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メアリ・ウルストンクラフトを擁護する アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む

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メアリ・ウルストンクラフトを擁護する アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む
メアリ・ウルストンクラフトを擁護する ──アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む急進主義的要素──
鈴木美津子
メアリ・ウルストンクラフトを擁護する
── アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む急進主義的要素 ──
鈴
木
美津子
アメリア・オーピー、旧姓オルダーソン(Amelia Opie, née Alderson, 1769-1853)は、ロマン主義
時代にもっとも人気のあった作家の一人であり、1790年から1828年の約40年間に33冊の小説を刊行
している 1。彼女の父ジェイムズ・オルダーソン(Dr James Alderson)はノーリッジの著名な非国
教徒の医師であり、人道主義的な知識人グループの一員であった。そのため、彼女自身もノーリッ
ジの自由主義者達や、ウィリアム・ゴドウィン(William Godwin)、メアリ・ウルストンクラフト
(Mary Wollstonecraft)、エリザベス・インチボールド(Elizabeth Inchbald)等のロンドンの急進主義
者達と親交があった。とくに、メアリ・ウルストンクラフトとは親しく、彼女が未婚の母であるこ
とが明らかになったとき、仲間の女性達のなかには彼女と袂を分った者もいたが、アメリア・オー
ピーは彼女との友情を保った 2 。1794年に急進主義者のトマス・ハーディ(Thomas Hardy)、
ジョン・セルウォール(John Thelwall)、ジョン・ホーン・トゥック(John Horne Tooke)、トマ
ス・ホルクロフト(Thomas Holcroft)等が大逆罪で逮捕され裁判にかけられた際には、アメリア・
オーピーも傍聴に出かけ、トゥックが無罪を勝ち取ったときには、歩み寄って彼に接吻し、急進主
義者の仲間であることを自ら示した 3。
その後、彼らの間にはある種の恋愛感情が芽生える。アメリア・オーピーは友人に宛てた書簡で
多少冗談めかしながら次のように述べる。「インチボールド夫人がおっしゃるには、世間では次の
ような噂が流布しているそうです。ホルクロフト氏は彼女に恋をしており、彼女はゴドウィン氏に、
ゴドウィン氏は私に、私はホルクロフト氏に恋をしている、と!」4。しかし、結果的には1797年
にメアリ・ウルストンクラフトとウィリアム・ゴドウィンが結婚し、アメリア・オーピーは1798年
にロンドンの文学サロンと美術サロンを主宰する画家のジョン・オーピー(John Opie)と結婚し
た。結婚後、当時の英国の抑圧的・反動的な風潮もあり、彼女は急進主義者たちと距離を置くよう
になり、急進主義思想に対する彼女の見解も変容を遂げることになる 5。夫の死後は父のもとに戻
り、父の死後、1824年にはクェーカー教徒となり、創作活動は自然と縮小されることとなった。
アメリア・オーピーの 2 作目の作品『父と娘、散文によるある物語』(The Father and Daughter, A
『父と娘』と略記)は、オリヴァー・ゴールドスミス(Oliver Goldsmith)
Tale, In Prose, 1801、以下、
の『ウェイクフィールドの牧師』(The Vicar of Wakefield, 1766)などをその代表とする十八世紀後
半に盛んに書かれたいわゆる「堕ちた娘の系譜に属する小説」('the seduced-maiden novel')──誘惑
に負けて身を持ち崩し哀れな末路を辿る女性の物語──であるとしばしば論じられてきた 6。たし
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東北大学大学院 国際文化研究科論集 第十三号
かに、そのジャンルに属する小説であることは否定できない。しかし、『父と娘』を1800年代初頭
の政治的・社会的・文化的文脈のなかに位置づけるとき、この小説の新たな側面が浮上してくる。
実は、1798年にウィリアム・ゴドウィンが『女性の権利の擁護の著者の思い出』(Memoirs of the
Author of A Vindication of the Rights of Woman, 1798、以下、『思い出』と略記)を刊行後、この『思
い出』に記されたメアリ・ウルストンクラフトの生き方をめぐって、保守主義者と急進主義者の間
に論争が巻き起こり、『父と娘』出版当時もまだ論争の余波は続いていたのである。
そこで、本稿では、『父と娘』も実はメアリ・ウルストンクラフトをめぐる論争・思想の戦いの
戦列に連なる作品であり、この小説を媒介にしてアメリア・オーピーもこの論争に対して間接的な
意思表明をおこなっていること、そして保守主義小説と解されがちなこの作品に 7、実は急進主義
的要素が多々潜んでいることを指摘し、この小説がさりげない形でではあるが、メアリ・ウルス
トンクラフト擁護の書に収斂していくことを検証してみたい。
I
具体的に『父と娘』を分析する前に、メアリ・ウルストンクラフトをめぐる論争がいかなるもの
か簡単に見てみたい。論争の発端は、先に述べたように、急進主義者ウィリアム・ゴドウィンが、
メアリ・ウルストンクラフトの死後、妻の『思い出』を発表したことにある。『思い出』の中で、
ウィリアム・ゴドウィンは、彼女の不倫の恋、未婚での出産、二度にわたる自殺未遂、別居結婚、
信仰との決別などを、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の『告白録』(Les
Confessions, 1782)にならって 8、あまりにも正直に赤裸々に綴った。ウィリアム・ゴドウィンは、
彼女をあたかも感傷小説に登場する女主人公であるかのように 9、「鋭敏な感受性」10 の持ち主、情
熱的に積極的に愛する「女のウェルテル」(MA 88)、急進主義的政治思想を抱く女哲学者、報われ
ぬ恋のためには自殺も辞さない英雄的で悲劇的な女として描写した。
メアリ・ウルストンクラフトは、『思い出』が刊行されるまでは、一般的には一応まともな作家
と見なされていた。 たしかに、彼女の『女性の権利の擁護』(A Vindication of the Rights of Woman,
1792)が出版された当初、保守主義的見解の持ち主の中には、彼女を嘲笑する者もいた。たとえば、
ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)はハナ・モア(Hannah More)に宛てた手紙で、メア
リ・ウルストンクラフトを「ペチコートをはいたハイエナ」、「哲学する蛇」とあざ笑い 11、ハナ・
モアのほうでも『女性の権利の擁護』という書名が「異様に馬鹿げているので絶対に読まない決意
をしました」12 という手紙を送っている。しかし、公の雑誌などで彼女の私生活に関してあからさ
まに個人攻撃がなされることはなかった 13。ところが、先に述べたように、ウィリアム・ゴドウィン
の、あまりにも正直なメアリ・ウルストンクラフトの人生・私生活の提示は、図らずも保守主義者
に格好の攻撃材料を提供し、その結果大変な物議を醸し、論議の的となった 14。
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メアリ・ウルストンクラフトを擁護する ──アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む急進主義的要素──
鈴木美津子
当然のことながら、ウィリアム・ブレイク(William Blake)やロバート・サウジー(Robert
Southey)等はメアリ・ウルストンクラフトの生き方・思想に共感を示し 15、またシャーロット・ス
ミス(Charlotte Smith)、メアリ・ヘイズ(Mary Hays)などの急進主義作家は、彼女を社会体制や
あらゆる権威に果敢に挑戦する女性の権利の擁護者として称賛した。しかしながら、保守主義者リ
チャード・ポルウェル(Richard Polwhel)は、彼女を女性の解放を叫ぶ「恥知らずな雌ぎつね」と
嘲笑し、社会に脅威を与えかねない危険な女、結婚制度を否定して次々と短い間に男性遍歴を重ね
る浮気女、売春婦と蔑んだ 16 。また、保守主義作家ハナ・モアは『現代女子教育制度批判』
(Strictures on the Modern System of Female Education, 1799)において、メアリ・ウルストンクラフト
を「ドイツの自殺者ウェルテルの称賛者であり、擁護者」17 と呼び、さらに「女ウェルテルは、姦
通は正当と認められると主張した」(1: 45)と激しく批判した。さらに、ジェイン・ウェスト
(Jane West)もメアリ・ウルストンクラフトの生き様を「罪に満ちた生涯」18 であると断定する。保
守主義派の雑誌『反ジャコバン評論』(Anti-Jacobin Review and Magazine, 9, 1801)には、メアリ・
ウルストンクラフトを娼婦として、ウィリアム・ゴドウィンを売春宿の主人として描いた詩「自由
の光景」('The Vision of Liberty')が掲載された 19。この詩の中で、ウィリアム・ゴドウィンは、妻
のメアリの売春の実体が世間にまだ充分に知られていないと考え、妻が街の半分以上の男性と性的
関係をもっていたことを世間に知らしめるために筆をとったと述べられ、
『女性の権利の擁護』は、
「売春を宣伝するために抜け目なく作った文書」であると語られる 20。ようするに、メアリ・ウル
ストンクラフトは急進主義理論の実践者──特に性的側面の──として位置づけられ、急進主義理
論と性的逸脱・不道徳が結びつけられ、急進主義哲学は売春と、メアリ・ウルストンクラフト自身
は娼婦と同義語となる 21。
かくして、メアリ・ウルストンクラフトの生き様・人生は小説の格好の素材となり、当時の作家
達に思想の戦いの場を提供した。この時代に活躍した小説家達は、イライザ・フェンウィック
(Eliza Fenwick)やメアリ・ロビンソン(Mary Robinson)などの急進主義作家もハナ・モアやジェ
イン・ウェストなどの保守主義作家も、こぞって小説の中で、メアリ・ウルストンクラフトを想起
させる女性を登場させ、彼女の実人生、著作に直接的、間接的に言及し、さらには『女性の権利の
擁護』における主張を一語一句そのまま引用し、彼女が体現する急進主義思想・言説に対する擁護、
称賛、支持、共感、あるいは軽蔑、怒り、反発、批判を表明したのである。
II
『父と娘』がいかなる物語であるか、簡単に辿ってみよう。物語は、女主人公アグネス・フィッ
ツヘンリ(Agnes Fitzhenry)が赤ん坊のエドワード(Edward)を胸にひしと抱き、凍りつくような
寒さの中、父親の家を目指して歩いているところから、突然始まる。彼女は途中暗い森の中で足枷
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東北大学大学院 国際文化研究科論集 第十三号
をつけた老人に出会う。アグネスの父フィッツヘンリ氏(Mr. Fitzhenry)である。彼は、娘の恥ず
べき不行跡により、精神に変調をきたし、自ら創設にかかわった精神病院に収容されていたが、病
院を逃げ出して来て、奇しくも森の中で娘と再会したのである。しかし、当然のことながら、彼は
娘を認識できない。物語の前半は、アグネスが父親の忠告に背いて、貴族階級出身の若き士官ジョー
ジ・クリフォード(George Clifford)の甘言に誘われ、誘惑に屈して、駆け落ちに同意し、未婚の
母となり、あげくのはてに捨てられるにいたる顛末が回想形式で語られる。
物語の後半は、アグネスが自分の過去の行いを反省し、世間からは白眼視されながらも独力で生
計を立て、父親の看病を献身的に続け、そのかいがあって七年後に父親は一時的に正気を取り戻し、
彼女と和解し、喜びの中で死ぬさまが描かれる。そして父親の後を追うがごとく、アグネスも、息
子を一人残して息を引き取る。アグネスと彼女の父親の葬儀の日にアグネスを捨てたクリフォード
──彼は今や爵位を継いでマウントキャロル卿(Lord Mountcarrol)と名乗っているのだが、たま
たま馬車で通りかかり、一人残されたエドワードを自分の息子と認知し、正当な後継者として屋敷
に連れて行く。
誘惑に身を任せ、未婚の母になり、捨てられ、過去を悔やんで死ぬという物語展開から、先にも
述べたように、『父と娘』はいかにも典型的な「堕ちた娘の系譜」に属する、保守主義的メッセー
ジを発している小説のように思われる。しかしながら、子細に『父と娘』を眺めてみると、保守主
義的枠組みをもつこの小説の中に急進主義的要素が多分に潜んでいることがわかる。女主人公アグ
ネスの性格づけ、プロットの展開などに焦点を当てて、『父と娘』に急進主義的味付けがなされて
いることを見てみたい。
アグネスの性格、言動に急進主義的属性が付与されていることを見てみよう。アグネスは「感受
性豊か」22 で、「強靱な精神ともっぱら男性の属性と考えられている知識を獲得する能力」(FD 2-3)
の持ち主であると描写される。実は、この「感受性豊か」23、「強靱な精神」24、そして男性なみの知
力、理解力というのは、まさしくウィリアム・ゴドウィンが『思い出』の中でメアリ・ウルストン
クラフトの特徴的属性として述べているものである。この属性は、メアリ・ウルストンクラフトを
思わせる急進主義を信奉する女性登場人物たちにも付与されている。たとえば、イライザ・フェン
ウィックの『秘密』(Secresy, 1795)の女主人公シベラ・ヴァルモント(Sibella Valmont)は、感受
25
を兼ね備え、男の子と同じ教育を施されたと描写される。
性豊かで、
「力と不屈の精神」
(1 : 117)
急進主義作家メアリ・ヘイズの『エマ・コートニーの思い出』(Memoirs of Emma Courtney, 1796)
の同名の女主人公も「鋭敏な感受性」26、「過度の感受性」(EC 48)、「精妙な感受性」(EC 60)に恵
まれ、「強靱な精神とその指針に則って行動する勇気」(EC 44)の持ち主と描写される。チャール
ズ・ロイド(Charles Lloyd)の保守主義小説『エドマンド・オリヴァー』(Edmund Oliver, 1798)に
登場する、急進主義思想に同調し、同棲し、妊娠し、恋人に捨てられ、失意のうちに出産する女主
人公ガートルード・シンクレア(Gertrude Sinclair)も、感受性豊かで「独立した精神の持ち主」27
38
メアリ・ウルストンクラフトを擁護する ──アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む急進主義的要素──
鈴木美津子
と描写される。
アグネスの自殺未遂も「強靱な精神力」のなす技であり、彼女の真摯で誠実でひたむきな気持ち
の現れと言える。アグネスは、メアリ・ウルストンクラフトやガートルードとは異なり、かなわぬ
恋に苦悩して自殺をはかるのではない。彼女は自分がいかに親不孝者であるかを思い知り、ナイフ
で咽を突き刺して死のうとする(FD 71)。実は、自殺は当時は急進主義思想と直接的に結びつけ
られていた。というのも、ウィリアム・ゴドウィンが『思い出』の中で、メアリ・ウルストンクラ
フトがギルバート・イムレイ(Gilbert Imlay)への報われぬ愛に絶望して、二度自殺を図ったこと
をきわめて率直に語ったことにより、保守主義作家にとっては自殺とメアリ・ウルストンクラフト
もまた同義語となる 28。さらに、急進主義者は、自殺を紛れも無く美徳に溢れた行為として賞賛し
ており、フランス革命時には英雄的行為とも見なされていた 29。そこで、たとえば、先に引用した
『エドマンド・オリヴァー』に登場する急進主義者ガートルード・シンクレアも、失意のうちに錯
乱状態の中で服毒自殺を図る。またファニー・バーニー(Fanny Burney)も『放浪者』(Wanderer,
1814)の中で、メアリ・ウルストンクラフトを想起させる女性の権利の擁護者エリナー・ジョドレ
ル(Elinor Joddrrel)に、三度自殺を試みさせている。このエリナーの失恋による自殺未遂は、メ
アリ・ウルストンクラフトの戯画化、滑稽化であることは言うまでもない。
『父と娘』のアグネスは、先に挙げた急進主義小説の女主人公のように、父親の権威に激しく反
抗したり、急進主義的言説を弄したりはしない。しかし、以上簡単に見てきたように、急進主義小
説の女主人公のように、彼女は自らの意志で、弱さからではなくて、自己の情熱から、クリフォー
ドに身を任し、その結果、未婚のまま母となる。その後は強靱な精神力を発揮して、決然たる精神、
意志力でもって、世間の白眼視にも負けず、収入の道を見つけ、父の看病と息子の教育にあたる。
奮闘するアグネスを、アメリア・オーピーは、あふれんばかりの清らかさ、美徳の持ち主として描
く。急進主義作家が「堕ちた女性」を描く場合、彼女達をいわゆる貞淑で道徳堅固な女性よりも、
はるかに好感のもてる魅力的な女性として描写するのが通例であるが、アメリア・オーピーも、急
進主義作家の例にならって、アグネスの人物造形を行っていると言えよう。
III
次にプロットの展開を見てみたい。保守主義小説では、誘惑に身を委ね、婚前に性的関係を結ん
だ女性は、激しい攻撃対象になっていた 30。そのため、保守主義小説では、転落した・堕ちた女性
は世間から爪弾きにされ、彼女を支援する人はほとんどおらず、やむをえず生活のために娼婦に身
を落とし、最期は救貧院で過去の行動を悔やみながら息を引き取るという哀れな末路を辿るのが一
般的である。つまり、保守主義小説においては、一度転落した女性があまりにも簡単に許されるこ
とは逸脱した性行動を奨励することにつながるとし、転落した女性の更生は不可能であり、死がそ
39
東北大学大学院 国際文化研究科論集 第十三号
の必然の結果であるとした。
一方、急進主義小説では、堕ちた女性に対する不当な偏見はきわめて有害な影響を及ぼすものと
なると解された 31。メアリ・ウルストンクラフト自身は、『女性の権利の擁護』において、婚前に
性的関係を結んだ女性に対して、社会が不名誉、汚名、恥辱というあまりに厳しい烙印を押すこと
が売春蔓延の直接的な原因になっていると主張する。続けて「貞節を失った女性は、自分はこれ以
上堕ちようがない最底辺にまで堕ちてしまい、以前の社会的地位を取り戻すことは不可能であり、
いかなる努力もこの汚点を洗い流すことはできない、と想像する。激励を失い、他の援助の手段を
失って、売春が彼女の唯一の逃げ場になる。そして急速に堕落していく」32、と「堕ちた女性」に
対する社会の不寛容を批判する。
アグネスの場合も、もし彼女を支援する人たちが現れなければ、まさしくメアリ・ウルストンク
ラフトが危惧するような状況に堕ちかねなかった。ところが、『父と娘』においては、転落後のア
グネスの自立を助ける人々が、次々に現れる。アグネスのかつての乳母の娘ファニー(Fanny)、召
使いのウィリアム(William)、かつての友人キャロライン・シーモア(Caroline Seymour)、彼女の
父親のシーモア氏(Mr Seymour)などである。アグネスの援助者で注目すべきは女性達である。
女同士が助け合う女性の連帯は、急進主義者ヘレン・マライア・ウィリアムズ(Helen Maria
Williams)の『ジュリア』(Julia, 1790)や、メアリ・ウルストンクラフトの『女性の虐待』(The
Wrongs of Woman: or, Maria, 1798)に描かれているように、急進主義的色彩を帯びている。ファニー
とキャラロインはそれぞれ、アグネスが地域社会に再び受け入れられるように、様々な形で支援す
るのである 33。
ファニーは学校を経営し、またショール作りの仕事にも携わっている。ちなみに、ゲイリー・ケ
リー(Gary Kelly)の指摘によると、ファニーはメアリ・ウルストンクラフトの若き日の親友ファ
ニー・ブラッド(Fanny Blood)と働き者で忠実な召使いマルグリット(Marguerite)を合体した人
物像である 34。ファニーは、アグネスにさしあたって住居と仕事、そして精神的支援を提供する。
すなわち、アグネスを自分の家に住まわせ、彼女にショール作りの仕事を世話し、子育てを手伝う。
おかげで、アグネスはその後、編み物や刺繍の仕事も手に入れ、自分自身の家を持つだけの資金を
蓄えることが可能となる。さらに、アグネスを白眼視する地域社会の人々に、ファニーは彼女の高
潔さ、誠実さを訴え、彼女に冷淡なそぶりを示す人たちを痛烈に批判・攻撃し、さらに「高潔な怒
りで頬を紅潮させ、目には素朴な感受性に溢れた涙を浮かべ、彼女[アグネス]を弁護する」(FD
139-40)。結局、アグネスは自分が同居していることで、ファニーの学校経営に差し障りが出てき
たことを知って、ファニーの家を出て、ヒースの丘の上に立つコテージに移る。ファニーは、アグ
ネスが引っ越した後も、引き続き夫共々彼女の力になっていく。
アグネスのかつての友人キャロライン・シーモアも精神的、物質的援助をおこなう。アグネスの
ために助力するキャロラインは、明らかに作者アメリア・オーピーの理想化された姿である 35。
40
メアリ・ウルストンクラフトを擁護する ──アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む急進主義的要素──
鈴木美津子
キャロラインは、アグネスに手紙を書いて激励したり、勇気づけたり、手紙のなかに紙幣を同封し
たりして、経済的援助もおこなう。キャロラインのアグネスに宛てた以下の書簡もまた急進主義的
色調を帯びている 36。
「素晴らしく説得力のある男女の作家たちは──私の意見ではこの作家たちは判断を誤っている
のですが──次のことを証明しようとしました。すなわち、多くの気立ての良い女性達が、ただ彼
女達の最初の過ちが誤った判断と犯罪的な厳しさで扱われたばっかりに、永久に美徳と世間体を失
い、売春の犠牲になるのだと」(FD 166-67)。しかし、この作家達の主張は、キャロラインには
「有害であり、危険であり」
、また「誘惑の犠牲者を、後悔や改悛から遠ざけようとしている」よう
に思われる。さらに、「すばらしい努力により人々に自分の過ちを忘れさせることによって、一回
の誤った歩みによって失った社会における地位を取り戻した女性」のケースをたくさん知っている
と、キャロラインは付け加える。一度身を誤っただけで社会から追放されるのはあまりにも厳し過
ぎるというのは、先にに挙げたメアリ・ウルストンクラフトのみならず、急進主義者が当時盛んに
主張していたことであった。
「素晴らしく説得力のある男女の作家たち」とは、おそらくメアリ・ウルストンクラフトやウィ
リアム・ゴドウィンのような急進主義作家を指している。キャロラインは彼らを批判しているよう
でありながら、それにもかかわらず「転落した女性」には、更生する道が開かれているという急進
主義的見解を述べる。このキャララインの手紙は「アグネスの心に平和と希望を語りかけ、そして
彼女の暗い目を自己に対する満足で輝かせるように意図されており」(FD 169)、アグネスは「友
情を証明する」(FD 169)キャロラインの手紙に心を慰められる。キャロラインのアグネスに宛て
た手紙には、アメリア・オーピーのかつて信奉した急進主義思想に関するある種の迷いは見受けら
れるが、ともあれ、この手紙は『思い出』の出版を機に図らずも世間の批判・攻撃に曝されること
になった今は亡きメアリ・ウルストンクラフトに対するアメリア・オーピーの偽らざる気持ちを代
弁していると言えよう。
キャロラインは、アグネスを援助することに最初はあまり乗り気ではなかった父親のシーモア氏
にも協力を求める。キャロラインは父に「お父様、アグネスの擁護者になってくださいな」(FD
115)と頼む。シーモア氏は、
「彼女の擁護者だって!世間がなんと言うか」とためらう。キャロラ
インは「お父様が正しい判断者であるということ以外、世間はいったいなにを言うことができるで
しょうか」(FD 116)と主張し、「アグネスが無慈悲にも攻撃されているのを耳になさったときに
は、彼女の友人になってくださいね」(FD 126)と再度頼む。
シーモア氏は、たまたまあるお茶の会で、アグネスが噂話のたねにされているのを聞き、彼女の
現在の状況、将来の望みなどをパーティ出席者に熱心に語る。シーモア氏の話を聞いて「哀れで不
幸な娘さん!彼女が過失を犯したとはなんて気の毒なんでしょう!──彼女は堕落したけれど、い
まだにアグネス・フィッツヘンリですね」(FD 129)と、パーティ参列者たちは感動して叫ぶ。結
41
東北大学大学院 国際文化研究科論集 第十三号
局、アグネスは、彼女を酷評する人々は存在するものの、「町の誠実で、偏見のない人たちは、ア
グネスの模範的な勤勉ぶりに注目し賞賛する」(FD 160)ようになる。地域社会の人たちは徐々に
彼女に心を開き、彼女を是認し、評価していく。
このように、アグネスを援助する人々の存在、そして彼女自身の更生への強い意志によって、彼
女は独力で生計をたて、父と息子を養うだけの収入を得る。アグネスは、一家の長として、精神を
病む父を扶養し、看病し、献身的に尽くす。「堕ちた女性」の物語というジャンルの約束事にアメ
リア・オーピーが多少妥協したことにより、小説の最後では、アグネスは死なざるをえない。しか
し、アグネスが「堕ちた」状態からはい上がり、みごとに再起を果たし、自立していくという筋運
び・展開は、まさにメアリ・ウルストンクラフトが『女性の権利の擁護』で女性の生き方として望
ましいと推奨するものであり、きわめて急進主義的である。
保守主義小説のプロット展開では、結婚前に身を任した女性は未婚の母となり、その後転落の階
段を一気に転げ落ち、娼婦に身を落とし、最後には改悛し惨めにも死ぬというのが一般的であるが、
急進主義小説の場合は、小説の結末がどれほど悲劇的であっても、女主人公の過ちは好意的に受け
取られる。急進主義作家は堕落した女性に同情の念を示し 37、たとえ、小説の結末で死ぬことにな
ろうとも、その死の様子はきわめて崇高に物語られる。たとえば、イライザ・フェンウィックの急
進主義小説『秘密』において、女主人公のシベラは未婚のまま身ごもり、死産し、その数日後彼女
自身息絶える。しかし、彼女の死は感受性と愛の殉教者として崇高に描かれる。一方保守主義小説
の場合は、
『エドマンド・オリヴァー』の女主人公レディ・ガートルードの場合のように、
「彼女の
お葬式は寂しいもので、冷え冷えとした死のような荒涼さがしのびよってくるのを感じた」(EO 2:
175)と、自ら転落した女性の末路がいかに悲惨で哀れなものであるかを強調する。
『父と娘』のアグネスの葬儀の様子は、どうであろうか。
「アグネスと父の亡きがらは、町の尊敬
すべき男女の住人たちの長い行列に伴われて墓地に運ばれた。苦しみと悲しみの多い貧しい人々が
嘆きながら離れて葬列に付いてきた。アグネスが故郷に戻って来たとき、彼女に暴力的な振る舞い
をした人達でさえ、彼女が永遠の住み処に運ばれるのを見て、涙した」
(FD 193-94)と描写される。
そしてアグネスの不品行を厳しく批判した女性もアグネスの「不運と早い死」(FD 194)を悼み、
またアグネスを「この世でもっとも邪悪な女」(FD 194)と呼んだ女性も自分のかつての行動を悔
やむ。このようにいかにも急進主義小説を思わせるような筆致で、アグネスの死は悲劇的な崇高さ
でもって語られる。
息子のエドワードはマウントキャロル卿によって息子と認知され、彼の正式の相続人となるとい
う結末、さらに「アグネスがしたように転落した人はだれでも忍耐強く苦しみに耐え美徳に満ちた
努力をすれば、世間の尊敬を取り戻す可能性がある」
(FD 205)という語り手の締めくくりの言葉、
これらの中に、結局、アグネスは道徳的違反は犯したが、転落の罪は許されるという、ほとんど急
進主義小説を想起させるような見解が仄めかされ、小説は終わる 38。
42
メアリ・ウルストンクラフトを擁護する ──アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む急進主義的要素──
鈴木美津子
IV
以上見てきたように、『父と娘』には急進主義的言説がちりばめられ、メアリ・ウルストンクラ
フトの見解を肯定するようなエピソードが散見する。では、なぜアメリア・オーピーは『父と娘』
を一見すると保守主義小説と見紛うような枠組みをもつ作品にしたのか。当時は、中産階級の品位
のある女性が、社会の批判を浴びずに、体面を汚さず、品位を保ったまま、メアリ・ウルストンク
ラフトの人生、ひいては彼女の著作を肯定的に取り挙げたり、賞賛したりするのは、極めて難しい
状況にあった。とくにアメリア・オーピーのように、かつて急進主義者と親しく交際したものの、
その後急進主義思想から離れ、良識ある既婚女性として世間に通っている場合、かつての友人がい
かに誹謗中傷されていても、公然と友人を擁護するのは困難であった 39。
そこで、アメリア・オーピーはある戦略を用いた。忘れてはならないのは、アグネスを積極的に
援助するファニーとキャロラインは、アメリア・オーピー自身を含め、メアリ・ウルストンクラフ
トに個人的にゆかりのある女性たちがモデルになっているということである。アメリア・オーピー
は公然とは口にできない自分の気持ちをこの女性達に託して、メアリ・ウルストンクラフトに対す
るひそかな友情の証を示していると言えよう。つまり、アメリア・オーピーは、『父と娘』におい
て、一見すると保守主義的メッセージを発するかに見える「堕ちた女性」という小説ジャンルを巧
みに利用し、その枠組みに沿うかのように見せかけて、実は女主人公アグネスを援助する女性達を
巧みに配し、メアリ・ウルストンクラフトの主張に賛同するようなエピソードを組み入れ、アグネ
スに彼女の苦闘に報いるような成功をもたらすことによって、「堕ちた女性」、売春婦として当時
盛んに集中砲撃を浴び、思想の戦いの餌食となっていたかつての友人メアリ・ウルストンクラフト
を間接的に、弁護し、肯定し、救出したのである。
クレア・トマリンは、その優れた評伝『メアリ・ウルストンクラフトの生と死』(The Life and
Death of Mary Wollstonecraft)の中で、アメリア・オーピーは「はっきりと悪意の熱狂をもって彼
女[メアリ・ウルストンクラフト]に背を向けて」40『父と娘』に着手したのだ、と述べているが、
これはアメリア・オーピーの小説をあまりにも一面的・表面的にしか捉えていないと言える。今ま
で論じてきたことから明白なように、
『父と娘』は決して反ウルストンクラフト的な小説ではない。
それどころか、『父と娘』は、メアリ・ウルストンクラフト擁護の書であり、友情の証の書なので
ある。
注
1
Gary Kelly, 'Discharging Debts: The Moral Economy of Amelia Opie's Fiction,' The Wordsworth Circle vol. XI, No.
4 (l980): 198.
2
Barbara Taylor, Mary Wollstonecraft and the Feminist Imagination (Cambridge: Cambridge UP, 2003) 196.
43
東北大学大学院 国際文化研究科論集 第十三号
3
Janet Todd, Mary Wollstonecraft: A Revolutionary Life (London: Weidenfeld and Nicolson, 2000) 381; Peter Garside,
Introduction, The Father and Daughter, A Tale, In Prose, The Romantics: Women Novelists (Routledge/ Thoemmes
P, 1995) vii.
4
Claire Tomalin, The Life and Death of Mary Wollstonecraft (London: Weidenfeld and Nicolson, 1974) 199; Ann H.
Jones, Ideas and Innovations: Best Sellers of Jane Austen's Age (New York: AMS P, 1986) 50; Todd, Mary
Wollstonecraft: A Revolutionary Life 381; Lyndall Gordon, Vindication: A Life of Mary Wollstonecraft (New York:
Harper Collins, 2005) 326; Garside, viii.
5
Garside x.
6
Susan Staves, "British Seduced Maidens," Eighteenth-Century Studies 14/2 (Winter 1980/1): 110-12; Jones 51;
Eleanor Ty, Empowering the Feminine: The Narratives of Mary Robinson, Jane West, and Amelia Opie, 1796-1812
(Tronto: U of Toronto P, 1998) 135; Shelley King and John B. Pierce, Introduction, The Father and Daughter with
Dangers of Coquetry by Amelia Opie (Peterborough: Broadview P, 2002) 21.
7
Carol Howard, "'The Story of the Pineapple': Sentimental Abolitionism and Moral Motherhood in Amelia Opie's
Adeline Mowbray," Studies in the Novel 30.3; Gary Kelly, English Fiction of the Romantic Period (London and New
York: Longman, 1989) 29; Jones 50; Garside xvi.
8
Mitzi Myers, 'Godwin's Memoirs of Wollstonecraft: The Shaping of Self and Subject,' Studies in Romanticism 20.3
(1981) 300, 305.
9
Nicola J. Watson, Revolution and the Form of the British Novel, 1790-1825: Intercepted Letters and Interrupted
Seductions (Oxford: Clarendon P, 1994) 62-63; G. J. Barker-Benfield, The Culture of Sensibility: Sex and Society in
Eighteenth-Century Britain (Chicago: U of Chicago P, 1992) 370; Catherine N. Parke, 'What kind of Heroine is Mary
Wollstonecraft?,' in Sensibility in Transformation: Creative Resistance to Sentiment from the Augustans to the
Romantics, ed. Syndy McMillen Conger (London: Associated UP, 1990) 107.
10
William Godwin, Memoirs of the Author of the Rights of Woman (Peterborough: Broadview, 2001) 88. 以下、MA と
略記。
11
The Letters of Horace Walpole, ed. Paget Toynbee (Oxford, 1905) XU: 131-32, 337-38 in Ralph M. Wardle, Mary
Wollstonecraft: A Critical Biography (1951; Lincoln: U of Nebraska P, 1966) 159; Tomalin 110.
12
Wardle 159.
13
Myers, 'Godwin's Memoirs of Wollstonecraft,' 301.
14
Nicola Trott, 'Sexing the Critic: Mary Wollstonecraft at the Turn of the Century,' in 1798: The Year of Lyrical
Ballads, ed. R. Cronin (London: Macmillan, 1998) 34; Myers, 'Godwin's Memoirs of Wollstonecraft,' 301; Roxanne
Eberle, 'Amelia Opie's Adeline Mowbray: Diverting the Libertine Gaze; or, the Vindication of a Fallen Woman,'
Stdies in the Novel 26.1/2 (1994): 121.
15
Wardle 162; Favret 131; Myers, 'Godwin's Memoirs of Wollstonecraft,' 302.
44
メアリ・ウルストンクラフトを擁護する ──アメリア・オーピーの『父と娘』に潜む急進主義的要素──
16
鈴木美津子
Richard Polwhele, The Unsex'd Females: a poem addressed to the author of the Pursuits of Literature (London, 1798)
28-9; Taylor 246; Wardle 320; Trott 34.
17
Hannah More, Strictures on the Modern System of Female Education, 2 vols. (London, 1799) 1: 44.
18
Jane West, Letters Addressed to a Young Man, 3vols. (London, 1801) 3: 344.
19
Eberle, 121; Myers, 'Godwin's Memoirs of Wollstonecraft,' 302.
20
'The Vision of Liberty,' Anti-Jacobin Review and Magazine, 9 (1801) 518; Trott 41; Taylor 305.
21
Trott 41-42; Mitzi Myers, 'Unfinished Business: Wollstonecraft's Maria,' The Wordsworth Circle, vol. XI/2 (1980):
107, 113.
22
Amelia Opie, The Father and Daughter, A Tale, In Prose, The Romantics: Women Novelists, ed. Peter Garside
(Routledge/ Thoemmes P, 1995) 3.
23
感受性の捉え方は保守主義作家と急進主義作家とでは、異なる。エリザベス・ハミルトンやジェイン・ウェ
ストなどの保守主義作家は、過度の感受性を否定的に捉え、逸脱的・破壊的な女性の性的ありようを示す
ものと見なし、危険視する。一方、メアリ・ヘイズやイライザ・フェンウィックなどの急進主義作家は、
感受性を肯定的に評価し、自由で因習に囚われない女性の性的ありようを示すものと捉える。Mary
Nyquist, 'Wanting Protection: Fair Ladies, Sensibility and Romance' in Mary Wollstonecraft and 200 Years of
Feminists, ed. Eileen Janes Yeo (London and New York: Rivers Oram P, 1997) 76; Ty 59, 198.
24「強靱な精神」も保守主義作家と急進主義作家では見解が異なる属性である。急進主義作家は、自己主張、
すなわちあらゆる危険を冒してでも自己の意志を貫く能力という意味に用いている。一方、保守主義作家
は自制、つまり、自分の感情・衝動を抑え冷静、沈着な行動をとる能力、という意味に用いる。C. L.
Johnson, Jane Austen: Women, Politics, and the Novel (Chicago: U of Chicago P, 1988) 11; Kenneth L. Moler, Jane
Austen's Art of Allusion (Lincoln: U of Nebraska P, 1968) 203-4.
25
Eliza Fenwick, Secresy, or The Ruin on the Rock, 3 vols. (London, 1795)
26
Mary Hays, Memoirs of Emma Courtney (London and New York: Pandora P, 1987) 18-19. 以下、EC と略記。
27
Charles Lloyd, Edmund Oliver (Bristol, 1798) 1: 97. 以下、EO と略記。
28
Janet Todd, Gender, Art and Death (Oxford: Polity, 1993) 116-17.
29
Todd, Gender, Art and Death 102; Dorinda Outram, The Body and French Revolution : Sex, Class and Political
Culture (New Haven: Yale UP, l989) 93.
30
Marilyn Butler, Jane Austen and the War of Ideas (Oxford: Clarendon P, 1975) 118.
31
Garside xvi.
32
Mary Wollstonecraft, Vindication of the Rights of Woman, vol 5 of The Works of Mary Wollstonecraft, ed. Janet Todd
and Marilyn Butler (London: William Pickering, 1989) 140.
33
King and Pierce, 17.
45
東北大学大学院 国際文化研究科論集 第十三号
34
Gary Kelly, 'Amelia Opie, Lady Caroline Lamb, and Maria Edgeworth: Official and Unofficial Ideology,' Ariel 12.4
(1981): 7.
35
Kelly, 'Amelia Opie, Lady Caroline Lamb, and Maria Edgeworth,' 7.
36
King and Pierce 17.
37
Janet Todd, The Sign of Angelica (London: Virago, 1989) 232.
38
King and Pierce 16.
39
Eberle 121; Johnson xxiii.
40
Tomalin 235.
46
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