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第1回 アートセンターのためのサロントーク
記録
●日
時:2013 年 1 月 25 日(金)18:30~20:30
●場
所:北海道教育大学札幌駅前サテライト sapporo55 4階
●ゲ
ス
ト:池田 修氏(BankART1929 代表、PH スタジオ代表)
池尻 美紀氏(アーツコッミション・ヨコハマ職員)
●コ ー デ ィ ネ ー タ ー:伏島 信治氏(伏島プランニングオフィス代表)
●参
加
者:78 名
●第 1 回 目 の テ ー マ:アーティストが創り出すクリエイティブシティ・ヨコハマ
1
皆さんこんばんは。本日は大変足元の悪い中
1.開会
○司会
を、このように多数の方にご参加いただきまし
これから第1回の「アートセンターのための
てありがとうございます。
サロントーク」を進めていきたいと思います。
これだけの方が参加するというのは、ちょっ
すでにお配りのお手元のチラシ、このデザイン
と私もびっくりしておりまして、アートセンタ
はデザイナーの佐々木大輔さんがサロントーク
ーに対する関心の深さというものを改めて感じ
のためにデザインしてくださいました。
るところでございます。
佐々木さんいわくこのデザインというのは、
アートセンターは、先ほどのお話もありまし
まだアートセンターといものは形作られていな
たように、札幌市の文化芸術全体を支え育てる
い、ただの空壁、空間であるというイメージで、 ための拠点施設ということで、札幌市が今検討
そこに色を着けていくのは皆さんでしょうとい
を進めているものです。アートセンターは市役
うような意味を込めてつくっていただいきまし
所の北東の斜め筋向かいの所に建設予定の、市
た。
民交流複合施設内に設置する予定で検討してい
ですから、今日の主旨にピッタリ合っており
ます。この施設は、2,000 席以上の大きなホール
まして、これから皆さんと共に札幌らしいアー
を中心としており、平成 30 年度オープンを目指
トセンターの在り方を考えていくスタートだと
しています。
アートセンター自体については、平成 21 年の
思っております。
このサロントーク、本日から2月3月と3回
時に、札幌市の文化政策で定めております札幌
の連続で考えております。各回に、各地でアー
市文化芸術基本計画という計画の中で今後検討
トや創造活動を通してまちづくりに取り組まれ
を進めていくという事を記述してございました。
ているゲストをお呼びし、さらに札幌のアート
それに基づきましてちょうどその年から、札幌
関係者の方にコーディネートしていただく中で、 の文化芸術に詳しい学識経験者の方ですとかア
参加者の皆さんと同じ目線で話をしていきたい、 ーティストの皆さんですとか、そういった方々
という風に考えております。どうぞよろしくお
を委員といたしまして検討委員会を設けて検討
願いいたします。
を進めてまいりました。
そして平成 23 年3月に、検討委員会から提言
それでは最初に、主催者の札幌市の杉本部長
書をいただいております。皆さまのお手元にお
さんにご挨拶をお願いします。
配りしております冊子がございます。これが検
討委員会の中で委員の皆さま方にご提言いただ
2.あいさつ
○札幌市観光文化局文化部
杉本部長
いた内容でございます。この内容を基本、土台
といたしまして、現在札幌市の方ではアートセ
ンターについて検討を進めているという状況で
ございます。
アートセンターという施設は、札幌市にとっ
ては今までに似たような施設がほとんどない初
めての施設でございますし、市民の皆さまにと
りましても聞きなれないというか、どんな施設
なのか見当もつかないような施設ではなかろう
かと思います。
2
そこで今回、アートセンターなどの取り組み
にお詳しい他都市の先生方や、札幌市の文化芸
術に詳しい方々、こういった先生方に参加して
いただきまして、本日を皮切りに3回程度アー
トサロントークを開催していきたいと考えてい
る次第でございます。
このアートサロントークを通しまして、他都
市の類似施設とはどのような内容なのか、とい
ったようなことについて理解を深めていただき
まして、本市がこれから整備しようとしており
皆さんこんばんは。今日はお越しいただきあ
ますアートセンターに関するイメージを膨らま
りがとうございます。札幌市でアートセンター
せていただければ、主催者側としてたいへん幸
の担当をしております文化部市民文化課の井内
いに存ずる次第にございます。
と申します。よろしくお願いいたします。
本日はたいへんお忙しい中を、横浜市のアー
今日は皆様にアートセンターの検討委員会か
ツコミッションの池尻美紀さん、そして同じく
らの提言書とその概要を資料としてお配りして
横浜のBankARTの池田修さんのお二人の
おります。まずその概要につきまして、私の方
方、そしてコーディネーターといたしまして伏
から簡単にご説明をさせていただきます。
島先生にご参加をいただきまして、この回を開
まず、アートセンターの目指すもの・目標で
催することとなりますが、この場をお借りいた
ございますが、これはアートの持つ創造性をま
しまして、心から厚く御礼を申し上げたいと思
ちづくりに活かし、札幌をアートの香りのする
います。
まちとし、誇りを持って世界に発信できるまち
また併せてこの回を開催するにあたりまして、 とすること、そしてこのようなアートセンター
本日会場を提供していただきました教育大学の
を実現するために、それを3つの役割、さらに
岩見沢校、国際芸術祭の実行委員会、そしてA
4つの機能に分けて説明をしております。この
CF文化芸術フォーラムの皆さま方に対しまし
3つの役割は、まず札幌の文化芸術の裾野を拡
ても、厚く御礼を申し上げたいと思います。
げると同時に、札幌の文化芸術の頂点を引き上
たいへん簡単ではございますけれども3回の
げる、そして札幌固有の文化芸術資産を有機的
アートサロントークの開催にあたりましてのご
に繋ぐことで札幌テイスト溢れる新たな価値を
挨拶に代えさせていただきます。
創造すること、つくり手とうけ手の新しい関係
をつくり札幌の創造性を高める、という事でご
どうもありがとうございました。
ざいます。
その役割を実現するために4つの機能が位置
3.サロントークの目的とアートセンター
の役割
づけられています。ひとつ目にマネジメント機
○司会
能が挙げられております。マネジメントという
続きまして、このサロントークの位置付け・
と、企画立案ですとか関係機関の調整や資金調
目的について、札幌市の市民文化課の井内係長
達、鑑賞者の開拓や広報、マーケティング、権
に簡単にご説明をいただきたいと思います。ど
利関係の処理など多くの事柄を含むものだと思
うぞよろしくお願いします。
います。
○札幌市観光文化局文化部市民文化課井内係長
アートセンターのマネジメントの目的は、札
3
幌らしい札幌テイスト溢れる文化芸術表現を創
介したりオススメを紹介するようなきめ細やか
出するということです。提言ではこのマネジメ
な情報提供の仕組みをつくること。また市民と
ント機能を4つに分けて説明しております。
アーティストを結び、よりアートに興味を持っ
まず協働のマネジメントということで、いろ
ていただくためのアートサロンですとか、札幌
いろなジャンルの協働によって優れた文化芸術
のアート関係の協議会を支援する取り組みなど、
表現の発信をしていくこと。
札幌のアート活動に関わるネットワークを形成
そして資源活用のマネジメントということで、 するサポートが見込まれております。
これは札幌の文化芸術資源を活かしながら、既
こういった活動を支えるには、札幌の文化芸
存の文化施設の連携事業を行ったり、あるいは
術政策がどうあるべきかというような政策研究
今建設しようとしております市民交流複合施設
機能も必要です。
や地下歩行空間などの場を活かしながら、文化
そのため、札幌のアート活動に関する基礎デ
芸術活動を展開していくということでございま
ータを収集・分析するとか実態把握に努めると
す。
か、また国内や国外の先進事例について調査を
さらに広域連携のマネジメント、札幌の周辺
するとか、また総合的な事業評価のシステムの
地域や北海道内の各地における文化芸術活動と
構築であるとか、そしてアート関係の資料を蓄
有機的・広域的に連携するようマネジメントす
積していきまして公開していくアーカイブの構
るということです。
築などということが盛り込まれております。
さらに創造都市展開のマネジメント、これは
詳細につきましては、是非この提言書をお読
文化芸術活動を産業や観光、教育、福祉、環境
みいただきたいと思います。
等さまざまな施策とも融合を図りながら、社会
また、札幌には、文化芸術円卓会議という会
問題の解決にも繋げていくような、そういった
議がございます。この会議は、文化芸術の関係
札幌のアートの幅を拡げる戦略作りに取り組む
者などに委員になっていただき、自由にテーマ
という事でございます。
を設定し意見交換を行う場です。
こういった取り組みを行っていくためには、
今回その円卓会議の中でも、アーティストと
マネジメント能力のある人材が必要でございま
市民と――これは企業も含むという事ですけれ
す。そこで次に人材の創出機能ということで、
ど――行政とが協働の場をつくりあげていくた
マネジメント能力を持つ人材を創出していくた
めには、アートセンターという機能が必要だと
めにマネジメント講座であるとか、インターン
話されてきました。円卓会議の方からもアート
シップなどということを行っていくことが盛り
センターに関するメッセージが近々固まること
込まれております。
となっています。
そして次に芸術のつくり手、おくり手、うけ
今回コーディネートをお願いしております伏
手の支援ということでサポート機能ということ
島様は、この円卓会議の方の委員長もお勤めい
が挙げられております。芸術のつくり手には企
ただいております。
画立案や運営に関する相談等のコンサルティン
札幌市では、この提言に盛り込まれた内容を
グサポート、それから戦略性を明確にした助成
基礎といたしまして、今札幌市にふさわしいア
システム等による経済的なサポート、そしてう
ートセンターについていろいろ検討を重ねてい
け手には、市民ボランティアの方々を育成し札
るところでございます。
幌のアート情報に詳しいアートソムリエになっ
市民交流複合施設の基本的な計画が近い将来
てもらい、好みに応じたアート関係の催しを紹
まとまることになっておりますので、その中で
4
アートセンターについても盛り込んでいきたい
またPHスタジオの代表も務められております、
と考えております。
池田修さんです。どうぞよろしくお願いいたし
ます。
今回のアートサロントークは、こうしたアー
トセンターを考えるうえで非常に参考になるの
まずは、池尻さんの方からスライドを使って
ではないかと思っております。横浜市の取り組
お話を伺っていきたいと思います。お願いいた
み――横浜市行政の取り組みということではな
します。
いのですけれども――横浜で行われているBa
○池尻氏
nkART1929、アーツコミッション・ヨ
コハマの方をお招きいたしまして、皆さんと共
に札幌にどんなアートセンターがいいのか、そ
んなことを考えていきたいと思って企画したも
のでございます。そしてこれはアートセンター
の中でも展開していこうと思っておりますアー
トサロンの第1歩にもしていきたいなと、そう
いう思いもございます。
以上、簡単ではございますけれども私の説明
とさせていただきます。ありがとうございます。
アーツコミッション・ヨコハマは、創造都市
4.ゲストの方の
4.ゲストの方のプレゼンテーション
ゲストの方のプレゼンテーション
に基づいてアーティストやクリエイターの活動
○司会
をサポートすると言う取り組みですけれども、
ありがとうございました。おそらく井内さん
アーツコミッションのご紹介をする前に、まず
のご説明に対するご質問もあるかもしれません
横浜の創造都市政策について簡単にお話いたし
が、その話も含めまして後半にたっぷりディス
ます。
カッションの時間を取っております。
今、ご覧いただいている写真は、横浜の中心
まずは、お二人をご紹介して、お二人のお話
地である都心に浮かぶベイエリアの写真になり
を聞くということに入っていきたいと思います。
ます。ここをメインゲートにして横浜の創造都
第1回の今回は「アーティストが創り出すク
市政策は進められております。この写真の中央
リエイティブシティ・ヨコハマ」と題して、立
の方に、後ほど池田さんがお話しされるBan
場の違う形で横浜で取り組まれてきているお二
kARTスタジオNYKですとか赤レンガ倉庫
人をお呼びすることができました。ご紹介させ
がある新興エリアがあります。手前にちょっと
ていただきます。
突き出したところが、赤レンガ象の鼻パークと
お一人目が、アーツコミッション・ヨコハマ
いう所になります。皆様から見て左手に関内エ
のスタッフとして立ち上げ当初からアーティス
リアという旧市街地のエリアが広がっています。
トに対する中間支援事業などに取り組まれてき
横浜の創造都市政策は、文化芸術創造都市横
ております、池尻美紀さんです。どうぞよろし
浜という風に言っておりまして、文化芸術を中
くお願いいたします。
心とした魅力ある街づくりを進め、持続可能な
もうひと方が、BankART1929の立
社会の形成を目指すという政策です。芸術文化
ち上げから関わられ、現に代表でもあります。
と街づくり、産業振興の政策を一体的に捉えつ
5
つ、横浜らしい魅力的な空間を創りながら、街
この創造界隈の形成を進めるにあたって横浜
の成長につなげるというものです。
市の方では、いくつか重点エリアを設けていま
横浜という街は 150 年前に開港を期に成長し
す。そこに創造都市政策を進めるコアになるよ
た街ですが、海と密接に関わって来た歴史を持
うなスペースがいくつかございます。
っています。海を囲み、港を中心に発展した歴
史と、そこから生まれて来た文化、それに今回
のアートと言う創造性を持って新しい活力を呼
び出して成長していこうという政策になってお
ります。
この創造都市が始まったのが 2003・2004 年頃
です。先ほど申し上げた関内エリアの様な都心
臨海部が地盤沈下と言いますか、横浜ならでは
の歴史的建造物が減少して横浜らしい景観が失
われたり、オフィスの空室率が上昇するなど活
力が失われつつある時期にありました。それを
こちら(写真上段左)がBankARTスタ
解決・解消して行こうという政策としてスター
ジオNYKです。こちら(写真上段中央)が急
トしています。
な坂スタジオと言う施設で、元々市営の旧老松
こちらが創造都市の展開エリアマップになり
会館と言う結婚式場の跡地を活用した施設で、
ます。ご覧いただいて分かる様に海沿いにエリ
舞台演出の稽古場として現在使われています。
アが広がっています。
こちら(写真上段右)が横浜の京急線と言う鉄
横浜の創造都市政策には、4つの柱がありま
道の高架下をアートスタジオに転用したスペー
す。ナショナルアートパーク構想という都市計
スですが、このエリアの周りにこのスタジオを
画などがあり、創造界隈の形成、横浜トリエン
中心として、アーティストのスタジオですとか
ナーレと言う基幹事業、映像文化都市と言う産
レジデンス施設が広がっています。NPO法人
業振興と言う四つの柱を持って進められており
黄金町エリアマネジメントセンターさんが運用
ます。その中でも特にアーツコミッションの活
しています。こちら(写真下段左)が先ほど写
動と密接に関わっている創造界隈の形成という
真でお示しした、象の鼻パークに上にある観光
部分について簡単にご説明したいと思います。
の無料休憩スペース兼アートスペースと言う物
創造界隈の形成というのは、創造都市政策を
です。こちらはラポールアートセンターさんが
実際に進める上でのリーディングプロジェクト
運用しています。ここまでは横浜市の建物に民
の一つです。都心部に多く見られた歴史的建造
間の方達がうまく活用して運用しているという
物ですとか倉庫、空きオフィス等を利用して街
ものになります。こちら(写真下段右)が旧第
の中にアーティストやクリエイターの創作場所
一銀行横浜支店という、元々銀行であった建物
を生み出す、というものです。実際に街の中に
を活用した横浜創造都市センターと言う施設で
アーティストさんですとかデザイナーさん、建
す。私どもACYはこちらの中に場所を得て活
築家などクリエイティブな活動をする担い手達
動を行っております。
が増えて行くことで街の中にクリエイティビテ
これ(写真コラージュ)はちょっとしたイメ
ィーが染み出す、芸術をまちづくりの中心に置
ージですが、横浜の方たちが展開しているクリ
き、芸術と社会が関わっていくというものです。
エイティブな活動の一コマです。
6
それでは、アーツコミッションのご説明をい
ションというものをやっております。
たします。アーツコミッションは先ほど冒頭で
これから具体的に1つずつお話をしていきま
簡単に申し上げましたとおり、横浜へ集うアー
す。まず助成事業については、創造活動を支援
ティストやクリエイター、NPO、市民、企業、 するための先駆的芸術活動支援助成と、都市文
学校など様々な創造活動を行う人たち、これを
化創造支援助成というもの、それからまちづく
私たちは創造の担い手と言う風に呼んでいるの
りですとか、アーティストやクリエイターの集
ですけども、この方々の活動をサポートする取
積を促すための仕組みとして、クリエイター・
り組みです。
アーティストのための事務所等開設支援助成、
創造都市の政策を通して横浜に沢山のアーテ
それから芸術不動産リノベーション助成という
ィストやクリエイターの方が集まって来て下さ
ものをやっております。
っています。実際に活動するにあたって横浜の
簡単に趣旨をご説明しますと、先駆的芸術活
中にどのような活動スペースがあるか、そうい
動支援助成は、先駆的で芸術性の高い作品の創
う活動場所を探すお手伝いをしたりですとか、
作や発表に対する支援で、1件当たり最大で 200
人材同士のネットワークをつくったりですとか、 万円の助成を交付しております。実際に横浜で
地域のつながりをコーディネートしたり、創造
先駆的な芸術の発表をしていただくことで、市
活動をする上での金銭的な支援としての助成金
民の方にも新しいアートに触れていただくって
事業等を行っています。横浜にアーティストさ
ことを狙っております。
んが来て下さって活動しやすくサポートするこ
それから「都市文化創造支援」は、横浜なら
とで、より横浜が魅力的な街になることを目指
ではの都市文化の形成を図ることを目的とする
しております。
活動に対する支援、「先駆的芸術活動支援」は、
アーツコミッション・ヨコハマのこのプロジ
単発のイベントでの発表や展示などに支援する
ェクト、いわゆる中間支援事業は、創造都市が
ものに対して、「都市文化創造支援助成」は、横
始まった 2004 年の3年後、2007 年にスタートい
浜の街をリサーチしたサイトスペシフィックな
たしました。私ども横浜市芸術文化振興財団と
アートプロジェクトのようなものの活動の支援
横浜市が共同で行うプロジェクトの形でとって
を想定しております。
おります。私どもの財団は、実は横浜市に元々
それから、クリエイター・アーティストのた
ある、例えばコンサートホールなどの文化施設
めの事務所等開設支援助成については、関内エ
を管理運営しながら芸術文化事業を行う財団で
リアの周域の民間区域に新しく移転をして、例
したが、2007 年に初めてアーティストさんと一
えばオフィスですとか、アトリエですとか、そ
緒に、アーティストさんの活動をコーディネー
ういうものを開設するアーティストやクリエイ
トするような中間支援事業というものを、財団
ターの方に対する金銭的支援になります。これ
としてスタートさせました。こちらがACYが
は対象者の条件がございまして、実際にそのよ
行っているプロジェクトになります。
うな創造活動で、2年以上の収入の実績のある
大きく3つの方針を持って8つのプロジェク
方というものを対象としております。
トを行っております。
「芸術不動産リノベーション助成」、こちらは
1つ目が芸術文化活動そのものの支援。それ
実際の担い手ではなく、街の人の側への支援で
から、そのようなアートがまちづくりや産業と
す。物件を所有されている個人の方ですとか事
どのように連携しているか、創造都市横浜の取
業所の方に対して、ご自身が持っていらっしゃ
組みを皆さんに知っていただくためのプロモー
る物件を、アーティストやクリエイターの方の
7
活動場所とするために改修したり改築を行う場
た物件を、アートユースに転用できるかのリサ
合に、その改修費を支援するというものでござ
ーチですとか、実際にじゃあ転用しようという
います。
事になった時に、テナントを募集するお手伝い
簡単に実績を申し上げますと、先駆的芸術活
をしています。いかに有効利用するかというと
動支援事業は平成 24 年度は申請数は 64 件、採
ころが大事なので、例えばクリエイターの方た
択 11 件で交付総額は約 1,000 万円です。平成 21
ちに入居していただきたいという場合は、民間
年度からスタートしておりましてこれまでに 41
の方はあまりそういうノウハウをお持ちではな
の事業、総額 3,020 万円の助成を交付しており
いので、その辺りのアドバイスを差し上げたり
ます。都市文化創造支援助成につきましては今
ですとか、デザインを活用する時の人材をご紹
年度初めてやった物なのですけども、16 件の企
介したりと言うことをやっております。
画の申請を頂きまして、そのうち 4 件を採択し
下の関内外OPEN、こちらは創造産業につ
500 万円の助成を交付しております。
ながるクラスター形成ということを目的にして
クリエイター・アーティストのための事務所
やっております。これまで申し上げたような活
等開設支援助成、こちらは平成 20 年度にスター
動を通して集積した皆さん達が連携して行うオ
トしまして、これまでに 58 件の拠点が生まれた
ープンスタジオイベントです。イベントを共に
ということになります。総額 2,500 万円の支援
しかける事で、今まですごく近くにオフィスが
をしております。
あったけど知らなかった方々が、出会いネット
芸術不動産リノベーション助成は、平成 22 年
ワークが生まれる、ということを狙っておりま
と 23 年で、計6件の物件がアートユースに転用
す。実際ネットワークが生まれつつあると思い
されました。こちらは 3,300 万円ですが、6件
ます。市民の方にとってもオープンスタジオイ
を転用することで 40 組のアーティストやクリエ
ベントなので、実際にオフィスを見たりするこ
イターの方のスタジオというものが生まれてお
とが出来ます。なので、クリエイティビティー
ります。
を実際に身近に感じるきっかけになるという事
こちらの「宇徳ビルヨンカイ」は、宇徳ビル
で、プロモーション的な意味も含まれていると
の4階のフロアを、デザイナーさんとか建築家
思っております。
さんの集合事務所として使っております。
創造都市プロモーションというものについて
こちらは長者町という所で個人で薬局を経営
のご説明ですが、このような横浜の創造都市の
されていたご夫妻がいらしたのですけども、ご
取組みをより多くの方に知っていただくこと、
自身のお仕事をお辞めになって、その空いた物
市民の方にももちろん知っていただきたいです
件を街に役立つように使って欲しいと言うこと
し、クリエイターやアーティストの方に、横浜
でご相談を受いただきまして、アートユースに
を活動の場として選んでいただきたい、と言う
転用してはいかがかと申し上げて出来上がった
目的でやっております。
スペースです。
具体的にはオープン横浜 2012 があります。こ
こちらの「八○○中心」というのは、横浜の
れは期間限定のプロモーションキャンペーンで、
中華街にあるビルを1棟まるまる集合オフィス
ガイドブックをつくったりですとか、鉄道広告、
として転用した物になります。
メディアフィードパブリシティ等でメディアバ
創造まちづくりモデル事業は、助成制度では
ーニングをして仕掛けている物です。
なく、コーディネートという形で支援をしてい
それから先ほど申し上げた関内外OPEN。
るものです。物件の所有者の方から依頼のあっ
アートウェブマガジンヨコハマ創造界隈と言う
8
ウェブの媒体をやっておりまして、2か月に一
最後に相談コーディネート業務です。今まで
度、更新をしています。こちらは多分後で話が
ご紹介したようなアートコミッションのプログ
あると思いますが、川俣さんのBankART
ラムに実際にアクセスしてもらうための開かれ
での展示の様子です。横浜で活動していらっし
た窓口として取り組んでいます。
ゃる方に実際にインタビューして、何を横浜で
実際のところ私どもスタッフがそんなにいな
考え何を創り出しているかという事をインタビ
いという状況もあります。いろんなことをやっ
ュー形式でお伺いして皆さんにご紹介している
ておりますので予約をいただくという前提では
というものです。企業の方や地元でクリエイテ
ありますが、常時、横浜で活動したいですとか、
ィブなマインドを持って、経営をしている企業
活動する上で何か問題があった時等は、ご連絡
の代表の方にお話を聞いたりするコーナーも設
を頂いてご相談を受けるということをしており
けております。
ます。どういう物が多いかと言いますと、漠然
これは Yokohama Artists&Creators List とい
と横浜で活動してみたいですとか、今後アーテ
うものです。集積したアーティストの方々のオ
ィストとしての起業を考えているんだけどどう
フィスをマーキングしております。裏面には実
したら良いんだろうとか、そういうご相談から
際にどういう活動を行っているかですとか、電
具体的に企画を持っていて資金援助はどうした
話番号等が載っておりまして、コンタクトを取
らもらえるかとか、企業さんなんかは自分たち
ってみたいと思われる企業の方なんかにもお使
の事業にアートを活用したいのでアーティスト
いいただけるよう考えております。
を紹介してほしいと言うようなことをご相談い
将来の担い手支援についてです。横浜は横浜
ただいたりします。
美術系の大学ですとか専門学校の卒業展覧会が
あと、横浜は行政の方からのご相談も意外と
非常に多く開催される街です。活動に関する情
結構ありまして、文化事業のデザインをどこに
報を集めましてポスターやウェブなどでPRし
どなたに頼んだら良いかとか、そういうことの
て市民の方に気軽に見ていただくための広報的
ご相談を頂いて実際に人をご紹介したり、とい
な支援を行っております。
うようなコーディネート的な業務もやっており
それから講座・シンポジウムについても取り
ます。
組んでいます。アーティストの方が活動するに
一通りアーツコミッションの活動をご紹介し
は助成金が必要だったり、大事なんだけどよく
たのですけども、最後にこれは横浜の活動の拠
知らない、著作権の問題など実務的な課題があ
点のマップになります。2001 年横浜トリエンナ
ります。そういう物を少し学んでいただこうと
ーレ第1回が開催された当初のマップです。青
言うことで専門の方をお招きしてお話をしてい
いのがいわゆる行政の設置した公的な公共の文
ただいたりしています。
化施設です。
創造都市横浜国際レジデンス事業です。ちょ
これが 2004 年BankARTさんがスタート
っと性格が変わるかと思いますが、BankA
して創造都市が始まった頃ですね。
RTさんや急な坂スタジオさん、それから黄金
最後に 2012 年現在なのですけども、正直、非
町エリアマネジメントセンターさんと連携をし
常に増えたなと思っていまして、公的な文化施
て、海外のアーティストの滞在制作事業を行っ
設に加えて黄色の部分の民間の方々のアートス
ております。主にアジアの都市とのネットワー
ポット、アートの拠点が多くあります。
クを目的としておりまして、実際にこれまでに
クリエイティブシティ横浜が始まって 10 年で
台北市、北京市等との交流が生まれております。
9
すが、4つの文化施設を中心に、20 以上の民間
のスタジオ等が形成されています。2004 年以前
には存在していなかった 200 を超えるアーティ
こんばんは。札幌、久しぶりです。
ストの方々のペアというかユニットが生まれて
少し縁があって、札幌には関わっています。
いて、これまでになかった創造的なコミュニテ
ひとつがPHの方で物をつくろうという企画が
ィーが横浜に生まれているという状態になって
あって、原先生が設計された札幌ドームのとこ
おります。
ろに一点芸術作品があります。白い家の作品で
関内外OPENの参加のクリエイターの数か
す。
らみても、いかに増えてきたかというのがおわ
それから、モエレ沼――僕、イサム・ノグチ
かりいただけると思いま 2009 年の関内外OPE
が大好きで――がまだ出来ていない時に、なに
Nのこのオープンスタジオイベントの発想の元
かものすごいぽしゃぽしゃした雪が降っていた
になった「北仲BRICK&WHITE」とい
時、まだ山が積んであるだけみたいな時だった
うのも、12 拠点、34 組のアーティストやクリエ
かもしれませんけど、来て、ものすごく良い印
イターの方がご参加されていました。それがぽ
象で帰った記憶がありますね。それから…いっ
つぽつ増えていって、2012 年、去年は 26 拠点、
ぱいありますけど、僕、中島みゆき大ファンで
198 組の実際のアートを活動する方達が参加なさ
す。この前、念願叶って夜会に行ってきました。
ったという形になっております。
今日、札幌と横浜の関係もちょっと話そうと
以上です。ありがとうございました。(拍手)
思っています。実を言うと、けっこう兄弟の街
というところがあります。こう言うと札幌・北
○司会
海道の人に怒られるかもしれないですが、どち
ありがとうございました。
らも起点になるのは明治維新がつくっていった
いろいろ聞きたいこともございますが、今日
街ということです。横浜の方がちょっと先輩で
は後ほどたっぷり意見交換・ディスカッション
すけど、港を開いていくという国策でやってい
の時間がございます。お手元に付箋紙が数枚、
る。それから、札幌は、もちろん最初函館で、
資料とともに入っていると思います。何か質問
段々札幌に移ってきました。だいたい同時代に、
事とか書き留めていただければ、スタッフの方
明治政府・国のプロジェクトとして動いていく
に渡してください。前に貼り出して、後ほどの
という、これは都市の形成にずーっと続いてい
ディスカッションの参考にしたいと思います。
くというか、もう逃げられない存在として残っ
続きまして、池田修さんからお話をお聞きし
ていくでしょうね。それが、横浜なんかは今の
たいと思います。お願いいたします。
創造都市を生み出す背景になっています。
これはあまり良い例えじゃないかもしれませ
○池田修氏
んが、沖縄県が、国が基地をつくってというプ
ロセスの中で、そこから国とどうやっていくか
という事をずっとやっているように、横浜も、
札幌・北海道も、おそらく国との闘い、国から
の自立と協働をやってきているんじゃないかな
と思うのです。
今日は、なぜBankARTが生まれたかと
いう話に焦点をしぼっていきたいと思います。
BankARTが何をやっているかというのは
10
後で少し付け加えます。どこに行こうとしてい
う非常にいい場所がありまして、地名でいうと、
るかという話もします。
伊勢佐木町と馬車道という非常に古い軸がある
まずは、なぜBankARTを生む都市だっ
のですが、その軸の間にある橋です。非常に重
たのかということについて、もう少し広く、ど
要な道です。そこに日本政府が、高速道路でま
うして創造都市を起点としてやっていこうとす
た高架をつくって分断しようとしていた。港に
る事になったのかということを話したいと思い
向かう、近代をつくった、開港した場所に繋が
ます。
る非常に重要な道。それに対して、高速道路を
まず、横浜の歴史についてですが、開港して
架けスパーンと切ろうとしていた。
152 年経ちました。江戸幕府から続いて明治政府
これに対して、当時の政権が非常に頑張った
がつくってきました。その中で大きな大きな事
わけですね。つまり、最終的な結論としては、
件が起こりました。関東大震災が 1923 年、それ
反対ではなくて地下化していきました。高速道
から第二次世界大戦、これで街が大きな変化と
路を地下に埋めてしまったと。これは東京で最
いうか、一回壊滅してもう一回立ち上がるとい
近やりましたけれども、それをその段階でやっ
うことになりました。そこで当然、市民と外部
ちゃっているのですね。この辺から、国とどう
圧力との関係でそれなりの自覚みたいなものも
やっていくかということを考えていました。国
出てくるのです。開港の地だったという、非常
の資本を使わずして横浜なんて開発できないわ
に人工的なプログラムのもとに出来た街だった
けですよ。
ので、そういったものがずっと続いてきました。
それで、六大事業で有名なプログラムが始ま
それが戦後になって、高度成長期がきて 1963
っていって、横浜の大改造がその辺りから始ま
年頃、東京オリンピックが始まる前、日本がも
ります。その時にやはり、どうやったら自分た
のすごい高度成長期で、東京が川という川をつ
ちの街にしていけるかということが考えられ、
ぶして高速道路を架けて都市を形成していった
ベイブリッジで横浜と東京を繋げたり、港北ニ
時に、飛鳥田政権が生まれました。社会党の政
ュータウンという巨大な住宅地を横浜と東京の
権ですね。これは非常に象徴的なことで、自民
間につくったり、それから当然みなとみらいと
党政権の反旗というわけではないですけれど、
か、というようなことを、じっくりゆっくりや
非常に独立した形で都市を形成していきます。
っていくのですね。そんなことが続いて、横浜
その時に、アーバンデザイナーで――都市計画
という街がある意味でブランド化されてきたと
をやられている方はよくご存じだと思いますが
いうようなベースを持っています。
――田村明という非常に優秀なアーバンデザイ
ところが、はたと見ると、まだまだ横浜とい
ナーが登場しまして、それが飛鳥田政権と一緒
うのは、そうやって国とやってある程度国の資
にやりながら街を形成していくということが始
本を使いながらいろんなものを開発整備してき
まります。
たのですが、結果的には皆東京を向いて住む人
そこに、さっき話した、国がつくった街をど
達をつくっちゃったのですね。「横浜都民」とよ
うやったら自分たちの街にしていけるかという
く言われるのですが。東京と横浜というのは一
ようなシティズンプライドの考え方が出てくる
千万都市…極端に言えば、一千万はいないです
わけです。どうやったらほんとに「我が横浜」
けどとにかく大きな街…皆東京に向かって住ん
にしていけるかっていうことですね。
じゃうのですね。それが続いていたというよう
そして象徴的な出来事が一つあります。これ
なことがあります。
は横浜の人しか知らないのですが、吉田橋とい
それで、一方でそうは言っても、1965 年から
11
六大事業を 45 年くらいかけてほぼやりきりまし
わらず、それから距離のある、非常にわかりに
た。問題をつくった後、問題を解いていった時
くい定義しにくい創造都市という言葉を入れて
代があったのですね。そこに、これはたまたま
きたというのは、僕は非常に卓見だと思ってま
だと思いますが、中田政権というのが出てきま
す。
した。それにさっきの田村さんの門下生だった
そんなことが起こって、横浜市がいま始めた
都市デザイン室長、当時は東京大学の工学部教
というようなことですね。実を言うと、北沢猛
授でしたが、北沢猛という、また優れたアーバ
も亡くなってしまって、そうは言ってもなかな
ンデザイナーが参与として関わりました。そこ
か大変な時期であることは大変ですけれども…
で、創造都市というのが生まれてくるのです。
ここで、なんでアートというようなものを入
ここからは僕の私見になるのですけれども、
れてきたのかという話に戻ってみようかなと思
あまりこれを広めていいかどうか微妙なのです
います。これもまた僕の私見になるのですけれ
が、北沢猛というのは、アーバンデザイナーで
ども、いろいろなところにもう書いているので
もちろんハードの仕事もちゃんとやれる人です。 すが、ここで話すのは初めてだからしゃべりま
北京の大改修もやっているし、実際にものをち
す。
ゃんとつくれる方なのですね。みなとみらいを
アートってよく役に立つの?とか、街に機能
形成した人の一人です。
するの?とか、そういうことを年がら年中聞か
彼は創造都市という言葉をあまり使わなかっ
れます。費用対効果とは言わないけれども、と
たかもしれませんが、当時、何かストップメイ
にかく、どうなんだと。
キングセンスじゃないけれど、とにかく止めよ
これに対して「赤ちゃんは役に立つのか?」
う、何か考えることを止めようということで、
と返したいのです。赤ちゃんは役に立たないで
アートの導入に踏み切ったのだと思います。
すよ。生まれたばかりの赤ちゃんがしゃべって
つまりどういうことかというと、都市計画の
いる言葉というのは全然こっちは理解できない
大きな方向性を出さない方がいいと。待てと。
です。「あー」とか「うー」とか言っていますよ
ウェイティングしろと。というようなことです
ね。それで「あー」とか「うー」とか言ってい
ね。それが、僕は横浜の創造都市のある意味で
るだけなのだけれど、そのお母さんとお父さん
哲学だと思っています。今待っている状態だと
が、何とか「あー」と言ったらおしっこかなと
思います。
か、「うー」と言ったらご飯かなと言ってミルク
それはどういうことかというと、待てばいろ
をあげたり、周りが赤ちゃんが言うことを解読
いろなことがやっぱり起こってくるわけですね。 するという事を始めるわけですね。赤ちゃんそ
いろいろな人がなんとかしなきゃいけない、と
のものには全然クリエイティビティというもの
いうような話になってくるわけです。どうしよ
はなくて、どの方向向いてるかわからなくって、
う、ああしよう、こうしようって皆さんが言い
物理学の言葉でいったら質点といって、量も方
始める。今はそういう時期になっているんじゃ
向も持っていないのですね。
ないかなと思います。
でもそれを感じる人達は、そこにクリエイテ
だから決して、神戸がデザイン都市宣言した
ィビティを持たないと赤ちゃんを生き延びさせ
り、名古屋も同じようにしましたけれども、ひ
ることはできないわけですね。赤ちゃんを生き
とつのジャンルで方向性を示してしまったこと
延びさせるように、我々が変わっていかないと
を否定してはいけないと思いますが、一方で北
しょうがないわけですね。まさにアートの機能
沢猛は自分がアーバンデザイナーであるにも関
というのはそういうものだと思っていて、なに
12
かアートに、この方向に行ってくださいと、方
ほしいと思います。僕らはずーっとそれをやり
向を示して要求しては絶対にダメだと思います。 続けているチームですね。それは結果どういう
重要なことは、そこにいて何かやっていること
ことかと言ったら、また物理の比喩で申し訳な
に付きあうことだと思います。付きあってみる
いけれど、けっこう本質的な二重人格なのです。
ことだと思います。それさえやっていれば、い
二重人格は悪いと言わない方がいいです。二重
いアーティストはいいヒントを絶対くれている
人格=オッケーなのです。二重人格はもうちょ
と思うので、まずそういう風にアートなんかは
っと言葉をかえると、ダブルバインドといって、
位置づけた方がいいと思います。「機能しませ
二つの一緒にはできないことを何とかしていこ
ん」でいいと思います。アート自身に機能させ
うという、精神病になっていく過程ではあるけ
るのは周りにいる人なのですね。周りにいる人
れど、一方でものすごく新しいものをつくって
たちがクリエイティブにならない限りアートは
いくプロセスに入るので、二重人格はある意味
機能しない、赤ちゃんは役に立っていかないで
素晴らしいと思います。
すね。そんなことです。
それは例えば、洗剤。油を使ってコップが汚
それから、それをもうちょっと繋げていくと、 れる。汚れをどうやって洗剤が落とすかという
コーディネーターとかマネジメントという話が
現象があります。洗剤というのは片方の分子構
ずいぶん最初に出ました。この言葉は、アート
造の中に油に非常に近いものを持っていて、反
コーディネーターとかアートプロデューサーと
対側に水に非常に近い分子構造を持っていて背
かいう話の定義になっていくのです。じゃあそ
中合わせになっています。この背中合わせにな
の赤ちゃんをどうやって生きさせる、その人た
っている状態で、僕は油だよと言ってコップに
ちにどういうことが必要なのかという話になり
近づいていくわけです。でも実を言うと、くる
ます。
っと歌舞伎役者のように、僕はやっぱり水なん
これはあるところに1回書いて、きちんと定
だと水に溶ける。これは油を洗剤がコップから
義をしているのですが、アートコーディネータ
落とすメカニズムなのです。
ーとかアドミニストレータとかプロデューサー
これは見事に――特殊な例でしゃべっている
とか肩書としてはすごく胡散臭いです。何やっ
ように聞こえるかもしれないですが――情報を
ているかわからないし。なにか詐欺師みたいな
相手に伝えるということはまさにこういう事で、
ところがありますね、言葉として。僕はだから、 どこかにクリエイティビティ、ひっくり返す力
絶対に自分の名刺にはつけないですね。ディレ
みたいなものが、コーディネーターとか行政に
クターとかつけている人、「んっ」とか思っちゃ
も絶対に求められる機能だと思います。
いますね。それはやっぱり胡散臭いと思うので
それは実を言うと、一般的な遺伝子DNAの
すね。
情報の構造とまったく一緒で、二重らせん構造
胡散臭いのは悪いことではなくて、やっぱり
といわれる、情報の伝達そのものの本質が二重
Tシャツをこう着ていて後ろでネクタイ締めて
人格なのです。AをAという言葉では絶対に説
いるようなことだと思います。アーティストに
明できないのです。納豆を「納豆だろう」と説
対してはTシャツで向かって行かなければなら
明したって絶対にわからない。「納豆は何とかで、
ないし、行政とかそれを説得する人、あるいは
何とかと何とかで出来て、何とかして…」って
コレクターとか、それを買う人、支えてくれる
違う言葉で置き換えなければならない。その置
人にはネクタイで攻めるしかないのですね。
き換えるところに、自分なりのクリエイティビ
その辺のことを、間に入る人が自覚していて
ティを発揮していくしかないという、そういう
13
存在であれ、というのがコーディネーターです
用しています。4,400 平米あります。いちばん上
ね。
に、ハンマーヘッドスタジオ新港区というので
この先に進むと、鑑賞者とか市民とかの話に
すが、手前に見えているハンマーヘッドが 99 年
なるのですが、これが実に定義しにくいです。
前のものです。ここから日本の近代を支えてい
これはもういちばんやっかいで化け物みたいな
た。絹織物をずっと外に出していたところです。
ものですね。市民というのは…貨幣経済の「お
池尻さんたちが使っているところも、元僕た
金」に近いです、お金もものすごい定義できな
ちが使っていたところです。東京芸大が使って
い。市民も定義できない。考えてみてください。 いる富士銀行もあります。だから、僕らが使う
僕らはずーっと、実を言うと市民をどう定義し
と、僕らがまた違うところを開発しろみたいな
ていいのか…「市民に知られていないじゃない
感じになって出て行って違うチームが使う、み
か」とか、「市民が面白いと思っていないぞ」と
たいなことを繰り返し繰り返しやっています。
か、年がら年中…じゃあその「市民」て何なん
BankARTパブは 23 時までやっています。
だ?といつも問われているわけです。これは、
これも言うのは簡単なのだけれど、売上が最初
ずーっと僕らのテーマであることは確かです。
45 万円/月くらいでした。だから昔やり始めた時
は、入ってきてちょっと覗いて帰る人を、チラ
シを持って追いかけて説明しに行ったりしてい
ました。それで、段々段々毎年少しずつ売り上
げが伸びていって、毎日 23 時まで開けるという
のを続けて、今は売上でいったら、年間 1,800
万円くらいまでいきました。これ以上は伸びな
いと思います。
アーティストインレジデンスなんかもしょっ
ちゅうやっています。それからエクスチェンジ
さて、そろそろ違う話をします。BankA
プログラムもたくさんやっていますね。
RTの話をしたいと思いますの。BanART
その中でもBankARTスクールは大きい
全体の構造を話すよりも、ヴィジュアル中心に
と思います。これは毎日やっている講座で、夜
お話しようかと思います。
の7時半から9時半で、2か月単位で1コマと
今日持ってきているのは、BankARTの
いう事で、8回8週間で1コマですね。これが
ドキュメンテーションでまとめている本です。
先生陣が、ありがたいことに東京圏が近いとあ
ものすごい数の本を出しています。8年間で 80
って、取り放題なので、かなり良い方々に来て
種類も出しています。年間 10 冊くらい。ものす
いただいております。みんな亡くなっちゃった
ごいお金使っています。もちろん戻ってくるお
けれど、亡くなった人の名前を挙げると、多木
金があるから続けられるのですけれど。ここに
浩二さんとか、中原祐介さんとか、針生一郎さ
大体いろいろなことは出ていますね。これを今
んとか、芸能人に近い人だったら、平岡正明さ
日パパパパッと見せます。
んとか…これはスクールに来ていただいていて、
(スクリーンで資料を映しながら説明)
今は亡くなった人です。ほんとにたくさん来て
BankARTはこんなところを使っていま
いますね。
す。もう一つは桐山の家というものがあります。
それから新・港区といって巨大なスペースを活
それからコンテンツはさっき言ったように、
よくこんなに出せるねって言われるくらいマシ
14
ンガンのように出していますね。今大きいのだ
かかっています。
と中原祐介の上に出ている NY という著作集、1
どういう風にそんなのやっているかというと、
2巻、北川フラムさんとずっとやらせていただ
いちおう自己収入が 9,000 万円を超えています。
いています。
だから1億 5,000 万円という数字をずーっとキ
僕自己紹介で言いませんでしたが、自分にと
ープしているのです。当初は横浜市がわりと出
ってコーディネートをやり始めてからは北川フ
してくれたのですが、ずーっと事業費を削ると
ラ ムさ んと の出 会い がい ちば ん大 きい です 。
いう話だった。事業費を削っていて毎年 200 万
1983 年、1984 年に川俣さんのプロジェクトを僕
ずつ減っていくと、2千数百万あった事業費も
がサポートする中で北川さんと知り合って、そ
800 万切るよう状態になってしまった。逆になん
こから 86 年~92 年まで6年間、ヒルサイドの方
でそんなに使えるかというと、こっちが 4,000
のディレクターをやっていました。
万くらいしかなかった収入を 9,000 万くらいま
それから、続・朝鮮通信使ですね。こういう、 で上げてきた、という事をやり続けてきたから
どんどんどんどん外に出ていくことをいっぱい
です。
やっています。ご存じだと思いますけれど、江
これは財団にも出来ないですね。完全に独立
戸時代に秀吉がやったことに対して緩和してい
チームなのでできます。財団は横浜市との強い
くという外交のひとつの使節団を招くという巨
連携でやっています。
大なプロジェクトがありました。江戸幕府と韓
お金の話は、「どうやってんねん」て言われま
国ですね。1回に約1千億くらいかけてました。 すが、そんなに面倒くさいことはやっていませ
それを 12 回やっていました。それをたどるわけ
ん。すごく地道に、毎日パブをやるとか毎日ス
ではないのですが、「続」なので、新しい文化施
クールやるとか、企画展の時に絶対招待状を出
設なども含めて朝鮮通信使のことも引きながら
すようにするとか、そういう本当に単純なこと
やっているプロジェクトで、これは大きくなっ
です。
ていきますね。
ただ、すごく工夫もしています。例えばメー
これはおそらく、500 万円を4回、10 倍のス
ル配信なんかは、今1万 7,000 くらいやってい
ケールで上げると言っています。1回目のクー
ますが、こんなにメール配信持っているところ
ルが終わりましたが、瀬戸内、関東、それから
他にないと思います。これは日々メンテナンス
東海道も今やっています。今度 5,000 万プラス
です。毎日のようにやって、郵送物も年間1回
になりますね。それが、次が5億でしょ。その
に1通で1万部くらい出しています。100 万円く
次50億までいこうとしている。こんなのは横
らいかけています。年間4回出しています。ど
浜では支えてくれません。
んどん増えていっていますから、すごくメンテ
このとおり、いろいろな人たちと組みながら、 ナンスが大変です。もうこれ以上は財力的に無
他都市と連携しながらやっています。
理ですが、メールの方は増やしていきます。
せっかくだから経済の話をしますと、ウチは
けっこう経済の問題はものすごいシビアにやっ
最後にまとめたいと思います。
ているチームで、なかなか参考になりにくいっ
横浜の場合は都市整備局、もともと完全にま
て言われるくらいシビア、というか強いです。
ちづくりです。まちづくりでやってきた人がい
横浜市からもらっているお金は、約 6,000 万円
たにも関わらず、たまたま文化系が強くなって
を切っています。5千数百万円しかありません。 きて、今は文化観光局です。札幌市が観光文化
今回の川俣正の展覧会1本で 2,500 万円くらい
局ですね。様相もずいぶん変わってきました。
15
百数十人という大きな部局にはなりました。創
トでした。大都市の中でウチのビルなんか非常
造都市だった時は 40 人くらいしかいませんでし
に小さいのだけれど、ビルの中で非常に強い発
た。ただ整備局の連中がずれたので、まちとの
信力を持っていました。全国紙6紙全部出て、
関係が弱くなったことは確かです。
25 紙のプレスに出るという事をやりました。そ
北沢猛は、もう少し大きな弧を描くことを考
れでも動員は大したことなかったのですけれど。
えていました。アートを導入して旧市街地の大
ツイッターの時代なので皆ブログみて終わりと
シャッフルを考えていたと思います。つまり、
かなので1万人くらいしか来ませんでした。と
みなとみらいクラスの1兆2兆かけるようなク
にかく非常にはっきりとした仕事をされたなと
ラスの大改造を横浜市の旧市街地、百何十年経
思います。詳しいことはまたウチのブログなん
ったところに対して全部やろうと思っていた、
かを見てもらえれば、インタビューも見事に出
と思います。決してソフト事業で、さっき言っ
ています。
たストップメイキングセンスではないけれど、
ちなみに、すごくヒントになることがありま
創造都市の、ソフトで 10 億以内くらいのプロジ
した。あの時に使った素材が2つあります。パ
ェクトで終わらせるのではなくで、それをきっ
レット 1,000 枚と、すぐ近くの昭和 30 年代の古
かけにどうやって本当のまちの再編をやってい
い公団が壊されるというのがあって、その建具
くかという事を考えていて、志半ばで亡くなっ
を 500 枚くらい使いました。造形的にはそうい
たと思います。
うものなのです。すごく僕がびっくりしたのは、
BankARTは、ものすごい活発に活動し
両方とも本社が見に来て、社内報に出しました。
ています。年間 400 くらいのイベントをやって
これにはものすごくびっくりしました。彼は読
います。その中のひとつとして、川俣正さんの
み切っちゃっているのです、まちとか歴史とか
展覧会をやりました。川俣さんのは話し終わっ
について。あの場所を何十年も使って生計を立
てから映像を流しておきます。僕の直接の師で
ててきた人にとっては、彼が選んで使っている
もあるのですけれど、やっぱり今日のテーマな
素材と使い方がズバーンと届いたと思います。
んか見ると、僕とか川俣さんは「ぷっ」って言
それは非常に面白かったですね。
っちゃいます。申し訳ない言い方ですが、まち
がアートどうのこうの…ってやつです。
最後に「都市に棲む〜トップダウンからボト
まちづくりとアートっていうテーマで、いろ
ムアップへ」という文章を紹介します。
~ニューヨークでもベルリンでもアートがイニシアティブをと
いろな行政体が、百単位の人たちがやり始めて
って街を形成してきた。不合法に略奪した場所でも、民間、行
います。ウチへ来る視察団は年間 200 くらいで
政、国がリレーし、その文化度を上げることで街を展開してき
す。必ず何かつくるとか何かまちづくりをやっ
た。でもこの方法は現在の日本にはあてはまらない。横浜市が
おこなっているように行政からスタートし、民間と組んで、民
ている方は見に来られる。必ず、まちづくりと
間に移管し・・・という方法をとらざるをえない。問題はここ
アートとか言われるのだけれど、「ぷんっ」と思
から先だ。誤解を恐れずにいうと、BankART はだからこそ、
今の段階で野に下ることが重要だと考えている。今後も行政と
っています。
の協働作業は続くし、大きな支援を受けて運営されていくこと
というのは、アートってそういうものではな
は確かだが、だからこそ BankART は自ら関わりたい場所を見
いのですよ、考えている以上に。そこまで調理
つけ、耕し、経済的に自立していくことが大切なのだ。ある指
定管理者制度に関連するシンポジウムの席で「モチベーション
されたものはアートじゃなくなっていています。
もなくできた美術館は、モチベーションもなく消えていく」と
川俣さんはそこをすごくよくわかっている人で
発言した。この言葉は、むしろ BankART そのものに突きつけ
す。今回、非常に孤高なプロジェクトをやって
られている言葉だ。BankART1929 は第二段階に入ったと思う。
自身がより深く都市に入り込み、思考し、自分の体を少しばか
いただいたのです。ものすごく強いプロジェク
り変形し、敵意を歓待に変え、都市の経験を蓄積し、そして徹
16
底的に開いていくこと。こうした作業を淡々と続けていきたい
ていきたいです。
と考えている。~
その前に少し、札幌の状況と対比させておき
長くなりましたが、これで終わります。あり
たいと思います。札幌というのは文化行政をそ
がとうございました。(拍手)
れほど意識的にやってきませんでした。意識的
にやったのはみんなが「芸森」と言う、札幌芸
5.ディスカッション
術の森でした。
○司会
そのとき私はそのお手伝いを始めて、すごく
ありがとうございました。
勉強になったのは、いろいろなアーティストの
まだまだお二人のお話聞きたいこともあるか
方に聞くと、「君ねぇ、そんな街はずれで文化な
と思いますが、後半のディスカッションをこれ
んかアートなんかできませんよ。せっかくスス
から 40~50 分くらい進めていきたいと思います。
キノがあるんだから、ススキノの近くではじめ
ここからはコーディネーターの伏島さんに来て
たらどうだ」ということが、けっこうありまし
いただきまして、お二人とのディスカッション
た。結果として街はずれにできた。そうしたら、
あるいは会場の方との意見のやり取りなどをし
なにかできたのでほっとした面があるのですね。
ていっていただきたいと思います。お願いいた
なので、札幌の最初の繁華街としての狸小路だ
します。
とかススキノ、大通、これが意外とアート化され
ていかなかった。
○伏島氏
もちろん例外はあります。これは法政大の増
渕先生の研究で言われるのですが、南三条通と
いうところには、かなり音楽家――さっきの中
島みゆきもそうなのですが――若い音楽家がそ
うとう集積していた 1970 年代というのがありま
したが、それぐらいなのですね。
その後はわりと、アートの世界というものは
郊外化してきている。モエレなんかも典型的に
郊外化した話です。これはもともとアートの空
間を創るということではなくて、ごみの処理と
お二人のお話、非常に大きなスケールの話と、
いうということで始まっていると思いました。
丁寧な財団のお仕事、この2つをとても興味深
部分的には成功している。でも全体としてみ
くお聞きすることができました。今の池田さん
ると、街の真ん中で文化がなくなっているよう
が最後にお話しされたのは配布されたペーパー
なところがある。
のなかにも入っていますね。
そういったなかで、横浜では、アーツコミッ
○池田氏
ションというか、行政のサイドというか…アー
そうです。最初の話はそれに出ています。
バンデザインについては、以前から意識されて
○伏島氏
いたのでしょうか。街のなかで、アートの蓄積
かなりこのペーパーがコンパクトに上手くま
を高めていくとか、そういった方針はあったの
とまっているわけで、その点は後ほどお帰りに
ですか?
なった後でご覧になると、たいへん参考になる
○池尻氏
と思います。
さきほど池田さんからのご説明もあったよう
まずは順番的に池尻さんの方からお話を聞い
17
に、もともと横浜市は都市デザインというもの
実は我々の考えていたアートセンター、――私
をすごく大事にして街をつくってきた都市です。
はアーツセンターと言うのですけれど――にと
都市デザイン室という、日本に先駆けてとて
っても実に大きな課題です。その 3.5 人の人を
もめずらしい部署が横浜市という行政のなかに
どこからひねり出してくるのか。横浜ではよく
できたところなので、初めから都市をどうつく
できたと思います。大変だと思うのですが、や
るかというところで、アートを活かしていこう
っぱり上の判断があったからでしょうか。
という発想があったと思います。
○伏島氏
今なぜこんな話をしたかというと、田村明さ
んが法政大学の教授になったときに、札幌に仲
間でお呼びして、そのへんを鼎談したことがあ
りました。やっぱり都市のデザイン力が大事に
なるよと、そんな話をしたことがあったのです
ね。
そんなことで、そのへんが地下水みたいに、
横浜としてはあるのかなと思いました。
○池尻氏
さて、具体的なお話をうかがっていきたいと
創造都市の政策がスタートした当初から、実
思います。
際に進めるにあたってコーディネート組織のよ
まず、アーツコミッションのミッションはわ
うなものが必要だということが、創造都市で設
かりました。それで、みなさんのマンパワー―
置された専門家の委員会の提言にありました。
―さっきメンバーは少ないと仰いましたが――
3.5 人をどうひねり出したかということについ
日常的には、どういう人たちと、どういう風に
ては、実際にはコーディネート組織というもの
まわしているのでしょうか?
を単独でつくりたかったところが、財団がプロ
○池尻氏
ジェクトという形で受けているものなので、ほ
実際に横浜市さんと共同で行うプロジェクト
んとにまさにひねり出したというところです。
と先ほど申し上げましたけれども、実際には財
札幌市さんがどのような状況かわかりませんが、
団の職員である私どもがやっている体制として
実際にいた方がいいとは思います。
は、管理職の者も入れて 3.5 人くらいでしょう
先ほど池田さんのお話でもあったように、二
か。ほんとに少ないです。
面性というか言語をどう翻訳していくかという
○伏島氏
ところもあると思います。実際に私どもアーテ
はっきり言って、少ないですよね。それでも
ィストの方とお話をしつつ、それで、行政の横
いるわけですよね。いるといないの、この大き
浜市の方ともお話をしつつ、なかなか通じあえ
な差を、みなさん考えていただきたいです。
ないところもあるので、私なんかはほんとにア
われわれ札幌にも芸術文化財団というのはあ
ートコーディネーターといわれる人達と比べた
ります。ミッションは、もちろん企画も含みま
ら、まだまだ行政よりの人間だと思っています。
すが、今ある文化施設の管理・運営です。しっ
○伏島氏
かりやっているともいえるけれども、留まって
札幌にも今財団がある。素晴らしい、いい仕
いるともいえます。そのあとの 3.5 人というマ
事をしています。私は彼らが兼任できるのでは
ンパワーをどうひねり出していくかというのが、 ないかと思います。どういう兼任かはわかりま
18
せん。9対1か5対5かはわかりませんが、皆
剰評価とは言いませんが、歴史をあまり知らな
それぞれ専門家です。去年までは税務課にいて
いからそういう話になってくるのだと思います。
…という話ではないです。各自専門性が必要な
ほんとに 3.5 人というのに代表しているように、
ので、やっぱり経験のある人達に新しいミッシ
まだまだほんとにこれからのチームです。
ョンを与えて、仕事をしていくのがいちばんい
まず、アーティストが一人いたらコーディネ
いだろうと考えています。今ある経営資源とし
ーターが一人いるというのは当たり前の話です。
ての財団を使うべきじゃないかというのが、個
吉本興業を見ていてもわかる。圧倒的にマネー
人的な考えです。今のお話を聞くと少し勇気が
ジャーの方が多いですね。一人のアーティスト
出ました。
にはマネージャー一人付けざるを得ない。今は
○池尻氏
逆に言ったらアーティストがいてもマネージャ
実際、私たちもいわゆる文化施設に留まって
ーがいない。一人のマネージャーで十人くらい
文化事業をやるよりも、街なかに出て行ってア
のアーティストを見ている、みたいなことをや
ーティストさんの活動を間近に見ながら、それ
っているからアーティストも売れない、という
を地域の住民の皆さまに知っていただいたり楽
構造があります。アーティストも大事だけれど、
しんでいただいたりというのを目の前で見て、
アートコーディネーターを育てるというところ
やはりすごく意義のある仕事だなと思いますの
に力点を置くというのは政策的にやらなくては
で、そういう形はすごくいいんじゃないかと思
いけないことは確実だと思います。
います。
だからといって、今はまだ財団みたいな存在
○伏島氏
が、そういう自立した形でのアートコーディネ
それから、先ほど池田さんのお話のなかで、
ーターのチームになっていっているかというと、
何かをすることによってそれがプロモーション
そうではない。これはもう札幌も一緒だと思う
にもなるというお話がありました。そういった
のですが、全体の流れ、お金のフローが完全に、
意味ではアーツコミッションが動くことによっ
財団イコール横浜市、横浜市イコール財団みた
て、そうじゃない財団の人達も改めて自分たち
いなことをやっている限りは、それはもう無理
の施設をどうやるかとか見直すきっかけにもな
です。やっぱりどこかで自立した経営の母体を
るのではないかと思います。つまり、今ある経
つくっていくようなやり方でやらないとだめで
営資源が活性化していくのではないかと思うの
す。ここは池尻さんを批判しているのではない
ですけど、それは期待しすぎでしょうか。
のですが、僕は横浜市の今のやり方はまったく
間違った財団経営をしていると思っています。
財団をつくるのはいいのですが、結果的に言
ったら、自立性を求めなくなってしまっている
のです。つまり簡単に言えば、給与保証されて
しまっているわけですよ。そうすると、赤字を
しようが何しようが、財団は全部横浜市から後
で補填してもらうという構造を最終的にもって
いるのですよ。切り札としたら。
それで、これをやっている限りは、やっぱり
○池田氏
ほとんど今までやってきた、直結でやっている
ちょっと、アーツコミッションに対して、過
のとあまり変わらないのですね。今まで文化芸
19
術は全部そうやってきたと思います。かなり補
今話されていることは、結果としてたかだか
助金みたいな――言葉は悪いのだけれど――福
4年くらいやっていることに対しての評価です
祉事業のようなアート行政と僕は言っています。 が、その前に何十年とあって、それからその後
つまり、出るお金しか考えていなくて入ってく
に6年間くらいあって、そのなかでアーティス
るお金を考えていない。経営的な考え方でやっ
トが自発的に活動していくっていうような大き
ているチームがほとんどいない。それを育てよ
なプロセスが横浜ではありました。
うことがこれまでの行政にはなかった。
さっき言った「北仲BRICK&WHIT
それで一時、すごく、財団の独立法人などと
E」というのは 253 名のアーティストのチーム
言って国がやりましたが、はっきり言って全部
がいたシェアスタジオです。あれは家賃経営に
つぶれていますね。全部おかしくなっていて、
関しては、間にBankARTが入って、森ビ
これは僕らの立場からすると、ものすごく逆行
ルとBankARTの契約の中で、作家が全部
した後退した 20 年間だったと思っています。そ
自分たちでそれを抱えて経営したという1年半
れと今の財団の話は、つながるところがありま
がありました。
す。財団がどうのこうのという話ではやっぱり
それを横浜市がやっているという風に見えた
ないんですね。
というのもあるし、横浜はアーティストが集ま
○伏島氏
るとメリットがあるという風に考えたのだと僕
私たちも、それを含めてアーツカウンシル的
は思っています。それに対して補助金を付けて
に、厳しい目で、市民の目でチェックする時代
もっと、アーティストを誘致した方が元気にな
がすぐそこに来ているのではないかと思うので
る、お金使わなくてもみんな元気にやるじゃな
すけれども…その議論がテーマではないのでま
いかということを認識したのです。そこについ
た戻ります。
ては、僕は横浜市は頭がいいと思います。
私たちは、コーディネーターを育てる必要も
それで、アーツコミッションの中で芸術不動
感じています。中間支援機能をワンストップサ
産というチームが生まれて、それがスタンダー
ービス的にきちんと街の真ん中につくる必要が
ド化されたというプロセスです。だから決して、
あるのではないかと思っています。
行政がお金をあげるから来い、というようなこ
今日は、中間支援の具体的な事例をお示しい
とはやっていないのです。ものすごい活発な活
ただきました。そのなかで特に私が、これは絶
動をアーティストが引っ張っていくことで、そ
対そうだと思ったのは、先駆的な芸術活動への
れが発火して、それをシステムにした横浜市は
助成についてです。これは絶対なければいけな
頭がいい。
いだろうなと思いました。それと具体的に事務
だから、僕はどっちも否定しない――どっち
所を開設するような支援も必要です。いま札幌
が先に出たとか今言っているわけではない――
では都心の再興というようなことがテーマにな
ので、行政がそれに下手に手を出してやってし
っています。駅前ばかりが今は賑やかになって
まうと、まったくダメなアーティストが集まり
いるので、そういった意味では大通、狸小路と
ます。要するに、何も生まれないと思います。
いう場所には、誘導的な事務所開設ということ
そういう仕組みだけを真似てしまった場合は。
も考えられるし、それが芸術不動産、リノベー
だからちょっと聞いていて危ないなと思うの
ション事業というようなものとリンクしている
は、そこにはものすごい生みの苦しみの時間が
といいなと考えています。
あって、そこに横浜市とBankARTという
○池田氏
ような組織、あるいはアーティストとのバトル
20
もありました。何回も何回もやり直してきたわ
いうようなリレーしていく構造をつくりあげら
けです。その中で仕組みが出てくるわけです。
れるか。往来ですね。それができるかどうかが
そこら辺の生みの部分を抜きに行政が芸術不動
いちばん重要で、そこの反応系、つまり温度が
産とか、芸術にお金を出すみたいなことをやり
上がっていくような構造がつくっていけるかど
始めるとどんどんおかしくなると思います。
うかが重要です。
○伏島氏
ここまで言うと、横浜市に褒め言葉を言い過
わかります。戦略と戦術のなかの話で、戦術
ぎですが、うまくつくったなと思います。横浜
ばかりに目をやってしまうと肝心なところが抜
市全体が非常に引くところと出るところ、整理
けてしまう、というようなご説明だったと思い
するところとを上手くやった。
ます。
そこに例えば、トリエンナーレだって、あれ
札幌でもその辺は確かにそうでして、現実に
はアッパーを入れているわけでカンフル剤を投
今この4~5年、もっと長いかもしれませんが、 げ込んでいるわけですね。それで今まで定番で
民間独自でお金を集めて自分たちの拠点をつく
やっている仕事にリズム良く3年にいっぺん喝
るとか、横浜ほどではないけれども、生みの苦
を入れていくわけです。プレゼンテーションし
しみはそれなりに皆味わってきています。
て今やっている連中に見せろってやってしまう
それで我々がそこに映画館であるとか、ある
わけですね。見られるぞっていうような時期を
いは舞台施設であるとか、そんなところに個人
つくる。
的に、一人5万とか 10 万とかですけれど、投資
そういうようなものは全部行政と日頃やって
をしながら自分たちでつくってきた面もありま
いる人たちとの連携なのですね。
す。そういったものはゼロではないのです。な
○伏島氏
ので、そういう本体的な流れを側面からサポー
私たちの今求めているアートセンターという
トするような仕組みはあっていいのかな、と思
のは、今おっしゃった反応する構造――構造と
っています。
いうのはあまり好きな言葉ではないですが――
○池田氏
その意識、お互いのやり取りをどんどん活発に
それについて、僕は論文で「リレーする構
していこうという意識、出会い、それがたぶん
造」と書いています。「リレーする構造」という
アートセンターの大きな部分を占めていくと思
言葉は実を言うと、今いうところの「サスティ
います。それもあるので他都市の事例なども今
ナビリティ」の置き換えです。
こうして聞いていると思います。
サスティナビリティという言葉は、僕はあま
反応する構造は、都市によって違うと思うわ
り好きではありません。なにか非常に静的な感
けです。それが横浜では今聞いたような形にな
じがして、目的的に動いている感じがします。
ってきたということです。
やっぱり僕は川俣さんの弟子ですから、そこで
それで、官の方にいるポジションの方と民間
どんどん変わってしまっていいと思うのです。
の方におられてものすごい活動量と質をつくっ
サスティナビリティなんて、何のサスティナビ
ておられるお話を聞いてきたわけです。
リティだっていう風に目的だって変わってもい
いと思います。
ここで、今日は思いがけずたくさんの皆さん
そういう意味でのレスポンス系なのです。レ
来ていただいておりますので、皆さんから出て
スポンスしてどんどん…行政が頑張ったら僕ら
きたお話(質問)を受けていきます。
が頑張る、僕らが頑張ったら行政が頑張る、と
パブとかスクールとかもおやりになっていま
21
すが、その辺の各部署の担い手はどういう方が
ましたからね。その時にアルバイトが、今日は
なっていらっしゃるのですか?
やっていませんと言って帰したら、もう終わり
○池田氏
ですからね。
ウチのスタッフです。ウチは絶対に外に出さ
そこで要するに、ウチのスタッフはいますか
ないです。
ら、すぐ連絡して呼びますと言えるかどうかな
なぜかというと、僕らのパブというのは夜 23
のですよ、ちゃんと。そういうことが訓練され
時までやっている受付なのですよ。レスポンス
ていない人が受付やってしまうと、ほんとに全
出来なきゃいけないのです。23 時だったら一般
然、人脈も増えていかない。
の人も来ます。その人たちをどうアートにもっ
○伏島氏
ていくかというのがパブの役目です。だから全
意外とそういうことって世間はあまり目を向
部ウチのスタッフでやっています。
けないけれど、私はすごく大事だと思います。
○伏島氏
フロントやパブのお兄ちゃんが川俣正論を展開
それはいろいろな働く場所、ローテーション
できるような、それくらいの人でないといけな
でやっているのでしょうか?
い、と思います。
○池田氏
そうですね。もちろんパブだけの子もいるけ
それでは、お手をあげていただいてご質問を
ど、滅多にいないですね。受付業務を通して、
スタンダードの業務を終わらせてパブのスタッ
フになることもあります。パブに関しては、若
いスタッフが多いです。
基本的には、BankARTの理念を引き受
受けます。短い時間ですが、今やり取りした
けたレベルでパブをやっています。
ことへのご意見とか、自由にいただければと思
○伏島氏
います。
今なぜこんなことを聞いたかというと、札幌
にアートセンターをつくった時に、いろいろな
○参加者 A
機能が出てくると思いますが、あまり固定しち
池尻さんにお尋ねしたいのですけれども、さ
ゃうとまずいと考えています。いろいろなお客
きほど様々な先駆的なものへの助成などがあり
様がいる。そして専門家ではないけれども、応
ましたが、その決め方、選定を、どういう風な
答がすぐできる。そういう風なスッタフを育て
形の基準でやられているのか、誰が選んでいる
ることも大事かなと思っているわけです。
のか、その選定の過程といいますか経過を、ど
○池田氏
の程度オープンにされているのかな、というよ
それは本当に大事ですよ。ウチは仕組みの話
うなことをお聞きしたいです。
はさっきしませんでしたけれども、受付とかパ
○池尻氏
ブのスタッフとか、ベーシックなところにもの
助成制度それぞれに合わせた選考方法を取っ
すごく力を入れています。時間もものすごくか
ています。ご質問いただいた先駆的に関しては、
けています。それは最も重要です。
外部の専門家の方に選考委員という形でついて
受付は、例えば 23 時まわると、とんでもない
いただいて、選考しています。基本的には申請
人が入ってきたりします。それこそ、札幌市長
書類をいただいての書類選考ですが、事前に私
がフラッと何も言わないで、朝 10 時に入ってき
どもスタッフが申請書類を読み込んで、不明点
22
などをアーティストさんに聞いて、リサーチを
たりということで補助金をいただいております。
したうえで選考にかけています。
アーティストの方に応対する助成制度として
公開については、選考の場自体は非公開です
は、財団の中では私どもだけが持っております。
が、どういうポイントを評価してこの企画に助
○池田氏
成をすることにしたか、ということは Web サイ
まちづくり系とか、いくつか他のところでも
ト上で、簡単ではございますが、ご説明してお
アートにお金を出していたりする。例えば、ス
ります。
マートイルミネーションとかは全く別口でしょ
○参加者 A
う。
ありがとうございます。それに関連して、実
○池尻氏
際の横浜の文化行政の、アーティストとかも含
そうですね。
めての、全体の助成というのは、横浜市自体で
○伏島氏
もあるのですか?それとも、アーツコミッショ
それは札幌でも、けっこう部局は分かれてい
ンにすべてのお金を集中させているのですか?
ます。
○池尻氏
○池尻氏
まず、横浜市全域で言いますと、もちろん他
例えば、経済局さんとかが商店街の空き店舗
にもございます。それぞれに区役所の域振興課
とか、そういうものに対する助成を持っていた
さんですとかが支援の資金を若干持っていらっ
りすることもあります。
しゃったりしますし、都心部においては、文化
○池田氏
振興課というもう少し市民寄りの支援をしてい
あと、各施設が助成していくということもけ
る部署もございまして、そこでもいくつか助成
っこうあります。
制度を持っています。
○参加者 B
私どもは創造都市のプロジェクトに関連する
池田さんに質問しようと思っています。その
ような助成制度を持っております。
前に、僕自身はBankARTのグループの討
○伏島氏
論会に何度も呼んでいただいたり、横浜市が窓
それは、ある程度、余暇活動的な文化活動に
口になっているヨーロッパと創造都市交流する
関しては文化振興課、そして少し高度な方がっ
ツアーにも参加させていただいたりという感じ
てことでしょうか?
で、とてもお世話になっています。
○池尻氏
前から誰に聞けばよいのかわからなかったの
そういうわけではないです。
で聞いてみたい話があります。僕は実は、Ba
○池田氏
nkARTという名前がつく前の、1929の
もうちょっと全体を話した方がいいと思いま
第一金庫の建物を文化に利用するのはどうかと
す。文化振興財団はとんでもなく大きくて、美
いうフォーラムで基調講演のひとつをさせてい
術館とか赤レンガとか全部経営しているわけで、 ただきました。その時にひとつ気になったのが、
それは大きい何十億の世界です。アーツコミッ
当日地元のアートNPOの方たちが何人かいて、
ションはその中のほんとうに一部のチームです。
非常に批判的な意見が多かったということです。
○池尻氏
こんな響く空間でダンスなんか出来ないとか、
横浜市芸術文化振興財団は十数施設の文化系
地元のアートNPOの団体とかが、冷ややかに
のスペースを管理運営していて、そのうえにい
見ている人たちがけっこういました。
くつか指定管理者制度であったり、受託であっ
それで少し、地元のアートNPOなども回っ
23
てみました。思ったよりはアートの団体という
とか、パフォーマンスアートフェスティバルと
のが少ないという印象でした。小さいところも
か、こう断続的に何か先駆的なことはやってい
多いなという感じでした。
る。それが全然つながらなくって。定番のもの
でも、今はすごいびっくりするくらい色々な
と言えば、横浜美術館だけ、みたいなところに
活動をされているなと思っていて、僕はだから、 なっています。
ほんとに努力されたのだなと思っています。
だから、なかったですよ、本当になかった。
それで、池田さんに横浜市に関わりもった時
横浜の人は東京に見に行きますし、コレクター
に、最初にそういうアートの状況をどう思った
もいなかった。例えば今の東京アートフェアの
のかというのを聞いてみたいと思います。
前身もありましたが、あれは1回で終わってし
まった。何か手を出すのだけれど、すぐやめる。
連続性の無さみたいなところでのスタートでし
た。さっきおっしゃった温度についてわかりま
す。そんな感じはありました。
○伏島氏
今のことに関連して、ちょっとお聞きします。
今の札幌は一見、活気がある風なのですが、
よくよく見るまでもなく、それぞれ「村」です。
演劇は演劇村、美術は美術村、音楽は音楽村、
全然お互いの交流、刺激し合いがあまりない。
ないなかで、何となく関係者だけでまわしてい
るというところがあるのですね。
それで、池田さんのお話を聞いていると、さ
まざまなプロジェクトがどんどん、たぶん若い
人の中から生まれてきて、普通に横断的にいろ
○池田氏
いろなものが融合したものをやっていると思わ
「ない」と思いました。
れるのですが、その辺どう変わってきたのでし
ただしDNAじゃないけれど、横浜って実を
ょうか?やっぱり下地があって変わってきたの
言うと、県民ホールギャラリーと市民ギャラリ
か、仕掛ける人がいたのか?
ーという場所で、かなり大きい展覧回を開いて
○池田氏
いるのです。昔でいうと、今日の作家展みたい
そんなに、一つの理由はないです。
なものをずっとやっています。これは今の川俣
○伏島氏
さんなんかもやっていたり、原口さんなんかも
複合的ですよね。
やっていたり、かなり先駆的に、割と大きな建
○池田氏
物、吹き抜けのホールで、今のインスタレーシ
ものすごい複合的です。もちろん資本を投下
ョン型の新しい表現に見合うような場所をつく
する人が出てくる、そして場所をつくっていく
ってきたことだけは確かです。
人が出てくる。それから、ネットワーク系の仕
そこでけっこう断続的にですが、イベントを
事をする人が出てくる。もうひとつそれに行政
やっているのですね。例えば、横浜フラッシュ
が絡んでるのですが。
とか、建物を壊す時に田原健一がやっていたり
僕は行政の人とはずっと仕事できないと思っ
24
ていた時期が 20 年くらい前にありました。とい
今のお話、すごく良いです。
うのは行政の人は3年経ったら全部やめちゃう
さっきの、1万7千のメール配信と、1回1
じゃないですか。すべて御破算にしてもう一回
万部ですか、それを年に4回。この馬力を普通
って、新しい担当者は全然違う方向向いている、 にやっているというところですよね。これはけ
みたいなことと何回も付き合ったことがあって、 っこう抜けちゃうところです。そして、今 400
これはもうやれないなと思って逃げていた時が
人以上のお知り合いが市や庁の中にいると。
あったのですね。
というようなことは、何を言っているかとい
ところが、僕、横浜に行っていちばんそこを
うと、やっぱりフェイストゥーフェイスの関係、
自分の中で変換したのですが、確かに行政の仕
これがないことには活性化もしないのではない
組みとして3年経ったら異動というのは仕方が
かな、という風に思いました。
ないのだけれど、その時に自分の中で反省した
のは、その人を切ってしまうのは、向こうが切
さて、時間がないので、今フロアから出てき
っているのではなくて、仕組みが切っているの
たご質問をお二人にぶつけたいと思います。
であって、向こうを切ってしまっているという
まず、何十年もかかって、横浜という街が変
のは自分がやっている、という事に気づいたの
わったと感じられた瞬間というのはありました
です。
か?どこかの時点で、「あ、変わったんだ」と思
つまり、新しく来た人と一所懸命やると、そ
われたことはありますか。いつ、どのような状
れで前やっていた人とやらなくなる。これは違
況だったのでしょうか?というご質問です。
うと思った時がありました。猛省しました。そ
○池尻氏
れで、異動した人たちにもずーっとDMとか連
私も実は、横浜の人間ではないのです。先ほ
絡とか、パーティーあったら呼ぶとか、そうい
ど ご質 問い ただ いた 方も おっ しゃ たよ うに 、
うことを繰り返し繰り返しやっています。8年
2002 年とか、その頃横浜は特に何があるという
間、それだけは守っています。そうすると、今
気もしていなかったのですね。それが今は、ほ
僕は 400 名くらいの横浜市役所の人と付き合っ
んとにいろんな方がいらっしゃっていて、アー
ています。
ト好きな方の感想なんかでもあるのですけれど
この前、レセプションの時に送ったところ、
も、行きたい展覧会とか、行きたい公演とかが
課長上が 180 名くらいいましたね。部長、局長、
かぶっちゃってどっちに行っていいかわからな
副市長クラスが 22 名ですね。それくらい皆出世
いみたいな、そういう様な事が横浜で起こるよ
して偉くなって、ちりぢりばらばらにいっぱい
うになったという事がすごく嬉しい、とおっし
います。
ゃっていて、ああそうだなぁと思うこともあり
そういう連中が、しょっちゅう遊びに来てく
ますし、街中もやはり、私が横浜を知った頃と
れるし、なにか相談しに来てくれるし、何かや
は違うような気がします。
ろうか、みたいな話にようやくなり始めている。
○伏島氏
これは、たったそれだけ、こっちの行政に対
今、馬車道も再度新しくしたいというような
する考え方をやめただけ、とは言わないけれど、 こともあるのですか?
そういう部分もあったと思う。僕は、そこは自
○池尻氏
分では、皆に教えてあげようと思っていました。
馬車道ですか。馬車道は商店街さんがいらっ
皆そうやった方がいいよと思います。
しゃるので、なんとも言えないのですけど、た
○伏島氏
だアーティストの方達がいるというだけでは、
25
なかなか一般の方には見えにくいものなので、
たらもう1回直していく、という事を繰り返す。
そこをどう繋いでいくとか、横浜の中でそうい
そういう意味では、このセンター構想に向か
うことが出来るにはどうしたらいいかなとかは、 って行っているのが、ひとつ横浜なんかよりは
まだまだこれからだなと思っています。
はるかに見識があるというか、はっきりしてい
○伏島氏
るなと思っています。横浜は行き先ないですか
出てくるかなと思ったら、やっぱり札幌のト
らね。まったくどこに行くかわかりませんから
リエンナーレに関するご質問が出てきました。
ね。ふらふらふらふらしているだけで。そうい
横浜でも4つのプロジェクトの1つに、横浜
う意味では、そういう方向に行っているのは羨
トリエンナーレが挙がっています。札幌で国際
ましいと思いますね。
芸術祭を初めて開催していくわけですが、横浜
○伏島氏
ではどう見えてますか?というご質問です。横
今日は池田さんのお話を聞いてですね、すご
浜にはまだ情報伝わってないのでは?
くそうだなと思ったのは、すーっと流れていく
○池田氏
だけじゃなくて、ある時ガツンと動かすという
伝わっています。
ことの重要性をおっしゃっていることです。
○伏島氏
そうなると、今私たちの持っている札幌の2
そうですか。札幌がどう見えるか…私の方か
大イベント――「雪まつり」「よさこいソーラ
ら足してしまうと、今素晴らしいトリエンナー
ン」、もう陳腐化しちゃっておもしろくないねと
レが山のようにあります。その中で、札幌はど
いう、私の周辺ではもっぱらそういう話になっ
うしていくのという懸念というか、もしそうい
ています。子どもが大きくなったら雪まつり行
うものがあったらお聞かせいただければと思う
かないし、よさこいソーランはひたすら嫌いな
のですが。
人がいます。イベントが、実質的な元気のある
○池田氏
イベントがなくなってきた時に、札幌でも芸術
確かに、トリエンナーレとかが増えてきたり、 祭、かなり複合的な多面的なものをやるという
すごく外に出るプロジェクトが増えてきました。 のは、そこに何か期待するものが生まれるかも
美術館の時代じゃなくなった、と言うと美術館
しれないという事と思います。
の人に怒られるけど、美術館は大人しいですね。
さて、最後になってまいりますが、ご質問あ
それで、札幌も外に出ると。それそのものは、 を一つ二つお受けしたいと思います。
すごくいいなと僕は思っています。札幌のおそ
○参加者 C
らく外のイベントといえば、「雪まつり」という
お二人にお聞きしたいのですが、すごく漠然
巨大なものがあって、あれには誰も敵わないと
とした話になるのですが、今日のアートセンタ
きっと思っているでしょう。でもさっき言った
ーというお話で、アートセンターとひと口に言
ように、またわかりにくいものを導入しやがっ
ってもいろいろな形があって、たぶん都市のサ
てという風に、市民の人は思うと思いますが、
イズだったりとか、地理的な場所性だったりと
都市が包容力をもって、そういうわからないも
か、いろいろな都市の状況に応じて、どういう
のを受け入れていくことでしか都市って伸びな
アートセンターがあったらいちばんフィットす
いと思うので、僕はどんどんやられたらいいか
るだろうなとかいうのは、すごく異なっていく
なと思います。
と思うのですけど、すごく印象的な部分で、札
それで、決して1回で答えを出すのではなく
幌なんかで、こういうタイプというか、こうい
て、やっぱり継続して何回かやってダメになっ
う形というか、こういう手法のアプローチをし
26
ていくと、すごく面白い場所ができるんじゃな
も思い出深く聞いていました。
いかなみたいな、ご意見とか印象とかあったら
私は極めてアートというものに無縁な男でし
お願いできますか?
て、12 年ぶりにこっちに帰ってきたものですか
○池田氏
ら、札幌市がそういう取組みをしているのを、
一般論ですけど、やっぱり今あるものを大切
ちょっとどんなものかなと思って聞きに来たの
にされて、そのポテンシャルを引き出されたら
がきっかけです。
いいと思います。やっぱり、さっきちょっと出
そんな中で、「定義しにくい市民」という言葉
したモエレ沼公園とか、ほんとに世界でも重要
もありましたけれども、全然アートに縁もなく
な宝物だと思うのですね。こんなことやれるの
いる人間がこういう場にいるというのも、定義
北海道しかないよなと思って見ましたからね。
がしにくいというところの意味合いのひとつか
是非そういう、持っていて、眠っていて、忘
なと感じています。
れられていて、みたいなものを見出していく。
今、仕事で施設の運営をしているのですが、
あと道もそうですね。僕、大好きです。バルセ
その施設の方に人を寄せるきっかけとして、学
ロナも大好きです。道が広いのはほんとに素晴
生さんの作品であるとか、作家さんの作品であ
らしいなと思いますし、とにかく、ずばり広さ
るとか、というものを廊下に展示するというの
を活かした方がいいかと思います。そういう部
を、展示する部分をお貸しするというのをやっ
分で何か新しいことをやってくれるといいなと
ています。
思います。
そもそもそういったアーティストさん達がど
○伏島氏
ういった思考回路の方達かわからないのですけ
とても大事なアドバイスだったと思います。
ども、どこでもいいからとにかく発表したいと
札幌市民も意外と札幌知らないってことがあり
発表の場を求めているような人達が、アーティ
ます。北海道もそうですよね。あの辻井先生達
ストさんの中には多いのか、それとも、つくっ
が始められた北海道遺産。これも意外と知られ
ていて自己満足をしているというか、見られな
ていなかったところに光を当てて、ツアーを出
くてもいいけど自分はこういうことをしていて
したりして、北海道ってこんなに面白いところ
満足している、という方が多いのか…
ってあるんだってことでした。
継続的にそういった発表の場を提供していく
おそらく、札幌でもあると思うのですよね。
ことが、先ほどのトップダウン、ボトムアップ
例えば彫刻美術館や芸森など複数のアート施設
という活動のひとつの火種というか、民間の活
とグルメを絡めて、バスツアーを出したりする
動のひとつとして役立つことなのか、そこら辺
と、けっこう人気だったりします。旭川の方か
どう思われるかなというのをお伺いしたいです。
らも来ているようです。意外とわかっているよ
○池尻氏
うでわからないところを改めて発掘していくみ
ちょっと難しいなと思うのですけれど…つく
たいな。それはけっこう意義のあることではな
るだけでいいかとか、見せたいかとかっていう
いでしょうか。
のは、多い少ないというよりはどちらでもない
他に質問はありますか?
かなと思います。
○参加者 D
○参加者 D
こんにちは。今日私、縁あってこの席に座ら
そういった発表の場を提供し続けることが意
せていただきました。東京で 12 年、横浜の港北
味あることなのかなと思っているのですが、作
の方にも住んでいたことがあるので、横浜の話
家さんのニーズがあることなのでしょうか。
27
○池田氏
池田さんのお話の中で、アートは機能しない、
たぶん、おっしゃりたいことは…研究室の研
アートの周囲が機能させるという言葉がありま
究みたいなもののイメージだと思うのですが、
した。非常に含蓄のある言葉で、おそらく私だ
僕らの世界というのはわりとそっちに近いです。
けではなくて「えっ、うっ」と思った方も多い
市民の人がわかりにくいと思うと人が来ない
と思いますね。ついアートに何ができるかとか、
と言われてしまうという事実もそうで、いつも
そういう設問を持ちがちになるのですね。そん
やり返すのですけれど、でも僕らはニューヨー
なことをする前に、することはいっぱいあるの
クの本に載ってるよとか、ヨーロッパからも人
ではないかと、常々私なんかも思っています。
が来るよとか…核爆弾というと比喩が強すぎる
とても印象深い言葉を、今日はいただいたな
けど…北朝鮮はあんなに小さい国だけど核持っ
と思っております。ですので、札幌のアートセ
ていてミサイル飛ばすっていうと、世界中がガ
ンターの仕組みをどうするかというのはとても
ンガンガンガン言ってくるわけですね。決して
大事ですし、財源をどうするかとか、誰が何を
北朝鮮という国の大きさに恐れているわけでは
どうするという非常に細部の設計は大事なので
ない、というところがある。
すけれども、そういったことを具体的に考えな
やっぱりネットワークというのは、非常にラ
がら、原点にいつも帰っていくように、そうい
ジカルなところで繋がっているチームです。そ
う突っ走るところと立ち止まるところと両方い
れを、こういうプロジェクトでは基本的にはや
るのかなという風な印象を受けました。ありが
っていくべきです。
とうございます。10 分超になりますので、そろ
それと同時に、そうじゃないという部分もや
そろよろしいでしょうか。
っていかないといけないというのは当然で、こ
今日は、遠く横浜から札幌においでになった
れは両輪です。両輪でやらなかったら、行政で
お二人に、盛大な拍手をお贈りください。
やる意味はまったくない。
(拍手)
この前、ノーベル賞取った人だって、たぶん
その2時間前までは有名ではなかった人が、も
6.閉会
6.閉会
のすごい超有名人になるわけです。ひっくり返
○司会
伏島先生、ゲストのお二方、ありがとうござ
しちゃうじゃないですか。
いました。
そういう世界ですよ、実を言うと。だから、
今日のサロントークは以上で終了となります。
その時にそれを支援し続けていくべきかどうか
とか、そんなこと議論してもしょうがない。そ
最後に私の方から次回のサロントークについて
こは、支援したい人がいれば支援し続ければい
お知らせさせていただきます。
次回は、2月の 20 日水曜です。同じ時間同じ
いと思うし、そういうことだと思うのですね。
そこに何か、またさっきと同じように、目的
場所です。次回は、アーツ千代田 3331 の中村政
みたいなものをつくらない方がいいと思う。そ
人さんをお呼びいたします。それと、コーディ
ういう風に思いました。
ネーターを伊藤隆介先生にお願いします。さら
ちょっと…質問しているところの視点が、申
に、札幌のアーティスト2名にもディスカッシ
し訳ないけど、アートの存在の仕方に対しては
ョンに加わっていただくというプログラムにな
もうすでに色メガネが入っている気がしますね。
っていますので、是非ご参加お願いします。
○伏島氏
ありがとうございました。
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