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花の末裔 - タテ書き小説ネット

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花の末裔 - タテ書き小説ネット
花の末裔
久留胡桃
!18禁要素を含みます。本作品は18歳未満の方が閲覧してはいけません!
タテ書き小説ネット[R18指定] Byナイトランタン
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁ノクターンノベルズ﹂﹁ムーンライトノ
ベルズ﹂﹁ミッドナイトノベルズ﹂で掲載中の小説を﹁タテ書き小
説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は当社に無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範囲を超え
る形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致します。小
説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
花の末裔
︻Nコード︼
N2696BA
︻作者名︼
久留胡桃
︻あらすじ︼
姫様のお輿入れに同行し、侍女として隣国の王宮で働きはじめた
シェリル。淡い恋心を胸に秘めたまま、真面目にお勤めを頑張って
いたのに、ある日突然、異性に身体を狙われるようになって⋮!?
◆複数の男性
血の運命に翻弄される少女と、少女を誰よりも愛しているのに立
◆本編完結
◆フィオレンティー
◆ごく一部にBL要素あり︵性描写はなし︶
場に縛られて思うように動けない貴公子の恋物語。
による凌辱描写あり
◆﹁*﹂のついた話はR18
1
ナの兄夫婦の物語﹃石の末裔︵http://novel18.s
yosetu.com/n8661bn/︶﹄連載中 ◆番外編に
﹁酒は飲んでも呑まれるな﹂を追加︵2014.04︶
2
※この作品についての諸注意
※1 ヒーロー以外の男性による凌辱描写があります。
描写自体はさらっと流すようにしていますが、痛い酷い愛なし救い
なしです。
前半︵25話分ぐらい︶はほぼそんな感じなので、勧善懲悪がお好
きな方、鬼畜系のお話が苦手な方はそもそも読まない方が無難です。
※2 ごく一部にBL要素を含みます︵性描写はありません︶。
BL初挑戦なので変な部分がある可能性があります。
含むBLゾーンには最初に注意書きをいれてあるので、苦手な方は
回避できます。
※3 本作のヒロインの設定が某少女漫画に似すぎているとご指摘
を受けたことについて。
不快に思われる方が多いようでしたら連載中止も考えようと思いま
したが、応援してくださる方が多数いらっしゃったので、このまま
続けさせて頂こうと思います。
皆様のおっしゃる通り、よくある設定です。
やはりありきたりな設定で物語を書くののは難しいと実感しました。
目新しいものを書けるような才能はございませんので、これからも
私は自分の好きなものを書くでしょうが、ありきたりはありきたり
なりに、胸を張って連載を続けようと思います。
好きな人が多いから﹃よくある﹄わけですから。
本作のコンセプトは﹃ヒロインのピンチにヒーローが颯爽と助けに
現れない﹄です。
3
次点が﹃王宮が舞台の物語﹄。
書きたいリストには他にもずらずらと項目が並んでいるのですが、
ここで書くとネタばれになるので、完結後の後書きで発表しようと
思います。
投稿しているからには、色んな人に読んで欲しいと考えてのことで
す。
どんな感想でもがっつり受け止める構えなので、感じたことは何で
もお気軽に教えてくださいませ。
これからも皆様のご意見・ご感想を心よりお待ち申し上げておりま
す。
上記と同様の記事をブログにも掲載しています。
2012年1月14日 久留胡桃
︵ブログへは小説目次からどうぞ︶
4
侍女
﹃あぁああっ!
ジェラールさまぁっ!﹄
壁の向こうから、姫様の艶めかしいお声が聞こえてきた。
貴人の部屋というのは中の危険を外に知らせるために声が通るよ
うに作られているが、なにせ広いので、普通の話し声程度なら扉に
耳をつけていない限り聞こえることはない。つまりは、そういうこ
とだ。
平素の姫様はその愛らしい容姿に相応しく、それはもう庇護欲を
そそるかわいらしいお声でいらっしゃるのだが、情事の際にあげる
嬌声は溢れんばかりの艶を含んでいる。王太子殿下はよっぽど床上
手でいらっしゃるのだろう。姫様が嫁がれるまで純潔を守っていら
っしゃったのに対し、王太子殿下はご成婚まで側室を三人囲ってお
られた。経験の差は歴然だ。
シェリルの主であるフィオレンティーナ王女が、ノルエスト王国
王太子ジェラール殿下に嫁いだのは、この春のこと。
お輿入れから一カ月が経ったが、王太子殿下が姫様の寝所を訪れ
たのは、初夜を含めても今夜が三回目だ。新婚夫婦にしては非常に
少ないような気がするが、ここが慣れない異国であること、姫様が
まだ幼いこと、お輿入れ、ご成婚式、その他の儀礼などで多忙を極
めていたことで、姫様の体調を気遣って⋮⋮ということらしい。ど
こまで本当かは知らないが。
5
シェリルの正式な肩書は、フィオレンティーナ王太子妃付き第三
侍女。フリューリング王国から姫様のお輿入れに同行した五人の侍
女の一人である。
王太子妃になられようが、シェリルにとって姫様はいつまでたっ
ても姫様なので、公式の場以外では姫様とお呼びしている。姫様は
花も恥じらう十六歳、王太子殿下は二十五歳。絵にかいたような政
略結婚で、婚約が取り決められたのは姫様が十歳の頃だった。
姫様が適齢期になるまで王太子殿下は六年もお待ちになられてい
たのだから、空閨を埋めるために女性を囲っていたのは無理からぬ
ことだろう。ご成婚と同時に側室の方々は実家に帰されたし、過去
のことだと姫様も受け入れておられる。
が。
バルバラとデルフィーナがノルエスト王国の侍女たちへの聞き込
みで集めた情報によると、王太子殿下は大変な好色であられるらし
いのだ。
側室は三人だけだったが、一夜の相手としてあがった名前の多さ
にシェリルは呆れて物が言えなくなった。男爵家の未亡人、夜会で
浮名を流す令嬢、妹王女付きの侍女、あげくの果てに娼婦まで。王
族ならそれぐらい許されるのかもしれないが、そんな男がシェリル
の大切な姫様の夫だと思うと、頭が痛い。
この調査結果はまだ姫様には告げていない。初恋の王子様とつい
に結ばれることができて幸せいっぱいの姫様に、言えるわけがない。
政略ではあるが、婚約が決まってからというもの、姫様は結婚を
6
心待ちにされていた。周囲より頭一つ抜き出た美貌と長身をお持ち
の王子様に優しくされて、恋に落ちない少女はいないだろう。好色
であってもロリコンではなかったことが幸いなのかどうか、シェリ
ルには判断がつかない。
チリンチリン
寝室の扉が開いたのを知らせるベルが鳴ったので、一瞬で思考を
切り替え、シェリルは控えの間を出た。頭二つ分も背の高い王太子
殿下に見下ろされながら、恭しく礼をとる。
﹁私は部屋に戻る。後は任せた﹂
麗しの王太子殿下はあっさりと去って行った。
初々しい妃に合わせ、せめて朝まで一緒に添
時計を見れば、まだ夜は半分も過ぎていない。⋮⋮⋮これが新婚
一カ月の夫の態度?
い寝するぐらいの優しさを見せてもバチはあたらないだろうに。
そろりと寝室の中をのぞいてみれば、姫様は眠っているようだっ
た。月明かりに白い肌が映えている︱︱︱後始末どころか、掛布す
らかけられていない。シェリルはあわてて寝台へと向かった。
﹁んん⋮⋮ジェラールさまぁ⋮﹂
︵ううっ⋮⋮姫様、なんていじらしい。新婚の妃に欲望だけぶつけ
てさっさと自分の部屋に帰るような薄情者を、夢に見るほど想って
いるなんて︶
情事の痕の色濃く残る肌に浮かぶ汗と、細い足を濡らす体液をど
7
うしたものかと悩んだが、結局は姫様の穏やかな眠りを守ることを
優先した。起こさないよう細心の注意を払いながら、華奢なお身体
を掛布で包む。
毎日アンネリーゼが気合いを入れてお手入れしている陽だまり色
の髪は寝乱れてもつやつやだし、今は瞼の奥に隠れているが、つぶ
らな水色の瞳は無垢そのもの。肌はミルク色で、夕方にエミーがし
っかり塗りこんだ香油の香りがまだ残っている。⋮⋮⋮こんなに愛
らしい姫様の何が不満だというのだ、あの王太子殿下は。
控えの間に戻り、申し送り用のノートに夜勤中の出来事を書き込
んだ。昼勤のアンネリーゼとエミーの後に続けて記す。
﹃エルフトの月 十九の日 夜勤 担当:シェリル・フローリィ
十九の日 二十二時七分 王太子殿下訪問。
手土産にとフェルトルー産の珍しい菓子を頂いた。棚に置いてある
ので、明日のお茶の時間にお出しすること。
二十の日 二時十二分、王太子殿下退出。
姫様が熟睡していたので清拭は行わなかった。翌朝は入浴をお勧め
すること。
備考: ﹄
少し考え、シェリルはペンを動かした。
﹃備考:姫様には、王太子殿下は朝方まで一緒におられたとお伝え
してください﹄
8
侍女というと、仕事のわりに高給取りだというのが一般の認識だ
ろうが、その職務は意外とハードだ。主に呼ばれれば昼夜を問わず
駆けつけなくてはならないし、基本的に立ち仕事なので、足腰への
負担はかなりのもの。王城に勤める侍女ともなると貴族や富裕層の
令嬢が中心なので、体力と仕事量の兼ね合いを考え、シェリルたち
は三交代制でシフトを組んでいる。
朝勤が夜明けから昼過ぎ、昼勤が昼過ぎから夜更け、夜勤が夜更
けから夜明け。朝勤二人、昼勤二人、夜勤一人が最低人数だが、五
人で回すと休みなしになってしまうので、ノルエスト王国出身の侍
女を二人交えて七人で仕事をしている。第一侍女アンネリーゼ︵愛
称アニー︶、第二侍女バルバラ、第三侍女シェリル、第四侍女デル
フィーナ︵愛称デリア︶、第五侍女エミー、そしてレティシアとロ
レーヌ、これで七人。
休日は七日に二回。割り振りを決めるのはアンネリーゼだが、希
望はある程度聞いてもらえるし、仕事に穴をあけないという条件付
きで交代は認められている。シェリルは最年少なので夜勤はほとん
どなく、朝勤と昼勤が中心だ。今回の夜勤は体調を崩したデルフィ
ーナの代理だった。
ノルエスト王国に来て初めての夜勤が、まさか王太子殿下がお越
しになる日に当たるとは⋮⋮なんて運が悪いのか。シェリルは姫様
より一つ年上の十七歳だが、まだ男性経験はない。経験はないが、
長らく王宮に身を置いているため、その手のことに関する知識はあ
った。
9
︵姫様には幸せになってほしかったのに⋮⋮無理かもしれない。あ
あ、私の大事な姫様があんな王太子に泣かされるなんて︶
夜勤明け。日が昇りきらずまだ薄暗い渡り廊下を、シェリルは歩
いていた。使用人の寮はアルブル宮殿︵ノルエスト王国王宮︶の端
に位置している。通用門が近いのですぐに街に出られるのは便利だ
が、宮殿最深部にある姫様のお部屋からだと、かなりの距離を歩か
なければならないのが難点だった。
﹁失礼、そこの侍女さん﹂
﹁はい?﹂
声をかけられ、振り返ってまず目に入ったのは鎧。そこから少し
ずつ視線をあげていくと、胡桃色の髪と柔らかな笑顔が印象的な青
年の顔が目に入った。どこかで見たことがある顔のような気がしな
くもないが、名前には心当たりがない。近衛騎士のようだから、王
宮内のどこかで見かけたということだろう。
飴色の瞳から、強い視線を感じる⋮⋮⋮ものすごく見られている。
﹁⋮⋮⋮あの。なにか?﹂
﹁ああ、またしても失礼しました。風に乗ってとても良い香りがし
たものですから、どうしても正体を確かめたくて﹂
﹁香り⋮⋮ああ﹂
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姫様のために今日の分の香油の用意をしていたから、匂いが移っ
てしまったのかもしれない。シェリルの故郷で栽培している花を使
った香油で、疲れをとる効果があるから、姫様に安らいで頂こうと
思って棚の奥から引っ張り出してきたのだ。
﹁たぶん香油のせいだと思います。そんなに臭いますか?﹂
自分ではわからないが、隣を歩んでいたわけでもない彼が気づい
たぐらいだから、相当くさいのだろう。後で湯を浴びる必要がある
かもしれない。
﹁いいえ。でも、とても良い香りだ。甘く、優しく⋮⋮﹂
青年はシェリルの頭に顔を近づけてきて、囁いた。
﹁とても、淫らで﹂
この人なに?
⋮⋮⋮犬?
シェリルは咄嗟に反応できなかった。
なに?
﹁⋮⋮⋮は?﹂
︱︱︱え?
混乱で動けないシェリルの髪に、青年はさらに唇を寄せてきた。
﹁顔に似合わず、随分と熟しておいでのようだ。近いうちに、ぜひ
俺にも味あわせてください﹂
にっこり微笑みながらそんなことを言って、青年は朝靄の中に消
えていったが、シェリルには青年の言葉がさっぱり理解できなかっ
11
た。
﹁???⋮⋮⋮なんだったのかしら?﹂
首をかしげながら、シェリルはそのまま寮に帰った。夜勤明けだ
が、この後は昼勤なので、仮眠をとらなくては仕事に差し支える。
姫様にご心配をおかけするわけにはいかない。
部屋に戻ると、同室のデルフィーナが出迎えてくれた。まだ少し
顔色が悪いが、熱は下がったらしい。この分なら明日には良くなっ
ているだろう。
﹁ごめんね、シェリル。せっかくの休日だったのに﹂
﹁いいえ、困った時はお互い様ですから。でも、王太子殿下がいら
殿下がいらしたの?﹂
っしゃったのにはびっくりしました﹂
﹁えっ!
姫様もか
﹁はい。でもやっぱり、夜中のうちにお部屋に戻られてしまって﹂
デルフィーナは溜息をついた。
﹁姫様の何がお気に召さないのかしら。やっぱり年齢?
なり大人になられたと思うんだけどなぁ﹂
﹁姫様はあんなにかわいらしいのに、どうしてなのでしょうね﹂
﹁本当にね。私が男だったら絶対に放っておかないのに﹂
今はまだ幼さゆえの愛らしさが目立つ姫様だが、そのお顔は大陸
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一の美女と名高い母君に似ておられる。あと三年もすれば、絶世の
美女と呼ばれるようになるだろう。国を傾けてもらっては困るが、
傾国とつけても遜色ない。美しく、愛らしく、性格だってかわいら
しい姫様が正妃だというのに、あの王太子殿下はなぜ姫様に落ちな
いのか。まったくもって不思議でならない。
﹁あ、そうだ。ねえデリアさん、わたし臭います?﹂
﹁え?⋮⋮いえ、別に。いつものコロンの香りはするけど。どうし
たの?﹂
﹁さっき、知らない騎士様に臭うって言われたんです。湯を浴びた
初対面の女にそんな失礼なこと言うなんて、どんな騎士
方がいいかしら﹂
﹁ええ?
よ﹂
シェリルは先ほどの青年の姿を頭に思い浮かべた。
﹁そうですね。髪は胡桃色で、瞳は飴色で、近衛騎士の鎧を着てい
ました。歳は二十代の半ばぐらいでしょうか﹂
﹁⋮⋮⋮シェリル。それは特徴になってないわ。そんな騎士、この
城に何十人いると思ってるのよ﹂
茶系の色を持つ人間は珍しくないため、確かに不適切な表現かも
しれない。しかし、それ以上の特徴を思いつかないのも事実だった。
近衛騎士団は王族の守護が仕事だから王宮内にごろごろいるし、背
が高かった、顔が整っていたなどは、主観的な要素でしかない。シ
ェリルは小柄なので、ほとんどの男性を長身と表現してしまうのだ。
﹁今度、バルバラさんに聞いてみます﹂
﹁それがいいわね﹂
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情報通のバルバラなら何か知っているかもしれない。そう結論付
少し仮眠を取った方がいいわ。
け、シェリルは﹁ふわぁ﹂と欠伸をした。
﹁シェリル、この後は昼勤よね?
昼前に起こしてあげるから﹂
﹁ありがとうございます、デリアさん。よろしくお願いします﹂
疲労のためかぐっすりと眠って、目が覚めたときにはもう、朝方
に会った騎士のことなどすっかり忘れてしまっていた。
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侍女︵後書き︶
どうでもいい情報その1
A:侍女アンネリーゼ、B:侍女バルバラ、C:侍女シェリル、D:
侍女デルフィーナ、E:侍女エミー
登場人物名=アルファベット順=思いついた順
ヒロインは侍女Cですが、特に理由はありません。
しいて言えば、なんとなく?
15
回想1 幼き日々
シェリルの父はフリューリング王国に広大な領地を有する侯爵だ。
母は平民だったらしいが、シェリルを産んだ時に亡くなってしまっ
たので詳しいことは知らない。父はシェリルを見るたびに、母によ
く似ていると言うから、きっと蜂蜜色の髪と木苺色の瞳をしていた
のだろう。姿だけではなく心根も美しい人だったと、いつだか懐か
しそうに語っていた。
シェリルには兄が三人と、弟が一人いる。彼らは正妻の子だが、
妾腹であるシェリルをとてもかわいがってくれて、姫様付きの侍女
になった時も、姫様に付いてノルエスト王国へ行くことになった時
も、反対されて大変だった。最終的にシェリルの決意が固いと知っ
て折れてくれたが、弟はいまだに頻繁に手紙をよこす。侯爵夫人様
も、辛くなったらいつでも帰ってきなさいと優しいお言葉をくださ
った。ありがたいことだ。
ペルレ侯爵家はその血を遡れば王家にも繋がる名家だが、シェリ
ルが生まれる前あたりから、父は中央に役職を持たず、権力から遠
ざかっていた。そのため、七年前に先王が亡くなられて継承問題で
王宮がごたついた時、幼かったフィオレンティーナ王女を所領でお
預かりする名誉を仰せつかった。
見たこともないような豪華な馬車で現れた、お人形のようにかわ
いらしい女の子。男兄弟に囲まれて育ったシェリルは、フィオレン
ティーナに夢中になった。フィオレンティーナもシェリルを姉のよ
うに慕ってくれた。
16
﹃わたくし、シェリルが大好き。シェリルが本当のお姉さまだった
ら良かったのに﹄
うれしいっ!﹄
﹃私も姫様が大好きですよ﹄
﹃ほんとう?
跳びはねるようにして、フィオレンティーナはシェリルに抱きつ
いてきた。愛らしい様子を微笑ましく思いながら小さな身体を抱き
しめ返すと、横からユーリウスがシェリルの服の袖を引っ張ってき
た。
﹃シェリル、僕は?﹄
﹃もちろんユーリ様のことも大好きです。マティアスお兄様も、ニ
コラウスお兄様も、オスカーお兄様も、フィリップも、みんな大好
き﹄
大好きだと言ったのに、ユーリウスは渋面になった。フィオレン
ユーリは引っ込んでて!﹄
ティーナがシェリルに抱きつきながら、ユーリウスに向けて舌を出
す。
﹃シェリルはわたくしのお姉さまなの!
シェリルはわたくしと一緒に王都に帰って、ずーっとず
﹃フィオラには実の兄がいるだろう。シェリルは僕に譲れよ﹄
﹃いや!
ーっと一緒に暮らすの!﹄
﹃シェリルは僕の妻になるんだ。返せ﹄
﹃あの、お二人とも、私の意見は聞いてくださらないのですか?﹄
わた
シェリルは半ば呆れながらツッコミを入れたが、フィオレンティ
ーナとユーリウスはしれっとしていた。
﹃シェリルはわたくしとはなればなれになっても平気なの?
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大きくなったら僕のお嫁さ
くしが王都に帰ったら二度と会えなくなってしまうかもしれないの
よ?﹄
﹃だってシェリル、約束しただろう?
んになるって。シェリルは約束破ったりしないだろう?﹄
二人の言葉には有無を言わさぬ響きがあった。どちらの側に立っ
あそんでーっ!﹄
ても角が立ちそうで、シェリルは言葉に詰まる。次の言葉を考えて
いると、背中にさらなる衝撃があった。
﹃ねえさま、やっとべんきょうおわったの!
フィリップだった。いつの間にか、オスカーがユーリウスの横に
並んで立っている。
﹃ははは、シェリルは人気者だね。さすが僕の妹﹄
﹃オスカー。今、さりげなく自画自賛しただろう﹄
﹃ユーリ。なにをしているんだい。早く救出しないと、弟妹たちの
シェリルっ!﹄
愛でシェリルが潰れてしまうよ﹄
﹃っ!
べりっべりっと、シェリルにへばりついていたフィリップとフィ
オレンティーナを引っぺがし、ユーリウスはシェリルを自らの腕の
中に避難させてくれた。張り合うお子様二人の間でもみくちゃにさ
かえしなさい!﹄
れて軽く窒息しかけていたシェリルは、新鮮な空気を吸ってほっと
ユーリ!
ユーリウスずるい!﹄
息をついた。
﹃あー!
﹃シェリルをかえして!
ユーリウスとオスカーはシェリルより三つ年上なので、歳の差の
18
分、背も高い。フィリップとフィオレンティーナがどんなに抗議し
ても、小さな二人では敵わない。
ユーリウスは亡くなられた先王の弟君であるダールベルク公爵の
子息で、フィオレンティーナの従兄にあたる。また、ダールベルグ
公爵夫人はペルレ侯爵夫人の妹君なので、オスカーたちとも従兄弟
同士ということになる。幼い頃からユーリウスは母方の親戚がいる
ペルレ領によく遊びに来ていて、シェリルをとてもかわいがってく
れていた。
﹃ありがとうございます、ユーリ様﹄
﹃どういたしまして。それにしても、シェリルは細いな。もっとい
昨日の晩餐ではスープをおかわりし
っぱいご飯を食べて、早く大きくなってくれよ﹄
﹃ちゃんと食べていますよ?
てしまったぐらい﹄
﹃違うよ、シェリル。ユーリは早く大人になれって言ってるんだよ。
今の君に手を出したら、ユーリは犯罪者になってしまうからね﹄
﹃オスカーっ!﹄
真っ赤になって腕を振り上げるユーリウスが、とてもかわいらし
く見えて、シェリルはくすくすと笑みをこぼした。
楽しい時間には、必ず終わりが訪れる。
夏の終わりに、オスカーとユーリウスは王都の学校へ。そして冬
の終わりには、フィオレンティーナも王都に帰ることになった。一
19
このままお別れなん
年近く続いた継承権争いが終わり、フィオレンティーナの兄が王位
に就くことが正式に決定したのだ。
﹃シェリル、わたくしと一緒に王都に来て!
ていやよ!﹄
﹃姫様⋮⋮﹄
必死にすがりついてくる小さなぬくもりを突き放すなんて、シェ
リルにはできなかった。
マティアスも、ニコラウスも、オスカーも、ユーリウスも、みん
なシェリルを置いて行ってしまった。フィリップもいずれ行ってし
まうだろう。しかし、シェリルにはどこにも行き場がない。いずれ
政略結婚の道具として使われるかもしれないが、妾腹の子であるた
め、嫁げる先は限られている。ユーリウスはシェリルを妻にしてく
れると言ったが、それがとても難しいということをシェリルは知っ
ていた。
ユーリウスは王家の流れをくむ公爵家の嫡男だ。いずれ同格の名
門貴族の令嬢を妻に迎えなければならない。社交界にすら出られな
い、日陰の身であるシェリルでは駄目なのだ。
﹃⋮⋮わかりました。お父様にお話ししてみます。必ず許可をもら
きっと、きっとよ!
約束だからね!﹄
って姫様のもとへ参りますから、待っていてください﹄
﹃ほんとう!?
﹃はい。約束です﹄
フィオレンティーナが笑顔で王都へ戻った後、シェリルは父の書
斎の扉を叩いた。フィオレンティーナ王女の侍女になるため、王都
へ行きたい。そう告げると、温厚な父が、烈火のごとく反対した。
20
﹃だめだ!
許さん!
ないのだ!﹄
王宮にだって、普通に女性が働
お前は王宮がどんな場所か何もわかってい
﹃どんな場所だというのですか?
いているのでしょう?﹄
お前にはいずれ良い嫁ぎ先を
それまでこの屋敷から出ることは許さん!!﹄
﹃それはそうだが、お前は駄目だ!
見つけてやる!
﹃お父様!?﹄
ですから、ど
どうしても姫様にお仕えしたいのです!
その日はそれ以上会話にならず、シェリルは丸一日自室に閉じ込
められた。
﹃お願いです、お父様!
侯爵家の名に恥じぬよう、誠心誠意つとめます!
うか!﹄
せめて理由を教えてください。でなけれ
﹃駄目だ。絶対に許さん!﹄
﹃なぜ駄目なのですか?
ば、納得などできません!﹄
おとなしく言うこと
必ずお傍に参り
諦めよ!﹄
私は姫様にお約束したのです!
﹃私はお前のためを思って言っているのだ!
を聞け!﹄
﹃聞けません!
ますと!﹄
﹃姫様には私からお断り申し上げておく!
﹃いやです!!﹄
﹃この強情娘がっ!!﹄
この日は侯爵夫人様の仲裁でなんとか収められたが、シェリルは
それから自室に閉じこもった。扉を固く閉ざし、﹃許可を頂くまで
部屋から一歩も出ません﹄と断言して、食事も拒否した。心配した
フィリップがこっそり部屋に忍び込んできて、水やパンを差し入れ
21
てくれたが、気持ちだけ受けとった。
父が折れたのは、それから三日後のことだ。
﹃お前がここまで強情だとは知らなかった。お前の母は物静かな性
格だったというのに﹄
﹃私はきっとお父様に似たのでしょう。親不孝な娘でごめんなさい﹄
父は哀しみの見える顔で、優しくシェリルの頭を撫ぜた。
﹃良いか。妾腹だからと、自らを貶めるな。お前は私の大切な娘だ。
王宮には身分を盾に無理を強いてくる者もおるだろうが、簡単に身
を任せてはならん。これだけは覚えておくのだぞ﹄
﹃はい、お父様。ありがとうございます﹄
泣きじゃくるフィリップにお別れを告げ、父と侯爵夫人様に深々
と頭を下げて、シェリルは王都へ発った。
父が紹介状を書いてくれたおかげで、シェリルは無事に侍女にな
ることができ、まずは見習いとして先輩たちに一から仕事を叩きこ
まれた。お嬢様育ちというほどではないが、実家は裕福で人手が足
りていたため、侍女仕事は経験がない。そのため掃除は雑巾の絞り
方、給仕はカップの磨き方から覚えなければならなかった。それで
も大雑把な仕事内容は把握していたため、半年後には、念願の姫様
付きになることを許された。
22
﹃シェリル!
待っていたのよ!
会いたかったわ!﹄
しばらく会わない間に、姫様は少し大きくなられたようだった。
シェリルも少し背が伸びたので、身長差は変わっていないものの、
妹のように思っている姫君の成長を嬉しく思う。
ノルエスト王国にもついてきてくれる?﹄
﹃お待たせいたしました、姫様。これからはずっと、ずーっと一緒
です﹄
﹃本当?
即位した新王は、長らく続いている国境の小競り合いを収めるた
め、ノルエスト王国に妹姫を差し出すことを決めた。姫様は成人を
迎えると同時に隣国へ嫁がなければならない。
しかし、父を説得した時に、シェリルは覚悟を決めたのだ。一生
このお方にお仕えすると。
ありがとうシェリル!﹄
﹃もちろんお供いたします。シェリルはいつまでも姫様と一緒です﹄
﹃うれしいっ!
侍女という肩書があっても十一歳の子供だったので、使用人とい
うより姫様の遊び相手のような扱いだったが、シェリルは幸せだっ
た。侍女の先輩たちは優しくて、シェリルのことをとてもかわいが
ってくれた。シェリルが自分の立場をきちんと弁えていたことが大
きいのだろう。
王都にやってきたことで、兄たちやユーリウスとも再会できた。
休日には兄弟とユーリウスのうち誰かが必ず訪ねてきて、シェリル
を街へ連れ出したり、学校を案内してくれたり、王都郊外の丘へ遠
乗りに連れて行ってくれたりした。
23
一年、二年。またしても、あっという間に時が過ぎた。
シェリルは十三歳になり、初潮を迎え、身体が丸みを帯びてきた。
先輩侍女たちの恋の話に耳を傾けているうちに、性の営みについて
の知識もついた。
剣の修練を積み、どんどんかっこよく、逞しくなっていくユーリ
ウスの顔がまともに見られなくて、ニコラウスの背に隠れたら、﹃
青春だねえ﹄とオスカーに笑われたこともあった。一方のユーリウ
スも昔ほど触れてくれなくなっていて、シェリルは寂しさを覚えて
いた。
﹃ねえ、ニコラウスお兄様。彼女っているの?﹄
﹃ぶっ!﹄
いつも堂々としていて頼もしい次兄が突然紅茶を噴出したので、
シェリルはあわててその背をさすった。
﹃い、いきなり何を言うんだ、シェリル﹄
﹃バルバラさんたちに聞いてきてほしいって頼まれたの。お兄様は
かっこいいから、お姉さまたちの憧れの的なのよ﹄
﹃そうなのか。それは嬉しいな﹄
﹃で、いるの?﹄
ニコラウスがばつが悪そうに視線をそらしてしまったので、シェ
リルは横で面白そうに聞いているオスカーに視線を向けた。
﹃今のところニコラウス兄上の特別な女性はシェリルだけだから、
侍女の皆さんにはいないとお返事しておきなさい﹄
24
﹃オスカーっ!
誤解を招くようなことを言うな!﹄
﹃わかった。オスカーお兄様はいるの?﹄
﹃うーん。シェリルよりかわいいと思う子はいないなぁ。魅力的な
お嬢さんがいたら、紹介しておくれ﹄
﹃わかった。ユーリ様は?﹄
ユーリウスがこの場にいないからこそ口に出せた問いだった。聞
きたいという思いと、聞きたくないという思いが同じぐらいあって、
シェリルを戸惑わせる。
﹃安心しなさい。ユーリはシェリル一筋だから﹄
オスカーは微笑みながらシェリルの頭を撫でてくれたが、実はこ
の時、ユーリウスは後の婚約者と会っていた。シェリルがそれを知
ったのは、この一ヶ月後のことだ。
25
回想1 幼き日々︵後書き︶
どうでもいい情報その2
M:長男マティアス、N:次男ニコラウス、O:三男オスカー、P:
四男フィリップ
シェリルの兄弟、いずれもシスコン。
いきなり飛びましたが、解説しなかったFGHIJKLのうち、F
Gはフィオレンティーナとジェラール、Jはユーリウスです。
フリューリング王国人はドイツ風の名前、ノルエスト王国人はフラ
ンス風の名前にしてあります。
シェリル他、数名当てはまらない人物がいますが、その辺の解説は
また後日で。
26
騎士1*︵前書き︶
一応印はつけていますが、未遂です。R15にもなってないかも。
27
騎士1*
﹁⋮リル、シェリル!﹂
﹁っはい!﹂
もしかしてデリアさんの風邪が移ったの?﹂
気がつくと、目の前にエミーの顔があった。
﹁大丈夫?
﹁ううん、少しぼーっとしていただけ。ごめんなさい﹂
雨のせいだろうか。雨音を聞いていると、寂しさが募るという。
具合が悪いなら無理しなくていいのよ﹂
今さら子供の頃のことを思い出すなんて。
﹁本当に大丈夫なの?
﹁問題ありませんわ、姫様。ご心配をおかけして申し訳ありません﹂
本日の姫様は若干の憂いを帯びていた。雨のせいではなく、昨夜
王太子殿下の寵を受けたからだ。これが女の色気というやつなのだ
ろう。ずっと妹のように思っていた姫様がシェリルより先に大人に
なってしまわれたようで、少し寂しく感じる。ご結婚されたのだか
ら、実際にそうなのだが。
ここ数年はお転婆もなりを潜めていたが、嫁いでからというもの、
淑女らしさにさらに磨きがかかった。今ではどこに出しても恥ずか
しくない立派な姫君︱︱︱もとい、王太子妃殿下だ。
﹁今日の香りはシェリルが用意してくれたのよね。ありがとう。と
ても気に入ったわ﹂
28
シェリルの故郷であるペルレ領は香水や香油の材料となる花の栽
培が盛んで、姫様が使用されている香水の多くはペルレ産である。
シェリルが愛用している香水も、実家の調香師がシェリルのために
特別に調合してくれたもので、シェリルの数少ない自慢の一つだっ
た。
﹁お褒めにあずかり光栄です﹂
﹁最初にこの香りをかいだ時、ペルレ領で過ごしていた頃のことを
思い出したわ。貴女の兄弟たちは、今頃どうしているのかしら。実
家から何か聞いていて?﹂
﹁一番最近届いた便りでは、みな変わりなく息災にしているようで
した。相変わらず、ということですね﹂
﹁くすくす。ユーリはきっと、シェリルがいなくて寂しがってるわ
ね。わたくし、確信を持って言えてよ﹂
﹁もったいないお言葉ですわ﹂
そうだと嬉しい。何かの瞬間に、少しでもシェリルのことを思い
出してくれたら。おこがましい考えだとわかっているが、シェリル
にはそれだけ充分だ。
﹁姫様、十六時からの王妃陛下との会談ですが、ドレスはいかがさ
れますか?﹂
﹁そうね。相手はジェラール様のお母様なのだから、息子に相応し
いと思っていただけるよう、大人っぽくしていきたいわ﹂
会談開始時刻は夕刻ですし、
﹁では髪はアップですね。ドレスは色調の落ち着いたもので﹂
﹁あの藍色のドレスはどうでしょう?
ではそれに合う首飾りは⋮⋮﹂
夜空をイメージして﹂
﹁素敵!
29
傍目には優雅に見えても、王太子妃は侍女以上に多忙だ。国の象
徴たる国王、その妻が無知では話にならない。後継者を産むのが最
も大事な仕事ではあるが、他にも有力者との会談、国政の勉強など、
やるべきことは山ほどある。権力と威光を示すため、着飾ることす
ら仕事のうちなのだ。国の頂点に立つ、その重圧は並大抵のもので
はないが、シェリルにできるのは、お茶やお菓子で疲労をほんの少
し和らげて差し上げることぐらいだった。
王太子殿下も、同じ重圧に耐えておられるのだろうか。多くの女
性を渡り歩くのはそのため?
一瞬同情しそうになったが、よくよく考えればそれとこれとは関
係ないだろう。万が一そうなのだとしても、姫様をないがしろにす
るような男に同情の余地はない。
移動なされる姫様に付き従うのも侍女の仕事だ。エミーが先導し、
シェリルは後ろに続く。要人が歩く廊下には、要所ごとに警備の騎
士が立っているのだが、その中の一人の前を通り過ぎた時、シェリ
ルは思わず振り返りそうになった。
今朝出会ったあの騎士だ。
姫様を会談場所である部屋に無事に送り届けると、エミーとシェ
リルは控えの間に通された。給仕は王妃陛下付きの侍女がするため、
エミーとシェリルは仕事がない。姫様が退出されるまでの数時間、
どうしたの?
貴女、今日おかしいわよ﹂
ここで待機していることになる。
﹁シェリル?
﹁あっ。ご、ごめんなさい、エミー。違うの、体調が悪いんじゃな
いの。本当に﹂
30
ちょうどいいわ、話してごらんなさいな﹂
あの青年が、気になって仕方なかった。あの、シェリルを観察す
るような瞳が。
﹁じゃあ悩み事?
﹁うん⋮⋮﹂
今朝のこと、その騎士を今の道中でみかけたことを掻い摘んで話
すと、エミーは眉間にしわを寄せた。
﹁貴女それ、狙われてるんじゃないの?﹂
﹁狙われてる?﹂
﹁その男が貴女の身体を狙ってるんじゃないかって言ってるの﹂
﹁ええ?﹂
十一歳の頃から王宮に身を置いているが、仕事一筋でここまでき
たシェリルは恋愛とはとんと無縁だった。ユーリウスとも、彼が婚
約してからは一度しか会っていないし、仕事場がもっぱら姫様のお
部屋だったので、出会いなど皆無だった。
﹁今までは貴女の兄弟が怖くて男たちは易々と近づけなかったけど、
ここはノルエスト王国だものね。シェリルあなた、自分の身は自分
で守らなくてはいけないわよ。何かあってからじゃ遅いんですから
ね﹂
﹁でも、王宮内でそうそう危険な目にあうことなんてないでしょう
?﹂
シェリルが首をかしげると、エミーはこれみよがしな溜息をつい
た。
31
﹁そりゃ、命の危険はないけどね。まったく、甘やかしすぎだわ。
権謀術数飛び交う王宮に身を置いている妹を、こんな無防備に育て
てどうするのよ﹂
﹁大丈夫よ、エミー。私そんな世間知らずじゃないもの﹂
エミーはシェリルの頭からつま先まで一通り視線を走らせると、
再び溜息をついた。
﹁⋮⋮⋮⋮ならいいんだけどね﹂
エミーがあんなことを言うから、人の視線が気になって仕方がな
い。すれ違う男性がみんなケダモノに見えてしまって、腕の中の荷
を抱え直しながら、シェリルは小さく溜息をついた。意識しすぎだ。
﹃男はみんなケダモノだから信用するな﹄と言い含めてきたのは、
長兄のマティアスだ。今は美人の奥方を迎えて幸せいっぱいの兄だ
が、独身時代は社交界で浮名を流していたと聞く。なるほど、自分
を含めての言葉か、と妙に感心してしまったのを覚えている。
﹃妹に近づきたい奴は、俺の屍を越えていけ!﹄と公衆の面前で
高らかに宣言したのは、次兄のニコラウスだ。昔から兄弟で一番身
体が大きくて、つい先年には、御前試合三年連続優勝の快挙を成し
遂げた。おかげでシェリルに近づいてくる男性は、兄弟とユーリウ
スを除いて誰一人いなくなった。
﹃男に隙を見せてはいけないよ﹄と笑顔で諭してきたのは、三兄
32
のオスカーだ。油断も隙もないオスカーお兄様に言われても、と戸
惑った記憶がある。いつも笑みを浮かべている穏やかな性格の三兄
は、ただいま文官として出世街道驀進中だ。最後に会った時は、忙
しすぎて恋愛をする暇がないとぼやいていた。
﹃侍女なんて危険な仕事はやめて家に戻ってきて﹄と、会う度に
言っていたのは、弟のフィリップ。主人のお世話をするだけの侍女
の何が危険だというのか。騎士の方がよっぽど危険でしょう、と言
われる度に言い返していたが、フィリップが心配していたのは、ひ
ょっとしてシェリルの貞操のことだったのか。
︵そんな大それた物ではないのだから、心配しなくていいのに⋮⋮︶
どんなに大切にしてもらったところで庶子なのだから、純潔にそ
こまでの価値はないだろう。純潔でなければ嫁の貰い手がないとい
うなら、それはそれで構わない。今まで通り、姫様に誠心誠意お仕
えするだけだ。
﹁また会いましたね﹂
﹁っ!?﹂
振り返ると、またあの青年騎士がいた。シェリルは咄嗟に、荷を
盾にするように胸の前に抱え込んだ。
﹁何のご用ですか﹂
﹁用はありません。甘い香りに誘われてふらふらと歩いていたら貴
女がいたので、声をかけさせて頂いただけで。そういえば、お名前
はなんとおっしゃるのですか?﹂
また香り。今日は香油には触っていないし、この荷はテーブルク
33
ロスだ。お茶をこぼしてしまったから、洗濯場に持っていこうとし
ているだけ。男がいうような香りなどするわけがない。
警戒を解かないシェリルを見て、男は口元を隠しながらくすくす
笑った。
どう
﹁ああ失礼、自分から名乗るべきでしたね。俺の名はエルヴェ・リ
ュードル。以後お見知り置きを﹂
﹁⋮⋮シェリル・フローリィです。貴方はなんなんですか?
して私に付きまとうんですか?﹂
﹁貴女に興味があるからですよ。シェリル﹂
シェリルは反射的に一歩後ずさった。マティアスの言っていたこ
とは本当だった。オスカーの言っていた通り、これは隙を見せては
ならない男だ。踵を返し、男から離れようと足早に廊下を進んだ。
ところが、エルヴェは追いかけてきた。
﹁どうしてついてくるんですかっ!﹂
﹁貴女が逃げるから﹂
﹁ついてこないでください!﹂
﹁承服しかねます﹂
﹁∼∼∼∼∼っ﹂
エルヴェをまくため、シェリルは小走りになった。侍女仕事で鍛
えた足腰は伊達ではない。しかし、騎士である彼にはなんでもない
早さだったようで、後ろをついてくる足音は一向になくならなかっ
た。そうこうしているうちに目的地である洗濯場に着いてしまい、
肩で息をしながらおそるおそる振り返ったが︱︱︱そこには誰もお
らず。シェリルは拍子抜けした。
34
︵あら?⋮⋮確かに足音がしていたのに。途中で諦めたのかしら?︶
釈然としないものを感じつつ、テーブルクロスを洗濯女に預け、
シェリルは来た道を戻った。王宮は広すぎるため、使用人用の通路
には人通りのない場所もある。そんな場所の一つを通っていた時、
半開きになっていた扉から突き出てきた手に、いきなり腕を掴まれ
た。
﹁っ!?︱︱︱きゃあっ!?﹂
明りの灯されていた廊下から真っ暗な部屋の中に引っ張り込まれ
て、一瞬視界が閉ざされた。強い力で拘束される。背後に何者かの
気配を感じる。大きな手が口元を押さえているのが、わかる。
﹁んー!﹂
﹁静かに。あんまり暴れると、かえって逆効果ですよ。世の中には、
嫌がる女性を無理やり︱︱︱という状況を好む男も多いですからね﹂
俺もその一人です、と耳の裏で囁かれ、背筋を悪寒が走った。暗
ますます興味深い﹂
闇で自由を奪われる恐怖で、身体が思うように動かせない。
﹁素直ですね。育ちがいいのかな?
シェリルが大人しくなったことで、口元を覆っていた手が外され
た。シェリルは泣きそうになりながら口を開いた。
﹁一体なにをするんですか⋮っ﹂
﹁うん、どうしましょうね。とりあえず引っ張り込んではみたもの
の、こんな場面を人に見られたら身の破滅ですし。貴女も俺も勤務
時間中で、そんな時間的余裕もないですし﹂
35
真面目なのか単なる馬鹿なのかよくわからない言葉だ。緊張して
いるのが馬鹿らしくなってきて、シェリルはがっくりと肩を落とし
た。
﹁じゃあ放してください⋮⋮﹂
﹁せっかく捕まえたのに、残念です。まぁ、準備不足なのは確かな
ので、今日のところはさっくりと済ませましょう﹂
﹁は?⋮︱︱︱っ!﹂
職務中は髪をまとめ上げているから、首筋が露わになっている。
生温かい舌が耳の裏を這い、そのままぱくりと啄ばまれた。身を強
張らせたシェリルの腰に片腕をまわし、身動きを封じて、エルヴェ
のもう片方の手が服の上から胸のふくらみに触れた。まるで、大き
やめてください!﹂
さを確かめるように。
﹁いやっ!
﹁大きな声を出したら人が来てしまいますよ。見られたいというな
ら構いませんが﹂
﹁それもいやです⋮っ﹂
﹁なら大人しくすることです。抵抗は逆効果だとさっきも言ったで
しょう?﹂
﹁うーっ⋮⋮﹂
押しつけられる鎧の硬さで、背中が痛い。耳にかかる吐息も、胸
のふくらみを掴む手も、腰にまわされた腕も、全てが気持ち悪くて、
シェリルは硬く目を閉じて辱めに耐えた。たすけて、と心の中で叫
んでも、当然ながら助けはこない。大したことではないと、軽く見
ていた自分が馬鹿だった。
36
︵お父様、お兄様、ユーリ様⋮っ︶
﹁うん。やはり良い。シェリル、俺の物になりませんか?﹂
﹁っなりません⋮⋮なるわけがないじゃないですか!﹂
無理やりこんなことする人なんて、きらいで
﹁そうなんですか?﹂
﹁あたりまえです!
す!﹂
﹁おや?﹂
胸を触っていた手が離れ、今度は太股に触れた。ひっ、と悲鳴を
上げるシェリルを気にすることなく這いあがり、尻の丸みをなぞる。
﹁いやぁっ⋮!﹂
﹁まさかとは思っていましたが、処女なのですか?﹂
責め苦から逃れたい一心で首を縦に振った。すると、腰にまわさ
れていた腕がとかれ、シェリルはずるずるとその場に座り込んだ。
両腕を抱え込んで震えるシェリルを見下ろしながら、エルヴェは目
を瞬かせている。
﹁驚きました。こんなに男を誘う匂いを振りまいておきながら処女
だなんて。今までよく何事もなく生きてこられましたね﹂
﹁なんの、はなし、ですか⋮っ﹂
エルヴェの言葉に、シェリルはまったく心当たりがなかった。精
一杯睨みつけたが、エルヴェに堪えた様子はない。
﹁初めから言ってるではないですか。貴女はとても良い香りがする
と﹂
37
意味がわからない。しゃくりあげながら首を振るシェリルの前に
屈みこみ、エルヴェはシェリルの目から零れ落ちた涙をハンカチで
ぬぐった。シェリルの目に、自分にあんな無体を強いたとは思えな
い、優しい顔をした男が映る。
﹁次は容赦しませんから、覚悟していてくださいね﹂
38
騎士1*︵後書き︶
エルヴェ:﹁騎士たる者、ハンカチぐらい常備していますよ﹂︵笑
顔︶
どうでもいい情報その3
F:王太子妃フィオレンティーナ、G:王太子ジェラール、H:騎
士エルヴェ、I:側室イレーヌ
もちろん王太子の側室です。
超端役なのでさっさと紹介しておきます。
39
騎士2
エルヴェに襲われた次の日は当然ながら気分がすぐれず、姫様に
無用な心配をかけてしまった。昼勤だったので寮に戻る頃には夜が
とっぷり更けていて、バルバラと一緒だったが、帰り道にまたエル
ヴェが現れるのではないかと、シェリルは内心びくびくしていた。
﹁あの、バルバラさん。エルヴェ・リュードルという騎士をご存知
ですか?﹂
﹁もちろん知ってるわ。有名人だもの﹂
﹁有名なのですか?﹂
﹁知らないのにどうして知ってるのよ。まぁいいけど。エルヴェ・
リュードルっていったら、近衛で五指に入る剣の腕と、派手な女性
関係で有名な人物よ。自身が爵位をもつ子爵でもあるから、玉の輿
狙いの侍女たちは声がかかるのを手ぐすね引いて待ってるわ﹂
﹁そうなのですか⋮⋮﹂
そんなにすごい人物だとは思わなかった。てっきりただの変質者
その逆です!﹂
ひょっとして狙ってるの?﹂
だとばかり。
﹁なに?
﹁まさか!
シェリルは﹃しまった!﹄と口元を手で押さえた。ちらりとバル
バラの方を見れば、案の定、バルバラは心底楽しそうな、にやにや
ふう∼ん?
まさか貴女がねえ。やっと貴女にも春が
しい笑みを浮かべていた。
﹁へえ∼?
40
来たってことね﹂
﹁ち、違います!
誤解です!﹂
﹁なにが誤解なのか、ずばり、しっかり、ばっちり、教えて貰おう
じゃないの﹂
自室に引っ張り込まれ、シェリルはバルバラとデルフィーナに夜
更けまで尋問される羽目になった。
自身が玉の輿狙いの侍女であるバルバラと、同じく婿探し中であ
るデルフィーナは恋の話が大好きなのだ。シェリルの恋愛に関する
知識は、大半がこの二人によってもたらされたものである。
デルフィーナが翌日朝勤であったため、日付が変わる頃には解放
されたが、根掘り葉掘り聞かれまくったシェリルは疲れ果て、翌朝
寝坊してしまった。休みだったので大事にはならなかったが。
シェリルはいつも休日を街に出て過ごす。部屋の掃除は昼勤の日
の朝方に済ませてしまうし、食堂があるので食事の用意は必要ない
し、洗濯は寮の方でやってくれるので、部屋にいてもやることがな
いからだ。教育は一通り受けたものの、深窓のご令嬢というほどの
扱いは受けてこなかったシェリルは、部屋で大人しくしているより
も、庭を兄弟と一緒に走り回ったり、街で民衆とお喋りしたりする
方がよっぽど性に合っていた。
乾いた風が心地良い。シェリルは窓から空を眺めながら溜息をつ
いた。
同室のデルフィーナは仕事中なので一人きりだ。一人で部屋に閉
じこもっていると余計に気が滅入るが、またエルヴェに捕まったら
⋮⋮と思うと、出歩くことは躊躇われた。
41
︵次は容赦しないって言ってたもの⋮⋮やっぱり一人で出歩くのは
避けるべきよね︶
しかし、よくよく考えてみれば寮の部屋に閉じこもっている現状
も一人きりだし、危険に変わりはないのではないだろうか。
エルヴェにだって仕事があるし、侍女も騎士も不定休だから、都
合よく休みが重なる可能性はかなり低いはずだ。仮に今日が休みだ
としても、エルヴェがシェリルの休みを知っているわけがないし、
爵位をもつ貴族が街中をうろつくとは思えないし、何のあてもなく
シェリルを探しまわるほど暇ではないはず。考えれば考えるほど、
城下はかなりの盲点なのではないだろうか。
︵そうとなれば急がなくちゃ。昼前には大通りに辿りついておきた
いもの︶
仕事中はいつも髪をひっ詰めているから、休日は結わないことが
多い。一歩足を踏み出すたび、背の半ばまである蜂蜜色の髪がふわ
ふわと揺れるのを感じて、シェリルは一日ぶりに楽しい気分になっ
た。
シェリルも年頃の娘であるから、着飾ることは大好きだ。昔は綺
麗なドレスに憧れを抱いたものだが、長年の侍女生活で目の眩むよ
うな金銀宝石を見慣れてしまい、いつの間にか花やリボンといった
素朴なアクセサリーを好ましく感じるようになった。所詮、平民の
42
娘にはこのぐらいが分相応だということなのだろう。
ノルエスト王国とフリューリング王国は大陸で一、二を争う大国
であるため、権威の御膝元である城下街は非常に治安が良く、女子
供でも昼間なら問題なく出歩くことができる。フリューリング王国
の王都にいた頃も、こうして休みのたびに城下を散策していた。あ
の頃はいつも兄弟やユーリウスと一緒だったけれど。
︵ユーリ様⋮⋮来年の今頃にはもう、きっとご結婚されているわよ
ね︶
婚約して四年が経つから、そろそろのはずだ。名門貴族のお嬢様
がお相手なのだから、シェリルなど及ぶべくもない。あのままフリ
ューリング王国にいれば、いずれ愛人にしてくださったかもしれな
いが、シェリルは姫様を選んでしまった。
﹃本当に行ってしまうのか。僕が行かないでくれと頼んでも、君は﹄
引きとめる手を、振り払ってしまった。もう、何も望めはしない。
︵いいのよ。私は姫様にお仕えできるだけで幸せだもの。一生結婚
なんてしないわ︶
ユーリウスとの触れあいはとてもあたたかく感じたのに、昨日エ
ルヴェに触れられた時は嫌悪感しかなかった。ユーリウス以外の人
とそれ以上のことをするなんて、想像もしたくない。
嫌でも性を意識せざるを得ない、王宮という場所。必死で平気な
ふりをしているが、姫様のあんな声、本当は聞きたくない。行為の
痕だって、見たくない。でも、そんな甘えは許されないから、大し
43
たことではないと自分を誤魔化している。
シェリルの弱気を見抜いていたから、姫様についてノルエスト王
国に行くことになった時、父はあんなに反対したのだろうか。いつ
でも帰ってきなさいと、重ね重ね言い聞かせてきたのはそのためな
のか。
どんっ
﹁きゃっ!?﹂
考え事をしながら歩いていたせいで、注意力が散漫になっていた
らしい。向かいから歩いてきた男性を避けきれず、肩がぶつかって
しまった。危うくひっくり返りかけたシェリルの腕を、武骨な手が
掴む。
﹁あぶねえな。ぼーっと歩いてんじゃねえよ﹂
﹁ご、ごめんなさい﹂
年季の入った旅装束と、腰に帯びた剣。流れの傭兵か、剣士だろ
うか。ぼさぼさの髪と無精ひげのせいで、年齢はよくわからない。
今しがた街に着いたばかりなのだろう、埃で白く汚れたマントから
は土の匂いがした。二周りも体格が違うせいか、頭を打つよりマシ
だとはいえ、掴まれた箇所が鈍く痛む。
﹁おい、嬢ちゃん。危うくひっくり返るところを助けてやったんだ。
礼代わりに宿まで案内してくれや﹂
﹁あっ、はい。助けてくださってありがとうございます。お礼が遅
れてすみません。大通りの宿屋でよろしいですか?﹂
﹁いいわけねえだろ。んな金があるように見えんのか?﹂
44
ったく、使えねえなぁ﹂
﹁でも私、大通り以外の場所は詳しくなくて⋮⋮﹂
﹁ああ?
男はがりがりと頭をかくと、再びシェリルの腕を掴んで、通りを
足早に歩きだした。
﹁えっ、あの、どこへ向かわれているのですか?﹂
﹁いいから黙って歩け。騒いだりしたらぶっ殺すぞ!﹂
真上からの恫喝に、びくっと身体が竦んだ。足が絡まって上手く
歩けないのに、引きずられる勢いは止まらない。助けを叫ばなけれ
ばならないはずなのに、震えて声が出なかった。
大通りから逸れ、細い横道に入る。一歩外れただけでこうも雰囲
気が違うものなのか。静けさの漂う路地。まだ明るいのに、とても
暗く感じる。絶対に裏道に入ってはいけないと、兄が口を酸っぱく
ユーリさまっ⋮!
して注意してきた理由がわかった。このまま行けば、恐ろしい目に
合うに違いない。
︱︱︱いや、助けて!
﹁失礼、そこの小汚い剣士さん﹂
笑いを含んだ呼びかけに反応し、男は足を止めた。どうやら自覚
があったらしく、憤怒の形相で振り返る。そこに立つ青年の姿を見
て、シェリルは目を瞠った。
﹁その人は俺が先に目をつけていたんですから、横取りしないでく
れませんか﹂
45
鎧の代わりに仕立ての良いジュストコールを着こなしたエルヴェ
は、近衛で五指に入るようには到底見えない、ただの優男に見えた。
しかし、その立ち居振る舞いに隙はなく、笑みを浮かべたまま男を
威圧している。
﹁な、なんだてめえっ!﹂
﹁休暇中ですが、これでも騎士です。さっさとその汚い手を離さな
いと、その腕ぶった斬りますよ。この状況なら正当防衛で通るでし
ょうし﹂
﹁なんて恐ろしいことを言うんですかっ!!﹂
シェリルは思わず口を挟んでしまった。これではどっちが悪者か
わからないではないか。
﹁身だしなみは大切だということです。貴女なら俺とその小汚い男、
どちらの言い分を信じますか?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
一部始終を知らなければ、間違いなくエルヴェの味方をしただろ
う。知っていると、どっちもどっちのような気がしてならないが。
この場では正義に見えるエルヴェだって、シェリルに対する行いは
この男と大差ない。
﹁俺はあまり気が長い方ではありません。さあ、どうしますか?﹂
エルヴェが腰に帯びた剣に手をかけると、男はシェリルを突き飛
ばして逃げて行った。またしてもひっくり返りかけたシェリルを、
今度はエルヴェが抱きとめる。
﹁本当に危なっかしい人だ。今までどうやって生きてきたのか非常
46
に気になるところです﹂
﹁大きなお世話ですっ!
放してください!﹂
ほら、言ったんだから放してくださ
﹁普通こういう場合、礼が先だと思うのですが﹂
﹁ありがとうございました!
いよ!﹂
﹁いやです﹂
﹁なっ!﹂
﹁言ったら放すなんて言ってません﹂
﹁っ∼∼∼∼﹂
べしべしと八つ当たり気味に胸を叩いたら、ようやく解放された。
自分の足だけで地面に立って、シェリルはほっと溜息をついた。男
性に触れられると底知れない恐怖を感じる。幼い頃はそんなことな
かったのに、最近恐ろしい目にばかり合っているせいだろうか。
﹁どうして貴方がこんなところにいるんですか﹂
逃げてきたつもりだったのに、結局遭遇してしまった。しかも、
助けられるなんて。渾身の力をこめて睨みつけたのに、エルヴェは
平然としている。 ﹁貴女を追いかけてきたからに決まっているでしょう﹂
迷惑です!﹂
悪びれる様子もなく、エルヴェはさらりと答えた。
﹁つきまとわないでくださいっ!
やめてくださいっ!
貴方のような人
﹁俺がいなかったら貴女は今ごろ大変なことになっていたと思いま
すけど﹂
﹁それとこれとは別です!
なら相手になってくれる女性は他にたくさんいるでしょう!?﹂
47
﹁それとこれとは別です。今、俺の興味は貴女にあるんですから﹂
﹁やめてくださいったら!﹂
私は絶対に譲りませんから!﹂
﹁いやです。もうこの辺にしておきませんか。キリがありませんよ﹂
﹁貴方が諦めるべきです!
エルヴェはやれやれと言わんばかりの溜息をついた。
﹁根本的に勘違いしてますね。俺は別に、貴女の許可なんて求めて
ません﹂
腕が伸びてくる。気付いた時にはすでに遅く、シェリルは再び捕
はなして!
おろしてっ!
誰かー!﹂
らわれた。荷物のように肩に担ぎあげられ、足が宙を切る。
﹁いやっ!
﹁無駄ですよ。こんなところで叫んだって、正義の味方は現れやし
ません。さっきのはごく稀な例外です﹂
﹁貴方のどこが正義の味方だというんです!?﹂
貴方、仮にも騎士でしょう!
﹁暴漢から助けて差し上げたではないですか﹂
﹁同類のくせにぬけぬけと!﹂
﹁まぁ、そうですね﹂
﹁なにを開き直っているんですか!
?﹂
こんな男を騎士にするなんてっ、この国はどうな
﹁仮も何も正当かつ正式な騎士ですよ。これでも位は高い方です﹂
﹁腐ってるわ!
ってるの!?﹂
﹁仕事さえきっちりしていれば、私生活がちょっとぐらい乱れてい
たって出世に差し支えはありません。貴女の故国も大して変わらな
いと思いますが?﹂
﹁うっ⋮⋮﹂
48
大きな国であればあるほど、闇は深い。フリューリング王国だっ
てもちろん清廉潔白ではない。ブルーメルク宮殿には黒い噂がたく
さんあった。その全てが真実だとは思わないが、全てが嘘でもない。
勝つか負けるか、生きるか死ぬか。全ては金と権力次第。
シェリルは一介の侍女に過ぎないが、エルヴェは騎士。おまけに
子爵の位を持っているという。シェリルは拒んではいけないのだ。
﹁⋮⋮⋮私をどうするつもりですか﹂
﹁急に大人しくなりましたね。どうしたんです?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
悔しい。
この身が卑しいから。女だから。だからこんな屈辱を味わわされ
るのだ。シェリルの持つ何をもってしても、この男には敵わない。
﹁⋮⋮⋮泣いているのですか?﹂
﹁ほっといてください⋮⋮﹂
悲しくなんてないはずなのに、頬を涙が伝った。零れ落ちたのは、
一体何だったのだろう。
エルヴェに泣き落としが通じないのはわかっていた。女の涙など、
この男には取るに足らない物なのだ。
エルヴェはシェリルを担いだまま宿と思しき建物に入り、部屋を
とった。大通りにあるような明るさはないが、さりげなく配置され
た調度類には気品が感じられる。大通りから外れた場所に、こんな
宿があるなんて思わなかった。きっと、世の裏側と通じているのだ
49
ろう。肩の上で泣いているシェリルを、フロントやボーイが見て見
ぬふりをしていたのが良い証拠だ。ほら、やっぱり。
金と権力の前で、弱者ができることなど何もない。
50
騎士3*
シェリルをベッドに横たえ、エルヴェはその頬を優しく撫ぜた。
﹁苦しかったでしょう。大丈夫ですか?﹂
担がれている間は腹部が苦しかったが、痛みはなかった。酷いこ
とばかりするくせに、気まぐれに優しくするなんて卑怯だ。大嫌い
だ、こんな人。
ユーリウスは絶対にこんな酷いことはしない。ユーリウスの方が
百万倍もかっこいい。なのに、どうして。シェリルの目の前にいる
のはユーリウスではないのか。
﹁私を抱くのですか⋮?﹂
﹁そうします﹂
﹁⋮⋮⋮薄々感じていましたが、貴方って、本当に正直なんですね。
言い訳も責任転嫁もしないなんて、いっそ清々しいです﹂
﹁自分を偽って生きるなんて面倒でしょう。俺は貴女の身体を欲し
ていますが、貴女の気持ちはどうでもいいです。泣き叫ぶなり、好
きな男を重ねるなり、ご自由にどうぞ﹂
シェリルはとうとう笑ってしまった。前言撤回だ。エルヴェのこ
とを暴漢と同類だと言ったが、さっきのような男に奪われるぐらい
なら、エルヴェの方がまだいい。
﹁どうぞ、勝手にしてください。どうせ私には不要なものですから﹂
51
どうあがいても逃げられないのなら、受け入れよう。破瓜は痛み
を伴うと聞くが、姫様に耐えられたものがシェリルに耐えられない
わけがない。ユーリウスに捧げられないのなら、相手は誰でも同じ
だ。
﹁その虚勢が最後までもつと良いですね﹂
唇が重ねられた。衝動的に押しのけようとした手は、一回り大き
な手に絡めとられてシーツに沈んだ。
﹁んっ⋮!﹂
エルヴェは先ほど軽々とシェリルを担ぎあげたことからもわかる
ように、かなり上背がある。そんな男にのしかかられて、シェリル
に何ができようか。覚悟は決めたが、理性と感情は別物で、未知へ
の恐怖が身体を強張らせる。
﹁んんっ﹂
初めては、ユーリウスと。そんな風に夢見たこともあった。今と
なっては叶うはずもない夢想。ユーリウスと唇を重ねたなら、きっ
と幸せな気分になれただろう。しかし実際は、優しく誠実なユーリ
ウスとは似ても似つかない男に奪われた。
執拗に重ねられる唇。苦しいと、文句を言うために開いた隙間に、
舌が割り込んでくる。
﹁んうっ!?﹂
同時に、何か苦いものが口の中に入り込んできた。異物を喉奥に
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押しこもうと舌が蠢く。抵抗を試みるも、男を押し退けるどころか、
掴まれた手首すらびくともしない。深く侵入され、とうとう飲み下
してしまった。唇が離れると、舌先に唾液がいやらしく糸をひいた。
﹁けほっ⋮⋮一体、なにをっ!﹂
﹁毒ではありませんから安心してください﹂
エルヴェの手が胸元にかかった。瞬く間にボタンが外され、肌が
脱がさないでっ!﹂
露わになる。
﹁やだっ!
﹁でも、服がぐしゃぐしゃになったら帰れなくなりますよ﹂
﹁っ⋮⋮﹂
シェリルはこの男の頬を張り飛ばしてやろうかと真剣に悩んだ。
これほどの怒りを抱いたのも、人に手をあげたいなんて思ったのも、
生まれて初めてのことだ。強姦魔が正論を述べるなと、声を大にし
て言いたい。
﹁まぁ、どうしても脱ぎたくないならそれでもいいです。後で代わ
いやぁっ﹂
りの服を手配すれば済む話ですから﹂
﹁ひッ!
肌蹴られた胸元に唇が落ちた。一方の乳首を重点的に舐めまわさ
れ、もう一方を大きな手の中に包み込まれて、身体が反応してしま
う。こうなるという知識はあった。それでも、不意に口を突いて出
る声が、恥ずかしくてたまらない。
﹁っ⋮ぁん、⋮っ⋮、⋮は⋮﹂
﹁感じやすいのですね﹂
53
﹁そんなこと、なっ⋮﹂
﹁あります。少し弄っただけでこんなに乳首を固くするなんて﹂
尖った乳首をピンと指先で弾かれて、びくっと身体が跳ねた。こ
んなの、嘘だ。無理やりされているのに。嫌でたまらないのに。
スカートをたくしあげた手が下着ごしに秘部をなぞり、シェリル
は息をのんだ。
﹁もう濡れてますね﹂
﹁うそ⋮っ﹂
﹁本当です。ほら﹂
﹁っあぁん!﹂
秘唇をぐりりと押し上げられて、背が反りかえる。同時に口をつ
いて出たはしたない声が無性に恥ずかしくて、シェリルは口を手の
平で覆った。そうこうしているうちに下着が剥ぎ取られ、足を広げ
られる。あさましく濡れたそこがエルヴェの目に晒され、シェリル
は声にならない悲鳴を上げた。
﹁っ︱︱︱!﹂
﹁綺麗な色だ﹂
やめて、いやぁ︱︱︱っ!!﹂
さらに信じられないことに、シェリルのそこに、エルヴェは顔を
うずめてきた。
﹁いやっ、いや!
ぞくぞくとしたものが背筋を走る。それが悪寒なのか、快感なの
か、そんなことすらもうシェリルにはわからない。
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自分でも良く知らない場所を見られ、舌で蹂躙される屈辱。肉襞
に唾液を塗りつけられ、滲み出た蜜を啜られる。奥に隠れていた蕾
を舌先で潰されて、背筋を甘い痺れが奔った。衝撃の連続と、断続
的に与えられる刺激で、頭がおかしくなりそうだった。
﹁っ⋮は、⋮んんっ!⋮たすけて、おとうさまっ、⋮おにいさまぁ、
っ!⋮、っぁ⋮!﹂
すごく気持ちいいと、バルバラやデルフィーナは言っていた。そ
れは確かに嘘ではないが、今のシェリルには只々おぞましいもので
しかない。
身体を支配するこの感覚が﹃快感﹄なのだとしたら、それはとて
も恐ろしいものだ。思考を麻痺させ、理性を壊し、人を堕落させる。
まるで底なし沼に引きずり込まれているかのよう。沈みきったが最
後、二度と這いあがれない気がした。
﹁貴女の蜜はとても甘美な味がします。実は砂糖で出来ていると言
われても、今なら信じてしまいそうです﹂
あっという間に濡れそぼった秘所に、長い指が挿れられた。微か
に痛みがあったが、ぬるぬるを絡めながら掻き回されると、痛みよ
りもむず痒さの方が勝った。エルヴェが指を動かすたび、そこから
ぐちゅぐちゅと卑猥な音が聞こえる。
なんてはしたない身体だろう。犯されているくせに、こんなに蜜
を垂れ流すなんて。
﹁んっ、んっ、⋮⋮ふぅっ⋮、⋮ぅぅっ⋮ん⋮⋮!﹂
55
せめてもの抵抗として、声を出すまいと必死に口を押さえている
が、身体にくすぶる熱は高まるばかりだった。二本、三本と増やさ
れる指に中を広げられながら親指で陰核を刺激されると、びくびく
と身体が反応してしまう。与えられる刺激に悦び、シェリルは無意
識のうちに腰を揺らしていた。
こんなの、嘘だ。ユーリウス以外の男に触れられるなんて、嫌で
たまらないのに。
シェリルを犯したいだけならさっさと挿れてしまえばいいのに、
どうしてこんな、丁寧に解きほぐすような真似をするのだろう。こ
んな風にされたら、感じてしまう。無理やり感じさせられる快感で、
身体が快楽を覚えてしまう。
﹁やめてっ⋮やめてっ⋮⋮あっ、んん、っ⋮⋮こんなの、やめてっ
⋮!﹂
﹁慣らさないと痛いのは貴女ですよ﹂
﹁⋮あっ、あぁっ!⋮⋮いやぁっ!﹂
︱︱︱はぁ⋮っ⋮﹂
﹁こんなに感じているのに?﹂
﹁んんっ!
んっ、んあぅッッ!!﹂
﹁そんな恍惚とした顔で﹃いや﹄と言われても、やめてあげられま
せんね﹂
﹁んっ⋮、⋮ふっ⋮、ぁっ⋮っ!
﹁ここが良いのですか?﹂
ある部分を擦られた瞬間、一際甘い痺れが背筋を駆けた。思わず
背を反らせたことで、そこをエルヴェに知られてしまう。
執拗に愛撫され、強すぎる刺激から逃れようともがいても、エル
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ヴェを退けることはできなかった。シェリルにできたのは、艶めか
しく頬を染めながら、いやいやと首を横に振って、暴かれた性感帯
を擦られるたび、びくっびくっと身体を跳ねさせることだけ。
﹁んっ、んーっ、︱︱︱ぅっ!⋮、ッ⋮ッ︱︱︱、︱︱︱っ!!﹂
同じ場所を執拗に責められ、限界まで膨れ上がった快感が、つい
に弾けた。
昇り詰めた瞬間、シェリルの膣はエルヴェの指をかたく締め付け
た。ずるりと抜き出された指には、垂れて滴るほどの蜜が絡みつい
ている。余韻で思うようにならない身体をシーツに投げ出し、シェ
リルは必死に荒い呼吸を繰り返した。
﹁はっ⋮⋮はっ⋮﹂
すっかり熟したそこに、さらなる熱があてがわれる。その正体を
見てとって、シェリルは眼を見開いた。
﹁ひっ⋮!﹂
﹁見るのは初めてですか?﹂
男兄弟に囲まれて育ったが、男のそれを直接見たことはない。初
めて目にする男性器は、見るも恐ろしい形をしていた。指など比べ
物にならないぐらい太くて大きい上に、血管を浮き立たせながら反
り起つ様はさながら凶器のようだ。そんなものが秘唇にあてがわれ、
ぬるぬると入口を探っている。指三本でもきつかったのに、こんな
ものが入るわけがない。
﹁いやっ⋮⋮いやっ⋮⋮ゆるして⋮、おねがい⋮!﹂
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﹁そんなに怯えなくても、ちゃんと入ります。そういう風にできて
いるのですから﹂
懇願虚しく覆いかぶさられ、ぐっと、押しこまれた。
﹁ッッ︱︱︱︱︱︱﹂
指とは比べ物にならない質量のものが、先端の太い部分で肉を押
し広げながらゆっくりと入ってくる。あまりの痛みに、シェリルは
手の平に爪が食い込むほどの強さでシーツを握りしめた。
﹁ぃっ︱︱︱、ッ︱︱、︱︱︱︱!!﹂
痛くて痛くて、息がうまくできない。感情のままに叫びたいのに、
声が出ない。途方もない責め苦から逃れようとベッドをずりあがる
ぃた、いっ!!⋮やめっ、てぇっ﹂
と、腰を両手で掴まれてさらに強く押し込まれた。
﹁ぅ︱︱っ!⋮い、たっ、⋮
﹁声を出した方が、楽ですよ﹂
﹁⋮、⋮やっ⋮ッ﹂
感情のままに、首を横に振る。直後、ずんっと腰を入れられて、
純潔の証を破られた。ようやく悲鳴をあげたシェリルにぴたりと腰
を重ねながら、エルヴェは意外そうに口を開いた。
﹁本当に処女だったのですね。実は少し疑っていたのですが﹂
﹁な、⋮で⋮﹂
﹁貴女の存在は騎士団では有名ですよ。隣国からやってきた妃殿下
付きの侍女が、大人しそうな顔で色香を振りまきながら、いたると
ころで男を誘って歩いていると﹂
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﹁なっ⋮!﹂
なんて酷い言いがかりだ。親兄弟とユーリウス以外の男性に、自
分から声をかけることすら稀なのに。
﹁実際に見てみたら、噂通りで驚きました。さぞ派手に遊んでいる
のだろうと思ったのに、本人はまったくの無自覚で、さらに驚かさ
れましたが﹂
埋め込まれた熱が、ゆっくりと動き始めた。狭いところを押し広
げるように、シェリルに男を馴染ませるように。じくじくとした痛
みは、純潔を失った証で。一番奥に辿りつかれた瞬間、心まで貫か
れた気がした。穴があいたと感じてしまうほどの、痛み。これが、
絶望というものかもしれない。
﹁い⋮っ⋮く、んっ⋮⋮はっ⋮うごか、ないで⋮!﹂
﹁いやです﹂
﹁あっ、⋮⋮あっ、⋮﹂
奥を突きあげられるたび、喉奥から押し出されたように声が出て
しまう。指では届かなかったところを余すところなく擦られるも、
うぅ⋮っ⋮﹂
まだ痛み、異物感、圧迫感の方が強い。
﹁ふっ⋮!
﹁生まれつきの淫乱なのでしょうね。初めてなのにこんなに感じて、
俺を嬉々としてくわえこんでいるのですから﹂
﹁ちがっ﹂
﹁この有様で、説得力があるとでも?﹂
﹁きゃっ、んッ!﹂
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ベッドが軋むほどの激しさで最奥を突きあげられ、シェリルは大
きく背をのけ反らせた。苦痛に呻くシェリルの腰を掴み、容赦なく
突き挿してくる。愛などない、ただ欲望を処理する為の行為なのだ
と、そう思い知らせるように。
﹁うっ⋮、くっ⋮、ッぁ⋮、⋮はっ⋮⋮!﹂
いつの間に脱いだのか、エルヴェは肌を晒していた。シェリルは
といえば、下肢こそ完全に晒されているものの、上は胸元を肌蹴ら
れただけで、くしゃくしゃになったスカートが腰のあたりにわだか
まっている。中途半端に脱がされた衣服が腕に絡みついて、さなが
ら枷のようだった。
﹁っ、⋮やっ⋮!⋮ぁ、っ!⋮う、⋮ぁ、ぁ⋮っ﹂
繰り返し蹂躙されるうちに痛覚が麻痺し、身体を快楽が支配し始
めた。優しさの欠片もない凌辱なのに、膣を行き来する男根は的確
にシェリルの弱いところを擦ってくる。まだ痛みが残っているのに、
奥を突かれるたび、はしたない声が口をついて出た。
自分の身体が違う物になってしまったような気がして、恐ろしか
った。このままでは、取り返しのつかない場所まで堕とされてしま
う。
﹁や、ぁっ⋮ユ、⋮リ、⋮さまっ⋮⋮あ、っ、たす、け、⋮ッ、っ
!﹂
声を抑えるような余裕は、もうない。断続的にもたらされる様々
な感覚に耐えるので精一杯だ。揺さぶられている間、うわ言のよう
にユーリウスを呼び続けていたことに、シェリルは気づいていなか
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った。
﹁っ⋮⋮そろそろ、出しますよ⋮!﹂
﹁︱︱︱⋮あ⋮ッ!⋮だ、⋮めっ、⋮⋮中は、やめてっ⋮!﹂
あ、はっ、あああぁぁッ、︱︱︱︱︱﹂
﹁いやです﹂
﹁やっ⋮!
膣内を、熱い飛沫が満たしていく。それが、とろけそうなぐらい
気持ち良くて、シェリルは絶頂を迎えてしまった。
ゆっくりとエルヴェが出ていき、白濁と血の混ざった蜜が下肢を
濡らした。ようやく解放された秘所は鈍い痛みこそ残っているもの
の、絶頂に追いやられた余韻でひくひくと甘く疼いている。
﹁︱︱︱︱⋮はぁ、⋮⋮はぁっ⋮⋮、⋮なんて、こと、を﹂
﹁問題ありません。さっき貴女に飲ませたのは避妊薬ですから﹂
﹁え⋮っ﹂
﹁一応俺も飲んでいます。流石にそのぐらいの配慮はしますよ﹂
一瞬、なんと言うべきか迷った。罵りの言葉は行き場を失ってし
まったが、礼を言うのは何かが違う。それでも、わずかに心が軽く
なったのは確かだった。
﹁では、心配いらないとわかったわけですし、続きをしましょうか﹂
﹁!?﹂
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そう言って、エルヴェは再びシェリルに覆いかぶさってきた。腕
に引っ掛かっていた衣服が引き裂かれ、肌と肌が触れ合う。熟しき
った秘所に早くも硬さを取り戻したものの先端があてがわれ、シェ
リルは戦慄した。
﹁やっ⋮まさか、またっ⋮!?﹂
ゆるしてぇっ︱︱︱あぁッ⋮!﹂
﹁一度でやめるなんて言ってません﹂
﹁いやっ、もうやめてっ!
﹁一度も二度も同じですよ。疲れたなら、どうぞ寝てください。俺
は俺で勝手にしますから﹂
﹁くっ、⋮⋮ふっ、⋮うっ⋮⋮、あっ、⋮ふぁ、⋮ぁ⋮ッ!﹂
こんなに甚振られているのに、眠るなどできるわけがない。この
男の前で意識を手放すとしたら、解放される前に体力が尽きた場合
だけだろう。そして、シェリルの予想は現実になった。
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回想2 別れの時
﹁ヘルツォーク伯爵﹂
呼びかけに応え、ユーリウスは背後を振り返った。よく知った声
だ。
﹁ホイス子爵﹂
オスカー・マルクス・フォン・ペルレ。赤銅色の髪を持つ若き俊
英。
地位を求めずとも勝手に与えられるユーリウスとは違い、三男で
あるオスカーは自分で身を立てなければならない。従兄弟という間
柄だが、仕官してからというもの多忙を極めているらしく、最近で
は顔を合わせることすら少なくなっていた。
﹁少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?﹂
﹁構わない。僕の部屋で話そう﹂
﹁ありがとうございます﹂
ユーリウスが廊下を行けば側近と二人の騎士が後ろをついて歩き、
すれ違う侍女や使用人たちは恭しく頭を垂れる。ユーリウス自身に
ではなく、彼の背後にいるダールベルク公爵という存在に対して。
王の後見として、ダールベルグ公爵はフリューリング王国で絶大
な権力を握っている。七年という歳月でその勢力はかなり安定して
きたとはいえ、いまだ油断の許されない状況に変わりはない。その
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後継者であるユーリウスは、護衛がいなければ王宮内を歩くことす
ら許されなかった。
本当は、公的な空間を移動するだけならさほど危険はない。しか
し、長年続いた政争で猜疑心の塊となった父公爵は、とうに成人し
た息子の動向にまで目を光らせている。騎士たちは、護衛ではなく
監視なのだ。
執務室に入り、ユーリウスはようやく肩の力を抜いた。執政官で
はない騎士は、機密で溢れる執務室の中までは入ってこない。気心
の知れた者だけになったおかげで、格段に呼吸はしやすくなった。
オスカーに応接用のソファーをすすめ、自身もその向かいに腰かけ
た。
﹁久しいな、オスカー。仕事が恋人の君が真っ昼間に僕を訪ねてく
るなんて、明日は雪か?﹂
﹁外はこんなに良い天気なんだから、友人と茶を飲むぐらい許され
るだろう。適度な気分転換は仕事の能率向上に効果的だというじゃ
ないか﹂
侍女が茶を運んできた。頭を下げた女の金の髪を見て、愛しい少
女を思い出す。シェリルはもっと濃厚な、蜂蜜のような色だった。
美味しそうな髪だと、初めて見た時思ったものだ。口づければ、本
当に甘く感じて。木苺色の瞳といい、ミルク色の肌といい、全身が
お菓子のような少女だった。
侍女はティーセットと茶菓子を運んできただけで去り、給仕は側
近が行った。毒見のためであるのは言うまでもない。
﹁⋮⋮⋮シェリルは、元気か﹂
64
﹁一番最近の便りでは、変わりない様子だったよ。そう、話という
のはシェリルのことでね﹂
﹁なに?﹂
﹁父上が、シェリルの結婚相手を探し始めた。あの子がどうしても
と言うから送り出しはしたが、やはり心配なようだ。もう十七だし、
そろそろ限界だろう﹂
手にしたカップの水面が揺れた。とうに覚悟していたはずなのに、
まだ足りないらしい。内心苦笑しながらカップをソーサーに置き、
ユーリウスはオスカーに視線を戻した。
﹁良い男と結婚して田舎で静かに暮らすのが、あの子には一番いい。
父上はそうお考えだし、僕もそう思う。しかし、当のシェリルが首
を縦に振らないんだ。なんとかしてくれないか?﹂
﹁僕にどうしろというんだ﹂
フィオレンティーナについていくと言ったシェリルを、ユーリウ
スは引き止めた。しかし、シェリルはその手を拒んだのだ。ユーリ
ウスにできることなど、何もない。
﹁シェリルが君に心を残しているのは間違いない。妾でいいから、
シェリルを貰ってほしい﹂
﹁無理だ。拒否された。それに、結婚前から妾を囲ったりしたらあ
の女が黙っていない﹂
﹁多少無理やりになっても構わないから、せめて国内に連れ戻して
くれ。もう時間がない﹂
妹を目に入れても痛くないほどかわいがっている男が言うには、
あまりにも不穏な言葉だ。ユーリウスは片眉をあげた。
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﹁シェリルはまだ十七だぞ。結婚を焦らなければならないような年
齢ではないだろう。一体なんだというんだ﹂
﹁十八になったら、もう大人だ。まだまだ子供だとばかり思ってい
たが、もうすぐ目の前に迫っているのだから⋮⋮時の流れは残酷だ
な﹂
ふっと微笑んだオスカーの顔は、やけに寂しげだった。まるで、
妹の成長を憂いているかのように。
﹁シェリルの母君は、花の民だった。そう言えばわかるかい?﹂
一瞬の空白の後、オスカーの言葉が遥か昔に歴史から姿を消した
種族を指しているのだとわかった瞬間、ユーリウスは顔色を変えた。
﹁馬鹿な。彼らは、何百年も前に滅んだはず﹂
﹁そうだね。僕もそう思っていたから、事実を教えられた時はとて
も驚いた。もちろん純血が残っているわけがないから、先祖返りの
ようなものなのだろう。シェリルの母君は、とても芳しい花の香り
をまとった人だったらしい﹂
この世界には、人間以外にも高い知能を持った生き物がいる。人
と良く似た形をしているもの、かけ離れたもの、その姿は千差万別
だが、物を考え、言葉を話し、文明を作りあげる知能があるという
点が、人と共通していた。
海には水の民が。火山には火の民が。空には風の民が。そして、
この地には、森の民と花の民が。かつて彼らは人間と共存していた
が、人間が森を切り開いて田畑を耕し、村を作り、町を作り、国を
作るようになると、森の民は人と交わることを拒み、ノルエスト王
国の北に広がる大森林へと去って行った。花の民は、いつしか人の
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中に取り込まれ、歴史からその姿を消した。
﹁花の民が滅んだのは、人と交わりすぎてその血が薄れ、種を保て
なくなったからだ。シェリルを見ていると、彼らが滅んだ理由がわ
かるよ。︱︱︱あの子の香りは、男を惹きつける﹂
ユーリウスは膝の上で拳を握りしめた。彼が幼いシェリルに劣情
を抱いたのは一度や二度ではない。そのたびに、愛しいがゆえのこ
とだ、あと数年の我慢だと自分を戒めていたが、誰しもが同じよう
に感じるのだとしたら。
幼い頃でさえあれほどの魅力を放っていたシェリルが、大人にな
ってしまったら。周りの男が放っておくはずがない。
﹁今までは僕たちが庇護していたから問題はなかった。しかし、ノ
ルエスト王国にあの子を守ってくれる者はいない。本当なら行かせ
たくなかったが、フィオレンティーナ王女に直々に請われて、我が
侯爵家は断りきることができなかった。友情に縋ってこんなことを
言うのはおこがましいと思うが、君なら何とかできるはずだ。どう
かシェリルを連れ戻してくれ。手遅れになる前に﹂
ユーリウスは現王とフィオレンティーナの従兄弟であり、ダール
ベルグ公爵という後ろ盾がある。フィオレンティーナが固辞しても、
権力を盾にシェリルを手に入れることは不可能ではない。
﹁僕は一度でもシェリルを手に入れてしまったら、二度と手放せな
い自信がある。⋮⋮⋮しかし、ペルレ候はシェリルを嫁がせたいと
思っているんだろう?﹂
﹁父上のことは私がなんとかするさ。後は全部、君次第だ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
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シェリルは器量の良い娘だ。そう遠くない未来、貴族ではなくと
も裕福な男のもとに嫁ぎ、きっと幸せになるだろう。そう思ったか
ら、引き止めた手を振り払われた時、それ以上追わなかった。ユー
リウスはシェリルを正妻には出来ない。ダールベルグ公爵家の権力
を盤石なものとするため、名門貴族の娘を妻に迎えることが決まっ
ている。幼い日の約束は、守ることができないものだった。
﹁⋮⋮⋮わかった。次の使節団に、僕も同行しよう。必ずシェリル
を連れて帰ると約束する﹂
﹁ありがとう。恩に着るよ﹂
オスカーが退出した後、ユーリウスはソファーの背にもたれなが
ら深い溜息をついた。
﹁昔は、こんなに窮屈じゃなかったのにな。どうしてこんなことに
なってしまったんだか﹂
﹃お別れの挨拶に参りました﹄
婚約させられて以降、監視の目が厳しくなり、ユーリウスはシェ
リルに会いに行くことができなくなっていた。フィオレンティーナ
の傍らにある少女を遠目に垣間見ることはあっても、面と向かって
言葉を交わすことは侭ならない。
侯爵家では正嫡の兄弟と分け隔てなく育てられていたが、シェリ
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ルはきちんと自分の立場をわきまえていて、他人の目があるところ
で自分からユーリウスに近づいてくることはなかった。シェリルが
初めてユーリウスに会いに来たのは、フィオレンティーナの輿入れ
が一週間後に迫った日のことだ。
﹃すでにお聞き及びかと思いますが、姫様についてノルエスト王国
へ行くことになりました。今まで卑小なるこの身に格別のご温情を
かけて頂き、大変感謝しております。ありがとうございました﹄
勤務時間外のはずだが、シェリルは侍女の仕事着のままだった。
平服ではユーリウスの執務室に近づくことすら出来なかっただろう
から、それは仕方のないことだ。蜂蜜色の髪がきっちりとシニヨン
に結われているため、シェリルが首を動かす度にふわふわと揺れる
様を見られないのが残念だった。
﹃⋮⋮⋮行くのか﹄
﹃はい﹄
﹃このたびの婚姻でノルエスト王国との衝突はなくなったように見
えるが、いまだ水面下ではせめぎ合いが続いている。一度向こうへ
渡ってしまえば、易々と戻ってくることはできないだろう。僕はも
ちろん、親兄弟とだって二度と会えなくなるかもしれないんだぞ﹄
﹃覚悟の上です﹄
木苺色の瞳には決意があった。あんなに仲の良い兄弟たちと離れ
離れになるのだから、辛くないわけがないのに。
﹃なぜ⋮⋮﹄
﹃侯爵家では私は何もできませんが、姫様は私を必要としてくださ
っています。私は、そのお気持ちに応えたいのです﹄
﹃君を必要としているのはフィオレンティーナだけじゃない!﹄
69
数年ぶりに触れるぬくもりの心地良さは、幼い頃と変わらなかっ
お願い、
た。ただし、幼い頃とは柔らかさの種類が違う。鼻腔をくすぐる、
お放しください!
甘い香り。ざわりと、心の奥底で暗い欲望が渦を巻いた。
﹃ユーリウス様っ、おやめください!
です⋮っ﹄
﹃騒ぐな。警備の連中がくる﹄
﹃っ⋮⋮﹄
本当に嫌がっているわけではないのは、シェリルの手がユーリウ
スの服を掴んでいることからもわかる。ユーリウスは目を伏せるシ
ェリルの耳元に唇を寄せた。
﹃本当に行ってしまうのか。僕が行かないでくれと頼んでも、君は﹄
愛しくて仕方なかった。オスカーの異母妹で、幼い頃からかわい
がってきたというだけではなく、一人の女として。
名門侯爵家の血をひいているのに、正嫡ではないというだけでシ
ェリルは貶められてしまう。それでも、平和な世であれば娶るのに
問題はなかっただろう。継承権争いなど起こらなければ、自分が長
男でなければ、シェリルが正妻の子であればと、何度考えたかわか
らない。
﹃ユーリ様には、婚約者がおられるではありませんか⋮⋮⋮いつま
でも私のような者がお傍をうろついていたら、ご迷惑になってしま
います﹄
﹃構わない。君がいないと、僕はきっと寂しさで死んでしまうだろ
う﹄
70
﹃どうしても我慢できないぐらい寂しくなったら、手紙をください。
オスカーお兄様に、ユーリ様が寂しがっているからお慰めしてくだ
さいってお願いしますから﹄
﹃それだけはやめてくれ。あいつにそんなことを言ったら、どんな
手を使ってくるか分かったものじゃない﹄
本気で呻くと、シェリルはユーリウスの腕の中でくすくす笑った。
﹃ユーリ様は陛下に、私は姫様にお仕えしているのですから、どの
みち、こうなる運命だったのです﹄
﹃シェリル⋮⋮﹄
何を言っても、シェリルの意思を変えることはできないのだろう。
この場で、力ずくで自分の物にすることはできる。ユーリウスの
地位があれば、侍女の一人や二人弄んだところで、誰も何も咎めは
しない。純潔を奪って、閉じ込めて。どこにも行けなくしてしまえ
ば︱︱︱。
とん、と胸が押され、さほど力を入れていたわけではないユーリ
ウスの腕は、あっさりとシェリルから外れてしまった。邪なことを
考えていたせいで、咄嗟に反応できなかったユーリウスに、シェリ
ルは深々と頭を下げた。
﹃お忙しいところにお邪魔して申し訳ありませんでした。どうか、
お身体にだけはお気をつけください﹄
シェリルは笑顔でユーリウスの前を去った。その目尻に涙が光っ
ていたのは、きっと、彼の気のせいではない。
71
72
回想2 別れの時︵後書き︶
どうでもいい情報その4
J:伯爵ユーリウス、K:侯爵コンラート、L:侍女レティシア&
ロレーヌ
ユーリウスは公爵家の跡取りですが、父親がバリバリの現役なので
今は伯爵を名乗ってます。
Kはシェリル父の名前。たぶん最後の最後にしか出てきません。
Lは侍女ズの仲間。せっかく設定を作ったのに出番を作るのを忘れ
ました︵笑︶
シェリルと接点が少ないので、シェリル視点では出てきませんが、
ちゃんとシフト交代で働いてます。
73
騎士4*
柔らかそうな蜂蜜色の髪、鮮やかな木苺の色の瞳。どちらかとい
うと華奢な部類で、豊満とは程遠い。少女らしい未成熟な肢体と、
艶めかしい色香が不釣り合いで、初めてシェリルを目にした瞬間、
エルヴェは酷い違和感を覚えた。
近衛騎士という職業柄、王族の姿を目にする機会は多い。隣国か
ら嫁いできた王太子妃殿下の侍女、その中に一人混ざった異質に気
付いたのは、かなり早い段階だった。それからしばらく観察してい
たが、第一印象に間違いはなく、それどころか日に日に強まってい
るように感じた。
あの香りは、なんなのか。シェリルに近づいたのは、それを確か
めるためだ。
あれほどの色香を振りまいているのだから、本当に処女だとは思
っていなかった。自己申告通り、態度からは男慣れてないことがう
かがえたが、身体は立派な淫乱で。少し触れただけで娼婦もかくや
というほどに乱れ、嫌だと言いながら与えられる愛撫に悦び、淫ら
によがり泣いた。しかし、いざ挿入してみれば膣の狭さは相応だっ
たし、確かに処女膜があった。
なんだかんだと言って、先刻まではまだ蕾だったのだろう。その
証拠に、破瓜と同時に堰を切ったように蜜が溢れ、最奥に精を注ぐ
と、最後の一滴まで搾り取るように蠢いた。
部屋中に甘い香りが充満している。エルヴェはさして甘味が好き
74
ではないが、不快ではない。むしろ快いほどだった。とろとろの蜂
蜜、できたての砂糖菓子、最高級の香水︱︱︱咲き初めの艶花。こ
あ、あっ⋮!⋮⋮いやぁぁっ⋮!﹂
の香りを感じていると、身体が高ぶって仕方ない。
﹁やっ⋮!
木苺色の瞳から溢れ続けている涙。嬌声の合間に漏れる、力ない
拒絶。しかし口とは裏腹に、身体は快楽を貪っている。
背面座位で貫きながら、程よい膨らみを手の平に包み込む。乳首
を指で挟み込むと、シェリルは艶かしい声をあげながらエルヴェを
締め付けた。
﹁うぅ⋮っ!!﹂
﹁貴女はとても物覚えがいいですね。一度教えただけで、もう自分
の気持ち良いところを覚えてしまった﹂
﹁ぇ⋮っ?﹂
﹁俺が動いていない時、俺に自ら腰を擦り付けているんですよ、貴
女は﹂
﹁︱︱︱ッ!﹂
耳元で囁くと、少女はびくりと肢体をしならせた。エルヴェのも
のを根元まで咥えこみながら、さらなる快楽を求めて肉襞を蠢かせ
る。しかし、全て無意識なのだろう。
指摘され、シェリルは真っ赤になりながら身をよじったが、それ
はな、してぇっ⋮!!﹂
すら快楽に変換されたようで、拒絶の声は甘く上ずっていた。
﹁やぁ⋮っ!
﹁いやです。というか、無理です。貴女が離してくれないから﹂
75
﹁ッそん、な⋮⋮、⋮う⋮そ⋮⋮!!﹂
あっ⋮⋮、ぅーっ!!﹂
﹁嘘じゃありません。ほら﹂
﹁あっ!
膝裏を抱えて揺すりあげると、シェリルは自ら口を覆って嬌声を
抑えた。少女らしい細い身体の小さな蜜壺に、己を扱かれるのを感
じる。
﹁んっ⋮⋮素晴らしい、ですね⋮⋮﹂
﹁ふぅっ⋮⋮うぅっ⋮⋮⋮⋮もぅ、⋮やぁ⋮っ﹂
﹁そう言わず、貴女も楽しむといいですよ﹂
﹁ぁああっ、⋮⋮んっ、⋮ッ!﹂
シェリルの身体を前に倒し、四つん這いにして小さな背中に覆い
かぶさった。粘膜の心地良い摩擦を味わいながら、緩急をつけて中
を擦る。
﹁ふ、やぁ⋮ぁ⋮っ⋮ゅ、リ⋮、⋮⋮ま⋮ぁっ⋮﹂
この少女は花なのだ。精を糧として咲く花。精を注げば注ぐほど
に美しく、艶めかしくなる。
﹁是非、もっと淫乱になってください﹂
咲き初めでこれほど香るのだ。後には、どれほどの名花となるか。
想像するだけで楽しくてならなかった。
﹁んっ、くぅっ!⋮はぁ⋮、⋮ぁ!⋮っ⋮﹂
じっくりと時間をかけて解きほぐしたおかげで、先端から根本ま
76
で一気に突き入れても引っかかりはまるでない。それでいて楔を味
わうように絡みついてくるのだから、つい数時間前まで処女だった
と誰が思うだろう。奥を突くたび、柔らかな蜂蜜色の髪がふわりと
浮いた。
﹁っ⋮ゆ、⋮さ、まぁ、っ⋮⋮あっ、ぁっ!⋮っ、⋮ゆ⋮、っ⋮り
⋮っ﹂
﹁﹃ユーリ﹄というのは、どなたですか?﹂
シェリルがノルエスト王国に来てから、まだ一カ月しか経ってい
ない。エルヴェが軽く調べたところによると、この国でシェリルが
関りをもった人間はまだ女性だけのようだから、十中八九フリュー
リング王国の人間だろう。この状況で助けを求めるのだから、﹃ユ
ーリ﹄というのは好いた男の名である確率が高い。
﹁俺のことを﹃ユーリ﹄だと思ってもいいんですよ﹂
その名を囁いた瞬間、締め付けが強まった。素直な反応に、つい
笑みが零れる。
ふぁ、っ
﹁貴女を抱いているのは﹃ユーリ﹄です。だから、我慢することは
ありません。感じるままに声を出してごらんなさい﹂
あっ、ん!⋮ユーリ、さまっ、ぁっ!
はぁ、ああ、ぁあッッ⋮﹂
﹁っあ︱︱︱⋮
あ!
すでに朦朧としているところに、顔の見えない体位であることも
加わって、うまく錯覚させることができたらしい。今までの押し殺
したような声とは打って変わって、シェリルは艶めかしい嬌声をあ
げるようになった。同時に、締め付けもいや増す。最後の瞬間に向
けて、エルヴェは腰の動きを加速させた。
77
﹁気持ちいいですか?
シェリル﹂
﹁⋮あ、ぁ!っ⋮は、いっ⋮⋮きもち、い⋮、ですっ⋮!
ッ!﹂
そんな、おくま、でっ⋮⋮﹂
ぁああ
﹁いい子ですね。そんなシェリルには、ご褒美をあげましょう﹂
﹁ああぁぁっっ⋮!!
﹁しっかり受け止めるんですよ﹂
﹁はっ、ぃ⋮、︱︱︱ッ!﹂
﹁くぅっ⋮!﹂
﹁あ、ん、ぁ、ぁ、あ⋮ぁ、⋮つ、⋮ぃ、ぃ⋮⋮﹂
精を搾り取るかのごとくエルヴェを締め付けると、シェリルはそ
のままベッドに崩れ落ちた。とうとう限界を超え、気を失ってしま
ったらしい。
力ずくで組み敷き、強引に処女を奪った挙句、精が果てるまで欲
望をぶつけ、とうとう気を失わせてしまった少女の姿を見ても、罪
悪感などというものは欠片もわかなかった。
エルヴェはどうも、情緒に欠陥があるらしく、昔から物事に対す
る興味が人一倍薄かった。子爵家の跡取りとして愛情込めて育てら
れ、過去にトラウマがあるわけでもないので、おそらく生まれつき
そうなのだろう。それでも生殖能力はちゃんと機能しているから、
家督の存続に関しては問題ない。
感情の機微に疎くとも、これも生まれつきだが、頭の出来がかな
り良い方だったので、特に深く考えなくても、エルヴェは問題なく
生きてこられた。本能と直感だけで生きていると言い換えてもいい。
そんな人間なので、エルヴェの行動はとても単純だ。様々な女性
78
の間を渡り歩くのは、性欲を発散するため。シェリルを抱いたのは、
いかにも美味しそうな匂いをさせているから。それだけだ。
ふと窓の外を見れば、空が夕暮れに染まっていた。シェリルは明
日は代休だという話だから、ここで夜を明かしても問題ないが、同
室の人間が心配するだろう。お気に入りの侍女が行方不明だなどと
いうことが王太子妃の耳に入ったら、面倒なことになる恐れがある。
シェリルを抱きかかえ、エルヴェは湯殿へ向かった。
日が暮れて、月が昇った。使用人のための通用門が、鈍い錆びの
音を立てながら閉じられる。
デルフィーナは焦燥の浮かんだ顔で、寮の入り口を右往左往して
いた。使用人仲間とハメを外すことが多いバルバラですら戻ってき
ているのに、シェリルが門限を過ぎるなんて。
仕事から戻ってきた時、シェリルがいないのには驚かなかったデ
ルフィーナだが、刻一刻と時間が過ぎていくにつれて、だんだんと
心配になってきた。
ここ三日ほど、シェリルは様子がおかしかった。変な騎士につき
まとわれているということだったが、出てきた名前が名前だったの
で、なんだ恋の話かとバルバラと面白おかしく茶化しただけで終わ
らせてしまったのだ。もっと親身になって聞いてあげればよかった。
もしシェリルが何かの事件に巻き込まれてしまっていたら、姫様に
79
なんて説明したらいいんだろう。
﹁デリアさん、シェリルはまだ戻らないんですか?﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
寮母に尋ねたら、シェリルは外出着で出かけたということだった
から、おそらく街へ下りたのだろう。探しに行きたいが、こんな時
間に女だけで街を歩くことはできないし、一侍女のために姫様の力
をお借りするなんてもってのほかだ。デルフィーナやエミーは、こ
うして心配することしかできない。
﹁どうしよう。やっぱり何かあったのかしら﹂
﹁いま探しに行けるのは王宮しかありませんけど、たぶんいるとし
たら街の方ですよね。アニーさんに相談してみますか?﹂
﹁相談したところで、待つしかないって言うだけだと思うわ。どう
しようもないもの﹂
アンネリーゼは彼女たちのまとめ役だが、やはり権限は侍女と同
じでしかない。ここがフリューリング王国なら幾つか伝手があるの
だが、ここはノルエスト王国の王宮。やっと生活に慣れてきたとこ
ろなのだ。こんなことに巻き込めるような知り合いは、まだいない。
﹁あら?⋮⋮門が、開いた?﹂
記憶に新しい、鈍い錆びの音。一度閉まったら次は朝まで開かな
いはずなのに、どういうことなのか。寮のロビーを出て、門の方へ
視線を移すと、地味ながら上等そうな馬車が見えた。そこから下り
てきた人物を見て、デルフィーナとエミーは仰天した。
﹁シェリル!!﹂
80
貴族の男が、意識のないシェリルを抱きかかえている。近づくと、
男がエルヴェ・リュードルだとわかり、デルフィーナは血の気が引
いた。
﹁ひょっとして、シェリルの同室の方ですか?﹂
﹁は、はい!﹂
こちらです!﹂
﹁それはちょうどいい。彼女を部屋に運びたいので案内してくださ
い﹂
﹁どうぞ!
なに、なぜ、なんで、どうして、疑問符の嵐だったが、一介の侍
女、それも平民の娘であるデルフィーナが、貴族相手に何ができよ
うか。シェリルをベッドに置くと、エルヴェはそのまま去って行っ
た。
去っていく馬車を呆然と見送って、デルフィーナとエミーは顔を
見合わせた。
﹁一体どういうこと?﹂
﹁どういうことって、そりゃ﹂
﹁いえ、やっぱり言わなくていいわ﹂
エルヴェの浮名を知っていれば、おのずと答えは導かれる。
﹁⋮⋮⋮⋮同意の上、よね﹂
﹁それはないと思います。だって、シェリルが好きなのはユーリウ
ス様だもの﹂
妾腹とはいえ貴族で、兄弟に溺愛されて育ったために、シェリル
81
は貞操観念がしっかりしている。遊びだからと割り切れるタイプで
はない。
﹁やっぱりそうよね⋮⋮﹂
デルフィーナは途方に暮れた。
シェリルは夜更けに目を覚ました。しかし、目を覚ましはしたも
のの、男に散々弄ばれたせいで、身体を起こすこともままならない
状態だった。
着替えに手を貸した際、白い肌のいたるところに残された陵辱の
痕を目の当たりにして、デルフィーナは泣いてしまった。疲れきっ
ているくせに、心配かけてごめんなさい、と蒼い顔で弱々しく微笑
んだシェリルが痛々しくて。
その日の夜。シェリルのベッドからは、ずっと小さなすすり泣き
が聞こえていた。
82
騎士4*︵後書き︶
※お知らせ
その1:﹁侍女﹂の前に諸注意を作成しました。
その2:本作専用のブログを作成しました。
作品裏ネタ、作者の呟きが主になるかと思われます。
83
騎士5
快楽の最中に気を失って、目を覚ましたら寮のベッドの上だった。
エルヴェがシェリルを運んできたのだという。新しい服まで用意し
て。相変わらず、酷いのか親切なのかわからない男だ。
翌日は疲労と身体の各所に残る鈍痛のおかげで動くこともままな
らなかったが、先日デルフィーナと夜勤を交代した関係で今回の休
みは連休にしていたため、誰にも迷惑をかけずに済んだのが唯一の
救いだった。
大丈夫?と、何度も問われた。エミーに、デルフィーナに、バル
バラに、アンネリーゼに。デルフィーナが事の顛末を話したのか、
みんな交代で様子を見に来てくれて。シェリルはそのたびに、大丈
夫だと笑って返した。
一晩で涙は枯れ果て、すっかりと乾いてしまった。心にあいた穴
に隙間風が吹き込んで、不意にやるせない気持ちになることもあっ
たが、そのたびにどうしようもないことだったと自分に言い聞かせ
た。世の中は、自分より強い者には逆らえないようにできているの
だから。
たとえ純潔を失ったとしても、何も変わらないと思っていた。し
かし、それは間違いで、たった一日のうちにシェリルを取り巻く世
界は大きく変わってしまった。
84
使用人たちの仕事は毎日同じことの繰り返しだから、大体同じ時
間帯に同じ場所を通る。ティーセットを乗せたワゴンを押しながら
シェリルが使用人用通路を通った際にすれ違ったのも、すっかり覚
えた顔ばかりだった。向こうだって、シェリルを見知っているだろ
う。そのはずなのに、今朝は初日より遥かに多くの視線を感じた。
﹁?⋮⋮﹂
何かあるのかと、訝しげに眉を寄せながら辺りを見回すも、やは
りいつもと同じ風景しかない。しかし、芋の籠を抱えた少年も、厨
房の下働きも、水差しを携えた従僕も、哨戒中の兵士も、いつもは
直立不動で立っている門兵までもが、食い入るようにしてシェリル
を見ている。何かおかしな格好をしているのかと思ったが、出勤前
にちゃんと鏡で全身を確認したし、まだあれから数時間しか経って
いない。乱れるには早すぎる。それに、冷やかしや嘲笑ではない気
がした。
好奇の視線。それが、一番近いような。
変えてませんけど﹂
﹁シェリル、香水変えた?﹂
﹁いえ?
すんすんと匂いを嗅いで、アンネリーゼは﹃おかしいわねえ﹄と
首を傾げた。
﹁上手く言えないけれど、なんだかいつもと違うような気がするの
よ。同じ匂いなのに、なぜかしら﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
85
いつも身につけている香りなので、自分ではよくわからない。そ
ういえば、最近は香りを指摘されることが多い。この香水のせいで
エルヴェの気をひいてしまったのだとしたら、変えた方がいいかも
しれない。わざわざ作ってもらっている物なのでとても心苦しいが、
実家の調香師に連絡してみようか。
﹁シェリル、なんだか今日はいつもより綺麗ね。ひょっとして、恋
でもしているの?﹂
﹁はぃ!?﹂
あまりにも驚きすぎて、思わず変な声を出してしまった。手に何
も持っていない時でよかった。
﹁ひ、姫様。いきなり何をおっしゃるのですか﹂
﹁ユーリの傍にいた時と同じような感じがするから、てっきりそう
なのかと思ったのだけれど。違うの?﹂
﹁ありえません!﹂
ノルエスト王国に来てから日が浅いため、まともに話した男性と
いえばエルヴェぐらいのものだ。あの男に恋なんて、ありえない。
全身全霊を込めて否定すると、姫様は﹁残念だわ﹂と、頬に手を当
てながら溜息をついた。
﹁ユーリのことなんかさっさと忘れて、シェリルは新しい恋を探し
良いなと思う人はいないの?﹂
た方がいいと思うの。ノルエスト王国にだって、素敵な男性がたく
さんいるでしょう?
﹁お気遣いはありがたいのですが、私は姫様にお仕えできるだけで
充分幸せです﹂
﹁シェリル⋮⋮﹂
86
﹁そんな顔をなさらないでください、姫様。私は大丈夫ですから﹂
大切な主を安心させるために、シェリルはにこりと微笑んだ。
近衛騎士は王族の方々を守る存在なので、下級使用人の行動範囲
にはいないが、姫様のお部屋がある一帯が、まさに仕事場に相当す
る。見かけたらすぐに逃げようと、移動の際には細心の注意を払っ
ていたが、エルヴェの方が一枚上手だった。
﹁お元気そうでなによりです﹂
﹁っ!?﹂
気付いた時にはすぐ後ろに立たれていて、逃げようとしたら腕を
掴まれた。
いやぁっ!﹂
﹁人の顔を見るなり逃げ出すなんて失礼な﹂
﹁はなしてっ!
﹁落ち着いてください。王宮内で事をいたすほど飢えてませんから﹂
この鎧は脱ぐのが非常に面倒なんですよ、と笑い混じりに言われ、
シェリルはおそるおそる顔をあげた。
﹁お話があるんです。少し時間をください。一時間後に、場所は⋮
⋮そうですね。西の庭園で。よろしいですか?﹂
﹁⋮⋮それなら、まぁ⋮﹂
﹁ではまた後で。お待ちしております﹂
あのような目にあったばかりなのだから、二人きりになるのは避
けるべきだろう。しかし、話の内容が気になることと、指定された
場所が人目につきやすい屋外であったことから、シェリルは警戒し
87
ながらも承諾した。
﹁話とは、なんですか﹂
自分のしたことを悔いているようには到底見えないから、詫びを
言いたいなどというような殊勝な理由ではないのだろう。しかし、
それ以外の理由など、エルヴェのことを良く知らないシェリルには
想像もつかない。
﹁いくつかあるので、順番にいきますね。俺の物になりませんか?﹂
﹁は?﹂
聞き間違いだと思いたかった。
そういう話なら帰ります!﹂
﹁貴女の身体はとても良かった。ぜひまた堪能したいのですが﹂
﹁ふざけないでください!
シェリルは踵を返したが、手首を掴まれて去ることは叶わなかっ
た。
﹁待ってください。まだ話は終わってません﹂
﹁聞きたくありません!﹂
﹁そう言わずに、教えてください。貴女は何者なのですか?﹂
今度こそ聞き間違いかと思った。
﹁⋮⋮⋮どういう意味です?﹂
﹁では、率直に伺いましょう。貴女は人間なのですか?﹂
いまだかつて、そんなことを尋ねられたことはない。疑問に思っ
88
たことすらなかった。人間に決まっているではないか。父は間違い
なく人間だし、兄弟たちだってそうだ。母のことはよく知らないが、
ペルレ領のはずれにある町に住んでいた平民だったという話だから、
人間であるはずだ。
﹁れっきとした人間です。人間以外の何者だというんですか﹂
﹁見た目はそうですね。森の民のように耳が尖っているわけではな
いし、水の民のような鱗もない。しかし、普通の人間は、このよう
な香りを身にまとってはいないでしょう﹂
掴まれた手首を引き寄せられる。もちろん振り払おうとしたが、
力が違いすぎた。唇を寄せられ、おぞましさに鳥肌が立つ。
﹁香水で誤魔化しているようですが、隠し切れていませんよ。貴女
はなしてくださいっ!﹂
自身の放つ、淫らな色香が﹂
﹁なんの、話ですかっ!
﹁ここに来るまでに、感じませんでしたか。男たちの熱い視線を﹂
﹁っ!﹂
エルヴェが今朝のシェリルの様子を見ることはできなかったはず
だ。使用人用の通路を近衛騎士がうろつくことはないし、こんな目
立つ男がいたら間違いなく騒ぎになっていただろうから。なのに、
どうして知っている。
﹁注目の的だったでしょう。前々から少しずつ強くなっていたよう
ですが、男を誘うその香りは、俺に抱かれたことで以前とは比べ物
にならないほど濃厚になった。こんなものを振りまいていては、誰
かれ構わず抱いてくれとねだっているようなものです﹂
﹁なっ⋮⋮失礼なことを言わないでください!﹂
89
拘束する力が緩んだので、シェリルはエルヴェの手を振り払った。
じんじんと痛む手首を胸の前で庇いながら、責めるように睨みつけ
たが、やはりエルヴェは平然としている。
﹁ありのままの事実を述べているだけです。誇張も脚色もしていま
せん。俺の言葉が信用できないというのであれば、それでもよいで
しょう。いずれ思い知ることになるでしょうから﹂
投げ渡された小瓶を、シェリルは反射的に受け取ってしまった。
手の平におさまるぐらいの大きさで、振ってみれば、粒状の物が擦
れる音がする。
﹁なんですか、これ﹂
﹁避妊薬です﹂
﹁は!?﹂
﹁先日貴女に飲ませたのと同じものです。飲む、飲まないはご自由
に﹂
﹁どうしてそんなものを﹂
﹁自衛手段として備えておいて損はないと思いますよ。意に染まぬ
相手に襲われた後で、さらに絶望したくないならね﹂
﹁⋮⋮⋮っ⋮﹂
シェリルが何か言う前に、エルヴェはマントを翻して去って行っ
た。シェリルはしばらくその場に立ち尽くした。手の上にある小瓶
が、とても重く感じる。
エルヴェは避妊薬だと言ったが、本当にそうなのか、シェリルに
はわからない。全てを頭から信じられるほど、シェリルはエルヴェ
を信用していない。常識的に考えるなら、口にするべきではないだ
ろう。それなのに、追いかけていって突き返すことも、その場で捨
90
てることもできなかった。
91
王弟と小姓1︵前書き︶
ここからが含BLゾーンです。苦手な方は﹁王弟と小姓﹂は回避し
てください。無理に読まなくても問題はありません。
92
王弟と小姓1
あそこまで言われ、自分でも薄々感じていてなお楽観的に考えら
れるほどシェリルは馬鹿ではない。仕事中の移動はなるべく人気の
ない廊下を歩かないようにしたし、仕事を終えて寮に戻る際も、一
人にならないように気をつけた。
翌日になっても身体に絡みつく視線は消えておらず、シェリルは
仕事開始早々憂鬱な気分になった。少し期待していただけに、残念
さもひとしおだ。今日は昼勤なので、帰りが遅くなる。夜がくるの
浮かない顔して。また何かあったの?﹂
がこんなに恐ろしく感じたのは初めてだった。
﹁シェリル、どうしたの?
﹁いえ、なんでもありません。大丈夫です﹂
心配そうなデルフィーナを安心させるために、シェリルは無理や
り笑顔を作った。
﹁ならいいけど⋮⋮無理したらだめよ。私じゃ頼りないでしょうけ
ど、何かあったらすぐに言うのよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
姫様や侍女仲間たちが、シェリルをおかしな目で見ることはなか
った。廊下ですれ違う他の侍女や下働きたちも、特に変わった様子
はない。女性の態度は今まで通りなのに、男性は誰もがシェリルに
視線をなげかけてくる。一体何が起こっているのか、シェリルには
さっぱりわからなかった。
93
﹃香水で誤魔化しているようですが、隠し切れていませんよ。貴女
自身の放つ、淫らな色香が﹄
そんなこと、知らない。シェリルは何もしていない。
普段から清潔にしているし、身なりだって、仕事中は地味極まり
ないものだ。髪は規定通りにまとめあげているし、皆と同じ仕事着
を身につけている。コロンこそ人と違うものを使用しているが、長
年愛用し続けてきたものだ。今さら問題が起きるのはおかしい。
日中は、何事もなく過ぎ去った。今夜は国王陛下主催の晩餐会が
催されるため、いつもなら仕事終わりの時間になっても使用人たち
は忙しなく動き回っている。シェリルたちも総出で姫様のお支度に
あたり、慌ただしく動き回っていたため、余計なことを考える暇が
なかった。
夕闇に染まる廊下を小走りに駆けていたシェリルの前に、大きな
影が立ちはだかった。驚いて足を止めると、逆光を背負い、目の前
で知らない男性が笑っていた。
咄嗟に後ろに下がった身体が、違う男性の胸にぶつかる。厚い胸
板、鍛えられた身体つき。どうやら、兵士であるらしい。
﹁⋮⋮⋮⋮なんのご用でしょうか⋮?﹂
つとめて冷静に問いかけた。遠くから喧騒が聞こえているものの、
この場には、自分たちの他に誰もいない。底知れない恐怖に肌が泡
立つ。
﹁あの、用がないならどいてくだ、さっ!﹂
94
後ろから口を塞がれた。咄嗟に逃れようともがくも、太い腕に阻
まれる。
﹁なにをしているのです!!﹂
不意に一喝が響いた。シェリルだけでなく、彼女を取り押さえて
いる男たちまでもが驚き、身体を硬直させる。男たちが壁となって
周りがよく見えないシェリルと違い、彼らの方はすぐに状況を把握
したらしく、舌打ちの末に逃げて行った。
シェリルはへなへなとその場に座り込んだ。
﹁バロー夫人⋮⋮﹂
シェリルたちはフリューリング王国の出身だが、現在の仕事場は
ノルエスト王国王宮である。雇用主はフィオレンティーナ王太子妃
であるが、ノルエスト王国の使用人として数えられているため、侍
女頭に統括されていた。この厳格な壮年の婦人こそが、侍女頭その
人だ。
﹁座り込んでいる暇などないはずです。早くお立ちなさい﹂
﹁は、はい﹂
あわててスカートについた埃を払うシェリルを見下ろしながら、
バロー夫人はふんっと鼻を鳴らした。
﹁隙があるからあのような輩に付け入られるのです。以後気をつけ
なさい﹂
﹁⋮⋮はい。肝に銘じます。ありがとうございました﹂
95
シェリルは深々と頭を下げた。
オスカーにも同じようなことを言われたが、そんなに隙だらけな
いずれにして
しかし、オスカーは剣などか
のだろうか。隙とはどうやったらなくせるのだろう。ニコラウスの
ように強くなればいいのだろうか?
らっきしだ。強さが関係ないなら、知性だろうか?
も、女の身で身につけるのはとても難しいものだった。
フリューリング王国とノルエスト王国は互いに大国だが、隣国同
士なので、食文化やマナーに大きな違いはない。しかし、細かい部
分にはやはり差がある。
ブルーメルク宮殿の晩餐会は、参加者を三つの食卓に分けて行わ
れたが、アルブル宮殿の晩餐会は、端から端が見えないぐらい長い
食卓一つきりだった。一番奥に座るのはもちろん国王陛下で、その
後に王妃、王太后、王太子、王太子妃、第二王子、第三王子、王弟、
第一王女、王妹、公爵、公爵妃⋮⋮という序列が、延々端まで続い
ていくらしい。
お輿入れしてすぐの晩餐会で、初めてここを訪れた時は、絢爛豪
華な装飾よりもまず、こんなに長い部屋が存在することに驚いた。
参加できるだけで名誉だと言う話だが、末端からでは国王陛下の顔
などまったく見えない。
シェリルは王太子妃の侍女なので、最上位の方々を間近で拝むこ
96
とができるが、それを嬉しいと思ったことはなかった。畏れ多い気
持ちばかりで、落ち着かない。フリューリング王室の方々は、姫様
のご家族だと思えば親近感もわいたが、王太子殿下に対する最悪な
印象のせいで、シェリルはノルエスト王室を好意的に見ることがで
きないでいた。
国王陛下は威厳ある立派な方だと思うが、右隣に座る王妃陛下と
は視線も合わされないで左隣の王太后陛下とばかり話されているし、
王太子殿下は第二王子殿下となにやら狩りのお話をなさっているよ
うで、姫様のことはほったらかしだ。
第一王女殿下は姫様に話しかけてくださっているが、話題と言え
ばドレスや宝石のこと、それも一方的な自慢話ばかりで、シェリル
はもどかしかった。こんなにお似合いなのだから、姫様のドレスに
もっと注目してほしい。もっと仲良くなって頂きたいのに。
給仕は専門の者がいるので、侍女や従僕はそれぞれの主人の後ろ
に並んで待機している。示威も兼ねているため、見目麗しい者ばか
りだ。シェリルは美しかったという母に似ているため、この容姿基
準を満たしており、公式の場にお供することが多かった。慣れた仕
事だ。しかし、今日はとても苦痛だった。
視線を感じる。自意識過剰だ、気のせいだと誤魔化せる段階はと
うに過ぎた。公式の場だし、上流階級と、彼らに仕える人間たちば
かりなので巧みに隠されてはいたが、熱い視線を肌に感じてしまい、
気を張っていなければ今にも逃げ出しそうだった。
向かい側に、一際強い視線の持ち主がいた。銀鼠色の髪と、淡い
菫色の瞳。もっと色が濃ければユーリウスの瞳を思い出しただろう
が、その男性は色と同じぐらい存在が希薄だった。ワインを静かに
97
第三王子殿下の次に座られているということは⋮
傾けながらシェリルを見つめる瞳には、どことなく影が澱んでいる
ように見える。
︵あれは、誰?
⋮王弟殿下?︶
現王の弟は一人しかいないから、サミュエル王弟殿下で間違いな
いだろう。ご成婚式の時に王族は全員覚えたはずだが、顔が薄らと
しか思い出せなかった。あまり公式の場に出てこない人物なのだろ
う。
目が合うと、王弟殿下は薄い笑みを浮かべた。そこにはまぎれも
ない肉欲があった。
﹁サミュエル殿下がお召しです﹂
果たして、最悪の予想は現実となる。
仕事を終えたシェリルの前に現れたのは、とても見目麗しい少年
だった。光り輝く銀の髪、鮮やかな蒲公英色の瞳、華やかな顔立ち。
王弟殿下の身の回りの世話をしている小姓なのだろう。驚きで動け
ないシェリルの横で、デルフィーナが訝しげな顔をした。
﹁王弟殿下が?⋮⋮⋮あの、何かの間違いでは﹂
﹁間違いではありません﹂
﹁でも﹂
﹁くどいですよ。それで、お返事は?﹂
拒否権などあるはずもないのに、少年はあえて突きつけてくる。
シェリルは顔を強張らせたまま、小さくうなだれた。
98
﹁今すぐ、ですか?﹂
﹁当然でしょう。殿下をお待たせする気ですか﹂
﹁⋮⋮⋮いいえ。謹んでお伺いさせていただきます﹂
相手が王弟ともなれば、シェリルの態度は王太子妃の評価につな
がる。拒むことはできない。﹃姫様には言わないで﹄と去り際に唇
を動かし、シェリルはデルフィーナと別れた。
少年について歩いている間、角を曲がるまで、シェリルはデルフ
ィーナの心配そうな視線をずっと背中に感じていた。
王弟殿下の居室は、宮殿敷地内にある離宮にあるらしい。フリュ
ーリング王国では王が即位した時点で成人の兄弟姉妹は臣籍に下る
ことが多いが、ノルエスト王国は国王一家以外の親族︵王太后、王
弟など︶は離宮で暮らすのが慣習なのだという。
一歩中に足を踏み入れた瞬間、まず感じたのは酒の臭気だった。
建物に染みついた享楽の気配。通りすがりにシェリルを見る従僕や
下働きたちの視線には、あからさまに下世話な色がある。サミュエ
ル殿下がどういう趣味の人物なのか、これだけで理解できたが、同
時に疑問が生じた。
待ちかねたよ!﹂
同性愛者が、なぜシェリルを?
﹁やあ、来てくれたんだね!
99
バスローブ姿のサミュエル殿下が、年齢にそぐわない無邪気さで
シェリルを出迎えた。先ほど優雅に食事をしていた人物と同じとは
思えない、大仰な素振りで語る。もう三十代も後半に差しかかろう
という年齢のはずなのに。
間近で見るとますますよく似ている!
それとも彼女が僕に与えたもうた罰だとい
﹁ああっ、なんてことだ!
これは神の悪戯か?
うのか!?﹂
一人、頭をかきむしってもだえる。整った容姿が、彼をより不気
味なものに見せていた。
﹁殿下、侍女が固まってますよ。それに、ユルシュル様とこの侍女
が似ているようには見えません。殿下の目の錯覚です﹂
﹁ティエリー、君の言葉はいつもうまい具合に僕の心を抉ってくれ
それは!﹂
る。そう、君の言うとおり、僕の亡き妻とこのかわいらしい少女は
まったく違う顔だ。しかし、共通点があるのだよ!
﹁それは?﹂
見てくれたまえ、こ
男相手にしか反応しないはずの僕のムスコが、彼女を犯し
﹁僕を欲情させることができるという点だ!
れを!
たいあまりに、さっきから勃起しっぱなしなんだ!﹂
勃起した性器を露出させながら、サミュエル殿下が叫ぶ。いろん
な意味で、シェリルは固まった。かつて直面したことのない恐怖で、
身体が震える。
この方は、頭がおかしい。怖い。助けて、ユーリ様。
﹁わあ、殿下。すごく辛そうじゃないですか。早くしずめてあげな
100
いといけませんね﹂
﹁ひっ!?﹂
ティエリーというらしい少年の手が、背後からシェリルの肩を掴
んだ。直後、背中で布地が鋭く裂け、振り返ったシェリルが見たの
は、ナイフの輝き。背にあたる布地を腰近くまで切り裂かれ、肩か
らずり落ちようとする襟を慌てて掻き寄せるも、無慈悲な刃はさら
に肌着と下着をも切り裂いた。
衣服を支えるものがなくなり、前身ごろを腕で押さえるシェリル
を、ティエリーがサミュエル殿下に差し出すように突き飛ばす。
﹁それでは殿下、存分にお楽しみください。僕は隣室で待機してま
すから﹂
扉が閉まる音を、シェリルは絶望の中で聞いた。
101
王弟と小姓1︵後書き︶
どうでもいい情報その5
S:王弟サミュエル、T:小姓ティエリー、U:故王弟妃ユルシュル
BLって奥が深いんだなぁと思い知った今日この頃。
初挑戦だし、ぬるいし、たぶん注意書きをするほどのものではない
です。
最初はさらっと流す気だったのに、ティエリーが一人歩きして暴走
しました。
102
王弟と小姓2*
﹁ああ、ああ。なんてことだ。この柔らかさ、なんて懐かしいんだ﹂
ああっ、僕が初めて
﹁いたいけな少年時代を思い出すよ。初めて彼女の乳房に顔をうず
ねえ、教えて?⋮⋮十七?
めたのが、まるで昨日のことのようだ﹂
﹁君はいくつ?
これはなにかの運命なの
兄上、ねえ、どうして?﹂
彼女と出会ったのと同じ歳じゃないか!
か?﹂
﹁母上、母上、なぜなのです?
﹁すべすべだね。吸いつくかのようだ。それに、なんて芳しい⋮⋮﹂
﹁ティエリーは良い子だね。こんなにかわいい子を傍に置けて、僕
は鼻が高いよ﹂
﹁んくっ。んくっ。ちゅっ、じゅるっ、ずずっ⋮﹂
歳月はもうこんなにも僕の記憶を奪ってしまったのか
﹁ティエリーのものとは違う味だな。ユルシュルは⋮⋮ああ、思い
出せない!
!﹂
ねえ?
こたえて?﹂
﹁ねえ、ココがひくひくしているよ。それに、すごいぬるぬるが溢
れて。これはなに?
﹁ユルシュルは喜んで僕の物をくわえてくれたよ。ティエリーだっ
103
て﹂
﹁んっ、︱︱︱は。んっ、ああっ、だめだ、出るっ!﹂
﹁ああっ、ユルシュルっ︱︱︱﹂
﹁はぁ、はぁ。すごくいいよ、ティエリー。さすがだね。次は僕の
番かな﹂
まだ寝てる?
そうか。昨日激
しょうがない子だ。今度は後ろの
﹁ユルシュル、僕の天使。君のためなら死んでもいい﹂
﹁泣くほど気持ちいいのかい?
え?
穴も同時にいじってあげようね﹂
﹁ティエリーはどこだい?
しくしすぎてしまったかな﹂
﹁まったく、なんて声で鳴くんだい。君の主に聞かせてあげたいよ﹂
﹁ユルシュル、新しいドレスを仕立てたんだね。綺麗だ。このまま
飾っておきたいぐらい﹂
﹁ああ、また勃起してしまったようだ。どうしたんだろう。まるで
なんて気持ちいいんだ!
ユルシュルっ、ユルシュル
若かりし日に戻ったみたいだ。せっかくだから、挿れてあげようね﹂
﹁ああっ!
!﹂
﹁ああ、ユルシュル。君はなぜ死んでしまったんだ。なぜ僕を殺さ
なかった!﹂
104
まるで魔法使いのようだ。ティエ
﹁ユルシュル、僕を一人にしないでくれ。兄上、そんな目で僕を見
ないでください。ああーっ!﹂
﹁っ、なんて気持ちいいんだ!
誰かっ、僕を殺してくれ︱︱︱っ!!﹂
ああっ⋮⋮締まるぅっ!﹂
ああっ!
はっ!
リー、君は素晴らしい!﹂
﹁はっ!
﹁ああっ!
目を覚ました時、シェリルは誰かの腕の中で揺られていた。どう
やら横抱きに運ばれているらしい。身体に力が入らず、また断続的
な揺れが心地良くて、再び眠ってしまいそうだった。
﹁あれ、もう起きたの。見た目によらずタフなんだね﹂
ティエリーだ。シェリルとそう変わらない背丈で、少女のように
細い身体のどこに、シェリルを運べるような力があるのだろう。ぼ
んやりとそんなことを考えていると、肌に湯気を感じた。どうやら
目的地は湯殿だったらしい。
ティエリーは手近な長椅子にシェリルをおろした。
﹁殿下はまだ寝てるから、あんたを先に洗うよ。夜明け前には帰り
たいだろ﹂
105
﹁あ⋮⋮私、自分で⋮﹂
﹁遠慮しなくていいよ。僕、人を洗うの得意なんだ﹂
﹁いえっ、本当に、けっこうですっ﹂
﹁そう言わずにさ﹂
﹁ふぁっ!?﹂
露になったままだった秘所に、ぬぷりと指が差し入れられた。愛
液を絡めとるように一回転させ、ティエリーはその指をぺろりと舐
めた。
﹁ああ、やっぱり。殿下の味がする﹂
シェリルは羞恥に頬を染めた。シェリルより年若い、まだ十四、
五歳の少年なのに、ティエリーには妖しい魅力がある。美しい容姿
もあいまって、まるで人を惑わす小悪魔のようだった。
﹁むかつくなぁ。僕をさしおいて殿下の寵を受けるなんて﹂
﹁あ、あなたが私をここに連れてきたんでしょう!?﹂
﹁殿下のご意思だから。あんただって、王太子妃が男を連れ込みた
いって言ったら協力するだろ?﹂
﹁っ⋮⋮﹂
咄嗟に反論できなかった。もし姫様がそんなことを言い出したら
?︱︱︱姫様が心からその男を望んでいるのがわかったら、手を貸
してしまう自分が想像できた。
ティエリーの手が、シェリルの肌をなぞる。単に洗うためにして
は、やけに艶めかしい手つきな気がした。
﹁そこかしこに残ってる殿下の気配が完全に消えるまで帰さないか
106
そんな、の、言えるわけがっ﹂
ら。殿下に触れられたとこ、全部教えろよ﹂
﹁なっ!
失礼なこと言わないで!﹂
﹁なに純情ぶってんだよ。ただの淫乱のくせに﹂
﹁っ︱︱︱!
サミュエルに散々弄ばれ、力が入らない足が恨めしい。今のシェ
リルではティエリーを押し退けるどころか、立ちあがってこの場を
去ることもできない。
﹁昨日まで、殿下は僕のものだったんだ。これからだって、そう。
いやぁ︱︱︱っ!﹂
あんたにはやらない。汗の一滴、精子の一粒だって﹂
﹁やだっ、ゃめ、てっ!
そこに顔を埋められ、淫らな水音ともに愛液をすすられた。
﹁あぁっ!⋮やっ⋮︱︱︱んっ⋮!﹂
﹁殿下にされてる間も、気持よさそうに喘いでたね。いやいや言っ
てるのは口だけで﹂
はっ⋮!﹂
私、ほんと、にっ﹂
あっ⋮ぅっ、あ⋮!
﹁やぁっ⋮や、なのっ⋮!
﹁うそつき﹂
﹁あぁんっ!
奥へ奥へと舌が入り込んでくる。指も併用して、ティエリーはシ
ェリルの中から体液を掻きだす。少年らしい細い指で中を擦られて、
シェリルは甘い吐息をもらした。
﹁うーん。奥まで届かないなぁ﹂
﹁いやあ⋮⋮も、やめ、て⋮⋮ゆるして⋮﹂
﹁それ、あおってんの?﹂
﹁う、えっ⋮﹂
107
﹁うっわ、無自覚だ。僕も見習ってみようかな。でも、わざとらし
く﹃やめてー﹄って言ったところで、壊れちゃってる殿下には通じ
ないかもしれないなぁ﹂
サミュエルはやはり精神を患っているらしい。シェリルを抱いて
いる間も、脈絡のわからないことばかり呟いて、シェリルが何を言
ってもまるで通じなかった。彼は、シェリルを抱きながら、違うも
のを見ていたのだ。
かわいい小姓を。愛しい亡き妻を。
﹁殿下が壊れた理由、知ってる?﹂
﹁えっ⋮?﹂
﹁ユルシュルって、悪どい女でさ。未来の王妃の座を狙って殿下と
現陛下の両方を誘惑して、殿下を虜にしたんだけど、欲をかいて現
陛下の方を殺そうとして失敗して、処刑されたんだ。ちなみにこれ、
二十年前の話﹂
﹁っ⋮⋮!?﹂
ユルシュルに向けて、あふれんばかりの愛を叫んでいたサミュエ
ル。裏切られたのに、それを信じず、自らが壊れてしまうことを選
ぶほどの愛。壮絶だった。二十年間も、サミュエルはああやって過
ごしてきたというのか。
﹁バッカだよね。ユルシュルも、殿下も﹂
﹁貴方は、殿下が好きなんじゃないんですか⋮?﹂
﹁もちろん、愛してるよ。でも、殿下の愛はどうやっても僕の物に
ならないんだ。僕はせいぜい、かわいい小姓、ペットでしかない。
せめて女だったら、間違いなく落とす自信があったのに﹂
108
嫉妬に満ちた目でシェリルの身体を眺めまわして、ティエリーは
歪んだ笑みを浮かべた。
﹁いーなぁ。女のくせに、殿下に求められるなんて。僕と身体交換
してよ﹂
﹁そんな、の、無理に決まって﹂
﹁じゃあ、僕の代わりに殿下の愛人になってよ﹂
﹁もっと無理ですっ!﹂
ど、して﹂
﹁けち。ま、しょうがないか。あんた、好きなオトコがいるみたい
だし?﹂
﹁えっ!?
﹁呼んでたじゃん。﹃たすけてぇ、ユーリさまぁ﹄って﹂
シェリルは一瞬で真っ赤になり、続けて真っ青になった。まるで
自覚がなかった。無意識のうちに口にしていたのだとしたら、これ
からは気をつけなければならない。ユーリウスに迷惑がかかる。
﹁どんなに呼んだって届くわけがないのに、バカだねあんたも。そ
ういうの、キライじゃないけどさ﹂
んんっ!
やっ、なに、すっ﹂
いきなり、キスされた。驚くシェリルを、巧みな舌が翻弄する。
﹁んっ!
唇を塞がれたまま、散々弄ばれて熱くほころんでいる秘所に、太
く硬いモノがあてがわれる。抗いも虚しく、ずぶりと押し入られ、
シェリルは大きく背を反らせた。
﹁ん∼∼∼っ!﹂
﹁あはっ。簡単に入っちゃった。へえ、女のナカってこんなのなん
109
だぁ﹂
﹁やだっ、やめてっ、抜いて⋮!﹂
﹁いいよ。抜いてあげる﹂
﹁ひゃ、ん﹂
ずるっと引き抜かれ、抱き上げられた。壁に手をつかされ、後ろ
から再び、挿入される。
﹁あぁっ⋮!!﹂
舌や指では届かなかったところまで貫かれ、そのまま寸前まで引
き抜かれた。ティエリーが出入りするたび、奥に残っていた蜜と精
が掻き出される。
﹁やっぱり、まだ残ってたか﹂
﹁はぅっ、んっ、やめっ!﹂
﹁あれだけ殿下をくわえこんでたんだから、てっきりゆるゆるかと
思ったら、意外ときついじゃん﹂
﹁あんっ!⋮あんっ!⋮はぁっ⋮﹂
サミュエルの愛人だというから、男色なのだと思い込んで、異性
に肌を晒しているのに警戒していなかった。警戒していたところで、
逃げられはしなかっただろうが。
シェリルの中に全てを埋めて、奥に擦りつけるように腰を動かし
ながら、ティエリーはシェリルの首の後ろに息を吹きかけてきた。
﹁いーにおい。なんだか興奮しちゃう﹂
﹁ふっ⋮うぅ⋮ん⋮っ!﹂
110
繊細な手の平が、さわさわと肌をなぞる。柔らかさを楽しむよう
に、胸のふくらみを掴んだかと思えば、そのまま身体の線にそって
滑り落ち、下腹を這った。
﹁ねえ、ここに子宮があるんだよね。殿下の子供、産んでよ。いっ
や、⋮!﹂
ぱい注いでもらったんだろ﹂
﹁っ︱︱︱!?
やだっ⋮やだぁっ⋮は、ぁ、あっ⋮!﹂
﹁僕もいっぱい注いであげるから、僕の代わりに、産んで。僕と、
殿下の子供﹂
﹁あっ、んっ、んっ!
嫌なのに、無理やりされているのに、突き上げられるたび、はし
たない声が口をついて出るのを止められない。湯殿という閉ざされ
た空間に、ティエリーの浅い息遣いと、シェリルの甘い嬌声が、淫
らに響いた。
﹁ああっ⋮でん、かっ︱︱︱﹂
﹁ふぁっ︱︱︱⋮あぁ、あ、ぁ⋮︱︱︱っ﹂
ようやく下肢が解放され、脱力したシェリルをティエリーの腕が
支える。
ティエリーは先ほどの長椅子にシェリルを横たえると、汗と湯気
ですっかり湿った衣服を脱ぎ、かろうじて意識はあるものの、もう
口を開く気力さえないシェリルを、今度こそきちんと洗った。清め
られた身体を抱きかかえ、自身も一緒に湯に身を沈める。
﹁孕んだら教えてね。母子共々、一生養ってあげるから﹂
優しい声色なのに、なぜか狂気の囁きに聞こえた。
111
112
回想3 兄と妹
﹃お前たちの妹だ﹄と、父侯爵が生まれたばかりの赤子を連れて
帰ってきたのは、マティアスが七つの時だった。
当時、マティアスにはすでに弟が二人いたが、この時の母は妊娠
していなかった。知らない女の腹から生まれた子なのだと、幼心に
漠然と理解したが、弟二人はわかっておらず、妹の存在を無邪気に
喜んでいた。
妾腹の子であるためか、シェリルと名付けられた赤子は屋敷の離
れでひっそりと育てられ、存在こそ教えられたものの、マティアス
ら兄弟は近づくことを禁じられた。しかし、禁じられれば逆らいた
くなるのが子供の性。まだ物心ついていなかったオスカーは連れて
いけなかったが、五歳になっていたニコラウスを連れて、マティア
スは何度か妹を見に行った。ばれたら怒られるので、こっそりと。
揃って赤味の濃い茶髪を持つ兄弟と違って、妹は蜂蜜色の髪をし
ていた。きっと母親似なのだろう。
父は、シェリルの母のことは何も語らなかった。ただ、ここ数年
ほど父は領地視察で各地をまわったり、王都に召喚されて留守がち
だったから、その時に出来た子なのだろう。そこはかとなく不快に
思ったが、大貴族の当主としては珍しいことではないと乳母に諭さ
れ、しぶしぶ納得した。後にそんな風に思ったことすら忘れたが、
そのあたりは年月のなせる業だ。
三年も経つとシェリルは離れの庭を走り回れるようになり、観察
113
が容易になった。当時は末っ子だったオスカーは特に妹が気になっ
て仕方なかったらしく、次期当主としての勉強や剣の修練で忙しく
なっていたマティアスの目を盗み、ニコラウスと一緒に毎日のよう
に忍び込んでいたらしい。
この時は母がまた妊娠していたので、もうすぐ兄になるという自
負がオスカーをそうさせたのだろう。しかし、マティアスは見るだ
薔薇園をみせたい
けに留めていたのに、二人がすでに妹と接触を果たしていたと知っ
た時は長兄らしく拳骨を落とした。
﹃兄上、シェリルと外に遊びにいきたいです!
のです!﹄
屋敷から程近い村は、香水の原料としての薔薇の栽培を主産業と
している。屋敷には観賞用の薔薇園があるが、収入の元なのだから、
村の薔薇園は規模が違う。シェリルは喜ぶだろうが、面会すら禁じ
られている妹を外に連れだすなど、父に知られたら何を言われるこ
とか。
シェリルの喜ぶ顔と父の怒りの形相を天秤にかけ、マティアスは
おっきい!
ひろーい!﹄
自分から離れないことを条件に弟妹を連れて出かけた。
﹃すごい!
﹃シェリル、あまり遠くへ行っちゃ駄目だぞ﹄
﹃はいっ、マティアスおにいさま﹄
初めて屋敷の外へ出て、喜びはしゃぐシェリルを見て、マティア
スはふと疑問を覚えた。
父は、なぜシェリルを閉じ込めているのだろう?
114
﹃ニコラウス、オスカー。シェリルから絶対に目を離すな﹄
﹃はい、兄上﹄
妾腹の子を厭っている等の理由なら、そもそも屋敷に連れてこな
かったはずだ。乳母に金を与え、遠くへやってしまえばいい。
月に何度か離れへ足を運び、またシェリルが父を慕っているのを
見れば、かわいがっているのはわかる。そんなにかわいいなら本館
で育てればいいのにと思い、相談したら、母は色よい返事を返して
くれたのに、当の父が首を縦に振らなかった。
シェリルは、一体何者なのだろう?
正妻の子は全員男子なのだから、家督の相続は問題ない。娘がい
ないので、縁故を広げるのはいささか難しいかもしれないが、今で
さえ呼び出されないと領地から出ないのだから、父は出世欲などと
は無縁な人だ。政略結婚の駒にするつもりだとは考えづらいし、そ
もそも妾腹の娘では大した家は狙えない。ペルレ侯爵家は裕福だ。
貴族とは名ばかりの成金に娘を売る必要はない。
﹃オスカーおにいさま、このおはなはなんていうおなまえ?﹄
﹃それは⋮⋮デイジーだね﹄
﹃じゃあ、こっちは?﹄
﹃ライラックだよ﹄
﹃きれい。おにわにもうえたいな﹄
﹃じゃあ、もってかえろうか。ニコラウス兄上、ひとっ走り行って、
ちかくの農家で植木鉢とスコップをかりてきて﹄
﹃オスカーお前、兄を使うとはいい度胸だな﹄
﹃だって、ぼくが行くより兄上が行った方がはやいもん﹄
115
﹃⋮⋮⋮わかった。いいか、俺が戻るまでそこを動くなよ!﹄
六歳にしてすでに、わからない花の名を図鑑で調べるという高等
芸を駆使しているオスカーと、八歳にしてすでに、身体能力の高さ
に定評のあるニコラウス。頼もしい弟たちだと、マティアスは苦笑
シェリル﹄
した。二人とも、シェリルがかわいくて仕方ないらしい。
﹃楽しいか?
﹃はい!﹄
かわいい。
マティアスは断言する。シェリルはかわいい。異議は認めない。
結局、シェリルが窓辺に飾っていた植木鉢が切欠で、外に連れ出
したことがばれ、マティアスら兄弟は父に雷を落とされた。同時に、
内緒で会いに行っていたことも実はばれていたことを知り、さらに
ばつの悪い思いを味わったが、シェリルが彼ら兄弟にとても懐いて
いることが理由で、離れへの出入りは自由になった。子供だけの外
出は許可されなかったが。
外出を許可されないのは、シェリルに限ったことではない。ペル
レ侯爵家の所領はほとんどがなだらかな草原と森で、危険な場所は
少ないが、子供はその好奇心の強さから、往々にして危ないことを
しでかす。遊びに出かけた子供が、親の目の届かないところで事故
にあうのは、珍しいことではないからだ。
ましてマティアスらは貴族の子で、身代金目当ての無頼漢にかど
わかされたり、親に対する恨みの延長で、命を狙われたりする可能
性だってないではない。父は敵が少ない方だが、王都には第一線で
116
権力争いを繰り広げている親戚がいる。隙を見せないにこしたこと
はないのだ。
シェリルが六歳になった時、母の妹が息子を連れて屋敷に遊びに
来た。ユーリウスという名の少年は、ちょうどオスカーと同い年で、
気が合ったのか、二人はすぐに仲良くなった。
眩い黄金の髪に、純度の高い紫水晶の瞳。なるほど、麗しい子供
だと、素直に感心したのを覚えている。彼らの母親たちも普通に美
しい人だが、そういったありふれた美貌と違う、見る者を惹きつけ
る雰囲気。これが王家の血なのだろう。
ユーリウスは一人っ子で、オスカーは表向きは男ばかりの四人兄
弟。オスカーがシェリルを自慢したくなったのは当然のことだろう。
それが、オスカーいわく﹃運命の出会い﹄だった。
ユーリウス︵九歳︶は、かわいいシェリル︵六歳︶に、一目で落
ちた。
﹃オスカーお兄さま、このひとだあれ?﹄
﹃ユーリウスだよ。兄様の友達。ユーリ、この子がシェリルだ。か
わいいだろう?﹄
ユーリウスの従兄弟というと王家を指すことが多いため、友人と
紹介したらしい。マティアスらにとっては従兄弟でも、シェリルは
血の繋がりがないため、ややこしい説明を省くにはこの言い方が一
番てっとり早い。
117
﹃シェリルです。なかよくしてください、ユーリウスさま﹄
こんなかわいい子が!?﹄
呆けているユーリウスの前で、オスカーが手を振った。反応はな
い。
﹃っオスカー!﹄
﹃なんだい?﹄
﹃本っ当に君の妹なのか!?
﹃そこはかとなく失礼な気がしないでもないが、その通りだ。おい
で、シェリル﹄
﹃はい、お兄さまっ﹄
見せびらかすようにシェリルの両肩に手をおいて、オスカーは人
の悪い笑みを浮かべた。九歳児のくせに。
﹃ふっふっふ。どうだ、かわいいだろう。うらやましいだろう﹄
﹃くやしいが、認めざるをえない。僕の負けだ⋮!﹄
心の底から悔しそうに拳を震わせるユーリウス。何の勝負をして
いたんだか。
ユーリウスは腰をかがめ、シェリルと同じ目線になると、その手
をとった。
ううん、なんですか?﹄
﹃シェリル﹄
﹃なあに?
﹃大人になったら結婚しよう﹄
傍で聞いていたマティアスはずっこけそうになった。
118
いきなり何を言い出すんだこのボンボンは!
大体、﹃してほし
もっと謙虚に申し出られな
これだからボンボンはっ⋮!!
い﹄ではなく﹃しよう﹄ってなんだ!
いのか!
けっこんって、なんですか?﹄
一生大事にするから
いきなりなにを言いだすんだ!﹄
﹃けっこん?
﹃ユーリ!
頼む、シェリルを僕にくれ!
なんでユーリにシェリルをあげなくちゃいけないんだ
﹃オスカー!
!﹄
﹃やだよ!
!﹄
喧嘩が始まった。子供の喧嘩だが、くだらないと言い捨てるには
論点が重大すぎる。頑張れオスカー。
﹃ねえ、マティアスお兄さま、けっこんってなに?﹄
不思議そうに首をかしげたシェリルの頭をなでながら、マティア
スは溜息をついた。
まだ幼いうえ、母親のいないシェリルには、いまいち理解できな
い概念なのだろう。この場で意味を教えてもいいが、そもそもユー
リウスがシェリルを妻にするなど不可能だ。あの申し出は子供の戯
言で片づけられる可能性が高いのに、シェリルに無用な期待を与え
るわけにはいかない。
﹃⋮⋮⋮大人になったらわかるさ﹄
この場では言葉を濁したが、成長するうちにシェリルは自然と意
味を理解したようだ。会うたびにユーリウスに口説かれ、照れくさ
そうに笑うシェリルを見ると、マティアスは寂しい気持ちになった。
119
これが娘を嫁に出す父親の心境というやつだろうか。
﹃シェリル、俺たちの中で誰が一番好きだ?﹄
﹃ユーリさま!﹄
元気良く宣言され、ニコラウスは固まった。ユーリウスが後ろで
ガッツポーズしている。
﹃じゃ、じゃあ、兄弟の中では?﹄
﹃んーと⋮⋮フィリップ﹄
ニコラウスは地面に両手をついて項垂れた。シェリルが四歳の時
に生まれた末弟は、ただいま三歳。かわいい盛りの年頃である。勝
てると思う方がおかしい。
﹃シェリルの一番はユーリなのか。さみしいなぁ﹄
﹃オスカーお兄さまも、ニコラウスお兄さまも、マティアスお兄さ
まも、フィリップも、みんな同じぐらい大好きだから、一番なんて
選べないもの。だからユーリさまなの﹄
﹃僕はシェリルが一番大好きだよ﹄
ユーリウスの言葉に、シェリルは嬉しそうにはにかんだ。
120
回想4 兄の誓い
シェリルの成長を見守っているうちに、あっという間に時は過ぎ、
マティアスは王都の学校へ通う年齢になった。その後は、成人する
までこの地を離れることになる。
もうすぐマティアスがいなくなると知って、シェリルはよく彼の
傍に寄ってくるようになった。離れにいる間はもちろん、それ以外
の時でさえも。どうやら、自分の知らない間にいなくなるかもしれ
ないと思ったらしい。
離れと本館の間は子供の足で簡単に辿りつける距離なので、本館
の周りをうろうろするシェリルの姿が夏前からたびたび目撃された。
父もこの頃には子供の行動を制限するのは無理だとすっかり諦めた
ようで、屋敷の敷地内なら、シェリルが自由に歩き回っても何も言
わなくなっていた。マティアスの後ろを雛鳥のようについて歩くシ
ェリルを、家人たちは微笑ましく見守っていた。
事件が起こったのは、そんな時だ。
その日、マティアスは警備隊の監督で朝早くから出掛けていた。
近ごろ村と村を結ぶ街道に盗賊が出るというので、警戒にあたって
いたのだ。もう十四になったのだから、跡取りとしてこのぐらいの
任は果たせなければならない。
薔薇園を見回り、村の自警団との連携や役割分担などを話し合っ
ていたら、血相を変えたニコラウスが馬を駆ってくるのが見えた。
121
﹃兄上!
シェリルを見なかったか!?﹄
﹃いや、今日は見ていない。屋敷にいないのか?﹄
﹃離れと本館をくまなく探したんだが、どこにもいないんだ。だか
ら、マティアス兄上を追いかけていったのかと思ったんだが﹄
マティアスは顔色を変えた。そう、シェリルはこのところずっと、
マティアスの後をついて歩いていた。今日は馬で出かけたので、つ
いてくるわけがないと高をくくっていたが、子供の行動力を甘く見
ていたかもしれない。
﹃警備隊長、どうやら私の妹が行方不明になってしまったようだ。
捜索を手伝ってほしい﹄
﹃御意。妹御の特徴は?﹄
﹃名前はシェリル。歳は七つで、髪は蜂蜜色で、瞳は木苺色。あと
は⋮⋮ニコラウス、今日のシェリルのドレスは何色だ?﹄
﹃カナリアイエローだった﹄
俺も行かせてくれ!﹄
﹃だそうだ。よろしく頼む﹄
﹃御意﹄
﹃兄上!
﹃いいだろう。ただし、常に警備隊の者と行動を共にするように﹄
﹃わかった!﹄
馬を駆って行ったニコラウスを見送って、マティアスは村長に向
き直った。
﹃村長、悪いが話はまた後でいいだろうか﹄
﹃もちろんです。若様、うちの若い衆も使ってください。このあた
りの地理に関しては、わしらの方が詳しいですから﹄
﹃ありがとう﹄
122
人海戦術で探せばすぐに見つかると思ったが、捜索範囲が広すぎ
た。
子供の足だが、ニコラウスが村まで来る際に発見できなかったの
それよりも、近ご
だから、シェリルは途中で道を外れてしまったのだろう。もし途中
で土手から滑り落ちて動けなくなっていたら?
可能性を考えるだけで居ても立ってもいられず、マティアスは
ろこのあたりに出現するという盗賊にさらわれてしまったとしたら
?
馬を駆った。
夕闇が東から空を染めていく。シェリルはまだ見つからない。
捜索に携わっている者たちの間に、焦燥が募っていた。夜になれ
ば捜索は困難になる。こんなに探して見つからないなんて、まさか
本当にさらわれてしまったのだろうか⋮⋮!?
一度屋敷の周辺に戻り、見落としがないか注意しながら少しずつ
範囲を広げていくと、道と交差して流れる小川が目にとまった。
足首ほどの深さしかない小さな川に見えるが、これは支流で、少
し遡れば本流に合流する。合流地点の付近には小さな滝があり、足
を踏み外すと危険なので、近づいてはならないことになっていた。
そのため、マティアスもこの目で見たことはない。
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
川原を馬でたどっていくと、滝の手前にある雑木林と、立ち入り
禁止の柵が見えた。しかし、野犬にでも壊されたのか、大人でもか
がめば通れるぐらいの隙間が空いている。馬から降り、隙間をくぐ
って雑木林に踏み入る。しばらくすると、誰かの話し声が聞こえて
123
きた。
マティアスは樹の幹に隠れて耳をすませた。
﹃まだ子供じゃないか﹄
﹃だからいいんだろ。これだけ毛並みが良けりゃ、きっと高く売れ
るぞ﹄
﹃にしてもかわいーなぁ。俺、興奮してきちまったかも﹄
﹃うわっ、お前そういう趣味なの?﹄
﹃やめてくれよ。傷物になったら値が落ちる﹄
﹃へーへー。こうしてるだけで我慢するさ﹄
暗がりの中で存在を主張する蜂蜜色の髪。小さな身体が、見知ら
ぬ男の腕の中にある。怒りで目の前が真っ赤になったが、ぐっと耐
えた。
今飛び出しても、返り討ちにあうだけだ。無事に助け出すために、
まずは応援を呼ばなければ。
﹃いつまでじっとしてりゃいいんだよ﹄
﹃もうすぐ夜になる。それまでの我慢だ﹄
﹃夜闇にまぎれて、ってな。大貴族の領地たって、ちょろいもんさ﹄
﹃本隊はどこに隠れてるんだっけか?﹄
﹃風鳴りの森だよ。んなことまで忘れちまったのかよ﹄
マティアスは静かにその場を離れた。
あの場にいたのは三人。おそらく斥候で、夜闇にまぎれて情報を
集め、また同様に本隊と合流するつもりなのだろう。風鳴りの森は、
馬で一日ほどいったところにある深い森だ。かつて森の民が暮らし
124
ていたという聖なる場所が、まさか盗賊の住処になっているとは誰
も予想していなかった。お喋りな盗賊で助かった。
屋敷で待機していた父に一部始終を報告すると、相当腹に据えか
ねたらしく、父は私軍を動かした。
フリューリング王国の上級貴族は、他国の侵略に備えて大小の軍
隊を保持している。もっぱら内乱や貴族同士の小競り合いに使われ
ることの方が多いが、こういった事態には役に立つ。
風鳴りの森に潜伏しているという盗賊の本隊の方はこれで解決だ
が、シェリルの方は軍が整うのを待っていては手遅れになってしま
うので、警備隊の方で対応することになった。林から出てきた賊を
取り押さえ、シェリルを無事に保護したと連絡が入ったのは、日付
が変わる直前のことだ。
﹃ひっくっ⋮ひっくっ⋮⋮お父さま、お兄さま、ごめんなさいっ⋮﹄
警備隊長に抱かれ、泣きながら戻ってきたシェリルを、父は黙っ
て抱きしめた。母もまた、シェリルを宥めるように頭を撫でている。
ニコラウスも、オスカーも、幼いフィリップですら、先に寝なさい
とどれだけ叱りつけても頑として自分の部屋に戻らず、居間でシェ
リルの帰りを待っていた。
思った通り、シェリルはマティアスを追いかけて屋敷の外に出た
らしい。しかし、ほとんど外に出たことがなく、土地勘もない。あ
っという間にマティアスが見えなくなり、足が限界に達したところ
で諦めて戻ろうとしたが、その頃には屋敷も見えなくなっていて、
途方に暮れていたところであの男たちに声をかけられたのだという。
125
外には出さなかったものの、知らない人を信用してはいけないと
教えていたので、シェリルは男たちの手をとらなかった。しかし、
男たちにしてみればシェリルは格好の金蔓である。頑として言うこ
とを聞かないシェリルを気絶させ、無理やり連れ去ったというわけ
だ。
泣きじゃくるシェリルと、シェリルから離れようとしない弟たち
を母に任せ、父はマティアスを書斎に呼び出した。
﹃今回のお前の采配は見事だった。よくやった﹄
﹃ありがとうございます、父上﹄
シェリルが無事に戻ったというのに、浮かない顔だ。なにを思い
悩んでいるのだろう。
﹃マティアス。お前は、シェリルに何か、他の娘と違う点を感じた
ことはあるか?﹄
﹃え?⋮⋮⋮いえ、特には。父上がシェリルを特別扱いしているの
はわかりますが、いくら考えても理由はわかりませんでした﹄
父は物憂げな溜息をついた。
﹃シェリルの母は、花の民の末裔だった。そしてシェリルもまた、
その特殊な血の力をわずかながら受け継いでいるのだ﹄
想像もしていなかった理由に、マティアスは驚いた。
花の民の名は知識にあったが、特殊な力とはなんだろう。歴史書
にそのような記述があっただろうか。いくら頭を振りしぼってみて
も、まるで覚えがない。森の民には長寿で博識であるという記述が
126
あったのだから、花の民に関して学生向けの歴史書に載っていない
理由として、大した能力ではない場合と、大衆に知らしめるのが憚
られる場合、その二通りが考えられる。
﹃特殊な血の力とはなんなのですか?﹄
それは、まぁ。通り一遍のことならば﹄
﹃その前にマティアスよ、花がどうやって子孫を残すか知っている
か?﹄
﹃へ?
﹃大抵の花は美しいものだ。花の民の呼び名は、その生き様が花に
よく似ていることから付けられた﹄
花弁の美しさや蜜の香りで虫や鳥を呼び寄せて、花粉を媒介して
もらい、受精する。やがてそれは種子となり、風に乗って広がって
いく。
﹃美しい容姿、香り高い身体、強い繁殖力。彼らは生まれた瞬間か
ら、異性を虜にする花の香りを身にまとっていたのだという。長寿
ゆえに少子の傾向が強い森の民と違い、花の民はかつてこの地で一
大勢力を誇っていたが、人と交わり血が薄まるごとにその力は失わ
れていった。フリューリング王国の民は花の民の末裔だが、今はも
うその力の片鱗すら残っていない﹄
﹃確かにシェリルはかわいいですが、本当にそんな力が﹄
﹃何かの切っ掛けで力が蘇ったのだろうが、血は薄まった。完全な
ものではない。ヴェロニカは傍にいるだけで濃厚な花の芳香を感じ
たものだが、シェリルにはその力は受け継がれていないのかもしれ
ん。幼子であるから、まだわからんがな。だが、あの子は人に好か
れるだろう。それもまた花の民の力の片鱗なのやもしれん﹄
屋敷にシェリルを嫌っている人間はいない。マティウスらの母で
すら、実の娘のようにとは言わないが、かなりかわいがっている。
127
シェリルはとてもかわいらしい。それは幼さゆえのことで、将来
は類稀なる美女となるだろう。ただ立っているだけでも、男たちが
放っておかないに違いない。そこに、花の民の力が加われば?
﹃⋮⋮⋮私はあの子の将来が心配でならんのだよ﹄
父の危惧は現実となり、成長するにつれ、シェリルはその身から
甘い香りを発するようになった。身体が大人になってきたというこ
となのだろう。まだあどけなさが残っているのに、同時に艶めかし
い色香があって、男たちの視線がシェリルを追っているのがよくわ
かった。
マティアスら兄弟は血が近いためか、シェリルの香りに惑わされ
ずに済んでいるが、ユーリウスはもろに影響を受けたようだ。その
証拠に、シェリルが二次性徴を迎えたあたりから、ユーリウスはあ
まりシェリルに近づかなくなった。
そんな改まって﹄
シェリルが王宮にやってきてすぐに、マティアスはニコラウスと
オスカーを呼びだした。
﹃兄上、話ってなんだ?
﹃シェリルのことだ。あの子の血のことと、これからについて﹄
花の民について話すと、二人は心底驚いた様子だった。
128
﹃シェリルはこれから様々な危険にさらされるだろう。守ってやれ
るのは私たちしかいない。シェリルに近づく不届き者から、シェリ
ルを守るぞ。賛同するなら、ここに誓え﹄
ニコラウスは剣を捧げ持ち、オスカーは胸の上に拳を置いた。
﹃この剣に誓って、俺はシェリルを守る﹄
﹃僕も誓う。絶対に、シェリルを悲しい目に合わせはしない﹄
シェリルに不埒な目的をもって近づく男を徹底排除する誓いが、
ここに成立した。
129
回想4 兄の誓い︵後書き︶
そして過保護なる兄達は、無礼者を血祭りに上げたり、不届き者を
闇討ちしたりして、ひそかにシェリルを守っていたのであった。
ニコラウスが表で色々やっていたのはシェリルも知っていましたが、
マティアスとオスカーが裏でどんなえげつないことをしていたのか
は知りません。
130
王弟と小姓3*
サミュエルは晩餐会に出席できていたことからもわかるように、
現実を捨て狂気に逃げ込みながらもある一定の部分では正気を保っ
ていて、昼間は王族として最低限の責務を果たしている。
夜になると記憶の混濁や言動が著しく悪化し、暴れて手がつけら
れなくなることが多く、それを回避するため現王は弟の寝所に常に
青少年を侍らせていた。女相手だと、ユルシュルを思い出してより
いっそう酷くなるからだ。
ティエリーがサミュエルの元へ送り込まれたのは、彼が八歳の時。
幼い頃から美しい少年だったティエリーは、奴隷市場で貴族に買わ
れ、その貴族によって王家へ献上された。
サミュエルは壊れてしまっていたが、決して粗暴な人間ではなか
った。奴隷を痛めつけて悦に浸る趣味はなく、それどころか、自責
の念から逃れるために自分を傷つけることすらあった。悪い主では
なかった。ティエリーを戯れに鞭で打ち、満足に食事も与えず、屈
辱ばかり強いてくる貴族よりよっぽど良い。
幸せだった過去を夢に見ながら、サミュエルはティエリーを抱き、
ユルシュルへの愛を囁く。その手は優しく、あたたかかった。王家
で生きるには、サミュエルは純粋過ぎたのだろう。
馬鹿な女に騙された馬鹿な男だとわかっていながら、ティエリー
はサミュエルに誠心誠意尽くした。恋は盲目で身を滅ぼした男の負
の側面を、きちんと理解した上で。
131
ある日、サミュエルは正気でおかしなことを言った。﹃あの侍女
が欲しい﹄と。
ティエリーが仕え始めてから六年が経つが、サミュエルが女を求
めたことは一度もない。離宮を統括する老齢の家令も、こんなこと
は初めてだと言う。
肖像画の中で笑うユルシュルは、肉感的な身体つきをした、いか
にも悪女という顔つきの女だ。それと比べればまだマシだと思うが、
世の中にはもっと美しい女だっているし、あんな男慣れてなさそう
な娘を、なにを根拠に見初めたのか。ティエリーにはさっぱりわか
らなかったが、言いつけ通りに侍女を迎えに行った。
壁の向こうから、壊れたサミュエルの独り言と、侍女の哀願と、
艶めかしい嬌声が聞こえてくる。
ティエリーを抱くとき、サミュエルは大概正気だ。それなのに、
今日は壊れている。やはり女相手ではユルシュルの記憶が蘇ってし
まうのだろう。しかし、侍女を弄びながら発せられる独り言の中に、
自分の名があったことに、ティエリーは驚いた。
でん、かっ、おゆるし、く
サミュエルの中で、ティエリーの存在はユルシュルと並ぶほどに
やっ⋮、あぁんっ!
大きくなっていたのか。
﹃あっ、うっ!
132
ださ、っ!
︱︱︱あぁぁっ!﹄
サミュエルの愛撫は、そのしつこさを表すかのように粘着質だ。
ティエリーがイクまで、同じ場所を執拗に愛撫し続ける。声を聞い
ている感じでは、この侍女は快楽に弱そうだからすぐに落ちるだろ
うが、この調子では終わるまで何時間かかるのやら。
﹃あ、あ、っ!⋮たすけっ⋮⋮、ユーリさまぁっ!﹄
いや、ぁ︱︱︱っ﹄
ああ、ここにも馬鹿がいる。助けなんて呼んだって、誰にも届き
やしないのに。
﹃いや、ですっ⋮あぁ、っ⋮こんな、のっ!
ああでも、この侍女の悲鳴は、結構いいかもしれない。もっと泣
かせてみたいと、嗜虐心がうずうずする。次の機会があったら、自
分も混ぜてもらおうか。
隣室が静まり返ったのを確認し、ティエリーはようやく腰を上げ
た。扉を開けた途端、花のような甘い香りが鼻についた。これが女
の匂いなのだろうか。
予想通り、サミュエルは眠っていた。サミュエルに押し潰される
形で、侍女もまた気を失っている。サミュエルは病のせいで食が細
いため、成人男性にしては軽い方だが、それでも侍女にとっては苦
痛だろう。
サミュエルの下から侍女を慎重に引っ張り出すと、ずるりと卑猥
な水音がして、侍女はぴくりと眉を動かした。まだサミュエルが入
っていたらしい。
133
侍女の足の間から流れ落ちるもの。サミュエルを受け入れた証。
︱︱︱ああ、なんだか、すごくむかつく。
ティエリーは女を知らないが、行為の経験は有り余るほどだ。基
本的に受けだが、自傷行為にはしるサミュエルを攻めることもある。
侍女はティエリーと体格こそ変わらないが、力の差は歴然で、とて
も動かしやすかった。
嫌がる侍女を押さえ込み、サミュエルの精が残る中に自身を挿入
した。とても気持ちが良かった。
翌朝。目を覚ましたサミュエルは、侍女のことを覚えていなかっ
た。
正確には、侍女のことをユルシュルだと思い込んでいた。﹃ユル
シュルの夢を見た﹄と満ち足りた顔で笑い、夢の中のユルシュルが
どんなに素晴らしかったかを語る。侍女の哀願も、必死の抵抗も、
何一つサミュエルの心には届いていなかったらしい。少しでも覚え
ていないかとさりげなく尋ねてみたが、まるきり無駄だった。
てっきり、あの侍女に心を動かされたから求めたのだとばかり思
っていたのに。あの侍女は、他の女と何が違ったのだろう?
夜のサミュエルは情緒不安定で、ユルシュルを失った悲しみに打
134
ちひしがれ、幸せだった過去を夢想し、時には暴れることもあるが、
ある意味で正気だ。昼のサミュエルは、﹃ユルシュルは生きていて、
病気療養のために遠くにいる﹄と思い込んでいる。昔、誰かが苦し
紛れに言った出まかせを信じ込んでしまったらしく、どんなに真実
を言い聞かせてもまるで通じない。
サミュエルの中には、昼と夜、二人のサミュエルがいて、完全に
乖離してしまっているのだ。
二人いるとは言っても、まったく違う人格などではなく、同じ人
間が二つに分かれたものだ。そうしないと心がもたなかったのだろ
う︱︱︱というのが、サミュエルの主治医の見解だった。
ティエリーはサミュエルの主治医に、サミュエルの日々の状態を
報告している。しかし、専門家をもってしても、サミュエルが変化
したのか、はたまたその侍女が特別なのかは、しばらく様子を見な
いことにはわからないという。
その日の夜、ティエリーは試しに夜のサミュエルに違う侍女を引
きあわせてみたが、今までと何も変わらず、狂乱するサミュエルを
宥めるので体力を使い果たし、翌日はベッドから起き上がる気にす
らなれなかった。
昼のサミュエルは、ティエリーを抱いたことは覚えていても、自
分が暴れたことは覚えていないので、ティエリーが疲れ果てている
理由を自分が激しくしてしまったせいだと勘違いし、優しくいたわ
ってくれた。優しいサミュエルに、ティエリーは存分に甘えて過ご
した。
非常に骨は折れたが、これで確実になった。あの侍女︱︱︱シェ
135
リルが特別なのだ。
再び目の前に現れたティエリーを見て、シェリルは一瞬目を瞠っ
たが、すぐに一切の表情をなくした。しかし、諦めたわけではなく、
うつむきがちな視線と、小さく震える肩を見れば、権力には逆らえ
ない、従わなければならないと、必死で自分を納得させようとして
いるのがわかる。
そんな健気な少女を、ティエリーは再びサミュエルの前に突きだ
した。昨日の侍女に対しては金切り声をあげたサミュエルが、シェ
リルに対しては獣のように襲いかかった。
ベッドに連れ込むことすらせず、侍女の仕着せを引き裂いて、こ
ぼれ出た乳房に貪りつく。掻き抱くという名の拘束で、シェリルの
小さな身体が持ち上がる。
悲鳴や拒絶をものともせず、両方の乳首が完全に起ちあがるまで
吸い続け、泣きじゃくる少女をベッドに投げやると、サミュエルは
スカートの中にもぐりこんだ。シェリルは必死に抵抗しているが、
退けられるはずもない。
シェリルが一際激しく足をばたつかせた時、スカートがめくれ、
サミュエルが下着の上からシェリルの股間を舐めまわしているのが
はっきりと見えた。
シェリルが凌辱されるのを目の当たりにして、ティエリーは硬直
136
やっ、⋮ぇて、くだ、さっ!
していた。︱︱︱なんだ、これは。
﹁いやっ、いやぁ!
︱︱ッ!!﹂
ゆる、っ⋮︱
愛液と唾液でどろどろになった下着が床に打ち捨てられ、サミュ
エルの舌が陰核をとらえた。びくんっ!とシェリルの身体が反り、
ふやけた声と共に痙攣する。その間、サミュエルはシェリルの股間
に顔を押し付け、貪欲に愛液を啜っていた。
執拗に蹂躙され、シェリルは嗚咽をもらしながら、淫らに腰を揺
らす。その様は、快楽に耐性のあるティエリーの下半身に熱を集め
るほどに艶めかしかった。
﹁ふっ⋮⋮ふっ⋮﹂
舌だけで何度も絶頂に追いやられ、シェリルは口元を手で押さえ
ながら、瞳から涙を溢れさせている。その間も、秘所はびちゃびち
ゃと淫らな水音を立て続けており、まだ一度も挿入されていないと
いうのにシェリルの内腿には幾筋もの愛液が伝い、シーツはぐっし
ょりと湿っていた。
部屋に満ちていく甘い芳香が、ティエリーの思考を痺れさせる。
︵なんだこれ⋮⋮⋮こんな殿下、見たことない︶
ティエリーを荒々しく抱くことはあっても、そこにはきちんとサ
ミュエルの意思があった。狂っていても、正気でも。しかし、今の
サミュエルにはそれがない。シェリルを食らいつくさんとばかりに、
無我夢中で愛液を貪っている。これでは、まるで獣だ。
137
前回は壁越しの声しか聞いていなかったのでわからなかったが、
この有様を見れば、サミュエルがシェリルを見ていないのは一目瞭
然だった。
唇がふやけるほど愛液を貪り、サミュエルはようやく身体を起こ
した。ぐったりするシェリルの腰を掴み、いきりたった男根を挿入
する。先端がめり込んだ瞬間、ぶちゅりと水音が立ち、そのままず
ぶずぶと呑み込まれていった。
﹁︱︱︱︱︱︱、ああ、なんて、いいっ⋮!!!﹂
恍惚と呟き、サミュエルは腰を動かし始めた。
﹁⋮あっ!⋮⋮は、ぁ、⋮!⋮い、やぁ、ぁ⋮っ!﹂
激しく揺さぶられながら、シェリルはシーツの上で身をよじり、
助けを求めるように手を伸ばす。涙にぬれた瞳が、縋るようにティ
エリーを見る。
たすけて。︱︱︱そう聞こえた。
﹁かわいいティエリー。ユルシュルが天使なら、君は僕を惑わす小
悪魔だね﹂
ティエリーは精神を病んだ王弟に尽くす健気な少年として表向き
138
は称賛されているが、裏では殿下の愛犬だの魔性の男だのと散々陰
口を叩かれている。どちらも事実だが、ティエリーは小悪魔でいい。
ユルシュルと同列に並べられるなんて、考えただけで薄ら寒い。
﹁その通りですよ、殿下。天使というのは、ユルシュル様のような
方のことを言うのです﹂
﹁ふふ、ユルシュル、ティエリーにも君の魅力はわかるみたいだ。
君に狂っているのは僕だけではないようだね﹂
ティエリーの胸に背を預け、シェリルは虚ろな目をしていた。そ
の足の間にはサミュエルがいる。サミュエルが動くたび、ティエリ
ーの腕の中でシェリルは身体を強張らせ、唇から甘い吐息をもらす。
﹁気持ちいいだろ、シェリル﹂
耳に舌を這わせながら、ティエリーは小さく囁いた。今にも瞼が
閉じそうなシェリルの胸を揉み、耳に舌を這わせ、言葉で辱める。
そのたびに、シェリルはぴくりと眉を揺らす。
﹁殿下。殿下の愛撫がお上手過ぎて、あまりの心地良さにユルシュ
ル様が眠ってしまいそうです。もっと激しく突いてさしあげてくだ
さい﹂
﹁わかった。さあユルシュル、いくよ!﹂
シェリル越しに伝わってくる衝撃が、より早く強くなる。ぐっと
喉をそらし、唇をわななかせるシェリルを抱きしめ、肌を擦り寄せ
ながら、ティエリーは大きく息を吸い込んだ。
柔らかな身体。心地良いぬくもり。甘い、香り。
139
さあ、僕を天国へ導いてくれ!!﹂
この香りがサミュエルを狂わせ、ティエリーの肉欲を煽りたてる
のだ。
﹁ユルシュル、君は最高だ!
サミュエルはシェリルの中に精を放ち、シェリルはもう何度目か
もわからない絶頂へと昇り詰め、果てた。
﹁っ︱︱︱⋮⋮ユルシュルは、気を失ってしまったのか?﹂
﹁そのようです﹂
﹁ああ、ユルシュル。僕を許しておくれ﹂
ティエリーはシェリルを放し、サミュエルに預けた。大切な宝物
を扱うようにシェリルを抱きしめたサミュエルに、シェリル越しに、
しなだれかかる。
﹁殿下、僕もユルシュル様を気持ち良くして差し上げたいので、支
えていてあげてください﹂
﹁ああ、ティエリー。なんて優しい子なんだ。ユルシュル、良かっ
たね。ティエリーはとても上手なんだよ﹂
サミュエルはシェリルと胸を合わせると、その細腰をティエリー
に向けて突きださせた。ティエリーは柔らかくほぐれた女陰に亀頭
を擦りつけ、ゆっくりと挿入した。
﹁ああっ⋮⋮ユルシュル様の中、とても熱いです。すごく気持ちい
い﹂
﹁そうだろう。たっぷり注いであげておくれ﹂
﹁はい、殿下﹂
140
激しい挿出で秘所が泡立つ。シェリルの中で、ティエリーとサミ
ュエルが混ざり合う。サミュエルに抱かれるのとはまた違う快感が、
ティエリーを虜にする。最高の気分だった。
一番奥で、精を放った。サミュエルのものが混ざった子種が、シ
ェリルの子宮に届くように。
﹁殿下、僕のこと愛してますか⋮?﹂
﹁もちろんだよ、ティエリー﹂
﹁ユルシュル様よりも?﹂
﹁そんなの、比べられないよ。どちらも大切過ぎて、選べない。で
も、ティエリーにまで捨てられてしまったら、僕は今度こそ駄目に
なってしまうだろうね﹂
自分が壊れていることを理解しながら、サミュエルは微笑む。テ
ィエリーはシェリルの反対側から、サミュエルに抱きついた。
﹁捨てたりなんか、しません。でも、殿下が死んでしまっても、僕
は殿下のために狂うことはないでしょう。薄情者でごめんなさい﹂
﹁ティエリーの人生はまだまだ長いんだから、当然さ。ティエリー
が僕みたいになったら、僕は死んでからも後悔し続けなければなら
なくなる。僕のために、君は幸せになっておくれ﹂
サミュエルはティエリーより先に死ぬ。しかし、サミュエルが死
んでも、ティエリーが後を追うことはない。
141
ティエリーは、向かいでサミュエルの肩に頭を預けて眠っている
シェリルに視線を向けた。
ユルシュルを亡くして以来、女性を遠ざけたサミュエルには子が
いない。シェリルがサミュエルの子を産んでくれれば、サミュエル
の血がこの世に残る。ティエリーには、それがとても尊い宝物のよ
うに思えてならなかった。
サミュエルが死ねばティエリーは庇護を失うが、サミュエルは自
由になる財産の全てをティエリーに遺すと言ってくれているので、
母子諸共養うことは可能だ。
﹁殿下、愛してます﹂
﹁ありがとう、ティエリー。さあ、良い子は寝る時間だよ。もうお
やすみ﹂
﹁はい。⋮⋮⋮殿下、ユルシュル様はどうなさるのですか?﹂
﹁今日はこのまま一緒に眠ろう。︱︱︱ふふっ。こうしていると、
まるで家族のようだね﹂
昼のサミュエルが、朝起きて隣に女が眠っているのを見たら⋮⋮
⋮朝っぱらから錯乱するかもしれないなぁ。そう思ったが、ティエ
リーはそのまま瞼を閉じた。
この状況が、とても心地良かったから。
142
王弟と小姓3*︵後書き︶
正気を失っている↓本能が剥き出しの状態↓花の民の香りに敏感に
反応する。
⋮⋮⋮というわけでサミュエルはシェリルに反応したんだけど、ち
ゃんと伝わってるといいなぁ。
言われるまで気付かなかったわ!という方が多いのであれば、書き
方が間違っているということですな。
凌辱シーンはさらっと流す予定だったのに、小姓が一人歩きして暴
走しました︵汗︶
143
花の民1
﹁起きてください﹂
知らない人の声。小さく肩を揺すられ、シェリルはゆっくりと目
を開けた。
まだ夜は明けていないのだろう。暗い部屋の中に、薄く開いた扉
から差し込む灯りと、ぼんやりとした人影が見える。シェリルが顔
を起こすと、その人物は剥き出しだった肩にガウンをかけてくれた。
﹁お静かに。隣で殿下とティエリーが眠っています。ゆっくりとこ
ちらへおいでください﹂
思いがけない言葉にぎょっとし、慌てて振り返ると、暗くてはっ
きりと見えないが、確かに人の形にシーツが膨らんでいた。驚きで
冴えた頭が、意識を失う直前のことを思い出す。震える手でガウン
の前を合わせ、シェリルは改めて起こしてくれた人物を見た。
声の感じからすると、老齢の男性。おそらく執事か何かだろう。
ついてこいというように、シェリルが来るのを扉の前で待っている。
信用できるのかはわからないが、このままここで夜明けを待つわけ
にはいかないのは確かだった。
二人を起こさないよう、そろりとベッドから足をおろし、足元に
用意されていたスリッパを履いて、シェリルは老執事の後に続いた。
通されたのは、どうやら客間のようだった。明りの灯された部屋
144
の中で、ようやく老執事の顔が見えた。真っ白な髪、皺の刻まれた
顔、穏やかな目。偉大な先輩に向き合っているような心地がして、
シェリルは気を引き締めた。
﹁殿下のそばで朝を迎えられるのは危険かと思い、僭越ながら起こ
させていただきました。着替えを用意してありますので、どうぞお
使いください﹂
﹁ありがとう、ございます。⋮⋮⋮あの。危険とは?﹂
サミュエルの醜聞を指すにしては、なんとも不穏な言葉だ。それ
に、この言い方では危険なのはシェリルであるように聞こえる。
﹁先日のお召しの後、目覚めたサミュエル殿下は貴女のことを覚え
ておられませんでした。今夜、ティエリーが貴女を呼びだしたのは、
彼の独断によるものなのです﹂
﹁えっ!?﹂
寝耳に水の話だった。サミュエルの記憶がないのは、彼の状態を
見れば考えられないことではないが、ティエリーの行動は、シェリ
ルにはまるで意味のわからないことだ。愛する人に、わざわざ女を
あてがうような真似をするなんて。
﹁殿下は、昼間は夜の自分を覚えておられないことが多いのです。
目覚めた時、隣に見知らぬ女性がいるのを知れば、錯乱なされる可
能性が高い。正気をお持ちでない殿下が貴女に何をするか、私ども
には予想もつきません﹂
﹁⋮⋮そうなのですか⋮﹂
ティエリーはどういうつもりなのだろう。先日、あんなにも嫉妬
の目を向けてきたくせに、またしてもサミュエルにシェリルを抱か
145
せるなんて。一体、何がしたかったのだろう。
﹁ユルシュル様を亡くしてから二十年、殿下が女性を求めたのは貴
女が初めてです。ティエリーはその理由が知りたかったのでしょう。
全ては殿下のためにしたことですが、許されることではありません。
今後はこのようなことがないよう、きつく言い聞かせます。謝って
済む問題ではないのは承知の上ですが、代わりに謝罪いたします。
そんなっ、私なんかに頭を下げたりしないでくだ
申し訳ございませんでした﹂
﹁あっ、いえ!
さい!﹂
自分より遥かに年上の紳士に頭を下げさせるなんて、非常に居心
地が悪い。シェリルはそんな大層な人物ではない。口止めとばかり
に幾ばくかの金を与えられ、宮から放り出されてもおかしくないぐ
らいなのに、こんな丁寧な対応をされるなんて思わなかった。この
老執事は、よっぽど出来た人なのだろう。
﹁貴女は、殿下とティエリーを憎んではおられないのですか?﹂
﹁⋮⋮⋮憎いとか、恨めしいとか、そういうのは、よくわかりませ
ん。⋮⋮⋮もう終わってしまったことですし、いまさらですし⋮⋮
⋮自業自得のような部分もあるので﹂
エルヴェに純潔を奪われた時点で、すでにどうでも良くなってい
たのかもしれない。前回のお召しも、今回も、これといって怒りや
悲しみはわかなくて、後に残ったのは虚しさだけだった。
﹁そうですか⋮⋮⋮では、私はもう何も言いますまい。最後に一つ、
慰謝料の用意がございますので、お受け取りいただけますか﹂
﹁受け取れません﹂
﹁しかし、万が一妊娠などしていたら﹂
146
﹁大丈夫です。薬を飲んでいましたから﹂
老執事は初めて驚いた顔をした。
﹁私は大丈夫です。何も、変わったりなんてしていませんから﹂
離宮と王宮を結ぶ小路をたどりながら、シェリルはおもむろに後
ろを振り返った。
朝靄に包まれる狂った王弟の宮。過去に囚われたサミュエルと、
彼を愛し支えるティエリー。歪な形の愛ではあるが、シェリルは何
一体どこへ行ってたの!﹂
故か、彼らがとてもうらやましく感じられた。
﹁シェリル!
静まり返る寮を、こっそりと部屋に戻ったら、そこにはデルフィ
ーナが待ち構えていた。早朝だと言うことを配慮してか小声だった
が、ぴしゃりと怒られ、シェリルはひゃっと首をすくめた。
﹁ごめんなさいっ﹂
﹁心配したんだから!﹂
﹁ごめんなさいっ⋮⋮﹂
神妙にうなだれると、デルフィーナは溜息をついた。
﹁それで、どこへ行ってたの?﹂
147
また⋮?﹂
﹁⋮⋮⋮王弟殿下のところ、に﹂
﹁えっ!?
﹁はい⋮⋮でも、もうこれっきりですから!
ないように気をつけます﹂
二度とこんなことが
あ
もし再びティエリーが目の前が現れても、今度は退けてみせる。
一体どういうことなの?
呼び出しが命令でないのなら、応じる必要はない。
﹁シェリル⋮⋮貴女、大丈夫なの?
の騎士といい、王弟殿下といい⋮⋮愛人志望でもなんでもないんで
しょ?﹂
﹁⋮⋮⋮。私にもわかりません⋮﹂
嘘だ。本当は薄々気づいていたが、上手く言葉にできなかった。
待ちに待った休日。シェリルは通用門が開くと同時に寮を出た。
今日は書き置きを残してあるので、万が一帰りが遅くなった場合
にもデルフィーナにあまり心配をかけずに済むはずだ。予定通りに
いけば遅くなるはずがないのだが、色んな男性に毎日のように身体
を狙われ、エルヴェの言葉を信じないわけにはいかなくなった。
シェリルの香りとやらが男を誘ってしまうなら、人のいない時間
帯を見計らうしかない。早朝なら、街を歩いている人はほとんどい
ないはずだ。
148
寮を出たのは早朝だったが、目的地周辺に辿りついた頃には随分
と陽が高くなっていた。街中で別の区画に移動する時は馬車を使う
のが一般的だが、早朝では乗合馬車も営業していない。何時間も歩
いてようやく目的の店に辿りついて、シェリルは傍らにあった花壇
の縁に腰をおろした。道行く人に見えやすいよう、頭上に出っ張っ
た看板を見上げる。
﹃アダーの薬屋﹄
大通りの店は総じて高いので、二番通りの店にやってきたが、所
持金で買えるだろうか。
やがて開店時間になり、開店中の表示を出しに出てきた店主は、
店の鼻先で座っているシェリルを見て驚いた顔をした。パン屋なら
いざ知らず、薬屋で開店待ちをする人間はめったにいないからだろ
う。立ち上がり、シェリルはぺこりと頭を下げた。
﹁お客さんかい。どうやら待たせちまったようだね﹂
﹁いえ、私が早く来すぎてしまったんです。お邪魔させて頂いてい
いですか?﹂
﹁どうぞ。狭い店だがね﹂
狭いのは、床、壁、天井と、考えられるありとあらゆるところに、
薬の原料や生薬が並べてあるからだ。薬効成分の独特の臭いが充満
している。しげしげとそれらを眺め、シェリルはカウンターへ進ん
だ。
﹁あの⋮⋮避妊薬が欲しいのですけど﹂
﹁ああ、あるよ。一錠五十ノワ、一瓶一か月分で千四百ノワだ﹂
149
高い。覚悟はしていたが、ものすごく高い。
避妊薬が安価で一般に普及しているなら、無理な中絶で亡くなる
娼婦がいるはずがない。良い薬は、そのぶんだけ高価なのだ。
一般家庭一家族四人の一カ月の支出が大体百ノワだから、千四百
ノワあれば四十人以上の一カ月の生活費をまかなえる。いくら侍女
が高給取りとはいえ、こんなものを毎日飲んでいたら、半年もしな
いうちに貯金が尽きてしまうだろう。
なんだ、もう持ってるじゃないか﹂
﹁それと、あの、この薬を見てほしいのですけど﹂
﹁うん?
﹁頂き物なのですが、やはりこれは避妊薬なのですか?﹂
本物であ
﹁そうさ。しかも、道端で売ってるような混ざり物とは違う、紛れ
もない純正品だ。表面に小さく印が掘ってあるだろう?
る証明として、薬師が一つ一つ手でいれてるんだ。こりゃウェンデ
ィばあさんの作った品だね﹂
エルヴェが寄こした薬は本物だった。しかも、そんな高級品を一
瓶も。毎日飲んでも一カ月はもつ量がまだ残っている。
なんだかんだ言って不安だったので、シェリルは半信半疑でこの
薬を口にしていた。だからこそ、サミュエルとティエリーに抱かれ、
中で出された後も、絶望せずに済んだ。今日ここに来て確かめるま
では、やはり少し疑っていたが、なんとなく大丈夫な気がしていた
のだ。
持ち合わせが心もとなかったので、シェリルは何も買わずに店を
後にした。ストールをかぶり直し、前方に注意しながら通りを足早
に歩いて行く。道行く人の、男の熱い視線には、気付かないふりを
150
した。
しかし、そんなシェリルの努力も空しく、狭い視界に人の靴が入
り、足を止めざるをえなくなる。
﹁ねえ、彼女。なにいそいでんの。せっかく天気いーんだからさ、
俺たちとあそぼーよ﹂
若い青年だった。二人、三人。完全に取り囲まれている。身体が
すっと冷たくなり、絶望で目の前が暗くなった。
こうならないよう、準備はしていた。街に出たのがそもそもの間
違いだというなら、シェリルはこの先どうやって生きていけばいい
のだろう。王宮でも、街でも、どこにいても身体を狙われて。一生
部屋から出ないで暮らすなんて、不可能なのに。
﹁大人しーね、彼女。大丈夫だって、俺たちぜーんぜん怖いヒトじ
ゃないから﹂
嫌だと言っても、聞いてはもらえないのだろう。騒ぐなと、暴力
を振るわれるかもしれない。大人しく従っておいた方が、痛みは少
ないだろうか。どうせすぐに終わるのだから。
﹁俺たち、良い遊び場所知ってるんだ。行こうぜ﹂
馴れ馴れしく肩を抱かれる。怖気がした。
﹁まったく、余計な労力を使わせないで頂けませんかね﹂
シェリルは眼を瞠った。どうして、ここに。
151
﹁なんだ、あんた。この娘の知り合いか?﹂
﹁そうです。その手を放してください﹂
あからさまに貴族と分かる相手に、しつこく食い下がる気はない
のだろう。男たちはあっさりと引き下がって行った。
シェリルは胡乱な目でエルヴェを見た。⋮⋮﹃余計な労力﹄って。
﹁⋮⋮⋮まさか、また私をつけていたんですか?﹂
﹁はい。といっても、俺が直接動いたのは貴女が薬屋を出たところ
からですけどね。それまでは人を使ってました﹂
﹁っ∼∼∼この、暇人っ!﹂
心の底から罵倒したのに、エルヴェは相変わらずしれっとしてい
る。
﹁自分の金と時間をどのように使おうが、俺の勝手でしょう﹂
﹁見ていたのなら、囲まれる前に声をかけてください!﹂
そんな人に言
﹁ギリギリのところで助けた方が効果は高いかと思いまして。どう
やら貴女には効き目がないようですが﹂
﹁どうせ前回だって、ずっと見ていたのでしょう!
う感謝の言葉はありません!﹂
﹁助けたことは事実なのに。まぁ、構いませんがね。どうせなら薬
代込みで身体で支払って頂きたいですから﹂
﹁っ∼∼∼∼∼﹂
すでに飲んでしまった薬の代金を持ち出され、シェリルは恨めし
げな目でエルヴェを睨みあげた。この男の善意を信じたシェリルが
馬鹿だった。手の平で上手く転がされているような気がして、非常
152
に納得がいかない。
﹁シェリル、薬を買いに行ったのでしょう。少しは俺の言葉を信じ
る気になりましたか?﹂
﹁っ⋮⋮⋮知ってるくせにっ⋮﹂
それとも廊下で哨戒兵に襲われかけたこと?﹂
﹁どれのことでしょう。貴女が王弟殿下の寵を受けたことでしょう
か?
﹁だから、どうして知ってるんですかっ!﹂
サミュエル殿下のことはともかく、廊下で兵士に襲われかけたこ
とまで知られているなんて、エルヴェの情報網は一体どうなってい
るのか。
﹁情報源は秘密ですが、王弟殿下が女性に手を出したことで、よう
やく心の健康を取り戻したのかと陛下が期待なさっていることや、
王太后陛下が貴女を王弟殿下付きの侍女に引き抜こうと計画なさっ
ていることなんかも知ってます﹂
﹁!?﹂
血の気がひいた。︱︱︱そんな計画があるなんて。もし実行に移
されたら、シェリルがサミュエル殿下に抱かれたことが姫様に知ら
れてしまう。
シェリルは姫様にお仕えするためだけに、家族やユーリウスと別
れ、ノルエスト王国までやってきたのだ。そんなことになったら、
困りますっ!﹂
ここにいる意味を失ってしまう。
﹁そんなのいやです!
﹁こればかりは俺に言っても無駄ですね。もっと上の方に直訴申し
上げないと。王太子妃殿下に助けを求めるのが一番簡単かつ確実だ
153
と思いますが?﹂
﹁絶対にいやです!
こんなことが姫様に知られたらっ、私っ⋮!﹂
シェリルの中で、フィオレンティーナとユーリウスは同格に位置
している。絶対不可侵の神聖な存在なのだ。この二人に軽蔑された
ら、シェリルはもう生きていけない。
﹁二十年も女性を遠ざけてきたサミュエル殿下を誘惑するなんて、
貴女の香りはよほど強力なのですね。ますます興味深い﹂
﹁きゃっ!?﹂
エルヴェはシェリルの腰に手を回し、雑踏の中を歩き出した。脇
腹に添えられた手に望まずして歩かされ、逃れようともがいたが、
どこへ行くんですかっ﹂
余計に身体を寄せられてしまっただけだった。
﹁はなしてください!
﹁大人しく歩いてください。こんな人通りの多い場所で、荷物のよ
うに運ばれたくはないでしょう?﹂
﹁うっ﹂
エルヴェには前科があるだけに、シェリルは逆らえなかった。こ
れ以上騒げば、エルヴェは間違いなく実行するだろう。そんな恥ず
かしい思いは絶対に御免だ。
﹁そんなに警戒しなくても、怖い場所じゃありませんよ﹂
﹁説得力があると思ってるんですか⋮⋮﹂
﹁事実なのに。俺はよほど信用がないのですね﹂
﹁だから、あると思う方がおかしいです。私の中の貴方の印象は最
悪から始まっているんです﹂
﹁後はもう良くなるだけということですね﹂
154
﹁良くなったと思った途端に悪くなるので、いまだに最悪のままで
す﹂
﹁厳しいですね﹂
155
花の民2*
裏通りの薄暗い路地を歩いているのに、昼間から酒瓶を持ち歩い
ている酔っ払いはもちろん、其処らにたむろしている破落戸ですら
誰一人近づいてこない。剣を帯びた男性というのは、そんなに恐れ
られるものなのだろうか。それとも、平均より長身でいかにも身分
の高そうなエルヴェが相手だからか。
シェリルを連れて、エルヴェは古ぼけた店の中に入った。看板は
薄汚れていて読めなかったが、どうやら薬屋であるらしい。
つんと鼻にくる異臭。店内は薄暗く、棚に並べられた商品の得体
の知れなさもあいまって、いっそう不気味な様相だった。奥のカウ
ンターには、黒いローブの女性が一人座っていた。目深にかぶった
フードのために、顔は良く見えない。
﹁ヒッヒッヒ。おやおやこれは⋮⋮珍しいお客さんだ﹂
背筋にぞっとくる猫撫で声の主に、エルヴェは気さくに挨拶した。
﹁こんにちは、ウェンディさん。今日はこちらの女性を紹介しに来
ました﹂
﹁ほう。そのお嬢さんは、あんたのコレかい?﹂
﹁将来的にそうなるかもしれませんが、今のところただの知人です﹂
﹁ふうん。知人ねえ﹂
しげしげとシェリルを眺めると、女性はにやりと笑った。
156
ウェンディといえば、先程の薬屋で聞いたエルヴェの寄こした避
妊薬の作者ではないだろうか。貴族のくせに裏通りの薬屋と交流が
あるなんて、どこまでもよくわからない男だ。
﹁お嬢さん、あたしの薬は役に立ってるかい?﹂
﹁っ!?﹂
﹁﹃どうして知ってるの﹄って顔だねえ。そりゃ、エルヴェ坊やが
女用の避妊薬を買いに来るなんて初めてだったからねえ。すぐわか
ったさ﹂
避妊薬に男女があるなんて知らなかった。しかし、よく考えてみ
何粒も飲みたくなる気持
れば、男性と女性では身体の造りが違うのだから、当然のことだろ
う。
﹁ってことは、もう追加がいるのかい?
ちはわからなくもないけど、あの薬は一日一錠で充分なんだがねえ。
一度に十粒以上飲むと中毒を起こす可能性があるから、お勧めはで
きないねえ﹂
﹁あの、いえ、一錠ずつしか、飲んでません﹂
﹁なんだ。じゃああと一月はもつだろうに。ああ、ひょっとして媚
薬でも欲しいのかい?﹂
﹁違いますっ﹂
﹁あ、俺が買います。お幾らですか?﹂
﹁一錠で三十八ノワ。お得意さん価格で、一瓶二百ノワだねえ﹂
﹁誰に使う気ですかっ!!﹂
﹁もちろん、貴女に。前回以上に楽しめそうですから﹂
﹁やめてくださいーっ!!﹂
﹁ヒヒッ。まいどありー﹂
シェリルは必死に阻止しようと試みたが、売買は成立してしまっ
157
た。あえなく小瓶はエルヴェの懐に消え、絶望的な気持ちでがっく
りと肩を落とす。
﹁ヒッヒッヒ。いいじゃないかぁ。ベッドの上で楽園が拝めるかも
しれないよ﹂
﹁見たくありません⋮!﹂
﹁なんでだい。あんたは快楽のしもべだろう。自分を拒絶しちゃあ
いけないねえ﹂
シェリルは目を見開いた。⋮⋮⋮自分は淫乱なのかと、密かに悩
ウェンディさん﹂
んでいたシェリルの心を、その言葉は鋭く射抜いた。
﹁やはり、貴女にはわかるのですか?
﹁そりゃあねえ。そのお嬢さんは花の民だ。だいぶ薄いけど、間違
いないよ﹂
﹁花の民⋮?﹂
﹁ああ。かなり薄いけどねえ﹂
基本的な知識として、名前だけは知っているが、それと自分を結
びつけて考えたことなどなかった。なによりその種族は、何百年も
昔に滅んだという話だったはずだ。
﹁⋮⋮薄いって、何がですか?﹂
﹁血に決まってるさぁ﹂
シェリルの半分はペルレ侯爵家。では、もう半分は?⋮⋮⋮母は?
﹁花の民は、何百年も前に滅んだのでは?﹂
﹁種が消えたって、血は残ってるさぁ。人間の中にね。お嬢さんの
場合は、眠っていた血が親の代あたりで目覚めたってとこかな。こ
158
のお嬢さん自身が先祖返りというには、薄すぎるしねえ﹂
﹁ふむ。つまり、シェリルの香りは花の民の力というわけですか。
貴女のご両親のどちらかもそのような体質だったのですか?﹂
﹁わかりません⋮⋮母は、私を産んだ時に亡くなってしまったので。
父も、何も言ってなかったし⋮⋮﹂
しかし、今にして思えば、父や兄弟たちはシェリルの身を過剰に
心配していたような気がする。あれらはもしや、花の民の血が目覚
めることを危惧しての言葉だったのか。
﹁薄いとおっしゃいますが、俺にはかなりクるんですけどね。生粋
の花の民の香りというのは、どれほどのものだったのですか?﹂
﹁もともと同族の異性の気を引くための力だからねえ。人間には強
すぎるんだよ。純血ぐらい濃かったら、今頃このお嬢さんは男とい
う男に群がられて、死ぬまで犯されてるところだろうねえ。花の民
で最も多かった死因は腹上死だって話だからねえ﹂
想像しただけでぞっとした。数百年前、花の民が栄えていた時代
には、そんな光景が当たり前だったのだろうか。
﹁花の民はさぁ、千年ぐらい前には、そりゃあもうたーくさんいた
んだよ。ところが、人間の領域が広がっていくうちに、みるみるう
ちに数が減っちまった。人間に捕まって、孕まされて、子を産んで
⋮⋮を繰り返しているうちに血が薄まって、とうとう消えちまった
わけだ。身体能力的には人間より弱いぐらいだったからねえ。だか
らこそ繁殖力が強かったというべきか﹂
﹁どうしてあなたは、そんなことをご存知なのですか?﹂
シェリルの問いに対し、ウェンディはにやりと笑った。
159
﹁そりゃあお嬢さん。あたしはこう見えても、四百年は生きてるか
らさ。長く生きてりゃ知る物は多いってね﹂
﹁!?﹂
フードをおろしたウェンディの耳は大きく、先が尖っていた。森
の民だ。
森の民は長寿で博識だということぐらい、シェリルでも知ってい
る。見た目はせいぜい五十代にしか見えないが、ウェンディはそれ
より遥かに長い時を生きてきたのだろう。
﹁なにはともあれ、謎が解けてすっきりしました。ありがとうござ
います、ウェンディさん﹂
﹁どういたしまして。対価として、お嬢さんの血が欲しいと言いた
ウェンディさん、この血の力を抑える方法はないので
いところだが、まぁいいだろう。薄すぎて使い道がなさそうだから
ねえ﹂
﹁あのっ!
すか!?﹂
藁にもすがる思いで尋ねたが、ウェンディはあっさりと首を横に
振った。
﹁無理無理。そりゃ生まれ持った体臭みたいなもんだからねえ。あ
きらめな﹂
﹁そんな⋮⋮﹂
﹁良いではありませんか。貴女はせいぜい道行く男の視線を集め、
近寄ってこないでくださいっ!﹂
たまに襲われる程度なのですから、気を付けていれば充分生活でき
ますよ﹂
﹁ちっとも良くありません!
﹁無理です。貴女の香りに触発されて欲情してしまったので﹂
160
﹁おいおい、うちは薬屋だよ。ヤるんなら宿へいきな﹂
助けてくれるどころか、しっしと邪険に手を振られ、シェリルは
泣きたくなった。逃げようとした身体を片腕で抱きこまれ、必死に
はなしてくださいっ!﹂
暴れるも、びくともしない。
﹁いやっ!
﹁では、今日はこれで失礼します﹂
﹁あいよ。また来なぁ﹂
エルヴェは当然のようにシェリルを宿へ連れ込んだ。なすすべな
くベッドに組み敷かれ、男の下から抜け出そうともがくも、逃げら
れはしない。
せめてもの抵抗として、シェリルは口を両手で覆い隠しながら顔
を背けた。先程の媚薬が手の甲に押しあてられる。
﹁口を開けてください﹂
聞けるわけがない。飲まされるならともかく、自分から口にする
など。
てっきり無理やり押し込まれるかと思ったら、エルヴェの手はあ
っさりと退いていった。続けざまに、足が持ち上げられる。
﹁そんなに嫌なら仕方がありません。こちらの口で直接食して頂き
161
ましょう﹂
﹁なっ!?
や、やめ︱︱︱﹂
あっという間に下着を剥がれ、限界まで股を広げさせられた。開
いた花弁に薬がねじ込まれ、いきりたった男根で栓をされる。
﹁きゃあぁアアッッ!!﹂
あえなく最奥まで飲み込まされた。潤いのないところに無理やり
挿入される痛みで、瞳から涙が溢れる。
﹁いたっ⋮⋮いた、いっ⋮﹂
﹁最初だけです。すぐに自分で腰を振るぐらい気持ち良くなります﹂
﹁いやぁっ!⋮抜いてぇっ⋮!﹂
﹁いやです。ですが、せめてもの情けとして、貴女が動いてくれと
懇願するまではじっとしていてあげましょう﹂
そう言って、エルヴェはシェリルの服を脱がせ始めた。真っ先に
身体を繋げられたため、まだ胸元すら露になっていないが、ここで
抵抗しても服と体力が無駄になるだけだと思い知っていたので、今
回は大人しく受け入れた。
﹁はぁ⋮っ、⋮はぁ⋮っ⋮﹂
少し視線を下げるだけで、足の付け根にエルヴェのものが食い込
んでいるのが見える。少し下肢に力を込めただけで、一番深いとこ
ろまで入り込まれているのがわかってしまう。
薬が効き始めたのか、下腹が少しずつ熱を持ち、甘く疼きはじめ
た。膣にエルヴェの大きさが馴染み、痛みが摩耗して、愛液が滲み
162
だす。
宣言通り、エルヴェはまったく腰を動かさず、シェリルの上半身
を愛撫している。首筋の敏感な肌や乳房を舐めまわされ、下腹に熱
が積もるたび、シェリルはくわえこまされたモノを無意識のうちに
締め付けていた。
﹁あっ、⋮んんっ!⋮⋮はぁっ⋮⋮、っだめぇ⋮!﹂
﹁腰が揺れ始めていますよ﹂
﹁っ⋮!﹂
苦しくてうまく息ができない。こんなに深いところまで入りこん
でいるくせに、ちっとも刺激をくれないのが、もどかしくて、切な
くて。
﹁はっ⋮、⋮⋮んん、ぅ⋮っ、⋮っ⋮はぁ、⋮っ⋮﹂
﹁すごい汗だ。熱いのですか?﹂
﹁⋮ん、⋮⋮あ、つ⋮⋮ぃ⋮っ⋮﹂
﹁俺も、とても熱いです。貴女に包み込まれている部分が﹂
﹁あっ、ぁあっ﹂
くんっと、せっつくように身体を押しあげられ、シェリルはゾク
ンッと背を反らせた。絶え間ない疼きに耐えるため、ぎりりとシー
ツを握りしめる。腹の奥がきゅんきゅんして、たまらなくて、頭が
おかしくなりそうだった。
﹁はぅ⋮っ、あぁ⋮っ⋮だめぇ、⋮⋮もぅっ、⋮もうっ⋮⋮!!﹂
﹁どうしてほしいですか?﹂
エルヴェが意地悪く囁いてくる。
163
﹁うっ⋮⋮ぅ∼⋮⋮﹂
﹁言わないと、一生このままですよ。大丈夫、何も恥じる必要はあ
りません。身体が熱いのも、気持ちいいのも、全て薬のせいなので
すから﹂
当然のことなのだと耳元で諭され、躊躇いは完全に退けられた。
同時に、理性も砕かれた。
﹁っ、⋮おねが、ぁいっ⋮⋮︱︱︱うごいてぇ⋮っ!﹂
望んだとおり、中をいっぱい擦られながら一度引き抜かれ、一息
に突き上げられた。
﹁あぁ︱︱︱︱︱っ!!﹂
たった一突きで、シェリルは絶頂に達してしまった。背筋がぞく
ぞくする。唇から、甘い声が飛び出す。次々と与えられる強烈な刺
や、んッ!
あッ、あ、あっ、あーっっ!﹂
激のせいで、もう何も考えられない。
﹁あっ!
上体を持ち上げられ、繋がったままエルヴェの上に座らされた。
深いところを抉られて、背筋を快感が這いあがる。エルヴェはびく
びくと身を震わせるシェリルの尻を掴み、ゆっくりと上下させた。
﹁あ、あっ⋮、あ、はぁ、っ⋮﹂
﹁気持ちいいですか?﹂
与えられる感覚にうながされるままに頷きを返し、シェリルは目
164
おかしく、
の前の男に縋りついた。何かにつかまっていないと、とても耐えら
れそうになかった。
﹁やっ⋮だめ、⋮こんな、のっ︱︱︱⋮⋮⋮はぁっ⋮!
なっ、ちゃううっっ!!﹂
ぐりっと腹の裏の弱いところを擦られた瞬間、再びの絶頂に一瞬
意識が白んだ。
余韻にひたる間もなく、すぐさま抜き差しが再開される。媚薬に
侵された身体は、多少絶頂を迎えた程度ではあっという間に熱を持
ち直し、エルヴェを深く銜えこんだ。
﹁ひぁ、ぁ、ぁ⋮ふぁううっ!﹂
﹁明日は仕事でしたね。門限までには寮にお送りします。そのため
ひぅっ⋮ぁ、あっ、ああぁぁぁっ!!﹂
には、媚薬を早目に抜いておく必要がありますから﹂
﹁あ、ンッ!
再びシェリルをベッドに横たえると、エルヴェは激しく腰を使い
始めた。断続的に与えられる強すぎる刺激により、細い身体がシー
ツを跳ねる。そうして、何度絶頂を見せられたのか。薬のもたらす
熱は留まるところを知らず、気を失うことも許されないまま、快楽
に溺れさせられた。
散々躍らされ、声が掠れるまで喘がされて、くたくたになったシ
ェリルがエルヴェに抱えられて寮に戻った頃には、門限こそ大丈夫
だったものの、とっぷりと日が暮れていた。
165
166
侍女の結束
その日、シェリルが戻ってきたのは、門が閉まる直前だった。
書き置きのおかげで街へ向かったことはわかっていたし、遅くな
るかもしれないとも書かれていたから、デルフィーナは心配しつつ
も部屋で待っていたのだが︱︱︱シェリルは、またしてもエルヴェ
に送られて戻ってきた。今度は意識はあるようだったが、見るから
に疲れきっていて、部屋に辿りつくや、ベッドに倒れ込んだ。
﹁シェリル!?﹂
どうしたの!?
体調が悪いの!?﹂
﹁あ⋮⋮ただいま、もどりました。おそくなって、ごめんなさい⋮
⋮﹂
﹁そんなのいいから!
﹁いえ⋮⋮ちょっと⋮⋮つかれただけ、で⋮⋮﹂
今にも眠ってしまいそうな掠れた声で、とぎれとぎれに返事をす
るシェリルは、いかにも具合が悪そうな顔色だった。呼吸は浅く、
頬は紅潮し、瞳は潤んでいる。額に触れてみれば、案の定、熱があ
った。
着替え手伝うから、薬飲んで早く寝なさ
﹁やだ、熱があるじゃない!﹂
﹁あ⋮⋮、ちが⋮⋮﹂
﹁ご飯はもう食べたの?
い﹂
身体を起こすのを手伝おうと、肩に触れると、シェリルはびくっ
と身を強張らせ、大仰に身をすくめた。身体を丸め、小さく拒絶の
167
声をあげる。
﹁ゃっ⋮、⋮ぃゃっ⋮﹂
﹁シェリル?﹂
様子がおかしい。具合が悪いというよりも、まるで︱︱︱感じて
いるみたいな。
艶めかしい
と、言うのだろう。デルフィーナ
﹁だいじょ⋮ぶ⋮⋮⋮です、⋮⋮ねたら、なおりますから⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
こういうのを、
も男性経験はあるが、今のシェリルには、同性の目でみてもわかる
ような、ただならぬ色気があった。
﹁シェリル。正直に言いなさい。あの男に何をされたの?﹂
﹁っ⋮⋮⋮﹂
送ってきたのがエルヴェだという時点で、予想はついていたが、
挙句
たどたどしく白状したシェリルの言葉に、デルフィーナは腸が煮え
無理やり宿に連れ込んで?
あの男っ⋮⋮騎士のくせになんて奴な
散々つきまとって?
くりかえるような怒りを覚えた。
︵なに?
の果てに媚薬ですって!?
の!︶
薬が強すぎたのか、散々抱かれたのに、何時間経っても身体にく
すぶる熱が消えず、シェリルを苦しめ続けているのだという。
﹁シェリル。明日の仕事は、私が代わるわ。嫌なことは忘れて、今
168
日はゆっくりお休みなさい。余計な心配はしなくていいから﹂
﹁でも⋮っ﹂
﹁つべこべ言わない。困った時はお互い様って、貴女が言ったんで
しょ﹂
シェリルは泣き笑いのように、くしゃりと顔をゆがめた。
﹁絶っ対に、おかしいわ﹂
デルフィーナは断言した。
﹁そうね。少なくとも、尋常ではないわね﹂
バルバラは同意した。
﹁そうですよ。ありえませんよ、こんなの!﹂
エミーは鼻息荒く拳を握った。
﹁変だとは思っていたけど、まさかそんなことになっていたなんて﹂
レティシアは難しい顔でうなった。
﹁もっと早く言ってくれればよかったのに﹂
アンネリーゼは溜息をついた。
169
バルバラとエミーの部屋で、王太子妃付き侍女が一堂に会してい
た。
今夜の夜勤担当はロレーヌで、相方であるレティシアはバルバラ
が呼びだした。レティシアとロレーヌは彼女達と違い、ノルエスト
王国出身の侍女だが、同じ王太子妃付きとして共に仕事をしている。
その人柄はこの一カ月あまりで見極めた。
口数は少ないが思慮深く真面目な性質のレティシアと、細々とし
たことに気が利き、よく動いてくれるロレーヌ。二人とも信頼に足
る者達だ。これからも共に仕事をしていくのだから隠しごとは好ま
しくないし、この二人なら、シェリルのことで不用意な噂をばらま
きはしないだろう。
﹁最近、男たちの視線がシェリルに集まってるのに気付いてた?﹂
﹁そりゃあね。一緒に歩いてたらものすごい注目されるもの。一体
何事かと思ったわよ﹂
﹁シェリルは何もしてないのに、なんなんでしょうね、あいつら﹂
﹁あの噂のせいなの?﹂
アンネリーゼのいう噂とは、﹃シェリルとエルヴェが付き合って
いる﹄というものだ。
エルヴェがシェリルを送ってきたことはもちろん、二人きりで会
っているところが王宮内で何度も目撃されているため、かなりの確
信を持って語られている。実際にはエルヴェが一方的に付きまとっ
ているだけなのだが、なにせ女に人気のある男なので、侍女の間で
はシェリルの方が誘惑しただのと悪しざまに言われることが多く、
腹立たしいことこの上なかった。
170
男がシェリルに注目する理由には
﹁それもあるでしょうけど、少し違うと思うわ。その噂でシェリル
に敵意を向けるのは女でしょ?
ならないもの。あれは単純に、シェリルを狙ってる目よ﹂
﹁でも、下働きが近衛騎士の恋人ってことになってる子を狙ったり
するかしら。普通、近寄らないんじゃない?﹂
シェリルが自分から男に声
﹁だからおかしいんでしょ。そもそもどうして、シェリルは淫乱だ
の娼婦だの売女だの言われてるわけ?
をかけることなんてないし、まして誘惑するなんてありえないのに﹂
あまり侍女の集まりに参加しないシェリルは知らないようだが、
エルヴェと噂になる前から、シェリルはそう陰口を叩かれていた。
耳にするたびに否定していたが、噂は一向になくならず、エルヴェ
や王弟殿下と関係を持ったことが広まって、よりいっそう酷くなっ
た。
﹁どこぞの騎士に色目を使っただの、廊下で誰それを誘惑しただの。
初めて話を聞いた時は目が点になったわね。シェリルは確かに美人
フリューリング王国にいた頃は真面
だけど、仕事中は真面目一辺倒よ。職務に対する姿勢は変わってな
いのに、なんでそうなるの?
目でお堅いって評価だったのに﹂
﹁私も今なら、噂は嘘だって断言できる。シェリルは良い子だわ。
噂の出所にも心当たりはあるけど⋮⋮⋮訂正させるのは難しいでし
ょうね﹂
﹁いいのよ、レティシア。ありがとう。その辺は私がうまいことや
っておくから、気にしないで﹂
長く勤めているとはいえ、レティシアは目立つのを好む性質では
ないため、宮中にはびこる悪女達に対抗しろというのは酷というも
のだ。それならまだ世渡りの上手いバルバラの方がうまく立ち回れ
171
る。
﹁色目だの誘惑だのは嘘なんだけど、まったく根も葉もない噂とい
うわけじゃないのよね。シェリルに男達の視線が集まってるのは事
実だし、王弟殿下に召されたのも本当だし。あの騎士と付き合って
いるっていうのは嘘だけど、付きまとわれているのは事実だし﹂
シェリルですよ!?
好んで遊んでる人間が、
﹁家族の目がなくなったから羽目をはずしたとか⋮⋮ないわよねえ。
シェリルに限って﹂
﹁ありえませんよ!
あんなに怯えるわけがありません!﹂
﹁そうよ。誘惑した人間が、あんなに泣くわけがないわ。きっと無
理やりされたのよ﹂
一気に空気が重くなった。
一人になりたいだろうと思い、部屋で休ませているが、シェリル
は今頃どうしているだろう。また涙で枕を濡らしているのだろうか
? シェリルは彼女たちの最年少だが、姫様付き侍女になった順番は
三番目だ。庶子とはいえ、食うに困らない身の上だったのに、まだ
子供と呼べる時分から姫様に仕えて、いつだって誠心誠意尽くして
いた。
普通、あれだけ美人なら多少のやっかみを買うものだが、真面目
で上下関係を重んじる姿勢と、身分違いの恋を大切に胸に秘めてい
る姿は、とても好ましかった。
同国出身だからというだけではなく、シェリルは大切な仲間なの
だ。仲間が大変な目に合っているのに、見過ごすことなどできない。
172
﹁⋮⋮⋮シェリルが変わったわけではないとしたら、この国の男が
そんな話聞いたことないわ。それに、シ
おかしいということになるけど﹂
﹁女に見境がないって?
ェリルが関らなければみんな普通よ。特に違いは感じないわ﹂
﹁わけが分からないわね﹂
原因はわからなかったが、せめてもの対策として、絶対に誰かが
シェリルと行動を共にすることになった。昼勤は人の多い時間帯に
なるため、なるべく朝勤を担当してもらって、夜勤も混ぜる。どん
な形であれ純潔を失ったのだから、もう姫様の艶かしい姿を見せて
も大丈夫だろう。
﹁サミュエル殿下が女性をお召しになるなんて、初めてのことよ。
今までは側仕えの侍女ですら受け付けなかったのに⋮⋮⋮今回のこ
とが陛下のお耳に入ったら、ややこしいことになるかもしれないわ﹂
﹁もう入ってるわよ。これだけ派手に噂がはびこってるんだもの﹂
バルバラはげんなりと溜息をついた。主持ちの侍女ならいざ知ら
ず、洗濯場や食堂勤務の下女たちの口の軽いこと、軽いこと。特定
の主人がいない彼女達は、どんな噂でも面白おかしく広めてしまう。
主人の違う侍女同士は交流がないことが多いが、下女を介して噂
を知るのだ。しかし、それが有益なこともあるので、不敬罪の対象
にならない限りは黙認されるのが常だった。
﹁まだ姫様のお耳にはいれてないのに、王太子殿下や陛下の口から
伝わってしまったら、どうしたらいいのかしら﹂
﹁あら、まだご報告してないの?﹂
﹁言えるわけがないじゃない。それに、シェリルが隠したがってい
173
るんだもの。しょうがないわ﹂
﹁確かに、下手なことは言えないですよね。姫様のシェリルへの懐
きっぷりを考えると﹂
﹁知ったら間違いなく激怒するでしょうね⋮⋮⋮怒りのままに王弟
殿下に喧嘩を売りに行ってもおかしくないから、しばらくは様子を
みましょう﹂
174
回想5 陽だまり
フィオレンティーナにとって、シェリルは言葉では語りきれない
ぐらい大切な存在だ。
幼い頃、ペルレ領でシェリルと共に過ごしたのはほんのわずかな
間だったが、毎日が楽しいことばかりだった。シェリルがいて、彼
女の兄弟がいて、ユーリウスがいて。
何気ないことで笑い、くたくたになるまで走り回り、あんなにつ
まらなかった勉強だって、シェリルと一緒ならすんなり頭に入って
くる。教師役だった彼女の兄の教え方が上手かったというだけでは
なく、そこには会話があったからだ。王宮でつけられていた教師に
一方的に知識を詰め込まれるのとは、まるで違った。
シェリルの周りには自然と人が集まり、常に笑顔があった。
フィオレンティーナの周りにも常に人がいるが、それは侍女であ
り、使用人である。十も年上の兄や、ともすれば母の方に年齢が近
い者ばかりで、フィオレンティーナが本当の意味で心を開ける相手
はいなかった。他に歳の近い者と言えば、上級貴族の子女たちぐら
いのものだったが、彼女たちはフィオレンティーナを﹃王女﹄とし
て扱ってくるので、人目をはばからず抱きついたり、甘えたりする
ことはできなかった。
﹃姫様。今日はあたたかいので、庭に出てお花の冠を作りましょう﹄
﹃なあにそれ。どうやるの?﹄
﹃ちゃんとお教えします。簡単ですよ﹄
175
言葉通り、シェリルは簡単に作り上げたが、フィオレンティーナ
の手には非常に難しかった。何度挑戦しても輪にならず、せっかく
の花がぐちゃぐちゃになるばかりで、しまいには癇癪を起こしたフ
ィオレンティーナに、シェリルは自分の作った花冠をくれた。もう
一つ作りますから、お揃いにしましょうね、と笑って。
その後、シェリルに貰ったの!と花冠をユーリウスに自慢したら、
ユーリウスは男のくせに本気で羨ましそうな顔をした。王宮ではめ
ったに話もしなかった年上の従兄がシェリルにぞっこんであること
は、幼いフィオレンティーナの目にも明らかで、彼女は生まれて初
めてユーリウスに親近感を抱いた。さすが、血が近いだけあって、
女性の好みは似ているらしい。
﹃フィオラ。言っておくが、シェリルは僕のものなんだ。後からき
たくせに、横取りするなんて許さないからな﹄
カチンときた。シェリルを物扱いする言葉が、非常に癪にさわっ
た。
シェリルはわたくしのお姉
ユーリなんてお呼びじゃないわっ!!﹄
﹃バカなこといわないでちょうだい!
さまになるのよ!
フィオレンティーナは四つも年上の従兄に本気で掴みかかり、あ
わや怪我をするかというところまでいったが、ペルレ兄弟の仲裁に
よりなんとかその場はおさまった。
その後、王宮にいる兄に﹃シェリルを姉にしたい﹄と手紙を送っ
たところ、その返事として兄が﹃なら側室に迎えようか﹄と冗談を
返してきたものだから、フィオレンティーナはユーリウスにこっぴ
176
どく叱られ、ペルレ侯爵が断りのために王都へ向かわなければなら
なくなるという大惨事がおまけでついてきた。ユーリウス達がひた
隠しにしていたので、この騒動をシェリルは知らない。
ずっと一緒にいたい。その願いを、シェリルは叶えてくれた。王
宮に戻ったフィオレンティーナのもとに、侍女として来てくれて。
ペルレ領にいた頃のように、おおっぴらに甘えることはできなくな
ったが、シェリルの笑顔と優しさは、フィオレンティーナの癒しだ
った。
兄弟に溺愛されて育ったためか、はたまたユーリウスという、顔
だけはすごぶる良い男が近くにいたせいか、シェリルはいまいち異
性に興味がないようだった。世の中にはユーリウスより良い男性が
たくさんいるはずなのに、もったいないことだ。ユーリウスとペル
レ兄弟が出る杭をことごとく叩き潰していたから、せっかく王宮で
働いているのに、シェリルには恋人ができるどころか、出会いの機
会すら滅多になかった。
ユーリウスなんかに、シェリルはもったいない。いっそ本当に兄
の側室になってもらおうかと考えたこともあったが、そんなことに
なったら、そばにいられなくなってしまう。シェリルに幸せになっ
てほしいという思いと、ずっとそばにいてほしいという思いが重な
って、フィオレンティーナを迷わせた。
シェリルの幸せを願うなら、手を放すべきだった。ついてきてほ
しいと、シェリルの優しさにつけこんでしまった自分を、フィオレ
ンティーナは後に後悔する。
177
﹁あら、今日の担当はシェリルではないの?﹂
ノルエスト王国までついてきてくれた侍女は気心の知れた者ばか
りだから、フィオレンティーナも気軽に声をかける。それぞれ得意
分野があるため、勤務時間帯や役割、顔ぶれは大体決まっていて、
シェリルは朝か昼の担当が多い。休日が大体三日に一度だから、二
日連続で顔を見ない日というのはめったにないのだ。
不思議に思ったフィオレンティーナが尋ねると、アンネリーゼは
いつもの調子で答えをくれた。
﹁シェリルは体調を崩して伏せっておりますので、今日はデルフィ
大丈夫なの?﹂
ーナが代理で勤めさせて頂きます﹂
﹁えっ!?
﹁ご心配には及びません。明日にはきっと元気な顔を見せてくれる
ことでしょう﹂
シェリルだって人間なのだから風邪をひくし、今までにも休むこ
とは稀にあった。しかし、ノルエスト王国に来て一カ月と少しとい
無理をさせてしまっている?
う現状が、フィオレンティーナを不安にする。
疲れがたまっていたのだろうか?
最近、シェリルは様子がおかしかった。フィオレンティーナが話
お医者様には診て
しかけると笑顔で答えてくれるのだが、不意に暗い表情を見せるこ
風邪?
とがあって、心配していたところだったのだ。
﹁体調を崩したって、どういうこと?
頂いたの?﹂
178
﹁風邪ではありませんが、少し疲れがたまっていたのでしょう。医
者にはみせておりませんが、本人がいらないと言ったので﹂
わたくしの気のせいかしら?﹂
﹁⋮⋮⋮わたくし、最近のシェリルは様子がおかしい気がするのだ
けど、アンネリーゼはどう思う?
﹁確かに少し元気がないようですが、慣れない環境で緊張している
だけだと思いますわ﹂
﹁なら良いのだけれど⋮⋮﹂
フィオレンティーナは、シェリルから家族を奪ってしまった。本
人は﹃寂しくないと言えば嘘になりますが、姫様のお傍にいられる
のですから平気です﹄と笑っていたが、あんなに仲の良かった兄弟
と遠く離れて、平気なわけがない。
それに、ユーリウスだって。シェリルがユーリウスのことをまだ
忘れていないことぐらい、長年二人を見ていたフィオレンティーナ
にはわかる。シェリルは、大丈夫ではないくせに﹃大丈夫﹄と上手
に笑うから、たまに騙されてしまうのだ。
﹁お見舞いに行きたいけれど、わたくしが行ったら迷惑よね。早く
元気になってって、シェリルに伝えておいてくれるかしら﹂
﹁仰せのままに﹂
フリューリング王国とノルエスト王国。フィオレンティーナとジ
ェラールの婚姻によって結ばれた二つの国は、定期的に使節を送り
あっているのだが、来月にノルエスト王国にやってくる使節団の中
にユーリウスがいると彼女が知ったのは、その日の夜のことだ。
ジェラールがフィオレンティーナのために名簿を持ってきてくれ
て、懐かしさに胸をときめかせながら開き、早々に驚くことになっ
た。
179
︵どうしてユーリが⋮!?︶
見間違いかと思い、何度も読み直したが、間違いない。ユーリウ
スは外交とは全く関係のない立場なのに、なぜこのタイミングでノ
ルエスト王国にやってくるのか。
従兄として、王太子妃のご機嫌伺いという理由ならわからないで
もないが、フィオレンティーナとユーリウスは、険悪と言うほどで
はないが仲が悪い。お互い、好んで顔を合わせたいと思う間柄では
ないのだから、考えられる理由は一つしかない。
︵シェリルを迎えに来るの?︶
ユーリウスが手を差し伸べて、シェリルがその手をとったなら︱
︱︱今度こそ、邪魔はしないでおこう。シェリルがいなくなるのは
寂しいが、彼女には幸せになってほしい。
嬉しそうな顔をして。懐かしい名前でもあったか?﹂
フィオレンティーナはもう、幸せを手に入れたからこそ。
﹁どうした?
﹁はい。ありがとうございます、ジェラール様﹂
﹁ユーリウス﹂
振り返ると、手袋をした細い手が差し出された。
180
﹁婚約者なのだから、一曲踊ってくださるわよね?﹂
﹁喜んで。ロスヴィータ﹂
顔に笑みを貼り付けながらその手をとり、ホールの中央へ足を進
め、抱きよせる。音楽に合わせ、ステップを踏む。単調な作業。将
来、この女と結婚したら、こんな気分を一生味わい続けることにな
るのかと思うと、今から辟易しそうだった。
豊かな栗色の髪。大粒の金剛石をあしらった金の髪飾り。胸を強
調した臙脂色のドレス。香水と白粉の匂い。強い光をたたえた紅玉
気性が荒いの間違いだろう﹄と心の中
の瞳。﹃気が強い娘ですが﹄という彼女の父の紹介文句を聞いて、
ユーリウスは﹃気が強い?
で訂正した。
確かに、ロスヴィータはとても美しい娘だ。しかし、それしか取
り柄がない。周囲に溺愛されて育ったせいで、この歳になっても我
儘が酷く、美しい容姿がそれにさらに拍車をかけた。見てくれに騙
される馬鹿な男が夜会のたびに群がってきたため、自分は特別な存
在なのだと勘違いしたわけだ。
顔を合わせるたび、自分は愛されて当然とばかりの傲慢な態度を
とるこの女が、ユーリウスは嫌いで仕方がなかった。シェリルと同
い年のくせに、まるで正反対だ。シェリルの爪の垢を煎じて飲ませ
たいと何度思ったことか。
﹁何を考えているの?﹂
﹁貴女のことを﹂
﹁あら。ふふっ、当然よね。この私と踊っているのですもの﹂
﹁先程から男たちの視線が痛いぐらいだ。僕はなんて幸運な男なの
181
だろうね﹂
今すぐこの手を振り払ってこの場から立ち去りたい。こんな茶番、
付き合ってられるか!︱︱︱心とは裏腹に、社交界に出てすっかり
嘘つきになった口は、勝手に彼女を褒めそやす。
かつて王権争いが繰り広げられていた時、中立を保っていた名門
侯爵の娘がユーリウスの妻となれば、ダールベルグ公爵の権力はさ
らに強固なものとなる。もちろんユーリウスに拒否権などなく、勝
手に決められた話だが、再びの争いを回避するには、この婚姻が不
可欠なのだ。
︵シェリルをそばに置いたら⋮⋮この女はなんと言うかな︶
自己愛の塊であるロスヴィータは、ユーリウスのことを自分の価
値を高める装飾品ぐらいにしか思っていない。王の後見、名門公爵
家の跡取り息子。さらに自分に釣り合う容姿の男ということで、ロ
スヴィータは夜会の度にユーリウスを自慢してまわり、取り巻きの
羨望を集めては悦にひたっている。
そんな女だから、ユーリウスが愛人を作ったりしたら、間違いな
く激怒するだろう。自分は男をとっかえひっかえして遊んでいるに
も関わらず。
︵しばらくは隠しておくべきだろうな。ばれても別に構いはしない
が︶
それでこの女が近寄ってこなくなるなら、万々歳だ。結婚という
事実さえあれば、夫婦仲などどうでもいいのだから。
182
曲が終わり、いかにも面食いそうな男がロスヴィータにダンスを
申し込んできたので、喜んで手を放し、ユーリウスは壁際に下がっ
た。喧騒から離れ、溜息をつく。
﹁本当にうんざりするよ。早くシェリルに会いたい﹂
﹁シェリルに触れるのは俺を倒してからにしろ﹂
顔を合わせるたびにこれだ。オスカー同様、ユーリウスの身分を
まるで気にしないこの態度は好ましく思うが、手合わせの度に殺気
を放ちながら剣をふるってくるあたり、騎士としてどうかと思う。
君は僕を殺す気な
妹のこととなると人が変わるのが、この男の一番の難点だ。次点は
女に弱いことだろうか。
﹁無理だって何回も言った。それともあれか?
のか?﹂
﹁殺したいとは常々思っているが﹂
﹁物騒な﹂
﹁俺はお前と話したいことなんかない。さっさと婚約者のところに
戻ったらどうだ﹂
﹁ようやく逃げられたんだから、もう少し付き合ってくれ﹂
﹁俺は勤務中だ﹂
﹁上官命令だ。従え﹂
ユーリウスは騎士団を統括する部署に属しているため、ニコラウ
スの間接的な上司にあたる。理不尽な命令に、ニコラウスは露骨に
嫌な顔をした。
﹁職権乱用だぞ﹂
﹁それがどうした。こういう時に使わずしていつ使うんだ﹂
﹁ちっ。シェリルはこんな奴のどこがいいんだ﹂
183
﹁さてね⋮⋮⋮ニコラウス、明日手合わせしよう﹂
﹁なんだ。さっき無理って言ったばかりじゃないのか﹂
﹁今の僕では無理だ。でも、彼女に再会する前に、少しでも相応し
い男になっておきたいから﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
翌日、ニコラウスは手加減なしでユーリウスを叩きのめした。後
に、その様子を聞いたオスカーは、﹃二人とも、どうしようもない
なぁ﹄と、そうこぼしたらしい。
184
王太子1*
花の民の血と合いすぎたのか、摂取方法がまずかったのか、媚薬
の効果は丸一日持続した。
はからずしも仕事に穴をあけてしまい、横になっている間、シェ
リルは憂鬱で仕方なかった。こんなことが続いたら、みんなに迷惑
をかけてしまう。デルフィーナ達は気にしなくていいと笑ってくれ
たが、だからといって甘えていいわけがない。
翌日出勤すると、体調を崩したということになっていたシェリル
を、姫様は優しい言葉でいたわってくださった。実際の理由が理由
なだけに、表情を取り繕うのが大変だったが、お言葉は純粋に嬉し
かった。
﹁姫様、今日はとてもご機嫌がよろしいようですね。何か楽しいこ
とでもあったのですか?﹂
﹁そうなのっ。今から来月が楽しみだわ﹂
﹁来月?﹂
何かあっただろうか。姫様の予定を頭の中に羅列するも、思い当
たる節がない。
﹁教えてあげたいのは山々だけど、わたくし、頑張って秘密にする
わ。驚きは大きい方がいいもの﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
昨夜は王太子殿下がいらしたという話だから、なおさら機嫌が良
185
いのだろう。幸せそうな姫様を見ているとシェリルも嬉しくなって
きて、自然と笑みがこぼれた。
その後はしばらく、穏やかな日々が続いた。男たちの熱い視線は
相変わらずだったが、強硬手段に出てくる者がいなかったからだ。
移動の際には一人にならないよう細心の注意を払ったし、仕事中
に姫様のお部屋から出る用事がある時はデルフィーナたち率先して
動いてくれた。気を遣ってくれているのだろう。ありがたかった。
しかし、迷惑をかけていることも感じられて、心が痛かった。
変わりないか?
無理をしないで帰ってこい︱︱︱父と兄弟た
家族から届いた手紙もまた、シェリルの心を揺らがせた。元気か
?
ちは、シェリルの血のことを知っているのだろう。手紙の定型句が、
しか
﹃頑張れ﹄ではなく﹃帰ってこい﹄であることが、何よりの証拠だ。
問いたい気持ちでいっぱいだった。母は何者だったのか?
し、それを聞いたら、シェリルが血の力を知った理由を問い返され
てしまうかもしれない。どうしてもそれを言葉にする勇気が持てな
くて、結局はあたりさわりのない言葉だけをしたためた。
本当は、家に帰りたい。逃げたと思われてもいい。ユーリウスの
胸で、父の膝で、思いっきり泣きたかった。⋮⋮⋮でも、現実的に
ユーリウスの胸で泣くのは不可能だし、フリューリング王国に帰る
ということは、姫様を捨てるということだ。それは、したくなかっ
た。お傍に居させてほしい。
シェリルは自分の血がどんなものかを、まだ理解していなかった。
無差別に異性を誘惑する香りが、どれほどの悲劇を生むかを。その
時は、自分が傷つくだけでは済まないのだと。
186
迷っているうちに、決定的な出来事が起こった。
この頃、シェリルの仕事は朝勤が中心になっていた。アンネリー
ゼが配慮して、昼間の人が多い時間帯を避けてくれたらしい。朝も
多いことは多いのだが、下働きは誰しも多忙なので、かえって安全
だった。夜勤も何度か経験したが、王太子殿下のお越しがなければ、
基本は姫様のお部屋で待機しているだけなので、問題はなかった。
今夜は王太子殿下がいらしている。姫様と晩餐を共にされ、先ほ
ど寝所に入られた。
過去の所業がどうであれ、王太子殿下は姫様にお優しい。姫様は
王太子殿下にぞっこんなので、傍目には仲の良い夫婦に見えるが、
夜を共にする頻度はやはり週に一度あるかないかだ。シェリルには、
王太子殿下のお考えがいまいちわからなかった。
深夜。寝室の扉の開閉を知らせるベルの音で、シェリルは顔をあ
げた。気持ちを整え、控えの間を出る。
﹁っ!?﹂
扉から半身を出した途端、大きな手の平に口を塞がれた。そのま
ま身体が押し戻され、わけがわからないうちに後ろ頭と背中に痛み
を感じ、足が浮いた。テーブルにのせられた、らしい。
187
﹁んーっ!﹂
﹁静かにしないと、そなたの主が起きてしまうぞ﹂
﹁っ!?﹂
シェリルは目を見開いた。ランプが作りだす薄明かりの中に、王
太子殿下の端正な顔がある。
﹁そなたが、叔父上が召したという侍女だな﹂
﹁っ!﹂
﹁正気を失って以来、女を遠ざけていた叔父上が求めたというから
どんな女かと思ったら⋮⋮⋮なるほど、普通とは違うようだ﹂
そう言って、ジェラール殿下はスカート越しにシェリルの太股を
撫でた。おぞましさに鳥肌が立つ。逃れようと身をよじり、渾身の
力でもがいても、太股を撫でまわす手はおろか、口元を押さえる手
んーっ!!﹂
を退けることすらできなかった。
﹁んーっ!
﹁静かにしろというに﹂
押しのけようとしていた手首を掴まれ、頭上でテーブルに押しつ
お戯れはおやめくださいっ﹂
けられた。襟元を飾っていたタイが取られ、くくり付けられてしま
う。
﹁一体なにをなさるのですかっ!
﹁静かにしろというのが、わからないか?﹂
﹁⋮っ﹂
静かな声なのに、逆らうことを許さない響きがあった。実際、相
手は王太子殿下であり、シェリルに拒否する権利はない。しかし、
188
お許しくださ、⋮うぐっ!﹂
諦めるなどできるわけがなかった。サミュエルの時とは違う。
おやめくださいっ!
この方は︱︱︱姫様の夫君なのだ。
﹁いやですっ!
口の中にハンカチが詰め込まれ、とうとう言葉を封じられた。
シェリルの抵抗を封じると、ジェラール殿下は淡々とシェリルの
仕事着に手をかけた。エプロンを取り払い、襟元をくつろげる。あ
らわになった乳房を眺め、確かめるように触れる。
凌辱というより、検分だった。テーブルの上という、食べ物やお
茶の用意をするところで、身体を検められる。起ちあがった乳首を
つままれ、身を強張らせると、執拗に攻められた。
﹁ッ!⋮⋮っ!⋮﹂
この方も剣を扱われるのだろう、武骨な手の中に、乳房がすっぽ
りと包みこまれている。刺激されるたび、馬鹿正直に反応してしま
う自分が情けなかった。何も感じなければ、すぐに興味を失ってく
ださっただろうに。
﹁淫らな身体だ﹂
こんなの、嫌だ。流されては駄目だ。受け入れてはいけない。頭
ではわかっているのに、シェリルは無力だった。いやだと頭を振り、
手首の拘束を外そうと必死に力を入れるも、肌に食い込むばかりで
何の効果もない。
189
﹁なぜ抗おうとする。散々遊んでいるくせに。この私が触れてやっ
ているのだから、素直に喜んだらどうだ﹂
足を割り開かれ、猛り立ったものが、下着越しにおしつけられる。
怖気がした。
この方は、つい先程まで姫様を抱いておられた。その上で誘惑し
てしまったのだとしたら、花の民の血とは、なんて罪深いものなの
だろう。
﹁もう濡れているな﹂
下着をずり下ろされ、乳房への刺激で蜜をたたえた秘所を、男根
で押し開かれる。背筋を快感が奔り、シェリルの身体は、ジェラー
ル殿下を嬉々として迎え入れた。 この身体は、なんて浅ましいのだろう。
﹁ほう⋮⋮これは良い。絡みついてくるかのようだ﹂
﹁⋮ふっ、⋮う⋮っ⋮うぅ⋮っ⋮﹂
涙が溢れて止まらない。身体の中にジェラール殿下を感じるたび、
姫様の笑顔が脳裏に浮かんで、シェリルをしたたかに打ちのめした。
︵姫様っ⋮!!︶
﹁んっ、⋮⋮ふ、ふ、っ⋮うっ⋮んんぅっ﹂
﹁声が聞けないのが残念だな﹂
激しく身体を打ちつけられ、テーブルが軋む。シェリルを弄ぶジ
190
ェラール殿下の姿に、打算や情愛は見られず、ただ欲を吐きだすた
めだけの行為なのだということがわかる。叔父の召した侍女に対す
る興味が切欠だろうが、妃を抱いた後で、その侍女を犯すなんて︱
︱︱薄々感じていた通りだった。
この方は、姫様を愛していらっしゃらない。
﹁んんっ⋮⋮︱︱︱ッ!⋮⋮︱︱︱︱︱ッッ⋮!!!﹂
シェリルの意思に反して、身体は絶頂に達し、ジェラール殿下を
締め付けた。引き抜かれようとするものから、身体が勝手に精を搾
り取る。胎の奥で欲望が弾ける。
﹁くっ⋮⋮︱︱︱﹂
萎えたものをずるりと抜き出して、ジェラール殿下はテーブルの
上で放心するシェリルを冷たく見下ろした。
﹁⋮⋮⋮まったく、大した身体だ。万が一子ができても、泣きつい
てくるなよ。職を失いたくなければな﹂
王宮勤めの侍女は、女性がつける中で最も高給な仕事だ。それを
解雇されたとなれば、他で雇ってもらうことは到底望めず、路頭に
迷うことになる。シェリルには実家という逃げ場があるからまだい
いが、他の侍女には死の宣告にも等しい言葉だった。
手首の拘束が解かれる。ようやく自由になった手首は、結局は何
の意味もなかった抵抗のせいで赤く腫れていた。口に詰められてい
たハンカチを自力で取り、軽く咳き込む。過剰に水分を奪われ、乾
いた口の中が気持ち悪かった。
191
﹁なにをしている。早く仕事をしないか﹂
椅子に腰掛けたジェラール殿下が、命じてきた。体液で汚れた一
物を清めろと言っているのだとわかり、シェリルは胸元を掻き合わ
せながら身を起こした。水を汲み、清拭用の布を持って、殿下の前
に跪く。
﹁良い思いをさせてもらった。また相手をしてやろう﹂
﹁⋮⋮⋮光栄です﹂
﹁ものすごく嫌そうな顔だな﹂
﹁っ、申し訳ありません﹂
﹁まぁ、あれだけ泣いて嫌がっていたのだから、今さら白々しい言
葉を吐いたところで信じはしないが﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
清め終えたものをしまい、衣服を整えていく。自身はまだ下肢に
体液を滴らせているのに、凌辱者の身支度を行っている自分が、ひ
どく滑稽に思えた。
﹁終わりました﹂
私は姫様以外のお方に仕えるつもりなどありません!
﹁ご苦労。そなた、私付きの侍女にならないか?﹂
﹁誰がっ!
!﹂
あんまりな誘いに頭が真っ白になり、言葉を選ばずに拒絶してし
まった。必死のシェリルを見て、ジェラール殿下がくつくつと笑う。
﹁なるほど、そんなに主人が大切なのか。では、そなたが私に抱か
れた数だけ、私は妃を抱くとしよう﹂
192
﹁殿下っ!?﹂
夫に顧みられない妃が、王宮でどのような扱いを受けるか。名ば
かりの妃などと呼ばれ、王侯貴族はおろかその使用人にまで軽んじ
られ、夫が側室を迎えた時には、その地位をとってかわられる可能
性すらある。和平のために嫁いできた姫様がそんな不遇に陥ったら、
そんなことをなさるぐらいなら、いっ
フリューリング王国と戦争になるかもしれない。
﹁いやです、できません!
そ殺してくださいっ⋮!﹂
なんとも敬虔な侍女魂だが、そ
姫様を裏切るぐらいなら、命なんていりま
﹁主人のためなら命も捨てると?
なたは馬鹿だな﹂
﹁っ馬鹿で結構です!
せん!﹂
﹁裏切ってから言ってどうする。そこまで言うなら、抵抗を奪われ
る前に、舌を噛んで死ねばよかっただろうに﹂
﹁っ︱︱︱!!?﹂
己の愚かさを気付かされ、シェリルは愕然とその場にへたりこん
だ。
この身はすでに殿下の精を受けてしまった。あれほどの快楽を貪
っておきながら、今さら忠義を語ったところで、誰も信じてくれは
しない。
﹁ではな。次に会う時を楽しみにしているぞ﹂
193
194
王太子1*︵後書き︶
鬼畜、狂人ときて、お次は外道。
︻鬼畜︼:鬼と畜生。転じて、残酷で、無慈悲な行いをする者。
︻狂人︼:精神に異常をきたした人。
︻外道︼:心のひねくれた人、邪悪な人をののしっていう語。︵b
y大辞泉︶
195
王太子2*
惨めだった。自分の後始末をしている間も、控えの間の換気をし
ている間も、シェリルの瞳からはとめどなく涙が零れ落ちていた。
もう姫様のお傍にはいられない。そんな恥知らずなことはできな
い。夫君を寝取ってしまった後で何事もなかったかのように振る舞
えるほど、シェリルは厚顔ではなかった。本当なら姫様自らの手で
裁いていただくべきなのだろうが、姫様に軽蔑の目で見られるかと
思うと、それも恐ろしくてできない。ただ、もうここにはいられな
いと思った。
ジェラール殿下はあのようにおっしゃったが、一介の侍女ごとき
のために姫様をないがしろにするなんてできるわけがないのだ。あ
んなもの、シェリルの身体を自由にするための脅しに過ぎない。そ
れに屈してしまったら、姫様を完全に裏切ってしまうことになる。
王宮から出ていこう。厄介事ばかり引き起こす人間がいては、皆
いきなり何を言い出すの、シェリル!﹂
に迷惑をかけてしまうから。
﹁辞める!?
理由を言いなさい、理由を!
いきなりそんな
﹁実家に帰ろうと思います。今までありがとうございました﹂
﹁お待ちなさい!
こと言われて納得すると思っているの!?﹂
﹁もう姫様のお傍では働けません。ごめんなさい﹂
引き止めるアンネリーゼの言葉を首を振って拒否し、姫様への挨
拶も固辞した。不治の病を発病したとか、大怪我をして二度と見ら
196
れない顔になったとか、適当な言い訳をお願いしますといって、シ
ェリルは荷物をまとめて王宮を出た。
実家に帰るとは言ったが、本当にそうするかどうかはまだ決めか
ねていた。フリューリング王国は遠い。お輿入れの際は馬車で十日
かかったのだから、徒歩ではさらに、女の足ではもっと。ただでさ
え街道や国境近辺は治安が悪いのに、女の一人旅でフリューリング
王国へ辿りつける可能性はごく低い。
逃げ帰ったシェリルを見て、父や兄弟達はなんと言うだろう?
ほれ見たことかと、呆れるだろうか。あれだけ帰ってこいと言って
いたのだから追い返しはしないだろうが、どんな目で見られるのか
と思うと、胃の辺りがずしりと重くなる。きっとあたたかく出迎え
てくれるはずだと、虫のいいことばかり考えてしまう。帰れる場所
があるだけでも、ありがたいことだというのに。
荷物を抱えて街中を彷徨っていると、いきなり声をかけられた。
﹁なにをしてるんですか、貴女は﹂
目の前に、鎧を身に付けたエルヴェが立っていた。︱︱︱なぜ、
ここに。仕事中なのだろうに。
﹁ジェラール殿下より、貴女を捕縛せよとの仰せです。王族に逆ら
うなんて、馬鹿ですね﹂
﹁なっ!?﹂
197
﹁罪状は適当にでっちあげたみたいですよ。大人しく従っておけば、
付け入る隙を与えずに済んだものを﹂
心の底から呆れた顔で、エルヴェはシェリルを捕らえた。シェリ
ルの身体をマントで隠して、連行する間に衆人に顔を見られないよ
うにしてくれたのは、彼なりの優しさだったのか。
シェリルが放りこまれたのは牢ではなく、ジェラール殿下のお部
屋の近くだった。つまりは、側室用の居室ということなのだろう。
手枷をはめられただけでなく、その端をベッドに繋がれて、これか
らどういう目に合うのかをありありと思い知らされた。
﹁部屋は気にいったか?﹂
とっぷり日が暮れてから、ジェラール殿下はシェリルのもとを訪
れた。
﹁⋮⋮⋮ここから出してください﹂
﹁飽きたら出してやるさ。私は狙った獲物を逃さない主義でね﹂
呆然とベッドに座り込んでいるシェリルに後ろから覆いかぶさっ
あれは使える男だが、恋人に
て、ジェラール殿下はくつくつと笑った。
﹁エルヴェは優しくしてくれたか?
は不向きだろう。まるで人間らしい情がないからな﹂
﹁あんな人、恋人じゃありません﹂
198
﹁おや?
一方的に付きまとわれていただけです!﹂
噂では、そなたが誘惑したことになっていたが﹂
﹁してません!
﹁なるほど。追いかけまわすほど執着している女を、あっさり突き
出したのか。やはり無情だな。騎士というより、暗殺者向きだ﹂
エルヴェを評しながら、ジェラール殿下はシェリルをベッドに押
し倒した。
﹁もう泣かんのか﹂
﹁殺してください⋮⋮﹂
﹁死にたければ自分で死ね。その勇気もないくせに、口だけでほざ
くな。そなたは全て口だけだ。いやだと言っておきながら、身体は
あんなにも悦んでいたではないか﹂
そなたには不要なものだと、肌を隠すもの全てを引きちぎるよう
に奪われた。唯一残されたのは両手を戒める手枷だけ。一糸まとわ
ぬ姿で転がされ、首筋や胸元の肌を吸われ、乳房を舐めまわされ、
太腿や尻を撫でさすられる。
あっという間に身体を火照らせたシェリルを、ジェラール殿下は
さらに言葉で辱めた。
﹁あっ⋮、あう、うぅ、んっ!﹂
﹁思った通り、良い声で鳴く﹂
股を広げられ、愛液の溢れる秘所に顔をうずめられる。敏感な花
芽を舌で弄られて、はしたない声をあげながら、ベッドの上で身体
を跳ねさせる。
ジェラール殿下の愛撫は巧みだった。シェリルが身をよじる度、
199
装飾品のような華奢な鎖がシャラシャラと涼やかな音を奏でる。見
た目は豪華な腕輪のようでも、強度と重さは本物で、シェリルは完
いやですっ⋮⋮でん、かっ、おやめくださいっ⋮!
全に抵抗を封じられてしまっていた。
﹁いやっ!
こんな、のっ、だめです⋮!﹂
﹁そなたは侍女を辞めたのだろう。何の問題もない﹂
﹁こんなの、姫様に対する裏切りですっ⋮⋮おやめくださいっ⋮!﹂
﹁側室の一人や二人ぐらい許容できなくて、大国の妃が務まるもの
か﹂
﹁側室っ!?﹂
﹁私の手がついて、部屋を与えられた時点でその女は側室となる。
何を今さら驚いているのだ﹂
シェリルは愕然とした。そんな、閉じ込められただけでなく、さ
側室の座なんて、いりません!﹂
愛人でも、奴隷でも結構ですから、それだけは、
らに姫様を脅かす立場に置かれるなんて。
﹁いやですっ!
お許しください⋮!
﹁自ら奴隷扱いを望むか。変わった女だ﹂
失笑し、殿下はシェリルの上にまたがってきた。そそり立つもの
を突きつけられ、慌てて顔をそらす。
﹁口を開けろ。奴隷なら奴隷らしく、主のものに奉仕してみせろ﹂
﹁っ︱︱︱!?﹂
できるわけがなかった。犯されるならまだしも、望んでもいない
ものを、自ら受け入れるなど。そんなことをしたら、もう言い逃れ
ができない。否、もうすでに何も言う資格はないが。
200
﹁できないのか?
やはりそなたは口だけだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮できる、できないではなくて、いやです。⋮⋮⋮絶対に、
いやです﹂
この方は、シェリルに屈辱を与えることを楽しんでいるのだ。身
体を奪われても、心まで売り渡すつもりはなかった。
﹁なんだ、そんな目もできるのか。ただの雌犬かと思えば、そうで
もないのだな。むしろ躾がなっていないと言うべきか。この口は、
さっきから﹃いや﹄しか言ってないからな。手枷だけでなく轡も噛
まそうか﹂
大きな手で、口ごと顎を掴まれる。怖かったが、視線はそらさな
かった。
﹁だが、そんなことをしたら嬌声も許しを請う言葉も封じてしまう
な。面倒だが、気長に躾けるしかあるまい。まずは、自分の飼い主
ジェラール様って、とっても素敵な方なのよ!﹄
が誰なのかを思い知らせてやろう﹂
﹃シェリル!
国同士の都合で決められた婚約なのに、婚約者について語る姫様
は、とても自慢げで、幸せそうで。庭園をご案内した際に手を繋い
でくださったとか、兄王と対等に話している姿がとてもかっこよか
ったとか。年に一回あるかないかの会談でお見かけするたびに、喜
びはしゃいで、かわいらしく頬を染めて、未来の幸せな生活を夢見
て。
姫様の語るジェラール殿下とこの方は、本当に同じ人物なのだろ
201
うか。
﹁っ⋮!⋮やっ、⋮⋮んっ!
っはぁ⋮﹂
⋮いやっ、⋮いやっっ、⋮⋮︱︱︱
シェリルを犬のように四肢で這わせ、太いモノで中をぐちゅぐち
ゅと掻き回す。奥を小突いたかと思えば、浅いところを重点的に擦
り、シェリルの感じるところばかりを狙うくせに、シェリルが甘い
声をあげると動きを止める。悶えるシェリルを見下して、卑猥な言
葉を耳に吹き込む。
淫乱な雌犬。もっと鳴け、ねだれ。腰を振れ。嫌だなどと言うわ
りには、そなたの穴は私を根元までくわえこんでいるぞ。
どれほどの時が経ったのか。時間の感覚など、とうに失われて久
しい。
余りある快楽に耐えきれず、シェリルが達すると、﹃主の許可も
取らずに勝手にイクとは何事だ﹄と、力尽きた身体にさらなる責苦
を与えられた。何度か意識を失ったようだが、覚えがない。気付け
ば、常に身体を揺さぶられていた。
愛などない、欲望を処理する為でもない、ただシェリルを屈服さ
せるための行為。﹃犯す﹄という言葉が何よりも相応しい行いだっ
た。
202
﹁いや、⋮っ、⋮いやぁ⋮⋮、も⋮⋮やめ、⋮っ⋮⋮ゆるし、てぇ
⋮⋮﹂
犯され続けている場所が熱くて、今にも溶けはじめそうだった。
自分が自分でなくなってしまう。こんなことを続けられたら、壊れ
てしまう。いっそ殺してくれた方が、どんなに楽か。
﹁もう限界か。他愛ない﹂
﹁はぅっ⋮︱︱︱﹂
ずくっ、と一番奥を突かれて、シェリルは顔からシーツに突っ伏
した。ずっとあげっぱなしにさせられている腰はだるいし、足にも
腕にも、力が入らない。しかし、涙だけは、いまだ枯れることなく
流れ落ちている。
﹁っ⋮⋮もぅっ⋮⋮ぃや⋮ぁっ⋮﹂
﹁いや、か。ならば、楽にしてやろうか?﹂
一二もなく頷いたのだろう。この責め苦から逃れたい、終わって
ほしい、頭の中はそればかりだったから。ずっと中を占領していた
ものが抜かれ、ほっと一息つく間もなく、視界が反転した。
﹁ひぁっ、っ︱︱︱﹂
いきなり姿勢を変えられて、目の前がぐにゃりと歪んだ。直後、
膣にずぶりと男根が入り込む。
﹁っ!︱︱︱あ、ぅぅ⋮っ﹂
﹁これで楽になっただろう﹂
203
自分がもたれかかっているものが、何なのか。頭がぼんやりして、
よくわからない。とくん、とくん、と伝わってくる音が心地良くて、
このまま眠ってしまいそうだった。
﹁おい、寝るな﹂
﹁ぅ、⋮?﹂
﹁まったく⋮⋮いつもそういう顔をしていれば、もう少しかわいが
ってやるものを﹂
唇に柔らかいものが押しあてられる。ぬるっ⋮と何かに舌が絡め
とられて、ぴくりと身体が震える。心地良さに酔いしれながら、薄
らと目を開けると、ようやく現状が見えた。
ん、んっ⋮︱っ!﹂
しかし、逃れようと力を込めた途端、口づけが深まる。
﹁んんっ⋮!
口の中で舌が交わる音が、ひどく淫靡だった。溢れた唾液を、舌
ごと吸われる。口の中を舐められる。散々貪られ、ようやく解放さ
れた時には、息をすることもままならなかった。
﹁なに、を⋮﹂
﹁正気のそなたにやると噛みつかれそうだからな。それより、起き
たのなら動け。またキスが欲しいのなら話は別だが﹂
﹁っ︱︱︱!?﹂
足の間にある異物感も、奥に当たる感触も、気付いていないわけ
ではなかった。ただ、あまりにも馴染み過ぎていて、自分がどうい
う体勢なのか、そこまで考えが及ばなかった。
204
ジェラール殿下の上に跨り、剛直を受け入れて、その胸に頭を預
けてまどろんでいたなんて。腕と手枷が作り出す輪が首にかけられ
ているから、まるでシェリルから抱きついているかのようだ。あま
りのはしたなさに、羞恥で顔から火が出そうだった。咄嗟に足に力
を込めたが、腰を抱かれて阻止されてしまう。
﹁ふぁううっ⋮︱︱︱やっ、⋮はなして、ください⋮!﹂
﹁なぜだ。気持ち良さげに鳴いたくせに﹂
﹁いやですっ⋮⋮こんな、の⋮っ﹂
﹁また﹃いや﹄か。そなたはそればかりだな﹂
﹁ひゃんっ!﹂
どんっ、と下から突き上げられて、シェリルはあられもない声を
あげながら悶えた。
﹁そなたの言うことはまるで筋が通っていない。側室は嫌だ、奴隷
でいい。しかし、主に尽くすのは嫌だという。愛撫を与えてやって
も、いやだいやだと、そればかり。そのくせ身体は快楽を貪ってい
るのだから︱︱︱自分で卑怯だと思わないか?﹂
あぁっ⋮⋮やめてっ⋮!⋮、かないでっ⋮、ぁ
どんなことだ﹂
﹁っ⋮⋮そもそも、こんなことをされるのが、いやなんですっ﹂
﹁こんなこと?
﹁あっ、いやっ!
あんっ!﹂
﹁そのようによがりながら言ったところで、説得力の欠片もないな﹂
身体が持ち上げられ、また落とされる。深いところを串刺される
たび、頭の芯が痺れるような快感が襲い、あられもないよがり声と、
涙が溢れた。
﹁っ⋮私、⋮ぁっ⋮殿下の、ものに、はっ︱︱︱⋮⋮なりたく、な
205
っ⋮﹂
﹁そなたは私の所有物だ。この国にいる間は、永遠にな﹂
﹁そんなっ⋮、ひど⋮っ⋮⋮︱︱︱あぁぁっ⋮⋮﹂
﹁わかったら、大人しく喘ぐがいい﹂
﹁はっ、あぅあっ⋮⋮やめてっ⋮⋮やめてっ⋮いやっ⋮⋮ひめさま
ぁっ⋮︱︱︱﹂
ジェラール殿下が去って、まるで力の入らない身体をベッドに投
げ出しながら、シェリルは静かに涙を流した。
あんなに酷い男が姫様の夫だという事実が悲しかった。あの男が
本性を見せた時、姫様がどんなに傷つくかと思うと、神の無慈悲さ
を呪いたくなる。
︱︱︱誰か、姫様を助けて。
自分の助けは願わなかった。代わりに、自ら死を選ぶ勇気のない
自分の意気地のなさを呪った。汚れきった上に、姫様を裏切ってな
お、のうのうと生きている自分が恥ずかしい。
このまま溶けて消えてしまえたらいいのに。
206
彼なりの優しさだったのか?
王太子2*︵後書き︶
Q.
エルヴェ:﹁殿下のご命令です﹂
それっぽく見えても、エルヴェにそんな優しさはありません。
自分に利があるようにしか動かない男ですから。
207
侍女の噂
﹁ねえ、聞いた?
王太子殿下がまた側室を迎えられたんですって﹂
﹁えっ。でも、お妃様が嫁いできてまだ二カ月ぐらいしか経ってな
いわよね﹂
﹁お妃様って、お綺麗っていうより、かわいらしいお方だしね。殿
下のお好みに合わなかったんじゃない?﹂
﹁えーっ。だとしたらお妃様かわいそー﹂
あの
?⋮⋮⋮前科でもあるの?︶
﹁でも、あの殿下だものねえ。ありえなくはないわねえ﹂
︵
﹁それで、その側室ってどんな方なの?﹂
それとも実は両刀だと
﹁それが、よくわからないのよ。誰も顔を見てないらしくて。ただ、
人間の女性だということは確実らしいわ﹂
人間じゃない側室なんていたの?
﹁あー。それじゃあ本当にご側室なのね﹂
︵は?
か?︶
王太子の過去の側室は、姫様と結婚するまでの繋ぎであることが
前提であったため、あまり身分の高くない娘ばかりが選ばれていた。
一人は男爵令嬢で、一人は大富豪の娘、一人は狩りに行った先で
拾ってきた平民。男爵令嬢も富豪の娘も美人だったそうだが、王太
子の寵愛を受けて﹃最愛の寵妃﹄とまで呼ばれたのは、平民の娘だ
った。
208
王太子はこの平民をたいそう寵愛しており、部屋に閉じ込めたき
り誰にも見せなかったのだという。だから誰も寵妃の顔を知らない。
詳細を探ろうにもお付きの侍女は一様に口が堅く、扉の前には常に
近衛が立っていて、こっそり忍びこむなど不可能。唯一知りえた情
報は、イレーヌという名と、黒髪の美女ということだけだったのだ
という。
姫様が嫁いで来る前に側室はみんな実家に帰されたため、バルバ
ラは誰の顔も見たことがないが、他の二人諸共、イレーヌ姫の名は
油断ならぬ敵として彼女達に認識されていた。
︵あの三人の他にも隠された側室がいたんだとしたら、大問題だわ。
もっと情報をよこしなさい!︶
﹁お部屋はリエールの間だって﹂
﹁ということは、身分の低い方なのかしら。ひょっとして平民?﹂
﹁さあ、そこまでは。でも、お付きの侍女も選ばれてないみたいだ
し、平民かもね﹂
﹁どこで見初められたのかしら?﹂
人の真似したって殿下のお手はつかないわ
純粋な興味よ、興味!﹂
﹁やだ、狙ってるの?
よ﹂
﹁わかってるわよ!
﹁馬鹿ね。まだ顔も名前も素性もわかってないのに、見初めた場所
なんてわかるわけがないでしょう﹂
わかってるわよ!
言ってみただけ
﹁そりゃそうだけど。あーっ、いいなぁ。羨ましい。私も殿下にあ
ーんなことやこーんなことされてみたいなぁ﹂
うるさいなぁ!
﹁無理無理。あんたじゃ一生無理﹂
﹁もーっ!
だってば!﹂
﹁きゃははははっ!﹂
209
﹁それより、聞いてよ。昨日ね、仕事中に⋮⋮﹂
大変っ、王太子殿下が側室をお迎えになったって!﹂
これ以上の収穫はなしか。舌打ちし、バルバラはそっとその場を
離れた。
﹁アニーっ!
﹁なんですって!?﹂
聞くなり、アンネリーゼは眉を跳ねあげた。王太子妃付きの侍女
にとって、この噂は他人事ではない。真偽の確認と、より正確な情
報の収集を行い、ことによっては姫様にお伝えしなければならない
からだ。
﹁本当なの?﹂
﹁どうやら間違いなさそうよ。根元は王太子殿下付きの侍女で、今
朝から爆発的に噂が広まってるわ﹂
﹁なんてことなの⋮⋮。詳細な情報は?﹂
﹁私もそれが知りたくて、二時間ぐらい張り込んでたんだけど、よ
くわかんなくて。誰も顔を見てないらしいの。平民じゃないかって
言われてるけど、真偽のほどは定かじゃないわ﹂
﹁平民⋮⋮ね。ただのお戯れということかしら﹂
﹁姫様を排除しようってとこまではいかなさそうだけど、一体どう
新婚
姫様の何が不満なん
いうつもりなのかしら。まだ二カ月しか経ってないのよ!?
真っ只中だってのに、あんのエロ王子っ!!
だちくしょうっ!!﹂
210
バルバラは悔しげに地団太を踏んだ。
﹁やめなさい、バルバラ。誰かに聞かれたらどうするの﹂
﹁ごめん。つい興奮しちゃって。⋮⋮⋮シェリルじゃないよね﹂
﹁え?﹂
﹁だから、その側室。シェリルじゃ、ないよね﹂
シェリルが急に出て行ったのは、昨日。王太子殿下が側室をお迎
えになったというのも、昨日。偶然にしては出来過ぎている。
どうし
どうしてシェリルが王太子殿下の
だって、おかしいじゃない!
﹁馬鹿なこと言わないで頂戴!
側室になんか!﹂
﹁私だってそう思うけど!
どうしてそれが
どうして誰もシェリルがどこに行ったか知らないの
てシェリルは急に辞めるなんて言い出したの!?
昨日なの!?
よっ!!﹂
アンネリーゼの制止を振り切って、シェリルが王宮を飛び出して
から、話を聞いたデルフィーナとバルバラは後を追いかけた。しか
し、乗合馬車の御者も、旅券売り場の係員も、宿の受付も、街の門
番すら、誰一人シェリルを見ていなかった。シェリルの容姿で、誰
シェリルはきっとあなた達とは違
の目にも留まらないなんてありえないのに。
﹁落ち着きなさい、バルバラ!
う道を行ったのよ。無事に故郷に辿りついたら、きっと連絡をくれ
るわ。あの子の性格で、何の便りも寄こさないなんてありえないで
しょう?﹂
﹁いきなり辞めるなんて言い出すのも、こんな急に出ていくのもあ
りえないと思うけどね。⋮⋮でも、ごめん。シェリルが姫様を裏切
るようなことするわけないのに、馬鹿なこと言って。私、ちょっと
211
疲れてるみたいだわ﹂
バルバラの背を叩きながら、アンネリーゼは昨日のシェリルの様
子を頭に思い浮かべた。
朝、出勤したアンネリーゼに対し、蒼白な顔で、泣き腫らした目
で、﹃ごめんなさい﹄と繰り返して、シェリルは逃げるように出て
行った。十中八九、夜勤の間に何かがあったのだろう。
あの夜は、王太子殿下が姫様のもとにおいでになられていた。い
つも通り、王太子殿下は夜のうちにご自分のお部屋にお戻りになら
れていたので、まだお尋ねすることはできていないが、翌朝お目覚
めになられた姫様は、シェリルの身に起きたであろう異変を何もご
存知なかった。つまり、何かが起こったとするなら、夜更けから明
け方にかけての数時間だと考えられる。
しかし、職務に真摯なシェリルがそんなことをするとは考
姫様がお休みになられてから、シェリルは持ち場を離れたのだろ
うか?
えにくい。ここ最近は特に用心深くなっていたから尚更だ。
﹁エミー、姫様のご様子は?﹂
﹁ようやく落ち着かれました。今は奥でお休みになられています﹂
シェリルが出て行ったとお伝えした際の姫様の取り乱しようは、
痛々しいほどだった。
212
﹃⋮⋮⋮嘘。どうして?
シェリルがそ
ねえ、そうでしょう︱︱︱!?﹄
何故わたくしに黙って?
んなことするはずがないわ!
姫様にとって、シェリルは単なる使用人ではなく、もっと大切な、
かけがえのない存在なのだ。
アンネリーゼ達がどんなに慰めても効果がなく、自ら連れ戻しに
行くと言い張る姫様をお引き留めしたり、騒ぎが外に漏れないよう
に注意したり、会談予定の相手にお断りを申し上げたり、とにかく
大変だった。その際に、風邪で寝込んでいるということにしていた
ので、夕方頃に王太子殿下が姫様のお見舞いにこられた。
さすがに夫君にまで本当のことを隠すわけにはいかないので、﹃
とても信頼していた侍女が急に辞めてしまって、ショックを受けて
いる﹄と少々事実を伏せた形でお話ししたが、とても驚いておられ
どうして、
たので、やはり何もご存知ないのだろう。これで手がかりは何もな
くなってしまった。
﹁シェリル、どうして出て行っちゃったんでしょう?
こんなに急に⋮⋮⋮また何かあったんでしょうか﹂
﹁わからないわ。⋮⋮⋮あのことは、姫様には申し上げてないわね
?﹂
シェリ
﹁言えませんよ。知ったら姫様、なおさら自分のせいだって思いこ
んでしまうでしょう﹂
﹃わたくしがシェリルを連れてきてしまったからなの!?
ルから、大事な人たちを奪ってしまったから、だから黙って帰って
しまったの!?﹄
そうやって自分を責める姫様に、シェリルの身に起こったことを
213
告げたら、どう考えるかなんて目に見えている。
﹁あんなことがあった後でも、シェリルは姫様を大事にしてたわ。
なにがあったって、姫様をお恨みしたりする子じゃない。⋮⋮⋮で
も、まったく関係ないとは言えないものね﹂
﹁この国に来てからですからね。シェリルの周りでおかしなことが
起こり始めたのって﹂
シェリルは、かわいい顔からは想像もできないが、妙に逞しいと
ころがある。今にも倒れそうなぐらい熱があるくせに、笑顔で勤め
あげるぐらい、周囲を気遣う嘘がとても上手だった。アンネリーゼ
達が知っているのは、シェリルの苦しみのごく一部でしかないのか
もしれない。
本当は何も言わず
ねえ、シェリル︱︱︱﹂
﹁﹃大丈夫﹄って笑ってたのは、嘘だったの?
に逃げ出すぐらい辛かったの?
214
回想6 初恋
自分の命と引き換えに、母はこの世にシェリルを生み出した。母
が亡くなると、父は平民の子であるシェリルを手元に引き取り、屋
敷の離れに住まわせた。シェリルを直接育てたのは乳母と、わずか
な侍女たち。幼いシェリルの世界は、彼女たちの優しさに包まれて
いた。
乳母は穏やかな人だったが、淑女としての振る舞いや礼儀作法に
はとても厳しかった。下級貴族の出だが、産んだ子を病で亡くし、
失意に沈んでいたところでシェリルの養育を任されたらしい。侍女
もやはり、夫を早くに亡くしていたり、身寄りがなかったりと、帰
る場所のない者ばかりが選ばれていた。いつでもシェリルの側にい
てくれるように、シェリルが寂しくないようにという、父の配慮だ
ったのだろう。
の娘ではない。そう教え
でこそございませんが、わたくしたち
ペルレ侯爵
ですよ﹄
侯爵令嬢
お嬢様
﹃シェリル様は
の大切な
シェリルは父の娘だが、
てくれたのも、乳母だった。
すぐ上の兄であるオスカーは﹃オスカーお坊ちゃま﹄だが、シェ
リルは﹃シェリルお嬢さま﹄とは呼ばれない。シェリルの部屋は離
れにあるが、兄達は本館で寝起きしている。自分は彼らとは違うの
だと、気付いたのは早かった。父や兄弟と一緒にいたいとぐずるシ
ェリルを、乳母は子供にもわかりやすい言葉で根気強く諭した。
215
﹃どうしてシェリルはだめなの?
どうしておとうさまやおにいさ
まと、いっしょにいてはいけないの?﹄
﹃シェリル様はお兄様たちとは違うからです﹄
﹃おんなのこだから、だめなの?﹄
﹃いいえ。本館には、お兄様たちのお母様がいらっしゃるからです﹄
﹃おにいさまたちの、おかあさま?﹄
﹃シェリル様のお母様はもうお亡くなりですよね﹄
﹃うん。おとうさまがおっしゃってた﹄
﹃シェリル様のお母様と、お父様は、ご結婚されていないのです﹄
﹃ごけっこん?﹄
﹃家族になるというお約束のことです。シェリル様のお母様とお父
じゃあ、シェリルは?﹄
様は家族ではないのです﹄
﹃かぞくじゃないの⋮?
﹃シェリル様も、家族ではありません。だから本館には入れないの
です﹄
家族ではないと言われ、とてもショックだった。シェリルを納得
させるために乳母はわざときつい言い方をしたのだが、シェリルは
その後、数時間は泣き喚いた。
﹃やだっ⋮シェリルだけ、なかまはずれなんて、やだぁ⋮!﹄
﹃家族ではありませんが、お父様はシェリル様をとても大事になさ
っています。シェリル様にはわかりますよね?﹄
﹃ひっく⋮ひっく⋮⋮うん。⋮⋮おとうさま、シェリルのこと、だ
いじだって、いってくれた﹄
﹃お兄様たちも、シェリル様のことをとてもかわいがってください
ますよね?﹄
﹃うん。⋮⋮⋮おにいさまたち、やさしい。シェリルも、だいすき﹄
﹃それは、シェリル様のことを家族のように思ってくださっている
からですよ﹄
216
﹃かぞくじゃないのに?
シェリルのこと、なかまはずれなのに?﹄
﹃仲間はずれには、きちんと理由があるのです。シェリル様は、自
分がお兄様たちと違うということを、理解しておかなければいけま
せん﹄
シェリルに自分の立場を弁えさせる︱︱︱それが乳母の教育であ
り、父の意思だった。微妙な立場にあるシェリルが、勘違いをしな
いように。
父はシェリルの本館への立ち入りを許さず、家名を名乗ることも
許さず、屋敷の敷地から出ることも許さなかった。遊び相手と言え
るのは兄弟とユーリウスとフィオレンティーナだけで、歳の近い友
達は一人もいない。父はシェリルを表に出したくなかったのだろう
と、今ならわかる。シェリルがわがままを言わなければ、今でも父
の庇護のもとで安穏と暮らしていたはずだ。
初めてユーリウスに会った時、なんて綺麗な人だろうと思った。
深く澄んだ紫水晶の瞳。きらきらと輝く黄金の髪。オスカーの友
達だと紹介され、この人も自分とは違うんだと一瞬で理解した。幼
いながらにそう感じさせるものが、ユーリウスにはあった。
ううん、なんですか?﹄
﹃シェリル﹄
﹃なあに?
﹃大人になったら結婚しよう﹄
217
この時のシェリルには、
けっこん
結婚
だと理解し、
の意味がわからなかった。
と共に
と言ってくれたのだと、わか
ごけっこん
家族になろう
後に、乳母の言っていた
とても嬉しかった。
ったから。
ユーリウスは普段は遠い場所に住んでいて、春と夏にだけ遊びに
来る。遊びに来るたび、シェリルにぬいぐるみや甘いお菓子をくれ
て、シェリルはすぐにユーリウスが大好きになった。
ユーリウスはシェリルの家族ではないし、血も繋がっていないの
に、シェリルのことを大好きだと言ってくれる。こんなに嬉しいこ
とはない。
﹃シェリル、またかわいくなったね。このまま連れて帰りたいよ﹄
紫水晶の瞳に見つめられ、頬が熱くなった。ユーリウスの方こそ、
会うたびにかっこよくなる。これからぐんぐん背が伸びて、すぐに
マティアスやニコラウスのように大きくなるのだろう。しかし、シ
誰がお前なんかにシェリルをやるか
ェリルはまだ当分は子供のまま。三つの歳の差がもどかしかった。
﹃馬鹿なことを言うなっ!!
!﹄
﹃そうだよ。シェリルが欲しいなら、まずは兄であり親友である僕
に話を通すべきだ﹄
﹃オスカー。シェリルをくれ﹄
﹃今のユーリにはまだやれないなぁ。そうだね、まずはニコラウス
ほら、かかってこい小僧っ!﹄
兄上を倒してもらおうか﹄
﹃そうだそうだ!
ユーリウスの頬が引きつった。ニコラウスの方が年上だし、身体
218
も大きいし、とても強いらしいので、倒すとしたら大変だろう。
﹃冗談じゃない。ニコラウスみたいな馬鹿力を相手にしたら、腕が
折れる﹄
だめっ、ユーリ様に怪我させたら、いく
﹃むしろへし折ってやる。さっさとシェリルから離れろ!﹄
﹃ニコラウスお兄様!?
らお兄様でもゆるさないんだから!﹄
﹃シェリル!?﹄
ユーリウスを守るため、その腕に抱きつくと、ニコラウスは愕然
とした顔になった。
ニコラウスに
襲われたらどうす
この僕のどこがケダモノだって?
﹃シェリルっ、そんなケダモノに抱きつくな!
る!﹄
﹃ケダモ⋮!?
だけは言われたくないぞ﹄
お前は一体誰の味方なんだ!!﹄
﹃確かに。兄上は毛深いもんねえ﹄
﹃オスカー!
﹃そんなのシェリルに決まってる。シェリル、駄目だよ男に無闇に
抱きついたら。見た目は綺麗でもユーリも男だからね。子供相手だ
ろうと、いきなりムラムラっと欲情して押し倒してくるかもしれな
い﹄
﹃人聞きの悪いことを言うな。それではまるで僕が幼女趣味の変態
みたいじゃないか﹄
﹃違うのかい?﹄
﹃違う。僕はシェリルだけだ﹄
﹃うん、つまり欲情はするんだね。シェリル、離れなさい。今すぐ
に﹄
オスカーが怖い声で言うので、仕方なく離れると、シェリルとユ
219
剣を持て!
叩きのめしてやる!﹄
ーリウスの間に怖い顔をしたニコラウスが割り込んできた。
﹃このエロガキっ!!
﹃お兄様っ!?﹄
﹃シェリル、こっちへおいで。大丈夫、ニコラウス兄上は優しいか
ら、ちょーっとお灸をすえるぐらいで済ませてくれるさ﹄
次の日、ユーリウスは手足が青痣だらけになっていて、シェリル
なぜ俺が怒られるんだ!?﹄と叫んでいたが、そんな
はその日、丸一日ニコラウスと口をきかなかった。ニコラウスは﹃
なぜだ!?
大丈夫ですか?﹄
の、ユーリウスに傷を負わせたからに決まっている。
﹃ユーリ様、痛みますか?
﹃平気だよ。でも、シェリルがおまじないをかけてくれたら早く治
るかもしれない﹄
﹃そんなことでよければ、喜んで﹄
いたいのいたいの飛んでいけー、と痣の一つ一つにおまじないを
唱えるシェリルの後ろで、オスカーは﹃そんなに甘やかさなくてい
いのに﹄と肩をすくめていた。
大人になったら、ユーリウスと結婚できる。そう無邪気に信じて
いられたのは、ほんのわずかな間だけだった。
ユーリウスは国有数の名門である公爵家の跡取りで、おまけに王
家の血が入っている。妾腹の子で、社交界にすら出られないシェリ
220
ルとは身分が違いすぎるのだ。﹃望んではいけません﹄という乳母
の言葉に、シェリルは黙って項垂れた。
﹃なにを落ち込んでるんだい?﹄
﹃オスカーお兄様⋮⋮⋮私、ユーリ様と結婚できないって本当?﹄
尋ねると、オスカーは困った顔になったが、正直に答えてくれた。
﹃それは⋮⋮難しいだろうね。ユーリの妻となると、それこそお姫
様ぐらいの身分がないと駄目だから﹄
﹃そっか⋮⋮﹄
膝に顔をうずめると、オスカーが頭を撫でてくれた。
﹃シェリルは本当にユーリが好きなんだね﹄
﹃⋮⋮うん。大好き。でも、望んじゃいけないのね﹄
好き
は止まらず、
﹃僕もシェリルをユーリのお嫁さんにしてあげたいけど、こればっ
かりは約束してあげられない。ごめんね﹄
いずれ別れの時がくるとわかっているのに
強くなる一方だった。ユーリウスの笑顔、言葉の一つ一つ、ぬくも
りにときめいて、後で一人になってから落ち込む。それなのに、会
えると必ず嬉しくて、ユーリウスが家に戻ってしまうと寂しくて︱
︱︱シェリルは恋を自覚した。
姫様の侍女となるため、王都へ出てからもそれは変わらず、世間
を知ったことで、諦めの気持ちが強くなった。だから、ユーリウス
が婚約したと聞かされた時も、﹃ああやっぱり﹄と受け入れること
ができた。胸が切なくて苦しくても、仕方のないことだと自分を納
得させて。
221
正妻は無理でも、いずれ愛人にしてもらえるかもしれない。そう
考えるたび、母と侯爵夫人様のことが頭をちらついた。
母がどう思っていたのか、その人となりを知らないシェリルには
想像もできないが、侯爵夫人様のことはそれなりに知っている。彼
女は妾腹の子であるシェリルにもよくしてくれるが、きっと複雑な
気持ちだったはずだ。シェリルはユーリウスが他の女性と並んで立
っているのを見るだけで、胸が痛くて泣きそうになるのだから。
婚約者の方に申し訳ないし、シェリル自身も、ユーリウスの側に
いるのが辛い。だから、姫様のお輿入れの話が具体的になった時、
真っ先に同行を志願した。
この先どんな男性と知り合っても一番は常にユーリウスで、一生
変わらないのだから、近くで辛い思いをするよりも、遠くで密かに
想っている方がいい。
222
王太子3
父に、兄弟に、乳母に、侍女たちに、大切に守られていたから、
綺麗なことしか知らなかった子供時代。純粋にユーリウスを想って
いるだけで幸せだった、あの頃に戻りたい。
﹁花は美しく、万人に愛されるものですが、その命はいとも容易く
摘み取られてしまう。貴女はまさしく花の民ですね﹂
せっかく幸せな夢を見ていたのに、目覚め一番にこの世で二番目
に見たくない男の顔を見て、シェリルはものすごく気分を害した。
﹁⋮⋮⋮どうして貴方がここにいるんですか﹂
﹁もちろんジェラール殿下のご命令で。貴方の世話をしろとの仰せ
です﹂
﹁はぁ⋮?﹂
それは、鎧を着ている人間のする仕事ではないだろう。主人の愛
人の世話をするのは、もっぱら侍女だ。主人の相手をする女に、従
僕などの男の使用人は近づかないし、近づけない。普通。
﹁侍女に転職したんですか﹂
﹁してません。が、どんなに理不尽だろうと命令には逆らえないの
が、宮仕えの悲しいところです。でも、俺が世話を焼くより貴女が
自分でやった方が早いでしょうから﹂
そう言って、エルヴェはシェリルの手枷を外してしまった。
223
﹁どうぞ、浴室はあちらの扉です。俺はここで待っていますから、
さっさと身体を清めてきてください。ちなみにこの部屋の窓は開き
ませんし、浴室には窓すらありませんが、くれぐれも逃げたり死ん
だりしないでくださいね。俺のせいになってしまいますから﹂
﹁むしろ死んでやろうかと一瞬思ってしまいました﹂
﹁監視されながら入浴したいんですか?﹂
﹁死にませんから、ここから絶対に動かないでください﹂
念押しのようにエルヴェを睨みつけ、身体にシーツを巻き付けて、
シェリルは浴室へ向かった。
部屋の程度から予想はしていたが、本当にこじんまりとした浴室
だった。ここでエルヴェがシェリルの世話を焼こうとしたら、相当
に窮屈のはずだ。ベッドこそ立派だったものの、部屋の狭さや調度
品の質からして、おそらく身分の低い側室のための部屋なのだろう。
浴槽に湯が満たされていくのを眺めている間、シェリルはシーツ
にくるまったまま、ぼんやりと椅子に座っていた。
ジェラール殿下はどういうつもりなのだろう。妃の侍女を側室に
据えるなんて。
シェリルがどんなに拒否したところで、部屋を与えられた時点で、
周囲から見れば立派な側室だ。実際は寵愛を受けているわけではな
く、監禁されて凌辱されているのだが、侍女ではなくエルヴェを遣
わしてきたところからして、存在は知らしめつつも、事実は隠すつ
もりなのだろう。
王太子殿下が新たに迎えた側室がシェリルだということまでは、
まだ姫様たちには知られていないかもしれない。時間の問題だとい
224
うだけで、何の救いにもなっていないが。
手首にくっきりとついた手枷の痕。肌に浮き上がる鬱血の痕。足
の間に残る体液の痕。身体に染みついた男の匂い。今すぐは無理で
も、いずれ全て消えるだろうが、汚れたこの身は、どんなに清めた
ところで綺麗になりはしない。
涙をこらえながら身体を清め終えたところで、シェリルは気付い
た。どこにも着替えの用意がない。仕方がないので、羽織ってきた
風邪をひいたらどうしてくれるんですか
シーツで身体を隠しながら、部屋で待っているエルヴェに声をかけ
た。
﹁あの、着替えは?﹂
﹁いるんですか?﹂
﹁いるに決まってます!
!﹂
﹁まぁ、そうですよね。でも、殿下は必要ないというお考えのよう
ですよ。この部屋、衣類は何も用意されてないようですから﹂
一通りクローゼットの中を見て、エルヴェは肩をすくめた。
﹁じゃあ、私の荷物はどこに行ったんですか﹂
﹁俺が預かっています。持ってきましょうか?﹂
﹁そうしてください﹂
﹁では、少々お待ちを。あ、逃げないでくださいね。扉には鍵をか
けていきますし、その格好で廊下に出たらどうなるかはわかるでし
ょうが、念のために言っておきます﹂
服を着ていても襲われたのに、こんな格好で出歩いたらどうなる
かは目に見えている。最初に出会ったのが女性なら助けてくれるか
225
もしれないが、何があったのか、姫様たちに知られてしまうことに
なる。どちらも死んでも嫌だった。
﹁なら、さっさと死ねばいいのにね﹂
意気地なし。そう自分を罵って、冷えた身体を温めるため、シェ
リルは再び湯の中に戻った。
衣服を身につけると、ようやくほっと一息つけた。慣れた平服が、
やはり一番落ち着く。侍女の仕事着を身につけている時は、気を張
っていることが多いから、安らぎとはあまり縁がない。
荷物が戻ってきたことで、避妊薬も手に入った。もし王太子殿下
に荷物を取り上げられても、これだけは死守しなければならない。
後で隠し場所を考えよう。
﹁服なんか着たって、どうせまた殿下に破かれるんじゃないですか。
さっき床に落ちてたのって、貴女の服だったものですよね﹂
﹁ほっといてください﹂
昨夜シェリルが着ていたものは、引き裂かれて無残な布切れにな
っていた。あそこまで大きく破かれては繕うこともできないので、
拾い集めてごみ箱に捨てたが、この調子ではそのうち着るものがな
くなってしまうかもしれない。
﹁で、貴方はいつまでここにいるんですか﹂
226
﹁ひとまずは、貴女が食事を終えるまで。その後は、貴女が望むな
ら﹂
﹁さっさと出て行ってください﹂
﹁なら、さっさと食べることですね﹂
シェリルが身支度どころか目を覚ましてすらいなかったため、後
回しになっていたが、そもそもエルヴェは食事を運ぶのが目的でこ
の部屋を訪れていたのだ。湯を先に浴びたことに後悔はないが、パ
ンはかたくなっているし、スープは冷たくなっているしで、すっか
り作ってくれた人に申し訳ない状態になっている。あまり食欲がな
いのもあって、食事は遅々として進まない。
﹁⋮⋮⋮姫様がどうなさっているか、ご存知ですか﹂
﹁噂では、体調を崩して伏せっておられるそうですよ。側室騒ぎど
ころじゃないんじゃないですかね﹂
﹁っ!?﹂
﹁早くもご懐妊か?なんて噂も流れてます。診察した侍医いわく、
ただの風邪だそうですが﹂
大事
ただの風邪ときいて、ほっとした。こんなことになって、そのう
え姫様に何かあったら、死んでも死にきれない。
﹁そんなに主人が大事なんですか。理解しがたいですね﹂
﹁姫様だからです。貴方は王太子殿下の騎士なのでしょう?
に思えないのは無理もないですね﹂
﹁俺はジェラール殿下の騎士ではありませんよ。重用はされていま
すが。基本的に、忠誠の誓いをした者以外は王家に仕えている形で
すから、特定の主人はいません﹂
﹁あれ?﹂
227
言われてみれば、エルヴェは主に警備や見回りの仕事をしていた
気がする。シェリルに関することで、まるでジェラール殿下の手足
のように動いているから、てっきり主従関係があるものとばかり思
っていた。
﹁ジェラール殿下はどうも俺がお気に入りのようでしてね。たまに
こうしてお戯れに巻き込まれるんですよ。殿下が貴女に目をつけた
のは、俺の恋人だという噂も理由の一つかもしれません﹂
﹁⋮⋮⋮待ってください。誰が、誰の、恋人だと?﹂
﹁貴女が、俺の。知らなかったんですか?﹂
﹁なんでそんなことにっ!?﹂
初耳だった。しかし、エルヴェはあくまで淡々としている。
﹁目撃情報がたくさんあるからですよ。男と女が二人きりで会って
いれば、噂されて当然です。俺が貴女を寮に送り届けたところなん
かも、複数人に見られてますしね﹂
﹁そ、そんなっ⋮⋮﹂
その理屈はわかる。王宮とはそういうところだ。﹃二人で会って
いた﹄という事実に、どれだけの尾ひれと背びれがついたのかを想
像し、シェリルは眩暈がした。
﹁なんてことしてくれたんですかっ⋮!﹂
﹁感謝されこそすれ、睨まれる筋合いはないと思うのですが﹂
﹁どうして私が感謝しなくちゃいけないんです!﹂
﹁俺の恋人だと思われていたから、貴女に実際に手を出す人間がほ
とんどいなかったんですよ。あれだけ注目の的だったにも関わらず﹂
﹁っ!?﹂
228
シェリルに手を出したら、近衛騎士を敵に回すことになる︱︱︱
そう思ってなお、行動に移せる下働きは滅多にいないだろう。多大
な効果があったはずだ。
﹁まさか、わざと噂を流したっていうんですか!?﹂
﹁わざとと言うか、都合が良かったのでそのままにしていました。
他の男が加わってきたら、俺が貴女の身体を楽しむ機会が減ってし
まいますから﹂
なんて利己的な理由。そもそも、ことの発端はエルヴェなのだ。
そもそも、貴方が私をっ﹂
この男がシェリルの純潔を奪わなければ、きっとこんなことにはな
っていなかったのに。
﹁っ⋮⋮⋮貴方という人はっ⋮!
貴女の香りは、日に日に強くなっていたって。俺がいなか
﹁たまたま俺が最初でしたけど、時間の問題でしたよ。言ったでし
ょう?
ったら、それこそ最初がジェラール殿下だったかもしれませんよ﹂
﹁っ︱︱︱!﹂
﹁身体が成熟したら、すなわち満開ということなのでしょうね。貴
女の場合、純潔を失ったことで、大人になったと見なされたのでし
ょう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
本当にそうなのだとしたら、エルヴェがいなくても、いずれ誰か
に奪われただろう。この国には、シェリルを守ってくれる人は誰も
いないから。
﹁手が止まってますよ。もう食べないんですか﹂
﹁⋮⋮⋮食べます﹂
229
ゆっくりとパンを咀嚼する。疲れている時こそ食べなければ、体
力がもたない。侍女仕事で得た教訓の一つだ。死を選ぶにしても餓
死は非現実的だし、エルヴェが見張っている限り、実行は難しい。
この男なら、嫌がるシェリルの口に無理やり押し込むぐらいは平気
でするはずだ。
もそもそと口を動かすものの、人に見られながら食べるというの
は、非常に緊張する。食欲がないのも大きかった。行儀が悪いが、
これなら喋っていた方がまだ気がまぎれる。
﹁⋮⋮⋮貴方の目から見て、ジェラール殿下はどんな方ですか﹂
﹁殿下ですか。そうですね⋮⋮貴女風に言うと、暇人だと思います﹂
﹁は?﹂
政務で多忙を極める王太子殿下に向かって、よりにもよって暇人?
﹁多忙も慣れれば苦にならないということなのでしょう。殿下は有
能な方ですし、国勢も今のところ安定していますから。で、余裕が
出てくると、余計な遊び心が出てくるわけです。独身時代は、それ
こそ色んなことに手を出していらっしゃいました。芸術品の蒐集や、
狩りや、剣術や、女遊びなど。しかし、しばらくするとそれにも飽
きて、今度は趣向を凝らし始めました。芸術品ではなく珍品を集め
たり、兎ではなく賊を狩ったり、側室と偽って動物を飼ったり﹂
﹁⋮⋮は?﹂
﹁殿下が囲っていた三人の側室の一人というか、一匹はイレーヌと
いう名の犬でした。狩りで捕まえてきたのを側室と偽って部屋で飼
っていたわけです。凝り性な方なので、確か、三年ぐらい隠し通し
ていらっしゃいましたね。世話役に口の堅い者を厳選し、殿下自身、
もっともらしく扱っていたものですから、誰も気づかなくて。人間
の女性ではなく、その犬が最愛の寵姫と呼ばれてました﹂
230
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹃イレーヌ姫﹄の名はシェリルも知っている。かつて王太子殿下
の寵姫と呼ばれていたということで、シェリルたち王太子妃付き侍
女の中では重要人物扱いだった。⋮⋮⋮まさかペットだったとは。
ジェラール殿下がシェリルを犬扱いする理由がわかった気がした。
﹁王太子妃殿下が嫁いでこられた時に、偽りの側室は終了したので
すが、寵姫に嫉妬する他の側室たちのことを、殿下は影で大笑いし
ていらっしゃいました。ちなみにこのことは、いまだに限られた人
間しか知りません。理由は殿下が緘口令を強いているからです。そ
の方が面白いという理由で﹂
﹁⋮⋮⋮悪趣味な方なのですね﹂
﹁そうですね。妃の侍女を側室に据えるぐらいですから﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁俺に貴女の世話をさせているのも、俺が貴女を逃がすか、もしく
は手出しするのを期待してのことです。俺を試して遊んでいるわけ
です。付け入る隙を与えるのは御免なので、その期待だけは全力で
裏切らせて頂きますが。というわけで、俺に助けを求めて無駄です
よ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
エルヴェの話が本当なら、ジェラール殿下は相当に頭の良い人物
だ。
姫様を盾にシェリルを手に入れ、その身体を弄びながら、ついで
にエルヴェでも遊んでいる。側室の詳細を隠して周囲の反応を楽し
み、側室の正体に気付かない姫様を、心の中で嘲笑うのだろう。こ
とが露見したら、姫様を深く傷つけることになるというのに、ジェ
ラール殿下にはただの娯楽に過ぎないのだ。
231
夜になった。
閉じ込められているシェリルには、外で何が起こっているのか全
くわからないため、表面的には平穏だった。手枷の鎖は部屋の中を
歩き回る分には不自由ない長さがあり、食事さえ運んでもらえれば、
生きること自体は容易だ。心身の健康を維持できるかどうかはとも
かくとして。
食事は相変わらずエルヴェが運んでくる。ついでに昼間に頼み忘
れた寝具の換えを頼むと、エルヴェは呆れた顔になったが、すぐに
用意してくれた。生きる分には不自由ないが、この部屋ではさすが
に洗濯は難しい。昨夜のあとが染み込んだシーツでもう一度寝るな
ど御免だ。
せっせとシーツを整えるシェリルを眺めながら、エルヴェは溜息
をついた。
﹁意外と逞しいですね。てっきり泣き暮らすものと思っていました
が﹂
﹁死ねないなら、生きるしかないじゃありませんか。生きている以
上、健全でありたいと思って何が悪いんです﹂
﹁そういえば、貴女は純潔を失った後も普通に仕事をしていました
ね。見た目はかわいらしくても根性は人一倍というわけですか﹂
﹁普通です﹂
﹁普通のご令嬢は、監禁された状態でシーツのしわを気にしたりし
232
ません﹂
﹁私はお嬢様ではありませんから、そんな繊細さはないというだけ
です﹂
﹁足枷や首輪ではなく、手枷を用意して正解だったようですね。貴
女の手を自由にしておくと、そのうちとんでもないことをしでかし
そうだ﹂
﹁おかげでものすごく邪魔ですよ﹂
腕が広げられないから、シーツを広げるのも一苦労だ。見ている
ぐらいなら手伝えと言いたい。
﹁手枷をしている状態でこれですからね。くれぐれも言っておきま
すが、逃げたり死んだりしないでくださいよ﹂
﹁さあ、どうしましょうね﹂
今シェリルが死んで困るのは、エルヴェや王太子殿下ぐらいだ。
むしろ死んだ方がいい︱︱︱そう考えるたびに、頭の中で父や兄弟
が邪魔をする。こんな理由で死んだら、どれほど彼らを嘆かせてし
まうことか。
﹁死を望む人間を思い留まらせるのは、恐怖ではなく愛です。俺で
は貴女を引きとめられませんので、口でお願いするしかできません。
もちろん身体の自由を奪って、死を選べないようにするのは可能で
すが、心の方が死んでしまっては同じことですからね﹂
﹁私の心なんて、ジェラール殿下にとってはどうでもいいものでし
ょう﹂
﹁人形の世話をするのは面倒です。俺は、自力で動いてくれる今の
貴女がいい﹂
﹁どこまでも自分勝手な人ですねっ!﹂
233
エルヴェにとっては手間の問題であるらしい。シェリルが苦労し
ていても、椅子に座って見物するだけで手を貸そうともしない男だ
から、なんら意外ではないが。
234
王太子3︵後書き︶
エルヴェが語る王太子殿下の悪癖。
限られた人間しか知らないはずの最愛の寵妃について、エルヴェが
知ってるのは、以前王太子付きの侍女を口説いた時に聞いたからで
す。
エルヴェの主な情報源は女性です。
いちおう個人的な諜報員︵という名の従者︶も持ってますが、シェ
リルをつけまわしたり上司の弱みをさぐったりに使うだけで、情報
収集は自分でやってます。
エルヴェは貴族としては下級なので、わりとアクティブです︵そう
いう問題?︶
235
王太子4
あれは、父王主催の晩餐会の翌日だった。側近のもたらした報告
を聞いて、ジェラールは訝しげに眉を寄せた。
﹃待て。もう一度言ってみろ﹄
﹃昨夜、サミュエル殿下が寝所に女をお召しになられたそうです﹄
﹃どこの誰を﹄
﹃妃殿下付きの侍女です。名はシェリル・フローリィ。蜂蜜色の髪
の子ですね﹄
ジェラールの妃には複数の侍女がいるが、蜂蜜色の髪をもつ者は
一人しかいない。名だけではピンとこなかっただろうが、すぐに顔
と一致した。
﹃晩餐会に連れてきていた者か。確かに妙な色香をまとっていたが、
叔父上がお求めになるほどだとは﹄
﹃妙なって。普通にかわいい子じゃないですか﹄
﹃普通にかわいいぐらいで、私の目に留まると思うか?﹄
﹃まぁ、そうですが﹄
ジェラールの周囲には美しい女などありふれている。実際、容貌
の美しさは彼の妃の方が上だ。しかし、あの場で誰よりも注目を集
めていたのはあの娘だった。
﹃かわいいなー、さわりたいなー、って思わせる子でしたねえ。私
も独身だったらコロッと落ちていたかもしれません﹄
﹃それで、叔父上は正気に戻られたのか?﹄
236
ジェラールがまだ幼い頃に、叔父は正気を失った。愛する妃の死
が原因だが、その妃というのは、王族暗殺未遂で処刑された女であ
る。
普通なら、自分が王になりたいがために妃をそそのかしたなどと
言われそうなものだが、サミュエルは同情の目で見られただけだっ
た。その王族らしからぬ純真な人柄と、彼が妃を心から大切にして
いるのを、誰もが知っていたからだ。
その信頼を最悪な形で裏切った女を、父や祖母が許すはずもなく、
惨たらしく処刑されたのだが︱︱︱まさかそのせいでサミュエルが
正気を失うなど、誰も思ってもみなかった。
﹃そこまではまだ。なにしろ昨日の今日ですので﹄
﹃そうか。引き続き叔父上の動向に目を光らせておけ﹄
﹃御意﹄
そんな過去があるので、父王は叔父に甘い。妃を失った程度で狂
うぐらいだから、王位を競う相手にはなりえないが、中途半端に地
位を与えられているため、傀儡にされないよう注意しなければなら
ない。そしてこの場合、その役目は次期王であるジェラールのもの
である。遠方の離宮に移ってくれた方がどれほど楽かと、何度思っ
たかわからない。
﹃つまり、正気に戻ったわけではないのだな﹄
﹃左様にございます。そして、おそらくこの先も﹄
﹃ふむ﹄
サミュエルの侍医を呼び出し、様子を問い質したところ、叔父は
237
侍女を抱いたことを覚えていないのだという。抱くというより、欲
望をぶつけると言った方が正しい有様で、侍女が不憫になるほどだ
った︱︱︱らしい。
﹃では、その侍女を側に置いたところで無意味か﹄
﹃その侍女が殿下の何かを動かしたのは確かでしょうが、殿下の中
でユルシュル様を超えうる者でないようです。殿下の病は心からく
るものですから、過度にユルシュル様以外の女性と交わらせると、
心と体の均衡がさらに崩れ、悪化する可能性があります﹄
父王や祖母はその侍女をサミュエル付きにしようと画策している
が、やめるよう進言した方がよさそうだ。妃の侍女を取り上げたり
したら、恨み事を言われるのはジェラールだし、そこまでしても改
善されないのでは、試す価値すらない。
﹃そうか。もう下がってよいぞ。引き続き叔父上を頼む﹄
﹃御意。御前失礼いたします﹄
侍医と入れ違いで、側近が入ってきた。
﹃殿下、新情報です。あの侍女は、エルヴェの恋人だそうですよ﹄
﹃ほう?﹄
近衛で五指に入る腕前を持つくせに、誰に請われてもその剣を捧
げようとしない変わり者。どんな命令だろうと完遂する能力の高さ
は魅力だが、いま一つ性格に難があり、近ごろは近衛隊長ですら持
て余しているのだという。ジェラールは、あの騎士の無情さを気に
入っていた。
﹃一夜の相手ではなく、恋人か。あの冷血漢に愛だの恋だのという
238
感情があったとは驚きだな﹄
﹃王宮内で二人きりで会っているところが何度も目撃されているの
と、休日を一緒に過ごしているらしいです。それもエルヴェが合わ
せる形で。関係があるのは間違いないでしょうね﹄
﹃叔父上が侍女に手をつけたことは、もちろん知っているのだろう
な?﹄
﹃そりゃあそうでしょう。もう王宮内で知らない人間はいませんか
ら。いつもと変わりない様子でしたけどね﹄
﹃ふむ﹄
叔父上が求め、エルヴェが執着する侍女。︱︱︱面白い。
﹃殿下?﹄
﹃あの侍女は何者なのだろうな﹄
﹃何者って。かわいい侍女さん以外のなんだというんですか﹄
﹃馬鹿。あんな女、他にいないだろう﹄
この側近は結婚して何年も経つのに妻にベタ惚れで、他の女に目
を向けたことなど一度もない。その堅物をして﹃独身だったらコロ
ッと落ちたかも﹄なんて言わせる女が、他にいるものか。ジェラー
ル自身、今はなんとも思わないが、あの侍女の近くにいると、その
身体に触れてみたくてたまらなくなる。
︱︱︱あの香りが、そうさせるのか。
ジェラールが妃の部屋に足を運ぶ頻度は多くない。仕事の後にま
239
で自分を偽るのは疲れるし、そもそも仕事がその日のうちに終わら
なかったりで、機会が少ないのだ。
ジェラールは王太子であって王ではないため、執務だけなら大し
た量ではないが、次期王としての勉強時間をかなりとっている。側
室相手なら深夜だろうが遠慮はしないが、相手は大国を後見に持つ
妃。さすがに杜撰な扱いはできない。かといって全く足を運ばなけ
れば良からぬ噂をたてられるので、どんなに忙しくても週に一回は
訪れるようにしていた。人が近くにいるとどうしても眠りが浅くな
るので、身体を重ねても、共寝はしないが。
九つも年下の隣国の王女。成人を迎えると同時にジェラールに嫁
いできた少女は、美しいが、まだ所々にあどけなさを残していた。
実際、妹より年下であり、身体も未成熟。気品と教養は申し分ない
が、貴婦人と呼ばれるにはもう少し時間が必要だろう。
ジェラールは、妃という存在を、対等なパートナーであるべきだ
と思っている。しかし、あの妃に王太子妃としての責務の話などは、
まだ早い。
その日、妃の部屋を訪れると、蜂蜜色の髪の侍女に出迎えられた。
ここでこの侍女を見るのはこれで二回目だ。よくよく見れば、妃と
あまり変わらない年頃であるらしい。
憂いを帯びた木苺色の瞳。細い身体。全体的に小ぶりな作りなの
に、そこには艶めかしい色香があった。
切欠はやはり、正気を失ってから女に拒絶反応を見せていた叔父
が、わざわざ召したほどの侍女に対する興味。そして、身体に不釣
り合いな色香の正体を確かめるため。妃を抱いた後、いつものよう
240
に自室に戻ると見せかけて、見送りに出てきた侍女を捕らえた。
﹃⋮ふっ、⋮う⋮っ⋮うぅ⋮っ⋮﹄
見た目のかわいらしさとは裏腹に、身体は充分に熟していた。少
し触れただけで秘所から蜜を滴らせ、身体を熱く火照らせる。妃を
抱いたばかりだから、勃たなければ触れるだけにしておこうと思っ
ていたのに、侍女の痴態はジェラールをあっさり欲情させた。
初めてこの侍女を見た時は、こんな風ではなかった。こんな、男
を誘う色香を振りまいてはいなかった。
︵エルヴェが変えたのか?︶
挿入を繰り返すたび、侍女は歓喜に打ち震える。いやだと、泣い
ているくせに。身体と心がまるで噛み合っていないように見えた。
いつの間にか、部屋に満ちている甘い香り。体液のにおいとは、
また違う。
中で出すつもりはなかったのに、絶頂に達した侍女の締め付けに
抗い切れず、搾り取られた。大した身体だ。
国を出てまでついてくるぐらいだから、主に対する忠誠心は並大
抵のものではないだろう。ジェラールの申し出を拒否し、いっそ殺
エルヴェに助けを求めるか?
してくれと懇願する姿は、踏みにじりたくなる程いじらしい。
主に許しを請うか?
侍女は誰も頼らずに、逃げることを選択した。愚かなことだ。逃
241
げられるわけがないのに。
エルヴェは命令通りに侍女を捕らえてきた。命令だからといって、
あっさりと自分の女を差し出すとは、無情さは変わっていないらし
い。
主を裏切り、恋人に捨てられ、絶望する女を踏みにじるのは、と
ても気分が良かった。
妃の体調がすぐれないと報告を受けたため、﹃優しい夫﹄﹃仲睦
まじい夫婦﹄を維持する為に顔を出してみれば、妃は急に辞めてし
まった侍女を思い、嘆き悲しんでいた。ジェラールは知らなかった
が、あの侍女は妃の幼馴染で、姉のように慕っている相手だったら
しい。
﹃シェリルに嫌われてしまった﹄と涙する妃を、ジェラールは優
しく慰めた。妃付きの侍女の一人に、﹃あの夜に何か変わったこと
はございませんでしたか﹄と尋ねられたが、白々しくとぼけておい
た。
妃のもとへ顔を出した分、遅れた仕事を片付け終えた頃には、と
うに日付が変わっていた。執務中はすっかり忘れていたが、迎えた
ばかりの側室は、今頃どうしているだろう。逃げたり死んだりして
いたら面白いのだが、相手がエルヴェでは期待するだけ無駄だろう。
あの男は、馬鹿ではない。
242
時間が時間なだけに、すでに少女は眠っていた。褥に丸まって、
無防備に寝息を立てている。掛布からはみ出た両手首には手枷がつ
いたままだが、夜着を着ているのは意外だった。この部屋には何も
置いていなかったはずだから、エルヴェが用意したとしか考えられ
ない。あの男が、そんな気の利いたことをするとは。
︵つくづく規格外な娘だ。面白い︶
少女は深く眠っているようで、触れても目覚める様子はない。掛
布をめくり、細い身体を抱きよせる。と、不意に少女の唇が動いた。
﹁ん⋮⋮ゆーりさま⋮﹂
幸せな夢を見ているのか、恋慕う相手に呼びかけるような、甘い
声音だった。
︵ユーリ?⋮⋮誰だ?︶
この娘はエルヴェと恋仲なのではないのか。いや、本人は否定し
ていたから、違うのか。少女が﹃様﹄をつけて呼ぶような人間の中
に、そのような名の者がいただろうか。王侯貴族の名と顔は大体把
握しているから、ジェラールに心当たりがないとなると、その者は
まて、まさか︶
フリューリング王国の人間ということになる。
︵ユーリ⋮⋮ユーリ?
ジェラールの脳裏に、紫水晶の瞳を持つ青年の姿が浮かんだ。本
人と何度か言葉を交わしたことがあるし、書面でよく目にする名前
だ。妃の従兄だから、接点はあると言えばあるが⋮⋮⋮身分が違い
すぎるだろう。
243
﹁そなた、ユーリウスが好きなのか﹂
耳が反応した。どうやら間違いなさそうだ。
あれだけの顔と身分の男なら、婚約者ぐらいいるだろう。身分違
いの恋など不毛以外の何物でもないだろうに、まだ想い続けている
のか。
好きな相手がいると知ったところで、ジェラールが手心を加える
ことはない。踏みにじる楽しみが増えるだけだ。
244
王太子5*
﹁だから言ったでしょう﹂
寝台に横たわるシェリルに呆れの言葉を投げかけながら、エルヴ
ェは溜息をついた。しかし、わざわざ言い返すだけの気力がない。
両手首を戒めたままの手枷。寝る前はきちんとしていたのに、今
は二の腕から下と腰しか覆えていない夜着。なくなった下着と、濡
れた内腿。不自然に重い身体。
﹁っ⋮う⋮⋮﹂
涙が溢れた。
目覚めたくなかった。あのまま、幸せな夢を見ていたかった。
夢の中で、ユーリウスは微笑んでいた。大好きなあの声で、シェ
リルを何度も呼んでくれた。ユーリウスに抱きしめられ、その腕の
中で幸せにひたっている夢だった。かつての、幸せ。
そのうち抱擁は熱を孕み、口づけが交わされ、二人は裸で絡み合
うようになる。まるで本当にユーリウスに抱かれているような、生
々しい快感がそこにはあった。貫かれ、喜びの声をあげながら、シ
ェリルはユーリウスに縋りついた。
どこまでが夢で、どこからが現実だったのか、はっきりとわから
ない。夜闇のせいではなく、故意に視界が閉ざされていたから。
245
目を覚ましたのに、何も見えなくて。それなのに、気持ち良くて
︱︱︱シェリルはユーリウスの名を叫んだ。何度も。縋るように。
甘えるように。愛撫をねだり、腰を振って、快楽に溺れた。
ユーリウスの手ではなかったのに。そんなこともわからないぐら
い、頭がどうかしていた。
﹁手枷に加え、目隠しとは。ジェラール殿下は特殊な趣味をお持ち
のようですね﹂
シーツに突っ伏して泣いているシェリルを見下ろし、拾い上げた
布きれを弄びながら、エルヴェは再び溜息をついた。
﹁そろそろ起きないと、また食事が冷めてしまいますよ。それとも、
疲労で起き上がれなくなるほど激しかったんですか?﹂
﹁⋮ほっ、⋮て、くださ⋮⋮っ⋮!﹂
﹁そうは言っても、貴女はこれがないと湯あみすら出来ないでしょ
う﹂
手枷の鍵をちらつかされたが、どうでも良かった。綺麗にしたっ
て、どうせすぐに汚されるのだから。
自らの中にある浅ましい欲望を知ってしまい、シェリルは打ちひ
しがれていた。夢の中とはいえ、あんな妄想をするなんて、ユーリ
ウスに対する冒涜だ。今なら、自己嫌悪で死ねる。死にたい。
﹁ッ⋮⋮ころして⋮っ﹂
エルヴェは三度目の溜息をついた。
246
﹁昨日言ったでしょう、俺の助けを期待するなと。衣類やシーツの
調達は禁じられていませんが、逃がすな・殺すなと命じられている
ので、無理です﹂
神はシェリルを救ってくれない。しかし、殺してくれる悪魔もい
ない。いつまでこの生は続くのか。
ジェラール殿下がこの戯れに飽きるまで、この部屋からは出られ
ない。しかし、解放されたらされたで、きっと次の男がやってくる
だろう。この身は、罪を重ね続ける。︱︱︱生きている限り。ずっ
と。
﹁っ⋮⋮う、⋮ぁあ⋮っ﹂
シェリルは涙が枯れるまで泣きじゃくった。
﹁好いた女が酷い目にあっているのに助けないだけではなく、その
懇願を平然と退けるとは。あの男に流れている血は、果たしてどれ
ほど冷たいのだろうな﹂
シェリルの髪に指を絡めながら、ジェラール殿下はくつくつと笑
った。
﹁かわいそうに。目が腫れている﹂
247
エルヴェが報告したのか、それともこの部屋が監視されているの
か。⋮⋮⋮後者かもしれない。この戯れには、エルヴェを試す意図
もあるのだから。
寵愛を知らしめるかのように、ジェラール殿下は三夜連続でこの
部屋に通ってきている。シェリルの望まない方向へ事態が進んでい
るのは間違いない。
姫様が蔑ろにされていると、バルバラやエミーは激怒しているだ
ろう。愛する夫の心が離れたと、姫様は大いにお嘆きだろう。皆、
側室︱︱︱シェリルを、憎んでいるだろう。
﹁妃がそなたのことを話してくれた。なかなかの仕えぶりだったそ
うだな﹂
﹁っ!?⋮⋮姫様にお会いになられたのですか?﹂
会ったのに、どうしてここにいる。何故、寝所を共にしない。
﹁当然だろう。あれは私の妃だぞ﹂
言葉の中にある所有格が、無性に腹立たしく感じた。おまけに、
﹃あれ﹄だと?⋮⋮⋮姫様をなんだと思っているのだ、この男は。
﹁なんだ、その目は。妬いているのか?﹂
﹁違いますっ!︱︱︱貴方は姫様をなんだと思っているのですかっ
!﹂
﹁だから、妃だと言っている﹂
﹁妃だというのなら、相応の扱いをなさってください!﹂
﹁しているつもりだが?﹂
﹁どこがっ!!﹂
248
心の底から叫んだのに、ジェラール殿下の笑みは崩れない。それ
どころか、楽しそうだ。
﹁そなたが何を言いたいのかはわかるが、生憎と、私は妃を愛する
つもりがない。これ以上は期待してくれるな﹂
﹁愛する、つもりが⋮⋮ない?﹂
﹁愛で身を滅ぼした男が身内にいるのでな。女で破滅するなどまっ
ぴらなんだ﹂
シェリルは目を見開いた。
﹁世継ぎが必要だから、子は作ろう。公私ともに、妃として遇しよ
う。だが、愛は求めてくれるな。どうしても愛が欲しいというなら、
自分も側室を囲うから?
情人を作ればいい。そのぐらいの自由は許すさ﹂
﹁なっ⋮!﹂
握りしめた拳が震える。情人を作れ?
︱︱︱なんだそれは。姫様の気持ちはどうなる。面白半分に心を弄
んでおいて、よくもぬけぬけと。
この手が自由だったら、思いっきり頬を引っ叩いてやれたのに。
﹁まだ反抗的な目ができるのか。さっきまで人形のようだったのに、
本当に忠臣だな。むしろ忠犬と呼んでやろうか?﹂
﹁ふざけないでっ!︱︱︱きゃあっ!?﹂
手枷の鎖をひかれ、シェリルはジェラール殿下の膝の上に倒れ込
んだ。顔をあげて睨みつけるも、引っ叩くどころか、この腕から逃
げることすら叶わない。
249
﹁このっ⋮!﹂
﹁性懲りもなく衣服を身につけているあたり、本当に往生際が悪い
と見える﹂
﹁当たり前ですっ!﹂
﹁ならば私も、何度でも踏みにじってやろう。そなたが諦めるまで﹂
布地を紙切れのように破かれて、胸元に手を入れられた。いっそ
のこと、ドレスでも着たらいいのだろうか。布をたっぷりと使った
脱がしにくいものを。いや、それなら鎧の方がいいか。エルヴェが
脱ぎにくいとぼやくぐらいだから、効果があるかもしれない。重く
て動けないだろうが。
冷たい手が肌をなぞり、鳥肌が立った。全ては嫌悪感のせいだと、
自分に言い聞かせる。
こんな人の手で感じたくない。認めたく、ない。
﹁やっ⋮!﹂
大きな手に乳房を包み込まれ、やわやわと揉みほぐされる。度重
なる凌辱ですっかり行為にならされた身体は、簡単に乳首をとがら
せた。背筋がぞわぞわする。
﹁いやっ、⋮⋮いやぁっ⋮!﹂
﹁少し触れてやっただけでこんなに簡単に身体を火照らせるくせに、
なぜ抗おうとする。素直に受け入れれば良いものを﹂
びりっと、さらに布地が裂け、肩と背中が露わになる。両方の乳
房がすっぽりと手の平に包み込まれているのが見えて、シェリルは
250
羞恥に目を伏せた。
﹁っ⋮⋮﹂
﹁妃よりはあるようだが、まだ小さいな﹂
﹁姫様を侮辱しないでくださいっ!⋮⋮姫様は、まだこれから大き
くなるんですっ⋮!﹂
膨らみがささやかであることを、姫様は密かに気にしておられる。
エプロンの上からでも膨らみがわかるバルバラのことを羨ましそう
にながめて、﹃どうやったら大きくなるの?﹄と微笑ましいことを
お尋ねになられたぐらいだ。
﹁なんだ、気にしているのか。別に、子を産むのに支障がないなら
小さくても構わんさ。あれの場合、顔にも合っているしな﹂
失礼な呼び方をしないでください!﹂
﹁姫様にはフィオレンティーナという素敵なお名前があるんですっ
!
ジェラール殿下は一瞬面くらったようだが、すぐに乳房を弄ぶ手
に力が戻った。起ち上がった乳首をきゅっと摘まれて、身体が震え
てしまう。
﹁わかった。名前で呼んでやろう。⋮⋮⋮シェリル﹂
耳の裏で甘く囁かれ、怖気がした。思わず﹃ひっ﹄と悲鳴をあげ
たシェリルを、ジェラール殿下は嬉々として弄り続けた。
﹁あっ、やっ⋮⋮ちが、私じゃ、なっ﹂
﹁情事の際に名を呼んでやると、女はよりいっそう感じるらしいか
らな。こうしてやると、フィオラも嬉しそうに声をあげたぞ。ほら、
鳴け﹂
251
﹁ッ、ぁあんっ!﹂
爪を立てた指に乳首を摘まれ、思わず甘い声をあげてしまう。ど
んどん快楽に馴らされていく身体が嫌だった。弱いところに触れら
れると、もう声が抑えられない。せめてこの手枷がなければ、手で
押さえることができるのに。
﹁そろそろ下を触ってやろう﹂
足を割り開かれ、秘められた場所に下着越しに触れられ、愛液の
ぬめりを自覚する。耳元でジェラール殿下がくすりと笑う。下着の
中に手を入れられ、秘唇に指が入り込む。愛液が溢れ、涙が溢れた。
﹁うっ⋮⋮﹂
掻き回される都度、溢れる愛液が下着を湿らせ、内腿を濡らして
いく。
﹁あっ⋮あぁっ⋮﹂
﹁他愛ない。少し触れただけでこんなに濡らすとは、今まで何人の
男をくわえこんできたのだ?﹂
ジェラール殿下はシェリルをシーツの上に転がすと、すっかり濡
れそぼった下着を脱がした。足を肩に担ぎ、太腿を濡らす蜜を舐め
とる。たどりついた秘唇に口づけ、愛液をすする。敏感な花芽を舌
先で弄られて、シェリルはびくんっと身体を跳ねさせた。
﹁あぁっんっ!﹂
﹁そなたの身体は、男に抱かれるためにあるのだな﹂
252
そうなのかもしれない。生まれながらの男好きで、淫乱。シェリ
ルの意思に関らず、この身体は勝手に男を誘って、勝手に秘所を濡
らして、行為を受け入れてしまう。これが花の民の血であるなら、
かつての彼らのように、死ぬまで蹂躙される運命なのだ。
﹁っ⋮いやっ⋮⋮いやぁっ⋮⋮﹂
﹁昨夜はあんなに素直だったのに、まだ言うか﹂
﹁っ!﹂
﹁エルヴェやユーリウスはどのようにしてそなたを抱いたのだ?﹂
﹁あ⋮っ!﹂
ユーリウス。その名を聞くだけで、子宮がきゅんとする。当然な
がら、その反応はジェラール殿下に筒抜けで、ジェラール殿下は冷
たい笑みを浮かべた。
﹁叔父上はユルシュルのために狂った。そなたはユーリウスが忘れ
られない。愛とは、執着だ。手に入らないものに執着して自分を損
なうなど、愚行以外の何物でもない。そんなもの、必要ないと思わ
んか?﹂
﹁ッうぁ⋮!﹂
猛り立つもので貫かれる。いくら濡れていても、慣らされないと
苦しい。太いもので一息に奥まで貫かれて、身体の強張りを逃がす
ため、シェリルはシーツを握りしめた。
﹁はっ⋮はっ⋮︱︱︱ひめさ⋮まは、貴方のそばにいらっしゃいま
す⋮っ!﹂
﹁そうだな。フィオラは私を慕っている。微笑ましいことだ﹂
﹁ひっ⋮ぁ⋮ッ!﹂
253
ぎりぎりまで抜かれ、再び奥へ。ゆっくりと、犯される。
激しくされる方が感じるが、優しくされ
﹁あぁっ⋮⋮いやっ!⋮⋮でん、かっ⋮⋮やめ、っ⋮っ⋮!﹂
﹁気持ち良さそうだな?
る方が耐えがたいか﹂
優しくされると、余計に感じてしまう。身体が、絆されてしまう。
﹁やめ、て⋮くださいっ⋮⋮こんなの、まちがってます⋮っ⋮﹂
﹁何が間違っていると?﹂
﹁貴方が抱き締めるのは、姫様であるべきですっ⋮⋮姫様は、受け
入れてくださいますっ⋮﹂
﹁大切な侍女を犯すような男でも?﹂
﹁っ⋮う⋮﹂
﹁残念だが、フィオラはまだ、そなたがここにいることを知らない。
知ったらどうするか、見物だな﹂
﹁っ︱︱︱⋮!!﹂
こんなことが知られたら、姫様の心をずたずたに傷つけることに
なるのに、ジェラール殿下はその瞬間を楽しみにしておられる。
﹁はぁっ⋮あぁ⋮⋮でんか、あなたは、姫様のことが、お嫌いなの
ですか⋮?﹂
﹁嫌いではないさ。楽しい玩具だ﹂
﹁え⋮っ?﹂
﹁フィオラはなぜ私を慕っているのだと思う?﹂
最初は、ジェラール殿下の容姿と、微笑み。そんな素敵な王子様
に、優しくされたから。
254
﹁本当の私のことは、そなたの方が良く知っているだろうな。恋に
いつ気付くか、気付いた時、どうい
目を曇らされたフィオラは、真実が何も見えていない。もちろん、
私がそう仕向けたわけだが?
う反応をするのか。想像するだけで楽しくて仕方がないんだ﹂
歪んでいる。正気でこのようなことを語られるなんて、ジェラー
ル殿下には人の情というものがないのだろうか。
サミュエル殿下は狂ってはいたが、ユルシュル様に対する想いは
美しく純粋で、ティエリーに対する想いはあたたかく優しかった。
サミュエル殿下は愛にあふれた御方だが、対するジェラール殿下は
愛を忌避しているから、人を人とも思っていないのだ。
﹁この婚姻が壊れたら、戦争になるかもしれないのに⋮?⋮⋮それ
﹁今のフリューリング王国にそんな余裕があるか?
その間に我が
継承権争いで
でも、良いというのですか⋮?﹂
乱れた国政を必死で立てなおしている最中なのに?
国に攻め込まれたら困るから、アロイジウス王はフィオラを生贄に
差し出したのだ。時間稼ぎのために﹂
﹁っ⋮それはっ⋮﹂
﹁まぁ、我が国も戦争などする気はないが、今戦えば勝つのはこち
らだ。身の内に火種を抱えた国など恐れるに足りん﹂
シェリルだって、今のフリューリング王国が危うい均衡のもとに
成り立っていることは知っている。ユーリウスはその中核をなす人
物の一人で、だからこそ余計な負担はかけたくなくて。
ジェラール殿下は、震えるシェリルの頬を指先でなぞって、酷薄
な笑みを浮かべた。
255
﹁安心しろ。もし真実を知ってフィオラが壊れようとも、決して離
縁はしない。寝台に縛りつけてでも世継ぎを作ってやるし、一生面
倒を見てやるさ﹂
これで、わかった。ジェラール殿下は、本当に、ただ遊んでいる
だけなのだ。姫様の心を弄ぶのも、シェリルを蹂躙するのも、エル
ヴェを試すのも、全てはただの娯楽に過ぎない。なんて残酷な方な
んだろう。
先程までは、ジェラール殿下が姫様のもとへお戻りになるのが一
番だと思っていた。ジェラール殿下が悔い改めて、姫様を愛するよ
うになれば、すんなりと収まると。それを望めないとなると、あと
は離縁しか思いつかないが、誰も是とは言わないだろう。国力に差
がある現状で、この婚姻は壊せない。
どうしたら、この方の魔手から姫様をお救いできるのだろう?
256
王太子妃1
馬車に揺られて五日目、これでようやく旅程の半分。窓辺に頬杖
をつきながら、ユーリウスはぼんやりと眼下の草原を眺めていた。
使節団に参加するのは簡単だった。地位は足りているし、従妹の
ご機嫌伺いという名目を唱えれば、誰もが納得した。ユーリウスは
王族にこそ数えられていないが、現王に何かあった場合は王位継承
権を持つ可能性がある。父公爵は先王の実弟だし、今もまだ、継承
権を持っているから。
現王にはまだ世継ぎがいない。王女はいるのだが、フリューリン
グ王国は女性に継承権がない。今最も継承順位が高いのは父公爵、
その次がユーリウスであるから、現王を殺害して︱︱︱などと暴力
的な手段に訴える人間がいないのは幸いだった。
簒奪を成功させるためには、父公爵とユーリウスを諸共葬らなけ
れば意味がなく、現実的に実行は難しい。三人も殺して玉座を手に
入れたとしても、臣下は誰もついてこないからだ。
玉座を狙う最大の敵。父公爵の対立者であるハーゲンベック公爵
は、先々王の兄の血を継ぐ家柄だ。血の正統性を訴えているが、現
王には何も問題がないから、七年前に先王が崩御した時、今さら血
を遡れと主張しても誰も納得しなかった。しかし、先々王の即位に
疑惑があるのは事実だったので、内乱一歩手前まで騒ぎが膨らんで
しまった。当時、ユーリウスはまだ幼かったからペルレ領に避難さ
せられていたが、王宮で政争を繰り広げていた父公爵は何度も命を
狙われたらしい。
257
表立った危険は少ないとはいえ、暗殺だと立証できない方法で殺
される可能性があるため、身の安全に留意しなければならないこと
に変わりはない。食事の際には毒見がつき、傍らには常に騎士がい
る。そして、騎士以上に接する機会が多い側近には、特別な者が選
ばれた。
目には目を、歯には歯を。暗殺者には、元暗殺者を。就職を希望
したこいつもどうかと思うが、採用した父も父だと思う。
﹁やだなぁ、変な目で見ないでくださいよー﹂
﹁⋮⋮⋮⋮クサヴァー。何が楽しいんだ?﹂
前回の休憩以降、もう三時間も馬車に揺られているのに、クサヴ
ァーはずっとにこにこしている。ユーリウスは景色に目を向けてい
たから、会話なんて一切なかった。無言で笑みだけ浮かべているな
んて、顔が疲れないのだろうか。
ユーリウス様だったら、外にいる騎士の一人
﹁これが地顔なんですー。ユーリウス様も、せっかくお美人なんだ
から笑いましょう?
や二人、軽く悩殺できますよ﹂
﹁してどうする﹂
﹁きっと今まで以上に熱心に仕事をしてくれるようになります。何
かあったら身を呈して守ってくれたりとか。あ、でも、そのぶん貞
操の危機が増えるかも。やっぱ駄目ですね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
実際に男にそういう目で見られた経験が少なからずあるユーリウ
スは、げんなりした顔をした。そういう趣味の人間はどこにでもい
るので、特に珍しいことではないが、ユーリウスの性的指向はあく
258
まで女にしか向いていないので、言い寄られる度に全力で拒否して
いる。
﹁ユーリウス様ったら、目が荒んでますよー。そろそろ休憩いれま
すか?﹂
﹁いい。一刻も早く辿りつきたい﹂
﹁ちょっと急いだぐらいじゃ変わりませんて。あと五日もかかるん
ですから﹂
﹁わかっている﹂
シェリルの行方がわからなくなったと連絡が入ったのは、ユーリ
ウスが王都を発つ直前だった。
最速の伝令がもたらした知らせで、表書きにはフィオレンティー
ナの署名。一体何事かと封を切ってみれば、公文書用の便箋のくせ
に、形式的な挨拶などが一切なく、単刀直入に﹃シェリルが故郷に
帰ると言って出て行った。探して、見つけて、わたくしの前に連れ
てきて!﹄︱︱︱私信よりも砕けた文章で、心からの叫びが書かれ
ていた。
普通、王侯貴族ともなれば私的な手紙でも地を出すことはない。
誰の目に留まるかわかったものではないし、それが作法というもの
だからだ。走り書きのような文字と、切羽詰まった文章から、フィ
オレンティーナの動転ぶりが目に見えるようだった。
それも、何も
さっぱり意味がわからなかったものの、ユーリ
シェリルがフィオレンティーナのもとを離れた?
理由を告げずに?
ウスはすぐにオスカーに確認をとった。しかし、帰郷の知らせなど
何も届いていないという。
259
﹃何かの間違いだろう?
ずがない﹄
シェリルがそんな不作法な真似をするは
﹃僕もそう思うが、フィオラのもとから出て行ったのは事実らしい﹄
﹃まさか!﹄
﹃突然のことだったそうだ。アルブル宮殿からここまで、早馬を飛
ばしても三日はかかるから⋮⋮ことの真偽がどうであれ、シェリル
はまだノルエスト王国内にいるだろう。これからこちらに戻ってく
るのなら、道中で捕まえられるはずだ﹄
この広大な大地で、人一人見つけるのは簡単なことではないが、
両の王国を繋ぐ街道は限られている。シェリルは必ずそのどれかを
通るはずだ︱︱︱本当に帰ってくるのならば。
﹃⋮⋮⋮すでに、手遅れだったというのか⋮?﹄
オスカーは呆然と呟いた。
すぐに各地の関所に手配を回したが、何一つ手がかりは見つから
なかった。必ずぶつかるはずの道中も、すでに半分が過ぎ、ユーリ
ウスの心に焦燥が募っていく。シェリルはフリューリング王国側の
関所を一つも通っていない︱︱︱まだノルエスト王国にいる。あれ
からもう一週間以上経つのに?
﹁裏社会にも何も情報が流れていませんからねー。きっとシェリル
様はまだ王都のどこかにいますね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
それとも、イケナイ人とアブ
かわいらしい子ですからねえ。
﹁悪い奴に捕まっちゃったのかな?
ナイ関係になっちゃったのかな?
いじめたくなる気持ちはわかります﹂
﹁黙れっ!﹂
260
﹁はい。黙ります﹂
にこにこしたまま口を閉ざしたクサヴァーを睨みつけ、ユーリウ
スは苦々しげな溜息をついた。
シェリルの身に良くないことが起こっているのは間違いない。一
刻も早く見つけ出して、無事な顔が見たい。しかし馬車の歩みは遅
く、アルブル宮殿まであと五日もかかる。単騎であればとうに辿り
ついているが、使節団の一人として団体行動しなければならない。
他国で勝手な真似はできない。
﹁あ、ユーリウス様。本日の分が届きましたよ﹂
馬のいななきで顔をあげると、伝令が護衛の騎士に封書を手渡し、
騎士が馬車の窓をノックするのが見えた。クサヴァーがそれを受け
取り、封を切って、ユーリウスに中身を差し出す。何も聞かずとも、
差出人はわかりきっていた。
﹁⋮⋮⋮やはり、手がかりはなしか﹂
﹁あーあ﹂
ユーリウスはフリューリング王国側から、フィオレンティーナは
ノルエスト王国側から。それぞれ捜索して、日々の成果を報告しあ
っている。シェリルが出て行った当初は動転していたフィオレンテ
ィーナも、三日が経つ頃には冷静さを取り戻してきたらしく、当時
の詳しい状況や王都内の捜索結果などを書き送ってくるようになっ
た。
今まで﹃見つからない﹄﹃手がかりがない﹄以外の情報はなかっ
たのだが、今日の内容は少し違った。
261
﹃一週間ほど前に、ジェラール殿下が側室をお迎えになった﹄
ユーリウスは眉根を寄せた。婚礼から二カ月しか経っていないの
に、もう側室を囲うのか。しかし、正妻以外の者を想っているのは
ユーリウスも同じなので、ここでは何も言わなかった。
﹁別に珍しいことじゃないと思いますけど、問題になるような方な
んですか?﹂
﹁わからない。存在こそ明らかにされているが、顔はおろか名前す
よっぽど寵愛してるんでしょうか?﹂
ら誰も知らないらしい﹂
﹁ええ?
﹁寵愛はしてるんじゃないか。この時期に迎えるぐらいなんだから。
しかし、一週間前な⋮⋮これは何の偶然だ?﹂
ちょうど、シェリルがいなくなって、フィオレンティーナが冷静
さを失っていた頃と重なる。きっとシェリルのことで頭がいっぱい
だったから、こんなに知らせが遅くなったのだろう。
﹁⋮⋮⋮まさか、な﹂
﹁常に最悪を考えておいた方が、ショックは少なくて済みますよ﹂
﹁だが、ありえないだろう。ジェラール殿下とは何度か話をしたこ
とがあるが、爽やかな好青年という印象だったぞ﹂
﹁人を見かけで判断しちゃ駄目だって教わったでしょう。僕で学習
しなかったんですか?﹂
ユーリウスに放たれた五人の暗殺者をたった一人で返り討ちにし
た男は、そう言ってにこりと笑う。血の海でも、笑っていた。見た
目はただの平凡な青年にしか見えないのに。
262
﹁⋮⋮⋮そうだな。だが、本当にそうなのだとしたら、真っ先にフ
ィオラが気付くだろう。どんなに隠したところで、隠しきれるもの
ではないのだから﹂
﹁本当にそうだったら、ユーリウス様はどうなさるんですか?﹂
あの王太子が、妃の侍女に手を出すような外道だったら?
﹁王太子を殴り飛ばしたら、さすがにまずいよな﹂
﹁すっごくまずいです。なので、そうなる前に僕がお止しますね﹂
﹁頼む﹂
有能な側近で、頼もしい限りだった。
ジェラールはとても素敵な人だ。初めてお会いした時からずっと、
フィオレンティーナはジェラールに恋をしていた。
﹁フィオラ?﹂
でも、自分は愛されていないのかもしれない。
﹁側室をお迎えになったと伺いました。殿下は、わたくしがご不満
なのですか?﹂
ジェラールは優しい。でも、それだけだ。笑顔で優しい言葉をか
けてくれても、愛をささやいてはくれない。忙しいのは知っている
が、週に一度しかフィオレンティーナのもとへは来てくれない。身
263
体を重ねても、夜のうちに去ってしまう。
﹁不満などあるはずがない。貴女はよく頑張っているさ﹂
﹁では、なぜ?﹂
﹁気になるのか?﹂
言外に﹃口出しするな﹄と言われた気がした。側室の一人や二人
ぐらいで目くじらを立てるなんて、狭量な妃だと呆れられているの
だろう。彼女自身、差し出がましことだとわかっているが、問わず
にはいられなかった。
﹁気になります。教えてくださいませ﹂
ジェラールはくすりと笑って、フィオレンティーナを抱きよせた。
誤魔化さないでくださいませ!﹂
﹁嫉妬する貴女もかわいらしいな﹂
﹁ジェラール様!
広い胸の中に包み込まれて、頬に熱が集まった。問い詰める気概
が急速に衰えていく。この香りに包まれていると、とても心地良く
て、他のことがどうでもよくなってしまう。
︵︱︱︱え?︶
ジェラールの匂いの中に。微かに。良く知った、花の香りが。
﹁フィオラ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ここへいらっしゃる前に、ご側室のもとへお寄りになら
れたのですか﹂
﹁ああ。わかるのか?﹂
264
﹁ええ。とても、よい香りですね﹂
案内なさいっ!!﹂
フィオレンティーナは自分を抱き締めている男を、思いっきり突
き飛ばした。
﹁アンネリーゼっ!!﹂
﹁はい﹂
﹁ジェラール様の側室のお部屋はどこ!?
﹁姫様?﹂
﹁いいから早く!!﹂
﹁はい!﹂
廊下の突き当たり、本当に奥まったところ。誰もいない時は、使
用人すら近づかないような寂れた場所に、その部屋はあった。しか
し、扉には、鍵がかかっていて。フィオレンティーナは門衛の騎士
を睨みつけた。
﹁鍵はっ!?﹂
﹁こちらに﹂
ぶんどって、自らの手で扉を開けた。扉の重さに苛立って、つい
足まで出た。ばこんっ!!と激しい音を立てながら扉が開く。
花の香りがした。
寝台の上に、女が横たわっていた。汗にまみれた白い肌と、乱れ
た蜂蜜色の髪。手枷からのびる金の鎖。
﹁っ!?︱︱︱ひめさ、ま⋮!?﹂
265
掠れた、声。フィオレンティーナの知っている、綿毛のような柔
らかさとは、違う。涙に濡れた木苺色の瞳が、フィオレンティーナ
を見て、悲愴に見開かれた。
﹁感動の再会か。意外と早かったな﹂
ぱんっ!
ジェラールの頬に赤みが差す。涙で視界が滲んだ。声が震えた。
﹁なんですか、これは⋮っ!﹂
﹁見ての通りだ。あの側室は、拘束されて抱かれるのが好きでね﹂
頭の中で、﹃ブチッ﹄という音を聞いた。
﹁このヘンタイっ!!!!﹂
ゴッ!!
最っ低っ!
どうぞお死に
手首に激痛が走った。痛めたのかもしれない。しかし、そんなこ
とはどうでもいい。
﹁よくもわたくしのシェリルにっ!!
あそばして!!﹂
266
王太子妃2
目の前の光景が信じられなかった。
姫様とアンネリーゼが、そこにいる。この、汚れた身体を、見ら
れた。咄嗟にシーツで隠そうとしたら、足の間から殿下の放ったも
のが零れ出るのを感じてしまって、余計に惨めになった。
ジェラール殿下が後から現れて、くすりと笑った。わざと、だ。
珍しく夕方から現れたのも、シェリルが動けなくなるぐらい責め立
てたのも。シェリルの惨めな姿を、姫様に見つけせるため。
姫様がジェラール殿下を打った。とても、怒っておられる。当然
だろう。自分の部屋に来る前に、側室を抱いてくるなんて、侮辱以
外の何物でもない。
﹁なんですか、これは⋮っ!﹂
﹁見ての通りだ。あの側室は、拘束されて抱かれるのが好きでね﹂
違う。そんなの、嘘。これは、殿下が無理やり。叫べばいいのに、
身体が震えて、声が出ない。嗚咽が溢れるばかりで、まともな言葉
なんて、とても口にできなかった。
﹁このヘンタイっ!!!!﹂
その瞬間は、ひどくゆっくりだった。
姫様の拳が、赤くなった殿下の頬をとらえて、振り切られた。殿
267
下は倒れこそしなかったが、よろめいて、頬を押さえて目を見開い
最っ低っ!
どうぞお死に
ていらっしゃる。シェリルも、アンネリーゼも、動けなかった。何
が起こったのか、わからなくて。
﹁よくもわたくしのシェリルにっ!!
あそばして!!﹂
そう吐き捨てると、姫様はシェリルの方へ駆けてこられた。
﹁シェリルっ!﹂
いけません、おはなしください⋮っ!
お召
抱きしめられた。姫様の香りがシェリルを包んで、熱い涙が溢れ
た。
﹁ひ、姫様っ⋮!?
し物が汚れてしまいますっ!﹂
おはなしくださいっ!﹂
﹁そんなことどうでもいいわ!﹂
﹁よくありませんっ!
﹁シェリルっ!!﹂
強く名を呼ばれて、びくっと身体が竦んだ。強い瞳に射すくめら
れて、目が反らせない。
﹁ずっとここに閉じ込められていたのね?⋮⋮⋮ジェラール様が、
やったのね?﹂
姫様はもう、確信を持っていらっしゃる。知られたくなかったが、
首を縦に振るしかなかった。
﹁そう。⋮⋮⋮こんなものまで、使って﹂
268
食事と湯あみの時以外は、ずっとつけられたままだった手枷。手
首についた赤い痕は、しばらくは消えないかもしれない。
姫様はジェラール殿下を睨みつけた。
﹁鍵はどこです?﹂
﹁なぜ教えなければならん。それは私の側室だぞ﹂
こん
ユーリの方
﹁シェリルはわたくしの侍女、いいえっ、大切な友人です!
な目にあわせるような男に誰が渡すものですかっ!!
が百億倍マシだわ!!﹂
手を突きだし、再度おっしゃられた。
﹁鍵をお渡しください。シェリルは連れて帰ります﹂
ジェラール殿下は溜息をつくと、手枷の鍵を放って、そのまま踵
を返された。それをアンネリーゼが拾って、姫様のもとへ持ってく
る。両手首が、久しぶりに自由になった。自由になった手をベッド
について、シェリルは深く頭を下げた。
﹁姫様っ、⋮⋮申し訳ありませんっ⋮!!﹂
無理やりされたのでは
情けなかった。姫様に、夫を殴らせた自分が。のうのうと生きて
いる自分が。
﹁待って、シェリル。なぜ貴女が謝るの?
ないの?﹂
姫様の旦那様にっ⋮
どうしてもお許しいただけな
抱かれたことは事実ですっ!
いかようにも罰してください!
﹁ですがっ!
!
269
いなら、死んで償いますっ!﹂
あたたかい手が、肩に添えられた。あられもない身体を隠すよう
それも、こんな酷いやり方で。
にシーツがかけられ、抱き締められる。
﹁あんな人、もうどうでもいいわ﹂
﹁え⋮っ?﹂
﹁だって、シェリルを弄んだのよ?
しかも、わたくしに隠して。わたくしを馬鹿にしているとしか思え
ない。わたくし今、怒り心頭なの。勢いで離縁宣言しなかっただけ
でも、自分を褒めたい気分だわ﹂
シェリルは言葉に詰まった。⋮⋮⋮姫様は、本気だ。
最近は大人しくしていたが、幼い頃はしょっちゅうユーリウスに
つっかかって、生傷をつくることもしばしばだった。本来の姫様は、
愛らしい容姿と裏腹に、かなり過激な御方なのだ。淡い恋心は、一
瞬で嫌悪に傾いて、最後まで振り切れたらしい。
﹁だからね、シェリル。お願いだから死ぬなんて言わないで。わた
くし、貴女のことはちっとも怒ってないんだから。悪いのは全部ジ
ェラール様よ。ね?﹂
﹁あの⋮⋮姫様?﹂
﹁もう一発ぐらいぶん殴ってやれば良かったわね。あんなものじゃ、
全然報いにならないわよね。ごめんなさい。ふふ、わたくしとした
ことが﹂
それは、愛らしい笑顔でおっしゃることではない気がする。アン
ネリーゼが後ろで苦笑しているのが見える。
270
﹁おそれながら、姫様。ジェラール殿下は武芸に秀でた御方でいら
っしゃいますから、二発殴れただけでも大したものかと。あの時は
不意をついたから当たったのでしょうが、あれ以上は難しいかと思
われます﹂
﹁そう。残念ね。それより、いつまでもこんなところにいたくない
わ。部屋に帰りましょう﹂
﹃帰りましょう﹄と言ってくれたことが、嬉しくて、さらなる涙
が零れた。
姫様のお部屋に帰ると、バルバラとデルフィーナとエミーが出迎
えてくれた。アンネリーゼが知らせたらしい。
王太子殿下の側室がシェリルで、捕まっていたのだということを
聞くや、三人とも激怒しながら王太子殿下を罵った。いつもなら注
意するはずのアンネリーゼもそれを咎めず、うんうんと頷いている
し、姫様にいたっては悪口に参加している始末。シェリルは止めら
れなかった。どうやって止められようか。
﹁あの⋮⋮姫様。やはり、私はソファーで﹂
﹁駄目よ。風邪をひいたらどうするの﹂
﹁ですが﹂
﹁いいから、ここで寝なさい。広いんだから、大丈夫よ。でも、蹴
飛ばしてしまったらごめんなさいね﹂
シェリルは苦笑しながら掛布の中にもぐりこんだ。姫様の左手は、
271
先程からずっとシェリルの袖を掴んでいる。右手は、ジェラール殿
下の頬を殴った時に痛めてしまって、包帯が巻かれていた。姫様は
﹃名誉の負傷よ﹄と笑っておられたが、シェリル達が青くなったの
は言うまでもない。
﹁こうしていると、まるで幼い頃に戻ったみたいね﹂
﹁⋮⋮そうですね﹂
ペルレ領に来たばかりの頃の姫様は、父を亡くした悲しみ、母や
兄と離れる寂しさから、癇癪をおこして泣くことが多かった。その
たびにシェリルにしがみついて、甘えて。同じベッドで眠ったこと
も、何度もある。
﹁シェリル⋮⋮ごめんなさい﹂
﹁姫様?﹂
﹁わたくしが貴女をこの国に連れてきてしまったせいで、こんなこ
とになって﹂
私が⋮⋮私の身体が、全部悪い
姫様は静かに涙を流していた。シェリルは驚いて、その手を握り
しめた。
﹁姫様のせいではありませんっ!
んです﹂
﹁どういうこと?﹂
﹁私⋮⋮花の民の末裔なんです。それで、この香りが、男性を誘っ
てしまうらしくて。ジェラール殿下が私に興味を持ったのも、それ
が原因なんです﹂
姫様は驚いたように目を見開かれた。
272
﹁私も、知ったのは最近で。自分でも、この血がどんなものかよく
わかってなくて。知った時点で、さっさと実家に帰っていれば、こ
んなことにはならなかったのに﹂
ペルレ候は、普通の人間よね﹂
﹁え、待って。よく意味がわからないのだけど。花の民って⋮⋮貴
女が?
﹁私もまだよくわかってないんですけど⋮⋮⋮おそらく母が、そう
だったのだろうと﹂
﹁確かに貴女は昔からいい匂いがしていたけど、男性を誘うですっ
て?﹂
﹁⋮⋮⋮はい﹂
シェリルには、自分の香りがわからない。昔から﹃良い匂いがす
る﹄とはよく言われていたが、てっきり香水を褒められているのだ
とばかり思っていた。つけていない時でも言われたが、衣服や小物
に匂いが移っているのだろうと思って、気にしていなかった。
あれらはおそらく、シェリル自身の香りを指していたのだろう。
十二の誕生日に父から贈られた香水には、花の民の香りを隠す意図
があったのかもしれない。
﹁じゃあ、このごろ貴女の様子がおかしかったのは、そのせいなの
?﹂
姫様の声が、咎めるような響きを帯びた。シェリルは黙って項垂
れた。
﹁どうしてもっと早くわたくしに言わなかったの!﹂
﹁ごめんなさいっ⋮⋮姫様に、軽蔑されるのが、怖くて﹂
﹁ばかっ!﹂
﹁ごめんなさいっ!﹂
273
勢いをつけて抱きつかれた。背に回された腕に込められた力から、
姫様が本気で怒っていることを知る。
﹁⋮⋮⋮ジェラール様だけでは、なかったのね﹂
﹁⋮⋮⋮はい﹂
﹁詳しいことは聞きたくないわ。聞いたが最後、わたくしきっと、
そのようなことをおっしゃってはいけません!﹂
相手の男を殺したくなってしまうもの﹂
﹁姫様っ!
﹁じゃあ聞くけど、わたくしが同じ目にあったら、貴女はどうする
の?﹂
﹁う﹂
容易に想像できてしまい、シェリルは言葉に詰まった。︱︱︱も
し、姫様が同じ目にあったら、シェリルはナイフを手にするだろう。
姫様を弄んだ男に復讐するために。
名前がわからないなら、詳しい特
﹁そう。心優しい貴女が言葉に詰まるぐらい、酷いことをされたの
ね﹂
﹁っ!﹂
﹁やっぱり教えてちょうだい?
徴だけでもいいから﹂
﹁い、言えません﹂
﹁なぜ?﹂
﹁私なんかのために、姫様にお手を汚させるなんて、とんでもない
ことです﹂
﹁このことを知ったら、ユーリだって同じことをするわ﹂
﹁っ︱︱︱姫様っ、どうかユーリ様にはお伝えしないでください!
お願いいたします⋮っ!﹂
274
もしユーリウスに知られたら⋮⋮⋮そんなこと、想像もしたくな
かった。何を言われるか。次に会った時、どんな瞳で見られるのか。
考えるだけで、恐ろしくてたまらない。
縋るような思いで懇願すると、姫様は困った顔になった。
﹁無理よ。貴女のことで隠し事なんてできないし、どんなに隠した
ユーリ様にだけは、知られたく、な、⋮っ﹂
って、すぐにばれてしまうわ﹂
﹁お願いしますっ!
姫様に知られただけでも重傷なのに、ユーリウスにまで知られた
ら、致命傷だ。羞恥と自己嫌悪で死んでしまう。
あの側近、かなり有
﹁⋮⋮⋮わかったわ。そんなに泣くほど嫌なんだったら、わたくし
からは言わない。でも、無駄だと思うわよ?
能だもの﹂
﹁⋮⋮⋮ありがとうございます、姫様﹂
よほど酷い顔をしていたのか、姫様は慌てた様子で付け加えた。
﹁シェリル、くれぐれも言うけれど、馬鹿なことを考えては駄目よ。
何があったって、ユーリが貴女のことを嫌うわけがないんだから。
わたくし、これだけは断言できてよ﹂
﹁そうでしょうか⋮⋮﹂
﹁そうよ。間違いないわ。貴女のために、王女であるわたくしはお
ろか、お兄様にまで啖呵をきった男なのよ。従兄弟だということを
差し引いても、ありえないと思わなくて?﹂
﹁陛下にも?⋮⋮⋮ユーリ様は、何故そんなことを?﹂
そんな話は初耳だった。姫様に対しては砕けた態度のユーリウス
275
も、国王陛下に対しては、家臣として丁重に接していたのに。
﹁昔ペルレ領にいた頃に、わたくし、お兄様に﹃シェリルを姉にし
たい﹄って手紙を書いたことがあるの。そうしたらお兄様ったら、
貴女を自分の側室にしようか?って返してきて。もちろんそれは冗
談だったんだけれど、ユーリは激怒して、王都に戻った後でお兄様
を怒鳴りつけたらしいわ。﹃シェリルに手を出したら反逆するから
な!﹄って﹂
﹁えええ⋮!?﹂
他の人間でも大問題だが、ユーリウスのその発言は洒落にならな
い。ダールベルグ公爵の後ろ盾があるからこそ治世が安定している
のに、ユーリウスが陛下の敵になったら、今度こそ内乱になる。
﹁私的な場とはいえ、王宮内でそんな発言をしてしまうぐらい、ユ
ーリは本気なのよ。貴女がユーリを嫌いになっても、逆はまずあり
えないわね﹂
﹁嫌いになんてなるわけがありません!﹂
あんなや
それだけはありえない。断言すると、姫様は苦笑した。
﹁まったく、貴女は。ユーリのどこがそんなにいいの?
つ、顔しか取り柄がないじゃない﹂
﹁そんなこと、ありません⋮⋮ユーリ様は、素敵な方です﹂
姫様は肩をすくめると、シェリルの手をしっかりと握ったまま、
ベッドに横になった。
﹁すっかり遅くなってしまったわ。もう寝ましょう。⋮⋮⋮もう二
度と、わたくしに隠し事をしては駄目よ。いいわね、シェリル﹂
276
﹁⋮⋮⋮はい。姫様﹂
翌日は、頬を腫らした王太子殿下の噂でもちきりだった。
﹁ああっ、殿下のお綺麗な顔がなんて無残なことに﹂
﹁一体何があったのかしら?﹂
﹁ご側室に殴られたんじゃない?﹂
﹁あら、私はお妃様がやったって聞いたわよ﹂
﹁うそぉ。あのお妃様にそんなことができるの?﹂
すっごい修羅場。直接見たかったなぁ﹂
﹁噂では、殿下がお妃様を怒らせて、お妃様がご側室を追い出した
って﹂
﹁えーっ!
﹁お妃様って見かけに寄らず怖い方なのねえ。怒らせないように気
をつけようっと﹂
物陰で聞いていたバルバラは、しめしめと笑みをうかべた。狙い
通りの噂になっている。
姫様はシェリルの名が表に出ることを望まず、自分が全てを被る
ことをお選びになった。おかげで姫様が悪しざまに言われることに
なったが、ほぼ事実のままなので仕方がないだろう。王太子殿下を
貶めることも考えたが、やりすぎると姫様に咎めがいく可能性があ
るので、このぐらいが限界だった。
﹁姫様、あのことをシェリルに言わなくてよろしいのですか?﹂
﹁あのこと?﹂
277
﹁明日、ユーリウス様がこの宮殿に到着なさることを。もしかして
お忘れでしたか?﹂
﹁あ﹂
姫様は間抜けな声を出した。ぎりぎりまで内緒にしたいと言って、
アンネリーゼ達に口止めしたのは姫様ご自身なのに。
﹁いえ、忘れていたわけではないの。ただ、そう、なんと言うか、
言えない雰囲気になってしまって﹂
﹁ユーリウス様にはシェリルの身に起こったことをお知らせになっ
たのでしょう?﹂
﹁仕方がないじゃない。十日も行方不明だったのに、何もなかった
なんて言っても信じないでしょうし、これから来るんだから、嘘を
ついたってすぐにばれてしまうわ﹂
﹃侍女に戻るか﹄という問いに、シェリルは首を横に振った。こ
の一カ月ほどの間にシェリルがどんな目にあってきたかを考えると、
仕方がないことだろう。頑なに実家に戻ると言い張るので、せめて
使節団と一緒にフリューリング王国に戻るように説得した。使節団
なら顔見知りもいるし、一人旅より安全なので、シェリルも了承し
た。その際にユーリウスの名が出なかったことが、アンネリーゼは
引っ掛かった。
﹁⋮⋮⋮わたくし、シェリルには実際に会わせるまで内緒にしてお
いた方がいいと思うの。今のシェリルに教えたら、逃げてしまうか
もしれないもの﹂
死を考えるぐらい辛い目にあっていたのに、誰にも一度も助けを
求めなかったシェリル。﹃姫様に軽蔑されたらと思うと怖かった﹄
と泣くぐらいなのだから、ユーリウスに対しても同じように考える
278
はずだ。いや、もっと悪いかもしれない。
﹁そうですね。シェリルは姫様とユーリウス様のことを、神様以上
に神聖視してますから﹂
﹁大げさよね。どんなことがあったって、わたくしがシェリルを嫌
ったりするわけないのに﹂
﹁そういえば。ユーリウス様がいらしたら姫様はシェリルを手放す
ことになるわけですが、よろしいのですか?﹂
姫様は渋面になったが、すぐに溜息をついた。
﹁仕方がないわ。わたくしじゃ、シェリルを幸せにしてあげられな
いんですもの﹂
姫様にお仕えして一生を過ごすのも、一つの幸せだろう。ただ、
アン
ユーリウスに恋をしているシェリルには、もっと良い道があるとい
うだけだ。
﹁わたくしが男だったら良かったのに。そう思わないこと?
ネリーゼ﹂
いっそ自分で書いてしまおうかしら﹂
﹁きっと物語のように素晴らしい恋人同士になったでしょうね﹂
﹁そうよね!
姫様の文才では百年経っても完成しないだろうとアンネリーゼは
思ったが、口には出さなかった。
279
伯爵1
ジェラール殿下のもとから救い出されて、三日が経った。
アンネリーゼ達は侍女に戻ることをすすめてくれたが、また同じ
ことが起こらないとも限らないし、花の民の血をなんとかしない限
り、迷惑をかけることは疑いようがない。姫様のもとを離れるのは
辛かったが、実家に戻って、母の話を聞こうと思った。
ちょうど三日後︱︱︱今日のことだが︱︱︱に、フリューリング
王国からの使節団が到着するから、彼らと共に戻ればいいと言われ
た。それが一番良いだろう。一人は、怖い。
今頃、姫様は大広間で王太子妃として使節団を迎えている頃だろ
うか。
姫様は王女として育ったお方だ。そして、自らの立場をよく理解
しておられる。頬を腫らしたジェラール殿下に対しても笑顔で接す
るだろうし、ジェラール殿下だって、笑顔で姫様の手をとるだろう。
シェリルも侍女として訓練を積んでいるから、何でもないふりは得
意なつもりだが、王族の方々には敵わないと思う。
使節団の出迎えで皆忙しいので、今姫様のお部屋にはシェリルし
かいない。侍女を辞めたシェリルはもう公の場には出られないし、
寮にも戻れない。かといって城下に宿をとるのは姫様が承知せず、
﹃わたくしの目の届く場所にいなさい!﹄︱︱︱そう言って、シェ
リルに自室の一つをあてがった。
280
王太子妃ともなると、自室といっても一つではなく、寝室、居間、
衣裳部屋、侍女の控えの間など、複数の部屋の集まりのような造り
になっている。シェリルが与えられたのは予備の個室で、衣裳部屋
が溢れた時に物置のように使われたり、時には侍女の仮眠室になっ
たり、主によって用途が変わる部屋だった。
姫様はノルエスト王国にきて日が浅いので、まだこの部屋は手を
つけておらず、最初から簡素なベッドが置いてあったので、そのま
ま使わせてもらっている。姫様は気にせず一緒に寝ればいいとおっ
しゃってくださったが、さすがにそれは使用人の分を超えているの
で辞退した。
使節団には、誰がいるのだろう。外交官の知り合いはいないが、
騎士はニコラウスの同僚だから、何人か心当たりがある。知ってい
る人がいればいいのだが、知らなくても、ニコラウスの妹だと名乗
ればきっと無体な扱いはされないはずだ。ニコラウスがシェリルを
溺愛しているのは周知の事実だから、当代最強の呼び声の高い騎士
の恨みを買うような真似は、誰もしないはず。
﹁今日は到着のご挨拶と歓迎の夜会で、明日は会議で、騎士の交流
会とか、視察もあるから⋮⋮滞在期間は二週間だって伺ったけど、
全部終わるのかしら。出立前日はまた夜会だし、姫様すごくお忙し
いだろうな⋮⋮﹂
使節団の代表にシェリルのことをお願いするのは、いつになるの
だろう。国王陛下や王太子殿下の目がある場所で、私的な話は難し
いはずだ。ただでさえお忙しいのに、余計な仕事を増やしてしまっ
て、とても申し訳ない気持ちになった。
281
夜になった。何度かエミーやデルフィーナが様子を見に来てくれ
て、食事も運んできてくれたので、シェリルは穏やかな時間を過ご
すことができた。ジェラール殿下は姫様と一緒に使節団の応対に忙
しいので来るわけがないし、神出鬼没のエルヴェでも、やはり王太
子妃の部屋までは現れないようだ。
姫様のお部屋の中でもっとも気兼ねなく過ごせるのは侍女の控え
の間だが、ジェラール殿下に凌辱された時の記憶が蘇るので、シェ
リルは与えられた小部屋で過ごしていた。少しだけ開けた窓から、
夜会で奏でられているワルツの旋律が聞こえてくる。
﹁?⋮⋮エミー?﹂
夜の静寂の中で、微かに、扉が開く音がした。またエミーが様子
を見に来てくれたのだろうか。腰を上げ、居間に顔を出して、シェ
リルは目を見開いた。
月明かりに浮かび上がる影。侍女ではない。紛れもない、男性の
もの。
﹁ひっ⋮!﹂
発作的に悲鳴をあげ、奥へと逃げようとしたら、素早く近づいて
はなしてっ⋮!﹂
きた影によって、腕を掴まれた。
﹁いやぁっ!
﹁シェリル、落ち着いて。僕だ﹂
282
夢に見るほど焦がれた、声。深く澄んだ紫水晶の瞳。月明かりに
光る黄金の髪。
﹁ユーリ様⋮?﹂
思わず呟くと、ユーリウスは笑ってくれた。
﹁そうだよ。⋮⋮⋮会いたかった、シェリル﹂
腕の中に抱き締められる。頬に触れる煌びやかな夜会服。早い段
階で抜け出してきたのだろう、お酒の匂いはせず、記憶にあるまま
のユーリウスの匂いだった。
﹁ユーリさまっ⋮⋮ユーリ様、ユーリ様ぁっ⋮!﹂
涙が溢れて、嗚咽が漏れた。泣きだしたシェリルを、ユーリウス
はより強く抱きしめてくれた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。存分に泣いて、少し落ち着
いてきた頭で、シェリルは思った。泣いている間、ユーリウスは黙
ここは、ノ
ってシェリルを抱き締めてくれていて、変わらないユーリウスの優
しさが、傷ついた心をほんのりと癒してくれた。
﹁ぐすっ⋮⋮あの⋮⋮どうしてユーリ様が、ここに?
ルエスト王国ですよね⋮?﹂
今さらなことを尋ねたシェリルに、ユーリウスは苦笑した。
﹁もちろん、使節団の一員として来たんだ。フィオラから聞いてな
283
いのか?﹂
﹁聞いてませんでした⋮⋮﹂
﹁相変わらずだな、あいつ。まぁ、今夜は手を貸してくれたから、
大目に見るが﹂
そう、ここは姫様のお部屋。誰かの手引きがなければ入れないは
ず。︱︱︱これは、姫様のご意思?
﹁いつまでも立ったままというのも何だから、座ろうか。お茶を淹
れてくれる?﹂
﹁あ、はいっ!﹂
先程エミーがお湯を持ってきてくれていて助かった。カップを温
め、いつも姫様にお出ししているお茶を、ユーリウスの好みにあわ
せて淹れる。用意をしている間、ソファーに腰掛けているユーリウ
スにちらりと視線を向けて、シェリルは頬が熱くなるのを感じた。
夢じゃない。本物のユーリウスだ。どうしよう。すごく、かっこ
いい。夜会服を着て、前髪を後ろに流しているユーリウスを、シェ
リルは初めて見た。心臓がどきどきして、今にも破裂してしまいそ
うだ。
﹁シェリル?﹂
﹁あっ、いえ、なんでもありませんっ!﹂
﹁いや、そうじゃなく。せっかく淹れたお茶が冷めてしまうよ﹂
﹁ああっ、すみませんっ!﹂
思わぬ失態にがっくりしながら、カップをお出しする。少し腕が
震えたが、こぼしたりしなくて良かった。そのまま俯いたシェリル
の頬に、ユーリウスの手がのびてくる。
284
﹁シェリル、また泣いてる﹂
﹁えっ。あ、ちが⋮う、んです。これは、その⋮⋮嬉しくて﹂
﹁僕に会えたことが?﹂
﹁はい﹂
正直に答えると、ユーリウスはとろけるような笑みを浮かべた。
﹁相変わらずかわいいね、シェリル﹂
ユーリウスこそ、相変わらずかっこいい。表情を隠すためにカッ
プに口をつけながら、シェリルは俯いた。そんな、とても愛おしい
ものを見るような瞳で見ないでほしい。シェリルはもう以前のシェ
リルではない。この身体はもう、見るも無残なほどに汚れてしまっ
たのに。
﹁美味しい。やっぱり、シェリルの淹れてくれるものが一番だな﹂
﹁お茶の葉が良いんです⋮⋮姫様のお気に入り、ですから﹂
﹁とっておきなのか。僕に使ったら怒られないか?﹂
﹁え。えと、飲みたいなら自由に飲みなさいっておっしゃって頂い
ているので、これにしたんですけど⋮⋮どうでしょう?﹂
姫様は侍女に優しい方なので、茶葉やお菓子の類は気軽に分けて
くださる。しかし、ユーリウスとは反目し合っているので、お気に
入りの茶葉やカップを使わせたなんて言ったら、気分を害するかも
シェリルが僕にとっておきを淹
しれない。ぐるぐると考えていると、ユーリウスはくっくと笑った。
﹁ごめん、後で自慢してもいい?
れてくれたって﹂
﹁ええっ!?⋮⋮⋮いいですけど、どうしてわざわざ喧嘩を売るよ
285
うな真似をするんですか⋮﹂
﹁フィオラの悔しがる顔が見たいから。僕からシェリルを取り上げ
たんだ、このぐらいの仕返しは当然だろう﹂
相変わらず仲が悪い。だが、最後の言葉は聞き流せなかった。
﹁違います、ユーリ様。私が志願したんです。ついていきたいって、
お願いしたんです﹂
﹁ペルレ侯爵の反対を退けたのはフィオラだと聞いたが?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁もっと強く引き止めなかった僕も悪いんだろう。だが、僕から君
を取り上げたくせに、君を守りきれなかったフィオラに対して、僕
はかなり怒っているんだ﹂
﹁っ!?﹂
鋭く細められた紫水晶。怒っている。︱︱︱全て、知られている。
シェリルは顔から血の気をひかせ、腰を上げたが、腕を掴まれて、
引き寄せられた。
﹁きゃっ!﹂
怒りに染まる紫水晶に、間近で見下ろされる。ユーリウスの指が、
唇をなぞる。また、泣きそうになった。
﹁口づけてもいいか﹂
逆らえない。逆らえるわけがない。小さく頷くと、すぐさま唇が
重ねられた。
286
﹁んっ⋮!﹂
重なった唇。無意識のうちに歯列を開くと、舌が入り込んできた。
口の中で、絡み合う。
八つ裂きにするから﹂
﹁⋮⋮慣れているな。誰に教わったんだ?﹂
﹁っ!﹂
﹁シェリル、教えて?
﹁ユーリ様っ!?﹂
王太子は無理としても、他
そんな恐ろしいことを、そんな瞳で言わないでほしい。本気に聞
こえてしまう。
﹁どうして驚くんだ。当たり前だろ?
︱︱︱それとも、まさ
の奴らは殺してやる。フィオラだって同意見だ﹂
そんな酷いことっ⋮!﹂
君は凌辱されたんだろう?
﹁駄目ですっ!
﹁なぜ庇う?
そんなっ⋮!!﹂
か自分から足を開いたのか?﹂
﹁違いますっ!!!
ユーリウスにそんな女だと思われるなんて、それだけは耐えられ
ない。必死に首を振って、否定した。
﹁違いますっ⋮私っ⋮⋮嫌だったんですっ⋮嫌だって、何度も言っ
たんです⋮っ!﹂
﹁わかってる。君は何も悪くない。悪いのは、君の香りに惑わされ
た男たちだ﹂
﹁っ!︱︱︱ユーリ様、知って⋮!?﹂
﹁オスカーから聞いた。花の民のこと。僕にしてみれば、何年も前
から君の香りは狂おしいほどだったが⋮⋮⋮今の君は、二か月前と
287
は明らかに違う﹂
再び唇が重ねられる。あまりの快さに、身も心も酔いしれそうだ
った。
﹁んんっ⋮ゆ、⋮⋮り、さ⋮﹂
膝から崩れ落ちそうになるのを、ユーリウスの服を掴んで耐える。
身体の芯が疼いて、たまらない。
﹁シェリル、すごく色っぽい顔してる﹂
﹁っ⋮あっ⋮﹂
﹁他にもこの顔を見た男がいると思うと、嫉妬で狂いそうだ。⋮⋮
⋮こんなことなら、先に奪っておくんだった﹂
身体がソファーに横たえられる。上にユーリウスがのしかかって
きて、シェリルは心臓が高鳴るのを感じた。今まで感じたことのな
それとも、この身体が淫乱だから?
い感覚だった。抱かれるのを、期待するなんて。
相手がユーリウスだから?
﹁シェリル⋮⋮﹂
耳の中に吐息を吹き込まれ、ぞくりと身体が震えた。
なぜ?﹂
﹁あっ⋮⋮だめ、ですっ⋮⋮ユーリさま⋮っ﹂
﹁僕を拒むの?⋮⋮
﹁ここ⋮じゃ、いやです⋮⋮﹂
ここは姫様のお部屋で、お茶を楽しむ場所だ。行為の痕で汚した
288
くない。
﹁好きに使っていいって言われてるんだけどな。⋮⋮君が嫌なら、
移動する。どこならいい?﹂
﹁⋮⋮⋮奥に、私が使わせて頂いてる小部屋があるので⋮⋮﹂
﹁わかった﹂
軽々と抱きあげられた。特に何も言わずとも見当はついたらしく、
シェリルが出てきた扉をくぐって、ユーリウスは小部屋の小さなベ
ッドにシェリルをおろした。
﹁さあ、シェリル。最後の機会だ。嫌なら、そう言って。君に触れ
たが最後、途中でやめるのは無理だから﹂
言葉が、出ない。泣きそうになりながら、ただただ首を横に振っ
た。シェリルの頬を両手で包み込んで、ユーリウスは微笑みを浮か
べた。
﹁シェリル、好きだ。︱︱︱愛してる﹂
涙が、溢れた。
289
伯爵2*
何度も夢に見た。ユーリウスと、こうして触れあえる日を。
上着を脱ぎ捨て、襟元を緩めるユーリウスを、シェリルはぼんや
りと眺めていた。お手伝いするべきなのに、まだ夢のような心地が
していて、目の前の現実が信じられない。先日のように、シェリル
の願望が見せた幻ではないだろうか⋮?
﹁シェリル、どうして泣くんだ。やっぱり、いやなのか?﹂
﹁ちがっ⋮﹂
嫌なわけではない。なのに、涙が止まらない。ユーリウスに求め
られて、とても幸せなはずなのに。同時に、とても恐ろしい。
﹁私っ、⋮⋮ユーリ様以外の人に、いっぱい、抱かれて⋮っ⋮汚い、
から⋮⋮﹂
全部、シェリルの意思を無視した凌辱だった。しかし、その中で
快楽を貪ったのも、事実。夢が叶うと知っていたなら、純潔を失う
時、あんなに簡単に諦めたりしなかったのに。
﹁汚いのは僕の方だ。君がまだ子供だった頃から、頭の中で何度君
を犯したことか。⋮⋮⋮今まで、僕がどれだけ我慢していたかわか
るか?﹂
ユーリウスがあまり触れてくれなくなった
初めて出会ったのはシェリルが六歳の時。当時、ユーリウスは九
歳だった。いつから?
290
のは、いつだった?
そんなに欲してくれていたのに、どうして今までシェリルを抱か
なかったのだろう。我慢なんてしなくて良かったのに。シェリルの
心は、とうにユーリウスのものだったのに。
純潔を捧げるのは、ユーリウスが良かった。ユーリウス以外の人
なんて、知りたくなかった。引き止める腕を振り払って、国を離れ
たのは自分なのに、そんな身勝手なことを考えてしまう。なんて、
傲慢。
﹁あっ⋮ユーリ、さま⋮っ!﹂
ユーリウスが体重をかけてきたことで、ぎしりとベッドが軋んだ。
シェリルの首筋に顔を近づけて、ユーリウスはその肌に吸いついた。
白い肌に、赤い花が咲く。
﹁あいつの痕が残ってる﹂
﹁っ!﹂
﹁やっぱり僕も殴ってやればよかったな。あの顔で溜飲を下げたつ
もりだったんだけど﹂
頬を腫らしたジェラール殿下の顔を思い出したのか、ユーリウス
は小さく笑った。
指摘されたことで、自分の身体がどれほど見苦しいかを思い出し、
だめっ⋮!﹂
シェリルは青くなった。しかし、もう逃げ場はない。
﹁ユーリ様っ、やっぱりだめですっ!
﹁シェリル⋮?﹂
291
急に抗い始めたシェリルの姿に、ユーリウスは不審を感じたらし
い。隠そうとした腕を退けられ、胸元のボタンを外されてしまった。
﹁見ないでっ⋮、見ないでください⋮ッ﹂
胸まわりに、無数に刻みつけられた赤い痣。最後の凌辱でしこた
ま吸いつかれたために、まだ薄くすらなっていない。
姫様に見せつけるためだと思っていたが、もしかしたら真の狙い
はユーリウスだったのかもしれない。シェリルがユーリウスを想っ
ていること、そしてユーリウスが使節団の一員であることを、ジェ
ラール殿下はご存じだったから。
﹁⋮⋮⋮はらわたが煮えくりかえりそうだ。僕がニコラウスぐらい
絶対にしないでください⋮っ﹂
強かったら、間違いなく決闘を申し込んだだろうな﹂
﹁っ決闘だなんて、駄目ですっ!
ジェラール殿下は近衛と対等に渡り合える腕前だと聞く。しかし、
ユーリウスは剣があまり得意ではない。シェリルのためにユーリウ
スが剣を持つなんて、耐えられない。もし、怪我をしたら。必死に
言い募ると、ユーリウスは苦笑した。
﹁情けないな。守らなければならない相手に心配されるなんて﹂
﹁私なんかより、ユーリ様の御身の方が大事です⋮⋮﹂
﹁悪いが、僕は自分よりシェリルの方が大事なんだ﹂
唇で涙を拭われ、瞼に、頬に、唇に、口づけられる。しかし、拭
っても、拭っても、溢れる涙は止まらない。
292
ユーリウスに、甘く、優しく、触れられている。それだけで心が
満たされて、幸せで、身体が疼いて、たまらなかった。媚薬を飲ま
された時のように、身体が火照って仕方がない。
﹁シェリル⋮⋮かわいい﹂
﹁ユー、リさま⋮っ、あっ⋮﹂
上書きするように、色づいた痣の一つ一つに吸いつかれ、羞恥で
頭がどうにかなりそうだった。ぴんと起った乳首を口に含まれ、吸
いつかれて、足先から頭まで、痺れるような快感が奔る。
﹁あぁっ!⋮はぁっ⋮﹂
なんて、はしたない声。恥ずかしさのあまり、口を手の平で押さ
えたが、ユーリウスは許してくれなかった。
﹁おさえないで。聞かせて。感じてるって、ちゃんと教えて﹂
手首に残る手枷の痕に、唇が寄せられる。袖で隠れるし、もう痛
みはなくなったから、包帯を取ってしまっていた。こんなことにな
ると知っていたなら、まだ巻いていたのに。ユーリウスに痛ましげ
な顔をさせずに済んだのに。
﹁⋮ふぅっ、⋮⋮ユーリ、さま⋮っ!⋮あっ、⋮⋮やっ、っ⋮﹂
﹁いや?﹂
ふるりと首を横に振った。違う、嫌なわけじゃない。⋮⋮でも。
﹁⋮⋮こんな、っ⋮⋮⋮の、⋮たえられ、なっ⋮!﹂
293
下肢が疼いて、我慢できない。こんなことを続けられたら、その
うちとんでもないことを口走りそうで、怖かった。
﹁もしかして、感じすぎて、胸じゃ足りない?﹂
図星を指されて、シェリルはきゅっと目をつぶった。なんて淫乱
だと呆れられたかもしれない。どうしてこの身体は、こんなに浅ま
しいのだろう。
ユーリウスの手が太腿に触れ、シェリルはびくっと身を強張らせ
た。触れられたら、知られてしまう。胸への刺激だけで、そこから
蜜を滴らせていることを。
﹁⋮っ⋮⋮﹂
﹁すごく濡れてる。そんなに気持ち良かったのか?﹂
﹁⋮⋮⋮は、い⋮﹂
﹁どうして泣くんだ?﹂
頬を濡らす熱い涙が、指先で拭われる。
﹁こんな、はしたないの⋮っ⋮恥ずかしい⋮っ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
下着の中に入り込んできた指が、花芽を探り当てた。
﹁あぁんっ!﹂
刹那、シェリルは甘い声をあげながら背をのけ反らせた。びりり
と足先が痺れ、中が収縮する。愛液でぬめる秘所を、ユーリウスの
指がなぞっている。さらなる刺激を求め、腰が揺れ動いてしまう。
294
﹁あっ⋮あっ⋮⋮ゆーりさまぁっ⋮﹂
﹁なんて、⋮⋮﹂
﹁は、あぁ、んん、んっ!﹂
ぐり、と指の腹で敏感な花芽をこねまわされて、みるみるうちに
息があがってしまった。下腹が、きゅうんっ、と疼いて、たまらな
く気持ち良い。ユーリウスに向けて足を広げて、そこに触れられて
いるのに、羞恥より快感が勝っていた。
﹁ユーリさまっ、ユーリさまっ⋮、ふぁっ、あ、⋮っ!﹂
こんな、すごい。なんて、快楽。
﹁あっ、あぁっっ⋮、あぁぁんっ!!﹂
快感が絶頂に達して、シェリルはことさら甘い声をあげた。手足
から力が抜けて、身体が熱くて、頭がぼーっとする。初めてだった。
達した後の倦怠感を心地良く感じるなんて。
﹁はぁ⋮っ⋮はぁ⋮っ⋮﹂
足から下着が抜き取られる。ぐっと膝を広げられて、濡れそぼっ
てひくひくと疼くそこに視線があてられた。
﹁綺麗だ。熟して、美味しそう﹂
﹁あ、や、っ、だめです、っ、ユーリさま、っそんな⋮っ⋮ひゃぁ
ぁッ!﹂
初めてではないのに、死ぬほど恥ずかしかった。ユーリウスの舌
295
が、はしたなく蜜を滴らせるそこを舐めあげる。身体の奥がむず痒
くて、たまらなかった。ぴちゃぴちゃと淫らな水音が耳に届く。
僕以外の男には見せておいて?﹂
﹁だめですっ⋮⋮だめ⋮っ⋮ユーリさま、に、お見せするような、
ばしょじゃ⋮!﹂
﹁僕は駄目なのか?
﹁っっ!!﹂
指先で花芽をぐりりと押し潰され、一瞬目の前が真っ白になった。
﹁ッ︱︱︱⋮⋮っ、だっ⋮て、⋮こんなの、恥ずかしい⋮っ⋮それ
に、私ばかり、気持ち良くてっ⋮⋮本当なら、ユーリさまに気持ち
良くなって頂かないと、いけないのに﹂
本当ならシェリルの方がご奉仕するべきなのに、ユーリウスを足
元に跪かせるなんて、許されるはずがない。しかし、花弁を弄る手
は止まらず、根元まで埋められた二本の指が、ぐちゅぐちゅと卑猥
な水音を立て続けている。
﹁そんなこと気にしなくていい。僕は君の主ではないし、君はもう
侍女ではないんだから﹂
﹁でもっ⋮﹂
﹁僕は、君の全てが知りたいんだ。⋮⋮⋮いや、今夜こそ、君の全
てを手に入れる﹂
再び秘所に顔をうずめられ、羞恥に耐えるように、シェリルはか
たく瞳を閉じた。ユーリウスの舌を、息遣いを、そこに直接感じて
しまって、シーツを握りしめていないと、頭がどうにかなってしま
いそうだ。
296
ユーリさまっ、⋮あ⋮っ⋮あぁっ⋮﹂
これは、夢じゃない。夢など、比べ物にならない。
﹁んんっ⋮⋮はぁっ、ぁ⋮!
この身体でユーリウスが気持ち良くなってくれるなら、シェリル
はそれだけで幸せなのに、どうして優しくするのだろう。この身体
は、花の民なのに。幾度となく男を受け入れてきたのだから、そん
なに丹念に前戯を施さなくても大丈夫なのに。
ユーリウスになら酷く扱われたっていいし、欲望の捌け口にする
だけの女で良いのに。
﹁っ⋮⋮、ッ︱︱︱⋮ユーリ、さま、っ⋮﹂
これで何度目の絶頂か。力の入らない身体をシーツに沈めて、荒
い呼吸を繰り返す。身体中が敏感になっているようで、少し触れら
れるだけで容易く達してしまう。
もう、ユーリウスに触れられていないところなんてない。唇や、
胸や、秘所はおろか、肌という肌に口づけられて、身体中、ユーリ
ウスの痕でいっぱいだった。
﹁は、⋮ぁ⋮﹂
﹁大丈夫か?﹂
﹁⋮、⋮は⋮ぃ⋮﹂
﹁ごめん。調子に乗り過ぎたかもしれない。でも、挿れる前にやっ
297
ておきたかったんだ。繋がったが最後、そんな余裕はなくなってし
まうだろうから﹂
瞳にたまっていた涙がぬぐわれて、鮮やかな紫水晶と視線があっ
た。いつもは深く澄んだそれが、今は情欲に濡れている。そして、
⋮⋮⋮私、ユーリさ
大きく開いた足の間に、とうとう熱い楔があてがわれるのを感じた。
﹁挿れてもいいか?﹂
﹁⋮⋮⋮どうしてお尋ねになるのですか⋮?
まになら、何をされたっていいのに﹂
﹁シェリルの気持ちを聞きたいから。いい?﹂
言葉にするには恥ずかしすぎて、こくりと頷きを返すと、ユーリ
ウスはとろけんばかりの笑顔をくれた。
指が絡まり、一糸まとわぬ肢体が重なる。小さなベッドが、また、
ぎしりと軋んだ。ぬるつくそこを、男根が行き来し、入口を探る。
やがて、ぐっと先端が食い込み、ゆっくりと押し込まれた。
﹁あッ⋮、︱︱︱﹂
なんて、熱い。
﹁ユー、リ⋮さま⋮っ!﹂
身体の内側でユーリウスを感じた。シェリルの中に、ユーリウス
が。最後、一番奥にたどりつかれた瞬間、シェリルは、今なら死ん
でもいいと思った。
﹁シェリルの中、熱い⋮⋮絡みついてくるみたいだ﹂
298
﹁はぁ、⋮はぁ、⋮⋮ユーリさまも、あつい、です⋮っ⋮あぁっ⋮
⋮すごい、⋮こんなっ⋮!﹂
初めて知る充足感。満たされる、感じ。これは、心が繋がってい
てこその行為なのだと、初めて知った。今までは、内側に感じる異
物が嫌で仕方なくて、快楽を与えられても苦しいだけだったが、今
ふ、ぁぁ
はユーリウスを受け入れているだけで、泣きたいぐらい幸せだった。
ユーリさま、ぁ、っ⋮んんっ!
﹁くっ⋮⋮シェリル、動くよ⋮!﹂
﹁は、いっ⋮、あっ!
っ⋮!﹂
今までの優しさが嘘のような激しい突き上げ、身体の中で存在を
主張する男根の逞しさから、ユーリウスの興奮が伝わってくる。最
初から、我慢していると本人も言っていたが、あんなに穏やかな顔
で言われても、その程度はよくわからなかった。︱︱︱しかし。こ
れは。
その瞳のように、繊細で美しい容姿のユーリウスも、れっきとし
あ、ぁんっ!
ふっ、ッ!!⋮、ユーっ、リさ、
た男性なのだ。知っているつもりだったが、改めて思い知らされた
気分だった。
﹁あ、ぁんっ!
まっ、ユーリ、さまっ⋮!!﹂
くびれた部分に蜜を掻き出されながら引き抜かれ、一息に奥まで
突き入れられる。結合部がじゅぷじゅぷと泡立つのが聞こえる。シ
ェリルから溢れた蜜で、シーツが濡れる。ユーリウスの激しさで、
腰を打ちつけられる度、小さなベッドが大きく軋んだ。
299
⋮⋮⋮今さらだが、姫様のお部屋の一角でこんなことをしている
なんて、いけないことなのではないだろうか。傍から見ると、一介
の侍女が主人の部屋に男を連れ込んでいるように見えるはずだ。姫
様がご存知であろうと、なんだか、ひどく背徳的な行為である気が
した。
﹁くっ⋮⋮シェリル⋮っ﹂
唇を求めながら、ユーリウスが切ない声でシェリルを呼ぶ。しか
し、腰の動きは止まらない。
ユーリウスが出入りするたび、気持ち良くて、背筋がぞくぞくし
て、もう何も考えられない。与えられる快楽に、シェリルはただた
だ酔いしれた。身の内にユーリウスを受け入れ、淫らな喘ぎ声をあ
げながら、その首に腕を絡め、肌を擦り寄せた。
﹁あっ⋮︱︱︱ッ、⋮あっ︱︱︱、ユーリさまっ、ユーリさまッ!
⋮わたしっ⋮もっ、⋮ぅ⋮っっ﹂
﹁はっ⋮!⋮いいよ。イッて﹂
﹁ッユーリ、さま、もっ⋮いっしょに⋮っ!﹂
﹁⋮⋮ああ。一緒に、イこう﹂
口ではそう言いながら、離れたくないとばかりに腰に足を絡める
と、ユーリウスは困った顔をした。
膣内に感じるモノは、今にも弾けんばかりに張りつめている。シ
ェリルの身体を気遣ってくれるのは嬉しい。
でも、シェリルは、ユーリウスの全てを受け入れたかった。
300
﹁っ⋮シェリ、ル﹂
﹁ナカ、に、くださ⋮ぃ⋮!﹂
﹁だ、めだ。⋮僕は、今のままで君を孕ませるわけには﹂
﹁大丈夫っ⋮⋮薬、飲んでっる、からっ﹂
ユーリウスは一瞬目を瞠ったが、すぐさま律動を再開した。激し
あ、アッ、ああっ!
ユーリさま、ぁあ、ぁ︱
く揺さぶられ、すでに限界まで来ていたシェリルは、容易く絶頂を
見た。
﹁ッ︱︱︱︱︱!
︱︱ッ﹂
ぱぁっと、頭の奥で光が弾けた。シェリルのなかで、ユーリウス
が精を放つ。熱い奔流を奥底に受け止めている間、シェリルはユー
リウスに強くしがみついていた。
﹁っ∼∼∼∼∼⋮、ッ⋮﹂
このままユーリウスの一部になってしまえたら、どんなにいいか。
ずっと繋がっていたかったが、ユーリウスはすぐにシェリルから
出て行ってしまった。その際の些細な刺激ですら、過敏に感じてし
まって、ふるりと身体が震えた。
﹁はぁっ⋮⋮はぁっ⋮⋮﹂
﹁シェリル、大丈夫か⋮?⋮⋮加減できなくて、ごめん﹂
﹁だいじょ、⋮ぶ、⋮⋮です、⋮⋮﹂
301
頭がふわふわして、身体を起こすこともままならないシェリルを、
ユーリウスは優しく抱きしめてくれた。その胸に頭を預けて、シェ
リルはゆるく瞳を伏せた。今はただ、この幸せにひたっていたかっ
た。
302
回想7 唯一無二
運命とか、一目惚れとか。言い方は色々あるが、初めて会ったそ
十年早いよ﹄
の瞬間、ユーリウスにとって、シェリルは唯一無二の存在になった。
﹃オスカー、シェリルをくれ﹄
﹃寝言は寝てから言ってくれるかな、ユーリ﹄
﹃僕は本気だ﹄
﹃なおさら悪い。シェリルはまだ六歳なんだよ?
﹃じゃあ十年後に申し込む﹄
﹃正気かい?﹄
﹃見たらわかるだろう﹄
﹃いや、まぁ、ねえ。⋮⋮おそれいったよ﹄
当時はユーリウスも九歳だった。この頃は婚約者もいなかったし、
国勢も安定していたから、大人になったらシェリルを妻にしようと
本気で思っていた。婚約指輪を贈ろうとしたら、﹃すぐにサイズが
合わなくなるよ﹄とオスカーに思いっきり呆れられたので、代わり
にリボンを贈った。蜂蜜色の髪には、淡いピンクのリボンがよく似
合う。プレゼントしたら、毎日つけるぐらい喜んでくれた。少なく
とも、ユーリウスと会う時は必ずつけてくれていた。
最初の頃は、ただひたすらかわいいばかりで、気を引くために、
ぬいぐるみや菓子をたくさん贈った。この気持ちを伝えるために、
滞在中は毎日愛を囁いた。しばらくするとオスカーに、﹃愛が重い
よ、ユーリ﹄と注意されたので、﹃大好き﹄程度におさえた。
シェリルはかわいい。屋敷に連れて帰りたいと、何度思ったこと
303
か。口に出すたびに、ニコラウスが﹃十年早いと言ってるだろうが
っ!﹄と拳骨を食らわせてくるので、仕方なく諦めたが、何年経っ
ても年数が減らなかったのはどうしてだろう。ニコラウスは計算が
できないのだろうか?
﹃シェリル。大好きだよ。大人になったら結婚しようね﹄
﹃はいっ!﹄
気持ちを伝えるたび、無邪気に笑ってくれたシェリルが、いつの
頃からか、複雑な笑顔を浮かべるようになった。結婚の意味と、ユ
ーリウスの身分を知ってしまったのかもしれない。オスカーに尋ね
たら、﹃シェリルは賢い子だからね﹄と、返された。
︱︱︱どうして?
先日お会いした時は、
シェリルが手に入るなら、身分なんていらない。しかし、時代は
それを許さなかった。
﹃伯父上が亡くなった?
あんなにお元気そうだったのに﹄
表向きは病死。しかし、暗殺の疑いがあるという。ユーリウスは、
フィオレンティーナと共にペルレ領へと向かわされた。
ユーリウスは、この従妹があまり好きではなかった。ほとんど会
話をしたことがないのと、歳が近いためか、ついシェリルと比べて
しまうから。もっとも、フィオレンティーナの方もユーリウスに懐
いていないから、お互い様だろう。おそらく、もともとの相性が悪
いのだ。
304
共にペルレ領に向かうことに異論はなかった。しかし、フィオレ
ンティーナとシェリルが意気投合したのは予想外だった。
返せ!﹄
シェリルはこれからわたくしとお人形遊びをするんだ
﹃フィオラ、シェリルは僕のだって言ってるだろ!
﹃いやよ!
から、ユーリは引っ込んでて!﹄
そう言って舌を出すと、フィオレンティーナはシェリルの手をひ
いて屋敷の中に入って行ってしまった。
﹃ごめんなさい、ユーリ様﹄
女の子同士、趣味が合うのは当然だろう。ユーリウスやオスカー
達との遊びといえば、せいぜい庭で追いかけっこをしたり、ボード
ゲームをするぐらいで、シェリルに合わせたものではなかった。も
不満は本人に直接言ってくれ
ちろん、ユーリウスは人形遊びなどしたこともない。
﹃ユーリ、姫様は君の従妹だろう?
ないか。僕に八つ当たりするんではなく﹄
﹃言っても聞かないんだ。どうしたらいいと思う?﹄
なんだその、まるで恋人同士みたいな
﹃どうしようもないよ。馬に蹴られたくなかったら、邪魔しないこ
とだね﹄
﹃シェリルは僕のだっ!!
表現は!﹄
﹃ユーリ、君は余裕がなさすぎ。女の友達ぐらい我慢しなよ。シェ
リルにとって、姫様は初めての友達なんだ。夢中になったって仕方
ないだろ。そんなにがんじがらめにしてると、しまいには嫌われて
しまうよ﹄
﹃うっ﹄
305
オスカーの言葉はもっともだったので、フィオレンティーナに関
しては、文句を言わないよう頑張った。来年からユーリウスは王都
の学校に通うから、当分会えなくなるというのに、こんなことにな
るなんて。
王都へと発つ別れ際、シェリルの手を握りしめて、ユーリウスは
言った。
﹃大人になったら必ず迎えに行くから、待っていて。約束だよ﹄
﹃はい。ユーリ様﹄
むしろ、求婚しに行くと言えば良かったのだろうか。いまいちシ
ェリルには通じていなかったようで、シェリルは王宮の侍女になっ
てしまった。そのことでフィオレンティーナに苦情を言ったら、心
底人を小馬鹿にした高笑いを返された。⋮⋮⋮段々と兄王に似てき
たような気がする。自分にも同じ血が多少なりと流れているかと思
うと、考えるだけでうんざりした。
シェリルは十一歳で、まずは侍女見習いとなった。王宮の仕事に
年齢制限はないから、子供と呼べる年齢の召使も大勢いる。家計の
手助けのためだったり、両親の仕事を継ぐための勉強だったり、自
分が食べていくためだったり、その理由は様々だ。王位をめぐる争
いの表立った被害は、国の上部だけでおさまったが、物流や物価に
多少の影響が出てしまったため、そんな子供がこれから増えるかも
しれない。
法を整備し、少しずつ改善されているとはいえ、貧富の差はまだ
まだ大きい。否、栄えている王都だからこそ、か。
306
正式に侍女となった暁に、シェリルがフィオレンティーナに仕え
るつもりなのは間違いない。むしろ自分の侍女にしたいと考えない
わけでもなかったが、争いが一段落してから、父はユーリウスの行
動に目を光らせるようになっていたので、それは到底望めなかった。
ユーリウスに何かあった場合、もしくはユーリウスが失態をしで
かした場合。それは父の弱みとなり、王の痛手となってしまうから。
それでも学生の間は、まだそれなりの自由が許されていた。
昔はユーリウスがペルレ領に滞在している間にしか会えなかった
が、今は王宮の中で、もしくは休みのたびに、顔をみることができ
る。人目がある分、抱きしめたり、気持ちを伝えたりといった行動
は制限されてしまったが、それなりに幸せではあった。
そうして一年が経った頃、ユーリウスはシェリルを連れて、王都
郊外の丘に遠乗りに出かけた。事前に約束をして、朝早くから連れ
出したので、久しぶりに二人きりだ。いつもオスカー達がシェリル
を守る騎士のように周囲を固めているから、たまには息抜きがした
いだろうと思い、こういう手段をとった。遠乗りに行こうと誘った
ら、ほとんど馬に乗ったことがないシェリルは多いに喜んでくれた。
もちろん護衛はついてくるが、王都周辺には賊も出ないし、ユー
リウスの側近は空気の読める男だ。シェリルが気付かないぐらい離
れていることを条件に出すと、クサヴァーは含んだ笑みを浮かべな
がら了承した。
307
二人きりにこだわった理由の中に、邪な意図があったことは否定
しない。ユーリウスは十五になったが、シェリルは十二。まだ身体
は育っていないが、充分にかわいらしい。綻び始めた蕾の、瑞々し
い魅力が、そこにはあった。
桃花色のドレスと、揃いの帽子。ゆるく結った三つ編みと、それ
を止める髪飾り。どちらもユーリウスが贈ったものだ。幼馴染とは
いえ、女に贈り物をすると周囲がうるさいので、オスカーに手配を
頼んだ。布地は上等なものだが、夜会用ではないのでそこまで高価
なものではない。それなのに、シェリルは恐縮して、しきりに礼を
言ってきた。
妾腹だから贅沢はさせてもらえなかっただろうが、昔からそれな
りの物を身に着けていたし、あの屋敷で育ったのだから、物の価値
はわかっているはずだ。不思議に思って尋ねると、﹃ユーリ様にこ
んなものを頂けると思ってなかったから、嬉しくて﹄と、返された。
こんなもので良ければ、いくらでも贈るよ。そう言ったら、シェ
リルは首を横に振った。﹃これだけで充分です﹄と、切なげに笑い
ながら。
そこまでいけば、ユーリウスにもわかった。シェリルはユーリウ
スを、自分に好意を寄せる男ではなく、ダールベルグ公爵の嫡子と
して見ているのだ。もちろん、ユーリウスの気持ちは知ってくれて
いるし、シェリルも好意を持ってくれているが、実るはずのない恋
だと諦めている。
もどかしかった。こんなに、好きなのに。
308
腕の中にシェリルを乗せて、ユーリウスは馬を走らせた。目的地
である丘は王の直轄地で、平民の立ち入りが制限されているため、
王宮を出た時点から、王族の目を楽しませるために美しく整えられ
た景色が続いていく。塀のない庭といったところか。
一応は王の許可をとらなければならないことになっているが、ユ
ーリウスは無断で訪れた。どうせ後で耳に入るだろうし、事後承諾
で構うまい。頭の固い父と違い、従兄王はそういうことには融通の
きれい!﹄
きく男だから。
﹃わぁっ⋮!
若草の彩る大地、太陽の光をいっぱいにあびて、きらきらと輝く
木々の葉。見るも鮮やかな花々と、戯れる蝶たち。視線をあげれば、
青い空が果てしなく広がっていた。絶好の散策日和だ。天もユーリ
ウスに味方しているに違いない。
﹃シェリルは本当に花が好きだね﹄
﹃はい。お花だけじゃなくて、木も好きです。お花は小さくてかわ
いらしいですけど、木は大きくてかっこいい感じがするので﹄
﹃そうなんだ。僕とどっちがかっこいい?﹄
率直に尋ねると、シェリルは真っ赤になったが、俯きながら、小
さく答えた。
﹃⋮⋮⋮もちろん、ユーリ様の方がかっこいいです⋮﹄
﹃僕も、花よりシェリルの方がかわいく感じる。同じだね﹄
﹃∼∼∼っ⋮⋮そんなことを、そんな顔で言わないでください⋮っ﹄
309
﹃それは無理な相談だ。僕はシェリルと一緒にいると、自然と笑顔
になってしまうから﹄
宝石のようだと、何度も称された。その瞳と同じ、貴石だと。し
かし、紫水晶にたとえられるより、シェリルに木のようにかっこい
いと言われた方が嬉しく感じる。
丘の上にたどりつき、シェリルを馬からおろすと、シェリルは胸
に手を当てながら大きく深呼吸をした。それほど長い道のりではな
かったが、慣れない乗馬だから、緊張していたのだろう。おろした
瞬間に少しよろけたものの、その後の足取りはしっかりしていたの
で、どうやら大丈夫そうだ。
ユーリウスが馬の手綱を近くの木に繋いでいる間に、地面に敷物
をしいたり、昼食を広げたりという準備を、シェリルは甲斐甲斐し
く行ってくれた。この分なら、侍女として立派にやっていけるだろ
う。
﹃今日は、連れてきてくださってありがとうございます。とても嬉
しいです﹄
﹃どういたしまして。昼食はうちのシェフが作ったものだけど、た
ぶん口にあうと思う。食べてみて﹄
﹃はい﹄
シェリルの好みは把握しているから、それに合わせて作らせたが、
同じ料理でも地域や作る人間によって味付けが変わってしまうこと
はある。ユーリウスがペルレ領で食べた料理は口に合ったが、その
逆が成り立つとは限らない。
﹃おいしいです﹄
310
﹃良かった﹄
シェリルは甘いものが好きだ。スープは持ってこられなかったが、
スパイスが効いた料理よりも、豆を甘く煮たものや、じゃがいもを
楽しいですか?﹄
使った料理を好んで食べる。パンは柔らかい方が好きで、ジャムは
木苺。そう、その瞳と同じ。
﹃ユーリ様、学校はどうですか?
﹃楽しいよ。相変わらず剣は上達していないけど、先日、法学の論
や
文で教授に褒められたんだ。父上が珍しく褒めてくれたから、きっ
ユーリ様は将来、何になられるのですか?
とすごいことなんだろう﹄
﹃すごいですっ!
はり文官ですか?﹄
﹃どうだろう。案外、軍部かもしれない﹄
未来など、父が決めるものだ。今も昔も、ユーリウスが強く望む
のはシェリルだけで、特にどんな仕事がしたいと思ったことはなか
った。騎士は適正がないし、むしろ守護される側なので論外だが、
ユーリ様、剣は苦手なのに?﹄
政治を父が握っているから、ユーリウスは軍部に回される可能性が
高い。
﹃軍部?
﹃騎士や兵士を動かす方の部署だよ。剣を持って仕事をするわけじ
ゃない。そうなると、僕はニコラウスの上司か。⋮⋮⋮案外いいか
もしれないな﹄
心の底から嫌そうな顔をするニコラウスが容易に想像できたのか、
シェリルはくすくすと笑った。
﹃オスカーお兄様は国のお金に関わるお仕事がしたいのですって。
311
節約がお好きだから﹄
﹃ああいうのはケチって言うんだ﹄
﹃無駄を省くのは良いことだと思いますけど、問題なんですか?﹄
﹃無駄を省くのと出し惜しむのは違うんだよ﹄
シェリルに対しては色々と気前よく買い与えているから、シェリ
ルはオスカーの吝嗇ぶりを知らないのかもしれない。長い付き合い
だというのに、ユーリウスはオスカーに本以外の物を貰ったことが
なかった。それも古本、自分が読み終わったものだけ。
誕生日プレゼントぐらいは新品を用意するべきじゃないか?とぼ
やいたら、﹃貴重な古書に新品なんて存在しないよ。それとも、君
のために新しく刷れと?﹄と返された。まったくもって食えない奴
だ。
貴族のくせに、衣裳を仕立てるのが勿体ないと言って、オスカー
は滅多に夜会に出ない。断り切れずに出席しても、もっぱら食べる
だけ。恋愛に興味がないわけではないが、女と付き合うと、余計な
支出が増えるから嫌だと言う。そんなことでは一生結婚できないの
ではないかと思うが、案外、持参金をたんまり持った資産家の娘と
結婚するかもしれない。三男だし、そのぐらいで構わないだろう。
いじめられたりしていないか
結婚相手を選べない立場のユーリウスには関係のないことだ。
﹃シェリルの方は、仕事はどうだ?
?﹄
﹃姫様はもちろん、みなさんお優しい方ばかりです。昨日も、今日
出かけるって言ったら、支度を手伝ってくれて。この髪も、同室の
方がやってくださったんです﹄
﹃そうなのか。よく似合っているよ﹄
﹃ありがとうございます﹄
312
はにかんだ笑みを浮かべるシェリルの姿を目にした瞬間、どくり
と心臓が高鳴った。貴族社会で培った処世術で、表情には出さなか
ったが⋮⋮⋮かわいらしすぎる。いや、もう率直に言おう。抱きた
い。その花のような唇に口づけたい。下半身に熱が集まろうとする
のを、頭の中に法律の条文を羅列することで、必死で抑える。
ユーリウスがシェリルに劣情を覚えるのは、これが初めてではな
シェリ
い。今までは、シェリルがまだ幼いことを理由に耐えてきたが、シ
ェリルは十二になった。もう、いいのではないだろうか?
ルは拒んだりしないだろう。
まだ十年経っていないから、マティアスとニコラウスに間違いな
く殴られるだろうし、オスカーにも渋面をされるだろうが。このま
までは、機を逸する気がした。
最近、ユーリウスの婚約の話が出始めている。まだ候補の段階だ
が、相手は名門侯爵家の令嬢だという。同じ侯爵家の娘だというの
に、シェリルは許されないことに皮肉を感じた。おまけに相手は、
シェリルと歳まで同じで。まだ早いと拒んではいるが、いつまで通
じることか。
妻に迎えたいのはシェリルだけだ。シェリルがいい。シェリルが
いいのに。
﹃ユーリ様?﹄
﹃あ、⋮⋮ごめん。少しぼーっとしていたみたいだ﹄
﹃お疲れなのですか?﹄
﹃いや、そんなことはないんだけど。あたたかいから、つい眠くな
ってしまったのかな﹄
313
実際、ぽかぽかしてとても気持ちがいい。お腹も満たされて、若
干眠気を感じているのは本当だ。
﹃確かに、今日は本当に良いお天気ですからね。⋮⋮あの、ユーリ
様。⋮⋮⋮お眠りになられるのであれば、膝をお貸しいたしますが
⋮⋮﹄
自分で言っていて恥ずかしくなったのか、語尾はしぼんでしまっ
ていたが、その言葉で眠気が吹っ飛んだ。⋮⋮⋮シェリルが膝枕を
してくれるって?
﹃じゃあ、お願いしようかな﹄
断るなんて選択肢があるわけがない。細い脚の上に頭を載せると、
花のような甘い香りがした。シェリルの、匂い。
﹃足が痺れたら起こしてくれていいからね﹄
﹃はい。おやすみなさい、ユーリ様﹄
シェリルは被っていた帽子をとると、ちょうどユーリウスの目元
が影になるように被せてくれた。寝たふりをするつもりだったから
好都合なのだが、シェリルの肌が日に焼けてしまう。ぽかぽかとあ
たたかいということは、そのぶん日差しが強いということだ。
﹃シェリル、自分で被ってないと駄目だ。僕はいいから﹄
﹃大丈夫です。おひさまは背中から当たってますから﹄
﹃駄目だ﹄
﹃大丈夫です﹄
﹃⋮⋮まったく、変なところで頑固だな﹄
314
﹃お父様にも言われました﹄
仕方がないので、一度身体を起こし、シェリルの手をひいて木陰
に移動した。木の根元に敷物を敷き直し、さらに上着を敷いて、シ
ェリルを座らせる。
﹃ここならいいだろう。君も疲れたらもたれられるし﹄
﹃でもユーリ様、上着がないとお寒いのでは?﹄
﹃まだ日が高いし、むしろ暑いぐらいだから大丈夫さ﹄
再び膝に頭を預け、瞳を伏せると、シェリルの手が髪に触れるの
を感じた。父譲りのこの金髪が、どうもシェリルは好きらしい。ユ
ーリウス自身も嫌いではないが、やや自己主張が激しすぎるように
感じる。フィオレンティーナはもう少し薄い色だが、王は髪も顔立
ちも似たような感じだから、一目で血縁だとばれてしまうのだ。兄
弟に間違われたことも、一度や二度ではない。
おだやかな風が頬をなぜる。小鳥のさえずりが聞こえる。シェリ
ルと二人きりの、穏やかな時間。幸せだった。ずっとこうしていら
れたら、どれほどいいか。
なんだかんだと考えながらも、少し眠っていたらしい。ゆっくり
と目を開けると、影の長さはさほど変わっていなかったが、髪を撫
で続けていたシェリルの手が止まっていた。おだやかな風と木漏れ
日のぬくもりで気持ちが安らいだのか、シェリルもまた、木の幹に
背を預けながら、無防備に眠っていて。その様子から、ユーリウス
を信頼しきっているのが伝わってきた。
315
﹃兄弟の忠告は、無駄になってしまったな﹄
シェリルに対し、男に対する注意を延々と並べ立てていた過保護
たちのことを思い出し、ユーリウスは苦笑した。彼らはユーリウス
も駄目だと口を酸っぱくして言っていたのだが、シェリルはユーリ
ウスをまるで警戒していないらしい。これまで、どれほど劣情を感
じても、紳士であろうと必死に頑張ってきた努力の賜物だろう。
薄く開かれた唇に、ユーリウスは己のそれを重ねた。このぐらい
は許されてもいいはずだ。
316
回想7 唯一無二︵後書き︶
シェリルのファーストキスは、実はユーリウスが奪ってました。
なんで起きてる時にはしなかったのかというと、兄達に知られたら
殺されかねないからです︵笑︶
キスする↓シェリルが挙動不審になる↓兄にバレる↓殺される、と
いう図式が頭の中にあった模様。
317
伯爵3*
シェリルの行方が分からなくなった時、手を放してしまったこと
を、どれほど後悔したかわからない。そして、ノルエスト王国の王
都に着く直前に届いたシェリルの無事の知らせと、衝撃の事実。
いまだかつてない長さの手紙には、シェリルの身に起こったこと
がぽつぽつと書かれていて。ユーリウスは、オスカー達の危惧がす
でに現実になっていたことを知った。
最初にシェリルの様子がおかしくなったのは、一カ月も前だとい
う。その間に、何があったのか。フィオレンティーナは他の侍女に
問い質し、ジェラールの他に少なくとも二人の男が、複数回シェリ
ルを弄んだという事実を知った。
紙に穴があくほど筆圧の強い文字と、途切れ途切れの文章を見れ
ば、怒りを持て余しながら書いたのだとよくわかる。ユーリウスも
目を通した瞬間から、握りつぶしたい衝動にかられたから。
純潔を奪われたと同時に、花の民の血が目覚めたのだろう。花に
引き寄せられる虫のように、シェリルに群がる男達の姿が想起され
て、ユーリウスは目を閉じた。
﹃ユーリウス様、お怒りはごもっともですが、冷静になってくださ
い。万が一でも流血沙汰なんて起こしたら、戦争になってしまいま
す﹄
﹃っ⋮わかっている!﹄
﹃全然わかってません。ちょっと深呼吸しましょうか。はい、吸っ
318
てー、吐いてー﹄
自分でも頭に血が上っているのがわかっていたので、言われた通
りにした。何度か繰り返すと、少し血が下がった気がするが、苛立
ちは増した。冷静になるということは、シェリルのために何もでき
なかった、無力な自分を理解するということだ。
﹃くそっ⋮!!﹄
﹃ぜーんぜん駄目ですか。そうですか。まぁ、明日までに冷静にな
ってくれればいいです。今夜の宿では水風呂でもご用意しましょう
か?﹄
﹃ちょっと黙っててくれないか、クサヴァー﹄
﹃いいですけど、そんな顔でシェリル様にお会いしたら怯えられち
ゃいますよ﹄
﹃っ!﹄
今度こそ完全に血が下がって、ユーリウスは溜息をついた。そし
て、目の前でにこにこ笑っている男を睨みつける。
﹃クサヴァー。こいつらを殺してこい﹄
﹃もう暗殺は辞めたんで、お断りします。側近の仕事にそんなの入
ってませんし、騎士はともかく、さすがに王弟殿下を暗殺するのは、
ものすごーくまずいですから﹄
騎士を殺すのだって本当は良くない。使節団の滞在中にそんな事
件が起こったら大問題だし、万が一犯人を突き止められたら弱みを
握られることになる。フィオレンティーナやユーリウスにとってど
れほど大事な人間でも、シェリルは一介の侍女に過ぎない。侍女の
ために子爵位を持つ騎士を処断しろと言っても、失笑をかうだけだ。
319
人間は平等ではなく、命には軽重がある。理解しているつもりだ
ったが、これほど悔しいと思ったことはなかった。
﹃僕は何もできないのか。シェリルを弄んだ奴らに、何も﹄
﹃それどころか、笑顔で挨拶しなきゃいけないんですよ。え・が・
お、で。一緒に食事したり、会談したり、他にも色々。そんな外道
たちと毎日のように顔をあわせている王女様が我慢なさっているの
に、ユーリウス様が短気を起こしたら駄目ですよ﹄
あろうことか、もっとも許せない男がフィオレンティーナの夫な
のだ。フィオレンティーナはジェラールへの恨みごとは何も書いて
いなかったが、どう思っているのだろう。離縁を言い出さないのは
王女の誇りか、それとも︱︱︱まだあの男を愛しているのか。
﹃⋮⋮⋮お前の言うとおりだ。悪かった﹄
﹃いいえー。お怒りはごもっともですから。僕だったら、間違いな
く殺ってますし。貴族って大変ですね。同情しちゃいます﹄
﹃本当にな。面の皮が厚くないとやっていられないよ﹄
手紙の最後にでかでかと書かれていた、﹃わたくしから聞いたと
くれぐれもシェリルには言わないように。言ったらお兄様にあるこ
とないこと吹き込むわよ!﹄という注釈を思い出して、ユーリウス
は苦笑した。
あれほど焦がれた少女が、今腕の中にいる。シェリルはユーリウ
スの胸に頬を預けながら、静かに涙を流していた。
320
﹁シェリル⋮⋮また泣いてる﹂
﹁っ⋮⋮これは、⋮⋮幸せ、すぎて﹂
なんてかわいいことを言うのだろう。情交の余韻で赤らんだ頬と、
潤んだ瞳が艶めかしくて、また欲望が膨らむのを感じた。衝動のま
まに華奢な身体をシーツに横たえ、唇を重ねて、深く繋がる。ユー
リウスの愛撫に、シェリルは快く応えてくれた。
﹁僕も、やっと念願が叶って、すごく満たされた気分だ。やっぱり
シェリルじゃないと駄目だって、よくわかった﹂
﹁私も、ユーリ様以外の人はいやです⋮っ!⋮⋮もう、絶対に﹂
そう言って、シェリルはユーリウスの首に腕をまわした。いつも
控えめだったシェリルの積極的な仕草を嬉しく思うと同時に、縋り
たくなるほど辛い目にあったのかと勘繰ってしまう。
昔はユーリウスに自分から近づいてくることはおろか、触れてく
ることだって滅多になかった。そんな慎ましい少女が、離れ離れに
なったほんの僅かな期間で、自ら避妊薬を飲まなければならないよ
うな境遇に陥ってしまったのだ。⋮⋮⋮身の内に、幾度も精を注が
れたのだろう。
本当は、シェリルの中で果てることができた満足よりも、無力感
と憎悪が勝っていた。しかしユーリウスには、過去に戻ってシェリ
ルを助けるどころか、シェリルを傷つけた男たちに復讐することも
できない。
ユーリウスにできるのは、彼の腕の中で幸せだと涙するシェリル
を抱き締めることだけ。
321
﹁シェリル、僕と一緒にフリューリング王国に帰ろう﹂
﹁え⋮?﹂
シェリルは驚いた顔をした。
﹁どうして驚くんだ?﹂
﹁だって⋮⋮⋮帰るのは、そうしたいと思っていたので、嬉しいの
ですが⋮⋮ユーリ様と?﹂
﹁僕と一緒がいやなのか?﹂
﹁いやじゃないです⋮⋮⋮、でも﹂
何度も見たことがある、切なそうな顔。何を気にしているのかわ
かって、ユーリウスは再びシェリルの唇を塞いだ。あんな女のため
にシェリルにこんな顔をさせるなんて、耐えられなかった。
﹁⋮⋮⋮気にするなと言っても、無理だろうな。ごめん。約束、し
たのに﹂
﹁謝らないでください。私は、平気です。わかっていましたから﹂
﹁言い訳になるが、あの言葉は本気だったんだ。あの争いさえなけ
れば、本当に君を妻にするつもりだった﹂
﹁知っています。ユーリ様のお立場のことは、オスカーお兄様から
何度も聞きました。ユーリ様が国を大事にしてくださる方で、嬉し
いです。戦争は、いやですから﹂
﹁シェリル⋮っ﹂
シェリルを腕の中に掻き抱いて、ユーリウスは瞳を伏せた。
シェリルは汚れたと自分を卑下するが、妻にできないのにシェリ
ルを手元に置きたいと考えているユーリウスの方がどれほど汚いこ
322
とか。しかし、もう手放すなんて考えられなかった。この身体に触
れた男がいると考えるだけで、嫉妬に狂いそうなのだ。こんな思い
は、もう二度としたくない。
﹁お願いだから、僕のものになってくれ。妻にはできないかもしれ
ないが、一生大事にする。神に誓ってもいい﹂
﹁だめです。神に誓うのは、婚姻の儀でなさってください﹂
﹁シェリル以外の女に永遠の愛を誓うなんて、いやだ﹂
﹁ユーリ様⋮⋮それでは婚約者の方がかわいそうです﹂
﹁大丈夫だ。向こうも僕のことなんてこれっぽっちも好いてないか
ら﹂
﹁そうなのですか?﹂
シェリルはロスヴィータがどんな女か知らないのだろう。ぱちく
りと目を丸くして、﹃ユーリ様を好きにならない女性がいるなんて
信じられません﹄と呟いた。
この場でどんな女かを言い聞かせるのは簡単だが、婚約者を悪く
言う男だとは思われたくなかった。事実を述べるだけで悪口に聞こ
えるぐらい、ロスヴィータの素行が悪いということだが⋮⋮⋮同い
年で、同じような環境で育ったのに、こんなに差がでるとは。シェ
リルは少し控えめ過ぎる気がするが、これはペルレ候の意思である
らしい。教育は大事だとつくづく思う。
シェリルに好意を寄せる男の数に比べたら、ユーリウスに言い寄
る女なんて微々たる数だ。花の民の香りを差し引いても、それだけ
の魅力がシェリルにはある。ユーリウスの側でわざわざ茨の道を歩
まなくても、いくらでも幸せになれる道があるのだ。
﹁僕のものになるのがいやだと言うなら、シェリルはどうしたいん
323
だ?
教えてくれ﹂
﹁一度、実家に帰って、お父様に母の話を聞きたいと考えているの
ですが⋮⋮⋮その後のことは、まだ決めてません﹂
﹁⋮⋮⋮そうか。なら、僕が責任持って君をペルレ侯爵のもとへ送
り届けよう。母君の話を聞いた後、改めて返事をくれ﹂
﹁⋮⋮⋮はい﹂
身体を繋げただけでは、シェリルは手に入らないのだ。シェリル
がまだ誰の物でもないことが嬉しいような、自分のものになってく
れないのが悔しいような、複雑な気持ちだった。
ユーリウスに好意を持ってくれているのは間違いないが、全てを
明け渡してはくれないのだろう。ユーリウスは、シェリルが全てを
委ねるに足る男ではないから。立場にがんじがらめで、シェリルの
ためにできることなど極僅かしかないのだから仕方ないが、歯がゆ
くてならなかった。
﹁あの⋮⋮ユーリ様﹂
﹁なに?﹂
﹁その⋮⋮ええと﹂
シェリルの視線をたどって、苦笑した。また欲情しているのを知
られてしまったらしい。
﹁しないよ。もう疲れただろう?﹂
﹁私のことは、気にしていただかなくても大丈夫です。今日は姫様
のお部屋にずっといたので、疲れてませんから。⋮⋮⋮あ、でも、
ユーリ様は長旅でお疲れですよね。早くお休みになった方が、いい
ですよね﹂
324
余計なことを言ってしまったと後悔するように、シェリルは気ま
ずそうに視線をそらした。⋮⋮⋮これは、もしかして。
ち、ちがいますっ。あの、ユーリ様が、また我慢なさって
﹁期待していたのか?﹂
﹁っ!
いるんじゃないかと思って、それで﹂
﹁気付かなくてごめん。一回じゃ足りないよな。僕も、もっと君と
繋がりたいと思ってたんだ﹂
粗末なベッドが、またぎしりと軋んだ。どうもこのベッドでは、
二人分の体重を支えるのは厳しいらしい。壊れはしないと思うが、
フィオレンティーナのベッドを使うと後がうるさそうなので、ここ
で我慢するしかない。どんな反応をするか、想像しただけで笑いが
こみあげてくるので、やってみたいような気もするが。
﹁愛してる﹂
囁くと、シェリルは泣き笑いのように微笑んだ。
二回目ということで、身体を繋げても先程よりは余裕があった。
シェリルを気遣いながら腰を動かし、反応を見て、より感じるとこ
ろを探す。
シェリルはどこに触れても甘い声をあげるが、相手がユーリウス
だからなのか、もともと敏感なのか、先にこの身体を抱いた男達に
開発されたのかは、わからなかった。
325
﹁んんっ⋮⋮はぁっ、ぁ⋮!
⋮﹂
ユーリさまっ、⋮あ⋮っ⋮あぁっ
月と蝋燭が作り出すほのかな光に汗の浮かぶ白い肌が浮かび上が
り、なんとも艶かしい。こんなに華奢なのに、形の良い乳房の膨ら
みや、腰から太腿にかけての曲線は、何とも言えない色香を放って
いる。
﹁シェリル⋮⋮綺麗だ﹂
﹁っ⋮⋮ユーリさま、の、ほ⋮ぅ⋮が⋮﹂
﹁綺麗だよ。君がなんと言おうと、綺麗だ。汚いところなんて一つ
もない﹂
成長と共に少しずつ膨らんでいく乳房を服越しに眺め、その感触
を何度想像したことだろう。父の監視が厳しくなり、遠目に眺めざ
るを得なかった間。どんどん女らしくなっていくシェリルの肢体は、
ユーリウスを釘付けにしてやまなかった。
六歳のシェリルに、ユーリウスは九歳で恋をした。どれほどの時
を経ても、その年齢差は決して埋まることはない。ユーリウスはシ
ェリルより早く大人になる。心も︱︱︱体も。
ユーリウスが初めて意識した異性はシェリルで、精通を迎えたと
き、夢に出てきたのもシェリルだった。当時、シェリルは十にもな
っていなかった。無垢な少女を汚してしまったような気がして、ひ
どい罪悪感を覚えた。
愛しい気持ちは変わらないのに、不意に凶暴な気持ちになるのだ。
326
﹃欲しい﹄︱︱︱と。
シェリルの匂いを感じるたび、柔らかなぬくもりに触れるたびに、
内なる自分が叫んだ。抱きしめたい。ぬくもりを噛み締めたい。笑
みほころぶ唇や、まだ膨らんですらいない胸や尻に触れたい。オス
あ、あっ⋮あっ⋮ゆ、りさま、っ⋮あ、
カーに名を呼ばれてようやく我に返るなんて日常茶飯事だった。
﹁あっ⋮ぁ、あんっ⋮!
っ⋮﹂
﹁気持ち良い?﹂
﹁はいっ⋮⋮は、い⋮!﹂
ユーリウスは、ずっとシェリルの成長を見守ってきた。幼い頃は、
ひたすらにかわいいばかりで、成長するにつれて、蕾が花開くよう
に美しくなっていったシェリル。
二か月前の段階では花の香りはそれほどではなかったのに、この
国に来ていきなり襲われた理由は、兄弟の庇護がなくなったという
ことに加え、フィオレンティーナにあるのかもしれないと、不意に
思った。フィオレンティーナの艶めかしい姿を目にしたことで、触
発されたのではないだろうか。
性を意識すれば、誰しも大人になるものだ。純潔を失ったことで、
一気に香りが強まったように。
﹁ユーリさま、も、きもちいいですか⋮⋮?﹂
﹁ああ。最高だよ﹂
﹁よか、った⋮﹂
シェリル以上の女なんているはずがない。微笑みかけると、きゅ
327
っと締め付けが強まった。素直で、かわいい。もっと気持ち良くし
てあげようと、敏感な花芽を指で摘むと、シェリルは大きく背をの
ゆーりさまぁっ!﹂
け反らせて、甘い声をあげた。
﹁あぁぁんっ!!
﹁くうっ⋮⋮﹂
根こそぎ搾り取るような締め付けに、思わず息を詰める。たまら
ず、シェリルを掻き抱いて、挿入を深くした。シェリルの香りが僅
ユーリさまっ⋮!
あぁっ⋮⋮ふか、いぃ、っ
かに残っていた理性を彼方へと追いやり、ユーリウスを惑わせた。
﹁っん、んんっ!
⋮﹂
欲望が止められない。幾度となく腰を打ちつけ、シェリルの声が
掠れるまで喘がせた。
身繕いを終えた頃には、とうに日付が変わっていた。すでに夜会
は終わっているのに誰も戻ってこないということは、フィオレンテ
ィーナは別の部屋で夜を明かすつもりなのだろう。まさかジェラー
ルのところではないだろうが、王宮には部屋など有り余っているか
ら問題あるまい。
ベッドの上では、シェリルが掛布にくるまって眠っている。ユー
リウスは人の世話など焼いたことがないが、あのまま放置しておく
のは色んな意味でまずいので、自分を含めて見よう見まねで清めて
328
みた。体裁が取り繕えていれば、後はシェリルがなんとかするだろ
う。
シェリルが疲れ果てて眠ってしまうまで欲望をぶつけてしまった
ことに、ユーリウスは軽い自己嫌悪を覚えていた。これではシェリ
ルを弄んだ男達と同じだ。大切にしたいのに。
﹁⋮⋮ユー、⋮さまぁ⋮﹂
軽く落ち込んでいたら、途中で夢の中に落ちてしまったシェリル
が、甘えた声でユーリウスを呼んだ。思わず微笑みを零し、こめか
みに唇を落とす。
このまま自分にあてがわれた部屋に連れて戻りたいが、抱えて歩
いているところを誰かに見られたら言い訳が面倒だし、フィオレン
ティーナが黙っていないに違いない。明日、フィオレンティーナに
直談判しよう。
﹁おやすみ、シェリル。また、明日﹂
329
伯爵4
夜明けと共に目が覚めた。ゆっくりと身体を起こし、窓の向こう
で黎明に染まる空をぼんやりと眺める。物音に振りかえると、扉か
らデルフィーナが顔を出した。
﹁あら、起きていたの。おはよう﹂
﹁⋮⋮おはようございます⋮﹂
デルフィーナは当然ながら仕事着を身につけていた。しかし、シ
ェリルはもう仕事はしなくて良くて。ここは姫様のお部屋の一つで。
昨夜は︱︱︱。
﹁ユーリさまは⋮?﹂
﹁お部屋に戻られたんじゃないかしら。従兄とはいえ、姫様のお部
屋で夜を明かすのは問題だから﹂
シェリルは寝ぼけ眼を見開いた。
﹁夢じゃないのっ!?﹂
思わず叫ぶと、デルフィーナは呆れた顔をした。
﹁どうも反応が鈍いと思ったら、寝ぼけていたのね。夢じゃないわ。
何をしたのかまでは、知らないけどね﹂
ユーリウス様は確かに昨日からノルエスト王国にいらしてるし、昨
夜ここに来たでしょう?
知らないと言いながら、デルフィーナは人の悪い笑みを浮かべて
330
いた。真っ赤になって頬を押さえながら、シェリルはベッドに突っ
伏した。
そりゃあ、こんなに痕跡が残っていたら、わかるだろう。シェリ
ルが身につけているのは肌着だけだし、シーツは乱れたままだ。心
地良さに負けて、つい意識を手放してしまったのがまずかった。後
始末をしようと思っていたのに。これは、もしかしなくても、ユー
リウスの手を煩わせてしまったのではないだろうか⋮!?
﹁姫様がお部屋にお戻りになる前に片づけた方がいいわね。この部
屋は私がやっておくから、貴女は湯を使わせて頂きなさい。姫様の
そんな畏れ多いこと!﹂
許可はもらってあるから﹂
﹁ええっ!?
﹁だって、水で清めるだけじゃ、たぶんにおいはとれないわよ﹂
﹁ううっ﹂
ユーリウスが一通り拭ってくれたようだが、足の付け根はまだべ
とついているし、髪はぼさぼさ。こんな格好で姫様の前に出られる
わけがない。︱︱︱そこで、ふと気付いた。姫様はまだお部屋にお
戻りではないということは、別の場所で夜を明かしたということだ。
﹁姫様は、昨夜はどこでお過ごしになられたんですか?﹂
﹁ジェラール殿下のお部屋よ﹂
﹁えええええ!?﹂
思いがけない言葉に、シェリルは絶叫した。しかし、デルフィー
ナはこんな笑えない冗談は言わない。
﹁ど、ど、どうしてっ!?﹂
﹁仕方がないでしょう。王太子妃が夜を過ごせる場所は多くないん
331
だから。私達は客間をお借りしようと思っていたんだけど、姫様が
それで、姫様は大丈夫だったんですか⋮!?﹂
﹃大丈夫よ。いざとなったらジェラール様を追い出すから﹄って﹂
﹁えええ⋮!?
﹁ここに来る前に様子を聞いてきたけど、問題なさそうだったわよ。
行為はなかったらしいけど﹂
﹁一緒に寝たんですかっ!?﹂
﹁らしいわよ。貴女のことでてっきり険悪になったものと思ってい
たけど、お互いに猫被るのをやめたから、逆に遠慮がなくなったん
じゃないかしら﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
シェリルはぽかんと口を開け放った。
ジェラール殿下が今まで姫様と夜を明かされたことはなかった。
シェリルを側室においていた時だって、抱くだけ抱いたらさっさと
自室に戻ってしまっていたから、寝顔など、シェリルは一度も見た
ことがない。
なにより、あれほど盛大に殴り飛ばした相手に、何事もなかった
かのように笑いかけて、ちゃっかり利用する姫様の度胸がすごいと
思った。シェリルには真似できない。
にこやかに微笑む二人の間に、一瞬、火花が散った気がした。
﹁昨夜はお楽しみだったようね、ユーリウス。少しぐらい遠慮した
らどうなの﹂
332
﹁昨夜はどこで寝たんだ?
ないだろうな﹂
フィオラ。まさか王太子のところじゃ
間に立っているシェリルは、逃げ出したい気持ちでいっぱいだっ
た。姫様の後ろでアンネリーゼ達が、ユーリウスの後ろでクサヴァ
ーが、それぞれ笑いをこらえているのが見えて、心の底から彼女達
が羨ましいと思った。他人事の彼女達は笑っていられるが、シェリ
ルはちっとも笑えない。
﹁ええ、ジェラール様のところで休みましたとも。それが何か?
どこかの誰かに自室を貸し出したせいなのに、どこかの誰かはちっ
とも感謝していないようね。どれだけ厚かましい男なのかしら﹂
﹁感謝はしているさ。アリガトウ。おかげで、素晴らしい夜を過ご
せたよ﹂
﹁ちっとも心がこもっているように感じられないのだけれど﹂
﹁こめてないんだから当然だろう。元はと言えば誰のせいだと思っ
ている﹂
﹁ええ、わたくしのせいよ。ごめんなさいね、シェリル。わたくし
のせいで﹂
ユーリ様、姫様を責めないでく
姫様が細い指先で目元を拭ったので、シェリルは慌てた。
﹁姫様のせいではありませんっ!
ださい!﹂
﹁⋮⋮⋮相変わらず面の皮が厚い女だな⋮﹂
﹁なにか言ったかしら?﹂
﹁別に﹂
挨拶がやっと終わったことで、シェリルはほっと溜息をついた。
⋮⋮⋮このお二人は、顔を合わせるとまず嫌味を言いあわずにはい
333
られないのである。毎度恒例なので、シェリルも慣れたものだった
のだが、今回は論点が自分だったので、ものすごく心臓に悪かった。
二度としないでほしいものだ。
今日⋮⋮と言っても、残りわずかしかなく、あと三時間もすれば
日付が変わる。今、二人が顔を合わせているのは、もちろんシェリ
ルのためだ。姫様もユーリウスも日中は多忙なので、こんな時間に
しか都合をつけることができなかったのだ。シェリルはあらぬ噂を
たてられやしないかとハラハラしたが、姫様は笑顔で大丈夫だとお
っしゃったので、大丈夫なのだろう。たぶん。
﹁で、何の用なのかしら。また部屋を貸せというのなら、断固拒否
させていただくけれど﹂
﹁さすがに連日は無理だろう。だから、シェリルを僕の部屋に寄こ
してくれ﹂
シェリルを部屋に連れ込んでどうするつも
いやよ、断るわ!﹂
わたくしの大事なシェリルが貴方の玩具にされ
いえ、聞かなくてもわかるけれど!
﹁ふざけないで頂戴!
り!?
﹁なぜだ?﹂
﹁いやだからよ!
るなんて我慢ならないものっ!!﹂
﹁姫様っ!?﹂
シェリルはあわあわと手を振った。そんなことを大声で言わない
でほしい。
﹁失礼な。玩具になんかしてない﹂
﹁どうだか。ちゃんと報告は受けているのよ﹂
シェリルは咄嗟にデルフィーナに視線を向けたが、デルフィーナ
は涼しい顔をしている。彼女達の忠誠心をシェリルは誰よりもよく
334
知っているが、今だけはそれが恨めしかった。何を言ったんですか、
デリアさん!
﹁まぁ、冗談はさておき、駄目よ。貴方って無駄に顔がいいから、
すでに侍女たちの間で噂になっているのよ。そこにシェリルを連れ
昨日の今日だぞ?︱︱︱どんな噂だ?﹂
込んだりしたら、またシェリルが悪し様に言われてしまうわ﹂
﹁は?
無駄って、姫様。ユーリ様のお顔は、お兄様によく似ておいでな
のに⋮⋮とシェリルは心の中でツッコミをいれた。かっこいい国王
陛下は国民の誇りだし、陛下やダールベルグ公爵やユーリウスはフ
リューリング王国の宝だ。二十年後にはユーリウスもきっと、ダー
ルベルグ公爵のように素敵に歳をお重ねになるんだろうと、シェリ
ルは密かに期待している。
﹁バルバラ、説明してあげなさい﹂
﹁はい。ユーリウス様は、ブルーメルク宮殿の侍女の情報網のすご
さはよくご存知かと思いますが、アルブル宮殿の侍女も負けてはお
りません。使節団はフリューリング王国の代表、選りすぐりの精鋭
ですから、侍女たちの関心も高いです。特に今回の方々は、ユーリ
ウス様を筆頭に、顔でお選びになったのですか?と尋ねたくなるよ
うな方ばかりですから、下々は皆様のお話でもちきりですし、すで
にご容姿のランキングまで作成されています。ちなみにユーリウス
様は文句なし一位です﹂
ユーリウスは頭を抱えた。
﹁⋮⋮⋮言っておくが、顔で選んだわけではない。選定基準の一つ
であることは確かだが﹂
﹁知っていてよ。貴方が顔だけ男だってことぐらい﹂
335
﹁お前にだけは言われたくないぞ。嫁いで少しは膨らんだかと思え
ユーリ様も、おやめください!﹂
ば、いまだに扁平のままじゃないか﹂
﹁なんですって!?﹂
﹁こらえてください姫様っ!
姫様がティーポットに手を伸ばしたので、シェリルは慌てて止め
に入った。
姫様は膨らみこそ些細だが高い音楽の素養をお持ちだし、ユーリ
ウスは剣はからきしだが頭脳に優れている。二人とも容姿以外にも
優れたところがたくさんあるのに、どうして貶し合うのだろう。二
人の間で気をもむシェリルに、﹃昔からああだから、気にするな。
もとから相性が悪いんだ﹄と、陛下が慰めの言葉をかけてくださっ
たぐらいだ。
美形の方が見栄えがするので、能力が同じぐらいであれば容姿の
優れている者を選ぶ。そして、大概の女性は美しい殿方に憧れを抱
くものである。侍女という職についている女性は、往々にして高貴
な方々の噂をするのが大好きだ。そして、バルバラはそんな噂を集
めるのが好きなのだ。本人は姫様の御為と言っているが、半分以上
は彼女の趣味だと思う。
﹁まったくこの男はっ⋮⋮話を遮ってしまってごめんなさいね、バ
ルバラ。続きをお願い﹂
﹁かしこまりました。︱︱︱文句なし一位のユーリウス様のお世話
をするために、客間係の侍女たちは醜い争いを繰り広げたそうです。
ユーリウス様は昨夜はシェリルのところにおいででしたから、部屋
に戻ったのは深夜ですよね。今朝の井戸端会議では、﹃ヘルツォー
ク伯爵様、昨夜はどちらに行かれていたのかしら?﹄﹃早速どこぞ
のご令嬢と深い仲になられたのかしら?﹄﹃絶対そうよ!﹄﹃うら
336
やましいわぁ﹄﹃ストイックそうに見えて、実は遊んでおられる方
?﹄﹃きゃあ素敵!﹄﹃お近づきになりたいわぁ∼﹄︱︱︱なんて
会話が繰り広げられていました。モテる男はつらいですね﹂
ユーリウスは再び頭を抱えたが、シェリルはバルバラの語りがな
くともありありと想像できてしまったので、驚かなかった。侍女の
噂とはそういうものだ。
高貴な方々と接する機会が多いということは、高貴な方のお手が
つく確率も高いということ。そんなことは百も承知で仕事をしてい
るので、お相手を勤めて、愛人になって、さらに︱︱︱と、手がつ
くことを期待する者の方が多い。
愛人になったら贅沢ができるし、さらに正妻となれれば、平民出
身でも貴族の仲間入りだ。正妻まで上り詰める者はめったにいない
が、羨ましい話として語られる。実際はそう楽なことばかりではな
いのだが。
﹁わたくしの部屋は彼女達が完全に隠し通してくれているから、シ
ェリルのことが外に漏れる心配はないけれど、貴方の部屋は口さが
ない侍女が大勢出入りするから、すぐに噂になってしまうわ。おま
けに、﹃ヘルツォーク伯爵の寵愛を受ける女﹄がシェリルであった
りしたら、どんな噂になるかぐらい想像できるわよね?﹂
姫様のお言葉に、ユーリウスは忌々しげに舌打ちした。
シェリルはエルヴェの恋人ということになっていたし、王弟殿下
とのことも噂になっている。そこへさらにユーリウスが加わったり
したら、とんでもない悪女として語られることになるだろう。
337
﹁なんでシェリルを悪く言うんだろうな。シェリルは何も悪くない
のに﹂
﹁噂しているのが女だからに決まっているでしょう。わたくしとし
ても、影でシェリルがどんなに悪し様に言われているかを想像する
と、テーブルをひっくり返したい衝動にかられるのだけれど、これ
お気になさらない
ばかりはどうしようもないの。ごめんなさいね、シェリル。無力な
わたくしを許して頂戴﹂
﹁そんな、姫様が謝ることではありませんっ!
でください!﹂
こればかりは断じて姫様のせいではない。迂闊なシェリルが悪い
のだ。シェリルがもっと気を付けていれば、きっとこんなに酷いこ
とにはなっていなかった。⋮⋮⋮五十歩百歩の差かもしれないが。
﹁そんなわけだから、使節団の出立日までシェリルはわたくしの庇
護下におきます。文句は言わせなくてよ﹂
﹁フィオラ、今夜も王太子のところで寝たらどうだ?﹂
﹁ほほほ。出入り禁止にされたくなかったら今すぐその口を閉じな
さい、ユーリウス。わたくしは王太子妃なのよ。馴れ馴れしい口を
きかないで頂戴﹂
﹁今さら何を言う﹂
微笑み合う二人の間に、またしても火花が弾けた。
⋮⋮⋮陛下のおっしゃった通り、このお二人はシェリルが何を言
ってもいがみ合い続けるのだろう。もう何度目かという諦めと、少
しばかりの無力感を味わいながら、シェリルはがっくりと肩を落と
した。
338
339
伯爵5
シェリルは、表向きは侍女を辞めて、国に帰ったことになってい
る。つまり、ここにいるはずのない人間なのだ。
居場所のないシェリルが好奇の目にさらされないよう、また男に
狙われないように、姫様は自室にかくまってくださっている。一歩
も外に出られないのは同じでも、ジェラール殿下に閉じ込められて
いた時とはわけが違う。姫様の、アンネリーゼ達の優しさで、シェ
リルは守られていた。
﹁シェリル、お茶が入ったわよ﹂
﹁あ、うん。ありがとう﹂
刺繍中のハンカチをテーブルにおいて、シェリルはエミーの後に
続いた。
﹁今度は何を作ってるの?﹂
でも、いいの?﹂
﹁ハンカチ。エミーもいる?﹂
﹁え、本当?
﹁刺繍を入れるだけだからすぐに出来るわ。希望の柄とかある?﹂
﹁お任せするわ。うわー、シェリル作のハンカチとか、すっごいレ
ア。大事にしなきゃ﹂
﹁大げさだわ﹂
﹁だって、粗末に扱ったら姫様に何を言われるかわからないじゃな
い。そうじゃなくても大事にするけどね﹂
﹁だから、そんな大それた物じゃないったら﹂
340
シェリルはもう侍女ではないので、姫様のお世話はできない。置
いて貰っているだけでは申し訳ないので、仕事をさせてくださいと
お願いしたら、姫様にもアンネリーゼにも﹃給料を払ってないから
駄目﹄と言われた。仕方がないので自発的に掃除をしようとしたら、
デルフィーナやエミーに﹃仕事をとるな﹄と言われ、シェリルは働
くことを諦めた。
かといって何もしないというのは暇で仕方がないので、ハンカチ
に刺繍を施して姫様に献上したり、ティーポットカバーを作って皆
に使ってもらったりして、時間を潰している。ハンカチはこれで四
枚目だ。
刺繍だけではなく、裁縫や服の仕立てもできるし、菓子だけでは
なく料理も作れる。シェリルに色々と仕込んだのは実家の乳母と侍
女たちで、父の方針だった。芸術やダンスではなく、実用的な技術
を仕込んで、誰に嫁いでも生きていけるようにしてくれたのだろう。
姫様にお仕えする上でとても役に立ったので、感謝している。
﹁くれるって言うんだから貰うけど、ユーリウス様には贈らないの
?﹂
﹁あー⋮⋮どうしようかしら﹂
﹁姫様には贈ったくせに﹂
﹁だって、姫様は昔から使ってくださっているから﹂
シェリルの作ったハンカチを、姫様はシェリルが侍女になる前か
ら愛用してくださっている。昔一緒に刺繍を学んだ時に、姫様が絶
賛してくださったのが切欠で、﹃ユーリにはあげちゃだめよ!﹄と
約束させられているのだ。姫様はそのハンカチをユーリウスの前で
使って、これみよがしに見せびらかしているらしい。
341
﹁シェリル、また元気がないわよ。今度はどうしたの?﹂
﹁ん⋮⋮今まで、こんなに時間が余ったことなかったから、どうや
って過ごしたらいいのかわからなくて﹂
﹁あー、そうね。貴女、十一歳から侍女やってたんだもんね。そり
ゃ持て余すわ﹂
控えの間で、エミーの淹れてくれたお茶を飲みながら、シェリル
はこくりと頷いた。
幼い頃は乳母や侍女が色々と教えてくれたし、兄弟が遊んでくれ
たので、退屈などとは無縁だった。姫様のために侍女になってから
は、仕事が忙しくてそれどころではなく、休日はやはり兄弟が相手
になってくれたので、一人の時間というのはほとんど経験がない。
⋮⋮⋮ユーリウスは、今頃なにをしているだろう。
忙しくしているのは間違いない。年若くても、使節団の誰よりも
身分が高いから、色んな場所に引っ張りだこのはずだ。姫様も同様
で、朝早くから日が暮れるまで公務についておられる。シェリルは、
自分だけ時間を持て余しているのが心苦しかった。
﹃十年以上待ったんだから、今さら二週間ぐらいなんでもないさ﹄
そう言って、ユーリウスはシェリルを姫様に預けていった。あれ
から、三日。一度も会えていない。姫様とユーリウスは、幼馴染と
はいえ使用人に過ぎないシェリルのことを、心から気遣ってくださ
っている。ありがたいことだ。
だけど、シェリルは、本当は︱︱︱ユーリウスのそばに行きたか
った。
342
どんな風に噂されてもいい。ユーリウスのそばにいたかった。抱
きしめて、欲しかった。せっかく、ユーリウスのものになれたのに。
どうしたの!?﹂
近くにいるのに、とても遠い。
﹁ちょっ、シェリル!?
﹁あっ⋮⋮ううん、なんでもないの﹂
自分でもよくわからない。
いつのまにか、頬を涙が伝っていて、慌てて袖口で目元をこすっ
た。これは、何の涙だろう?
言いなさい
なんでもないと言ったのに、エミーはものすごい形相で詰め寄っ
てきた。
今度は何!?﹂
この前のことで、私達
﹁貴女の﹃なんでもない﹄はあてにならないのよっ!
!
﹁本当になんでもないんだったら!﹂
﹁そんな言葉、信じるわけがないでしょ!
がどんなに心配したかわかってるの!?﹂
﹁うっ。⋮⋮⋮ごめんなさい﹂
それを言われると、シェリルは何も返せない。
エミーは侍女仲間の中で最も歳が近いから、もっとも気軽に話せ
る相手だ。シェリルより一つ年上だが、侍女になったのは二年前で、
五人の中では最後になる。
姫様付きになった彼女に、仕事を教える役目を任されたのがシェ
リルだった。ユーリウスへの想いを最初に話したのはエミーだし、
仕事仲間というよりは、友達だ。幼馴染といえば姫様やユーリウス
343
の名をあげるが、友達といえばエミーの名を出すだろう。
﹁一人で抱え込まないで。出来る限り力になるから、話してよ。友
達でしょ?﹂
最近、涙腺が緩くなっているようだ。涙を溢れさせたシェリルの
肩を、エミーはそっと抱いてくれた。
﹁っ⋮⋮⋮ユーリ様に会いたい⋮!﹂
夜の帳に覆われ、静まり返った王宮。時折、見回りの兵士の足音
や、夜勤の侍女の立てる物音がするが、それ以外に人の気配はない。
エミーが扉をノックすると、赤毛の侍女が顔を出した。もちろん
向こうもエミーの顔を知っているので、まったく警戒されなかった。
じゃあ、お願いするわね﹂
﹁侍女頭がお呼びです。番は私が変わりますから、お急ぎください﹂
﹁まぁ、本当?
侍女の足音が聞こえなくなったのを確認してから、エミーは物陰
こんなこと⋮⋮﹂
に隠れていたシェリルを手招いた。
﹁エミー、本当にいいの?
﹁今さら何言ってるのよ。大丈夫、ここまで根回ししたんだから、
問題なんて起こるはずないわ﹂
344
王太子妃権限で侍女頭を抱き込んであるので、呼び出しは嘘では
ない。エミーは、シェリルが道中で危険な目に合わないように送り
届ける役。朝になったら戻ってきて侍女の役目を果たし、シェリル
のことはデルフィーナが迎えに来てくれることになっている。シェ
リルの我儘を叶えるために、こんなにたくさんの人が動いてくれた
のだ。
﹁ごめんなさい、エミー。ありがとうっ⋮!﹂
エミーは微笑むと、シェリルを扉の中に押し込んだ。
﹁じゃあね。後はうまくやりなさいよ!﹂
﹃っ⋮⋮⋮ユーリ様に会いたい⋮!﹄
我儘だとわかっている。姫様の気遣いを無碍にする願いだと、わ
かっている。ごめんなさい、と涙するシェリルに、エミーは軽い調
子で﹃なんだ、そんなことか﹄と呟いた。
﹃会いたいなら、会いに行けばいいわ﹄
﹃え⋮?﹄
﹃もちろん勝手に動いたら姫様のご迷惑になるし、噂になったら大
変だけど。ようは、ばれなきゃいいのよ。泣くぐらい会いたいんだ
ったら、我慢することないわ﹄
そう言ってエミーは姫様を説得し、アンネリーゼ達と策を練り、
シェリルをユーリウスの部屋に送り届ける算段をつけてくれた。
345
﹃ユーリウスには、わたくしの配慮だって、せいぜい恩を売ってお
いて頂戴﹄
そう仏頂面でおっしゃられた姫様に、シェリルは瞳に涙を浮かべ
ながら礼を述べ、深々と頭を下げた。
寝室は静まり返っていた。王族級の方をお迎えするのに使われる、
格調高い客間。アロイジウス王に世継ぎがいない今、ユーリウスは
準王族という扱いなのだろう。
姫様のお部屋に劣らぬ絢爛豪華な部屋には、ふかふかのカーペッ
トが敷かれていたので、足音は上手く消すことができた。奥に、天
蓋のついたベッド。カーテンが張られていなかったので、手にした
燭台の灯りによって、眠っている人影がよく見えた。
﹁っ⋮⋮⋮﹂
︱︱︱私、なんてことをしているんだろう。
会いたい気持ちだけでここまで来てしまったが、世間一般では、
こういう行為を﹃夜這い﹄というのではないだろうか。今すぐ踵を
返して逃げ出したくなったが、しかし、ここまで協力してくれたエ
ミーや姫様のことを考えると、そんな恩知らずな真似はできない。
意を決して足を進め、通りがかりのテーブルに燭台を置いた。ど
くどくと煩い心臓を手の平で押さえながら、今まで以上に足音を殺
して、ベッドに近づいた。
346
﹁ユーリ様⋮⋮﹂
シェリルを魅了してやまない紫水晶の瞳は、瞼の奥に隠れて見え
ない。しかし、黄金の髪は、月明かりの下で美しく輝いていた。白
い肌に浮かび上がる濃淡の影。まるで絵画に描かれた神の使いのよ
うだと思った。
ベッド脇に座り込み、焦がれてやまない美しい人に、シェリルは
しばらく見惚れていた。
﹁起こさないんですか?﹂
﹁っっっ!??﹂
背後からいきなり声をかけられて、シェリルは跳びあがらんばか
りに驚いた。とりあえず、声を出さなかった自分を褒めたい。知っ
ている声だということ、あまり距離が近くなかったことでなんとか
堪えたが、知らない声だったら悲鳴ものだった。
﹁クサヴァーさん⋮!?﹂
﹁はい、こんばんは﹂
ユーリウスの側近で、護衛も兼ねているという青年。茶色の髪と
瞳で、特に目を引く容姿ではないから、輝かしい雰囲気をまとうユ
ーリウスの側にいるとまったく目立たない。﹃だからいいんですよ
ー﹄と本人は笑っていたが、この気配のなさは異常だと思う。入っ
てきた時はいなかったのに、いつ現れたのか、まったくわからなか
った。
﹁ユーリウス様、眠りが深い方なんで、起こさないと起きませんよ。
347
命を狙われる立場のくせに警戒心の欠片もないんだから、困ったも
のですよね﹂
﹁い、い、いつから、そこに⋮!?﹂
﹁秘密です。それより、起こさなくていいんですか?﹂
シェリルは真っ赤に茹だった顔で、俯いた。
﹁だって、ただでさえお疲れなのに、起こすなんて⋮⋮⋮せっかく
お休みなのに﹂
﹁シェリル様のお顔を見たら疲れなんて吹っ飛ぶと思いますけど﹂
﹁でも⋮⋮﹂
﹁うーん。慎ましいですねえ。ユーリウス様がかわいがる理由がわ
かる気がします﹂
﹁っ⋮⋮本当に慎ましい人は、こんなところまで来ません⋮!﹂
絞り出すように返すと、クサヴァーはやれやれと頭を振った。
﹁ユーリウス様、なんて情けない。淑女にこんな真似をさせておき
ながら、自分はぐーすか寝こけているなんて。側近として、これは
見過ごせませんね﹂
そう言って、クサヴァーは背後から枕を取りだした。⋮⋮⋮枕?
なんで枕?
﹁よっこら、しょ!﹂
夜闇に響く音量で、クサヴァーはその枕をユーリウスの顔めがけ
て思いっきり投げつけた。
シェリルは小声で絶叫した。
348
﹁っっなんてことをーっ!﹂
︱︱︱動くに動け
慌てて抗議しようと振り返ったが、そこにはもう誰もいない。ベ
何事だ、クサヴァー⋮﹂
ッドの上で、ユーリウスが身じろぎする。
﹁う⋮ん⋮⋮!
どうしよう、どうしようっ、どうしよう!!
ず、固まるシェリルの願いも虚しく、ユーリウスが瞼をこすり、身
体を起こす。夜闇の中で、黒にも見える瞳がシェリルを見て、見開
かれた。
﹁⋮⋮⋮シェリル?﹂
﹁っ︱︱︱﹂
居た堪れなくなり、とうとうシェリルは逃げ出した。しかし、扉
シェリル!︱︱︱シェリルなんだろ
に鍵をかけられてしまったのか、いくらノブを捻っても開かない。
﹁待て、どうして逃げる!?
う!?﹂
﹁きゃっ!﹂
追いついてきたユーリウスと向き合わされ、両手首が扉に押しつ
けられた。手首を掴む力は起きぬけとは思えないほどで、全く動か
せない。おそるおそる視線をあげると、夜空のような紫水晶と目が
合った。
﹁⋮⋮シェリル﹂
349
侵入者の正体を確かめると、ユーリウスは微笑んだ。そして、そ
のまま腕の中に抱きしめられる。夜の薄い衣ごしにユーリウスの体
温を感じ、シェリルは頬に新たな熱が集まるのを感じた。
﹁っ⋮ユーリ様、お身体が冷えてしまいますっ。ベッドにお戻りく
ださいっ﹂
﹁ああ、そうだね﹂
シェリルの手を引いて、ユーリウスは踵を返した。たどりついた
ところで、ぐっと強く手をひかれ、柔らかなベッドに身体が沈んだ。
ぬくもりが残るシーツに肌が触れ、さらに、覆いかぶさられる。
﹁っ⋮ユーリ様⋮!?﹂
﹁どうして驚くんだ?︱︱︱こうされたくて来たんだろう?﹂
﹁っ!﹂
移動のために服こそしっかりと着込んでいるが、髪は結っていな
いし、こんな時間帯に男性の寝所を訪れているのだから、そう思わ
れても仕方がない。顔を見て話をするだけで充分だったのだが、夜
にしか会いに行けないから︱︱︱やはり、多少は期待していた。心
臓がどきどきして、顔が火照って、たまらなかった。
﹁ごめんなさい⋮⋮お休みのところを、お邪魔してしまって﹂
﹁構わない。いや、むしろ嬉しい。会いたくて仕方なかったのは、
僕だけじゃなかったんだな﹂
シェリルは頷いた。ユーリウスを知ってしまってから、一人の夜
が寂しくて、時間が過ぎるのが、酷く遅くて。手慰みに刺繍をやっ
ても、姫様やエミー達と一緒にいても、耐えきれなかった。
350
﹁お会いしたかったっ⋮⋮私もう、ユーリ様がいないと駄目なんで
す﹂
351
伯爵6*
夢のような時間だった。ユーリウスに抱かれ、その熱を受け止め
る。あれほど寂しかった心が、今は心地良いぬくもりに満たされて
いる。
﹁シェリル⋮⋮﹂
ユーリウスの手が優しく髪をくしけずるのを感じながら、シェリ
ルはユーリウスの鼓動に耳を傾けていた。
﹁ユーリさま、あったかい⋮⋮﹂
﹁シェリルは本当に寂しがり屋だな。知っているつもりだったが、
夜這いに来るとは、正直想像もしてなかった﹂
﹁うぅっ。⋮⋮はしたない女で、ごめんなさい﹂
顔から火が出そうだった。しばらくこの話でからわれそうだ。
﹁マティアスが進学する前は、マティアスの後をついてまわりすぎ
て結果的に盗賊にさらわれたし、ニコラウスが進学する時は縋りつ
いて号泣していた。僕とオスカーの時は泣きこそしなかったが、目
を真っ赤に腫らしていたな﹂
﹁ユーリ様、よく覚えておいでですね⋮⋮﹂
﹁当然だろう。盗賊にさらわれたって聞いた時は、そこにいなかっ
たことをどれほど悔んだことか﹂
その年は、ユーリウスは早めに王都に戻っていたから、シェリル
がさらわれた時にはもうペルレ領にいなかった。十年近く前の話で、
352
正直シェリルはあまり覚えていない。半日以上行方不明だったそう
だが、気を失っていたので、気付いた時には助け出されていた。
印象に残っているのは、侯爵夫人様に縋りついて泣きじゃくり、
父とマティアスにこっぴどく叱られ、ニコラウスとオスカーに潰れ
るかと思うぐらい抱きしめられ、フィリップに大泣きされた、そん
な記憶ばかり。
﹁今から思えば、あの頃にはもう、花の民の血が目覚め始めていた
んだろうな。わかる人間にはわかる、そんな微々たる程度だったん
だろうが﹂
﹁ユーリ様はいつから感じ取られていたんですか⋮?﹂
﹁わからない。もしかしたら、初めて会ったその瞬間から魅せられ
ていたのかもしれない﹂
ついと顎をすくわれ、口づけられた。深く舌が絡まり、吐息が色
づく。
﹁僕がこんなことをするのは、君が花の民だからじゃない。君が、
シェリルだからだ。そこは勘違いしないでくれ﹂
﹁⋮⋮⋮はい﹂
嬉しかった。こんなに淫らな女を、それでも好きだと言ってくれ
るユーリウスが、愛しくてたまらなかった。
﹁愛しています、ユーリ様。私の心は、永遠にユーリ様のものです
⋮⋮﹂
ユーリウスは一瞬目を瞠り、くしゃりと破顔した。強く抱き寄せ
られ、唇が重ねられる。
353
﹁んっ⋮⋮あ、⋮⋮ユーリ、さま⋮!﹂
身体の下でユーリウスが起ち上がるのを感じ、シェリルは頬を染
めた。ユーリウスの首に片腕をまわしたまま、もう片方の手を伸ば
す。今まであまりしっかりと見たことがなかったが、こんなものが
自分の中に入っていたなんて、にわかに信じ難かった。
﹁っ⋮⋮⋮挿れても、いいですか⋮?﹂
﹁もちろんだよ。シェリルの手で、導いてくれ﹂
ユーリウスをまたぎ、そそり起つものに手を添える。そのまま、
ゆっくりと腰を落とした。
﹁ふぁぁっ⋮﹂
ぞくぞくと背筋を快感が這いあがる。ユーリウスの先が子宮を押
し上げ、肌が接した。自分がどんなにはしたないことをしているか、
想像するだけで眩暈がしたが、シェリルは目先の快楽をとった。ユ
はぁ、あ、ぁ⋮っ⋮気持ち、いいです⋮っ﹂
ーリウスの首に両腕をまわし、強くしがみついて、腰を揺らした。
﹁ユーリさまっ⋮!
﹁様は、いらない。名前で呼んで﹂
﹁なま、え⋮?﹂
﹁僕は君の主じゃないし、君はもうフィオラの侍女じゃない。僕は
君と、対等でありたい﹂
腰を抱かれ、ぐっと押し込まれて、シェリルは大きく背をのけ反
らせた。
354
ユー、リ⋮ウ
﹁あぁぁっ!⋮っ︱︱︱ユーリさ、⋮⋮ユーリ、さまっ、⋮﹂
あ⋮、あ、はぁ⋮っ⋮ユーリ⋮っ!
﹁違う。ユーリウス﹂
﹁ひゃっう!
スっ﹂
塞ぐように口づけられ、腰を抱かれたまま、身体を揺さぶられた。
ぺちゃぴちゃと口の中で舌が交わり、先程ユーリウスが放った精と、
シェリルが溢れさせている蜜が混ざって、じゅぶっ、じゅぶっ、と
卑猥な水音を奏でる。
﹁んっ、んっ、んはっ、んっ、んぅっ﹂
優美で繊細な容姿をしているのに、ユーリウスの抱き方はとても
力強い。激しさのあまり、すぐに何も考えられなくなってしまうが、
全身全霊でシェリルを求めてくれているのだと、身体で感じること
ができた。
﹁あ、あんっ、うっ。はぁっ、あ⋮っ﹂
再びベッドに横たえられ、足が持ち上げられた。開かれたそこに、
ぅ、ぁ、⋮ぁ、っ﹂
男根が大きく深く突き刺さる。
﹁︱︱︱ッ!!
今までとは違うところを擦られて、軽く達してしまった。びくび
くと身を震わせるシェリルの中で、ユーリウスはさらに大きさを増
した。
﹁あ、ぁっ、ユーリ、⋮ユーリウスっ!⋮はぁ、あぁ、う、ぁ、ぁ
あんっ⋮﹂
355
手の平に胸の膨らみを包み込まれ、揉みほぐされる。シェリルは
もう、快楽に翻弄されるばかりで、はっはっと息を荒げるしかでき
ない。
もっと、呼んでっ⋮もっと、僕を欲
あ、ぁっ⋮⋮だい、すきっ⋮⋮あいして、る
﹁シェリル、かわいいっ⋮!
して⋮!﹂
﹁ユーリウスっ⋮!
ッ﹂
ずぐんっ、と子宮が突きあげられた。抱きしめられ、さらに奥を
目指すように、ぐいぐい擦りつけられて、もう声すらまともに出せ
ない。ユーリウスの背に縋りついて、壊れされてしまいそうなぐら
い強い刺激に、必死に耐えた。
﹁シェリルっ⋮シェリルっ!﹂
一番深いところで、熱が弾けた。ユーリウスの精を受け止めて、
シェリルもまた、途方もない快楽に身を委ねた。
﹁はぁ、⋮⋮はぁ、⋮⋮ユーリ、さまぁ⋮っ⋮﹂
﹁様はいらないって言ってるのに。ユーリウスって呼んでくれるの
は抱いてる間だけなのか?﹂
﹁だって⋮⋮⋮何年もこうして呼んできたのに、そんな急に変える
なんて⋮⋮﹂
いまだ息の整わないシェリルの頭を撫でながら、ユーリウスは苦
笑した。
356
﹁まぁ、仕方がないか。次を楽しみにしてる。︱︱︱シェリルは、
いつフィオラの部屋に戻るんだ?﹂
﹁⋮⋮⋮もう、準備しないと⋮⋮そろそろ迎えが、来るかも﹂
夜が明ける前に、シェリルは姫様のお部屋に戻らなくてはならな
い。夜が明けてしまうと、廊下で使用人と遭遇する確率が一気に増
してしまうから。
﹁ずっと夜ならいいのにな⋮⋮そうしたら、ずっとこうしていられ
るのに﹂
ユーリウスの手を握り返して、シェリルは淡く微笑んだ。
﹁また、来ます⋮⋮毎日は無理でも、近いうちに、必ず﹂
アンネリーゼ、的確に表現して
﹁待ってる。フィオラに、感謝するって伝えておいてくれ﹂
﹁はい﹂
﹁見違えたわね﹂
﹁はい?﹂
﹁なんて言ったらいいのかしら?
みて頂戴﹂
﹁女性は男性に愛されると美しくなるといいます。色気で魅力的に
見えるのはもちろん、髪や肌の艶も増しているように見受けられま
すし。大人の女になった、そんな感じですね﹂
﹁っっっ!?﹂
357
シェリルは持っていたカップを取り落とした。割れはしなかった
が、ソーサーとぶつかって耳触りな音を立ててしまう。口元をハン
カチで押さえ、ごほごほと咳き込みながら、デルフィーナから布巾
を受け取った。
﹁い、いきなり何を⋮!?﹂
﹁率直な感想よ。だって、今までの貴女とは明らかに違うんだもの。
⋮⋮⋮本当に、ユーリにシェリルを取られてしまったのね。悔しい
わ﹂
﹁えと、別に、何も変わってないと思うのですが、どうしてそうお
思いになるのでしょう?﹂
﹁言葉にするのは難しいわ。ただ、今の貴女はとっても綺麗よ。ユ
ーリなんかには勿体ないぐらい﹂
﹁???﹂
身支度の時に鏡を見たが、顔形は何も変わっていなかった。姫様
やアンネリーゼの指摘にまったく思い当たる節がなく、シェリルは
首を傾げるしかできない。
﹁なんだかスタイルも良くなってるように見えるし⋮⋮殿方に揉ま
れると大きくなるって本当なのかしら﹂
﹁姫様っ!?﹂
そのぐらいはあるわよ!!﹂
﹁そのためにはまず、揉めるだけの大きさがないといけませんね﹂
﹁失礼ねっ!
姫様は胸の話題になると途端に沸点が低くなる。⋮⋮⋮よほど気
にしておられるのだろう。陛下とユーリウスに散々貶されたせいか
もしれない。アンネリーゼは下手な慰めは言わないので、そのせい
もあるかもしれない。
358
﹁姫様はお若いのですから、まだ希望があります。大丈夫ですよ﹂
﹁デリア、貴女だけよ。そう言ってくれるのは。シェリルですら、
あの、その、なんてお慰めしたらいいのかわから
この話になるとわたくしをフォローしてくれなくなるんだもの﹂
﹁すみません!
なくて!﹂
﹃その分お顔がお美しいのだから良いじゃありませんか﹄と言っ
た侍女もいれば、﹃姫様は母君似でいらっしゃいますから大丈夫で
すよ﹄と言った侍女もいた。実兄である陛下は気休めを言うどころ
か﹃そんな真っ平らな身体で王太子を誘惑できるのか?﹄と呆れた
顔でのたまわれたし、ユーリウスは﹃シェリルはちゃんと育ってく
れて嬉しいよ﹄と、さらに火に油を注ぐことばかり言っていた。
陛下はともかく、ユーリウスはからかっていただけなのだが、姫
様がお気になさるようになったのも無理はないと思う。歳が一つし
か変わらないシェリルは普通に育っていたので、姫様に申し訳なく
て仕方なかった。
﹁うらやましいわ。何を食べたらそうなるの?﹂
シェリルは助けを求めるようにデルフィーナを見て、デルフィー
ナは困ったような顔でアンネリーゼを見て、アンネリーゼは神妙な
顔で頷いた。
﹁今度バルバラに聞いておきます﹂
﹁そうして頂戴﹂
359
その後の日々はあっという間だった。相変わらずユーリウスとは
あまり会えなかったが、夜の逢瀬で気持ちを確かめ合い、深く繋が
れば、心が満たされた。ユーリウスの部屋に通う道すがら、誰かに
見咎められることもなく、シェリルは無事に帰国の日を迎えた。
使節団が国に戻る時。それは、姫様との別れを意味する。フリュ
ずっとおそばでお仕えすると、
ーリング王国に戻ると決めたことに後悔はないが、心が張り裂けそ
うに痛かった。
﹁姫様、申し訳ございませんっ⋮!
お約束申しあげたのに﹂
﹁いいの。許すわ。貴女は、ユーリのそばで幸せになりなさい﹂
﹁姫様っ⋮!﹂
申し訳ございません。そればかりを繰り返すシェリルに、姫様は
優しく微笑みかけてくださった。
﹁わたくし、もう一つだけ貴女に謝ることがあるの﹂
﹁え⋮?﹂
﹁わたくし、ジェラール様を嫌いになれなかったの。もちろんジェ
ラール様が貴女にしたことは許されることではないし、まだ許して
いないわ。⋮⋮⋮とんでもない腐れ外道だってわかっているのに嫌
いになれないなんて、わたくしも案外馬鹿なのかもしれない﹂
そう言って、複雑そうに微笑んだ姫様は、以前と同じ、﹃恋する
少女﹄だった。
﹁姫様⋮⋮﹂
360
﹁そんな顔をしなくても、わたくしは幸せになるわ。以前のわたく
しは、ジェラール様に嫌われるかもしれないと思うと、怖くて何も
できなかった。でも、今は違う。だって、もう恐れるものなんてな
いもの。あの方と、正面から向き合って見せる﹂
水面のように澄んだ色の瞳は、強い光をたたえていた。もう、六
年前に寂しさで泣いていた少女とは違う。王女として、いや一人の
女性として、姫様はシェリルの助けなんていらないぐらいお強くな
られた。
︱︱︱姫様なら、ジェラール殿下に愛を教えてさしあげられるか
もしれない。
﹁姫様⋮⋮ジェラール殿下は、寂しいお方です。愛なんて必要ない
って、端から否定なさっている。姫様の想いに、ジェラール殿下が
応えてくれるかどうかはわかりません。でも私は、姫様ならなんと
かできるのではないかと思います﹂
﹁ありがとう。貴女は、ちゃんとユーリに幸せにしてもらうのよ。
もしユーリが不甲斐なくて、助けが必要になったら、わたくしに言
いなさい。お兄様に言って、尻を蹴飛ばしてもらうから﹂
シェリルは姫様と微笑みあった。
アンネリーゼに今までの働きを労われ、バルバラに激励され、デ
ルフィーナに餞別の菓子をもらい、エミーの抱擁を受けて、シェリ
ルはユーリウスと共にノルエスト王国を後にした。
361
回想8 母
ヤスミーネはその女性を知らない。もう亡くなられてしまったし、
夫は多くを語らないから。
彼女
がどのように生き、何を思い、何を願って、シェリル
その娘を見れば容姿は想像できたが、中身までは推し量れなかっ
た。
をこの世に生み出したのか。ヤスミーネに知る術はない。
ある日、夫はヤスミーネに言った。
﹃外に子ができた。生まれたら、連れて帰ってきても良いか﹄
寝耳に水の話にヤスミーネは驚き、ただただ夫を詰った。衝撃が
強すぎて、何も考えられなかった。
確かにここ数年、夫は領地視察や王都からの呼び出しで留守がち
だったが、彼女と夫の間には三人もの息子がいる。末の子はまだ三
つになったばかりだ。自分は愛されているのだと、盲目的に信じ込
んでいた。
泣きながらの罵りの言葉を、夫は甘んじて受け止めていた。
﹃母親は平民だ。しかし、子を宿したものの、命が危ういのだ。お
そらく、出産には耐えられないだろうと⋮⋮医者に言われた﹄
ヤスミーネはその言葉で暴れるのをやめた。自分も子を生んでい
るから、出産の危険性はよく知っている。夫の短い言葉だけで、そ
362
の女が己の命をかけてその子をこの世に生み出そうとしているのだ
と、悟ってしまった。
﹃なぜ⋮⋮なぜ、そんな。⋮⋮⋮いつ、生まれるのですか﹄
﹃産み月は三ヶ月後。母体の状態次第では、早まるやもしれん﹄
﹃望みは⋮⋮ないのですか﹄
﹃ない。最初から、言われていた。産めば命はないと﹄
﹃⋮⋮⋮他に、縁者は⋮﹄
﹃ない。天涯孤独の娘だ。おまけに、郷里はさほど豊かな町でもな
い。生まれた赤子は、母がいなくば、おそらく生きては行けまい﹄
すっと背筋が冷たくなるのを感じた。マティアスの、ニコラウス
の、オスカーの、ぬくもりが思い起こされる。愛しい愛しい、我が
子たち。あの子たちが、もし同じ境遇になったなら︱︱︱ヤスミー
ネは恥も外聞も捨てて縋るだろう。ほんの僅かな可能性にだって、
賭ける。命なんて、惜しくない。
﹃⋮⋮⋮承知、いたしました﹄
﹃すまない。⋮⋮⋮ありがとう﹄
夫が部屋から出て行ってから、ヤスミーネは泣いた。
惨めな自分への哀れみ、夫を奪った女への憎しみ、我が子を自ら
の手で育てることの叶わぬ女への同情、生まれてすぐに母を亡くす
赤子への憐れみ。様々な感情がないまぜになって、しばらく涙が止
まらなかった。
363
赤子は、シェリルと名付けられた。女の子だった。抱かせてほし
いと頼むと、夫は複雑そうな顔で、ヤスミーネに赤子を手渡した。
﹃シェリルという名は、誰が?﹄
﹃ヴェロニカ︱︱︱母親が。彼女の母の名だそうだ﹄
﹃そうですか。きっと、美しい娘に育つのでしょうね﹄
薄い髪は、まだわかりにくいが、夫の色ではない。瞳も、まだは
っきりとはわからないが、少なくとも緑ではない。どちらも母親似
なのだろう。
オスカーと歳も近いですし、一緒に育て
﹃この子は離れで育てる。君に迷惑はかけない﹄
﹃え?︱︱︱何故です?
れば﹄
﹃乳母や侍女の手配は済んでいる。心配はいらない﹄
﹃あなた?﹄
屋敷の敷地内にある離れは、十年ほど前まで夫の祖母が暮らして
いたらしい。ヤスミーネが嫁いできた時にはもう使われておらず、
荒れ果てていたはずだ。手入れさせたにしても、生まれたばかりの
赤子を離れにおくなんて。手元で育てないのなら、どうして連れて
帰ってきたのだろう?
﹃マティアス、ニコラウス、オスカー。お前達の妹だ﹄
マティアスは驚いた顔をしたが、ニコラウスとオスカーは初めて
の﹃妹﹄に大はしゃぎだった。夫の瞳に、慈しみが見える。シェリ
ルを我が子だと、マティアスらと同様に大切に思っているのは確か
なのに︱︱︱何故?
364
そのままシェリルは離れで育てられることになり、ヤスミーネは
近づくなと言われた。言葉は﹃気にしなくていい﹄だったが、意味
としては﹃近づくな﹄で合っているはずだ。関ってほしくないとい
う気持ちが透けてみえていたから。
侍女たちは夫を寝取られたヤスミーネに同情的で、悪の象徴とば
かりにシェリルを憎む者もいた。そんな彼女達を、ヤスミーネはや
んわりとたしなめた。ヤスミーネには、シェリルを憎むことはでき
なかった。
外で子供を作るぐらいだから、もう愛されていないのかと思って
いた。しかし、夫の態度は今までと変わらない。ヤスミーネを気遣
い、尊重してくれているように感じる。今まで﹃愛﹄だと思ってい
たそれと、同じ。
﹃シェリルは元気ですか?﹄
﹃病気をすることもなく、無事に育っている。気になるのか?﹄
﹃あなたは気にならないのですか?﹄
﹃いや︱︱︱そんなことは、ないが﹄
ヤスミーネの言葉が思いがけないものだったらしく、夫は少し苦
笑した。
﹃君は、シェリルを疎ましく思わないのか﹄
﹃罪もない赤子を厭う必要がどこにありましょう﹄
﹃そう⋮⋮だな。君の、言うとおりだ﹄
マティアスやニコラウスがシェリルのことを気にしているのは、
夫も知っているのだろう。離れへの出入りを禁じられたぐらいで、
365
黙って言うことを聞くような子たちではない。男ばかりの兄弟だか
らか、腕白で、好奇心が旺盛で。
マティアスはこそこそしているつもりのようだが、ニコラウスが
シェリルがどんなにかわいかったかをヤスミーネに教えてくれるの
で、子供らの行動は彼女に筒抜けだった。そのうちオスカーも混じ
るようになるだろう。
﹃ヴェロニカさんがどんな女性だったのか教えてください﹄
ヤスミーネの申し出に、夫は驚いた顔をした。
﹃何故だ?﹄
﹃シェリルの母君ですもの。知りたいと思ったらおかしいですか?﹄
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
夫は答えなかったが、その顔は﹃おかしいだろう﹄と言っている
ような気がした。
﹃⋮⋮⋮彼女のことをどう語ればいいのか、よくわからないんだ。
死者は、何も伝えられない。私が思う彼女と、実際の彼女が違って
いる可能性もある﹄
﹃ならば私がお尋ねし、答えをお導きしましょう。取っ掛かりがあ
れば、案外すんなり口に出せるかもしれません﹄
簡単なことから尋ねていくと、夫は躊躇いながらもぽつぽつと答
えた。中には衝撃的な内容もあったが、ヤスミーネは最後まで聞き
遂げた。夫がシェリルを隠すように育てる理由を知り、またヴェロ
366
ニカの気持ちを思うと、その夜は再び涙が溢れた。
ヤスミーネが同情したヴェロニカは、彼女の想像でしかない。本
当はもっと違う女性なのかもしれない。色々と質問をしたが、﹃愛
していたのか﹄とは尋ねなかった。だから、夫の気持ちは知らない。
しかし、夫がヤスミーネに申し訳なく思っているのは確かだ。だか
らこそシェリルを離れに置き、自身もシェリルのことをほとんど口
にしないのだろう。
愛とは、なんだろう。
シェリルは健やかに育っているようだ。シェリルが自分の足で歩
きまわり、意思の疎通が図れるようになると、マティアスたちは離
れに入り浸るようになった。妹がかわいくて仕方ないのだろう。ヤ
スミーネにとっては他人だが、夫やマティアスらは血が繋がってい
るのだから、かわいがって当然だ。
マティアスに口止めされているようだが、少し尋ねればニコラウ
スとオスカーは簡単にシェリルのことを教えてくれる。今日は庭に
穴を掘って遊んだとか、オスカーの積み木が気に入っていたとか、
父に贈られたウサギのぬいぐるみをとても大事にしていることとか。
そういえば、男の子ばかりだからぬいぐるみはあまり用意しなか
った。遊んでいた時期もあるにはあるが、せいぜい四歳ぐらいまで
で、後はもう、棒きれを持って走ったり、泥だらけになるまで転げ
まわったりだ。花やぬいぐるみが好きだと聞いて、シェリルが女の
367
子だということを強く感じた。
五歳ぐらいになると、シェリルの行動範囲が広がり、ヤスミーネ
もちらちらとその姿を目にすることができるようになった。
オスカーとニコラウスと一緒に庭を走り回っている、蜂蜜色の髪
の女の子。遠目に見た限りでは、やはり夫には似ていないと思った。
ニコラウスが父親似であることもあって、ヤスミーネはヴェロニカ
と夫の姿を想像しようとしたが、すぐに挫折した。
どうにも、ヴェロニカのイメージが固まらない。愛らしい花のよ
これは勝負なんだ
うな笑顔で笑うシェリルから、想像が繋がらなくて。
﹃おにいさまっ、まって!﹄
﹃待てと言われたら待ちたくなるが、待てん!
っ、許せ、シェリル!﹄
お前も少しは真剣にやれ!﹄
﹃そんなおおげさな。たかが鬼ごっこで﹄
﹃オスカー!
﹃はいはい﹄
なんて微笑ましい光景だろう。﹃注意してまいりましょうか﹄と
いう侍女を手で制し、ヤスミーネは庭が一望できる窓辺で午後のお
茶を楽しんだ。
ヤスミーネには妹が一人いる。妹は王弟殿下に嫁ぎ、息子を一人
もうけていた。王弟殿下が臣籍に下られたので、今は公爵夫人と呼
ばれている妹が、息子を連れて訪ねてきた。息子はオスカーと同い
年で、今年で九つになるという。
368
﹃お姉様、あの娘は何ですの?﹄
妹の言葉を受け、窓の外に視線を向けると、ユーリウスがシェリ
ルの手を握っているのが見えた。
﹃シェリルというの。オスカー達の異母妹にあたるわ﹄
﹃なっ!?︱︱︱どうしてそんな娘を屋敷においているんです!
母子共々さっさと追い出してしまえばいいじゃありませんかっ!!﹄
﹃母親はもういないのよ。血縁も、あの子たちだけ﹄
烈火のごとく頬を紅潮させていた妹が、その言葉ですとんと椅子
に腰を落とした。今のはヤスミーネを心配しての発言で、根は優し
い子なのだ。
﹃どうやら、ユーリウスはシェリルが気に入ったみたいね﹄
﹃っ、わたくしは許しませんわよ!﹄
﹃気が早いわねえ。大丈夫よ、あの方はシェリルを貴族に嫁がせる
気はないようだから﹄
教育の仕方を見ていれば、それはわかる。礼儀作法こそ身につけ
させているが、ダンスではなく手芸を教え、学問も最低限のことだ
け。侯爵令嬢として扱う気はないのだろう。
王宮内外に大きな情報網を持つ妹が知らなかったということは、
もしかしたら外部には存在すら漏らしていないのかもしれない。ヤ
スミーネは特に口止めなどされていないが、シェリルの持つ血のこ
とを考えると、言いふらす気にはなれなかった。
369
マティアスの進学が翌月に迫ったある日、シェリルが行方不明に
なるという事件が起こった。
捜索で慌ただしくなる屋敷の中。胸にわいたのが心配であったこ
とに、ヤスミーネは密かに安堵した。しかし、事態は思わぬ方向へ
転がり、実は盗賊に誘拐されたのだと知るや、今度は背筋が冷たく
なった。シェリルは我が子ではないのに、どうしてこんなに胸が痛
むのだろう。
無事に助け出されたシェリルの姿を見て、心に広がる安堵。泣き
じゃくる少女を夫に託され、ヤスミーネは、息子たちと共にシェリ
ルを一晩抱きしめていた。
ヤスミーネでさえこうなのだから、ヴェロニカはどんなに抱き締
めたかったことだろう。
初めてこの地を訪れてから、ユーリウスは妹の同伴がなくとも毎
年訪れるようになった。従兄弟に会いに行くと言えば妹は反対など
できないだろうが、賛成はしていないだろう。あの子は、シェリル
のことを気にしていたから。しかし、ユーリウスは母親の反対など
気にもしていないようで、シェリルを心からかわいがっていた。
マティアス、ニコラウス、オスカー、フィリップ、ユーリウス、
フィオレンティーナ王女。シェリルの周りには、自然と人が集まる
ようだ。子供達の輪の中心はいつもシェリルだった。
マティアスとニコラウス、オスカーとユーリウスが王都へ進学し、
370
屋敷から少しずつ笑い声が消えていく。そして、フィオレンティー
ナ王女が王都へ帰ってしまった後、初めてシェリルが父親に願い事
をした。
﹃姫様にお仕えするために、王宮の侍女になりたいのです﹄
夫は大反対した。まぁ、仕方のないことだろう。ヤスミーネでさ
え、それは良くないのではないかと思ったのだから。しかし、シェ
リルの決意は固く、食事を拒否してでも意思を通そうとした。フィ
リップはシェリルの身を心配して大泣きするし、シェリルは部屋か
ら出てこないし、夫はますます頑なになるしで、屋敷は一時騒然と
なった。
﹃侯爵夫人様、あの⋮⋮ありがとうございます﹄
シェリルの王宮勤めに反対する夫を説得したのは、ヤスミーネだ
った。シェリルが望むなら、わたくしたちは叶えてあげるべきでは
ないのですか︱︱︱ヤスミーネの援護に夫は驚いていたが、何度か
言うと諦めたようだった。
躊躇いがちに見上げてくるシェリルに、ヤスミーネは優しく微笑
みかけた。
﹃しっかりとお勤めしてくるんですよ。でも、無理はしないこと。
辛くなったら、いつでも帰っていらっしゃい。ここは貴女の家なの
ですからね﹄
﹃っ⋮はい。ありがとうございますっ﹄
義母と呼んでもらえないことに、若干の寂しさがあった。シェリ
ルの母はヴェロニカだし、ろくに会話もしたことがないから仕方の
371
ないことだと思うが、ヤスミーネはマティアス達と同じように、ず
っとシェリルを見守っていたから。
このままずっと箱庭にいれば、シェリルは傷つかずに済むだろう。
しかし、まだ十一歳なのだ。外の世界を見る機会だって必要だろう。
夫が危惧する問題は、あの子が大人になってから改めて考えればい
い。
その判断が正しかったのかどうかは、わからない。正確には、わ
からなくなった。
帰郷の知らせが入った時、胸に去来したのは不安だった。嫁いだ
王女殿下について隣国に渡ってから、まだ三カ月も経っていない。
近日中に母の命日や年越しなどの行事があるわけでもない。真面目
で仕事熱心だとマティアスが褒めていたシェリルが、急に仕事を辞
めるなんて。理由が書かれていないのが、さらに不安をあおった。
﹃やはり行かせるのではなかった⋮⋮﹄
苦悩する夫に、気休めの言葉をかけるのは簡単だ。しかし、シェ
リルを送り出すのに一役買ったヤスミーネがそれを言うのは、白々
しい気がした。王女殿下のお輿入れに同行したのはシェリルの独断
で、夫もヤスミーネも息子達も反対していたのだが、結果として送
り出してしまったのだから同じことだ。
シェリルの帰郷に合わせ、ニコラウスとオスカーも休暇を取って
戻ってくるという。久しぶりに家族が揃うことを喜んでいいものか、
複雑な気持ちになった。
372
373
帰郷1
懐かしい景色。懐かしい空気。懐かしい、道。かつて王都に出る
際にたどった道を、今度は逆に進んでいく。
さすが公爵家の馬車だけあって、座席は柔らかく、三人も乗って
いるのにとてもゆったりしていた。進行方向に背を向ける形でクサ
ヴァーが、彼と向かい合ってユーリウスとシェリルが、それぞれ腰
かけている。
﹁懐かしいな。何年ぶりだろう﹂
﹁私は二年ぶりです。マティアスお兄様の結婚祝いの時に帰って以
来だから﹂
﹁僕は六年ぶりかな。十四までは毎年通っていたから、久しぶりに
来るとなんだか変な感じだ﹂
﹁のどかでいいところですねー。僕も永住するならこんな場所にし
たいです﹂
﹁どうぞ、いつでもいらしてください。村人たちも皆さん良い方ば
かりなんですよ﹂
村には行ったことがないが、彼らは屋敷に色々と物資を届けてく
れるので、それなりに話したことがある。父に知られたら怒られる
ので、こっそりとだったが、収穫したばかりの林檎を分けてもらっ
たり、村の伝統菓子の作り方を教えてもらったりして、密かに交流
していた。
シェリル﹂
﹁村に行ったこともないのに、どうしてそんなことを知ってるんだ
?
374
﹁えっ!?
えぇと⋮⋮屋敷に荷を届けに来てくださった方達と、
何度かお話ししたことがあって﹂
﹁⋮⋮⋮それは、ペルレ候やマティアスに知られていたら間違いな
く説教の対象だっただろうな﹂
﹁ううっ。やっぱりそうですよね。だから内緒にしてたんです。ユ
ーリ様も、言わないでくださいね﹂
父はシェリルが本館の使用人と親しくすることを禁じていた。離
れは女性だけだったが、本館には村から雇い入れた使用人や、男性
の下働きもたくさんいたから。善良な者ばかりだったから良かった
が、もし花の民の血に容易く惑わされるような自我の弱い人間がい
たら、シェリルは幼くして純潔を散らされていたことだろう。
幼い頃は自分の血がどんなものかなんて知らなかったから、妾腹
だから駄目なのだとばかり思っていたが、シェリルはそうやって守
られていたのだ。
﹁姉様っ!!﹂
屋敷の玄関から、赤銅色の髪の少年が飛び出してくるのが見えた。
小路を駆ける姿は、記憶にあるものより一回り大きくなっている気
がする。駆けてきたそのままの勢いで抱きつかれ、シェリルは弟の
腕の中に収まった。
最後に会った時はシェリルより少し低いぐらいの背丈だったはず
なのに、もう追い抜かれている。声も、記憶にあるものより低くな
っていて、シェリルは離れていた年月を感じた。
375
元気そうで良かったっ⋮!
すっごく
﹁ただいま、フィリップ。大きくなったね。びっくりしたわ﹂
﹁姉様っ、会いたかった!
心配したんだよ!﹂
﹁うん。⋮⋮ごめんね。ありがとう﹂
がしっ!
シェリルの頭上で、誰かの手がフィリップの額髪を掴んだ。ユー
リウスだ。
﹁感動の再会は終わったな。離れろ、フィリップ﹂
フィリップ?﹂
﹁ユーリウス⋮⋮お久しぶりだね。元気そうで、何よりだ﹂
﹁ユーリ様?
姫様とはいつものことだし、ニコラウ
どうして二人が火花を散らし合うのだろう。この二人は、こんな
に仲が悪かっただろうか?
スともあまり仲が良いとは言えなかったが、フィリップもそうだっ
ただろうか?
ユーリウスは力ずくでフィリップを引っぺがすと、シェリルを自
分の腕の中に収めた。
﹁ユーリ様、どうかしたんですか?﹂
﹁相手が兄弟だろうと、もう僕以外の男に抱きつかせては駄目だ。
これから再会するマティアスやニコラウスやオスカーも抱きついて
こようとするかもしれないが、絶対に駄目だからな﹂
﹁ええ?﹂
これは、ひょっとして独占欲というものだろうか。他人ならとも
かく、兄弟でも駄目だなんて。しかし、ユーリウスの目は本気だっ
376
た。
﹁あの、ユーリ様。お父様も駄目ですか?﹂
﹁ペルレ候は⋮⋮まぁいいだろう。本当は嫌だけど﹂
﹁ユーリ様⋮⋮﹂
姉様を放せっ!
いちゃつくなよ、むか
拗ねたような表情で言うユーリウスが、少しだけかわいく見えて
しまった。
﹁こらっ、ユーリウス!
つくから!﹂
﹁当然だろう。見せつけてるんだ﹂
﹁ユーリ様っ!?﹂
﹁あーあーそうですか。まったく、すっかり色ボケやがって﹂
フィリップはうんざりした表情で吐き捨てた。⋮⋮⋮なんだか言
葉遣いが若干ニコラウスっぽくなっているような気がする。昔は天
使のようにかわいらしかったのに。
フィリップは侯爵夫人様に似てすらりとした印象の綺麗な顔をし
ているから、精悍な顔立ちのニコラウスとはまた印象が違うが、将
来は騎士になりたいと言って剣の稽古を頑張っていた。剣術を学ぶ
と言葉づかいが粗野になってしまうのだろうか?
﹁姉様、早く屋敷の中に入ろう。父上たちが待ちくたびれてしまう
よ﹂
﹁あ、そうね。ユーリ様、はなしてください﹂
ユーリウスは仕方ないとばかりに溜息をつくと、代わりにシェリ
ルの腰に手をまわした。再びフィリップが﹃すっかり本性を現しや
377
がって﹄と吐き捨てたが、ユーリウスは聞こえないふりを決め込ん
だらしかった。
﹁シェリルっ!﹂
﹁シェリルーっ!!﹂
応接間に入ると、オスカーとニコラウスが腰を浮かせて、そのま
ま駆けよってきた。しかし、ニコラウスの大きな身体に抱きしめら
れる前に、ユーリウスが間に割って入ったので、シェリルは間一髪
潰されずに済んだ。
﹁なんの真似だ、ユーリウス﹂
﹁シェリルを抱きしめるのは僕だけの特権になったんだ。遠慮しろ、
ニコラウス﹂
﹁ふざけるなっ!!!﹂
激昂するニコラウスと、腕を組んで平然と睨み返すユーリウス。
﹃どうしよう﹄と、その後ろでおろおろするシェリルの頭を、オス
カーの優しい手が撫でてくれた。
﹁おかえり、シェリル。長旅で疲れただろう。さ、早くソファーに
座りなさい﹂
﹁ただいま戻りました、オスカーお兄様。ありがとう﹂
オスカーとフィリップに腕をとられ、奥へと案内された。すでに
着席していた父侯爵、侯爵夫人、マティアスに帰宅の挨拶をし、ソ
ファーの空いている席へ腰を下ろす。二人掛けのソファーで、隣は
ユーリウスの席らしい。実際は違うのだが、なんだか結婚の挨拶を
しに来たように思えてしまって、シェリルはほんのりと頬を染めた。
378
﹁ユーリ、適当なところで切り上げなよ。話が始められないだろ﹂
﹁わかった。ニコラウス、続きは後だ﹂
﹁ちっ⋮!﹂
暖炉の前に父侯爵、その右隣に侯爵夫人、ニコラウス、フィリッ
プ。父の左隣にマティアスとオスカー。父の正面にくるソファーが、
シェリルとユーリウスの席だった。
﹁お久しぶりです、ペルレ候。挨拶が後回しになってしまい、申し
訳ありません﹂
﹁構わん。立派になったな、ユーリウス。シェリルをここまで無事
に連れてきてくれたこと、とても感謝している。ありがとう﹂
﹁感謝などとんでもない。当然のことをしたまでです﹂
帰国してからペルレ領までの道中で一度王都へ寄り、ユーリウス
の休暇の申請をした。使節団参加という長期の仕事の後なので、意
外とあっさり許可がおりたらしい。その際に陛下へのご挨拶を済ま
せ、姫様の近況を報告したり、道中で書いていた報告書を提出した
り、たった二日の滞在だというのにとても精力的に動いていた。
二日で済んだのは、ユーリウスが有能なのと、姫様とクサヴァー
の根回しのおかげであるらしい。使節団の他の参加者はまだ報告書
を書いているそうだから、どれほどの無茶を通したのか想像すると、
申し訳ない気分になった。⋮⋮⋮実際は、姫様の鶴の一声だったそ
うだが。陛下はなんだかんだ言って姫様に甘いのだ。
﹁さて、これで全員が揃った。話を始めようか﹂
シェリルは膝の上で手を握りしめた。多忙なマティアスが時間を
作ってくれたのも、ニコラウスやオスカーが仕事を休んでまで帰っ
379
てきてくれたのも、全部シェリルのためだ。シェリルがここで逃げ
出せるわけがない。
私っ、わがままを言って侍女にして
意を決し、思い切って顔をあげた。
﹁お父様っ、ごめんなさい!
もらったのに、最後まで勤めきれなくてっ⋮⋮侯爵家の名にも、傷
を﹂
﹁ついてないから安心しろ。王女殿下はお前の働きを労い、わざわ
ざ我が侯爵家まで感謝の手紙を送ってくださった﹂
﹁え⋮?﹂
﹁おかげで陛下の覚えもめでたいよ。僕もニコラウス兄上も、出世
間違いなしだ﹂
シェリルはぽかんと口を開け放った。⋮⋮⋮姫様が?
マティアスとオスカーの顔を交互に見やると、二人とも微笑で頷
いてくれていて。目頭が熱くなり、シェリルはハンカチに顔をうず
めた。ユーリウスが手を握ってくれようとしたが、ニコラウスの咳
払いが聞こえたので、渋々諦めたようだ。
父は優しい目をしていたが、同時に、悲しそうにも見えた。
﹁お前が頑張っていたことぐらい、ここにいる者は皆知っている。
謝らなければならないのは私の方だ。⋮⋮⋮お前の血のことを、も
っと早く話しておくべきであった﹂
血のことを、父の口から聞くのは初めてだ。シェリルはハンカチ
から顔をあげ、深呼吸をして、背筋を伸ばした。
380
﹁血のことは、もう誰かに聞いたか?﹂
﹁⋮⋮⋮ノルエスト王国で、森の民の方に、伺いました。とても薄
いけれど、私には花の民の血が流れているって﹂
﹁そうか。森の民が言うなら間違いないだろう。実は、私も自分の
知識が真実かどうかはわからないのだ。ヴェロニカは、自身の血の
でも、母も同じ体質だったのでしょう?﹂
ことを何も知らなかったから﹂
﹁え⋮?
﹁ヴェロニカは平民の娘だった。両親ともに普通の人間であり、ヴ
ェロニカの代で突然現れた血だ。大して裕福でもない町の仕立屋に、
花の民やその血に関する知識などあるはずもない﹂
シェリルは背筋を冷たいものが滑り落ちるのを感じた。シェリル
は事情を知る父に守られて育ったが、母はどうだったのだろう。何
も知らないで、普通の環境で、平穏に生活できたのだろうか⋮?
﹁シェリル。お前は、かの国で純潔を失ったのだな﹂
﹁⋮⋮⋮はい﹂
一瞬、びりっと空気が震えた気がした。驚いて辺りを見回すと、
マティアスを筆頭に、兄弟達がものすごい形相で、それぞれ拳を握
りしめているのが見えた。
﹁どこのどいつだ﹂
兄上は平気なのか!?﹂
﹁ニコラウス、やめろ。追及してどうなるものでもない﹂
﹁だからって黙ってられるかっ!!
どうにかできるならとうにやってる
とにかく今は黙って座ってろ!!﹂
﹁平気なわけがあるかっ!!
っ!!
自分が怒られたわけではないのに、シェリルはびくっと身を竦め
てしまった。本気で怒るマティアスを、シェリルは初めて見た。シ
381
ェリルに対してのお説教など、比べ物にもならない剣幕だった。
﹁あーあ。駄目だよ、ニコラウス兄上。マティアス兄上を刺激する
ようなこと言っちゃ。兄上がどれだけシェリルを大事にしてるか、
ニコラウス兄上だって知ってるだろ﹂
﹁オスカー⋮⋮目が笑ってないぞ﹂
﹁うん。怒ってるからね。世の中には、本気で怒ると逆に笑えてく
るってタイプがいるでしょ。僕はそっちなんだ﹂
﹁僕はオスカー兄上の方が怖いよ⋮!﹂
ニコラウスは引きつった顔で頭を抱え、フィリップはがくぶると
身を震わせた。
﹁僕もフィオレンティーナも相手の詳細は把握しているが、いずれ
も制裁を与えるのは難しいという結論になった。腹に据えかねるだ
ユーリ様、どうして知って⋮!?﹂
ろうが、我慢してほしい﹂
﹁っ!?
﹁調べようと思えばいくらでも調べられるさ。それとも、あの三人
以外にもいるのか?﹂
シェリルは青ざめながら首を横に振った。数に入っていないのは、
今から八つ裂きにし
絶対に駄目です!!﹂
そいつらの名を教えろ!
おそらくティエリーだ。つまり、ほぼ全容を知られていると見て間
違いなかった。
﹁三人もっ!?﹂
﹁ユーリウスっ!
てくるっ!!﹂
﹁やめてくださいお兄様っ!
シェリルが声を荒げると、ニコラウスは驚いたように目を丸くし
382
た。
﹁私のためにお兄様が手を汚すなんて、絶対に駄目っ⋮⋮何もしな
いでっ。お願いっ⋮!﹂
ぱたぱたと床に涙が落ちる。思わず立ちあがっていたのを、ユー
リウスの手でソファーに引き戻され、肩に抱き寄せられた。嗚咽が
止まらない。
﹁わかったよ。シェリルがそこまで僕たちを思ってくれてるんじゃ、
何もできないからね。そこの、血の気の多さのあまり心の傷を抉り
まくったあげくシェリルを泣かせた最低な兄上、固まってないでさ
っさと座りなよ。邪魔﹂
﹁オスカー兄上、容赦ないね﹂
﹁シェリルを泣かせる男にそんなもの必要ないだろう?﹂
﹁そうだな。ニコラウス、目触りだ。座れ﹂
﹁あの⋮⋮お兄様たち、ニコラウスお兄様、ごめんなさい。もう泣
かないから、喧嘩しないで⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮話が全く進まんな﹂
﹁この方がこの子たちらしいですから、良いではありませんか﹂
どうにも話が進まないのと、ここから先の話を未成年の耳に入れ
るべきではないということで、ニコラウス、オスカー、フィリップ、
侯爵夫人は退席することになった。ニコラウスとオスカーまで追い
383
出されたのは、フィリップが﹃兄上たちだけずるいー!!!﹄と駄
々をこねたからである。おかげで、切れたマティアスが弟三人をま
とめて叩き出してしまった。
﹁ふう。すっきりしたな﹂
﹁オスカーは追い出さなくても良かったんじゃないか?﹂
﹁あいつが余計な茶々を入れるから話が脱線するんだ。それともユ
ーリウス、お前も出るか?﹂
﹁⋮⋮悪かった。もう口出ししない﹂
﹃それ以上余計な口をきけば問答無用で叩き出す﹄と目が語って
いた。
﹁マティアスお兄様、あの、ユーリ様は追い出さないで⋮⋮お願い﹂
お兄様、どうして!?﹂
﹁⋮⋮⋮ユーリウス。とりあえず後で殴らせろ﹂
﹁えっ!?
﹁もうとっくに十年経ったんだから、殴らせる義理はない﹂
マティアスは忌々しげに舌打ちした。十年?⋮⋮何の話だろうか。
首をかしげていると、静かにことの成行きを見守っていた父が口を
開いた。
﹁シェリル。お前は己がどういう立場かわかっているな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮はい﹂
静かな声で窘められ、シェリルは項垂れた。
﹁ペルレ候、僕は﹂
﹁シェリルが君を好いていること、また君もシェリルを好いている
ことは、私も知っている。だが、シェリルは花の民だ。そして私は
384
シェリルに、君の妻になるのに必要なものを用意してやれない。苦
難の道だぞ﹂
﹁僕も⋮⋮妻にはできないと、思います。ですが、僕にはシェリル
が必要なのです﹂
シェリルを娶ってもユーリウスには何の益にもならないどころか、
弱みでしかないということはわかっている。しかし、父に改めて言
われると、ずきりと胸が痛んだ。
﹁ならば、愛人とするか。シェリル、お前はそれで良いのか?﹂
﹁⋮⋮⋮わかりません。それを決めるために、ここにいます。お父
様に、母の話を聞いて、その上で決めようと思って﹂
﹁そうか。ならば話そう、ヴェロニカのことを﹂
父は一度目を閉じると、ゆっくりと口を開いた。
385
帰郷2
母は平民の出で、肖像画なども残っていないため、シェリルは一
度も顔を見たことがない。父に母の話を聞いてもいまいち実感がわ
かなくて、とても遠い存在だった。
﹁シェリル﹂
ユーリウスに名を呼ばれて、シェリルはのろのろと顔を上げた。
涙は出ていない。それなのに、頭が酷く痛んだ。
﹁顔色が悪い。長旅の疲れが出たんだろう。今日はもう休んだ方が
いい。続きは明日でよろしいですか、ペルレ候﹂
﹁ああ。⋮⋮⋮すまんな、シェリル。帰宅早々、辛い話をしてしま
って﹂
﹁⋮⋮いいえ。大丈夫、です﹂
﹁大丈夫じゃない。マティアス、部屋は﹂
﹁離れの部屋と、客間を用意させている。好きな方を使え﹂
﹁じゃあ、離れを﹂
シェリルを抱き上げながら、ユーリウスがくすりと笑った気がし
た。父や兄の前で抱きあげられて恥ずかしかったが、酷く頭が痛む
のと、心が凍えそうなぐらい冷えていたことで、あたたかいぬくも
りに甘えた。詰め込まれたばかりの情報が頭の中をぐるぐるまわっ
ていて、考えることが億劫だった。
離れにはシェリルの部屋しかないのだが、シェリルが侍女として
王都に移った後もそのまま残されていた。いつでも帰ってこいとい
386
う父の言葉は建前ではなかった。シェリルを抱きかかえたユーリウ
スが通された部屋は、窓辺に飾られた花以外は、なにもかも当時の
ままだった。
﹁食事は後ほど運んでくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
先に入るか?﹂
案内の侍女が去ると、ユーリウスはシェリルをベッドにおろして、
優しく肩を抱いてくれた。
﹁シェリル、湯はどうする?
シェリルはふるふると首を横に振って、ユーリウスの胸に頭を預
けた。
﹁しばらくこうしていてください⋮⋮﹂
﹁いくらでも﹂
母の人生は、壮絶なものだった。
父はあまり多くを語らなかった。否、それ以上のことを知らない
のだという。母が亡くなってから調べたことも多少あるが、死人は
何も語れない。母が何を感じ、何を思っていたのか。それを知る術
は、永久にない。
母は町の仕立屋の娘だった。花の民の血が目覚めるのは早くても
十を過ぎた頃だから、幼い頃は幸せに暮らしていたのだろう。その
幸せが壊れたのは、いつだったのか。
十五歳で、母は町長の息子に見初められて、愛人になった。父と
387
出会ったのは、母が二十三歳の時。
八年もの間、母は身体を売って生きていたのだ。領地視察の際に
父は町長の不正を知り、その裁きの折に、母の存在を知ったのだと
いう。﹃もっと早く助けていれば﹄と苦渋の表情で語るぐらい、酷
い境遇だったそうだ。
助け出された時にはもう、母の身体はぼろぼろだった。陽の当ら
ない生活。日々の精神的苦痛。薬漬けの身体。死期を悟った母が、
最後に願ったことが︱︱︱﹃シェリル﹄。自分の血を継ぐ、子が欲
しいということ。
シェリルという名は、母の母の名前だ。母の両親は町長に殺され
たのだという。それも、母を手に入れるために。自分のせいで死な
せてしまった両親に、今度こそ幸せになってほしいと、母が願って
つけた名前。
母は子の父親に、父を︱︱︱位の高い貴族の男を選んだ。生まれ
た子を、きちんと育ててくれるように。花の民の血を持つ自分を、
その身体を弄ばずに、地獄から救い出してくれた人を。
父は母の願いを叶えた。そこに愛があったのかどうか、シェリル
は怖くて聞けなかった。だって、そんなの。一緒に聞いていたマテ
ィアスは何も言わなかったが、侯爵夫人様はどうなるのだ。
﹁泣かないのか?﹂
シェリルを抱きしめながら、その髪を触っていたユーリウスが、
ぽつりと呟いた。シェリルはゆっくりと顔を上げた。
388
﹁なぜか、涙が出ないんです⋮⋮⋮こんなに、心が冷たいのに﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁私、薄情な娘ですね⋮⋮自分の母の話なのに、全然実感がわかな
くて。まるで、他人事みたい﹂
父の語らなかった部分は、きっと口に出すのもはばかられるほど
凄絶な話なのだろう。八年︱︱︱その途方もない年月の間に、母が
どんな目にあっていたのか。男性に酷い目にあわされてきた母が、
どうしてシェリルを望んだのか。シェリルには、わからない。
﹁⋮⋮⋮僕は、ヴェロニカさんとペルレ候に感謝している。彼女が
シェリルを産んでくれなかったら、僕は君と出会えなかった﹂
シェリルは大きく目を見開いた。どんな経緯があったとしても、
母は、父は。シェリルを望んでくれて。だからこそ、シェリルはこ
こにいるのだ。
﹁愛してる、シェリル。愛してる。僕の想いは、伝わっている?
ペルレ候だって、そうだ。どんな経緯があろうと、彼は君の父親だ。
候が君をどれほど大切にしているか、君は知っているだろう?﹂
ツンと目の奥が熱くなって、今までなりを潜めていた涙が、一気
にあふれた。
﹁ユーリさまぁっ⋮!﹂
自分は存在してはいけなかったのではないかと、心の底で思って
いた。
父と、侯爵夫人様。兄弟達。幸せな、家族の姿。そこにシェリル
389
は混ざれない。父は父だし、兄弟は兄弟だけれど、シェリルは侯爵
家の一員ではない。みんなシェリルのことを大切にしてくれたけれ
ど、いつも疎外感のようなものを感じていた。
﹁わたしっ⋮、心の中で、母を悪者にしてたんですっ⋮⋮⋮こんな
に幸せな家族に、私みたいなのを混ぜるなんて、すごく罪深いこと
じゃないかって⋮っ⋮⋮侯爵夫人様は、とてもお優しい方なのにっ
⋮⋮どうして、お父様は私を屋敷においてるんだろうって⋮⋮⋮ず
っと思ってたけど、怖くて、聞けなくてっ⋮﹂
﹁それは、候がシェリルを愛してるからだ。候がヴェロニカさんを
どう思っていたかは、僕にはわからないけど、候がどれほどシェリ
ルを大切にしているかは知ってる。昔、軽い気持ちなら手を引けと、
真っ向から言われたことがあるよ﹂
﹁え⋮?﹂
﹁あの時のペルレ候は、怒った父上よりも怖かったな。シェリルを
愛人にする気はないってばっさり断言されて、あやうく屋敷から追
い出されるところだった。本気だって言い返したら出入り禁止は免
れたけど、﹃本当にシェリルが好きなら、シェリルが大人になるま
で手を出すな。無理強いなどもってのほかだ。本気だと言うなら、
ここで神に誓ってみせろ﹄って。言葉にはされなかったけど、誓い
を破ったら殺すって目が語ってた﹂
﹁え⋮!?﹂
未来の公爵を相手に、なんて大それたことを。シェリルは蒼白に
なったが、ユーリウスは面白そうに笑っていた。
﹁このことで、僕は候がますます好きになったよ。この人は本当に
シェリルを大事にしてるんだってわかったから。世の中には妾腹の
子を軽んじる貴族が多いけど、候は違う。本当にシェリルの幸せを
願ってるんだ。シェリルがかわいいのも納得だなって、思った﹂
390
﹁ユーリ様っ、それで、誓ってしまったんですか!?﹂
﹁もちろん。シェリルが十六になったら改めてご挨拶に伺いますっ
て返した﹂
つまり、出会ったばかりの頃から、
シェリルはぽかんと口を開け放った。ひょっとして、﹃十年﹄と
はこのことだったのだろうか?
父は全てを知っていて。ユーリウスは、心の底からシェリルを想っ
てくれていたということ。
﹁ひょっとして、十年って、このことですか⋮?﹂
﹁候に言われたのは、君が十歳の時だ。さすがに六歳の子供に関し
て愛人云々なんて言わないさ。初めて会った後で、オスカーに君を
くれって言ったら、﹃十年早い﹄って言われて。じゃあ君が十六に
なった時に改めて申し込むって言ったのが始まりだな﹂
シェリルは今、十七歳だ。︱︱︱結局、果たされることのなかっ
た約束。
﹁僕がもっと強ければ、約束通り君を迎えに行けたのに⋮⋮⋮ごめ
ん、シェリル。無力な僕を恨んでいい﹂
﹁私がユーリ様を恨むなんて、あるはずがありません。ユーリ様が
この世にいてくださるだけで、私は幸せなんです﹂
エルヴェに純潔を奪われて絶望した夜も、サミュエル殿下とティ
エリーに弄ばれている間も、ジェラール殿下に閉じ込められていた
日々も、ユーリウスとの思い出が心の支えだった。目の前が真っ暗
になって、もう生きていたくないとまで思ったのに、ユーリウスの
笑顔を思せば、立ちあがる力が持てた。過去の光が、シェリルをこ
の世に繋ぎとめていたのだ。
391
﹁ユーリ様を想うだけで、心があたたかくなるんです⋮⋮⋮私が花
なら、ユーリ様は太陽です。ユーリ様の光がないと、私は生きてい
けないんです﹂
﹁僕は、君が思っているほど立派な存在じゃないんだけどな﹂
﹁立派とか、身分とかは、関係ありません。ユーリ様は私に幸せを
教えてくださいました。ユーリ様のためなら、私はこの人生を捧げ
ても構わないと思っています﹂
﹁シェリル⋮⋮﹂
唇が重なる︱︱︱その寸前に、扉がノックされた。先程の侍女が
食事を運んできたらしい。シェリルは慌ててユーリウスから離れた。
子供のころからの顔見知りの侍女に、男性と密着している姿を見
られるのは恥ずかしい。先程ばっちり見られているが、ただ運ばれ
るだけと、抱きしめられてキスされるのでは、恥ずかしさの度合い
が比較にならない。
﹁⋮⋮⋮入れ﹂
﹁失礼いたします﹂
あからさまに不機嫌そうな声に、ユーリウスと侍女の両方に申し
訳ない気持ちになったが、こればかりは仕方のないことだ。
自分のベッドに横になっているのに、一向に眠気が訪れなかった。
身体は疲れているはずなのに、詰め込まれた情報で、頭が混乱して
いるのだろうか。ぐるぐると取り留めなくまわり続ける思考。頭が
392
痛いように感じるのは、ひょっとして知恵熱のせいだろうか。自分
で額を触ってみたが、熱いかどうかはよくわからなかった。
食事の後、ユーリウスはオスカーの晩酌の誘いに応じたのでここ
にはいない。シェリルのベッドは大して広くないから一緒に寝たら
窮屈だし、そもそもお客様なのだから、客間に泊まってもらうべき
だろう。頭ではわかっているが、ノルエスト王国からの道中はずっ
と一緒だったから、よりいっそう寂しく感じてしまった。
﹁ユーリ様⋮⋮﹂
ユーリウスのぬくもりを思い出しながら、シェリルはビアンカを
抱きしめた。
ビアンカはユーリウスに貰ったクマのぬいぐるみで、シェリルの
髪と同じ色をしている。抱きしめて眠るのにちょうどいい大きさと
柔らかさで、一番のお気に入りだったが、大きすぎるので王宮には
持ち込めず、部屋に置いたままだった。ビアンカという名も、ユー
リウスがつけてくれたものだ。シェリルの部屋にはユーリウスや兄
弟が贈ってくれたぬいぐるみが大量にあるため、名前をつけないと
区別できないのである。
人肌とは違う、ぬいぐるみ特有の柔らかさを頬で味わいながら、
シェリルはほうっと溜息をついた。シェリルがいない間も、侍女た
ちがきちんと手入れしてくれていたらしく、ビアンカも、シーツも、
お日さまの匂いがした。
ユーリウスは、今ごろオスカーと楽しく会話に花を咲かせている
だろうか。シェリルもオスカー達と話したいことがたくさんあった
のに、﹃疲れているくせに夜更かしなんてとんでもない﹄と却下さ
393
れてしまった。寝かしつけられても眠れないのでは同じことなのだ
が⋮⋮。
﹁いつまでもユーリ様に甘えてちゃ、駄目なのよね⋮⋮﹂
ユーリウスがいないと寂しくて眠れないなんて、そんな子供のよ
うなことは言えない。今までは平気だったのに、ぬくもりを知った
途端に我慢がきかなくなるなんて、わがままにも程がある。シェリ
ルはビアンカを力いっぱい抱きしめながら、無理やり目を閉じた。
これからは、これが当たり前になるのだから。
394
帰郷3*
オスカーの誘いだからこそ応じたのだ。こんなことになると知っ
ていたら、絶対に出向いたりしなかった。
﹁さて。昼間の続きといこうじゃないか、ユーリウス。表へ出ろ!﹂
﹁今何時だと思ってるんだ、ニコラウス。もう外は真っ暗なんだぞ。
行きたいなら一人で行け﹂
手酌で麦酒を注ぎながら、ユーリウスはげんなりと溜息をついた。
左にオスカー、正面にニコラウス、右にマティアス。何の集まりだ、
性
これは。兄弟で飲みたいなら、水入らずで楽しめば良いものを。
﹁お前ら、よってたかって僕を吊るしあげようという魂胆か?
質の悪い﹂
﹁よくわかったね、ユーリ。まぁ、わかるだろうけど。いやはや、
ニコラウス兄上とマティアス兄上に睨まれて平然としてられるのは
君ぐらいだよ。我が友ながら天晴れだ﹂
﹁味方面しているが、お前も吊るしあげる側だろう、オスカー﹂
﹁うん。だって僕もシェリルのお兄様だからね﹂
ユーリウスは再び溜息をついた。いつもはユーリウスの味方であ
ることが多いオスカーも、今夜ばかりは頼りにならないらしい。
﹁正直に答えろ、ユーリウス。お前、とうとうシェリルに手を出し
たな﹂
﹁ああ﹂
395
答えた瞬間、マティアスの眉間の皺が増え、ニコラウスが目を吊
り上げ、オスカーの笑みが深まった。⋮⋮⋮予想通りの反応だ。オ
ユーリ﹂
スカー達も予想はしていたのだろうが、いざ口に出されると腹立た
しいらしい。
﹁うん。とりあえず。殴っていいかな?
﹁断る。マティアス、とめろよ﹂
﹁ニコラウス、やめろ。座れ﹂
上官であるユーリウスには遠慮しないニコラウスも、長兄には逆
らえないため、ドカッと椅子に腰を落とした。相変わらずユーリウ
スを睨むことはやめていないが。
王家側の血ばかりが重視されるため忘れがちだが、この三人もユ
ーリウスの従兄弟なのだ。幼い頃からの付き合いなのだから、今さ
ら多少睨まれた程度で怯みはしない。しかし、ユーリウス以外の男
なら間違いなく尻尾を巻いて縮こまっていただろう。
﹁一応言っておくが、同意の上だからな﹂
﹁わかっているよ。シェリルったら、昔以上にユーリにべったりに
なっていたからねえ。すっごくむかついたよ。よくもやってくれた
ね、ユーリ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
顔は笑っているのに、目はちっとも笑っていなかった。表面的に
はユーリウスの味方だが、妹を溺愛しているのはオスカーも同じな
のだ。それにしたって理不尽な怒りだと思うが。
﹁ユーリウス。お前、シェリルをどうするつもりだ。愛人にするの
か﹂
396
﹁シェリルが是と言ってくれたら、そうする。断られたら⋮⋮⋮ど
うしようかな。誘拐してもいいか?﹂
﹁いいわけがあるかっ!!﹂
﹁冗談だ。そうなったら、マティアス、後は頼む﹂
マティアスは片眉をあげた。︱︱︱つまり、シェリルをこの屋敷
に置いて行くということ。シェリルの血を考えれば、それが一番安
全だ。しかし、ユーリウスはそうそう王都から離れられる立場では
ない。
﹁諦めるのか?﹂
﹁まさか。遠くにいても、想うことはできるさ﹂
本当は、一瞬だって離したくない。しかし、父の言いなりである
今のユーリウスが、シェリルを守りきることは難しい。
﹁今のシェリルはとても不安定だ。気丈に振る舞ってはいるが、度
重なる凌辱はシェリルの心に深い傷をつけた。愛人にして、王都に
連れて行っても、僕は四六時中シェリルについていてあげられない。
⋮⋮⋮もし、再び間違いが起こったら。心ない言葉を、ぶつけられ
たら。今度こそ、壊れてしまうかもしれない﹂
強い拳がテーブルを打った。怒りを持て余したニコラウスが、机
に拳を打ちつけながらふるふると震えている。弟の不作法をマティ
アスが咎めなかったということは、彼もまた同じ心境なのだろう。
﹁ユーリウス。シェリルを弄んだ男の詳細を把握していると言った
が、そいつらが再びシェリルを狙ってくる可能性はないのか﹂
﹁ないと思う。それなりの地位のある男ばかりだし、フィオラが目
を光らせているはずだ﹂
397
﹁やっぱり、行かせるんじゃなかったなぁ⋮⋮⋮今さら後悔したっ
て遅すぎるって、わかってるけど﹂
ノルエスト王国に渡ってわずか一カ月ばかりで、シェリルは純潔
を奪われた。オスカーの危惧は手遅れだった。フィオレンティーナ
はシェリルの様子がおかしいことに気付けても、心の傷には気付け
なかった。ユーリウスが再会した時にはもう、シェリルの心は傷つ
いてぼろぼろになっていた。
﹁ここにいれば、少なくともシェリルがこれ以上傷つくことはない。
後は、時が癒してくれるだろう﹂
﹁君はそれでいいのかい?﹂
﹁いい。︱︱︱それでシェリルが泣かずに済むのなら﹂
ユーリウスの腕の中にいてなお悪夢に苛まれるほどに、シェリル
の負った傷は深い。夢の中でまで凌辱されて、必死に許しを請うシ
ェリルが、憐れでならなかった。
涙ながらに助けを求めて、ユーリウスを呼ぶ︱︱︱実際に、何度
も呼んだのだろう。シェリルが凌辱されている時、ユーリウスは何
もできなかったのに。しかし、ユーリウスが抱きしめていなければ、
ろくに眠ることすらできないのだ。
﹁⋮⋮⋮ノルエスト王国を発ってからの道中で、僕は初めてシェリ
ルが満足に眠れていないことを知った。使節団がアルブル宮殿に滞
在していた二週間は、そんな素振りすら見せなかったのに。眠りに
落ちても、悪夢が安らぎを妨げるんだ。食事こそとっているが、以
前と比べたら随分と痩せてしまった﹂
﹁じゃあ、今も﹂
﹁まだ起きているかもしれないな。甘えん坊になったわけじゃなく、
398
誰かが一緒じゃないと怖くて眠れないんだ﹂
バンッ!︱︱︱ニコラウスがテーブルに両手をつきながら立ちあ
がった。今までのはある程度予想済みだったユーリウスも、これは
驚いた。
﹁ユーリウス。お前、こんなところで何をしてるんだ﹂
﹁は?⋮⋮何って﹂
﹁シェリルが寂しがるのがわかっていて、なぜ一人にした!!﹂
呼び出したのはそちらなのに、なぜ怒られなければならないのだ
ろう。最初から、少し付き合って、事情を話したら戻るつもりだっ
たのに。
﹁ニコラウス。それはつまり、僕にシェリルを抱けということだぞ。
愛する少女を腕に抱きながら清らかに添い寝できるほど、僕は淡白
じゃない。わかっているのか?﹂
﹁殺されたいのか?﹂
﹁事実だ﹂
本当に殺されそうなぐらい壮絶な目つきで睨まれたが、ユーリウ
スも負けじと睨み返した。シェリルを想う気持ちは真実なのだから、
兄が相手だろうと、ここで退くいわれはない。
このままじゃシェリ
﹁やめろ、ニコラウス。ユーリウスに怪我をさせたら、今度こそシ
ェリルに嫌われるぞ﹂
﹁っ!︱︱︱兄上もなんとか言ってくれよ!
ルがとられてしまうっ!!﹂
﹁今さらだ。諦めろ﹂
﹁そうだよ、ニコラウス兄上。昼間の様子を見てたら、シェリルが
399
お前みたいに軟弱な奴がシェリルを守れ
ユーリにベタ惚れなのは一目瞭然じゃないか﹂
﹁俺は認めないぞっ!!
るもんかっ!!﹂
その通りだが、正面から言われると気分が悪かった。いくら鍛え
ても筋肉がつかない腕も、平均並みしかない背丈も、ユーリウスの
コンプレックスだ。本当は、美貌などいらないから、ニコラウスの
ように強くて逞しい男になりたかった。オスカーに言ったら、﹃な
仕方ないだろうっ、いくら頑張っても上
んて贅沢な悩みだ﹄と呆れられたが。
﹁悪かったな、軟弱で!
達しなかったんだから!﹂
﹁どうどう、ユーリ。落ちついて。シェリルは君の顔が好きなんだ
顔だけなのか!?﹂
からいいじゃないか﹂
﹁顔!?
﹁うーん、一番好きなのが顔なのは間違いないけど、たぶん、少し
は中身も見てくれているよ。シェリルは人を見た目で判断したりし
ないからね﹂
容姿以外、これといった特技のないユーリウスは、がっくりとう
なだれた。勉学は人並みより少し出来る程度だし、剣術はニコラウ
スの足元にも及ばない。身分と容姿以外に取り柄がないとフィオレ
ンティーナに何度も言われたし、自覚はあったが、いざ突きつけら
れると落ち込んだ。
﹁そのぐらいにしておいてやれ、オスカー。ユーリウスが再起不能
になったらどうする﹂
﹁もちろん慰めるよ。友達だからね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
400
オスカーがこういう性格だということを、ユーリウスは嫌と言う
ほど知っている。そんなことは百も承知で付き合っているのだが、
今夜ばかりは縁を切りたくなった。
ニコラウスを適当にあしらい、オスカーにちくちくと嫌味を言わ
れ、マティアスからシェリルの扱いに関する注意をこんこんと聞か
されていたら、気付いた時には日付が変わっていた。
話の合間に、いつの間にか酒がすすんでいたようだ。ふらつくほ
どではないが、ぽかぽかと身体が熱い。勝手知ったる屋敷の中を、
シェリルの部屋へと歩いて行く間に、何度か使用人とすれ違ったが、
呼びとめられることはなかった。
﹁ユーリウス様、今夜もシェリル様と一緒にお休みになるんですか
?﹂
﹁そうするつもりだが﹂
いつの間にか、クサヴァーがユーリウスの背後を歩いていた。気
付かなかったのは酔いのせいではなく、全く気配がなかったからだ。
いきなり声をかけられるのもいつものことなので、今さら驚かない。
﹁夜中に酒臭い身体で淑女の部屋に忍んでいく。まぎれもない夜這
いですね﹂
﹁家族公認だから問題ない﹂
﹁黙認の間違いでは?﹂
﹁認めているんだから同じことだ﹂
401
﹁すっかり開き直ってますね﹂
﹁何が言いたいんだ、クサヴァー﹂
睨みつけると、クサヴァーはへらりと笑った。
﹁いーえ、別に。命を狙われる立場のくせに夜中に一人で歩きまわ
ったり、灯りも持たずに庭に出ようとしたりと、随分と浮かれてお
ユーリウス様の背後は僕が守ってますから、ど
いでのようですから、ちょっと注意喚起をしようかなと﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁いいんですよ?
うぞお好きなようになさってください﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ユーリウスは休暇中だが、ノルエスト王国から戻ってすぐさまペ
ルレ領に来たので、クサヴァーは休む間がなかった。立て続けの超
過勤務で鬱憤がたまっているのだろう。
﹁⋮⋮⋮王都に戻ったら休暇をやるから、それまではよろしく頼む﹂
﹁期待してます﹂
物音を立てないよう、ゆっくりと扉を開けば、甘い香りが鼻腔を
くすぐった。シェリルの、匂い。ユーリウスを虜にしてなお魅了す
る花の香りは、シェリルの意思に関らず、その身から放たれ続けて
いる。
シェリルはビアンカを抱きしめて眠っていた。今のシェリルと比
402
べてもまだ大きく感じられるが、贈った当時のシェリルでは持ち運
ぶことすら困難で、ずっとベッドが定位置だったらしい。まだ大事
にしてくれているのかと思うと、口元に笑みが浮かんだ。
﹁ん⋮⋮ユーリさま⋮?﹂
﹁ごめん、起こしてしまったか﹂
﹁いえ⋮⋮おかえりなさいませ﹂
ゆっくりと身体を起こすと、シェリルはふわりと笑った。思いが
けない言葉に、ユーリウスは目を瞠った。
﹁もしユーリ様が戻ってきてくださったら、こう言おうと思ってた
んです。一度でいいから、言ってみたくて﹂
ノルエスト王国から戻る道中、ユーリウスはシェリルを片時も離
さなかった。終始同じ馬車に乗せて、宿ででも同じ部屋に泊めて。
使節団の面々を信用していないわけではなかったが、シェリルの身
が心配だったことと、ユーリウス自身、我慢できなかったから。
野営なら耐えただろうが、両国を結ぶ街道はしっかりと宿場町が
整備されているので、毎晩きちんと宿で身体を休めることができた。
同じ部屋に泊っているのだから、当然のようにユーリウスはシェリ
ルを抱いた。
この屋敷でも客間をあてがわれているが、手の届くところにシェ
リルがいるのに、離れて休むなどという選択肢はない。ユーリウス
の戻りたいと思う場所は、シェリルのそばだけなのだから。
﹁一度と言わず、毎晩でも言ってほしいよ。︱︱︱ただいま、シェ
リル。一人にしてごめん﹂
403
たまらず抱き締めると、シェリルはユーリウスの背に手をまわし
た。
﹁ユーリ様、お酒の匂いがします⋮⋮﹂
﹁麦酒だけじゃなく、火酒も少し飲んだから。シェリルは酒は飲ま
ないのか?﹂
﹁食事の時にたしなむ程度で、あまり飲んだことがないので⋮⋮⋮
それに、姫様はお酒が苦手ですから﹂
﹁あいつはまだ舌が子供なんだ。今度、葡萄酒の良いものを取り寄
せるから、一緒に飲もう﹂
花色の唇に吸い寄せられるように、己のそれを重ね、舌を絡めた。
呼気にも酒が混じっているためか、深く交わるとシェリルはぴくん
と目元を震わせ、背に縋りつく手に力がこもった。
﹁はぁっ⋮⋮﹂
﹁シェリルにはまだ強すぎるか?﹂
﹁⋮⋮なんだか、くらくらします⋮﹂
﹁すぐに慣れさせてやる﹂
﹁んぅっ﹂
酒で我をなくしたことはないが、やはり少し酔っているのかもし
れない。シェリルのぬくもりに触れたことで、身体中の熱が一気に
下肢に集中した。ぬくもりを掻き抱き、執拗に唇を重ねながら、細
い身体をシーツに押し倒す。邪魔な上着をシャツと一緒くたに脱ぎ
捨てると、シェリルが慌てた声をあげた。
﹁あっ⋮!﹂
﹁どうした?﹂
404
﹁お手伝いしようと思ってたのに⋮⋮﹂
お着替えを手伝うのは侍女の仕事だからっ﹂
﹁そんなに僕を脱がしたいのか?﹂
﹁ち、ちがいますっ!
﹁君はもう侍女じゃないだろう﹂
﹁で、でもっ⋮⋮あのっ⋮﹂
何度か尋ねると、シェリルは渋々といった様子で白状した。つま
りは、ユーリウスの世話がしたかったらしい。︱︱︱きっと、妻が
するように。先程、出迎えの言葉を口にしたがった理由と、同じ。
﹁⋮⋮あつかましいって、わかってます。でも、今だけでも、ユー
リ様の⋮⋮つ、妻になったような⋮⋮、気分を味わいたくて﹂
⋮⋮⋮シェリルは、何度ユーリウスの理性を試せば気が済むのだ
ろう。そんなかわいいことを言われたら、ますますとめられなくな
ってしまうのに。
夜着を剥ぎ取るようにして脱がせ、秘められた場所に触れた。下
着越しでも、湿り気を帯びているのが感じられる。ぐっと力を入れ
ユーリ様っ、そんな、急にっ﹂
て押すと、シェリルはびくっと身を強張らせた。
﹁あっ、んっ!
﹁ごめん。早く、シェリルの中に入りたい﹂
﹁ユーリ様っ⋮!﹂
細い脚から下着を抜き取り、全てをさらけ出させると、シェリル
は頬を染めながら顔を背けた。何度もしているのに、まだ慣れない
らしい。ひくひくと蜜を垂らしながら男を誘うそこに、ユーリウス
は躊躇なく顔をうずめた。
405
﹁はぅっ⋮!
ん、んっ⋮﹂
襞の一枚一枚に唾液を塗り付け、尖らせた舌で奥を目指す。滲み
始めた蜜が、ぬるぬると溢れてくる。シェリルの身体は、どこもか
しこも甘い。
シェリルの血のことを知ってから花の民について調べたが、詳細
な資料がほとんどなく、禁書扱いの古文書に、ようやく詳しい記述
を見つけた。いわく、花の民の体液には媚薬の効果があったらしい。
それが異性を誘う香りの正体であり、彼らを滅ぼしてしまった原因。
子孫を残すための能力に滅ぼされたことに、皮肉を感じずにはいら
れなかった。
血の薄いシェリルの蜜にそこまでの力はないが、それでもつい口
にしたくなる。唾液や汗よりも、蜜の方が衝動が強いのは、種を残
す本能が強いからだろう。
﹁んんっ⋮ふっ⋮っ!﹂
恥ずかしがりのシェリルはすぐに声を押さえようとするが、感じ
るとより甘い声をあげてよがるようになる。充分に濡れそぼったの
を確認すると、ユーリウスは蜜壺に指をさしこんだ。感じさせるこ
とよりも、早くユーリウス自身を受け入れられるよう、円を描くよ
うに動かす。
﹁ふっ、うっ⋮⋮ユーリ、さま、っ⋮﹂
ぐちゅぐちゅと蜜を溢れさせるそこが、三本目の指を受け入れら
れるようになったところで、ズボンの中ではちきれそうになってい
る自身を取り出した。指にまとわりついたシェリルの蜜を塗りつけ、
406
息を荒げるシェリルの腰を抱き、一気に貫いた。
﹁あぁぁっ!!﹂
最奥を突きあげると、シェリルはユーリウスの腕の中でぐっと背
をのけ反らせた。蜜壺が男根にきゅうっとまとわりついて、ユーリ
ウスは狂おしげな溜息をついた。激しく突き動かしたい衝動をこら
えながら、シェリルが辛くないよう、ゆっくりと腰を引き、また戻
す。
﹁ユーリさまっ⋮⋮ぅんんっ、⋮っ﹂
﹁シェリル、愛してる⋮っ﹂
繋がったまま、首筋に頬を寄せて、白い肌に吸いついた。もうこ
の肌にはユーリウスの痕しか残っていない。全てが、ユーリウスの
ものだ。
﹁あ、ふっ⋮!⋮ん、んんっ⋮⋮ユー、リ、ウスっ⋮はぁっ⋮﹂
﹁シェリル⋮っ﹂
身も心もとろけさせると、ようやく﹃様﹄が外れるようになる。
あの過保護な兄達に、シェリルにこんな顔をさせているのが見られ
たら、ユーリウスは間違いなく殺されるだろう。
快楽にとろけた木苺色の瞳。赤く色づいた唇。白い肌をほんのり
と赤く染めて、シェリルはユーリウスを受け入れている。伸ばされ
た手に指を絡め、深く深く繋がりあう。ゆっくり、ゆっくりと挿出
を繰り返していると、シェリルはもどかしげに腰を揺らした。甘え
た目が、ユーリウスを見る。
407
﹁ぁふ、うっ⋮⋮ユーリ、ウスぅっ⋮っ⋮!﹂
シェリルは滅多に自分の望みを口にしない。しかし、三人もいる
兄に甘やかされて育ったので、無意識のうちにおねだりの仕方を身
に着けていた。大きな瞳で、じっと見上げる。自制心の強いマティ
アスとしたたかなオスカーはともかく、妹に激甘のニコラウスは、
これであっさり陥落するらしい。
﹁ちゃんと言ってくれ。君の口から聞きたい﹂
﹁そん、な⋮⋮﹂
﹁これまで以上に、めいっぱい優しくしてあげたい。君の望みなら、
なんでも叶えてあげる。だから、聞かせてくれ。僕に、どうして欲
しいのか﹂
昔のシェリルは、王都に戻るユーリウスを、よくこの瞳で見上げ
てきた。口に出して引きとめられたことはない。しかし、口よりも
雄弁に語っていた。思わず小さな身体を抱きしめたユーリウスに、
ニコラウスが拳を振るう。オスカーが呆れの溜息をつき、フィリッ
プが癇癪を起こす。懐かしい思い出。
﹁ん、⋮⋮あっ、⋮ッ、ユーリウスぅっ!⋮もっと、してぇっ︱︱
︱⋮⋮あ、んっ、ぁぁぁあっっ!!﹂
膝が胸につくぐらい足を折り曲げて、挿入を深めた。激しさで、
ぐちゅぐちゅと結合部が泡立つ。子宮口を突けば、シェリルはぞく
すご、いい、
ぞくと身を震わせ、入り口まで戻ろうとする男根に絡みついた。
﹁ユーリ、ウスっ⋮あ、あ、っ⋮⋮ユーリウスぅっ!
ぃっ⋮﹂
﹁はっ⋮⋮僕も、すごく、いいよ⋮っ﹂
408
隣にぬいぐるみがいるベッドで絡み合っていると、まるで幼子を
犯しているような、背徳的な気分になった。ビアンカの無機質な瞳
が、シェリルを見ている。
不意に男根を引き抜くと、それだけの刺激でシェリルは﹁んっ﹂
と身を震わせた。快楽に酔いしれるシェリルの身体をうつ伏せに返
し、ビアンカの上に被せて、ユーリウスはその上に覆いかぶさった。
とろとろにとろけた蜜壺に、自身を突き入れる。
﹁あぁぁっ!!︱︱︱ユーリ、ウスっっ!﹂
﹁ビアンカを女の子にしておいてよかった。君が抱きしめるものに、
男名をつけるわけがないんだが﹂
腕に触れる、柔らかな布の感触が気持ちいい。それを身体の前面
に感じているシェリルは、さぞたまらないことだろう。ユーリウス
の下でもぞもぞと腰を揺らし、きゅうきゅうと男根を締め付けてい
た。
﹁やぁんっ⋮⋮ユーリウスっ、こんなこと、したらっ⋮ビアンカが、
汚れ、ちゃっ﹂
﹁洗えば済むさ。王都に戻ったら、今度は僕の名前をつけたぬいぐ
るみを贈るよ。夜、抱きしめて眠れるように﹂
﹁ああぁっ、はあぁぁッ⋮っ!﹂
弱いところを繰り返し狙い打つと、シェリルはよりいっそう強く
ビアンカに抱きついた。柔らかく食い締めてくる蜜壺に抗う術はな
く、ユーリウスもまた腰の動きを速める。
﹁ユーリウスっ⋮⋮ユーリウスっ⋮!﹂
409
﹁っ⋮⋮シェリル、まだ、薬は飲んでいるか⋮?﹂
なんとか聞こえていたらしく、小さな頷きが帰ってきた。ユーリ
ウスはほっと溜息をついて、心おきなくシェリルを突いた。
花の民は繁殖力が強い。中で出したら、高い確率で孕むだろう。
今までシェリルが無事だったのは、避妊薬を飲んでいたからだ。ユ
ーリウスと交わるようになってからも、シェリルは欠かさず口にし
ていた。
自然の摂理に逆らう薬が身体に良いはずないのだが、不安定な立
場のまま子を授かることを、シェリルは望まなかった。自身が妾腹
で、肩身の狭い思いをしてきたからだろう。そんなシェリルに、ユ
ーリウスの我儘で、望めるわけがない。︱︱︱それでも、いつかは、
きっと。
ふ、ぁぁあ⋮っ!!﹂
﹁くうっ⋮⋮シェリル、⋮﹂
﹁あっ、あっ⋮!
シェリルの中に精を吐きだし、ユーリウスはその背に折り重なっ
た。
410
帰郷4
うつ伏せに組み敷かれて、腰をあげさせられる。犯されている時
に、何度もとらされた体位。そのことを慮ってか、ユーリウスはシ
ェリルを抱く時、ずっと顔が見える体位ばかりだった。
以前は嫌悪感しかなかった行為なのに、今は背中に感じる体温が
心地良くて仕方ない。ユーリウスになら、何をされても大丈夫。絶
対の信頼だった。
﹁ユーリ様の、ばか﹂
﹁シェリル⋮?﹂
﹁ビアンカに、こんなことして⋮⋮汚れてしまったら、どうしてく
れるんですか﹂
汗まみれの身体で抱きつきながら言っても、説得力がないのはわ
かっている。しかし、絶頂の余韻で動けないのだから仕方ない。ユ
ーリウスを受け入れていたところから、蜜と精の混じったものが内
腿を伝い落ちていくのを感じる。ビアンカにもついてしまったかも
しれない。⋮⋮⋮お気に入りだったのに。
﹁洗えば落ちるだろう?﹂
﹁大きい子は、基本的に洗えないんです!﹂
﹁え。そうなのか?﹂
﹁そうなんですっ。洗ってもなかなか乾かないし、色落ちしたり、
変形してしまう危険だってあるし⋮⋮⋮はぁ﹂
水拭きで綺麗になってくれることを願うばかりだ。もし捨てるこ
411
とになったら、悲しくて泣いてしまうかもしれない。
﹁悪かった。もうしないから﹂
﹁そうしてください⋮⋮﹂
ビアンカを放し、今度はユーリウスに手を伸ばす。ユーリウスは
優しく抱きしめ返してくれた。その胸に頬をすりつけて、シェリル
は安らぎに目を閉じた。
﹁やっぱりユーリ様が一番です⋮﹂
﹁僕はビアンカほど抱き心地は良くないだろう﹂
﹁でも、ユーリ様はあったかいから⋮⋮﹂
ユーリウスは男の人だから胸板は硬いし、全身にほどよく筋肉が
ついているため、おおよそ柔らかいところなどない。ふわふわのビ
アンカの方が抱き心地は断然いいが、安らげるのはユーリウスの腕
の中だった。
﹁⋮⋮ずっと、こうしていられたらいいのに⋮﹂
無意識のうちに、呟いていた。ユーリウスの顔色が変わったのを
僕がここに、君を置いて行くつもりだ
見て、慌てて口を押さえるも、一度口にしてしまった言葉を取り消
すことはできない。
﹁⋮⋮⋮気付いてたのか?
ということを﹂
﹁⋮⋮⋮やっぱり、そうなんですね。気付いていたというか⋮⋮私
も、お供するつもりがなかったから﹂
出立日にいきなり現れたシェリルを、使節団の参加者は様々な目
412
で見た。ユーリウスの愛人かと揶揄する視線、当代最強騎士の妹に
対する興味、そして︱︱︱隠れた色目。気付いた瞬間、もう元には
戻れないのだと悟った。
帰国しても、状況は変わらない。花の民の香りは、異性をすべか
らく魅了する。
愛人になれば、ユーリウスは守ってくれるだろう。しかし、ユー
リウスが勤めに出ている間、シェリルはずっと怯えて過ごさなけれ
ばならない。親兄弟とユーリウス以外の男性は、誰も信用できない。
面と向かって会わなくても、香りを嗅ぎつけられたらそれで終わり
だ。
こんな手のかかる女がそばにいても、ユーリウスの負担にしかな
らない。
今の僕では、君を守ってあげら
﹁私がいても、ユーリ様のお邪魔にしかなりませんから⋮⋮﹂
﹁邪魔にしているわけじゃない!
れないから﹂
﹁ユーリ様の負担になってしまうのですから、同じことです。それ
でも、この血がなければ、王都へはご一緒したと思います。昼間は
どこかで働いて、夜は時折、ユーリ様の求めにお応えして。でも私、
もう、たくさん男性のいる場所には行きたくない⋮っ!﹂
帰国の道中、ユーリウスはシェリルを片時も離さなかった。しか
し、シェリルもまた、ユーリウスから離れようとしなかった。
母の話を聞いたら返事をすると言ったが、すでに心は決まってい
た。でも、それまでは。ユーリウスに甘えて、ぬくもりを感じて。
愛されて、いたかった。まるで、恋人同士がするみたいに。
413
﹁ユーリ様に愛された身体を汚されるのは、絶対に嫌っ⋮⋮そんな
なんてことを言うんだ!!﹂
ことになったら、私、今度こそ、舌を噛んで死にます﹂
﹁シェリルっ!
強い口調で咎められたが、シェリルは何度も首を横に振った。
﹁姫様を裏切ってしまった時、汚される前に死ねば良かったって、
何度後悔したかわかりませんっ⋮⋮⋮姫様は許してくださいました
が、今でも私、申し訳なくて、思い出しただけで、心が潰れそうに
なるんです。私、ジェラール殿下に抱かれている時も、それ以外で
そんな自分が、許せないっ⋮!﹂
も、情けないぐらい、感じてしまっていたんです。︱︱︱嫌だった
のに!!
﹁っ⋮⋮﹂
ゆるく背に回されていた腕が、痛みを感じるほどの強さに変わる。
ユーリウスの腕は、震えていた。
﹁⋮⋮⋮守れなくてごめん。辛い思いをさせて、ごめん⋮⋮⋮でも、
お願いだから、自ら死を選ぶことだけはやめてくれ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁シェリル﹂
縋るような目で懇願された。﹃必ず守る﹄とか、そんな気休めは
ユーリウスは言わなかった。言われても、信じなかっただろう。シ
ェリルの﹃絶対﹄は、ユーリウスに対する想いだけだ。
ユーリウスはシェリルの物ではないから、シェリルとずっと一緒
にいてはくれない。マティアスも、ニコラウスも、オスカーも、フ
ィリップも、みんな自分の生活がある。ユーリウスがいない間、シ
414
ェリルを守ってくれる人はいない。女性なら信用できるが、力ずく
で襲ってこられたら、太刀打ちできないだろう。
﹁⋮⋮⋮私が死んだら、ユーリ様は泣いてくださいますか⋮?﹂
﹁当たり前だろうっ!!﹂
怒られたのに、ユーリウスの愛を感じて、シェリルは笑顔になっ
た。
﹁じゃあ、ユーリ様が私を好きでいてくださる間は、死にません﹂
ユーリウスのことは信じている。しかし、婚約者の存在が見えな
い棘となってシェリルの胸に刺さっていた。何の憂いもなくユーリ
ウスと一緒になれる、顔も知らない女性に嫉妬しているのだ。こん
な醜い気持ちでユーリウスの側にいることはできなかった。
だから、シェリルはここから、ユーリウスを想い続けよう。
﹁私、マティアスお兄様とフィリップに剣を習います。自分で自分
を守れるように。守られているだけじゃ、駄目だから⋮⋮強くなり
たい、から﹂
﹁駄目だ﹂
﹁じゃあ、他の⋮⋮ええと、女性でもできる護身術って、何かあり
ませんか?﹂
﹁君の小さな身体じゃ、いくら頑張ったって怪我をするだけだ﹂
﹁やってみなければわかりません﹂
﹁君が僕より強くなってしまったら、僕は情けなさで再起不能にな
ってしまう。駄目だ﹂
シェリルは思わず吹き出してしまった。そんなことがあるはずな
415
いではないか。幼い頃からあんなに頑張っていた修練を積んでいた
ユーリウスに、一朝一夕で追いつくわけがないし、シェリルはそれ
ほど運動神経が良い方ではないのだから。つまり、自衛手段として
あまり効果がないということだが。
さすがに再起不能云々は冗談だったのだろう。ユーリウスは静か
に微笑みながら、シェリルの瞼に口づけてきた。
﹁アロイジウス王に世継ぎができて、王位が安定すれば、僕は今よ
り少しだけ自由になる。そうなれば、君を妻に迎えることも不可能
ではなくなる。全て片付け終えたら、中央から離れて、田舎で静か
に暮らそう。︱︱︱今度こそ、一緒に﹂
シェリルは目を見開いた。⋮⋮⋮そんな未来は、考えてもいなか
った。
﹁でもユーリ様、そんなこと、公爵様がお許しにならないんじゃ﹂
﹁父に勘当されても爵位を取り上げられないように、今のうちに王
を味方につけておくから大丈夫だ。フィオレンティーナが味方だか
ら、問題ない﹂
﹁でも、でもっ⋮⋮私なんかが、ユーリ様の妻に、なんて﹂
﹁たとえ神が許さなくても、構うものか。僕の妻はシェリルだけだ﹂
結婚を成立させるには、神の御前で永遠の愛を誓う必要がある。
周囲に祝福されない結婚を、神は許さないと言われている。
﹁愛してる、シェリル。どうか、僕を諦めないでほしい﹂
涙が溢れた。
416
﹁諦めたりなんて、しませんっ⋮⋮ずっとずっと、私の心はユーリ
様のものだって、申し上げました﹂
﹁幸せな未来を望んでいる人間は、﹃一度でいいから言ってみたか
った﹄なんて消極的なことは言わないんじゃないかな﹂
﹁う。⋮⋮⋮それは﹂
一生言う機会はないと思っていたからで、⋮⋮⋮それが、諦めて
いたということになるのかもしれない。
﹁もう一度、約束しよう。必ず迎えにくるから、信じて待っていて
ほしい﹂
﹃大人になったら必ず迎えにくるから、待っていて。約束だよ﹄
﹃はい。ユーリ様﹄
﹁︱︱︱はい。ユーリ様。お待ちしています﹂
またここで暮らしたいという願いを、父とマティアスは快く許し
てくれた。
﹁よくぞ決心した。偉いぞ、シェリル。目先の感情に流されるとろ
くなことがないからな。ユーリウスもそれなりに頑張っているよう
﹃まだ﹄が多いっ!﹂
だが、お前を守るにはまだまだまだまだ力不足だ﹂
﹁マティアス!
抗議するユーリウスを、マティアスは冷たい目で見下ろした。
417
﹁もう十年ぐらいなら待ってやる。それ以上かかるようならシェリ
ルには別の相手を見つけるからな﹂
﹁そんなにかかるわけないだろうっ!!﹂
マティアスがユーリウスに意地悪を言うのは珍しい。ぱちぱちと
目を瞬かせながら目の前のやりとりに見入っていたら、いきなり身
体が浮いた。
﹁きゃっ!?﹂
太い腕の上に座らされて、ようやくニコラウスに抱きあげられた
のだと悟る。
﹁︱︱︱ニコラウスお兄様?﹂
触るなと言ったはず
﹁大きくなったな、シェリル。おまけに、美人になった。ユーリウ
シェリルをおろせっ!
スなんかには勿体ないな﹂
﹁ニコラウスっ!!
だ!﹂
﹁誰がお前の言うことなんか聞くか。いつもいつも、年下のくせに
生意気な口をほざきやがって﹂
﹁ニコラウス兄上、すっごく大人げないよ。シェリルを片腕で支え
ているその腕力は称賛するけど﹂
シェリルはくすくすと笑った。ニコラウスは本当にユーリウスの
身分や地位を全く気にしない。職務中は一応敬っているらしいが、
その裏表のない性格が騎士団の中でも好まれているらしい。
﹁シェリルが王都に来てくれれば、またいつでも会えたのになぁ。
ユーリが不甲斐ないばっかりに、また離れ離れになってしまうなん
418
て。僕は悲しいよ。ああ、ユーリが不甲斐ないばっかりに﹂
﹁二度も言うな。ひょっとして、喧嘩を売っているのか?﹂
﹁そんなわけないだろう。僕は君の親友だよ?﹂
﹁オスカー⋮⋮﹂
ユーリウスはがっくりと肩を落とした。オスカーは基本的に優し
ここにいても兄上達にい
いが、時々妙に意地悪だ。飴と鞭だと、マティアスは言っていた。
﹁ユーリウス、さっさと王都に帰れば?
じめられるだけだろ﹂
﹁昨日の今日で帰るわけがないだろう。あと三日は滞在する予定だ﹂
﹁ちっ。邪魔くさ﹂
﹁⋮⋮⋮お前達、寄ってたかって僕をいじめて、情けないと思わな
いのか﹂
ユーリウスはげんなりした表情で溜息をついたが、兄弟は誰一人
悪びれなかった。
﹁思うわけがないだろう﹂
と、いつもの淡々とした調子で、マティアス。
﹁後で稽古をつけてやる。覚悟しておけ﹂
にやにやとした笑顔で、ニコラウス。
﹁いじめてるんじゃないよ、ユーリ。八つ当たりをしてるんだよ﹂
にこにことした笑顔で、オスカー。
419
﹁やっぱ帰れば?﹂
天使の微笑みで、フィリップ。
誰一人味方がいないことを悟ったのだろう、ユーリウスは再び溜
息をついた。シェリルは慌ててニコラウスの腕から降りると、ユー
リウスを背にかばった。
﹁お兄様たち、ユーリ様をいじめないでっ!﹂
﹁いじめてないよ、シェリル。遠い東の国ではね、娘を嫁に出すと
だからこうし
き、父親が花婿を殴るというしきたりがあるんだ。でも、ユーリの
顔に痣ができたらシェリルは泣いてしまうだろう?
て僕達が代わりに穏便にしきたりを敢行しているんだ﹂
なんてもっともらしい言葉だろう。この屋敷で暮らしていた頃の
シェリルなら騙されただろうが、王宮で鍛えられた今のシェリルは、
オスカーが上手いこと言ってシェリルを丸めこもうとしていること
ユーリ様をいじめたら、いくらお兄様だって嫌いになっ
を理解した。
﹁だめ!
ちゃうんだから!﹂
マティアス以下、兄弟の表情が凍った。何事かと目を瞬かせ、ユ
ーリウスを振りかえると、ユーリウスは儚い笑みを浮かべていた。
﹁⋮⋮シェリル。今のマティアス達に何を言っても無駄だ。という
か、君が言うと逆効果だ﹂
﹁え?﹂
﹁︱︱︱ユーリウス。今すぐ表へ出ろ﹂
420
地を這うような声がした。ニコラウスが、額に青筋を浮かべなが
ら、ユーリウスを睨んでいる。その壮絶な目つきに恐れをなし、シ
ェリルは思わずユーリウスの背に隠れてしまった。
違うのっ、そういう意味じゃないの!﹂
﹁そうか、シェリルはもうユーリがいれば僕達はいらないのか⋮⋮﹂
﹁オスカーお兄様っ!?
ものすごく沈んだ声で言われ、シェリルはぎょっとした。牽制の
つもりだったのに、まさかそういう意味にとられるとは思いもしな
かった。
嫌いになったりしないから、泣か
﹁そんなっ⋮姉様に嫌われたら、僕っ⋮⋮﹂
﹁ごめんなさいフィリップっ!
ないでっ!﹂
シェリルは慌ててフィリップを抱きしめた。シェリルから見えな
い位置で、フィリップがユーリウスに向けて舌を出していることに、
全く気付かずに。
﹁︱︱︱三日間、平穏無難に過ごせると思うな﹂
﹁⋮⋮覚悟しておくよ﹂
マティアスの宣告に、ユーリウスは苦笑しながら頷いた。
421
帰郷4︵後書き︶
兄弟の心情
*長兄マティアス
認める気持ち八割、ムカつく気持ち二割。
口ではあんなこと言ってますが、ユーリウスが頑張ってるのはわか
ってます。
今は情勢がアレなので、時待ちという感じですね。
淡々としてますが、いざ見送ることになったらたぶん泣きます。
自分の娘が嫁に行く時もたぶん泣きます。
良くも悪くも長男気質です。
*次兄ニコラウス
ムカつき十割。まったく認めてません。
相手がユーリウスだからじゃなくて、単にシェリルがとられるのが
嫌なだけ。
シェリルがユーリウスを庇うので、さらにムカつく。
和解する日は当分こないでしょう︵笑︶
*三兄オスカー
連れ戻してくれたことに関する感謝が三割、友人として喜ぶ気持ち
三割、最愛の妹をとられたムカつき三割、残りの一割は単におちょ
くってるだけ。
すぐ上の兄なので、シェリルと過ごした時間も長いですし、実は妹
に対する溺愛度は兄の中で一番。
シェリルはユーリウスと一緒が一番幸せなのはわかってるんだけど、
やっぱりムカつくので、これからもシェリルのためと見せかけつつ、
422
チクチク嫌味を言い続けるでしょう。
*弟フィリップ
兄は﹃兄上﹄でシェリルは﹃姉様﹄の理由は、﹃様付けの方が敬っ
ている気がするから﹄。
物心ついた瞬間からの筋金入りの姉様っ子です。
小さい頃はべたべたに甘えて、それが許されていたのですが、ユー
リウスが来るとシェリルが取られてしまうので、密かに敵認定して
ました︵笑︶
シェリルが王都に行ってしまった時は、﹁姉様においていかれたぁ
ぁ!﹂と大泣きしました。
なお、この世で最も怖いのは長兄です。
笑顔のオスカーも怖いですが、キレた長兄が一番怖い末っ子です。
423
手紙
親愛なるフィオレンティーナ様
帰郷して四日目の今日、ようやくペンをとることができました。
本来なら真っ先にご連絡するべきところを、遅くなりましたことを
お詫び申し上げます。長旅で体調を崩すこともなく、元気に過ごし
ていますのでご安心ください。思えば、姫様にお手紙を差し上げる
のはこれが初めてですね。そもそも家族以外に手紙を書くこと自体
が初めてなので、非常に緊張しています。無礼があったら、お許し
ください。
姫様からの感謝状のこと、兄から伺いました。何から何まで手配
していただいて、姫様にはなんとお礼を申し上げたら良いのかわか
りません。心より感謝しております。ありがとうございました。
久しぶりに再会した兄弟達は、とても元気そうでした。そう、私
の帰郷に合わせ、ニコラウスお兄様やオスカーお兄様まで帰ってき
てくださっていたのです。みんな、私をあたたかく迎えてくれまし
た。でも、みんな、私には優しいままなのに、ユーリ様に対しては
なんだかとても意地悪になっていて⋮⋮⋮私はどちらの味方をすれ
ばいいのやら、おろおろしっぱなしでした。だって、私がユーリ様
を庇うと、お兄様たちはますます意地悪になるんですもの。
よく﹃喧嘩するほど仲が良い﹄と言いますけれど、これは違うと
思います。だって、オスカーお兄様までユーリ様に意地悪なんです。
いつもはあんなに仲が良いのに。
424
私、仲良くしてって何度も言ったんですけど⋮⋮⋮﹃シェリルは
気にしなくていいんだよ。ただの八つ当たりだから﹄って。お兄様
私、もう大人なのに、
たち自身にも、どうしようもないのだそうです。姫様が嫁がれる時、
陛下はこんな風にはなりませんでしたよね?
お兄様たちの過保護はますますエスカレートしている気がします⋮
⋮。
お兄様たちの理不尽な八つ当たりに、ユーリ様は果敢に立ち向か
われました。ニコラウスお兄様とフィリップの剣の稽古に何時間も
付き合ったり、オスカーお兄様の晩酌に付き合ったり︵オスカーお
兄様はお酒に強いのです︶。ユーリ様も強い方ですが、二人で火酒
を三本空にした次の朝は、さすがに二日酔いになっていました。オ
スカーお兄様はけろりとしていましたけど。
ユーリ様は、ニコラウスお兄様とオスカーお兄様と一緒に、今朝
王都へ帰られました。私は、ご一緒しませんでした。ご一緒したと
ころで、ユーリ様の負担になることは間違いありませんし、私自身、
まだ人の多い場所が怖いからです。ユーリ様は、別れ際に私を抱き
しめて、次の約束をくださいました。私はそれを胸に、今度こそユ
王太子殿下と、仲直りできました
ーリ様をお待ちしたいと思います。
姫様の方は、いかがですか?
か?
私は、姫様に幸せになって頂きたいとずっと願っていました。自
分の恋は、叶わないと思っていたから。でも、ユーリ様は私を求め
てくださって。身も心も、通じ合うことができて。思いがけず、幸
せを手に入れてしまいました。⋮⋮⋮姫様と王太子殿下の間に、深
い溝を作ったくせに。
425
ごめんなさい、姫様。なんと言ってお詫び申し上げたらいいのか、
いまだにわかりません。⋮⋮⋮これ以上は姫様をご不快にさせてし
まうでしょうから、このあたりでやめておきます。
こんなことをわざわざ書いたのは、私と王太子殿下との間にあっ
たことを、お伝えしようと思ったからです。面と向かっては言えな
かったので、手紙で失礼させて頂きます。卑怯でごめんなさい。も
し知りたくないのであれば、ここで読むのをやめてください。
王太子殿下が私に手を出したのは、私が王弟殿下の寵を受けたこ
とで、王太子殿下の興味をひいてしまったのが原因でした。そして、
私が花の民の末裔だから。妻のある男性ですら誘ってしまうのです
から、この血は本当に罪深いです。
王太子殿下は私を側室として閉じ込めましたが、それは私を寵愛
するためではなく、姫様を意識してのことでした。﹃侍女に手を出
したら、フィオラはどんな顔をするだろう?﹄︱︱︱そんな風に言
って、笑っていました。不敬を承知で申し上げますが、王太子殿下
は性根が歪んでいると思います。それもこれも、愛を根本から否定
なさっているからです。
サミュエル王弟殿下のことを、姫様はご存知でいらっしゃるでし
ょうか。サミュエル殿下は二十年前に、お妃様を亡くされました。
現王陛下の暗殺を企てた咎で、処刑されたのです。しかし、サミュ
エル殿下はお妃様を心から愛しておられました。それも、正気を失
うほどに。正気を失った叔父を見て育った王太子殿下は、愛の必要
性を疑問に思い、やがて愛など必要ないと断じられたそうです。
愛など必要ないとおっしゃられる王太子殿下に、私は何も言い返
すことができませんでした。私はずっとユーリ様をお慕いしていま
426
したが、時にはその想いが苦しくなることもあったからです。でも、
今なら断言できます。ユーリ様を愛し、愛されて、私は今、とても
幸せです。
サミュエル殿下のことも、王太子殿下のことも、私はお恨みして
はおりません。私自身、この血をどうすることもできないのに、ど
うして責められましょうか。
だから姫様、どうか私のことはお気になさらないでください。正
直いって、王太子殿下が姫様に相応しいとは露ほどにも思っており
ませんが、姫様のお気持ちが固まっているなら、私はその想いを応
援いたします。姫様の愛ならきっと、王太子殿下の歪んだ性根を叩
き直せるはずです。頑張ってください。
長い手紙をここまで読んでくださってありがとうございました。
お忙しいこととは思いますが、どうかお身体にはお気を付けくださ
い。
シェリルはいつでも、姫様の幸せを願っています。
シェリル・フローリィ
追伸:アンネリーゼ達に、﹃姫様をよろしくお願いします﹄と伝え
ておいてください。
︵姫様を使うような真似をして申し訳ありません︶
427
﹁⋮⋮だ、そうよ。アンネリーゼ﹂
﹁確かに承りました。では姫様、﹃任せておきなさい。貴女はユー
リウス様とお幸せに﹄と返事の追伸に書いておいてください﹂
﹁貴女達って、とってもいい根性しているわよね。それを許してい
るのはわたくしだから、人のことは言えないけれど﹂
シェリルが人の悪口を言うのを、フィオレンティーナは聞いたこ
とがない。つまり、恨んでいないと言いつつ、ジェラールのことは
相当嫌いなのだろう。﹃性根が歪んでいる﹄の一文で、フィオレン
ティーナは思わず噴き出してしまった。まったくもってその通りだ
と思う。
返事を書くために、フィオレンティーナは早速机に向かった。
親愛なるシェリルへ
手紙をありがとう。とっても楽しく読ませてもらったわ。無事に
帰りつけたようで良かった。とても心配していたのよ。だって、ユ
ーリなんてあてにならないもの。
わたくしと貴女の仲なのだから、礼儀なんて最低限で構わないわ。
遠慮せずにいくらでもお手紙を頂戴ね。待っているから。
貴女の兄弟たちは相変わらず面白いわね。ユーリに八つ当たりす
428
る人間なんて、王都には滅多にいないわよ?
ユーリへの八つ当た
りに関しては、﹃いいわ、もっとおやりなさい!﹄というのがわた
くしの正直な気持ちだから、貴女の助けにはなれないわ。ごめんな
さいね。
わたくしが嫁いだ時、お兄様がわたくしに贈ったのは、﹃せいぜ
い頑張って王太子を誘惑してこい﹄って激励なんだか貶されている
んだかよくわからない言葉だったわ。まぁ、いつものことなのだけ
れど。まったく、お兄様といい、ユーリといい、わたくしの身内の
︱︱︱なんて、こ
わたくしがシェリルを
男はわたくしを何だと思っているのかしら。わたくしだって、十六
歳の可憐な乙女なのに、失礼しちゃうわ。
ユーリったら、本当に不甲斐ないわね!
譲ったのは何のためだと思っているのかしら!
んなことを貴女に言っても仕方ないから、後でユーリに激励という
名の罵倒をたっぷり連ねた手紙を送っておくわ。早くユーリが貴女
を迎えに行けるように、お兄様にも催促の手紙を送っておくから、
期待しておいて頂戴。
わたくしは元気よ。ジェラール様との関係は、一歩も進んでない
けれど。
その一文を目にした
貴女の手紙を読んで、あの方の評価がますます下がったわ。﹃性
根が歪んでいる﹄、全くもってその通りね!
瞬間、思わず噴き出してしまったわ。
サミュエル殿下のことは、噂は聞いたことがあったけど、そんな
事情があったなんて知らなかったわ。教えてくれてありがとう。気
が狂うほどの愛って、どんなものなのかしら。そこまで熱情が高ま
る前にわたくしのジェラール様への想いは一時凍結されてしまった
429
から、わたくしにはよくわからないわ。でも、よっぽどお妃様を愛
していらしたんでしょうね。
お妃様がどうしてそんなことをしたのか気になるから、これから
バルバラに言って、当時の詳しい情報を集めさせるわ。あ、一応言
っておくけれど、興味本位ではなくてよ。これも、王太子妃として
わたくしが知っておかなければならないことだからよ。真実を知っ
て、王弟殿下に同情することになっても、王弟殿下が貴女にしたこ
とは許さないから安心して頂戴。
ねえ、シェリル。貴女は自分のことばかりを責めるけれど、わた
くしに言わせれば、貴女の香りにとち狂って簡単に理性を飛ばした
現に、ユーリは十年も我慢していたじ
男達の方がよっぽど悪いわ。人としての良識がしっかりしていれば、
我慢できるはずでしょう?
ゃない。わたくしはあまりユーリが好きではないけれど、我慢強さ
だけは称賛してやってもいいと思うぐらいよ。
わたくしはもう許しているというか、そもそも怒ってないのだか
ら、そろそろ自分のことも許してあげなさい。わたくしは、ユーリ
に負けないぐらい貴女が大好きなの。わたくしが王子だったら、貴
女を取り合ってユーリとものすごい修羅場を繰り広げたでしょうね。
女のわたくしでは貴女と結婚できないから仕方なくユーリに譲った
けれど、男だったら絶対に譲らなかったわ。
大好きよ、シェリル。わたくしも、いつでも貴女の幸せを願って
いるわ。
貴女を安心させるために、わたくし頑張ってジェラール様の性根
を叩き直すわ。吉報を待っていて頂戴。
430
フィオレンティーナより
追伸:アンネリーゼ達が、﹃任せておきなさい。貴女はユーリウス
様とお幸せに﹄ですって。
顔が真っ赤だよ﹂
主で伝言ゲームをする貴女達のことを、わたくし本当に頼もしく思
ってよ。
﹁姉様、どうしたの?
なんで同性からの
﹁⋮⋮⋮今、穴があったら埋まりたい気持ちなの⋮﹂
﹁なにそれ。それ、姫様からのお返事でしょ?
手紙で照れるの﹂
便箋を丁寧に折りたたんで、シェリルは両手で顔を覆った。嬉し
いやら恥ずかしいやらで、顔から火が出そうだ。
﹁どうしよう、フィリップ。私、姫様にときめいてしまいそう﹂
姫様は女性で、
﹁あー。いいんじゃないの。ユーリウスより甲斐性ありそうだし﹂
﹁ええっ!?﹂
シェリルは意味もなく慌てた。そんな、だって!
しかも人妻で、おまけにシェリルよりも年下なのに!
﹁姫様が王子殿下だったらユーリウスに勝ち目はなかったね。いや
ほんとに﹂
431
﹁⋮⋮⋮フィリップはユーリ様が嫌いなの?﹂
先日からずっと、ユーリウスに対して酷いことばかり言っている。
尋ねると、フィリップは不貞腐れた様子で手を振った。
悔しくないわけないじゃないか﹂
﹁嫌いじゃないよ。気に食わないだけで。だって、僕の大事な姉様
がとられちゃったんだよ!
ぎゅうっと背中から抱きつかれて、シェリルは困った顔で弟の腕
を叩いた。
﹁はなして、フィリップ。ユーリ様に怒られちゃう﹂
﹁いいじゃん。言わなきゃばれないって﹂
﹁だめ。裏切りたくないの﹂
重ねて言うと渋々離れてくれたが、フィリップは唇をとがらせて
むくれていた。
﹁やっぱあんなやつ嫌いだ。僕の姉様なのに、なんで触っちゃ駄目
とか言われなきゃ駄目なんだ。あーっ、むーかーつーくーっ!﹂
王都に行ったら、きっと素
﹁フィリップももうすぐ十四歳なんだから、いつまでも私に甘えて
ちゃ駄目よ。もうすぐ進学でしょう?
僕の一番は姉様だもんっ!﹂
敵なお嬢様と出会いがあるわ。恋人ができたら、ぜひ私にも紹介し
てね﹂
﹁やだよ!
またしてもぎゅうっとされてしまい、シェリルは溜息をついた。
こんなに甘えん坊で、学校でやっていけるのだろうか。甘やかしす
ぎたのだろうか。そんなことを考えていたら、扉が開く音がした。
432
﹁またやっているのか、フィリップ﹂
﹁げっ。マティアス兄上﹂
今はお仕事の時間ではないの
フィリップは慌ててシェリルから離れた。何かと要領が良いフィ
リップも、長兄は怖いらしい。
﹁マティアスお兄様、どうしたの?
?﹂
﹁お前の顔を見に来たんだ。大事ないか?﹂
大きな手で頭を撫でられて、シェリルは苦笑を浮かべた。⋮⋮⋮
甘やかされているのは自分も一緒かもしれない。甘やかされるのは
心地良いけれど、子供扱いされているようで、少し複雑な気持ちに
なる。
﹁そんなに心配してくれなくても、大丈夫よ。みんな優しいし、ツ
ェリアさんも仲良くしてくださっているし。そう、このあとお茶に
誘われているの。マティアスお兄様も一緒にどう?﹂
﹁遠慮しておく﹂
﹁どうして?﹂
﹁女同士の会話に混ざるとろくな目に合わないからだ﹂
シェリルはぱちぱちと目を瞬かせた。ツェリアはマティアスの妻
なのに、どうしてそんな苦々しげな顔をするのだろう。
﹁マティアスお兄様、ツェリアさんと上手くいってないの?﹂
﹁兄上は義姉上にベタ惚れだよ。ただ、兄上にも苦手なものはある
ってこと﹂
﹁?﹂
433
マティアスは甘い菓子は平気だし、シェリルが淹れたお茶はよく
飲んでくれていたからお茶自体が嫌なわけではないはずだ。妻に惚
れているなら尚更、嫌がる理由がわからなくて、シェリルは首を傾
げたが、フィリップはマティアスに睨まれて口を押さえてしまった
ので、それ以上聞けなかった。
﹁それは姫様からの手紙か?﹂
﹁ええ。今朝届いたの﹂
シェリルも速達で送ったが、返事は向こうに届いたと思われる日
からわずか一週間足らずで届いた。通常便の半分近くの日数で届い
た手紙を受け取った瞬間、顔も知らない伝令使に申し訳ない気持ち
になったが、彼らはそれが仕事だと言われると何も言えない。
﹁⋮⋮⋮ユーリ様も、お元気かしら﹂
﹁さあな。文通しているお前の方が詳しいだろう﹂
﹁そうだけど、気になるんだもの﹂
ペルレ領とノルエスト王国のアルブル宮殿の往復は一カ月近くか
かるが、ブルーメルク宮殿は片道三日で着くため、ユーリウスとの
文通の方が返事の間隔が遥かに短い。頻繁な便りはユーリウスの負
担になるのではないかと思ったが、ユーリウスの方が積極的に書い
てくるので、シェリルも遠慮せずに返事を出している。
風邪などひいていないか?
ちゃんと眠れているか?
寂
ユーリウスからの手紙は、シェリルを心配する言葉ばかりだ。元
気か?
しくないか?︱︱︱そして、﹃愛してる﹄。約束通り、ユーリウス
の名がついたクマのぬいぐるみも送られてきた。ユーリウスと同じ
色の瞳をしたその子を、シェリルは毎日抱きしめて眠っている。
434
寂しくないといえば嘘になる。本当は、今すぐ、会いたい。でも、
シェリルのために頑張ってくれているユーリウスに無茶は言えない
から、手紙には大丈夫だと書いて返す。寂しさはあっても、かつて
のような不安はなかった。ユーリウスとの繋がりを信じて、シェリ
ルは待ち続ける。
ユーリウスが迎えに来てくれる、その日まで。
435
手紙︵後書き︶
キリが良いので、ここでひとまず本編は完結とさせて頂きます。
ここまでお付き合いくださってありがとうございました!
完結とはいっても、いくつかの番外編とユーリウスとシェリルのそ
の後編を予定していますので、まだ完結済みにはしていません。
詳しい後書きはブログの方で語りたいと思います。
436
花の末裔︵前書き︶
この話には、妊娠・堕胎・不倫・死亡などの表現を含みます。
苦手な方はご注意ください。
437
花の末裔
両親には一度も言わなかった。
最初に﹃内緒だよ﹄って言われたから。
言うことを聞いたら、とびっきり優しくしてもらえたから。
﹃良い子だね﹄って言ってもらえるのが嬉しくて。
馬鹿みたいに素直に従った。
そして、両親は何も知らないまま死んだ。
両親の死体を前にして、自分がどれほど愚かだったかを悟った。
明るい。陽の光なんて、どれほどぶりに見ただろうか。ぼんやり
と窓辺に差し込む光を見ていると、枕元にいた人物に声をかけられ
た。
﹁気がついたか﹂
声と共に、コップ一杯の水が差し出された。口を開こうとして初
めて、喉がカラカラだということに気付く。せっかく差し出された
のだから、ありがたく頂こうとしたが、身体がうまく動かせない。
男はヴェロニカの上半身を抱き起こすと、口元にコップを当てて、
ゆっくりと口に含ませた。
赤い髪。緑の目。知らない男。
438
ヴェロニカが真っ先に疑問に思ったのは、﹃今﹄がいつなのかと
いうこと。
﹁⋮⋮⋮今日は、何年の何月何日ですか﹂
男の答えた日付を聞いて、ヴェロニカは少なからず驚いた。前に
暦を確認した時から、三年以上経っている。
﹁そう⋮⋮ですか﹂
﹁私はコンラート。君の名前を聞いても良いか﹂
﹁⋮⋮ヴェロニカ﹂
頭に靄がかかっているのは相変わらずだが、目は見えていた。き
ちんと受け答えができていることからして、正気なのだろう。前に
薬を飲まされたのはいつだったか、彼女は思いだそうとしたが、暦
も把握できていない状態でわかるはずもなかった。自分が何日眠っ
ていたのかもわからないのだから。
﹁ここは、どこ?﹂
明るい。広い。そして、綺麗だ。壁は清潔感のある白で、調度品
は質素だが上等なもの。華美なくせに安っぽい部屋ばかりだったあ
の屋敷の中だとは思えない。むしろ、空気まで違う気がした。
入院?
安全?
なぜ?
自分の状態を考えれば、病院に
﹁宿だ。病院に入院させても良かったが、こちらの方が安全だろう
病院?
と思った﹂
宿?
放りこむのは正しい選択だろう。それをわざわざ宿に?
439
安全って、何が?
﹁安全って、何がですか?﹂
﹁君が﹂
﹁どうして?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
コンラートと名乗った男は黙りこくった。その表情を見て、ヴェ
ロニカも、なんとなくわかってきた。同時に、不思議だった。
﹁貴方、不能なんですか?﹂
﹁は?﹂
男の精悍な顔が引きつった。
いや、不能って、あの不能だよな
﹁⋮⋮なぜそう思ったのか、聞いても良いだろうか﹂
﹁だって、服を着ているから﹂
﹁服を着ていたら不能なのか?
?﹂
﹁勃起障害ですか?と聞いた方が良かったでしょうか。あ、もしか
妻と息子が三人いるっ!﹂
して同性にしか興味が﹂
﹁そんなわけあるか!
﹁そうですか。失礼しました﹂
三十代の前半ぐらいに見えるから、性的指向が異性に向いている
なら、妻子がいても不思議ではない。いや、それが普通なのか。長
年爛れた環境に身を置いていたから、感覚がおかしくなっているの
だろう。
まじまじと眺めてみると、町の男と比べ、随分と垢ぬけているよ
440
うに見える。着衣は上等な布地を使っているし、仕立ても良い。ひ
ょっとして、貴族なのだろうか。
﹁もしかして、貴族様ですか?﹂
﹁⋮⋮やっとその質問か⋮⋮⋮このペルレ地方を治める領主だ﹂
﹁︱︱︱侯爵様?﹂
驚いた。騎士ですら見たことがないのに、貴族、それも侯爵など
というものが目の前にいようとは。
﹁侯爵様が、どうしてこんな田舎町に?﹂
﹁町長が不正を働いているとの報告があったため、足を運んだ。町
長とその一族は捕らえたが、君は一族の者ではないだろう。随分と
衰弱していたので、医者に診せたが⋮⋮⋮その医者が、どうにも信
用ならなくてな。私の手元で療養させる方法をとった﹂
ヴェロニカはコンラートの判断に感謝した。それはおそらく、ヴ
ェロニカの思考を奪う薬を用意していた医者だろう。これまでの二
の舞になるどころか、口封じに殺されてもおかしくなかった。
﹁それはどうも、ありがとうございます﹂
﹁いや。君がなぜあの屋敷にいたのか聞いてもいいか﹂
﹃なぜ﹄と聞かれると、答えに困る。居たくて居たわけではない
のだから。色々な単語が思い浮かんだが、ヴェロニカはお上品な貴
族様にも理解できるように、慎重に言葉を選んだ。
﹁十五の時に、町長の息子に見初められて、愛人にされました。そ
れから、一歩も外には出ていません﹂
441
コンラートは眉を顰めた。
﹁君は今いくつなんだ?﹂
﹁二十⋮⋮三、でしょうか。今が聖暦二百二十五年であるのなら﹂
計算が間違っていなければ、そうであるはず。
﹁捕らえられていたのか﹂
﹁よくわかりません。意識がはっきりしている時の方が稀でしたか
ら﹂
﹁⋮⋮⋮私が見つけた時、君は私を見て、笑った。男の上に跨りな
がら。それも覚えていないと?﹂
﹁まったく。最後に正気に戻ったのは、冬だった気がします。酷く
寒くて、窓の外に雪が降っていたから﹂
それが何年の冬なのかはわからないが、今は初夏だ。
﹁君が飲まされていた薬は、中毒性こそないが、長く飲み続ければ
臓腑を蝕むものだった。そんなものを常用していたと?﹂
﹁そうですね﹂
﹁⋮っ⋮⋮⋮﹂
コンラートは憤怒の形相で拳を握りしめた。怒っている。なぜ?
﹁なぜ怒っているのですか?﹂
﹁君に非道な真似をした奴らと、長らく奴らを野放しにしてしまっ
た自分に、怒りを覚えているんだ﹂
そういえば、この方は町長一族を牢に放りこんだらしい。何か⋮
⋮たぶん、税に関する不正で。昔からこの町は税金が高かった。﹃
442
領主様は何をやってるんだ﹄と両親がぼやいていたことを思い出し
た。
﹁町長とその一族は、どうなるんですか﹂
﹁裁判にはかけるが、ほぼ間違いなく死刑になるだろう。横領だけ
でなく、一族でこの町を私物化していたようだから﹂
﹁ありがとうございます﹂
コンラートは目を瞠った。
﹁私の両親はあいつらに殺されました。あの男が、私を迎えに来た
時に﹂
目尻から、熱い雫が伝い落ちた。それが涙だと気付いて、自分が
生きていることを実感する。ヴェロニカのせいで殺されてしまった
両親は、もう泣くこともできないのに。
﹁⋮⋮そうか。また一つ罪状が増えたな。他に、何か知っているこ
とはないか﹂
もともとそれが聞きたくてコンラートはここにいるのだろう。そ
うでなくても、侯爵が平民の娘の看病などするはずがない。
﹁お答えしたいのは山々ですが、私はあの屋敷にいた頃のことをほ
とんど覚えていません。お役に立てず、申し訳ありません﹂
﹁そうか。ありがとう。目覚めたばかりだというのに、長々と喋ら
せて悪かった。ゆっくり休んでくれ﹂
そう言うと、コンラートは席を立った。ヴェロニカはまたしても
驚いた。
443
﹁やはりどこかお悪いのでは⋮⋮﹂
﹁は?﹂
コンラートが訝しげな顔で振り返る。その顔色は健康そうに見え
る。病気には見えない。
﹁なぜ私を抱かないのですか?﹂
﹁私が病人に無体な真似をするような人間に見えると?﹂
﹁だって、男性だから。あ、お若いように見えて、実はもっとお歳
いくら若い女性と
をめしておられるとか﹂
﹁三十一だっ!
そのぐらいの理性
なんなんだ君はさっきから!
二人きりだからといって、病人に手を出すか!
はあるっ!﹂
なるほど、見た目通りだ。町長の息子より若いのに、比べ物にな
らないぐらい理性が強いらしい。
﹁私を抱かなかった男性は、父以外では貴方が初めてです﹂
コンラートの顔が、今までで一番の驚きに染まった。
﹁なんだ、それは。⋮⋮どういう﹂
﹁町長の屋敷に連れて行かれるまでは、町中の男の相手をしていま
した。みんな、私を見ると抱きたくなるのだそうです。町長の屋敷
でも、色んな男に抱かれました。私を抱かせて、金をとっていたら
しいです。⋮⋮⋮あ。今気付きましたが、まるで娼婦のようですね。
私の手元には一銭も入っていないので、職業とは言えないかもしれ
ませんが﹂
444
将来は両親の店を継ぐつもりで勉強していたが、娼婦の方が相応
しかったかもしれない。困窮していたとはいえ、食うに困るほどで
はなかったが、さっさと家を出ていれば良かった。そうすれば、両
親は殺されずに済んだだろうに。
﹁貴族って、立派なだけじゃなくて、人間的にも素晴らしいんです
ね。⋮⋮⋮あ、まだお礼を言っていませんでした。助けてくださっ
て、ありがとうございました﹂
礼を言ったのに、コンラートは怒りに満ちた形相で、今度こそ部
屋を出ていった。⋮⋮何か、無礼をしてしまったのだろうか。
それから、一カ月。ヴェロニカはなんとか歩けるまでに回復した。
その間、ヴェロニカの世話をしてくれたのは、コンラートに雇われ
たという女で、隣町の出身らしい。わざわざ隣町の女を雇ったとい
うことは、この町の女はみんなヴェロニカの世話を嫌がったのかも
しれない。ヴェロニカは、彼女達の夫や恋人を寝取った女だ。忌み
嫌われていてもおかしくない。
﹁まぁ、素敵。ヴェロニカ様、とってもよくお似合いですわ﹂
肌触りの良い生地。むらのない染め。職人技だろう、精緻な刺繍。
とても上等なワンピースだった。
﹁これ、誰の服?﹂
﹁もちろんヴェロニカ様のものですわ。コンラート様の指示でご用
445
意させて頂きました﹂
﹁ええ?﹂
どこまでも変わった男だ。ヴェロニカに服を贈るなんて。
きちんとした服を着たのなんて、何年ぶりだろう。町長の屋敷に
いた頃は、ほとんど全裸で過ごしていた。それ以前は、うんと幼い
頃と、両親と過ごしている間だけだった気がする。あまりにも久し
ぶり過ぎて、とても肌触りが良い服なのに、なんだか落ち着かない。
昼過ぎ頃に、コンラートが現れた。
﹁よく似合っている﹂
﹁ありがとうございます﹂
コンラートはこの宿を拠点にしているが、ヴェロニカと顔を合わ
せることは稀だ。毎日毎日、コンラートを乗せた馬車は朝早くに宿
を出て、夜遅くにならないと帰ってこない。町長の一族をまとめて
処刑したので、事後処理が大量にあるらしい。町長一族が長らく町
何かや
を私物化していたので、いたる所に不正が横行していて、証拠集め
どうしたい?
やら処罰やら後任探しやらで大わらわだそうだ。
﹁ヴェロニカ。君は、これからどうする?
りたいことがあるなら、できる限り援助するが﹂
ヴェロニカは目を瞬かせた。なんという大盤振る舞いだろう。こ
れがコンラートなりの償いなのだろうか。
どうも彼は、町長を長らく野放しにしてしまったことで、ヴェロ
ニカに対して罪悪感のようなものを抱いているらしい。︱︱︱そん
446
な必要はないのに。
﹁では、私のように身体にガタがきている女でも働ける娼館を紹介
していただけるとありがたいです﹂
﹁はっ!?﹂
また眉間にしわが寄った。⋮⋮どうもヴェロニカの発言は、いち
いちコンラートの癪に障るらしい。初めて会話をした時からずっと、
せっかく自由になったというのに!!﹂
何か言うたびに怒らせているような気がする。
﹁なぜ娼館なんだ!
﹁だって、学はないし。手に職もないし。こんな身体で働ける場所
なんて、そうそうないでしょう。娼婦なら、これまでの実績という
君はもっと自分の身体を大事にしなさい!!﹂
か、昔とった杵柄というか、そういうので、なんとかなるのではな
いかと﹂
﹁却下だ!!
まるで父のような物言いである。そういえば、三児の父であるら
しいし、八つ差だから⋮⋮⋮それでも親子というほどは離れていな
いと思う。
﹁そんなこと言われても、侯爵様。私の身体は、もう駄目ですよ。
ちゃんと寝て、ちゃんとご飯を食べているのに体力が戻らないのは、
身体の中がもう駄目だからだって、お医者様から聞きました。侯爵
様もお聞き及びだと思いますが﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁死ぬのは別に構いません。これでやっと、両親に謝りに行けるの
ですから。でも、いつ死ぬかわからないのに、いつまでも侯爵様の
ご厄介になるわけにもいきませんから、やっぱり働かないと﹂
﹁軽々しく死ぬなどと言うな!!﹂
447
今までにない剣幕で怒られた。驚いて目を丸くするヴェロニカの
肩を、コンラートが掴む。
﹁君の境遇を思えば、生を諦めたくなっても仕方がないだろう。だ
が、ご両親は君の生を望んでいる。私にも息子がいるから、わかる。
どんなことがあろうと、親ならば、我が子に一分一秒でも長く生き
ていてほしいと、そう願うはずだ⋮!﹂
しなないで
おねがい
﹁あ⋮⋮﹂
熱いものが、こみあげてきた。ぽろぽろ、ぽろぽろと、次々に、
両目から雫が溢れて、止まらない。
﹁うっ⋮⋮あっ⋮﹂
ごめんなさい
ごめんなさい
448
母の願い︵前書き︶
前話﹃花の末裔﹄からお読みください。
推奨BGM:﹃1/1/文/字/の/伝/言﹄︵S○UND
RIZ○N︶
H○
449
母の願い
コンラートの腕の中で、どれぐらい泣いていたのだろう。泣きす
ぎて目が痛い。頭がぼーっとする。上等な上着に、汚らしい涙や鼻
水がついてしまった。ああ勿体ない。
泣くだけ泣いて、ようやく落ち着くと、あたたかいミルクを差し
出された。ありがたく受けとって、ヴェロニカはぽつりと口を開い
た。
﹁⋮⋮⋮男たちに抱かれるうちに、何度か身籠りました。でも、情
けないことに、よく覚えていないのです。この身に宿った命は、私
にすら知られる前に、死んでしまったのです﹂
避妊薬などというものは、存在すら知らなかった。何の対策もせ
ずに男に抱かれれば、当然子が出来る。
薬のせいで、記憶は定かではない。だが、月の物がしばらくこな
くなり、やがて激しい痛みと共にそこから血が流れ出す。そんなこ
とが、何度かあった。こんな薬漬けの身体の中で、儚い命が育つは
ずないのだ。
薬は、ヴェロニカを従順にするためと、もう一つ。子を流すため
だった。
﹁子が流れる痛みに苛まれている間だけ、私は正気にかえりました。
その間は、男達も私を抱かなかった。そんなことが、何度繰り返さ
れたのか。何人の子が、死んだのか﹂
450
身体だけではない。心にも、同様の痛みがあった。痛みに苛まれ
るたびに、共に死にたいと、強く願った。しかし医者は、儚い命は
殺すくせに、ヴェロニカのことは生かすのだ。
﹁⋮⋮⋮私は、なんて罪深いのでしょう﹂
両親を殺し、この身に宿った幾多の命も殺して、のうのうと生き
ながらえている。そんな自分が、厭わしくてならない。しかし、自
ら死を選ぶことはできなかった。
コンラートの言うとおり、我が子が死ぬのは、とても悲しいこと
だ。ヴェロニカは天国にいる両親をこれ以上悲しませたくなかった。
﹁私は周囲の人々を、みんな不幸にしてしまう。私のような女は、
死んだ方がいいのです﹂
﹁死んだ方がいい人間というのは、君を弄んだ下種たちのことだ。
君は違う﹂
﹁どちらにしても、私はもうすぐ死にます。同じことです﹂
どうせ死ぬのなら、早く死ねばいいのに、どこまでも迷惑な女だ。
何の役に立てないどころか、こんなに良い人にあらぬ手間をかけさ
せている。
﹁⋮⋮⋮侯爵様は、奥様を愛しておられますか﹂
﹁もちろんだ﹂
﹁三人もお子様がいらっしゃるのですから、そうですよね。じゃあ
駄目ですね。数々のご恩を、この身体でお返ししようと思ったので
すが﹂
﹁だからっ、もっと自分を大事にしろというのがわからないのか!﹂
451
﹁⋮⋮⋮と、怒られる気がしたので、今まで言いませんでした。す
みません﹂
ヴェロニカはくすりと笑った。
﹁侯爵様のお子様なら、きっとみんなかわいらしいのでしょうね。
私の子供たちも、生まれることさえできていたら⋮⋮⋮いえ、駄目
ですね。私が育てられたとも思えませんし、あの町長に奪われてい
たらと思うと、ぞっとします﹂
﹁子供が好きなのか?﹂
﹁好きというか。産んであげられなかったのが、悲しくて。罪悪感
みたいなもので、執着してしまっているのだと思います﹂
甘いミルクを一口含んで、ヴェロニカはほうっと溜息をついた。
なんて落ちつく味だろう。町長の屋敷にいた頃も、何かしら口にし
ていたはずだが、何を食べて生きていたのやら、全く思いだせない。
しかし、その中にホットミルクはなかった。断言できる。
﹁⋮⋮⋮侯爵様。先程私に、これからどうしたいかお尋ねになりま
したよね﹂
﹁ああ﹂
﹁どうしたいか、そう聞かれても、死ぬしかない私には、明るい未
来は描けませんでした。でも、一つだけ、夢のような願いがありま
した。⋮⋮⋮母に、なりたかったんです﹂
ぽろりと、おさまったはずの涙が、一つ零れた。
﹁この腕に、あたたかな我が子を抱けたなら。何一つ親孝行のでき
なかった両親に、孫を遺すことができたなら。もう、思い残すこと
はありません﹂
452
このぼろぼろの身体では、もう授かることすらできないかもしれ
ない。しかし、少しでも可能性があるのなら。産むことが、許され
るのなら。この命と引き換えになろうとも、本望だった。
﹁侯爵様、︱︱︱私の子の父になってください﹂
ヴェロニカはコンラートの前に跪いた。貴族に対する作法を、ヴ
ェロニカは知らない。だから、神に祈るように、両手を胸の前で組
み合わせて、驚きで動けない男を、真っすぐに見上げた。
﹁厚かましい願いだと、重々承知しています。愛する奥様を裏切ら
せるなんて、とんでもないことだとわかっています。私は、侯爵様
の優しさに漬け込む、罪深い女です。私の子だから、もしかしたら、
とんでもない淫乱が生まれるかもしれません。そうなっても、私は
責任がとれません。でも、それでも、お願いいたします。私の子を、
どうか、侯爵様の愛情で、幸せにしてあげてくださいっ⋮!﹂
この身体で、数多の男を誘惑してきた。この身体は、普通とは違
う。普通の娘は、こんな、花の香りをまとってはいない。全身で、
男を誘いはしない。
接吻一つで、男はヴェロニカに夢中になる。愛欲の虜にすること
ができる。
最初は、望んでのことではなかった。しかし、拒みもしなかった。
両親を殺され、捕らえられて、初めて己の罪を知った。
身体を蝕む毒︱︱︱これは、罰だ。
453
罪深い自分。そんな自分が生み出す子。この子にも、罪は背負わ
されてしまうのだろうか。
﹁赤子に罪などあるものか。あるとしたら、それは私と君が背負う
ものだ﹂
﹁なぜ侯爵様まで。誘惑して、押し倒したのは私ですよ﹂
﹁子は一人で作るものではない。私はこの子の父だ。それが、親の
責任だ﹂
優しい侯爵様。なんてお人好しだろう。
少しずつ膨らんでいく腹。命が育っている証。大切に、大切に。
慎重に、慎重に、育んだ。身籠ることができたとはいえ、ヴェロニ
カの身体がぼろぼろであることに変わりはない。信用できる医者に
毎日診てもらい、有名な産婆に話を聞いて、出産に関する本を何冊
も読んだ。何年ぶりかという読書だったが、意外と忘れないものら
しい。文字を教えてくれた父に感謝した。
﹁侯爵様。そろそろ半年ぐらい経つと思うのですが、ご自宅にお帰
りにならなくて大丈夫なのですか。私の町の事後処理は終わったの
ですよね?﹂
今ヴェロニカが暮らしているのは、ペルレ侯爵家の所有する館の
一つだ。窓の外には長閑な田園風景が広がる、静かな場所。ヴェロ
ニカは故郷で様々な恨みを買っているし、町長が変わってごたつい
454
ているため、身体を休められる場所に移ってきた。︱︱︱コンラー
トと共に。
﹁そう⋮⋮だな。一度、戻らなければなるまい。この子を育てるた
めに環境を整えなければならないし、相応の準備もある﹂
ヴェロニカは驚いた。
﹁侯爵様のお屋敷で育てていただけるのですか?﹂
﹁そうしたいと思っている。もちろん、妻の許可をとらなければな
らないが﹂
﹁⋮⋮⋮反対されたら、無理はなさらないでください。私のせいで
侯爵様と奥様が仲違いなどしてしまったら、お子様たちに申し訳あ
りません﹂
父親に愛情を注いでもらえるなら、それが一番いい。しかし、ヴ
ェロニカのわがままで侯爵様の子供たちが不幸になったら、またこ
の子が業を背負ってしまうことになる。不幸にするために生み出す
わけではないのに。幸せに、なってほしいのに。
﹁大丈夫だ。妻はとても愛情深い人だから﹂
﹁手元で育てるのが難しければ、この子は里子に出してください。
私が言うのはおかしいでしょうが、奥様とお子様たちのことを第一
に考えてあげてください﹂
コンラートの子は、三人とも男の子であるらしい。
455
﹁男の子なら、クルト。女の子なら、シェリル。どちらも両親の名
前です。両親は私のせいで殺されてしまいましたが⋮⋮⋮今度こそ、
幸せになってくれるように﹂
もしこの子が、女の子だったら。ヴェロニカと同じ体質の娘が、
生まれたら。
﹁幼い頃は、私も普通の子供でした。普通に友達と遊んでいたし、
普通に学んでいました。性的な意味で異性に触れられたことはあり
ませんでした。それが変わったのは、身体が育ってきてからです。
自分ではわからなかったのですが、花の香りがすると言われるよう
になりました。花など、触ってもいないのに﹂
ヴェロニカの育った環境に、香水などなかった。香りのもとは、
ヴェロニカ自身。
﹁太古、この地には花の民と呼ばれる種族がいた。彼らはその身に
花の芳香をまとい、体液は蜜の味がしたという﹂
﹁両親は普通の人間でした。私は、両親の子ではないのでしょうか
?﹂
﹁いや。私達フリューリング王国の民は、花の民の末裔だ。誰であ
ろうと、多かれ少なかれ彼らの血が流れている。君はたまたまそれ
が濃く出てしまったのだろう﹂
﹁そんな⋮⋮では、やはり、この子も﹂
ヴェロニカの血を継いで生まれているということは、力も受け継
いでいる可能性が高い。もし、女児だったら︱︱︱考えるだけで恐
ろしかった。自分の味わってきた地獄が、この子にも振りかかった
ら。
456
﹁大丈夫だ。私が守る。この子を君のような目に合わせはしない﹂
﹁お願いします、侯爵様。この子がもし女の子だったら、この子に
男性を近づけないで。父が私をそのような目で見ることはありませ
んでしたが、血の繋がりのない男性は、この香りに抗えないから﹂
薄れゆく意識の中で、産声を聞いた気がする。
今度こそ、死ぬのだろう。
随分と長生きしてしまった。
ほら、シェリルだ!
︱︱︱私
死んだら両親に謝りに行きたいと思っていたが、そもそも同じ場所
にいけるのだろうか。
罪深いこの身は。この、命は。
しっかりしろ!
無様に地獄に堕ちるのが、お似合いかもしれない。
﹁ヴェロニカ!
達の子だぞ!﹂
︱︱︱シェリル。
女の子。
コンラートが腕に抱かせてくれた命は、とてもあたたかかった。
生きて、いた。
﹁しあわせに、なって﹂
457
それだけで、わたしは
458
母の願い︵後書き︶
12/7/19追記
伝言を知らないとヴェロニカの心理が伝わりにくいとのコメントが
あったので、前書きに入れてみました。
ブログには書いてたのですが、だいぶ記事が下の方になってしまっ
たし、この話を読みながら聞いてもらいたいので。
﹃/﹄の力で検索に引っ掛からないことを祈ります。
459
娘の想い
うっそうと茂った大樹の根元に、小さな墓石が一つ。質素なそれ
を彩るように、幾許かの菫が咲いていた。
﹃ヴェロニカ・フローリィ﹄
墓石の前に花を手向けて、シェリルは草の上に腰をおろした。
母の墓は、ペルレ侯爵領にある別邸の裏庭にひっそりと建てられ
ている。愛人だからひっそりと葬られているのだと思っていたが、
ここで眠りにつきたいと願ったのは母本人であったらしい。ペルレ
侯爵家の本邸にも、故郷の町にも、母の居場所はなかったのだろう。
﹁⋮⋮⋮お久しぶりです、お母様。何年も全然顔を見せなくて、ご
めんなさい﹂
この別邸でシェリルは生まれ、母は死んだ。
父はほとんど屋敷からシェリルを出さなかったが、ここには毎年
連れてきてくれた。最初は確か、五歳の時。物心ついてから初めて
の遠出だった。シェリルはここで父と二人きりで数日を過ごし、母
の墓を参った。
当時はこの下に母が眠っていると言われても、全然理解できなく
て、父に言われるままに花を供え、安らかに眠れるようにと祈った。
幼い頃は毎年そうして参っていたが、姫様の侍女になってからは
460
足が遠のいていた。自分の立場を理解するにつれて、どんな顔で来
ればいいのか、わからなくなってしまったから。しかし、父は今で
も毎年欠かさず参ってくれているらしい。
シェリルが生まれた日は、母の命日でもある。だから父は毎年、
命日の数日前に墓参りをすませ、誕生日は盛大に祝ってくれた。だ
からシェリルは、己の誕生日を疎んだことはなかった。贈り物を受
け取るたびに、自分は生まれてきても良かったのだと思えた。誕生
日を祝ってもらえるのは、とてもありがたいことなのだと思う。
﹁あのね、お母様。私、いつも疑問に思っていたの。どうして私は
生まれたんだろうって。⋮⋮⋮でも、いくら考えてもわからなかっ
た。否定されるのが怖くて、お父様には聞けなかった。⋮⋮臆病だ
ったの﹂
ユーリウスに貰った勇気で、思い切って尋ねたら、父は簡単に教
えてくれた。母の遺言と、父の思いを。あんまりあっさり教えてく
れたものだから、もっと早く聞けば良かったと、拍子抜けするほど
だった。
﹁今まで伝えられなくて悪かったって、逆に謝られちゃった。お父
様、口下手な方だから、どうやって言えばいいかわからなかったん
だって。でも、私、ちゃんと知ってるの。⋮⋮知ってたの。お父様
の大きな手は、とてもあたたかくて優しいことを﹂
幼い頃、膝の上に抱き上げて、頭を撫でてくれた手。厭われてる
なんて感じたことはなかった。でも、シェリルは不安だった。父が
侯爵夫人様と兄弟達と一緒にいるところを見るたびに、心がざわつ
いた。
461
﹁私、臆病だから、そんなわけないって知ってるのに、いつか捨て
られるかもしれないって考えを、どうしても捨てられなかった。だ
って、悪い方に考えておいた方が、楽なんだもの。目の前の幸せを
無条件に信じ続けるには、私は弱かった﹂
上品で、優しくて、あたたかくて、賢くて。およそ非の打ちどこ
ろのない侯爵夫人様は、シェリルの理想そのものだった。愛は競う
ものではないが、勝ち目はないと、諦めてしまうほどに。
﹁屋敷に戻ってすぐ、侯爵夫人様とお話ししたの。会話は何度かし
たことがあったけど、お互いの胸の内を言葉にしたのは初めてだっ
た。侯爵夫人様⋮⋮私に、謝ってくださったの。﹃不安にさせてご
めんなさい﹄って。わ、私のこと、本当の娘のように思ってるって、
言ってくださって⋮っ⋮⋮私、嬉しくて、勝手に卑屈になっていた
自分が恥ずかしくて、泣いてしまった﹂
侯爵夫人様の微笑みと、その言葉を思いだすだけで、胸の奥が熱
くなる。滲んできた涙を拭って、シェリルは気持ちを落ち着かせる
ために深呼吸した。
﹁こんなに素晴らしい家族に恵まれて、私、とんでもない果報者だ
わ。侯爵夫人様も、お兄様たちも、私を受け入れた時点で、お母様
のことも受け入れてくださっていたんだって。誰も、お母様のこと
恨んだりしてないんだって。オスカーお兄様なんて、私を産んでく
れたことで、お礼を言いたいぐらいだって⋮⋮言って﹂
幼くして妹を得たニコラウスとオスカーはまだしも、マティアス
はシェリルが生まれた時にはもう妾腹の意味をわかっていたのに、
とてもかわいがってくれた。フィリップは、出自の低い異母姉を、
掛け値なしに慕ってくれた。
462
﹁⋮⋮⋮お父様も、侯爵夫人様も、お兄様たちも、こんなに私のこ
と大事にしてくれているのに、心の底で、いつか捨てられるかもし
れないって思ってた。だから、血の繋がりがないのに好きだと言っ
てくれるユーリ様に縋っていたの。姫様のもとに居れば、もしお父
様に捨てられても大丈夫だって、そんな打算的なことを考えながら、
働いてた。⋮⋮⋮だから、罰が下ったのかな﹂
大人しく父に守られていれば、あんな目に合うことはなかっただ
ろう。全てはシェリルの浅はかさが招いたことだ。
﹁私はいいの。全部、自業自得だから。でも、お父様やユーリ様や
姫様に、たくさん迷惑と心配をかけてしまったのが申し訳なくて、
胸が苦しかった。死にたいって、何度も考えてしまった。⋮⋮⋮ご
めんなさい、お母様。私、全然わかってなかった﹂
母がなぜシェリルを産んだのか。父がなぜシェリルを慈しんでく
れたのか。
﹁ユーリ様が、教えてくれたの。愛することの、その意味を﹂
答えはそこにあった。とっくに知っているはずだったのに、当り
前のように受け取っていて、わかっているつもりになって、まるで
理解していなかった。
﹁お母様⋮⋮⋮私、幸せだよ﹂
母は我が子を望んだが、花の民の血を遺すことを、同時に憂えて
もいたのだと言う。シェリルは確かにその血を継いでいるが、母と
違い、幸せな家族と、愛する人を得ることができた。
463
これで、母の願いは叶ったのだろうか?
そうであれば良いのだが、母を知らないシェリルには、これ以上
を察することはできない。
しかし、それでも一つだけ。これだけは、確かに言える。
﹁私を産んでくれて、ありがとう﹂
464
父の想い
小さな墓石に花を手向けて、男はその前に腰をおろした。
﹁シェリルももう、君があの子を生んだのと同じ歳になった。月日
が経つのは早いものだな﹂
赤子は幼子になり、幼子は少女になり、少女は一人の女となった。
娘は愛する男を見つけ、父のもとから巣立っていった。
﹁私も妻も、相応に歳をとった。爵位は長男に譲ったし、夫婦でこ
の館に隠居しようと思うんだが、構わないだろうか﹂
ペルレ侯爵家の墓には入れずとも、本邸の隅に埋葬することは可
能だったし、故郷の町で眠るなり、選択肢は沢山あった。しかしヴ
ェロニカは、出産までの日々を過ごした館の裏に、ひっそりと葬ら
れることを望んだ。
﹃死んだ後ぐらい、一人で静かに眠りたいです﹄
生きることに疲れた女の言葉と解釈できなくもないが、これが、
ヴェロニカなりの自分への罰だったのだろう。彼女はシェリルの幸
せを望みながら、自分のことは罪人として扱っていたから。
﹁君が私を利用したことを後悔して、毎日のように教会で懺悔して
いたことは知っている。使用人達の大半は安産祈願だと思っていた
ようだが、幾多の子を取り上げてきた熟練の産婆の目は誤魔化せな
かったな﹂
465
ヴェロニカが悩んでいることはわかっていた。しかし、心労を和
らげようにも、当時のコンラートが何を言っても、ヴェロニカは静
かに微笑うだけで、自らの考えを改めようとはしなかった。
﹁約束したのに、シェリルを守りきれなくて済まなかった。⋮⋮⋮
七年前から毎年同じことを言っているが、まったく足りる気がしな
いんだ。⋮⋮⋮君も同じ気持ちだったんだろう。だが、シェリルは
幸せになったよ。君も見ただろう?﹂
ユーリウスと結ばれてから、シェリルは幼い頃のように、屈託な
く笑うようになった。
辛さと苦しみの末に掴んだ幸せが彩る微笑みは、親の目から見て
もとても美しい。
﹁近いうちに妻も連れてこよう。君に色々と話したいことがあるそ
うだから、覚悟しておくといい。物静かな女性だが、昔の思い出話
をさせると長いんだ。特に子供達の話は尽きることがないぐらいだ﹂
ヴェロニカが生きていれば、ヤスミーネは良い友達になってくれ
ただろう。
自虐癖のあるヴェロニカは、その情の深さに圧倒されたかもしれ
ない。
生きてくれてさえいれば︱︱︱意味のない仮定。
それを言ってしまえば、死者に話しかけ、冥福を祈ること自体、
生者の自己満足だろう。
﹁これでもまだ自分を罪人だと思うか?﹂
466
当然、答えは返らない。しかし、コンラートは、なんとなくヴェ
ロニカが戸惑っているような気がした。
﹁贖いの時は終わりだ。もう、楽になっていい﹂
467
父の想い︵後書き︶
捕捉:ユーリウスがシェリルを迎えにくるまでに七年もかかるわけ
ではありません。
コンラートがマティアスに爵位を譲るタイミングとして、シェリル
がヴェロニカと同い年になったら∼と考えていただけです。
468
SS集その1︵前書き︶
王弟が出てきますが、BL要素はないはずです。たぶん。
469
SS集その1
SS1 日常風景
近衛騎士団において、エルヴェは﹃主なき刃﹄と呼ばれている。
冷たい男だ。氷は融ければ水になるが、あれは融けない。冷たく
無機質な、人を傷つけるだけの鉄の塊。自分達の扱うこの剣のよう。
ただし、持ち主がいない。ただの凶器だと。
まったくもって失礼な物言いである。それではまるで、無差別殺
人の凶悪犯のようではないか。
エルヴェは仕事以外で人を殺したことはない。自分達だって、命
令という大義名分のもとに人を斬るくせに、エルヴェのことを言え
るものか。
︱︱︱ま、別に構いませんが。
影でどう呼ばれようが、どうでもいい。そうしてエルヴェはさく
っと思考を終わらせた。
﹁少しはっ、真面目にやったらどうだっ!﹂
﹁俺はいつでも大真面目です、殿下﹂
﹁嘘つけっ!!﹂
﹁これが俺の真面目なんです。ご存知でしょう﹂
470
刃を潰した練習用の剣を右手に持ち、次々と繰り出される剣を受
け流していく。
手は抜いていないのだから、真面目という言葉は嘘ではない。真
剣勝負や御前試合ならもう少し必死なふりをするが、ジェラールの
鬱憤晴らしに付き合わされているだけなのに、表情にまで気合を入
れるなんて面倒くさいだけだ。言っても誰も同意してくれないだろ
うが。
ギィンッ!!
ぎりぎりと鍔元で力比べを繰り広げる。間近に見えるようになっ
た王太子の頬は、すっかり腫れがひいて元の滑らかな肌に戻ってい
た。長々と筋肉を使い続けるのもしんどいので、力を込めて一気に
押し返し、殿下の剣を弾き飛ばした。
ああくそっ!
汗をかいたら余計にむしゃくしゃした
﹁はい、俺の勝ちです。まだやりますか?﹂
﹁やらん!
!﹂
書類仕事のストレス解消のために、いきなり訓練所に乱入してき
たくせに、なんとも理不尽である。しかし、よくあることなので、
近くで訓練している連中は見て見ぬふりをしていた。苛立つ殿下に
下手に近づいて、絡まれたらたまったものではないからだ。
エルヴェは楽勝したが、ジェラールが弱いわけではない。筋はい
いし、体格にも恵まれているため、正式な試合をすれば、この場に
いる半数ぐらいは倒せるはずだ。むしろ、日々訓練を欠かしていな
い近衛騎士が、室内で書類に向かっている時間の方が長い王太子に
471
剣で負けることの方が問題である。
側近がジェラールにタオルを差し出す。それを受け取り、ジェラ
ールは尊大な態度で壁際の椅子に腰かけた。
﹁おい﹂
﹁はい、殿下﹂
呼ばれたので、御前に参じる。訓練中なので、剣を打ちあわせる
音や指導の声で程良くうるさい。内緒話に問題はないだろう。
﹁何事もなかったのか?﹂
﹁どういう意味でしょう?﹂
﹁命を狙われるようなことはなかったのかと聞いている﹂
﹁ありませんでした。いたって静かで、ちょっと拍子抜けしました
ね﹂
紫水晶の瞳の、美しい青年を思い出す。近衛の一員として、使節
団の要人の護衛についていたエルヴェに、一瞬だけ殺気のこもった
視線を向けてきた青年。あれが﹃ユーリ様﹄か、意外と面食いなの
だなと感心しながら眺めていた。
﹁ふん。お前が一番殺しやすかっただろうに。まぁ、殺されなくて
良かったな﹂
﹁心にもないことを。もし俺が殺されていたら、殿下は嬉々として
犯人を糾弾なさったでしょう﹂
﹁当然だ。またとない弱みだぞ。相手が馬鹿でなかったのが残念で
ならん﹂
愛する少女を穢され、激昂してジェラールに剣を向けるような短
472
絡的な相手だったら。そんな人間が国の要人なら、フリューリング
王国を滅ぼすのは簡単だったろう。
もし刺客を差し向けられていたとしても、ジェラールには悪いが、
エルヴェは表沙汰にするつもりがなかった。戦争になったら面倒だ
から。剣を振るうのは嫌いではないが、暗殺を警戒し、常に緊張し
ているのは疲れる。平和が一番だ。
﹁⋮⋮⋮お前、本っ当に変わらないな。あの娘を気に入っていたの
ではないのか?﹂
﹁気に入っていましたよ﹂
﹁身体を?﹂
﹁もちろん﹂
﹁つらまんな。恋にトチ狂って慌てふためくお前を見てみたかった
のだが﹂
﹁相変わらず素晴らしいご趣味ですね、殿下。確かに好ましく思っ
ていましたが、あの少女は俺にとって不可欠なものではないのです。
いれば抱きますが、いなくても問題はありません﹂
正直に答えると、ジェラールは残念そうな溜息をついた。
﹁相変わらずの冷血ぶりだな。よもや、お前の中には氷が流れてい
るのではあるまいな﹂
﹁正真正銘の人間です﹂
答えたら、ものすごい疑わしげな目で見られた。あの娘のように
特異な力があるならまだしも、素行だけでそこまで言われるとは、
なかなかに心外である。
473
++++++++++
SS2 王弟の天使
僕は心優しくなんてない。
ただ臆病なだけなんだ。
本当は気付いているんだ。
︵ユルシュルは僕を利用していた︶
誰も気付いてくれないんだ。
︵僕は絶望したんじゃない。ただ、逃げただけなんだ︶
﹃なんて愚かな﹄
﹃あんな女に騙されるなんて﹄
474
﹃滑稽﹄
﹃間抜け﹄
人々の顔が嘲笑に歪む。
それらに耐えられなくて、僕は狂気に身を委ねた。
﹃おかわいそうに﹄
﹃おいたわしや﹄
こうしていれば、誰もが僕を憐れむ。
蔑みを感じなくて済む。
夜になると不安定になるのは、卑怯な自分と向き合うのが怖いから
だ。
なんて醜い。
なんて汚い。
ああ、なんておぞましい。
きたない自分に、自分自身が耐えられない。
ああ、消えてなくなってしまいたい。
こんな身体、さっさと朽ちてしまえばいいのに。
兄上はどうして僕を殺してくださらないのだろう。
殺せないのなら、せめて辺境にでも放逐してくださればいいのに。
優しくされると余計に辛い。
﹃殿下、愛しています﹄
かわいいティエリー。
君はとても賢い子だから、僕の真実にとっくに気が付いているだろ
う。
475
それでも君は僕の側にいるのだね。
僕が死ぬまで側にいてくれるのだね。
ユルシュル、君を愛しているよ。
︵愛していたよ︶
ティエリー、君を愛しているよ。
︵愛しているよ︶
﹃殿下。本当によろしいのですか?﹄
いいんだ。
君がいてくれるだけで、僕は幸せなんだ。
﹃でも、殿下﹄
僕はもうすでに満たされているから、これ以上を望まない。
でも、ティエリーはそうではないらしい。
僕のような狂人に仕えているのだ。
不満があって当然だろう。
﹃ああはいはい、ごめんなさい。もう言いませんから、泣かないで
ください﹄
新たに妃を迎えたりして、代わりにティエリーがいなくなってしま
ったら、僕は今度こそ死ぬ。
死んでしまう。
死にたいんだ。
死にたいはずなんだ。
なのに、ティエリーは手放したくない。
476
なんて我儘な男だろう。
とびっきり音
愛してますよー、殿
﹃僕は殿下一筋ですって。何度言ったら信じてくれるんですか。そ
れとも前に言ったことを忘れてるんですか?
下。聞こえてますかー?﹄
ティエリー、ティエリー。
なんて優しい子だろう。君は、僕の天使だよ。
﹃はいはい。なんなら讃美歌でも歌いましょうか?
痴なやつを﹄
神様、ありがとうございます。ティエリーを僕のもとへ遣わしてく
れて。
﹃でも、惜しいことしたなぁ。ここに××××がいたら、最高だっ
たのに﹄
はここでは幸せになれない。
駄目だよ、ティエリー。
あの子
巻き込んではかわいそうだ。
﹃ねえ、殿下。僕と××××、どっちが良かったですか?﹄
そんなの、決まってる。
477
++++++++++
SS3 側近の苦労
彼の主である王太子は、とても有能な御方である。
心身ともにご健康だし、頭は切れるし、カリスマ性もある。国の
ことを思う気持ちも申し分なく、施政者としては頼もしい。ただ、
ちょっとばかし悪い癖があって、それが唯一の難点なのだ。
よく言えば、﹃遊び心に溢れている﹄。ぶっちゃけてしまうと、
﹃弄び心に溢れている﹄。
普通に遊ぶだけなら良いのだ。狩猟であれ、芸術品の蒐集であれ、
恋愛であれ、剣術であれ、勉学であれ。それだけなら、彼は微笑ま
しい目で見守っただろう。それがいつの間にやら﹃賊狩り﹄や﹃芸
術と名がついたガラクタ集め﹄や﹃女漁り﹄になっていて、気付い
た時には手遅れだった。
478
なんですか﹃賊狩り﹄って!?︱︱︱否、知りたくはない。連れ
て行って欲しくもない。ただ、これが苦言を呈さずにいられようか。
﹁王宮の奥で守られているべき王太子が自ら辺境に賊を討ちに行く
必要がどこにあるんですか!﹂
﹁必要はない。退屈しのぎだ﹂
﹁ほほう。退屈するような暇があるなら、もっと執務の時間を増や
しても問題ありませんね﹂
ならず者を相手に剣を振りまわすのが趣味ですか!﹂
﹁人間、ストレスが溜まると趣味に走りたくなると思わないか﹂
﹁趣味!
﹁適度な運動は必要だぞ﹂
﹁一カ月も不在にしておいて適度もクソないでしょうがっ!!﹂
少しでも面白ければ内容は問わないのがジェラール殿下である。
熱しやすく冷めやすいくせに、妙なところで凝り性だから困る。な
ぜそこを拘られますか?︱︱︱何度問うたところで、返ってくる答
えは一つしかなかった。
﹁面白いからだ﹂
⋮⋮⋮はぁ、左様でございますか。
とりあえず、賊狩りだけはやめさせた。殿下の身の安全を確保す
るのが大変だし、近衛騎士団から﹃殿下をお守りするのが我々の仕
事ですが、自ら危険な場所に出向かれるのはおやめください﹄﹃お
願いしますもう勘弁してください﹄等々の嘆願書が山ほど届いたた
めだ。施政者として、下々の意見には耳を傾けるべきだろう。って
いうか、そもそも誰も賛成してないし。
そんなこんなで殿下の突発的行動に慣らされてしまった彼は、ご
479
成婚からわずか二ヶ月で何の前触れもなく側室を迎えられた時も、
呆れの溜息をつきこそすれ驚くことはなかった。女漁りは一段落し
たと思ったのに、まだ飽きてなかったのか。今度はちゃんと人間で
あるらしいが、酔狂な。
﹁どこで拾ってこられたんですか﹂
﹁妃の部屋﹂
まずは一拍。理解が及ぶと同時に、頬が引きつった。
﹁⋮⋮⋮ちゃんと本人の了承と妃殿下の許可は頂いたんですよね?﹂
﹁もちろんだとも﹂
絶対嘘だ。きらめく笑顔が語っている。
﹁今度は何を企んでおられるんですか!﹂
﹁別に。エルヴェの血がどれほど冷たいか確かめてみたいのが一つ
と、そろそろ従順なだけの妃にも飽きてきたから、少し遊んでやろ
うと思っただけだ﹂
エルヴェはともかく、大国を後見に持つ妃殿下で遊ばないで欲し
い。心臓に悪い。
︵これは、さすがの妃殿下も怒るんじゃ⋮⋮︶
数日後、頬を腫らした仏頂面の王太子と、ただならぬ怒気を振り
まきながら微笑む妃殿下の姿を目の当たりにして、彼はこっそり溜
息をついた。
﹁ああ⋮⋮⋮やっぱり﹂
480
﹃いつかこうなるだろう﹄と最初から思っていたなんてことは、
主には口が裂けても言えそうにない。
481
SS集その1︵後書き︶
もし花末が恋愛シミュレーションゲームだったら⋮⋮。
エンディングその1:ユーリウスの正妻になる
様々な障害を乗り越え、晴れてユーリウスと結ばれる。
結婚してからは領地に引きこもって二人でラブラブ、毎日が蜜月。
二人は末永く幸せに暮らしましたとさ、で物語は終わる。
別名﹃ハッピーエンド﹄、もしくは﹃グッドエンド﹄
エンディングその2:実家で父と兄夫婦と暮らす
静かに平穏に暮らしながら、ずっとユーリウスを想い続ける。
この場合、シェリルは一生独身、ユーリウスは婚約者と仮面夫婦
になる。
時々会って身体を重ねる、いわゆる愛人関係。
別名﹃ノーマルエンド﹄、もしくは﹃無難エンド﹄
エンディングその3:略奪婚
エルヴェに無理やり妻にされて泣き寝入り。
結婚しても変わらず自分勝手な男に反発しつつ、十年後ぐらいに絆
される。
一生姫様に仕え続けるが、ユーリウスには二度と会わない。
別名﹃鬼畜エンド﹄
エンディングその4:出来ちゃった婚
子供のために仕方なくティエリーと結婚する︵サミュエルの妃に
なると継承権の絡みでややこしいため︶。
この場合、シェリルは夫婦でサミュエルに仕え、夫婦でサミュエ
482
ルの相手をすることになる。
サミュエルが死んでからは夫と子供とほのぼの暮らす。
別名﹃狂人エンド﹄
エンディングその5:自害
ジェラールによる監禁凌辱の日々に耐えきれず、自害。
姫様を崇拝しているシェリルがジェラールと結ばれることはあり
えないので、
助け出されなければこうなっていた可能性は充分にある。
別名﹃バッドエンド﹄
483
願いと決意*︵前書き︶
フリューリング王国への帰国道中、とある夜のお話︵ユーリ×シェ
リル︶。
484
願いと決意*
このまま時が止まればいい。このまま、ずっと。愛しい人の腕の
中にいられたなら。
﹁ユーリさま⋮﹂
身の内にユーリウスを受け入れて、シェリルは﹁ほう⋮﹂と溜息
をついた。肌で感じる体温と、少し早めの鼓動に、とても安心する。
背にすがりつく腕に力をこめると、ユーリウスが微かに息を詰めた。
﹁っ⋮⋮。はは、油断してたら根こそぎ搾り取られそうだな﹂
﹁あ、⋮ごめん、なさい。私、そんなつもりじゃ﹂
﹁謝ることじゃない。シェリルが僕で感じてくれてるってことなん
だから﹂
﹁はい⋮⋮気持ちいいです⋮﹂
入念にほどこされた前戯のせいで、すでにとろけてしまいそうだ。
ユーリウスは、ただ欲望のままに身体を繋げるだけではなく、きち
んと身も心も感じさせてくれる。ユーリウスの手は、優しい。⋮⋮
好き。
﹁︱︱︱じゃあ、もっと気持ちよくしてあげる﹂
﹁え⋮?︱︱︱ゃッっ﹂
根元まで挿入されていたものが一気に引き抜かれて、びくっと身
体がしなった。腰のくびれが掴まれ、まっすぐに穿ちこまれる。
485
﹁あぁっっ!!!﹂
熱い楔に貫かれる快感。ゾクゾクと肌が泡立った。
﹁︱︱はぁ⋮ん⋮っ﹂
﹁かわいい声⋮⋮もっと、聞かせて?﹂
悶えるシェリルに、ユーリウスはさらに挿入を繰り返した。軽く
達してしまい、余韻で身体に力が入らないシェリルは、されるまま
揺さぶられるしかない。
濡れそぼつ秘所が発する湿った音。肌と肌が接する乾いた音。一
度は収まりかけた炎が、風に煽られて燃え上がる。官能の熱が、血
あ、うっ!
あぁぁっっ!﹂
管を流れて身体中に染みわたっていく。
﹁ぁんっ、あんっ!
身体の中を、太く熱い楔が出入りする。そのたびに、蜜でとろけ
た花弁がぐぷっ、ぐぷっと泡立った。
﹁もう少し声を抑えないと、隣の部屋に聞こえてしまうよ⋮?﹂
﹁っ︱︱︱んんっ、ぅっ!﹂
咄嗟に手で口を押さえるも、律動は止まらず、抑え込むことがで
きない。ユーリウスに割り当てられる程の部屋だからベッドは粗末
ではないが、ここまで激しい動きは想定されていないのか、ユーリ
ユー、リゥスっ!
ァ、っん︱︱︱っ!⋮こんなの、
ウスが腰を振るたびにギッギッと軋んだ。
﹁んふっ!
おさえ、きれなぁっ﹂
486
咄嗟にあがりかけた嬌声は、手の平のかわりに唇で塞がれた。密
着する肌と肌。シェリルはユーリウスの首に手をまわし、全力で縋
りついた。揺さぶりが激しさを増す。
﹁んっ、ん、ン、んッ⋮んんっ⋮!﹂
口の中で舌が絡まる。あられもない声をあげずに済むのはありが
たいが、こんなに激しくされたら息が出来ない。苦しさにもがくと、
唇は離れたが、同時に性感帯を突きあげられ、喉から甲高い嬌声が
飛び出した。
﹁ぁああぁぁぁ︱︱︱っ!!!﹂
がくがくと背を震わせながら、根元まで銜えこんだユーリウスの
ものを締め付けた。一拍遅れて、ユーリウスが精を放つ。ドクドク
と身体の中で熱いものが脈打つのを感じながら、シェリルは一切の
力を失った。
﹁はぁっ⋮、はぁっ⋮﹂
﹁シェリル⋮っ﹂
萎えたものが抜かれ、ようやくシーツに身を委ねることが許され
る。息をするだけで精一杯のシェリルを、ユーリウスは自らの腕に
抱え込んで、ベッドの天版に背を預けた。シェリルが早く落ちつけ
るよう、背をさすってくれる手が心地良い。
﹁はぁ、⋮っ⋮⋮ユーリ、さ⋮﹂
﹁喋らなくていい﹂
487
じっとりと汗にまみれた身体が重なり、静まり返った寝室に吐息
だけが木霊する。触れた肌で感じる、ユーリウスの鼓動。いつもよ
り、早い。ユーリウスもまた、感じてくれていたのだとわかる。
﹁ユーリさま⋮﹂
シェリルはとろりと瞼が落ちるのを感じた。
神様、どうか。
この安らぎだけは奪わないでください。
浅ましい願いだということは承知しています。
この人を自分のものにしたいなど、厚かましいことは申しません。
だから、どうか。
今だけは。
この束の間だけは。
この幸せにまどろむことを、お許しください。
穏やかな寝息が聞こえてきたのを確認し、ユーリウスはシェリル
をベッドに横たえた。まだ情事の余韻の残っていて、ほんのりと赤
く染まった頬も、艶めいた唇も、目元を濡らす涙の痕も、全てが艶
めかしい。
﹁シェリル⋮﹂
488
愛しい。⋮⋮⋮犯したい。
慈しみたいという想いと、獣じみた衝動。同時に感じるにしては、
まるで相反するような気がしてならない。
人を愛するのに、なぜ肉欲が伴うのだろう。いっそのこと根こそ
ぎなくなってしまえば、シェリルを苦しませずに済むのに。
シェリルがユーリウスとの行為を嫌がったことはない。恥じらい
ながらも受け入れてくれる。妾腹の子であるがゆえの劣等感と、花
の民の血がもたらした苦境は、元より控えめだったシェリルをさら
に卑屈にした。
使節団の帰国の道中。ユーリウスは片時もシェリルを放さなかっ
た。移動の間は常に同じ馬車に乗せ、休憩の際にも傍から離れるこ
とを許さず、宿では同じ部屋で休んだ。シェリルは愛人と揶揄され
たが、黙殺した。
侍女として公的に連れ帰るのが正しいと、頭では理解していた。
しかし、花の民の血が目覚めたシェリルを、ユーリウスの目の届か
ない場所に居させることは危険だと、紹介した瞬間に悟らされた。
使節団の面々に挨拶するシェリルに、数多と向けられる好奇の視
線。不埒な目玉を、根こそぎ抉り取ってやりたくなった。ペルレ侯
爵家の所縁の者と紹介してなおこの有様だ。このまま手を放したら、
ノルエスト王国の二の舞になることが容易に想像できたので、半ば
無理やり同じ馬車に乗せた。
もちろんクサヴァーも同乗しているし、周囲の目がある中で不埒
489
な真似をするはずもない。しかし、馬車という狭い密室と、ユーリ
ウスの態度が、ただならぬ関係を匂わせてしまったらしい。初日の
宿に着く頃にはすっかり愛人関係を疑われていたので、ユーリウス
はあえて開き直った。
今さら否定したところで、誰も信じやしない。ならば、横槍を入
れる気にもならないぐらい見せつけてやる。
同じ部屋に泊めたが、わざわざ女を買う者もいるぐらいだから、
抱くこと自体は咎め立てられない。唯一の懸念は、このことが父の
耳に入ることだが︱︱︱今さらだ。どうせ、隠し通すことはできな
いのだから。
これまでにも再三言われてきた。身分が釣り合わない、若さゆえ
の一時的な気の迷いだ、馬鹿なことは考えるなと。本気だと言い返
したら、シェリルの身の危険を匂わされたから、断腸の思いで我慢
した。身分違いの恋を貫いて、辛い思いをするのはシェリルの方だ
ということは理解していたから、耐えた。
しかし、シェリルはユーリウスの手の届かぬ場所で、意に染まぬ
形で純潔を奪われた。
そんな辛い目に合ってきたのに、再会して早々に身体を求めたユ
ーリウスに、シェリルは応えてくれた。ユーリウスの腕の中で、幸
せだと言ってくれた。初めて通じあえた夜、ユーリウスは覚悟を決
めた。
︱︱︱必ず、この手で幸せにする。
もう誰にも傷つけさせない。
490
この旅が終わったら、当分はこうして触れあうことはできなくな
るだろう。どれほど抱いても足りることはないが、少しでも長く、
この幸せが続けばいい。
﹁愛してる﹂
穏やかに眠る少女の耳元で、そっと囁いた。
491
願いと決意*︵後書き︶
※もちろんクサヴァーは物陰に控えてます。
※ユーリウスは百も承知ですが、いい加減慣れたというか、どんな
シーンを見られても何も感じなくなってます。
※シェリルはそんなこと知りません。
できる側近は、隣近所の部屋に泊まってる使節団の面々に睡眠薬と
か盛ってるかもしれない。
んでもって、後でそれとなーくユーリウスに恩を売ってるかもしれ
ない。
492
旧拍手お礼まとめ、その1 ︵登場人物紹介?︶︵前書き︶
登場人物の特徴を思いつくままに箇条書きしたもの。
人物﹃紹介﹄ではない。
493
旧拍手お礼まとめ、その1 ︵登場人物紹介?︶
シェリル
・頑張るヒロイン
・姫様の姉のつもりだが、実は根っからの妹気質。
・甘えん坊。寂しがり屋。
・兄弟大好き。お父様大好き。
・姫様とユーリウスは神様以上。
・ユーリウスの微笑みには逆らえた試しがない。
・お菓子の誘惑にも抗えた試しがない。
・我慢強いけど、意外と身も心も甘々なのかも。
・特技は手芸。
・かわいいもの好き。実家にはぬいぐるみ専用部屋がある。
・Cカップ
侍女ズ
アンネリーゼ
・二十代後半。未亡人な設定。
・冷静沈着。
・Cカップ
・侍女ズのリーダーにしてフィオレンティーナの腹心。
494
バルバラ
・二十代前半。明るく元気で噂好き。
・ナイスバディ。
・Fカップ
・侍女ズ諜報担当。
デルフィーナ
・二十代前半。頼りになるお姉さん。
・優しくて家庭的。良いお嫁さんになるタイプ。
・Dカップ
・侍女ズ和み担当。
エミー
・元気でしっかり者。十八歳。
・シェリルとは友人同士。
・Dカップ
・侍女ズ実働担当1。
シェリルの下で学んでいたのだが、ノルエスト王国に来る直前に一
人立ちした。
レティシア
・口数少ない真面目さん。二十代半ば
・地味で目立たないタイプ。
・Bカップ
・侍女ズ実働担当2。ただいまデルフィーナの下で修行中。
ロレーヌ
・ちょこまか働くネズミさんタイプ。二十代前半
・噂を信じやすいが、シェリルに関する悪評は信じてない。
・Cカップ
495
・侍女ズ実働担当3。ただいまバルバラの下で修行中。
全員フィオレンティーナの忠臣。
フィオレンティーナの侍女への接し方は、シェリルが基本なのでだ
いぶ優しい。
侍女ズはシェリルに感謝しつつ、下々に気を遣ってくださる姫様の
ことを誇りに思っている。
レティシアとロレーヌはまだ王太子妃付きになって日が浅いので、
忠臣まではいかないが、良い主だと思っている。
いずれ忠臣にランクアップする予定。
フィオレンティーナ
それは文中で長い名前が邪魔だk︵ry
・王太子妃だけど姫様。
・なぜって?
・作者はお姫様はしたたかなものだと思っている。
・武芸の心得はないが、肝は据わっている。
・シェリルらぶ。
・ジェラールらぶ。
それは似た者同士だから。
・ユーリウスきらい。
・なぜって?
・胸の話は禁句。
・シェリルがいるため、侍女に対してかなりフレンドリー。
496
・おかげで他の侍女たちとも友好な関係を築いている。
・幻の右ストレートは兄王の妃に教わった。
ペルレ兄弟
長男マティアス
・弟に厳しい長兄。妹には甘い。
・美人の奥さんがいる。
・長身、顔は母親似。
・文系だが、剣もそれなりにこなせる。
次男ニコラウス
・兄に頭があがらず、弟にも舐められがちな次兄。
・妹には激甘。でもあまり報われてない。
・外見は父親似、体格は祖父似。
・脳筋。
三男オスカー
・したたかな三兄。飴と鞭を使いこなす男。
・シェリルにだけ甘い。ユーリウスを最大限に利用して生きている。
・どちらかというと母親似
・運動音痴のインドア派、本の虫。
四男フィリップ
・姉様大好き。ユーリウス邪魔。
497
・天使スマイルの持ち主。
・顔はとっても母親似。
・アウトドア派。
ユーリウス
・某姫君いわく﹁顔だけ男﹂
・友人兼従弟いわく﹁シェリルしか見えてない﹂
・まともな貴公子を初めて書いた気がする。
・シェリルプラス三歳だから今二十歳。
・一応本作のヒーローのはず。
・でも﹁J﹂。理由は最初ヒーローを誰にするか迷ってたから。
・もう少し頑張らないとエルヴェにとられてしまうよ?
・身長はかろうじて平均、美形だが女顔ではない。
・根っからのお坊ちゃま。
・剣は苦手。
・こうして書くと無能っぽいが、求められる基準が高すぎるだけで、
充分に有能の部類。
・気配がなさすぎる側近のせいで、いきなり後ろから声をかけられ
ても驚かなくなった。
・シェリルへの愛だけは誰にも負けない。
498
エルヴェ
・二十代半ばから後半ぐらいなイメージ。
・爽やかに鬼畜
・紳士。騎士。でも鬼畜。
・冷血無情の代名詞。
・その容赦のなさは近衛騎士団でも恐れられているらしい。
・好きなもの:なし
・嫌いなもの:なし
・なんにも執着なし
・その場のノリで生きていると言い換えてもいい。
・近衛で五指に入る腕前だが、特別な努力をしたわけではない。
・いわゆる天才肌と言うヤツ。
サミュエル&ティエリー
・二人で一セット。
・二人とも両刀。男も女も上も下も全部もイケる。
・サミュエル:三十代後半
・ティエリー:十四歳
・年齢差だけでも犯罪だr︵ry
・悲劇的なんだけど悲愴にならない。
499
・三角関係BL風味。
・ただし矢印は全員あらぬ方を向いている。
・サミュエルは昔は美少年だった。
・ティエリーは現在進行形の美少年。
・MとS
・二人とも今の生活に満足している。
・サミュエルの大事なもの=①ユルシュル①ティエリー③母と兄④
その他
・ティエリーの好きなもの=①サミュエル②シェリル③なし
ジェラール
・王子様というより王太子殿下。政治家。
・弟二人、妹一人。仲はそれなり。
・側近は苦労人。
・有能、頭脳派、しかし剣も近衛と渡り合える腕前。
・ナチュラルに外道。
・好きな言葉は一石二鳥。
・二どころか、常に一で十を動かすことを考えている。
・色んな意味で遊び好き。
・王太子の気まぐれに付き合うのは主に近衛騎士団。
なんだそれは﹂︵冷笑︶
・人としては道から外れまくりだが、施政者としては優秀。
・﹁愛?
500
イレーヌ
・最愛の寵姫と呼ばれていた側室。
・今もまだ王宮のどこかにいる。
・たぶん裏庭とかにいる。
クサヴァー
・ユーリウスの側近。
・色んな意味で有能。
・影が薄いというより気配がない。
・容姿は平凡だが、それが個性。
・昔取った杵柄で、ユーリウスを影から守っている。
・ちなみに前職のことは公爵とユーリウスしか知らない。
カルタン
・ジェラールの側近。
・王太子の気まぐれに振り回される人。
・有能なんだけど苦労人。
・まあ、上司が無茶ぶり名人だから仕方ない。
・主と王太子妃が険悪になったと知った時、﹁あーやっぱり﹂と思
ったとか思わなかったとか。
501
旧拍手お礼まとめ、その1 ︵登場人物紹介?︶︵後書き︶
基本的に拍手お礼というものは、その場のノリと勢いで書きつくる
ものである。
502
If..︻もしも回想7で、ユーリウスが理性を失っていたら︼
*︵前書き︶
※本編では見ることのできなかったユーリウス×シェリル︵処女︶。
※シェリルの年齢をスルーできる方のみどうぞ。
※野外です。
※ハッピーエンド⋮⋮かどうかは微妙︵汗︶
503
If..︻もしも回想7で、ユーリウスが理性を失っていたら︼
*
はにかんだ笑みを浮かべるシェリルの姿を目にした瞬間、どくり
と心臓が高鳴った。貴族社会で培った処世術で、表情には出さなか
ったが⋮⋮⋮かわいらしすぎる。いや、もう率直に言おう。抱きた
い。その花のような唇に口づけたい。下半身に熱が集まろうとする
のを、頭の中に法律の条文を羅列することで、必死で抑える。
ユーリウスがシェリルに劣情を覚えるのは、これが初めてではな
シェリ
い。今までは、シェリルがまだ幼いことを理由に耐えてきたが、シ
ェリルは十二になった。もう、いいのではないだろうか?
ルは拒んだりしないだろう。まだ十年経っていないから、マティア
スとニコラウスに間違いなく殴られるだろうし、オスカーにも渋面
をされるだろうが。このままでは、機を逸する気がした。
最近、ユーリウスの婚約の話が出始めている。まだ候補の段階だ
が、相手は名門侯爵家の令嬢だという。同じ侯爵家の娘だというの
に、シェリルは許されないことに皮肉を感じた。おまけに相手は、
シェリルと歳まで同じで。まだ早いと拒んではいるが、いつまで通
じることか。
妻に迎えたいのはシェリルだけだ。シェリルがいい。シェリルが
いいのに。
﹁ユーリ様?﹂
﹁あ、⋮⋮ごめん。少しぼーっとしていたみたいだ﹂
﹁お疲れなのですか?﹂
﹁いや、そんなことはないんだけど。あたたかいから、つい眠くな
504
ってしまったのかな﹂
実際、ぽかぽかしてとても気持ちがいい。お腹も満たされて、若
干眠気を感じているのは本当だ。
﹁確かに、今日は本当に良いお天気ですからね。⋮⋮あの、ユーリ
様。⋮⋮⋮お眠りになられるのであれば、膝をお貸しいたしますが
⋮⋮﹂
自分で言っていて恥ずかしくなったのか、語尾はしぼんでしまっ
ていたが、その言葉で眠気が吹っ飛んだ。
同時に、頭のどこかで理性が千切れる音がした。
﹁︱︱んっ﹂
夢中で唇を求めた。勢いで小さな身体が草の上に倒れるも、後頭
部を掴んでいるから問題はない。
﹁んっ⋮⋮は、むっ⋮⋮ユ、リ、さっ﹂
戸惑いの言葉を口にするシェリルの、無防備にも開いた口の中に、
れろん、と舌を入れた。
絡めとり、吸いあげ、貪り、舐めまわす。蹂躙されるたび、小さ
な身体は固く強張るが、手は縋りつくようにユーリウスの服を掴ん
でいる。少しだけじたばたしているのは、嫌がっているわけではな
くて、息が苦しいから。
息継ぎのために一瞬だけ唇を離し、角度を変えて再び塞いだ。何
505
度か繰り返すうちに、シェリルは少しずつユーリウスの愛撫に応え
るようになっていった。
唾液が奏でる淫らな水音が、耳に響いた。
﹁︱︱︱⋮、は⋮⋮ぅ⋮﹂
唇を放した頃にはもう、シェリルは色んな意味でぐったりしてい
た。小さな胸を大きく上下させながら、戸惑いに満ちた目でユーリ
ウスを見あげる。潤んだ瞳と、唾液で濡れた唇。
ユーリウスはシェリルを抱きあげ、馬に跨った。
﹁ゆーりさま⋮?﹂
﹁黙って﹂
﹁えっ⋮!?﹂
舌を噛まないよう、シェリルの顔を胸に押しつけ、馬を駆った。
近くにある、休憩用の東屋を目指して。
雨や日差しを避けることを目的としているので、柱と屋根しかな
いが、地面よりは良いだろう。ベンチにシェリルをおろし、その唇
が抗議の言葉を紡ぐ前に己のそれで塞いだ。
﹁んんっ﹂
華奢な背中に手を回し、ぷつんぷつんとボタンを外す。外気に触
れたことで、シェリルはふるりと身を震わせた。滑らかな肌に、し
っとりと手を這わせた。
506
﹁やっ!
ユーリさま、まって、ください!﹂
﹁ごめん。︱︱︱止まらない﹂
﹁そん、なぁ⋮っ﹂
自らベンチに腰掛け、逃げようとする少女を膝の上に抱きこんで、
ちゅ、ちゅ、と剥き出しになった肩や背中に口づけを落とす一方、
⋮ぁ⋮っ!﹂
ふ⋮ぅ⋮ぅ⋮っ!﹂
儚く膨らみかけた乳房を手の平に包みこんで、やわやわと揉みほぐ
した。
﹁ぁ⋮っ、⋮や、⋮ぁです⋮っ!
﹁シェリル、かわいい﹂
﹁ひぅっ!﹂
そんなっ、ぐりぐり、しちゃ、
﹁⋮⋮ここが、いいの?﹂
﹁やぁんっ!
柔らかな膨らみの真ん中を指先でぐりりと摘むと、シェリルは早
くも蕩けはじめた。身体はこんなに幼いのに、もうその顔は、﹃女﹄
で。瞳から溢れ落ちた涙と、切なげな吐息に混じる甘い香りは、ユ
ーリウスを容易く魅了する。
ドレスの裾をたくしあげ、腿をなぞり、秘められた花園へ触れた。
指先に、感じる湿り気。
瞬間、初めての快楽ですっかり呆けていたシェリルが、我に返っ
だめっ!
だめ、ですっ!!﹂
た。先日初潮を迎えたと聞いたから、この行為の意味は知っている
のだろう。
﹁︱︱︱ユ、リさまっ!
﹁シェリルは、僕が嫌い?﹂
﹁そっ⋮⋮ん、なわけ、な⋮﹂
507
﹁じゃあ、拒まないで﹂
﹁っ⋮⋮⋮﹂
シェリルがユーリウスに逆らえるわけがないのに、こんな言い方
は卑怯だ。でも、もう止められない。謝罪の代わりに、木苺色の瞳
から零れ落ちた涙を唇で拭った。
﹁シェリル。好きだ。愛してる﹂
目を見開いたシェリルに、積年の想いを込めて、口づけを贈った。
触れるだけのキスで、木苺色の瞳がゆっくりと閉ざされる。そうし
て、シェリルはユーリウスに身を委ねた。
ここがベッドの上であれば、心行くまで肌を重ねあわせることが
できたのだが、東屋ではそれも叶わない。
ドレスのスカートの中に手を入れ、下着だけを脱がせた。そこは
すでに、とろりと蜜をたたえていた。
﹁っっ︱︱︱!!﹂
ユーリウスの腕の中で、シェリルはびくんっ!と背をしならせた。
甘い、蜜の香り。
蜜を絡めながら花弁の合間に指を滑らせ、大切なところを探る。
くっと力を入れると、ちゅくっ⋮と飲み込んだ。
﹁っ、ん!⋮⋮はっ⋮﹂
﹁痛いか?﹂
508
ユーリウスの肩にしがみつきながら、シェリルはふるふると首を
振った。しかし、その眉根はきつく寄せられている。
﹁痛いんだったら、我慢しなくていい。⋮⋮⋮酷くしたいわけじゃ
ないんだ﹂
﹁ちがっ⋮⋮ほんとに、だいじょ、ぶ、⋮です﹂
﹁本当に?﹂
﹁はい⋮⋮つづけて、ください⋮﹂
その言葉に甘え、ゆっくりと動かし始めた。指一本でもきつい狭
さだが、十二分に潤っているため、なんとか滑らせることができる。
根元まで銜えさせるたび、花弁はくぷくぷと淫らな水音を奏で、熱
い雫がとろりと溢れた。
﹁あっ⋮⋮ぁ⋮﹂
ユーリウスにしがみつく、シェリルの甘い吐息が耳をくすぐる。
﹁すごいとろけてる。この音、わかるか?﹂
﹁ん、あっ⋮⋮やぁ⋮っ﹂
﹁初めてでこんなに濡らすなんて、シェリルは気持ち良くなりやす
い身体なんだな。もう手首まで滴ってきているよ﹂
﹁っ、ぅんっ!⋮や、⋮はず、かしっ﹂
﹁大丈夫だ、誰も見てない。︱︱︱僕以外は﹂
﹁っ⋮それ、ぜんぜん大丈夫じゃないですぅ⋮っ﹂
くちゅくちゅ、じゅぶ、ぬちゅ。すっかり蕩けた身体は、蜜を滴
らせるだけではなく、もぞもぞと腰を動かし始めていた。頬を上気
させ、は、は、と荒い息を吐きながら、ユーリウスにしがみつく。
︱︱︱かわいい。︱︱︱泣かせたい。
509
シェリルの年齢や、小煩い兄達のことなど、とうに頭から抜け落
ちている。今はただ、このぬくもりを感じ、花の香に溺れ、愛しい
身体を味わいつくすことしか考えられなかった。
﹁シェリル⋮っ!﹂
﹁︱︱︱︱っっ!!!﹂
充分にほぐした後、自身を跨がせ、ユーリウスはその細腰を抱き
寄せた。貫いた瞬間、シェリルは声なき悲鳴をあげてのけぞった。
上気した顔に浮かぶ苦悶の表情。唇は動いているが、言葉になら
ないようだ。
﹁っ∼∼∼、⋮⋮︱︱っ︱⋮﹂
﹁大丈夫か?﹂
﹁⋮っ⋮、⋮すみま、せ⋮﹂
﹁無理しなくていい。⋮⋮慣れるまで、待つから﹂
少しでも楽になるよう、背中をさすってやる。じっとりと汗ばん
でいるのに、汗の匂いはせず、花のように甘い香りがしていた。野
外でこれほど香るのだから、室内ならば噎せ返るほどであっただろ
う。
﹁⋮きです、ユーリさま⋮⋮﹂
﹁ぇ﹂
﹁だい⋮すき⋮⋮﹂
言葉、微笑。両方に、ユーリウスは心を射抜かれた。
510
﹁わたしの全部を、ユーリさまに、あげます。⋮⋮シェリルは、ユ
ーリさまのものです﹂
そう言うや、照れ隠しなのか、シェリルはユーリウスの肩に頬を
擦りつけた。
ユーリ、さまっ⋮?﹂
ぷっつん。
﹁うぁっ!
身体を内側から押し広げている物が、急に大きさを増した。苦し
さに思わず息を詰めると、繋がったまま、いきなり身体が傾いた。
﹁ひ、ぇッ!?﹂
そのまま頭を打ち付ける︱︱︱前に勢いが緩み、こつんと接する
だけで済んだ。ベンチに横たえられたらしい。冷たい石が背中に触
れて、一瞬ぶるりとした。
ひやりとしたのは背中だけではない。ユーリウスが中に入ってい
るから、ドレスがまくれあがって、足が丸見えになっている。
羞恥で頭に血が上った。こんなの、恥ずかしいどころではない。
﹁こ、︱︱︱ッ!!﹂
511
こんな格好はいやです、と言おうとした。しかしそれは言葉にな
らず、代わりに﹃ずちゅうっ﹄と卑猥極まりない水音が立った。あ
られもない声が、喉から飛び出す。
﹁あ、ひっ︱︱︱﹂
太くて熱いモノにナカが擦られ、びく、びく、と背筋が震えた。
入れられた時はあんなに痛かったのに、今だって痛くないわけじゃ
ないのに、それとは違う理由で、身体中が総毛立つようにぞくぞく
して、たまらない。
﹁は、ぁぁ、ぁ⋮っ﹂
最初はゆっくりと深く、だんだんと早く激しく。熱い楔が身体の
中を出入りする。ぐっちゅぐっちゅ、と蜜を掻き混ぜるように動か
ぁはっ、あ、あっ!
ふぁ、は、ぁ、あっ﹂
されて、背筋を言い知れぬ快さが奔る。
﹁あぁんっ!
夫となる人以外に身体を許すのは、﹃いけないこと﹄だ。ユーリ
ウスのことが大好きでも、身分が足りないから、妻にはなれない。
受け入れては駄目だとわかっているのに、幸せだった。
求められる喜びで心が満たされた。道理も、忠告も、難しいこと
あ、ぁ、っ、ユーリ、さ、ま⋮っ!!﹂
は全部、もう、どうでも良い。
﹁ユー、リさまっ!
あん⋮っ!
︱︱︱ユーリさまぁっ!﹂
﹁シェリル、愛してるっ﹂
﹁あんっ!
512
﹁くうっ⋮!﹂
﹁あ、ぁっ⋮あぁ⋮っ⋮ぁ⋮﹂
胎内で熱い飛沫が弾けたのを最後に、シェリルは気を失った。
513
If..︻もしも回想7で、ユーリウスが理性を失っていたら︼
*︵後書き︶
若さゆえの大暴走。
この時点ではシェリルが花の民だなんて知らないユーリウス、ばっ
ちり中出し。
シェリル、妊娠。
ユーリウス、兄弟達にぼっこぼこにされる。
ペルレ侯爵にもぶん殴られる。シェリルが泣いて許しを請うので命
は助かるも、ぼっこぼこ。
侍女︵しかも未成年︶孕ませるとか、超スキャンダル。父公爵に勘
当される。
大事な大事な×∞シェリルを取られたフィオレンティーナ、大激怒。
さらにぼっこぼこにされる。
唯一味方と言えなくもない従兄王、てきとーな領地を与えて二人ま
とめて追放︵それぐらいしないと他の臣下に示しがつかないので︶。
とりあえず、質素に慎ましく、二人︵+子供たち︶で暮らす。
⋮⋮⋮が、味方皆無なので、平和かどうかはちょっと保証できない。
514
運命の分かれ目*︵前書き︶
﹃花の民2﹄∼﹃侍女の結束﹄の間のお話。
エルヴェ×シェリルで、本編で語られなかったエルヴェ視点と、寒
空の下で待ちぼうけをくわされるエルヴェの従者視点です。
エルヴェルートへの分岐地点ですが、エンディングそのものは書き
ませんので、シェリルは本編仕様です。
あしからずご了承ください。
515
運命の分かれ目*
︵もうすっかり春だっていうのに、今夜は妙に肌寒いな⋮⋮︶
外套の襟を立てながら、エティは哀愁漂う溜息をついた。今頃彼
の主人は宿の一室でぬくぬくと、かわいい女の子にあーんなコトや
こーんなコトをしているのだろうに、これはなんの嫌がらせだ。
︵迎えに来いってんなら、ちゃんと時間通りに出てきやがれ畜生︶
主人には口が裂けても言えないが、心の中で悪態をつくぐらいな
ら罰は当たらないだろう。
指定の時間を過ぎること、早一時間。表通りに停めた馬車の御者
台で、エティは何度目かという溜息をついた。
エティの雇い主であるエルヴェ・リュードルという男は、子爵に
して騎士である。
女を惹きつけてやまない容姿やら、近衛で五指に入る剣の腕やら、
神は不平等だとつくづく凡人に思い知らせるかのような、存在する
だけで嫌味ったらしい男だ。
人の情というものを欠片も持ち合わせていないことが、唯一の欠
点といえば欠点だろうが、その欠点で迷惑を被るのは当人ではなく
周囲の人間なのだから、神は本当に何を考えてあの男を作りだした
のか。謎だ。おそらく一生解けることはないだろうが、謎だ。
516
エティはエルヴェに仕えてもう五年になる。表向きは社交界の花
形貴公子だが、裏では冷血無情と悪名高い子爵の従者など、よくや
っていられるものだと友人たちには呆れられるが、理由はこれしか
ない。
給料が良いからだ。
旨い飯と酒、煙草、賭博や女。貴族の道楽に比べれば微々たる金
額だが、どんな娯楽にも金がかかる。エルヴェは血も涙もない男だ
が、少なくともケチではなく、働きに応じた報酬を惜しみなく支払
ってくれるのだ。性格に多少難があろうと、きちんと見返りがある
のなら文句はない。
たとえ、嫌がる少女を無理やり宿に連れ込んで強姦するような鬼
畜だとしても。
+++
半透明の硝子が入った窓を少しだけ押し開くと、涼風が通り抜け
た。どうやらこの数時間で、室温と外気温に随分と差が出たらしい。
外は日が暮れて気温が下がったが、室内には昼間のあたたかい空
517
気がそのまま残ってしまったからだろう。締め切っていた上、ベッ
ドで激しい運動をしていたから尚更だ。
風呂上がりの身体に爽やかな涼気が心地良かったが、すぐに閉め
た。︱︱︱外に嬌声や香りが漏れると、面倒なことになるだろうか
ら。
﹁はぁっ⋮⋮はぁっ⋮﹂
乱れたベッドの上には、一人の少女が横たわっていた。汗の浮か
ぶ白い肌を艶めかしく上気させ、形の良い眉を切なげに歪めて、小
さな手でシーツを握りしめている。華奢な肩が上下するたび、甘い
シェリル﹂
吐息が空気に溶けた。
﹁大丈夫ですか?
ベッドの端に腰かけ、声をかけると、シェリルはうっすらと目を
開けたが、その瞳は何も映してはいなかった。身の内に荒れ狂う熱
のせいで、意識が朦朧としているのだろう。
﹁そろそろ支度しないと門限に間に合わなくなりますよ﹂
耳元で囁いてやると、敏感になり過ぎた身体はびくりと強張った。
しかし、今度はなんとか聞こえていたらしく、喘ぎすぎて掠れた声
が、赤く色づいた唇から発せられた。
﹁っ⋮、⋮⋮ぃま、⋮なん、じ⋮?﹂
﹁先ほど完全に陽が落ちました。門限まであと二時間ありますが、
移動のことを考えると、もう支度をはじめないと間に合いません﹂
518
今度こそ、木苺色の瞳がはっきりと見開かれた。
﹁もぅ、⋮そん、なっ⋮!?⋮⋮⋮かえら、なきゃ⋮っ﹂
シェリルは必死に身を起こそうとしたが、エルヴェが足首を掴み
寄せると、簡単にベッドに突っ伏した。
﹁ぁ⋮っ!﹂
﹁こんな体たらくで、帰ってどうするんです?﹂
﹁っ⋮はな、して⋮っ!﹂
﹁身体はそうは言っていないようですが﹂
﹁っ、ああぁぁぁッッ!!﹂
ぬかるむ花弁に触れただけで、シェリルは背を弓なりにしならせ、
達した。エルヴェの指を奥へ誘い込むように締めつけながら、びく
びくと身悶えている。エルヴェが汗を流している間、自分で慰めて
いれば良かったのに、必死に耐えていたのだろう。
﹁あぁっ⋮、はっ⋮ぁ⋮⋮っ﹂
花弁から精液混じりの蜜が溢れ、シーツに染み込んでいく。絶頂
に酔いしれるシェリルの痴態と、部屋中に充満する花の香りは、雄
を駆りたてるに充分過ぎるものだ。⋮⋮⋮あれほど貪ったのに、ま
だ反応するとは思わなかった。
末恐ろしいのは薬か、それとも︱︱︱彼女の血か。
﹁やれやれ、手のかかる人だ﹂
﹁っ︱︱︱︱︱!!!﹂
519
尻を掴み高く上げさせ、勃起しかけたモノを背後から突き入れた。
熟れきった花はエルヴェをあっさりと根元まで飲み込み、美味しそ
うに食らいついた。きゅうきゅう締め付けられ、あっという間に滾
り、硬くなる。何時間抱いても締まりのよいシェリルの膣を、内側
ふぅっ⋮、う⋮っ﹂
から押し広げた。
﹁んんっ!
﹁たった一錠でこんなに効くなんて、さすがは花の民の末裔という
ことですか。安上がりで良いですが、今日使ったのは失敗でしたね。
やっ!︱︱︱あぁんっ!
⋮あはぁっ!﹂
もっとゆっくりできる時のために取っておくべきでした﹂
﹁あっ、あっ!
もしくは、明日も休みにしておくべきだった。もし明日までに媚
薬が抜けても足腰立たないだろうから、シェリルは欠勤するしかな
いだろうが、エルヴェは出勤しなければならない。近衛隊は見た目
ほど暇ではないのである。
エルヴェは腕こそ立つものの、貴族としての地位はさほど高くな
い。かといって勤務態度を改める気はないので、文句をつけられな
いためには、仕事をきっちりするしかなかった。あの傍迷惑な王太
子に目をつけられているのだから、無断欠勤などもってのほかだ。
﹁あんっ!︱︱あんっ!⋮⋮はっ、⋮ア、⋮あ⋮ッ!!﹂
エルヴェの下でしなる白い背中は、ぽつぽつと赤く鬱血していた。
先日、純潔を奪った時にはなかったし、エルヴェは覚えがないもの
だ。十中八九、王弟殿下の寵を受けた際につけられたのだろう。そ
の場所を舌でなぞりあげると、シェリルは高く鳴いた。
﹁ぁあぁっ!?﹂
520
﹁ご丁寧に印をつけてあるなんて、なんだか執着めいたものを感じ
てしまいますね﹂
﹁いやぁんっ!⋮そこっ、︱︱︱⋮だめぇえっ!﹂
﹁くっ!⋮⋮まだ、こんな力が残っているのですか﹂
﹁ひゃあっ!?﹂
最奥まで貫いたまま、シェリルの二の腕を引きあげた。男根を支
点として細い身体が海老反りになり、自身の先が子宮の入り口を押
しあげ、ぴたりと肌が接する。はっ⋮とシェリルが大きく息を吐い
ァはっ、ぁっ、あぁぁッッ!﹂
た瞬間、一気に寸前まで引き抜いて、再び叩きつけた。
﹁ひぅっ、あっ!
ああぁんっ!︱︱︱いやぁぁっ!
あ、れ、が
ぐちゅぐちゅという水音に加え、ぱんぱんと乾いた音が響く。
﹁あっ、あぁっ!
っ、きちゃうっ!⋮いっ、ちゃうぅぅっ!!﹂
﹁どうぞ、イってください﹂
﹁あぁぁあああァぁ∼∼っ!!!!﹂
そうして繰り返し狙い打つと、シェリルはあっという間に昇りつ
め、びくびくと身悶えた。掴んでいた腕を離すと、糸が切れたよう
に崩れ落ちたが、身体は貪欲に男の精を搾り取っている。自身を引
き抜くと、蜜の混じった白濁がごぽりと溢れた。
﹁あ⋮⋮、ぁ⋮⋮﹂
﹁さて、と。風呂︱︱︱は、もう無理ですね。身体を拭くだけで我
慢してください﹂
水で濡らした布で、様々な体液でどろどろになった身体を拭って
521
やった。蓄積されていく疲労と、深い絶頂の余韻で、シェリルはも
う指一本すら満足に動かせないようだ。︱︱︱それでも、意識を失
うことはない。
体内で荒れ狂い続ける欲情が静まらない限り、シェリルに安息の
眠りは訪れない。媚薬に侵された身体は肌を滑る布の感触にすら反
応し、淫らに声をあげていた。
+++
自分が指定した時刻を二時間も過ぎてから、ようやく主人は宿か
ら出てきた。腕にぐったりした少女を抱いて。
欲を存分に発散したであろう主人はすっきりした顔をしていたが、
自分を抱きかかえる男の服を握りしめて浅い呼吸を繰り返している
少女は、いまだ身体に燻ぶる熱を持て余しているように見えた。
快楽に染まった木苺色の瞳と、赤く色づいた唇。桃のように上気
した頬。二人が馬車に乗り込んで姿が見えなくなっても、風に乗っ
て香る花のような甘い匂い。
エティは童貞ではないが、刺激が強すぎた。きちんと衣服を身に
522
つけていたのに、どうしてあんなに艶めかしいのだ。目の当たりに
本当に人間か!?︶
したのはほんの僅かな間だったというのに、エティのものはすっか
り勃ってしまった。
︵なんだあれ⋮!?
確か朝方に尾行をやらされた時は、あれほどの色香はなかったは
ずだが、半日足らずの間に一体何が︱︱︱って、ナニしかないのだ
が。
エティは初めて、本気で、心の底からエルヴェを羨ましいと思っ
た。
人を寒空の下に二時間も待ちぼうけさせておきながら、自分はあ
の子とイイコトしてたなんて。あんなかわいい子を半日近く弄んで
いたなんて。
なんて、なんて、なんて︱︱︱うらやましいっ!!!
はい、只今!﹂
﹁馬車を出しなさい、エティ。間に合わなかったら減給しますよ﹂
﹁あっ!?
通用門の門限までに少女を送り届けられなければ、宣告通り減給
されるだろう。リュードル家の名を出せば多少の融通は利くが、融
通という名の賄賂を懐から出す羽目になる。金払いは良いが、この
主人は使用人を甘やかさない。余計な出費の上に減給だなんて絶対
に御免だ。
馬車の中から少女の甘い嬌声が聞こえていたが、必死に手綱を操
って、聞かないように努めた。意識したが最後、恥も良心もかなぐ
523
り捨てて、仲間に入れてくださいと土下座してしまいそうだった。
+++
﹁ぁっ⋮あっ!⋮やぁ、んっ!⋮ぃや、⋮ぁ⋮っ!﹂
ぐちゅぐちゅと、狭い密室に、淫靡な音と、声が響く。
﹁少しでも熱を散らしておかないと辛いのは貴女だって、何度も言
もとは、と、いえ、ばっ、
あな、た、⋮が
っているでしょう。これは貴女のためにやっているんですよ﹂
﹁たの⋮で、なぃ!
っ⋮、ぁ﹂
シェリルの身体を膝の間において、エルヴェはその花弁を指で掻
きまわしている。先程拭ったばかりだというのに、内腿にはすでに
幾筋もの蜜が伝い、手首まで流れてきていた。床に滴る雫は、蹄と
車輪の音で掻き消された。
﹁∼ッ∼∼∼∼∼、⋮︱んぅっ⋮﹂
﹁何度も言ったと思いますが、あれは本来ならこんなに効き目の長
い薬じゃないんです。現に俺はとっくに切れてます。これは間違い
なく貴女の血のせいです﹂
524
﹁は、ぁっ⋮!⋮はぁっ⋮、⋮っ!﹂
﹁まだヒクヒクしてますね。まだ少し時間がありますし、もう二度
ほどイッておきなさい﹂
﹁ぁふっ!⋮んんっ!⋮⋮あっ、⋮いやぁ、ぁ⋮!﹂
カーテンを引いてあるとはいえ、馬車の中で犯されるのは耐えら
れないのだろう。エルヴェは善意でやっているのに、シェリルはい
やいやと首を振って、拒絶の声をあげ続けている。しかし、心とは
自分で慰めるのですか?
裏腹に、身体は悦んで男の指をくわえこんで、蜜を溢れさせていた。
﹁この状態で帰ってどうするんです?
それとも、別の男を誘いこむのですか?﹂
嫌という言葉が﹃エルヴェに触れられるのが﹄という意味なら、
このまま道端に置き去りにしてやってもいい。明日の朝までどころ
さっき食い入るような
か、もしかしたら永遠に、男に困らなくて済むはずだ。
﹁なんならうちの従者を貸しましょうか?
⋮︱︱あぁんッ!﹂
目で見てましたし、たまには労ってやる必要がありますから﹂
﹁ふっ⋮ざけ、な⋮ぃでっぇ
俺が言うのもなんですが、なかなかイイ
﹁声だけ聞かせて生殺しなんて可哀想ですよ。待たせた詫びに抱か
せてやってはどうです?
性格をした男ですから、後腐れはありませんよ。たぶん﹂
﹁ぃや⋮っ!っ⋮は、っ⋮ぜったい、⋮にっ⋮⋮﹂
﹁なら、俺で我慢することですね﹂
﹁ぁ、ぁ、あ、あっ⋮、ん︱︱︱︱ッ!!﹂
狭い馬車の中でのことだ。縋るものがエルヴェしかないから、シ
ェリルはずっと彼の服を握りしめている。震える手と、様々なもの
に耐えるように寄せられた眉と、瞳から零れ落ちる涙。首筋にかか
525
る、熱い吐息。言葉では嫌と言っていても、愛撫をねだられている
としか思えなかった。
期待に応え、唇を奪ってやった。
﹁んんっ、⋮んくっ⋮⋮ぅぅんっ﹂
特殊な血を持つ少女は、初めて抱いた時から快楽に従順だった。
まして今は、媚薬のせいで性感を最大限に引き出されている。身体
が快楽を欲しているのだ。抗い切れるものではない。
﹁んぅっ、⋮ふっ、⋮⋮はぁっ⋮﹂
﹁今、自分がどんな顔をしているかわかっていますか?﹂
とろけきった瞳に、久方ぶりに羞恥がきざす。しかし、花弁に指
を埋めたまま親指で花芽を押し潰すと、一瞬にして掻き消えた。
﹁ひぁぁっ!?﹂
この
﹁このまま帰っても、明日は仕事にならないでしょう。同室の方に
連絡したいなら人を遣りますから、俺の屋敷に来ませんか?
まま帰してしまうのは惜しすぎます﹂
﹁ふぁっ⋮⋮ぁっ⋮!﹂
優しく囁きかけると、シェリルはエルヴェの腕の中でふるっと身
どんな辱しめ
を震わせた。下肢を嬲っていた手を止め、甘言を耳に吹き込む。
﹁こんなに濡らして帰るのは恥ずかしいでしょう?
を受けたのか、皆に知られたくないでしょう?﹂
﹁っ⋮⋮⋮﹂
﹁悪い話ではないと思いますよ。貴女の身体はこれからも男を誘い
526
続けるでしょうが、俺の物になれば、他の男からは守ってあげます。
身体だけの関係が嫌だというなら、正式に婚姻を交わしてもいい。
貴女が抱けるなら他の女はいりませんから﹂
どうせ、
シェリルは目を瞠った。しかし、すぐに険しい目つきに変わる。
﹁っ⋮ぜったいに、いや⋮!⋮あなたなんか、きらいっ!
欲しいのは、身体だけなんでしょう!?﹂
﹁そうですね。貴女が俺を愛してくれるというならありがたく受け
あなたと結婚、なんて、じょうだんじゃないっ
取りますが、俺から貴女に与えるのは無理そうです﹂
﹁さいてい⋮っ!
⋮⋮﹂
﹁そうですか。残念です﹂
指を引き抜くと、ずりゅ⋮っと卑猥な水音が立った。半端なとこ
ろでの解放で、シェリルはふるりと身を震わせ、無意識だろうが、
エルヴェに縋りついていた手に力を込めた。
﹁っ⋮⋮、⋮ぇ⋮?﹂
﹁時間切れです。よく頑張りましたね﹂
城の通用門をくぐり抜け、とうに馬車が動きを止めているのに、
シェリルは今さら気付いたらしい。一瞬安堵の表情を見せたが、す
ぐに羞恥に変わった。彼女の内腿を濡らす蜜は、それほどの量だ。
おまけに媚薬はまだ抜けきっていない。
身体に力が入らないシェリルに、エルヴェは甲斐甲斐しく世話を
焼いた。蜜でぐしゅぐしゅになっているそこをハンカチでぬぐって
やり、足首にわだかまっていた下着を穿かせて衣服を整え、抱き上
げた。
527
火照った身体は、また新たな熱を生み出しているようだ。シェリ
ルにとって、今夜は今までの人生で最もつらい夜になるだろうが︱
︱︱エルヴェの知ったことではない。
選んだのはシェリルなのだから。
﹁おやすみなさい。良い夢を﹂
皮肉たっぷりに額に口づけを落とすと、シェリルを寮の入り口に
置いて、エルヴェはその場を後にした。
528
運命の分かれ目*︵後書き︶
エルヴェ×シェリル、本編で省略した部分です。
*鬼畜エンド
あそこで頷く↓お持ち帰りされる↓勝手に休暇申請を出され、媚薬
を使いきるまで監禁凌辱↓動けない間に婚姻届を提出される↓泣き
寝入り。
フィオレンティーナは王太子妃になったばかりなので味方が少ない
上、エルヴェが王太子に根回ししていたので救出できず、ユーリウ
スが到着する頃には結婚成立済。
シェリルは合わせる顔がないのでユーリウスから逃げ回り、そうこ
うしている間にエルヴェがユーリウスを撃退する︵ばっちり避妊し
てるくせに妊娠を匂わせる言動とかして︶。
泣いて暮らすとフィオレンティーナに心配をかけてしまうので、表
面的には取り繕うも、しばらくは涙涙の日々。
なぜならば、相手は鬼畜。
外道ほど酷いことはしないが、愛がないことに変わりはない。
泣かなくなるまで一年、絆されるのに五年、エルヴェを矯正するの
に十年ぐらい。
基本的にエルヴェは身体目当てなので、積極的に子供を作ることは
ない︵妊娠中は好き勝手できないし︶。
跡取りが必要なのでそのうち生ませるけど、男子が生まれた時点で
打ち止め。
義務は果たしても父性愛とは無縁な男なので、躾けはシェリルと両
529
親に丸投げする。
エルヴェは突然変異なので、両親が育てても鬼畜2号にはならない。
たぶん。
530
兄嫁と異母妹
針のような剛毛の黒髪と、冷たい氷のような瞳。色とつり眼があ
いまって、真顔でいると﹃怒っているの?﹄と尋ねられるほど愛嬌
がない。他にも、血が通っているとは思えない青白い肌や、他の令
嬢より頭半分飛び出た背丈、ひょろりと細長い手足、肉付きの悪い
胸と尻など。踵の高い靴を履けばほとんどの男性と視線が並ぶか、
ともすれば超えてしまう。自分は性別を間違えて生まれてきたのか
もしれないと、真剣に悩んだ時期もあった。
色彩と容姿がそれだから、フリルもレースもリボンも、似合わな
いことこの上ない。仕方がないので、自分に似合うような、落ちつ
いた色調かつ飾り気のないドレスばかりを着ていたら、美しいと賛
辞を贈られたが、ちっとも嬉しくなかった。孤高のレディなんて呼
ばれて、遠巻きに褒めそやされる。それは、彫像や置物に対する賛
辞にも似ていた。
本当は、宝石より花が好き。犬や猫が好き。青や黒よりも赤や桃
色が好き。リボンとレースとフリルをふんだんに使ったドレスを着
てみたい。しかし、そのどれもが自分にそぐわない。幼い頃、駄々
をこねて仕立ててもらった桃色のドレスを着た自分は、ひどく滑稽
だった。かわいらしさの欠片もなかった。失望し、それ以来わがま
まは言わなくなったが、かわいらしいドレスを着て可憐に笑う他の
令嬢たちが、ずっとずっとうらやましかった。
生まれ持った顔と背丈はどうしようもないし、ないものねだりほ
ど惨めなものはないので、ツェツィーリアは自分をより良く見せる
ことに注力した。あえて踵の高い靴を履いて、背筋を伸ばした。美
531
しいと持てはやされても、自分より目線の低い男には目もくれなか
った。
卑屈になっても楽しくない。どうせなら、見た目の評判通りにう
んと高慢な女を演じてやろう。
多くの令嬢と同じように、ツェツィーリアもまた婿探しを目的と
して社交界に出ている。ほとんどの男と視線が並ぶとはいえ、自分
より背の高い男がいないわけではない。伯爵家の長女だが、後継ぎ
は弟がいるから、上も下も狙い放題だ。よりどりみどりとはこのこ
とだった。
自分がかわいらしくなることは諦めたが、かわいらしいものは今
でも大好きだ。かわいらしいお人形を集め、かわいらしい小物類で
戸棚を飾り立てている。似合わない趣味だと弟によくからかわれる
が、外で取り繕っている分、家の中でくらい好きなことをしていて
も罰は当たらないはずだ。
ちなみに弟は、ツェツィーリア同様つり眼で愛想がなくて縦にで
かくて、ちっともかわいくない。そして弟も好みのタイプはかわい
い系だそうだから、やはり姉弟は似るのだろう。
ツェツィーリアは伯爵令嬢だから、王宮に足を踏み入れることを
許されている。王妃主催の茶会に招かれ、ついでとばかりに庭園周
辺を散策していたその時、彼女は﹃運命の出会い﹄をした。
532
結いあげられてはいるが、繊細で柔らかそうな蜂蜜色の髪。大き
な木苺色の瞳。思わずぎゅっと抱きしめたくなる雰囲気の、侍女服
に身を包んだ十二∼三歳の少女が、腕いっぱいに薄紅色の花束を抱
えて、てくてくと渡り廊下を歩いている。
フリーデリンデみたい!
少女を一目見た瞬間、ツェツィーリアは﹃ずきゅん!﹄と見えな
い何かに心臓を射抜かれた。
︵なにあの子、すっごくかわいいっ!!
!!︶
フリーデリンデはツェツィーリアが一番気に入っている人形で、
ふわふわの金髪と大きな瞳が特徴の子だ。お気に入りの理由は、か
つてツェツィーリアが憧れてやまなかったフリルとピンクのお洋服
がよく似合うから。その子にそっくりなあの少女は、間違いなくツ
ェツィーリアの理想そのものだった。
どきんどきん、恋に落ちたがごとく高鳴る胸を手で押さえつつ、
誰の侍女なのかしら?︶
柱の陰に隠れてじっくり凝視する。
︵名前はなんていうのかしら?
制服から王宮勤めの侍女であることはわかるが、主人まではわか
らない。下働きなら貴族の強権を悪用して屋敷に連れ帰っても大し
た問題にはならないが、侍女は良家の子女が多いので下手な真似は
できない。やるにしても、背景をきっちり調べてからでなくては危
険だ。
で、調べてみたところ、悪いことに少女はフィオレンティーナ王
女のお気に入りで、しかもペルレ侯爵家の後見がついていた。庶子
533
であるらしいが、ペルレ侯爵家はツェツィーリアの家より格上なの
で手が出せない。
︵ああ⋮⋮シェリルちゃん。こんなに近くにいるのに見るだけだな
んて⋮⋮︶
王宮へ来るごとにシェリルを探して影から覗き見ること、はや十
数回目。シェリルちゃんのかわいらしさを語るたび、弟には﹃声か
ければいいだろ﹄と呆れられるが、こんなでかくて愛想のない女が
いきなり話しかけてきたら、シェリルちゃんが怯えてしまう。親戚
の子供はツェツィーリアの目つきや威圧感のある背丈を怖がって近
づいてこないばかりか、目が合っただけで泣きだす程なのだ。
シェリルちゃんまで怯えられてしまったら、ツェツィーリアはシ
ョックで心臓発作を起こすかもしれない。だから、物陰からこっそ
り覗き見るのが最良なのだ。
そんなこんなで今日も影からこっそり見守っていたら、背の高い
貴公子がシェリルちゃんに声をかけたのが見えた。ツェツィーリア
の知っている男だった。
﹁⋮⋮⋮兄妹なのに似てないのねえ﹂
思わず口に出して呟いてしまうぐらい、貴公子︱︱︱ペルレ侯爵
家の長男・マティアスと、シェリルちゃんは似ていなかった。
髪色、瞳の色はもちろん、雰囲気も、身長も。マティアスはシェ
リルちゃんより頭二つ大きく、ツェツィーリアと比べても頭半分は
高いだろう。ツェツィーリアと弟は性別が違ってもそっくりなのに、
こういう兄妹もいるのだ。
534
﹁⋮⋮⋮あんな顔もなさる方なのねえ﹂
名門貴族の跡取り、しかもまだ婚約者が決まっていないとあって、
マティアスを狙う令嬢は多い。かくいうツェツィーリアもその一人
で、かねてから目を付けていた。
身分はもちろん、ツェツィーリアでも少し見あげなければならな
い長身に、表情が少ないという点。同じ無表情でも﹃無愛想﹄と言
われるツェツィーリアと違い、﹃硬派﹄と評される青年に、ささや
かな仲間意識を持っていたのだ。
そんな青年が異母妹に向ける顔はとても優しく、楽しそうに笑い
あう二人の姿はツェツィーリアの胸に残って、しばらく消えなかっ
た。
535
兄嫁と異母妹︵後書き︶
ちなみにシェリル十二歳、マティアス十九歳、ツェツィーリア十六
歳の時の話です。
ツェリアは未来の旦那より先にシェリルにときめいてます︵笑︶
シェリルをつけまわす令嬢がいることはユーリウスやフィオレンテ
ィーナも報告を受けていましたが、危害を加える様子はないので要
観察状態。
後に無害だとわかってからは放置されてました。
536
異母妹と兄嫁
青みを帯びた艶やかな黒髪と、知性を感じさせる薄青の瞳。濃紺
のドレスは意匠こそ地味だが、すらりとした肢体と細い腰を引き立
てるのに一役買っている。踵のある靴を好んでいるため、並んで立
つと小柄なシェリルより頭一つ高い。噂によると、結婚前は社交界
で﹃孤高のレディ﹄と呼ばれていたらしい。
そんな貴婦人の、薄い氷のような瞳が、ずっとシェリルを見てい
る。向かいあって座っているのだから、視線が合うのは当然なのだ
が︱︱︱。
シェリルさん﹂
﹁あの⋮⋮ツェリアお義姉さま?﹂
﹁なにかしら?
﹁⋮⋮いえ。お茶、美味しいです﹂
﹁喜んでもらえて良かったわ﹂
そう言って、兄嫁︱︱︱ツェツィーリアは美しい顔に微かな笑み
を浮かべた。
一重で切れ長の目元はともすれば冷たく見えるのだが、実は気さ
くな女性なのだ。てっきり見た目の印象のまま厳格な女性なのかと
思っていたら、初対面で﹃わたくしのことはツェリアと呼んでちょ
うだい﹄と真剣な眼差しで手を握られ、呆気にとられたことを覚え
ている。マティアスいわく、きちんと喜怒哀楽はあるらしい⋮⋮⋮
表情にはほとんど出ないが。
お茶会を重ねるうちに微かな変化はわかるようになったものの、
537
シェリルにはまだまだ読めないところが多いというのが正直なとこ
ろだ。
﹁わたくしずっと、シェリルさんとゆっくりお話したいと思ってい
たの。念願叶って嬉しいわ﹂
﹁?﹂
シェリルがツェリアと顔を合わせたのは、結婚前にマティアスに
紹介された時が最初だ。その後は挙式当日の挨拶と、ツェリアがこ
の屋敷に移り住んだ際の歓迎会ぐらいのもの。確かにゆっくり話す
暇はなかったが、﹃ずっと﹄や﹃念願﹄などの言葉を使うほど?
﹁実はわたくし、王宮内で何度かシェリルさんを見かけたことがあ
るの﹂
﹁え、そうなのですか?﹂
その時に、ね﹂
﹁ええ。あの頃シェリルさんは王女殿下付きの侍女で、殿下のご用
で王宮内をよくうろうろしていたでしょ?
﹁気付きませんでした﹂
﹁わたくしも遠目だったから﹂
﹁遠目なのに私だってわかったんですか?﹂
兄弟やユーリウスには言われ
﹁シェリルさんのかわいらしさの前には、距離など些細なことよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
褒められている⋮⋮のだろうか?
慣れているが面と向かって、しかも真顔で言われると、咄嗟に何と
返して良いかわからなかった。表情と言葉が合っていないから余計
に困る。
マティアスとツェリアが結婚したのは二年前、シェリルが十五歳
の時だ。
538
長兄であるマティアスはシェリルより七つ年上だから、当時は二
十二歳だった。早い貴族は十代で結婚することもあるが、決して遅
いわけではない。何より特筆すべき点は、身分の釣り合った恋愛結
婚であることだろう。
マティアスはペルレ侯爵家の跡取りだが、ツェリアと出会うまで
婚約者はいなかった。ペルレ侯爵家は名門貴族だが、父は子供たち
を割合自由にさせている。シェリルの王宮勤めは反対したが、それ
は花の民の血を危惧してのことであって、兄弟たちには進路も縁談
も何も指図していない。
ツェリアの実家は伯爵家だから身分は釣り合っていたし、幸いに
して中立派だった。現王派だ公爵派だ中立派だのとややこしい昨今、
派閥間の軋轢もなく、おまけに中立派との繋ぎができたことでかえ
って喜ばれ、婚約から婚礼まで非常にスムーズに進んだらしい。
不自由などありませんか?﹂
﹁ツェリアお義姉さまは王都育ちだそうですけれど、この屋敷での
生活はどうですか?
﹁とても楽しく過ごしているわ。どうやらわたくし、自分でも知ら
なかったけれど、都会よりも田舎の方が肌に合っているみたい﹂
﹁それは良かったです。私は十一歳までこの屋敷で暮らしていたも
のですから、王都に馴染むのに時間がかかってしまって。特に、人
の多さに慣れるのが大変でした﹂
﹁マティアス様も同じようなことを言っていたわ。あちらは夜会の
たびに﹃人の多さにうんざりする﹄と、はっきり口にしていたけど
ね﹂
﹁そうなのですか?﹂
夜会だ狩りだとよく出かけていたから、てっきり騒がしいのが好
539
きなのかと思っていた。
﹁侯爵家の跡取りともなると、顔を広げるために夜会に出席せざる
を得ないから。もともと口数が多い方ではないし、嫌だけど仕方な
く⋮⋮ということもかなりあったらしいわ﹂
﹁⋮⋮⋮知りませんでした﹂
好きで夜会に出ていたわけではないのなら、色んな女性と浮名を
流していたという話はなんだったのだろう。侍女の噂だから誇張さ
れていた可能性はあるが、某男爵令嬢に笑いかけていただの、某子
爵令嬢と踊っている時はいつもより楽しそうだの、某公爵令嬢と二
人っきりで庭に出て行っただの。侍女仲間に数えられないほど話を
聞かされたせいで、マティアスは女好きなのだと思い込んでいた。
﹁ツェリアお義姉さまはどうやってマティアスお兄さまと出会った
のですか?﹂
﹁初めて会ったのは、ウィオブルグ公爵主催の夜会。その時は、﹃
あらイイ男。ちょっと狙ってみようかしら﹄って思っただけで、会
話は挨拶程度だったわ﹂
﹁は、はぁ⋮⋮﹂
あくまで真顔で、淡々とした口調で、この発言である。
﹁わたくし、顔がこれで、身長も女にしてはかなりあるでしょう?
だから、恋人選びの第一条件が身長だったの。マティアス様は身
分が高いし顔もまぁまぁ良いし、何よりわたくしより頭半分も背が
高くて、結婚相手として理想的だったわ﹂
背が高いというのは、男性なら持てはやされるが、女性ではあま
り歓迎される要素ではない。フリューリング王国は男性上位である。
540
もちろん愛があれば良いという者もいるだろうが、身分が高くなっ
てくると、見栄えがかなり重要なのだ。
﹁だから、思い切って話しかけたの。﹃妹さん、とてもかわいらし
いですね。うらやましいですわ﹄って﹂
﹁⋮⋮え﹂
﹁それが切欠で話すようになって、お付き合いするようになって、
とんとん拍子に婚約、結婚、そして今に至る︱︱︱と﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
恋愛結婚だというからさぞ運命的な出会いを経て恋に落ち、結ば
れたのだろうと思っていたのに⋮⋮⋮まさか切欠が自分だったとは。
さすがに想像していなかった。
541
異母妹と兄嫁︵後書き︶
ど
﹁ああ楽しかった。シェリルさんと義理でも姉妹になれたなんて夢
みたい。結婚して良かった⋮!﹂
﹁私はシェリルのおまけか﹂
﹁いやだわ、世の中には一挙両得という言葉があるでしょう?
ちらも本命よ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妻の喜ぶ姿を見られるのは夫として嬉しいのだが、なんとなく面
白くないマティアスであった。
542
夜のお話︵前書き︶
シェリルとオスカーと、ちょっとだけユーリウス。
フィオレンティーナがペルレ侯爵家に来たばかりの頃の話。
王位継承問題の概略です。
543
夜のお話
ノックの音で、オスカーは顔をあげた。
﹁誰だい?﹂
﹃シェリルです、お兄様﹄
いつもならとっくに休んでいる頃だというのに、こんな時間にシ
ェリルが訪ねてくるなんて珍しい。不思議に思いながら、オスカー
は読んでいた本に栞をはさんだ。
﹁いいよ、入りなさい﹂
﹁失礼します﹂
シェリルはナイトガウン姿で、白ウサギのダニエラを抱いていた。
二年前に父が贈ったもので、服を着せかえできることと、柔らかな
素材で抱っこするとあたたかいため、持ち運び用として重用されて
いるらしい。
﹁オスカーお兄様、あのね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、
いい?﹂
﹁大丈夫だよ。おいで﹂
手招きすると、シェリルはぱっと顔を輝かせてオスカーの隣に腰
をおろした。このソファーはオスカーの読書の際の定位置で、二人
掛けなので身体がこると横にもなれる優れものである。背もたれの
角度を調整する為にクッションを多数用意しているため、シェリル
もとても気に入っていた。
544
﹁それで、聞きたいことってなんだい?﹂
またユーリウス関係だろうか。それとも、先日いらっしゃった姫
様のこと?
オスカーはシェリルのすぐ上の兄なので、シェリルはわからない
ことがあるとまずオスカーに尋ねることが多い。そのことでオスカ
ーが長兄や次兄にささやかな優越感を持っているのは内緒だ。
﹁あのね、姫様のことなの﹂
﹁姫様のことならユーリの方が詳しいよ。あれでも従兄だし﹂
﹁そうなんだけど、そうじゃなくて。姫様の、おうちの問題のこと﹂
﹁ああ、そっちか。シェリルは知らないんだね﹂
﹁うん。継承権争いとか、よくわからなくて。でも、お父様を亡く
されたばかりの姫様にはお尋ね出来ないから﹂
シェリルは基本的な読み書きこそできるが、それ以上の教育は受
けさせられていない。歴史や算術など、女が生きていくのに不要な
学問を省き、その分を裁縫や料理などの実技にまわしたからだ。ゆ
えに、世の中の仕組みなどは表面的なことしか知らないのだろう。
しかし、正嫡であってもそんな令嬢は珍しくないので、シェリルが
特別に無知なわけではない。
オスカーは机から羊皮紙の巻紙を引っ張り出すと、テーブルの上
に広げた。
﹁姫様のお父様が先代の王様だったんだけど、先日亡くなられてし
まったことは知っているね?﹂
﹁うん﹂
545
アロイジウス
まっさらだった羊皮紙の中央に
下に線を引き、
えた。
先王
と書き加
と書き入れる。そこから
フィオレンティーナ
﹁王が崩御すると、その子供が後を継ぐ。姫様のお兄様のアロイジ
ウス王子は二十歳で、まだお若いけど王に相応しい聡明な方だ。何
もなければ、この方がすぐに次の王様になるはずだった﹂
﹁何があったの?﹂
先々王
先々王の兄
と記す。
﹁アロイジウス王子より自分の方が王に相応しい!って言う人が出
てきたんだ﹂
の上に線を伸ばし、
先王
先々王の兄
を×印で消した。
そして、
﹁先々代の王様︱︱︱姫様のお祖父さまには、兄がいた。本当はこ
の方が王になられるはずだったんだけど、即位前に亡くなられてし
の子孫なんだ﹂
ハーゲンベック公爵
先々王の兄
の下に線を引き、
の名を
まったんだ。それで姫様のお祖父様が王位につかれた。今回、継承
先々王の兄
権を主張してきたのは、
書き加える。
﹁先々王の兄が即位なさっていたら、このハーゲンベック公爵とい
う人が王だっただろう。しかし、今王位は姫様の方の血筋に受け継
がれている。今さら王位を返せと言われて、シェリルだったらどう
思う?﹂
﹁うーん⋮⋮あんまり良い感じはしないと思う。そのハーゲンベッ
ク公爵様は、どうして王様になりたいの?﹂
﹁父が王位につけなかったのは先々王の陰謀だ、正統な継承者は自
546
分だ!って言ってるんだよ。シェリルだって、父上が誰かに殺され
て、ペルレ侯爵位をとられちゃったら腹が立つだろう?﹂
﹁じゃあ、ハーゲンベック公爵は正しいの?﹂
﹁それが、よくわからないんだ。先々王の兄の死は事故なんだけど、
それが先々王の仕業だという証拠はないから。先々王はとても有能
な人で、とても人望があったから、兄が亡くなって継承権が回って
きても、誰も疑わなかったんだ。心の中では不審に思っている人が
いたのかもしれないけど、先日ハーゲンベック公爵が騒ぎ出すまで、
疑惑は表沙汰になっていなかった﹂
﹁じゃあ結局、どっちが王様になるのがいいの?﹂
﹁そこが難しいんだ。ハーゲンベック公爵の言うことも一理あるけ
ど証拠はないし、アロイジウス王子は優秀だから即位に何の問題も
ない。血筋に差がないなら、貴族は次に何を重視すると思う?﹂
﹁うーん⋮⋮お勉強ができるかどうか?﹂
﹁それも大事だけど、実は王にそれほど才はいらないんだ。いざと
いう時の判断力さえあれば、後は臣下がやってくれるからね﹂
﹁じゃあ、なに?﹂
﹁縁故。親戚だよ。基本的に、王に近い血筋ほどその恩恵を受けら
れる。赤の他人より親戚の方を応援したいと思うのが、人情だろう
?﹂
﹁うん﹂
﹁アロイジウス王子の親戚はもちろん王子を推すし、ハーゲンベッ
ク公爵の親戚は公爵が王になってくれた方が都合がいい。それで、
両方とも勢力が拮抗していたから、とうとう喧嘩になってしまった
んだ。だから姫様とユーリはうちに避難してきたというわけ﹂
﹁ユーリ様も?﹂
先王
の横に線を引き、
ダールベルグ公爵
の名を書き加え
﹁ああ。ユーリはね、姫様の従兄で、ここにあたるんだよ﹂
る。その下に、ユーリウスの名を書いた。
547
﹁アロイジウス王子を支持する貴族の筆頭がダールベルグ公爵。彼
が矢面に立ってハーゲンベック公爵と対立しているから、ユーリは
結構複雑な立場なんだ﹂
﹁どう複雑なの?﹂
﹁ダールベルグ公爵は王弟殿下だったから、かつては王位継承権を
持っていた。それを返上して臣籍に下ったわけだから、﹃今は継承
権を持たない王族﹄という、ハーゲンベック公爵とはよく似た立場
なんだ。ハーゲンベック公爵の即位が認められるなら、ダールベル
グ公爵の継承権の復活だって不可能じゃない。つまり、現時点の継
承順位はアロイジウス王子に次いで二番目。ハーゲンベック公爵よ
りよっぽど王様に近い立場なんだよ﹂
﹁そうなの!?﹂
﹁ダールベルグ公爵自身は、自分は兄王の補佐に徹すると言ってさ
っさと臣籍に下ったぐらいだから、即位する気はさっぱりないみた
いだけどね﹂
ダールベルグ公爵の目的はアロイジウス王子を王にし、自分はそ
の補佐に着くことだ。王よりもそれを支える立場の方が性に合って
いると言う、その言葉は嘘ではないのだろう。だが、野心の方向が
宰相位に向いているだけで、実質はハーゲンベック公爵と大差ない
︱︱︱実の息子であるユーリウスは父をそう評した。
つまり、ユーリウスはアロイジウス王子を守らなければならない。
王子への叛意ありと見なされたが最後、実の父によって処分される
ことになるからだ。ユーリウスは王位など狙っていないが、これま
でのような自由はなくなるだろう。ダールベルグ公爵がその力を保
つためには、自分の次に継承権を持つ息子を従順にしておく必要が
あるから。
548
﹁⋮⋮悲しいのね。親戚同士で争わなくちゃいけないなんて。譲り
合うことは、できないの?﹂
﹁アロイジウス王子がハーゲンベック公爵に王位を譲るということ
は、祖父に着せられた汚名を認めるということだ。そして⋮⋮⋮こ
れも証拠はないんだけど、先王は暗殺された可能性があるんだ﹂
﹁えっ!﹂
﹁即位されてわずか三年で、突然の崩御。とても健康な方だったの
に、急に病にかかるなんておかしいってね。その死は先々王の兄君
より疑わしいと言われているよ。おかげで、両陣営では互いに対す
る不信感が高まっている。ひょっとしたら、このまま内乱になるか
もしれない﹂
﹁ないらん?﹂
﹁戦争になるかも、ってこと﹂
﹁うそっ!﹂
﹁アロイジウス王子とダールベルグ公爵が頑張っているから、大丈
夫だと思うけどね。なんとか話し合いで決着をつけてほしいものだ
よ﹂
王宮ではこの件に関して毎日のように協議が行われている。マテ
ィアスからの手紙によると、今のところは王子側が優勢であるらし
いが、もし姫様とユーリウスに何かあったら、ひっくり返される可
能性がある。まだ不穏な影は見えないが、二人はなんとしても守ら
なければならないと、オスカーは父に言い聞かされていた。
﹁シェリルが心配しなくても大丈夫だよ。ダールベルグ公爵は有能
な方だからね。なにしろ、ユーリのお父様なんだから﹂
﹁⋮⋮うん﹂
よしよしと頭を撫でてやると、シェリルはようやく笑顔になった。
⋮⋮と、またしても扉がノックされた。
549
﹁はい?﹂
入っていいよ﹂
﹃僕だ、オスカー﹄
﹁ユーリ?
断る理由もないので許可を出したが、ユーリウスは入ってくるな
り目を丸くした。
﹁シェリル、なんでオスカーの部屋に﹂
﹁こんばんは、ユーリ様。えっと、ちょっとお兄様とお話してて﹂
﹁兄妹なんだから別に構わないだろう。睨まないでくれないか。そ
れで、君は何の用なんだい?﹂
﹁⋮⋮⋮少しばかり話があったんだが﹂
その一言と表情でオスカーは理解した。昼間もシェリルと姫様の
仲が良すぎるとグチグチ言っていたから、その続きを言いに来たの
だろう。
﹁じゃあ、私はもうお部屋に戻りますね。ユーリ様はごゆっくりな
さってください﹂
シェリルはダニエラを抱っこしたまま腰を浮かせ、ユーリウスに
ぺこりと頭を下げた。そのまま横を通り過ぎようとしたシェリルを、
ユーリウスは腕の中に引き寄せた。
﹁ひゃっ!﹂
﹁こら、ユーリ!﹂
シェリルを抱きかかえたまま、先程シェリルが座っていた場所に
やってきて、ユーリウスは我が物顔で腰をおろした。膝の上にシェ
550
リルを載せて。
﹁ユーリ!﹂
﹁うるさいぞ、オスカー。本当なら部屋に連れて帰りたいのを、こ
うやって抱っこするだけで我慢してるんだから、このぐらい大目に
見ろ﹂
﹁あのね、ユーリ。シェリルはまだ子供なんだよ。手を出したら犯
罪だよ。わかってるかい?﹂
﹁だから、我慢してると言っている﹂
ぎろりと睨まれた。駄目だこりゃ、とオスカーは肩をすくめ、溜
息をついた。
ここで昼間のシェリル不足を補っているのだろう。部屋に連れ込
まれるぐらいなら、目の前に置いておいた方がまだマシだ。抱っこ
までなら大目に見てやろう。
﹁ユーリ様、あの、私邪魔じゃないんですか?﹂
﹁全然。軽いものだよ﹂
今にもとろけそうな笑顔だった。美貌をより引きたてる輝かしさ
だが、もっぱらシェリルの前でしか出てこない。
ユーリウスがシェリルに惚れこんでいるのはこれだけで一目瞭然
だが、最愛の妹を親友が抱き締めているのを見るのは複雑な気分だ
った。﹃ユーリがシェリルを貰ってくれたらなぁ﹄という思いと、
﹃あげるの嫌だなぁ﹄という思いが同じぐらいあって、オスカーに
溜息をつかせる。
﹁ユーリ、君って、本当にどうしようもないねえ﹂
551
﹁うるさい﹂
そういえば、オスカ
﹁ここにニコラウス兄上がいたら、間違いなく部屋から引きずり出
されているよ﹂
﹁いないんだから問題ない。な、シェリル?
ーと何の話をしてたんだ?﹂
シェリルは困ったようにオスカーを見た。ユーリウスに関係ある
ことではあるが、周知の事実しか喋っていないから、ユーリウスに
言っても問題はない。
﹁継承問題のことだよ。シェリルは事情を知らないから、簡単に教
えてたんだ﹂
﹁ああ⋮⋮なるほど。確かに、ややこしいからな﹂
ユーリウスは当事者だから、より詳細な事情を知っている。顔を
曇らせたユーリウスを見て、ユーリウスが落ち込んだと思ったらし
く、シェリルは慌てた。
私に出来ることがあったら、なんでも言っ
私じゃなんのお役にも立てないかもしれないけど、
﹁あのっ、ユーリ様!
てください!
絶対絶対、私はユーリ様の味方ですから!﹂
うわぁ、とオスカーは思った。ユーリウスに対してのそれは、完
全な殺し文句だ。今ここでユーリウスがケダモノ化してシェリルに
襲いかかったとしても、なんら不思議ではない。
ぴきりと固まっているユーリウスを牽制する為に、オスカーはそ
の名を呼んだ。
﹁ユーリ﹂
552
﹁っ!﹂
﹁言わなくてもわかってるよね?﹂
オスカーにしてみればシェリルはかわいい妹なので、膝の上に乗
せてなでくりまわしても劣情を抱くことはないのだが、ユーリウス
は違う。好きな子を膝の上にのせているのに手を出せないなんて、
なんてかわいそうなんだろう。シェリルはまだ子供なのだから、手
を出さないのは当たり前なのだが、つい同情してしまった。
﹁オスカー⋮⋮⋮なんの拷問だろうな、これは﹂
﹁不用意に膝の上に載せるからだよ。自業自得﹂
﹁かわいいんだから仕方ないだろ。昼間は触れないんだから尚更だ﹂
﹁そうでしたっけ?﹂
シェリルの考える﹃触れる﹄とユーリウスの望む﹃触れる﹄は意
味が違うのだが、シェリルにはわからないらしい。この優しくて綺
麗な貴公子が、自分を狙うオオカミだなんて、想像もしていないの
だろう。性別の差以上に、三つの歳の差は大きいようだ。
﹁それで、ユーリ。何の話があるんだって?﹂
言いたいことはわかっているが、あえてオスカーは尋ねてやった。
シェリルの前で姫様に関する文句を口にするのは墓穴というものだ
が、さてはてどう切り返してくるのやら。
﹁あー⋮⋮⋮明日の予定なんだが。フィオラが村の薔薇園を見たい
とごねていたんだが、いけるか?﹂
﹁まだ花の盛りには少し早いよ。早くても来月頭ぐらいがちょうど
いいと思う﹂
﹁そうか。じゃあ、庭の花もまだなんだな﹂
553
﹁あのっ!
お庭だったら、私がご案内してさしあげたいです。薔
薇は少ないけど、季節の花なら、離れにもいっぱい咲いてるし﹂
シェリルの目は輝いていた。庭の花はシェリルが庭師と一緒に心
をこめて世話をしているものなので、それを姫様にお見せできると
なれば、張りきるのは当然だ。
﹁じゃあ案内はシェリルに頼もう。だがシェリル、あのじゃじゃ馬
の相手は大変じゃないか?﹂
﹁そんなことないです。姫様はとてもおかわいらしくて、お話しさ
せて頂けるだけでとても楽しいです﹂
﹁それはすごいな。僕はあいつと喋ってるとイライラしてくるんだ
が﹂
﹁ユーリ様⋮⋮﹂
ユーリウスがあんまり苦々しげに言うものだから、シェリルは困
った顔をした。
姫様より四つも年上のくせに、ユーリウスは子供に合わせるとい
うことができないのだろうか。いや、シェリルとは相応に接してい
るから、単に気が合わないのだろう。思えば、今までユーリウスの
口から従妹の話が出たことはほとんどなかったし、出たとしても悪
態が多かった。
ごめんなさいオスカーお兄様、長
﹁シェリル、もう遅い。そろそろ寝ないと明日起きられなくなって
あ、もうこんな時間!
しまうよ﹂
﹁え?
居してしまって﹂
﹁構わないさ。部屋まで送っていくよ﹂
﹁いや、僕がいく﹂
554
﹁そうかい?
よ﹂
じゃあ頼んだよ。くれぐれも送るだけにしておいて
﹁⋮⋮⋮わかっている!﹂
とは言いつつ、流石に十一歳の子供にいかがわしいことはしない
だろうことは、オスカーだってわかっている。ユーリウスがシェリ
ルを大事にしているのは本当だし、本気で疑っているならそもそも
任せない。
﹁じゃあ、おやすみなさい、オスカーお兄様﹂
﹁おやすみ、シェリル。また明日﹂
オスカーは笑顔で二人を見送った。ユーリウスは言わずもがなだ
が、ユーリウスに手を繋いでもらったシェリルも、とても幸せそう
だった。
555
騎士たちの衝撃︵前書き︶
ニコラウスの同僚視点、シェリルが王都に来たばかりの頃の話。
556
騎士たちの衝撃
﹁見ろよあれ⋮⋮﹂
﹁にっこにこだな⋮⋮﹂
﹁なんだっていうんだ、一体⋮⋮﹂
誉れ高き第一騎士団の精鋭たちは恐れ慄いていた。視線の先には、
彼らと同じ鎧の身を包んだ一人の騎士がいる。
﹁フンフンフフ∼ン♪﹂
愛剣を磨く手つきはいつになく軽やかで、へたくそな鼻歌まで聞
こえてくる。
圧倒的な強さでもって上に一目置かれている青年は、口下手なだ
けなのだが、どちらかというと無口だ。顔立ちは悪くないが真顔で
も相手を威圧する迫力ある上、普段の表情からして顰め面が多い。
そんな青年がにやにやと笑み崩れているのだから、不気味この上な
かった。
後輩たちはもちろん先輩連中までもが、青年︱︱︱ニコラウスを
遠巻きに眺めている。そんな中、たまたま同じ部隊に配属されたニ
コラウスの同期四人は、集まってひそひそと囁き合った。
しかしいくら優勝確実だから
﹁喜色満面だな。あんなニコラウス、初めてみるぞ﹂
﹁もうすぐ御前試合があるからか?
557
って、あんなに浮かれるか?
ような﹂
去年はむしろ緊張でぴりぴりしてた
ニコラウスに妹なんていたか?
弟なら知ってるが﹂
﹁あ、そういえば妹が応援に来てくれるとかなんとか言ってたかも﹂
﹁妹?
﹁腹違いだそうだ。で、姫様付きの侍女をやってるとかなんとか﹂
﹁アレの妹⋮⋮﹂
彼らは一様にドレス姿のニコラウスを思い浮かべた。しかし、一
瞬で脳がそれ以上の想像を拒否した。
ニコラウスは﹃男前﹄という言葉が似合う漢だ。まさしく漢だ。
美しさやかわいらしさなど欠片もない。もしあれと瓜二つだったと
したら、そもそも侍女として採用されなかっただろう。そう結論づ
マティアスさんを思い浮かべるんだ。あの
け、そのおぞましい予想図を振り払った。
﹁いや、みんな待て!
人は美形だ﹂
﹁マティアスさん似だったら美人かもしれないが、俺の好みじゃな
いな﹂
﹁お前の好みなんか聞いてねえよ﹂
﹁マティアスさんは母親似だって話だからそれはないだろ﹂
﹁じゃあ結局、ニコラウス似のごつい女か⋮⋮﹂
﹁母親似の美人かもしれないじゃないか。貴族の愛人は美人と相場
なるほど!﹂
が決まってる﹂
﹁おおっ!
﹁侯爵家の美少女かぁ⋮⋮楽しみだなぁ﹂
﹁夢みんなよ。現実を目にした時に落ち込むハメになっても知らん
ぞ﹂
﹁なんにしろ、本戦当日になったらわかることだ﹂
558
騎士団で年に一度開催される御前試合は、国王陛下が観戦にこら
れることが前提であるため、王宮内に設置された特別会場で行われ
る。事前に申請すれば平民の立ち入りも許可されており、一年で最
も王宮が賑やかになる日でもあった。
今年は特に国王が即位したばかりとあって、例年以上に盛りあが
っていた。もちろん王子時代には何度も観戦に来られていたが、相
手が﹃王﹄であることに意味があるのだ。
王の目に留まれば出世を約束されたも同然。新米から熟練まで、
隊長以下の役職を持たない騎士たちはこの日のために訓練に精を出
し、壮絶な予選を勝ち抜いてきたと言っても過言ではない。
﹁なんだろうな、この虚しさ﹂
ハンスは溜息混じりに呟いた。
﹁悔しかったら精進しろってことだろ﹂
イグナーツもまた溜息をつきながら、盛りあがる試合会場を眺め
ていた。
予選敗退した二人は、せいぜい同期の応援ぐらいしかすることが
ない。彼らと同じ部隊の同期で本戦に進んだのはニコラウスと他二
人だけだが、同期全体でみるとこれでも豊作の年であるらしい。同
期の出世は彼らの出世と結びつく可能性が高いので、三人には頑張
559
ってもらわなければならない。
﹁で、ニコラウスの妹とやらはどれだ?﹂
﹁わかるわけないだろ﹂
毎年のことながら、観客席は満員御礼だ。ニコラウスの身内なら
貴族席にいるだろうが、会場脇にいる彼らが顔を識別できるのはせ
いぜい三列目までである。
﹁お、そうこう言ってるうちにニコラウスの番だ﹂
ハンスとイグナーツは試合そっちのけで観客席に目を凝らした。
が、ニコラウスは優勝候補なので観客の注目度が高い。身を乗り出
して応援する人々が多すぎて、二人は特定を断念しそうになった、
が。
﹁シェリルっ、見てくれたかー!﹂
一撃で試合を決めたニコラウスが﹃妹﹄に向けて手を振ったので、
容易に発見することができた。
﹁うそだろ!?﹂
﹁ぜんっっぜん似てねえ!!﹂
腹違いだろうが半分は血が繋がっているのだから、見ればわかる
だろうと思っていたら、赤の他人だと言われた方が納得できるほど
に共通点がなかった。
まだ十代前半だろう小さな身体を萌黄色のドレスに包み、艶やか
な蜂蜜色の髪は愛らしくおさげに結われている。白い頬を薔薇色に
560
どれが?!﹂
紅潮させてニコラウスに手を振り返す少女は︱︱︱まごうことなき
美少女だった。
﹁なにっ、ニコラウスの妹!?
﹁まさか最前列のあの子!?﹂
﹁そんな馬鹿な!!﹂
周囲にいた同僚たちまで大騒ぎする始末である。髪色、瞳の色、
肌色、顔立ち、身体つき、体格、雰囲気、何一つとしてニコラウス
と似通ったものがなく、事前に妹だと言われていなければ彼女かと
勘違いしてしまっていただろう。相手は子供と言っていい年齢だが。
﹁あ、よく見たら弟くんが隣に座ってる。⋮⋮⋮本っ当に兄妹なん
だな﹂
ペルレ侯爵家の子息たちは有名なので、末端騎士でも顔ぐらいは
知っているものだ。ハンス達は何度か王都の侯爵邸に遊びに行った
ことがあるのでなおさらだった。
﹁マティアスさんまでいるぞ﹂
﹁あれ、妹ちゃんの左隣に座ってるのってダールベルグ公爵家のお
坊ちゃまじゃないか?﹂
﹁あの一角だけえらい豪華だな﹂
﹁公爵家の坊ちゃまは王族席じゃなくていいのか?﹂
﹁さてな。ダールベルグ公爵は王族席の方にいるから、本人が希望
したんだろ。ペルレ侯爵家の兄弟とは従兄弟同士だしな﹂
﹁ふーん。⋮⋮⋮妹ちゃんかわいいなぁ﹂
誰かの呟きに、﹃同感だ﹄と一同が頷いた。
561
ニコラウスと同い年のハンス達は、十七歳。そろそろ結婚を考え
なければならない歳だ。まだまだ焦る必要はないが、かわいい女の
子が気になるのは男の性だ。
﹁五年後が楽しみだな﹂
﹁お近づきになれたらペルレ侯爵家と繋がり持てるってことだろ。
俺、逆玉狙っちゃおうかなぁ﹂
﹁ニコラウスを義兄と呼ぶハメになるぞ﹂
﹁⋮⋮⋮それは嫌だな﹂
ニコラウスが妹を溺愛しているのは見ればわかる。いつもより動
きのキレが良いし、勝つたびに妹に向けて笑顔で手を振るからだ。
せめて応援してくれてる令嬢たちにアピールしろよ、と傍で見て
いたハンス達は思ったが、妹馬鹿でいてくれた方がライバルが減っ
ていい。ニコラウスと義理でも兄弟になる気はない彼らは、破竹の
勢いで勝ち進んでいくニコラウスを生温かい目で見守った。
ニコラウスは大半の予想通り、みごと優勝を果たした。そして結
果的に、公衆の面前で妹を宣伝してしまった。
妹のかわいらしさに目を付けた輩やら逆玉を目論む連中に﹃妹を
紹介しろ﹄と詰め寄られるたび、ニコラウスは﹃妹に近づきたい奴
は、俺の屍を越えていけ!!﹄と高らかに宣言し、時には力ずくで
思い知らせたとか。
562
兄妃と妹姫︵前書き︶
シェリルが姫様付き侍女になって一カ月ぐらいの頃のお話︵十一∼
十二歳︶。
久しぶりのシェリル視点です。
ほのぼのです。
563
兄妃と妹姫
︵ど、どうしよう⋮!︶
緊張のあまり、身体が硬くなっているのがわかる。いま肘の一つ
でも動かせば、バキバキと音が鳴るかもしれない。
﹁緊張しているのかしら?﹂
﹁は、はい。申し訳ありません﹂
﹁そんな硬くならないで、気楽にしていいのよ︱︱︱と、口で言っ
ても無理よねえ﹂
きょとんとするシェリルに、フリューリング王国で最も高貴な貴
婦人は﹃ふふふ﹄と微笑みかけてきた。
﹁今はどうしても緊張するでしょうけど、慣れれば平然と立ってい
られるようになるから大丈夫よ。大変でしょうけど頑張ってね﹂
﹁⋮⋮はい﹂
気さくなお言葉のおかげで、少し肩の力が抜けた気がする。目立
たないよう、シェリルはこっそりと溜息をついた。⋮⋮⋮お優しそ
うな方で良かった。
貴婦人は、姫様のお兄様のお妃様︱︱︱ライサ王妃である。
アロイジウス陛下と同い年で、歳は二十一。艶めかしい肢体を菫
色のドレスで包んでいるが、優しげな顔立ちのためか色気よりも気
品を感じる。肌の色がまるで雪のように白くて、あまりの美しさに、
564
女のシェリルでも胸が高鳴ってしまいそうだ。こんな桁外れの美女
を前にして、緊張するなという方が無理である。
本当ならシェリルごときがお姿を拝見することすらおこがましい、
雲の上の御方だ。ニコラウスやオスカーでさえまだお目通り叶った
ことはないだろう。それが、シェリルはお茶会に招かれた姫様のお
供を仰せつかったことで、こうしてお声までかけて頂いてしまった。
王妃様の招待のお供なのだから、本来ならシェリルのような新米
ではなく、ベテランが選ばれてしかるべきだ。しかし、姫様たって
のご希望で、姫様付きになって一カ月しか経っていないシェリルが
選ばれてしまった。光栄すぎて身に余る。どうしよう。
﹁ね、お義姉さま。わたくしの言った通りでしょう?﹂
﹁ええ。やはり話で聞くのと、実物は違うわ﹂
︵話?︱︱︱話って⋮⋮なんですか?︶
ペルレ侯爵家の屋敷に滞在されていた頃、姫様はよくお兄様であ
る国王陛下に手紙を書いていらした。二人きりの兄妹なのだから当
然だろうと、微笑ましく思っていたのだが⋮⋮⋮まさかシェリルの
それが、陛下から王妃様に伝わった?
一体なにを書いたんですかー!!︶
ことも書いたのだろうか?
︵姫様ーっ!!
内心泣きそうになりながら、シェリルは心の中で絶叫した。
不敬なのはわかっている。ライサ様は王妃陛下だが、姫様だって
王女、今は王妹殿下だ。それは知っている。
565
しかし、姫様はシェリルより年下のかわいらしい女の子で、一年
間、姉妹のように過ごしていた。妹⋮⋮というのはおこがまし過ぎ
るが、使用人の分を超えない程度に、姉のような気持ちで接してい
る。だが、ライサ様はマティアスより年上の貴婦人、つまり大人だ。
しかも、王妃様なのだ。緊張の度合いが比べ物にならない。
﹁本当にかわいらしい。五年後が楽しみだわ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮お義姉さま。お兄様のアレって、冗談なのよね?﹂
﹁それはそうよ。貴女のお兄様はそこまで変態じゃないわ﹂
なんてことしてくれたのーっ!?︶
﹁でも、男はみんなヘンタイなんでしょう?﹂
﹁まぁ。誰に聞いたの?﹂
﹁オスカー﹂
︵オスカーお兄様ーっ!?
確かに、そのようなことを言っていた記憶はある。しかし、あく
までオスカーは比喩、もしくは大袈裟に言っただけであって、真実
ではない。しかも、それはシェリルに向けて言った言葉である。ま
さか横で聞いていた姫様がそのまま言葉通りに信じてしまうなんて
︱︱︱!!
シェリルは戻ったらまずアンネリーゼに姫様の認識の訂正をお願
いし、後日オスカーに直接文句を言いに行こうと心に決めた。
﹁ペルレ侯爵家の子?﹂
﹁三男でね、ユーリと同い年なのにすっごく頭がいいの。勉強と一
緒に色んな雑学を教えてもらったわ﹂
﹁それは良かったわね﹂
﹁で、そのオスカーがね、﹃ユーリみたいな顔の男でも考えてるこ
とはエロいことばっかりだから、夢を見てはいけないんだよ﹄、﹃
566
なんて楽しい子なのっ!
男はみんなヘンタイだからね﹄って言ってたの﹂
﹁まぁ︱︱︱ふふふっ!
一緒に聞きたかったわ!﹂
ぜひその場で
姫様の得意げな語り口調がよっぽどツボに入ったのか、ライサ様
ばかばかばかーっ︶
は口元を扇で隠しながら身を捩った。シェリルは穴があったら入り
たいと心底思った。
︵オスカーお兄様のばかっ!!
しかもその発言の後、﹃僕の恋人は本だから、僕は変態じゃない
よ﹄と自分だけちゃっかり言い逃れていたのだ。変態呼ばわりされ
たユーリウスが、呆れて頭を抱えるぐらい堂々とした態度で。
シェリルも呆れたが、オスカーが女の子に興味を持っている姿を
想像できないのも事実で、ユーリウスを庇っただけで終わってしま
った。もっと強く否定しておけばよかった。
﹁その理論でいくと、アロイジウスも変態でしょうね。ふふふっ﹂
﹁やっぱりそうよね!﹂
﹁ふふっ。そうよ﹂
︵姫様⋮⋮変態という言葉の意味をわかってらっしゃいますか?︶
だんだん不安になってきた。この疑惑も含め、後でアンネリーゼ
に報告しておかなければならない。そして当然ながら理解している
だろう王妃様は、陛下を変態呼ばわりして大丈夫なのだろうか。噂
では仲睦まじいと評判なのに。
﹁ねえ、シェリルさん﹂
567
﹁っ、はい!﹂
﹁お兄様と直接お話ししてみたいから、夜会で見かけたらぜひ挨拶
に来て頂戴、って伝えておいてくれるかしら﹂
こんなことで王妃様にご
教えて、マティアスお兄様!︶
こんなこと伝えていいの?
﹁は⋮⋮い⋮﹂
︵いいの?
挨拶させて頂いていいの!?
シェリルまで、どさくさで王妃様に名前を呼んで頂いてしまった。
新米侍女には過ぎたる名誉だ。そしてオスカーは、こんなことで王
妃様に名を覚えられてしまって大丈夫なのだろうか?
いや、好印象には違いないのだが、なにしろ内容が内容である。
このことが原因で、オスカーが陛下の不興を買ってしまったらどう
したらいいのだろう。ユーリウスは助けてくれるだろうか⋮⋮?
後日、茶会の一部始終を兄達三人とユーリウスに報告したら、ユ
ーリウスは苦笑し、マティアスは頭を抱え、ニコラウスは爆笑した
ものの、当のオスカーはけろっとしていた。﹃今から王妃様の覚え
がめでたいなんて、出世間違いなしだねえ﹄なんて笑いながら。
まず、王妃様は大らかなで気さくな人柄で有名な方らしい。陛下
と揃って夜会にもお出ましになるし、挨拶ぐらいなら、それほど敷
居は高くないのだと。実際、マティアスはすでに何度もお話させて
頂いたことがあるらしい。ペルレ侯爵家は陛下の信頼が厚く、その
信頼があってこそ、継承権争いの折に姫様を預けて頂けたのだ。
568
つまり、今さら軽口の一つや二つぐらいなら問題にもならないら
しい。﹃伊達にユーリの従兄弟をやってないよ﹄と笑うオスカーを、
シェリルは素直に尊敬した。
569
兄妃と妹姫︵後書き︶
﹁⋮⋮⋮⋮お義姉さま。お兄様のアレって、冗談なのよね?﹂
⇒シェリルを姉にしたいと言ったら、﹃なら側室に迎えようか﹄と
返してきたこと。
﹁それはそうよ。貴女のお兄様はそこまで変態じゃないわ﹂
⇒さすがに十一歳の女の子を側室にはしない。そんな幼女趣味はな
い。
﹃そこまで﹄の解釈はお任せします︵笑︶
570
帰郷4のおまけ 前編︵前書き︶
帰郷4の間、ペルレ侯爵家に戻ってきた翌朝のお話。
ユーリウス×シェリルのらぶらぶ。
前後編でお送りします。
571
帰郷4のおまけ 前編
侍女として働いていた時の癖で、よほど疲れていない限り、シェ
リルは毎朝、夜明け前に一度目を覚ます。朝勤の日はそのまま起床
して、休日や昼勤の日は、睡眠時間の確保のためにもう一度目を閉
じるのが習慣になっていた。
今朝もまた、シェリルは夜明けと共に目を開けた。もぞりと身体
を起こし、窓の外で白み始めた空を見る。こんな時間に起きるのは、
小鳥とパン屋ぐらいのものだろう。辺りはいまだ静寂に包まれてい
る。動き出すには、まだ早い。
﹁ん⋮﹂
傍らでぬくもりが動いて、シェリルはびくっと身を竦ませた。胴
に巻きついていた腕がさらに力を増して、シェリルを引き寄せる。
﹁ぁっ⋮﹂
シェリルをすっぽり腕の中に囲いこんで、ユーリウスが穏やかな
寝息を立てていた。
︱︱︱そう。もう怯える必要はないのだ。シェリルを抱き締める
のは、ユーリウスだけなのだから。
透き通った輝石のように秀麗な眉目が、すぐ目の前にある。
︵⋮⋮きれい⋮︶
572
見慣れているはずなのに、また見惚れてしまった。美人は三日で
飽きるなんて嘘だ。
白磁のような肌、髪と同じ色の睫毛は感嘆したくなるほど豪奢だ
し、目鼻の配置は完璧の一言。女性には見えないが、男性的でもな
い。その美貌は、高貴な方々の間で宝石に例えられていた。
︵こんなに綺麗な人が、私なんかを⋮⋮︶
眠りに着く前の嬌態を思い出してしまい、頬が熱くなった。どん
なに美しかろうと、ユーリウスは紛れもなく男性だ。そのことを、
シェリルは身をもって思い知らされている。
この腕に抱かれて眠るなんて、つい先日まではありえないことだ
った。何度夢に見ても、叶うはずがないと諦めていた。それなのに、
この身に流れる血のせいで、幸か不幸かシェリルはユーリウスの腕
の中に収まった。
ここに至るまでの経緯を過去のことだと割り切るには、まだ時が
足りない。思いだすだけで身の毛がよだつ心地がする。ふるっと身
を震わせると、ユーリウスがぴくりと瞼を震わせた。
﹁⋮⋮⋮シェリル⋮?﹂
﹁あ⋮⋮ご、めんなさい⋮⋮⋮まだ早いですから、もう一度お休み
になってください﹂
これ以上安眠を妨げないようにと距離を取ろうとしたら、いっそ
う強く抱きこまれた。
573
﹁ユーリさま⋮!﹂
﹁⋮⋮僕にこうされるのは、いやか?﹂
﹁そんなわけありませんっ。でも、私がくっついてたら、お休みの
邪魔になりますから﹂
﹁邪魔じゃない。⋮⋮いやじゃないなら、はなれるな﹂
ぎゅうっとシェリルを抱きすくめると、ユーリウスは再び穏やか
な寝息を立てはじめた。⋮⋮⋮クサヴァーの言っていた通り、本当
に眠りが深いらしい。僅かな覚醒の間も、紫水晶は瞼の裏に隠れた
ままだった。
︵寝にくくないのかしら⋮⋮︶
ごそごそ動く抱き枕なんて絶対に邪魔だと思うのだが、ユーリウ
スにとっては違うのだろうか。それとも、シェリルに身動きするな
ということだろうか。
︵でも⋮⋮あったかい⋮︶
ユーリウスのぬくもりは、冷えかけた心に安らぎをもたらしてく
れた。他の男に触れられるのは金輪際ご免だが、ユーリウスにはい
つまでも包まれていたいと思う。こんなにあたたかい場所は、きっ
と、他にない。
︵ゆーりさま⋮⋮︶
愛する人に抱かれる幸せを噛みしめながら、シェリルもまた束の
間のまどろみに身を委ねた。
574
目を覚ますと、柔らかなぬくもりが腕の中にあった。視線を下げ
れば、愛しい少女が、すやすやと安らかな寝息を立てているのが見
える。その寝顔は、眠りに落ちる前、あれほど淫らに喘いでいたと
は思えないほどあどけない。
くすりと口元を笑ませて、ユーリウスは蜂蜜色の髪に顔をうずめ
た。鼻腔をくすぐる、蜜のような甘い香り。愛液だけでなく、汗の
匂いまで甘いのだと、シェリルは知っているだろうか。
︵この部屋だけでも、シェリルが侯にどれほど愛されているかわか
るな︶
内装や家具は本館と同じく上質なものばかり。離れというより小
さめの屋敷という風情で、生活に必要な設備は全て揃っている。
昔、シェリルが一人だけ離れで寝起きしていると知った時は憤り
を覚えたものだが、一歩足を踏み入れただけでそんな怒りは雲散霧
消したぐらい居心地の良い空間だった。
シェリルの部屋の調度類は、薄紅色で統一されていた。二人で寝
ても余裕のあるベッドは最も日当たりのよい場所におかれていて、
バルコニーに出られる大きな窓から差し込む爽やかな光が、僅かに
残る眠気を完全に払ってくれる。
子供の頃には遊びの延長で何度か足を踏み入れたことがあるが、
夜を過ごしたのも、朝を迎えたのも、当然ながら初めてのことだ。
シェリルと結ばれることができたのだと、改めて実感した。
575
﹁シェリル、朝だよ﹂
耳元で囁くと、シェリルはぴくんと瞼を震わせて、ゆっくりと目
を開けた。
﹁⋮⋮ゆーり、さま⋮?﹂
﹁おはよう。よく眠れたか?﹂
﹁はい⋮⋮おはようございます﹂
まだ目覚め切っていないのだろう、ごしごしと目をこする。そん
な仕草も、幼い頃と少しも変わらない。身体を起こすと、シェリル
は日の高さを見て、思案顔を浮かべた。
お湯は張ってあると思うので﹂
﹁えと⋮⋮ユーリ様、朝食までまだ少し時間がありそうなので、湯
浴みをなされますか?
﹁そうさせてもらえると嬉しい﹂
﹁はい。では、少々お待ちください﹂
シェリルは手早く夜着を身にまとうと、風呂を使う旨を使用人に
伝えに行った。この辺りは侍女をしていた頃に鍛えられたのだろう、
てきぱきとした動きだ。やがて戻ってきたシェリルは、ユーリウス
を恭しく促した。
﹁お背中をお流しますね﹂
﹁え?﹂
ここではシェリルも仕えられる立場なのだから、そんな使用人の
ようなことをしなくても︱︱︱と、口で言ったわけではないが、顔
に出ていたのだろう。シェリルは顔を赤くしながら俯いた。
576
﹁ユーリ様のお世話は、他の者に任せたくないんです。⋮⋮駄目で
しょうか?﹂
駄 目 な わ け が な い。
577
帰郷4のおまけ 後編*
シェリルの仕事は完璧だった。一糸まとわぬユーリウスの肌を、
泡立てた海綿で優しくこすっていく。その手つきにまごついたとこ
ろはなく、経験を感じさせた。
どうしてくれるのかという好奇心から好きにさせていたのだが、
背中だけではなく身体の前も、ユーリウスのものまで、シェリルは
顔色一つ変えず丁寧に洗いあげてしまった。閨では恥じらっていた
はずなのに、光の下での方が堂々としているというのはどういうこ
とだろう。
﹁男の世話も慣れているのか?﹂
﹁身の回りのお世話は少し経験がありますけど、入浴のお手伝いを
したのは姫様だけです﹂
﹁その割には堂々としているけど﹂
﹁仕事中に恥じらいは見せられませんから﹂
﹁僕の世話は仕事なのか?﹂
﹁う⋮⋮﹂
わざと意地悪に言うと、シェリルは頬を染めながら視線をそらし
た。
﹁だって⋮⋮意識してしまったら、こんなこと、とてもできません
⋮⋮﹂
慣れていると言われたらどうしようかと思ったが、杞憂で何より
だ。
578
シェリルはユーリウス以外の男に純潔を奪われ、その後も幾度と
なく凌辱されている。この手に取り戻した時にはもう、シェリルの
身体はすっかり熟していて、ユーリウスを易々と受け入れた。⋮⋮
⋮勘繰るべきではないし、責めるのは筋違いだとわかっているが、
複雑な気持ちになるのだ。
他の男に何をされ、どんな顔を見せたのかと。
そ、それはっ⋮⋮﹂
﹁だが、僕だけ裸というのも恥ずかしいな。シェリルも脱いでくれ
ないか?﹂
﹁えっ!?
肌を見るのも見せるのも、まだ恥ずかしいのだとわかって、ほっ
とした。淫らな様はもちろんだが、初々しい様も見つけると嬉しく
なる。
なら、一緒に洗ってしまえばい
薄手のガウンに身を包んでいるシェリルを抱き寄せ、ユーリウス
は袷の中に手をいれた。
﹁ひゃっ⋮﹂
﹁どうせ君も後で入るんだろう?
い﹂
腰紐を解いてガウンを落とし、シェリルの背を胸に合わせる。シ
ユーリ様っ、あ、だめっ、くすぐ、ったぃっ⋮!﹂
ェリルの落とした海綿を拾って泡立て直し、手の平で首筋に擦りつ
けた。
﹁ひゃんっ!
﹁簡単そうに見えるのに、加減が難しいんだな﹂
579
﹁んっ!⋮あぅぅっ⋮﹂
ふわふわとした泡をまとった手の平が、乳白色の肌をぬるぬると
滑る。首筋から肩、二の腕、脇、腹の順に撫で擦り、胸を特に念入
りに揉⋮⋮⋮洗っていくと、膨らみの中心がつんと尖り始めた。
﹁んっ⋮⋮んっ⋮﹂
﹁おさえなくていい﹂
﹁だめ、ですっ⋮⋮外に、聞こえてしまいます⋮っ﹂
身体を表に返し、今度は互いの胸を合わせる。すすす、と背を撫
で上げ、高く声をあげそうになった唇を口づけで塞いだ。
﹁ゃ、ッ︱︱︱︱ぅぅぅんん⋮ッ!!﹂
手の平に泡を足し、続けざまに臀部、腿へと伝っていくと、シェ
リルはユーリウスに縋りつきながら身を竦めた。シェリルの全身を
泡だらけにして、最後に、一番大事なところへ手を伸ばす。
﹁ふぁ⋮っ!﹂
﹁ここは念入りに洗っておかないとな﹂
﹁じ、⋮自分でやりますっ!﹂
﹁ついでだから気にしなくていい﹂
﹁そういう問題じゃないですぅ⋮﹂
シェリルは半泣きだったが、ユーリウスは構わず指を這わせた。
花びらを割り開き、形に添って、前後にこする。途中、花芯に爪を
立てると、びくりと背をしならせた。湯気で湿った身体がほんのり
と火照っていくのがわかる。
580
﹁ふっ、⋮⋮ふぅ⋮っ﹂
﹁あとは、ここ﹂
﹁ゃあっ﹂
そこはしとどに潤っていたが、人差し指を締めつけるほどに狭か
った。しかし、抜き差しするごとに柔らかくほぐれ、熱い蜜を溢れ
だめ、です、ユーリさまっ!
もぅっ、朝⋮⋮っ!﹂
させる。蜜に交え、昨夜自分が放った精を掻き出すように動かした。
﹁やぁんっ!
﹁洗っているだけだよ﹂
﹁それなら私、自分でやりますからっ﹂
﹁僕が出したものだし、後始末ぐらいさせてくれ﹂
﹁っ∼∼∼∼∼﹂
ユーリウスの手を伝い、床に滴るのは精か、はたまた彼女の蜜か。
夜の行為で、愛しい少女を己の精が汚したのだと考えると、暗い喜
びが身体を満たした。
﹁ふっ⋮⋮ぁっ、んんっ⋮!⋮ユーリさまぁ⋮っ﹂
息も絶え絶えとなったシェリルを支えながら泡を洗い流し、ユー
リウスはシェリルを抱えて湯に身を沈めた。腿の上に座るシェリル
が、ユーリウスの胸に頭を預ける。
﹁はぅ⋮⋮﹂
侯爵家の本館やユーリウスの実家ほど広くはないが、この浴槽も
二人が足を伸ばせる程度の大きさはあった。
﹁相変わらず、シェリルは軽いな﹂
581
﹁ユーリ様が力持ちなんです⋮⋮﹂
確かにユーリウスもそれなりに鍛えてはいるが、力ではニコラウ
スの足元にも及ばない。軽々と抱えているように見えるのは、シェ
リルが小柄で華奢だからこそだ。しかし、ここでそれを言う必要は
ないだろう。
﹁⋮⋮⋮あの、ユーリ様﹂
﹁ん?﹂
﹁その⋮⋮えっと⋮﹂
顔を覗き込むと、シェリルは真っ赤に茹だった顔で口ごもった。
しかし、その表情だけで何を言いたいかはわかる。ユーリウスはく
すりと笑った。
﹁前にもあったな、このやり取り﹂
﹁う、でも、あの、今日は、と言うか、今朝は、えっと、朝で﹂
﹁朝は、駄目?﹂
﹁っ⋮⋮﹂
昔から、シェリルは素直で良い子だった。兄弟たちのわがままも、
ユーリウスの些細なお願いも、でき得る限り叶えてくれた。無茶を
言っていないか、一応気をつけているが、生まれた時から人の上に
立つ者として育てられたユーリウスが、今さら言動を直すのは難し
い。
もちろん身分を笠に着ての無理強いはしたくないから、駄目なこ
とはきちんと断るように重々言い含めてある。
﹁だめ⋮⋮じゃ、ない、です﹂
582
だから、シェリルが良いという時は、シェリルもまた望んでくれ
ているのだと思うことにしている。
﹁ふっ、んんっ!⋮︱ふぁっ⋮﹂
弾んだ吐息が湯気に紛れるたび、湯の跳ねる音がする。身体が温
まっているためか、シェリルの中も、いつもより熱く感じる。
﹁ぅあっ、ん、っひゅぅ﹂
ユーリウスの上で、手の平で口を塞いで声を殺しているシェリル
︱︱ゃぁぁっ!!﹂
がいじらしくて、かわいくて、つい激しくしてしまう。
﹁んっッ!
良いところを捏ねるようにぐりゅりゅと腰を蠢かせると、軽く達
したのか、シェリルはびくっびくっと身悶えた。
﹁はふ⋮っ⋮はふ⋮っ⋮﹂
繋がったまま場所を交代し、くにゃりとした身体を浴槽にもたれ
させた。足を肩に担いで、結合を深める。
﹁ぁっ︱︱︱﹂
583
昨夜ユーリウスが注いだ精は、とっくに掻き出されている。今シ
ェリルを潤わせているのは、彼女から湧き出た蜜と、湯と︱︱︱新
ユーリ、ゥスぅ⋮っ!﹂
たに注いだ欲望の滾り。
﹁ぁんっ!⋮⋮ぁっ!
シェリルの声で呼ばれる名前は、どうしてこんなに甘いのだろう。
﹁のぼせるのが早いか、湯が冷めるのが早いか︱︱︱どちらだろう
な﹂
身支度を整え、少し冷めた朝食を平らげた頃には、すっかり日が
高くなっていた。
ぐったりしたシェリルを抱えて浴室から出てきたユーリウスに、
侯爵家の侍女たちは何も言わなかったが、態度から察するに、どう
やら微笑ましく思われているらしい。
﹁マティアス様から﹃気が済んだら顔を出せ﹄との伝言をお預かり
しております﹂
笑い混じりに告げられた伝言を聞くまで本気で失念していたが、
むしろ今まで誰も怒鳴りこんでこなかったのが不思議なぐらいだっ
た。暴走するニコラウスは、マティアスとオスカーが止めてくれた
のだろうか。
584
兄が待っていると聞いて、シェリルは腰を浮かしかけたが、ユー
リウスが押しとめた。
﹁まだ休んでいた方がいい﹂
﹁え、でも﹂
﹁駄目だ。その顔で会ったら、朝から何をしていたのか一発でばれ
る﹂
﹁っ!!﹂
ますます真っ赤になって、シェリルは両手で頬を押さえた。
﹁⋮⋮⋮﹃気が済んだら﹄って、全部お見通しってことでしょうか
?﹂
﹁君はいつも早起きだからな。今日はたまたま寝坊した、なんて言
い訳は通じないだろう﹂
﹁っ∼∼∼∼﹂
本館に顔を出したら間違いなくシェリルを兄弟に取られてしまう
から、ユーリウスとしては二人きりでずっとここにいたい。離れて
いた分の時間を少しでも補いたい。愛を、深めたい。その想いが、
つい口をついて出た。
﹁愛してる﹂
唐突な告白に、シェリルは目を瞠ったが、すぐに笑顔になった。
﹁私もです、ユーリ様﹂
585
結局、痺れを切らしたニコラウスが昼過ぎに怒鳴りこんでくるま
で、ユーリウスとシェリルはソファーで寄り添って他愛ない話をし
ていた。幼い頃の思い出話や、最近のフィオレンティーナの話、兄
弟の話など。
束の間だろうと、二人でいれば、確かに幸せだった。
586
帰郷4のおまけ 後編*︵後書き︶
おまけ:︻一方その頃、兄弟は︼
うろうろ。うろうろ。うろうろ。
さっきから延々、同じ場所をいったりきたり。檻に閉じ込められ
た熊みたいだ、とフィリップは思った。
﹁ニコラウス兄上、うざい。少しは落ち着いたら?﹂
落ち着きのない熊︱︱︱もといニコラウスに、オスカーの情け容
赦ない一言が飛んだ。鋭く突き刺すような一言に、ニコラウスは毛
を逆立てる勢いで怒鳴り返した。
﹁これが落ちついていられるかっ!!﹂
﹁落ちついてないのは兄上だけだよ﹂
﹁ぐっ﹂
長兄のマティアスは優雅に紅茶飲んでいるし、三兄のオスカーは
分厚い本を開き持っている。フィリップはニコラウスを眺めている
ので何もしていないが、ソファーに落ちついていることに変わりは
ない。
﹁お前らは心配じゃないのか!?﹂
﹁なにを心配する必要があるのかわからないよ﹂
587
﹁だがっ!
シェリルがこんな時間まで起きてこないなんて、何か
あったとしか!﹂
﹁単に夜更かししただけでしょ。大袈裟すぎ﹂
﹁んなっ!?﹂
何を想像したのやら、ニコラウスは真っ赤になった。大の男のそ
の反応に、オスカーだけではなくマティアスまで呆れ顔になった。
﹁ニコラウス⋮⋮お前、初心すぎるぞ。そんな体たらくで、騎士団
でちゃんとやっていけているのか?﹂
﹁まさか、二十二にもなってまだ童貞だとか言わないよね?﹂
﹁んなわけあるかっ!!﹂
あ、一応経験はあるんだ。とフィリップは思った。色恋の話を全
く聞かないので心配していたのだが、見かねた同僚に娼館にでも連
れて行かれたのかもしれない。騎士団とはそういうところだと聞く。
﹁なら尚更だよ。純粋無垢な少年ならともかく、大の男のその反応
はむしろキモイ﹂
﹁っっ!!??﹂
﹁この件に関してはフィリップの方が大人だな﹂
﹁ニコラウス兄上と比べられてもなぁ﹂
フィリップの知識は、書物と伝聞が大半だ。兄達と姉が王都に行
ってしまってから、一人屋敷に残されたフィリップは、使用人の子
供や村の子供とつるんで遊んでいた。彼らのあけすけな会話に混じ
っているうちに、色恋への照れや羞恥はすっかり麻痺してしまった
のだ。
﹁ともかく、落ちつけニコラウス。そして座れ。いくらなんでも昼
588
には顔を出すだろうから、それまで待て。間違っても乗り込むなよ。
俺のかわいいシェリルがあのガキに何をされてい
シェリルに嫌われるぞ﹂
﹁だが兄上っ!
るかと思うと居ても立ってもっ﹂
﹁想像しなきゃいいじゃん。っていうか妹で妄想するとかサイテー﹂
﹁っ!!!????﹂
ニコラウスはその場に崩れ落ちた。﹃サイテー﹄がよっぽど堪え
たのだろう。実際に本人に言われたら、致命的ダメージを受けるこ
と間違いなしだ。
﹁オスカー兄上、いつものことながら容赦ないね﹂
﹁まあね。しばらく離れ離れになるんだから、少しぐらいイチャイ
チャさせてやらないと﹂
﹁やっぱりそうなの?﹂
なんとなく感じていたことだ。シェリルを王都に連れていく気な
ら、ユーリウスは昨日、父に挨拶した時点で結婚を申し込んでいる
はずである。
﹁ユーリは馬鹿じゃないからね。今無理に連れて行っても悲しませ
るだけだってわかってるはずだよ﹂
﹁ふーん。ま、今のユーリウスに姉様を任せるのは僕もヤだな。ま
ずは婚約解消して身綺麗になってもらわなきゃ﹂
﹁ごもっともだね﹂
フィリップは昔からユーリウスが好きではなかった。公爵家の一
人息子というだけでも気に入らないのに、いつか大事な姉様を取ら
れてしまう、そんな気がしていた。そして今、その危惧は現実にな
ろうとしている。
589
︵それで姉様が幸せなら、仕方ない⋮⋮けど︶
婚約者のいる身でフィリップの大事な大事なシェリル姉様を連れ
て行こうなど、笑止千万だ。絶対に阻止する。邪魔してやる。フィ
リップが特別何かしなくても、兄達が許さないだろうが。
シェリルは彼ら兄弟の宝物なのだ。勝手に隣国に行ってしまった
シェリルを連れ戻してくれたことは感謝しているが、それとこれと
は別。
︵大目にみてあげるのは今朝だけなんだからね︶
静かな決意は、兄弟の総意だった。
590
かくれんぼ︵前書き︶
シェリル六歳、ユーリウス・オスカー九歳、ニコラウス十一歳の日
常小話。
591
かくれんぼ
いつだってユーリウスは、簡単にシェリルを見つけることができ
た。その身から放たれる甘い香りが、居場所を教えてくれるから。
ひょいと茂みを覗き込むと、木苺色の瞳と目が合った。
﹁シェリル、見ぃつけた﹂
﹁あぅ⋮⋮また見つかっちゃいました﹂
へにゃりと眉尻を下げて苦笑する。⋮⋮かわいい。超かわいい。
どこに隠れてもすぐに見つけられるって﹂
低木をかきわけ、小さな少女に手を差し伸べた。
﹁だから言っただろう?
﹁うー。今度こそじょうずにかくれられたと思ったのに。どうして
わかったんですか?﹂
﹁ひみつ♪﹂
﹁ひゃっ!?﹂
小さな身体を抱き寄せ、ふわふわの髪の毛に顔をうずめて、花の
ように甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。柔らかいし、あたたか
いし、かわいいし。シェリルは最高だ。ずっとこうしていたい。本
気で。
もう見つけたんですか?﹂
後で探すよ。今はもう少しこうしていたい﹂
﹁ユーリさま、あの、お兄さまたちは?
﹁んー?
﹁えっと、ごきゅうけいですか?﹂
﹁うん。僕はシェリルを抱き締めないと元気が出ないんだ﹂
592
﹁あぅ⋮⋮﹂
そう言って微笑みかけると、シェリルは耳まで真っ赤になって俯
いた。
あーもう、かわいいなぁ。ぎゅうっと抱きしめ、髪や額、瞼に口
づけを落とす。ちゅっと耳朶を啄ばむと、シェリルはふるっと身を
震わせた。
本当は、一番キスしたい
﹁ゃんっ、ユーリさま、くすぐったいです﹂
﹁いや?﹂
﹁いやじゃない、です。けど﹂
﹁シェリルがかわいいのが悪いんだよ?
のはここなんだけど﹂
花びらのような唇を、指先でなぞる。
﹁お兄様いわく、君が大人になるまで触っちゃ駄目らしいから。今
のところは、ほっぺで我慢﹂
意地悪く微笑んで、マシュマロのような頬に口づけた。﹃内緒だ
よ﹄と言い含め、奪ってしまうのは容易だが、あのオニイサマたち
を敵に回すと後が面倒だし、なにより、お楽しみは後にとっておき
たい。
﹁大好きだよ、シェリル。大人になったら結婚しようね﹂
﹁はいっ!﹂
元気いっぱいの返事に加え、この笑顔。たまらずぎゅーっとして
しまった。ついでにすりすりもした。
593
﹁んぅ、ユーリさまっ、くるしいです⋮っ﹂
﹁あ、ごめん。つい。痛かったか?﹂
﹁いえ。えっと、ニコラウスお兄さまも、いっつもぎゅーってして
くるんですけど、背中とかいたいから、ちょっとだけヤなの。でも、
ユーリさまのぎゅーは好きです﹂
恐るべき殺し文句付きで、きゅうっと抱きついてきたシェリル。
⋮⋮⋮もうこのまま屋敷に連れて帰ってもいいだろうか。かわいす
ぎる。あのオスカーと半分でも血が繋がっているとは信じがたい純
粋さだ。
﹁なかなか探しに来ないから何をしているかと思えば⋮⋮⋮⋮白昼
堂々シェリルといちゃついてるなんて、いい度胸だねえユーリ?﹂
︱︱︱︵本気で︶忘れてた。
逆光を背負ってにっこり微笑むオスカーと、その後ろで拳を鳴ら
かくれんぼ、ユーリさまがオニなのにど
すニコラウスの姿を見て、ユーリウスはひくりと頬をひきつらせた。
﹁あれ、お兄さまたち?
うしているの?﹂
何もされてない?﹂
﹁その鬼がなかなか探しに来ないから、心配になって探しにきたん
だよ。シェリル、大丈夫だったかい?
﹁⋮⋮まさか、抱っこも駄目とか言うんじゃないだろうな。オスカ
ー﹂
﹁駄目に決まってるだろうがっ!!!﹂
ニコラウスに殺気混じりの眼光で睨みつけられ、ユーリウスは渋
々シェリルから手を放した。⋮⋮⋮この過保護どもめ。
594
ユーリさまね、すごいのよ!
わ
自由になると、シェリルは嬉しそうに兄のもとへ駆け寄った。
﹁きいて、オスカーお兄さま!
たし、カンペキにかくれてたのに、すぐに見つけちゃったの!﹂
﹁へーえ。すぐに見つけたのに、今の今までいちゃついてたわけか。
ふーん﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
笑顔なのに、どうしてこんなドスのきいた声が出せるのだろう。
お前っ、シェリルに変なことしてないだろうな!
末恐ろしい奴だ。
﹁ユーリウス!
?﹂
﹁してない。そもそも、変なことってどんなことだ?﹂
﹁そりゃっ⋮⋮﹂
九歳のユーリウスの問いかけで、十一歳のニコラウスは言葉に詰
まった。
ユーリウスは王都育ちの上、婚約者選び真っ最中の従兄がいるの
で、この年齢にしては恋愛に関する知識が豊富だ。対するニコラウ
スはこの屋敷で育っているので、同年代の少女との関りが少ない。
でも、シェリルにか
身体の大きさはニコラウスの圧勝だが、精神的に早熟なのはユーリ
ウスの方だった。
﹁ふぅん。あくまで潔白だと言い張るんだ?
まけて鬼の役をおろそかにしたのは事実だよね﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁僕、狭苦しい物置で頑張って息をひそめてたんだよ。ニコラウス
595
兄上なんか、この図体で必死に幹にしがみついてたのに。いつまで
待っても肝心の鬼が探しにくる気配がないし。なんか笑い声とか聞
こえてくるし﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁しびれを切らして探しに来てみれば、にやけきった顔で人の妹口
説いてるし。これさぁ、もう、僕、怒っていいよね?﹂
﹁悪かった﹂
すでに﹃ちょっと休憩してただけ﹄とかいう言い訳が通じる雰囲
気ではなかった。ユーリウスは潔く頭を下げた。
﹁お兄さま、ごめんね。わたしも一緒にさがしにいけばよかったの
ね﹂
﹁いいんだよ、シェリル。悪いのは全部ユーリだから﹂
﹁そうだぞ、シェリル。全部あの色ボケ小僧の責任だ﹂
﹁ユーリ、次こそはちゃんと鬼の役目をまっとうしてよね。シェリ
ヌケガケだぞ!﹂
ル、次は僕と一緒に隠れようねー﹂
ずるいぞオスカー!
﹁うん!﹂
﹁あっ!
﹁世の中は早い者勝ちなんだよ、兄上。次の次で一緒に隠れたら?﹂
勝手に決められているが、今割って入ったところでユーリウスの
勝ち目は皆無だ。所詮、従兄弟では兄弟の連携には勝てない。溜息
をつくと、シェリルの手がユーリウスの袖を掴んだ。
﹁じゃあ、次の次はニコラウスお兄さまと一緒。それで、次の次の
次は、ユーリさまね﹂
﹁っシェリルー!﹂
思わずぎゅーっとしてしまい、ユーリウスはニコラウスに頭を叩
596
かれ、オスカーに呆れの溜息をつかれた。でも、シェリルは笑って
許してくれたから、別にいい。
597
かくれんぼ︵後書き︶
﹁ロリコン。ヘンタイ﹂
﹁三つ差でロリコン呼ばわりとか酷くないか?﹂
﹁六つの子供に盛るなんて、ヘンタイ以外の何者でもないでしょ。
潔く認めなよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁言うまでもないことだけど、シェリルが大人になる前に手ぇ出し
たらぶっ殺すからね﹂︵^^︶
﹁⋮⋮⋮⋮﹂orz
ずばっと物を言う親友は嫌いではないが、オブラートに包んでほ
しいと思うこともある。
598
悪夢*︵前書き︶
エロ一色。⋮⋮三色?
また凌辱ですごめんなさい。ラブラブをご期待の方、特にごめんな
さい。
599
悪夢*
はぁんっ!⋮はぁっ、⋮ふっ⋮﹄
暗い。⋮⋮⋮熱い。
﹃ぁ!
身体の中を、太くて熱い楔が行き来する。ぱんっ、ぱんっ、乾い
た音が鳴る、そのたびに、臓腑が圧迫されて苦しい。突き上げによ
って喉奥から押し出される声は、呆れるほどに淫らだった。ぞくぞ
くと背筋を駆ける快楽。
﹃あはぁっ!⋮︱︱あぁんっ!﹄
与えられる快感に、シェリルはすっかり酔いしれていた。すっか
り男を覚えた身体は少しの愛撫で容易くとろけ、楔を受け入れ、淫
らに声をあげる。それは、誰が相手でも同じだった。
大きな手がシェリルの二の腕を掴んで、突き上げに揺れる身体を
自分の下に組み敷いている。覆いかぶさる身体の熱さ、楔から伝わ
る興奮、荒々しい息遣い。
相手は誰でも同じなのだ。︱︱︱ユーリウスでなくとも。
﹃っ!?︱︱︱︱いやぁぁぁっ!!﹄
気付いた瞬間、シェリルは悲鳴をあげた。おぞましさを振り払わ
んとばかりに頭を振ると、胎内を占領するモノがぐぷぷっと根元ま
で押し込まれた。心とは裏腹に、ぞくんっ、と背筋が反りかえる。
600
﹃はぁっっ⋮﹄
﹃本当にそなたは、呆れるほどに淫乱だな﹄
﹃っ!!?﹄
そんな、嘘、とシェリルは目を瞠った。二度とお目にかかること
はないと思っていた顔が、そこにあった。
﹃気持ち良いなら、素直に喘げ。淫乱らしくな﹄
﹃ちがっ⋮⋮︱︱︱あぁぁあんっ!!﹄
一息に引き抜かれ、再び叩き込まれた。また、揺さぶられる。ば
ちゅっばちゅっ、男と腰が接するたびに、シェリルの中から溢れた
ユーリ様っ!
助けてっ⋮⋮ユーリ様ぁっ
ものが飛び散る。嫌悪する男に犯されているのに、淫らに声を上げ
いやっ!
る自分の身体がおぞましい。
﹃いやっ!
!﹄
押さえつけられた腕はびくともしない。足の間に割り込まれ、秘
あっ⋮たすっ⋮⋮け⋮ッ︱︱︱﹄
所を蹂躙されるシェリルにできることは、助けを︱︱︱ユーリウス
を呼ぶことだけ。
﹃ユーリさまッ⋮あっ、あっ!
どくんっ、と胎内で楔が脈打って、最奥に精が注ぎ込まれるのを、
シェリルは呆然と受け入れるしかなかった。
﹃あ⋮⋮ぁ⋮﹄
﹃恍惚とした顔をして。そんなに嬉しいのか?﹄
601
﹃ち⋮⋮が⋮ぅ⋮﹄
嬉しくなんてない。そんなわけがない。それなのに、注がれた精
を美味しそうに飲みほして、抜き去られようとする楔に、行かない
でと追いすがる。心は拒絶しているのに︱︱︱身体が言うことを聞
かない。
﹃うそつき﹄
耳の後ろで、悪魔が小さく囁いた。
﹃っ︱︱︱!?﹄
ひたりと寄せられた冷たい身体が、背に重なる。身を強張らせた
もっとして欲しいんだろ?﹄
シェリルを嘲笑うかのように、少年がクスリと嗤った。
﹃ひっ⋮﹄
﹃気持ちいいんだろ?
あぁぁぁッッ!!﹄
﹃ちがっ⋮⋮ちがうっ!﹄
﹃うそつき﹄
﹃いやっ、やめっ!
擦りつけられた楔を、柔らかく解れたシェリルの秘所はあっさり
と根元まで飲み込んでしまった。
こんなにぐちょぐちょにし
やっぱりうそだった!
﹃あははっ!
いや
だよ。大嘘つき﹄
て、喜んで食いついてるくせに、何が
﹃うっ⋮ぅう⋮⋮いやぁ、ぁ⋮⋮ユーリさまぁ⋮っ﹄
﹃大人しく喘げよ。淫乱なんだからさ﹄
﹃あぁっ⋮⋮いやぁっ!⋮やめ、て⋮ぇぇっ⋮﹄
602
四つん這いに這わされて、背後から突き入れられている。少年に
相応しくない大きさの楔が、ゆっくりと静かに、じっくりと確実に、
シェリルの良いところに快楽を擦りこんでくる。一度絶頂を見て敏
感になっている身体には、じれったいほどに緩慢な動きだった。
﹃あぁっ、⋮⋮ぁ、ふっ⋮⋮んぁぁ⋮っ⋮ぁっ⋮﹄
﹃腰が揺れてる。やらしいなぁ﹄
﹃っ!﹄
﹃すっごい締めつけてくるし。あんた、僕より淫乱なんじゃないの﹄
クスクス、耳の後ろで嗤われる。繋がったまま身体を表に返され
て、ちゅうっと唇に吸いつかれた。割り開かれた唇に舌が滑り込み、
シェリルのそれを絡め取った。くちゅりと交わる。
﹃んっ⋮ふぅっ⋮﹄
﹃ふふっ⋮あまーぃ﹄
﹃ん、んっ⋮⋮﹄
楔で秘所を貫かれたまま、口内を甘く貪られた。背に腕をまわさ
れて、上下の口はおろか、肌という肌まで密着する。冷たかったは
ずの身体は、いつの間にか汗が滴るほどに熱くなっていた。肌と肌
の境で、二人分の汗が混じる。
舌を絡めとられながら、秘所を貫く楔を小刻みに律動される。シ
ェリルより年下の少年だというのに、その愛撫はとても巧みで、着
実に蓄積されていく小さな快楽で身体が痺れて、力が入らない。
︵ユーリ様っ⋮⋮︶
603
﹃ふぁっ⋮︱︱︱あぁ、ぁあぁぁ⋮ぁッッ﹄
背と喉を反らせ、シェリルが達すると同時に、奥底へ精が注ぎ込
まれた。
﹃あはっ⋮⋮超気持ちいい⋮⋮最高﹄
楔がずるりと抜け出る。ようやく解放されたが、起き上がる気力
などあるはずもなく、シェリルは呆然と涙するしかなかった。
﹃ぐすっ⋮⋮うぅ⋮っ⋮ユーリさま、ごめんなさい⋮っ﹄
こんな体たらくでは、淫乱と罵られても仕方がない。情けない。
恥ずかしい。ユーリウスに申し訳なくて、次々に涙が溢れた。
﹃シェリル?﹄
﹃っ!!﹄
突如、頭上からかけられた声に、びくっと身体が跳ねた。慌てて
上体を起こすと、心配そうに顔を曇らせたユーリウスがいた。
﹃どうしたんだ、そんなところに蹲って。どこか痛いのか?﹄
﹃いえっ⋮⋮あのっ⋮﹄
いつの間にか、シェリルはきちんと服を着ていた。凌辱の跡など
正直に
微塵もない。慌てて涙を拭い、取り繕うために、ぎこちない笑みを
浮かべた。
﹃だいじょうぶ、です﹄
﹃君の大丈夫はあてにならない。本当は何があったんだ?
604
話してほしい﹄
言えるわけがない。しかし、ユーリウスに嘘はつけない。でも、
言いたくない。ぐるぐると、思考が堂々巡りを繰り返す。
﹃ユーリウス﹄
美しい女性の声が、ユーリウスを呼んだ。白い手が、手招いてい
る。ユーリウスは振り返りながら小さく舌打ちした。
﹃ごめん。話の続きは、後で必ず聞くから﹄
﹃あ、ユーリさまっ⋮!﹄
ユーリウスが行ってしまう。﹃待って﹄﹃行かないでください﹄
と追い縋りたかった。しかし、ようやく口にしようとした言葉は、
後ろから伸びてきた大きな手の平に遮られてしまう。
﹃んぅ⋮!﹄
﹃かわいそうに﹄
﹃ッ!!!﹄
さっと全身から血の気が引く思いがした。がくがくと震える身体
を、男が後ろから抱きすくめた。
﹃置いて行かれてしまいましたね。でも、大丈夫ですよ。心配しな
はなしてっ!
いやぁー!﹄
くても、貴女の身体は俺が慰めてあげます﹄
﹃いやっ!
男の手がシェリルの衣服を剥ぎ取り、胸の膨らみを手中に収めた。
やわやわと揉みほぐされる。耳の裏を舌が這い、嫌悪感に身を捩る
605
も、逃れることはできない。一方の手が指先で花弁を割り開くと、
蜜と共に、数多と注がれた精液が溢れ、とろとろと内腿を伝い落ち
た。
﹃いやぁぁ⋮っ!﹄
﹃おやおや、こんなに涎を垂らして。すぐに楽にしてあげます﹄
﹃ん、くぅんっ!﹄
背後からあてがわれた楔が、どろどろにぬかるんだ秘所を擦る。
やがて、ぐちゅりと先端が埋まりかけた。思わず腰を浮かせたシェ
リルに、男は乱暴にねじ込んできた。衝撃に背を反らせるシェリル
と共に膝をつき、前に突っ伏したシェリルの腰を掴みあげ、さらに
押し込んできた。
﹃あぐ⋮っ!﹄
﹃気持ちいいですか?﹄
必死で首を横に振った。物理的にも、精神的にも、苦しくて死に
いやっ!
や、っ︱︱︱あッ、あッ、あーッッ!﹄
そうだ。逃れたい一心で手を伸ばした。︱︱︱何も、掴めやしない
のに。
﹃ぁっ!
蜜と精で潤う秘所を、楔がいやらしく泡立てる。嫌でたまらない
のに、喉からは淫らな嬌声が迸る。拒絶の声さえも淫らに湿ってい
あぁぁぁっ!!
や、めっ⋮ぃゃぁぁ
て、シェリルは酷い自己嫌悪を感じた。心とは裏腹に、身体は、紛
れもなく歓喜していた。
﹃いやっ⋮⋮ぁぁあんっ!
ああっ!!﹄
606
胎内に精が注がれる。最後、己の果てる瞬間に、シェリルは絶叫
した。
﹃たす⋮けっ⋮⋮ユーリさまぁぁ︱︱︱っ!!﹄
﹁︱︱︱︱︱︱っ!!!﹂
声なき悲鳴をあげながら、シェリルは飛び起きた。ドッドッ、心
臓が嫌な風に早鳴っている。身体じゅうに、じっとりと冷や汗が滲
んでいた。頬を涙が濡らしていた。
﹁っ⋮⋮ゆ⋮⋮め⋮?﹂
おそるおそる周囲を見回す。まだ夜は明けていないのだろう、真
っ暗だが、間違いなくペルレ侯爵邸にある離れの自室だった。左隣
には大きなくまのビアンカがいる。右隣には、紫の瞳のくま︱︱︱
ユーリウスがいる。悪夢の残滓を振り払おうと、水差しに手をのば
し、一気に煽った。
くまのユーリウスを抱きしめて、ぱたりと褥に横になった。
︵また⋮⋮見ちゃった⋮︶
これで何度目だろう。﹃夢で良かった﹄とは嘘でも言えない、恐
607
ろしく淫らな悪夢。夢だというのに、目覚めてからもはっきりと細
部まで思い出せた。
肌を這いまわれる手の平、秘所を犯される感触、全てが生々しく
て、目覚めた時には必ず、下着をぐっしょりと濡らしてしまってい
る。今夜もまた、そうだった。⋮⋮⋮情けなくて、恥ずかしかった。
無性に、本物のユーリウスに会いたかった。
シェリルは一人、くまのユーリウスを抱きしめながら、しばらく
泣いた。
608
悪夢*︵後書き︶
男達はシェリルにとっての恐怖の具現です。
ジェラール:逃げられない恐怖、閉じ込められる恐怖
ティエリー:狂う恐怖、愛欲に堕とされる恐怖
エルヴェ:追われる恐怖、捕まる恐怖
ユーリウス:捨てられる恐怖
シェリルはユーリウスを信じていないわけじゃないのですが、やは
り離れ離れなので怖いのですね。
また、凌辱で淫らに喘いでしまう自分の身体も怖いです。
ユーリウスが迎えにくるまでの間、毎日ではありませんが、こんな
風な悪夢を見ては飛び起きています。
結論:ユーリウス、早く迎えに来い!
609
伯爵1の裏側︵前書き︶
ユーリウスとシェリルが感動の再会をしている頃、王太子夫妻はこ
んな会話をしていたのでした。
610
伯爵1の裏側
途中までは思惑通りだった。
誤算だったのは、あの侍女に対する妃の信頼と、妃自身の心の強
さだ。
妃の部屋に通ったついでに、夜勤中の侍女を犯し、側室用の居室
に監禁した。ジェラールの視点で見ればそうだが、立場によって、
事実は異なる。
侍女は﹃無理やり犯され、監禁された﹄
妃は﹃夫に裏切られ、大切な侍女を奪われた﹄
だが、当事者でない第三者たちは、﹃侍女が王太子の寵を受けた。
妃は侍女に夫を奪われた﹄と見るだろう。それが客観的な事実とい
うものだ。立場や思想によって、真実は時として歪められる。
王太子であるジェラールを、侍女は拒んだ。妹姫の侍女に手を出
した時は、喜んでジェラールを受け入れたというのに、これが主の
人徳の差か。国を出てまで主の結婚についてくるぐらいだから、よ
ほど慕っているのだろう。
どんなに抵抗したところで、女の細腕。無理やり受け入れさせて、
裏切りという事実を作った。悲嘆にくれる侍女を側室用の居室に捕
611
らえ、その身体を堪能した。
ジェラールの描いた筋書きでは、﹃側室﹄の部屋に踏み込んだ妃
は夫を寝取った侍女を責め、敬愛する主に裏切りを知られて、侍女
は絶望するはずだった。もしかしたら、妃も塞ぎ込んだかもしれな
い。そうなれば所詮はその程度の女だということだし、動揺を押し
隠して王太子妃としての勤めを果たしたなら、少しは認めてやった
だろう。ジェラールはどちらでも構わなかった。
そして、三日後にやってくるフリューリング王国の使節団の一員
である、妃の従兄にして侍女の片恋の相手に、妃は侍女の裏切りを
語るだろう。そして、伯爵は従妹を悲しませたジェラールを恨みに
思うだろう。
伯爵もまた侍女を想っているのなら、なんとかして取り戻そうと
したかもしれない。条件次第では、返してやったかもしれない。も
ちろんその場合は、ジェラールの印を、白い肌いっぱいに刻みつけ
た状態で、だが。
囲っている間、毎日のように抱いていた。それほどまでに、あの
侍女の身体は素晴らしかった。
容貌は愛らしいが、身体は小さいし、胸や腰周りも育ちきってい
ない。にも関わらず、冷血無情と名高い近衛騎士を執着させ、二十
年も女を寄せ付けなかった叔父の目を引いた。ジェラール自身、興
味本位で手を出してみて、納得した。絶望しながらも快楽に抗えず、
艶かしく喘ぐ姿は、ジェラールの嗜虐心を刺激してやまなかった。
妃や伯爵が返せと言わない限りは、飽きるまで囲い続けるつもり
だった。飽きたらエルヴェに下賜すればいい。飽きる前に壊れても、
612
やはりエルヴェにくれてやろう。あの男はきっと、多少正気を失っ
た程度は問題にしない。ひょっとしたら、死体であろうと頓着しな
いのではないか。
そう︱︱︱まさか、妃が侍女を庇い、取り戻そうとするなど、ジ
ェラールは想像もしていなかったのだ。
ありありと情事の痕が残る部屋に踏み込んで、夫に抱かれた女を
庇う妻がいるとは、普通は思わないだろう。まして、王太子に拳を
振るう︱︱︱それも大国の王妹が、だなんて。
一応、平手の一発ぐらいは考慮していたが、まさか拳が飛んでく
るとは。ジェラールの常識に、拳をふるう淑女や令嬢といったもの
は存在しなかった。ましてやあの瞬間まで、妃の振る舞いは王族そ
のものであり、王太子妃として申し分のないものだったのだ。
大の男を殴り飛ばし、あまつ一喝︵﹃この変態!﹄︶するなど、
単なる﹃お姫様﹄ではできないことだ。見抜けなかった自分を不甲
斐なく思いつつ、己を騙すことができた妃への褒美として、侍女を
返せという妃の要求を飲んだ。
ジェラールの妃は、フリューリング王国の王妹だ。歳は彼より九
つ下の十六歳。絹糸のような白金の髪に、無邪気さを映す水色の瞳。
ところどころにあどけなさを残しつつも、淑女としての仕草や振る
舞いは完璧。あえて欠点を挙げるとすれば、肝心な部分の肉付きが
悪いことぐらいだろう。
恋に恋する少女。物語の王子様に憧れる、無邪気で夢見がちなお
613
姫様。それがジェラールの妃の印象。初めて会った時、妃はまだ十
歳で、本当の子供だったので、それも仕方のないことだろう。
もちろん、その印象も間違いではない。﹃それだけ﹄ではなかっ
たということだ。
﹁殿下。今夜はわたくしもこちらで休ませてくださいませ﹂
使節団歓迎の舞踏会の後、自室に下がったジェラールのもとに、
妃︱︱︱フィオレンティーナがやってきた。美しく微笑みながら、
あまつ、共寝を請う言葉を吐いた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
昼間は仲睦まじい夫婦のように振舞っていたが、現在、彼らの仲
は最高潮に険悪である。ジェラールがフィオレンティーナの大切な
侍女を弄んだ事実は消えていないし、彼の頬は腫れたままだ。
隣国の使節団を見苦しい姿で迎えなければならなかったことを、
ジェラールは苦々しく思っている。自らの不覚だと自覚しているの
で、これに関してフィオレンティーナを責めるつもりはないが、フ
614
ィオレンティーナが鮮やかに微笑んでいることに、何も思わないわ
けではない。
フィオレンティーナの思惑を図るため、ジェラールは慎重に、無
難な言葉を選んだ。
﹁︱︱︱それは嬉しい申し出だが。今日は早朝からずっと忙しかっ
アレ
が出たそうなのです﹂
たし、疲れているだろう。自分の部屋でゆっくり休んだ方がよいの
ではないか?﹂
﹁そうしたかったのですが︱︱︱
﹁アレ?﹂
何のことだ。代名詞の示すものがわからず、眉を寄せる。
です!
どこからでも入り込んでくるっ、汚ら
フィオレンティーナは微笑みを消すと、自らを抱きしめ、大仰に
アレ
頭を振った。
﹁そうっ、
わしいっ、口に出すのもおぞましいっ、暗闇で音もなく蠢く黒い悪
魔のことですわ!!﹂
口に出さないでくださいましっ!!﹂
﹁⋮⋮⋮ああ、ゴ﹂
﹁いやあああ!!
この王宮もなかなかに年季の入った建物なので、ジェラールも存
在は知っている。
あの生き物は虫のくせに並大抵の生命力ではなく、退治は困難を
極めるらしいのだが、王侯貴族はあの生き物が嫌いな人間が多い。
なので、毎年春になると、厨房や浴場、庭園などの水回りの使用人
の間では、﹃いかにしてあの生き物を撃退・駆除するか﹄が議論の
615
的になるらしい。
ジェラールも、好きか嫌いかというともちろん嫌いだ。しかし、
女は彼以上にあの生き物が大嫌いで、母や妹はアレを見かけたが最
後、使用人総出で駆除させ、部屋中を消毒させると聞いた。フィオ
レンティーナも例外ではないのだろう。
﹁幸いにして仕留めることはできたらしいのですが、あの生き物は
一匹見かければ三十匹はいると言われています。しかし、夜闇の中
では部屋の消毒も難しいでしょうから、今夜は別の部屋で休みたい
のです。となれば、ここはやはり夫を頼るべきでしょう?﹂
理屈におかしなところはない。しかし、前提が間違っている。
フィオレンティーナにとって、ジェラールは﹃頼りになる夫﹄で
はなく﹃大切な侍女を弄んだ憎い相手﹄のはずだ。たった三日であ
の怒りが解けるとも思えないし、態度といい、言動といい、とても
和解を望んでいるようには見えない。
何か、他に理由があるのだ。部屋に帰りたくない理由が。そして、
怒りや憎悪を押し隠してでも、ジェラールの傍にいなければならな
い理由が。
︵そういえば⋮⋮あの侍女は今、フィオラの部屋に匿われているん
だったな︶
そして今日から、このアルブル宮殿にはフリューリング王国の使
節団が滞在している。
﹁⋮⋮⋮なるほどな。好きにするといい﹂
616
﹁ありがとうございます。明日も早いですし、わたくしのことは気
にせず、ゆっくりお休みくださいませね﹂
友好的な言葉とは裏腹に、全身に刺々しい拒絶をまとって、フィ
オレンティーナはにっこりと微笑んでいる。
﹁そうさせてもらおう。おやすみ、フィオラ﹂
そんな妃に、ジェラールは同じ寝台で眠る許可を与えた。
隣に人がいる状態で眠るのは慣れないが、仕方がない。使用人の
前で妃を﹃ソファで眠れ﹄と突き放すことはできないし、かといっ
て寝台をそっくり明け渡すほどジェラールは紳士ではない。むしろ、
譲るなんてありえない。
ここで、﹃共に眠る﹄以外を選んだら負けなのだ。
とても疲れているのは事実だし、無駄な力を使ってまで女を抱き
たい気分ではなかったので、そのまま就寝した。すぐ傍にフィオレ
ンティーナの気配を感じていたのに、ぐっすり眠ることができた。
⋮⋮⋮意外なことに。
617
伯爵1の裏側︵後書き︶
あの夜、フィオレンティーナはこうやってジェラールに部屋に居座
ったのでした。
ユーリウス、ゴキブリ扱い︵笑︶
いや、さすがにそこまでは嫌ってないと思います。
これが一番もっともらしい言い訳だったんでしょう。⋮⋮たぶん。
618
幸せな日々1︵前書き︶
お待たせしました、未来編です。
全話通してほのぼのラブラブでお送りします。
本編終了から何年後かは、ご想像にお任せします。
619
幸せな日々1
透き通るような青空を覆い隠すように、北から重たげな雨雲が流
れてきたと思ったら、ぽつぽつと窓に水滴がついた。その一瞬後に
は、もう豪雨。
いきなりの土砂降りにシェリルですら驚いたのだから、赤ん坊な
ら尚更だ。泣き出してしまった娘を、シェリルは優しく抱き上げた。
﹁大丈夫よ、シャル。怖くないよ⋮⋮﹂
あやしながらぽんぽんと背中を叩いてやると、すぐに落ち着いた
ようだ。ぐずぐずと鼻をすすりながらしがみついてくるシャルロッ
テを抱いたまま、シェリルは窓辺に立った。窓の外は、先程までの
すぐにやむと良いのだけど﹂
晴天が嘘のように暗くなっている。
﹁通り雨かしら⋮?
﹁本当に。この季節にこんなに降るなんて滅多にないのに、よりに
もよってそれが今日だなんて﹂
そう言って、フィリーネは我が子の眠る揺り篭を揺らしながら溜
息をついた。フィリーネの娘であるソニアは、雨音どころか轟き始
めた雷鳴にもまるで動じていないようだ。将来は大物になるだろう。
﹁今の時期は雨が少ないの?﹂
﹁ええ。全く降らないわけではありませんが、降っても小雨ばかり
で。こんな豪雨はほとんどありません﹂
﹁そうなの⋮⋮﹂
620
冷たそうな雨だ。唐突に降ってきたから、ずぶ濡れになった人も
多いだろう。
明日はユーリウスが帰ってくる日だ。きっと今頃、移動の最中だ
ろう。雨が降るとどうしても視界が悪くなるし、道がぬかるむと事
故の危険性が高まる。無理をせず、どこかで雨宿りしてくれている
と良いのだけれど︱︱︱
﹁ソニアは雨も雷も平気な子なのね﹂
﹁単に図太いだけですよ。ま、私も雨や雷を怖いと思ったことはあ
りませんが﹂
﹁すごいわ。私、今もあまり好きじゃないけど、子供の頃はもっと
雷が苦手で。嵐の夜はなかなか寝付かなくて、何度も乳母を困らせ
てしまったの﹂
﹁まあ。シャルロッテ様も雷嫌いだとしたら、私も困らされてしま
うのでしょうか?﹂
﹁うーん、どうかしら。でももしそんなことがあったら、その時は
私が責任をもって面倒見るから﹂
﹁ありがたい申し出ですが、職務怠慢で私がクレフさんに怒られて
しまうので、気持ちだけ受け取らせてください﹂
﹁う。⋮⋮⋮やっぱり、クレフはその辺りの融通は利かせてくれな
いかしら﹂
﹁勤続四十年の大ベテランですからね。逆に奥様が叱られちゃいま
すよ。﹃次期公爵夫人の自覚が足りませんぞ!﹄って﹂
﹁あー⋮⋮﹂
容易に想像できてしまい、シェリルは苦笑した。
フィリーネはシェリル付きの侍女であり、シャルロッテの乳母。
621
そして、ユーリウスの側近であるクサヴァーの妻でもある。実家は
ダールベルグ領の豪農で、その気性は優しくも逞しい。シェリルは
彼女のことを、使用人というより子育て仲間の友人だと思っている。
シャルロッテは六ヶ月目で、ソニアは四ヶ月を過ぎたばかり。普
通、乳母といえば主人より早く子を産んでいる者を選ぶだろうが、
﹃気心の知れた相手の方が良いだろう﹄というユーリウスの配慮に
より、主従で仲良く子育てに勤しむことになった。﹃侍女で乳母で
友人だなんて、一石三鳥とはこのことですねえ﹄というのは、クサ
ヴァーの言である。
シェリルは産後の肥立ちも乳の出も良いので、むしろ乳母はいな
くても良かったのだが、貴族の家庭には必要なものらしい。実際、
朝になってもユーリウスがなかなか離してくれない時など、とても
助かっているのだが⋮⋮⋮いや、これ以上は考えるまい。
どうぞ﹂
コンコンッ。
﹁はい?
﹁失礼いたします﹂
噂をすれば影ということか。ダールベルグ公爵家本邸を取り仕切
る老執事、クレフがやってきた。
﹁どうしたの?﹂
﹁たった今、旦那様がお戻りになられました﹂
﹁えっ?﹂
外は土砂降りだ。しかも、まだ昼過ぎだ。最後の宿を朝一で出立
したとしても、到着するには早すぎる。おまけに、帰宅予定日は明
622
日だったはずだ。
この雨の中を!?﹂
﹁どうやら騎馬で駆けてこられたようです﹂
﹁ええっ!?
この熟練の老執事が取り乱す姿なんて想像もつかないが、少しぐ
らい慌ててもいいと思う。降り出したのが到着間近だったにしろ、
間違いなくずぶ濡れになっているはずだ。
﹁奥様、シャルロッテ様はわたくしがお預かりいたしますわ。奥様
は旦那様のもとへお向かいください﹂
﹁ごめんなさい、フィリーネ。お願いね﹂
フィリーネにシャルロッテを託し、シェリルはクレフと共にユー
リウスのもとへ急いだ。侍女たちが慌ただしく動き回っているので、
その居所はすぐに知れた。
﹁ユーリ様!﹂
二週間ぶりに帰ってきたユーリウスは、クサヴァーと共にまだ玄
関ロビーにいた。予想通りの全身ずぶ濡れで、下手に動けなかった
のだろう。
ユーリウスの黄金の髪は水を吸って重たく肌にはりつき、足元に
は水たまりができている。外套の下の衣服まですっかり色が変わっ
てしまっていて、タオルでいくらぬぐっても追いつかないようだ。
ユーリウスはシェリルに気づくと、嬉しそうに顔をほころばせた。
﹁シェリル、ただいま﹂
623
﹁おかえりなさいませ。⋮⋮って、それどころじゃ!
をなさってください!﹂
早く着替え
﹁今、湯を沸かしてもらっているところなんだ。一週間ぶりの再会
なのに慌ただしくてごめん。ずぶ濡れでさえなければ、今すぐ抱き
しめたいところなんだけど﹂
頬に触れた手が冷たくて、シェリルは遣る瀬無い気持ちになった。
ただでさえ最近は気温が下がってきているというのに、こんなに身
馬車はどうなさったんですか?﹂
体を冷やしたら風邪をひいてしまう。
﹁冷たい⋮⋮どうして騎馬で?
﹁早くシェリルとシャルに会いたくてね。この季節は天候も安定し
ているし︱︱︱なんて、こんな格好で言うことじゃないけど﹂
﹁ユーリ様⋮⋮﹂
シャルロッテが生まれる前後から、ユーリウスはなるべく遠出の
仕事は避けていた。しかし、今回は国王陛下からの招請。断れるは
ずもない。
シェリルとユーリウスは幼い頃からの付き合いだが、離れ離れだ
った期間の方が長いし、年単位で会えなかったことだって何度もあ
る。今回はたった二週間離れていただけだ。︱︱︱それでも、寂し
かった。だから、早く帰ってきてくれたのは嬉しい。嬉しいのだが。
﹁あと十分早く到着できていれば濡れることもなかったんですけど
ね。もしくはウネの村で休憩をとっていれば﹂
﹁うるさいぞ、クサヴァー。同じ休むなら屋敷の方が寛げるだろう。
一時間かからない距離なんだから﹂
﹁その判断の結果がこの有様です。おわかり頂けましたでしょうか、
奥様。ちなみに馬車は予定通り明日帰ってくるでしょう。山盛りの
624
土産を積んで﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ユーリウスはバツが悪そうに目をそらした。雨に降られたのは不
運だが、騎馬で帰ってきたのは﹃土産を買いすぎて人間が乗れなか
った﹄というのが最大の理由であるらしい。
﹁⋮⋮⋮よくわかりました。⋮⋮が、まずは着替えてください﹂
625
幸せな日々1︵後書き︶
・シャルロッテ
シェリルとユーリウスの長女。
黄金の髪と葡萄酒色の瞳を持つ、幼い頃のユーリウスそっくりの美
赤子。
将来はフィオレンティーナそっくりの破天荒令嬢になる。
かわいい娘の言動にデジャヴを感じたその瞬間、ユーリウスは血の
繋がりの恐ろしさを感じた。
・ソニア
クサヴァーとフィリーネの娘。
フィリーネは元々ダールベルグ公爵領の本邸に仕えていた侍女。
二人の出会い等はそのうち番外編で。
将来は父親に色々仕込まれて、影ではお嬢様の護衛・日向では侍女
を務めることになる。
626
幸せな日々2
湯で身体を温めるついでに旅の汚れを落として、ようやく一息つ
けた。窓の外を見れば、先程までの悪天候はどこへ行ったのやら、
透き通るような青空に戻っている。己の間の悪さを思い、ユーリウ
スは苦笑した。
付き合わせてしまったクサヴァーには、労いとして特別休暇をや
ったほうが良さそうだ。でないとまたネチネチと嫌味を言われる。
クサヴァーに休暇をやるなら、フィリーネも休ませるべきだろう。
たまには夫婦の時間を作ってやらないとかわいそうだ。主にフィリ
ーネとソニアが。
﹁ユーリ様、お勤めご苦労さまでした。今日はゆっくりお休みにな
ってくださいね﹂
侍女が淹れた茶︱︱︱本当はシェリルが淹れたものを飲みたかっ
たが、シャルロッテを抱いているので仕方ない︱︱︱を飲んで、ほ
っと一息。その笑顔と言葉だけで、長旅の疲れなど吹っ飛んだ。
﹁ありがとう。留守の間、変わったことはなかったか?﹂
﹁いたって平和でした。ね、シャル?﹂
﹁あー。うー﹂
ユーリウスとシェリルのかわいい娘は、少し見ない間にまた大き
くなったようだ。シェリルの腕の中からユーリウスをじっと見て、
へらりと笑う。たまらず、シェリルごと抱きしめた。
627
﹁かわいい⋮!
さすが僕とシェリルの娘っ!﹂
﹁ユーリ様⋮⋮⋮私が子供の頃もよく抱っこしてくださいましたけ
ど、もしかして小さい子がお好きなんですか?﹂
﹁その言い方は誤解を招く。当時の僕がかわいいと思っていたのは
君だけだし、シャルロッテがかわいいのは僕と君の娘だからだ﹂
黄金の髪はユーリウス譲り。ユーリウスの紫水晶、シェリルの木
苺を連想させる葡萄色の瞳は、二人の血を引くという証。この二つ
のおかげで、シェリルが花の民の末裔であろうと、シャルロッテが
ユーリウスの子であることを疑う人間は一人としていなかった。
もちろん、跡取りたる男児でないことを惜しむ声はあった。しか
し、父公爵は現役で健在な上、シェリルもユーリウスもまだまだ若
いのだ。焦る必要はまったくない。
﹁確かに、ユーリ様の血をひいているのですから、もう少し大きく
なったら絶世の美少女になるでしょうね。⋮⋮⋮今からちょっと心
配です﹂
﹁大丈夫だ。君もシャルも、僕が守る﹂
﹁でも﹂
なお言い募ろうとする唇に指をあて、言葉を封じる。シェリルの
僕の血の
心配は痛いほどわかる。しかし、今ここで悲観したところで何の意
味もないのだ。
﹁大丈夫だよ、シェリル。シャルは僕に似てるだろう?
方が濃いということだよ﹂
﹁そう⋮⋮かも、しれません、けど﹂
﹁代を重ねれば血は薄まる。なんの心配もいらない⋮⋮とは断言で
きないけど、過剰に心配する必要はないはずだ。大体、シャルはま
628
だ赤ん坊なんだよ?
もし花の民の血が強く出ていたとしても、対
策を考える時間は充分ある﹂
﹁⋮⋮⋮はい。ごめんなさい、暗くなっちゃって﹂
額を合わせて微笑みかけると、シェリルはようやく笑顔に戻った。
ちょっとまってね﹂
と、見計らったかのようにシャルロッテがぐずり出す。
﹁シャル、お腹がすいたの?
﹁どうしてわかるんだ?﹂
﹁なんとなくなんですけど、しいて言うなら母の勘、でしょうか﹂
なるほど、母親とは偉大なものだ。シェリルは全てを乳母任せに
せず、できるところは自分で世話をしているから、母娘の絆も強い
のだろう。平民はそれが当たり前なのだが、社交界を謳歌する貴婦
人は子供を顧みないことも多いのだ。ユーリウスの母は貴婦人にし
ては子供を気にかける方だったが、育児は全て乳母任せだった。
シェリルが服の前をくつろげると、シャルロッテは美味しそうに
母の乳房に吸い付いた。
﹁美味しそうに飲むね﹂
﹁そうですね。でも、そろそろ離乳食を始めようかとフィリーネと
話しているんです。このぐらいの時期から始めると良いのですって﹂
﹁母乳は卒業か。つまり、またこの胸は僕だけのものになると﹂
﹁ひゃっ!?﹂
シャルロッテが吸っていない方の乳房を手の平で軽く包み込むと、
シェリルは素っ頓狂な声をあげた。が、シャルロッテはまるで意に
介していない。さすが赤ん坊、本能に忠実なようだ。
629
﹁やっ、ユーリ様、今は駄目です!
シャルがっ⋮!﹂
﹁シャル、早くしてくれ。父様は二週間もおあずけ食らってるんだ
から﹂
﹁もうっ⋮⋮シャルと張り合ってどうするんですか⋮﹂
﹁シャルが娘で良かったよ。息子だったら僕、本気で嫉妬していた
かもしれない﹂
まさかもう!?﹂
﹁次が男の子だったらどうするんです?﹂
﹁え?
シャルロッテを産んで半年経っているし、できてもおかしくない。
が、母体のことを考えて最低でも半年は避妊しろと言われていた。
授乳中のシェリルに薬を飲ませるわけにはいかないから、避妊はユ
ーリウスの役目だ。気をつけていたのに。
シェリルは頬を染めながら首を横に振った。
﹁まだ、です。⋮⋮⋮けど、そろそろ良いって、お医者様が﹂
﹁︱︱︱そうかっ﹂
そうと聞いて、ヤる気が急上昇した。さすがにシャルロッテから
母親を取り上げることはしなかったが、代わりにぎゅうっと抱きし
めて、耳元で囁いた。
﹁今夜は寝かせないから﹂
630
幸せな日々3*
一過性の嵐を除き、今日は夜まで雲一つない晴天が続いた。日が
落ちてからは代わりに真ん丸な月が輝き、大地を照らしている。カ
ーテンを開けておけば、灯りなしで読書ができそうだ。目を悪くす
るつもりはないので実行はしないが、つまりは、細部まで見えると
いうこと。
艶かしい肢体も、熱にうかされた表情も、快楽にとろけた瞳の色
も。全てを、目に焼き付けることができる。
﹁んっ!⋮⋮ユーリ、さまっ⋮﹂
寝室に引きあげて早々、ユーリウスはシェリルを抱えてベッドに
雪崩れこんだ。夜着を脱がすのももどかしく、せわしく唇を啄みな
がら、手の平で肌をなぞりあげる。シェリルの手がユーリウスの肩
から上衣を落とせば、互いに一糸まとわぬ姿となった。
視線を合わせると、シェリルはふわりと微笑んだ。ユーリウスも
また、微笑んでいるのだろう。シェリルを前にすると、意識せずと
も笑みが浮かんでくる。ゆっくりと唇を重ね、肌を重ねた。
﹁ここは、ずっとこの大きさのままなのか?﹂
華奢なのは相変わらずだが、妊娠・出産を経て、胸や腰まわりが
少し柔らかさを増した。シェリルは﹃太って見苦しくなった﹄と言
うが、そうではない。あどけなさを残す少女から、艶めかしい大人
の女になったのだ。
631
﹁え、と⋮⋮完全に元には戻らないって、聞いてます﹂
﹁そうなのか。まぁ、僕はどちらでもいいんだけど﹂
﹁⋮⋮ユーリ様は、大きい方がお好みですか⋮?﹂
﹁シェリルなら、大きくても小さくても平らでも﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
答えると、シェリルは微妙な顔になった。嘘偽りなしの本心なの
だが、最後の一つで危ない性癖を疑われたのかもしれない。
﹁⋮⋮⋮というか、フィオラはともかく、君は別に元のままでも小
一言余計です!﹂
さくないだろう﹂
﹁ユーリ様!
﹁はいはい﹂
くっと下から持ち上げるように両手で掴んで、つんと尖った乳首
をぱくりと口に含んだ。シャルの真似をして吸いつくと、ほのかに
甘い味がする。
シェリルの母乳は、その身に流れる血のためか、ユーリウスが飲
んでも甘くて美味しい。シャルの分まで飲んでしまって、怒られた
こともあるぐらいだ。
﹁ふっ⋮ぅ⋮!﹂
﹁シャルと同じことをされて、感じてるのか?﹂
﹁⋮⋮シャルは、こんな⋮、はぁっ⋮いやらしい吸い方、しません
⋮!﹂
﹁おかしいな。童心にかえっているつもりなのに﹂
﹁じゃあ、この手はなんですか⋮﹂
632
表面をさわさわと撫でて、こりこりと摘んで、ピンと弾いて、や
わやわと揉みほぐして。確かに、けしからん手だ。
﹁無意識でね。シェリルに触れていると、手が勝手にやってしまう
んだ﹂
﹁ん、ん⋮っ!⋮⋮や、そんなっ、⋮あっ!﹂
反対側も吸い、唾液に濡れた乳首を挟みながら包み込むと、シェ
リルは喉をそらして喘いだ。艶かしい吐息をこぼす唇に誘われ、口
づけると、シェリルは自ら歯列を開き、ユーリウスの舌を迎え入れ
た。
﹁んっ⋮⋮はふっ⋮⋮﹂
口づけの愛撫に、シェリルはうっとりと酔いしれている。舌を絡
めながら、慎ましく閉じていた膝を割り開くと、シェリルはぴくり
と目元を震わせた。しかし、その瞳はさらなる快楽への期待に色づ
いていた。
﹁ゆぅりさま⋮⋮﹂
花弁は、しっとりと蜜をたたえている。触って欲しいと、潤んだ
瞳が語っている。
﹁どうして欲しい?﹂
﹁っ⋮⋮さわって、ください⋮!﹂
シェリルは頬を染めながら顔を背けた。何度抱いても、子を産ん
でも、恥じらいは消えないらしい。
633
指先だけで、蜜を塗り伸ばすように触れると、シェリルはもどか
しげに眉を揺らした。木苺色の瞳が、再びユーリウスを見る。
微笑み返し、中指を一気に根元まで突き入れた。
﹁ぁっ!﹂
﹁とろとろ、だな。⋮⋮⋮こんなに簡単に受け入れて﹂
一度抜き、二本目を添えて同様に突き入れると、微かな抵抗はあ
ったが、すぐに馴染んだ。広げながら、内側を引っ掻くように出し
入れする。シェリルの其処は、柔らかくて、熱くて⋮⋮⋮蜜が溢れ
るごとに、花の香が匂い立つ。
﹁あぅっ⋮⋮ぁぅぅっ⋮!﹂
﹁気持ちいい?﹂
﹁は、いっ⋮﹂
﹁シェリルは中を擦られるのが大好きだもんな。指だけでこんなに
んぅっ!⋮それ、はっ⋮⋮﹂
感じてしまうぐらい﹂
﹁っ!
﹁駄目だって言ってるわけじゃない。僕の手に感じてる君も、かわ
いくて好きだよ。︱︱︱でも﹂
限界まで膝を開かせて、覆いかぶさった。猛り狂う己をぬかるみ
にあてがい、えらの張った先端を押し込む。そのまま最奥まで押し
進めた。
﹁あぁぁっ!!﹂
﹁くうっ⋮!﹂
とろけるような熱さと絶妙な締めつけにより、早々に出してしま
634
いそうになった。二週間ぶりの交わりで、余裕がないせいもある。
寸分の隙間もなく繋がって、息を整えながら、シェリルの頬を手の
平で包み込んだ。
﹁⋮⋮どうせ感じるなら、僕のもので感じてくれ。な、シェリル。
気持ち、いいだろう?﹂
﹁︱︱︱はいっ⋮!﹂
シェリルはユーリウスの首に手を回し、ぎゅっと抱きついてきた。
同時に締めつけも強まり、息を詰める。︱︱︱これは、まずい。シ
ェリルをかわいがる前に、ユーリウスの方が先に参ってしまう。
う、あぁっ、んんっ!﹂
﹁シェリル⋮⋮ごめんっ﹂
﹁ぁっ!
衝動に突き動かされるまま、激しく腰を動かした。
ここ数カ月はシェリルの身体を気遣っての穏やかな行為ばかりだ
ったから、我を忘れるほど求めるのはどれほどぶりのことか。完全
に抑圧していたわけではないにしても、もう我慢しなくていいのだ
ぅっ⋮ふぁっ︱︱︱⋮ユーリさまぁっ!﹂
と思うと、自然と激しいものになってしまった。
﹁ひぁっ、⋮⋮あ、ん!
シェリル!!﹂
はっ⋮ぁあ、っ⋮っ!!﹂
﹁シェリルっ⋮!
﹁ぁんっ!
息をつく間もないほどに突き上げられながらも、シェリルは必死
にユーリウスにしがみついている。少女の頃と比べれば少し肉付き
が良くなったとはいえ、いまだに手足は細く、頼りない。この小さ
な身体でユーリウスを受け入れているのだから、負担は相応のもの
635
だろう。
優しくしてあげなくてはならないのに︱︱︱止まらない。
﹁くっ⋮⋮シェリル、出すよっ﹂
﹁︱︱︱っっ、ふあぁぁ⋮っ!!⋮お、くっ、あつ、いぃ⋮っっ!
!!﹂
子宮に精を注がれて、シェリルもまた高みに登りつめた。ユーリ
ウスを包み込む膣肉は、一滴残らず搾り取らんとばかりに妖しく蠢
いている。天にも達しそうな心地に、ユーリウスはそのまま身を委
ねた。
﹁はふっ、⋮⋮はぁっ⋮⋮はっ、⋮っ⋮﹂
快楽にとろけきり、息を荒げるシェリルの耳元に囁きかける。
﹁約一年ぶりの、精液の味はどうだ?﹂
﹁ゃあ⋮⋮そん⋮こ、と⋮⋮きかな、⋮⋮っで、くださ⋮っ﹂
妊娠が判明してからは医師に止められていたし、出産後もやはり
避妊のために自ら禁じていた。最後に中で出したのは、一年以上前
だったはず。もちろんそれ以外のことは色々やっていたが、なんと
も長い我慢だった。
﹁ふふ、ごめん。わざわざ口で言わなくても、おいしいって身体が
ゆ、ユーリさま、だってっ﹂
言ってるもんな﹂
﹁っ!
﹁ああ。シェリルの身体、すごくおいしい。すごく熱くて、とろけ
てて⋮⋮⋮今夜は一回じゃ終われそうにない﹂
636
事実、シェリルの中に入ったままの自身は硬く滾ったままだ。言
葉だけで感じたのか、きゅっと締まったのがわかり、ユーリウスは
笑った。
花の民の血をひくシェリルは快楽に素直で、なおかつ貪欲だ。か
の者たちにとって、繁殖は最優先事項。シェリルの意思にかかわら
ず、身体は男を︱︱︱快楽を求めてしまう。
﹁っ⋮ユーリさま、お疲れではないのですか⋮?﹂
﹁疲れていても、君を抱くのに支障はないよ。よく言うだろう?
甘いものは別腹って﹂
﹁それ、ちが﹂
﹁わない。だって、こんなに甘いんだから﹂
目元を濡らしていた雫をぺろりと舐めとり、そのままこめかみに
口づけた。額に、瞼に、頬に、唇に。
﹁んっ⋮⋮ユーリさまっ⋮!﹂
﹁食べてもいいだろう?﹂
﹁も、とっくに、食べられちゃってます⋮﹂
﹁うん。でも全然足りない。︱︱︱もっと﹂
唇を舌で割り開き、柔らかな口内へ潜り込む。根元から絡め取る
と、シェリルは一瞬苦しそうに眉を寄せたが、くちゅくちゅとしご
くと気持ちよさそうに目元をとろけさせた。ゆるやかに、腰の動き
を再開させる。
﹁んくっ⋮⋮んっ、⋮ぅ、﹂
637
ユーリウスのものはシェリルには少し大きくて、根元まで押し込
むと子宮の入口を抉ることになる。それが、シェリルはたまらない
らしい。
奥を突き上げられれば離したくないとばかりに締め付けて、退こ
うとするものに行かないでと追いすがる。その締めつけの強さとき
たら、とろとろと滴る蜜がなければ動くこともままならないだろう。
シェリルの零す快楽の雫が、ユーリウスの動きで淫らに泡立つ。
﹁ぁっ、やっ、ユーリ、ぁあんっ!﹂
ぐっと一番奥まで押し込んで、背と腰に腕を回すと、ユーリウス
は華奢な身体を持ち上げた。身体を支えてくれていたシーツから離
されて、シェリルは慌ててユーリウスにしがみついてきた。繋がり
合う腰を支点に、自身の上に座らせる。
﹁ふぁっ︱︱︱⋮ッ、あっ⋮ぁ、っ⋮!﹂
自分の重みで深みまで挿さって、軽くイったらしい。ぐったりと
ユーリウスの肩に頭を預けるシェリルの背を、ユーリウスは優しく
さすってあげた。
﹁中、きゅんきゅんしてる⋮⋮﹂
﹁だってっ、⋮こんなっ⋮﹂
﹁ふふ。ね、⋮⋮⋮動いて?﹂
耳元で囁くと、シェリルはほんのり色づいていた頬をさらに赤ら
めた。
﹁っ⋮⋮⋮﹂
638
﹁今夜は君が乱れるところも見たいんだ。ね、シェリル?﹂
優しく微笑みかければ、シェリルは恥ずかしそうに視線をそらし
ながらも、しっかりと頷いた。
シェリルはユーリウスの胸に手を置くと、ゆっくりと腰を持ち上
げた。白く滑らかな内腿を、ぬめりを帯びた蜜がとろりと伝い落ち
る。
﹁んっ、⋮⋮ふ、ぅ⋮⋮﹂
ユーリウスをまたいでいる今、シェリルが自分で腰を持ち上げる
には足の力を使わなければならない。先程の深い絶頂の余韻でほと
んど力が入らないのか、細い足はふるふると頼りなげに震えている。
シェリルの中からゆっくりと男の欲望が現れ、またずぶりと呑み
込まれる。なんともじれったい動きだが、だからこそシェリルの花
は、どんな微かな刺激をも逃がすまいとユーリウスのものに熱く絡
みついていた。
﹁あぅっ、︱︱︱ふっ、⋮⋮はっ⋮⋮あぁ⋮ッ﹂
﹁そんなんじゃ、君は物足りないんじゃないか?﹂
﹁っ⋮⋮でもっ⋮⋮﹂
﹁抑えなくていい。もっと、もっと。いくらでも、淫らになってい
いんだ﹂
﹁っぁん!﹂
桃のような割れ目から滑らかな腿へ、すすっ⋮と撫でさすると、
シェリルは甘い声をあげながら首をすくめた。
639
﹁はぁっ⋮⋮これ以上、は、むりです⋮ッ﹂
﹁そうか?﹂
﹁だって、力、はいら、な⋮っ⋮﹂
﹁それは困るな。まだまだ夜は長いのに﹂
﹁ひぁっ!?﹂
足を肩に担ぎ、再び押し倒す。柔らかなシーツはシェリルを優し
く受け止めたが、ユーリウスは、滾る欲望で深く、激しく最奥を抉
りこんだ。
﹁ぁああっ、︱ッ!﹂
﹁うっ⋮⋮力、入らないんじゃなかったのか?﹂
性感帯を擦ると、シェリルの花は精を搾り取らんとばかりに艶め
かしく蠢いた。ユーリウスのものを、隙間なく咥え込んでいる。引
き抜こうとすると、じゅる⋮と淫らに涎を垂らすのが何よりの証拠。
﹁ぁっ⋮そんな、⋮っちが⋮!﹂
﹁だって、こんなに締めつけてくるのに。あ、だからか﹂
﹁っ︱︱︱⋮!!⋮⋮ユーリさま、なんだか、今夜はいじわるです
⋮!﹂
﹁シェリルがかわいいのが悪いんだよ﹂
﹁そんなぁ⋮⋮﹂
へにゃりと眉尻を下げて、潤んだ瞳を困惑に染めて。ユーリウス
の一挙一動、その全てに感じて、切なくも甘い声をあげるのだから、
これでいじめるなという方が無理だ。
﹁ぁあっあっ!⋮⋮︱︱︱はぁっ⋮、ぁぁあっん!!﹂
640
シェリルの腰を両手で掴み、根元まで一気に貫いた。自身の先が
子宮の入口を叩き、シェリルが背をのけぞらせる。膣内を余すとこ
ろなく擦りながらギリギリまで引き抜き、また叩き込む。
繰り返す都度、木苺色の瞳から溢れた涙がきらきらと舞い散る。
小さな手がシーツを掴み、陰影の花を作り出していた。
ユーリ、
い、⋮ちゃ⋮、︱︱︱
﹁ユーリ、ウスぅっ!⋮︱︱︱はぁっ、ぁあぁあんっ!
っ⋮ゆ、りっ!﹂
だめ、もっ︱︱︱!!
﹁シェリルっ⋮!﹂
﹁あ、あーっっ!
っ!!﹂
高い嬌声をあげながらシェリルが絶頂に至り、ユーリウスもまた、
シェリルの中に滾る欲望を吐き出して、果てた。
641
幸せな日々4*
一番深いところに、熱い奔流が注ぎ込まれる。この瞬間の快楽が
最も深いと、シェリルは思う。男の精を、子宮が喜んでいる。
﹁ん⋮⋮ぅ⋮﹂
﹁シェリル⋮⋮﹂
慈しみにあふれる声。いたわりにあふれる手が、優しく額をなで
た。絶頂の後はなかなか息が整わないシェリルを、ユーリウスは最
大限に気遣ってくれる。
﹁大丈夫か⋮?﹂
﹁⋮⋮は⋮い⋮﹂
次第に意識が鮮明になってきたことにより、シェリルはようやく、
ユーリウスがまだ己の中にいることに気づいた。それも、しっかり
﹃今夜は寝かさない﹄って﹂
と猛り昂った状態で。
﹁えっ⋮!?﹂
﹁言っただろう?
﹁まさか、ほんと、に⋮、⋮!?﹂
ぐぐ、と僅かに反り返るそれが腹の裏側を擦る。それだけで、び
くっ、と身体が反応してしまう。
﹁っ⋮﹂
﹁とはいえ、さすがにこうも立て続けだと辛いよな。ごめん﹂
642
﹁あ、っ﹂
太いものがずるりと抜き出され、シェリルはふるっと身を震わせ
た。受け入れている間は圧迫感で苦しい時さえあるのに、この瞬間
はいつも喪失感がある。
ずっと開きっぱなしだった足を閉じようと力を入れると、注ぎ込
まれたばかりのユーリウスの精を感じてしまい、シェリルは羞恥に
頬を染めた。一番奥で出されたはずなのに、もう零れ始めている。
︱︱︱どれほど注がれたのか。
﹁っ⋮⋮や、だ⋮シーツ、濡れちゃう⋮⋮﹂
﹁今さらだよ。汗やら何やらでとっくに湿ってる﹂
﹁うぅっ⋮!﹂
また明朝、乱れに乱れた有様を侍女たちに見られてしまうらしい。
王宮や上位貴族の屋敷に仕えるような侍女たちは、閨の始末だろう
と顔色一つ変えずにこなすものだと重々承知しているが、恥ずかし
いことに変わりはない。
﹁水、飲めるか?﹂
こくりと頷くと、口移しに水が与えられた。喘ぎすぎて渇いた喉
には、このぬるさがありがたい。
﹁ん⋮⋮﹂
ベッドの端においやっていた掛布と一緒に、ユーリウスの腕に囲
われた。ユーリウスの胸に背中が当たり、ぬくもりに触れて、初め
て冷えていたことを知る。交わっている間は熱くてたまらなかった
643
から、室温が下がっていることに気づかなかった。
ユーリウスの腕が腹にまわり、下腹︱︱︱ちょうど子宮のあたり
をなでまわす。
﹁もうできたかな。今度は男の子だと良いな﹂
﹁さすがにまだだと⋮⋮思いたいですけど⋮⋮﹂
シャルロッテを授かったと思しき時期は、避妊をやめた頃合と一
致する。伝承通り、花の民は非常に孕みやすいらしい。
避妊薬がなければ、意にそまぬ陵辱によって、シェリルは早々に
望まぬ妊娠を強いられていたことだろう。身を守るための薬をシェ
リルに与えたのが、無理やり純潔を奪った男だというのがなんとも
言えないが。
﹁僕としては、女児でも全然構わないんだ。でも、男児を産めば君
に口さがないことを言う連中を完全に黙らせることができるだろう
から﹂
﹁今でもそんなにきつくないですよ?﹂
﹁口に出さなくても不満を持ってる奴はまだいるんだ。忌々しいこ
とに﹂
父方は当然ながら王家であり、アロイジウス王もライサ王妃もユ
ーリウスの味方なので、シェリルを好意的に受け入れてくださって
いる。
しかし、母方の親族︱︱︱シェリルの実家であるペルレ侯爵家の
正妻の実家でもある︱︱︱は国有数の旧家であり、古くから王家と
縁を結び続けてきた公爵家。当然、血筋にも強いこだわりがあり、
644
シェリルのことをずっと﹃ペルレ侯爵家の厄介者﹄とみなしていた
し、ユーリウスの妻になる時に最も強く反対してきたのもこの一族
だった。
ユーリウスの母に関しては実父の正妻であるヤスミーネ様が説得
してくださったらしく、おおむね好意的に迎えてくださったが、か
の家に連なる者たちはまだシェリルを認めていないらしい。ユーリ
ウスにそれとなく苦言を呈する者も多いと聞く。
やはり妾腹の身では、ユーリウスの妻には相応しくないのだろう。
でも、求婚を受け入れたとき、シェリルは覚悟を決めたのだ。
シャルロッテのため、ユーリウスのために。ダールベルグ公爵家
の名に恥じないよう、せめて、毅然と胸を張っていようと。
﹁私は何を言われても平気です。⋮⋮⋮でも、私のせいでシャルが
不当に扱われるのは、絶対に嫌です﹂
﹁そんな輩との付き合いはこっちから願い下げだよ。もっとも、シ
ャルは僕似なのが幸いしてか、今から縁談を匂わされる程なんだ。
王家との繋がりを思わせる黄金の髪は、それだけでも貴族たちにと
っては価値があるらしい﹂
﹁よかった⋮⋮と、言ってよいのでしょうか?﹂
﹁少なくとも、君の血のせいで嫁の貰い手がない︱︱︱なんてこと
はないだろう。⋮⋮嫁になんか出したくないけど﹂
ユーリウスがあんまり苦々しげに言うものだから、シェリルは笑
ってしまった。
父はシェリルを快く送り出してくれたが、己が深く愛されている
ことを、シェリルはちゃんと知っている。シャルロッテもユーリウ
645
スに深く愛されているから、きっと、大丈夫。
﹁私、ユーリ様の子供なら何人でも産みたいです。姉弟が多くなっ
たら、きっと、シャルがお嫁にいってしまっても寂しくないですよ
⋮⋮ね?﹂
そう言うと、ユーリウスは嬉しそうに顔を綻ばせた。胴に巻き付
いた腕が力を増し、より多くの肌が密着する。
﹁なんて嬉しいことを言ってくれるんだ﹂
さらに顔が近づいて、唇が重ねられた。息ができなくなるぐらい
長く、何度も。その間に胸の膨らみを手の平が包み込み、足の間に
も指が入り込んで、潤う花弁をくぱりと開いた。どろりと、蜜とも
精液ともつかないものが漏れ出る。
﹁あっ⋮!﹂
﹁入れるよ﹂
﹁︱︱︱あふ⋮ッ!﹂
開いた花弁に切っ先があてがわれ、ずぷん、と入ってきた。横に
なった姿勢で片足を持ち上げられ、背後から挿入される。当然、正
常位とは違うところを擦られることになり、ぞくりと背筋が震えた。
意図せず、ユーリウスのものを締めつけてしまう。そのまま身体を
揺すられた。ぬちゃぬちゃと互いの体液が絡み合う。
﹁はぁっ⋮っ、⋮うぅん⋮っ﹂
﹁すごい、熱くて、とろけそうだ⋮!﹂
﹁んんっ⋮⋮﹂
646
はぁ、と艶かしい吐息が耳にかかった。背に接する肌の熱さ、身
体の中に受け入れている楔の逞しさが、ユーリウスの興奮を伝えて
くる。
﹁あっ、︱︱︱﹂
そのままぐっと体重をかけられて、前のめりになったシェリルの
奥に、ユーリウスはさらに侵入してきた。
﹁あぁぁぁ︱︱︱︱ッッ!!﹂
ぴたりと腰が密着する。体重を乗せた挿入で、楔に子宮が押し潰
される。身体の中心で生まれた深い快感が、血の通り道を伝ってゾ
クゾクと全身に広がっていった。目の奥がちかちかして、手足の先
まで痺れて、瞬く間に力が抜けていく。
﹁ぁ、ぁ⋮ん⋮、きもち、ぃぃッ⋮、⋮ッ﹂
﹁ッ⋮クッ⋮⋮なんて、すごい⋮!﹂
シェリルの身体は快楽に従順すぎて、刺激が強すぎると感じすぎ
てしまう。特に子宮口への刺激は、激しく突きあげられるのも、精
を塗りこむように擦りつけられるのも、前後に小刻みに揺すられる
のも、全部弱くて、容易く理性が砕けてしまう。
膣の内側がさらなる刺激を求めて、僕のも
﹁ぁあんっ⋮⋮⋮だめぇ、おく、ぁぁっ⋮いま、だめ、だめなのぉ
っ⋮!﹂
﹁自分でわかるか⋮?
のを奥へ奥へと誘い込むように蠢いてるのが﹂
かろうじて耳は聞こえいるが、頭まで入ってこない。お腹の奥が
647
ずくずく疼いて、頭が熱くてぼーっとして、たまらない。
﹁だめぇっ⋮あぁんっ⋮、これ、だめぇ⋮っ⋮⋮ゆぅりうすぅっっ
⋮!!﹂
早く、速く、動いて、奥を突いて、いっぱい擦って、︱︱︱いっぱ
い注いで。
ズルリと離れていく刺激にすら背筋が震え、﹁ひっ﹂と悲鳴のよ
うな声がでた。直後、ズチュッ⋮!と蜜をまとった男根が再び戻っ
あぁッぁぁああッんッッ!!﹂
てくる。深く重い挿入で、ズンッ、と子宮が揺れた。
﹁ひぃっ、ああぁぁッッ!!
うつ伏せにされて、腰だけをあげさせられて、後ろから挿入され
る。この体位で激しく責め立てられると、シェリルはすぐに何も考
えられなくなってしまう。二度に渡る絶頂によって身体が過敏にな
っている今なら尚更だ。
ゆー、りっっ⋮ユーリウス
シェリルっ⋮!!﹂
ッ︱︱あ、っ!
﹁シェリルっ⋮⋮シェリル!
﹁ふあぁぁんっ!!
っ!﹂
っだいすきぃ
﹁もっと、僕を、呼んで。⋮ッ⋮そしたら、もっと、気持ちよくし
てあげる﹂
あッ︱あーぁぁぁんっ!!!﹂
ゆーりぅすっ⋮、ユーリウスっ!
ユ⋮ッ!?
﹁ユーリ⋮っ!
⋮!
今、シェリルは己が何を口走っているのか、まったく自覚してい
なかった。あるのはただ、身体を支配する途方もない快楽と、幸福
感のみ。
648
﹁はぁっ、あぁぁあんっ!
⋮!!﹂
ユーリウスぅっ⋮!
ぁあぁぁあっっ
一際強い、入口を押し開くような突き上げの後、胎内で暴れ狂っ
ているものがビュクリと跳ねた。がっちりと腰を掴まれて、ユーリ
ウスの子種が、子宮の中に直接注ぎ込まれる。
﹁ッ!!!︱︱、︱︱︱∼∼∼∼ッッッ!!!﹂
三度目の絶頂は、声にならなかった。
﹁⋮っ⋮⋮ぅ⋮⋮﹂
身体が動かない。目も開かない。耳も聞こえない。かろうじて、
指先が痺れているのを感じる。そのまま、じわじわと感覚が戻って
くるのがわかった。
﹁大丈夫か?﹂
自分のものではない手が、そっと頭をなでる。気合で瞼を押し上
649
げると、心配そうに自分をのぞきこむ紫水晶の瞳と目があった。
﹁⋮⋮ゆぅりさま⋮?﹂
﹁よかった。気がついたんだな﹂
頭がぼーっとする。妙にふわふわして、まるで綿毛にでもなった
みたい。
どうやらシェリルは、ユーリウスの上に座らされているらしい。
そのまま小さく上下に揺すられている。あたたかな体温や規則的な
鼓動が、まるで母の腕の中に抱かれているかのような安心感をくれ
て。こてん、と、目の前の肩に頭を預けた。
﹁シェリル、もう限界か?⋮⋮⋮もう、眠ってしまうのか?﹂
﹁⋮⋮ん⋮﹂
身体の一番深いところに、ユーリウスが届いている。あれほど精
を放ったにも関わらず、てんで衰えていないのもわかる。でも、シ
ェリルにはもう、その欲求に応えるだけの体力が残っていない。自
力では瞼を押し上げることもままならないのだから。
でも、まだ寝たくない。ユーリウスを感じたい。久しぶりの愛の
交歓を、もっと。
﹁⋮⋮まだ、⋮⋮もっと、ユーリさまを、くださぃ⋮っ﹂
シェリルはユーリウスの首に手を回し、その肩に頬を擦り付けな
がら懇願した。
望んだ通り、身体を隅々まで愛されて、ようやく眠りに落ちたの
650
は夜明け間近だった⋮⋮⋮らしい。途中から何も覚えていないが、
とてもあたたかく、幸せだったのは、確か。
651
幸せな日々5
翌日、シェリルが意識を取り戻したのは、昼過ぎになってから。
ベッドに横たわったまま、ぼんやりと瞬きを繰り返すうち、窓の
いま、なんっ⋮⋮!?﹂
外に広がる青空の色を見てとって、愕然と目を見開いた。
﹁︱︱︱︱えっ⋮?
そこまで言って、乾きすぎた喉にむせて、げほげほと咳き込んだ。
上腕を使って身体を起こし、水差しを求めて手を伸ばす。
しかし、ナイトテーブルまで手が届かず、そこまで這っていこう
とするも、足に全く力が入らない。さらには腰が重くてだるい。股
の間に、まだ何か挟まっているような気さえする。一応夜着は身に
つけているようだが⋮⋮⋮﹃どうして﹄なんて、考えるまでもなか
った。
︵うそっ⋮⋮︶
動けなくなるまで抱かれるなんていつ以来のことか。いつ意識を
失ったのか全く覚えていないが、もっと抱いてくれと、自分でねだ
ったのは覚えている。自ら望んで、この有様だなんて︱︱︱シェリ
奥様、お目覚めになられたのですね!﹂
ルは羞恥に身悶えながらシーツに突っ伏した。
﹁まあ!
様子を見に来てくれたのだろう、侍女のヘルマが慌てて駆け寄っ
652
てきた。
﹁お身体の調子はいかがですか?
お食事はどうされますか?﹂
﹁あ、のっ⋮、っ⋮﹂
お水はもう飲まれましたか?
﹁ああっ、喉がお辛いのでしたらご無理をなさらないでくださいま
し。すぐにお水をご用意いたします﹂
ヘルマはうまく身体に力が入らないシェリルを高く積んだ枕にも
たれさせると、グラスに注いだ水を手渡してくれた。ありがたく喉
を潤して、ほっと一息ついた。
﹁ありがとう、ヘルマ。手間をかけさせてごめんなさい。それで、
あの、今は何時かしら⋮?﹂
﹁もうすぐ午後のお茶の時間ですわ﹂
﹁うっ、やっぱり⋮⋮﹂
病気でもないのにこんな時間まで寝こけているなんて、妻として、
母親として、あるまじきことだ。シェリルはふらふらと起き上がろ
うとしたが、ヘルマが簡単に枕まで押し戻してしまった。
どうして?﹂
﹁いけません。今日は奥様はお休みの日です。そのようにクレフさ
んがお決めになられました﹂
﹁え、お休みの日?⋮⋮⋮クレフが?
確かに、この屋敷の一切を取り仕切るのがクレフの仕事だが、シ
ェリルも一応主家の人間で、まして今はユーリウスが在宅である。
クレフにそんな権限があるのだろうか?
﹁奥様の一番大切なお仕事は旦那様のお相手であり、夜を徹してそ
653
の役目を果たしてくださったのですから、そのぶん休養を取るのは
当然の権利ですわ﹂
今日は休んで頂くべきでは
ヘルマはにこやかに語っているが、シェリルはそこに、静かな怒
りを感じ取った。
﹁⋮⋮⋮⋮ユーリ様は?﹂
﹁お仕事をなさっておられます﹂
﹁昨日帰っていらしたばかりなのに?
ないの?﹂
﹁働き者の旦那様で、わたくしたちも鼻が高いですわ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
なんだろう⋮⋮⋮これ以上聞いてはいけない気がする。
﹁シャルロッテ様はフィリーネのもとで健やかにお過ごしになられ
ておりますので、ご安心ください。とにかく、奥様は今日はお休み
なんですから、くれぐれもベッドからお出にならないでくださいま
しね。お目が覚めておられるなら、ゆっくり本でも読んでお過ごし
くださいな。まずは、簡単なお食事をお持ちいたしますわ﹂
﹁⋮⋮⋮ありがとう。よろしくね﹂
﹁はい。では少々失礼させていただきます﹂
まったく足腰立たないのだから、おのずとベッドで過ごさざるを
得ない。せっかく休めと言ってくれているのだから、言葉に甘える
べきだろう。
その日、侍女たちは皆いつも以上にシェリルに優しかった。しか
し、ユーリウスはいつまでたっても顔を見せてくれず、ようやく会
えたのは、就寝前になってから。
654
+++
﹁なにやってんですか。馬鹿ですか﹂
クサヴァーは呆れ切った声で嘆息し、ユーリウスは憮然とそっぽ
を向いた。
﹁いや、うん。⋮⋮⋮久しぶりだったから、つい。⋮⋮⋮だって、
おまけにもう一年もまともに抱い
ま
た
奥様を寝込
さらにはかわいい声でねだられたんだぞ!
二週間ぶりに会えたんだぞ!?
抗えるか!!﹂
てなかったんだぞ!?
?
﹁︱︱︱で、朝までぶっ通しでヤリまくって
ませたわけですか。十代の小僧でもあるまいに、どんだけ盛ってる
んですか。何度目ですか。学習能力ないんですか。﹃労わり﹄﹃思
いやり﹄﹃加減﹄という言葉の意味をご存知ですか﹂
ぐうの音もでなかった。ユーリウスは溜息をつきながら机につっ
ぷした。
快楽に酔うあまり、シェリルが力を失ってからも執拗に繋がり続
け、夢うつつのシェリルのかわいいおねだりに理性をぶっ飛ばされ
655
て、夜明けまで貪り倒してしまった。長旅の疲れに徹夜が加算され、
ユーリウスもまた、朝日を浴びながらぶっ倒れるようにして眠りに
落ちた。
いつまで経っても起きてこない夫婦を心配し、クレフが様子を見
に来たのは昼前。部屋中に充満する匂いとベッドの有様を目にした
老執事は、しつこくもシェリルと繋がったまま寝こけていたユーリ
ウスを問答無用で叩き起した。
クレフはユーリウスが生まれる前からダールベルグ公爵家に仕え
ている。ユーリウスを育てたのはクレフだと言っても過言ではなく、
その教育的指導に遠慮などあるはずもない。
状況からして、ユーリウスがシェリルに無理を強いたのは一目瞭
然だったので、ユーリウスは十年以上ぶりに﹃爺や﹄に説教される
羽目になった。
昔、ユーリウスが悪いことをした時などは、説教のあとで罰とし
て書き取りをさせるのが爺やの常だった。大人になった今は、さす
がに書き取り罰はなかったが︱︱︱﹃そんなに元気が有り余ってお
られるならその熱意を仕事に向けてください﹄と、半強制的に机に
向かわされることになった。
ユーリウスが執務を行うということは、必然的にクサヴァーも働
くことになり、こうしてチクチクと嫌味を言われている次第である。
昼過ぎにシェリルが目を覚ましたという報告は受けたが、会いに
いくことはクレフ以下使用人一同が許してくれなかった。
シェリルが使用人たちに慕われているのは結構なことだし、全て
656
は自業自得だ。これが一夜の無茶の代償なら安いものだろうと、説
教も嫌味も罰も、ユーリウスは大人しく甘受した。
もちろんシェリルに無理をさせてしまったことは後悔しているの
だが、シェリルがシェリルである限り、二度としないとは言えない
︱︱︱彼女の魅力の前では、ユーリウスの理性など砂上の楼閣に等
しい︱︱︱ので、反省の言葉を口にすることはなかった。
657
幸せな日々5︵後書き︶
ひとまずここまでです。
ここまでお付き合いくださってありがとうございました。
なんだか更新スパンが長くなってきたので、ひとまず完結済表示を
つけました。
今後はエピソード追加の時のみ﹁連載中﹂にしようと思います。
いくつか眠っているストックがあるので、完全終了ではないのは確
実です。
︵間がすっぽ抜けているせいで出しにくいのです汗︶
658
酒は飲んでも呑まれるな 前編︵前書き︶
本編終了から半年後ぐらい。
結婚前、休暇をもぎとったユーリウスがシェリルに会うためにペル
レ侯爵家を訪れた際の話。
※シェリル豹変・大暴走につき覚悟を持ってお読みください。
659
酒は飲んでも呑まれるな 前編
﹁ん⋮⋮﹂
眠い⋮⋮おまけに、なんだか頭が重い⋮⋮。気を抜くとトロンと
落ちそうになる瞼をこすって、シェリルはぐっと腕に力を入れて身
体を起こした。
﹁うっ⋮あたまいたっ⋮⋮﹂
憂鬱な気持ちで溜息をつくと、隣で眠っていたユ
こめかみの辺りがズキズキする。もしかして風邪をひいてしまっ
たのだろうか?
ーリウスが目を覚ました。
﹁⋮⋮シェリル、大丈夫か?﹂
﹁ん、と⋮⋮少し、頭が痛くて⋮⋮⋮風邪をひいてしまったのかも﹂
そう言うと、ユーリウスは微妙な顔をした。
何をですか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮おぼえてないのか﹂
﹁?
言われて初めて、昨夜の記憶が随分とおぼろげであることに気づ
く。確か、昨日の夕方に到着したユーリウスと共に、父やマティア
ス達を交えて夕食をとって、その後、シェリルの部屋で晩酌をして
︱︱︱それから?
﹁⋮⋮⋮あれ?﹂
660
首を傾げると、ユーリウスは﹃おぼえてないならいい﹄と溜息を
ついた。
+++
︱︱︱昨日、深夜。
ユーリウスはすっかり馴染んできたシェリルの部屋に、葡萄酒の
ボトルを持ち込んだ。以前約束した通り、シェリルと一緒に楽しむ
ために用意したお気に入りの一本だ。
﹁これはどこで作られた葡萄酒なのですか?﹂
﹁ダールベルグ公爵領の東の方にあるイルデという村で作っている
ものだよ。葡萄酒の味はその年の蒲萄の出来で決まるんだけど、こ
の年は特に出来がよかったんだ。美味しいだろう?﹂
﹁はい。以前に飲んだ葡萄酒はなんだか渋くて苦手だなと思ったん
ですけど、これはすごく飲みやすくてびっくりしてます﹂
﹁葡萄酒は当たり外れがあるからな。当たり年のものでも保管が悪
いと劣化してしまうし。かなり繊細な飲み物なんだよ﹂
﹁奥が深いんですね⋮⋮﹂
661
しみじみとそう言って、グラスに口をつけるシェリル。かなり気
に入った様子だ。一杯目を軽く飲み干すと、二杯目に手を伸ばした。
他愛ない話をしながら杯を進めていくうちに酔いがまわってきた
のか、シェリルはほんのりと頬を薄紅色に染めて、とろんと目を潤
ませ始める。ユーリウスは微笑ましく思いながらその変化を眺めて
いた。
不意に、シェリルはふにゃりと笑った。
なに?﹂
﹁ユーリさま﹂
﹁ん?
﹁だっこしてください﹂
グラスを置き、幼い子供のように両手を広げて、抱っこをねだる。
酒を飲み慣れていないのは知っていたので、もし弱い体質なら酔
いがまわるのも早いだろう。この程度は予想の範囲内だ。ユーリウ
スはくすりと微笑み、シェリルを膝の上に抱き上げた。
シェリルはユーリウスの首に腕をまわし、その肩に頬をすりつけ
てきた。
﹁んー⋮⋮ユーリさまのにおいがする⋮⋮﹂
﹁シェリルは酔うと甘えん坊になるんだな﹂
﹁そうかもしれません⋮⋮ふわふわして、なんだかすっごく、いい
きもちなの⋮⋮﹂
はぁ、と唇から漏れる吐息が艶かしい。酔いのまわった身体は熱
をもっていて、素面の時よりも強くそのぬくもりを伝えてくる。
662
﹁ただの酒も、君にとっては媚薬のようなものなんだな。葡萄酒で
これじゃ、度数の強い蒸留酒なんて飲ませた日にはどうなることか﹂
﹁わたし、のんでみたいです⋮⋮もっと、ほしい﹂
﹁はいはい﹂
覚束無い手つきでボトルに手をのばそうとするのを制し、自分の
グラスに注いだ。先程からユーリウスを誘ってやまない唇に、口移
しで流し込む。
﹁ん⋮っ⋮﹂
さて、どこまで試そう。シェリルの酔い方や、許容量の限界を見
てみたいけれど、あんまり飲ませすぎて眠ってしまったらつまらな
い。酒のせいもあってか、日頃からユーリウスを虜にしてやまない
香りも際立って甘くて。⋮⋮⋮もうベッドに連れて行ってしまおう
か。
﹁はぁっ⋮⋮もっと⋮⋮﹂
酒か、口づけか。どちらに酔いしれているのやら、とろけた瞳で
シェリルはねだる。
﹁いくらでもあげるよ﹂
再び口移しで酒を与え、舌を交えた。飲みきれなかった雫が口の
端から垂れ、白い顎を艶かしく伝い落ちる。唇を離し、こぼれ落ち
た雫を舐めとった。
﹁ゃん、くすぐったい⋮⋮﹂
663
﹁君がこぼすからいけないんだよ﹂
﹁ユーリさまはよくわたしのこと舐めますけど、わたしっておいし
いんですか?﹂
﹁ん?﹂
甘いとか、辛
質問の意図がはっきりとつかめず、ユーリウスは首を傾げた。
﹁⋮⋮⋮もしかして、味について聞いているのか?
いとか、そういう?﹂
自分ではよくわからないの﹂
﹁だってユーリさま、たまに言うもの。あまくておいしいって。で
も、わたしって、ほんとにあまいの?
﹁いや、あくまでたとえというか、比喩だからな。実際に砂糖や蜂
つまんない﹂
蜜の味がするわけじゃないからな?﹂
﹁そうなの?
やはり、段々と言動がおかしくなってきている。いつの間にか敬
語が外れているし。
﹁ユーリさまもね、あまくはないのよ。でもね、たまにぺろってし
なにかとくべつなにおいがしてるのかも﹂
たくなるの。どうしてかしら。ユーリさまも実は花の民なのかしら
?
﹁シェ、シェリル?﹂
そう言って、シェリルはユーリウスの首筋に顔を寄せてきた。湿
わたし
ったもの︱︱︱シェリルの舌が首筋をなぞるのを感じて、ぞくりと
ユーリさまも、きもちいいの?
したものが背筋を駆ける。
﹁っ⋮⋮シェリ、ル﹂
﹁びくって、なったの?
もね、ユーリさまにぺろってされるとね、びくってなって、ぞくっ
664
てなるのよ。いっしょだね﹂
﹁ああ⋮⋮そうだな﹂
無邪気に笑いながら、いつの間にかシェリルはユーリウスの上に
身を乗り出していて、ユーリウスの背はソファーの背もたれに押し
付けられている。そして、細い手指がシャツとベストの間に滑り込
んできていて⋮⋮⋮。
﹁ぬいでください﹂
﹁︱︱︱はっ?﹂
﹁ユーリさまにさわりたいの。だから、ぬいで﹂
シェリル、なのか?
ユーリウスは混乱した。︱︱︱これは、誰だ。本当にシェリルか
?
幾度となく抱いてきたが、﹃脱いで﹄も﹃触りたい﹄も初めて言
われた。情事の最中のおねだりだって、焦らして焦らして、やっと
口にさせることができるぐらいだ。もしかして、快楽に酔わせるよ
りも酒の方が効くのか?
思いがけない言葉に呆気にとられていると、シェリルは悲しそう
に眉尻を下げた。
﹁ぬいでくれないの⋮⋮?﹂
﹁いや、えっと⋮⋮⋮君が脱がしてくれるか?﹂
﹁そっか、ユーリさま、いつもわたしの服勝手にぬがすものね。う
ん、勝手にぬがしていいんだ﹂
﹁い!?﹂
一人頷いて納得すると、シェリルは躊躇なくボタンに手をかけて
665
きた。ベストのボタンが外され、首元のスカーフが取られて、シャ
ツがはだけられる。これだけのことを、シェリルは嬉々としてこな
してしまった。
︱︱︱これは、まずいかもしれない。シェリルの言動がまったく
予想できなくなってきた。
シャツを完全に肌蹴させると、シェリルは再びユーリウスに抱き
ついて、裸の胸に頬をよせた。
﹁ん⋮⋮ユーリさま、あったかい。⋮⋮⋮しあわせ﹂
ユーリウスの服を脱がしても、シェリルは自分の服は身につけた
ままだ。自分だけ脱がされるというのは、かなり恥ずかしいものだ
⋮⋮⋮もう満足したのか?﹂
ということも、ユーリウスは今初めて知った。
﹁シェリル?
﹁んーん、だめ。まだじっとしてて﹂
﹁⋮⋮⋮はい﹂
思わず敬語になりながら、苦笑する。こうなったらとことんまで
付き合おうと、ユーリウスは覚悟を決めた。
666
酒は飲んでも呑まれるな 後編*
もしかしたら、これは素面では出てこないシェリルの本音なのか
もしれない。だとしたら、普段の彼女は随分と我慢をしているらし
い。口には出さなくても、シェリルもまた、ユーリウスに触れたい
と思ってくれているのだ。
﹁ユーリさま、すき。⋮⋮⋮だいすき﹂
﹁僕も君のことが大好きだよ﹂
﹁うれしい。ずっと、さみしかったの。ユーリさまがいない間、さ
むくてさむくて、たまらなかったの。やっぱりユーリさまはあった
かくて、すき﹂
﹁⋮⋮⋮ごめん﹂
シェリルの安全のためとはいえ、ペルレ侯爵家にシェリルを置き
去りにしたのは紛れもない事実だ。言い訳のしようもない。
﹁ユーリさまはさみしくなかった?﹂
﹁寂しかったよ。ずっと君が心配で、抱きしめたくてたまらなかっ
た﹂
﹁婚約者のひとと浮気したりしなかった?﹂
﹁してない。⋮⋮⋮やましいことは、何もしてない﹂
舞踏会で顔を合わせて、エスコートさせられて、三曲ほど踊って、
心にもない賛辞をおくって、見世物にはなったが、全て本意ではな
かった。
言葉にしなかった部分で何かを察したのか、シェリルはむっと顔
667
をしかめた。
﹁ずるい。⋮⋮わたしはお父さまとマティアスお兄さまとフィリッ
プ以外のおとこの人とは会話すらしてないのに、ユーリさまはわた
し以外のおんなの人と踊ったり、話したりするなんて。⋮⋮⋮ずる
い﹂
﹁ごめん。言い訳のしようもないし、今後も君以外の女性と一切触
れ合わないなんて無理だから、謝るしかできない。ごめん﹂
﹁しってる。これはね、わがままなの。わたしだって、同じこと言
われたらこまるもの。でも、いやなの。⋮⋮⋮やなのっ﹂
﹁⋮⋮⋮ごめん﹂
ぎゅうっと抱きついてきた熱い身体を抱きしめ返す。シェリルの
目元には涙が滲んでいた。きっとこれは、酒のせいではない。
﹁ほんとにわるいとおもってるなら、キスしてください﹂
﹁酒もいるか?﹂
﹁うん﹂
﹁仰せのままに﹂
三度目の、葡萄酒味の口づけのなかで舌が絡まる。
﹁なんだか、あつくなってきた⋮⋮﹂
﹁服、脱いだ方がいいんじゃないか?﹂
﹁うん﹂
そして、シェリルは自分で服を脱ぎ始めた。⋮⋮⋮ここは﹃脱が
してほしい﹄ではないらしい。普段のシェリルは、抱かれるために
自分から服を脱いだりしないから︱︱︱脱がされるのは恥ずかしく
て嫌だというのが本音なのだろう、きっと。シェリルを前にして服
668
を脱がさないなんて選択肢はないので、こればかりは嫌だと言われ
ても叶えられないが。
シェリルは夜着を脱ぎ捨てると、下着だけの姿でユーリウスの膝
の上に戻ってきた。ユーリウスの顔を下から覗き込んで、とろんと
した目で見上げてくる。
﹁あのね、さわって、ほしいの﹂
﹁⋮⋮⋮どこを?﹂
﹁ここ、と、ここ﹂
胸と足の付け根を指差して、ユーリウスの手を胸の膨らみへ導く。
手の平が熱く火照る肌に触れた瞬間、シェリルはびくっと身を竦ま
せ、甘い声をあげた。
﹁あっ⋮⋮﹂
﹁これだけのことで、感じたのか?﹂
﹁だって、きもち、いっ⋮ぁ、あんっ!﹂
右の乳房を完全に手中におさめ、やわやわと揉みほぐす。反動で
逃げようとした身体を、もう一方の腕で抱き込んだ。
﹁はぁんっ⋮⋮﹂
﹁いつも以上に素直だな。これも酒のせいか?﹂
﹁ん、そう、かも。きもちいいっ⋮⋮﹂
向かい合うユーリウスの肩を掴んで、快楽に耐えるように眉を寄
せて。もっと触れてほしいと、胸を眼前に差し出している。胸への
刺激を続けながら下着の上から秘部をなぞると、シェリルは跳ねる
ように背を仰け反らせた。
669
﹁んぁっ!﹂
﹁触れてもいないうちからトロトロだな。一体いつから濡らしてい
たんだ?﹂
﹁ゎ、わ、か、んないっ﹂
﹁どうせなら、さっき下着も脱げばよかったのに﹂
﹁だって、そんなの、はしたない⋮⋮﹂
﹁ここまでやっておいて何を言ってるんだ﹂
酔っ払いの言動に筋を求めるのは酷だろうが、思わず苦笑してし
まった。明朝、正気に戻ったシェリルが自分の今夜の言動を思い出
したら、間違いなく卒倒するだろう。こんな酔い方だと、覚えてい
ない確率の方が高いが。
下着を腿の半ばまでずらし、指先に蜜を絡めながらゆっくりと挿
入する。そのまま中で折り曲げて、内側を軽く引っ掻いた。
﹁あっ、︱︱︱んっっ⋮!﹂
﹁⋮どうしてほしい⋮?﹂
ぁ、あっっ⋮!﹂
﹁んっ⋮⋮もっと、おく、まで、さわってぇっ⋮⋮!﹂
﹁こうか?﹂
﹁あっ︱︱︱!!
一番長い指を、腰が持ち上がるぐらい深く差し入れる。しかし、
指ではシェリルが真に求めているところまでは届かない。シェリル
はユーリウスの頭を抱え込みながらもどかしげに眉を寄せ、息を弾
ませ、腰をくねらせた。
﹁やぁっ、ちがうのっ⋮⋮もっと、おく、が、いいのぉっ⋮⋮!﹂
﹁これ以上奥となると、指じゃ届かないな。どうしようか?﹂
670
焦らすつもりでわざととぼけたら、シェリルはユーリウスに寄り
かかりながら、片手を下肢へとのばした。ズボンの下で、はち切れ
んばかりに存在を主張しているものを手の平がなぞる。
﹁これだったら、おくまでとどくよね⋮?﹂
﹃これが、ほしいの﹄と。艶かしい声が、耳元で囁く。
﹁⋮⋮⋮酒の力ってすごいな﹂
知らず口元に笑みが浮かぶ。シェリルがこんなことを言ってくれ
るなんて、今夜は一生忘れられない夜になりそうだ。
﹁ほしいなら、いくらでもあげる。君の好きにしてくれ﹂
﹁いいの⋮?﹂
﹁ああ。僕は君のものなんだから﹂
﹁︱︱︱うんっ﹂
とても状況に相応しくない無邪気な微笑みを浮かべて、シェリル
はユーリウスの膝からおりた。足に引っかかっていた下着をもどか
しげに脱ぎ捨てると、ユーリウスの前に膝をついて、ズボンに手を
かける。露わになったユーリウスのものをうっとりと眺め、手の平
に包み込んだ。
﹁ん⋮⋮あつくて、かたい⋮⋮⋮これなら、︱︱︱﹂
よいしょ、と再びユーリウスの上に跨ると、先端を入口に合わせ
た。滾る欲望が、ゆっくりと熱い肉襞の中に押し込まれる。
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﹁ふあぁっ⋮!﹂
ユーリウスの肩にすがりつきながら、ゆっくりと腰を落として。
ずっと疼いていたのだろう、子宮の入口まで満たされて、シェリル
は満足気な溜息をついた。
﹁はぁっ⋮⋮ユーリ、さまっ⋮⋮ぃ、い⋮⋮いい、よぉ⋮っ!﹂
﹁ああ。僕も、すごく気持ちいい⋮⋮﹂
胎内の楔を味わうように、じっくりと身体を上下させて。良いと
ころに当たるように、ゆるゆると腰をくねらせて。薄紅色に色づい
た肌に、艶かしく汗を光らせて︱︱︱。
﹁はぁっ⋮⋮はぁっ⋮⋮︱︱︱あッ!?﹂
不意に下から突き上げると、シェリルは目を見開きながら背を弓
なりにそらせた。腰を抱え込んで、ソファーに組み敷く。
﹁っあぁっ⋮⋮ユーリ、さまっ⋮!?﹂
⋮⋮⋮というか、もう僕が我慢でき
あ、ぁんんっ﹂
﹁そろそろイキたいだろう?
ない。ごめん﹂
﹁え、ぁっ!?
細い両足を肩に担ぎ、ぐっと上体を倒す。深く繋がると、締めつ
けがさらに強くなった。やはり、この方が動きやすくていい。
﹁ユーリさ、っ⋮⋮ユーリ、⋮⋮っ、ユーリウスっ!﹂
ソファーで一度果てた後、ベッドに移動してから何度となく愛し
合って、最後はほとんど同時に眠りに落ちた。
672
+++
記憶がないのは、どうやら酒のせいであるらしい。起きた時の身
体のだるさから考えて、かなり激しく愛し合ったのだろうに、それ
すら覚えていないなんて、どれほど酔っていたのか。
﹁ユーリ様、昨日の私ってそんなに酔ってたんですか?﹂
﹁ああ。⋮⋮⋮いろんな意味ですごかったよ﹂
ニヤリと、ユーリウスはまるでオスカーのような意地の悪い笑み
を浮かべた。その表情に不安を感じ、シェリルはおそるおそる問う
た。
﹁えっと、何をしでかしたのでしょう⋮⋮?﹂
﹁そうだな⋮⋮⋮三杯目ぐらいまでは普通だったんだが、酔いがま
わるにつれて段々と言動が幼くなってきて、まずは抱っこをねだっ
た﹂
﹁うわぁ⋮﹂
﹁で、僕にさわりたいと言って服を脱がしてきたと思ったら、暑い
と言って自分の服を脱ぎ捨てた上、身体がうずくと言って僕の上に
またがって⋮⋮﹂
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﹁っ!!??﹂
ユーリウスの口から思いがけない言葉が次々と飛び出してきて、
シェリルは耳を疑った。
﹁わ、私、本当にそんなことしたんですか!?﹂
﹁ああ﹂
﹁うそっ!?﹂
﹁嘘じゃない。その後も色々⋮⋮まぁ、色々と、やってくれたかな
?﹂
﹁いやあぁぁぁっ!!﹂
シェリルは思わず絶叫してしまった。顔を覆いながらその場にう
ずくまる。
ユーリウスの顔がまともに見られない
そんな醜態をさらしておいて覚えてないことも情けないが、ど
穴があったら入りたい!
!
うせ忘れたなら、むしろ知らないままでいたかった⋮⋮!!
﹁黙っておくのが優しさだとは思ったんだが、無自覚のまま僕のい
ない場所であんなに奔放になられても困るし。そんなわけだから、
君は僕がいないところで酒を飲んだら駄目だよ﹂
﹁むしろもう二度とお酒なんて飲みませんから!!﹂
それに、積極的な君をまた見た
もう二度とお酒は飲みません!!﹂
﹁いや、すごくかわいかったよ?
いんだが﹂
﹁絶対にいやです!
﹁そう言わず、ね?﹂
泣
∼∼∼ユー
ごめん、悪かった、からかいすぎた!
﹁っ、⋮⋮そんな顔したって、これだけはダメです!
リ様のばかぁっ!﹂
﹁シェ、シェリル!?
674
かないでくれ!﹂
心の底からの叫びの通り、以後、シェリルが自発的に酒を口にす
ることはなくなったのであった。
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酒は飲んでも呑まれるな 後編*︵後書き︶
自発的に口にしなくても、積極的なシェリルが見たくなったユーリ
ウスに情事の最中に無理やり飲まされたりはするのでした。
シェリルはユーリウスに甘いので、その程度なら普通に許しちゃう
んですけどね。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://novel18.syosetu.com/n2696ba/
花の末裔
2016年7月23日14時57分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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