...

アジア情報懇話会

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

アジア情報懇話会
「アラビアのカリグラフィー」アハマッド・カリッド・ユソフ
(マレーシア)1985年(福岡アジア美術館所蔵)
[インタビュー]平成15年度フェロー
[事業報告]市民カレッジ2003、国際研究交流会議、
ワークショップ第4回、アジア情報懇話会、
日韓海峡圏研究機関協議会総会
[コ ラ ム]モンゴル特集第4回
[レポート]若手研究者研究活動報告
[刊行物紹介]自主研究成果本7A、アジア太平洋研究誌第13号、第14号
アジア太平洋データブックNo.3、No.4
[資料紹介]ADB寄託図書館資料紹介
[インタビュー]
フェローシップ
招へい研究者
インタビュー
平成15年度フェローシップ事業の招へい研究者として、
中国・上海市から張明海氏が来福し、研究テーマ「NPO
活動とその効率」に関する調査を行いました。
※NPO=Nonprofit Organization、民間非営利団体
●プロフィール
張 明 海 氏
中国・上海市人民政府発展研究
センター研究員
1965年生まれ。復旦大学卒業後、同大
学大学院で経済学修士号、博士号を取得。
外資系銀行の上海支店で企業融資に携わる。
2002年7月より現職。
専門:経済成長の要素研究
先生が所属されている機関について教えてください。
先生のそこでのご専門は何ですか。
◆上海市人民政府発展研究センター(以下センター)は、上海人民政
府の外郭団体です。1980年12月に設立された時には、上海経済研
究センターと呼ばれていましたが、1995年12月に、現在の名称に
なりました。センターは、20年以上にわたり、上海人民政府の様々
な政策決定における諮問機関として、総合的かつ戦略的重要性のあ
る経済的、社会的課題の調査、研究を行い、同時に論評、提言をし
ています。また他の上海人民政府所属の諮問機関による研究活動の
組織、調整、管理をしています。さらに、上海人民政府の政策情報
ネットワークを担当しています。
現在、センターには、改革研究処、開放研究処、開発研究処、秘
書処、科研処、信息処、上海経済年鑑編纂部の7部門があり、スタ
ッフは50名、そのうち16名が研究員です。
これまでに、環境保護、都市交通、水資源、医療サービス、社会
保障制度、不動産市場などに関する研究をしてきました。センター
は海外の研究機関との幅広い協力関係を築き、カナダ国際開発庁と
の「上海の地域社会に関する中国・カナダ共同研究」などの共同研
究を行っています。
私は研究員として、金融市場と産業経済に関する研究をしています。
昨年から、地域社会研究に携わっており、なかでも特にNPOに強
い関心を持っています。
2
福岡市NPO・ボランティア交流センター訪問
九州大学小川教授、安立助教授へのヒアリング
中国におけるNPOの現状、課題について教えてください。
◆現在の中国におけるNPOはやっと第1歩を踏み出したばかりです。
基本的にNPOの定義が明確になっていません。
NPOを、民間組織として登録されている"社団"または"民間非企
業組織"とすれば、2002年にはそれぞれ13万3千と11万1千の団体
があります。その他に数多くの"草の根団体"があり、所属する企業
や大学などの内部で活動しています。こういった団体についてはま
だ正式な統計がありません。
上海市では、2001年までに2,600の"社団"と,"民間非企業組織"
が8,000団体、市民政局に登録しています。しかし、上海のNPO
を語る時、明確な組織としての形はとっていないものの、地域住民
によって組織、運営されている事業が多いということを無視するこ
とはできません。つまり、次に挙げる数字をみれば、上海における
NPOの正確な現状がわかるでしょう。2003年には、約91万4千人
の住民が社会事業に従事し、そのうち85%にあたる78万5千人は
ボランティアでした。これらの事業の範囲は、情報提供、貧困層補助、
医療、環境衛生から、職業訓練や斡旋、地域秩序の保持、隣人や家
族のもめ事の仲裁までとなっています。上海では既に社会事業ネッ
トワークが確立しているのです。
私が思うに、上海の社会事業発達の起動力には3つの項目が考え
られます。第1に、上海の急速な経済発展。これにより、人々は質
の高い生活を求め、心地よい環境を要求するようになります。第2に、
上海で続く改革です。国営企業の改革により、人々はかつてのよう
に所属する団体での役割よりも、徐々に地域における役割を持つ様
になってきたことです。さらに改革がもたらしたのは、1990年代
からの大量の非住民、移民人口の増加です。こうした新たな状況に
より政府は社会統治において、地域社会にもっと注意を払う必要が
出てきたのです。その結果、社会事業活動は政府の資金的な補助や、
活動場所などを得ることができるようになりました。第3は年齢、
家族構成の変化です。2002年は、上海の全人口における65歳以上
が12%近くを占め、2015年には16%になるでしょう。つまり、
上海は高齢化社会となりつつあるのです。さらに、産児制限政策に
より上海の家族の規模が縮小傾向にあります。こうした変化により、
これまでは家族内で行われてきたことを、地域社会が埋める必要が
出てきたのです。
ここまで述べてきた様に、社会事業は政府の支援、さらに、企業
(国営、外資系、民間)
、他の機関からの寄付も得る様になりました。
企業と地域が共同活動を立ち上げることが頻繁に行われています。
そこでは企業が専門家や設備、資金を提供することが多いのです。
しかし、上海ではNPOや社会事業に関する法律、規定などの制度
がまだ確立されていません。
NPO関連税制度についてヒアリング
今回のフェローシップで取り組まれた調査・研究内
容を教えて下さい。
◆今回の研究は、福岡におけるNPO活動とその効率についてです。
これまでに、福岡市市民局(行政のNPO担当)、福岡市NPO・ボ
ランティア交流センター、福岡市社会福祉協議会(NPO連絡団体)、
九州大学大学院の小川全夫教授、安立清史助教授、同志社大学大学
院の今里滋教授(NPOに関する研究者、専門家)、そしてペシャワ
ール会、元気だネット(NPO団体)、NPO関連の税理士事務所な
どを訪れました。
福岡でのNPOの盛り上がりには驚きました。市内にはNPO活
動の設備が整った場所があり、社会活動団体に関する法制度が整っ
ています。NPOの方々の利他主義には深く感銘を受けました。彼
らはNPO活動に対する情熱を語ると同時に、抱えている困難を軽
視することはありませんでした。お会いした方々が全て、私の質問
に詳細に答えてくださいました。
福岡と上海はNPOの発展における共通の問題に直面していると
思います。たとえば、新しいコミュニティの設立、高齢化社会の進
行による課題の解決、社会保障制度
(福岡の介護保険)
の向上などです。
こうした側面において、福岡と上海は連絡と協力を強める余地があ
ると思います。
NPO団体「元気だネット」ヒアリング
跡が多いことにも感銘を受けました。また、中国ではすでに見なく
なった伝統的な生活習慣を福岡で見ることが出来ました。そして、
柳川の観光案内に記載されていた北原白秋の詩を初めて読み、深く
心惹かれました。この詩からも、柳川は是非訪れようと思っています。
こ の 道
この道はいつか来た道/ああ
そうだよ/あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘/ああ
そうだよ/ほら
白い時計台だよ
この道はいつか来た道/ああ
そうだよ/お母さまと馬車で行ったよ
あの雲はいつか見た雲/ああ
そうだよ/山査子(さんざし)の枝も垂れてる
NPO団体「笑顔」訪問
福岡市社会福祉協議会
日本、とくに福岡市におけるNPO活動で特に印象に
残ったことや興味を持たれたことがあれば、教えて
ください。また、福岡での生活はどうでしたか、特
に印象に残ったことがあれば教えてください。
◆アジアウィーク誌が評価したように、福岡は生活するのにもっと
も快適な都市だと確信しています。交通事情や環境保護、遺跡保存
などといった多くの面で人間性が表れています。15年前にアジア太
平洋博覧会が開催されたことは知っていましたが、福岡市博物館を
訪れた時、明治、昭和に3回の博覧会が開催され、福岡の発展に大
きく寄与したことを知りました。福岡の経験は、上海が2010年世
界博覧会を開催するにあたり、大変役立つであろうと思います。また、
福岡には鴻臚館や金印など日中の密接な交流の証拠である歴史的遺
西日本新聞社取材
3
[事業報告]
市民カレッジ2003
「新発見・東南アジア」
会 場:天神ビル11階10号会議室(第3回のみ11号会議室)
東南アジアと日本の交流の歴史は古く、また私たちのくらしの中には普段意識していなくてもさまざまな東南アジアの情報やモノが入ってき
ています。私たちが東南アジアからイメージするものはどんなものでしょうか。近年、躍進著しい中国や朝鮮半島情勢などに注目が集まってき
ましたが、もう一つの身近なアジア、東南アジアは、日本にとって、バランスがとれた国際関係を築く重要なパートナーと言えます。
2003年は、
日本アセアン交流年として、日本、アセアン10ヵ国で文化芸術、スポーツ、経済等幅広い分野の交流が行われ、また、日本・インドネシア友好
通商条約締結40周年、日越外交関係樹立30周年という節目の年でもありました。この機会に東南アジアの政治経済、宗教、映画、自然と観光、食、
文化交流をテーマにこれからの東南アジアと日本の新しい関係について講師の方々にお話しいただきました。
第1回
「政治経済からみた東南アジアと日本」 平成15年10月16日
(木) 坪井 善明氏(早稲田大学政治経済学部教授)
2003年や2004年は、後で見ると
デルが日本の中で現われてくるかということを世界的な流れの中で日本
21世紀の形がようやく出てくるよう
も考えなければならないことを意味している。例えば、タイでは、雁行
な年になるのではないかと思う。東
型発展から日本を外し、日本離れが起こっている。タイは、日本型の発
南アジアで、マレーシアのマハティ
展をしても、日本があまり楽しそうでない、皆ハッピーでないので、自
ール首相が11月に引退する。翌年の
分たちは東南アジアのイタリアを目指すと言っている。
早い時期に、シンガポールでリー・ク
今、我々は東南アジアを含めて、新しい関係、より同質性の中での比
アンユーの息子リー・シェンロンが首
較をする必要がある。文化的同一性の中での比較は、精度をあげなけれ
相を引き継ぐ。また、インドネシアやフィリピンで大統領選挙がある。
ばならない。また、今までと違うさまざまな角度からの学際的なアプロ
2004年になると多くの東南アジアのリーダー達の顔ぶれが一新する。
ーチも必要となる。日本は、21世紀を「共創」、共に創っていくという視
マハティールやリー・クアンユーが政治の舞台から姿を消すということは、
点を持ち、成功神話から脱却して、開かれた姿勢で東南アジアの人々と
日本の発展の仕方が、ある部分で歴史的に終焉を迎え、次にどういうモ
付き合って行けるかということが問われているのである。
第2回
「インドネシアの社会とイスラーム」 平成15年10月23日
(木) 倉沢 愛子氏(慶應義塾大学経済学部教授)
インドネシアはイスラーム以外の
ラーム教徒が増えてきたということも考えられる。またもう一つは、欧
他宗教も認める世俗国家であり、従来、
米や日本のさまざまな大衆文化が入ってきて、インドネシア人としての
アバンガンという折衷的イスラーム
アイデンティティを失う怖さみたいなものがあって何か支柱がほしいと
が圧倒的であったが、1980年代以降、
いう気持ちがあるのではないかとも考えられる。
サントリと呼ばれる純粋なイスラー
一般的に、近代化、経済開発が進むにつれ、宗教に対する心はだんだ
ムを追及しようとする人たちの潮流
ん弱まって行くというのは一つの有力な説である。しかし、インドネシ
が強まってきている。
アでは、一般の人たちの間にイスラームが浅く広く浸透してじわじわ強
理由の一つは、1979年のイスラーム革命以降、イスラーム圏で起こっ
くなっているというのが事実であり、また、その中の一部の人々の間で、
ているイスラームの基本に帰れというファンダメンタリズムの動きへの
非常にファンダメンタルで過激なイスラームが強くなってきているのも
国際的な連動が考えられる。もう一つは、1965年9月30日のクーデター
事実である。その理由は誰もまだよく分からないというのが現状である。
未遂事件以降、共産主義者と見なされることへの恐怖から、熱心なイス
第3回
「東南アジアは怪奇映画の天国だ」 平成15年11月6日
(木) 四方田 犬彦氏 (明治学院大学文学部教授)
その国に住んでいないと見られな
この物語は、その中で、何が失われ、何が幽霊として貶められることに
中でも、何回も何十回も撮られてい
なったかという過程の物語として考えることもできる。同じような怪奇
る物語がある。例えば、日本では忠
映画はマレーシア、カンボジアにもみられる。
臣蔵や伊豆の踊り子であり、タイでは、
自分が安全でありながら、恐いものを安心して見たいという気持ちが
メーナーク・プラカーノンという物
映画を創る想像力になったという風に考えると怪奇映画は歴史的にも映
語である。戦争で別れ別れになった
画の正統派と言える。
夫婦がいて、夫が兵隊から帰ると、産褥死した妻が幽霊になり子供をあ
映画祭などで日本に入ってくるアジア映画はインテリが見る真面目な
やしながら待っている。夫は妻が生きていると信じて疑わないのだけれ
映画が多いが、その国の中でその国の人たちが一生懸命見ているが、外
ども、村人に教えられ、ようやく妻が幽霊だと気付き、世の無常を知る
国には知られていないローカルな映画のことを知らない限り、その国の
という日本の雨月物語によく似た話だ。これまで20回以上も映画化さ
ことは分からない。
れている。
4
仏教の国家権力、国王の権力というものが現在のタイを形作っているが、
い映画をローカル映画と呼ぶ。その
第4回
「東南アジアの自然と観光−マレーシア・サバのエコツーリズム」 平成15年11月21日
(金) 山下 晋司氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)
エコツーリズムという新しいタイ
きな僅かな数のヨーロッパ人やアメリカ人である。しかし、ここでは、
プの観光が80年代末から注目される
森が豊かなのでなく開発でむしろ森が貧困化し動物が観察できるように
ようになってきた。エコツアーの一
なったという皮肉な問題や、被雇用者の知識や資格の必要からそれ程地
つの定義としては、 1. 自然環境やそ
域住民が雇用されず地域社会に利益還元されていないという問題、シパ
の地域の社会環境を破壊しない旅行、
ダンでアルカイーダとつながった海賊が捕虜を取るため出没したという
2. 地域社会に持続的な利益をもたら
ような問題もある。
す旅行、 3. 自然や文化遺産を敬い観
エコツーリズムを持続可能なものにするためには、地域住民、行政、
察し自然から学ぶ旅行、4. 観光の対象である自然、文化遺産保護に貢献
観光客、旅行業者、研究者という5つのセクターで知恵を出し合わなけ
する旅行、これら4つの条件が成り立つ時にそれをエコツアーと呼ぶと
ればならない。またエコツーリズムは、手つかずの自然を残そうという
いうものがある。
欧米の考えから出たものだが、手を入れながら自然を残して行くという
マレーシア・サバ州を毎年訪れる国際観光客40万人の内、約15%が
日本型エコツーリズムの知恵を日本はもっと出して行った方がいいと思う。
エコツーリズムで来ており、その内訳は日本人のダイビング客と森が好
第5回
「東南アジアと日本の食文化」 平成15年11月25日
(火) 森枝 卓士氏(フォト・ジャーナリスト)
スシとシオカラは、同じ系統の食
セットとして、水田の畦道に植えた大豆から味噌、醤油、豆腐、納豆、
品である。魚を保存するには、干物
モヤシを作るというのがある。日本とマレーシア、インドネシア、チベ
にして水分を減らし、腐敗させる細
ットの辺りは、大豆の発酵食品がある。日本は、食のシステムとして、
菌が繁殖しにくくする方法と、もう
米と大豆の方を主にしたので、シオカラは部分的に酒肴品として残った。
一つは、塩漬けにする方法があり、
また日本は中国から色々なものを受入れたのに対し、ベトナム北部、
その際、発酵させないのが塩蔵魚、
フィリピンを除く東南アジアはインドから色々なものを受入れ、スパイ
発酵するとシオカラになる。魚と塩
スを多く使っている。
を発酵させ、ご飯を一緒に入れたのがナレズシである。シオカラは東南
日本と東南アジアは、違う部分もあるが、共通する部分もあるので、
アジアの基本調味料となっている。東南アジアでは、稲作のための灌漑
お互いの食を受入れやすい。食の文化を通じ、他の要素でも全てそうだが、
用水路で魚を獲り、米と魚を食べるのが、一つの生活のセットになった。
共通ということと、違うということの両方を理解した中から、お互いの
これは、ヨーロッパで小麦と家畜から取れる肉、ミルク、バター、チー
理解が始まるのではないか。
ズが一つの生活のセットであるのと同じである。お米には、もう一つの
第6回
「東南アジアと日本の文化交流を考える」 平成15年12月3日(水) 青木 保氏(政策研究大学院大学教授)
20世紀の技術的発展や科学的発展
方がある。東南アジア社会でもこのソフトパワーの概念を意識している
の後で考えると、
21世紀に残った問題は、
かどうかは別として、色んな手を打っていることが分かる。シンガポー
国際紛争など全て文化にまつわるも
ルでは、エスプラネードという一大文化センターを作り、そこに2,200
のばかりになってきた。文化は生ま
人収容のオペラハウス、コンサートホールなどができ、超一流オーケス
れた時から身に付けるものであり、
トラの公演や東西が交流するような色々な出し物が行われるようになった。
合理的に解決できないので泥沼化し
クアラルンプールにもペトロナス・ツインタワーという世界第1位の高
やすい。日頃から文化交流を積極的
層ビルがあり、マレーシアフィルハーモニックという楽団の拠点となる
に進め、お互いの文化を理解し合う取組みを地域間、国家間、社会間で
行わないと、グローバル化の中で平和はなかなか達成できない。
一つの国の文化が他の国にとって魅力的であれば、それが国力となって、
その国力により国際政治における影響力が増すソフトパワーという考え
コンサートホールがある。
文化交流は新しい東南アジアとの付き合い方の一つの要諦であると同
時に、東南アジアの国や社会もそういう文化力を高めるような傾向を見
せ始めたと言える。
5
[事業報告]
国際研究交流会議
テーマ:「躍進する中国企業
VS 進出する日本企業」
日 時: 平成16年1月13日
(火)13:30∼16:30
会 場: 福岡市役所15階講堂
●基調講演
張
霖 氏 (中国:国務院国有資産監督管理委員会政策法規局局長)
●現地報告
恩 永 中 氏 (中国:廊坊経済技術開発区管理委員会副主任)
●コーディネーター
森 淳二朗 氏 (福岡大学法学部教授)
●パネリスト
末永 敏和
砂田 太士
橋 公忠
李 黎 明
王 舜 模
張
霖
恩 永 中
氏 (大阪大学大学院法学研究科教授)
氏 (福岡大学法学部教授)
氏 (九州産業大学商学部教授)
氏 (九州大学大学院法学研究院助教授)
氏 (韓国:慶星大学校法学大学法学科副教授)
氏 (中国:国務院国有資産監督管理委員会政策法規局局長)
氏 (中国:廊坊経済技術開発区管理委員会副主任)
現地報告概要
自主研究8Bプロジェクトの研究テーマである「アジアの
コーポレート・ガバナンス∼中国・韓国・日本における現状
と課題∼」の中間報告として、国際研究交流会議を開催しま
した。
前半は中国からお招きした2人の講師により基調講演と
現地報告を行いました。はじめに「中国における企業改革の
現状と展望」というテーマで張 霖氏に基調講演をしていた
だき、中国の国有企業改革は昨年から新しい段階に入って
いることなど、主に国の取り組みについて紹介していただ
きました。次に日系企業も数多く進出している廊坊経済技
術開発区の管理者である恩永中氏が「廊坊経済技術開発区に
おける日系企業の課題」と題して、日本企業が中国に進出す
る際の注意点について述べました。
後半のパネルディスカッションでは、当研究プロジェク
ト研究主査の森氏によるコーディネートのもと、当プロジ
ェクト参加研究者に張氏、恩氏を交えた7人のパネリスト
が「コーポレート・ガバナンス」について、それぞれの専門
分野から意見を交換しました。
なお、自主研究8Bプロジェクトの研究成果は、2004年
度に出版されることになっています。
基調講演要旨
中国では1993年の会社法制定以後、国
有企業改革を行っており、昨年3月に国有
資産の監督管理機能を持つ国有資産監督管
理委員会が国務院の直属で新たに設置された。
また、政府も国有企業を全面的に株式化す
る方針を打ち出しており、株の売買、営業
譲渡、吸収合併等により、今後は国有企業
が独占していた領域に非国有企業(外資系企業を含む)も入ってく
ると考えられる。政府も、防衛と公共工事以外の分野では全面的に
開放し、市場原理に基づいて、国有企業と非国有企業が競争する形
で運営していく方針である。WTOへの加盟、法制度の整備など市
場経済に向けた改革は着実に進行しており、国有企業の改革は外資
系企業の中国進出にも多くのチャンスを提供している。今後は外資
系企業を含めた多くの非国有資本が中国市場に進出することが予想
される。
6
日本企業が中国に進出する際の注意点として、中国人を良く知る
こと、進出する地域の市場や環境、競争相手について詳細に調査す
ることが最も重要であると具体的に言及。また、過渡期ではあるが、
企業改革とともに行政改革も進んでおり、行政も管理型の政府から
サービス提供型の政府へ大きく転換しているので、これまでのよう
な進出企業の苦労は今後減っていくだろう。大企業が進出する場合
は周りの環境がその企業に合わせて変わるが、中小企業は自分が周
りの環境に合わせて変わる必要があるため、長い目で計画を立てて
進出することが重要である。
パネルディスカッション
中国の経営機構や株式機構について、仕組みはあるがまだうまく
機能していないのではないかといった意見や北京市の税収の8割を
生み出すベンチャー企業の活力についての意見などが交換されました。
また、韓国においても、1997年の国家的な通貨危機を契機に企業
改革や財閥改革が断行され、企業経営の透明性を高め、外部監査を
強化する取り組みがなされていることなどが報告されました。
最後に、当プロジェクト研究主査の森淳二朗氏は、これまでのコ
ーポレート・ガバナンスはアメリカ型のいわゆる経営の効率性、経
営の健全性の向上を目的とするものが主流であるが、当研究プロジ
ェクトを通して中国・韓国を調査してみると、中国では国家が、韓
国では財閥が企業を所有しているため、今後は所有や従業員に焦点
を当てたガバナンスが重要であると指摘しました。
[事業報告]
第4回
ワークショップ
テ ー マ: 世界都市への挑戦
∼万博上海の試み∼
日 時: 平成16年2月18日(水)13:30∼15:30
会 場: 福岡市役所15階講堂
講 師: 張 明 海 氏
(中国・上海市発展研究センター研究員)
コメンテーター: 出口 敦 氏
(九州大学大学院人間環境学研究院助教授)
〈内 容〉
2010年開催予定の上海万博は、
2008年の北京オリンピックに
続くビックイベントとして世界
の注目を集めている。上海が万
博を誘致する背景には、その開
催テーマが示しているように、
「より良い都市づくり、より良
い生活」
(bettter city, better
life)の実現という壮大な目標が
ある。他都市よりもいち速く一
人当たりのGDPが5千ドルを
超え、新たな発展段階に入った上海は、現在技術集約型やハイテク
産業への産業構造の転換、生活の質を向上させる諸ニーズへの対応、
そして持続的発展を維持するための上海と周辺地域の発展の不均衡
是正といった課題に直面している。
万博の開催は、需要の喚起、失業率の改善、第2次・3次産業の
発展、都市部のインフラ整備、そしてコンベンション機能の強化など、
現在上海が抱えている様々な都市問題の解決につながるのではない
かと期待されている。試算によれば、万博には2,110億元(内投資
1,270億元、消費840億元)の経済効果、10万人以上の雇用創出が
見込まれている。また、予想来場者数は、万博史上最多の大阪万博
6,000万人をも上回る7,000万人(内1,000万人は海外)、観光歳入
は144億元に達すると予測されている。
上海の都市機能が充実されれば、その波及効果で長江デルタ地域
も大きく発展し、世界6番目の巨大都市圏・経済圏の出現を促すこ
とになるだろう。
アジア情報懇話会
この懇話会は、業務としてアジアに係わっている企業・
団体・行政機関が、情報の交流を通して多角的な視点
からアジアに関する理解と認識を深め、業務展開上の
参考としていただくことを目的とした意見交換会です。
●第31回例会(平成16年2月5日開催)
テーマ「中国IT産業の現状と発展の可能性
−福岡進出ソフトウェア企業の展望−」
●話題提供者
張 暁 川 氏 (北京匯人科技発展有限公司 代表取締役社長)
●コーディネーター
進藤千尋 氏 (福岡市経済振興局投資・交流推進部長)
〈主な内容〉
ソフトウェア産業は、社会、
経済の中でも主要な役割を担っ
ており、中国でもソフトウェア
関連企業はここ2年間で4,000
社から8,000社へと倍増、2002
年生産高は34億ドル、平均成
長率は年30%とめざましい発
展を遂げている。
北京の北西部に位置する「中関村」は、中国のシリコンバレーと
呼ばれ、中国のソフトウェア業界をリードしている。北京の教育、
研究機関の集積地として、大学や大小の研究機関が集まり有利な環
境が整って来たことに加え、1988年に中国で最初のハイテク技術
特区に認定、2001年にはサイエンスパークに認定された。政府は
ソフトウェア産業に対して、ベンチャー企業育成のための融資や、
インキュベーターを増やすために海外からの帰国留学生に対する資
金提供、税金優遇策なども実施している。
技術者密集型といわれるソフトウェア産業では、よりグローバル
化が進み、日本においても国内の技術者だけでは足りない部分を外
部に発注する分業化の流れの中、開発単価がより安い中国の外注受
託生産の増加を促している。
日中間の現在の課題としては、①中国技術者の日本語の会話能力
不足のためにおこるコミュニケーションの阻害、②日中の企業の生
産管理水準の差による、日本側の要求に対する中国側の納期の遅れ
や管理基準の甘さなど、③日中は隣国という近い関係にあるが、物
理的に会う機会が少ないことで誤解を招く恐れがあることなどが挙
げられた。
参加者からは、そのような誤解を避けるためにも中国の技術者が
来日するための数次ビザ発行の必要性などの意見が交わされた。
7
[事業報告]
日韓海峡圏研究機関協議会2003年度総会・研究報告会
日 時: 平成15年10月22日
(水)∼23日
(木)
会 場: 佐賀県唐津市 唐津ロイヤルホテル(総会)
佐賀県鎮西町 名護屋城博物館(研究報告会)
日韓海峡圏研究機関協議会は、福岡県・佐賀県・長崎県と韓国の
釜山広域市・蔚山広域市・慶尚南道・全羅南道・済州道にある11
研究機関で構成され、共同研究や学術情報の交換等を通じて、日韓
海峡圏の共同繁栄に寄与し、相互理解と友好交流を促進することを
目的としています。
22日の総会では、今年度の各研究機関の研究テーマなど事業内
容等についての討議が行われました。また、次期総会を2004年9
月に韓国・光州広域市で開催することが決定しました。
23日には、2002年度の共同研究に関する研究報告会が開催され、
アジア太平洋センターからは「日韓海峡圏地域へ進出した韓国企業
モンゴル特集
の現況と事業環境」という研究テーマで日本に進出している韓国企
業の現状や運営状況についての報告を行いました。
第4回
この
「コラム」
は、アジア太平洋の国・地域の様々な社会、文化、
生活事情などについて4回にわたってシリーズで掲載するものです。
今年度は「モンゴル特集」とし、九州大学大学院の三本 泉氏に書
いていただきます。
在のカザフスタンでは、多数のロシ
ア人がロシアに帰り、人口比率の点
でカザフ人が大半を占めるようにな
ってきた。他にドイツ系や、朝鮮系
プロフィール
三本 泉(みつもと
いずみ)
1972年生まれ。
九州大学大学院比較社会文化
学府博士後期課程在学中。
専攻は文化人類学。
テーマはモンゴル・中央アジ
アの民族・文化の変容過程。
バヤンウルギー
ウランバートル
モンゴル
Mongolia
北京
等の少数民族も少なからず存在するが、
広場に集まった鷹匠達
政府はカザフスタンをカザフ民族の
ており、モンゴル人もチンギス・ハ
黒いデールを着て、腕には鷲を乗せ
土地として国民に認識させようとし
ーンを大々的に祭るといった行動を
ている。彼らが馬に乗って並んだ姿
ており、国家的規模でカザフの文化
取っている。このような民族文化復
はなかなか壮観である。ステージの
を取り戻そうという動きが盛んである。
興の動きの中で、モンゴルのカザフ
上で来賓を歓迎し、民族衣装を着た
一方モンゴル国のバヤンウルギー
人達が近年始めたのが、鷹匠の祭り
歌手やドンブラ(中央アジアの楽器)
にはカザフ語の学校も存在し、過去
である。これはカザフ民族の象徴と
弾きが歌う式典が行われる。鷹匠た
に政治家や高名な学者などを輩出し
も言える鷹匠の祭りで、鷹匠をコン
ちは、馬に乗ったまま広場を数回ま
てきたカザフ人は、モンゴル国政府
テスト形式で審査し、優勝者にはト
わってから、郊外の鷹狩の競技開催
に比較的優遇されてきたと言える。
ロフィーを送る。バヤンウルギーの
地へと向かう。競技は鷹匠の技術を
モンゴルのカザフ人は、カザフスタ
外からも関心を集め外国のテレビ局
競うものである。実際には小高い丘
ンで行われたような遊牧民は強制的
も取材に来ていた。
の上に鷹匠達が集まる。丘の下では、
に定住化させられるという事態にも
鷹匠と言っても、実際に使用する
馬に乗った人が狐の毛皮を紐で引っ
あわず、自分達の遊牧文化を比較的
猛禽類は鷲である。鷹匠の祭りでは、
張りながら走り回る。その毛皮めが
保持し続けることができた。そして
まずウルギー町の広場にバヤンウル
けて鷹匠は自分の鷲を放つ。うまく
ソ連邦が崩壊した後、各民族はそれ
ギー各地からの鷹匠が集合する。そ
毛皮を掴むことが出来た鷲もいたが、
ぞれの民族の自覚を取り戻そうとし
の数はおよそ70人。みな赤い帽子と
全く違う方向へ飛んでいってしまう
福岡
中華人民共和国
鷲もいた。その他、餌付けに使う餌箱、
上海
鷲に被せる目隠し等の鷹匠が使う道
日本
具の審査も行われた。鷹匠の年齢は、
台北
30∼50代ぐらいの者が大半をしめ
香港
ていたが、10代の若者もいた。
このように、祭りなどを開催して
モンゴル国内のカザフは、最も伝
自分達の文化を大々的に誇示しよう
統的なカザフ文化を残していると言
とする動きは、今後も続いていくと
われている。と言うのも、お隣のカ
思われる。これまで政治的、思想的に
ザフスタンは、これまで人口の大半
民族の誇りを大々的に表現すること
をロシア人が占め、ロシアの影響の
を制限されてきたモンゴル及び中央
もとにテレビ放送、出版、会話、教
アジアの諸民族は今後、如何なる自
育等の日常生活のいたるところで、
分達独自の表現方法を創出していく
ロシア語化が進んできたからだ。現
カザフの民族衣装を着て演奏する
のか、大いに期待したいところである。
[レポート]
若手研究者助成活動報告
『地域をつなぐ王仁博士』
大石 和世
九州大学大学院人間環境学府博士課程
の誕生地とされる全羅南道霊岩
郡東鳩林里が考古、建築、歴史、
民俗学の専門家によって総合調
査され、確かに王仁の出生地で
あるとの結論が出された。この
ことは新聞やテレビで大々的に
報道され、王仁博士は韓国内に
おいて広く知られるようになった。
枚方市の博士王仁まつり
1976年に全羅南道はこの発掘
地を含む広大な地区を記念物「王仁博士遺蹟址」として指定した。
1997年以降、霊岩郡はこの遺蹟址で毎年4月にイヴェント「霊岩
王仁文化祝祭」を開催している。2003年にはこの祭に国内外から
90万人もの人が訪れたという。
●国際観光化時代
私は2003年8月助成金をうけこの霊岩郡で調査をおこなった。
ソウルとは違う強い日差しと田んぼが広がる風景は、既視観を覚え
るほど九州の田舎と似ていた。霊岩郡の主産業は稲作を中心とする
農業である。霊岩を含め全羅道地方は、1970年代から80年代の
経済成長期に、地域差別的な政策の影響もあり工業化に立ち遅れた。
そのことが逆に古い建築物や慣習、自然の保存につながった。全羅
南道はこれらを資源化することによって地域振興をはかろうとして
いる。霊岩郡で特筆すべきなのは、観光と国際交流に力を入れてい
ることである。もともと霊岩郡は月出山などの景勝地で有名だったが、
観光化に力をいれはじめたのは1978年にはじまった王仁遺跡聖域
王仁博士遺跡址
王仁博士遺蹟址は重要な観光スポットである。王仁遺蹟址の案内板は、
ソウル
私に王仁のことを教
韓国語、日本語、英語、中国語の四ヵ国語で書かれている。ここに
えてくれたのは韓国人
漢字を教えたのは韓国
来る外国人観光客のほとんどが日本人だという。日本語スタッフの
光州
うちの一人は、王仁博士遺蹟址事務所に常駐している。
釜山
前韓国を訪問したとき
である。流暢な日本語で、
客を呼び込もうとしている。郡には日本語の専属スタッフが二名常
勤しており、中国語のスタッフも雇用する予定だという。この中で
●王仁顕彰の経緯
の老翁であった。二年
化事業がきっかけだと考えられる。霊岩郡はさらに海外からも観光
枚方
霊岩
福岡
また、霊岩郡は日本、中国との姉妹都市提携を推し進めている。
2003年、山口県阿武郡福栄村と霊岩郡徳津面が提携をした。中国
人だったことを日本人
は湖州市と姉妹都市提携を進めている。さらに「伝王仁塚」がある枚
なら知っておくべきだ
方市へも働きかけている。
と諭した。確かに日本
福栄村や枚方市の交流の事例をみると、日韓両地域の仲立ちとし
史の教科書にも王仁のことは載っていた。王仁は『日本書紀』には
て在日韓国人が尽力していることがわかる。福栄村の場合、隣接す
じめて登場する。4世紀末、百済から日本に千字文と論語をはじめ
る萩市居住の民団会長が霊岩出身で、彼の紹介で交流が始まったと
てもたらしたという。
いう。枚方市の場合、当初王仁塚での墓前祭は枚方市の関心を引い
王仁は西史氏の祖として、また儒教の祖として長く敬まわれてきた。
ていなかった。しかし、現在は両地域の長、すなわち枚方市長と霊
しかし明治にはいり日本の帝国主義の思潮の中で、応神天皇の威徳
岩郡主が霊岩郡王仁の誕生地でおこなわれる「王仁文化祝祭」と、
に帰化した百済人として学校で教えられ、天皇の権威と結び付けら
枚方市王仁塚でおこなわれる「博士王仁まつり」の両方に参加して
れるようになった。
いる。市長が参加するに至るまでには、日本人と在日韓国人ら地域
昭和にはいると顕彰事業の動きが活発化する。たとえば、大阪府
住民による長年にわたる粘り強い働きかけがあったという。
枚方市には、「伝王仁塚」という王仁の墓地と伝えられる塚がある。
ここで、江戸時代中期以降王仁
が祀られてきたのだが、1927
年に「内鮮融和」のための王仁
神社建設事業が開始された。こ
れには福岡出身の内田良平、頭
山満が深くかかわっている。王
仁顕彰は、国家主義者が中心と
博士王仁の墓
なり、政府要人、地域住人、在
日朝鮮人をもまきこんで推進さ
れた。日本の植民地主義政策に利用されてきたのである。しかし、
私の出会った老翁のように、朝鮮人にとって王仁は民族の誇りであ
った。戦後、王仁塚への日本人参拝客が途絶えたあとも、在日韓国・
朝鮮人のひとびとは王仁塚をまもりつづけたという。
王仁博士遺跡址案内板
王仁はかつて「内鮮融和」という文脈で、「内地」と「朝鮮」を媒
●国交正常化以降
介する人物として語られた。しかし現在、観光や国際交流という異
韓国で王仁が再評価されるのは1965年の日韓国交正常化以降で
ある。1972年、王仁研究家の金昌洙が、日本で王仁について調査
したことを韓国の中央紙に連載した。これがきっかけとなり、王仁
なる文脈で、韓国の地域行政や在日韓国人という異なる主体によっ
て活用されている。そして王仁は、今、国家や民族以上に、地域と
地域の媒介者だといえる。
[刊行物紹介]
自主研究成果本
アジア太平洋センター 研究叢書 14
「雲南の『西部大開発』
∼日中共同研究の視点から∼」
波平 元辰 編著
本書は中村学園大学栄養科学部教授の波平元辰氏を研
究主査として実施した自主研究7Aプロジェクト「中
国における『西部大開発』の戦略と実態−雲南省の事
例を中心に−」
(2001年度∼2002年度実施)の研究
成果をまとめたものです。
西部大開発とは、中国東部の沿海地域に比べ発展の遅れている西
部の内陸地域を重点的に開発し、格差を縮めようとするものです。
今回の研究では、その中でも特に豊かな民族文化や自然資源を持つ
雲南省に焦点を当て、地域の実情を踏まえた開発戦略と、そこに存
在する課題を明らかにしようと試みました。
雲南省の経済発展及び環境保護、農産物の開発、少数民族の文化
などについて、中国と日本の研究者が共同で研究を行い、双方の視
点から問題を解析しています。本書が、発展を遂げる中国の現状と
課題を理解する上での、一つの指標となることができれば幸いです。
研究誌
この研究誌では、当センターの基本テーマである「異
なる文化理解」と「地方発展」に沿った、アジア太平
洋地域に関わる実践的な取り組みを取り上げ、アジア
太平洋地域における学術研究交流の推進と同地域が共
に抱えている課題の解決のための一助となればと考え
ています。
各号では特集テーマを組み、専門の研究者に執筆し
ていただいています。
また、特集のほかにも国内外の研究者や研究機関か
ら多数のご寄稿をいただいております。入手ご希望の
方は、アジア太平洋センターまでお問い合わせください。
「APCアジア太平洋研究」第13号(日本語版・英語版)
第13号では、「開発とNGO」というテーマで特集を組み、インド
や東南アジア、南太平洋の事例から、開発とNGOのあるべき姿に
ついて論じていただきました。
【特集】「開発とNGO」
●インドの社会開発事例から新たな開発観を考える
日本福祉大学福祉経営学部教授 斎藤千宏
●開発におけるNGO
−内発的発展を促すアクターとしての役割を考える−
久留米大学経済学部文化経済学科教授 西川芳昭
なお、今号の特集については、当センターのホームページ
(http://www.apc.or.jp)からダウンロードできますので、
是非ご利用下さい。
●開発における女性組織・NGOの変遷とその特徴
−南太平洋のサモアを事例として−
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科助手 倉光ミナ子
10
研究誌
「APCアジア太平洋研究」第14号(日本語版)
第14号では、国・地域に視点をあてたものとして南アジアをとりあげました。「脚光を浴びる
南アジアの今」というテーマで特集を組み、目覚ましく発展するIT産業や映画産業など活気の
ある分野を主に取り上げ、経済、文化、宗教など様々な視点から論じていただきました。
【特集】「脚光を浴びる南アジアの今」
●インド経済の自由化とIT革命
法政大学経済学部教授 絵所秀紀
●手の記憶と鎮魂−スリランカの現代美術
九州大学大学院人文科学研究院教授 後小路雅弘
●歌って踊る南アジア映画の魅力
九州大学大学院比較社会文化研究院講師 前田秀一郎
●実体化する「ヒンドゥー教」−インド ケーララ州における寺院の動向から−
長崎純心大学人文学部比較文化学科助教授 小林 勝
アジア太平洋データブック
当センターと大学研究者の協働により、アジア太平洋地域に関するテーマに
沿ったわかりやすい各国のデータ及びレポートを掲載しているものです。
第3号 「客家(はっか)∼華人パワーの源を訪ねる∼」
歴史上多くの重要人物を生み出し、世界中に多くのネットワークを持つといわれている「客家」。
「客家」とは何者なのか。中国宋の時代の中原にその出自を求め、苦難と差別の歴史を経てきたと
いわれる客家。その歴史の上の活躍について、また、その独特な歴史と文化について、執筆者に
中国の研究者を加え、日本と中国の多角的な視点から捕らえています。
また、巨大な円形の姿で人々の目を捕らえる客家の集合住宅である土楼について、建築の中に
活かされた客家精神や住まいの特徴などを豊富な写真資料とともに紹介します。
アジア太平洋センターでは、平成15年11月に中国福建省の「客家の里」
(永定・龍岩)を訪ねる
スタディツアーを実施し、そのネットワークを活かしたユニークな一冊となっています。
第4号「サバーイ!サヌック!マイペンライ!∼微笑みの国タイを知る∼」
タイとは、どんな国でしょうか。
「仏教」
、
「象」
、
「トムヤムクン」など、そのイメージする物は様々
であり、タイの人々のやさしい微笑みも私たちを魅了します。本書では、タイの概要(地理、政治、
経済、民族、宗教)と人々の暮らし(年中行事、生活の変化、教育、娯楽)について、タイを深く
知るための手がかりを紹介するとともに、グローバル化の中のタイに焦点をあて、観光客や労働
者など国境を越える人々や、タイに流入する日本の大衆文化やモノを始めとし、日本とタイの交
流について知ることができます。多様なタイの姿について、西南学院大学片山隆裕教授の監修に
より、タイに滞在経験のある研究者によって、タイの人々の生活がよりいきいきと解りやすく書
かれています。
11
[資料紹介]
ADB寄託図書館受け入れ資料紹介
●平成15年12月∼平成16年1月の寄託図書
Priorities of the People:Hardship in the Fiji Islands
Financial Profile 2003
● The Asia-Pacific Restructuring and Insolvency Guide 2003/2004
● At the Margins:Street Children in Asia and the Pacific
●
●
Commercialization of Microfinance:Indonesia
Funds for the Poor
● Japan Special Fund:Annual Report 2002
● Viet Nam Capital Market Roadmap
●
●
など
●お勧めの一冊
If I had the Chance…
−Artwork from the Streets of Asia and the Pacific−
〈内容紹介〉
ADBは2002年、“If I had the Chance…”というテーマの絵画展を
開催した。加盟国である発展途上国7ヵ国(バングラデシュ、カンボジア、
インドネシア、モンゴル、ネパール、パプアニューギニア、フィリピン)
に住むストリートチルドレン1,000人以上の作品がここで展示された。本
書はその作品集であり、子ども達が受けた心の傷や、抱いている希望が、彼らの絵から
真っ直ぐに伝わってくる。そして彼らの視点から見ることによって、現代社会の問題点が、
より痛烈に描写されている。
今我々が何をなすべきか、それを明確に示してくれる1冊である。
医者になって、貧しい人を無料で
治してあげたい。
(Mintu, 9歳 バングラデシュ)
タバコやお酒、人身売買を止めさせたい。
(M.Mungunshagai, 13歳 モンゴル)
学校に行きたい。
(Sayhene Lama, 12歳 ネパール)
編 集 後 記
今冬は、福岡でも珍しく雪が降り続き、各地で大きく影響を受けました。それでも、朝、カーテン
を開けると、外が一面の銀世界、というのはちょっとウキウキするものでした。寒さには閉口しまし
たが。近くの小学校の校庭にはけっこう大きな雪だるまが登場。作って楽しかったのは子ども達ばか
りでなく、大人も同じだったのではないでしょうか。ご自分の庭先で雪だるまを作られた方もいらっ
しゃるでしょうね。そんな寒さも去り、すっかり春めいてきました。通勤途中では、一つ二つとほこ
ろび始めた梅の花が目を楽しませてくれます。今号がお手元に届く頃は、桜の花が舞っていることで
しょう。春はすぐそこ、です。〈O〉
財団法人アジア太平洋センター
■表紙
アハマッド・カリッド・ユソフ
《アラビアのカリグラフィー》アクリル・画布
ニューズレター
Vol.12 No.44
1985/マレーシア 福岡アジア美術館所蔵
発 行 日/2004年3月31日
編集・発行/財団法人アジア太平洋センター
〒814-0001
福岡市早良区百道浜2丁目3番26号
福岡タワーセンタービル2階
TEL092-852-1155 FAX092-845-3330
編 集 協 力/
(株)アルコス
印
刷/白木メディア(株)
E-mail [email protected]
イギリスによる植民地化以前、マレー語は現在のロー
マ字表記ではなく、ジャウィと呼ばれるアラビア文字
による表記が一般的だった。この作品も、そのジャウ
ィのカリグラフィー(書)とイスラム建築にみられる
ような装飾性を抽象絵画の構成に用いている。
リズミカルに画面を舞うジャウィに、多民族/多宗教
国家マレーシアにおいて、自らのアイデンティティを
探求する作家の筆跡を見ることができる。
●[アゴラ]は再生紙を使用しています。●[Agora]とは古代ギリシャの集会所、広場を意味する言葉です。
アジア太平洋センター ホームページ http://www.apc.or.jp
古紙配合率100%再生紙を使用
Fly UP