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イエスに出会い、告げ知らせなさい

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イエスに出会い、告げ知らせなさい
年間第 2 主日(Lectio Divina B 年)
1 月 18 日 年間第 2 主日
イエスに出会い、告げ知らせなさい
ヨハネによる福音書 1 章 35 〜 42 節
35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、
「見よ、神の小羊だ」と言った。37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。38 イエスは振り返り、
彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ―『先生』という
意味―どこに泊まっておられるのですか」と言うと、39 イエスは、
「来なさい。そうすれば分かる」
と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその
日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従
った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。41 彼は、まず自分の兄弟シモン
に会って、
「わたしたちはメシア―『油を注がれた者』という意味―に出会った」と言った。42
そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シ
モンであるが、ケファ―『岩』という意味―と呼ぶことにする」と言われた。
他の朗読:サムエル上 3:3 〜 10, 19 詩編 40:2, 4, 7 〜 10 Ⅰコリント 6:13 〜 15, 17 〜 20
Lectio …読む
福音書はイエスの「伝記」ではありませんし、イエスについて全てを我々に告げるものでもありま
せん。福音記者たちがいくらかの記述を遺してくれたので、私たちは彼らが知っているイエスに出会
い、そしてイエスについて学ぶことが出来るのです。今日のヨハネ福音書の朗読は、イエスがどのよ
うにして彼の最初の弟子たちに出会ったかを述べています。
はじめに、洗礼者ヨハネは彼の 2 人の弟子にイエスを「神の小羊」と言い表します。弟子たちはヨ
ハネの言った意味を知りたいと興味を持ち、イエスの後について行きます。イエスは彼らに話しかけ、
イエスが泊まっているところを見に来るようにと彼らを招きます。私たちはこの出会いが午後 4 時に
起きたと告げられます。
それから彼らは、
その日の残りの時間をイエスとその教えを学んで過ごします。
アンデレは、とても感銘を受け、すぐに彼の兄弟であるシモンに、
「メシアに出会った」と告げます。
アンデレはシモンをイエスに会わせる為に連れて行きます。
シモンのイエスとの出会いは劇的です。イエスは彼を一目見て、彼が誰であるかを告げ、
「ケファ」、
或いは「ペトロ」という新しい名前を彼に与えました。イエスの時代には、新しい名前は新しい人格
を意味しました。ペトロはイエスとの最初の出会いによって変えられ、すぐに漁師としての仕事を残
して(マタイ 4 章 18 〜 22 節)従います。しかし、彼が本当の意味で岩となり、イエスが彼の上に教
会を建てられるようになるためには、イエスを愛し、仕え、成長するための長い時間が必要でした。
Meditatio …黙想する
人々がどのようにイエスと出会い、弟子となっていったかを記すこれらのみことばから、私たちは
何を学ぶことが出来るでしょうか。
洗礼者ヨハネとアンデレはどちらも、イエスが誰であるかを知ると、友人たちにイエスを紹介しま
した。あなたは、どのようにしてイエスを見出しましたか。それは、他のキリスト者の助けを通して
でしたか。あなたは、それを短い言葉で表現できますか。あなたも、あなたの友人たちがイエスに出
会うのを助けるためにはどうすればよいか、教えてくださるように神に願いましょう。
イエスが「神の小羊」であるという叙述について、よく考えてみましょう。イエスを表すこの言葉
年間第 2 主日(Lectio Divina B 年)
の意義について黙想してみましょう。(出エジプト 12 章 1 〜 14 節、レビ 16 章 5 〜 10、20 〜 22 節、
イザヤ 53 章 7 節参照)
Oratio …祈る
主よ、あなたの弟子であることの本当の意味を私がもっと理解できるようにお助けください。あな
たとの関わりをもっと深め、あなたが私に望むすべてのことを行うことが出来るよう助けてください。
Contemplatio …観想する
私たちは皆、それぞれ異なる方法で呼ばれています。第一朗読のサムエル上 3 章 3 〜 10、19 節は、
預言者サムエルがどのように呼ばれたかを説明しています。神は彼に特別な役割と、その役割を果た
すための自由をお与えになりました。私たちは、しばしば、イエスは私たちを自由にするという言葉
を聞きますが、
第二朗読であるⅠコリント 6 章 13 〜 15、
17 〜 20 節の中でパウロが説明しているように、
何をやってもよいという自由ではないのです。神に属することによって、私たちは本当に人となり、
活きたものとなり、私たちの言葉と行いとによってイエスを表すように召されているのです。
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