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研究成果Vol.20(P1
近代スペイン音楽の発展 ― モンポウのピアノ作品を中心に ― 紺 谷 志 野 嘱託助手 大学院 平成 25 年度 1. 研究の背景と目的 2. パリにおける音楽家達との親交 本研究の目的は、スペイン音楽を特徴づける要 モンポウは、アルベニス、グラナドス、ファリャ 素をもとに、モンポウ(Mompou,Federico 1893 - 以後のスペインを代表する作曲家である。平成 25 1987)を中心とした近代スペイン音楽の作曲家の 年に生誕 120 年(平成 24 年度は没後 25 年)の記 ピアノ作品の分析と考察を行い、その成果を明ら 念すべき年を迎えたこともあり、日本においても かにする事である。 いくつかの記念演奏会が行われた。その代表的な 平成 23 年度に発表した博士論文においては、 演奏会として、平成 25 年 9 月 1 日の東京オペラ スペイン音楽を特徴付ける主要な要素として、ス シティコンサートホール開館 15 周年記念公演が ペイン舞曲のリズム、ミの旋法、メリスマ的音 挙げられる。この演奏会においては、モンポウの 型、フラメンコ、ギターの 5 つがある事を明らか バリトン、合唱、オーケストラによる宗教合唱曲 にし、それらの諸要素が楽曲の中においてどの 《インプロペリア(マルケヴィッチ版 日本初演)》 ように組み合わされ取り込まれているかを考察 のほか、ピアノ曲《内なる印象》、ギター独奏曲《コ した。取り上げた作曲家は、スペイン人作曲家 ンポステラ組曲》、ソプラノとオーケストラによ アルベニス(Albéniz , Isaac 1860 - 1909)、グラナ る《夢のたたかい》 (原曲はピアノ伴奏曲)などが ドス(Granados , Enrique 1867 - 1916)、ファリャ 演奏された。 (Falla,Manuel de 1876 - 1946)と、スペイン人以外 モンポウは、1893 年にスペインカタルーニャ地 の作曲家ドビュッシー(Debussy , Claude Achille 方のバルセロナに生まれた。父はスペイン人、母 1862 - 1918)、スカルラッティ(Scarlatti,Domenico はフランス人であった。音楽好きの一家の中で才 1685 - 1757)である。 能が育まれ、バルセロナのリセオ音楽院に入学 平 成 24 年 度 塚 本 学 院 研 究 補 助 に お け る し、15 歳でピアノリサイタルを行った。16 歳の時 成 果 論 文 で は、博 士 論 文 を も と に ソ レ ー に、バルセロナで行われた「フォーレ ・ コンサー ル(Soler , Antonio 1729 - 1783)や ロ ド リ ー ゴ ト」で、フォーレ(Fauré , Gabriel Urbain 1845 - (Rodrigo , Joaquín Vidre 1901 - 1999)のピアノ作 1924)の《弦楽とピアノの為の五重奏曲》を作曲 品を加えて分析と考察を行った。 家自身の演奏で聴いた事が、独学で作曲を始めた 今回は、上記の研究をもとにモンポウを中心と きっかけになったと言われている。その後、1911 した近代スペインの作曲家のピアノ作品を取り上 年 18 歳の時に、グラナドスがフォーレ宛てに書 げ、分析と考察を行う。 いてくれた推薦状を携え、パリに留学した。 68 パリではフォーレに直接師事することは叶わな かったが、ショパン(Chopin , Frédéric François Alfred Leslie 1866 - 1925)やフランス 6 人組らと 親交を持つ中で、独自の音楽性を確立していった。 1810 - 1840)門下のマティアス(Mathias , Georges Amedee Saint-Clair 1826 - 1910)やサン = サーン 3. モンポウの音楽 ス(Saint-Saëns, Charles Camille 1835 - 1921)に師 モンポウの音楽の特徴として、フランス音楽と 事した高名なピアニストのイシドール・フィリッ 出身地であるカタルーニャ地方の音楽の影響が挙 プ(Philipp Isidor Edmond 1863 - 1958)や、その げられる。 弟子のフェルナンド・モット = ラクロワ(Motte- ドビュッシーやラヴェル、プーランクや 6 人組 Lacroix, Ferdinand 1882 - 1955)にピアノレッスン といった、近代フランス音楽を代表する作曲家達 を受ける事となった。 との交流が深い事から、作曲においてフランス音 モ ン ポ ウ の 良 き 指 導 者、理 解 者 で あ っ た 楽から大きな影響を受けたといえる。また、モン モ ッ ト = ラ ク ロ ワ は、パ リ 音 楽 院 で ラ ヴ ェ ル ポウの母親はフランス人であり、出身地の言語で (Ravel, Joseph-Maurice 1875 - 1937)やヴィーニェ あるカタルーニャ語は、スペインの標準語である ス(Viñes, Ricardo 1876 - 1943)とともにシャルル カスティーリャ語と違い、フランス語に近いと言 = ヴィルフリッド・ド・ベリオ(Bériot, Charles- われている。 Wilfrid de 1833 - 1914)のクラスで学んだピアニス トであった。 ス ペ イ ン 出 身 の ヴ ィ ー ニ ェ ス は、ア ル ベ ニ 当時のスペインの状況も、モンポウの音楽に大 きな影響を与えたといえる。第一次世界大戦後の スペインでは政権が安定せず、カタルーニャ地方 ス、グラナドス、ファリャといったスペイン人作 やバスク地方では独立運動が活発になっていた。 曲家だけでなく、シャブリエ(Chabrier, Alexis- 1923 年から 1930 年まで続いたプリモ・デ・リベ Emmanuel 1841 - 1894)、フォーレ、ショーソン ラの独裁政治ではカタルーニャ語の使用を禁止 (Chausson, Ernest 1855 - 1899)、ドビュッシー、ラ し、知識人達が次々と国外追放となった。リベラ ヴェルといった多くのフランス人作曲家達とも が失脚した翌年の 1931 年から 1941 年にかけてス 親交を持ち、彼らの作品の初演に携わったピアニ ペイン市民戦争が起こり、第二次世界大戦へと続 ストであり、プーランク(Poulenc, Francis, Jean いていった。 Marcel 1899 - 1963) やロドリーゴ (Rodrigo,Joaquín モンポウは、 「私は『ナショナリスタ』と呼ばれ Vidre 1901 - 1999)のピアノの指導者でもあった。 るのは好まない」と公言していたと言われている 音楽家以外にも、ピカソ(Picasso, Pablo 1881 - が、1931 年に創設されたカタルーニャ独立音楽協 1973)、コクトー(Cocteau,Jean 1889 - 1963)といっ 会に加わっており、モンポウの代表曲である《歌 た、当時では時代の先端を行く画家や詩人とも親 と踊り》 (全 13 曲)の多くにはカタルーニャ民謡 交を持っており、当時のパリ音楽会の中心的な人 が用いられている。 物の一人であった。 本研究においては、これらの事象をもとに、モン モンポウが留学した 1911 年から第一次世界大 ポウの音楽におけるフランスとカタルーニャ地方 戦勃発までの 1914 年のパリは、スペイン人音楽 の音楽の影響を考察し、スペイン音楽の発展に寄 家が最も活躍した時期であり、モット = ラクロ 与したアルベニス、グラナドス、ファリャらの音楽 ワやヴィーニェスを中心に、サティ(Satie, Erik とは違ったスペイン音楽の一面を明らかにする。 69