏 一
小 林 亮 介
藤 森 克 彦
宮 島 とも子
中 野 克 之
佐 藤 邦 雄
稲 葉 徹
安 藤 徹
遠 藤 和 男
木 村 泰 博
小 山 晃
本 間 大
目 黒 茂 樹
長 井 一 郎
佐 藤 啓 介
遠 藤 元 信
石 川 彰
岡 崎 美津子
久保田 愛 子
坂 上 富士男
本 間 寿 晴
八藤後 茂 樹
西 脇 雄 一
佐 藤 静 一
大井戸 佐紀夫
石 川 鋭 一
小 田 勇 司
倉 田 由 美
笹 川 睦 男
松 崎 美 郎
山 崎 小夜子
沼 田 清
佐 野 幹 雄
大 橋 誠 五
一 色 由美子
金 沢 宏
桑 原 直 樹
佐 藤 正 昭
丸 山 晋 司
山 本 剛 史
波多腰 明
佐 野 康 子
小 田 高 久
石 黒 富士夫
金 沢 泰 子
小 泉 仲 之
鈴 木 努
南 加乃子
渡 辺 健 一
番 場 清
澤 田 俊 朗
尾 張 明 美
井 上 博 夫
木 村 和 夫
小飯塚 稔
清 野 高 志
宮 里 圭 一
渡 辺 宣 昭
樋 口 豊
篠 田 昭
恩 田 雅 和
猪 股 律 子
木 杢 恭 一
高 坂 浩 子
竹 本 泰 子
三 膳 正 伸
渡 辺 光 定
広 神 俊 彦
清 水 純
加 澤 正 樹
遠 藤 修 司
久 世 隆 雄
坂 井 豊 明
田 中 秀 明
村 木 薫
83回S50年
広 野 光 子
白 井 元
梶 井 直 文
大 嶋 彰
熊 木 徳次郎
笹 川 浩 一
棚 橋 忠
山 田 徹
相 田 八 郎
福 田 善 規
白 玉 謙 一
金 子 義 伸
大 塚 忠 雄
小 泉 隆 晴
笹 川 富士雄
田 邉 肇
鷲 沢 直 也
青 木 忠 信
藤 田 文 子
清 野 進
加 野 裕 資
片 山 等
児 玉 英 樹
佐々木 隆 輔
田 巻 明 恒
渡 辺 昭 雄
秋 田 祥 子
古 川 兵 衛
高 橋 明
吉 川 洋 志
金 井 知 郎
小 林 辰 次
佐 藤 和 明
田 村 祐 子
渡 辺 重 博
浅 間 芳 朗
本 間 正一郎
高 橋 清 一
北 村 幸 輝
川 崎 俊 一
小 林 直 毅
佐 藤 久 一
津 野 正 裕
82回S49年
安 宅 賢 秀
本 間 裕
高 橋 正
桐 生 和 男
川 島 了
斎 藤 庫之丞
佐 藤 晃 一
遠 山 知香子
青 木 定 夫
阿 部 和 弥
松 田 邦 宏
高 橋 正 明
櫛 谷 さわ子
北 村 一 雄
齋 藤 美智子
佐 藤 たつ子
中 澤 秀 栄
青 瀬 芳 紀
天 野 忠
松 田 博 人
高 橋 美 樹
久 住 治
木 村 哲 郎
佐々木 巌
佐 藤 俊 夫
長 崎 清 一
朝 倉 孝 英
今 井 英 雄
水 本 直 弥
多 賀 美代蔵
小 島 隆 平
キーン 誠 己
篠 田 敏 朗
佐 藤 富士夫
長 沼 正 昭
味 方 利 光
植 木 秀 功
宮 嶋 良 夫
田 中 章
小 林 博
工 藤 英 明
清 水 幸 栄
佐 藤 玲 子
羽 鳥 敬 彦
荒 井 誠
牛 木 宏 子
村 山 績
田 中 純 夫
近 藤 壽 邦
桑 原 彰 子
鈴 木 隆
三 膳 義 久
前 田 義 憲
荒 川 育 子
梅 津 雅 之
森 澤 盾
田 辺 英 志
齊 藤 幸 治
小 林 悟
須 田 幸 子
渋 谷 昇
前 田 啓 二
池 田 勝 久
枝 並 幸 男
柳 川 紘 三
田 辺 静 幸
斎 藤 治
小 林 敬 明
関 尚 久
白 井 行 雄
枡 山 康 二
石 崎 昂 一
遠 藤 光 郎
若 林 学
谷 澤 悦 子
斉 藤 正 行
近 藤 敬
曽 根 正
関 川 孝 子
松 元 直 子
宇佐美 明 男
大 関 友 博
75回S42年
谷 澤 隆 邦
佐 田 克 巳
斎 藤 繁 夫
高 橋 綾 子
瀬 戸 聡 和
山 井 健 介
江 畑 徹
大 関 文 雄
青 柳 豊
玉 井 正 光
佐 藤 俊 雄
斉 藤 厚
高 橋 隆
髙 橋 淳 二
山 崎 元 義
大 石 昌 幸
大 沼 敏 夫
安 宅 大 恵
玉 木 正 一
佐 藤 悠
斉 藤 憲
高 橋 千 洋
武 田 邦 彦
米 川 宏 一
太 田 宏 信
岡 田 潔
阿 部 秀 作
富 山 修 一
菅 原 正 廣
斉 藤 茂
滝 沢 恒 世
田 阪 憲 昭
81回S48年
大 谷 博 昭
荻 荘 則 幸
阿 部 恒 久
永 井 博 子
鈴 木 明
桜 井 宗 一
田 崎 大 喜
田 中 隆
相 場 剛
大 塚 英 明
風 間 磨理子
有 薗 順 子
永 井 道 夫
鈴 木 茂 夫
佐 藤 茂
旅 川 豊
玉 井 美 穂
荒 川 洋
大 村 篤 子
川 上 孝 子
安 藤 裕 司
野 上 紀 雄
鈴 木 正 博
佐 藤 壽 秀
土 谷 厚
寺 田 徳 一
五十嵐 公
小野本 美奈子
河 原 貢 司
五十嵐 正
服 部 昭
髙 倉 まち子
清 水 道 雄
長谷川 まこと
豊 島 宗 厚
五十嵐 寛
風 間 隆
菊 池 正 俊
石 川 茂
橋 爪 博 美
高 山 豊 雄
瀬 賀 孝 子
福 原 等
内 藤 真 一
伊 藤 秀 夫
日下部 朋 子
木 下 康 司
石 川 忍
馬 場 俊 博
竹 内 誠 司
瀬 野 正 英
細 島 博 志
中 川 徹
遠 藤 則 夫
熊 谷 実
窪 田 久
石 澤 政 夫
檜ケ谷 正 道
竹 内 正
高 野 孝 治
本 田 靖 博
西 方 明 良
大 塚 明
栗 原 道 平
熊 谷 康 夫
石 田 彰
樋 口 秀 夫
武 田 英 徳
高 橋 雅 文
水 野 亨
野 島 常 雄
片 桐 裕 則
小 島 由紀夫
熊 木 みや子
石 田 博 樹
廣 川 均
田 中 明
高 橋 康 夫
水 本 秀 樹
野 村 正 史
勝 山 新 弥
小 林 しほり
栗 林 仁
石 橋 正 利
藤 田 治 作
棚 橋 定 衛
田 辺 重 幸
皆 川 信 子
長谷川 和 彦
鎌 田 昭 子
小 林 茂 広
桑 原 利 枝
伊 藤 啓 司
藤 田 普
太 原 まゆみ
田 原 隆 夫
向 井 美夜子
長谷川 宏 昭
GARMORY 真理子
小 林 孝
小 松 茂 樹
伊 藤 隆
藤 縄 利 勝
田 巻 俊 一
椿 秀 美
村 田 光 男
林 睦
久須美 浩 二
小 林 立 彦
駒 村 繁
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青山同窓会報
第 96 号
平成 25 年1月1日
(26)
佐 藤 貞 夫
佐々木 紀美子
君 英 夫
上 村 敦 子
片 山 厚 生
加 藤 清 策
71回S38年
渡 部 一 成
石 黒 久
佐 藤 政 喜
鈴 木 興 春
木 村 美智子
上 村 晃 一
加 藤 滉
金 子 健 三
相 田 康 夫
72回S39年
石 田 レイ子
三 林 輝 夫
鈴 木 幸
桐 生 和 昌
上 村 昌 司
鴨 下 守 孝
金 子 正 史
阿 部 敏 弘
赤 川 洋太郎
稲 野 和 夫
三 林 美奈子
鈴 木 滋 弥
倉 島 邦 彦
上 村 嶺 子
菊 池 利 男
川 田 昌 人
天 野 洋 一
阿 部 勲
茨 木 憲 一
柴 澤 大五郎
鈴 木 隆
桑 山 哲 治
北 村 泰 作
木 田 富士男
久 代 秀 雄
五十嵐 和 朗
阿 部 雅 子
岩 永 守 登
清 水 正 夫
関 篤 司
小 林 晋 一
草 野 佐
木 戸 恵 子
栗 山 淳 一
五十嵐 勤
阿 部 道 行
大 沢 義 弘
白 井 三 雄
関 本 敏 雄
近 藤 栄 子
久保田 幸 郎
黒 井 幸 一
桑 原 和 雄
碇 谷 正 洋
荒 井 龍 二
大 塚 正 夫
鈴 木 達 昭
高 島 敬 子
斉 藤 久美子
駒 林 進四郎
小 出 紘
小 泉 和 代
五十嵐 敦 子
井 海 明
岡 村 繁
鈴 木 恒
高 橋 卯喜男
佐 川 八重子
近 藤 義 雄
幸 田 赳 夫
小 嶋 桂 吾
五十嵐 修
石 黒 義 裕
小 川 幹 夫
関 本 康
田 村 元 吉
佐々木 邦 夫
今 野 公 和
小 島 健 二
小 林 紀 昭
石 橋 達 弥
石 田 庄
尾 口 基
髙 木 正 道
富 田 俊 枝
佐 藤 豊
齋 藤 重 信
小 島 有 治
小 松 誠 一
井 田 征 夫
今 井 美知子
小野塚 眞 一
高 橋 貞 夫
中 谷 藤太郎
塩 原 満
齋 藤 正 果
小 林 勲
小 山 正 一
伊 藤 邦 彦
植 木 和 美
片 桐 利 雄
滝 澤 敏 郎
二 宮 靖 彦
志 賀 みち子
佐々木 賢 介
後 藤 宏
近 藤 束
今 井 清 治
上 松 正 次
解 良 都代子
田 中 実
野 水 雅 行
清 水 雄 伍
佐 藤 薫
斎 藤 昭
近 藤 光 男
植 木 巌 根
内 山 正 義
小 林 桂 子
田 辺 建 一
乗 松 尋 道
白 井 節
佐 藤 泰 二
斎 藤 国 雄
斉 木 孝 雄
大 竹 純 夫
大 野 博
小 山 昭 彦
玉 木 政 美
橋 本 誠
菅 沼 重 登
佐 藤 広 則
斉 藤 駿 介
齋 藤 典 子
大 野 武 男
大 野 義 彦
近 藤 束 穂
中 野 三 義
橋 本 梁
杉 山 直 久
澤 田 勉
斉 藤 正 夫
斎 藤 忠 正
大 野 義 彰
落 田 真 一
齋 藤 信 昭
中 谷 一 泰
長谷川 精 一
関 根 昭 一
志 賀 惇
斉 藤 雅 子
斎 藤 弘 道
大 湊 幸 二
金 子 由 征
斉 藤 昭 治
難 波 勝 平
林 武 郎
瀬 下 一 三
鈴 木 喜 也
坂 爪 征 基
酒 井 ゆき子
小 川 義 一
神 林 賢 治
篠 川 和
二 木 央
半 澤 弥栄子
髙 野 宏 一
関 隆 二
篠 川 旦
坂 井 政 行
小 黒 俊 彦
賀 井 寛
佐 藤 敏 郎
根 津 重 行
平 田 孝 夫
高 橋 仁
関 川 利 男
佐 藤 孝 靖
佐 川 幹 恵
尾 崎 恵美子
北 村 誠 作
佐 野 修
野 崎 睦 美
廣 澤 憲 隆
高 橋 直 也
関 口 徹 雄
朱 敏 秀
佐 藤 一 也
小田嶋 壽 広
黒 木 トシ子
佐 野 重 雄
波多野 庄 英
福 地 利 明
高 橋 信 夫
関 根 紀一郎
塩 沢 拓 夫
佐 藤 た み
風 間 閲 子
小 松 久 義
篠 田 孝
樋 口 英 嗣
古 沢 満
滝 沢 元
関 野 敏
清 水 一 男
佐 藤 義 秋
風 間 英 昭
近 藤 正
島 倉 紀 之
樋 口 宜 久
堀 江 昭 雄
田 中 収
高 見 潔
城 田 敬 子
塩 原 聰
柄 沢 卓
斎 藤 古 志
鈴 木 淳
廣 瀬 啓 子
本 間 請 子
田 中 直 史
滝 沢 猛
菅 井 幹 夫
志 賀 安 雄
刈 田 耕 嗣
齊 藤 俊 正
関 野 弘 賢
伏 見 勝 也
松 沢 孝
玉 木 直 子
竹 石 肇
鈴 木 将 夫
品 田 悦 孝
川 上 紘 平
佐々木 勝
関 谷 清 和
藤 井 青
松 本 瑞 夫
寺 井 宏
田 中 康 一
高 杉 昭 二
菅 原 一 雄
熊 倉 哲
佐 野 正 俊
袖 山 要 一
藤 井 達 磨
丸 岡 央
堂垣内 弘 一
田 中 宣 男
高 橋 義 教
関 根 俊 明
小 池 敏 正
三 林 茂 男
高 内 則 男
本 間 忠 彦
水 野 健 治
内 藤 秀 樹
田 中 光 弥
田 巻 靖 雄
高 尾 英 明
小 泉 淑 子
篠 原 一 博
高 島 敬 二
松 木 美智子
宮 崎 道 子
中 野 仁
田 辺 稔
敦 井 栄 一
高 野 義 樹
小 杉 修 三
渋 井 保 之
高 橋 昇
丸 山 一 敏
宮 沢 一 彦
那須野 昌 弘
池 主 憲 夫
寺 尾 芳 樹
髙 見 健
木 間 勝 正
島 村 礼 子
田 中 光 二
三 浦 進 次
村 木 健 二
西 章
土 田 正
富 所 忠 男
瀧 波 祐 助
小 林 軍一郎
菅 又 滋
鶴 木 秀 司
水 野 左 敏
森 本 隆 夫
橋 本 秀 子
中 島 輝 雄
堂垣内 亨
竹 山 洋 之
小 林 碧
祖父江 邦 子
豊 岡 示 朗
宮 川 忠 和
八 木 純
原 敬 治
中 村 輝 夫
永 井 晴 美
田 中 信
小松原 秀 一
高 橋 悦 子
中 野 治
村 山 黄三郎
矢 崎 善 則
一 栁 肇
中 村 秀 子
新 田 公 子
田 中 由 夫
近 藤 昌 敏
高 橋 祐 介
中 原 和 之
村 山 雅一郎
矢 部 直 子
廣 瀬 弘
中 山 紀代子
西 野 良 夫
田 辺 豊
近 野 茂
立 川 克 雄
南 波 祐 二
山 崎 耕 一
山 口 喜 康
広 野 達 彦
長 沼 佑 幸
野 崎 武 敏
鶴 木 勇 夫
坂 井 征一郎
玉 木 功
野 城 眞 理
山 田 松 寿
山 口 信
星 允
西 原 徹
長谷川 裕 之
弦 巻 佐 藤 彬
塚 原 弘 二
長谷川 理
山 本 和 親
山 崎 稔
堀 川 楊
畑 山 勉
樋 口 正 臣
等々力 弘 康
菅 原 宗 人
塚 原 信 夫
平 川 博
鎗 居 成 治
横 瀬 功
前 田 康 久
浜 田 庄 司
平 野 光 一
内 藤 榮 樹
関 屋 真 彦
戸 田 満 弘
藤 田 肇
吉 井 士 郎
吉 田 紀 明
松 井 啓
広 川 忠 夫
廣 瀬 淳 之
中 村 啓 二
高 橋 ク ニ
冨 田 由 李
本 間 憲 治
吉 田 穂 積
吉田 六左エ門
松 井 建 吾
福 田 良 子
細 野 義 彦
中 村 重 樹
高 橋 健 造
内 藤 豊 明
丸 山 澄 夫
渡 辺 正 宣
若 林 昭
松 島 啓 二
藤 崎 昌 彦
本 間 譲
新 田 誠 一
高 橋 紘 生
中 島 彰
皆 川 雅 朋
66回S33年
渡 辺 喜 光
丸 山 英 治
藤 田 実
松 岡 由紀子
西 田 牧 衛
高 橋 豊
中 戸 義 興
南 英 雄
青 木 一 男
渡 邊 孝 男
見 田 進
堀 内 孝
的 場 義 夫
橋 本 修
田 中 眞 人
中 村 功
森 敬 治
青 木 忠 允
渡 辺 正 弘
三 堀 浩
松 橋 英 夫
水 野 美智子
花 輪 治
中 島 紀 博
中 村 民 子
山 下 俊 彦
阿 部 三 男
渡 辺 操
村 山 実
松 原 伸 子
村 上 則 彦
馬 場 照 恵
中 野 久
丹 羽 正 之
鰐 渕 勉
池 政 男
67回S34年
保 田 勲
松 本 章
矢 川 一 義
日江井 敦 子
中 野 洋 子
根 布 秀 子
74回S41年
池 田 葵
赤 澤 宏
山 際 肇
丸 山 弘
山 田 栄
伏 見 省 三
中 村 英 一
橋 本 俊 彦
藍 沢 幹 人
稲 月 喜 一
味 方 繁 夫
山 口 文 夫
水 上 耕一郎
吉 野 國 夫
藤 井 朝 子
長 井 義 輝
樋 浦 孟
相 場 哲 朗
今 井 正 雄
阿 部 紘 一
山 田 穣
村 山 幸 夫
両 川 政 道
藤 井 保 男
永 井 泉
船 岡 信 雄
相 場 文 夫
今 井 泰 博
阿 部 智
吉 田 一 郎
梁 取 健
渡 辺 国 正
増 田 勝 弥
西 尾 レ ン
古 山 恒 夫
青 海 潔
岩 橋 平 吉
池 隆 夫
渡 辺 脩
若 松 昌 弘
70回S37年
松 原 紘
西 埜 孝 樹
堀 川 武
井 海 範 子
薄 田 芳 丸
石 井 恵 子
渡 部 康
渡 部 治 子
井 口 礼 里
右 田 洋
西 村 俊 男
本 間 政 春
五十嵐 由 之
内 田 定 寛
石 井 幹 男
68回S35年
69回S36年
池 田 好 正
水 上 和 雄
野 﨑 善 治
真 柄 頴 一
池 一
榎 並 義 允
市 原 昭 一
赤 塚 五十二
阿 部 治 男
石 井 幸 子
水 野 邦 生
野 沢 正 樹
牧 野 秀 樹
石 原 法 子
江 村 聖 治
伊 藤 紀 朗
安 達 賢 司
阿 部 正 昭
石 井 鐐 二
南 貞 嘉
長谷川 守
松 永 宏 五
石 本 陽 子
小 川 亮 一
今 泉 信 作
安 達 雅 巳
飯 島 信 輔
伊 藤 万 里
三 原 邦 夫
浜 田 敏 克
松 原 和 子
和 泉 潤
小 木 順一郎
大 滝 正 通
安孫子 晋 治
伊海田 英 夫
伊 藤 善 允
村 田 紀 夫
福 井 明 子
丸 田 尭
伊 藤 幸 司
乙 川 正 次
大 野 敏 昭
阿 部 俊 明
池 田 正 夫
稲 野 欽 一
村 松 信 輔
藤 田 昭 彦
宮 村 晋
伊 藤 宏
風 間 聰 一
岡 崎 功
阿 部 尚 武
石 川 健 一
猪 口 孝
森 井 滋
本 田 春 雄
吉 沢 篤 子
稲 葉 伸 雄
加 藤 孝 子
小 川 トモエ
伊佐早 幸 男
石 本 隆太郎
今 井 正 昭
山 岸 恒 夫
真 柄 成 一
吉 田 秀 穂
井 上 渉
加 藤 靖 夫
小 川 宏
石 黒 正 子
今 井 昭 雄
岩 脇 秀 廸
山 岸 憲 安
松 田 裕 子
和久井 和 彦
薄 田 祥 子
金 澤 幸 夫
奥 村 紀 男
石 橋 輝 樹
入 山 哲 郎
牛 沢 克 巳
山 口 セ ツ
松 原 要 一
渡 辺 一 重
江 口 則 男
金 子 兼 三
小 沢 秀 雄
礒 辺 潔
岩 尾 信 宏
歌 川 亨 一
横 山 尚 子
松 谷 邦 憲
渡 辺 国 夫
大 石 憲 一
金 子 義 信
小 野 勝 義
板 垣 昭 男
内 山 康 雄
江 口 光 夫
横 山 治 夫
丸 山 鉄 彦
渡 辺 玄 弥
大 田 正 孝
神 田 征 輝
鍵 冨 靖 雄
岩 原 修 爾
大 川 昭一郎
大 塚 哲 夫
吉 川 正 孝
丸 山 紀 子
渡 辺 毅 之
大 滝 均
熊 谷 國 男
片 山 忠 一
大 原 綾 子
大 関 久美子
小 川 弘 良
吉 田 豊
宮 川 善 徳
渡 部 正 敏
大 森 寛
小 泉 正 俊
加 藤 弘
奥 村 ミ イ
大 谷 勝 美
小 川 瑞 枝
鷲 頭 宏 二
山 内 幹 夫
73回S40年
岡 村 健 吉
小 出 秀 二
川 口 襄
小野塚 芳 雄
大 森 ゆかり
小 沢 欣 治
渡 部 坦
山 下 正 文
阿 部 達 也
小 木 恵 介
小 林 啓 志
川 崎 ヒロ子
片 桐 靖 孝
小 川 敏 子
小 幡 清 司
渡 辺 允 雄
山 田 征二郎
阿 部 裕
奥 寺 淳 子
小 林 裕 子
岸 田 興 治
加 藤 健 一
小 黒 朋 弘
風 間 秋 利
渡 辺 麗 子
山 本 俊 介
荒 木 恒 雄
小 原 俊 雄
近 藤 宏 一
北 川 寛
加 藤 達 雄
鍵 冨 雅 雄
風 間 義四朗
渡 部 美那実
若 林 忠
飯 塚 英 明
風 間 悦 男
合 田 春 美
北 場 勝 也
加 藤 ト モ
笠 原 弘
加 藤 邦 紘
渡 辺 清 雄
飯 村 修
鹿 島 正 裕
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
青山同窓会報
(27) 第 96 号
平成 25 年1月1日
猪 股 成 美
曽 我 浩
高 橋 陽 一
齋 藤 卓 史
木 村 昇
石 崎 敬
水 野 一
戸井田 一 美
清 水 良 男
今 城 信 敬
高 田 龍 介
高 山 昇二郎
斉 藤 邦 夫
木 村 政 雄
石 崎 富士臣
皆 川 重
栂 坂 昌 言
鈴 木 厚 生
上 田 宏
種 村 祥 一
田 辺 治
坂 口 英 一
熊 谷 隆 幸
石 田 忠 郎
湊 一 子
中 村 瑛
鈴 木 喬
浦 野 説 衛
中 川 弘
種 岡 健
佐々木 城
倉 茂 周 典
石 田 寛
嶺 國 和
中 村 輝 一
鈴 木 悌 三
江 口 直 禎
永 井 勝 雄
中 野 文 郎
佐 藤 孝
小 池 弘
石 田 幸 夫
宮 本 輝 夫
中 村 道 衛
高 木 睦 弘
遠 藤 昭 伍
永 井 克 孝
長 橋 敏 雄
佐 藤 忠 春
小 出 廣 記
岩 渕 眞
村 木 修
長 津 栄佐子
高 橋 俊之助
大 田 宏
波田野 松 重
納 谷 喜 郎
清 水 悌 作
小 島 政 孝
上 原 明
村 木 隆
二階堂 修
高 橋 喬 樹
大竹 多計二郎
浜 田 正 昭
西 脇 諭
杉 野 剛 博
小 嶋 哲 夫
内 山 一 雄
村 山 悦 朗
二 木 信 行
高 橋 幸 雄
小 田 一 彦
早 川 淳
能 登 省 三
曽 我 淳
小 杉 秀 一
内 山 隆 之
守 口 隆 夫
西 村 允
田 才 邦 彦
鹿児島 昌 雄
早 川 哲 夫
畠 中 勝
曽 我 忠 夫
小 林 孝 司
大 澤 澄 男
山 川 廣 之
新田見 哲 也
田 代 壮治朗
笠 原 健一郎
平 田 次 彦
花 井 進
高 城 英 雄
小 林 貞 夫
大 高 康 夫
山 越 寿 夫
庭 山 昌 明
立 川 實
加 藤 勝 則
福 島 惣 吉
早 山 康 之
髙 橋 栄 明
小 林 元 雄
大 西 浩 介
渡 邊 冨二雄
野 口 孝
田 中 堅一郎
金 子 昌次郎
藤 崎 茂
藤 由 学
田 辺 寛
小 山 達 人
貝 津 徳 男
渡 辺 順 司
長谷川 潤 治
田 辺 元 彦
上 村 幹 雄
藤 村 洋
藤 原 幸 雄
田 村 和 郎
斎 藤 義 明
貝 沼 由 紀
渡 辺 真
長谷川 正
谷 久
岸 野 健 一
堀 内 俊 夫
堀 滋 久
戸 川 正 弘
佐久間 洋 一
梶 井 啓 右
和 田 斐 夫
馬 場 政 説
田 村 康 一
幸 田 慶 治
本 間 庄 二
三 崎 良 次
徳 田 浩 一
佐々木 繁
加 藤 美 明
63回S30年
平 原 正 男
田 村 進
小 嶋 芳 郎
前 田 三 郎
皆 川 潔
富 山 佑 男
佐々木 肇
角 家 孝 之
間 潔
藤 井 尚 治
千 原 久 人
小 松 重 男
間 島 速 雄
宮 田 兼 好
中 田 亨
佐 藤 敏 夫
神 成 粛 一
赤 羽 良 樹
藤 井 洋
塚 本 暉 磨
近 藤 源 也
松 浦 祥 夫
八 島 敏 弥
中 村 信 夫
佐 藤 眞 武
木 村 望
浅 野 康 一
保 苅 由紀子
坪 井 正 康
斉 藤 恒
宮 川 幸 司
山 田 一 介
中 山 弘
塩 谷 明
黒 川 徹 男
穴 澤 祐 哉
牧 野 英 二
中 林 弘
坂 井 恒 雄
宮 沢 昭
山 宮 英 世
長 橋 洸
柴 田 實
小 池 健 治
阿 部 聡
松 井 光 一
仲 村 恒
清 野 誠 二
望 月 和 明
吉 川 篤
成 田 禎 作
柴 野 良 一
河 野 開
阿 部 達
松 本 欣 一
庭 山 暢 彦
髙 塚 勝 吉
山 谷 晧 榮
吉 川 文 雄
野 村 保 夫
菅 原 和 明
近 綾 子
荒 井 正
真 山 俊
畑 野 晋 也
高 松 昭
行 田 宏
吉 田 陽 吾
橋 本 行 雄
鈴 木 正 三
近 藤 琢 也
五十嵐 健 治
三 浦 喜代次
廣 川 祐 之
田 中 孝
渡 辺 達 夫
渡 辺 初 男
長谷川 秀 三
巣 山 誠 之
近 藤 哲 朗
五十嵐 信一郎
水 落 義 樹
藤 澤 靖 郎
田 中 陽 一
和 田 憲 雄
渡 辺 満
長谷川 信 夫
関 根 理
斎 藤 隆 志
五十嵐 房 子
皆 川 守
星 晃
中 山 昭 一
59回S26年
60回S27年
濱 田 達 三
高 浪 洋
斎 藤 健
池 治 男
南 満寿子
星 満
中 由 正 男
相 川 義 信
阿 部 康
早 川 貞 夫
髙 野 恒 行
坂 井 幸 男
石 川 庄 吾
村 田 正
星 野 邦 彦
南 雲 照 三
青 木 久 馬
安 藤 正 人
平 田 大 六
滝 沢 哲 也
佐 藤 勝 彦
居 城 正 二
村 山 弘 義
本 間 義 章
野 沢 英 雄
青 柳 実
井 海 孝
広 川 達 郎
竹 尾 昇
佐 藤 晃一郎
石 渡 利 男
山 田 恵 一
桝 潟 晴 夫
畠 山 茂
旭 祐 善
五十嵐 邦 一
広 瀬 欽次郎
竹 山 恒 夫
佐 藤 恰
泉 均
山 田 力
松 田 勲
早 川 潔
安 食 裕 夫
五十嵐 健 一
藤 本 剛
田 中 宣
佐 藤 誠 也
市 井 吉三郎
山 田 豊
松 原 迪 夫
伴 昭 彦
阿 部 進
五十嵐 弘
星 野 昭 夫
田 中 忠 夫
佐 藤 武 司
市 川 瑞 夫
山 根 晴 子
三日月 賢 二
深 滝 英 彦
阿 部 昌 雄
伊 狩 三喜男
星 野 昇
土 田 常 武
佐 藤 信 夫
伊 藤 寿 介
山 宮 英 樹
村 山 俊
藤 井 泰 介
新 川 滋
池 浦 厚 司
本 間 一 浩
富 川 龍 之
重 野 直 也
伊 南 純 雄
山 本 弘 司
森 田 一 郎
堀 藤四郎
飯 塚 実
池 田 和 之
松 井 幸 彦
中 野 進
白 井 幸 彦
今 井 幸 雄
山 本 潤 一
山 﨑 雅 司
松 井 昭 五
飯 村 康 一
池 端 哲
丸 山 敏 視
中 村 雄 彦
新 保 利 博
江 口 律 子
油 本 暢 勇
吉 川 要 輔
村 川 順 三
五十嵐 哲 夫
石 川 紀一郎
水 野 哲 雄
中 村 龍 雄
杉 内 愛
遠 藤 秀 男
横 田 美 昭
若 槻 晃 一
目 黒 剛
池 田 修 次
石 黒 忠 士
宮 崎 通 城
長 沼 雄 峰
鈴 木 勉
大 坂 敏
吉 田 奎 介
65回S32年
山 崎 洪 二
石 山 芳 昌
泉 精 司
宗 村 健 吾
南 波 誓 治
鈴 木 哲 夫
太 田 滋
渡 辺 昌 夫
相 田 稔
横 山 芳 郎
市 川 鉄 夫
市 川 豊
山 崎 健
庭 山 煕 彦
曽 我 健
大 橋 道 雄
渡 辺 要一郎
浅 田 和 之
若 槻 馨
伊 藤 瑞
伊 藤 貞 夫
山 崎 賢 隆
野 俣 徹
髙 橋 健 一
岡 田 靖
和 田 和 男
安 食 悟 朗
57回S24年
牛 木 素吉郎
入 山 文 郎
山 崎 峯 平
長谷川 義 明
高 橋 利 保
小 畑 忠 夫
64回S31年
安 宅 厚
笹 川 孝 作
園 城 英 二
上 杉 雅 之
山 田 誠
長谷部 良 雄
立 川 国 臣
柏 正 平
青 木 信 道
阿 部 喜久子
鈴 木 廣
大 石 正 夫
内 山 真 一
山 本 淳 夫
浜 口 福 寿
田 中 昭 夫
片 桐 重 雄
池 浦 慶 次
阿 部 直
武 山 恒 男
岡 田 久
大 田 英 男
渡 邊 修
番 場 道 夫
田 中 毅
片 田 宏 一
植 村 鞆 音
阿 部 正 躬
室 谷 昇 平
奥 村 繁 樹
大 橋 威
渡 辺 祐 吉
藤 井 真 夫
田 村 貫次郎
金 川 博
内 海 公 子
荒 川 哲 夫
58回S25年
小 柳 佳一郎
岡 村 嘉 志
61回S28年
藤 崎 隆 三
田 村 恭 子
加 野 英 資
江 口 一 弥
安 藤 宜 清
青 柳 廣 士
笠 井 駸
小 川 秋 実
浅 間 道 子
藤 田 太 郎
遠 山 晴 夫
北 村 壽 一
大 石 正 晃
飯 野 勝 栄
赤 塚 行 司
金 巻 久
奥 田 達 也
浅 見 昭 夫
藤 田 宏
外 山 啓
栗 田 雄 三
大 倉 孝 男
五十嵐 徹
浅 田 秀 雄
唐 津 和 雄
尾 嶋 静
安 宅 久 憲
藤 原 信 雄
中 川 洋 吉
計 良 伸 正
太 田 恵 子
池 隆 史
阿 部 隆
河 合 德 壽
落 合 夏 樹
阿 部 徳治郎
古 沢 善 文
中 島 寛
小 島 不 二
籠 島 廣
石 黒 元
植 村 末 哉
川 上 昭八郎
甲 斐 佐智男
天 児 和 暢
本 間 淑 人
中 村 洋二郎
小 林 章 営
風 間 士 郎
市 原 民 郎
内 山 準之助
川 上 忠 男
加賀田 實
安 藤 友 憲
丸 山 建 吾
中 村 義 一
小 林 俊 雄
片 桐 彰 子
伊 藤 不二男
遠 藤 整 治
菊 地 晴 彦
笠 原 功
池 田 元 嘉
丸 山 通 夫
永 井 梓
小 林 洋 一
柄 沢 茂
岩 野 一 郎
遠 藤 照 雄
菊 池 裕
片 岡 眞
石 井 淳
丸 山 稔
西 野 勲
小 林 洋 子
川 崎 明
植 木 昭 彦
大 関 允 良
清 野 孝 一
金 山 常 吉
石 井 壯 一
湊 秀 平
長谷川 舜 治
近 藤 昌 泰
菊 地 可寿子
大 野 靖 雄
大 山 芳 郎
倉 品 克 明
河 田 鐡 雄
石 山 謹 治
向 川 恒
長谷川 櫻 井 競
北 村 市 郎
大 橋 修 一
岡 田 耕 衛
栗 林 貞 夫
神 田 三 夫
居 城 慶 一
村 岡 公 夫
原 滋 郎
白 井 僖 夫
木 村 坦
大 堀 隆 夫
小 熊 勇 司
栗 林 重 夫
金 塚 尚
伊 藤 英 子
村 田 俶
原 正 雄
白 倉 至
熊 谷 勝
岡 村 嘉 雄
片 桐 欣 哉
栗 林 貞 一
熊 谷 忍
伊 藤 良 介
村 山 国 弥
平 原 康 男
杉 山 弘 道
桑 野 光 雄
小 川 正
加 藤 高 弘
小 城 一 廣
熊 倉 正 司
稲 垣 甫 玄
村 山 健
広 野 耕 一
鈴 木 恒 夫
小 林 脩
小 栗 政 夫
金 子 忠
小 林 圭 次
熊 倉 登
今 井 晃
谷田部 信
福 田 生 一
相 墨 直 彦
近 信 雄
笠 原 成 美
神 田 勉
小松原 金 二
玄 間 敏 雄
江 口 良 助
矢 田 昌 三
藤 木 茂
相 馬 潔
近 藤 恭 一
風 間 美 禰
木 村 善 章
笹 川 一 雄
小 石 光 夫
江 村 隆 三
山 田 充
藤 巻 圭 介
高 木 研 三
齊 木 幸 彦
金 巻 啓司郎
小 林 一 男
佐 藤 純 一
小 出 直
太 田 賢 輔
横 村 一 郎
藤 山 陽 三
高 木 章 介
斉 藤 邦 男
川 合 英 次
小 林 正 吉
佐 藤 吉 雄
小 島 洋 吉
大 滝 儷 子
若 林 瑞 穂
藤 原 岑 子
髙 橋 知 義
坂 井 俊 一
河 路 明 夫
近 寅 彦
茂 泉 喜 彦
小 林 賢 一
大 野 恭 信
渡 辺 皐 哉
帆 苅 宏 典
瀧 澤 一 彦
坂 井 敬
神 林 純 夫
近 藤 信 夫
品 田 茂 博
小 林 吾 郎
奥 村 啓 一
62回S29年
星 野 陸 夫
瀧 澤 正 元
佐 川 清 士
神 林 恒 道
坂 井 熙 一
渋 木 幸 三
小 林 庄一郎
勝 沼 正 郎
青 木 留 蔵
堀 口 忠 五
竹 部 敏 雄
佐 藤 明 雄
木 滑 孝 一
坂 井 春 夫
白 井 三 男
小 林 進一郎
加 藤 栄 一
青 柳 正 男
枡 山 純
竹 山 行 三
佐 藤 章
小 林 茂
佐 藤 俊 彦
鈴 木 誠 一
小 林 亨
川 井 達 夫
五十嵐 昭 雄
町 田 仁
田 中 貞 夫
佐 藤 幸 治
小 林 亘
佐 藤 弘
関 根 享
小 林 智 明
川 崎 榮 一
五十嵐 邦 弥
丸 田 康 雄
土 田 浩 平
佐 藤 唯 司
近 藤 昭 雄
里 村 専 精
高 橋 晴 夫
小 山 功
河 辺 明 彦
池 田 昌 之
丸 田 宥 吉
土 屋 信 之
柴 田 史 朗
近 藤 良 雄
白 井 博
高 橋 正 利
齋 木 守 雄
北 村 富士雄
石 黒 恒
三 國 龍 彦
寺 島 雅 範
清 水 裕 子
佐 藤 勝 弘
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
青山同窓会報
第 96 号
(28)
平成 25 年1月1日
平成 24 年度 青山同窓会会費納入者
(H 24. 4. 1~H 25. 3.31)
4月より9月末まで納入いただいた方を掲載しております。10 月以降に納入いただいた方は次号に掲載いたします。
会費を納入していただきますと「青山同窓会報」を毎号お届けいたします。申し訳ありませんが、
納入のない方には「会
報」をお送りすることができなくなってしまいます。本年度未納の方は是非3月までにお振り込みくださいますようお願
い申し上げます。
平成 25 年度会費納入のお願いと振込用紙は、平成 25 年度総会のご案内と一緒にご郵送いたします。
1口 1,000 円。できるだけ2口以上でお願いいたします。
振込先:郵便振替口座 全日制 00650-7-4455 青山同窓会 通信制 00530-1-74207 青山通教部会
全日制
中 村 國 夫
佐 藤 忠一郎
大 川 正 彦
北 村 茂
河 端 昭 二
53回S20年
長 場 雅
笹 谷 哲 也
31回T13年
長谷川 渙
諏 訪 宏
勝 見 秀 也
小 林 愼 治
岸 田 二 郎
阿 部 定 一
野 口 国 典
庄 司 元 一
松 井 道 夫
長谷川 健次郎
髙 松 利 男
上 村 光 司
小 宮 富 郎
木 村 元 衛
荒 木 典 雄
野 口 俊 作
渋 木 登
36回S4年
円 山 哲四郎
土 田 節 也
小 林 淳 郎
斉 藤 素 一
小 島 嘉 彦
飯 島 鋕 良
広 野 究
鈴 木 俊 雄
風 間 忠 雄
綿 井 兵 衛
廣 瀬 努
髙 橋 忠 行
坂 井 慎
齋 藤 泰五郎
飯 田 洋 一
藤 田 英 治
早 福 卓
40回S8年
46回S14年
望 月 彰
寺 田 秀 夫
笹 川 重 男
佐 藤 秀 夫
飯 野 俊 栄
本 間 敏 雄
高 橋 輝 雄
鈴 木 保 穂
江 口 松 弘
吉 川 三 吉
中 林 茂 之
杉 山 久 雄
佐 藤 陽 二
石 沢 嘉 彦
正 木 宏
高 橋 弘
真 柄 慎 平
大 津 任
渡 辺 鋠 作
長谷川 陽 三
鈴 木 誠 二
佐 藤 隆 三
板 津 尭
盛 山 淑 郎
高 橋 安
41回S9年
鍵 冨 春 雄
49回S17年
古 川 聰
髙 橋 義 和
里 見 義 泰
稲 月 作之助
諸 橋 莞 治
千 葉 繁 治
阿 部 久 二
熊 谷 大 輔
池 田 眞 吾
本 間 生
千 葉 繁 太
澤 田 義 郎
上 杉 純 一
山 作 房之輔
土 田 達 禅
金 子 清
佐 藤 正 利
梶 山 勝 清
真 柄 三 夫
野 瀬 弘 一
柴 田 利一郎
内 山 昭 三
山 田 豊
常 木 剛
神 田 明
下 勇
駒 林 行 弘
水 野 哲 郎
長谷川 直 大
真 保 禎 二
大 倉 憲 吾
渡 辺 義 隆
富 所 壽 男
高 田 弥 彦
手 島 恵 昭
酒 井 忠 正
村 山 一
波田野 勇 松
鈴 木 昭
大 滝 侃 市
54回S21年
外 山 清
42回S10年
原 泰 三
佐 藤 博
山 田 璋 治
花 澤 博
関 口 次 郎
小 林 松 郎
斎 藤 雅 彦
中 田 繁 夫
今 井 包 和
藤 巻 貫
中 野 重 孝
吉 澤 績
藤 井 一 郎
坪 谷 誠
佐 藤 昭太郎
佐 藤 壮 一
平 山 顕 二
森 山 敏 雄
横 山 隆 二
中 村 廣 徳
吉 村 武 郎
藤 井 英 克
富 取 徳 夫
白 井 道 夫
保 倉 修
星 井 正 春
43回S11年
米 原 進
仁 保 武 人
渡 辺 欣 次
細 貝 繁 男
中 川 義 郎
鈴 木 俊 英
保 倉 保 興
前 田 利 雄
笹 川 謙 録
47回S15年
畑 新 次
51回S19年
真 島 建
永 井 淳 一
高 橋 英 一
55回S22年
真 谷 誠 慧
早 船 春 洋
岩 谷 又 武
広 川 弘
青 木 智
真 野 量 次
成 田 昭 一
高 橋 勝 彦
青 山 昭 郎
松 浦 徳 雄
渡 部 一 郎
倉 井 整
弘 中 博 元
青 木 博 夫
三 村 一 郎
野 崎 一 朗
高 松 和 丸
新 井 勝 龍
松 本 明 芳
44回S12年
古 寺 鴻
堀 内 憲 政
荒 井 奥 弘
村 上 安 仁
廣 川 勲
高 山 義一郎
石 本 林 三
宮 尾 益 敏
小 池 寿 哉
斎 藤 良 介
本 田 正 胤
今 泉 笑 顔
八木野 恒 夫
廣 川 昭 二
田 崎 国 夫
伊 藤 健二郎
武 藤 輝 一
小 泉 大 三
志 賀 武 司
水 本 正 弥
歌 川 正 博
横 木 義 男
藤 田 禮 一
玉 木 將二郎
今 井 兼 智
山 崎 賢 二
高 野 伸 三
菅 井 隆 一
山 口 正十三
大 関 雄 策
52回S20年
本 田 等
丹 後 源太郎
今 湊 良 敬
山 田 甚 平
西 山 尚 三
杉 山 弘 治
50回S18年
大 滝 映 夫
青 山 秀
三井田 彦 二
長 道 雄
上 杉 伸 二
吉 澤 有 介
星 野 圭
中 野 忠 雄
五十嵐 清
大 山 龍 蔵
阿 部 秋 由
村 島 滋
津 野 務
大 島 壮 一
吉 原 賢 二
宮 川 一 郎
中 村 正 秀
池 田 成 德
岡 村 安 雄
阿 部 晃 介
村 山 玄二郎
手 島 修
笠 原 孝 雄
56回S23年
45回S13年
吉 田 富 忠
池 田 信 彦
岡 本 耕 治
安 藤 一 郎
山 崎 利兵衛
寺 崎 哲 夫
片 岡 啓一郎
赤 坂 長 弥
笠 原 義 春
48回S16年
石 﨑 浩
小 野 芳 一
石 崎 昭 一
吉 田 赳
中 島 常 雄
勝 見 聡 也
朝比奈 和 三
小 島 平 彌
秋 元 俊 明
犬 井 政 榮
梶 井 功
岡 崎 昭 児
渡 邊 亘
中 田 昭
金 井 良 司
網 干 道 雄
関 崎 睦 男
五十嵐 晧 太
今 井 弘
金 巻 保 男
奥 山 實
渡 辺 千 春
中 村 弘 道
金 子 隆 弘
荒 川 昭 寿
寺 山 恒 男
北 村 英 朗
江 口 晃
川 瀬 煕
乙 川 良 英
中 山 政 夫
川 崎 貞 夫
飯 島 昌 弥
全日制
31 回
32 回
33 回
34 回
35 回
36 回
37 回
38 回
39 回
40 回
41 回
42 回
43 回
44 回
45 回
46 回
47 回
48 回
49 回
50 回
51 回
52 回
53 回
卒業年
T 13 年 1954 年
T 14 年 1955 年
T 15 年 1956 年
S2年
1957 年
S3年
1928 年
S4年
1929 年
S5年
1930 年
S6年
1931 年
S7年
1932 年
S8年
1933 年
S9年
1934 年
S 10 年 1935 年
S 11 年 1936 年
S 12 年 1937 年
S 13 年 1938 年
S 14 年 1939 年
S 15 年 1940 年
S 16 年 1941 年
S 17 年 1942 年
S 18 年 1943 年
S 19 年 1944 年
S 20 年 1945 年
S 20 年 1945 年
通信制
全日制
54 回
55 回
56 回
57 回
58 回
59 回
60 回
61 回
62 回
63 回
64 回
65 回
66 回
67 回
68 回
69 回
70 回
71 回
72 回
73 回
74 回
75 回
76 回
卒業年
S 21 年 1946 年
S 22 年 1947 年
S 23 年 1948 年
S 24 年 1949 年
S 25 年 1950 年
S 26 年 1951 年
S 27 年 1952 年
S 28 年 1953 年
S 29 年 1954 年
S 30 年 1955 年
S 31 年 1956 年
S 32 年 1957 年
S 33 年 1958 年
S 34 年 1959 年
S 35 年 1960 年
S 36 年 1961 年
S 37 年 1962 年
S 38 年 1963 年
S 39 年 1964 年
S 40 年 1965 年
S 41 年 1966 年
S 42 年 1967 年
S 43 年 1968 年
通信制
1回
2回
3回
4回
5回
6回
7回
8回
9回
10 回
全日制
77 回
78 回
79 回
80 回
81 回
82 回
83 回
84 回
85 回
86 回
87 回
88 回
89 回
90 回
91 回
92 回
93 回
94 回
95 回
96 回
97 回
98 回
99 回
卒業年
S 44 年 1969 年
S 45 年 1970 年
S 46 年 1971 年
S 47 年 1972 年
S 48 年 1973 年
S 49 年 1974 年
S 50 年 1975 年
S 51 年 1976 年
S 52 年 1977 年
S 53 年 1978 年
S 54 年 1979 年
S 55 年 1980 年
S 56 年 1981 年
S 57 年 1982 年
S 58 年 1983 年
S 59 年 1984 年
S 60 年 1985 年
S 61 年 1986 年
S 62 年 1987 年
S 63 年 1988 年
H1年
1989 年
H2年
1990 年
H3年
1991 年
通信制
11 回
12 回
13 回
14 回
15 回
16 回
17 回
18 回
19 回
20 回
21 回
22 回
23 回
24 回
25 回
26 回
27 回
28 回
29 回
30 回
31 回
32 回
33 回
全日制
100 回
101 回
102 回
103 回
104 回
105 回
106 回
107 回
108 回
109 回
110 回
111 回
112 回
113 回
114 回
115 回
116 回
117 回
118 回
119 回
120 回
卒業年
H4年
1992 年
H5年
1993 年
H6年
1994 年
H7年
1995 年
H8年
1996 年
H9年
1997 年
H 10 年 1998 年
H 11 年 1999 年
H 12 年 2000 年
H 13 年 2001 年
H 14 年 2002 年
H 15 年 2003 年
H 16 年 2004 年
H 17 年 2005 年
H 18 年 2006 年
H 19 年 2007 年
H 20 年 2008 年
H 21 年 2009 年
H 22 年 2010 年
H 23 年 2011 年
H 24 年 2012 年
通信制
34 回
35 回
36 回
37 回
38 回
39 回
40 回
41 回
42 回
43 回
44 回
45 回
46 回
47 回
48 回
卒業年一覧表
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
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