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異世界迷宮で奴隷ハーレムを

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異世界迷宮で奴隷ハーレムを
異世界迷宮で奴隷ハーレムを
蘇我捨恥
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
異世界迷宮で奴隷ハーレムを
︻Nコード︼
N4259S
︻作者名︼
蘇我捨恥
︻あらすじ︼
ゲームだと思っていたら異世界に飛び込んでしまった男の物語。
迷宮のあるゲーム的な世界でチートな設定を使ってがんばります。
そこは、身分差があり、奴隷もいる社会。となれば、やることは一
つ。俺様、最強、ハーレム、性奴隷の要素があり、人も死にます。
1
プロローグ
自殺サイト。
もちろん知っている人は知っているだろう。自殺する方法が載っ
ていたり、一緒に自殺する仲間を募集できたりするサイトのことだ。
そんな自殺サイトの奥に、俺は紛れ込んでいた。
別に死ぬと決めたわけじゃない。
しかし、死への誘惑がないわけでもない。
俺は、この世の中に軽く絶望していた。
学校では軽いいじめを受けている。
はっきりとしたものではない。陰湿に無視されるようなやつだ。
授業中も、昼休みも、登下校のときも一人ぼっち。
小学校のころは直接暴力を振るわれたりもしたので、これでもマ
シになった方か。
俺は今、剣道と合気道を習っている。いじめられるのが嫌で小学
生のときに始めた。
だいぶ力もついてきたので、最近では暴力を振るってくるような
やつはいなくなっている。
情けない連中だ。
弱い者には暴力を振るえても、勝てなくなると無視するくらいし
2
かできなくなる。
まあ、こっちもそう思って見下しているのだから、仲よくなれる
はずもないか。
家での親父の態度も似たようなものである。
母親が亡くなったころは家庭内暴力を振るわれたりもしたのだが、
このごろでは怯えて話しかけてもこない。
世の中なんて所詮こんなものだ。
建前をどんなにつくろっても、結局この世では力がものをいう。
力でかなわないとなれば、面と向かって直接何かをしてくるやつ
はいないのだ。
かといって、力があるくらいでは、今の世界でてっぺんを取るこ
ともできない。
本当に腐った世の中だと思う。
そんなことを考えていたからだろう。
ネットで偶然見つけた自殺サイトに、俺は吸い込まれるように入
っていった。
考えてみれば、この世に未練はほとんどない。
頼れる家族も、恋人も、友達さえいない。
他にどんな未練があるというのか。
成績がいいわけでもない。
親父から虐待を受けているようでは、大学進学も無理だろう。
うちは貧乏だ。
3
ちなみに、合気道と剣道は寺の住職が子どもたちに無料で教えて
いる。
でも、俺は知っていた。
住職が気に入った女の子にベタベタと触りたがるのを。
世の中なんてホント、こんなもんだ。腐ってやがる。
未練があるとすれば、あれか。
正直、童貞は卒業しておきたかった。
経験しないままに死ぬのは惜しい。
性欲盛りの男子高校生の考えることなんて、こんなもんだ。
あと、自殺するのはやっぱり怖い。
痛いのも怖いのも嫌だ。
人間死ぬ気になれば何でもできるというしな。
合気道と剣道にはかなり打ち込んだ。他にやることもなかったし。
それなりの力はあるはずだ。
ひょっとしたらなんとかなるような気がしないでもないと言った
ら嘘になることはないと思わなくもない。
自殺への決意を固めきれないままサイトを巡っていると、﹁自殺
の決意をする前に﹂と書かれたリンクが目に飛び込んできた。
そう。これよ、これ。
健全な青少年、まだ高校二年生の俺に自殺なんか勧めちゃいかん。
こういうのがほしかった。
やっぱり死ぬのは怖い。
広告っぽいが、とりあえずクリックする。
4
⋮⋮なんだ、これ?
そのページに移動した俺は、思わずつぶやいていた。
内容を簡単にまとめると、この世界で生きづらいなら異世界で生
きればいいじゃない、ってとこか。
それどんなマリー。
あなたが生きるのに相応しい世界、とかで、何か選択できるよう
になっている。
科学技術が発達した世界、海賊が跋扈する世界、古代世界、剣と
魔法の世界⋮⋮。
魔法がある世界なんていうのもあるのか。
それを選んで進めると、人間だけがいる世界、人間とエルフとド
ワーフのいる世界、人間と亜人と獣人のいる世界、など、これまた
ずらずらと出てくる。
分かった。
これはネットゲームへの入り口だ。
まあ広告リンクだったしな。
自殺志願者が集まるようなところに広告を出してどうするつもり
なのか、と思わなくもないが、進めることにする。
今はネットゲームもいいかもしれない。
5
少なくとも、自殺を考えるよりかはよっぽど健全だろう。
案外、そんな風に思うやつが多いから、広告として成り立ってい
るのか。
ネットゲームは、高校に入ったばかりのころ、少しやった。
リアルで友達のいない俺はネットゲームでもソロプレイだったが。
だからだろうか。深くはまることはなく、しばらくすると自然に
プレイしなくなっていた。
それでも、それなりには楽しんだ。
別に嫌いというわけではない。
ページをさらに進めていくと、文化の数や国の数を選ばされる。
いろいろあった方が面白いか。
飽きたときに他の国に行く手もあるしな。
次のページは、戦争の頻度だ。
国同士が積極的に戦う世界か、友好的な世界か。
ネットゲームだと、ギルドに加入してのギルド戦ということにな
る。
どうせソロプレイヤーの俺には関係ないな。
真ん中より少し友好的に傾いた四番目の世界を選んでやる。
それから、ダンジョン型かフィールド型か。
これはどちらかを選ぶのは難しい。
両方だな。
運営のおしきせじゃなくて選べるようになっているのが謎だが、
6
最後に、あなたにお勧めのゲーム、とかでも出てくるのだろう。
しかし本当に選ぶ項目が多いな。
使用する言語まで選ばされたぞ。
しかも日本語とかじゃねえし。
何だよ、ブラヒム語って。
よく分からないのでデフォルトのままにしておく。
項目の多さにいいかげんうんざりしていると、ボーナスポイント
の設定というページになった。
おお。
ゲームっぽいな。
やり直すを何度かクリックして、数値を変えてみる。
俺は、こういうのは凝るタイプだ。
いい数字が出るまでは進めない。
合気道が好きなのも、型に凝ったという面もあるかもしれない。
同じ型を何回も繰り返す。あれはあれで楽しいものだ。
ボーナスポイントは、基本的にかなり低い数字しか出ないみたい
だ。
十台二十台が多い。一桁も結構ある。
どのくらいが最高の数値なんだろうか。
おおっと。62。
7
多いのか、もっといけるのか、微妙な数字だ。
さらに繰り返す。
四十台はときに、五十台もたまには出るという感じか。
さっきのより上は狙えそうだ。
71。
数値が緑色になっている。
これならまずまずということだろうか。
でも下一桁が1だからなあ。
最高が75なら十分だが、79までいけるならもう少し上を目指
してみたい。
思いきってやり直しを選ぶ。
しかし、それ以降七十台が出ることはなく、六十台がごくまれに
出るだけだった。
失敗したか。
そう思いながら、クリックしていく。
六十台で妥協すべきだろうか。
そんなことを考えながら惰性でクリックしていると、一瞬、8と
いう数字が目の前を通りすぎた。
今八十台だった?
八十台だったよね?
ページ上の数値は、次の数字である19で止まっていたが。
ぐあぁ。しまったあ。
8
勢いに任せてやり直しを押してしまった。
はぁ。仕方ない。
やり直しをクリックする作業に戻る。
六十台が何度か出たが、一度八十台を見てしまうと、もう六十台
で止める気にはならなかった。
どれくらい時間が経っただろうか。
あの後は、七十台さえ出ることはなかった。
仕方なく俺はクリックし続ける。
なかなか高い数字が出ないのに痺れを切らしながら、クリックし
続ける。
さっきみたいにやり過ごしてしまうのを防ぐため、一つクリック
した後は必ず数値を確認する。確認してから、やり直しを選ぶ。
やり直し。確認。やり直し。確認。やり直し。
そもそも、俺はなんでこんなことをしているのか。
もう逆にボーナスポイント一桁でよくね?
そんなことを考えながらも、クリックし続ける。
こうなれば意地だ。
クリックし、数値を確認し、またクリックする。
延々と、俺はクリックし続けた。
クリック。クリック。クリック。
クリック。クリック。クリック。
9
99。
その数字はご丁寧にも金色に輝いていた。
ついに、ついに出た。
これを出すのに、どれくらい時間がかかっただろうか。
やっとのことで出した数字。
おそらく三桁はないので、これが最高値だろう。
99。
その数値を見ながら、しばらく満足感にひたる。
長時間にわたる苦闘の末、ついににたどり着いた。
必死の想いで、搾り出すようにして出した。
苦難と忍耐と絶望の日々も、今となっては懐かしい。
あれだけの格闘を繰り返したのだ。
もうゲームなんかどうでもいいや。
ともいかないので、満足感を味わいながらも、俺は設定するをク
リックする。
ボーナスポイントの設定の次は、キャラクター設定だった。
課金の説明も何もないのに。
これはブラウザー上で行うゲームなんだろうか。
せっかく高いボーナスポイントを出したのだ。いまさらやめるの
も気が引ける。
とりあえず続けるしかない。
10
キャラクターの設定では、腕力上昇、体力上昇などの各種パラメ
ーターの設定や、ボーナス装備の設定、ボーナス呪文の設定、ボー
ナススキルの設定が、ボーナスポイントを使用して行えるようにな
っていた。
試しに腕力を99上昇させると、ボーナスポイントが0になる。
それ以外の変化はない。
経験的には、この手のゲームの場合、パラメーター上昇の恩恵が
あるのは序盤だけで、レベルが上がれば最終的な強さは変わらない
ことが多い。
ポイントは他のものに振った方がよいか。
ボーナス装備もどうか。
ゲーム内で入手できる最強装備以上のものが手に入るのだろうか。
単に、序盤が少し楽になる程度のものであるような気がする。
ボーナス呪文は使えそうだ。
ワープとか、ガンマ線バーストとか。
しかし何を選ぶべきか。
どこかに攻略サイトでもないかと思ったが、考えてみればこのゲ
ームの名前すら知らないんだよな。
それなのに、ゲームをやろうとしている俺。
ボーナスポイント99が出たから、後日やり直すというのも嫌だ。
99を出したのがゲーム提供者の策略だったとすれば、見事には
まってしまったことになる。
さてどうするか。
11
と思ったが、ボーナススキルの一番下、最後の最後に、キャラク
ター再設定、という項目があるのを見つけた。
このボーナススキルがあれば、やり直しが利くのではないだろう
か。
このページがキャラクター設定だから、キャラクター再設定とは、
普通に考えればこの同じページをやり直せるということだろう。
それならば、深く悩まずに適当な設定で始めていい。
キャラクター再設定をクリックして、チェックを入れる。
ボーナスポイント98。
ボーナススキルであと使えそうなのは、と。
必要経験値減少。
もちろん必要だ。
が、その隣には獲得経験値上昇のスキルもある。
どう違うんだ?
とりあえず両方選んでおくか。
必要経験値減少にチェックを入れると、ボーナスポイントが97
になり、必要経験値減少が必要経験値二分の一に変わった。
必要経験値減少の強化バージョン、というか進化バージョンのよ
うだ。
そのまま必要経験値二分の一をクリックすると、ボーナスポイン
トが95になり、必要経験値二分の一が必要経験値三分の一に変わ
る。
必要経験値三分の一をクリックすると、ボーナスポイントが91
になり、必要経験値五分の一に変わる。
12
必要経験値五分の一をクリックすると、ボーナスポイントが83
になり、必要経験値十分の一に変わる。
ボーナスポイントが一気に減ったな。
どうやら、1、2、4、8と必要なボーナスポイントが倍倍にな
っていくらしい。
試しに必要経験値十分の一をクリックすると、ボーナスポイント
が67になり、必要経験値二十分の一に変わった。
83−67=16。
やはり倍か。
必要経験値二十分の一のチェックをはずしてクリックすると、ボ
ーナスポイント83、必要経験値十分の一に戻る。
もう一度クリックして、ボーナスポイント91、必要経験値五分
の一の表示まで戻した。
これで必要経験値三分の一までのスキルを得ているはずだ。
今度は獲得経験値上昇を選ぶ。
獲得経験値上昇にチェックを入れると、ボーナスポイントが90
になり、獲得経験値上昇が獲得経験値二倍に変化した。
こっちも同じパターンか。
獲得経験値二倍をクリックすると、ボーナスポイントが88にな
り、獲得経験値二倍が獲得経験値三倍に変化する。
獲得経験値三倍をクリックすると、ボーナスポイントが84にな
り、獲得経験値三倍が獲得経験値五倍に変化する。
ここまでにしておくか。
その他は、と。
13
セカンドジョブ。
これは使える。疑いなく。
普通、ジョブ制になっているゲームでは、ジョブごとに固有のス
キルや魔法が使える。セカンドジョブがあれば、二つのジョブのス
キルや魔法が使えることになる。
ボーナススキルになっているのが不思議なくらいだ。
ボーナススキルで設定しなかったプレイヤーはどうするんだろう。
セカンドジョブにチェックを入れると、ボーナスポイントが83
になり、セカンドジョブがサードジョブに変わった。
これも一緒のパターンか。
序盤から就けるジョブが多くあることはないだろう。
サードジョブ以上は必要になったら再設定でいい。
隣にはジョブ設定のスキルもあるな。
どう違うのか。
ジョブ設定ができないと、ジョブは勝手なものが設定されるとか
だろうか。
とりあえずこれも再設定時に回そう。
MP回復速度上昇や詠唱短縮も、使えるスキルではあるのだろう
が、最初から魔法が使えるかどうか分からないので、再設定用で。
値引交渉。買取交渉。
これも何か買う必要が出てきたときに再設定するか。
鑑定。
14
攻略サイトも見ずにゲームをするには役立つだろう。
どうするかな。
後はいいや。
ボーナス呪文はとりあえず全スルーだ。
Lv99デスとか、MP全解放とか、大丈夫なのか、といいたく
なる呪文もあるし。
しかしHP全解放は使わないぞと。
使わないといったら使わない。
ボーナス装備に戻る。
序盤に限れば、絶対的に有効なのはボーナス装備だろう。
武器にチェックを入れる。
ボーナスポイントが82になり、武器が武器二に変わった。
ボーナス装備までこのパターンなのか。
武器六までクリックし続けると、ボーナスポイントが20になり、
表示は、武器六のまま、かすれ文字になった。
ここまでらしい。
後は、アクセサリー二までクリックし、ボーナスポイントを17
にする。
そして、必要経験値五分の一にチェックを入れてクリックし︵ボ
ーナスポイント9︶、続いて獲得経験値五倍をクリックした。
残りボーナスポイントは1。
鑑定か、ボーナス呪文か、あるいは何かのボーナス装備にするか。
しかしボーナス装備は六まであるのだから、一ではたいした装備
じゃないだろう。
15
鑑定。
俺はこれを最後にクリックした。
これでボーナスポイントがゼロ。
決定を選択し、キャラクター設定を終了させる。
画面が切り替わった。
警告!
あなたはこの世界を捨て異世界で生きることを選択しました。
二度とこの世界に帰ってくることはできません。
続けますか?
はい いいえ
なんだろう。課金の警告でもない。
課金じゃなきゃどうでもいいや。
俺は適当にはいをクリックする。
最終警告!
本当に二度と帰ってくることはできません。
それでも続けますか?
はい いいえ
しつこいな。はいをクリック。
16
あれ?
実はやばいメッセージだった、ような気が、する、かも⋮⋮。
冷静に考える暇もなく、俺の意識は何かに吸い込まれるように遠
くなった。
17
厩戸
気づいたら、俺はわらの上で寝ていた。
なんでわらなんかの上に。
しかし、わらであることは間違いない。
どこかの物置小屋みたいなところに、わらが積まれており、俺は
その上で寝ていた。
東京にわらのある場所なんかあるのだろうか。
いや、そもそも俺はなんでこんなところに。
考えよう。
昨日は何をしていたか。
確か変なネットゲームみたいなのをしようとしていた。
途中で意識が遠くなって⋮⋮。
気づいたら、わらの上だった。
何が起こったのか、よく分からない。
するとここはゲーム?
完全なヴァーチャルリアリティーで。
まさかな。
そんな話は聞いたことがない。
18
しかも、クリックするだけでゲームの中に入れるとか。
ありえない。
夢の中とか?
﹁ブルルォ﹂
そのとき、何かがいななく音がした。
うおぉ。びっくりした。
小屋の中に何かいる。
俺は目をこらした。
馬
あれ?
なんだ?
馬という情報が、突然頭の中に浮かんできた。
馬がいるのは間違いないようだ。
起き上がって近づいてみると、馬が一頭いた。
足の太さとか、サラブレッドではないっぽいが、まあ馬だ。
馬の種類なんかよく知らん。
小屋の大きさは、ワンルームマンションの部屋くらいはあるだろ
うか。
そこに一頭とか。いいご身分だな。
19
四畳半と六畳のアパートであの親父と二人暮しの俺に謝れと言い
たい。
と、そんなことを怒ってもしょうがないので、辺りを見回す。
薄暗いが、窓の外が赤らんでおり、かすかに光が入っていた。
夕焼けか、朝焼けか。
周囲に人の気配はない。
窓ガラスも木窓もなく、窓は開け放たれている。
馬はおとなしくしていた。
何だろう、と考えると、やはり、馬、という情報が頭に浮かんで
くる。
これはなんだ、と思うと、頭に浮かんでくるようだ。
鑑定。
俺はそれを思い出した。
昨日、ゲームのキャラクター設定で、最後につけ足したスキルだ。
自分を見て、鑑定、と念じる。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv1
おおッ。
情報が浮かんできた。
20
加賀道夫は俺の名前だ。
つまり、ここが昨日のゲームの中なのは疑いない。
完全なヴァーチャルリアリティーってやつか。
でもどうやって?
大体、名前なんか登録しなかったぞ。
俺の格好は昨日着ていたのと同じジャージ姿だ。
いつもの部屋着である。
それをゲーム上で再現?
装備ならともかく、ジャージを?
しかも裸足だ。
気温は暑くもなく寒くもなく。
この格好でも困るわけではないが、外に出るのに裸足は困る。
外が赤いのは朝焼けだったのか、先ほどより少し明るくなった小
屋の中を見渡すと、サンダルみたいなものが置いてあった。
あれは何だろうと念じると、また情報が浮かんでくる。
サンダルブーツ 足装備
俺はそれをはくことにした。
靴下もないので、裸足ではく。
紐で縛って、脱げないように固定した。
21
自分の体を確認しながら念じると、情報が浮かぶ。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv1 盗賊Lv1
装備 サンダルブーツ
⋮⋮えっと。
盗賊Lv1ってのは、あれだよなあ。
悪かったよ。俺のものじゃない装備品勝手につけて。
とんだところでセカンドジョブを手に入れてしまった。
ちなみに、ジャージは装備には当たらないらしい。
ゲームの外から持ち込んだものだからだろうか。
そういえば、ボーナス装備があったはずだ。
と思って部屋を探すと、わらの横に剣が置いてあった。
デュランダル 両手剣
スキル 攻撃力五倍 HP吸収 MP吸収 詠唱中断 レベル補正
無視 防御力無視
さすがはボーナス武器六だ。
壮絶な力を秘めているらしい。
22
剣の横に、指輪も置いてある。
決意の指輪 アクセサリー
スキル 攻撃力上昇 対人強化
アクセサリー二はスキルの方もそれなりか。
俺は指輪をはめ、剣を手に取った。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv1 盗賊Lv1
装備 デュランダル サンダルブーツ 決意の指輪
やはりここはゲームの中なのだろう。
キャラクター設定で選んだボーナス武器まであったことで確定だ。
どうやってヴァーチャルリアリティーを実現しているのかは知ら
ないが。
俺は馬小屋の外に出ることにした。
ジャージの紐ベルトの隙間から、デュランダルを武士がやるみた
いに腰に差す。
いつまでもここにいて、サンダルを盗んだことが見つかってはま
ずい。
外の風景はどこかの田舎村のようだった。
23
木造平屋建てのあばら家が何軒かと、周囲には菜園。
太陽のある東の方には畑が広がっており、北は森が迫っている。
まだ太陽が完全に出ていないというのに、村人たちは早くも活動
を始めたようだ。
二人連れの人間が道を歩いてきた。
俺は馬小屋の後ろにあわてて隠れる。
隠れる必要があったのかどうかよく分からないが。
しかしここがどこかも分からない。
慎重に行動した方がいいだろう。
サンダルも盗んでいるし。
物陰から二人連れを見た。
ザイヤン 男 38歳
村人Lv8
ガナック 男 35歳
村人Lv7
二人の情報だ。
まず、姓がない。
ノンプレイヤーキャラクターなんだろう。
レベルはあまり高くないが、そういう風に設定されているだけか
24
もしれない。
もっとも、俺はLv1だけどな。
俺は馬小屋の横から森の中に入って、村を観察することにした。
このまま村人の前に出て行っても何の問題もないかもしれないが、
成り行き上。
村は、南西の方向に結構な広さがある。
民家が三、四十軒ほど。
真ん中の方には二階建て、三階建ての家もあった。
家の外に出てくる人を監視する。
村人Lv11
村人Lv4
農夫Lv5
お、この人は村人じゃないな。
横にいる人は奥さんっぽいが、女性の方は村人Lv6だ。
村人と農夫の違いが分からん。
ゲームならどこかにチュートリアルがあってもよさそうだが。
鑑定がなかったら、それこそ何も分からんぞ。
監視を続ける。
25
農夫Lv2
村人Lv7
村人Lv25
このおっさんが一番レベル高いな。
話しかけるなら、一番レベルの高いこの人か。
あるいは逆に、レベル低いやつにすべきか。
村長Lv8
微妙にレベル低い村長。六十八歳だそうだ。
商人Lv6
行商人なのか、村の中に商店があるのか。
三階建ての家から出てきて、すぐ中に引っ込んだ。
商人Lv3
今度は女性。
やはり三階建ての家から出て、井戸のあるところへ行った。
さっきの人と夫婦だとすると、住んでいるこの家が商店なのか。
話を聞くなら商人もよさそうだ。
26
などと考えていると、突然、村の中に大きな声が響き渡った。
27
盗賊
村全体に響くような大きな声が轟いた。
声のする方を見る。
さっき村の外に出て行った二人連れの男が、大慌てで戻ってきて
いた。
なにやら叫んでいるが、何を言っているのかは聞き取れない。
そのうち、村の人たちが武器を持って家から出てきた。
剣や鍬を持っている。
まさか。見つかったか。
と思ったが、どうやら俺目当てではないようだ。
村人たちは何人かまとまると東に向かって駆けていく。
俺も森の中をひっそりと移動した。
東の方を見ると、砂煙が立っている。
何人もの人が村に押し寄せてきていた。
盗賊Lv7
装備 銅の剣 皮の靴
盗賊Lv11
装備 銅の剣 皮の鎧 皮の靴
28
盗賊Lv4
装備 銅の剣
盗賊たちはまだ遠くにおり米粒ほどにしか見えないが、必要な情
報は浮かんでくる。
便利だな、鑑定スキル。
何が起こっているのか、この鑑定結果を見れば明らかだ。
ゲームスタートが盗賊襲撃イベントかよ。
このまま森の中に隠れていればやり過ごせるのかもしれないが。
盗賊たちのレベルはおしなべて低い。
レベル一桁なら俺でも十分相手になるだろう。
こっちには聖剣デュランダルがある。
村人までが持っている初期装備っぽい銅の剣では対抗できまい。
村人たちは、俺が寝ていた馬小屋の少し先、村の境目に陣取って
いた。
そこで盗賊を迎え撃つようだ。
さっきのLv25のおっさんが中心にいる。
村長もいた。
無理すんな、Lv8。
対する盗賊は⋮⋮。
盗賊Lv41
29
装備 鉄の剣 盗賊のバンダナ 鉄の鎧 皮の靴
この男が頭目だろう。
一人だけレベルが高い。
盗賊のバンダナなんていうしゃれた装備品まで身に着けている。
その次は、がくっと落ちてLv19。
さっきのLv11で三番目だ。
あとは一桁。
レベルが低いのは最初のイベントだからか。
頭目に注意すれば、俺でもなんとかなりそうだ。
盗賊たちは、やがて村にたどり着くと、剣をかざして斬り込んで
きた。
村人がそれを迎え撃つ。
すぐ目の前で、敵味方入り乱れての戦いが始まった。
何か叫んでいるが、何を言っているかはさっぱり分からない。
戦っている場所は俺が隠れている森の端からはすぐ先だ。
森から飛び出せば不意をつくことができるだろう。
盗賊も村人も両方レベル低いせいか、どちらかが圧倒することは
なく、互角のつばぜり合いを展開している。
Lv41の頭目はLv25のおっさんが相手をしていた。
30
しかし、さすがにレベル差があるせいか、やがて頭目が優位に立
つ。
頭目がおっさんを押し倒して馬乗りになった。おっさんを抱きか
かえ、腕を動かしてなにやら懸命に突いている。
何をしているのか。
おっさんが着けている鎧の間から、剣を刺しているのだろう。
甲冑を着けて戦うことが前提の古武術ではこうすると聞いたこと
がある。
おっさんを組み伏している頭目は、当然下を向いていた。
ひょっとして、今がチャンスか?
今なら、気づかれずに頭目のところまで行けそうな気がする。
聖剣デュランダルで背後から一撃を加えれば、かなりのダメージ
を与えられるだろう。
心臓が高鳴った。
腰に差していたデュランダルを鞘から抜き、両手で握り締める。
デュランダルは、木刀よりは重いが、振り回せないほどではない。
剣道をやっていた俺には楽勝だ。
ゲームの初期イベントなら、Lv1の俺でも倒せない相手ではな
いだろう。
ならば行くしかない。
大きく息を吸う。
周囲の音が聞こえなくなった。
もう、誰が何を言っているのかさっぱり分からない。
31
俺は森の中から飛び出す。
Lv41の頭目めがけ、一目散に駆けた。
途中、気がついた賊の一人が間に立って防ごうとする。
俺はデュランダルを振り下ろし、盗賊Lv2を一刀の下に斬り捨
てた。
Lv2だとこんなものか。
再びデュランダルを振り上げ、走り寄る。最後に少し飛び上がり、
頭目の横に着地した。
勢いを殺すことなく、そのまま腕に伝える。しっかりと足を踏ん
張り、剣を振り下ろした。
下を向いている頭目の首元に剣を落とす。デュランダルが盗賊の
首を捉えた。
頭目の頭が撥ね跳ぶ。
残された首元から、赤い血が吹き出た。
うわっ。
どんなスプラッターだよ。
クソゲー決定。
などと考えている余裕はない。
俺は他の盗賊に挑みかかる。
頭目の周りにいたレベル一桁は、全部一刀で片がついた。
デュランダルを振るうたびに、血しぶきがあがり、敵が数を減ら
していく。
俺は頭目の次にレベルが高いLv19を探した。
32
レベル一桁の雑魚を片づけながら、首を左右に振り、盗賊たちを
チェックする。
盗賊Lv19は、頭目からは少し離れた位置で村長のいるところ
を攻撃していた。
村長の周りには何人かの村人が集まり、防御を固めている。
誰かが何かを叫んでいた。
盗賊Lv19がこちらを見、やはり何かを叫ぶ。
盗賊たちが戦いを止めて逃げ出し始めた。
頭目がやられたので撤退するのだろう。
むしろ背中を見せる今がチャンス。
俺も追撃戦に移る。
何人かの盗賊を背中から屠った。
目の前に、Lv11の盗賊が立ちふさがる。三番目の男だ。
左から振られる剣を右から受け止め、今度は俺が左から剣を振っ
て、受け止めさせた。
相手は鎧を着けているので、胴に一撃を入れても倒せないだろう。
俺は素早く判断すると、剣を小さく動かし、小手に入れる。
剣道をやっていればこその動きだ。
盗賊Lv11の右手首がすぱりと切断され、斬り落ちた。さすが
はデュランダル。
手首から吹き出る血を無視し、返す刀で切り上げる。手首を落と
されては、剣で受けることはできない。
盗賊Lv11の首を跳ね飛ばした。
血しぶきの中を駆ける。
33
盗賊たちは完全に退却モードに入っていた。
盗賊Lv19は我先にと逃げている。情けないやつだ。というか、
所詮は盗賊か。
俺は逃げようとする盗賊をさらに屠った。そして、盗賊Lv19
にも斬りつける。
逃げ出そうと無防備な背中を見せるLv19はデュランダルの相
手ではなかった。
残っている残党を蹴散らす。
結局、盗賊たちは誰も逃げ出すことができず、俺の経験値になっ
た。
﹁ふう﹂
すべての盗賊を倒すと、俺はその場にへたり込んだ。
ゲーム上のこととはいえ、息が荒い。
大きく息をはく。気を落ち着けた。
周囲の音が再び耳に入ってくるようになる。
フィールド上には、盗賊の死体や血しぶきが散乱していた。
こんなところまでリアルにしなくてもいいのに。
倒した相手が消え去るのに時間がかかるようだ。
βテスターは文句を言わなかったのだろうか。
完全なヴァーチャルリアリティーのゲームなんて聞いたことがな
いので、ひょっとして俺が今やっているのがβテストかもしれない
が。
なら俺が文句をつけてやる。
34
座って息を整えていると、村長が近づいてきた。
Lv8の微妙にレベル低い村長。
﹁××××××××××﹂
﹁何言ってっか分かんねえ﹂
﹁失礼。ブラヒム語の話者でしたか﹂
あったな。そんな設定。
﹁そうだ﹂
﹁おお。さすがです。冒険者の方ですか﹂
何がさすがなのか。あんたもしゃべってるじゃん。
﹁そんなところだ﹂
適当に相づちを打っておく。
﹁村の窮地を救っていただき、ありがとうございます﹂
﹁いや。よい﹂
そういうイベントだし。
しかし妙に生意気そうだな、俺。
村長がへりくだりすぎなのが原因だ。
レベル低いとはいえ、一応村長なのに。
丁寧語を使うのも面倒だし、なんとなく、こうなってしまう。
﹁できる限りのお礼はさせていただきます﹂
35
﹁そうか。では、どこか横になる場所はないかな。少し疲れた﹂
ゲームとはいえ、実際に体を動かしたような疲れがある。
さすがヴァーチャルリアリティー。
それに、盗賊の死体が転がっているここには長居したくない。早
く消えろ。
﹁それでは、わたくしどもの家へお越しください。村長のソマーラ
と申します﹂
ソマーラ 男 68歳
村長Lv8
装備 銅の剣 ローブ サンダルブーツ 村長の指輪
情報に間違いはないようだ。
﹁頼む。俺の名はミチオだ﹂
こいつら苗字ないみたいだし、道夫だけでいいだろう。
村長が先に進みだしたので、あわてて立ち上がり、追いかけた。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
村長と村人たちの会話は、何を言っているのかさっぱり分からな
い。
どうなってるんだろうね、このゲーム。
36
﹁ブラヒム語を話せる人間は少ないのか?﹂
﹁この村では、わたくしと商人のビッカー、宿屋の女将だけでござ
いましょう﹂
﹁ふうん。そんなものか﹂
﹁ミチオ様も見たところまだお若いのに、ブラヒム語を操るとはさ
すがでございます﹂
﹁うーん﹂
何がさすがなのか。
ちなみに、ブラヒム語は日本語ではない。日本語ではない変な響
きだ。
もちろん俺に話せるはずはないのだが、何故か完全に理解し、し
ゃべることができる。
よく分からないヴァーチャルリアリティー。
﹁もう一人、ブラヒム語を話せる元冒険者の男がおったのですが、
先ほどの戦闘で⋮⋮﹂
村長が声を落とした。
Lv25のおっさんだろうか。あるいは、元冒険者ならジョブは
村人以外なのか。それらしい人間はいなかったが。
どうなっているのだろう。
俺は自分を見る。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv2 盗賊Lv2
装備 デュランダル サンダルブーツ 決意の指輪
37
おおっと。
先ほどの戦闘でレベルが上がったようだ。
激闘だったから当然というべきか。あれほどの戦いだったのに1
しか上がっていないと嘆くべきか。
俺たちはそのまま村長の家に向かった。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁お湯を用意させましょう﹂
﹁悪いな﹂
村長が家の者に何か話しかけ、俺を家の中へと導き入れる。
村長の家は二階建ての民家だった。土壁造りの、田舎風のたたず
まい。
あまり文明レベルは高くないようだ。古代から中世前期といった
ところだろうか。
銃も弓もなかったしな。
玄関から入ると大きな土間がある。
そのすぐ横の小さな部屋に、俺は案内された。
﹁こちらの部屋でしばしお休みください﹂
﹁そうさせてもらおう﹂
﹁それでは﹂
部屋は、やはり土間であることに変わりはないが、奥に木の板が
渡してあった。
俺は板の上で横になる。
38
﹁ふう﹂
ため息をはいた。
いったん、ログアウトするか。
⋮⋮。
あれ?
ログアウトって、どうやるんだ?
39
現状把握
ログアウトできない。
俺はあわてた。
考えてみれば、俺はログアウトのやり方を知らない。
説明も、チュートリアルも受けてはいなかった。
どうやって現実に戻るのか。
﹁ログアウト⋮⋮﹂
つぶやいてみるが、何も起こらない。
﹁ログオフ。終了。中断。エンド。メニュー。オープン。セーブ﹂
何も変わらない。
﹁メニューオープン。メインメニュー。終了メニュー。オプション
メニュー。終了オプション。ウインドウ。ウインドウオープン。メ
ニューウインドウ。終了ウインドウ。記憶。保存。保存して終了す
る。上書き保存。リセット。クリア。戻る。リターン。終了する。
終わる。終わって。終わった⋮⋮﹂
考えうる限りのことを言ってみるが、何も起こらなかった。
これでは現実に戻れない。
40
いや、そもそもこれは本当にゲームなのだろうか。
感覚は、この場所が完全に現実であると告げている。
それは疑いようがない。
夢などではありえなかった。
現実で、かつゲームの中だとすると、ヴァーチャルリアリティー
だが、完全なヴァーチャルリアリティーが実現したという話など聞
いたことがない。
それも、ブラウザーの画面をマウスでクリックしただけで。
ヘッドギアとか何とか、それらしい装置を着けたわけでもないの
だ。
現実感があるのにヴァーチャルリアリティーでもない世界。
それは何かといえば、要するにただの現実だ。
それでも、ここがゲームだと思える理由。
鑑定、と自分の姿を見て念じる。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv2 盗賊Lv2
装備 サンダルブーツ 決意の指輪
こんなことが可能なのは、ゲームの中くらいだろう。
しかし、自分の姿を確認したことで、俺は見てしまった。
ジャージについた返り血を。
41
ゲームなら、返り血なんかを残すだろうか。
ここがゲームの中なら、何故いつまで経っても返り血が消えない
のだろう。
本当にここはゲーム内なのか。
いや、ゲーム内だったとしても、ログアウトできなければ同じこ
とだ。
俺は現実に戻れるのだろうか。
警告!
あなたはこの世界を捨て異世界で生きることを選択しました。
二度とこの世界に帰ってくることはできません。
続けますか?
自宅にいたときの最後の記憶。
設定の最後に、こんな表示が出たはずだ。
あれは本当のことだったのではないだろうか。
確かに、鑑定もできるし、武器六であるらしいデュランダルも持
っている。
だからといって、ここがゲームの世界だと安心できるものではな
い。
もしここが設定どおりの世界なら、設定のときに出た警告もやは
りそのとおり事実なのだろうから。
﹁失礼いたします﹂
42
そんなことを考えていると、村長が入ってきた。
木製のタライに入ったお湯を持ってこさせている。
﹁あ、ああ﹂
﹁こちらのお湯で体をお拭きください﹂
下女らしきおばさんがタライを置き、粗末なタオルを手渡してき
た。
タオルというよりただの布切れだ。
﹁すまんな﹂
﹁それと、着替えを用意いたしました。今お召しになっているもの
は汚れてしまったので、洗濯させましょう﹂
﹁頼む﹂
別のおばさんが折りたたまれた衣服を板の上に置く。
66歳という年齢と受けた感じからいって、村長の奥さんだろう
か。
用事を済ませると、村長と一緒に出て行った。
一人になった俺は、ジャージを脱いで、タオルで体を拭く。
ジャージにはところどころ赤い染みがついていた。
盗賊たちの血だ。
いつまで経っても消える気配はない。
ゲームの中でないのなら、もちろん消えたりはしないだろう。
やはりここはゲームの中ではない。
43
息を大きく吐き出す。
なるほど、鑑定もできるし、武器六も持っている。
だからといって、ここがゲームの中だと誰が決めたのだろう。
最終警告!
本当に二度と帰ってくることはできません。
最後の警告まで含めて、あの設定のすべてが有効な世界。
それはつまり、ただの現実だ。
警告がいうところの異世界である。
そう。
俺は認めるべきなのだ。
俺は気づいてしまった。俺が現実逃避していることに。
何から現実逃避するのか。
殺人。
ここがゲームの中なら、俺はゲームキャラを倒しただけだ。
ゲームの中でないとすると、俺はゲームキャラでない人を殺した
ことになる。
だから、俺はここがゲームの中だと思いたいのだ。
44
それは現実逃避であり、願望だ。
希望的観測にすぎない。
俺は認めるべきなのだ。
ここが現実であると。
殺人を犯してしまったと。
人を殺してしまったと。
斬ったときはただのゲームイベントだと思って必死だったが、デ
ュランダルの手ごたえははっきりと手のひらに残っている。
俺は人の命を奪った。
しかし、ものは考えようだ。
ここは盗賊が普通に村を襲うような世界である。
このままログアウトできなければ、また誰かを殺すことになるだ
ろう。
おそらくそれは避けられない。
避けられないのならば、ゲームだと思っているうちに済ませられ
てよかったのではないか。
いざというときに腰が引けて、こちらがやられては目も当てられ
ない。
相手は盗賊。
悩んだり、落ち込んだりすべきではない。
やらなければやられる。
その現実を受け入れるべきだ。
45
俺は一つ深呼吸をして、覚悟を決める。
ここは現実だ。
そして、俺はこれからこの世界で生きていかねばならない。
生きていくためには、これからも手を汚す必要があるだろう。そ
れを恐れてはならない。
できることは何でもすべきなのだ。
そういえば、ここがあの設定の中だと思える理由がもう一つあっ
た。
キャラクター再設定、と念じてみる。
脳裏に、キャラクター設定の画面が浮かんできた。
カーソルもイメージで動かせるみたいだ。
設定したボーナススキルのキャラクター再設定は有効らしい。
やはりあの設定のすべてが適応されるのだろう。
最後の警告まで含めて。
ボーナスポイントが何故か1になっている。
使い切ったはずだが、見落としたのだろうか。
とりあえず、そのままキャラクター再設定を終了した。
村長が置いていった服に着替えることにする。
ブッカブカのシャツにブッカブカのズボン。ともに藍色だが、ズ
ボンの方が色が濃い。
ごわごわしてあまりよい着心地ではないが、着れないほどではな
46
い。ありがたくいただくことにする。 加賀道夫 男 17歳
村人Lv2 盗賊Lv2
装備 サンダルブーツ 決意の指輪
装備品には当たらないようだ。
装備にデュランダルが入ってないのは、腰から抜いて横に立てか
けてあるせいだろう。
そういえば、ボーナス装備ははずした方がいいか。
デュランダルは確かにすごい剣だ。すごすぎる剣だ。盗賊との戦
いで実感した。
それだけに、狙われやすい。
ゲームの中ならば、盗まれないだろう。
しかし、ゲームの中でないなら、そんな制約はない。
俺は今、サンダルブーツをはいている。これは誰かのものだった
はずだ。
誰かのものであったサンダルブーツを俺のものにできるのなら、
俺のデュランダルも誰かのものにできるのではないだろうか。
これは二つの意味で危険だ。
一つは、デュランダルを奪われたとき、ボーナスポイントの63
ポイントが失われる可能性があること。
47
ボーナスポイントは、俺がこの世界で生きていくための数少ない
味方だ。
いや、今はただ一つの味方といっていい︵99ポイントあるが︶。
それを失うわけにはいかない。
もう一つは、デュランダルをさらおうとする者が、俺の命をも奪
う危険性があることだ。
この世界におけるデスペナルティーは何だろう。
レベルが下がって教会で生き返るのだろうか。普通の死だろうか。
いずれにしても、デュランダルは普段あまり持ち歩かない方がい
い。
どうしても必要になったら、再設定すればいいのだ。
デュランダルを盗まれたときに消せるのかどうか。
試しに、デュランダルを持たないままでキャラクター再設定と念
じる。
武器六はいじれなかった。
指輪ははめているので、アクセサリー二ははずせる。
やはり、デュランダルを奪われたとき、ボーナスポイントは失わ
れるらしい。
いったんキャラクター設定を終了させ、立てかけてあったデュラ
ンダルを持つ。
頭の中でキャラクター再設定と念じた。
武器六をはずす。ボーナスポイントが67になった。
ボーナスポイントは何に回すか。
48
必要経験値十分の一と獲得経験値十倍を選ぶ。残りボーナスポイ
ント35。
必要経験値二十分の一を選んで、ボーナスポイント3。
ジョブ設定とサードジョブ︵ボーナスポイント2︶を選んで、ボ
ーナスポイント0だ。
キャラクター設定を終了する。
持っていたデュランダルが消えた。
ジョブ設定、と念じてみる。
頭の中に俺のジョブが浮かんだ。
村人Lv2 盗賊Lv2 英雄Lv1。
キャラクター再設定でサードジョブを選択したせいか、一つ増え
ている。
英雄Lv1を選ぶと、情報が浮かんできた。
英雄 Lv1
効果 HP中上昇 MP中上昇 腕力中上昇 体力中上昇
知力中上昇 精神中上昇 器用中上昇 敏捷中上昇
スキル オーバーホエルミング
最初から持っていたのだろうか。
それはないか。
サンダルブーツを盗んだときに盗賊ジョブを獲得したのなら、英
雄ジョブを得たのはその後だ。
盗賊たちから村を守ったことで、このジョブを獲得したのだろう。
49
ファーストジョブを英雄に変えようとしたが、できなかった。
ファーストジョブとしては村人か盗賊しか選べない。何故だ。
村人の効果は体力微上昇らしい。スキルなし。しょぼ。
しょうがないので、セカンドジョブを英雄Lv1に設定する。
英雄の効果はかなりすごい。少なくとも村人とは比べ物にならな
い。
サードジョブを盗賊Lv2にした。
盗賊の効果は敏捷小上昇だ。こっちもスキルはない。
村人よりはマシ、というところだろうか。
ジョブ設定を終え、ステータスを確認する。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv2 英雄Lv1 盗賊Lv2
装備 サンダルブーツ
50
現状把握︵後書き︶
投稿して一日で思ってもみなかったほど多くのかたがたに読んでい
ただき、またお気に入りに登録していただきました。厚く御礼申し
上げます。
51
検分
﹁失礼いたします。よろしいでしょうか﹂
村長が再びやってきた。
﹁ああ、かまわない。何用だ﹂
いかんな。どうも態度が尊大になってしまう。
というより、村長がへりくだりすぎなのだ。
俺なんか一介の高校生にすぎないのに。
まあ、高校生といってもここでは通じないか。
ただの一般人、通りすがりの村人、しかもLv2である。
﹁盗賊の装備を集めましたので、確認をお願いします﹂
デュランダルの力を借りて盗賊たちをバッタバッタと屠ったから、
警戒もあるのだろう。
返す刀で村民にまで暴力を振るわれてはたまらない。
さりとて村を救ってくれた恩人に何もしないわけにもいかず。下
手に冷たく接すれば報復もありうる。
村長の立場から俺を見れば、俺はさぞ厄介な存在だろう。
したてに出て、いなくなってくれるのを待つ、という作戦なのか。
﹁分かった﹂
52
とは言ってみたものの、分かっていない。
確認ってなんだ?
装備品を俺のものにしていいのだろうか。
俺が倒した盗賊の装備だから、俺のものにしてもよさそうではあ
る。
力のあるやつなら、村人が下手にくすねでもしたら暴れかねない
し。
﹁こちらです﹂
﹁装備品は俺のものにしていいのか?﹂
村長の後をついていきながら尋ねた。
﹁はい。ミチオ様が倒された盗賊の装備は、当然ミチオ様のもので
す﹂
﹁そうか﹂
盗賊の装備品は倒した者がもらっていいようだ。
現代のように警察や司法が発達した社会でなければ、普通のこと
なのだろう。
﹁今回、わたくしども村民は二人の賊を倒しました。つきましては、
その二人分の装備品は倒した村人に分け与えていただきたいのです
が﹂
村民は二人しか盗賊を倒してないのか。
そういえば、村人と盗賊はちまちまと打ち合っていただけだ。
デュランダルを使った俺はほとんど一太刀だったのに。
53
﹁分かった。かまわないだろう﹂
この世界の慣習も分からないし、提案を受けることにする。
おそらく、戦いに勝てたのは俺のおかげだから、全部俺のものだ
とごねることも可能なのだろう。
しかしそれはやらない方がいい。
実際にはこっちは村人Lv2なのだ。今はデュランダルもないし、
村民全員で本気でかかってこられたら危ない。
﹁ありがとうございます。村民に成り代わりまして、お礼を申し上
げます﹂
さすがにLv2の俺に対して取る態度ではない。
﹁気にするな﹂
おそらく、鑑定はボーナススキルだから、村長やこの村の連中に
は使えないのだろう。
村民から見ると、俺のレベルは30以上くらいに思えるのではな
いだろうか。
村民がほとんど互角だった盗賊をなぎ倒したわけだし。
村民の中で最高レベルの村人Lv25は盗賊の頭目にやられてい
るから、村民の中で俺にかなうやつはいないことになる。
であればこそ、ここまでへりくだっているのだろう。
村長に連れられて出た村はずれの一角に、盗賊の装備品が置かれ
ていた。
54
一人の男がそばに立っている。
ビッカー 男 31歳
商人Lv6
装備 木の鎧 皮の靴
今朝ほど見た商人かな。
﹁こちらはビッカーと申しまして、村でただ一人の商人です﹂
﹁ビッカーと申します。このたびは村や私どもを救っていただき、
感謝の念に耐えません﹂
﹁ミチオだ。あまり大げさにするな﹂
感謝されるのは嬉しいが、会う人ごとにやられてもうざいだけだ
しな。
﹁かしこまりました。こちらが盗賊たちの装備品になります﹂
置かれている装備品を確かめた。
皮の鎧 胴装備
皮の靴 足装備
銅の剣 両手剣
55
どれも普通の装備みたいだ。
﹁××××××××××﹂
﹁おお、そうですか。盗賊を倒した村人も喜びましょう﹂
﹁かまわん﹂
俺が二人分の装備品を要求しないことを村長が商人に話したよう
だ。
ブラヒム語でやってくれればいいのに。
﹁ミチオ様は、空間はあまっておられないのでしょうか﹂
商人が問いかけてくる。
﹁空間?﹂
やべ。
早くも知らない用語が。空間があまっているってなんだ?
﹁私のブラヒム語がつたないでしょうか。装備品などを収める空間
でございます﹂
﹁⋮⋮多分、あまってない、と思う﹂
分からん。ここに置くスペースじゃ足りないのか?
﹁ミチオ様は冒険者ではないのですか﹂
﹁いや、まあ、そのようなものだが﹂
冒険者に特別な定義があるのだろうか。
早くも化けの皮がはがれてしまった。
56
﹁冒険者のようなかたであれば、アイテムや装備品などを収納する
空間を作る空間魔法スキルが使えるはずでございます。先ほどまで
持っておられた剣を収納している空間に、空きはございませんでし
ょうか﹂
村長が助け舟を出す。
そうなのか。便利そうだ。
インベントリとか道具袋とかアイテムボックスみたいなものか。
デュランダルはキャラクター再設定で消えた。
村長から見れば、どこかの空間に入れたように見えるのだろう。
﹁インベントリのことかな﹂
﹁インベントリというのですか﹂
﹁インベントリ、オープン。アイテムボックス、オープン。道具袋。
アイテムスペース⋮⋮オープン⋮⋮﹂
小声でつぶやいてみるが、何も起こらなかった。
呪文が違うのか。あるいは覚えていないのか。
いずれにしても今の俺には使えそうにない。
村長と商人の目が冷たい、ような気がする。
変なことをぶつぶつとつぶやいている俺の姿は、客観的に見れば
相当に痛い。痛すぎる。
完全に中二病患者だ。
し、鎮まれ、俺の左手。
﹁⋮⋮いかがでございましょう﹂
57
﹁残念ながら、空間はいっぱいのようだ﹂
本当は使えないのだが、使えないというと、デュランダルをどこ
にやったのかという話になるしな。
というか、デュランダルはどこへ行ったんだ?
﹁私は明日の明け方、商品の仕入れのためにベイルの町までまいり
ます。よろしければ、装備品を荷馬車に乗せて町まで運びましょう。
ベイルの市場ならば武器屋も防具屋もございます。市でお売りにな
られればよろしいでしょう﹂
商人が申し出る。
装備品をこの商人が買い取ってくれるのかとちょっと期待したが、
違ったようだ。
そんなことをされても中間マージンを取られるだけか。
﹁それはありがたい。そうさせてもらおう﹂
装備品は、売らずに自分用に流用するのもありだろう。
皮の鎧と皮の靴を一つずつ。
折れることがあるかもしれないので、銅の剣は二本にしておくか。
鉄の剣 両手剣
頭目が持っていた鉄の剣があるが、どうしよう。
銅の剣よりもワンランク上の装備なのだろうが。
いいものを持っていても盗まれたり狙われたりするだけだからな。
別にレアな装備ではないみたいだし、これは売るか。
58
﹁こちらが盗賊たちのインテリジェンスカードでございます﹂
商人がメモ帳サイズのカードを出してきた。
﹁インテリジェンスカード?﹂
なんだ、それ?
オウム返しに訊いてしまう。
﹁盗賊の中には懸賞金がかけられていた者もいるはずでございます。
これをベイルの町の騎士に差し出せば、懸賞金がいただけるでしょ
う﹂
﹁なる、ほど﹂
話自体は分かった。
盗賊が跋扈している世界なら、懸賞金は有用だろう。
カードは、盗賊を倒した証明になるようなものか。
この世界では誰でも知っている常識的な事柄のようだ。
あまり変に思われてもまずい。
俺は、カードを受け取ると、変にジロジロ見たりせず、受け取る
だけに済ます。後は装備品をチェックしているように振る舞った。
銅の剣 両手剣
銅の剣 両手剣
59
装備品を見ていくと、一つ変なものがある。
銅の剣 両手剣
スキル 空き
スキルというのは、デュランダルにもついていた。
﹁何かございましたか﹂
剣を手に持った俺に、商人が目ざとく訊いてくる。
空きというスキルがあるのではなくて、スキルスロットがあいて
いるのだろう。
﹁これはよい品のようだ﹂
﹁お分かりになるのですか﹂
もっとも、スキルをどうやってつけるのかは知らない。
﹁スキル。スキルスロット。スキル付与。スキル操作﹂
またぶつぶつとつぶやいてしまった。
何も起こらない。
何も変わらない。
というか、つぶやいて何かを起こせたことってないよな。
鑑定もキャラクター設定も念じるだけだ。
﹁鍛冶職人がモンスターカードを鋳造するとスキルがつく場合があ
ると聞いたことがあります。その剣に何かスキルがついているので
60
しょうか﹂
﹁いや。ついてはいないな﹂
﹁さようでございますか﹂
スキルをつけるには特定のジョブが必要なようだ。
モンスターカードというのは何だろう。
﹁しかしこの剣は悪くない。俺の差料にしよう﹂
﹁スキルがついているかどうか、お分かりになるのですか?﹂
村長が訊いてくる。
﹁だいたいだがな。冒険者の勘というやつだ﹂
鑑定はボーナススキルだから、持っている人は少ないだろう。
自分が持っていると言いふらすことはない。
﹁先ほど申し上げた元冒険者の村人、彼が使っていた剣がございま
す。それを見てはいただけないでしょうか。よい物ならば、残され
た者たちの暮らしも楽になりましょう﹂
﹁俺に分かることであれば﹂
﹁ありがとうございます。早速、持ってまいりましょう﹂
村長が立ち去った。
俺はその後も装備品を見ていく。
他にスキルやスキルスロットのあるものはないようだ。
鉄の鎧 胴装備
61
バンダナ 頭装備
頭目の装備品だったこの二つも同様だ。
あれ?
頭目の装備って、バンダナだったか?
62
窃盗
目の前に並べられた盗賊たちの装備品。その中に、バンダナがあ
る。
違う。
頭目が頭につけていた装備は、これではない。
盗賊Lv41の男がつけていたのは、バンダナではなく、盗賊の
バンダナだった。
ただのバンダナと盗賊のバンダナ。
バンダナを頭に装着すると、盗賊のバンダナになるとか。
そんなわけはないよな。
おそらくは別の装備品だ。
では、このバンダナは何か⋮⋮。
﹁このバンダナは何だ?﹂
﹁盗賊がつけていたものだと思いますが﹂
商人には分からないようだ。
村全体で仕組んでいるのではないということか。
それならば、ここは強気で押してもいいか。
ただのバンダナをつけた盗賊はいなかった。
63
盗賊Lv41の男がつけていた盗賊のバンダナはここにはない。
となれば、すり換えられたと考えるのが妥当だろう。
現代日本ならば、俺は泣き寝入りするかもしれない。
別に目立ちたくもないし、もめごとは嫌だ。
しかしここは現代日本ではない。
こっちの世界では、なめられたら終わりのような気もする。
この世界にやってきて、村を守って盗賊を殺した︵まあ村を守る
ためにやったわけではないが︶。
その仕打ちがこれではひどすぎるだろう。
あるいは、思い違いか。
いや。頭目がつけていたのは、確かに盗賊のバンダナだった。
﹁あの男がつけていたのは、盗賊のバンダナだ﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
商人の顔が驚愕にゆがむ。
商人は無実のようだ。よほど芝居が上手ければ別だが。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
そこへ、村長が戻ってきた。
反応を見るに、村長もぐるではないようだ。
﹁まさか⋮⋮。すぐに調べさせましょう。少々お待ちください﹂
村長が足早に去っていく。
64
さて、どうなるんだろう。
本当のところ、俺は村人Lv2だ。
あまり騒ぎが大きくなるのはよろしくない。
盗まれた装備品がそんなに簡単に見つかるものなのか。
ひょっとして村長がぐるだったら、村民全員でこちらに襲いかか
ってくるかもしれない。
村民全員でかかってこられたら、俺では勝てないだろう。
早まったか。
とはいえ、盗まれて黙っているのも癪にさわる。
こちらの世界では変な我慢はしない方がよいだろう。
せめてデュランダルを準備しておくか。
と思って周囲を確認すると、剣を三本持った女性が立っていた。
元冒険者の人の剣か。
﹁あの剣が﹂
商人に訊いてみる。
﹁さようでございます﹂
﹁見せてもらってもよいか﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
商人が何か言うと、女性が剣を差し出してきた。
65
ティリヒ 女 31歳
村人Lv12
装備 ほむらのレイピア
元冒険者の未亡人だろうか。
東欧の田舎にでもいそうな金髪の女性である。
高校生の俺から見ればババアはババアだし、薄汚れた田舎のおば
さんだが、悪くはない。
外国の人は年齢がよく分からんしな。
一生面倒を見ろ、と言われたら嫌だが、一夜を共にするくらいな
ら大歓迎だ。
他の村人たちを見ても、この世界、美男美女ばかりというわけで
はないようだ。ゲームの中でないのなら、しょうがない。
このおばさんでも十分美人の部類に入るだろう。
正直、ちょっと食指が動く。
一晩くらい是非お願いしたい。
未亡人だしな。
ありだな。
俺の妄想が爆発する。
こちとら村を救った英雄だ。
お礼に今夜ゆきずりの関係を、とか迫ってこないものか。
66
せめてここは親切にしておくか。
剣を手に取って見る。
ほむらのレイピア 片手剣
スキル 火炎剣
﹁これはなかなかよい剣のようだ﹂
﹁さようでございますか﹂
俺はほむらのレイピアをかまえた。
﹁火炎剣!﹂
そのままレイピアを振り抜く。
⋮⋮。
何も起こらなかった。
剣はただ振られただけだ。
またやってしまった。
ティリヒさんと商人が不審な目で俺を見ている。
フラグが折れたな。
しかし、振ってみたことで呪文が頭の中に浮かんだ。
これを唱えるのか。
67
この剣が火炎剣のスキルを持っていることは間違いない。
スキルの名称からいって、斬りつけたときに火炎による追加効果
があるのだろう。
﹁呼びかけたるは我が心、感じ現る剣の意思 奔流、火炎剣!﹂
俺は呪文を口に唱え、レイピアを振る。
すると、レイピアの周囲を炎がおおった。
おおっ。
すごいな。
﹁はぅ⋮⋮﹂
ティリヒさんも驚いた表情で見ている。
あんたの旦那の剣じゃないのかよ。
まあ、知っていたらわざわざ俺に鑑定させることもないか。
視界の端っこでは、村長が村人と何か話していた。
その村人も今のを見たようだ。驚いたような顔でこっちを見てい
る。
他人の持ち物をくすねるとどうなるか。いいデモンストレーショ
ンになっただろう。
俺も他人のサンダルブーツをくすねているのだが。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
商人とティリヒさんもなにやら話している。
68
うーん。
しかしなんか体が重いな。
肉体的な疲れではなく、精神的な疲れ。
ドッと疲れて、何をするのも億劫になる感じがする。
あれか。
スキルを使ったので、MPを消費したのか。
多分魔力的なものが足りていない。
村人Lv2では、連発は難しいのだろう。
﹁高く売れそうでございましょうか﹂
商人が訊いてきた。
﹁どうかな。すまんが、相場にはあまり詳しくないんだ。どの程度
の値がつくのか、まったく分からん﹂
﹁ミチオ様に買い取っていただくわけにはまいりませんでしょうか﹂
﹁本当に相場が分からんのだ。一度武器屋に見せて、値段を聞いた
方がいい。もし武器屋にこの剣の価値が分からないようなら、俺が
高く買ってもいい﹂
相場どころか、通貨単位さえ知らないからな。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
商人が何を伝えると、ティリヒさんが俺に向かって頭を下げる。
よいよい。
69
その代わり、今夜はゆっくりと。
た、たまらんッ。
俺はほむらのレイピアをティリヒさんに手渡しして、次の剣を見
た。
シミター 片手剣
スキル 空き 空き
空きのスキルスロットが二つある。
かなりいい剣だと考えた方がいいよな。
﹁スキルはないが、こちらもいい剣のようだ﹂
﹁亡くなった元冒険者が大切にしていたものだそうでございます﹂
空きのスキルスロットがあることを知っていたのだろうか。
冒険者の勘か。あるいは偶然か。
﹁相場が分からないので、これも一度武器屋に見せた方がいいな。
武器屋が買い渋るようなら、少々色をつけて俺が買ってもいい﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
頭を下げるティリヒさんにシミターを渡す。
ダガー 片手剣
70
最後の一本は、何の変哲もない剣のようだ。
ただのダガーではな。
あまり金にはならないだろう。
﹁これは普通のダガーのようだ。悪い剣ではないが、高くは売れぬ
であろう。この剣であれば女性にも使えよう。元冒険者の遺品とし
て、大切に使ってあげてはどうかな﹂
俺はダガーをティリヒさんに手渡した。
﹁××××××××××﹂
商人から話を聞き、ティリヒさんの目が赤くなる。
あれ。
やばい。
対応間違っただろうか。
ティリヒさんは涙をこらえ、剣を持って帰っていった。
最後に亭主のことを思い出させて、フラグがバキバキに折れたよ
うな気がする。
こ、今夜待ってますよ、ティリヒさん。
ティリヒさんが去ると、入れ替わりに村長が数人の男とやってき
た。
﹁ミチオ様、申し訳ありませんでした。こちらの男が、バンダナを
71
すり替えておりました﹂
村長の後ろでうつむいている男には、木の手枷がはめられている。
単独犯なのか。それともスケープゴートか。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁こちらが正しい遺留品でございます﹂
村長が促すと、隣の男がバンダナを差し出した。
盗賊のバンダナ 頭装備
スキルはないみたいだ。
﹁確かに。これで間違いない﹂
﹁それで、この男の処罰ですが⋮⋮﹂
村長が俺の表情をうかがうように問う。
うん。まあ、いいたいことは分かった。
つまりは罪を軽くしてくれということだろう。
村の中で内々に処理すれば、大ごとにはならない。
﹁村には村の規定もあるであろう。俺としてはそちらの処罰に異議
を唱えるつもりはない﹂
これで完璧だろう。
72
俺は空気の読める男だ。
﹁さ、さようでございますか﹂
村長の目に軽い失望の色が浮かんだような気がする。
あれ?
また対応間違った?
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
村長が犯人の男に何か告げた。
犯人の手枷を持ち、目の前に引き上げる。
﹁滔々流るる霊の意思、脈々息づく知の調べ、インテリジェンスカ
ード、オープン﹂
村長が唱えると、犯人の左手の甲からカードが飛び出した。
うおぉ。
なんだ、あれ?
すごいな。
先ほど俺に渡された盗賊たちのインテリジェンスカードと同じも
のだ。
どうなってるんだ?
村長は、犯人のカードに何かつぶやいている。
﹁何をしたのだ?﹂
﹁この男のインテリジェンスカードに奴隷身分であることを書き込
73
みました。これで、この男は解放されるかお金で買い戻されない限
り、奴隷身分となります﹂
﹁分かった﹂
いや、全然分かっていないが。
とりあえず、インテリジェンスカードはその人についての大事な
情報が書き込まれたものであるらしい。
だからこそ、懸賞金のかけられた盗賊たちの身元証明にもなるの
だろう。
﹁村の規定では、盗みがあったとき、家族の働き手が犯人である場
合には、犯人を奴隷身分に落として売却し、売却額の半分を家族へ、
残り半分を賠償金として被害者へ支払うことになっております﹂
厳しいな。
奴隷なんてのがあるんだ。
なるほど理解できた。
村長としては最初、俺に罪には問わない、と言ってほしかったの
だろう。
被害者である俺がよいと言えば、なかったことにできると。
いまさら遅いが。
﹁初犯であるとも限らん。情けをかけるだけでは村人のためにもな
らんだろう﹂
﹁確かにおっしゃられるとおりでございます。申し訳ございません。
村人が大変なご迷惑をおかけいたしました﹂
﹁犯人は捕まったのだ。村長が謝られることではない﹂
﹁ありがとうございます。装備品の検品は終わられましたでしょう
74
か﹂
﹁ああ﹂
﹁それではわたくしの家にお越しください。そろそろ支度ができる
ころでございます。朝食を差し上げましょう﹂
﹁すまんな﹂
話題を変えてくれるならありがたい。
俺はとっととこの場から逃げ出すことにした。
75
魔物
﹁今夜はこの家にお泊まりください。夕食もご用意いたします﹂
朝食を食べながら、村長が告げた。
朝食は、オートミールにサラダとチーズ。
美味いとまではいえないが、取り立てて不味くもない。
このくらいの食事を取れるのなら、俺はこの世界でも生きていけ
るだろう。
夕食はもう少し豪華になるだろうしな。曲がりなりにも村長の家
だし、村を救った英雄への饗応だから、これでもよい食事なのだろ
うが。
昼食については何も言われなかった。人類が朝昼晩の三食を食べ
るようになったのは最近のことらしいから、この世界ではまだ一日
二食が普通なのだろう。
﹁その言葉に甘えさせてもらおう﹂
﹁明日はベイルの町まで商人が馬車を出します。出発は早い時間に
なるでしょう。一緒にまいられるのでしたら、今夜はお早めにお休
みください﹂
﹁ベイルの町まではどのくらいかかるのだ﹂
﹁馬車で三時間ほどでございます﹂
三時間というのは地球時間と同じでいいんだろうか。
76
八時に出発すると、向こうに着くのが十一時。商人が一日で往復
するつもりなら、十八時に帰ってくるには向こうを十五時に出なけ
ればならない。商人がベイルの町にいられるのは四時間ということ
になる。
商人は仕入れも行うと言っていたから、それでは短いか。
早い時間に出発というのは、本当に早いと考えた方がよいだろう。
まだ暗いうちの出発になるかもしれない。
朝釣りに行くような気構えでいた方がいい。
﹁ではそうさせてもらおう﹂
﹁商人にも伝えておきます﹂
さて、それまでは何をするか。
﹁この村の付近には、モンスターなどはいるか﹂
﹁それは、魔物のことでございましょうか﹂
﹁ああ。それだ﹂
魔物というのか。やっぱりいるんだ。
﹁森の奥へ行けば、スローラビットがおります﹂
﹁ふむ。戦ったことはないな﹂
いかにも弱そうな名前の魔物だが、一応は情報収集に徹する。
出会ってみたらやたら強い魔物だったという可能性もないわけで
はない。
知ったかぶりなどはしない方がいいだろう。
﹁スローラビットは、人に向かってくることをしないので、比較的
戦いやすい魔物でございます﹂
77
﹁おお。そうなのか。ではちょっと行ってみるかな﹂
ラッキー。
まあスローラビットだしな。遅いウサギ。楽勝でしょう。
時間もつぶせるし、ちょっくら行ってくるか。
﹁⋮⋮スローラビットをお狩りになられるのでございますか?﹂
村長が声を落とした。
あれ。
また対応間違ったか。
﹁戦いやすいと聞いたのでな﹂
﹁確かに、このあたりの村人でも数人がかりでがんばれば倒せます。
考えてみれば、ミチオ様なら、楽勝でございましょう﹂
﹁そ、そうか﹂
おいおい。
数人がかりでがんばれば、ってどんだけ強いんだよ。
﹁スローラビットを倒せば、兎の毛皮が残ります。稀に兎の肉が残
ることもございます﹂
兎の毛皮が通常ドロップで、兎の肉がレアドロップというところ
だろうか。
残るというのがよく分からんが。
﹁ふむ。どうしようかな。魔物を狩ることに問題はないか?﹂
﹁魔物を退治するのに問題のあろうはずがございません﹂
78
問題があってほしかった。
数人がかりで倒すような魔物だとやばいだろうか。
しかし、この世界で生きていくなら、いつかは最初の魔物を狩ら
なければならないだろう。それがスローラビットよりも弱いという
保証はない。
結局やらなければならないなら、早い方がいいだろう。
別に地球に帰りたいとも思わない。最悪この大地に屍をさらした
としても、それはしょうがないことだろう。人間いつかは死ぬのだ。
考えてみれば、俺がこの世界にいるのは自殺サイトがきっかけだ
った。
自殺するのも、圧倒的な強さの魔物に蹂躙されて殺されるのも、
たいした違いではない。
行くと言った以上、行くしかないか。
まあ、遅いウサギだしな。
﹁では、夕食までの間、少し森の奥に行ってみることにしよう﹂
デュランダルを出せばなんとかなるだろう。
村長も楽勝だと言っている。
﹁ミチオ様。村の若者の中にも、スローラビットの狩猟をしてみた
いと考えている者がございます。できますれば、一緒に連れて行っ
てはもらえませんでしょうか﹂
﹁ふむ﹂
﹁ミチオ様と一緒ならば、その者たちもよい経験ができるでしょう﹂
79
どうすべきか。
仲間がいた方がもちろん安全だろう。
しかし、俺が弱いとばれると厄介なことになるかもしれない。
俺は村に住んでいた一人の男を奴隷身分に落としている。家族や
親しいものによる報復も考えられた。
﹁いや。今回は遠慮してもらおう。俺はスローラビットと戦ったこ
とがない。その者たちを守ってやれるかどうか分からん﹂
﹁確かにおっしゃられるとおりでございます。差し出がましいこと
を申し上げました﹂
適当に理由をつけて断る。
食事を終えると、俺は盗賊たちのカードを置き、銅の剣を持って
外に出た。
森の中を、奥へ奥へと入っていく。
いけどもいけども、魔物は現れなかった。
ゲームだと村を一歩出たらモンスターだらけだったりするんだが。
考えてみれば、そんな危険な場所に村を作っておちおち住んでは
いられんわな。
﹁インテリジェンスカード、オープン﹂
一人になったので、気になったことをやってみる。
⋮⋮。
80
やっぱり何も起こらなかった。
まあこれは分かっていた。少なくとも呪文が違う。一回聞いただ
けであれは覚えられない。
俺にもインテリジェンスカードがあるのだろうか。
仕方ないので、今は気にせずに進む。
ちょっと歩き疲れたぐらい森の中を進むと、ようやく一匹の変な
動物が目に入った。
体長五十センチくらいの、毛に覆われた白い動物。
あれがスローラビットだろうか。
あれは何だ、と念じると、情報が浮かんできた。
スローラビット Lv1
おお。
やっぱり鑑定は使える。
というか、レベルあんのかよ。
スローラビットがどれだけの強さか分からない。
ここは慎重にデュランダルでいくべきだろう。
キャラクター再設定と念じて、設定画面を起動させた。必要経験
値五分の一と獲得経験値五倍まで戻して、ボーナスポイント64を
あまらせる。そしてそのボーナスポイントを武器六にまで注ぎ込ん
だ。
81
ボーナスポイント残り1。
何に使うべきか。
ボーナス呪文でも使ってみるか。
メテオクラッシュ。
いかにも強そうな魔法だ。
メテオクラッシュを選択して、キャラクター再設定を終了する。
左の手のひらにデュランダルが現れた。
魔法を使うならデュランダルいらなくね、と思ったが、一撃で倒
せるとも限らない。
デュランダルを腰に差す。
慣れていないせいか、剣を二本も腰に差すのはちょっと邪魔だ。
銅の剣は横の木に立てかけた。デュランダルを鞘から抜いて両手
でしっかりと握り締める。
スローラビットはまだ俺に気づいてないみたいだ。
ここは木の陰から闇討ちする。
行け。
﹁メテオクラッシュ!﹂
大声で叫んだ。
⋮⋮。
⋮⋮?
⋮⋮。
82
何も起こらない。
何も変わらない。
俺とスローラビットの間をただ風が吹き抜けた。
誰かが見ていたらメッチャ恥ずかしいシーンだ。
森の奥でよかった。
呪文だ。呪文が違う。
メテオクラッシュの呪文が頭に浮かんできた。
それを使ってみる。
﹁無限の宇宙の彼方から、滅ぼし尽くす空の意志、滅殺、メテオク
ラッシュ!﹂
今度こそ決まった。
⋮⋮。
と思ったが、何も起こらない。
何も変わらない。
これはあれだな。
MPが足りない。
食事も取ったし、疲れもなくなっているので、火炎剣で使ったM
Pは回復していると思う。
メテオクラッシュともなると、Lv2ごときのMPでは発動でき
ないのだろう。
83
しょうがないので、デュランダルをかざして駆ける。
体が少し軽くなっているような気がした。英雄Lv1の効果か。
スローラビットは、こちらを向いて立ち上がる。
人を恐れて逃げ出さないあたり、さすがは魔物か。村人数人がか
りで倒せると言っていたから、人間一人よりは強いのだろう。
しかし、こちらには聖剣デュランダルがある。
デュランダルの切れ味をとくと味わうがよい。
スローラビットに近づいた俺は、上段から魔物の肩口あたりへと
斬りつけた。
デュランダルが魔物を抉り、肩からわき腹へと一刀の元に切り裂
く。
スローラビットはそのまま倒れ伏した。一撃だ。
魔物の体から緑色の煙が小さく吹き出し、やがて溶けるように消
え失せる。
煙の跡に、小さな白い毛皮が残された。
兎の毛皮
なるほど。
だから、兎の毛皮が残ると村長が言ったのか。
兎の毛皮を持って、銅の剣を置いた場所に戻る。
デュランダルはオーバーキルのような気もするが、あと二匹くら
いは狩っておくか。
84
今のスローラビットがたまたま弱かっただけ、ということも考え
られる。
俺は銅の剣の横に兎の毛皮を置いて移動した。
その後、スローラビットを二匹狩ったが、やはりデュランダルで
はオーバーキルのようだ。
いずれも一刀で斬り捨ててしまった。
これで兎の毛皮が三枚。
次は銅の剣でいってみるか。
デュランダルを消そうと、キャラクター再設定と念じる。
あれ?
ボーナスポイントが1になっていた。
何かのタイミングで増えるのだろうか。
とりあえず、ボーナス武器六を消し、必要経験値二十分の一と獲
得経験値十倍を入れる。これでボーナスポイントは0だ。メテオク
ラッシュにチェックが入ったままなので、先ほどよりはボーナスポ
イントが増えている。
デュランダルを消した俺は、銅の剣で次のスローラビットに襲い
かかった。
先制攻撃が華麗に肩口に決まる。
あら?
剣が全然入っていかない。
85
切り裂くどころか、ほんの少しめり込んだだけで止まってしまっ
た。
すぐに振りかぶって第二撃を入れるが、これも同様に止まってし
まう。
斬り込んだというよりも喰い込んだという感じだ。
スローラビットが体をぶつけてくる。
うおぉ。危ねぇ。
なんとかよけた。
お返しに一撃入れる。
全然駄目だ。ダメージを与えている気配がない。
少しずつは与えているのだろうが。
とにかく、スローラビットの動きに気をつけながら、剣で攻撃を
続ける。
動きが素早くないのが、せめてもの救いだ。
スローラビットだしな。
と思ったら、飛び上がりやがった。
頭はぎりぎりよけるが、体全部は避けきれず、体当たりを喰らっ
てしまう。
ぐおぉ。
体当たりだけですごい衝撃。
これはやばい。全身バラバラになりそうだ。
剣を何度も叩きつける。
スローラビットが頭を振った。
86
なんとか避け、あいた肩口に剣を入れる。今のは手ごたえありだ。
スローラビットが再び飛び上がる。
しかし、その攻撃は読んでいた。右へ倒れるように攻撃を避ける
と、すれ違いざま一撃を喰らわせる。
くそう。まだ駄目なのか。
二度三度と打ちつける。
攻撃する隙をつかれて、また体当たりを喰らってしまった。
ぐわッ。
攻撃だけに意識が向いて、防御を考えていなかった。
これはまずい。あと何撃か喰らったら確実に死ねる。
続く攻撃は避け、体勢を立て直した。
頭を剣で振り払い、腹に一撃を与える。剣がめり込んだ。ある程
度手ごたえがある。
体当たりを避け、再び一撃。
まだ倒れないのか。
もう一撃。もう一撃。もう一撃。
三度四度と剣を入れると、ようやく、魔物が地にはいつくばった。
煙となって消え、兎の毛皮が残る。
﹁はぁ⋮⋮﹂
肩で息をしながら、大きくため息をついた。
全身がきしむように痛い。息をするのも一苦労だ。
今のはやばかった。
87
デュランダルと銅の剣でここまで違うものか。
あるいは、今のスローラビットだけが特別に強かったのか。
そういえば、スローラビットにはレベルがあった。
確認してなかった。Lv1ではなかったのだろうか。
とはいえ、もう今後の攻撃はすべてデュランダルで行うことにす
る。
銅の剣では何回攻撃する必要があるか分からん。
確かデュランダルにはHP吸収のスキルがあった。
この苦しさも、デュランダルで敵を倒せば回復するのではないだ
ろうか。
俺は、銅の剣と集めた兎の毛皮を置き、デュランダルを出して移
動する。
スローラビット Lv1
いた。
小走りでスローラビットに近寄ると、デュランダルを振り下ろす。
スローラビットが消え、兎の毛皮が現れた。
体の痛みも和らいだ。
いくらかでもHPを吸収したのだろう。プラセボ効果ではない、
と思う。
あと一匹か二匹狩れば、全快だ。
88
銅の剣を立てかけた場所まで兎の毛皮を置きに戻り、再び獲物を
求めて移動する。
スローラビット Lv1
やっぱりLv1だ。
スローラビットは、人間を恐れて逃げもしないし、向こうから先
に攻撃してもこない。考えてみれば非常に戦いやすい魔物だ。先制
攻撃をほとんど確実に入れられるから、一撃で屠れるデュランダル
があれば楽勝である。
今度も先制攻撃を決め、一撃で魔物を屠った。
スローラビットが煙となって消える。
すると今度は、毛皮でないものが残った。
兎の肉
これが兎の肉か。
ご馳走になってばかりでも悪いので、今日の夕食の食材として村
長宅に提供するか。
兎の毛皮もあるし、村まで戻ることにする。
ステータス確認。
加賀道夫 男 17歳
89
村人Lv3 英雄Lv1 盗賊Lv3
装備 デュランダル サンダルブーツ
レベル上がってら。
90
午後の農作業
魔物を倒して鑑定してみると、レベルが上がっていた。
やはり、レベルを上げるには魔物を狩って経験値を稼ぐのが早道
なのだろう。
ボーナスポイントが何故か1増えていたが、レベルが上がったこ
とで増えたのではないだろうか。
レベルが2になったときにも、ボーナスポイントが増えていたよ
うな気がする。
レベルが上がるごとにボーナスポイントが増えるステキシステム
なんだろうか。
キャラクター再設定のスキルがない人はどうやって利用するんだ
ろう。
クソゲー決定。
いや、人生なんてクソゲーだ。
⋮⋮なにげにひどいよな。
いずれにしても、レベルの上げかたは分かった。
次の問題は、ジョブをどうやって増やすかだ。
村人は最初から持っていた。
盗賊はアレな方法で手に入れた。
91
英雄は盗賊から村を守ったおかげだろう。
あと、これまで見た中にあったジョブは、村長と商人と農夫だ。
村長に、村長にはどうやったらなれますか、と訊くのはやめた方
がいいような気がする。
ノンプレイヤーキャラクターならそれもありなんだろうけど。
下手をすれば、おまえは村長失格だから俺と替われ、と言ってい
るようにとられかねん。
商人になら、どうやったら商人になれるか尋ねるのはありか。
農夫は、どうするか。
そういえば、サンダルブーツを盗んだときに盗賊のジョブを得た。
ものを盗めば盗賊になれるのなら、何か農作業をしたら、農夫の
ジョブが得られるのではないだろうか。
農作業か。
村で何かできるだろうか。
俺はデュランダルを消し、村まで帰ることにする。
デュランダルを消すときに思ったのだが、なにもデュランダルか
銅の剣かの二択ではなく、武器五から武器一まで、全部試してみれ
ばよかったのではないだろうか。
しかし、一撃で倒せなければ、魔物の攻撃を受ける可能性がある。
回復するには、デュランダルのHP吸収が必要だ。
いちいち剣を取り替えるよりは、デュランダル一択で正解か。
銅の剣を腰に差し、右手には兎の毛皮五枚、左手に兎の肉を持つ。
92
兎の毛皮は、ずいぶんと小さい。これで毛皮のコートを作ろうと
思ったら、いったい何枚いるんだろうか。
百枚とか二百枚とか、あるいはもっと必要かもしれない。
きっと買取値は高くない。
まあ、初心者でも狩れる魔物だしな︱︱デュランダルがあれば。
デュランダルさまさまだ。
森の中を通って裏から村に入り、村長宅へ戻った。
﹁夕食の足しにしてくれ﹂
村長に兎の肉を渡す。
﹁いただいてもよろしいのでしょうか﹂
﹁夕食を馳走になるからな﹂
﹁かしこまりました。これは⋮⋮兎の肉!?﹂
村長が何故か驚いた。
兎の肉が残ると言ったのは村長なのに。
﹁たまたま残ったのでな﹂
﹁兎の肉はスローラビットを十匹ほども倒してようやく出るか出な
いかというものでございます﹂
﹁ふむ﹂
ドロップ率十パーセントというところか。
﹁一匹目で残るのは相当な幸運でございましょう。ミチオ様はよほ
ど神に愛されているとしか思えません﹂
93
﹁いや、一匹目で出たわけではないぞ﹂
俺は右手を持ち上げて、持っていた兎の毛皮を見せる。
﹁まさか⋮⋮﹂
村長がつばを飲み込んだ。
いや、なんで驚くのさ。
俺なら楽勝だろうってあんたが言ったじゃん。
﹁そこまで強い魔物だとは聞いていないが﹂
﹁ミチオ様なら倒すことは間違いなく倒せる魔物でございましょう。
しかし、ミチオ様が行かれてから、まだ半日ほどしか経っておりま
せん﹂
﹁まあそんな時間か﹂
まだ日は高い。日が沈むまでには多少余裕があるだろう。
﹁スローラビットは、村人が何人も集まって、長時間かかってよう
やく倒せる魔物でございます﹂
﹁ふむ﹂
確かに銅の剣だと少してこずりそうではある。
デュランダルだと一撃だが。
﹁それに、一匹と戦った後、体力の回復も待たなければなりません。
怪我人が出ればその手当ても必要です。普通、魔物を続けて狩るよ
うなことはいたしません﹂
﹁なるほど﹂
94
銅の剣を使っていたら、何度かはあの体当たりを喰らうだろう。
攻撃を受ければ体力の回復も必要か。
俺の場合、体力の回復もデュランダルのHP吸収に頼ったしな。
﹁ミチオ様が強すぎるのでございましょう。たった一人で短時間に
何匹もスローラビットをしとめる者など、この村にはおりません﹂
﹁そうか﹂
他の村人には厳しいのかもしれん。
そういうことにしておこう。
強いと言われて悪い気はしない。
﹁できますれば、お持ちになっておられる兎の毛皮は先ほどの商人
へお売りください。この村でも縫合を行っております。なかなか、
そんなにたくさんは狩れませんが﹂
﹁うむ。そうさせてもらおう﹂
スローラビットはこの村の近くに棲息しているから、ドロップア
イテムの兎の毛皮もここの特産品なのだろう。
あまりよそには売ってくれるなということだろうか。
﹁ありがとうございます。商人の家は三軒隣でございます﹂
﹁では、行ってこよう﹂
﹁その前に、少々お待ちください﹂
家を出ようとした俺を、村長が呼び止める。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
95
村長と家の者が話し、奥さんらしき女性が何か持ってきた。
﹁こちらの袋をお使いください﹂
﹁おお。すまんな﹂
村長が袋を俺に渡す。
ポーチみたいな小さな袋だ。紐で閉じるようになっているので、
巾着袋というところか。
俺はその袋の中に兎の毛皮を入れた。
﹁ではいってらっしゃいませ﹂
三軒隣の商家へ行く。
右か左か聞いてなかったが。
あっちか。
ものは置いてないが、入り口が大きく開けられた家がある。あそ
こが商家だろう。
と。行く前に、買取交渉のスキルをつけておくか。
キャラクター再設定と念じた。
どうせ使わない、というか使えないメテオクラッシュのチェック
をはずし、買取交渉にチェックを入れる。
買取交渉が買取価格十パーセント上昇に変化した。
またこのパターンか。
必要経験値と獲得経験値を操作して、64ポイントを捻出する。
買取価格は、十五、二十、二十五と上がって、三十パーセント上
昇でかすれ文字になった。
96
本当に使えるんだろうか。
﹁邪魔をする﹂
声をかけて、商家らしき家に入った。
﹁これはミチオ様。どのようなご用件でございましょう﹂
さっきの商人が中から出てくる。
﹁ここでは何を売っているんだ﹂
﹁私どもはこの村で唯一の商店でございます。基本的に、注文をお
受けした品を町の市で手に入れて、お渡ししております﹂
商品が置いてあるわけではないのか。
ずいぶんと侘しいな。
その程度の文明レベルなんだろうか。
﹁商品が置いてあるような店はないのか﹂
﹁⋮⋮商品を常に手元に置いておくような商家は、そうしなければ
ならない奴隷商くらいだと思います﹂
商人がいぶかしげに語った。
さすがに、奴隷は必要なときにすぐ調達というわけにいかないの
だろう。
だから奴隷商人ならある程度のストックを置いている。それ以外
の店では商品を置いておくようなことはしないと。
ひょっとして、奴隷を買いに来たとでも思われたか。
97
﹁悪い。変なことを聞いた。なにしろ、田舎から出てきたのでな﹂
あわててごまかす。
﹁田舎であれば、商品を置いているような店はまったくないと思い
ますが﹂
﹁いや。町にはそのような店があるという話を聞いたのだ﹂
﹁さようでございますか。ベイルの町にも、そのような商家はござ
いません。武器屋や防具屋なら、もっと大きな町に行けばあるいは
そういう商家があるかもしれませんが﹂
﹁田舎者だと思われてホラを吹かれたのかもしれん。気にするな。
それより、兎の毛皮を見てほしい﹂
話題を変えた。
﹁兎の毛皮でございますか﹂
﹁村長にここで売ってほしいと言われたのでな﹂
巾着袋から兎の毛皮を取り出す。
﹁これは⋮⋮またずいぶんとお持ちなのですね﹂
ずいぶんといっても五枚だけだ。
さっき狩ったことは、いちいち言わなくてもいいだろう。
﹁買い取ってほしい﹂
﹁兎の毛皮の買取価格は、一枚二十ナールが相場でございます﹂
﹁うむ﹂
ぶっちゃけ二十ナールと言われても分からん。
98
﹁もったいなくも私どもの店を利用していただくのです。今回は全
部を百三十ナールで買取させていただきます﹂
二十ナールが五枚で百ナールだから、見事に三十パーセントアッ
プ。
どうなってるんだろう。
まあ、高く買い取ってくれるなら文句はない。
﹁それでよかろう﹂
﹁こちらでございます﹂
商人は、白い硬貨を一枚と銅貨を多数、ジャラジャラとテーブル
の上に置いた。
白いのは銀貨かな。銀貨一枚が百ナールというところか。
﹁⋮⋮二十六、二十八、三十。確かに、受け取った﹂
銅貨を数えてみると、やはり三十枚ある。
俺は兎の毛皮を入れてきた巾着袋に小銭を入れた。
商人も兎の毛皮をしまう。
﹁私どもの菜園に今キュピコの実がなっております。取引させてい
ただいた記念に、キュピコの実を差し上げたく存じます﹂
﹁キュピコ?﹂
﹁はい。よい苗を仕入れまして。ゆくゆくは村の特産品にしたいと
考えております﹂
俺がキュピコを知らないことはスルーされた。
この世界では誰でも知っている有名なものなんだろうか。
99
﹁そうか﹂
﹁採ってまいりますので、ここでお待ちいただけますか﹂
﹁あ、いや待て。俺もキュピコがなっているところを見てみたい﹂
奥に入ろうとする商人を引き止める。
農作業をするチャンス。
﹁ミチオ様がでございますか﹂
﹁田舎の出身なのでな。そういうのには興味がある﹂
﹁かしこまりました。それでは、一緒に菜園まで来ていただけます
か﹂
俺は商人と一緒に表から外に出た。
﹁菜園を持っているのか﹂
﹁村に住んでいるものなら誰もが持っている程度の小さなものでご
ざいます﹂
歩きながら、商人と会話する。
情報収集は必要だ。
﹁この村には、農夫もいると思うが﹂
﹁村の外の畑は、農夫ギルドに属する者が耕しております﹂
﹁農夫ギルド⋮⋮﹂
そんなものがあるのか。
﹁この辺りの農夫はすべて農夫ギルドに属しておる者たちでござい
ます﹂
100
なんだかよく分からないが、大変らしい。
農作業なんかしても無駄か。
﹁そういえば、⋮⋮ビッカー殿はどうやって商人に﹂
商人の名前を確認するのに鑑定を行ったことは内緒だ。
便利だな、鑑定。
﹁私も商人ギルドに所属しております﹂
基本的に、農夫になるには農夫ギルドに入り、商人になるには商
人ギルドに入る必要があるようだ。
﹁俺が商人になるには、ギルドに入ればよいのか?﹂
﹁ミチオ様は商人になられるおつもりがおありになるのでございま
しょうか﹂
﹁いや。例えばの話だ﹂
あわてて否定する。
﹁ミチオ様もどこかのギルドに加入しておられると思いますが﹂
﹁加入しては、おらんな﹂
いないハズ。
﹁ミチオ様は冒険者ではいらっしゃらないのでしょうか。冒険者な
らば、冒険者ギルドに入っておられるのが普通ですが﹂
﹁正式には冒険者ではないのだ﹂
101
やべ。
冒険者ギルドなんてものもあるのか。
﹁さようでございますか。ギルドに加入しないのは大変でございま
しょう﹂
意外とあっさりスルーされた。
﹁まあ、な﹂
﹁ご存知でしょうが、ギルドは一つのギルドにしか入ることはでき
ません。また、一度加入したギルドをやめることには厳しい制限が
ございます﹂
﹁う、うむ﹂
そうなのか。
﹁どこのギルドにも加入しておられないのであれば、商人ならば簡
単になることができましょう﹂
﹁ギルドに登録すればよいのか﹂
﹁もちろん、どの職業であっても神殿で承認を受けなければなるこ
とはかないません﹂
﹁当然だな﹂
何が当然なのか。自分で言ってて分からない。
どうやら、ややこしい手続きが必要のようだ。
﹁商人系のギルドには、この他に豪商ギルドもございます。こちら
のギルドに入るには、長い間の経験を積まないと神殿で認められる
ことはありません﹂
﹁そうか﹂
102
よく分からないが、豪商は商人の上級職といったところだろうか。
適当に相槌を打って、菜園に急ぐ。
村のはずれに、どこにでもありそうな畑が広がっていた。
﹁ここが私どもの菜園でございます﹂
﹁おお。広いな﹂
家庭菜園というには結構な広さの畑に、何種類かの植物が植えら
れている。
どれも地球にもありそうな植物だ。
あ。ニンジンがあるな。
高さ一メートルくらいの植物の茎に、赤いニンジンがぶら下がっ
ていた。
へえ。ニンジンって、こんな風に実るものなのか。
あれ?
ニンジンって、実だったか?
﹁そちらが、キュピコでございます﹂
ニンジンに近寄ると、商人が教えてくれた。
﹁ほほう﹂
ニンジンではなくて、キュピコか。
ニンジンは根っこだよな。こんな風に実ったりはしない。
103
﹁赤く実っているのが食べごろでございます。どうぞお召し上がり
ください﹂
﹁手でもいでいいか?﹂
商人に確認して、収穫する。
﹁⋮⋮いかがでございましょうか﹂
二つほどニンジン、じゃなかったキュピコをもぎ取ると、商人が
不安げに尋ねてきた。
特産品にしたいとか言っていたか。
﹁このあたりにはニンジンはないのか?﹂
﹁薬用人参のことでございましょうか。森の中に行けば、あるいは﹂
この世界にニンジンはないらしい。
別に好物ではないのでどうでもいいが。
いや。食べられないわけではない。ちょっと苦手なだけだ。
なくてラッキー。
﹁俺の住んでいたところにこういう野菜があってな。少し似ている﹂
﹁さようでございますか﹂
商人が期待を込めた目で見つめてくる。
﹁よ、よく実っているな﹂
﹁お味の感想を、お聞かせ願いますか﹂
やっぱ食うのか。
104
俺は意を決して、見た目ニンジンのそれにかぶりついた。
おおっ。
結構美味い。
うん。味は悪くない。
ちょっと酸っぱいサクランボ。
ただし見た目ニンジン。
すっごい違和感がある。
﹁⋮⋮うむ。まあ味は悪くない。これならば売り物になるであろう﹂
﹁さようでございますか。ありがとうございます﹂
商人がほっとしたように礼を述べた。
ニンジンを知らなければこれもありだろう。
ようやく日も傾いてきたようだ。
俺はさっさと立ち去ることにする。
帰り道、ジョブを確認してみた。
ジョブ設定と念じ、ファーストジョブをいじってみる。
農夫 Lv1
効果 腕力小上昇
あった。
105
意外と簡単に手に入るものだ。
この農夫のジョブは、収穫を行ったから手に入ったのだろう。
何故かファーストジョブにも設定できる。
前は駄目だったが、英雄もファーストジョブに設定できるようだ。
サードジョブまでしか持っていないので、どれか一つ、はずさな
ければならない。
効果が体力微上昇の村人より、腕力小上昇の農夫を選ぶべきか。
必要経験値五分の一か獲得経験値五倍をはずせば、フォースジョ
ブは設定できる。
スローラビットと戦ったときに体が軽かったので、多分ジョブの
効果は重複するのだろう︵一番効果の大きい英雄の中上昇だけが効
いている可能性もあるが︶。
効果の面では、ジョブは多ければ多いほどいいと思う。
問題は経験値だ。
四つのジョブを設定すると、経験値はどうなるだろう。
サードジョブの盗賊が3にレベルアップしているから、サードジ
ョブでも経験値が入ることは間違いない。
入る経験値は、ジョブ一つのときと同じ経験値が四つのジョブす
べてに入るのだろうか。それとも、四分の一ずつになるだろうか。
経験値が分割されるなら、ジョブを絞ってレベルアップした方が
いいかもしれない。
分割されない場合はどうか。
その場合でも、結局サードジョブまでの方がいい。
ジョブが三つなら経験値は三倍、四つに増えても四倍だ。
獲得経験値五倍の方が効率がよい。
106
ジョブの数はサードジョブの設定のままで、ファーストジョブの
村人Lv3を農夫Lv1に入れ替える。
加賀道夫 男 17歳
農夫Lv1 英雄Lv1 盗賊Lv3
装備 銅の剣 サンダルブーツ
ファーストジョブとサードジョブには何か違いがあるだろうか。
レベルの高い盗賊Lv3をファーストジョブに持ってくるべきか。
しかし、今まで見た人間が誰一人持っていない英雄と村を襲って
きたやつらだけが持っていた盗賊は、あまり人目に触れさせたくな
い。気分的にできれば下の方で隠れていてほしい。
村長宅に戻ると、ちょうど夕食の支度ができたところだった。
夕食は、兎の肉のシチューと、何かの魚がメインの炒め煮。
両方とも、かなり美味しい。
この世界の料理は結構な水準にあると考えていいだろう。
夕食に満足した俺は、明日のため早めに床につくのだった。
あれ? ティリヒさんは?
107
午後の農作業︵後書き︶
付録
村人Lv25のおっさんの儚く悲しい生涯。
︵一部未確定の設定を含みます︶
0歳。
田舎の村で生まれる。
両親はともに村人。三つ年上の兄がいた。
10歳。
次男でもあり、将来は家を出ることを考えるようになる。
戦士として雇われるような堅苦しいのは好きではなく、特殊職、生
産職に就けるような技術も頭もない。自由に生きたいと願ったし、
幸い、腕白で力は強かったので、冒険者への道を志す。
12歳。
村近くに魔物が出たときの討伐に進んで参加する。
17歳。
戦闘面では村のリーダー的存在になった。
商人が町へ出るときの護衛も積極的に勤め、見聞を広める。
18歳。
村を強力な魔物が襲った。
中心となって戦い、なんとか倒すも、村民に多数の死者を出す。周
囲の畑も荒らされた。
畑を荒らされたことから飢饉となり、体力の弱まった村民をさらに
108
疾病が襲う。
19歳。
疾病で家族を失い、村を捨てて町に出た。
以前からの知り合いの冒険者に頭を下げ、パーティーに入れさせて
もらう。待遇面などは劣悪だった。冒険者に転職した後に脱退する
ことだけは認めさせる。
33歳。
ティリヒさん︵17歳︶を見て一目ぼれ。
しかし、雇われ探索者の身では積極的なアプローチもできず。
35歳。
こつこつとレベルを上げ、探索者Lv50となる。
神殿で冒険者にジョブ変更し、冒険者ギルドに加入した。
晴れてパーティーを抜けて一人立ちし、ついでにティリヒさん︵1
9歳︶にアプローチを開始する。
人生で一番輝いていたころ。ほむらのレイピアもこのころ入手した。
37歳。
ティリヒさん︵21歳︶と結婚。
ただし冒険者としては苦労する。長年パーティーの下っ端だったた
め、装備もそろわず、人脈もなく、人と交渉したりする経験もなか
った。冒険者ギルド内でもやがて浮いた存在に。
40歳。
無理がたたって、怪我を負ってしまう。
怪我のときでも仕事を押しつけてくる冒険者ギルドともめる。冒険
者のジョブを捨てて村人に戻ることを条件に、ギルドを正規に脱退
した。
109
冒険者として生きることは諦め、ティリヒさん︵24歳︶の実家が
ある村へ一緒に行くことにする。
41歳。
長男誕生。
自身が中心となって、村近くの魔物の狩りも行う。片手剣に適性の
ある冒険者を辞めたため、村人としては鉄の剣をふるって戦った。
愛する妻のため、子どものため、村のために戦って生きる、それな
りに充実した日々をすごす。
47歳。
村を襲った盗賊と戦い、戦死を遂げた。
110
特別篇 別ルートエンド︵前書き︶
主人公の主人公による主人公のための妄想。
ティリヒさんがこの夜に寝所を訪れた場合の別ルートエンドです。
あくまでも妄想です。本編とは関係がありません。
続きのみが気になるというかたは読まなくても何の問題もないでし
ょう。
登場人物や設定については、今後の変更もありえます。ヒロイン先
出しです。
ハーレムというタイトルにしておきながら、ヒロインが十一部まで
登場しないので。
あ。これ投稿したので最初のヒロインが出てくるのは十二部になり
ます。
こんなの書かずにさっさと続き書け、ってことだよな。
ものは投げないでください。
111
特別篇 別ルートエンド
﹁この村に何かあるのでしょうか、ご主人様﹂
ミリアがそのネコミミを立てて訊いてきた。
﹁いや。まあ何かあるわけではないが﹂
﹁そうですよね、保養地でもないようですし﹂
セリーもキョロキョロと左右を見回している。
警戒、というよりは好奇心か。
﹁昔来たことがあるというだけでな﹂
その頭に手を乗せた。
彼女たちを連れ、村に入る。
どことなく昔と変わったような気もするが、ほとんど変わってい
ないような気もする懐かしい村。
村に入ってすぐ右に、馬小屋があったはずだ。
ビッカー 男 41歳
商人Lv14
馬小屋の前に、男がいた。
112
顔を見ても、こんな顔だったか、というほどの記憶しかない。
十年経ってもレベルはあまり上がっていないようだ。
﹁××××××××××﹂
話しかけてくるが、相変わらず何を言っているのか分からない。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
ロクサーヌが何か答えると、商人は小さく頭を下げ、村の方に戻
っていった。
あの商人は、ブラヒム語でも通じたはずだがな。
﹁ご主人様、この村に何かご用なのでしょうか﹂
﹁ああ。さっきの男に聞いてな、キュピコがあったら、いくつか買
ってきてくれ﹂
ロクサーヌに頼む。
ロクサーヌがミリアを連れて去ると、俺は馬小屋に近づいた。
馬小屋の中には馬が一頭いる。
﹁馬小屋ですね﹂
セリーが右隣にやってきてつぶやく。
﹁ご主人様、その馬小屋が何か?﹂
﹁いや、こんなんだったかなあ、と思って﹂
113
左に立ったベスタを見上げ、ついでに馬小屋の屋根も見ながら答
えた。
懐かしいといえば懐かしいが、覚えていないといえば覚えていな
い。
﹁はあ﹂
いぶかしげに返事をするベスタの背中を軽くなで、窓から馬小屋
の中を覗き込む。
十年前、この世界に最初に来たときにいた馬小屋。
俺の旅はここから始まった。
とはいえ、十年も経っていると本当に同じかどうかは分からない
が。
あの商人がここにいたということは、この馬小屋は商人のものな
のだろう。
考えてみれば、気づいてもよさそうだった。
この村に何頭もの馬はいない。荷馬車を曳く馬が一頭いるくらい
だろう。
その荷馬車は商人が持っている。荷馬車を曳く馬も多分商人のも
のだ。その馬を飼っている馬小屋も商人のものだろう。
つまり、あのサンダルブーツは商人のものだったのだ。
﹁俺のこと、覚えてるか﹂
声をかけながら、馬の肩をなでた。
もっとも、十年も経っていれば別の馬かもしれない。
114
あのときと同じ馬だとすれば、この世界で俺を見た最初の生き物
ということになる。
﹁ご主人様、もらってきましたあ﹂
道の向こうから、ミリアが走ってきた。
両手に赤い果物を持っている。
﹁あったか﹂
﹁はい、ご主人様﹂
ミリアは俺に二つキュピコを渡すと、すぐに駆け戻った。
向こうからはロクサーヌが歩いてきている。
﹁お姉ちゃん、早く﹂
﹁はい﹂
ミリアはロクサーヌの元に駆けつけると、手を引っ張った。
ロクサーヌも引っ張られて走り出す。
俺は、見た目ニンジンのそれを、セリーとベスタに渡した。
そしてロクサーヌを待つ。
﹁あったようだな﹂
﹁はい、ご主人様。この村の特産品だそうです﹂
﹁そうか﹂
商人は栽培に成功したようだ。
115
﹁ご主人様、どうぞ﹂
ロクサーヌは、袋からキュピコを取り出し、麗しい笑顔で渡して
きた。
この笑顔は十年前と変わらない。
俺はロクサーヌからキュピコを受け取る。
二つ受け取って一つはルティナに渡した。
﹁ご主人様、ありがとうございます﹂
ルティナが頭を下げる。綺麗な金髪の間からのぞく、エルフ特有
の長い耳が可愛らしい。
ルティナに見とれていると、ミリアが期待のこもった目で俺を見
ているのに気づいた。
別に先に食べてくれてもかまわないのだが。
俺はキュピコにかじりつく。
うん。キュピコ。
なんだっけ。サクランボに味が似てるのだったか。
サクランボの味なんてあんまり覚えてないなあ。
﹁甘酸っぱくておいしいです﹂
﹁ああ。うまいな﹂
ミリアの頭に手をやり、ネコミミをなでさせてもらう。
なんか触り心地がいいんだよね。
村はずれの菜園に目をやった。
116
キュピコとはどんな植物だったか。
菜園では小さな男の子が働いている。
感心なことだな、黒髪の男の子。
⋮⋮黒髪の男の子?
胸の辺りまでの高さがある作物の陰に見え隠れしながら、黒髪の
男の子は何か作業をしていた。
この辺りは金髪や茶毛の人が多い。
黒髪は少数派だ。
この村に黒髪の男性がいただろうか。
胸の高まりを感じながら、鑑定と念じる。
ミオ 男 9歳
村人Lv1
⋮⋮。
ミオとミチオ。
うん。
まあそうだよな。
そうなんだろう。
多分、きっと。
117
苗字は受け継いでいないとはいえ。
俺はこの子に何かできるだろうか。
﹁はにゃあ⋮⋮﹂
耳をなで続けていると、ミリアが小さく声を漏らした。
耳をなでられてほうけたのか、果物の甘さに満足しているのか。
﹁ロクサーヌ、通訳を頼む﹂
﹁はい、ご主人様﹂
菜園に足を運んだ。
﹁ちょっといいか﹂
﹁××××××××××﹂
ロクサーヌの言葉で、男の子が菜園から出てきた。
顔は、⋮⋮似ているのか?
﹁何を作ってるんだ﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁キュピコだそうです﹂
まあ見れば分かる。
赤い実がなっていた。
﹁親は元気か﹂
﹁××××××××××﹂
118
﹁××××××××××﹂
﹁母親は元気だそうです。父親は生まれる前に亡くなったと﹂
そうか。
そうだよな。
俺はアイテムボックスから一本の剣を取り出す。
いかりのシミター
スキル 攻撃力五倍 HP吸収
もう使わなくなってしまった古い剣。
パッシブスキルだからちょうどよい。
﹁母親のいうことはちゃんと聞いているか?﹂
﹁××××××××××﹂
ロクサーヌが通訳すると、男の子はうなずいた。
﹁おまえの父親を、俺は知っているような気がする﹂
﹁××××××××××﹂
﹁この剣を母親に渡し、母親がいいといったら、使うんだ。母親を
守ってやれ﹂
﹁××××××××××﹂
男の子が剣を見つめる。
かなり興味がありそうだ。
119
﹁遠慮するな﹂
﹁××××××××××﹂
うながされて受け取った。
﹁この剣を使って強くなったと思っても、それはおまえが強いんじ
ゃない。この剣が強いんだ。それを忘れるな﹂
﹁××××××××××﹂
つかを放す前に、警告を与える。
どこまで耳に届いただろうか。
母を捨てて冒険者になるなどと言い出されても困るが、まあ後は
この子の人生だ。
ロクサーヌが通訳し終わるのを待って、俺は手を放した。
﹁××××××××××﹂
﹁ありがとうって﹂
男の子は大きく頭を下げる。剣を大事そうに抱え、走り去った。
ティリヒさん
おそらく、家には母親がいるのだろう。
来る前に去るか。
﹁ご主人様、あれは大切にしていた古い剣では﹂
﹁悪いな、ロクサーヌ。おまえに最初に渡した剣でもある﹂
﹁いえ。私は気にしません。そういえば、ご主人様から最初にいた
だいたのはシミターでしたね﹂
昔のことを思い出したのか、ロクサーヌが笑顔を見せる。
120
うん。いつ見ても可愛い。
十年間、見飽きなかった笑顔だ。
﹁じゃあ帰るぞ﹂
この村にはまた来ることがあるかもしれない。
あるいはないかもしれない。
俺は村を背にして、空間移動魔法を念じた。
121
特別篇 別ルートエンド︵後書き︶
俺たちの戦いはまだまだこれからだ。
蘇我捨恥の次回作にご期待ください。
︵本編はまだまだ続きます︶
122
街道
その夜、ティリヒさんは来なかった。
⋮⋮分かっていた。
もちろん分かっていたさ。
そんな旨い話はなかったということだ。
あるいは、イケメン限定だったということだ。
どこに住んでいるか知らないので、こっちから赴くこともできな
い。
俺は、寂しく一人寝をし、村長宅の土間横にある部屋で目覚めた。
何か夢を見ていたような気がするが、思い出せない。
目覚めたら東京のアパートだった、という展開も期待したが、無
理のようだ。
ティリヒさんも来なかったし、目覚めとしては最悪だ。
ベッドに身を横たえたままため息をはく。
ベッドは板の上にマットと毛布を敷いただけの粗末なものだ。
この扱いはどうなのか、という気もするが、この世界の標準が分
からないので、こんなものかもしれない。
ちなみに、この世界がヴァーチャルリアリティーだなんていう幻
123
想はトイレに行ったときに捨てた。
病院に入ってシビンがあてがわれてでもいない限り、俺の本体が
別にあったら、えらいことになっているはずだ。
むしろ目覚めたくない。
ここは現実の世界であり、俺はここで生きるのだ。
﹁んー﹂
せめて腕を伸ばす。
﹁失礼いたします﹂
村長の声がした。
﹁村長か﹂
﹁もう起きていらっしゃるでしょうか。そろそろ、出発の時刻にな
ります﹂
﹁分かった﹂
荷物を持って部屋を出る。
荷物といっても、銅の剣と巾着袋だけだ。巾着袋には、大枚百三
十ナールと盗賊たちのインテリジェンスカードが入っている。
今の俺の全財産だ。
﹁おはようございます﹂
﹁ああ、おはよう﹂
﹁こちらが、昨日着ていたお召し物でございます﹂
﹁ジャージがあったか﹂
124
忘れてた。
銅の剣と巾着袋だけが全財産じゃなかった。
入り口近くの台の上にジャージが置かれているのがなんとか分か
る。
土間の中はまだ暗い。玄関が開け放たれているが、外もようやく
白ずんできた程度だ。
俺はジャージの代わりにもらった服を着ている。
どうやって持っていこう。
﹁こちらの衣装はとても珍しい布で作られているようでございます。
さぞや貴重なお召し物かと存じます﹂
﹁貴重というほどでもないが﹂
安物のジャージだし。
まあ、ポリエステル繊維はこの世界には存在しないのだろう。
﹁よろしければ、こちらの袋をお使いください﹂
村長が割と大きめの袋を差し出してきた。
肩紐がついている。
リュックサックだ。
﹁ほう﹂
﹁それと、こちらは朝食になります。馬車の中ででもお召し上がり
ください﹂
﹁いろいろとすまんな﹂
125
リュックサックも朝食もありがたくもらっておく。
リュックサックの中に、ジャージと巾着袋、朝食が入った包みを
入れた。
包みの感じだと、中身はパン一個というところか。まあ贅沢を言
ってはいけない。
﹁それからこちらが、村を救っていただいたお礼でございます﹂
村長が袋を渡してくる。
昨日もらったのと同じ巾着袋だ。
﹁うん?﹂
なにげなく受け取って開くと、硬貨が入っていた。
明るければ山吹色を示すだろう鈍い光。金貨か。十枚以上はある
な。
﹁あまりにも些少で心苦しいのでございますが﹂
﹁いや、かたじけない。ありがたくいただいておく﹂
﹁なにぶん、その程度のお礼しか差し上げることができず、申し訳
もございません﹂
少し考えるが、もらっておくことにした。
もらっておくことによるデメリットは少ない。
向こうから出してきたのだし、強欲なやつだなどと後ろ指を差さ
れることはないだろう。
遠慮するメリットもない。
目立つつもりもないし、清廉なやつなどという評判をもらっても
しょうがないだろう。
126
この村に特別に恩を売っておく理由があるのでもなく。
ティリヒさんも来なかったしな。
すべての荷物を入れ、リュックサックを肩に担いだ。
村長に連れられて外に出る。
村はずれまで行くと、商人が荷馬車を準備していた。
﹁おはようございます﹂
﹁うむ。おはよう﹂
商人と挨拶と交わす。
﹁明るくなったらすぐに出発いたします。馭者席の横にお座りいた
だけますか﹂
﹁分かった﹂
荷馬車に乗り込んだ。
揺れなければいいが。
荷台には、盗賊たちの装備品、ティリヒさんの剣が二本、それに
犬小屋みたいなケージが置いてある。ティリヒさんはタガーを売る
のはやめたようだ。
ケージは、三面が板で囲まれ、一面だけ格子がはめられていた。
あれは何だ、と思っていると、男が連れてこられてケージの中に
入れられる。
昨日の盗人だ。
﹁この者もベイルまで連れて行き、奴隷商人に売却いたします﹂
127
村長が説明した。
﹁そうか﹂
﹁売却金の半額がミチオ様への賠償金になります﹂
﹁⋮⋮い、いや。正しい装備品は返ってきたので、そこまでしても
らわなくともよいが﹂
﹁売却金を全部家族に渡してしまうと、早期に買い戻すことが可能
になってしまいます。それでは罰を与えたことになりません。どう
ぞ、お納めくださいますように﹂
なるほど。
それはそれで合理的なような気がする。
村の掟によそ者が異を唱えることではないだろう。
俺はうなずいて同意を示した。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
盗人の家族だろうか。男が一人来て、ケージの中の男となにやら
言葉を交わしている。
小さな娘さんがいて、パパ行かないで、とか言われなくてよかっ
た。
言葉は理解できなくても、雰囲気で分かるだろうしな。
この家族の人は、ある程度諦めがついているのか、淡々と会話し
ている。
﹁それではそろそろ明るくなってまいりました。出発いたします﹂
128
商人が隣に乗り込んだ。
手綱を操作し、馬を発進させる。
まだ日は昇りきっていないが、村の近くだし慣れているのだろう。
﹁世話になった﹂
﹁いえいえ。村を救っていただき、本当にありがとうございました﹂
村長と別れの挨拶を交わした。
荷馬車が村の外へと走り出す。
この村へ来ることはもう二度とないかもしれないが、俺にとって
は最初の村だ。
後ろを振り返り、村の様子を記憶に留めた。
荷台には、ケージや装備品の上からシートが張られている。
奴隷に落とされた男はおとなしくしているようだ。
﹁道中は安全なのか?﹂
走り出して少し落ち着いたところで、商人に問うた。
﹁ベイルの町までの街道沿いは、定期的に魔物の討伐が行われてお
ります﹂
﹁なるほど﹂
﹁危険は大きくございません﹂
辺りがようやく明るくなり始め、荷馬車がスピードを上げる。
荷馬車がガタガタとかなり揺れた。
道が悪いのか荷馬車が悪いのか。おそらくはその両方だろう。
129
街道の周囲には広葉樹の森が広がっている。
奥へ行けば分からないが、街道に沿った辺りでは木の高さもそれ
ほど高くない。
あまり深い森というわけでもないようだ。
森が続いているだけなので楽しめるような景色でもない。
それ以前に、この揺れでは景色を楽しむどころではない。
俺は黙って揺れに耐えるしかなかった。
朝食のパンもかじってみるが、揺れながらでは結構大変だ。
他にやることもないので、前方を凝視し続ける。
うーん。
結構暇だ。
ただし、時々座る位置を変えないと、けつが痛くなってくる。
と。前の方で、小さな影が蠢いた。
何かいるようだ。
スローラビット Lv1
﹁スローラビットがいるな﹂
﹁お分かりになるのですか﹂
﹁昨日狩ったからな﹂
130
スローラビットだと分かったのは鑑定スキルのおかげだ。
あまりに小さすぎて、ここからではよく見えない。
﹁さ、さすがでございます。スローラビットならば安心です。この
まま速度を落とさすに進みます﹂
﹁うむ﹂
荷馬車はみるみると魔物に近づき、スローラビットの横を通りす
ぎた。
俺一人なら狩っていきたいところだが、ベイルの町に早く着いた
方がいいだろう。
﹁た、確かにスローラビットがおりましてございます﹂
さらに進むと、遠くの方にまた何かいるのが目に入る。
距離がありすぎるので、何かいるかも、という程度だが。
グミスライム Lv1
結構魔物が出るのかね。
﹁グミスライムだな﹂
﹁グ、グミスライムでございますか﹂
商人が荷馬車の速度を落とした。
﹁どうした﹂
131
﹁グミスライムは人を見ると襲ってくる魔物でございます。しかも、
体が柔らかいのでこちらの攻撃がなかなか効きません﹂
﹁それならば問題ない﹂
デュランダルがあれば大丈夫だろう。
﹁こ、この辺りでは一番の難敵にございます。グミスライムに捕ま
って覆われると、体が溶けてしまいます。出現したときには村人総
出でかかるほどの魔物でございます﹂
商人がグミスライムの恐ろしさを説明してくる。
さすがにやばいのだろうか。
とはいえ、捕まるようなドジを踏まなければ大丈夫だろう。Lv
1だし。
一度問題ないと言った以上、やるしかない。
どうせ遅かれ早かれ戦うことになるはずだ。
﹁大丈夫だ。このまま進め﹂
商人に命じる。
﹁か、かしこまりました﹂
商人が荷馬車を進めた。
デュランダムを出そうと、キャラクター設定画面を呼び出す。
あれ? 2ポイントあまっていたはずのボーナスポイントが0に
なっていた。
いや。今は魔物が優先だ。後で考えよう。
132
買取価格三十パーセント上昇をゼロにして、武器六までつぎ込む。
そういえば、英雄のジョブにはスキルがあったはずだ。デュラン
ダルで倒せない場合、それを使ってみるしかあるまい。
ジョブ設定と念じて、確認する。
スキル オーバーホエルミング
なんだかよく分からん。
﹁オーバーホエルミング?﹂
と、頭の中に呪文が浮かんできた。
これを唱えるのか。
﹁⋮⋮いかがいたしましたか﹂
﹁いや、なんでもない。進め﹂
﹁かしこまりましてございます﹂
中二病患者の俺に商人が気を使ってくるが、無視する。
俺はリュックサックを下ろし、身軽になった。銅の剣も足元に置
く。デュランダルを鞘から抜き、鞘だけを腰に差した。
荷馬車が近づくと、グミスライムもこちらを認めたのか、俺たち
の方に向かって進んでくる。
﹁よし、とまれ﹂
﹁は、はい﹂
133
荷馬車のスピードが緩くなったのを見計らい、馭者席から飛び降
りた。
馬の横を駆け抜け、グミスライムの正面に出る。デュランダルを
左後ろにかまえ、バットを振るように横殴りにスイングした。デュ
ランダルがグミスライムの青い身体を切り裂き、グミスライムの右
に抜ける。
一撃では倒せないようだ。
﹁受け渡されし英⋮⋮おおっと﹂
ならばとスキル呪文を唱えようとした俺に向かって、グミスライ
ムが跳ねた。あわてて体をひねり、なんとかグミスライムをかわす。
戦闘しながら詠唱なんて、無理無理。
剣をかまえたところにまたグミスライムが飛びかかってきた。今
度はグミスライムの動きをよく見ていたので、剣を使って軽くいな
す。
着地したところに上段からデュランダルを振り下ろした。脳天か
ら体の下部まで打ちつける。さすがにこれを喰らってはおしまいだ
ろう。脳天があるかどうか知らないが。
グミスライムは、力なくうなだれ、地の上に広がった。緑の煙と
なり、溶け込むように消え失せる。
緑のモヤがかき消えると、白い何かが残った。
スライムスターチ
なんだかよく分からないドロップアイテム。
とりあえずもらっておこう。
134
グミスライムを倒すにはデュランダルで二回攻撃する必要がある
ようだ。
あと、戦闘中にスキルを詠唱することは難しい。集中力が持たん。
先制攻撃にのみ使うか。
ピンチに陥ってスキルを使いたい場合にはどうするか。
訓練する必要があるな。
先ほどの戦闘について省察していると、商人が荷馬車を進めてき
た。
﹁お倒しになったのでございますか﹂
﹁うむ﹂
﹁こんな短時間で⋮⋮さすがでございます﹂
﹁まあ、な﹂
そうは言ってもデュランダルだと二発だからなあ。
銅の剣だったら何回攻撃すればいいか分からん。多分その前にや
られるだろう。
﹁ひょっとして、ミチオ様は魔法使い様でいらっしゃますか﹂
商人が訊いてくる。
﹁剣で倒したのは見たと思うが﹂
﹁確かに。昨日も剣を使っておいででした﹂
盗賊を倒したとき、俺は魔法を使っていない。
というか使えないし。
135
﹁だろう﹂
荷馬車に乗り込む。
この世界には魔法が存在するはずだ。設定でそう選んだ。
魔法使いも普通に存在するのではないかと思うが、違うのだろう
か。
﹁それはスライムスターチでございますか﹂
﹁そうだ﹂
﹁いかがでございましょう。守っていただいたお礼もかねて、買い
取らせてはいただけませんでしょうか﹂
あわててキャラクター再設定と念じた。
武器六をはずし、買取価格三十パーセント上昇を身につける。
商人に見えないよう、デュランダルを後ろに隠してから、設定画
面を終了させた。
変に思われるのも嫌だし。
﹁そうだな。そうさせてもらうか﹂
スライムスターチを商人に渡す。
間にあったのかね。
﹁スライムスターチは水で溶いてから醗酵させると、お酒になりま
す。スライム酒といって、好む者が多い一品です﹂
﹁ほう﹂
﹁通常の買取価格は八十ナール。馬車を守っていただいたお礼に十
倍の対価を出させていただきたく存じます。ミチオ様がお相手です
から千四十ナールでお引き取りいたしましょう﹂
136
﹁悪いな。遠慮なく受け取っておこう﹂
サンパニジュウシに足す八百で千四十。
きっちり三割アップが効いているようだ。
商人から銀貨十枚と銅貨四十枚を受け取る。
巾着袋に入れ、リュックサックを背負った。
﹁魔法使いがこの辺にいるか?﹂
気になったので訊いてみる。
﹁さあ、存じません。魔法使いになるためには、五歳までになんと
かいう特別な薬を飲まなければならないそうです。魔法使いになれ
るのは貴族や大富豪の子弟だけ。この辺りでは聞いたことがありま
せん﹂
﹁そうか﹂
魔法使いになるのにそんな制約があったとは。
俺は魔法使いにはなれないのだろうか。
いや、あるいは⋮⋮。
それより、今は他に考えるべきことがあった。
荷馬車に揺られながら、ボーナスポイントについて考える。
増えたと思ったボーナスポイントがあまっていなかった。
今使っているのは、買取価格三十パーセント上昇で63。
必要経験値五分の一で15。
獲得経験値五倍で15。
137
ここまで合計93。
サードジョブで3、計96。
鑑定、ジョブ設定、キャラクター再設定の99だ。
残り0だから、最初からまったく増えていない。
と、計算したところで分かった。
ボーナスポイントが増えたのは村人のレベルが上がったときだ。
今は村人Lv3をはずして農夫Lv1にしているから、ボーナス
ポイントが当初と同じなのではないだろうか。
試しに、ジョブ設定と念じて、ファーストジョブを村人Lv3に
戻す。
そしてキャラクター再設定を行うと⋮⋮。
ほら、やっぱりボーナスポイントが2ポイントあった。
138
ベイルの町
ボーナスポイントについての疑問が解消したころ、荷馬車はさら
に進んでいた。
急に森が開け、前に城壁が見えてくる。
﹁おおっ、あれがベイルの町か﹂
﹁さようでございます﹂
﹁なかなかにでかいな﹂
城壁の長さは、一辺が一キロメートル以上はあるだろうか。
もちろん現代日本の都市とは比べ物にならない。それでも、城壁
を造るコストを考えれば、なかなかの都市だろう。
城壁の周囲には、町の住人が育てているのか、畑が広がっていた。
森が急に開けたのはそのせいだ。
太陽はまだ半分も上がっていない。
グミスライムを狩ったりと、いろいろあったが、時間にすれば三
時間くらいか。
一時間の長さは地球と同じと考えていいのだろう。
﹁この辺りでは一番の都市にございます﹂
商人が自慢げに話す。
都市の周りには何台かの荷馬車が集まっていた。
商人の荷馬車も、その中に入って町に近づいていく。
139
城門はあるが、門番はいない。
検問も行われてはいないようだ。
﹁町には自由に入れるのか?﹂
﹁もちろんでございます。高い城壁でもございませんし、統制しよ
うにも移動魔法がございますから﹂
移動魔法。そんなものがあるのか。
確かに、魔法で移動できるなら、城門で検問しても無駄か。
あれ?
じゃあ城壁は何のためにあるのだろう。
そもそも、移動魔法があるのなら、ベイルの町まで荷馬車で来る
ことはなかったのでは。
﹁そ、そうか﹂
いろいろ疑問点はあるが、スルーする。
城壁があるのは魔物対策か。
荷馬車で来たのは、俺の空間が使えなかったからだ。
荷馬車は町の中へと入っていった。
﹁まずは、奴隷商のところへまいります。その後、騎士団の詰め所
へ行き、武器屋、防具屋の順で回りたいと存じます。それでよろし
いでしょうか﹂
﹁任せる﹂
町に入ると商人がこの先の予定を告げてくる。
140
荷馬車が町の中を進んだ。
道は広く、石畳が敷いてある。左右の建物は、漆喰の塗られた四
階建てくらいの立派なものだ。
商店もないような文明レベルにしては、たいしたものだろう。
雑踏というほどでもないが、人も結構歩いている。
落ち着いたよい街といえるだろう。
歩いているのは、村人、商人、農夫、戦士、剣士もいた。
都市に住む市民なのに村人とはこれいかに。
﹁市はこの先、町の中心に立っております。ですが、今は右に入り
ます﹂
﹁分かった﹂
荷馬車が道を右に曲がる。
﹁この先は治安の悪いところもございます。娼館などもございます
が、あまり奥に入ることは勧められません﹂
﹁気をつけよう﹂
娼館ってなんだろう、と思ったが、娼婦のいる館で娼館かあ。
ザ、娼館。風俗店。ぱふぱふしてくれるお店。めくるめく官能ワ
ールド。
やはりこの世界にもそういう需要はあるのだろう。
治安が悪いということは、この世界でも、娼館のある場所はスラ
ム街近くだったり暴力団が支配していたりするのだろうか。
これは調査が必要だ。
141
是非とも行かずばなるまい。
この世界で生きていく以上、どのような危険があるか知っておく
ことは重要なことだ。
そこが危険なところであるなら、その実態を解明しておかねばな
らないだろう。
調査のためにも、俺は行くべきなのだ。
いや、あくまでも調査だ。
異世界の調査である。
調査のためにあんなことやこんなことをするとしても、それは仕
方のないことなのだ。
うむ。調査のためであればやむをえない。
是非におよばず。
などと考えていると、荷馬車は右に入ってすぐ、二軒目の家の前
に止まった。
ここが奴隷商か。赤いレンガ造りの三階建て。見た目は普通の民
家のようだ。
﹁何かご用でしょうか﹂
荷馬車が止まると、家の中から若い男が飛び出してくる。
商人Lv3。レベルが低いから、まだ見習いだろう。
﹁奴隷身分に落とされた犯罪者を引き渡しにまいりました。荷台を
ご確認ください﹂
村の商人の言葉に、男は荷台のシートをはずしケージを確認した。
142
﹁承りました。それでは、店の中にお入りください﹂
俺と商人が店の中に入る。
﹁奴隷は俺が売ることにしておいた方がよかろう﹂
奥に案内される途中で、商人に告げた。
俺なら三割アップがある。
﹁かしこまりました。それでは、こちらをお持ちください﹂
商人が二つ返事で引き受ける。なにやら手紙を渡してきた。
﹁これは?﹂
﹁村長からの委任状でございます﹂
そんなものがあったのか。
手紙を受け取り、案内された部屋の中に入る。
座り心地のいいソファーに座っていると、やがて一人の男が現れ
た。
アラン 男 63歳
奴隷商人 Lv44
奴隷商人なんていうジョブもあるのか。
そして、いきなりの過去最高レベル。なかなかやり手のようだ。
143
あるいはあの村が田舎過ぎるのか。
﹁当家の主、アランでございます﹂
﹁ミチオだ﹂
﹁ソマーラの村のビッカーでございます﹂
﹁どうぞおかけください﹂
立って挨拶し、促されてまた座る。
ソファーの座り心地がいいのは、奴隷商の客がそれだけ上客ぞろ
いだからだろう。
奴隷を買えるような金持ちでなければいけないし。
﹁本日は市もなかなか盛況のようにございます﹂
商人が切り出した。
まずは雑談からか。
﹁ご存じないのですか? 二日前に迷宮が見つかったのです﹂
﹁迷宮でございますか﹂
ふむ。迷宮があるのか。
そういえば、フィールドとダンジョンの両方がある設定を選んだ
のだっけ。
俺は黙って情報収集に徹する。
﹁町の近くで魔物に遭遇しませんでしたか﹂
﹁ベイルの町近くではありませんが、今日に限り二度も﹂
﹁他の迷宮の活動も強まるのかもしれません﹂
﹁しかも本日はグミスライムまで﹂
﹁それは⋮⋮。大丈夫だったのでしょうか﹂
144
奴隷商人が心配顔で問いかけてきた。
﹁グミスライムはこちらにおられるミチオ様が退治してくださいま
した﹂
﹁お一人ででございますか?﹂
﹁ミチオ様は昨日村を襲ってきた盗賊たちをも相手にしなかったお
かたなのでございます﹂
なんかほめられて居心地が悪いな。
話題を変えよう。
﹁その盗賊の装備を盗もうとした男がいてな。村の掟で奴隷身分に
落とすことになった﹂
﹁さようでございますか﹂
﹁これが村長からの委任状だ﹂
手紙を出す。
奴隷商人が受け取った。
﹁拝見させていただきます﹂
﹁売却額の半分をミチオ様にお渡しすることになっております﹂
書状を見ている奴隷商人に村の商人が説明する。
﹁なるほど。確かにそのようでございます﹂
﹁いかがかな﹂
﹁男は確認させていただきました。健康体で働き盛り、およそ三万
ナールほどが買取の相場かと存じます﹂
145
俺は村の商人を見た。
相場なんて俺には分からん。
商人が軽くうなずく。
﹁分かった。それでよかろう﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁それでは、私とミチオ様に半分ずつお支払いいただけますか﹂
三割アップは効かなかったようだ。
奴隷だと駄目なのだろうか。
﹁お客様は当家をご利用になられるのは初めてでしょうか﹂
奴隷商人が俺に訊いてくる。
﹁この町には初めて来たところでな﹂
﹁なるほど。冒険者のかたでございましたか﹂
なんでそうなるのだろう。
俺の顔はそんなに冒険者に見えるのだろうか。
もっとも、盗賊に襲われるような田舎の村近くをブラブラしてい
るのは冒険者くらいなものなのかもしれないが。
﹁いやまあギルドにも入っておらんがな﹂
﹁それでは今後、奴隷をお買いになられるご予定がございますでし
ょうか﹂
待て。なんと言ったか。
﹁奴隷を⋮⋮買う⋮⋮冒険者は多いのか?﹂
146
なんとか話を繋げた。
﹁それはもちろん多ございます﹂
奴隷を買う。
何故かそんなことはまったく思いつかなかった。
現代日本の常識にとらわれすぎだろうか。
この世界には奴隷がいる。
奴隷を売ったのだから、奴隷を買うこともできるはずだ。
女奴隷を買ってはべらすことができるのだろうか。
女奴隷を買ってウハウハできるのだろうか。
女奴隷を買って⋮⋮。
﹁そうなのか。いや、俺はまだ師匠のところから独り立ちしたばか
りでな。山奥での修行だった故、いろいろと疎いこともある﹂
考えていた言い訳を持ち出す。
田舎の出身で山奥で修行していた、ということにしておけば、こ
の世界の常識を知らない言い訳になるし、強さの説明にもなるだろ
う。
俺が強いのはデュランダルを出せるおかげだが。
﹁さようでございますか。確かに、見たところまだお若いようにお
見受けいたします。この町近くの迷宮には行かれないのでしょうか﹂
﹁ふむ。それも悪くはあるまい﹂
ダンジョンがあるなら、入ってみるのもいいだろう。
147
穴があるなら入れてみたい。それが男というものだ。
﹁それならば是非一度、説明させてくださいませ﹂
﹁そうか。ではまた来よう﹂
なんか巧いこと営業されてしまった。
奴隷商人はいったん部屋の外に出て、お金を持って戻ってくる。
﹁こちらが半金の一万五千ナールになります﹂
﹁確かにお受け取りいたしました﹂
商人が代金を受け取った。
金貨が一枚と銀貨がたくさん。金貨一枚一万ナールか。
﹁今後のお取引にも期待して、お客様には一万九千五百ナールで買
取させていただきます﹂
続いて、奴隷商人はお金の入ったもう一つの皿を俺に差し出す。
金貨一枚と銀貨がものすごくたくさん。
俺だけ三割アップなのか。
ちらりと村の商人を見るが、特になんとも思っていないようだ。
三割アップについても、奴隷を買えと言われたことについても。
﹁確かに、受け取った﹂
しかし、奴隷を買えだなんていう心臓に悪いエクスキューズはや
めてほしかった。
148
実際問題、奴隷を買うなんてどうなのか。
奴隷を買うのは犯罪だろう。
いや、それは現代日本の倫理なのか。
この世界にはこの世界の倫理がある。
考えてみれば、俺は奴隷を売りに来たのだ。村の掟だとはいえ、
奴隷を売った以上、買うこともそんなに変ではあるまい。
そうか。そもそも奴隷を売るなんて駄目だよな。
汚れっちまった悲しみに。
などと悲嘆にくれていてもしょうがないので、とっとと逃げ出す
ことにする。
﹁それでは、ミチオ様のまたのお越しをお待ちしております﹂
名前まで覚えられてしまったようだ。
これでは逃げられない。
まあいいや。また来よう。
迷宮のことも聞きたいし。
俺と商人が奴隷商の館を出る。
商人が荷馬車をUターンさせた後、俺も荷馬車に乗り込んだ。
先ほどの道に戻った後、中心部に向かって進む。
﹁おお。あれが市か﹂
149
広い道の両側に、屋台が設けられていた。
食料品や衣料品などが置かれ、人が集まっている。
戦士Lv41
剣士Lv47
神官Lv35
料理人Lv28
結構いろいろなジョブがある。
レベルが高い人もそれなりにいるようだ。
冒険者Lv13
本当に冒険者というジョブもあった。
﹁あそこが、騎士団の詰め所になっております﹂
市の中を進んでいくと商人が指差す。
町の中心だろうか。道が広場を伴ったロータリーになっており、
左手前に、鐘楼を備えたレンガ造りの建物がある。
荷馬車がその建物の前で停まった。
150
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
中から騎士が出てきて、商人となにやら話す。
騎士Lv4
レベルは低い。
まだ見習いだろうか。
﹁ミチオ様、盗賊のインテリジェンスカードをお出しください﹂
商人が話しかけてきた。
﹁うむ﹂
あ、そうか。
何のために来たのか、分かっていなかった。
盗賊の賞金をもらえるのだった。
リュックサックを下ろし、巾着袋を開けて、中からカードを取り
出す。
見習いの騎士に渡した。
商人も渡している。村人が倒したという二枚だろうか。
盗賊のインテリジェンスカードは、見てみたが何も書かれてはい
なかった。
151
あれで分かるのだろうか。
﹁それでは、インテリジェンスカードを確認させてもらう﹂
﹁お願いします﹂
騎士Lv4の言葉に商人が腕を伸ばす。
左手の甲を騎士の顔の辺りに上げた。
﹁滔々流るる霊の意思、脈々息づく知の調べ、インテリジェンスカ
ード、オープン﹂
何をするのかと思ったが、確認するインテリジェンスカードって、
俺たちのか。
やばい。
俺のも確認するのだろうか。
はたして俺にインテリジェンスカードはあるのか。
なかったらどうなる?
騎士が商人のカードを確認し終える。
商人が腕を戻した。騎士は次に俺の方を見る。
まあいくしかないよな。
仕方がないので、重心を移動し、左手を伸ばした。
騎士の顔の前まで腕を上げる。
﹁これでよいか﹂
﹁滔々流るる霊の意思、脈々息づく知の調べ、インテリジェンスカ
152
ード、オープン﹂
内心の不安をよそに、俺の手の甲からはあっさりとインテリジェ
ンスカードが飛び出してきた。
いや、出てくるのは出てくるので心配だが。
どうなっているのだろう。
﹁⋮⋮どうだ?﹂
騎士が黙っていることに気をもんで尋ねる。
その沈黙が怖い。
﹁⋮⋮苗字持ち?⋮⋮いや。自由民のかたでしたか。結構です﹂
合格のようだ。
騎士は詰め所に入っていった。
俺は自分のインテリジェンスカードを見てみる。
加賀道夫 男 17歳 村人 自由民
漢字とアラビア数字で書かれていた。
苗字があるのはこの世界では珍しいのだろう。
俺は自由民のようだ。
自由民の他に奴隷があることは確実だが、貴族とかもいるんだろ
うか。
﹁何を調べたのだ?﹂
153
﹁ジョブが盗賊になっていないかどうかです。盗賊に懸賞金を渡す
わけにはまいりませんので﹂
商人の答えに一瞬硬直する。
俺は盗賊のジョブを持っていた。
もっとも、インテリジェンスカードに書かれている俺のジョブは
村人だ。
ファーストジョブがジョブとして反映されるのだろうか。
村人がファーストジョブでよかった。
﹁そうか﹂
軽く息を吐く。
インテリジェンスカードは引っ張っても手から離れないようだ。
先端部分を軽く押すと、手の甲に引っ込んだ。
本当にどうなっているのだろう。
﹁盗賊のカードは中で確認を行っております。すぐに結果が分かり
ましょう﹂
﹁盗賊のインテリジェンスカードは、どうやって取ったのだ﹂
﹁人が死亡して三十分経つと、自然にインテリジェンスカードが出
てまいります﹂
商人が説明する。
インテリジェンスカードが取れない間は生きているということか。
やがて、詰め所の中から一人の女性が出てきた。
154
ラディア・マキシナント・ゴッゼル 女 28歳
騎士Lv27
装備 マジカルアーマー 加速のブーツ
レベルはそれほど高くないが、見たことがない装備の上に、名前
も複雑だ。
おそらく名家の出身なんだろう。
引き締まった体躯のきりりとした美人である。多分、胸は大きく
ない。
亜麻色の髪を後ろでまとめていた。
﹁盗賊を倒したのはそのほうか﹂
艶やかな目元をこちらに向けてくる。
﹁そうだ﹂
﹁あれはこの町のスラムを根拠としている盗賊団の一味だ。現在壊
滅作戦を展開中なので一部が逃げ出したのだろう。そのほうが倒し
た中の二人に懸賞金がかけられている。その他の者にはまだ賞金は
かかっていない﹂
美人の騎士がちらりと商人の方を見た。
﹁さようでございますか﹂
商人が渡した二枚は駄目だったのだろう。
詰め所の中から、先ほどのLv4が走り出てくる。
美人の騎士に白い袋を渡した。
155
﹁これがその賞金だ。受け取るがよい﹂
美人の騎士はその袋を俺に投げてよこす。
﹁うわ﹂
あわてて受け取った。
扱いひどくね?
﹁受け取ったら、さっさと立ち去るがよいぞ﹂
美人騎士は、そう言い残してすぐに詰め所の中に戻っていった。
え?
これだけ?
いやいや。せっかくの美人なのに。せめて名乗りあうとか。
﹁ありがとうございます﹂
商人はそう言って荷馬車を出発させる。
ホントにこれだけなのか。
にべもない。
騎士団のくせに、村が襲われたことについても何もないのか。
いや。分かっていた。
分かっていたさ。
美女と仲よくできるのはイケメン限定であるということは。
156
地球でもてなかったやつは異世界でももてないのだ。
地球でもてなかったのに異世界ではもてるなんていうことがどう
してありえようか。
いや、ない。
﹁次は武器屋か﹂
疲れた声で商人に確認する。
はぁ。
﹁さようでございます﹂
商人はそのまま荷馬車を進ませた。
賞金はリュックサックに入れる。三十パーセントアップは効いた
のだろうか。
懸賞金だからそれはないか。
あのすげない態度ではな。
しょ、賞金は三割アップにしといたんだからね。
と、こういう反応がほしかった。
ロータリーを渡ってしばらく行くと、剣を置いてある店が目に入
る。
ここが武器屋か。
157
ひもろぎの剣 両手剣
スキル 知力二倍 火炎剣 浄化
店の真ん中に立派な大剣が飾ってあった。
スキルが三つある。なかなかのものなのだろう。
荷馬車が止まったので、俺が降りる。
男が寄ってきた。
武器商人Lv21
武器商人なんてジョブもあるのか。
﹁ちょっといいか﹂
﹁いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか﹂
﹁剣を売りたい﹂
武器商人に荷馬車の剣を見せる。
﹁武器に宿りし魂よ、その力を解き放て、武器鑑定﹂
武器商人がつぶやきながら銅の剣を見た。
うわっ。
結構こっ恥ずかしい。
インテリジェンスカードのときにはカードが出てくることにびっ
158
くりして気をとられていたが、これはいたたまれない。
多分、武器鑑定というスキルがあるのだろう。
ボーナススキルの鑑定には呪文がなくて本当によかった。
﹁いかがかな﹂
﹁銅の剣は全部で十八本になります。銅の剣の買取価格は一本二百
五十ナールでございます﹂
商人を見ると、軽くうなずいている。
十八本のうち二本は村人の取り分だ。
﹁よかろう﹂
﹁鉄の剣が一本、買取価格は千ナールになります﹂
﹁うむ﹂
﹁それから⋮⋮﹂
武器商人がほむらのレイピアを取り上げた。
﹁どうだ?﹂
﹁スキルつきの武器でございますか⋮⋮。ほむらのレイピア。一万
八千ナールで買い取らせていただきます﹂
さすがはスキルつきの武器か。桁が違う。
商人を見ると、驚いたようにしていたが、軽くうなずいた。
﹁分かった﹂
﹁シミターの買取価格は五百ナールでございます﹂
武器商人はシミターをちらりと見ただけで告げる。
159
﹁それはスキルスロットを含んでの値段か?﹂
﹁お客様、おたわむれは困ります。こちらの剣にはスキルはついて
おりません﹂
注文をつけた俺を、武器商人が蔑むような目で見てきた。
武器商人には空きスロットが分からないのだろうか。
﹁いや。スキルはついていないが⋮⋮。ちなみに、これだといくら
になる﹂
腰に差していた銅の剣を武器商人に見せる。
﹁武器に宿りし魂よ、その力を解き放て、武器鑑定⋮⋮。ただの銅
の剣でございます。二百五十ナールが相場でございます﹂
武器商人は﹃ただの﹄を強調した。
俺が差していた銅の剣には空きスロットがある。
武器商人にはその空きスロットが分からないのか。
いずれにしても、値段に反映されないことは間違いない。
﹁分かった。シミターは俺が引き取る。買い取りはその他の剣だけ
で頼む﹂
﹁ありがとうございます。大量にお持込いただきました。つきまし
ては、全部で三万五百五十ナールでお引き受けしたく存じます﹂
それで三割アップなんだろうか。
どうなっているのかほんとに分からん。
160
﹁それでよかろう﹂
﹁かしこまりました。少々お待ちください﹂
武器商人が一度奥に引き込み、硬貨を皿に載せて持ってきた。
金貨が三枚と、銀貨が五枚、銅貨が大量に。
やはり金貨一枚一万ナールか。
めんどくさいので銅貨は数えずに受け取る。
﹁確かに、受け取った﹂
﹁ありがとうございました﹂
金貨一枚と、銀貨、銅貨を巾着袋に入れる。
金貨二枚を商人に差し出した。
﹁村の取り分はこれでよいか?﹂
﹁これでは多ございます﹂
銅の剣二本、ほむらのレイピア、シミターでしめて一万九千ナー
ルだ。
﹁多いのはシミターの分だ。高く買わせてもらおう﹂
﹁かしこまりました。ありがとうございます﹂
商人は買取価格が三割アップしたことについては何も言わなかっ
た。
その分はもらっておいてもいいだろう。
俺のスキルだし。
続いて、隣の防具屋へ行く。
161
﹁村人が倒した盗賊は防具を着けておりませんでした。仕入れも行
わなければなりません。防具屋に荷を置いたら、私はおいとまさせ
ていただきます﹂
﹁そうか。世話になったな﹂
﹁いいえ。こちらこそ何から何まで本当にお世話になりました。も
う一度、お礼を述べさせていただきます。村を救っていただき、感
謝の言葉もございません﹂
ティリヒさんは来なかったけどね。
商人は防具屋の近くに荷を降ろすと、荷馬車を進めて去っていっ
た。
こっちの店の中央には、さっきの美人騎士も着けていたマジカル
アーマーが飾られている。
マジカルアーマー 胴装備
スキル 魔法ダメージ軽減
スキルつきのよい防具のようだ。
皮の鎧と皮の靴をそれぞれ一個ずつ、状態のよさそうなものを選
んで別にする。
それから商人を呼んだ。
﹁ちょっとよいか﹂
﹁いらっしゃいませ﹂
162
防具商人Lv33
武器商人と防具商人は別のジョブになっているらしい。
だから武器屋と防具屋は別々なのか。
﹁これらを買い取ってほしい﹂
﹁我は尋ね力を見る、守りの魂立ち出でよ、防具鑑定﹂
防具商人が装備品を見る。
やっぱ恥ずかしいな。
武器鑑定と防具鑑定は別スキルなのか。
武器商人は武器鑑定しか使えなくて、防具商人は防具鑑定しか使
えないのだろう。
﹁いかがか﹂
﹁盗賊のバンダナは五百ナール、鉄の鎧は千八百ナール、皮の鎧は
二百ナール、皮の靴は二十ナールで買い取らせていただきます﹂
﹁分かった﹂
相場も分からないし、向こうの言い値でうなずくしかない。
盗賊のバンダナは思ったほど高くなかった。
五百ナールというのが、そのために奴隷に落とされてしまうよう
な金額なのかどうか。
﹁皮の鎧が二個、皮の靴が七個あります。全部で三千六百九十二ナ
ールでお引き受けさせていただきたく存じます﹂
163
﹁頼む﹂
多分三割アップになっているのだろう。
その値段で了承する。
防具商人が代金を持ってきた。
小銭がいっぱいだ。
164
ロクサーヌ
ベイルの町でやるべきすべての用事を済ませた。
俺は今、自由だ。
そして自由であると同時に空虚でもある。
何をしてもよい代わりに、何かをしなければならないわけでもな
い。
商人と別れたことで、俺のことを知る人間もいなくなってしまっ
た。
そう考えると、急に寂しくなってくる。
この世界には俺のことを知る者は誰もいない。
その中で、俺は一人ぼっち、生きていくのだ。
不安だ。
そこはかとなく不安になる。
そういえば、一人いたか。
奴隷商人。彼が待ってくれているはずだ。
別に待っていてほしくもないが。
情報収集もかねて、行ってみることにする。
迷宮のことも聞かなければならない。
俺は皮の鎧と皮の靴を持って、建物の陰に入った。
165
皮の鎧を服の上から着け、皮の靴はリュックサックにしまう。
腰には銅の剣とシミターを二本差しだ。まあ日本人だしな。侍ス
タイルだ。
誰も見ていないことを確認して、渡された懸賞金の小袋も開けた。
金貨が十六枚と銀貨が大量にある。
懸賞金は十六万何千ナールということか。
また銀貨が増えてしまった。
五円玉十円玉を使い慣れた身には、百枚ごとに上がっていくこの
世界の通貨は不便だ。
村長がくれた礼金の方は金貨十五枚だった。
価値は分からないが懸賞金とほぼ同額か。
現在の持ち金は、金貨三十三枚と、銀貨、銅貨がたくさん。
金貨だけをまとめて礼金の入っていた巾着袋にしまう。
リュックサックを閉じ、背負った。
市が開かれている通りに戻る。
道は結構なにぎわいを見せていた。
よく見ると、人間ではない種族も交ざっているようだ。
ケモノミミの男性、しっぽのある子ども、耳の尖った女性もいる。
エ、エルフだ、エルフ。
あまりジロジロと見るわけにもいかないので、商品を見る振りを
しながら、こっそり覗いた。
166
ジェリカ・ハートマ ♀ 37歳
剣士Lv46
人間以外だと、男、女ではなく、♂♀になるようだ。
顔はかなりの美人さん、胸も多分それなりにある。年齢は37歳
ということだが、まだ二十代にしか見えない。
と。店の人らしい商人がやってくる。
捕まる前に逃げ出した。
基本的には人間が多いようだが、他の種族も違和感なく馴染んで
いる。
さすがは異世界だ。
市を冷やかしながら歩いた。
相場を見てみたいが、値札が張られてないので分からない。
客と商人の会話も、半分以上はブラヒム語ではないので聞き取れ
ないし。
見た目ニンジンのあの果物も売っていたが、値段は分からなかっ
た。
市を抜け、奴隷商の館へ向かう。
﹁ちょっといいか﹂
﹁あ、先ほどの﹂
前と同じ、見習いらしい若い男が飛び出してきた。
167
﹁主人のアラン殿にお会いしたい﹂
﹁それでは、中に入って少々お待ちいただけますか﹂
館の中に通され、入り口横の部屋に案内された。
さっきとは異なる応対だ。
売りに来たときとは違って客扱いということか。
部屋には絨毯が敷かれ、壁に高そうな絵が飾られており、ソファ
ーではないが高級そうなイスとテーブルが置かれている。
いかにも上客のための待合室という風情だ。
﹁ミチオ様、お待ち申し上げておりました﹂
奴隷商人はすぐにやって来た。
まだイスにも座っていないのに。
﹁うむ﹂
﹁それでは、こちらへどうぞ﹂
主人自ら案内する。
もっとも、案内されたのはさっきと同じ部屋だった。
﹁先ほどは迷宮があると言っていたが、どこにあるのだ﹂
奴隷商人から営業を受ける前に、聞きたいことは雑談として訊い
てしまおう。
﹁この町の西側、森に入ってすぐのところでございます。おかけく
ださい﹂
168
﹁西というと、来た方向とはちょうど反対だな﹂
太陽を背に進んできたので、ベイルの町には東から入ったはずだ。
ソファーに腰かけると、使用人が俺と奴隷商人に飲み物を持って
きた。
使用人というか、メイド?
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv6
白いエプロン部分と広がったロングスカートが特徴の紺のワンピ
ースを着ている。
メイド服だ。この世界にもメイドがいるらしい。
顔は、
⋮⋮。
美人。
ものすごい美人である。
女優やアイドルでもなかなかここまではいないというくらいに美
しい。
いやすごい。この世界の美人は地球より上だ。
華麗な唇に、魅惑的なとび色の瞳。髪はそれよりも濃い鮮やかな
栗色だ。三角巾みたいな白い帽子をつけていた。
169
﹁どうぞ﹂
その美人さんが俺の前に飲み物の入ったカップを置く。
置くときに胸がたゆんと揺れたよ。
すごすぎです。
﹁あ、ありがとうございます﹂
素で答えちまった。
この世界の衣服はゆったりとしただぶだぶのものが多いようだ。
女性の胸の大きさは結構分かりにくい。
このメイド服も、前かけのエプロン部分も相まって、かなりゆっ
たりしている。
しかし揺れた。
確かに揺れた。
俺の目が、胸元の揺れを観測した。
あの揺れだと中身は相当のものだろう。
﹁迷宮は二日前に入り口が見つかったばかりなので、まだ殺すには
時間がかかると思います﹂
﹁そうか﹂
奴隷商人の話など耳に入っていない。
いや、だって美人の上にあの胸ですよ。
身長は俺と同じか少し低いくらい。多分百六十ちょっとか。
服からの露出はほとんどないが、手や顔を見るに、決して太って
はいないだろう。
170
それなのにあの揺れなのか。
♀と出たからにはロクサーヌは人間以外の種族なのだろう。
耳は、帽子と髪の毛で見えない。
ロクサーヌが奴隷商人の前にもカップを置く。
﹁どうぞ、お飲みください﹂
﹁⋮⋮悪いな﹂
いまさらだが。
奴隷商人に勧められてカップを手に取る。
何かのハーブティーみたいなものだろう。
俺はゆっくりと口につけた。
ロクサーヌがお辞儀をして部屋を出て行く。
﹁お気に召していただけたようで﹂
﹁え゛ぁ﹂
かろうじて、口の中のものを吐き出さずに抑えた。
﹁なによりのことでございました﹂
﹁⋮⋮わ、悪くない飲み物だ﹂
﹁もちろん、彼女のことでございます﹂
やっぱりそうか。
﹁彼女は?﹂
171
﹁今うちで持っている中でお客様にもっともお薦めの奴隷でござい
ます﹂
うん。
まあそうなんだろう。
奴隷商人が普通の使用人や見合い相手を薦めてくるはずはない。
そうか。
ロクサーヌは奴隷なのか。
﹁⋮⋮そういえば、冒険者なら奴隷を買うとのことだが﹂
話をごまかした。
ロクサーヌを買えるのか?
あんなに綺麗な女性を。
﹁そうですね。どこから説明いたしましょうか。ミチオ様もパーテ
ィーを組んだことはおありになるでしょう﹂
﹁ああ﹂
ほんとはないが、当たり前のことのように言ってくるので、ある
ことにする。
あの美人のロクサーヌが買える?
頭に血が上ってくるのを感じる。
俺の顔は今赤くなっていないだろうか。
いかん。落ち着け。
奴隷だからといって、何も自由にできるとは限らない。
172
﹁パーティーを組めば、より効率よく狩りを行うことができます。
ミチオ様のようにソロやコンビの冒険者のかたもおられますが、六
人全員をそろえた方が有利です﹂
﹁そうだな﹂
パーティーメンバーは六人までらしい。
とはいえ、二十四時間一緒にいれば。
少なくとも添い寝させるくらいのことはできるはずだ。
ロクサーヌと添い寝⋮⋮。
﹁しかし、六人をそろえることにも問題があります。迷宮は一攫千
金が狙える場所です。その分配はどうなるでしょう。白金貨が出た
ら。あるいは、魔物が非常に高く売れるアイテムを残したら?﹂
金貨の上に白金貨というのもあるのか。
そんなものが出れば当然、ロクサーヌを買う。いや。
どうなるのかというと、高価なアイテムが出たら独り占めしよう
とするやつが出てくるだろう。
﹁もめると?﹂
﹁価値のあるものであれば、犯罪に走る者も出てくるでしょう﹂
﹁なるほど﹂
あの美しいロクサーヌが買える。
いや、うざい。
うざいが、頭の中はそれでいっぱいだ。
あれほど綺麗な女性だったのだ。
173
俺が今までに見たことがないほどの。
その彼女を買う、俺のものにできると言われれば、心がざわめか
ないはずがない。
﹁もちろんパーティーメンバーはよほど信頼の置ける人物でなけれ
ばなりません。あるいはミチオ様のように、師匠と弟子というほど
明確な力量差があれば、問題を防げるかもしれません。しかし多く
の場合、それでも起きてしまうのがパーティー内でのもめごとでご
ざいます﹂
ロクサーヌのことは必死に頭の隅に追いやって考える。
ゲームの中なら、パーティー内でもめごとが起こってもおおごと
にはならない。
ゲームキャラならば変なことはしないし、人間同士でプレイする
ネットゲームであってもシステム的にできることには限界がある。
それが現実の中ならばどうか。
どこまでいっても結局は他人であるパーティーメンバー。そのパ
ーティーメンバーと顔をあわせて実際一緒に迷宮に入る現実。その
中に、超高価なお宝が投げ込まれれば。
﹁例えば、迷宮の中で後ろから一突きということも?﹂
﹁ありえます﹂
やっぱりあるのか。
やっぱりロクサーヌを買うのか?
﹁そうか﹂
﹁そこで使われるのが、奴隷でございます。パーティーメンバーが
174
奴隷ならば、迷宮で見つけたものはすべて主人のものになります﹂
奴隷ならばもめることはない、と。
奴隷のものは俺のもの、俺のものも俺のもの、のジャイアニズム
か。
ロクサーヌも俺のものにしたい。
﹁奴隷が後ろから刺すとか﹂
﹁それはございません。所有者が亡くなった場合、基本的に奴隷も
殉死します﹂
﹁し⋮⋮死ぬのか?﹂
ロクサーヌが誰かに買われてそいつが死んだら、ロクサーヌも死
ぬのか?
﹁まあ、たいていの場合は遺言を用意します。奴隷を誰かに相続さ
せたり、よく働いてくれた奴隷の場合には遺言で解放することもご
ざいます﹂
﹁なるほど﹂
俺が死んだらロクサーヌも解放してあげたい。
﹁しかし迷宮で殺されるような場合には遺言を用意しているひまが
ありません。従って、奴隷がそのような行為に及ぶ可能性はほとん
ど考えなくてよろしいかと存じます﹂
﹁殺せないなら、逃げるとか﹂
﹁そうですね。よほどひどいところなら、逃げることもありえます
が。奴隷が逃げ出しても元のところよりよい生活を送れる可能性は
かなり小さいでしょう。奴隷ならば、主人が食事や寝る場所を用意
する義務もございます﹂
175
俺もロクサーヌに食事と寝る場所を提供したい。
特に寝るところを。
いかん。
さっきから頭の中がこればっかだ。
﹁しかし、一生遊べるほどのお宝があれば﹂
﹁逃亡奴隷は盗賊に落とされます。奴隷を殺せば罪になりますが、
盗賊を殺せば持っているものを合法的に自分のものにできます。よ
ほどの準備がなければ、こっぴどく買い叩かれるのが関の山でしょ
う﹂
盗賊から親切にものを買い取るやつはいないということか。
盗賊って、奴隷よりも下のような。
ロクサーヌより下なのは間違いないが。
﹁それなら逃げる可能性も小さいか﹂
﹁はい。ですから、冒険者は奴隷を買われるかたが多いのでござい
ます﹂
﹁分かった﹂
よほど信頼できるものでないとパーティーが組めないというのは
問題だ。
俺は地球からやってきて一人きり。この世界の常識も知らないし、
そこまでの仲間を見つけることは難しいだろう。
ダンジョンにこもる以外に生活の糧を見つけられるのか。
ロクサーヌを買わなければ、いつまでもソロプレイということに
なる。
176
いや、ロクサーヌじゃなくてもいいが。
でも美人だったよな。
﹁先ほどの彼女は獣戦士でございます。パーティメンバーとしてす
ぐにでもお役に立ちましょう﹂
奴隷商人がロクサーヌを薦めてくる。
﹁獣戦士⋮⋮﹂
﹁お分かりになられたでしょうか、彼女は狼人族でございます。獣
戦士は狼人族のみが就けるジョブでございます﹂
﹁うむ﹂
ロクサーヌは鑑定で♀だったからな。
﹁お客様は奴隷をお買いになられたことは﹂
﹁いや。ないな﹂
﹁彼女は当家で今お売りできる中でも一、二を争う美人でございま
す。聡明で性格もよく、お客様が初めて買われる奴隷にはぴったり
かと存じます。しかも狼人族の獣戦士。狼人族というのがまた、お
客様に彼女をお薦めできる理由でございます﹂
奴隷商人がグイグイ押してくる。
何かデメリットがあるはずだ。
営業トークに流されてはいけない。
いや。ロクサーヌは素晴らしい。
非の打ちどころのあろうはずはない。あろうはずはないが。
177
﹁狼人族が薦められる理由とは﹂
﹁お客様は、エルフは長寿だという話を聞いたことがございますで
しょうか﹂
﹁ああ﹂
それはよくある。
この世界でもやっぱりそうなのか。
﹁それは都市伝説でございます﹂
﹁え?﹂
﹁エルフも、人も、獣人も、知的生命の寿命はみな一緒でございま
す。それでもエルフが長寿だとされるのは、エルフの多くがみな若
々しいからでございます﹂
﹁なるほど﹂
町で見たエルフの女性は鑑定だと三十七歳だったのに二十歳そこ
そこに見えた。
顔はロクサーヌの方が美人だ。彼女もかなりの美人ではあったが。
胸はロクサーヌの方が大きい。
﹁人と他の種族とでは、老化するポイント、あるいは老化を見分け
るポイントが違うのです。例えば二歳の犬と八歳の犬を見て、八歳
の犬が老化しているとは人はあまり感じません﹂
﹁確かに﹂
﹁六十、七十ともなれば獣人も人の目から見て分かるほどに老化し
ますが、四十、五十ではまだ若々しいままです。狼人族の彼女は、
人であるお客様から見て、いつまでも若く美しくあり続けるでしょ
う﹂
﹁そうなのか﹂
178
ロクサーヌも若いままなのか。
ロクサーヌは俺より一つ下だった。
五十歳のロクサーヌから見て、五十一歳の俺は若々しく見えるの
だろうか。
﹁それに、人以外の種族であることはお客様から見てもう一つメリ
ットがございます﹂
﹁それは?﹂
﹁人は他種族の女性との間に子をもうけることができません﹂
﹁それは⋮⋮﹂
やりたい放題ってことですか。
この世界に近藤武蔵さんがいるとも思えないし。
ロクサーヌと⋮⋮た、たまらんッ。
﹁もちろん、彼女は処女でございます﹂
そうなのか。
ロクサーヌが。
﹁処女の奴隷は価値が違うのか?﹂
﹁処女であれば病気の心配がございません。この町にも娼館がござ
いますが、お客様が娼館に行くことはお勧めできません﹂
ダメだしされちゃったよ。
この世界にも性病があるのか。
抗菌剤なんかは、もちろんないだろうしな。
調査は諦めざるをえまい。
179
﹁了解した﹂
﹁それに、彼女は性奴隷となることを了承した奴隷でございます﹂
﹁なっ﹂
ロクサーヌが性奴隷⋮⋮。
﹁彼女の場合、所有者の夜伽の相手となることを明示的に了承して
おります﹂
﹁⋮⋮ふむ﹂
なんだそういうことか。
ロクサーヌが亀の甲羅状になっている姿を想像してしまったでは
ないか。
それはそれでたまらん。
﹁もちろん実際のところ、若い女性であれば、どの奴隷であっても
違いはございませんが﹂
﹁そうであろうな﹂
この世界でも、若い女奴隷を買うなら目的は一つらしい。
俺だけがおかしいというはなかった。
﹁しかし、お客様のようなかたの場合には意味が出てくるかと存じ
ます﹂
﹁何故﹂
﹁お客様は奴隷に手を出すことに心理的な葛藤がおありでしょう﹂
ロクサーヌに手を出す、ことには葛藤はないが、奴隷として考え
ると微妙だよな。
金で無理矢理いうことを聞かせるというのは。
180
﹁まあ、そうだな﹂
﹁初めて奴隷を手にされるお若いかたというのはえてしてそうなの
です。そして、奴隷の中にはそれを逆手に取るものもおります。思
わせぶりな態度を示して、いつまでも体を許しません。初めから性
奴隷であることを了承している彼女なら、そのようなことにはなら
ないでしょう﹂
﹁なるほど﹂
﹁最後にもう一つ、彼女はブラヒム語を話すことができます﹂
﹁そういえば﹂
どうぞと言われてありがとうございますと答えてしまった。日本
人な俺。
あの揺れを見て動揺した。
あれはすごかった。是非また見たい。
﹁以上が、私がお客様に彼女をお薦めする理由でございます﹂
奴隷商人の営業トークが終了した。
181
売約
ロクサーヌ。
奴隷商の館で現れた狼人族の女性だ。
今までに見たこともないような美人。吸い込まれそうなとび色の
瞳が麗しかった。
そんなロクサーヌを買えるのか?
カップを置こうと目の前で小さくかがんだときに胸元が揺れてい
た。
あの胸が俺の自由に?
彼女をものにできることは嬉しい。
嬉しいが、奴隷を買うというのは正直微妙だ。
しかし、俺が買わなければ誰か他のやつが買うことになる。
もちろん性奴隷として。
それは許せん。
俺はまあ、この世界に奴隷制度があることを否定しようとは思わ
ない。
社会制度を変えるなんて無理だ。
現在の地球にだって、公的な奴隷制度こそなくなったものの、人
身売買、臓器売買、児童買春といった問題はある。
俺よりものを知っているはずの地球の大人たちが解決できない問
182
題を、地球では高校生だった俺にこの異世界で解決できる道理はな
い。
地球の先進国ほどにこの異世界を豊かにすることができれば奴隷
制度はなくなるかもしれないが、地球でだって貧困問題は解決して
いないのだから、一緒のことだ。
コンピューターとか飛行機とか太陽電池の原理や製造方法を知っ
ているわけもなく。
最初の村がそうであったように、この世界では奴隷制度が司法と
結びついている。
奴隷制度だけをなくして万事解決というわけにはいかない。
少なくとも刑務所を建てる必要があるだろうことくらいは俺にも
分かる。
刑務所を建てるには税金がいる。税金を上げようとすれば、官僚
機構を整備し、官僚を育成するには教育制度が必要で、あるいは整
備された官僚が何をしでかすか、と問題はどんどん広がっていく。
他にもどんな結びつきがあるか分かったものではない。
俺はこの異世界で、社会変革者になるつもりも、奴隷制度を否定
するつもりもなかった。
だからといって、奴隷を買うことが許されるだろうか?
とはいえ、もう奴隷を売ってしまったわけだが。
ロクサーヌ。
あの美しい顔を思い出す。
183
ロクサーヌを買いますか?
はい いいえ
いやいやいや。
ロクサーヌを買いますか?
はい いいえ
もちろん、いいえを選ぶことはできない。
カーソルは、はいから動かない。
フリーズしたままだ。
ロクサーヌを買いますか?
はい いいえ
考えてもみるがいい。
俺はティリヒさんにも美人騎士にも相手にしてもらえなかった。
イケメン限定で起こるような美味しい話が俺に降りかかることは
ない。
つまりまあ、そういうことなのだ。
﹁性奴隷だと、高いのではないか﹂
184
せめてもの抵抗として、奴隷商人に訊いてみる。
﹁いいえ。ほとんど変わりません﹂
﹁何故﹂
普通に考えたら、性奴隷だと高いのではないだろうか。
﹁相場というものがございます。若い女性であれば、性奴隷であろ
うとなかろうと、実質的に職務の違いはありません。同じ仕事を求
めるなら、値段は同じところに落ち着きます﹂
﹁性奴隷でない若い女性奴隷も性奴隷と同じ仕事をすると?﹂
奴隷商人は、はっきりとうなずき、話を続けた。
﹁戦闘能力や仕事をする能力でいえば、男性も女性と同等かそれ以
上の力を持っているでしょう。しかし、働き盛りの成人男性の奴隷
でも売値は十二万ナールほどが相場。若い女性であればこの倍以上、
美貌によってはさらに値が大きく上昇いたします。これはそういう
ことなのです﹂
単に働かせるだけなら、男性の奴隷も女性の奴隷も値段に大差は
ないはずだ。
しかし実際には若くて美しい女性奴隷の値段は高い。
もちろん、そういう需要が大きいからだ。買った奴隷をショーウ
インドウに飾っておくようなことはすまい。
性奴隷もそうでない奴隷もさせることは一緒。
であれば、値段は変わらないと。
奴隷商人の話がだんだん核心に近づいてきた。
185
おそらく、これ以上話を訊くならアレがいるだろう。
アレを設定するということは買うことを認めるということだ。
しかし、買わないと決めたわけでもない。アレを設定せずに話を
進めるわけにはいかない。
俺は、キャラクター再設定と念じた。
値引交渉にチェックを入れる。
値引交渉が十パーセント値引に変化した。
やっぱりこのパターンか。
買取価格三十パーセント上昇をはずし、三十パーセント値引まで
ゲットする。
値引のスキルも、買取価格上昇と同じく六段階、三十パーセント
値引で終了し、かすれ文字になった。
﹁彼女ならば高いのではないか﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
奴隷商人の顔がほころぶ。
こちらの買う気を見て取ったか。
﹁うむ﹂
﹁ズバリ、六十万ナールほどが相場でございます。先ほどの衣装も
おつけして、ここまでお勧めしたのですから、四十二万二千八百ナ
ールでお譲りいたしましょう﹂
奴隷商人が意気込んで告げてきた。
その言葉に、俺は大きく息を吐き出す。
186
四十二万ナールか。
買える値段ではない。
買える値段だったら、飛びついたかもしれない。飛びついただろ
う。飛びつかずしてなんとする。
ロクサーヌのとび色の瞳は魅惑的だ。そこまでの価値がある。
しかし、俺は金貨を三十三枚しか持っていない。
倫理とか俺の感情とかは関係ない。
ない袖は振れない。
﹁残念ながら、俺には手が出んな﹂
﹁さようでございますか﹂
さほど残念でもない風に、商人が答えた。
俺は残念だけどな。
﹁仕方ないな﹂
﹁それでは、当家にいる他の奴隷も見ていかれてはいかがでござい
ましょう﹂
なるほど。
最初に一番綺麗な女性を見せてこちらの買う気を高め、安いブス
を売りさばく策略か。
AV女優が働いているとされる風俗店なんかでは、彼女の名前を
出して客を集め、店に行くと急に都合が悪くなったとかいって、別
の女性をあてがったりするという。
俺は風俗に行ったことはないが、ネットに載っていた騙しのテク
ニックだ。
187
それと同じような策略。しかし今の場合、別に騙されたわけでも
ない。
単に俺が買えなかっただけだから。
いいだろう。乗ってやる。
﹁うむ。それもよかろう﹂
﹁ありがとうございます﹂
奴隷商人は頭を下げると、俺を別の場所へと案内した。
建物の一番奥に行き、階段で三階に上がる。狭く、急な階段だ。
﹁いらっしゃいませ﹂
三階にはおばさんがいた。
階段のそばは小さなフロアしかなく、左右に二つのドアがある。
﹁整列させよ﹂
﹁かしこまりました﹂
おばさんが持っていた鍵で左のドアを開け、奥に消える。
﹁三階は女性奴隷の部屋となっております。基本的に、この階の管
理はすべて女性従業員が行っております﹂
﹁うむ﹂
﹁処女の確認も、彼女らが行っております﹂
立ったまま奴隷商人が説明した。
男にやらせているわけではないということか。
188
隣の部屋からおばさんの声が響いてくる。
やがて、物音が収まり、おばさんが戻ってきた。
﹁準備できましてございます﹂
﹁お客様、こちらへどうぞ﹂
奴隷商人が俺を部屋へと案内する。
部屋には大勢の女性が横一列に並んでいた。
特に、臭いとかぼろを着ているとかガリガリで栄養状態が悪いと
かはないようだ。
まあ商品だからな。
管理はしっかりしているのだろう。
﹁彼女らが﹂
﹁はい。どうぞ奥まで進み、ご覧になってください﹂
﹁うむ﹂
俺は一人一人見ながら女性奴隷の目の前を進む。
奴隷を見せるときには裸にするんじゃないのかと思ったが、そん
なことはなかった。
まだ買うと決めたわけではないからか。
向こうもこっちを見ているので緊張する。
しかし恥ずかしさはない。
というか、彼女たちは見ているといっても、見るというよりはぼ
んやり眺めている感じだ。
買われる奴隷が所有者候補を見る目はこんなものなのか。
189
奴隷を買うということの意味を実感する。
しかし、彼女たちだって少しでもよい主人に買われた方がいいだ
ろうに。
キラキラした目で見てほしいとはいわないが、もう少し何かあっ
てもいいんじゃないだろうか。
﹁ここでは食事もきちんと取らせております。商品でございますか
ら。彼女たちが前にいた場所よりも、よほどよいところでございま
しょう﹂
俺の疑問を感じ取ったのか、奴隷商人が後ろから説明してきた。
﹁なるほど﹂
この場所の居心地は悪くないということか。
やらされる仕事もないだろうしな。
奴隷に売られるくらいならば、いつまでもこの場所にいたいのだ
ろう。
最初の女性は、やる気なさそうな目で前を眺めていた。
俺のことなどまったく無関心だ。
次の女性なんかは絶対ふてくされているよな。
普通、あれを買おうとは思わないんじゃ。
﹁売れ残るということがどういうことか、言い聞かせてはいるので
すが。なかなか分かってはくれません﹂
﹁うむ﹂
190
それは俺も分かりたくはない。
ただ飯を食われても奴隷商人は困るだけだ。
売れ残れば、値段を下げ、条件の悪いところに押し込もうとする
だろう。
次の女性は、目は死んでいないが、顔のつくりが。
その次は、⋮⋮うん、ないな。
次のこの女性は、まずまずか。
女、27歳、村人。さすがに年上すぎ。
次の子もちょっと可愛い。
でも胸はない。
もう一人、その先に可愛い子がいる。
まあ可愛いのだろう。可愛いのだろう、が。
最後まで進んだ。
確かに若い女性奴隷だけのことはある。可愛い子も何人かはいた。
悪くはないかもしれない。
最初にロクサーヌを見ていなければ。
ロクサーヌが美人すぎるため、彼女と比較して、どうしても劣っ
たものと見てしまう。
奴隷商人の策略は失敗だな。
初めにブスを出して、後から美人を見せるべきだったのだ。
並んだ女性をもう一度見ながら、先頭に戻った。
191
奴隷商人と二人、部屋を出る。
部屋の外に、ロクサーヌともう一人おばさんがいた。
給仕から戻ったところか。
やっぱり綺麗だなあ。
ロクサーヌが頭を下げる。
あ、イヌミミだ。イヌミミ。
着替えて帽子もとっていたので、特徴のある耳がはっきり見えた。
大きくてフニャンと垂れている。ゴールデンレトリーバーみたい
なたれ耳だ。
よく注意して見ないと、髪の毛に隠れて分かりにくい。
﹁いかがでしょうか﹂
奴隷商人が尋ねてきた。
﹁やはり彼女を見てしまうとな。残念だが﹂
﹁さようでございますか。お客様はおまえを気に入られたようだ﹂
奴隷商人がロクサーヌに告げる。
﹁⋮⋮﹂
ロクサーヌは一度無言で俺を見た。
俺と目が合うと、うつむくようにして視線をそらせる。
困ったような、はにかんだような。
なに、今の。
メッチャ可愛い。
192
でもまあ、無理なものは無理だ。
先立つものがない。
人間諦めが肝心である。
﹁いかがでございましょう。十日ほどなれば、お待ちできますが﹂
﹁は?﹂
﹁市は五日に一度開かれます。五日ではさすがに準備するにも短す
ぎるでしょう。ですので、次の次の市が開かれる十日後までお待ち
します。その間に、必要なものをご用意ください﹂
奴隷商人は勝手に話を進めた。
最高級品を見せて、普及品を見せて、やっぱり最初の高級品がよ
かったと思わせる策略だったのか。
油断した。
﹁あ、い、いや⋮⋮﹂
﹁お客様はおまえのことをお求めでいらっしゃるが、急なことで持
ち合わせが足りないのだ。なので、契約まで十日待つ﹂
ロクサーヌにも宣言する。
﹁ありがとうございます﹂
ロクサーヌが頭を下げた。
なに、この連携プレイ。
こうなればもう断ることなど不可能だ。
ひょっとして奴隷商人とぐるだったのではないかとも思えるが、
193
そうだったとしても、それが悪いわけではない。
これだけの美人が手に入るのだから。
そもそも、ロクサーヌと奴隷商人がぐるだったとして、どうやっ
て俺を騙すのか。
奴隷商人は彼女が処女であると明言している。おそらく変な女で
はないだろうし、複数の客に売るのも難しいだろう。
後から取り戻すとしても、奴隷商人の説明が嘘でなければ、俺が
死ねばロクサーヌも死ぬことになる。
あるとすれば、金を用意させて殺して奪うくらいか。
単にロクサーヌを売るために奴隷商人とロクサーヌが手を組んだ
のなら、俺としては困ることは何もない。
﹁用意できるとは確約できんが﹂
﹁そうなれば新しい売り先を探すだけです。彼女の美しさです。す
ぐにも見つかりましょう﹂
﹁十日の間に、彼女にはもっと条件のいい客が現れるだろう﹂
せめてもの抵抗を試みる。
﹁そのようなことはお客様が気になさることではございません﹂
﹁彼女にとってもいい客が現れたらその方がよいのではないか﹂
﹁私なら、お待ち申し上げております﹂
え? なにこの商売上手。
なんで売り込んでくるの?
ロクサーヌが俺を見てニッコリと微笑んだ。
流麗な唇の隙間から、白い歯が覗く。
194
美しい。
超絶して美しい。
﹁では、彼女は売却済みの部屋に移してくれ﹂
奴隷商人がおばさんに命じた。
ゲームセットです。
﹁はい。それでは、こっちへ﹂
おばさんは、俺たちが見てきた部屋とは階段を挟んで反対の方に
ロクサーヌを導く。
﹁はい。あの、よろしくお願いします﹂
ロクサーヌは三度俺に頭を下げた。
イヌミミが揺れる。
うん。
もういいや。ゲームセットでも何でも。
﹁まいりましょうか﹂
奴隷商人が階段を下り始めた。
195
ベイル亭
﹁本当に資金を用意できるとは限らんが﹂
奴隷商人の後を追って階段を下りる。
﹁そのようなことにはならないでしょう。盗賊を倒したと聞きまし
た。ならば昨日今日だけで二十万ナールや三十万ナールの収入があ
ったはずでございます﹂
奴隷商人はこちらの懐具合をかなり正確に見積もっているようだ。
四十二万ナールというのも、それを見越しての価格だろうか。
たとえそうであったとしても、一品ものであれば相手の言い値に
従うしかない。
しかし奴隷商人の知らないことがある。
おととい以前の俺は、この世界のお金など一ナールも持っていな
かったのだ。
﹁それを含めても、足りないのだが﹂
﹁きっと大丈夫でございますよ﹂
その自信がどこからくるのか。
俺は奴隷商人の後ろについて先ほどの部屋に戻った。
196
この世界で俺が金を稼ぐ方法は、今のところ二つある。
一つは、地味にダンジョンにこもることだ。
ドロップアイテムが一個百ナールで売れるとすれば、一日に百個
集めれば金貨一枚。十日で十万ナールになる。
正直、ちょっと厳しいか。
兎の毛皮が二十ナールだったし、平均百ナールは楽観的な数字だ
ろう。
一日に百匹狩れるかどうかも分からない。百匹狩ったらドロップ
アイテムが百個になるかどうかも分からないが。
今まで狩った魔物は一個ずつアイテムを残したが、全部同じだと
は限らないだろう。
強い魔物なら落とすアイテムに希少価値がつくだろうが、その強
い魔物を俺が相手にできるかどうかも分からないし。
もう一つの手段は、盗賊を殺して賞金を得ることだ。
盗賊二人の懸賞金が十六万いくらなのだから、同程度稼ぐくらい
でいい。
奴隷商人の自信も、ここからきているのだろうか。
心理的な抵抗は、ある。
村で戦ったときには、ゲームだと思っていたし、正当防衛という
大義名分もあった。
金のために、必ずしも食うに困っているわけでもないのに、人を
殺す、というのはどうなんだろう。
十日の間に都合よく盗賊が見つかるかという問題もある。
この二つ以外だと、地球の知識を使う、鑑定を使う、今あるお金
を元手に増やす、といった方策が考えられるが、具体的なやり方は
197
思い浮かばない。
何か思いつくかもしれないが、十日という短期間では難しいだろ
う。
﹁迷宮に入れば、金を稼げるか?﹂
ソファーに座ってすぐ、奴隷商人に問いかける。
不審がられない程度に情報収集をしなければならない。
﹁あまり多くはありませんが堅実にお金を稼ぐことができますし、
一攫千金も狙えます﹂
﹁うむ﹂
まあそうなんだろう。
あまり多くはないと言うのだから、やはり通常のドロップだけで
稼ぐのは厳しいか。
﹁アイテムは探索者ギルドか冒険者ギルドで買い取ってもらえます。
特別に必要としている者があれば、もっと高く買い取ってもらうこ
ともできます﹂
﹁ギルドか﹂
﹁探索者ギルドは、前の道を大通りに出て向こう側、右へ二番目の
黄色い看板の建物でございます。冒険者ギルドは、町の中心を挟ん
で反対、西側にあります。探索者ギルドとは仲が悪いので﹂
冒険者ギルドと探索者ギルドは仲が悪いと。
探索者というジョブもあるのか。
﹁分かった﹂
198
﹁他には、賞金首を狙う手もあります﹂
奴隷商人の考えも、俺と似たものであるらしい。
﹁そうだろうな﹂
﹁あまりお勧めはしませんが、お金にはなるでしょう﹂
﹁駄目なのか?﹂
﹁そうですね。例えば、賞金稼ぎギルドは帝都にしかございません﹂
﹁賞金稼ぎ⋮⋮﹂
そんなジョブがあるのか。
俺はジョブ設定と念じる。
ものを盗んだときに盗賊になって、農作業をしたときに農夫のジ
ョブを得た。ならば、懸賞金をもらったときにあるいは。
と思ったが、何もなかった。
﹁賞金稼ぎになるには戦士として長い経験をつまなければならない
そうです﹂
﹁そうか﹂
思うに、ジョブ獲得条件があるのではないだろうか。
戦士Lv10とか。
﹁それだけの強さがあっても、すべてを守りきることはできません。
盗賊にとって賞金稼ぎは絶対に排除したい相手です。帝都以外に賞
金稼ぎギルドを建てても、すぐに壊されてしまうでしょう﹂
盗賊の立場からすれば、賞金稼ぎは憎らしい相手だろう。
そんな相手であれば、当然排除にかかる、と。
あるいは報復ということも考えられる。
199
すでに盗賊を殺している俺は大丈夫なんだろうか。
﹁あまり賞金を稼ぐと、狙われるか﹂
盗賊を倒すのを勧めないのは、人を殺すことが忌み嫌われている
からではないようだ。
殺す者は殺される。
この世界の単純なルールだろう。
﹁そういうことでございます。それに、賞金は、盗賊に親族を殺さ
れた者などが懸けたりしなければ、その危険性に比してあまり高い
ものではありません﹂
村で倒した盗賊の懸賞金がそのために特別高かったということも
考えられるのか。
いや、奴隷商人はその収入を正確に見積もっていたが。
いずれにしても、盗賊を倒すのは最後の手段だろう。
最初は迷宮で稼いだ方がいい。
﹁分かった。最後に一つ、しばらくこの町に留まりたいが、どこか
お勧めの宿はあるか。あまり高いところは困るが、安全で枕を高く
して寝られる場所でなければならん﹂
﹁町の中心にあるロータリーの南西側にあるベイル亭が、旅亭ギル
ドの経営している宿屋でございます﹂
﹁ふむ。そこへ行ってみよう﹂
旅亭ギルドというのが分からないが、ギルドが経営しているなら
安心なんだろう。
俺は立ち上がる。
200
方針も決まったし、いつまでもここにいる用はない。
﹁それでは、十日後までお待ちしております﹂
奴隷商人に見送られて建物を出た。
日はまだ高い。
この町の道路がきっちり東西南北に沿っているなら、やや西に移
動したところ。正午を少し過ぎたあたりか。
まずは大通りに出た。
道を渡って二軒右、探索者ギルドに入ってみる。
探索者Lv17
うん。探索者というジョブがあるようだ。
ギルドは、奥にカウンターがあり、田舎の郵便局みたいな感じに
なっていた。
道路側の壁になにやら貼ってある。
中にいる人は数人。一人は、カウンターに荷を置いていた。
﹁これを頼む﹂
﹁買取ですね﹂
カウンター越しに従業員が対応している。
聞き耳を立てながら、何か貼ってあるボードに向かった。
201
⋮⋮字が読めん。
なにやら書いてあるが、なんと書いてあるのか分からない。
インテリジェンスカードは漢字だったのだが、ここの文字は違う
ようだ。
探索者ギルドが特別なのか、インテリジェンスカードが特別なの
か。
﹁兄ちゃん、読めないのかい﹂
そんな俺に誰かが声をかけてきた。
俺と同じくらいの歳の女の子。
村人Lv2だ。同じくらいじゃなくて同い年だった。
﹁ああ﹂
﹁読んでやってもいいよ。六分十ナールだ﹂
なるほど。
識字率の低い世界では、こういうバイトもあるのだろう。
代読屋だ。
﹁頼むか﹂
リュックサックを下ろし、巾着袋から銅貨十枚を取り出す。
十ナールというのがどのくらいの値段かは分からないが。
三割引は効いてなさそうだ。 文字の読める人間に対する報酬だから、多少高いのかもしれない。
202
﹁こちらでございます﹂
カウンターでは奥の従業員が客に金を渡していた。
言葉だけでは、何をいくらで売ったのか分からない。結構気を使
っているようだ。
大金を渡せば狙われるおそれもあるだろうし。
俺は十ナールを女の子に渡した。
顔はそれなりに可愛い。胸は、例のだぼだぼの服のせいか、よく
分からない。
いずれにしてもロクサーヌの方が上だな。
﹁じゃあ、この時計が落ちるまでだよ。いいね﹂
彼女がベルトに着けられている砂時計を見せ、ひっくり返す。
意外にきっちりしているようだ。
まあ、あの砂時計が五分で落ちるものだったとしても驚かないが。
仮にそうだとして、文句を言っても、地球時間の五分はこの世界
の六分にあたる、とは返してくれないだろう。
﹁分かった﹂
﹁何か知りたい情報でもあるのか。それとも、売りたいものがある
のかい﹂
彼女が聞いてきた。
そんなことを言われても、このボードにどんな情報があるかも分
からないのだが。
203
﹁そうだな。兎の毛皮があるか﹂
﹁兎の毛皮だね﹂
彼女は腕を伸ばし、張り紙を順に追っていく。
﹁頼む﹂
﹁これだね。兎の毛皮、ソマーラの村のビッカー、ダシエル工房。
この二つだね﹂
彼女が指差した。
ソマーラの村のビッカーは昨日今日と世話になった商人だ。
村長も村の商人に売れと言ってきた。普段でも兎の毛皮の買取を
行っているのだろう。
ギルドに張り紙を出して、高く買い取ると宣伝しているわけだ。
どこをどう読めばソマーラの村のビッカーになるのだろう。
﹁買取価格は書いてないのか﹂
﹁値段はギルドの買取価格の二倍だよ﹂
そうなのか。
ギルドの買取価格は兎の毛皮一個十ナールということになる。
通常ドロップだけで稼ぐのは厳しそうだ。
﹁兎の肉はあるか﹂
﹁食材ならどこかの料理屋で買ってくれると思うけど。大量にある
のかい?﹂
﹁ああ﹂
なるほど。
204
食材は料理屋へ、か。
﹁兎の肉の依頼を出しているところはないみたいだね﹂
ボードを一通り確認して、彼女が振り返る。
一通りといっても四分の三ほどだ。
それらが、アイテムを買い取ることの告知となっているのだろう。
﹁買取の他にはどんな情報がある﹂
﹁こっちは探索者の求人、こっちは迷宮なんかの情報だ。この町の
近くで二日前に迷宮が出現した。知ってるだろう﹂
奴隷商人は見知らぬもの同士がパーティーを組むのは難しいとい
うようなことを言っていたが、募集もされているようだ。
ただし、条件は悪いのかもしれない。
﹁どんな求人があるんだ﹂
﹁どんなのがいいんだい?﹂
﹁最初のから読んでくれ﹂
﹁ネギルバ侯爵の騎士団、Lv70以上、主に運搬業務、委細面談。
これは年寄りがやる運搬の仕事だね﹂
なんだかよく分からん。
パーティーメンバーの募集というわけではないのか。
﹁次は﹂
﹁クストフ子爵の騎士団、運搬業務、十日で八百ナール。こんなん
ばっかりだよ﹂
﹁ふむ﹂
205
一日八十ナールか。
彼女の口ぶりからすると、あまりよい仕事でもなさそうだが。
﹁ダストニア男爵の戦士団、運搬業務、十日で千二百ナール、ただ
し食事はつかない﹂
﹁なるほどね﹂
下の方が給金が高いから、上のは賄いつきなんだろう。
食費は十日で四百ナール、一日四十ナールか。
つかない場合にわざわざ明記してあるところを見ると、この世界
では食事がつくのが標準なのかもしれない。 騎士団といっているから、詰め所や駐屯地での勤務になるのか。
食事つき住み込みの可能性もある。
上と下の張り紙を比較した。
同じ字が、運搬業務なのだと思うが。
これか。
なんだかよく分からん。
などと考えている間に、六分が経ってしまった。
﹁時間だよ。どうする。もういいかい﹂
砂時計の砂が落ち切ったようだ。
﹁ありがとう。参考になった﹂
﹁じゃあまたね﹂
206
彼女に手を振られ、ギルドから出る。
六分間文字を教わった方が有意義だったんじゃないかという気も
したが、商売の種なので、教えてくれるかどうかは分からない。
町の中心へ向かう。
南西と言っていたので、騎士団の詰め所の向こう側。
あの建物がそうか。
町のど真ん中にあるし、宿泊料も高いのではないかという気がす
る。
しかし安全には換えられない。
金貨三十三枚も持っている。変なところに泊まることはできない
だろう。
俺は宿屋の中に入った。
高級ではないがこざっぱりとした感じの宿だ。
ロビーなのかレストランなのか、テーブルがいくつも置かれてい
る。座っている人間は誰もいない。
客がいるような時間でもないのか。昼食のない世界では。
﹁いらっしゃい﹂
カウンターに向かうと、奥から声がかかった。
旅亭Lv28
207
旅亭というジョブがあるようだ。
出てきたのは三十代の男性、♂。俺が着ているのと同じようなラ
フな服装をしている。
どうやら、特別に高級なホテルということもなさそうだ。
値段的にその方がありがたい。
﹁長期滞在はできるか﹂
﹁迷宮に入るのかね﹂
﹁そうだ﹂
迷宮が見つかったから、迷宮目当てで来る客も増えるのだろう。
これからがオンシーズンということになる。
部屋は空いているのか。
﹁一人部屋がいいかい、雑居部屋かい﹂
﹁一人部屋で﹂
雑居部屋なんかがあるのか。
江戸時代の木賃宿並みだな。
文化レベルを考えればそんなものかもしれないが。
安全のためにも、他の客と相部屋というわけにはいかない。
﹁部屋のグレードはどうするね﹂
﹁普通のにしてくれ。高いのは困る﹂
﹁夕食はどうする。別で頼んでもいいが、含んでおくと割引になる﹂
﹁いくらだ﹂
﹁六十ナール。うちの食堂で夕食を頼むと、八十から百ナールはす
るぜ。まあ、安いとこを探すんならそれもいいが﹂
208
騎士団の食費一日四十ナールから考えると、微妙に高い。
ただ、食事の値段なんてピンからキリまであるだろうし、高い分
いいものなのだろうから、許容範囲内か。
日本から来た俺に、この世界で生きていくのにギリギリの食事が
耐えられるとも思えない。
安く食べられるところを探すのも大変だ。宿に戻ってくればそこ
で食事を取れるというのも利便性が高いだろう。
﹁それじゃあ夕食つきで﹂
﹁うちは旅亭ギルドの宿屋だ。インテリジェンスカードのチェック
をするけど、いいね﹂
﹁かまわない﹂
変な客が入り込まないようにするためのチェックか。
便利だな。
﹁そうか﹂
﹁ちなみに、泊まれないのは盗賊だけか﹂
﹁他に何がある﹂
﹁いや。まあそうだが﹂
奴隷でも貴族でもオッケーらしい。
﹁ああ。亜人なら山賊、獣人なら海賊になるな。後、残忍な行為を
積み重ねた盗賊は兇賊になるという噂だ。兇賊なんてお目にかかっ
たことはないがな。これらも一応駄目だ﹂
﹁なるほど﹂
盗賊にも上級職があるのか。
209
﹁一番安い一人部屋は二百六十ナール、夕食は六十ナールで、ええ
っと、ステイ利用だしお客さんのことだから一泊二百二十四ナール
でいい。料金は先払い、ただし、一日分からでかまわない﹂
二百六十足す六十で三百二十。サンシチニジュウイチのニシチジ
ュウシで二百二十四か。
三割引が効いている。
﹁分かった﹂
リュックサックを下ろし、巾着袋を出した。
﹁食事は入り口横の食堂で取ってくれ。朝食は宿泊代に含まれる。
正規には日の出三十分後から。通常はもう少し早くから食べられる。
夕食は夕方から、日没三十分後がラストオーダーだ。こっちは時間
通り。遅れたら食べられない。遅れないようにな。食堂の明かりは
日没後二時間しかつけない﹂
﹁了解だ﹂
銀貨四枚と銅貨四十八枚をカウンターに置く。
せこい気もするが、日数を指定できるなら、短く区切って様子を
見た方がいいだろう。
銅貨の数も減らしたいし。
巾着袋を丸ごと失ってしまう危険性もあるから、一日分くらいは
余計に払っておく。
旅亭の男が硬貨を数えた。
﹁二日分だな。受け取った。じゃあ腕を出してくれ﹂
﹁うむ﹂
210
﹁滔々流るる霊の意思、脈々息づく知の調べ、インテリジェンスカ
ード、オープン﹂
男の前に左手を伸ばす。
宿帳に記入させるよりも合理的だ。
﹁よいか﹂
﹁ああ。ミチオ・カガだな﹂
インテリジェンスカードには漢字で加賀道夫と書いてあるはずだ
が、苗字が先だと分かるんだろうか。
﹁そうだ﹂
﹁それじゃあ部屋に案内するので、きてくれ﹂
男がカウンターから出てきた。
俺のリュックサックを、持ってくれたりはしないようだ。
﹁うむ﹂
男の後をついていく。
階段を二つ登った。部屋は三階にあるらしい。 ﹁迷宮に入るなら、食材はうちで買い取れる。あまり多くても困る
が、メニューに載せるからある程度の量は必要だ﹂
﹁そうか﹂
﹁体を拭くお湯がほしい場合は、帰ってきたときに申し出てくれ。
お湯は二十ナール。夕食後に部屋まで持っていき、回収は朝に行う。
カンテラを使う場合は貸し賃が十ナールだ。大体一時間分の油が入
っている。油を自分で足してもいいが、火事は出さないようにして
211
くれよ﹂
﹁気をつけよう﹂
こまごまとした説明を聞いている間に到着したようだ。
男がドアの鍵を開ける。
﹁ここだ﹂
﹁ほう﹂
部屋は、十畳くらいはありそうな縦長長方形のワンルームだった。
入ってすぐ横にクローゼットと、その隣にベッド、ベッドの奥に
机とイスが一つ置いてある。イスの向こう側の壁には木窓がはめら
れていた。
悪くない部屋だろう。
村長宅のあの部屋は何だったのか。
タダだったとはいえ。
﹁クローゼットの下の棚は鍵がかかるようになっているし、うちは
遮蔽セメントも使っているが、貴重品を置いて出ないようにな。貴
重品の管理は自分でしっかりやってくれ。昼に一度、従業員が掃除
に入る。洗い物がある場合はそのときにでも係りの者と交渉してく
れればいい。外に出るときには、鍵を預けてくれ。ここの部屋番号
は三一一だ﹂
旅亭の男は鍵を見せるとクローゼットに置く。
﹁分かった﹂
﹁それじゃあ、ごゆっくり﹂
212
男が出て行った。
ベッドに腰かけてみる。
特別柔らかくもないが、硬くもない。
悪くないベッドだ。
リュックサックを下ろして、荷物を出した。
ジャージは部屋に置いといても大丈夫だろう。村長は貴重だと言
っていたが、盗まれて困るものでもない。
安かった皮の靴も同様。
リュックサックには、お金の入った巾着袋二つと、懸賞金が入っ
ていた小袋を一つ入れる。
どっちか迷って、銅の剣もクローゼットに入れた。
剣道をやっていたので両手剣の方が動きやすいだろうが、戦うと
きにはどうせデュランダルを出すし。
普段腰にぶら下げておくには軽いシミターの方が楽だ。
部屋の鍵も見てみる。
なにやら文字が書いてある。部屋番号だろう。
二つ並んでいるのが、一だろうか。
さて、ここでじっとしていてもしょうがない。
迷宮にでも行ってみるか。
俺は立ち上がってリュックサックを背負った。
213
探索者
鍵を預けて宿屋を出る。
市を冷やかした後、道なりに城門まで進んだ。
城門には、やはり門番も誰もいない。
門を出て、森の方へ進む。
迷宮があるのは森に入ってすぐだと言っていた。
畑の中を歩く。
森に入る直前、左側の木に黒い壁が出現した。
あれは何だ?
と思っていると、壁から人が出てくる。
冒険者Lv19
騎士Lv14
剣士Lv42
探索者Lv41
神官Lv39
214
魔法使いLv40
おおっ。魔法使いだ、魔法使い。
あれが移動魔法なんだろうか。
すごいな。
使ってみたい。
この六人はパーティーだろうか。
﹁こちらです﹂
﹁うむ﹂
冒険者が言うと、騎士がうなずき、森の中へと入っていった。
偉そうだな。
騎士が一番レベル低いのに。
六人が向かった方についていくと、道から少しはずれたところに、
土が盛り上がった小山があった。その山に、先ほどと同じような黒
い壁が張り付いている。
あれが迷宮の入り口だろうか。
山というより、土でできたかまくらという感じ。地下からその部
分だけがニョキニョキと顔を出したのだろうか。
入り口のそばに誰か一人立っている。
215
探索者Lv18
﹁どこまで進んでいる﹂
﹁まだ三階層です。出てきたばかりですから﹂
探索者二人が会話した。
質問したのが今来た探索者だ。
﹁どうしますか﹂
﹁一階層からでいいだろう﹂
探索者が騎士に伺い、騎士が指示を出す。
やはりあのパーティーでは騎士が一番偉いようだ。
六人は黒い壁に近づいていくと、そのまま中に消えた。
やはりあそこに入るのか。
俺も行くとするか。
キャラクター再設定と念じ、値引をゼロにして武器六をつける。
2ポイントあまっているボーナスポイントのうち1ポイントを、
詠唱短縮に振った。
スキルの呪文を戦いながら唱えることは難しい。
詠唱短縮にチェックを入れると、スキルが詠唱省略に変わる。
次が詠唱時間十パーセント短縮とかじゃなくてよかった。
もう1ポイントは、クリティカル率上昇にでも入れておくか。
216
クリティカル率上昇にチェックを入れると、スキルがクリティカ
ル率十パーセント上昇に変わる。
こっちは次が十パーセントか。多分最大に入れて三十パーセント
上昇。微妙な数値だ。
設定画面を終了した。
デュランダルを腰に差し、入り口に近づく。
なるべく無視するようにしたのが功を奏したのか、入り口そばに
いた探索者は別に何も言ってこなかった。
おっかなびっくり、黒い壁に入る。
ぶつかることなく中に進んだ。
一瞬だけ真っ暗な領域を通り、迷宮の中に出る。
出た場所は、小部屋風の洞窟、あるいは洞窟風の小部屋か。
四、五メートル四方はありそうな、正方形に近い小部屋だった。
明るくはないが、全体がぼんやりと光っている。
小部屋からは道が延びていた。
前に一本、右に一本、左にも一本。
後ろには黒い壁がある。
そこが出入り口であり、俺が入ってきた場所だろう。
小部屋から延びる道は、どこかのトンネルのような、薄暗い空間
だった。
幅は三メートルもないくらい。割と狭い。
217
薄暗いため、奥の方まで見通すこともできない。
前に進む道はすぐ先が十字路になっている。
結構複雑にできているようだ。
マッピングの準備もなんにもしていないが大丈夫だろうか。
というか、迷宮の中が真っ暗だったらどうするつもりだったんだ、
俺。
まああの六人も特に灯りは持っていなかったしな。
魔法使いが発光魔法を使えるのかもしれないが。
マッピングに関しては、とりあえず常に壁を左側において進むこ
とで対処しよう。
迷路を歩くとき、常に左右どちらか決まった方の壁に沿って進め
ば、迷うことはない。
小部屋から左側の道に入った。
左側の道は、すぐ先が二つに分岐しており、その向こうに左に折
れる道もあるようだ。
壁も床も割としっかりしている。
床を踏むと、踏まれた部分がぼんやりと発光した。
これなら明かりは必要ないだろう。
ただし、魔物に見つかりやすいだけのような気もする。
少し進むと、後ろから物音がした。
振り返ると、小部屋の壁が一部黒くなっており、そこから人が出
てきている。
騎士五人と探索者一人の六人パーティーだ。
218
六人は出入り口の黒い壁に入り消えていった。
やはりあの黒い壁が出口で間違いないようだ。
俺はジョブ設定と念じる。
迷宮に入ったことで、何か獲得したかもしれない。
探索者 Lv1
効果 体力小上昇
スキル アイテムボックス操作 パーティー編成 ダンジョンウォ
ーク
あった。
なるほど、探索者とは迷宮を探索する者なのか。
迷宮に入ることで獲得できるジョブなのだろう。
ジョブをいじってみるが、ファーストジョブには村人Lv3か盗
賊Lv3しか設定できない。
前のときと同じだ。これはおそらく、ボーナスポイントを使い切
っているからだろう。
インテリジェンスカードのことを考えれば、盗賊をファーストジ
ョブにはしない方がいい。
インテリジェンスカードに表示されるジョブはファーストジョブ
が反映されるみたいだから、ファーストジョブを盗賊にするとイン
テリジェンスカードを確認されたときに困ったことになる。
ファーストジョブは村人Lv3のままにする。
219
セカンドも効果の大きい英雄Lv1のままで。
サードジョブを探索者Lv1にセットした。
スキルを唱えてみる。
﹁アイテムボックスそ﹂
全部言う前に、手元に箱のようなものが現れた。
箱、もしくは箱の入り口。横から見ると、出入り口だけで奥行き
はないようだ。
これが空間魔法だろうか。
アイテムボックス操作と唱えようとしたら、途中で出てきてしま
った。
呪文が頭に浮かんでくるのではなく成功したのは詠唱短縮のおか
げだろう。
会話の中でアイテムボックスの話になったらどうなるのだろうか。
詠唱短縮の意外な弱点を発見した。
アイテムボックスの出現を念じないから、会話の中に言葉だけ出
てきても効果は発現しないのかもしれないが。
腰からシミターをはずして、入れてみる。
何事もなく奥まで入った。
手を離すと、入り口が消える。
もう一度アイテムボックスと唱えると、また箱が現れた。
箱の中にはシミターが入っている。
220
どうも見た感じ、シミター一本でアイテムボックスがいっぱいに
なってしまったような印象を受ける。
いろいろと試してみたいが、迷宮内で変な作業はしない方がいい
だろう。
魔物から不意打ちを喰らってはことだ。
手を離してアイテムボックスを閉じ、次のスキルを試してみる。
パーティー編成、は一人しかいないから関係ない。
﹁ダンジョンウォーク﹂
唱えると、頭の中で何か入力を求められるのが分かった。
どこに行きたいかについての情報だ。
最初に入ってきた小部屋を思い浮かべる。
洞窟の右の壁が黒く変色した。
黒い壁に入り、壁を抜ける。
出たところはさっきの小部屋だ。ダンジョンの出入り口となる黒
い壁もあった。
後ろにあった黒い壁は、俺が抜けるとすぐに元の壁に戻る。
なるほど。
思い起こせる場所なら、移動できるようだ。
スキルの名称的に、ダンジョン内だけだとは思うが。
いや。迷宮に入る前に森の入り口のところでも黒い壁を見た。
六人連れのパーティーが出てきた壁だ。
221
﹁ダンジョンウォーク﹂
森の木を思い浮かべながら、スキルを詠唱する。
目の前の壁は、黒くはなったが、入ることはできなかった。
やはりダンジョンの中でないと駄目なのか。
しかし、これで迷子になる心配はない。
マッピングも必要ないのかもしれない。
﹁ダンジョンウォーク﹂
もう一度スキルを唱え、さっきいたところに戻ることにする。
元の場所を思い浮かべながらスキルを詠唱し、目の前に現れた黒
い壁に入る⋮⋮ことができなかった。
また失敗?
何故。
MP不足か。
いや、違うな。黒い壁は現れた。
思うに、移動できる場所が限定されているのではないだろうか。
ここみたいな小部屋とか、または出入り口のあるところとかに。
仕方がないので、歩いて移動する。
次に試してみるのは、英雄のスキルであるオーバーホエルミング
だ。
しかし、俺はこのスキルを戦闘時に使用するものだとなんとなく
思い込んでいたが、正しいのだろうか。
考えてみれば根拠はない。
222
パッシブスキルで今までずうっと発動していた可能性も。
いや、ないか。詠唱呪文が必要だった。
先に進む。
迷宮の奥で何かが蠢いた。
ニードルウッド Lv1
近寄ると、茶色の体に緑の頭をつけた人型の魔物だ。
そんなに大きくないし、細い。
デュランダルでどこまで通じるか。
剣を抜いて駆け寄る。
﹁オーバーホエルミング﹂
掛け声とともに振り下ろし、左の肩口から袈裟切りにした。
茶色の体が倒れ伏す。
うむ。
一撃だ。
はたから見ると多分かっこいい、はず。
必殺技が決まった、ように見える、かもしれない。
最強の魔物をその技で屠った、と想像してみてほしい。
もちろん、一撃だったのはデュランダルのおかげだ。
何も起きなかった。
223
何も変わらなかった。
いや違う。
MPが足りない。
MP不足で発現しなかったのだろう。
オーバーホエルミングのスキルはLv1で習得しているのだから、
英雄Lv1のMPでも使えるはずだ。
スキルは覚えたけどMPが足りないので使えません、ということ
はない、と思いたい。
多分、ダンジョンウォークでMPを浪費しすぎたのだろう。二回
失敗したのが敗因だ。
ブランチ
ニードルウッドが消えると木の枝が残った。
アイテムボックスを出して入れようとしてみるが、やはり無理の
ようだ。
シミター一本でいっぱいになるアイテムボックス。
なんだ、これ。
しょうがないのでブランチはリュックサックに放り込む。
十センチもないような細い木の枝だ。薪にでもなるのだろうか。
どう見ても高く売れそうにはない。
次の獲物を求めて移動した。
デュランダルのMP吸収でMPも回復しているはずだが、念のた
224
めもう二匹くらい狩っておいた方がいいだろう。
MPがどれだけあるか把握できないのは不便だ。
ニードルウッド Lv1
現れた魔物に近づく。
近づくと、ニードルウッドは左の枝を振り上げ、こちらを攻撃す
るかまえを見せた。
しかし俺の攻撃の方が速い。
右肩から左の脇腹にかけて、一刀の元に斬り捨てる。
ニードルウッドが煙となって消え、ブランチが残った。
リュックサックに突っ込み、先に進む。
さらに一匹を屠り、次の分岐点を左に曲がった。
前に別のパーティーがいる。
全員でニードルウッドを囲み、ぼこっていた。
しょうがないので、この分岐はまっすぐ進む。
常に左側の壁に沿って進むのはここまでになってしまったが、大
丈夫だろう。
ダンジョンウォークがあれば最初の小部屋に戻れる。
次の四つ角も、開き直ってまっすぐに進んだ。
奥で何か蠢く。
225
ニードルウッド Lv1
やはり足元が微妙に光っているこちらは不利だ。
不意打ちを喰らわないように気をつけなければいけない。
魔物が視覚を頼りに動いているかどうかは知らないが。
﹁オーバーホエルミング﹂
魔物に駆け寄りながら、スキルを唱えた。
何も起こらない。
いや、違う。何かが変わった。
魔物の動きが遅くなる。
一瞬、ほんの一瞬、魔物の動きがスローモーション再生している
かのようにのろくなった。
俺はその間に魔物に近づく。
何もやりたくないというネガティブな思考が何故か浮かんでくる
が、それを押さえつけた。デュランダルを振り上げる。
魔物の動きが遅かったのはいつまでだったか。
いや、俺の動きが速かったのはいつまでだったか。
デュランダルを振り下ろし、まだこちらを攻撃する態勢に入って
いないニードルウッドを斬り捨てた。
魔物が煙となって消える。俺の気持ちも落ち着いた。
スキルの効果は、加速、時間延長、もしくは体感時間の緩慢化、
といったところだろうか。あるいはステータスの敏捷をアップさせ
226
ているだけかもしれない。 敵よりも速く動けるようになるなら、相当に使えるスキルだろう。
思考が落ち込み、また元に戻ったのはMPの関係か。
MPが残り少なくなると、気分が大きく落ち込むようだ。
スキルを唱えたときにMPをごっそりと持っていかれ、デュラン
ダルのMP吸収でいくらか回復したのだろう。
躁鬱の波がジェットコースターのように激しく上下した。
精神的にきつい。
繰り返したらほんとに病気になりそうだ。
MPに余裕ができるまでは、あまり頻繁には使わない方がいいだ
ろう。
気を落ち着かせ、自分の腕を見て鑑定と念じる。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv4 英雄Lv1 探索者Lv1
装備 デュランダル 皮の鎧 サンダルブーツ
レベルが上がっていた。村人だけ。
英雄と探索者のレベルは上がっていない。
ここまでニードルウッドを四匹倒した。
必要経験値五分の一×獲得経験値五倍が生きているなら、通常の
二十五倍、ニードルウッド百匹分の経験値を得ている計算になるは
ずだ。
227
結構レベルを上げるのは大変なのか。
この世界のレベルは、全般にあまり高くないような印象を受ける。
ゲームと違って、何十年もかけてコツコツとレベルを上げていく
のだろう。
百匹狩ってもレベルが上がらないということは、一日に一匹狩る
として、探索者は三ヶ月以上かかってもLv2にならないことにな
る。
さすがにもうそろそろではないだろうか。
あるいは、経験値の二十五倍が巧く働いていないか。
探索者のレベルが特別上がりにくいのか。村人がLv2からLv
4になっても英雄はLv2にならないのだから、ジョブによって必
要な経験値に違いはあるはずだ。
セカンドジョブ、サードジョブは傾斜配分されて入る経験値が少
ないということも考えられる。
もっといえば、三つのジョブをつけることで経験値が三分の一ず
つになっているのかもしれない。
ああ。攻略本がほしい。
ないものはしょうがないので、また残ったブランチをリュックサ
ックに入れる。
キャラクター再設定と念じた。
ファーストジョブの村人がレベルアップしたので、やはりボーナ
スポイントが1ポイントあまっている。
使い勝手が分からないクリティカル上昇をはずし、詠唱省略を入
228
れた。
まだ四回しか攻撃していないから、クリティカル率が五パーセン
トだとすると、今までクリティカルが出ていなくても変ではないが。
というか、全部一撃で倒しているのだから、クリティカルが出て
もしょうがない。
2ポイントあったボーナスポイントが0になり、詠唱省略がかす
れ文字になった。
わずか3ポイントで無詠唱のスキルが獲得できるのか。
素晴らしすぎるな。
まあ、詠唱十六.六七パーセント短縮とかあっても、わけが分か
らないだろうが。
詠唱短縮の場合、呪文ではなくスキルの名前を唱えればいいよう
だ。
詠唱省略なら念じるだけでいいだろう。
試しに、アイテムボックスと念じると、手元に出し入れ口が現れ
た。
229
魔物部屋
また突き当たりか。
迷宮を探索していると、何度も行き止まりにぶち当たった。
今度は丁字路を左に曲がったところ、その先がほんの二メートル
ほどで壁になっている。
どうもこの迷宮には突き当りが多いらしい。
さっきから繰り返し行き止まっていた。
さすがは迷宮か。
ひょっとして、同じところをグルグル回ってないか。
と思ったが、この突き当たりは初めてだ。
二メートルほどなので、行き止まりまではっきり見える。
洞窟の壁が大きく立ちはだかっていた。
道と同じような洞窟の壁だ。
いや。
微妙な違和感がある。
何かずれているような。
確かめようと、突き当たりに近づいた。
薄暗い中、目を凝らす。
突然、ガラガラと音がした。
壁が崩れる。
230
崩れるというか、落ちた。そのまま下にスライドした。
壁が下がり、道が開かれる。
壁のあった向こう側に、小部屋が現れた。
隠し部屋か。
もしかして、今までの突き当りにもあったのだろうか。
気づかなかった。
全部回りなおすか。
小部屋の中には先客がいた。
騎士が六人。
四人は座り込み、二人は大の字に寝ている。
座っている中に、懸賞金を投げてよこした美人騎士がいた。
俺が中に入っていくとちらりとこちらを見るが、すぐに興味なさ
そうに視線を戻す。
座っていた男が一人、こっちに近づいてきた。
騎士団の建物にいた見習い騎士だ。
町の騎士団の面々なのか。
﹁ここは大丈夫みたいです﹂
﹁そうか﹂
何が大丈夫なのか。
﹁一人ですか﹂
231
﹁そうだ﹂
見れば分かるだろう。
こんな見習い騎士じゃなくて、美人騎士と話したかった。
美人にはどこまでも縁がないということか。
﹁こんな迷宮じゃあ金も稼げないでしょうに、大変ですね﹂
﹁そうだな﹂
﹁二階層に行くなら、入り口から右側らしいですよ﹂
そうか。
とばかり返すのも悪いので、話題を振ってみる。
﹁ここはニードルウッドばかりだな﹂
﹁一階層ですからね﹂
あれ。
何かおかしなことを言ったみたいだ。
これ以上ぼろを出す前に、立ち去ることにする。
﹁うむ。邪魔して悪かったな﹂
﹁いえいえ。気をつけて﹂
入ってきた場所から小部屋の外に出た。
前に立つと扉が開き、通りすぎると閉じられる。
自動ドアみたいな感じだ。
突き当たりに見えても、こうなっている場合もあるのか。
今まで見た突き当たりも、もう一度試してみるか。
232
道を戻りながら、見習い騎士との会話のことを考える。
大丈夫だと言っていたのは、きっとあの小部屋には魔物が出ない
という意味なんだろう。寝転がっていたし。
後、この迷宮では金は稼げないと。
二階層に行くには、最初の小部屋を右か。
突き当りをチェックした。
一つめは何もない。
二つめは、壁がスライドして小部屋が現れた。
やっぱりこうなっている可能性があるのか。
などと考えながら、部屋の中に足を踏み入れようとすると⋮⋮。
いた。
茶色い体に緑の頭。
右足を踏み込み、右上から袈裟切りにする。
いや、一匹だけではない。
ひしめいている。
ニードルウッドの茂み、というか林、というか森だ。
右から来る一撃を、右手右足を引くことでかわした。
右肘を上げ、左から来る攻撃をデュランダルで受ける。剣を返し、
脳天からまき割りにした。
ダンジョンウォーク、と念じてみるが、黒い壁は現れない。
そんなことだろうとは思った。
多分、エンカウントしている間は駄目なのだろう。
233
敵が一匹のときに試しておけよ、というのは正論だが、いまさら
遅い。
敵は十数匹、いや数十匹か。とにかくすごくたくさん。
俺は小部屋の入り口に陣取っているので、囲まれていないのが幸
いだ。
逃げるか。
無理だろう。
どのみち追いつかれるなら、ここで戦った方がましだ。
右にいたニードルウッドを斬り捨てる。
その隙を突いて、左にいたニードルウッドから攻撃を受けてしま
った。
左肩に痛みが走る。
小部屋の入り口は結構広く開いていた。
俺一人でいつまでも塞ぐのは無理だろう。
後ろに回られてしまったら、三百六十度全方位から攻撃を受ける
ことになる。
せめて壁を背中にするか。
左側の魔物は無視して、右に移動する。
オーバーホエルミングと念じた。
動きたくねぇなぁ、と湧き上がる思いを抑えつけ、左足を踏み込
んで右手前のニードルウッドにデュランダルを叩き込む。続いて、
右足を前に出しながら斬り上げ、その奥の魔物をなぎ払おう、とし
たところで時間遅延の効果が切れた。
234
そのままスイングして奥の魔物を倒す。
もう一歩移動して、右にいたニードルウッドに痛撃を浴びせた。
これで小部屋の中に移動したことになる。
壁を背にすれば、攻撃を受ける範囲は百八十度だ。
部屋の四隅にまで移動できれば攻撃される範囲を九十度に狭めら
れるが、今はそこまで移動するのは無理だろう。
俺が急に移動したことで一瞬だけ左側にいた魔物の動きが鈍る。
その隙に、手前にいたニードルウッドを伐り倒した。
魔物がすぐにスペースを詰めてくる。
足を引き、壁を背にしてデュランダルをかまえなおした。
左から振り下ろされた枝を剣で防ぐ。
と、あいた右肩に右から打撃が加えられた。
ぐっ。
手首を返して、右のニードルウッドをなで斬りにする。
と、あいた左肩に。
ぐわっ。
左の魔物を袈裟がけにする。
と、右の脇腹に。
いってえ。
攻撃を受けてしまった。
一対一でない以上、しょうがない。
235
デュランダルをスイングして、右にいたニードルウッドを上下に
切断する。
俺にはデュランダルがある。
デュランダルで吸収するHPが攻撃を浴びて失うHPよりも少な
くなければ、問題ない。
今のところどっちが多いのか。大体の感覚でしか分からないのが
難点だ。
デュランダルにはMP吸収もある。
俺はオーバーホエルミングと念じた。
何もしたくないという気持ちを抑えつけ、手前に迫ってきていた
魔物を二匹屠る。
効果が切れると、速やかに壁に戻った。
後ろに回りこまれてはたまらない。
振り払われた木の枝を体を引いて避け、右にいたニードルウッド
を斬る。
できれば、もっと右に流れて、部屋の角にまで移動したい。
オーバーホエルミングで消費したMPをデュランダルで吸収する
のに、ニードルウッド数匹では足りないようだ。
負の感情をなるべく抑えるには、MPが満杯になってから使った
方がいい。
かといって出し惜しみしていたらジリ貧に追い込まれるおそれも
ある。
感覚的にMPが十分になったら、積極的に使った方がいいだろう。
躁鬱のエレベーターは嫌だが、そんなことを言っている場合では
ない。
236
左からかけられた攻撃をデュランダルで受け、枝ごとニードルウ
ッドをなぎ倒す。
と、あいた右肩に打撃を浴びた。
一進一退の攻防が再び始まる。
感覚的には、攻撃を浴びて失ったHPはデュランダルによるHP
吸収で十分にカバーできているようだ。
とはいえ安心はできない。
数発も連続して攻撃されたら、たちまち瀕死に追い込まれるだろ
う。
今は危ういバランスを保っているにすぎない。
自分の死を意識する。
異世界とはいえ、ここは現実だ。
ここで魔物に倒されることは絶対の死を意味するだろう。
うむ。
死が身近にある。あまりにも身近にあった。
恐ろしいが、おびえるほどではない。
震えがくることはないが、かといって笑い飛ばすほどでもない。
あるいは戦闘中だからだろうか。
俺は、感じた死の印象だけを、冷徹に見つめていた。
ニードルウッドを切り裂き、はいつくばらせる。
横から攻撃を浴び、叩かれる。
魔物との攻防は一進一退だ。
237
振ってくる枝を避け、お返しにデュランダルを叩き込んだ。
なるべく右の魔物を蹴散らすようにしながら、部屋の隅を目指す。
いつの間にか、部屋の右隅と俺との間にいるニードルウッドが二
匹に減っていた。
ここはチャンスだ。
俺はホーバーホエルミングと念じた。
まず邪魔な手前の一匹を屠り、続いて右の一匹を斬り飛ばす。そ
の時点で効果が切れるが、デュランダルを上段に振り上げ、残った
右のニードルウッドの頭上から斬り下ろした。
ようやく俺の動きに追いついてきた魔物の攻撃を避けながら、隅
に陣取る。
これで攻撃を受ける角度は九十度。
デュランダルを正眼にかまえ、魔物を見据えた。
敵が数を減らしている。
落ち着いて見渡したことで、初めて気がついた。
冷徹に死を見つめているように感じたが、全然冷静ではなかった
らしい。
残りはあと数匹だ。
無理に隅を確保する必要はなかったか。
もっと落ち着いて、敵の状態を常に把握しておくべきだった。
手に汗もかいているようだ。
気をつけなければ。デュランダルがすっぽ抜けたら、多分そこで
終わる。
238
右の手と左の手を順番に離し、ズボンで汗をぬぐった。
その間に何度か攻撃を浴びてしまうが、やむをえない。
デュランダルを握り締め、右に駆ける。
一番右側にいたニードルウッドに抜き胴を喰らわせた。
この残り数なら、激しく動いても大丈夫だろう。
前に進みながら右に振り上げたデュランダルを揺り戻し、後ろの
魔物を袈裟切りにする。
左から突き出された枝を払い、あいた肩口にデュランダルを振り
下ろした。
続いて右のニードルウッドに斬りかかる。避けられたところをも
う一歩踏み込んで斬り上げた。
正面の魔物と打ち合う。
枝を払ったところで、左からニードルウッドが打ち込んできた。
一度身を引き、かわす。
すれ違いざま胴をなぎ払った。
デュランダルを上段にかまえ、正面のニードルウッドの頭上から
落とす。
残り一匹。
魔物に逃げるつもりはないようだ。
打ち込んできた枝を小さく払い、反動でデュランダルを持ち上げ
ると、左足を大きく踏み込んでニードルウッドの肩口から剣を振り
下ろした。
﹁ふう⋮⋮﹂
239
音を出して空気を吹き出す。
最後に倒した魔物も煙となって消えた。
深呼吸して息を整える。
小部屋を見渡した。
大きさは四、五メートル四方ほど。出入り口のある小部屋と同じ
くらいだ。
魔物が残したブランチがいくつも転がっていた。
ブランチの他にも何かある。
リーフ
ただの木の葉っぱだ。
三枚ある。
葉っぱの方がレアドロップなのか。
他のものはない。
部屋の中に宝箱があるとか伝説の剣があるとかいうわけではない
ようだった。
散らかったブランチをリュックサックに入れながらもう一度確認
するが、やはり何もない。
魔物がいるだけの部屋だったのだろうか。
思わせぶりな。
デュランダルがなければ確実に殺されていた。
迷宮は思ったよりも恐ろしいところだ。
さっきの騎士六人のパーティーとか、この部屋に対応できるのだ
240
ろうか。
しかも、部屋の中に何かあるわけでもない。
木の枝と葉っぱとか。あまり金にはならなそうな。
見習い騎士が金を稼げないといったのはこのせいか。
二階層に行けば、他の魔物もいるみたいだが。
ブランチをすべて集め、小部屋を見渡して何もないことを確認す
ると、腕を見て鑑定と念じた。
加賀道夫 男 17歳
村人Lv6 英雄Lv3 探索者Lv4
装備 デュランダル 皮の鎧 サンダルブーツ
一気にレベルが上がっている。
探索者にいたっては三つアップだ。
最後の方にオーバーホエルミングを使ったとき、気持ちがあまり
落ち込まなかったように感じたのはレベルが上がったからだろうか。
回復したという実感がないので、レベルアップ時にHPやMPが
回復しているということはなさそうだ。
HPとMPはデュランダルで回復しているだろう。
もう少し迷宮を歩いてみるか。
いや。まだはもうなりだ。
まだいけると考えるのは、もう駄目なときだろう。
241
疲労が残っているはずだ。
デュランダルでは精神的な疲れまでは取りきれないに違いない。
俺は宿に帰ることにした。
ダンジョンウォークと念じて、出入り口のある小部屋を思い浮か
べ、現れた黒い壁に突入する。
最初の小部屋に出た。奥にある黒い壁に入る。
一瞬の間真っ暗な領域を通って、迷宮の外に出た。
日が傾きかけている。
ほんの一時間くらいだと思ったが、感じたよりも長い時間、ダン
ジョンにこもっていたらしい。
ずっと気を張っていたからだろう。
あまり長時間になりすぎないように注意した方がいい。
やはり、まだはもうなりだ。
キャラクター再設定を呼び出し、デュランダルを消して三十パー
セント値引を取得した。
ポイントが2ポイントあまっている。
村人がLv6になったからな。
何をつけるべきか。
考えるのは宿に戻ってからにしよう。
アイテムボックスと念じて、シミターを取り出す。
あれ?
242
シミターを入れた箱の左右に、何か入れられそうなスペースがあ
るような。
こんなんだっただろうか。
まあこれも宿に戻ってからだ。
シミターを腰に差し、ベイルの町に戻った。
243
初めての薬
ベイルの町を歩いた。
夕方近くになって、市も終わりかけらしい。
店じまいをしている露店も結構ある。
ほどなくしてベイル亭に到着する。
中に、旅亭Lv28の男がいた。
﹁よう、お帰り﹂
どうもあまり高級旅館という雰囲気はない。
﹁鍵を﹂
﹁あいよ﹂
三一一の鍵をよこす。
﹁夕食はもういいか﹂
﹁ああ。食堂の入り口でメニューを選んでくれ﹂
﹁夕食が済んだら、お湯を頼む﹂
﹁二十ナールだ﹂
あれ?
三割引きは?
仕方ないので、リュックサックを下ろして銅貨二十枚を取り出し
244
た。
﹁ちなみに、これは薪にでもならんか﹂
キャラクター再設定で三十パーセント値引を買取価格三十パーセ
ント上昇につけ替え、リュックサックからブランチを取り出して男
に見せる。
﹁それはブランチじゃないのか﹂
﹁そうだ﹂
﹁うちじゃあ火力が強すぎるな。それは鍛冶師なんかが使うものだ。
鍛冶師は直接取引きするのを面倒がるから、ギルドにでも売るんだ
な﹂
﹁ふむ﹂
ギルドに売るしかないらしい。
﹁ここの迷宮は一階層がブランチを残すニードルウッドらしいな﹂
﹁そうだな﹂
﹁で、二階層がグリーンキャタピラー、三階層がコボルトとか。ご
愁傷様ってとこだな﹂
迷宮ではニードルウッドしか見ていない。
階層によって出てくる魔物が違うのだろう。
ここの迷宮と言ったから、迷宮によって出てくる魔物は異なるよ
うだ。
口ぶりからして、いい魔物の組み合わせではないらしい。
﹁まあしょうがないさ﹂
245
﹁確かに、浅い階層はな。そういうところを見ると、あんた相当強
そうだね﹂
浅い階層はしょうがない。
↓深い階層に潜れる自信がある。
↓強い。
ということか。
話をごまかそう。
﹁行けるところまでは行くつもりだ。ところで、この町の冒険者ギ
ルドはどこにある﹂
﹁四軒左だ﹂
男が指差した。
それらしい建物があっただろうか。
﹁ふむ。行ってきた方がいいか﹂
﹁買取だけならすぐ済むから行ってきなよ﹂
﹁分かった。ではこれを頼む﹂
渡してもらった鍵を再び預け、ベイル亭を出た。
四軒左と。
冒険者ギルドの建物に入る。
中は探索者ギルドよりも一回り大きかった。ちょっと大きな郵便
局、といったところか。
人が五、六人ほどいる。
246
奥にカウンターがある構成は探索者ギルドと同じだ。
﹁買取を頼む﹂
カウンターの前に立った。
なんにせよ、一度ギルドでの買取を経験しておこう。
奥にいるのは、お姉さんというには微妙な年齢のアラサーの村人
だ。
顔はそれなりか。
ロクサーヌと比べなければ。
﹁こちらにお載せください﹂
女性が大きなトレーを差し出した。
﹁これを﹂
リュックサックからアイテムを出して載せる。
ブランチは全部で三十三本だった。
あとはリーフが三枚。
﹁冒険者ギルドには加入しておられませんよね﹂
女性が確認してくる。
﹁加入してないが﹂
﹁リーフは毒消し丸の原材料です。冒険者ギルドに加入していれば、
リーフを売却したときに同数の毒消し丸を半額で購入する権利が与
えられます。毒消し丸は冒険者の必需品ですから﹂
247
待て。
毒消し丸があるということは、もちろん毒があるということだろ
う。毒がなければ毒消しは必要ない。
その毒消し丸が冒険者の必需品ということは、冒険者は毒に冒さ
れる危険と常に隣りあわせということだ。
ひょっとして、何も持たずにダンジョンに入ったのは無謀だった
んじゃないだろうか。
﹁毒消し丸が買えるか﹂
﹁ギルドに加入していなければ、正価になりますが﹂
﹁いくらだ﹂
﹁百ナールです﹂
﹁ふむ﹂
高いような高くはないような。
﹁リーフを食べることでも毒は消せます。リーフの買取価格は八十
ナールとなっております﹂
逆ザヤになるじゃないか。
それをわざわざ教えてくれる冒険者ギルドのお姉さんは親切だ。
﹁分かった。リーフを買取に出すのはやめておこう﹂
﹁はい。では少々お待ちください﹂
リーフをしまうと、女性はブランチの載ったトレーを持ってギル
ドの奥に引っ込んだ。
手持ち無沙汰になったのでギルド内を見回す。
248
左側の壁が突如として黒くなった。
黒い壁ができて、中から人が出てくる。
あれは、ダンジョンウォーク?
迷宮内じゃなくても使えるのだろうか。
壁から出てきたのは冒険者が二人。探索者はいない。
﹁ターヘラの町、片道の人はいませんか﹂
出てきた冒険者が告げた。
誰も反応しないのを見ると、なにやら唱え、また黒い壁を出して、
その中に消えていく。
ダンジョンウォークじゃなくて、フィールドウォークと唱えたよ
うな。
違うスキルなのか。
そういえば、迷宮入り口近くの木にも黒い壁が現れた。六人の人
が出てきた壁だ。
探索者にダンジョンウォークがあるように、冒険者にはフィール
ドウォークがあるのだろう。
ダンジョンウォークで迷宮内を移動できるなら、フィールドウォ
ークでは他の町と行き来することが可能なのではないだろうか。
おそらく、あの二人はターヘラの町へ行ったのだ。
ここには何のためにきたのだろうか。
と思っていたら、また黒い壁が現れて、人が出てきた。
249
今度は六人だ。さっきの冒険者の片割れもいる。
六人はギルドの外に出て行く。
うーん。
何がしたかったのか、よく分からん。
﹁お待たせしました。こちらになります﹂
頭をひねっていると、女性が戻ってきた。
皿の上には銀貨が六枚と銅貨が何枚か載っている。銅貨を数える
と四十三枚あった。
六百四十三ナールか。
ただの木の枝にしては悪くないような気もするが、高くはない。
いずれにしても、一日に金貨一枚は夢のまた夢というところだろ
う。
もっと長時間こもるか、ダンジョンの深い階層に行ければ、違う
のかもしれないが。
買取価格三十パーセント上昇をはずし、三十パーセント値引につ
け替える。
めんどくさい。
﹁毒消し丸以外に、ここで売っている薬があるか﹂
﹁消毒薬以外では、各種の傷薬、疲労回復薬、柔化薬、抗麻痺薬、
万能薬などを扱っております﹂
察するに、傷薬はHP回復、疲労回復薬はMPを回復する薬だろ
う。
250
﹁柔化薬と抗麻痺薬はいくらになる﹂
﹁柔化丸、抗麻痺丸がともに百ナールです﹂
値段は毒消し薬と一緒か。
﹁うむ。では、柔化丸、抗麻痺丸を二つずつくれ﹂
とりあえず、二つずつ買っておくことにする。
どれだけ使うか分からない。大量に買い込むこともないだろう。
﹁かしこまりました﹂
女性は一度席を立ち、すぐに戻ってきた。
白い丸薬を二個と黄色い丸薬を二個、カウンターに置く。
柔化丸
抗麻痺丸
﹁うむ﹂
﹁白いのが柔化丸、黄色い方が抗麻痺丸になります﹂
色で分けてあるのか。
俺は鑑定が使えるから間違えることはない。
銀貨四枚をカウンターに出す。
抗麻痺丸は、名前のとおり体が麻痺したときの薬だろう。
251
柔化丸はなんだ。
身体が堅くなったときの薬。石化魔法でも存在するのだろうか。
女性は、一、二、三、四と数えながら、銀貨を一枚自分の方に引
き交互に丸薬を俺の方へと差し出した。
せっかく用意したのに、三割引は使えないようだ。
何も入っていない小袋に丸薬とリーフを入れ、リュックサックに
しまう。
﹁ちなみに、冒険者ギルドに入るにはどうすればいい﹂
﹁冒険者になるのは比較的条件が単純です。探索者Lv50以上で
あること、探索者ギルドや他のギルドに加入していないことです。
加入したいのであれば、係りのところへ案内しますが﹂
﹁いや。そういうわけではない﹂
あわてて否定すると、リュックサックを背負い、冒険者ギルドを
出た。
冒険者は探索者の上級職、ジョブ獲得条件が探索者Lv50とい
うところか。
ギルドへの加入が条件に影響するかどうかは分からない。
探索者ギルドと冒険者ギルドは仲が悪いと言っていた。
それはそうだろう。
探索者ギルドからすれば、冒険者は探索者を踏み台にしているこ
とになる。
よくいえば、探索者は冒険者の卵、見方を変えれば、探索者は冒
険者になれなかった残りかすだ。
252
俺自身がどこかのギルドに入ることは、慎重になった方がいい。
宿屋に戻り、鍵を受け取った。
すぐ横の食堂に入る。
食堂の入り口におかれたテーブルに、食事が四つ置かれていた。
﹁夕食はこの中からお選びいただけます﹂
Lv28の男とは別の、旅亭の女性が手を広げて案内する。
彼女が食堂の担当だろうか。
なるほどね。
メニューではなくて、実物を選ばせるのか。
メニューを読めない者がそれだけ多いのだろう。
もっとも、テーブルにはなにやら一文字書いてある。
どこかで見た、というか、現在手に持っている鍵に書いてあるの
と同じ文字だ。
鍵に書いてあるのは、多分部屋番号の三一一だろう。
右上のこの料理が一ということになる。
﹁これを﹂
﹁かしこまりました。お飲み物は何にしましょうか﹂
ガーン。
一ですね、と復唱してくれるのを期待したが、スルーされた。
思惑がはずれた。
253
﹁飲み物は何が﹂
﹁ビールか、ワインか、ハーブティー。スライム酒などは別料金と
なります﹂
﹁ハーブティーで﹂
﹁かしこまりました。あいている席に座ってお待ちください﹂
日本にいるときに少しだけ酒を飲んだことはあるが、限界量が分
からないので、ここで飲むのはやめておいた方がいいだろう。
リュックサックには金貨三十三枚がある。
席に着くと、料理はすぐにやってきた。
パンと、カップに入ったスープ、野菜を煮込んだシチュー、肉を
焼いたもの。
量は結構ある。一日二食だからだろう。
パンは柔らかくて、スープとシチューも美味い。
肉は牛肉っぽく、こちらもまずまずだ。割とコショウが利いてい
る。
コショウなんて高いんじゃないのか、という気がするが、勝手な
思い込みか。
これなら日本でも金が取れる。
結構レベル高い。
少し高かったが、夕食つきにして正解だ。
食事を堪能し、部屋に戻った。
日が傾いている。
木窓からこぼれる光で部屋の中が赤い。
254
入ってすぐ、ドアがノックされた。
﹁どうぞ﹂
﹁失礼します。お湯を持ってきました﹂
初めて見る男がたらいに入った湯を持ってくる。
男は、たらいを床に置き、タオルをたらいにかけると、すぐに出
て行った。
チップはいらないらしい。
服を脱いで、体をぬぐう。
この世界にお風呂はないようだ。
あっても、金持ち用の贅沢品なのだろう。
このお湯だって二十ナールだから、安くはない気がする。
しかし汗をかいたままというのも気持ちが悪い。
体を拭いた後、はいていたトランクスを洗った。
俺が持っている唯一の下着だ。
この世界の下着がどんなものか知らないが、市が立っている今日、
予備を買っておくべきではなかったろうか。
しまった。
石鹸や洗剤があるなら、それも買っておきたかった。
お湯に付属でつけられていないところをみると、ないのかもしれ
ないが。
後は歯ブラシと歯磨き粉か。
これもあるかどうかは分からん。
255
あるのなら靴下も買いたい。
次に買えるのは五日後か。
不便だな。
コンビニがほしい。
買い物リストの次は、アイテムボックスについて考えよう。
アイテムボックスと念じた。
まずはシミターを入れてみる。やはり左右に何か入りそうだ。
リュックサックを押しつけてみるが入らない。
大きさ的に駄目なのかと思って巾着袋を入れてみるが、これも駄
目だった。
リュックサックや巾着袋はアイテムではないから駄目なのか。
小袋からリーフを取り出し、シミターの左に入れる。
二枚とも入った。
柔化丸や抗麻痺丸は入らない。
リーフが入ったスペースを右に移動させると、左のスペースに柔
化丸が二つ入った。
抗麻痺丸は入らなかったが、さらにその左のスペースには二つ入
る。
抗麻痺丸が入ったスペースの左は、一周してシミターの入ったス
ペースだ。
抗麻痺丸と柔化丸、リーフを取り出す。
256
硬貨は入らないだろうか。
銀貨
おっと。鑑定できた。
硬貨を鑑定するなんていうことは思いつかなかった。
これで贋金をつかまされるおそれはなくなったわけか。
いちいち鑑定するのも面倒だから分からないが。
銀貨は四枚まで収納できた。
隣のスペースにも四枚入る。
銅貨は入らない。
混ぜることはもちろん、単独でも入らないし、鑑定もできなかっ
た。
銅貨はアイテムではないようだ。
金貨を取り出す。
鑑定もできるし、四枚まで入る。
金貨と銀貨を混ぜることはできないようだ。
金貨が四枚か、銀貨が四枚。
シミターを取り出すと、そこにも金貨が四枚入った。
なるほど。四種類のものを、四つずつ。
探索者Lv4だからだろう。
探索者Lv1のときにはシミター一本でいっぱいになった。
257
金貨と銀貨を取り出し、アイテムボックスに、リーフ二枚、柔化
丸と抗麻痺丸を二個ずつ入れる。
薬は、リュックサックに入れるよりも、いざというときのために
アイテムボックスに入れておいた方がいいだろう。
続いて考えるのはジョブだ。
詠唱省略は相当に有用なスキルだと考えていいだろう。
詠唱省略を獲得するのに必要なボーナスポイントは3だ。
ファーストジョブがLv4以上であれば、他のものを削らなくて
も詠唱省略をつけることができる。
現在、探索者がLv4である。
村人Lv6と替えるべきだろうか。
探索者にするメリットは、村人をはずして効果の大きなジョブを
つけることができることだ。
アイテムボックスやダンジョンウォークのことを考えれば、探索
者をはずすことは考えられない。
村人にするメリットは、すでにレベルが高いことだ。
村人Lv8まで育てれば、詠唱省略に加えてフォースジョブをつ
けることができる。
セカンドジョブに必要なボーナスポイントが1、サードジョブに
必要なボーナスポイントが2だったから、フォースジョブに必要な
ボーナスポイントは倍の4だ。
あるいはLv6のままでも詠唱短縮で我慢すればフォースジョブ
をつけられる。
258
村人の方が探索者よりも成長が早い可能性もある。
ボーナスポイントが16ポイントあまれば、必要経験値十分の一
か獲得経験値十倍をつけられる。
成長の早いジョブをファーストジョブに置いておくことは長期的
に結構な利点となるだろう。
とはいえ、16ポイントは遠い。
経験値が四分の一に分散されるおそれがあるので、フォースジョ
ブもどれだけ有益かは分からない。
ファーストジョブは探索者にしよう。
ジョブ設定と念じた。
戦士 Lv1
効果 体力小上昇 HP微上昇
スキル ラッシュ
剣士 Lv1
効果 腕力小上昇 HP微上昇
スキル スラッシュ
商人 Lv1
効果 知力小上昇 精神微上昇
スキル カルク
259
薬草採取士 Lv1
効果 知力小上昇
スキル 生薬生成
ジョブが一気に四つも増えている。
何故こんなに。
多分ありがちなのは、村人Lv5あたりがジョブの獲得条件にな
っていたことだろう。
上昇効果が二つある戦士、剣士、商人あたりはくさい。
薬草採取士は、単純に薬草を採取したからか。
薬草ではないが、リーフを拾った。
うーん。
村人Lv10や村人Lv20で獲得できるジョブがあるかもしれ
ない。
このまま村人をつけた方がいいのだろうか。
しかし、村人Lv99で獲得できるジョブなんかがあったら大変
だ。先は長い。
まあそのときはそのときだろう。
ファーストジョブを探索者Lv4につけ替える。
セカンドは英雄Lv3のままで、サードジョブを商人にした。
スキルを試してみたいので。
戦士のラッシュと剣士のスラッシュは、名前からいっても職業か
らいっても、攻撃時に使用するスキルだろう。
商人の方はどうか。
260
カルク、と念じてみるが、何も起こらない。何も変わらない。
何かできるわけでもないようだ。
二二四×三六五とか計算したかったのに。
と思ったら、八一七六〇という数字が頭に浮かんできた。
これが二二四×三六五の答えだろうか。
カルクはパッシブスキルなのか。
一日二百二十四ナールの三百六十五日で、かけることの六十年と
して。
四九〇五六〇〇。
金貨五百枚あれば、俺はおよそ死ぬまでこの宿屋に厄介になれる。
あってるのかね。
百×百は一〇〇〇〇。まあそうだ。
百万×百万は一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇。
⋮⋮うん、俺が悪かった。正解かどうか分からん。
商人をはずして、薬草採取士をつける。
使用するのはスキル生薬生成だ。
使う対象はリーフ。
日も暮れたのか暗くなってきているが、アイテムボックスからリ
ーフを取り出す。
リーフを一枚手に取って生薬生成と念じると⋮⋮。
261
毒消し丸が十個生成された。
262
ボス
目覚めたときはまだ真っ暗だった。
昨夜は非常に早く寝た。
多分、七時すぎくらいには寝たのではないだろうか。
そもそも村長宅で起きたのが早かったし、一日中あれこれ活動し
ていたので、疲れたのだろう。
夜になって暗くなれば、この世界では何もやることがない。
ゲーム機も、テレビも、パソコンも、ネットも、マンガも、本も
ない。
本当なら、どこかの酒場にでも情報収集に行くべきかもしれない
が。
まず第一に億劫だ。
いじめられっ子なめるんじゃねえ。
他人と円滑にコミュニケーションが取れるならいじめられてない
だろう。
第二に、金貨三十三枚をもって危険なところをうろつくのはやめ
た方がいい。
金貨が五百枚あればこの宿屋で一生暮らせるのだ。
金貨五百枚の価値が一億円だと仮定すると金貨三十三枚で六百六
十万円。二億円なら千三百二十万円だ。
安全な日本でだって、そんな大金を持って飲みに行くやつは少な
263
いだろう。
第三に、俺が許容できる酒の量が分からない。
酒場で情報収集するならこっちも飲む必要があるだろう。
相手より先に酔ったのでは情報収集にならないし、荷物も危険だ。
酔って地球のことでもベラベラとしゃべりだしたら、目も当てら
れない。
はたして俺の酒量はどのくらいか。
アルコールが地球と同じものだとは限らないし、この世界に来た
ことで俺の体質が変わった可能性もある。手の甲からインテリジェ
ンスカードも出てきたことだし。
第四に、そもそも今の俺に必要なのは金儲けに関する情報だ。
それ以外の情報、この世界の一般常識なんかは、いずれロクサー
ヌから聞けばいい︵ロクサーヌはもちろん手に入れるつもりである︶
。
酒場なんかに儲け話が転がっているのかどうか。
あったとしたら、とてつもなくやばい話か、誰かを騙すための甘
い罠である可能性が高いのではないだろうか。
この世界の常識を知らない俺のような人間はいいカモでしかない
だろう。それも金貨三十三枚をしょった。
結局、情報収集に行くことはかえって危険を招きかねない。
おとなしく寝ていた方がずっとマシだ。
俺はシミターを抱き枕にして眠った。
日本刀を抱いて寝る剣豪の話とかあったような気がする。
どこまで安全か分からないし。
264
起きた気分は爽快だった。
それでも周囲は真っ暗だ。
七時から八時間寝たとしても、まだ午前三時である。
部屋にはトイレがないので、トイレに行き、ついでにロビーにも
下りてみる。
階段と廊下にはところどころにカンテラが置かれ、明るくはない
が歩けるほどにはぼんやりと周囲を照らしていた。
﹁迷宮へ出かけるのか﹂
ロビーに下りると、後ろから声をかけられる。
﹁おっ⋮⋮おう﹂
びっくりした。心臓が止まるかと思うくらいに。
振り返ると、フロントに旅亭Lv28の男が立っていた。
﹁気をつけてな﹂
﹁夜中に出かけてもかまわないのか﹂
﹁当然だ。夜中に迷宮に入るやつは多い。ここの迷宮ではそうでも
ないだろうが、昼間はどうしたって混むからな﹂
なるほど。
どうせ迷宮の中ならば昼も夜もないか。
迷宮には夜入る人も多い。その迷宮に入る人を客とする宿屋も、
夜でも出入り自由というわけだろう。
265
﹁そっちは夜中まで大変だな﹂
﹁俺たちはエマーロ族だ。エマーロ族ってのは特殊でな。眠りが少
ない。いや、眠りが少ないというか何というか、他の種族の者に説
明するのにいつも困るんだが、半分ずつ眠れるんだ﹂
﹁半分ずつって、右と左でか﹂
生物の時間に習った。
確かイルカは、右脳と左脳が交替で睡眠をとるのだ。両方同時に
寝ると溺れるらしい。
﹁分かるのか?﹂
﹁いやまあ、分かるというか何というか﹂
﹁人間の者に分かってもらえたのは初めてだ﹂
旅亭の男が喜んでいる。
右脳と左脳があることを知っている人間はこの世界では少ないだ
ろうしな。
エマーロ族は海で進化したのかもしれん。
ってゆうか、人魚?
足は二本足だったが。
﹁そうか﹂
﹁エマーロ族の者は定住を嫌う。だから、ほとんどの者が種族の固
有ジョブである旅亭となって、ギルドの経営する宿で働くんだ。俺
たちには合っている仕事さ。あちこち転勤できるしな﹂
﹁なるほど﹂
海で進化したのなら、定住という習慣にはなじめないかもしれな
い。
266
俺は旅亭の男に部屋の鍵を渡した。
トイレに行くときに鍵はかけてあるし、リュックサックも背負っ
ている。
何もすることがないなら、迷宮に行くのは悪くないだろう。
﹁カンテラは必要ないのか﹂
﹁大丈夫だ﹂
と格好をつけて外に出た。
⋮⋮。
いやいや。
真っ暗だから。
一メートル先さえ見えない。
ほとんど完全な闇。
この世界には月がないのか、出ていないだけなのか。
上を見上げると、満天の星明りだ。
星の光では足元を照らすには弱い。
東京育ちの俺に、この夜の暗さは衝撃だ。
今からでもカンテラを借りてくるか。
しかし、この暗闇だと、明かりがあっても迷宮まで行くのは怖い。
出そうだよな。幽霊とか。
別に幽霊の存在を信じてはいないが、異世界があるのなら、幽霊
がいても不思議ではない。
267
ではどうするか。
冒険者ジョブを獲得していない俺にはフィールドウォークは使え
ない。
しかし、ボーナス呪文の中にワープがあった。
名称的に、移動魔法なのは間違いないだろう。
メテオクラッシュはMP不足で使えなかったが、ワープはどうだ
ろうか。
攻撃魔法っぽいメテオクラッシュと違い移動魔法だからMP消費
が少ないだろうこと、英雄Lv3まで成長したこと、よく眠ったの
でMPが全快しているだろうこと、から、使えるのではないかと見
た。
キャラクター再設定と念じ、値引を消してデュランダルをつける。
そして今は使わないジョブ設定を消し、ボーナス呪文のワープにチ
ェックを入れた。
ベイル亭の壁がある方を向き、ワープと念じて、迷宮の出入り口
がある小部屋を思い浮かべる。
手を伸ばしてみると、壁があるはずのところに何もなく、手は奥
へと入っていった。
成功だ。
成功したのはいいが、気分がどんよりと落ち込んだ。
成功したという喜びではなく、成功してしまったという悲しみが
浮かんでくる。
268
小部屋に抜けるが、なんでこんなところに来てしまったのか、と
しか思えない。
道が三本延びている、迷宮出入り口のある小部屋だ。
小部屋は夜でもぼんやりと明るかった。
真っ暗でもよかったのに。
ワープなんて二度と使いたくない。
オーバーホエルミングよりもMP消費がでかいだろう。
さすがはボーナス呪文か。
きっつい。
この状態を脱するには、デュランダルのMP吸収を使うしかない。
戦いたくないという気持ちを抑え、道へと足を踏み出す。
本当は二階層へ下りるためには右へ進まないといけなかったはず
だが、まっすぐに進んだ。
二階層になんか下りたくない。進みたくもない。
ようやく、前にニードルウッドが現れた。
逃げ出したくなる気持ちを抑え、デュランダルを振る。
戦う前には絶対に勝てねえと思ったが、終わってみればもちろん
一撃だ。
煙が消え、ブランチが残った。
﹁ああ⋮⋮きつ﹂
やっとのことで人心地つく。
大きく息をはいた。
きつかった。やばかった。
269
MPを大量に消費するのは本当にきつい。
できれば二度となりたくない。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv4 英雄Lv3 戦士Lv1
装備 デュランダル 皮の鎧 サンダルブーツ
とりあえずもう一匹狩ってから、自分を鑑定した。
ジョブ設定をはずしても、設定してあったジョブはそのまま生き
ている。
サードジョブを戦士にしているのは、育てれば賞金稼ぎのジョブ
が手に入るらしいからだ。
さらに二匹狩った後、戦士のスキル、ラッシュも使ってみる。
何が起きたのかはよく分からなかったが、デュランダルが心持ち
深く喰い込んだような気がした。
やはり攻撃スキルなんだろう。
デュランダルでは魔物を倒すのにどのみち一撃なので、使い勝手
が分からなかったが。
この迷宮で魔物に出会うのは、十分は間隔を置かないという感じ
だ。
この世界の迷宮がそうなのか、この迷宮がそうなのか、この階層
のこの部分がそうなのかは分からない。
村近くの森でスローラビットを狩っていたときよりかは、断然速
い。
270
速いが、次から次に魔物が出てくるという感じでもなかった。
午前三時くらいに迷宮に入ったのだとすれば、日の出までは三時
間くらいか。
十分に一度魔物に出会うとして、百八十分で十八匹狩れる。実際
にはもう少し多いだろう。
というわけで、リーフが二枚出るまで狩りを行った後、俺は迷宮
を出た。
ワープは使いたくなかったので、ダンジョンウォークで外に出て、
歩いて帰る。
日がちょうど昇ったところで、時間的にはばっちりだった。
宿屋に帰って朝食を取り、部屋に入る。
昨日の残り二枚とあわせてリーフ四枚を生薬生成で毒消し丸にし
た後、ベッドに入って軽い睡眠を取った。
冒険者ギルドでの売却価格は千八百七十八ナールだ。
毒消し丸一個の売値は二十五ナールである。アイテムボックスに
入れた分もあるので、全部は売却していない。
ギルドでの販売価格百ナールの四分の一で買取か。そんなもんだ
ろうか。
昨日は毒消し丸を買おうとしたのに今日は売りに来た俺を、冒険
者ギルドのカウンターにいるアラサー女性がどう思ったのかは知ら
ない。
変に思ったとしても、顔には出さなかったし、何も言ってはこな
かった。
誰が何を売ったかなんていちいち覚えてない、といいな。
271
その後、午前中に一度迷宮に入り、午後に再度アタックする。
午前の分の売却額は四百八十七ナール。宿に帰らなかったので生
薬生成はしておらず、ブランチだけの販売だ。
リーフが三枚出るまで狩りを行い、売ったのはブランチ二十五本
である。朝はブランチ二十三本でリーフが二枚だったから、結構ブ
レがあるのだろう。
ブランチ二十五本×一本十五ナール×三割アップ−端数切捨てで、
四百八十七ナールだ。
商人のカルクが間違っていなければ。
午前と午後で、入り口から右側の探索を進めた。
ダンジョンウォークは、出入り口のある部屋だけでなく、似たよ
うな小部屋にも行けるようだ。
昨日騎士団のパーティがいた小部屋にも行けた。
同じように見えても、魔物が大量にいた小部屋は無理だ。
違いがわからん。
迷宮入り口から右に進んだところにもダンジョンウォークで行け
る小部屋があり、午後の探索はそこから進めた。
ニードルウッドを倒しながら進む。
散々迷いながら進むと︱︱その間にリーフが二枚出た︱︱、また
似たような小部屋に出た。
壁がスライドして落ちる。小気味のよい音が響いた。中の小部屋
が現れる。
272
中には先客として二組のパーティーがいた。
なんか並んでいるみたいな感じだ。
俺もその後ろに座ってみる。
なんで並んでいるのか知らないし、並んでいるのかどうかも分か
らないが。
しばらくすると、俺の後から別のパーティーが入ってきた。
探索者や戦士などの六人パーティーだ。レベルは低い。
﹁ちゃんと後ろに並べ﹂
六人は前に行こうとするが、先頭の男に怒鳴られて戻ってきた。
まったく。
見れば並んでいるのが分かるだろう。
空気読め、空気。
などとよく分かっていなかった自分のことは棚に上げて考える。
俺は、日本人としては空気の読める方ではなかったと思うが、こ
の異世界に入っては空気の読める方なのだ。
前の扉が開き、先頭にいたパーティーが入っていった。
これを待っていたのか。
﹁あなたたち、迷宮は初めて﹂
﹁はい﹂
前のパーティーの女性と、俺の後ろに座ったパーティーの探索者
が会話する。
273
﹁この向こうに二階層に行く壁へと通じる部屋があるわ。入ってい
けるのはパーティー一組ずつ。中にはボスがいるの。そいつを倒せ
ば、二階層へ行けるわ﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
なるほど。だから並んでいたのか。
親切な女性の話に俺も聞き入った。
姐さんと呼ばせていただきます。
﹁前のパーティーが全滅した場合には、残していった装備品が手に
入るわ。これは運ね﹂
姐さんが俺を見てにやりと笑った。
前言撤回。
親切じゃねえ。
俺が中で死んだら、俺の装備︱︱デュランダルが後ろのパーティ
ーのものになる。
まあ、姐さんたちのパーティーが全滅すれば、姐さんの装備が俺
のものになるわけだが。
﹁分かりました﹂
﹁ボスはニードルウッドなんかよりかなり強いわ。自信がないなら、
やめておきなさい﹂
﹁いえ。大丈夫です﹂
後ろのパーティーの探索者Lv5は、自信ありげに胸を張った。
Lv5のくせに。
274
やがてまた前の扉が開き、姐さんたちのパーティーが入っていく。
姐さんたちのパーティーは俺の後ろの組よりレベルが高いから、
全滅することはないだろう。
というか、俺は大丈夫なんだろうか。
まあ、デュランダルに加えてラッシュとオーバーホエルミングが
ある。
きっと大丈夫だろう。
一階層では一日に金貨一枚を稼げないことは確定だ。
下に行かざるを得ない。
姐さんたちが通過したのか、再び前の扉が開いた。
俺はデュランダルをかまえ、入っていく。
俺が入ると扉が閉じられた。
部屋は四、五メートル四方のいつもの小部屋だ。
姐さんたちが倒れていたりはしない。
無事通過したようだ。
部屋の奥に煙が集まり、魔物が姿を現す。
ウドウッド Lv1
ニードルウッドを一回り大きくしたような魔物だ。
身長は俺より高い。幹まで緑色をしている。手足の代わりに枝を
二本ずつ伸ばした植物魔人である。
275
などとウドウッドをじっくり観察していると、魔物の足元に青い
光が現れた。
魔法陣だ。
まずい。
青く光っているところを見れば、もちろん有効なのだろう。
見たのは初めてだし、どんな使い方をしてくるのかも分からない
が、確実にやばい感じがする。
魔法を放ってくるのか。
補助魔法や防御魔法の可能性もあるが、いずれにしても使わせな
い方がいい。
観察なんかしている場合じゃなかった。
俺はデュランダルを振り上げ、あわてて駆け寄る。
ラッシュと念じて肩口に剣を叩き込んだ。デュランダルは魔物の
右肩に数ミリか数センチか喰い込んで止まる。ラッシュを使っても
一撃では倒せないようだ。
しかし、魔法陣は消えた。
デュランダルの持つ詠唱中断スキルのおかげだろうか。
しゃべらない魔物は詠唱を使えないから、その代わりに魔法陣を
使うのだろう。魔法陣は詠唱代わりだから、詠唱中断スキルで魔法
陣も中断させることができるのか。
魔法陣を止められたウドウッドの枝が振られる。
剣は魔物の肩に刺さっているので、受けられない。
相手の肩も動いたのでなんとか抜くことはできたが、攻撃は喰ら
ってしまった。
276
打撃を受けて息が詰まる。
ウドウッドはニードルウッドやスローラビットよりさらに上の攻
撃力を持っているようだ。
ニードルウッドの攻撃だって、そう軽くはなかったのだが。
再び枝が振られた。枝が風を切る音が聞こえる。
落ち着いてデュランダルで受けた。
続いて右から振られた枝を体を引くことで避ける。
かわしたことで隙ができた。それを見てデュランダルを打ち込む。
左から降り戻された枝をバックして避けた。
しっかり動きを見ていけば、戦えない相手ではないようだ。
ウドウッドが開いた距離を詰める。
右から振られた枝を剣で受けた。
そこへ左から枝が振られる。
くそっ。
右からの枝は陽動か。
今度は避けられない。
オーバーホエルミングと念じて、デュランダルを振りかぶりなが
ら下がった。
魔物の枝がゆっくりと動く。振られる軌道上から脱出したところ
で、効果が切れた。
一呼吸おいて、枝が通り過ぎるのを待つ。
通過したところで右足を踏み込んだ。ウドウッドの脳天からデュ
ランダルを叩き込む。
277
デュランダルが魔物の頭を半分以上切り裂いた。
ウドウッドが地に伏せる。
なんとか倒せたようだ。
身体が大きく揺れ、煙となって消えた。
ワンド 杖
残ったのは木の枝だ。
いや、枝というか棒というか。ブランチよりは断然大きい。
杖と出たから、武器なんだろう。
ワンドの他には何もない。
ボス部屋なのに宝箱も何もないようだ。
あるとしたら、前のパーティーの遺留品だけということか。
ボスを倒したからだろう。入ってきたのとは反対側の扉が開いた。
俺はワンドをアイテムボックスに入れる。
もう一度何もないことを確かめ、下へ降りる道があるだろう隣の
部屋に移動した。
278
二階層
ボスを倒した場所の隣の部屋には、黒い壁だけがあった。
その黒い壁に入り、一瞬の闇を抜けると、一階層の出入り口にあ
ったのと同じような小部屋にたどり着く。
大きさは四、五メートル四方ほどで、前と左と右に道が一本ずつ
延びている。一階層と同じだ。
後ろには俺が出てきた黒い壁があった。これも一階層と同じであ
る。
目隠しされて連れてこられたら、区別がつかないんじゃないだろ
うか。
多分ダンジョンウォークが有効だろうから、念じればここにこれ
るのだろうが。
試してみるか。
いや、試して成功しても、移動したここが二階層かどうかが分か
らん。
後ろの黒い壁を抜けたら、さっきの場所に戻るのだろうか。
そっちから試してみるか。
俺は黒い壁を抜ける。
真っ暗な空間を通ると、急にまぶしい場所へ出た。
279
迷宮の入り口だ。
昨日と同じ探索者の男が立っている。
目がなれないが、夕刻まではあと少しというところか。
外に出てしまったことだし、今日はここまでにしておこう。
道の反対側から六人のパーティーがやってきた。
パーティーの探索者が入り口近くに立っていた探索者と会話する。
﹁どこまでだ﹂
﹁四階層です﹂
俺は、少し道をずれ、リュックサックを置いて中を確認する振り
をしながら、聞き入った。
情報収集は大切だ。
パーティーの探索者が騎士の顔を窺う。
このパーティーでも騎士が偉いみたいだ。
そういうものなのかね。
﹁四階層には何がいる﹂
騎士が直接入り口の探索者に話しかけた。
﹁ミノです。一階層から、ニードルウッド、グリーンキャタピラー、
コボルトです﹂
﹁三階層のコボルトはやってられんな。四階層からにしよう﹂
やっぱりこの迷宮の魔物の組み合わせは駄目みたいだ。
騎士がパーティーの探索者を見て、うなずいた。
280
やお
ちいほ
﹁八百千五百のお宝を、収めし蔵の掛け金の、アイテムボックス、
オープン﹂
あれがアイテムボックスの呪文か。
パーティーの探索者が何か取り出す。
銀貨
よく見えなかったが、取り出したのは銀貨だ。
さすが、鑑定は役立つ。
入り口の探索者が受け取り、やはりアイテムボックスを出して銀
貨をしまった。
﹁友に応えし信頼の、心のきよむ誠実の、パーティー編成﹂
入り口の探索者が続いてなにやら唱える。
こっちがパーティー編成の呪文か。
パーティー編成なんかしてどうするつもりなのかと思っていると、
パーティーにいた探索者と二人で迷宮の中に入っていった。
そしてすぐに戻ってくる。
騎士側のパーティーにいた冒険者がやはりパーティー編成呪文を
唱えた。
﹁よし。四階層から行くぞ﹂
281
騎士が宣言し、六人が迷宮の中に入る。
全員が消えるのを見届けずに、俺も町の方へと歩き出した。
あれは何をしていたのか。
多分、探索者二人で四階層まで行ってきたのだろう。
探索者のダンジョンウォークは、一度行った場所なら迷宮内を移
動できる。
六人が移動するところを何度か見たし、唱えた本人だけではなく、
パーティーメンバーなら有効なのだろう。
迷宮入り口に立っていた探索者は、案内人で、四階層に行ったこ
とがあるのだろう。
新しく来たパーティーの探索者はもちろんこの迷宮に入ったこと
がない。
二人がパーティーを組めば、四階層に行ったことのある案内人の
探索者が四階層に行ったことのない探索者を連れて四階層に行ける。
一度四階層に連れて行ってもらえば、次からは四階層に行ったこ
とのない探索者も自分のパーティーを連れて四階層に行くことがで
きる、という仕組みだ。
パーティーメンバーが五人以下ならば、案内の探索者が全員を連
れて行くのかもしれない。
巧いこと考えてるもんだ。
俺も利用すべきか。
しかし、下の階層へ行けば魔物も強くなるだろう。
自分の強さが分からない以上、一階層ずつ順番に降りていくのが
安全だ。
282
昨日、冒険者ギルドで二人の冒険者が出てきたのも、同じことを
やっていたのだろうか。
フィールドウォークを使える冒険者が二人いて、片方が行ったこ
とのある町であれば、一度二人で移動することで、両方ともその町
に行けるようになる。
この世界では、人の往来はかなり自由で頻繁だと考えていいのだ
ろう。
迷宮の入り口から少し離れたので、キャラクター再設定でデュラ
ンダルを消す。
ボーナスポイントが1ポイントあまっていた。いつの間にかレベ
ルアップしたようだ。
使い勝手が分からないクリティカル率上昇とMP回復速度上昇に
1ずつ振ってあるポイントと、ワープをはずし、4ポイント消費し
てフォースジョブを獲得する。
ジョブ設定を利用してジョブを整えた。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv8 英雄Lv6 戦士Lv5 剣士Lv1
装備 シミター 皮の鎧 サンダルブーツ
一日としては驚異的な伸びだと自画自賛しておこう。
いったん宿屋に戻って生薬生成を行った後の売却額は千九百十一
ナール。
283
今日一日の売上は計四千二百七十六ナールだ。
昨日拾ったリーフの分もあるが、ワンドを売っていないから、差
し引きすればそんなに変わらないだろう。
ワンドは、アイテムではなく装備品の杖だから、多分武器商人に
でも売るのではないかと思う。
金貨一枚には足りないが、一日の稼ぎとしてはかなりのものでは
ないだろうか。
装備品を整えたり、衣料を買ったり、こまごまとした日用品が必
要になれば、もっとお金を使うのかもしれないが。
今のところ、使うのは宿賃二百二十四ナールとお湯二十ナールだ
けだ。
お湯を頼むときに何故三割引が効かないのかは謎である。
夕食を取ったら、今日はもう寝る。
すっかり早寝早起きの健全な生活が身についてしまった。
日が暮れたら本当にやることがない。
もう一回迷宮に入るという手もあるが、途中で眠くなったら危険
だし。
早く寝れば、早く起きる。
というわけで、次の日も暗いうちから迷宮行きだ。
ジョブ設定をはずしてつけたワープで、二階層の入り口に出る。
見た目だけでは一階層の出入り口のある小部屋と区別がつかない
が、多分二階層だろう。
284
今回のワープは、あまり気分が落ち込まなかった。
レベルアップしたおかげか。
とはいえ、まだ連続で使うつもりはない。あれは本当にきつかっ
た。
一階層では二階層への出口は右にあったので、二階層では左に進
んでみる。
左側の道は、入った先に十字路があった。
一階層とは違う。無事二階層にこれたようだ。
ニードルウッド Lv2
最初に遭遇した魔物は、一階層と同じニードルウッドだった。
二階層は何とかいう魔物になるんじゃないのか。
Lv2というのは、単に二階層だから、ということだろうか。
デュランダルで袈裟がけにし、一撃で斬り捨てる。
ニードルウッドもLv2で強くなっているのかもしれないが、デ
ュランダルを使えばやはり一発だった。
まあ俺がレベルアップしたおかげもあるのだろう。
あるいは、ジョブを四つ重ねている効果とか。
あると思いたい。
グリーンキャタピラー Lv2
285
次に遭遇したのが、グリーンキャタピラーだ。
そうそう。二階層はグリーンキャタピラーだった。
二階層は二種類の魔物ということだろうか。
緑色のでっかい芋虫である。
正直かなり気持ち悪い。
中型犬くらいの大きさのブヨブヨの幼虫だ。いや、中には筋肉が
つまっているのかもしれないが。
観察もそこそこに駆け寄った。上段からデュランダルを振り下ろ
す。
糸
こっちも一撃のようだ。
緑の煙が消えると、束になった糸が残った。
その後何匹か狩ったが、出てきたのはニードルウッドLv2かグ
リーンキャタピラーLv2だ。
二階層は二種類の魔物のどちらかであるらしい。
などと考えていると、今度は両方の魔物と遭遇した。
ニードルウッド Lv2
グリーンキャタピラー Lv2
286
二匹連れなのか、たまたま居合わせただけか。
あの魔物が大量に潜んでいた小部屋を除けば、迷宮内の道で複数
の魔物に出会ったのは初めてだ。
まずは寄ってきたニードルウッドにデュランダルを叩き込む。
続いてグリーンキャタピラーの方を、と見ると、魔物の胸部の下
にオレンジ色の魔法陣ができていた。
魔法陣はすぐに消え、グリーンキャタピラーが何かを吐き出す。
糸だ。
魔物の口から糸が吐き出され、俺の正面を広く塞いだ。
四方八方に大きく広がりながら、飛来する。歌舞伎の蜘蛛の糸を
見ているような感じだ。
デュランダルを振って幾分かは巻き取るが、全部は防げなかった。
防ぎきれなかった糸が手足や頭に絡みつく。
気持ち悪い。だけではなく、手足を自由に動かすことが難しくな
った。
粘着テープを体に巻きつけられたような感じだ。
腕の動きを確保しようともがいている間に、グリーンキャタピラ
ーの体当たり攻撃を受けてしまう。
不自由な足でなんとか耐え、デュランダルを振り下ろした。
糸による拘束は攻撃力に影響しないのか、あるいは影響を受けて
なお撃破するだけの攻撃力を保てたのか、グリーンキャタピラーは
やはり一撃で沈んだ。
287
糸
魔物が消えると同時に、体に絡みついていた糸も消える。
ドロップアイテムの普通の糸が残った。
グリーンキャタピラーは糸を吐いてこちらの行動を制約するとい
う特殊攻撃をしてくるようだ。
一匹二匹なら多分問題はないが、大量に湧いたらどうしようか。
一階層にあったあの小部屋のように⋮⋮。
まずい。
かなりまずい結果しか思い浮かばない。
複数のグリーンキャタピラーに囲まれたら、四方から糸を吐かれ、
動きの鈍くなったところをめった打ちにされるだろう。
こちらの動きが鈍くなれば、殲滅速度が遅くなるだけでなく、デ
ュランダルによるHP回復も遅れることになる。
魔物からの攻撃に耐えられるだろうか。
何か対策を考えた方がいいか。
もちろん、何の対策も採らない、という手もある。
考えてもみるがいい。
あそこまで大量に魔物が湧く小部屋は、かなり稀なトラップでは
ないだろうか。
一階層には、見習いを含む騎士の六人パーティーや、ボス待ちの
部屋に来たレベルの低いパーティーもいた。
288
あの人たちは魔物が大量に湧いた小部屋に対応できるのだろうか。
俺がなんとかなったのはデュランダルのおかげであり、レベルの
低いパーティーでは対応できないのではないかと思う。
それなのにあの人たちが迷宮内にいるということは、大量の魔物
と遭遇するような危険性は実際にはかなり低いということを示唆し
ている。
大量の魔物が湧く危険性がそんなに高いのなら、レベルの低いパ
ーティーは迷宮にはいないだろう。
レベルの低いパーティーが実際迷宮にいるということは、大量の
魔物が湧く危険性はそんなに高くないということだ。
あまりに楽観的なような気もするが、現実はこんなものかもしれ
ない。
あのレベルの低いパーティーも二階層にやってきているだろう。
あの人たちが二階層で戦っていけるなら、俺にもできるはずだ。
とはいえ、危険を放置するのはまずい。
迷宮では安全を過信したやつから死んでいくだろう。
一度あることは二度ある。
魔物が大量に湧く小部屋を経験した以上、これからもあると考え
ておくべきだ。
ではどんな対策を採るか。
対策の一つは、レベルアップを続けることだ。
レベルが上がればそもそもの殲滅速度が速くなるだろうし、HP
や体力も上がるだろう。
グリーンキャタピラーから攻撃を受けても蚊に刺された程度の痛
みしか感じないようになれば、袋叩きにされても問題はない。
289
ただし、そこまでいくのにどれだけレベルを上げる必要があるの
かと考えると、相当に大変だろう。
大量のグリーンキャタピラーに囲まれても大丈夫だと、いつどう
やって判断するのか、という問題もある。
ロクサーヌを買い取るのに期限も設定されている。のんびりとレ
ベルを上げているわけにはいかない。早く下の階層へ行って、金を
稼がなければならない。
もう一つできる対策は、複数の魔物に対する攻撃手段を獲得する
ことだ。
集団リンチされて困るのなら、その集団をまとめて攻撃すればい
い。
オーバーホエルミングやラッシュは複数攻撃のスキルではなかっ
た。
剣士のスキルであるスラッシュも使ってみたが、ラッシュとあま
り変わりはないようだ。というか、スラッシュは剣士版のラッシュ
という感じなのだろう。
現実問題として、剣を使って複数の敵を同時に攻撃することは難
しい。
分身のスキルでもなければ、無理なのではないかと思う。
しかし、剣が駄目であれば、魔法がある。
魔法を使えば、全体攻撃も可能なのではないだろうか。
村の商人は、魔法使いになるには五歳までに特別な薬を服用しな
ければならないと言っていた。
おそらくなんらかのアイテムだろう。
290
では五歳をとっくにすぎている俺は魔法使いになれないのか。
可能性として考えられるのは、魔法を使ってみることだ。
ものを盗んだとき盗賊になり、農作業をしたときに農夫のジョブ
を得、迷宮に入ったことで探索者のジョブを獲得した。薬草採取士
も薬草を拾ったことで入手したジョブだろう。
それならば、魔法を使えば、魔法使いになれるのではないだろう
か。
もっとも、空間魔法や移動魔法では魔法使いのジョブを得ていな
い。
考えてみれば当然だ。ダンジョンウォークで魔法使いのジョブが
獲得できるのなら、探索者なら誰でも魔法使いになれることになる。
空間魔法や移動魔法ではなく、攻撃魔法を使わなければならない
だろう。
魔法使いはきっと攻撃魔法を使える。
商人になるには何かを売らなければならないし、戦士になるには
戦わなければならないし、剣士になるには剣を振らなければならな
いのだろう。
俺は全部やった。
それならば、魔法使いになるには、攻撃魔法を使わなければなら
ない。
ニワトリが先か卵が先か。
魔法使いになれば攻撃魔法が使えるが、その魔法使いになるには、
攻撃魔法を使わなければならないのだ。
だからこそ、特別なアイテムが必要なのだろう。
291
しかし俺にはボーナス呪文がある。
ボーナス呪文は魔法使いでなくても使えるはずだ。
現にワープは使えている。
ボーナス呪文にある攻撃魔法を使えば、魔法使いのジョブが獲得
できるのではないだろうか。
英雄Lv1のときにはMPが足りなかったボーナス呪文の出番が
やってきたようだ。
292
魔法使い
メテオクラッシュ。
英雄Lv1のときにはMPが足りず使えなかったボーナス呪文だ。
ジョブを四つ重ねがけし、英雄Lv6まで成長した今なら使える
だろうか。
メテオクラッシュを使って魔法使いのジョブが入手できればそれ
でよし。
もし魔法使いのジョブが得られなくても、メテオクラッシュが全
体攻撃魔法なら、俺はそもそもの目的である敵の集団に対する攻撃
手段を獲得できたことになる。
キャラクター再設定と念じた。
ボーナスポイントが1あまっている。探索者がレベルアップした
ようだ。
ワープをはずしてジョブ設定を取得し、あまっていたポイントで
ボーナス呪文のメテオクラッシュにもチェックを入れる。
念のため、ダンジョンウォークで一階層に移動した。
ニードルウッドを二匹狩ってMPを満タンにする。
そして次に現れた魔物に。
喰らえ。
メテオクラッシュ。
293
⋮⋮。
念じて見るが、何も起こらなかった。
駄目だったか。
ニードルウッドはとぼとぼとこっちへやってきて、枝を振って攻
撃を喰らわせようとする。
やむなくデュランダルでなぎ倒した。
英雄Lv6でまだMPが足りないのか。
どれだけ必要なのだろう。
消費MPが多いということは、その分威力のある魔法に違いない。
せめてそう考えて自分を納得させる。
使えたときが楽しみだ。
メテオクラッシュは使えなかったが、俺は別に落ち込んではいな
い。
想定の範囲内だ。
こんなこともあろうかと。
俺はもう一度キャラクター再設定を念じる。
MP全解放。
これだ。
294
名称的に、現在の全MPを解放して敵を攻撃する攻撃魔法だろう。
解放するのだから、現在のMP量にかかわりなく使えるのではな
いだろうか。
ゼロにするだけなら、MPが一だろうが百だろうが百万だろうが
ゼロにできる。
MPが足りないということにはならないと思う。
問題は、そのゼロになることにあるわけだが。
MPがゼロになっても大丈夫だろうか。
少なくとも、今までにないくらい気分が落ち込むことは疑いない。
HP全解放と違って、命に別状はないだろうが。
一応、この前美人騎士たちがいた小部屋の近くで試そう。
何かあったときにすぐ逃げ込めるように。
あそこには魔物が出ないみたいだから、格好の逃げ場所だろう。
出入り口の小部屋も考えたが、人が通りそうなところはあまりよ
ろしくない。
いざというとき外に逃げ出せる利点はあるが、外に出たところで
今の時間は真っ暗だ。危険性はそう変わらないだろう。
小部屋の入り口近くで魔物を探す。
入り口近くという条件がきつすぎたせいか、魔物はなかなか現れ
なかった。
ようやくニードルウッドを見つけたのは、入り口からはやや離れ
た場所だ。
引っ張れるか。
俺は魔物に背を向け、小部屋の方へと走り出した。
295
少し行ったばかりのところで、背中から攻撃を浴びる。
ニードルウッドは思ったよりも速く移動できるらしい。
振り返り、魔物を見据えた。
MP全解放と念じる。
体から何かが抜けていった。
同時に、猛烈に嫌な感じが襲ってくる。
MPが︱︱気力か精神力か、何かそういった類のものが︱︱抜け
ていったのだろう。
成功だ。
いや、成功してしまった。
失敗すればよかったのに。
目の前にいたニードルウッドが爆ぜる。
煙となって飛び散った。
なんということをしてしまったのだろう、俺は。
こんなところを他の魔物に見つかったら、絶対に殺される。
俺は弱い。才能もない。馬鹿だ。何の取り柄もない。最低の人間
だ。
異世界で生きていこうなど、思い上がりも甚だしい。
地球でだってろくな行き場も見つけられなかったのに。
俺などどこかでのたれ死ぬのが関の山だ。
あの美人のロクサーヌなど手に入れられるものか。相手にもして
くれないに違いない。
あれは奴隷商人の罠だ。陰謀だ。ペテンだ。詐欺なのだ。
296
ブランチを拾い、小部屋に飛び込む。
こんなときでもブランチを拾うなどと。せこい。せこすぎる。
どこまで卑小で醜い守銭奴なのか。
小部屋の中で一息ついた。
安全な場所で震えているのが俺みたいなやつにはふさわしい。
小部屋の中は安全だろう。
予め逃げ場所を確保しておくなんて、なんてできの悪いやつなん
だ、俺は。
考えてみろ。
今のこの状態はMPが空になっているから起こっている。
そこから回復するにはどうするか。
デュランダルのMP吸収を使うしかない。
それなのに魔物のいない場所に逃げ込んでどうするのか。
逃げ場所など用意せず、嫌でも魔物と戦わざるをえないように仕
向けるべきだったのだ。
下手の考え休むに似たり。やる気のある無能な味方ほど恐ろしい
ものはない。
姑息な策など弄しようとするから、こうなるのだ。
では外に出るべきか。
何を考えているんだ。馬鹿か、俺は。とんまか。間抜けか。阿呆
なのか。
今外に出て、魔物にかなうわけがないだろう。
馬鹿で愚図でヘタレなチキン野郎は、魔物の出ない小部屋で怯え
ているのがお似合いだ。
297
いや、ここは本当に魔物が出ないのか?
そんなことを誰が決めた。
憶測だ。
阿呆で間抜けな俺の希望的観測に過ぎない。
そうだ。ここだって安全とは限らない。
逃げよう。
逃げる。
どこへ?
安全な場所などあるものか。
どこへ行っても危険、どこへ行っても敵だらけだ。
逃げ場も、安息の地もない。
俺はきっとここで死ぬのだ。
クソッ、クソッ、クソッ。
俺はなんとか気力を振り絞って、小部屋の外に出た。
戻れ。死にたいのか。
いや。戻っても同じことだ。
小部屋の中にもそのうち魔物が湧くだろう。
どうせ俺では魔物に勝てない。
そうだ。
ここが俺の墓場だ。
ふらふらと歩き出す。
せめてギルドでMP回復薬を買っておくべきだった。
俺はそんなことにも気づけない間抜けなのだ。
惨めにのたれ死ぬのがせいぜいだ。
298
洞窟の奥に、ニードルウッドが現れた。
逃げろ。
まだ間に合う。
さっきの小部屋に駆け込めるはずだ。
いや。間に合わない。
俺なんかが間に合うはずがない。
逡巡しているうちに、ニードルウッドが迫ってくる。
デュランダルを振ったのは、半ば無意識だった。
生存本能か。はたまた戦闘を続けている間に型として身についた
ものか。
デュランダルの剣先が魔物を捉える。
ニードルウッドを横から斬り払った。
こんな状態でも、もちろん一太刀で撃破だ。
気分が落ち込んでも攻撃力に変わりはないらしい。
当然といえば当然か。
肩を落とし、大きく息をはいた。
きつかった。
万全ではないが、いくぶんMPも回復したようだ。
さっきまでの悲観は霞がかかったかのように淡くなっている。
やばかった。
本当にきつかった。
299
かつてないほど落ち込んだ。
これがMPゼロの恐怖か。
こんなことは二度とごめんこうむりたい。
大丈夫。俺はやればできる子だ。
自分で自分に言い聞かせる。
改めて辺りを見回すと、回復を祝うかのように、リーフが残って
いた。
さらに三匹のニードルウッドを狩ってMPを溜める。
最初の悲観は嘘のように消え失せた。
ジョブ設定を行う。
魔法使い Lv1
効果 知力小上昇 MP微上昇
スキル 初級火魔法 初級水魔法 初級風魔法 初級土魔法
あった。
あったはいいけども。
初級火魔法というのは、あまりに不親切じゃないか。
これで使えるのだろうか。
フォースジョブの剣士Lv2を魔法使いLv1と取り替える。
二階層に移動した。
300
まだ全体攻撃魔法が手に入ったとは限らないが、隠し部屋のあり
そうな突き当りを避ければ、二階層でも大丈夫だろう。
ダンジョンを歩きながら、初級火魔法と念じる。
何も起こらなかった。
火、炎、火炎、火魔法、ファイヤー、ファイヤーボール。
いろいろ念じていくと、いきなり頭上が明るくなった。
見れば、火の球ができている。
おおっ。
これだ。
ファイヤーボールか。
火の球は前の方に向かって飛んでいった。
成功だ。
ついに魔法を取得した。
俺は火球の飛んでいく先を見つめる。
現実に魔法が使えるというのは、えもいわれぬ感動がある。
あの火の球は俺が創り出したのだ。
すごい世界に来てしまったものだと感激にむせぶ。
移動魔法や空間魔法は使えていたが、火魔法というのはまた格別
だ。
自然現象を自分の力で起こせたのだから。
感慨もひとしおである。
301
どん底に落ち込んだことも、過ぎてしまえばいい思い出だ。
こうして魔法が使えるようになったことを思えば、屁でもない。
火の球は、薄暗い洞窟を赤く照らしながら進み、やがて消え失せ
た。
しばらく魔法使いになった喜びにひたる。
別に何かが変わったわけではない。俺は俺だ。
しかし魔法を使えるようになったのは事実である。
MP回復のため、次に出てきたグリーンキャタピラーはデュラン
ダルで倒した。
その次に出てきたニードルウッドにファイヤーボールをぶち込ん
でみる。
木の魔物が火にまみれた。
おおっ。
すごい。
さすが魔法だ。
やがて火が消える。
一発で倒しきることはできなかったようだ。
くすぶった煙を上げながら魔物がやってきた。
まあ、初級魔法だし、レベルも低いしな。心なしが動きが鈍いよ
うに感じるのはダメージが残っているせいだろうか。
迫るニードルウッドにデュランダルを浴びせる。難なく一太刀で
伐り倒した。
初級火魔法がファイヤーボールなら、初級水魔法はウォーターボ
ールか。
302
俺はもう一匹デュランダルで魔物を狩ってから、ウォーターボー
ルと念じる。
頭上に水の球ができて、正面に飛んでいった。
これが水魔法か。
グリーンキャタピラーを狩ってMPを回復してから、次に現れた
ニードルウッドにウォーターボールをお見舞いする。
魔物は水球の勢いに押されて一瞬たじろいだが、すぐに立て直し
てこちらにやってきた。
ダメージを受けている形跡はない。
待ちかまえてデュランダルで一撃にする。
ニードルウッドは植物の魔物だから、水魔法より火魔法の方が有
効かもしれない。
その辺は要研究だな。
水魔法の次は風魔法だ。
風ならウインドボールだろうか。
ウインドボールと念じてみるが、何も起こらない。
ウインドアロー、ウインドストーム、ウインドカッター⋮⋮。
どれも違った。
火魔法はファイヤーボールで水魔法はウォーターボールなのだか
ら、風魔法もなんとかボールだろうか。
ウインドボール、エアーボール、ブラストボール、ゲールボール、
タイフーンボール、トルネードボール、ブリーズボール。
303
これだ。
ブリーズボールと念じると頭上になにやらできて、正面に飛んで
いった。
おそらく風の球ができたのだろうが、目には見えない。
ただ風の音だけが聞こえた。
ブリーズ
そよ風か。初級風魔法だもんな。
初級でトルネードはねえよ。
魔物を狩ってMPを回復したら敵に試してみよう、と思っていた
ら、次に出た魔物は二匹連れだ。
ニードルウッド Lv2
ニードルウッド Lv2
やはり二階層からは二匹連れのこともあるのだろう。
俺はファイヤーボールが複数の敵に有効かどうか試してみること
にした。
二匹の魔物を見据えてファイヤーボールと念じる。
火の球が俺の頭上に現れ、⋮⋮二匹の魔物の真ん中をすり抜けて
いった。
⋮⋮うん。まあそうだよな。
二匹の魔物だからといって二個のファイヤーボールが現れたりは
しないようだ。
304
火球を敵に当てるには、きちんと標的を狙わなければならないの
だろう。
二匹の魔物をターゲットに指定したので、ファイヤーボールは二
匹の魔物の真ん中を抜けていったのだ。
俺はデュランダルを水平にかまえ、左のニードルウッドに向けて
スイングする。
聖剣がニードルウッドを切り裂いた。
続いて振り上げた剣で右の魔物の枝を受ける。力押しに弾き、脳
天から斬り落とした。
ブランチを拾い、リュックサックに入れる。
ファイヤーボールは全体攻撃魔法ではないようだ。
遠距離の敵に使えるが、標的はあくまで一つである。
では全体攻撃はないのか。
ファイヤーアロー、ファイヤーウォール⋮⋮。
と念じると、目の前に火の壁が出現した。
下から上まで、幅一メートル半くらい、高さ二メートル以上にわ
たって燃えている。
火は、十何秒かの間、燃え続けた。
ファイヤーウォールか。
全体攻撃魔法というよりは防御魔法という感じだ。
たくさんの敵に囲まれたときに使えば役に立つのだろうか。
全体攻撃魔法はないのか。
ヘルフレイム、バーンアタック、ボルケノイラプト⋮⋮。
305
いや。ファイヤーボールにファイヤーウォールだったのだから、
ファイヤーがつく可能性がある。
ファイヤーストライク、ファイヤーアタック、ファイヤーストー
ム。
と、体の中から何かが抜ける気配がした。
MPを消費したのだろう。
今のファイヤーストームがきっかけだ。
しかし、MPを消費した感じはあるが、何も起こらない。
失敗したのか。
そうではなく、ここには敵がいないからだろう。
魔物に対して直接働きかける魔法なんじゃないだろうか。
俺は魔物を二匹狩ってMPを回復させる、
その次に現れたグリーンキャタピラーにファイヤーストームをお
見舞いした。
薄暗い洞窟の中を赤い火の粉が舞う。蛍を見ているような感じだ。
火の粉が魔物の周囲に集まり、グリーンキャタピラーに襲いかか
った。
青虫が赤く燃える。
魔物は、一度苦しげに体を振ったが、火が消えるまで耐え切った。
ファイヤーストームも一発では倒せないようだ。
くすぶりを残すグリーンキャタピラーにデュランダルを叩き込む。
脳天から切り裂き、魔物にとどめを刺した。
魔法名はファイヤーストームで間違いない。
306
どうやって敵を認識しているのだろうか。あるいは魔物にのみ効
果があるのか。
後は、全体攻撃魔法かどうかの確認だな。
次に二匹連れの魔物が出てきたときに試すか。
と思ったが、そろそろいい時間だろう。
一度外に出てみることにする。
迷宮の外はまだ暗く、迷宮から見るとベイルの町の向こう側が青
白く光っていた。
まもなく日の出だ。
ばっちりだったな。
腕時計もケータイもない分、この世界に来てからは体内時計の感
覚が鋭くなったような気がする。
実際のところは排水タンク容量との兼ね合いかもしれないが。
過信は禁物だ。
一度宿に帰って朝食を取ってから、再度迷宮に入る。
二階層へ行き、デュランダルで魔物を狩ってMPを回復しつつ、
魔法のテストを続けた。
最初に現れたグリーンキャタピラーにブリーズボールをぶつける。
やはり一撃では倒せなかったが、魔物の表面に細かい傷ができて
いたので、ダメージは与えただろう。
次のニードルウッドはデュランダルで狩ってMPを回復してから、
ウォーターウォールと念じた。
正面に水の壁ができる。
307
大きさはファイヤーウォールと同じくらい。明らかにファイヤー
ウォールの水版だ。
別に激流になっているわけでもないので、これで魔物を防げるか
どうかは疑問である。
火魔法を使ってくる相手に対して防御幕を張る、という使い方を
するのか。
時間が経つと、壁が崩れ、水は床へと落下した。
周囲に水が散る。
俺のズボンにもかかってしまった。
火と違って、水は簡単には消えないようだ。
当たり前か。
いや、当たり前ではないのだろうか。何を判断基準にしていいの
か、よく分からん。
本当に水ができたのか、試しに、横の壁にウォーターボールをぶ
つけてみる。
水球が壁で弾け、しずくが壁を伝って流れ落ちた。
確かに水ができたらしい。
水魔法は便利そうだ。
のどが渇いたときに使える。
真水かどうか分からないが。
ニードルウッドを一匹デュランダルで倒し、次にブリーズウォー
ルを試してみる。
風の壁ができたようだ。
音がした。
308
無色透明なので、見た目には分からない。
見た目で分からなければ使えるのではないか、と考えた俺は、続
いて現れたグリーンキャタピラーの前に風の壁を形成した。
さあ突っ込んでこい。
待ちかまえていると、魔物がブリーズウォールの前で止まる。
グリーンキャタピラーの胸の下に、オレンジ色の魔法陣ができた。
失敗した。
見た目ではほとんど分からないブリーズウォールだが、グリーン
キャタピラーには分かるらしい。
しかも、こっちから攻め込むには風の壁が邪魔だ。
少し時間を置いて、魔物が糸を吐く。
ブリーズウォールが消えるのを計っていたようだ。
ここでも失敗した。
せめて壁がある間に逃げておくべきだった。
糸が絡まる。
解こうともがいていると、グリーンキャタピラーの体当たり攻撃
を受けてしまった。
再び体当たりをかまそうと近づいてきた魔物にデュランダルを振
り下ろす。
魔物が倒れ、糸が残った。
一撃で倒せたので、大事には至らずにすんだ。
壁魔法は使いどころが難しいようだ。
どうやって使うのだろう。
309
というか、魔物が糸を吐くときにこそ、ファイヤーウォールでも
張って守るべきだったのか。
失敗した。
壁魔法は幅一メートル半くらいの大きさでできるから、横に動け
ば移動して攻撃できる。
洞窟の道を塞ぐには、二枚張る必要があるだろう。
火、水、風と試したので、次は初級土魔法だ。
土はなんだろう。
サンドボール。
おおっと。一発で成功した。
頭上に土の球ができ、前方に飛んでいく。
サンドボールだから砂の球というべきか。
魔物を一匹狩った後、サンドウォールも試してみた。
土の壁だ。ファイヤーウォールの土版。
時間が経つと、消え去るのではなく、ウォーターウォールと同じ
ようにバラバラと崩れて、砂が残った。
しかし砂では、魔法で創り出しても使い道はなさそうな。
グリーンキャタピラー Lv2
グリーンキャタピラー Lv2
魔物をもう一匹狩ってMPを回復すると、次に現れたのはグリー
310
ンキャタピラーの二匹連れだった。
ちょうどいい。
ファイヤーストームと念じる。
火の粉が舞い、二匹の魔物に襲いかかった。周囲が赤く染まる。
やはり全体攻撃で間違いない。
ファイヤーストーム一発では倒せないだろう。
糸を吐かれる前に倒さなければならない。
俺は火まみれになっているグリーンキャタピラーの右側のやつに
デュランダルを浴びせる。
続いて、火が消えたばかりの左側の魔物にもデュランダルをお見
舞いした。
311
青信号
結局、使える魔法は四系統三種類ずつの計十二個だ。
他にあるのかもしれないが、ちょっと分からない。
ファイヤーヒット、ファイヤーシュート、ファイヤートルネード
など、思いつく限りにいろいろ試してみたが、駄目だった。
使えるのは、単体攻撃を行うボール、防御壁を作るウォール、全
体攻撃魔法ストームの三種類である。
それぞれ、火魔法にはファイヤー、水魔法にはウォーター、風魔
法にブリーズ、土魔法ならサンドがつく。
水魔法が治癒魔法で風魔法が移動魔法とかいうこともないようだ。
ウォーターヒールとかウインドウイングとか。試してみた範囲内
だから、他にある可能性は否定できない。
とりあえず、これだけ使えれば十分だろう。
次に試してみるのは、魔法だけで魔物を倒せるかどうかだ。
ニードルウッド Lv2
現れた魔物にファイヤーストームをお見舞いする。
出てきたのは一匹だが、敵の集団と戦うことを想定すれば、ファ
イヤーストームで試してみなければならないだろう。
MPが抜けた感じが分かる。単体攻撃のボールよりも全体攻撃の
312
ストームの方が消費MPが多い。
火の粉が舞い、ニードルウッドに襲いかかった。植物が燃え上が
る。
一発では倒せなかったので、二発めも放った。
二発めでも駄目だ。
魔物が接近する。
三発めを撃つ前に、攻撃を受けた。振られた枝を剣で受ける。
真っ赤に燃えながらこちらに迫ってくる姿は鬼気迫るものがある。
逃げ出したいという気持ちを抑え、三発めのファイヤーストーム
を放った。
勝てそうにない気がしてくるが、きちんと見て冷静に対応すれば
大丈夫だと言い聞かせる。
いざとなればデュランダルで一撃のはずだ。
枝が振られるのをぎりぎりで避けた。
三発めでも倒せないようだ。
四発めのファイヤーストームを念じる。
このまま永遠に倒れないんじゃ。
振られる枝をさばきながら、ネガティブな考えが頭をよぎった。
炎の中、魔物が枝を振る。
攻撃をいつまでもさばききれるものではない。
このままでは死ぬ。
なんとか逃げなければ。
背中を向けて逃げ出したくなったとき、ニードルウッドが倒れ伏
313
した。
ブランチ
燃え落ちてもドロップアイテムは大丈夫らしい。
木の枝を拾ってリュックサックに入れる。
ニードルウッドLv2を倒すのに、ファイヤーストームが四発必
要のようだ。
気分は結構落ち込んでいるが、四発は撃てた。
これ以上放てるかどうかは分からない。
四発は撃てたが、二回連続でこられたら危ない。
あるいは、ファイヤーストームは敵が二匹のときには消費MPが
二倍になるとか。
どうなんだろう。
いかんな。
思考がネガティブになっている。
事実としてそうなのか、ネガティブになっているだけなのか、判
断がつかん。
魔物を二匹デュランダルで狩って、落ち着きを取り戻した。
今まで二回連続で魔物が湧いたことはない。
大量に湧いた小部屋は一回こっきりだし、洞窟内で連続で湧いた
こともない。
魔物が出てくる間隔は結構あいていた。
314
無視することはできないが、連続で出現する可能性にそこまで深
刻になることはないだろう。
また、ファイヤーストームはファイヤーボールよりも消費MPが
多い。
全体攻撃魔法だから単体攻撃魔法より消費MPが多いのだとした
ら、敵が二匹になったのでMPが二倍必要になるとは考えにくいだ
ろう。
増えるとしても、もっと緩やかなものになるはずだ。
冷静に判断して、ファイヤーストーム四発で倒せるならなんとか
なりそうか。
ニードルウッドもグリーンキャタピラーとそんなには違わないだ
ろう。十回二十回ということにはならないはずだ。
これで当初の目的である魔物が大量に湧いたときのめどは立った。
次に考えるのは、これから魔法中心で戦うかどうかだ。
魔法で戦うなら、デュランダルをしまえる。
デュランダルをしまえば、武器六に使っているボーナスポイント
を経験値アップのスキルに回すことができるだろう。
デュランダルをつけるのに使っているポイントは武器六までの計
63ポイントだ。
デュランダルをはずせば、各16ポイントずつの必要経験値十分
の一と獲得経験値十倍に加えて、32ポイント消費する必要経験値
二十分の一か獲得経験値二十倍のどちらかをつけられる。
現状つけているのは必要経験値五分の一と獲得経験値五倍だから、
都合八倍も経験値効率が異なることになる。
315
デュランダルをしまうのは、正直怖い。
デュランダルには、魔物を一撃で屠れる高い攻撃力と、HP吸収
にMP吸収もある。
HP吸収があるから多少魔物の攻撃を喰らっても平気だし、いざ
となればスキルや魔法を連発することもできる。
デュランダルで戦っている限り、この階層で俺が死ぬことはない
だろう。
そのデュランダルをはずすことには恐怖を覚える。
心細いことこの上ない。
安全を取るか、八倍を取るか。
安全第一でいくなら、このままデュランダルを使うべきだ。
いざというときにはもちろんデュランダルが役に立つ。
具体的にどんな場合か、といわれるとちょっと困るが。
可能性だけならいろいろ考えられる。
ものすごく強いボスが突如現れるとか。
あるいは、それは杞憂というべきだろうか。
迷宮とは戦場であり、戦場であるからには、絶対の安全はありえ
ない。
杞憂ではなく、どんなことでも起こりうるのが戦場だと考えてお
くべきだろう。
しかし逆にいえば、戦場である迷宮に入る以上、相応のリスクは
負わなければならないということだ。
掛け金を出さなければ払い戻し金はもらえない。
316
合理的に判断するなら、経験値効率八倍を取るべきなのだろう。
長い目で見れば、経験値を稼ぐことで結局リスクは減らせる。
魔法だけで魔物を倒せることは確認した。
冷静かつ論理的にいえば、デュランダルは必要ない。
魔法だけで魔物を倒せるのなら、デュランダルはオーバースペッ
クだ。
決意して、息をはく。
武器六をはずした。
考えてみれば、魔法中心で戦うといっても、デュランダルはしま
いっぱなしではない。
MPを消費すれば回復はデュランダルのMP吸収に頼ることにな
る。
回復薬を買ってくれば別だが、それはもったいない。
運がよければ、いざというときにデュランダルを装備しているこ
とだろう。
ボーナスポイントが1ポイント増えていたので、ちょうど必要経
験値二十分の一と獲得経験値十倍をつけることができた。
MP全解放に入っていたチェックもはずし、MP回復速度上昇に
入れる。表示はMP回復速度二倍に変化した。
少しは役に立ってくれるだろう。
アイテムボックスからワンドとシミターを取り出す。
今まではデュランダルを持っていたので使わなかったが、魔法を
使うのならばワンドが有効だろう。
魔法攻撃力が上がるなどの恩恵があるに違いない。
317
でなければ、杖という武器はそもそも存在しないか、あっても誰
も使わないはずだ。
単純な物理攻撃力なら杖は剣にはかなわない。
それでも杖という武器があるのは、杖という武器に物理攻撃力以
外の恩恵があるからだと考えるのが妥当だろう。
まあ、恩恵が詠唱を補助するとか詠唱が速くなるとかだったら、
詠唱短縮を取得している俺には関係がないが。
シミターも腰に差す。
一応、念のためだ。
ニードルウッド Lv2
現れたニードルウッドにファイヤーボールをお見舞いした。
気のせいかもしれないが、若干大きな火の球ができたように思う。
やはりワンドは有効なのだろう。
火の球が洞窟の中を進んだ。
と、魔物が壁の方へ寄り、火の球を避ける。
ガーン。
いやまあ、魔物だって避けるのは当然か。
一発では倒せないことが分かっていたから、見つけてすぐに撃っ
たのが間違いだった。
ファイヤーストームと違って魔物を標的に直接指定するわけでは
ないから、こちらが巧く狙ってやらなければならないのだろう。
318
すぐに次のファイヤーボールを念じる。しかし巧くいかない。
詠唱を省略しているとはいえ、魔法は連発することができないよ
うだ。
近づいてくるニードルウッドにようやく一撃当てた。
魔法を撃つのにどうも微妙にディレイタイムがかかる気がする。
頭上に火の球ができてから飛んでいくので、その分の遅れもある。
至近距離まで迫った魔物に次の魔法を放った直後、枝が振られる。
ワンドで受け、後ろに下がった。
攻撃を避けつつ、もう一発叩き込む。
振られた枝を避けた。燃えているときに枝が振られるとすごい音
がする。
次に左から振られた枝をワンドで受け、もう一撃当てる。
バチバチと木の燃える音がして、魔物はそのまま崩れ落ちた。
ファイヤーボールでも四発か。
ファイヤーストームとファイヤーボールは、威力としては大差が
ないのだろう。
両方とも初級火魔法だしな。
ワンドを使っても回数までは変わらないのかもしれない。そんな
にたいした武器でもないだろうし。
気分は、少し落ち込んだかな、という程度である。
ファイヤーボールはファイヤーストームに比べてやはり消費MP
量が少ない。
ファイヤーストームをあと四発撃っても多分大丈夫だろう。
319
グリーンキャタピラー Lv2
次に現れたグリーンキャタピラーには少し引きつけてからファイ
ヤーボールを撃った。
魔物はもぞもぞと横に動こうとするが、難なくヒットする。
グリーンキャタピラーは、芋虫の見た目どおり、横の動きは鈍い
らしい。
こちらに来る途中にもう一撃喰らわせる。
魔物が迫ってきた。グリーンキャタピラーの胸元にオレンジ色の
魔法陣ができる。
魔物が糸を吐く瞬間、ファイヤーウォールと念じた。
火の壁が燃え立ち、俺と魔物の間に立ちはだかる。
グリーンキャタピラーが吐いた糸が火の壁にくべられた。軽い音
がして糸が燃え尽きる。
横に移動してファイヤーボールと念じるが、発動しない。
手に持ったワンドを振り下ろし、魔物の頭を叩いた。
グリーンキャタピラーが突っ込んでくる。
ワンドでいなし、体当たりを避けた。
まだファイヤーボールは撃てないようだ。
ワンドで叩くが、次の攻撃はかわすことができず、正面から魔物
にぶち当たられてしまう。
ようやくファイヤーボールができた。
火の球を当てると、魔物が燃えたまま突っ込んでくる。
320
ワンドを押し当て、防いだ。
グリーンキャタピラーが止まったところに、四発めのファイヤー
ボールを撃ち込む。
炎の中、魔物が倒れた。
グリーンキャタピラーも沈めるのにファイヤーボールが四発かか
るようだ。プラス、ワンドでの打撃が二回だが。
デュランダルを使って一撃で倒すのでないと、結構激しい攻防に
なる。
やはりデュランダルで戦うべきだろうか。
今の俺が優先すべき目的は、レベルアップではない。
ロクサーヌを購入するための資金を獲得することだ。
そのためには、なるべく早く攻略を進め、早く下の階層に進まな
ければならない。
魔法で戦うと一回の戦闘で一分余計に時間がかかるとして、一日
に六十回戦闘すれば、一時間迷宮の攻略が遅れることになる。
九十回なら一時間半だ。
現状デュランダルを使えば魔物を一撃で屠れるのだから、次の階
層に進むのにレベルがネックになっているわけではない。
目的を間違えてはいけない。
それにデュランダルを出せば安全だ。
い、いかんいかん。
弱気になっている。
321
キャラクター再設定と念じた。
体当たり攻撃も喰らってしまったし。
あとファイヤーボール四発なら撃てると思うが、ファイヤースト
ーム四発は自信がない。
自信がないのは考えがネガティブになっているからかもしれない
が、ネガティブになっているのはMPの残りが少ないからなので、
慎重にいった方がいい。
ボーナスポイントが1あまっていた。
さすがにすごい成長振りだ。
必要経験値二十分の一と獲得経験値十倍が生きているのは間違い
ないだろう。
デュランダルをつけ、MP回復速度二倍もつける。次はMP回復
速度三倍らしい。
獲得経験値と一緒なら、五倍十倍二十倍と進むだろう。
進めていけば、デュランダルが持つMP吸収スキルの代わりにな
るだろうか。
フォースジョブをはずせばMP回復速度三倍がつけられるが。
まあそこまでする必要もないか。
デュランダルをつけていた方が安全だし。
とりあえずは二倍でがんばってみよう。
魔物を狩ってMPを回復する。
二匹。
こういうときに限って二匹連れで現れるのはなんとかならないも
のか。
322
ジョブ設定とデュランダルをはずした。
冷静に考えれば、レベルが上がったら迷宮入り口の探索者にお金
を払って下の階層に連れて行ってもらうという手がある。
レベルも一つのネックであることに変わりはない。
それに、一時間くらいのロスはすぐに取り返せるだろう。
やはり魔法中心で戦うべきだ。
グリーンキャタピラー Lv2
続いて現れたグリーンキャタピラーにファイヤーボールを浴びせ
る。
さっきのファイヤーウォールがヒントになっていたが、二発めを
撃とうとして分かった。
放った火の勢いが強いうちは次の魔法が撃てないようだ。
おそらく、一度に放てる魔法は一つ、ということなのだろう。
前の魔法が残っている間は次の魔法を発動できないのだ。
二発めを当てると、三発めのファイヤーボールを放つ前に追いつ
かれる。
魔物の胸下にオレンジ色の魔法陣が浮かび上がった。
タイミングを見計らって、ファイヤーウォールを出す。
吐かれた糸が軽い音を出しながらくべられた。
魔法が一度に二つ放てないかどうか実験してみる。
323
⋮⋮やはり火の壁が燃えている間、他の魔法は使えなかった。
ファイヤーボールも、二枚目のファイヤーウォールも出せない。
火魔法だけでなく、ウォーターボールもブリーズボールもサンド
ウォールも出せなかった。
燃えている間はワンドで魔物と相対する。
ワンドで攻撃しつつ、体当たりをいなした。
ファイヤーウォールが消えたので三発めのファイヤーボールを撃
ち込む。続いて四発め。
グリーンキャタピラーが倒れた。
迷宮の洞窟の幅は三メートルくらいある。
対して、ファイヤーウォールでできる火の壁の幅は一メートル半
くらいだ。
一枚しか張れないとなると、洞窟を塞ぐことはできない。
前後を挟まれたときに片側を遮断するというような使い方はでき
ないようだ。
それに、ファイヤーウォールが燃えている十何秒間か魔法を使え
ないのは隙になる。
壁魔法は使いどころが難しい。
ニードルウッド Lv2
洞窟の先で魔物が蠢く。
近づくのを待って、ファイヤーボールを放った。
火が消えるのと同時に二発めを撃つ。
324
三発めを放つ前に、射程内に捉えられてしまった。
枝を受けながら、三発めを撃つ。
接近されて攻撃を浴びる前に四回魔法を撃てれば攻撃を受けるこ
とがなくなるが、そこまで速く撃てるだろうか。
右から振られた枝をワンドで受けた。続いて振られた枝をスウェ
ーして避け、四発めを叩き込む。
燃え上がる火の中、魔物が崩れ落ちた。
気分が少し落ち込んだように感じるが、もう一匹くらいは大丈夫
か。
グリーンキャタピラー Lv2
グリーンキャタピラーにファイヤーボールを放つ。
火が消えると同時に二発め。続いてもう一発。
横の動きが鈍いグリーンキャタピラーは遠くからでも攻撃できる
こと、次の魔法が放てるタイミングが分かってきたことから、攻撃
を受ける前に三回撃つことができた。
グリーンキャタピラーはこちらを攻撃できる距離まで接近するが、
三回燃やされてそのまま倒れる。
個体差があるのか、レベルアップしたので魔法三発で倒せるよう
になったのか。
レベルアップしたおかげであれば嬉しいが、気分が落ち込んでど
うもそうは思えない。
MP回復速度二倍ではデュランダルの代わりにならないようだ。
325
デュランダルをつけようとキャラクター再設定を念じる。
またボーナスポイントが1ポイント増えていた。
キャラクター再設定をしながら考える。
魔法を使うことのリスクがもう一つあった。
魔法を使っているところを誰かに見られても大丈夫だろうか。
セカンドジョブもジョブ設定もボーナススキルだ。
この世界の人が探索者と魔法使いのジョブを同時に持てるかどう
かは疑わしい。
魔法使いは空間魔法を覚えるだろうか。
ワープとダンジョンウォークで移動し、魔法を駆使するのは変に
思われるかもしれない。
じっくり観察されれば、詠唱していないことがばれる可能性もあ
る。
特に一階層で会った見習い騎士は俺のインテリジェンスカードを
見ているので要注意だ。
やはり魔法ではなくデュランダルを出して戦うべきか。
デュランダルがあれば安全だ。
いかんな。
弱気になっている。
デュランダルで戦う理屈ばかりが思い浮かぶ。
デュランダルで魔物を狩り、MPを回復した。
326
この二階層ではまだ誰とも会っていない。
ここにはあまり人がいないと考えていいだろう。
どこの迷宮でもそうなのか、まだ迷宮が見つかって間もないから
なのか、この迷宮の魔物の組み合わせが美味しくないからなのか、
二階層が嫌われているだけなのかは分からない。
糸を吐くグリーンキャタピラーが厄介だということも考えられる。
いずれにしても、人に見られる可能性はそれほど高くないだろう。
魔法を使っているところを見かけただけなら、単に俺のことを魔
法使いだと思って終わりのはずだ。
見習い騎士たちも、一階層でかなりへばっていたから、すぐ二階
層には来ないだろう。
多少のリスクは受け入れるべきだ。
ローリスクローリターン、ハイリスクハイリターンが世の中の常
である。
せっかく使える魔法を使わないという手はない。
ダンジョンウォークやアイテムボックスは、周りに人がいないこ
とを確認してから使う必要があるとしても。
デュランダルをはずすときに、フォースジョブをやめ、MP回復
速度三倍をつけた。
ジョブは、探索者、英雄、魔法使いの三つがあればとりあえずは
十分だろう。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv12 英雄Lv8 魔法使いLv5
装備 ワンド 皮の鎧 サンダルブーツ
327
レベルはすごい勢いで上がっている。
早朝にジョブを獲得したばかりの魔法使いがもうLv5だ。
使っているボーナスポイントは、
必要経験値二十分の一に63ポイント、
獲得経験値十倍に31ポイント、
MP回復速度三倍に7ポイント、
詠唱省略とサードジョブに各3ポイント、
鑑定、ジョブ設定、キャラクター再設定で3ポイント、
の計110ポイントである。
328
黄信号
二階層の本格的な探索を開始した。
ときおりはデュランダルでMPを回復しつつ、基本的には魔法で
魔物を倒していく。
ニードルウッド Lv2
グリーンキャタピラー Lv2
今度は都合よく、デュランダルを出していないときにニードルウ
ッドとグリーンキャタピラーの二匹連れが現れた。
見つけると同時にファイヤーストームをお見舞いする。
ファイヤーストームは魔物に確実に当たるので、引きつける必要
がない。
火が消えると同時に二発めを念じた。
続いて三発め。
グリーンキャタピラーは三発めで斃れる。
ニードルウッドだけが残った。
振られた枝を受け、四発めはファイヤーボールを放って沈める。
ファイヤーストームとファイヤーボールは、魔物一匹に対する火
力としてはやはり大差がないらしい。
グリーンキャタピラーは三発で倒せるようになったが、ニードル
329
ウッドには四回撃つ必要がある。
魔物の数が多いとファイヤーストームの消費MPが格段に増える
ということもなさそうだ。
大量の魔物が湧いて全体攻撃魔法四発で全滅させられるなら効率
がいい。
一階層のように魔物が大量に湧く小部屋はないものか。
と期待しているときに限って、そんな小部屋が出ないのはお約束
なのか。
魔物が大量に湧くトラップは稀のようだ。
突き当りをチェックして小部屋を確認しつつ、ちまちまとデュラ
ンダルを出したりしまったりしながら、魔物を狩っていった。
一度迷宮を出た後、昼すぎからも二階層に入る。
グリーンキャタピラーはウォーターボールでもブリーズボールで
もサンドボールでも三発だった。
特に弱点となる属性はないみたいだ。
ニードルウッドもブリーズボールとサンドボールは四回で倒れて
いる。
火魔法が弱点ということもないらしい。
ウォーターボールは、前に当てたときにダメージを与えていた形
跡がなかったので、試していない。
試してはみたいのだが、なかなかそのチャンスがない。
魔法を四回も放とうとすれば、どうしても敵の攻撃を受けてしま
330
う。
四発撃ったときに倒せなかったとあわてふためくことを考えれば、
テストはデュランダルを装備しているときに行うのが望ましいだろ
う。
しかし、デュランダルを出しているのはMPに余裕がないときだ
から、四発も五発もウォーターボールを撃ちたくはない。
デュランダルを装備しているときにニードルウッドを含む二匹連
れで現れてくれたら、一匹をデュランダルで狩ってMPを回復しつ
つ、一匹に魔法を放つことができるのだが。
そうそう都合よく出てきてくれるものでもなかった。
ニードルウッド Lv2
ニードルウッド Lv2
ようやく出てきてくれたのは、そろそろ今日の探索を切り上げよ
うかというころだ。
左側の魔物にウォーターボールを撃ち込む。
左のニードルウッドが半歩遅れたところに、二発めを当てた。
薄暗い迷宮内だ。周囲を赤く照らす火魔法と違って、ウォーター
ボールでは次にいつ放っていいかの判断が難しい。
ちなみに、魔物からも見えにくいなら遠くから撃っても避けられ
ないのではないか、という希望的観測はきっちりと裏切られた。
グリーンキャタピラーがブリーズウォールを避けたように、何故
か分かるようだ。
331
デュランダルをかまえて足を踏み出す。右側のニードルウッドを
伐り倒した。
左側の魔物が振った枝をぎりぎりで避ける。
三発めのウォーターボールを念じた。
魔物は倒れない。
レベルアップのおかげで、今ではニードルウッドもファイヤーボ
ール三発で倒せるようになっている。
ワンドが効いていた可能性もあるので、四発めも浴びせてみる。
元気に枝が振られた。受け損なって喰らってしまう。
やはり水魔法に耐性があるようだ。
一閃、デュランダルをなぎ払った。
魔物が上下に切り裂かれる。
リーフ
ニードルウッドが煙となって消え、幸運にもリーフが残った。
グリーンキャタピラーは今のところ糸しか落とさない。
魔物によってはレアドロップのないものもいるようだ。あるいは、
確率が違うのか。
リーフも出たことだし、今日の探索を打ち切ることにした。
ワープと念じ、冒険者ギルドの壁を思い出す。
他にも移動できる場所はあるのだろうが、移動していいものかど
うかがよく分からない。
332
あまり変な場所には行かない方がいいだろう。
宿屋であるベイル亭ロビーの内壁に移動してくる人もいたから、
あそこも使えるが、使用しない方がよい。
建物へ移動する魔法は冒険者のフィールドウォークだろう。
冒険者でないのにフィールドウォークが使えては変に思われてし
まう。
冒険者になったのだと強弁することも可能だが、インテリジェン
スカードをチェックされれば俺が冒険者でないことは一発でばれる。
冒険者ギルドの建物内部に出た。
喧騒というほどではない程度に人のいる落ち着いた雰囲気が心地
よい。
孤独な戦場から一瞬で移動してきただけに、なおさらありがたみ
を感じる。
﹁帝都へ片道の人、いませんか﹂
冒険者ギルドの中に出ると、同じように壁から出てきた人が客の
募集をしていた。
帝都か。
行ってみるか。
募集している人も美人だし。
﹁いくらかかる﹂
三十パーセント値引をつけ、訊いてみる。
四十代のおばちゃん冒険者だ。
333
ただし、エルフ、♀。
見た目二十歳そこそこである。
年齢は見なかったことにしよう。
﹁通常は銀貨二枚、片道なので銀貨一枚の固定料金です﹂
﹁うむ﹂
三十パーセント値引は多分効いてないみたいだ。
リュックサックを下ろして巾着袋を取り出し、銀貨を一枚渡した。
﹁そのリュックサックくらいなら大丈夫でしょう。友に応えし信頼
の、心のきよむ誠実の、パーティー編成﹂
エルフの冒険者がパーティー編成呪文を唱えた。
俺の脳裏に、パーティーへの編入を受諾するかどうか、確認メッ
セージが浮かぶ。
イエスと念じると、すぐに消えた。
なるほど。パーティー編成はこんな風になっているのか。
迷宮の入り口でも同じようにパーティーを編成していた。
移動魔法を使って移動できるのは同じパーティーのメンバーだけ
なのだろう。
リュックサックなら大丈夫だと言ったから、何でも運べるという
わけではないようだ。
リュックサックは手荷物扱いというところか。
アイテムボックスの中身は大丈夫だろうか。
などと心配している余裕もなく、エルフの冒険者がフィールドウ
334
ォークを唱える。
目の前の冒険者ギルドの壁が黒く変色した。
迷っている時間はない。
考えてみれば、ダンジョンウォークでもワープでもアイテムボッ
クスの中身は大丈夫だった。フィールドウォークでも問題ないだろ
う。
俺も遅れないようについていく。
壁の向こうには、大きな部屋が広がっていた。
基本的な構造は同じだから、帝都の冒険者ギルドなのだろう。ベ
イルの町の冒険者ギルドの三倍くらいの大きさだ。
カウンターも十列分くらい並んでいる。
パーティー編成呪文の詠唱が聞こえるとともに、パーティー解放
と脳裏に浮かんだ。
一緒に来たもう一人の冒険者が会釈して去っていく。
彼は、自分がパーティー編成呪文を唱えると、続いてフィールド
ウォークを唱えて黒い壁を出し、帝都の冒険者ギルドにいた五人を
連れて入っていった。
あの冒険者はベイルの町に行ったことがなかったのだろう。
そこで、ベイルの町に行ったことのあるエルフの冒険者に一度ベ
イルの町まで連れて行ってもらい、帰ってきてから、自分のパーテ
ィーを連れてベイルの町に行ったのだ。
﹁そういえばこの前、魔法使いがフィールドウォークをやっていた
が、魔法使いでもフィールドウォークを使えるのか?﹂
335
せっかくの機会なのでエルフの女性に訊いてみる。
﹁さあ。聞いたことはありませんが。見間違いじゃないですか﹂
﹁そうか。そうだろうな﹂
﹁では、私はこれで﹂
エルフの女性も立ち去った。
やはり魔法使いがワープやダンジョンウォークを使うのはまずそ
うだ。
もっとも、本当に関心はないという感じだった。他人のジョブや
スキルにいちいち興味は持たないのかもしれない。
俺がイケメンだったら喰いついてきたのだろうか。
くっそー。そういうことかぁ。
俺は一度冒険者ギルドの外へ出る。
帝都には建物がひしめいていた。
レンガの色そのままの茶色っぽい建物だ。
近代的なビルではないだけに、かえって圧迫感がある。
古代ローマとか全盛期のバグダッドとかに迷い込んだ感じだ。
もちろん行ったことはないが。多分、こんな感じだったのではな
いだろうか。
目の前の道は、広く、まっすぐに延びている。
中世の都市は敵を通さないように道が入り組んで作られている、
という話が歴史の副読本に書いてあった。
道がまっすぐな帝都は、それだけ平和なのだろう。
336
日はまだ高い。
ベイルの町とは時差があるのかもしれない。
別に観光に来たわけでもないので、すぐに冒険者ギルドに戻る。
左側に張り紙を出しているボードがあった。
近づいてみるが、やはり読めない。
キョロキョロと辺りを見回すと、綺麗なお姉さんがにこやかにや
ってきた。
﹁お読みいたしましょうか﹂
さすがは帝都のギルドだ。
代読屋のレベルが違う。優雅で上品だ。
年齢は二十一歳の村人。ロクサーヌのような目の覚めるほどの美
人というわけでもないし、服も紺色のだぼだぼの衣装だが、華やい
だ雰囲気がある。
﹁うむ﹂
﹁六分で十ナールになります﹂
値段はベイルの町の探索者ギルドと一緒らしい。
リュックサックを下ろし、銅貨十枚を出してお姉さんに手渡した。
渡すときに指先が触れて、ちょっとドキドキしてしまったのは仕
方がない。男の子だもの。
﹁頼む﹂
﹁では、この時計が落ちるまでになります﹂
砂時計のシステムまで一緒のようだ。
337
お姉さんの腰元を合法的にガン見できるチャンス。
とはいえ、いつまでも見ているわけにはいかない。
くそっ。だから時間課金なのか。
﹁ブランチの買取をしてくれるところがあるか﹂
﹁えっと。冒険者になられたばかりですか?﹂
初心者がするような質問だったのだろうか。
冒険者ですらないが。
﹁どうしてだ?﹂
﹁買取の募集が出るようなアイテムは決まっています。より強い魔
物が落とす手に入れにくいアイテムなどです。ブランチはギルドで
買えば在庫がいっぱいあります。わざわざ買取の依頼を出す人はい
ないでしょう﹂
質問返しをしてみると、親切に教えてくれた。
なるほど。
ブランチの買取依頼なんかあるはずがない。それを探すのはもの
を知らないよほどの初心者ということか。
﹁では、糸なんかもないな﹂
﹁ありませんね﹂
﹁毒消し丸を買い取ってくれるところもないか?﹂
旅の恥はかき捨てだ。
どうせ初心者だとばれたのだから、この際、全部聞いてしまおう。
﹁ギルドで買えますから﹂
338
﹁ワンドなんかはギルドでも買取してくれるのか?﹂
﹁魔物の残したアイテムでも、装備品や腐る食材はギルドでは買い
取りません。装備品は武器商人などに、食材は、料理屋などの売り
先を探すか、自分で消費するか、市の立っている日に売ることにな
ります。アイテムボックスに入れておけば腐りませんから﹂
食材はアイテムボックスに入れておけば腐らないと。
いいことを聞いた。
﹁魔物の討伐の依頼なんかが出ることは?﹂
﹁魔物の討伐は領主の騎士団や戦士団が行う業務です。騎士団のメ
ンバーとして冒険者を雇う募集ならありますが。お読みしましょう
か﹂
まあ魔物の討伐などで稼げるようなら、奴隷商人がそう教えてく
れただろう。
どこの馬の骨とも分からないようなやつにおいしい稼ぎを回した
りはしないということか。
﹁いや。何か単発の仕事を依頼しているようなものは?﹂
﹁フィールドウォークで案内を行う仕事があります﹂
フィールドウォークで稼ごうにも、俺はベイルの町とこの帝都し
か知らない。
そもそもフィールドウォークじゃなくてワープだしな。どこまで
ごまかせるのかという問題もある。
仕方がないので、残りの時間は買取依頼が出ているアイテムを教
えてもらった。
クリアべっ甲、逆鱗、遮蔽セメント、銀の糸。
339
フカヒレとかサーロインとかは食材だろう。そんなアイテムもあ
るのか。
﹁時間になりました。続けますか﹂
﹁いや。もういい。ありがとう﹂
延長よりもアフターがしたい。
﹁アイテムの買取なら、ここよりもクーラタルの探索者ギルドに多
くの依頼が出ていると思いますよ﹂
﹁クーラタルの探索者ギルドか。分かった﹂
分かっていないが。
名前を聞いたのも初めてだ。
わざわざ教えてくれた親切なお姉さんと別れる。
その後、カウンターで買取をしてもらった。
﹁一番安い疲労回復薬は何になる﹂
せっかくなのでカウンターのお姉さんに訊いてみる。
﹁強壮丸ですね。六十ナールになります﹂
﹁一番安い傷薬は﹂
﹁滋養丸。こちらも六十ナールです﹂
結構高い。
デュランダルの代わりにほいほい使ったら赤字になる。
結局買わずにベイルの町の冒険者ギルドに帰った。
340
周りに人がいないのを見計らって、﹁ムニャムニャ、フィールド
ウォーク﹂とつぶやく。
フィールドウォークの呪文は、聞いたけど、覚えられなかった。
そして、頭の中ではワープと念じる。ベイルの町の冒険者ギルド
の壁を思い起こした。
目の前に出てきた黒い壁に入る。
これで他人の目にはフィールドウォークで移動したように見える
だろう。
一瞬の闇を抜け、ベイルの町の冒険者ギルドに出た。
ベイルの町は夕方だ。
帝都はベイルの町より西の方にあるらしい。
ちなみに、糸の買取価格は十ナールだった。
グリーンキャタピラーは、糸を吐いてきて厄介なのに、ニードル
ウッドよりお金にならない。レアドロップもないし。
確かに、魔物の組み合わせとしてはよくないのだろう。
今日の総売上は、千百四十四ナールである。
計算間違いではない、はずだ。昨日の四分の一しかいっていない。
ただし、生薬生成を行っていないので、リーフ四枚がアイテムボ
ックスに入ったままである。
リーフ四枚で毒消し丸が四十個できる。毒消し丸四十個で千ナー
ルになるから、昨日の半分か。
今日は魔法の使い勝手をテストしていたことが中心だったせいも
ある。
デュランダルをしまったことで探索に時間がかかるようになった
341
ことも影響しているだろう。
ベイル亭に帰った。
﹁三日分、頼む﹂
巾着袋を取り出しながら旅亭の男に告げる。
初日に払った宿代は、今朝までの分だ。
﹁はいよ﹂
﹁どこかに両替商のようなところはないか。銅貨ばかり溜まってな﹂
﹁そういうところはないな。別に銀貨じゃなくて銅貨百枚で払って
くれてもいいし﹂
両替商はないらしい。
両替商があって、金貨を三割引の七千ナールで売ってくれ、三割
増しの一枚一万三千ナールで買ってくれたら、濡れ手に粟でもうけ
ることができたのに。
考えてみれば、金貨一枚を銀貨百枚と交換したのでは商売になら
ないか。
両替商があったとしても手数料を取られるから、この手で稼ぐの
は無理だろう。
銀貨五枚と銅貨百九十二枚を置く。
これで銅貨の数をかなり減らせた。
﹁それと、夕食の後でお湯を頼む﹂
﹁ええっと。宿代と夕食つき三日分にお湯だから、六百八十六ナー
342
ルでいい。特別サービスだ﹂
何故か銅貨六枚が返ってくる。
お湯が二十ナールだから、三割引が効いたということか。
よく分からん。
﹁インテリジェンスカードのチェックはいいのか﹂
﹁チェックは十日おきだ。二日前に確認したから、まだ先だな﹂
﹁夕食は、もう頼めるよな﹂
﹁ああ。行ってきな﹂
俺にとって、夕食の時間は数字を勉強する時間だ。
昨日は一を確認した。
今日は何を選ぶか。
﹁いらっしゃいませ。今日はサーロインが入ったから、一がお勧め
ですよ﹂
食堂に入ると、旅亭の女性に四つあるメニューのうちの一つをお
勧めされてしまった。
帝都のギルドでも聞いたサーロインという食材があるようだ。
一の食事には小ぶりだがステーキが入っている。あれがサーロイ
ンだろう。
﹁⋮⋮で、では一で﹂
﹁ありがとうございます﹂
見たら食べたくなってしまった。
負けた。
343
四をお勧めにしてくれないものか、と思ったが、お勧めにしたい
順に一から並んでいるのだとしたら、順当か。
明日はリベンジしてやる。
﹁三で頼む﹂
次の日の夕食は、お勧めも言ってこなかったので、三にした。
﹁かしこまりました。お飲み物はハーブティーでよろしいでしょう
か﹂
よし。正解だ。
これで部屋の鍵にも使われている三と一の数字は判明した。
夕食のメニューは四つあるので、あと二つは二と四だろう。
どうやって確認するか。
夕食を取りながら作戦を練る。
などとぼんやり考えているのは、現実逃避だ。
分かっている。
実のところ、もっと大きな問題がある。
本当はそっちを考えなければいけない。
今日の総売上は三千三百二ナールだった。昨日の分のリーフを含
んでの価格だ。
リーフの分を考えれば昨日と同じ程度。二階層をうろうろしてい
ただけだから昨日とそんなに変わらないのはしょうがない。
しょうがないが、金貨一枚は遠い。
344
十日しかないのにすでに三日すぎてしまっている。
期日までにお金をそろえることができるだろうか。
正直、今のペースでは厳しい。
迷宮には、宝箱とか、その手のものもないようだ。
もっと下の階層に行けばあるのか、あるけども俺の気づかない方
法で隠れているのか、そもそもそんなものはないのか。いろいろと
考えられる。
本当に迷宮で一攫千金ができるのだろうか。
仮にできたとしても十一日後とかではしょうがない。
これからは時間との勝負にもなるだろう。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv21 英雄Lv17 魔法使いLv19
装備 シミター 皮の鎧 サンダルブーツ
レベルだけは順調に上がっていっているのが唯一の救いだ。
俺は自分の腕を見ながら、ため息をついた。
345
赤信号
翌日の迷宮探索は二階層の途中にある多分魔物の出ない小部屋か
らスタートした。
このまま迷宮にこもるだけでロクサーヌを手に入れるだけのお金
を獲得できるかどうかはかなり疑問だが、深夜なので他にやること
もない。
ベイル亭の玄関を出たすぐ横の壁から迷宮内にワープする。
二階層の探索は結構進んでいたのか、迷宮に入ってすぐ、ボス部
屋に隣接するであろう小部屋にたどり着いた。
深夜のせいか、順番を待っている人は誰もいない。
ボスと戦うときはデュランダルを使うべきだろう。
デュランダルを出し、MP回復速度五倍をはずしてフィフスジョ
ブをつけ、小部屋の奥に向かった。
つけるジョブは戦士と剣士だ。
サードジョブのままなら必要経験値十分の一をつけることができ
るが、やめておく。
ボス戦なので経験値よりも安全を優先した方がいい。
何かのときに魔法やラッシュが役に立つかもしれないし。
奥の扉はすぐに開いた。
気を引き締めて、隣の部屋に入る。
煙が集まり、魔物が現れた。
346
ホワイトキャタピラー Lv2
名前のとおり、グリーンキャタピラーの白いやつだ。一回り大き
い。
一階層のウドウッドもそうだったが、その階層に現れる魔物と近
しい種類のものがボスになるのだろうか。
などと考えていると、ホワイトキャタピラーの胸部の下にオレン
ジ色の魔法陣ができた。
やば。糸を吐くつもりだ。
グリーンキャタピラーとは別の魔物だから違う特殊攻撃をしてく
るということも考えられるが、同じ芋虫だから口から何かを吐き出
す可能性が高いだろう。
魔物の口元を注視しながら、ファイヤーウォールと念じる。
ホワイトキャタピラーが糸を吐いた。やっぱり糸だ。
ホワイトキャタピラーが糸を吐いた直後、俺の正面に火の壁がで
きる。
俺にかかるはずだった糸がファイヤーウォールにくべられた。
糸の燃える音がかすかに響く。
さっそく魔法が役に立った。
サードジョブのまま魔法使いをはずして戦士にしていたら、どう
なっていたことか。
横に移動して、デュランダルで攻撃する。
ラッシュで追撃を加えたところで、また魔法陣が出てきた。
347
一歩下がり、魔物の動きを見ながらファイヤーウォールと念じる。
馬鹿め。何度やっても同じことだ。
もっとも、こっちは一人である。
ボスだから多分長期戦になるだろう。
敵の狙いとして、まず糸を吐いてこちらの動きを封じようとする
のは正しい戦略だ。
逆にいえば、ホワイトキャタピラーの吐く糸に絡めとられてしま
ってはまずい。
満足に動けないところをボコボコにされるだろう。
その前に倒す。
横に移動して、デュランダルをスイングした。
続いて剣を振り上げ、ラッシュと念じて斬りつける。
デュランダルが魔物の頭に叩きつけられた。
まだ倒れないのか。
さすがはボスLv2か。
いったん引いて、足元に魔法陣が出ないか観察する。
ホワイトキャタピラーはしかし、糸は吐かず体当たり攻撃をかま
してきた。
あわてて避けようとするが、右肘に喰らってしまう。
痛みを堪え、魔物の横っ腹へデュランダルをスイングした。
ようやくに剣が魔物を切り裂く。ホワイトキャタピラーが倒れ伏
した。
348
絹の糸
魔物が煙となって消え、光沢のある糸が残る。
ただの糸よりは高級品だろう。
ホワイトキャタピラーは結構賢いようだ。
最初はこちらの足を止める作戦を行い、余裕がなくなると直接攻
撃に切り替えた。
知性があるのか。
もっとも、単純なプログラムで実現できそうではある。
デュランダルで一撃だと分かりにくいが、グリーンキャタピラー
も同じような行動パターンだったかもしれない。
知性と呼べるほどでもないか。
ファイヤーウォールで無効化された特殊攻撃を二度も行ったし。
あるいは二度やって駄目だと悟ったから物理攻撃に切り替えたの
か。
部屋の中を見渡す。
別に何もない。
俺の前に通ったパーティーも全滅することなく通過したようだ。
俺は隣の部屋へ行き、三階層へと移動した。
三階層の入り口となる小部屋も、一階層二階層とほぼ同様だ。
後ろに黒い壁があって、道が三方向に延びている。
二階層のボス部屋は、結局正面の道が近道だった。
349
一階層は右、二階層は正面だ。
なら三階層は左だろう。
デュランダルは持ったまま、サードジョブにして左の道に入る。
ニードルウッド Lv3
最初に出てきた魔物はニードルウッドだった。
三階層はLv3なのか。
駆け寄ってデュランダルを振り落とす。
デュランダルだとLv3でも一撃だ。
魔物がLv3で強くなっているのだとしても、こちらも順調にレ
ベルアップしているのだから、このくらいでなければ困る。
コボルト Lv3
次に現れたのが、この階層の魔物であるらしいコボルトだ。
濃い青色をした小人。大きな目と尖った耳、牙もはえている。顔
がでかい。まさに二頭身、体の半分くらいが顔だ。
右手にはナイフを持っている。あれが攻撃武器か。
刃物は怖い。
魔物の体当たりを喰らってできた擦り傷はデュランダルのHP吸
収で消えたが、刃物の切り傷はHP吸収で消えるだろうか。
切り傷なら大丈夫かもしれない。しかし、切断されたらどうだろ
350
うか。
腕を切り落とすのは大変でも、指くらいなら落とせそうだ。
あるいは、内臓をえぐられたら。神経が切れたら。
流れ出た血液はHP吸収で復活するのだろうか。
いろいろと不安になる。
もちろん試してみたくはない。
刃物を持った敵には先手必勝だ。
俺はファイヤーボールと念じた。
頭上に火の球ができる。
遅っ。
コボルトの動きは鈍かった。
火の球が近づくまで二、三歩しか動けていない。
まごまごしている魔物を火球が捉えた。
コボルトが炎に包まれ、倒れる。
弱っ。
コボルトはファイヤーボール一撃で沈んだ。
弱い。弱いよ、コボルト。
ファイヤーボールで一撃はないだろう。
グリーンキャタピラーLv2で二発、ニードルウッドLv2だと
三発は耐えるのに。
コボルトソルト
351
コボルトが煙となって消えると、白い牙が残った。
白い牙、といえば聞こえはいいが、名称的にただの塩なんじゃな
いだろうか。
レベルが上がって余裕があるので、アイテムボックスに突っ込む。
アイテムボックスは、一応人がいないことを確認しながら出した。
今、アイテムボックスには金貨三十三枚に加えて銀貨も二十一枚
入れている。
リュックサックに背負うよりアイテムボックスに入れた方が安全
だろう。
人前で出すのは呪文を唱えるのが面倒なので、アイテムボックス
の銀貨は使わないかもしれないが。
アイテムボックスの中身を盗むような魔法はない、と思いたい。
三階層の敵と一通り当たるまでは、と思ってデュランダルは出し
たままできたが、この弱いコボルトが相手なら必要ないだろう。
俺はデュランダルをしまった。
サードジョブのまま、MP回復速度五倍をつける。
グリーンキャタピラー Lv3
コボルト Lv3
次に出てきたのは二匹連れだ。都合がいい。
発見すると同時にファイヤーストームと念じた。火の粉が二匹の
352
魔物に襲いかかる。
コボルトはやはりそれだけで倒れた。
残ったグリーンキャタピラーにファイヤーボールをぶち込む。
魔物が劫火を耐えた。
グリーンキャタピラーLv2は二発で沈んだが、Lv3だと二発
では足りないようだ。
Lv2からLv3でやはり強くなっているらしい。
近寄ってくる芋虫に三発めをお見舞いする。
最初の一撃が引きつけてからではなくファイヤーストームだった
ので、三発めも余裕で放てた。
グリーンキャタピラーが倒れる。糸を残し、煙となって消えた。
コボルトは弱い。
二階層のグリーンキャタピラーよりも弱い。
何か強力な魔法を撃ってくる可能性もなくはないが、旅亭の男に
も騎士にも、三階層のコボルトは残念な魔物扱いされていた。
本来なら一階層にでも出てくるべき初心者向けモンスターなので
はないだろうか。
弱いからといって低階層に出てくるべき理由があるかどうかは分
からないが。
実際出てこないのだから、そんな理由はないのだろう。
現実はそんなものであるのかもしれない。
それに、俺の場合限定でいえば、コボルトが三階層でよかったと
も思う。
コボルトは、顔がでかいし青くて気持ち悪いが、やや人間に似て
いる。最初から人型の魔物を相手にしていたら、冷静には対処でき
353
なかったかもしれない。
ニードルウッドは明らかに植物だし、グリーンキャタピラーは芋
虫だ。
徐々に慣れていくことで、コボルトにも対処できているのではな
いだろうか。
また、コボルトは刃物を持っている。
刃物を持った敵と対峙すると、どうしても恐怖心が先に立つだろ
う。
迷宮や魔物にも少し慣れ、何度も戦闘を繰り返してレベルが上が
った今だから、その恐怖に打ち勝てているのではないだろうか。
一階層の魔物がコボルトだったら、どうなっていたか分からない。
そのときはそのときでどうにかなったのかもしれないが。
コボルト Lv3
火属性が弱点という可能性もある。次は水魔法を放ってみた。
ウォーターボールでも一撃だ。
弱いということはこっちが得る経験も少ないだろう。
効率的には問題がある。
ジャックナイフ 片手剣
コボルトが倒れると、今度は持っていた刃物が残った。
354
折りたたみナイフらしい。
敵が持っていると恐ろしく感じるが、小型のナイフだ。
折りたたんで刃をしまう。
戦ってみると、コボルトはジャックナイフをよく残した。
ニードルウッドがリーフを残すのは十匹に一匹くらいだが、ジャ
ックナイフは三分の一くらいの確率で残る。
魔物によって落とすアイテムの確率は異なるらしい。グリーンキ
ャタピラーはいまだ糸しか残さないし。
ジャックナイフの売値がどのくらいになるかは分からない。
あまり高くはないだろう。
ただのナイフだし、その上コボルトのドロップアイテムだ。
弱いが残すアイテムが高く売れるというのなら、残念な魔物では
ない。
思ったとおりだと判明したのは、冒険者ギルドに行ったときだ。
俺は、宿屋に戻って朝食を取った後、冒険者ギルドに向かった。
﹁コボルトソルトの買取はできるか﹂
カウンターのアラサー女性に訊いてみる。
しかし、何を売ってくるかを見れば、こちらの迷宮探索状況はギ
ルド側に筒抜けだな。
今のところ、別に知られて困るようなものでもないが。
355
﹁はい、できます。ギルドで買取を行っているアイテムの中で、一
番安いものですね﹂
﹁具体的には﹂
﹁一本四ナールです﹂
安っ。
落ち込んだ俺を見て、アラサーの女性が笑った。
その笑顔はプライスレスだ。
﹁うむ﹂
しょうがないので、コボルトソルトを全部トレーに載せる。
三割アップが効くので五本単位で売れば一ナールの得だが、それ
でも一ナールだ。そこまでする気力はない。
﹁ギルドではジャックナイフの買取も行っております﹂
アラサーの女性が告げてきた。
やはりこちらの状況は筒抜けか。
コボルトソルトとジャックナイフを一緒に持ち込む冒険者が多い
だけかもしれないが。
﹁装備品は駄目だと聞いたが﹂
﹁装備品の中でもジャックナイフだけは扱っております。数が多い
ので、鋳潰して銅貨を作る材料にするそうです﹂
ジャックナイフは赤銅色ではなく普通に白銀色だったが、銅でで
きているのだろうか。
﹁ちなみに、買取価格は?﹂
356
﹁一本十ナールです﹂
安っ。
まあ小さいものだし、一本のジャックナイフから百枚も二百枚も
銅貨は作れないだろう。
価格はこんなものか。
﹁分かった。八百ムニャムニャ、アイテムボックス、オープン﹂
アラサー女性に聞こえないよう、横を向いて小さな声で呪文を唱
える振りをした。
八百のお宝というよりは、八百屋の長兵衛さん、略して八百長だ。
ジャックナイフを取り出してトレーに載せる。
﹁それでは少々お待ちください﹂
しばらくしてアラサー女性が持ってきたお金は八百八ナールだっ
た。
ほんとに八百か。
弱いだけあって、コボルトはやはりお金にならない。
遅い弱い安いの三拍子だ。
と同時に、期限までにロクサーヌを購入する金額を用意すること
に赤信号が点った。
ロクサーヌを獲得するための資金を迷宮で稼ぎ出すことは無理だ
と判断すべきだろう。
コボルトが主体の三階層でお金を稼げないことは明白だ。
357
ならば下の階層に進めばいいかというと、そう甘くはない。
三階層は半分がコボルトだが、ニードルウッドやグリーンキャタ
ピラーも出る。
一階層のニードルウッドが三階層に登場するのなら、三階層のコ
ボルトだって四階層五階層に現れるだろう。
二日に一階層ずつ攻略するとしても、期限までには六階層にしか
進めない。
確実にコボルトが足を引っ張る。
迷宮で荒稼ぎすることは絶望的だ。
迷宮入り口の探索者にお金を払ってもっと下の階層に連れて行っ
てもらうという手はある。
しかし、下の階層に行ったからといって、ロクサーヌを購入する
だけの金額を確実に稼げるという保証はない。
第一に、コボルトの出現で下の階層へ行けばより稼げるだろうと
いう期待が崩壊した。
第二に、危険性を考えれば一足飛びに進むわけにはいかない。
グリーンキャタピラーはLv2からLv3で強くなったから、下
の階層へ行けば魔物が強くなることはほとんど確実だ。
四階層や五階層で足を取られないとも限らない。
第三に、三日前の時点で四階層までしか探索が進んでいなかった
から、進むとしても、それほど下の階層までいけるわけではないだ
ろう。 迷宮で稼ぐ以外の手段を考えた方がいい。
そちらに力を注ぐべきだろう。
358
リーフで稼ぐ手も考えたが、どうやら無理っぽい。
毒消し丸は一個二十五ナール、三割アップが効くから十個三百二
十五ナールで売れる。
リーフをギルドへ売る価格は八十ナール、倍額が相場だと代読屋
の女性が言っていたので、百六十ナールで買い取ることができれば、
リーフ一枚から毒消し丸十個が生成できるから、百六十五ナールの
儲けとなる。
一日に百枚近くも集められれば、優に金貨一枚以上を稼ぐことが
可能だ。
しかしギルドのアラサー女性に訊いたところ、リーフはギルドで
は買えないらしい。
冒険者ギルドや探索者ギルドで買えないだけでなく、買取募集の
依頼を出すこともできないという。
薬師ギルドとの取り決めで、薬の材料となるアイテムはすべて薬
師ギルドに回す契約になっているそうだ。
そして、薬師ギルドがギルド員に分配するのだという。
それではしょうがない。
俺自身がどこかのギルドに加入するのは慎重になった方がいいし、
入れたところで一日に百枚もの分配は受けられないだろう。
百枚も分配されたら薬草採取士はみんな大金持ちだ。
まあ、薬草採取士が我も我もと買取依頼を出したら収拾がつかな
くなる。
参入障壁を作って、新参者が荒稼ぎすることはできないようにし
ているわけだ。
世の中はうまくできている。
359
リーフで稼ぐことは無理のようだ。
迷宮やリーフで稼げなければ、どうするか。
その選択肢は、一番最初からあった。
賞金首、ということになる。
午前は、迷宮に入らずベイルの町の中を歩くことにした。
見かける人ごとに鑑定をして、ジョブをチェックする。
鑑定が使えるのは大きなアドバンテージだ。
誰が盗賊か、見れば分かるのだから。
正直、賞金稼ぎは気乗りしない。
しないが、鑑定を使える俺にはかなり強みのあるビジネスである
ことは間違いないだろう。
ベイルの町を出歩く人に、盗賊はいなかった。
午前中から街中を歩いたりはしないようだ。
ただ、盗賊を見つけたとしてどうするか。
人を殺すことには抵抗がある。
魔物を殺すことには慣れたが、倒せば煙となって消える魔物とは
やはり異なるだろう。
もちろん、賞金を稼ごうと思ったら、やらなくてはいけないわけ
だが。
北の方にあるというスラム街にも行ってみる。
南の方や中心部は大きかったり綺麗な建物が並んでいるのに、北
360
に行くにつれて家がだんだんぼろくなった。
確かに貧乏くさい。
どこからがスラム街という明瞭な区別はないみたいだ。
いや⋮⋮。
一歩足を踏み入れて分かった。
明確に異なる。
ここから先がスラム街だ。
匂いが違う。人が違う。空気が違う。
建物はさらに汚くなり、よどんだ空気が辺りを支配していた。
路上生活者もいるみたいだ。
道のかなり先に子どもが立っている。
何をするでもなく、どこを見るでもなく、ボーっと突っ立ってい
た。
道端で遊んでいるのではなく、ストリートチルドレンの類だろう。
ここはやばい。
初めてだからそう思うだけかもしれないが、第六感が警鐘を鳴ら
した。
この雰囲気は危ない。
絶対に危険だ。
コンビニの駐車場でヤンキー座りしている兄ちゃんとか、ここに
比べたら可愛いもんだから。
俺はただちに回れ右をしてスラム街を後にする。
361
安全と思える場所まで早足で避難した。
少し戻り、東側に回り込む。
東には娼館があるらしい。スラムとはいえ娼館があるなら、男が
出歩いても不自然ではないだろう。
行く途中に、人だかりがあった。
大勢の人が道に集まっている。
何だろう。
鑑定をしながら俺もその輪に加わった。
行列を見るととりあえず並んでみたくなるのは何故だろうか。
人は道沿いに並んでいる。道の向こうに空き地があり、誰か倒れ
ていた。
皮の鎧 胴装備
鑑定してみると、名前やジョブではなく皮の鎧と浮かぶ。
⋮⋮つまり死んでいるようだ。
死体は鑑定できないのだろう。
﹁ありゃあ盗賊だな﹂
﹁なんで分かるんですか﹂
人ごみの左の方で、おっさんの冒険者と商人がブラヒム語で会話
をしていた。
362
﹁左手が切り取られている。三十分出てこないからな﹂
あまり見る気もしないが、倒れている人の左手がないらしい。
インテリジェンスカード目当てということか。
インテリジェンスカードは死後三十分経つと自然に排出されるの
だった。
被害者の身元を隠すために持ち帰ったとも考えられるのではない
か、と思ったが、まあ口にはしないでおく。
﹁ちょっと通してください﹂
誰かが伝えたのだろう。そこへ騎士団の面々が到着した。
美人騎士や見習い騎士もいる。
騎士団には治安維持の役目もあるのだろう。
﹁盗賊か。おまえたち、死体置き場に捨てておけ﹂
﹁はっ﹂
美人騎士はしかし、遺体を一目見ただけで命じた。
殺人事件なのに、その程度の扱いなんだろうか。
あまりにもぞんざいだ。
﹁あれは盗賊だ。全員解散﹂
美人騎士は、野次馬にそう告げると、左手を上げて振る。
野次馬を追い散らし、大またで帰っていった。
顔を知っていたのだろうか。
363
美人騎士が去ると、ざわざわと野次馬に喧騒が戻る。
﹁賞金稼ぎでしょうか﹂
﹁どうかな。ま、仲間割れってところじゃないか﹂
商人とおっさん冒険者も会話を再開した。
盗賊ではインテリジェンスカードを持っていっても換金できない
が、誰か他の人間に頼めば済む話か。
スラム街の路上生活者なら喜んで応じるだろう。
﹁町を追い出された盗賊が復讐しに帰ってきたらしい﹂
商人たちの会話を聞いていると、後ろの方で誰かが話すのが聞こ
えた。
364
盗賊捜し
町を追い出された盗賊が復讐しに帰ってきた。
文字どおり小耳に挟んだだけだが、捨ておけない情報だった。
村を襲い俺が屠った盗賊たちは、元々この町のスラムを拠点にし
ていたらしい。
町を追い出された盗賊というのは、彼らの仲間だろうか。もしそ
うだった場合、復讐を遂げる相手とは誰だろうか。
胆が冷えるのを感じた。
冷静に考えて、復讐する相手が俺である可能性は小さい。
第一に、町を追い出されたのがそもそもの原因だろうから、復讐
するならそっちが先だ。
第二に、村を襲って返り討ちにあったのだから、逆恨みもいいと
ころである。
第三に、多分写真がないこの世界で俺の顔が簡単に判明したりは
しないだろう。
とはいえ安心はできない。
町を追い出されたから復讐するといっても、騎士団を相手にする
のは難しいだろう。
逆恨みだからといって、向こうがそう思わなければやめてくれる
わけもない。
村の人間や騎士団から情報を得ていけば、俺にたどり着くことも
可能だ。
365
盗賊の目的が何であれ、俺が狙われる可能性は否定できないだろ
う。
町を追い出されたという盗賊を見つけて屠るまで、枕を高くして
は寝られない。
いやも応もなく、俺は盗賊を狩って賞金を稼ぐはめに追い込まれ
た。
その日は夕方近くまでベイル町を探索する。
スラムの奥には入っていない。
盗賊も誰一人見つけられなかったが、町の大体の地理や地勢は把
握した。
俺にはワープがあるのだから、町の地勢を知っておくことは重要
だ。
北にスラムがある理由も分かった。
ベイルの町には川が二つ流れている。いずれも、南から入り込み
北に流れ出ていた。
宿屋の裏手などに井戸もあったので、どこまで飲料水として使っ
ているのかは知らない。しかし下水はおそらく川に垂れ流しだろう。
都市に入ってきたばかりの南の水は清浄だが、下流へ行くにした
がって濁ってくる。
スラムの辺りまで来ると、川は悪臭を放っていた。
そんな場所には誰も住みたがらない。
金持ちや力のあるやつから順に、南側から家を建てていっている
のだろう。
366
残った北側がスラムになるわけだ。
盗賊を見かけなかったのは、やはり用心しているからだろうか。
鑑定を使える人間がそうそういるとも思えないが、昔この町にい
たのなら、顔が知られている可能性はある。
あるいは夜が盗賊の活動する時間なのかもしれない。
スラムの奥に入らなければ会えないのかもしれない。
町の外にいる可能性もある。
いろいろと考えながら、迷宮に着いた。
﹁どこまで進んでいる﹂
値引をつけて、迷宮入り口の探索者に訊く。
﹁七階層です﹂
﹁四階層まで、頼む﹂
﹁はい﹂
三階層では金にならない。
下の階層に連れて行ってもらうべきだろう。
コボルトLv3は魔法で一撃、他もデュランダルを使えば一撃だ。
夜中には入り口の探索者もいなくなる。
夕方のうちに連れて行ってもらった方がいい。
﹁⋮⋮いくらだ﹂
向こうから何も言ってこないので、こっちから訊いた。
367
﹁銀貨を、行きたい階層の枚数だけです﹂
﹁分かった﹂
分かりやすい値段設定だ。
常識だったのかもしれない。
リュックサックから銀貨四枚を取り出す。
本職の前でアイテムボックスの呪文をごまかすことはできないだ
ろう。
作動するタイミングがおかしいかもしれないし。
銀貨を渡すと、探索者はアイテムボックスを出してしまった。
おお。あの呪文だ。
考えてみれば、詠唱省略をはずせば済む話か。
詠唱省略も詠唱短縮もなければ、正しい呪文、正しいタイミング
で魔法が発動するだろう。
探索者がパーティー編成の呪文を唱える。
編入確認にイエスと念じると、探索者はすぐ迷宮の中に入ってい
った。
俺も続いて中に入る。
﹁ここが四階層です﹂
﹁ぇ﹂
中に入ると、すぐに探索者が言った。
突然のことに、反応できない。
368
壁をくぐった先は、迷宮入り口の小部屋だった。
後ろに黒い壁があって、道が三本、前と左右から出ているいつも
の小部屋である。
それは予想通りなのだが。
パーティー解放と頭に浮かぶ。
探索者は戸惑っている俺をおいて後ろの壁から出て行った。
一度一階層の入り口に出て、そこからダンジョンウォークで移動
するんじゃないのか。
てっきりそうすると思っていたのだが。
探索者は何も唱えず、直接ここに来た。 詠唱省略?
そんなわけないよな。
どうやら入るときに階層を指定できるっぽい。
あるいは詐欺?
いつも迷宮の入り口で商売しているのに、詐欺はないだろう。
とりあえず、デュランダルを出して正面に進んでみた。
ミノ Lv4
四階層であることは間違いないようだ。
Lv4の魔物が現れた。
369
牛だ。
茶色のバッファロー。ただし、体は長くなく、前後につまった変
な感じである。
頭の上からはツノが二本伸びていた。
可愛らしさは微塵もない。
牛が凶暴そうにこちらをにらんだ。
ファイヤーボールを撃ち込んでみる。
ミノが小走りに駆け出した。
避けようともしなかったので、途中でファイヤーボールが当たる。
一度押されるが、魔物は火を耐え切り、再度走り出した。
二発めをお見舞いする。
ミノはまたも正面からぶち当たった。
火属性に耐性でもあるのだろうか。そんな感じでもないが。
ただ突っ込んでくるだけの馬鹿なのか。猪突猛進。
イノシシじゃなくて牛だが。
デュランダルをかまえると、ミノは目の前で止まった。そこに三
発めを浴びせる。
ツノが振られた。ファイヤーボール三発では倒せないようだ。
剣で受けるが、結構力は強い。こんなツノで下から突き上げられ
たりしたらおおごとだ。
やばい事態しか思い浮かばない。
俺はデュランダルを上段から叩き込んだ。
370
皮
残ったのは皮だ。
誰もいないことを確認し、アイテムボックスを出して、しまう。
びびって思わずデュランダルを使ってしまった。
魔物が明らかに害意を持ってツノをぶつけてくる恐怖。これは怖
い。
ツノだからな。
人間の皮膚ごときなら、ブッスリいくんじゃないだろうか。
皮の鎧を着けているとはいえ、全身を覆っているわけではない。
ボーナス装備の中の胴装備五や六を出せばフルアーマーだったの
でミノのツノ対策にはなるが、ポイントがもったいない。
ちなみに、足装備三の加速のブーツには、その名のとおり移動速
度上昇のスキルがついていて、これで迷宮攻略のスピードが上がる
と思ったが、速くなるのはエンカウント時のみだった。
武器五であるフラガラッハにはMP吸収がない。
なのでMP回復にはデュランダルを出さなければならない。
意外に使えなかったボーナス装備たち。
プレートアーマーのような防具も多分売っているだろうが、重い
上に動きやすさを考えればあまり実用的ではないだろう。
今から考えればグリーンキャタピラーはよかった。
体当たり攻撃は、痛かったが、所詮は体当たりだ。
ニードルウッドに至っては、枝を振ってくるだけだもんな。
枝て。
371
コボルトのナイフも怖かったが、コボルトは弱い。
魔法でも一撃だ。
それを考えると、三階層でのレベルアップを放棄したのが駄目だ
ったのか。
ミノLv4も魔法三発で倒せるようなら、問題はないだろう。
あるいは、初めて見たから怖いだけであって、慣れの問題だろう
か。
ともかく、ここが四階層であることは間違いない。
探索者は何も呪文を唱えなかった。
迷宮に入るときに行きたい階層を選べば、そこに行けるのではな
いだろうか。
試してみるか。
と思ったが、入ってすぐ出て行くのは、四階層では歯が立たなか
ったみたいに見えてカッコ悪い。
ワープで冒険者ギルドまで戻り、実験は後日行うことにした。
﹁夕食の後に、お湯とカンテラをくれ﹂
﹁まいど。お湯にカンテラだから、特別サービスで二十一ナールで
いい﹂
ベイル亭まで帰り、鍵を受け取る。旅亭の男に注文すると、男が
値段を告げてきた。
お湯が二十ナールに、カンテラの貸し賃は確か十ナールだったは
372
ずだ。
何故か三割引が効いてしまった。
しつこく値引スキルをつけ続けた俺の勝利。
というわけでもないだろうが、今までは全部お湯二十ナールだっ
たのに、いかなる心境の変化だろうか。
今日からは常連扱いなんだろうか。
いや。お湯が二十ナールでなかったときが一回だけある。
宿代と一緒に払った日だ。
単品だと二十ナールで、何か複数のものを頼むと三割引になるの
だろうか。
お湯が二十ナールなのにカンテラがついて二十一ナールはないん
じゃないか、という気がするが、ありがたく払う。
夕食で文字の二を確認した後、部屋に帰ってお湯で体を拭き、カ
ンテラを持って外に出た。
すでに日は暮れており、暗い。
カンテラもそう明るくはない。夜中にこの光で作業することは難
しいだろう。
蛍光灯とは比べ物にならない。
ないよりはまし、という程度だ。
明治時代にガス灯の立ったのが文明開化だというのが身にしみて
分かる気がする。
ガス灯だって蛍光灯とは多分比較にならないだろうが、カンテラ
のこの暗さを思うとね。
373
足元を照らしながら歩く。
しかし暗い中で明かりを持って歩くのは、非常に目立つような。
少ないが、ちらほらと明かりを持って歩く人もいた。
明かりのあるところには誰かいるのだから、鑑定すれば一発で誰
か分かる。これは鑑定スキルを持っている俺限定だとしても。
明かりを持たずに歩いている人がどれだけいるかは分からない。
闇雲に鑑定してみたが、ヒットしなかった。
北の方に向かって歩く。
旅亭の男にどこか酒場でもないか訊こうかとも思ったが、やめて
おいた。
酒場に入って酒を飲むつもりはないので、帰って鍵を受け取ると
きに酒を飲んでいないことはばれる。
泊り客が迷い込んだりしないよう危険な酒場があるところを知っ
ているかもしれないが、俺が行きたいのはその危険な酒場だ。
下手に安全なお勧めの酒場でも紹介されたら面倒である。
北に進んでいくと、一画だけ非常に明るい通りがあった。
道に面した一階部分が開け放たれている建物が何軒も続いている。
娼館だ。
飾り窓というのか遊郭の張り見世というのか、一階には女性がい
て、道行く男に声をかけたり、道の男が女性を選んだりしていた。
非常に華やいだ雰囲気を醸し出している。
夜中に明るいだけでも違うのか。
374
あるいは、こちらの性欲のせいか。
いや。入るつもりはない。
入るつもりはないが、見ているだけで胸が高鳴った。
ドキがムネムネとはこのことだ。
待て。
落ち着け。
冷静に考えるんだ。
病気のこともある。
ぼったくられる危険もある。
入らないのが正解だ。
大体、ロクサーヌほどの美人がいるとは思えない。
いたとしても、一見客につくことはないだろう。
入らないと決めて、落ち着いて娼館を見つめた。
娼館街のざわめきが聞こえてくる。
楽しそうだ。
ではなくて、⋮⋮言葉が通じなかった。
娼館の方から聞こえてくるのは、よく分からない言語だ。
娼館の女性や客や多分いるだろうポン引きが話しているのは、ブ
ラヒム語ではなかった。
宿の旅亭やギルドの女性には完全に言葉が通じるので気にしない
でいたが、ブラヒム語を話せない人は多いらしい。
最初の村と一緒だ。
現地の人が話す言語はブラヒム語ではない。
375
娼館も現地人相手ということなのだろう。
どこかには、ブラヒム語を解する娼婦もいるのだろうが。
俺はしばらく通りの外側から眺めて雰囲気だけを味わい、そこを
立ち去った。
言葉が通じないのに入っていくことはないだろう。
よそ者と見られて変なトラブルに巻き込まれないとも限らない。
娼館に入らず外からうかがうだけだった俺が周囲からどう見えた
かは分からない。
明かりがあるので目立った可能性はある。
とはいえ、娼館の前まで来ても結局入らない気の弱い男も多いの
ではないだろうか。
あまり変には思われていなかったと希望的予測を立てておく。
その後、カンテラの明かりが尽きるまで町をうろつき、ワープで
ベイル亭に戻った。
内壁に出るのはまずいので、出たのは玄関脇の外壁だ。
街中ではフィールドウォークをしている冒険者は見かけなかった。
好き勝手なところに出るのはマナー違反なのかもしれない。
プライバシーも何もあったもんじゃないし。
夜中で暗いので、今の時間ならベイル亭の外壁に移動しても大丈
夫だ。
宿屋に戻りカンテラを返すと、部屋に入って寝る。
深夜に目覚めた俺は、鍵を預けると、一度ワープでスラム街に出
376
た。
成功だ。暗くて何も見えないが、さっき来た場所だろう。
多分娼館があると思われる方向を見るが、もう寝静まっているら
しい。
一応、鑑定と念じた。
一人の情報が頭に浮かんでくる。
誰かいるようだ。
薄暗い迷宮の洞窟で魔物を鑑定できたことから分かってはいたが、
やはり鑑定は光の有無には左右されないらしい。
二十七歳、村人の女性。
結構向こう側にいる。
この暗闇では、向こうから俺は分からないだろう。
こんな場所で何をしているのか。
と思っていると、突然道の角が明るくなり、松明を持った男が出
てきた。
男は三人。三人とも盗賊だ。
この町で初めて盗賊を見つけた。
ただしレベルは低い。全員一桁だ。
村を襲った盗賊のうち賞金が懸かっていたのは二人だけだった。
Lv19には懸かっていたがLv11には懸かっていなかった、
というところだろう。
少なくともレベル二桁はないと、盗賊としても半人前だと思われ
る。
377
三人は周囲を照らしながらバラバラになって動き始めた。
ここにいるとまずいか。
ワープを出そうかと思っていると、向こうの方で音がする。
三人が音の出た方に向かった。
男たちの持つ松明の光で女性の姿が浮かび上がる。
二十七歳の女性があわてて動き何かにつまづいたようだ。
盗賊たちは女性に駆け寄った。
何か聞き取れない言葉を発しながら、取り囲む。
一人の男が蹴りを女性の腹にめり込ませた。
﹁顔はやめときな。ボディー、ボディー﹂
本当にそんなことを言っていたのかどうか知らないが。
まさしくそんな感じだ。
三人がかりで暴力が加えられる。
女性はなにやら訴えていたが、無視された。
やがて一人の男が髪の毛をつかむと、女性を引きずっていく。
四人は道の角に入って消えていった。
辺りに静寂が戻る。
盗賊もいなくなったので、俺がここにいることが見つかる心配は
なくなった。
その心配はなくなったが⋮⋮。
378
嫌なものを見てしまった。
こんな場所に若い女性がいるのも不自然だから、あの女性は娼婦
なのではないだろうか。
逃げ出そうとしたのか、お茶をひいたのか、客あしらいがうまく
なかったのか。
盗賊たちが暴力で制裁を加えたというところだろう。
このスラムに盗賊は確かに存在し、暴力支配の一端を担っている
ようだった。
379
買い物
嫌なものを見た。
盗賊が三人がかりで若い女性に暴力を振るうのを見てしまった。
ああいうのも、この世界の一面なのだろうか。
綺麗事だけでは世界は回らないということか。
俺は回れ右をしてすべての事象に背を向ける。
前の壁に向かってワープと念じた。
盗賊が出てきた場所は後日確認すれば十分だろう。
今行っても警戒されているだけかもしれない。
迷宮の三階層に出る。
迷宮は暴力が支配する場所だ。
むしろ迷宮こそ、完全に暴力の支配する場所だといえるだろう。
それだけに、ストレートで分かりやすい。
迷宮は、考えるまでもなく、強いものが生き弱いものが滅びる世
界だ。
そのあからさまな悪意が、今は気持ちよかった。
三階層入り口の小部屋から、一度外に出る。
迷宮に入るときに階層を選べるかどうかテストしなければならな
い。
外は真っ暗で、誰もいなかった。
380
すぐ中に戻る。
入るときに、三階層と念じた。
着いたのは入り口の小部屋だ。
全部同じなので、見た目では区別がつかない。
アイテムボックスからワンドと銅の剣を取り出し、替わりにシミ
ターをしまった。
コボルト Lv3
現れたのはコボルトLv3だ。
三階層で間違いない。
魔物をファイヤーボール一発で沈める。
やはり迷宮に入るときに階層を選べるようだ。
あるいは外に出るときにも選べるのだろうか。
とりあえず、三階層で狩をする。
四階層のミノは怖い。
あのツノは危険だろう。
慣れれば大丈夫かもしれないが。
というか、慣れてくれなければ困るが。
選択肢として考えられるのは、慣れるまでデュランダルを使って
四階層で戦うか、三階層でレベルアップをしてから四階層に行くか。
多分、三階層でレベルアップを図った方が早いだろう。
381
ミノLv4を魔法三発で倒せるようになれば、ツノは脅威ではな
くなる。
スラムに盗賊がいることも分かったし、迷宮で無理に稼ぐ必要は
なくなった。
三階層では金は稼げないが、危険な橋を渡る必要はないだろう。
三階層でさらに三匹狩ってMPを消費すると、デュランダルを出
して入り口の小部屋に戻る。
外に出るときにも選択できるかどうかのテストだ。
黒い壁に入りながら、四階層と念じた。
入り口の小部屋に出る。
成功だ。いや、多分。
奥に進んでみた。
グリーンキャタピラー Lv4
間違いなく成功だ。四階層に来れた。
駆け寄ってデュランダルを振り下ろす。
剣が芋虫を裂き、グリーンキャタピラーが倒れた。
Lv4でも一撃だ。
ミノ Lv4
ミノ Lv4
382
コボルト Lv4
次に現れたのは団体さんだ。三匹。
ひょっとして、階層の数だけ敵が現れるとかなんだろうか。
三階層では三匹連れに遭ったことはないが。
三階層はほとんど攻略を進めていないから、確かなことは言えな
い。
二十階層まで行ったら二十匹、三十階層で三十匹とか。
それは勘弁してほしいなあ。
何階層まであるのか知らないが、十階層くらいで死ぬ。
中には魔法の効かない敵、効きにくい敵もいるはずだ。
こっちはパーティーが六人までなんだから、上限キャップがある
だろうと思いたい。
とりあえず、サンドストームを放った。
ミノは火魔法に耐性がある可能性もあるので。
砂の嵐が魔物たちに襲いかかる。
しかし、一匹も倒れなかった。
コボルトLv4すら成長して魔法二発必要になったのか。
攻略を手抜きして先に進もうとしたのは失敗だった。
もう一度、サンドストームを念じる。
コボルトは倒れた。
ミノ二匹が残る。
383
走り寄るミノにデュランダルを突き刺した。聖剣が牛の額を貫く。
ミノが煙となって消えた。
同時にもう一匹のミノが突っ込んできて、ツノをしゃくりあげる。
あわてて避けた左腕にツノがかすった。
うおおおおおぉぉぉぉぉ。
危ねえ。
かすった。かすったよぉ、今。
半狂乱になりながら、デュランダルを振り下ろした。
デュランダルが牛の頭を切り裂き、ミノをはいつくばらせる。
魔物が煙となって消えた。
皮
皮が残る。
危なかった。
迷宮での戦いは命がけだ。
一瞬の隙が命取りになる。 あるいは、サンドストームを二発撃ってネガティブになっていた
だけだろうか。
かすったといっても、実際に触れたかどうかは定かではない。
風が当たっただけかもしれない。
しかし、冷静に考えてみても四階層はやばい。
ツノの危険は大きすぎるだろう。
384
一匹ならば、よく見て冷静に対応すれば大丈夫かもしれない。
しかし囲まれたらどうなるか。
突き当りを探索しなければ魔物が大量に湧く部屋は避けられると
しても、ミノ三匹でも普通に危ないでしょ。
ミノが四匹も出てきたらどうなるか分からん。
退却しよう。退却。
俺は三階層に撤収することにした。
戦略的撤退だ。
大本営ハ三階層ヘノ転進ヲ命ズ。
その後は三階層で狩を続けた。
いつものように適当に切り上げ、迷宮の外に出る。
迷宮の外へ出たとき、朝日はとっくに上がっていた。
しまった。
まだ暗いうちに娼館街の奥にワープするつもりだったのに。
娼館には泊り客がいるだろう。
彼らは朝に帰るはずだ。
その帰り客の中に混じって、娼館街の通りを抜ける計画だったの
に。
昨夜はカンテラを持ってうろつきまわったから、寝るのが遅かっ
た。
だから、起きたのも多分いつもより遅かったのだろう。
その上でスラムを回った後に迷宮に入ったのだから、いつものよ
うに狩をしていては遅くなるのが当然だ。
385
明るくなってからワープするのは目立つ。
まあ今日のところはしょうがないだろう。
今日は市が立つ日だ。
宿へ帰って朝食を取り、部屋で一休みした後、俺は市を歩いた。
買いたいものはいろいろある。
まずは服屋を見て回り、黒いマントと顔を隠せる黒めの頭巾を探
した。
夜に盗賊を探すなら必須のいでたちだろう。探す方が目立っては
しょうがない。
マントは、着ける人も多いのか、すぐに見つかった。
宿の前にあった露店の服屋だ。
たくさんの衣服が折りたたまれて並べてある。
少し高そうな感じがした。
少なくとも、この市の中では高級品に分類されるのではないだろ
うか。
﹁これはいくらだ﹂
店の商人に訊く。
﹁四千ナールになります﹂
やはり高いのではないだろうか。
迷宮での一日の稼ぎが丸ごと吹き飛ぶ計算だ。
386
﹁そうか﹂
﹁そのクロークはフランネルを使ったよい品でございます﹂
マントじゃなくてクロークなのか。
服を置き台に戻した俺に、商人がなんとか売ろうと勧めてくる。
よい品というのは間違っていないのだろう。
しかし、俺がほしいのは別によい品ではない。
ふと横を見ると、緑に染められたパンツが置いてあった。
生地も柔らかそうだし、下着に使えるかもしれない。
広げてみると、紐で閉じるかぼちゃパンツみたいになっている。
この世界の下着と考えていいだろう。
﹁これはいくらになる﹂
﹁四十ナールになります﹂
﹁では、二枚くれ﹂
着替えも含めて、二枚買う。
高いのかもしれないが、マントの百分の一という値段に金銭感覚
が狂わされた。
﹁ありがとうございます。せっかくですので五十六ナールにサービ
スさせていただきます﹂
三割引が効いたようだ。
銅貨を五十六枚出して払い、パンツと巾着袋をリュックサックに
しまう。
どうも、一枚のときには値引きするそぶりも見せなかったのに、
387
二枚になったので急に値引きをしてきたように感じた。
ベイル亭のお湯のときと同じだ。
単独で頼むと、値引が効かないのだろうか。
試してみるか。
俺は防具商人の店に移動した。
五日前にも利用した防具商人だ。複数売却したときに三割アップ
で買い取ってもらえることは分かっている。
買うのと売るのとでは違うかもしれないが。
﹁いらっしゃいませ﹂
﹁籠手を探している﹂
剣やワンドを持って魔物の攻撃を受けることがあるし、指は怪我
をしやすいだろう。
もし指を切り落とされたらHP吸収で回復できるのかという疑問
もある。
手に何かの装備をした方がいい。
﹁こちらでございます﹂
防具商人が案内したところには、平台に籠手がたくさん並んでい
た。
ガントレットや鉄の手甲など。
欲をいえばもちろん防御力の高いものが望ましい。しかし、あま
り値段の張るものもよくないだろう。変に目をつけられかねない。
皮のミトン 腕装備
388
これが一番安そうだ。
見た目、剣道で使う籠手と変わらない。
ただし、二の腕までを覆う長さはない。手首までだ。
﹁皮のミトンはいくらになる﹂
﹁八十ナールでございます﹂
そんなものか。
よく分からないが。
﹁こっちの皮のグローブは﹂
﹁百二十ナールです﹂
やはり皮のミトンが最安か。
ミトンとグローブの違いは、グローブの方は指がちゃんと五本に
分かれていた。
ミトンは、剣道の籠手と同様、親指とその他の二つに分かれてい
る。
多分、皮のミトンの使い勝手は剣道の籠手と同じようなものだろ
う。
デュランダルやワンドを持つには十分だ。
皮のミトン 腕装備
スキル 空き
﹁ではこれをもらえるか﹂
389
スキルスロットつきのものを探して、防具商人に差し出した。
﹁ありがとうございます﹂
防具商人はそれだけを告げる。
やはり、単独では値引が効かないようだ。
値引も買取価格上昇も、複数のものを売買しないといけないのだ
ろう。
銅貨八十枚を払って、皮のミトンを手に入れた。
その後、フードつきの外套、靴下二足、手ぬぐい二枚、中くらい
の木の桶、小さな木の桶、ロープ二本、蝋燭一本を買った。
小さい方の木の桶はコップ代わり、ロープは洗濯物を干すため、
手ぬぐいと中くらいの木の桶と蝋燭は必要になるかもしれないので
予備だ。
蝋燭は小さいやつが十ナールだったので、カンテラを借りるのと
変わらない。どのくらいの時間使えるのかは分からないが。
フードつきの外套は、よく使われているのだろうか、すぐに見つ
かった。
大きなフードなのでかぶれば顔をかなり隠せるだろう。
石鹸と歯ブラシと歯磨き粉は、あるのかどうか分からなかった。
買い物を終えた後、夕方近くに宿に戻る。
﹁夕食つき一泊分、あと夕食後にお湯を頼む﹂
390
旅亭の男に告げた。
こうすれば、お湯も割引になるはずだ。
夕食をよそで取ってくることもできるし、考えてみれば実に都合
がいい。
一日分ずつの支払いでいいというのは、客に有利すぎる制度では
ないだろうか。
あるいは、そうでもないのか。
迷宮に入るような客だ。いつ死んでも不思議ではない。
いつどこで野垂れ死にしてもいいように、一日分ずつの支払いに
なっているのではないだろうか。
明日の分の宿泊料金など、この世界ではチャンチャラおかしいの
かもしれない。
宵越しの銭など持たないのが、探索者というものなのか。
そうだよな。
この世界ではいつ死ぬとも分からない。
﹁えっと。二百三十八ナールでいい。常連さんだしな﹂
﹁うむ﹂
嫌なことを考えそうになったが、頭をゆすって振り払う。
銀貨二枚と銅貨三十八枚を出した。
三一一の鍵を受け取る。
食事の前に、一度荷物を置きに部屋へと向かった。
宿に泊まるだけでも、身の回りに必要なものが結構出てきてしま
う。
391
この世界で定住するにはどうするのだろうか。
翌日深夜の探索は、四階層から開始した。
魔法使いがLv21になったので、ミノを魔法何発でしとめられ
るかのテストだ。
一度スラムを見た後、四階層にワープする。
加賀道夫 男 17歳
魔法使いLv21 英雄Lv19 探索者Lv22 商人Lv1 薬草採取士Lv1
装備 デュランダル 皮の鎧 皮のミトン サンダルブーツ
今回はいろいろと違う。
まず、ファーストジョブを魔法使いにした。
ファーストとサードで違いはないかもしれないが、あるかもしれ
ない。
魔法で戦うなら、魔法使いをファーストにして試してみる手はあ
るだろう。
アイテムボックスに何か入っていると探索者を動かせないみたい
だったので、ベッドの上に全部出して大変だった。
そして、必要経験値十分の一をやめ、フィフスジョブをつける。
フォースジョブとフィフスジョブには知力小上昇の効果を持った
商人と薬草採取士をつけた。
魔法攻撃力に関係するパラメーターは多分知力だろう。
知力上昇を持ったジョブを設定すれば、魔法攻撃力が上がるので
392
はないだろうか。
レベルを全然上げてないから、効果は小さいかもしれないが。
あとはワンドを持ってさらに攻撃力の上乗せを狙いたいが、得物
はデュランダルにした方がいい。
デュランダルの方が安心で安全だ。
ミノ Lv4
ニードルウッド Lv4
いきなり二匹連れで登場したので、すぐにファイヤーストームを
浴びせる。
火が消えると同時に二発め、続いて三発めを放った。
ミノが接近する。
ニードルウッドよりミノの方が動きが速いようだ。
突かれたツノをデュランダルで受けた。
どちらも三発では倒れない。
ツノが振られるのをかわす。
ニードルウッドに追いつかれた。
ミノに注意を払っている隙に、枝が振られ、攻撃を喰らってしま
う。
痛いが多少はしょうがない。
四発めのファイヤーストームを念じた。
火の粉が魔物二匹に襲いかかる。
393
ミノLv4のツノの動きを警戒していると、ミノが倒れた。
ニードルウッドも同時に倒れたようだ。
皮
ブランチ
魔法四発か。
ミノもニードルウッドLv4も魔法だけで倒したのは初めてなの
で、いろいろ試したことの効果があったかどうかは分からない。
いずれにしても、魔法三発で倒せるようにならないと、四階層で
戦うのは危険だろう。
皮とブランチをアイテムボックスに入れ、三階層にワープした。
394
雨
三階層で狩をした後に迷宮の外へ出たら、まだ真っ暗だった。
昨日は日の出時刻を過ぎてしまったので、反動で用心しすぎたよ
うだ。
一度四階層に行ってみる。
あまり長時間狩ることはできない。魔法で戦ってMPを消費して
デュランダルを出してMP回復とか、一連の作業が必要なことはし
ない方がいいだろう。
それならば最初からデュランダルを出して四階層で戦うのがいい。
探索者がLv23に上がったのでミノを魔法三発で倒せる可能性
がある。
Lv23になったので、ファーストジョブのままにしておけば、
増えたボーナスポイントでフォースジョブを設定できたのだが。
ただし、必要経験値十分の一はつけたまま、ワープとジョブ設定
をはずすことで。
探索者をファーストジョブに戻すには、アイテムボックスを空に
しなければいけない。
アイテムボックスの中身をこの場でぶちまけることは、やらない
方がいいだろう。
ファーストジョブを魔法使いにしたのは失敗だった。
ミノ Lv4
395
現れたミノにファイヤーボールを撃ち込む。
見つけてすぐ放ったが、やはり避けようともしない。
近づくまでに三発浴びせた。
ミノは三発めも耐え切り、ツノを押し立ててそのまま突っ込んで
くる。
デュランダルで受けた。力押しになったがいったん押し戻す。
一歩引き、四発めのファイヤーボールを念じた。
振られたツノにデュランダルをあわせる。
ミノに四発めのファイヤーボールが命中した。
炎の中、ミノが倒れ伏す。
まだ魔法四発だったか。
ミノ Lv4
次のミノには、魔法を使うのをやめ、デュランダルだけで対応し
た。
突っ込んでくるミノに正面から一太刀。デュランダルを振り下ろ
したが、ミノは倒れなかった。
魔法を使わずにデュランダルだけでミノを倒したことはまだなか
ったか。
一撃とはいかないらしい。
396
振られたツノを受ける。
横にはじき、牛の頭にもう一撃浴びせた。
ミノが倒れる。
落ち着いてじっくり向き合えば、ミノのツノにも対処できるよう
だ。
あるいは少し慣れてきたのだろうか。
もっとも、複数で囲まれることを考えると怖い。
まだまだレベルアップが必要だ。
二度狩を行ったので、再び外に出た。
こころなしか、明るくなってきたような気がする。
夜明けは近い。
誰かに見られているとまずいので、一度迷宮に戻り、ワープで移
動した。
ワープの黒い壁を抜ける。
建物の影になっているせいか、出たところも真っ暗だった。
成功していれば、娼館街の奥に出られたはずだ。
日が昇るまでしばし待つ。
なかなか明るくならなかった。
周囲を見渡すと、一角が白ずんでいるのを見つける。
向こうが東か。
東の方を見ると、どうやら曇っているらしい。
雲が出ているので、なかなか明るくならないようだ。
397
西の方を見た。
出ているはずの星が一つも見えない。
気づかなかったが、全天曇り空だ。
東京では晴れていても星なんかあまり見えないので、違和感なか
った。
考えてみれば、この世界に来てからはずうっと晴れが続いている。
もちろんこの世界にだって曇りの日もあれば雨の日もあるだろう。
傘をどうしようか。
昨日の市でも傘は見なかった。
迷宮の中までは降らないと思うが。
あれこれ考えていると、娼館から人が出てきた。
まだ薄暗いのでカンテラを持っている。
ジョブ村人の男だ。客だろうか。
男は店を出ると、向こう側へと歩き出した。
やはり明かりは目立つ。
顔までは見えないが、誰かいることは一目瞭然だ。
あまり明かりを持って移動しない方がいいだろう。
しばらくすると、周囲がだいぶ薄明るくなった。
やはり曇り空だ。
いつまでもここにいては変に思われる。
俺はその場所を出て、道を歩いた。
俺がいたのは、娼館が立ち並ぶ通りの一番奥にある物陰だ。
398
前に実際ここまで来たわけではない。道の向こう側から覗いただ
けだ。
見ただけでもワープには支障がないらしい。
ワープは目にしたところであれば行けるようだ。
娼館からぼちぼち人が出てきて、道を歩いている。
彼らの中にまぎれて、娼館街を突っ切った。
盗賊が出てきた角の向こう側も確認する。
短い路地があり、その奥に家が建っていた。
娼館ではないようだ。
この家が盗賊の本拠地だろうか。暴力団の組事務所みたいなもん
か。
あまりじろじろと見ているわけにもいかないので、すぐに通り過
ぎる。
二階建ての、立派でもぼろくもない普通の建物だった。
あそこに立てこもられているうちは手出しすることが難しいだろ
う。
娼館街も朝は普通の街だ。
スラムという雰囲気もない。
そんな雰囲気を醸し出していたら、一般客は寄りつかなくなるだ
ろうが。
宿まで帰る。
帰りしな、奴隷商人の館も通った。
ロクサーヌはまだ寝ているだろうか。
399
﹁曇ってきたな﹂
宿に入り、鍵を受け取りながら旅亭の男と話す。
﹁この辺りは、雨は少ないが、降ると続く。数日は雨だろう﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁多分な﹂
あまり降ってほしくない。
傘もないのに。
﹁朝食はもういいか﹂
﹁ああ。大丈夫だ﹂
しかし、願いもむなしく、朝食を取っている間に雨が落ちてきた。
本格的なドシャ降りではないが、しとしとと降っている。
宿の外を見るが、道行く人は誰も傘を差していない。
この世界には傘がないのだろうか。
ほとんどの人は外套を羽織るだけだ。
中には、普段と変わらない格好で走っていく人もいる。
外套は、昨日買ったのと同じようなやつだ。
あれがこの世界の雨具代わりなのだろう。
道理ですぐに見つかったわけだ。
雨具とは知らずに買ったのだが、運がよかった。
これで宿の外に出ることはできる。
400
一休みした後、外套をまとって冒険者ギルドまで走った。
本格的な降りではないが、ポツポツというよりは雨粒が多い。
こんな感じで降り続くのだろうか。
盗賊探しの方は、雨が降っている間は中断だろう。
外套には何か撥水加工がしてあるみたいだが、所詮布だ。雨の中
を歩き回ったらびしょ濡れになってしまう。
盗賊だって雨の中をそうそう出歩いたりはすまい。
冒険者ギルドの壁から迷宮にワープする。
幸い、迷宮の中に雨は降っていなかった。
まあ幸いというか、当然のことではあるが。
結局、雨は丸二日間降り続いた。
﹁雨が弱くなってきた。そろそろ上がるだろうな﹂
旅亭の男が告げたのは、雨が降り始めた翌々日の朝のことだ。
﹁そうか。これで出歩けるな﹂
﹁ああ﹂
雨の中冒険者ギルドから走って帰ってきた俺に、旅亭の男が鍵を
渡してくる。
宿屋の内壁にワープすれば、雨に降られることもないのだが。
インテリジェンスカードのチェックをするときに、冒険者でない
ことはばれる。
401
何かいい方法はないものか。
﹁何日か前に殺人事件があったとかで、それもあって出歩くのは控
えていたんだがな﹂
ついでなので情報収集もしてみた。
﹁あの事件か。この宿なら危険はないだろう。スラムや娼館にでも
行かなきゃ大丈夫だ﹂
﹁どうして分かる﹂
何か情報を持っているようだ。
﹁あれはこの町のスラムに巣食う盗賊どもの勢力争いだ﹂
﹁勢力争いねえ﹂
﹁ここだけの話、盗賊たちの一部が騎士団と結びついたらしい﹂
旅亭の男が声を落とした。
﹁ほう﹂
﹁どうやったのかは知らない。あるいは片方の盗賊が情報を流した
だけかもしれない。それで、しばらく前に騎士団が残りの盗賊を一
掃しようと動いた。町を追い出された盗賊はどこかの村を襲って返
り討ちにあったとのことだ﹂
﹁なるほど﹂
それが俺の倒した盗賊か。
﹁先日殺されたのは町に残った方の盗賊だな。追い出された方も全
滅したわけではなく一部がまだ残っているという噂だ﹂
402
﹁どこかに潜んでいるのかも﹂
﹁どうだろうな。まあ、スラムの方は多少ごたつくかもしれんが、
騎士団の目もあるし、白昼堂々町中でいざこざを起こすことはない
だろう。この辺りは安全だ﹂
旅亭の男が仕入れるのは宿や客の安全にかかわる情報がメインだ
ろう。
盗賊の居場所まで知っていることはないか。
﹁分かった。朝食はもういいか﹂
﹁ああ、行ってきな﹂
旅亭の話で大体の概要はつかめた。
スラムにいる盗賊と、追い出された盗賊がいるらしい。
狙うとすれば、もちろん町を追い出された方の盗賊だろう。
俺のことを逆恨みしてくる可能性があるのは追い出された方の盗
賊だから、こちらを相手にするのが正しい。
拠点に立てこもっているところを攻撃するのは難しいだろう。
娼館街の奥にあったあの建物が町に残った方の盗賊の本拠地だと
して、こちらから乗り込むのは大変だ。
追い出された方の盗賊は、どこかに潜んでいるなら、警戒はして
いるとしても守備は手薄だろう。
騎士団による壊滅作戦を受けた後であるし。
町に残った方の盗賊も、この間の深夜に見た女性に対する暴力を
見るとろくなものではなさそうだが、だからといって追い出された
方が正義の味方というわけもあるまい。
403
村を襲った連中の仲間だし。
同じ穴のムジナだろう。
朝食の後、部屋に戻り、木窓を開けてぼんやりと外を眺めながら
雨がやむのを待つ。
雨はなかなか降りやまなかった。
さすがは二日以上降り続いた雨か。
小降りにはなっても、そこから上がるまでにもうひと粘りあった。
雨がやんだのは昼近くになってからだ。
こんなことなら迷宮に入っておけばよかった。
魔法使いがLv24になったときにミノを魔法三発で倒せるよう
になったので、それからは四階層の探索を進めている。
かなり歩き回ったので、そろそろボス部屋が見つかるのではない
だろうか。
ミノを倒せるようになるまでにもだいぶ時間はかかった。
最初からまじめに探索していれば三階層もクリアできたかもしれ
ない。
四階層に入るために探索者に支払った銀貨四枚がもったいなかっ
た。
雨が上がったので、宿を出る。
まずはアイテムを売りに冒険者ギルドに向かった。
冒険者ギルドそのものは壁を利用する冒険者がいるためか二十四
時間開いているようだが、カウンターは昼間しかやっていない。
﹁滋養丸と強壮丸を二つずつくれ﹂
404
代金を持って戻ってきたアラサーの女性に、一応三十パーセント
値引をつけてから頼む。
念のためにデュランダル以外の回復手段も持っておいた方がいい
だろう。
迷宮で戦う分には今のところ必要ないが、盗賊を相手にするのな
ら何が起こるか分からない。
値引スキルをつけたのも念のためだ。
柔化丸と抗麻痺丸を買ったときには、値引は効かなかった。
多分今回も有効にはならないだろう。
しかし、何かのきっかけで効くかもしれない。
お湯とカンテラを一緒に頼んだときのように。
考えてみれば、複数のものを売買して値引が有効でなかったのは
彼女から薬を買ったときだけだ。
あれは何故駄目だったのだろう。
複数にすれば有効ではないのだろうか。
アラサーの女性は一度席を立つと、丸薬を持って戻ってきた。
青い丸薬と赤い丸薬だ。
鑑定してみると、青い方が滋養丸、赤い方が強壮丸である。
ちゃんと色で区別できるようになっていた。
﹁ありがとうございます。一つ六十ナールになります﹂
﹁うむ﹂
やはり三割引は効かないらしい。
﹁⋮⋮申し訳ありませんが、銅貨でお支払いいただけますか﹂
405
銀貨二枚と銅貨四十枚を出したまま待っていると、彼女が告げた。
何故だ。
滋養丸と強壮丸は銅貨で支払う慣習になっているのだろうか。
﹁悪い﹂
しょうがないので、巾着袋から銅貨を出す。
﹁ありがとうございます。確かに代金をいただきました﹂
アラサー女性は、銅貨六十枚と引き換えに、丸薬をこちらに渡し
てきた。
一つずつ、確かめるように振り分けている。
ひょっとすると、彼女は六十×四=二百四十が計算できないのか
もしれない。
あるいはこちらができないと考えたのかもしれないが、二百四十
ナールだと分かっていれば、銀貨二枚のときに二百四十ナール取れ
ばいいだけか。
この世界の教育水準は分からない。代読屋がいるくらいの識字率
だから、そんなに高くはないだろう。
商人には計算を行うカルクというスキルもある。
商人でない一般の村人には計算ができないくらいのことは、十分
に考えられる。
計算もできないのなら、三割引ができるはずもない。
しかし、ギルドでのアイテムの買取には三割アップが効いている。
買取のときには何故有効なのだろう。
406
﹁買取金額の計算は誰がやってるんだ﹂
アラサー女性に訊いてみた。
﹁ギルドの神殿で行っております。ジョブ変更のときに見たと思い
ますが﹂
﹁⋮⋮﹂
見たと言われても困ってしまう。
どうやら俺は冒険者だと思われているらしい。
まあ、フィールドウォークもどきのワープで冒険者ギルドの壁に
何度も来ているしな。
﹁壊れたアイテムなどはそのときはじかれます。コボルトソルトな
どは、アイテムボックスに入れておきませんと雨などで溶かしてし
まう人がおります。買取できなくなりますので気をつけください﹂
﹁分かった﹂
幸い、返事をしなかったことをアラサー女性は変に思わなかった
らしい。
違うことまで説明してきた。
コボルトソルトを二つに割って二個にするとか、できないわけだ。
丸薬を受け取って、冒険者ギルドを出る。
買取金額の計算はアラサー女性がやっているのではないようだ。
もしかして、彼女がやったら三割アップは効かないのではないだ
ろうか。
407
これなら理屈は通る。
彼女には買取価格上昇や値引のスキルが通用しないのだ。
計算ができないのに、三割を上げたり下げたりできるはずがない。
では逆に、他の人では何故有効になるのだろうか。
カルク。
そのスキルの存在が浮かび上がる。
商人だけでなく、武器商人や防具商人、奴隷商人にもカルクのス
キルがあるのだろう。
旅亭については分からないが。
こうした商売人は、計算ができなければ仕事にならない。
価格上昇や値引のスキルは、このカルクに対して働きかけるので
はないだろうか。
カルクは計算するときに無意識で使われて答えが脳裏に浮かんで
くるスキルだ。
計算するときには必ず使う。
商人が売値や買値を計算するとき、俺がつけている価格上昇や値
引のスキルに合わせて、カルクによって自動的にサービス価格の算
出が行われるのではないだろうか。
これならば複数のものを売買したときにのみ有効になるのも筋が
通る。
単品で売り買いするときには計算をする必要がないからだ。
まあ一つの仮説に過ぎない。
過ぎないが、そう大きくはずしていないようにも思う。
仮説ができあがったところで、俺は意識を切り替えて、探索に集
408
中した。
盗賊を求めて、町の中をさ迷い歩く。
二日以上雨で無駄にすごしたから、遅れを取り戻さなければなら
ない。
期限まで時間もない。
道行くすべての人を鑑定した。
人がいそうなだけのところも、あまさず鑑定する。見えても見え
なくても。
木窓の向こう側に、はっきり姿は見えなくても鑑定できることが
あった。
壁越しの場合、建物の中まではさすがに鑑定できないようだ。
スラムの奥はやばい、などと悠長なことも言ってはいられない。
意を決して入っていく。
いた。
スラムに入っていくと、路上生活者の中に盗賊を見つけた。
409
盗賊退治
スラムの中に盗賊がいた。
俺はすぐに物陰へ隠れ、こっそりと様子をうかがう。
気づいた直後に動いたし、こちらのことを気にしたやつはいない
と思う。
盗賊は、三十八歳の男、盗賊Lv18だ。
ボロというほどでもない服を着て、路上生活者のように振舞って
いた。
しかし様子がちょっとおかしい。
こっそり観察していると分かる。
男はときおり一定の方向をチラチラと見ていた。
今の俺も、第三者が見ていたらあんな感じだろうか。
俺の場合は隠れているからガン見だが。
盗賊は何をするでもなく路上に寝転がっているが、頻繁に体を動
かし、そのたびごとに一定方向に鋭い視線を投げかけていた。
男が見ている方向には多分、娼館横の盗賊が出入りしていた建物
がある。
そこを偵察していると考えていいだろう。
建物にいるのが町に残った方の盗賊だとすれば、それを探るのは
追い出された方の盗賊だ。
この男も一味なのだろう。
410
内偵をしている割に、あまり上手ではない。
あれでは、よく見たらバレバレではないだろうか。
それとも路上生活者なんか誰も気にしないのか。
俺はその場に潜んで、盗賊の男を監視し続けた。
張り込みというのは膀胱が試されるものらしい。
盗賊が動いたのは、膀胱からの刺激が強くなりかけたころだった。
男が立ち上がり、こちらへやってくる。
隠れている俺の横を通り、道を歩いていった。
向こうへ行けば、スラムの出口だ。
奥の方に進まれなくてよかった。
男の向こうからも人がやってくる。
すれ違いざま、盗賊は反対側からやってきた人間を殴り飛ばした。
突然のことに、何が起きたのかと戸惑う。
殴られた男もそうだったのではないだろうか。
盗賊は、逃げ出すでもなく、結果を確認するでもなく、のんびり
と歩き出した。
あるいは顔見知りだったのだろうか。
殴られた男は道の端でうつぶしている。
他に気にかける人間もいないようだ。
それがここの日常なんだろうか。
盗賊が見えなくなる前に、俺も動いた。
411
後ろからつけていく。
テレビで見た刑事ドラマのようだ。
異世界に来て刑事の真似事をするとは思わなかった。
俺自身が誰かに尾行されていないか、後ろに注意することも忘れ
てはいけない。
前を注視しながら、後ろにも気を配る。
これは結構難しい。
男も、ちらちらと後ろを気にしながら歩いていた。
俺は、ときには盗賊の左側、ときにはかなり後ろと位置を変えて
いるので、気づかれてはいないと思う。
あまり後ろを気にしすぎると、動きが不自然になる。
盗賊の男はあまりこういうことに慣れていないようだ。
半分壊滅した盗賊団だから人材がいないのか。
あるいは、雨が続いたので盗賊もあせっているのかもしれない。
雨が上がったのであわてて敵の本拠地を確認しに来たのだとすれ
ば、俺は運がよかった。
盗賊はベイルの町を突っ切ると、南門から外へ出る。
城壁の外には畑があり、さらにその外側に森があった。
人の多い町中ならともかく、町の外までつけていくことは無理だ
ろう。
畑の草丈は高くない。そんなところを歩けばすぐに分かってしま
う。
匍匐前進でもすれば隠れられるかもしれないが、それは別の意味
で目立つ。
412
敵や魔物が来たときすぐに分かるように、城壁の外が畑になって
いるのだろうか。
盗賊が森の中へ消えるのを見届けると、俺は尾行を打ち切った。
盗賊たちは町の外にいるのだろうか。
町に残った盗賊のホームグラウンドであるスラムに身を潜めるの
は難しいだろう。
スラムにいるよりは、町の外に隠れている可能性が高いと考えて
いい。
町の外に町を追い出された盗賊たちの隠れ家があり、男はそこへ
帰ったと考えるのが妥当だろう。
一度東門に回って、膀胱を空にした後、町の外から南側へ行った。
周囲に気を配り、鑑定しながら進む。
キョロキョロしている俺の姿は、他人から見れば怪しいことこの
上ないだろう。
まあしょうがない。
森の中を歩く人間は少ない。
盗賊が先に俺を見つけたら、俺のことを知っていようと知ってい
まいと関係なく警戒するはずだ。
敵とみなし、不意打ちを狙って攻撃してくる可能性も捨てきれな
い。
先に盗賊に見つけられたら、チャンスが一転してピンチになる。
なんとしても、こちらが先に見つけなければならないだろう。
音を立てないように、ゆっくりと歩いた。
413
雨上がりでぬかるんでいるところがあって、歩きにくい。
おまけに、町の南側というだけでは範囲が広すぎる。
夕方まで探したが、見つけることはできなかった。
日が暮れるころ、ワープで冒険者ギルドの壁に帰る。
夕食を取った後も、町の外へワープしてしばし監視した。
翌日も南側の森の探索を続ける。
しかし、一日中探し回っても、誰も見つけることができなかった。
夕食の後、再度町の外へ赴く。
明日が奴隷商人との約束の期日だ。
もう時間がない。
町に残っている方の盗賊を狙うべきだろうか。
しかし、スラムとはいえ街中にある盗賊の本拠地を攻撃するのは
大変だろう。
俺とは無関係の、放っておけば襲われる可能性もあまりない盗賊
にこちらから手を出すのも気が進まない。
俺が狙われるおそれのある町から追い出された方の盗賊をターゲ
ットにすべきだ。
これなら正当防衛が成り立つ。
成り立たないかもしれないが、襲われてから反応する正当防衛と
襲われる脅威があるときに行われる予防攻撃との差は、現実には常
に曖昧なものだ。
などと屁理屈をこねていると、視界の隅にちらりと光が見えた。
414
見つけた。
昨日と同じ、Lv18の盗賊だ。
光源はゆっくりと動いている。
これから出かけるところなのか、あるいは隠れ家に帰るところな
のか。
日はすでに暮れている。
辺りは真っ暗で、足元もおぼつかない。
暗いおかげでこちらが目立つことはないが、木の根っこにでも引
っかかったらおおごとだ。
転んで大きな音を立てれば、すべてが台なしだろう。
光の動きを見極め、盗賊の後ろにワープした。
暗い壁を抜けると、カンテラの光に男の姿が浮かび上がる。
盗賊は、カンテラをぶら下げ、足元に光を当てながらゆっくりと
森の中を歩いていた。
カンテラの明かりが周囲をぼんやりと照らしている。
こちらの足元の状況もかろうじて分かった。
明かりを持った男の後からついていっているのだから、先々の状
況はばっちりだ。
この距離まで近づけば、もう盗賊を見失う危険はないだろう。
転ばないように小股で、盗賊の動きにあわせてゆっくりと、音を
立てないよう慎重に尾行する。
やがて、男は山腹の小さな崖に行き着いた。
崖の中ほどに岩穴がある。
岩穴の入り口には扉が張られ、堅く閉ざされていた。
415
男が扉をノックする。
ややあって扉が開き、誰かが顔を見せた。
三十一歳、男、盗賊Lv24。
あそこが隠れ家か。
Lv24の盗賊は何事か話すと、扉を大きく開け、Lv18の盗
賊を迎え入れた。
盗賊Lv18が岩穴の中に入る。
盗賊Lv24は、男を迎え入れた後、念入りに周囲をうかがい、
左右を確認した。
その注意深さから判断しても、この岩穴が盗賊たちの隠れ家と見
て間違いないだろう。
ついに見つけた。
あそこに町を追い出された盗賊たちが潜んでいる。
あの岩穴に攻め込めば一網打尽だろう。
Lv24の盗賊が扉を閉じると、周囲は真っ暗になった。
周囲を一通り確認する。
明かりもなく、何の気配もない。鑑定しても何も浮かんでこなか
った。
誰もいないようだ。
俺はワープと念じて、ベイル亭の外壁に戻る。
本当なら、中の人数や盗賊のレベル、普段の行動を日数をかけて
確認したいが、そんな時間はない。
416
いちかばちか、今夜のうちに攻め込むしかないだろう。
この真夜中に盗賊たちが拠点を移動するとは考えにくい。
もちろん、追われている身だから、敵に捕捉でもされれば分から
ないが。
岩穴の周囲には何の気配もなかった。
まだ俺以外の誰かには見つかっていないと考えてもいいはずだ。
今すぐ踏み込むのは、向こうも起きているから、危険である。
人間の弱点は夜になると寝ることだ。
旅亭の男のように半分ずつ眠れたら、危険を察知できるのに。
盗賊たちの一日の行動がどうなっているのかは分からない。
しかし、明け方には寝ているのではないだろうか。
交代で寝ずの番を立てているとしても、半分以上は。
今襲撃するより、もっと遅い時間に攻撃をしかけた方がいい。
たとえその間に逃げられる可能性があるとしても。
こっちは一人しかいないのだから、見張っているわけにはいかな
い。
しっかりと寝て、体調を整える必要がある。
俺は部屋に戻り、ベッドの上に横たわった。
盗賊を見つけた興奮からか、どうにも目がさえてしまう。
これから人殺しをするのだと考えると、いろいろと思うところも
ある。
それでも、俺はいつしか眠りに落ちていった。
417
目が覚めたのは早い時間だ。
感覚で分かる。おそらく、長い時間ぐっすりとは寝られなかった
だろう。
寝過ごしてしまわないように気を張っていたのかもしれない。
デュランダルを出して腰に差し、リュックサックを背負ってから
外套を羽織った。
レベルアップのことを気にする必要はないから、戦うには当然デ
ュランダルを使うべきだ。
銅の剣とシミターはアイテムボックスにしまってある。
何かのときに二本めの剣が必要になるかもしれないが、腰に差し
ていては邪魔になるかもしれない。
両者の可能性や損得を勘定するに、邪魔なものを持ち歩かない方
がいいだろう。
二本めの剣を必要とする状況がデュランダルが使えなくなるよう
な事態を意味しているのなら、おそらくはその時点で負けが決定だ。
時間的な余裕があるならアイテムボックスから取り出すこともで
きる。
デュランダルをつけて宿を出入りするのは初めてだが、外套を羽
織っているので外からは見えないだろう。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv26 英雄Lv23 魔法使いLv25 戦士Lv16
装備 デュランダル 皮の鎧 サンダルブーツ
皮のミトンもはずしている。
418
斬り合いになったときには着けていた方がいいが、何かのときに
指を自由に動かせた方がいいかもしれない。
どこかにつかまる、よじ登る、何かをつかむ、操作する。
人間の手は便利なものだ。
ジョブはもっと増やした方がいいのかもしれないが、よく分から
ない。
そうではないかもしれない。
普段あまり使っていないレベルの低いジョブを加えることにどこ
まで意味があるだろうか。
設定したジョブの平均レベルがステータスに反映されるような可
能性もある。
現状でも魔法が使えていざというときのラッシュとオーバーホエ
ルミングもあるのだから、この四つで十分だろう。
村を襲った盗賊と戦ったときにはデュランダル以外何もない状態
で戦闘をこなした。それなりに戦えるはずだ。
準備を整えて宿屋を出た。
旅亭の男との会話は、いつもどおりだっただろうか。
緊張でどこか不自然だった可能性はある。
この世界のルールに従えばおそらく犯罪をしに行くわけではない
から、あまり気にすることはない。
宿の外へ出て、大きく深呼吸した。
人を殺しにいくことについてモヤモヤとした感情が浮かぶが、封
印する。
俺はすでに最初の村で盗賊を二十人近くも屠っている。
まさにいまさら、というところだろう。
419
一度外套を脱ぎ、裏返しにして羽織りなおした。
外套は返り血対策だ。
フードもしっかりとかぶる。
デュランダルを抜き、宿の外壁の方を向いて、ワープと念じた。
岩穴のあった森の奥を思い起こす。
出たところは真っ暗だった。
火もないし、鑑定しても誰もいない。
周囲に誰もいないことを確認して、今度は岩穴の中にワープする。
盗賊の男が入っていくときに見た、扉の内側だ。
見ただけだが、見たのだからワープできるだろう。
再びワープで出た場所も真っ暗だった。
明かりもないし、物音もしない。星もないのでさらに暗い。
いや。落ち着いて耳をすませると、静かな寝息が聞こえてきた。
誰かいる。
周囲を鑑定した。
鑑定は便利だ。
光がなくても使える。
岩穴の中に盗賊が四人いた。
Lv18、Lv24、Lv29、Lv35。
おあつらえ向きだ。
極端にレベルの高い者もいない。
420
このくらいのレベルなら、十分に戦えるし、懸賞金にも期待でき
る。
下っ端は、すでにやられたか、逃げ出したかしたのだろう。
不寝番も立てずに眠りこけているらしい。
危機意識なさすぎじゃないだろうか。
あるいは他の場所に誰かいるのか。
だとするなら、早めに片付けた方がいい。
真っ暗な岩穴だが、四人の居場所だけは分かる。
岩穴がどういう構造になっているのかは分からない。
奥に二人、Lv35とLv29。その手前に一人、Lv24。入
り口に近いところに一人いた。
俺がワープで出たのは、Lv18とLv24がいる場所の中間辺
りだ。
敵を片側に集めた方がいいので、まずは盗賊Lv18のところに
行く。
足元がどうなっているか分からないのでゆっくりとすり足で移動
した。
盗賊Lv18は地面に直接寝ているようだ。
起こさないように、軽く足でつついて位置を確認する。
こっちが下半身だ。
頭の方に移動した。
しゃがんで首を確かめ、デュランダルを向こう側の首筋にあてが
う。
手前に寄せながら、思いっきり引き上げた。
421
盗賊Lv18は声も出さない。
これで首の動脈を何本か断ち切ったはずだ。
思った以上に巧くいったので、続いてLv24のところにすり足
で移動する。
途中振り返って確認すると、盗賊Lv18の鑑定結果は出なくな
っていた。
盗賊Lv24は、板か何かで作られた粗末なベッドの上に寝てい
るようだ。
足元に五センチか十センチくらいの段差がある。
多分中は空洞だろう。
盗賊Lv18のときと同様に首の位置を確かめると、デュランダ
ルを向こう側に当てた。
ものの試しに、ファイヤーストームと念じてみる。
魔法は発動しなかった。
やはり、ストームは魔物に対してのみ効果があるらしい。
段差があるので、今度はデュランダルを斜め下方に強く引きつけ
た。
﹁ぐっ⋮⋮﹂
Lv24の男がうめく。
引き上げるのは障害物がなくなったときにデュランダルの刃がこ
っちにきそうで怖いが、下におろすのならその心配がない。
そのために強くやりすぎてしまったようだ。
Lv24はこれで片付いただろうが、まだあと二人いる。
422
今の声で起きてしまったかもしれない。
俺はあわてて振り返ると、盗賊Lv35に向かってファイヤーボ
ールと念じた。
頭上に火の球ができる。
周囲が明るくなった。
目がくらむほどではないので、対応できる。
岩穴の中は、殺風景な土の床と壁が広がっていた。
家財道具などは置いていない。
板なのか木箱なのか、盗賊は何かを台にしてベッド代わりにして
いた。
﹁うぎゃあ﹂
火の球が盗賊Lv35に当たり、盗賊が大声を上げた。
その声を聞きながら、デュランダルをかまえLv29の盗賊に向
かって走る。
盗賊Lv29は突然の大声に何事かと頭を持ち上げた。
デュランダルで首を断ち切り、その頭を刎ね飛ばす。
盗賊の頭がベッドの向こうに転がった。
盗賊Lv35に視線をやると、男は地面の上で転がり悶えている。
自然にベッドから落ちたものか、火を消すためにわざとやってい
るのか。
あまりに勢いよく転がるために、うかつに近づけない。
火が消え、再び真っ暗闇になった。
真っ暗でも鑑定で男のいる位置は分かる。
423
男は銅の剣を装備したようだ。ベッドの下にでも隠してあったの
だろう。
何が起こったのか分からないくらいにあわててもいいと思うが、
そう都合よくはいかないらしい。
襲撃される可能性くらいは想定していたということか。
位置が分かるとはいえ、鑑定結果だけを頼りに飛び込むことは難
しい。
ファイヤーウォールと念じて、男が寝ていたベッドの辺りを思い
起こした。
火の壁が出現する。
俺のいる場所から見て、盗賊Lv35がいる位置のさらに向こう
側だ。
周囲が突然明るくなって、盗賊が後ろを振り返った。
後ろから光を当てられれば、誰でもそうするだろう。
普通は背後に誰かいるというサインだからだ。
真っ暗な間に俺がそこへ移動したということも考えられる。
しかし、今の場合はそうではない。
盗賊が振り返ったのは、盗賊にとって隙にしかならなかった。
俺は大きく踏み込み、デュランダルを左からスイングした。
デュランダルが男の胴に喰い込む。
そのまま右に移動しながら引き斬ると、盗賊が崩れ落ちた。
424
身請け
盗賊を四人倒した。
レベル的にも、町を追い出された後で壊滅せずに残っていたこと
から考えても、それなりの懸賞金を期待していいのではないだろう
か。
こんな場所に長居はしたくないので、必要な作業を行う。
まず、盗賊の衣服を裂いて風呂敷を作った。
左手首を切り取って四本収める。
盗賊を倒すときに放ったファイヤーウォールが運よくベッドの板
に燃え移っていた。
炎が岩穴の中を照らしている。
ファイヤーボールを浴びせたときに盗賊が大声を上げたが、誰も
岩穴には入ってきていない。
近くに仲間がいるというわけではないようだ。
それでも、せっかく倒した獲物を誰かに横取りされるのはまっぴ
らだし、インテリジェンスカードが出てくるまでここで三十分待つ
のもごめんこうむりたい。
だから手首を持っていくしかない。
銅の剣も四本集める。
皮の鎧などの防具やその他金になりそうなものは何もなかった。
持っていないのか、どこかよそに隠しているのか。
425
宝物庫が他にある可能性があるが、今となっては調べようがない。
四人全員の口をふさいでしまったのは失敗だったかもしれない。
まあしょうがない。あまり他にやりようもなかった。
盗賊にブラヒム語がしゃべれたかどうかも分からないし。
剣だけでも身近に置いておいたのは、さすがは抗争中の盗賊と評
価すべきか。
今回は役に立たなかったとはいえ。
必要なものを集めて岩穴を後にする。
まずは川の近くにワープして外套を洗った。血を落とすには早い
方がいい。
星明りと勘だけが頼りだが、多分そんなに返り血は浴びていない
だろう。
手と顔も一応洗ったが、外套以外にはほとんど血はついていない
と思う。
外套を木の枝に干した後は、迷宮に移動して時間をつぶす。
感情が高ぶっていたせいで、まともな探索にはならなかったが。
自ら積極的に動いて人を殺すというのは、思った以上に衝撃が大
きいようだ。
落ち着こうとしても、冷静に迷宮を探索することはできなかった。
魔物は向こうから現れるので狩にはなったが、こんな精神状態で
あまり戦うべきではないだろう。
早々に切り上げる。
適当に時間を見計らってインテリジェンスカードを回収し、必要
のなくなった手首を森へ捨てに行った。
その後、外套を持って宿に帰る。
426
部屋に入り、ぬるくなった水で体を拭いた。
ベッドで横になり、シミターを抱き枕にして目を閉じる。
気持ちは高ぶっていたが、やがて眠りに落ちた。
目が覚めたのは完全に日が昇ってからだ。
盗賊の隠れ家に行く前の睡眠時間はやはり短かったらしい。
思ったよりもよく寝た。
盗賊を退治したことで精神は高ぶっていたが、それよりも安心し
たことの方が大きかったのだろう。
報復の危険は除去したし、ロクサーヌを手に入れるめども立った。
懸賞金がいくらになるか分からないので決まったわけではないが、
一応できることはすべてやった。
これでお金が足りなりなければ、それはもうしょうがないだろう。
インテリジェンスカードの換金をどこで行うか。
それを考えながら、ベッドの中でまどろむ。
具体的には、ベイルの町の騎士団詰め所で行うのがいいか、他の
町へ持ち込むのがいいか。
十日前にもベイルの町で換金しているのだから、連続で持ち込め
ば目をつけられる可能性がある。
ここの騎士団はスラムの盗賊と繋がりがあるらしい。
そして、盗賊は新しい賞金稼ぎの登場を歓迎したりはしないだろ
う。
たとえ自分たちに敵対する盗賊を殲滅したのだとしても。
他の町で換金すれば目をつけられる可能性は減らせる。
427
しかし、今度はきちんと換金できるかどうかが分からない。
懸賞金がどのようなシステムになっているか、俺は知らない。
普通に考えれば、かつてこの町にいた盗賊に賞金を懸けるのは、
この町の人たち、この町の騎士団ではないだろうか。
他の町では、懸賞金が下がる可能性、あるいは出ない可能性があ
るかもしれない。
問い合わせを行うために即日では賞金が下りない可能性もあるだ
ろう。
ロクサーヌを入手する約束の期限は今日までなのだから、それは
困る。
また、盗賊を倒したときの状況を聞かれるおそれもある。
前に換金したときには何も聞かれなかったが、多分村の商人が何
か説明したのだろう。
いつもベイルの町に来ている商人と騎士団員とは顔見知りだった
可能性もある。
商人に信用があったこと、村ぐるみで嘘をつく可能性は小さいこ
と、町を追い出された盗賊が近くの村を襲う可能性は十分に考えら
れること、から、簡単な説明でも受け入れたのではないだろうか。
あるいは、騎士団から村へ予め警告があったとも考えられなくは
ない。
襲撃の後、村から騎士団へ誰かが報告に走った可能性もある。
今回はどの程度事情を訊かれるだろうか。
他の町にインテリジェンスカードを持ち込んであれこれ事情聴取
されたら、かえって面倒なことになりかねない。
現場検証したいのでどこで盗賊を倒したか教えてくれと言われた
ら、ベイルの町の近場であることに不信感をもたれるだろう。
428
何故ベイルの町の騎士団に持ち込まないのかと。
そうした可能性を考えると、ベイルの町の騎士団で換金するのが
妥当だ。
村を襲った盗賊の仲間が逆恨みして返り討ちにあったと解釈して
くれる可能性もある。
目をつけられかねない可能性については、この際多少はしょうが
ないだろう。
朝食を取った後、宿を出て向かいの建物に赴く。
中をうかがうが、顔見知りの見習い騎士や美人騎士はいないよう
だ。
さてどうするか。
目をつけられないように、という点では、顔見知りがいない方が
有利だ。
しかし、事情を知っている人の方が話が通じやすいかもしれない。
もし仮に騎士団とスラムの盗賊が繋がっているとして、俺のこと
が盗賊ハンターとして伝わる可能性があるならば、俺の顔を知って
いる人間は少ない方がいいだろう。
せっかく市が立っている日だ。
市をぶらつきながら、時間をつぶす。
銅の剣も四本うっぱらった。
ロクサーヌがいれば必要になるかもしれないが、そのときはその
ときだ。
騎士団の詰め所要員は昼に交代があったらしい。
日が高くなったころに行くと、詰め所の入り口近くに見習い騎士
429
がいるのを発見した。
﹁よう。がんばってるようだな﹂
﹁あ、ども﹂
見習い騎士に声をかける。
見習いというのはこっちが勝手に思っているだけだが。
騎士Lv5。この間は確かLv4だったので、レベルが上がって
いる。
﹁ちょっといいか﹂
﹁はい﹂
﹁実は昨晩、変なやつに絡まれてな。盗賊のようだ﹂
盗賊たちのインテリジェンスカードを取り出し、見習い騎士に渡
した。
﹁盗賊ですか?﹂
﹁まあもちろん返り討ちだがな﹂
胸を張る。
大物感を出してごまかす作戦。
別名、たまたまよたまたま、べ、別にこっちからしかけたわけじ
ゃないんだからね、作戦だ。
見習い騎士が愛想笑いを返してきたので、成功だろう。
成功だとしておきたい。
成功だと言って。
あきれられただけかもしれない。
430
﹁一応、あなたのインテリジェンスカードを見せてもらえますか﹂
﹁うむ﹂
左腕を見習い騎士の前に差し出した。
騎士は、俺のインテリジェンスカードを確認すると、では調べて
きますと言って、詰め所に引き込む。
詮索されなかったので、作戦成功だ。
たとえ変なやつだと思われて避けられたのだとしても、作戦成功
には変わりないだろう。
やがて、小袋を持って見習い騎士が出てきた。
今回は美人騎士はスルーらしい。
﹁確認できました。盗賊四名、ソマーラの村を襲った盗賊の仲間で
す。そのために狙われたのかもしれませんね﹂
﹁物騒だな﹂
向こうからそう解釈してくれるならありがたい。
﹁連中の仲間はもう残っていないでしょう。あまり危険はないと思
いますよ﹂
賞金の小袋を渡してきたので、受け取ってさっさと立ち去る。
盗賊の遺体をどうしたとか、詳しい事情聴取もいらないようだ。
前のときもそうだったし、町で殺されていた盗賊の扱いもぞんざ
いだった。
この世界の盗賊とはそんなものなのかもしれない。
案ずるより産むがやすし。
431
思った以上に巧くいった。
素早く物陰に移動して小袋を覗く。
銀貨がたくさんと金貨も何枚か。
金貨が五枚以上あるのを確認して、胸をなでおろした。
すでに金貨三十三枚と銀貨四百枚以上は持っている。
これでロクサーヌを手に入れる資金はそろった。
通りに戻り、悠々と奴隷商の館へ向かう。
この十日間は長かった。
それもあと一歩で終わる。
思わずにやけそうになるのをこらえた。
まだ最後の詰めが残っている。
全部終わるまで安心してはいけない。
奴隷商人が詐欺を働くとか、可能性がないわけではない。
﹁ミチオという。主人のアラン殿に取り次ぎ願いたい﹂
奴隷商の館に着き、出てきた男に告げた。
男は一度立ち去り、戻ってくると俺を中に入れる。
﹁こちらでお待ちください﹂
入り口横の部屋に通された。
絨毯の敷かれた待合室で、デュランダルを出す。
一応の用心だ。
俺が四十二万ナール以上の現金を持っていることは奴隷商人にも
432
分かっているから、ことさらデュランダルに目をつけられることは
ないだろう。
むしろ、今後の利益をちらつかせるためにも、豪華な装備品を見
せつけることに意味があるかもしれない。
デュランダルが豪華に見えるかどうかは分からないが。
今後とも上客になりそうだと思えば、変なことはしてこないだろ
う。
そう考えると皮の鎧は微妙すぎるか。
﹁ミチオ様、お待ちしておりました﹂
﹁うむ﹂
奴隷商人はすぐにやってきた。
﹁資金の方は、ご用意できましたか﹂
﹁まあなんとかな﹂
﹁それでは、こちらの部屋にお越しください﹂
﹁分かった﹂
過去二回通された部屋に案内される。
﹁やはり私が見込んだとおりでございました﹂
﹁どうだかな﹂
奴隷商人が言うほどには、迷宮では稼げなかった。
むしろ、奴隷商人の見込みははずれたのではないだろうか。
ソファーに座ると、ロクサーヌではない使用人がやってきて、ハ
ーブティーを置く。
﹁どうぞ、お飲みください﹂
433
使用人が去ると、奴隷商人が勧めてきた。
形だけカップを口につけ、飲んだ振りをする。
奴隷商人が何かたくらんでいるとすれば、飲み物に毒を混ぜるの
が手っ取り早いだろう。
飲むことはない。
懸賞金の小袋を出して、中を確認した。
懸賞金は十万と何千ナールか。前回の方が多かった。
懸賞金の小袋から金貨十枚を出す。
そして、リュックサックから巾着袋を取り出した。
予め銀貨四百二十八枚を別にしてある。
﹁銀貨が多くて悪いが﹂
﹁もちろんかまいません﹂
横を向いてアイテムボックスオープンと小声で唱え、アイテムボ
ックスから金貨二十八枚も出した。
これで四十二万二千八百ナールだ。
﹁確認してくれ﹂
銀貨が四百枚もあると、数えるのも大変だ。
嫌がらせに近い。
﹁ありがとうございます。確かに受け取りました。すぐに連れてま
いりますので、しばらくお待ちください﹂
奴隷商人は硬貨の数を確認すると、皿に載せ、全部持って出て行
434
った。
ハーブティーも飲まずに待っていると、やがて帰ってくる。
ロクサーヌも一緒だった。
奴隷商人の後ろに隠れるように立っている。
萌黄色のチュニックに同系色のズボンを着用していた。
顔は、やはり美人だ。
会わない間に思いが募ってかなり美化してしまっているのではな
いかと疑ったが、そんなことは全然なかった。
むしろ現物の方が記憶の中より綺麗かもしれない。
﹁ありがとうございます﹂
ロクサーヌが俺を見て頭を下げる。
イヌミミが揺れた。
あの耳は可愛い。
まあ、礼を言われるようなことをしたかどうかは疑問だが。
﹁よろしくな﹂
﹁はい。よろしくお願いします﹂
﹁それでは、契約を行いますので、インテリジェンスカードを確認
させていただきますか﹂
奴隷商人が部屋の中に入ってきて告げる。
﹁うむ﹂
﹁はい﹂
435
左手を伸ばした。
ロクサーヌも横に来て腕を出す。
奴隷商人が呪文を唱えると、インテリジェンスカードが飛び出し
てきた。
その後も奴隷商人はなにやらブツブツと唱えている。
﹁これで契約が終了しました。インテリジェンスカードをご確認く
ださい﹂
加賀道夫 男 17歳 探索者 自由民
所有奴隷 ロクサーヌ
促されて見てみると、インテリジェンスカードが書き換わってい
た。
奴隷商人は詐欺師ではなかったということだろう。
表示をごまかせるような魔法でもあれば、まだ分からないが。
ジョブは探索者になっている。
やはりファーストジョブが表示されるようだ。
﹁えっと、はい﹂
少し安心して息をはいた俺の前に、ロクサーヌが手を伸ばしてき
た。
436
ロクサーヌ ♀ 16歳 獣戦士 奴隷
所有者 加賀道夫
﹁なるほど。確かに契約がなされたようだ﹂
ロクサーヌのインテリジェンスカードも同様になっている。
見せてもらったので、俺も一応ロクサーヌの前に腕を出した。
﹁あの⋮⋮よろしいのですか?﹂
ロクサーヌが美しい瞳で俺の方をうかがうように覗いてくる。
インテリジェンスカードは奴隷に見せるものではなかったらしい。
﹁まあ見られて困るものでもないだろうし﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌが俺のインテリジェンスカードを読んだ。
﹁これでミチオ様は所有者になりました。所有者には、奴隷に住ま
いと食事を与え、また税金を支払う義務がございます。これらの義
務を放棄したり、奴隷を著しく不当に扱った場合、契約が破棄され
ることもあります。遺言の作成、変更も奴隷商人の仕事になります。
その際にも是非当館をご利用ください﹂
ロクサーヌにカードを見せている間、奴隷商人が淡々と説明して
くる。
通り一遍の通常業務という感じだ。
決まりきった定型文なんだろうか。
アメリカの刑事ドラマにおけるミランダ警告みたいなものか。お
437
まえには黙秘権がある、ってやつ。
著しく不当な扱いというのが具体的にどんなものなのか訊いてみ
たいが、ロクサーヌの前で尋ねることではないだろう。
限界にチャレンジしたい、と俺が考えているように捉えられても
困る。
遺言というのは、おそらく所有者が死んだときに奴隷をどうする
か決めておくやつだ。
税金の話は聞いていない。
﹁税金とは?﹂
﹁人頭税です。奴隷には支払う義務はありません。その分は所有者
が支払うことになります﹂
まあ、この世界にも当然税金はあるのだろう。
初めて聞いたが。
﹁税金については知っているか﹂
﹁は、はい。⋮⋮一応のことは﹂
ロクサーヌに訊くと、知っているとの回答が返ってきた。
ロクサーヌが知っているなら、後で話を聞けばいいだろう。
﹁分かった﹂
俺は奴隷商人に対してうなづいた。
438
ダブル
﹁それでは、またのご利用をお待ちしております﹂
奴隷商人に見送られ、ロクサーヌと二人で商館を出た。
ロクサーヌは大きなケースを前に持ち、両手でぶら下げている。
それが彼女の全持ち物のようだ。
チラチラとロクサーヌの方をうかがう。
もっと堂々と見てもいいはずだが、微妙に気恥ずかしい。
明るい日の光の下で見ると、ロクサーヌの美しさはさらに映えた。
白い肌は輝いているかのようだ。
チュニックはだぼだぼだが、思ったとおり胸は大きい。
かなりのふくらみがあった。
うん。楽しみだ。
などと考えているから、堂々とは見れないのか。 ﹁それ、重くない?﹂
ケースを指差して訊いてみる。
女性が荷物を持つというのは、どうも居心地が悪い。
﹁は、はい。大丈夫です﹂
﹁ちょっと貸してみて﹂
﹁は、はい。どうぞ﹂
439
右手を伸ばして受け取った。
重さの確認と、もう一つやりたいことがある。
右手でケースの取っ手を持ち、デュランダルを持った左手をケー
スの裏側に添える。
デュランダルを出したのはいいが、商館では消す機会がなかった。
重さを確認しながら、デュランダルをケースで隠す。
キャラクター再設定と念じて、デュランダルを消した。
﹁確かに、重くないな﹂
そう言って、ケースをロクサーヌに差し出す。
最初はケースを俺が持っていくつもりだったが、考えを変えた。
奴隷が荷物を持つのは普通のことだろうから、俺が持つ方が変だ
というのが一つ。
もう一つ、剣のことがある。
ケースをかかえていてはいざというときに対応ができない。
ロクサーヌは剣を持っていないし、俺が対応する必要がある。
男が荷物を持てなどというのは、街中で刀を振るうことがなくな
った近代社会だからこそ出てくる観念ではないだろうか。
おそらく、この世界では街中での暴力は想定の範囲内だろう。
ロクサーヌの荷物を俺が持つことは、彼女を大切にしているよう
に見えて、その実ロクサーヌを危険に晒していることになる。
俺はいつでも剣を抜けるようにしておくべきなのだ。
従者が荷物を持ち、主人は剣を持つ。
それがこの世界の常識だろう。
440
アイテムボックスを開いてシミターを取り出しながら、ロクサー
ヌにケースを戻す。
取っ手を渡すときに指が触れてドキドキした。
白くて細く、柔らかい女の子の指だ。
我ながらどうなんだろうという気がするが、どうなんだろう。
こんなことで大丈夫なんだろうか。
﹁と、とりあえず、ベイル亭に行って宿を取ろう。この先の通りに
出て、ロータリーまでまっすぐだから。ついてきて﹂
﹁は、はい。かしこまりました﹂
シミターを腰に差し、歩き出した。
ロクサーヌも俺の後をついてくる。
荷物を持った女性を後ろに従える。
微妙に居心地が悪い。
もっとも、ロクサーヌの方も緊張しているらしい。
さっきからはいばっかりだ。
﹁そういえば、漢字が読めるのか﹂
﹁カンジ、ですか?﹂
振り返って尋ねると、ロクサーヌが不思議そうに顔を傾けた。
その顔も美しい。
いや、ではなくて。
うん。漢字が読めないことはすぐに分かった。
漢字がブラヒム語に変換されなかったからだ。
漢字という概念がないから、カンジとそのまま外来語扱いされた
441
のだろう。
﹁えっと。インテリジェンスカードは読めてたよな﹂
﹁は、はい﹂
﹁インテリジェンスカードは何語で書いてある?﹂
﹁ブラヒム語でした。⋮⋮あっ。えっと。インテリジェンスカード
というのは、見ている人の意識に直接働きかけるので、その人が知
っている文字で読めるそうです﹂
なるほど。そういうことか。
漢字で書いてあるわけではなくて、俺に読める文字で見えたわけ
だ。
文字を読めない人にはどう見えるのだろう。
﹁ふむ。ロクサーヌはブラヒム語が読めるのか﹂
﹁は、はい。少し習った程度ですが﹂
ついでにブラヒム語を読める人材までゲット。
﹁俺はブラヒム語の読み書きは駄目だから、よかったら教えてほし
い﹂
﹁は、はい。分かる範囲でよろしければ﹂
﹁ありがと。よろしく頼む﹂
探索者ギルドの前を通る。
今度からは代読屋がいらなくなるな。
﹁約束どおり十日で迎えに来ていただいたので、まだあまり習って
いませんが﹂
﹁ん? 習ったって、あそこの商館でか?﹂
442
﹁はい。話せれば絶対に損はないからと、ブラヒム語を習いました﹂
奴隷商にそんなサービスがあったとは。
いや、ブラヒム語を使えた方が高く売れるからだろうか。
一方的なサービスというわけではないだろう。
﹁あそこがベイル亭だ﹂
﹁はい﹂
荷物もあるので、市は素通りして宿屋をまっすぐに目指す。
すれ違った男の何人かが、ロクサーヌのことをまぶしそうに見て
いた。
ちょっと優越感。
しかし、俺のロクサーヌを見るんじゃないと言いたい。
俺でさえもまだまともに見れないというのに。
ベイル亭に入る。
﹁二人部屋に移りたいが、いいか﹂
鍵を用意しようとする旅亭の男に告げた。
﹁大丈夫だ。⋮⋮ダブルでいいか﹂
﹁ああ。夕食も二人分つきで﹂
﹁ダブルルームは三百八十ナールだ。夕食つきで、ええっと、長期
滞在だし、特別サービスで一泊三百五十ナールでいい﹂
夕食がつくと三割引が効いてかえって安くなる不思議。
疑問には思わないのだろうか。
443
サービスと言っているから、割り引いている自覚はあるのだろう
が。
﹁分かった。三百五十だな﹂
なんにせよありがたい話なのでこっちとしては受けるだけだ。
リュックサックの中の巾着袋から銀貨三枚と銅貨五十枚を出して
カウンターに置く。
﹁じゃあ二人とも腕を出してくれ﹂
そういえば、インテリジェンスカードのチェックがあるのか。
ロクサーヌを奴隷にしたことが分かってしまう。
しょうがないので、左手を伸ばした。
﹁ロクサーヌも﹂
﹁は、はい﹂
何故か呆けたようにしているロクサーヌにも手を出させる。
﹁ダブルは五階だ。前の部屋で荷物を取ってから、五階に案内する﹂
旅亭の男はインテリジェンスカードを見ても別に何も言わなかっ
た。
客のプライバシーにまでは立ち入らないというところか。
鍵を二つ持って、さっさと階段を上がっていく。
﹁荷物貸して﹂
俺もロクサーヌからケースを受け取って、後に続いた。
444
宿屋の中なら、剣を優先する必要はないだろう。
﹁あ、ありがとうございます﹂
ロクサーヌも後をついてくる。
階段を上った。
﹁まずは部屋の荷物を全部取ってくれ﹂
旅亭の男が三一一号室の鍵を開ける。
ケースをロクサーヌに渡し、中に入った。
外套を左手に抱え、木の桶の中にロープと洗濯物と残りの荷物を
詰め込む。クローゼットに置いてあったジャージも入れた。
クローゼットの下の棚に入れておいた皮の靴も出す。
﹁これで全部だな﹂
﹁じゃあ、五階へ行くぞ﹂
旅亭の男が三一一の鍵を閉めて先導した。
﹁あ、あの、お持ちいたします﹂
﹁いや、大丈夫﹂
荷物を持とうというロクサーヌを制する。
彼女だってケースを持っているのに。
階段を上った。
三階なら何の問題もないが、五階だとエレベーターがほしい。
そんなものはないだろうが。
445
﹁ダブルの部屋は最上階にしてある。五階はダブルのお客さんだけ
だ﹂
俺の不満を読み取ったかのように、旅亭の男が言い訳する。
理屈はよく分からない。
﹁ふうん﹂
﹁ここが部屋だ﹂
男が部屋の鍵を開けた。
﹁ふむ﹂
中に入る。
大きなベッドが一つと、奥に机が置かれていた。イスが二つある
のは、二人部屋だからか。
机の上に荷物を置く。
部屋の大きさは今までいた三一一号室とそれほど変わらない。
一回り大きくした程度。もう少し大きいか。
広々と感じるのは、クローゼットが置いてないからだ。
﹁右がクローゼットになっている。下の棚は鍵がかかるようになっ
ているが、貴重品を置いて外には出ないようにな﹂
旅亭の男に言われて右壁の引き戸を開けると、奥が備えつけのク
ローゼットになっていた。
クローゼットの分、三一一よりも広いようだ。
446
その後、旅亭の男は最初三一一に入ったときにも聞いた説明を繰
り返し、鍵を俺に渡して出て行った。
一つしかないベッドに腰かける。
柔らかさは三階の部屋と同程度のものだろう。
見回すと、ロクサーヌは入り口のそばで所在なさげに立っていた。
﹁入ってイスにでも座ったら﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
おずおずとロクサーヌが通る。
緊張、というよりは少し怯えている感じがする。
﹁えっと。この数字が五でいいのか﹂
俺はロクサーヌに鍵を見せた。
ここの部屋番号は五一七。一は分かっているから、残った数字の
左側が五のはずだ。
﹁は、はい、そうです﹂
﹁で、これが七?﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
うーむ。会話が続かない。
ロクサーヌの怯えが伝わってきてしまう。
道中はもう少し会話できていたような気がするが、宿屋に来て戻
ってしまった。
いくら俺でも昼間っからいきなり押し倒したりするつもりはない
447
のだが。
まあ、ホテルの部屋で二人っきりになればしょうがないか。
おまけにベッドは一つしかないし。
﹁えっと⋮⋮。耳って、触ってもいいか﹂
どうせだから、思いっきり要求を出してみた。
結局怯えられるなら、もっと野放図に振舞ってもいいような気が
する。
多分。おそらく。メイビー。
﹁あ⋮⋮は、はい﹂
﹁じゃあこっちきて﹂
ロクサーヌを呼び寄せる。
いや。ただのスキンシップだよ、スキンシップ。
スキンシップは大切だ。
襲われると怯えられているのなら、その手前まではやって手は出
さないのが、怖くないとアピールすることになる。はずだ。
シュア、プロバブル、サートゥンリー。
of
reason
である。
美人が目の前にやってきて飛びつきたくなるが、そこはグッと我
慢する。
person
俺は理性の人だ。
英語で言ったら
知らないけど。
煩悩退散。迷妄打破。
448
﹁⋮⋮はい﹂
﹁ここに﹂
何故か床に座ろうとしたロクサーヌをベッドの横に招いた。
床に座ることはないだろう。
隣にきたので思わず抱きつきたくなったが、こらえる。
だから横には来なかったのか。
煩悩退散、欲情鎮火。
ロクサーヌの頭に手を置いた。
横から見るロクサーヌも美人だ。
髪の毛がなめらかに俺の手を滑らせる。
柔らかくてふさふさの髪だ。
まさに、見てよし、触ってよし。
い、いかんいかん。つい押し倒したくなった。
もちろん、忍の一字で耐える。
煩悩退散、邪念除去。
髪の触り心地を十分に堪能した後、イヌミミに触れてみた。
耳は、大きくて柔らかく、力なく垂れている。
厚みにして、一、二センチはあるだろうか。
垂れ耳のせいか硬い部分がなく、なんかのパフみたいな感じ。
ふわふわ、ふかふかだ。
やばい。癖になる。
ええい。遠慮などいるものか。両手で触らしてもらう。
449
﹁ロクサーヌって美人だけど、耳は可愛いよね﹂
ロクサーヌは美人だ。それなのに冷たい印象がないのは、垂れ耳
の影響が大きいと思う。
大きな耳が親しみやすさを醸し出しているのだ。
﹁えっ⋮⋮あ、ありがとうございます﹂
こっちを見てくるロクサーヌと目が合った。
ロクサーヌは恥ずかしげにうつむく。
いやもういくしかないでしょう。
などという不埒な考えを押さえつけた。
煩悩退散、獣心寂静。
耳をなでる。
無心に耳をなでる。
煩悩退散、妄執粉砕。
耳をなでて、少しはロクサーヌも落ち着いてくれただろうか。
俺の煩悩は落ち着いてくれないが。
横からロクサーヌの様子をうかがった。
特に嫌がっている様子はない。
嫌だとしても、そこは甘受してほしい。
スキンシップは大切だ。
しかし横から見るとやはりロクサーヌの胸は大きい。
いや違う。そうじゃない。
確認したくなるが、我慢だ。
450
煩悩退散、色欲撃砕。
﹁えっと。改めて、よろしく﹂
﹁はい。よろしくお願いします﹂
俺が耳に触れているのもかまわず、ロクサーヌが頭を下げた。
上がってきた後頭部をキャッチする。
﹁いいよね、この耳﹂
﹁あの⋮⋮﹂
﹁何?﹂
﹁ご主人様とお呼びしてよろしいでしょうか﹂
うん。
ここでロクサーヌに飛びかからなかった俺を誰か褒めてほしい。
煩悩退散、獣性鎮圧。
スキンシップの成果か、少しは会話も続くようになった。
今飛びかかって怯えられたら元の木阿弥だ。
﹁そうだな。そう呼んでもらえるか﹂
﹁はい、ご主人様﹂
おおっと。
今のは危なかった。
思わず抱きつきそうになった。
平常心、平常心。
煩悩退散、色情封殺。
﹁そういえば、ここはベッド一つなんだな﹂
451
耳に触れながら話す。
いや待て。
そんな話題で大丈夫か。
﹁え?﹂
﹁え?﹂
案の定、ロクサーヌが聞き返してきた。
ちょっと違うか。なんだろう。
﹁えっと。頼んだのはご主人様です﹂
﹁え? そうだっけ?﹂
﹁はい。ダブルの部屋を頼みました﹂
﹁あー﹂
なるほど。
ダブルがベッド一つでベッド二つはツインか。
確かにダブルでいいかと言われてうなずいたのだった。
旅亭の男のやつ、分かっていやがったな。
グッジョブ。
﹁知らなかったのですか﹂
宿屋に来てロクサーヌが怯えたのはそのせいか。
まあ知っていてもベッドは一つにしたけどね。
﹁まず最初に言っておきたいことがある﹂
﹁はい﹂
452
﹁俺は、ロクサーヌが聞いても信じられないくらい遠くから来た﹂
背筋を伸ばし、改まってロクサーヌに告げた。
ただし耳に触れたまま。スキンシップは大切だ。
本当のことを言うことはないし、嘘をついて後でばれても困る。
だから、半分本当のことを伝える。
﹁遠いというと、カッシームよりも遠くからですか?﹂
﹁カッシームというのがどこか知らないが、多分、ロクサーヌが考
えるよりもさらに遠くだ﹂
﹁そうなのですか﹂
ロクサーヌがなにやら考え込んだ。
ロクサーヌが信じられる場所よりも遠い。
いい表現だろう。
﹁それに田舎でもあった。俺はこちらの常識がよく分からない。常
識については、ロクサーヌにいろいろと教えてもらいたい﹂
﹁はい﹂
﹁このくらいのことは知っているだろうとか、こんなことも知らな
いのかとは思わずに、何でも説明してもらえるとありがたい﹂
﹁かしこまりました﹂
ダブルとツインは地球でも常識だったかもしれないが。
なんとかごまかせただろうか。
﹁あと、聞いているかもしれないが、ロクサーヌにも一緒に迷宮に
入ってもらうつもりだから、そのつもりで﹂
﹁はい。戦闘ではお役に立てると思います。お任せください﹂
453
迷宮のことを話すと、ロクサーヌがまっすぐに俺を見る。
その目が妖しく光ったような気がした。
454
反応
迷宮に入る話になったらロクサーヌの雰囲気が変わった。
どうやら自信があるようだ。
なんか怖い。
まっすぐ見つめられて、触っていた耳を離してしまった。
パーティーとして一緒にやっていくのだから、戦闘に自信がある
のはありがたいことだが。
﹁服をクローゼットにかけてもよろしいでしょうか。しわになるの
で﹂
耳を解放されたからか、ロクサーヌが立ち上がる。
うーん。逃げられてしまった。
﹁ああ。そうだな﹂
﹁ありがとうございます﹂
ロクサーヌが商館から持ってきたケースを開ける。
入っていたのはメイド服だ。
あれを持ってきてたのか。
ロクサーヌと一緒に買ったメイド服。
支払った金額のうち二千八百ナールが半端だったから、正価が四
千ナールということだろう。
それ自体は結構な値段がする。
455
するが、いい買い物ではあった。
ロクサーヌを単独で買ったのなら、三割引は効かなかっただろう。
奴隷商人にカルクのスキルがあるかどうか知らないが、いずれに
しても単品でものを買うときにはおそらく三割引が効かない。
奴隷商人は、ロクサーヌだけを売れば六十万ナールだったところ、
四千ナールの服までついでに売ろうとしたため、売価が四十二万二
千八百ナールになってしまったのではないだろうか。
あまり欲をかきすぎてはいけないという教訓だ。
ロクサーヌはメイド服をクローゼットにかけ、服のしわを伸ばし
ている。
その後ろ姿も可愛い。
後ろから振るいつきたくなるくらいに。
うん。いい買い物だった。
胸の割に、ロクサーヌの体つきはスリムだ。
身長は俺と同じくらいなのに一回りは細い。
女の子という感じがする。
﹁あれ。裸足だったの﹂
改めてロクサーヌの身体をなめるように見ていると、ロクサーヌ
が裸足であることに気づいた。
﹁はい、そうです﹂
ロクサーヌはさも当然という風に答える。
裸足のまま、商館からここまできたのか。
裸足は別に珍しくないのかもしれないが。
456
﹁この外套もついでに頼む﹂
﹁はい、かしこまりました﹂
立ち上がって机の上の外套を持ち、ロクサーヌに渡した。
渡された外套をクローゼットにかける彼女の頭をなでる。
振るいつきたくなったからというわけでは、必ずしも、ない。
確認だ。
彼女がどこまで許す気があるかどうかの確認である。
巧く逃げられたような気がしたし。
ロクサーヌほどの美人を奴隷にできたのは詐欺だからではないか
という疑いをまだ完全に払拭したわけではない。
ロクサーヌはおとなしく頭をなでさせてくれた。
この態度を見る限り、奴隷として買われて覚悟はできていると判
断していいのだろうか。
内心は分からないが、嫌がっているとしても、それを表情に出し
たりはしなかった。
思わず抱きついてしまう。
いや、違う。誤解だ。
俺の忍耐力がここまでだったということではない。
いきなり押し倒したりするつもりはない。
﹁残念だけど、逃がすつもりはないから﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
ロクサーヌは小さく答え、身体の力を抜いた。
457
詐欺ということでもなさそうだ。
多分、この場で押し倒しても、それはそれでオッケーだろう。
後ろから抱きついているので腕に胸が。
これは⋮⋮思った以上に。
しかし今はまだ我慢だ。他にやらなければいけないこともある。
奴隷を買ったことに罪の意識はほとんど感じなかった。
分からない。奴隷を買ったという実感がないだけかもしれない。
まあ無理に罪悪感を湧き出させる必要もないだろう。
﹁この皮の靴、ああ、じゃないや、こっちのサンダルがはけるか﹂
腕を伸ばし、ロクサーヌを解放する。
これ以上は俺の耐久力が持たない。
﹁よろしいのですか﹂
﹁迷宮に入ってもらう以上、装備品だから﹂
嫌がらないのをいいことに、俺はしゃがんでロクサーヌの足に触
れた。
ロクサーヌの足は人間とあまり変わりはないようだ。
狼人族といっても毛むくじゃらではない。
ただし少し小さい。
かかとからつま先までの長さがふた回りか三回りは短かった。
﹁ありがとうございます﹂
﹁巧くはければ、だが﹂
﹁はい。あ、えーっと。装備品には魔法がかかっています。装備し
458
た者の体に合わせて、伸び縮みするんです。だから大丈夫です﹂
ロクサーヌが頭上から説明してくる。
俺に身体を触られているのをどう思っているか知らないが、逃げ
出したり、嫌がったりするそぶりは見せなかった。
それをいいことにベタベタと触りまくる。
足はちっちゃくて可愛らしい。
甲がすべすべとしてなめらかだった。
﹁なるほど﹂
﹁これが、普通の服と装備品との違いです﹂
装備品というのはずいぶんと便利なものらしい。
そうでもなければ、装備品はワンメイクじゃなくて全部がオーダ
ーメイドになるだろう。
﹁それって、常識?﹂
﹁はい。たいていの人は知っていると思います﹂
﹁⋮⋮えっと。常識でも知らないことが多いから、これからもよろ
しく﹂
﹁はい﹂
この世界の常識だったようだ。
まあそうなんだろう。ただの村人で装備品を着けている人もいた
し。
言い訳がさっそく役立った。
そして、きっちり対応してくれたロクサーヌに感謝しておく。
﹁剣は、片手剣と両手剣があるけど、どっちがいい?﹂
459
立ち上がってロクサーヌに訊いた。
﹁片手剣をお願いできますか﹂
﹁うむ﹂
机の上のシミターをロクサーヌに手渡す。
剣を渡すのは、駄目かもしれないが、そうでないかもしれない。
今までの態度を見る限り、渡してもいいと判断した。
奴隷になったのが形の上だけのことで、ロクサーヌや奴隷商人に
なんらかの思惑があった場合、敵に塩を送ったことになる。
例えば俺を殺して自由になるとか。
そこまで慎重に考えるべきかどうか。
ロクサーヌが剣を持っていなくともなんとかすると考えているの
なら、俺にそれを防ぐことは難しいだろう。
一緒のベッドで寝るのだし。
迷宮に入るのだからいずれ剣は渡さなければならない。
今は剣を渡すのに絶好のタイミングだ。
早いうちに渡しておくことは、それだけ俺がロクサーヌを信用し
ているというサインにもなるだろう。
殺されるのなら童貞を捨ててから、せめて明日の朝に渡せばいい
んじゃね、という気もするが、それはどうなんだという気もする。
人として。
﹁悪くはなっていませんが、あまり手入れされていないようです﹂
460
そんな俺の思惑を知ってか知らずか、ロクサーヌは一心にシミタ
ーをチェックした。
顔つきも真剣なものになっている。
﹁え? 手入れがいるの﹂
﹁はい﹂
いやまあ当然といえば当然か。
﹁他の装備品なんかも?﹂
﹁もちろんです﹂
﹁そっか﹂
考えてみればそうだよな。
手入れなんてしたことなかった。
﹁ご主人様。今後の手入れは私がやりますが、装備品は命を預ける
ものですから、もっと大切にしてください﹂
﹁⋮⋮も、もっともだ﹂
ロクサーヌが身を乗り出して説教してくる。
思わず後ずさってしまった。
﹁お願いしますね﹂
ロクサーヌは机の上に置いてあった他の荷物をクローゼットにし
まいだす。
﹁えっと。じゃあこっちきて、サンダルブーツはいてみて﹂
461
皮の靴は確保し、ベッドに座るとロクサーヌに声をかけた。
紐を解いてサンダルを脱ぎ、皮の靴をはく。
見た感じ、サンダルブーツより皮の靴の方がワンランク上の装備
だ。
足が半分むき出しになっているサンダルよりも靴の方が防御力が
大きいだろう。
足を狙ってくるような魔物はいなかったし、蒸れないでいいと思
ってサンダルブーツをはいてきたが、ロクサーヌに主人よりもよい
装備品を回すことは避けた方が無難である。
﹁はい﹂
﹁えっと。こっち﹂
またしても床に直接座ろうとしたロクサーヌをベッドの隣に招き、
サンダルを渡した。
ロクサーヌが俺の横に座ってサンダルをはく。
俺の足にフィットしてしたはずのサンダルは、ふた回り以上小さ
いロクサーヌの足を何故かぴったりと納めた。
魔法すごい。
﹁今日は市が立っている日なので、必要なものがあれば買いそろえ
たい。他に必要な装備品はあるか﹂
﹁木の盾でよいので、できればお願いします﹂
﹁木の盾だな。他には﹂
﹁防具に関しては、基本的にご主人様の装備から充実させてくださ
い。私のはあまったお下がりで十分です﹂
462
隣に呼んだのでロクサーヌの耳を触りながら会話をする。
もう部屋に入ったときほどの怯えや緊張感はないようだ。
スキンシップの成果だ。
スキンシップすごい。
﹁分かった。装備品以外で必要なものは﹂
﹁手入れをするのに油が必要です。なにかのオイルを持っています
か﹂
﹁いや、ないな﹂
﹁それでは、オリーブオイルの小さなビンを買いましょう﹂
オリーブオイルか。
﹁分かった﹂
﹁あとはボロ布を使います。使い古した肌着とか、ありませんか﹂
﹁ないな。そこにあったのだけだ﹂
﹁まだ新しいですね﹂
洗濯物もロクサーヌがしまったので、五日前に買ったかぼちゃパ
ンツを見られてしまった。
もうお婿に行けない。
ちなみに、トランクスは今はいている。
﹁手ぬぐいを使ってくれてかまわない。他に必要なものは﹂
﹁水筒があればいただきたいです﹂
﹁水筒か。ちょっと待ってて﹂
俺はリュックサックからコップ代わりの小さな木の桶を取り出し
た。
クローゼットからロクサーヌがしまった中くらいの木の桶も取り
463
出す。
二つを持って、トイレに走った。
水が入った小さな木の桶を持って部屋に戻り、ロクサーヌに渡す。
﹁ありがとうございます﹂
﹁飲んでみて﹂
﹁はい。いただきます﹂
ロクサーヌが口をつけた。
ウォーターウォールで作った水だ。
匂いはしないし、見た目も味も普通の水である。
何か問題があるかもしれないが、川の水や井戸の水より危険だと
はいえないだろう。
俺も何日か前から飲んでいるが、おなかを壊したりはしていない。
ちなみに、ウォーターボールは勢いがありすぎて桶で受けられな
かった。
﹁水は大丈夫かな﹂
﹁あの。すみません。水がほしかったわけではなくて、迷宮で使う
水筒がいただきたかったのですが﹂
﹁うん、分かってる。いずれ分かるけど、大丈夫だから﹂
﹁そうですか﹂
魔法のことを知らないロクサーヌを無理やり納得させる。
もちろん、水筒だってないよりはあった方がいいだろう。
しかし水は結構重い。そのコストを考えれば、水筒の利便さはか
464
なり小さなものになるはずだ。
ベッドに座った。
ロクサーヌは俺がいない間に何故か床の上に移動している。
なるほど。
ベッドの上に座ったら押し倒されると警戒しているのだろう。
﹁こっちきて﹂
﹁はい﹂
横に招いた。
﹁別にいちいち移動しなくてもいいから﹂
﹁あ、あの。でも、ご主人様のベッドですから﹂
﹁ロクサーヌもここに寝ることになるけどね﹂
抱きついて、小声でささやく。
とんだ悪代官だ。
﹁⋮⋮あ、あの。お情けをいただくときは入りますけど、寝るのは
床でかまいません﹂
ロクサーヌがうつむき加減でつぶやいた。
床に寝かすという発想はなかった。
どんな悪代官だよ。
このままいってしまえ、と俺の中で何かが叫ぶが、抑える。
別に今いっても問題ないのなら、後でしっぽり楽しんでも大丈夫
のはずだ。
465
﹁それって、常識?﹂
﹁商館で、そういうご主人様もいると聞きました﹂
﹁俺はいいや。寒いしめんどくさいし、一緒にベッドで寝て﹂
﹁は、はい。ありがとうございます﹂
抱きついたまま、髪をなでる。
避けられるでもなく、嫌がられるでもなく。
ここまでしても受け入れるということは、もう本当に俺のモノに
なったとみていいだろう。
﹁水は桶をもう一個買うとして、あと何かある?﹂
﹁荷物は私がお持ちします。そのリュックサックか、他のものを﹂
﹁リュックサックか。分かった﹂
﹁私からはこれくらいです﹂
髪に触れたまま会話した。
耳もいじらしてもらう。
この垂れ耳は癖になる。
﹁市は五日に一度だから、最悪五日間買えない可能性もある。よく
考えて﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
﹁盾、オリーブオイル、手ぬぐい、桶、リュックサック、鎧は何か
買うとして、靴下もいるか。こんなものかな﹂
指折り数えながら確認する。七項目。
﹁はい﹂
﹁俺からは、石鹸ってこの辺にもあるのか﹂
466
大丈夫だ。石鹸はブラヒム語に翻訳された。
﹁石鹸ですか。石鹸はとても高いので。洗い物なんかにはコイチの
実のふすまを使うのが一般的だと思います﹂
﹁やっぱ高いのか。シャンプー⋮⋮いや、なんでもない。コイチの
実だな﹂
﹁はい﹂
シャンプーは翻訳されなかった。
まあ石鹸が高価だと言っている世界で、シャンプーだのリンスだ
のトリートメントだのコンディショナーだのはないだろう。
﹁あと、歯を磨くものは何かないか﹂
﹁房楊枝ですね。シュクレの枝ならどこの市でも売っていると思い
ます﹂
房楊枝というのか。
﹁盾、オリーブオイル、手ぬぐい、桶、リュックサック、鎧、靴下、
コイチの実、シュクレの枝、で九項目か。忘れないように覚えてお
いて﹂
﹁はい﹂
﹁じゃあ、買いに行こうか﹂
リュックサックを持って立ち上がる。
いつまでもロクサーヌに触れていたいが、そうもいかない。
というか、用事があるならさっさと済ますに限る。
アイテムボックスから銅の剣を出し、リュックサックを背負った。
リュックサックにはお金が入っている。
467
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌもすぐに立った。
鍵を預け、宿の外へ出る。
まず雑貨屋っぽいところで、小さな木の桶、リュックサック、オ
リーブオイルの小ビン、コイチの実、シュクレの枝を買った。
しめて百三ナール。
コイチの実のふすまは匂い袋のようなものに入っていた。多分、
そのまま使えるようにだろう。
シュクレの枝は二本で一ナールだ。安い。
というか、本当に何かの木の枝をそのまま切ってきただけだ。
原価はただみたいなもんだろう。
買ったものをリュックサックに詰め、ロクサーヌに背負わせる。
隣の布屋みたいなところで、手ぬぐいを二枚取った。
ロクサーヌが使う分もあるかもしれないし、余分に買って困るも
のでもないだろう。
﹁靴下は最低二枚はいるよな。好きなの選んで﹂
﹁私が選んでよろしいのですか﹂
﹁どうぞ﹂
﹁大きさが分かりませんが﹂
話が通じない。
468
﹁いや。ロクサーヌが自分ではく靴下だから﹂
﹁私のですか? よろしいのですか?﹂
﹁大丈夫﹂
俺がうなずくと、ロクサーヌは真剣な表情で靴下を選び始めた。
サンダルだから裸足でも問題ないとはいえ、迷宮に入る以上何か
あった方がいいだろう。
靴下なんてどれでもいいじゃないか、とはいえない。
俺の靴下は、適当に選んだので少し大きかったりする。
﹁これをよろしいですか﹂
﹁了解﹂
﹁ありがとうございます﹂
ようやく選び終わったロクサーヌから靴下を受け取った。
手ぬぐいと一緒に店番の商人に見せ、代金を支払う。
品物はロクサーヌのリュックサックに後ろから入れた。
最後に防具商人の店へ移動する。
防具屋ではロクサーヌの表情がさっきよりもさらに険しくなった。
木の盾一つに真剣だ。鬼気迫る感じがある。
まあ命を預けるものだからな。
木の盾 盾
スキル 空き
しかし、できればこちらの空きスロットつきのものを選んでほし
469
い。
どうやって薦めるか。
空きスロットについてもロクサーヌに訊いてみたいが、人前でな
い方がいいだろう。
俺は置いてある木の盾から空きスロットつきのものを三つ見つけ
た。
﹁この三つがいい品だな﹂
﹁お分かりになるのですか﹂
﹁うむ﹂
ロクサーヌの言葉に、なるだけ自信ありげにうなずいて返す。
ワンメイクの装備品なんだからどれも変わんなくね、とは思うが。
ロクサーヌは俺が渡した三つを真剣に見比べ始めた。
美人なのにおっかない感じがする。
み、眉間にしわが。
怖いのでロクサーヌをおいて移動した。
鎧の置いてある場所に行く。
﹁皮の鎧はいくらだ﹂
﹁八百ナールでございます﹂
なんか高いような気がする。
そんなにするのか。
村を襲った盗賊の装備を売らなければよかったと思うが、しょう
がない。
あのときにはアイテムボックスもなかった。
470
﹁皮のジャケットは﹂
﹁千ナールでございます﹂
一度売ったものを買い戻すのは、なんか負けたような気分だ。
皮のジャケットと皮のグローブの空きスロットつきのものを持っ
て、兜の場所に移動した。
胴装備、腕装備、足装備は一応そろえたから、残るのは頭装備だ。
皮の帽子 頭装備
スキル 空き
他も皮シリーズだし、手ごろなのはこの皮の帽子だろう。
見た目、ロードレーサがつける自転車用ヘルメットみたいな感じ。
頭にちょこんと乗っかるような。
﹁ご主人様、こちらの木の盾を﹂
ちょうどロクサーヌが木の盾を選んで持ってきた。
﹁皮の帽子でも、あった方がいいか?﹂
ロクサーヌの頭に皮の帽子を乗せ、訊いてみる。
何故かすっぽり入る不思議。魔法すごい。
﹁もちろんです﹂
帽子はイヌミミまでを完全に隠した。
確かに、言われるまでもなくこれは必要だろう。
471
可愛い垂れ耳に何かあったら大変だ。
﹁では、これを。全部で五点だな﹂
空きスロットつきの皮の帽子をもう一つ取り、防具商人に見せる。
﹁ありがとうございます。しめて九百三十八ナールにサービスさせ
ていただきます﹂
代金を支払い、アイテムボックスに入れた。
ロクサーヌが何やら不審そうな目で俺を見てくる。
防具商人に聞こえないよう横を向いて、ムニャムニャ、アイテム
ボックス、とつぶやいたが、横にいたロクサーヌにはかえってばっ
ちりと聞こえてしまったようだ。
呪文を唱えるのは面倒だしこっぱずかしいので避けてきたが、ち
ゃんとすべきだろうか。
﹁これで全部だな。では戻るか﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌは防具商人の前では何も言ってこなかった。
不思議に思ったとしても、人前で聞くことではないと考えたよう
だ。
帰る途中、ロクサーヌはなにやら言いたげな目で俺を見てくる。
やばいかも。
宿の前まで帰ってくると、目の前に服屋があった。
高い外套が置いてあった服屋だ。
472
高いが、必要なものなら手が出ないというほどでもない。
﹁雨が降ったら困るし、外套がいるだろう。好きなのを買っていい
ぞ﹂
つい話をそらしてしまう。
いずれ分かるし、ロクサーヌにばれて困ることでもないはずだが。
﹁よろしいのですか﹂
﹁うむ﹂
﹁ありがとうございます﹂
嬉しそうに、ロクサーヌが頭を下げた。
473
お楽しみ
昔、母に連れられて赤坂か広尾あたりのブティックに行ったこと
がある。
あまりに昔のことで場所もよく覚えていないが、何かの建物の二
階か三階にある瀟洒なお店だった。
店から高速道路を通る車を見ていたことを覚えている。
よく晴れた日で、太陽の光を反射して車がキラキラと光っていた。
なんで車なんか見ていたのかというと、他にやることがなかった
からだ。
母親の買い物につき合わされて男の子が楽しむことは難しい。
多分、俺はぐずったかぶうたれたかしたのではないだろうか。
母がブティックに俺を連れ回したのはあの一回きりだ。
母は一度で懲りたに違いない。
買い物を楽しまない俺に。
あの日、母は何を期待して俺を連れ出したのか。
子どもと買い物に行くのを楽しみにしていたのではないだろうか。
死んだ母にもう親孝行はできない。
俺はどうすべきだったのだろう。
母と一緒に買い物を楽しむべきだっただろうか。
女性が買い物を楽しむと知ったのはあれからずっと後のことだ。
そして身をもってそれを知る機会は、今の今までなかった。
474
好きな外套を買うと伝えられたロクサーヌは、嬉々として品を選
んでいる。
店の外套を全部ひっくり返す勢いだ。
というか、文字通り全部ひっくり返すだろう。
平台の外套を左から一着一着取り出して、こと細かに見ていって
いた。
広げて全体を確認し、自分の腕に当てて似合うかどうか考え、襟
やすそなどの細かい部分もチェックする。
例外は存在しない。
その赤茶けたのは見るからに駄目だろう、という外套まできっち
りと広げて見定めていた。
あ、たたんでしまった。
やっぱ駄目だったんだ。
あれは一目見て色が変だもんなあ。
いちいち確認するなよと。
言いたいのはやまやまだが、もちろん言わない。
店番の商人も何も言わなかった。
下手に声をかけられないようだ。
ロクサーヌの場合、﹁どういったものをお探しですか﹂とか声を
かけても、﹁全部見せて﹂と言われそうだ。
お。何か言うか。
﹁こちらなどお勧めでございますが﹂
﹁⋮⋮うーん﹂
475
撃沈した。
商人が見せた外套はロクサーヌのお気に召さなかったらしい。
まあ店員が勧めるのは少しでも高くて売れ残っているやつだろう
しな。
ロクサーヌ偉い。
外套を買う権利をやろう。
商人はすごすごと他の客のところへ移動する。
好きなのを買っていいと俺が言ったのを聞いただろうし、一着売
れれば御の字だろう。
俺はロクサーヌが全部の外套をひっくり返すのをただ見つめた。
母に対してどんな失態を犯したのか、記憶もないし自覚もしてい
ないが、過ちは繰り返さない。
文句は言わずに見守る。
美人だし可愛いので見るだけでも暇はつぶせる。
その成果か、最後の方は﹁これどうですか﹂と聞いてくるように
なった。
うん。ファッションセンスのない俺にその質問はタブーだ。
適当にやりすごす文言を必死に考え、﹁それもいいね﹂などとお
茶を濁す。
俺に見せる品は気に入ったものだろうから、否定する言葉は駄目
だ。
それくらいは分かる。
というか、それくらいしか分からん。
店に置いてある外套を全部確認した後、ロクサーヌは候補を二つ
476
にまで絞ったようだ。
途中から左腕に抱えた外套と、最後の方に見つけた外套。
どちらも似たようなエンジ系の色だ。
﹁どっちがいいと思いますか﹂
二つをさんざん見比べた後、ロクサーヌが振り返った。
両方の腕に外套を乗せている。
俺に聞いてくるということは多分、ロクサーヌの中では六:四以
上くらいの割合で答えが出ているのだろう。
そっちを選んでやれば終了だ。
ここで失敗したらすべてが水の泡である。
安い方で、などという発言が地雷なのは分かる。
安い方でいいと思うけどね。
左腕に乗っている外套は、途中からずっと持っていた。
気に入ったのでキープしていたのだろう。
それがヒントだとすれば、こっちが正解だ。
高速道路を見ていた俺はヒントに気がつけなかった。
今日はそうではない。
﹁こっちの方がまったりとしてシックでたおやかな落ち着きのある
いい色合いだな﹂
自信を持って、左腕の外套を薦める。
理由は適当。
後付けアリアリだ。
477
というか、まったりとした色合いってなんだ?
自分で言っててよく分からん。
甘からず、辛からず、美味からず。
﹁そうですか? こっちの方は、縫製なんかはいいんですが、色は
ちょっと重めかなと思っていました﹂
﹁う、うむ﹂
ありゃ。
色は向こうの方がよかったらしい。
﹁でもそうですね。言われてみれば、落ち着きのあるいい色かもし
れません。分かりました。こっちでよろしいですか﹂
﹁分かった。他に、何か必要なものはあるか﹂
なんとか納得してくれたらしい。
ロクサーヌから外套を受け取る。
﹁いえ。あの、これ以上は﹂
﹁せっかくだし、何か一着買っておくか?﹂
﹁ですが⋮⋮﹂
﹁遠慮することはない。今日は記念となる特別な日だしな﹂
顔を近づけて小声でささやいた。
ロクサーヌを買った記念の日。
というか、二着買わないと三割引が効かないのだよ。
﹁あの⋮⋮それでは、肌着を買ってもよろしいですか﹂
﹁分かった﹂
478
﹁はい。ありがとうございます﹂
うなずいてみせると、ロクサーヌが衣類を選び始めた。
この間俺が買ったようなかぼちゃパンツだ。
男女で別ということはないのだろう。
何の色気もないし。
もっとも、色気がないのは現代人の目で見るからかもしれない。
ロクサーヌは、外套と違って広げたりせずに選んでいる。
肌着だけに、恥ずかしい感覚があるのではないだろうか。
﹁一枚で大丈夫か﹂
広げなかったので比較的早く選び終えたロクサーヌに問う。
奴隷商館から持ってきたケースにはメイド服しか入っていなかっ
た。
彼女自身の持ち物というのはほとんどないのだろう。
﹁え。あ、あの、でも﹂
﹁もう一枚買っとけ。三つでいくらになる﹂
有無をいわさず申し付け、店番の商人を呼んだ。
﹁あ、ありがとうございます﹂
﹁おありがとうございます。三点で、そうですね、クロークを気に
入っていただけたようですし、二千八百五十六ナールとさせていた
だきましょう﹂
ロクサーヌが取り出した同じ色のかぼちゃパンツを含め、三点買
う。
479
金を支払うと、外套をロクサーヌに持たせ、肌着は後ろからロク
サーヌのリュックサックに入れた。
﹁宿へ帰るか﹂
﹁はい﹂
日はすでに傾きかけている。
たいした買い物でもないのに結構長くかかってしまった。
これからは買い物に時間がかかることを覚悟した方がいいだろう。
﹁よう。お帰り﹂
ベイル亭に戻り、鍵を受け取る。
﹁いったん部屋に行って荷物を置いてくる。夕食はその後で。食事
が終わったら、お湯を二つとカンテラを頼む﹂
﹁お湯二つにカンテラ一つだな。三十五ナールでいい﹂
お金を払うと階段を五階まで上り、部屋に帰った。
部屋に入ると、ロクサーヌは外套をだいじそうにクローゼットに
しまう。
﹁ありがとうございました﹂
﹁いいからいいから﹂
俺としては、買い物の間に逃げなかったことだけでもありがたい。
リュックサックのものをしまうロクサーヌに近づき、頭をなでた。
うん。嫌がられてはいないみたいだ。
480
さっきまではあった怯えもない。
﹁まだ日もあるので手入れをいたします。装備品を出してください﹂
なでられたままロクサーヌが告げる。
﹁今日買ったばっかりだし、いいんじゃないかな﹂
﹁いけません﹂
ロクサーヌが突如俺をにらんだ。
目が力強い。
﹁そ、そうだよな、やっぱり﹂
手入れにはうるさいようだ。
ロクサーヌがオリーブオイルの小ビンを取り出した。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
ロクサーヌはこっちを振り向いて、ためらいがちにうつむく。
また突然、雰囲気が元に戻った。
﹁何?﹂
﹁肌着を買っていただいたので、今私が着ているのを手入れ用のボ
ロ布にしたいと思います﹂
﹁うん。いいんじゃない﹂
﹁⋮⋮ご主人様はどうぞ食事にいかれてください﹂
﹁食事が先、というわけにもいかないか﹂
食事を済ますころには日も暮れるだろう。
481
手入れは食事の前にやっておいてもらった方がいい。
カンテラの油は一時間分しかない。
できれば灯りの下でしっぽりと楽しみたい。
﹁ですので﹂
﹁大丈夫。下で一緒に食べよう﹂
﹁よろしいのですか? 宿屋の食堂は高いと思います。私だけなら
どこか安いところで食べてきますが﹂
遠慮しているのか、一緒に食事するのは嫌なのか。
﹁もう食事つきの値段で払ったしな。一緒の食事は嫌かもしれない
が﹂
﹁嫌だなんて、とんでもありません﹂
﹁じゃ、そういうことで﹂
銅の剣を机に置く。
﹁⋮⋮で、では、あの、失礼いたします﹂
ロクサーヌがいきなりズボンを脱ぎ始めた。
何ごとか、と思ったが、そうか。
これから手入れをする、手入れをするのに着ている肌着を使う、
となれば、脱ぐしかないわな。
﹁あー、悪い。気にするな﹂
軽く手を振った。
俺が気にしろよ、という感じではあるが。
482
眼福なので見させてもらう。
だぼだぼのチュニックがあるので、実際にはよく見えなかった。
お尻は見えたし可愛かったけど、一番見たい部分は。
かぶりつきで見るわけにもいかないし。
あ、尻尾だ。尻尾。
ロクサーヌは横を向いてしまったので、尻尾はよく見えた。
髪と同じ栗毛色のふさふさの毛。
やっぱり尻尾があるのか。
後で触らしてもらおう。
ロクサーヌは素早く着替えをすませる。
本当にあっという間だった。
もっと見たかったがしょうがない。文句を言うわけにもいかない。
イスに座ると、ロクサーヌの表情が真剣なものに変わる。
怖いくらいの面持ちで、装備品を手入れし始めた。
布に少量の油をつけ、磨いていく。
﹁こうして手入れをしておけば、いつまでも新品の状態です﹂
﹁手入れしないと性能が落ちるとか、あるのか﹂
﹁使う者が気分よく使えなければ、性能は発揮できません﹂
なるほど。気持ちの問題か。
今日のところはデュランダルは手入れしてもらわなくていいだろ
う。
手入れの後、食堂に下りた。一緒に夕食を取る。
二人がけのテーブルの対面ではなく床にロクサーヌが座ろうとし
たこと以外は、何ごともなく無事に食べ終えた。
483
食べ終えるころには日も沈んだ。
再び部屋に戻ると、宿屋の男がお湯と火のついたカンテラを持っ
てくる。
男はそれを置くとすぐに出て行った。
﹁背中を拭いてくれるか﹂
二人っきりになったので、すぐに行動を開始する。
冷静に。かつ大胆に。
下手に恥ずかしがると、かえってロクサーヌも緊張するだろう。
まず俺が裸になる。
トランクスも脱ぎ捨てた。
人間、生まれてきたときは誰しも裸なのだ。 カンテラを机の上に載せ、たらいを部屋の中ほどに引き寄せる。
﹁はい。ご主人様﹂
裸になった俺の背中を、後ろからロクサーヌが手ぬぐいで拭いた。
ここまでのところは成功だ。
手ぬぐいをお湯に浸して絞り、前は自分で拭く。
﹁これって、使えるか﹂
買ってきたコイチの実の小袋を取り出し、ロクサーヌに見せた。
後ろを振り向いたので、前にぶら下がっているモノまでがロクサ
ーヌの方を向く。
いや、問題ない、はずだ。多分。
484
﹁人の体を洗うことはあまりないと思います﹂
ロクサーヌにも見えたはずだが、大げさには反応しなかった。
それはそれで寂しい気もする。
我が息子は元気もそれなりだ。
さっきトイレに行ったとき暴発してしまったので。
﹁うーん。そうなのか﹂
﹁たいていはお湯で体を拭いて終わりです﹂
﹁お風呂⋮⋮に入ることは﹂
大丈夫だ。翻訳された。
﹁王侯貴族なら﹂
結構大変なようだ。
俺の場合、魔法を使えば水も火も用意できる。風呂はそのうちな
んとかなるのではないだろうか。
﹁これはどうやって使う?﹂
﹁房楊枝は水場の近くでないと﹂
続いてシュクレの枝を見せる。
口をすすぐのに水がいるのだろう。
これは明日でいいか。
体を拭き終え、かぼちゃパンツをはいた。
﹁じゃあ、次はロクサーヌね﹂
485
なるだけ平静に、こともなげに告げる。
なんでもないことのように。ただ順番が回ってきただけのように。
﹁⋮⋮は、はい﹂
﹁うん﹂
ロクサーヌが小さな声を絞り出した。
チュニックに手をかける。
さすがに見ているわけにもいかないので、たらいの方を向き、手
ぬぐいを絞りなおした。
﹁あ、あの⋮⋮私は狼人族なので毛深いかもしれません。ごめんな
さい﹂
﹁へえ。そうなの﹂
かけられたロクサーヌの言葉に振り返る。
ちょうどロクサーヌがチュニックを脱いだところだった。
カンテラの弱い光の中、ロクサーヌの身体が幻想的に浮かぶ。
服と腕の隙間からは暴力的なおっぱいが。
あ、あれは暴力です。
飛び道具です。反則です。
ロクサーヌの前面に実り豊かな最終兵器がこぼれ出ていた。
大きい。
そして柔らかそう。
見るものすべてを幸福にする最終兵器がそこにあった。
486
﹁実は背中が﹂
ロクサーヌは俺の視線に胸を隠し、身体をよじって背中を向ける。
隠すことはないのに。残念。
ロクサーヌの背中を見ると、背中全体を髪の毛が覆って⋮⋮。
あれ? 髪じゃなくて、毛なのか。
手ぬぐいを持って近づくと、背中から毛が生えていた。
毛が腰まであるが、身体から離れていない。
頭から伸ばしているわけではなかった。
髪を伸ばしているのではなく、頭から背中、腰まで、ずうっと毛
が生えている。
腰まであるベリーショート。
一言でいえば、そういうヘアースタイルだ。
ロクサーヌがズボンと肌着も脱ぐ。
毛の生えている部分の終端から、尻尾が伸びていた。
毛があるのは尻尾までで、お尻には生えていない。
お尻はすべすべとしておいしそうだ。
俺は手ぬぐいを持たない方の右手でロクサーヌの背中の毛をなで
た。
毛はしとやかで柔らかく、俺の手を優しく受け止める。
﹁ふさふさして柔らかいし、俺は好きだ﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
487
手ぬぐいで背中の毛を拭いた。
身体のラインに沿って、上から下になでおろす。
﹁うむ。何の問題もない﹂
﹁あ、あの。ご主人様に拭いていただくわけには﹂
﹁大丈夫。この方が早いし﹂
背中から覗き込むと、胸に巨大な山脈も見えた。
聖なる頂、二つの霊峰が。
ロクサーヌも手ぬぐいで自分の身体を拭いているので、常時隠す
ことはできない。
拝みたい。
いや、拝ませていただきます。
南無、ロクサーヌ。
ビバ、ロクサーヌ。
拝むだけでは物足りない。
あがめなければ。
抱きつくように後ろから前へ手を回した。
隆起を確かめつつ、聖なるふくらみを清める。
﹁あっ⋮⋮﹂
﹁何?﹂
﹁い、いえ⋮⋮﹂
何か言おうとしたロクサーヌを気合で黙らせた。
488
神々しいコニーデは弾力のある手ごたえを返してくる。
素晴らしい。
確かな重量感を享受しつつ、丁寧に磨き上げた。
一箇所の漏れもないように、丘陵のすべてを優しく拭き清める。
ゆっくりと、注意深く、丹念に。
柔らかい。
手ぬぐい越しとはいえ、重みを味わい、弾力を堪能する。
大きい。
手のひらに収まりきらないボリュームである。
﹁最高だ﹂
﹁⋮⋮﹂
明らかにロクサーヌが自分で拭くよりも時間がかかっているが、
この際たいした問題ではない。
なにしろあまりに雄大なのだ。
人が踏み入ったら出てこられないほどに。
たっぷりと時間をかけて拭き清め、俺はようやくロクサーヌを解
放した。
﹁えっと。尻尾って拭いても大丈夫?﹂
﹁はい。あ、いえ、自分でやります﹂
﹁いいからいいから﹂
思わず時間を喰ってしまったことをごまかすため、次に移行する。
ロクサーヌの尾を拭いた。
尻尾はふさふさとした毛の塊だ。
芯のようなものはなく、毛だけが集まっている。筆先みたいな感
489
じか。
イヌミミのふわふわ感もたまらないが、完全に毛だけという尻尾
のふさふさ感もいい。
優しく俺の腕に絡まり、かつさらさらと流れるような感触がある。
﹁あ、ありがとうございます﹂
﹁尻尾って、動かせるのか﹂
﹁難しいですね。こういう風にしないと﹂
ロクサーヌはそう言って腰を揺すった。
尻尾が左右に振れる。
いや。尻尾を動かしているのではない。明らかに腰を動かしてい
る。
ロクサーヌの腰が情熱的に揺れた。
見方によってはセクシー。
見方によらなくてもセクシーか。
いいものを見させてもらった。
﹁うーん。なるほど﹂
﹁あと、嬉しいことがあると、無意識のうちにピクピクと動きます﹂
﹁そっか。じゃあ、ロクサーヌの尻尾がなるべく動くようにしない
とね﹂
ロクサーヌの耳元にささやきかける。
耳元といっても普通の耳元ではなく頭の横だ。
﹁は、はい⋮⋮。あの、よろしくお願いします﹂
490
あ。尻尾がちょっと揺れた。
その後、可愛らしいお尻とたおやかな足も拭く。
役得だ。
﹁さてと。じゃあちょっと実験してみるか﹂
﹁実験、ですか?﹂
﹁うん。ベッドの上でうずくまって、頭をこっちに出して﹂
ロクサーヌに指示した。
頭を洗えるかどうかのテストだ。
前からやってみたかった。
鏡がないので分からないが、俺の頭は今、ベットベトのギットギ
トじゃないだろうか。
なにしろ十日以上頭を洗っていない。
濡れタオルで拭くだけでは限界があるだろう。
この世界では普通かもしれないが、どうにも気持ちが悪い。
たらいを持ち上げ、イスの上に置いた。
ベッドと比べるとやはりたらいの方がちょっと高い。あおむけで
は難しいだろう。
﹁これでよろしいですか﹂
﹁たらいに頭をつけるくらいの勢いで﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌが頭をたらいの上に伸ばす。
お湯をすくってロクサーヌの頭にかけた。
指ですきながら、髪をもみ洗う。
491
何度も繰り返しお湯をかけた。
耳にもお湯をかけ、丁寧に洗う。
﹁じゃあ、頭起こして﹂
一通り全部洗った後、濡れていない手ぬぐいを頭に乗せた。
手ぬぐいで押さえながら、頭を起こさせる。
やや乱暴にワシャワシャと髪をすき、水分をぬぐい取った。
﹁ありがとうございます﹂
﹁うむ。二人なら頭洗えそうだな﹂
﹁ご主人様の頭もお洗いしましょうか?﹂
﹁そうだな。頼む﹂
手ぬぐいをロクサーヌの肩に置き、場所を入れ替わる。
﹁たらいを交換しましょうか﹂
﹁いや、このままでいい。もう一個の方は、靴下とか洗うから﹂
たらいに頭を突っ込んで、洗ってもらった。
ロクサーヌの細い指で髪をもみ洗いしてもらう。
いい気分だ。
お湯につけただけだが、さっぱりした。
手ぬぐいで拭いてもらう。
目を開けると、そこにパラダイスが。
かぼちゃパンツをはいただけのロクサーヌが、正面から俺の髪を
拭いてくれていた。
両手は俺の頭の上に伸ばしている。
492
すると無防備な胸元が。が。が。
﹁それでは洗濯しますね﹂
視線が分かったのかどうか、ロクサーヌはすぐに離れてしまった。
残念だ。
いや。
ロクサーヌは裸のままたらいの横にしゃがんで靴下を洗っている。
するとロクサーヌの動きにあわせて胸も揺れるわけで。
パ、パラダイス。
﹁コイチの実は使わないのか﹂
﹁あれは外套やお気に入りの上着などを洗うためのものです。毎日
洗うものに使っていたら、すぐに布が駄目になってしまいます﹂
﹁そうなのか﹂
たらいをイスから下ろしながら訊いた。
せっかく買ったのに結構使えないんじゃ。
﹁これは、なんかすごいです﹂
靴下の次にトランクスを洗ったロクサーヌはゴムに引っかかって
いる。
手で引っ張って、反応を楽しんでいた。
﹁こっちにはない?﹂
﹁見たことないです﹂
﹁そうなのか﹂
493
ゴムは珍しいようだ。
かぼちゃパンツが紐で結ぶようになっているのも当然か。
ロクサーヌが洗い物をクローゼットに干す。
いよいよ全部の作業が終了か。
﹁えっと。この服を着ますね﹂
ロクサーヌがメイド服を取り出した。
﹁あー。いや、着なくていい﹂
﹁えっ、でも﹂
﹁商館で何か言われたか?﹂
﹁これを着ると喜ぶだろうと﹂
奴隷商人はロクサーヌに何を吹き込んでくれたのだろうか。
確かに喜ぶ。喜ぶが。
﹁それを着るのはまたでいい﹂
﹁はい⋮⋮﹂
ロクサーヌが小さくうなずき、メイド服をクローゼットに戻す。
そして、無言でベッドに近づいてきた。
近づいたロクサーヌの手をつかみ、ベッドに引きずり込む。
ベッドに倒れ込んだロクサーヌに抱きついた。
ロクサーヌはされるがままになっている。
両手でがっちりとホールドし、豊かなふくらみを胸板で押し潰し
た。
494
顔を近づけると、ロクサーヌは意を決したように瞳を閉じる。
その唇に口づけした。
柔らかな唇に触れる。
しばらく、そのまま俺の口を押しつけた。
もっと強引にいきたいが、我慢する。
最初から舌を入れるのは駄目だとか聞いたことがあるような気が
する。
﹁これから、夜寝る前と朝起きたときはキスをして挨拶すること﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁じゃもう一回﹂
一度放し、またすぐにむさぼりつく。
今度はちょっと強引にいってみた。
舌も忍び込ませる。
ロクサーヌは素直に受け入れてくれるようだ。
舌と舌を絡ませた。
ロクサーヌの舌を味わいながら、かぼちゃパンツを脱ぐ。
それからロクサーヌのパンツに手をかけた。
495
朝のお勤め
目覚めると、ロクサーヌを抱き枕にして眠っていた。
左側にロクサーヌを寝かせ、両手と右足で抱きついている。
心地よい目覚めだった。
いや。心地よい目覚めというか、目が覚めたら心地よかったとい
うか。
ロクサーヌのすべすべとした肌が気持ちいい。
柔らかく、そして優しい肌触りだ。
抱き心地も素晴らしい。しっとりとした弾力が返ってくる。
ロクサーヌと接している部分から快感が染み込んできた。
左腕をロクサーヌの下に滑り込ませているが、それほど重くない
し、しびれてもいない。
軽く抱き寄せ、背中をなでた。
ふんわりとした毛の感触を楽しむ。
俺もロクサーヌもかぼちゃパンツしか着ていない。
ブラジャーみたいなものは、ないか、あっても高いのだろう。
左腕の上に、重みのある確かな弾力が乗っかっていた。
と、突然、唇が覆われる。
ロクサーヌがキスをしてきたのだ。
手の動きで俺が起きたのが分かったのだろう。
496
そういえば、そうするようにと俺が言ったのだった。
律儀に守ってくれたのか。
ご主人様の命令で仕方なく、かもしれないが。
﹁おはようございます、ご主人様﹂
しばらく柔らかな唇と舌を味わった後、口を放すと、ロクサーヌ
が挨拶してくる。
﹁ありがと。おはよう、ロクサーヌ﹂
目を開けたが、ロクサーヌの美しい顔は見えなかった。
まだ暗い。
感覚だけを頼りに抱き寄せ、もう一度唇を奪う。
見えなくてもなんとかなるもんだ。
半開きのロクサーヌの唇の間から、舌を差し入れた。
ゆっくりと誘うように舌を動かし、ロクサーヌの柔らかい舌を絡
め取る。
ロクサーヌは、情熱的とまではいえないかもしれないが、きちん
と応じてくれた。
嫌がってはいないと考えていいのだろうか。
仕方なく、かもしれないが。
逃げ出したくなるほど嫌というわけではなさそうに思う。
このまま押し倒したくなるが、キスだけで我慢する。
昨晩は遠慮して一回戦しかしていないので、元気はありあまって
いる。
497
しかし、この十日間、朝は必ず迷宮に行っていた。
今日だけ宿の外に出ないと、昨夜はお楽しみでしたね、というこ
とが旅亭の男にばれてしまうのではないだろうか。
ダブルの部屋を案内された時点でバレバレだとはいえ。
キスをしたまま、手を頭の方に持っていき、髪をなでる。
なめらかなすべり心地を楽しんだ後、口を放した。
﹁ちょっと迷宮に行ってみようか﹂
﹁はい、ご主人様﹂
名残惜しいが、ロクサーヌを放して上体を起こす。
どうせ今夜も楽しめる。今夜も明日もあさっても。
ロクサーヌが逃げ出しでもしない限りは。
身を起こしベッドに腰かけて皮の靴をはいていると、ロクサーヌ
がシャツを着せてきてくれた。
おっと。なんかいいな。
王様気分。
﹁悪いな﹂
﹁いいえ。どうぞ﹂
まだ慣れていないのか、ぎこちない。
腕が当たった。
慣れていないというか、真っ暗だからか。
﹁暗いのに、大丈夫か﹂
﹁すみません。あまり夜目が利くほうではないので﹂
﹁無理することはない﹂
498
ズボンだけ受け取って、後は自分で着る。
アイテムボックスから皮のジャケットも取り出して羽織った。
皮のジャケット 胴装備
スキル 空き
﹁そういえば、空きスロットって何か分かるか?﹂
気になったし、いい機会なので訊いてみる。
あれ。空きスロットというのは俺が勝手に言っているだけか。
﹁何のことでしょう﹂
﹁うーんと。装備品にスキルの空きがある状態か﹂
﹁装備品にですか? もちろん溝や隙間はありますけど﹂
それはスロットの辞書的な意味だ。
﹁装備品にスキルをつけることができるだろう﹂
﹁はい﹂
﹁多分そこがあいているということだ﹂
﹁申し訳ありません。よく分かりません。スキルがなければ、何も
ないのではありませんか﹂
どうやら通じないらしい。
武器商人も空きのスキルスロットは分からなかった。
一般的にはスキルの空きは知られていないのだろう。
499
﹁装備品にスキルをつけるにはどうやる﹂
﹁えっと。スキルつきの装備品を購入するのが一般的です﹂
﹁買うのではなく自分でつけるには﹂
アイテムボックスから皮の鎧も出す。
ロクサーヌに皮の鎧を渡したいが、暗いのでロクサーヌがどこで
何をしているのかよく分からない。
ロクサーヌはロクサーヌで着替えているのだろう。
﹁モンスターカードの融合ができるのは鍛冶師だけです﹂
鍛冶師のジョブが必要なようだ。
毒消し丸を作るにも薬草採取士のスキルである生薬生成が必要で
ある。同じことなんだろう。
﹁モンスターカードというのは?﹂
﹁魔物が持っているインテリジェンスカードみたいなものです。そ
れを装備品と融合すると、スキルのつくことがあるそうです。魔物
を倒すとまれにですが残ることがあります﹂
まあそうなんだろう。想像通りだ。
もう一つ、想像できることがある。
﹁スキルスロットに空きがないと、カードが融合できないのではな
いか﹂
﹁装備品にスキルがつくかどうかは、モンスターカードの状態、鍛
冶師の腕や運によって決まるとされています﹂
﹁なるほど。やはり失敗することがあるのか﹂
﹁失敗する確率の方が大きいと言われています﹂
500
試してみなければ分からないが、スキルに空きがないと、スキル
がつかないのではないだろうか。
その場合、鑑定を使える俺には大きなアドバンテージがあること
になる。
俺がやれば融合に失敗することがない。
﹁鍛冶師にはどうやったらなれるかって、知ってるか﹂
﹁申し訳ありません。知りません。鍛冶師は種族固有ジョブなので、
ドワーフでないとなれません﹂
がーん。
そして、ドワーフもやはりいるのか。
まだ会ったことはないが。
あるいは、なんらかの方法で鍛冶師のジョブを獲得できるだろう
か。
種族の固有ジョブだと難しいだろうか。
ドワーフに鍛冶師だと、なんか難しそうな気はする。
﹁そうなのか⋮⋮。では、スキルつきの装備を作るには鍛冶師に頼
むしかないのか﹂
﹁よほど親しければ分かりませんが、鍛冶師は直接取引を嫌がりま
す。ご主人様には誰か親しい鍛冶師の知り合いがおられるのでしょ
うか﹂
﹁いないと無理なのか?﹂
﹁スキルをつけるのに失敗するとモンスターカードが失われます。
ほとんどの鍛冶師は融合を直接は引き受けませんし、引き受ける鍛
冶師がいたとしても、信用できるかどうか分かりません﹂
何故、と訊こうとして、分かった。
501
モンスターカードがなくなったとき、融合に失敗して失われたの
か、鍛冶師がインチキをしてちょろまかしたのか分からないという
ことか。
鍛冶師は依頼を受けたとき、モンスターカードをどこかに隠して、
失敗した振りをすることができる。
依頼人には失敗したと告げ、後でモンスターカードを売るなり自
分の装備品に融合するなりすれば、丸儲けだ。
﹁モンスターカードの融合はトラブルの元か﹂
﹁そうです﹂
﹁融合するところに立ち会っても駄目なのか﹂
﹁昔、依頼人の目の前でやることを謳い文句にしてひと財産作った
ドワーフがいたらしいです﹂
﹁なるほど﹂
まあ詐欺のためならどんな方法でも考えつくだろう。
手品師がカードをごまかしたら、俺だって見抜くのは不可能だ。
﹁ですので、モンスターカードの融合を鍛冶師に依頼することはま
ずありません。鍛冶師も直接取引を受けることはないでしょう。モ
ンスターカードを得たならば売却し、スキルのついた装備品が欲し
いときはどこかで探して買い求めることになります﹂
じかにやり取りすることが不審と猜疑の原因にしかならないなら、
そうなるのだろう。
種族固有ジョブなので俺が就くことができず、かつ直接取引も望
めないのだとしたら、厄介だ。
鑑定で装備品の空きスロットが分かったとしても、使い道がない。
装備品の鑑定は死にスキルなんだろうか。
502
盗賊や他人のジョブ、魔物を見るのにさんざん鑑定を重宝してき
たから、文句を言えた義理ではないが。
種族固有ジョブでもなんとか獲得するか、鍛冶師とのコネを作る
か。
もう一つ、可能性がないわけではない。
鍛冶師をパーティーメンバーに加えるか。
もちろん、ただのパーティーメンバーとして加えても、不正を防
ぐことはできない。
﹁鍛冶師を⋮⋮﹂
奴隷に持つことができるかと訊こうとして、やめた。
ロクサーヌに尋ねることではないかもしれない。
奴隷のことは奴隷商人に訊けばいいだろう。
ある程度お金が貯まったら、訪ねてみるか。
ロクサーヌにはなんでもないと言い訳をして、勘を頼りにドアの
ところまで行った。
﹁ドア開けるけどいいか﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
返事を待って、ドアを開ける。
廊下のカンテラの光が室内に入ってきた。
薄暗いとはいえ、ものがある場所くらいは分かるようになる。
﹁ロクサーヌはこの皮の鎧を﹂
﹁⋮⋮はい。ありがとうございます﹂
503
靴下を取り出して皮の靴をはきなおした。
・・・
床にはたらいが置いてある。
昨夜は手ぬぐいで後処理をしてゆすいだから、白いのとか赤いの
とかが水に混じっているのではないだろうか。
このままにしておくと、片づけにきた宿屋の人に、昨夜はお楽し
みでしたねと。
木のコップを浮かべ、たらいを両手で抱えてトイレに持っていっ
た。
中の水を捨て、言い訳代わりに新しく水を入れる。
﹁ロクサーヌ、水飲む?﹂
﹁あ、はい。ありがとうございます。いただきます﹂
部屋に戻り、小さな木の桶をロクサーヌに渡した。
廊下から入ってくるカンテラの明かりにロクサーヌの姿が浮かび
上がる。
ロクサーヌは皮の鎧を着けていた。
装備品なので、皮の鎧は装着者に合わせて伸び縮みするという。
だからロクサーヌに合わせて⋮⋮。
見た目、コルセットみたいになっていた。
胸のカップがでかい。
もちろんロクサーヌに合わせて。
これはいかん。
これはいかんぞ。
504
﹁えっと。こっちのジャケット着てみて﹂
﹁すみません。皮の鎧は女性が単品で着けるものではあまりないの
で﹂
ロクサーヌが謝ってきた。
変だとは思っていたらしい。
主人である俺に遠慮して指摘できなかったのか。
﹁いや。俺の方こそ悪い。俺はこっちの常識は知らないから、何で
も教えてくれ﹂
ロクサーヌと装備を交換する。
ジャケットの方は身体のラインが強調されるということはなかっ
た。
あの姿を他人に見せてやることはないし、迷宮で俺が興奮しても
困る。
﹁えっと。水がめとかなかったと思うのですが、どこにあったので
すか﹂
﹁まあ後で説明する。その前に、一度閉めるぞ﹂
﹁はい﹂
俺はドアを閉めた。
誰かに聞かれてもよくない。
﹁傷薬を使わずに回復できるスキルや魔法があるか?﹂
ロクサーヌに訊く。
迷宮に行くのなら、受けた攻撃から回復することを考えなければ
ならない。
505
俺一人ならば、まだデュランダルのHP吸収で大丈夫だろう。
ロクサーヌも、一度や二度攻撃を受けたくらいなら、デュランダ
ルを渡して回復させるという手もある。
しかし、今はよくても先々はおぼつかない。
デュランダルがあるから大丈夫だとはいかないかもしれない。
例えば乱戦のとき、戦闘中に剣をやり取りするのは難しいだろう。
戦闘終了を待って次の戦闘で回復するとばかりはいっていられな
い。
滋養丸を使うのもコスト的に大変である。
ならば、回復職を獲得するしかない。
﹁はい。僧侶や神官といったジョブのかたが使えるそうです﹂
幸い、回復職もちゃんとあるみたいだ。
﹁僧侶や神官にはどうやったらなれるか知っているか﹂
﹁えーっと。厳しい修行を積むそうです﹂
﹁ふむ﹂
修行か。
それだけではちょっと分からないが。
﹁修行方法は、各地のギルドでいろいろなやり方が伝わっているよ
うです。私が聞いたのは、滝を使うとか﹂
﹁滝行か﹂
﹁八十八箇所のギルドを徒歩で回るとか﹂
﹁お遍路さんか﹂
506
ロクサーヌが﹁オヘンロ?﹂とかつぶやいているのは無視して考
える。
滝行があるのを見る限り、修行は精神修養を目的に行われている
のではないだろうか。
僧侶、神官といった宗教的なジョブだから、なんらかの宗教的な
体験と関連があるのかもしれない。
瞑想による宗教的な境地、あるいは神秘体験によって、回復職の
ジョブが得られると。
結構大変そうだ。
神秘体験まで行くとまず無理だろう。
ただの精神統一だってできるかどうか。
﹁かしこみ、かしこみ。南無阿弥陀仏。急々如意令。エロイムエッ
サイム。アラーアクバル。アーメン﹂
とりあえず、いろいろ祈ってみた。
ジョブ設定と念じてみるが、新しいジョブは獲得していない。
﹁臨・兵・闘⋮⋮﹂
しかしこの先は知らない。
というか、これって印を結ばないといけないのではないだろうか。
もちろん知っているわけもなく。
ぎゃーていぎゃーてい
﹁羯諦羯諦。のうまくさんまんだーうんたらかんたら﹂
やっぱり全部は知らない。
くそっ。
507
俺の中二知識はこの程度か。
来い、ロクサーヌよ。ともに嘆け。
エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ
﹁神は我を見放した﹂
508
ジョブ
いろいろ聖句を唱えてみたが、回復職のジョブは獲得できなかっ
た。
まあ考えてみれば当たり前か。
そんな簡単に獲得できるなら、そもそも修行が行われるはずがな
い。
聖句といってもおまじないみたいなもんだしな。
しかし、この世界では魔法もスキルも呪文で起こす。
おまじないだと馬鹿にはできないだろう。
ジョブ取得に合った呪文があるかもしれない。
なんか他にないだろうか。
﹁そういえば、僧侶になるには魔物を素手で倒す修行をするそうで
す。それなら私にもできそうだと考えたことを覚えています﹂
悩む俺にロクサーヌがヒントをくれた。
早く言ってよロクサーヌ、と思ったが、口には出せない。
私にもできそうなのか。
魔物を素手で倒す、ってどんだけ。
ロクサーヌって実はとっても恐ろしい娘なんじゃないだろうか。
しかし、魔物を素手で倒すというのはありだ。
剣士のジョブは、多分剣で戦ったから得た。
509
剣で戦うことで剣士のジョブが獲得できるのなら、素手で戦うこ
とで得られるジョブがあってもいいだろう。
素手で戦うのが僧侶か。
あるいは僧侶が駄目でも、闘拳士みたいなジョブがあるかもしれ
ない。
試してみる価値はありそうだ。
いろいろと問題はある。
戦うといっても、一度でいいのか、倒さないといけないのか。
倒すとして、最初からなのか、とどめだけさせばいいのか。
最初からとして、一人で戦うのか、パーティーを組んでもいいの
か。
とりあえずやってみるより他はない。
俺は部屋のドアを開けた。
ロクサーヌから返ってきた木の桶を入れ、リュックサックを背負
う。
銅の剣を腰に差して準備終了だ。
あ。まだパーティー組んでなかった。
パーティー編成と念じる。
﹁パーティーの編成って、どうやるんだ﹂
﹁さあ。確か、探索者のスキルにあると思います﹂
﹁まあそうだが﹂
独り言だったのだが、ロクサーヌが返事をしてきた。
ロクサーヌをパーティーに編入すると念じてみる。
510
﹁あっ﹂
お。いったらしい。
ロクサーヌが小声をあげた。
ロクサーヌがパーティーに入ったのが俺にも分かる。
このパーティーには、俺はデフォルトで入っているのだろうか。
俺をパーティーに編入すると念じてみたが、何も起こらなかった。
まあ俺が作ったパーティーだからな。
不安だが、とりあえず大丈夫だろう。
ロクサーヌがパーティーに入ったのが分かったのは、俺がすでに
パーティーメンバーだったから、と考えるのが妥当だ。
﹁パーティーの効果って何だ?﹂
﹁移動魔法はパーティーに入っていれば一緒に移動できます。パー
ティーメンバーが見えなくなったときにも、どの方向にいるかが大
体わかります。あと、経験を共有すると言われています﹂
﹁共有ねえ﹂
経験値がならして入ってくるということだろうか。
﹁貴族の子どもが生まれると、赤ちゃんを入れた六人でパーティー
を組み、家臣の五人が迷宮に入ります。五人の経験によって赤ちゃ
んも成長するとされています﹂
汚いさすが貴族きたない。
﹁あれ? それなら大人になっても、別に迷宮に入る必要はないの
では﹂
511
﹁複数の家臣団を使い分ける人はいるそうです。ですが、まったく
入らないという人は﹂
まあそうか。自身が迷宮に入らないなら、何のためにレベルアッ
プするのかってことだよな。
﹁家臣団だけを迷宮に入れて、そのあがりで暮らすとか、可能?﹂
﹁えっと。あの⋮⋮その⋮⋮﹂
﹁あ、いや。別にロクサーヌだけを迷宮に入れるつもりはないから﹂
言ってから、意味するところに気がついた。
奴隷を迷宮に入れて、その稼ぎで左うちわという手もあるのか。
まあ難しいだろうけどな。
適当にサボって働かないだろうし。
﹁探索者のレベルを上げるのに使えるかもしれませんが、あまりそ
ういう話は聞きません。迷宮で見つけたものはその場にいた人が処
分していいとされています。ですので、誰かを迷宮に送ってという
のは﹂
無理らしい。
﹁なるほど。じゃあ、行くか﹂
﹁はい﹂
部屋の外に出る。
鍵をかけ、階段を下りた。
旅亭の男にいつもどおり鍵を預ける。
512
いつもどおり。いつもどおりだ。
﹁気をつけてな﹂
外に出た。
いつもどおり真っ暗だ。
﹁じゃあ、ちょっとついてきて﹂
念のため、ロクサーヌの手を取る。
宿屋の壁に向いて、ワープと念じた。
そのまま入っていく。
﹁え? あ、あの﹂
ロクサーヌの手を引っ張って、迷宮一階層に抜けた。
ロクサーヌもすぐに現れる。
﹁大丈夫のようだな﹂
﹁え? え? え? ここは、迷宮?﹂
ロクサーヌは少し混乱したようだ。
しかし、周囲を見てここが迷宮であることを理解すると、すぐに
表情を引き締めた。
真剣な顔つきになる。
宿屋で迷宮の話になったときにも見せた、ちょっと怖いくらいの
表情だ。
﹁ベイルの町のすぐ外にある迷宮の一階層だ﹂
﹁ですが、ダンジョンウォークは迷宮の中でしか使えないはずでは
513
⋮⋮。フィールドウォークならあの場所でも使えますが、迷宮の中
には入れないはずですし﹂
なるほど。
フィールドウォークは迷宮内に飛べないと。
まあそうなんだろう。
でなければ、冒険者と探索者が同じパーティーにいた理由がない。
わざわざ冒険者ギルドの壁にフィールドウォークしてくるのではな
く、直接迷宮に移動した方が早いだろうし。
﹁やっぱそうなんだ﹂
﹁そもそも、ご主人様は探索者でしたので、フィールドウォークは
使えないはずです﹂
ロクサーヌは俺のインテリジェンスカードを見たから、俺が探索
者であることは知っている。
﹁これはワープという移動魔法だ﹂
﹁聞いたことがありません﹂
ボーナス魔法はあまり知られていないらしい。
﹁俺以外に使えるやつは少ないかもしれん、だから内密にな﹂
﹁は、はい﹂
﹁頼む﹂
ロクサーヌを無理矢理納得させた。
﹁ご主人様、すごいです﹂
514
強引だが、分かってくれたらしい。
ロクサーヌがちょっと尊敬したまなざしを向けてくる。
﹁そうでもない﹂
美人に見つめられるのは悪くない。
アイテムボックスから皮の帽子を取り出し、キラキラした瞳で見
てくるロクサーヌの頭に乗せた。
皮の帽子がイヌミミを隠す。ちょっともったいないが、安全第一
だ。
もう一個は自分でかぶった。 ﹁えっと。アイテムボックスの使い方も、少し違うみたいなのです
が、それも異なる魔法なのでしょうか﹂
﹁いや。これはただのアイテムボックスだ﹂
﹁そうですか﹂
皮のミトンを出してロクサーヌに渡す。
着けるのを見計らって木の盾も持たせた。
皮のグローブは自分でつけて、ワンドを出し、準備完了だ。
ロクサーヌがワンドを見て変な顔をしたような気がした。
しかし何も言わない。
やはり主人に対して遠慮があるのだろうか。
﹁ワンドは魔法使いが使う武器か?﹂
﹁はい。そう聞いています﹂
﹁魔法攻撃力が上がるかどうか、知ってるか﹂
﹁さあ。すみません。詳しいことは知りません。魔法使いの知り合
515
いがいなかったので﹂
魔法使いは金持ちじゃないとなれないみたいだしな。
﹁ふむ。知力は知っているか?﹂
﹁頭のよさのことでしょうか﹂
﹁いや。まあそうなんだが⋮⋮﹂
どういえばいいのだろう。
﹁知能のこととか﹂
﹁魔法攻撃力を上げるのは、知力か?﹂
﹁頭がよいと魔法攻撃力が上がるのですか?﹂
質問で返されてしまった。
ステータスやパラメーターという知識はないのだろうか。
﹁レベルが上がると知力とかが上がるよな﹂
﹁レベルというのは、探索者のレベルのことでしょうか﹂
﹁まあそれでもいいけど﹂
﹁探索者のレベルが上がっても、別に頭がよくなるとは思えません
が﹂
話が通じないというか何というか。
知力のことは諦めて、他のことを訊くか。
﹁うーんと。ロクサーヌって、どこかの迷宮に入ったことある?﹂
﹁はい。三箇所くらいですが﹂
﹁迷宮って、どこもこんな感じ?﹂
516
迷宮についての情報収集をする。
迷宮について知っていることを全部教えてくれ、でもいいが、さ
すがにそれは答えにくいだろう。
具体的に尋ねた方がいい。
﹁そうです。ご主人様は探索者なのですから、知っていると思いま
すが﹂
﹁⋮⋮いや。あんまり数は入ってないから﹂
﹁そうですか﹂
やっぱり全部教えてくれがよかったか。
﹁えっと。この部屋は魔物とか出ないよね﹂
﹁ダンジョンウォークで移動できる小部屋には魔物が出ません。ご
主人様の魔法がどうかは分かりませんが﹂
﹁それなら大丈夫。ここは一階層の入り口入ってすぐの部屋だから﹂
俺はロクサーヌに後ろの黒い壁を示した。
入り口や他の階層との通路となる壁だ。
﹁はい。そのようですね﹂
﹁じゃあここから出るけど、最初はいろいろと実験につき合っても
らうから、ロクサーヌが戦うのは後になると思う。あんまり緊張し
ないで﹂
﹁かしこまりました。私のことならば大丈夫です﹂
なんか本当に大丈夫そうだ。
というか、俺より落ち着いているよな。
ロクサーヌに告げた実験というのは、簡単なテストだ。
517
キャラクター再設定でボーナスポイントをパラメーター上昇に振
った場合にどうなるか。
今まで資金作りのため探索優先でやってきたので、試していなか
った。
まずは知力上昇に99ポイント振っておく。
キャラクター再設定と念じて、操作した。
ついでに、ボーナススキルに目がいく。
ボーナススキルの中に、レベル制限解除、ダメージ限界解除、パ
ーティー項目解除の三つの解除が仲よく並んでいた。
レベル制限解除とダメージ限界解除は、なんとなく分かる。
探索者Lv27程度の低レベルで引っかかることはないだろうか
ら、ほうってある。
しかし、パーティー項目解除とは何だろうか。
ソロのときは問題にならなかったが、今はロクサーヌとパーティ
ーを組んでいる。
何かの制限に引っかかるかもしれない。
キャラクター再設定のついでに、パーティー項目解除にチェック
を入れた。
キャラクター設定画面がリフレッシュされる。
新しく、いくつかの項目が導入されたようだ。
ボーナス魔法に、パーティライゼイションが入っている。
何だろう。パーティー化?
誰かをパーティーに入れるのか。
518
それはパーティー編成か。
とりあえずチェックを入れてみる。
ボーナススキルにも変更があった。
ジョブ設定が変化して、パーティージョブ設定になっている。
チェックは入っていない。未取得のようだ。
チェックを入れ、パーティージョブ設定を取得した。
かかったボーナスポイントは、思ったとおり2ポイントだ。
キャラクター再設定を終了し、パーティライゼイションと念じる。
使い方が分からない以上、試してみるより他はない。
頼りないが、危険な魔法ではないだろう。
念じると、何かを求められるのが分かった。
その何かは、おそらくアイテムだろう。
アイテムの効果をパーティー全体に施す魔法ではないだろうか。
﹁ロクサーヌ、何か変わったことあった?﹂
﹁何でしょうか﹂
ロクサーヌの方には特に変化はないらしい。
使用者の方にしか変化はないようだ。
まあ当然か。
次に、ロクサーヌを見てパーティージョブ設定と念じる。
ジョブが浮かんできた。
獣戦士Lv6、村人Lv8、農夫Lv1、戦士Lv1、剣士Lv
1、探索者Lv1。
519
これがロクサーヌの持っているジョブなのだろう。
ちゃんと変更もできるようだ。
盗賊系のジョブを持っていないのは偉い。
生まれてこのかた盗みなどはしていないということだから。
獣戦士 Lv6
効果 敏捷中上昇 体力小上昇 器用小上昇
スキル ビーストアタック
獣戦士は効果もいいらしい。
このままでいいか。
パーティーメンバーのジョブを変更できるのは、使い方次第でか
なり強力なスキルになるだろう。
残念なことに、キャラクター再設定はパーティーキャラクター再
設定にはならなかった。
﹁じゃあ行こうか﹂
﹁えっと。魔結晶を貸していただいた方がいいと思うのですが﹂
小部屋の外に出ようとした俺をロクサーヌがとどめる。
﹁え? 何?﹂
﹁魔結晶です﹂
﹁魔結晶?﹂
ロクサーヌがうなずいた。
520
﹁えっと。魔物は魔力からできています。魔物を倒すと、その魔力
が魔結晶に少しずつたまっていくのです。たまった魔力は、売却す
るとギルド神殿などのエネルギー源になります﹂
﹁それを貸すというのは﹂
﹁魔結晶を持っていなければ、魔物を倒しても魔力はたまりません﹂
なんかやらかしちまったらしい。
今までそんなものは持っていなかった。
﹁つまり、魔結晶を持っていれば魔物を倒すたびに魔力がたまると﹂
﹁はい﹂
﹁ひょっとして、魔結晶って高く売れるのか?﹂
﹁そうですね。迷宮で手に入る品の中で、一番高く売れると思いま
す﹂
な、なんだって。
﹁⋮⋮そうなのか﹂
﹁あ、いや。高くは売れますが、魔力は本当に少しずつしかたまり
ません。魔結晶を売るのは一生のうちに何度もありません。今まで
持っていなかったとしても、大きな損失にはなりません。大丈夫で
す﹂
落ち込む俺に気を使われてしまった。
﹁魔結晶はどうすれば手に入る﹂
﹁迷宮で拾うこともありますし、探索者ギルドへ行けば、魔力を使
った残りを売ってもらえます﹂
﹁では後で買いに行くか。迷宮ではそれらしいものは見なかったが﹂
521
ここでは魔結晶なんかは見ていないと思う。
あるいは、見ても知らないのでスルーしていたのか。
﹁この迷宮は、見つかってまだ新しいのではありませんか﹂
﹁そう聞いた。まだ十何日しか経ってないらしい﹂
﹁それでは魔結晶はないかもしれません。魔力がたまって結晶化す
るのに時間がかかるので﹂
見過ごしたわけではなさそうか。
﹁迷宮で金を稼ぐのに、魔物が残したアイテムと魔結晶の他に何か
方法はあるか﹂
﹁宝箱があります﹂
あら。やっぱり宝箱はあるのか。
﹁見たことはないと思うが﹂
﹁新しい迷宮では少ないでしょう。あるとしても、上の方です﹂
﹁上?﹂
﹁はい。探索が進んでいる最前線の辺り、初めて人が来たところに
なら、あると思います﹂
下じゃなくて、上なのか。
迷宮は地下に広がっている、というイメージだったのだが。
いろいろと齟齬があるものだ。
﹁まあいいや。さて、どっちに行こうか﹂
二階層へ行くのは右だが、別に探索が目的ではない。
522
なら、真ん中へ行ってみるか。
外に出ようとすると、ロクサーヌが押しとどめた。
﹁ご主人様、魔物が近くにいる方なら左です﹂
﹁え? 分かるの﹂
﹁はい。においがします﹂
なにそれ。
﹁狼人族だから?﹂
﹁狼人族の中でも私は特に鼻が利きます。魔物を探知するのは得意
です﹂
﹁すごい﹂
﹁ありがとうございます﹂
左右と前に伸びる三本の通路のうち、左の洞窟を進む。
一分も歩かないうちに、ニードルウッドが現れた。
ロクサーヌ、すごい。
見てよし、ベッドでよし、迷宮でよし。
三拍子そろっている。
﹁ほんとにすごい﹂
﹁来ました﹂
﹁いや。ちょっと待て﹂
ニードルウッドに向かおうとするロクサーヌを止める。
ファイヤーボールと念じた。
﹁え?﹂
523
ロクサーヌが不審の声を上げる。
俺の頭の上に火球が現れた。
524
内密
ボーナスポイントを知力上昇に99そそぎ込んだファイヤーボー
ルは、ニードルウッドLv1を一撃で粉砕した。
何も振らなければ二発か三発必要なはずだ。
知力上昇によって魔法攻撃力が上がるのは間違いない。
大きさはそれほど変わりがないと思うが、スピードは速くなって
いた。
移動速度が上がれば、かわすのが難しくなる。
ありがたい変化だ。
知力上昇にマックスまで振っても、大きさは一回りくらいは大き
くなったか、という程度だ。
こちらの方はそれほど変わらないらしい。
一発で沈めた以上、威力は上がっているので問題はないが。
﹁え? えっ? ええっ? ⋮⋮こ、これは魔法ではないのですか
?﹂
俺の魔法を見たロクサーヌは少し混乱したようだ。
﹁魔法だな﹂
﹁ご主人様は探索者では? 探索者がこんな魔法を使えるという話
は聞いたことがありませんが﹂
しかし、すぐに冷静さを取り返す。
525
表情が迷宮に入ったときの真剣な顔つきに戻った。
やはりセカンドジョブを扱える人間はあまりいないらしい。
﹁まあ、これも内密にな﹂
﹁な、内密ですか﹂
なんでも内密にでごまかす俺。
実際、説明のしようもないしな。
キャラクター再設定でセカンドジョブをつけて、で分かるのだろ
うか。
﹁キャラクター再設定って分かるか?﹂
﹁再⋮⋮設定ですか?﹂
﹁ボーナスポイントは?﹂
﹁何かの特別にもらえる報酬でしょうか﹂
﹁うーむ﹂
やはり説明は無理だ。
﹁な、何か分かりませんが、魔法が使えるなんてすごいです﹂
﹁ありがとう﹂
﹁しかも、魔法とはいえ魔物を一撃にするのはすごいです。魔法は
剣よりも威力が上ですが、それでも一発で倒すのはなかなか難しい
と聞きました﹂
﹁まあいつもは一撃ではない。気は抜かないようにな﹂
ロクサーヌはあまり迷宮では気を抜かないタイプだとは思うが。
ロクサーヌがニードルウッドの倒れたところへ行き、ブランチを
拾った。
526
リュックサックを降ろそうとしたところで、横から俺が受け取る。
﹁あの。私がお持ちします﹂
﹁大丈夫。アイテムボックスにまだ空きがある﹂
ブランチをアイテムボックスに入れた。
﹁空きがあるのですか? えっと。失礼ですが、ご主人様のレベル
を聞かせてもらってもよろしいでしょうか﹂
﹁探索者のか? Lv27だな﹂
﹁Lv27⋮⋮。すごい⋮⋮。確かに、それなら空きがありそうで
す﹂
アイテムボックスにはレベルの数だけものが入る。
ロクサーヌも知っているのだろう。
しかし、﹁私と一歳しか違わないのに﹂とか言っているロクサー
ヌは、俺のレベルをどのくらいだと考えていたのだろうか。
低レベルで買えるような値段ではなかったというのに。
あれか。親の金を使ったと思われているのか。
遠くから来て親の遺産で暮らすボンボン息子。
常識のない言い訳にはなるかもしれない。
俺のレベルは、年齢的に見てちょっとは高いがありえないほどで
はない、というところではないかと思う。
経験値二百倍で十日間迷宮に入ったとして、休みを考えなければ
六年分足らずというところだ。
この世界では十一歳から迷宮に入る子どももいるのではないだろ
うか。
527
レベルが上がっていくことを考えると、今後どうなるかは分から
ないが。
﹁レベルのことは内密にな﹂
﹁もちろんです﹂
失礼ですが、と聞いてきた時点で、そこは大丈夫だろう。
重要な個人情報であることはロクサーヌにも分かっているはずだ。
﹁それでは、どっちへ行けばいい﹂
﹁魔物のいる方へ案内するということでよろしいでしょうか﹂
﹁魔法を使っているところはあまり人に見られたくないので、でき
れば人のいない方へ頼む﹂
﹁分かりました。内密ですからね﹂
内密で納得してくれたらしい。
命令だから、機密保持が優先ということだろう。
しかし、人のいない方へ、であっさり了承できるのがすごい。
魔物のにおいが分かるなら人のにおいも分かるだろうとはいえ。
﹁頼む。ロクサーヌは本当に役に立つな﹂
﹁ありがとうございます。こちらです﹂
ロクサーヌが先導する。
﹁魔物の種類や数もにおいで分かるのか?﹂
﹁ある程度は分かります。ですが完全ではありません。また、隠し
扉の向こうのにおいは分からなかったり、途中で魔物が湧く場合も
あります。常に魔物への最短の道がわかるわけでもありません﹂
528
ロクサーヌと話しながら進むと、すぐに魔物のいる場所に到着し
た。
本当に役に立つ。
今度は知力上昇に50ポイント振ったファイヤーボールを放った。
ニードルウッドLv1が業火を耐える。
﹁駄目か﹂
﹁おまかせください﹂
ロクサーヌがシミターを抜いた。
俺の返事も待たずに駆け出す。
これは想定外だ。
ファイヤーボール二発で十分なのに。
ロクサーヌが俺と魔物の間に入ってしまったため、魔法は撃てな
い。
火球がパーティーメンバーを素通りすることは、期待できないだ
ろう。
盗賊相手に作用しなかったファイヤーストームなら、パーティー
メンバーにもおそらく作用しないだろうが。
ロクサーヌが剣を持った右手を振り、ニードルウッドに斬りつけ
た。
振られた枝を軽く身を引いて避ける。
空振りした魔物の肩口に追撃を加えた。そのまま斬り上げるよう
に一撃。
ロクサーヌは右から振られた枝をまたも軽々と避けた。
踏み込んで正面からシミターを振り下ろす。
529
振られた枝を半歩引いてかわした。かわしながら一撃入れる。
すごい。
ちょっと見入ってしまった。
ロクサーヌはニードルウッドの攻撃を完璧に避けている。
魔物の攻撃が当たりそうな気がしない。
軽々と避けるだけでなく、避ける距離も紙一重だ。
魔物の攻撃を、センチ単位、いやミリ単位でかわしていた。
一見すると余裕がなさそうに見えるが、実際は逆だ。
大きく避ければ無駄な動きになる。攻撃に転じるのも難しくなる。
敵の攻撃を完璧に見切れるなら、ギリギリでかわすことが一番だ。
ロクサーヌの動きはまさにそれである。
華麗に踊っているようだ。
軽いステップで避ける、あるいは身体をひねってやり過ごす。
ニードルウッドの攻撃って、こんなに単調だっけ?
まあ確かに枝だけどさ。
ワンドを腰に差し、銅の剣を抜いて俺も後に続いた。
ロクサーヌがいることで武器を持ち替える余裕が生まれている。
デュランダルを出すくらいの余裕もあったかもしれない。
次からはそうしよう。
銅の剣を持って参戦した。
ロクサーヌから少し離れて左に陣取り、銅の剣を振り下ろす。
左から振られた枝を受けた。
そこへ右から枝が振られて。
530
ロクサーヌにかわされ、空振りした枝が近づく。
あわてて上体をそらした。
姿勢の崩れたところに左から枝が振られる。
なんとか銅の剣で受けた。
うん。はっきりいって無理だ。
ロクサーヌみたいにやすやすとは避けられない。
しかも、ロクサーヌはその間に何度も斬りつけている。
俺もようやく隙を見つけて銅の剣を叩き込んだ。
ニードルウッドが倒れる。
ブランチを残して、煙が消えた。
﹁す、すごいな。攻撃を全部避けてたし﹂
﹁ありがとうございます。二人で相手にしたので楽でした﹂
いやいや。あんた一人のときも全部かわしてたじゃん。
﹁そ、そうか﹂
﹁よく見れば、あのくらいの攻撃はかわせるものです﹂
そうなのかもしれないが。
しかしぶっちゃけ、誰でもはできないと思う。
ロクサーヌって、実はすごい人なんじゃないだろうか。
魔物の居場所まで分かるし。
﹁次の魔物は俺が行くから、まかせてほしい﹂
﹁分かりました﹂
531
このままでは主人としてなめられてしまう。
魔法を使えるとはいえ。
一度戦えるというところをガツンと見せた方がいい、ような気が
する。
大体、ロクサーヌの動きは半分神がかっていた。
あれは普通の人には無理だ。
少なくとも俺には無理だ。
オーバーホエルミングがあるから、少しならまねできるかもしれ
ないが。
そう。ロクサーヌのは、いってみれば常時オーバーホエルミング
状態だ。
ひょっとしたら本当に使っているのではないだろうか。
﹁ビーストアタックだっけ。あれって、どんなスキル?﹂
獣戦士が持つスキルはビーストアタックだった。
オーバーホエルミングみたいな効果があるのかもしれない。
名前的には、攻撃スキルみたいに思えるが。
﹁魔物に対して大きなダメージを与える技です。ですが、すみませ
ん。私には使えません﹂
﹁使えないの?﹂
﹁スキルや魔法の呪文は全部ブラヒム語で成り立っています。ブラ
ヒム語はいにしえより言霊を扱うとされる聖なる言語です。ブラヒ
ム語が使えない人にはスキルも使えないのです﹂
そうだったのか。
532
ブラヒム語は役に立つ言語だったらしい。
スキルを使おうとすればブラヒム語を覚えなければならないと。
共通語にもなるわけだ。
﹁でもブラヒム語は使えるようになったんだよね﹂
﹁はい。ですが、まだ足りないようです﹂
﹁呪文が分からないとか﹂
﹁いいえ。呪文はスキルを使おうとすれば浮かんできますから。た
だ、発音やアクセント、イントネーション、細かなニュアンスの違
いなど全部が完璧でなければ詠唱は成功しません。日常会話ができ
る程度でなく、ブラヒム語を自在に扱えるようでないとスキル詠唱
として使うのは無理らしいです﹂
そういえば、呪文は何故か頭に浮かんできて分かるのだった。
これは他の人も同じらしい。
﹁そうなのか﹂
﹁それに、スキルを使おうと詠唱するときにはどうしても隙ができ
ます。スキルを使えないことは、あまり大きな問題ではありません。
私のような初心者がスキルを使うのはよくないとされていますし﹂
﹁なるほど﹂
前衛が使う攻撃スキルはそうなのだろう。
ロクサーヌが初心者とも思えないが。
﹁えっと。一つ聞いてもよろしいですか?﹂
﹁何だ﹂
﹁ご主人様が使う魔法には呪文の詠唱がないのでしょうか。スキル
や魔法には詠唱が必要だと思いますが﹂
533
やば。
スキルのことを聞いたのはやぶへびだった。
﹁教えてできることではないし、俺以外には無理だと思う。内密に
な﹂
﹁か、かしこまりました﹂
﹁うむ﹂
もう全部内密にでいいや。
﹁やはりご主人様はすごいです。それに、ブラヒム語をやすやすと
使いこなしておられます。ブラヒム語を使いこなせる人は本当にす
ごいおかたなのです﹂
ロクサーヌが熱い視線を送ってくる。
ちょっと気恥ずかしい。借り物の能力だけに。
なんでブラヒム語が話せるのかも分かっていないし。
﹁そ、そうか﹂
﹁はい⋮⋮﹂
気を取り直して、ロクサーヌの先導で進んだ。
ついていきながら、デュランダルを出す。
他のスキルは、必要経験値は五分の一、獲得経験値を十倍までつ
けた。
ボーナススキルには必要経験値の軽減と獲得経験値の上昇とがあ
る。
パーティーを組むと、獲得経験値の方はパーティーメンバーにも
534
分配されるのではないだろうか。
必要経験値の方は、恩恵があるのは本人だけだろう。
数分で魔物のいる場所に着く。
﹁やはりロクサーヌはすごいな﹂
﹁私がですか?﹂
今までは魔物に遭遇するのを待ってひたすらに歩き回っていた。
効率が圧倒的に違ってくる。
﹁うむ。ところで俺の剣を見てくれ。こいつをどう思う?﹂
﹁とても素晴らしい剣のようです﹂
ロクサーヌにデュランダルを見せた。
返事にちょっと物足りない感じはしたが、いい剣だと分かるよう
だ。
魔物に向かって駆ける。
走りながらデュランダルを振り上げ、ニードルウッドLv1に叩
きつけた。
魔物が一撃で倒れ、煙と消える。
﹁い、一撃だなんて、ご主人様、すごいです﹂
ブランチを拾ったロクサーヌがちょっとどきまぎした表情で渡し
てきた。
美人にそんな目で見られて、かつてないいい気分だ。
所詮デュランダル頼みというのはおいといてだ。
ロクサーヌの中で俺の株が上がったのは確実である。
535
﹁まあ、すごいのはこの剣だが﹂
﹁確かによい剣のようです。それに、きちんと手入れもされていて
新品同然です﹂
俺がかざしたデュランダルをロクサーヌが検品する。
デュランダルはロクサーヌのメガネにかなう状態らしい。
思うに、キャラクター再設定で出すとき、まったく新しく出てく
るのではないだろうか。
でなければ、さんざん使ってきたのに、ほとんど使っていないシ
ミターや銅の剣よりいい状態だということはないだろう。
シミターや銅の剣はロクサーヌに怒られる状態だった。
俺が手にする前にどういう使われ方をされてきたのかは分からな
いが。
﹁この剣のことは、内密にな﹂
﹁内密ですか﹂
﹁そう。この剣のことが知られると、例えば⋮⋮﹂
俺はロクサーヌの手を取って引っ張った。
首に腕を回し、手刀をつきつける。
﹁えっ﹂
﹁この女の命が惜しければ剣を渡せ、と、こういうこともできる﹂
﹁は、はい。確かにそうですね。分かりました﹂
﹁うむ﹂
ロクサーヌを解放した。
多少脅しておけば、内密に、を変な風には捉えないだろう。
536
実際にありえることだし。
﹁ですが、もしそんなときになった場合には、どうか遠慮せず剣の
方を選んでください﹂
﹁まあロクサーヌの方を選ぶがな。いずれにしても、どちらかを失
うような事態は避けたい﹂
﹁かしこまりました。⋮⋮あの、ありがとうございます﹂
そういう可能性もあると分かれば、言いふらしたりはしないだろ
う。
その後、いろいろと試した。
実験方針は、まずニードルウッドLv1を魔法一発で倒すために
知力上昇にボーナスポイントを最小いくつ振る必要があるか割り出
す。
フォースジョブやフィフスジョブを設定して、知力小上昇の効果
を持つ商人や薬草採取士などをジョブに加える。
そして、ニードルウッドLv1を魔法一発でしとめるのに必要な
知力上昇に振るボーナスポイントに変更があるかどうかテストした。
必要なボーナスポイントが減っていれば、加えたジョブの知力小
上昇の効果があったということだ。
結果。
多分フォースジョブとフィフスジョブの効果もちゃんと重複する
らしい。
戦士Lv16を加えても多分変わらず。戦士が持つ効果の体力小
上昇では魔法攻撃力には関係ないようだ。
剣士Lv2をつけても多分減りはしなかったので、効果は上乗せ
される分だけが発揮されるのかもしれない。
537
多分ばっかりなのは、同じボーナスポイントを振っても倒せると
きと倒せないときがあったからだ。
魔物にも個体差があるらしい。
あるいは、魔法で与えるダメージと知力との相関が一定ではない
のか。
しかし、同じポイントで倒せる場合と倒せない場合があるという
ことにも使い道はある。
﹁よし。素手で倒すぞ﹂
﹁はい﹂
倒せる場合もあるということは、一撃で倒せなかったとしても生
き残った魔物はダウン寸前ということだ。
ワンドを収め、俺はロクサーヌと一緒に魔物に殴りかかった。
ロクサーヌが右から、俺が左から素手でニードルウッドLv1を
殴る。
木肌に拳を叩きつけるが、ダメージは与えられているのだろうか。
左から枝が振られた。
大きく上体をそらして、なんとか避ける。
二、三歩後ずさり、しりもちをつきそうになった。
剣を使わない分、魔物との距離が近いので大変だ。
ロクサーヌの方はニードルウッドの攻撃を華麗にかわしている。
なんであんなに軽く避けられるのだろう。
くそっ。
538
この際、蹴るのでも問題ないだろう。
横に回ってキックをお見舞いした。
蹴りの後、パンチを叩き込む。
そこに枝が振られて。
駄目だ。これは避けられない。
一撃もらうのと引き換えに、ジャブを三発放つ。
続いて渾身の右ストレート。
ニードルウッドの体が大きく揺れた。
ややあってその場に崩れ落ちる。
魔物が煙となって消えた。
ジョブ設定と念じる。
これで大丈夫か。
あれ? ない。
次にパーティージョブ設定を。
獣戦士Lv6、村人Lv8、農夫Lv1、戦士Lv1、剣士Lv
1、探索者Lv1、薬草採取士Lv1、僧侶Lv1。
ロクサーヌの方にはあった。
﹁最後はロクサーヌが倒した?﹂
﹁はい。ご主人様が殴った後、私が突きを入れると倒れました﹂
そうだったのか。見えなかった。
どうやら、とどめをささないと僧侶のジョブは取得できないよう
だ。
539
僧侶
僧侶のジョブを取得するには魔物を素手でしとめる必要があるら
しい。
とどめをさしたロクサーヌは僧侶のジョブを獲得したが、一緒に
戦いに参加した俺のジョブは増えていなかった。
仕方ないので、その後も実験を繰り返しつつ、僧侶のジョブ取得
を目指す。
﹁とどめは俺がさすから、ロクサーヌは囲むだけにして攻撃するな﹂
魔法を当てても一撃では倒れなかったニードルウッドに挑んだ。
一発で倒せる場合もあるのだから、かなりのダメージは与えてい
るはずだ。
とはいえ一人で相手にするのは危険が大きい。
というか、無理。
ロクサーヌと二人で囲む。
こうすれば、こっちにくる攻撃は半分だ。
おおっと。
まあときにはロクサーヌを空振った枝が俺のところまでくること
もあるが。
ニードルウッドに前後の別があるかどうかはよく分からない。
枝を振り回すだけで三百六十度攻撃できるし。
さすが木人変人。
540
二人で前後から囲んでもあまり優位にはならないような気がする。
しかし、魔物からの攻撃は確実に減る。
実際に攻撃しているのは俺だけだが、ニードルウッドは俺だけを
相手にすることはなかった。
どう見ても俺よりロクサーヌの方が強そうだしな。
無視はできないのだろう。
ロクサーヌは相変わらず魔物の攻撃をすべて紙一重でかわしてい
る。
ニードルウッドの枝振りがまったく当たらない。
なんだ、あの動きは。
ロクサーヌが軽く身を翻して魔物の攻撃を避ける。
隙ができたところで、俺がパンチを見舞う。
枝が振られ、俺が大きく体をそらす。
上体が崩れるが、魔物はロクサーヌの方を狙う。
振られた攻撃をロクサーヌがまたしても軽々と。
さっきからこれの繰り返しだ。
ときたま違いがあるのは、魔物の攻撃が俺に当たることくらいか。
ロクサーヌにはもちろん当たりませんよと。
あるいは、ニードルウッドからするとロクサーヌへの攻撃は当た
りそうで当たらないと見えているのかもしれない。
一見するとギリギリの攻防に見えなくもない。
完全に見切られてるけどな。
攻撃は俺しかしていないので、長時間の戦闘となった。
541
ジャブの後のストレートをワンツーで放つ。
腰を回転させ、力を乗せた。
俺のこぶしの方がダメージを受けた気がしないでもない。
振られた枝をあわてて避ける。
相手が空振りしたときがチャンスだが、こっちも体勢を崩してい
るので追撃できない。
次に魔物がロクサーヌを攻撃して空振りした。
ここぞとばかりにラッシュをかける。
一歩踏み出して左、右。さらにもう一歩踏み込んで左で正拳突き
を放った。
ようやく魔物が倒れる。
長い死闘を征した。
死闘だったのはもちろん、俺とニードルウッドだけだ。
俺しか攻撃していないので、今度こそ確実にとどめをさした。
ジョブ設定と念じる。
僧侶 Lv1
効果 精神小上昇 MP微上昇
スキル 手当て
これか。
早速ジョブを設定し、手当てと念じた。
魔物の攻撃を何度か浴びたので、肩口が痛い。
542
﹁確かに痛みが引いたようだ。これから魔物の攻撃を浴びたときに
はスキルを使って俺が回復させるから、必ず申し出るように﹂
ロクサーヌに告げる。
﹁できるのですか?﹂
﹁うむ。内密にな﹂
﹁か、かしこまりました。ご主人様、すごいです﹂
ロクサーヌもブラヒム語のでき次第では使えるのだが。
大体、さっきから何度もすごいと言われているような気がするが、
単に複数のジョブを持てるというだけなんだよな。
詐欺くさい。
ロクサーヌの話では、僧侶のスキルでは多分簡単な怪我くらいし
か治せないらしい。
腕を切り落とされるような大ケガを負った場合、上位の傷薬であ
る滋養錠などが必要になるのだとか。
しかし要は金を出せばなんとかなるということで、俺は安心した。
その後も検証を進めて、冒険者ギルドの壁に戻ってくる。
ワンドにもちゃんと効果があることを確認した。
ファイヤーボール、ファイヤーストーム、ブリーズボール、サン
ドボールでは多分威力に違いはないようだ。
腕力上昇にボーナスポイントを99振って銅の剣で戦ってみたが、
一撃では倒せなかった。
基本的に魔法の方が剣よりも威力があるらしい。
543
デュランダルはどれだけすごいんだろう。
宿屋に帰って、ロクサーヌと一緒に朝食を取る。
その後、いったん部屋に入った。
﹁ロクサーヌがいるとすごく役に立った。これからもよろしく頼む﹂
ロクサーヌに礼を述べ、ベッドに腰かける。
実際、すごく役立った。
まず、魔物を探す能力があるので、素早く魔物に行き当たる。
一回の探索で今回ほど多くの魔物を倒したことはなかった。
それほど長い時間迷宮にはもぐっていない。探索をしたのは一階
層なので全部一匹ずつ。しかも、実験や僧侶のジョブを獲得するた
めに一部の魔物とは無駄に長く戦っている。
アイテムボックスの中では現在、ブランチが二列を満杯にし三列
めにも一つ入っていた。
今は探索者Lv27なので、アイテムボックス一列には二十七個
入る。
つまり今朝の探索で得たブランチは五十五個。他にリーフが六枚
だ。
また、ロクサーヌがいれば敵を魔法で攻撃するときにも前衛を安
心して任せられる。
今日、ロクサーヌはただの一回も魔物の攻撃を浴びていない。
全部かわしきっていた。
ロクサーヌが相手をしている間にデュランダルを出すこともでき
る。
544
好きなときに好きな相手でデュランダルを使ってMPを回復でき
るので、効率が上がるだろう。
﹁はい。ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします﹂
ロクサーヌが入り口近くに立ったまま頭を下げる。
頭を上げても、そこから動くつもりはないようだ。
﹁頼む﹂
﹁こんなにたくさんの魔物を倒したのは今回が初めてです。ご主人
様はすごいです﹂
﹁いや。俺も初めてだ。これはロクサーヌの案内があったおかげで、
すごいのはロクサーヌだな﹂
﹁そんなことはないです。たくさん倒せたのはご主人様の攻撃力が
圧倒的だったからです。他にもいろいろとすごかったです﹂
なんか褒めあいになってしまった。
﹁まあこっちに来て座れ﹂
﹁は、はい﹂
ロクサーヌを招く。
いちいち言ってやらないと駄目なのかね。
﹁これからは部屋に入ったら勝手に座ってよい。いや、なるべく俺
の近くがいいな。俺の近くに座るように。近くに座ったからといっ
て押し倒すようなことは、ええっと、絶対とはいわないけどあんま
りしないようにするから﹂
ロクサーヌが隣に来たので、無性に抱きつきたくなった。
545
未来永劫我慢するというのは無理だ。
チュニックの襟から少しだけ覗く白い肌がみだりに艶かしい。
﹁わ、私なら、大丈夫です。かまいませ、あっ⋮⋮﹂
そんな嬉しいことを言ってくれるので、思わず抱きついてしまっ
たではないか。
今のはロクサーヌが悪いと思います。
かまわないというのは、押し倒してもかまわないという意味だろ
うか。
あ。押し倒したりしないようにするなら大丈夫ということか。
ちくしょー。
しょうがないので、押し倒す代わりにイヌミミをぱふぱふして気
分を落ち着けた。
柔らかくて弾力もあって、いい感じ。
﹁味わってもいいかな﹂
﹁えっ⋮⋮。あ、あの⋮⋮美味しくないと思います﹂
いや、絶対旨いだろう。
って、何を言っているのだ、俺は。
ロクサーヌはちょっと困ったようにうつむいている。
違うから。
食べないから。
食べちゃいたいけど、食べないから。
﹁別に取って喰ったりはしないから。いじるだけ﹂
546
甘かみしたり咥えたりはしたい。
﹁は、はい﹂
﹁耳ってこんな風にいじっても大丈夫なのかな。痛かったり嫌だっ
たりしたら、すぐに言ってくれ。やめるから﹂
﹁変なことをしなければ大丈夫です。それに、あの⋮⋮なでられる
と気持ちいいです﹂
ちょっと視線をそらしながら気持ちいいと小声で言うロクサーヌ
が抜群に可愛かった。
やっぱり食べてもよろしいでしょうか。
しかし、このイヌミミは何かを思い出すな。
ベビーパウダーについているパフとかじゃなくて、食べられるや
つ。
シュークリームでもシフォンケーキでもマシュマロでもなく、も
っともっちりした。
そうだ。磯辺焼きだ。
焼けたモチの伸び∼る感がこの垂れ耳にはある。
力なくフニャンとたれるところが。
適度に弾力があって柔らかく、人の心をひきつけてやまない。
磯辺焼きか。
好きな食べ物だが、もう一生食べることはないかもな。
モチもしょう油も海苔もこの世界にあるかどうか。
﹁磯辺焼きって、この辺りでもあるか﹂
﹁磯辺焼きですか?﹂
547
﹁うん。俺の故郷にあった、好きな食べ物だ﹂
﹁この辺りでは知りませんが、海の方へ行けば、磯で魚を焼いたり
して食べることもあると思います﹂
それは本当に磯辺焼きだな。
多分、ブラヒム語が直訳してしまったのだろう。
翻訳されてもその概念があるとは限らないということか。
﹁そうか。まあ探してみるか﹂
﹁あ、あの。⋮⋮ご主人様は、いつか故郷に帰られるのでしょうか﹂
ロクサーヌが訊いてきた。
やはり気にはなるのだろう。
﹁故郷にか?﹂
﹁はい﹂
﹁故郷に帰るよりもいいものを手に入れたからなあ﹂
イヌミミをいじりながら会話する。
これは日本にはない。磯辺焼きを補ってあまりある。
柔らかくてなめらかで弾力がある、最高の一品だ。
﹁⋮⋮﹂
﹁故郷には帰らないし、多分帰れない﹂
ロクサーヌが黙ってしまったので、ちょっとまじめに答えてみた。
考えなければいけないことだと分かってはいる。
﹁そうなのですか?﹂
﹁うむ。ロクサーヌにとっては残念ながら、故郷に帰るから解放す
548
る、ということにはならないだろう﹂
イヌミミを手で持ち上げ、パタパタと振った。
﹁いえ、あの。そんなつもりでは﹂
﹁大丈夫。分かってる﹂
﹁必要なくなった奴隷は売るのが一般的だと思います﹂
なるほど。それが常識なのか。
売られるのは困るというのがロクサーヌの心配事か。
﹁ロクサーヌにはずうっといてもらうつもりだから﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
﹁ただし、パーティー戦力の充実を図るのは当然だから、パーティ
ーメンバーは増やすと思うけどね﹂
ドサクサにまぎれてハーレム宣言もする。
パーティーメンバーを増やすと言っただけで、ハーレム要員を増
やすとは言っていないが。
前衛はガチムチのむさいおっさんでしょうがないとしても、後衛
は美少女で固めるべきだろう。
常識的に考えて。
﹁はい。それは当然のことです﹂
ロクサーヌがどこまで分かっているか知らないが、言質を取った
と解釈しておこう。
パーティーメンバーを増やすことが、本当に当然かどうかは分か
らない。
549
パーティーメンバーをそろえるということは、これからも迷宮に
入って稼ぐということだ。
しかし、それ以外に道があるだろうか。
難しい。
農業、料理、商業、運輸といった、この世界でも役に立ちそうな
ことについて何か特別の知識があるわけでもなく。
現代知識に基づいて何か開発したとしても、それで巧くいくかど
うか。
昔、ジェームズ・ワットの伝記を読んだことがある。
彼はビジネス的にも成功したらしいが、それはライバルとの特許
裁判を勝ち抜いてのことだった。
特許なんてものもこの世界にはないだろう。
可能性があるとすれば、ロクサーヌに助産婦をさせることくらい
か。
助産婦をするのはおそらく女性が中心だろう。
赤ん坊を取り上げるときには石灰水で手を消毒する。
はさみなどの器具は熱湯消毒。
シーツやタオルは天日干しして日光消毒でいい。
これだけで、産褥熱による死亡を大幅に減らせられるはずだ。
カガ流産婦人科がこの世界の標準医療となる日も近い。
実際問題としてはあまり現実的ではないが。
まず、ロクサーヌを助産婦にすることが大変だ。
人、狼人族、エルフ、ドワーフで助産婦は別かもしれない。
兼務できるとしても、産褥熱の発生率が違うかもしれない。
550
こっちの助産婦は赤ん坊を取り上げる前に何とかの薬草を煎じた
水で手を洗うようにしている、とかいう習慣でもあれば、アウトだ。
助産婦以外では、ロクサーヌに楽器を弾かせるか歌い手をやらせ
て楽団結成とか。
俺の知っている現代の名曲がこの世界でも名曲であるならば、い
ける。
流行曲、オールディーズ、童謡、唱歌、クラシックの小品など、
知っている曲は百や二百ではきかない。多分一生困ることはないだ
ろう。
俺自身は、楽器も弾けないし楽譜も読めないから、難しいだろう
が。
全部ロクサーヌ頼みというのが情けない。
パーティーメンバーのジョブを変えられることが分かったので、
最悪、それを仕事にできるかもしれない。
本当に最悪の場合だが。
ジョブ変更を仕事にするなら、一部とはいえ俺の能力を明かすこ
とになる。
能力を狙って近づいてくる者がいたり、あるいはトラブルに巻き
込まれるおそれもある。
できれば、やめておいた方が無難だ。
結局、迷宮で稼ぐことが一番堅実か。
俺の能力的にもそうだろうしな。
メリットもある。
迷宮に入ってレベルを上げたり、新しいジョブを得たりしていけ
ば、もしものときに役立つだろう。
551
迷宮がことさらに危険なわけでもない。
と考えてしまうのは、慣れによって思考がたるんでいるだろうか。
しかし、早急に下に、じゃなかった上に行こうなどと考えなけれ
ば、今のところそう危険でもないように思う。
じっくりとレベルを上げながら、ゆっくりと上がっていけばいい。
なんならずうっと低階層にとどまってもいい。
一日で数千ナールは稼げるから、生きていくのに支障はないはず
だ。
﹁今後のことはそれでいいとして、後は住むところくらいか。ホテ
ル暮らしをするより、どこかで部屋でも借りた方が安くすむか?﹂
考えごとをつぶやきながら、ロクサーヌに尋ねた。
﹁そうですね。詳しくは知りませんが、部屋を借りるなら一年契約
で一万から三万ナール。五万ナールも出せば大きな一軒家が借りら
れると思います﹂
﹁そうか﹂
高いが安いのかはよく分からないが、宿に住むよりは安い。
宿代を一日二百五十ナールとして三百六十五日なら九万ナールを
超える。
パーティーメンバーを増やすことを考えればさらに跳ね上がるだ
ろう。
﹁掃除などは私がいたしますから﹂
﹁あー、なるほど。ロクサーヌにはちょっと迷惑かけるね﹂
﹁いいえ。かまいません﹂
552
ホテル暮らしなら雑用も掃除も従業員任せである。
ロクサーヌは奴隷兼メイドだから、負担をかけることにはなる。
もちろん俺もやるが、掃除機も水道も洗濯機もないこの世界では
手間も膨大だろう。
﹁ロクサーヌって、料理はできる?﹂
﹁はい。多少の料理ならできると思います﹂
奴隷兼メイド兼コック決定。
﹁そういえば、所有者は奴隷に食事と住む場所を提供する義務があ
るそうだけど、宿屋でも、家を借りても大丈夫なの﹂
﹁はい。もちろんです﹂
﹁一緒のベッドでも?﹂
声を落とし、抱きついてみる。
﹁は、はい。むしろありがたいくらいです﹂
これはロクサーヌに言わせたかった。
ちょっといじわるだったかな。
床に寝かせられると思っていたらしいし、まあこう答えるだろう。
抱きついたので、柔らかく豊かな弾力が腕に当たる。
服の下にはノーブラの隆起が。
いかん。
このまま押し倒したいが、なるべく押し倒したりしないようにす
ると言ってしまった。
553
なんであんなことを言ってしまったのだろう。
﹁一年って何日?﹂
﹁えっと。三百六十日と何日かです﹂
しょうがないので質問を続ける。
ロクサーヌの説明によると、一年は四つの季節からなり、春夏秋
冬で各九十日。季節と季節の間に一日か二日の休日が入るそうだ。
一日だったり二日だったりするのは閏日ということだろう。
すると一年は三百六十四日とプラス何日かで、地球とほぼ一緒か。
今は春に入って間もない時期だとか。
正確な日付は知らないらしい。
一年が三百六十五日あるなら、やはり部屋を借りた方がいいだろ
う。
﹁俺が部屋を借りるとして、どこでも借りられるのか﹂
﹁ある程度大きな町なら大丈夫だと思います﹂
﹁なるほど﹂
村やなんかだと、よそ者には厳しいところもあるのだろう。
﹁ただ、探索者ならクーラタルか帝都に住む人が多いと聞いていま
す﹂
﹁クーラタルか。聞いたことはあるような﹂
﹁クーラタルには大きな迷宮があります。私も一度行ったことがあ
りますが、探索者相手の店があって便利です。ご主人様の場合は、
魔法があるのでどこに住んでもいいと思いますが﹂
554
魔法というのは、ワープのことだろう。
迷宮にワープで行くとすれば、確かにどこに住んでも問題はない。
﹁だが一つ忘れてるな。魔法を持っていることは知られないように
したい。探索者が住んでもおかしくないところに住むべきだろう﹂
迷宮があるなら、探索者がクーラタルに住むことはおかしくない
だろう。
一度行ってみるか。
金貨が残り五枚あるので、五万ナールなら払える。
三割引は効かなそうだ。
二年契約なら効くだろうか。
十万ナール用意できるまで様子を見るか。
しかし、今後どうなるか分からないのに二年契約はリスクが大き
いか。
二年契約にすれば三割引が効くと決まったわけでもない。
一年契約で様子を見た方がいいかもしれない。
あれ。しかし税金もあるのか。
﹁そういえば、税金について聞いてなかったな。税金はどうやって
払う﹂
﹁⋮⋮あ、あの。ぜ、税金は⋮⋮﹂
ロクサーヌが答えにくそうにしている。
﹁なんか悪いこと聞いた?﹂
﹁すみません。何も問題ありません。私は両親が死んだ後、叔母の
555
家で厄介になっていました。今年は家族全員分の税金を払えなかっ
たので⋮⋮﹂
﹁そっか﹂
税金を用意できなかったのでロクサーヌが売られたということだ
ろう。
年貢が払えないから娘を売るとか、時代劇だけの話かと思ってい
た。
ロクサーヌの頭をなでる。
安心させるように、ゆっくりとなでおろした。
﹁税金は人頭税です。毎年冬に領主に支払います。ご主人様は自由
民なので十万ナール、奴隷は一万ナールです。ご主人様の今年の分
は、多分誰かが払ったのだと思います﹂
﹁なるほど﹂
払ってないと思うけどね。
勝手に解釈してくれる分にはありがたい。
税金は二人分で十一万ナールか。
今は春に入って間もない時期ということなので、時間はある。
問題ないだろう。
なでていたロクサーヌの頭を引き寄せる。
﹁ええっと。あの。こうしてご主人様に仕えることができたのです
から、私としてはよかったと思います﹂
ロクサーヌが俺の肩にもたれかかった。
556
魔結晶
その後、ロクサーヌに迷宮のことなどを聞いた。
迷宮というのは生き物であると考えられているらしい。
何それ?
各地に迷宮があるのは、あちこちに迷宮がいるからだとか。
﹁うーん。ウスバカゲロウの幼虫がいるみたいなもんか﹂
﹁ウスバカ?﹂
﹁いや、気にするな﹂
迷宮は、アリではなく人間を呼び寄せる。
魔物を使って人間を消化吸収し、生きていく。
そして増殖していくと。
迷宮は迷宮という生き物が魔法で作り出した空間である。
迷宮がある場所の地下を掘っても何も出てこないらしい。
だから、下ではなく上に広がっているのか。
迷宮を殺すには迷宮の最上層へ行ってボスを倒すしかない。
人が住んでいる場所にできた迷宮の駆除は領主の責任において行
う。
﹁逆に、迷宮のせいで人が住めなくなっている地域の迷宮を倒すと、
その地域の領主として叙されます﹂
ロクサーヌがいやに熱心に説明してきた。
557
﹁なるほど。よく分かった。ありがとう﹂
﹁どういたしまして﹂
受講はとりあえずここまでにしよう。
意識を部屋に帰ってきた目的に戻す。
アイテムボックスから、リーフを取り出した。
﹁ロクサーヌ、リュックサックを用意して﹂
﹁はい?﹂
﹁リーフって、毒消し丸になるだけか?﹂
一応訊いてみる。
﹁え? そうですね。そう聞いています。ギルドに売ると、薬師や
薬草採取士の人に分配されて毒消し丸が作られるそうです﹂
﹁やはりそうか﹂
俺はリーフを手のひらの上に乗せ、ロクサーヌの目の前に持ち上
げた。
生薬生成と念じる。
リーフが毒消し丸十個に変じ、俺の手のひらからこぼれ落ちた。
﹁え? こ、これは⋮⋮。あの、す、すごいです﹂
ロクサーヌが素直に尊敬の視線を向けてくる。
やっぱりやりたくなるよね。
なにしろいちいち驚いてくれるから。
﹁内密にな﹂
558
﹁はい。⋮⋮ご主人様、すごすぎです﹂
種明かしをすれば別にたいしたことじゃない。
ジョブを変更すればロクサーヌにも可能なのだし。
ロクサーヌのまなざしがこそばゆい。
毒消し丸を作って、五十九個をロクサーヌのリュックサックに入
れる。
一個はアイテムボックスに入れた。
すでに二十六個の在庫はあるが、一つ空きが増えている。
﹁毒を使う魔物って多いのか﹂
﹁そうですね。かなり多いと聞いています﹂
﹁やはり毒消し丸は必須か﹂
﹁魔物の攻撃が当たらなければどうということはありません﹂
それはロクサーヌだけだ。
そのうち刻が見えるとか言い出しそうだ。
毒消し丸を作った後、探索者ギルドに赴いた。
買取を済ませ、ロクサーヌに言われた魔結晶を買い求める。
﹁魔結晶を二つくれ﹂
﹁黒魔結晶でよろしいですか﹂
おい、ロクサーヌ。聞いてないぞ。
﹁えっと。魔力を使った残りだ﹂
﹁それでは黒魔結晶です。少々お待ちください﹂
559
ロクサーヌは、毒消し丸をリュックサックから出した後、張り紙
のあるボードのところへ行っていた。
なにやら熱心に読んでいる。
文字が読めるというのは便利だ。
黒魔結晶二つを二十ナールで購入した。
探索者ギルドの職員にもやはり三割引は効かないらしい。
魔結晶一つと銅貨十枚をはっきり分かるよう慎重に交換していた。
魔結晶は鶏卵くらいの大きさの丸っこい小石だ。
黒魔結晶の名のとおり、色は黒い。
迷宮の中で見たことはないと思う。
この大きさだと見逃している可能性もあるが。
ただし、鑑定はできる。
名称は黒魔結晶ではなく魔結晶だった。
﹁滋養丸の上位の傷薬は何になる﹂
﹁滋養剤です﹂
﹁いくらだ﹂
﹁一つ六百ナールです﹂
いきなり高い。
﹁滋養剤の上位の傷薬は﹂
﹁滋養錠です﹂
﹁いくらだ﹂
﹁一つ六千ナールです﹂
560
さらに十倍とか。
さすがに考えてしまう値段だが、滋養剤を二つ、滋養錠を一つ買
った。
大ケガは、しないことを望もう。
﹁黒魔結晶だそうだ﹂
ロクサーヌのところへ行って、黒魔結晶を見せる。
﹁魔結晶は蓄えている魔力によって色が変わります。魔物を十匹ほ
ど倒すと赤、百匹ほど倒すと紫に変化します。千匹で青、一万匹で
緑、以下、十万で黄色、百万で白に変わるそうです﹂
色が変わるのか。
﹁魔力のない今は黒いから、黒魔結晶か﹂
﹁魔結晶は色によって値段が変わります。色の変わったときが売却
のチャンスです。白になるまでためる人は少なく、普通は黄色か緑
に変わったときに売却するそうです﹂
百匹分の魔力をためても九百匹分の魔力をためても同じ紫魔結晶
だから値段は変わらないと。
しかし、魔物十万で黄色、白にするには百万も倒す必要があると
なると、ためるのも大変だ。
一日百匹程度として、黄色で三年、白にするには三十年かかる。
ロクサーヌの言うとおり、売る機会は本当に人生で何度かだろう。
﹁分かった。では迷宮に行くか﹂
ギルドの外に出た。
561
宿屋でいろいろ話したとはいえ、日は頭上に達していない。まだ
昼前だ。
明るい日差しの中、俺はちらちらと後ろを振り返りながら歩く。
いや、ロクサーヌの胸元が。
後ろをついてくるロクサーヌの胸が歩くたび揺れるような気がし
た。
だぼだぼのチュニックに皮のジャケットを羽織っているので分か
りにくいが、身体の動きに合わせて揺れているような気がする。
気がするではない。多分揺れている。
薄暗い迷宮の中では分からなかったが、確実だ。
錯覚とか思い込みとかではない。
おそらくはリュックサックの肩紐が両側から寄せて上げる効果を。
ただでさえ大きな甘い果実がところせましと暴れて。
こ、これは目に毒だ。
ロクサーヌに目が合うと、ニッコリと微笑まれた。
完全にばれてます。
毒消し丸生成などで得た尊敬がすべて台無しだ。
背後からのいたたまれなくなるような視線を浴びながら、迷宮に
急ぐ。
揺れを確認するには横を歩かせればいいが、この世界では男女が
横に並んで歩いている姿は見かけない。
後ろをついてくるなら周囲の男の目からロクサーヌの胸の揺れを
隠すことにもなるし。
﹁やはり一階層は混んでいるようです﹂
562
迷宮に入ると、周囲のにおいを確認したロクサーヌが開口一番告
げた。
視線のことはスルーしてくれるようだ。
﹁混んでる?﹂
﹁はい。ベイルの町外れにある迷宮一階層の探索終了宣言が出てい
ました﹂
なにやらよく分からないが、探索者ギルドに書いてあったのだろ
う。
人がいるというならここではあまり聞かない方がいいか。
﹁上へ行った方がいいか?﹂
﹁はい。私は三階層まで行ったことがあります。三階層までなら戦
えると思います﹂
﹁じゃあ二階層から行ってみるか﹂
後ろの黒い壁に戻り、二階層に抜ける。
﹁二階層はそれほど混んでいないようです。魔物は右ですね﹂
﹁そうか。魔結晶というのは持っているだけでいいのか?﹂
アイテムボックスから装備品と魔結晶を出して、ロクサーヌに渡
した。
﹁はい。リュックサックに入れておけば大丈夫です。アイテムボッ
クスの中では魔力がたまりません﹂
リュックサックを下ろして、黒魔結晶を入れる。
563
装備を整え、右側の洞窟へ出た。
﹁魔物はなるだけ魔法で倒す。指示があるまで勝手に飛び出さない
ように﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁それで、探索終了宣言って何だ?﹂
ロクサーヌに注意を与えてから、質問する。
﹁一階層のすべての探索を終えたという宣言です﹂
﹁探索を終えると人が増えるのか?﹂
﹁探索が終了しないと、魔物の大量にいる部屋があるかもしれませ
ん﹂
そういえば、そんな部屋があった。
一階層にニードルウッドが十匹以上もいた小部屋があり、苦戦し
た。
﹁あれは探索が終了するとなくなるのか﹂
﹁探索が完了したなら、魔物がいる部屋も探索されたということで
す﹂
﹁ふうむ﹂
﹁えっと。魔物が湧いたとき、ここのような洞窟に出てくれば、魔
物はやがてどこかに移動します。小部屋の中には魔物が湧く小部屋
もありますが、魔物が小部屋に湧くと、魔物はどこへも移動できま
せん。長い時間がたつと、小部屋の中に大量の魔物が残ることにな
ります﹂
首をかしげる俺に、ロクサーヌが説明してくれる。
なるほど。あの魔物部屋はそうしてできたのか。
564
﹁探索を終了したので魔物が大量にいる部屋もなくなったというこ
とか﹂
﹁はい。何日か人が来なかったくらいでは、そこまで大量の魔物は
たまりません。魔物が大量にいる部屋は極めて危険な罠です。探索
終了宣言が出たからといって安心できるものではありませんが、や
はり一番危ないのは迷宮が見つかったばかりで誰も入っていない状
態のときでしょう﹂
全体攻撃魔法を使える今となっては魔物が大量にいる部屋はおい
しいのだが、今後は望み薄ということか。
上に行けばまだ残っているかもしれないが。
魔法を使えないときに当たったのは、運がいいのか悪いのか。
﹁分かった。それで人が増えたと﹂
﹁魔物です﹂
ロクサーヌが会話を中断して警告した。
前方に魔物が現れる。
ニードルウッドLv2だ。
知力上昇に99ポイント振ったファイヤーボールを放つ。
しかし、一発では倒せなかった。
二発めを撃って倒す。
魔物もレベルが上がると結構強くなるようだ。
ロクサーヌからブランチを受け取りつつ、リュックサックの中を
確認した。
魔結晶の色は黒のままだ。
565
次のテストは、この魔結晶である。
ボーナススキルの中に、結晶化促進というスキルがあった。
今までは意味が分からなかったが、結晶化とは魔力の結晶化とい
うことだろう。それを促進してくれるのだ。
キャラクター再設定と念じ、結晶化促進にチェックを入れる。
スキルが結晶化促進四倍になった。
知力上昇に振ったボーナスポイントをはずして、結晶化促進につ
ぎ込む。
結晶化促進は八倍、十六倍、三十二倍と進み、結晶化促進六十四
倍で打ち止めとなった。
次に現れたニードルウッドLv2を知力上昇に1ポイントも振っ
ていない魔法二発で倒す。
振っても振らなくても魔法二発なのか。
恩恵が感じられない。
魔結晶を確認した。
赤っぽくなっている。
これが赤魔結晶か。
もう一匹倒して、再度確認した。
色は紫っぽい。
﹁百匹倒すと、紫だっけ?﹂
﹁そうです﹂
六十四倍だから二匹倒せば百二十八匹倒したことになる。
スキルが有効なのは間違いない。
566
﹁ロクサーヌ、見るか?﹂
返事を待たずにリュックサックから紫魔結晶を取り出した。
どうせいつかは見られる。
失った尊敬も回復したい。
﹁え? それは? 何で、ですか?﹂
﹁うむ。内密にな﹂
﹁は、はい。⋮⋮ご主人様、すごいです﹂
ロクサーヌに少しだけ見せて、リュックサックに戻す。
やはりいちいち驚いてくれた。
そろそろ全部内密にでごまかすのはつらいような気もするのだが、
ロクサーヌが納得してくれるうちはこれでいいだろう。
﹁魔結晶って、いくらで売れるか知ってるか﹂
﹁緑が一万ナール、黄色だと十万ナールのはずです﹂
緑魔結晶になるのに一万匹狩る必要があるとすると、一匹一ナー
ルか。
六十四倍で六十四ナール。ドロップアイテムより効率がいい。
お金を稼ぎたいなら結晶化促進、強くなりたいなら経験値スキル、
今強い敵と戦うならデュランダルにボーナスポイントを振れという
ことだろう。
よくできてやがる。
﹁それでは、これより最後の実験を行う。いや、実験は今後とも適
宜行っていくが、当面は多分これが最後だ﹂
567
ロクサーヌに宣言した。
﹁えっと。そういえば、何の実験を行っていたのでしょう﹂
﹁まあいろいろだ。今回はロクサーヌにも協力してもらう﹂
﹁は、はい﹂
パーティージョブ設定で、ロクサーヌのジョブを僧侶にする。
続いて、自分にも僧侶のジョブをつけた。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv27 英雄Lv24 魔法使いLv26 商人Lv22
僧侶Lv1
装備 ワンド 皮の帽子 皮の鎧 皮のグローブ 皮の靴
ロクサーヌ ♀ 16歳
僧侶Lv1
装備 シミター 木の盾 皮の帽子 皮のジャケット 皮のミトン
サンダルブーツ
手当てを何回か使ったが、俺もロクサーヌも僧侶はほぼまっさら
だ。
この状態で、経験値を稼ぐ。
複数のジョブをつけたときに経験値が分割されているかどうか、
俺とロクサーヌの僧侶レベルを比較すれば分かるだろう。
必要経験値の減少スキルは使わず、獲得経験値二十倍をつける。
俺のレベルアップが早ければ、獲得経験値の上昇スキルはは俺の
568
経験値だけに作用している。
俺とロクサーヌのレベルアップが同時ならば、獲得経験値の上昇
はパーティーで効いている。
ロクサーヌのレベルアップが早ければ、複数のジョブを持ったと
きに経験値が分割して配分されている。
そう判断していいだろう。
﹁何か身体に変わったところはないか﹂
﹁いいえ。特には﹂
俺も英雄をはずしたときに体が重くなったとは感じなかった。
自覚はないのだろう。
﹁本当は一階層で試したかったのだが、しょうがない。危険がある
かもしれないので、実験が終わるまでロクサーヌは戦わないように﹂
﹁危険なのですか﹂
﹁実験そのものに危険はない。そうだな。言ってみれば、戦闘能力
に少し制限を加える実験だ。普段どおりには戦えなくなるかもしれ
ない﹂
獣戦士Lv6と僧侶Lv1でどこまで違うかは分からないが、用
心にこしたことはないだろう。
﹁今までそんな実験をしていたのですか。それなら、私も戦った方
がいいのではないですか﹂
﹁そのうちに試してもらうかもしれないが、今はいい﹂
ロクサーヌのジョブを変えるとどうなるかは、この実験の本義で
はない。
569
やってもらうにしても、最初は一階層でやるべきだろう。
僧侶Lv1だからといって一撃でやられることはないと思うが、
あえて試してみる必要もない。
その後、二階層で狩を行う。
レベルが上がったのは俺とロクサーヌで同時だった。
獲得経験値の上昇スキルはパーティー全体に作用している。
そして、おそらくフィフスジョブでも経験値は分割されない。
可能性としては、経験値がジョブの数に分配される、俺の五つと
ロクサーヌの一つで六分の一ずつ入っているということも考えられ
るが。
次に、必要経験値減少のスキルもつけて試してみる。
俺の僧侶だけがあっという間にLv3に上がった。
まあそれはそうだろう。
僧侶Lv2に上がるのに二十匹以上狩る必要があった。
必要経験値十分の一をつければ、三匹でまかなえる計算だ。
ロクサーヌのレベルは上がらなかったので、必要経験値減少のス
キルはやはり俺にだけ効果があるようだ。
当面、デュランダルを使わないときのボーナスポイントは、
必要経験値十分の一で31、
獲得経験値十倍で31、
結晶化促進三十二倍で31、
フィフスジョブで15、
MP回復速度三倍で7、
詠唱省略で3、
570
パーティージョブ設定で3、
ワープ、鑑定、パーティー項目解除、キャラクター再設定で4を割
り振っておけばいいだろう。
571
クーラタル
﹁魔物が三匹出てくるのは、三階層からか?﹂
﹁いいえ。四階層からと聞いています﹂
﹁では四階層で四匹出てくることはないな﹂
﹁四匹出てくるのは八階層からだそうです﹂
二階層と三階層でロクサーヌの戦いぶりを確認し、四階層に移動
した。
最初に出てきたミノ二匹、コボルト一匹の団体を魔法三発で沈め
た後、ロクサーヌに尋ねる。
ファイヤーストームが魔物にだけ作用することは確認済みだ。
﹁そうすると十六階層からは五匹か﹂
﹁よくお分かりになられるのですね。そのとおりです﹂
妙なところで感心されてしまった。
二匹出てくるのが二階層、三匹が四階層、四匹が八階層なら、五
匹出てくるのは十六階層からだろう。
次にロクサーヌが案内したのも、ミノ一匹、コボルト一匹の団体
だ。
まずファイヤーボールでコボルトLv4を焼き払う。
﹁ロクサーヌ、ミノの相手をしてみろ﹂
確認のため、ロクサーヌを送り出した。
572
ロクサーヌは二階層と三階層でニードルウッドLv2とニードル
ウッドLv3を問題なくあしらっている。
前後が詰まった牛のようなミノLv4とどこまで戦えるのか。
ロクサーヌがシミターをかざして駆けた。
正面から軽く一撃。振られたツノを難なくかわして一撃。
さらに一撃加えた後、ひらりと身を翻してミノの攻撃を避ける。
おまえ、どこの闘牛士だよ。
一匹相手なら四階層でも完璧のようだ。
ロクサーヌが魔物の相手をしている間に、俺はデュランダルを用
意する。
離れた左側を進み、ミノの側面からぶち当てた。
ミノを倒し、MPを回復する。
﹁四階層でも問題ないようです﹂
﹁ただ、数がな。三匹でも大丈夫か?﹂
﹁そうですね。二匹ならまったく問題ありません。三匹に囲まれる
と、ひょっとしたら攻撃を受けることがあるかもしれません﹂
こんな感想が返ってきやがりましたですよ。
俺がミノ三匹に囲まれたらパニックになるね。
﹁ツノは怖くないか﹂
﹁よく見れば問題ありません﹂
﹁よ、よくかわせるよな﹂
﹁ツノが振られるときには、こうヒュッと来ますから、体をスッと
引いてパッとかわせば大丈夫です﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
573
ロクサーヌは人に教えることができないタイプだ。
天才肌ってやつだろう。
﹁そもそもツノが頭にあっても力をこめようとすれば勢いよく突進
するか大振りするかしかなく、それでは動き出しで何をするつもり
なのかいっぺんに分かってしまいます。避けてくれといっているよ
うなものです﹂
とはロクサーヌ談である。
言葉だけ聞いていると、そのようにも思えるが。
いやいや。だまされてはいけない。
そんなことができるのはロクサーヌだけだ。
まあ、先々の心配をしても仕方がない。
四階層は魔法三発でけりがつくので問題ない。
上に行けば、魔法を発動するまでの間、前衛が魔物三匹を相手に
しなければならないとしても。
ロクサーヌも二匹までは問題ないと言っているのだから、一匹は
俺ががんばるしかないだろう。
四階層で少し狩をして、冒険者ギルドの壁に帰った。
迷宮にこもりっぱなしはよくない。
迷宮ではどうしても緊張を強いられる。
適宜気分転換が必要だ。
狩を終えたとき、魔結晶の色は青くなっていた。
ロクサーヌの魔結晶は紫になっている。
574
魔物にとどめをささないと、魔力はたまらないらしい。
紫にしたのはロクサーヌが持っているときではなく俺が借りたと
きだ。
複数の魔結晶を持てば、複数の魔結晶に魔力がたまるのではない
か?
ロクサーヌによれば、もちろんそんなうまい話はないらしい。
とはいえ、結晶化促進スキルをつけると、違うかもしれない。
ものは試しと、二個の魔結晶をリュックサックに入れてみた。
ロクサーヌから借りた黒魔結晶が紫魔結晶に変わったのは、魔物
を九匹倒したときだ。
うち二匹は結晶化促進スキルをつけずにデュランダルで倒してい
る。
得た魔力は、七匹×三十二倍+二匹分だ。
紫魔結晶にするには魔物百匹分の魔力が必要だから、魔結晶を二
個持つとたまる魔力はきっちり半分になると考えていい。
やっぱりうまい話はないようだ。
紫魔結晶を返すとき、十匹も狩っていないのに百匹狩らないとな
らない紫魔結晶になっていたことで、ロクサーヌは驚いていたが。
コボルトはおいしくないとロクサーヌに伝えてあるので、あまり
コボルトとは戦っていない。
本当にロクサーヌは役に立つ。
冒険者ギルドは、いつもより人が多いような気がした。
終了宣言のせいだろうか。
575
買取のカウンターにも人が並んでいる。
売りに来た人は皿の上にブランチを四、五本とリーフ一枚を載せ
ていた。
まさに探索が終了した一階層でがんばったのだろう。
数は少ないとはいえ。
﹁リーフって買い取れないものかねえ﹂
小声でロクサーヌに話しかける。
リーフは確か八十ナールだったから、倍額で買って三割引が効か
ないとしても、毒消し丸十個を三割アップで売れば、一枚あたり百
六十五ナールの利益が出る。
﹁リーフの取引はギルドの利となります。やめた方がいいと思いま
す﹂
ロクサーヌがやはり小声で答えた。
なるほど。ギルドの権益を侵害すれば、目をつけられてどんなし
っぺ返しがくるか分かったものではないか。
この方法で稼ぐのはやめておこう。
小声だったし、誰にも聞かれてはいないはずだ。
それにしても今日は人が多い。
ギルドの壁からも、すでに何組かのパーティーがやってきていた。
また誰か出てきた。
今度は二人組みだ。
﹁クーラタル、片道のかた、いませんか﹂
576
最初に出てきた方の男が告げる。
おっと。クーラタルから来た冒険者か。
これは都合がいい。
俺は、パーティー編成を念じ、ロクサーヌをパーティーからはず
した。
﹁ちょっと行ってくる﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌもすぐに意味するところを理解したようだ。
主人の命令に従っただけかもしれないが、理解したような目をし
ていた。
多分理解しただろう。
俺がいない間にどこかへ逃げ出すようなことは、しないといいな。
まあ、ちょっと目を離しただけでいなくなるなら、すでに逃げて
いる。
四六時中一緒というわけにもいかない。
銀貨一枚を払って、クーラタルに連れて行ってもらう。
日の高さを確認して、すぐに帰った。
ロクサーヌは⋮⋮いた。
ちゃんといてくれた。
﹁ただいま。クーラタルに行ってみるか?﹂
﹁はい。お供します﹂
577
パーティーを組み、ベイルの日の高さを確認した後、クーラタル
の冒険者ギルドにワープする。
ベイルの時刻は午後三時よりも前、二時を少し回ったあたりか。
夕方まで三時間くらいの余裕はあるだろう。
クーラタルも昼間だが、方位も経度も分からないので時差は不明
だ。
クーラタルの冒険者ギルドは、ベイルの町の冒険者ギルドを一回
り大きくした程度だった。
帝都の冒険者ギルドとは比ぶべくもない。
買取カウンターも三つしかない。
一つしかないベイルの冒険者ギルドよりは大きいが、話を聞くに
もっと大きい町かと思っていた。
﹁うーん。こんなものなのか﹂
﹁クーラタルは迷宮と探索者が中心の町なので、探索者ギルドの方
が充実していて大きいのです﹂
ロクサーヌが説明してくる。
冒険者ギルドを出て思わず放ったつぶやきを聞かれてしまったら
しい。
﹁そうなのか。ロクサーヌは来たことあるのか﹂
﹁はい。一度だけ迷宮の見学に来ました。迷宮に入ろうとするもの
は、多くが一度は訪れます﹂
﹁じゃあ、一度迷宮行ってみる?﹂
﹁かしこまりました。あちらです﹂
ロクサーヌはためらうことなく指差した。
578
﹁北がどっちか分かる?﹂
﹁すみません。分かりません﹂
﹁それでよく迷宮のある方向が分かったな﹂
あ。においか。
﹁クーラタルの町は迷宮を中心にしてできています。迷宮がいるの
は町の中心で、道はその中心から放射状に延びています﹂
においでもないようだ。
見れば、道の片方向は建物がだんだんまばらになっていっている。
片方は建物が密集している。
なるほど。あっちが町の中心か。
町の中心部へ向かって歩き出した。
それでも、クーラタルの町並みはさすがに帝都より小さい。
ベイルの町よりは繁栄している、という程度だろう。
中心部近くでは何軒かの店が建物一階の壁を開放して営業してい
た。
魚屋とパン屋があって、その向こうにあるのは金物屋だ。
露店以外でやっている店は、この世界に来てから初めて見た。
特にどうということはない普通の店だ。
店舗の形態なんてそう複雑なものではないということか。
金物屋の向こうは道が交差するロータリーになっており、中央に
こんもりとした小山がある。
579
迷宮の入り口だ。
町の中心からは道が何本か延びており、どの道にも両側に何軒か
の店が並んでいた。
﹁あれが迷宮か﹂
﹁そうです。入り口から道をはさんで正面に建っているのが騎士団
の詰め所、入り口の反対側にある大きな建物が探索者ギルドです﹂
迷宮入り口の黒い壁が右側に少し見える。
その反対側には、中央から延びる二本の道にはさまれるようにし
て五、六階建てくらいの大きなビルが建っていた。
赤茶けたレンガ造りの建物はかなりの威容を誇っている。
なるほど、探索者ギルドが充実しているというわけだ。
一階の扉は開かれ、何人もの人が出入りしていた。
騎士団の詰め所にも多くの人が並んでいる。
﹁あれはなんで並んでるんだ﹂
﹁クーラタルの迷宮は入り口から入るときにお金を払わなければい
けないのです。一人一回百ナールです﹂
入場料を取るのか。
観光名所みたいだ。
﹁料金がいるのならもっと時間のあるときに入った方がいいな。家
を借りるにはどうすればいいか、知ってるか﹂
﹁世話役の人がいます。どこかの商店で聞けば教えてくれるでしょ
う﹂
﹁ふむ﹂
580
この金物屋にでも入ってみるか。
金物屋に入ろうとすると、ロクサーヌが腕を引っ張った。
﹁ですが、ご主人様﹂
﹁ん?﹂
﹁ご主人様の魔法を使って入ればよいのではないですか﹂
小声で伝えてくる。
なるほど。
ワープを使えば直接迷宮の中に行けるのだから、一度入ってしま
えば次からはいちいち金を取られることはないのか。
越後屋、おぬしも悪よのう。
帯をくるくるとほどきたい。
金物屋に入った。
鍋、はさみ、鍬、シャベル、その他よく分からない金属製品が置
いてある。
南京錠もあった。
武器は武器屋で。鍬やシャベルは農具扱いということなのだろう。
﹁いらっしゃいませ﹂
出てきたのは中年ちょい手前くらいのおばちゃんだ。
37歳、商人Lv44。
微妙にレベル高い気がする。
﹁この辺りで住むところを探しているのだが。世話役の人がどこ﹂
﹁それはようございました。六区の世話役はうちになります﹂
581
全部言う前に返ってきた。
ここが世話役なのか。ラッキー。
﹁六区?﹂
﹁この町は中央から延びる六本の道によって区画されています。探
索者ギルドのある区画が一区、以下左回りで二区、三区、ここが六
区になります﹂
﹁なるほど﹂
迷宮に面した一番目立つ位置は各区に一つずつだ。
六区ではこの店がその一番目立つ場所にあるのだから、世話役に
なるのも実力相応ではあるのかもしれない。
﹁探索者のかたですか﹂
﹁そうだ﹂
﹁どのような物件をお探しでしょう﹂
そう言われると困ってしまう。
﹁逆にどういう物件があるのか教えてほしい。年に四万ナールちょ
っとで借りられるところで、他には特に条件はない﹂
﹁お二人で住まわれるのですか﹂
﹁当面はそうだが、今後は﹂
﹁なるほど。探索者ですからね﹂
みなまで言わせずにおばちゃんが引き継いだ。
しゃべり好きな人らしい。
迷宮に入る探索者なら六人までパーティーを組める。
パーティーメンバーと一緒に住む探索者も多いのだろう。
582
おばちゃんはロクサーヌの方に少しだけ目をやると、次に俺の顔
を見ていやらしくにやけた。
ロクサーヌが奴隷だということが分かったようだ。
そしてまた、値踏みするかのようにロクサーヌをぐっとにらむ。
何故ロクサーヌが奴隷だと分かったのか分からないが、あの顔は
分かったという顔だろう。
さすがは世話役ということなのか。
あるいは、奴隷商人が俺に告げたように、迷宮に入るのに奴隷を
パーティーメンバーとする人は多いのかもしれない。
﹁⋮⋮あの﹂
﹁いい娘を持ったようですね。迷宮に近い方がいいでしょうか﹂
にらまれて何か言おうとしたロクサーヌを置き去りにして、おば
ちゃんが俺に話しかけた。
﹁特にこだわりはない﹂
迷宮に近い方が家賃は高いだろう。
迷宮に近いということは町の中心に近いということでもある。
しかし俺の場合、迷宮に行くにはワープを使えばいい。
町の中心にある繁華街に用があるとしても、冒険者ギルドの壁に
出てくれば十分だ。
迷宮の近くに住む理由はない。
むしろ、迷宮から遠ければ家賃が安くなるだろうから、遠い方が
有利だ。
﹁冒険者でないなら、一軒お値打ちな家がありますが、どうでしょ
583
うか﹂
﹁冒険者では駄目なのか?﹂
﹁前の住人が遮蔽セメントで全部おおってしまったので、使いにく
いのです﹂
意味が分からん。
﹁遮蔽セメントを使った壁にはフィールドウォークで移動できませ
んから、冒険者には使いにくいでしょうね﹂
助けを求めるようにちらりとロクサーヌを見ると、フォローして
くれた。
ロクサーヌ、まじ役立つ。
しかも、俺が遮蔽セメントを知らないことがばれないよう、さり
げないフォローになっている。
なるほど。
冒険者は迷宮から離れたところに住むのだろう。
移動するにはフィールドウォークを使えばいい。わざわざ家賃の
高いところに住む理由はない。
しかし遮蔽セメントでおおってあるので、その家は使えないと。
﹁一度見せてもらえるか﹂
ワープが使えるかどうかは、試してみるよりないだろう。
﹁分かりました。準備してきます﹂
おばちゃんは一度店の奥に引っ込んだ。
しばらくして現れると、外に出て道を冒険者ギルドの方へ戻る。
584
家を借りるのは早計かもしれない。
この世界についてもっと知ってから、あるいは今後のことについ
て真剣に考えてからの方がいいかもしれない。
地震や火山や熱帯低気圧やその他天災の有無について、調べなけ
ればいけないかもしれない。
﹁この辺りの気候はどうですか﹂
﹁いいところですよ。夏は涼しくて、冬もあまり雪は降りません﹂
﹁雨はどのくらい降りますか﹂
ロクサーヌがおばちゃんから聞き出そうとしているが、その程度
では足りないだろう。
しかし、どのみち俺にはあまり選択肢はない。
現状クーラタルか帝都かの二択だ。
他にも問題なく住める場所があるかもしれないが、調べたり考え
たりするのに何ヶ月も費やすなら、借りてしまった方が安上がりだ
ろう。
ここがよほど酷い場所だったならともかく、他にもっといい町が
あったのにという程度なら、後悔するほどでもない。
世話役のおばちゃんが俺とロクサーヌを先導しながら道を進む。
クーラタルの町は、高いビルが建っているのは中心部だけで、少
し外れると住宅街になっていた。
二階建て程度の家が多少の間隔をあけて並んでいる。
どこかの田舎の郊外という感じだ。
さらに進んで家よりも空き地や畑が多くなったころ、一人の男性
がいて、おばちゃんとなにやら挨拶した。
585
40歳、村人Lv53、だと?
かつてない高レベルの村人だ。
精悍でたくましく感じるのは、実際に強いのか、俺がレベルに惑
わされているのか。
﹁今のがうちの亭主です﹂
男性と二言、三言会話して別れたおばちゃんが告げる。
﹁非常に、強そうな人だな﹂
﹁この町には城壁がないでしょう。迷宮を取り囲んで造られていま
すから、城壁には意味がありません。魔物は町のどこにでも現れま
す。弱いですけどね。魔物を怖がるような人はこの町には住めませ
ん。私も亭主も三日と空けずに迷宮に入るようにしています﹂
ロクサーヌによれば、魔物は迷宮の中だけでなく、近くにも湧く。
最初の村の裏手の森にいたスローラビットや、馬車で移動中に出
会ったグミスライムがそうだ。
そうした魔物に襲われないように、都市は城壁で囲む。
クーラタルでは迷宮が町の中心にあるのだから、町を城壁で囲ん
でも意味がないのだろう。
考えてみれば恐ろしい町である。
そんな町に住んでいる以上、この夫婦も鍛えている。
その結果が、村人Lv53というわけだ。
デュランダルを出せばいい俺はともかく、ロクサーヌは大丈夫だ
ろうか。
586
﹁魔物が湧く町でも問題ないか﹂
﹁何の問題もありません﹂
愚問だった。
﹁亭主はあそこの小屋で鍛冶職人をやっています。うちで扱ってい
るのは亭主が作った品物です﹂
﹁鍛冶職人?﹂
﹁ええ﹂
﹁鍛冶師なのか?﹂
鍛冶師なら、ジョブを獲得する方法が聞けるかもしれない。
﹁鍛冶師はドワーフのみが就けるジョブですよ﹂
﹁違うのか﹂
﹁小屋の中に小さな溶鉱炉を持って、商品を鋳造しています。これ
は種族に関係なく、技術があれば誰にでもできる仕事です。鍛冶師
は武器や防具をスキル魔法によって作り出すジョブで、ドワーフに
しかなれません﹂
﹁そうか﹂
なにやらよく分からないが、鍛冶師と鍛冶職人は別物らしい。
考えてみればジョブは村人Lv53だったしな。
ワンメイクの装備品はスキルで作るということか。
残念ながら、鍛冶を行って鍛冶師のジョブを得ることは無理だろ
う。
﹁さあ、あそこです﹂
587
もう少し進み、細い路地に入ったところで、世話役のおばさんが
白い家を指差した。
588
クーラタル︵後書き︶
感想でいろいろ突っ込まれたことのフォロー回となっております。
の割に、クーラタルの迷宮についての説明は全部積み残し。
589
家
住む場所を周旋してくれるという世話役のおばちゃんが一軒の家
に俺とロクサーヌを案内した。
モルタル塗り二階建ての白い家だ。
この辺りやベイルの町でもよく見かける、普通の家という感じだ
ろう。
それでも結構大きいように感じるのは、日本人の悲しい性か。
この世界が現代日本よりも進んでいるところがもう一つあった。
町から少し出ただけで森が広がっているし、土地はあるのだろう。
一つはイヌミミ様ですが何か。
﹁木窓の修復は行っているので、家具を運び込めばすぐにも住める
状態です﹂
おばちゃんが鍵を開ける。
家の中はコンクリートむき出しの無機質な部屋が広がっていた。
やはり大きい。
日本的感覚では、もう邸宅といっていい。
﹁ほう﹂
﹁前の住人がいろいろと手直しをしてしまっているので、中はどん
な改装をしてもかまいません。特に手を加えてしまったのは、水洗
トイレですね﹂
590
おばちゃんが部屋の中をずんずんと進んで、奥の部屋のドアを開
ける。
向こうの小部屋がトイレになっていた。
﹁水洗トイレ?﹂
﹁上の容器に水を入れると、外のドブヘ流れるようになっています。
ドブには近くの川から取水していますが、こちらが上流側なので十
分きれいです﹂
トイレは排水口に直接つながっているだけの便座だ。
上のタンクに水を入れると、その勢いで流れるようになっている
のだろう。
水洗というのもおこがましいが、甕に糞尿をためて捨てに行くよ
りはよっぽどいい。
﹁ふむ﹂
﹁ここに作っても不便なんですけどね。前の住人の趣味です。二階
にも作ろうとしたので、それはやめさせました﹂
﹁二階にもトイレが?﹂
﹁やめさせたので、二階には排水口だけがつながっています﹂
トイレの隣の部屋は、シンクや台があるところを見ると、キッチ
ンだろう。
ロクサーヌがおばちゃんに質問している。
﹁ではちょっと二階を見てくる﹂
世話役のおばちゃんがロクサーヌに捕まっているのをこれ幸いと、
二階に上がった。
591
ワープの実験をしなければならない。
階段を上がると、ロクサーヌがどこにいるか分かるようになった。
これがパーティーの効果か。
用心のためロクサーヌをパーティーからはずし、隣の部屋を思い
浮かべて、部屋の壁に向かってワープと念じる。
移動はパーティー単位なので、ロクサーヌがいないときにどう動
作するか分からない。
目の前に黒い壁ができた。
通ってみる。
見事に隣の部屋に抜けた。
成功だ。
フィールドウォークは駄目らしいがワープならできる。
迷宮内にも移動できるし、ワープは使い勝手がいい。
ただし、厄介なことが一つ増えた。
ワープでどこにでも移動するのは避けた方がいい。
移動した先がフィールドウォークやダンジョンウォークでは移動
できない場所だったりしたら大変だ。
フィールドウォークやダンジョンウォークが通じる場所であるこ
とを確認してから、移動すべきだろう。
冒険者ギルドの内壁や迷宮内の小部屋以外にはあまり移動してい
ないので、今までとたいして変わりはない。
ロクサーヌを得る資金を稼いだとき盗賊たちがのん気に眠りこけ
ていたあの岩穴にも、ひょっとしたら遮蔽セメントが使われていた
のかもしれない。
592
深夜早朝とはいえ、追われている盗賊が見張りも立てずに全員寝
ていたのは無用心すぎる。
フィールドウォークが使えない場所だったので、誰も来ないと安
心していたのではないだろうか。
不自然に思われないように二階も多少見て回ってから、一階に下
りた。
﹁いかがでしょうか。この家の欠点は他に、井戸が遠いので少し離
れたところまで水を汲みに行かなければいけないことです。ですが
問題ないでしょう﹂
下に来た俺をおばちゃんが迎える。
最後にちらりとロクサーヌの方を見ながら。
井戸が離れた場所にあっても奴隷に汲みに行かせるなら問題ない
ということだろう。
﹁私なら大丈夫です。よい物件だと思います﹂
ロクサーヌがどこまで本気なのかは分からない。
水は魔法で作り出せることを分かっているのだろうか。
﹁そうだな﹂
ワープとウォーターウォールが使えるので、俺にはこの家の欠点
が欠点にはならない。
よい物件だといえるだろう。
問題は、最初の一軒めで決めてしまっていいかということだ。
ただ、いろいろ調べれば時間がかかる。
593
宿屋に住むよりは安いのだから、とりあえずここに決めて、駄目
なら後で他の場所に移ってもいい。
ロクサーヌもよい物件だと言っているから、悪い家ではないだろ
う。
﹁この家なら一年契約で四万五千ナール。契約は、今日はもう引越
しもできないでしょうから、明日からなら来年の春の十三日までに
なります﹂
つまり、今日は春の十三日か。
相場というものがあるから、値段的にも悪いものではないはずだ。
世話役の人も悪人ではないだろう。
ロクサーヌを奴隷と見定めた眼力。明日からの契約にしてくれる
優しさ。
世話役にはそれなりの人物が選ばれるだろうし、一区から六区ま
で複数人の世話役がいるなら競争もある。
客をだますようなあくどい世話役ではやっていけないだろう。
一度ロクサーヌを見ると、ロクサーヌが大きくうなずいた。
﹁分かった。この家を契約しよう﹂
その後、歩いて騎士団の詰め所に連れて行かれ、俺のインテリジ
ェンスカードをチェックされた。
世話役といってもジョブが商人ではインテリジェンスカードのス
キルは使えないらしい。
﹁契約書類を作りますが、字が書けますか﹂
594
金物屋に帰ってくると、おばちゃんが訊いてくる。
字の書けない人はやはり多いようだ。
﹁代筆でかまわないか﹂
﹁もちろんです﹂
﹁では、ロクサーヌ、頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
おばちゃんとロクサーヌが書類を準備している間、店を見回した。
中華鍋が置いてある。
﹁これは?﹂
﹁それはプロの料理人が使う鍋です。強い火力で調理するときに使
います﹂
﹁ふむ﹂
完全に中華鍋というわけでもないのだろうが、似ている。
目的は同じだから、同じような形にはなるのかもしれない。
懐かしい感じがして、俺はしばらく中華鍋に見入った。
﹁この辺りではうちでしか扱っていないものです。あまり見かけな
いかもしれません﹂
﹁では家賃とあわせてこれももらおう。全部でいくらだ﹂
﹁うち特製の鍋を気に入っていただけたようでこっちも嬉しくなり
ます。ですから特別にサービスして、全部で三万一千八百五十ナー
ルでいいでしょう﹂
よっしゃ。
ダメモトでやってみたが、やはり商人相手だと三割引が効くよう
595
だ。
金貨三枚に加えて、銀貨と銅貨を出して支払う。
おばちゃんがさっきの家の鍵を渡してきた。
家具もベッドもないので、今日はベイル亭に帰ることにする。
クーラタルの冒険者ギルドから、いったん借りた家に飛んだ。
契約は明日からだが、かまわないだろう。
﹁この家には遮蔽セメントが使われているという話ではありません
でしたか﹂
中華鍋を適当にその辺に転がすと、ロクサーヌが声をかけてきた。
おまえは何を言っているんだ。
﹁いや。ちゃんと使えるかどうか試したから。フィールドウォーク
は使えなくても、俺のワープなら大丈夫らしい﹂
ワープが使えなかったら契約するはずがない。
﹁え? ⋮⋮それって、すごいことでは﹂
﹁どうだろうな﹂
現代日本なら、密室殺人でも完全犯罪でもやりたい放題だが。
この世界に銀行の貸し金庫のようなものがあるかどうか、調べて
みてもいいかもしれない。
やらないけどね。
というか、遮蔽セメントでワープが使えない場合、ロクサーヌは
この家から毎回迷宮なり冒険者ギルドなりまで歩くつもりだったの
596
だろうか。
まあそんなものか。
あるいは、玄関脇に塀でも作ればいいのか。
家の外になるから、それもめんどくさいが。
俺がだらけすぎなのか。
移動魔法の味を一度知ってしまうと、歩いて移動するのは面倒だ。
家を借りたのだって、ベイル亭では冒険者ギルドまでいちいち歩
かなければならない、という理由が大きい。
自分の家なら誰にはばかることなくワープできる。非常に楽だ。
家からベイルの冒険者ギルドにワープした。
ベイルの町は夕方。
クーラタルの方が若干西にある感じだろうか。
一泊分の料金を払って部屋に入る。
ベッドに腰かけると、すぐにロクサーヌが横に座ってきた。
そうするようにと命令したからか。
ロクサーヌが隣に来て嬉しいが、なんか申し訳ない感じだ。
それに押し倒すのも駄目なのだ。
最初からやり直したい気分である。
しょうがないので、しばらく我慢する。
装備品を手入れし、食事を終えて再び部屋に上がってくるまで。
﹁じゃあ、身体拭くので、脱いで﹂
﹁いけません。ご主人様をお拭きするのが先です﹂
しかしここまで我慢したのに断られましたですよ。
597
議論する暇も惜しいので、全部脱いで背中を拭いてもらう。
その後でたっぷり拭いた。
拭きたおした。
思うがまま拭き尽くした。
背中から前に手を回して、気高くも美しい霊峰を拭き清める。
丹念に。丁寧に。繊細に。
一平方ミクロンの拭き残しもないように。
一ピコグラムの垢も残さないように。
何回も。何度も。何度でも。
心ゆくまで。心飽くまで。
満足である。
まあ直後にはもっと満足したわけだが。
翌朝、暗いうちはベイルの迷宮に入り、朝食の後、引っ越した。
宿屋の部屋と家をワープでつなぎ、メイド服の入ったケースと荷
物を詰めたロクサーヌのリュックサックを家に置いてくる。
体を半分出し、一度のワープで荷物だけを移動させる作戦だ。
ケースも手荷物扱いでよかったらしく、無事成功した。
ベイル亭を引き払い、居を移す。
クーラタルの町で、ベッド、机とイス、戸棚、クローゼットとい
った最低限の家具と、調理器具、掃除用具、日用品などで必要なも
のを買いそろえた。
家具は店の人が荷車で家まで運んでくれるらしい。
598
家具はすべて中古品だが、ベッドのマットレスは新品に換えてく
れるらしいので、かまわないだろう。
中心街の端にある冒険者ギルドと新居を何度もワープで往復する。
それだけで一日仕事だ。
ちなみに、絨毯は高級品で、クーラタルでは売っていなかった。
行商人から手に入れるか、帝都に行かなければないそうだ。
﹁それでは水を汲みにいってきますね﹂
水がめを買って家に帰ってくると、それを持ってロクサーヌが告
げる。
やっぱり分かっていなかったのか。
﹁水は魔法で作れるから問題ない﹂
﹁よろしいのですか。魔法を使うのはかなり大変だと聞きますが﹂
﹁ロクサーヌが手伝ってくれれば大丈夫だ﹂
﹁えっと。何をすればよろしいのでしょう﹂
デュランダルを出して、迷宮に飛んだ。
玄関も開けずに仕事場直行とか。まじ便利。
﹁じゃあ、魔物を探して﹂
朝からワープを繰り返したため、ちょっと気が重い。
MPの使いすぎだろう。
﹁はい。それでは、装備品を貸してもらえますか﹂
﹁一匹か二匹狩るだけだから﹂
599
﹁いけません。迷宮では何が起こるか分かりません。準備は怠りな
くやるべきです﹂
ロクサーヌに促され、皮の帽子と皮のグローブを着ける。
めんどくさい。
ロクサーヌがすぐに見つけたミノ二匹の団体をデュランダルで屠
り、MPを回復した。
ロクサーヌ、まじ便利。
帰ってきてから、排水口のある二階の部屋に水がめを四つ並べ、
その上にウォーターウォールを作る。
一回の魔法で、満杯とはいかなくても半分以上は水が溜まった。
効率はあまりよくないが、しょうがないだろう。
昼過ぎに家具が届き、少しは住居らしくなった。
一応人の住める場所になっただろうか。
二階の一部屋を寝室と定め、ロクサーヌと二人でベッドを運ぶ。
クローゼットは他の部屋に置いたので、ひどく殺風景だ。
壁紙もない広い部屋の真ん中に、ベッドだけが一つ置かれている。
ロクサーヌがシーツと布団カバーを用意し、ベッドの横にマット
を敷いて、多少は寝室らしくなっただろうか。
﹁やはり最初になすべきことは、ベッドの使用感を確かめることだ
と思うのだが、どうか﹂
ロクサーヌを軽く抱き寄せ訊いてみる。
﹁え? は、はい⋮⋮んっ﹂
600
肯定と受け取って、唇をふさいだ。
そっと舌を差し入れても受け入れてくれたので、勘違いではない
だろう。
ベッドに寝かせて、使用感を確かめる。
もちろんベッドの使用感は最高でした。
何の使用感だか、分かったものではない。
その後、二人で夕食を作った。
時間もないので、クーラタルの迷宮には行っていない。
話だけを聞く。
クーラタルの迷宮は、もっとも古くから存在しており、どこまで
の大きさがあるのか、最上階のボスを倒した人はいないので、知ら
れていない。
一般に、迷宮は五十階層の大きさになると、入り口を出して人を
誘うようになるそうだ。
その後も、人を消化しながら、ゆっくりと成長していく。
クーラタルの迷宮の最高到達記録は九十一階層。
それも初代皇帝パーティーが成し遂げたという伝説的記録であり、
現状では八十階層台まで行ければ十分に一流と認められるらしい。
迷宮のどの階層にどの魔物が出るかは、ある程度の決まりはある
ものの、迷宮ごとに異なる。
クーラタルの迷宮は、一階層がコボルト、二階層がナイーブオリ
ーブ、三階層がスパイスパイダー。
コボルトは弱くて初心者向きなので、クーラタル迷宮の一階層は
601
新しく迷宮に入ろうとする者の見学先として人気があるらしい。
以上、ロクサーヌが料理を作りながら教えてくれた。
ロクサーヌは寸胴鍋で野菜シチューを作り、俺は中華鍋で肉を炒
める。
味は、食べられないほどではなかった、とだけ。
野菜シチューなんかはもっと煮込めばよいのだろうが、ガスコン
ロでなく柴木を使うこのキッチンで長時間煮込むのは現実的でない
だろう。
誰かが火の前にいてずっと見張っていなければならないし、それ
では迷宮に入れない。
つまり、俺の肉炒めがもっとがんばらないといけなかったという
ことだ。
初日なのでしょうがないといえばしょうがない。
調味料や香辛料もいろいろと探してみるべきだろう。
この世界ではおそらく、美食は一日中料理だけをしていればいい
コックを雇えるような富裕階層の特権だ。
化学調味料も固形ダシも粉末のスープの素もないのだし。
夕食後にお湯を沸かしたところで日没。
薄暗い中、ロクサーヌの身体を拭いた。
﹁蝋燭が一本あるが﹂
﹁燭台がありません﹂
蝋燭、燭台、蝋燭消しはセットで必要なものらしい。
602
知らなかった。
確かに、ケーキにローソクを立てるようなわけにはいかないよな。
﹁今日買っておけばよかった﹂
﹁すみません。蝋燭は安いものではないので、必要ないかと思いま
した﹂
まあロクサーヌの胸の弾力は視覚に頼らずとも楽しめる。
手のひらに与えるどっしりとした重量感。
収まりきれずにこぼれだしそうな躍動感。
柔らかく、なめらかで、拭こうとした手を押し返してくる弾力も
ある。
むしろ視界に頼らない分、神経を手のひらに集中させることがで
きた。
明かりがないので恥ずかしくないだろうから、前の方も拭かせて
もらう。
昼間にベッドの使い心地を試しているが、関係ない。
夜は別腹だ。
603
地図
ロクサーヌに抱きついたまま目覚めるのは気持ちがいい。
まどろみながらロクサーヌの抱き心地を味わうのも快い。
﹁ん⋮⋮﹂
そして目覚めたとき、ロクサーヌからキスをしてくれるのは最高
の気分だ。
ロクサーヌの口づけは、柔らかく、甘い。
舌をうごめかせながら、徐々に頭を起動させる。
ひとしきりロクサーヌの口を吸った後、ゆっくりと唇を放した。
﹁おはようございます、ご主人様﹂
﹁おはよう、ロクサーヌ﹂
目を開けるが真っ暗だ。
装備品も含め、着るものは全部ベッド横のマットの上に置いてあ
る。
生活の知恵らしい。
暗い中、感覚だけを頼りに全部着けた。
迷宮に行くのをおろそかにするわけにもいかないし、他にやるこ
ともない。
いや。やることはあるのだがあまりそういうわけにも。
604
一日だけなら、ちょっとだけならと思わなくもないが、どこかで
歯止めは必要だ。
今の俺なら誰はばかることなく二十四時間ロクサーヌとベッドの
中ですごすことができる。
淫靡で自堕落な生活には憧れるが、ブレーキが効かなくなるだろ
う。
せめてもう一度キスを。
ワープで移動する前に、ロクサーヌを抱き寄せた。
ロクサーヌの舌を絡め取り、吸い込む。
﹁んん⋮⋮﹂
ロクサーヌが軽くうめくが、拒否するような様子はない。
唇で甘噛みするようにロクサーヌの舌を圧迫すると、ロクサーヌ
は俺の口の中で舌をちろちろとうごめかせた。
ベイルの迷宮から帰って食事をしながら、ロクサーヌと会話する。
﹁このおひたしはなかなか旨いな﹂
﹁ありがとうございます。ハムエッグもとても美味しいです﹂
朝食は、買ってきたパンと、ロクサーヌが作った何かの葉野菜の
おひたしと、俺が作ったハムエッグ。
おひたしは塩茹でして酢であえたもの、ハムエッグは焼いただけ
という、極めてシンプルな料理だ。
シンプルな分、味は悪くない。悪くなりようがないというところ
か。
煮込んでブイヨンを採ったりするのは難しいのだから、こういう
605
料理にすべきなのだろう。
﹁パンはこっちにして正解だったな﹂
昨日の夕食の一個二ナールのパンはパサパサしてあまり美味しく
なかった。
ケチっても駄目ということだ。
迷宮帰りに買った今日のパンは一個八ナール。それをロクサーヌ
と半分ずつ食べる。
﹁ですが、私も同じものをいただいてよろしいのでしょうか﹂
﹁迷宮に入ってもらう以上、体が資本だからな﹂
﹁ありがとうございます。がんばります﹂
卵は一個五ナールを一人二つ、ハムは、百ナールの燻製肉の塊か
ら切り出したから、一人分十五ナールと考えて、全部で一人前三十
ナールくらいか。
おひたしの葉野菜は、昨日の野菜シチューに使ったものとあわせ
て、一山数ナールだ。
この世界では結構豪華な部類に入る食事だと思う。
ハムだって、切って焼いただけでこれだけ旨いのだから、塩も香
辛料も効いた高級品だろう。
量も多めだ。
一日二食のこちらの生活にも慣れてきた。
朝食は日が昇ってから、夕食は日が沈む前に。
時間があくので、朝食前は結構腹が減る。
食事に関しては、妥協するつもりはない。
606
江戸時代の日本人と現代の日本人とでは平均身長が二十センチく
らい違うという。
DNAに違いはないのだから、栄養がいかに大切か分かろうとい
うものだ。
一日二食だし、甘いものはそれほどないし、迷宮にも入っている
のだから、太ることはそれほど考えなくていいだろう。
﹁今日はクーラタルの迷宮に行ってみたいと思う﹂
食事をしながら、予定についても話す。
﹁かしこまりました﹂
﹁後は、部屋が殺風景なのをなんとかしたいが﹂
なにしろ家具がいくつか置いてあるだけだ。
﹁絨毯を飾ればよいと思います﹂
﹁絨毯を、飾る?﹂
﹁はい﹂
﹁敷くんじゃなくて?﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌによれば、絨毯を敷くのは金持ちだけらしい。
普通の家では絨毯は壁掛けとして使うそうだ。
文化の違いか。
まあ壁紙がない世界だから、いい装飾品なのだろう。
﹁絨毯となると帝都か。ロクサーヌは帝都に行ったことある?﹂
﹁残念ながらありません。私は家の掃除をしたいので、その間に行
かれてはどうでしょうか﹂
607
﹁じゃあ、午前中はちょっと帝都に行ってみるか。クーラタルの迷
宮は午後からで﹂
﹁かしこまりました﹂
クーラタルの迷宮にワープするにはどうせ一度は俺が中に入らな
ければならない。
帝都の帰りがけに寄ればいいだろう。
朝食の後、家から帝都の冒険者ギルドにワープした。
帝都をぶらついて、どこにどんな店があるか確認する。
帝都は広く、あちこちに様々な店があった。
クーラタルにある店は、ほとんど探索者相手なので、店の数も商
品の種類も多くはない。
装備品や、ドロップアイテムの買い付けも兼ねた食材屋などが中
心だ。
多くの店や商品が集まるのはやはり帝都らしい。
絨毯屋、服屋、調味料屋などを見つけ、場所を覚える。
見るだけで買いはしなかった。
買うときにはロクサーヌを連れてきた方がいいだろう。
それに、場所柄なのかたまたまなのか、高そうな店しかない。
服屋なんかも、クーラタルにあるのを田舎の洋品屋とすれば帝都
にあったのは銀座の高級ブティックだというくらいに違いがある。
見るからに高そうだ。
一階なのに段差があって何段か上がるようになっているし、入り
口にはマットが敷いてあるし、中は広々としているし。
奥には生地が置いてある。
608
オートクチュールってやつだろう。
帝都だからなのか、冒険者ギルドのある一角が特別に高級店ぞろ
いなのかは知らない。
おかげで高級品の絨毯を売っている店が見つかったのだからよし
としよう。
昨日あれこれ買いそろえたので残金も心もとない。
金貨は二枚残っているが、銀貨は残り百枚を切った。
帝都からの帰りがけ、その少ない銀貨の中から入場料一枚を払お
うと騎士団詰め所に並ぶ。
﹁迷宮攻略地図もいかがっすかー﹂
騎士団詰め所ではクーラタル迷宮の攻略地図も売っていた。
商売っ気の多い騎士団だ。
台の上に、茶色い粗末な紙が並んでいる。
紙には簡単な矢印が書いてあって、地図になっているようだ。
﹁階層別の攻略地図は一枚二十ナール、全階層がそろった冊子は一
冊千ナール、羊皮紙の謹製本は二万ナールになりま∼す﹂
とりあえず分かることは、二万ナールは高い。
地図を一枚一枚買いそろえるよりは冊子を買った方が安いだろう。
九十一階層は攻略できていないはずだから、全階層という冊子が
九十ページなのか九十一ページあるのかは知らない。
しかし、どうにもペラッペラの小汚い紙だ。
それほど時間が経たないうちにボロボロになるのではないだろう
609
か。
冊子で買っても無駄になる可能性がある。
一枚一枚買うべきか、冊子を買うべきか。
﹁この冊子もくれ﹂
冊子にすることにして、差し出した。
一階層から順に地図を買っていくと、こちらの攻略状況をかんぐ
られる可能性もある。
地図だけ買って迷宮に入らないのも、変に思われるだろうし。
きちんと保管しておけばすぐ駄目になることもないと期待しよう。
﹁ええっと⋮⋮。全部で銀貨十一枚になります﹂
騎士が悩みながら伝えてくる。
三割引は効かないようだ。
騎士なのに売り子までさせられて、大変ではあるのだろう。
入場料とあわせて銀貨十一枚を払った。迷宮の入り口に向かう。
迷宮入り口には案内の探索者もいた。
クーラタルの迷宮の案内をする探索者は、初代皇帝の偉業を今に
伝える者なので、格が高いらしい。
今は九十階層を突破できるパーティーはないが、行くだけならば
九十一階層にも行ける。
案内をする探索者が代々伝えてきたからだ。
この探索者に金を払って三階層か四階層に飛んでもいいが、将来
何かのときに必要になることがないとも限らないから、一階層から
入る。
610
前のパーティーに続いて、迷宮に入った。
中はベイルの町近くの迷宮と変わりがない。
殺風景の見慣れた洞窟だ。
違いは、クーラタルの迷宮には人が多いということだ。
結構そこかしこに人がいる。
こんなんで狩になるのだろうか。
先の方に進んでも、人影が途絶えることはなかった。
なるべく人の少ないところで、ワープと念じ家に帰る。
探索者がダンジョンウォークを使うことは何もおかしくないので、
無詠唱がばれなければ問題ない。
﹁ただいま、ロクサーヌ﹂
﹁お帰りなさいませ、ご主人様﹂
家に帰った俺をロクサーヌが迎えた。
拭き掃除の手を休めて、頭を下げる。
これでメイド服だったら完璧だったのに。
まあかなり高価な衣装だったので、実作業をするときに着ないの
はしょうがない。
﹁そういう挨拶って、ベイルの商館で習ったのか﹂
ロクサーヌの立ち居振る舞いは堂に入ったものだ。
誰にも教えられずに身につけたということはないだろう。
奴隷商人の下にいた時代のことは、少なくとも愉快な思い出では
ないだろうから、あまり思い起こさせたくはないが。
611
今回はあえて訊いてみた。
次の奴隷を買うときにも必要な情報だろうから。
﹁はい、そうです。おかしいでしょうか﹂
﹁いや。すばらしい﹂
やはり奴隷商人のところで覚えたらしい。
近くに寄って、イヌミミをなでる。
﹁はい。ありがとうございます﹂
﹁クーラタルの迷宮にちょっと行ってきた。あそこは人でいっぱい
だな﹂
すぐに話題を変えた。
﹁クーラタルの迷宮は、攻略地図が誰でも簡単に手に入り、人が多
いので魔物が大量に湧く小部屋に遭遇する危険があまりありません。
倒される魔物も人も多いので魔結晶や宝箱が多く出ます。お金を払
っても、それ以上の恩恵があるとされています﹂
﹁倒される魔物が多いと魔結晶が多いのは分かるが、宝箱はなんで
だ﹂
魔結晶は魔物を形作っていた魔力が集まってできる。
人が多くいてたくさん魔物が倒されれば、魔結晶も多くできるの
だろう。
﹁魔物に倒された人が着けていた装備やアイテムボックスの中身が
宝箱の実体だといわれています﹂
うーん。なんかひどい話のような。
612
身もふたもない。
人が多ければ倒される人も多い。
だから宝箱がたくさん出る。
その宝箱を目当てにますます人が集まる、ということか。
﹁しかしあれだけ人がいて、狩になるのか﹂
﹁クーラタルの迷宮は相当に広いので、奥へ行けば人も少なくなり
ます。それに、一階層は初心者が多いので、周りに人がいた方が安
全なのです﹂
﹁それもそうか﹂
﹁上に行けば、人はだんだん減っていくはずです。あるいは、人の
少ない夜中に探索するという手もあります﹂
惑星の裏側から飛んできたりしたら、向こうは昼間だが。
さすがにそんな遠くからは来ないのか。
フィールドウォークで飛べる距離にも限界があるかもしれない。
﹁じゃあクーラタルの迷宮に行くのは明日の朝にして、今日はベイ
ルの迷宮に行くか﹂
﹁かしこまりました﹂
その後、掃除などで使った水を補給して、ベイルの迷宮に行った。
帰ってから魔法で水を作るが、まだ足りない。
夕食用、トイレ用、寝る前の湯浴み用と、必要な水は多い。
﹁悪い。ちょっと手伝って﹂
MPをかなり消費したので、ベイルの迷宮の四階層に飛ぶ。
ロクサーヌの案内にしたがって進むと、ミノ二匹、グリーンキャ
613
タピラー一匹の団体がいた。
糸を吐かれると厄介なので、まずグリーンキャタピラーから片づ
ける。
ミノ二匹はロクサーヌが相手をして。
と思ったら、うち一匹が俺を狙っていた。
ツノが振られる。
あわてて避けたが、かわしきれなかった。
デュランダルを握っていた左手人差し指が、ツノとデュランダル
の間にはさまってしまう。
いってええぇぇ。
思わず涙が出るくらい痛い。
打ちどころが悪かった。
ジンジン響いてくる。
報復のため、ミノ二匹を思いっきり斬りつけた。
八つ当たりだ。
分かっている。油断した俺が悪かった。
少し狩るだけだからと、皮のグローブもはめていない。
ロクサーヌには皮のミトンを渡したが、自分に着けるのはさぼっ
ていた。
魔結晶もアイテムボックスに入れたままだ。
これはしょうがない。
デュランダルを出すときには、結晶化促進と獲得経験値のスキル
から削っている。
614
必要経験値は、どういう風に働くのか仕様が分からないので、な
るべくいじらないようにしていた。
例えば、魔物を二十匹倒してレベルが一上がるとしよう。
必要経験値十分の一をつければ、魔物二匹でレベルが上がる計算
だ。
では、必要経験値のスキルをつけずに一匹倒し、必要経験値十分
の一をつけてもう一匹倒したとき、どうなるだろうか。
逆に、必要経験値十分の一をつけて一匹倒し、必要経験値のスキ
ルをつけずに十匹倒したら、レベルは上がるのだろうか。
ある程度の感触は得ているが、厳密に検証しようとすると大変だ。
二階層より上では魔物の種類と数を完全にそろえることはできな
いし、一匹の魔物の経験値がすべて同じとも限らない。
検証するときにデュランダルをつけたりはずしたりはできないか
ら、武器六をつけたままでの検証になる。
それでは必要経験値や獲得経験値のスキルに多くのボーナスポイ
ントを回すことができない。
下手をすれば魔物を何十何百と狩ることになるだろう。
そこまでして検証するメリットがあるだろうか。
魔物を二十匹倒してレベルが一上がるときに、必要経験値のスキ
ルをつけずに一匹倒し、必要経験値十分の一をつけてもう一匹倒し
ても、多分レベルは上がらない。
それが分かればとりあえず十分ではないだろうか。
後は、無駄になる可能性を考えて、必要経験値のスキルをなるべ
く動かさないようにすれば、それでいいだろう。
615
迷宮から家に帰ってきた。
指がまだ痛い、ような気がする。
慣れのせいか、隙があった。侮っていた。
やはり迷宮は恐ろしいところだと、いい教訓になったろう。
人差し指を見てみるが、一応、何ともないようだ。
あの痛みから察するに内出血ぐらいはしていたかもしれないが、
デュランダルのHP吸収で治ったのだろう。
﹁どうかしましたか﹂
指を見つめる俺に、ロクサーヌが訊いてきた。
﹁ちょっとかすってしまった﹂
﹁大丈夫ですか﹂
割と心配そうだ。
ロクサーヌの忠告を無視して皮のグローブをつけなかった俺が悪
いのに。
﹁大丈夫ではないな。ちょっとなめてもらえるか﹂
そんなロクサーヌの眼前に、人差し指を差し出す。
﹁え⋮⋮あ、あの⋮⋮﹂
ロクサーヌは戸惑ったようだが、特に拒否するでもない。
いけそうだ。
そう判断して、指を口元に近づけた。
616
ロクサーヌが唇を開く。
淡い薄紅色の唇がゆっくりと隙間を広げた。
深紅の中身がさらされる。
真っ赤な舌が艶かしい。
ロクサーヌが指に顔を近づけ、唇を閉じた。
人差し指がふわりとした感触に包まれる。
しっとりとして温かく、そして柔らかだ。
肉厚の舌が優しく絡みつき、俺の指を包み込んだ。
ロクサーヌが瞳を閉じ、俺の指をしゃぶる。
ロクサーヌの栗色の睫毛は、狼人族のせいか、量が多く、長い。
妖艶というほどではないが、華麗だ。
しっかりと化粧をした大人の女性という趣があった。
俺は指を動かさず、ロクサーヌのするがままにまかせる。
人差し指の周りをロクサーヌの舌が何度か往復した。
優しく絡みつくようにこすられる。
穏やかで慈愛に満ちた口の中で、人差し指が癒された。
再び薄紅の唇が開かれ、深紅の口の中が見える。
指と口蓋の間に白い糸ができるが、舌が動き、なめとった。
ロクサーヌの顔がゆっくり離れていく。
追撃したくなるのをかろうじてこらえた。
これは追撃したくなる。
ロクサーヌ、あんたなんちゅうことを。
﹁う、うむ。完璧なまでに痛みが引いた。ありがとう﹂
﹁はい⋮⋮﹂
617
ロクサーヌが恥ずかしげに顔を背けた。
﹁これは何かのスキルか﹂
﹁いいえ。違います﹂
﹁それにしてはすごいな。治癒魔法レベルだ﹂
﹁そんなことはないと思います﹂
﹁いや、絶対にすごい。これからも何かあったら、頼む﹂
﹁⋮⋮あ、あの⋮⋮はい﹂
褒めちぎり、最後にはまたやってもらうことを認めさせる。
すごいことをしてもらった。
油断して痛い目にあってしまったが、これでプラマイゼロ、むし
ろ差し引きプラス、怪我の功名だ。
618
地図︵後書き︶
舌でなめて傷を治すスキルは、﹃はいぱーわんこすとーりー﹄作者
のaketiさんからいただきました。
ロクサーヌはそんなスキルを持っていません。
619
クーラタルの迷宮
翌朝、クーラタルの迷宮に入った。
暗い中装備を整え、一階層入り口の小部屋にワープする。
空いていると期待した割にはすぐ見える場所に人がいたが、入り
口の小部屋はダンジョンウォークでも移動できるので問題はない。
﹁ええっと。まっすぐ前みたいですね﹂
ロクサーヌにも見せ、攻略地図を確認した。
地図は、階層全域が載っているわけではなく、二階層へ通じる壁
への順路を示しただけの簡略な攻略図だ。
それ以外の情報があるわけでもなく、しかも紙質も悪い。
﹁しかし大丈夫かね、これは﹂
﹁パピルスですね﹂
﹁パピルス?﹂
﹁はい﹂
おおっ。これがパピルスなのか。歴史の授業で習った。
茶色でごわごわした薄っぺらい紙。いや紙もどきか。
いかにもすぐに破れそうだ。
初めて見た。
片面にしか書いてないのは、裏も使うと破れそうだからか。
あるいは、ばらで売っている地図を九十枚まとめただけだからな
のか。
620
昨夜のうちに紐で閉じられているだけの冊子を解き、一階層から
三階層までの地図をリュックサックに入れておいた。
全階層の攻略地図があるという冊子は九十階層まで九十枚。
階層を示すだろう数字が書いてある。
一から三までの数字はベイル亭で覚えた。
﹁結構人がいるな﹂
﹁一階層だと特に、時間をずらして入るパーティーもいるみたいで
す﹂
﹁ふうん﹂
﹁それに、お金を払うので、無理して長時間こもる人も多いそうで
す﹂
早朝だというのに、結構人は多い。
昨日の昼よりは少ないという程度だ。
というか、前のパーティーも地図を見ているらしく、常に二、三
十メートルほど前を進んでいた。
地図いらなかったじゃん。
地図どおりに進み、ボス部屋に到着する。
ベイルの町の迷宮の軽く三倍以上は歩いた。
やはりクーラタルの迷宮は広いようだ。
人には会ったが、魔物には遭っていない。
ボス部屋横の待機部屋にも何組かパーティーがいた。
多少待って、順番が巡ってくる。
一階層ボスのコボルトケンプファー戦は、正面をロクサーヌが受
け持ってくれたので、非常に楽だった。
ロクサーヌが敵の攻撃をかわしている間に後ろからデュランダル
621
で体力を削るだけの簡単なお仕事です。
二階層は一転してまったく人がいない。
何度も魔物と遭遇した。
ただ、いつ人に見られるか不安なので、魔法は使わずに全部デュ
ランダルで倒す。
ボス戦はやはりロクサーヌと前後から挟撃して。
デュランダルで体力を削るだけの簡単なお仕事です。
﹁三階層って二階層より人多くない?﹂
﹁そうですね。二階層の半分はコボルトなので﹂
﹁あー。なるほど﹂
二階層の魔物と戦えるくらい力をつけたなら、もうコボルトはお
いしくないということだろう。
それで二階層には人がいなかったのか。
﹁コボルトは弱くて初心者向きの魔物なので、コボルトが出てくる
クーラタルの迷宮の一階層には人が集まります。しかし、二階層の
魔物も半分はコボルトになってしまうので、二階層には人気があり
ません。三階層になるとコボルトも減るので、人が増えます﹂
三階層は一階層ほどではないが何度か人に出会った。
デュランダルを使っているところもできれば見られたくないが、
しょうがない。
ボス戦は、やはり正面はロクサーヌが担当するので後ろからデュ
ランダルで叩くだけの。
三階層のボス、スパイススパイダーはペッパーを残した。
622
﹁おお。胡椒だ、胡椒。確か金と同じ重量で取り引きされるという﹂
﹁まさか。そんなに高くはありません﹂
勝手な思い込みだったらしい。
考えてみれば肉料理に結構使われていた。
特殊なレアアイテムというわけではなく、スパイススパイダーを
倒せばいつでも手に入るのだろう。
ぬか喜びか。
四階層に移動する。
﹁混み具合はどうだ﹂
﹁そうですね。三階層よりさらに少なくなっています。奥の方まで
行けば、誰にも見られずに狩ができるでしょう﹂
﹁では、奥まで行くか﹂
攻略地図も持ってきていないし、今四階層をクリアするつもりは
ない。
クーラタルの迷宮には攻略地図があるからどんどん上の階層に行
けばいいようにも思えるが、そういうわけにはいかない。
必ずどこかで壁にぶち当たる。
今のレベルではとても攻略できない階層、倒せないボスがいるは
ずだ。
それがどこかが分からない。
もっと上の階層かもしれないし、五階層のボスかもしれない。
ほいほいと進んでいけば必ず危険なことになる。
だから、ベイルの迷宮の探索を自力で進め、クーラタルの迷宮の
進行状況はそれにあわせることにしていた。
623
ロクサーヌがもう人がいないというところまで進み、小部屋を見
つけて、朝の探索を終了する。
家に帰り、朝食を作った。
今日俺が作るのはシェーマ焼きだ。
シェーマというのは、香味野菜っぽい何かの葉っぱ。
これで肉を巻いて焼くらしい。
肉を包丁代わりのジャックナイフで叩いて下ごしらえをする。
コボルトソルトとペッパーをミルで砕いたもので塩コショウし、
シェーマで巻く。
中華鍋にオリーブオイルをひいて、焼く。
オリーブオイルはクーラタル迷宮の二階層に出てきた植物魔物ナ
イーブオリーブのドロップ品だ。
コボルトソルトはコボルトの、ペッパーは三階層ボスの落し物で
ある。
味の方もまずまずだった。
シェーマの味はピリ辛系。葉唐辛子みたいな感じか。
ここまでできればとりあえず上出来だろう。
朝食の後、クーラタルの街中にある服屋へ行く。
俺もロクサーヌもほとんど一張羅だから、いつまでもこのままと
いうわけにはいかないだろう。
俺にはジャージが、ロクサーヌにはメイド服もあるが。
帝都にある高級ブティックは、ロクサーヌにはともかく俺には必
要ない。
624
﹁上下二着ずつくらい買っておくか?﹂
﹁ここは新品の服を売っている店だと思いますが、よろしいのです
か﹂
店の入り口でロクサーヌが訊いてきた。
俺の外套が中古品みたいなのだが、中古品というのは、現代日本
人としてはどうもあまりぴんとこない。
ジーンズのヴィンテージとかなら逆に高そうだ。
﹁別にいいんじゃないか﹂
﹁奴隷には中古の服を着せるのが一般的だと思います﹂
なるほど。貴族↓庶民↓奴隷という流れなのか。
金持ちや貴族が新品を買って、数回着て中古に売る。庶民がそれ
を買って、着たおして、また売る。それを奴隷が、と流れていくの
だろう。
﹁かまわないだろう。好きなのを選べ﹂
背中を押して、ロクサーヌを店に入れた。
服の上下といっても、あまり種類はない。
上はだぼだぼのチュニックかシャツ、下もやはりだぼだぼのズボ
ンがほとんどだ。
ちなみに、チュニックというのは頭からかぶるタイプ、シャツは
前開きで袖を通して着るタイプのものを、俺が勝手にそう呼んでい
る。
村人の女性は裾の長いスカートをはいていたりもするが、迷宮に
入るような女性はみんなズボンをはいていた。
625
そんな少ない種類の服を、ロクサーヌが丹念に選んでいく。
ロクサーヌの分だけでなく、俺の服も一着一着細かく見ていった。
ときおり俺の体に服を合わせ、﹁これはどうでしょう﹂とか﹁こ
れは色が﹂とか駄目出ししている。
服を買って店を出たとき、日は頭上を過ぎていた。
借りた家は、町の中心から見ると東側にある。
半日くらいはかかるかもしれないと覚悟していたら、本当に半日
以上かかってしまった。
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
﹁俺の服も選んでもらって、ありがとうな﹂
まあロクサーヌのこの笑顔が見られただけでよしとしよう。
服代は全部で千五十ナール。特に高いということもないだろう。
﹁服を買ったので洗うために大きめの桶がほしいのですが、よろし
いですか﹂
帰りがけ、途中にある木製品を扱う雑貨屋をロクサーヌが指差し
た。
一つものが増えると、付随して必要なものが増えてしまうようだ。
﹁いいだろう﹂
店に入ると、入り口横に桶やたらいが並んでいる。
ロクサーヌが大きめの桶を選んで俺に渡した。
﹁らっしゃい﹂
626
﹁たらいというのは、これが最大か?﹂
出てきた職人に、直径が一メートル弱くらいある店頭で一番大き
なたらいを示して訊いてみる。
この雑貨屋は、店といっても奥で職人が木を加工している工房だ。
ここなら、アレが手に入るかもしれない。
﹁特注で作ることもできるぜ﹂
﹁頼む人もいるのか?﹂
﹁おうともよ。大きな布を何人かで手分けして洗う場合なんかに使
われることがある﹂
﹁できるのか﹂
何がほしいのかというと、バスタブだ。
せっかく家を借りたのだから、次は風呂場をなんとかしたい。
この世界では一部の金持ちを除いて風呂に入る習慣はないらしい。
水を運んで火をたいて、となるとコストもかかる。
春なのでまだ分からないが暑くもなく湿ってもいないので、気候
的にもどうしてもということはないのだろう。
俺だって、日本にいたときにはほとんどシャワーだったし、どう
してもというほどではない。
たまには入りたい、という程度だ。
しかし、今の俺なら事情が異なる。
今俺が風呂に入るとすると、ロクサーヌがついてくる。
俺が風呂に入るということはロクサーヌも一緒に入るということ
だ。
627
ロクサーヌも入るのだから、風呂に入りたい。
というか、ロクサーヌと一緒に入りたい。
ロクサーヌと一緒に湯船につかって、ロクサーヌに洗ってもらう。
じゅるり。
これはもう風呂を作るしかないわけだ。
なんとしても、風呂は作らなければならない。
絶対に作らなければならない。
クリーク
いらないと言うのか?
よろしい、ならば戦争だ。
しかしどうやって作るのか。
それが問題だった。
家具屋でもクーラタルの他の店でも湯船は見たことがない。
家の内装は勝手にいじっていいと世話役のおばちゃんから言われ
ているので、業者に頼むという手もあるが、ごまかすのが大変だ。
俺は水も火も魔法で用意できるが、それを明かすことはやめた方
がいい。
水を井戸や川から持ってくる、柴で湯を沸かす、となれば、本来
なら相当なコストになるだろう。
風呂好きの趣味人ということで、納得してもらえるものだろうか。
業者に頼むとしても、ボイラーは必要ない。
ファイヤーボールで水を温められることはすでに検証済みだ。
必要のないものを作ってもらうことはないが、どうやっていらな
いと断るのか。
628
湯船はDIYで素人にも作れるものなんだろうか。
などと考えていたのだが、たらい職人が作ってくれるらしい。
案ずるより産むがやすしだ。
﹁実績もあるので、間違いのないものを作れると思うぜ﹂
﹁そうなのか﹂
﹁どの程度の大きさのものがいるんだ﹂
﹁人の高さよりも少し大きいくらいのものがほしいが、可能か﹂
葛飾北斎の絵に描いてあったようなやつ。
﹁大丈夫だ。深さは普通サイズでいいか﹂
﹁そうだな。これくらいでいい﹂
置いてあるたらいの中で一番深いサイズのものを指差す。
せっかく他の需要もあるというのに、変なものを頼んでは目的が
疑われてしまう。
深さは五十センチをちょっと切るくらいだろうか。
底の厚みがあるから、実際にはもう少し浅いか。
目的はただ風呂に入ることではなく、ロクサーヌと一緒に入るこ
とだ。
それなりの大きさがなければいけない。
ただし、広い分、浅くてもいいだろう。
深い風呂は心臓によくないというし。
﹁うむ。⋮⋮そうだな、二千ナールほどかかるが、いいか﹂
職人がしばらく考えてから値段を提示した。
思ったより断然安い。
629
まあ、他のたらいは、二十ナールとか、いっても百ナールもしな
いような値段なのだから、それに比べればうんと高いが。
﹁頼む﹂
﹁受注生産になるので、五日ほどもらうぜ。できあがったら、連絡
に使いをやる。都合のいい日にこっちから届けよう﹂
送料はジャパネットが負担してくれるようだ。
ちなみに、この世界の都市にはちゃんと住所がある。
クーラタルの六区、七丁目、百二十三番地が借りている家の住所
だ。
﹁分かった。これももらおう﹂
﹁ありがとよ。そっちは五十ナールだ﹂
ロクサーヌが選んだ洗濯桶を見せる。
職人はジョブ村人なので、三割引は効かなかった。
﹁大きなたらいを、何に使うのですか﹂
﹁まあ楽しみにしていろ﹂
服をロクサーヌに持たせていたので、桶は俺が持って家に帰る。
家に帰り、買ってきたばかりの服に着替えた。
﹁服は洗濯します﹂
﹁そうだな。だいぶ時間も使ったので、今日は迷宮に入るのは休み
にしよう﹂
﹁かしこまりました。それでは、あいている時間に掃除も進めます
ね﹂
630
日の出前に迷宮に入ったのは別カウント。
洗濯用と掃除用と夕食用と湯浴み用に水を大量に作り出したので
MP回復のために二回迷宮に行ったのも、数のうちに入らないだろ
う。
洗濯桶でこれだと、湯船に水を張るのがちょっと心配だ。
﹁では夕食は俺が作ろう。メニューはホワイトシチューだ﹂
﹁ホワイトシチュー、ですか?﹂
﹁食べたことないか﹂
﹁ありません﹂
﹁まあ楽しみにしていろ﹂
ホワイトシチューなら、この世界の食材でも作れるはずだ。
まず、寸胴鍋の肉をワインと水で煮込む。
エキスを採るために三十分は煮込んだ。
この世界では、ワインと牛乳は持っていったビンに店で入れても
らう。
紙パックとかペットボトルとかないし。
次にロクサーヌが野菜シチューで使っていたような野菜を加え、
弱火でさらに煮込む。
肉の臭みを取るにはネギがいいが、ネギは犬に毒だ。
ロクサーヌに訊いたところ、食べられない野菜はないと言ってい
た。
ロクサーヌが自分で使っていた野菜だから、問題ないだろう。
煮込んでいる間にホワイトルーを作る。
中華鍋にバターをひいて、小麦粉を炒めた。
そこに牛乳を入れ、とろみが出るまでよくかき混ぜながら弱火で
631
煮る。
ホワイトルーはきっちりとできた。
これでクリームコロッケやクラムチャウダーも作れるはずだ。
グラタンは、オーブンで焼くので難しい。
できたホワイトルーと緑の色合いをそえる葉野菜を寸胴鍋に入れ
る。
最後に、味見をして、塩と胡椒で味を調えた。
成功だ。
ロクサーヌもおいしそうに食べてくれた。
﹁ご主人様、とっても美味しいです﹂
白いものを口の中に入れたまま言うんじゃないといいたい。
632
宝箱
たらいの完成を待つ間、探索を進め、ベイルの迷宮でようやく四
階層のボス部屋に到着した。
ロクサーヌがいると便利だが、探索は進めにくい。
魔物の出た方向が分かっても反対側なら来た道を戻ることになる。
隠し扉の向こう側のにおいは察知しにくいということなので、下
手をすると同じところを行ったり来たりになってしまう。
探索を進めるか、狩を優先するか。
ベイルの迷宮と、人のいない早朝に入るようにしたクーラタルの
迷宮とでもまた異なる。
クーラタルの迷宮は地図があるから、攻略する必要はない。
かといって同じ場所を何度うろついても魔結晶も宝箱も見つかる
はずはないから、ある程度は動かなければならない。
ベイルの迷宮で四階層のボス部屋に到着したのは、少し時間が経
って探索の進め方に慣れたころだ。
四階層のボスはハチノスLv4。ミノと同じような牛の魔物であ
る。
正面はロクサーヌにまかせて、後ろからデュランダルで殴るだけ
の。
と思っていたら、蹴りが飛んできてびびったのは内緒だ。
お返しとばかりにめったやたらと斬りかかる。
右から袈裟がけ、左から袈裟がけ、右下から左上へと逆袈裟に斬
り上げた。
633
真後ろへの攻撃手段も持った恐ろしい敵を打ち破り、五階層に移
動する。
まずロクサーヌが見つけたのはミノLv5だ。
デュランダルを一振りするが倒れない。
さすがのデュランダルも一撃で屠れるのは四階層までのようだ。
知力をアップするジョブが中心で英雄以外には腕力上昇の効果を
持ったジョブをつけていないし、しょうがないだろう。
二振りで倒す。
デュランダルをしまって、次にロクサーヌが見つけたのがチープ
シープだった。
クーラタルの迷宮では四階層に出てくるこの魔物が、ベイルの迷
宮だと五階層から出てくるらしい。
羊といっても結構凶暴そうで、不敵な面構えをしている。
ツノまである。
ファイヤーボールを放つが、懸念したとおり三発では倒せなかっ
た。
これもまあしょうがない。
ロクサーヌが対応している間に横に動き、斜めからファイヤーボ
ールを撃ってしとめる。
三匹出てきたときが大変だ。
一応、ロクサーヌにそう言えば三匹の団体を避けることはできる
が、においで数まで完璧に分かるわけではないので、完全に回避す
ることは無理らしい。
逃げてばかりでいざというときに対応できなくても困るので、積
634
極的に狙っていく。
基本的にはたくさん倒した方が稼げるのだし。
とはいえ、狙っているとなかなか出ないもので、団体でも二匹だ
ったり、三匹いても一匹はコボルトLv5だったりということが続
いた。
コボルトLv5は魔法二発で沈む。
ロクサーヌは宣言どおり、魔物二匹をまったく相手にしなかった。
ミノの攻撃もチープシープの攻撃もかすりもしない。
優雅に、軽々と、ほんの紙一重のところでかわしていく。
﹁ロクサーヌの動きはすごすぎて、手本として参考にすべきなのか、
まねなんかできっこないから参考にすべきではないのか、よく分か
らんな﹂
﹁私程度の動きなら、ご主人様にもできると思います﹂
自己認識もおかしいしな。
ロクサーヌの意見は参考にならないだろう。
ようやく出会った三匹の団体は、チープシープ一匹、ミノ一匹、
グリーンキャタピラー一匹の組み合わせだった。
﹁ロクサーヌ、頼む﹂
まずファイヤーストームを三発お見舞いする。
三発めを放った直後、ミノが追いついてきた。
続いてチープシープとグリーンキャタピラーもやってくる。
ロクサーヌがミノにシミターを入れ、振られたツノを軽く避けた。
635
かわしながら、さらに一撃。
俺も、左に来たチープシープのツノをワンドで受ける。
﹁来ます﹂
ロクサーヌの警告が飛んだ。
横にチラリと視線をやると、グリーンキャタピラーの胸下にオレ
ンジ色の魔法陣ができていた。
糸を吐くつもりだ。
かまうことはない。
俺は動じずに四発めのファイヤーストームを念じた。
グリーンキャタピラーが倒れれば、糸も消える。
ロクサーヌが飛び退くのと、グリーンキャタピラーが糸を吐くの
と、俺が念じた四発めのファイヤーストームが発動するのがほぼ同
時だった。
火の粉が舞う中、白い糸が大きく広がり、周囲を覆いながら伸び
る。
糸が俺に少しかかった。
ときを同じくして魔物三匹も倒れる。
魔物が煙となり、糸も空気に溶けるように消え去った。
﹁ふう。グリーンキャタピラーはこれがあるから厄介だな﹂
息を一つはく。かまえていたワンドを下ろした。
﹁そうですね。今回は二人を狙える位置に巧く回りこまれてしまい
ました﹂
636
ロクサーヌは一メートルくらい後ろに下がっている。
糸はかからなかったようだ。
あれをかわすのか。
﹁糸を吐かれても避けられるか?﹂
﹁どうでしょうか。今回は途中で魔物が倒れて糸が消えたので。消
えなければさらに移動するつもりではいましたが﹂
一メートルも飛び退いているのに、さらに動けるとか。
﹁さすがだな。まあ、糸を吐かれるのと同時に四発めの魔法を撃て
るのなら、五階層はなんとかなるか﹂
﹁はい。三匹出てきてもご主人様が一匹相手にしてくださるのなら、
私も楽に戦えます﹂
二匹を相手にしている時点で楽もないもんだ。
とはいえ、魔物三匹でもなんとかなる。
五階層でも戦えそうだ。
ベイルの迷宮は五階層でも無事戦えたので、クーラタルの迷宮も
五階層に移動することにする。
翌朝、四階層の攻略地図を持って、ボス部屋まで進んだ。
ビープシープ Lv4
これがクーラタルの迷宮四階層のボスらしい。
637
メェメェうるさいだけの普通の羊だ。
凶暴そうな顔つきには慣れた。
ツノがある正面はロクサーヌにまかせる。
攻撃を警戒しながら横に回り、背後からデュランダルで斬りつけ
た。
ビープシープの足元にオレンジ色の魔法陣ができる。
もう一度デュランダルで叩き、中断させた。
﹁ビープシープは何のスキルを持っている﹂
﹁分かりません﹂
ロクサーヌに訊くが、知らないらしい。
グリーンキャタピラーみたいに糸を吐くわけではないだろう。
糸ならばファイヤーウォールで防ぐ手もあるが、どんなスキルか
分からないのでは防ぎようもない。
詠唱中断のスキルがついているデュランダルで斬りつけるしかな
い。
もう一度デュランダルで攻撃したところで、今度は羊が前脚をか
がめた。
これは後脚で蹴りが来る。
ビープシープが後ろを蹴ったところで、大きく飛び退いた。
馬鹿め。
後ろ足で蹴られるのはハチノスで経験済みだ。
ちゃんと見ていれば対応できる。
グリーンキャタピラーの吐く糸から飛び退いたロクサーヌのよう
に、一メートル以上は後ろに下がった。
638
追撃がこないかビープシープの様子をしっかりうかがう。
羊の足元にオレンジ色の魔法陣が浮かんだ。
やばい。
デュランダルを振り上げ、あわてて駆け寄る。
馬鹿は俺だった。
ビープシープは最初からスキル発動の時間を稼ぐのが目的だった
のだ。
こちらが大きく飛び退くよう、わざと力をためるところを見せた
のだろう。
ものの見事に引っかかってしまった。
デュランダルを振り下ろすが間に合わない。
今から念じたのではオーバーホエルミングも間に合わないだろう。
メェメェ啼いていた羊が、ビー、と警告音を発した。
⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
ぐおっ。
いきなり、ビープシープに突き飛ばされた。
二歩、三歩とよろけ、なんとか踏ん張る。
何が起こった?
ロクサーヌも攻撃されたらしい。
639
おなかを押さえている。
瞬間移動?
あるいは無差別同時攻撃?
﹁どうなった﹂
次のビープシープの頭突きは、なんとかデュランダルで受けた。
ツノがあるのにあんな攻撃を繰り返されてはたまらない。
最初の攻撃は皮の鎧にクリーンヒットしたらしい。
それがかえってよかったのだろう。
当たりどころが悪ければ突き破られていた可能性もある。
﹁分かりません。私は突然攻撃を受けました﹂
デュランダルで羊の攻撃をいなし、隙を作る。
ビープシープの攻撃の合間に、ロクサーヌの方を見て手当てと念
じた。
俺はデュランダルで回復できるが、ロクサーヌはそうはいかない。
レベルも低いので、ロクサーヌの回復が優先だろう。
﹁俺も突然攻撃を受けた﹂
﹁ご主人様はずっと動きませんでした﹂
﹁動かなかった?﹂
﹁はい。眠ったように﹂
なるほど。
ビープシープのスキルは敵を眠らせるか気絶させる技なのだろう。
あの警告音とともに意識を失ってしまったのだ。
640
攻撃を入れられて、ようやく意識が戻る。
だから、突然攻撃されたように感じると。
﹁敵を眠らせるスキルか﹂
﹁確かに。そのようです﹂
あのスキルが出ると、最低でも一撃は必ず攻撃を喰らってしまう。
そんなスキルを何度も出させるわけにはいかない。
俺はいつでもデュランダルで攻撃できるよう、魔物に張りついた。
ロクサーヌがどのくらいのダメージを負ったのか、俺には分から
ない。
そもそも、どれだけのダメージを喰らい、どの程度回復したのか、
自分でさえ大体の感覚でしか分からない。
とりあえず三回も手当てをしておけばいいだろうか。
前後が入れ替わってしまったので横に回ろうとする。
羊もツノをこちらに向けたままついてきた。
俺の方がくみしやすいとばれてしまったか。
振られたツノを剣で受け、弾きざまに一撃入れる。
そこにまたツノが振られた。
あわてて腕を引き、攻撃をかわす。
ビープシープが小さくかがみ、半歩下がったところに突進してき
た。
大きくのけぞって、なんとかそらす。
さっきから後手後手に回っているような。
その間ロクサーヌも攻撃しているが、シミターでは大きなダメー
641
ジは与えられないだろう。
羊が小さくかがんだ。
後ろに蹴りを飛ばす。
ロクサーヌは真横に静かに動き、伸ばしてきた脚に攻撃を加えた。
敵の攻撃を避ける見本のような動きだ。
まったく体の軸を動かさず、ゆったりと平行移動している。
ぎりぎりのところでかわしているので、敵を射程外に逃すことも
ない。
大きく飛び退いて隙を作ってしまった俺とは対照的だ。
今の俺も、前に突進してくるかと警戒して攻撃できなかったとい
うのに。
魔物がけん制するように小さく振ったツノを弾き、ようやく一撃
入れる。
ビープシープの頭が右に動いた。勢いをつけて振られる。
今の攻撃は読めた。
のけぞってツノをかわし、隙となった首元にデュランダルを叩き
つける。
柔らかな首をデュランダルが切り裂いた。
ようやく魔物が倒れる。
アイテムを残し、煙となって消えた。
﹁ようやく倒れたか。身体は大丈夫か﹂
﹁はい。何度か回復していただいたので、もう平気です。ありがと
うございます﹂
﹁少しでもダメージが残っていると思ったら、言え。体力の回復は
642
第一に優先させるべきだ﹂
﹁分かりました。そうさせていただきます﹂
デュランダルを出したまま、五階層に移動する。
ロクサーヌの先導で奥に進んだ。
五階層は四階層よりも人が少ないが、それでも結構いるらしい。
コラーゲンコーラル Lv5
クーラタル迷宮五階層の魔物は、このコラーゲンコーラルのよう
だ。
丸っこい岩石型の魔物である。
下から一本足が生えており、ホッピングしながら迫ってきた。
デュランダルで斬りつける。
コーラル
コラーゲンというので硬くないかと思ったが、表面はしっかりと
硬かった。
見た目どおりの岩石か。
いや、岩石ではなくて、珊瑚なのか。
一撃では倒れなかったので、もう一振りして倒す。
コーラルゼラチン
煙が消えてアイテムが残った。
残るアイテムの方は、しっかりコラーゲンらしい。
643
﹁ゼリーでも作るのか﹂
﹁ゼリー?﹂
﹁いや。なんでもない﹂
拾い上げて渡してきたロクサーヌに訊くが、違うようだ。
﹁コーラルゼラチンは接着剤です。お湯に溶かすと粘着力が出ます。
絨毯を壁に貼るときにも使えます﹂
なにやら便利なアイテムらしい。
コラーゲンコーラルLv5も現状魔法三発では倒せなかった。
ゴロゴロと転がりこそしなかったが、近寄ると飛びかかってくる。
ロクサーヌが半身になってかわした。
かわされて着地したところに、四発めのファイヤーボールをぶち
当てる。
﹁飛びかかるのか﹂
﹁そのようですね。飛び上がるタイミングが分からないので、一瞬
ヒヤリとしました﹂
その割には華麗に避けていた。
ジャンプする前に脚を曲げて力をためる動物と違って、コラーゲ
ンコーラルの足は曲がらない。
予備動作が分かりにくいのだろう。
﹁まあ慣れるしかないか﹂
﹁そうですね。よく見れば大丈夫だと思います﹂
俺なら大丈夫な気はしない。
644
コラーゲンコーラルの表面はでこぼこしている。
あれに当たったらちょっと痛いのではないだろうか。
それでもツノのあるチープシープよりは怖くないので、三匹の団
体のときには積極的に俺が受け持った。
体当たり攻撃なので、俺でもなんとかワンドでいなせる。
避けるのではなくワンドで魔物の体当たりを受け流すので、コラ
ーゲンコーラルが飛び上がってから反応しても十分に間に合う。
基本的には一対一だし。
二匹を相手にしても余裕でかわし続ける狼人のことは気にしない
ことにしよう。
気にしたら負けかなと思っている。
そのロクサーヌの先導で進みながら、ときには袋小路にも寄って
みた。
こうして移動していかないと、魔結晶や宝箱が見つからない。
隠し扉が開き、その向こうに小部屋が現れる。
中に入った。
いつもの小部屋だが、真ん中が微妙に盛り上がっているような。
﹁ご主人様、宝箱です﹂
﹁宝箱? これが?﹂
﹁はい、そうです﹂
これが宝箱か。
宝箱というよりも、床がせり上がったただのこぶだ。
そのこぶに、ロクサーヌがためらわずシミターを突き入れた。
罠とかないんだろうか。
645
ミミック
﹁大丈夫なのか﹂
﹁擬態だったとしても、倒すより他にありません﹂
力強い返事をありがとう。
せめてデュランダルを出しているときにしてほしかった。
シミターで床が切り裂かれる。
新聞紙のように大きくめくれた。
皮のグローブ 腕装備
中から、一個の籠手が出てくる。
何の変哲もないただの装備品だ。
なるほど。迷宮内で斃れた人が着けていた装備品が宝箱として出
てくるというのは、本当のことらしい。
軽く黙祷して元の所有者の冥福を祈りつつ、俺は装備品を手にし
た。
646
風呂
クーラタルの迷宮五階層では、魔結晶も見つけた。
偶然に。
コラーゲンコーラル Lv5
コラーゲンコーラル Lv5
魔結晶
チープシープ Lv5
魔物が現れたときに鑑定をしたら、その中に入っていた。
一瞬四匹出てきたのかと思ってあせった。
まずは魔物にファイヤーストーム三発を喰らわせる。
コラーゲンコーラルの体当たり攻撃をワンドでいなし、四発めを
放ってけりをつけた。
﹁戻ったところ、すぐ近くにいます﹂
﹁いや。あそこに魔結晶がある﹂
来た道を戻ろうとするロクサーヌを抑えた。
前に進む。魔物を見つけた辺り。
647
岩肌のような洞窟のくぼみに隠れるように、黒魔結晶が半分埋ま
っていた。
﹁暗くて距離があったのに見つけるなんて、ご主人様、さすがです﹂
﹁たまたま魔物を見つけた辺りにあったからな﹂
﹁それでも、黒い魔結晶は光らないので見つけにくいのです﹂
なるほど。黒魔結晶は光らないのか。
これまでも見逃していた可能性はある。
そうそういつもいつも鑑定ばかりするわけにはいかないが、これ
からは折に触れて何もないところでも鑑定していくようにしよう。
﹁他は光るのか﹂
﹁はい。ぼんやりとですが﹂
最後は白魔結晶になるのだし、光るのだろう。
光る方が見つけやすいには違いない。
﹁黒魔結晶だと、売らずに取っておいて魔力をためるしかないか﹂
﹁えっと。魔結晶は融合できます﹂
ロクサーヌが黒魔結晶を取って、渡してきた。
﹁融合?﹂
﹁はい。二つの魔結晶を押しつけると、簡単に一つになります﹂
﹁そうなのか。融合で魔力が失われることはないな﹂
﹁大丈夫です﹂
予備の魔結晶も何個かは持っておきたいが、試しに使ってみても
かまわないだろう。
648
所詮は十ナールだし。
俺はリュックサックから緑魔結晶を取り出した。
右手の手のひらの上に置き、見つけた黒魔結晶を左手に持って重
ねる。
さしたる抵抗もなく、黒魔結晶が緑魔結晶の中に沈んだ。
手で押すとぐんぐん入っていく。
なんか気持ちいい。
硬くもなく、軟らかくて反応がないのでもない絶妙の抵抗感。
ダンボールに入っているプチプチを手でつぶしていく感じに似て
いる。
ちょっとくせになる。
﹁で、こうなるのか﹂
入りきると緑魔結晶が一つ残った。
見つけたのは黒魔結晶だから十匹分未満の魔力しかなかったはず
だ。
一万匹分以上の魔力がある緑魔結晶の色を変えさせるほどの魔力
はなかったのだろう。
結局、たらいができるまでにベイルの迷宮五階層の探索も終えた。
ベイルの迷宮五階層のボスはすでに一度戦っているビープシープ
だ。
その階層に現れる魔物とボスの組み合わせは、どの迷宮でも同じ
らしい。
ビープシープにスキルを出させるわけにはいかない。
649
ぴったりと張りつき、詠唱中断の効果を持つデュランダルで常に
つけ狙う。
蹴ってきたときにも飛び退かずに剣で受けるようにしたので、隙
は作らせなかった。
スキルさえ封じれば、後は正面をロクサーヌにまかせて、ひたす
ら背中から斬りつけるだけだ。
クーラタルの迷宮の方は、珊瑚魔物には前後の区別がないらしく、
ちょっと苦労した。
それでも二人いれば攻撃してくる回数は半分になる。
デュランダルを振り回してなんとか勝利した。
﹁薬をお返ししますね﹂
ロクサーヌがリュックサックを下ろす。
何が起こるか分からないので、ボス戦の前にロクサーヌに薬を渡
していた。
前回のボス戦から得た教訓だ。
俺が眠らされている間にロクサーヌが毒でも受けたら、大変なこ
とになる。
普通の攻撃に追加効果があるだけなら、ロクサーヌの場合何事も
なく避けるだろうが。
﹁六階層の魔物を見るまでは持っていた方がいいんじゃないか﹂
﹁大丈夫です。クーラタルの迷宮の六階層に出てくるのはミノのは
ずです﹂
ベイルの迷宮の六階層の魔物も、クーラタルでは二階層の魔物だ
ったナイーブオリーブだ。
650
すでに戦ったことのある魔物ならば比較的安心である。
Lv6の魔物も魔法四発で倒すことができたので、六階層での狩
も問題ないだろう。
デュランダルや薬をしまい、六階層へと移動した。
木製品屋からの使いは、約束どおり五日で来た。
すぐに受け取れるというと、一旦引き返し、荷馬車を引いて戻っ
てくる。
﹁でか﹂
そのまま外で待っていたので、荷馬車が遠くに見えたときに思わ
ず口に出してしまった。
大きい。
荷台の上に円形の巨大なたらいが縦に置かれている。
荷台の高さが一メートル、たらいの大きさが二メートルとして、
合計で三メートルもあるのだろうか。
馭者の頭の上からたらいが半分くらい突き出ていた。
同じくらいの高さの家具もあるだろうから、実際は極端にでかい
わけでもないのだろうが、所詮はたらいかと思うと異様に迫力があ
る。
荷馬車が近づき、受け取ってみてもやはり大きい。
本当に二メートルくらいある。
人の高さより少し大きいという俺の注文どおりに作ってくれたよ
うだ。
﹁こちらが注文の品になります﹂
651
﹁板も厚くて、丈夫そうだな﹂
板はかなり分厚いものが使われている。
底の板の厚みも相当あるようだ。
﹁これくらいはないとすぐに壊れてしまいます﹂
運んできた使いの人はそう言い残して帰っていった。
これくらいないと壊れるって。
どれだけ水が入るのだろう。
考えてみよう。
一リットルは千シーシーだ。
一シーシーは一立方センチだから、一センチ×一センチ×一セン
チ。
百センチ×十センチ×一センチで千シーシー、一リットルになる。
一メートルは百センチなので一メートル×十センチ×一センチで
一リットル、一メートル×一メートル×一センチは十リットルであ
る。
面積が縦横一メートルで深さ一センチの容器には水が十リットル
入る。
あれ?
思ったよりだいぶ多いな。
たらいの面積は、半径×半径×円周率だから、直径が二メートル
の半径一メートルとして、三.一四平方メートル。
深さは五十センチとして、三.一四平方メートル×五十センチ×
十リットルは、千五百七十リットル?
652
落ち着こう。
落ち着け。
計算間違いは⋮⋮ない。
再度計算してみたが、間違いはなかった。
このたらいには水が千五百七十リットルも入るのか。
水一リットルは一キログラムだから、千五百七十キログラム。
約一.五トンということになる。
ものすごい水量だ。
トンなんていう重さが日常生活に出てくるとは思わなかった。
それは板も厚くなるわ。
﹁と、とりあえず二階に運ぼうか﹂
﹁はい、ご主人様﹂
ロクサーヌと二人でたらいを二階に上げる。
いや。もうたらいではなく湯船でいいだろう。
重さも結構あるようだが、転がすことができるので無理なく運べ
た。
階段も二人で押せば問題ない。
排水口のある二階の部屋に入れる。
中に入れた後、ロクサーヌと二人して注意深くゆっくりと寝かせ
た。
部屋は八畳間くらいの広さがあるので、湯船を置いても余裕があ
る。
﹁さすがは邸宅だな﹂
﹁えっと。これは何なのでしょう?﹂
653
﹁聞いて驚け見て笑え。これを湯船として利用する﹂
ロクサーヌに宣言した。
入って極楽、水を作るのが地獄だ。
ウォーターウォール一回で十リットルの水が作れるとして、満杯
にするには百五十七回も魔法を念じなければならない。
百五十七回か。
しかも水を作るだけで。
頭が痛い。
﹁湯船というのは、お風呂に使うものですか﹂
﹁そうだ。風呂に入る。早速これから準備したい﹂
﹁かしこまりました﹂
どれだけ時間がかかるか分かったものではない。
準備は早めにしておくべきだろう。
まずは湯船を軽く水洗いし、ウォーターウォールで水がめに水を
ためた。
たまったら、水がめにファイヤーボールをぶち込んで水を温める。
ファイヤーボール一発だとぬるま湯程度、二発で熱湯になる。
準備の間にお湯が冷めることも考え、二発撃ち込んでから湯船に
移した。
最後に熱すぎたら水で薄めればいいだろう。
陶器の水がめと違ってたらいは木だから、湯船に水をためてから
ファイヤーボールを撃つのはやめた方がいい。
燃え移ったら大変だ。
654
湯船にお湯をためながら、魔力を消費すると迷宮に飛んで充填す
る。
大変だ。
﹁これでは風呂に入るのは一週間に一度くらいだな﹂
﹁イッシュウカンですか?﹂
﹁⋮⋮十日に一回か二回だ﹂
何回めかに迷宮にワープしたとき、思わず愚痴が出てしまった。
この世界には週という概念はない。
ロクサーヌから見れば、俺はときおりわけの分からない言葉を話
す変人だろう。
大変な変人である。
途中からは、風呂場の温度が上がってもっと大変になってしまっ
た。
サウナ状態だ。
ロクサーヌは外に待たせ、俺だけが入って作業する。
少しいるだけで汗びっしょりだ。
﹁はい﹂
外に出ると、ロクサーヌが手ぬぐいを渡してくれた。
汗を拭き、さらに迷宮と往復する。
こうまでしてロクサーヌと風呂に入りたいのか、俺は。
大変な変態だ。
最後は意地になって風呂に湯をためた。
やけくそだ。
それはもうためてやりましたですよ。
655
準備を始めてからおそらく二時間以上はかかっている。
水がめに予備の水を用意し、外に出た。
﹁今日のところはこのくらいにしといてやる。完成だ﹂
たらいには九割がたお湯がたまっている。
風呂場の中は白い蒸気が充満していた。
﹁おつかれさまでした﹂
﹁時間もあるし、一度迷宮に行き、夕食を取ってから風呂に入ろう﹂
ロクサーヌから手ぬぐいを受け取り、汗を拭く。
手を入れたらまだかなり熱かったので、数時間は大丈夫だろう。
﹁えっと。私もよろしいのですか﹂
﹁もちろん、そのつもりだが?﹂
ロクサーヌは風呂嫌いなんだろうか。
嫌だと思っても入ってもらいたい。
命令してでも入ってもらう所存である。
﹁風呂に入るのは王侯貴族だけです。それに、途中から外で待つよ
うに言われましたので﹂
﹁外で待ってもらったのは中が蒸し暑いからだ。二人とも汗まみれ
になることはない﹂
﹁そうだったのですか。何かご主人様にとって特別なことがあるの
かと思っていました﹂
そんなことを思っていたのか。
656
手ぬぐいを返しながら、イヌミミをなでた。
﹁まあ特別は特別だな。ロクサーヌと一緒に入るから﹂
﹁え。⋮⋮あ、あの﹂
﹁一緒に入ってくれるよな﹂
﹁は、はい。ありがとうございます﹂
よかった。
一緒に入ってくれるようだ。
最後の最後で断られたりしたら、何のために苦労したのかまるっ
きり分からなくなるところだった。
その日の作業をすべて終えてから、風呂場に入る。
お湯はまだ少し熱かった。
たらいの上に直接ウォーターウォールを作り出し、水で薄める。
温度の調整も一苦労だ。
魔法だと微調整するのは難しい。
右手を湯船に突っ込み、かき回した。
こんなもんだろうか。
お湯を作るのにかかる時間も大体把握したし、次からは半分くら
いのお湯は水がめにファイヤーボール一発でいい。
少しは楽になるだろう。本当に少しだが。
レベルが上がったらもうちょっとは楽になるのだろうか。
湯船には、夕食の前にレモンを浮かべている。
正確にレモンと同じかどうか分からないが、レモンで翻訳された
のでレモンだろう。
657
菖蒲湯では代わりにどんな草を入れたらいいか分からない。
変に生ぐさいにおいがしても大変だ。
柚子湯ならば、何かの柑橘類で代用可能ではないだろうか。
レモンなら香りはいい。
食用だから変な成分が溶け出すということもないはずだ。
ロクサーヌが部屋についている穴にカンテラをセットした。
体にお湯を浴びて軽く洗い流す。
ロクサーヌの身体も洗い流してから、二人して風呂に入った。
気持ちいい。
温かなお湯が全身を包み込んだ。
のびのびと手足を広げる。
湯船が大きいだけに、温泉気分だ。
檜ではないので芳醇な木の香りこそないが、それでも素晴らしい。
たらいのふちに手ぬぐいを敷き、その上に頭を乗せて寝転がった。
ロクサーヌも横に寝転がる。
腕を伸ばし、抱き寄せた。
気持ちいい。
細くしなやかな身体が隣に来る。
浮力のおかげか軽々と抱き寄せることができた。
足を絡めて、しがみつく。
お湯の中、ロクサーヌの肌はなめらかだ。
658
しっとりかつさらさらしていて、非常に気持ちがいい。
﹁うーん。最高だ﹂
﹁はい。とてもいい気分です﹂
ちょっと意味が違うような気がしたが、ロクサーヌも喜んでいる
ようなのでどうでもいいだろう。
俺の膝の辺りを、さわさわと何かがこすった。
妙に心地よい。
何だろうと思い、手を伸ばす。
尻尾だ。
ロクサーヌの尻尾が、風呂の中で水草のように広がっていた。
腕ですくうと、柔らかい筆で刷いたかのように、手をなでる。
お湯の中、どこまでも軽く、繊細に、腕をさすった。
これは意外な発見だ。
﹁ロクサーヌの尻尾が気持ちいい﹂
﹁そうですか? ありがとうございます﹂
手を伸ばし、何度も尻尾をゆする。
お湯の中で優しく揺らめいた。
そよ風が通り過ぎるように尻尾がなびく。
ロクサーヌの尻尾は風呂こそよけれ。
ロクサーヌと一緒に風呂に入るのは、思った以上に素晴らしい。
準備が大変なので毎日は無理だが、十日に一度、いや、一週間に
一度、いや、五日に一度は入りたい。
三日に一度でもいいくらいだ。
659
体をずらし、頭ごと湯船につかった。
髪の毛一本一本の間にお湯がしみこんでくる。
お湯の中で髪の毛をかきむしった。
今までの汚れを全部落とすように何度も手ですいてから、頭を上
げる。
﹁気持ちいい。ロクサーヌもやってみな﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌが頭部をお湯につけた。
俺も腕を伸ばし、お湯の中でロクサーヌの髪の毛をすく。
イヌミミももみ洗った。
髪の毛にはさすがに尻尾のようなさわさわ感はない。
それでも、お湯の中でしっとりと指に絡みついてくる。
ロクサーヌは優に一分近くお湯に沈んでいた。
やがて上半身を持ち上げ、水を払う。
水から上がったとき、巨大な山がぶるんぶるん震えていたのを俺
が凝視していたのは内緒だ。
やはり風呂はいい。
風呂は最高だ。
660
レア食材
武器商人 Lv1
効果 体力小上昇 知力微上昇 精神微上昇
スキル 武器鑑定 カルク アイテムボックス操作
防具商人 Lv1
効果 体力小上昇 知力微上昇 精神微上昇
スキル 防具鑑定 カルク アイテムボックス操作
料理人 Lv1
効果 器用小上昇 体力微上昇 敏捷微上昇
スキル レア食材ドロップ率アップ アイテムボックス操作
ジョブが増えた。
武器商人と防具商人と料理人だ。
正直なところ、効果とスキルはどれもこれも微妙ではある。
俺には鑑定があるから、武器商人と防具商人には有効な使い道が
ない。
せめて効果が知力小上昇だったらよかったのに。
派生ジョブがあったりしたら厄介なことこの上ない。
料理人のスキル、レア食材ドロップ率アップは使えるかもしれな
い。
コボルトに効いてコボルトソルトばかり落とされても嫌だが。
661
あれはレアドロップではないから大丈夫なのか。
料理人といっても、料理を作るのに役立つようなスキルはないら
しい。
あくまでも迷宮探索用ということだろう。
役に立つとしたら、アイテムボックスに食材を保管できることく
らいか。
アイテムボックスの大きさは、三職とも三十種類×三十個。
つまり、探索者Lv30になったので出てきたジョブだと考えて
いい。
ジョブをつけたらアイテムボックスの大きさがいきなり六十種類
×三十個になったので、最初はちょっとびっくりした。
Lv1でこの大きさなので、レベルにかかわらず固定だろう。
ジョブの出現条件は、それにプラス、武器や防具を売買すること、
料理を作ることかもしれない。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv30 英雄Lv27 魔法使いLv29 僧侶Lv26
料理人Lv1
装備 ワンド 皮の帽子 皮の鎧 皮のグローブ 皮の靴
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv14
装備 シミター 木の盾 皮の帽子 皮のジャケット 皮のグロー
ブ サンダルブーツ
ものは試しと料理人をつけてみる。
662
しかし、せっかくつけたのに、六階層の敵はレア食材を残さなか
った。
ギルドで買い取ってもらえるオリーブオイルが食材扱いかどうか
分からないが、少なくともレアではないだろう。
ミノとかも残さない。
使えない牛だ。
せいぜい探索を進めることにする。
お湯を張るのが面倒だということが分かったので、風呂に入るの
は何か特別なことがあったときにしようと決めていた。
次の階層に進んだときこそが、それにふさわしいだろう。
おかげで張り切って探索が進んだのか、たまたまボス部屋が近く
にあったのか、ベイルの迷宮六階層の探索は比較的早く終了した。
自分が面倒だから風呂を沸かすのは特別なときだけにしようと考
えたのに、それを早く達成するためにがんばってしまうのは本末転
倒という気がする。
ままならない。
現れる魔物とボスの組み合わせはどの迷宮でも同じなので、六階
層のボスはともに撃破経験がある。
問題なくクリアした。
エスケープゴート Lv7
エスケープゴート Lv7
663
ベイルの迷宮七階層の魔物は、このエスケープゴートのようだ。
二匹現れたので一発めのファイヤーストームを念じる。
﹁エスケープゴートは逃げると聞いたことがあります。魔法は使わ
ず、ご主人様の剣で倒した方がいいかもしれません﹂
魔法が発動したところで、ロクサーヌが忠告してくれた。
もう遅いって。
名前のとおりエスケープする山羊なのか。
しかし、エスケープゴートは逃げ出すことなく向かってくる。
ロクサーヌが前に出て、対峙した。
俺はその間にデュランダルを用意する。
エスケープゴートは、チープシープほど凶暴そうではないが、い
かつい顔つきの山羊だ。
少なくとも可愛くはない。
頭のツノはチープシープよりも大きい。緩やかな曲線を描いて上
を向いており、まがまがしい。
左に回り込んで、山羊にデュランダルをお見舞いした。
胴を斬りつけたが倒れない。
Lv7ともなると、魔法一発プラスデュランダル一撃でも倒れな
いようだ。
エスケープゴートが頭を低くかまえた。
動きを警戒していると、思ったとおり突進してくる。
身を翻して山羊の突進を避けた。
これくらいは余裕で避けられる。
664
俺とロクサーヌの間を山羊が通った。
しかし魔物は立ち止まらない。
そのまま反対側に抜けて駆け出す。
しまった。
エスケープゴートは逃げるのだった。
あわててデュランダルを振るが、もう届かない。
追いかけて間に合うはずもないので、魔法にかけるしかない。
ファイヤーストームと念じた。
火の粉が舞い、二発めの魔法が作動する。
まだ見える位置で逃げているエスケープゴートにも襲いかかった。
魔物が火にまみれ、倒れる。
よかった。
デュランダルと魔法ですでに相当のダメージを与えていたらしい。
ロクサーヌが相手をしている残りの一匹はまだ逃げ出さない。
横からデュランダルを叩き込んだ。
魔物が倒れ、煙となって消える。
こっちは一撃でしとめた。
エスケープゴートLv7は魔法二発とデュランダル一撃で倒せる
ようだ。
逃げ出されるのは厄介だ。
次にロクサーヌが見つけたのはチープシープLv7だった。
一匹なのでファイヤーボールで迎え撃つ。
一発、二発、三発。ロクサーヌが正面に陣取って羊の攻撃を避け
るのを見守りながら、横に回って四発、五発。
665
倒すのに五発かかってしまった。
﹁恐れていたように、ついにLv7からは魔法五発か﹂
﹁七階層からはそのようですね﹂
簡単に言ってくれる。
倒すのに時間がかかるということは、それだけ長い間魔物と対峙
しなければならないということだ。
長時間戦えば、敵の攻撃を喰らう回数も増える。
ロクサーヌならばかわせばいいと言うだろうが、俺はそういうわ
けにはいかない。
七階層は、様子を見つつ、ゆっくりと攻略するのがよいだろう。
一匹で出たエスケープゴートを魔法で迎撃してみた。
三発めが当たったところできびすを返して逃げられる。
おそらく、ランダムで逃げ出すのではなく、ある一定のダメージ
を受けると逃げるのだろう。
現状、魔法二発はセーフ、三発めはアウトということか。
体力はチープシープLv7と似たようなものだろうから、多分倒
すのに魔法が五発必要だ。
三発めを当てた時点でほとんど剣が届く位置に近づいていたから、
逃げ切られるまでに二発当てられる。
はずだったが、五弾めのファイヤーボールを避けられた。
背中を向けて逃走しているのに。
三発めで逃げ出されたのでは厄介か。
ストーム系の魔法を使えば大丈夫だが。
666
﹁面倒な魔物だな﹂
﹁あまり戦わないようにしますか﹂
﹁そうだな。欲をいえばそうなるが、あまり考えないことにしよう。
その他の条件が同じときだけ、別の魔物優先で﹂
魔法二発を撃った後、デュランダルを出して処理することもでき
る。
MPや効率との兼ね合いになるが、特別に避けることはないだろ
う。
前衛のロクサーヌには余分な負担がかかるが、しょうがない。
厄介とはいっても、エスケープゴートは逃げるだけだ。
ベイルの迷宮七階層はなんとか戦えるか。
クーラタルの迷宮も七階層に移動した。
クーラタルの迷宮七階層の魔物は、懐かしいスローラビットLv
7だ。
スローラビットとは最初の村の裏手にある森で戦った。
あそこにスローラビットがいたのは、森のどこかに迷宮がいて、
その迷宮の一階層の魔物がスローラビットである、ということを意
味しているらしい。
入り口はなかったので、まだ五十階層の大きさに達していない幼
い迷宮だ。
スローラビットは、動きも遅いし、武器もなく体当たり攻撃だけ
だし、非常に戦いやすい。
クーラタルの迷宮七階層もなんとかなるか。
魔物はこちらを見つけると飛び跳ねて近づいてきた。
667
別に久しぶりの再会に喜んでなついてきたわけではない。
迷宮内ではどの魔物もアクティブに人を襲うようだ。
ファイヤーボール五発で丸焼けにする。
スローラビットLv7も五発か。
スローラビットはレア食材である兎の肉を残す。
ジョブ料理人の本領を発揮するときがきた。
と思ったが、最初に残したのは兎の毛皮だった。
﹁兎の毛皮か。あの村の商人のところへでも売りに行くか﹂
﹁兎の毛皮なら、帝都にある高級服屋で買い取ってくれると思いま
す﹂
ロクサーヌが兎の毛皮を拾い、渡してくる。
﹁そうなのか?﹂
﹁はい。この間ご主人様が見たとおっしゃっておられたようなお店
で大丈夫でしょう﹂
﹁なんで兎の毛皮だけは買い取ってくれるんだろう﹂
低階層の魔物が残すアイテムは、多くの人が自分で手に入れられ
る。珍しいものではないし、ギルドに行けば在庫がいっぱいある。
だから、特別に買取依頼が出るようなことはまずない、と聞いた。
それなのに何故兎の毛皮は買い取ってくれるのか。
﹁兎の毛皮で作ったコートは防寒具として優れ、とりわけ貴族女性
の間で大変な人気があるそうです。コートを作るには大量の兎の毛
皮が必要なため、兎の毛皮だけはどうしても足りないのです﹂
﹁なるほど﹂
668
﹁高級服を作る工房や店は最新流行のコートを作り出そうと常に競
い合っています。小さな兎の毛皮をたくさん縫い合わせるので、加
工の手間賃を多く取れて利益が大きいとも聞きました﹂
こちらの世界でも女性のファッション競争は苛烈らしい。
ノーファー運動とかもないのだろう。
﹁ロクサーヌも兎の毛皮のコートとかほしい?﹂
﹁私は別に。狼人族は寒さに強い種族です。それに、奴隷が着るよ
うなものでもありませんし﹂
﹁寒さに強いんだ﹂
﹁はい﹂
つまり薄着でよいと。
ロクサーヌには薄着が似合う。
肌の露出が多い服、胸の曲線が分かる服が最高に似合うと思いま
すです。
朝食に兎の肉をソテーしたものを食べた後、帝都へ赴いた。
高級ブティックに行く。
ちなみに、あまった兎の肉はクーラタルの肉屋で買い取ってくれ
た。
スローラビットを四十匹近く狩ったのに、出た兎の肉は四個だ。
料理人のスキル、レア食材ドロップ率アップといっても、そう極
端に上がるものではないらしい。
﹁いらっしゃいませ﹂
669
帝都のブティックに俺とロクサーヌが入っていくと、店員が頭を
下げた。
完全に顔を下に向けており、非常に慇懃な感じだ。
さすがは高級店か。
﹁兎の毛皮の買取を頼めるか﹂
﹁こちらへどうぞ﹂
キャッシャーのいる場所に先導される。
店に入って左奥の壁だ。
﹁いらっしゃいませ﹂
﹁こちらのお客様に兎の毛皮の買取をお願いします﹂
店員の女性がキャッシャーの男性に話しかけ、引継ぎを行った。
﹁それでは、兎の毛皮をお乗せください﹂
﹁頼む﹂
キャッシャーの人が出したトレーに兎の毛皮を置く。
全部載せると、トレーが引っ込められた。
﹁全部で三十四枚になります。よろしいですか﹂
キャッシャーが一つ一つ検品してから告げる。
うなずくと、一度奥に入り、トレーを持って再度出てきた。
トレーには銀貨が八枚と銅貨が大量に入っている。
兎の毛皮一枚二十ナールの三十四枚に三割アップで八百八十四ナ
ール。
670
銅貨は八十四枚あるはずだ。
めんどくさいので数えずに受け取る。
この高級店でごまかしてくるようなことはないだろう。
﹁確かに受け取った﹂
﹁ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております﹂
キャッシャーの男性が最敬礼をした。
客ではないのに丁寧な態度だ。
荒々しい仕事をしている探索者や冒険者がこのような店の上客に
なることが多くあるとも思えない。
兎の毛皮のコートは貴族女性に人気があると言っていたし、帝都
にあるこれだけの高級店だと、客層もそういう女性が多いのではな
いだろうか。
やや場違いな感じもあるが、歓待されていい気分で店を出ようと
する。
横に服が並んでいるのが目に入った。
つややかな光沢のある綺麗な服。おそらく女性服だろう。
そこに細い肩紐がついているのが見える。
キャミソールだ。
手にとって広げてみると、結構な長さがあり、下の裾が開いてワ
ンピースになっていた。
キャミソールドレスだ。
布はサテン地だろうか。
671
生地は結構薄い。
透けはしないものの、微妙なところではあるだろう。
﹁そちらは貴族女性などに大変人気のある品でございます。インナ
ーや寝間着として使用されます﹂
最初に出てきた女性店員が説明してきた。
男の俺がじろじろと見るような商品でもなさそうだ。
あわてて服を戻す。
﹁どうだ?﹂
ロクサーヌに訊いてみた。
﹁えっと。あの﹂
悪くない服だ。
ロクサーヌには薄着が似合う。
素肌の上からこれを着れば。
﹁やはり似合うだろう。いくらだ﹂
﹁八百ナールと、大変お求めやすくなっております﹂
高いには高い。
俺が今着ている装備品を除いた服全部よりも高いくらいだ。
しかし、絹だろうからもっと高いかもと思ったが、それほどでも
ない。
﹁二着ほど、買っておけ﹂
﹁よろしいのですか﹂
672
うなずいて、ロクサーヌに選ばせた。
ロクサーヌがかぶりつくように一着一着見ていく。
高級店だけあるせいか、色も結構あるようだ。
青。なんか違う。
赤。ちょっとどぎつい感じ。
緑。落ち着いていて、いい色。
黄。淡く、綺麗な黄。これもいい色だ。
黒。黒もいいが。
﹁一着はこの系統の色がいい﹂
薄紅色のものを指差した。
やはりピンク系のものが可愛らしいだろう。
鮮やかなピンクはなかったが、淡い薄紅色でも十分だ。
﹁かしこまりました﹂
﹁頼む﹂
ロクサーヌは、あれこれ店員と会話をしながら、じっくりと選ん
でいった。
﹁丁寧に縫製してありますが、すぐに破れてしまいそうですね﹂
﹁そうですね。これはそういう布地でございますので﹂
﹁どのように洗濯するのでしょう﹂
﹁水とコイチの実のふすまで一着ずつ優しく押し洗いしてください﹂
結局、長い時間かかってロクサーヌが選んだのは白と薄紅色の二
着だ。
673
三割引でそれを買った。
なんか、店側の計略にまんまとはまってしまったような気がする。
こちらに悪い気を起こさせない慇懃な態度。
レジ近くに、探索者にも買えそうな安い小物。
いかにもきっちり販売戦略ができあがっている感じがする。
まあでも、悪い買い物ではなかったろう。
風呂から上がった後に薄紅色のキャミソールを着たロクサーヌを
見て、その想いを強めた。
悪い買い物ではない。
素晴らしい逸品だ。
﹁おおっ。すごい。似合ってる﹂
﹁ありがとうございます﹂
淡い薄紅色がロクサーヌの肌をほんのりと色づけている。
上品でしなやかに、優しくロクサーヌを覆っていた。
身体のラインを強調するわけでも肌にぴったりと張りついている
わけでもないが、しっとりとロクサーヌの身体を包んでいる。
いや。二つの大きな山塊には張りついていた。
張りついているというか、押し上げられている。
内側からの恐ろしい造山活動によってきつく突き上げられていた。
その頂には小さな出っ張りが。
この果実はレア食材だ。
薄手の服を着ると胸のふくらみが猛々しい。
674
迫力が違う。
ロクサーヌの胸だから服を着ないのもすごいが、一枚あることに
よって存在感がいや増すのだろうか。
服はしっとりと清楚だが、中身は暴力的だ。
シルクの光沢とあいまって、つやつやと輝いて見えた。
やはり買ってよかったと、そう思う次第であります。
﹁最高に綺麗だ﹂
﹁⋮⋮あの、んっ⋮⋮﹂
反論は口で封じた。
くっ。
これは我慢がならん。
さっき風呂で済ませたのだが、二回戦に突入する必要があるよう
だ。
675
錬金術
ベイルの迷宮七階層に出てくるエスケープゴートは結構面倒だ。
魔法三発もしくはデュランダルだと一撃入れただけで逃げ出して
しまう。
複数出てきたときはファイヤーストーム五発で倒せるが、計算上
大丈夫だとはいっても、実際にはぎりぎりだ。
逃げ切られる可能性もないとはいえない。
エスケープゴートだけならまだしも、他の魔物との組み合わせに
なったときがもっと大変である。
対峙している魔物の攻撃をかわしているうちに五発めの魔法のタ
イミングが遅くなってしまうこともある。
安全に行くならデュランダルで倒した方がいい。
まず全体攻撃魔法を二発放つ。
デュランダルを出し、エスケープゴートを屠る。
デュランダルをしまい、残った他の魔物を魔法で倒す。
なんともちまちまとせせこましい。
多分、効率的にはこうするのがいいのだろうとはいえ。
厳密には、本当に効率がいいか必ずしも検証はできていない。
どのタイミングで経験値が入り、どのタイミングで獲得経験値上
昇スキルが有効になるのか。
獲得経験値十倍をつけて魔法で体力を削った後、獲得経験値十倍
をはずしてデュランダルでエスケープゴートを倒し、獲得経験値十
676
倍をつけて他の魔物を屠ることが、本当に最善なのだろうか。
まあ、料理人のジョブレベルの上がり方を見ている限り、このや
り方で問題はないと思う。
﹁えっと。その剣を持っているときには魔法が使えないのでしょう
か﹂
エスケープゴートのドロップアイテムであるヤギの糸を渡してき
ながら、ロクサーヌが訊いてきた。
やっぱり普通そう思うよなあ。
﹁使えないわけではないが、この方が効率がいいのでな。ロクサー
ヌには迷惑をかけるが﹂
﹁いえ、私は大丈夫です。お気になさらずに﹂
﹁前衛として非常に役立つので、ロクサーヌには大いに助かってい
る﹂
﹁ありがとうございます﹂
デュランダルを出したりしまったりするのに多少時間がかかるの
で、その間はロクサーヌに魔物の相手をしてもらっている。
ロクサーヌのことだから今のところはひょいひょいかわしていた。
二匹なら完璧、三匹でも攻撃を受けたことはほとんどない。
ただし、今後はどうなるか分からない。
八階層からは魔物が最大で四匹になる。 何か考えなければいけないかもしれない。
クーラタルの迷宮の七階層から出てくるスローラビットは兎の皮
を残す。
677
兎の皮を売るため、帝都には足しげく通うようになった。
帝都にはいろいろなお店がある。
人も多いだけに、さまざまなものを売っていた。
兎の毛皮を売却しがてら、歩いて回る。
例えば、調味料屋。
酢や魚醤などが置いてある。
魚醤というから喜んで味見をしてみたが、しょう油とはちょっと
違った。
ジャン
においもきつめだ。
ホイコーロー
中には中国の醤に近い感じのものもある。
回鍋肉とかは作れるかもしれない。
帝都の大通りでは、屋台を出して販売している人もいた。
この世界のファーストフード、というよりは夜店に近いのだろう
か。
肉を串に刺して焼いている焼き鳥屋さん風の店とか、パン生地の
上に具を置いて焼くピザ屋さん風の店とか、クレープ屋さん風の店
とか。
今日も一軒、店頭で何かを作って売っている屋台を見かけた。
焼き色のついた茶色の食べ物だ。
子どもが集まっているから、駄菓子だろうか。
﹁あそこで売っているのは何か知っているか﹂
﹁分かりません﹂
﹁じゃあ食べてみるか﹂
ロクサーヌにそう言い残して、屋台の前に立つ。
678
茶色い駄菓子、といえばせんべいのことが頭をよぎった。
近いものがあるのかもしれない。
﹁一つ十ナールになります﹂
﹁二つくれ﹂
注文すると、屋台の職人が何かの液体を小さな鍋に流し込んだ。
液体の時点でせんべいの線は消えた。
カステラみたいな感じなんだろうか。
やがて、液体が大きく膨張する。
鍋の上にこんもりとした山を作った。
子どもたちの歓声が上がる。
﹁はいよ﹂
職人がすぐにそれを鍋からはずした。
何かの葉っぱに包んで渡してくる。
代金を出して受け取った。
職人はジョブ村人なので、三割引は効かないようだ。
一つをロクサーヌに渡す。
残り一つは、近くにいた中で一番可愛い女の子にあげた。
﹁食べるか?﹂
﹁うん﹂
野郎に渡す義理はない。
可愛い女の子は得なのだ。
女の子が立ち去るのを見送って、屋台から少し離れる。
679
﹁よろしかったのですか﹂
﹁味は分かる﹂
そう。俺はこの料理を知っている。
カルメ焼きだ。
中学校のとき、理科の実験で作った。
もっとも、味は覚えていない。
今食べてもまったく同じものかどうか判断できる自信はない。
というか、それほど旨いとは思わなかったという記憶しか。
﹁甘くておいしいです﹂
まあロクサーヌは美味しそうに頬張っているし、お菓子が回りに
ありふれている現代日本の中学生の感覚だったのだろう。
少し離れた位置で屋台の方を眺めつつ、ロクサーヌが食べ終わる
のを待つ。
確か、カルメ焼きは液体の中に重曹を溶かして熱すると、炭酸が
出て膨らむとかいう話だったはずだ。
屋台の駄菓子も同じ原理を利用しているのだと思う。
鍋を温めたとき液体が急速にふくらんだ。
眺めていると、屋台の職人が後ろを向いた。
置いてある箱を開け、何かを取り出す。
桶の中に水と取り出した粉を入れ、カルメ焼きの元となる液体を
作った。
チャンス。
680
箱の方を見て鑑定と念じる。
残念ながら粉そのものは鑑定できない。
コボルトソルトでも少し欠ければアイテムではなくなってしまい、
鑑定もできなくなるし、アイテムボックスにも入らなくなる。
コボルトスクロース
シェルパウダー
それでも、箱の中にコボルトスクロースとシェルパウダーがある
のを把握した。
屋台の職人に直接尋ねても、商売上の秘密だから原材料を教えて
くれはしないだろう。
別にカルメ焼きを作りたいわけではないから、原料名だけ分かれ
ば十分だ。
職人が使っている粉は、おそらくは小麦粉を主体にコボルトスク
ロースとシェルパウダーを混ぜたものだ。
小麦粉に砂糖と重曹を混ぜればカルメ焼きができる。
スクロースは砂糖だ。
残ったシェルパウダーが重曹ということになる。
シェルパウダー=重曹=炭酸水素ナトリウムだ。
﹁じゃあ行こうか﹂
﹁はい。ごちそうさまでした﹂
食べ終わったロクサーヌと一緒に冒険者ギルドに向かった。
681
﹁シェルパウダーというのが何か知っているか﹂
﹁消火剤ですね﹂
﹁消火剤?﹂
﹁クラムシェルが残すシェルパウダーには火魔法を打ち消すほどの
力はありませんが、燃え移った火などに使うと早めに消火すること
ができます。スカラップシェルが残すスカラップエキスを使うと、
一度だけ火魔法を打ち消すことができます﹂
なにやら重曹とは違うっぽい。
少なくとも魔法は関係ないはずだ。
﹁小麦粉に混ぜて焼いたり、掃除に使ったりすることは?﹂
﹁シェルパウダーをですか?﹂
﹁そうだ﹂
﹁聞いたことはありませんが﹂
やっぱ違うのか。
﹁酢を掃除のときに使ったりする?﹂
﹁聞いたことありません﹂
念のために聞いてみるが、酢も使わないらしい。 この世界にも酢はある。
酢は酸性、重曹はアルカリ性で、どちらも汚れを落とすのに有効
なはずだ。
掃除に酢を使わないということは、重曹を使うことも知られてい
ない可能性が高いだろう。
冒険者ギルドでシェルパウダーを買い、帰りがけに鍋とコイチの
682
実のふすまも買って家に戻った。
カルメ焼きを作った理科の実験は、カルメ焼きを作ることが主目
的だったのではない。
米ぬかを使って石鹸を作った。
植物油に入っている脂肪酸と重曹のナトリウムが反応して脂肪酸
ナトリウムになると、それが石鹸になるとかだったはずだ。
実験班を作るときにハブられて一人だけ教師の前で作らされたの
で、手順はよく覚えている。
いやな思い出だ。
実験する班なんか出席番号順で作ればいいのに。
いずれにしても、重曹があれば石鹸を作れる。
米ぬかこそないものの、何かの植物油で代用できるだろう。
とりあえずは石鹸代わりに使われているコイチの実のふすまを使
ってみる。
米ぬかも昔は石鹸代わりだったはずだ。
帰ってすぐキッチンに向かった。
鍋に半分ほど水を入れて、お湯を沸かす。
巧くできるようなら、この鍋は石鹸専用にしよう。
沸騰したお湯にミルで削ったシェルパウダーを入れてみた。
ぶくぶくと泡が出てくる。
やはりシェルパウダーが重曹で間違いない。
泡が少なくなってから、コイチの実のふすまを入れた。
量が分からないので適当だ。
米ぬかは結構大量に入れたような記憶がある。
683
まあ失敗したとしても最初はしょうがないだろう。
かき混ぜながら入れていくと、褐色のドロドロの液体ができた。
思ったより巧くいったようだ。
かき混ぜるのに疲れるくらいドロドロになる。
﹁これは何なのでしょう﹂
掃除をしていたロクサーヌが興味深げにやってきた。
﹁石鹸だ﹂
﹁石鹸ですか? それはすごいです﹂
﹁まだ巧くいくかどうかは分からんがな﹂
﹁石鹸を作ってみようと思うだけで、すごいです﹂
作り方を知らなければ、俺も作ってみようとは思わなかっただろ
う。
この世界では石鹸は貴重品らしい。
巧くできれば役に立つ。
﹁掃除のときにはこのシェルパウダーを使ってみるといい。汚れが
よく落ちるだろう﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁間違いない﹂
﹁知りませんでした。今からでもやってみます﹂
﹁汚れにはシェルパウダーが効くものと効かないものがある。シェ
ルパウダーで落ちない汚れには、お酢を使うといいだろう﹂
重曹はアルカリ性だから、酸性の汚れにはよく効くが、アルカリ
性の汚れには効かない。
684
アルカリ性の汚れには酸性の酢を使う。
シェルパウダーにはいろいろと使い道がありそうだ。
中学のスキー合宿で行った長野の温泉が重曹泉だと書いてあった
ように記憶しているので、お風呂に入れてみるのもありだろう。
﹁えっと。これはどう使うのでしょう? こすればいいのでしょう
か﹂
喜び勇んで飛び出していったロクサーヌだが、すぐに戻ってきた。
水に溶かすという発想はないらしい。
﹁いや。溶かして水拭きするのがいいと思うぞ﹂
俺も知識として知っているだけで実際に使ったわけではない。
でもまあ、普通に考えれば水に溶かすのだろう。
﹁ご主人様、これはすごいです﹂
やがて、ロクサーヌが目を輝かせながら飛んできた。
巧くいったようだ。
鍋を火から下ろす。
こちらも巧くいったらしい。
後は乾燥させれば完成だ。
その日の夜、見てみるとジョブが増えていた。
錬金術師 Lv1
685
効果 知力小上昇 器用微上昇
スキル メッキ
錬金術師か。
石鹸を作るのもれっきとした化学反応だから、それで増えたのだ
ろう。
翌朝、迷宮に入る。
早速ものは試しと錬金術師をつけてみた。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv32 英雄Lv30 魔法使いLv32 僧侶Lv30
料理人Lv25 錬金術師Lv1
装備 ワンド 皮の帽子 皮の鎧 皮のグローブ 皮の靴
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv18
装備 シミター 木の盾 皮の帽子 皮のジャケット 皮のグロー
ブ サンダルブーツ
今回は無理してシックススジョブもつけている。
万が一のために僧侶はあった方がいいし、スローラビットが残す
レア食材のために料理人も必要だからだ。
ボーナスポイントの振り分けは、
必要経験値十分の一で31、
獲得経験値十倍で31、
結晶化促進三十二倍で31、
686
シックススジョブ31、
詠唱省略3、
ジョブ設定、鑑定、キャラクター再設定で3の計130だ。
いつもはシックススジョブまで振らずにMP回復速度五倍をつけ
ている。
探索者Lv31になったときにシックススジョブをつけて試して
みたところ、MP回復のためにデュランダルを出す回数が明らかに
増えた。
MP回復速度上昇はMPの自然回復速度を上げてくれるスキルな
のだろう。
五倍までいくと多少は差があるようだ。
それでも極端に違いがあるわけではない。
別に、クーラタルの迷宮でなくベイルの迷宮に行ってもよいのだ
し、朝食の後でベイルの迷宮に入るときに錬金術師を試してみても
いい。
早く試すためにMP回復速度五倍をはずしてシックススジョブを
つけても問題になるような差ではない。
その程度の違いだ。
﹁実験をするので、できれば魔物が一匹のところに案内してもらえ
るか﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁頼む﹂
何の実験をするかというと、錬金術師のスキル、メッキの検証だ。
メッキと念じたところ相手の指定を求められたので、パッシブス
キルではない。
ジャックナイフや皮のミントにメッキしてみたが、巧くいかなか
687
った。
多分、ものではなく人相手に使うのではないかと思う。
名称的には防御スキルのように感じるが、攻撃スキルの可能性も
なくはない。最初は魔物相手に試した方がいい。
メッキしてから叩くと壊れやすくなるとか。
﹁今度はどんな実験か、うかがってもよろしいでしょうか﹂
移動しながら、ロクサーヌと話す。
ロクサーヌを迎えてからは実験が多い。
昨日も石鹸を作る実験をしたしな。
実験好きなご主人様だとあきれているかもしれない。
﹁錬金術師というジョブを知っているか﹂
﹁ええっと。金を作り出そうとしている人たちのことですね﹂
この世界でもそういう存在なのか。
まあ、化学反応を起こすことによって錬金術師のジョブが得られ
るのなら、当然か。
化学反応によって金を作ることを目指すのが錬金術である。
﹁その錬金術師に関するテストだ﹂
﹁金を作り出せるのですか?﹂
ロクサーヌが目を見開いた。
﹁い、いや。残念ながら﹂
魔法がある世界だから、金を作り出すようなスキルもひょっとし
688
たらあるかもしれない。
そんなことができれば金の価値は暴落するだろうから、ないかも
しれない。
あるいは、存在していても秘中の秘になっているとか。
いずれにしても、今できるのはメッキだけだ。
メッキということはあれだ。
真鍮などでメッキして、金になったと主張するのだろう。
インチキじゃねえか。
﹁いました﹂
独りでツッコミを入れていると、ロクサーヌが警告した。
現れたスローラビットに向かってメッキと念じる。
見たところ、兎に変わった感じはない。
やはり攻撃スキルではないのか。
結局、スローラビットLv7を倒すのに魔法五発かかった。
攻撃スキルではないと考えていいだろう。
魔法では駄目なのかと思ってメッキをした後デュランダルで攻撃
してみたが変化はない。
攻撃スキルだとしたら、よほど使えないスキルなのか、あるいは
スローラビットが特殊な耐性持ちなのか。
朝食の後、ベイルの迷宮の二階層に行ってみる。
ボーナスポイントを知力上昇に振って、魔法一発で屠れる数値を
確認した。
前に試したときは99ポイント振っても無理だったが、レベルが
上がったので強くなったようだ。
689
その数値のまま、ニードルウッドLv2にメッキをしてみる。
魔法一発では倒せなくなった。
やはりメッキは防御スキルだ。
名称的に考えて、おそらく防御膜を張るスキルだと考えていいだ
ろう。
スローラビットLv7を倒すのにメッキを使っても使わなくても
魔法五発だったから、ダメージの減少率は二十パーセントを超えな
いはずだ。
と思ったが、そうでもないのか。
メッキは一回しか使っていない。
メッキして防御膜を張るのだとすれば、一回攻撃されたら破れて
おしまいかもしれない。
検証は簡単だ。
ニードルウッドにメッキした後、一度ロクサーヌにシミターで攻
撃してもらってから、魔法で攻撃する。
一発で倒せた。
メッキ一回につき攻撃一回のダメージを減少させるようだ。
シミターによる攻撃分上乗せで倒せたのではない。
ロクサーヌに攻撃してもらってから、再度メッキをしてファイヤ
ーボールを撃ち込んでも倒せなかった。
知力に99ポイント振ってもメッキしたニードルウッドLv2を
魔法一発では倒せなかったので、ダメージの減少幅は不明だ。
その後も階層を移動しながらメッキの実験を続ける。
メッキのスキルについて、おおよそのことを把握した。
690
メッキが防御するのはメッキした直後の攻撃一回のみ。
魔法攻撃、物理攻撃は問わない。
重ねがけは無効。
ダメージの減少幅は多分十パーセントから二十パーセントくらい
か。
たいした量ではないが、それでも貴重な防御スキルだ。
今後、常用していくことにしよう。
691
石鹸
石鹸は一日ちょっとの時間ではまだかなり緩かった。
これでちゃんと固まるのだろうか。
中学の実験では、確か先生が冷蔵庫を使って固めてくれたし、す
ぐに遊びで使い尽くしてしまったので、どのくらい乾燥させればい
いのか分からない。
夕食後、石鹸というよりはバターみたいなそれを手ぬぐいにつけ
て、ロクサーヌを洗ってみる。
裸のロクサーヌを風呂場に立たせた。
ロクサーヌのスタイルはいい。
それなりに高身長なのにやせていて、手足が細長い。
胸にはこれでもかというほどの暴力装置がついているし、メリハ
リもある。
腰からももにかけてのラインもなだらかだ。くびれつき、尻尾つ
きである。
﹁えっと。ご主人様を先に﹂
﹁いや。実験だから﹂
野暮なことをのたまうロクサーヌは速攻で黙らせる。
いったい何のために石鹸を作ったと思っているのか。
ロクサーヌを洗う。
ただそれだけのために作ったというのに。
692
一刻も早くロクサーヌを洗いたい。泡まみれにしたい。
それ以外のことは断固拒否せざるべからず。
強硬な態度でロクサーヌの申し出を退けた。
﹁か、かしこまりました﹂
ロクサーヌも分かってくれたようだ。
しかし考えてみれば、人体実験ではあるのだよな。
本当に石鹸ができたかどうか分からないのだから。
アルカリが強すぎて肌に合わないとか、あるかもしれない。
因幡の白兎みたいになっても困る。
お湯で濡らした手ぬぐいをこすって、泡立たせた。
まずは自分の手につけてみる。
泡立ちは割と良好だ。
結構いける。家にあったボディーシャンプーほどではないが、多
少はしょうがないだろう。
手がヒリヒリするとかいうこともなかった。
石鹸としてまずまずのものができたのではないだろうか。
腕にも泡を塗ってみる。
問題はなさそうだ。
﹁じゃあ、手を出して﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌが伸ばしてきた左手を握った。
しなやかな手を泡まみれにする。
693
ロクサーヌの指の間に、俺の指を差し込んだ。
小刻みに上下動させ、ピストン運動を行う。
なんかいい気分。
しっとりとしていい感じだ。
﹁一応、初めてだし実験だから、違和感があったら言え﹂
﹁分かりました﹂
手を洗った後は腕に泡を延ばしていく。
二の腕の柔らかさを堪能した後、脇へ。
手のひらを差し込んで、何度もこすりあげた。
手ぬぐいは泡を立てて取るのだけに使い、ロクサーヌを洗うのは
すべて俺の手で行う。
はや
脇の次は、急いでお待ちかねの山のふもとへ。
疾きこと風のごとく。
しず
暴力的な山は静かにたたずんでいた。
徐かなること林のごとく。 頂上に向かって冠雪したかのように白く染め上げる。
侵掠すること火のごとく。
洗うたびに振動を起こし、泡がふるふると震えているように見え
るのは、気のせいだろうか。
こ、これはすごい。
気のせいではない。
洗いながら少しゆすってやると、頂上が大変なことに。
694
動くこと山のごとし。
ゆっくりたっぷりじっくり丁寧に洗い上げた。
おなかと喉元も泡で覆い、背中に移る。
﹁今日は初めてだから背中と頭と尻尾も洗うけど、明日はなしな﹂
﹁そうなのですか﹂
﹁石鹸は毛にはよくないと聞いた﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁多分﹂
そんな話を昔どこかで聞いたような気がする。
シャンプーなんてものを特別に作って使っているのだから、あな
がち間違いではないだろう。
きっと毎日は洗わない方がいい。
背中の毛にたっぷりと泡をつけた。
ゆさゆさもふもふと両手でこねくり回す。
背中に続き、尻尾も洗った。
尻尾の毛を両手ではさんでこすりながら、丁寧にもみ洗う。
柔らかくさらさらとしていて、気持ちいい。
下半身も遠慮なく洗わせてもらった。俺の手で。
全身を泡まみれにした後、頭に向かう。
手ぬぐいから取った泡をつけ、ゆがくようにわさわさとかき混ぜ
た。
髪の毛だけでなくイヌミミもよく洗う。
日ごろさわりまくっているだけに、感謝して洗わねば。
695
イヌミミの表と裏、付け根の部分、へこんでいるところなど、洗
い残しがないように細かいところまで指でこすり洗った。
イヌミミをゆすったので、髪から顔に泡がたれる。
ロクサーヌが目を閉じた。
ロクサーヌの目が閉じられたままなのを確認して、頭を洗いなが
らその全身を堪能する。
ついでなので、最後に額とほほも洗った。
完全なる泡人間のできあがりだ。
白い泡の服を着ているのが妙に艶かしい。
ところどころ地肌が見えるからだろうか。
破れた服みたいな感じで色っぽい。
あるいは、所詮は泡だからだろうか。
手で押さえると、服ではないので肌に触れることができる。
﹁⋮⋮あ、あの﹂
いかん。
思わず抱きついてしまった。
これは不可抗力というやつだ。
﹁こうすると少ない石鹸で効率よく洗うことができる。俺の故郷で
親しい男女間で行われる伝統的な洗い方だ﹂
嘘八百を並べ立てる。
この際だから思いっきりなで回して、アワアワのロクサーヌを満
喫しよう。
肌のしっとり感と石鹸のぬるぬる感があわさって、非常に心地よ
696
い。
﹁そうなのですか﹂
﹁そうなのだ﹂
力強く肯定した。
素直なロクサーヌにちょっと心が痛むが、しょうがない。
何ごとも最初が肝心だ。
本当は普通に洗って終わりにしようと考えていたが、その後でこ
んなことを要求すれば変態と思われてしまう。
最初からこうやってこれが普通なのだと刷り込めば、次からも抵
抗なくやらせてもらえるだろう。
﹁そ、それでは、私もご主人様のお体をお洗いしますね﹂
ロクサーヌが遠慮がちに俺の背中に手を回してきた。
やはり最初が肝心だったようだ。
ロクサーヌにすべてをゆだねて洗ってもらう。
泡の向こうで弾む山塊が暴れ回った。
ただでさえ反則の暴力的なふくらみを利用するとか。
恐るべし。
﹁ありがとう。ロクサーヌに洗ってもらうのは気持ちがいいな﹂
﹁あの。こんなことでよろしければ﹂
ロクサーヌにいろいろ洗ってもらう。
いや。髪の毛とか髪の毛とか。
697
﹁じゃあ洗い流すからな﹂
洗ってもらった後、手桶にお湯を汲んで、頭のてっぺんからゆっ
くりと落とした。
全身についた泡を流す。
交互にお湯をかけ、洗い落とした。
﹁すべすべして気持ちいいです﹂
石鹸を洗い落とすと、ロクサーヌが自分の腕をさする。
嬉しそうに目を細めた。満足げだ。
﹁問題はないな﹂
﹁はい、大丈夫です。なんか生まれ変わったみたいな気分です﹂
﹁元から綺麗なんだからあんまり変わらないと思うぞ﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
あれ。
今のは、元も綺麗だがさらに美しくなった、と褒めるべきところ
だったか。
さすがにそこまで褒めるのはどうか。
事実としては、元が綺麗で今も綺麗であまり変わらないから、こ
れでいいだろう。
翌朝、石鹸で洗ってすっきりした体でクーラタルの迷宮に入る。
すっきりしたのは石鹸で洗ったからであって、他意はない。
ないといったらない。
こういう気分のよいときには何かいいことが起こりそうな。
698
と思っていたら、スローラビットの体当たり攻撃を喰らってしま
った。
しまった。
調子のいいときこそ、普段以上に慎重になるべきだった。
きちんとメッキはしてあったので、いくぶんかは衝撃も少なかっ
たはずだ。
腹立ちまぎれにワンドで殴りつけ、五発めのファイヤーストーム
を念じる。
四発めを放った後でよかった。
火の粉が舞い、魔物が倒れた。
体当たりをかましてきたスローラビットが煙と消える。
ざまあみやがれ。
ガンを飛ばしながら見すえる。
すると、煙が掻き消え、兎の毛皮でも兎の肉でもない小さなもの
が残った。
あれ。初めて見るな。
﹁ご主人様、やりました。モンスターカードです﹂
何だろう、と鑑定する前に、ロクサーヌが飛びついた。
おお。これがモンスターカードなのか。
モンスターカード ウサギ
699
鑑定してみても間違いない。
インテリジェンスカードと同じような大きさのカードだ。
盗賊たちのインテリジェンスカードと同様、何も書かれてはいな
い。
﹁これがそうなのか﹂
﹁はい。私も初めて見ました﹂
﹁初めて見たのによくモンスターカードだと分かったな﹂
﹁話には聞いていましたので﹂
まあ聞いていれば分かるか。
どう見ても何かのカードではあるし。
﹁それもそうか﹂
﹁ご主人様のおかげでどんどん魔物が片づけられていくのでそのう
ちに見られるとは思っていましたが、こんなに早く見られて感激で
す﹂
迷宮に入る者にとって、一つの目標ではあるのかもしれない。
今までかなり魔物は狩ったはずなのに一枚も残らなかったから、
結構なレアドロップではある。
それなりには高く売れるだろう。
ただし、今このモンスターカードを売るつもりはない。
装備品の空きスキルスロットにつけるべきだろう。
そのためには鍛冶師をなんとかしないといけないが。
モンスターカードを装備品に融合するには鍛冶師のスキルが必要
で、その鍛冶師にはドワーフでないとなれないのだ。
700
チャンスは、すぐ後にやってきた。
クーラタルの迷宮の探索を終えたとき、魔結晶が黄色になってい
たのだ。
黄魔結晶だ。
十万ナールで売れるらしい。
これで資金的に一応最低限のものはできるだろう。
ロクサーヌほど高くなければ。
﹁今日の午後はベイルの町に出かけたいと思う﹂
朝食のとき、予定を立てる。
まずは奴隷商人のところへ行って、話しを聞かなければならない。
﹁何かご用がおありになるのでしょうか﹂
﹁えーっと。商館に用がある﹂
ロクサーヌにとって、奴隷商人の商館はいい場所ではないだろう。
﹁商館にですか?﹂
﹁一つには、遺言をしてきたい。ロクサーヌはとてもよくやってく
れている。俺が死んだら、ロクサーヌは解放しようと思う﹂
主人が死んだときに所有奴隷をどうするかは遺言できるのだった。
特別な遺言がない場合は、殉死させるらしい。
ロクサーヌをそんな目にあわせるわけにはいかない。
奴隷が主人に牙を剥かないようにするための抑止力としては有用
なのだろうが、ロクサーヌには必要ないだろう。
701
﹁ありがとうございます。ですが、そんなことをお話になってしま
ってよろしいのですか﹂
﹁うーん。どうだろうな。遺言をするのにロクサーヌも立ち会う必
要があるのなら、いずれにしてもロクサーヌも知ることになるから、
話して問題はない。遺言するのにロクサーヌの立会いが必要ないの
ならば、こっそりと遺言を変更できるから、話したところでロクサ
ーヌは態度を変えられない。だから、話してもたいして問題じゃな
いと思う﹂
遺言にロクサーヌの立会いが必要かどうか分からないので、今日
は連れて行った方がいい。
﹁なるほど、そうですね。もちろん、私は態度を変えませんが﹂
﹁分かっている。一般論として、だ﹂
実際、ロクサーヌに背中から刺されることは想定していない。
というか刺されて本望というか。
﹁遺言には奴隷が立ち会う必要はないと思います﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁はい。それと⋮⋮﹂
ロクサーヌが声を落とす。
﹁ん?﹂
﹁もし私のことを信用してくださるなら、遺言はなさらないでくだ
さい﹂
突然、ロクサーヌが何かを言い出した。
702
どういうことなのか。
あまりのことに意味が分からなかった。
遺言はするなって。
﹁え? なんで?﹂
﹁ご主人様のことは私がお守りします。私より先にご主人様が討た
れるようなことはさせません﹂
ロクサーヌがきっぱりと宣言する。
兎の肉のシェーマ焼きを噛むのも忘れて、ロクサーヌを見つめた。
冗談を言っているような顔つきではない。
どうやら本気のようだ。
﹁い、いや。もちろんロクサーヌのことは頼りにしているが﹂
﹁ご主人様を守れずに私だけ生き残るとしたら戦士の恥です﹂
﹁それは分かるが、遺言とはまた別では﹂
﹁この奴隷なら最期まで自分を守ってくれる、それを信用している
という信頼の証です﹂
そういうものなんだろうか。
理屈がおかしいような気もするが。
﹁まあ、それはうれしく思うが、心筋梗塞ということも﹂
﹁シンキンコウソク?﹂
﹁心臓の病気だ。ぽっくり逝く可能性がないわけじゃない﹂
心筋梗塞は知られていないようだ。
﹁大丈夫です。ご主人様が心配になられることではありません﹂
﹁えっと⋮⋮本気?﹂
703
﹁はい﹂
本気と書いてマジらしい。
ロクサーヌの表情を見ても、冗談とは思えない。
主君に忠誠を誓う騎士、という感じなんだろうか。
文明の発展具合からいって、近いものがあるのかもしれない。
﹁ロクサーヌがそうしろというなら、そうするが﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁でも何故﹂
﹁ご主人様は大変素晴らしいおかただと思います。若くて力強く、
能力もあります。おそらくは立派な仕事を成し遂げられるでしょう。
それなのに私に対しても優しく接してくださいました。このご恩は
返さなければなりません﹂
日本の江戸時代ならさしずめ殿様と忠義の士というところか。
ロクサーヌには多分そういうものに対する憧れがあるのだろう。
それならば、受け取っておくのも悪いことではないか。
﹁分かった。ただし、言っておかねばならんが、俺が何かを成し遂
げることはないだろう﹂
﹁そうとは思えませんが﹂
﹁俺はむしろ何かをなさないためにここにいる﹂
この世界の人間ではない俺がみだりに動けば、この世界に混乱が
生じるかもしれない。
それは避けなければならない。
自分の力を過信し、調子に乗って軽率な行動をとることは厳に戒
めなければならないだろう。
704
隔離された炎が燃え広がることなくやがて消えるように、俺も延
焼することなく消え去るべきなのだ。
﹁よく分かりません﹂
﹁分からなくてもいい。そういうものだと思っておいてくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
首をひねるロクサーヌを無理やり納得させた。
﹁しかしベイルの商館には行く。そろそろパーティーメンバーの拡
充を考えるときだろう。いい戦士がいないか聞いてみるつもりだ。
遺言が必要ないなら、ロクサーヌは無理についてくる必要はない。
八階層からは魔物が最大四匹出てくる。やはり二人ではつらいだろ
う。俺は剣を出し入れする必要もあるので常には対応できない。前
衛がロクサーヌの他にもう一人いた方が安心だ﹂
微妙な雰囲気になってしまったが、本来の目的を話す。
ロクサーヌが遺言はいらないとまで言ってくれた直後に持ち出す
のは気が引けるが。
やましさからつい饒舌になってしまったかもしれない。
いや。必ずしも次のパーティーメンバーを女性にすると決めてい
るわけではない。
鍛冶師になれるドワーフで前衛だと、ひげもじゃのおっさんとい
う可能性もある。
ロクサーヌと両手に花とか。それはもちろん憧れるが。
朝起きたときに左右両側に美女が寝ているとか。
お風呂でロクサーヌと前後から洗ってもらうとか。
705
くっそっ。いいな、それ。
しかし資金も潤沢に用意できたわけではない。
ロクサーヌくらい条件のいい奴隷は高いだろう。
美人で、性格もよくて、迷宮においてもおおいに役立つ。
パーティーメンバーを妥協すべきではないが、次くらいはまあお
っさんでもしょうがないだろう。
﹁それはよかったです。確かに、上に行くには二人ではそろそろつ
らいかもしれません﹂
ロクサーヌも前向きのようだ。
考えてもみるがいい。
迷宮ではどんなことが起こるか分からない。
パーティーの全滅を防ぐために誰かを犠牲にしなければならない
事態に陥るかもしれない。
そんなとき、おっさんがいれば役立つ。
おっさんが一人いれば、誰を犠牲にするかは決まっているような
ものだ。
瞬時の遅れもなく、俺は決断できるだろう。
その数刻によって俺やロクサーヌは逃げ出せるかもしれない。
ありがとう、おっさん。恩に着る、おっさん。
おっさんの尊い精神は忘れない。
おっさんの犠牲を糧に、俺は生きよう。
ノーモアおっさん。
﹁やはりそう思うか﹂
706
﹁はい。それで、私が一緒に行ってもよろしいのでしょうか﹂
﹁一応ロクサーヌの意見も聞いてみたい。俺には知らないこと、分
からないことも多いので、何かアドバイスがあれば役立つだろう﹂
女性を選ぼうとするときにロクサーヌがどういう反応するかも見
てみたい。
反対するようなら、無理にということはないだろう。
﹁分かりました。それではご一緒させていただきます﹂
﹁頼む﹂
しかしおっさんがロクサーヌと同じパーティーになるかと思うと、
なにやら無性に腹が立つな。
もし胸に目をやるなどということがあったならば即死刑だ。
おっさんはロクサーヌを見てもいけないし、話しかけてもいけな
いし、一緒の空気を吸ってもいけない。
このくらいの規律は必要だろう。
一緒に住むとなるとロクサーヌのあでやかなネグリジェ姿を見ら
れてしまう可能性もある。
やはりおっさんは駄目だ。ノーモアおっさん。
パーティメンバーは女性限定にしよう。
707
再訪
一度ベイルの迷宮で探索をした後、ベイルの町の冒険者ギルドに
出た。
迷宮に入ったのはアイテムを溜め込むためだ。
ギルドでの売却には三割アップが有効なので、十万ナールの黄魔
結晶は十三万ナールで売れるだろう。
さすがに何もなく三万ナールも増えると、ギルドの職員が不審に
思う可能性があるのではないだろうか。
金貨が十三枚だろうから見ればすぐに分かる。
なるべく不審を抱かれないようにするには、たくさんのアイテム
を一気に売り払うのが得策だろう。
あとは売る場所も考えなければならない。
今回は初めて魔結晶を売却するので問題はないが、次からは魔結
晶のできるスピードに不審を持たれる可能性もある。
俺には結晶化促進三十二倍のスキルがあるから、他人の三十二倍
の速さで魔力がたまる。
人の多いところでドサクサにまぎれて売ってしまうのがいいだろ
う。
﹁魔結晶って冒険者ギルドでも売れるのか﹂
﹁はい。どこのギルドでも可能だと思います﹂
ロクサーヌに確認する。
冒険者ギルドに売れるのなら、帝都およびクーラタルにある探索
708
者ギルドと冒険者ギルドだけで四箇所の売却先ができる。
四箇所のローテーションでもそれなりに少なく見せることができ
るだろう。
ときおりは他の町も織り交ぜてやれば完璧だ。
ベイルの冒険者ギルドのカウンターでトレーの上に黄魔結晶を置
いた。
黄魔結晶を覆い隠すように、他のドロップアイテムを盛りつける。
﹁買取を頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
受付のアラサー女性がトレーを持って奥に消えた。
少しどきどきしながら待つ。
戻ってきたのは、いつもと同じくらいの時間だろうか。いつもよ
り時間がかかっただろうか。
トレーの上に金貨が十三枚あるのをいち早く目で数える。
受付の女性が不審に思っている様子はない。
大丈夫そうだ。
金貨をアイテムボックスにすばやく入れた。
銀貨と銅貨は巾着袋に入れ、カウンターから離れる。
﹁では行くか﹂
﹁はい﹂
カウンターの職員は基本的に買取金額を云々することはないよう
だ。
探索者や冒険者にとっては収入源だから、あまり触れないように
709
しているのだろう。
詮索されれば生活レベルなども分かってしまう。
触れないだけで、実際にはきっちり把握されているのかもしれな
いが。
外に出て、しばらくぶりにベイルの町を歩いた。
特に変わったところはないようだ。
﹁店主にお会いしたい﹂
奴隷商人の商館に着き、出てきた男に告げる。
店主の名前は、忘れた。
﹁こちらへどうぞ﹂
一度引っ込んだ男が案内する。
奥の部屋に通された。
あれ?
いきなり奥の部屋に通されたのは、盗みを働いて奴隷に落とされ
た村の人を売りに来た最初のときだけだ。
ロクサーヌを売りに来たと思われてないか。
ちらりとロクサーヌの方を見るが、表情に変化はない。
昔自分がいた奴隷商館でも大丈夫のようだ。
俺は座ったが、ロクサーヌは控えて立っている。
どうなんだろうか。
こういうときは横に座らせない方がいいのだろうか。
710
﹁立ってる?﹂
﹁はい。その方がいいと思います﹂
何も知らない俺よりもロクサーヌの判断の方が妥当だろう。
俺はうなずいてそのままにさせた。
﹁ようこそいらっしゃいました、ミチオ様﹂
すぐに奴隷商人が部屋に来る。
鑑定で名前を確認した。
そうだ。アランだった。
﹁急にきてすまないな、アラン殿﹂
﹁いえいえ。いつでもお越しください。さあ、どうぞ﹂
立って挨拶すると、あらためてソファーを勧められる。
使用人がハーブティーを二つ持ってきて、俺と奴隷商人の前に置
いた。
ロクサーヌの分はないらしい。
奴隷だと分かっているからなのか、売りに来たと思われているの
か。
﹁ロクサーヌは非常によくやってくれている。よい戦士を紹介して
くれたと感謝しているところだ﹂
とりあえず、売りに来たのではないと釘を刺しておく。
変な風に思われて、変な対応をされても困る。
﹁さようでございますか。私どもとしても面目をほどこせます﹂
﹁店主が勧めてくれたとおりだった﹂
711
﹁何か不都合な点はございませんでしょうか﹂
﹁何もないな﹂
どうせ本人がいるのだから、めったなことは言えない。
それは奴隷商人もよく分かっているだろう。
﹁ようございました﹂
﹁ロクサーヌもよく働いてくれるのでな。そろそろ次のパーティー
メンバーをと考えている﹂
﹁なによりのことでございます﹂
﹁少し尋ねたいが、鍛冶師の奴隷を買うことはできるか﹂
こちらの手をさらすみたいで問題かもしれないが、しょうがない。
素直に訊いてみる。
雑談の中で巧く聞き出すとか、俺には無理だ。
﹁鍛冶師をですか?﹂
﹁そうだ﹂
﹁そうですね⋮⋮。不可能ではありませんが、なかなか難しくはご
ざいます﹂
店主は少しだけ考えて答えた。
やはり特定のジョブとなると難しいのだろう。
﹁そんなものか﹂
﹁モンスターカードの融合は失敗することが多いのはご存知でしょ
うか﹂
﹁知っている﹂
﹁奴隷の鍛冶師であってもそれは変わりません。失敗が続くとやが
て所有者は奴隷を疑うようになります。専用の鍛冶師を抱えたがる
712
貴族のかたなどは多いのですが、あまり双方が幸福な結果に終わっ
た話はないようです﹂
直接依頼するのと同じ問題があるわけか。
奴隷がモンスターカードをちょろまかしても捌けるかどうかは不
明だが。
まあ、命令してやらせたのに失敗続きでは怒りたくもなるだろう。
﹁なるほど﹂
﹁ドワーフの方でもそれが分かっておりますから、奴隷になる際に
は鍛冶師のジョブを変更してからなることが行われています﹂
﹁となると、鍛冶師の奴隷はいないのか﹂
﹁まったくいないわけではございませんが、価格の方がどうしても
高くなってしまいます﹂
なり手が少ないから値段が上がるということか。
しかし高い金を出して買ったのに失敗続きではますます腹が立つ
だろう。
なんか、負のスパイラルに入っているような気がする。
評判が悪いからなり手が減る。
供給が少ないから値段が上がる。
安ければあきらめもつくが、せっかく高い金を出して買ったのに
うまくいかなければもっと腹が立つ。
怒りにまかせて鍛冶師である奴隷につらくあたるから、悪い評判
が広まってさらになり手が減ってしまう。
﹁まあそこまでして鍛冶師がほしいわけではない。鍛冶師でない他
のドワーフはどうだろう。前衛として役に立ちそうだが﹂
713
鍛冶師の奴隷を買うのは難しいらしい。
しかし、元々それでもよかった。
ジョブを指定してこのジョブの奴隷をといって求めれば、鍛冶師
でなくとも高くなるだろう。
俺の場合、パーティージョブ設定が使えるのだから、ジョブを指
定することに意味はない。
鍛冶師のジョブを獲得できるドワーフであれば、問題ないはずだ。
﹁ドワーフは力強さを持つ種族ですから、前衛として役に立ちまし
ょう﹂
﹁やはりそうか﹂
この手の話も多少はロクサーヌから聞いた。
あくまで雑談に留まる範囲で。
ドワーフの奴隷が買えそうかとか、深い部分は尋ねていない。
そういうことをロクサーヌに訊くのはちょっと憚られる。
ドワーフや、ロクサーヌのような獣人、竜人は力が強く前衛に向
くそうだ。
というか、人間が非力すぎじゃね?
﹁しかしながら、残念なことに当館には現在ドワーフが一人しかお
りません。彼女は性格的にあまり荒事には向いていないかと思いま
す﹂
﹁残念だな﹂
彼女ということは女性だが、ここで飛びつくわけにはいかないだ
ろう。
足元を見られる。
714
平静に。
﹁もしもドワーフがよろしければ、他の店に紹介状を書くこともで
きます。それを持って、他の店をあたってみてはいかがでしょうか﹂
﹁そんなことをしてもらってよいのか?﹂
﹁かまいません﹂
﹁商売敵なのに﹂
俺はいらない客なんだろうか。
あの客は安く買い叩くからいらない、とか。
具体的には三割引きで。
﹁この商売、買っていただくお客様にはあまりこと欠きません。む
しろ大変なのは仕入れでございます。私どもも独自の仕入れルート
を持っております。ベイル一帯と、南側にかけての平原が私どもの
商圏です。仕入れる地域が異なる店は必ずしも商売敵ではありませ
ん。必要なときには融通しあうこともございます﹂
﹁そういうものなのか﹂
商売するものがものだけに、特別な事情があるようだ。
﹁帝都にある私どもと仲のよい商館を紹介いたしましょう。今の時
期ですと、数がそろっていることはないかと思いますが﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁春は農繁期でもありますから﹂
忙しいなら需要があるのでは、と思ったが、そうでもないのか。
忙しい間は働き手を売りに出したりはしないだろう。
口減らしに売るとしたら、農作業が一段落ついてからだ。
715
買う側にしても、忙しいからとあわてて買うようでは駄目に違い
ない。
必要なだけの奴隷は前もって準備しておかなければならない。
その程度の才覚もないようでは、奴隷を買えるほどの身分になる
ことは難しいだろう。
﹁なるほど、な﹂
勝手に解釈して独りで納得する。
違っていたとしても不都合はない。
問題は、供給がないから相場が高いのか、取引が活発でないから
相場が安いのかだ。
﹁紹介させていただく帝都の商館も間違いのない商売をする店でご
ざいます。満足のいただける取引ができるかと思います﹂
﹁そう願いたい﹂
﹁その前に、一応、うちにいるドワーフと、他に前衛を務めること
のできる者もおりますれば、ご覧いただけますでしょうか﹂
﹁そうだな。そうしよう﹂
自然な形で向こうの提案に乗った。
上出来だ。
がっつくよりいいだろう。
奴隷商人も商売だから、できれば見て買ってほしいと考えている
はずだ。
﹁ミチオ様には一度見ていただいた者もおります。その者たちは除
外いたしましょうか﹂
﹁そうしてもらおうか﹂
716
ロクサーヌを紹介されたときに、女性の奴隷はあらかた見たのだ
った。
あの中に特によいと思える人材はいなかった。
﹁そうすると、男性ばかりになってしまいますが﹂
﹁やむをえないだろう﹂
しょうがない。
やっぱり前衛はおっさんでしょうがないのか。
まあ、どうしてもドワーフがいいといって断ることもできる。
﹁ありがとうございます﹂
﹁ん? ドワーフには会っていないと思うが﹂
言ってから、しまったと反省した。
ドワーフが女性であることに注目していたのがばれてしまう。
﹁彼女は最近来たばかりですので﹂
﹁そうか﹂
﹁いえ。ここへ来てから日も浅いですが、物覚えもよく、すでにブ
ラヒム語も習得しております。教育の行き届かないところはないと
思います﹂
しかし、あわてたのは奴隷商人の方だった。
少しあせったようにあたふたとフォローする。
なるほど。まだ教育ができていないだろうと言えば、ウィークポ
イントにはなるわけか。
彼女の売り材料を知ることができたので、プラマイゼロだ。
ロクサーヌはブラヒム語と主人に対する礼儀作法をここで教わっ
717
たらしい。
それができていない奴隷は困る。
奴隷商人は準備をしてくると言って消えた。
ロクサーヌを座らせ、手をつけなかったハーブティーを渡す。
飲まなかったのはたまたまで、ロクサーヌを引き取りに来たとき
のように変な薬が入っているのを疑ったわけではない。
結果からいえば、あの奴隷商人のお薦めは正解だった。
信用できる商人だと考えてもいいだろう。
﹁前衛について何か希望はあるか﹂
﹁ご主人様のお好きなようになされればよいと思います﹂
好きにしろというのが一番困るのだが。
ロクサーヌといろいろ話していると、奴隷商人が戻ってきた。
﹁ではまず男性の候補者から見ていただきたいと思います。失礼な
がら、彼女にはここで待っていてもらえますか。男性ばかりですの
で﹂
﹁そうだな。ロクサーヌのような美人が現れたら、どうなるか分か
らないな﹂
﹁⋮⋮あ、あの﹂
﹁ロクサーヌは待っていてくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
男の奴隷の前に彼女を連れて行ったのでは刺激が大きすぎるのだ
ろう。
奴隷身分に落とされて。商館に長いこと閉じ込められて。突然ロ
クサーヌのような美人が目の前に現れたら、俺なら謀叛を考える。
718
殿中でござる。
奴隷商人に案内されて、二階に上った。
部屋に入る。
⋮⋮えっと。
ここはどこの組事務所でしょうか?
思わずそう尋ねたくなるようなつらがまえの面々が。
確かに前衛向きではあるのでしょうが。
怖い。
というか、無理。
こいつらに命令していうことをきかせるとか、難易度高すぎだろ
う。
中に入った俺をジロリと睨みつけるその視線だけで殺されそうだ。
今この場で反乱を起こしかねないと思うのだが、大丈夫なんだろ
うか。
ロクサーヌを連れてこなくてよかった、というかむしろ、護衛に
必要だったかもしれない。
飛びかかれば俺の腰に差した銅の剣をすぐにも抜けるだろう。
置いてくればよかった。
殿中でござる。
ご乱心なさるな、殿中でござる。
719
吟味もそこそこに逃げ出した。
圧迫面接というのは聞いたことがあるが、試験官が圧迫される面
接というのは初めてだ。
俺のことを買うよな、と凄まれたら思わずうなずきそうだ。
部屋の中にいた何人かは候補者ではなく、店側のボディーガード
だったようだが、何の慰めにもなりゃしない。
取り締まる側のマル暴の刑事も暴力団員と変わらない凶暴な顔つ
きになる、という話を聞いたことがあるが、それと同じ感じだろう。
奴隷を持つということを、俺はなめていた。
俺があんな奴隷を持ったら、数日のうちに下克上が発生するに違
いない。
奴隷を持つものにも才覚が必要なのだ。
﹁いかがでしたしょうか﹂
部屋の外に出ると、奴隷商人が訊いてくる。
いかがもくそもあるかと言いたい。
無理だから。
不可能だから。
ありえないから。
﹁彼らを使うには、俺自身の才覚が足らぬようだ﹂
謙遜ではなく本気でそう思う。
﹁個別に話を聞きたい奴隷がいれば、呼び出しますが﹂
720
呼び出さなくていい。
この商人はやり手のように見えて何も考えていないに違いない。
よく確認すれば、ひょっとしたら気のよさそうな人もいたのかも
しれない。
しかし、暴力団の組事務所に連れて行かれて、居並ぶ組員の中か
ら怖くなさそうな鉄砲玉を選べと言われても無理な相談だ。
怖くなさそうなやつがいたとしても、前衛としてどうかという問
題がある。
俺が前衛の務まる人物をと注文したから、こうなったのだろうし。
前衛として有用なら目をつぶるべきなのか。
前途は多難なようだ。
721
セリー
﹁いかがでしたでしょうか﹂
恐ろしい組事務所から生還した俺を、ロクサーヌが迎えてくれた。
女神に見える。
いや。女神が見える。
ロクサーヌは女神だったのだ。
美人だし優しいし言うことは聞いてくれるし迷宮では頼りになる
しイヌミミは可愛いし胸は大きいし。
﹁ロクサーヌ、ありがとう﹂
﹁は、はい?﹂
﹁いろいろと難しいようだ﹂
ロクサーヌは分かっていなさそうだが、どうでもいい。
分かったことはぶっちゃけ、男の奴隷なんかいらねえよ、という
事実だ。
イヌミミをひとなでさせてもらった後、ソファーにもたれこんで
ハーブティーをすする。
﹁あっ⋮⋮﹂
﹁ん? ロクサーヌ以外に誰か飲んだ?﹂
﹁いいえ﹂
﹁じゃあいい﹂
722
ロクサーヌの飲みさしなら問題ない。 奴隷商人も続いて戻ってきた。
﹁今うちにいる者の中で、迷宮で働けそうなのは彼らくらいです﹂
﹁そうか。ちなみに、いかほどくらいか聞いてもいいか﹂
﹁迷宮でも間違いなく働ける者たちですので、安い者で十五万ナー
ルから、男なので上は二十五万ナールまででしょうか﹂
﹁うーん﹂
相場としてはそんなものなのか。
迷宮でこき使うより美人の方が高く売れるようだ。
まあ、労働奴隷の場合はどれだけ稼げるかが基準、女奴隷の場合
はどれだけ払えるかが基準なのだろう。
そのとき、トントンと音がしてドアがノックされた。
﹁入れ﹂
﹁準備ができましてございます﹂
ドアが開き、店の従業員らしきおばさんが顔を覗かせる。
おばさんは奴隷商人に一礼した後、ロクサーヌを見て軽く目礼し
た。
ロクサーヌも頭を下げる。
知り合いらしい。
この商館にいたのだから、知っている人がいて当然か。
﹁ではここへ﹂
723
﹁かしこまりました﹂
奴隷商人が命じると、おばさんが一人の女の子を招き寄せた。
おばさんの胸くらいまでしかない背の低い女の子だ。
小さい。
身長は百四十センチをきるだろう。
セリー ♀ 16歳
探索者Lv10
ドワーフ
鑑定したら16歳と出たので、ロクサーヌと同い年だが。
矮種だからなのか。
ドワーフといっても、見た目それほど特徴はない。
やや大人びている背の低い子、という感じだ。
これまでにもどこかでドワーフを見かけたことがあったかもしれ
ないが、気にも留めずにスルーしただろう。
身体つきは、ごつくも太ってもいない感じ。
むしろちっちゃくて細くて可愛らしい。
ドワーフの基準が分からないが、身長相応というところか。
かといって幼児体形というわけではない。小さいなりに整ってい
る。
ボンキュッボンっとはいかないが、スタイルはいい方だろう。
髪は黒くて、おとなしい印象を受ける。
黒髪なのに目鼻立ちのはっきりとした割とバタくさい顔だ。
724
小高く鼻が通っていて、目も大きくて力がある。口は小さい。
なんか、いんちきイタリア人みたいな感じ。
日本人なのにイタリア人で通用する顔つき、といえば分かっても
らえるだろうか。
かなりの美少女である。
美女というよりは美少女といった方がいい。
ヘアスタイルをもう少しなんとかすれば、セレブなお嬢様で通る
だろう。
髪の毛は、全体にこんもりしており、ちょっと変な印象がある。
ショートカットでありながらかつ肩の上左右両側でまとめている。
﹁よろしくお願いします﹂
頭を下げると、髪の毛全体が不自然に揺れた。
どうなってるんだ?
﹁彼女、セリーが今うちにいるただ一人のドワーフです。セリー、
こっちへ﹂
﹁はい﹂
セリーが奴隷商人の隣にやってきて、俺の前のソファーに座る。
彼女がドワーフか。
近くで見ても美少女だとはいえる。
ただし、ロクサーヌを初めて見たときほど心乱される感じはない。
何故だろう。
思うに、俺にはもうロクサーヌがいるから、無理にがっつく必要
725
はない、ということではないだろうか。
ロクサーヌがいるから無理をして求めることもない。
ロクサーヌがいるから手に入らなければしょうがない。
手に入らなかったとしても、俺にはロクサーヌがいる。
くそっ。そういうことだったのか。
なんか格差社会の現実を見た。
モテるやつは女にがっつかないからさらにモテる。
モテないやつは下心が丸見えでさらにモテなくなっていくのだろ
う。
今の俺なら冷静に彼女を見ることができる。
セリーは、女性としての色香があるわけではないが、美少女だ。
妖艶な魅力を求めるのは間違っているし、十分に可愛らしい。
おとなしそうな感じだし、三階の荒くれどもを見た後ではなおさ
ら好印象だろう。
﹁迷宮に入ることに問題はないか﹂
﹁はい。できる限りのことはいたします﹂
﹁そうか﹂
一応聞いてみた。
迷宮で戦うことに関しては心配していない。
探索者Lv10なのだから大丈夫だろう。
テーブルの上におかれたセリーの腕は細くてスマートだが。
奴隷商人は何故向いていないなどと考えたのか。
おとなしそうだし、バリバリ活躍する風には見えないとはいえ。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
726
セリーが何かを伝えたげに言いよどんだ。
セリーは奴隷商人の方をうかがう。
商人が小さくうなずいた。
﹁何?﹂
﹁私は探索者Lv10になりました﹂
﹁探索者なら迷宮に入るのに問題はないか﹂
それは鑑定で分かっていたけどね。
﹁えっと。そうではなく﹂
﹁何か問題が?﹂
﹁ドワーフは探索者Lv10になると鍛冶師へのジョブ変更が認め
られます。ただし、全員が鍛冶師になれるわけではありません。一
般的に、迷宮で活躍できる才能のあるドワーフが鍛冶師にもなれる
とされています﹂
なんか問題があるようだ。
﹁えーっと。つまり、なれなかったということ?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
俺の質問に、セリーは下を向いてしまう。
才能のあるドワーフなら探索者Lv10で鍛冶師になれる。
セリーは探索者Lv10だ。それなのに鍛冶師ではない。
つまり、探索者Lv10で鍛冶師にはなれなかった。
鍛冶師になれなかった彼女には迷宮で働ける才能はない、という
ことか。
727
少なくともセリーは鍛冶師のジョブを持っていないということに
なる。
ドワーフや前衛ではなく鍛冶師がほしかった俺には別の意味で問
題だ。
しかしどうなんだろう。
才能がないから鍛冶師になれないなどということがあるのだろう
か。
すでにドワーフにしかなれないという制限があるのだし。
大丈夫なんじゃないだろうか。
第一、才能なんていうものをどうやって計るのか。
単に鍛冶師のジョブを獲得するのに探索者Lv10の他にも条件
がある、というだけではないだろうか。
例えば、知力100以上とか。
いや。ドワーフについてそれなりに理路整然と説明してきたので、
セリーは頭はいい方だろう。
なら、腕力100以上とか。
キャラクター再設定でボーナスポイントを1ポイント単位で腕力
上昇につぎ込めるのだから、腕力100以上という条件設定は可能
なはずだ。
例えば、腕力100以上、探索者Lv10以上という条件で鍛冶
師のジョブが獲得できるとかなら、話が通る。
ロクサーヌに訊いても要領を得なかったし、ステータスをポイン
ト化するという発想は一般的には存在しないらしい。
探索者Lv10で腕力が規定の数値に達しないドワーフは、迷宮
で活躍する才能がないと考えられても不思議はないだろう。
728
﹁訊いていいか﹂
﹁はい。どうぞ﹂
セリーが顔を上げた。
顔は可愛い。
鍛冶師のジョブを持っていないからと断るのはちょっともったい
ない。
悪くいえば、やや薄汚れている印象はあるか。
髪の毛とかもなんか野暮ったい。
というか、ロクサーヌが綺麗すぎるのかもしれない。
最初に会ったとき、ロクサーヌはどうだっただろうか。
ロクサーヌを迎えてから、毎日寝る前に身体を拭き、風呂にも何
度か入れ、昨日は石鹸で磨き上げた。
差があって当然ではあるだろう。
ロクサーヌが綺麗になったのだとしたら、セリーも綺麗になるは
もと
ずだ。
素はいいのだから。
﹁鍛冶師になるのに他に条件が、ああ、いや。探索者Lv10で鍛
冶師になれないと、絶対に鍛冶師にはなれないのか?﹂
他に条件があるのが分かっていたら、才能がないとは落ち込まな
いだろう。
﹁鍛冶師ギルドでは探索者Lv10での転職しか受け付けていませ
ん。調べてみましたら、まったく前例がないわけではなかったので
すが﹂
729
﹁そうか﹂
やはりそうか、と言うべきか。
本当に才能が条件になっているなら、探索者Lv10になったと
きに鍛冶師のジョブが得られなかったのに、その後鍛冶師になれる
のはおかしいだろう。
まあ、腕力100以上、探索者Lv10以上ではあからさますぎ
る。
それでは誰でも鍛冶師になれてしまう。
もう少し厳しい条件なんだろう。
とはいえ、現時点でセリーが鍛冶師のジョブを持っていないとし
ても、その条件さえ満たしてやれば、鍛冶師を獲得できるはずだ。
もちろん、このまま鍛冶師のジョブを獲得できない可能性もある。
その可能性をどの程度見積もるべきか。
鍛冶師の奴隷を買うことも難しそうだ。
元鍛冶師なら購入できるようだが、元の場合鑑定では判別できな
い。元鍛冶師であると偽られるおそれもある。
鍛冶師を求めるなら、多少のリスクは負わなければならないだろ
う。
買ってみて鍛冶師のジョブを得られなかったら売り払う、のはか
わいそうだとしても、パーティーメンバーにもまだ余裕はある。
最悪、俺たちが迷宮に出かけている間は家で留守番という手もな
くはない。
セリーが鍛冶師になれない危険性は取ってみてもいいリスクだろ
う。
730
鍛冶師のジョブ獲得条件については、例えば、腕力100以上、
探索者Lv10、という条件かもしれない。
これなら、後でいくら腕力をつけようが鍛冶師にはなれない。
探索者Lv10のときの才能で決まる、といってもあながち間違
いとはいえないだろう。
その点、セリーは現在探索者Lv10だ。
若干は優位性があるかもしれない。
﹁私は村で一、二の力持ちでしたし、ドワーフの中では力のある方
だと思います。迷宮に入ってもやっていくつもりです。よろしくお
願いします﹂
セリーが頭を下げる。
腕力100以上という条件は違っていそうだ。
しかし、なんで自分からアピールしてくるんだろうかね。
奴隷商人に命じられているのだろうか。
つい不審に思ってしまう。
﹁そろそろよろしいでしょうか﹂
俺の微妙な反応を読んだのか、奴隷商人が促した。
疑念が表情に出てしまっただろうか。
﹁ああ﹂
﹁それでは﹂
俺がうなずくと、奴隷商人がセリーを退席させる。
一緒に奴隷商人も部屋を出て行った。
731
﹁なんで積極的なのかね﹂
二人きりになったので、つぶやくように疑問を口にする。
ロクサーヌと最初に会ったときに見た他の女奴隷は態度が悪かっ
た。
さっき三階で会った男の奴隷も、周りに人がいたとはいえ、積極
的に自分のことを売り込んでくるようなことはしていない。
俺がもし奴隷になったら、と考えると、自分のことを自分で売り
込もうとは思わないだろう。
だから他の奴隷たちの態度の方が自然に感じる。
それなのに何故アピールしてきたのか。
﹁条件がいいからだと思います﹂
﹁条件⋮⋮はいいのだろうか? 迷宮にも入るのだし﹂
迷宮に入っている俺が言うセリフではないが。
しかし、根なし草の俺には他に稼ぐ手段があまりない。
盗賊狩りをするとか。それもどうかという話だ。
また、自分で判断しながら迷宮を進むのと、命令されて進むのと
では危険度も異なるだろう。
﹁売り込んでくるのは、元々迷宮に入っていたか、入ることを考え
ていたような人でしょう。私もそうでしたし﹂
そうだったのか。
まあ、そういう面はあるのだろう。
適性のありそうな人を選別できて、一石二鳥だ。
732
﹁そうすると、あのドワーフも有望そうか﹂
と言ってから気づいた。
奴隷商人が出て行ったのは、俺とロクサーヌで相談させるためだ。
そのために席をはずしたのだろう。
やはりあなどれない。
﹁そうですね。ドワーフのことはあまりよく知りませんが、才能が
ないといっても覚悟があれば努力と鍛錬でなんとかなるでしょうし﹂
﹁そ、そうだよな﹂
ロクサーヌが言うと鍛錬というのも怖い。
しかし、女性だからといって反対することはないようだ。
一安心。
というか、よこしまなことを考えているのは俺だけだったりして。
﹁あまり長い間活躍することはできないと思いますが、その分値段
も安いでしょうから、選択肢としては悪くないと思います﹂
﹁長くは活躍できなさそう?﹂
﹁はい。彼女はある程度の年齢だと思います。年齢を確認なさった
方がよろしいかもしれません﹂
﹁え?﹂
鑑定したとき、セリーは16歳だった。
ロクサーヌと同い年だ。
ロクサーヌは何を言っているのだろう?
ドワーフは寿命が短いのだろうか。
﹁ドワーフは歳を取ると耳が細くなっていきます。彼女の耳はかな
り細くなっていました﹂
733
首をかしげる俺にロクサーヌが説明してくれた。
そんなことがあるのか。
そういえば、種族によって老化するポイントが違う、という話を
奴隷商人がしていた。
ドワーフの老化ポイントは耳ということか。
奴隷商人は種族によって寿命に違いはないとも言っていた。
﹁そういうものなのか。分かった﹂
年寄りに見える、ということは重要なポイントだろう。
これはいい話を聞いた。
不穏な空気を察したのか、そのとき奴隷商人が戻ってくる。
盗み聞きしてないだろうか。
セリーを連れてきたおばさんも一緒だ。
﹁少し席をはずしてもよろしいでしょうか。あのかたにはここにい
たとき世話になったので﹂
おばさんがついてきたのを見て、ロクサーヌが告げた。
﹁ああ。話をしてくるといい﹂
奴隷商人と入れ替わりに、ロクサーヌが部屋を出る。
奴隷商人が俺の前に座った。
﹁いかがでしたでしょうか﹂
﹁そうだな。値段によっては、悪くないだろうということだ﹂
734
﹁さようでございますか。セリーは、鍛冶師でこそありませんが、
ドワーフで16歳。性奴隷となることを了承しております。処女で
ございますので、病気の心配はありません﹂
ロクサーヌがいなくなったためか、奴隷商人がズバズバと切り込
んでくる。
このためにわざわざロクサーヌに席をはずさせたのか。
よこしまなことを考えているのは、少なくとも俺だけではなかっ
た。
﹁そうか﹂
﹁ミチオ様は他種族のことにあまりお詳しくはないご様子。実は、
セリーは生まれつき耳が細く、細い耳はドワーフにおいては老化の
特徴と考えられております。ミチオ様にこだわりがなければ、通常
の相場よりもかなりお安くなっており、お買い得であると思います﹂
本当に俺とロクサーヌとの会話を聞いていたかのようだ。
それがなければ高く売りつけられていたかもしれない。
連れてきてよかった。
﹁他種族の者に耳は関係ないと思うが、それでも安くなるのか﹂
﹁むしろ他種族の者から見れば、耳だけしか判断材料がありません
ので﹂
﹁なるほどね﹂
まあ、社会的に年寄りだと見られる女性を、高い金を出してまで
手に入れたいとは思わないのかもしれない。
﹁また、セリーはなったばかりの初年度奴隷でございますので、税
金の分もお安くなります﹂
735
﹁初年度奴隷?﹂
にん
け
﹁はい。通常、奴隷の税金は一万ナールです。普通の庶民である家
人階層の税金は三万ナールとなっており、これを利用すれば税抜け
ができてしまいます。そのため奴隷になった最初の年だけは税金が
三万ナールかかります。まだこの税金を払っていない奴隷が初年度
奴隷です﹂
庶民の税金は三万ナール、奴隷の税金は一万ナール。
奴隷になって一万ナールの税金を払い、その後すぐに自分で自分
を買い戻せば、二万ナールの脱税ができる。
それを防ぐために、最初の年だけは奴隷でも税金が三万ナールか
かるということか。
十万ナールの税金がかかる自由民の俺ならそれでも七万ナールの
節税になるが。
ただし、買い戻したとき自由民には戻れないのかもしれない。
というか多分そうなんだろう。
ロクサーヌの税金はどうなっているのか。
税金を払えないせいで売られたのだから、ロクサーヌの最初の年
の税金三万ナールは奴隷商人が肩代わりしたのだろう。
その分もロクサーヌの値段に上乗せされたはずだ。
﹁了解した﹂
﹁そうですね。耳のことがあるので、彼女はあまり高くは売れませ
ん。ズバリ三十万ナール、といいたいところですが、うちに来て日
が浅く、教育の行き届いていない可能性もあるので、三万ナールを
引かせていただき、二十七万ではいかがでしょうか﹂
奴隷商人が値段を提示する。
736
ロクサーヌとはえらい違いだ。
とはいえ男の奴隷よりも高いのは、それだけの美少女だからか。
まあ、安い方は別にして、相場なんてあってないようなものなの
だろう。
ロクサーヌのときは足元を見られたのかもしれない。
今回は、無理にがっついてはいない。
安ければ買う、という態度なのだから、条件闘争だ。
﹁うーむ﹂
﹁では二十六万ナール。いや二十五万ナール。これがぎりぎりの値
段です﹂
言葉を濁していると、さらに値を下げてきた。
奴隷商人の方も、できればここで売ってしまえということなのか。
俺なら耳にこだわりもないし。
﹁そんなにするのか﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
二十五万ナールで本当にぎりぎりくさい。
これ以上は無理か。
しょうがない。
﹁ロクサーヌのときにつけてくれた服があっただろう﹂
﹁あれでございますか。あの服は帝宮の侍女が着る服を模したもの
で、多くのお客様から大変喜ばれている品でございます﹂
あのメイド服は侍女が着るものであったらしい。
見るからに上流家庭で家事労働を行う女性のための服ではある。
737
﹁そういうものだったのか﹂
﹁あの服ならば四千ナールほどでおつけいたします。両方あわせて、
特別サービスということで、十七万七千八百ナールでお譲りいたし
ましょう﹂
買うものが複数になったので、三割引が効いた。
交渉成立だ。
738
頭脳派
金貨十四枚と銀貨三百七十八枚を出して、セリーの代金を支払っ
た。
残りの資金はもうあまりない。
金貨が一枚に銀貨も百枚以上はあるが、セリーの装備品などを買
いそろえる必要もある。
あと一万ナールも高かったらやばいところだった。
お金を数えて奴隷商人が出て行き、代わりにロクサーヌが帰って
くる。
﹁きてもらうことにしたから﹂
﹁そうですか。それはよかったです﹂
一瞬ロクサーヌの顔が曇ったように見えたのは、気のせいだろう
か。
後ろめたさからそう見えてしまっただけだろうか。
あるいは、嫉妬してほしいという俺の願望か。
たとえロクサーヌの表情がかげったとしても、それはほんのわず
かで、表面上は歓迎しているように見える。
そもそも買っていいといったのはロクサーヌだ。
と思ったが、奴隷の立場では反対することはできないか。
嫌ならせめて消極的態度を示してほしかったとも思うが、それも
739
難しい。
迷宮に入る以上、パーティー戦力の充実は絶対に必要だ。
男ならいいかといえば、別の問題が起こる可能性もある。
﹁ロクサーヌには悪いが、これからよろしく頼む﹂
﹁はい。お任せください、ご主人様﹂
ロクサーヌが笑顔で答えた。
いやまあ、俺がセリーに手を出さなければいい話ではあるのだが。
高いお金を出して買ったのにいまさらそれはないだろう。
﹁お待たせいたしました。セリー、こっちへ﹂
代金を持って出て行った奴隷商人が部屋に戻ってくる。
後ろにセリーも一緒だ。
セリーが頭を下げた。
﹁よろしくお願いします﹂
﹁よろしく頼む﹂
﹁一番奴隷のロクサーヌといいます。よろしくお願いしますね﹂
いつの間にやらロクサーヌは一番奴隷の地位に登りつめたようだ。
最初に買ったのだから一番には違いないが。
他に言い方はないのだろうか。
筆頭奴隷とか。奴隷首座とか。
どちらもあんまりなりたくない。
﹁やはり奴隷だったのですか? 若奥様かと思いました﹂
740
ロクサーヌの発言にセリーが驚いている。
﹁若奥様だなんて、とんでもない﹂
ロクサーヌよ、そこはきっぱりとは否定しないでほしかった。
﹁昔ここにいたとはうかがいましたが、服も上等のものですし、血
色がよくて肌もあまりに綺麗だったので﹂
﹁ご主人様が優しくて素晴らしいおかただからです。衣食住に関し
てセリーは何も心配する必要はありません﹂
奴隷二人が話している間に、俺は左手を持ち上げる。
セリーも手を伸ばした。
奴隷商人がなにやら唱え、インテリジェンスカードを操作する。
﹁契約が完了しました。年齢もご確認ください﹂
耳が細くても若いということを確認しておけということだろう。
インテリジェンスカードがある以上、年齢の詐称はできないのか。
何かごまかす方法があるかもしれないが。
セリー ♀ 16歳 探索者 初年度奴隷
所有者 加賀道夫
16歳であることはすでに鑑定で判明している。
セリーの耳は、確かに細いが、俺にとっては気にするようなもの
でもない。
耳のおかげで安かったのだからむしろ好都合だろう。
741
加賀道夫 男 17歳 探索者 自由民
所有奴隷 ロクサーヌ セリー
俺のインテリジェンスカードの方も所有奴隷が増えていた。
所有奴隷数の上限とかあるのだろうか、とふと疑問に思ったが、
インテリジェンスカードは、実際に表示されているわけではなくて
表示されているように見えるというだけだから、数が増えようと問
題はないか。
﹁確かに﹂
﹁衣装は作るのに時間がかかります。十日後に受け取りに来てくだ
さい﹂
その後、ロクサーヌのときにもあった細かな注意事項を聞かされ
た。
受け取りが完了し、商館を出る。
外に出たら、セリーをパーティーに加入させ、一応メッキをかけ
た。
探索者Lv10、村人Lv3、薬草採取士Lv1。
パーティーに入れたのでパーティージョブ設定でジョブを見てみ
たが、やはり鍛冶師は持っていないようだ。
ジョブが少ないのは、まだ村人Lv3だからか。
戦士や剣士、商人などは多分村人Lv5で解放になる。鍛冶師も
742
村人Lv5で解放という可能性があるかもしれない。
盗賊を持っていないのは感心だ。
セリーはチュニックとズボンを着ている他は何も持っていない。
ロクサーヌも衣装ケースだけだったし、そんなものなんだろう。
﹁一度探索者ギルドに寄るぞ﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁か、かしこまりました﹂
帰りがけ、ベイルの探索者ギルドに寄って黒魔結晶を一つ買う。
もう一つ、朝にクーラタルの探索者ギルドでも購入している。黄
色になった魔結晶の替わりにベイルの迷宮で使用した。
即日即金で奴隷を買うと分かっていれば、二つ買ったのだが。
結局、一回だけ見つけた黒魔結晶を融合した後は、迷宮で魔結晶
を見つけることはできていない。
残しておけばよかった。
俺の判断は間違いっぱなしのような。
﹁じゃあ冒険者ギルドまで行って、冒険者ギルドから一度家に戻る
か﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁は、はい?﹂
セリーが微妙な顔をしたような気もしたが、先頭で歩きだす。
﹁何でしょうか?﹂
﹁えっと。他に冒険者のかたもパーティーメンバーにいらっしゃる
のですか﹂
743
﹁いませんけど、どうして?﹂
﹁家に帰ると言われたので﹂
後ろをついてきながら、ロクサーヌとセリーが会話した。
冒険者ギルドの内壁から自宅まで飛べるのは、冒険者のスキル、
フィールドウォークだ。
セリーも俺のインテリジェンスカードを見たから、俺が探索者だ
とは知っている。
それでおかしいと思ったのか。
﹁大丈夫ですよ。ついてくれば分かりますから﹂
あ。ロクサーヌは説明を放棄しやがった。
説明しておいてくれると楽なのだが。
内密にといったからだろうか。
﹁え? あ、あの?⋮⋮﹂
案の定、ベイルの冒険者ギルドから自宅までワープするとセリー
は困惑したような表情を見せる。
﹁とりあえず座れ。これから買い出しに行くが、時間もあまりない
ので当座に必要なものだけな﹂
俺も説明は放棄することにした。
ダイニングのイスに座る。
﹁まだそれほど遅くはありませんが﹂
﹁今日は風呂も入れようと思う。せっかくだし﹂
﹁はい。それは楽しみです﹂
744
隣に座ったロクサーヌが満面の笑みを見せた。
ロクサーヌも風呂は気に入ってくれたようだ。
笑うとイヌミミがさらに可愛らしい。
ついなでてしまう。
﹁あの。ひょっとしたら複数のジョブを使うことがおできになられ
るのでしょうか。そんな話は伝説か神話でしか聞いたことがありま
せんが﹂
納得いかない表情のセリーが割り込んできた。
伝説でならあるわけか。
しかし実は結構いい線をいっている。
俺が冒険者のジョブを得たら、インテリジェンスカード上は探索
者でありながらフィールドウォークを使うことも可能だ。
ノーヒントでここまで割り出すとは、やはり頭はいいようだ。
﹁惜しい。冒険者のジョブは使えない。あれはワープという魔法だ﹂
﹁時間空間魔法ですか?﹂
﹁時間空間魔法?﹂
オウム返しに訊いてしまう。
ただの空間魔法じゃ駄目なんだろうか。
﹁えっと。あまり知られていませんが、フィールドウォークで移動
するとき実は空間だけではなく時間も変わっています。だから正確
には時間空間魔法というのだそうです﹂
﹁時差のことを言っているのか?﹂
﹁時差というのが何か知りませんが、移転元が昼間だったのに移動
745
先が夕方になっていたり、朝方移動したのに移転した先がまだ夜だ
ったりします。フィールドウォークはこのように時間も司る魔法で
す﹂
それが時差なのだが。
毎回同じところに行けば同じだけ時間がずれるのだから分かりそ
うなものだが、分からないのだろうか。
﹁まあとりあえず座れ﹂
﹁えっと。座ってもいいのですか?﹂
セリーは六人がけの食卓で俺の横に座ったロクサーヌに小声で訊
いている。
パーティーメンバーは六人までだからと六人がけの食卓にした俺
は慧眼だった。
﹁はい。ご主人様の隣に座ってください﹂
俺が座っているのは、三人ずつかける食卓の真ん中のイス。
左右両方に美女が座って、両手に花だ。
さすがにロクサーヌはよく分かっている。
えらい。
ちなみに、今までは二人だったから、食事のときは俺の対面がロ
クサーヌの指定席である。
﹁あの。失礼します﹂
﹁この星、いやなんていうか、大地が丸いという説は知ってるか?﹂
とりあえず聞いてみた。
時差を説明するとしたら、この辺りからか。
746
地球でも地球球体説はかなり昔から知られていたはずだ。
北へ行けば星の位置もずれる。
時間空間魔法だなんていうくらいだし、セリーは頭がいい方だろ
う。
そういうタイプには、ご主人様も頭がいいんだということを見せ
つけてやるのが多分有効だ。
球面と太陽との角度から時差についてきっちりと説明してやれば、
少しは俺のことを尊敬するに違いない。
セリーのような美少女に尊敬されるのは気持ちがいい。
それに、今後の生活を円滑に進めるのにも役立つだろう。
何も俺が発見したのではなく過去の地球の科学者が考えたことだ
が。
先人の努力に感謝。
﹁昔の偉い学者さんがそう主張したという話は知っています。でも、
その話を私にしてくれた人は、こんなアホなことをいっているよう
だから駄目なんだと馬鹿にしていました﹂
﹁ちなみに、馬鹿な説だということの根拠は﹂
﹁大地が丸かったら、反対側に立っている人は落ちてしまいます﹂
うーん。
何と言っていいやら。
いや、確かにそうかもしれないが。重力を知らなければ。
﹁時間空間魔法かは知らないが、俺にはいくつか使える魔法がある。
このことは第三者には内密にな﹂
﹁かしこまりました﹂
747
説明はあきらめよう。
重力について話して深く突っ込まれたら、俺も知らないし。
ご主人様の知識をアピールするつもりで持ち出したのに、何言っ
てんだこの馬鹿は、となりかねない。
やはり不断の努力が大切なようだ。
﹁伝説では複数のジョブを持てる人もいたのか?﹂
﹁過去にそんな人がいたという伝説があります﹂
﹁俺についても、その類だと思っておけばいい﹂
﹁え?⋮⋮﹂
﹁今日買うのは、装備品、リュックサック、木の桶くらいでいいか﹂
強引に説明を打ち切って、ロクサーヌに話を振った。
ロクサーヌも俺の今の発言に多少驚いているようだが、動揺はし
ていない。
いまさらなんだろう。
﹁えっと。そうですね。服は商館から支給された服で今日明日は十
分ですが、肌着は新しいのを買ってあげてください﹂
﹁分かった。あそこの洋品店でいいな﹂
﹁はい﹂
服も買ったクーラタルの迷宮の向こう側にある洋品店でいい。
﹁あの。まだそんなに汚くないですし、そんなことまでしてもらう
わけには﹂
﹁買っておけ。後、得物は何が?﹂
というか、肌着なんだから明日着るのをどうするかという話だ。
748
﹁あ、ありがとうございます。得物は、前衛になるなら槌、中衛に
なるならば槍がいいです。槍の方が得意ですが、最前列では槍は振
り回せません。味方に当たるのを避けるには槌の方がいいです。力
はあるので、槌でも大丈夫です﹂
槍は長いので、狭い迷宮内では扱いにくいのだろう。
﹁槍の場合なら、後ろから突くのか?﹂
﹁そうです。前衛の間から、勢いをつけて魔物に突き刺します。手
数は少なくなりますが、威力は大きくなります﹂
槍で攻撃させるというのも悪くはなさそうだ。
とはいえ、現状では前衛に出てもらう必要がある。
﹁ご主人様のパーティーでは、私が魔物を抑えている間にご主人様
の魔法で敵を殲滅するというのが今まで一つの形でした。火力とし
てはご主人様がいらっしゃるので、前衛で槌を振るってもらうのが
いいでしょう﹂
ロクサーヌも俺と同じ意見のようだ。
﹁え? 魔法ですか?﹂
﹁はい﹂
﹁どういうことでしょう?﹂
セリーがロクサーヌと俺を交互に見やった。
﹁使えるのです﹂
﹁使えるのだ﹂
﹁えっと⋮⋮﹂
749
﹁人に知られてよいものではないので、内密にな﹂
納得いかない表情のセリーを無理に納得させる。
﹁は、はい。⋮⋮本当に、複数のジョブが?﹂
﹁そうだ。そんなことよりも気になっているのだが、セリーは槌で
魔物を倒したことがあるか?﹂
そっちの方が問題だ。
魔物を剣で倒すのがジョブ剣士の獲得条件で魔物を素手で倒すの
が僧侶の獲得条件なら、槌で倒すのがジョブ鍛冶師の条件、という
ことはおおいにありうるのではないだろうか。
鍛冶師がハンマーを振るうのはいかにもという感じがする。
﹁いいえ。ありません﹂
﹁そうか。それならば得物は槌にしよう﹂
まずはそこら辺から攻めてみよう。
﹁は、はい?﹂
セリーが微妙に首をひねりながらうなずいた。
槌では魔物を倒したことがないといっているのに何故槌なのか、
ということだろうか。
確かに脈絡通ってない。
細かいな。
﹁当面の得物は槌にする。ドワーフは槌を使うことが多いのか?﹂
﹁他の武器を使う人もいますが、普通に使われます。私も少しなら
使ったことがあります﹂
750
才能のあるドワーフなら普通に槌で魔物を倒したことがある、と
いうくらい使われていれば十分だ。
﹁ロクサーヌは使ったことある?﹂
﹁私はありません。重すぎてスピードが減殺されかねません﹂
なるほど。重い槌を持てば、ロクサーヌの美点であるあの回避能
力が落ちることになるのだろう。
軽い片手剣なればこその動きか。
実際にはシミターだってそれほど軽くはないが。
﹁槌は両手で持つのか?﹂
﹁私はそうです。片手で持つ人もいますが、両手で振った方が威力
が上がりますので﹂
セリーに確認する。
盾はいらないと。
﹁今はまだ装備品にお金をかける余裕がないので、装備品は安いも
のになるが了解してくれ﹂
﹁大丈夫です﹂
﹁そういえば、装備品の空きスキルって、分からないよな﹂
なにげなく訊いてみた。
﹁スキルスロットのことでしょうか﹂
﹁知ってるのか?﹂
﹁昔の偉い学者さんがそういう説を唱えたそうです。装備品にはス
キルスロットというものがあり、それを備えていない装備品にモン
751
スターカードを融合しようとしてもスキルがつかない、という説で
す﹂
なんとなく尋ねてみただけだが、そういう説があるらしい。
まあ誰でも思いつきそうではあるか。
﹁昔の偉い学者様と同じことを知っているなんて、ご主人様はさす
がです﹂
﹁あ、えっと。さっきの大地球体説の人とは別の学者さんです。で
も、スキルスロットなんてドワーフでも知っている人は少ないのに、
よくご存知ですね﹂
昔の学者は偉かったということだ。
同じことを唱えていた人がいるなら、装備品に空きスキルスロッ
トがあるとそこにモンスターカードを融合できるという考えは正し
そうではある。
﹁その説、今では駄目なのか?﹂
﹁知られてはいないですね。それに、誰もスキルスロットなんて見
たことがありませんので﹂
鑑定ができれば見えたりするのかもね。
﹁検証はされていないのですか﹂
ロクサーヌが問う。
検証は簡単だ。
同じ装備品に何度もモンスターカードを融合させればいい。
もしスキルスロットというものがあるなら、失敗する装備品は必
ず失敗するし、一度でも失敗した装備品にその後融合できるなら、
752
スキルスロットなどというものはないということだ。
あれ?
検証されていないはずがないな。
﹁どちらかといえば、否定する人の方が多いです﹂
﹁完全には否定されてないのか?﹂
﹁融合に失敗したとき、モンスターカードは失われ、装備品は素材
に分解されてしまいます。素材が残るので装備品は作り直せますが、
スキルスロット説を唱える人はまったく同じものが作られるのでは
ないと主張しています﹂
失敗すると装備品も壊れるのか。
それでは検証は無理だ。
空きのスキルスロットはあってもなくても鑑定以外で見た目の変
化はない。
やはりスキルスロット説は正しそうだ。
﹁セリーはどう思う﹂
﹁スキルスロット説の方は屁理屈をこねているだけに思えます。あ
れこれ難癖をつけて、否定させまいとしているようです。それで通
るのならどんな批判もパスできてしまいます﹂
セリーは不賛成なのか。
しかし、いいたいことは分かる。
反証可能性がないというやつだ。
何らかの結果になったとき否定されるような説でなければ、まじ
めに検証するには値しない。
そんなことまで考えつくとは。
753
セリーはかなり頭がいいようだ。
﹁そうか。しかしよく知っていたな﹂
﹁すみません。いろいろと興味がありましたので。詳しい人に尋ね
たりしていました﹂
なんにせよ物知りだったり頭がいいことは役に立つだろう。
754
やさぐれ
新しく迎えたセリーは、頭がよく、いろいろとものを知っていそ
うだ。
この世界について全然知らない俺には役に立つだろう。
﹁すみません。何でも知ろうとするんじゃないと母からもよく怒ら
れました﹂
セリーが頭を下げる。
﹁別に悪くはないが﹂
﹁己の分を超えて知ろうとすることは身の破滅をもたらすと言われ
ました﹂
﹁ああ、なるほど。うーん﹂
そういう考えも分からないわけじゃない。
身の程をわきまえろというやつだ。
奴隷制度があるようなこの世界では普通のことなんだろう。
﹁ご主人様もよく実験をなさっていますし、いいと思いますよ﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁そうなんですよ﹂
ロクサーヌ君、含むところがあるなら聞こうじゃないか。
普通に笑顔であるところを見ると、ないのかもしれないが。
755
﹁まあ、ほどほどにな﹂
﹁はい﹂
知ることが悪いとはいえないが、俺に深く突っ込まれても困って
しまう。
魔法を使えることとか、詠唱省略のこととか。
あと、パーティーメンバーのジョブを変更できることとか。
これはどうやって説明しよう。
﹁そういえば、セリーのアイテムボックスの中には何も入ってない
な?﹂
﹁入っていません﹂
確認したので、セリーのジョブを村人Lv3に変更する。
探索者がLv11になってしまうとまずいかもしれない。
﹁しかし村人Lv3はちょっと低いな﹂
﹁え?﹂
セリーが不審そうな目で俺を見た。
なんかまずったか。
﹁⋮⋮﹂
ロクサーヌに目をやると、困ったやつだみたいな顔で俺を見てい
る。
いや。それはそうか。
パーティーメンバーのジョブレベルが俺に分かることは二人とも
知らない。
756
ロクサーヌにすれば、またわけの分からないことをぼやいて、と
いうところだろう。
今日のロクサーヌは少し冷たい気がする。
﹁ええっと。英雄というジョブについて何か知っているか﹂
しょうがないので、セリーに質問を出してごまかした。
﹁初代皇帝が就いたとされる伝説のジョブです﹂
﹁伝説なのか?﹂
﹁はい。実際にはそんなジョブは存在しないとひそかにいう人もい
ます。ギルドもありませんので﹂
やはり英雄はレアのようだ。
﹁ではそのジョブを持っている人がいたら存在することの証明にな
るか﹂
﹁初代皇帝だけが就任したジョブですから。そんな人がいたら謀反
の罪に問われるかもしれません﹂
え?
いや。ありうる、のだろうか。
ないと思いたいが。
初代皇帝だけが持っていたジョブだとすれば、ありえるかもしれ
ない。
﹁え、えっと。じゃあ買い物に行くか﹂
﹁はい﹂
757
これ以上話をごまかすのも大変なのでこの場は逃げ出すに限る。
思案げな表情のロクサーヌは、何かに気づいたかもしれないが。
﹁買い物の後、俺は風呂を入れるので、夕食はロクサーヌとセリー
で頼む。セリーは何か料理ができるか?﹂
﹁はい。ある程度はできます﹂
﹁では﹂
セリーも料理はできるということなので、ロクサーヌを見てうな
ずいた。
いろいろな意味を込めて。
﹁かしこまりました﹂
﹁あ、あの。風呂というのは、あのお風呂ですか﹂
﹁どの風呂かは分からないが、風呂だ﹂
風呂に種類があるのだろうか、と思ったが、あるにはあるか。
サウナとか、温泉とか、公衆浴場とか。
﹁分かりました﹂
﹁ロクサーヌとセリーはちょっと待っててくれ﹂
逃げ出すように立ち上がる。
二人をその場に残し、壁まで移動した。
﹁王侯貴族のかたは風呂に入ると聞いたことがあります。実はすご
い人だったのでしょうか?﹂
ワープで移動するとき、セリーがロクサーヌに話しかけるのを聞
いた。
758
﹁いってらっしゃいませ、ご主人様﹂
﹁い、いってらっしゃいませ﹂
二人が頭を下げたので、ロクサーヌがそれになんと答えたかは不
明だ。
冒険者ギルドまでワープし、防具屋に行く。
防具屋で、皮のジャケット、革の帽子、革の靴を購入した。
全部空きのスキルスロットつきだ。
ロクサーヌに選ばせても時間がかかるだけだし。
値段的にもおそらく能力的にも、皮装備の次は革装備になるらし
い。
手の装備品については、皮のミトンが一個あまっている。
一度家に帰る。
﹁おかえりなさいませ、ご主人様﹂
﹁おかえりなさい﹂
﹁この皮の靴はロクサーヌに。ロクサーヌはサンダルブーツをセリ
ーへ回せ﹂
はいている皮の靴を脱いでロクサーヌに渡した。
買ってきた革の靴をはく。
セリーは、ロクサーヌのときと同様裸足だった。
買うと分かっていれば予め靴を用意しておいたのだが。
﹁はい、ご主人様。ありがとうございます﹂
759
﹁セリーは皮のジャケットでいいか? 皮の鎧というわけにはいか
ないよな﹂
アイテムボックスに入れておいた皮のジャケットも取り出す。
皮の鎧よりも皮のジャケットの方が値段が高いのだから、本来な
ら皮の鎧をセリーに回すべきなのだろうが。
﹁た、確かに胸は小さいですけど⋮⋮﹂
セリーが下を向いてしまった。
いや。別にそういう意味で言ったのではない。
セクハラではない。
断じてセクハラではない。
そもそもセリーの胸が小さいかというと、必ずしもそうではない。
だぼだぼの服の上からだが、それなりにはあるように見える。
俺としてはむしろ楽しみだった。
風呂場で洗い倒し、ベッドであれこれすることが。
服の加減でふくらんでいるように見えるだけで、実は小さいのだ
ろうか。
ロクサーヌのように胸のある女性の場合、皮の鎧だとぴったりと
フィットしすぎて、巨乳が強調されてしまう。
だから、皮の鎧でもいいだろうということは、胸がないといって
いるに等しい。
﹁悪い。別にそういうことがいいたいわけじゃないんだ﹂
﹁いいんです。どうせ小さいですから﹂
﹁大丈夫ですよ。あんなものはどうせ飾りです﹂
760
ロクサーヌが慰める。
あんなの飾りです。エロい人にはそれが分からんのです。
ますますいじけているセリーに黙って皮のジャケットを渡した。
いじけたくなる気持ちは分かる。
ロクサーヌよ。この件に関してはおまえが何を言おうと逆効果だ。
セリーが靴をはくのを待って、武器屋に出かけた。
﹁これが槌です﹂
ようやく気を取り直したセリーが店の一角に俺を引っ張る。
ハンマーやらモーニングスターやらメイスやらが置いてあった。
大きさも小さいのから大きいのまでさまざまだ。
﹁いろいろあるな﹂
﹁最初の安い槌はこれになります﹂
セリーが示したところに、棍棒がおいてあった。
棍棒じゃねえか。
棍棒 槌
一応、槌に分類されるようだ。
かなづちという感じではないが、槌には違いないのだろうか。
空きのスキルスロットつきのものをいくつか選んで、セリーに渡
す。
761
﹁このあたりがしっかりとした出来だな﹂
﹁ありがとうございます﹂
三割引をさせるには、複数の武器を買わなくてはならない。
今日のところは別に槌一本でいいのだが、もう一つは何にするか。
俺の杖かロクサーヌのシミターをグレードアップするか。
あるいは槍を買っておくべきか。
思ったのだが、槍で魔物を倒すことによって獲得できるジョブが
あるかもしれない。
ランサーとかファランクスとか。
銅の槍 槍
スキル 空き
店主に尋ねると、銅の槍が初心者向きのお求めやすい品らしい。
銅の槍といっても柄の部分は木でできている。
先端の刃のところが銅でできているのだろう。
﹁槌はそれでいいか?﹂
﹁はい。お願いします﹂
セリーが選んだ棍棒を受け取った。
店主に渡して、棍棒と銅の槍を買う。
しめて八百四十ナール。銅の槍はさすがに少し高いようだ。
﹁じゃあ、これね﹂
762
﹁よろしいのですか?﹂
棍棒をセリーに渡すと、驚かれた。
目が輝いている。
﹁うっ。か、かまわない、だろう、多分﹂
﹁ありがとうございます﹂
いけなかっただろうか。
﹁いけなかった?﹂
﹁いいえ。ただ、奴隷はあまり武器を持ち歩くことはありませんの
で﹂
ロクサーヌがこっそりと教えてくれる。
そうだったのか。
セリーの反応を見ても、そういうものなんだろう。
ロクサーヌはいつもシミターを腰に差しているし、いまさらだが。
その後、洋品店で靴下やかぼちゃパンツ、雑貨屋でリュックサッ
クと小さな木桶、房楊枝を購入した。
食材も買って家に帰る。
帰るのは冒険者ギルドから家までワープだから楽なもんだ。
﹁では、俺は風呂を入れるので夕食は頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁お風呂の方を手伝わなくてよろしいのでしょうか?﹂
セリーが訊いてくる。
763
﹁暑くて大変なのでな﹂
誰かがお湯を水がめから風呂桶に移してくれたりすると楽なのだ
が、そういうわけにもいかない。
途中から風呂場の温度が上がって大変になる。
風呂場の中で作業をするのは、誰か一人で十分だろう。
湯を沸かすのは俺の魔法で行うのだから、俺がやるしかない。
よく分かっていなさそうなセリーをおいて、風呂場に向かった。
面倒だが、後のことを想えば苦にはならない。
先に憂えて後で楽しむ。
立派な人はこうでなくては。
﹁そんなにお食べになるのですか﹂
途中、MPが減ったので台所に行くと、ロクサーヌとセリーが話
していた。
﹁そうですね、これくらいは。セリーも遠慮しないで食べてくださ
いね﹂
﹁えっと。これはあの方の食事ですよね﹂
﹁三人分ですよ﹂
﹁三人分ですか?﹂
何か食事の量に問題があるらしい。
ドワーフは大食いなんだろうか。
﹁ええ﹂
﹁でも、お肉も上等のものがいっぱい入っていますし。あ。そうい
えばパンも上等なものだけを買っていました。私たちの分はないの
764
かと思っていましたが、食べ残しをいただけるのですね﹂
セリーは何を言っているのだろうか。
聞いていられないので、声をかけて割り込む。
﹁ロクサーヌ、いつものやつ、頼めるか﹂
﹁はい、ご主人様﹂
ロクサーヌが来たので、皮のグローブと木の盾を渡した。
皮の帽子は直接ロクサーヌの頭の上に乗せる。
乗せるときにはもちろんイヌミミをひとなでして。
﹁美味しい料理を私たちにもいただけるみたいで、ありがとうござ
います﹂
続いてセリーもやってきた。
旨いかどうかは君の腕次第だ。
﹁これから迷宮に行くけど、セリーも行ってみるか?﹂
﹁迷宮ですか﹂
﹁今回はセリーを戦わせることは多分ない。いってみれば見学だな。
料理の手が放せないなら、来なくてもいい﹂
﹁まだ大丈夫なので、行ってもよろしいでしょうか﹂
セリーも来るそうなので、皮のミトンをセリーに渡す。
皮の帽子をセリーにもかぶせた。
﹁なんというか、すごいな﹂
セリーの髪の毛はすごくこんもりしている。
765
こんもりというか、もわもわというか。
初めて見たときからちょっと気になっていた。
﹁ドワーフは髪の毛が多いので﹂
﹁そうなのか﹂
﹁ドワーフの男性は顔中がひげだらけになります。女性の場合ひげ
は生えませんが、代わりに髪の毛が大量に伸びるのです﹂
﹁そうなんだ﹂
帽子を乗せても、頭皮まで距離がある。
ヘルメットなどなくても衝撃を吸収しそうだ。
帽子を動かすと、髪の毛全体が揺れた。
特に癖毛ではないのに、頭がアフロになっている。
﹁横でまとめてすぐ切るようにしているのですが、どうしても多く
なってしまいます﹂
ドワーフが全世界にいる髪の毛の不自由な人々を敵に回す種族だ
ということは分かった。
﹁ではいくか﹂
俺も装備を身につけ、デュランダルを出す。
ベイルの迷宮五階層に飛んだ。
五階層なのは、ここの魔物ならばデュランダル一撃で屠れるから
だ。
長引けばセリーを戦いに巻き込むことになる。
いきなり七階層に連れて行くのではなく、徐々に慣らしていくべ
きだろう。
766
もう一つ、一撃の下に倒した方がかっこいい。
新しくパーティーメンバーになったセリーにいいところを見せた
い。
美少女だしな。
俺も俗物だな。
﹁えっと。あの。ここは﹂
﹁こっちです﹂
戸惑っているセリーを尻目に、ロクサーヌが魔物のいる方向を指
示する。
フィールドウォークでは迷宮の中に直接飛べないから、戸惑うの
だろう。
﹁そ、そういえば狼人族の一部の人は魔物のにおいが分かると聞い
たことがあります。ロクサーヌさんも分かるのですか?﹂
﹁ええ﹂
﹁すごいです﹂
俺よりも前にロクサーヌがかっこいいところを見せてしまった。
まあしょうがない。
﹁いました﹂
しばらく進むと、すぐに魔物と遭遇する。
ロクサーヌが見つけたのはチープシープ二匹だ。
﹁あ。ほんとに。こんなに早く。さすがです﹂
767
気持ちは分かる。
セリーも探索者Lv10だったから、迷宮にはそれなりに入った
のだろう。
ロクサーヌがいないときは、俺も延々と迷宮の洞窟をうろついた
りした。
結構エンカウントしないのだ。
当たらないときにはそれこそ十分以上も。
実にロクサーヌはありがたい。
セリーの言葉に、ロクサーヌへの感謝の気持ちを新たにする。
﹁ありがとう、ロクサーヌ。では行くぞ﹂
﹁はい﹂
二人で並んで進んだ。
やってきた魔物にまずは一太刀。
デュランダルを振り下ろして袈裟がけにする。
羊が倒れた。
見よ、この剣さばき。
かっこいい。
あまりにもかっこいい俺の姿。
続いてロクサーヌが相手をしているチープシープを横から一突き
する。
こちらも一撃だ。
魔物が倒れ、煙となって消えた。
﹁すごい。すごいです﹂
768
そうだろうそうだろう。
﹁どうやったらあんなに華麗に避けられるのですか?﹂
あら。
どうやら、俺が戦っている隙にロクサーヌが魔物の攻撃を回避し
てみせたようだ。
769
人間
﹁魔物が何をしてくるかは見ていれば分かりますから、頭がフッと
動いたときに、それにあわせて、こう体をハッと引けばいいのです﹂
ロクサーヌがセリーに回避行動をレクチャーしている。
例によってわけが分からない。
あんな指導でできるようになるなら苦労はない。
ロクサーヌの説明を聞いてできるのは最初からできるやつだけだ。
セリーがちょっと困ったような顔で俺を見た。
こっち見んな。
いや、気持ちは分かる。
﹁次はどっちへ行けばいい﹂
﹁あ。はい。こちらです﹂
しょうがないので助け舟を出した。
やはりロクサーヌは異常のようだ。
この世界の人はみんなこのくらいの戦闘技術があるのかもと疑っ
たが、どうやらそんなことはなかったらしい。
よかった。
セリーは常識人だ。一般人だ。
仲間である。
セリーと視線をかわした。
770
﹃今までこういうパートナーと二人で迷宮に入っていたんだよ﹄
﹃大変ですね﹄
言葉はないが、こういう会話がなされたに違いないと確信してい
る。
目と目で通じ合うというやつだ。
今、俺とセリーの気持ちが一つになった。
その後も何匹か狩って、MPを回復させる。
このくらい狩れば十分だろうか。
﹁では帰るか﹂
ワープと念じて家に帰った。
﹁ワープという魔法は迷宮にも移動できるのですか?﹂
俺
家に帰ると、セリーが迫るように訊いてくる。
しまった。
常識の通じない人間がここにも一人いた。
セリーの目が輝いている。
もっとも、背も低いので迫力はない。
むしろ可愛い。
上目遣いを覚えさせたら最凶になるな。
﹁そうだ﹂
﹁それと、詠唱はないのでしょうか﹂
﹁どうなのかな。あるんじゃないか﹂
771
そういえば、ワープは詠唱省略でしか使ったことがない。
冒険者ギルドで使うとき、聞きかじったフィールドウォークの詠
唱を適当にそらんじてごまかすくらいで。
多分、詠唱省略のスキルをはずせば詠唱があるのだろう。
﹁先ほどは何も唱えていなかったように見えましたが﹂
﹁ご主人様は詠唱がなくても魔法を使えるのです﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁そうなのだ﹂
ロクサーヌの助けも借りて説き伏せる。
﹁何故そんなことが。いや、それを当人に聞いても分からないです
か﹂
﹁分からないな﹂
当人に聞いても分からないということが分かってもらえて大満足
だ。
やはりセリーは頭がいい。
実際のところ何故できるのか俺にも分からないし。
何故呼吸ができるのかとか、何故手足が動くのかとか訊かれても、
生物学者でもない俺にはそういうものだからとしか答えようがない。
魚に何故海で溺れないのかと尋ねても困ってしまうだろう。
魚は泳げるから泳げるのだし、鳥は飛べるから空を飛べるのだ。
セリーは﹁でもどうして﹂とかつぶやいているが、一人で勝手に
考えてくれる分にはどうでもいい。
﹁そういえば全部一撃で倒していましたが、お強いのですね﹂
772
﹁まああのくらいはな﹂
せっかく強いところを見せたのに、感動は少ないようだ。
ぶつぶつと﹁奴隷を二人も買えるくらいですし﹂とかつぶやいて
いるところを見ると、迷宮で稼ぐには強さが必要だと分かっている
のだろう。
頭がいいのも考えものだ。
﹁レベルをうかがってもよろしいでしょうか﹂
﹁探索者はLv33だ﹂
Lv33に上がったばかりだった。
さすがに最近はレベルアップのペースが鈍い。
レベルが上がっていくとやはり大変なようだ。
﹁え?﹂
俺が答えると、横からロクサーヌの素っ頓狂な声が飛んだ。
﹁なんだ﹂
﹁ご主人様はLv27では﹂
﹁ああ。あのときはな﹂
そういえば、ロクサーヌに聞かれて答えたときはLv27だった
かもしれない。
﹁あのときはって﹂
﹁ひ、日々成長しているのだ﹂
﹁成長って﹂
773
ロクサーヌに答えたのは確か二十日ほど前か。
人より百倍速く経験値がたまるのだからしょうがない。
ロクサーヌだって最初のころより十以上レベルが上がっているの
だが。
﹁それにしても、探索者Lv33で魔物を一撃で屠れるのでしょう
か。いや、剣の攻撃力ですか﹂
セリーにはすべてお見通しらしい。
出したままのデュランダルを仇でも見るかのようににらみつけて
いる。
﹁レベルのこともこの剣のことも、内密にな﹂
ここは風呂場に退避だ。
微妙なおももちながらもうなずいたセリーを見てから、逃げ出し
た。
﹁ご主人様、火種をよろしいですか﹂
しばらくすると、木の枝を持って二人が風呂場に来た。
恐れていた追求はないようだ。
追求されても、事実は事実だし、答えようがない。
﹁そういえば、セリーは火をおこしたことがあるか﹂
セリーに尋ねてみる。
普通、鍛冶職といえば火を使う。
魔法でも使わないと、マッチもライターもないこの世界では火を
774
おこすのは大変だろう。
火をおこすことで鍛冶師のジョブが得られる、という可能性があ
るかもしれない。
﹁はい、あります﹂
しかしあっさりと肯定されてしまった。
違ったようだ。
後は何か金属を溶かしてみるとか。
あれ?
ロクサーヌが微妙な表情で俺を見ている。
何故セリーに聞いて私には聞かないのか、ということだろうか。
違う。違うんだよ、ロクサーヌ。
誤解だ。
﹁ロクサーヌに火が必要な場合は俺がいつでもつけてやるから﹂
﹁はい、ご主人様﹂
木の枝にファイヤーボールで火をつけ、ロクサーヌに渡してやる。
ロクサーヌが笑顔でうなずいた。
どういうフォローなのか自分でよく分からない。
疲れるな。
風呂を入れるため、その後も迷宮には何度か入る。
セリーは火の番をするというので、ロクサーヌと二人でベイルの
迷宮の七階層で狩をした。
775
﹁何故迷宮に行かれるのでしょうか﹂
何度めかのとき、セリーが訊いてくる。
﹁お風呂を入れるのは大変なので、ストレス発散のためでは﹂
ロクサーヌが変な回答をした。
ロクサーヌの目に俺はどう映っているのだろう。
説明していなかった俺が悪いのかもしれないが。
﹁魔法を使ったのでMP回復のためだ﹂
﹁その剣にはMP回復のスキルまであるのですか?﹂
﹁いや。まあMP吸収だが﹂
﹁MP吸収⋮⋮﹂
セリーがデュランダルをじっと見つめる。
﹁知っているのか?﹂
﹁あ、はい。コボルトのモンスターカードとはさみ式食虫植物のモ
ンスターカードを武器に融合するとMP吸収になります。数が少な
く貴重なスキルです﹂
なんだか分からないが、さすがはドワーフだ。
鍛冶師関連のことはよく知っているらしい。
﹁ウサギのモンスターカードが何になるか知っているか﹂
﹁詠唱遅延ですね。武器に融合します﹂
﹁おお。よく知っているな。役に立ちそうだ﹂
776
これはありがたい。
貴重なレアドロップを試しに使ってみるというわけにはいかない
だろう。
調べる手間が省ける。
﹁ありがとうございます﹂
﹁ちなみに、詠唱遅延というのは詠唱中断とは違うスキルなのか?﹂
デュランダルについているのは詠唱中断だ。
﹁詠唱遅延は詠唱の完成を遅らせます。詠唱中断は詠唱を途中で破
棄させるスキルです。コボルトのモンスターカードとウサギのモン
スターカードを同時に融合させると、詠唱中断になります﹂
﹁詠唱遅延は遅らせるだけで、詠唱中断は強制キャンセルなのか﹂
違いがよく分からないが。
﹁詠唱中断の方がよいスキルになるのでしょうか﹂
ロクサーヌがずばり切り込んでくる。
俺にもよく分からない。
﹁一般的にはそうです。ただし、パーティーメンバー全員が詠唱遅
延のついた武器を持って魔物一匹を取り囲めば、詠唱終了前に倒せ
るでしょう﹂
魔物の詠唱スピードよりも多くの詠唱遅延攻撃を加えてやれば、
いつまでたっても詠唱が完成することはない。
たとえ一撃一撃の与えるダメージが少なくても、いつかは倒せる
だろう。
777
ある種、飽和攻撃だ。
﹁詠唱中は他の行動ができないですよね﹂
﹁あれ? じゃあ詠唱遅延の方がよくね﹂
ロクサーヌのサジェスチョンを考慮すれば、そうなる。
詠唱中断だとキャンセルになってしまうのだから、次は通常攻撃
がくるかもしれない。
詠唱遅延ならばキャンセルではなく詠唱中のままだから、すぐに
は攻撃してこない。
いつまでも遅延させ続ければ、攻撃を受けることがない。
ひょっとして詠唱遅延が最強なのでは。
﹁相手が一匹とは限りませんし、魔物が自分で詠唱をやめることも
あります。それにパーティーメンバーの全員に詠唱遅延のスキルが
ついた武器を持たせるのも大変です。他の選択肢をせばめることに
もなります。一匹しか出てこない低階層のボスには有効な作戦です
が、上に行けば大技を確実にキャンセルできる詠唱中断の方が有利
になるでしょう﹂
﹁なるほど。それなら詠唱中断の方がいいスキルなのでしょうね﹂
ロクサーヌがうなずいた。
うまい話はないようだ。
そして、ボスが一匹なのは低階層だからと。
﹁しかし詠唱中断のスキルにするにはウサギのモンスターカードだ
けでは駄目なのか﹂
﹁コボルトのモンスターカードが必要です。コボルトのモンスター
カードは特殊で、他のモンスターカードと一緒に融合することでス
778
キルを強化する機能があります﹂
弱くてドロップが安いオジャマ虫モンスターだと思っていたら、
コボルトにはそんな利点もあったのか。
﹁コボルトのモンスターカードか。コボルトを狩るのも大変だな﹂
﹁ひょっとして、ウサギのモンスターカードはお持ちなのでしょう
か﹂
﹁ああ。ある﹂
﹁今朝のですね﹂
ロクサーヌが確認してくる。
視線を交わして、うなずいた。
﹁クーラタルの商人ギルドでモンスターカードやスキルつき武器な
どのオークションを開いています。モンスターカードはそこで売却
することができます。ご存知でしょうけども﹂
もちろん初耳だ。
﹁⋮⋮ロクサーヌ、知ってた?﹂
﹁えっと。なにかそんなのがどこかにあるとかいう噂は﹂
セリーが冷めた目で俺とロクサーヌを見る。
﹁お、俺は遠い田舎の出身なのでな。いろいろ教えてくれると助か
る﹂
﹁かしこまりました﹂
今、明らかに好感度がダウンした。
779
しかし知らないものはしょうがない。
﹁オークションでコボルトのモンスターカードを買うこともできる
か?﹂
﹁できますけども。鍛冶師につてがおありになるのでしょうか﹂
セリーがそのつてなのだが。
今はまだ黙っていよう。
﹁なるほど。セリーの説明はよく分かった。セリーはものをよく知
っていて役に立つ﹂
﹁いえ、そんな﹂
﹁これからよろしく頼むな﹂
﹁あ、ありがとうございます。よろしくお願いします﹂
セリーを褒めて、迷宮に向かった。
迷宮では、魔物を見つけたロクサーヌに﹁やはりロクサーヌは役
に立つ﹂と褒めることも忘れない。
いろいろと気を使う。
相手が二人というのは思ったより大変だ。
迷宮から帰り、何度かお湯をためて、風呂は完成した。
レモンを浮かべて、外に出る。
﹁お疲れさまでした﹂
ロクサーヌが手ぬぐいを渡してきた。
汗をぬぐう。
﹁ありがとう﹂
780
﹁いえ。お食事の準備もできています﹂
﹁じゃあ食べるか﹂
ダイニングに行くと、テーブルの上に料理が並んでいた。
皿の置いてある位置からすると、セリーはロクサーヌの隣らしい。
﹁ボルシチというドワーフ料理を作りました﹂
セリーが迎える。
ボルシチじゃんと思ったが、翻訳の都合か。
ボルシチに相当する料理なんだろう。
﹁旨そうだな﹂
﹁お口にあうといいのですが﹂
食卓の中央には赤いスープが置いてある。
この世界ではドワーフ料理らしい。
俺が座ると、ロクサーヌが正面に座った。
もう少しテーブルを広く使ってもいいと思うが。
﹁座るのはそこでいいのか﹂
﹁一番ですから﹂
一番奴隷だから主人の前ということだろうか。
よく分からん。
﹁セリーも座れ﹂
﹁えっと。座ってもよろしいのですか﹂
﹁立って食べるのか?﹂
781
﹁食べてもよろしいのでしょうか﹂
何を言っているのだ。
﹁ご主人様は一緒に食事することを好まれます。ご主人様、奴隷が
所有者と一緒に同じ食事を取ることはめったにありませんので﹂
ロクサーヌがそう言ってセリーを座らせた。
別に好みとかの問題でもないような。
まあ文句は言わずに中央の鍋からボルシチを皿に取る。
これはロクサーヌに仕込まれた。
スープを取り分けるのはご主人様の仕事、だそうだ。
よく分からないが、そういうものらしい。
郷に入っては郷に従えである。
まずはボルシチの皿を俺の前に置く。
ロクサーヌによれば、そういうものらしい。
次の皿はセリーへ。
と思ったら、何かにらまれたような気がしたのでロクサーヌの前
に置いた。
﹁ほ、ほい﹂
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
ドワーフ料理というくらいだから、セリーも食べたいだろうに。
最後にセリーの前に置く。
パンとロクサーヌが作っただろう肉野菜炒めは勝手に取っていい
らしい。
782
よく分からん。
﹁ではいただきます﹂
まずはボルシチから。
むむっ。
無骨な味だが、結構旨い。
いかにも田舎風料理という感じだ。
具はかなり大きく切られている。
細かく切ってミネストローネっぽくしてもいいんじゃないだろう
か。
﹁美味しいです﹂
﹁ありがとうございます﹂
ロクサーヌとセリーが会話した。
﹁確かに旨いな。そういえば、狼人族には獣戦士というジョブがあ
って、ドワーフには鍛冶師があるよな。人間族には種族の固有ジョ
ブはないのか?﹂
話を振ってみる。
ベイルの宿屋にいた人の旅亭というジョブも、なんとか族という
種族の固有ジョブだった。
人間だけないのは不自然な気がする。
ひょっとしたら、英雄が種族固有ジョブとか。
それもなんか優遇されすぎだが。
783
﹁えっと⋮⋮﹂
﹁あ、あの⋮⋮﹂
二人ともなんか反応が悪い。
変なことを聞いたのだろうか。
﹁わ、私はご主人様に可愛がっていただけるのならいいと思います﹂
﹁私も覚悟はできています﹂
二人して何を言っているのだろう。
ジョブの話をしているのだが。
﹁どういうことだ﹂
﹁人間族というのは、欲望が極端に肥大化することのある種族だそ
うです﹂
セリーが説明する。
そんな説も聞いたことがあるような気はする。
動物にだって同性愛もレイプも生殖目的でないセックスも同族殺
しも子殺しもあるが、全部行うのは人間くらいだとかなんとか。
人間がそんな悪徳をすべてこなすのは本能が効いていないからだ
とか。
この世界の人間も、あるいはむちゃくちゃやっているのだろうか。
戦争とか自然破壊とか。
﹁そうか﹂
﹁そういう種族なので、欲望が肥大すると色魔というジョブに就く
ことがあるとされています。それが人間族の種族固有ジョブです﹂
784
色魔がジョブって。
欲望が肥大化するというのは、性欲限定か。
人間って。
785
色魔
人間というのは性欲が肥大化する種族であるらしい。
ロクサーヌが微妙な表情で微笑んでいたのはそのせいか。
俺が複数の性奴隷を持つのも、性欲が肥大化する人間であればし
ょうがないということか。
いや、しょうがない。
確かにしょうがないな。
人間だもの。
しょうがないということを見せつけるため、まずは食後に風呂に
入った。
﹁では全員で風呂に入る。服を脱いだら来い﹂
宣言して服を脱ぐ。
ロクサーヌはともかくセリーに文句を言わせないためには勢いが
肝心だ。
さっさと入ってしまうに限る。
早々に脱ぎ捨て、一足先に風呂場に入った。
女性陣の脱衣シーンも見ていたいが、お湯の温度を調節するとい
う役目もある。
﹁お風呂に入ってもいいのでしょうか。お風呂なんて王侯貴族の人
だけが入るものですけど﹂
786
﹁いいんですよ、セリー。一緒に入りましょう﹂
ロクサーヌが説得している。
大丈夫そうだ。
セリーも一緒に入ってくれるだろう。
カンテラをセットし、湯船の温度を確かめた。
ちょっと熱いが、水を足すほどではないだろうか。
かなりいい具合だ。
この風呂も何度か入れたので、経験が生きてきた。
ただし、温度の調整は難しいから、本当は水を少し足して適温に
なるくらいがベストだろう。
水がめに予備のお湯はあるが、入れた後に温度を高くするのは大
変だ。
冷やす方が簡単である。
次はもうちょっと熱めにすべきか。
﹁ロ、ロクサーヌさん、やっぱり大きいです﹂
﹁そんなことはないですよ﹂
﹁でも私なんか﹂
湯加減を見ていると、二人の声が聞こえる。
何をやっているのだ、二人して。
うらやましい。
二人だけで楽しむのは反則だ。
﹁ご主人様、失礼します﹂
その反則のロクサーヌが風呂場に入ってきた。
787
確かにいつ見ても反則だ。
で、でかい。
﹁あ、あの。失礼します﹂
セリーはうつむき加減で胸を隠しながら入ってくる。
服は脱いで裸だ。
役得。いや、所有者特権か。
ちっちゃくて細いが、セリーのスタイルはいい。
胸も決してないわけではないだろう。
それなりにボリュームはありそうだ。
柔肌がまぶしい。
﹁で、では洗うか﹂
しかしいかに所有者特権とはいえ、いつまでもジロジロと見てい
るわけにもいかない。
石鹸を泡立て、ボディーウォッシュに入る。
早速その身体を。
﹁はい﹂
と思ったら、ロクサーヌが正面に来たわけで。
動いたので大きなものが目の前で揺れていたりするわけで。
どうしてもそこに目がいくわけで。
﹁あぅ。やっぱりです﹂
セリーが嘆いているわけで。
788
それでもロクサーヌの胸へばかり俺の視線はいってしまうわけで。
思わず手が伸びてしまうわけで。
泡立てた石鹸をロクサーヌから塗りたくっていく。
一番に洗いたいところを、一番に洗った。
両手で優しく、丹念に洗っていく。
豊かなふくらみにあわせて、曲線をなぞった。
やはりロクサーヌの胸はいい。
この感触、この弾力、この躍動感、この重量感。
どれを取っても、何を取っても素晴らしい。
一分の隙もなく最高だ。
﹁最高だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
頭と背中、尻尾を除いてロクサーヌを泡まみれにした。
﹁では次はセリーだな﹂
﹁は、はい﹂
目の前に立たせると、やはりセリーは小さい。
俺の位置からでは表情すら確認できない。
細くてちっちゃくて可愛らしい。
ひざ立ちになって、泡を塗っていく。
やはり遠慮なく胸からいかせてもらった。
鎖骨の辺りに泡をつけ、手のひらで伸ばす。
﹁うむ。すばらしい﹂
789
これはこれでなかなか。
ロクサーヌの胸が手のひらからこぼれ出る感じだとすれば、セリ
ーの胸は手のひらにすっぽりと収まる感じだろうか。
ちょうど収まる感じがまたたまらなくいい。
こぼれ出るのもいいが、すっぽり収まるのもいいものだ。
小鳥かハムスターを手のひらに包んでいる感じ。
﹁あ、あの。小さくてごめんなさい﹂
﹁そう特別に小さいわけではないだろう﹂
﹁村にいるときはそう思っていましたが、商館には胸の大きな人も
いて。そして、そういう人から売れていくんです﹂
女奴隷を買ってくやつって。
俺もその一人なので論評はさしひかえたい。
﹁大丈夫だ。問題ない﹂
﹁それにロクサーヌさんが﹂
それはもう比較する対象が間違っている。
﹁こういうのは比率がものをいう。セリーは背も低いし、胸囲も小
さいだろうから、ロクサーヌと比べて多少小さいのはしょうがない。
むしろ身長の割にはある方だと思うぞ﹂
ロクサーヌとは二十センチ以上、下手をすれば三十センチ背の高
さが異なるのだから、胸の大きさが違うのも仕方がない。
セリーの身長でロクサーヌほどの胸があったら奇乳になるだろう。
小さいというのは絶対的な大きさとして小さいのであって、セリ
790
プロポーション
ーは身長が低いから、比率としては悪くないのだ。
﹁そうですよ、セリー﹂
﹁そうでしょうか﹂
﹁そうだ﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
セリーをなだめたところで、全身に泡を塗っていく。
胸の方は、また後からでも、いつでも楽しめるだろう。
﹁それでは、セリー。ご主人様を洗っていきます﹂
﹁はい。あの、どうやって﹂
﹁こうするのです﹂
ロクサーヌが左から抱きついてきた。
左腕が胸の合間にはさまって、えらいことになっている。
見事にできあがった鋭角の三角形の谷間にすっぽりとはまり込ん
でいた。
腕の左右から柔らかな肉の壁が圧迫する。
そして右からはセリーが。
こっちは迫力こそないが、可愛らしい。
こ、これはたまらん。
二人にたっぷりじっくりと洗ってもらった。
前後ではなく左右から洗ってもらうというのもまた素晴らしい。
﹁俺とロクサーヌは昨日頭を洗ったから、今日はセリーの頭を洗う。
セリーはちょっと前に来てくれ。ロクサーヌは背中を頼む﹂
791
セリーが俺の正面に来た。
小さいので、頭を洗うには最適の位置関係だ。
目の下、腕を伸ばした辺りに頭がくる。
石鹸を泡立て、髪の毛に垂らした。
これだけ髪にボリュームがあると、泡も大量に必要だろう。
ロクサーヌは俺の背中に回る。
いや、セリーの背中を頼むということだったのだが。
図らずも前後から洗ってもらう形になった。
背中に風船のような豊かなふくらみが。
背中なので何をしているのかはっきりしないのがもどかしい。
もどかしいのがたまらない。
しょうがないので、正面のセリーを抱きかかえるようにたぐり寄
せた。
もどかしさを紛らわすかのようにわしゃわしゃと髪をもみゆがく。
セリーの髪は繊毛のように細い。
指ですいても抵抗がほとんどない。
見た目とは異なり、綿のように軽かった。
﹁これはいい。柔らかくてすごくいい髪質だな﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
﹁髪の毛じゃないみたいだ﹂
ドワーフだから人間とは異なるのだろう。
細くて軽い髪が俺を楽しませる。
泡が少なくなったので、石鹸を追加して洗髪した。
792
たっぷり洗ってから、三人の石鹸を流し落とす。
セリーの濡れた黒髪が平べったくなって肌に張りついた。
こうして見ると、何かの人形のようだ。
可愛らしい。
湯船に入る。
しかしあえて言おう。
水の中で最強はロクサーヌの尻尾であると。
ロクサーヌを抱き寄せ、尻尾をなでた。
なめらかなこの感触がたまらない。
ロクサーヌを抱きかかえたまま、風呂桶に寝転がる。
﹁セリーもこっちへ﹂
﹁は、はい﹂
セリーがおずおずとやってきた。
ちょっと恥ずかしそうに身を隠しながら、ゆっくりと寝転がる。
そんなしおらしさをものともせず、俺はがばと抱き寄せた。
右にロクサーヌ、左にセリー。
これだ。
この贅沢。この栄華。この酒池肉林。
左右に美女が二人。
裸なので直接肌に触れ放題。
右にはロクサーヌの大きな胸が。
左にはセリーの華奢で可愛らしい体躯が。
793
まさに男の夢を体現したといっていいだろう。
秀吉ならば黄金の茶室、ナポレオンならば戴冠式、といったとこ
ろだ。
ヒトラーならば結婚式だろうか。
自殺の直前じゃねえか。
風呂から上がった後、二人に体を拭いてもらい、寝室に入る。
正直、明かりがある風呂場で二人を相手に襲いかかるのはためら
われた。
寝室には明かりをつけないでおく。
明かりの下で女性陣を見られないのはちょっと残念だが、やむを
えないだろう。
﹁では二人ともこっちへ﹂
﹁はい、ご主人様﹂
﹁は、はい。あの、こんなにいいものを着せてもらっていいのでし
ょうか﹂
セリーのか細い声が響いた。
ロクサーヌから白いキャミソールをネグリジェとして借りたよう
だ。
ロクサーヌは薄紅色のキャミソールを着ている。
明かりがないのでよく見えないが。
﹁大丈夫だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁ロクサーヌも悪いな﹂
﹁いえ。一番ですから﹂
ロクサーヌがセリーのことを邪険にしないでくれてよかった。
794
﹁では、えっと。セリー、寝る前と起きた後は俺にキスをして挨拶
すること﹂
ロクサーヌにもさせている我が家のルールを説明する。
セリーを抱き寄せた。
小柄で折れそうなくらい細い。
これはもうたまらん。
我慢も限界だ。
ではいただきます、と。
﹁あッ﹂
セリーに口づけすると、ロクサーヌが小さく声を漏らした。
聞こえないくらいのほんの小さな声。
小さく、低い声だ。
しかしどこまでも悲しみをたたえている。
悲鳴だ。
悲鳴に違いない。
暗いので表情は見えないが、声だけで俺はすべてを理解した。
ロクサーヌは﹁順番が﹂とか呻いている。
そういうことなんだろう。
ご主人様が先とか、俺と二人のときにもやたらとこだわっていた。
セリーが来てからは、何でもロクサーヌが先だ。
食事の配膳も、風呂場で身体を洗うのも。
795
もちろん、おやすみのキスも、ということになる。
セリーの前に、ロクサーヌに口づけしなければならなかったのだ。
やばい。
地雷踏んだ。
俺はロクサーヌの矜恃を踏みにじった。
まずい。
非常にまずい。
どう考えてもまずい。
無闇矢鱈にまずい。
セリーとキスしていても、感覚なんか分からない。
味も分からない。柔らかさも分からない。
最初だから舌まで入れるつもりはなかったのが、せめてもの救い
である。
どうする?
どうするのよ、これ。
考えろ。
何か考えるんだ。
感じるんじゃない。考えるんだ。
﹁こ、これは寝る前の挨拶だから、一番のロクサーヌは一番最後に
な﹂
これだ。これしかない。
言い訳をひねり出す。
796
なんとか無理やり理屈をつけた。
なんとかと膏薬はどこにでもつくというやつだ。
﹁はい、ご主人様﹂
一転して、ロクサーヌの明るい声がした。
セーフ。
セーフです。
死刑判決は免れました。
ベッドの上で大の字になる。
俺の頭の中で無罪の紙を持った記者が走り回った。
ありがとうございます。
冤罪が晴れました。
横にやってきたロクサーヌを抱きかかえる。
驚かせやがって。
震撼させられた分、執拗にロクサーヌの唇に吸いついた。
仕返ししてやる。
復讐の炎は地獄のように我が心に燃え。
順番にしたがって、このままロクサーヌからいただきますか。
復讐を果たし、精力を使い果たしてベッドに転がった。
心地よくも気だるい疲労感に包まれる。
今は何もする気が起きない。
おなかを使って大きく息をした。
息を整えながら、ジョブを見る。
797
色魔 Lv1
効果 精神中上昇 知力小上昇 MP小上昇
スキル 精力増強 禁欲攻撃
これか。
やはりあった。
新しいジョブを獲得している。
何かそんな予感があった。
さすがにあれだけすれば。
ジョブの取得条件はなんだろう。
一晩で複数の異性を愛することだろうか。
同時に複数の異性を愛することだろうか。
あるいは⋮⋮。
先ほどの激しい行為を反芻しながら考える。
まあ条件のことはいい。
ちょっとハッスルしすぎただろうか。
いつも以上に興奮してしまった。
しつこく執拗に、そして激しく厳しく徹底的に、思うがままに責
め立てた。
こっちは俺一人でも相手は二人だから、大丈夫だろう。
初めてで背も小さいセリーには負担をかけていない。
ロクサーヌには少し大変だったかもしれない。
798
ともかくも、俺は間違いなく人間族だったようだ。
種族の固有ジョブが色魔か。
人間とは恐ろしい。
中上昇一つに小上昇二つはロクサーヌの獣戦士と同じである。
種族固有ジョブの特徴なのだろう。
色魔は、精神、知力、MPと上がるので、魔法使いの補助職とし
て有用だ。
単独では微妙かもしれないが、俺にはかなり使えるジョブだろう。
﹁ご主人様、おやすみになられたようですね﹂
静かにいろいろ考えていると、ロクサーヌの声がした。
寝てはいないのだが。
汗でまとわりついた俺の髪の毛をロクサーヌが整えてくれる。
﹁そうみたいです﹂
﹁激しかったですからね﹂
考え込んでいたので、反応できなかった。
セリーがロクサーヌと話すために身を寄せてくる。
小柄なのでまったく重くない。
﹁いつも、あんなに凄いんですか﹂
﹁そうですね。今日はセリーがいるのでちょっと張り切ったみたい
です。どんなことになるかと思いましたが、あれだけ可愛がってく
れるのなら、セリーが来てくれたことは私にとってもよかったです
ね﹂
799
ロクサーヌも多少は不安だったようだ。
心の中でロクサーヌに感謝する。
そしてロクサーヌを可愛がるのはロクサーヌにとっても嬉しいと。
﹁私、大丈夫でしょうか﹂
﹁大丈夫ですよ。さっきだって、ご主人様はセリーには無理をさせ
ていないでしょう。優しいご主人様ですから﹂
色魔のスキル、精力増強を試してみたいと思ったが、今はそのと
きではないようだ。
﹁これからよろしくお願いします﹂
﹁こちらこそよろしくお願いしますね﹂
二人の会話を子守唄代わりに、俺は意識を手放した。
800
Never give up
目覚めると、ロクサーヌを抱き枕にしていた。
足を絡ませ、両手をロクサーヌの背中に回している。
朝起きたとき両側に美女というのが楽しみだったのに。
そうそう巧くはいかないらしい。
寝ている間の動きまでは制御できないのでしょうがない。
完全に両手両足でロクサーヌにしがみついていた。
ロクサーヌの背中の毛が恋しかったのだろうか。
セリーだと小さすぎて抱き枕として不足だったのだろうか。
やっぱり単純に胸の弾力か。
正面から抱きついているので、豊かな弾力が思う存分味わえる。
ちょっと力を込めて抱きしめてみた。
しっとりとしなやかに、かつ弾けるような反発力が返ってくる。
これはたまらん。
﹁んっ﹂
しばらく楽しんでいると、ロクサーヌがキスをしてきた。
やっべ。
起きていたらしい。
何をしていたか、すっかりばれている。
﹁おはようございます、ご主人様﹂
801
﹁お、おはよう﹂
小声で挨拶をかわす。
﹁あ。おはようございます﹂
セリーも目覚めていたようだ。
後ろから声がした。
やましさのある腕をロクサーヌからはずし、セリーを抱き寄せる。
﹁セリーもおはよう﹂
そう言って、唇を重ねた。
セリーの口づけはまだぎこちない。
控えめで動きも硬い。
これはこれで萌えるものもあるのだが。
正直、積極的に応じてくれるロクサーヌの方が、とは思うが、比
較はタブーだろう。
そのうち慣れてくれるはずだ。
しかし、着替える途中でロクサーヌの唇を求めてしまったのは仕
方がない。
ロクサーヌは自ら舌を絡めてくれる。
舌を絡ませあい、唇を蠢かせあい、口を吸いあった。
可愛がってくれるのはよかったとロクサーヌも言っていたので、
このくらいは問題ないだろう。
色魔はつけていないので、精力増強のスキルのせいではない。
802
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv33 英雄Lv30 魔法使いLv32 僧侶Lv31
錬金術師Lv17
装備 ワンド 革の帽子 皮の鎧 皮のグローブ 革の靴
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv19
装備 シミター 木の盾 皮の帽子 皮のジャケット 皮のグロー
ブ 皮の靴
セリー ♀ 16歳
村人Lv3
装備 棍棒 皮の帽子 皮のジャケット 皮のミトン サンダルブ
ーツ
準備を整え、確認する。
ジョブが増えてくると、つけたいジョブも増える。
パーティー編成に必要だから、探索者ははずせない。
効果の大きい英雄と、魔法使いももちろんはずせない。
万が一のことを考えれば僧侶もはずせないだろう。
となると、錬金術師、料理人、色魔を全部はつけられない。
他の人はジョブを一つしか持てないのだから、贅沢な悩みだ。
やはり人間の欲望には限りがないらしい。
ちなみに、探索者をはずすとパーティーは自然解散になってしま
うようだ。
803
アイテムボックスは料理人でも使えるから、探索者は誰か他のパ
ーティーメンバーに任せるという選択肢はありかもしれない。
﹁準備できました﹂
﹁では行くぞ﹂
セリーの報告を受けて迷宮にワープする。
朝だがベイルの迷宮の二階層へ。
﹁ご主人様、ここは?﹂
﹁ベイルの迷宮の二階層だ。セリーにとってのパーティー初戦だし
な﹂
いつものクーラタル迷宮七階層でないことはにおいで分かるのだ
ろう。
いぶかしがるロクサーヌに軽く説明した。
﹁なるほど。分かりました﹂
﹁まずはセリーの戦いぶりが見たい。魔物を魔法で弱らせるから、
残った魔物をセリーが攻撃してくれ﹂
﹁は、はい﹂
﹁ロクサーヌは魔物の正面を取ってやれ﹂
﹁かしこまりました﹂
ボーナスポイントを調整して、Lv2の魔物の半数を魔法一発で
倒せる威力まで知力上昇につぎ込む。
生き残った魔物にセリーをけしかけた。
セリーが棍棒をスイングする。
グリーンキャタピラーLv2のどてっぱらにヒット。
804
結構衝撃は与えてそうだ。
魔物の怒りの反撃をロクサーヌが軽くいなした。
まさに朝飯前の回避だ。
その隙を突いてセリーが棍棒を叩き込む。
なかなかいい連携だ。
魔物はそのままセリーが倒した。
﹁うーん。駄目か﹂
すぐにジョブを見てみるが、鍛冶師は獲得していない。
棍棒で倒すという条件ではなかったのか。
あるいは村人Lv5が必要か。
﹁何か駄目だったでしょうか?﹂
﹁あ。いやいや。セリーが駄目ということじゃない。次はこの槍で
頼む﹂
しまった。失言だった。
駄目はないだろう。
続いて、銅の槍、銅の剣、素手で倒させたが、何もジョブを獲得
しない。
もっとも、剣士と僧侶はおそらく村人Lv5が条件だ。
この辺りは村人のレベルアップ待ちである。
﹁あぅ﹂
素手で戦うときはさすがに時間もかかり、セリーが魔物の攻撃を
805
受けた。
俺も素手のときは何度か攻撃を喰らったし、しょうがない。
魔物に正面から対峙しているロクサーヌの方は以下略だが。
﹁魔物の攻撃はどうだ。問題ないレベルか?﹂
手当てとメッキをしながら、セリーに問いかける。
﹁こ、これは回復魔法ですか?﹂
﹁そうだ﹂
﹁やはり複数のジョブが⋮⋮。あ、いえ。この程度の攻撃なら、一、
二回でやられることはないと思います﹂
魔物と戦いながらセリーが答えた。
攻撃を受けても割と冷静のようだ。
回復魔法を受けたと分かるほどのダメージを負ったということで
はあるが。
もう少し上に行っても大丈夫だろう。
次に俺が棍棒を使って倒してみる。
棍棒で魔物を倒して俺が何かジョブを得たら、槌で魔物を倒すの
は鍛冶師の条件ではないということだ。
グリーンキャタピラーLv2の頭上に棍棒を振り下ろした。
﹁あんまり巧くいかないな﹂
﹁もっと遠心力を利用して振り回すようにした方がいいです﹂
慣れないせいか、槌は剣よりも使いにくい。
重心が先の方にあるので、重さを利用して叩きつける感じか。
それぞれの武器にはそれぞれの特性があるようだ。
806
なんとか倒して、ジョブを見てみる。
緊張の一瞬。
しかし、何も新規のジョブはなかった。
槍で倒してみたが同じ。
﹁何故私までやるのでしょう?﹂
﹁いやまあものは試しだ﹂
ロクサーヌにも槍と槌で試してもらったが、新しいジョブはなか
った。
ワンドで倒したときも何もなかったし、そうそう全部の武器にジ
ョブが対応しているのではないのだろう。
あるいは条件が足りていないのか。
いずれにしても、現時点では鍛冶師を含めて何もジョブを得られ
なかった。
﹁慣れないと使いにくいですね。振り回すのに力がいると思います。
私には剣の方がいいですね﹂
棍棒で魔物を倒したロクサーヌがコメントする。
槌はやはりセリー専用のようだ。
槍の方は使えそうだが、前衛が魔物と対峙しているところを後ろ
から突く形になるので、ロクサーヌに使わせる武器ではない。
ロクサーヌは前衛として置くべきだろう。
一通り試したので、クーラタルの迷宮に移動して上の階層へ上が
っていく。
ベイル迷宮三階層のコボルトではセリーのテストにならない。
807
上の階層へ行っても、セリーはきっちり魔物と戦った。
セリーは小さくて可愛いが、戦っているとなかなか貫禄がある。
ロクサーヌほどではなくとも、俺と同じくらいには戦えるか。
落語家の世界では、自分よりちょっと巧いなと思ったやつの落語
は自分よりもうんと上、自分と同じくらいだなと思ったやつの落語
は自分よりもちょっと上、自分よりちょっと下だと思ったやつの落
語が自分と同じレベルだという。
それを考えると、セリーは俺よりも戦えるのかもしれない。
﹁あうっ﹂
五階層で三匹を相手にしているときには、セリーも魔物の攻撃を
喰らった。
俺も三匹が相手のときにはよく喰らう。
﹁大丈夫か﹂
﹁大丈夫です。前は八階層で戦っていたこともあるので、五階層く
らいなら問題ないはずです﹂
すぐに手当てとメッキをかけて尋ねると、セリーが気丈に答える。
﹁いや。装備もパーティーの戦力も環境も違っているのだから、ゼ
ロベースで考えた方がいい。魔物の攻撃がきついようなら、そう言
え﹂
﹁ありがとうございます。ですが、まだ大丈夫です﹂
心配する本当の理由は、探索者Lv10から村人Lv3にレベル
ダウンしているからだ。
ジョブを変えたことはまだ伝えていない。
808
問題の先送りでしかないとはいえ。
時間が経ちセリーが少しは俺に信頼感を持ってくれるようになっ
たら、ジョブの変更もすんなり受け入れてくれるのではないだろう
か。
﹁大丈夫でしょう﹂
一応、ロクサーヌの意見も聞こうと顔を見ると、力強くうなづか
れた。
遠慮していえないこともあるかもしれないが、とりあえず大丈夫
そうだ。
六階層に移動する。
色魔をテストするため、六階層ではシックススジョブをつけた。
いきなりメッキなしというのも怖い。
﹁昨日の話の続きだが、色魔のスキルって、どんなやつか分かるか﹂
﹁セリー、知っています?﹂
いつもいつもセリーだけに尋ねるのはまずいかとロクサーヌに話
を振ってみるも、あっさりと丸投げされた。
何故私に訊くのかといわんばかりの表情で。
次からは全部セリーに質問してやる。
﹁私にも分かりません。あまりおおっぴらにできるジョブでもない
ので、話が伝わってきません﹂
まあそうなんだろう。
色魔のジョブに就きましたと胸張って親兄弟に言えることではな
い。
809
獲得条件のこともあるし。
色魔 Lv1
効果 精神中上昇 知力小上昇 MP小上昇
スキル 精力増強 禁欲攻撃
思うに、精力増強はパッシブスキル、禁欲攻撃はアクティブスキ
ルか。
恐れていたが、色魔をつけても見境なくやりたくなるということ
はなかった。
もちろんロクサーヌを見ればいろいろと揉んでみたくはなるが。
それはいつものことだ。
常時発情していたらジョブ色魔の人は生きていけないだろう。
牢屋の中くらいでしか。
だから多分大丈夫だ。
まあ実際に座敷牢ででも暮らしているのかもしれないが。
街中でジョブ色魔という人間を見たことはない。
それくらいおおっぴらにできるジョブではないのだ。
禁欲攻撃をテストしてみる。
デュランダルを出し、ロクサーヌが見つけたミノLv6に挑んだ。
禁欲攻撃と念じて魔物に斬りつける。
ひょろひょろとした頼りない攻撃がミノLv6に当たった。
なんだ、これ?
810
弱い。
見るからに弱い。
情けないほどの手ぬるい攻撃だ。
禁欲攻撃はアクティブスキルではないのかもしれない、と思った
が、ここまで弱いと、むしろスキルの結果こんなひょろい攻撃にな
ったと考えるべきか。
禁欲攻撃だけに威力が禁欲的なんだろうか。
やかましいわ。
もう一度、今度は普通に斬りつけてみる。
魔物は倒れなかった。
六階層ではデュランダル二回で倒せるのに。
普通なら二回で倒せるのに倒せなかったということは、最初の攻
撃は失敗したのではない、ということだ。
禁欲攻撃のスキルが発動した結果、普通よりも弱い攻撃になった
のだろう。
威力を大きくするスキルなら六階層の魔物を一撃で倒せるかもし
れないとわざわざ色魔のテストは六階層まで控えたのに、とんだ茶
番だ。
あるいは何か条件があるのか。
生け贄か生け捕りにでもするときに使うスキルなのか。
もう一度禁欲攻撃を試してみるも、さっきと同様、下手をすれば
さっきよりも情けない攻撃にしかならない。
当面はもう封印するしかないだろう。
次に普通にデュランダルで斬りつけ、ミノを屠った。
魔物が倒れ、煙となって消える。
811
皮が残った。
﹁そういえば、セリーは皮を拾ったことがあるか﹂
皮を見てふと思いついたので訊いてみる。
﹁ありません。私が入っていた迷宮では、ミノは上の方に出てくる
魔物だったので﹂
おっと。これは当たりか。
毒消し丸の原料になるリーフを拾うと、毒消し丸を作る薬草採取
士のジョブを得た。
装備品を作る鍛冶師のジョブを得るには装備品の原料である皮を
拾えばいいのかもしれない。
﹁では拾ってくれ﹂
﹁はい﹂
ちょっとびびってロクサーヌの表情をうかがってしまった。
何故私には聞かないのかと怒っているかと思って。
特に変化はないようだ。
別にわざわざ尋ねなくても、今まで散々拾ってもらっていたか。
ドロップアイテムは全部俺のアイテムボックスにしまっている。
主人と奴隷の両方がアイテムボックスを使える場合、主人のアイ
テムボックスを使うことが普通のようだ。
リュックサックならともかく、数えていなければアイテムボック
スではごまかすことができなくもない。
セリーが自分のアイテムボックスを使おうとすれば探索者でない
ことがばれてしまうが、今のところは問題ない。
812
皮を受け取ってから、デュランダルをしまい、パーティージョブ
設定でセリーのジョブを見てみる。
残念。
皮を拾うことが鍛冶師の条件ではなかったようだ。
皮を拾うぐらいでなれるなら、才能もくそもないか。
﹁皮は売らずに集めておいて、後で装備品を作ってもらった方がい
いか﹂
﹁えっと。すみません。私が鍛冶師であれば﹂
何気なく放った一言に、セリーが謝ってきた。
いやいや。そういう意味ではないというか。
そういう意味なんだけど。
あまりうかつなことは言えない。
人の上に立つというのも制約が多いようだ。
﹁そういえば、探索者Lv10以外で鍛冶師になった人は、どうや
って鍛冶師になったんだ﹂
話をごまかしてみる。
﹁エレーヌの神殿です﹂
﹁エレーヌ?﹂
﹁エレーヌの神殿は、ギルド神殿のように特定のジョブに就くわけ
ではなく、神託によってなんらかのジョブに就任させてくれる神殿
です。本人に最も適性のあるジョブに就けるとされています﹂
ロクサーヌが説明してくれた。
813
一般にこの世界では、ジョブを変更するにはギルド神殿で各ギル
ドを構成するジョブに就任する必要がある。
商人ギルドで商人になったり、探索者ギルドで探索者になったり。
それ以外に、ランダムで変更してくれる神殿もあるということか。
﹁なるほど。ありがとな﹂
いや。ランダムではなくて、効果の大きいジョブに就けてくれる
のかもしれない。
問題は、すでに獲得済みのジョブに変更できるだけなのか、取得
していないジョブを獲得できるのか、ということだ。
普通のギルド神殿では獲得していないジョブに就くことは無理ら
しいから、エレーヌの神殿でも同様ではないだろうか。
﹁初代皇帝が英雄のジョブに就任したのも、エレーヌの神殿です﹂
﹁うーん。初代皇帝って、盗賊を退治したエピソードとか、あるか
?﹂
﹁はい。初代皇帝の初陣が襲ってきた盗賊を撃退することだったそ
うです﹂
セリーと会話する。
ビンゴか。
英雄のジョブ取得条件は盗賊を退治することだ。
ただしひょっとしたら、単に盗賊を撃退するだけでなく初陣であ
る必要があるのかもしれない。
俺の場合も初陣だった。
盗賊退治だけで英雄になれるのなら、もっとありふれたジョブに
なっているだろう。
814
魔物が跋扈するこの世界で鍛えておいて盗賊に襲われるまでは戦
闘を経験しないということはほとんどないだろうし、鍛えていない
なら盗賊に立ち向かったところで返り討ちにあうだけだ。
英雄がレアなジョブである理由はそんなところにあるのではない
だろうか。
初陣で盗賊を撃退した初代皇帝はそのときに英雄のジョブを得た。
であるならば、エレーヌの神殿で英雄にジョブチェンジしたとき、
エレーヌの神殿は初代皇帝に英雄のジョブを獲得させたのではなく、
持っていたジョブに変更しただけだ。
鍛冶師のジョブを持っていないセリーをエレーヌの神殿に連れて
行っても、鍛冶師のジョブを獲得したりはしない公算が大きいだろ
う。
﹁セリーは鍛冶師になれたら嬉しいか﹂
﹁い、いいえ﹂
﹁そうなの?﹂
なりたかったんじゃないのか。
セリーは下を向いてしまった。
そして、言葉をなんとかひねり出したかのようにひっそりとつぶ
やく。
﹁もう諦めましたから﹂
諦めんなよ。諦めんなよ、おまえ。
815
全滅
セリーは鍛冶師になるのを諦めたらしい。
なんとか励ましたいが、どうすべきか。
﹁奴隷になってしまったので、いまさら鍛冶師になったとしても問
題を引き起こすだけですし﹂
そうなんだよなあ。
奴隷である鍛冶師はいろいろ面倒なことになると思われているわ
けで。
俺が積極的に鍛冶師になることを勧めたら、不信感をもたれてし
まう。
﹁ま、まあ心配するな。そのうちなんとかなるだろう﹂
などと無責任なことしか言えない。
セリーが鍛冶師にならないと困るのは俺だ。
要するに俺のわがままなので、希望を押しつけるわけにもいかな
い。
﹁ご主人様が大丈夫だとおっしゃるなら大丈夫でしょう。問題あり
ませんよ﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌも励ました。
その信頼はどこから来るのだろうか。
816
もちろん、なんとかするつもりではあるが。
﹁では。一応六階層でも戦えるようだし、次は七階層に移動する。
魔物の殲滅は俺が行うので、セリーはあまり攻撃のことは考えず、
回避と防御を優先して戦うように。後はロクサーヌと巧く連携して
くれ﹂
村人Lv4でも六階層で一撃死するほどではないようだ。
それを確認して、七階層に移った。
七階層からは普通に迷宮を攻略していくことになる。
ボーナスポイントの設定は、獲得経験値の増大をコンセプトにし
た。
パーティーメンバーが増えたから、経験値は分散されるだろう。
今はセリーのレベルを速やかに上げていった方がいい。
その分結晶化促進は控えめになるが、早急にお金が必要というわ
けでもないのでかまわないだろう。
必要経験値十分の一で31、獲得経験値二十倍で63、結晶化促
進十六倍で15、フィフスジョブで15、詠唱省略で3、MP回復
速度上昇、鑑定、ジョブ設定、キャラクター再設定で4の計131
だ。
フィフスジョブまでなので色魔ははずす。
クーラタル迷宮七階層の魔物スローラビットに対するときは料理
人をつけたいところだが、今のところはまだ錬金術師のメッキが必
要だろう。
﹁セリー、もう少し壁側に寄っても大丈夫です﹂
﹁はい﹂
817
ロクサーヌとセリーの連携を確かめながら攻略を進めた。
魔物が三匹出てきたときは、ロクサーヌが二匹、セリーが一匹を
請け負う。
俺は楽チンというわけだ。
八階層で四匹出てくると、そうもいっていられないだろうが。
魔物が一匹か二匹のときには、正面をロクサーヌが担当してセリ
ーは横から殴る。
このときには槍の方がいいのだろうが、持ち替えるのも大変なの
で棍棒のままだ。
﹁ある程度、形は見えてきたか﹂
﹁はい。後は連携を深めていけば大丈夫だと思います。よろしくお
願いしますね、セリー﹂
﹁こちらこそ、よろしくお願いします﹂
実際問題、後衛職は前衛職に比べてむちゃくちゃ楽だ。
切った張ったの最前線にいるのだ。
かかる負荷は段違いで前衛の方が大きい。
ミスをして敵の攻撃を受ければ痛い。
下手をすれば死ぬ可能性もある。
パーティーを支える重圧や責任感もあるだろう。
前衛職は大変だ。
後ろにいればそんな負担とは無縁である。
後衛職で全滅の危険がそれほどないなら、俺はこのまま迷宮の最
上階にだって行けるだろう。
まあ敵が強くなれば全体攻撃魔法を使ってくる魔物も現れるだろ
818
うが。
前衛を雇いたいといったら、それは奴隷商人だって怖そうなおあ
にいさんを集めるわけだ。
ロクサーヌにはどれだけ感謝をしてもし足りない。
﹁ロクサーヌ、ありがとうな﹂
﹁はい⋮⋮?﹂
﹁そういえば、セリーは使える魔法の種類って分かるか﹂
分かっていなさそうなロクサーヌは放置して、セリーに尋ねる。
﹁魔法職のことは詳しくありませんが、基本は三種類ずつ、全体攻
撃魔法、単体攻撃魔法、防御魔法の三つがあるはずです﹂
ストーム、ボール、ウォールの三つということらしい。
見つけられていなかった第四の魔法はないか。
﹁ご主人様、そろそろ日も昇るころでしょう﹂
その後も狩りを続けていると、ロクサーヌが教えてくれた。
ロクサーヌは腹時計まで正確だ。
俺は、時計のある生活に慣れすぎてしまったせいか、まだ時々分
からなくなることがある。
今日みたいに階層を移動したりすると、特に。
早朝の探索はここまでにする。
パーティージョブ設定をつけて、セリーのジョブを確認した。
819
村人Lv5、探索者Lv10、薬草採取士Lv1、戦士Lv1、
商人Lv1、巫女Lv1、剣士Lv1、僧侶Lv1。
村人がLv5までアップしている。
しかし鍛冶師はない。
村人Lv5が条件ではなかったか。
戦士Lv1以降の増えているジョブが村人Lv5を条件とするジ
ョブだろう。
﹁巫女なんてジョブもあるのか﹂
いかん。
思わず口に出してしまった。
﹁⋮⋮﹂
セリーの視線がなんとなく物悲しい。
ロクサーヌの視線は、むしろなまあたたかい。
俺はかわいそうな子か。
またやってしまった。
同じ過ちを何度も。
周りから見れば、俺はわけの分からないことをつぶやく変人だ。
とりあえずワープと念じ、クーラタルの冒険者ギルドまで逃げる。
朝食のパンを買って冒険者ギルドから家にワープしても、空気は
重かった。
﹁あれ? セリーの頭って、そんな風だった?﹂
820
家に帰り、装備品を受け取る。
帽子を取ると、セリーの髪は妙にしんなりとしていた。
もっとモコモコしていたような気がするのだが。
今朝は軽そうだ。
﹁そうですね。昨日はもう少しボリュームがあったように思います﹂
ロクサーヌがセリーの頭に手を伸ばす。
﹁そうですか?﹂
﹁あ。すごく柔らかいです﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁ご主人様、すごく柔らかいですよ﹂
それは昨夜髪の毛を洗ったときに気づいた。
﹁触ってもいいか﹂
﹁はい。どうぞ﹂
セリーの了承を得て、まずはロクサーヌの頭からなでる。
同じ過ちは二度繰り返さないのが俺よ。
順番は大切だ。
﹁あ﹂
頭に手をやると、ロクサーヌがうれしそうにはにかんだ。
可愛い。
ロクサーヌから触ってよかった。
気を遣った以上の利益があった。
821
右手でイヌミミをなでつつ、左手をセリーの頭の上に乗せる。
確かに、柔らかくて軽い。
ふわっふわだ。
﹁おー。ほんとだ。すごく柔らかい。いい髪だな﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
昨日はもう少し硬かったような気がするが。
髪の毛を洗って軽くなったのだろうか。
もしそうなら、どれだけほこりを溜め込んでいたのだろう。
生まれてこのかた頭なんて洗ったことがなかったのかもしれない
が。
思えばロクサーヌの耳もふわふわのパフパフになったような気が
する。
朝食の前に、イヌミミとセリーの髪をしばし堪能した。
﹁そういえば、巫女というジョブがあるのだな﹂
朝食のときに、巫女の話を持ち出す。
時間を置いたからもう大丈夫だろう。
﹁⋮⋮﹂
と思ったのに、セリーが悲しげにうつむいた。
﹁いや。さっき急に思い出したので﹂
﹁私のことを何か聞いたのですか?﹂
﹁いやいや。別にそんなことは﹂
﹁⋮⋮﹂
822
﹁いやいやいや﹂
そこまで?
﹁私は鍛冶師になれなかったので、巫女になろうとしたことがある
のです﹂
聞き取れないくらいの小さな声でセリーが説明した。
顔を上げようとはしない。
なるほど。
いいたいことは分かった。
さっきまで巫女のジョブは持っていなかった。
巫女になれたはずはない。
鍛冶師にもなれず、それならばとなろうとした巫女にもなれなか
った、ということか。
ショックは大きいだろう。
第一志望第二志望の大学にともに不合格になったようなものだ。
﹁ま、まあ悲観することはない﹂
単に村人のレベルが足りなかっただけだし。
﹁はい。私は探索者としてしっかり働きますから。大丈夫です﹂
セリーはそう言って、吹っ切ったように顔を上げる。
実はすでに探索者でもないのだが。
前向きなのは評価できる。
823
巫女 Lv1
効果 MP小上昇 知力微上昇
スキル 全体手当て
﹁あれ? 巫女のスキルって﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮何か知っているか?﹂
やばい。
また地雷を踏むところだった。
巫女のスキルには見覚えがある。
ただし、ただの手当てではなく全体手当てだ。
パーティーメンバー全体を回復させるのだろう。
﹁回復魔法です﹂
﹁僧侶の女性版といったところか﹂
巫女というからには女性専用のジョブなのだろう。
男性用のジョブが別にあってもおかしくはない。
﹁巫女の男性版は神官になります﹂
と思ったが、考えてみれば女性であるロクサーヌも僧侶を持って
いる。
セリーも僧侶と巫女を獲得していた。
全体回復が巫女と神官、単体回復が僧侶か。
824
多分、全体だからMPの消費が多いとか回復量が少ないとかのデ
メリットもあるのだろう。
今のところは敵の攻撃を連発で浴びることもないし、僧侶だけで
も十分か。
﹁男性が神官で女性が巫女と。巫女にはどうやったらなれる?﹂
﹁わ、私はなれませんでしたので﹂
まあ確かに。
﹁えっと。何かなるためにやったこととかないか﹂
﹁私が行った聖職ギルドでは、ギルドの持つ聖地で滝に打たれる修
行をやっていました﹂
﹁滝行か﹂
﹁滝に打たれながら精神を統一していくと、何かひらめく瞬間があ
るそうです。実は私にもそうじゃないかというひらめきはあったの
ですが⋮⋮﹂
セリーが視線をはずした。
いや。結果的に巫女のジョブは獲得したのだから、セリーが得た
ひらめきは勘違いではなかったはずだ。
﹁大丈夫ですよ。巫女には希望者の半数もなれないと聞きました。
巫女になれなくたって、迷宮で活動するのに支障はありません﹂
﹁そのとおりだ。まったく何の問題もない﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌの助けも借りて慰める。
﹁しかし希望者には村人Lv5以上とかの条件をつければいいのに﹂
825
﹁はい?﹂
﹁いや。だって﹂
滝行をしたとき巫女になれなくて、村人Lv5に上がったときに
巫女のジョブを得たのは、巫女の獲得条件に精神統一の他、村人L
v5以上というものもあったからだろう。
予め村人Lv5以上という制約を課しておけば、セリーのような
悲劇はなくなる。
﹁⋮⋮﹂
﹁ご主人様。探索者のご主人様は知らないかもしれませんが、レベ
ルというものがあるのは探索者だけです﹂
セリーが黙ってしまったので困ったようにロクサーヌを見ると、
ロクサーヌが教えてくれた。
﹁え? そうなの?﹂
﹁はい﹂
﹁探索者は経験を積むと利用できるアイテムボックスがだんだん大
きくなっていきます。これをレベルといっています。他のジョブに
はそういう指標はありませんので。村人のときにはなかったと思い
ますが﹂
俺の場合、村人のときも村人Lv1からだったが。
考えてみれば、レベルが分かるのは鑑定かジョブ設定のときだけ
だ。
これは他の人には使えない。
インテリジェンスカードにも、ファーストジョブは出てくるがレ
ベルまでは表示されない。
この世界ではレベルは知られていないということか。
826
﹁なるほど。そうだったのか﹂
﹁だ、大丈夫です。そんなこと知らなくても、ご主人様が迷宮で活
躍するのに何の支障もありません﹂
﹁そのとおりです。まったく何の問題もありません﹂
妙に慰められてしまった。
俺は今までもレベルがどうとか言っていたような気がする。
イタい子だったのか。
﹁ものを知らなくてもご主人様はご主人様です﹂
﹁頭がよすぎると誤解されることもあります。昔の偉い学者さんの
一人も、樽に住んでいたそうです﹂
それは慰めているのかと。
﹁で、では。気を取り直して、これからは迷宮七階層の探索を進め
よう﹂
くっそー。
俺は頭が残念な子だったのか。
ベイルの迷宮七階層の探索は、順調に進んだ。
今までは八階層に進める自信がなく無意識のうちに手控えていた
のかもしれない。
午前中の探索でほぼあたりをつけ、午後一番でボス部屋に到着し
た。
午後はセリーの買い物をしようと思っていたが、せっかくなので
827
探索を進める。
今日のうちに七階層をクリアしておけば、明日の早朝クーラタル
でも八階層に行けるだろう。
ボス部屋隣の待機部屋には、人が何人かいた。
前のパーティーが戦闘中のようだ。
人の少ないベイルの迷宮でも、ないわけではない。
ボス戦は時間がかかる。
昼間なので人も多いだろうし。
待機部屋にいたのは男が六人、一つのパーティーだろうか。
彼らを鑑定しようとして、男たちの視線に気づいた。
明らかにロクサーヌの方を見てやがる。
下卑た視線の先には、もちろん豊かなふくらみが。
こ、こいつら。
全員この場でデュランダルの錆にすべきか。
しかし俺が暴発するより先に、ボス部屋での戦闘が終わった。
ボス部屋への扉が開く。
男たちは、最後にジロリとロクサーヌを見ると、ボス部屋に入っ
ていった。
﹁くっそ﹂
﹁皆さん、全員やっぱりです﹂
俺とセリーが落ち込んだ。
見るならロクサーヌだけでなくセリーの胸も見てやれよ。
後でフォローするのは俺なんだぞ。
828
﹁なんかいやらしい視線でした﹂
ロクサーヌが口にする。
さすがにあれを気づかないということはないか。
つまり、俺の視線にも気づいているということだ。
﹁まあ気にするな﹂
﹁はい﹂
デュランダルを出し、いざというときの用心に滋養丸をロクサー
ヌとセリーにそれぞれ渡した。
セリーには銅の槍も渡す。
﹁ここでは槍の方がいいだろう﹂
﹁えっと。このまま戦うのですか?﹂
﹁そのつもりだ﹂
﹁エスケープゴートのボスはパーンになります。魔法を使う半人半
獣の魔物です。魔法はかなりの威力がありますし、至近距離で放た
れたのではロクサーヌさんでも回避できません。パーンは、打たれ
弱い面はあるものの魔法が強力なため、低階層の中では強いボスに
分類されます。先ほどのパーティーもおそらくは腕試しでしょう。
パーンには詠唱遅延のスキルがついた武器などの装備を整えてから
戦うのが常道です﹂
うなずくと、セリーが講釈してきた。
なるほど。
戦う前に魔物の情報を集めておくことは有効だ。
ものすごく役立つ。
階層こそ異なるとはいえ迷宮が違っても出てくる魔物は同じなの
829
だから、ベイル迷宮の魔物も知られていないわけではないだろう。
今まで何の情報も集めていなかった俺たちってどうよ。
しかしまあしょうがない。
俺の情報をさらけ出すわけにはいかない。
敵の位置を知るためにレーダーを使えば、こちらの位置も逆探知
が可能だ。
右も左も分からない状態では、闇雲に情報を集めることだけが正
解ではないといえるだろう。
﹁素晴らしい。魔物のことまで知っているとは。やはりセリーは役
に立つな﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
﹁これからはよろしく頼むな﹂
これからはセリーに訊くか、知らなければセリーに情報を集めさ
せればいいだろう。
﹁はい﹂
﹁しかし大丈夫だ。詠唱中断のついた武器もある﹂
デュランダルを見せる。
﹁その剣にはMP吸収のスキルがついているのではありませんでし
たか﹂
﹁詠唱中断もついている﹂
﹁⋮⋮﹂
答えると、何故かひかれた。
830
怯えたような、汚いものを見るような、明らかにひいた目線でセ
リーが俺を見てくる。
その視線はやめて。
クセになったらどうするの。
﹁だ、駄目なのか?﹂
﹁えっと。複数のスキルをつけることが不可能でないことは知って
いますが。なんといえばいいか、その⋮⋮﹂
﹁珍しいのか﹂
﹁モンスターカードの融合に失敗したとき、装備品は分解されてし
まいます。素材は残りますが、スキルのついた装備品であっても最
初のモンスターカードは残りません﹂
一度成功してスキルのついた装備品に、さらにモンスターカード
を融合しようとして失敗すれば、最初の成功までが失われてしまう、
ということか。
モンスターカードの融合は失敗することが多い。
せっかくスキルのついた装備品にそんなリスクを負わせることは
ない。
装備品に複数のスキルをつけようとする人は多くない、というこ
とだろう。
そんなことをするのは、よほどのチャレンジャーか、余裕ある人
の酔狂か。
でなければ、ただの馬鹿、ということになる。
あの目はそういう意味か。
セリーには俺に鍛冶師のつてがあるということを否定していない
から、俺がやらせたと考えているのだろう。
831
﹁えー⋮⋮おっと。扉が開いたな。では行くぞ﹂
おりよく、ボス部屋への扉が開いたので、逃げることにする。
ボス部屋に逃げ込むというのは初めての経験だ。
なかなか経験できる人はいまい。
﹁かしこまりました﹂
﹁はい﹂
開いた扉からボス部屋に突入した。
﹁うわっ﹂
中に入って驚く。
ボス部屋の中は装備品が散乱していた。
一面に、剣や鎧などが転がっている。
籠手や靴も含めれば、二十以上もあるだろうか。
装備品の中、獣のような毛の生えた二本足を持つ人間が一人立っ
ていた。
人間?
ジロリとこちらをにらむ。
人間といっても、仮面でもかぶっているかのような不気味な顔だ。
頭には禍々しい二本のツノが生えている。
パーン Lv7
832
まさに半人半獣、山羊の足と山羊のツノを持った魔物である。
ボスが先にいて、装備品が転がっている。
それが意味するのは、先にボス部屋に入っていったあの男たちが
このパーンによって全滅させられたという事実だ。
833
ビーストアタック
ベイルの迷宮七階層のボス部屋には装備品が散らばっていた。
それはおそらく、その装備品を着けていた前のパーティーが全滅
したことを物語っている。
ロクサーヌのことをいやらしい目で見ていたあの男たちが全滅し
たのか。
自業自得というべきか天罰てき面というべきか。
﹁ロクサーヌは正面に。セリーは転がってる装備品を端にどかして
くれ﹂
﹁はい﹂
とはいえ戦いはすでに始まっている。
この場の状況に呆けているわけにはいかない。
俺はすばやく指示を飛ばした。
この場で散った男たちのことは思考の隅に追いやる。
どうせ会話もかわしていない連中だ。
戦場で異性にうつつを抜かしているようではくたばるのもやむを
えない。
俺だって、迷宮ではロクサーヌの胸に極力意識を向けないよう努
力をしているのだ。
血の滲むような努力を。
834
とりあえず、足元に装備品が転がっている状態では戦いにくい。
そこをなんとかすべきだろう。
肝心なときにつまずいてしまう恐れもある。
籠手や靴を壁の方に蹴飛ばしながら、魔物の横に回り込んだ。
正面にはロクサーヌが陣取る。
セリーは前のパーティーの形見の剣を壁の方に持っていっている。
あんなものが転がっていたのでは危ないことこの上ない。
パーンの脚元に赤い魔法陣が浮かび上がった。
早速お出ましか。
セリーによればパーンは強力な魔法を使ってくるらしい。
デュランダルを振り上げ、魔物の懐に飛び込む。
右上から一閃。
半人の肩から半獣の腰にかけて、袈裟がけに斬り捨てた。
﹁あれ? 一撃、か?﹂
デュランダルを喰らったパーンがふらふらと崩れ落ちる。
魔物はそのまま倒れ込んだ。
﹁そのようですね﹂
半人半獣の山羊が煙となって消える。
本当に一撃だったらしい。
え?
弱い。
いくらなんでも、エスケープゴートより弱いということはないと
思うが。
835
ヤギの肉
残ったのはヤギの肉だ。
半人半獣でもドロップアイテムはヤギ扱いなのか。
よく分からない現実。
とりあえず夕食の食材はゲットした。
﹁前のパーティーは全滅したようです。多分、途中までパーンの体
力を削っていたのでしょう﹂
セリーが散らばっていた遺品の一つである剣を持ってくる。
パーンは、俺たちがボス部屋に入ってから湧いたのではなく、先
にいた。
前のパーティーが全滅した場合、ボスは継続しての戦闘になり、
湧き直しにはならないらしい。
前の戦闘で負ったダメージもそのまま、ということなんだろう。
﹁なるほど。そういうことか﹂
﹁あのいやらしいパーティーは全滅したのですね﹂
ロクサーヌが敵愾心ありげにつぶやく。
セリーは﹁胸の大きさで人を判断するようなやからは滅びてしま
えばいいのです﹂などと恐ろしいことを口走っているが、無視した
い。
怖いので。
剣だけ受け取った。
836
妨害の銅剣 両手剣
スキル 詠唱遅延
﹁せっかく詠唱遅延のついた武器も用意したのにな﹂
﹁見ただけでお分かりになるのですか?﹂
セリーが俺を見上げる。
﹁まあ⋮⋮﹂
﹁あ、いや。詠唱なしで武器鑑定を使えるのでしたか﹂
自慢げに肯定しようとするも、あっさりと視線をはずされた。
確かに武器商人のジョブも持っているからいうとおりではあるが。
いまさら驚くことでもないということか。
くそー。
﹁さすがご主人様です﹂
うん。
ロクサーヌは心のオアシスだ。
男の子は褒めて育てないと駄目だと思うの。
﹁詠唱遅延のついた武器で攻撃すると、魔法の発動を遅らせるんだ
よな﹂
﹁そのはずですが、抑えきれなかったのでしょうか﹂
セリーがまた妨害の銅剣を持ってくる。
妨害の銅剣は全部で五本あった。
837
もう一本はただのワンドだ。
六人のうち一人は、回復役の神官か僧侶か、あるいは魔法使いだ
ったのだろう。
ロクサーヌを見たことに腹を立てていたので結局鑑定はしていな
い。
﹁あるいは五人では足りなかったのか﹂
﹁分かりません﹂
デュランダル一撃で倒せるところまでは追い詰めていたのだ。
途中までは順調だったのだろう。
何かアクシデントでもあったのか、五人では遅延させきれずにパ
ーンの魔法が発動してしまったのか。
元々五人でタコ殴りにする計画だ。
一人やられれば、後は阿鼻叫喚だろう。
ちょっと想像してブルーになってしまった。
﹁情報や作戦に頼りすぎると、一つ歯車が狂っただけで何もかもが
失敗してしまうということだな。地道に実力をつけていくことが大
切だ。うんうん﹂
﹁はい。がんばります、ご主人様﹂
別にロクサーヌには言っていない。
﹁そうかもしれません﹂
頭でっかちの方も、神妙そうにうなずいた。
838
﹁遺体の方は消えてなくなるのか﹂
﹁迷宮内で魔物に倒された人は、速やかに消化、吸収されます﹂
剣に続いて、セリーは俺が蹴散らかした籠手を持ってくる。
さすがに迷宮は人をえさにしているというだけのことはある。
﹁装備品の方は消化できないのだろうか﹂
﹁迷宮にとっては異物ですから﹂
﹁そうなのか﹂
﹁いずれ吐き出されますし﹂
そういえば倒された人の装備品は宝箱となって出てくるのだった。
宝箱として吐き出すのなら、確かに異物ではあるのだろう。
﹁なるほど﹂
﹁異物なので、取り込むのに時間がかかるようです﹂
時間がかかるので、ボス戦の場合は次のパーティが拾えるという
ことか。
﹁やられた人の装備品を着けるのも、あんまり気分のいいものでは
ないが﹂
前のパーティーはスキルつきの武器をそろえるので精一杯だった
のか、防具の方は特にこれといったものはない。
革のグローブや革の靴がせいぜいだ。
﹁全滅したパーティーの装備品は次のパーティーのものです。帰っ
たら私がきちんと手入れをしますから、大丈夫でしょう﹂
839
ロクサーヌは整備にはうるさい。
そのロクサーヌが大丈夫だというのだから大丈夫か。
防具の中に革の鎧が何個もあったが、俺以外に着ける人がいない。
﹁何でしょうか?﹂
﹁か、革の鎧は一個を残して後は売るしかないか﹂
別に何も言っていない。
言っていないし、考えてもいない。
革の鎧を見ていただけでにらまれた。
﹁確かに小さいですけど﹂とかつぶやいているセリーは被害妄想
が過ぎる。
魔結晶も六個あった。
青が一個と赤が一個で、後は紫。
まだあまり魔物を倒してはいなかったようだ。
装備品を全部アイテムボックスに納めて、ボス部屋を後にする。
﹁中途半端な戦いだったが、別にもう一度戦う必要はないよな﹂
﹁いいえ。経験をしておくことはマイナスにはならないと思います﹂
﹁私も、パーンの行動パターンなどを知りたいので、もう一度戦い
たいです﹂
俺が余計なことを言ったため、もう一周するはめになったが。
ボス部屋の構造は前に戻れないようになっているので、一度八階
層に出た後、七階層途中の小部屋にダンジョンウォークで移動する。
待機部屋には転移できないようだ。
ワープなら待機部屋に移動できそうな気もするが、誰かいたらま
ずい。
840
﹁パーンは魔法攻撃が主体で武器も持っていないようでした。私の
スキルを使ってみたいのですが、ご主人様、よろしいですか﹂
ボス部屋に入る前にロクサーヌが訊いてくる。
獣戦士のスキルはビーストアタックだったか。
ロクサーヌには戦闘中、常に魔物の正面を取ってもらっている。
詠唱中は他の行動ができなくなるので、魔物と正面で対峙しなが
らスキルを使用することは難しい。
﹁そうだな。セリー、パーンの正面を頼めるか﹂
﹁はい。やってみます﹂
セリーがうなずいた。
大丈夫そうか。
﹁魔法の詠唱が始まったら俺がキャンセルする。ロクサーヌは隙を
見てスキルを叩き込め﹂
﹁ありがとうございます﹂
せっかくスキルがあるのだから、使えるにこしたことはない。
万が一のときに役立つかもしれない。
追い込まれてからやむにやまれず使うのではなく、一度実戦で試
しておくべきだろう。
魔法攻撃主体のパーンなら、そのいいチャンスだ。
﹁よし。行くぞ﹂
扉が開いたので、ボス部屋に移動した。
841
セリーが正面に立ち、ボスを三方から囲む。
正面からセリーが棍棒を、斜め後ろから俺がデュランダルを叩き
込んだ。
やはり一撃では倒れないらしい。
﹁××の獣の戦士?、が××の力を解き放つ、奪命、ビーストアタ
ック﹂
ロクサーヌもスキルを唱え、シミターで斬りつけた。
いやいや。途中翻訳されてないし。
攻撃そのものは当たったが、別に普通に斬っただけに見える。
どう見ても成功はしていないだろう。
﹁それでは駄目なんじゃないか﹂
﹁失敗のようです。ブラヒム語は難しいです﹂
﹁ゆっくりでいいから読み上げてみろ﹂
パーンの背中を回り、ロクサーヌのそばに行く。
詠唱文自体は脳裏に浮かぶはずだ。
やそ
﹁アマラハの獣の戦士?、が××。あ、分かりました。八十の力を
解き放つ、です﹂
﹁アマラハって何だ?﹂
翻訳されていないからまずそこが間違いだ。
もう一箇所はロクサーヌが自分で修正した。
パーンの足元に赤い魔法陣が浮かんだので、デュランダルで斬り
つける。
﹁アマラハ、アマラマ、アララハ、醜い⋮⋮﹂
842
﹁醜い?﹂
﹁えーっと。なんかそんな感じの響きです﹂
ロクサーヌがあげていった中で、醜いだけが翻訳された。
﹁醜いか﹂
﹁でも醜い獣戦士はないですよね﹂
偶然に翻訳されただけなんだろうか。
たまたまではないとしたら、それに近い何か。
魔法陣を警戒しながら考える。
しこ
﹁醜いじゃなくて、醜とか﹂
しこ
﹁アムラハ?﹂
しこ
﹁醜﹂
﹁醜?﹂
俺のブラヒム語をロクサーヌが復唱した。
よく分からないが翻訳されるので間違いではないような気もする。
﹁古い言い方で、力強いという意味がある。多分﹂
再び魔法陣が浮かんだのでキャンセルさせながら説明する。
あたってるかどうかは知らないが。
ブラヒム語だし。
しこ
﹁醜ですか﹂
﹁そんな言葉までご存知なんですか?﹂
セリーが魔物のパンチをかわしながら訊いてきた。
843
魔法以外、パーンは本当に徒手空拳のようだ。
物理攻撃の方はそれほど厳しいものではない。
﹁ま、まあな﹂
やそ
翻訳されたからいいだろう。
しこ
﹁醜の獣の戦士?、が八十の力を解き放つ、奪命、ビーストアタッ
ク﹂
ロクサーヌがアドバイスを受けて修正した詠唱でスキルを放った。
途中疑問形のままだったが。
最初のときと同じような攻撃だったので、同様に失敗したようだ。
赤い魔法陣が浮かんだので、デュランダルで斬る。
ロクサーヌが再び唱えるが、同じようなものにしかならない。
やっぱり疑問形ではだめらしい。
戦士?、とか尋ねているようでは成功はおぼつかないだろう。
﹁どうですか?﹂
﹁多分失敗だと思います。やはりブラヒム語は難しいです﹂
﹁仕方がありませんよ。ブラヒム語ですから﹂
セリーが慰めているが、そんなもんなのか。
﹁というか、戦士?、じゃなくて、もののふの、ではないのか﹂
デュランダルを振るいながら試しに言ってみた。
やそ
ちはやぶる神、たらちねの母。
八十にかかる枕詞がもののふのだったはずだ。
844
﹁もののふ?﹂
﹁戦士の古い言い回しですね﹂
セリーは知っているらしい。
﹁あ、それかもしれません。分かりました。やってみます﹂
やそ
ロクサーヌが詠唱をやり直す。
しこ
﹁醜の獣のもののふの、八十の力を解き放つ、奪命、ビーストアタ
ック﹂
ロクサーヌがパーンにシミターを叩き込んだ。
先ほどよりも数段上のスピードで剣が振り下ろされる。
文字通り、叩き込んだといえる勢いだ。
シミターがパーンに食い込んだ。
パーンの肉が軋む。
﹁おおっ、これは﹂
﹁やりました。成功です﹂
﹁すごいです﹂
この一撃は確かに命を奪うというのにふさわしい。
はたから見ていても勢いが違う。
まごうことなく成功だ。
反撃のためか、獣の足元に赤い魔法陣が浮かび上がった。
それを見逃すことはできない。
背後からデュランダルで斬りつける。
845
その一撃でパーンが崩れ落ちた。
床にくずおれ、うつぶせに倒れる。
やがて煙となって消えた。
﹁見事に成功したな﹂
﹁ありがとうございます。ご主人様のおかげです﹂
﹁よくやった﹂
デュランダルで何度も斬っているから、ビーストアタックにデュ
ランダル数回分という威力があったのではないだろう。
せいぜい一、二回分というところか。
とはいえ、シミターでデュランダルに匹敵する威力を出せたのな
らたいしたものだ。
ロクサーヌには魔物の正面を取ってもらうので頻繁に使うことは
ないだろうが、何かのときに役立つ。
﹁ロクサーヌさん、すごいです﹂
﹁セリーもありがとう﹂
ロクサーヌはセリーとも喜びを分かちあった。
セリーがドロップアイテムを拾う。
そのまま俺に渡してきた。
明日はジンギスカンだ。
﹁あんな古い表現を知っているなんてたいしたものです﹂
﹁ご主人様のブラヒム語はすばらしいです。さすがはご主人様です﹂
セリーもロクサーヌのように少しは俺を見直しただろうか。
846
ブラヒム語は何故か使えるだけなので、知っているといえるかど
うかは微妙なところだが。
﹁しかし七階層のボスなのにこんなに早く終わるなんて。パーンの
行動がよく分かりませんでした﹂
愚痴っているところを見ると、尊敬は無理そうか。
そんなセリーを尻目に、八階層に移動する。
ここからは最大四匹の魔物を相手にしなければならない。
﹁最初はいつものとおり、数の少ないところでな﹂
﹁はい。⋮⋮向こうです。コラーゲンコーラルのようですね﹂
ロクサーヌに指示を出すと、少しにおいを嗅いですぐに指差した。
ベイル迷宮八階層の魔物はコラーゲンコーラルらしい。
﹁コラーゲンコーラルか﹂
﹁えっと。その階層にどの魔物が出るかは、入り口の探索者に尋ね
るか、最寄の探索者ギルドもしくはクーラタルの探索者ギルドへ行
けば分かります﹂
﹁まあそれはそうなんだが﹂
セリーが進言してくるが、実際問題としては魔物の種類だけが分
かってもしょうがない。
その魔物の弱点は何で、どういう攻撃をしてきて、それに対して
どう対処すればいいのか、ということが分からなければ意味がない。
コラーゲンコーラルのような戦ったことのある魔物ならすぐにも
対応できるし、戦ったことのない魔物を名前だけ教えられても対処
のしようがない。
少なくとも今までは。
847
﹁はあ⋮⋮﹂
﹁これからは、そういうことに関してはセリーが教えてくれると助
かる﹂
あきれたような表情で見てくるセリーに問題を一任した。
これでいいだろう。
﹁かしこまりました﹂
冷たい表情のままセリーがうなずく。
その目はクセになりそうだからやめて。
﹁も、問題は四匹出てきた場合の対応だが﹂
﹁そうですね。私が三匹でセリーが一匹か、私が二匹でセリーが二
匹か、私が二匹でご主人様とセリーが一匹ずつか﹂
﹁試してみたいことがあるのですけど、いいですか﹂
新規の事態への対策を考えていると、セリーが何ごとか提案しよ
うとした。
848
鍛冶師
ベイル迷宮の八階層に進んだ。
八階層からは魔物が最大で四匹出てくることになる。
その対応について考えていると、セリーが何ごとか提案しようと
してきた。
﹁なんだ﹂
﹁槌は振り回す武器なので、同時に複数の魔物を攻撃できることを
特徴とします。私にもそれが巧くできるようなら、基本的にはロク
サーヌさんが二匹、私が二匹という対応が可能です﹂
それは知らなかった。
槌にはそんな利点があったのか。
前衛を二人でやってくれるなら、俺は楽だ。
相手によっては臨機応変に対処していかなければならないとして
も。
﹁なるほど。試すのはすぐに試した方がいいか?﹂
﹁なるべくなら魔物が密集している方がいいので、四匹出てきたと
きに試してみたいと思います﹂
﹁分かった。ではとりあえずセリーのいうとおりにしてみよう﹂
最初に出てきたコラーゲンコーラルLv8は魔法五発で問題なく
沈んだ。
クーラタルの迷宮でコラーゲンコーラルLv7とは戦っている。
849
この世界の迷宮では、一階層上がったくらいでとたんに魔物が強
くなって対処できなくなる、ということはないのだ。
情報を集めなかったくらいでは。
次にロクサーヌがけん引した場所にいた魔物は三匹、その次に四
匹いた。
ロクサーヌには普段は魔物の数の多いところに案内するよう頼ん
でいる。
コラーゲンコーラルLv8
コラーゲンコーラルLv8
エスケープゴートLv8
ナイーブオリーブLv8
エスケープゴートがちょっと厄介だが、しょうがない。
﹁ロクサーヌはエスケープゴートとナイーブオリーブを。セリーは
左のコラーゲンコーラル二匹を頼む﹂
指示を出し、ファイヤーストームを二発お見舞いした。
三発めを放つと多分エスケープゴートが逃げ始めるので引きつけ
る。
前衛二人が魔物に対峙した。
セリーが左から棍棒をスイングする。
850
振られた棍棒はしかし、コラーゲンコーラルの丸い胴体にぶち当
たり、そこで止まってしまった。
難を逃れたコラーゲンコーラルが飛びかかり、セリーに体当たり
する。
﹁単に振り回すだけでは駄目なようです﹂
﹁難しいか﹂
振り回したからといって、それだけで簡単に複数の魔物を攻撃で
きるものでもない。
一匹めにぶち当たれば、そこで止まってしまう。
一振りで二匹を攻撃するには、一匹めはかする程度にするか、あ
るいは。
﹁一匹めを軽く弾き飛ばすほど強くスイングしないと駄目ですか﹂
そういうことになる。
﹁もしくは、ぶち当ててしまうと衝撃が吸収されてしまうから、一
匹めはかすめる程度で巧く当てるかだな﹂
手当てしてメッキをかけなおした。
三発めのファイヤーストームを念じる。
エスケープゴートがあとずさった。
これはチャンス。
四匹も並ぶとうまく反転することができないようだ。
ロクサーヌが巧みに正面を押さえているので、突き抜けることも
できない。
その分逃げるのに時間がかかる。
851
後退したエスケープゴートが向こう側に振り返ったときに四発め。
セリーがもう一度棍棒を振った。
一匹めのコラーゲンコーラルに当たるも、大きく軌道がずれてし
まい、二匹めは空振り。
そこでまた二匹めの攻撃を受けてしまう。
エスケープゴートも逃げ始めているので、メッキはかけなおさず
五発めのファイヤーストームを放った。
これで全部沈むはずだ。
火の粉が舞い、魔物が倒れる。
セリーが次の攻撃を受ける前にすべての魔物を屠った。
﹁かすらせるのは難しいです﹂
﹁どうする? 無理そうなら、他のフォーメーションを考えるが﹂
手当てとメッキをかけながら問う。
﹁もう少しやらせてください。なんとかできそうな気もしますので﹂
﹁そうか﹂
﹁大丈夫でしょう﹂
確認のためロクサーヌを見てみると、うなずかれた。
﹁分かった。ではこのままで続けよう。ロクサーヌの今の位置取り
はよかったな﹂
﹁ありがとうございます﹂
セリーは﹁もっとこう﹂などとぶつぶつ言いながら、棍棒のスイ
ング練習をしている。
852
野球のバットスイングに近い。
一振りで二匹を攻撃する以上、横への振りになるのは当然か。
練習でも左から棍棒を振っていた。
セリーは左打者なのか。
﹁手の上下が逆じゃないか?﹂
﹁逆ですか?﹂
左打者なら左手が上だ。
セリーは右手を上にして棍棒を持っている。
剣を持つには、普通の握り。
﹁その握りで振るなら、右から振った方がスムーズにスイングでき
る﹂
剣道のときは左利きでも右手が上だった。
なんでか知らないけど。
野球の場合、左バッターは左手が上だ。
これも何故かは知らない。
﹁あ。本当です。こっちの方が振りやすいです﹂
セリーが持ち手を替えながら何度か試した。
ついでに一本足打法も教えようかと思ったが、それはやめておく。
相手がいる格闘術では隙が大きすぎるだろう。
﹁でも、右から攻撃がくるか左から攻撃がくるか、持ち手を見れば
分かってしまいますね﹂
﹁魔物にそこまでの知能があればだが﹂
853
セリーの素振りを見ながらロクサーヌと会話した。
セリーは右手を上にして右から振り、左手を上に持ち替えては左
から振っている。
﹁なるほど。ときには逆に振った方が見破られにくくなりますか﹂
﹁槌を振り回せばタメが大きくなるから、分かるのはしょうがない
と思うぞ﹂
次に出会った魔物は三匹、その次の二匹をデュランダルで屠った
後、出てきたのが四匹だった。
﹁いきます﹂
﹁よし。見せてみろ﹂
ファイヤーストームを念じながら、セリーを送り出す。
集団にはエスケープゴートがいなかったので、魔物がたどり着く
前に三発めの魔法も放った。
セリーが魔物の前に立ち、棍棒をフルスイングする。
攻撃は、見事魔物一匹を後ろに弾き飛ばし、二匹めにもヒットし
た。
強引というか無理やりというか、力任せだ。
相当に強く振らないと、こうはならないんじゃないだろうか。
腕力の強いドワーフならではの攻撃だ。
ドワーフが槌を装備する理由が分かった気がする。
ドワーフが槌を装備する理由か。
854
﹁やりました﹂
﹁偉い﹂
セリーを褒めながら四発めのファイヤーストームを念じた。
続いて五発め。
四匹の魔物が倒れる。
魔物を倒した後、思うところがあったのでパーティージョブ設定
でセリーのジョブを見てみた。
ドワーフが槌を装備する理由、だ。
村人Lv9、探索者Lv10、薬草採取士Lv1、戦士Lv1、
商人Lv1、巫女Lv1、剣士Lv1、僧侶Lv1、鍛冶師Lv1。
あった。
あれだけ強引な技だ。
ドワーフでもかなり力が強くないと無理だろう。
逆にいえば、才能のあるドワーフならできて不思議はない。
鍛冶師の獲得条件は、一振りで複数の魔物を攻撃することだった
のだ。
後は探索者Lv10︵以上?︶。村人Lv5以上とか、他にも何
かあるかもしれないが、分からない。
ともかく、セリーが鍛冶師のジョブを手に入れた。
これでセリーを鍛冶師にすることができる。
ついに念願の鍛冶師を手に入れたぞ。
﹁よし。今日の探索はここまでにするか﹂
855
思ったとおりにうまくことが進みすぎて、ついにやけてしまう。
﹁まだ早いと思いますが﹂
﹁まあいろいろ用事もあるしな﹂
﹁かしこまりました﹂
用事以上に、気分が高揚しているところでだらだら続けるのはま
ずい。
好事魔多しともいう。
﹁な、なにをするきさまらー﹂が最期のセリフにならないとも限
らない。
今日は探索をやめ、仕切りなおした方がいいだろう。
迷宮は決して安全な場所ではない。
俺たちの前にいた六人組のパーティーが全滅したように。
﹁商人ギルドに行かれるのですか﹂
セリーが訊いてきた。
スキルのついた装備品は商人ギルドでオークションをしているの
だったか。
全滅したパーティーは詠唱遅延つきの武器を五本残している。
セリーは鍛冶師になったが、本人はまだ知らない。
普通のテンションだ。
ハイになっているのは俺だけか。
﹁そうだな。セリーはオークションを利用したことがあるか?﹂
﹁いいえ、ありません。オークションは誰でも利用できますが、仲
856
買人を通すことが多いようです﹂
﹁仲買人か。まあ行ってみれば分かるか﹂
今日の探索はここまでにして、クーラタルの冒険者ギルドに飛ぶ。
外に出ると、日はまだ傾いてもいなかった。
冒険者ギルドで場所を尋ね、商人ギルドに行ってみる。
﹁仲買人に利益を奪われるのはしゃくだが、仲買人同士連携してい
るので出し抜くのは難しい、と知り合いのドワーフがこぼしていま
した﹂
商人ギルドまでの道すがら、セリーから話を聞いた。
そこに利益があるのであれば、人が寄ってくるのはしょうがない
だろう。
仲買人というのは利にさとい者たちのようだ。
ギルドの建物に着き、中に入る。
ロビーには数人の人がいた。
何人かが値踏みをするようにこっちを見てくる。
あまり愉快な視線ではない。
立ち止まっていると、その中から一人の男が近づいてきた。
ローレル 男 31歳
色魔Lv35
装備 山崩れの鉄剣 身代わりのミサンガ
857
色魔だ。
初めて見た。
﹁見ない顔だな。初めてか﹂
﹁そうだ﹂
嘘をついてもしょうがないので、本当のことを答える。
﹁俺は仲買人をやっている、ローレルという。話を聞かないか﹂
﹁話だけなら﹂
﹁別に気に入らなきゃ断ってくれてもいい。向こうの部屋に行こう﹂
仲買人がギルドの奥を示した。
﹁ちょっと待ってくれ﹂
俺は後ろの二人に振り返る。
色魔の部屋にこの二人を連れて行くのはまずいような気がする。
美人で胸が大きいロクサーヌに、ちっちゃくて可愛らしいセリー。
﹁ロクサーヌとセリーは先に洋品店に行っててくれ。セリーの服を
上下二着ずつ買おう。ロクサーヌも一着買っていい﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁かまわない。臨時収入もあったことだしな﹂
﹁ありがとうございます﹂
どうせ一張羅というわけにはいかない。
セリーの服は元々すぐにでも買うつもりではあった。
二人を外に出し、仲買人についていく。
858
通されたのはテーブルとイスがあるだけの殺風景な部屋だ。
会議室のような感じだろうか。
﹁ここは商談なんかで自由に使っていい部屋だ﹂
﹁そうか﹂
仲買人が奥に回り、イスに座った。
俺も手前のイスに腰かける。
手前ならばすぐに外へ逃げ出せる。
危害を加えるつもりはなさそうか。
﹁さっきの二人とは長いのか﹂
﹁まだそれほどでもない﹂
﹁あんた人間だろう。人間族には迷宮に入るのにいいジョブがある。
どうだ、うちのギルドに来てみないか﹂
話があるって、色魔ギルドの勧誘か。
緊張して損した。
まあ、美人の女を二人連れている人間の男を見れば、条件に合致
すると分かるのだろうが。
﹁色魔か?﹂
﹁なんだ。ご同業者だったか﹂
仲買人がイスにもたれかかり、天を仰いだ。
仰ぎたいのはこっちだ。
﹁いや。まだ同業ではない。しかしある程度の話は聞いている﹂
﹁ならこの機会にでもどうだ﹂
﹁そうだな。禁欲攻撃だったか? それの使い勝手はどうだ﹂
859
このチャンスに訊いてみる。
﹁そこまで知っているのか。本来ギルドの構成員以外にはあまり教
えてはいけないのだがな﹂
﹁いろいろとあってな﹂
スキルのことは秘密らしい。
世間的に偏見を持たれてもおかしくないジョブなだけに、内部の
団結は固いのだろう。
﹁まあいいだろう。俺は十日に一度迷宮に入っている。ボスを一撃
とはいかないが、使えるスキルだ﹂
﹁そんなにか﹂
﹁十日も禁欲しなきゃいけないのが大変だがな。俺は普段はここで
仲買人をやっている。スキルを使うのは十日に一度。今は結婚して
いるし、ちょうどいいくらいだ﹂
色魔の仲買人が説明した。
その説明を元に、ピースを組み立てる。
禁欲攻撃をするには禁欲が必要らしい。
結婚が関係している。
﹁十日は大変だな﹂
﹁まあ二、三日でもそれなりの威力にはなるだろう﹂
言ったことをオウム返しで同意してやると、追加情報が来た。
二、三日ならそれなりの威力、十日ならボスにかなりのダメージ。
860
つまり、禁欲攻撃は禁欲した期間によって威力の変わる攻撃だ。
長い間禁欲すれば、それだけ攻撃力が増す。
俺の場合は少しの時間しか禁欲していないから、あの威力だった
のだ。
禁欲すればするほど威力の増大する攻撃。
もちろん、禁欲している間は色魔をつけ続けなければいけないの
だろう。
精力増強のスキルがここで活きてくる。
色魔の湧き上がった性欲がたまりにたまりまくるわけだ。
精力増強によって暴れる本能を禁欲することによって抑える。
そして、長い間ためておいて一気に吐き出させる。
それはもうすごいことになるだろう。
確かに有効なスキルだ。
有効なスキルに違いない。
有効なスキルではあるが。
﹁悪いが、俺には難しそうだな﹂
結局俺の場合使えないスキルであることに変わりはない。
ロクサーヌとセリーを前に十日も禁欲とか。
無理だ。
﹁まああれだけ美人の連れがいてはな。しかしギルドに入るなら若
いうちの方がいいぞ。歳を取るとどうしても少しな﹂
内部活力をエネルギー源とするのだ。精力が衰えると禁欲攻撃の
威力も落ちるのだろう。
861
単に期間だけが問題なら、性欲の衰えた老人は禁欲攻撃を使いた
い放題ということになってしまう。
﹁悪いな﹂
﹁そうか。で、オークションには売りに来たのか、買いに来たのか﹂
断ると、色魔の仲買人はあっさり引き下がった。
ギルドへの勧誘はついでだったらしい。
﹁とりあえず様子を聞きたい。基本的には両方だ﹂
﹁買いについては俺たちみたいな仲買人を通すのが適切だ。いつ出
品されるか分からないからな。オークションに張りつくほど暇じゃ
ないだろう?﹂
﹁確かに﹂
何がいつ出品されるか、予告しておくようなシステムはないよう
だ。
希望のものが出るまで居座り続けるわけにもいかない。
だから仲買人に注文を出すのか。
﹁売りについても、仲買人なら適切なタイミングで売却できる。時
期によって落札価格がかなり違うからな﹂
何が出品されるか分からない以上、それをほしい客がタイミング
よくいるかどうかも分からない。
買い叩かれる可能性もあるということだろう。
﹁そうか﹂
﹁何が買いたいんだ﹂
﹁そうだな。コボルトのモンスターカードを﹂
862
﹁コボルトのモンスターカードか。ちょっと待ってくれ﹂
仲買人が手持ちのかばんの中からメモ帳を取り出した。
茶色い、安っぽいメモ帳。パピルスだ。
﹁昨日五千二百ナールで出ているな。その前は五千四百ナール。も
う一つ前が春の二十日で五千二百だ。その前々日にも五千二百ナー
ルで出ている﹂
五千ナールちょっとというモンスターカードの価値については分
からないが、それが相場ならうなずくしかない。
しかし相場というよりは、誰かが五千二百で買いを入れているの
だろう。
モンスターカードの融合は失敗することが多い。
ほしい人は成功するまで買い続けることになる。
﹁そんなものか﹂
﹁仲買を俺に頼むとしたら手数料は五百ナール。俺は迷宮にも入る
から後払いでいい。他の仲買人なら通常は先払いだ﹂
迷宮に入ればそれだけ命の危険がある。
仲買人が死んでしまえばおそらく払った手数料は返ってこない。
だから後払いなのか。
﹁なるほど﹂
﹁注文するときには最高落札価格を事前に決めてくれ。オークショ
ンの結果はギルドに張り出されるから安心だ。競ることになるから、
指定された価格未満で落とせることは多くないが﹂
仲買人がいやらしく口元をにやけさせた。
863
仲買人同士が連携しているという話はセリーから聞いている。
簡単なことだ。
こちらの最高落札価格を仲間に伝えて、ぎりぎりまで競ってもら
えばいい。
売り手の方も仲買人なら、利益を折半できる。
折半まではしなくても、自分が売りに回ったときに助けてもらえ
る。
逆にいえば、仲買人でない客が売り手の場合には最高価格以下で
買い叩くのだろう。
確かに、オークションで仲買人を出し抜くことは難しそうだ。
﹁分かった。しかし今は時期が悪いみたいだな﹂
﹁では売りの方はどうだ。何を売りたいんだ﹂
﹁妨害の銅剣が五本ある﹂
﹁五本か。惜しいな﹂
仲買人の顔が少しゆがんだ。
まあ五本をタイミングよく売るのは大変だろう。
﹁駄目か?﹂
﹁妨害の銅剣は低階層のボス相手によく使われる武器だ。一つのパ
ーティーは六人までだから、六本セットになっていた方が高く売れ
る。もう一本出るまで持っておくか⋮⋮﹂
仲買人が思案顔になる。
いろいろ計算しているようだ。
﹁六本あれば高く売れるのか﹂
864
﹁そうだな。妨害の銅剣五本なら一本一万五千で買わせてもらう。
オークションでの落札価格はうまくすれば三万以上も狙えるだろう
が、連続で出品しても買い叩かれるだけだしな。六本セットなら十
万で買ってやろう﹂
﹁なるほど。そんなものか﹂
半額というところか。
仲買人の取り分は大きい。
セリーの知り合いがいうとおりだ。利益を取られるのもしゃくだ
が出し抜くのも難しい。
﹁どうする﹂
﹁いや。もう一本探してみるか。悪かったな、話を聞くだけで﹂
小さく首を振って、立ち上がった。
仲買人を使うのはしょうがないとしても、ホイホイと手の内をさ
らしてしまうこの男は駄目だ。
違う誰かを探した方がいい。
それにジョブ色魔にはカルクのスキルがない。
可能性のある限りは、商人を仲買人にすべきだろう。
オークションそのものでは三割アップは効かないだろうが。
一本一万五千でも三割アップが効けば六本なら十一万七千になる。
﹁探してなんとかなるのか﹂
﹁分からないが、無理をすればなんとかなるかもしれない﹂
別に無理はしない。
無理はしないが、高く売れるなら作らせてみるべきだろう。
865
鍛冶師︵後書き︶
感想で多くの意見をいただきましたが、鍛冶師になる条件はこうい
うものにしました。
意見をいただいた方々に感謝いたします。
866
融合
商人ギルドを出て、近くの洋品店に行った。
ロクサーヌとセリーが仲良く服を選んでいる。
仲良きことは美しきかな。
﹁悪いな。待たせたか﹂
﹁いいえ。全然大丈夫です﹂
まだまだ余裕で選び終わっていないようだ。
まあロクサーヌの買い物がそんなに早く終わるはずもないか。
一つため息をついた。
しょうがない。
﹁そうか﹂
﹁これなんですけど、ご主人様はどっちがいいと思いますか﹂
ロクサーヌが二つのチュニックを出してくる。
一応、候補を絞ってはいたらしい。
﹁ロクサーヌなら何を着ても綺麗だけどね﹂
﹁あ⋮⋮ありがとうございます﹂
仕方がないので、終わるまでつきあった。
﹁では、これでいいか﹂
﹁本当に新品の服を買っていただいてよろしいのですか﹂
867
ようやく選び終わって服を集めると、セリーが訊いてくる。
セリーが着るドワーフ用の服というのは、この世界では子供服と
同じカテゴリー扱いになるらしい。
その分、子供服も大人用の服と同じくらいの種類や品数がある。
ドワーフがいなかったら子供服は品数も少なかったのかもしれな
い。
﹁大丈夫だ﹂
﹁ありがとうございます。まあ、奴隷が着る服も当然所有者の持ち
物になるのですが﹂
セリーが最後の方は小さくつぶやいた。
一言余計だといいたい。
﹁あとすみません。これを買っていただいてもよろしいでしょうか﹂
ロクサーヌが遠慮がちに追加の服を出してくる。
この謙虚さをセリーも見習ってほしい。
出してきたのは、服というよりただの布切れだ。赤い。
越中ふんどし?
﹁必要なものなのか?﹂
﹁えっと。すみません。今日から始まってしまって。肌着を汚さな
いためのものです﹂
なんだかよく分からないが必要なようだ。
﹁ふうん。まあいいだろう﹂
﹁あとすみません﹂
868
ロクサーヌが小声で告げてくる。
すみませんばっかりだな。
﹁何?﹂
﹁始まってしまったので、今夜はお情けを受けられません﹂
ロクサーヌが俺の耳元でささやいた。
始まったって。
生理か。
この布はナプキン代わりなのか。
まあ生身の人間だからしょうがない。
こればっかりはな。
今夜こそ色魔のスキル精力増強の威力を確かめたかったのだが、
延期するより他にないようだ。
色魔のスキルよりも、今は他に試さなくてはならないスキルがあ
る。
服と食材を買って家に帰った後、俺はテーブルをはさんでセリー
を目の前に座らせた。
﹁何でしょうか?﹂
﹁うん。まあなんというかだな﹂
﹁はい﹂
セリーを鍛冶師にしたのはいいが、どうやって説明したものか。
そこが悩みどころだ。
869
ここはやはり正攻法でいくべきだろう。
というか、からめ手が思いつかない。
一つ息を吐いてから宣言する。
﹁今日からセリーは鍛冶師だ﹂
﹁は?﹂
突然の宣告に、セリーは口をあけたまま固まってしまった。
﹁びっくりしただろ。分かるよ。思うようにいかないことたくさん
あるよな﹂
﹁あ、あの⋮⋮﹂
﹁鍛冶師になるのは無理だって、諦めてるんじゃないですか﹂
﹁え、えっと⋮⋮﹂
俺は銅の剣とモンスターカードを取り出す。
﹁もうプロだよ君は。融合してごらん﹂
﹁い、いえ⋮⋮﹂
ここはもう勢いでごまかすしかない。
﹁がんばれがんばれできるできる絶対できるがんばれもっとやれる
って﹂
﹁で、でも⋮⋮﹂
﹁でも大丈夫。分かってくれる人はいる。そう、俺についてこい。
モンスターカード融合。リピートアフターミチオ、モンスターカー
ド融合﹂
無理やり強制する。
870
﹁モンスターカード融合?﹂
強制すると、何故かロクサーヌが復唱した。
いやいや。
ロクサーヌがやっても無理だから。 わけが分からず首をかしげているロクサーヌも可愛い。
しかし、ロクサーヌまでがやる空気にのまれたのか、勢いに押さ
れたのか、ロクサーヌに続いてセリーも少しだけやる気を見せた。
﹁⋮⋮も、モンスターカード融合﹂
小さな声で、ひっそりとスキル名称を口にする。
唱えると、セリーの目が大きく見開かれた。
とても驚いたような、大きな眼。
セリーのジョブはちゃんと鍛冶師Lv1にセットしてある。
その状態でスキル名称を唱えれば、どうなるか。
スキル呪文が頭に浮かんでくるはずだ。
セリーは信じられないという表情で俺を見た。
﹁もっと熱くなれよ﹂
こぶしを握って、セリーにガッツポーズを見せる。
﹁で、でも、どうして⋮⋮﹂
﹁本気になれば自分が変わる。本気になればすべてが変わる。これ
を融合してくれ﹂
871
銅の剣とウサギのモンスターカードをセリーの前に差し出した。
疑問は後回しにして既成事実を作ってしまうのが得策だろう。
﹁いいのですか?﹂
﹁何やっても大丈夫だ﹂
この銅の剣には空きのスキルスロットがある。
俺の仮説が正しいなら、融合は百パーセント成功するだろう。
失敗したとすればそれは俺の仮説が間違っていたのだから、仕方
がない。
まあ詐欺の可能性はあるが。
失敗したときには素材が残るという話だ。
それを用意できた時間はない。
﹁そ、その前に、一度スキル呪文を確認してもらってもいいですか﹂
慎重だな。
頭がいいやつというのは常に冷静なんだろうか。
﹁分かった﹂
﹁今ぞ来ませる御心の、こと××蔭の天地の﹂
セリーがゆっくりとスキル呪文を口にした。
﹁うーん﹂
﹁多分、こうだと思いますが﹂
﹁こと、なんだ?﹂
翻訳されなかったところをチェックする。
872
ことほ
﹁違っていますか? 言葉でお祝いするとかいうことだと思います
けど﹂
﹁言祝ぐ、じゃないか﹂
﹁言祝ぐ⋮⋮あ、それです。今ぞ来ませる御心の、言祝ぐ蔭の天地
の﹂
セリーが再度呪文を確認した。
これで完璧だろう。
違っていたとしても、俺にはもう訂正のさせようがない。
セリーが意を決したように俺を見る。
無言でうなずくと、銅の剣とモンスターカードを手に持った。
銅の剣を右手に。ウサギのモンスターカードを左手に。
モンスターカードを持った左手を剣に置き、真上から押さえる。
ことほ
﹁今ぞ来ませる御心の、言祝ぐ蔭の天地の、モンスターカード融合﹂
スキルを唱えた。
一瞬、セリーの手元が光る。
まばゆいばかりに白く輝いた。
光はすぐに収まっていく。
剣が残った。
妨害の銅剣 両手剣
スキル 詠唱遅延
873
成功だ。
銅の剣に詠唱遅延のスキルをつけると、妨害の銅剣になるようだ。
そして、空きのスキルスロットにモンスターカードを融合できる
という考えも多分正しい。
﹁セリー、よくやった﹂
セリーから剣を取り、かざして見る。
見た目も、拾い物の妨害の銅剣と違いはないようだ。
﹁ご主人様、成功したのですか?﹂
﹁間違いない﹂
﹁やりましたね、セリー﹂
疑問に答えると、ロクサーヌがセリーを祝福した。
﹁よくやったぞ、セリー﹂
﹁⋮⋮です﹂
しかしそのセリーの様子がおかしい。
食卓にうつぶしたまま、何ごとかうめいている。
﹁なんだ?﹂
﹁⋮⋮なさいです﹂
﹁どうしました﹂
﹁ごめんなさいです。成功してごめんなさい。鍛冶師になんかなろ
うとしてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい﹂
ひたすらに謝ってきた。
874
困惑げなロクサーヌと視線をかわす。
ああ。そうか。
俺にも記憶がある。
MPを使い果たした状態だ。
MPがなくなると、精神状態がやたらとネガティブになるのだっ
た。
鍛冶師になったとはいえLv1だ。MPは少ないだろう。
モンスターカード融合を使えるぎりぎりの量くらいしかなかった
のではないだろうか。
俺は、剣をロクサーヌに渡し、食卓の向こう側に移動した。
アイテムボックスから強壮丸を取り出す。
万が一の用心に買っておいたものだが、こんな風に使うとは思わ
なかった。
﹁大丈夫だ。セリーはえらい。セリーはすごい。ほら、この薬を飲
め﹂
﹁私なんかのために貴重な薬を使うことはないです。いいんです、
私なんか。本当にごめんなさい﹂
セリーが首を振る。
薬も受けつけない状態なのか。
別にこのままでも死ぬことはないだろうが。
﹁安心しろ。成功したセリーはすごい﹂
﹁そんなことはないです。成功したのは私が駄目だからです﹂
こんな思考回路だっただろうか。
875
今は何もかもがネガティブになっているようだ。
﹁えっと。モンスターカードの融合に成功したセリーはほんとに立
派ですよ﹂
ロクサーヌの応援を聞きながら、強壮丸を自分の口に入れた。
この状態は精神的にかなりつらいはずだ。
早く治す手段があるなら早く治してやるべきだろう。
セリーを抱きかかえ、俺の方を向かせる。
淡く赤みがかった小さな口が可愛らしい。
その唇に吸いついた。
口をこじ開け、舌を差し入れる。
セリーの舌がすがるように絡みついてきた。
こんなにも情熱的なのは初めてだ。
今は藁にもすがる思いなんだろう。
俺も舌を動かし、絡めとった。
しばらく舌を重ねあい、落ち着かせる。
通路を確保してから、強壮丸をセリーの口に流し込んだ。
いったん舌を引き、唇は押しつけたまま飲み込むまで待つ。
のどが動くのを確認してから、口を放した。
﹁どうだ、少しは落ち着いたか﹂
﹁⋮⋮はい。えっと、あの﹂
﹁謝らなくていい。大丈夫だ﹂
ふわふわの髪に手を置き、頭をなでる。
876
少し落ち着いたのか、セリーは深呼吸をした。
﹁そういえば聞いたことがあります。鍛冶師になったばかりの者は
モンスターカード融合はしないようにと。失敗を嘆いて自殺する人
が多いのだとか﹂
成功してさえあの有様だ。
モンスターカード融合に失敗したら、自殺したくもなるのだろう。
ほっておいたら死ぬ可能性もあった。
﹁一時的な発作のようなもんだ。気にするな﹂
﹁はい﹂
セリーはゆっくり息をして気を落ち着かせている。
鍛冶師になったことはこのままうやむやにできそうだし、結果オ
ーライというところだろう。
﹁えっと。それで、セリーは鍛冶師になれたのですか?﹂
と思ったのに、予期せぬところから弾が飛んできた。
ロクサーヌめぇ。
﹁そうだ﹂
﹁でもどうして﹂
どうしてと訊かれても俺にも分からない。
﹁方法は内密だが、俺にはそれができる﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁そうだ﹂
877
﹁さ、さすがはご主人様です。すごいです﹂
ロクサーヌが尊敬のまなざしで引き下がった。
まあロクサーヌの方はこれでいいだろう。
﹁本当におできになるのですね。すごいです﹂
セリーの方も、今は状況を把握するので精一杯のようだ。
強く追求してはこない。
むしろ輝いた目線で俺を見てくる。
少しは俺のことを認めただろうか。
千里の道も一歩から。
信頼を得るには少しずつ着実に積み重ねていくことが大切だろう。
﹁セリーが鍛冶師になると、私の攻撃力も上がりますね﹂
突然、ロクサーヌが変なことを言い出した。
﹁はあ?﹂
﹁鍛冶師になったので、これからはパーティーメンバーにその恩恵
を与えられます。ようやくですね﹂
セリーも同様だ。
﹁獣戦士ではパーティーメンバーの攻撃力は上がらないので、セリ
ーはすごいです﹂
﹁どういうことだ?﹂
セリーに尋ねてみる。
878
﹁鍛冶師がパーティーメンバーにいると、メンバーの攻撃力が上が
るのです。これは昔からよく知られた事実です﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁はい﹂
﹁そうなの?﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌにも訊くと、うなずかれた。
﹁知らなかったのですか?﹂
一転してセリーの目が冷たいものに。
その目はやめて。
せっかくさっきは尊敬の目で見てくれたのに。
一進一退だ。
いや。三歩進んで二歩下がった状態だといっておこう。
そうに違いない。
﹁鍛冶師が入るとパーティーメンバーの攻撃力が上がるのか﹂
そんなスキルはなかったはずだが。
あれ?
そうでもない?
鍛冶師 Lv1
効果 腕力中上昇 体力小上昇 器用小上昇
スキル 武器製造 防具製造 モンスターカード融合 アイテムボ
879
ックス操作
効果のところに腕力中上昇とある。
腕力が上がれば、攻撃力が上がる。
つまり攻撃力が上がるとは、この腕力中上昇のことをいっている
のではないだろうか。
獣戦士 Lv20
効果 敏捷中上昇 体力小上昇 器用小上昇
スキル ビーストアタック
獣戦士の方には、腕力上昇はない。
﹁何でしょう﹂
ロクサーヌの方を見てジョブを確認していたら、いぶかしがられ
た。
﹁獣戦士では攻撃力は上がらないんだよな﹂
﹁はい。残念ながら﹂
﹁代わりに機敏に動けるようになるとかって話は﹂
獣戦士には腕力上昇がない代わりに敏捷中上昇がある。
﹁はっきりしたことは﹂
﹁獣戦士がパーティーメンバーにいると、よく動けるようになると
いう話はあります。ただ、あくまでも主観ですし、確かめようもあ
880
りませんので﹂
ロクサーヌに代わってセリーが説明した。
﹁攻撃力が上がるのは確かめた?﹂
﹁鍛冶師がパーティーメンバーにいると、ある階層の特定の魔物を
スキル何回で倒せるようになったとか﹂
﹁なるほど﹂
この世界でも、科学的検証が少しは行われているらしい。
鍛冶師がいるとパーティーメンバーの攻撃力が上がるのは確かな
ようだ。
﹁そうやって、昔の偉い学者さんが確認したそうです﹂
昔の学者がかよ。
昔の偉い学者は本当に偉大だったらしい。
﹁鍛冶師以外に攻撃力の上がるジョブはないか。例えば剣士とか﹂
﹁よくお分かりですね。剣士でも攻撃力が上がるとされています﹂
やっぱりそうか。
剣士には腕力小上昇の効果がある。
腕力上昇の効果を持つ鍛冶師や剣士がいると、パーティーメンバ
ーの攻撃力が高まるということか。
つまり、ジョブについている効果というのは、パーティーメンバ
ーに対して与えられる効果だ。
そうだったのか。
今まで勘違いしてた。
881
効果というのは、てっきり自分に対して効果があるものかと。
そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
まあ、剣士だから腕力が強くなって攻撃力が上がるとしても、そ
れはジョブが持つ効果というよりはジョブの特質というべきか。
獣戦士だと腕力が上昇しないということは多分ないだろうし。
英雄をはずすと魔法攻撃力が落ちることは確認済みだから、英雄
に知力上昇の特質があることは多分間違いがない。
効果としての知力中上昇は、俺にではなくパーティーメンバーで
あるロクサーヌやセリーに対して働いていたということか。
﹁魔法使いがパーティーに二人いると、魔法の強さが上がったりと
か﹂
﹁そのとおりです﹂
﹁そうすると、魔法使い六人でパーティーを組むとすごいことに﹂
﹁魔法攻撃力だけをとればそうなるでしょう。ただ、魔法使いは希
少ですし、前衛がいないと攻撃を受けたときに不安です﹂
それもそうか。
当然、スキルの構成なども考えなければいけない。
何ごともバランスが重要のようだ。
882
赤い彗星
その日の夜は色魔のスキル精力増強の効果をテストできなかった。
ロクサーヌが生理になったので。
別に色魔はつけないでもセリーを余裕で何度も可愛がり、ロクサ
ーヌとはたっぷりと口づけをかわしたから、不満はない。
最後にロクサーヌと長いキスをして、ベッドの上に寝転がった。
仰向けになって手足を伸ばしてから、改めてロクサーヌを抱き寄
せる。
そのままゆっくり息をしていると、セリーがベッドに入ってきた。
ネグリジェを着なおしてきたのだろう。
セリーが俺の隣で横になる。
ややあって、セリーは小声でロクサーヌに話しかけた。
﹁おやすみになられましたか﹂
﹁そのようですね。ご主人様は寝つきがいいですから﹂
そんなことはないといいたい。
何かの雑誌に、女性を喜ばせるには前戯よりも後戯に力を入れる
べしと書いてあった。
だから毎回、終わった後はたっぷりとキスをして、こうしてロク
サーヌを抱きしめている。
そして気づくと朝まで抱きついて。
あれ?
883
反論できないかもしれない。
ここは寝たことにしておくのが得策だ。
﹁そうみたいですね﹂
﹁セリーもおつかれさま。押しつけたみたいで、悪かったですね﹂
﹁いえ。あの、別に嫌というわけじゃないので﹂
嫌じゃないのか。
よかった。
嫌いじゃないから好きまではあと一歩のところだ。
﹁そうですか。ふふ﹂
﹁きょ、今日はびっくりしました﹂
ごまかしたな。
セリーが話題を変える。
﹁そうですね。ご主人様があんなこともおできになるなんて。でも、
セリーは本当に鍛冶師になったのですか﹂
﹁え? えっと。モンスターカードも融合しましたし、間違いない
です﹂
﹁そうですか。そうですよね﹂
信じてなかったのか。
﹁モンスターカード融合は失敗することも多いので、心配です﹂
﹁不安ですか?﹂
﹁はい、とても。いろいろ酷い話も聞いたので﹂
やはりそこが問題になるようだ。
884
﹁そうですか﹂
﹁失敗が続くと、奴隷の鍛冶師は追い出されたりするそうです。体
罰を加えられたり、転売されたり﹂
体罰はしてみたいかもしれない。
ほーれお仕置きだべぇ。
﹁大丈夫ですよ。ご主人様ですから﹂
﹁そうでしょうか﹂
﹁そうですよ﹂
﹁なんだか、すごいんだかすごくないんだか分からない人ですよね﹂
俺のことか?
﹁すごいおかたですよ、ご主人様は﹂
俺のことだ。
ロクサーヌが頭だけ上に持ち上げた。
セリーと顔をつき合わせる。
これから昨日のように二人で話しをするのだろう。
日中はたいがい俺と一緒だ。
俺に気兼ねなく話せる機会は少ない。
今日は洋品店で少し話せたはずだが、話し足りないのか。
仲が悪いよりは仲良く会話でもしてくれた方がいい。
女性同士の話もあるだろう。
邪魔をするのは野暮というものだ。
885
俺は一人、夢の中へ落ちていった。
朝、ロクサーヌに抱きついた状態で目覚める。
やはりロクサーヌは抱き枕として優秀だ。
身体は柔らかで背中の毛は滑らかで、胸の弾力もある。
抱き心地がすばらしい。
足は伸ばして、反対側のセリーの足と絡んでいた。
体半分ひねった少し不自然な体勢だ。
違和感はないので、筋を痛めたりはしていないと思う。
少し体を動かして状態を確認していると、ロクサーヌがキスして
きた。
俺より遅くまで起きていたのに、俺より早く目覚めていたようだ。
ロクサーヌはいつも俺より起きるのが早い。
あるいは、目が覚めやすいたちなのか。
ロクサーヌを強く抱き寄せ、口と胸の弾力を同時に味わった。
舌を絡めとり、俺の口に誘い入れる。
ロクサーヌの舌が積極的に動き、俺の口を蹂躙した。
たっぷり堪能してから解放する。
﹁おはようございます、ご主人様﹂
﹁おはよう﹂
﹁あ、おはようございます﹂
セリーも起きたようだ。
左腕をロクサーヌから放し、セリーを抱き寄せた。
886
セリーがキスしてくる。
舌と舌を絡ませあった。
昨日薬を口移しで飲ませてから、セリーの舌もやや積極的になっ
たようだ。
ゆっくりと動かし、セリーの口の中を蹂躙する。
﹁セリーもおはよう﹂
存分に味わってから、口を放した。
今日はクーラタルの迷宮も八階層に移動だ。
装備を整えると、クーラタル迷宮七階層にワープする。
﹁スローラビットのボスはラピッドラビットになります。動きが早
くて厄介な魔物です。魔法やスキル攻撃は避けられるので、あまり
使わない方がいいでしょう。長期戦になりやすいので注意が必要で
す﹂
途中、セリーからボスの情報を聞いた。
﹁三人で囲むのは難しそうか﹂
﹁そうかもしれません。私も槍で戦った方がいいと思います。槌を
振り回しても、動きが大きすぎて多分避けられてしまうでしょう﹂
一度、ボス部屋のあるところまで行き場所を確認する。
攻略地図を見て、大体のめどはついていた。
待機部屋をのぞいてみるが、誰もいない。
長期戦になりやすいというので心配したが、早朝では人も多くな
いようだ。
887
﹁もう少しスローラビットを狩っておこう。今日は朝食の後、帝都
に行く。ロクサーヌ、この辺りでスローラビットを探してくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌがセリーに白のネグリジェを分けたので、買い足す必
要がある。
帝都の服屋に行って、ついでに兎の毛皮も売る。
というのは半分建前で、実際にはセリーが鍛冶師Lv1なので怖
いからだ。
﹁セリーは鍛冶師になったばかりだから、無理はしないように﹂
﹁はい﹂
﹁スローラビットに一撃でやられることはないと思うが、心配なら
もっと下の階層に行くか﹂
﹁いいえ。大丈夫だと思います﹂
俺がつけている英雄のジョブ効果であるHP中上昇や体力中上昇
などがセリーに効いているはずだから、セリーの防御も紙ではない
はずだ。
昨日の村人のときも大丈夫だったし、スローラビットが相手なら
問題はないだろう。
ボス戦のときにどうするかは様子を見てからだ。
探索者Lv10につけ替えるという手もある。
しばらく周囲で狩を行った。
﹁魔物の攻撃はどうだ﹂
888
三匹を相手にしてセリーが攻撃を喰らったときに訊いてみる。
﹁大丈夫です﹂
﹁昨日と比べてどうだ﹂
﹁そうですね。探索者だった昨日よりはさすがにきついです﹂
当然といえば当然か。
昨日は探索者ではなく村人だったが。
﹁ボス戦もいけそうか?﹂
﹁がんばればいけると思います﹂
危なそうだな。
がんばればいけるというのは、普通なら無理ということだ。
テストだけなら試してみる価値もあるだろうが、迷宮の場合、失
敗すれば死が待っている。
ここのボスは動きが速いそうなので、連続で攻撃を受ける可能性
も考えておくべきだろう。
﹁ではボス部屋に行くが、念のため、セリーのジョブは元に戻して
おく﹂
﹁そんなこともおできになるのですか?﹂
﹁当然、だな﹂
セリーのジョブを探索者Lv10にする。
昨日は探索者をつけないでよかった。
昨日一日セリーが探索者だったら、多分Lv12以上になってい
ただろう。
探索者のレベルはアイテムボックスの大きさから分かるので、確
認されたらまた変な問題になるところだった。
889
デュランダルなどを準備してボス部屋に入る。
ラピッドラビット Lv7
現れたのはちょっと赤みがかった体色の兎だ。
大きさはスローラビットと変わりがない。
デュランダルを振り上げ、駆け寄った。
振り下ろすと魔物が右に逃げる。
速い。
右へはロクサーヌが追いかけた。
ラピッドラビットは右へ走りながら、突然床を蹴って九十度角度
を変え、ロクサーヌに体当たろうとする。
ロクサーヌが体を入れ替えながら、盾で受け流した。
﹁セリー、そっちへ﹂
弾き出された兎が、セリーに向かって走る。
セリーは槍をかまえて待ち受けた。
魔物を引きつけ、セリーが槍を突き出す。
その瞬間、ラピッドラビットが横へ飛んだ。
一度はすに跳ね、槍をかわすと方向転換して、セリーに突撃する。
セリーがよろめいた。
探索者Lv10につけ替えて正解だ。
890
赤い魔物は、今度は俺の方へ向かってくる。
速い。
デュランダルをかまえて待ち受けるが、直前で向きを変えられた。
﹁ええい。ちょこまかと﹂
あわてて斬りつけるが、空振りしてしまう。
隙を見せたわき腹に体当たりを喰らってしまった。
ぐわっ。
結構な衝撃がくる。
鍛冶師Lv1だと本当にまずかったかもしれない。
兎がロクサーヌの方へ走った。
その間に、セリーと俺に手当てとメッキを。
体当たりをかまそうと魔物が空中に飛び上がった。
そこをロクサーヌがシミターで弾く。
なるほど。
あのタイミングか。
あのタイミングというか、あんなタイミングというか。
相当に引きつけないと無理のようだ。
あそこまで近寄られると、今度は体当たりをかわす自信がない。
弾かれたラピッドラビットが俺の方に走ってきた。
近づいたとき、ファイヤーストームと念じる。
全体攻撃魔法なら、回避不能だ。
火の粉の中、兎が一瞬立ち止まった。
891
魔物であっても、攻撃を喰らえばどうしても怯む。
その隙を逃さず、デュランダルを。
かー。
また避けられてしまった。
今のところ物理攻撃が当たったのはロクサーヌだけだ。
もう全体攻撃魔法だけで倒すか。
しかし、何発かかるか分からない。
Lv7の通常モンスターなら五発。ボスなので通常の三倍は必要
だろう。
パーンにだってデュランダルを何発も浴びせている。
最後まで倒しきれるか。
デュランダルでMPを回復できないと厳しいかもしれない。
再び兎が襲いかかってくる。
今度はもっと引きつけて。
と思っていたら、体当たりを喰らってしまった。
メッキをかけなおし、手当てをする。
回復の分のMPも残しておかなければならない。
ラピッドラビットがジグザグに移動しながら、ロクサーヌに向か
った。
あんな動きまでするのか。
左に飛び、右に跳ね、そのまま脇を抜けるように見せかけて、左
に飛ぶ。
直前で進路を変え、ロクサーヌに飛びかかった。
ロクサーヌは半歩下がるとわずかにスウェーし、突撃コースを避
892
ける。
すれ違いざまシミターを下から振るい、兎を弾き飛ばした。
あれだけ速いラピッドラビットよりもロクサーヌの動きの方が勝
るようだ。
ロクサーヌ一人なら完封シャットアウトも狙えるだろう。
どれだけ時間がかかるか分からないが。
弾き飛ばされた魔物が着地する。
そこにセリーの槍が突き出された。
斜め横から突きを喰らい、兎が転がる。
﹁やりました﹂
﹁おおっ。すごい﹂
﹁考えましたね﹂
確かに、ロクサーヌに弾き飛ばされているときならコースを転換
できない。
ラピッドラビットもさすがに空中では進路を変更できないようだ。
そこを狙えれば、当たる。
長い間合いを持つ槍ならではの攻撃といえるだろう。
セリーは賢いな。
魔物はすぐに起き上がると、走り出した。俺に向かってくる。
ロクサーヌに続いてセリーも攻撃を当てた。
俺だけが空振りを続けるわけにはいかないだろう。
ラピッドラビットを引きつける。
ギリギリまで。
本当にギリギリまで。
893
体当たりを確実に喰らってしまうくらいにギリギリまで。
兎が跳ね上がったのを確認し、オーバーホエルミングと念じた。
突然、魔物の動きが遅くなる。
俺はゆっくりと体当たりの進路からそれ、横に回った。
走るスピードの違いが戦力の決定的差でないということを教えて
やる。
﹁チェストー﹂
兎にデュランダルを叩き込んだ。
ラピッドラビットが吹き飛ぶ。
一撃で弾き出してしまった。
二の太刀が存在しないのが惜しい。
一の太刀でもオーバーホエルミング分のMPくらいは吸収できた
だろうか。
これならば負ける可能性は大きく減った。
再び接近してきたときには、デュランダルを真上から振り下ろす。
兎を真下に叩きつけた。 続けざま、二発めを振り下ろす。
ラピッドラビットが弾き出されて転がった。
弾き出したというよりは、魔物が巧く受身を取った感じか。
結構ぎりぎりだ。
二撃めはいつもうまくいくとは限らないだろう。
まあ無理に狙うことはない。
一発でも使用したMP分くらいは吸収できているから、後は冷静
894
に回数を重ねるだけだ。
現状ほとんど詰んでいる。
何度めかに弾いたときには、セリーの近くに落ちるよう飛ばして
やった。
そこをセリーが逃さず槍で突く。
ラピッドラビットが再び俺に向かってきた。
ジグザグに進路を変えながら進んでくる。
これは魔物に難敵と認められたと判断してもいいのだろうか。
しかし、どんなに動きで翻弄しようとしても俺には関係がない。
最後に体当たりのために飛び上がるタイミングだけを待てばいい。
ふっ、甘いな。
跳ねた瞬間、オーバーホエルミングと念じた。
ラピッドラビットの動きが遅くなる。
真正面すぎたのでかわすのは難しいが、落ち着いて待ち受けた。
デュランダルをかぶせる。
ラピッドラビットを弾き返した。
魔物が床に転がる。
正面で受けるのは無理があったのか、セリーの方へは飛ばせなか
った。
兎はそのまま立ち上がってはこない。
ついに力尽きたようだ。
ラピッドラビットが煙となって消えた。
兎の肉
895
残ったのは兎の肉か。
スローラビットではレアドロップでも、ボスでは通常ドロップと
いうところなんだろう。
﹁チェストーというスキルがあるのですか? 聞いたことありませ
んが﹂
セリーがそのアイテムを拾って持ってくる。
﹁いや。別にスキル名称ではないが﹂
﹁でも私には動きが見えませんでした﹂
﹁オーバーホエルミングというスキルだ。聞いたことあるか?﹂
﹁いいえ、ありません。すばらしいスキルを持っておられるのです
ね﹂
セリーの目に尊敬の感情が。
主人生活二十五年、こんなに嬉しいことはない。
﹁人に知られてよいものではないので、内密にな﹂
﹁あ、はい。そうですね﹂
セリーには釘を刺さなくても大丈夫か。
初代皇帝はオーバーホエルミングを使わなかったのか。
それとも伝わらなかったのか。
﹁さすがです、ご主人様﹂
ロクサーヌも褒めてくれた。
896
﹁ありがとう﹂
﹁私の目でも危うく見失いかねない、すごい動きでした﹂
見失いかねないであって見失ったではないのか。
ロクサーヌにはオーバーホエルミングの動きがきっちり見えてい
たようだ。
897
八階層
七階層を突破し、クーラタルの迷宮八階層に移動する。
﹁ここの八階層の魔物って知ってるか﹂
セリーに尋ねた。
﹁えっと。分かりません。ここがどこかも知りませんし﹂
﹁いや、クーラタルの迷宮だが﹂
﹁やはりここはクーラタルの迷宮なのですか?﹂
﹁言ってなかったっけ﹂
そうだっただろうか。
﹁聞いたかもしれませんが。確かに魔物はクーラタルの迷宮と同じ
配置でした。でもお金も払っていませんし。あ、そういえば特別な
時間空間魔法が使えるのでしたか。それならばお金を払わなくても﹂
セリーがぶつぶつとつぶやく。
クーラタルの迷宮に入るにはお金を払う必要があるが、払ってい
ない。
だからクーラタルの迷宮だとは思わなかったということか。
そこに気づくとは、やはり天才か。
﹁金払ってないのは駄目だったか?﹂
﹁いいえ。クーラタルの迷宮の入場料は迷宮入り口を入るときに支
898
払うのが決まりになっていたはずです。入り口を使わないのであれ
ば、むしろ払わないのが賢明です。さすがといえるでしょう﹂
せこいとか、探索者の風上にも置けぬとかは言い出さないようだ。
よかった。
﹁さすがはご主人様です﹂
ロクサーヌも褒めてくれるが、最初はロクサーヌが提案したよう
な。
﹁で、クーラタル迷宮八階層の魔物だが﹂
﹁あ、はい。クーラタル迷宮八階層の魔物はニードルウッドです。
ベイルの迷宮でも戦っていますから、大丈夫でしょう。まれにです
が水魔法を使ってくることがあります。水魔法には耐性があるので
使わない方がいいでしょう﹂
セリーが説明してくれた。
やはりニードルウッドに水魔法は使えないようだ。
﹁魔法を撃ってくるところは見たことがないな﹂
﹁ベイルの迷宮は低階層でしたから。二階層や三階層で使われるこ
とはまずありません﹂
﹁そうなのか﹂
﹁基本的に、魔物は上の階層で出てくるほど厄介な魔法やスキルを
使ってきます。ニードルウッドはあまり魔法を放ってきませんが、
八階層ならたまに使ってくると思います﹂
階層にあわせてレベルも違ってくるから、そういうものなんだろ
う。
899
レベルが高いほど魔法やスキルを使ってくるというのはうなずけ
る。
﹁分かった。やはりセリーは役に立つな﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁これからも頼む。ロクサーヌ、最初は少ないところへ﹂
﹁かしこまりました﹂
魔法を使ってくるのならデュランダルを装備しておくべきだろう
か。
しかし、どれくらいの頻度で使ってきて、どれほどの威力がある
のかは分からない。
最初は様子見でもいいか。
一応、セリーのジョブは探索者Lv10のままにしておいた。
鍛冶師Lv1では魔法一発でアウトという可能性もないわけでは
ない。
八階層で狩を行う。
しかし、ニードルウッドはなかなか魔法を使ってはこなかった。
まれに使ってくるというだけのことはある。
しびれを切らして、セリーのジョブは鍛冶師Lv1に変えてしま
った。
探索者もLv11に上がっている。
放っておけばすぐにもLv12になりかねない。
最初に魔法を使ってきたのは、ニードルウッドが四匹出てきたと
きだ。
ファイヤーストームを喰らわせながら待ち受けると、三匹のニー
900
ドルウッドが前に出た。
一匹は速度を落とし、後ろに回る。
ニードルウッドは枝を振り回してくる植物の魔物だ。
四匹が並ぶには迷宮の洞窟は狭いのだろう。
﹁ロクサーヌが二匹を、セリーが一匹を頼む﹂
こちらに来るまでに三発のファイヤーストームを叩き込む。
前衛が対峙したところで四発め。
﹁来ます﹂
ロクサーヌの警告が飛んだ。
見ると、魔物の頭上に青い球が。
ウォーターボールみたいなものか。
ニードルウッドが水魔法を発射した。
速い。
水球が速く、まっすぐに飛んだ。
その先にはロクサーヌが。
ロクサーヌがほんの少し上半身をひねった。
ひねっただけで魔法をかわす。
水の球がロクサーヌのすぐ横を通った。
魔法はむなしく壁に当たって弾ける。
あ、あれをかわすのか。
とても避けられそうにはないスピードだったが。
901
五発めのファイヤーストームを念じた。
火の粉が舞い、魔物に襲いかかる。
ニードルウッドが四匹とも倒れた。
﹁さすがはロクサーヌだな。魔法までかわすとは﹂
﹁二列めから放ってきましたので。さすがにあれだけ距離があれば
魔法を見てから回避余裕でした﹂
いや。無理だから。
そんな余裕ないから。
いうほど距離はなかったから。
﹁そ、そうか﹂
﹁魔物の方もけん制に使っただけで、当たるとは思っていないでし
ょう﹂
そんなことは絶対にないと思います。
セリーがアイテムを拾って渡してきたので、目でどう思うか問い
かけると、無言で小さく首を振った。
﹁やっぱりそうだよな﹂
﹁何がやっぱりなのですか﹂
ロクサーヌが訊いてくる。
﹁いや。ブランチは鍛冶に必要だから、何本か売らずに取っておこ
うかと﹂
﹁そ、そうです。やっぱり必要です﹂
なんとか話をごまかした。
902
残ったアイテムはブランチが三本にリーフが一枚だ。
﹁そういえば、ブランチってどう使うんだ?﹂
ブランチを鍛冶師が使うという話は、ベイルの宿屋で聞いた。
鍛冶師が使うものだからうちではいらないと言われたのだった。
﹁ブランチは剣や鎧などの金属製の装備品を作るときに、素材と一
緒に利用します﹂
金属を加工するときに必要なようだ。
当然といえば当然か。
﹁炉とかも必要なのか﹂
﹁基本的にはすべてスキルで行います。特別な装置などは必要あり
ません﹂
アイテムを用意すれば、後はスキルがやってくれるらしい。
その後も、ニードルウッドはあまり魔法を使ってはこなかった。
セリーのジョブは、鍛冶師Lv1のままどうしようかと考えてい
るうちに、Lv2に上がってしまった。
もうこのままでいくことにする。
ただし、ニードルウッドが魔法を放つのは必ずしも後列に回った
場合だけということでもないようだ。
ニードルウッド二匹とスローラビット一匹で一列に対峙している
ときにも、撃ってきた。
﹁来ます﹂
903
ニードルウッドの足元に青い魔法陣が浮かび、ロクサーヌが警告
する。
魔物の頭上に水の球ができ、飛んできた。
俺の方へ。
﹁ぐっ﹂
避ける間もなく喰らってしまう。
回避なんて無理。
とても無理。
絶対に無理。
避けなきゃいけないと頭では分かっていたが、右に避けるか左に
動くか、と思っている間に太ももに当たってしまった。
これを回避余裕とか。
ないわー。
メッキのおかげもあり一発で死ぬほどではないものの、結構強烈
だ。
足がもげそうな感じ。
しかも水なのでびちょびちょだ。
火よりはましかもしれないが。
魔物を五発めのファイヤーストームで屠っても、水は消えなかっ
た。
グリーンキャタピラーの吐いた糸は消えたのにこっちは消えない
ようだ。
足に当たったのでおもらししたみたいに思える。
904
迷宮の中はそれほど明るくないから、目立つことはないのが救い
だ。
水は、迷宮を出るころには乾いた。
最後に小部屋に入り、装備品や魔結晶を受け取る。
魔結晶は換金価値の高いものなので、リュックサックに入れっぱ
なしにはしないものらしい。
﹁ようやく乾いたか﹂
﹁魔力によってあるように見せているものは魔力がなくなると消え
てなくなります。魔力によって現実に作られたものは、魔力がなく
なっても消えません。魔物の体は魔力によってイメージされたもの
ですが、一部が実際に構築されるため、ドロップアイテムとして残
るとされています﹂
セリーが説明してくれた。
なんだかよく分からないが。
﹁ふうん﹂
﹁あっ﹂
魔結晶をアイテムボックスに入れるとき、セリーが声を上げる。
﹁何?﹂
﹁いえ。何でもありません。紫魔結晶から青魔結晶になったのです
か﹂
なるほど。結晶化が進んでいるからか。
俺の魔結晶は、魔物千匹分以上の魔力を蓄えた青魔結晶になって
いた。
905
﹁紫のは私が持っていますが﹂
ロクサーヌが紫魔結晶を渡してくる。
この魔結晶は昔テストをして紫にまでしたのだった。
セリーの魔結晶も、あれこれ試させたので赤にまではなっている。
﹁昨日は紫魔結晶が一つで黒魔結晶が二つではありませんでしたか﹂
﹁そ、そうだったかな﹂
﹁ご主人様なら造作もないことです﹂
ロクサーヌ、ナイスフォロー。
セリーは少し疑わしげに見てくるが、いつもの冷たい目ではなか
った。
朝食の後、帝都に赴く。
﹁はー。さすがに大きいです﹂
帝都の冒険者ギルドを出ると、セリーが周囲の建物を見上げた。
俺には大きいとか言ってくれたことないのに。
﹁セリーは帝都は初めてか﹂
﹁はい﹂
おのぼりさんか。
﹁まあ俺とロクサーヌもついこの間が初めてだったが﹂
﹁そうですね﹂
906
顔を向けると、ロクサーヌがうなずく。
﹁特に用事がなければ、普通は来ることもありませんから﹂
﹁そうなのか﹂
この世界にはまだ観光という考えはないようだ。
普通の人はセリーのいうとおりあまり帝都に来ることもないのだ
ろう。
フィールドウォークがある冒険者なら結構自由に飛びまわれるは
ずだが。
普通の人にはそこまでの冒険心はないということか。
﹁昔は来たかったです﹂
セリーが小さくつぶやいた。
﹁ん?﹂
﹁あ、いえ。何でもありません﹂
﹁今じゃ駄目なのか?﹂
気になったので訊いてみる。
﹁えっと。帝都には図書館があるのです。昔は行ってみたいと憧れ
ました﹂
﹁図書館か﹂
図書館に行きたがるとか。さすがは頭脳派か。
﹁昔は家に十冊くらい本があったんです。ドワーフなので鍛冶関連
907
の本ばかりでしたけど﹂
十冊というのが多いのか少ないのかは分からない。
この世界では紙は貴重だ。
きっと本のある家は多くないだろう。
セリーはお嬢様だったのか。
それが何故奴隷になったのかは知らない。
昔はあったと言ったからな。
没落したということなんだろう。
その辺には触れない方がいい。
﹁本がある家なんてすごいですね﹂
ロクサーヌは考えなしか。
天然めぇ。
﹁昔の話です。祖父が生きていたころは羽振りもよかったらしいで
す﹂
﹁なるほど。そういう本を読んで物知りになったのか﹂
話を元に戻す。
あんまりこの話題を続けない方がいいだろう。
﹁昔は家にいてばかりいました﹂
﹁よく鍛冶師になろうと思ったな﹂
﹁探索者になってからは、がんばって迷宮に入りました﹂
お嬢様疑惑に続いてセリーに引きこもり疑惑が。
だから村人のレベルは低かったのか。
908
﹁昔は本が好きだったから、図書館にも行ってみたいと思ったと﹂
﹁はい﹂
﹁今は?﹂
俺も本は持っていない。
クーラタル迷宮の攻略地図が載った小冊子を本と呼べれば、一冊
あるが。
﹁えっと。今は奴隷になってしまったので﹂
﹁それと行ってみたいとは別じゃないの﹂
﹁でも実際行けませんし﹂
そういうものなんだろうか。
どうせ行けないなら、最初から行こうとは思わない、という選択
も賢明なのかもしれない。
﹁図書館って、奴隷だと利用できないのか?﹂
﹁いいえ。お金を出せば誰でも入れます。ただ、すごく高いので﹂
﹁高いのか﹂
﹁入館料の他に預託金がいるのです。本を破損したりしなければ出
るときに返してもらえますが、金貨が一枚必要です﹂
貴重な本を損失しないための保証というところか。
それはそれで合理的なんだろう。
保証金を取られるなら変なやつは入ってこない。
実際に何かあってもそのお金で補填できる。
﹁なるほど。まあでも、セリーには図書館に入ってもらうかもしれ
ないが﹂
909
﹁え?﹂
﹁いや、セリーは魔物のこととか教えてくれる担当だから。分から
ないことがあれば、調べてもらう。せっかく図書館みたいな場所が
あるのだし﹂
何か分からないことがあったら、セリーに調べてもらえばいい。
我ながらいいアイデアだ。
なにしろ、俺はロクサーヌから文字を習うのもサボっている。
俺は英語だって得意ではなかった。
日本語に加え、中高時代は英語に今はブラヒム語とか、勘弁して
ほしい。
シュリーマンがうらやましい。
﹁あ、ありがとうございます﹂
﹁そういえば、セリーはブラヒム語は読めるのか﹂
﹁はい。ブラヒム語は商館で習いましたし、文字は同じですので﹂
なるほど。
アルファベットが分かれば、英語でもドイツ語でもフランス語で
も読むだけなら読めなくはない。
それと同じようなものか。
﹁昔家にあったという本はブラヒム語じゃなかったのか﹂
﹁鍛冶関連の本なのでドワーフの言葉で書かれていました﹂
﹁セリーは偉いのですね。私は商館で文字から習いましたが﹂
﹁ロクサーヌは、どこか行きたかったところとか、ある?﹂
横に並んで訊いてみた。
910
﹁いいえ。特には﹂
﹁そっか﹂
﹁あ、あの。もしあったら、連れて行ってくれますか﹂
ロクサーヌが俺の目を見てくる。
﹁そうだな。行ける場所であれば﹂
﹁えっと。ご主人様が行きたい場所が、私の行きたいところです。
是非私も一緒に連れて行ってください﹂
何これしおらしい。
思わずイヌミミをなでてしまった。
やはりロクサーヌは最高だ。
﹁分かった。ありがとう﹂
﹁はい﹂
﹁わ、私も一緒に行きたいとは思っています﹂
セリーが声をかけてくる。
無理やり言わせたみたいで悪かった。
911
仲買人
帝都の服屋に入った。
ここにはロクサーヌとセリーがネグリジェに使っているキャミソ
ールが置いてある。
﹁二着ずつくらい、買っておくか﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
ロクサーヌに言い残し、先に兎の毛皮を売りに行った。
長い買い物につきあいたくはない。
精算を終えて戻ってきても、選び終わってなどいなかったが。
ロクサーヌは、キャミソールを台の上に広げ、細かくチェックし
ている。
見ているのは持っているのと同じ薄紅色のキャミソールだ。
﹁その色でいいのか?﹂
﹁はい。選んでくれた色ですから﹂
声をかけると、俺の方を見てにっこりと微笑んだ。
そういえば、一着はこの色がいいと言ったのだったか。
必ずしもロクサーヌのために選んだわけではないが。
そんなことをあえて口に出す必要はないだろう。
﹁そうか、ありがとう。セリーも、白でいいのか?﹂
﹁はい。色で分けておけば間違えませんから﹂
912
合理的というか、なんというか。
ロクサーヌは薄紅色、セリーは白ということで決まったようだ。
子ども用というのはないようなので、セリーもある中で一番小さ
いサイズのものを買う。
ややぶかぶかだが、スカートの丈がロングスカートになるくらい
だ。
ネグリジェだし、問題はないだろう。
服屋の後は、クーラタルの商人ギルドへ。
入り口で立ち止まっていると、昨日とは違う男が話しかけてきた。
﹁商人ギルドに何かご用でしょうか﹂
﹁オークションのことで、ちょっとな﹂
﹁私は仲買人をしております、ルークと申します。よろしければお
話をおうかがいいたしますが﹂
ルーク・アシッド 男 28歳
防具商人Lv2
装備 身代わりのミサンガ
都合よく防具商人だ。
レベルが低いのはまだ若いせいか。
防具商人になるには探索者Lv30まで育てる必要がある。
結構大変だろう。
﹁そうだな﹂
913
﹁では、こちらへいらしてください﹂
昨日と同じようなギルドの部屋に通される。
仲買人は奥に回ったので、ロクサーヌ、セリーと三人で手前側の
イスに腰かけた。
﹁ミチオという﹂
﹁昨日もお越しになられていたようですが、お約束などはしておら
れないのですか﹂
見られていたらしい。
﹁していない﹂
﹁約束があってこられたかたには、ギルドに入って左手前に待合室
がございます。オークションの結果などもそこに張り出されます。
そうでないかたには、仲買人が順番で話しかけることになっており
ます﹂
なるほど。
きっちりとしたルールがあるようだ。
仲買人同士結束があるのだろう。
商人ギルドに来た人に話しかければ、新規顧客の獲得につながる。
利権といってもいい。
顧客獲得のチャンスを、仲買人同士で平等に分けあっているわけ
だ。
誰でも自由に話しかけられるようにすれば、顧客の取り合いにな
り、手数料の引き下げにも直結しかねない。
﹁昨日も今日もぼーっと突っ立っていたので話しかけられたわけか﹂
914
﹁いえいえ﹂
﹁昨日はローレルという男に話を聞いたのだが、かまわないか﹂
﹁お約束をなさったのでないなら、かまわないでしょう﹂
乗り換えるのはまずいかとも思ったが、そこまででもないようだ。
﹁では問題はないな﹂
﹁オークションにはどのようなご用向きでまいられたのでしょうか﹂
﹁売り買い両方だ﹂
﹁買いについては、私どものような仲買人を通されるかたが多いよ
うです。どういった品をお求めでしょう﹂
かまをかけてみると、やはり買いに飛びついてきた。
オークションを常に見張っているわけにはいかない。
仲買人の必要性を初心者にも理解させやすいのだろう。
﹁コボルトのモンスターカードを﹂
﹁コボルトのモンスターカードは確か一昨日五千二百ナールで落札
されています。今は五千二百で買い注文を出しているかたがおられ
るようです。やや高めですが、どうしてもということであれば、そ
れ以上の値段で競り落とすことになるでしょう。一昨日の前は五千
四百ナールでした﹂
この仲買人はメモも見ずにすらすらと答える。
優秀な仲買人のようだ。
ウサギのモンスターカードは使ってしまったから、今コボルトの
モンスターカードを手に入れても、詠唱中断のついた武器は作れな
い。
昨日得た情報とのクロスチェックをかねた問いかけだったのだが、
915
落札価格を覚えているようなら合格と考えていいだろう。
五千二百で買いが入っていることも指摘してくれたし。
﹁今は時期が悪いか。では売りの方を﹂
﹁何をお売りになりたいのですか﹂
﹁妨害の銅剣が六本ある﹂
﹁ほう。そちらのかたは、鍛冶師でしょうか﹂
仲買人がセリーに目をやった。
ドワーフであることは見て分かったのだろう。
背が低くて髪の毛がもっさりしている以外、人間と見た目の違い
はあまりないが。
﹁そのとおりだ。セリーという﹂
セリーを紹介する。
勝手に自己紹介するかと思ったが、セリーは黙っていた。
作法がよく分からないが、そういうものなんだろう。
﹁売却の場合は、私が買い取らせていただくか、もしくは手数料を
いただいて売却に都合のいい時期をこちらからお知らせする形にな
ります﹂
﹁時期を教えてもらうこともできるのか﹂
昨日はその話はなかった。
売却に適した時期を教えてもらった方が、こっちには有利か。
しかし結局買い叩かれることになるなら、別に有利ではないのか。
仲買人が売りに出すのと同じ値段で買い取ってもらえるとは期待
しない方がいいだろう。
916
﹁ただし、いつになるかは分かりません。お急ぎなら、買い取らせ
ていただくのがよろしいでしょう﹂
﹁別に急いではいないが、買い取ってもらった方がいいか﹂
長く持っていれば高く売れるかもしれないとしても、それは可能
性だ。
一方で、売ったお金でメンバーをそろえるなり装備品を強化する
なりすれば、投資になる。
多少安くても、早く売った方が有利だ。
アイテムボックスの肥やしにしてもしょうがない。
﹁ご存知でしょうが、妨害の銅剣は低階層のボス相手によく使われ
る剣です。六本セットになっていれば、騎士団などで若い団員の育
成に使う需要がきっとあるでしょう﹂
﹁そんなコネはないな﹂
﹁それでしたら、私が買い取らせていただくのがよいかと存じます﹂
仲買人のいうとおりだとして、騎士団につてがあるのならオーク
ションへは持ち込まずに直接持っていった。
つまり、仲買人も俺には騎士団とのつながりなどないと承知して
いる。
よそへ持っていかれるリスクはほとんど冒さずに仲買人の誠実さ
をアピールする巧い提案だ。
やはり優秀な仲買人なのだろう。
きっとこの仲買人には騎士団へのコネがあるに違いない。
俺は一度ロクサーヌとセリーを見た。
二人とも特に異論はないようだ。
917
﹁いくらで買い取ってもらえる﹂
﹁そうですね。バラならば一本一万五千といったところです。六本
セットになっているので多少高くはなりますが。十万ナールといっ
たところでしょうか﹂
値段的には昨日の人と変わらない。
そこら辺が相場ということか。
﹁一本一万八千でどうだ﹂
﹁さすがにそこまでは﹂
﹁一万七千五百﹂
﹁うーん。六本セットなら、一本一万七千で買わせていただきます﹂
ほとんど上がらなかったが、しょうがないか。
﹁分かった。それでいいだろう﹂
﹁ありがとうございます。ものは今お持ちですか﹂
﹁アイテムボックスに入っている﹂
﹁それでは、今から武器商人を呼んで鑑定をしてもらいます。私は
防具商人でございますので武器鑑定はできません。鑑定料はこちら
もちになりますので、ご安心ください。確認が取れ次第、支払いを
させていただきます﹂
仲買人が立ち上がる。
俺たちをおいて外に出て行った。
﹁売ることになったが、問題はないよな﹂
﹁はい﹂
﹁セリーのおかげで六本セットにすることができて高く売れた。あ
りがとな﹂
918
仲買人がいない間に妨害の銅剣を六本アイテムボックスから出し
ておく。
仲買人の前だと詠唱する必要があるので邪魔くさいし。
仲買人が武器商人を連れて戻ってきた。
この武器商人も多分仲買人なんだろう。
武器商人がテーブルの上の剣をチェックする。
﹁妨害の銅剣六本、間違いありません﹂
武器商人は確認するとすぐに部屋から出て行った。
﹁間違いないようですね。確かに受け取りました。それでは、こち
らをお納めください。一万七千ナールの六本ですが、初めてですし、
今後の取引にも期待して、特別に十三万二千六百ナールをお支払い
いたしましょう﹂
仲買人がアイテムボックスを開く。
妨害の銅剣六本を入れ、金貨と銀貨をアイテムボックスから取り
出した。
金貨が十三枚と銀貨二十六枚。
見事に三割アップだ。
六本セットでなく一本いくらにした効果があった。
計画通り。
﹁では確かに。今後のことだが、モンスターカードの安い出物があ
ったら購入したい。そういうことは可能か?﹂
919
お金を受け取って、アイテムボックスに入れる。
入れながら、これからの取引について話した。
この男、ルークは、仲買人として優秀なように思えるし、防具商
人だけに巧くやれば三割アップも効く。
継続して取引してもいいのではないだろうか。
装備品についている空きのスキルスロットが鑑定で分かることは、
俺にとっては絶対的なアドバンテージだ。
失敗を恐れずにモンスターカードの融合ができる。
モンスターカードやスキルのついた装備品の取引に、今後もオー
クションを使うことになるだろう。
オークションでは、出し抜くのが難しいなら、仲買人を通さざる
をえない。
いやむしろ、仲買人を通すことで目立ちにくくなるメリットがあ
る。
ルークも、商売上の秘密だから取引相手のことをべらべらとしゃ
べったりはしないだろう。
相場が崩れない程度に、少しずつ卸してやればよい。
お互いに悪い選択ではないはずだ。
﹁モンスターカードをでございますか﹂
﹁そうだ﹂
ルークは、ちょっといぶかしげに俺とセリーの顔を見た。
交互に見ている。
なんだろう。
なんかまずっただろうか。
920
﹁確かに経験豊富でよい腕をお持ちなのでしょうが﹂
ルークが小さく首を振った。
妨害の銅剣は六本ともセリーが融合したと考えているのだろう。
六本も成功させたのだとすれば、かなりの腕前だ。
わざわざ融合したのは一本だけだと指摘する必要もない。
経験豊富というのはあれか。
セリーの耳が細くて年増に見えるということか。
ストレートにババアだといわないのはたいしたものだ。
﹁もちろんセリーはよい腕を持っている﹂
﹁安いモンスターカードを買い集め、融合しスキルつきの装備品に
して売却なさるかたは他にもおられます。同じことをしようとなさ
っておられるのなら、あまりお勧めはいたしません﹂
﹁どうしてだ﹂
﹁自分に必要で作り、その後いらなくなって売却するものや、融合
したらたまたまできてしまったものなどもオークションには出品さ
れます。鍛冶師の腕を過信して自分なら巧く融合できると参入して
くる者は結構いますが、あまり成功した例はないようです﹂
なるほど。
競争相手も多い上に、それで失敗するやつも多いということか。
モンスターカード融合はギャンブルだ。
連続して成功させれば大金を得られる。
実際にはそんなにうまくいくはずもないし、テラ銭よろしく仲買
人が利益を持っていくので、さらに厳しい。
甘い夢を見て参入し、失敗する鍛冶師も多いのだろう。
921
﹁鍛冶師の腕がいいとモンスターカード融合の成功率が上がるとい
うのは俗信です﹂
セリーも俺に意見してくる。
融合をやらされるのはセリーだからな。
必死にもなる。
ただし、その情報は俺に有利だ。
融合の成功率が鍛冶師のレベルには依存しないということだから。
﹁大丈夫だ。無理なことをさせるつもりはない﹂
とりあえずセリーを安心させた。
﹁そうですか﹂
﹁何もギャンブルをしようというのではない。あくまでも自分たち
の装備を整えることが目的だ﹂
ルークにも釈明する。
﹁私も商売ですから、仲買はさせていただきます。競争相手もござ
いますので極端に安く仕入れるのは無理ですが、どの程度の価格を
お考えでしょう﹂
請けてくれるらしい。
少なくとも十三万ナールからの元手があることは分かっている。
ここで引く手はないだろう。
﹁基本的に相場より安いくらいであれば問題はない。判断はまかせ
よう。後、はさみ式食虫植物だっけ?﹂
922
﹁MP吸収ですか?﹂
セリーに確認すると、うなずかれた。
はさみ式食虫植物であっていたようだ。
﹁それとウサギのモンスターカードは、多少高くてもほしい。それ
らを買うことができたら、次は高くてもコボルトのモンスターカー
ドを狙っていくことになるだろう﹂
デュランダルを使う場面を少なくすれば、経験値的に大きい。
まずはそれを狙うべきだろう。
八階層のニードルウッドに使えるから、詠唱中断もすぐに役立つ。
﹁はさみ式食虫植物とウサギのモンスターカードでございますか﹂
﹁他には何かあるか?﹂
セリーに尋ねる。
﹁芋虫のモンスターカードで身代わりのミサンガを作るのがよいと
思います﹂
身代わりのミサンガはルークもつけていた。
名称的に、攻撃を受けたときの身代わりになってくれるのだろう
か。
﹁では芋虫のモンスターカードも追加で。これらは多少高くてもか
まわない﹂
﹁かしこまりました。モンスターカードの購入は、手数料五百ナー
ル。そのつど先払いでお支払いいただきます。落札に成功しました
ら、使いをやりましょう。商人ギルドまで引き取りに来てください。
923
その際には待合室まで進み、係の者に防具商人のルークを呼ぶよう、
伝えてください﹂
﹁分かった﹂
銀貨五枚を渡す。
﹁では、今後ともよろしくお願いします﹂
商談を終えると、ルークが頭を下げた。
その言葉に追われるように、部屋を後にする。
﹁あの男は変です﹂
商人ギルドから外に出ると、すぐにセリーが忠告してきた。
﹁変?﹂
﹁おまけをするにしても、十三万二千六百などと半端な数字にする
必要はありません。何を考えているのか分かりません﹂
﹁ああ。なるほど﹂
第三者からすれば確かに変な数字だ。
不審を感じるのは当然か。
﹁所詮は仲買人です。あまり信用しない方がいいです﹂
元々、セリーは仲買人に不信感を持っているようだし。
﹁それを教えてくれたのか。ありがとう﹂
﹁いえ。当然のことです﹂
﹁でもありがとう。まあそうだな。気をつけておくことにしよう﹂
924
﹁ご主人様のすばらしさが分かったのでおまけしたに違いありませ
ん﹂
ロクサーヌも仲買人には少し不信感を持った方がいいかもしれな
い。
925
鍛冶
﹁身代わりのミサンガというのは、どういう装備品だ﹂
気になっていたことをセリーに訊いた。
﹁敵の攻撃をしばしば肩代わりしてくれる装備品です﹂
﹁しばしばということは全部ではないのか﹂
一定の確率で発動するということだろうか。
﹁基本的にはより強い攻撃に対してよりよく発動するとされていま
す。強い攻撃というのも装備する人の強さによって差が出るようで
す。普段上の階層で戦っている人がつけると、低階層の魔物の攻撃
ではほとんど発動することがありません﹂
﹁なるほど﹂
となると、肩代わりする条件があるのか。
残りHPの半分以上を削るような攻撃に対してのみ発動するとか。
HPがゼロになる場合にのみ肩代わりするとか。
それならば確かに有用な装備品だ。
﹁肩代わりしたときには切れてしまいますが、衝撃も痛みもなく攻
撃をやりすごせるそうです。使い捨てになってしまうので近接戦闘
をこなす人はあまり使いません。たまにしか迷宮に入らない人や魔
法使いには有用なアイテムです﹂
926
使い捨てというのは、まあ当然か。
攻撃を無効にできるようなアイテムが使い捨てでなかったら、そ
っちの方が恐ろしい。
どういう条件で発動するか、検証するのはもったいないだろう。
﹁となると、回避することの巧いロクサーヌ向きか﹂
﹁いえ。ご主人様が装備するべきだと思います﹂
﹁攻撃喰らいまくりの俺がつけるのはもったいないような﹂
﹁身代わりのミサンガに命を救われたという話も聞きます。ぜひご
主人様が装備なさってください﹂
ロクサーヌが主張する。
﹁分かった。作れたらな﹂
﹁えっと。がんばります﹂
﹁もちろんセリーの腕は信頼している﹂
﹁腕がいいとモンスターカード融合の成功率が上がるというのは俗
説です﹂
それは聞いた。
﹁そうなのですか?﹂
﹁一般的には腕のいい鍛冶師ほど成功率が高いといわれていますが、
昔の偉い学者さんが調べたところ差がなかったそうです﹂
﹁へえ。そうなんですか﹂
ロクサーヌとセリーが会話する。
根拠が昔の学者が調べたからというのも、どうなんだろう。
大丈夫なのかという気はしないでもない。
927
﹁スキルをつけるのはミサンガじゃないと駄目なのか?﹂
﹁駄目ということはありませんが、使い捨てになってしまいますの
で。ミサンガは防具屋では買い取ってくれないような一番安い装備
品です。防御力などには期待できません﹂
﹁壊れても惜しくないということか﹂
スキルが発動したときにはミサンガが切れるといっていた。
他の装備品についていたら、その装備品が壊れるのだろう。
貴重な装備品につけるのはもったいない。
﹁ミサンガは糸一個でできる一番簡単な装備品で、鍛冶師になりた
てのものが練習台として最初に作るアイテムです﹂
﹁練習台か。セリーも作ってみる?﹂
﹁ありがとうございます。ただし、ミサンガは雑貨屋に持っていっ
ても高くは売れません。糸をギルドから買ったりすると赤字になっ
てしまいます。なりたての鍛冶師は、迷宮に入ってグリーンキャタ
ピラーを狩り、朝夕に一つずつミサンガを作るのが修行になるそう
です﹂
MPの問題があるから、たくさん作ることはできない。
だから朝夕一個ずつということか。
同時に、迷宮に入ればレベルアップも狙える。
修行もうまい具合に考えられているらしい。
﹁銅の剣を売ってしまったので代わりの剣がほしいが、セリーが作
れるか?﹂
﹁すみません。なったばかりなので無理だと思います。鍛冶師の修
行は、ミサンガから始めて、徐々に難しいものを作っていくことに
なります﹂
﹁なるほど。まあ初心者にいきなり難しいものは無理か﹂
928
﹁早くお役に立てればよいのですが﹂
鍛冶師になればなんでもできるということでもないようだ。
レベルが関係しているのか。あるいはMP保有量の問題か。
俺の獲得経験値二十倍があるから、セリーの成長は早いだろう。
﹁気にするな。すでにモンスターカード融合で役立ってもらったし
な。となると、武器屋へ行って剣を買っておくか﹂
商人ギルドの帰りに武器屋へ寄った。
剣を見て回る。
佩刀用にいつもデュランダルを出しておくわけにはいかない。
表向き魔法使いでもないのにワンドをぶら下げるわけにもいかな
い。
何か剣が必要だ。
実際にはほとんど使わないから銅の剣でも十分か。
あるいは、佩刀用だから少しはいいものを身に着けておくべきな
のか。
鑑定も武器鑑定もなければ、竹光でも分かりはしないだろうが。
銅の剣の上は、鉄の剣だろう。
このくらいが妥当だろうか。
鉄の剣 両手剣
スキル 空き 空き
鉄の剣 両手剣
929
スキル 空き
鉄の剣を見ていくと、妙なことに気づいた。
空きのスキルスロットが二つついているものと、一つのものがあ
る。
もっとも、ついていないものが大半だ。
銅の剣は空きのスキルスロットがあるものでも全部一個だ。
鉄の剣は最大で二個までということなんだろう。
ロクサーヌのシミターと同様、二個あるのはアタリということか。
シミター 片手剣
スキル 空き
気になったので、シミターも見てみる。
ちゃんと空きのスキルスロット一個のものがあった。
あったというか、一個の方が多い。
二個あるのはアタリらしい。
鋼鉄の剣 両手剣
スキル 空き 空き 空き
鉄の剣の上は鋼鉄の剣か。
鋼鉄の剣になると、空きのスキルスロットが最大で三個になるよ
うだ。
930
ダマスカス鋼の剣というのもあるが、店主がいるカウンターの奥
に飾られていて、店頭には並んでいない。
この店ではあれが最上級なんだろうか。
ダマスカス鋼の剣を遠目で見たが、空きのスキルスロットはなか
った。
どうせ高いのだろうし、空きのスキルスロットがないから今は関
係がない。
やはり鉄の剣にしておくか。
何も一足飛びに上級の武器にすることはない。
不要になったら、適当なスキルをつけて売ってしまえばいい。
モンスターカードを落札したときのために、融合して売却するた
めの予備の剣も必要だ。
銅の剣と鉄の剣一本ずつを購入した。
もちろん両方とも空きのスキルスロットつき。
鉄の剣には空きのスキルスロットが二個ついている。
同じもの二本にした方がアイテムボックスの容量節約になる、と
気づいたのは買ってしまってからだ。
アイテムボックスは同じものならいくつか入れられる。
銅の剣と鉄の剣では、領域を二つ使うことになる。
別に逼迫しているわけではないので、かまわないが。
﹁鉄の剣の上は、鋼鉄の剣でいいのか?﹂
店では聞きにくかったので、外に出てからセリーに尋ねる。
﹁そうです。銅、鉄、鋼鉄の順になります﹂
931
﹁鋼鉄というのは、鉄から作るのか?﹂
﹁え?﹂
セリーが立ち止まった。
﹁え?﹂
またやらかしてしまったか。
やはり店で聞かなくてよかった。
﹁えっと。鋼鉄はやはり鉄から作れるのですか?﹂
﹁ち、違うのか?﹂
﹁一般的には、鉄も鋼鉄も魔物が残すアイテムを使います﹂
﹁そうなのか﹂
しかし、セリーの目は必ずしも冷たいものではないような。
﹁昔の偉い学者さんが鉄から鋼鉄を作ると書き残しているそうです。
ただし、そう書いてあるだけで実際に鉄から鋼鉄は作れません。今
では失われてしまった技術だと考えられています。やり方をご存知
なのですか﹂
﹁いや。さすがにやり方までは知らないな﹂
鉄鋼が鉄でできていることは間違いないようだ。
これはセーフ。
よかった。
﹁そうですか。でも、鋼鉄が鉄からできることを知っているのはさ
すがです﹂
﹁となると、ダマスカス鋼も同じようなものか﹂
932
﹁ダマスカス鋼も鉄から作れるのですか?﹂
﹁多分だが。まあこれは憶測だ﹂
この世界では違うのかもしれないし、断言はできない。
﹁ダマスカス鋼はレムゴーレムが残すアイテムです﹂
﹁鋼鉄の上がダマスカス鋼でいいのか?﹂
﹁そうです。ダマスカス鋼の上がオリハルコンになります﹂
オリハルコンか。
﹁やっぱりあるのか﹂
﹁まさか。作り方をご存知ですか?﹂
﹁いや。こっちは想像もできない﹂
なにしろ伝説の金属だからな。
地球には存在しないかもしれないし。
ダマスカス鋼の上が劣化ウランとかでなくてよかった。
オリハルコンが実は劣化ウランという可能性もあるかもしれない
が。
﹁そうですか﹂
﹁武器屋にはオリハルコンの剣というのはなかったな﹂
﹁オリハルコンクラスになると、親しい者同士で融通するか、売る
とすればオークションに出すことになるかと思います。あまり普通
の武器屋では手に入らないかもしれません﹂
高いのは全部オークションということなのだろう。
さすがはオリハルコンということか。
933
その日の狩はベイルの迷宮の二階層にも寄って、グリーンキャタ
ピラーから糸を調達した。
夕食前にミサンガを作ってもらう。
﹁では作りますね﹂
セリーが糸を持った。
両方の手のひらの上に一つの糸を乗せ、防具製造のスキル呪文を
唱える。
詠唱すると、手元が激しく光った。
モンスターカード融合で光ったのと変わらない。
﹁なるほど。こんな風に作るのか﹂
﹁私も実際に装備品を作るところを見たのは初めてです﹂
ロクサーヌも感心している。
やがて光が収まった。
ミサンガ アクセサリー
ミサンガがセリーの手の上に残っている。
スキルによってなにがしか魔法のようなものが働くのだろう。
モンスターカード融合と一緒でMPも消費しているのだろうし。
その魔法によって、素材から装備品を作製すると。
﹁装備品を作るのに失敗することはないのか?﹂
934
﹁簡単なものから順に作って経験を積んでいかないと、難しいもの
をいきなり作ろうとしても失敗してしまうそうです。成功する技術
があるのにできたりできなかったりということはありません﹂
セリーが答える。
MP残量は大丈夫のようだ。
鍛冶師は今日一日でLv6になっているから、なりたてといって
も余裕のはずではある。
﹁そうか﹂
ミサンガを受け取った。
スキルで作ったとはいえ、ただの組みひもだ。
何の変哲もない。
手首か足首に巻いて使えばいいのだろう。
﹁鍛冶師の間では、最初に作ったミサンガで身代わりのミサンガを
作れた鍛冶師は成功するとされています﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁いえ。話自体はただの俗説です﹂
﹁俗説か﹂
当然そうだろう。
残念なことに、今セリーが作製したミサンガには空きのスキルス
ロットはついていなかった。
つまり、このミサンガでは身代わりのミサンガは作れない。
俗説では、最初に作ったミサンガで身代わりのミサンガを作れた
鍛冶師は成功するというのであって、最初に作ったミサンガで身代
わりのミサンガを作れなかった鍛冶師は成功しない、といっている
935
のではないが。
しかし、もしも作った装備品のすべてに空きのスキルスロットを
つけられる鍛冶師がいたとしたら、その鍛冶師は最初に作った装備
品で身代わりのミサンガを作れるし、多分成功もするだろう。
本当にそんな鍛冶師がいるとしたら、セリーはハズレということ
になる。
しかし、セリーはハズレではない。
断じてハズレではない。
こんなに可愛いセリーがハズレであるわけがない。
セリーはきっと鍛冶師としても優秀だ。間違いない。
﹁鍛冶師によってモンスターカード融合の成功率が違うことはない
のですから、最初に作ったミサンガで身代わりのミサンガを作れる
かどうかは完全に運です。鍛冶師として成功しやすいかどうかは関
係がありません﹂
作った装備品に百パーセント空きのスキルスロットをつけられる
鍛冶師なら、モンスターカード融合の成功率も実際問題として違っ
てくるだろう。
自分の作った装備品なら確実に成功させられるのだから。
そのような事実は知られていない。
知られていない以上、百パーセント空きのスキルスロットをつけ
られる鍛冶師は少なくともほとんどいないと考えていいはずだ。
鍛冶師によって空きのスキルスロットがつく確率が違うという可
能性もなくはないが、そこまで気にすることはないだろう。
﹁なるほど。まあせっかくセリーが最初に作ってくれた装備品だか
らな。このミサンガは俺がつけておこう﹂
936
﹁ただのミサンガなので、防御力などの効果はありませんが﹂
﹁駄目か?﹂
﹁いえ。あの。使ってくださるなら、こんなに嬉しいことはありま
せん。ありがとうございます﹂
セリーが頭を下げた。
俗説だとはいっても気にはなる。
呪いなどはないと分かっていても、誰かからおまえを呪ってやる
と言われれば心配する。
幽霊などいないと思っていても、真っ暗な場所に一人で行くのは
怖い。
なんとかのモンスターカードを入手する前に、空きのスキルスロ
ットつきのミサンガができることを祈ろう。
と思ったが、願いがかなうのは自然に切れるときか。
駄目じゃねえか。
セリーが作製した組み紐を右の足首に巻く。
解きやすいように蝶結びにしておいた。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv33 英雄Lv31 魔法使いLv33 僧侶Lv32
装備 革の靴 ミサンガ
俺が着けておけば、隙を見て取り替えるくらいは楽勝だろう。
937
ジンギスカン
今日の夕食はジンギスカン鍋である。
独特の鍋はないが、ジンギスカン鍋だ。
専用のタレもないが、ジンギスカン鍋だ。
ボスを狩って得たヤギの肉だが、ジンギスカン鍋だ。
鉄のプレートを二枚とこげてもいいような木の台を用意する。
木の上に鉄のプレートを載せ、石を積んでさらにその上にもう一
枚のプレートを重ねて、プレートの間には炭を置く。
ホイコーロー
炭に火をつけ、上のプレートで肉と野菜を焼いた。
どう見てもただの鉄板焼きです。
本当にありがとうございました。
いや。ジンギスカン鍋だ。
せめてもと魚醤を使ったのでとろみなし回鍋肉みたいになってし
まったが、ジンギスカン鍋だ。
ジンギスカン鍋だと俺が言ったから、今日の料理はジンギスカン
鍋。
肉汁を使って野菜を味付けしたのだから、大体あってる。
﹁そろそろか﹂
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
﹁ありがとうございます﹂
938
焼けたのを見計らって、取り分ける。
肉を分けるのは主人である俺の仕事だ。
ダディクール。
というか、ロクサーヌもセリーも菜箸が使えない。
ロクサーヌが作った煮込み料理、セリーが作ったスープ、買って
きたパンと一緒にいただく。
味の方もなかなかよくできたといっていい。
昨日の失敗を糧にしただけのことはある。
﹁おいしいです﹂
この味がいいねとロクサーヌも言ったから、今日の料理はジンギ
スカン鍋。
肉も野菜も美味い。
食卓で肉を焼き、美人二人と会話を楽しみながら、ジンギスカン
鍋に舌鼓を打った。
戦地メイミョウで芸者に囲まれた牟田口中将並みの贅沢だ。
﹁セリーがなんで奴隷になったか、聞いてもいいか﹂
﹁えっと﹂
﹁いや、別に言いたくなければ言わなくていいが﹂
会話のついでに訊いてみる。
家に本があったことについてのロクサーヌの突っ込みも問題はな
いようだった。
このくらいは大丈夫だろう。
939
﹁兄が迷宮で怪我をしたのです﹂
﹁怪我か﹂
﹁私の父にはあまり才覚がありません。我が家の収入は兄が頼りで
した﹂
セリーの祖父の代は羽振りがよかったらしいからな。
没落させたセリーの父は、実際に才覚がなかったのかもしれない
し、結果として没落させたために悪く思われている面があるのかも
しれない。
﹁怪我くらいならば借金でもして薬を買えば﹂
﹁まあ怪我なら上位の傷薬を買えば治せるか﹂
ロクサーヌの意見に同意する。
﹁そうですね。多分、私を売ったお金で薬を買ったと思います﹂
﹁借金では駄目なのか?﹂
﹁一度借金をすると、抜け出すのが難しくなります。少しの借金を
したばかりにどんどん苦しくなっていく家をたくさん見てきました。
うちにはそうなってほしくなかったのです﹂
そういうものなのか。
一度はまったら抜け出せないというのはありそうではある。
きっと金利も高いし、取り立ても厳しいのだろう。
﹁確かに、そういう家はありますね﹂
﹁一度お金を借りると、他のことでもすぐ借金に頼るようになった
り、最初は小さな金額だったのに、そのうちに借りる金額も大きく
なって返せなくなったりします。そうなれば最後は一家離散です。
だから、そうなる前に私を奴隷として売ってくれるよう持ちかけた
940
のです﹂
﹁自分から言い出したのか﹂
﹁はい﹂
合理的というかなんというか。
状況を考えれば、ベストでなくともベターではあったのかもしれ
ないが。
﹁たいしたものだな﹂
﹁いえ。普通に考えればそれが最善です。鍛冶師や巫女への転職に
も失敗してしまいましたし。それに、奴隷になればブラヒム語を習
うことができます。奴隷を買えるような人はたいていブラヒム語を
話しますから﹂
﹁ブラヒム語か﹂
奴隷になることにもメリットはあるということか。
この世界、ブラヒム語が話せればいろいろとつぶしは効くだろう。
セリーの場合、ブラヒム語を習うために奴隷になったという可能
性も否定はできない。
﹁弟も妹もまだ小さいですし、収入を支える兄を売るわけにもいき
ません。家族のためにも、私が売られることが一番よかったのです﹂
さすがに父親を売るわけにはいかないのか。
あるいは娘にすら才覚がないといわれる父だけに、高くは売れな
いのか。
﹁そうか。まあ今は俺たちも家族になったようなものだ。今後は俺
たちのためにがんばってくれ﹂
﹁もちろんです。こちらこそよろしくお願いします﹂
941
﹁セリーもすばらしいご主人様に出会えてよかったですよ。なにし
ろ最高のご主人様ですから﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌの場合、天然でそう思っていそうなところが恐ろしい。
もっと肉食え、肉。
肉をロクサーヌに回してやる。
ジンギスカン鍋はなかなか好評のようだ。
減り具合を見れば分かる。
三人でばかすか食い、用意した材料も残り少なくなっていた。
締めに焼きそばがないのが残念だ。
しまったな。用意すればよかった。
この世界にもパスタっぽい麺類はある。
あれを使えば、なんとかなるのではないだろうか。
ただし、パスタと魚醤で焼きそばがうまくできるかどうかは分か
らない。
いきなりでは失敗が怖い。
今度付け合せ程度のものを軽く作ってみるべきだろう。
﹁ありがとうな。そういえば、探索者というのは奴隷の主人として
いい条件なのか?﹂
買うときに気になったことを訊いてみた。
ロクサーヌはいい条件だと言っていたが、本当なんだろうか。
﹁えっと。言ってしまっていいのでしょうか﹂
﹁大丈夫ですよ。ご主人様ですから﹂
942
ロクサーヌが援護してくれる。
いいにくいことなんだろうか。
そらそうか。
主人に向かって、こんな主人がいいとはいいにくい。
﹁では。条件のいい奴隷の働き口というのには三パターンあるそう
です﹂
﹁三つか﹂
﹁一つは、大金持ちに買われて、特別に気に入られたような場合で
す。上の地位につけてもらえれば、待遇も環境もよくなります。多
くの奴隷がいるところでは一番奴隷にも相当な権力があります﹂
多分、奴隷をたくさん使うところでは、奴隷の管理を奴隷にさせ
たりもしているのだろう。
管理者の地位につけてもらえば、待遇も変わってくる。
会社に入るなら中小企業より大企業というところだろうか。
ちょっと違うか。
二人しか奴隷がいないところの一番奴隷というのはどうなんだろ
う。
﹁あ、それは私も聞きました﹂
﹁ロクサーヌさんもですか﹂
ロクサーヌもセリーも同じところにいたのだから、同じ話を聞い
ていても不思議ではない。
﹁上の地位は知りませんが、妾になることもあるそうです。大金持
ちの妾になれば、何不自由なく暮らせると言われました﹂
943
うん。
ロクサーヌよ、それは自慢というものだ。
妾になるには器量がよくなければいけない。
あの奴隷商人はロクサーヌを妾として売り込むつもりもあったの
だろう。
だからそんな話をロクサーヌに聞かせたのだ。
﹁えっと。大金持ちに買ってもらって、特別に気に入られて、とな
るとかなりの幸運が必要そうだな﹂
話を元に戻す。
﹁もちろんめったにあることではありません。ただ、望まずに奴隷
の境涯に落とされた人の中には、大金持ちのお気に入りを夢見る人
も多いみたいです﹂
﹁現実逃避か﹂
たくさんいる奴隷の中から抜け出るには、実力も運も必要だろう。
そんな幸運があれば奴隷にならなくて済んだくらいの。
﹁もう一つ条件がいいのは、つれあいを亡くした人が後添い代わり
に奴隷を買う場合です﹂
﹁そんな話もあるのか﹂
﹁すでに子どもが大きくなっている場合、下手に再婚すれば相続で
もめます。種族の違う奴隷を買えば、後継問題は発生しません。だ
から、子どもが勧めるのです。奴隷を買っておけば、最後の面倒も
奴隷が見てくれます﹂
﹁介護要員か﹂
944
この世界にもいろいろあるようだ。
奴隷を買うくらいだから金はある。
だから相続でもめるのだろう。
﹁本人が亡くなったときには遺言で奴隷身分から解放してくれるこ
とが多いようです。後添いに奴隷を買うような人は年もいっていま
す。奴隷にしても、長い間酷使されるよりはいいでしょう﹂
﹁またずいぶんとぶっちゃけたな﹂
﹁そういうケースでは主人となる人も人生の成功者で、穏やかな人
が多いそうです。後々面倒を見てもらうために待遇も悪くありませ
ん﹂
介護してもらうときに虐待されても困るから、待遇はいいのだろ
う。
待遇が悪いと寝たきりになってから復讐される。
ボケたときに、奴隷が飯を食わしてくれないとかは言い出しそう
だが。
奴隷がお金を盗んだ、とか。
奴隷の方が圧倒的に立場が弱いから、一方的に処罰されてしまう
のではないだろうか。
ただし、認知症を患った人が長生きできるような医療介護環境が
この世界にあるかどうかは疑わしい。
現代日本と違って大家族だ。
一つの家に暮らしていれば、分かることも多いだろう。
普段は離れて暮らしている小姑がうるさく口出ししてくる、とい
うこともあまりなさそうだ。
945
﹁そして三番目が、迷宮探索用として奴隷を買う場合です﹂
﹁結構落差があるような﹂
﹁それは仕方がありません。前の二つのケースなど、実際にはほと
んどありませんから﹂
﹁それはそうなんだろうが﹂
それにしても、という気はする。
﹁探索用の奴隷でも最初は他の奴隷と変わりません。ただし、探索
用の奴隷は戦闘技術を磨いてどんどん強くなっていきます。強くな
った戦闘奴隷は替えが利きませんから、待遇もよくなるし、ひどい
扱いもなくなります﹂
﹁なるほど﹂
農場や鉱山や家庭内で働かされる奴隷はいくら仕事を覚えたとこ
ろでたかが知れている。
主人よりも稼げるようになることはまずほとんどないだろう。
対して、迷宮に入る奴隷にはレベルアップがある。
主人を上回ることさえ、不可能ではない、かもしれない。
実際にはパーティーを組まされるだろうが。
そして、レベルが上がって強くなれば、待遇も上がる。
強くなれば迷宮で死ににくくなるし、せっかく強くなった奴隷を
使い捨てるのは効率が悪い。
レベル一桁や十いくつの奴隷ならいくらでもいるだろうが、四十
五十と上がっていけばそうはいかない。
大きな顔もできるというものだ。
﹁ご主人様だから言ってしまいますが、強くなった奴隷は待遇が悪
946
いと他の人に話を持ちかけて買い取ってもらうこともできるそうで
す﹂
そんな裏技もあるのか。
それでは待遇もよくせざるをえないだろう。
と、ここで気づいた。
﹁えっと。つまり俺は今後二人をもっと大切にしないといけなくな
るということでは﹂
﹁い、いいえ。これはご主人様だからお話したのであって、私は他
の人に話を持ちかけるつもりはまったくありません﹂
﹁わ、私もありません﹂
ロクサーヌもセリーもどんどんレベルが上がっていくだろう。
そうなれば他の奴隷で代替することが難しくなる。
今だって十分替えは利かないというのに。
﹁私はご主人様以外の人に買われるなど死んでも嫌です﹂
﹁わ、私もです﹂
替えが利かなくなれば、力関係が変わる。
力関係が変わり、立場も逆転するだろう。
二人のレベルが四十五十と上がっていけば、まさに俺からお願い
して一緒にいてもらう形になるかもしれない。
﹁私は今のままの待遇でもとても幸せです﹂
﹁私もです﹂
馬鹿な。
947
俺はこれからロクサーヌに頭が上がらないということなのか。
今だってロクサーヌにはどれだけ感謝してもしたりないくらいな
のに。
今後どうなってしまうというのか。
﹁なんでしたら、もっと悪い待遇にしてもいいです﹂
﹁そうです﹂
いや、そんなことはない。
主人より優れた奴隷なぞ存在しない。
やらせはせん、やらせはせん、やらせはせんぞぉ。
﹁うむ。では、二人の待遇について、ゼロベースで見直してみたい﹂
﹁はい、ご主人様﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁厳しく査定するので、そのつもりでいるように﹂
この際、待遇を見直すのがいいだろう。
二人には俺が主人であると思い知ってもらわねばなるまい。
﹁えっと。まずは食事ですね。ご主人様と同じ食事をいただくとい
うのは待遇がよすぎるかと思います﹂
﹁食事は駄目だな。食うものがなくては戦争はできない﹂
それが合理的というものである。
﹁では別の場所で食べさせるとか﹂
﹁食事の間に情報収集ができないし、他の時間に食べるのは効率が
悪い﹂
﹁ご主人様がテーブルについて、私たちは床の上でいただくとか﹂
948
床の上って。
それもどうなんだろう。
﹁別にそこまでしなくても﹂
﹁では服です。もっとぼろいものでもいいと思います﹂
﹁そうです。奴隷が着る服としては上等すぎます﹂
﹁服か。ロクサーヌもセリーも美人だからなあ﹂
ため息をつく。
﹁あ、ありがとうございます。ご主人様﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁服は駄目だな。綺麗にしていてくれた方が嬉しいし。他の人に見
せびらかすならともかく。俺の前でも多少着飾るくらいがちょうど
いい﹂
首を振った。
﹁ありがとうございます。食事と服が駄目だとすると﹂
﹁後は住環境ですね﹂
そう、住環境。
衣食住のうち、衣食は駄目だから残りは住環境ということになる。
住環境には主人である俺の威厳がにじみ出ている。
住環境こそ、俺が主人であると二人に認識させるにふさわしい。
住環境こそ、主人としての俺の存在感を示せる場所だ。
二人とも自らの立場を身にしみて実感するであろう。
949
﹁それだ﹂
﹁やはりご主人様と一緒のベッドで寝るというのは畏れ多いのでは﹂
なん⋮⋮だと⋮⋮?
﹁⋮⋮それは駄目だ﹂
﹁ご主人様と一緒にお風呂に入らせていただくのも、畏れ多いです﹂
何故だ。
﹁それも⋮⋮駄目だ﹂
﹁後、ご主人様が奴隷の身体を石鹸で洗ったりするのも畏れ多いで
す﹂
まさか。
俺の毎日の楽しみが。
それを奪うというのか。
﹁⋮⋮ぐっ⋮⋮だ、駄目だ﹂
﹁えっと。他には﹂
もうやめてロクサーヌ、俺のHPはゼロよ。
﹁えー。二人の待遇を見直した結果、以上のとおり決定したので、
ここに通知したい﹂
﹁えっと。結局、今までと変わらないということでしょうか﹂
﹁そう、なるな。これからもよろしく頼む﹂
﹁よくしていただいていることが改めて分かったので、見直したの
もよかったと思います﹂
950
セリーのフォローが身にしみる。
951
休日
翌日の夕方、クーラタルの冒険者ギルドでアイテムを売り払うと
き、受付の女性に声をかけられた。
﹁すみません。冒険者のかたですよね﹂
なんだろうか。
面倒なので否定しよう。
と思ったが、思い直す。
この冒険者ギルドの壁はいつも使っている。
受付の女性もそれを見ているのだろう。
壁を使って移転するのは冒険者のスキルであるフィールドウォー
クなのだから、俺も冒険者だということになる。
﹁ギルドには加入していないが﹂
﹁それは問題ではありません。実は北にあるハルツ公領で雨が続き、
大きな水害が発生しています。救援物資の輸送に冒険者の力をお借
りしたいのです。本日緊急の要請があったのですが、急なことで数
をそろえられません。ぜひお力をお貸しいただけないでしょうか﹂
災害救助か。
俺は冒険者ではないので、できれば断りたいが、どうなんだろう。
クーラタルの冒険者ギルドはこれからもほぼ毎日利用する。あま
り身勝手だと思われるのはうまくないかもしれない。
災害救助くらいなら参加しておくべきか。
952
問題があるとすれば、インテリジェンスカードをチェックされる
かもしれないことだ。
インテリジェンスカードを見られたら、俺が冒険者でないとばれ
る。
ギルドや領主がかかわっているなら、参加者の身元チェックくら
いはあっても不思議ではない。
危険は避けるべきだろうか。
﹁私たちなら大丈夫です﹂
﹁⋮⋮えっと﹂
ちらりと後ろを見やると、ロクサーヌに背中を押された。
断る口実がほしかったのだが。
空気の伝達に失敗したようだ。
セリーは苦笑いしている。
セリーの方は俺が冒険者でないから危ないということを分かって
いるのだ。
﹁ギルド員でないかたには明日一日で千ナールの日当も用意してい
ます﹂
﹁それはどうでもいい。具体的にはどんな作業をやるのだ﹂
﹁洪水によって陸路の接続が途絶えた村々に物資の輸送を行います。
冒険者であれば難しい作業ではありません。冒険者ギルドとの契約
で安全面はハルツ公の騎士団が責任を持って請け負うことになって
います。危険もありません﹂
この世界では村などは多分かなりの程度自給自足だと思うが、そ
れでも完全にというわけではないだろう。
953
この世界に来て最初に目覚めた村でも、商人が荷馬車でベイルの
町と物資のやり取りをしていた。
交通網は現代日本より貧弱なはずだ。
災害でも起これば、ずたずただろう。
そこで冒険者の出番となる。
フィールドウォークがあれば、道路がつながっていなくても物資
を送ることができる。
うまくできているらしい。
﹁うーん﹂
﹁エルフの中には人間を見下すような人もいますが、災害救助です
ので参加者の種族や身元は問われません﹂
おっと。身元は問われないのか。
それは何より。
まあ災害で困っているのだ。
使える者なら誰でも受け入れるべきだろう。
エルフが人間を見下すと何故参加者の身元が問われないのか、理
屈はよく分からないが。
思うに、ハルツ公領にはエルフが多いのだろう。
だから人間の俺でも大丈夫だと。
俺が迷っているのはエルフが多いためだと思われたのか。
身元のチェックをしないのなら、参加しても問題はない。
ワープは多分フィールドウォークの上位互換だから、インテリジ
ェンスカードさえ見られなければ、厄介なことにはならないはずだ。
災害救助のような緊急の要請の場合には、断った方がかえって目
954
をつけられかねない。
﹁分かった。どうすればいい﹂
﹁明日の朝、朝食を取ってからゆっくりでいいので、ここに集合し
てください。物資を運ぶのに必要な人員はハルツ公の方で用意しま
す。来られるのは冒険者お一人で結構です。アイテムボックスは多
少空けてきてください。千個も運べれば十分です。物資を運んで、
夕方前には終わるはずです﹂
千個か。
俺の場合探索者だけでは心もとないが、足りなければ武器商人か
防具商人か料理人をつければいい。
複数ジョブがあるので余裕でクリアだ。
まあしょうがない。
やらない善よりやる偽善。
人助けというなら、やっておいた方が精神的にも楽だろう。
家に帰り、夕食のときに予定を立てた。
﹁明日、俺は冒険者ギルドの要請で出かけることになる。早朝にク
ーラタルの迷宮へ入った後は、せっかくだから二人は休みにしよう。
好きにすごしていいぞ。ロクサーヌはどうしたい﹂
﹁お休みをいただけるのですか?﹂
﹁そうしよう﹂
﹁ありがとうございます。そうですね。⋮⋮うーん﹂
ロクサーヌが考え込む。
955
﹁セリーは、図書館でいいか?﹂
﹁え? でもお金が﹂
﹁入館料と預託金くらいは出してやる﹂
﹁よろしいのですか?﹂
不安げに訊いてきた。
預託金は金貨一枚だったか。
返ってくることが前提の預託金なら大丈夫だろう。
入館料が金貨一枚ならさすがに俺もどうかと思うが。
﹁預託金がちゃんと返ってくるなら問題ない﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
セリーが頭を下げる。
弾んだ声だ。
元々行きたいと言っていたからな。
嬉しいのだろう。
﹁ロクサーヌはどうする。何でもいいぞ。明日になってから考えて
もいいし﹂
﹁私もセリーのように早くご主人様のお役に立ちたいので、明日は
迷宮に入って鍛錬をしようかと﹂
﹁いやいや。ロクサーヌは今でも十分に役立っているから﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁できればしっかり休んで、危険なことはしないでもらえるとあり
がたい﹂
迷宮に入って鍛錬とか、まじめすぎる。
しかしロクサーヌ一人で迷宮に入ってもたいした鍛錬にはならな
いだろう。
956
俺と一緒に入れば獲得経験値二十倍があるのだし、一人では上の
階層にも行けない。
上へ行って俺のいないところで危険な目にあってもらっても困る。
﹁そうですか。では、普段できない掃除などをして、家でのんびり
すごしたいと思います﹂
﹁そうしてくれ。そうだ。小遣いを出すから買い物をしてくるとい
い﹂
ロクサーヌは買い物好きだ。
買い物なら楽しんでこれるだろう。
﹁お小遣いをですか﹂
﹁セリー、図書館の入館料は銀貨五枚もあれば足りるか?﹂
﹁私が聞いたときには百ナールでした﹂
﹁二人には明日五百ナールを渡す。好きに使ってくれ﹂
明日の俺の日当が銀貨十枚だ。
さすがにそれでは多いような気がする。
災害救助なので相場より安いかもしれないが、一応は冒険者とい
うスペシャリストを雇うわけだし。
二人で俺の日当を半分ずつくらいがちょうどいいのではないだろ
うか。
﹁よろしいのですか﹂
﹁かまわない。ロクサーヌはずっとがんばってくれたしな。明日は
羽を伸ばしてこい﹂
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
あまりたくさん渡しすぎても増長されてしまうし、少なければ二
957
人が困る。
銀貨五枚なら、大きいものは買えないが、こまごまとしたものだ
とそれなりには買える。
妥当なところだろう。
その日の夜、二人は割と遅くまで話し合っていたようだ。
楽しみで目がさえたのか。
喜んでもらって、俺としても満足だ。
朝は、いつもどおりきっちりとロクサーヌからキスをしてきてく
れたが。
﹁おはよう、ロクサーヌ。いつも早いな﹂
﹁はい。朝一番の大切なお勤めですから﹂
大切な役目だと心得てくれているらしい。
なんか悪いような気はするが悪い気はしない。
ロクサーヌに続いてセリーとも朝のキスをする。
﹁ありがとう。二人とも昨夜は遅かったみたいだが、大丈夫か﹂
﹁えっと。ご迷惑でしたか﹂
﹁いや。ぼんやり子守唄みたいに聞こえていた程度だから大丈夫﹂
﹁そんなに遅くまでは話していないので、問題ありません﹂
クーラタルの迷宮にはちゃんと行き、朝食の後、解散となる。
今日ニードルウッドが放ってきた魔法は一回のみ。
ロクサーヌが華麗に回避した。
だからなんであれが避けられるのかと。
958
セリーは朝晩二回ミサンガを作っているが、今朝で四回連続空き
のスキルスロットなしだ。
﹁じゃあ銀貨五枚ね﹂
﹁はい。ではセリーは入館料がありますから、三枚渡しておきます
ね﹂
ロクサーヌに銀貨を渡すと、ロクサーヌがセリーと分けようとし
た。
﹁いやいや。セリーにはセリーで五枚渡しておくから﹂
﹁え? こんなにたくさん。よろしいのですか﹂
どうやら、二人で銀貨五枚だと思ったらしい。
﹁大丈夫﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁図書館の入館料はそんなにしませんけど﹂
﹁セリーも、一日いればのども渇くだろうし、好きに使え﹂
セリーにもいって聞かせる。
銀貨五枚は多かっただろうか。
基準がよく分からない。
ベイルの宿屋の一番安い部屋でも食事つき三百ナールくらいはし
た。
いいホテルの豪華な部屋なら一泊五百ナール以上はざらだろう。
それなりのところに泊まってそれなりの食事を楽しもうと思えば、
銀貨五枚では心もとない。
悪くない数字ではないだろうか。
959
﹁外套を着た方がよろしいのではないですか?﹂
考えていると、セリーが忠告してきた。
何故?
と思ったが、そうか。
クーラタルでは雨は降っていないが、洪水だというのだから現地
は雨か。
気づかなかった。
当然雨だろう。
洪水の災害救助に雨具も持たずに行ったのでは、何をしに来たん
だといわれかねない。
危うく恥をかくところだった。
﹁そうだな。ありがとう﹂
﹁ではご主人様﹂
ロクサーヌがタンスの奥から外套を出してくる。
しまいこんだままになっていた外套だ。
換わりに家の鍵をロクサーヌに渡した。
ワープばかり使っているのでこちらもほとんど使っていない。
﹁では行ってくる﹂
﹁いってらっしゃいませ﹂
外套を羽織り、ロクサーヌを置いてセリーと二人で帝都に赴いた。
冒険者ギルドで場所を聞き、図書館に行く。
帝都の図書館は、大理石かなんかを使った白亜の建物だった。
960
大きくて優美な建築物がそびえ立っている。
立派なものだ。
堂々たる殿堂といっていいだろう。
﹁すごいです﹂
﹁確かにすごいな﹂
見上げて感嘆しているセリーに同意してやる。
日本でいえば、バブル期に地方自治体がとち狂って建てた外見だ
け立派な公共施設、みたいな感じがちょっとしないでもない。
帝都だから外見だけということもないだろうが。
中に入ると、広いロビーがあった。
横の壁からは冒険者たちが出入りしている。
あそこからフィールドウォークで飛べるようだ。
すぐ奥に受付がある。
入館料などもそこで徴収されるらしい。
その向こうには机が置いてあって、閲覧室か何かになっていた。
銀貨五枚と金貨一枚を出し、セリーに渡す。
﹁ありがとうございます﹂
﹁夕方すぎに迎えに来るから、それまで自由にすごしていい。日が
暮れる時間になったら、あの辺りにいれば分かるだろう﹂
閲覧室の辺りを指差した。
帝都はクーラタルより東にある。
クーラタルが夕方前だと、こっちはちょうど日が暮れるころだろ
う。
961
﹁そうですね。分かりました﹂
セリーが図書館の中に入るまで見送る。
受付でお金を払い、無事入っていった。
中に入ったのを確認し、図書館の壁からクーラタルの冒険者ギル
ドに飛ぶ。
災害救助自体は、特に何の問題もなかった。
まず公爵領の中心であるボーデの町に集められる。
ボーデの町から、ハルツ公側が用意した冒険者の案内で地方の村
々に飛ぶ。
その村へ、今度はハルツ公の騎士団員をパーティーに入れて往復
し、物資を運ぶという具合だ。
人員も物資もハルツ公側がきちんと用意していたので、冒険者側
にはあまりやることがない。
フィールドウォークで飛ぶだけの簡単なお仕事だ。
俺の場合はワープだが。
宮城と村の建物を往復なので、外套すら必要なかった。
アイテムボックスに入れられる兎の肉などを除けば、フィールド
ウォークでは物資は手荷物程度しか運べない。
体を半分だけ移動して物資をやり取りする作戦も使わないようだ。
いくどとなく往復する。
アイテムボックスに入れる物資の数だけは、きっちりと確認され
た。
別にくすねようと思ったわけではない。
騎士団員が一緒だ。
962
身元チェックがなくとも、変なことはできないだろう。
宮城と村を十回くらい往復すると、ようやく休息となる。
イスに座って休んだ。
さすがにワープを二十回も連続で使うと、MPが減った感じがあ
る。
ぐったりとイスにもたれかかった。
ハルツ公の騎士団員にはエルフが多いようだ。
美男美女ぞろいである。
どいつもこいつも。
くそっ。イケメンは死ね。
俺のパーティーの中に六十近い女性のエルフがいたのだが、これ
がまたふるいつきたくなるようないい女だ。
色魔をつけていたらやばかったかもしれない。
身元チェックはきちんとした方がいい。
顔は美人で若々しいし、スタイルも細く、つくべきところには肉
のついたメリハリのある体型を保っている。
五十八歳でこれだよ。
外見では年齢が分からないというのは相当に威力が大きい。
ロクサーヌが五十八歳のときが楽しみだ。
イスにもたれながらエルフのおばあちゃんの方をぼーっと眺めて
いると、奥の入り口から誰かが入ってきた。
巡視だろうか。
ハルツ公爵ブロッケン・ノルトブラウン・アンハルト ♂ 35歳
963
聖騎士Lv14
装備 オリハルコンの剣 身代わりのミサンガ
うわっ。
公爵だよ。
聖騎士だよ。
オリハルコンの剣だよ。
外套を着てフードをかぶっているので、顔は見えない。
所在なさげにぶらぶらと歩き回っている。
供の者も連れていない。
城内だからだろうか。
視察のためなのか、こっちにも来た。
公爵の前で、こんな風にイスにだらしなくもたれかかっていてい
いものだろうか。
まずいかもしれない。
この世界の礼儀作法は分からないが、これはないんじゃないだろ
うか。
あわてて立ち上がり、お辞儀をする。
無礼打ちとか。
怖すぎる。
﹁余のことを見知っておるのか。よい。しのびじゃ﹂
公爵は俺のところにすばやく歩み寄ると、小声で耳打ちした。
そういえば周りは誰も気にしていない。
必要なかったようだ。
964
なまじ鑑定があるせいで、失敗した。
どうやらおしのびだったようだ。
いいと言われたので、イスに座る。
﹁余のことをどこかで見たのか?﹂
公爵も隣に座った。
興味を引いてしまったらしい。
外套を着てフードで顔を隠してしのびで来たのに、知らない人間
にお辞儀をされたのではな。
気づかない振りをしておけばなんでもなかった。
﹁あーっと。以前確か⋮⋮﹂
﹁そうか﹂
苦し紛れにごまかそうとすると、あっさり引き下がる。
公爵くらいになれば、どこで誰に見られてもおかしくはないのだ
ろう。
引きこもりで領民に顔も見せたことがない領主とかじゃなくてよ
かった。
﹁閣下﹂
誰かが走ってくる。
﹁いかんな。ここでは話もできん。ついて参れ﹂
公爵が周囲を確認し、立ち去った。
俺がお辞儀をしたので、少し注目を集めてしまったようだ。
965
できればついていきたくないのだが。
しかし公爵はどんどん進んでしまう。
﹁ハルツ公領騎士団長のゴスラーと申します。こちらにお越し願い
ますか﹂
走ってきた人が俺に告げた。
エルフだ。
耳が尖っている。
もちろんイケメンである。
かっこいい。
かっこいいだけじゃなくてかっこいい仕草が似合っている。
かっこいいセリフとかも似合うに違いない。
死ねばいいのに。
ゴスラー・ノルトブラウン・アンハルト ♂ 46歳
魔道士Lv61
装備 ひもろぎのスタッフ 身代わりのミサンガ
さすがは騎士団長。
レベルが高い。
しかも魔法使いですらない。
上級職ということだろうか。
﹁了解﹂
966
その騎士団長からかっこよく頼まれたのだ。
行かないわけにはいかないだろう。
断ることもできないこんな世の中じゃあ。
﹁しばらく冒険者殿をお借りする﹂
﹁かしこまりました﹂
騎士団長は俺と一緒に物資を運んだパーティーメンバーに伝達し
ている。
俺は公爵を追いかけた。
公爵は部屋を出ると廊下をずんずんと進む。
ところどころにかがり火もあるが、廊下は暗い。
迷宮の洞窟よりも暗いだろう。
どこの馬の骨とも分からない冒険者に背中を見せて大丈夫なんだ
ろうか。
実際、冒険者ですらないし。
しばらく進むと、公爵が扉を開けて奥に入った。
中は、広くはないが絨毯敷きの豪華な部屋だ。
奥に机とイス、手前にはテーブルとソファーが置いてある。
どこかの社長室みたいな感じだ。
﹁余の部屋じゃ。自由にかけてくれ﹂
﹁きょ、恐縮に﹂
なんだっけ。
麗しき御尊顔を拝し奉り恐悦至極にナンチャラカンチャラ。
手前側のソファーに腰かけた。
967
公爵は外套を脱ぎ、執務机のイスに座る。
エルフだ。
イケメンだ。
無駄にかっこいい。
こんなときどんな顔をすればいいか分からない。
死ねばいいと思うよ。
﹁余のプライベートルームだ。礼儀を気にすることはない。普段ど
おりの口調でかまわぬ﹂
﹁か、かしこまり﹂
﹁余も堅苦しい言葉は嫌いじゃ。ことさらに丁寧な言葉を使う必要
はない﹂
﹁はい。ありがたく﹂
余とか言っている時点でどうなのよ。
まあ、そう翻訳されているだけだが。
﹁このたびの領内の災害救助への合力、かたじけない。余からも礼
を申す﹂
﹁いえいえ﹂
﹁今年は雪融けが少し遅いようじゃ。春の大雨のシーズンと重なっ
てしまい、例年より被害が大きくなってしまった﹂
なるほど。
雪融けの増水が毎年あるわけか。
だからこそ、援助物資などもきちんと用意されていたのだろう。
﹁失礼いたします﹂
968
公爵と話していると、ノックの音がしてさっきの騎士団長が入っ
てきた。
﹁ゴスラーか。おんみも座れ﹂
﹁はっ。このたびのご助力に感謝いたします﹂
騎士団長が俺に頭を下げ、向かいに座る。
﹁冒険者を公爵の部屋に招き入れてよかったのですか﹂
騎士団長に確認してみた。
﹁城内なら呼べばすぐに誰か駆けつけます。公爵も私も身代わりの
ミサンガを着けております。不意の一撃は喰らったとしても、暗殺
は難しいでしょう﹂
﹁なるほど﹂
誰かに狙われたとしても、一発めは身代わりのミサンガが肩代わ
りする。
護衛が防がなければならないのは二発め以降だ。
SPのありようも変わってくるのだろう。
宮城内では常に張りついている必要はないということか。
﹁余ら貴族は領内の迷宮を駆除する責務を負っておる。不意の一撃
を喰らってしまうのはともかく、正面から打ち合って簡単にやられ
るようでは爵位は保てん。どうじゃ? 狙ってみるか﹂
﹁いやいや﹂
何を言い出すんだろうか、このイケメンは。
969
確かに死ねとは思ったが。
﹁優秀な冒険者と聞き及びました。閣下に勝てるかもしれません﹂
﹁別に優秀ということは﹂
﹁優秀なのか?﹂
否定しようとしたら、公爵がかぶせてきた。
ただのお世辞だから。
﹁ターレの村への物資輸送をすでに終えてしまったそうです﹂
﹁ふむ。ターレへか﹂
﹁ターレというのは領内ではここから一番遠くにある村です。遠く
の場所へのフィールドウォークは大変です。事実、ターレの村への
輸送は三人の冒険者にお願いしましたが、残りの二人はまだ半分も
終えていないそうです﹂
騎士団長が俺に説明する。
あれ。終わりだったのか。
だから休憩したのか。
騎士団長の説明から考えるに、多分フィールドウォークは距離に
応じて消費MPが変わるのだろう。
遠くに行けば、それだけMPを使う。
休み休み往復するのが普通なのだ。
ワープの消費MPは距離依存になっていないのか。
あるいは、冒険者じゃなくて探索者兼英雄兼魔法使い兼武器商人
兼防具商人兼料理人の俺は普通の冒険者よりもMPが多いのか。
少なくとも魔法使いをはずせば、最大MPはかなり減るだろう。
970
無駄にいろいろジョブをつけすぎたか。
英雄は、はずそうかとも思ったが、万が一のためにつけておいた。
いきなり襲われたときにもオーバーホエルミングが使える。
魔法使いをはずすという発想はなかった。
体力中上昇などの効果がパーティーメンバーに効いてくることも
考えたが、俺自身も含め、ロクサーヌもセリーも普段は何も自覚し
ていない。
だから問題はないはずだった。
思わぬところに落とし穴が。
﹁その方は人間族であろう﹂
﹁あ、はい﹂
﹁人間にもなかなか優秀なものがおるようじゃ﹂
公爵様誤解してまっせ。
﹁はっ。確かに優秀です﹂
﹁どうじゃ。余の騎士団に入るつもりはないか﹂
﹁いえ。まだ修行中の身ゆえ﹂
あわてて断る。
冒険者じゃないのに冒険者で雇われても困る。
大体、エルフは人間を見下しているんじゃなかったのか。
﹁そうか。仕方あるまい。何か困ったことがあったら、騎士団長の
ゴスラーを訪ねてくるといい。エルフの中には人間を見下す輩もお
る。助けになろう。こちらからも何か頼むことがあるかもしれん﹂
元々冗談のつもりだったのか、あっさりと引き下がった。
971
淡白な公爵のようだ。
よかった。
さすがに公爵ともなると人間を見下すことはないのか。
公爵や騎士団とのつながりは、決してマイナスにはならないだろ
う。
もう少し早ければ、妨害の銅剣を売りつけることができたかもし
れない。
﹁では。まだやることがあるかもしれないので、この辺で﹂
適当に話を打ち切って立ち上がる。
長話をしてボロを出してもたまらない。
﹁引き止めて悪かったな。許せ﹂
﹁あなたの本日の活動は終了です。お帰りになってもらっても結構
です﹂
本当に終わりのようだ。
俺は騎士団長に元いた部屋まで見送られ、ハルツ公領を後にした。
﹁お帰りなさいませ、ご主人様﹂
予定より早く、昼過ぎには帰った俺を、ロクサーヌが迎えてくれ
た。
メイド服姿で。
イヌミミメイドである。
可愛らしい。
972
恐ろしく可愛らしい。
﹁た、ただいま、ロクサーヌ﹂
﹁はい。早かったのですね﹂
あの日、最初にロクサーヌを見たときと同じスタイルだ。
いや。確かあのときは帽子を着けていた。
つまり初めて見るイヌミミメイドだ。
下はメイド服、顔は美人、上はイヌミミ。
柔らかいタレミミがふにゃんと乗っている。
顔は、俺を見て輝くばかりの笑顔を作ってくれている。
全身を布地の多い清楚なメイド服が包んでいた。
優美な衣装は、それでいてその下に隠した淑やかなしなやかさを
はっきりと伝えている。
楚々として柔らかく、弾力がありそうだ。
白いエプロンのフリルがなだらかに曲線を描き、おおった胸を隠
してるんだか強調しているんだかわけの分からないことになってい
た。
﹁思ったより早く済んだ﹂
﹁さすがご主人様です﹂
ロクサーヌが後ろに回り、外套を脱がしてくれる。
なんかこそばゆい。
﹁ありがとう。でもなんでその服?﹂
﹁いけませんでしたか? 掃除などの家事をするときの服と聞きま
したので﹂
973
間違いではない。
間違いではないが、何か間違っている。
外套を前で抱えて持つと胸が大変なことに。
﹁可愛くて似合っている﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
可愛い。
とても可愛い。
ものすごく可愛い。
しゃぶりつきたい。
むさぼりつきたい。
どん欲に喰らいつくしたい。
生理中なのでむちゃくちゃにできないのが残念だ。
せめてハグくらいなら許されるだろうか。
ロクサーヌを軽く抱き寄せた。
﹁やっぱりロクサーヌは最高だ﹂
﹁あ、ありがとうございます。留守の間にルーク氏から使いが来ま
した。人魚のモンスターカードを落札したそうです﹂
﹁そうか。まあ明日でいいだろう﹂
いかん。
抱きつくと胸の弾力が。
これを我慢するのはきつい。
ハグも許されなかった。
974
断腸の思いで離そうとした俺に、ロクサーヌが耳元でささやく。
﹁それと、終わりましたので今晩からまた可愛がっていただけます﹂
思わずロクサーヌを抱き上げた。
左手で肩を抱いてロクサーヌの肩下を支え、右腕でひざをすくい
上げる。
ロクサーヌを横に寝かせ、両手でかかえ上げた。
案外できるものだ。
今晩といわず、そのままベッドに直行したことはいうまでもない。
セリーを迎えに行くのは予定より遅くなってしまった。
冒険者ギルドで日当を受け取り、帝都の図書館にあわてて飛ぶ。
ロビーの壁に出ると朝よりも多くの人でごったがえしていた。
﹁悪い。待たせたか﹂
﹁いえ。今出てきたところです﹂
﹁じゃあちょうどよかったな﹂
少し遅くなってしまったが、かえってタイミングがよかったよう
だ。
セリーが俺の方へ駆け寄ってくる。
﹁図書館は日が暮れるまでのようです。これを﹂
﹁ん? 酒飲んだ?﹂
預託金を返してきたセリーの息がアルコール臭い。
かなり強烈だ。
975
﹁はい。水を五杯ほど﹂
﹁水、なのか?﹂
﹁水代わりに飲む弱い酒のことです。ドワーフの間では水と称され
ています。一番強いのがそれでしたので。三度しか蒸留していない
そうです﹂
三度しかって。
蒸留するたびにアルコール度数が上がってくんじゃなかったっけ?
とにかくこの匂いだから、きつい酒なのは間違いない。
﹁セリーは酒が好きだったのか?﹂
お酒を飲むとは知らなかった。
うちには料理用のワインしかない。
俺が酒を飲まないから、ロクサーヌもセリーも酒を飲まない。
今まで不満ではなかったのだろうか。
﹁いいえ。別に好きということはありません。あくまで水代わりで
す﹂
﹁うちでは飲んだことないけど、問題ないか﹂
﹁はい。特に好きということはありませんので﹂
水代わりに酒飲んで臭い息をさせているやつは問答無用で酒好き
だろう。
それでも、別に酔ってはいないようだ。
歩行はちゃんとしているし、滑舌もはっきりしている。
パーティーを組もうと申請を出しても、しっかりと処理した。
相当酒に強いらしい。
976
﹁まあいいか﹂
図書館の壁から家に帰る。
﹁お帰りなさいませ、ご主人様。お酒ですか?﹂
ロクサーヌが迎えてくれた。
メイド服で、ではない。
着替えたというわけではなく、メイド服は着なかっただけだが。
酒の匂いはすぐにわかったらしい。
まあ迷宮で魔物のにおいが分かるくらいだし。
﹁ただいま。水代わりに飲んだらしい﹂
﹁ただいま帰りました﹂
﹁えっと。料理の方は大丈夫ですか?﹂
﹁はい。酔うほどには飲んでいませんから﹂
本当に酔っていなさそうなのが不思議だ。
﹁セリーはどのくらい飲めば酔うんだ﹂
﹁そうですね。私が売られることが決まって最後に家族全員で飲ん
だときには、少し酔いました。あのときは一番強いお酒を樽で買っ
てきてすぐに飲み干したので、相当の量を飲んだと思います﹂
相当の量を飲んで、少し酔うくらいなのか。
家族全員でといっているが、弟や妹はまだ小さかったはずだ。
ドワーフというのは酒に強いらしい。
977
最後に家族で飲んだということは、セリーにとっては特別な思い
出なのかもしれない。
本人が飲みたいと言い出さないのなら、酒は無理に勧めない方が
いいか。
セリーは食事もちゃんと作った。
確かに酔ってなどいないようだ。
﹁そういえば、ロクサーヌは買い物には行ってきたのか?﹂
夕食のときに尋ねる。
﹁はい。ご主人様が帰ってこられる前に﹂
﹁行ってきてたのか﹂
よかった。
俺が時間をつぶさせたのだとしたらまずいところだった。
﹁ご主人様の服を買ってきました﹂
﹁俺の服をか?﹂
﹁はい。着てくださいね﹂
﹁悪いな。そこまですることなかったのに﹂
﹁私とセリーには、ヘアブラシを買ってきました。一緒に使いまし
ょう﹂
ブラシか。
確かに必要だろう。
俺が使わないから、そこまで気が回らなかった。
﹁ロクサーヌさん、ありがとうございます﹂
978
﹁気づいてやれなくて悪かったな。必要なものは遠慮なく言え﹂
﹁いえ。それと、残った分は返しておきますね﹂
﹁あ、あの。すみません、私は使い切ってしまいました﹂
セリーはきっちり使い切ったのか。
それはそれでセリーらしい。
﹁小遣いだからどう使おうと自由だ。残金は持っておけ。何かのと
きに必要になるかもしれないし﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁かまわない﹂
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
どこかではぐれたりすることがあるかもしれない。
クーラタルまで帰ってくるのに銀貨一枚が必要だ。
﹁セリーも、本を読めたか﹂
﹁はい。融合をやることになるのでしょうから、どのモンスターカ
ードがどういうスキルになるか、改めて確認してきました。いただ
いたお小遣いで筆記具とノートを買ったので、メモしています﹂
二人とも、有意義な休日をすごしたようだ。
979
スキルスロット
朝、セリーからアルコールの臭いは完全に消えていた。
口の中をたっぷり舐め回したが、アルコール分は感じられない。
伸ばした舌を隅々まで這わせても、不快な感じはない。
分泌された湿り気を舌で絡め取り、あるいは吸い取っても、いつ
もどおりの清々しい味わいだった。
積極的になった舌の動きと柔らかな感触を楽しむ。
セリーが舌を差し入れ、俺の口の中を這い回った。
ぎこちなさはまだあるが、自分から動いてくれている。
こちらからも舌を絡めて念入りに応じた後、口を放した。
﹁おはよう、セリー。頭とか痛くないか﹂
﹁はい。問題ありません﹂
酔いが残っているのかとも思ったが、そんなこともないようだ。
二日酔いなどもないらしい。
肝臓の処理能力が人よりも優れているのだろう。
二日酔いどころか、昨夜酔っていたのかどうかも不明だが。
ただし、昨夜のセリーは早く寝た。
ベッドに入るなり瞬殺だった。
ロクサーヌの生理が終わっていなかったらと考えると、そら恐ろ
しいものがある。
980
早朝はいつもどおりクーラタルの迷宮に入る。
帰ってくると、ミサンガを作らせてから朝食だ。
﹁人魚のモンスターカードって、何のスキルをつけられるんだ?﹂
朝食を取りながら、セリーに訊いた。
﹁装備品に水属性をつけるカードになります。武器につけると水流
剣のスキルが、防具につけると水防御のスキルがつきます﹂
﹁水属性か。武器は何でもいいのか?﹂
﹁槍でも杖でも大丈夫です﹂
﹁槍でもいいのか﹂
槍につけても水流剣とはこれいかに。
杖につけても水流剣と呼ぶがごとし。
カタリスト
オラトリオ
﹁属性剣のスキルは詠唱が必要なので、防具につけることの方が多
いようです﹂
クライム
まさか、水防御のスキルは詠唱なしでいけるらしい。
パッシブスキルなのか。
﹁コボルトのモンスターカードと一緒に融合するとどうなる?﹂
﹁武器につけると水蝕剣、防具につけると水耐性のスキルがつきま
す。水蝕剣は水流剣より強力で、水耐性は水防御よりも水属性魔法
に対する耐性が上がるとされています。えっと。人魚のモンスター
カードを入手できたのですか?﹂
﹁昨日連絡が来たらしい﹂
ロクサーヌの方を見て確認する。
981
﹁はい。二千五百ナールだと言っていました﹂
﹁モンスターカード融合は失敗することの方が多いので、安い装備
品にコボルトのモンスターカードまで使うことはないと思います。
水防御をつけられればニードルウッド対策になります。皮のミトン
か革の鎧に融合してみるのがいいのではないでしょうか。成功した
ときに役立ちそうなのは革の鎧です。ただし、失敗したときには素
材に戻ってしまいます。いつ私に革の加工ができるようになるかは
分かりません。皮のミトンならば、失敗しても比較的早く作り直せ
るようになるでしょう﹂
セリーがまくしたてた。
やらされる方なので必死だ。
失敗することは、多分あまりないと思うが。
﹁じゃあ皮のミトンに融合してもらうか﹂
﹁が、がんばります﹂
俺が着けている革の鎧は買ったものじゃなくて全滅したパーティ
ーが残していった品だから、空きのスキルスロットはついていない。
防具屋で買った皮のミトンなら空きのスキルスロットがついてい
る。
売らなくてよかった。
ニードルウッドは水魔法を使ってくるから、水防御が有効だ。
クーラタル迷宮の八階層では役に立つだろう。
他の階層では分からないが。
最終的には、階層ごとに有効な装備が異なることになるのだろう
か。
982
それも大変だ。
﹁ちなみに、皮のミトンと革の鎧の両方に水防御のスキルをつけて
二つ装着すれば、効果は二倍になるか?﹂
﹁装備品の効果が重複するかどうかは昔からいろいろ議論されてい
ます。はっきりとは分かっていませんが、重複しないという意見の
方が多いようです。攻撃力上昇のスキルを複数の装備品につけても
攻撃力が上昇しないことは昔の偉い学者さんが確かめています。た
だし、他のスキルは重複すると主張する人もいます﹂
片手剣に攻撃力五倍をつけて二刀流、とかは無理なようだ。
まあそれで二十五倍になったら恐ろしい。
朝食の後、商人ギルドに赴いた。
入り口左側にある待合室に入る。
カウンターの向こうにいる職員に防具商人のルークを呼んでもら
った。
俺とロクサーヌはイスに座って待つことにする。
セリーは、置いてある冊子を懸命に読んでいた。
待っている間に、待合室の壁の色が黒く変わって誰かが出てくる。
他の利用客だ。
待合室の壁はフィールドウォークが使えるらしい。
今度からはここを使えばいいのか。
﹁お待ちしておりました。こちらへどうぞ﹂
ルークがやってきた。
983
案内されて会議室まで三人でついていく。
﹁連絡をもらった。人魚のモンスターカードが落札できたとか﹂
﹁はい。今回は競争相手がおらず、低い金額で落札できそうでした
ので。相場よりかなり安くなっております。よろしかったでしょう
か﹂
﹁大丈夫だ。これからも頼む﹂
﹁ありがとうございます。では、こちらになります﹂
ルークがアイテムボックスの呪文を唱え、カードを取り出した。
テーブルの上に置く。
モンスターカード 人魚
間違いない。
人魚のモンスターカードだ。
﹁確かに﹂
﹁えっと。落札者になりますので特別に商人ギルドのギルド神殿を
利用できます。利用料は十ナールです。支払いはご確認の後で結構
でございます。ご確認なさいますよね?﹂
モンスターカードを受け取った俺に対しルークがいぶかしげに尋
ねてきた。
﹁確認?﹂
﹁はい。モンスターカードが本物であることの確認です﹂
984
あっと。そうか。
俺は鑑定が使えるからこれが人魚のモンスターカードだと分かる
が、普通の人はそうではないのか。
モンスターカードを見てもただのカードでしかないし、ましてや
種類などは分からない。
それを確認させてくれるのだろう。
確認すべきだろうか。
ギルド神殿を見てみたいという好奇心はある。
しかし、どうせ鑑定が使えるのだ。
毎回チェックするのはめんどくさい。
どこかで確認をパスするのなら、最初こそパスすべきだろう。
最初は警戒もあるから、いきなり贋物を出してくることはないに
違いない。
﹁いや。今回はよしとしておこう。最初の取引から贋物をつかませ
るようなやつはいまい。それに、ルークのことは信用している﹂
りやく
恩着せがましく言ってみる。
ご利益があるとも限らないが。
ルークはありがたがってくれるのだろうか。
ルークがこちらの見込みどおりの人物ではない可能性もある。
何か悪さをしてくるかもしれない。
それならば、わざと隙を見せることも役に立つだろう。
他のところでインチキをされるより、贋物を用意された方がいい。
モンスターカードの贋物なら確実に見破れる。
ある種のおとり捜査だ。
985
ギルド神殿は、またいつか見せてもらえばいいだろう。
﹁さようでございますか﹂
ルークが無表情に告げる。
﹁落札価格は二千五百ナールだったな﹂
﹁はい﹂
﹁それと、次もまた安いモンスターカードが出たら頼みたい﹂
﹁かしこまりました。手数料として五百ナールを先払いしていただ
きます﹂
﹁⋮⋮﹂
しばらく待ったが、何の動きもなかった。
三千ナールのところ、特別サービスで二千百ナール、にはなった
りしないようだ。
合計いくらだ、と聞いてもいいが、そこまで露骨なのもどうか。
二千五百ナールは実際にルークが出品者に渡しているだろう。
俺が二千百ナールしか出さなかったら赤字になってしまう。
さすがにこの状況では三割引きは効かないらしい。
﹁仲買人を信用しすぎるのもどうかと思います﹂
待合室の壁からベイルの迷宮に飛ぶと、早速セリーが忠告してき
た。
さすがは仲買人に対していい印象を持っていないだけのことはあ
る。
986
﹁まあ最初だからな。いきなり贋物ということはないだろう。もし
あの仲買人が悪徳なら、二回三回と回を重ねていけばそのうち贋物
を押しつけようとしてくるに違いない。そのときを見計らって確認
してやればいい。後は慰謝料なり賠償金なりでがっぽりだ﹂
冗談だが。
﹁そんなにうまくタイミングが計れるものでしょうか﹂
﹁贋物を押しつけるときには、緊張して何がしかのサインが出るも
のだ﹂
﹁分かるのでしょうか﹂
﹁俺を誰だと思っている﹂
いや。冗談だよ?
﹁すばらしいお考えです。深謀遠慮を理解せず差し出がましいこと
を申し上げました。申し訳ありません﹂
セリーが頭を下げる。
冗談だからね。
﹁俺たちのことを思っての忠告だということは理解している。問題
ない﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁さすがはご主人様です﹂
冗談だっつの。
﹁商人ギルドの待合室で落札の値段を見ましたが、昨日二千五百で
間違いなく落札されています。人魚のモンスターカードの前回の落
987
札価格は三千三百でした。相場より安いというのも確かのようです。
あの仲買人は私の調べ程度ではなかなか尻尾をつかませません。そ
れを見越しての策略、見事です﹂
ホント冗談だから。
ドン引きしないおまえらに俺がドン引きだよ。
迷宮から帰ると、融合をしてもらう。
セリーを食卓のイスに座らせ、装備品とカードを渡した。
﹁じゃあ、皮のミトンとモンスターカードな﹂
﹁は、はい。⋮⋮あの、失敗したらごめんなさい﹂
緊張しているらしい。
﹁まあ別に失敗しても怒らないから。気楽にやれ﹂
﹁ご主人様がこうおっしゃっているのですから大丈夫ですよ、セリ
ー﹂
失敗したらベッドでお仕置きだ。
成功したらベッドでご褒美だ。
つまり何の問題もない。
意を決したセリーがスキル呪文を唱え、手元が光った。
防水の皮ミトン 腕装備
スキル 水防御
988
﹁おお。さすがだな。セリーは役に立つ。ありがとう﹂
﹁や、やりました﹂
成功だ。
スキルのついた装備品が、セリーの手に残っている。
これで二回連続成功した。
やはりスキルスロット理論は正しい。
空きのスキルスロットにモンスターカードが融合できると考えて
ほぼ間違いないだろう。
夕食後には、ミサンガを作ってもらう。
﹁ミサンガを作るのって朝夕一回ずつじゃないと駄目なのか﹂
できたミサンガを受け取りながら訊いた。
ミサンガの方はこれで七回連続空きのスキルスロットなしだ。
まあ、店に並べてある装備品で空きのスキルスロットがついてい
るものの割合を見ても、そんなに簡単でないことは分かる。
セリーの成功率が特別に悪いということではないだろう。
そろそろできてもいいころではないかとは思うのだが。
いつまでも待つわけにはいかない。
芋虫のモンスターカードが手に入ってからでは遅い。
モンスターカード融合は二回連続で成功した。
空きのスキルスロット理論はおそらく正しいだろう。
つまり、ミサンガに融合する芋虫のモンスターカードが手に入る
989
前に、空きのスキルスロットつきのミサンガを作ってもらわなけれ
ばならない。
簡単なのは、作る個数を増やすことだ。
﹁大ベテランになれば、ミサンガ程度なら何個でも作れてしまいま
す。だから駄目というわけではありません。ただし、鍛冶師になっ
てから半年から一年は朝夕一個の修行を繰り返すそうです。無理に
作ろうとすると、気持ち悪くなったりします﹂
﹁それって、作る前にできそうかどうか分からないか﹂
﹁経験を重ねていけば、分かるそうです﹂
MP残量だけが問題なら、ある程度感覚で分かるはずだ。
今のセリーは鍛冶師Lv14である。
MPの保有量はなりたての鍛冶師Lv1の比ではないだろう。
そもそも、昼にモンスターカード融合をしているのだから、すで
に朝夕一個ずつではない。
鍛冶師Lv1のときはモンスターカード融合が終わると苦しんで
いたが、昼間はなんともなかった。
﹁セリーは、分からない?﹂
﹁そうですね。できそうな気もしますが。でも、最低半年は朝夕一
個ずつが限界だと聞きました。できそうな気もしますが、グリーン
キャタピラーもそんなに狩っていませんし。でも、できそうな気も
しますが⋮⋮﹂
セリーが悩む。
最低でも半年は修行が必要だと知っているので、自分の感覚に自
信が持てないのだろう。
頭でっかちの悪い癖だ。
990
﹁できそうな気がするなら大丈夫だ。まあもう一個いってみろ﹂
アイテムボックスにミサンガを入れ、換わりに糸を取り出した。
セリーに渡す。
﹁えっと。そうですね。分かりました﹂
セリーは、少しためらっていたが、すぐにうなずいた。
両手の上に糸を掲げると、目を閉じてスキル呪文を唱える。
手元が光った。
ミサンガ アクセサリー
スキル 空き
﹁おお。やった﹂
できている。
作られたミサンガには空きのスキルスロットがついていた。
﹁できました。ありがとうございます﹂
俺のやったは違う意味だけどな。
ついに空きのスキルスロットがついたミサンガが完成した。
これで勝つる。
﹁やったじゃないか﹂
﹁あの。まだもう何個か作れそうな気がします。半年は修行が必要
991
だと聞いていたのですが﹂
やば。
﹁えっと。急にたくさん作るのもよくないかもしれん。今日のとこ
ろは二つにしておこう。モンスターカード融合もしたしな﹂
﹁そういえばモンスターカード融合もありました。初心者ではほと
んどすることはないそうですが。あれは修行とは別なのでしょうか﹂
セリーが首をかしげる。
どんどんド壷に。
﹁ま、まあ、できたのだから、悩むことはないだろう﹂
﹁はい。でも、半年は朝夕一つずつが限界だと教えてくれた人は、
私に嘘を教えたのでしょうか﹂
﹁どうだろうな。セリーがそれだけ優秀だということだろう﹂
セリーに教えてくれた人、すまん。
通常、半年で鍛冶師Lv14にまでなることはないだろうし。
﹁いえ。あの優秀ということは﹂
﹁大丈夫。セリーは優秀だ。このミサンガもあるしな﹂
足に巻いたミサンガを指差した。
﹁え? どういう⋮⋮﹂
﹁セリーには教えておいてもいいか。実のところ、俺にはその装備
品でモンスターカード融合ができるかどうか、ある程度分かる﹂
﹁えっと。そうなのですか?﹂
﹁多分間違いない﹂
992
モンスターカード融合を続けていけばいずれにしても分かること
だし、このくらいは明かしても問題ないだろう。
﹁でもどうしてそんなことが﹂
﹁何故分かるのかは俺にも分からない。昼に防水の皮ミトンを作っ
てもらったとき確信した﹂
﹁そうなのですか﹂
﹁最初に作ったミサンガで身代わりのミサンガを作れる鍛冶師は成
功するんだろう? このミサンガにスキルをつけるときを楽しみに
している﹂
当惑したような表情のセリーに向かって、俺は力強くうなずいて
見せた。
993
禁欲攻撃
色魔のスキル検証は、どのように行うか考えた結果、まずは使っ
てみることから始めた。
精力増強の効果を確かめるために、精力を浪費する作業にいそし
む。
最初に色魔なしでロクサーヌとセリーを相手に一回ずつ試した。
続いて色魔をつけて一回ずつ試す。
結果。
どちらも美味しくいただけました。
駄目じゃん。
いや。四回戦くらいではまだまだ余裕だったので、精力は増強さ
れているに違いないが。
つけたときとつけなかったときの違いは、よく分からない。
精力増強の効果が厳密にどんなものかも、よく分からない。
まだまだ余裕なので、限界も分からない。
これは検証に失敗したと考えるべきだろうか。
初日だからこんなものだろうか。
考えてみれば、色魔をつけなかった場合に限界まで行ったことも
なかった。
精力増強の効果を確認するなら、色魔をつけた場合とつけなかっ
た場合とで限界までチャレンジするのがいいだろうが、そこまでし
994
て検証したくない。
というか、限界までいったら俺が壊れる。
ロクサーヌとセリーも、二人で話すこともなく寝てしまった。
多少負担になったようだ。
その面からも、精力増強の効果を検証することは大変だろう。
朝はいつもどおりロクサーヌに抱きついた状態で目を覚ます。
色魔をつけたまま眠ったが、無駄弾は撃たなかったようだ。
安心してロクサーヌの上にのしかかった。
そのまま麗しの身体を組み伏せる。
欲望の対象となる柔らかな肉体を。
はっ。
いかんいかん。
何をやっているのだ。
鉄の理性を発揮して、思いとどまった。
スキル禁欲攻撃の確認もしなければならない。
もちろん、十日どころか二日や三日も禁欲できるとは考えていな
い。
しかし、半日ならばどうか。
一日ならばどうか。
夕方まで我慢できれば、二十時間くらいの禁欲にはなる。
二十時間の禁欲でどの程度の威力が出るか、一度試してみるべき
だろう。
最悪でも、朝まで禁欲した場合の威力を確認したい。
今暴発するわけにはいかない。
995
弾力のある柔らかなロクサーヌの身体から降りた。
ロクサーヌにはひっついたまま、回転する。
これを放すなんてとんでもない。
横に並ぶと、ロクサーヌからキスをしてきてくれた。
その口に吸いつく。
思いっきり吸いつく。
あらん限りの力で吸いつく。
まるで初めてのキスのように、吸いつく。
舌を入れ、絡ませあい、温かなしなやかさをむさぼった。
﹁ん⋮⋮んんっ﹂
ロクサーヌがうめくのが最高のご褒美だ。
力強く抱きしめる。
柔肌のなめらかさも味わい、弾力を楽しんだ。
俺の胸板とロクサーヌの間で、豊かなゴムまりが弾む。
このゴムまりに出会えてよかった。
ゴムまりに出会えてうれしい俺の体の一部がホットホット。
ホット、ホット。
い、いかん。
そうじゃない。
鋼鉄の理性を発揮して、思いとどまる。
スキルの検証だ。
996
この後で禁欲攻撃をしなければならない。
しかし、かろうじて思いとどまったものの、キスはしたままであ
る。
ロクサーヌの舌が動いて、なめらかな感触を与えてくれた。
優しく、柔軟で、とろけそうな味わいだ。
こ、このままでは鋼鉄の理性が溶けていく。
﹁お、おはよう﹂
﹁⋮⋮お、おはようございます、ご主人様﹂
なんとか離脱した。
最大理性を発揮して、肩で息をする。
ロクサーヌを放すにはオリハルコンの理性が必要のようだ。
胸部に押しつけられていた弾力豊かな圧力が離れていった。
ようやく一息入れようとした俺の首に後ろから手が回される。
しまった。まだセリーが。
か、紙の理性が。
﹁おはよう﹂
﹁お、おはようございます﹂
さすがオリハルコンだ。なんともないぜ。
肩で息をしながら、セリーを解放する。
セリーの方も息を切らしていた。
強く吸いすぎただろうか。
﹁二人とも悪いな。しばらく間が空いたので、昨夜からこっち、抑
えが利かなくなった﹂
997
﹁いえ。あの。私としてもうれしいですから﹂
﹁私もうれしいです﹂
うれしいことを言ってくれるから、飛びつきそうになったじゃな
いか。
理性を発揮して思いとどまる。
理性を発揮して起き上がった。
理性を発揮して服を着る。
理性を発揮して革の靴と革の鎧を装備した。
心を強く持て。
クーラタルの迷宮に移動し、アイテムボックスから出した防具を
配る。
﹁昨日作ってもらった防水の皮ミトンはセリーがつけろ﹂
﹁よろしいのですか?﹂
﹁現状ニードルウッドが魔法を連発してくることはないからな。俺
なら一、二発は問題なく耐えられる。ロクサーヌなら回避するだろ
うし。防水の皮ミトンはセリーが着けておくのが今はもっとも効果
がある﹂
﹁ありがとうございます﹂
ただし、錬金術師をつけていないので、メッキはなしだ。
その分をある程度相殺してくれるだろう。
あれもこれもというわけにはいかない。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv34 英雄Lv31 魔法使いLv33 僧侶Lv32
998
色魔Lv2
装備 ワンド 革の帽子 革の鎧 革のグローブ 革の靴 ミサンガ
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv21
装備 シミター 木の盾 革の帽子 皮のジャケット 革のグロー
ブ 革の靴
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv14
装備 棍棒 革の帽子 皮のジャケット 防水の皮ミトン 革の靴
ロクサーヌの先導で迷宮を進んだ。
迷宮は戦場だ。
気を抜いてはいけない。
前を行くロクサーヌのお尻が可愛い。
このお尻を後ろからパンパンと。
そのたびに尻尾が揺れて。
いや、違う。
ここは迷宮だ。
迷宮の中で気を緩めることはできない。
油断せず、周囲の状況に気を配る。
そんなセリーの顔も素敵だ。
なめ回したい。
迷宮では何が起こるか分からない。
注意をしっかり保つことが肝要である。
999
気をつけて注視すると、皮のジャケットを着けていてもやはりロ
クサーヌの胸は揺れている。
これはすごい。
ここは戦場だ。
気の休まるひまがない。
早く終えて家に帰りたい。
帰ったらベッドで。
違う。
迷宮だ。
戦場なのだ。
﹁きました﹂
ロクサーヌが告げた。
ロクサーヌは声も可愛い。
ベッドの中で出す声も可憐だ。
早く聞きたい。
今すぐ聞きたい。
何度でも聞きたい。
ええい。
邪魔者は死ね。
魔法五発で焼き払った。
﹁はい﹂
セリーからブランチを受け取る。
1000
拾ってくれるセリーも可愛い。
迷宮でなければ、この場で押し倒したい。
そう。ここは迷宮だ。
気を抜くことなど許されない。
常に気を張って、周囲の状況を確認する。
あ、またロクサーヌの胸が揺れた。
迷宮では緊張感を持たなければならない。
常在戦場の心意気だ。
ベッドでも、ロクサーヌとセリーの二人を相手に戦う覚悟である。
そう。ここは戦場だ。
男子高校生が暇な授業中に考えているようなエロい思考など入り
込む余地はない。
とはいえ、夕方までは長い。
そうだ。今日は風呂を入れよう。
我慢した分、お風呂でたっぷりと。
ロクサーヌにあんなことや、セリーにこんなことを。
早くしろ。間に合わなくなっても知らんぞ。
夕方まで長い。
長すぎる。
これからが本当の地獄だ。
﹁ふーっ﹂
水がめのお湯を風呂桶に入れて、一息ついた。
1001
なんか疲れた。
MPが減った感がある。
お湯もだいぶたまったので、あと一回迷宮に行けば大丈夫だろう。
長かった禁欲もここまでか。
次に迷宮へ入るのが、今日最後の迷宮行きとなるだろう。
だから次で禁欲攻撃を使う。
後はもう性欲を溜める必要はない。
迷宮ではそれなりに気も張っているし、動き回ることもあって、
禁欲は一概に必ずしもあながち無理というほど苦ではなかった。
色魔の精力増強といっても、たいしたことはないようだ。
戦場にいるという緊張感がそうさせたのだろう。
さすがに迷宮では色魔をつけていても性欲に惑わされることはな
い。
ほぼ通常運行だった。
ちらっと変なことを考えたりもしたが、ごくまれにだ。
まあいつもこんなものだっただろう。
﹁迷宮に行かれますか﹂
風呂場から出て一階に下りると、キッチンのロクサーヌが声をか
けてくる。
可愛い。
押し倒したい。
しかしここまで我慢して棒に振るわけにはいかない。
﹁頼む﹂
﹁私は火を見ていますね﹂
1002
料理の番をするセリーを置いて、ベイルの迷宮八階層に飛んだ。
ロクサーヌの案内にしたがって迷宮の中を進む。
﹁いました﹂
コラーゲンコーラル三匹にエスケープゴート一匹だ。
ちょうどいい。
今宵のデュランダルは血に飢えている。
﹁ロクサーヌは右のコラーゲンコーラル二匹を。エスケープゴート
は俺がやる﹂
デュランダルを振り上げ、駆け寄った。
エスケープゴートに狙いを定める。
通常、エスケープゴートLv8はデュランダル一発で逃げ始める。
つまり、この一撃で逃げ出さなかったら通常攻撃よりも弱い威力、
一撃で逃げ出したら通常攻撃と同等以上の威力だ。
ぎりぎりまで我慢したときの禁欲攻撃の威力を検証できる。
魔物が間合いに入った。
禁欲攻撃と念じ、デュランダルを振り下ろす。
力強い斬撃がエスケープゴートに叩きつけられた。
パワフルなスイングだ。
最初に禁欲攻撃を使ったときのひょろひょろとした振りとはわけ
が違う。
デュランダルを浴び、魔物が倒れた。
1003
一撃だ。
一撃ということは、普段デュランダルでエスケープゴートを処理
するときにラッシュを使っているのと変わらない。
一日近く禁欲したときの禁欲攻撃の威力は、通常攻撃の倍以上あ
るということだろう。
すぐに残った魔物の反撃が始まる。
コラーゲンコーラルが体当たりをしかけてきた。
ロクサーヌが一匹からの攻撃を木の盾でいなし、一匹を回避する。
デュランダルを振り下ろしたばかりの俺は体当たりを喰らってし
まった。
お返しとばかりにコラーゲンコーラルを斬りつける。
魔物の攻撃はやまない。
ロクサーヌが体当たりを回避しながらシミターを浴びせた。
俺もなんとか正面のコラーゲンコーラルの攻撃を避ける。
と、さっきはロクサーヌに向かっていた一匹が今度は俺に飛びか
かった。
横目で見えてはいたのだが、対応できずに喰らってしまう。
よろめいたところに、正面から一撃。
お返しにデュランダルを叩きつけた。
二発めを喰らった魔物が倒れる。
横を向いてコラーゲンコーラルに対峙した。
攻撃をかわし⋮⋮切れずに浴びてしまう。
よろめくのを踏みとどまって一撃。
もう一撃加えて、魔物を屠った。
1004
最後の一匹はロクサーヌが相手をしている。
ロクサーヌは体当たりをかわし、シミターを浴びせ、次の攻撃を
軽くいなした。
そのコラーゲンコーラルに横から斬りつける。
魔物が再度ロクサーヌに飛びかかった。
ロクサーヌが木の盾でいなす。
弾き返されて着地したところを、デュランダルで袈裟懸けにした。
コラーゲンコーラルが倒れ、煙となる。
﹁お疲れ様です﹂
﹁お疲れ。ロクサーヌは攻撃を受けてないな﹂
﹁はい。問題ありません﹂
コラーゲンコーラルごときの攻撃は問題外というところか。
俺は何発喰らったんだろう。
数えたくもない。
ただし、受けた傷はその都度デュランダルのHP吸収で回復して
いる。
いざとなれば八階層なら一人で走破することも可能だろう。
問題は、攻撃を浴びれば痛いということだな。
痛いのはやはり嫌だ。
できればやりたくない。
﹁じゃあ帰るか﹂
まあそのときはそのときだ。
1005
俺はワープで家に帰った。
禁欲攻撃を行ったせいか、気持ちが落ち着いている。
溜まりに溜まった衝動がなくなったからだろう。
すっきりと晴れ上がった気分だ。
さっきまでのもやもやが嘘のように何もない。
悟りを開いたかのように心が平静になっていた。
まさに平穏無事。
性欲に動じない不動心の境地に近いだろう。
今なら巫女のジョブも獲得できそうだ。
男だから巫女じゃないのか。
本当に得ていないかと思って、確認してしまった。
もちろん獲得してなどいなかったが。
夕食を取り、風呂に入っても、割と平静だ。
ロクサーヌの身体を隅々まで洗ったが平静だ。
今日一日分の思いを込めてゴムまりの弾力を味わったが、平静だ。
セリーの身体も細部に至るまで漏らすことなく洗ったが、平静だ。
一緒のお湯につかっても抱きつくくらいですんだ。
完全に平静といっていいだろう。
いや、抱きついてキスしてほおずりしてなで回すくらいのことは
したが、平静といっていいだろう。
ロクサーヌとセリーを両側にはべらせ、同時に抱きかかえたり交
互に胸の弾力を楽しんだりかわりばんこにキスしたりしたが、平静
といっていいだろう。
1006
その後、ベッドに入っても二回ずつしか堪能しなかったのだから、
十分に平静といっていい。
一日色魔をつけっぱなしだったのに昨夜と同じ回数ですんだのだ。
落ち着いているというべきだろう。
これが禁欲攻撃というものか。
ラッシュより威力があるかどうかは確認してみなければならない
が、それなりには使える。
もちろん、十日も禁欲すればえらいことになる。
デュランダルを使えば、八階層レベルならボスを一撃できるに違
いない。
しかし十日はきつい。
二日でもきつい。
多分、夜を越えることはできないだろう。
ロクサーヌやセリーと一緒に寝る以上は。
1007
毒針
八階層を走破して、九階層に移動した。
ベイルの迷宮八階層のボスは、すでに戦ったことのある相手だし、
たいした問題ではない。
メッキで防御を固めつつデュランダルで叩き斬り、楽勝だ。
ベイルの迷宮九階層の魔物はスローラビットらしい。
セリーがクーラタルの探索者ギルドで調べてきた。
スローラビットなら、クーラタル八階層でも戦っているし、動き
も遅い。
何の問題もない。
こっちも楽勝だ。
﹁そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました﹂
ファイヤーボール六発でスローラビットLv9を沈めた後、つぶ
やく。
六発か。
Lv9からは、魔物を倒すのに魔法六発が必要になるようだ。
階層が上がるごとに、やはり敵も確実に強くなっていく。
﹁魔法を使う回数は一つ増えましたが、そう大きな違いはないでし
ょう。数回で倒せるなんてさすがご主人様です﹂
﹁その分、魔物と打ち合う時間が長くなるが﹂
﹁回避すれば何の問題もありません﹂
1008
倒すのに必要な魔法の回数が増えれば、戦闘時間が延びる。 戦闘が延び、魔物と近接している時間が長くなる。
当然、攻撃を浴びることも増えるだろう。
約一名を除いて。
俺が前に出るのはデュランダルを持っているときだから問題はな
い。
攻撃を喰らってもHP吸収ですぐに回復できる。
問題は、セリーの方だ。
﹁九階層は大変じゃないか?﹂
しばらく戦闘をこなしてから、セリーに確認した。
セリーは何度か魔物の攻撃を喰らっている。
被弾の増加はやはり避けられない。
﹁いえ、大丈夫です。八階層より特にきつくなった感じはありませ
ん﹂
﹁魔物の攻撃を受けることが増えてないか﹂
﹁すぐに手当てをしてもらっていますし、問題ありません。えっと。
やはりご迷惑でしたでしょうか。がんばってロクサーヌさんのよう
に回避できるようになりたいと思います﹂
﹁いやいや。手当てをするのは別に面倒じゃない。セリーがきつく
なければ、大丈夫だ﹂
あわてて否定した。
セリーは気丈にもがんばってくれるようだ。
まあセリーがいいというのなら大丈夫だろう。
九階層もなんとかなりそうか。
1009
翌朝、クーラタルの迷宮でも九階層に移動する。
ボス戦は例によってデュランダルでぼこった。
﹁クーラタルの迷宮九階層の魔物はニートアントです。毒を使った
攻撃をしてくるのが大きな特徴です。水魔法がニートアントの弱点
になります﹂
八階層のボス部屋から九階層に飛ぶと、セリーが説明してくる。
毒か。
クーラタルの迷宮九階層は一筋縄ではいかないようだ。
﹁ありがとう。水魔法を使えばいいんだな﹂
﹁はい﹂
﹁分かった。しかし毒を使ってくる魔物は初めてだな﹂
﹁えっと。スパイスパイダーも、低確率ですが攻撃されると毒を受
けることがあります。それと、グリーンキャタピラーのボスのホワ
イトキャタピラーは毒を浴びせるスキル攻撃を仕掛けてきます。糸
で動きにくくした後に毒攻撃をしてくるのが定番です。強力な連携
技で、これにやられる人も多いと聞きます﹂
あれ。そうだったのか。
確かに毒消し丸は必需品だと聞いた。
それだけ毒攻撃をしてくる魔物が多いということだろう。
毒を使ってくる魔物がいないと思っていたが、運がよかっただけ
か。
スパイスパイダーは、大体のところロクサーヌが相手をしている。
つまり攻撃はほとんど当たっていない。
1010
ホワイトキャタピラーのスキル攻撃は全部キャンセルした。
﹁気づかなかったな﹂
﹁低階層で毒を使ってくる魔物の代表格はなんといってもニートア
ントです。ニートアントの恐ろしいところは、通常攻撃でも毒を受
けることがあるし、こちらに確実に毒を与えるスキル攻撃もしてく
るところです﹂
二段構えということか。
そして、スキル攻撃は上の階層であればあるほど使ってくる。
﹁毒を喰らうとどうなるんだ﹂
﹁どんどんと衰弱していき、放っておけば最後には死にます﹂
﹁毒消し丸で治せるよな﹂
﹁はい﹂
﹁後遺症とかはないか﹂
﹁毒そのものは薬で消せます。ただし、ダメージは受けたままです。
必要なら傷薬を使うか手当てをするのがいいでしょう﹂
予後は良好のようだ。
﹁分かった。毒消し丸はアイテムボックスにあるから、二人とも毒
を受けたらすぐ取りに来い﹂
﹁はい、ご主人様﹂
﹁かしこまりました﹂
リュックサックに入れるよりアイテムボックスから取った方が早
いだろう。
アイテムボックスはセリーにもあるが、詠唱が必要だ。
俺なら詠唱なしですぐに取り出せる。
1011
俺が動けなくなった場合のことも想定はしておくべきか。
ボス戦でもなければ今のところそこまでの心配はいらないだろう
が。
﹁セリーにも毒消し丸をいくつか渡しておく。万が一の時にはそれ
を使え﹂
セリーにアイテムボックスを開けさせ、毒消し丸を渡した。
探索者Lv10でなれる鍛冶師のアイテムボックス容量は、やは
り十種類×十個のようだ。
毒消し丸十個を入れさせる。
ロクサーヌの案内で進み、ニートアントに対面した。
でかいアリだ。
形そのものは、普通のアリである。
ただしでかい。
異様なほどでかい。
遠くで見てもでかい。
見方によってはちょっと気持ち悪い。
いや、気味が悪いというよりかは、おどろおどろしい。
うん。
でかいカブトムシだと思えば、そう気持ち悪いわけではない。
あれはカブトムシの仲間だ、カブトムシ。
黒光りするからといって、決してGを思い浮かべてはいけない。
うわっ。
1012
思い浮かべてしまった。
脚のギザギザの辺りが、似ていなくもない。
違う。
アリだ。
ただのアリだ。
Gではない。
ウォーターボールと念じた。
水の球が頭上にでき、洞窟内を進んでいく。
ニートアントは、Gのようにそそくさと移動したり、飛んだりす
ることはなかった。
ウォーターボールが命中して弾ける。
よかった。
やはりGではない。
ゴキブリなら絶対に今の水球を回避していただろう。
二発めのウォーターボールを撃ち込む。
動き自体は他の魔物と変わらないようだ。
やはりアリだ。
働きアリじゃなくてニートアントだけどな。
働いたら負けかなと思ってそうだ。
近くで見ると全長一メートルくらいはあるだろうか。
これだけでかいとやはりちょっと気持ち悪い。
続いて三発め。
働けよ。
1013
まあ魔物が働くとろくなことにはならないだろうが。
ウォーターボールを正面から喰らい、ニートアントが倒れた。
三発か。
水魔法は弱点なので、威力が倍になるようだ。
Lv9だから、通常なら六発かかるところなのだろう。
三発なので、こちらと接触する前に倒せた。
毒針
緑の煙が消えると、なにやら恐ろしい名称のものが残る。
まがまがしい。
セリーが無造作に拾い上げて持ってきた。
大丈夫なのか?
﹁はい﹂
﹁えーっと。手で持っても問題ないのか﹂
﹁人間や動物相手には食べさせないと毒にならないそうです﹂
手で触れても大丈夫のようだ。
思い切って、受け取った。
黒くて円錐形をした五センチくらいのアイテムだ。
先っぽのところが毒針になっているかとも思ったが、そうでもな
いらしい。
﹁経口摂取しないと駄目なのか。蛇の逆だな﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁そうだ﹂
1014
蛇の毒はタンパク質でできているから、食べると消化されると聞
いた。
蛇が毒を使うのは獲物を狩るためだ。
獲物を毒で倒した後、今度は毒に汚染された獲物を自分が食べる
ことになる。
自分の出した毒で自分がやられてしまったのでは目も当てられな
い。
﹁そうなのですか。そんなことを知っているなんて、すごいです﹂
﹁さすがご主人様です﹂
無駄な現代知識で尊敬を買ってしまった。
毒針も知らないことで評価を下げたからな。
それを相殺する。
セリーは口にも目にも出さなかったが、毒針も知らない田舎者だ
と少しは思ったことだろう。
この世界の蛇は地球とは違う可能性もあるが。
この世界の蛇が獲物を狩るために毒を使うのなら、地球と同じ理
由で食べても大丈夫だろう。
捕食者である蛇が身を守るために毒を持つなんてことはそうはあ
るまい。
﹁毒針は魔物相手には有効です。投げつけたりすることで、うまく
当たれば毒状態にできます。実力の拮抗したボスとの戦闘では、最
初に毒針を使うことが基本戦略になります﹂
﹁ボスも毒を受けるのか﹂
﹁六人パーティー全員で二、三個も投げれば、毒を与えることがで
きます﹂
1015
﹁確率低っ﹂
六人で二、三個なら、全部で十二個から十八個だ。
確実に毒を与えるには結構な数が必要になるらしい。
一個や二個ではあまり毒にならないということだろう。
﹁その他に特殊な使い方もします。迷宮の外に出ている魔物には、
こちらから攻撃しない限り積極的には人を襲ってこないものも多く
います。この毒針は毒にする以外は何の効果もないアイテムなので、
その魔物に投げつけても攻撃とは認識されません。毒状態になると
攻撃したと判断されますが、毒にしてから倒すことで、短時間で倒
すことができます﹂
そんな裏技があるのか。
いろいろたくましいというべきか。
﹁あ。私も子どものころ、それで遊んだことがあります﹂
ロクサーヌが声を上げた。
ロクサーヌはやったことがあるらしい。
﹁ロクサーヌがか﹂
﹁えっと。結構元手がかかるのでは。私は貴族やなんかの子弟がす
るものだと聞きましたが﹂
なるほど。
毒針もただではない。
コボルトソルトだって買い取ってくれるのだから、毒針もそれな
りの値段はするだろう。
それを何個も魔物に投げるのはもったいない。
1016
﹁近くにニートアントの湧く場所があったので、毒針はそこで集め
ました。どうせ毒針を持って帰っても危ないことをするなと怒られ
るだけなので、今度は森の奥に行き、強い魔物相手に毒針を使いま
す﹂
やり方としては、理にかなっているような。
確かにやり方としては。
﹁ニートアントは、普通に狩るんだよな﹂
﹁そうです﹂
﹁でもばれたら危険だと怒られると﹂
﹁非力な子どもなので、倒すのに数時間はかかりますから﹂
何か非常識な言葉が聞こえたような気がしたが、空耳に違いない。
それとも、この世界の数時間は地球時間では数秒だったか。
﹁えっと。ニートアントは毒にするスキル攻撃もしてくるので、非
常に危険だと思いますが﹂
﹁攻撃をかわしてしまえば問題はありません﹂
﹁数時間も戦うのにですか﹂
﹁はい﹂
セリーよ。そこは突っ込んではいけないところだ。
﹁それで、倒して得た毒針を他の魔物に使うと﹂
﹁はい﹂
﹁その魔物は普通に狩るだけじゃ駄目なのか?﹂
﹁もちろん、私ではとても手が出せないような強い魔物を狙います。
こちらの攻撃ではびくともしません。住んでいたところの近くでは、
1017
ノンレムゴーレムが比較的安全に近づけて強い魔物でした﹂
普通に狩れるニートアントを倒して得た毒針を使って、普通では
狩れないノンレムゴーレムを狙うということか。
確かに理にはかなっている。
﹁ノ、ノンレムゴーレムは迷宮の外でも人を襲う魔物のはずですが﹂
﹁はい、そうですね﹂
﹁気づかれたら危ないんじゃないですか﹂
﹁どうせ毒状態にすれば、魔物も攻撃されたと認識します。だから
一緒のことです﹂
違うよ、全然違うよ。
ノンアクティブの魔物に毒を盛るのと、とても手が出せないよう
なアクティブの魔物に毒を盛るのとでは、難易度が段違いだ。
﹁ノンレムゴーレムがいるような場所だと、他の魔物に見つかりま
せんか﹂
﹁他の魔物の位置はにおいで分かるので、そこは巧く潜り込んで﹂
﹁近づくのはいいとして、そんな簡単に毒にはならないのではない
ですか﹂
﹁毒針を二十個も投げつければ、ほぼ確実に毒状態にできます﹂
セリーが問い詰めるが、ロクサーヌは淡々と答えていく。
﹁二十個も投げると、その間に見つかって襲われるのではないです
か﹂
﹁どうせ最初の一投で見つかりますよ。後は攻撃を回避しながら投
げます﹂
﹁ど、毒にするのはいいとして、その後はどうするのですか﹂
1018
﹁倒れるまで攻撃をかわし続けます﹂
﹁か、かわすだけですか﹂
﹁私の攻撃などはまったく効きません。それだけの相手です。一撃
でも攻撃をもらったら確実に殺されます。多分かすったくらいで死
にます。下手をしたら攻撃時の風圧で死にます。だから必死にかわ
します。毒状態にしているおかげでニートアントと戦うよりは短い
時間で終わるから、安心ですね﹂
全然安心じゃねえ。
ロクサーヌ、あんたなんちゅう遊びを。
これがロクサーヌの秘訣か。
子どものころから、こんな遊びをして鍛えまくっていたのか。
いや。元々回避力があったからこそこんな遊びができたのか。
こんな遊びをしたから回避力が上がったのか、回避力があったか
らこんな遊びができたのか。
鶏が先か、卵が先か。それが問題だ。
とはいえ、ロクサーヌのレベルはそれほど高くはなかった。
地表にいる魔物はLv1だろうから、得られる経験値が少ないの
か。
あるいは、毒を使って倒しても経験値は得られないのか。
他にも聞いておかねばならないことがある。
﹁その遊びは、他の子どももやっているのか﹂
﹁他の子を誘う前に、すごく怒られて禁止されてしまいました﹂
やるわけないじゃないですか、やだー。
1019
よかった。
さすがにロクサーヌレベルの子どもがごろごろいるわけではない
ようだ。
セリーの肩が震えている。
涙目になっていた。
うん。
気持ちは分かる。
俺は小刻みに動いていたセリーの肩に手をかけ、一声かける。
はっきりと言ってやらねばなるまい。
﹁諦めろ﹂
それが優しさというものだろう。
1020
順次
ニートアントを倒すのにウォーターストームを三発放った後、ニ
ードルウッドLv9はファイヤーボール四発で沈んだ。
火魔法だけなら六発かかるはずだから、水魔法三発で火魔法二発
分。
Lv8までは魔法五発でよかったことを考えると、おそらくウォ
ーターストーム三発で火魔法一.五発分くらいのダメージを与えて
いるのだろう。
水魔法はダメージが半分ということか。
クーラタルの迷宮九階層は、出てくる魔物の半分くらいが九階層
の魔物ニートアントで、八階層の魔物ニードルウッドもアリの次に
よく出てくる。
ニートアントは水魔法が弱点で、ニードルウッドは水魔法に耐性
がある。
なかなかうまくいかないらしい。
とはいえ、ニートアントの方が九階層の魔物でよかった。
逆だったら大変だ。
ニードルウッド三匹とニートアント一匹が出てきたら、ウォータ
ーストーム三発でニートアントを屠っても、まだニードルウッドが
三匹残ることになる。
クーラタルの迷宮九階層では、ニートアントがたくさん出てくる
ことの方が多いだろう。
ニートアントは、毒攻撃をしてくるらしいので先に倒すべきだ。
1021
水魔法を使えば三発で倒せるので、攻撃を受ける前に倒せている。
現状では、ニートアントの毒を受けることはあまりないだろう。
ニードルウッドの方は、レベルが上がっているし戦闘時間も延び
ているから魔法を使ってくる回数が増えてもおかしくないが、戦う
絶対数が八階層よりも減っているので、そうそう撃ってはこない。
クーラタルの迷宮九階層でもちゃんと戦えるようだ。
迷宮から帰って、朝食を作る。
今日の朝食は、焼きそばならぬ焼きマカロニだ。
兎の肉と野菜をオリーブオイルで炒め、ゆでたショートパスタを
入れた後、ワインをかけて焼き、火が通ったら魚醤で味をつける。
先日夕食の一品として試しており、味も問題ないことは確かめて
いた。
この世界にはフォークがないらしい。
ロクサーヌもセリーもナイフと木の匙を器用に使う。
俺は自作の菜箸があるからいいとして、焼きそばを作ったらロク
サーヌとセリーはどうするのかということだ。
ちなみに、スパゲティのような長いパスタもある。
こちらの人はそれをどうやって食べるのかというと、素手でつか
み取りだ。
肉や野菜をナイフでぶっさすくらいはいい。
しかし、さすがに焼きそばを素手で食べることは、ロクサーヌや
セリーにはやってほしくない。
だからショートパスタを使う。
ショートパスタならスプーンですくえる。
1022
俺が朝食を作っている間、ロクサーヌは洗濯、セリーは掃除をし
ている。
洗濯機も掃除機もないから、負担は大きい。
朝食くらいは俺が作らないとばちが当たる。
焼きマカロニを食卓に持っていった。
甘辛い焼けた魚醤の香りが食欲を誘う。
二人ともすでにいた。
﹁待たせたか?﹂
﹁いいえ。大丈夫です﹂
セリーがイスに座り、ロクサーヌが後ろから髪をといている。
この前の休日に買ってきたブラシだ。
しかし何かが足りないような。
ロクサーヌがブラシを置き、俺の対面のイスに座った。
﹁ロクサーヌさん、ありがとうございました﹂
﹁じゃあ食うか﹂
﹁はい、いただきます﹂
違和感についてはおいておき、焼きマカロニの盛られた皿を配る。
焼きマカロニは、味の方は十分だが、こちらも何か物足りない気
がした。
麺じゃなくてマカロニだからだろうか。
いや、青ノリがないからか。
さすがに青ノリと紅ショウガまでは調達できなかった。
1023
まあそれくらいはしょうがない。
ロクサーヌもセリーも美味しそうにほおばっている。
地球基準で考えることはせず、これで満足すべきだろう。
物足りなさについて考えていて、さっき足りないと感じていたも
のの正体も分かった。
鏡だ。
ロクサーヌもセリーも鏡を見ずに髪をといていた。
俺はどうせ鏡なんか見ないが、必要は必要だろう。
俺がこの世界に来てから一ヶ月くらい経過している。
最近は髪の毛も伸びてちょっとうっとうしくなってきた。
いずれロクサーヌにでも頼んで切ってもらうことになるだろう。
鏡もないよりはあった方がいい。
﹁やっぱり鏡って必要か?﹂
マカロニを咀嚼しながら訊いてみる。
﹁あるに越したことはありませんが、どうしてもというほどでは﹂
﹁あんまり映りがよくないんだよなあ﹂
この世界の鏡は、分厚い金属の表面を磨いただけのものだ。
くっきりはっきりと映るものではない。
雑貨屋に置いてあるのを見たが、高い割には質がよくなかった。
﹁鏡の映りはどれも同じだと思いますが。ひょっとしてペルマスク
の鏡を持っておられたのでしょうか?﹂
﹁ペルマスク?﹂
﹁帝国とカッシームとの間にある都市です。ロクサーヌさんから、
1024
カッシームより遠くの出身だと聞きましたので﹂
うん。
なんかそんなような会話をロクサーヌとした気がしないでもない。
正確に何と発言したかは覚えていないが、似たようなことは言っ
た。
カッシームから来たのなら、間にあるというペルマスクについて
知っていてもおかしくはないだろう。
﹁な、なにしろカッシームより遠いからな。カッシームのことも知
らない﹂
などとごまかす。
これでいいのだろうか。
いい加減なことばかり言っていると詰む可能性があるな。
﹁そうですか。ペルマスクはガラス製品を作ることで有名な都市で
す。ガラスを使った鏡は大変に映りがよいそうです。貴族や大金持
ちの間でも贈答品としてやり取りされるほどの高級品です﹂
この世界にもガラスを使った鏡がちゃんとあるらしい。
結構進んでいる。
帝都に行けばあるだろうか。
﹁高そうだな。まあいつか探してみるか﹂
﹁ペルマスクは遠いので、高くなってしまうのはしょうがありませ
ん﹂
﹁ご主人様なら、直接ペルマスクへ行けばいいのではないですか﹂
ロクサーヌが指摘した。
1025
確かにペルマスクに行って直接買い付けるという手もあるか。
現地で買えば少しは安いだろう。
﹁ペルマスクがあるのは直接飛べるような近い場所ではないそうで
す。だからこそ高いのです﹂
﹁なるほど。確かにそうか﹂
冒険者が気軽に飛べるような距離にあるなら、特産品が高くなる
ことはないだろう。
大きなものはともかく、手鏡やスタンドミラーくらいならフィー
ルドウォークで運べる。
簡単に行ける場所にあるなら誰だって安いところで買うし、もっ
と差額があるのなら転売して儲ければいい。
ペルマスクが遠くにあるから鏡が高いということは、ペルマスク
は気軽には行けないような距離にあるということだ。
フィールドウォークは遠くの場所へ行くほど大変らしい。
﹁ご主人様なら行けるのではないですか﹂
ロクサーヌの中で俺はどんだけすごいことになってるんだ、と思
ったが、違った。
俺はペルマスクの向こうのカッシームよりもさらに遠いところか
ら来たことになっているのだ。
ペルマスクくらいならひとっ飛びだろう。
そうじゃなきゃおかしい。
いい加減なことを言うんじゃなかった。
﹁ど、どうだろうな﹂
1026
﹁何日かに分ければ行けるでしょうが、直接飛べるとは限らないの
では﹂
そう。セリーのいうとおり、何日かに分ければいい。
別にカッシームの向こうから一日で来たというわけではない。
大陸がつながっているなら、徒歩でだってカッシームからここま
で来れる。
何年かかったとしても。
﹁まあ試してみる価値はあるか﹂
﹁帝都の向こう側にドホナという都市があります。ご存知ですか﹂
﹁行ったことはないな﹂
﹁ドホナの向こうにドブロー、ドブローの向こうにサボージャ、そ
の向こうにアイエナ、アイエナの向こうに⋮⋮﹂
セリーがいくつもの地名を挙げる。
もちろん俺が知っているはずもない。
カッシームからここまで順々に来たのなら、どれか知っていなけ
ればおかしいはずだ。
悪かったな。
やっぱりカッシームからここまでひとっ飛びで来たのだ。
飛び飛びで来たのではない。
﹁どれも知らないな﹂
﹁そうですか。多分別ルートでいらしたのでしょう﹂
そう、別ルート。
何も道が一つだけとは限らない。
1027
﹁そうなんだろうな﹂
﹁ペルマスクにはどこの冒険者ギルドからでも一気には行けないと
思います。今挙げた都市を小刻みにつないでいくことになるでしょ
う﹂
少しずつ行ってみるとしよう。
朝食を食べてから、セリーにミサンガを作らせた。
ミサンガを作る個数は少しずつ増やしている。
ミサンガ アクセサリー
スキル 空き
全部で三個めとなる空きのスキルスロットつきミサンガが完成し
た。
ミサンガは当面このくらいでいいだろうか。
三つあれば三人分の身代わりのミサンガができる。
壊れて必要になったら、また作ってもらえばいい。
﹁ミサンガの次に鍛冶師が作る装備品は何だ?﹂
﹁ミサンガで修行を積んだら、次はダガーです﹂
﹁ダガーか﹂
短剣とはいえ剣を作るとなれば、いよいよ鍛冶師という感じがす
るな。
1028
﹁えっと。最低半年から一年、人によっては二年以上もミサンガを
作る修行をするそうですが﹂
﹁ミサンガを作る修行は朝夕一個ずつだろう﹂
﹁は、はい﹂
﹁セリーはもう何個も作れるのだから、次の装備品にいってもおか
しくない﹂
﹁⋮⋮そ、そうですね﹂
鍛冶師の修行として聞かされたことの感覚がまだ抜けないようだ。
﹁大丈夫。できなければできなかったときだ﹂
﹁ダガーを作るときにはブランチを使います。ブランチは、できて
もできなくてもなくなってしまうそうです﹂
なるほど。
失敗したときのデメリットがあるらしい。
﹁失敗したとき、他に不都合があるか?﹂
﹁他にはありません﹂
﹁ブランチ程度なら全然問題ない。大丈夫だ﹂
﹁わ、分かりました。ダガーを作る素材としては、コボルトが残す
ジャックナイフが二本、ブランチと皮が一つずつ必要です﹂
結構複雑だ。
大丈夫なんだろうか。
いや、大丈夫かとは聞けないが。
俺が大丈夫だと言ったくせに。
﹁なんかいきなり増えるんだな﹂
﹁複数の素材を使うのは、そんなに難しいことではないらしいです。
1029
もっといろいろな素材が必要な装備品もあります﹂
﹁そういうものなのか。ジャックナイフが二本と、ブランチはいい
として、皮は何だ?﹂
ジャックナイフを素材として使うらしい。
完成品をさらに進化させる感じなんだろうか。
あんまり鍛冶師らしくはない。
銅貨の原料にもなるジャックナイフは金属だから、ブランチは必
要なのだろう。
金属加工にはブランチが必要だ。
残るのは皮だが。
﹁皮で鞘を作ります﹂
﹁便利だな﹂
装備品を作るとき、鞘まで一緒に作ってくれるらしい。
剣を打って鞘を別に用意してとなると、確かに大変だ。
そういう心配はいらないようだ。
午後の探索で、コボルトの出るベイルの三階層にも寄って狩を行
う。
コボルトはジャックナイフだけを落とすのではないから、めんど
くさい。
十匹も狩ってしまった。
最後は二匹のコボルトを倒したら二匹ともジャックナイフを残し
たし。
1030
ギルドで買うべきか。
いや。別にダガーが必要なわけではない。
ダガーを作るのは一回だけにして、さっさと次の装備品に移って
もらうか。
次の装備品を作るのに必要なのが鍛冶師のレベルなのかMP保有
量なのかは知らないが、できなくはないはずだ。
ひょっとしたら実際に作った経験が必要なのかもしれないが。
まあなんとかなるだろう。
﹁それでは作ります﹂
夕食前、ジャックナイフ二本とブランチ、皮をセリーに渡した。
セリーがスキル呪文を唱える。
手元が光った。
結構長く光っている。
光っているせいで、何をやっているのかはさっぱり分からない。
手が動いているのは、卓上に置いた素材を取り込んでいるのか。
これはもう明らかに難易度が上がっている感じがする。
ダガー 片手剣
やがて光が薄れると、一本の剣が残った。
皮の鞘に収まった一品だ。
﹁おお。成功だ﹂
﹁やりました﹂
1031
セリーの方も大丈夫そうか。
﹁気分の方は問題ないか﹂
﹁はい。まだ大丈夫です。もう一つ作れそうです﹂
﹁まあ無理をすることない。さすがにミサンガよりは疲れただろう﹂
﹁そうですね。そんなような気もします。ダガーを作るのはミサン
ガよりもかなり疲れると聞きました。むしろその次に作る装備品で
ある皮装備の方が疲れないそうです。その割にはそれほど疲れた感
じはしませんが。どうなっているのでしょう。ダガーを作るのは疲
れるし、朝夕一個ずつミサンガを作る修行が長い間必要だと私に教
えてくれた人は、やはり嘘をついていたのでしょうか﹂
セリーの中で鍛冶師について教えてくれた人に対する不信感が高
まっているようだ。
なんかまずい方向だろうか。
レベルに加えて、俺の英雄の効果であるMP中上昇もある。
多少の齟齬が出るのは仕方がない。
﹁まあ個人差もあるだろうし、嘘とまではいえないんじゃないか。
それだけセリーが優秀ということだろう﹂
﹁ありがとうございます。そうですね。ダガーは作るのが大変なの
で、量産が難しく、売値が高いと聞きました。実際そのとおりにな
っているはずです。それを考えると、嘘とまではいえないのでしょ
う。不思議な話ですが﹂
﹁売値が高いのか。じゃあダガーはこれからたくさん作ってもらお
うかな﹂
話をそらす。
1032
あまり突き詰めて考えない方がいいことも世の中にはある。
﹁はい。がんばって作ります﹂
﹁ダガーの次は皮装備なのか﹂
﹁皮のミトン、皮の帽子、皮の靴ですね。どれも皮一つでできる装
備品です﹂
なるほど。
皮一つで作るなら、難易度は変わらないということか。
﹁皮ならいっぱいあるから、次はそれを作ってもらうことにするか﹂
﹁はい。ブランチを使わないなら、失敗しても大丈夫なはずです﹂ 失敗したときのデメリットがないせいか、セリーが元気よく応え
た。
1033
合理的
翌朝、俺はベイルの冒険者ギルドに向かった。
ロクサーヌは洗濯、セリーは朝食を作っている。
ペルマスクは、クーラタルから見て帝都の向こう側にあるという
ことだから、帝都より東、帝都の東にあるベイルよりもさらに向こ
うにあるのだろう。
とりあえずベイルから東に飛んでみたい。
東に行けば時間が早まるから、朝がいい。
セリーに書いてもらった帝都からペルマスクに至る都市名のメモ
を冒険者ギルドの壁の張り紙と見比べる。
冒険者ギルドには、駐留する冒険者がいて、他の場所に飛ばして
くれる。
値段は基本的に一人銀貨二枚だ。
だから、字の読めるロクサーヌやセリーは連れてこず、俺一人で
ある。
冒険者ギルドからどこの都市に飛べるかは、張り紙に書いて貼っ
てある。
特別に頼んだり他の冒険者に依頼することもできるらしいが、特
別に頼めば高くなる。
ペルマスクは遠いらしいので、無理かもしれないし、注目を集め
てしまうかもしれない。
どうしても急ぐというわけではないのだから、地道に進めばいい
だろう。
1034
張り紙を見ると、ドホナという都市があった。
昨日聞いたような気がする都市だ。
﹁ドホナまで頼めるか﹂
ベイルの冒険者ギルドにいる女性の冒険者に話しかける。
次にドホナの冒険者ギルドで張り紙を見た。
ここが本当にドホナの冒険者ギルドかどうかは来たことがないの
で分からないが、ギルドに駐留する冒険者が変な場所に連れてくる
ことはないだろうから、ドホナの冒険者ギルドだろう。
セリーによればドホナの次はドブローだが、その名前はない。
メモに書いてある他の都市名もなかった。
﹁ドブローに行きたいのだが、ここはドホナの冒険者ギルドだよな﹂
駐留するおっさんの冒険者に訊く。
﹁そうだ。しかしドブローは遠い﹂
﹁遠いのか﹂
﹁銀貨二枚で行ける距離ではないな。俺は行ったことがあるから連
れて行ってはやれるが。銀貨八枚でどうだ﹂
どうやら、張り紙に書いてあるのは近場の都市だけらしい。
それ以外は応相談ということか。
銀貨八枚だと、四回乗り継ぐ値段になる。
﹁八枚か﹂
1035
﹁銀貨二枚だとドブローに一番近くまで行けるのはシュポワールの
町だな。だがシュポワールに行っても、次にドブローまで飛べるか
どうかは分からんぞ﹂
いうことはもっともだ。
もっともではある。
しかし、なんか足元を見られているような。
この世界では普通の商行為なんだろうか。
﹁もしシュポワールからドブローに飛べれば、銀貨四枚ですむ﹂
﹁それもそうだな。では六枚でどうだ﹂
﹁むむむ﹂
確かに、フィールドウォークの消費MPが距離に応じて変わるの
なら、遠い場所に簡単に連れて行くわけにはいかないだろう。
MPを使い切ってしまえば疲労回復薬が必要になるかもしれない。
割増料金というのも分からなくはないのか。
﹁しょうがねえな。では銀貨五枚で連れて行ってやろう。これ以上
は安くできんぞ﹂
悩んでいると、おっさんはどんどん値段を下げてきた。
シュポワールからドブローに行けない可能性もある。
銀貨五枚ならしょうがないか。
﹁では、銀貨五枚でドブローまで頼む﹂
﹁まいど﹂
おっさんが笑った。
イケメンならともかく、おっさんが笑っても不気味なだけだ。
1036
くそっ。
最初から銀貨五枚で飛ばしやがれ。
やはり納得いかん。
ドブローの冒険者ギルドに着くと、おっさんは﹁ドホナの町まで
片道銀貨三枚だ﹂と言って客を呼んでから、帰っていった。
誰も名乗り出なかったが。
単にがめついだけか。
ざまあみやがれ。
ちなみに、ドブローの冒険者ギルドからシュポワールまでは銀貨
二枚でちゃんと行けるらしい。
ドブローからドホナまでは乗り継いで銀貨四枚。
片道三枚ならそれよりは安いことになる。
あのおっさんはそれを分かっていたのだ。
乗り継ぐ手間もあるから、銀貨五枚というのは多分無茶ではない。
最初から銀貨五枚が相場であり、おっさんはそれを隠して吹っか
けてきたのだろう。
八枚はぼりすぎだ。
ドブローの冒険者ギルドからは家に帰る。
無駄な値段交渉で時間を取ったし、朝食を待たせても悪い。
ドブローは銀貨二枚で行ける距離ではないらしいし、一度で帰れ
るか確認する必要もあるだろう。
ドブローから家に帰ったとき、MPは少し減った気がした。
フィールドウォークだけでなく、確かにワープも距離に応じて消
費MPが変わるようだ。
1037
それほど減った感じでもないのは、ワープの方がフィールドウォ
ークよりもMP効率がいいのか、魔法使いを兼任している俺のMP
保有量が多いのか、他の冒険者の消費MPも実際のところ俺と同じ
程度なのか。
俺はフィールドウォークを持っていないから確かめようがない。
冒険者ギルドに駐留していれば休む暇もなく客が来ることもある
だろう。
MPが減って回復薬が必要になるようでは商売にならない。
銀貨二枚で行ける距離はそれほど遠くではないのかもしれない。
翌朝は、さらに進んでから家に帰った。
MPも昨日より減った気がする。
行程的には全体の半分以上進んだだろうか。
ペルマスクまで行けなくもなさそうか。
帰ってから、セリーに皮の靴を作ってもらう。
これで昨日から、皮のミトン、皮の帽子、皮の靴と完全制覇だ。
鍛冶師に関して教えてくれた人に対するセリーの信用がさらに下
がったような気がしたが、もう知ったことではない。
﹁皮の靴の次に鍛冶師が作るものは何だ?﹂
﹁棍棒になります﹂
﹁棍棒か﹂
セリーがいま現在使っている武器だ。
ついにセリーの技術が追いついてきた。
棍棒までスキルで作るのか。
1038
﹁ただし、棍棒を作るにはラブシュラブが落とす板が素材として必
要です﹂
﹁板?﹂
﹁もっと上の方にいる魔物が残すアイテムです﹂
なるほど。そんな罠が。
鍛冶師の腕が上がっていけば、いい装備品を作れるようになる。
そこまではいい。
しかし、いい装備品とはいい素材を使った装備品だ。
安い素材を使っていては限界がある。
そしていい素材とは、より強い魔物が残すドロップアイテムであ
る。
魔物が残すアイテムは、元々魔物の体の一部だったものだ。
鋼鉄だのオリハルコンだのを弱い魔物が落とすわけもない。
オリハルコンを残す魔物は、体のどこかがオリハルコンでできて
いる。
当然強いわけだ。
﹁こういう場合はどうすればいいんだ。買うのか﹂
﹁えっと。ラブシュラブを狩れるようになるまでは、皮の装備品を
作って売るのが一般的なはずです﹂
﹁そういうもんか﹂
﹁素材を購入すると儲けが減ってしまいます。依頼でもなければ、
無理に作ることはないと思います。棍棒の次にまだ皮だけで作れる
装備品もありますが、私に作れるかどうかも分かりません。皮の装
備品をたくさん作れば、修行にもなるし、結局一緒のことです﹂
ミサンガよりダガーを作る方がMPを消費したように、同じ皮製
1039
品でも複雑なものは簡単なものより消費MP量が多いだろう。
簡単なものを多く作れば、複雑なものを少なく作るのと結局儲け
はそれほど変わらない。
難しいものは作れる人が減るから多少は高くなるだろうが、無理
をすることもないか。
﹁分かった。じゃあしばらくは皮のミトンと皮の帽子と皮の靴で﹂
﹁はい。それと、今は九階層で狩を行っています。九階層での狩を
重視するなら、ミノが九階層で出てくる迷宮に行くという方法もあ
ります﹂
そういうやり方もあるのか。
九階層でミノを狩れば、九階層での戦いにも慣れ、素材も集まっ
て一石二鳥だ。
﹁うーん。まあそこまですることもないだろう﹂
皮はミノの通常ドロップだから、集めるのにそれほど苦労するこ
とはない。
ベイルの迷宮九階層のスローラビットは倍額で売れる兎の皮を落
とすから、効率もいいし。
スローラビットのボスのラピッドラビットとはあまり戦いたくな
いという気はするが、だからこそ逃げるべきではないだろう。
苦手な魔物を作ることはよくない。
﹁分かりました﹂
﹁それより、板を残す魔物が九階層で出てくる迷宮はないのか﹂
﹁えっと。ラブシュラブは最低でも十二階層から出てくる魔物です。
一階層から十一階層で出てくる魔物はどの迷宮でも同じになります。
十二階層から二十二階層で出てくる魔物も同じです﹂
1040
そうだったのか。
初めて知った。
コボルトやミノやスローラビットは、一階層から十一階層の間で
出てくる魔物ということなのだろう。
確かに、クーラタルでもベイルでもそうなっている。
ラブシュラブは十二階層から二十二階層の間で出てくるらしい。
﹁じゃあ十二階層にラブシュラブが出てくる迷宮を探してもらうか
もしれん﹂
とりあえず、次の装備品を作ることはここで一段落だ。
相場が変わってしまうほど大量に作ることもないだろうし、しば
らくは皮の装備品を作ってもらえばいいだろう。
その日の午後の探索は早めに打ち切った。
今日はセリーがうちに来てちょうど十日後。
セリーのメイド服ができる約束の日だ。
﹁今日は少し早いのですね。お風呂をお入れになるのですか?﹂
家に着くと、ロクサーヌが期待のこもった目で尋ねてきた。
いや。確かに期待のこもった目だろう。
風呂を気に入ってくれたようで、何よりだ。
残念ながら、風呂ではないのだが。
﹁悪いな。風呂ではないのだ。ベイルの商館に行く﹂
﹁商館ですか。仲間が増えるのですか?﹂
1041
ちょっと期待のこもらない目で訊いてきた。
いや。確かにそんな気がする。
多分さっきとは温度差があるだろう。
こっちがそう思っているだけかもしれないが。
﹁残念ながらそれでもない。まだお金も足りないしな。もちろん、
パーティーメンバーはいずれ増やすつもりでいる。戦力の充実を図
るのは当然だからな。二人ともそのつもりでいるように﹂
﹁はい。もちろんです﹂
﹁かしこまりました﹂
こういうことはあらかじめそうなると宣言しておいた方がいい。
常に言い聞かせておくくらいでちょうどいいだろう。
もちろん、パーティーメンバーを増やす目的は戦力の充実だ。
それ以外にやましい目的はない。
ちょっとしか。
﹁目的はあくまで戦力の拡充だ。ロクサーヌやセリーとうまくやっ
ていけない者を入れるつもりはない。その点は安心していいぞ﹂
﹁はい﹂
二人に手を出す危険性のある男の奴隷など論外だ。
パーティーメンバーに入れるつもりはもはや微塵もない。
ジジババも駄目だ。
戦力の充実というからには、若い人がいいだろう。
そして、なるべくなら俺のやる気が高まるメンバーがいい。
士気というのも戦力の重要な構成要素だ。
1042
若い女性、できる限り美しい女性がいいだろう。
俺のやる気が異なる。
戦力の充実というただ一つの目的から、このように結論づけられ
た。
戦力の充実というただ一つの目的からいって当然の選択だ。
戦力の充実を図るにはこの結論のとおりに進むべきだろう。
戦力の充実を図る以上、しょうがない。
うん。
しょうがないな。
﹁それはそれとして、今日行くのは別の理由だ。服を取りに行く。
後は遺言かな。ロクサーヌに対する遺言は、変更なしでいいか?﹂
﹁はい。もちろんです﹂
ロクサーヌは自信たっぷりにうなずいた。
ロクサーヌがそれがいいというのならいいだろう。
﹁セリーもよくがんばってくれるしな。セリーは遺言によって俺が
死んだら解放されるようにしてこようと思う﹂
﹁私はまだお世話になり始めたばかりですが、よろしいのですか﹂
﹁問題ない﹂
﹁ありがとうございます﹂
戦闘以外で死ぬ可能性もあるから、一蓮托生にするメリットはあ
まりない。
セリーを俺の死後解放するように遺言したとして、デメリットも
それほどはないだろう。
1043
﹁まあ遺言したからといって、寝ているときにベッドでいきなり刺
してきたりはしないだろう﹂
﹁家の中で主人が殺されれば、生き残った奴隷が真っ先に疑われま
す。やるのなら迷宮ではないでしょうか﹂
﹁こ、怖いな﹂
﹁いえ、私はもちろんやりませんが﹂
セリーが冷徹に告げる。
迷宮なら死体処理に悩むことはないのか。
魔物にやられたと主張すれば、詮索もそれほどないかもしれない。
確かに殺るのなら迷宮だ。
しかし、迷宮に入るときにはロクサーヌもいる。
セリーもそう無茶はできない。
﹁セリーのことは信用している﹂
﹁信用に報いられるようにがんばります。ロクサーヌさんも、もう
解放という遺言になっているのですか﹂
﹁いや﹂
﹁私はご主人様がお亡くなりになっても解放されません﹂
ロクサーヌが自ら言明した。
俺が話すよりはいいだろう。
俺が説明すると、強制したかのように捉えられかねない。
﹁そうなのですか?﹂
﹁ご主人様をお守りするのが私の役目です。何があっても、身を挺
してでもご主人様をお守りしなければなりません。だから解放され
る理由はないのです。ご主人様が亡くなられるときは私の任務が失
敗したときです。後を追うのも当然です。それに、ご主人様のいな
1044
い世界で生きていたいとも思いません﹂
改めて聞くとすごい理屈だ。
ありがたいことはありがたいが。
﹁えっと﹂
﹁ロクサーヌの思い入れだ。ロクサーヌが強く主張するのでそうし
ているが、セリーまでがまねをする必要はないぞ。俺が病気や事故
で死ぬ可能性もある。そのときセリーを巻き添えにするのはしのび
ない﹂
なんか嫌な空気だ。
特攻隊員の応募を期待している雰囲気というか。
ここで、私は解放してくれとは言い出しにくいのではないだろう
か。
だから強めに説明した。
セリーまでが後を追うことはない。
﹁奴隷を相続させるようなおかたはおられないのですよね﹂
﹁いないな﹂
﹁そうですね。それでは、私に対する遺言は解放することにしてい
ただきたいと思います﹂
おお。すごい。
言い切った。
さすがセリーだ。
セリーは合理的だ。
1045
嫉妬
ベイルの町の奴隷商館に行き、セリーのメイド服を受け取った。
ついでとばかりに新しく入ったという奴隷を紹介される。
十八歳の狼人族の女性。結構可愛い。
髪の毛はぼさぼさで肌のつやもちょっと悪い気がしたが、磨けば
問題はないだろう。
学校で一、二とはいわないが、クラスの中ではそこそこ光る存在、
というところではないだろうか。
日本にいるときの俺だったら、多分相手にもしてもらえないレベ
ルだ。
しかしどうなんだろう。
・・
ロクサーヌとセリーがいる今となっては、そこまでほしいとも思
えない。
俺もエラくなったというべきか、卒業して冷静になったというべ
きか、贅沢になったというべきか。
家に帰ればロクサーヌもセリーもいる。
無理にがっつく必要はない。
パーティーメンバーは六人までだ。
慎重に選ぶべきだろう。
五人までという制約があるのではないが、無限にというわけにも
いかない。
戦力の充実という名目もあるのだし。
1046
﹁いかがでしたでしょうか。彼女はまだブラヒム語を話せませんが、
こちらでしっかり教育した後、お引渡しできます﹂
﹁今回は遠慮しておこう。悪くはなかったが﹂
﹁⋮⋮さようでございますか﹂
面接を終え、奴隷商人のアランに断った。
お金もないし、しょうがない。
早々に話題を変える。
﹁それよりも、セリーに対しての遺言をしたいのだが頼めるか﹂
﹁どのような遺言でございましょう﹂
﹁俺の死後、セリーは解放することにしたい﹂
﹁遺言の変更は三百ナールになりますが、よろしいですか﹂
セリーに対する遺言を頼んだ。
今回は一つしか頼むことがないので、三割引は効かない。
銀貨三枚を払う。
﹁頼む﹂
﹁では左腕をお出しください﹂
﹁ああ﹂
遺言にインテリジェンスカードを使うらしい。
奴隷商人が俺のインテリジェンスカードを出し、なにやら処理し
た。
終わった後、確認する。
加賀道夫 男 17歳 探索者 自由民
1047
所有奴隷 ロクサーヌ セリー︵死後解放︶
遺言はインテリジェンスカードにきっちりと表示されるようだ。
となると、解放すると告げて実際には解放しない詐欺は難しいの
か。
奴隷にインテリジェンスカードを見せなければ問題ないか。
﹁それでは、こちらをお渡ししておきます﹂
更新されたインテリジェンスカードを見ていると、奴隷商人が何
かを渡してきた。
パピルスか何かだ。
折りたたまれて、真ん中に蝋で封がしてある。
﹁これは?﹂
﹁帝都にいる奴隷商人への紹介状でございます。やはり鍛冶師の奴
隷はいないとのことでしたが、ぜひ一度お立ち寄りください﹂
鍛冶師はもう必要ないのだが。
まあここの商館にはもうめぼしい奴隷はいないみたいだし、ちょ
うどいい。
お金がたまったら、行ってみることにしよう。
メイド服のケースを持って、家に帰った。
ケースはセリーに渡す。
﹁セリーの服だ。タンスにでもしまっとけ﹂
﹁着てみてもよろしいでしょうか﹂
1048
﹁そうだな。いいだろう﹂
うなずくと、セリーが一度俺の方をうかがい、部屋の隅へ移動し
た。
服を脱ぎだす。
ここで着替えるのかよ。
いや、もう着替えを隠すような仲でもないが。
確かにいまさらではある。
いつも見ているのだから、特に新鮮というわけではない。
いや、着替えているところをはっきり見たことはあまりないが。
ちょっと恥ずかしそうに隠そうとするのが新鮮だ。
﹁えっと。私も着てよろしいでしょうか﹂
思わず目を楽しませていると、ロクサーヌが割り込んできた。
了承すると、部屋の外に出て行く。
﹁出かけておられる間に、ルークから連絡が来ました。芋虫のモン
スターカードを落札したそうです﹂
着替えながらセリーが話す。
﹁芋虫のモンスターカードって、あれだよな﹂
﹁はい。身代わりのスキルがつきます﹂
ついにきたか。
多少高くてもいいと言っておいたから、当然早めにはくるのだろ
うが。
1049
﹁ミサンガにつければいいのか﹂
﹁はい。芋虫のモンスターカードは武器に融合することはできませ
ん。また、コボルトのモンスターカードと一緒に融合することもで
きないようです﹂
﹁身代わりのスキルだけということか﹂
﹁そうです。落札価格は四千三百ナールだと言っていました。前回
は確か三千九百ナールだったはずです。お手盛りしたに違いありま
せん﹂
メイド服を着ながらセリーが説明した。
ボタンを開き、下からはく。
メイド服のボタンは背中でとめるようになっている。
﹁文句をつけるほど極端に高いわけでもないか﹂
セリーの後ろに回り、とめてやった。
﹁ありがとうございます。そこがずる賢いところです。こちらがク
レームをつけないぎりぎりのところを考えているのでしょう﹂
元々の評価が最低だと、何があろうと悪く解釈するようだ。
ロクサーヌがメイド服を持って入ってきた。
ボタンを開いてメイド服を置く。
何故ロクサーヌまでここで着替える。
この世界にはブラジャーというものはない。
つまりロクサーヌが服を脱ぐとすぐにむき出しになるわけで。
1050
揺れる。
脱いだ勢いのせいか波打つように揺れる。
柔らかで弾力のある白い果実が豊かに揺れる。
それはもう、ブルブルと音が出そうなほどに揺れる。
は、迫力が。
ロクサーヌ、その大きなものを早くしまいなさい。
﹁⋮⋮やっぱりロクサーヌさんのは大きいです﹂
﹁ロ、ロクサーヌもボタンを閉めてやる﹂
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
ロクサーヌの背中に回った。
セリーの方はどうフォローすべきか。
﹁セリーも、よく似合ってるぞ。小柄なおかげで可愛らしい﹂
﹁ありがとうございます﹂
セリーのメイド服姿にはお人形さんみたいな可愛らしさがある。
ロクサーヌのメイド服姿は、清楚で可憐なフリルとその下に息づ
く肉感的な母性の象徴とのギャップが魅力だ。
二人ともそれぞれにたまらない。
やはりメイド服はいいものだ。
女性らしさが強調される。
﹁ご主人様﹂
ボタンを閉じると、ロクサーヌが振り返った。
1051
﹁なんだ?﹂
﹁私の衣装はどうですか﹂
﹁もちろん最高に似合っているぞ﹂
﹁ありがとうございます。あ、あの⋮⋮﹂
それから目をそらせて顔を伏せる。
﹁どうした﹂
﹁この間みたいに運んでいただけますか﹂
いやも応もない。
すぐにロクサーヌを両手で抱きかかえた。
柔らかでぬくもりのある軽やかな重みが返ってくる。
どこに運ぶのか。
いうまでもない。
﹁セリーは次に運ぶからちょっと待っていなさい﹂
そのままロクサーヌを寝室に運んだ。
寝不足だ。
昨夜はメイド二人の奉仕を心行くまで楽しんだ。
メイド二人がかりによる左右両側からのご奉仕。
俺のいうことを何でも聞いてくれるメイドの敬愛のこもったサー
ビスを存分に堪能した。
その後、蝋燭をともして遅い夕食を取り、色魔をつけてさらに楽
しんでしまった。
1052
習慣のせいか、朝はいつもどおりの時間に目覚める。
おかげで睡眠時間が少し足りないだろう。
寝不足で迷宮に入るのは怖い。
これでもうちょっと眠いとか体が重いとか思考が鈍いとかの自覚
症状があれば入らないが、そこまででもないというのがつらいとこ
ろだ。
体調的にはほぼいつもどおり。
しかし客観的には睡眠時間が足りない。
ロクサーヌやセリーにも慎重に確認したが、二人とも調子が悪い
ということはないようだ。
一度迷宮に行かなくなったらあれこれ理由をつけて入らなくなり
そうだし、迷宮には入ることにする。
丹念に気を配って注意深く魔物を狩っていった。
ニートアントはきちんと魔法三発で倒しているし、大丈夫そうか。
クーラタルの迷宮九階層を進み、小部屋に入る。
﹁ご主人様、宝箱です﹂
小部屋の中に入ると、中央が小さく盛り上がっていた。
宝箱だ。
久しぶりに見る。
﹁待て待て待て﹂
わけ
お若えの、お待ちなせえやし。
シミターを突き入れようとするロクサーヌをあわてて押しとどめ
1053
た。
なんでもすぐにやろうとするんじゃない。
すぐやっていいのはベッドの上でだけだ。
考えなしにやろうとするとはロクサーヌも寝不足なのか。
ミミックの可能性がある。
慎重に準備はしておくべきだろう。
ワンドをしまい、デュランダルを出した。
かまえてから、ロクサーヌを見てうなずく。
﹁低階層ではボスが擬態している可能性はほとんどないと思います﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁はい。十一階層より下で現れたことはないそうです。ただし、低
階層では宝箱そのものの出現率が低いからだという人もいます。十
二階層より上では、時々その階層のボスが宝箱に擬態しています﹂
ミミックというのはその階層のボスが出てくるのか。
セリーに話を聞いている間にロクサーヌがシミターを突き刺した。
床を切り開く。
出てきたのは銀貨だ。
﹁ご主人様、銀貨ですね﹂
中身は銀貨が十三枚だった。千三百ナール。
微妙な金額だ。
もっとドバっと出てこないものか。
あるいは低階層ではしょうがないのか。
1054
宝箱に入っているのは迷宮で死んだ人の装備やアイテムボックス
の中身だ。
十三枚ということは、元の持ち主は探索者Lv13だったりする
のだろうか。
元の持ち主に軽く黙祷して、ロクサーヌから銀貨を受け取る。
﹁ついでだから次は俺も剣で戦う﹂
MPも結構使ったし、デュランダルを出したついでに回復しよう。
小部屋を出て、ロクサーヌに探索を促した。
ロクサーヌが先導する。
案内されたところに、ニートアントが四匹いた。
団体だ。
﹁来ました﹂
﹁行くぞ﹂
まずは左端のニートアントをデュランダルで袈裟懸けにする。
アリの突進を剣で受け流し、もう一振り。
左端のニートアントを倒し、セリーが相手をしている次の一匹に
かかった。
ニートアントの後ろに回りこみながら、一撃を加える。
真ん中のニートアントの下に、オレンジの魔法陣が浮かんだ。
スキルだ。
ニートアントはこちらに毒を浴びせるスキルを使ってくるのだっ
た。
やばそうだ。
1055
後ろから回り込みつつ、体と腕を伸ばして真ん中のニートアント
にデュランダルを喰らわせる。
ちょっと無理な体勢だがやむをえない。
デュランダルの詠唱中断で魔物のスキルをキャンセルした。
これで毒はない。
ほっとしたところに、痛みが走った。
右の太ももに打撃が加えられる。
放置していた左のニートアントに太ももを後ろ蹴りされたのだ。
太ももから全身に衝撃が伝播した。
結構な衝撃だ。
メッキをしていてもこの威力なのか。
蹴られた瞬間はそうでもないと思ったのに、どんどんと大きくな
った。
ぐわっ。
伝わった衝撃に心臓を鷲づかみにされる。
痛みというのではなく衝撃だ。
心臓をじかに握られたかのような衝撃。
﹁ご主人様﹂
ロクサーヌやセリーが何か言っているようだが、うまく聞き取れ
ない。
これはやばい。
たいした攻撃でもないはずだったが、ここまですごいのか。
左のニートアントに二発めのデュランダルを浴びせ、HPを吸収
する。
1056
しかし、全然回復した気がしない。
あぶら汗が噴き出た。
衝撃はどんどん大きくなっているような気がする。
何故だ。
心臓が握られる。
崩れてひざをついた。
痛みを我慢するだけで精一杯だ。
脳天にまで直撃する激震を耐える。
それでも戦慄はとまらない。
頭はボーっとして、熱にでも浮かされたような感じだ。 ﹁××﹂
セリーが目の前に来て何か言った。
もう何と言っているのかもよく分からない。
全神経が衝撃を耐えることだけに集中している。
他のことを考える余裕はない。
セリーの顔が何故か迫ってきた。
唇が押しつけられる。
セリーの舌が動き、俺の口の中に入ってきた。
戦闘中に何をしているのだ?
わけも分からず受け入れる。
口を開き、吸い取った。
いつもどおりの柔らかくて優しい舌だ。
その舌の上から、何かが転がり込んでくる。
1057
入れ替わりに舌が抜けた。
追いすがろうとするも、転がり込んできたものが邪魔だ。
邪魔なものをどかすために飲み込む。
それから、セリーの口に吸いついた。
再び入ってきたセリーの舌に絡みつく。
絡みつき、すがりつき、しがみついた。
何もかも忘れたようにセリーの舌を味わう。
そうすれば衝撃を忘れるかのように、セリーの舌と絡ませあう。
実際、衝撃が収まってきた。
セリーとのキスは精神安定剤の役割も果たすらしい。
何故だか本当に衝撃が軽くなる。
全身を包んでいた重みが抜けた。
痛みが去り、鈍さが消え、頭をおおっていた曇りが晴れ上がる。
解放された心臓からしっかりとした鼓動が響いてきた。
火照りが冷える。
戦慄がなくなる。
思考が戻ってきた。
あれ?
俺は、何をやってたんだ?
﹁大丈夫ですか﹂
口を離し、セリーが訊いてくる。
﹁あ、ああ﹂
1058
﹁毒消し丸を飲ませました。ニートアントの攻撃で毒を受けたよう
です﹂
どく?
毒。
毒か。
あれが毒だったのか。
運悪くニートアントの攻撃で毒にかかったらしい。
あの衝撃は毒によるものだったのだ。
実際すさまじい衝撃だった。
恐ろしいほどの衝撃だった。
あれでは確かに、放っておけば死に一直線だろう。
いや。今はそれを考えている場合ではない。
クリアになった思考で判断する。
まだ戦闘中のはずだ。
ニートアントが二匹残っている。
周囲を見渡すとロクサーヌが二匹を相手に戦っていた。
ニートアント二匹程度、完璧にいなしているようだ。
持っていたデュランダルで魔物に襲いかかる。
ロクサーヌに向かっているアリに横から斬りつけた。
一撃ごとに、残っていた体の鈍さが取れていく。
毒で受けたダメージをHP吸収で回復しているのだろう。
デュランダルできっちり叩けば元々問題になる相手ではない。
すぐに残ったニートアントを撃滅した。
1059
﹁ご主人様、大丈夫ですか﹂
﹁もう大丈夫だ。悪かったな。ロクサーヌにも心配をかけた。一度、
さっきの小部屋に戻ろう﹂
問題ないとは思うが、念のために体調なども確認するのがいいだ
ろう。
ドロップアイテムの毒針を拾い、宝箱のあった小部屋に戻る。
﹁ここまでくれば大丈夫です﹂
﹁助かった。二人のおかげだな。ロクサーヌはよく魔物の相手をし
てくれたし、セリーが薬を飲ませてくれなかったら危なかった。あ
りがとう。改めて礼を言う﹂
初めてだったせいか、毒にまったく対処できなかった。
毒にかかったという認識もないし、薬を飲もうなどとは思いもし
なかった。
一人のときに毒を喰らっていたら、確実にやばかっただろう。
やはり迷宮は恐ろしいところだ。
﹁ありがとうございます。当然のことをしたまでです﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
ロクサーヌは堂々と胸を張り、セリーは恥ずかしそうに下を向い
た。
うん。
まあ口移しだったからな。
単にキスをするのとは違う気恥ずかしさがある。
﹁ですけど、ちょっと私もしてみたかったです。セリーばかり二度
1060
も﹂
ロクサーヌが小さな声でつぶやいたのが耳に入る。
そう。セリーには前にMPが切れたとき口移しで薬を飲ませたの
だ。
これが二回めということになる。
﹁水でも飲んで一息入れるか。二人ともコップを出せ﹂
﹁はい﹂
リュックサックから小さな桶を取り出した。
ウォーターウォールで水をためる。
﹁ロクサーヌ﹂
﹁はい、何でしょう?﹂
﹁まだちょっとつらい。口移しで水を飲ませてもらえないかな﹂
胸の前でコップを掲げるロクサーヌに頼んだ。
1061
ペルマスク
迷宮を出た後、俺は一人で冒険者ギルドに向かった。
毒による障害は、薬で本当にきれいさっぱりとなくなるようだ。
デュランダルでHPも回復したし、体調に問題はない。
冒険者ギルドで渡りの続きを行う。
今日はザビルの町まで飛んだ。
セリーによれば、ここが帝国最辺境にある都市らしい。
ここからペルマスクまで飛ぶことになる。
ザビルの冒険者ギルドで、張り紙とメモを見比べた。
セリーに書いてもらったペルマスクにあたる文字はないような。
﹁ここからペルマスクに行くにはどうすればいい﹂
﹁ペルマスクへは一日に三度飛びます。朝、正午と夕方です。値段
は銀貨五枚。今朝の便は終わりました。次は正午ごろです。まだ四
時間以上ありますね﹂
駐留の冒険者に確認すると、答えてくれる。
時差もあるし時計もないのに、朝、正午、夕方と言われても困る
のだが。
まあ、現地にいる人間は日の位置を見て時間を確認するから、逆
に、朝と夕方、日が最も高くなる正午でないと困るのだろう。
しょうがないので、ザビルの冒険者ギルドから家に帰った。
すぐに外に出て、日の位置を確認する。
1062
クーラタルの日はまだ出て間もない。
南中まで六時間あるとして、四時間というと三分の二か。
クーラタルとザビルとの時差は、二時間近くあるのか。
クーラタルと帝都の間でも時差があることを考えると、思ったほ
どの距離はないようだ。
あるいは真東ではなく北か南にずれているのかもしれない。
仮に時差が二時間だとすると、惑星一周の十二分の一、経度にし
て三十度移動したことになる。
MPはかなり減った。
こんなことでペルマスクまで行けるのだろうか。
いや。これはMPが減ってネガティブになっているのか。
こんなんではペルマスクまで行くのは困難だ。
いや。MPが足りないが故のオヤジギャクということで。
﹁どうなさったのですか﹂
﹁四時間後にちょっと用事ができた。四時間後というと、日の位置
はだいたいあそこくらいか﹂
﹁四時間後ですね。そのときになったらお知らせします﹂
ロクサーヌの腹時計に頼れるようだ。
どうせ正確な時間が分かるわけでもない。
腹時計でも仕方がないだろう。
朝食後、商人ギルドへと赴く。
仲買人のルークから芋虫のモンスターカードを購入した。
鑑定によって確認したので間違いはない。
1063
まだ贋物をつかませる決断はしていないようだ。
帰りしな、商人ギルドの待合室に戻ると見知った顔があった。
イケメン中のイケメン、ハルツ公領騎士団長のゴスラーだ。
ただ座っているだけなのに絵になる。
圧倒的な存在感を周囲に放っていた。
これだからイケメンは。
ロクサーヌ、見るんじゃありません。
イケメンが近くに寄ると心配だ。
杞憂であればいいのだが。
昔、杞の国の人は天地が崩壊するのではないかと憂えたという。
杞憂だと馬鹿にすることはできない。
しお
泰山はいつか崩れるし、梁に使われている柱もいつか壊れるし、
哲人もいつかは死ぬのだ。
泰山それ崩れんか、梁柱それ壊れんか、哲人それ萎れんか。
哲人は死ぬ。イケメンも死ね。
さあ死ね。
今死ね。
すぐ死ね。
﹁おお。これは奇遇です。冒険者殿もオークションが目当てでござ
いますか﹂
呪詛をこめすぎたせいか、気づかれてしまった。
できれば無視したかったのだが。
ゴスラーが無駄にさわやかな笑顔で話しかけてくる。
1064
﹁まあちょっと装備品関係で﹂
﹁なるほど。冒険者にとってはもっとも重要なものです﹂
﹁ゴスラー殿も?﹂
後ろの二人から隠すように前に出た。
セリーも見るんじゃありません。
と思ったら、早速置いてある冊子のところに行って目を通してい
る。
イケメンよりも文字の方が大切らしい。
﹁公爵の仕事というのは人付き合いが大半です。どうしても贈り物
をすることが多くなります﹂
﹁贈り物を手に入れるためですか﹂
貴族というのもいろいろ大変なようだ。
オークションを使ってでもあれこれ入手する必要があるのだろう。
レアアイテムや貴重な装備品ならきっと贈り物になる。
貴族の仕事の残りの半分は迷宮を攻略することだし。
﹁近く第三皇子の結婚式が行われます。新しく家を立てることにな
るので気を使います。普通は、皇家の結婚ならエリクシール、出産
祝いなら誰が相手でも自爆玉でいいのですが。別家を立てるにふさ
わしい装備品などが入手できればと思っています﹂
家を建てる、ではなくて家を立てるか。
跡を継ぐのではなく独立するということだ。
第三皇子だし。
﹁大変そうですな﹂
﹁何か持っていませんか﹂
1065
﹁いや。残念ながら﹂
持っているわけがない。
﹁贈り物をそろえるのも手間がかかります。威霊仙でも入手できる
機会があったら、譲っていただきたいと思います﹂
﹁贈り物といえば、ペルマスクの鏡などは﹂
ペルマスクの鏡は貴族の贈答品に使われるとセリーから聞いた。
﹁ペルマスクに近い東の方に領地を持っている貴族などはよく使っ
ています。ただ、うちは北にありますから。ペルマスクまで行くの
は大変です﹂
﹁なるほど﹂
贈るのなら、領内で取れる特産品か簡単に手に入る品がいい。
当然そうだろう。
﹁領内にいる有力者の結婚式などのために帝都で手に入れることは
あります。ひょっとして、ペルマスクの鏡を安く手に入れられます
か?﹂
﹁まあ多分﹂
﹁使うこともありますので、もし安く手に入るようでしたら、ボー
デの宮城までお持ちください。買い取らせていただきます﹂
一度でペルマスクまで行けるかどうか分からないが、少なくとも
その入り口のザビルまでは行ける。
ペルマスクに一番近いザビルなら鏡も安く手に入るか。
あるいは、ザビルで休息してペルマスクに行くという手もあるだ
ろう。
1066
﹁了解﹂
﹁では、これを渡しておきましょう﹂
﹁これは?﹂
﹁ハルツ公のエンブレムです。宮城でこれを見せれば私や公爵にす
ぐ話が通るはずです。それほど悪用はできないと思いますが、領内
で不必要に見せびらかすのは罪に問われますので、お気をつけくだ
さい﹂
ゴスラーがエンブレムの入った布を渡してきた。
作りのしっかりとした綺麗なワッペンだ。
刺繍なのか織っているのかは分からないが、作るのは大変だろう。
贋物は出回りにくいに違いない。
紹介状代わりということか。
昨日から、いろいろと紹介状が手に入る季節ではある。
﹁ゴスラー様、お待たせいたしました。来客がありましたので﹂
ワッペンをリュックサックに入れていると、後ろから知っている
声がした。
ルークだ。
﹁来客というのは俺のことか﹂
﹁お知り合いだったのですか?﹂
振り返ると、ルークが驚いている。
貴族でもオークションを利用するにはやはり仲買人を使うのか。
ルークはハルツ公爵家御用達ということなのだろう。
1067
﹁まあちょっとな﹂
﹁そうですか。それでは失礼します﹂
ゴスラーと、一緒に来ていた配下の者二名がルークにしたがって
去った。
配下の二名もエルフ、つまりイケメンだ。
くそっ。
﹁はあ。エルフはみんなイケメンだねえ﹂
﹁まあそうですね﹂
ロクサーヌがあっさりとした口調で答える。
あまり興味はなさそうだ。
﹁エルフと仲買人、いい組み合わせです﹂
おや。セリーの方は興味がありそうな。
﹁いい組み合わせなのか?﹂
﹁エルフと仲買人、ともに何を考えているのか分からない人たちで
す﹂
﹁そういうものなのか?﹂
﹁ドワーフなら誰でもエルフには注意しろと言われて育ちます。仲
買人も同様です﹂
どうやらドワーフはエルフと仲が悪いようだ。
セリーもエルフにはあまり興味がないらしい。
セリーの仲買人に対する警戒心はいわずもがな。
エルフの仲買人がいたらどうなってしまうのだろうか。
1068
﹁仲買人と付き合いのあるエルフなど論外か﹂
﹁どうでしょう。エルフといっても、みんながみんな悪人というわ
けではありません。そこはしっかり見定める必要があります﹂
やはりセリーは合理的なのか。
無条件の差別意識というほどではないようだ。
﹁じゃあ家に帰るか﹂
﹁まだ三時間近くあります。このままベイルに行って大丈夫だと思
います﹂
帰ろうとすると、ロクサーヌが告げた。
ロクサーヌの腹時計では大丈夫らしい。
セリーに装備品を作らせて、朝食を取って、ルークと商談をして。
確かに、全部で一時間くらいというところか。
ロクサーヌの助言に従って、ベイルの迷宮に飛ぶ。
ゴスラーとの会話で分からなかったことをセリーに訊いてみた。
﹁自爆玉というのは何だ﹂
﹁自爆攻撃を行うアイテムです﹂
﹁怖いな﹂
﹁自分の命と引き換えに魔物に対して多大なダメージを与えること
ができるアイテムです。ただし、大人が使うことはめったにありま
せん。死んでしまいますので。子どもが自爆玉を使うと起爆に失敗
することがあります。年齢が低いほど失敗する確率が高く、三歳以
下では確実に失敗するとされています。失敗したときにはダメージ
を与えることはできませんが、命を失うこともありません。失敗し
た子どもは魔法使いに転職できることがあります﹂
1069
魔法使いになるには子どものころに薬を使うと聞いた。
それが自爆玉だったのか。
子どもが使うから、出産祝いの定番なのか。
贈り物の名前としてはどうかと思うが。
おそらく、ボーナス呪文にあるHP全解放と同じようなことがで
きるアイテムなのだろう。
俺はMP全解放で魔法使いのジョブを得た。
MP全解放で魔法使いになれるのなら、HP全解放でも魔法使い
のジョブを獲得できるに違いない。
普通は死んでしまうが。
子どもだと失敗して、不発に終わることがあるらしい。
そして不発でもジョブを取得できる場合があると。
ある種のバグ技というところだろうか。
魔法使いになるのも命がけだ。
﹁エリクシールというのは?﹂
﹁最上級の万能薬です。いかなる怪我や疲労、状態異常があっても
たちどころに全快するとされています﹂
﹁あと、何とかでも譲ってくれって言ってたのは何だっけ﹂
﹁威霊仙ですね。エリクシールを作る原料になります﹂
威霊仙か。
要するに最高級のアイテムは貴族の贈答品に使われるということ
らしい。
﹁分かった。ありがとう﹂
セリーに話を聞いた後、時間がくるまで狩を行う。
1070
家で影の角度を見ながら待っていても暇だし、ここは腹時計にか
けてみてもいいだろう。
どうせチャンスは一日に三回ある。
﹁ご主人様。そろそろ時間になるかと思います﹂
料理人をつけてスローラビットを狩っていると、ロクサーヌが教
えてくれた。
ちなみに、料理人のスキルであるレア食材ドロップ率アップはレ
ベル依存ではないかと思う。
兎の肉が残ることが増えてきている。
﹁もうそんなになるか﹂
﹁迷宮に入ってから三時間近いでしょう﹂
セリーの感覚でも同じらしい。
本案は三分の二以上の賛成多数をもって可決された。
﹁もう一回くらい狩れるか?﹂
﹁はい、大丈夫だと思います﹂
﹁じゃあ最後に頼む﹂
デュランダルを出し、ロクサーヌに魔物に探してもらう。
スローラビットを倒してMPを回復した。
ベイルの迷宮からザビルの冒険者ギルドへと飛ぶ。
MPは、ごっそりとはいえなくてもはっきり分かるほどには減っ
た。
というか、朝よりも減ったような気がする。
1071
この分だと、帰りは家に直接帰るより迷宮に寄ってすぐにその場
でMPを回復するのがいい。
ロクサーヌを連れてきて正解だ。
いや。本当にそうだろうか。
何故、朝よりも今の方がMPが減ったと感じるのだろう。
ベイルの迷宮よりクーラタルの方がザビルからは遠いはずだ。
ジェット気流に乗ると速くなる飛行機じゃあるまいし、東に行く
のと西に行くのとで消費MPが違うということはないだろう。
考えられるとすれば、ワープした人数によって消費MPが異なる
という可能性だ。
大いにありうるのではないだろうか。
一度のワープではっきり分かるほどMPを消費したのはロクサー
ヌを迎える前だけだったので、検証はしていない。
パーティーメンバーの数に応じて消費するMPが変わるなら、ロ
クサーヌとセリーを連れてきたのは失敗だったことになる。
まあしょうがない。
俺は今朝もいた駐留の冒険者に話しかける。
﹁ペルマスクへの便はまだ間に合うか﹂
﹁あ、先ほどの。大丈夫です。まだ三人めです。そろそろ正午の鐘
が鳴るころでしょう。出発は鐘が鳴ってからになります﹂
三人めだから大丈夫とはどういうことか、と思ったが、パーティ
ーメンバーは六人までだ。
冒険者自身も入るから、一度に運べる人数は五人までとなる。
六人以上客がきたときに二往復してくれるのか。
おそらくは先着五名までということなのだろう。
1072
﹁二人はしばらくここにいてくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
二人に言い置いて、パーティーを解散した。
セリーは壁の張り紙のある方へと歩いていく。
ロクサーヌはともかく、セリーには暇のつぶし方があるようだ。
正午の鐘が鳴った。
﹁それでは、ペルマスクまで行きたい方は集まってください。銀貨
五枚になります﹂
銀貨五枚を払いペルマスクに向かう。
﹁ようこそいらっしゃいました。ここがペルマスクです。ペルマス
クの町は誰でも自由に歩けます。物品の売買も自由に行ってくださ
い。銅貨のみ両替が必要です。ペルマスクの住民を外に連れ出すこ
とは厳禁です。ペルマスクでは冒険者ギルドを除くすべての建物に
遮蔽セメントを使っています。フィールドウォークが使えるのは冒
険者ギルドだけです。冒険者ギルドから町へ出入りするには参事委
員会麾下の騎士によるインテリジェンスカードのチェックを受けて
ください。入市税は銀貨一枚、このときに支払っていただくことに
なります﹂
ペルマスクの冒険者ギルドに到着すると、ペルマスク側の担当者
が待っていて、注意事項を長々と説明した。
なにやら面倒な都市に来てしまったようだ。
1073
鏡
いったんペルマスクの冒険者ギルドからザビルに引き返す。
本来なら片道の客を集めるところなのだろうが、ペルマスクまで
連れて行ってくれた冒険者がすぐに帰ってくるだろうから、やって
いない。
営業妨害になる。
MPは、分かるほどには減った、という感じだろうか。
ペルマスクとザビルの間は、クーラタルとザビルの間よりは近い
だろうが、距離があることはある。
ペルマスクからザビル、サビルからクーラタルと考えると結構大
変だ。
クーラタルとペルマスクの間を一度で飛ぶにはちょっと覚悟がい
る。
今はパーティーを組んでいないことも考慮に入れなければならな
い。
﹁ペルマスクで鏡を買うとどのくらいになる﹂
遅れて帰ってきたザビルに駐留する冒険者に尋ねた。
﹁鏡ですか。大きさによりますが﹂
﹁このくらいで﹂
胸から上を映せるくらいのサイズを両手で示す。
1074
﹁銀貨四、五十枚から金貨一枚といったところでしょう。装飾され
た高いものは天井知らずです。ペルマスクでなら工房に直接行けば
スタンドや装飾のついていないものも手に入ります。これならもう
少し安く買えます﹂
冒険者が答えた。
鏡の装飾というのが何を指すのか分からないが、鏡本体に手を加
えても見えにくくなるだけだから、枠か何かで飾っているのだろう。
パーティーを組み、ロクサーヌとセリーを冒険者ギルドの隅に連
れて行く。
﹁セリー、アイテムボックスを開け﹂
﹁はい﹂
セリーにアイテムボックスを開かせ、銀貨を入れさせた。
毒消し丸も入っているので、残りの九列×十枚。
ついでに税金の銀貨一枚ずつをロクサーヌとセリーの手に持たせ
る。
﹁今からペルマスクへ連れて行く。渡したお金で鏡を二枚買え。一
枚は装飾も何もついてない鏡だけのものを。もう一枚はうちで使う。
値段の許す範囲内で好きなものを選んでこい。持たせた銀貨一枚は
税金だ﹂
﹁一緒にお買いにならないのですか﹂
﹁ちょっとな﹂
インテリジェンスカードのチェックがある以上、冒険者でない俺
がペルマスクに入ることはできない。
1075
買い物は二人に任せるしかない。
﹁分かりました﹂
﹁時間は、一時間くらいでいいか。まあ俺が冒険者ギルドに戻った
ら分かるだろう。戻ったら入手できていなくても一度帰ってこい﹂
俺がペルマスクの冒険者ギルドにずっといれば不審に思われる。
どこかに消えた方がいい。
待っているのも暇だし。
パーティーを組めば、パーティーメンバーが大体どの方角にいる
かは分かる。
ザビルの冒険者ギルドの壁から、ペルマスクの冒険者ギルドに飛
んだ。
MPがかなり少なくなった。
ペルマスクからザビルに戻ったときよりも減った気がする。
減った。
相当減った。
ごっそりと減った。
やはりパーティーメンバーがいると消費MPが増えるらしい。
東へ行く場合に消費MPが多いという可能性もあるが。
もっとありそうなのは俺の能力が足りないという可能性だ。
﹁それでは行ってまいります﹂
ロクサーヌとセリーが冒険者ギルドを出て行くとき、思わず行か
ないでくれとすがりつきそうになってしまった。
いや、分かっている。
1076
MPが減ってネガティブになっているのだ。
ベイルからザビルに飛び、その後ザビルとペルマスクの間を往復
している。
大量にMPを消費しただろう。
二人と別れた後、すぐに強壮丸を飲んでMPを回復した。
今のままでは女房に捨てられた駄目亭主みたいだ。
二人がインテリジェンスカードのチェックを受け税金を払うまで
見送る。
奴隷でも何の問題もないようだ。
まあ、この町の担当者も誰でも自由に歩けると言っていたしな。
別に二人が帰ってこない理由はない。
ないだろう。
ないよね。
ないだろうか?
俺なんかと一緒にいるのは嫌だからペルマスクに亡命するとか。
ありそうすぎて怖い。
ロクサーヌやセリーがいつまでも俺に従っている理由はない。
主人を変える裏技があるとロクサーヌも言っていたではないか。
そもそも、この世界のことをよく知らない俺が主人としてまとも
に振舞えているかどうか、はなはだ疑わしい。
野に放てば逃げ出すことは十分に考えられる。
俺みたいな駄目主人には愛想をつかしているに違いない。
駄目だ。
思考が悪い方向へばかり向かっている。
1077
もう一つ強壮丸を飲んだ。
無駄な出費だ。
また補充しておかなければならない。
頭の中が冷静になった。
感情的にならずに考えれば、二人が戻ってこないなんてことはな
いだろう。
ロクサーヌのこともセリーのことも、そのくらいには信用してい
る。
何の問題もない。
息を吐き、落ち着くまでしばしペルマスクの町を眺める。
冒険者ギルドから見るペルマスクの町は、エキゾチックな感じが
した。
白い建物が並ぶ人工的な都市だ。
低くて白い建物がまばらに建てられている。
全部の建物が白いのは、遮蔽セメントが使われているからか。
日本にもないし、帝都やクーラタルとも違う。
エーゲ海に浮かぶギリシャの都市。
あるいは砂漠の中に作られたオアシス都市みたいな感じか。
そう。この町には緑がない。
木や森がない。
かといって本当に砂漠なのではない。
建物の間の空き地には雑草が生えている。
何か妙な感じがしたが、考えていて気づいた。
木は全部切られているのか。
1078
大木があればフィールドウォークが使える。
全部の建物に遮蔽セメントを使うくらいだから、木も邪魔なのだ
ろう。
理由は分からないが徹底している。
俺のワープなら遮蔽セメントが使われている建物にも移動できる
が。
まあそこまですることもないか。
見つかったら大変だ。
夜中ならばれずに移動できるとしても、朝まで待つのが面倒であ
る。
すっかり冷静になるのを待って、ベイルの迷宮まで飛んだ。
ちゃんと飛べるかどうかテストしてみなければならない。
MPは、またしてもかなり減った。
ごっそりといって誇大表現ではないだろう。
西へ行く場合にもMPを使う。
距離はあるようだ。
往復ではきっと飛べない。
片道でも飛びたくない。
MPが減ってネガティブになっているからではなく、本当に答え
がネガティブだ。
多分。
ベイルの迷宮でデュランダルを使ってMPを回復する。
回復した後、再びザビルの冒険者ギルドへ飛んだ。
ペルマスクまでの途中のどこかに中継ポイントを作る必要がある
1079
だろう。
﹁この辺りに迷宮があるか﹂
駐留しているさっきの冒険者に尋ねる。
﹁えっと。どのような迷宮をお探しでしょうか﹂
﹁希望をいえばきりがないが、とりあえず近くであれば﹂
﹁本当に近くでよければ、一番近い迷宮はここからまっすぐ行って
東門を出た先、すぐのところにあります。ただし、管理はされてい
ないので担当の探索者はいません。利用する人もいて小道ができて
いるので、すぐ分かるはずです。途中で道が分かれますが、左側の
迷宮の方が近くにあります。わざわざフィールドウォークを使わな
くても歩いていける距離です﹂
銀貨二枚を払ってフィールドウォークで飛ばしてくれるのかと思
ったが、歩いて行ける場所にあるようだ。
城壁を出たすぐ脇にあるベイルの迷宮と同じか。
俺ならたとえ近くでもフィールドウォークで飛んで銀貨二枚をせ
しめるが、
そこまで悪辣ではないらしい。
良心的だ。
礼を述べ、冒険者ギルドから出た。
ザビルは、落ち着いた風情のある町だ。
緑豊かで、赤いレンガ造りの町並みとよくマッチしている。
木がなく白い印象のペルマスクとは対照的だった。
比較して余計に落ち着いて見えるのかもしれない。
1080
レンガが積まれた赤茶けた城壁も高くて立派なものだ。
三メートルくらいはあるんじゃないだろうか。
反面、門は小さい。
幅一メートルちょっとくらいの片開きの扉が開け放たれていた。
やぐら
門の上には割と立派な櫓が乗っている。
門番もそちらにいるようだ。
この門をしょぼいといっていいのかどうかはよく分からない。
門よりは通用口という感じなんだろうか。
門を出ると、多少の空き地はあるが畑はなく、すぐ林になってい
た。
うっそうとした森ではなく、木立も少し広めにあいた林だ。
その林の中を、人が踏み固めただけの小道が通っている。
あれが冒険者の教えてくれた道だろう。
五分ほど歩いて迷宮の前に出る。
入り口に探索者はいなかった。
担当の探索者がいないとはこのことか。
入り口の探索者がいれば上の階層に連れて行ってもらうこともで
きるが、いないので一階層に入る。
デュランダルを出した。
ロクサーヌがいないので、行き当たりばったりにさまよう。
ロクサーヌのありがたみを実感した。
その後、ベイルの迷宮を経由して一度家に帰る。
シエスタの時間を取って寝不足を解消した。
起きてから迷宮でMPを回復しつつ、ペルマスクに飛ぶ。
どれだけ距離があろうが途中でMPを回復しながら進めば万全だ。
1081
ペルマスクの冒険者ギルドで少し待つと、二人が帰ってきた。
それぞれ大きな荷物を前に抱えている。
鏡を二枚、ちゃんと買えたようだ。
しまった。
買えたのはいいが、鏡があると中継ポイントが。
ガラスの鏡は割れやすいだろう。
考えが足りなかった。
﹁すみません。お待たせしました﹂
﹁大丈夫だ。買えたようだな﹂
﹁はい﹂
﹁じゃあ帰るか﹂
まあしょうがない。
それに一度はテストしてみる必要もある。
ペルマスクの冒険者ギルドから、一気に家まで飛んだ。
家に着くと、大地がゆがむ。
ゆがんで悲鳴を上げた。
大地がゆがみ、闇が満ち、空気がよどむ。
大気が俺に重くのしかかってきた。
原因はもちろんMPの使いすぎである。
ここまで減ったのは久しぶりだ。
ああ、駄目。
ああ、神様。
ああ、お許しください。
1082
私が何かいけないことをしたというのでしょうか。
﹁やはりペルマスクから一度に飛べるのですね。さすがはご主人様
です﹂
﹁⋮⋮ぎりぎりだ。荷物を置いたらすぐ迷宮に飛ぶから、魔物を探
してくれ﹂
ロクサーヌにお願いする。
せっかくほめてくれたのに、なんかかっこ悪い。
しかも飛んだ先はクーラタルの四階層だ。
背に腹はかえられない。
安全第一。
家からならベイルよりクーラタルの迷宮の方が近い。
近い方がMPを消費しない。
そして、デュランダル一振りで魔物を屠れる四階層がベストだろ
う。
と思ったのに、出てきた魔物はチープシープ一匹とスパイスパイ
ダー二匹の団体だった。
団体はやめて、団体は。
スパイスパイダーは毒グモなのだ。
戦ったらまた毒を受けるに違いない。
スパイスパイダーはクーラタルの迷宮三階層の魔物だから、四階
層でも結構な頻度で出てくる。
考えたらずだった。
俺は知能が少ない。
1083
もちろんロクサーヌはよかれと思って団体を探したのだ。
俺に意地悪をするために団体を探した可能性もなくはないが。
クーラタルの四階層ならこうなることは少し考えれば分かったは
ずだ。
低能な俺の脳。
やはり俺の知能は間違っている。
なんとかデュランダル三振りで倒した。
頭の中のもやが晴れる。
冷静になって考えてみれば、いまさらスパイスパイダー二匹程度
でびびる必要はない。
逃げ出さなくて正解だ。
ロクサーヌとセリーにみっともない姿をさらしてしまったような
気がするが、しょうがない。
さらにMPを回復して、家に帰った。
﹁これがロクサーヌさんと選んだ鏡です﹂
家に着くと、セリーが鏡を包んだパピルスをはがす。
中くらいの大きさの卓上鏡だった。
机の上に置けるようスタンドがついている。
﹁ご主人様のおかげで、いいものが買えました﹂
﹁私も実際にペルマスクの鏡を見るのは初めてです。話には聞いて
いましたが、きれいに映る鏡です﹂
別に普通の鏡だ。
むしろ、少し映りが鈍くないだろうか。
1084
まあこの世界で普通にある金属鏡とはくらぶべくもない。
﹁なんにせよ気に入ってもらえたようでよかった﹂
﹁はい。ご主人様、ありがとうございます﹂
﹁ありがとうございます。この鏡は銀貨五十五枚です。装飾のつい
ていない鏡が銀貨三十五枚でした﹂
渡したお金をきっちり使い切ったようだ。
スタンドがついて二十枚か。
結構な値段だ。
ただし、装飾のついていない鏡の方が一回りちょっと小さい。
その差が銀貨十枚分くらいはあるのかもしれない。
﹁スタンドだけで結構取るもんだ。こっちの方が大きいこともある
が﹂
﹁大きい方が使いやすいと思いましたので。駄目でしたでしょうか﹂
﹁いや。そんなことはない。いいものを選んでくれてよかった﹂
ロクサーヌをフォローしておく。
﹁商品としてペルマスクで鏡を買う人はより華美な装飾のついた鏡
を好むそうです。元の値段が高い方が高く転売できますから。ペル
マスクの方でもそれを分かっていて、金銀や宝石などで枠を飾るそ
うです﹂
セリーが説明した。
もう一枚の鏡も装飾ありのものにした方がよかっただろうか。
しかし、ハルツ公のところに持っていくとして、まだ売れると決
1085
まったわけではない。
ロクサーヌが選ぶにしても俺が選ぶにしても、貴族の好むような
ものを選べるかどうかも分からない。
装飾なしのものにして正解だろう。
﹁付加価値をつける戦略か﹂
﹁ガラス加工の技術、鏡を作る技術、時計を作る技術、金銀や宝石
の細工技術など、ペルマスクにしかないものが多くあります﹂
﹁時計があるのか﹂
この世界に時計があったとは知らなかった。
今まで見たことも聞いたこともない。
﹁ペルマスクはガラス製品の本場ですから﹂
﹁ガラスで、時計を作るのか?﹂
﹁ガラスでないと中の砂が見えません﹂
砂時計かよ。
﹁ま、まあなかなかやり手のようだな﹂
﹁ペルマスクは全体が一つの島なのだそうです﹂
確かに周囲に山はなさそうだった。
冒険者ギルドから見える範囲内でだが。
﹁へえ﹂
﹁島なので、ガラス職人や鏡を作る職人、金銀や宝石の細工師が容
易には逃げ出せません。そうやって職人や技術を囲い込んでいるそ
うです﹂
1086
冒険者ギルドでしかフィールドウォークを使えないようにしてい
るのはそのためだったのか。
逃亡および技術流出対策か。
職人には自由のない厳しい都市だ。
﹁島だってことは、迷宮もないんだろうか﹂
﹁そうだと思います﹂
俺の疑問にセリーがうなずく。
ペルマスクに中継ポイントを作ることもできないようだ。
1087
商売
﹁さて、いよいよこのときがやってきたな﹂
居住まいを正し、俺が厳かに宣言した。
ペルマスクから帰ってきたら、やってもらうことがある。
アイテムボックスから芋虫のモンスターカードを取り出した。
足首に巻いてあるミサンガもはずし、セリーに渡す。
ミサンガ アクセサリー
スキル 空き
もちろんミサンガは抜かりなく取り替えてある。
空きのスキルスロットつきの一品だ。
﹁は、はい﹂
﹁セリーは確かに優秀だという俺の見立てが試されることになる﹂
﹁えっと。最初に作ったミサンガで身代わりのミサンガを融合でき
た鍛冶師が成功するというのは俗信、迷信の類です﹂
セリーは合理的だ。
なかなかに理性のガードが堅い。
しかし、完全に冷静というわけではないだろう。
渡したミサンガが最初に作ったミサンガだとは言っていない。
1088
イワシの頭も信心から。
信じる者は藁をもつかむ。
おぼれる乞食はもらいが少ない。
あわてる者は救われる。
と孫子も言っている。
兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧の久しきをみざるなり。
やり方がまずくてもスピードで勝利した例はあるが、うまくやろ
うともたもたしていて勝ったためしなどないと。
叩けよ、さらば開かれん。
求めよ、さらば与えられん。
﹁俗信だというのなら、最初に作ったミサンガで身代わりのミサン
ガを作り、かつ成功した鍛冶師の実例にセリーがなればいい。簡単
なことだろう。なあ、ロクサーヌ﹂
﹁はい。ご主人様がそのように見立てられたのですから、セリーは
きっと成功するに違いありません﹂
ロクサーヌも使ってセリーを追い込んだ。
プレッシャーが大きい方ができたときの喜びも大きいというもの
である。
だから追い込むだけ追い込む。
これで融合に失敗したらどうするのかという気はしないでもない
が。
あれ?
失敗したらどうするのだろう。
ここまで追い込んでおいて失敗したらまずいんじゃないだろうか。
1089
大丈夫なんだろうか。
ちゃんと成功するのだろうか。
今までたまたま成功していただけという可能性は。
例えば、空きのスキルスロットがあってもレベルが低いと失敗す
ることもあるとか。
百パーセント成功するとはまだ保証されていない。
絶対に成功するとは限らない。
﹁では融合します﹂
﹁いや、待て。あ、いや、今さらしょうがないか。いや、悪かった
な。うん。作ってくれ﹂
ここまで盛り上げておいて失敗したら本当にどうするつもりなの
か。
そう考えたら俺が挙動不審になってしまった。
絶対確実に成功すると決まったわけではない。
本当に大丈夫なんだろうか。
まあセリーは合理的だ。
失敗しても多分乗り切ってくれるだろう。
失敗する鍛冶師の方が多いはずだし。
失敗したとしても、それは神が与えたもうた試練である。
試練を乗り越えてこそ幸せがある。
貧しい人は幸いである。神の国はあなたがたのものだ。
三日月よ、我に七難八苦を与えたまえ。
心の中の月に祈っていると、セリーが融合を開始した。
1090
光が放たれる。
まばゆい光はやがて収まっていった。
息を潜めて見つめる。
身代わりのミサンガ アクセサリー
スキル 身代わり
おお、よかった。
成功だ。
﹁やりました﹂
﹁心臓に悪いな﹂
﹁さすがですね、セリー。やはりセリーは鍛冶師として成功します。
ご主人様が見込んだのだから間違いありません。見抜いたご主人様
もさすがです﹂
ロクサーヌがはやし立てる。
本当は俺がはやし立てる予定だったのだが、緊張しすぎて煽るに
煽れない。
﹁ありがとうございます、ロクサーヌさん﹂
﹁と、とにかくよかった。さすがはセリーだ﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
まあこれでよかったのだろう。
俺が煽り立てても嘘臭いし。
1091
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv35 英雄Lv32 魔法使いLv34 僧侶Lv34
料理人Lv30
装備 ワンド 革の帽子 革の鎧 革のグローブ 革の靴 身代わ
りのミサンガ
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv22
装備 シミター 木の盾 革の帽子 皮のジャケット 革のグロー
ブ 革の靴
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv19
装備 棍棒 革の帽子 皮のジャケット 防水の皮ミトン 革の靴
早速、身代わりのミサンガを着けてベイルの迷宮に入った。
浮かれた気分でウサギや他の魔物を狩っていく。
ちなみに、身代わりのミサンガとただのミサンガで試したところ、
いくつ身に着けても有効になるのは最初に着けた装備品だけだった。
複数のミサンガを着けても鑑定で表示されるのは最初の一個だけ。
右の足首にミサンガを着け、その後で左の足首に身代わりのミサ
ンガを着けても、鑑定ではミサンガとだけ表示された。
その状態で右の足首のミサンガをはずすと、鑑定上では何も装備
していないことになる。
左の足首に着けた身代わりのミサンガは、おそらく装備した段階
で無効と判定されたのだろう。
1092
表示されないだけで実際は有効になっているという可能性には期
待しない方がいい。
セリーの話でも、身代わりのミサンガが切れたら毎回装備しなお
さないと駄目らしいし。
身代わりのミサンガを二つ着け、一個めのミサンガが切れたとき
に自動的に二個めのミサンガが有効になって次の攻撃を肩代わりす
る、という使い方はできなくなっているようだ。
身代わりのミサンガを大量に装備して敵の攻撃を何度も肩代わり
させる、という金満作戦は無理らしい。
その日の狩で、ベイルの迷宮九階層のボス部屋に到着した。
オーバーホエルミングを駆使してラピッドラビットを屠る。
倒し方が分かっているので、今回は苦戦することなく倒せた。
苦手にならずにすんだようだ。
﹁ベイルの迷宮十階層の魔物は何だ?﹂
﹁ニートアントです﹂
セリーが教えてくれる。
ニートアントか。
毒をもらって以来ニートアントが少し苦手気味だ。
十階層に移動して、魔物を狩った。
Lv10でもニートアントを倒すのに必要な水魔法は三発らしい。
三発で倒せるのなら問題はない。
ベイルの迷宮十階層でも戦えるようだ。
迷宮を出た後、帝都まで市場調査に赴く。
ゴスラーのところに鏡を持っていく前に、帝都ではどのくらいの
値段なのか調べておいた方がいい。
1093
ロクサーヌとセリーには夕食を頼んで一人で出かけた。
帝都にある高級雑貨店で鏡を見る。
壁掛け用の鏡に、ごてごてとした枠がついていた。
木で作られた飾りが幾何学模様みたいに絡まっている。
装飾のついた鏡とはこういうことか。
確かに無駄にけばけばしい。
スタンドのついた卓上鏡もあるが、大きな姿見や三面鏡はないみ
たいだ。
値段は、思ったよりも高い。
うちにあるのと同じようなものはなかったが、同じ大きさだと一
番安いので一万八千ナール。
高いものはもっとむちゃくちゃ高い。
ペルマスクの三倍から四倍くらいすると見ていいだろう。
あまりにも高いので早々に撤収した。
値段だけ聞いた俺を店員がどう思ったかは知らない。
後で塩をまかれたかもしれない。
翌朝、クーラタルの迷宮も十階層に移動する。
その前にボスだ。
﹁ニートアントのボスはハントアントです。ニートアントをそのま
ま強くしたような魔物です。スキルを使った毒攻撃も強力ですし、
通常攻撃でも毒を受けます﹂
セリーからブリーフィングを受けた。
1094
強いだけのアリなら全然強敵ではない。
ロクサーヌにとっては。
ボス部屋に入る。
ロクサーヌが正面に立ってアリの攻撃を回避しつつ、後ろから俺
がデュランダルでぼこった。
この作戦がまだまだ使えるようだ。
﹁十階層の魔物は何だ﹂
﹁エスケープゴートです﹂
﹁あれかあ﹂
上の階層で出てくるエスケープゴートは厄介だ。
最初に出会ったエスケープゴートは、思ったとおり魔法三発で逃
げ始めた。
やはり半分のダメージを受けると逃げ始めるようだ。
残り三発を喰らわせ、六発で倒す。
逃げ始めてから三発というのは、ぎりぎりのタイミングだ。
ちょっとでも遅れれば、逃げ切られてしまうだろう。
クーラタルの十階層では、九階層の魔物ニートアントと一緒に出
てくることが多いから、あまり引きつけたくもないし。
もっと上の階層で逃げ出す魔物が出てきたらどうなるのか。
倒すのに魔法七発が必要な場合は、半分の四発めで逃げ出すだろ
うから残り三発で屠れるが、魔法八発が必要になったら逃げ切られ
ることになるだろう。
エスケープゴートが苦手な魔物になりそうだ。
デュランダルを使った場合、エスケープゴートLv10はラッシ
1095
ュ一発で倒せた。
ニートアントLv10も同様にラッシュ一撃で退治できる。
通常攻撃ならデュランダルで二振りだ。
毒を受ける恐れがあるニートアントにもラッシュを使った方がい
いか。
MPを回復したいからデュランダルを使うのに、MPを消費する
ラッシュで攻撃するのは本末転倒のような気もするが。
ただし、ラッシュに必要な分以上のMPは多分吸収できている。
ラッシュのMP分効率は悪くなるが、やむをえない。
十階層でデュランダルを出すときには戦士をつけるようにしよう。
迷宮を出た後、今度は鏡を持って一人でハルツ公領のボーデに出
かけた。
イケメンぞろいのエルフの園へ行くのにロクサーヌやセリーは連
れて行かない方がいい。
二人には洗濯と朝食を頼んでいる。
三割アップが効く可能性を考えれば二枚用意した方がいいが、今
回はそこまでしていない。
売れなかったら丸損になる。
最初の一枚は試供品なのでしょうがない。
災害救助のときに使った宮城の一室に出た。
冒険者がフィールドウォークを使う壁のあるロビーのような部屋
だから、ここでいいだろう。
﹁騎士団長のゴスラー殿にお目通り願いたいのだが﹂
奥にいる騎士団員っぽい騎士にワッペンを渡す。
1096
騎士が表裏を確認した。
﹁お名前をうかがってもよろしいでしょうか﹂
﹁名前はミチオ。洪水のときの冒険者だといえば、分かるはずだ﹂
﹁それでは、こちらでしばしお待ちください﹂
騎士が城の奥に入っていく。
さすがにワッペンのおかげかあっさり通じた。
ロビーで待つ。
部屋の中は結構明るい。
側面の窓が開け放たれており、そこから光が入っていた。
前に来たときは木の扉で閉じられていたはずだ。
洪水の災害救助で来たのだから、あの日は雨だったのだろう。
クーラタルではまだ日が昇ったばかり。
それなのにここはすでに日が高いようだ。
北にあると聞いていたが、東にずれているのだろうか。
﹁おお。やはり冒険者殿であったか﹂
窓の方を見ていると、後ろから声がかかった。
この声はゴスラーじゃない?
振り返ると、ハルツ公爵が立っていた。
なんか光りそうな笑顔をしている。
何故呪詛でエルフを殺すことはできないのか。
ロクサーヌとセリーを連れてこなくて正解だ。
1097
﹁えっと。ゴスラー殿は?﹂
﹁ゴスラーは今訓練所に行っておる。話は余が代わりに聞こう。部
屋までついて参れ﹂
公爵がさっと身を翻してロビーの外に出た。
前回同様せっかちだ。
貴族の当主ならもっと泰然とかまえた方がいいのではないだろう
か。
イケメンだから何をしてもかっこいいのかもしれないが。
﹁日が昇ったら出かけてしまうかと思って早めに来たのですが、遅
かったですか﹂
﹁問題ない。この季節であるからな。もう間もなくすると、明るく
なってから目覚めるようになる﹂
﹁ああ﹂
なるほど。
季節が関係するということは、北にあるからだ。
春から夏にかけては北に行くほど日の出が早い。
北極圏なら白夜となる。
クーラタルより北にあるから、クーラタルより日の出が早いのか。
﹁先だってはそのほうにも苦労をかけた。雨もあがったし、水位も
落ち着いてきている。もう洪水の心配はあるまい﹂
﹁大事にならなかったようでなによりです﹂
公爵が扉を開けて部屋の中へと入った。
前に来たのと同じ小さな執務室だ。
﹁まあ座れ。ところで、何を持っておるのだ﹂
1098
﹁先日、クーラタルの商人ギルドでゴスラー殿と会いまして﹂
﹁あのときか﹂
公爵がイスに座る。
俺は鏡を公爵の机の上に置いた。
﹁贈り物にペルマスクの鏡を使うこともあると聞きましたので﹂
鏡を包んでいたパピルスをはがす。
ゴスラーではなくて公爵に見せるのは怖いが。
ありがたくもらっておく、とか言いそうだ。
﹁余の謁見室にもあるが、やはりいいものだな。装飾はついておら
ぬが﹂
﹁ええっと。領内ではいい木材も取れるでしょう﹂
﹁なるほど。タルエムを使えばいいか﹂
何かあるらしい。
窓の外に森が見えたので思いついたのだが、うまくいった。
森があれば林業や木の加工業もあるだろう。
﹁贈答用に使うのであれば、枠はこちらの領内で作れるものを使う
のがいいと思います﹂
﹁そうであるか﹂
公爵は、一つうなずくと机の上にあった鈴を鳴らす。
﹁お呼びですか﹂
鈴が鳴ると、すぐに扉が開いて誰かが入ってきた。
1099
早い、早いよ。
﹁うむ。ゴスラーにすぐ来るよう伝えてくれ﹂
﹁はっ﹂
簡潔に返事をして、出て行く。
完全に頭を下げていて、俺には顔も見せなかった。
多分護衛の人だろう。
城内ならすぐに誰か駆けつけるとか言ってたが、しっかりとマー
クしているに違いない。
気ままに振舞っているように見えて、影には護衛が潜んでいると
いうことか。
﹁鏡の買い取りについてはゴスラーと相談してくれ。このエンブレ
ムは返しておこう﹂
公爵が机の上にワッペンを置く。
受け取ってソファーに座り、ゴスラーを待った。
やがて、ノックの音がして、ゴスラーが入ってくる。
﹁失礼します。遅れました。おお。これは冒険者殿﹂
﹁ミチオ殿といわれるらしい﹂
公爵に自己紹介したっけ、と思ったが、受付の人に最初に名乗っ
たか。
﹁ミチオです﹂
﹁ペルマスクの鏡を持って参られた﹂
1100
﹁ほお﹂
ゴスラーが机の上の鏡を見た。
﹁タルエムで枠を作らせればよかろう﹂
﹁なるほど。そうですね﹂
﹁余は悪くないと思うが﹂
鏡を見ながら公爵とゴスラーが相談する。
ゴスラーが俺の方に向きなおった。
﹁装飾のついていないものは手に入りにくいと思いますが、大丈夫
ですか﹂
﹁ペルマスクに行けば買えるので﹂
﹁ペルマスクまで行かれたのですか?﹂
まずかったか?
﹁⋮⋮はい﹂
﹁ほう。さすがに優秀な冒険者のようじゃ。余が見込んだだけのこ
とはある﹂
公爵の誤解が大きくなってしまった。
﹁ボーデからペルマスクまで行ける冒険者は騎士団にもいません﹂
﹁まあ楽にとはいきませんが﹂
俺だってボーデからペルマスクまで行けるかどうかは分からない。
少なくとも、ちょっと勘弁してほしいところではある。
1101
﹁業者に渡して試しに枠を作らせる必要もありますので、当座であ
と十枚ほどほしいのですが、調達できますか﹂
﹁一度では運べませんが﹂
﹁何日に分けていただいてもかまいません﹂
﹁それなら大丈夫でしょう﹂
ペルマスクで売ってくれなくならない限りは大丈夫だ。
﹁大きさについては多少バリエーションがあった方がいいです。値
段は、どのくらいでしょうか﹂
値段か。
帝都で買うと三倍以上というところだが。
銀貨三十五枚だったので、三倍で一万五百ナール。
思い切ってそれぐらい吹っかけてみるか。
あるいはそれでは高いか。
騎士団がその気になれば、自分たちの手で鏡を買うこともできる。
一人では行けなくても、冒険者六人でパーティーを組ませ交代で
フィールドウォークを使えば、ペルマスクまで行くことは可能だろ
う。
きつければペルマスクで一泊してもいい。
冒険者のコストを一日一人千ナールとして、六人のパーティーが
一人一枚の鏡を二日かけて持ち帰るとすると、かかる経費は鏡一枚
二千ナールだ。
原価を足して五千五百ナールで手に入る。
冒険者のコストが半分の五百ナールなら、鏡の経費は一枚千ナー
1102
ル。
一日で往復できればさらに半分の五百ナールになってしまう。
そう高く吹っかけるわけにもいかない。
﹁うーんと⋮⋮﹂
﹁そうですね。この大きさであれば、一万二千、いや、一万三千ナ
ールというところでどうでしょう﹂
悩んでいると、ゴスラーの方から値段を提示してきた。
﹁それは少し高いのでは﹂
﹁帝都で買ってもおそらくそれくらいはします。帝都に行くにはこ
ちらも費用がかかりますので﹂
﹁冒険者の人数をそろえて直接ペルマスクまで行けば、半額ですみ
ますが﹂
﹁人を雇うというのは大変です。毎日必要になるものでもありませ
ん。スポットで買うのですから、多少高くなるのはやむをえないで
しょう﹂
騎士団経営者としての判断か。
ほしいときに雇って、いらなくなったら即解雇というわけにはい
かないのだろう。
人を雇えば、仕事がないときでも丸ごと面倒を見なければならな
い。
冒険者を雇うことは、最初は安いように見えて、長期で考えれば
高くつく。
まあその騎士団に冒険者として俺も誘われたわけだが。
﹁では一万ナールもいただいておきましょう﹂
1103
﹁本当にそれでよろしいのですか﹂
﹁はい﹂
三倍近くで売れるなら、いい商売だろう。
1104
コハク
﹁ペルマスクに直接行かれるのでしたら、コハクを買われるのがい
いかと思います﹂
鏡を売るとゴスラーがアドバイスをくれた。
﹁コハク?﹂
﹁はい。領内の特産品です。宝石ですから小さくて高価です。ペル
マスクでの相場は知りませんが、それなりの値段になるでしょう﹂
﹁なるほど﹂
ペルマスクから鏡を持って帰るだけではなく、行きにも何かを持
っていけば二重の利益が出る。
当然そうすべきだろう。
ちゃんと翻訳されたからこの世界にもコハクがあるようだ。
ダイヤモンドのような高いものではなく、かさばるものでもない
から、冒険者が持ち運んで交易するにはきっといい商品に違いない。
﹁ボーデにある業者を紹介しましょう。うちとも取引のある、確か
な業者です。ボーデの冒険者ギルドのすぐ隣にあります﹂
﹁では余が紹介状を書こう。紹介状があれば、変なものを売りつけ
られるようなことはあるまい﹂
公爵が羽ペンを取って何か書きだした。
書き終わるとパピルスをたたみ、合わせ目に融けた蝋を落とす。
1105
落とした蝋に印鑑か何かを押しつけ、封をした。
紹介状というのはこうやって作るのか。
紹介状を受け取って、部屋を辞する。
ロビーに戻って、宮城を後にした。
時間もないのでそのまま家に帰る。
朝食を取ってベイルの迷宮に入り、探索の後ザビルにある迷宮に
移動した。
行きは楽なのだ、行きは。
迷宮でMPを回復しつつ進めば、何の問題もない。
﹁ここはどこでしょうか?﹂
﹁ペルマスクへの中継地点となる迷宮だ。一階層はミノがいるから、
探してくれ﹂
こうしてただロクサーヌに頼めばいい。
﹁ペルマスクへ行かれるのですか﹂
﹁昨日買ってもらったのと同じような、装飾も何もついていない鏡
をまた買ってきてくれ。全部で十枚、買い手がついた﹂
﹁十枚ですか﹂
﹁すぐにというわけではないから、買って運ぶのは一人一枚ずつで
いい﹂
ガラスだから割れやすいし、梱包もしっかりしたものではない。
持つだけなら何枚か持てるだろうが、大量には運ばないほうがい
いだろう。
割れたりしたら大変だ。
1106
別に五往復すればいいだけの話である。
五往復って。
あれを五回も味わうのか。
行きはいいのだ、行きは。
問題は帰りだ。
一気に飛ぶから、MPをごっそり消費することになる。
まあしょうがない。
鏡を持って帰ることになるから、迷宮に寄ることもできない。
鏡を持つのはロクサーヌとセリーだから、割れたら厄介なことに
なる。
俺が自分で持って自分で割ったのなら笑ってすませられるが、奴
隷の二人が割ってしまったらどうなるか。
笑ってすますでは済まされないだろう、多分。
MPを回復して、ペルマスクへ飛んだ。
﹁それではいってまいります﹂
﹁鏡は、前と同じ大きさか、少し大きさの違うものを二枚。それと、
コハクを買ってくれるところでしたね﹂
セリーが確認する。
うなずいて見送った。
二人を送った後、迷宮づたいにボーデまで移動する。
迷宮づたいなら何の問題もない。
面倒ではあるが。
1107
宮殿で冒険者ギルドの場所を聞き、街に出た。
コハクを扱う業者があるのは冒険者ギルドのすぐ隣ということだ。
石畳の静謐な道を歩いていくと、場所はすぐに分かった。
どこの冒険者ギルドにも入り口には四角いエンブレムの描かれた
看板が掲げられている。
多分、大地をモチーフにしたものだろう。
冒険者なら大地のどこにでも移動できる。
その看板がある冒険者ギルドの横に、入り口の開け放たれている
建物があった。
そこがコハク商の店に違いない。
中に入る。
店の中にはコハクも何も置かれていなかった。
店というよりは事務所に近いのか。
﹁いらっしゃいませ﹂
﹁ここはコハクを扱っている店で間違いないか﹂
﹁手前どもで間違いはございません﹂
おおだな
出てきたのは、渋いネコミミの商人、♂だ。
恰幅のよい大店の番頭さんがネコミミをつけている感じ。
意外と似合うな。
﹁エルフではないのか﹂
﹁コハクは海で採れますので。海であれば私ども猫人族のテリトリ
ーです﹂
1108
小さくつぶやいたのを聞きとがめられてしまった。
なんかよく分からないが、そういうものらしい。
コハクは海で採れるのか。
実はコハクじゃなくて真珠?
﹁遠方へ赴くことがあるので、コハクを商いたいと思っている。騎
士団の話ではここがよいということだったのでな﹂
紹介状を渡した。
﹁こちらは⋮⋮公爵様直々のご紹介状では﹂
﹁書いていただいた﹂
﹁公爵様直々のご紹介状をいただいたお客様を無碍にすることはで
きません。こちらにお越し願えますか﹂
奥に通される。
ハーブティーまで出された。
領主からの紹介状だけに威力は絶大なようだ。
﹁すまんな﹂
﹁近場のお客様や帝都へは当商会でも直接卸しているので、あまり
邪魔されるのは困ります。どちらに持っていかれるご予定でしょう
か﹂
﹁今度行くのはペルマスクだ。赴くついでなので、本格的、大量に
扱うわけではない﹂
﹁さようでしたか。ごく少量であれば、どこでお売りになってもか
まわないでしょう。ペルマスクほどの遠方であればまったく問題は
ありません﹂
商人が小さな木箱を出してくる。
1109
テーブルの上に置いた。
中に、淡い琥珀色の透明な宝石がある。
ちゃんとコハクだ。
真珠じゃなかった。
﹁よかった﹂
﹁このような小さいもので数千ナールから。ネックレスなどに仕立
てますと数万ナールするものもございます。こちらのネックレスで
すと五万五千ナールです。大きな粒を使ったもので、大変希少な品
となっております﹂
商人がネックレスを渡してくる。
楕円にカットされ磨かれた卵型のコハクが十数個つながったネッ
クレスだ。
現代日本にもありそうか。
あるいは、ちょっと古めかしいだろうか。
装飾品なんてよく分からない。
﹁ふうん﹂
﹁もしくは、ペルマスクは工芸で有名な都市ですから、持っていか
れるのなら加工する前の原石がよろしいかもしれません﹂
ネックレスをすぐ返したので興味ないと思われたか、さらに説明
してきた。
﹁そうだな。原石の方がいいかもしれん﹂
﹁原石は今、手元にありません。今度こられるときまでに用意して
おきます﹂
1110
﹁どのような需要があるか、実際ペルマスクへ行って探らせよう。
調達するときにはまた世話になろう﹂
﹁そのときをお待ちしております﹂
顔だけつないで、ボーデを後にした。
迷宮をつたってペルマスクに戻る。
めんどくさくはあるが、回復しながらなので弊害は生じない。
冒険者ギルドでしばらく待つと、二人が戻ってきた。
今回も、鏡を二枚、ちゃんと買えたようだ。
いったん直接家に帰った後、鏡を置いてクーラタルの二階層に飛
ぶ。
スパイスパイダーが大量に出てくるような過ちは犯さない。
毒ごときにびびってしまう己のへたれ具合には愛想が尽きかけた
が。
MPを回復して、家に戻る。
これをまだあと四回か。
﹁ちゃんと買えたようだな﹂
﹁はい。十枚で銀貨三百枚でいいそうです﹂
﹁ほお﹂
値切ったのか。
えらいな。
さすがはセリーだ。
﹁ただし、すみません。手付けということで、銀貨を全部置いてき
ました。鏡一枚分先払いになります﹂
1111
﹁その程度はしょうがないだろう﹂
銀貨は前と同じく九十枚持たせておいたから、ちょうど鏡三枚分
だ。
所持金を全部出すからと値引き交渉をまとめてきたのかもしれな
い。
合理的に考えるセリーはしたたかでもあるようだ。
大口で買ったから安くもしてくれたのだろうが。
﹁鏡の大きさは、大きいものと小さいものの組み合わせで買えるよ
うに交渉しました﹂
﹁さすがだな﹂
﹁コハクについては、原石であれば是非ほしいとのことでした。装
飾加工もやっているので装飾に使うか、他の工房に売ることもでき
るそうです﹂
原石か。
コハク商の意見が正しかった。
送り出したときにはコハクというだけだったのに、ここまで話を
してくるとは、やはりセリーに任せておけば間違いはない。
その日は風呂を入れて労をねぎらう。
もちろん一緒に入ったので、こちらもたっぷりと慰めてもらった
が。
翌々日の昼間、ロクサーヌとセリーを連れてボーデに赴いた。
朝には一人でボーデの宮城に行って、鏡を運んでいる。
二日かけて二枚。
ゴスラーのジョブである魔道士にはカルクはなさそうだし、あま
り高く買わせるのも悪いので、売却は一枚ずつだ。
1112
まあ一万ナールで売れれば十分だろう。
一人で二枚持っていくのは大変だし、ロクサーヌと一緒に行って
イケメンに逢わせるのも癪だ。
今回はコハクを選ぶことになるかもしれないから、二人を連れて
きている。
﹁これはこれは。お待ちしておりました﹂
商会に入っていくと、ネコミミの番頭商人が出迎えた。
一ミリも可愛くはないが、妙にほのぼのとした感じがある。
揉み手でもしそうな人当たりのよい柔らかさとネコミミがマッチ
している。
外見にだまされそうだ。
﹁やはりペルマスクで原石の需要があるようだ﹂
﹁さようでございましたか。いくらか用意できております。こちら
にお越しください﹂
奥に通された。
従業員らしきネコミミ少女がハーブティーを四つ置く。
ネコミミはいいものだ。
ロクサーヌとセリーもちゃんとお客扱いらしい。
ハーブティーに口をつけた。
のどを潤していると、商人が大きめの木箱をテーブルの上に置く。
﹁わあ﹂
両隣から声が上がった。
1113
ロクサーヌとセリーだ。
綺麗なものはやはり好きらしい。
﹁こちらなど、いかがでしょうか﹂
商機と見てか、早速商人が勧める。
さすが利にさとい。
商人め。
﹁いえ⋮⋮﹂
﹁まあ見せてもらうだけは見せてもらえ﹂
﹁分かりました。見るだけなら﹂
遠慮する二人に促した。
ロクサーヌとセリーがコハクを手にする。
﹁それで、これが原石なのか﹂
磨かれたコハクとは別に、赤っぽい石が箱に入っていた。
コハクだから、石ではないが。
商人が一個取って、渡してくる。
﹁原石そのままというわけではございません。海岸などで採れた原
石を荒削りしたものでございます。そうしませんと、質がまったく
分かりませんので﹂
﹁なるほど﹂
﹁お客様は、どのようなコハクがよいか、ご存知でいらっしゃいま
すか﹂
﹁知らないな﹂
1114
知っているはずがない。
地球のコハクについても知らないし、知っていたとしてもこの世
界にはこの世界の好みがあるだろう。
﹁基本的には、透明度が高く、赤みがかった色合いのものが上等と
されます。荒削りすることである程度の色は分かりますが、絶対で
はございません﹂
﹁そうか﹂
﹁磨くと中に異物が入っていることもございます。コハクは、女神
がたかってくる虫などを魔法で追い払ってできたものだとされてい
ます。そのために虫が入っていることも多々ございます。小さなア
リなどが一匹丸ごと入っているものは、それはそれで美しく、高い
価値を有します。荒削りの段階ではそこまでの判断はできません﹂
コハクは松脂などが固まってできた化石だと思うが。
この世界でも。
分からないことはセリーに聞いてみよう。
﹁女神の魔法なのか?﹂
﹁女神の魔力が閉じ込められているはずなので、装備品に使えない
かと考えるドワーフはいます。製作できたという話は聞きません。
魔物が落とすアイテムではないので無理だという理解が一般的です。
他には、魔力を取り出せないかと研究している学者さんもいます﹂
敢えて言おう、無駄である、と。
﹁そうなのか﹂
﹁昔の偉い学者さんで、こすることで魔力を取り出したと主張する
人もいました﹂
1115
それは多分静電気だ。
商人に向き直って、原石を返した。
﹁荒削りの段階でコハクのよしあしを判断するのも難しそうだな﹂
﹁長年扱っている者でないと無理だと思います。今回はあまりくせ
のないものを用意させていただきました。これと同程度の大きさ、
品質で一個八百ナール。今回は全部で二十個まで融通できます﹂
八百ナールというのは、安いような気もするが、所詮石ころだと
思えば高いような気もする。
磨いて数千ナールか。
手間を考えればそんなものなんだろう。
﹁まあ公爵からの紹介だからな。全部もらうとしよう﹂
どうなるか分からないが、全部買ってみる。
すでに公爵に鏡を三枚売却してそれ以上の利益は出ている。
失敗しても高い授業料だと諦めのつく範囲だろう。
商談を終えても、ロクサーヌとセリーはコハクにかかりっきりだ。
素人によしあしが分からないなら、二人を連れてくることはなか
った。
まあ、コハクを見て喜んでいるみたいだからいいか。
ロクサーヌなどは熱心にネックレスを見つめている。
あの胸にコハクのネックレスが載ると考えると。
いかん。
これは暴力だ。
1116
コハクのネックレスがじかに載った胸を思う存分鑑賞できたら。
もみたい。
もみしだきたい。
ベッドの上で着けさせたい。
そのためには買うしかない。
買えばロクサーヌも喜ぶだろう。
か、買うしかないのか。
待て。
あわてるな。
これはコハク商の罠だ。
そんなことは無理だ。
目をそらした。
セリーはと見ると、やはりネックレスとにらめっこしている。
ちょっとしかめっ面だ。
セリーの方はあまり気に入ってはいないらしい。
﹁そちらのおかたには、このようなものが似合うかと存じます﹂
商人が違うネックレスを持ってきた。
濃い赤い色の、大きな粒がそろったネックレスだ。
セリーがそれを胸元に当てる。
とたんにセリーの顔がほころんだ。
﹁わあ﹂
﹁確かに﹂
1117
なるほど。
セリーの胸元でネックレスがゴージャスに輝いている。
これはかなり引き立つ。
﹁で、でも。あの、私は別に⋮⋮﹂
セリーは遠慮しているが、気に入ったらしいことは分かった。
﹁こちらのネックレスは赤みが濃く、好まれる色合いなので四万五
千ナール、あちらのおかたが手にしておられる方は三万ナールとな
っております﹂
商人が勧めてくる。
買えない金額でもないというところにいやらしさを感じる。
しかし残念。
ロクサーヌのネックレスがセリーのネックレスよりも安いという
わけにはいかないだろう。
なにしろ一番奴隷らしいから。
これで難を逃れた。
買わずにすむ。
コハク商は最後に高いものを勧めすぎたのだ。
﹁そうか﹂
﹁あちらのおかたには、このようなものもお勧めです﹂
俺がそっけなく振舞っていると、商人がまた違うネックレスを取
り出した。
1118
それをロクサーヌの前に置く。
﹁ほう﹂
﹁色は薄めですが、異物などがまったく入っていないものを集めた
当商会自慢の一品です﹂
やや薄い色合いの、その分透明度の高いコハクだ。
中央にひときわ大きな粒があり、その前後も大きな粒がみっちり
と連なっている。
﹁どうですか?﹂
ロクサーヌが胸元に当てながら訊いてきた。
山が、三つだと⋮⋮。
中央にコハクの大きな山が一つ。
透明なコハクの向こう側に、左右に大きな山が二つ控えている。
淡いだけにネックレスは強い自己主張をしない。
ロクサーヌの胸のふもとに静かにはべっている。
その一歩引いたたたずまいが、後ろにある山の高さを煽り立てた。
ふ、ふざけるなよ。
戦争だろうが。
見ているうちはまだしもそれを胸に載せたら。
戦争だろうがっ。
﹁に、似合ってるな﹂
﹁ありがとうございます﹂
笑顔がまぶしい。
1119
﹁いかがでございましょう﹂
﹁た、確かにこっちの方が似合っているような﹂
﹁こちらのネックレスですと、五万ナールになります﹂
セリーのネックレスより五千ナール高い。
つまり、退路はふさがれたということだ。
1120
限界
言われたとおりに七万七千七百ナールを支払って、商会事務所を
後にした。
くそっ。
何が公爵様からの紹介なので特別サービスだ。
ただ三割引が効いただけじゃねえか。
まあしょうがない。
何がしょうがないか分からないが、しょうがない。
ボーデの冒険者ギルドからベイルの迷宮を経由してザビルの迷宮
に飛ぶ。
迷宮の小部屋で、コハクのネックレスをロクサーヌの首に着けた。
上から見ると胸のせりあがり具合が。
そこにコハクが載って艶かしい雰囲気を。
⋮⋮買って正解だ。
﹁ありがとうございます、ご主人様。でも、よろしかったのですか﹂
﹁大丈夫だ。二人にはペルマスクでコハクを売ってもらうわけだか
ら、自分でネックレスの一つも着けておかないといけないだろう。
これは必要経費だ﹂
実際、考えてみればそのとおりではある。
ある種の実演販売だ。
コハクを売るセールスレディーならコハクを身に着けておくべき
だろう。
1121
﹁それでは、お借りしますね﹂
﹁借りるのか?﹂
続いてセリーの首にネックレスをかけながら、訊く。
﹁所有者が奴隷のために買ったものも、当然所有者のものです。消
耗品や肌着や生活必需品なら別になりますが﹂
セリーが答えた。
そういうものなのか。
二人のために装備品を買いそろえても、所有権は俺にあるという
ことか。
﹁なるほど﹂
セリーにもネックレスを着ける。
﹁ありがとうございます﹂
﹁いずれにしても、二人ががんばってコハクの原石を売ってくれれ
ばすぐに元は取れる。少なくても倍以上で売ってきてくれ﹂
鏡の方は騎士団相手に安く売って三倍で売れた。
コハクもそれくらいで売れるのではないだろうか。
鏡よりも持ち運びが楽だから、そこまで高くはならないかもしれ
ないが。
鏡もコハクも、魔物が残すアイテムではないし、ドロップアイテ
ムを素材に作られた装備品やなんかでもないから、アイテムボック
スには入らない。
1122
しかし、コハクの方は所詮小石だ。
かばんにでも詰めれば、一度でそれなりの量を運ぶことができる
だろう。
セリーに次回分の鏡の手付けも併せ銀貨六十枚とコハクの原石を
渡す。
﹁えっと。今回も行かれないのですか﹂
﹁もちろん二人に行ってもらうことになる﹂
﹁ネックレスも入れると、一財産になりますが﹂
確かに二人が持っているコハクの総額は十万ナールを超える。
ペルマスクでは高く売れるだろうから、もっと高額にはなるか。
持ち逃げするということも考えられなくはない。
しかしそんなことをいっていては、今後高額な装備品を着けたと
きに片時も離れられなくなるだろう。
﹁二人のことは信用している。問題ない﹂
﹁ありがとうございます﹂
最後に税金の銀貨一枚ずつを二人の手に持たせ、ペルマスクへと
飛んだ。
税金が無駄にもったいない。
遮蔽セメントのある建物でもかまわず飛ぶか。
さすがにそれはまずいか。
二人を見送った後、迷宮で時間をつぶし、迎えに戻る。
冒険者ギルドに帰ってきた二人はちゃんと鏡を持っていた。
直接家にワープし、すぐに迷宮へ移動してMPを回復する。
まだあと三回もある。
1123
﹁コハクは一個銀貨四十枚で全部売れました﹂
﹁おお、やった。えらいな﹂
五倍で売れるとは。
想像以上だ。
コハク商に払った金額を上回っておつりがきた。
二人のネックレスはもうただでもらったようなものだ。
俺の三割アップがあればもっと儲かったが。
まあそこまでは欲をかくまい。
三割アップが効くかどうかも分からないし。
﹁今回は特別だと親方がロクサーヌさんのネックレスを見て言って
いました。次があってもそこまでの値段は出せないと﹂
﹁そうか﹂
親方に売ってきたのか。
装飾も何もついていない鏡は工房へ行けば買えるといっていたか
ら、工房の親方なんだろう。
三割アップは効かなそうだ。
しかし何故ロクサーヌのネックレス?
﹁⋮⋮滅びればいいんです﹂
セリーが呪いの言葉を吐いた。
な、なるほど。
親方は男だったのか。
それでロクサーヌのネックレスを見ていたのか。
1124
くそっ。
俺のロクサーヌをなんという目で。
﹁確かに、滅びればいいな﹂
﹁親方の奥さんにも会って話をしてきました。コハクのネックレス
を金貨二十五枚までなら買ってくれるそうです。親方への罰だそう
です﹂
親方、奥さんがいるのか。
それなのにロクサーヌをいやらしい目で見ていたのか。
罰といっているから、それがばれたのだろう。
まあ、ロクサーヌが高く買ってもらいましたといえば、後はその
意味を奥さんが勝手に解釈する。
﹁セリー、よくやった﹂
﹁はい。鏡も一枚につき銀貨二十枚にまけさせました。今回六十枚
出して、鏡二枚分の手付はすでに払ってある状態です﹂
鏡一枚分の手付け金、銀貨三十枚はすでに払ってあった。
この分には変更がなく、今回払う分から二十枚ということか。
ただし、手付けは鏡一枚分から二枚分へと増加している。
﹁ずいぶんと下がったな﹂
﹁あんな親方のやっている工房に利益は必要ありません。滅びれば
いいのです。奥さんには直接セールスをしないからと言ったのです
が、これ以上は下がりませんでした。この価格が本当にぎりぎりの
ようです﹂
﹁そ、そうか﹂
1125
三分の二にまけさせるとは。
容赦ないな。
﹁下がらなかったので、もちろん奥さんにも会ってお話してきまし
た。悪は滅びました﹂
親方はまけさせられた上に奥さんにもばらされたと。
積極的にばらさなくとも、ロクサーヌが安く売ってもらいました
といえば。
セリー、恐ろしい娘。
﹁まことこの世に悪の栄えたためしはないな﹂
﹁はい。ちなみに、金貨八枚で受け取ってきています。ええっと。
合っていますよね﹂
﹁大丈夫だ﹂
セリーは、計算もできるが、一個当たり銀貨四十枚のコハクを二
十個で金貨八枚という勘定には自信がないレベルのようだ。
うなずいてやると、安心した表情でアイテムボックスを開き金貨
を出す。
俺もアイテムボックスを開けて受け取った。
これで所有する金貨は二十一枚。
親方の奥さんに売るネックレスもある。
ゴスラーに鏡を売り終わったら、帝都の奴隷商館を訪ねてもいい
くらいの金額になるだろう。
ただし、迷宮以外で稼いだというのが少々納得のいかないところ
ではある。
迷宮よりも地道に稼いだ方が儲かるのか。
1126
貿易商に鞍替えした方がいいんじゃないだろうか。
まあペルマスクまで行けるのは迷宮でレベルアップしたおかげだ。
最初にワープしたときはベイルの宿屋からすぐ近くの迷宮に飛ん
だだけでへたっていたのだから、迷宮に入っていなければこの稼ぎ
はなかった。
鏡やコハクを購入するための初期費用も必要だ。
迷宮である程度稼いでなければ、そのお金もなかっただろう。
貿易商がそんなにうまくいくものでもないと分かったのは、二日
後にコハク商のところへ出向いたときだ。
﹁前回から日にちがないため、あいにくと用意できておりません﹂
ネコミミのおっさん商人が告げた。
コハクというのはそんなに大量に採れるものではないらしい。
それもそうか。
十分に数があるなら、こんなおいしい商売には誰かが参入するだ
ろう。
このコハク商が冒険者を雇って遠くまで売りさばいてもいい。
それをしていないのはそこまでの供給がないからだ。
逆にいえば、希少だからこそ遠くに持っていくことで値段が跳ね
上がるのだろう。
﹁ないのか﹂
﹁コハクは嵐の後に海岸に打ち上げられていることが多くあります。
そのうち嵐でもあれば、手に入るかと思います﹂
1127
親方の奥さんに売るネックレスがほしいが、今日は買わない方が
いい。
一緒に買えば三割引が効く。
﹁そういえば、タムエルだかタルエムだかいうのは入手可能か?﹂
﹁タルエムですね。木目の美しい白木です。この辺りの特産品です
ので、手に入れること自体は可能でございます。当商会では特には
扱っておりませんが﹂
公爵が鏡の装飾に使うといっていたやつだ。
やっぱり木材のことだったのか。
価値のある木らしいから、ヒノキとかチークとかマホガニーみた
いなものなんだろう。
﹁そのタルエムを使って、ネックレスを入れる小箱を作ってもらい
たい﹂
この前買ったコハクのネックレスは布の袋に入れられていた。
日本で買ったら絶対に何かのケースに入ってくる。
そういう慣習はこの世界にはないらしい。
﹁小箱でございますか﹂
﹁コハクのネックレスは高級品だからな。タルエムの箱があれば、
さらに高級感を出せるだろう﹂
﹁なるほど。確かにおっしゃられるとおりでございます。ですが、
何故私どもにそのことを?﹂
コハク商が食いついてきた。
やはり箱があった方が高級感を演出できるようだ。
1128
﹁俺だけが箱に入ったネックレスを売っても、どうせ評判になれば
すぐに真似されてしまう。それに俺はこの地方の出身ではない。タ
ルエムの小箱を作ってもらうには、地元にあるこの商会の方がうま
くやれるだろう﹂
﹁コハクのネックレスをお売りになられるのですか﹂
﹁遠くの地方でもほしいという人はいるからな。あまり近場では売
らないようにするので安心してくれ﹂
近場にはこの商会が直接売るのだった。
﹁私どもが小箱をつけて売ってもかまいませんか?﹂
﹁かまわない﹂
﹁かしこまりました。早速検討させていただきます。よいことを聞
かせていただきました﹂
原石は手に入らなかったが、小箱を頼んで商会を出る。
高価なネックレスなのに、布の袋ではちょっと寂しい。
箱があった方がいいだろう。
コハクのネックレスは、まだ二回しか着けさせていない。
迷宮に着けていくものではないだろうし。
一回はペルマスクに行ったとき。
もう一回はその日の夕方だ。
薄紅色と白のキャミソールをコハクのネックレスがよく飾ってい
た。
ロクサーヌの突き出た胸にそえられた大きなコハクのネックレス。
セリーの控えめな胸元で輝くゴージャスなネックレス。
1129
最強の一品といっていいだろう。
美味しくいただいてしまった。
﹁親方の奥さんには、いいネックレスを探していますと言っておい
てくれ﹂
家に帰って三回めのネックレスを持ち出し、二人をペルマスクに
送り出す。
公爵に売る鏡を二枚手に入れた。
あと二回。
その日の夕方近く、ベイルの迷宮十階層のボス部屋に到着した。
探索は順調に進んでいる。
﹁一応、十一階層の魔物と戦ってから引き上げるか﹂
そろそろ今日の探索を終えようかという時間だったので、十一階
層には少しだけ足を踏み入れることにする。
十階層ボスである強いだけのアリは、もちろんロクサーヌの敵で
はなかった。
﹁ベイルの迷宮十一階層の魔物はスパイスパイダーです。クーラタ
ルの迷宮で戦っていてベイルの迷宮で戦っていないのはそれだけに
なります﹂
例によってセリーに情報を聞く。
一階層から十一階層までに出てくる魔物のグループはどの迷宮も
同じだ。
クーラタルの迷宮で戦っていてベイルの迷宮では戦っていないス
1130
パイスパイダーが、残ったベイルの迷宮十一階層の魔物ということ
になる。
﹁毒を使ってくるんだよな﹂
﹁はい。ただし、ニートアントより低確率です。クーラタルの迷宮
でも戦っているようですし、問題はないと思います﹂
﹁上の階層に行くほど毒を多く受けるということはないのか﹂
﹁そういうことは言われてないようです。あったとしても少しだけ
でしょう﹂
すでに戦ったことのある魔物というのは大きい。
二つの迷宮を同時攻略するというのは思ったよりも利点があるよ
うだ。
十一階層を進む。
スパイスパイダーLv11は魔法七発で倒れた。
一発増えてしまった。
ただし、デュランダルだと二振り、ラッシュ一発だ。
これは十階層と変わらない。
ニートアントLv11は、水魔法を使っても倒すのに四発かかっ
た。
こちらに来るまでには倒しきれず、常に戦闘するようになってし
まった。
少しの時間だし、このくらいはしょうがない。
ベイルの迷宮十一階層でも戦えるか。
翌朝、クーラタルでも十階層を突破する。
エスケープゴートのボス、パーンとはベイルの迷宮で二回も戦っ
ている。
1131
その経験が無駄にはならずにすんだ。
﹁クーラタルの迷宮十一階層は難易度が高いとされています﹂
ボス部屋を抜けて十一階層に移動するとセリーがレクチャーして
きた。
﹁そうなのか?﹂
﹁クーラタルの迷宮十一階層の魔物はグリーンキャタピラーです。
十一階層に出てくる魔物の中では一番の難敵です。しかも、九階層
の魔物ニートアントもまだ出てきます﹂
グリーンキャタピラーってそんなに強かったっけ?
毒を使うわけでもないし。
と思ったが、糸か。
グリーンキャタピラーは糸を吐くのだ。
そして、スキルは上の階層に行くほど多く使ってくると。
確かに厄介だろう。
糸に捕まって動きの鈍くなったところにニートアントの毒攻撃も
加わる。
凶悪なコンボだ。
﹁そういうことか﹂
﹁糸は避けることも可能です﹂
できる狼人族はそんなことをおっしゃっておられますが。
一度戦ったからといって簡単ではないようだ。
1132
とはいえ、戦ってみるより他はない。
迷宮を進む。
何度か戦ったが、グリーンキャタピラーLv11もそうむやみや
たらに糸を吐いてくるということはなかった。
エスケープゴートLv11は逃げるのが四発めの魔法の後なので、
残り三発で倒せる。
クーラタルの十一階層でも戦えなくもないか。
グリーンキャタピラーが最初に糸を吐いたのは十一階層に入って
四戦めだ。
﹁来ます﹂
そう言ってロクサーヌが飛びのいた。
ロクサーヌのいた辺りに、糸がまき散らされる。
白い糸が空しく宙に舞った。
本当に避けるのな。
前衛とは少し距離を取っていたので、俺にはかかっていない。
ニードルウッドの魔法対策で距離を取ることを覚えたのが幸いし
た。
ただし、あまり距離を取りすぎると後ろから別のグループが来る
恐れが高まるらしい。
二回めの糸吐きスキルもロクサーヌが華麗にスルーする。
三回めは、デュランダルを出しているときだったので未遂に終わ
った。
四回めに糸を吐いてきたとき、セリーが捕まる。
1133
白い糸がセリーをおおった。
何十、何百もの糸がセリーに絡まる。
糸で動きの鈍くなったセリーにグリーンキャタピラーが体当たり
をかました。
すでに六発めのファイヤーストームを撃つところだったので、六
発めの火の粉が消えると同時に七発めを放つ。
グリーンキャタピラーが動けないセリーに追撃を加えたところで、
火魔法が襲いかかった。
グリーンキャタピラー二匹と逃げ出している途中のエスケープゴ
ート一匹が火にまみれる。
そのまま倒れ、煙となって消えた。
﹁大丈夫か?﹂
手当てをしながらセリーに確認する。
﹁はい。すみません。糸を避けられませんでした﹂
﹁それはしょうがない。多分俺にも避けられないだろう﹂
﹁ありがとうございます。もう大丈夫です﹂
六回めの手当てをしようとしたところで、セリーに止められた。
手当て五回か。
結構きついだろうか。
メッキはしていなかったが。
ニートアントやエスケープゴートをデュランダル一振りで倒すに
は、戦士のスキルであるラッシュが必要だ。
デュランダルを出すときに戦士をつければ、現状では錬金術師を
はずさなければならない。
1134
錬金術師をはずせば、メッキの効果は切れる。
﹁最悪の場合、魔法を四回撃つ間、耐えてもらうことになる。いけ
そうか?﹂
セリーに確認した。
接触するまでに魔法を三発放つとして、接触した直後に糸を吐か
れれば、倒すまで四発の間、その状態で耐えてもらわなければなら
ない。
メッキで軽減する手もあるが、魔物の殲滅がメッキをかける時間
分遅れるから、本末転倒だろう。
﹁そうですね。がんばれると思います﹂
がんばれると思う、か。
セリーは合理的だから、実際に駄目と思えば、駄目だと言ってく
るだろう。
しかし、五分五分の状況ならどうか。
若干厳しいが無理をすれば行けるというような場合ならどうか。
俺に遠慮して行けると答えるのではないだろうか。
セリーの答えは、多少割り引いて受け取らなければならない。
がんばれると思うという答えは、少なくとも確実に大丈夫だとは
言えないということだ。
もちろん安全は第一に優先すべきである。
現状では、クーラタルの十一階層は適正レベルの限界を超えたと
ころにあると判断すべきだろう。
1135
カシア
クーラタルの迷宮から、ベイルの迷宮に移動した。
ベイルの十一階層ならグリーンキャタピラーはほとんど出てこな
い。
スパイスパイダーとニートアントが出てくるので毒を受ける可能
性はあるが、多少のリスクはやむをえない。
倒すのに必要な魔法の回数が増えて毒を受ける危険性が高まって
いるとしても。
迷宮に入る以上、リスクとは背中合わせだ。
リスクゼロにはできない。
グリーンキャタピラーにしても、ベイルの十一階層に絶対出てこ
ないという保証はない。
今までだって九階層十階層で出てくる可能性もあったのだし、そ
のときに糸を浴びたら魔法三発放つ間耐えられたかどうか定かでは
ない。
そういえば九階層のときに一度出たか。
あれは八階層だったか。
とにかくそれくらいの頻度だ。
ベイルの十一階層では、ほぼ安定して狩を行えた。
とはいえ、リスクがないわけではない以上、対策は考える必要が
ある。
グリーンキャタピラーが出てきて糸を吐かれてからでは遅い。
簡単なのは、俺の魔法攻撃力を上げるか、セリーの防御を固める
1136
ことだ。
とりわけセリーの皮のジャケットはほぼ初期装備といっていい。
まずはこれをなんとかすべきだろう。
鏡とコハクの交易で得た資金もある。
防御力を高めれば、受けるダメージが減って、糸に捕まっても長
い時間耐えられるようになるだろう。
俺が使っているワンドも、ボスとはいえ低階層ボスのドロップ品
だ。
杖を強化するのもいい。
魔物を倒すのに必要な魔法の数が減れば、敵と対峙している時間
も減る。
一つ減らせれば対峙している時間は四分の三になる計算だ。
四分の三ではまだきついか。
安全に戦うためには二つ減らす必要があるか。
そう考えると結構大変だ。
ワンドの強化は後回しでいいかもしれない。
後は、身代わりのミサンガをセリーに着けさせるという手もある
が。
ただし身代わりは一回限りだ。
過信することはできない。
糸で動けなくなったところをぼこられたら、一度くらい防いでも
あまり意味はないだろう。
身代わりのミサンガは、基本的には不意の一撃をカバーするため
の装備で、想定している危険に対応するための装備品ではないと考
えるべきだ。
1137
迷宮を出た後、まずは防具屋、に行くのではなくてボーデに飛ぶ。
一日一枚鏡を届ける。
最近の日課だ。
ここのところ全然朝食を作っていない。
公爵の部屋まで案内され、鏡を置いてゴスラーから金貨一枚を受
け取った。
﹁城にもそろそろ慣れたであろう。いちいち案内を通さずとも、こ
れからは直接余の部屋まで来るがいいぞ﹂
イスに座った公爵がのたまう。
﹁いいのですか﹂
﹁かまわん。それにこちらの事情もあるのでな﹂
﹁騎士団の方はこれから忙しくなります。領内に三つめの迷宮が出
現しました。二つめの迷宮もまだ先日見つかったばかりなので、早
急に探索を進めなければなりません﹂
ゴスラーが説明を引き継いだ。
迷宮が出てきたのか。
迷宮を退治するのは領主の責任だ。
きっと大変なんだろう。
﹁なるほど﹂
﹁城内に詰める騎士団員の数はどうしても減ることになります。余
計な業務を増やしたくもありませんので﹂
数が減るのに、変な冒険者もどきの俺がうろついてもいいのだろ
1138
うか。
まあ向こうがいいというからにはいいのだろうが。
﹁そういう状況なのでな﹂
﹁了解﹂
﹁城内の者には話を通しておきます﹂
﹁さらに、ミチオ殿には頼みがある。迷宮の探索を手伝ってくれる
とありがたいのだが﹂
公爵が依頼してきた。
手伝いというのは何をさせるつもりなんだろうか。
あまり変なのは困る。
一緒に戦ってくれとか。
﹁あーっと。領内の迷宮に入るだけならば﹂
﹁受けてくれるか﹂
﹁ミチオ殿のパーティーで迷宮に入っていただければ、それでかま
いません﹂
入るだけでいいのか。
そういえば、ゴスラーはロクサーヌとセリーを商人ギルドで見て
いる。
あまり厄介なのは困るが、迷宮に入るくらいなら問題はない。
﹁出身地かどこかの騎士団と契約しているということはないのか﹂
公爵が探りを入れてきた。
なるほど。
冒険者といえど完全に自由というわけではないのだろう。
1139
地縁や血縁のしがらみに縛られる人も多いと。
騎士団への勧誘があっさりしていたのもそのせいか。
﹁まあ今後しばらくこちらの迷宮に入るくらいは問題ないです﹂
だから、俺も故郷とのつながりを否定はしないでおく。
ないと分かったらもっと強引に誘ってくるかもしれない。
﹁優秀な冒険者が迷宮に入ってくれれば心強い﹂
﹁まだ低階層にしか入れませんし、探索の役に立つことはないと思
いますが﹂
そこは否定しておかなければならない。
﹁かまいません。入るだけでも効果のあることはミチオ殿もご存知
でしょう﹂
全然ご存知ではない。
そうなのか。
ここはゴスラーに話をあわせておくべきだろう。
﹁なるほど。入る迷宮に指定は?﹂
﹁入っていただけるのであれば、基本的にはどこに入っていただい
てもかまいません。ただし、お渡ししているエンブレムを見せれば、
騎士団関係者ということで探索の進んでいる最上階への案内が無料
になります。新しく見つかった迷宮の方が有利ではあるでしょう。
騎士団関係者にも階層突破の報奨金は出ます。一つめの迷宮はハル
バー、二つめの迷宮はターレ、三つめの迷宮はここボーデの南にあ
ります﹂
﹁了解﹂
1140
優秀な冒険者
が基本的なことも知らない、では困る。
一部よく分からないところもあるが、うなずいておいた。
﹁ターレは洪水のときに援助物資を運んでいただいた村です。ハル
バーの迷宮には、この後で冒険者に案内させましょう﹂
運んでくれるのか。
それは助かる。
﹁ありがたく﹂
﹁では今日は余がすぐに出よう。そのとき一緒に来ればよかろう。
ミチオ殿はロビーにて待たれよ﹂
公爵が立ち上がり、すぐに部屋を出て行った。
せっかちだ。
あそこはやっぱりロビーでよかったのか。
﹁では、失礼します﹂
ゴスラーに挨拶して、俺もロビーに戻る。
ロビーで待っていると、公爵がやってきた。
美人三人にイケメン二人を連れている。
エルフどもめ。
しかも、うち一人はものすごい美人である。
周囲に日の光が差してきたと勘違いするかのような美しさ。
明るい金色の髪に透けるような白い肌、大きな淡い瞳にほのかに
色づいた桜色の唇。
1141
花束の中でひときわ大輪のバラが咲き誇っているかのような女性
だ。
美人ぞろいのエルフの中でも、一段レベルが高い。
いや、二段高いかもしれない。
上には上がいるもんだ。
﹁紹介しておこう。余の妻室のカシアだ﹂
その美人を、公爵が紹介した。
妻⋮⋮だと⋮⋮。
﹁カシアです﹂
カシアが足を引いて挨拶する。
美人がやると挨拶までエレガントである。
ロクサーヌとはまた違った、すべてが完璧という感じの美しさ。
ギリシャ彫刻かフランス人形かという感じだ。
イケメンともなるとこんな美人の奥さんがもらえるのか。
それともやっぱり公爵だからか。
ねたましい。
なんという身分制度。
なんという格差社会。
なんという不平等。
このような搾取が許されていいものだろうか。
このような苛政が許されていいものだろうか。
1142
このような理不尽が許されていいものだろうか。
不公平だ。
不条理だ。
革命だ。
支配階級は恐れおののくがいい。
プロレタリアには失うものはない。
彼らには勝ち取るべき世界がある。
万国の労働者よ、団結せよ。
︵﹃共産党宣言﹄より︶
﹁はじめまして、ミチオです﹂
しかしカシアの前では頭を下げる。
淑女の前では紳士として振舞わねばなるまい。
﹁とても優秀だという話は公爵からうかがっております﹂
カシアからのお言葉が下賜された。
俺のことを公爵が話していたらしい。
公爵はいい人だ。
革命なんてとんでもない。
カシア・ノルトブラウン・アンセルム ♀ 29歳
魔法使いLv41
装備 ひもろぎのスタッフ 耐水のティアラ 耐火のローブ 耐風
のアームロング 耐土のビットローファー 身代わりのミサンガ
1143
というか、公爵夫人も戦うのか。
耐水、耐火、耐風、耐土の四属性そろい踏み。
これが公爵夫人クラスの装備か。
﹁公爵夫人も迷宮に入られるのですか﹂
﹁当然の務めですから﹂
優雅にうなずかれる。
民のために率先して戦う公爵夫人。
これでは革命の起こりようがない。
﹁では、ミチオ殿も入れて最初に四人でハルバーへ向かう。カシア
とクラウスも入れ﹂
公爵が宣言した。
パーティーは六人までだから、俺がいると二往復することになる。
悪いね。
多分ここにいる六人が公爵のパーティーメンバーなんだろう。
聖騎士と騎士、魔法使い、巫女、探索者、冒険者。
魔法使いに回復役の巫女までいるから、整ったパーティーだ。
冒険者は運ぶだけかもしれないが。
冒険者がパーティーを結成する。
その間に準備を整えた。
﹁では、まいります﹂
1144
俺が最後に公爵のパーティーに入ると、冒険者が壁に向かう。
その隙に、と。
聖騎士Lv14、騎士Lv50、戦士Lv30、村人Lv6、魔
法使いLv1、探索者Lv1、剣士Lv1、森林保護官Lv1、薬
草採取士Lv1。
パーティージョブ設定を使った。
公爵のジョブを見る。
今まで誰にも指摘されたことはないから、使っても分からないは
ずだ。
察するに、戦士Lv30↓騎士Lv50↓聖騎士という流れだろ
うか。
森林保護官というのは、エルフの種族固有ジョブのようだ。
他のエルフでも持っている人がいた。
薬草採取士があるということは、リーフか何かを拾ったのか。
せっかちな公爵らしい。
自らアイテムを拾いまくる姿が目に浮かぶようだ。
冒険者に続いて公爵が壁にできた入り口に入る。
次にカシア。
俺は最後に入った。
ちなみに、パーティージョブ設定ができるということは、公爵の
ジョブを変更することも可能だということである。
薬草採取士Lv1とかに。
くっくっくっ。
1145
公爵はこの後迷宮に入るのだろう。
一階層からというわけではあるまい。
上の階層で魔物も強くなっているのにジョブが薬草採取士Lv1
に変わっていたらどうなるか。
くっくっくっ。
カシアは晴れて未亡人に。
いや、やらないけど。
やらないけど。
やらないけどお。
ハルバーに着くと、冒険者はパーティーを解散してすぐに戻って
いった。
ハルバーというか、どこかの森の中だ。
すぐ近くに迷宮の入り口がある。
﹁誰か四十一階層を突破したものはおるか﹂
﹁いいえ。まだです﹂
公爵と入り口にいた探索者が話す。
現状、この迷宮の探索は四十一階層まで進んでいるらしい。
入り口が出てきたということは、この迷宮は五十階層以上ある。
一番上まで行って迷宮を駆逐するのにまだどれくらいかかるのか。
今の状態でさらに二つの迷宮を相手にするのは大変だろう。
ワッペンを見せれば俺もただで四十一階層まで連れて行ってもら
えるが。
まあ今はいいか。
1146
さすがに俺が四十一階層まで進むころにはこの迷宮も攻略される
だろう。
﹁それでは、お先に失礼します﹂
﹁今後ともよろしく頼む﹂
﹁よろしくお願いしますね﹂
公爵とカシアに挨拶して、迷宮に入った。
いつまでも一緒にいられるわけもなし。
一階層入り口の小部屋からすぐ家に帰る。
朝食を取りながら、迷宮のことをロクサーヌとセリーに話した。
﹁ハルツ公領内にある三つの迷宮に入ることになった。これからは、
ベイルとクーラタルの迷宮ではなく、そっちに入る﹂
﹁分かりました﹂
﹁どこにある迷宮か分かりますか。探索者ギルドで調べてきます﹂
﹁ボーデ、ハルバー、ターレだ﹂
セリーに教える。
﹁ボーデ、ハルバー、ターレですね。分かりました﹂
﹁いくつか質問があるんだが。階層突破の報奨金って何だ﹂
﹁管理されている迷宮なら入り口に探索者がいます。最初にボス部
屋を突破した場合には、この探索者を新しい階層に連れて行くとお
金が払われます﹂
なるほど。
それが報奨金か。
入り口の探索者だって一度はその階層に行かないと、案内はでき
1147
ない。
入り口の探索者は、新たに階層を突破した人に報奨金を支払う。
他の人たちからは金を受け取って新しい階層に連れて行くと。
うまくできている。
﹁そういえば、ザビルの迷宮は管理されていない迷宮だった。管理
されていない迷宮というのもあるのか﹂
﹁帝国の領内にある迷宮は基本的に全部管理されています。設定さ
れた領土の外にある迷宮は管理されていません。ザビルは辺境にあ
るので、管理されていない迷宮も近くにあるのでしょう﹂
あのザビルの迷宮は帝国の領外にあるということか。
ペルマスクの領内なんだろうか。
ペルマスクは管理したりしないのだろうか。
まあいいや。
﹁なるほど。ありがとう。最後に、迷宮に入れば最先端を探索して
いなくても効果があると言われたが、そういうものなのか?﹂
﹁えっ。あ、はい﹂
またちょっとセリーに変な顔をされてしまった。
誰でも知っているようなことなのか。
﹁そうか﹂
﹁迷宮にとって人は獲物です。だから、人が入らない迷宮は活動が
激しくなり、人がよく入る迷宮は活動が和らぎます。多くの人が入
る迷宮はそれだけ危険が少なくなります﹂
﹁そういうものなのか﹂
﹁例えば、都市や村の近くにある迷宮はあまり外に魔物を出しませ
1148
ん。出しても積極的には人を襲わない弱い魔物です。人里離れた場
所にある迷宮は、より強い魔物を迷宮の外に出すようになり、積極
的に人を襲わせます﹂
迷宮の活動にそのような違いがあるのか。
つまり言い方を変えれば、公爵は俺に餌として迷宮に入れといっ
たわけだ。
1149
公領の迷宮
﹁まずは防具屋へ行って、装備品を強化しよう。その後、セリーは
探索者ギルドへ。俺とロクサーヌはボーデとターレの迷宮を回って
みる﹂
朝食時間の終わりに今日の予定を立てた。
クーラタルの迷宮へはしばらく行かないとしても、装備品の強化
はしておくべきだろう。
迷宮に入ることが餌になることで、公爵が俺に餌として迷宮に入
れといったのだとしても、文句をつける筋合いはない。
世界の成り立ちがそうなっている以上は。
強くなる、あるいは慎重に進めば、餌になることはない。
餌になるようなやつは所詮その程度のやつだったということであ
る。
必ずしも強さだけが求められるものでもない。
自分とパーティーメンバーの能力を見極め、敵の可能性を考察し、
強化が必要なら強化すべきポイントを見定める。
派手な強さはなくとも、迷宮で生き残ることは不可能ではない。
﹁装備品の強化ですか﹂
﹁ロクサーヌとセリーの皮のジャケットをなんとかしようと思う。
これをもう少しいい装備品に替えたい﹂
今日のところは、セリーの皮のジャケットが強化ポイントだ。
1150
現状の対策としてはセリーだけでいいが、セリーの装備品ばかり
を強化するわけにもいかない。
ロクサーヌの方も替える。
どうせ三割引のためには複数買う必要があるのだし。
﹁ご主人様の装備品から整えるべきでは﹂
﹁完全に余裕があっての強化ならばそうするが、今はクーラタルの
十一階層で詰んでいる状態だからな。必要なところからにすべきだ
ろう﹂
ロクサーヌを説得する。
俺は後衛だし、前に出るときにはデュランダルのHP吸収がある
から、今の装備でそれほど魔物の攻撃が痛いわけではない。
﹁えっと。私のためにすみません﹂
﹁気にするな。パーティーメンバーにはそれぞれの役割がある。今
は前衛の防備を固めるときというだけだ﹂
セリーには気にしないよう伝えた。
﹁はい。ありがとうございます﹂
﹁分かりました﹂
朝食の後、ロクサーヌが食器を洗っている間、セリーに装備品を
作らせる。
セリーの場合、単に戦闘だけでなく鍛冶師の方でも役立ってもら
っている。
その後、防具屋に赴いた。
﹁革のジャケットのもう一つ上は、この硬革のジャケットか﹂
1151
すっかり顔なじみになった店員に尋ねる。
クーラタルの中心部近くにある大きな防具屋だ。
最近はセリーが作る装備品をよく卸している。
﹁それと、前衛のかたであればチェインメイル、男性用には鉄の鎧
や鋼鉄の鎧もございます。チェインメイルで強度は硬革のジャケッ
トとほぼ同等とされております。鎧は重くて動きにくいのが難点で
すが、その分お求めやすくなっております﹂
店員が答えた。
硬革のジャケットが置いてある棚とは通路をはさんで反対側に、
チェインメイルが置いてある。
チェインメイルというのは、要するに鎖帷子だ。
持ってみると、結構重い。
これを着て迷宮で暴れまわるとか。
無理だな。
とりわけ回避重視のロクサーヌに重い装備品は厳禁だ。
﹁ロクサーヌは硬革のジャケットの方がいいよな﹂
﹁いい装備品ですが、よろしいのですか﹂
﹁大丈夫だ﹂
現状の装備で不安があるのだから、ちまちま強化しても安全には
ならない。
﹁セリーも硬革のジャケットでいいか?﹂
﹁この程度の重さであれば特に支障にはならないと思います﹂
1152
セリーがチェインメイルを持ち上げる。
セリーはチェインメイルでいいのか。
軽々という風でもなさそうだが。
﹁重くないか﹂
﹁重いことは重いですが、問題ありません﹂
まあセリーがいいというのならいいか。
ドワーフは力持ちだ。
あるいは何らかの補助効果を持っているのかもしれない。
硬革のジャケット 胴装備
スキル 空き 空き
チェインメイル 胴装備
スキル 空き
いくつか取って見るが、チェインメイルの方は空きのスキルスロ
ットが一つ、硬革のジャケットは空きのスキルスロットが最大で二
つのようだ。
硬革のジャケットの方がその分いい装備品なんだろう。
チェインメイルは置いてある数が少ないから、空きのスキルスロ
ット二つのものがないだけかもしれないが。
﹁それじゃあ、このあたりでいいものを選べ﹂
空きのスキルスロットつきのものをいくつか取り出して、ロクサ
ーヌとセリーに渡した。
1153
違いがあるのかどうかはよく分からない。
ロクサーヌなんかは真剣に選ぶから、好きに選ばせればいいだろ
う。
二人が選んでいる間に他の装備品も見て回る。
硬革の帽子や硬革のグローブも、空きのスキルスロットは最大で
二つ。
硬革の素材を使うと空きのスキルスロットが二つになるのだろう
か。
と思ったら、硬革のカチューシャは空きのスキルスロットが一つ
だ。
次に強化するとすれば、このあたりになるのか。
まあ今はいい。
適当に切り上げ、ロクサーヌとセリーが選んだ装備品を受け取っ
た。
三割引で購入して店を出る。
金貨二枚が溶解した。
いい装備品になるとどんどん高くなるらしい。
一度家に帰り、ロクサーヌとセリーに新しい装備品を着けさせる。
チェインメイルというのは見た目が本当に戦闘用の鎧だ。
すっぽりとずん胴型に体をおおった甲冑で、胸のラインが強調さ
れるということはない。
下に着ている服が透けて見えるということもあまりない。
色が分かるくらいには見えるが、セクシーとはとてもいえない。
裸の上に着ればセクシーかもしれないが、着させてもしょうがな
いだろう。
1154
触ってみれば所詮金属だしな。
もう少しなんとかならないものだろうか。
なったらなったで、迷宮で着せるわけにはいかないが。
﹁チェインメイルの上に皮のジャケットを着るとかいうことはでき
ないか?﹂
﹁装備品には魔法がかかっています。装備する人にぴったり合った
り、壊れにくくなるなどの効果があります。一つの部位に複数の装
備品を着けると、装備品にかかっている魔法同士が反発しあうとさ
れています。複数着けることで防御力が増すという考えもあります
が、それをやると装備品がすぐにぼろぼろになってしまうそうです﹂
セリーから説明を受けた。
装備品は各部位に一つが原則らしい。
複数着込むこともできないようだ。
﹁ひょっとして、剣とワンドを持つのもまずかったか﹂
﹁片手で一本ずつ振り回すとかでなければ、大丈夫なはずです。佩
刀しているだけなら問題ありません﹂
使うときにちゃんと持ち替えれば大丈夫らしい。
デュランダルが壊れてしまったら、どうなるのか。
そうならないためにも、注意してきっちりと持ち替える必要があ
る。
クーラタルの冒険者ギルドでセリーと別れ、ボーデに飛んだ。
ボーデの冒険者ギルドで迷宮の出現した場所を聞き、歩いて向か
う。
1155
ボーデでは、ちょうど市が開かれていた。
ベイルの町と同じようにときおり市が立つようだ。
人ごみの中を抜け、城壁の外に出る。
ボーデの町はベイルよりもさらに小さい。
森の中を歩いた。
少し距離がある。
小一時間も歩いて、迷宮の入り口に出た。
﹁探索はどこまで進んでいる﹂
入り口にいる探索者に訊く。
﹁まだ一階層を突破したパーティーはありません。出現したばかり
ですので。一階層の魔物はグリーンキャタピラーです﹂
本当に見つかったばかりのようだ。
公爵のところには毎日鏡を売りに来ているのだから、何日も前に
見つかったということではないのだろう。
昨日見つかったばかりなのかもしれない。
迷宮の中に入り、入り口の小部屋から今度はターレへ飛んだ。
以前食料を運んだ小屋だ。
集会所かなんかなんだろうか。
外に出る。
第一村人発見。
﹁迷宮のある場所を尋ねたいのだが﹂
﹁××××××××××﹂
1156
⋮⋮ブラヒム語通じねえのか。
﹁すみません。私もここの言葉は分からないです﹂
ロクサーヌも話せないらしい。
﹁××××××××××﹂
第一村人が誰か呼び、男がやってきた。
村長だ。
第一村人も村長もエルフである。
イケメンはイケメンだが、公爵やゴスラーに比べたら一歩落ちる
か。
エルフの見すぎで慣れたのかもしれない。
﹁迷宮に来た冒険者か?﹂
﹁そうだ﹂
村長はブラヒム語が通じるようだ。
そういえば最初の村でもそうだった。
﹁迷宮は村を出て南西の方にある。人間族でも行けば分かるだろう﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
﹁せいぜいがんばるがいい﹂
あー。なんだろう。
敵意というほどでもないが、軽んじられている感じはある。
エルフは人間を見下すというやつか。
1157
公爵やカシアやゴスラー以下騎士団員たちには感じなかったが、
田舎ではまた違うということなのだろう。
洪水のときに食料を運んだのは俺なんだがな。
などと反論するのもむなしいので、早々に村を撤収する。
南西の方角か。
﹁何か態度がよくない感じでした﹂
﹁まあそういってやるな﹂
﹁ご主人様が侮られているように感じたのですが﹂
﹁しょうがないだろう﹂
ロクサーヌにとりなす。
俺のために怒ってくれるのはありがたいが。
次に会うことがあるかどうかも分からないやつらに怒っても仕方
がない。
﹁さすがご主人様は寛容です。さっきの連中に思い知らせてやりた
いです﹂
思い知らせたのでは寛容じゃないだろう。
ロクサーヌをなだめつつ歩く。
しばらくして迷宮の入り口に着いた。
﹁探索はどこまで進んでるんだ﹂
入り口の探索者に尋ねる。
エルフの探索者なのでちょっとびびってしまった。
﹁十三階層までです﹂
1158
﹁十三階層の魔物は﹂
﹁十三階層はラブシュラブです﹂
この探索者は普通に接してくれるようだ。
ラブシュラブというのは聞いたことがある。
セリーが言っていた、次の装備品を作るのに必要なアイテムを残
す魔物だ。
ちょうどいい。
﹁では、十三階層まで頼めるか﹂
ワッペンを取り出して、探索者に渡した。
﹁騎士団員のかたですか﹂
﹁関係者だ﹂
ゴスラーもそう言っていたし、関係者で問題はないはず。
というのに、入り口の探索者は黙ってしまった。
え? 関係者駄目なの?
﹁⋮⋮えっと。人数も少ないみたいなので、よろしければそちらか
ら私をパーティーメンバーに加えてもらえますか。そちらのパーテ
ィーに加わるのでなければ、ただで連れて行けるのはお一人になり
ます﹂
﹁分かった﹂
なるほど。
そういうことか。
探索者は俺の方からパーティーに加入させるのを待っていたのだ。
1159
こっちは二人しかいないのだから、この探索者をパーティーに入
れられる。
本当はセリーもパーティーに入っているが。
探索者をこっちのパーティーに入れれば、一度で十三階層に移動
できる。
入り口の探索者の方からパーティーを結成する場合、ただで連れ
て行けるのは一人だけらしい。
探索者をパーティーメンバーに加えて、三人で迷宮に入った。
最初に探索者が入り、俺とロクサーヌが続く。
﹁ここが十三階層です。外に戻るのでなければ、私をパーティーか
らはずしてください﹂
﹁あ、いや。一度戻る﹂
戻らないならといわれたので、つい戻ると答えてしまった。
考えてみれば、勢いで十三階層に来てしまったが大丈夫なのだろ
うか。
十三階層にはいると一階層に入れないとか。
あるいは逆に、一度十三階層に入るとそれより下の階層には全部
行けるようになるとか。
試してみたい。
外に出て、探索者をパーティーメンバーからはずし、迷宮に戻る。
十一階層と念じて入ろうとするが、入れなかった。
一階層と念じて、中に入る。
選べるのは一階層と十三階層のようだ。
一階層と一度入ったことのある階層が選べるらしい。
1160
ターレの迷宮では何もせずにクーラタルの迷宮に飛ぶ。
MPを回復した後、外に出た。
クーラタルの迷宮でお金を払うのは入るときで出るときには関係
がない。
お金を取られるので長時間入るのが普通らしいから、入った覚え
のない人間が出てきても不自然ではないだろう。
探索者ギルドでセリーに合流する。
﹁探索者ギルドはどうだった﹂
﹁ハルバーにある迷宮は四十階層まで探索が進んでいるようです。
低階層については探索終了宣言も出ています。ターレにある迷宮は
九階層まで。探索終了宣言はまだまったく出ていません。ボーデの
迷宮の情報はありませんでした﹂
﹁見つかったばかりだからか﹂
情報が集まるには多少の時間がかかるのだろう。
昨日今日見つかった迷宮の情報がすぐにクーラタルの探索者ギル
ドで分かるわけもない。
ハルバーの迷宮も実際には四十一階層まで進んでいた。
﹁ハルバーの迷宮十一階層の魔物はミノです。グリーンキャタピラ
ーは四階層なので、こちらに入るのがいいかもしれません﹂
確かに、鍛冶に使う皮を残すミノが十一階層の魔物というのはい
い。
装備も変えたのでグリーンキャタピラーが絶対駄目ということは
ないが。
あとは、お金を払って十一階層まで連れて行ってもらうべきか。
1161
お金をケチって一階層から始めるべきか。
一番効率がいいのは、ボーデの迷宮の探索が十一階層まで進むの
を待つことだ。
しかしその間ベイルの十一階層に入り続けるのだとしたら、公爵
との約束をたがえることになる。
ばれるとも限らないが、ばれない保証もない。
ボーデの迷宮に一階層から入って報奨金を狙うという手もある。
﹁階層突破の報奨金って、いくら出るんだ﹂
﹁えっと。銀貨を新しく入った階層の枚数です﹂
﹁安いな﹂
二階層なら銀貨二枚、十一階層で銀貨十一枚だ。
報奨金というか、おまけみたいなものか。
目当てにするようなものではないだろう。
今は十一階層で経験を積むべきときか。
一階層から入るのもかったるいし。
少々のお金をケチってもしょうがない。
あるいは、一つ余裕を見て十階層からにすべきか。
迷宮によって魔物の強さが違ったりすることはないらしいが。
混み具合によって活性に差が出ることはあったとしても。
しかし十階層と十一階層の両方にお金を払って連れて行ってもら
うのはもったいない。
クーラタルとベイルの迷宮で特に違いがあるということもなかっ
た。
1162
最初はロクサーヌに数の少ないところへ案内してもらえれば、十
一階層からでも問題はないだろう。
ハルバーの迷宮十一階層を当面のターゲットにすることとしよう。
1163
私の戦闘力
ロクサーヌとセリーを家に残し、一人でハルバーの迷宮に飛んだ。
十一階層に連れて行ってもらうためだ。
公爵やカシアと別れた後、ハルバーの迷宮の中から家にワープし
たので、ロクサーヌやセリーを連れて行くのはまずいことになる。
あかし
一階層の小部屋から迷宮の外に出ると、そこにはちょうどゴスラ
ーがいた。
﹁おお。ミチオ殿。早速入っておられたのですか﹂
目ざとく見つけ、声をかけてくる。
偶然とはいえナイスタイミング。
ハルバーの迷宮に入ることにして正解だ。
これで俺がちゃんとハルツ公領内の迷宮に入っていたという証が
立つ。
ボーデやターレで俺を見た人もいるので齟齬も生じるが。
そこまで気にすることはないだろう。
写真やビデオがあるわけでもないし。
﹁ゴスラー殿もこちらの迷宮へ?﹂
﹁はい。ちょうど四十一階層を突破したところです﹂
﹁それは上々﹂
すごいな。
さすが魔道士Lv61は格が違うようだ。
1164
戦闘力にしたら百万以上は確実か。
ゴスラーと一緒にいる人たちがパーティーメンバーなのだろう。
ハルツ公の騎士団でも探索の最先端を行くパーティーというとこ
ろか。
聖騎士二人に、僧侶一人、沙門一人。
沙門って何だ?
レベルも全員高い。
僧侶にいたってはLv90もある。
僧侶のジョブは俺も持っているくらいだから、魔道士や聖騎士と
同じ条件ではないのだろうが。
しかも、全員エルフ。
全員イケメン。
まったく人をイライラさせるのがうまいやつらだ。
﹁もう帰られるのですか?﹂
﹁一階層の感触を確認しただけなので。これからパーティーメンバ
ーを連れてきます﹂
﹁もしよろしければ、うちのパーティーの者に案内させましょう﹂
ゴスラーが提案してきた。
気配りまでできるおっとこまえらしい。
こちらが何階層に入っているか、探る目的があるのだとしても。
いちいち癇にさわるヤローだ。
﹁あー。ではありがたく。十階層か十一階層から入ってみようかと﹂
しかしこの誘いを受けない手はないだろう。
1165
何階層に入るかできれば教えたくないが、突っぱねるのも理由が
ない。
十一階層のみの予定だったが、ただなら十階層からチャレンジで
きる。
﹁お。出てきました。すまんが、一度十階層と十一階層に行っても
らえるか﹂
迷宮の入り口から、探索者と冒険者が出てきた。
冒険者の方にゴスラーが話しかける。
﹁では、確認させてもらいます﹂
探索者の方は、迷宮にとんぼ返りした。
何かを確認してくるらしい。
﹁はい。十階層と十一階層ですね﹂
﹁彼に案内させます。パーティーに加入させてやってもらえますか﹂
ゴスラーが俺の方を向いた。
こっちの冒険者Lv53がゴスラーのパーティーメンバーか。
冒険者をパーティーに入れると、探索者が外に出てくる。
﹁確認できました。四十二階層なので銀貨四十二枚を払わせていた
だきます﹂
確認というのは、四十二階層かどうかの確認をしてきたらしい。
時間的に入って出てきただけだろう。
多分四十二階層と念じて入れればオッケーのようだ。
1166
俺は冒険者と二人で十階層に入り、外に出る。
冒険者はダンジョンウォークを使うことはできない。
もう一度今度は十一階層に入り、外に出た。
﹁案内をありがとうございました﹂
﹁それではミチオ殿、よろしくお願いします﹂
礼を述べ、ゴスラーとも別れる。
近くの木から家に帰った。
﹁迷宮に入るとき、階層を選べるよな﹂
﹁はい。探索者や冒険者ならできます﹂
探索者Lv11を持っているセリーに確認する。
階層を選べるのは探索者と冒険者のようだ。
ゴスラーの行動にも俺の行動にも不審な点はない。
ロクサーヌとセリーを連れてハルバーに戻り、迷宮の十階層に入
った。
﹁では、とりあえず十階層からこの迷宮で戦ってみよう﹂
﹁えっと。ハルバーの迷宮十階層の魔物はニートアントです﹂
﹁毒もちか。まあ初めての迷宮だし、一応一つ下から試してみるべ
きだろう。ロクサーヌ、探してくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌの先導で進む。
ニートアントLv10はやはりウォーターボール三発で倒れた。
念のためにもう少し狩ってみる。
1167
大丈夫だ。
団体で出てきても問題なく屠れる。
たった三匹のアリが恐竜に勝てると思ったのか?
ハルバーの十階層ではエスケープゴートも出てきた。
九階層の魔物がエスケープゴートらしい。
エスケープゴートLv10はやはり水魔法三発で逃走を開始する。
同じパターンとは、芸のないやつだ。
追うんですよ、ロクサーヌさん。捕まえなさい。
などとは言わずに、残り三発の魔法できっちりとしとめる。
ハルバーの十階層だからといって、特に違いがあるわけではない
ようだ。
十階層では問題なく戦えた。
残る懸念としては新しく替えた装備品の具合も確かめたいが、ニ
ートアントの攻撃を受けるのはまずいか。
わざわざ受けさせることはない。
十一階層でミノを相手にすれば、そのうち攻撃も喰らうだろう。
﹁十階層は問題ないみたいなので、十一階層に移るか﹂
﹁分かりました﹂
十一階層に移動する。
ミノLv11を倒すには、やはり魔法が七発必要だった。
これなら早晩セリーが攻撃をもらうだろう。
と思っていたのに、ハルバーの迷宮で最初に攻撃を喰らったのは
俺だった。
デュランダルでMPを回復しているときに避けきれずミノの体当
1168
たりを浴びてしまった。
初めてですよ。
ここまで私をコケにしたおバカさんたちは。
考えてみたらニートアントやエスケープゴートとは戦っている時
間が短い。
フルに魔法七発分、近づいてから四発分戦うのはミノだけだ。
いくらミノが十一階層の魔物だからといっても、ミノ四匹の団体
というのは少ない。
ミノが三匹以下なら、ロクサーヌが二匹引き受けるから、セリー
が相手にするのは一匹でいい。
俺だって一対一で注意深く戦えばそうそう攻撃を喰らうことはな
い。
などと考えていたら、次にデュランダルを出したとき、一対一だ
ったはずのニートアントから攻撃をもらってしまう。
絶対に許さんぞ、虫けらども。
セリーが攻撃を受けたのは、その後何回めかにデュランダルを出
しているときだった。
ニートアント、ミノ、ニートアント、ミノの四匹の団体が出てく
る。
左端のニートアントをラッシュ一発で屠り、次に真ん中のニート
アントを倒そうと俺が移動したとき、セリーが間のミノから頭突き
を喰らった。
俺が進もうとした方向とセリーの回避しようとした方向とが重な
り、攻撃を避けきれなかったように見える。
﹁悪い。邪魔だったか﹂
1169
全部倒してから、セリーに訊いてみた。
﹁いえ。移動することは分かっていたのに、私の不注意です﹂
つまり完璧に俺が邪魔だったと。
アイテムを受け取り、手当てをする。
﹁チェインメイルを着けてみて、敵の攻撃はどうだ?﹂
﹁はい。軽くなったと思います。ありがとうございます、もう大丈
夫です﹂
手当て二回が必要のようだ。
大きくはないが、それなりにはダメージが減ったというところだ
ろうか。
﹁クーラタルの十一階層でも問題ないレベルか?﹂
﹁やってみなければ分かりませんが、がんばれると思います﹂
がんばれると思うだと装備を替える前と答えが変わっていないわ
けだが。
まあ、やってみなければ分からないというのは確かにそのとおり
だろう。
少なくともハルバーの十一階層ではきちんと戦えると判断してい
い。
組み合わせによる得手不得手はあるにしても、同一階層の魔物の
強さが迷宮によって異なるということはないようだ。
時間もくったので午前中はそのままハルバーの十一階層で狩をし
た。
軽い休息を取り、午後に再び迷宮に入る。
1170
﹁ターレの十三階層へ行って、ラブシュラブを狩る。セリー、ラブ
シュラブというのが次の装備品作成に必要な素材を残す魔物だった
よな﹂
﹁はい。そうです﹂
ターレの迷宮へはまず一階層から入った。
念のためにデュランダルを出してシックススジョブまで増やし、
戦士と錬金術師のジョブをつけてメッキをする。
メッキをした後、一階層でMPを満タンにした。
しっかりと準備は整えておくべきだろう。
二つ上に移動するだけだから、そこまでやばくはないと思うが。
デュランダルでラッシュをかければ倒すのにてこずることはない
はずだ。
態勢を整え、いよいよ十三階層に足を踏み入れた。
﹁ラブシュラブというのはどういう魔物か知っているか﹂
﹁戦ったことはありませんが、枝を遠くに飛ばす遠距離攻撃をして
くる魔物だそうです。火魔法が弱点です﹂
遠距離攻撃か。
やはり十二階層から上の魔物は少し強くなっているようだ。
そして弱点は火魔法と。
﹁火魔法だな。まあ今回は新しい魔法を使う。ロクサーヌ、探して
くれ﹂
ロクサーヌを送り出す。
ロクサーヌの案内で迷宮を進んだ。
1171
二匹の魔物が現れる。
ラブシュラブ Lv13
ラブシュラブ Lv13
出てきたのは、ニードルウッドより背の低い木の魔物だ。
根も小さくて、根っこが足になっているニードルウッドは違う。
完全に木だ。
その分移動速度も遅いらしい。
もたもたしている。
これなら火魔法でもなんとかなりそうか。
まあいい。
二匹現れたが、これもちょうどいいだろう。
においでは数まで完全には分からないらしいし。
﹁来ます﹂
魔法を撃とうとしたら、ロクサーヌが飛びのいた。
ロクサーヌのいた場所から何かが飛び出してくる。
ロクサーヌさん、お待ちなさい。
自分が避けるのはいいが、後ろに人がいるということは考えてほ
しい。
薄暗い迷宮でいきなり前がいなくなったらどうなるか。
茶色い物体が俺のすぐ横を通った。
1172
あ、危ねえ。
一ミリも動けなかった。
ロクサーヌの後ろは危険だ。
さすがの俺も今のは死ぬかと思った。
これがラブシュラブの遠距離攻撃か。
移動力のない分は遠距離攻撃でカバーか。
せっかくかっこよく魔法を放つところだったのに。
くそっ。
報いは受けてもらう。
普通の魔法のままでもラブシュラブを粉々にするのは簡単なこと
ですが。
殺す前に死よりも恐ろしい究極の魔法というものをご覧に入れま
しょう。
大サービスでご覧に入れましょう。わたくしの最後の魔法を。わ
たくしの真の力を。
﹁光栄に思うがいい。この魔法まで見せるのは、貴様らが初めてだ。
無限の宇宙の彼方から、滅ぼし尽くす空の意志、滅殺、メテオクラ
ッシュ﹂
選択しておいたボーナス呪文を使う。
メテオクラッシュ。
かつては使えなかった魔法だ。
レベルが上がった今なら使える。
いや、使う。
1173
使えるに違いない。
MPが大きく減るのを感じた。
成功だ。
ごっそりとMPが削られ、魔法が発動する。
成功してしまった。
俺の頭上に、灼熱した岩のかけらが現れる。
溶岩のように真っ赤に燃えたぎった隕石だ。
周囲が赤く照らされた。
赤熱の隕石が大地めがけて落下する。
洞窟を埋めつくすように落ちる。
流れ落ちていく。
一つ。二つ。
隕石が空気を切り裂く轟音が響いた。
﹁えっ﹂
﹁何?﹂
呆然とするロクサーヌとセリーの横を巨岩が通る。
成功してしまったが、大丈夫だ。
対象を選ばなかったので、メテオクラッシュは全体攻撃魔法であ
る。
全体攻撃魔法は何故か人には当たらない。
ロクサーヌもセリーも問題ない。
ロクサーヌは避けてしまっているところがすごいが。
1174
回避できなかったセリーの頭を隕石が通過していくが、実際には
ダメージを与えていないようだ。
岩石が進む。
火の粉をまき散らし、跡に残しながら進む。
洞窟内が真っ赤に燃え上がった。
そしてラブシュラブに激突する。
隕石は二匹のラブシュラブを巻き添えにして、砕け散った。
板
隕石も魔物も存在しない静かな空間が戻る。
二枚の板だけが残された。
一撃か。
さすがにボーナス呪文だけあって、すごい威力のようだ。
﹁な、何ですか、今のは﹂
﹁新しい魔法だ﹂
﹁こ、こんな魔法も持っておられたのですね。さすがはご主人様で
す﹂
﹁で、でも一撃ですよ﹂
十一階層では魔法七発が必要だった。
メテオクラッシュには相当の威力があると考えていいだろう。
ただしラブシュラブは火魔法が弱点だ。
隕石が真っ赤に燃えていたから、火属性魔法なのかもしれない。
1175
﹁なにしろ力があり余っているんだ。ちょっとやりすぎてしまうか
もしれん﹂
﹁す、すごすぎです﹂
同時にMPも減った。
きつい。
相当量のMPを消費するらしい。
一階層に移動して最低限の回復をした後、ハルバーの十一階層で
さらにMPを回復する。
ターレの十三階層からターレの迷宮の一階層に移動するのはワー
プで迷宮間を移動するよりも楽だ。
しかし、一階層は一匹ずつしか出てこないし、Lv1の魔物から
ちまちま吸収するのもめんどくさい。
ハルバーの十一階層でMPを全回復して、ターレの十三階層に戻
る。
今度はデュランダルで戦えるかどうか試してみたい。
勝てそうになければメテオクラッシュを喰らわせればいい。
﹁もう一度、また少ないところを探してくれ﹂
ロクサーヌの案内で進み、次に見つかったのはラブシュラブ一匹。
ちょうどいい。
デュランダルを掲げて突っ込んだ。
早くしないと枝が飛んでくる。
ラブシュラブのところにたどり着く前に、やはり飛んできた。
オレンジ色の魔法陣が出るのは見えたのだが、避けきれなかった。
革の鎧を着けた胸元に枝が当たる。
1176
かなりの衝撃。
今のは痛かった。
メッキをしていてもこの威力なのか。
止まってしまっては追撃がくるだけなので、走りぬく。
メッキをかけなおしている暇はない。
大上段に振り上げ、ラブシュラブにラッシュを叩き込んだ。
一撃では倒れない。
再度ラッシュを使う。
思っていたよりずっと強いようだね。
ちょっと驚いたよ。
ラッシュ二発の上をゆくやつがこの世にいたなんてね。
ラッシュ二撃でも倒せなかった。
魔物と相打ちになりながら、横から幹を払う。
三発めのラッシュ。
ラブシュラブが倒れた。
ラッシュ三発か。
十一階層は一発で倒せたのに。
いくらなんでも二階層上がっただけで三倍はないんじゃないだろ
うか。
十二階層から上の魔物は強さが違うということだろうか。
十一階層までの魔物は所詮雑魚だったということか。
サービス期間は終わったのさ。
まあ、少ない数ならデュランダルでちゃんと戦える。
1177
もう少し十三階層で戦ってもいいだろう。
じわじわとなぶり殺しにしてくれる。
﹁板は何枚くらいあればいい﹂
﹁とりあえず、五、六枚もあれば十分です﹂
六枚か。
今まで三枚集めたから。
おう、よしよし。これで、あと三つになりましたね。
次に出てきたラブシュラブに再度魔法を使う。
デュランダルで斬りあうのは大変だ。
魔法の方がいい。
今度はこっぱみじんにしてやる。
﹁この星を消す﹂
ガンマ線バーストと念じた。
メテオクラッシュ以外にもう一つ選択しておいたボーナス呪文だ。
メテオクラッシュが最後の魔法ではなかった。
火属性魔法かどうかは知らないが、これなら十三階層の魔物でも
⋮⋮。
発動しない⋮⋮だと⋮⋮。
ガンマ線バーストを使うにはまだMPが足りないようだ。
かなりレベルアップしているのに。
メテオクラッシュのさらに上があったのか。
まあメテオクラッシュでもぎりぎりのMP量だから、少ししか違
わないかもしれないが。
1178
しょうがないのでメテオクラッシュを発動させる。
赤熱した隕石が火の粉をまき散らしながら流れていった。
すばらしい。
ほら、見てご覧なさい、ロクサーヌさん、セリーさん、こんなに
綺麗な花火ですよ。
1179
ワンドの限界
ターレの迷宮十三階層では今のところラブシュラブとしか戦って
いない。
﹁十三階層にはラブシュラブしかいないのか?﹂
ロクサーヌに訊いてみた。
そんなことはないと思うが。
﹁えっと。数の少ないところに案内しているので﹂
﹁まあそうだよな﹂
﹁戦ったことのない魔物のにおいもします。十二階層の魔物だと思
います﹂
﹁ターレの十二階層の情報はまだギルドには出ていませんでした﹂
セリーも知らないらしい。
入り口の探索者に聞けば分かるのだろうが、そこまで気にしてな
かった。
聞いておくべきだっただろうか。
まあ別にいいか。
﹁コラーゲンコーラルのにおいもします﹂
﹁十階層か十一階層の魔物ですね﹂
探索者ギルドに情報が載っていたのは九階層までだったか。
九階層までには出てきていない魔物なのだろう。
1180
﹁数は少ないか?﹂
﹁はい。一匹か二匹だと思います﹂
﹁じゃあそこへ連れてってくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
低階層の魔物とも一度戦っておくべきだろう。
ラッシュ三発というラブシュラブの強さが、Lv13だからなの
か、ラブシュラブだからなのかが分かる。
しばらく進むと、コラーゲンコーラルLv13がいた。
低階層の魔物でもきっちりとレベルは上がるようだ。
待ち受けてラッシュを叩きつける。
続いてもう一撃。
コラーゲンコーラルLv13はラッシュ二発で倒れた。
ラッシュ二発か。
十一階層はラッシュ一発だから、順当なところだ。
おそらくラッシュ一発とデュランダル一振りで倒せるのだろう。
そうむちゃくちゃに強くなっているわけではない。
ラブシュラブはラッシュ二発でも倒れなかった。
十二階層から現れる魔物は低階層の魔物の一.五倍から二倍くら
いの強さがあるということだろうか。
それを確かめなければならない。
﹁十二階層の魔物のところへも一度頼めるか。魔法を使うから、数
は多くてもいい﹂
﹁はい﹂
1181
ロクサーヌに頼んで、かいだことがないにおいの魔物のところへ
連れて行ってもらう。
ピッグホッグ Lv13
現れたのは、ラブシュラブが二匹と、ピッグホッグだ。
十一階層まででは出てきたことがないから、十二階層の魔物だろ
う。
子豚といっていい大きさのブタである。
牙は生えているが、剛毛はない。
メテオクラッシュを放った。
ラブシュラブ二匹が倒れる。
ピッグホッグは倒れない。
メテオクラッシュは火属性魔法で決定か。
ワンドを放り出し、デュランダルを抜いた。
子豚に向かって駆け出す。
遠距離攻撃が、あるかもしれないしないかもしれない。
近接するまでには撃ってこなかった。
ラッシュを叩き込む。
一撃では倒れなかった。
ピッグホッグの頭突きを冷静にかわし、再度ラッシュを放つ。
今度はさすがの魔物も倒れた。
ラッシュ二発か。
1182
安全策をとってラッシュのみで攻撃したから細かいところまでは
分からないが、十二階層より上で初めて現れる魔物が低階層の魔物
より強くなっていることは間違いがない。
メテオクラッシュがラブシュラブの弱点の火属性魔法だとして倍
の威力があると仮定すると、ピッグホッグにも半分のダメージを与
えているはずだ。
その残った半分がコラーゲンコーラルLv13と等しいラッシュ
二発ということは、十二階層より上の魔物は低階層の魔物の倍くら
いの強さということか。
そう考えるとメテオクラッシュはラブシュラブLv13を屠れる
ぎりぎりの威力なのか。
メテオクラッシュにラッシュ二発分のパワーはない。
﹁十二階層の魔物はピッグホッグのようだな﹂
﹁ご存知なのですか?﹂
﹁たまたまな。詳しくは知らない﹂
﹁ピッグホッグは土属性の魔物です。土属性に耐性があり、土属性
魔法を使ってきます。水属性が弱点になります﹂
セリーから説明を受ける。
鑑定で名前が分かっただけなので、知っているわけではない。
ちなみに残ったアイテムは豚バラ肉だ。
夕食の食材が決定した。
デュランダルを使って多少回復しているので、ハルバーの十一階
層に飛ぶ。
ミノを屠ってMPを回復した。
何故ミノは牛バラ肉を残さないのか。
1183
肉屋でバラは売っていた。
MPを回復させ落ち着いてから、考える。
いや、別に牛バラ肉はどうでもいい。
狩場をどこにするか。
メテオクラッシュとデュランダルを駆使すれば十三階層でも戦え
るだろう。
一般論として、レベルアップのためにはより強い魔物と戦った方
がいい。
ただし、俺の場合は経験値スキルのことも考えなければいけない。
常時デュランダルを出し、戦士のラッシュと錬金術師のメッキも
使いたいとなれば、経験値スキルは犠牲にせざるをえない。
メテオクラッシュを使いまくるのも好ましくない。
誰かに見られる可能性がある。
魔法使いが使えるファイヤーボールやウォーターストームなら、
万が一見られたとしても魔法使いがパーティーにいると思うだけだ
ろう。
メテオクラッシュの場合はそのごまかしが利かない。
総合的にいって、十一階層で戦った方が有利か。
十三階層で狩をするにはまだ早い。
十一階層を狩場とすべきだろう。
板も集めたので、そのままハルバーの迷宮十一階層で狩を行った。
探索を終え、買い物とアイテムの売却をしてから家に帰る。
今日はラブシュラブの落とす板が手に入った。
セリーに新しい装備品を作ってもらわなければならない。
1184
次に作ってもらうのは棍棒だ。
セリーの技術が装備に追いついた。
いや、逆に考えるべきか。
鍛冶師になりたてのセリーが作れる程度の、下の階層で得られる
安い素材から作られた武器しか装備していないということだ。
十二階層の魔物からは強さが倍くらいになる。
現状、十一階層の魔物を倒すのに魔法七発が必要だ。
倍とすれば十四発。
さすがに魔法十四発はやっていられない。
糸でも吐かれたら即アウトだ。
ラブシュラブは火魔法が弱点だから、火魔法を使えば半分ですむ
が。
しかし他の魔物が混じってくれば、そうもいっていられなくなる。
十二階層より上の魔物を倒すのは、結構大変なようだ。
今はいいが十二階層に上がったらきつい。
とりわけワンドは、強化する時期に来ているといえるだろう。
魔法使いのいないパーティーではどうやっているのか。
人数をそろえてたこ殴りというところだろうか。
人数に余裕があって、僧侶や神官などの回復役がいれば、多少の
長期戦でも戦えなくはないだろう。
うちのパーティーでは俺が回復役というのがネックだ。
戦闘終了後に回復する分にはまったく問題がない。
問題は戦闘中の回復である。
魔物を殲滅するのも、俺の魔法に頼っている。
1185
俺が戦闘中に回復を行えば、その分だけ殲滅が遅れることになる。
だから、グリーンキャタピラーLv11との戦いのように、やる
かやられるかの時間との勝負になってしまう。
ロクサーヌかセリーを回復役にするか。
デュランダルを出すときにも一応念のために僧侶をつけている。
僧侶がはずせるようになれば少しは楽になるだろう。
ただ前衛の数も十分ではないのに回復役を作ってもしょうがない
か。
基本的に人数が足りていないということはある。
﹁⋮⋮ご主人様⋮⋮ご主人様﹂
考えごとをしていると、ロクサーヌから声がかかっていた。
気づかなかったようだ。
﹁悪い。どうした﹂
﹁玄関にメモが入っていました。ルーク氏からです。ウサギのモン
スターカードを落札したそうです﹂
迷宮に入っている間に、仲買人のルークから使いが来たらしい。
﹁おお。ウサギか。ウサギのモンスターカードは詠唱遅延だったよ
な﹂
﹁はい。そうです﹂
セリーに確認する。
コボルトのモンスターカードがあれば詠唱中断になる。
1186
詠唱中断をセリーの武器につければ、戦略が広がるだろう。
うまく詠唱をキャンセルできればグリーンキャタピラーLv11
はもはや目ではなくなる。
ラブシュラブの遠距離攻撃は防げないが。
まあ遠距離攻撃まではしょうがない。
接近してからのスキルや魔法は防げる。
それだけでも上出来といえるだろう。
翌朝、まずはクーラタルの十一階層に入った。
せっかくチェインメイルに装備を強化したのだ。
試してみるべきだろう。
近接された直後に糸を吐かれた場合に倒すまでの間踏みこたえら
れるようになったかどうかは分からない。
多少のリスクはしょうがない。
安全が確認されるまで次の階層に進めないとなったら、探索はま
ったく進まなくなる。
グリーンキャタピラーLv11もそうそう頻繁に糸を吐くことは
ないし、セリーがかかるとも限らないし、絶対に耐えられないと決
まっているわけでもない。
そのためにこそ強化したのだ。
闇雲に仮定を重ねて怖がってばかりでもしょうがないだろう。
﹁最初はクーラタルの十一階層を試してみよう。チェインメイルで
どれくらい戦えるようになったのかを見たい﹂
﹁えっと。それでは攻撃を受けてみます﹂
1187
セリーが告げてくる。
なるほど。
実際に攻撃を受けてみるのが手っ取り早いか。
わざわざ糸に捕まるまで待つのは、余計な危険をしょい込むだけ
だろう。
敵の攻撃を受けるのは嫌なものだ。
一撃でやられることは、ないだろうとはいえ絶対確実ではないし、
痛いものは痛い。
俺なら尻込みする。
セリーが合理的で助かった。
﹁悪いな。頼めるか﹂
﹁では、グリーンキャタピラーの数が少ないところを探します﹂
﹁数よりも、エスケープゴートのいないところを頼む。魔法を六発
撃った後に攻撃を受けることになるから、エスケープゴートがいた
ら逃げられる﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌの案内で、グリーンキャタピラー二匹、ニートアント
一匹と対峙する。
ウォーターストーム四発でアリは屠った。
さらに二発を加える。
魔法六発を放つと、セリーが半歩前に出た。
やや腰が引け気味だ。
気持ちは分かるが、逃げ腰のところを攻撃されるのと糸に捕まっ
て動けないところを攻撃されるのとでは、衝撃が異なるのではない
だろうか。
実際痛いのだし、逃げ腰なのはしょうがないか。
1188
グリーンキャタピラーが体当たりをかます。
棍棒でいなさず、セリーがそのまま攻撃を受けた。
すぐに七発めの魔法を放つ。
グリーンキャタピラーを屠った。
﹁どうだった﹂
手当てをしながら訊いてみる。
﹁そうですね。やはり攻撃に対する強度は確実に上がっています。
ありがとうございます、もう大丈夫です。多分、魔法四発放つ時間
くらいなら耐えられると思います﹂
手当ては二回で終了した。
接近した直後に糸に捕まっても、大丈夫そうか。
確実なことはやられてみないと分からないが、試してみて駄目だ
ったというわけにもいかない。
グリーンキャタピラーLv11についての対策は、一応これでで
きたと判断していいだろう。
クーラタルでは一度戦っただけで、ハルバーの十一階層に移動す
る。
朝食までの間、探索を行った。
十一階層ではもうほとんど危険がないことを確認したので安心だ。
迷宮を出てから鏡を一枚届け、朝食を取る。
﹁防具を強化したので、次は武器を替えたい﹂
﹁武器ですか﹂
﹁ウサギのモンスターカードが手に入るからな。それに、現状問題
1189
はないが、十三階層のラブシュラブはかなり強い﹂
ロクサーヌが焼いた兎の肉をほおばりながら会話した。
﹁ご主人様の魔法を使えば、一撃では﹂
﹁実をいうとあれは結構大変なんだ﹂
﹁なるほど。切り札ということですね﹂
メテオクラッシュは現状二発撃てない。
MP効率や誰かに見られる危険性を考慮すれば、通常使える魔法
ではないと考えるべきだろう。
まさに、ボス戦か魔物が大量に出てきた場合の切り札だ。
﹁確かに、十二階層から上の魔物は強くなるそうです。二十三階層
から上の魔物はさらに強くなるそうです﹂
セリーが教えてくれる。
やっぱり十二階層より上で出てくる魔物は強いらしい。
というか、二十三階層でまた一段上がるのか。
まあ上に行けば強くなるのは当然か。
﹁とりあえず、俺のワンドの強化は必須だ。それと、魔法の威力を
上昇させるモンスターカードって、何かあるか?﹂
﹁ヤギのモンスターカードです﹂
﹁ヤギか。それもルークに手配を頼んでみたい。後はセリーの棍棒
だな﹂
魔法攻撃力を上げる系統のモンスターカードは、仲買人のルーク
に積極的に頼んではいなかった。
痛くもない腹を探られたくはない。
1190
痛くない腹というか、実際にはすねに傷を持っているわけだが。
ここまでくればそうもいっていられない。
﹁私の棍棒ですか﹂
﹁詠唱中断はセリーの武器に融合するのがいいだろう。ロクサーヌ
なら回避できる可能性もある。詠唱中断をつけるのに棍棒ではもっ
たいない﹂
﹁詠唱中断にするにはコボルトのモンスターカードも必要になりま
すが﹂
﹁まあセリーの武器にだけ詠唱遅延をつけてもしょうがないしな﹂
俺にはいざとなればデュランダルがある。
ロクサーヌはスキルや魔法を放たれても回避できる可能性がある。
放たれて困るセリーの武器に詠唱中断をつけるべきだろう。
ロクサーヌは前衛の要として魔物の正面に立つから、脇に回るセ
リーの方が詠唱中断を狙いやすい。
﹁それはそうですね。ありがとうございます。確かに詠唱中断なら
棍棒につけるのはもったいないでしょう。ウォーハンマーかフレイ
ルにつければ、売却するときにもいい値段になると思います﹂
ウォーハンマーにフレイルか。
両方とも、棍棒と同じ槌に分類される武器だろう。
﹁槌もいいが、槍というのはどうなんだろう﹂
﹁槍ですか?﹂
セリーは槌と槍を使える。
﹁詠唱中断で敵の詠唱をキャンセルするなら、少しでも間合いの長
1191
い槍の方が有利なんじゃないか﹂
﹁なるほど。そうかもしれません﹂
﹁現状で魔物に囲まれることは多くないので、棍棒の振り回しはあ
まり使っていないしな﹂
﹁そうですね。ただ、ここのところはニートアントやエスケープゴ
ートが混じることが多かったので、これからは分かりません﹂
槍の方が好都合なのは他にも理由がある。
まあいいや。
これも言ってしまえ。
﹁パーティーメンバーはすぐにも増やす。パーティーメンバーが増
えれば、振り回す機会はもっと減るだろう﹂
メンバーが増えることは常々強調しておかなければならない。
﹁はい﹂
﹁パーティーメンバーを増やすには前衛の方が選択肢が多いはずだ。
槍なら後ろから突く形も取れる。セリーには回復役をやってもらう
という手もある。槍の方がいろいろと柔軟に応用が利くだろう﹂
﹁えっと。私は巫女にはなれませんでしたが﹂
あー、そうか。
セリーが巫女のジョブを持っていることは伝えてなかったんだっ
け。
﹁まあ大丈夫だ。鍛冶師にもなれたのだし。心配するな﹂
﹁はい⋮⋮。がんばります﹂
﹁回復役は前衛がやるという手もあります﹂
1192
無理やりな説得でセリーがうなずくと、ロクサーヌが発言した。
﹁そうなのか?﹂
﹁はい。僧侶や巫女は、必ずしも後衛のジョブというだけではあり
ません。特に少人数で迷宮に入る場合には僧侶のジョブを取る人も
多くいます﹂
﹁殴れて回復もできるからか﹂
少人数なら前衛後衛できっちり分けることはあまり得策ではない。
僧侶も巫女もときには前衛に立てると。
﹁先頭に立って戦いながら仲間の回復もこなす。迷宮に入ろうとす
る者が憧れる姿です﹂
フランス革命で民衆を導く自由の女神という感じだろうか。
ロクサーヌに似合いそうな気もする。
﹁まあ回復役については今後のことだ。今はまだ俺の回復で間に合
っているしな。ただ、その可能性を狭めないためにもセリーの武器
は槍がいいと思う﹂
﹁分かりました﹂
いずれにしても、セリーの武器は槍の方がいいだろう。
セリーの武器を槍に変えることで了承を得た。
1193
ロッド
朝食の後、セリーに鍛冶をさせる。
﹁次に作るのは何だ﹂
﹁ウッドステッキです。板が二枚必要になります﹂
﹁ステッキだから杖だよな。ワンドとは違うのか﹂
板を渡しながら訊いた。
﹁ワンド系の杖はもっぱら魔法の威力を強化します。これに対して
ステッキ系の杖は魔法攻撃力を高める他に魔物を直接叩くことにも
使えます。さっきロクサーヌさんが言っていた、前衛の僧侶や巫女
が使う武器です﹂
﹁なるほど。両方できると﹂
きっと、同じくらいの値段ならステッキ系の方が弱かったりする
のだろう。
同じ値段で魔法の威力も変わらなければ、ワンドを持つやつはい
なくなる。
俺の武器としては、現状ワンド系の杖の方がいいか。
ただし、将来的にはステッキ系の武器も候補に入る。
今はそんなことはないが、将来魔物が強くなったら乱戦に陥るこ
とが多くなるかもしれない。
MP吸収のついたステッキで殴りつつ魔法を使う、という戦闘ス
タイルもありだろう。
1194
使った魔法でMPを吸収する、ということには期待できない。
デュランダルを持った状態で魔法を使ってもMPは回復しない。
ワンドやステッキにMP吸収をつけても魔法で回復したりはしな
いだろう。
﹁で、では作ります﹂
セリーが板を持ってスキル呪文を唱えた。
光がまばゆくあふれ、やがて収まる。
手元にウッドステッキが残っていた。
﹁おお。成功だ﹂
﹁えっと。新しい装備品は長い間修行をしないとなかなか成功しな
いはずなのですが。なんか拍子抜けしてしまいます﹂
﹁それだけセリーが優秀ということだろう﹂
そんなことよりも二枚の板から一本のウッドステッキができるこ
との方に違和感がある。
そもそも、四角い板から棍棒やウッドステッキができるのがおか
しい。
平板な板から平板な木の盾ができるのは納得できたが。
スキルの魔法がなんとかしていると考えるより他はないだろう。
﹁ありがとうございます。ウッドステッキは物理攻撃力もある杖で
す﹂
﹁確かにちょっと痛そうだ﹂
﹁ウッドステッキと同様、槍にも魔法が強くなる聖槍という武器が
あります。ただし、貴重で高価なものなので、オークションでなけ
れば手に入りません﹂
1195
﹁そういうのもあるのか﹂
回復役が後衛から攻撃するにはいい武器だろう。
鍛冶の後、商人ギルドへ赴いた。
ルークからウサギのモンスターカードを買い取る。
鑑定で本物と確認ずみだ。
﹁これはコボルトのモンスターカードと一緒に使ってみたいが、コ
ボルトのモンスターカードはまだ五千二百で買いが出ているか﹂
﹁まだ出ています。前々回が五千二百、前回が五千三百でした﹂
﹁じゃあ仕方ないな。五千四百ナールまで出そう。それでなんとか
頼む﹂
コボルトのモンスターカードはどこかの客が五千二百ナールで買
い集めていた。
まだ続いているらしい。
なかなかしぶとい。
早く目的のものができればいいのに。
前回の落札価格が五千三百ナールということは他にもコボルトの
モンスターカードを狙っている客がいる。
手に入れるためにはさらに上乗せするしかないだろう。
﹁承りました。一枚でよろしいですよね﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
確かに、セリーの場合失敗することはないだろうから一枚でいい。
しかしそのことはルークには分からないはず。
と思ったが、融合に失敗したらウサギのモンスターカードもなく
1196
なるのか。
チャンスは一度、必要なコボルトのモンスターカードも一枚だ。
前回五千三百で落札した客はもう入札しない可能性がある。
五千四百にすることはなかったか。
確実さを求めるならしょうがないか。
五千二百で買い支えている客はよく続くものだ。
同時に融合する片方のモンスターカードもそれだけの数を集めな
ければならない。
目的のものができなくても、用意していたモンスターカードがな
くなればコボルトのモンスターカードを買いあさることをやめるの
ではないだろうか。
そう考えると、少し待ってもよかったか。
まあ数百ナールならしょうがないか。
他にも狙っている客がいる以上、極端には下がらないだろう。
﹁では、コボルトのモンスターカードを五千四百ナールまで狙って
いきます﹂
﹁それと、ヤギのモンスターカードを手に入れたい﹂
﹁ヤギのモンスターカードですか。前回は五千ナールで落札されて
おります。前々回は五千百でした。すぐに入手するにはもう少しか
かるかもしれません。安いときには四千七、八百から、高ければ五
千四、五百ぐらいまでで落札されることが多いかと思います﹂
さすがにルークは回答が早い。
よく覚えているもんだ。
待合室で入札結果の一覧を見ているセリーが黙っているところを
みると、そのとおりなのだろう。
1197
﹁高いのだな﹂
﹁魔法使いはパーティーのメイン火力です。魔法使いのいるパーテ
ィーなら魔法攻撃力をアップさせることが強化の第一選択肢になり
ます。また、魔法使いになるような人は実家が裕福であること、魔
法使いがいれば上の階層にも行きやすいことから、ヤギのモンスタ
ーカードは他のカードに比べてどうしても高くなってしまいます﹂
ほしい上にほしいやつが金を持っているカードだということか。
﹁なるほど。ではしょうがない。ヤギのモンスターカードも五千四
百ナールまで出そう﹂
﹁承りました﹂
やはり一枚でいいとは言わないか。
俺の方から必要なモンスターカードを指定するのは、それがネッ
クだ。
身代わりのミサンガや詠唱中断なら何個か必要だが、ヤギのモン
スターカードはそんなに何枚もいらない。
本当は一枚でいい。
しかし一枚でというわけにもいかない。
セリーが確実に一回で成功させられることをわざわざルークに教
えてやる必要はないだろう。
ということは、何枚かは買わざるをえない。
まあ最終的には何枚も必要になるだろうから、無駄になるわけで
はない。
魔法攻撃力を強化するヤギのモンスターカードはすぐにも必要な
ので、仕方がないだろう。
1198
コボルトのモンスターカードとヤギのモンスターカードを頼んで、
ルークと別れた。
商人ギルドからは、待合室の壁から出るのではなく歩いて外に出
る。
近くの武器屋に行った。
鋼鉄の槍 槍
スキル 空き 空き 空き
槍の中でいい製品はこの鋼鉄の槍か。
空きのスキルスロットは最大で三つのようだ。
三つあるものは二本しかない。
﹁では、どっちかいい方を選べ﹂
その二本をセリーに渡す。
﹁えっと。が、がんばります﹂
何故かセリーが気張って答えた。
がんばって選ばなくても、あんまり違いはないと思うけどね。
﹁頼む﹂
﹁融合に失敗すると、私では作りなおせませんが﹂
ぼそっとつぶやく。
なるほど。モンスターカード融合をがんばるということか。
1199
﹁まあ大丈夫だ﹂
軽く肩を叩いて、俺は杖の方へ回った。
ロッド 杖
スキル 空き 空き 空き
よさそうなのは、このロッドか。
武器屋で売られている杖の中で多分一番いい商品は、大事そうに
奥に展示されているダマスカス鋼のステッキだろう。
しかし、ステッキ系なので今の要求には合わないし、なにより空
きのスキルスロットがない。
今回はスルーだ。
無造作に何十本も並べられている安い武具なら、空きのスキルス
ロットつきのものが自由に選べる。
一つ一つ大事に飾られている高い武具だとそうはいかない。
高価なよい武具は、最大のスキルスロット数も多くなるだろう。
一方で生産数や売られている数が減ってしまうため、空きのスキ
ルスロットがたくさんついたものを得ることは難しくなる。
鋼鉄の槍も空きのスキルスロットが三つあるものは二本しかなか
った。
オークションでしか売買されないようなオリハルコン製の武具は、
どうやったら空きのスキルスロットつきのものを選択的に入手でき
るだろうか。
これからのことを考えるとちょっと心配だ。
1200
武器屋や防具屋には足繁く通って、空きのスキルスロットつきの
いい武具があったら即決で購入することも考えていかなければなら
ないだろう。
セリーの作った武具を売却するから、頻繁に通うことに問題はな
い。
ロッドや鋼鉄の槍は、大量生産品では一番いい杖と槍というとこ
ろか。
どうせたいした違いはないだろうから、ロッドは適当に選ぶ。
セリーが選んだ鋼鉄の槍も受け取って、両方を購入した。
今回ロクサーヌの武器は買っていない。
ロッドと鋼鉄の槍で金貨三枚が吹き飛んだことでもあるし。
コハクのネックレスとか硬革のジャケットとか、考えてみればロ
クサーヌのものはよく買ってしまっていた。
﹁今回は俺とセリーの武器だけで悪いな﹂
﹁いえ。かまいません﹂
武器屋の外に出て、ロクサーヌを慰する。
そういつもいつもロクサーヌのものを買うわけにはいかない。
﹁現状、シミターで特に困ってるわけでもないしな﹂
﹁そのとおりです﹂
主人として甘い顔はできない。
毎回毎回ロクサーヌのものを購入していてはつけあがらせるだけ
だ。
ときには毅然とした態度を見せなければいけない。
1201
﹁戦力の強化のためにはパーティーメンバーを増やす必要もある。
装備にばかりお金をつぎ込むわけにはいかない﹂
﹁はい。確かに﹂
世の中思い通りに行かないのだと、そんなに甘い主人ではないの
だと、思い知らせる必要がある。
甘やかしてはいけない。
なめられてはいけない。
﹁稼ぎの悪い主人だとは思わないように﹂
﹁とんでもないことです。食事なども贅沢をさせてもらっています
し﹂
そのためには、そう、心を鬼にする。
凛々しく、雄々しく、勇敢に、敢然と立ち向かわなければならな
い。
﹁あのくらいの攻撃はかわせとか、しつこい上にいやらしい男は嫌
われるとか、さっさと見限って他の主人を探そうとか、考えないよ
うに﹂
﹁えっと。はい﹂
うむ。
威厳ある、あまりに威厳のある俺の姿。
﹁いずれロクサーヌの武器を強化することもあるだろう﹂
﹁ありがとうございます。私の武器の強化はまだ先でも大丈夫です﹂
﹁店の奥に飾られている片手剣はエストックだったか。いいものが
並んだらと考えている﹂
1202
﹁⋮⋮いい武器過ぎるように思うのですが﹂
厳格な姿勢が功を奏したのか、ロクサーヌはちょっと引き気味だ。
おそらくは俺の果断な処置に恐れをなしているのだろう。
容赦ない貫禄を見せつけることができたようだ。
﹁大丈夫。そのうちに、という話だ﹂
﹁は、はい﹂
﹁それに、ロクサーヌの武器を強化すればパーティー全体の強化に
なる﹂
﹁ありがとうございます﹂
ロクサーヌも自らの立場が身にしみたことだろう。
ここまでしておけば増長することはないはずだ。
商人ギルドに戻り、待合室の壁からハルバーの十一階層へ飛んだ。
新しい武器を試してみなければならない。
ロッドを手にし、セリーに鋼鉄の槍を渡す。
セリーからは棍棒を受け取った。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv36 英雄Lv33 魔法使いLv36 僧侶Lv34
装備 ロッド 革の帽子 革の鎧 革のグローブ 革の靴 身代わ
りのミサンガ
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv25
装備 シミター 木の盾 革の帽子 硬革のジャケット 革のグロ
ーブ 革の靴
1203
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv23
装備 鋼鉄の槍 革の帽子 チェインメイル 防水の皮ミトン 革
の靴
さすがに槍は街中を常時持ち歩くような武器ではない。
長さも二メートル以上ある。
前衛で振り回す武器ではないとセリーも言っていた。
﹁セリーが武器を槍に替えているから、しばらくは戸惑うこともあ
るだろう。無理せずに最初は魔物の数の少ないところから案内して
くれ﹂
﹁分かりました﹂
﹁セリーも、前衛で槍は振り回しにくいかもしれないが、頼む﹂
﹁はい。がんばります﹂
﹁慣れてきたと思ったら、数の多いところに戻してくれ。判断はロ
クサーヌにまかせる。俺の杖も強化しているので、以前より戦いや
すいはずだ﹂
最初にロクサーヌが案内したのは、アリ一匹のところだ。
ニートアントLv11はウォーターボール三発で倒れる。
セリーが槍を振るう前に煙と化した。
三発か。
ワンドでは四発だったから、ちゃんと強化できている。
次にロクサーヌが連れてきたところにはミノ一匹がいた。
ファイヤーボールを撃ち込む。
1204
こちらに来るまでには倒せなかった。
魔物の正面にロクサーヌが立ちはだかる。
横から、セリーが鋼鉄の槍を、俺がファイヤーボールをぶち込ん
だ。
牛の攻撃はロクサーヌが軽々と回避する。
ロクサーヌと対峙してから二発、最初からだとファイヤーボール
五発でミノ
Lv11は倒れた。
弱点魔法のないミノの方は魔法五発か。
ワンドで七発のものがロッドでは五発になったのだ。
まずまずというところだろう。
それでも十二階層の魔物が一.五倍から二倍になるとすると八発
から十発か。
上の階層ではそれなりに厳しい戦いを覚悟しなければならないよ
うだ。
1205
勝ち逃げ
モンスターカードを頼んだ翌日の夕方、早くもルークから連絡が
あった。
家に帰ったとき玄関にメモが残されていたらしい。
﹁芋虫のモンスターカードを落札したようです。四千四百ナールで
すね﹂
メモを見たロクサーヌが告げる。
せっかく連絡があったというのに、ヤギのモンスターカードでも
コボルトのモンスターカードでもないのか。
﹁前回は四千三百でした。百ナールずつ吊り上げて、こちらの反応
をうかがっているのかもしれません﹂
セリーが注意を促してくる。
﹁うーん。そこまでするかねえ﹂
仲買人に対して厳しいセリーの意見だ。
割り引いて受け取らなければいけない。
﹁仲買人というのはどんな汚い手でも平気で使ってくるやつらです﹂
﹁それはそうかもしれないが﹂
﹁その可能性はかなりあります。そう考えるのが合理的です﹂
﹁なんかそういわれるとそんなような気がしてきた﹂
1206
合理的なセリーに合理的だといわれると、合理的なように思えて
きてしまう。
翌朝、商人ギルドへと赴いた。
ルークがモンスターカードを二枚出してくる。
﹁こちらが芋虫のモンスターカード。それと、昨日最後のせりでヤ
ギのモンスターカードが出品されました﹂
ルークは二枚のモンスターカードを慎重に別々にして置いた。
俺は鑑定があるから迷うことはないが。
鑑定によれば両方とも間違いなく本物だ。
﹁ヤギのモンスターカードか﹂
﹁五千四百ナールで落札しています﹂
五千四百までといったら、きっちり五千四百で落としてくるのか。
やっぱりセリーのいうことが正しいような気がしてきた。
少なくとも、クライアントのために少しでも安く、という考えは
仲買人にはないらしい。
﹁早かったな﹂
﹁競り合いになりかけましたが、なんとか落札できました﹂
その競り合う相手をルークが用意していないという保証はどこに
もない。
﹁ヤギのモンスターカードはそこまで急ぐものでもない。次からは、
落札価格は五千二百までで頼む﹂
1207
﹁かしこまりました﹂
この際だから値段を下げる。
うまくすれば、こちらが怒っているとルークが解釈するだろう。
伝わらなくても、値段を下げられればそれでいい。
ヤギのモンスターカードは当面一枚でいい。
﹁全部でいくらになる﹂
﹁そうですね。ええっと⋮⋮次回の手数料込みで、いつもご利用い
ただいておりますので一万五百ナールで結構です﹂
モンスターカードが四千四百と五千四百、手数料が二枚分千ナー
ルのところを三割引で七百ナールということか。
結構間があったので、あれこれと計算したのだろう。
オークションでの金額にはどうあっても三割引は効かないようだ。
金貨一枚と銀貨で支払いを完了した。
家に帰って、芋虫のモンスターカードをセリーに融合してもらう。
身代わりのミサンガは役に立つ装備品だから、すぐに作ってもら
った方がいいだろう。
﹁モンスターカードの融合はやはり緊張します﹂
﹁大丈夫。失敗したら俺のせいでもあるからな。気楽に行け﹂
﹁はい﹂
装備品にモンスターカードが融合できるかどうかは大体分かると
セリーには伝えてある。
つまり、失敗したら俺の見立てが悪かったということだ。
本当に失敗したらその理由は全然分からないが。
1208
﹁ヤギのスキルカードは何のスキルになるんだ?﹂
﹁武器かアクセサリーにつけると、知力上昇のスキルになります。
コボルトのモンスターカードと一緒に武器かアクセサリーにつける
と、知力二倍のスキルになります﹂
当然のように成功した後、セリーから説明を受けた。
コボルトのモンスターカードと一緒に融合するとスキル性能がア
ップするのだから、知力上昇では知力が二倍にはならないのだろう。
三割増しか五割増しくらいだろうか。
﹁アクセサリーにもつけられるのか﹂
﹁はい、つけられます﹂
﹁それならロッドにつけるよりもアクセサリーにつけた方がいいか。
他の武器を持っているときにも効くし、将来新しい杖に替えても使
える。なんならアクセサリーと杖に知力二倍をつけて知力四倍とい
うのは⋮⋮無理なんだっけ﹂
﹁できないそうです﹂
同じ攻撃スキルを複数の装備品につけても駄目だという話は聞い
た。
夢が、広がらない。
﹁じゃあ一つの装備品に同じスキルを複数つけるのは﹂
﹁さすがにそこまで試したという話は聞きません﹂
二つめのスキルをつけようとして失敗すると一つめのスキルも消
えてしまう。
だから、複数のスキルをつけることはあまりない。
一つの武器に同じスキルを複数つけて有効になるかどうかは試さ
れたことがないのだろう。
1209
俺ならば恐れずに複数のスキルをつけられるが。
試してみるか。
でもまあ、普通に駄目そうだよな。女子高生的に考えて。
ヤギのモンスターカードはおとなしくロッドにつけるか。
アクセサリーとしては身代わりのミサンガがある。
ヤギのモンスターカードも、値段を下げたとはいえ頼んでいるか
ら、何枚も手に入るだろう。
コボルトのモンスターカードが手に入るのを待ってロッドにつけ
ればいい。
﹁いずれにしてもコボルトのモンスターカードが手に入ってからだ
な。この身代わりのミサンガはロクサーヌが着けろ﹂
﹁えっと。お売りになられないのですか﹂
身代わりのミサンガを差し出すが、ロクサーヌはすぐには受け取
らなかった。
﹁もちろんあまったら売却するつもりだが。あーと。俺の身代わり
のミサンガが切れたときの予備が必要だろう。予備に取っておくな
ら、ロクサーヌが装備すればいい﹂
身代わりのミサンガは、そう誰でもが着ける装備品ではないのだ
ろう。
遠慮しているのか。
﹁でも私が攻撃を受けて切れてしまったら﹂
受け取りやすいように適当に理屈をこねたのだが、反論されてし
1210
まった。
失敗だ。
﹁セリー、身代わりのミサンガって、そう何十万もするものではな
いよな﹂
﹁はい。三万から四万ナールくらいです﹂
﹁じゃあ大丈夫だ。大怪我をされるより身代わりのミサンガの方が
安い。ロクサーヌに死なれたらもっと困る。実際のところそんなに
切れることもないだろうしな﹂
ロクサーヌが身代わりのミサンガが必要になるほど敵の集中砲火
を浴びるところはちょっと想像できない。
そんな事態に追い込まれるようならパーティーごと全滅だろう。
芋虫のモンスターカードは四千ちょっと。
十回の融合で一回成功するとして、身代わりのミサンガの値段は
高くても数万ナールというところだ。
手持ちの装備品の中では一、二に高いが、ロクサーヌよりは安い。
﹁は、はい。ありがとうございます﹂
身代わりのミサンガを着けることをなんとか納得させる。
座っているロクサーヌのところに行った。
﹁俺が着けてやろう。ロクサーヌは、足首と手首、どっちに着ける
?﹂
﹁で、では、あの。足首にお願いできますか。目立たない方がいい
ので﹂
手首にミサンガをすると外から見える。
1211
鑑定がなければ身代わりのミサンガかただのミサンガかは分から
ないが。
公爵やカシアは、これ見よがしに手首に身代わりのミサンガを巻
いていた。
俺は足首に巻いている。
足首に着けてズボンをはけば、外からは分からない。
俺を襲ってくるやつがいたとき、油断を誘えるだろう。
手首に着けた方が、切れたときにすぐ分かるというメリットはあ
る。
公爵や公爵夫人クラスなら、襲う方も身代わりのミサンガがある
と想定するだろうから、隠すことにそれほどのメリットはない。
身代わりのミサンガを着けていると金持ちだと思われて狙われた
り、反発を受ける可能性もあるから、ロクサーヌの場合は足首でい
いだろう。
﹁じゃあ、まくってもらえるか﹂
ロクサーヌが靴を脱いで右足をイスに乗せ、ズボンをまくった。
白くて華奢なすねがあらわになる。
つやつやとなめらかそうな足だ。
ほおずりしたくなるくらいに可愛い。
日の光を浴びて輝いている感じだ。
真っ昼間に衣服の隙間からちらりとのぞくと、何か違うものがあ
る。
思わず手を伸ばしてなで回しそうになり、ロクサーヌの表情をう
かがってしまった。
1212
い、いや。大丈夫だ。
何も悪いことはしていない。
別にこれからするという意味ではない。
というか、いまさら足をなでるくらいがなんだというのだ。
着けてやるとおびき出してなで回すのもいかがなものかと思うが。
しょうがない。
ほおずりするのもキスするのも舐め回すのも我慢して、ミサンガ
を巻いた。
ええい、今夜だ。
今夜を待っておれ。
勝ち逃げは許さん。
﹁ありがとうございます﹂
身代わりのミサンガを巻くと、ロクサーヌが礼を述べる。
果たして今夜同じ台詞を吐けるかな?
昼すぎ、コハク商の事務所を訪れた。
ゴスラーから注文を受けた鏡十枚の仕入れは次で終わりになる。
その前に、親方の奥さんに売るネックレスを手に入れたい。
ハルバーの迷宮からボーデへ飛ぶ。
﹁コハクの原石は現在一つだけなら融通できます。値段は前回と同
じく八百ナールです。お持ちになられますか﹂
﹁ネックレスが一つほしいのだが、それと一緒にもらえるか﹂
1213
コハクの原石は一個しかないらしい。
やはりコハク貿易で儲けることは大変だ。
コハク商としても、見つかったコハクを全部俺に回すというわけ
にもいかないのだろう。
しかし今回は一個でもあればそれでいい。
三割引のための犠牲になってもらえる。
ネックレスを買うことを伝え、ロクサーヌとセリーに選ばせた。
ネックレス選びは二人の意見を聞いた方がいい。
﹁それから、こちらがタルエムの小箱になります﹂
ネコミミのおっさん商人がネックレスの他に小さな箱を出してく
る。
頼んでおいたやつか。
色の白い綺麗な小箱だ。
薄茶色の年輪が鮮やかに入っている。
﹁なかなかよさそうだな﹂
﹁まだ試作の段階ではございますが、お客様にはアイデアもいただ
きましたので、前回ご購入の分、小箱をお譲りいたします﹂
﹁悪いな。ありがたくいただいておく﹂
小箱を二つ受け取った。
結構重い。
見た目とはギャップがある。
白いのも何か塗っているのでなく木材そのものの白さのようだ。
期待したよりもいい出来だろう。
1214
高級感を演出するための小箱だから、重い方がいい。
﹁これか、そっちがよさそうですね﹂
﹁やっぱりそうですよね﹂
﹁二つのうちのどっちにするかですが﹂
﹁私はこれがいい品だと思います﹂
ネックレスを選んでいた二人の方も結論が出たらしい。
最終的にはセリーが一本のネックレスに絞った。
多分、最初にこの商会に来たときに見せてもらったやつだ。
確か五万五千ナールだったか。
最初に見せるくらいだから、この店でも自慢の品なのだろう。
どうせ俺が見てもよく分からない。
店の意見とセリーの意見が一致したのだ。
これにすべきだろう。
祖父の存命中には本を買う余裕もあったようだし、セリーには見
る目があるかもしれない。
そうでなくても、売りつける先の親方の奥さんとはセリーがいい
関係を結んでいるだろう。
セリーが気に入ったものなら確実だ。
﹁では、コハクの原石とこのネックレスをもらえるか﹂
﹁ありがとうございます。公爵様からの紹介状をお持ちいただいた
お客様ですので、特別に三万九千飛び六十ナールでお分けいたしま
しょう﹂
なんかそう言われると紹介状の威力がすごいみたいで嫌だ。
1215
三割引が効いているだけなのに。
お金を払う。
金貨の他、銀貨九十枚に銅貨六十枚。
﹁これでいいな﹂
﹁お客様には特別にタルエムの小箱もおつけいたします。小箱は二
百ナールで売ることを考えていますが、アイデアをいただいたので、
お客様からはお代をいただきません﹂
コハク商が小箱の中に布の袋に入れたネックレスを収め、渡して
きた。
金を取ってくれた方が一つの買い物で三割引が効いて楽なのだが。
まあ、ただになるのだから文句はいうまい。
一度帰って二人のネックレスを持ち出し、ペルマスクへ向かう。
ザビルの迷宮でネックレスをつけさせ、税金の銀貨を渡した。
﹁やっぱり行かれないのですか﹂
セリーが心配そうに尋ねてくる。
さすがに不安もあるらしい。
ネックレスを親方の奥さんに金貨二十五枚で売れば、セリーと同
額だ。
実際には三割引が効いたから、セリーよりも高い。
自分より高い商品をまかされるのは心労があるだろう。
着けているネックレスもあるから、完全に一財産持っている状態
だ。
うまく逃げ出せれば何年か遊んで暮らせる。
1216
﹁大丈夫ですよ。ご主人様は私たちのことを信頼してくださってい
ますから﹂
﹁は、はい﹂
ロクサーヌの方はよく分かっている。
あるいは単に能天気というべきか。
大丈夫だとセリーを励まし、ペルマスクの冒険者ギルドへ飛んだ。
二人を送り出す。
これで二人が鏡を一枚ずつ持ってくれば十枚になる。
当面、ペルマスクから家まで直接飛ぶことはなくなるだろう。
ラスト一回ですむかと思うと、心が晴れ晴れとしてくる。
うきうきして落ち着かない感じだ。
心なしか冒険者ギルドの中もざわついている感じがした。
1217
ドラゴン
﹁ドラゴン⋮⋮だと⋮⋮?﹂
二人を迎えたとき、思わずつぶやいてしまった。
迷宮と家で適当に時間をつぶし、ペルマスクの冒険者ギルドへ戻
る。
しばらくして帰ってきたロクサーヌがドラゴンが出たらしいと告
げたのだ。
﹁はい。今朝ほど沿岸から襲われたようです。残念ながら、私たち
が都市に入ったときにはもうすでに迎撃された後でした﹂
何が残念なのか分からないが、冒険者ギルドがなんとなくざわつ
いているように感じたのはそのせいか。
恐ろしい事態に遭遇したものだ。
この世界にはドラゴンがいるらしい。
いるだけではなく、都市を襲う。
それは城壁の一つも必要だろう。
もっとも、二人ともちゃんと鏡を持っている。
やることはやってきているあたり、たいした事件ではないのか。
﹁ドラゴンに襲われることはよくあるのか﹂
ペルマスクからの当面最後のジャンプを終え、クーラタルの迷宮
1218
でMPを回復した後、セリーに聞いてみた。
﹁正確にはドライブドラゴンです。ペルマスクは島なので普通の魔
物は襲ってきません。ドライブドラゴンなら空を飛べます。よくあ
ることだと思います﹂
﹁よくあるのか﹂
﹁対竜の装備品を所持している人も多いでしょうし﹂
セリーが平然と返してくる。
ドラゴンの襲撃にニアミスしてもどこ吹く風だ。
やはり異常事態ではないのか。
日本人が震度三くらいの地震では驚かないようなものかもしれな
い。
この世界は思ったよりも恐ろしいようだ。
﹁なるほど﹂
﹁そんなことよりも、コハクのネックレスを金貨二十五枚で売って
きました﹂
ドラゴンがそんなこと扱いされてしまった。
ドラゴンだよ、ドラゴン。
﹁ドライブドラゴンって、ひょっとして弱い?﹂
﹁迷宮の外に現れる魔物の中では最強種です﹂
弱いわけないじゃないですか、やだー。
もはや震度五がきても驚かない感じか。
あいつら未来に生きてんな。
1219
﹁そ、そうか﹂
セリーから金貨を受け取る。
これで金貨がアイテムボックスに二列を占めるようになった。
皮なんかも複数列入れているので、アイテムボックスはそろそろ
いっぱいになってきている。
アイテムボックスは違う種類のものを同じ列に入れられないので、
どうしても容量をとられてしまう。
足りなくなったら、料理人でも常時セットするようにするか。
それもまた大変だ。
こういうものはあればあるだけ使ってしまう。
銀貨や兎の毛皮を複数列入れる必要はないし、もう少し節約でき
るだろう。
﹁親方の奥さんに売ったコハクのネックレスはかなりよい品のよう
です。本当に金貨二十五枚でいいのかと、何度も念を押されました﹂
金貨を受け取りながら話を聞いた。
ペルマスクでのコハクの相場はボーデの五倍くらいと踏んだが、
もう少し上ということだろうか。
確実な相場が分からないのでちょっと困る。
﹁あれより安いものでよかったのか。まあしょうがないか。別に損
をしたわけでもないし﹂
﹁お近づきのしるしに特別サービスだと言っておきました。安いの
で知り合いにも勧めてくれるそうです﹂
﹁よくやった﹂
なかなかの口八丁ぶりだ。
1220
﹁小箱は銀貨十枚で譲ってきました。二百ナールと言っていたので﹂
﹁さすがはセリーだな﹂
﹁コハクは銀貨三十五枚で売却してきています。また、必要があれ
ば次からも鏡は銀貨二十枚で売ってくれることになりました﹂
ただでもらった小箱を売りつけ、次回の商談まできっちり決めて
くるとは。
口も八丁、手も八丁だ。
﹁やはりセリーにまかせて間違いはなかった﹂
﹁ありがとうございます﹂
あれか。
仲買人を毛嫌いしているのは発想が同じだからか。
近親憎悪か同族嫌悪。
同じ穴の狢といったところかもしれない。
夕方、迷宮から帰ってくると、そのセリーの嫌いなルークから連
絡が入っていた。
コボルトのモンスターカードを五千四百ナールで落札したらしい。
こちらも五千四百までといったらきっちり五千四百か。
﹁今回落札したコボルトのモンスターカードはヤギのモンスターカ
ードと一緒に俺のロッドに融合したい。十二階層に上がったら、き
つくなるだろう﹂
夕食のときに会話する。
1221
﹁は、はい。がんばります﹂
﹁セリーなら大丈夫だ。詠唱中断は後回しで悪いが﹂
﹁いえ。お気遣いなく﹂
﹁十二階層の魔物からはかなり強くなる。戦力の充実は必要不可欠
だ。新しいパーティーメンバーを入れることも考えていきたい﹂
うまく話がつながった。
新しいパーティーメンバーは戦力増強のためにも必要だ。
いや、違う。
戦力増強のために必要だ。
﹁はい﹂
﹁ベイルの商人のアランから帝都の商人への紹介状をもらっている。
鏡の受注も残り二枚だ。全部売り終わったら、あさっては新しいパ
ーティーメンバーを探しに帝都へ行きたい﹂
二人がうなずくのを見届け、予定を話した。
金貨四十枚以上が手持ちにある。資金としては十分だろう。
﹁新しく仲間が増えるのですね﹂
﹁いいメンバーがいれば、そうしたい﹂
﹁はい。もちろん戦力の充実は必要なことですから﹂
ロクサーヌの了承を取りつける。
まあ表立って反対はしにくいだろう。
よかった。
﹁そのこともあるので、明日の昼は迷宮の探索を休みにしよう。新
しいメンバーが入ってすぐに休みというわけにもいかないしな﹂
1222
同時に飴も与える。
飴と鞭、いいニュースと悪いニュースは交互に出した方がいい。
鞭ばかりでは嫌になる。
﹁お休みをいただけるのですか﹂
﹁この前と同じだな。ロクサーヌはどうしたい。セリーは図書館で
いいか﹂
﹁はい。よろしいのであれば﹂
セリーの方を見るとうなずいた。
やっぱりセリーは図書館で決定と。
﹁明日は俺に用事があるわけでもないしな。ロクサーヌが入りたか
ったら、一緒に迷宮に入ってもいいぞ﹂
迷っているロクサーヌに伝える。
前回の休みのとき、ロクサーヌは迷宮に入って修行するなどと殊
勝なことを言っていた。
一人で迷宮に入られるのも怖いのでやめさせたが、今回は状況が
異なる。
﹁よろしいのですか﹂
﹁まあ俺も暇だからな﹂
俺にも特にやることはない。
観光、視察、情報収集。
結局、俺が何かをしたいと思ったら、勝手にやればいいだけだ。
なにも休みにやることはない。
休みはロクサーヌやセリーのためにあるのであって、俺のために
1223
あるのではない。
﹁それでは、よろしくお願いします﹂
﹁分かった。あと、明日は俺の髪を切ってもらえるか。さすがに伸
びすぎた﹂
髪を切るつもりもあって鏡を購入したのに、まだやってもらって
ない。
これくらいは休みの日にやってもらってもいいだろう。
﹁はい、ご主人様﹂
﹁頼む。ロクサーヌやセリーの髪は大丈夫そうだよな﹂
﹁えっと。私も少し伸びてきました﹂
そう言って髪をいじるセリーの髪先は、ようやく肩にかかった程
度だ。
ドワーフは髪の毛が伸びるのが早いのだったか。
﹁全然余裕だろう﹂
﹁まだ大丈夫ですよ、セリー﹂
﹁そうですね。少しでも伸びるとごわごわしてくるのですが、髪の
毛をよく洗っていただいているせいか、今はそうでもありません﹂
ロクサーヌもセリーももっと髪を伸ばしてもいい。
二人が髪を切るのはまだ先になりそうだ。
翌朝、日の出前は休みにすることなく迷宮に入った。
下手に休んで感覚が鈍っても困るし。
もちろん夜のお勤めも休みなしだ。
1224
あ。セリーは図書館に行くのか。
今夜は強制休業かもしれない。
その分ロクサーヌにがんばっていただこう。
鏡を売り朝食を取り少し鍛冶をさせた後、セリーに預託金の金貨
一枚と銀貨五枚を渡す。
まずはセリーを図書館に送り届けた。
図書館は日没までの定額制だから、早く入った方が得だ。
帰りに商人ギルドへ寄り、コボルトのモンスターカードを受け取
る。
コボルトのモンスターカードをもう一枚五千四百で依頼して、家
に帰った。
イスを外に出し、ロクサーヌに髪を切ってもらう。
﹁あまり巧くないかもしれませんが﹂
﹁俺の場合はロクサーヌに嫌われない程度の髪型で十分だからな。
ロクサーヌが責任を取ってくれればそれでいい﹂
﹁わ、私がご主人様を嫌うことはありえません﹂
﹁ありがとう。では頼む﹂
この世界では、自分で切ったり家族の誰かに切ってもらったりす
るのが普通なので、あまりヘアースタイルにこだわったりすること
はないようだ。
日本にいたときからこだわりがない俺には、さらにどうでもいい。
ロクサーヌがはさみで俺の髪を切る。
はさみは、こぎれいではないかもしれないが、普通のはさみだ。
髪の毛を切るくらいは問題がない。
1225
﹁ご主人様、このくらいでどうでしょうか﹂
﹁少しはかっこよくなったか?﹂
﹁ご主人様はいつも最高です﹂
改めて言われるとこっぱずかしいものがあるな。
強制的に言わせた感じもあるし。
﹁えっと。迷宮はどこがいい﹂
﹁数が多いと大変なのでボス戦がいいです。ラピッドラビットが、
動きも速くて鍛錬になると思います。ベイルの迷宮がいいでしょう﹂
話題をそらすと、すぐに回答があった。
ベイルの迷宮指定なのか。
ラピッドラビットはベイルの迷宮九階層のボスだ。
苦手だなどとはいっていられないようだ。
﹁⋮⋮て、帝都へ買い物にでも行ってみないか﹂
本当に苦手だとはいっていられなくなった。
ベイルの迷宮九階層のボス部屋を何十回とチャレンジさせられた。
ラピッドラビットと何回戦ったか、数えるのも嫌だ。
隙を見つけて提案する。
﹁帝都ですか。よろしいのですか?﹂
よろしいも何も。
ボスを倒したらすぐにボス部屋一番近くの小部屋まで戻る無間地
獄を繰り返されるよりも。
1226
ロクサーヌの買い物に付き合うのも大変だが。
﹁大丈夫﹂
﹁はい。ありがとうございます、ご主人様﹂
﹁ほしいものがあったら、何でも言え﹂
受け入れられたので、ただちに帝都へワープで飛んだ。
気が変わらないうちに。
帝都では今まで入ったことのないような店にも入ってみた。
情報収集にもなって、一石二鳥だ。
ロクサーヌと二人、ぶらりと往来を歩く。
﹁んーと。こっちの服が似合うと思います﹂
服屋では、俺の胸にシャツを当て、ロクサーヌが服を選んでくれ
た。
なんかデートっぽい感じだ。
というか、まんまデートだよな。
二人きりだし。
メンバーが増えると、ベッドが手ぜまになる。
今日はベッドも見てみたかったが、言い出せる雰囲気ではない。
さすがに他人とも寝るベッドをデートで購入することは自重すべ
きだろう。
俺のシャツの後、ロクサーヌは子供服のところへ行って慎重に選
ぶ。
セリー用か。
これがいいといって一着取り上げた。
1227
﹁ロクサーヌのは買わないのか?﹂
﹁こちらのが三百ナール、この服が二百ナールになりますので。こ
れで銀貨五枚のはずです﹂
二つで五百ナールということか。
前回と同じ、今日の小遣いだ。
﹁あー。まあ全員分買うんだし、服は必要経費として俺が出そう﹂
﹁えっと。それではセリーへのプレゼントになりませんし﹂
﹁なるほど﹂
﹁それに、これは私からのプレゼントです﹂
最初に選んだ俺の服をロクサーヌが示す。
俺がセリーに服を買っても、その服は結局俺の所有物になるのだ
った。
ロクサーヌが自分のお金で服を買ってセリーに贈れば、その服は
誰はばかることなくセリーのものとなる。
俺の服も、俺が自分のお金で自分用に購入したのではなく、ロク
サーヌがロクサーヌのお金で買って俺にプレゼントするということ
か。
﹁ありがとう。じゃあ、今日はロクサーヌの服を一着俺が買うこと
にしよう﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁好きなのを選んでいいぞ﹂
﹁ありがとうございます﹂
ロクサーヌは遺言上死ぬまで俺の奴隷だから、セリーと違って自
分の財産は必要ないらしい。
1228
ロクサーヌの服も選んでから三着購入し、外に出る。
三割引が効いたのでロクサーヌの小遣いが計算上あまってしまっ
た。
まあいいだろう。
外に出たとき、ロクサーヌの手を握ってみる。
﹁つ、次はあそこの店に行ってみようか﹂
﹁⋮⋮はい﹂
白昼堂々屋外で女の子の手を握るというのはうれし恥ずかしい。
デートとはこういう気分だったのか。
ロクサーヌも俺も帯刀しているし、客観的には違和感があるが。
柔らかなロクサーヌの手の感触を確かめる。
すべすべとして大切にしたいと思える手だ。
ロクサーヌが握り返してきた。
ロクサーヌを引っ張り、一番近くの雑貨屋に入る。
雑貨屋は木製品を扱っている木地屋だった。
様々な木製品がところせましと並べられている。
手をつないだまま、ロクサーヌと見て回った。
﹁これは﹂
﹁多分ざるですね﹂
ある製品の前で立ち止まる。
ロクサーヌのいうとおり、ざるだ。
底がすのこ状になっていて、水が切れるようになっていた。
横はしっかりと板で囲われている。
1229
﹁こんなのがあったのか﹂
﹁クーラタルでは見かけません。絶対に必要なものでもありません
ので﹂
野菜の水切り器具が絶対に必要かといえば、そうでもないのだろ
う。
裕福な家庭用の調理器具ということか。
木でできた水切り。
見た目せいろだ。
龍の焼印でも押してあったら、中華料理店にあっておかしくはな
い。
作りもしっかりしているし、せいろとして使えるのではないだろ
うか。
二つを天地さかさまにしてくっつけ、天井に布を敷いて木の板か
何かでふたをしてやればいいだろう。
1230
蒸しパン
﹁よし。これを買って帰るぞ﹂
帝都の店でせいろを見つけた俺が勇みたった。
せいろではなくてざるらしいが。
﹁は、はい﹂
﹁今日はこれでちょっとしたデザートを作ろう﹂
﹁デザートですか﹂
﹁楽しみにしててくれ﹂
この世界にはあまりデザートというものはないようだ。
果物や固いビスケットがせいぜいか。
公爵やカシアなら何か食べているかもしれないが。
庶民レベルではしょうがないのだろう。
ロクサーヌもカルメ焼きで喜んでいたし。
一度家に帰った後、卵と牛乳を買う。
この世界には、それなりの値段はするが砂糖はある。
上位のコボルトが落とすらしいコボルトスクロースだ。
今までデザートを作ったことはなかった。
クレープくらいなら牛乳、小麦粉、卵、砂糖で作れると思うが、
日本にいるときに作ったことはないし、こっちで試したこともない。
しかし蒸し器があるなら、俺にもいくつか作れる。
1231
クレープ同様作ったことがないので、蒸し器があるといってもい
きなりのプリンはやめておいた方が無難だろう。
プリンの原料は、牛乳、卵、砂糖だ。
バニラエッセンスとかはさすがに無理。
カラメルは砂糖を煮詰めるだけなのでなんとかなる。
問題は分量と蒸し時間か。
多分、何回か試行錯誤が必要だろう。
蒸しパンなら、家庭の授業で作ったことがある。
原料は、小麦粉、砂糖、牛乳、卵、重曹だ。
重曹は石鹸を作るときに使ったシェルパウダーがある。
まずは生地を作り、寝かせた。
生地を寝かせている間に俺もロクサーヌと寝る。
中華鍋の水を沸騰させ、その上にせいろを重ねてカップに入った
パン生地を置き、せいろをさかさまにしてかぶせ、布巾、木の板で
ふたをした。
湯気が出てきたら、弱火にして、ロクサーヌに火加減を見てもら
う。
俺はその間に帝都へセリーを迎えに行った。
﹁甘くていいにおいがします﹂
酒のにおいをさせたセリーを連れて帰ると、ロクサーヌが教えて
くれる。
そこまでにおわないように思うが、甘いのだろうか。
魔物のにおいをかぎ分ける人は違うらしい。
1232
鍋からせいろを降ろし、ほとんどロクサーヌ一人で作った夕食を
取った後、試食した。
カップから取り出してみると柔らかい。
しっとりと蒸しあがっているようだ。
﹁じゃあ食え﹂
﹁はい﹂
﹁いただきます﹂
かじりつくと、もっちりとした食感があった。
悪くない出来だ。
砂糖はもう少し多くてもいいかもしれない。
﹁お、おいしいです、ご主人様﹂
﹁これはすごいです﹂
二人にも好評のようだ。
笑顔で蒸しパンを口に入れている。
ハーレムメンバーを増やすのだ。
これくらいの罪滅ぼしはあってもいいだろう。
これからも時々作ることにしよう。
蒸しパンはカロリーが高いのが難点だが。
﹁それでは、ご主人様。改めて、私からのプレゼントです。これか
らもよろしくお願いします﹂
食事が終わると、ロクサーヌが昼間買った服を渡してきた。
席を立って、ありがたく受け取る。
1233
﹁ありがとう。俺の方こそよろしくな﹂
﹁はい。それから、これはセリーへ私からのプレゼントです﹂
﹁あ、ありがとうございます。大事にします、ロクサーヌさん﹂
セリーも席を立ち、ロクサーヌから服を受け取った。
セリーは前に図書館へ行ったときよりもお酒を控えてきたらしい。
夕食の後のお勤めもちゃんとこなした。
キスはちょっと酒臭かったが。
翌朝、ハルバーの迷宮に入った後、十枚めの鏡を届ける。
﹁鏡の枠はいくつか作らせておる。そのうちできあがるであろう﹂
﹁さようですか﹂
﹁ミチオ殿は、仲買人のルークとは長いのですか﹂
金貨をアイテムボックスにしまうと、ゴスラーが訊いてきた。
﹁長くはありませんが、それなりには﹂
﹁なかなかに優秀な仲買人です。ルークの父である先代も仲買人と
して使っておりましたから、見習いのころより知っております﹂
﹁そうでしたか﹂
ルークは父親も仲買人だったのか。
仲買人というのは騎士団や貴族とのつながりが生命線だろう。
人脈を受け継げる世襲の方が有利には違いない。
﹁仲買人としては、信用できます。ミチオ殿に用があるときはルー
クを通じて連絡したいのですが、よろしいですか﹂
1234
仲買人としては、ね。
﹁ルークをですか﹂
﹁ミチオ殿はクーラタルにお住まいとのこと。こちらから出向くの
も大変です。ルークならば、定期的にこちらに使いもよこしますの
で﹂
鏡も十枚で終了というわけではない。
贈答品として使えば、補充する必要がある。
用件があるときにはいつでも連絡を取れるようにしておかなけれ
ばならないだろう。
ルークを利用するということか。
﹁そちらがよければ、かまいません﹂
了承して、ボーデを後にした。
朝食の後、セリーにモンスターカードを融合してもらう。
酒が入っている状態では怖かったので、昨晩はやらせていない。
酔った勢いでやっても大丈夫なんだろうか。
酒が入っていると失敗する可能性があるのか。
スキルなんだから、そこまで気にすることもないのか。
詠唱できないほど酔っていれば、スキルの起動に失敗するだろう
が。
わざわざ試してみることはない。
﹁で、できました﹂
1235
酒が抜けた状態での融合はもちろん成功した。
ひもろぎのロッド 杖
スキル 知力二倍 空き 空き
できたのはひもろぎのロッドだ。
ちゃんと空きのスキルスロットも二つ残っている。
﹁すごい。さすがセリーだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
セリーが大きく息を吐き出す。
まだモンスターカードの融合には不安もあるらしい。
今回はモンスターカードを二枚も使っているからしょうがないか。
早速、ハルバーの迷宮に入って、試してみた。
最初に現れたのはニートアント二匹、ミノ一匹の団体だ。
ウォーターストームを喰らわせる。
水魔法が弱点のアリは二発めで倒れた。
こちらに来る前に全滅だ。
残った牛にファイヤーボールをぶつける。
ロクサーヌがミノの攻撃をかわした後、横からさらに火球を当て
た。
魔物が倒れる。
ニートアントLv11は水魔法二発、ミノLv11はそれにプラ
スしてファイヤーボール二発の計四発か。
1236
ミノは魔法五発かかっていたものが四発になった。
二倍といっても、与えるダメージが二倍になるわけではないよう
だ。
回数が減ったので、さくさくと狩を行う。
十二階層の魔物で倍になったとしても八発。
これなら十分に戦えるだろう。
あまりにもさくさく進みすぎて、ボス部屋に到着してしまった。
扉を開けると、奥にもう一つだけ扉のある部屋につながる。
待機部屋だ。
﹁今日は十二階層を試してみるまでにしておくか﹂
十一階層ボスのハチノスはデュランダルでぼっこにした。
途中何度かスキルを詠唱したようだが、すべてキャンセルしてい
る。
ボス戦の後、十二階層へと足を踏み入れた。
﹁ハルバーの迷宮十二階層の魔物はグラスビーです。針を飛ばす遠
距離攻撃をしてきます。針には毒がありますので当たると毒を受け
ることがあります﹂
遠距離から毒攻撃とか。
まじすか。
﹁さすがに十二階層からの魔物は強そうだな﹂
﹁耐性のある魔法属性を持たないのが救いです。弱点は風属性魔法
になります。グラスビーに限らず、羽で空を飛ぶ魔物は風魔法が弱
点になるようです﹂
1237
セリーの説明を受けた後、ロクサーヌの案内でグラスビーのいる
ところに進む。
でかいハチが一匹飛んでいた。
ニートアントの蜂バージョンというところか。
体が黒、脚が黄色の警戒色だ。
遠目からブリーズストームを放つ。
遠いので単体攻撃魔法だと避けられる。
もう少し近づけてから撃てば当たるが、初めて当たる敵なので最
初から飛ばした方がいいだろう。
ブリーズストームが当たると、ハチが上下左右に激しくぶれた。
見た目からして効果がありそうだ。
あれは人間なら脳みそが揺さぶられる。
ハチだからたいしたことないかもしれないが。
二発めはブリーズボールを撃つ。
続いて三発め。
接近するまで、結局グラスビーは遠距離攻撃を使ってこなかった。
近づいてくると、不気味な羽音がはっきりと響く。
ロクサーヌが正面に出て、ハチの突進を剣でいなした。
セリーが槍を突き込む。
ロクサーヌのはすから俺もブリーズボールを叩き込んだ。
音がやみ、ハチが墜落する。
ホバリングしていたところからいきなりボトリと落ちた。
黄色い脚が洞窟の地面に横たわる。
1238
四発か。
十一階層の魔物と同じだ。
十二階層より上で初めて出てくる魔物は低階層の魔物の倍、弱点
の風魔法を使ったので半分、ということだろうか。
ハルバーの十二階層なら風魔法だけを使えばいい。
ニートアントが出てきても四発なら問題ないだろう。
ハルバーの十二階層でも戦えるようだ。
グラスビーはやがて煙となって消え、後に蜜蝋が残った。
﹁残ったのは蜜蝋か。蝋燭が作れるのか﹂
﹁ギルドに売ると、職人が蝋燭に加工します。特に貴重な素材でも
ないので、ギルド以外での買取はあまりやっていないようです﹂
セリーが教えてくれる。
蜜蝋から蝋燭を作ったりするスキルはないらしい。
あればいいのに。
﹁革の装備品を手入れすることにも使えます。よろしければ、一つ
使わせていただけますか﹂
﹁分かった﹂
﹁ありがとうございます﹂
まんまワックスとしても使うのか。
ロクサーヌに渡すのは帰ってからでいいだろう。
蜜蝋は残り容量も少なくなったアイテムボックスにぶち込んだ。
それなりに戦えることが分かったので、今日はここまでにする。
いよいよ帝都の奴隷商人を訪ねるときだ。
1239
﹁前に話したとおりこの後帝都に行くが、二人はどうする。一緒に
行くか?﹂
﹁はい。ついていきます﹂
﹁えっと。よろしいのですか﹂
セリーが逡巡した。
﹁二人にとっても仲間になるわけだからな。意見も聞いてみたい﹂
﹁大丈夫ですよ、セリー﹂
﹁そういえば、私のときにもロクサーヌさんがいました。それでは
私もご一緒させてください﹂
ロクサーヌとセリーも来るそうなので、三人で帝都の冒険者ギル
ドへ飛ぶ。
奴隷商の商館がある場所へと向かった。
場所はアランから聞いている。
行ってみると、周りを塀で囲まれた一角があった。
敷地の中には立派な建物がそびえ立っている。
門も豪華だ。
儲かっているらしい。
﹁ここだろうか﹂
﹁そのようですね﹂
塀は中から外に出さないようにするためのものだろうか。
門は開かれているので、足を踏み入れる。
すぐに男が出てきた。
1240
﹁紹介を受けて来た。店の者と話がしたい﹂
﹁承りました。こちらにお越しください﹂
紹介状を渡すと、男が建物の中に案内する。
入り口横の部屋に俺たちを通し、男は立ち去った。
﹁ようこそおいてくださいました。私が当商会の主でございます﹂
しばらく待っていると、違う男が入ってくる。
奴隷商人Lv6だ。
﹁よろしく頼む﹂
﹁それでは、こちらにお越し願いますか﹂
奴隷商人の案内で奥の部屋に通された。
ソファーに腰かけると、ハーブティーが三つ用意される。
紹介状を渡しているから、ロクサーヌやセリーを売りに来たと勘
違いされることはないだろう。
﹁悪いな。いただくとしよう﹂
ハーブティーには口をつける振りだけをした。
人身売買している場所だと思うと、どうもイメージ的に信頼がお
けない。
奴隷を購入している俺がいうことではないかもしれないが。
﹁ベイルの奴隷商であるアランからの紹介状を拝見いたしました。
鍛冶師を探しておられるとか﹂
﹁いや。鍛冶師はもうよいのだ﹂
﹁さようでしたか﹂
1241
奴隷商人がちらりとセリーを見る。
見た目でドワーフだと分かったのだろう。
売らんぞ。
﹁迷宮で戦える女性がいたら紹介してほしい﹂
﹁冒険者、探索者向けの戦闘奴隷ということですか。他にご条件は﹂
﹁ブラヒム語を話せる者で﹂
若くて美人がいいが、そこまでは言わなくていいだろう。
﹁帝都では冒険者向けの戦闘奴隷や有力者様向けの見目麗しい家内
奴隷が需要の大半になります。当商会でも需要にあった者を用意し
てございます。きっとお気に召す者がいることでしょう﹂
﹁そう願いたい﹂
﹁それでは、これから彼女たちの住む部屋へ行って軽くお目通し願
いますか。気に入った者がいれば、呼び出して面談していただきた
いと思います﹂
言わなくても通じたようだ。
ルックスでスクリーニングしてしまえということか。
﹁分かった﹂
奴隷商人について三階に上がる。
女性部屋なのでロクサーヌやセリーも一緒だ。
﹁二階には年齢のいった者や戦闘に適さない女性奴隷の部屋がござ
います。よろしければ、後ほど二階もご案内いたしますが﹂
﹁必要ないだろう﹂
1242
タテマエとして戦力拡充という名目があるのだし、変なことは勧
めないでほしい。
奴隷商人は何故かちらりとセリーを見るもあっさりと引き下がっ
て、三階の部屋に入っていった。
﹁探索者のお客様がパーティーメンバーを探しておられる。ブラヒ
ム語を解する者はこちらに並べ﹂
奴隷商人が奴隷を並べる。
数は十人くらいか。
あんまり多くない。
やる気のなさそうな者、興味ありげにこちらを見てくる者、いろ
いろだ。
全員ほとんどやる気がなさそうだったベイルの商館よりいいかも
しれない。
帝都では戦闘奴隷の需要が多いというのは本当らしい。
それでも数が少ないのですぐに終わってしまう。
一番よさそうなのは、顔もそれなりやる気もそれなりという感じ
の女性か。
部屋を突っ切ると、次の部屋に案内される。
さすがに十人は少ないよな。
大部屋に詰め込むのではなく、分けているらしい。
次の部屋にはたいした美人はいない。
その後他の部屋を回っても、特にこれといった女性はいなかった。
まあロクサーヌやセリーと同じレベルを期待するのは無理がある
1243
か。
ある程度妥協せざるをえないだろう。
﹁まだあるのか﹂
﹁次の部屋はまだ男性経験のない者のみを集めております。その分、
戦闘奴隷としてはいささか値が張りますが﹂
﹁大丈夫だ﹂
そういう分類もありか。
ブラヒム語の分かる奴隷が呼ばれて並ばされる。
この部屋には一人綺麗な女性がいたが、明らかにやる気がなかっ
た。
こちらを見ようともしない。
なるほど。
セリーから聞いた玉の輿狙いだ。
自分が綺麗だと分かっているのだろう。
自分の美貌なら金持ちの主人を手玉に取れると。
迷宮に入るのは面倒だし危険だし、できれば避けたいだろう。
綺麗な女性なら玉の輿を狙う。
戦闘奴隷を狙うのは玉の輿が無理な女性ということか。
美人なのに戦闘奴隷でもよかったロクサーヌやセリーは貴重だ。
購入してしまえば、戦闘でもやらざるをえないだろうか。
戦力的にそれもどうなんだろう。
﹁それでは、お次の部屋でございます﹂
﹁頼む﹂
1244
次の部屋に入った。
何人かの女性が並ぶ。
彼女たちが並んだ後、奥に座っていたネコミミの少女が遅れて立
ち上がった。
あ、可愛い。
1245
ミリア
﹁××××××××××﹂
遅れて立ち上がったネコミミの美少女は、何ごとか言われ何故か
追い返されてしまった。
かなり可愛いが。
ミリア ♀ 15歳
海女Lv2
ミリアというのか。
遅れるくらいだから、やる気がないのか。
あるいは戦闘向きではないのか。
﹁なんで追い返されたんだろう﹂
﹁バーナ語ですね﹂
誰に言うでもなく疑問をつぶやくと、ロクサーヌが反応した。
﹁バーナ語?﹂
﹁はい。帝国の中東部辺りに住む獣人の話す言語です﹂
﹁なるほど。ブラヒム語が分からないのか﹂
この部屋に入ってきた奴隷商人はブラヒム語が分かる者は並べと
1246
ブラヒム語で命じたのだ。
ミリアは、命令は理解できなかったが、みんなが並んだのであわ
てて自分も並んだのだろう。
空気の読める娘だ。
空気が読めることは大切だ、と日本人としてはいっておきたい。
というか、今までにも並ばない者はいた。
ブラヒム語が分からないからと追い返された者は誰一人としてい
なかったのだから、並ぼうとするだけでもたいしたものではないだ
ろうか。
逆にいえば、ブラヒム語で命じてブラヒム語の分からない奴隷が
命令どおりに動かなかったとき、罰を与えるようなことはしていな
いのだろう。
そうでなければ、もっとびくびくして他人の動きに気を配るはず
だ。
おそらく、この奴隷商だけがそうなのではない。
阿吽の呼吸で主人の意向を汲み取れ、みたいなことはやっていな
い。
曖昧な態度でなく、はっきりと言葉で命令しなければいけないの
だろう。
俺はロクサーヌやセリーにちゃんと命令できているのだろうか。
多分かなりの部分を補ってもらっているロクサーヌには感謝しな
ければならない。
奴隷商の商館に来るたびに、自分のいたらなさを思い知らされる
な。
﹁すみません。彼女はまだここへ来て間がありませんので﹂
1247
﹁いや。別にいい﹂
﹁それでは、ご覧いただけますか﹂
奴隷商人の後をついて部屋の女性も見る。
並んだ中には特にすごいという女性はいなかった。
ミリアが一番に可愛い。
この部屋だけでなく、商館全体で一番だ。
商館全体での二番めは前の部屋にいた玉の輿狙いである。
あれはどうなんだろう。
﹁ロクサーヌはバーナ語が話せるのか?﹂
﹁はい。私が住んでいたところで使われていた言葉もバーナ語でし
たから﹂
﹁セリーは﹂
﹁私は話せません﹂
ロクサーヌも獣人だからしゃべれるのか。
狼人も猫人も一緒なんだろうか。
ミリアの頭には三角形の小ぶりな耳が前の方を向いて立っている。
コハク商のおっさん商人と同じだ。
あれはネコミミだろう。
﹁彼女は猫人族だよな﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
疑問を口にすると、ロクサーヌがミリアを呼び寄せた。
何ごとか話す。
1248
ロクサーヌがちょっと困ったような表情を見せた。
﹁何だって﹂
﹁えっと。魚が食べたいそうです﹂
﹁魚?﹂
﹁××××××××××﹂
ロクサーヌがもう一度尋ねると、今後ははっきりとうなずく。
猫人族で間違いないようだ。
自分の種族より魚を食べることの方が大切か。
﹁××××××××××﹂
﹁猫人族ですね。魚が食べられるなら喜んで働くと言っています﹂
﹁魚かあ﹂
どこまで魚が大事なのか。
猫人族は魚が好きなのか。
海女というジョブは初めて見たが、さすが海女ということだろう
か。
﹁この者がいかがいたしましたでしょうか﹂
﹁一応、彼女との面談も頼めるか﹂
﹁まだブラヒム語も解しませんし、罪を犯して売られてきた者です
が﹂
﹁だめか?﹂
﹁いえ。お客様がよろしいのであれば﹂
奴隷商人がちょっといまいましそうな顔をしたのを、俺は見逃さ
なかった。
ミリアは掘り出しものということだろうか。
1249
あるいはそれすらも奴隷商人の演技か。
全部の部屋を見終わり、面談を行う。
指名したのは三人。
一人は、最初の部屋にいた顔もそれなりやる気もそれなりの女性
だ。
面談してみても可もなく不可もなくというところ。
悪いとまではいえないかもしれない。
もう一人は、綺麗だがやる気のなさそうな玉の輿狙いの女性だ。
やっぱりやる気はなさそうだった。
質問には一応答えたが、目が死んでいる。
三人めがミリアだ。
奴隷商人が呼び出すと、礼をして入ってくる。
身長は、もちろんセリーよりは高いが、ロクサーヌより低い。
百五十何センチというところだろうか。
やせ型でスリムな体型。
胸はそれなりにありそうだ。
髪は、黒かと思ったが青みがかっている。
濃紺か、かなり濃い群青色だ。
顔はやや丸顔で可愛らしい。
瞳がつぶらだ。
頭にはネコミミが乗っていた。
外側が髪の毛と同じで青黒く、内側に白い毛の生えた三角形のネ
コミミ。
1250
毛におおわれた柔らかそうな耳だ。
いじりたい。
﹁ロクサーヌ、通訳は大丈夫?﹂
﹁はい。おまかせください﹂
ロクサーヌの通訳で会話する。
﹁えっと。まず魚なんだが、どのくらいの頻度で食べたい?﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁三日に一度、いや五日に一度でいいそうです﹂
毎日とかいってくるかと思ったが、それほどでもないのか。
この世界でどれほど魚が食べられているのかは知らない。
クーラタルには魚屋もあるし、売っていることは売っている。
ロクサーヌやセリーが魚を料理しているところは見たことがない
が。
﹁××××××××××﹂
﹁十日に一度でいいそうです﹂
要求下がったのね。
ミリアが期待のこもった目で俺を見た。
﹁ロクサーヌやセリーはそれでもいい?﹂
﹁はい。嫌いではありませんので﹂
﹁私も大丈夫です﹂
魚を煮たりムニエルにしたりすることは俺がやっている。
1251
いまさら嫌いといわれたら困る。
﹁そのくらいなら問題はない﹂
ミリアにうなずき返してやる。
﹁××××××××××﹂
﹁魚はいいぞ。そのまま塩焼きにして程よく油が落ちたところをか
ぶりつくのもいいし、旨みと水分が逃げないように小麦粉をまぶし
てしっとりとムニエルにするのもいい。オリーブオイルでソテーし
ただけでもいけるし、オリーブオイルにワインを入れて煮込むのも
いい。煮るのは、魚醤を使って浅く煮付けてもいいし、塩だけで煮
込むこともできる。塩で煮込むと魚の出汁が合わさって、素朴で絶
品な味わいだ﹂
つられている、つられている。
ロクサーヌが翻訳すると、ミリアが身を乗り出してきた。
目が真剣だ。
﹁××××××××××﹂
﹁是非主人になってほしいそうです﹂
やっすいな。
﹁料理はできるか﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁おまかせくださいと言っています﹂
この世界ではコンビニ弁当や外食が発達しているわけでもない。
1252
食べるだけという人種は多くないだろう。
﹁毎日魚料理ばかりでも困るが﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁大丈夫だそうです﹂
ミリアだけに料理させるわけでもないし、大丈夫か。
﹁迷宮に入るのも問題ないか﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁迷宮で魚人もやっつけるそうです﹂
魚限定かよ。
﹁ブラヒム語は⋮⋮まあ覚えなければ魚抜きといったら覚えるだろ
う﹂
﹁××××××××××﹂
訳さなくていい、訳さなくて。
ロクサーヌが訳すと、ミリアが親の仇敵を見るような目でにらん
できた。
迷宮に入っても大丈夫そうではある。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁えっと。ご主人様は優しいので大丈夫だと説得しました﹂
1253
ロクサーヌがフォローしてくれたようだ。
﹁そろそろよろしいでしょうか﹂
ミリアが矛を収めると、奴隷商人が切り上げ時を告げてきた。
了承すると、ミリアを連れて部屋を出て行く。
わざといなくなってくれたらしい。
部屋に三人だけ残されたので、相談タイムだ。
ロクサーヌとセリーに印象を訊いてみる。
﹁三人面談してみたが、どうだ﹂
﹁二人めの人は危ないですね。迷宮で足を引っ張りかねません﹂
﹁やっぱりそうか﹂
ロクサーヌは綺麗だがやる気のない女はバツと。
普通そう考えるよな。
﹁⋮⋮全員私より胸が⋮⋮滅びればいいのです﹂
セリーよ。貧乳は希少価値だという名言を知らないのか。
下手に仲間を求めてはいけない。
それよりも独立独歩の道を歩むべきだろう。
怖いので言わないが。
﹁一人めの女性は悪くないと思います﹂
﹁悪くはない。が、よくもないというところか﹂
セリーをおいてロクサーヌと話を進める。
1254
﹁えっと。ご主人様が好まれるのであれば﹂
﹁まあロクサーヌやセリーの方が美人だからな。波乱を起こさない
という点では悪くないかもしれん﹂
﹁あ、ありがとうございます。三人めの女性はいいですね。猫人族
ですし﹂
﹁猫人族だといいのか﹂
指摘すると、ロクサーヌが表情を変えた。
つがい
﹁す、すみません。猫人族というのは、番になっても相手にべった
りとくっついたり、つきまとったりしない種族なのです。だから、
毎日短い時間だけ相手をすれば、依存されることはないと思います﹂
つまり、奴隷になってもミリアは俺にべったりくっついたりしな
いということか。
残りの俺の時間はロクサーヌが独占できると。
ロクサーヌなりにいろいろと考えているようだ。
﹁ロクサーヌをないがしろにすることは断じてないが﹂
﹁あ、ありがとうございます。集団での漁はしないので、パーティ
ーで戦うことはあまり得意ではないようです。そこはきっちり教え
なければなりません﹂
﹁大丈夫か?﹂
﹁はい。おまかせください。翻訳するのも問題ありません﹂
ロクサーヌが問題ないというのなら問題ないか。
しばらくすると、奴隷商人が戻ってきた。
﹁いかがでございましょうか﹂
﹁まずは三人の値段を教えてもらえるか﹂
1255
﹁最初の女は二十万ナールでございます。お買い得な奴隷かと存じ
ます﹂
﹁そんなものか﹂
思ったより安い。
それなりの女性なので値段の方もそれなりということなのか。
というか、ロクサーヌやセリーが高すぎたのでは。
﹁特別な技能などもございませんので。二人めの女は、五十万ナー
ル。ご紹介いただいたお客様なので最大限勉強して、四十五万ナー
ルとさせていただきます。見目麗しく、男なら誰もがほしがる商品
でございます﹂
美人だと値段も跳ね上がるようだ。
いきなり五万ナールも値引いてくるあたり、相場なんかはあって
ないようなものなのだろうが。
﹁やはり高いな﹂
﹁三人めの女は、ブラヒム語などをきっちりと教えてオークション
に出せば、六十万、七十万ナールに届いてもおかしくない逸材です。
こちらも四十五万ナールとさせていただきましょう﹂
オークションがあるのか。
そこに出せば高く売れそうだから、目をつけられたくなかったと。
﹁オークションに出しても高く売れるとは限らないし、その間の食
費もかかるが﹂
﹁それも含めての価格でございます﹂
﹁ブラヒム語をこっちで教えるとなると手間もかかる﹂
﹁教育前ということで、四十五万ナールとさせていただいておりま
1256
す﹂
奴隷商人が首を振る。
﹁彼女は初年度奴隷か?﹂
﹁もちろんでございます﹂
今度は自信たっぷりにうなずかれた。
売れ残りなんかではないということか。
値引きの材料にはならないらしい。
ミリアを値引かせるのは厳しそうか。
そういえば、奴隷商人はミリアの欠点を語っていた。
﹁罪を犯したと聞いたが﹂
﹁⋮⋮禁漁区で魚を獲ったのでございます。神殿近くで網を打って
いるところを捕まり、村で相談の上、奴隷に落とされました。それ
が彼女への罰であり、所有なされましても神罰などはないはずです﹂
奴隷商人が弁解する。
神域を冒したのか。
伊勢神宮の禁漁区であった阿漕で漁をしたという話と同じだな。
あこぎなやつだ。
多分、この世界では神罰というのも恐れられているだろう。
神域を乱した者がパーティーメンバーにいれば何か悪いことが起
こると考えても不思議ではない。
そこが彼女の弱みか。
﹁神罰か⋮⋮﹂
1257
﹁か、彼女は禁漁区の存在を知らなかったそうでございます。決し
て手癖の悪い女性ではございません﹂
﹁高い金を払って神罰を呼び寄せてもな﹂
﹁神罰などはないはずでございます。そうですね。では、最大限譲
歩して四十万ナールといたしましょう。これ以上はまかりません﹂
奴隷商人が値段を下げた。
このくらいが限界か。
オークションで高く売る自信があるなら、そう大きくは下げない
だろう。
実際には出してみなければ分からない水物だから、今確実に売れ
るのなら今売ってしまった方がいいとしても。
﹁ミリアといったかな。分かった。それでもらうとしよう﹂
﹁おありがとうございます﹂
﹁後は遺言を変更したい。このセリーは俺の死後解放することにな
っている。ミリアは俺の死後セリーに相続させることにする﹂
死が安い世界では死刑にも種類がある。
日本の江戸時代がそうだ。
切腹、磔、さらし首、のこぎり挽き。
簡単には死なせないのが重い刑罰だ。
主人が死んだときにデフォルトで奴隷も死ぬことになっているの
は、ある種奴隷が主人を殺したときの刑罰だろう。
ミリアが俺を殺すとしたら、セリーに相続させるのがより重い刑
罰になる。
少なくとも可能性としては。
﹁遺言は三百ナールになりますが、よろしいですか﹂
1258
﹁かまわない﹂
﹁それでは、その覚悟に敬意を表しまして、合わせて二十八万と二
百十ナールにさせていただきましょう﹂
まかりませんと言ったのに簡単にまけやがった。
やっぱり商人は信用ならない。
1259
魚屋
﹁素晴らしい交渉振りでした﹂
金を払い奴隷商人がしばらく待ってほしいと部屋を離れると、セ
リーがほめてくれた。
仲買人に対するときのようには駆け引きを嫌ったりしないようだ。
まあセリーの方がよほどえげつない交渉をしそうだしな。
﹁そうか。ありがとう﹂
﹁とりわけ、何故商人が最後に大きく値を下げたのか、私にはまっ
たく分かりませんでした﹂
⋮⋮えっと。
三割引のスキルが効いたわけでして。
﹁さすがはご主人様、見事な人徳です﹂
﹁ありがとう。まあ人徳というほどでもないが﹂
ここはロクサーヌに乗っておこう。
スキルも人徳も似たようなものだとはいえるかもしれない。
商人の目には、きっと俺は三割値引きをしても元が取れる大物取
引相手に見えるのだろう。
﹁いえ。すばらしいことです﹂
﹁神域を冒したらしいが、問題はないだろう﹂
﹁ご主人様がそうおっしゃられるのでしたら﹂
1260
﹁神罰など迷信です。本当に神罰があるなら、禁漁区で漁をした時
点で下されているはずです﹂
さすがセリーは合理的だ。
ロクサーヌもそれを聞いてうなずいているから、大丈夫か。
しばらくすると、奴隷商人がミリアを連れて戻ってきた。
﹁××××××××××﹂
﹁お魚ありがとうございます、だそうです﹂
まだ食べさせてないが。
初手から今夜の夕食に縛りをかけられてしまった。
意外に交渉上手?
﹁そのうちにな﹂
﹁××××××××××﹂
ロクサーヌが訳すと、じーっと俺の方を見つめてくる。
別に魚を出さないとは言っていない。
﹁それでは、インテリジェンスカードの書き換えを行います﹂
奴隷商人の言葉を好都合と腕を伸ばした。
ミリアも何か言われ、仕方なく腕を伸ばす。
セリーにも腕を出させてから、奴隷商人がインテリジェンスカー
ドの書き換えを行った。
加賀道夫 男 17歳 探索者 自由民
所有奴隷 ロクサーヌ セリー︵死後解放︶ ミリア︵死後相続︶
1261
インテリジェンスカードが更新され、ミリアが俺の所有奴隷にな
る。
死後の扱いも相続になっていた。
誰が相続するかまでは表示されないようだ。
ミリアを受け取って、商館を出る。
思ったとおりミリアは裸足だった。
外に出るとまず革の靴を渡す。
﹁じゃあこれをはけ﹂
﹁××××××××××﹂
﹁魚を食べさせてもらう上に靴まではかせてもらうのは申し訳ない
そうです﹂
魚はもらうんだ。
﹁迷宮に入る以上はこれも装備品だから﹂
ロクサーヌが訳すと、素直に受け取って靴をはいた。
パーティーに加入させ、帝都の冒険者ギルドから家に戻る。
家までの道すがら、ロクサーヌが早速ミリアに何か教えていた。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁探索者のはずなのにすごいと言っています﹂
家に帰ってからも会話が続いていると思ったら、ワープのことか。
1262
﹁適当に言っておいてくれ。後、内密にするようにともな﹂
﹁かしこまりました﹂
面倒なのでロクサーヌに丸投げする。
ロクサーヌの話を聞くと、ミリアが尊敬の表情を向けてきた。
ロクサーヌが何と説明したか、分かったものではないな。
まあ尊敬してくれるならそれでいいだろう。
後で分かったときが怖いとしても。
﹁改めて挨拶すると、俺が主人のミチオだ。よろしく頼むな﹂
ミリアの頭に手を乗せる。
嫌がる様子がないことを確認して、なでた。
ネコミミにも少し触らせてもらう。
結構柔らかい。
もう少し硬いかと思ったが、肌触りがいい。
内側の白い毛が柔らかく、クッションになっている。
ふわふわとした感じがまことに心地よい。
﹁××××××××××﹂
﹁はい、こちらこそお願いしますと言っています﹂
﹁ブラヒム語の返事は、はいだ。言ってみろ。はい﹂
﹁⋮⋮はい﹂
俺の命令をロクサーヌが翻訳すると、ミリアがもぞもぞと口を動
かした。
1263
﹁おお。ちゃんと言えるじゃないか﹂
﹁××××××××××﹂
﹁すごいです﹂
ロクサーヌやセリーと三人がかりでほめる。
やって見せ いって聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人
は動かじ
︵by山本五十六︶
﹁はい﹂
ミリアが嬉しそうにはにかんだ。
ブラヒム語の方もじっくり教えていけば大丈夫か。
﹁彼女がロクサーヌ。しばらくは翻訳もしてもらうのだから、世話
になる。姉とも思って慕え﹂
﹁××××××××××﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌが訳すと、ミリアがロクサーヌに頭を下げた。
結構きっちりと翻訳したのだろうか。
﹁よし、言ってみるか。お姉ちゃん﹂
ミリアに教え込む。
お姉ちゃんだ。
お姉ちゃんと言えるようになったら、次は。
ぐふふふふ。
ネコミミの美少女にお兄ちゃんと慕われる悦楽。
1264
これは何ものにも代えがたい。
﹁⋮⋮お姉ちゃん﹂
﹁はい、ミリア﹂
よし。言えたな。
次はお⋮⋮。
教えようとしたら、なにやらセリーがさげすむような目で俺を見
ていた。
何故だ。
いや、気のせいだ。
気のせいだろう。
気のせいに違いない。
被害妄想だ。
﹁か、彼女はセリーだ。パーティーメンバーは今のところこの四人
になる。戦力拡充のためメンバーは増やすつもりだから、新しく入
ってくる人とも仲よくやってくれ﹂
くっそう。
何がいけないというのか。
せめてもの代わりに、ハーレム拡張宣言はしておく。
最初が肝心。
鉄は熱いうちに打て。
なじむ前に、きっちりと布石を打っておいた方がいいだろう。
﹁××××××××××﹂
﹁弟がいたので、大丈夫だそうです﹂
1265
ミリアが胸を張った。
弟が入ってくることはないがな。
﹁それじゃあ、次にジョブだが。迷宮に入るのに何かやってみたい
ジョブとかあるか﹂
ミリアに質問しながら、パーティージョブ設定を使う。
海女Lv2、村人Lv5、商人Lv1、探索者Lv1、戦士Lv
1、海賊Lv1。
レベルはどれもあまり高くない。
海賊というのは、禁漁を破ったらしいので得たジョブだろう。
獣人は盗賊じゃなくて海賊になるのだったか。
﹁このままでいいそうです﹂
﹁じゃあ海女か﹂
海賊王に俺はなる、とか言い出さなくてよかった。
﹁というより、ギルドとの契約で海女になってからは十年間海女で
い続けなければいけないという制限があるそうです﹂
﹁そうなのか﹂
試しに、ジョブを村人Lv5にしてみる。
設定できるじゃん。
あっ。
﹁他のジョブに就こうとすると契約破棄で海賊に落とされると言っ
1266
ています﹂
パーティージョブ設定を終わらせて鑑定してみると、ジョブが海
賊Lv1に切り替わっていた。
あわててパーティージョブ設定を再度起動する。
⋮⋮。
よかった。
海女Lv2に戻せた。
今度はパーティージョブ設定を終わらせても海女Lv2のままだ。
念のため戦士Lv1にしてみる。
大丈夫だ。
海賊にはならない。
﹁どうやら、その契約は無効になっているようだな﹂
ロクサーヌが訳したとおり、ジョブを変更したので契約破棄とみ
なされたのだろう。
ジョブ設定でジョブを変えることなどまったく考慮されてないよ
うだ。
当然といえば当然か。
それとも当然ではないのか。
よく分からない。
﹁××××××××××﹂
﹁神罰でしょうか?﹂
ミリアが心配そうに何か言い、ロクサーヌも心配そうに訊いてき
1267
た。
その質問はまずい。
全面的に俺のせいです。
﹁い、いや。神罰ではない。俺がちょっとな﹂
﹁そのようなこともおできになるのですね﹂
あわてて否定すると、ロクサーヌが尊敬の表情を向けてくる。
ロクサーヌが翻訳すると、ミリアまでもが。
なにやら激しく勘違いされているような。
まあやってしまったものは仕方がない。
元には戻せない。
知らんぷりをしておこう。
﹁セリー、海女っていうのはどういうジョブだ?﹂
﹁猫人族の女性の種族固有ジョブです。確か、本来なら水の中で生
きているような魔物に対して強い攻撃力を発揮します﹂
海女 Lv2
効果 体力中上昇 HP小上昇 腕力小上昇
スキル 対水生強化
海女には対水生強化というスキルがあるようだ。
これが水生の魔物に対して強い攻撃力を発揮するスキルか。
多分パッシブスキルなんだろう。
ジョブは海女のままでいいか。
1268
水生の魔物に対して強いなら、役立つこともあるに違いない。
﹁武器は何を使う﹂
﹁魚を獲るときには槍を使ったことがあるそうです﹂
そんなんばっかりだな。
槍じゃなくて銛じゃないのか。
﹁迷宮でも槍でいいのか? 前衛が槍二人になってもロクサーヌは
大丈夫?﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁攻撃重視なら両手剣、防御重視なら片手剣に盾でいいそうです﹂
ロクサーヌとミリアが何かを話し合って結論を出した。
片手剣に盾でいいか。
敵を殲滅するのはどうせ俺の役割だ。
﹁じゃあ片手剣か。いずれ強化するとして、当面はダガーでもいい
だろうか﹂
﹁はい。十分だと思います﹂
ロクサーヌから了承を得たので、ダガーを取りに行く。
アイテムボックスには入れてないが、セリーの作った空きのスキ
ルスロットつきダガーが取ってあった。
複数買わないと三割引が効かない。
当面はあまっている武器でいいだろう。
物置として使っている部屋からダガーを持ち出し、ミリアに渡す。
﹁はい﹂と元気に返事をして、ミリアが受け取った。
1269
﹁後は防具か。革の帽子と革のグローブはまだあるからいいとして、
胴装備は皮のジャケットではきついだろう﹂
グリーンキャタピラーLv11に皮のジャケットでは苦しいと交
換したのだ。
もっとレベルの低いミリアに皮のジャケットというわけにはいか
ない。
﹁皮のジャケットでも十分戦えますが﹂
それはロクサーヌだけだ。
﹁何かあってからでは遅いしな。とりあえず防具屋に行く。他に必
要なものがあったら一緒に買おう﹂
﹁かしこまりました﹂
クーラタルの冒険者ギルドへ飛んだ。
ミリアはやはり驚いているようだが、ロクサーヌに一任する。
家の中からワープしたので詠唱も使ってないしな。
ミリアも外で騒ぎ立てることはなかった。
町の中心部に入って防具屋に行く⋮⋮前にミリアが魚屋をじっと
にらむ。
やっぱそうなるか。
魚屋といっても、たくさんの魚が置いてあるわけではない。
鯉か鮎みたいなのを三、四種類だ。
多分近くで獲れる川魚なんだろう。
海から運んでこれるほどクーラタルは海に近くないらしい。
1270
﹁××××××××××﹂
魚屋をすぎようとすると、ミリアも仕方なくという風に何かをつ
ぶやきながらついてきた。
てこでも動かないかと思ったが、意外に素直だな。
﹁なんて言ったんだ?﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁ヘミチャナ、ロクスラー、バギジ。魚屋に並んでいた魚の名前だ
そうです﹂
ミリアに確認してロクサーヌが教えてくれる。
名前なのか。
さすがによく知ってるのね。
﹁魚は後でな﹂
ロクサーヌが訳すと、ミリアが目をいっぱいに開いて俺を見た。
驚きと期待と喜びに満ちあふれているようだ。
﹁はい﹂
返事をして、勢いよく先頭に立つ。
行く場所分かってんのかね。
あ。ロクサーヌにたしなめられて戻ってきた。
やっぱり分からなかったのか。
ミリアがロクサーヌの横に並ぶ。
1271
ロクサーヌが何ごとかミリアに話した。
﹁何を言われてるんだ﹂
﹁多分フォーメーションです﹂
あまりにも長々と説教されているので気になっていると、セリー
が教えてくれる。
﹁フォーメーション?﹂
﹁はい。今までは私とロクサーヌさんが前後か左右を分かれて警護
する形でしたが、三人になりましたので﹂
前に飛び出さず、きっちり警戒しろと言われているのか。
というか、今までそんなフォーメーションがあったのか。
気づかなかった。
﹁そうか。悪いな。ロクサーヌもありがとう﹂
﹁いえ。当然の任務ですから﹂
もちろん俺を警護するのだろう。
きっと、本当なら俺がきっちり命令しないといけないのだ。
命令がないので、ロクサーヌがフォローしてくれていたに違いな
い。
いたっていたらない主人である。
防具屋に行き、まずは盾を選んだ。
木の盾の上位の鉄の盾をロクサーヌに選ばせる。
空きのスキルスロットは二つ。
小さくて薄いせいか、木の盾に比べてそれほど重いわけではない。
1272
﹁ミリアは硬革のジャケットとチェインメイル、どっちにする﹂
ロクサーヌが鉄の盾を選び終えたところで尋ねた。
﹁魚を獲りに海に入るのでなければチェインメイルでいいそうです﹂
さすがにチェインメイルを着て海に入ったら浮かんでこれないだ
ろう。
空きのスキルスロットがついたチェインメイルをいくつか取る。
ミリアに選ばせよう、としたら、一瞬で指を差された。
﹁これでいいのか﹂
﹁えっと。早く魚屋だそうです﹂
自分の防具より魚が大事か。
どうせどれを選んでもたいした違いはないとは思うが。
だからロクサーヌはそんなに説教しなくても。
鉄の盾とチェインメイルを買って、防具屋を出る。
洋服なども、ミリアはほとんど迷うことなく即決していった。
買い物はミリアぐらい早いと楽だ。
ただし魚屋ではどうなるか分からない。
﹁ミリア、魚は白身を焼いたのでいいか?﹂
怖いので先に聞いておく。
ロクサーヌが訳すと、ミリアが俺を見て嬉しそうにうなずいた。
﹁大丈夫だそうです﹂
﹁では焼き魚と、ロクサーヌとセリーも夕食をあと一品ずつくらい
1273
頼む﹂
﹁今日は私がスープを作ります﹂
﹁私は炒め物で﹂
ロクサーヌがスープ、セリーが炒め物を作るようだ。
初日だし、ミリアは作らなくていいだろう。
ミリアが俺を熱い目で見つめてくる。
ほれたか?
﹁××××××××××﹂
﹁魚ありがとうございます、だそうです﹂
まあそんなこったろうと思ったよ。
服、日用品、魔結晶を買った後、魚屋へ行って白身を買う。
ミリアは俺にべったりとついてきた。
探索者のじいさんから白身を受け取る。
ちなみに、これこそが魚屋がクーラタルにある理由だ。
白身はドロップアイテムなのである。
上の方にいる魔物が残すらしい。
ドロップアイテムなのでアイテムボックスに入る。
第一線では戦えなくなった探索者のよいバイト先なんだろう。
キャッシャーとして商人の店番が別にいるので、三割引も効く。
クーラタルの魚屋は売るよりも買取が主業務のようだ。
﹁ミリアって魚はおろせるのか﹂
﹁おまかせくださいと言っています﹂
うん。
1274
胸を張ったので、答えはロクサーヌが訳す前に分かった。
やはりできるのか。
スーパーで切り身しか買ったことのない俺とは違う。
これからは魚屋で魚を買っても大丈夫そうだ。
1275
タペータム
食材を買って、家に帰ってきた。
とりあえず風呂を沸かす。
最初が肝心だ。
禁猟を破って奴隷になったミリアは、主人との性行為を明示的に
了承しているわけではない。
ロクサーヌやセリーとはその点が異なる。
とにもかくにも、まずはそこを突破しなければならない。
まあ、あくまで嫌というなら魚を取引材料に使えば大丈夫な気も
するが。
あまりしこりが残る解決方法は好ましくない。
強制によらず、できればすんなりと了承してほしい。
それには一緒にお風呂に入るのが一つの手だろう。
後はなし崩しに。
一緒に入るのがだめだと言われても、主人の体を洗わせるくらい
は命令しても問題ないはずだ。
後はごゆるりと。
よいではないか。よいではないか。
ええい、ご無体などと申すでない。
隣の部屋に布団も敷いてある。
こうして帯をくるくると。
1276
こ、これはたまらん。
ええか。ええのんか。
﹁××××××××××﹂
ミリアが突然騒ぎ出した。
首をすくめて様子をうかがう。
ロクサーヌがなにやら説明していた。
ウォーターウォールで水を作ったから、魔法のことを騒いでいる
のか。
びっくりした。
俺の思考がばれたかと思った。
﹁魔法も使えるなんて本当にすごいと言っています﹂
ミリアが尊敬の表情を向けてくる。
うん。
思考がばれたのではなくて本当によかった。
ミリアはしばらく騒いでいたが、やがて納得したらしい。
いつの間にかいなくなった。
丸投げ一任は楽だ。
何回か魔法を使ってから、キッチンに下りる。
ミリアもロクサーヌと一緒にキッチンにいた。
﹁鍋です。なべ﹂
﹁⋮⋮なべ﹂
1277
ブラヒム語を習っているらしい。
感心感心。
﹁ロクサーヌ、悪いな﹂
﹁いえ﹂
﹁ミリアもえらいぞ﹂
二人の頭をなで、ついでに耳もなでさせてもらう。
イヌミミとネコミミを同時に。
ロクサーヌのタレミミもすばらしいが、しっかりと立っているミ
リアのネコミミもまたいとおしい。
﹁××××××××××﹂
﹁ブラヒム語を覚えないと魚が食べられないと言っています﹂
別に脅したつもりはなかったのだが。
まあ結果オーライということで。
﹁そうか。また迷宮へ頼めるか﹂
﹁はい﹂
﹁ミリアも見学させてみるか﹂
﹁その方がいいでしょう﹂
ロクサーヌがミリアと何か話した。
ミリアがうなずく。
やる気は十分のようだ。
見学だが。
﹁私が火の番をしています﹂
1278
セリーは残るらしいので、ロクサーヌとミリアに防具を渡した。
チェインメイル、革の帽子、革のグローブ、鉄の盾、木の盾。
鉄の盾と木の盾は、それぞれ一個ずつしか必要ないのにアイテム
ボックスの中で合計二列を占有している。
鉄の盾を買ったのは失敗だったか。
あるいは鉄の盾二つにするべきか。
金貨が一列減ったので使っている容量は変わりない。
﹁ミリアは見学だけしていればいいから、手は出すな﹂
ミリアに言い聞かせてから、ハルバーの迷宮に飛ぶ。
﹁こっちの方からはミノのにおいだけがします。においが濃いので
一匹ではないでしょう。多分三匹くらいではないかと思います﹂
﹁さすがだな。じゃあそっちで﹂
ロクサーヌの案内でハルバーの十一階層を進んだ。
魔物に遭遇するにも時間はかかるから、一匹では効率が悪い。
セリーは連れてきてないしミリアは見学なので、四匹では荷が重
い。
毒消し丸を持っているセリーがいないからニートアントは危険。
というわがままな要求を入れての結果だ。
魔物はミノかエスケープゴートで二匹か三匹がベスト、というこ
とになる。
本当に曖昧で勝手な要求だが、実際そうなのだからしょうがない。
ロクサーヌには感謝だ。
1279
現れたミノ三匹を狩る。
最初にラッシュで一匹減らし、ミノの体当たりをかわして二匹め
は通常攻撃で屠った。
三匹めはロクサーヌが正面に立って攻撃を余裕で回避しているの
で、横からやはり通常攻撃のみで倒す。
﹁××××××××××﹂
魔物が全滅すると、ミリアがなにやらロクサーヌに話しかけた。
興奮気味だ。
ロクサーヌの華麗な回避を目の当たりにしたのだろう。
ミリアがロクサーヌを尊敬したことは表情から分かる。
ミノの攻撃なら俺だってかわしたわけだが。
まあロクサーヌの回避を見たら興奮するのはしょうがない。
ロクサーヌのすごさに気づき目を輝かせるようなら戦士として素
質がある、と前向きに考えておこう。
魔物を殲滅したのは俺なんだけどな。
しかし小僧、自分の力で勝ったのではないぞ。
そのデュランダルの性能のおかげだということを忘れるな。
ま、負け惜しみにもならん。
﹁もう一回ぐらい頼めるか﹂
﹁はい﹂
まだMPが全回復はしていない感じなので、もう少し狩を続けた。
﹁××××××××××﹂
1280
次の獲物のところへ行く途中、ミリアが何かを言う。
洞窟の角を曲がったとき、すぐに腕を伸ばし、前を指差した。
魔結晶
魔結晶だ。
指差す先に何があるのかと鑑定してみると、魔結晶がある。
﹁魚貯金?、があるそうです﹂
﹁魔結晶か。すごい。よく見つけたな﹂
暗い迷宮の中、見ただけではほとんど分からない黒魔結晶だ。
迷宮に落ちているのは久しぶりに見た。
セリーによれば、上の階層へ行けばもっとあるということだった
が。
買う必要なかったな。
﹁迷宮に入ってたくさん集めたら魚を食べさせると親から言われた
そうです。だから魚貯金だと言っています﹂
ミリアと話をしたロクサーヌが教えてくれる。
魚好きは親公認なのか。
﹁なるほど。あれを見つけるとは、さすがミリアだな﹂
﹁ミリアは暗い中でもよくものが見えるそうです﹂
ミリアが誇らしげに胸を張った。
1281
タペータム
ネコは網膜の裏に光を反射する反射板を持っている。
目が光ったり夜目が利くのはそのせいだ。
猫人族にもタペータムがあるのだろうか。
というか、今まで魔結晶をあまり見なかったのは、こいつらが掃
除しているからではないだろうか。
俺も鑑定がなければ黒魔結晶を肉眼で見つけることは難しい。
角を曲がった瞬間にほぼノータイムで発見したミリアとでは勝負
にならない。
他の猫人族もそうなのだとしたら、猫人族が歩いた後に魔結晶は
残らないだろう。
﹁そうだったのか﹂
黒魔結晶を入手し、MPも回復して家に帰った。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
家に帰ると、ロクサーヌとミリアがなにやら話し出す。
ロクサーヌが何か伝えながら体を大きく動かした。
ミリアに話しかけ、何度も体を振っている。
回避をレクチャーしてもらっているようだ。
ロクサーヌの指導が通じるとは思えないが。
ミリアに常識人としての共感を示すために、見守っておくか。
あれ?
おかしい。
1282
ミリアはいつまでも熱心に話を聞いていた。
そのうち、ロクサーヌに倣って体を振りはじめる。
ロクサーヌのレッスンについていけているようだ。
﹁ミリアはいい戦士になるかもしれません﹂
ミリアの動きをロクサーヌが満足げに見た。
﹁そ、そうか﹂
ひょっとして、ミリアもロクサーヌのお仲間ということなんだろ
うか。
獣人はみんなあんな感じとか。
あるいは、ブラヒム語じゃないからちゃんと表現できているのか。
俺と同様に驚いているセリーと視線をかわす。
セリーが首をかしげた。
セリーは常識人だ。
その場はセリーにまかせ、俺は風呂場に退避する。
風呂を沸かした。
沸いたお風呂にレモンを浮かべる。
残したレモンを二個持って、キッチンに入った。
キッチンでロクサーヌのスープを見る。
﹁何でしょう?﹂
﹁まだ味付けはしてないな。ちょっともらっていいか﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌのスープは、肉と野菜を煮込んでいる段階だ。
1283
これならブイヨンをもらえる。
﹁ミリアに搾らせたいけど、大丈夫かね﹂
﹁大丈夫です﹂
ロクサーヌが訳してくれた。
搾り器みたいなのは見たことがないので、レモンは手で搾らなけ
ればならない。
想像するだけで酸っぱそうだ。
﹁搾る、魚、かける、美味しい、オッケー?﹂
ミリアにレモンを渡し、カタコトで話しかける。
﹁はい﹂
﹁しぼーる﹂
﹁⋮⋮しぼる﹂
ロクサーヌが訳すとうなずいたので、復唱させた。
﹁さかーな﹂
﹁魚﹂
魚だけすでにネイティブじゃないか。
﹁かけーる﹂
﹁かける﹂
﹁美味しい﹂
﹁おいしい﹂
1284
なかなか順調に覚えてくれるみたいだ。
できれば、美味しい、ではなく、美味しいにゃ、と覚えさせたい
が、俺がそれを教えるのもどうなのか。
ブラヒム語への翻訳が入るので無理そうな気もするし。
セリーの目も怖い。
ロクサーヌからもらったブイヨンにミリアが搾ったレモン果汁と
ワインを入れ、ひと煮立ちさせて塩とコショウで味を調える。
後は小麦粉をまぶした白身をオリーブオイルで焼いて、作ったレ
モンソースをかければ完成だ。
魚を焼いている間じゅう、ミリアはじっとにらんでいた。
﹁魚を焼く﹂
﹁魚を焼く﹂
﹁魚を食べる﹂
﹁魚を食べる﹂
せっかくなのでその時間もブラヒム語を教える。
魚に関連する言葉が覚えやすいだろう。
﹁魚を食べたい﹂
﹁魚を食べたい﹂
﹁魚を食べれば嬉しい﹂
﹁魚を食べれば嬉しい﹂
というか、俺自身のブラヒム語の勉強のような気もしてきた。
こんな構造になっていたのか。
夕食ができたので、食卓に並べる。
ミリアはロクサーヌの隣に座るようだ。
1285
翻訳してもらうこともあるので当然だろう。
セリーもロクサーヌの隣だ。
向こうに三人、こちらに一人。
べ、別に寂しくなんかないんだからね。
﹁な、なんだ﹂
席でやさぐれていると、ミリアがじっとにらんできた。
﹁早く食べたいのだと思います﹂
﹁そうか﹂
ロクサーヌに促され、スープを配る。
食べていいと告げると、ミリアが白身のムニエルに飛びついた。
やや不器用にナイフを使い、乱暴に口の中へとかき込む。
﹁おいしい﹂
さっき教えたばかりのブラヒム語でほめてくれた。
嬉しそうだ。
しかしどうなんだろう。
ミリアのことだから魚なら何でも美味しいと答えるような気がす
る。
あるいは逆に、魚にはうるさいという可能性もあるが。 自分でもムニエルを取って食べてみた。
割と巧くできている。
ここまでできれば上出来だろう。
1286
十分に美味しいといえる。
﹁そういえば、魚を生で食べることがあるか﹂
﹁えっと。ご主人様、獣人と獣は違いますので﹂
刺身があるか訊こうとしたら、ロクサーヌからたしなめられた。
だめなのか。
生ものを食べるのは獣ということなんだろう。
﹁悪い。そういう意味じゃないんだ﹂
﹁いいえ。こちらこそすみません﹂
普通の魚では寄生虫が怖い。
魔物が残す食材ならいけるかと思ったが、そうもいかないか。
まあ米も醤油もワサビもないのに刺身だけあってもな。
勢いよくかき込んだミリアがムニエルを完食する。
途端、はっきりと肩を落としてうなだれた。
おいしいといったのもお世辞ではないようだ。
﹁食べる?﹂
﹁食べる﹂
半分食べかけの皿を差し出すと、すぐにかっさらっていく。
魚に関しては遠慮がないらしい。
実にうれしそうな表情で魚をほおばった。
﹁××××××××××﹂
﹁ご主人様に購入してもらってよかったと言っています﹂
1287
相変わらずやっすいな。
﹁××××××××××﹂
﹁一生、ご主人様に仕えるそうです﹂
一宿一飯の恩ならぬ魚を食べさせた恩だ。
ミリアはその後、ロクサーヌとセリーからも魚をもらった。
もらったというか分捕ったというか。
魚を食べようとするとものほしそうな目でにらまれたのではね。
ロクサーヌはなにやら説教したが、結局魚を渡していた。
﹁十分食べたか﹂
全員から魚をもらってご満悦のミリアに問いかける。
﹁××××××××××﹂
﹁こんなにいただけるとは思わなかったそうです﹂
﹁そうか﹂
こんなにといっても四切れだが。
﹁ミリアにはこの後食器を洗っておくように言います。私は装備品
の手入れをしますので﹂
﹁分かった。それが終わったら、風呂に入るか﹂
アイテムボックスから蜜蝋を出し、ロクサーヌに渡した。
さりげなくミリアの様子を観察する。
﹁××××××××××﹂
1288
﹁はい、お姉ちゃん﹂
ロクサーヌがなにやら命じると、ミリアが皿を持って立ち上がっ
た。
他の皿も回収しだす。
風呂は?
風呂はどうなんだ。オッケーなのか? 一緒に入るのか?
どっちなんだ。
ハイかイエス、どっちなんだ。
﹁皿﹂
﹁皿﹂
﹁ナイフ﹂
﹁ナイフ﹂
ミリアに食器を渡しながら、ブラヒム語も教える。
分からない。
ロクサーヌが風呂に入る話もしたのか、食器を洗えと命じただけ
なのか。
結構長く話していたので、風呂の話もしたはずだ。
あるいは、洗い方を細かく命じただけかもしれない。
﹁洗う﹂
﹁洗う﹂
﹁皿を洗う﹂
﹁皿を洗う﹂
﹁後でミリアも洗う﹂
﹁?﹂
1289
通じねえ。
それは通じないのか。拒否なのか。
﹁××××××××××﹂
ロクサーヌが何ごとか伝えると、ミリアはそのまま食卓を出て行
った。
いや、だからどっちなのかと。
セリーに鍛冶をさせながら、気もそぞろだ。
﹁××××××××××﹂
ミリアはすぐに戻ってきた。
ロクサーヌと話し、俺の顔を見る。
やっぱり風呂はだめなのか?
﹁石鹸が珍しいみたいです﹂
ミリアがキッチンに行くと、ロクサーヌが教えてくれた。
脅かすなよ。
しばらくすると、ミリアが今度は全裸で戻ってくる。
いや、全裸で。
確かに全裸だ。
﹁××××××××××﹂
﹁お風呂が楽しみだそうです﹂
洗い物を終えて服を脱いできたのか。
1290
一緒に風呂に入るのはオッケーということだな。
﹁××××××××××﹂
﹁水に入るのは得意だと言っています﹂
そういう問題なのか?
﹁××××××××××﹂
﹁魚がいれば捕まえるそうです﹂
風呂に魚はいないけどな。
何かちょっと勘違いしているような気がする。
ミリアが曇りのない目で俺を見た。
ピュア百パーセントの純粋な目だ。
あー。うん。
これは心にくるな。
責められてはいないのに責められている感じだ。
不埒な発想が責められている。
よこしまな下心が責められている。
欲望に濁った俺の目が責められている。
ミリアはしなやかな肢体を惜しげもなくさらしていた。
思ったとおり、結構胸はあるな。
いや。そんな目で見てはいけない。
セリーも羨ましそうにはしていない。
体のラインが美しいカーブを描いている。
1291
可愛らしいお尻の上部からは尻尾も伸びていた。
獣人だからロクサーヌと同様尻尾があるのか。
﹁おお。尻尾だ﹂
﹁××××××××××﹂
﹁私たち狼人族の尻尾と違って、動かせるそうです﹂
筆のようなロクサーヌのふわふわの尻尾と違って、ミリアの尻尾
は先まで同じ太さの一本の尾だ。
あれなら確かに動かせそうな気がする。
﹁尻尾﹂
﹁尻尾﹂
﹁動く﹂
﹁動く﹂
ミリアが尻尾を振った。
尻尾を振るのはいいが、俺の目の前で一緒に腰も振られる。
こ、これは。
俺の方に尻尾を伸ばしてきたので、手で触れた。
しっかりと芯のある尻尾だ。
これなら動かせるだろう。
後楽園遊園地で僕と握手。
﹁すみません。お待たせしました﹂
﹁じゃあ風呂に入るか﹂
装備品の整備も終わったようだ。
二階に行く。
1292
ロクサーヌもセリーも脱ぐのは二階に行ってかららしい。
張りあって脱いだりはしないようだ。
二階で服を脱ぐ。
横でロクサーヌも脱いだ。
ロクサーヌが服を脱ぐと、たわわな白い果実が転がり出る。
まさにぽろっとこぼれ出た。
さ、さすがはロクサーヌだ。
ミリアといえどロクサーヌの迫力には及ばない。
一頭地を抜く存在だ。
張りあう必要などないということか。
四人で風呂場に入る。
俺一人に全裸の美女が三人だ。
風呂場に入ると、セリーが湯加減を見た。
かき回しながら少し水を足している。
俺はその間にロクサーヌを洗った。
こぼれ出る瞬間を見せつけられたのでは。
いや、違う。
何ごとも順番が大切だ。
﹁洗う﹂
﹁洗う﹂
洗いながらミリアにブラヒム語を教える。
教えてみて分かった。
皿を洗うと体を洗うでは、洗うというブラヒム語が違うのか。
それは通じないわけだ。
1293
﹁しっかり洗う﹂
﹁しっかり洗う﹂
﹁丁寧に洗う﹂
﹁丁寧に洗う﹂
ミリアにブラヒム語を教えながら、ロクサーヌを洗う。
柔らかで弾力があって揉み心地のよいそれを、しっかり且つ丁寧
に洗った。
次にセリーを洗う。
優しく、ゆっくりと洗い上げた。
﹁よし。次はミリアだな﹂
呼び寄せると、ミリアが俺の前に来る。
いよいよなでまくりか。
拒否するような姿勢は微塵も見せていない。
ここまでくれば大丈夫だろう。
﹁××××××××××﹂
﹁覚悟はできているそうです﹂
﹁そうか﹂
﹁よ、よろしくお願いします﹂
ミリアが頭を下げ、ブラヒム語で言った。
このために準備して予め覚えておいたのだろうか。
もちろんよろしくお願いされるつもりだ。
1294
見学
いつものようにロクサーヌを抱きしめながら目覚めた。
セリーは俺の背中側に、ミリアはロクサーヌの向こうで眠ってい
る。
セリーとは背中がくっついているし、ミリアも俺の手の届く位置
にいた。
体を動かさずとも三人の肌に触れている。
人が増えたのでベッドの中の人口密度が上がっていた。
狭いくらいがちょうどいい。
ロクサーヌがキスをしてくる。
相変わらず、何故俺が目覚めたと分かるのか謎だ。
最初は音もなく静かに。
やがて狂おしく吸いつき、唾液に濡れたなめらかな舌を絡めてき
た。
ロクサーヌの舌が情熱的に蠢く。
濃密に舌と舌を絡ませあった後、口を放した。
次はセリーだ。
と思ったのに、なかなかキスしてこない。
動く気配があったので、起きたはずだが。
﹁えっと。よろしいのですか﹂
﹁⋮⋮﹂
1295
﹁順番は変わらないのでしょうか﹂
返事の代わりに無言で抱き寄せるとセリーがささやいた。
なるほど。
順番を変える可能性もあるのか。
ロクサーヌが身を固くするのが分かる。
ミリアが入ってきたので順番を変えるちょうどよい機会ではある。
あるいはミリアを一番奴隷に抜擢することもできる。
それを恐れているのか。
﹁大丈夫。すぐ変えるつもりはない﹂
軽く返事をして、セリーの唇を求めた。
変えるつもりはまったくないが、緊張がなくなっても困るので可
能性は残しておく。
昨夜はミリア、セリー、ロクサーヌの順におやすみのキスをした。
その後、ロクサーヌ、セリー、ミリアの順に抱いている。
色魔はつけていない。
初日からかっ飛ばすことはできない。
﹁××××××××××﹂
﹁おはよう、です。ご主人様﹂
セリーの口を放すと、ロクサーヌに何か言われてミリアが挨拶し
てきた。
ロクサーヌがご主人様と教えてしまったか。
まあしょうがない。
1296
最後にミリアとキスをかわす。
まだ軽くだ。
がっつりと舌を入れるのは、これからだろう。
不安げに縮こまるミリアの舌を優しくつついた後、唇を離した。
﹁おはよう、ミリア。では、全員着替えて迷宮に行くか﹂
﹁かしこまりました﹂
﹁はい﹂
﹁はい、です﹂
起き上がって、着替える。
﹁昨日は一度戦っただけだからな。最初は十二階層で様子を見よう。
ミリアは昨日と同じく見学に徹するように﹂
﹁××××××××××﹂
﹁はい、です﹂
ロクサーヌが訳すとミリアが返事をした。
ですをつけることはロクサーヌに教わったのだろうか。
真っ暗な壁にワープの入り口を出し、ハルバーの十二階層へ飛ぶ。
﹁よし。ミリアもちゃんとついてきたな﹂
暗くても大丈夫だといっていたし、問題はないか。
﹁はい、です﹂
﹁迷宮の中では、はいでいい。一刻一秒を争うことがあるかもしれ
ない。迷宮ではことさらに丁寧な言葉遣いをする必要はない﹂
﹁××××××××××﹂
1297
﹁はい﹂
ロクサーヌの案内で迷宮を探索する。
グラスビーもミノも、ちゃんと風魔法四発で倒れた。
﹁次は剣で戦ってみる。遠距離攻撃があるから、グラスビーが出た
ら待たずに突っ込むぞ。先導はロクサーヌが頼む﹂
﹁はい﹂
デュランダルを出し、ロクサーヌの案内で進んだ。
グラスビーは遠距離攻撃を持っているから、今までのように待ち
かまえて戦うだけでは不利になる。
魔法を使うときは問題がない。
接近したところで結局倒すのに必要なのは魔法を放つ回数だ。
早く接触するのは敵の攻撃機会を増やすだけである。
デュランダルを使う場合には、話が逆になる。
魔物を倒すには接近して剣を交えなければならない。
近づくまでの間は丸々敵の遠距離攻撃にさらされる時間となる。
待つのではなく、走ってなるべく早く敵に近づいた方がいい。
魔物と遭遇した。
グラスビー三匹の団体だ。
ロクサーヌが駆け出す。
しんがり
﹁俺、ミリア、セリーの順だ。セリーは殿を頼む﹂
セリーの返事を待たずに、ロクサーヌの後を追った。
1298
﹁来ます﹂
途中でロクサーヌが立ち止まる。
グラスビーの遠距離攻撃らしい。
小さな音がして、再びロクサーヌが走り出した。
目の前で避けられるかと思ってびくびくしていたが、盾で受けた
ようだ。
受けてくれるなら心強い。
ロクサーヌの後ろにいれば安全だ。
一番の安全地帯を走る。
グラスビーに近づいてから横にすり動き、ラッシュを叩き込んだ。
続いてもう一撃。
ハチがホバリングしたまま頭から突っ込んでくる。
ギリギリ避けた。
グラスビーが体を引き起こす前にさらに痛撃を与える。
ハチが墜落した。
ラッシュ三発か。
ターレの十三階層と同じだ。
多分、ラッシュ二発と通常攻撃一回で倒せるだろう。
槍を突き入れてくるセリーの位置に気をつけながら、二匹めをラ
ッシュ二発とデュランダル一振りで屠る。
思ったとおりだ。
ミリアは言われたとおりちゃんと見学していた。
三匹めは、ロクサーヌが正面で相手をしている。
1299
横から通常攻撃五回で撃墜した。
すべてのハチが蜜蝋だけを残して消える。
﹁遠距離攻撃をロクサーヌが受けてくれて助かった﹂
蜜蝋を受け取りながら、ロクサーヌに礼を述べる。
ミリアも拾ってきた。
﹁今日はミリアがいますので﹂
今までも俺やセリーがいたわけですが。
誰もがロクサーヌのように避けられるわけじゃない、ということ
は分かっていただきたい。
﹁これからも受けてくれるとありがたい﹂
﹁分かりました。避けるより時間がかかってしまいますが﹂
﹁かまわない﹂
ロクサーヌに命じた。
﹁はい﹂
﹁次はミノかニートアントのいるところを頼む﹂
ミノLv12の堅さも確認する。
やはりラッシュ一発と通常攻撃一回だ。
十二階層の魔物であるグラスビーはその二倍ということだろう。
ハルバーの十二階層では問題なく戦えることが分かった。
次の課題は、ミリアをどうやって慣れさせるかだ。
海女のレベルが上がるまで見学させるか。
1300
ただグラスビーには遠距離攻撃がある。
攻撃を受ける可能性も若干とはいえあるだろう。
それならばクーラタルかベイルの迷宮の低階層で早めに戦わせる
か。
クーラタルといえば、十二階層はどうするか。
当面メインの狩場にする予定はないが、クーラタルの迷宮も十一
階層を突破して十二階層に行っておいた方がいい。
少なくとも損はないはずだ。
﹁十二階層に入ったのでクーラタルの迷宮も十二階層に行っておき
たいが、ミリアが一緒でも大丈夫だろうか﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
﹁杖も強化していますし、まず問題はないでしょう﹂
ロクサーヌとセリーから賛同を得る。
自分レベルが基準になるロクサーヌの判断はともかく、セリーが
大丈夫というなら大丈夫か。
﹁地図は家にあるので、明日の朝クーラタルの十二階層に行こう。
今日はそうだな、ベイルの八階層にでも行ってみるか﹂
セリーが鍛冶師Lv1のとき、確か八階層で戦った。
ベイル八階層の魔物はコラーゲンコーラルだ。
そこで戦ってみるのもいいだろう。
コラーゲンコーラルが本来水生だった魔物にあたるかどうかは分
からない。
コーラル
水生っぽい感じはする。
珊瑚だしな。
1301
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁えっと。家の中にあるならミリアが取ってこれると言っています﹂
何ごとかミリアと話していたロクサーヌが告げた。
なるほど。
ミリアなら暗くても大丈夫か。
﹁じゃあ行ってみるか﹂
﹁はい﹂
地図を置いてある物置部屋にワープする。
日の出前の部屋の中なので、真っ暗だ。
﹁棚の上の方に冊子が置いてある。冊子は解いてあるから、表紙の
下、十一番めのパピルスだ。それと、棚の横に槍が立てかけてある
のは分かるか。それも取ってこい﹂
﹁取ってきたそうです﹂
﹁早いな﹂
ミリアはすぐに地図を取ってきた。
俺にはミリアの姿すら見えない。
暗い中でものを見る能力は比較にならないようだ。
掛け声を出し、ワープでクーラタルの十一階層に移動する。
﹁間違いないですね。現在地は?﹂
ロクサーヌがミリアから地図を受け取って、確認した。
1302
﹁入り口の小部屋だ﹂
﹁分かりました。こっちです﹂
﹁その槍はミリアが使え。チャンスがあれば攻撃してもいい。最初
だから安全を第一に考えて、無理はするな。前に出てはだめだ﹂
ミリアが槍を渡そうとしてくるが、そのまま持たせる。
セリーが前に使っていた銅の槍だ。
空きのスキルスロットもあるので、売らずに取っておいた。
槍なら魔物から多少距離を置いて攻撃できる。
今のミリアが使うにはいい武器だろう。
替わりに木の盾を受け取った。
ダガーは佩刀にするようだ。
何匹かの魔物を蹴散らしながら、地図の順序どおりに進む。
グリーンキャタピラーLv11も魔法四発で沈むならほとんど脅
威ではない。
ミリアも攻撃を受けることなく、逆に何度か攻撃を成功させて、
ボス部屋へと到着した。
十一階層ボスのホワイトキャタピラーも、正面のロクサーヌが攻
撃をすべてやりすごし、スキルを俺がキャンセルすることで、シャ
ットアウトする。
ミリアも側面から槍を突き入れた。
堂々たる戦闘ぶりだ。
迷宮に入ったばかりのころの俺より落ち着いているだろう。
パーティーメンバーとしてきっちりやっていけそうか。
﹁クーラタルの迷宮十二階層の魔物はサラセニアです。消化液を飛
1303
ばす特殊攻撃をしてきます。体当たりされた場合毒を受けることが
あります。消化液には毒はないとされています。耐性のある魔法属
性はなく、火魔法が弱点です﹂
十二階層に入り、セリーからブリーフィングを受ける。
消化液を飛ばしてくるとか。おどろおどろしい魔物のようだ。
﹁まあ一度戦ってみるべきだろう﹂
十二階層の魔物だけなら火魔法を使えばいい。
弱点の火属性魔法を使えば四発で倒せるはずだ。
四発なら、そんなに大きな脅威にはならないだろう。
﹁クーラタルの十二、十三階層は私たちのパーティーにとっては金
銭的に有利です。ハルツ公領内の迷宮に入るのでなければ、狩場に
したいくらいです﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁えっと。サラセニアは附子を残します。滋養丸の原料です。お作
りになれますよね﹂
セリーが戸惑いながら説明した。
滋養丸ができるのか。
薬草採取士のスキルである生薬生成で作れるのだろう。
リーフを売るよりもリーフから毒消し丸を作って売った方が儲か
る。
それと同様に附子で売らず滋養丸を売却した方が高いということ
か。
まあそれも当然だ。
1304
附子の方が高かったら、附子から滋養丸を作る人がいなくなって
しまう。
滋養丸を作る薬草採取士の手間賃分は高いはずだ。
﹁なるほど。ではロクサーヌ、サラセニアのところに案内してくれ
るか﹂
ロクサーヌの先導で進む。
現れたのは、草の魔物だ。
二枚の緑の葉っぱと、緑の頭を持っていた。
葉は体の左右両側に伸びて、ちょうど腕のようだ。
背の高さはセリーと同じくらいか。
大きいといえば大きいが、ススキやセイタカアワダチソウのよう
な草もあるから、特別大きいわけではない。
茶色の根っこが不気味に蠢いて、こっちにやってくる。
ファイヤーボールをぶち当てた。
炎が一瞬草の表面をなめる。
二発めを放った。
サラセニアの根元にオレンジ色の魔法陣が浮かび上がる。
﹁来ます﹂
ロクサーヌに言われなくても横に出て魔法を撃っていたので見え
た。
すぐにロクサーヌの後ろに隠れる。
情けない。
サラセニアが頭を下げた。
1305
頭というか、チューリップの花みたいなやつだ。
底がくぼんでいる。
サラセニアの頭は袋状になっているらしい。
ウツボカズラみたいな感じか。
食虫植物だ。
だから消化液を飛ばしてくるのか。
消化液がサラセニアの頭から飛び出してきた。
お返しにファイヤーボールを贈る。
魔物の攻撃はロクサーヌが鉄の盾で受けた。
接近したサラセニアにセリーとミリアが槍を突き入れる。
サラセニアが葉を振ってきた。
ロクサーヌがそれを避ける。
四発めのファイヤーボールをお見舞いした。
サラセニアが火にまみれ、崩れ落ちる。
﹁消化液は大丈夫だったか?﹂
﹁はい。すぐ乾くみたいです﹂
﹁そうか﹂
ロクサーヌに確認するが、盾を溶かすほどの威力はないらしい。
サラセニアLv12は倒すのに弱点の火魔法で四発。
グラスビーLv12と一緒ということだろう。
﹁消化液よりも通常攻撃の方が危ないですね。かなりの大振りです
し、草で柔らかいので軌道が安定しません。盾や剣で受けるにも、
巧く受けないとしなってくるかもしれません﹂
1306
ついにロクサーヌを悩ます敵の出現か。
葉っぱなのでスイングが上下にぶれる。
中途半端なところで止めたら先が曲がることも考えられるだろう。
セリーがドロップアイテムの附子を持ってきた。
僧侶をはずし、薬草採取士をつける。
附子を手のひらに載せ、生薬生成と念じた。
附子から三つの丸薬ができる。
滋養丸だ。
毒消し丸と違って、できるのは三つらしい。
滋養丸はこうやってできるのか。
﹁よし。ちゃんと滋養丸もできるな﹂
﹁××××××××××﹂
ミリアがロクサーヌに何か言い、ナニこいつスゲー、みたいな顔
で俺を見てきた。
馴致も順調に進んでいるようだ。
1307
マヨネーズ
クーラタルの十二階層で、滋養丸がアイテムボックス一列をいっ
ぱいにするまでサラセニアを狩った。
俺だけでなく、いざというときのためにセリーにも十個持たせる。
ミリアもちゃんと薬草採取士Lv1を獲得した。
附子を拾ったからだろう。
リーフと同様、附子も薬草にあたるようだ。
サラセニアは、戦闘をこなしていくと案外たいしたことはなかっ
た。
草なので攻撃力は大きくないらしい。
デュランダルを出したときに直接戦ってみるが、楽勝だ。
﹁うおお。危ねえ﹂
などと思っていたら、消化液をかけてきやがった。
てっ辺のつぼを傾けて、上からこぼされた。
かからないようにギリギリで飛びのく。
﹁こんな攻撃パターンもあるんですね﹂
ロクサーヌがのんびりとのたまうが、こっちは必死だ。
デュランダルを叩き込み、なんとか屠った。
﹁セリー、コラーゲンコーラルって水生の魔物だと思うか﹂
1308
﹁そうだと思います﹂
サラセニアは危険なので、ベイルの八階層に移動する。
コラーゲンコーラルが水生の魔物であることにセリーの賛同を得
た。
﹁対水生強化というスキル技があるわけじゃないよな﹂
﹁それは聞いたことがありません﹂
﹁ミリアも知らないそうです﹂
となるとやはり対水生強化はパッシブスキルか。
﹁ミリアは何階層まで入ったことがある?﹂
﹁一階層だけだそうです﹂
﹁それでは八階層は大変かもしれないが、水生の魔物だ。海女なら
ばなんとかなるだろう﹂
試しに八階層で戦ってみる。
最初に現れたコラーゲンコーラルLv8を倒すのに魔法三発かか
った。
ボーナスポイントを知力上昇に振って、魔法二発で半数を倒せる
ように調整する。
魔法二発で生き残ったコラーゲンコーラルにミリアをけしかけた。
鋼鉄の槍、シミター、素手で倒させる。
ミリアは剣士も僧侶も持っていない。
槍を使った攻撃では、ミリアは簡単にコラーゲンコーラルを倒し
た。
剣で攻撃しているときには反撃を喰らってしまう。
1309
さすがにロクサーヌほどの動きではないようだ。
よかった。
あれが標準なら泣くところだ。
ミリアは素手で攻撃しているときにもやはり攻撃を受けた。
﹁大丈夫か﹂
﹁××××××××××﹂
﹁はい﹂
メッキをして、手当てを二回行う。
ミリアはもう一度だけ攻撃を浴び、コラーゲンコーラルを倒した。
パーティージョブ設定で確認すると、剣士Lv1と僧侶Lv1を
獲得している。
﹁魔物の攻撃はどうだ?﹂
﹁大丈夫だそうです﹂
﹁水生じゃない魔物でもいけそうか﹂
﹁はい﹂
ミリアが元気よく返事をした。
結構やる気だ。
ありがたい。
クーラタルの八階層に移動してニードルウッドLv8とも一度戦
わせる。
剣でやらせたこともあり、魔物の攻撃は受けた。
やはりメッキをかけなおして手当てする。
﹁どうだ?﹂
1310
﹁コラーゲンコーラルよりは大変だけど戦えると言っています﹂
﹁大丈夫そうだな。この後は、九、十、十一階層で一発ずつ魔物の
攻撃を受けながら一撃では死なないことを確認しつつ順に上がって
いくのと、一気に十二階層へ行って後ろで見学させるのと、どっち
がいいだろうか﹂
どちらにするか自分でも迷うところなので、三人に諮った。
一発ずつ殴られるのは、安全性は高い。
欠点としては、攻撃を受けることそのものがデメリットだ。
ミリアも痛いのは嫌だろう。
一つ下の階層で様子を見ているとはいっても百パーセント安全で
はない。
試しに殴られたら死んでしまいましたではしゃれにならない。
十二階層で見学させれば、むざむざ攻撃を受けることはないが安
全性はギャンブルになる。
後ろにいるといっても、迷宮で一緒にいる以上絶対はない。
流れ弾が飛んでくる危険性を否定はできないだろう。
十二階層で見学させた方が成長は少し早いかもしれない。
﹁一階層ずつ試した方がいいと思います。攻撃を受けることなどた
いしたことではありません。魔物に対峙すればその可能性は常にあ
るのです﹂
考えられるメリットとデメリットを説明すると、ロクサーヌが答
えた。
ロクサーヌの場合、本当に可能性に留まるところが怖い。
﹁安全を考慮すれば順に上がっていった方が断然いいでしょう。わ
1311
ざと攻撃を受けるくらいは仕方がありません﹂
セリーの判断は相変わらずすっきりしている。
ミリアもそれで割り切ってくれればいいが。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁ミリアも、お姉ちゃんのいうとおりだと言っています﹂
それはロクサーヌが無理やり言わせたのではないのかと。
まあミリアがいいと言うのならいいか。
ロクサーヌが説得したので順に上がっていくことにする。
クーラタルの九階層に移動し、その後も一階層ずつ上がっていっ
た。
一匹だけ残して他の魔物を殲滅し、残ったところでミリアに攻撃
させる。
ミリアが攻撃を受けたら魔物はすぐにとどめをさした。
剣士や僧侶は取得済みなので、最後までやらせる必要はない。
﹁大丈夫か﹂
﹁大丈夫﹂
手当てをしながら声をかけると答えが返ってくる。
大丈夫という言葉まで覚えてしまったようだ。
ミリアはグリーンキャタピラーLv11の攻撃までをしのぎきっ
た。
﹁十二階層では魔物が強くなる。いけそうか﹂
﹁××××××××××﹂
1312
﹁大丈夫﹂
ロクサーヌが訳すとやはり勝気な答えが返ってくる。
ミリアはなかなか性根がすわっていそうだ。
迷宮で戦ってもらうのだからその方がいい。
迷宮のあるこの世界ではこれくらいが当然なんだろうか。
いや、選ぶときに迷宮で戦うことを条件にしたからか。
やる気のなさそうな美人を選んでいたら、こうはいかなかったに
違いない。
ミリアはパーティーメンバーとしてもあたりだと考えていいだろ
う。
﹁では、ハルバーの十二階層に移動する。ハルバーの十二階層が今
の俺たちの狩場だ。十二階層ではわざと攻撃を受けることはない。
無理をする必要もない。徐々に慣れてくれればいい。当面は後ろか
ら槍を突き入れて戦え。しばらくはセリーが前、ミリアが後ろのポ
ジションだ﹂
一階層ずつ上がっていく間にミリアも海女Lv3になった。
一撃でやられないなら十二階層でも大丈夫だろう。
ハルバーの十二階層に移動する。
以後は普通に狩を行った。
ミリアは後ろにおいて様子を見る。
さすがに後衛に控えさせれば何の問題もないか。
風魔法四発で倒せるので、戦う時間はあまり長くない。
遠距離攻撃もまばらに来る程度なので、ロクサーヌが全部押さえ
てくれる。
1313
朝の間に、ミリアは海女Lv5まで成長した。
元々のレベルが低いだけあってレベルアップが早い。
これならすぐに前に出してもよくなるだろう。
狩を終え、クーラタルの冒険者ギルドに出る。
朝食の買い物をした。
魚屋ではどうなるかと思ったが、ミリアはあっさりスルーする。
魚、魚と駄々をこねることはないようだ。
十日に一度という要求はどこまで有効なんだろうか。
﹁あの魚はあまり活きがよくないそうです﹂
疑問に思っていると、ロクサーヌが小声で教えてくれた。
なるほど。
日の出前の時間に仕入れることは多分ない。
店頭に置いてある魚は昨日以前に仕入れたものなのか。
魚に関しては厳しいようだ。
﹁ミリアにも何か作ってもらうか﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁肉を焼くと言っています。私も一緒に作るので、大丈夫でしょう﹂
本当に魚料理一辺倒ということはないらしい。
ロクサーヌが一緒なら大丈夫だろう。
﹁では、私がスープを作ります﹂
﹁そのスープの中に、卵を入れられるか﹂
1314
﹁卵ですか? はい、大丈夫です﹂
セリーがスープ当番のようだ。
卵やパン、他の食材を買って家に帰った。
俺は朝食ではなく別のものを作る。
まずは卵の黄身を取って、酢と混ぜた。
混ぜるのに使う泡だて器は針金を曲げて作った自作の品だ。
卵黄と酢が混じったところに、オリーブオイルを加える。
混ぜながら少しずつ加えてやればいいので、分量は間違えようが
ない。
後はとろりと固くなるまでかき混ぜた。
かき混ぜる。
一心不乱にかき混ぜる。
マヨネーズの完成だ。
﹁じゃあ、これな﹂
残った卵白をセリーに渡した。
﹁卵白は分かりますが、それは何ですか﹂
﹁調味料だ。ミリア、明後日の夕方は魚にしよう。魚、かける、美
味しい、オーケー?﹂
﹁お、お、お、お﹂
料理中のミリアが目を見開いて俺を見る。
ロクサーヌが訳さなくてもすでに魚は分かるみたいだ。
﹁がんばって迷宮に入ってくれるみたいだからな。ご褒美だ﹂
1315
﹁××××××××××﹂
﹁おいしい、です﹂
まだ食べてないっての。
﹁ご褒美だ。ごほうび﹂
﹁ご褒美、です﹂
ミリアに復唱させた。
ご褒美の真の意味については、今夜じっくりと教えよう。
たっぷりと教えよう。
マヨネーズはふたをして置いておく。
﹁すぐに食べるとおなかを壊すことがあるので、手は出さないよう
にな﹂
一応注意した。
生卵にはサルモネラ菌がいることがある。
俺もこっちに来てからは生卵は食べないようにしていた。
酢と油でいっぱいのマヨネーズの中では、一日おけば死滅するら
しい。
ミリアは、魚料理でなくても普通に作れるようだ。
ちゃんと美味しかった。
朝食の後も狩を続け、夕方には帝都に赴く。
服屋でネグリジェを選ばせた。
ここのネグリジェは薄手で透けるタイプの服だ。
さすがに昨日買うわけにはいかなかった。
1316
すでに一晩をともにしたし、今日なら問題ないだろう。
ミリアがロクサーヌやセリーと一緒になって服を選ぶ。
三人でがやがやと何かを言いあった。
普通に時間がかかっている。
失敗した。
魚料理のある日にすべきだった。
魚を食べる日ならすぐに選び終えたに違いない。
﹁帝宮の侍女が着るような服を売ってるか﹂
仕方ないので、待っている間に店員に話しかける。
女性店員でなく男性店員に聞くのがポイントだ。
ミリアだけメイド服がない。
﹁もちろんお作りいたします。布地を選んでいただき、完成には十
日ほどお時間をいただきます﹂
﹁そうか﹂
ちゃんとできるらしい。
結構使われるものなんだろうか。
﹁こちらにおいでいただけますか。普通の布地ですと三千ナール。
絹と混ぜた布地を使いますと六千ナール。こちらの総絹仕立ての布
地を使いますと、一万ナールでございます。こちらですととても柔
らかく、最高の手触り、肌触りをお約束できます﹂
店員が布地を置いてある場所に俺を導いた。
出してきた絹の布を触る。
すべすべして非常に柔らかい。
1317
この布地で作った服をロクサーヌやセリーやミリアに着せて抱き
ついたら。
くそっ。
この店員は明らかに使用目的が分かってやがる。
男性店員に聞いたのが間違いだ。
﹁今回作るのは一着だけだ。普通の布地で頼めるか﹂
しかし、ミリアにだけよい服を作るわけにはいかない。
三千ナールの布地で依頼する。
ベイルの奴隷商人から買ったメイド服は四千ナールだ。
転売のマージンを差し引けば、普通の布地で同じくらいの品質だ
ろう。
逆にいうと、同じだとすると千ナールも上乗せしてんのか。
結構とりやがったな。
いまさらいいが。
ミリアがネグリジェを選び終えた。
髪の毛の色に近い青色のを着るようだ。
﹁それでは、採寸させていただきます﹂
﹁彼女だ。頼めるか﹂
﹁かしこまりました﹂
ミリアを女性店員に引き渡す。
﹁ベイルの商館で一緒に買った服があるだろう。ミリアだけないか
らな。あれと同じようなものを作る﹂
1318
ミリアの体のサイズが測られるのを見ながら、ロクサーヌに説明
した。
ミリアだけ特別と思われてもまずい。
﹁そうですね。確かにミリアだけありません﹂
ロクサーヌが返事をする。
大丈夫そうか。
俺はひそかに安堵の息を漏らした。
ハーレムというのもそれなりに気を使うことが多そうだ。
﹁ありがとうございます、です﹂
採寸されていたミリアがロクサーヌから話を聞いて頭を下げる。
きっと服よりも魚の方が喜ぶに違いない。
というか、メイド服が嬉しいのかという問題はあるよな。
﹁お支払いはいかがなされますか。一括で先払いでも、半額は受け
取るときでも結構でございます﹂
﹁一括で払おう。これも一緒にな﹂
仕立てるときは半分を受け取り時に支払ってもいいのか。
それなら一着だけを仕立てても三割引が効きそうな気がする。
今回はネグリジェも一緒に買うのでどうせ三割引きが効く。
メイド服のお金も一括で先払いした。
﹁服を仕立てる場合には先払いするものだと祖父から聞いたことが
あります。さすがです﹂
1319
夕食のとき、セリーがその対応を評価してくれた。
﹁そうなのか?﹂
﹁一括で先払いすることは、店を信頼しているというサインになり
ます﹂
﹁なるほど。そういうものか﹂
金だけ取って逃げる怪しげな商人もいるのかもしれない。
帝都の一等地に店を構えてそれはなさそうだが。
逆に、探索者や冒険者なら取りに行く前に死んでしまう可能性も
ある。
先払いするのは絶対にそうはならないという自信の表明か。
﹁さすがはご主人様です。××××××××××﹂
﹁ミ、ミリアは、魚以外の魚介類は好きか﹂
ロクサーヌの訳を聞いてミリアが尊敬の表情を向けてくるので話
をそらした。
どういう翻訳をしたのだろうか。
ロクサーヌを教育係にするのは間違っているような気がしないで
もない。
ちなみに、ミリアは夕食もちゃんと炒め物を作っている。
﹁魚の方が好きだそうです﹂
﹁そうか﹂
﹁エビとカニは漁で獲れたときに食べたことがあるそうです﹂
この世界にエビとカニはありと。
俺は見たことがない。
1320
もっと海の近くでないと売っていないのだろう。
﹁貝とかはどうだ﹂
﹁貝の嫌いな人はいないと思いますが﹂
﹁そうなのか?﹂
ロクサーヌが訳している間に、セリーに尋ねる。
﹁えっと。普通の貝は食べられません。ですから、食べられる貝は
迷宮で魔物が残す食材だけになります﹂
﹁そ、そうだな﹂
そうなのか。
初めて聞いた。
貝も売っているところは見たことがない。
﹁食材となる貝は非常に美味です。ただし、残る貝は小さいので値
が張ってしまいます。普通の人が食べるのは休日か何か特別の日く
らいでしょう﹂
休日というのは、九十日の季節と季節の間に入る休みのことだろ
う。
特別な日に食べる特別な食材ということか。
﹁ミリアは食べたことがないそうです。私も蛤しか食べたことはあ
りません。あれは美味しかったです﹂
ロクサーヌもハマグリしか食べたことがないと。
ひょっとして旨いのだろうか。
1321
﹁ハマグリか。魚屋に売っているだろうか﹂
﹁あの、すみません。そんなつもりで言ったのではありません﹂
﹁いや、分かっている﹂
﹁ミリアも、魚が食べられれば十分と言っています﹂
ミリアの場合はそうだろう。
それは本心からに違いない。
1322
クラムチャウダー
ミリアを迎えてからというもの、朝の目覚めがいい。
何かこう、すっきりと目覚める。
思うに、心地よい疲労と倦怠感の中で眠りに入るのがよいのでは
ないだろうか。
ぐっすりと深く眠れ、さわやかにリフレッシュした感じだ。
ロクサーヌとセリー二人のときには疲れを感じることはなかった。
ミリアも加わって三人になってからは、ほどよい疲れと充足感と
がある。
余裕がなくなったわけではない。
いざとなれば色魔もある。
自分の精力にちょっとビックリだ。
最後にミリアとキスをして、起床した。
ぎこちなさの残る堅い口づけだが、これはこれでいいだろう。
ロクサーヌのように濃厚に舌を絡ませてくるキスもいいし、セリ
ーのようにゆっくりと舌を動かして優しく愛撫してくるようなキス
もいい。
三人三様の味を楽しめる。
着替えて、ハルバーの十二階層へ飛んだ。
﹁昨日一日で少しは慣れただろう。今日はミリアも少し前に出て戦
え。決して無理はしなくていい。ゆっくり戦えるようになればいい
から﹂
1323
銅の槍を持たせたまま、ミリアを前に出す。
海女もLv10まで成長した。
二桁になったのだ。いろいろ試してみてもいいだろう。
前線に三人が並ぶ。
真ん中にロクサーヌ。セリーとミリアが左と右に陣取った。
その布陣で魔物を迎え撃つ。
ハルバーの十二階層は風魔法四発でどの魔物も倒せる。
あまり長期の戦闘にはならない。
ミリアが攻撃を受けても連続で攻撃される前に倒せるだろう。
少し狩をして様子を見た。
大丈夫そうか。
ミリアはなかなか攻撃を受けなかった。
結局今日最初に魔物の攻撃を喰らったのは俺だ。
デュランダルで戦っているときにグラスビーの体当たりを浴びて
しまった。
デュランダルを出すときは乱戦になって戦闘時間も延びるから仕
方がない。
と言い訳をしておこう。
ミリアにかけているメッキは常時必要だ。
錬金術師ははずせない。
他のスキルとのかねあいもあるので、代わりに戦士を封印してい
る。
グラスビーをラッシュなしで通常攻撃四発で倒すから時間がかか
る。
1324
グラスビーはいつのまにかデュランダルを四振りで倒せるように
なった。
ミリアの海女のレベルが大きく上がったからだろう。
最初は通常攻撃五回かかっていたものが、時折四回で倒せるよう
になり、数え間違いかと思っているうちに、安定して四発で倒せる
ようになった。
強くなったのは一足飛びにではない。
何段階にも分けて強くなった。
とすれば、関係がありそうなのはミリアの海女のレベルだ。
海女の効果には腕力小上昇がある。
ジョブが持っている効果はパーティーメンバーに対して効くらし
い。
海女の腕力小上昇がパーティーメンバーの俺に間違いなく効いて
おり、上昇値はレベル依存になっている、と考えるのが妥当だろう。
他のパーティーメンバーのレベルが高ければ、一人だけレベルの
低い者が混じっていても戦えるということだな。
確定実験も行った。
ちょっと怖いが、ミリアのジョブを村人Lv5に切り替える。
ミリアには見学するように伝え、グラスビーを通常攻撃五回で屠
った。
やはり通常攻撃四回で倒せるのはミリアの海女のおかげだ。
ちなみに、デュランダルで戦うときは、俺とロクサーヌが前。
ミリアは後ろから槍で突かせている。
セリーは魔物の数によって前だったり後ろだったり。
1325
比較すればミリアより俺の方が前で戦っている時間が長い。
俺が先に魔物の攻撃を喰らってしまうのもしょうがないといえる
だろう。
一番長く常に最前線で戦っている人のことは考えないとして。
そのロクサーヌも今朝は攻撃をもらった。
真ん中にいると攻撃される機会も増えるようだ。
つまり、デュランダルを出したとき真ん中に位置することがある
俺が攻撃を浴びるのは仕方がない。
仕方ない。
仕方ないことなのだ。
攻撃を受けることを⋮⋮強いられているんだ。
ニートアントからはまたしても攻撃を喰らってしまった。
お返しにニートアントにデュランダルを浴びせ、屠る。
グラスビーとミノやニートアントが一緒に出てきたときには、ニ
ートアントから倒すようにしている。
ニートアントには毒攻撃があるし、通常攻撃二回で倒せる。
だからニートアントを相手にしているときはまだ魔物の数が多い。
多いので攻撃を喰らってもしょうがない。
一対一ならそうそう攻撃を受けることはない。
と思いたい。
ニートアントが倒れるのを視界に入れながら、グラスビーに襲い
かかった。
倒れたアリが煙となって消える。
あ。
1326
煙が消えると、毒針ではなく白いカードが残った。
モンスターカードだ。
モンスターカード アリ
アリのモンスターカードか。
横目で確認して、グラスビー二匹を屠る。
グラスビーの攻撃は受けていない。
二匹ともロクサーヌへの対応に忙しく、俺には見向きもしなかっ
ただけだが。
セリーからモンスターカードを受け取った。
﹁セリー、アリのモンスターカードは何のスキルになる?﹂
﹁防具につけると毒防御か毒耐性、武器につけると毒付与か毒牙の
スキルになります﹂
﹁毒関連か。コボルトのモンスターカードは今ウサギのモンスター
カードと一緒に使う分を待っている状況だからきついな。単独で使
うか﹂
﹁防具につければいいと思います。毒防御でもそれなりに毒状態に
陥ることを防げるようです。もっとよい装備品が手に入ればある程
度の値段で転売できるでしょう﹂
防具につけるのか。
魔物の攻撃を受けることは俺が一番多いので、防具につけるなら
俺の装備品につけるのがいいだろう。
毒状態になったことがあるのも俺だけだ。
1327
﹁防具か。革の帽子にでもつけるか。あるいは硬革のグローブでも
購入するべきか﹂
﹁転売することを考えるなら、なるべくよい装備品につけた方が差
益が大きくなると思います﹂
そうなのか。
というか、そういうことは防水の皮ミトンを作る前に教えてほし
かった。
皮のミトンじゃなくて、もっといい装備品に融合したのに。
多分、あのときのセリーには成功させる自信がなかったのだろう。
よい装備品につけた方がいいのは必ず成功する場合だ。
失敗する可能性があるなら自分で作り直せる装備品か安い装備品
がいい。
よい装備品につけろと提案してくるのは自信がついたからか。
一度も失敗することなく連続で成功させているしな。
自信がついたことを悪いとはいえないだろう。
狩を終えて、クーラタルの冒険者ギルドに出る。
防具屋が開くにはまだ早い。
魚屋に行った。
ミリアも横にぴったりとついてくる。
何かの魚を興味深そうににらんでいた。
あの魚は悪くない品なんだろうか。
とはいえ、それ以上は何もしないし、何も言わない。
明日の夕食を魚にすると宣言してある。
それで十分なんだろう。
1328
この手は使えるな。
﹁ハマグリを売ってるか﹂
﹁はい。もちろんです﹂
﹁とりあえず二つくれ﹂
探索者のじいさんに話して、ハマグリを受け取った。
貝殻はない。
剥き身になっている。
鑑定してみると、蛤と出た。
受け取ってアイテムボックスに入れる。
確かにドロップアイテムのようだ。
アイテムボックスにちゃんと入る。
しかしちっちゃいな。
いや、小さいというか大きくないというか。
﹁こちらになります﹂
﹁もう二つもらえるか﹂
﹁はい﹂
別にシジミほど小さいわけではない。
ハマグリとしてはこんなものかもしれない。
所詮はハマグリだ。
この大きさでは一人一個はないとしょうがないだろう。
﹁いつもありがとうございます。蛤四個で、八百九十六ナールにサ
ービスさせていただきます﹂
1329
商人に金を払った。
結構高い。
野菜や卵が数ナールしかしないことを考えれば、かなりの高額だ。
ドロップアイテムだからしょうがないのだろうが。
コボルトソルトより安かったら誰も売らん。
同じ食材アイテムでも肉や魚は切り分ければ何人分にもなる。
一個一人前も怪しい蛤は相当に高価といっていいだろう。
確かに休日専用にもなるはずだ。
﹁よろしいのですか﹂
魚屋から離れると、ロクサーヌが訊いてきた。
﹁今朝はこれで俺がスープを作るから、他にもう一品か二品くらい
頼む﹂
﹁はい。かしこまりました﹂
ロクサーヌが何かミリアに話すと、ミリアが目を開いて俺を見て
くる。
どうもロクサーヌの翻訳は安心できん。
パンと野菜を買って、家に帰った。
まずは蛤をワインを入れた水で軽く煮る。
殻があれば口を開くまでだが、剥き身では煮る時間が分からない。
長く煮すぎると硬くなるだろうから、ざっと煮るに留める。
野菜とハムを細かく切って炒め、ホワイトルーも作った。
蛤を四つ切にして煮汁に戻し、炒めたハム野菜とホワイトルーを
1330
投入する。
沸騰する直前まで温めれば、クラムチャウダーの出来上がりだ。
火から降ろして鍋ごと食卓に運ぶ。
﹁××××××××××﹂
﹁ミリアは蛤を食べるのは初めてだそうです﹂
それで俺のことを見てきたのか。
これで俺だけが蛤をよそったら大顰蹙だな。
﹁スープのお代わりはあるけど、蛤はこれだけな﹂
そんな意地悪はせず、蛤を四個ずつ入れてスープをよそった。
スープが失敗していても顰蹙だ。
あまり失敗する要素はないので、大丈夫だと思うが。
スープからはなんともいえないいい香りが立ちのぼっている。
確認のためにいち早く手をつけた。
おおっ。
旨い。
大丈夫だ。
スープに蛤の濃い出汁が出ている。
蛤そのものも、適度な歯ごたえがあって濃厚な味がした。
これは旨い。
さすがに高いだけのことはある。
なんでこんなに旨いんだ?
しかもこの香りはなんだ。
1331
おのれ、この雄山の味覚と嗅覚を試そうというのか。
﹁ご主人様、これは美味しいです﹂
﹁今まで食べた蛤の中で一番かもしれません﹂
﹁おいしい、です﹂
三人にも好評のようだ。
女将を呼ばすにすんだ。
これからもときどき作りたいが、贅沢に慣れるのはよくない。
困ったものである。
朝食後、一人で防具屋に出向いた。
硬革のグローブと硬革の帽子を購入する。
硬革のカチューシャというのもあるが、これはどちらかといえば
女性向けの装備品だろう。
ロクサーヌもいないのですぐに選んだ。
家に帰って硬革の帽子とアリのモンスターカードをセリーに渡す。
セリーは一つ深呼吸をした後、こともなげにモンスターカード融
合を行った。
防毒の硬革帽子 頭装備
スキル 毒防御 空き
﹁おお。できたな﹂
﹁やりましたね、セリー﹂
﹁すごい、です﹂
1332
ミリアが身を乗り出してくる。
そういえばミリアが来てからモンスターカード融合を行ったのは
初めてか。
﹁さすがはセリーだ﹂
﹁××××××××××﹂
﹁このパーティーの人たちはみんなすごいと言っています。ミリア
もがんばるそうです﹂
ミリアが心服したような表情でセリーのことを見た。
感心してがんばってくれるなら、それでいいだろう。
俺たちのパーティーの中で本当にすごいのはロクサーヌだけだけ
どな。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv37 英雄Lv34 魔法使いLv36 錬金術師Lv
31 僧侶Lv35
装備 ひもろぎのロッド 防毒の硬革帽子 革の鎧 硬革のグロー
ブ 革の靴 身代わりのミサンガ
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv26
装備 シミター 鉄の盾 革の帽子 硬革のジャケット 革のグロ
ーブ 革の靴 身代わりのミサンガ
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv24
装備 鋼鉄の槍 革の帽子 チェインメイル 防水の皮ミトン 革
1333
の靴
ミリア ♀ 15歳
海女Lv12
装備 銅の槍 革の帽子 チェインメイル 革のグローブ 革の靴
装備を整えて、ハルバーの十二階層に入る。
毒防御の効果をテストするわけにはいかないので、普通に狩を行
った。
毒を喰らうまでわざと攻撃を受けるとか。
嫌すぎる。
もっとも、パーティーメンバーの誰かが毒を受けたときに口移し
で毒消し丸を飲ませる準備は万端だ。
いつでもバッチこいである。
そういうときに限って、俺以外は誰も攻撃を喰らったりしないわ
けだが。
ミリアが攻撃を受けたのは、翌朝のことだった。
グラスビー四匹を相手にしているときに、攻撃を受けた。
四発めのブリーズストームでグラスビーをまとめて屠る。
それから手当てを四回かけ、メッキをした。
﹁大丈夫か﹂
﹁はい﹂
ある程度の衝撃は受けたようだが、顔面蒼白というほどではない。
大丈夫そうか。
海女もLv15まで成長している。
1334
﹁ではそろそろいいだろう。木の盾を渡すから、ロクサーヌと並ん
で一番前で戦え。最初はあまり無理をすることはない。ロクサーヌ
も頼むな﹂
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌが翻訳する。
うなずいたミリアに木の盾を渡し、銅の槍を受け取った。
ミリアが腰からダガーを抜く。
次にロクサーヌが案内したところには、グラスビー三匹とミノ一
匹がいた。
﹁ミリア、魔物が来るまでは一歩下がれ﹂
一発めのブリーズストームを放ち、ミリアを下がらせる。
﹁来ます﹂
ロクサーヌの声がして、グラスビーが針を飛ばしてきた。
遠距離攻撃はロクサーヌに受けさせるのがいい。
ロクサーヌが盾で遠距離攻撃を受けた後に、二発めの風魔法を撃
つ。
さらに三発めのブリーズストームを放つと、セリーとミリアが前
に出た。
遠距離攻撃を放ったグラスビーは遅れている。
ロクサーヌとセリーの前にグラスビーが、ミリアの前にミノが来
た。
これでちょうど一対一だ。
1335
セリーがグラスビーに槍を突き込む。
ロクサーヌがシミターで斬りつけ、ミリアもダガーを振った。
ミノの突進をミリアが木の盾でいなす。
四発めのブリーズストームを撃った。
ハチが落ち、牛が倒れる。
ミリアもちゃんと前線で戦えるようだ。
後は慣れていけば大丈夫だろう。
1336
フィッシュフライ
﹁そんなにオリーブオイルが必要なんですか﹂
ロクサーヌが尋ねてきた。
狩を終える前にベイルの六階層へ行って、ナイーブオリーブを狩
りまくったからだ。
﹁まあちょっとな﹂
アイテムボックス一列がいっぱいになるまでオリーブオイルを補
充して、狩を終える。
クーラタルの冒険者ギルドに出た。
ミリアが張り切って先頭を歩く。
今日は約束の魚の日だ。
﹁魚。魚。魚、です﹂
もちろん忘れてなどいないらしい。
まっしぐらに魚屋に突っ込んで行った。
他に買いたいものもあるのだが、魚を先に購入しないと無理か。
﹁なんかいい魚があったか?﹂
﹁××××××××××﹂
﹁ロクスラー、です﹂
ロクサーヌが訳すと、ミリアがぴたりと指を差す。
1337
﹁これはお目が高い。マスモドキは先ほど入荷したばかりです。獲
れたて新鮮ですし、よく肉もついてます。煮ても焼いてもいけます﹂
ロクスラーはマスモドキというのか。
きっと鱒に似た魚なんだろう。
大きさは二十センチくらいある。
ちょうどいいか。
﹁では、マスモドキを四尾﹂
﹁まいど﹂
﹁いつもありがとうございます。四匹で、特別サービスで二十八ナ
ールです﹂
一尾十ナールの三割引か。
それほど高いわけじゃないな。
蛤の値段を考えれば特に。
商人にお金を払い、商品はミリアが受け取った。
探索者のじいさんが魚をパピルスにくるんで渡してくれる。
四匹だと持つのも大変そうだ。
まあ本人が持ちたいだろうから、持たせればいい。
﹁俺とミリアで魚料理を作るから、ロクサーヌとセリーもなんか頼
む﹂
﹁分かりました。セリー、スープはどうします?﹂
﹁そうですね。今日は私がスープを作ります﹂
パンや卵、野菜などの食材も買った。
家を世話してくれた金物屋へ行って、鍋も買う。
1338
﹁ミリアはなんか使いたい調理器具とかあるか﹂
﹁この平鍋がいいそうです﹂
ロクサーヌが翻訳した。
ミリアが示したのは、パエリアとかが作れそうな底の浅い平鍋だ。
取っ手が横に二つついている。
確かに、このタイプの鍋はうちにはない。
﹁これか﹂
﹁この鍋があれば、おいしい魚料理が作れるそうです﹂
やっぱり魚料理なのか。
どうせ三割引のために購入するものだ。
この平鍋でいいだろう。
俺が使うふたつきの鍋と底の浅い平鍋を買って家に帰った。
﹁ミリアは魚をおろしてもらえるか﹂
キッチンで頼む。
ミリアがロクサーヌの翻訳なしで取りかかった。
さすがに魚関連のブラヒム語は覚えるのも早いようだ。
俺はお湯を沸かし、ゆで卵を作る。
ゆで上がる前に、切り身ができあがった。
まな板の上に載せて、ミリアが持ってくる。
﹁はい、です﹂
﹁できた、だ。できた﹂
﹁できた、です﹂
1339
切り身を受け取った。
切り身が八枚。
ちゃんと皮も引いてある。
ぷりぷりでなかなか美味しそうだ。
﹁次はこのレモンを搾ってくれ﹂
﹁はい、です﹂
一度やってもらっているから、これも翻訳なしで通じる。
卵と一緒の鍋でゆがいた野菜をみじん切りにし、一昨日作ったマ
ヨネーズ、つぶしたゆで卵、レモン果汁とあわせた。
タルタルソースの完成だ。
﹁では、次はパンを粉々に砕く。こうして細かくちぎるんだ﹂
ミリアや翻訳するロクサーヌの前で、パンをほじった。
﹁パン粉ですね﹂
﹁パン粉あんのか﹂
﹁チーズが買えないとき、代わりに振りかけます﹂
﹁⋮⋮で、では、ミリア、頼む﹂
なんか悲しい食材のようだ。
ミリアに頼んでその場を退散する。
新しい鍋にオリーブオイルを大量に入れ、熱した。
塩コショウした切り身に、小麦粉、溶き卵、パン粉をまぶして揚
げる。
タルタルソースをかければ、フィッシュフライのできあがりだ。
1340
チーズの代替ではないということを分からせてやる。
フライだし失敗する要素はほとんどないだろう。
使ったことのない魚というのが難点だが、見た目からいっても問
題はあるまい。
ミリアも、ものほしそうにじっと見ていた。
これなら大丈夫だ。
食事が始まると、ミリアが早速フィッシュフライにかぶりつく。
目を見開いて、ほおばった。
﹁お、お、お、おいしい、です﹂
気に入ってもらえたようだ。
俺も食べてみる。
普通に旨い。
タルタルソースの酸味が効いて、いい感じだ。
﹁美味しいです。こんな料理は食べたことがありません﹂
﹁私もありません﹂
﹁魚を調理するには優れたやり方だ﹂
﹁さすがはご主人様です﹂
ロクサーヌやセリーも満足してくれたらしい。
ミリアは、すぐに二切れを平らげ、しょんぼりした。
結構でかかったのだが。
﹁俺の分も一つ食べるか?﹂
﹁ありがとうございます、です﹂
1341
一つ分けてやるとかっさらっていく。
ミリアは当然のようにロクサーヌとセリーからも一切れずつ強奪
した。
魚を分けてくれるよい仲間に昇格したことだろう。
この世界にフライ料理はないようだが、問題なく作れる。
調子に乗って、翌朝にはトンカツを作ってしまった。
朝からがっつりと肉食だが、朝夕二食のこの世界では問題ない。
久しぶりに食べたトンカツは旨かった。
使ったのはターレの十三階層へ行ってゲットした豚バラ肉だが、
旨かった。
ソースもなかったが、旨かった。
ちょっと日本のことを思い出してしまった。
﹁おかしいですね﹂
ロクサーヌがそんなことを言い出したのは、さらにその翌朝のこ
とだ。
﹁何がおかしい﹂
﹁この先に人がいます。こんな時間なのに、です。昨日も、一昨日
も、ずっと同じ場所にいました﹂
確かに迷宮の中で同じ場所にいるのはおかしい。
定点で狩をすることがあるのだろうか。
﹁人のにおいがする魔物とか﹂
﹁聞いたことがありません。なるべく人のいるところを避けている
1342
ので、このままずっといられると、先に進めません﹂
俺が魔法を使っていることもあり、ロクサーヌにはなるべく人の
いない場所へ案内するように頼んでいる。
もしボス部屋に続く通路にいつまでも人がいたら、ボス部屋には
行けなくなってしまう。
それはまずい。
十二階層に入るようになってから何日か経った。
魔法四発でさくさく狩れるので、探索は結構進んでいるはずだ。
あと見ていないのは常に人がいる場所の向こう側か。
﹁そういえば、聞いたことがあります﹂
﹁何をだ、セリー﹂
﹁それほど人の来ない迷宮では、十二階層で盗賊が待ち伏せをする
ことがあるそうです。すみません。小さいころに聞いたことなので、
忘れていました﹂
盗賊か。
本当なんだろうか。
﹁何故人が来ない迷宮なんだ﹂
﹁クーラタルのように人の多い迷宮ではすぐに見つかってしまいま
す。まったく人の来ない迷宮では仕事になりません。あまり人が多
くなく、たまに来るくらいの迷宮が一番いいのです﹂
ハルツ公領内には今現在三つ迷宮がある。
元々、それで手が足りないからと俺も頼まれたのだ。
騎士団員やこの近くに住む探索者も三手に分かれるだろう。
一つの迷宮あたり入る人は少なくなっているはずだ。
1343
﹁十二階層なのはなんでだ﹂
﹁十二階層からは魔物も強くなります。ですから、十二階層に来る
人は装備も整えてきます﹂
﹁それを頂戴しようということか﹂
﹁そうです。十二階層に入るくらいではまだまだ中級者ですから、
盗賊の方も強いメンバーをそろえれば十分に圧倒することができま
す。それにあまりよい装備品を盗賊が持っていても買い叩かれるだ
けでしょう。中級くらいの装備品がもっともよいのです﹂
十二階層がちょうど狙いごろということか。
セリーの発言は、筋は通っているように思える。
この迷宮の十二階層にも盗賊のいる可能性があるのか。
﹁そうすると、どうすべきだろうか。いなくなるまで待つか﹂
﹁こんな時間にいるとなると、一日中いると考えた方がいいかもし
れません。多分、早朝なので人が少なくなっていると思います。突
破するなら今がチャンスです﹂
ロクサーヌさんが勇ましいことをおっしゃる。
ハルバーの迷宮はクーラタルよりも北にある。
この時間ではもう日が昇っているかもしれない、ということは黙
っておこう。
この大地が球になっていることを説明しないといけなくなりそう
だから。
﹁騎士団に報告するという手も﹂
ゴスラーに泣きつくという手もある。
証拠もなく、単に人がいるというだけで動いてくれるかどうかは
1344
疑問だが。
迷宮の入り口で待ち伏せ、盗賊が出入りするところを確認するか。
いや。鑑定で俺が盗賊と確認しても証拠にはならないか。
盗賊を一人だけ倒して、そいつの懸賞金を受け取りつつ、他にも
まだいそうだから探してくれと持ちかけるとか。
結構大変そうだ。
それに、結局一人は倒さないとだめなのか。
懸賞金をもらうときにはインテリジェンスカードのチェックが入
る。
ゴスラーや騎士団員には俺は冒険者だということになっている。
探索者と表示されるインテリジェンスカードを見せるわけにはい
かない。
ゴスラーに泣きつくのは無理か。
けにん
﹁ハルツ公爵家の家人でなければ、動いてはもらえないと思います﹂
騎士団に泣きつく作戦はセリーも否定した。
﹁そうなのか?﹂
﹁家人は保護の対象ですから﹂
﹁ご主人様は自由民ですよね﹂
ロクサーヌが確認してくる。
﹁そうだ﹂
﹁では難しいですね﹂
﹁自由民であれば、自力救済が基本です。自由民には自力救済をす
る権利があります。保護を求めることは庇護した者の家父長権の下
1345
に置かれることを意味します。それはあまり得策ではないでしょう﹂
セリーが説明した。
よく分からないが大変らしい。
ともかくも、この世界では簡単に警察を頼るわけにいかないとい
うことは分かった。
自力救済か。
要は、自分でなんとかしろということだろう。
それは権利じゃなくて義務じゃないのか?
保護を求めることは簡単だ。
しかし、保護する方だってタダで守ってやるいわれはない。
当然見返りを要求する。
守ってやる代わりに俺のいうことを聞け、というわけだ。
自由民ならば自分で自分を守ればいい。
それなら誰かのいうことを聞く必要はない。
となると、自力救済はやっぱり権利なのか。
﹁そうなるのか﹂
﹁自力で突破するのが当然です﹂
セリーまでもが勇ましいことをおっしゃる。
この世界ではそう考えるのが合理的ということか。
﹁××××××××××﹂
﹁大丈夫﹂
ロクサーヌが状況を説明したのか、ミリアもうなずいた。
1346
何が大丈夫なのかは分からない。
﹁大丈夫です。そんなにたくさんはいないようです。盗賊ごときに
遅れを取ることはありません﹂
﹁私もそう思います。盗賊が待ち伏せしているのなら十二階層で戦
うパーティーを念頭においているでしょう。普通のパーティーは魔
物を倒すのにもっと時間がかかります。私たちは他の十二階層で戦
っているパーティーに比べてかなり強いはずです。私やミリアが足
を引っ張るかもしれませんが、連携すれば大丈夫でしょう。盗賊が
いても簡単に負けることはありません﹂
ロクサーヌはともかくセリーに言われるともっともだという気が
してくる。
ここは自分たちの力で強引に切り抜けるべきなのか。
少なくとも、この世界ではそれが普通の考えのようだ。
盗賊は、この世界に来た最初の村でも倒したし、ロクサーヌを得
る資金を作るときにも利用した。
いまさらどうこうということはない。
ロクサーヌやセリーはともかくミリアをあまり危険な目に遭わせ
たくはないが。
ロクサーヌが一対一で敵に遅れを取るところはちょっと想像でき
ない。
セリーもだいぶレベルが上がっているので、低レベルの盗賊が相
手なら十分に戦えるだろう。
問題はまだパーティーに入って間もないミリアか。
もっとも、まだ盗賊だと決まったわけではない。
たまたま人がいるだけかもしれない。
1347
一度確認するくらいはしておかなければならないだろう。
俺には鑑定がある。
その者が盗賊かどうかはすぐに分かる。
ロクサーヌの鼻とミリアの目と俺の鑑定があれば、不意打ちを受
けることはないはずだ。
レベルの高い盗賊が何人もいてかないそうにないなら、逃げれば
いい。
﹁ミリアもそれでいいか﹂
﹁××××××××××﹂
﹁大丈夫﹂
ロクサーヌが訳すとうなずいた。
大丈夫というのは盗賊と戦っても大丈夫ということか。
三人とも勇ましいこって。
﹁では、一度行ってみるか。俺が剣を持つ右手を上げたら攻撃の合
図、左手を上げたら全員退却の合図だ﹂
いざというときの撤退のサインを決めておく。
デュランダルも出して、準備を整えた。
メテオクラッシュが使えれば楽なのに。
全体攻撃魔法は人相手には有効にならないのが残念だ。
ひとかたまりにならないように注意しながら、洞窟を進む。
その方が不意打ちを喰らいにくいはずだ。
﹁すみません。多分この先に隠し扉があって、その向こう側にいる
のだと思います。扉があるとは思いませんでした。扉があれば、に
1348
おいはあまり出てこなくなります。思ったより多くいるかもしれま
せん﹂
案内の途中でロクサーヌが謝ってきた。
今いるところは奥の突き当たりまで人がいない。
人がいるのはその向こう側のようだ。
遠くから姿を見てジョブとレベルを鑑定するという手は使えない
のか。
しかしまったく何も見ずゴスラーに泣きつくというのも難しい。
せめて盗賊であることを確認しなければならない。
隠し扉から離れたところにいてくれればいいが。
﹁全員、俺の後ろに回れ。ロクサーヌは最後尾を頼む﹂
デュランダルを抜き身で持ち、先頭に立った。
迷宮の中では、武器を持つことは何も不自然ではない。
洞窟の突き当りまで進む。
ガラガラと音を立て、扉がスライドした。
扉が下に落ち、小部屋が現れる。
中に、盗賊が六人いた。
1349
討伐
迷宮の小部屋に、盗賊が六人いた。
全員レベルはそれほど高くない。
十台が四人、二十台が二人。
この程度で十二階層に来るパーティーを襲えるのだろうか。
とてもそうは思えない。
パーティーは最大で六人だから、相手が六人いれば六対六になる。
一対一で戦うのはぎりぎりというところだろう。
油断させておいて不意をつくとしても、全員を瞬殺できるはずも
ない。
必死に反撃されれば、一人二人の被害はどうしたって出る。
それでは長期にわたって略奪を繰り返すことはできないだろう。
よほど追いつめられていれば、あるいはそういう暴挙に出ること
があるかもしれないが。
迷宮で待ち伏せして襲撃するような冷徹な盗賊団にはふさわしく
ない。
多分、この六人だけで強盗を働くことはないと判断していいはず
だ。
他に部隊を分けているのか、先行して様子を見ている段階なのか。
早朝なので本当に準備ができていないのかもしれない。
いきなり襲ってくる可能性は、あまりなくなった。
1350
﹁××××××××××﹂
﹁?﹂
盗賊が何か話しかけてきたが、ブラヒム語ではないので分からな
い。
首をかしげると、今度は盗賊Lv28の男が近づいてきた。
﹁おはようございます。ボスのいる部屋はあっちです。俺たちはま
だ少し休んでから行きますんで﹂
腕を横にして左側を差す。
六人の盗賊の中では一番レベルの高い男だ。
この男はブラヒム語が話せるらしい。
警戒しながらも、小部屋の中に入った。
盗賊がばらばらに別れる。
あ。しまった。
あらかじめ訓練してあったかのような動きだ。
盗賊たちがさっと動いて、部屋の中に広がった。
別に囲まれたわけではない。
遠巻きに警戒されているだけだ。
こちらも向こうを警戒しているのだから、警戒するなとはいえな
い。
ただ、盗賊を一気に倒すことは難しくなった。
今から引き返すのも不自然な動きになるだろう。
ここでことを起こせばどうなるか。
1351
レベルも低いし、多分二人はすぐに屠れる。
三人めは分からない。
回り込まれてしまったので四人以上は無理だ。
この部屋で戦えば、ロクサーヌとセリーとミリアも一対一で盗賊
の相手をすることになるだろう。
絶対に勝てないでもないが、絶対に勝てるともいいきれない。
なるべく危険は避けた方がいい。
おとなしく盗賊のいうことを聞いておくか。
﹁ありがとう﹂
盗賊に従って左側に進む。
盗賊たちは他の通路をふさぐように遠巻きに立っていた。
こちらを攻撃する様子は見せない。
なるほど。
盗賊の作戦が分かった。
俺たちが入ってきた扉以外の三つの方角のうち、どれか一つは盗
賊のいうとおりボス部屋に通じているのだろう。
そうでなければここで網を張る意味がない。
そして、三つのうちどれか一つには他の盗賊が待ちかまえている
はずだ。
うまいこと考えている。
この部屋に盗賊が六人いても、鑑定がなければ、普通のパーティ
ーが休んでいるとしか考えない。
強そうなやつらが来て勝てそうになければ、親切ぶってボス部屋
に通してやればいい。
1352
弱そうなやつなら、罠にご案内だ。
俺たちは、強そうだと判断されたか、カモだと思われたか。
セリーやミリアにはこれみよがしにミサンガを巻かせるべきだっ
たか。
盗賊との距離を保ちつつ俺が通ると、盗賊は後ろの方に目をやっ
た。
下卑た笑みを浮かべている。
女が目当てかよ。
この場で成敗してやりたいが、ここでは動かない方がいい。
せめてカモだと思われんことを。
扉が開き、左側の洞窟に抜けた。
誰もいない。
洞窟が先に続いている。
﹁⋮⋮滅びればいいのです﹂
盗賊はロクサーヌやミリアの胸を見ていたのか。
セリーよ、同感だ。
﹁曲がった先に三、四人います﹂
最後尾のロクサーヌが小走りで追いついてきて、横に並び、小声
で告げた。
セリーよ、喜べ。
滅ぼすことになった。
1353
前と後ろから挟み撃ちか。
盗賊にしては悪くない作戦だ。
俺たちはカモだと判断されたらしい。
ロクサーヌの胸に目がくらんだだけかもしれない。
効果抜群の撒き餌だ。
﹁あいつらは盗賊だ。一戦は必至だろう。襲ってきたら、ロクサー
ヌが前、セリーは後ろを頼む。ミリアはロクサーヌの後ろから援護
しろ。盗賊は俺が倒すから、守備に重点を置いて戦え。俺は自由に
動く。俺の動きにはつられるな﹂
まだアイテムボックスに入っていた銅の槍を取り出し、ミリアの
木の盾と交換する。
盗賊相手には間合いの取れる槍がいいだろう。
念のために取っておいたのが役立つ。
曲がり角まで進んだ。
ロクサーヌを見ると、小さく首を振る。
盗賊はまだ先にいるらしい。
角を曲がった。
洞窟の先の方に四人いる。
兇賊Lv24、海賊Lv67、盗賊Lv48、探索者Lv42。
全員レベル高い。
特に海賊の男は圧巻だ。
兇賊というのも初めて見た。
こっちが主力部隊か。
1354
後ろから追いつかれても癪なので、早足で進む。
四人は、立ちふさがるように洞窟に広がった。
前に三人、兇賊Lv24は後ろに控えている。
こっちの兇賊の方が頭目なんだろうか。
﹁ボスがいると思ったか﹂
﹁残念だったな、盗賊だよ﹂
﹁××××××××××﹂
前にいる男たちが口々にはやし立てた。
一人はブラヒム語じゃないから、何を言っているのか分からない。
ロクサーヌを見てにやけているから、どうせろくでもないことだ
ろう。
探索者の男も、脅されているとか嫌々仲間に加えられたとかでは
ない。
完全に染まりきっている。
言動も思考も残念な盗賊のようだ。
鑑定がなければ、普通は盗賊かどうかは分からない。
不意打ちに徹すれば、多少は有利になれそうなものを。
曲がり角の後ろから、さっきの六人も追いついてきた。
当然挟み撃ちか。
盗賊は十人で俺たちを前後から囲む。
﹁持っているものと女を置いていくなら、命だけは助けてやっても
いいぜ﹂
なるほど。
1355
不意打ちじゃなくて交渉の余地があると思わせるのか。
無駄に戦闘するよりも被害は少ないのかもしれない。
前後を挟まれてしまえば、抵抗を諦めるパーティーもあるだろう。
もっとも、盗賊が誰かを生かして帰す可能性はゼロだ。
普通に考えれば分かる。
せっかくこの場所を見つけたのに、誰かを逃せば使えなくなって
しまう。
いきなり盗賊に囲まれたら、そんな判断もできなくなるのだろう
が。
﹁おら。さっさと全員武器を捨てな﹂
﹁命あってのもの種だぜ﹂
相手は十人。
前の四人はかなりレベルが高い。
一つのパーティーが相手なら、これだけいれば楽勝ではあるのだ
ろう。
普通ならば。
﹁入り組み惑う迷宮の、勇士導く糸玉の﹂
盗賊たちを無視して、呪文を唱えた。
﹁この洞窟には遮蔽セメントを塗ってある。逃げられないぜ﹂
探索者の男が馬鹿にしたように吐き捨てる。
やっぱりそのくらいのことは当然考えているようだ。
パーティーに探索者がいれば、せっかく挟み撃ちにしてもダンジ
ョンウォークで逃げられてしまう。
1356
遮蔽セメントが塗ってあればフィールドウォークは使えない。
ダンジョンウォークも遮蔽セメントで使えなくなるのだろう。
それなら、遮蔽セメントを塗っておけばパーティーメンバーに探
索者がいても逃げられなくなる。
﹁ダンジョンウォーク﹂
忠告を無視して、スキル名称を口にした。
ダンジョンウォークと口に出し、頭ではワープと念じる。
黒い壁が現れた。
ワープなら遮蔽セメントがあっても使える。
俺は壁の中に突入した。
﹁馬鹿な。ダンジョンウォークが使えただと﹂
﹁××××××××××﹂
﹁いや。逃げたのは一人だ。女をほっといて逃げるとは、馬鹿なや
つだ﹂
﹁馬鹿はどっちですか﹂
ロクサーヌの声を聞きながら、デュランダルを突き入れる。
一人だけ後ろにいた、兇賊Lv24の首に突き刺した。
ワープでこの男のすぐ後ろに移動したのだ。
出る場所を想定して兇賊の首の辺りに剣を突き込む。
ほぼ狙いどおりの場所をデュランダルが穿った。
背後からの一撃を喰らって、兇賊Lv24が倒れる。
倒れた音で、他の盗賊たちも事態に気づいた。
1357
﹁馬鹿な。どうなってやがる﹂
﹁とにかく、全員でやっちまえ﹂
全員でこられると厄介だ。
セリーと後ろの盗賊六人との間に、ファイヤーウォールを出現さ
せる。
﹁もう一人いやがった。どこかに魔法使いが隠れてるぞ﹂
﹁××××××××××﹂
盗賊たちがあわてた。
ファイヤーウォールでは洞窟をふさぐことはできないが、けん制
にはなる。
槍を持って待ちかまえているセリーのところに正面からは突っ込
みにくいだろう。
レベルの高い主力三人は俺の方に向かってきた。
いい判断だ。
俺が移動したことで、今この三人は俺たちに挟まれた状態になっ
ている。
俺一人を排除すれば、優位を取り戻せる。
俺としても好都合だ。
俺の方に来てくれれば、ミリアたちの危険が減る。
後はどうやってこの三人を倒すか。
全体攻撃魔法は人には使えない。
単体攻撃魔法は人に使える。
ファイヤーウォールを出しているので燃えている間は他の魔法が
使えない。
1358
それでも、ボーナス呪文は使えるようだ。
ジョブの魔法使いが出す魔法とボーナス呪文は別カウントになっ
ているのだろう。
一度は距離を取るために下がったが、ボーナス呪文が使えること
を確信して前に進む。
できれば使いたくないが、贅沢はいっていられない。
盗賊が近づいたとき、真ん中の男に向かってMP全解放と念じた。
選択しておいたボーナス呪文の単体攻撃魔法だ。
海賊Lv67が爆ぜる。
三人いた盗賊たちの真ん中の男が、突如として吹き飛んだ。
鎧などの装備品を残し、文字通りに爆発する。
﹁は?﹂
両隣にいた男の動きが一瞬止まった。
隣にいた海賊が突然爆発したのだ。
動きが止まるのはしょうがないだろう。
俺も、なんてことをしてしまったのだと湧き上がる感情を必死に
押し殺す。
このチャンスをふいにすることはできない。
何もしたくないと嘆く心に鞭打って、デュランダルを振るった。
完全に動きの止まった盗賊Lv48の首を、難なくはね飛ばす。
MPが回復するのが分かった。
人間からでもMPを吸収するらしい。
このまま逃げ出したい気持ちに駆られるが、踏みとどまる。
1359
もう一人海賊の隣にいた探索者もまだ動きが止まっていた。
海賊の体の一部だったしぶきが探索者にも張りついている。
思考が再起動するには多少の時間を要するのだろう。
MPが回復したのを幸い、嫌がる感情を抑圧して腕を動かす。
返す刀で探索者の首も飛ばした。
MPがさらに回復する。
それなりでしかないが、贅沢はいっていられない。
すぐにもう一度ワープを行った。
六人の盗賊の背後に出る。
﹁こっちだ。逃げられないぜ﹂
盗賊たちに後ろから声をかけた。
アイテムボックスを開き、強壮剤と強壮丸を取り出す。
所持していたのを全部取り出し、口に放り込んだ。
さすがに回復なしでは長期戦はやっていられない。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
六人が何かを言い合い、俺の方に向かって一斉に走ってくる。
ファイヤーウォールは消えたが、向こうにはロクサーヌたち三人
がいる。
こっちは俺一人。
向こうに出口はないのだろうし、当然こっちにくるだろう。
ただし、いい判断だとはいえない。
1360
忘れていることがある。
さっきまで、六人の盗賊とセリーとの間にはファイヤーウォール
があった。
向かってくる六人の前に再び無詠唱でファイヤーウォールを張る。
先頭の盗賊は、たいした被害は受けなかったようだが、後ろの火
に気を取られている隙に俺に首をはねられた。
二人めと三人めの盗賊は、火の壁にもろに突っ込んだ。
斬り捨てたがほとんどMPは回復しなかったので、即死だったの
かもしれない。
四人めの盗賊は、火に半分入った後、あわてて横に逃げ出したが、
そこで俺に斬られた。
五人めの盗賊は、少しだけ足を踏み入れた後、後方に退避できた
ようだ。
しりもちをついて足を伸ばしている。
無事ですんだのは一人だけか。
しりもちをついている盗賊に注意しながら、歩を進めた。
無事だった一人がそれにあわせてじりじりと下がる。
盗賊の後ろからロクサーヌたちが追いついた。
﹁少し下がれ﹂
ロクサーヌたち三人を下げさせる。
距離が開いて、無事だった一人がまた後ろに下がった。
俺が前に進む。
盗賊が後ろに下がる。
射程圏に進み、大きく一歩踏み出してしりもちをついている盗賊
1361
の首を払った。
それを見て、無事だった盗賊が俺に斬りかかってくる。
盗賊としては、最善の判断だっただろう。
俺の剣がデュランダルでなければ。
普通の剣であれば、人の首をそうやすやすとはね飛ばすことはで
きないはずだ。
切り落とそうとしている隙に、俺を突き殺せたかもしれない。
しかし、俺が使っている剣はデュランダルである。
しりもちをついている男に放った一振りは、その首を簡単にはね
飛ばすと、俺を襲ってくる盗賊の横腹にヒットした。
途端に勢いのなくなった盗賊の振り下ろしを、俺は余裕で避ける。
めいっぱい力を籠めて、一度デュランダルを盗賊の腹に押し込ん
だ。
それからゆっくりと引き抜く。
盗賊が崩れ落ちた。
﹁ご主人様﹂
ロクサーヌたちが駆け寄ってくる。
﹁全員無事か﹂
﹁はい﹂
﹁ロクサーヌとミリアは他に逃げた者がいないか確認を頼む。セリ
ーは、インテリジェンスカードの回収を手伝ってくれ。手首を包む
から、盗賊の服を切り取れ﹂
まだ終わったとは限らない。
1362
すぐさま三人に指示を出した。
確認できた盗賊は全部倒したはずだが。
無詠唱での魔法に加えて、ワープとMP全解放も使っている。
見た者がいたら、全員始末した方がいい。
ロクサーヌとミリアが盗賊六人のいた小部屋に走って向かった。
﹁すばらしい戦いぶりでした﹂
﹁ありがとう﹂
﹁早く手首を集めた方がいいでしょう﹂
セリーが淡々と作業を開始する。
俺も盗賊の手首を切り離した。
セリーのはぎ取った盗賊の服の上に積み上げる。
手首を取るのはぎりぎり間に合ったようだ。
最後に兇賊の手首を切り取ったとき、兇賊が吸い込まれるように
消えた。
装備品を残して、その体が迷宮に引き込まれる。
一瞬で兇賊の体が迷宮の床に沈んだ。
他の盗賊の体も次々に消えていく。
迷宮が人を消化するのはこういう風にやるのか。
﹁逃げた者はいないと思います﹂
ロクサーヌとミリアが帰ってきた。
﹁そうか﹂
﹁それにしてもすごい戦いでした。さすがはご主人様です﹂
1363
﹁ありがとう。ロクサーヌたちも無事でよかった。三人とも怪我は
ないな﹂
﹁はい﹂
三人とも怪我もなかったようだ。
一番心配だったのは三人に被害が及ぶことだ。
最高の結果といえるだろう。
﹁ファイヤーウォールを張っていただいたおかげで、盗賊はこちら
に手出しできませんでした。ありがとうございます﹂
﹁××××××××××﹂
﹁ミリアもすごかったと言っています﹂
盗賊をなで斬りにしたが、三人に嫌われることもないようだ。
元々けしかけたのはこの三人だしな。
手首を数えると、ちゃんと八個集まっている。
探索者の手首は賞金にはならないだろうから取っていない。
MP全解放で爆発した海賊の手首も回収できなかった。
手首も残らないほどに四散したらしい。
1364
回収
大きく息を吐いて、残された盗賊の装備品を集める。
中身は全員消化されてしまった。
脱がせる必要がないのは楽だ。
﹁大変な目に遭わせてしまったな﹂
﹁いえ。それに、ご主人様が全部倒してくださいましたから﹂
装備品を拾いながら、ロクサーヌたちの表情もうかがう。
盗賊を倒したが大丈夫そうか。
﹁このくらいのことはいつでも起こりえます。助かりました﹂
確かに、セリーの言うことがもっともではあるような気がする。
三人は盗賊が人を襲うこの世界で成長したのだ。
盗賊を返り討ちにするくらいは想定の範囲内なんだろう。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁ミリアはかなり驚いているようですが、ご主人様ならこれくらい
は造作もないことなので内密にするように言っておきました﹂
違う方向で想定の範囲内じゃなかった人もいるみたいだが。
なんかまずいような気もするが、介入するのも大変なのでほって
おく。
1365
教育係を間違えた。
ノーコメントのまま、装備品の収集に専念する。
盗賊の装備品は、革の装備と硬革の装備が混じっていた。
硬革の帽子、硬革のグローブ、硬革の靴。
このあたりは全員アップグレードできそうだ。
いくつかだが空きのスキルスロットつきのものもある。
適当に確認しながら、アイテムボックスに投げ込んでいく。
硬革の鎧⋮⋮は、利用できるのは俺だけか。
持って見回しただけでセリーににらまれた。
胸の形がはっきり出るので、女性が着けるものではないらしい。
アイテムボックスの容量が足りなくなったので、セリーにも持た
せる。
そろそろ錬金術師をはずして料理人をつけるべきか。
ミリアも成長してきているし、メッキなしでもいけるだろう。
﹁決意の指輪なんてのもあるぞ﹂
盗賊の装備品の中に決意の指輪があった。
決意の指輪 アクセサリー
スキル 攻撃力上昇 対人強化
スキルつきの装備品だ。
兇賊の男が装備していた。
1366
﹁伝世の装備品でしょう﹂
セリーが教えてくれる。
伝世品か。
確かにいい装備品のようだ。
武器は、鋼鉄の剣が二本と、後は鉄の剣。
空きのスキルスロットもないし、たいしたものはない。
鋼鉄の剣は何かのときのために一本取っておいてもいいか。
それから、レイピアが一本と鋼鉄の盾が一つ。
海賊が片手剣装備だった。
﹁レイピアか﹂
﹁はい。刺突剣ですね。より上位の片手剣は切るよりも突き刺すこ
とで魔物を攻撃します。戦闘スタイルも若干変わってきます﹂
﹁ロクサーヌは大丈夫?﹂
﹁おまかせください。それに、レイピアには刃もありますから、今
までどおり切っても使えます﹂
レイピアだとフェンシングみたいな攻撃方法になるのだろうか。
今までどおりのやり方でも使えるのなら大丈夫だろう。
﹁じゃあレイピアはロクサーヌに。シミターと鉄の盾はミリアに回
せ﹂
レイピアと鋼鉄の盾をロクサーヌに渡す。
ロクサーヌがミリアに何か伝え、シミターと鉄の盾を渡した。
ミリアからはセリーがダガーと木の盾を受け取って、アイテムボ
ックスに入れる。
1367
魔結晶も十個あった。
盗賊たちは一人一個ちゃんと持っていたようだ。
ギルドで魔結晶を売るとき、インテリジェンスカードはチェック
されなかった。
盗賊でも換金はできるのだろう。
一個だけ黄色くなっている魔結晶がある。
黄魔結晶は最終一個手前の貴重な魔結晶だ。
魔物十万匹以上を倒していることになる。
ひょっとしたら懸賞金よりも高いかもしれない。
﹁えっと。まだ早いですが、一度家に帰って、体を拭いた方がいい
です。服もすぐに洗います。装備品も手入れした方がいいですね﹂
すべてを拾い集めると、ロクサーヌが申し出た。
俺の服には返り血がついている。
顔などもひどいことになっているのかもしれない。
一度帰った方がいいか。
それに手首の入った風呂敷を持ったまま戦うこともできない。
強壮丸を食べつくし、盗賊からもMPを吸収したので、MPは十
分ある。
家に帰った。
東の空が明るくなっており、もうすぐ日の出という頃合だ。
すぐに服を脱ぎ、風呂場で体を拭く。
服は隣でロクサーヌが洗った。
﹁ロクサーヌ、今日は悪かったな﹂
1368
結果的には倒せたが、盗賊と戦うことになったのは油断だ。
うまく誘導され、盗賊の張った罠に誘い込まれてしまった。
もし強い盗賊が相手だったら、どうなっていたか分からない。
もっと慎重に動いてもよかった。
この世界に来たばかりのころの俺なら、そうしていただろう。
一度撤退し、迷宮の出入り口を見張るくらいのことをしてもよか
った。
何故そうしなかったのか。
それをしなかったのは、慣れだ。
いつの間にか戦うことに慣れてしまっていた。
このくらいは戦えるだろう、このくらいなら倒せるだろう、と甘
く考えていた。
結果的には倒せたのだし、想定が間違っていたわけではない。
この世界で生きていく以上、戦闘に慣れることが悪いことだとも
いえない。
しかし、慣れは恐ろしい。
戦うことについて、彼我の戦力差について、もっと慎重に判断し
てもよかった。
そうしなければ、いつか足元をすくわれかねない。
勝って兜の緒を締めよ。
今日のことはいい教訓だろう。
﹁何をおっしゃいますか。すばらしい戦いでした。盗賊を倒すのは
当たり前のことです﹂
1369
たとえ戦うことがこっちの世界の常識だとしても。
風呂場を出て、服を着替えた。
アイテムボックスを整理する。 三人に手入れしてもらいながら装備品をまとめ、アイテムボック
スに空きを作った。
まだもう少し料理人なしでいけるだろう。
盗賊の残した魔結晶も一つにまとめる。
魔結晶は魔物百万匹分で白くなり、それが最高らしい。
俺が自分で持っている魔結晶は、すでに魔物一万匹分以上の魔力
を吸収して緑魔結晶になっていた。
盗賊が残した黄魔結晶に九十万匹分以上の魔力があり、俺の緑魔
結晶に十万匹分に近い魔力があれば、無駄が出る可能性がある。
俺の緑魔結晶は残し、盗賊の魔結晶だけを一つにする。
黄魔結晶は、白くはならなかった。
緑魔結晶は取っておいて、今後は黄魔結晶を持って戦うことにし
よう。
使うものは俺のアイテムボックス、すぐに売るものはセリーのア
イテムボックスに入れ、当面必要ではないものを物置部屋に運ぶ。
銅の槍も物置に立てかけた。
誰もいない物置部屋でキャラクター再設定と念じる。
ボーナス装備にポイントを振り、アクセサリー二を取得した。
俺がこの世界に来た一番最初に持っていた装備品だ。
キャラクター再設定を終了させると、左手の人差し指に指輪が現
れた。
1370
決意の指輪 アクセサリー
スキル 攻撃力上昇 対人強化
やはりそうだ。
記憶にあるとおり、決意の指輪だった。
兇賊が残した装備品を鑑定したときから気になっていた。
兇賊が残した装備品もボーナス装備で出てくる装備品もどうやら
同じものだ。
同じ名前、同じ決意の指輪で、スキルも二つ、同じものがついて
いる。
俺以外にもキャラクター再設定を使える人がいたのだろうか。
俺が出した決意の指輪は真新しい。
残された決意の指輪は、くすんで、細かい傷もついている。
見ただけで、違う品であることは分かる。
一度決意の指輪を消し、兇賊が残した決意の指輪をはめて、再度
キャラクター再設定を行った。
残念ながらアクセサリー二を取得していることにはならなかった。
これができたら、ボーナスポイントを3ポイントもらえたのに。
まあ当然無理か。
今度は違う実験をしてみる。
アクセサリー二を取得した後、兇賊が残した決意の指輪につけか
えて、キャラクター再設定と念じた。
はずせるらしい。
1371
思い切ってはずしてみた。
決意の指輪が消える。
ボーナスポイントに異常はない。
アクセサリー二を再度取得すると、ちゃんと二個めの決意の指輪
が出てきた。
ただし、新品だ。
出てきたのは、くすんで細かい傷のある決意の指輪ではなかった。
キャラクター再設定で出現させると装備品は新品になるようだ。
くすんで細かい傷のついた決意の指輪は消えてしまった。
アクセサリー二をはずし、新品の決意の指輪を持って部屋に戻る。
﹁こういう指輪を出せる人を知っているか﹂
セリーに訊いてみた。
﹁それは先ほどの決意の指輪ですか﹂
﹁そうだ﹂
﹁固定ですね﹂
﹁固定?﹂
いるらしい。
﹁えっと。そういえば、ギルドには属しておられないですね﹂
﹁そうだが﹂
﹁ギルド神殿では固定という祝福を受けることができます。祝福を
受けると、もうその人は他のジョブに転職することができません。
その代わりに強くなるとされています。ギルド守護神からの祝福だ
1372
と説明されています﹂
固定というものがあるようだ。
守護神がいるからギルドに神殿があるわけか。
﹁ギルドに守護神がいるのか﹂
﹁実際に会った人はいません。本当にいるかどうかは⋮⋮﹂
セリーはどこまでも合理的らしい。
﹁固定というのは、ジョブを固定するということか?﹂
﹁そうです。固定するとき、人によっては装備品が現れることがあ
ります。ギルド守護神からの贈り物とされています﹂
﹁それがこの指輪?﹂
﹁そこまでは分かりません。ただ、その指輪を出した人がいるのな
ら、それは固定だと思います﹂
俺がデュランダルを出すことをセリーがどう思っているのかは知
らない。
多分アイテムボックスから出していると思っているのだろう。
呪文なしでアイテムボックスを使うのと見た目それほど違わない
し。
俺以外にも指輪を出せる人がいるのか。
固定はキャラクター再設定やボーナスポイントと関係があるのか
もしれない。
関連はある。
装備品を出せること。
転職できなくなること。
1373
ボーナスポイントはレベルアップごとに増えるので、使ってしま
うとレベルの低いジョブへは転職できなくなる。
もう一つあった。
固定によって強くなるらしい。
ボーナスポイントはステータスに振ることも可能だ。
﹁どんな装備品が出てくるか知っているか﹂
﹁人によっていろいろのようです。魔法使いで剣が出る人もいれば、
剣士で杖が出てくる人もいます。ただ、固定で現れる装備品は必ず
スキルつきです。極めて稀にはものすごくよいものが出てくること
もあるそうです﹂
その辺は少し違う。
俺が出せるボーナス武器は剣だけだ。
人によって違うのだろうか。
﹁どんな人にどんな装備が出やすいとか、あるか﹂
﹁基本的には長年そのジョブで活躍した人の方が祝福を受けやすい
とされています。強くなりやすく、いろいろな装備品も出やすいよ
うです。固定すると転職できなくなるので、引退を考えるようにな
ってから行われることがほとんどです。よい装備品が出たら、家宝
としてその人の子孫に伝えられます﹂
求めていた答えとちょっと違うが、まあしょうがない。
ランダムで決まるのか、なんらかの法則があるのか。
俺が出すボーナス装備の鎧なんかは男性用の装備品だ。
女性がボーナス装備を出せば違う装備品が出てきても不思議では
ない。
1374
固定で決意の指輪が出てきたのなら、ボーナス装備と関係がある
と考えていいだろう。
ボーナスポイントはレベルに依存するから、レベルを上げきって
からやった方が得だ。
長年そのジョブで活躍した人の方が祝福を受けやすいというのは、
固定とボーナスポイントに関係がある一つの状況証拠になる。
やはり固定とボーナスポイントは関係ありか。
セリーに話を聞いた後、インテリジェンスカードを確認した。
ちゃんと八枚飛び出している。
このインテリジェンスカードをどうするかも問題だな。
インテリジェンスカードは、クーラタルの騎士団に持っていって
もいいし、ベイルの騎士団に持っていってもいい。
そっちならすぐに懸賞金がもらえる。
俺が盗賊を倒したことを知っている人間が少なくてすむという点
では、ベイルの騎士団がいいか。
逆に目をつけられる危険性があるからやめた方がいいか。
地元のクーラタルの騎士団という手もある。
とはいえ、やはり第一候補はハルツ公の騎士団だ。
ゴスラーに渡せば、約束どおり公領内の迷宮に入っていることが
示せる。
公領内の迷宮に巣食う賊を退治したことはハルツ公に恩を売るこ
とにもなるだろう。
この世界で得たせっかくの伝手だ。
大切にしたい。
1375
あまり有用であることを示して利用されるばかりになっても困る
が。
その辺の匙加減は難しい。
賊を退治したくらいなら問題はないだろう。
問題は、インテリジェンスカードのチェックだ。
懸賞金をもらうときにインテリジェンスカードをチェックされれ
ば、俺が冒険者ではないということが分かってしまう。
顔見知りだからチェックはパスさせてくれる、などとは期待しな
い方がいい。
ハルツ公の騎士団にカードを持ち込むなら、俺が冒険者になって
からか。
俺が冒険者のジョブを獲得するまでは賞金をもらいに行けない。
冒険者は探索者Lv50が最低条件だから、まだ時間がかかる。
﹁セリー、インテリジェンスカードから死亡した年月日が読み取れ
るかどうか、知っているか﹂
﹁そういう話は聞いたことがありません。ただ、インテリジェンス
カードには享年が表示されるかもしれません。ある程度絞り込むこ
とは可能でしょう﹂
享年から逆算するのか。
運悪く明日が誕生日の盗賊がいたら、今日よりも前に死んだこと
が分かってしまう。
もっとも、この世界で盗賊の誕生日なんかが正確に分かるのだろ
うか。
﹁盗賊の誕生日なんかは分からないよな﹂
﹁えっと。インテリジェンスカードの年齢が増えるのは季節ごとで
1376
すが﹂
そんな風になっているのか。
初めて知った。
数え年みたいな感じだろうか。
少なくとも、春の季節のうちは大丈夫ということだ。
冒険者になるのにそれ以上時間がかかるようならよそへ持ってい
けばいい。
しばらく盗賊のインテリジェンスカードは保管しておくことにし
よう。
1377
回復薬補充
インテリジェンスカードは当面持ったままにするということで、
盗賊たちの遺留品の処分が決定した。
後は手首か。
﹁手首はどこかに捨ててくればいいか﹂
﹁迷宮に捨てれば十分です。すぐに消化してくれるでしょう﹂
セリーが捨て場所も教えてくれる。
迷宮に捨てるのか。
消化するから迷宮でもいいのだろうが。
餌を与えることになってもいいのだろうか。
いや。餌を与えないと魔物がどんどん外に出てくるのか。
適度に餌を与えておいた方が凶暴にならずにすむのだろう。
﹁では、これを捨てた後、朝食の買出しに行こう。強壮丸も使った
から買っておかないとな﹂
﹁強壮丸の原料はクーラタルの迷宮十三階層のフライトラップが残
す遠志です。買うよりもクーラタルで狩をした方がいいと思います﹂
強壮丸の材料までセリーに教えられた。
滋養丸が十二階層だから、滋養丸と同じ値段の強壮丸の原料が近
い階層で採れてもおかしくはない。
﹁ちなみに、強壮剤の原料は?﹂
1378
﹁十三階層ボスのアニマルトラップが残します﹂
そういう風にできているのか。
狩で得られるなら買わなくてもいいか。
盗賊がいた小部屋はボス部屋に通じているだろう。
だからこそ、あの場所で待ち伏せをしていたのだ。
ハルバーの十二階層はほぼ走破したと考えていい。
それならクーラタルの十三階層に先に入っても問題はないか。
強壮丸や強壮剤を持たずに戦うことはどうか。
回復薬はいざというときの保険だ。
クーラタルの迷宮は地図を見て進めるから、すぐに走破できる。
少しの間なら、MP回復薬がなくてもリスクは小さいだろう。
MP回復薬だから、ボス戦で必要になることもない。
ボス戦ではどうせデュランダルを出すしな。
強壮丸がなくて困ることはないはずだ。
十三階層ボス戦まで入手できない強壮剤が問題だが、クーラタル
の十三階層でも順調に戦えるようなら、ボスまで一気に倒してしま
ってもいい。
買い物の前にハルバーの十二階層に盗賊の手首を捨て、朝食を取
った。
ハルバーの迷宮は、盗賊が待ち伏せしていたことなどまったくな
かったかのように静かだった。
細かくチェックすれば血のりの一つくらいは残っていたかもしれ
ないが。
薄暗いのでほとんど分からない。
1379
朝食の後、装備品を売却し地図を持ってクーラタルの十二階層に
入る。
﹁決意の指輪はセリーがつけろ﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁使わなきゃもったいないしな﹂
決意の指輪はセリーに装備させた。
俺とロクサーヌには身代わりのミサンガがある。
身代わりのミサンガはかなり有用な装備品だ。
今まで何度も魔物の攻撃を受けているが、発動はしていない。
相当大きなダメージを喰らうか危険な状態にならないと発動しな
いのだろう。
よほどの事態にならないと発動しないということは、逆にいえば
発動するときは本当にやばい状態だというわけで、万が一を考えれ
ばとてもはずせない。
﹁ありがとうございます。伝世品かと思いましたが、新品同様です
ね﹂
⋮⋮聞かなかったことにしよう。
﹁ロクサーヌ、人はどうだ﹂
﹁さすがに十二階層までくると昼間でもかなり少なくなっています。
これなら問題はないでしょう﹂
一階層や三階層のように人でごった返しているということはない
ようだ。
上の階層に行くにつれて、どうしたって入る人は少なくなる。
1380
クーラタルの迷宮も十二階層までくれば早朝でなくとも平気らし
い。
﹁では頼む﹂
ロクサーヌに頼んで人と会わないように進んでもらった。
魔法のこともあるが、ハルツ公領の迷宮以外で人に見られるのは
まずい。
なるべく人に会わない方がいいだろう。
﹁この先がボス部屋ですね。人がいるかどうかはちょっと分かりま
せん。少しにおいはしますが、もう突破した可能性があります﹂
﹁ありがとう。さすがはロクサーヌだな。ロクサーヌのおかげで誰
にも会わずにここまでこれた﹂
﹁いえ。こちらこそありがとうございます﹂
さすがのロクサーヌも待機部屋に現在人がいるかどうかまでは分
からないか。
扉もあるし、前のパーティーが終わればすぐに次のパーティーが
ボス部屋に入っていく。
現時点で人がいるかをにおいで判断するのは難しいだろう。
多少のリスクはしょうがない。
ハルツ公領の迷宮にもちゃんと入ってはいる。
公爵やゴスラーにばれても、むやみに責められることは多分ない。
クーラタルの迷宮も平行して攻略するようにしている、特定の素
材がほしかった、などいくらでも言い訳は利く。
﹁ミリア。人がいるかどうか見てきてくれないか。いなければ合図
を出せ。人がいたら、戻って来い﹂
1381
それでも、リスクを下げるためにミリアを先行させた。
ミリアはゴスラーに会っていない。
﹁はい﹂
ロクサーヌが訳すと、ミリアが大きくうなずいて進んでいく。
扉が開き、ミリアが待機部屋を覗き込んだ。
ミリアはすぐに俺たちの方を向いて手招きする。
中に人などいないようだ。
三人で駆け寄る。
ミリアはさも重大な任務を達成したかのように胸を張った。
﹁ありがとう。えらいぞ、ミリア﹂
﹁××××××××××﹂
﹁さすがです﹂
別にそこまでの任務でもないと思うが。
﹁はい、です﹂
ミリアが喜んでいるみたいだからいいか。
中に入る。
待機部屋に人はいなかった。
﹁サラセニアのボスはネペンテスです。基本的にはサラセニアを強
化した魔物です。ただし、十二階層からはボスの他にも魔物が出て
きます。そちらにも気をつけた方がいいです﹂
1382
セリーからブリーフィングを受ける。
今までのように正面をロクサーヌにまかせて後ろから殴っていれ
ばすむというわけにはいかないようだ。
いつまでもそんなに簡単ではないよな。
待機部屋に入るとボス部屋への扉がすぐに開いた。
四人で突入する。
煙が集まり、魔物が姿を現した。
一匹がネペンテス、もう一匹がサラセニアだ。
﹁ネペンテスの正面にロクサーヌ。セリーとミリアもボスの相手を
しろ。俺は雑魚から片づける﹂
三人に指示を出し、俺がサラセニアの相手をする。
サラセニアはラッシュを連発して黙らせた。
すぐにネペンテス戦に加わる。
ネペンテスは、サラセニアよりもでかいつぼを持ったウツボカズ
ラだ。
体も一回り大きい。
サラセニアと違って茶色くなっている頭のつぼが不気味だ。
いかにも光合成でなく他の生き物から養分をもらってます、とい
う感じが。
別に食虫植物が光合成をしないわけではないし、迷宮の中の魔物
だから緑のサラセニアだって光合成はしてなさそうだが。
︵食虫植物がほしいのはアミノ酸を作るための窒素化合物だったり
するので、デンプンは普通に光合成で作ったりする︶
葉っぱを振り回してくるので、後ろから殴るとはいえ注意が必要
1383
だ。
しまったな。
ミリアには槍を持たせた方がよかったかもしれない。
レベルも上がっているし、大丈夫か。
一匹だけとなったネペンテスを四人でたこ殴りにする。
こうなってしまえば今までと同じ勝利のパターンだ。
ネペンテスはあっさりと倒れた。
煙となって消えていく。
﹁××××××××××﹂
ドロップアイテムを見る前に、ミリアが何か叫んだ。
﹁魚貯金、えっと。魔結晶があるそうです﹂
﹁魔結晶か﹂
﹁戦う前にはなかったと言っています。今できたのでしょう﹂
ロクサーヌが訳し、ミリアが黒魔結晶を渡してきた。
すごいな。
できた瞬間に分かるのか。
﹁さすがミリアだな﹂
﹁光ったのですぐに分かったそうです﹂
いや。黒魔結晶は光らないから。
﹁魔結晶だ。言ってみろ。魔結晶﹂
﹁魔結晶、です﹂
1384
前のときは教えなかっただろうか。
魔結晶のブラヒム語を教え、黒魔結晶を受け取る。
セリーからドロップアイテムも受け取った。
半夏というらしい。
戦士をはずすついでに薬草採取士をつけ、生薬生成を試してみる。
手のひらの半夏が滋養剤三つに変わった。
やはり半夏も薬草らしい。
﹁やっぱり、おできになるのですね﹂
それを見てセリーが驚いている。
﹁だめなのか?﹂
﹁いえ。ネペンテスを倒せるほどの薬草採取士も最初のうちは半夏
を自分では処理できず、売却するという話を聞いたことがあったの
で﹂
いやいや。
十三階層で強壮剤が作れるとセリーが教えてくれなかったか。
十三階層で強壮剤が作れるなら、十二階層で滋養剤もできるだろ
う。
﹁そ、そうか﹂
﹁もちろん、作れるだろうとは思っていました﹂
﹁さすがご主人様です﹂
﹁さすが、です﹂
どうも微妙にほめられた感じがせん。
俺の薬草採取士は現在Lv4だ。
1385
この間滋養丸をいっぱい作ったとき、つけ替えるのが面倒でつけ
っぱなしにしたらすぐ上がってしまった。
ネペンテスを倒せるような薬草採取士がLv4ということはない
だろう。
Lv4以上の薬草採取士でも滋養剤が作れないのだとしたら、滋
養剤を作れるかどうかはレベルで決まっているのではない。
MP量に依存しているのではないだろうか。
俺のMP保有量は、魔法使いLv37に僧侶や英雄の分も上乗せ
されているだろうから、結構な量があるはずだ。
﹁ま、このくらいはな﹂
滋養剤と魔結晶をアイテムボックスに詰め、ボス部屋を後にした。
﹁クーラタル十三階層の魔物は、フライトラップです。基本的にサ
ラセニアとそう大きく変わらないようです。水属性魔法を使い、通
常攻撃では毒を受けることもあります。水魔法に耐性があり、弱点
は火魔法です﹂
例によってセリーから説明を受け、フライトラップと対峙する。
形も大きさもサラセニアと変わらない植物魔物だ。
ただし、一箇所だけ異なる。
頭がつぼではない。
ぱっくりと二つに割れて、何かを挟めるようになっていた。
サラセニアと同じく食虫植物か。
頭の動きに注意しながら、戦う。
火魔法五発で倒した。
1386
﹁頭では攻撃してこなかったか﹂
﹁そうですね。ですが、油断は禁物です﹂
﹁上位種になれば、頭で挟み込む特殊攻撃もしてくるようです﹂
セリーによれば、あの頭で挟み込んでくるのは上位種のようだ。
とはいえ、ロクサーヌのいうとおり油断は禁物だろう。
サラセニアも消化液を上からかけてきたしな。
ミリアから遠志を受け取った。
薬草採取士はつけたままなので、受け取ってすぐに生薬生成を使
う。
強壮丸が三つできた。
三つという点も滋養丸と一緒か。
﹁では、フライトラップとも戦えそうなので、数の多いところへ頼
む﹂
ロクサーヌに頼んで、本格的に狩を開始する。
フライトラップもサラセニアも弱点は火魔法。
魔法五発なら、ほとんど問題なく戦えた。
杖を強化する前はもっと戦闘時間が長かったのだし。
﹁来ます﹂
戦っているときにロクサーヌが叫ぶ。
フライトラップの遠距離攻撃のようだ。
遠距離攻撃はロクサーヌが受けてくれる。
と思っていたら、避けやがった。
1387
ロクサーヌの動いたところから水の弾が飛んでくる。
﹁あ、危ねえ﹂
なんとかぎりぎりで回避した。
やはりロクサーヌの後ろは危険だ。
﹁えっと。すみません。魔法は盾では受けられませんので﹂
﹁そうなのか﹂
﹁はい。威力を削ぐことはできますが、多少のダメージは通ってし
まいます﹂
そういうことは早めに教えてほしかった。
ロクサーヌからは少し離れて位置することにしよう。
先頭にいるロクサーヌはなにかと標的になるだろう。
魔物とロクサーヌを結ぶ直線上にはいない方がいい。
水魔法は厄介だが、クーラタルの十三階層で狩を行う。
フライトラップLv13はデュランダルだと通常攻撃五回で倒れ
た。
十二階層でぎりぎり四回だったのだ。
これはしょうがないだろう。
デュランダルで戦うとき、セリーから決意の指輪を借りてみる。
はっきり分かる効果はなかった。
デュランダルの攻撃力五倍と決意の指輪の攻撃力上昇は重複しな
いようだ。
強壮丸を大量に作る。
セリーにも十個持たせた。
1388
﹁強壮丸も集めたし、強壮剤もいっておくか﹂
﹁そうですね。それがいいと思います﹂
﹁いざというときの準備は万端に整えておくのが合理的です﹂
十三階層のボスに挑戦することに、ロクサーヌとセリーの賛同を
得る。
だいぶ戦ってきたので、迷宮のありかたも少し分かってきた。
十二階層から二十二階層まで、出現する魔物のグループは同じだ
が、どの魔物がどの階層に出てくるかは迷宮ごとに違う。
クーラタルでは二十二階層に出てくる魔物も、他の迷宮では十二
階層に出現することがある。
つまり、クーラタル二十二階層のボスも、他の迷宮では十二階層
でボスをしていることがある、ということだ。
他の迷宮でその十二階層のボスを倒せるのなら、クーラタル二十
二階層のボスとも十分に戦えるのではないだろうか。
レベルが上がるので、もちろんまったく同じ強さではない。
グリーンキャタピラーLv11のように。
それでも、同じ魔物だ。
そう極端に強くなるわけもない。
二十二階層までは、極度に警戒しなくてもいいだろう。
大きく強くなるのは、その上の二十三階層からだ。
クーラタルの迷宮は地図が完備されているので、進もうと思えば
どんどんと進むことができる。
今までは、ベイルやハルバーで探索を行ってそれが終わるまで、
次の階層に一足飛びに進むことはなかった。
1389
しかし、少し上の階層に進んでもいいのではないだろうか。
﹁分かった。では案内してくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
地図を見たロクサーヌの案内で、十三階層のボス部屋まで進んだ。
ミリアに見に行かせて誰もいなかったので、中に入る。
サラセニアを一匹と十三階層ボスのアニマルトラップを倒した。
﹁出てきたのはサラセニアだったな﹂
﹁ボスに付随して現れる魔物は、その階層に出てくる可能性のある
すべての魔物が当てはまるそうです﹂
アニマルトラップは、セリーが教えてくれたとおりフライトラッ
プの強化版だった。
サラセニアが面倒だったが、おつきの者さえ速攻で倒せばこっち
のものだ。
後は囲んでしまえば、デュランダルで後ろからぼこるだけだった。
セリーが陳皮を持ってくる。
これがアニマルトラップのドロップアイテムか。
生薬生成で強壮剤を三つ作成した。
1390
経験値重視
クーラタルの十三階層で強壮丸を作る間に薬草採取士はLv6に
なっている。
少しの間つけていただけなのに。
ミリアの海女もLv20になっていた。
レベルアップのスピードが明らかに上がっている。
上の階層に行くほど、経験値も上がっていると考えていいのだろ
う。
あるいは、十二階層から上で初めて出てくる魔物は経験値が多い
のか。
いずれにしても、ここは稼ぎどきだ。
早く探索者Lv50にして冒険者のジョブを獲得しなければなら
ない。
それまではあまり動くこともできない。
盗賊が待ち伏せしていたのは、そこが十二階層だからである。
盗賊を倒したのがハルバーの十二階層であるという事実は動かせ
ない。
盗賊のインテリジェンスカードをハルツ公の騎士団に出すときに
は、十二階層で倒したと聞かれれば答えることになるだろう。
ハルバーの迷宮に入って、俺たちが十三階層や十四階層で探索を
行うことは控えた方がいい。
誰かに見られたとき話がややこしくなる。
1391
なんで十四階層で探索している人間が十二階層に行ったのかと。
杞憂かもしれないが。
しばらくはクーラタルで狩を行うべきか。
クーラタルの方が人は多いので誰かに会う危険は大きい。
しかし、ハルツ公領内のハルバーの迷宮で誰かと遭遇したら、そ
の人物はハルツ公とつながりがあるかもしれない。
クーラタルで誰かに会っても、その誰かがハルツ公の知り合いで
ある可能性はほとんどないだろう。
キャラクター再設定を行う。
必要経験値二十分の一と獲得経験値二十倍をつけた。
経験値を重視するならこれでいくしかない。
現在探索者Lv37なので、ボーナスポイントが百三十五ある。
必要経験値二十分の一で63、獲得経験値二十倍で63。
キャラクター再設定をはずすことはできないので、フォースジョ
ブまで振って7ポイント使うと、残りが1ポイントになってしまう。
サードジョブまでで我慢すべきか。
三つだと探索者、英雄、魔法使いになる。
万が一を考えれば僧侶もやはり必要か。
フォースジョブにして、残り1ポイントは詠唱短縮に振った。
﹁セリー、十四階層の魔物は何だ﹂
﹁クーラタル十四階層の魔物は、ハットバットです。飛ぶ上に小さ
いので攻撃がなかなかあたりません。前衛の頭の上を飛び越してく
るので、後衛も要注意です。魔法には比較的弱く、水魔法と風魔法
と土魔法を弱点とします﹂
1392
後衛の俺には嫌な敵だ。
ロクサーヌの案内でハットバットと対峙する。
ハットバットは黒いコウモリだった。
迷宮の中では見えにくい。
とまって羽を丸めれば、黒い山高帽にでも見えるのかもしれない。
﹁ウォーターボール﹂
げ。
少し近づけてから撃ったのに、一発めの水魔法が避けられた。
ハットバットが急に高度を変える。
二発めの風魔法も避けられた。
動きが早い。
三発めの土球からは当たりだした。
ロクサーヌが正面に立つ。
セリーとミリアもコウモリを囲んだ。
俺はロクサーヌの斜め横に陣取る。
魔法をかわされたとき味方に当たりかねない位置取りはまずい。
四発めを当てた。
ハットバットがえぐるように切り込んでくる。
ロクサーヌが盾でいなした。
コウモリが動きを止め、体勢を立て直したところに、五発めを喰
らわせる。
ハットバットが墜落した。
弱点魔法五発か。
1393
デュランダルでも多分五、六回だろう。
﹁えっと。何故魔法の名称を?﹂
詠唱省略に振るポイントが足りないからです。
ともいえないので、ロクサーヌに対して何か言い訳が必要だ。
中二病患者は放っておいてほしい。
﹁しばらくは連携の訓練も必要だろう。ハットバットには魔法も当
たりにくいみたいだしな﹂
﹁なるほど。分かりました﹂
﹁で、では、次からは数の多いところへ頼む﹂
通じるのもそれはそれで不安なのだが。
複数の魔物が相手なら、全体攻撃魔法を使えばいい。
全体攻撃魔法ならはずれる心配はない。
ハットバット三匹とフライトラップ一匹が現れたので、ブリーズ
ストーム五発でコウモリを落とした。
残ったフライトラップは追加のファイヤーボール三発で倒れる。
ハットバットは火魔法だけが弱点でないというところが腹が立つ
な。
ハットバットのくせに。
﹁火に弱い食虫植物か、ハットバットか、できればどちらか四匹ず
つのところに案内するのが理想ですね﹂
﹁そんなにうまくはいかないだろうがな﹂
﹁四匹でなければ、三匹と一匹になるのが次善ですか。一匹残って
も、それくらいならば戦闘が長時間になってもどうということはあ
りません﹂
1394
一匹残ったときに魔物の正面に立つことになるロクサーヌがそう
いうならそうなんだろう。
頼もしいこって。
ロクサーヌの案内で狩を続けた。
ロクサーヌは、自分で宣言したとおり、四匹や、三匹と一匹、あ
るいは少しずれても二匹と一匹のところに連れて行ってくれる。
ハットバットは小さくて動きも早いので、攻撃を当てるのは大変
だ。
セリーやミリアも苦労していた。
MPをかなり使ったのでデュランダルを出す。
獲得経験値二十倍を丸ごとはずし、武器六を取得した。
必要経験値減少のスキルはどういう風に作動するか分からないの
で、あまり動かさない方がいい。
サードジョブにして詠唱省略もつける。
デュランダルを使うときは俺が囮になればいい。
攻撃は俺とロクサーヌに集中するから、僧侶は必要ないだろう。
俺が攻撃を喰らってもデュランダルのHP吸収がある。
デュランダルを持ってハットバットに接近した。
コウモリの動きを見据える。
セリーやミリアでさえ苦労しているのに、そんなに簡単に攻撃を
当てられるとは考えない方がいい。
ハットバットが体当たりをしようと突っ込んできた。
オーバーホエルミングと念じる。
突っ込んでくる正面に一撃浴びせ、体をひねりながらもう一撃加
1395
えた。
横を通るハットバットにさらに一撃、は無理か。
オーバーホエルミングがあればロクサーヌのように敵の攻撃を避
けることが可能だ。
コウモリが俺の前、のどの高さくらいに戻って動きが止まったと
き、再びオーバーホエルミングを起動させる。
小刻みにデュランダルを動かして二度叩いた後、三発めを振り下
ろした。
これなら三回いける。
ハットバットが床に落ちた。
次の獲物に襲いかかる。
オーバーホエルミングがあれば、ハットバットも敵ではない。
MPも使用した分以上回復するみたいなので、問題ないだろう。
﹁すごい、です﹂
ミリアがほめてくれた。
オーバーホエルミングさまさまだ。
デュランダルでMPを回復する。
オーバーホエルミングを多用するので効率はよくないが、しょう
がない。
十分に回復した後、ロクサーヌに頼んでハットバットと食虫植物
の群れに案内してもらった。
フォースジョブをサードジョブまでにすると4ポイントあまる。
詠唱短縮を詠唱省略にして2ポイント、獲得経験値上昇に1ポイ
ント、残り1ポイントは、メテオクラッシュにつけておいた。
1396
魔物の群れにメテオクラッシュを使用する。
ハットバットは火魔法以外が弱点、食虫植物は火魔法が弱点。
メテオクラッシュが火属性魔法かどうかが分かるかもしれない。
と思ったのに、コウモリもフライトラップもメテオクラッシュ一
発で全滅してしまった。
属性は関係ないのか。
杖を強化したから一発で倒せるようになったのか。
わざわざ弱い武器に持ち替えて試してみるのも嫌だ。
倒せるのだから別にいいだろう。
喫緊の問題というわけでもない。
初めて見た魔法にミリアが驚いているのを確認しただけでよしと
しよう。
その後も狩を続けた。
大丈夫だ。
十四階層では戦える。
﹁セリー、クーラタル十四階層のボスは何だ﹂
昼に一度迷宮を出たとき、セリーに尋ねた。
﹁ハットバットのボスは、パットバットです。強化されたコウモリ
ですが、特に攻撃力が強いわけではありません。ただし、こちらを
麻痺させるスキル攻撃をしてきます。麻痺してしまうと薬を使うか
自然に治るまで待つしかないので、要注意です﹂
﹁薬は抗麻痺丸でいいよな。二つしかないが﹂
﹁毒と違ってそれで死ぬことはありませんし、スキルなので中断も
1397
できます﹂
大丈夫そうか。
レベルアップのためにはなるべく上の階層に行った方がいいだろ
う。
十四階層を突破して十五階層に進むべきか。
﹁十五階層へ行っても大丈夫だろうか﹂
﹁問題ありません﹂
﹁いけると思います﹂
ロクサーヌとセリーから了承を得た。
しかしこの二人からネガティブな答えが返ってきたことはあまり
ないな。
ロクサーヌはもちろん、実はセリーも結構イケイケドンドンなん
じゃないだろうか。
ちゃんと合理的に判断できているのだろうか。
﹁大丈夫、です﹂
ロクサーヌが訳すと、ミリアまでうなずく。
大丈夫なのか。
この世界では厳しいのが当たり前で、俺が安全マージンを取りす
ぎなのかもしれない。
上に上にと進んで行くのはちょっと怖いが。
あまり怖がってばかりでもしょうがない。
午後に十四階層の地図を持ってクーラタルの迷宮に入った。
抗麻痺丸は俺とセリーが一個ずつ持つことにする。
1398
地図に従って進んだ。
ミリアに様子を確認させ、ボス部屋に入る。
﹁雑魚は俺が片づけるから、ボスを頼む﹂
パットバットとハットバットが一匹ずつ現れた。
コウモリが二匹か。
ハットバットじゃなくてフライトラップかサラセニアがよかった
のだが。
贅沢はいっていられない。
出てきたものはしょうがない。
オーバーホエルミングと念じて、ハットバットに斬りかかる。
﹁来ます﹂
ハットバットを片づける前に、ロクサーヌの声が飛んだ。
スキルだ。
発動させない方がいい。
オーバーホエルミングと念じて、ボスを斬りつける。
なんとか間に合ったようだ。
スキルが起動する前に、デュランダルで叩けた。
すぐにハットバットの正面に戻る。
オーバーホエルミングで屠った。
ボスの囲みに入る。
ここまでくれば必勝パターンだ。
高く飛べるので何度も囲みを破られたし、オーバーホエルミング
1399
を使わないとなかなか攻撃も当たらないが、順次削っていく。
最後もオーバーホエルミングでデュランダルを叩き込み、きっち
りと仕留めた。
﹁セリー、十五階層の魔物は﹂
﹁クーラタルの迷宮十五階層の魔物はグラスビーです﹂
﹁グラスビーか。なら一匹ずつ戦う必要はないな。ロクサーヌ、数
の多いところを頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
十五階層に移動して、魔物を探す。
グラスビー二匹とハットバット二匹の群れだ。
﹁ブリーズストーム﹂
風魔法六発で倒した。
六発か。
やはりどんどん強くなっていくようだ。
レベルを上げている暇がないので、上に行けば行くだけ苦しくな
ってしまう。
パーティーのジョブ構成も問題だ。
ロクサーヌの獣戦士、セリーの鍛冶師、ミリアの海女、どれも効
果に知力上昇がない。
知力上昇があれば、少しは楽になるのではないだろうか。
巫女や僧侶にジョブを変えるか。
しかし、腕力上昇がなくなれば、デュランダルを出したときに苦
しくなってしまう。
それも痛し痒しか。
1400
デュランダルを出したときに長期戦になると、痛い目を見るのは
俺だ。
そのまま戦いを続ける。
次の戦闘では、セリーもミリアも攻撃を浴びた。
やっぱり、長期戦になるので被弾も増えるようだ。
﹁戦いが長引けば何度か攻撃を受けることも考えられる。それでも
問題ないか。手当て﹂
手当てをしながら尋ねる。
﹁何の問題もありません﹂
﹁そうか。手当て﹂
﹁私は大丈夫です﹂
﹁大丈夫﹂
﹁分かった。手当て﹂
セリーもミリアも自己申告では大丈夫らしい。
﹁もう大丈夫です﹂
﹁よし。次はミリアだ。手当て。俺が後ろにいるときには、防毒の
硬革帽子はセリーが着けろ。手当て﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁その代わり、毒持ちのグラスビーはセリーが積極的に受け持て。
手当て﹂
セリーとミリアを回復させた。
詠唱省略がないと、なにやら変わった趣味の人間みたいだ。
1401
今のところ、毒を防げる装備品は一個しか持っていない。
ロクサーヌは回避力に期待するとして、ミリアも最前線でばりば
り戦わせるのはまだ不安がある。
セリーにがんばってもらうしかない。
セリーと帽子を交換する。
それでも、グラスビーが三匹以上のときにはしょうがない。
ミリアが攻撃を受けた。
﹁あ。あ。あ。あ﹂
グラスビーの攻撃を浴びたミリアがうめく。
あれは毒だ。
喰らったことがあるから分かる。
すぐに毒消し丸を取り出した。
﹁ロクサーヌ、少しの間、頼む﹂
﹁はい﹂
五発めのブリーズストームを放ち、毒消し丸を口に含んだ。
ミリアを抱き寄せる。
唇に吸いついた。
舌をこじ入れ、口を開けさせる。
毒消し丸をミリアの口に送り込んだ。
ミリアの舌があえぐように震えている。
舌を重ね、優しくあやした。
ミリアの舌がすがるように絡みついてくる。
情熱的な動きだ。
1402
ミリアの舌が自分から積極的に動くのは初めてだ。
いつまでもこうしていたいが、そういうわけにもいかない。
ミリアを抱きかかえている俺に、グラスビーが体当たりをしてき
た。
毒針を受けてしまえば俺まで毒にかかる恐れがある。
﹁ブリーズストーム﹂
ミリアから口をはずし、六発めの魔法を唱えた。
1403
お尋ね者︵前書き︶
ハルバーの十二階層で倒した賊を、山賊↓海賊に変更しました。
1404
お尋ね者
ロクサーヌに頼んで、食虫植物のいる群れにも案内してもらう。
風魔法六発でグラスビーを撃墜した後、フライトラップをファイ
ヤーボール三発で倒した。
今までに経験したことがないほどの長期戦だ。
﹁やはりフライトラップやサラセニアは一匹までのところがいいで
すね。そういうところに案内します﹂
﹁一匹でも苦しいと思うが﹂
﹁一匹ならばどうにでもなるでしょう﹂
﹁むしろ、十六階層に上がってしまうのも手かもしれません﹂
ロクサーヌだけでなくセリーまでが恐ろしいことを提案してくる。
やっぱりイケイケなのか?
﹁十六階層にか﹂
﹁クーラタル十六階層の魔物は、ビッチバタフライです。風魔法が
弱点になります。ハットバットも風魔法で倒せます。十五階層より
十六階層の方が戦いやすいかもしれません﹂
なるほど。
きっちり合理的に考えているらしい。
さすがはセリーだ。
クーラタルの十六階層では、多分半分くらいは十六階層の魔物で
あるビッチバタフライが出てくるだろう。
1405
次に多いのが十五階層の魔物のグラスビー。
さらには十四階層の魔物であるハットバットと続く。
十六階層なら上位三種類が全部風魔法を弱点とするわけか。
フライトラップやサラセニアが出てくる可能性は十五階層より下
がる。
風魔法だけで戦えばいいなら少しは楽になるか。
﹁それでうまくいけばいいな。十五階層でそれなりに戦えるような
ら、十六階層に行ってみよう﹂
﹁それがいいと思います﹂
いきなり行くのも危険なので、しばらくは様子を見た。
やはり十五階層では被弾が増える。
ハットバットが前衛の頭を越えてきて、俺まで攻撃を受けてしま
った。
約一名は驚きの安定振りだが。
デュランダルを出して、セリーと帽子を交換する。
手当てを使うのでMPの減りが早い。
デュランダルを出すときにはスキルをはずすので獲得経験値が少
なくなる。
上の階層へ行けば、通常もらえる経験値は増えるだろうが、デュ
ランダルを出す回数も増加し、その分経験値が下がる。
結局、トータルで見て上の階層に行った方が得かどうかはよく分
からん。
﹁ロクサーヌ、次は魔物の種類の多いところへ頼めるか﹂
1406
MPを全快して、ロクサーヌに頼んだ。
﹁えっと。こっちですね。四種類の魔物のにおいがします﹂
十五階層は最大四匹なので、魔物は最大で四種類だ。
忘れてた。
十六階層からは魔物が最大で五匹出てくるはずだ。
十六階層は大変か。
いや。全体攻撃魔法を使うなら、魔物の数は問題ではないか。
ロクサーヌがいるから、その辺のところはなんとでもなる。
たくさん倒せるから、経験値的にも十六階層の方が得なのか。
グラスビー、ハットバット、フライトラップ、サラセニア各一匹
ずつの群れに、メテオクラッシュをお見舞いした。
洞窟いっぱいに灼熱の岩石が広がる。
グラスビー以外の魔物が倒れた。
グラスビーだけが倒れないのか。
風魔法が弱点のグラスビーが倒れないのはいい。
火魔法が弱点のフライトラップとサラセニアが倒れるのも当然だ。
ただ、ハットバットが倒れるのがよく分からないんだよな。
その日は、十六階層へは行かずに狩を終えた。
あまり駆け足で進みすぎるのも危険だ。
十六階層に行くのは明日の朝でいい。
探索者はLv38に上がっている。
あと一つ上がれば詠唱省略を取得できる。
1407
家に帰ると、仲買人のルークからの伝言が残っていた。
﹁コボルトのモンスターカードを落札したそうです。五千四百ナー
ルですね。それと、すぐに来てほしいと書かれています﹂
ロクサーヌがメモを読む。
コボルトのモンスターカードか。
すぐ来てくれというのはなんだろう。
﹁ではちょっと行ってくる。三人は夕食の準備を頼めるか﹂
﹁かしこまりました。いってらっしゃいませ﹂
﹁仲買人には気をつけてください﹂
商人ギルドへと飛んだ。
受付でルークを頼むと、すぐに出てくる。
商談用の小部屋に通された。
﹁お呼び立てしてすみません。まずはコボルトのモンスターカード
です﹂
﹁確かに﹂
ルークがモンスターカードを出してくる。
鑑定で本物と確認した後、次回分手数料と併せて銀貨五十九枚を
払った。
ルークはきっちりと本物だけを納品してくる。
やはり仲買人としては信用できるようだ。
﹁実はコボルトのモンスターカードは前回も五千四百で落札されて
います。私が入札してくることを警戒した相手に先に取られてしま
1408
いました。同じ値段で落札を続けると、こういうことがあるので厄
介です﹂
﹁そんなこともあるのか﹂
仲買人も大変らしい。
確かに、相手が五千四百まで競ってくることが分かっていれば、
五千三百で落札しようとは思わないだろう。
いろいろと駆け引きがあるようだ。
﹁ですので、今回も最高予定価格での入札となってしまいました﹂
それはどうか分からないが。
元々五千四百で落札したから相手にこちらの最高予定価格がばれ
たわけで。
﹁まあ、コボルトのモンスターカードは今回で終わりだ﹂
﹁はい。あと、ハルツ公の騎士団から伝言をお預かりしています。
すぐに来てほしいとのことです﹂
すぐ来いといったのはハルツ公の騎士団だったのか。
鏡でも売れたのだろうか。
﹁ハルツ公の騎士団からか。分かった﹂
﹁確かにお伝えいたしました﹂
コボルトのモンスターカードを受け取って、商人ギルドを後にす
る。
アリのモンスターカードを注文しようかとも思ったが、やめてお
いた。
確かに現状の帽子一個では足りない。
1409
毒に対する装備はもう少しそろえたい。
ただし、注文してから実際手に入るまでには時間がかかる。
アリのモンスターカードがきたとき、俺たちがどの階層で戦って
いるかは不明だ。
そこではもう毒を使ってくる魔物はいないかもしれない。
備えあれば憂いなしだから、用意はしておいた方がいいのかもし
れないが。
家に帰り、風呂を沸かした。
今日はいろいろあったので、のんびりしたい。
そのため早めに切り上げたので、ルークのところにも行くことが
できた。
夕食後、セリーに鍛冶をさせる。
コボルトのモンスターカードが手に入ったので、ウサギのモンス
ターカードと一緒に融合させた。
セリーの鋼鉄の槍に詠唱中断のスキルをつける。
こちらも役立ってくれるだろう。
今日の作業をすべて終え、風呂に入った。
風呂では、ミリアがお湯の中で気の向くままに身体を浮かべてい
る。
仰向けになり、顔を水面から覗かせていた。
気持ちよさそうだ。
ロクサーヌとセリーは、俺の両隣にいる。
気持ちいい。
俺が。
1410
﹁今日はいろいろあったけど、風呂は気持ちいいな﹂
﹁はい。最高です﹂
最高なのはロクサーヌの尻尾だ。
お湯の中、ロクサーヌの身体の下に腕を回した。
尻尾の感触を楽しむ。
身体を軽く抱き寄せると、豊かなふくらみが俺の胸板で弾んだ。
﹁ミリアも気持ちいいか﹂
﹁はい、です﹂
ミリアが返事だけをよこす。
気ままなものだ。
風呂桶の中で空いている方へと流れていった。
まさに、たゆたうというのがピッタリくる。
別にそこまで広い風呂桶でもない。
ミリアの尻尾が俺の足に触れている。
二つの島が浮かんでいた。
﹁ミリア、この間買った鍋で作る魚料理って、すぐできるのか﹂
ロクサーヌが訳すと、すっごい勢いで飛んでくる。
俺の上に乗ってにじり寄ってきた。
顔が近い。
﹁できた、です﹂
﹁この場合はできるだ。できる﹂
﹁できる、です﹂
1411
すべすべとしたミリアのお腹に俺の大事なものが当たった。
ミリアが気にしている様子はまったくない。
懸命に俺の顔を覗き込んでくる。
﹁では、明後日の夕食でどうだ﹂
﹁できる、です﹂
俺から回答を引き出すと、また離れていった。
現金なやつめ。
魚料理を出す約束をすればミリアが喜ぶことは分かっている。
二日後ぐらいならちょうどいいだろう。
明日では早すぎる。
四日後や五日後では間が持たない。
明後日なら、それまでがんばってくれるはずだ。
もっとも、その日のキスはまたあっさりしたものに戻ってしまっ
た。
毒消し丸を口移ししたときの情熱はあのときだけのものだったの
か。
情熱的なキスはロクサーヌと楽しむからいいけどね。
翌朝も同様だった。
ミリアには情熱的なキスは期待できないかもしれない。
三人と三様のキスをした後、ハルバーの十二階層に入る。
グラスビーのボスと戦うのは十二階層からがいいだろう。
盗賊のいた小部屋に飛んだ。
ハルバーの迷宮でダンジョンウォークを使っているところを誰か
1412
に見られるのは少々まずいが。
いざとなったらセリーを探索者にすればいい。
小部屋を中心に探索を行う。
小部屋を右に抜けると、すぐにボス部屋だった。
やはり思ったとおりだ。
盗賊たちはボス部屋のすぐ近くに網を張っていた。
強そうなパーティーが来たら、親切めかしてボス部屋に通してい
たのだろう。
朝早いこともあり、待機部屋には誰もいない。
﹁グラスビーのボスはキラービーです。毒には注意が必要です。確
実に毒を与えるスキルも使ってきます﹂
やはり毒を使ってくるのか。
セリーの武器に詠唱中断がついたから、スキル対策は万全だ。
グラスビーを最初に屠り、ボスへの囲みに加わる。
正面に立ったロクサーヌが一対一で攻撃を喰らうはずもない。
ボスはあっさりと倒れた。
クーラタルでは十二、十三、十四階層のボスを倒している。
十二階層のボスくらいは楽勝だろう。
ハルバーの十三階層では一度も戦うことなく、すぐにクーラタル
の十五階層へ移動する。
一度倒し自信をつけた状態で十五階層のボスに挑めるのはありが
たい。
地図に従って、ボス部屋まで進んだ。
1413
﹁ではミリア、頼む﹂
ミリアを送り出す。
ミリアが待機部屋を確認して、手招きした。
早朝だし誰もいないようだ。
一度勝っているからといって気を抜くようなまねはしない。
慎重かつ可及的速やかにキラービーを倒した。
﹁クーラタル十六階層の魔物は、ビッチバタフライです。風魔法が
弱点で、火魔法に耐性があります。近づくと、こちらを麻痺させる
スキル攻撃をしかけてくることがあります﹂
﹁麻痺のスキルか。セリーの武器が間に合ってよかった﹂
﹁はい。がんばります﹂
ビッチバタフライは、蝶というよりはでかい蛾だ。
ばたばたと飛び回る姿は、流麗でも可憐でもない。
まあ魔物だしな。
動きはやや鈍い。
ブリーズボールがきっちり当たる。
風魔法七発で倒した。
﹁ロクサーヌ、風魔法が有効な、ビッチバタフライ、グラスビー、
ハットバットがいるところへだけ案内できそうか﹂
﹁いけると思います﹂
セリーの目論見どおりにいけそうか。
とりあえずクーラタルの十六階層で戦ってみる。
1414
シビアな戦いにはなったが、なんとか戦えるというところか。
朝は、そのまま十六階層で狩を行った。
狩を終えて家に帰る。
朝食の準備を三人に頼み、俺は一人でボーデに向かった。
ロビーの壁に出る。
﹁公爵か団長殿はお見えか﹂
﹁はい。公爵の執務室におられると思います﹂
騎士団員に居場所を聞き、中に入った。
勝手知ったる他人の家だ。
早いのでまだ出かけてはいないらしい。
廊下を執務室まで進む。
﹁入れ﹂
執務室のドアをノックすると、返事があった。
ゴスラーの声だ。
﹁ミチオです。お呼びだと聞きましたが﹂
﹁おお。ミチオ殿か。呼び立ててすまんな。よく参られた﹂
中に入ると、イスに座ったまま公爵が話しかけてくる。
﹁いえ﹂
﹁実は困ったことになっての﹂
﹁まずはお座りください﹂
公爵は相変わらずせっかちだ。
1415
ゴスラーの誘導でソファーに座った。
﹁困ったことというのは﹂
﹁兇賊のハインツという賊をご存知ですか﹂
ゴスラーが正面に座って、尋ねてくる。
﹁いや﹂
﹁血を見ることの好きな荒っぽい盗賊です。嘘か真か、エレーヌの
神殿で兇賊のジョブに就いたというのが売りの男です。本当かどう
かは分かりませんが。いずれにしても、相当手ごわい相手には違い
ありません﹂
俺が倒した兇賊のことだろう。
名前も確かハインツだった。
呼び出した用件とはあの盗賊のことか。
﹁そんな盗賊が﹂
﹁元々は隣のセルマー領を本拠地とする賊で、セルマー伯の騎士団
員を何人も返り討ちにしています。ハインツもそうですが、第一の
手下でシモンという海賊がまた恐ろしいほどの片手剣の使い手です。
セルマー伯の騎士団にはかなりの手だれもいました。魔法を使わな
いとすると、うちの騎士団にもかなう者がいるかどうか﹂
シモンというのはMP全解放で爆殺した男だ。
ジョブも海賊だったし、間違いないだろう。
剣で戦わなくてよかったらしい。
﹁その賊が余の領内に入ったようなのじゃ﹂
﹁まだ確定ではありませんが、かなり確度の高い情報だと思います。
1416
どこかの村を襲うか、あるいは迷宮で待ち伏せでもするか。人を殺
しても遺体の残らない迷宮はハインツにとっても格好の狩場です。
領内に迷宮が三つ出て、こちらの手が回らないことを見越している
のかもしれません﹂
﹁被害が出たのですか﹂
﹁まだはっきりとした被害は出ていません。しかし時間の問題でし
ょう﹂
被害は確認されていないようだ。
おそらくハインツが網を張ってから日が浅いのだろう。
領内に入って早々に情報をキャッチしたのか。
ハルツ公の騎士団の情報網もなかなかのものらしい。
﹁そういうことなのでな。ミチオ殿も気をつけられたい﹂
﹁それを知らせていただけたのですか。わざわざありがとうござい
ます﹂
まあ情報自体は遅かったが。
倒してしまったし。
しかし倒したことをいうわけにもいかない。
インテリジェンスカードを出さなければいけなくなる。
しばらくは怖がってもらうより他にないだろう。
騎士団は無駄足を踏むだろうが、実害はそれほどないはずだ。
﹁特にボーデにある迷宮は要注意だろう﹂
﹁ボーデがですか﹂
﹁ハインツ自体はエルフなのですが、手下には人間族が多いようで
す。今回の情報もそのことからもたらされました。ターレやハルバ
ーはエルフが多いので目立ちます。ハインツが迷宮に入るとすれば、
1417
ボーデにある迷宮が一番の候補でしょう﹂
ハインツがいたのはハルバーの迷宮だった。
裏をかいたわけだ。
﹁なるほど。しかしボーデと決まったわけでも﹂
﹁確かにそのとおりじゃ。しばらくはよその迷宮に入ってくれても
いい﹂
﹁私も迷宮で見回りを行います。ミチオ殿のパーティーにも騎士団
の者がインテリジェンスカードのチェックを求めるかもしれません
が、ご寛恕願います﹂
﹁了解﹂
それはまずい。
何のために盗賊を倒したことを黙っているのか分からなくなって
しまう。
よその迷宮に入ってもいいと言われたし、しばらくはクーラタル
の迷宮にこもるか。
1418
業平
﹁来ます﹂
ロクサーヌの声が飛んだ。
二列めにいるグラスビーの下にオレンジ色の魔法陣が現れている。
距離があるのでセリーの槍は届かない。
グラスビーが針を噴射した。
ロクサーヌが鋼鉄の盾で受ける。
ほぼ同時に、ビッチバタフライとハットバットもロクサーヌに攻
撃をしかけた。
ロクサーヌは左足を引いて半身になりながらビッチバタフライの
体当たりを避け、頭を振ってハットバットの突撃をかわす。
俺は後ろで五発めのブリーズストームを念じた。
突風にあおられ、魔物の体が大きく揺れる。
体勢を立て直したビッチバタフライが再度ロクサーヌを攻撃した。
ロクサーヌは盾でいなし、続いて突っ込んできたハットバットを
体をひねってかわす。
かわしざまにレイピアで一撃浴びせた。
六発めの魔法を放つ。
セリーの正面のビッチバタフライの下にオレンジ色の魔法陣が浮
かんだ。
セリーが槍で突く。
1419
ミリアも正面のハチの攻撃を盾で受け、その後シミターで斬りつ
けた。
ロクサーヌがビッチバタフライの攻撃をほんの少し横に移動して
かわす。
続くハットバットの攻撃も難なく避けるのを見ながら、七発めの
ブリーズストームを念じた。
ビッチバタフライ二匹、グラスビー二匹、ハットバットがまとめ
て落ちる。
﹁うーん。やはり十六階層は大変だ﹂
公爵からお墨付きをもらってクーラタルの迷宮に堂々とこもれる
ようになったのはいいが、十六階層での戦いは厳しい。
まあ魔物の攻撃を避けているのは主にロクサーヌだが。
見ているだけでも大変そうだ。
十三、十四、十五階層を勢いだけですっ飛ばしてきたからしょう
がない。
中央に立って敵の攻撃を避けまくるロクサーヌがいなければ、前
線が崩壊しているところだろう。
﹁いえ。このくらいではまだまだ大変とはいえません﹂
大変ではないとか。
相変わらず恐ろしい娘。
クーラタルの十六階層は風魔法を弱点とする魔物が多いのが唯一
の救いだ。
風魔法が弱点の魔物を選べるのも、ロクサーヌがいればこそであ
る。
1420
﹁何度も連続して攻撃を浴びたりはしていませんから、十分戦える
と思います。迷宮に入るのならこのくらいの戦闘はまだぬるいくら
いです﹂
セリーがいうとそうなのかという気もしてくるが。
この世界の標準では安全マージンを大きく取ったりはしないらし
い。
中央でロクサーヌが複数の魔物を引きつけるから、両端にいるセ
リーとミリアにはそれほど困難な戦いではないのかもしれない。
﹁大丈夫。お姉ちゃん、いる﹂
ミリアは正しく認識しているようだ。
﹁そうか。ロクサーヌのおかげだな﹂
﹁いえ。ご主人様が魔法で倒してくださるからです﹂
﹁では、次は剣で戦うので、数の少ないところへ頼む﹂
十六階層で戦っているうちに探索者もLv39になった。
ボーナスポイントが増えたので、詠唱省略を取得している。
フォースジョブと詠唱省略が同時に取れるようになったのは大き
い。
MPを回復して、魔物と戦っていく。
ビッチバタフライ四匹、グラスビー一匹の群れとも何度か戦闘し
た。
クーラタルの十六階層ではこの組み合わせが一番の難物だ。
いや。一番の難敵は、風魔法が弱点の魔物の中に火魔法が弱点の
1421
食虫植物が入ることだが。
それはロクサーヌがいれば回避できるのでおいておく。
実際、今までに戦ったことはない。
ビッチバタフライ四匹が何故厄介かというと、セリーの槍による
詠唱中断が間に合わない可能性があるからだ。
ビッチバタフライのスキル攻撃にはこちらを麻痺させる機能があ
るらしい。
ロクサーヌが麻痺でもして動けなくなったら、総崩れになる恐れ
もある。
ビッチバタフライが二匹以下ならまったく問題ない。
三匹でも大体大丈夫。
四匹以上だと、さすがに間に合わない可能性が考えられるそうだ。
グラスビーが厄介なのは、遠距離攻撃だ。
魔物が四匹以上のとき、何匹かは二列めに回ることがある。
五匹いれば、一匹は確実に二列めに入る。
後ろに回られて厄介なのは毒針を飛ばしてくるグラスビーだ。
だから、ビッチバタフライ四匹グラスビー一匹の団体が一番怖い。
抗麻痺丸を買い足しておくべきだろうか。
実際には一度も使っていないから大丈夫か。
結局、その日は抗麻痺丸を使うことなく、狩を終えた。
翌日も早朝からクーラタルの十六階層に入る。
﹁来ます﹂
注意を促すと、ロクサーヌがグラスビーの毒針を盾で受けた。
1422
抜群の安定感だ。
ビッチバタフライの体当たりをかわし、別のグラスビーにレイピ
アを突き立てる。
蝶のように蝶をかわして舞い、蜂のように蜂を刺す。
恐ろしいほどの強さだ。
ビッチバタフライの攻撃をセリーが避けた。
ミリアもグラスビーの攻撃を盾で受ける。
もう一度、二列めのグラスビーがスキル攻撃を放った。
ロクサーヌが難なく盾で受ける。
続くビッチバタフライの攻撃も身体を軽く動かしてかわした。
横のグラスビーが今度はミリアに攻撃をしかける。
ミリアがいなした。
しかし、続く正面のグラスビーの攻撃はかわしきれず受けてしま
う。
グラスビーの攻撃を喰らったが、毒は受けなかったようだ。
安心して魔法攻撃を続ける。
デュランダルを出さないとき、防毒の硬革帽子はミリアに着けさ
せている。
セリーには槍でビッチバタフライを止める役目がある。
ビッチバタフライと対峙しなければならない。
風魔法を放ちながら、ミリアに手当てをした。
魔物の攻撃二、三回でやられるレベルではすでになくなっている。
手当ては攻撃魔法の間にゆっくりでいい。
風魔法で魔物を屠った。
1423
﹁大丈夫﹂
全快したらしく、ミリアが手を上げて止める。
ロクサーヌに索敵を促した。
次の団体はビッチバタフライが二匹にグラスビー。
セリーが蝶に一度はたかれたが、無事倒した。
手当てをした後、デュランダルを出す。
魔物の団体を二つお客さんにして、MPを回復した。
強壮丸を使うのは、もったいない気がしてやっていない。
次の団体はビッチバタフライ二匹にグラスビーとハットバット。
ハットバットがロクサーヌの頭を越えて飛び込んでくる。
杖を使ってなんとかいなし、ことなきを得た。
最後のブリーズストームで全機叩き落す。
後衛としては、前衛の頭を飛び越えてくるハットバットは鬼門だ。
次の団体はビッチバタフライ四匹にグラスビー。
ハットバットがいないだけで、むしろ安心する。
グラスビーが途中で遠距離攻撃を放ってくるが、ロクサーヌがき
っちりと受けた。
鉄壁のディフェンスだ。
グラスビーの遠距離攻撃で崩されることはないだろう。
ビッチバタフライが接近してくる。
四匹が横一列に並んだ。
最初に突入してきた蝶の体当たりをロクサーヌが軽く避ける。
隣のビッチバタフライの突撃は盾で受け止めた。
1424
他のビッチバタフライがスキル攻撃を浴びせようとしてくるが、
セリーに阻止される。
この調子なら大丈夫か。
ほっと息を入れたとき、四匹のビッチバタフライの下にほぼ同時
にオレンジ色の魔法陣が浮かんだ。
セリーが槍を突き入れるが、四匹同時には攻撃できない。
焦ったところで俺の風魔法が連続で撃てるはずもなく。
セリーはなんとか三匹をキャンセルさせることに成功したが、残
る一匹のビッチバラフライのスキルが発動した。
蝶の羽から、粉っぽい煙が湧き上がる。
スキルを起動したビッチバタフライは、セリーからは一番遠め、
ミリアの正面の魔物だ。
煙がミリアを包む。
ミリアの動きが止まった。
身体が硬直している。
次の風魔法を放ちながら観察するが、小刻みに震えるだけで、動
かない。
これが麻痺か。
﹁薬を飲ませた方がいいか?﹂
﹁先に殲滅を﹂
セリーに促されてブリーズストームを放った。
ビッチバタフライがミリアを攻撃する。
動けないミリアが攻撃をかわせるはずもない。
1425
手当ての後、風魔法を追加して、魔物を屠った。
魔物が撃墜する。
﹁麻痺はどのくらいで治るんだ﹂
ミリアを見た。
動けないようだ。
一応アイテムボックスから抗麻痺丸を取り出すか。
﹁決まってはいませんが、それほど長くはかかりません。戦闘中に
治ることも結構あるようです。時間がかかるようなら、薬を使うか、
安全な小部屋に移動するという手もあります﹂
﹁すぐ近くに魔物はいないようです﹂
セリーとロクサーヌが教えてくれる。
薬を口移しで飲ませるか。
あるいは少し様子を見るか。
いや。別に口移しがしたいわけではない。
動けないのだから情熱的なキスは望むべくもないし。
それに、動けないところに舌をこじ入れるというのはなんかやば
い趣味に目覚めそうだ。
身動きの取れないミリアを力強く抱き寄せ、唇を無理やりに開か
せ、動かせなくなっているところに俺の舌を差し入れ、思うがまま
に口の中を蹂躙する。
動けないのだから抵抗もできまい。
こ、これは⋮⋮。
なんにせよ一度試してみるべきだな。
1426
うん。うん。
と思ったところで、ミリアが動いた。
瞬きをして、眼球を動かす。
﹁あ。大丈夫か﹂
﹁大丈夫。すみません﹂
﹁謝ることじゃない﹂
ぐだぐだと考えている間に、麻痺から回復してしまった。
口移しは次回送りだ。
ちょっと残念。
ミリアに後遺症などはないようだ。
麻痺が抜けると、すぐに完全復活した。
その後も普通に狩を続ける。
今日の狩を終えるまで、麻痺になることはなかった。
﹁魚、です。早く、です﹂
狩を終えると、ミリアが真っ先に魚屋に飛び込む。
今日は新しい鍋を使って魚料理を作る日だ。
﹁どんな魚を使うんだ﹂
﹁白身、です﹂
店に置いてある魚を一通り吟味したミリアが告げた。
いい魚は置いてなかったみたいだ。
﹁他にはなんか必要なものがあるか﹂
1427
﹁スライムスターチが必要なようです﹂
白身を二つ買って尋ねると、ロクサーヌが通訳してくれる。
二つ買ったのはあくまで三割引用だ。
ミリアのことだから多分二つ使うつもりだろうが。
スライムスターチはグミスライムのドロップアイテムである。
ギルドで手に入れて、家に帰った。
ミリアは、平鍋に水とワイン、魚醤とオリーブオイルを少し入れ
る。
下ごしらえした白身を投入し、煮込んだ。
割と普通の煮つけ料理だな。
﹁スライムスターチはどうするんだ﹂
﹁これ、です﹂
ミリアがスライムスターチをミルで削る。
水に溶かし、少量を最後に平鍋に加えた。
なんかの調味料か。
隠し味ってところだろう。
いや、違う。
皿に盛るときに分かった。
あんかけだ。
スライムスターチってのは片栗粉だったのか。
白身一つを丸ごとミリアに進呈し、残りの一つを三個に切り分け
る。
三分の一でも結構多い。
1428
まあ残ったらミリアが片づけてくれるだろう。
ミリアの作ったあんかけ煮魚を食べてみた。
﹁なかなか旨いな﹂
悪くない煮つけだ。
結構旨い。
魚醤を使っているせいか、やや野趣にあふれている。
砂糖と酢で薄めれば、もっといけるのではないだろうか。
というか、それは甘酢あんかけか。
﹁食べた、です﹂
ミリアも満足そうだ。
さすがに大量に食べたのか、ロクサーヌやセリーから強奪するこ
ともなかった。
しばらくは魚なしで大丈夫だろう。
翌朝、試しに甘酢あんかけを作ってみる。
砂糖と酢と魚醤を入れた水を煮込み、スライムスターチでとろみ
をつけた。
別に作った野菜炒めの上に、甘酢あんをかける。
うん。
ただの肉なし酢豚だ。
豚が入っていないのに酢豚とはこれいかに。
失敗したときが怖かったので野菜炒めにしたのが失敗だった。
﹁美味しいです、ご主人様﹂
1429
﹁甘くて酸っぱくて、食べたことのない味です。すごいです﹂
﹁おいしい、です﹂
三人はほめてくれたが、酢豚を知らないからだろう。
微妙に物足りなさがある。
しかしそんな失敗にめげる俺ではない。
スライムスターチを使った新たな料理にチャレンジする。
あんかけは、できることは分かったし続いても飽きるから、パス。
パーンを倒して得たヤギ肉に魚醤を塗り、半日置いた。
﹁ミリア、スライムスターチを削ってもらえるか﹂
﹁はい、です﹂
夕方、帰ってからミリアに片栗粉を作ってもらう。
﹁ご主人様、仲買人のルークから伝言です。芋虫のモンスターカー
ドを落札したようです﹂
帰ったとき、ルークからのメモも残っていたようだ。
芋虫のモンスターカードからは身代わりのミサンガができる。
これで三個めだ。
決意の指輪があるから、全員分のアクセサリー装備がそろうこと
になるな。
まあそれは明日でいい。
ヤギ肉にスライムスターチをまぶし、揚げた。
北海道料理のザンギ、もしくは竜田揚げだ。
あまり赤くはならなかったが。
1430
唐紅にはなってくれない。
魚醤のせいか、ややどす黒い色になる。
見た目はあまりよくない。
食べてみると、普通に旨かった。
肉を揚げただけだから失敗する要素はあまりない。
満足のできる味だ。
現代日本の竜田揚げだってそんなに赤いのは見たことがない。
千早ぶる神代は知らず。
これで十分だろう。
1431
懸賞金
翌朝、朝食を取った後、商人ギルドへと飛んだ。
三人には片づけや洗濯を頼んでいる。
セリーにもまだ鍛冶はさせていない。
モンスターカードを入手したら融合がある。
﹁こちらが芋虫のモンスターカードです﹂
﹁確かに﹂
鑑定で本物と確認し、受け取った。
ルークが贋物を出してきたらと思うとちょっとどきどきする。
出してきたらどうなるんだろうか。
ルークはハルツ公の騎士団とも付き合いがあるので、その場で成
敗というわけにもいかないだろうし。
どこかに訴えて賠償金をふんだくる感じだろうか。
手続きを考えると贋物を出されるのも面倒だ。
ルークが変な考えを起こさないよう、たまにはギルド神殿で確認
してみるのもいいかもしれない。
ギルド神殿というのも一度見てみたいし。
﹁それから、これが賊の手配書です。ハルツ公の騎士団から預かっ
てきました。くれぐれも気をつけられたいとのことです﹂
ルークがパピルスを渡してきた。
1432
手配書とのことだが、似顔絵が描いてあるわけではない。
ブラヒム語か何かでだらだらと説明が書いてある。
ハルツ公の騎士団では手配書まで作ったのか。
もう倒しているのに。
無駄な出費をさせてしまった。
モンスターカードと手配書を手に入れて、家に帰る。
ミサンガとモンスターカードをセリーに渡した。
﹁それは何ですか﹂
﹁賊の手配書だ﹂
手配書まで取り上げられた。
セリーが横目で読む。
﹁兇賊のハインツですか。それと、狂犬のシモン﹂
﹁狂犬のシモンですか?﹂
ロクサーヌが声を上げた。
﹁知ってるのか﹂
﹁はい。狼人族の間では有名な海賊です。かなり強いのではないか
と言われていました。片手剣を使わせたら狼人族で右に出るものは
いないとか。ただ、私が子どものころ誰かに敗れたと聞きました。
無敵ではないようです。私も一度戦ってみたいです﹂
戦ってみたいとか。
相変わらず恐ろしいことを平然と言ってのける。
1433
﹁まあ、戦うのは無理らしいぞ。この間ハルバーの迷宮で倒した賊
がこいつらみたいだ﹂
﹁この間の盗賊ですか?﹂
﹁多分な﹂
﹁そういえば賊の中に狼人族も一人いました。そうですか。あれが
狂犬のシモンですか。そうすると、このレイピアが⋮⋮﹂
ロクサーヌが持っていたレイピアをかざして見上げた。
大物とされる割りに、シモンが持っていた武器はしょぼい。
どこか他に隠していたのか。
所詮は海賊なのか。
弘法は筆を選ばずなのか。
﹁そういうことになるな﹂
﹁狂犬のシモンを倒すなんて、さすがご主人様です﹂
倒した海賊がシモンだったとしても、魔法で倒したからな。
反則みたいなものだろう。
というか、剣で戦わなくて本当によかった。
セリーがモンスターカードを融合する。
身代わりのミサンガができた。
﹁できたな。さすがセリーだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
セリーが身代わりのミサンガを渡してくる。
いったん受け取った。
1434
﹁これはセリーが着けろ。どこに着ける?﹂
﹁足に着けます﹂
﹁分かった。足を出せ﹂
セリーの足首に身代わりのミサンガを巻く。
小さくて華奢な足だ。
可愛らしい。
纏足でもしたのかというくらいに小さかった。
背も低いのでこれくらいのものなんだろうが。
﹁ハルツ公の騎士団はかなり困っているようですね。懸賞金を払う
とき、インテリジェンスカードのチェックはやめるそうです﹂
ミサンガを何重にも巻いていると、セリーが声をかけてきた。
﹁そうなのか?﹂
﹁手配書に書いてあります﹂
インテリジェンスカードのチェックをやめるのか。
俺のジョブがチェックされないなら、盗賊のインテリジェンスカ
ードはすぐにも持ち込める。
しかし何故?
﹁抜き打ちでチェックするとか﹂
﹁それはないでしょう。そんなことをすれば、次からは盗賊がイン
テリジェンスカードを持ってこなくなります﹂
﹁ああ。盗賊にカードを持ってこさせるためなのか﹂
﹁盗賊がどこにいて何をしているか、一番知っているのは仲間の盗
賊です。盗賊にも懸賞金を払うようにすれば、彼らが率先して賊を
1435
倒してくれるでしょう。凶悪な盗賊が現れたときなどに過去にも使
われた手法です﹂
蛇の道は蛇ということか。
確かに、盗賊についてよく知っているのは盗賊だ。
盗賊を倒すのは盗賊にやらせれば効率がいい。
逆にいえば、盗賊には懸賞金を渡さないという現行のシステムは
盗賊を仲間の裏切りから守ってやっていることになる。
仲間のインテリジェンスカードを持っていけば金になるなら、盗
賊が徒党を組むことは難しくなるだろう。
盗賊を殺してきた盗賊にも黙って懸賞金を渡してやる方が、仲間
内での裏切りを推奨し、盗賊を減らすことになるに違いない。
﹁うーん。じゃあなんで普段からそうしないんだ﹂
﹁確かに盗賊であろうと誰であろうとインテリジェンスカードを持
ってきた者には懸賞金を渡してしまうのがよいと私も思います。帝
国では基本的に盗賊に懸賞金を支払うことを認めていません。賊の
利益になるからとされています﹂
セリーは盗賊に懸賞金を渡すことに賛成らしい。
やはりそれが合理的なんだろう。
この世界の現在の治安基準から考えれば、特に。
ただし、短期的には有効であるとして、長期的にどうかは分から
ない。
日本でも江戸時代に博徒に十手を持たせて二束の草鞋をはかせた
りしたが、うまくいったかどうかは疑問だ。
そういう優遇措置が暴力団につながっていったともいえる。
マフィアの発祥だって外国に支配されたシチリアの自治的な扶助
1436
組織だったというし。
現在騎士団に盗賊を取り締まるだけの力がないとしても、将来力
を持ったときにどうなるか。
盗賊に盗賊を倒させるやり方が悪しき慣例となる恐れはある。
盗賊には懸賞金を払わないというのは、一つの見識ではあるのだ
ろう。
翌朝、盗賊のインテリジェンスカードを持ってボーデに赴いた。
インテリジェンスカードのチェックがないなら、すぐにも換金で
きる。
盗賊はすでに倒してしまっている。
時間がたてば、目撃情報との差異が広がるだろう。
早ければ早いほど話に矛盾が出にくい。
手配書をもらってすぐに行くのも待っていたみたいに思われるお
それがあるので、一日だけ時間を置いた。
探索者はまだLv41になったばかりだ。
おそらく、レベルが上がれば上がるほど、レベルアップに必要な
経験値は加速度的に増加していくのだろう。
獣戦士Lv31のロクサーヌに鍛冶師Lv31のセリーが追いつ
いたのはいいとして、海女Lv30のミリアまでが追いつきそうだ。
Lv1からLv30まで上がるのに必要なすべての経験値と、L
v30からLv31に上がるのに必要な経験値とで、何倍もの違い
はないのだと考えられる。
あるいは、適正なレベルの範囲があるのかもしれない。
十六階層のLv16の魔物を倒しても、こちらがLv40だと半
1437
分の経験値しか入らないとか。
レベルアップの仕様は完全には分からない。
英雄はつけっぱなしにしているのにまだLv37だ。
ジョブによってレベルの上がりやすさに違いがあることは間違い
がない。
いずれにしても、冒険者に必要な探索者Lv50まではまだ時間
がかかる。
冒険者のジョブを得るまで待つことはかえって危険だ。
早めに換金した方がいい。
ハルツ公の騎士団以外のところに兇賊のハインツのインテリジェ
ンスカードを持ち込むのも駄目だ。
公爵から兇賊のハインツの話を直接聞き、手配書まで渡されてし
まった。
他へ持っていった話を知られたら、何故うちに持ってこないのか
となる。
一応最悪の事態を想定して、ボーデの冒険者ギルドの壁に出た。
公爵の住む城にはボーデの町から入る。
インテリジェンスカードをチェックされても、探索者に戻ったと
言い訳できる、かもしれない。
見知った顔の騎士にインテリジェンスカードを渡した。
﹁団長を呼んでまいります。少々お待ちください﹂
騎士が奥に引っ込む。
呼ばなくてよかったのに。
さすがに金を受け取るだけというのは虫がよすぎるか。
1438
公爵やゴスラーがいない時間帯を狙って換金するという手も考え
た。
ただ、仰々しくなりすぎるのもどうなんだろう。
ボーデに行ったことのない時間に現れれば、いかにも事件を引き
起こしたかのように捉えられかねない。
いつもの時間に現れていつものような態度を取り、定時連絡でも
しているかのように振る舞うのが、特別なことは何もないというア
ピールになるのではないだろうか。
しばらく経って、ゴスラーが現れた。
﹁ミチオ殿、インテリジェンスカードを持ってこられたとか﹂
﹁先日、何者かに襲われた﹂
﹁実は昨日、ハルバーの十二階層で迷宮の壁に遮蔽セメントが塗ら
れているところが見つかりました﹂
﹁ああ、多分その場所だ﹂
盗賊の待ち伏せしていた場所が見つかったようだ。
ぎりぎりセーフ。
早めに持ってきてよかった。
いつもの時間に持ってきたのも正解だ。
変な時間に持ち込んだら、倒してから間をおかずに持ってきたと
判断されただろう。
﹁そうですか。仕掛けだけがあって盗賊がいないので変だと思って
いましたが、すでに倒された後でしたか﹂
ゴスラーが勝手に解釈している。
1439
事実には違いない。
ちゃんと約束どおりハルツ公領内の迷宮に入っていることが示せ
たし、万々歳だ。
﹁団長﹂
﹁どうだ﹂
﹁ハインツの一味です﹂
最初の騎士が戻ってきて、ゴスラーと会話した。
やはり兇賊のハインツの一味だったか。
﹁間違いないか﹂
﹁はい﹂
﹁それではミチオ殿、こちらにお越し願えますか﹂
騎士に確認したゴスラーが振り返って俺を誘う。
﹁分かった﹂
城の中へ入っていった。
今まで入ったことのない方向に連れて行かれる。
﹁ハインツの一味と戦ったようですが、ご無事でしたか﹂
﹁なんとか﹂
﹁ハインツの一味を倒すとは驚きました。実にたいしたものです﹂
﹁まあ、一味を倒しただけかも﹂
城の廊下を歩きながらゴスラーと会話した。
少なくとも、爆殺した海賊のインテリジェンスカードはない。
ハインツの一味で一番強いのはあの海賊だろう。
1440
海賊のインテリジェンスカードが四散して残らなかったことは、
よかったのかもしれない。
﹁ハインツを倒したのはミチオ殿だとか﹂
ゴスラーに連れられて入った部屋には先にハルツ公爵がいた。
﹁確かにそのようです﹂
﹁おお。さすが余が見込んだだけのことはある。無事か?﹂
﹁はい﹂
強敵まで倒したとなっては、相変わらず腰の軽いこの公爵からさ
らに目をつけられかねない。
﹁最後はエルマーです。シモンのカードはありません﹂
部屋の中に白いボックスのようなものがあった。
インテリジェンスカードがボックスの上に置かれている。
騎士が一人近くに立ち、インテリジェンスカードを読んでいた。
人の体から排出されたインテリジェンスカードには何も書かれて
いない。
あの装置を使うと読めるのか。
﹁シモンのインテリジェンスカードはなかったか。だが、ハインツ
のカードはあった。さすがミチオ殿じゃ。まあ、ハインツのジョブ
は本当に兇賊になっておったがの﹂
﹁ハインツのインテリジェンスカードがあったのですか﹂
公爵の言葉をゴスラーが聞き返している。
1441
兇賊のインテリジェンスカードは持ってきた。
やはりあれがハインツらしい。
そうすると倒した海賊がシモンか。
﹁はい、団長。ハインツのインテリジェンスカードはありました﹂
﹁シモンのインテリジェンスカードはないと﹂
﹁そうです﹂
ゴスラーと騎士が会話する。
﹁ミチオ殿、シモンについて心当たりはありませんか﹂
﹁カードを回収できなかった賊もいますが、そこまで強かったかど
うか﹂
倒したとはいわなくていいだろう。
スゴ腕の海賊をどうやって倒したのかという話になる。
明かしたところで証拠もないし。
﹁ミチオ殿はシモンを倒していないのか。シモンだけ別行動だった
のか。仲間割れでもしたのか。領内のどこかに潜んでいるのか⋮⋮﹂
﹁シモン一人だけが逃げ延びたところでセルマー領でのような脅威
にはなるまい。余の領内で好き勝手はさせぬ﹂
﹁それはそうですが⋮⋮﹂
ゴスラーが悩んだ。
治安維持に責任のある騎士団長としては行方が気になるのだろう。
まあゴスラーにはせいぜい杞憂していてもらおう。
﹁こちらが賞金です﹂
1442
ボックスの横に立っていた騎士がなにやら装置をいじった。
ボックスからお金が出てくる。
あの装置は金庫でもあったのか。
﹁ミチオ殿はギルド神殿から貨幣が出ているところを見るのは初め
てか﹂
公爵に見咎められた。
呆けた顔をしていただろうか。
﹁は、はい﹂
﹁あれが余の騎士団のギルド神殿じゃ。騎士の叙任もここで行う。
もしミチオ殿が騎士になりたければ、余の騎士団に入るなら今この
場で騎士への転職を執り行ってもよいが、どうじゃ﹂
ボックスを鑑定してみる。
確かにギルド神殿と出た。
あれがギルド神殿なのか。
俺にはジョブ設定があるからいいが、一般には各ギルドのギルド
神殿で転職を行う。
騎士になるにも、騎士になるためのギルド神殿が必要なのだろう。
﹁いえ﹂
﹁まあわざわざ冒険者から騎士に変わる者は少なかろうがな。それ
に、騎士になるには戦士として修行を何年、何十年も積まねばなら
ん。ミチオ殿に簡単に騎士になられては立つ瀬がないわ﹂
公爵が笑う。
冗談だったようだ。
1443
ツボがよく分からん。
騎士になるために戦士の修行が必要ということは、やはり戦士L
v30が騎士のジョブの取得条件なのだろう。
戦士はラッシュを使うときにジョブを設定していて、現在Lv2
9だ。
Lv30まではもう少しだな。
﹁これを﹂
騎士が賞金の入った巾着袋を公爵に差し出した。
﹁懸賞金を入れておくと、どこの騎士団の神殿でもインテリジェン
スカードと引き換えに取り出せる。まことによくできた装置じゃ﹂
﹁なるほど﹂
﹁しかし思ったより少ないの﹂
巾着袋を受け取った公爵が疑問の表情を浮かべる。
﹁兇賊のハインツはセルマー領で散々暴れまわっています。確かに
少ないかもしれません。ただし、シモンの分がありませんので﹂
﹁それにしても少ないが。まああそこの騎士団員が何人もシモンに
やられたと聞いておる。シモンにばかり賞金をかけたのかもしれん。
ではミチオ殿﹂
ゴスラーの説明に納得して、公爵が懸賞金を渡してきた。
インテリジェンスカードのチェックは宣言どおりなしのようだ。
シモンのインテリジェンスカードを回収できなかったのは、賞金
的には残念だったか。
1444
無理難題
懸賞金をうやうやしく受け取った。
﹁帝府にかけあってインテリジェンスカードのチェックをしないよ
う特例を認めさせたのに、無駄になってしまったな﹂
公爵がのたまう。
無駄にはなっていないのだが。
まさか見せろとかいわないよな。
﹁帝府というのは、帝国にかけあったのですか﹂
﹁頭の固いやつらだが、最後には認めさせた。盗賊は盗賊に取り締
まらせるのが一番じゃ。ミチオ殿もそうは思わんか﹂
公爵はセリーと同じ意見のようだ。
せっかちな公爵らしい考えではある。
﹁そうですね。短期的にはそう思います﹂
﹁ほう。長期は違うと﹂
﹁えっと。いや、盗賊に盗賊の取り締まりをさせると、取り締まる
側と取り締まられる側との緊張関係がなくなってしまいます。長い
目で見ると、うまくいかないこともあるかもしれません﹂
やべ。
反対意見になってしまった。
1445
﹁盗賊を取り締まる騎士団には矜恃が必要ということですか。確か
にそういうこともあるかもしれません﹂
﹁むむ。ゴスラーまで⋮⋮。あやつらの頭が固いだけではなかった
ということか﹂
﹁た、短期的にはもちろん有効でしょう﹂
あわててフォローする。
公爵に反対意見なんて述べてもよかったのだろうか。
粛清されるね。
﹁お呼びになられましたでしょうか﹂
そのとき、部屋の外から声がかかった。
これでうまく話がそれる。
あなたが神か。
﹁カシアか。入れ﹂
﹁はい﹂
女神だった。
ドアが開いて、カシアが入ってくる。
相変わらず美しい。
肌の露出のほとんどない水色のゴシックドレスに身を包んでいた。
静謐で、優美で、匂いたつような気品にあふれている。
絵画に出てくる貴族の貴婦人という感じだ。
というか、本物だけど。
侍女らしき人が一緒に入ってきて、後ろに控えた。
声をかけてきたのは侍女のようだ。
1446
こちらもやはりエルフの美人さん。
とはいえ、格調高いカシアの美しさは一歩抜きんでている。
﹁ミチオ殿はカシアと同じく、盗賊に盗賊を当てるのはよくないと
いう考えのようじゃ。取り締まる側と取り締まられる側には緊張関
係が必要だと申しておる﹂
﹁まあ。さようでございますか﹂
カシアが俺を見て軽く微笑む。
女神の微笑だ。
﹁癒着する可能性があるのではないかと﹂
﹁そうですね。貴族は貴族にふさわしい振る舞いを行うべきでしょ
う﹂
﹁緊急避難としては、盗賊に盗賊を取り締まらせる手もありだと思
いますが﹂
カシアを見つめてばかりもいられない。
公爵の目が気になって、つい肩を持ってしまった。
粛清はよくない。
﹁しかしその必要もなくなったようじゃ。カシアよ、喜べ。ミチオ
殿がハインツの一味を成敗してくれた﹂
﹁まあ﹂
カシアが、目を見開き、喜びの表情で俺を見る。
どこまでも澄んだ青い瞳。
吸い込まれそうなくらいだ。
というか吸い込まれたい。
1447
﹁シモンだけが逃れたようだが、一人ではたいしたこともできまい。
案外、もうくたばっているかもしれん﹂
確かにそのとおりです。
﹁ありがとうございます。ハインツが跋扈していたのはわたくしの
実家に当たるセルマー伯の領内です。わたくしの知り合いもハイン
ツに殺されました。ミチオ様はわたくしにとっても仇をとってくれ
たことになります﹂
カシアが頭を下げた。
艶のある綺麗な金色の髪がざっくりと流れ落ちる。
﹁いえいえ、とんでもない。ありがたいお言葉です﹂
﹁こちらの領内に入ったのではないかと聞いて心配しておりました。
これで領民も安心できるでしょう﹂
﹁お役に立つことができて光栄です﹂
カシアに心配していただいただけで領民には十分だ。
﹁ハインツかその一味で、指輪を装備しておる者がいなかったか﹂
公爵が俺に尋ねてきた。
俺はアイテムボックスから決意の指輪を取り出し、公爵に渡す。
﹁指輪であれば、これですね﹂
﹁おお。⋮⋮いや。ここまで新品ではなかったような。余の記憶違
いか﹂
決意の指輪はキャラクター再設定によって生まれ変わってしまっ
1448
た。
もう戻せない。
﹁それしか見つかっていませんが﹂
﹁許せ。ミチオ殿のことを疑っているわけではない。ゴスラーはど
う思う﹂
﹁そうですね。もう少し傷があったようには思いますが。指輪を磨
いたのかもしれません﹂
﹁ハインツはセルマー伯のところから決意の指輪を盗んでおる。元
々は当家にあったものだ。カシアを娶るときに結納として渡した﹂
公爵が事情を説明する。
元々は公爵のところにあった装備品なのか。
というか、決意の指輪を結納にすればカシアを娶れるのか。
﹁結納⋮⋮﹂
﹁庶民とは逆だからな。庶民の場合、魔物と戦うのはどうしても男
性が多い。だから男性の数が減り、女性があふれてしまう。これが
庶民の女性が結婚のときに持参金を必要とする理由だ。持参金が足
りなければ一夫多妻になる。貴族の場合、男性であれ女性であれ魔
物と戦う。男性の数だけが減るということはない。結婚のときには
男性側が結納を支払うのじゃ﹂
何を勘違いしたのか、公爵が貴族の結納について説明してきた。
貴族の結納どころか庶民の結納も知らなかったのだが。
この世界では結婚のとき女性が男性に金品を払うらしい。
昔は戦争で男性が死ぬことが多く、イスラム教が一夫多妻なのは
その救済のためだったという話を聞いたことがある。
それと同じようなものか。
1449
﹁なるほど﹂
﹁これがハインツが持っていた決意の指輪なら、是非余が買い取り
たいのだが、どうじゃ﹂
﹁由来のある品ですか﹂
﹁五代前の先祖が固定のときにいただいたものだ﹂
決意の指輪はやはり固定で出てきたものらしい。
﹁そのような事情であれば﹂
しょうがない。
断る理由もない。
﹁では、防具鑑定のために指輪は余の方で預からせてもらおう﹂
﹁はい﹂
決意の指輪を取られてしまった。
値段とかどうするのだろう。
貴族がつけた値に従えということだろうか。
公爵やカシアのことだから、安値で取り上げることはないと思う
が。
白紙の小切手を出すような感じかもしれない。
言い値で払うと。
それも困る。
﹁ミチオ殿をセルマー伯のところへ連れて行きたいと思うが、カシ
アはどう思う﹂
1450
公爵がさらに恐ろしい提案をしてきた。
別に賞金だけもらえればそれでいいのだが。
﹁はい。もちろんセルマー伯からも感謝の言葉があってしかるべき
でしょう﹂
カシアも賛成のようだ。
それでは行かずばなるまい。
﹁そうであろう。ミチオ殿もよろしいか。なに、少しの時間頭を下
げておけば終わる話じゃ。堅苦しく考えることはない。決して悪い
ようにはいたさぬ。迷惑をかけることはない。行くのはミチオ殿一
人でよいぞ﹂
﹁はあ﹂
﹁ミチオ様はあの賊を倒されたのです。セルマー伯にも謝意を表明
する機会を与えていただければと思います﹂
﹁分かりました﹂
カシアに頼まれたのでは嫌とはいえない。
できれば断りたいが、断る理由が思いつかない。
﹁セルマー伯が討てなかった盗賊を余の領内で仕留めたのだからな。
余も自慢できるというものじゃ﹂
それが公爵の本音か。
美人の嫁を奪ってしまったために義実家との関係がうまくいって
いないのではないだろうか。
そういうことに巻き込まないでいただきたい。
﹁セルマー伯との連絡はわたくしが取りましょう。すぐというわけ
1451
にもまいりません。ミチオ様、三日後の朝、再度ボーデへいらして
いただいてもよろしいでしょうか。それまでに日取りを決めておき
ます﹂
﹁はい。三日後ですね。それでは三日後にうかがわせていただきま
す﹂
頭を下げ、公爵とカシアの下を辞した。
話も終わったようなのでちょうどいい。
いつまでもカシアのそばにいたいが、そういうわけにもいかない。
さらなる無理難題を押しつけられる可能性もある。
インテリジェンスカードを見られないうちに撤退した方がいいだ
ろう。
﹁ミチオ殿、こちらです﹂
ゴスラーがロビーまで送ってくれた。
﹁ゴスラー殿、この辺りに、漁村というか漁港というか、魚が豊富
に手に入るところはあるか﹂
﹁領内の漁村といえば、ハーフェンですね。良質の魚が獲れること
で有名です。よろしければ、騎士団の冒険者に案内させましょう﹂
やはりハルツ公領内にいい漁村があるようだ。
ハルツ公領が海に面していることは、コハクが海で採れるという
話から分かってはいた。
北の海だから期待できるだろう。
﹁ここがハーフェンになります﹂
1452
冒険者が連れてきてくれたのは、漁村の魚市場だった。
潮の香りと魚のにおいが強烈に入り混じっている。
水揚げされた魚をはさんで、売り手と買い手がやり取りをしてい
た。
﹁これは騎士団のかたではございませんか。何かご用でしょうか﹂
到着すると、すぐにエルフの男が話しかけてくる。
漁村の人だろう。
村長Lv3だ。
村長なのか。
﹁このかたの話を聞いてほしい。それでは、私はこれで﹂
俺を連れてきた冒険者はすぐに帰っていった。
﹁どのようなご用でございましょうか﹂
﹁ここでは俺でも魚を手に入れることは可能か﹂
﹁はい。特に制限はございません﹂
冒険者が帰ってしまったので、村長と直接話す。
俺でも大丈夫のようだ。
それだけ聞けば十分か。
﹁いつもこんなに盛況なのか?﹂
﹁毎朝、場所を変えて網を入れます。大漁不漁はその日の運です。
獲れた魚をここで売りに出します。今日はなかなかの漁でございま
した﹂
﹁では、近いうちに魚を買いに来るとしよう﹂
1453
﹁お待ちしております﹂
顔をつないで、家に帰った。
帰って賞金を確認する。
金貨三十九枚に銀貨が五十二枚。
三十九万五千二百ナールだ。
こんなものといえばこんなものだが、少ないといえば少ないか。
持ち込んだ八枚のインテリジェンスカードのうち、六枚は盗賊の
レベルが低い。
十台二十台だ。
六人まとめても十万ナールかそこらだろう。
一人だけレベルの高い盗賊がいたから、この盗賊が一人で十万ナ
ールいけばいい方。
とすると、兇賊のハインツの懸賞金は約二十万ナールということ
になる。
これはやはり少ないというべきか。
こんなものというべきか。
今更どうでもいいといえばどうでもいいが。
文句をいったところで増えるわけもなし。
﹁インテリジェンスカードも渡してきたし、これからはハルバーの
迷宮に入ることになる﹂
朝食を取りながら、ロクサーヌたち三人に話した。
盗賊も倒したのだし、ハルツ公領内の迷宮に戻らないといけない
だろう。
1454
シモンが一人行方不明で残っていると強弁することも可能だが。
そこまでこだわることでもない。
﹁ハルバーの迷宮十三階層の魔物はピッグホッグです﹂
﹁ピッグホッグか。弱点は水魔法だったよな﹂
﹁そうです﹂
セリーに確認する。
ハルバー十二階層のグラスビーは風魔法が弱点、十三階層のピッ
グホッグは水魔法が弱点か。
効率的にはクーラタルの十六階層の方がいいだろうが、しょうが
ない。
そうそう都合よくはいかない。
ハルバーやターレの十六階層に案内してもらうという手もあるが、
魔物の並びが違えば意味はない。
それに一階層ずつ順に探索していった方が安全だ。
冒険者のジョブも早めに獲得しておくに越したことはないが、一
日二日で探索者Lv50までなれるわけもない。
﹁あと、懸賞金も入ったことだし、しばらくしたら戦力の拡充も考
えたい﹂
﹁はい。当然のことです﹂
﹁すぐにというわけではない。ミリアがなじむのを見計らってから
だ﹂
﹁××××××××××﹂
﹁はい、です﹂
ハーレム拡張宣言もしておいた。
ミリアがロクサーヌの通訳に頼り切っているうちはまだまだか。
1455
ブラヒム語を完全にマスターするには時間がかかるだろうが、あ
る程度の意思疎通はできるようにならないとな。
﹁それから、決意の指輪はハルツ公に売ることになると思う。公爵
の先祖が固定で出したものだそうだ。ミリアには悪いが﹂
﹁やはりそうですか﹂
﹁はい、です﹂
セリーとミリアがうなずく。
セリーが身代わりのミサンガを装着した後、決意の指輪はミリア
が着けていた。
たった一日だけになってしまったが。
ミリアにそれほど落ち込んだ様子はない。
取り上げる形になってしまったが、大丈夫か。
﹁その代わりといってはなんだが、ハルツ公の騎士団から領内にあ
る漁村を紹介してもらった。明後日にでも行ってみよう﹂
フォローも兼ねて、提案する。
﹁すごい、です。はい、です﹂
ロクサーヌの通訳を聞いたミリアが目を輝かせた。
やはり装備より魚の方が大事らしい。
1456
北の海
﹁ハルツ公領は北にあるからな。漁村には海の幸がいっぱいだろう﹂
﹁そうなのですか?﹂
なんとなく発言した俺に、セリーが突っ込んできた。
やべ。
北の海が豊かなのは地球の話か。
この世界も同じだとは限らない。
南の方が魚が豊富な可能性がないとはいえない。
﹁いや。なんとなく北の方が魚が豊富そうかなと﹂
﹁寒い北よりも暖かい南の方が植物も動物も多いと思いますが﹂
﹁それは陸地の話だろう﹂
﹁ミリアも北の方が魚がよく獲れるという話を聞いたことがあると
言っています。ただ、その理由や本当かどうかは知らないそうです﹂
ミリアがいうのなら大丈夫だ。
よかった。
まあ条件は地球と似たようなものだろうしな。
﹁何故北の方が魚が多いのでしょうか。不思議です﹂
﹁不思議、です﹂
セリーとミリアが意気投合している。
妙なところで。
1457
ロクサーヌをはさんで二人して首をかしげた。
﹁海というのは水ばかりだからな。基本的に栄養が足りないんだ﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁そうだ。海の栄養はどこにあるか。魚は死ぬと海の底に沈む。底
に沈んだ魚を小さな虫が分解する。その小さな虫を大きな虫や小魚
が食べ、小魚を今度は大きな魚が食べる。大きな魚が死ぬと再び海
の底に沈む。海の栄養というのはこうやって循環している。だから、
海の栄養の多くは海底にある。底の方は栄養が豊富だが、それ以外
のところは栄養が少ない。海で魚の数が増えないのは栄養が足りな
いからだ。これが海の基本だ﹂
生物の授業で習ったことを教えてやる。
バクテリアとか有機物とか食物連鎖とかいっても分からないだろ
うし。
﹁××××××××××﹂
﹁栄養豊富な海の底は水が冷たい。南の海だと、上の方は日に温め
られて水温が高くなる。上の方の温かい水と底の冷たい水は混ざり
にくい。だから、底の栄養が全体に行き渡らない。一方で北の海だ
と、底の水は冷たく上の水も冷たい。両者がよく混ざる。底の方の
栄養が全体に広がりやすい。これが、南の海よりも北の海の方が魚
が多い理由だ﹂
ロクサーヌが翻訳するのを待ちながら、説明した。
﹁ご主人様、さすがです。ミリアも初めて知ったと言っています﹂
﹁うーん。なんかうそ臭いです﹂
﹁すごい、です﹂
1458
セリーとミリアで反応が分かれたな。
ミリアが素直なのにセリーは批判的だ。
ミリアの反応は、ロクサーヌの薫陶の賜物だろう。
セリーの方は俺のことを全然信用していないということが分かる。
﹁うそ臭いけどそういう理由だから﹂
﹁うーん﹂
﹁本当だから﹂
﹁騙そうとしてませんか﹂
﹁騙そうとしてないから﹂
何故だ。
嘘をついた覚えもないのに。
﹁さっきはなんとなくと言っていました﹂
﹁⋮⋮﹂
そうだっけ。
﹁海の表面が、南の海では温かく北の海は冷たい。ここまではいい
でしょう。しかし、南の海の底の水が冷たいのなら、北の海の底の
水はもっと冷たいのでは。結局温度差は変わらないのではないでし
ょうか﹂
﹁いい質問ですねえ。水は冷たくなると凍る。そして氷は水に浮く
んだ﹂
﹁氷は水に浮くのですか?﹂
あれ。セリーは氷を知らないのか。
まあこの世界に冷蔵庫や冷凍庫はないしな。
1459
﹁氷は水に浮く。冬に湖の表面が凍った話とか、聞いたことないか﹂
﹁聞いたことがあります﹂
﹁それと同じだ。北の海でもあんまり冷えすぎると表面が氷に覆わ
れる。底の水はそれ以上冷たくならない。北の海と南の海とで底の
水温は大きくは変わらない。表面の温度だけが、北の海と南の海で
大きく違うんだ﹂
﹁うーん。なるほど。なんかそこまでいわれると理路整然としてい
るような気がしてきました﹂
おお。
ついにセリーを説き伏せることに成功した。
科学の勝利。
この一歩は小さいが人類にとって偉大な一歩である。
セリーを調伏した後、ハルバーの十三階層に赴いた。
ピッグホッグ二匹をウォーターストーム五発で屠り、グラスビー
を追加のブリーズボール二発で仕留める。
合計七発か。
﹁やはりこうなるのか﹂
七発ということは、数の上ではクーラタルの十六階層と変わらな
い。
戦闘時間はほぼ同じということになる。
半数は途中で倒せるとしても。
﹁大丈夫です。クーラタルの十六階層で戦ってきたのです。このく
らいはなんでもありません﹂
1460
安全面としてはロクサーヌのいうとおりだ。
しかし、効率は悪い。
微妙に損をした気分になるな。
十六階層から十三階層に来たのに戦闘時間が変わらないとは。
まあしょうがない。
公爵の依頼もある。
クーラタルの十六階層ならすぐに冒険者になれるわけでもなし、
ハルバーの十三階層を探索するのがいいだろう。
その日からはハルバーの十三階層に入りながら、雑事を片づけた。
まず、翌日には帝都の服屋でミリアのメイド服を受け取る。
ミリアが来てから十日ちょっとか。
ハーレムメンバーを増やすのは、もう少し慣れてからがいいだろ
う。
夕方、ミリアのメイド服を持って帰ってきた。
ロクサーヌとセリーも居間に自分のメイド服を持ってくる。
﹁ではミリアに着付けを教えますね﹂
ロクサーヌがそう言って自分の服を脱いだ。
ロクサーヌが服を脱ぐと豊かで大きくて柔らかいものが。
いつ見ても見慣れない。
いつ見ても最高だ。
大きくて妖艶な胸が楚々とした紺のメイド服に隠される。
隠されたままゆさゆさぱふぱふと揺れ動く。
け、けしからん。
1461
実にけしからん。
動かないようにメイド服の上から押さえ込んだ。
弾力がまたすばらしい。
ミリアのメイド服も、ロクサーヌやセリーのメイド服とエプロン
部分の意匠が少し違うだけで、同じようなものだ。
小さく立ったネコミミにメイド服がよく似合う。
﹁しかしなんでここで着替えを﹂
寝室で着替えていたらその場で押し倒せるのに。
そうさせないためか。
﹁えっと。ここで着替えるとご主人様が寝室まで運んでくれます﹂
運びましたとも。
もちろん運びましたとも。
背中とひざの下に腕を入れ、ロクサーヌを横にして力強く抱えあ
げる。
滑らかな身体を抱き上げ、ゆっくり丁寧に運んだ。
生まれたての小鹿のようにふるふると震える胸元を注視しながら。
腕にしっとりとかかる重み、柔らかな弾力。
すべてがすばらしい。
小柄なセリーは軽い。
華奢な足を腕に乗せ、がっちりとホールドして俺の体に密着させ
る。
小さな身体を楽々と運んだ。
1462
最後にミリアを運ぶ。
抱き上げると、ネコミミがひくひくと動いた。
腕の中でおとなしくなったミリアを優しく運ぶ。
運んだ後はいただきましたとも。
もちろんいただきましたとも。
食事の用意も忘れて三人を食べました。
ごちそうさま。
翌朝、ハーフェンの魚市場に出た。
やはり潮の香りと魚のにおいが強い。
﹁お、お、お、お﹂
ミリアが何かいいたげに俺を見る。
何がいいたいのやら。
分からなくもないが。
﹁朝食にするか、それとも夕食か﹂
﹁夕食にすると言っています。少し時間がたった方が美味しいそう
です﹂
ロクサーヌが訳すと答えが返ってきた。
いろいろこだわりがあるようだ。
﹁じゃあ好きなのを選べ﹂
﹁はい、です﹂
1463
ミリアの先導で市を見て回る。
市場には結構な種類の魚が置いてあった。
少しだがエビやカニも売っている。
やがてミリアが店のおばちゃんとなにやら話し込んだ。
﹁話が通じるのか﹂
﹁そうですね。バーナ語とは少し違いますが、ゆっくり話せば意思
の疎通はできます﹂
バーナ語というのはロクサーヌやミリアが話す言葉だ。
おばちゃんにはネコミミがついている。
ミリアとおばちゃんの話す言葉は、スペイン語とポルトガル語く
らいの違いなのかもしれない。
﹁これ、です﹂
ミリアが魚を指差し、俺の方に振り返った。
アジみたいな小ぶりの魚だ。
アジに決めたのか。
﹁これを八匹だそうです﹂
﹁しかし入れるものがないな﹂
買い物籠を持っていなかった。
パンは持ったまま帰れるし、野菜は普段リュックサックに入れて
運んでいる。
リュックサックが魚臭くなるのは避けたい。
ミリアなら、歓迎するかもしれないが。
﹁××××××××××﹂
1464
﹁××××××××××﹂
﹁桶を二十ナールで譲ってくれるそうです﹂
ロクサーヌが店のおばちゃんと交渉した。
﹁じゃあ桶とその魚を八匹な﹂
ロクサーヌが訳して注文すると、おばちゃんが店を離れてどこか
へ行く。
桶を持ってくるのだろう。
﹁××××××××××﹂
魚を指差しながら、ミリアが何ごとか説明した。
﹁ここの魚は綺麗に内臓を取って血抜きも丁寧にしてあるそうです﹂
﹁なるほど﹂
きちんと処理ができているということか。
そういうので味も変わってくるだろう。
現代の漁と違って個人差が大きいのかもしれない。
さすがはミリアだ。
おばちゃんが桶を持って帰ってきた。
すし屋の出前に使うような、取っ手のついた平たい桶だ。
桶にミリアが魚を八匹入れる。
﹁二十八ナールです﹂
値段をロクサーヌが通訳した。
1465
安。
一匹一ナールか。
村人のおばちゃんが相手では三割引は効かない。
﹁これでいいか﹂
﹁はい、です﹂
ミリアがうなずいたので、家に帰る。
﹁ちっちゃいけど、これでよかったのか﹂
﹁あれは地引き網で取れた魚だそうです。網を引く人は手のひらよ
り小さい魚を自分のものにできると言っています。だから、小さい
魚は安い上にしっかりと処理がしてあり、美味しいのだそうです﹂
﹁なるほど。さすがミリアだ﹂
﹁はい、です﹂
ミリアが胸を張った。
頭をなでてやる。
魚は夕方まで台所に置いた。
夕方、ミリアが三枚におろしてソテーする。
歯ごたえのあるプリップリの食感だ。
美味しかった。
﹁旨いな﹂
﹁はい、です﹂
いち早く自分の分を食べ終わったミリアがじーっと魚の載った皿
を見ている。
皿を取り寄せようと左に動かすと、ミリアの目も左に動いた。
1466
皿を右に戻すと、ミリアの目も戻る。
﹁⋮⋮俺は魚はもういいかな﹂
﹁私も十分にいただきました﹂
﹁私もです﹂
やはりこうなるのか。
﹁ミリア、残りの魚は全部食べていいぞ﹂
﹁はい、です﹂
今日も今日とて献上させられた。
翌朝はカシアとの約束の日だ。
最悪の事態を想定して、ボーデの冒険者ギルドにワープし城に向
かった。
どこの馬の骨とも分からない者を伯爵に引き合わせてよいかどう
かは疑問だ。
インテリジェンスカードのチェックぐらいはやる可能性があるの
ではないだろうか。
かといって公爵やカシアの頼みを断る適当な理由も思いつかず。
祖父の遺言で。
↓どんな遺言だよ。
そのような晴れがましい場には。
↓公爵にいつもお目通り願ってるだろ。
1467
盗賊との戦いでパーティーメンバーが死んでいるので自分だけが
栄誉を受けるわけには。
↓もう無事だって言ってあるし。
迷宮で魔物に不覚を取って大怪我を。
↓回復薬で治せるはず。
親が死んだので郷里へ帰ることに。
↓クーラタルにいるのがばれたらえらいことに。
急病で。
↓ごまかせるのもせいぜい数日か。
いや。ここしばらくは本当に胃が痛かった。
何もいわずに逃げ出す手もあるが、結局逃亡するのなら冒険者で
ないことがばれてから失踪しても同じことだろう。
なにも現時点で夜逃げする必要はない。
もうここまできたらしょうがない。
後はなるようになれだ。
開き直った気持ちで城に入る。
ロビーには、公爵とカシアが待ちかまえていた。
カシアは優美な藤色のドレスにティアラみたいな髪飾りを着けて
いる。
美しい。
公爵の方もいつもよりぱりっとした服だ。
どちらも正装っぽい。
1468
﹁おお。ミチオ殿か。待っておった。しかし何故外から﹂
﹁えっと。いや、ちょっと﹂
﹁まあそのようなことはどうでもよい。参ろうか﹂
どうでもよくはないが。
もちろん聞かれないなら俺からいう必要はない。
﹁どちらへ﹂
﹁これからセルマー伯のところへ行く﹂
﹁これから?﹂
﹁三日後という話であったろう﹂
聞いてないよお。
﹁すみません、ミチオ様。閣下が日程はその方がよかろうと。セル
マー伯のところへは本日うかがうことになりました﹂
カシアが頭を下げる。
綺麗な髪が揺れ、ほのかに香りが漂ってきた。
カシアもセルマー伯のところへ行くので香水か何かをつけている
のか。
甘くかぐわしい香りだ。
正装のカシアは気高く、美しい。
豪華なドレスも宝石のついた髪飾りも、カシアの前ではただの引
き立て役だ。
カシアと一緒に行くのなら是非はない。
﹁なに、どうせすぐに終わる。ミチオ殿とて何度も来訪するよりよ
かろう﹂
1469
﹁よろしくお願いします﹂
﹁分かりました﹂
俺もカシアに向かって頭を下げた。
公爵は無視だ、無視。
せっかちな公爵のことだ。
こうなることは想定しておいてもよかった。
1470
ブラフ
﹁では参るか﹂
﹁服は?﹂
﹁そのままでかまわん﹂
﹁剣は?﹂
﹁アイテムボックスに入れておけば問題ない﹂
いくつか問題点を挙げるが、すべて却下されてしまう。
騎士団の冒険者にパーティーメンバーに加入させられ、セルマー
伯の居城まで連れて行かれた。
フィールドウォークで移動したのはロビーのような場所だ。
ボーデの城と同じような構造になっているのか。
﹁ハルツ公爵以下六名、到着しました﹂
パーティメンバーの騎士が向こうの騎士に来訪を告げる。
﹁お待ちしておりました。それでは案内させていただきます﹂
向こうの騎士が丁寧に対応した。
話はちゃんとついていたようだ。
そうでなければ困るが。
段取りをつけたのは公爵ではなくカシアだから大丈夫か。
﹁頼む﹂
﹁冒険者のかたはここでお待ちください。冒険者を除く五名のかた
1471
は私についてきてください﹂
案内の騎士が奥に入っていく。
俺も冒険者なのだが。
﹁では参る﹂
公爵は俺を見てうなずくと、どんどん奥へ入っていった。
あのうなずきかたは、問題ないということか?
カシアも続く。
遅れるわけにはいかないので、俺も入っていった。
ずいぶん長いこと歩かされ階段もいくつか上って、大きな扉の前
に出る。
﹁伯爵が中でお待ちです﹂
﹁うむ。おまえたち二人はここで待て﹂
公爵がパーティーメンバーの騎士にオリハルコンの剣を渡した。
中に入るのは公爵とカシアと俺の三人か。
この先は公爵といえども帯刀禁止らしい。
俺の剣はアイテムボックスに入れたし、カシアは元から持ってい
ない。
案内の騎士が扉を開けた。
中はそれほど広くない。
こじんまりとした謁見室だ。
中央にイスが一つあり、小太りのエルフが座っていた。
彼がセルマー伯爵だ。
1472
40歳で騎士Lv21。
年齢の割りにレベルは高くない。
エルフでも小太りは小太りなのか。
小太りでもイケメンっぽいのは腹が立つ。
イスの後ろにはでかい垂れ幕がかかっていた。
左側の垂れ幕の模様は見たことがある。
ハルツ公のエンブレムだ。
そのエンブレムの方に公爵がずかずかと入っていく。
﹁さあ、ミチオ様﹂
カシアが声をかけてきた。
公爵、カシア、俺の順だと思ったが、公爵、俺、カシアの順らし
い。
公爵の後ろまで歩いて、頭を下げる。
頭を下げておけばいいと言われたからな。
これでいいだろう。
公爵は頭を下げていないが、同じというわけにはいくまい。
後ろから来たカシアが公爵の隣に並んだ。
横を通るとき、香水の匂いが漂ってくる。
俺は二人の後ろに隠れた形になって、一安心だ。
﹁ハルツ公閣下、よく参られた。カシアも久しいの﹂
﹁はい。叔父上におかれてもご健勝そうでなによりです﹂
カシアとセルマー伯が話した。
1473
実家だと言っていたが、カシアの叔父に当たるらしい。
しばらくは差しさわりのない話が続く。
﹁して、その者が?﹂
﹁この者が見事兇賊のハインツを倒したミチオ殿じゃ﹂
やがて話題が俺のことに移った。
﹁僥倖であったの﹂
﹁この者の手にかかればハインツを倒すことなど造作もないこと。
ミチオ殿には領内の迷宮退治にもご助力いただいておる﹂
﹁それはうらやましいの。我が領内は騎士団ばかりでてんてこ舞い
だ﹂
公爵とセルマー伯がなにやら寒々しい会話を。
話し振りが妙にとげとげしい。
運がよかっただけだろ。
彼はこっちの味方だもんね。
うちには助っ人なんか必要ねえんだよ。
というところか。
こんなのが領地のトップで大丈夫なんだろうか。
いや。ガキの喧嘩みたいな直接の言い争いをしないだけマシなの
か。
オブラートに包んでいるだけ大人だといえなくもない。
精神年齢が高いんだか低いんだかよく分からん。
﹁ハインツも討伐できなかった騎士団に迷宮を征伐できるのか、も
ちろん注目しておる﹂
1474
﹁騎士団がハインツを倒せなかったのはそちらも同じではないかの﹂
﹁セルマー伯爵もミチオ殿にご助力を願ってはいかがか﹂
﹁他を頼らねばならんような騎士団では苦しいのではないかの﹂
だんだん低レベルになってきているな。
﹁そういえば、ハインツの一味が指輪を装備しておったそうじゃ。
そうだったな、ミチオ殿﹂
﹁は、はい﹂
公爵の呼びかけに、頭を下げたまま答える。
﹁防具鑑定をさせたところ決意の指輪と出た。セルマー伯爵の方で
心当たりはないか﹂
﹁い、いや。知らぬの﹂
﹁であるか。ならば指輪は余の方で所持しておこう。もし必要だと
いうのなら売却することも考えないではない﹂
決意の指輪はハインツがセルマー伯から盗んだと聞いたが、どう
やら表沙汰にはしていないらしい。
公然の秘密、というところか。
それはまあ、領主が盗賊に物を盗まれました、では拙いだろう。
もっといえば、結納として送られた品を盗まれ、送った側が取り
戻した、では立つ瀬がない。
公爵が俺を連れてきたのはこのためか。
ハインツが決意の指輪を持っていたことを俺に証言させたかった
と。
﹁ところで、兇賊のハインツを倒したのは冒険者だと聞いたが、そ
1475
のようなことはあるまいの﹂
突然、会話の風向きが変わった。
﹁そんなことは﹂
﹁であろうの。何かの間違いだの﹂
﹁と、当然じゃ﹂
公爵があわてている。
やはり冒険者は駄目だったのか。
騎士団の冒険者もロビーで止められた。
冒険者ならフィールドウォークでどこにでも移動できる。
居城の中をあちこちうろつかせるわけにはいかないのだろう。
公爵はそれを知っていながら無視したのか。
﹁城の謁見室にまで冒険者を送り込んだとなれば、セルマー領に対
する侵略の意図があると判断してもおかしくはないの﹂
﹁そうであろうな﹂
﹁インテリジェンスカードのチェックをするのは簡単だが、公爵が
連れてきた者を疑うわけにもいくまいしの﹂
セルマー伯がぐいぐい押し立てる。
俺が冒険者だという話をどこからか聞いたのだろう。
セルマー伯はカシアの実家に当たる。
カシアの侍女あたりから聞き出すことは多分十分に可能だ。
﹁そうじゃな﹂
﹁しかしそれはそれとして、それなりの誠意を見せることがあって
もよいのではないかの﹂
1476
本当にすまないという気持ちで胸がいっぱいなら、どこであれ土
下座はできる。
誠意とは、それほど厳しいのだ。
﹁まさか余のことを﹂
﹁もちろん疑ってなどおらん。微塵も疑ってはおらんの﹂
﹁それなら﹂
﹁そうだの。かねてより懸案の件だが﹂
セルマー伯は公爵の態度で俺が冒険者であることに確信を持った
のだろう。
このチャンスになんらかの譲歩を迫るつもりなのか。
公爵は俺にハインツが指輪を持っていたと証言させ、セルマー伯
は俺が本来連れてきてはいけない冒険者だと指摘する。
両者痛みわけというところか。
﹁叔父上﹂
﹁もちろん疑ってはおらぬとも。公爵のことも、カシアのことも﹂
セルマー伯がカシアの制止をも突っぱねた。
ハルツ公とセルマー伯の争いは、どうでもいい。
争いの結果がどうなろうとも。
しかしカシアに迷惑がかかるのは駄目だ。
俺は頭を上げた。
﹁分かりました。疑いを晴らすために、インテリジェンスカードの
チェックをしていただきましょう﹂
1477
後ろに控えていた案内の騎士のところにゆっくりと歩いて向かう。
﹁しかしミチオ殿に恥をかかすわけには﹂
﹁かまわないのでは﹂
﹁ミチオ殿ばかりでなく、連れてきた余やカシアまで侮辱する行為
となる﹂
公爵と会話しながら。
俺が冒険者でないことを公爵が知っていたということはないだろ
う。
最初の態度を見るに。
つまり公爵の発言はブラフだ。
こちらはインテリジェンスカードをチェックされても困らない、
困るのはセルマー伯の方だとはったりをかまし、掛け金をレイズし
ているのだ。
セルマー伯がゲームから降りるように。
俺の話にこうしてすぐ乗ってくるあたり、公爵も一応は領主か。
政治的な駆け引きには慣れているらしい。
﹁いや。そこまでせずとも公爵やカシアが頭を下げれば﹂
﹁私のために公爵やカシア様に頭を下げさせるわけにはまいりませ
ん。どうぞチェックを﹂
しかし俺の方はブラフではない。
左腕を騎士の前に差し出した。
カシアが心配そうに俺を見つめる。
公爵もポーカーフェイスを保ったまま黙って俺を見た。
1478
﹁⋮⋮やれ﹂
二人の態度からブラフだと読み取ったのか、引くに引けなくなっ
たのか、セルマー伯が命じる。
公爵が軽く天を仰いだ。
騎士が俺のインテリジェンスカードを読み取る。
﹁ミチオ・カガ様。ジョブは探索者です﹂
騎士が告げた。
もちろん、冒険者と出るはずはない。
冒険者ではないのだから。
公爵とカシアが驚いた表情を見せ、セルマー伯がうなだれた。
﹁話は後日改めてうかがおう。今日のところは失礼させていただく﹂
公爵が大またでやってくる。
カシアも小走りに後を追ってきた。
俺のインテリジェンスカードを読んだ案内の騎士があわてて部屋
の扉を開ける。
扉の向こうに残っていた騎士二名がすばやく公爵の護衛に張りつ
いた。
﹁剣を﹂
騎士がオリハルコンの剣を差し出す。
公爵が受け取り、ずんずんと進んだ。
俺も後を追う。
ロビーに戻り、ボーデに帰るまで、公爵は一言も発しなかった。
1479
﹁ミチオ殿、すまなんだ。セルマー伯の居城にも当然遮蔽セメント
は使われておる。冒険者を入れないというのは古くさい伝統にすぎ
ぬ。まさか持ち出してくるとは思わなかった﹂
到着早々、公爵がぼやく。
﹁ミチオ様が冒険者だというお話は、実家から連れてきているわた
くしの侍女の誰かから聞いたのでしょう。きちんと口止めしておく
べきでした﹂
﹁いまさら仕方あるまい。余も迂闊じゃった﹂
﹁セルマー伯がこんな嫌がらせをしてくるとは思いませんでした﹂
カシアも同意見のようだ。
よく分からないが公爵やカシアにも想定外の言いがかりだったと
いうことか。
﹁それにしてもミチオ殿が探索者にジョブを変更していたのは驚い
た。インテリジェンスカードをチェックされるときには冷や汗をか
いた﹂
﹁こんなこともあろうかと﹂
﹁冒険者から探索者にジョブを変更することは不可能ではない。貴
族の館には冒険者を入れないとする古い慣行が残っているところも
あるしな。それを見越していたとは。いや、さすがミチオ殿じゃ。
なるほど、それで来るときにロビーの壁には出なかったのか﹂
公爵が勝手に判断して勝手に納得している。
最悪のときを考え外から入ってきて本当によかった。
﹁たまたまうまくいっただけで﹂
1480
﹁見事じゃ。ところで帰りはどうするのじゃ。必要なら誰かに送ら
せるが﹂
﹁外に仲間もおりますので﹂
適当なことを言って断る。
冒険者に戻るには通常どこかの冒険者ギルドで転職しなければな
らない。
どのギルドか特定されると、俺が転職していないことがばれてし
まう。
﹁それとこの間預かった指輪だがな。確かに決意の指輪で間違いな
いそうじゃ。対価として金貨二十枚を支払おう。それでよろしいか﹂
﹁ありがたく﹂
金貨二十枚か。
かなり高額だと思っていいだろう。
他の装備品の値段も考えたら、相場の限度は多分どんなに高くて
も十万ナールくらいのはずだ。
その倍を出そうというのだから。
予め決めてあったのか、すぐに他の騎士が巾着袋を持ってきた。
公爵がそれを渡してくる。
﹁それではミチオ様。本日はありがとうございました﹂
巾着袋を受け取ると、カシアが礼を述べて奥に引っ込んだ。
最後までいい匂いを香らせて。
﹁それでは私も﹂
﹁うむ。今日は世話になった。この礼はまたいずれ﹂
1481
カシアもいなくなったし、いつまでもいる意味はない。
俺もボーデの城から歩いて外に出た。
後をつけられていないか気にしながら、ボーデの迷宮まで徒歩で
移動する。
﹁探索はどこまで進んでいる﹂
﹁十階層です﹂
入り口の探索者と会話して、中に入った。
別につけられてもいなかったし、迷宮の中に入ってしまえばどの
階層に行ったかは分からない。
俺は一階層しか入ったことはないが。
一階層入り口の小部屋から、すぐ家に帰る。
﹁悪い。待たせたか﹂
﹁いえ。大丈夫です﹂
家に帰ると、朝食の準備はすっかりできていた。
日取りの話を聞いてすぐに帰るつもりだったからな。
いきなり連れて行かれるとは思わなかった。
何がこんなこともあろうかとだよ。
それでだまされる公爵も公爵だ。
イスに座り大きく息を吐く。
今日は疲れた。
まだ朝だというのに。
寿命の縮む思いだ。
1482
休むほどではないので、迷宮には入る。
その日の狩でジョブが二つ増えた。
戦士Lv30になったからだろう。
賞金稼ぎ Lv1
効果 器用小上昇 腕力微上昇 MP微上昇
スキル 生死不問
騎士 Lv1
効果 体力小上昇 知力微上昇 精神微上昇
スキル 防御 任命 インテリジェンスカード操作
賞金稼ぎと騎士だ。
どちらも戦士を鍛えることによってなれるジョブか。
タイミングがもうちょっと早かったら、セルマー伯のところでイ
ンテリジェンスカードのチェックを受けるとき、ファーストジョブ
を騎士にしておいたのに。
公爵が驚いたに違いない。
まあそんないたずらのために危険を冒すことはないか。
冒険者になるには探索者Lv50が条件だ。
冒険者なら必ず探索者のジョブを持っている。
冒険者だと思っていたのに探索者だったから、公爵は何も言って
こなかったのだろう。
冒険者だと思っていたのに騎士だったら、さすがに不審を抱いた
はずだ。
1483
地域活動
﹁賞金稼ぎのスキルである生死不問というのを知ってるか﹂
セリーに訊いてみた。
﹁魔物や盗賊に一撃死を与えるスキルだと聞いています﹂
﹁そうか﹂
いや。そう思ってさっきからやっているわけだが。
賞金稼ぎのスキル、生死不問が単体攻撃スキルであることは多分
間違いがない。
生死不問と念じると、対象の指定を求められる。
しかし、対象の指定を求められるだけで、一向に発動した気配が
なかった。
あるいは、単に少しダメージを与えるだけのスキルなんだろうか。
グラスビーに何度も喰らわせたのに結局倒すのに魔法八発かかっ
たから、大きなダメージは与えられていない。
与ダメが持っている武器に依存している可能性もあるとはいえ。
ロッドの物理攻撃力に期待はできないだろう。
ちなみに、僧侶の代わりに賞金稼ぎをつけたら、弱点の異なる魔
物を倒すのに魔法が八発かかるようになってしまった。
ピッグホッグを仕留めるのにウォーターストームが五発かかるの
は今までどおりだが、さらにグラスビーを倒すのに追加のブリーズ
ボールが三発必要だ。
1484
別の四匹の団体も、グラスビー二匹を屠るのにブリーズストーム
五発かけ、ピッグホッグ二匹を追加のウォーターストーム三発で倒
したので間違いない。
︵グラスビーには毒があるので、数が同じなら先に倒した方がいい︶
変えたことといえば、僧侶を賞金稼ぎにしただけだ。
フォースジョブの僧侶だが、ちゃんと有効だったらしい。
レベルが十や二十、三十のころには分からなかったが、上がって
くればさすがに違いが出るようだ。
まあ僧侶Lv40から賞金稼ぎLv1に落としたのだ。
多少の戦力ダウンはやむをえない。
スキルを調整してシックススジョブまで取得し、僧侶と騎士をつ
ける。
僧侶を戻したので、また魔法七発で倒せるようになった。
僧侶は六番目のジョブにしてみても有効。
賞金稼ぎと騎士の代わりにレベルが高くて知力上昇の効果がある
錬金術師と商人をつけてみたが、変化はなかった。
そんなむちゃくちゃに大きな影響はないのだろう。
ジョブを二つにしたらステータスが二倍になった、というほどの
効果はないに違いない。
それだったらセブンスジョブまでつけたらえらいことになるしな。
ちょっとしたボーナス程度か。
最初魔物を倒すのに魔法八発かかったときには、生死不問が攻撃
スキルではなく回復スキルなのかと疑った。
対象の生死を問わず、元気にさせるとか。
スキルを使わなくても結果は変わらなかったので、それはない。
1485
回復職ではなく賞金稼ぎが持っているスキルだし。
﹁下の階層の魔物の方が一撃死が出やすいそうです。経験を重ねて
強くなればなるほど発動しやすいという話も聞きました﹂
セリーがさらに説明する。
まあノーリスクで百パーセント一撃死が発動するなら最強すぎる。
パラメーター依存かレベル依存かで発動確率が左右されるという
ことか。
一階層の魔物になら発動するのかもしれない。
こっちがLv1ではあまり発動しないかもしれないが。
MPもそれなりに使うみたいなのでノーコストというわけではな
い。
無理に使うほどのスキルではないだろう。
騎士のスキルも見てみた。
防御には、対象の指定はない。
他の行動も取れたので、専守防衛のスキルでもないようだ。
単に防御力アップのスキルだろうか。
デュランダルを出したときに使ってみたが、よく分からなかった。
インテリジェンスカード操作は、普通に操作するだけだろう。
どういう操作ができるか興味があるが、今はいい。
任命というのはなんだろう。
これも対象の指定を求められる。
攻撃スキルではないだろうし、ロクサーヌを任命してみる。
1486
おおっと。
鑑定してみると、ジョブが獣戦士Lv32ではなく村長Lv1に
なっていた。
村長に任命するスキルなのか。
セリーとミリアも任命してみる。
ミリアだけ村長Lv1に任命できた。
俺自身にも任命できない。
自分を対象に指定することはできないようだ。
セリーを任命できないのは、アイテムボックスに回復薬を持たせ
ているからか。
アイテムボックスに物を入れていると、探索者も動かせなかった。
鍛冶師も同様にアイテムボックスに何か入っていると動かせない
のだろう。
任命は村長をファーストジョブに設定するスキルだから、鍛冶師
がファーストジョブから動かせなければ任命できない。
パーティージョブ設定を取得して見てみたが、村長のジョブを獲
得だけしているということもなかった。
﹁セリー、騎士のスキルである防御というのは﹂
﹁しばらくの間防御力を上昇させるスキルです。ボスと戦うときな
どに使います﹂
﹁なるほど。ボス戦対策か﹂
﹁そうです﹂
やはり防御力を上げるスキルのようだ。
今のところまだボス戦はほとんどシャットアウトできているが、
今後は有効なスキルだろう。
1487
﹁それは使えるかもしれないな。今後のことを思えば、騎士という
選択肢も必要かもしれん。誰か、騎士になってみたい人はいるか﹂
﹁ご主人様のお役になれることでしたら、私がなりたいです﹂
﹁騎士になるには長い間戦士の修行をしなければなりませんが﹂
ロクサーヌがすぐに手を上げ、セリーは懸念を示した。
そういう問題もあるのか。
ミリアの海女もすでにLv30になったし、実際にはあまり障害
でもない。
﹁大丈夫だ。それはなんとかする﹂
﹁薬を使うのですか﹂
﹁薬で騎士になれるのか?﹂
﹁ドープ薬という薬です。これを使うと少しだけ強くなるとされて
います。大量に服用することで、上位職への転職も可能になるそう
です。ただ、ドープ薬を服用した人は、長年実際に修行を積み重ね
た人よりも弱いという意見が一般的です﹂
そんなアイテムがあるのか。
転職が可能ということなら、レベルアップアイテムなんだろう。
懸念もある。
レベルが上がるだけで、パラメーターなどは上がらないのかもし
れない。
俺は使わない方がいいな。
﹁そうなのか。しかし別に薬を使うわけじゃない﹂
﹁そうですか﹂
﹁役に立てるならミリアもなると言っています﹂
1488
それはロクサーヌが言わせたんじゃないのかと。
﹁まあ、とりあえずロクサーヌからいってみるか﹂
実際に騎士になるのは一人でいい。
誰かが騎士になって、俺を村長に任命してくれればいい。
公爵のところへ行って村長にしてくれとはいえないだろうし。
はたしてロクサーヌに防御が必要かという気もするが、悪いとも
いえない。
強い魔物と戦っていけば、ロクサーヌでも回避できない攻撃をし
てくる魔物がいる可能性はある。
回避に特化していると、敵の攻撃が当たりだしたときに脆いだろ
う。
そのとき防御を使うという選択肢があれば心強い。
﹁はい﹂
﹁一人だけの転職の場合、狩場の階層を下げないことも多いようで
す。複数のメンバーが騎士を取得しても重複するだけですし、ロク
サーヌさんがなるのがいいでしょう﹂
ミリアのジョブを海女Lv30に戻し、ロクサーヌを戦士Lv1
にした。
セリーのアドバイスにしたがって十三階層で様子を見る。
俺の英雄の体力中上昇やHP中上昇、ミリアの海女の体力中上昇
やHP小上昇が効いているはずだ。
階層を下げなくても一撃でやられることはないだろう。
⋮⋮一撃でやられるどころか魔物の攻撃がかすりもしないわけで
1489
すが。
相変わらずロクサーヌには魔物の攻撃が当たらない。
当たる気配すらない。
戦士Lv1になったのに。
つまりパラメーターじゃなくて基本性能が違いすぎるのか。
かえって、獣戦士の敏捷中上昇がなくなってデュランダルを出し
たとき俺が攻撃を喰らうことが増えた。
のは気のせいだとしておきたい。
﹁ミリア﹂
﹁はい、です﹂
戦闘中、ロクサーヌが命じる。
一言名前を呼んだだけで、ミリアがあわてて下がった。
ミリアには少々独断専行の嫌いがあるようだ。
一人だけ前に出すぎるときがある。
猫人族は集団戦はあまり得意ではないという話だったか。
最初のころはそういうそぶりも見せなかったが、このごろはたま
に一人だけ前に出ることがある。
それだけ戦闘に慣れたのだろう。
レベルもセリーと差がなくなってきているし。
ロクサーヌが先頭にいればグラスビーの遠距離攻撃はロクサーヌ
に集中する。
セリーの槍で敵のスキルをキャンセルすることを考えても、陣形
はしっかりと保っておくことが望ましい。
1490
それにしても戦士Lv1のロクサーヌが一言名前を呼んだだけで
ビシッと従うのな。
返答も丁寧語だし。
迷宮では﹁です﹂をつけなくていいと言ったのは俺だが。
夕方、結局ロクサーヌが攻撃を浴びないまま、狩を終えた。
クーラタルで夕食の食材を買い込む。
買い物の途中、金物屋のおばちゃんから声をかけられた。
家を紹介してくれた世話役の人だ。
﹁よかった。これからお宅へ行こうかと思ってたんですよ﹂
﹁何か﹂
﹁先日の大雨でドブの一部の堤が壊れたんです﹂
﹁大雨⋮⋮﹂
聞いたことがない。
いつの大雨だ?
ワープで移動し、迷宮にこもっていると、外の天気はあまり関係
がない。
雨の日もあったので、そのときだろうか。
﹁領主様から許可が下りて、明後日修復作業をすることになりまし
た。作業は昼すぎから夕方まで。その時間、下水には何も流さない
ようにしてください。浚渫やリコリスの植えつけもついでに行いま
す。できれば各家から一人、人を出してください﹂
地域活動か。
町内会みたいなものだろう。
1491
めんどくさい。
﹁ばっくれるわけにはいかないよな﹂
適当に返事をして帰り、夕食のときに訊いた。
﹁私が出るから大丈夫です﹂
﹁誰も参加しないのはまずいと思います。私が出ます﹂
ロクサーヌとセリーが答える。
さすがにサボるという選択肢はないのか。
﹁いや、まあ別に俺が出るからいいが﹂
﹁ご主人様は参加しないでください﹂
ロクサーヌにとめられた。
﹁俺が出るとまずいのか﹂
﹁顔を見せることはかまいませんが、所詮はドブさらいです。ご主
人様がなさっては侮られます﹂
﹁そうか﹂
よく分からないがドブだからな。
汚い場所ではある。
自由民がやるような作業ではないということか。
﹁××××××××××﹂
﹁ミリアが絶対に自分が参加すると言っています﹂
﹁出る、です﹂
1492
なんだろう。
勘違いしている気がする。
﹁魚は、獲らないぞ﹂
いないかもしれないが。
上流でどこかの川から取水しているらしいから、いるかもしれな
い。
いずれにしても食べたくはない。
﹁はい、です﹂
﹁いても食べるなよ﹂
﹁はい、です﹂
目が泳いだぞ。
﹁食べないように言い聞かせたので大丈夫でしょう。多分ですが﹂
﹁夕食を魚にしないと危ないと思います﹂
ロクサーヌとセリーの懸念も同一のようだ。
﹁出る、です﹂
ミリアはあくまでも自分が出ると言い張る。
﹁ミリアが参加して、言葉は大丈夫だろうか﹂
﹁獣人の参加者もいるはずです。大丈夫でしょう﹂
﹁いなかったら﹂
﹁金物屋さんのところで下女をしている女性が獣人です。彼女が出
1493
てくるでしょう。ミリアのことも頼んでおきます﹂
ロクサーヌはいつの間にそんなご近所づきあいを。
まあ大丈夫だというなら大丈夫か。
﹁そんなに難しい作業をすることもないはずですから、大丈夫です﹂
﹁大丈夫、です。夕食は魚、です﹂
セリーがいうなら安心できる。
ミリアがいっても不安だが。
というか、明らかに目的が違ってきてるだろ。
いや。ドブ川の魚が目的じゃないなら安心か。
ミリアに参加させることにして、翌々日の朝ハーフェンの魚市場
に飛んだ。
魚を買って釣っておかないとどうなるか分かったものではない。
桶も持ってきている。
﹁夕食の魚に、この前みたいな小ぶりの魚を選んでくれるか﹂
﹁はい、です﹂
ミリアが真剣な表情で魚市場の中をうろついた。
すぐに前と同じところにたどり着く。
結局ネコミミのおばちゃんのとこか。
魚の下処理に確かな技術を持っているのかもしれない。
﹁じゃあそれを八匹でいいな﹂
﹁はい、です﹂
1494
この間と同じアジっぽい魚だ。
ミリアが注文し、選んで桶に入れた。
おばちゃんのところにはエビも置いてある。
見た目クルマエビっぽい普通のエビだ。
クルマエビと同じ調理法でいけるのではないだろうか。
﹁エビは焼けばいけるよな﹂
﹁はい﹂
﹁夕食でも大丈夫か﹂
ロクサーヌに訊く。
ロクサーヌが訳してネコミミのおばちゃんに尋ねた。
おばちゃんがエビをつつく。
エビが跳ねた。
﹁二、三日は大丈夫だそうです﹂
生きてんのね。
﹁じゃあそれも八匹﹂
ロクサーヌが訳して注文する。
おばちゃんが葉っぱで包んだエビを桶に載せた。
載せてから、おばちゃんが桶の魚を数える。
﹁エビが二匹で一ナール、全部で十二ナールだそうです﹂
言葉は分からなくても、数えたのは分かった。
十二ナールを払い、家に帰る。
1495
一度迷宮に入った後、ミリアに下処理をしてもらって、ドブさら
いに送り出した。
ミリアは生きているエビだろうがおかまいなしだ。
魚は三枚におろし、エビは頭を落として殻をむき、背わたを取り
除く。
エビの下処理のやり方も地球と変わらないらしい。
1496
コツ
ドブさらいにはそれなりの人数が集まっていた。
遠目から見ただけだが、みんな割りとみすぼらしい格好をしてい
る。
下水掃除だから、というよりは下男下女が集まったからだろう。
この辺りの家でも下男下女とか結構いるもんだ。
いや、それも当然か。
井戸が少し離れたところにあるのだった。
水汲みだけでも重労働だ。
うちは俺がウォーターウォールで作っているからいいが。
社会というのは科学技術の制約を案外受けるものらしい。
この世界の技術では、少しでもいい暮らしをしようと思えば下男
下女は必要不可欠だ。
いい暮らしをしている階層とそれを下で支える階層とがはっきり
別れる。
奴隷を使っている家も多いのかもしれない。
科学技術が社会に制約を与えていることが他にも一つある。
この世界に科学捜査というものはない。
DNA鑑定も、指紋も、血液型ですら知られていない。
するとどうなるか。
騎士団が行う捜査は、捜査といえるものではなくなってしまう。
聞き込みであいつが怪しいとなれば、そいつが犯人だ。
1497
科学捜査がないこの世界に物証というものはない。
ルミノール反応などないから、凶器の特定もできない。
自白か、目撃証言が証拠のほぼすべてだ。
町内に変なやつがいれば、何かあったときにはそいつが犯人にさ
れる。
隣に住んでいる人の顔も知らない、隣には文化も習慣も違う異世
界人が住んでいる、などという社会は、この世界では成立しない。
一時は成立したとしても、何か事件が起きれば、たちまち崩れる。
クーラタルは探索者が多く集まった都市だ。
もともとは見知らぬ者同士が住む町である。
この世界にしては、近所づきあいも濃密ではない。
それでも、最低限の地域活動はしなければならない。
変なやつ、嫌なやつだと思われれば、何かあったときに困る。
この辺りで強盗や殺人事件が起こったらどうなるか。
地域活動をサボるやつがいたら、そいつが犯人だ。
後は自白するまで拷問が待っている。
うっかり犯人にされないためには、ドブさらいにも参加する必要
がある。
セリーの話を俺なりに解釈すると、要するにこういうことだろう
か。
サボってはいけないと懸命に説得された。
この世界で生きていくコツのようなものだろう。
ミリアをドブさらいに参加させた所以である。
1498
もちろん、犯人にされても抗弁する方法がなくはない。
裁判は開かれる。
神明裁判か決闘裁判だ。
くがたち
神明裁判というのは、盟神探湯ってやつだ。
煮えたぎった湯の中に小石を入れ、被告人に拾わせる。
無事に拾い上げられれば無罪、失敗したら有罪となる。
手足を縛って水に落とし、浮かんできたら無罪というのもある。
毒を飲ませて生き延びたら無罪とか。
有罪のときどうなるかはいうまでもない。
決闘裁判では、告発者や目撃者や証言者と決闘することになる。
勝てば無罪、負ければ有罪だ。
有罪のときに処刑するコストも省けて一石二鳥である。
そんな裁判は受けたくもない。
捜査技術が未発達な社会ではしょうがないのだろう。
他に犯人を決定する方法がない。
フィールドウォークが存在するこの世界ではアリバイさえあやふ
やだ。
この世界ではくじ引きで犯人を決めるというケースもごく普通に
ある。
ある屋敷で人が殺された。
外から他人が入ってきた形跡はない。
容疑者はその家に住む六人。
テレビドラマなら名探偵登場というシーンだが、この世界ではサ
イコロの登場だ。
1499
見た目は玩具、頭脳は神。
サイコロが神の意思にしたがって犯人を決定する。
もちろん、六人の中に変なやつが一人いれば、他の五人の証言が
無事に一致してそいつが犯人だ。
後は、せいぜい五対一での決闘ということになる。
証言者が多いということはそれだけ被告人に不利な証拠だから、
人数の差は問題にならない。
俺なんかは美人の奴隷を三人も持っている。
それだけで目をつけられかねない。
なるべく目立たず、周囲に溶け込んで、明るく正しく生活する。
それがこの世界に生きるコツなのである。
﹁ご主人様、ルーク氏から使いの者が来ています。スライムのモン
スターカードを落札したそうです﹂
ミリアを送り出した直後、まだ家にいるときにルークから使いが
来た。
﹁セリー、スライムのモンスターカードは何のスキルになる﹂
﹁防具につけて、物理ダメージ軽減のスキルになります。コボルト
のモンスターカードと一緒なら物理ダメージ削減のスキルになりま
すが、そこまですることもないでしょう﹂
物理ダメージを減らせるのか。
スライムらしいといえばスライムらしい。
﹁何につけるのがいいか。まあとりあえず、買い物ついでに商人ギ
1500
ルドまで行ってみるか﹂
クーラタルの中心部に出かけ、野菜やモンスターカードを買って
きた。
硬革の鎧につけると、俺専用になってしまう。
防毒の硬革帽子と防水のミトンはあるから、次は靴がいいだろう
か。
いや。後ろにいるときにはいいが、前に出るときには俺が装備し
たい。
靴を換えることは難しい。
グローブは、できなくはないが面倒だ。
簡単に装備品を交換できるのは、帽子ということになる。
防毒の硬革帽子に空きのスキルスロットも残っているが、そこに
はつけない方がいいだろう。
スキルつきの装備品はまだ行き渡っていない。
複数のスキルをつけるのは、ある程度みんなが持つようになって
からだ。
セリーに硬革の帽子とスライムのモンスターカードを渡した。
頑丈の硬革帽子 頭装備
スキル 物理ダメージ軽減
﹁できました﹂
﹁おお。さすがセリーだ﹂
﹁やりましたね、セリー﹂
1501
セリーがこともなげにモンスターカード融合を行う。
盗賊が残した装備品なので、空きのスロットは一つしかない。
早速装備して、迷宮に入った。
水も使えないし、家にいることはない。
ロクサーヌ、セリーと三人で迷宮に入るのは久しぶりだ。
一応、ハルバーの十三階層でも探索はできた。
まったく問題なしにとはいえないが。
魔物の攻撃を俺が何度も喰らってしまう。
作ってよかった頑丈の硬革帽子。
前衛をミリアを含めた三人に任せていたので、俺の負担が大きい。
デュランダルを使うときは俺も前に出るので、なまったというこ
とはない。
ミリアがくる前にはちゃんとできていたはずだ。
思い出せ。
ピッグホッグの突撃をなんとかいなす。
豚の動きに目をこらし、ウォーターストームと念じた。
ピッグホッグ二匹が倒れる。
目の前から敵がいなくなった。
一匹残ったグラスビーはロクサーヌが相手をするので安全だ。
小気味よい動きでハチを翻弄するロクサーヌの横からブリーズボ
ールを叩き込む。
難なく屠った。
ロクサーヌが案内した次の相手はピッグホッグとグラスビーが二
1502
匹ずつ。
スキル攻撃を持つグラスビーには詠唱中断のスキルがついた槍を
持つセリーがあたる。
そのため俺はピッグホッグと対峙した。
ブリーズストームで毒持ちのハチから片づける。
ピッグホッグが後回しになってしまうが、しょうがない。
長時間の戦闘になったが、なんとか攻撃を受けるのは一回ですん
だ。
次の団体はグラスビー三匹にピッグホッグ一匹だ。
グラスビーの遠距離攻撃はロクサーヌが盾で受けたので問題ない。
正面に来たハチを注視しながら、ブリーズストームと念じる。
グラスビーの体当たりをロッドでいなした。
遠距離攻撃を放ったハチが遅れて最前線に参加する。
ロクサーヌが対峙したこっちのグラスビーの動きにも注意を払わ
なければいけない。
ちらりと横目で見て、俺を狙っていないことを確認した。
大丈夫だ。
と、目を離した一瞬の隙をついて正面のグラスビーが。
あわてて体をひねるが、突撃を喰らってしまう。
お返しに五発めのブリーズストームをお見舞いした。
ハチ三匹が落ちる。
同時に、俺の体が火照り、苦しくなった。
毒だ。
グラスビーの体当たりで毒を受けてしまった。
1503
防毒の硬革帽子を着けていなかったのが敗因か。
毒を喰らったのは二度めのせいか、比較的冷静だ。
肉体的には苦しい。
胸が締めつけられる。
それでも魔物を倒すのが先決だ。
魔物に向かってブリーズボールを放った。
いや、違う。
相手はピッグホッグだ。
間違えた。
間違いだと分かるくらいに冷静だ。
ウォーターボールを叩きつける。
体が苦しい。
あと何発だ?
もう一発ウォーターボールを放った。
数を数えることができるくらいに冷静だ。
落ち着いている。
セリーが俺の前に来る。
薬だ。
毒消し丸だ。
口移しだ。
ちゃんとその意図が分かるくらいに冷静である。
思いっきり抱き寄せ、セリーの口にむさぼりついた。
強く吸引し、柔らかな唇の感触を味わう。
1504
この機会に堪能しなければならない。
それが判断できるほどに冷静だ。
セリーの口から毒消し丸が送られてきた。
丸呑みにする。
なおもセリーの舌に吸いつき、追いすがった。
舌を動かし、絡めとる。
セリーの舌がゆっくり優しく動いた。
徐々に苦しさが抜けていく。
体の重みがなくなった。
思考もクリアになっていく。
俺は何をしているんだ?
まあこのまま楽しんでも。
いや。魔物はどうなった。
あわててセリーの口を解放する。
よかった。
全滅していたようだ。
﹁ありがとう、セリー。もう大丈夫だ﹂
深呼吸する。
コップを用意させ、ウォーターウォールで水を注いだ。
ロクサーヌから口移しで飲ませてもらう。
たっぷりと時間をかけ、息を入れた。
迷宮は危険だ。
1505
一人いないだけで、かなり違ってくる。
無理はしない方がいい。
早めに家に帰る。
やることはたくさんある。
まずは風呂を沸かした。
水を流せないので、こぼさないよう慎重に行う。
水がめを風呂桶の中に置いて、入りきらなかったウォーターウォ
ールの水も活用できるようにした。
ミリアが帰ってくるのはもう少し後だろうから、熱めにしておく。
ミリアが帰ってくるまでは久しぶりに三人だ。
久しぶりに何をするのか。
真実はいつも一つ。
﹁ただいま、です﹂
終わったころ、ミリアが帰ってきた。
あちこち泥だらけだ。
奴隷商人のところから着てきた一番安物の服を着ていったが、ぐ
ちゃぐちゃにして帰ってきた。
﹁ミリアにすぐ脱ぐように言いました。もう水は流してもいいそう
です。私が外で洗濯してきます﹂
﹁風呂に入れてやりたいが﹂
﹁そうですね。今日はいいでしょう。私とセリーは可愛がっていた
だきましたので﹂
1506
順番にこだわるロクサーヌの了承を得る。
﹁ミリア、今日はご苦労だったな。風呂を沸かしてあるから、一緒
に入るぞ﹂
﹁風呂、です﹂
先にミリアを風呂に入れた。
湯船につかる前に全身をくまなく洗う。
あらゆるところを、つぶさに、残らず、徹底的に洗った。
ミリアの全身を泡だらけにして、優しく丁寧に洗い上げる。
水で流した後、髪の毛も洗った。
頭を洗ってから、もう一度ミリアの身体を洗う。
二度も洗い上げれば、大丈夫だろう。
﹁ミリア、今日は仕事をさせて悪かったな﹂
﹁夕食は魚、です﹂
﹁大変だったか﹂
﹁魚いない、です﹂
洗いながら話したが、通訳のロクサーヌがいないので微妙に会話
がずれているような気が。
ドブ川に魚はいなかったらしい。
セリーと、遅れてやってきたロクサーヌも洗って、風呂に入った。
﹁なんとかいう植物も植えてきたのか﹂
﹁はい、です﹂
﹁リコリスですね。川の堤などによく植えられる植物です。リコリ
スは根にも花にも葉っぱにも毒があります。そのために動物が寄っ
てきません。巣穴などで堤が崩れるのを防いでくれます。それに、
1507
毒は水にさらせば抜けるので、いざというときには食料にもなりま
す﹂
セリーが教えてくれる。
生活の知恵というやつか。
異世界には便利な植物があるもんだ。
海女Lv31、村長Lv1、海賊Lv1、村人Lv5、商人Lv
1、探索者Lv1、戦士Lv1、薬草採取士Lv1、剣士Lv1、
僧侶Lv1。
ただし、ミリアのジョブを見てみても農夫は獲得していなかった。
まあ毒草を植えても農夫にはなれないか。
あるいは、植えるのではなく収穫しないといけないのかもしれな
い。
﹁ロクサーヌとセリーは先にあがって、スープを作ってくれ。後の
料理は俺が作る﹂
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌとセリーを風呂から出す。
ミリアと風呂に残った。
やることはいつも一つ。
﹁何でも食べたいものを言ってくれ。まず俺はエビからいってみる
かな。ロクサーヌは何が食べたい﹂
夕食の準備を整え、ロクサーヌに訊いた。
七輪みたいな土器のコンロに鍋を置き、オリーブオイルを温める。
1508
食材を用意し、テーブルの上に並べた。
魚、エビ、腸詰め、ハム、各種の野菜。
小麦粉にスライムスターチとシェルパウダーを削った粉を入れて、
水と卵で軽く溶く。
後は食材をつけて揚げるだけだ。
エビにまぶし、鍋に投入した。
﹁私もご主人様と同じくエビが食べたいです﹂
﹁ハムをお願いします﹂
﹁魚、です﹂
ミリアは当然魚か。
追加のエビ、スライスしたハム、魚にころもをつけて揚げる。
すなわち天ぷらだ。
レモン果汁と酢を混ぜたタレにつけ、食した。
﹁旨いな﹂
﹁ご主人様の作る料理はいつも最高です﹂
﹁美味しいです﹂
﹁すごい、です﹂
菜箸を使えるのは俺しかいない。
俺が揚げる。
エビの天ぷらは、地球と同じ、弾けるような歯ごたえがあった。
﹁次は葉野菜でもいってみるか﹂
﹁私もお願いします﹂
﹁私は、キノコを食べてみます﹂
﹁魚、です﹂
1509
キノコというのは、シイタケの代わりに用意したマッシュルーム
みたいなやつだ。
天ぷらにしたことはないが、多分大丈夫だろう。
﹁次は腸詰めにしてみるか﹂
﹁私もご主人様と同じでお願いします﹂
﹁私はエビを食べます﹂
﹁魚、です﹂
⋮⋮。
﹁なくなる前に魚も食べておくか﹂
﹁私もお願いします﹂
﹁一つは魚も食べておきたいです﹂
﹁魚、です﹂
ミリアに全部食べられる前に、魚の天ぷらも食べておく。
かりっとサクサクだ。
天ぷらはかなりうまくいった。
グルテンが生じると粘りが出てサクサクしない。
グルテンを少なくさせるためにスライムスターチを混ぜる。
さらには重曹であるシェルパウダーも混ぜる。
天ぷらを作るときのコツである。
1510
準備
ハルバー十三階層のボス部屋が見つかった。
探索で見つけた小部屋。
扉が開いたので入ってみると、そこが待機部屋だった。
待機部屋は扉が前と後ろの二ヶ所しかないので、すぐに分かる。
﹁奥がボス部屋か﹂
﹁ピッグホッグのボスはピックホッグになります。前脚のつめを振
り下ろしてくる手ごわい相手です。ロクサーヌさんなら大丈夫だと
は思いますが、くれぐれも気をつけてください﹂
奥の扉が開いた。
デュランダルを出して突入する。
﹁三人はピックホッグを。グラスビーは俺がやる﹂
﹁はい﹂
お付きの魔物はグラスビーのようだ。
さくっと片づけた。
ピックホッグの囲みに加わる。
ボスは、十三階層の魔物であるピッグホッグよりも一回り大きい
イノシシ型の魔物だ。
前脚が錐のように尖っている。
半立ちになってその尖った前脚を持ち上げ、正面のロクサーヌめ
がけて振り下ろしていた。
1511
イノシシの短い足でよくあんな行動が取れるものだ。
突いたりしないみたいなのが救いか。
と思っていたら、頭から突進した。
ロクサーヌがひらりと回避する。
さすがはロクサーヌだ。
俺なら喰らっていたな。
いや。後ろにいるからといって絶対に攻撃してこないとも限らな
い。
せいぜい注意しながら、デュランダルで削る。
注意したせいか攻撃を受けることなく、ピックホッグを倒した。
クーラタルでは十五階層のボスまで倒している。
十三階層くらいでは問題にはならないだろう。
﹁セリー、ハルバー十四階層の魔物は何だ﹂
﹁サラセニアです﹂
サラセニアか。
食虫植物の魔物であるサラセニアの弱点は火魔法だ。
ロクサーヌの案内でハルバーの十四階層を進む。
ファイヤーストーム五発でサラセニアを屠った後、ウォーターボ
ール三発でピッグホッグをしとめた。
三種類の魔物が入った団体とも交戦する。
まずはサラセニア二匹を全体火魔法五発で倒した。
その後、グラスビー一匹をブリーズストーム三発で落とし、ピッ
グホッグ一匹はウォーターボール一撃で屠る。
全部で九発か。
1512
﹁うーん。まあ三種類になっても増えるのは魔法一発。一発なら誤
差みたいなもんか。この三種類の魔物がいるところにも案内してく
れていい﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌに命じた。
戦闘時間は延びたが、ハルバーの十四階層でも戦える。
一種類の魔物しかいなければ全体魔法五発で倒せるし、一匹残る
だけならロクサーヌがシャットアウトしてくれる。
このくらいはしょうがないだろう。
ハルバーの十四階層を出て、昼すぎにはボーデの迷宮にも寄って
みる。
ターレとボーデの迷宮にはときどき立ち寄って、探索状況を確認
していた。
クーラタルの十六階層みたいに、戦いやすい階層があるかもしれ
ない。
﹁探索はどこまで進んでいる﹂
﹁十一階層です﹂
入り口の探索者が答える。
ターレやボーデの迷宮はベイルの迷宮よりも探索の進みが遅いよ
うだ。
領内に三つの迷宮があることで騎士団の力が分散されているのだ
ろう。
あるいは、騎士団はハルバーの迷宮に傾注しているのかもしれな
い。
1513
公爵とカシアのパーティーもゴスラーが率いるパーティーも確か
ハルバーの迷宮に入っていた。
ゴスラーのパーティーなら、ボーデの十一階層くらいはすぐにも
突破するだろう。
しかし、上の階層で戦えるゴスラーのパーティーがボーデの十一
階層を探索するのは無駄でしかない。
力を分散させず、一つずつ順番に片づけていくのが合理的だ。
今のところ、俺は探索には直接貢献していない。
迷宮に入るだけでもいいらしいので、問題はないはずだ。
兇賊のハインツも倒したし。
騎士団は見回りを減らしただろうから、その分役に立っている。
﹁帰りにちょっと家具屋に寄っていこう﹂
﹁家具屋ですか﹂
﹁さすがにベッドがちょっと狭いからな。いつまでも今のままとい
うわけにも﹂
ボーデの一階層に入って、入り口の小部屋で切り出した。
なるべく不安を隠すようにして。
ハーレムメンバーを増やそうというときにはいつも緊張する。
誰かが反対するのではないかと。
いや。今はまだ増やすのではない。
その準備だ。
増やすこと前提の準備だが。
なのでやや後ろめたい。
﹁そうですね。それもいいでしょう。私たちのためにありがとうご
1514
ざいます﹂
主に俺のためだというところが非常に申し訳ない。
クーラタルの冒険者ギルドへ出て、家具屋に赴いた。
﹁あまり大きいサイズのはないな。今と同じような大きさのベッド
をもう一つ買って、横にして並べてみようと思うのだが、どうだろ
う﹂
ベッドを見ながら、提案する。
今のベッドは結構長い。
それを横にすれば、あと二、三人増えても大丈夫だろう。
単純に二つくっつける手もあるが、真ん中に溝ができる。
俺が中央で寝ることになるから、それは避けたい。
横にして並べればベッドの合わせ目は多分お尻より下にくるから、
問題にはならないだろう。
﹁大きすぎるかもしれません﹂
﹁パーティーメンバーは、いずれ増やしていくからな﹂
気をもみながらも、強気に出た。
ハーレムを拡張することは常に言い続けておいた方がいい。
そのときになって反対されても困る。
﹁そうですか﹂
﹁そ、それに、今のベッドが無駄になるのももったいない﹂
あわてて他の理由もつけ加える。
このあたりが駄目駄目だ。
1515
﹁分かりました。そのようにしましょう﹂
﹁後は、棚も一つ買っておくか﹂
﹁棚ですか﹂
こっちは、主に三割引対策だ。
家具屋の主人は商人なので三割引が効く。
メンバーが増えれば荷物も増えるからその準備でもあるが。
棚を買うといってベッドをついでにすればよかったんじゃね、と
いう気もするが、まあいい。
男は常に正々堂々。
正面突破を図るべきだろう。
正面から揉みしだき、突き入れるべきなのだ。
バックからなどとは卑怯千万。
うらやましい。
実際の家具選びは、三人に丸投げする。
棚なんかは三人の方が使う機会も多いだろうし。
三人にまかせた方がいい。
ロクサーヌを中心にセリーとミリアが加わってワイワイ言いなが
ら家具を選んだ。
俺はあまり意見をはさまずに見守る。
選ぶのにはかなりの時間がかかった。
三人の選んだ家具を購入して、家に帰る。
﹁家具屋が荷物を運んでくるまで、家にいてくれ。今日はもう迷宮
はいいだろう。後は夕食を頼む。俺はその間にベイルに行ってくる﹂
1516
﹁ベイルの、商館ですか?﹂
﹁そうだ。ただ、今回はメンバーを増やしに行くわけではない。そ
れに備えての情報収集だ。帝都の商人を紹介してもらった礼も言っ
てないしな﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌが受け入れた。
パーティーメンバーは多くいる方が明らかに有利だ。
拡充はしなければならない。
ロクサーヌもセリーもそこにいやはないようだ。
しかし、セリーが来てからまだそんなに月日も経っていない。
ロクサーヌやセリークラスの美人がそうそう入ってくることもな
いだろう。
だから今回は情報収集だ。
パーティーメンバーは六人まで。
闇雲にメンバーを増やすわけにはいかない。
次のメンバーは慎重に選ぶべきだろう。
帝都の商人のところへまた行っても、今はあのやる気のなさそう
な美人しかいない。
ベイルの商人のアランなら他の奴隷商人を紹介してくれるかもし
れない。
聞いてみたいこともある。
帝都の商人は奴隷のオークションがあると言っていた。
セリーに尋ねれば知っているかもしれないが、セリーには訊きに
くい。
奴隷商人のアランなら教えてくれるだろう。
1517
﹁では行ってくる﹂
﹁はい。いってらっしゃいませ﹂
﹁いってらっしゃいませ﹂
﹁いってらっしゃい、です﹂
三人に見送られ、家を出た。
ベイルの冒険者ギルドに出て、アランの商館へと向かう。
町並みにまったく変化はない。
﹁店主はおられるか﹂
﹁こちらでお待ちください﹂
迎えに出た男に話すと、中に通された。
いつもの待合室だ。
﹁これはお客様、ようこそいらっしゃいました﹂
やがてアランがやってくる。
奥の部屋に案内された。
﹁この前、帝都の奴隷商のところへ行ってきた。いい店を紹介して
もらったと感謝している﹂
﹁話はうかがっております。よい商売ができたと、あちらも喜んで
おりました﹂
三割引を強制したけどね。
本当のところどう思っているかは、分かったものではない。
﹁なので当面はいいが、いずれはパーティーメンバーも増やしてい
1518
くことになろう﹂
﹁迷宮の探索を順調に進めているようで、なによりでございます﹂
﹁ロクサーヌやセリーのおかげも大きいがな﹂
最初ロクサーヌを買うときにはお金が足りなくて待ってもらった。
それが今では四人めを買おうかというのだ。
奴隷商人から見れば、順調すぎるほどに順調だろう。
﹁ですが、迷宮に入る以上、パーティーメンバーは数よりも質です。
あまり性急に増やすのではなく、よい戦闘奴隷をじっくりと選ぶべ
きでしょう﹂
﹁そうだな﹂
パーティーメンバーは六人までという制約があるので、数をそろ
えてもしょうがない。
俺の精力的にも。
色魔があるからまだまだいけそうだが。
﹁より上の階層を目指すなら、力のあるパーティーメンバーを求め
るべきです。力のある奴隷を求めるなら、オークションでしょう﹂
﹁オークションか﹂
期せずしてオークションの話になった。
﹁奴隷のオークションは、年に四回、季節の間の休日に開かれます。
場所はクーラタルの商人ギルドです。休日は通常のオークションが
休みになるのでここを借り切って行われます。場所柄、冒険者や探
索者向けの戦闘奴隷が多く出品されます﹂
﹁その中から力のある者を選べると﹂
﹁そうです。参加費として、会場に入るのに一人千ナールを支払い
1519
ます。これは興味本位の者や入札するつもりのない者をはじくため
の処置です。落札した場合には落札価格にあてることができます﹂
千ナールというのは、それだけを見れば高いようにも感じる。
しかし何十万ナールの奴隷を落札するための費用としてはそれほ
どでもないのだろう。
おまけに落札すれば返ってくる。
参加費を取り戻そうとみんなが入札すれば落札価格も跳ね上がる、
というわけだ。
巧いこと考えられている。
﹁そうやって入札を煽るわけか﹂
﹁それが分かっておられるなら、闇雲に踊らされることはないでし
ょう﹂
奴隷商人がニヤリと笑った。
﹁アラン殿も出品を?﹂
﹁はい。奴隷商人にとっても晴れの舞台ですから。一番の目玉にな
れそうな奴隷は、残念ながら事情があってオークションに出すこと
ができず、もうお譲りしてしまいましたが﹂
ロクサーヌのことだろう。
事情というのが何か知らないが、別に聞くことはない。
必要なことなら、ロクサーヌの方から教えてくれるだろう。
ロクサーヌをオークションに出したら四十二万ナールではきかな
そうだ。
三割引が効かないし。
1520
そうか。
オークションだと三割引が効かないという問題もあるな。
こつこつと奴隷商人のところを回るべきか。
しかし休日まではもう一ヶ月もない。
今の時期いい商品は見せてくれないということも考えられる。
オークションに出した方が高く売れるなら、いい品はそっちに回
そうとするだろう。
オークションが終わってから回っても、売れ残りしかいなかった
ら困る。
やはり多少高くなってもオークションを狙うべきか。
少しのお金をケチるような段階はもうすぎているとはいえる。
オークションならたくさんの選択肢があるだろうし、その中から
選べるのは魅力だ。
﹁オークションでならいいメンバーを選べそうだ﹂
﹁はい。オークションでお会いできるのを楽しみにしております﹂
話を切り上げて、家に帰った。
﹁今度の休日にオークションがあるそうだ。次のパーティーメンバ
ーはそこで探してみようと思う。戦力の拡充は必要だからな﹂
帰って三人に話してみる。
こういうことは常々言い聞かせておいた方がいい。
﹁分かりました﹂
﹁オークションでなら確かにいいメンバーが選べるかもしれません﹂
1521
﹁ミリアがお姉ちゃん、です﹂
セリーはやはりオークションのことを知っていたようだ。
ミリアより年下になるかどうかは分からないが。
まあミリアが先輩になることは確かか。
﹁お姉ちゃんになるから頼むな﹂
﹁はい、です﹂
その後、運び込まれていたベッドの使用感を試してみた。
﹁新しいメンバーが増えるまで、たっぷり可愛がってください﹂
などといったロクサーヌをどうして可愛がらずにいられようか。
メンバーが増えても変わらずに可愛がる所存である。
1522
尾頭付き
ハルバーの十四階層は結構中途半端だ。
もう少し戦闘時間が短ければさくさくと進めるし、もう少し戦闘
時間が長ければ緊張感を持って臨める。
あっさりと戦闘が終わるほど軽い敵ではなく、かといって気合を
入れて戦うほどの難敵でもなく。
こういう相手のときはむしろ危ない。
それなりには戦闘時間もかかるから、気を抜けば、連続で攻撃を
浴びてたちまちピンチに追い込まれることもあるだろう。
と、分かってはいても、ついだらけてしまう。
﹁ミリア﹂
﹁はい、です﹂
ロクサーヌの叱責に気を引き締めた。
怒られているのはミリアだが。
ミリアの独断専行は、かなり収まってきているようだが、たまに
は出る。
緩みがちになる気持ちは分かる。
十四階層はどうも間延びした感じがあるんだよな。
最後に一匹残ってもロクサーヌが相手であれば攻撃はまったく受
けないし。
まあ地道にがんばるしかあるまい。
1523
結局、ハルバーの十四階層を突破するよりも先に、ボーデの迷宮
の探索の方が進んでしまった。
﹁探索はどこまで進んでいる﹂
﹁十二階層に入りました﹂
昼に立ち寄ると、入り口の探索者が答える。
﹁十二階層の魔物は﹂
﹁マーブリームです﹂
﹁マーブリーム、です﹂
探索者の答えを何故かミリアが復唱した。
真剣なまなざしで俺の方を見てくる。
真剣な、というより、きらきらと輝いた目だ。
何か訴えようとしている。
なんだろう。
﹁マーブリームは魚人の魔物です。白身を残します﹂
その理由をセリーが教えてくれた。
魚か。
ミリアがなおも俺を見る。
キラキラというより食欲に濁ったギラギラしたまなざしだったの
か。
﹁で、では十二階層へ案内を頼めるか﹂
しょうがない。
1524
リュックサックからハルツ公のエンブレムが入ったワッペンを取
り出した。
入り口の探索者に見せ、パーティーに加入させる。
﹁はい。ついてきてください﹂
探索者に続いて、ボーデの迷宮に入った。
何の変哲もない入り口の小部屋だ。
どの迷宮でもどの階層でも変わりはない。
探索者は俺たちを運ぶと、すぐに帰っていった。
﹁マーブリームは、水魔法を使った遠距離攻撃を得意とする魔物で
す。水魔法には耐性があります。土魔法が弱点です﹂
﹁土魔法か。初めての魔物だし、少ないところから頼む﹂
セリーから説明を受け、ロクサーヌに案内を依頼する。
マーブリームは、魚の体から長い二本足をはやした魔物だった。
魚人というか、頭だけを見れば魚そのものだ。
いや。頭なのか体なのかは知らないが。
そこからひょろ長い足がはえていて気持ち悪い。
まあ魚人といえば確かに魚人なんだろう。
しかしむしろ、火星人のできそこないみたいな感じだ。
サンドボールを喰らわせる。
四発で倒した。
マーブリームが煙となって消える。
白身が残った。
﹁はい、です﹂
1525
ミリアが飛びつき、嬉しそうに持ってくる。
そして、俺の目を覗き込んだ。
何を訴えているのか、これは俺にも分かる。
﹁今夜の夕食だな﹂
﹁はい、です﹂
ミリアが頭を下げた。
すでにものはあるのだし、明後日まで待てというのも酷だろう。
様子を見る限り明後日でも大丈夫そうだったが。
入り口近くでもう少し狩を行う。
ボーデの十二階層はまだ探索が始まったばかり。
奥へは行かない方がいい。
探索が行き届かない階層には魔物が大量にいる部屋というトラッ
プがある。
そんなところに足を踏み入れて無事でいられる保証はない。
メテオクラッシュも使ってみた。
赤熱した隕石が流れ、魔物を粉砕する。
一撃か。
マーブリームはメテオクラッシュ一発で倒せるようだ。
マーブリームも弱点は火魔法ではない。
どの魔物が一発で倒せてどの魔物が一発では倒せないのか。
ますます分からんな。
﹁メテオクラッシュが効くということは、奥に行っても大丈夫だと
1526
いうことだよな﹂
﹁そうですね﹂
﹁問題ないと思います﹂
﹁魔物がいるところじゃなくて、探索をしてみるか﹂
ロクサーヌに命じて、探索に切り替えた。
ハルバーの十四階層はなんかすっきりしない。
ここらでどでかい花火を打ち上げるのもいいだろう。
メテオクラッシュは全体攻撃魔法だ。
魔物が大量にいる小部屋に当たればまとめて粉砕できる。
一撃で倒せるのなら、どれだけ大量に魔物が出てきても問題はな
いだろう。
十四階層で溜まった鬱憤を晴らすため、派手にいきたい。
メテオクラッシュにチェックを入れたまま、十二階層を奥へ奥へ
と突き進む。
ときおり出会う魔物を蹴散らしながら、魔物がいる部屋を探した。
あまりサンドストームは使いすぎないよう、頻繁にデュランダル
で回復する。
迷宮では何が起こるか分からない。
ひょっとしたらメテオクラッシュ一発で倒せないこともあるかも
しれない。
いざというときのために、MPには余裕を持たせておくべきだろ
う。
と、いう風にこっちから探しているときに限ってなかなか見つか
らないのは世の常だ。
あちこち探し回る。
1527
そしてついに見つけた。
扉が開いて入ろうとした小部屋に魚人が。
大漁だ。
豊漁だ。
魚群に突入だ。
カモメが鳴いていないのだけが残念である。
すべて一撃でいただく所存だ。
メテオクラッシュと念じる。
MPが一気に吸い取られるのが分かった。
体の中から何かが抜け去る。
人生の闇が襲ってきた。
む、無念だ。
俺はなんと愚かだったのだろう。
なんと浅はかだったのだろう。
無能な俺には想像もつかなかった。
愚鈍で非才で能無しの俺は気づかなかった。
全体攻撃魔法は魔物の数に応じて消費MPが増えるらしい。
でなければ、嫌がらせか。
ボーナス呪文なんか使うなということだろうか。
世界が俺に敵対している。
鬱だ。
欝だ。
林四郎だ。
1528
鬱という漢字が書けない人は林四郎と書いてごまかすのだ。
林
四
郎
と書いて
欝
である。
﹁さすがご主人様です﹂
﹁あれだけ大量にいた魔物が一撃です﹂
﹁すごい、です﹂
魔物は倒せたようだが、聞いちゃいない。
ストレス発散のつもりがかえってストレスを抱え込んでしまった。
鬱憤を 晴らすつもりが 憂鬱だ
アイテムボックスを開く。
強壮丸をいくつか丸飲みした。
MPを回復して、立ち直る。
全体攻撃魔法にこんな罠があったとは。
四、五匹程度しか相手にしてこなかったので、今まで分からなか
った。
一匹の増量分はそれほど多くないのだろう。
しかし小部屋の中がいっぱいになるほどひしめいていれば。
小部屋には残ったアイテムが大量に散らばっている。
ボーデ十一階層の魔物であるニードルウッドもかなりいたようだ。
ブランチやリーフも落ちていた。
1529
それに白身がたくさん。
ミリアが嬉しそうに何か持ってくる。
﹁尾頭付きですね﹂
﹁尾頭付き?﹂
﹁マーブリームがきわめてまれに残すアイテムです﹂
セリーが教えてくれた。
レア食材ということらしい。
ミリアから丸ごと一匹の魚を渡される。
丸ごとだから確かに尾頭付きではある。
鑑定でも尾頭付きと出た。
﹁じゃあこれも今夜の食材ということで﹂
﹁食べる、です﹂
﹁貴重な食材なので高く売れると思いますが、よろしいのですか﹂
﹁尾頭付きは貴重なので、特別な日などに使う食材です﹂
ロクサーヌとセリーが教えてくれる。
この世界でも目出度い日に食べるらしい。
あれだけ魔物がいて白身も大量に残っているのに尾頭付きは一個
しかない。
かなり残りにくいアイテムなんだろう。
﹁まあいいだろう。結構でかいから一人一尾とはいかないが﹂
尾頭付きは、手のひらには収まらないので二十センチ以上、三、
四十センチくらいある。
1530
一人前には多いだろう。
ミリアなら一人で食べそうだとしても。
﹁少しでいいです。ミリアも少しでいいと言っています﹂
﹁尾頭付きは、家長が最初に一切れ食べ、残りを少しずついただく
ものです﹂
一人一尾という発想はないのか。
尾頭付きは一個しかないが、ボーデ十二階層での狩を打ち切る。
ストレスは溜まったのか晴れたのかよく分からないが、後はハル
バーの十四階層で普通に探索を行った。
夕方、家に帰る。
﹁ご主人様、ルーク氏の伝言が残っています。コウモリのモンスタ
ーカードを落札したようです﹂
家に帰ると、仲買人のルークからメモが入っていた。
装備の方も順調に整いつつあるな。
﹁防具につけると、回避力上昇、コボルトのモンスターカードがあ
れば回避力二倍のスキルになります﹂
顔を向けただけで、セリーが教えてくれる。
こちらも順調に自分の役割を認識してくれているようだ。
尾頭付きは、ミリアがワインと魚醤で浅く煮つけた。
塩焼きでもないらしい。
アクアパッツァ風地中海料理といった趣だ。
﹁おおっ。これは旨いな﹂
1531
俺が一番最初に箸をつける。
脂が乗っていて、引き締まった張りのある食感だ。
それでいて口の中で溶ける。
旨い。
さすがはレア食材か。
白身よりも上だ。
ロクサーヌとセリーが手をつけた後、煮つけの入った皿はミリア
の手元に収まった。
﹁おいしい、です﹂
嬉しそうに尾頭付きの煮つけをほおばる。
実にいい笑顔だ。
﹁ちょっとくれ﹂
﹁はい、です﹂
食事の間じゅう、ミリアから少しずつ分けてもらった。
尾頭付きがあるからと白身を使わなかったのは失敗か。
まあ嫌な顔もせずに分けてくれたからいいだろう。
なんか違うような気もするが。
翌朝、商人ギルドでコウモリのモンスターカードを受け取る。
すぐ家に帰ってセリーに渡した。
﹁ロクサーヌ、靴を脱いで出してくれ﹂
﹁は、はい﹂
1532
ロクサーヌが硬革の靴を脱ぐ。
テーブルの上に置いた。
強化をするのはロクサーヌの装備品がいい。
身代わりのミサンガを除いて、現状では他のメンバーの装備品か
ら強化してきている。
弱点を補うためでもあるのでしょうがない。
ロクサーヌはほとんど攻撃を受けないので防具を強化する必要が
ないし。
ここらで、ロクサーヌにもスキルつきの装備品を回すべきだろう。
スキルが回避力上昇だというのでちょうどいい。
セリーもミリアも、回避力を上げなければならないほどどうしよ
うもなく被弾が多いということはない。
俺ならつけたいが、俺が前に出るのはデュランダルを出している
ときだから、デュランダルのHP吸収でカバーできる。
ロクサーヌなら、持ち味をさらに生かすことになるだろう。
長所を伸ばすのだから、コボルトのモンスターカードも無理には
必要ない。
その点もありがたい。
コボルトのモンスターカードを落札するには時間もコストもかか
る。
まずはコボルトのモンスターカードなしのスキルからでいいだろ
う。
﹁では、その靴に融合を頼む﹂
﹁分かりました﹂
1533
かつては盗賊が着けていた空きのスキルスロット一つつきの硬革
の靴をセリーが持った。
こともなげにモンスターカード融合を行う。
完全に慣れてきたな。
﹁さすがセリーだ﹂
﹁相変わらず素晴らしいです﹂
﹁できました﹂
﹁すごい、です﹂
鑑定してみると、柳の硬革靴というらしい。
柳に風、という感じだろうか。
﹁一応全員で試してみるが、まずはロクサーヌが着けろ﹂
﹁はい﹂
柳の硬革靴をロクサーヌに渡す。
ロクサーヌが装備して、ハルバーの十四階層に入った。
見た感じ、柳の硬革靴を装備しても変化はほとんどないようだ。
まあ元々ロクサーヌには魔物の攻撃が当たりゃしないしな。
魔物の攻撃をかわすだけなら今までと一緒だ。
ロクサーヌに借りて俺も装備してみる。
体感的には変わりがない。
レベルアップしたりジョブを変えたりボーナスポイントをステー
タスアップに振っても大きな変化がないのと同様だ。
デュランダルを持って魔物に特攻してみても、特段の違いは感じ
られない。
1534
前よりも多少避けやすくなったかなという程度だ。
その多少が大きな差になったりするので侮れないが。
トータルで見れば多分被弾は減っているのだろう。
セリーとミリアにも着けさせた。
魔物の攻撃を受けることが少し減っただろう。
元々極端に多かったわけでもないので、少しだ。
やはり柳の硬革靴はロクサーヌの装備品でいいか。
長期的には、セリーやミリアに着けさせることで被弾が減り、手
当てをすることが少なくなって効率がよくなるだろうが、そこまで
おおごとでもない。
﹁これはロクサーヌの装備でいいか?﹂
﹁いいと思います﹂
﹁はい、です﹂
セリーとミリアに確認を取る。
﹁じゃあこれからもロクサーヌが着けろ﹂
﹁ご主人様の装備品からいいものにすべきでは﹂
﹁試してみたが、俺よりロクサーヌが着けた方が効果が大きそうだ
しな﹂
﹁分かりました。ありがとうございます﹂
ロクサーヌが頭を下げた。
鬼に金棒、ロクサーヌに柳の硬革靴だ。
1535
鉢合わせ
ハルバーの十四階層を突破した。
迷宮は、ハルバーであれクーラタルであれ結構な広さがある。
入り口とボス部屋が隣り合っていた、などということはまずない。
ある程度は探索に時間が必要だ。
それでも、左から探索していって左にボス部屋がある場合もあれ
ば、左から探索していって右側にボス部屋があるケースもある。
探索時間の長さが運に左右されるのは仕方がない。
ハルバーの十四階層は短かった方だろう。
俺たちのパーティーは探索だけを目的としているのでもない。
ロクサーヌがいるから、狩は効率よく行える。
その分、戻ることもあるから、あっちへふらふらこっちへふらふ
らする。
探索のスピードは多少鈍る。
いつどこで壁にぶち当たるか分からないから、レベルアップは図
らなければならない。
俺たちでは倒せない魔物、相手にできない階層がどこかにあるは
ずだ。
効率的には、苦しくなってから、その階層、もしくはその一つ下
の階層でレベルアップするのがいいのだろう。
この世界の標準でも俺たちくらいの力があればもうちょっと上の
階層に行くらしいし。
1536
しかし、それでは安全マージンが取れない。
苦しくなるような階層では、一歩間違えただけですぐに死に至る。
殲滅するのに時間がかかれば、魔物の団体が複数集まってくるこ
ともあるという。
ヘタレだと笑わば笑え。
迷宮では生き延びることこそ第一義だ。
無事是名馬である。
﹁そういえば、俺たちぐらいの力があればもっと上の階層に行って
もおかしくないんだっけ﹂
﹁えっと。⋮⋮あの、そうです﹂
セリーに尋ねると、何故か答えにくそうにした。
﹁まあ他のパーティーのことは知らないか﹂
﹁戦闘奴隷のいるパーティーはなるべく上の階層へ行ってギリギリ
の戦闘をする傾向があるそうです﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁はい﹂
代わりにロクサーヌが答える。
﹁えっと。なるべく上の階層で戦った方が、いい経験を積んでより
早く強くなれるとされています。上の階層は危険も大きくなります
が、失敗したとしても必ずしも全滅するとは限りません。回復魔法
や薬を所有者から優先して使っていけば、所有者の危険度は小さく
なります﹂
セリーが説明した。
1537
つまり、いざというときには奴隷を捨て駒にするわけか。
上の階層で全体のリスクが増えても、戦闘奴隷から順にかぶせる
ので、所有者のリスクはあまり上がらないと。
それは確かに答えにくいわな。
主人が知らないなら、知らないままにしておいた方がいい。
戦闘奴隷というのはやはり大変なようだ。
﹁しかしその方法は俺のパーティーでは使えないな。ロクサーヌも
セリーもミリアもいなくなったら困るし﹂
﹁ありがとうございます。ですが、もっと上の階層に行っても大丈
夫です﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
﹁かけがえのない仲間だからな﹂
﹁⋮⋮ありがとう、です﹂
ロクサーヌから翻訳を聞いたミリアが遅れて頭を下げた。
十四階層ボスのネペンテスは、クーラタルの十二階層でも倒して
いるし、何の問題もなくしとめる。
柳の硬革靴でさらに回避力が上昇したロクサーヌにネペンテスご
ときの攻撃が当たるはずもなく。
面白いようにボスの攻撃を手玉に取っていた。
﹁ハルバー十五階層の魔物は何だ﹂
﹁ビッチバタフライです﹂
﹁風魔法が弱点だったな﹂
十四階層のボス部屋を突破して、セリーに訊く。
1538
﹁そうです﹂
﹁クーラタルの十六階層で戦っているから、少ないところで試して
みなくても大丈夫だろう。ロクサーヌ、頼む﹂
﹁ビッチバタフライがサラセニアと同数以上のところがいいです﹂
ロクサーヌへの依頼に、セリーが口をはさんだ。
﹁何故?﹂
﹁お忘れですか。ビッチバタフライは火属性魔法に耐性があります﹂
そうだったか。
聞いたような気がしないでもない。
弱点の属性が何で耐性のある属性が何かという説明は、確かに全
部受けてきている。
今まで気にしたことはなかったが。
ビッチバタフライとサラセニアが同時に出てきてサラセニアから
倒そうとファイヤーストームを使っても、ビッチバタフライには効
果が薄いということか。
魔物の組み合わせによっていろいろと考えなければならないよう
だ。
魔法使いというのは意外に頭を使うらしい。
﹁そうか。さすがセリーだ。これからも何かあったら頼む﹂
﹁はい﹂
﹁では、ロクサーヌ﹂
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌが最初に案内したのはビッチバタフライ二匹とサラセ
ニア一匹の団体だ。
1539
まずはビッチバタフライをブリーズストーム六発で屠る。
サラセニアは追加のファイヤーボール三発で倒した。
敵の方も順調に強くなっていくようだ。
﹁セリー、耐性があると魔法はまったく効かなくなるのか﹂
﹁そんなことはないと思います。ただ、具体的にどの程度有効かは
知らないです。魔物によっても違いがあるでしょうし。すみません﹂
﹁じゃあテストしてみる必要があるか。ロクサーヌ、一度、ビッチ
バタフライが一匹でサラセニアがいる団体にも案内してくれ﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌに依頼する。
しばらく後にサラセニア二匹とビッチバタフライ一匹の団体とも
戦った。
サラセニアは火魔法六発で倒れ、ビッチバタフライは追加の風魔
法四発で落ちる。
四発か。
思ったよりたいしたことはない。
﹁これなら、サラセニアの方が多いところに連れて行ってくれても
いい﹂
﹁そうですね。分かりました﹂
十五階層の魔物は最大で四匹だ。
サラセニアの方が多ければ、ビッチバタフライは一匹になる。
二匹二匹ならビッチバタフライから倒せばいい。
上の階層で厳しい戦いをするようになれば魔法一発分の戦闘時間
が生死を分けることもあるかもしれないが、今はまだそこまでギリ
ギリでもないだろう。
1540
﹁セリーもありがとう。実験してみなければ分からなかった﹂
﹁いえ﹂
ただし、ビッチバタフライには火魔法六発で風魔法二発分のダメ
ージしか与えていないことになる。
そう考えれば、大きい。
魔物の組み合わせを考えて魔法属性を決めていく癖をつけること
も大切だろう。
メテオクラッシュも使ってみる。
思ったとおり、サラセニアは一撃で倒せたがビッチバタフライは
倒せなかった。
と結果を確認したところで気づいた。
対照実験をしていない。
ハルバーの十二階層に移動して、グラスビーにメテオクラッシュ
を使う。
グラスビーはメテオクラッシュ一発で煙となった。
レベルが上がって強くなったので十二階層の魔物なら一撃で屠れ
るようになったらしい。
マーブリームLv12を一発で倒せたのはそのおかげか。
属性は関係なかった。
確定するには、サラセニアやフライトラップが倒せてグラスビー
やビッチバタフライを一撃では倒せない階層で試してみる必要があ
るが。
﹁そういえば、前にパーンの残したヤギ肉を魚醤につけて揚げたこ
とがあっただろう﹂
1541
ミリアに向かって話す。
昔作った黒い竜田揚げだ。
﹁はい﹂
﹁尾頭付きを同じようにしたら、旨くなると思わないか﹂
徳川家康だってタイの天ぷらがあまりにも美味しかったので食べ
すぎて体調を崩し亡くなったという説もある。
それと同じような料理。
しかも、元の食材が尾頭付きだ。
これは旨いだろう。
﹁食べる、です﹂
当然乗ってくるわな。
﹁魚醤につけておく必要があるから明日の夕食になるが、十四階層
の突破記念だ。ロクサーヌとセリーもそれでいいか﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
﹁美味しいと思います﹂
二人の了解も得て、ボーデの十二階層に移動した。
マーブリームをサンドストーム四発で倒す。
僧侶がなくても四発か。
魔物が煙と化した。
その煙も消える。
アイテムの中に一つ、魚一匹が丸ごと残っていた。
尾頭付きだ。
1542
﹁すごい、です﹂
ミリアがすぐに飛びついて、嬉しそうに持ってくる。
﹁尾頭付きはかなり残りにくいアイテムだそうです。一発で尾頭付
きを残すとはさすがご主人様だと言っています﹂
尾頭付きが残ったのは僧侶をはずして料理人をつけたおかげだ。
料理人にはレア食材ドロップ率アップのスキルがある。
さすがに最初の団体で残ったのはたまたまだろうが。
まあミリアが少しでも尊敬してくれるならそれでいい。
ミリアから尾頭付きを受け取った。
尾頭付きは、魚丸ごと一匹ではありながら、骨も内臓もない。
魚そのものであるマーブリームの頭が残ったわけでもない。
どうなってるんだろう。
﹁マーブリームは体の中にタイを持っているそうです。タイのタイ
と呼ばれています﹂
首をひねった俺にセリーが教えてくれた。
それはなんか違くないか。
別にいいけどさ。
狩を続ける。
二個めの尾頭付きはその後十匹以上狩ってようやく出た。
﹁尾頭付き、です﹂
ミリアが持ってくる。
1543
きっちりブラヒム語も覚えたようだ。
アイテムボックスにしまった。
﹁尾頭付きは相当に残りにくいと聞いたのですが⋮⋮﹂
﹁ミリアもそう言っています。さすがはご主人様です﹂
﹁あ。でも料理人になれば食材が残りやすいという話を聞いたこと
が﹂
悩んでいたセリーが正解にたどり着いたらしい。
さすがはセリーだ。
セリーに向かってうなずいてやり、切り上げることにする。
尾頭付きが二つあればミリアも満足だろう。
﹁あの。ご主人様、すみません﹂
帰ろうとすると、突然ロクサーヌが謝ってきた。
﹁何だ﹂
﹁知り合いのにおいがします。入り口から入ってきたところだと思
います﹂
﹁知り合いか﹂
においで分かるというのも便利なものだ。
﹁移動した方がいいですが、近くにいてはっきりとにおうので、向
こうにも私の存在が分かったかもしれません。このまま逃げて後で
会ったら、何か言われる可能性もあります﹂
﹁嫌な知り合いなのか?﹂
﹁えっと。少し﹂
﹁そうか﹂
1544
ロクサーヌはあまり会いたくない相手のようだ。
しかしワープで移動するのも得策ではないらしい。
こっちから向こうが分かるということは、向こうからもこっちが
分かるということだ。
逃げ出せば分かってしまう。
においで分かるというのも不便なものだ。
向こうも用事があってボーデの十二階層に来ているのなら、また
会う可能性はある。
ミリアは魚をほしがるだろうし。
ボーデの十二階層に出没するなら、ハルバーの十五階層だって絶
対安全とはいえない。
﹁こっちに近づいています。確実に私のことが分かったのでしょう﹂
﹁しょうがないか。このまま待とう﹂
﹁すみません。変なことを言われるかもしれません。お気になさら
ないようにお願いします﹂
﹁そこまで嫌な相手なのか﹂
ロクサーヌが本気で嫌がっている。
そうでなくても、奴隷になる前の知り合いに会うというのはうと
ましいものだろう。
嫌いなやつならなおさらだ。
﹁昔から私のことを目の敵にしてくるので﹂
﹁何かあったとき、俺はロクサーヌの味方だから﹂
﹁はい。ありがとうございます、ご主人様﹂
1545
少しでも気が軽くなるようにロクサーヌを応援してやる。
そっと肩に手を置いた。
ひもろぎのロッドはアイテムボックスにしまい、知り合いが来る
のを待つ。
﹁おーほっほっ。やはりロクサーヌではございませんこと﹂
やがて六人連れのパーティーが現れた。
獣戦士四人、冒険者一人、僧侶一人のパーティーだ。
レベルは結構高い。
獣戦士Lv99⋮⋮だと?
﹁ご無沙汰しております﹂
﹁ホント、久しぶりだというのに、相変わらずさえない女ですわね﹂
ロクサーヌと会話しているのは、獣戦士Lv29の女だ。
鑑定上♀だけど。
19歳だから、ロクサーヌより三つ上。
知り合いというのはこの女性か。
容姿については、ノーコメントということで。
ロクサーヌと比べられるはずもないし。
﹁そちらはお変わりもなく﹂
﹁以前のわたくしとは思わないでいただけます? 半年前からさら
に強くなりましてよ﹂
﹁そうですか﹂
ロクサーヌが腰を低くして接しているから、身分が上の女性なん
だろう。
1546
苗字もあるようだ。
この世界では苗字がある人は稀少らしい。
プライドも強烈に高そうである。
髪の毛を長く伸ばし、先を縦ロールにしている。
髪の毛はドリってる。
日本を初めて空襲したのはドーリットル。
この世界、普通の身分の女性では髪を伸ばせない。
手入れが大変だからだ。
髪を伸ばすのはそれだけ余裕がある証。
自分が裕福だと見せつけているわけである。
﹁かすかでしたが、迷宮の途中でロクサーヌの貧相なにおいが漂っ
てきましてよ。わたくしにかかればこのくらい何でもありませんわ﹂
ロクサーヌは入り口から入ってきたのがはっきり分かったと言っ
てなかったか。
﹁こちらにはどのようなご用件で﹂
﹁情報弱者のロクサーヌは何にも知りませんのね。かわいそうだか
ら教えて差し上げますわ。狂犬のシモンが出没するという手配書が
回っていましてよ。活躍の見込めない家に手配書は回らないでしょ
うけど﹂
﹁狂犬のシモンですか﹂
﹁シモンはかつて、狼人族でも一、二の使い手といわれた男。サボ
ーが倒し、わたくしのバラダム家こそ狼人族の中で一番強いと証明
してみせるのです﹂
サボー・バラダムというのは、一緒にいる獣戦士Lv99の男だ。
1547
強いのだろう。
Lv99だし。
﹁あー⋮⋮﹂
ロクサーヌが困っている。
シモンはすでに倒してしまった。
サボーが倒すことは無理だ。
しかし証拠がない。
﹁相変わらず躾がなっていない雌のくせに、ブラヒム語は多少覚え
ましたのね。まだ巧く話せないようですけど﹂
ロクサーヌが言いよどんでいるのを勘違いしたのか、女が言い放
った。
ブラヒム語が使えないと思うんだったらブラヒム語で話しかける
なよと。
﹁えっと。いや﹂
﹁奴隷に落ちたのも少しは役に立ったようですわね。感謝してほし
いですわ。いろいろ手を回して、あなたの家に収入がいかないよう
にしたのですから﹂
﹁そんな⋮⋮。あなたが⋮⋮﹂
女の暴露にロクサーヌが絶句する。
前に聞いたことがある。
ロクサーヌは確か税金が払えなくて売られたのだった。
この女がそうなるように画策したということか。
﹁わたくしのバラダム家の力を使えば、簡単でしたけど。ロクサー
1548
ヌがひとの男に色目を使うビッチなのがいけないのですわ﹂
﹁使ってません﹂
﹁口ではそんなことを言っても、態度を見れば明白ですわ。どれだ
けの男を手玉に取ったのやら。ロクサーヌを見る男の視線が違うの
だからすぐに分かりましてよ。その上わたくしの婚約者まで﹂
﹁知りません﹂
なるほど。
やはり地元でもロクサーヌを見る男の目は違っていたらしい。
これだけの美人でこの胸だからなあ。
そうもなろうというものだ。
﹁奴隷になったら、今度はそちらの軟弱男を籠絡したのですか。ロ
クサーヌに騙されるようでは知れたものですわね﹂
﹁ご主人様の悪口は言わないでください﹂
ロクサーヌが声を張り上げた。
1549
決闘
﹁あら。ロクサーヌごときがわたくしに指図するんですの﹂
ロクサーヌが声を上げたことで、ロクサーヌを目の敵にしてくる
という嫌な知り合いの目が光る。
﹁いえ。私のことはかまいませんが、ご主人様の悪口はやめてくだ
さい﹂
﹁それならわたくしと決闘なさい﹂
﹁決闘?﹂
﹁ご主人様とやらの名誉を守りたければ、勝ち取ればいいだけの話
ですわ。そんなにいいご主人様なら、奴隷の決闘も認めてくださる
でしょう?﹂
女がほほを緩めてにやけた。
ロクサーヌが俺の方を向く。
﹁ご主人様⋮⋮﹂
﹁わたくしとロクサーヌとの決闘を認めるなら、わたくしの方から
決闘を申し込んで差し上げてもよろしくてよ﹂
﹁どういうことだ?﹂
﹁決闘を申し込めるのは自由民だけです。ただし、決闘は申し込ん
だ本人がやらなければなりません。申し込まれた方は代理の者が代
わりに受けて立つことができます。誰かの保護を受けている場合な
どです。奴隷は当然主人の保護下になりますから﹂
1550
セリーが説明した。
いや、決闘の説明ではなく状況の説明がほしかったのだが。
話がめまぐるしすぎて、ロクサーヌと女との会話についていけん。
﹁ロクサーヌに代理の者を立てないというのなら、わたくしが決闘
を申し込もうというのです﹂
女の説明も、状況の解説にはたいしてなっていない。
奴隷であるロクサーヌは決闘を申し込めない。
この女からは申し込めるが、申し込まれたロクサーヌは代理の者
を立てることができる。
具体的には、俺が代わりに受けて立てる。
俺が代理として立たないといえば、この女がロクサーヌに決闘を
申し込むわけか。
まあこの世界は裁判で決闘するくらいだ。
決闘もありふれているのかもしれない。
そう簡単に決闘されても困るが。
﹁ロクサーヌより強いのか?﹂
一応小声でロクサーヌに尋ねた。
獣戦士Lv29だと獣戦士Lv32を持つロクサーヌよりレベル
低いわけだが。
決闘を申し込んでくるくらいだから勝算があるのだろうか。
﹁半年前に練習で一度試合しただけですが、私の攻撃がほとんど通
じませんでした﹂
﹁向こうの攻撃は?﹂
1551
﹁もちろん、かすらせません﹂
ですよねー。
﹁どんな卑怯な手を使ったか知りませんが、今度は半年前と同じ引
き分けにはなりませんわ。半年の間にわたくしも強くなっています。
尻尾を巻いて逃げ出すなら今のうちですわね。小生意気な雌犬など、
叩き潰して差し上げます﹂
半年の間にロクサーヌはもっと強くなっている。
半年前は獣戦士Lv6以下だった。
現在獣戦士Lv29のこの女が半年前にLv6以下だったという
ことはないだろう。
﹁ご主人様、やらせてください﹂
﹁でも、やったら勝っちゃうだろ﹂
﹁な、何を言っているんですの﹂
ロクサーヌに話した内容を女が聞きとがめる。
﹁どう考えてもロクサーヌが負ける想定ができないのだが﹂
﹁それならばなおのこと決闘させてもかまわないではありませんの。
主人と奴隷そろって勘違いしているその鼻をへし折って差し上げま
すわ﹂
めんどくさいことになった。
決闘だから、万が一ロクサーヌが負ければ、ロクサーヌを失うこ
とになるかもしれない。
それは困る。
負けるところは想像もできないとはいえ。
1552
無事勝ったとしても、こちらにメリットがあるわけではない。
ただただ面倒だ。
﹁ここまできておまえが決闘を受けないというのなら、我がバラダ
ム家に対する侮辱となる。なんなら、俺がおまえに決闘を申し込ん
でもいいのだぞ﹂
今まで黙っていた獣戦士Lv99のサボーが口を開いた。
﹁ご主人様、サボーは獣戦士で最も強いと言われています。危険で
す。ここは私に決闘をさせてください﹂
﹁いや。俺がやっても負けるとは思わないが﹂
Lv99デスがあるからな。
﹁何だと。この女ならともかく、俺を誹謗することは許さんぞ﹂
サボーが怒る。
女の方が偉いのかと思ったが、唯々諾々と従っているわけではな
いのか。
しかし、この女が何故ロクサーヌに勝てると思っているのかが分
からん。
何か秘策があるのではないだろうか。
特別なアイテムを手に入れたとか、スキル呪文を手に入れたとか。
﹁私もロクサーヌさんなら負けないと思います。やらせてみてもよ
いのではないでしょうか。万が一のときにはあれがあります﹂
1553
セリーが耳打ちしてきた。
あれというのは、身代わりのミサンガのことだろう。
ロクサーヌも向こうの女も装備している。
何かあっても一撃は防げるか。
﹁ロクサーヌなどのために貴重な装備品を無駄にすることはありま
せんのに。ですが、決闘の途中でも手をついて謝るのなら命までは
取らないで差し上げますわ。バラダム家にもそのくらいの慈悲はあ
りましてよ﹂
セリーの声が聞こえたようだ。
あれの意味も分かったのだろう。
まあ自分も着けているしな。
普通に考えれば慈悲を乞うのは向こうになると思うが。
﹁うーん。まあ分かった﹂
決闘させなければ納得しないようだし、うなずいておくしかない。
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
﹁おーほっほっ。しかと承りましたわ。ロクサーヌ程度、惜しいこ
ともないでしょう。それでは、ハルツ公騎士団の詰め所まで参りま
しょうか。逃げ出すなどもってのほかですわ﹂
女がきびすを返し、出口の方へと向かう。
他のパーティーメンバーも続いた。
﹁大丈夫か?﹂
﹁大丈夫です。入り口の小部屋まで魔物はいません﹂
1554
小声でロクサーヌに尋ねると、斜め上の答えが。
そういうことを聞きたかったんじゃない。
﹁決闘には騎士団の許可が必要です。私たちも早く行きましょう﹂
セリーの説明も、なにやら斜め上のような気がする。
どうも日本で生まれ育った俺とは感覚が異なるようだ。
決闘なんて生まれてこのかた、身近では見たことも聞いたことも
ないからな。
この世界では決闘も日常茶飯事なのか。
ロクサーヌもセリーも慣れているらしい。
ため息をつき、遅れないように出口へと向かった。
﹁それでは、ここで待っていなさい﹂
ボーデの城の前に着くと、女が一人で中に入る。
しばらく待つと、中から女とゴスラーが出てきた。
﹁ハルツ公領騎士団のゴスラーである。彼女が自由民であることを
確認した﹂
ゴスラーは、俺たちを見て少し眉を上げたが、それ以上は表情を
変えることなく宣告する。
中立的な第三者の立場でないと拙いのだろう。
﹁はい﹂
ロクサーヌが一歩前に出た。
1555
﹁そのほうがロクサーヌか。決闘に異議はないか﹂
﹁ありません﹂
﹁それでは、申し出に従い、自力救済の原則にのっとって決闘を認
める。被指名者に誰か保護するものがいれば、代理の者とすること
ができる。代理の者を立てるか﹂
﹁いいえ﹂
ロクサーヌの答えを聞いて、ゴスラーがちらりと俺を見る。
俺が当然代理に立つと思ったのだろうか。
﹁相手方は非公開での決闘を望んでいる。それでよいか﹂
﹁日にちを延ばして、また卑怯な手でも使われては困りますからね﹂
女が理由を説明した。
よく分からん理屈だ。
ロクサーヌが俺の方に振り向く。
わざわざ公開にすることはないだろう。
うなずいてやる。
﹁かまいません﹂
﹁それでは、双方のパーティーメンバーのみついてくるがいい﹂
ゴスラーが城の中に入った。
﹁これでもう逃げられませんわよ﹂
女も捨て台詞を残して入っていく。
俺たちも続いた。
1556
ゴスラーが案内したのは、城の中庭の一角だ。
木も芝生も植えられておらず、雑草がまばらに生えている。
騎士団の訓練場だろうか。
﹁ここでやるのか﹂
﹁公開で行うのであれば場所を設営しますが、非公開なのでさっさ
とすませるのでしょう。ほとんどの決闘は非公開で行われるようで
す。騎士団にとっても面倒ごとは手間をかけずに終わらせたいはず
です﹂
セリーと小声で会話する。
すぐにやるのか。
﹁ロクサーヌ、俺の剣を使うか﹂
すぐに決闘するなら、せめてデュランダルを持たせた方がいい。
デュランダルにはHP吸収と、向こうに何か隠し技があったとき
でも詠唱中断がある。
ゴスラーに見せることになるが、しょうがないだろう。
﹁いえ。使い慣れた片手剣の方がいいので﹂
ロクサーヌが断った。
それもそうか。
他のボーナス装備を出すこともできるが、慣れてないものはまず
いだろう。
フルフェイスの兜をいきなり渡されてもな。
出すのを見とがめられたり、持っていることがばれるのもまずい。
1557
せめてセブンスジョブまで取得して、ジョブをたくさんつけてお
くか。
ジョブの効果はパーティーメンバーに及ぶ。
七番めのジョブまできっちり有効かどうか、確認はできていない
が。
ボーナス呪文のパーティライゼイションもつけた。
使ったことはないが、アイテムの効果をパーティーメンバーに及
ぼすことができる魔法だろう。
いざというとき、俺が回復薬を飲めばロクサーヌを回復させられ
る。
MP全解放も念のために取得する。
万が一のときには使うかもしれない。
ロクサーヌやセリーには分かるだろうが、ゴスラーには分からな
いだろう。
決闘に手を貸すことは拙いが、ロクサーヌを失うよりはマシだ。
Lv99デスもつけた。
単体攻撃魔法であることは確認済みだ。
単体攻撃魔法なら、人にも使える。
その後、パーティージョブ設定でロクサーヌのジョブを獣戦士L
v32に戻す。
ロクサーヌを騎士にしようとしたのは失敗だったか。
戦士Lv25のままでも勝ちそうではあるが。
﹁はい、です﹂
﹁ありがとう、ミリア﹂
1558
ミリアが頑丈の硬革帽子をロクサーヌに渡した。
柳の硬革靴は最初からロクサーヌが着けている。
必要かどうか分からないが、できる限りいい装備をすべきだろう。
﹁それでは、両者前へ﹂
﹁しっかりやってこい﹂
﹁ロクサーヌさんなら負けるはずがありません﹂
﹁お姉ちゃん、がんばる、です﹂
二人が前に進む。
﹁おーほっほっ。決闘をするとなれば、命のやり取りは常道ですわ。
覚悟なさい、ロクサーヌ。もちろん、はいつくばったところで許す
ことなどありえませんわ。今日がおまえの命日になりましてよ﹂
女が前言をあっさり翻した。
バラダム家に慈悲はないらしい。
﹁行きます﹂
﹁教えて差し上げましょう、ロクサーヌ。半年前の試合にはお互い
パーティーメンバーはいなかったのに、今日はサボーがわたくしの
パーティーメンバーなのですわ。サボーはわたくしのバラダム家が
総力を結集して求めたドープ薬を服用しているのです。その意味が
お分かりになりまして﹂
ドープ薬というのはやはりレベルアップアイテムのようだ。
サボーが獣戦士Lv99になったのはそのおかげか。
ジョブが持つ効果は、レベル依存でパーティーメンバーに効いて
1559
くる。
Lv99なら相当な効果が見込めるだろう。
この女の勝算はパーティーメンバーのレベルだったのか。
﹁⋮⋮﹂
﹁おーほっほっ。意味が分かるようですわね。いい気味ですわ。そ
れでは、まいりますわよ﹂
無言で剣をかまえるロクサーヌに、女が言い放った。
踏み込んで、剣を振るう。
ロクサーヌが半歩下がってかわした。
続いて振り下ろされた剣をわずかに身体をゆすって避ける。
大丈夫だ。
ロクサーヌの動きにはまだ余裕が感じられる。
Lv99の効果があっても、ロクサーヌには当たらない。
ロクサーヌがまたも女の攻撃を回避した。
女の斬撃をわずかの動きで避けていく。
首を振って剣先をかわし、肩を引いて剣筋から逃れた。
女が大振りになって突っ込んできたところに、ロクサーヌのレイ
ピアが振られる。
女が飛びのき、勢いあまって尻もちをついた。
﹁半年前と違って私の攻撃が通用するようですね。どうしたのです
か。本気を出してください﹂
﹁くっ。相変わらずちょこまかと﹂
女が憎々しげに立ち上がる。
1560
剣を振るった。
ロクサーヌがそれを冷静に避けていく。
﹁半年前の方が強いと感じました﹂
いや。半年の間にロクサーヌが強くなったのだ。
相手が弱くなったわけではないだろう。
﹁あと少しのところですのに⋮⋮。どうして⋮⋮。そこですわ﹂
あー。
これはロクサーヌが悪い。
ロクサーヌの回避は必要最小限の動きで紙一重のところを避けて
いく。
相手の攻撃を完璧に見切っているからだ。
相手からすると、あと少しで自分の攻撃が当たるように思えるだ
ろう。
あと一センチ、いや、あと一ミリのところを剣が通っていくのだ。
そんな曲芸を何度もこなせるはずがない。
避けられたのはたまたま運がよかっただけ、次こそは、と考えて
まったく不思議はない。
半年前にロクサーヌと試合したとき、この女もそう考えたのだろ
う。
今度こそは勝てると。
その結果がこれか。
やはりロクサーヌの個人的な技量は群を抜いているようだ。
1561
獣戦士Lv6で獣戦士Lv29と引き分けられるほどに。
それが獣戦士Lv32になったらどうなるか。
もはや相手にもなるまい。
﹁ご主人様の薫陶を得て少し強くなったような気がしたのでどのく
らい強くなったのか計りたかったのですが。ものさしにもなりませ
ん﹂
﹁くっ。そんなはずはありませんわ﹂
﹁もういいです﹂
ロクサーヌは、興味を失ったように一言吐き捨て、剣を突き入れ
た。
レイピアが女ののどにヒットする。
正確に繰り出された剣が女を突き飛ばした。
女がのけぞって倒れる。
あおむけにばったりと横たわった。
今の一撃は効いただろう。
レイピアの突きを喰らったのだ。
死んでいてもおかしくない。
﹁ま、まだこれくらいで⋮⋮﹂
それでも、女は震えながら身を起こそうとする。
立ち上がろうとひざを寄せた女の足元から、切れた紐が落ちた。
身代わりのミサンガだ。
ロクサーヌの一撃を肩代わりして、役目を終えたのか。
鑑定してみると、確かに女の装備から身代わりのミサンガが消え
1562
ている。
女にもその意味は分かったようだ。
そのまま立ち上がれないでいる。
次に一撃を喰らえば、もう身代わりのミサンガはない。
﹁私の家が困窮するように、いろいろと画策してくれたようですね。
しかし、そのことには感謝しないといけないのかもしれません。素
晴らしいご主人様に出会えましたから﹂
ロクサーヌが剣をかまえた。
このまま突き入れれば、勝負は終わりだ。
﹁ロクサーヌ﹂
後ろから声をかける。
ここまでやれば十分だ。
ここで終わらせた方がいい。
ロクサーヌが手を汚すことはないだろう。
1563
二回戦
﹁よろしいのですか﹂
ロクサーヌが数歩下がり、女と距離を取って振り返った。
小さく首を振る俺を見て、いいたいことは察したようだ。
﹁かまわない﹂
﹁このままだと、引き分けということになりますが﹂
﹁大丈夫だ⋮⋮よな?﹂
隣のセリーに確認する。
﹁あまりよくはありませんがそれでいいのであれば﹂
セリーの答えを聞いて首をかしげながらも、ロクサーヌを招き寄
せた。
このままロクサーヌに手を下させるよりはいい。
﹁あれを使え﹂
向こうのパーティーメンバーから声が飛ぶ。
発言したのはサボーのようだ。
﹁そんな﹂
﹁大丈夫だ。見ていたが、あいつは身代わりのミサンガを渡してい
ない。今なら、ただの引き分けでなく名誉ある引き分けに持ち込め
1564
る﹂
﹁で、ですが⋮⋮﹂
サボーは何を言っているのだろう。
名誉ある引き分けって何だ?
﹁よくがんばったな﹂
﹁はい﹂
﹁さすがはロクサーヌさんです﹂
﹁すごい、です﹂
まだ何かしてくるみたいなので、怠りなく注意は払いながらロク
サーヌを迎えた。
地面にへたり込んでしまった対戦相手はそれ以上動かない。
どう見ても勝負ありというところだろう。
これで終わりだ。
﹁ご主人様の戦いぶりを常に身近で見ていたので私も少しは強くな
れたのではないかと考えていましたが、思った以上でした﹂
﹁そ、そうか﹂
﹁ご主人様の薫陶の賜物です﹂
そういうことは全然ないに違いない。
﹁相手は降参をしていないので勝負なしということになるがよろし
いか﹂
ゴスラーがこちらに寄ってきて問いかけた。
﹁はい﹂
1565
俺を見たロクサーヌにうなずいてやると、ロクサーヌが答える。
﹁そちらもそれでよろしいか﹂
ゴスラーが相手方の陣営に行き、尋ねた。
サボーが前に出る。
﹁仕方がない﹂
﹁それでは、この決闘は引き分けとする﹂
サボーの返答を待って、ゴスラーが宣言した。
サボーはそのまま中に入ってくる。
座ったままの女に近づいた。
﹁バラダム家の面汚しが﹂
サボーが剣を振るう。
女の首を刎ね飛ばした。
﹁あ﹂
うっそーん。
思わず声が漏れてしまった。
﹁こいつにはもしものときのために自爆玉を渡しておいた。まさか
本当に遅れをとるとは思わなかったが。その程度の覚悟もないやつ
など、我がバラダム家には必要ない﹂
転がる女の首を無視して、サボーがこちらに向かって言い放つ。
1566
自爆玉は自分の命と引き換えに敵に大ダメージを与えるアイテム
だ。
名誉ある引き分けとは、ダブルノックアウトのことだったのか。
﹁何をする﹂
ゴスラーが詰め寄った。
﹁これはバラダム家内部の問題だ。この女も当然我がバラダム家の
家父長権の下にある。今の処置になんら問題はない﹂
﹁分かった。一応、インテリジェンスカードの確認はさせてもらう﹂
分かっちゃったよ、ゴスラー。
ゴスラーがあっさり引き下がった。
目の前で殺人が行われても、お家内部の問題だといわれれば手出
しできないらしい。
﹁だが引き分けなのは都合がいい。おまえたちは我がバラダム家に
恥辱を与えた。決闘で敗れ、とどめを刺されないなどこの上もない
不名誉だ。この汚辱をすすぐため、俺はそこの女に決闘を申し込む﹂
ゴスラーにインテリジェンスカードを見せながら、サボーがロク
サーヌを指差す。
﹁決闘に負けた側からの再戦要求は拒否できます。そうしないとド
ロ沼になりますから。しかし今回は引き分けなので﹂
セリーが教えてくれた。
だから引き分けはあまりよくないのか。
引き分けには再戦があるということね。
1567
全然よくなかった。
﹁逃げるのは?﹂
﹁笑いものにされてもよいのであれば﹂
﹁やらせてください﹂
笑いものにされてすむなら逃げた方がいいのでは。
と俺は思うが、ロクサーヌは納得しないだろう。
﹁俺は規定どおりドープ薬を五十個しか服用していない。覚悟があ
るなら受けるがよい﹂
﹁ドープ薬は大量に服用しても強くなれないので使用は五十個まで、
という説もあります﹂
サボーの言葉をセリーが解説する。
やはりドープ薬はレベルアップするだけでパラメーターはアップ
しない説が有望のようだ。
レベルが五十上がったとして、Lv49までは自分で上げたのか。
あれ?
ロクサーヌの方が強くね?
Lv99ならともかく、Lv49だとロクサーヌの方が強そうに
思える。
獣戦士Lv6でLv29の攻撃をかすらせもしなかったのなら、
獣戦士Lv32の今だとLv49の攻撃はシャットアウトだろう。
﹁まあ俺が行くけどさ﹂
﹁いえ。私が。サボーの強さはよく知られています。危険です﹂
﹁ロクサーヌがやるとあっさり勝っちゃいそうだし﹂
1568
実際には苦しいだろうか。
Lv49じゃなくもっと上まで育ててドープ薬が無駄になった可
能性もある。
それでもなんとかしそうなのがロクサーヌではあるが。
﹁何だと。貴様言うにこと欠いて﹂
﹁サボーは相当に強いはずです。狼人族の間では暴れ者として有名
です。ご主人様を危険にさらすわけにはいきません。もし万が一の
ことがあれば﹂
﹁大丈夫だ、ロクサーヌ。おまえのご主人様はそこまで弱くない﹂
﹁は、はい﹂
吠えている人は無視してロクサーヌを説得した。
ロクサーヌを失うわけにはいかない。
危険は冒せない。
あの女を殺すぐらいだ。
もし勝てるなら、サボーはロクサーヌを殺すことに躊躇などしな
いだろう。
確実に勝てる俺が出るしかない。
﹁ただ向こうも少しは強いみたいだからな。手加減は難しい。殺し
てしまうことになるが、問題ないか﹂
﹁はい﹂
﹁大丈夫です﹂
ロクサーヌとセリーから了承を受けた。
問題ないのか。
﹁決闘を受けるか﹂
1569
﹁俺が出ることに問題はあるか﹂
﹁決闘を申し込まれた側は代理の者を立てることができる。代理が
誰であっても拒否はできない﹂
こっちに来たゴスラーと会話する。
﹁さすがに手加減はできないので殺すことになるが﹂
﹁決闘でどのような決着がつこうともそれは勝負の常﹂
﹁さっきから何を言っている。どんなに強い代理の者だろうと俺が
負けるわけがない﹂
サボーが怒鳴った。
﹁代理というより、道場主と戦いたいならまず師範代を破ってから、
という感じか﹂
﹁わけの分からんことを﹂
﹁ロクサーヌと違って俺では手加減ができないから、死にたくない
ならやめた方がいいぞ﹂
﹁戯言を﹂
さすがにやめた方がいいといわれたくらいではやめないか。
脅しではないのだが。
﹁あまり私を怒らせない方がいい﹂
﹁それはこっちのセリフだ﹂
﹁昨夜あんまり寝てないんだよね。やべー、今日本調子じゃないか
も。マジ寝てないからつれーわー﹂
﹁さっさと始めるがいい﹂
駄目か。
1570
﹁では、異議がないのであれば決闘を認める。始めてよいか﹂
﹁おう﹂
サボーが吠え、俺がうなずく。
デュランダルは出さない。
出したところで、正面から行って勝てるかどうかは分からない。
それ以外での決着を図った方がいい。
いざとなったら、オーバーホエルミングを使って強壮剤を大量補
給だ。
向こうも自爆玉を使おうとしたみたいだし、アイテムの使用はあ
りだろう。
そしてMP全解放を連発する。
これなら勝てる。
﹁両者前へ﹂
ゴスラーが決闘を開始させた。
サボーが突っ込んでくる。
問答無用か。
Lv99デスと念じ、サボーを指定した。
表面上変化はない。
サボーはなおも接近する。
鑑定すると、サボーの装備から身代わりのミサンガが消えていた。
Lv99デスはちゃんと有効だったようだ。
前に出ながら、再度Lv99デスと念じる。
サボーが剣を振り下ろしてきた。
1571
オーバーホエルミングと念じる。
ゆっくりとふところに潜り込んだ。
このオーバーホエルミングは、速く動くためではない。
確実に剣を避けるために使った。
だから俺の動きはゆっくりでいい。
力がすでに失われたサボーの腕を取る。
剣に当たらないよう注意しながら、腕を引き込んだ。
足をかける。
強く払うことはせず、重心を少しだけずらせた。
オーバーホエルミングの効果が切れる。
サボーが地面に転がった。
﹁えっと⋮⋮﹂
﹁まだ始まったばかりですが﹂
すぐ戻った俺にロクサーヌとセリーが声をかけてくる。
ロクサーヌですら状況を把握できていないようだ。
﹁終わりだ﹂
﹁す、すごいです。近づいて腕を取り足をかけたのは見えましたが、
何をしたのかは分かりませんでした﹂
それで全部見えてるんだけどね。
実際には何もしていないから。
ロクサーヌにはやはり見えていたらしい。
﹁剣も抜かずにあっという間に倒すなんて⋮⋮﹂
1572
﹁すごい、です﹂
セリーとミリアもほめてくれる。
﹁確かに事切れている﹂
サボーの状態をゴスラーが確認した。
ゴスラーにも俺が何をしたかは分からないだろう。
Lv99デスは、Lv99の相手に問答無用で死を与える呪文の
ようだ。
MP全解放みたいな爆発じゃなくてよかった。
﹁サボーはとてつもなく強いと聞いています。今まで誰もバラダム
家には逆らえませんでした。それをあっさり倒すなんて。さすがご
主人様です﹂
﹁いや、どうなんだろ。ロクサーヌの方が強いんじゃないか﹂
サボーがどれだけ強いかは結局分からずじまいだ。
分からなくてよかったともいえるが。
﹁そんな⋮⋮あのサボーが﹂
﹁確かにお嬢様と戦ったあの女性も強かったが、まさかサボーを上
回るなんて﹂
サボーのパーティーメンバーも驚いてる。
向こうのメンバーで残ったのは四人になってしまった。
﹁この決闘はハルツ公騎士団のゴスラーが確かに見届けた。両者死
力を尽くした、正当な決闘であると証言する。報復などのないよう
に﹂
1573
ゴスラーがサボーのパーティーメンバーに訓示している。
俺も何か声をかけるべきか。
アフターフォローは大切だ。
復讐にでも来られたらたまったものではない。
﹁決闘上のことなのでやむをえぬ仕儀となった。遺恨のないように
願いたい﹂
﹁は、はい。それは分かっております。サボーを倒されるようなか
たと諍いを起こすつもりはありません。それで、装備品のことです
が﹂
﹁装備品か﹂
いきなり斬り込んでくる可能性も考えたが、そこまでの恨みはな
さそうか。
仕返しよりも装備品を気にするくらいなら大丈夫だ。
﹁決闘に負けた人の装備品は本来勝利者のものです。しかし受け取
らないことが多いです。装備品目当てに決闘を挑む者もいますので。
特に強い憎悪がある場合には、装備品の中から一つだけ奪うことも
行われています﹂
セリーを見ると、教えてくれた。
装備品は勝利者のもの。
だから装備品目当てに決闘をふっかけるやつもいる。
自分はそうでないと示すために装備品は受け取らない、というこ
とか。
いろいろとややこしいことになっているようだ。
1574
﹁ロクサーヌ、どうする﹂
﹁私は特に怨みはありませんので﹂
﹁装備品は必要ない﹂
ロクサーヌの回答を聞いて向こうのパーティメンバーに告げる。
サボーはスキルつきの装備品もしていたが、しょうがない。
装備品をものにしたら復讐されるかもしれないし。
﹁ありがとうございます。⋮⋮装備品とインテリジェンスカードを
持って帰りますので、遺体の処分はおまかせします﹂
﹁分かった﹂
﹁お願いします﹂
パーティーメンバーは、俺に礼を述べた後、ゴスラーに頼んだ。
遺体はいらないのか。
考えてみれば、迷宮で死んだら骨も残らない。
そういうのにこだわる観念は薄れていくだろう。
しかしインテリジェンスカードは持ち帰ると。
亡くなった証拠として遺髪よりも確実ではある。
騎士のスキルの任命で村長Lv1にして倒すという手も考えたが、
使わなくてよかった。
インテリジェンスカードを確認してジョブが村長になっていたら、
何をされたかおそらく想像はつく。
そんな戦い方は、騎士の風上にも置けない、かもしれない。
﹁では、こちらへ﹂
ゴスラーが俺たちを誘った。
1575
途中で残りの作業を騎士団員に命じ、城内に入っていく。
﹁ご主人様、私のためにすみませんでした﹂
ロビーに着くと、ロクサーヌが謝ってきた。
﹁いや。引き分けにしろといったのは俺だしな﹂
﹁ですが﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁はい﹂
今日のことは、俺よりもロクサーヌの方がショックなんじゃない
だろうか。
俺のことなんか気遣う必要はない。
﹁ミチオ殿、驚きました。相手に何をしたのか、私にも分かりませ
ん。相手の身代わりのミサンガが切れていました。なので最低でも
二回以上攻撃したはずです。並みの冒険者でないとは思っていまし
たが、これほどとは﹂
ゴスラーが呆れている。
並みの冒険者どころか、冒険者ですらないわけだが。
せめて相手をほめておくか。
﹁難敵だった。手を抜いていたら、危なかったかもしれん﹂
﹁ロクサーヌと申すそちらの女性も圧倒的な実力を見せつけました。
向こうのパーティーメンバーが来る前に、今日のところは一足先に
お帰りください。私はたまたまいましたが、公爵は外に出ておりま
す。詳しい話は次回にでも﹂
1576
次に来るのが嫌になった。
しょうがない。
家に帰る。
﹁ロクサーヌ、大丈夫か﹂
家に着くと、すぐロクサーヌに声をかけた。
一番ショックなのはロクサーヌだろう。
﹁はい。私なら大丈夫です。えっと。あの女が言ったこと、気にし
ないでもらえますか﹂
﹁軟弱男だったか。別に気にしていない﹂
事実のような気もするし。
﹁いえ。あの。私が男を手玉に取ったとか﹂
﹁そっちはもっと気にしていない﹂
そう言って笑いかける。
言いがかりというか、ロクサーヌを見る男の目が違ったのは事実
だろうし。
ロクサーヌも微笑んだ。
表情をうかがう。
大丈夫そうか。
そうでもないと気づいたのは、夜、ベッドに入ってからだった。
﹁私、叔母の家族に迷惑をかけたかもしれません﹂
1577
四人で横たわっていると、ロクサーヌがポツリとつぶやいた。
ロクサーヌは叔母の家に厄介になっていたのだ。
あの女が収入が行かないようにした家とは、叔母の家ということ
になる。
やはりショックがあったのか。
おかまいなくハッスルしている場合じゃなかった。
﹁今日のことは忘れろ﹂
﹁叔父は私に性奴隷になることを了承させ、代わりに狼人族には売
らないという条件を奴隷商人につけました。酷い叔父だと思いまし
たが、それは私を守るためだったかもしれません﹂
あの女がロクサーヌにあくまで嫌がらせをするなら、奴隷になっ
たロクサーヌを買い取ることも考えただろう。
ロクサーヌの叔父は仕方なくロクサーヌを売ったが、布石は打っ
ておいたということか。
奴隷商人のアランが言っていた事情とはこのことかもしれない。
狼人族に売れないという条件があるのなら、誰が買うかも分から
ないオークションには出せない。
﹁細かいことを言い出したら、俺があの女に感謝しないといけなく
なる。あの女のおかげでこうしてロクサーヌを手に入れることがで
きたのだしな。だから、細かいことはあまり気にするな﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
﹁俺とロクサーヌが幸せになればいい。それがあの女に対する最高
の復讐だ﹂
スペインかどっかのことわざだ。
1578
幸福に暮らすことが最高の復讐である、と。
ロクサーヌを片手で軽く抱き寄せる。
ロクサーヌが無言で頭を預けてきた。
肩にロクサーヌの頭が乗っかる。
確かな重みを感じながら、眠りについた。
1579
浪費
翌日の夕方、家に帰ると仲買人のルークから伝言メモが残ってい
た。
これはよい知らせだ。
悪い知らせではなく、よい知らせだろう。
今日連絡があっても、まだ公爵からの出頭要請は来ていないに違
いない。
さすがに昨日の今日で連絡はつかないと思う。
明日になったら、公爵が何かいってきている可能性は増す。
明後日ならもっと増す。
四、五日後なら、公爵にその気があるならば確実に呼び出しがか
かっていると見ていいだろう。
今日ならまだ大丈夫のはずだ。
買い物に行く前に家に立ち寄ってよかった。
これも虫の知らせというやつか。
いや。虫の知らせじゃなくて願望か。
問題の先送りでしかないが、まったく効果がないともいえない。
決闘から十日も経ったら、細かいことを聞かれごまかそうとして
矛盾が出ても、そうだったっけ、で切り抜けられる。
そういえばそんなこともあったと笑い話にできる、かもしれない。
今回を無事に乗り切れば、次回話が来ても大丈夫だろう。
1580
ルークは何か落札したときのついででしか連絡してこないだろう
し。
公爵からルークに連絡が行くのに数日。
ルークから俺に連絡が来るのに数日。
俺がルークのところへ行くのに一日。
ルークから話を聞いて公爵のところへ行くのにさらに一日稼げる。
十日くらいは経過するはずだ。
﹁ご主人様、芋虫のモンスターカードを落札したそうです﹂
ロクサーヌがルークからの伝言を読む。
今日は一日中注意をしていたが、ロクサーヌはいつもと変わりが
ないように見えた。
昨日のことはショックだっただろうが、大丈夫そうか。
相変わらず切れ切れの動きで魔物の攻撃を避けていた。
ひょっとしたらあれで本調子じゃないということもありうるが。
その可能性は怖すぎるので考えないことにしよう。
﹁まだ明るいし間に合うだろう。俺は商人ギルドに行ってくる﹂
﹁かしこまりました。私とミリアは装備の手入れと、スープを作っ
ています。野菜の残りがあるので、具材も大丈夫です。夕食の買い
出しは、セリーが一人いれば問題ないでしょう﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
﹁尾頭付き、です﹂
夕食のメインはミリアのいうとおり尾頭付きの竜田揚げだ。
朝から魚醤に漬けて置いてある。
1581
セリーを連れて、すぐに商人ギルドへ飛んだ。
芋虫のモンスターカードを買い取る。
思ったとおり、公爵の話は出なかった。
よっしゃ。
﹁夕食は、もう一品なんか作ってもらえるか。魚はミリアが大量に
持っていくだろうし﹂
﹁そうですね。では私が炒め物を作ります﹂
炒め物にする食材とパンを買って家に帰る。
空きのスキルスロットつきのミサンガと芋虫のモンスターカード
をセリーに渡した。
セリーがあっさりと融合する。
﹁すごい。もう完全にお手のものだな。さすがはセリーだ﹂
﹁さすがです、セリー﹂
﹁すごい、です﹂
﹁これでミリアの分ができたな﹂
セリーをほめているミリアの肩に手を置いた。
ネコミミもいじらせてもらう。
芋虫のモンスターカードを融合して、四個めの身代わりのミサン
ガができた。
身代わりのミサンガが全員分そろったことになる。
﹁はい、です﹂
﹁よし、ミリア、こっちに来い。着けるのは足首でいいか?﹂
﹁ありがとう、です﹂
1582
ミリアをイスに座らせる。
身代わりのミサンガをミリアの足に巻いた。
ルークに対して芋虫のモンスターカードを積極的に買うよう出し
ている指示は変更していない。
メンバーを増やすことや切れたときの予備も考えれば、まだいく
つかは必要だろう。
その後、尾頭付きを揚げる。
ぶつ切りにしたのですでに尾頭付きではなくなっているが。
揚げている間、ミリアは片時も離れることなく俺のそばについて
いた。
油が跳ねたときだけ、後ろに逃げる。
﹁今、油が飛んだだろう﹂
﹁飛んだ、です﹂
﹁やっぱり油料理を作るならエプロンが必須か﹂
この世界にもエプロンはある。
ただし、エプロンというよりは完全に作業用の前掛けだ。
布地も分厚く安全第一。
俺が着けるにはいいが、ロクサーヌたちに着せるには物足りない
んだよな。
ロクサーヌたちには可愛らしいエプロンを着てほしい。
そう。男の夢が。
男の夢が。
大事なことなので二度言いましたよ。
﹁エプロンですか。あれば便利だと思います﹂
﹁ごっついのしかないんだよな﹂
1583
﹁そうですね﹂
ロクサーヌも同意のようだ。
女性用の可愛らしいファッションとしてのエプロンがほしい。
メイド服にはフリルがついているが、エプロン部分だけを取り外
せない。
そこまでは来ているのに、あと一歩がない感じだ。
まあ専業主婦もいないし、しょうがないのだろう。
この世界、女性向けの可愛らしいヒラヒラとした服を着れるよう
な人たちは自分では料理をしない。
自分で料理を作るような人には、可愛らしい服を着る余裕がない。
可愛らしいエプロンがあっても売れそうにないか。
﹁明日にでも帝都の服屋に行って作ってもらうか﹂
﹁えっと。よろしいのですか﹂
﹁ロクサーヌたちには可愛らしいものを着てほしいしな﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
今日のところはエプロンなしで尾頭付きを揚げる。
皿いっぱいに黒い竜田揚げができあがった。
﹁よし。食べるか﹂
﹁はい、です﹂
テーブルに運んでイスに座ると、ミリアがせかすように俺を見て
くる。
ミリアが監視する中、尾頭付きの竜田揚げを口に入れた。
スライムスターチの皮はサクッと軽く、中の尾頭付きはジューシ
1584
ーだ。
歯ざわりのよい薄皮を噛み裂くと、弾力のある熱々の魚肉が弾け
る。
ほのかに辛い魚醤のアクセントが効いた濃厚な味わいが、口の中
いっぱいに広がった。
そして、なめらかに舌の上で溶けていく。
旨い。
想像した以上に旨い。
三ツ星確定。
絶品といっていいだろう。
﹁旨いな﹂
﹁ご主人様がお作りになられる料理はいつも素晴らしいですが、今
日のは最高です﹂
﹁これはすごいです﹂
﹁おいしい、魚、食べた、ない、です﹂
こんなに美味しい魚は食べたことがない、か。
ミリアも喜んでくれているようだ。
竜田揚げはハイペースでなくなっていった。
ミリアだけでなく、ロクサーヌやセリーも頻繁に手を出している。
もっとも、残り少なくなってからは遠慮して誰も取らなかったが。
終わりの方はミリアが一人で片づけた。
そして、最後に一個だけ残った皿を俺に差し出してくる。
俺にくれるのか。
﹁それはミリアが食べていいぞ﹂
1585
﹁はい、です﹂
遠慮してやると、ミリアが喜び勇んで最後の竜田揚げをほおばっ
た。
名残惜しそうにゆっくりとあごを動かす。
食べ終わると、肩を落とした。
まあ気持ちは分かる。
確かにそのくらい旨かった。
﹁次は、ハルバーの十五階層を突破したときだな﹂
﹁食べる、です﹂
予定を話すと目を輝かせた。
これで迷宮でも張り切ってくれるだろう。
翌日、帝都の服屋に赴く。
女性用のきらびやかな衣装を扱っている店だ。
エプロンは置いていない。
エプロンはこういう店に置いておくようなアイテムではないらし
い。
﹁彼女たちには料理も作ってもらうのでな。料理を作るときに汚れ
てもいいような薄手のエプロンがほしい﹂
﹁エプロンですか﹂
﹁前だけを軽く覆えればいいので、後ろは紐で結べるようにして、
帝宮の侍女服にあるようなフリルもつけてほしい﹂
﹁はあ﹂
1586
ミリアのメイド服を作るとき世話になった男性店員に依頼する。
メイド服が分かるならエプロンも分かるはず。
と思ったのに、メイド服の素晴らしさは理解してもエプロンの破
壊力は想像できないようだ。
俗物め。
﹁どうだろうか﹂
﹁素材はいかがいたしましょう。絹であれば、薄手で最高のものが
できると思いますが﹂
﹁汚れてもいいようにするための保護服だからな。洗える素材がい
い﹂
絹のエプロンとか。
それはないだろう。
﹁一から作ることになりますので、加工費の方がどうしてもかかっ
てしまいます。素材による値段の違いはあまりありません。通常の
布を使えば千ナール、絹を使っても千三百ナールで素晴らしいもの
が仕上がります﹂
﹁うーん。そんなものか﹂
結構高い。
こっちからの依頼をフルオーダーで作ってもらうのだからしょう
がないか。
絹を使えばさらに跳ね上がる。
﹁色はいかがいたしましょう。絹の光沢にあったカラフルなものも
ご用意できますが﹂
﹁白でいいだろう﹂
1587
粘るね。
﹁そうですね。白もよろしいでしょう。絹の白い光沢も素敵なもの
です﹂
色とか素材とかは本当にどうでもいいわけだが。
﹁そうか﹂
﹁想像してみてください。トップラインは水平にして、裾は膝丈。
絹のなめらかな布地が前を覆い、優しく包み込みます。美しい光沢
に加えて肌触りのよい絹のエプロン。最高の品であることをお約束
いたしましょう﹂
ば、馬鹿な。
理解していなかったのは俺の方だというのか。
絹のエプロン。確かにそれもありのような気が。
絹のエプロンなんかに。
くやしい。でも、注文しちゃう。
﹁通常の布を使ったやつと、絹のものと、彼女たち三人に一つずつ
作ってもらえるか﹂
﹁かしこまりました。では採寸させますので﹂
﹁ありがとうございます﹂
礼を述べたロクサーヌたちが女性店員に連れ去られた。
﹁肩紐などにフリルをあしらい、裾はレースで飾りましょう。その
他細かい意匠はこちらにおまかせください。お渡しは五日後になり
ます﹂
1588
やはり店員の方が分かっている気がする。
完敗だ。
三割引で四千八百三十ナールも取られてしまった。
結構な出費である。
痛いというほどの額ではないが。
ただ、オークションに向けて少しでもお金を貯めておきたい時期
ではある。
翌日には、さらにお金を使う事態が発生した。
武器屋に立ち寄ると、カウンターの奥にたくさんの武器が並んで
いる。
カウンターの奥にあるのはワンランク上の装備品だ。
今までこんなことはなかった。
﹁大量に入荷したのだな﹂
﹁はい。すべてさる家から持ち込まれたものです﹂
まとめ売りか。
全部一度に売ったとなると、かなりの大金を手に入れただろう。
うらやましい。
﹁エストックが多いな。少し見せてもらえるか﹂
﹁もちろんでございます﹂
エストック 片手剣
スキル 空き 空き 空き 空き
1589
あったよ。
空きのスキルスロット四個がついたエストック。
数が多いだけあってか、あっさりと見つかった。
レイピアは空きのスキルスロットが最大三個だし、エストックで
も四個が最高だろう。
﹁ロクサーヌ、これなんかどうだ﹂
﹁えっと。よろしいのですか﹂
﹁見てみろ﹂
﹁は、はい﹂
エストックをロクサーヌに渡す。
両手剣のダマスカス鋼の剣も数はあったが、空きのスキルスロッ
トが二個では性能微妙か。
デュランダルの代わりに使うには、MP吸収とHP吸収の他に詠
唱中断が最低限必要だ。
ダマスカス鋼の槍は、数も少ないし、空きのスキルスロットつき
のものもなかった。
セリーを見て、小さく顔を振る。
﹁はい﹂
セリーが返事をした。
伝わったようだ。
スタッフは、在庫は少ないながら空きのスキルスロットつきのも
1590
のがある。
空きのスキルスロットが一個では微妙といえばいえるが。
しかし知力二倍をつけてひもろぎのスタッフにすれば、それだけ
で現行より戦力アップになる。
ひもろぎのスタッフはカシアが使っていた武器だ。
カシアと同じ武器か。
これはありだろう。
﹁よい品のようです﹂
ロクサーヌがエストックを渡してきた。
エストックとスタッフを購入する。
金貨が十数枚、羽の生えた小鳥のように飛んでいってしまった。
今の時期に痛い。
武器屋の方にあるならと、すぐに防具屋にも行ってみる。
防具屋の方は、いつもと変わらなかった。
売ったのは武器だけか。
﹁防具屋の方にはまとめ売りしなかったのか﹂
﹁耳がお早い。よくご存知ですね﹂
小さくつぶやいたのを防具商人が聞きとがめた。
もみ手でにじり寄ってくる。
やっぱり防具も売ったのか。
﹁ちょっとな﹂
﹁仕入れたばかりで、店の方にはまだ出しておりません。店の裏に
置いてあります。ご覧になりますか﹂
1591
﹁いいのか﹂
﹁はい。どうぞ﹂
防具商人が店の裏に案内してくれた。
カウンターの後ろから店の奥に入る。
数多くの装備品が並んでいた。
﹁結構な数があるな﹂
﹁まだ本日仕入れたばかりでございます﹂
﹁さる家が一気に売り払ったのか﹂
﹁どうやらかなり無理をして集めていたようですね。その家には相
当に強くて名の通ったかたがおられたようです。その強さを頼みに、
強引なやり口で周囲には迷惑を与えていると聞きました。しかし無
謀な拡張はつまずきの元。先日、その強いかたが亡くなったそうで
す。噂では決闘で返り討ちにあったとか﹂
決闘ね。
どっかで聞いたような話だ。
﹁返り討ちか﹂
﹁強いかたがいなくなったとあれば、今まで被害を受けていた分、
周りの態度は激変します。踏み倒したり無理やり期日を延ばさせた
りしてきた分も含めて、借金や集めた資金などの返済をいっぺんに
求められているようです。かなりお金に困っているみたいでしたね﹂
世知辛いことになっているらしい。
態度でかかったしな。
ロクサーヌに対してだけじゃなく普段からあんな感じなのだとし
たら、反発を喰らっていそうではある。
1592
バラダム家が手放したのだろう装備品は、そこそこ豊漁だった。
空きのスキルスロット四つつきのダマスカス鋼の額金、空きのス
キルスロットが三つついた竜革のジャケット。
﹁これは?﹂
﹁アルバですね﹂
﹁魔法の防御力が高く、魔法の威力も上げてくれる服です。神官や
僧侶、魔法使いが着る装備品です﹂
空きのスキルスロット二つつきのアルバという胴装備もあった。
初めて見る。
防具商人が名前を言い、セリーが説明した。
﹁素材に聖銀を使っております。ただ、聖銀がたくさん手に入るの
ならもっとよい装備品が他にあるので、作られることも出回ること
もあまりありません。このクラスの装備品になりますと、ローファ
ーなど性能よりもファッション性を重視した装備品も多くなります
が、こちらに関しては性能の確かな品です。魔法防御力が高いので、
魔法を使ってくる魔物がいる階層では他のジョブのかたが着用する
こともございます。いかがでございましょうか﹂
防具商人が売り込んでくる。
魔法の威力が上がるというのは魅力だ。
空きのスキルスロットもあるしな。
その他には、空きのスキルスロット一つの、竜革のグローブに竜
革の靴。
空きのスキルスロットが一つというのは微妙だが、買っておくこ
とにする。
せっかくのチャンスだ。
1593
なんなら、モンスターカードを融合してすぐにうっぱらってもい
いだろう。
だから、これは浪費ではない。
先行投資だ。
たとえ金貨が何十枚と消えていったとしても、である。
1594
資金稼ぎ
現状、俺の手元には緑魔結晶と黄魔結晶が一つずつある。
緑魔結晶は、最初から俺が育てたものだ。
結構長いこと魔力を溜めたので、今から溜めてもオークションま
でに確実に黄魔結晶にできるだろう。
黄魔結晶は、倒したハインツの一味が持っていた魔結晶を集約し
たものだ。
盗賊の持ち物だったのでどのくらい魔力が溜まっているのかは分
からない。
魔物二十万匹分くらいの魔力しか溜まっていないかもしれないし、
魔物九十万分以上の魔力が溜まっているかもしれない。
魔物百万匹分の魔力が溜まれば白魔結晶となり百万ナールで売却
できるが、オークションに間に合うかどうかはギャンブルだ。
確実にできる十万ナールか、できるかどうか分からない百万ナー
ルか。
今現在は黄魔結晶を持って迷宮に入り魔力を溜めている。
変更すべきかどうか。
緑魔結晶の方から溜めていって十万ナールを作った後に黄魔結晶
に溜めるようにすれば着実だが、最初から黄魔結晶だけに溜めてお
けばオークションまでに百万ナールができたのにできなくなるおそ
れもある。
いや。魔結晶は一つにすることができる。
オークションまでに今ある黄魔結晶が白魔結晶にならなかった場
1595
合、一つにしてみればいいだろう。
最初から黄魔結晶に溜めておけば白魔結晶ができたのなら、一つ
にすることで白魔結晶になるはずだ。
オークションまでにはまだ日もある。
所持金はいくらか増えるはずだ。
白魔結晶まで育たなかった場合、あと十万ナール増えれば十分だ
と思えば緑魔結晶から育てた黄魔結晶を売ればいいし、百万ナール
が必要だと考えれば一つにして白魔結晶になるかどうかチャレンジ
できる。
黄魔結晶を二つ売って二十万ナールという選択肢もある。
選択肢は多い方がいい。
つまり緑魔結晶から育てていくのが正解だ。
緑魔結晶から育てた黄魔結晶は、黄魔結晶になった後そのまま取
っておく。
白魔結晶が得られなかった場合は、オークション直前に、売却し
て十万ナールにするか一つにして白魔結晶にチャレンジするか、選
べばいいだろう。
もう一つ問題は、スキルか。
今は経験値系のスキルにボーナスポイントを注ぎ込んでいる。
そのため結晶化促進のスキルはなおざりだ。
オークションに向けて魔結晶の売却益に期待するなら、結晶化促
進のスキルを上げた方がいいだろう。
オークションは年に四回だ。
チャンスがあればものにしたい。
そのためには準備をしっかりしておくべきだろう。
早く冒険者にもなりたいが、それは少々後回しでもいい。
1596
方針が決まった。
獲得経験値上昇のスキルは諦め、結晶化促進六十四倍をつける。
アルバも装着して、ハルバーの十五階層に挑んだ。
資金調達だけを考えるのならボーデの十二階層で尾頭付きを狙う
という手もあるが。
何もそこまですることはないだろう。
十六階層まで行けば魔物が最大で五匹になるし、魔結晶のことを
考えれば、上の階層に進んだ方がいい。
一匹多く倒せば六十四倍になって返ってくる。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv42 英雄Lv38 魔法使いLv41 僧侶Lv41
装備 ひもろぎのロッド 硬革の帽子 アルバ 竜革のグローブ 竜革の靴 身代わりのミサンガ
ロクサーヌ ♀ 16歳
戦士Lv26
装備 エストック 鋼鉄の盾 ダマスカス鋼の額金 竜革のジャケ
ット 硬革のグローブ 柳の硬革靴 身代わりのミサンガ
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv32
装備 強権の鋼鉄槍 防毒の硬革帽子 チェインメイル 防水の皮
ミトン 硬革の靴 身代わりのミサンガ
ミリア ♀ 15歳
海女Lv31
1597
装備 レイピア 鉄の盾 頑丈の硬革帽子 チェインメイル 硬革
のグローブ 硬革の靴 身代わりのミサンガ
アルバというのは、くるぶしまで丈のある長いワンピースだ。
確かに神父さんが着そうな服か。
白いし見た目はちょっと割烹着っぽい。
この装備で戦ってみる。
ビッチバタフライをブリーズストーム五発で落とした後、サラセ
ニアをファイヤーボール三発で倒した。
今までより少なくなっているから、アルバが魔法の威力を上げて
くれるのは間違いないようだ。
大きく楽になったわけではないが、少しは楽になるか。
レベルアップだけで戦闘時間を短縮させるのは大変だ。
武器でもない装備品を身につけただけで少しでも効果があるのな
ら、ありがたいとせねばならないだろう。
﹁見た目で魔法使いとばれてしまいそうだが﹂
﹁そうですね。今まで以上に気をつけて案内します﹂
﹁まあロッドを持っている時点で駄目駄目か﹂
アルバを着ているとあまり探索者や冒険者には見えない。
気をつけた方がいい。
ロクサーヌにはさらに頼ることになる。
﹁神官や僧侶がつけることもありますので﹂
迷宮では、セリーのいうように僧侶だということでごまかすしか
1598
ない。
ゴスラーや騎士団の者に会わなければ問題はないだろう。
アルバを着けたまま迷宮の外には行かないようにした方がいい。
アルバは、軽いし腰紐で縛れば動きの邪魔になることもなかった。
デュランダルを出して乱闘しても違和感なく戦える。
﹁僧侶が剣を出して戦うのは変な気もするが、僧侶が前衛でもおか
しくはないんだっけ?﹂
﹁はい。火力は多ければ多いほどいいですから﹂
ロクサーヌに確認した。
六人しかいないパーティーで回復専門職を普段遊ばせておくほど
の余裕はないのだろう。
僧侶が剣を持って暴れていても大丈夫か。
スタッフも試してみたが、さすがに知力二倍のスキルがついたひ
もろぎのロッドほどの威力はないようだ。
ハルバー十五階層のボス部屋にはすぐに到着した。
戦闘時間が短くなったおかげか。
いや。ミリアががんばってくれたおかげか。
﹁ビッチバタフライのボスは何だ﹂
﹁マダムバタフライです。基本的にはビッチバタフライを強くした
魔物です。攻撃を受けると麻痺してしまうことが多いので、要注意
です﹂
セリーから話を聞いて、ボス部屋に入る。
1599
ビッチバタフライのいたクーラタルの十六階層は突破まではして
いないので、ボスと戦うのは初めてだ。
﹁××××××××××﹂
ロクサーヌも翻訳してミリアに伝えていた。
いちいち大変そうだ。
ミリアには早くブラヒム語をマスターしてもらわないと。
ボス部屋に突入すると魔物が二匹現れる。
ビッチバタフライとマダムバタフライだ。
マダムバタフライは、羽に大きな目玉模様のある蝶だった。
蝶というよりは蛾っぽい。
毛はあまり生えていない。
一箇所、目玉模様のあるところから睫毛みたいに細長い毛が生え
ている。
長い睫毛が蠱惑的で確かにマダムっぽい。
アイラインも青黒くてはっきりしている。
マダムだ。
目玉模様を見ているとまさしくマダムに見えてくる。
もちろん魔物なので倒さなければならない。
付き添いのビッチバタフライを速攻で倒し、マダムの囲いに加わ
った。
慎重に攻撃する。
マダムの攻撃を浴びると麻痺することが多いらしい。
まあロクサーヌがそんなへまを犯すわけもなく。
1600
こっちは注意しながら後ろからデュランダルで殴った。
おおっと。
マダムバタフライが羽を大きく振り回す。
周囲全体を攻撃した。
頭を下げて避ける。
注意していたので、回避することができた。
ミリアも大丈夫そうか。
ロクサーヌは心配するまでもない。
セリーは、少し離れた位置から槍で突いているので問題ない。
全員かわしたようだ。
攻撃を集中させる。
四人でぼこって、魔物を倒した。
マダムバラフライが地に落ちる。
煙となって消えた。
﹁魔結晶、です﹂
ミリアが叫ぶ。
魔結晶があったのか。
ミリアが走り寄るまでどこにあるのか分からなかったが、鑑定し
てみると確かに魔結晶があるようだ。
ミリアが、ドロップアイテムではなく魔結晶に飛びついて、俺の
ところに持ってきた。
黒魔結晶だ。
またできたばかりのものを見つけたのか。
1601
﹁さすがはミリアだな。えらいぞ﹂
﹁はい、です﹂
ミリアの頭を軽くなでる。
帽子をかぶっているのでネコミミに触れないのが残念だ。
﹁そういえば前もボス部屋で見つけてたな。ボス部屋は魔結晶がで
きやすいんだろうか﹂
﹁ボス部屋は魔物の出現位置が固定されます。それに、ボスは魔力
も大きいので﹂
セリーが教えてくれた。
出現位置固定というのは、確かにそうだ。
現れる場所が一緒で倒すのもその近くなら、同じところに魔力が
溜まりやすい。
ボスは魔力が大きいというのも、いわれてみればそのとおりか。
魔結晶に溜まる魔力は魔物何匹分、と聞いたのでそのまま考えて
いたが、全部の魔物が同じわけではないのだろう。
これは実験が必要か。
﹁悪い。もう一度今のボスと戦っていいか﹂
十六階層に抜けた後、再び十五階層に戻る。
リュックサックを見ると、緑魔結晶が黄魔結晶になっていた。
今朝緑魔結晶に変えたばかりなのにあっさりと。
さすがに六十四倍の威力は大きいのか。
まあ単に今まで溜めていた分が大きかっただけか。
1602
しかし百五十七匹倒せば六十四倍で一万匹分以上の魔力が溜まる。
白魔結晶の方もなんとかなりそうな気がしてきた。
﹁黄色ですね。さすがはご主人様です﹂
﹁ありがとう﹂
リュックサックにはミリアが見つけた黒魔結晶を入れ、黄魔結晶
はアイテムボックスにしまう。
できたばかりの黄魔結晶を慎重に一番奥に置いた。
黄魔結晶が二つあるが、どちらも同じ黄魔結晶だ。
どっちがどっちか分からなくなった、などという間抜けなことは
避けたい。
結晶化促進三十二倍をつけて、ボスを倒す。
何故六十四倍にしないかというと、ボス部屋では二匹倒さないと
いけないからだ。
今度のお付の魔物のサラセニアと、マダムバタフライを仕留めた。
リュックサックを降ろして魔結晶を見てみる。
色は、赤を超えて紫になっていた。
﹁紫魔結晶ですか。相変わらず無茶苦茶です﹂
セリーがそれを見てあきれている。
﹁確かにセリーのいうとおり、ボスは魔力が大きいようだ﹂
﹁いくらボスは魔力が多いからといって、この階層でボス一匹を倒
しただけで紫魔結晶ができるという話は⋮⋮﹂
﹁ご主人様なら当然のことです﹂
﹁すごい、です﹂
1603
﹁まあこれくらいはな﹂
ここはロクサーヌの尻馬に乗っておこう。
三十二倍で二匹倒しただけなのに、魔物百匹分以上の魔力がある
紫魔結晶になっていた。
ボスの魔力は二匹分以上あるということだ。
サラセニアが一匹分でマダムバタフライが二匹分とすると三十二
倍で九十六匹分だから、もっとあるのかもしれない。
ミリアが見つけた段階で黒魔結晶に魔物四匹分の魔力があれば、
九十六匹分を足せばきっちり紫魔結晶になるから、そっちの可能性
もあるが。
それ以上の検証は、現段階では面倒だ。
できないこともないが、そこまですることもないだろう。
マダムバタフライに通常の魔物何匹分の魔力があるか、厳密に割
り出したところでな。
魔物百匹分の魔力でもあるというのなら、白魔結晶を作るまでボ
ス戦を繰り返すという手もあるが。
いや。魔物百匹分の魔力があったら紫魔結晶ではなく青魔結晶に
なっているか。
魔物三十匹分以上ということはない。
試してみるほどのことはないだろう。
結晶化促進六十四倍があるから普通にやっていてもオークション
までに白魔結晶ができそうな気がするし。
﹁はあ⋮⋮﹂
﹁それより、ハルバー十六階層の魔物は何だ﹂
﹁あ、はい。えっと。ハルバー十六階層の魔物は、クラムシェルで
1604
す。毒はありませんが、噛まれると麻痺することがあります。水を
飛ばす遠距離攻撃をしてきます。水属性魔法ではなく物理攻撃にな
るようです。残ったアイテムを消化剤に使うくらいですので、火魔
法には耐性があります。土魔法が弱点です﹂
納得いかない表情のセリーから説明を受けた。
﹁シェルパウダーだっけ﹂
﹁そうです﹂
クラムシェルのドロップアイテムはシェルパウダーだ。
これからは買わなくてすむな。
﹁しかしビッチバタフライに続いて火魔法に耐性か。十六階層だし
サラセニアの多いところにはあまり近づかない方がいいな。では、
ロクサーヌ。最初は数の少ないところから頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌに案内を依頼する。
サラセニアは火魔法が弱点で、ビッチバタフライとクラムシェル
は火魔法に耐性がある。
サラセニアの数が多ければ、数の多い方から火魔法で片づけたく
なるが、それだと大変だ。
火魔法に耐性のあるビッチバタフライやクラムシェルがいれば、
戦闘時間が無駄に延びる。
十六階層からは魔物が最大で五匹になる。
サラセニアと他の魔物が三匹二匹という組み合わせがありうる。
一匹ならロクサーヌが完封してくれるが、二匹では攻撃を受ける
こともあるだろう。
1605
戦闘時間は短い方がいい。
ハルバーの迷宮でサラセニアが出る十四階層から二階層上がった
から、そんなにたくさん出てくることはないはずだ。
たいていの団体ではサラセニアがいたとしても少数派。
困ることはないだろう。
﹁えっと。ピッグホッグが土魔法に耐性があります﹂
セリーが指摘した。
そうだっけ。
クラムシェルが三匹でピッグホッグが二匹のところもアウトか。
いろいろな可能性を考え、使う魔法を選択しなければならない。
ロクサーヌも同じことをして、連れて行くところを選ばなければ
ならない。
案内するロクサーヌも大変だ。
1606
クラムシェル
クラムシェルは二枚貝の魔物だった。
大きさは一メートルくらい。
魔物としてはむしろ小さい方だが、二枚貝と考えればでかい。
ロクサーヌが裸で上に乗ったらリアルヴィーナスの誕生だ。
大きいといってもシャコガイのように波打ってはいない。
普通にのっぺりしている。
アサリを極端にでかくした感じだ。
横ではなく体を縦にして立っていた。
二枚貝のくせに。
足も出してないのにどうやって立っているのかは謎だ。
どうやって移動しているのかも謎である。
立ったままの状態でこちらにすり動いてくる。
スピードもそれなりだ。
土魔法が弱点なのでサンドボールをぶつけた。
クラムシェルが接近し、ロクサーヌが正面で向かいあう。
魔物は一匹なので、セリーは少し離れたところから槍を突き込ん
だ。
ミリアが横に回る。
俺もロクサーヌとミリアの間に位置を変えた。
クラムシェルが突撃をかまし、ロクサーヌの盾ではじかれる。
1607
ついで貝殻を少し動かすと、口を開けて水を吐き出した。
ロクサーヌが上半身を傾けて避ける。
あんな攻撃もしてくるのか。
俺なら喰らっていたな。
横に移動していてよかった。
貝殻が再び動き、口が大きく開く。
クラムシェルがその状態でロクサーヌに飛びついた。
二枚の貝殻で挟み込もうとする。
ロクサーヌは、エストックを突き入れてから、冷静に盾でいなし
た。
貝の向きを変えた後、再びエストックで突く。
余裕だな。
俺なんかびびって少し後ずさってしまったというのに。
斜め後ろの位置にいたにもかかわらず。
﹁い、今のが噛みつきか﹂
なにしろ一メートルもある二枚貝が挟み込もうとするのだ。
かなり威力があるだろう。
﹁そのようですね﹂
なんでもないことのようにロクサーヌが答える。
﹁噛まれると麻痺することがあると図書館の本に書いてありました
が、確かにあの攻撃を受けたら麻痺もしそうです﹂
1608
﹁あそこまでモーションが大きいと、なかなか当たらないでしょう
けどね﹂
だそうです。
思わずセリーと顔を見合わせてしまった。
まあ戦闘中にこんなことができるのも、ロクサーヌが先頭でがん
ばっているおかげか。
五発めのサンドボールをぶつける。
五発では倒れないか。
続いて六発めを放つ⋮⋮前にクラムシェルが倒れた。
﹁あ。倒れた﹂
﹁やりました﹂
二枚貝が横になって洞窟の床に転がる。
セリーが槍を突き入れたのがとどめになったようだ。
煙となって消えた。
﹁やりましたね、セリー﹂
﹁すごい、です﹂
﹁ありがとうございます。口を開けたときにロクサーヌさんが中を
突いたのが大きかったと思います。それに、多分水棲の魔物ですか
ら、ミリアの力も大きかったでしょう﹂
セリーたちが喜んでいる。
魔法で倒そうとした魔物をセリーたちが仕留めたのは初めてだ。
ロクサーヌの武器もエストックになったし、攻撃力が上がってき
ているのだろう。
1609
﹁中を攻撃した方がダメージがでかいのか?﹂
セリーに確認した。
﹁硬い貝殻を斬っても傷一つつきませんでしたし、そうじゃないで
しょうか﹂
﹁うーん。そうか﹂
普通に考えればそうなんだろうが。
魔物が相手ではよく分からん。
セリーが魔物を倒すのはいろんな意味でおいしくはない。
俺がとどめを刺さないと結晶化促進六十四倍が効いてこないし。
獲得経験値上昇のスキルも俺が持っているスキルだ。
俺が倒さないと、経験値は増えないのではないだろうか。
まあたまにはしょうがないか。
とどめは刺さなくても、削ったのは俺の魔法だから経験値は入っ
てきているかもしれない。
セリーが攻撃したのは四、五回くらいだ。
かけることの三人で十二回。
時々引っかかるくらいはしょうがないだろう。
攻撃するなというのも無茶な要求だ。
次には団体と対峙する。
クラムシェル三匹とビッチバタフライ一匹の組み合わせだった。
﹁来ます﹂
1610
ロクサーヌの声が飛ぶ。
ロクサーヌの体がぶれたように動いた。
上半身のあった位置から水が飛び出してくる。
魔法ではないらしいが、やはり盾では受けないようだ。
濡れるのも嫌だし、かわせるのなら回避して正解だろう。
ロクサーヌの真後ろにいなくてよかった。
さっきの戦闘を見ていたからな。
ロクサーヌの後ろが危険なことは想像できる。
俺だって日々成長しているのである。
クラムシェルとビッチバタフライが接近した。
水を放ったクラムシェルもほとんど遅れることなく並ぶ。
水を飛ばしてくるのは魔法でもスキルでもない。
魔法陣を構築する時間がいらないから遅れることもないのか。
前衛の三人が四匹を相手にした。
クラムシェル三匹はサンドストーム六発で倒す。
一匹のときと違って全員でぼこれないので、俺がとどめを刺せた。
ビッチバタフライを追加のブリーズボール三発で落とす。
こっちもとどめは魔法だ。
ドロップアイテムを三人が拾った。
最後にミリアからシェルパウダーを受け取る。
﹁はい、です﹂
﹁そういえば、蛤も二枚貝だよな。食材の蛤って﹂
﹁クラムシェルの残すアイテムです。レアアイテムですが、尾頭付
きほど残りにくいわけではないようです﹂
1611
セリーが教えてくれた。
やはりそうか。
ミリアは何か言いたげに俺の方を見ている。
﹁蛤を今夜の夕食に、尾頭付きの竜田揚げを明日の夕食でどうだ﹂
﹁明日の夕食、です﹂
それは喜んでいるんだか嘆いているんだか分からん。
嬉しそうだから喜んでいるのだろうが。
明日にまわされて悲しい、ということはないようだ。
魚醤に漬けておく必要もあるしな。
﹁一度、三種類の魔物がいるところにも案内してくれ﹂
﹁分かりました。三匹と一匹一匹の組み合わせなら確実に分かると
思います。クラムシェルかビッチバタフライが三匹で、他の魔物が
一匹ずつの団体がいたら、案内しますね﹂
﹁頼む﹂
さすがロクサーヌは頼りになる。
十六階層だと魔物は最大で五匹だ。
三種類の魔物がいて合計の最大が五匹だから、一種類の魔物が三
匹いれば残りは一匹一匹になるのか。
その組み合わせならば判別できると。
二匹と一匹の組み合わせでは確実な判定はできない。
サラセニアが二匹で他が一匹ということもあるのか。
﹁えっと。多分クラムシェルが三匹で、ビッチバタフライとピッグ
ホッグのいるグループがありますが、どうしますか﹂
1612
﹁クラムシェルとピッグホッグか。まあ一度は試してみるべきだろ
う﹂
﹁分かりました。こっちです﹂
ハルバーの十六階層で最初に戦った魔物三種類の団体は、クラム
シェル三匹にビッチバタフライとピッグホッグの組み合わせだった。
クラムシェルを全体土魔法六発、ビッチバタフライを全体風魔法
三発で落とした後、ピッグホッグは追加のウォーターボール三発で
倒す。
かなりの長期戦になった。
これは結構大変だ。
﹁ウォーターボール三発か。この組み合わせはなるべくなら避けた
方がいいな﹂
﹁そうですか﹂
ただし、僧侶はつけてもつけなくても回数に変わりがないらしい。
料理人をつけていたのに蛤は残さなかったが。
次に魔物三種類の団体と対戦したのはクラムシェル三匹にビッチ
バタフライとサラセニアの組み合わせだった。
クラムシェル三匹を土魔法六発、ビッチバタフライを風魔法三発
で倒し、サラセニアを魔法一発で火まみれにする。
﹁こっちの組み合わせなら大丈夫か﹂
﹁そうですね。何の問題もないようです﹂
ロクサーヌにかかれば何でも問題がないような気もする。
しかし現実問題として戦闘時間が延びるのは大変だ。
戦うのはロクサーヌ一人ではないから、こちらの事情も斟酌して
1613
ほしい。
メテオクラッシュも使ってみた。
火魔法に耐性があるなら倒せないのでは、という俺の予想をあっ
さり裏切って、クラムシェルはメテオクラッシュ一発で沈む。
どうなっているんだろう。
メテオクラッシュは土属性も持っているのだろうか。
いや。土属性が弱点のマーブリームを倒せたのは十二階層だった
からか。
マーブリームがメテオクラッシュ一撃で倒れるかどうかは、まだ
確定していない。
メテオクラッシュはもう少し試してみる必要がありそうだ。
ミリアの目が気になったので、ハルバー十六階層の様子見はそこ
そこで切り上げ、ボーデの十二階層に行く。
尾頭付きが二個出るまで狩を行った。
十五階層突破記念料理の食材を手に入れる。
﹁尾頭付きは二個でいいだろう﹂
﹁はい、です﹂
﹁よし﹂
ミリアも二個でいいようだ。
あんまりたくさんあってもな。
すぐに飽きてしまう可能性がある。
飽きのこないほどの美味しさではあったが。
本来の狩場であるハルバーの十六階層に戻った。
ハルバーの十六階層ではフィフスジョブまで取得して僧侶と料理
1614
人を両方つける。
最大五匹を相手にするので、僧侶はあった方がいい。
五匹いればロクサーヌだって攻撃を浴びることもある。
攻撃を受けたときにいちいち僧侶をつけるのも面倒だし、万が一
を考えれば常時はずしておくことはしない方がいいだろう。
結晶化促進六十四倍にも振っているので経験値系のスキルは大幅
に犠牲になるが、しょうがない。
白魔結晶ができるまで、あるいはオークションまでの辛抱だ。
蛤が大量に残れば売って儲けにすることもできるし。
その日の夕食のスープは久しぶりに蛤のクラムチャウダーを作っ
た。
やはり旨い。
ロクサーヌやセリーだけでなく、ミリアも美味しそうに食べてい
る。
﹁はい、です﹂
というのに、ミリアはまだ蛤のブラヒム語を覚えやがりませんか。
翌朝、蛤がドロップしてミリアが拾っても、渡してくるときには
﹁はい﹂としか言わなかった。
﹁蛤だ。蛤﹂
﹁はまぐり、です﹂
その場では口にしても、すぐに忘れるくさいんだよな。
魚に関連しないと駄目なのか。
ならば蛤と魚の相性のよさをとくと味わってもらうより他ない。
1615
﹁今日の朝食は俺がマカロニを作るから、後はスープを頼む﹂
﹁分かりました﹂
﹁では、スープは私が作ります﹂
迷宮を出て、担当を決めた。
スープはセリーが作るようだ。
白身、蛤、豚バラ肉、野菜をたっぷり入れて、焼きマカロニを作
る。
海鮮あんかけ焼きマカロニだ。
パンも買ったので、具材を多めにした。
﹁旨い。蛤は旨いな﹂
﹁はい。ご主人様の料理は最高です﹂
﹁とても美味しいです﹂
蛤の出汁が白身にも効いている。
これならミリアも文句はあるまい。
﹁白身、おいしい、です﹂
うん。俺が悪かった。
魚があるとミリアの興味は魚にのみ向かうようだ。
﹁これは何だ﹂
その日の終わり近くに訊いてみる。
﹁シェルパウダー、です﹂
1616
シェルパウダーは天ぷらのときに使ったから覚えたらしい。
﹁ではこれは﹂
﹁はまぐり、です﹂
おおっ。
覚えたのか。
﹁今朝白身と一緒に食べたと言っています﹂
﹁なるほど﹂
無駄ではなかったようだ。
ミリアにブラヒム語を覚えさせるにはやはりこの手が一番という
ことか。
迷宮を出て、家に帰ってくる。
帰るとルークからの伝言メモが残っていた。
ついに恐れていたものが。
思ったよりも早い。
時間が経っているから、公爵からの呼び出しはかかっていると見
た方がいいだろう。
﹁ご主人様、蝶のモンスターカードを落札したようです﹂
ロクサーヌがメモを読む。
もう何日か後でもよかったのに。
余計なものを落札してしまったので早く連絡が来たのか。
蝶のモンスターカードめえ。
1617
﹁蝶のモンスターカードは何のスキルになる﹂
﹁武器につけると風属性の剣、防具につけると風の属性防御になり
ます﹂
﹁人魚のモンスターカードみたいなもんか﹂
﹁そうです﹂
セリーに確認した。
人魚のモンスターカードは防水の皮ミトンを作るときに使ったや
つだ。
水属性がつく人魚のモンスターカードの風属性バージョンと考え
ればいいらしい。
確かカシアの装備には四属性の耐性がついていた。
ああいうのを作ってやればいいわけだ。
ダマスカス鋼の額金には空きのスキルスロットがちょうど四個あ
る。
一個の装備品で四属性に対する耐性が上がる、だろう。
﹁ダマスカス鋼の額金につけようと思う。コボルトのモンスターカ
ードもあった方がいいだろうか﹂
﹁そうですね。ダマスカス鋼の装備品なら後々まで使えます。効果
の高いものにした方がいいでしょう﹂
セリーも積極的だ。
まあ今まで融合に失敗させたことはないしな。
自信もついたのだろう。
いい傾向だ。
﹁モンスターカードで耐性をつけられる属性は四つだけか?﹂
1618
﹁知られている限りでは四つです﹂
魔法使いが使える魔法属性と一緒か。
﹁ダマスカス鋼の額金にその四つをつけても大丈夫だよな﹂
﹁え?﹂
セリーが止まってしまった。
順調にきてたのに。
﹁複数のスキルをつける研究はあんまり進んでないんだったか。ま
あ大丈夫だろう。別に効果が重複するわけでもないし﹂
﹁えっと﹂
﹁安心しろ。使えなかったら使えなかったときだ﹂
﹁いえ﹂
実際に効果が出ているかどうか試すのは大変だ。
錬金術師のスキルであるメッキは魔物にかけてみることで効果を
調べることができたが。
ダマスカス鋼の額金を魔物に装備させることは難しい。
捕まえて動けなくしてから装着するとか。
でなければ、自分で試してみるしかない。
人体実験ということになる。
ファイヤーウォールを出して自分の手を突っ込んでみるとか。
やりたくねえ。
﹁確かにそうだな。効果があるかどうか調べるのが難しい。セリー
の懸念はもっともだ﹂
﹁そうではなく。いや検証も大変かもしれませんが、複数のスキル
1619
を融合しようとして失敗してしまったら﹂
﹁そこはセリーの腕を信頼している﹂
﹁はあ﹂
なにやらセリーが俺を冷たい目で見てくるが、俺はマッドサイエ
ンティストではないぞ。
科学の進歩のためなら人体実験も厭わないような連中とはわけが
違う。
奴隷か盗賊を連れてきて魔法を撃ち込み何発で死ぬか試してみる
とか。
そこまで極悪非道ではない。
魔物が魔法を使ってきたときに、効果があるかどうか自分の感覚
で確かめるくらいだろう。
他に実験の方法がない。
それくらいはしょうがないだろう。
十分に許容範囲だ。
1620
エプロン
クーラタルの服屋で買ってきたエプロンをつけて、尾頭付きを揚
げた。
エプロンというか、実用一点張りで可愛さのかけらもない前掛け
だ。
俺が着ける分にはこれでいい。
テーブルに運んで、食べる。
尾頭付きの竜田揚げは、やはり旨かった。
﹁しかし階層突破の記念料理が毎回毎回こればかりというのも味気
ないよな﹂
﹁⋮⋮﹂
ロクサーヌが訳すと、ミリアが悲しそうな視線で俺を見てくる。
涙目になってないか。
そうならないよう、皿の上に竜田揚げが十分あるうちに切り出し
たというのに。
﹁い、いや。これはこれで間違いなく旨い。旨いが、いつもいつも
同じというのも能がないような﹂
﹁⋮⋮パン粉、です﹂
少し考えてから、ミリアが告げてきた。
フィッシュフライか。
確かミリアが来たばかりのころに作った。
1621
﹁あれか。じゃあ次の記念料理は尾頭付きのフライということでど
うか﹂
﹁いいと思います﹂
﹁はい。楽しみにしています﹂
ロクサーヌとセリーの賛同も得る。
﹁食べる、です﹂
ミリアも目を輝かせた。
それでいながら目の前の竜田揚げにもかぶりつく。
実に嬉しそうだ。
もっとも、次が決まっていてもミリアは最後の一個を食べるとや
はり肩を落とした。
そこまでは面倒見きれん。
翌朝、食事の後、一人で商人ギルドへ出かける。
ロクサーヌたちには洗濯や片づけを頼んだ。
今ルークのところに行きたくはないが、行かないわけにもいかな
い。
どこか遠くに行っていて帰ってこなかったことにするか、とも思
ったが、この世界そういう言い訳も難しい。
冒険者のフィールドウォークがあるからな。
便利なのも考えものだ。
どこへ行っていたことにするのかという問題もある。
1622
商人ギルドの待合室に出て、ルークを呼び出した。
急病で来ていないことも期待したが、ルークはすぐに現れる。
そんなにうまくはいかないか。
﹁こちらが蝶のモンスターカードです﹂
会議室に連れて行かれ、モンスターカードを受け取った。
﹁確かに。これはコボルトのモンスターカードと一緒に融合したい
が、コボルトのモンスターカードはまだ買いが出ているか﹂
﹁少し落ち着きましたが四千台ではまだ買いが入ります。五千ナー
ルか、すぐに入手したいのならもう少し必要でしょう﹂
﹁ではコボルトのモンスターカードを五千ナールまでで﹂
コボルトのモンスターカードには買い注文を入れてくる人がいる。
前は五千二百だったが、それよりは下がったらしい。
風属性への耐性が今すぐ必要ということもないので、五千でいい
だろう。
﹁かしこまりました。それと、コボルトのモンスターカードを買っ
ている人が何を狙っているか分かりました。MP吸収ですね。はさ
み式食虫植物の注文もいただいておりますが、現状ではかなり値を
上げないと難しいかもしれません﹂
そういえば、はさみ式食虫植物のモンスターカードは多少高くて
も買ってくれと注文を出しているのに、今まで何の音沙汰もなかっ
た。
はさみ式食虫植物のモンスターカードとコボルトのモンスターカ
ードを一緒に融合するとMP吸収のスキルがつく。
コボルトのモンスターカードを買いあさっている人はMP吸収の
1623
ついた武器がほしかったのか。
﹁はさみ式食虫植物か﹂
﹁先日出品があったのですが、高値で買われてしまいました﹂
﹁コボルトのモンスターカードの方は値も下がったのに、はさみ式
食虫植物のモンスターカードは駄目なのか﹂
﹁オークションに出回る数は、安定して高値がつき、用途も限定的
なコボルトのモンスターカードの方がどうしても多くなります。他
のモンスターカードはそれだけでも使えますから、知り合いの鍛冶
師にすぐ売ってしまうこともあります﹂
なるほど。
出回る数の多いコボルトのモンスターカードを全部取りに行く必
要はないということか。
コボルトのモンスターカードは、はさみ式食虫植物のモンスター
カードと同じ数だけあればいい。
数が少ないはさみ式食虫植物のモンスターカードの方は、なんと
しても手に入れたい。
出品されれば限界まで競い合うと。
﹁分かった。そういうことなら、はさみ式食虫植物のモンスターカ
ードを無理に狙うことはないだろう。当面は様子見でいい﹂
空きのスキルスロットつきのダマスカス鋼の剣も手に入らなかっ
たし。
どのくらいの効果があるか、とりあえず鋼鉄の剣で試してみたく
はあるが。
﹁承りました。それと、ハルツ公の騎士団から顔を出すように連絡
1624
がきております﹂
くっ。
やはりきたか。
﹁⋮⋮そういえば、どこかの家の話は知っているか﹂
軽くうなずいて、話を変えた。
露骨に嫌な顔はしなかったと思う。
一応心の準備はしておいたからな。
多分大丈夫、なはずだ。
﹁どこかの家、ですか?﹂
バラダム家と確定したわけではない。
名前を出す必要はないだろう。
﹁資金繰りに困っているところがあるらしい。スキルつきの装備品
などがまとめて出てくる可能性もある﹂
﹁何か探している装備品がおありでしょうか﹂
﹁単なる情報提供だ。ま、世話になっているからな﹂
﹁ありがとうございます。気をつけておきましょう﹂
ルークに見送られ、商人ギルドを後にした。
翌朝、迷宮から帰ったらいよいよタイムリミットだ。
ハルツ公のところへはいつもこの時間に行っている。
この時間に行くしかない。
﹁俺はボーデの城へ行ってくる。朝食の準備は三人で頼む﹂
1625
﹁かしこまりました﹂
﹁気をつけて行ってきてください﹂
﹁はい、です﹂
俺に連絡したという話はルークから公爵に伝えられるはずだ。
いつまでも行かないわけにはいかない。
それに、延ばしたところでどうにかなるものでもない。
いや。一日延ばせばそれだけ記憶が薄れる。
やっぱり明日にしようか。
明後日がいいか。
﹁お出かけになられるのではないのですか﹂
部屋でぐずぐずしている俺にセリーが声をかけてきた。
﹁ちょっと準備が﹂
﹁そうですか﹂
心なしか声が冷たい、ような気がする。
いや。目が、目が冷たい。
セリーのことだから俺の窮地を理解しているに違いない。
くそっ。
行けばいいのだろう、行けば。
行くと宣言した以上は行くしかない。
俺はリビングの壁からワープした。
﹁公爵かゴスラー殿はおられるか﹂
﹁奥におられると思います﹂
1626
勢いでボーデの城のロビーに出る。
案内の騎士団員に尋ねると、絶望的な答えが返ってきた。
いない可能性は元々あまりなかったが。
騎士団員はさっさと行けとばかりに道を空ける。
よそ者に対する警戒心が足りないのではないだろうか。
まああの公爵だからな。
一応公爵自ら許可を与えているわけだし。
冒険者は中に入ることあたわず、みたいな態度をとられるよりは
いい。
執務室の前まで来た。
深呼吸をする。
意を決してノックした。
﹁入れ﹂
﹁ミチオです﹂
ゴスラーの声を聞いて中に入る。
公爵はイスに座り、ゴスラーが机の前に立って書類をいじってい
た。
﹁おお。ミチオ殿か。先日の件はゴスラーより聞いておる。たいそ
うな活躍だったとか﹂
﹁いえ﹂
さっそくか。
1627
﹁しかも剣も使わずに倒したとか。見事じゃ﹂
﹁は﹂
﹁さすが余が見込んだ者じゃ。ゴスラーにも動きが見えなかったと
言っておる﹂
﹁はい。確かにあれでは自分がされても何をされたか分からないで
しょう﹂
ゴスラーはLv99じゃないからやられることはないんじゃない
か。
教えないけど。
﹁まあ余やゴスラーに対して使ってくることもあるまい﹂
﹁は﹂
なんか違うプレッシャーが。
﹁相手のことも多少分かっておる。サボー・バラダムというかなり
の達人じゃ。暴れ者で周囲の評価は高くないが、実力は確かなよう
じゃ﹂
﹁は﹂
﹁それをあっさりと倒したのだ。誇ってもいい﹂
﹁は﹂
ここは耐えるしかない。
﹁うーむ。どのように倒したのか聞いてみたいが、その様子だとや
はり秘中の秘なのじゃろうな﹂
﹁申し訳なく﹂
忍の一字に徹していると、公爵が勝手に変な解釈をしだした。
1628
ここはそれに乗っておこう。
我が拳は一子相伝の暗殺拳。
哀しみを背負う者のみが奥義を極められるのだ。
﹁やはりか。まあ致し方あるまい。手の内をみすみすさらすのは愚
か者じゃ﹂
﹁一流の探索者、冒険者であれば当然のことでしょう﹂
ゴスラーまでが何故か乗ってきた。
よかった。
この世界では自分のやり方を広く公開して、という考えはないの
だろう。
誰かに真似されればそれだけ自分が弱くなる。
自分が知りえたことは自分のみが使う。
残すにしても、子どもか、ごくわずかな弟子に対してのみ伝える。
それがこの世界の常識だろう。
﹁ミチオ殿の前に戦った女性もすさまじく強かったと聞いておるが、
彼女にはその技を教えたのか﹂
﹁確かに、あの尋常ならざる戦いぶりもミチオ殿の技を授けられて
いるのなら納得です﹂
ゴスラーの目から見てもロクサーヌは尋常じゃないらしい。
﹁いいえ﹂
﹁そういえば、戦いぶりを常に身近で見ていたと言っておりました﹂
﹁なるほど。そういうこともあるか﹂
1629
門前の小僧習わぬ経を読む、ってやつだね。
違うけどね。
﹁彼女はまた特別で﹂
﹁ほうほう﹂
公爵が興味津々といった感じで耳を傾けてくる。
いやいや。
ロクサーヌはあげませんよ。
絶対に無理。
何があっても無理。
カシアとの交換⋮⋮でも無理だ。
セリーやミリアも手放す気はない。
公爵がニコニコと微笑みかけてきた。
俺もにらみ返す。
この件で引く気はない。
﹁えー。ミチオ殿に今日お越し願ったのはペルマスクの鏡のことで
す。領内の有力者の慶事に二つほど配りましたが、なかなか好評を
得ているようです﹂
俺と公爵との間の微妙な空気を読んだのか、ゴスラーが話題を変
えた。
さすがゴスラー。
ザ・苦労人。
この公爵の下で苦労しているに違いない。
﹁それは何より﹂
1630
﹁すでに他にも一つ、贈ることが決まっております﹂
﹁あそこじゃな﹂
﹁そうです﹂
公爵の確認にゴスラーがうなずく。
あそこではどこだか分からないが。
別に俺が知るべきことでもない。
﹁タルエムの枠で装飾したペルマスクの鏡は、今後とも当家の贈り
物として十分使える、使っていきたい品になったと考えております。
減ってしまう三つの分の補充をお願いしたいのですが、よろしいで
すか﹂
俺を呼び出した一番の理由は、ペルマスクの鏡のことだったのか。
﹁まいどどうも﹂
注文を受けた。
オークションに向けてお金のほしい時期だ。
断る理由はない。
﹁特に急ぐわけではありません。前のように一枚ずつ持ってきても
らっても結構です。枚数は二、三枚余計でも買い取ります﹂
決闘のことを深くは追求されなかったし、注文ももらったし、い
いことずくめだ。
案ずるより産むがやすし。
世の中えてしてこんなもんである。
晴れ晴れとした気分で家に帰った。
1631
その日はペルマスクへもコハク商のところへも行かず、帝都へ向
かう。
帝都の服屋との約束の日だ。
夕方少し前に赴いた。
エプロンを受け取って帰ってくる。
﹁これはいいですね。ありがとうございます﹂
﹁よくできています﹂
﹁かわいい、です﹂
帰ってくると早速三人がエプロンを広げた。
エプロンを見てはしゃいでいる。
気に入ってくれたようだ。
帝都の服屋が作ったエプロンは、フリルがふんだんにあしらわれ
た可愛らしいものだった。
絹のエプロンには裾にレースがあしらわれている。
通常の布で作られたエプロンもレースまではないものの可愛く仕
上がっていた。
﹁これを着けて食事を作るんですよね。料理が今まで以上に楽しく
なりそうです﹂
﹁絹だと汚すと大変そうですが﹂
﹁絹のエプロンは、台所では使わない﹂
もっともなセリーの懸念に答えてやる。
﹁それではどこで﹂
﹁絹のエプロンは寝室で使う。俺の住んでいたところに伝統があっ
てな。エプロンは料理をするときに使うものだ。だから、寝室で何
1632
も着ずにエプロンだけを着けると、私のことを好きに調理してくだ
さい、という意味になるのだ。三人にも是非やってみてもらいたい﹂
エプロンの解釈として多分間違ってはいないと思う。
古式ゆかしい風習だ。
﹁へえ。そうなのですか。あの。今夜にでもやってみますね﹂
﹁エプロンだけを身に着けるのですか﹂
﹁やる、です﹂
ロクサーヌとミリアはやってくれるらしい。
夕食の後、お湯で体を拭き、三人に遅れて寝室に入った。
新婚初夜のような期待感が。
胸をときめかせながらドアを開ける。
そうはいっても三人の身体は毎日俺が洗っているが。
それはそれ、これはこれだ。
甘いものは別腹。
﹁おおッ﹂
確かに別腹だ。
部屋に入って思わず声を上げてしまった。
﹁どうでしょうか﹂
不安げに尋ねてくるロクサーヌの姿は、見えそうで見えないとい
うか、頭隠して尻隠さずというか、巨乳は隠しても大きいというか、
栴檀は双葉より芳しというか。
1633
ボリュームのある山が下から突き上げ、元々ゆるいエプロンと肌
との隙間をさらに広げている。
頂こそ確かに白いエプロンに覆われているものの、実り豊かなふ
くらみが横からあふれ出し、かえって胸の大きさを強調していた。
﹁素晴らしい﹂
その一語に尽きる。
﹁ありがとうございます﹂
﹁セリーもすごいな﹂
小柄なセリーの身体を小さく覆うエプロンの威力はすさまじい。
幼な妻のようだ。
﹁少し恥ずかしいです﹂
その恥ずかしがっている感じが最高なのだよ。
﹁ミリアも、似合ってるぞ﹂
﹁はい、です﹂
青みがかった尻尾が一本伸びているところがいい。
ネコミミとの相性も抜群だ。
フリルのついた肩紐や裾とのコントラストがたまらない。
すごい。
素晴らしい。
むさぼりつきたい。
1634
﹁えっと。ご主人様。どうぞお好きに調理なさってください﹂
などと申告してくるロクサーヌをどうしてむさぼらずにいられよ
うか。
ここは理想の別天地。
桃源郷。
乳と蜜の流れる約束の地だ。
1635
猫の目
心地よい倦怠感の中で目覚めた。
けだるく、甘い朝だ。
昨夜の狂熱がまだ残っている。
訂正させてもらおうか。
あれは別腹ではなくメインディッシュだった、と。 久しぶりに色魔までつけてしまった。
メインディッシュなので反芻することはやむをえない。
甘い余韻にひたりながらしばしまどろむ。
やがて桃色の霞が晴れてきた。
と同時にロクサーヌが口づけをしてくる。
ま、まずい。
せっかく残り香が薄らいだところだというのに。
毎朝のこととはいえ、今朝はまずい。
色魔をつけたまま寝てしまったしこのまま押し倒したくなる。
ロクサーヌの柔らかい唇もなめらかに動く舌も甘い。
俺の官能を刺激する。
情欲の波に飲まれながら、ぐっと我慢した。
誘惑に負けると駄目な人一直線になりそうだ。
今朝は踏みとどまる。
ロクサーヌに続いてセリーとミリアの唇を堪能しても、耐え忍ぶ。
1636
俺は忍耐の人だ。
﹁おはよう、です﹂
﹁おはよう、ミリア﹂
ミリアを解放して起き上がった。
むさぼるように激しくいったので変に思われていないだろうか。
まあ毎朝こんなもんという気もしないでもないが。
﹁はい、です﹂
﹁悪いな﹂
ミリアがいつものように服を持ってきてくれる。
誘惑を断ち切って着替えることにした。
今日はやるべきこともある。
気持ちを切り替え、一日に臨んだ。
着替えてまずは迷宮に入る。
ハルバーの十六階層もそれなりには慣れてきたか。
攻撃を受けることも減って、落ち着いてきた。
減ったといってもゼロになったわけではない。
戦闘時間も延びてきているので結構大変だ。
三人が前線で魔物の群れを迎え撃つ。
ロクサーヌが敵の攻撃をかわし、セリーが槍を突き入れ、ミリア
がレイピアで切り裂いた。
俺は後ろから魔法を放つ。
六発めのサンドストームでクラムシェル三匹が倒れた。
最初の一グループを倒すと、後は楽になる。
1637
残ったビッチバタフライを全員で囲んで倒した。
次はビッチバタフライ三匹にクラムシェル二匹の団体だ。
ビッチバタフライの方が多いのは珍しい。
数の多い方から倒すために、ビッチバタフライの弱点である風魔
法を放つ。
﹁来ます﹂
ロクサーヌの声がかかった。
クラムシェルが水を飛ばしてくる。
ロクサーヌがなんなく避けた。
遠距離攻撃は正直たいした脅威ではない。
ロクサーヌを先頭に置けば全部避けてくれるからな。
スキルでも魔法でもないクラムシェルの遠距離攻撃は魔物の進軍
の遅延にはあまりならないのが残念だ。
魔物が正面にやってくる。
ビッチバタフライ三匹とクラムシェル一匹。
残りのクラムシェル一匹は二列めに回るようだ。
前線に到着したビッチバタフライの下にオレンジ色の魔法陣が浮
かび上がる。
﹁セリー﹂
﹁はい﹂
声をかけると、すぐにセリーが槍で突いた。
詠唱中断のスキルがついた武器でキャンセルさせる。
1638
﹁来ます﹂
続いてロクサーヌが宣言し、首を傾けた。
首を動かしながら、盾でビッチバタフライの攻撃を受け止める。
ロクサーヌの頭のあったところから水が飛び出してきた。
水が途切れると、首を戻しながら右に動き、今度はクラムシェル
の突撃をかわす。
今のは二列めに回ったクラムシェルから放たれたらしい。
正面の魔物二匹と対峙しながら、二列めからの遠距離攻撃にも対
応する。
ロクサーヌは相変わらず恐ろしい。
六発のブリーズストームで蝶を落とした。
気を抜いてはいけないが、これで楽になる。
二匹なら攻撃を喰らうことも少ない。
二枚貝はサンドストームで問題なく片づけた。
﹁次は剣で戦う﹂
MPが減ったのでデュランダルを用意し、ロクサーヌに指示を出
す。
デュランダルを出すときには魔法を使わないので、魔物の組み合
わせは何でもよくなる。
今までどおりの戦い方で変更はしていない。
本来、単に魔物を倒すだけなら魔物が接近するまで魔法を使った
方が早く倒せる。
何もしなければゼロだが、魔法を使えば幾分かはダメージを与え
られる。
1639
今は経験値よりも結晶化促進を重視している。
だから本当なら、デュランダルを出しているときも魔法を使った
方がいいのかもしれない。
やり方を変えないのは、指示を変更することが混乱の元だからだ。
デュランダルを出すときには経験値効率が悪くなる。
経験値を重視するなら、デュランダルを使うときはMPを回復す
ることに専念した方がいい。
ラッシュくらいは使うが。
MPを溜めようとデュランダルを出しているのに、魔法を使って
MPを消費していては本末転倒だ。
デュランダルを出している時間がその分長くなる。
トータルで見れば、稼げる経験値が減ってしまうだろう。
今は経験値よりも結晶化促進重視だからそれでいいとしても。
これまでずっと魔法を使わずやってきたのだし、白魔結晶ができ
るかオークションが終わればまた元に戻すことになる。
指示はころころ変えない方がいい。
理由を尋ねられたら説明するのも大変だし。
後はジョブとの絡みもある。
結晶化促進六十四倍にデュランダルまで取得すると、さすがにフ
ォースジョブが限界だ。
できればサードジョブで戦いたい。
魔法を使わないなら、魔法使いをはずして戦士をつけられる。
というわけで、デュランダルを出すときは魔法を使わない。
MPの回復に専念する。
1640
﹁分かりました。こっちですね﹂
ロクサーヌが案内した。
迷宮を歩いて移動し、魔物を確認すると同時に駆け出す。
待ちかまえていても遠距離攻撃にさらされるだけだ。
魔法を使わないから組み合わせはどうでもいいので、クラムシェ
ル二匹にビッチバタフライ、サラセニアまでがいる相手だった。
ロクサーヌの斜め横を走り、一番端のクラムシェルに斬りつける。
真ん中の敵から戦うのは危険だ。
端から倒す。
ラッシュを叩きつけた。
クラムシェルの体当たりをかわし、お返しに斬りつける。
ロクサーヌとミリアも魔物に対峙した。
セリーが後ろから槍を突き入れる。
クラムシェルが貝殻を開いた。
水は吐かずに口を大きく開く。
そのまま俺に噛みついてきた。
ぎりぎりで避ける。
貝殻が動いたときは、まず水が放たれるのを警戒し、その後で噛
みつきに対処しなければならない。
噛みつきはモーションが大きいからといって、簡単ではないんだ
よな。
ある種フェイントをかまされているような感じだ。
ラッシュを連発してクラムシェルを倒した。
次はサラセニアだ。
1641
こいつも消化液を飛ばしてくることがあるので厄介だ。
やはりラッシュを連発して屠る。
ビッチバタフライもラッシュで倒した。
最後のクラムシェルは、ロクサーヌが相手をしているところを後
ろから斬りつければいい。
ロクサーヌは大変だろうが。
クラムシェルの貝殻が動いた。
ロクサーヌが上半身を傾けて水を避ける。
やはり華麗な回避だ。
全員でぼこって、クラムシェルを片づけた。
﹁クラムシェルにもだいぶ慣れてきたが、動きのパターンが分かん
ないんだよなあ﹂
﹁そうですか?﹂
﹁クラムシェルの貝殻が動いたとき、水を吐き出すのか噛みついて
くるのか分からん﹂
﹁えっと。そうですね。水を吐き出すときには貝殻がスッと動いて、
噛みついてくるときには貝殻がフッと動きます﹂
ロクサーヌが説明してくれるが。
それで理解するのは無理だ。
セリーを見て首を傾げておく。
﹁ミリアはクラムシェルの動きの違いが分かるか?﹂
﹁見分けられるように努力しているそうです﹂
つまり分からないってことね。
1642
﹁がんばる、です﹂
﹁なるほど。偉いな﹂
諦めるのではなく、この心意気が必要なのかもしれん。
迷宮から帰り、朝食の後、コハクのネックレスを取り出した。
久々の出番だ。
﹁コハク、です﹂
﹁知ってるのか﹂
﹁ミリアがいたところではめったに採れませんが、北の海に行くと
魚の代わりに網にかかることがあるそうです。ミリア以外の人は魚
が獲れるよりも喜ぶと言っています﹂
ミリアは魚の方が嬉しいのね。
﹁綺麗なものだろう﹂
﹁きれい、です﹂
﹁ミリアに似合うものがあったら、買おう﹂
﹁買う、です﹂
それなりには喜んでいるようか。
魚とどっちがいいか聞いてみてもいいが、そこまではしない。
普通に魚を選ばれても困るし。
﹁ペルマスクへ行くのですか﹂
セリーがすぐに俺の意図に気づいた。
﹁そうだ。鏡を三枚、頼むな﹂
1643
﹁分かりました﹂
﹁ではロクサーヌ﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
ロクサーヌの首にネックレスをかける。
やはりロクサーヌの胸にコハクのネックレスは映える。
この場でもみしだきたいくらいだ。
形のよい白桃を鷲づかみにして。
柔らかな果肉に指を食い込ませ。
昨夜エプロンの脇から手を差し込んだように。
い、いや。
この情欲は色魔をつけていたからだ。
つけっぱなしで寝てしまったのがまずかったのだろう。
普段の俺はこんな風ではない。はずだ。多分。
セリーにもネックレスをかけ、外に出た。
まずはボーデのコハク商からだ。
ボーデの冒険者ギルドに飛ぶ。
﹁いらっしゃいませ﹂
冒険者ギルドのすぐ横にあるコハク商の事務所に入ると、ネコミ
ミのおっさんが迎えた。
いつものおっさん商人だ。
﹁邪魔をする﹂
﹁これはこれは。お待ちしておりました﹂
﹁またコハクの原石をもらえるか﹂
1644
﹁はい。もちろんご用意できます﹂
俺のことを覚えていたようだ。
コハクも手に入りそうか。
﹁それと、彼女に似合うコハクのネックレスがあったらもらいたい﹂
ミリアの肩に手を置く。
オークションが近づいているのに余計な出費はまずいが。
ミリアだけないというわけにもいかない。
コハクの原石と鏡の売却益があれば、ネックレスの値段分以上は
稼げる。
大丈夫だろう。
白魔結晶ができる可能性もある。
今日も結晶化促進六十四倍をつけて狩をしているし、なんとかな
るに違いない、と思っている。
﹁かしこまりました。ではこちらに来てお座りください﹂
﹁頼む﹂
ネコミミのおっさんに促され、四人で座った。
おっさん商人がコハクを持ち出してくる。
﹁コハクの原石は、前回と同品質のもので十二個ご用意できます﹂
﹁全部もらおう﹂
﹁ありがとうございます。それから、こちらがネックレスになりま
す﹂
おっさんがコハクのネックレスを取り出した。
1645
やたらいっぱいある。
前にも買ったから、上客だと判断されたのだろうか。
ロクサーヌやセリーの前にも広げていた。
いやいや。
ロクサーヌとセリーの分はもうあるから。
ロクサーヌもうっとりした表情で見ない。
セリーは、ただ商品を鑑定しようとしているだけ、だよな?
﹁すごいです﹂
﹁これなどはかなりの品だと思います﹂
﹁きれい、です﹂
ミリアが喜ぶのはいいが。
三人が真剣な表情でコハクのネックレスを見つめる。
細かくチェックして、品定めを始めた。
本当に大丈夫だろうか。
﹁ミリアにはこういうのが﹂
お。ロクサーヌが戻ってきた。
コハクのネックレスをミリアの胸元に当てている。
自分の胸元に当てなければ、大丈夫だ。
ネックレスをつけさせておいてよかった。
﹁一番いいのはこのネックレスでしょうか﹂
﹁これはお目が高い。最高級のコハクを使った、当店自慢の一品で
す﹂
セリーとおっさん商人が会話している。
1646
﹁澄んで輝きもあります﹂
﹁これだけのコハクはなかなか手に入りません。ここ数年で一番の
品です﹂
﹁私がしているのも赤く味わいのある色ですが﹂
﹁お客様にお譲りしたものも十年に一度の一品です。こちらの方も
それと同様の申し分のない品質となっており、しかもそれが複数個
ついております﹂
﹁でも、お高いんでしょう?﹂
﹁いえいえ。これだけの品ですが、今回はなんと七万ナールを割り
込むお値段、特別に六万九千八百ナールでご奉仕いたしましょう﹂
たけえよ、十分。
﹁しかしミリアにはもう少しソフトな方が似合いそうですか﹂
セリーが持っていたネックレスを置いた。
ちゃんと目的はわきまえているらしい。
おっさん商人と漫才をしているわけではなかったようだ。
こちらも大丈夫そうか。
﹁そうですね。そちらのかたには、このネックレスなどいかがでし
ょう﹂
おっさんが別のネックレスを取り出してくる。
ごそごそとカウンターの下をまさぐった。
﹁まだあるのか﹂
お勧めがあるなら最初からそれを出せといいたい。
1647
机の上に並べられた品は、ロクサーヌとセリーに売りつけるつも
りだったに違いない。
﹁赤、ピンク、黄色、乳白色といった、さまざまに色の違うコハク
をつないで作ったネックレスでございます。着ける位置によって印
象が猫の目のように変わります。猫人族のかたに是非着けていただ
きたいネックレスです﹂
シャレか。
おっさんがネックレスをミリアに渡す。
﹁きれい、です﹂
確かに、いろいろな色のコハクがあって面白い一品だ。
悪くない。
ミリアが首にかけた。
﹁いいじゃないですか﹂
﹁似合うと思います﹂
ロクサーヌとセリーも賛成らしい。
﹁猫人族のかたにつけていただけるのなら、特別に四万五千ナール
でお譲りいたします。いかがでございましょうか﹂
値段も穏当か。
﹁どうする?﹂
﹁え⋮⋮﹂
1648
ミリアに声をかけると、遠慮するようにためらった。
気に入ったらしいことは態度で分かる。
一度セリーの表情も確認する。
四万五千だとセリーのネックレスと同額だ。
セリーの方も大丈夫そうか。
﹁では、これをもらえるか﹂
﹁ありがとうございます。コハクの原石とあわせ、私と同じ猫人族
のかたにつけていただけるのですから、全部で三万八千二百二十ナ
ールとさせていただきましょう﹂
さっきの釈明と同じじゃねえか。
三割引きの言い訳が元の値段の説明と同じだった。
四万五千というのは、ちゃんと適正の価格なんだろうか。
三割引きになることを見越して、予め高い値段をつけたとか。
しかしロクサーヌやセリーのネックレスと比較して劣るわけでは
ない。
こんなものか。
﹁よかったですね、ミリア﹂
﹁はい、です﹂
﹁こちらがコハクの原石と、お客様にお約束のタルエムの小箱でご
ざいます﹂
お金を払い、品物を受け取った。
タルエムの小箱は、作るようにアイデアを提供したので、代わり
にただでくれることになっている。
1649
﹁ネックレスはミリアが着けたままでいろ﹂
﹁はい、です。ありがとう、です﹂
ミリアが頭を下げる。
喜んでいるみたいだし、いいだろう。
1650
残念な人魚
ボーデの冒険者ギルドから、ザビルの迷宮にワープする。
気分が落ち込んだが、魔物を狩ってMPを回復させた。
ザビルの迷宮を中継してさらにペルマスクへと飛ぶ。
ペルマスクの冒険者ギルドに出た。
﹁ミリアはペルマスク初めてだよな﹂
ミリアが初めてのペルマスクを興味深そうに見回している。
ネコミミが警戒するようにぴんと立っていた。
可愛い。
﹁白い、です﹂
﹁建物が白くて綺麗だな﹂
ミリアの頭に手を乗せる。
頭をなでながら、ネコミミに軽く触れた。
﹁海、です﹂
﹁そういえば、ペルマスクは島だって言ってたか﹂
波の音か、潮の香りでもするのだろうか。
さすがは海女だけに分かるのかもしれない。
あるいは魚のにおいでもするのか。
﹁××××××××××﹂
1651
﹁はい、です﹂
ロクサーヌが何ごとかミリアをたしなめる。
魚ではなく鏡を買いに来たのだとでも言ったのだろう。
﹁では頼むな﹂
﹁分かりました﹂
﹁おまかせください﹂
﹁はい、です﹂
三人を送り出した。
俺は一度ザビルの迷宮に戻って、MPを回復させる。
ワープの魔法は、やはりパーティーメンバーが増えることによっ
てMP消費が増加するようだ。
近場では知覚できるほどの差はなかったが、ペルマスクまで来る
とさすがにはっきりと分かる。
帰りはどうするか。
ペルマスクから直接家まで飛んだのでは、ひどいことになりそう
だ。
中継地点を挟むべきだろう。
鏡を持たせているから乱戦は避けたいので、回復薬を使うか。
クーラタルへ戻って、時間をつぶした。
回復薬を使うのならクーラタルの十三階層へ行って強壮丸を補充
するのがいいだろうが、それは怖いのでやらない。
安全な三階層でボスのスパイススパイダーを狩る。
デュランダルを出せば危険はほとんどないはずだ。
スパイススパイダーのドロップアイテムであるペッパーは、豊か
1652
な食生活のためには欠かせない。
探せばもっといい狩場はあるだろうが、そこまですることもない
だろう。
しばらく時間をつぶしてから再度ペルマスクにワープする。
ペルマスクの冒険者ギルドに出ると、三人はすでに帰っていた。
﹁悪い。待たせたか?﹂
﹁いえ。来たばかりなので大丈夫です﹂
鏡も一人一枚ちゃんと持っている。
無事入手できたようだ。
一度ザビルの迷宮に移動した。
﹁薬で回復して家まで帰る。鏡もあるし、魔物は探さなくていい﹂
﹁分かりました﹂
獲物を探そうとするロクサーヌをとめる。
ザビルからはクーラタルの家まで一気に飛んだ。
気分はそれほどは落ち込んでいない。
やはり中継を置いたのは正解だった。
これくらいなら十分許容範囲だろう。
無能な俺にしてはよくがんばった。
﹁コハクの原石は約束どおりの価格で売れました。鏡の値段も約束
どおりです﹂
いったん物置部屋へ鏡を置きにいった後、セリーがお金を渡しな
がら説明してくる。
コハクの原石が売れないことも考えられるから、鏡の代価はきっ
1653
ちり渡しておいた。
﹁よかった。まあセリーがしっかり交渉してきたのだから心配はし
ていなかったが﹂
﹁それと、コハクのネックレスの注文が二個入っています﹂
﹁二個もか﹂
注文が入るのはうれしい。
コハクのネックレスはかなり利幅がある。
二個も売れたらウハウハだ。
白魔結晶にはもう期待しなくてもよくなる。
﹁親方の奥さんがコハクのネックレスをつけて何かの会合に出たら
しいです。そこで注目を集めたようですね﹂
歩く広告塔だ。
品質のいいネックレスを売ったからな。
いい品を安く売れば、注目を浴びて注文も集まると。
﹁計画通り﹂
セリーが少し冷たい目で見てきたような気がしたが、計画通りだ。
結果よければすべてよしという計画である。
﹁一個は、参事委員会の代表を務めたこともあるかたの奥方様から
の注文です。お金に糸目はつけないので、最高級のものがほしいそ
うです。ずいぶん羽振りのいいかたらしいので、本当に品質のよい
ものを高く売ればいいでしょう。親方の奥さんの話を聞くに金貨三
十五枚くらいは出しそうです﹂
1654
購入予定金額まで探り出してくるとは。
セリーマジ優秀。
﹁分かった﹂
﹁もう一個は、親方の奥さんとは仲のよいご婦人の注文です。こち
らは親方の奥さんと同じ金貨二十五枚くらいのネックレスをご所望
です。親方の奥さんに売ったネックレスより心もち劣るくらいのネ
ックレスを用意すればいいと思います﹂
﹁同じ値段なのに悪いのを用意するのか?﹂
﹁親方の奥さんには特別にこの値段だと言って売っています。それ
に、同じ品質では親方の奥さんもいい気がしないでしょう。ほんの
少し、心もち劣るくらいがちょうどよいのです。はっきり落ちるよ
うではいけません﹂
なるほど。
そういうものか。
さすがはセリーだ。
﹁それを探すのも結構難しそうだが﹂
紹介者である親方の奥さんの自尊心をくすぐり、買い手側も満足
させなければいけない。
難しい注文ではあるだろう。
﹁大丈夫です。質のよいコハクのネックレスはどれも一品モノです。
色や大きさが少しずつ異なります。まったく同じものはありません。
説明などどうにでもできるでしょう﹂
﹁そ、そうか﹂
ブラックなセリーが。
1655
頼もしい。
コハクのネックレスを買いに行くのは鏡を売り切ってからでいい
だろう。
その間に売れてなくなってしまう品があるかもしれないが、入荷
する品もあるかもしれない。
差し引きトントンだ。
二個買えば三割引が効くから、一度に買った方がいい。
コハクの原石が入荷することにはあまり期待できない。
その後は夕方まで狩を行い、迷宮から出た。
買い物をしながら夕食の相談をする。
﹁夕食は私とミリアでポトフを作っていいですか﹂
﹁ポトフか。旨そうだな﹂
﹁ではスープはいらないですね。私が炒め物を作ります﹂
﹁分かった。試してみたい料理があるので、俺も一品作る﹂
ロクサーヌが作るポトフは、肉と野菜を柔らかく煮込んだもので、
結構旨い。
ポトフがあるならちょうどいい。
試してみたかったお吸い物を作るチャンスだ。
初めてだし、巧くいかないかもしれない。
失敗に終わっても、ポトフがあれば大丈夫だろう。
何かあってもポトフには煮込んだスープがつく。
家に帰り、お吸い物を作った。
湯を沸かし、塩だけで蛤を煮込む。
1656
潮汁だ。
本当なら昆布で出汁を取るのだろうが。
代わりに何を使えばいいか分からん。
塩と蛤の出汁だけで作る。
沸騰させないように弱火でとろとろと煮込んだ。
﹁うーん。まあここまでできれば上等か﹂
塩味だけだが、さっぱりしていてなかなかのものだ。
悪くはない。
ドロップ食材を使っているせいか、灰汁もあまり出なかった。
お椀がないので、カップに注ぐ。
食卓に出した。
﹁十分美味しいです。さすがご主人様です﹂
﹁食べたことのない味です﹂
﹁はまぐりおいしい、です﹂
塩味だけのスープだが、評判も悪くなさそうか。
﹁どうだ、ミリア。この中に魚も一緒に煮込んだら、旨くなると思
わないか?﹂
蛤だけでなく、他の魚介類を一緒に煮込むのもいいだろう。
それでこその潮汁だ。
ミリアのネコミミがピクリと反応した。
俺の発言を聞き漏らさないようにこちらを向く。
1657
﹁はい、です。おいしい、です﹂
ミリアがロクサーヌの通訳なしで答えた。
尾頭付きでやってみるのも旨そうだ。
今度作ってみよう。
翌日から鏡を売る。
朝、公爵のところに行く⋮⋮前に十六階層のボスにたどり着いた。
前と後ろだけに扉のある部屋。
待機部屋だ。
﹁クラムシェルのボスはオイスターシェルです。貝殻がごつごつし
ているので攻撃力がクラムシェルよりも格段に大きくなっています﹂
何も言わないでもセリーが説明してくれる。
頼もしい。
セリーの話を聞きながら、デュランダルを準備した。
ボス部屋に突入する。
煙が集まり、魔物が二匹現れた。
クラムシェルとオイスターシェルだ。
オイスターシェルもやはり二枚貝の魔物だった。
クラムシェルよりも一回り大きい。
貝殻は確かにごつごつしている。
あれに当てられたら痛そうだ。
ロクサーヌが真っ先にオイスターシェルに駆け寄った。
セリーとミリアもオイスターシェルを取り囲む。
俺はクラムシェルの相手をした。
1658
一度追い越して、反対側からクラムシェルに対峙する。
クラムシェルは水を放ってくることがある。
三人のいる方向には向かせない方がいいだろう。
デュランダルで攻撃して、魔物の注意を俺に引きつけた。
ボス戦なので、フォースジョブをつけ、探索者に英雄、僧侶と戦
士をつけている。
本当なら、これに魔法使いと錬金術師のメッキ、騎士の防御も使
って戦いたいところだ。
そういう意味でいうと、まだまだ余裕はあるということか。
上の階層へ行って厳しい戦いになっても大丈夫か。
いや。それも本末転倒か。
迷宮に入るのは、経験値を得て強くなり、お金を稼ぐことが目的
だ。
ボーナスポイントは経験値アップや結晶化促進のスキルに振りた
い。
その余裕がないような相手と無理をして戦う必要はない。
ラッシュをクラムシェルにお見舞いする。
貝殻が動いた。
クラムシェルが口を大きく開き、挟み込もうとしてくる。
後ろに下がり、今回もなんとか避けた。
ロクサーヌによれば、水を放つときの貝殻の開き方と挟み込もう
とするときの貝殻の開き方は違うらしいが。
俺には全然違いが分からん。
ラッシュを連発してけりをつける。
1659
オイスターシェルの囲みに加わった。
ここまでくれば、基本的にはロクサーヌが正面で相手をしている
ので、横から削るだけだ。
ミリアが横から、セリーも一歩離れたところから攻撃している。
オイスターシェルのごつごつした貝殻が動いた。
ロクサーヌを挟み込もうとする。
ロクサーヌが半歩引いてかわした。
続く突進も盾で受ける。
やはりロクサーヌが相手をしていれば安泰だ。
貝の動きが止められたところを後ろから叩く。
ラッシュと念じて、デュランダルを打ち込んだ。
オイスターシェルの体が揺れる。
横に転がった。
魔物から煙が吹き出してくる。
今回も俺がとどめを刺せたようだ。
考えてみれば、全員で囲んで倒すボスはいつまでも俺がとどめを
刺せるとは限らんな。
クラムシェルだって全員で囲んだら最後はセリーが倒した。
それと一緒のことだ。
HPの総量は必ずしもあまり関係がない。
俺が一撃で削ることのできる魔物のHPと、その間にロクサーヌ
たち三人が削ることができるHPとの比率が重要だ。
極めて単純化して考えると、三人でデュランダルの半分のダメー
ジを与えることができるとすると俺が倒せる確率は三分の二、三人
の合計でデュランダルと同じダメージを与えることができるように
1660
なれば、俺が倒せる確率は半分になる。
そのうち、ボス戦では経験値アップや結晶化促進のスキルを使わ
ないようになるかもしれない。
そうなったときのことを思えば、余裕があるのはいいことか。
煙が消えてアイテムが残る。
ボレー
オイスターシェルのドロップアイテムはボレーだった。
鳥のえさかよ。
まあオイスターだから牡蠣なんだろうが。
カキ
﹁カキでも残ればよかったのに﹂
﹁牡蠣も、蛤と同様残りにくいアイテムです。残らなくてもしょう
がないでしょう﹂
セリーが教えてくれる。
カキあるのか。
ボレーが通常ドロップ、カキがレアドロップということだろう。
料理人をつけておけばよかった。
つけていなかったし、しょうがない。
それに、蛤と一緒で四個必要だとすれば、四人分出すのに何十周
とする必要がある。
そこまでするのは大変だろう。
ボレーを手に入れ、十七階層に足を踏み入れた。
﹁セリー、ハルバー十七階層の魔物は何だ﹂
﹁ケトルマーメイドです。水魔法が得意で、たまに使ってきます。
耐性も水魔法に対して持っています。弱点は土魔法です。攻撃を受
けると毒にかかることがあります﹂
1661
﹁属性はクラムシェルと一緒か。ありがたいな。ではロクサーヌ、
頼む﹂
﹁えっと。近いところにいるのは、多分ケトルマーメイドとクラム
シェルの組み合わせです。数は多くないと思います。そこでもいい
ですか?﹂
ロクサーヌが尋ねてくる。
階層が上がって、一つの団体の魔物の数も増えてきているようだ。
その階層の魔物一匹という条件は段々厳しくなっていくのか。
﹁分かった。これからもその辺はロクサーヌが自由に判断してくれ
ていい﹂
﹁ありがとうございます﹂
ロクサーヌが案内する。
案内された先にはケトルマーメイドとクラムシェルが一匹ずつい
た。
サンドストームと念じる。
ケトルマーメイドは、一言でいえば残念な人魚だった。
人魚といっても、顔が美人で胸があって、ということは全然ない。
ケトル
口が長くて顔はひょっとこみたいになっている。
だから、やかんなのか。
首から下はすぐ魚になっていた。
人魚、というよりは人面魚。
顔はひょっとこ。
歩くでもなく泳ぐでもなくこちらに向かってくる。
気持ち悪い。
1662
しかも毒持ち。
土魔法をこれでもかとお見舞いした。
ケトルマーメイドもクラムシェルも土魔法七発で倒れる。
戦闘時間の方は順調に延びているようだ。
1663
残念な人魚︵後書き︶
本作品の書籍版が12月21日に発売されます。﹃異世界迷宮でハ
ーレムを﹄主婦の友社ヒーロー文庫です。
一冊に収めるためにイベントなどを一部変えています。興味のある
かたは、書店などで手に取っていただければ幸いです。
なお、書籍化に伴う削除やダイジェスト化は当面予定していません。
1664
十七階層
ハルバーの十七階層で、次にケトルマーメイドとビッチバタフラ
イの団体とも交戦した。
土魔法が弱点のケトルマーメイドが土魔法七発で倒れた後、ビッ
チバタフライはブリーズボール三発で地に落ちる。
﹁長くはなったが、この組み合わせなら問題はないか﹂
﹁はい。ケトルマーメイドとクラムシェルは弱点の属性が同じなの
で魔物の選択が楽になります。ケトルマーメイドとクラムシェルを
倒せば、残るのは一、二匹。それくらいならどうにでもなるでしょ
う﹂
ロクサーヌはいつだってどうにでもなるといってきたような気は
するが。
メテオクラッシュも使ってみた。
ケトルマーメイドがメテオクラッシュ一発で沈む。
やはりメテオクラッシュは土属性が弱点の魔物にも有効という説
が濃厚か。
メテオクラッシュは灼熱した隕石をぶつける魔法だ。
土属性があったとしても違和感はない。
火属性が弱点の魔物に加え、土属性が弱点の魔物にも効く。
ボーナス呪文だけにお得な魔法なんだろう。
﹁テストはこのくらいでいいだろう﹂
1665
ハルバーの十七階層でも問題なく戦えそうだ。
本格的な探索を開始した。
次はケトルマーメイド三匹とクラムシェルの二匹の団体と交戦す
る。
いきなり多いが、どちらも土魔法が弱点なので問題ない。
サンドストームをお見舞いした。
こちらに進撃してくる途中、一匹のケトルマーメイドが立ち止ま
る。
﹁来ます﹂
残念人魚の足元に青い魔法陣が浮かんだ。
いや。足元ではなく床についている尾ひれの前。
﹁水魔法か﹂
ケトルマーメイドがひょっとこみたいな口から水を吐き出した。
人魚というより、まんまテッポウウオだ。
ロクサーヌが上半身を傾けて水をかわす。
と、同時に、前を進んでいたクラムシェルの貝殻が開いた。
﹁来ます﹂
クラムシェルが水を吐いて連撃してくる。
数が多いとこういうことが起こってくるので厄介だ。
水魔法をかわして不自由な体勢のロクサーヌが器用に身体をひね
って二枚貝が吐いた水も避けた。
さすがはロクサーヌだ。
1666
俺なら喰らっていたな。
最初の水魔法でさえ、回避できていたかどうかは分からん。
ケトルマーメイド二匹とクラムシェル一匹がサンドストームに耐
えながら前線に並ぶ。
ロクサーヌ、セリー、ミリアと一対一の接近戦が始まった。
水を吐いたクラムシェルは少しだけ遅れ、二列めからチャンスを
うかがうようだ。
水魔法を放ったケトルマーメイド一匹もしばらくたって二列めに
加わる。
魔法陣構築の有無がこの時間差になるのか。
ケトルマーメイドが水を吐くのは水魔法だから、魔法陣を必要と
する。
その分、発動に時間がかかる。
ただ、威力はケトルマーメイドの水魔法の方があるのかもしれな
い。
試しに受けて比較してみるつもりはない。
その後は二列めから水が飛んでくることはなく、サンドストーム
で全部の魔物が倒れた。
朝食の時間までハルバーの十七階層で狩を行い、迷宮を出る。
ボーデの十二階層には行っていない。
どのみちフィッシュフライにはタルタルソースが必要だ。
尾頭付きを獲ってもすぐ食べるわけではない。
ミリアも分かっているだろう。
そういえば、クーラタルの十六階層に行く必要もあるな。
1667
﹁ボーデの十二階層には、朝食の後に行こう﹂
﹁はい、です﹂
﹁クーラタルの十六階層も突破しておきたいが、明日の早朝にした
方がいいか?﹂
ロクサーヌたちに諮った。
﹁昼間でも問題ないと思います﹂
﹁クーラタル十七階層の魔物はマーブリームです﹂
﹁行く、です﹂
ミリアが通訳もなしに答える。
セリーのマーブリームという発言に引っかかったに違いない。
ボーデの十二階層の魔物もクーラタル十七階層の魔物もマーブリ
ームなら、ボーデの十二階層には行く必要がないな。
﹁じゃあ朝食をすませたら地図を持ってクーラタルの迷宮に行くか。
三人は食事の準備を頼む。俺は鏡を売ってくる﹂
三人を連れて行けば一度ですむが、今それはやらない方がいい。
公爵がロクサーヌに興味を持ってしまうのはまずい。
話をされてロクサーヌが変なことを口走ってしまう恐れもある。
今日は一人で行くべきだろう。
鏡を持ってボーデに飛んだ。
執務室まで届ける。
﹁ミチオ殿だけか?﹂
1668
鏡を届けると、公爵が尋ねてきた。
やはりロクサーヌを連れてこなくて正解だったようだ。
﹁はい﹂
﹁い、いや。話を聞いてみたかっただけじゃ。やましい気持ちは一
切ない﹂
公爵があわてて弁解してくる。
やべ。
思わず殺気のこもった目でにらんでしまったかもしれない。
﹁⋮⋮﹂
﹁余はカシアを娶っておるしな﹂
当たり前だ。
あんな美人の奥さんをもらっておいて。
ロクサーヌに色目を使うようなそぶりでも見せたらカシアに訴え
てやる。
﹁まあいずれ﹂
﹁では、こちらが代金の一万ナールです﹂
ゴスラーが金貨を差し出してきた。
こんな公爵ではゴスラーも大変だ。
代金を受け取って家に帰る。
朝食の後、ミリアに手伝ってもらってマヨネーズを作った。
食事を作った後なので、今回は全卵を使用する。
﹁ミリア、これをかき回してくれるか﹂
1669
﹁やる、です﹂
かき混ぜるのは大変なので、ミリアにまかせた。
ミリアが懸命にかき回す。
かき混ぜるのは本当に大変だ。
しばらく経つと、徐々にミリアの動きが遅くなってきた。
それでもなかなか動きが遅くならないのは、魚のためだろうか。
﹁よく混ぜないと尾頭付きのフライに乗せても美味しくないからな﹂
﹁やる、です﹂
疲れて混ぜるスピードが鈍ったときには、声をかけてやる。
フィッシュフライのためなら重労働ではあるまい。
﹁かき回せばきっと尾頭付きの味が引き立つだろう﹂
﹁かき回す、です﹂
マヨネーズもこれがなかったらな。
﹁そろそろいいだろう﹂
﹁⋮⋮はい、です﹂
結構疲れたようだ。
次にフィッシュフライを要求してくるのはしばらく後になるに違
いない。
マヨネーズを作った後、クーラタルの十六階層に入った。
﹁久しぶりだから多少慣らしてから進むか﹂
﹁分かりました﹂
1670
ロクサーヌに頼む。
クーラタルの十六階層にはしばらくの間来ていない。
ウォーミングアップも必要だろう。
ロクサーヌの案内で魔物を狩った。
そうだそうだ。
クーラタルの十六階層は風魔法だけでほとんどいいんだった。
やはり楽だ。
前に来たときと比較してたいして楽になっていないのは残念だが。
まあそれはしょうがない。
アルバを装着するなど装備がよくなっているが、それだけだ。
レベルもほとんど上がっていない。
レベルは上がってくるにつれてどんどん次にレベルアップするま
での期間が長くなるし、今は結晶化促進に重点を移している。
こんなものだろう。
﹁そろそろいいか﹂
肩慣らしをすませて探索に取りかかる。
といっても、クーラタルの迷宮は地図どおりに進むだけだ。
﹁こっちですね。先には、ビッチバタフライとフライトラップのい
る団体がいますが﹂
﹁まあ大丈夫だろう﹂
﹁分かりました﹂
地図どおり進むなら、魔物を選ぶことはできない。
1671
通り道をふさいでいる魔物は全部倒す必要がある。
抜け道までは地図に載っていない。
しかし十六階層でフライトラップとは珍しい。
いや。珍しくはないのか。
フライトラップはクーラタル十三階層の魔物だから、十六階層な
らそれなりには出てくるだろう。
今まではロクサーヌが避けていただけだ。
クーラタルの十六階層ではほとんど風魔法が弱点の魔物しか倒し
ていない。
つまり、これまでいかにロクサーヌに頼っていたか、ということ
だよな。
﹁さすがはロクサーヌだ。やはりロクサーヌは役に立つな﹂
﹁え。あ、はい。ありがとうございます﹂
本人は分かってなさそうだが、感謝の気持ちは伝えたのでいいだ
ろう。
弱点属性の異なる魔物を相手にするときにはデュランダルを出す
手もあるが、別にMPはそれほど減っていない。
どうせボス戦では出す。
洞窟の中を進んだ。
ビッチバタフライが一匹とフライトラップ一匹の団体に遭遇する。
ブリーズストームを放った。
一匹ずつなら毒持ちのフライトラップから倒すのがセオリーだが、
ビッチバタフライは火魔法に耐性がある。
フライトラップの弱点属性である火魔法を使うわけにはいかない。
1672
ビッチバタフライの弱点属性である風魔法を使って、蝶から倒す。
魔物が接近し、ロクサーヌとミリアが対峙した。
セリーは二人の後ろに立ち、詠唱中断のスキルがついた槍を持っ
てにらみを利かせる。
俺がセリーの横で魔法を放つ、というフォーメーションだ。
フライトラップが割れた頭でロクサーヌを挟もうとするが、ロク
サーヌが左に避けた。
ミリアがビッチバタフライに斬りつける。
まずはブリーズストームで蝶を落とした。
残り一匹になったフライトラップを囲む。
囲むといっても俺は直接攻撃されない位置から火魔法をぶつける。
セリーも少し下がった位置から槍を突き入れた。
フライトラップの攻撃はロクサーヌがなんなく避ける。
ファイヤーボールをフライトラップにぶつけた。
セリーが槍で、ミリアもレイピアで突く。
全員で攻撃して、フライトラップを倒した。
最後は俺のファイヤーボールで火まみれになる。
フライトラップが横倒しになった。
やがて煙となって消える。
﹁あ﹂
煙がかき消えると、後にカードが残った。
モンスターカードだ。
1673
鑑定してみると、はさみ式食虫植物のモンスターカードと出る。
そうだったのか。
確かにフライトラップは頭が割れている。
はさみ式だ。
﹁はい、です﹂
ミリアが拾ってきて、俺に渡した。
はさみ式食虫植物か。
はさみ式食虫植物のモンスターカードを無理に入手することはな
いと仲買人のルークには告げたのに、期せずして手に入ってしまっ
た。
﹁MP吸収か﹂
﹁そうですね﹂
﹁そういや、コボルトのモンスターカードをつけないときはどうな
るんだ?﹂
﹁武器につければMP切削のスキルになります。その武器で攻撃し
たとき、少しずつMPを回復させるそうです﹂
セリーに教えてもらう。
少しずつか。
多分、少しずつというのは本当に少しずつなんだろう。
きっと一ずつとかじゃないだろうか。
﹁使えるものなんだろうか﹂
﹁それなりだと聞いています。魔法使いの中にはいざというときの
お守り代わりに持つ人もいるそうです。迷宮に入って一日中武器攻
撃をしていたという笑い話もありますが﹂
1674
お守り代わりなら回復薬を持った方がよさそうだ。
期待はできそうにない。
試してみるまでもないか。
﹁靴につけて、迷宮を歩くだけで回復できるとかならよかったのに﹂
﹁それは無理ですね﹂
﹁半分死にかけの魔物を靴底に入れて、歩くたびに突き刺さるよう
にするとか﹂
なんとかできないだろうか。
靴の下に武器と魔物をふん縛って、歩くたびに攻撃できるように
するとか。
スケート靴みたいに形で刃物をつけ、その下に魔物を置けばいい。
一ずつでも歩くたびに回復するなら、悪くはないだろう。
﹁⋮⋮﹂
セリーは冷たい目で見てくるが。
先駆者は理解されないものだ。
時代が進めば、分かってくれるだろう。
﹁どうせ魔法使いや僧侶が使うのだから、杖につけてもいいな。杖
の先に魔物をつけて、杖を突きながら歩くとか。ああ。全体攻撃魔
法を使ったときに杖の先の魔物まで攻撃してしまうか﹂
﹁⋮⋮﹂
時代よ、早く俺に追いついてくれ。
﹁い、行こうか﹂
﹁はい﹂
1675
ロクサーヌを促して進んだ。
近くに団体の魔物がいれば横道にそれて倒しながら、大体地図ど
おりに進む。
結構あっちへふらふらこっちへふらふらとしたのは、クーラタル
の十六階層は風魔法だけで戦える組み合わせが多いからだろう。
途中、デュランダルを出してMPを回復してしまった。
マダムバタフライとも戦う。
マダムバタフライとは何度か戦っているので問題ない。
蠱惑的な目のボスを倒した。
ボスを倒すと、フィフスジョブを取得し料理人をつけて、十七階
層に移動する。
ボス戦のときにはフォースジョブだったのにジョブを増やすとい
うのも変な話だが。
料理人は必要だし、しょうがない。
十七階層にはまだ慣れていないから、僧侶もあった方がいいだろ
う。
十七階層では、いきなりメテオクラッシュを試した。
マーブリームLv17は倒れるが、ビッチバタフライLv17は
倒れない。
マーブリームはやっぱり倒せるのか。
メテオクラッシュが土属性が弱点の魔物にも有効なのは間違いな
さそうだ。
マーブリーム三匹が倒れ、一つ尾頭付きが残る。
残ったビッチバタフライはブリーズボールで片づけた。
1676
﹁尾頭付き、です﹂
﹁最初っから残るとは幸先がいいな﹂
ミリアから尾頭付きを受け取る。
その後、二個めの尾頭付きが出るまで狩を行った。
クーラタルの十七階層は土魔法と風魔法でほとんど決着がつく。
土魔法が弱点のマーブリームが一番多く出てくるので風魔法だけ
でいい十六階層に比べたら面倒だが、楽な方だろう。
クーラタルの十七階層では問題なく戦えそうだ。
1677
ネゴシエーター
翌日、タルタルソースを作り、尾頭付きを切ってパン粉で揚げた。
元の食材がいいせいだろう。
尾頭付きのフィッシュフライは一段違う旨さだった。
﹁旨いな﹂
﹁おいしい、です﹂
衣をサクッと噛み裂くと、中の魚肉がプリッと弾け、口の中でジ
ュワッととろける。
軽さと濃厚さの絶妙なハーモニー。
タルタルソースの強すぎない酸味がそこはかとない彩りを加えて
いた。
﹁本当に美味しいです。こんな贅沢ができて、私たちは幸せです﹂
﹁ロクサーヌさんの言うとおりです﹂
﹁幸せ、です﹂
三人も満足そうだ。
ミリアが美味しく感じるのは、マヨネーズを自分で作ったせいも
あるだろう。
﹁この間作ったスープがあるだろう。次回はあれに尾頭付きを入れ
よう﹂
﹁スープ、です﹂
﹁なんならまたパン粉で揚げてもいいが﹂
1678
﹁スープ、です﹂
マヨネーズの大変さが身にしみたらしい。
尾頭付きのフィッシュフライを堪能する。
ついもう一つと手が伸びてしまうくらいに旨かった。
かなりのハイペースで消費してミリアが肩を落としていたが、し
ょうがない。
次に期待してもらおう。
夜が明けて、公爵のところへ三枚めの鏡を持っていく。
もちろんロクサーヌは連れて行かない。
代金を受け取り、鏡をさらに三枚買うことを了承してもらった。
家に帰り、ネックレスを用意する。
鏡を仕入れに行く前に、注文の品も用意しなければならない。
ボーデの冒険者ギルドに飛び、コハク商の事務所を訪ねた。
﹁ようこそいらっしゃいました。あいにくとコハクの原石は用意で
きませんが﹂
﹁それはしょうがない。今日はネックレスを買いに来た﹂
﹁さようでございますか。それでは、こちらへどうぞ﹂
ネコミミのおっさん商人が俺たちを奥に導く。
﹁選ぶのは三人にまかせる﹂
﹁分かりました﹂
﹁おまかせください﹂
﹁はい、です﹂
1679
ついていきながら三人と話した。
﹁この間見せてもらった、ここ数年で一番の品というコハクを使っ
たネックレス。あれはまだありますか﹂
席に着く前に、セリーが口火を切って商人に尋ねる。
﹁ございます。こちらですね﹂
おっさんがあわててカウンターの向こうに回り、ネックレスを出
してきた。
この間セリーが見ていたネックレスか。
﹁やはりものはいいですね。素晴らしいです。この色といいこの透
き通り具合といい。最高級の一品です﹂
セリーがネックレスを手に取り、誉めそやす。
そんなに褒めて大丈夫なんだろうか。
足元を見られそうな気がするが。
﹁そうでございましょう﹂
﹁値段は?﹂
﹁はい。前回も申しましたので、特別に六万九千八百ナールでお譲
りさせていただきます﹂
価格は前回と同じか。
なら足元を見られることもないか。
商人の答えを聞くと、セリーがため息をついた。
そして、﹁やはり値段が﹂とつぶやく。
1680
ネックレスを置いた。
﹁これと同様のものが他にありますか﹂
﹁同様のものとなりますと。こちらの方もそれに引けをとらぬ品で
はございますが﹂
おっさんが別の品を取り出す。
大きなコハクが一個、中央にぶら下がったネックレスだ。
﹁なるほど。これもよい品です﹂
﹁深紅の大玉を配したネックレスでございます。ここまでのコハク
が出るのは五十年に一度でございましょう。そのため、他のネック
レスのように複数のコハクを並べるということはできませんが。こ
ちらですと、お値段は六万五千ナールとなっております﹂
﹁うーん﹂
セリーが腕を組み、首をひねった。
おっさん商人はその間もネックレスを出し、ロクサーヌとミリア
に見せている。
﹁綺麗です﹂
﹁きれい、です﹂
ロクサーヌとミリアは能天気にはしゃいでいた。
﹁どうしましょうか﹂
そんなロクサーヌの前に、セリーが二つのネックレスを持ってい
く。
1681
﹁えっと。そうですね﹂
﹁やはり複数の玉が連ねてあるこちらのネックレスの方が。しかし
値段が。うーん﹂
﹁そうですね。そこまで気に入っていただけたのなら、そちらのネ
ックレスは今回のみ特別に六万八千ナールとさせていただきましょ
う﹂
悩むセリーに対し、おっさん商人が値を下げてきた。
﹁うーん。もう一声﹂
﹁六万七千五百ナール。これ以上はさすがに下がりません﹂
﹁その値段ならしょうがないですか。一つはこれでいいと思います﹂
商人に値引きさせたセリーがネックレスを俺の前に持ってくる。
二度にわたってまけさせるとは。
セリー、恐ろしい娘。
﹁分かった﹂
﹁もう一つ、五万ナールくらいのネックレスがほしいのですが﹂
﹁それですと、こちらになります。これなどもいかがでしょう﹂
おっさんが別のネックレスを持ち出してきた。
二つ取り出して、セリーに渡す。
﹁これですか﹂
﹁左の方は柔らかくて豊かな色合いの上質のコハクを使ったネック
レス、手にお持ちの方も輝きの強いなかなかの出来栄えとなってお
ります。左の方が五万二千ナール、持っておられる方が五万ナール
となっております﹂
﹁なるほど。しかしこれは少し濁りがあるようです﹂
1682
商人の説明を聞いた後、セリーが熱心に見比べ、一つを返した。
最初手に持っていた方のネックレスだ。
﹁その他にこういうのもございます。そのネックレスを上回る一品
です。五万六千ナールと少々お値段は張ってしまいますが﹂
﹁確かにいいものです。しかし、お客様の要望もありますので﹂
セリーは一度ネックレスを手にとって見た後、すぐ商人に返した。
俺たちがネックレスを転売することはおっさん商人にも言ってあ
る。
﹁それでは、こちらなどいかがでしょう。輝きと色合いの調和の取
れた一品。五万四千五百ナールとなっております﹂
﹁これはいいですね。ただお客様が。うーん。どうしましょうか﹂
﹁えっと。そうですね﹂
﹁うーん、です﹂
セリーがロクサーヌとミリアに相談を持ちかけるが。
それは無茶振りだと思うぞ。
二人だってどう答えていいか分からないだろう。
﹁そうですね。それでは特別に、五万三千五百ナールとさせていた
だきたいと思います。それでいかがでしょう﹂
﹁なるほどそれなら⋮⋮。しかし⋮⋮。うーん﹂
セリーが首をひねる。
﹁では五万三千ナールでいかがでしょう﹂
﹁もう少し何とかなりませんか﹂
1683
﹁し、仕方ありません。五万二千五百。これが限界でございます﹂
﹁分かりました。いいと思います﹂
五万二千五百ナールまで値切ったネックレスをセリーが俺に渡し
てきた。
なにやら限界まで搾り取った感じだ。
絶対にセリーには仲買人の素質がある。
﹁では、この二つのネックレスをもらえるか﹂
﹁ありがとうございます。本日はよい商売をさせていただきました。
大盤振る舞いのついでです。二つで、八万四千ナールとさせていた
だきましょう﹂
もちろん三割引はさせてもらう。
容赦はしない。
まさに外道。
お金を払い、小箱もただでもらった。
ボーデの冒険者ギルドから、ザビルの迷宮に飛ぶ。
ロクサーヌの案内で獲物を求めて進んだ。
﹁そういえば、何で五万ナールのネックレスがほしいといったんだ
? 注文は親方の奥さんに売ったネックレスと同じ値段と言ってい
たが、親方の奥さんに売ったのは五万五千だっただろう﹂
MPを吸収して一息入れてから、セリーに尋ねる。
﹁予算が五万ナールと聞いて五万ナールの商品を売るのは素人です。
本物の商人なら、五万と聞けば五万五千ナールのものを売りつけよ
うとするでしょう。ですから逆に、五万五千ナールの品がほしいと
1684
きには予算は五万ナールだと告げるのです﹂
﹁なるほど﹂
プロだ。
プロの消費者がいた。
﹁あの商人も最初に五万ナールの品はこれですといって少し質の落
ちるものを出して比べさせたのだから、なかなかのやり手です。あ
のネックレスが本当に五万ナールする商品かはあやしいものです。
それに、五万ナールと五万六千ナールの品なら、誰だって五万六千
ナールの方がほしくなります﹂
あの場でそのような駆け引きが行われていたとは。
やはりセリーは頼もしい。
﹁ペルマスクで売るときにも予算より高く売るのか?﹂
﹁今回は難しいですね。予算を聞いてしまっているので。相手も、
最低限その値段で赤字にはならないものを持ってきているはずだと
分かっているでしょう。いくつか用意できればよかったのですが。
それに、一つは親方の奥さんに売ったのと同じ値段のものをという
注文です。親方の奥さんより高いものを用意したのでは親方の奥さ
んがいい顔をしません﹂
いろいろと大変なようだ。
その辺はセリーにまかせておけばいい。
﹁そうか。さすがはセリーだ﹂
﹁私のことよりも、私が散々粘ってようやく五百ナール下げさせた
のに、何も言わないでももっと大幅に安くなったことがすごいと思
うのですが。三割くらい安くなってますよね﹂
1685
﹁そ、そうだったか﹂
毎回三割引だとセリーにパターンを見破られてしまいそうだ。
たまには十パーセント値引とかも混ぜてみるべきか。
﹁ご主人様の人徳なら当然のことです﹂
﹁当然、です﹂
﹁人徳ではないが、ま、そういうことだな﹂
ここはロクサーヌに乗っておこう。
ミリアが理解しているのかどうかは分からないが。
逃げるようにペルマスクへ移動した。
﹁今回は少し時間がかかるかもしれません﹂
﹁そうだな。分かった﹂
コハクのネックレスは、親方の奥さんに渡すのではなく、紹介し
てもらって直接売るのだろう。
セリーの言うとおり、多少時間はかかるに違いない。
﹁行ってまいります﹂
﹁がんばってきます﹂
﹁行く、です﹂
ペルマスクの冒険者ギルドで三人を送り出す。
ザビルの迷宮を経由して、クーラタルに戻った。
クーラタルの三階層でボス戦を行い、MPの回復とペッパーの補
充をする。
デュランダルがあればスパイススパイダーは一人でも問題なく倒
せる。
1686
ボス戦の後、商人ギルドに出た。
待合室で仲買人のルークを呼び出す。
﹁ようこそいらっしゃいました。今日はどのようなご用件でしょう
か﹂
﹁悪い。注文ではなくちょっと聞きたいことがあってな。かまわな
いか﹂
﹁もちろんかまいません。こちらへお越しください﹂
ルークはすぐにやってきて俺を会議室に案内した。
イスに座って、ルークと会話する。
﹁休日の日にもオークションが開催されるのは知っているか?﹂
﹁はい。存じております﹂
﹁それに参加しようと思っている﹂
﹁あと五日ですね﹂
もうそんなになるのか。
鏡を売り終わったら開催だ。
﹁初参加なので、やり方などを知っていれば聞きたいと思ってな﹂
﹁さようでございますか。オークションについてはどの程度ご存知
でしょう?﹂
﹁噂で聞いたことはあるというレベルだ﹂
テレビ番組のチャリティーオークションやインターネットオーク
ションなら見たことはある。
参加したことはない。
この世界のオークションが同じものとも限らないし。
1687
﹁基本的な進行としましては、まず売り手が最低入札価格を提示し
ます。落札された場合売り手は必ずその金額で売却しなければなり
ませんので、ある程度売り手の希望が入った価格になります。ただ
し、誰も落札しなかった場合にはペナルティーとして預託金が没収
されます。そのため最低入札価格はそれなりの値段になります﹂
﹁考えられているのだな﹂
﹁最初に入札する買い手はその最低入札価格で入札するのが他の買
い手に対するマナーです。その後、出品された品をほしい買い手が
他にいれば、現行価格以上の値段で入札して価格を引き上げていき
ます。引き上げる入札単位は、一万ナール未満ですと百ナール、一
万ナールから十万ナールの間は千ナール、十万ナール以上は一万ナ
ールが最低となります。この入札単位の十倍を超えて価格を引き上
げることは、ルール違反ではありませんがマナー違反です﹂
話を聞いといてよかった。
いきなりぽんと百万ナール出したりするのはマナー違反になるの
か。
気をつけないと。
それ以外のやり方は、俺の知っているオークションと変わらない
ようだ。
﹁分かった﹂
﹁注意しておくべきことはこれくらいでしょう。後は実際の流れを
見てみれば分かると思います﹂
﹁注文でもないのに悪かったな。そういえば、コボルトのモンスタ
ーカードを落札している客がMP吸収を何の武器につけようとして
いるか分かるか?﹂
オークションの話は聞いたので、話題を変える。
1688
﹁そこまでは分かりません。MP吸収は杖か槍につけることが多い
と思いますが﹂
﹁そうか﹂
﹁そういえば、この間お聞きした資金繰りに困っている家。バラダ
ム家というそうですが、そこが聖槍をオークションに出品するとい
う話が広まっています。MP吸収を狙っている客が目当てでしょう﹂
やはりバラダム家だったのか。
聖槍は魔法の威力を高める槍だとセリーから聞いた。
﹁さすがに武器はもう用意してあるのでは﹂
﹁何度も失敗するようなら、違う武器で試してみることもあります。
用意してあっても、聖槍の方がよい武器なら乗り換えることも考え
るでしょう﹂
﹁なるほど﹂
﹁実際に手を出すかどうかは分かりませんが、高く売れると踏んだ
のでしょう﹂
モンスターカードの融合に失敗しても素材は残るはずだが、他の
武器で試してみることも普通にありそうか。
失敗して作り直したものはゲンが悪い。
あるいは、何度も連続して失敗するはずはないと思うかもしれな
いが。
鑑定で空きのスキルスロットが分からないと、融合は運頼みだか
らな。
1689
体験
ルークに話を聞いた後、ペルマスクの冒険者ギルドに戻った。
三人は俺が到着するとすぐにやってくる。
鏡も一人一枚持っていた。
セリーの顔がニコニコしている。
ネックレスはちゃんと売れたようだ。
﹁お帰り。うまくいったようだな﹂
それ以上は何も聞かず、ザビルの迷宮を経由して家に帰る。
物置部屋に鏡を置くとセリーが説明してきた。
﹁ペルマスクではまず親方の奥さんと一緒に元参事委員会代表の奥
方様のところへうかがいました。かなり瀟洒な豪邸でした﹂
﹁すごかったですね﹂
﹁大きい、です﹂
﹁そんな豪邸に住んでいるならと金貨四十枚と言ったのですが、残
念ながらそこまでは無理でした。親方の奥さんの紹介ならというこ
とで、金貨三十八枚で手を打ってきています﹂
元々金貨三十五枚の予定だったものを三十八枚まで出させるとは。
さすがはセリーだ。
おまけに親方の奥さんにも恩を売ってくるあたり、抜け目がない。
﹁素晴らしい﹂
1690
﹁親方の奥さんと仲のよい人には約束どおり金貨二十五枚で売りま
した。やはりよいものだと喜んでいただけましたし、親方の奥さん
の方には少し大きさがと伝えたので、こちらの方もばっちりです﹂
仲がよくても、自分が持っているものより少し小さいコハクのネ
ックレスで喜ぶのか。
いろいろ複雑なようだ。
﹁すごいな。さすがセリーだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
セリーから金貨六十三枚と銀貨二十枚を受け取る。
銀貨はタルエムの小箱の代価だ。
こちらも容赦なく売りつけてきたらしい。
これでがっぽりと儲かってしまった。
もう白魔結晶に期待する必要はない。
﹁と、思ったらこうなるのか﹂
翌日、午前中の狩を終えて昼に休息を取ったとき、リュックサッ
クを見てつぶやいた。
好事魔多し。
いや。別に悪いことではないが。
悪いことはこれから起こるかもしれないから、調子に乗ってはい
けないということだな。
﹁えっと。何でしょう﹂
﹁見るか?﹂
1691
白くなった魔結晶を取り出して、ロクサーヌに見せる。
白魔結晶だ。
ついに完成した。
﹁すごいです。さすがご主人様です﹂
﹁初めて見ました﹂
﹁さすが、です﹂
もちろん、ないよりはあった方がいいのでありがたい。
これでオークションにどんな大物が出てきても安泰だろう。
﹁ギルドへは夕方売りに行くのがいいだろう﹂
﹁えっと。はい﹂
ロクサーヌが首をかしげる。
確かに三人には理屈が通じていないが。
セリーも不審な目で見るのはやめていただきたい。
夕方、クーラタルの探索者ギルドへ売りに行った。
クーラタルの探索者ギルドが一番でかいので、その中に紛れる作
戦だ。
時間も人が最も多い夕方に売る。
白魔結晶と黄魔結晶、その他集めたアイテムをこれでもかとトレ
ーに載せた。
昼間売るはずだったものに加え、アイテムボックスに入れてある
滋養丸や強壮丸も載せる。
白魔結晶と黄魔結晶を一緒に売るのは、三割アップ対策だ。
ギルドでの売却には三割アップが効く。
1692
この世界には金貨百枚の価値を有する白金貨というものがある。
見たことはないが。
白魔結晶は百万ナールだから、白金貨一枚だ。
白魔結晶を売れば、多分白金貨一枚が出てくるのではないだろう
か。
白魔結晶と何かを売って三割アップを効かせた場合、本来なら白
金貨一枚のところを白金貨一枚と金貨三十枚が返ってくることにな
る。
さすがにギルドの職員もこれは変だと思うのではないだろうか。
白魔結晶と黄魔結晶を売れば、白金貨一枚に金貨十枚のところを
白金貨一枚に金貨四十三枚ということになる。
これならまだなんとかなるだろう。
その他のアイテムもたっぷり提供することは、目くらましとして
少なからず有効なはずだ。
カウンターの前で待つ。
受付の女性が、トレーにお金を載せて戻ってきた。
不審がっている様子はないか。
白金貨も一枚ある。
見た目だけだと銀貨みたいだ。
金貨の方が目立っている。
まあ大きさも違うし、普通の銀貨でないことはすぐに分かる。
これが白金貨か。
いきなり大金持ちになった気分だ。
実際なったわけだし。
1693
白金貨と金貨をそそくさとアイテムボックスに入れる。
残りの銀貨と銅貨はリュックサックに押し込み、急いで探索者ギ
ルドから立ち去った。
冒険者ギルドまであたふたと足早に移動する。
大金を持ちなれていないせいで挙動不審になってしまった。
﹁誰も来てないな﹂
﹁はい。大丈夫ですね﹂
冒険者ギルドに入ると、すぐに外の様子をうかがって誰かつけて
きていないか確認する。
我ながら嫌になるくらい小心だ。
一応、誰も尾行はしてきていないみたいだった。
﹁では買い物してから帰るか﹂
他人のアイテムボックスから中身を盗む魔法やスキルは知られて
いない。
ここまでくれば問題はないだろう。
買い物をしてから帰る。
﹁ご主人様、ルーク氏から伝言が残っています。芋虫のモンスター
カードを落札したようです﹂
家に帰ると、ルークからの伝言が残っていた。
ロクサーヌがメモを読む。
芋虫のモンスターカードか。
これで身代わりのミサンガの予備ができる。
1694
翌朝、鏡を一枚売り、朝食を取ってから商人ギルドに赴いた。
ロクサーヌたちには洗濯や後片づけを頼んでいる。
最近は朝食も作っていないので少し心苦しい。
洗濯や後片づけに使う水は俺が用意しているが。
仲買人のルークを呼び出し、会議室に入った。
﹁昨日、芋虫のモンスターカードを落札した後、コボルトのモンス
ターカードも五千ナールで落札できました﹂
ルークがモンスターカードを二枚出してくる。
鑑定してみたが、確かに芋虫とコボルトのモンスターカードで間
違いない。
﹁それは上々﹂
﹁こちらの方がコボルトのモンスターカードです。休日が間近なの
で、出品が少し増えてきているかもしれません﹂
﹁そうなのか?﹂
休日に遊ぶ金でも用意するのだろうか。
いや。お金を作ってオークションに備えるのか。
くそっ。
ライバルが増えた。
﹁借金の返済などは、季節の末締めが多いので﹂
江戸時代には盆と大晦日にツケを清算したという話と一緒か。
この世界に月末締めはないから、季節の末で清算すると。
﹁なるほど。こっちが芋虫だな﹂
1695
声を出して確認しながら、モンスターカードをアイテムボックス
に入れた。
どうせ鑑定で分かるから俺には関係ないが。
一応慎重に扱っている振りはする。
鑑定が使えない人は慎重に受け取るだろう。
モンスターカードの代価と手数料七百ナールも支払った。
同じものを連続で頼むと足元を見られるようだし、今回はコボル
トのモンスターカードの追加注文はしないでおく。
芋虫のモンスターカードも、オークションでハーレムが充実する
かもしれないので、注文は取り消さずにおいた。
﹁季節の末に借金を返すということで、資金繰りに困っているバラ
ダム家も動いているようです。聖槍は本日これからの出品になりま
す﹂
﹁今日出るのか﹂
﹁聖槍が出品されるという話は、コボルトのモンスターカードの注
文を出している客に確実に届くように、わざと広められたのでしょ
う。どうやら、向こうにも入札の意思があるようです﹂
MP吸収を聖槍につけてみるつもりがありと。
﹁出品される聖槍って見ることはできるか?﹂
﹁いや⋮⋮。不可能ではございませんが﹂
ルークが口ごもった。
﹁何か問題が?﹂
﹁ここだけの話ですが、よろしいですか﹂
1696
﹁分かった﹂
﹁バラダム家は聖槍を最初仲買人のところに持ち込んだそうです。
ただ、買取価格が安すぎると直接出品に切り替えました。そのため、
仲買人仲間では、コボルトのモンスターカードの注文を出している
ところ以外には誰も入札しないように申し合わせております﹂
ルークが暴露する。
入札するのは一人だけと。
当然その人物が安値で落札することになる。
仲買人もえげつないことをするもんだ。
怒らせるとろくなことにはならないということだな。
あるいは、ルークから俺に対する警告なのかもしれない。
勝手なことをすればこうなりますよという。
﹁では、最初の最低入札価格での落札になると﹂
﹁おそらくはそうなります。あるいは、最低入札価格が高すぎれば
流されるかもしれません﹂
預託金が没収されるのか。
聖槍に興味はあるが、やめておいた方がよさそうだ。
仲買人に敵対すると恐ろしいことになりかねない。
MP吸収のついた武器がほしい客との競争になれば落札価格が跳
ね上がるかもしれないし。
﹁入札をするつもりはない。見てみたかっただけだ﹂
否定してルークを安心させてやる。
しかし買取を拒んだ話がでっち上げだったらどうするんだろう。
1697
どうしてもほしい品があったら、買取を断られたと言いふらして
入札拒否してもらえば安く手に入れられる。
仲買人以外の人物が出品した場合限定だが。
結託するような狭い世界だ。
嘘だとばれたらえらいことになる。
インチキをするような仲買人はいないのか。
﹁さようでございますか。オークションの会場へ入れば、もちろん
実物を見ることはできます。会場に入ると参加費が発生しますが、
一度でも入札に参加すれば払う必要はございません。聖槍の入札に
参加しないというのであれば案内してもよろしゅうございますが、
入ってみますか﹂
﹁入れるのか?﹂
﹁はい﹂
﹁では頼めるか﹂
会場に行ってみることになった。
休日のオークションの前に、一度雰囲気を感じておくのもいいだ
ろう。
﹁聖槍の出品は、あと二、三十分後になるかと思います﹂
まだ少し時間があるらしい。
一度家に帰り、ロクサーヌに少し遅くなると伝えた。
商人ギルドにとんぼ返りする。
ワープがあるので移動時間はほんの数秒だ。
階段を登り、商人ギルドの二階に上がった。
二階にある大会議室。
1698
オークションはここで行われるらしい。
﹁ここか﹂
﹁どうぞ﹂
ルークに導かれて中に入る。
大会議室はかなり広い部屋だった。
正面にステージがあり、その前にイスが並べられている。
ちょっとした小劇場みたいな感じだ。
ルークの隣に座る。
広いだけに客はまばらだ。
二、三十人もいるだろうか。
満席になれば数百人は入れるに違いない。
﹁それでは、オークションを開始します。本日最初の出品は、豚の
モンスターカードになります。ギルドで確認を済ませております﹂
やがて男がステージの左端に立った。
別の男が入ってきて、ステージ中央にあるテーブルの上にカード
を置く。
豚のモンスターカードだ。
彼が出品者に違いない。
﹁安ければ落札するつもりです。どうぞ入札してみてください。入
札しませんと参加費がかかってしまいますので﹂
ルークが耳打ちした。
﹁最低入札価格は、千ナールです﹂
1699
﹁千﹂
ステージ左端の男が案内すると、すぐに誰かが声を上げる。
﹁千百﹂
﹁千二百﹂
﹁千三百﹂
一万ナール未満なので入札の単位は百ナールだ。
﹁最初の出品ですので、上げ幅は百ナールずつにして、多くの者が
参加できるようにします﹂
﹁なるほど﹂
﹁千四百﹂
﹁千五百﹂
オークションが進んでいく。
﹁千六百﹂
思い切って声を上げた。
﹁千七百﹂
続いてルークが声を出す。
おまえがかぶせるのかよ。
すぐに係の者が走りよってきて、俺とルークに紙切れを渡した。
パピルスだ。
何か書いてある。
1700
﹁これは?﹂
﹁会場を出るときにこれを渡せば、入札に参加した証明になり参加
費を払わなくてよくなります﹂
なるほど。
入札に参加した証明書か。
落札価格はその後も百ナールずつ上がっていった。
二千五百をすぎると、スピードが落ちる。
﹁二千八百、現在の価格は二千八百です。他にありませんか﹂
﹁二千九百﹂
﹁三千﹂
﹁さすがに、少し高くなりました﹂
オークションの推移を見て、ルークがつぶやいた。
﹁三千百﹂
もう一度誰かが声を上げるが、その後は誰も続かない。
﹁三千百、現在の価格は三千百です。他にありませんか⋮⋮ありま
せんね⋮⋮それでは、三千百ナールでの落札とさせていただきます。
出品者と落札者は、奥の部屋へ行きモンスターカードの確認と商品
の受け渡しを行ってください﹂
落札者が決まったようだ。
ステージに立っていた出品者がモンスターカードを持って袖に引
っ込み、落札者も正面右の扉から奥に入っていった。
1701
﹁これがオークションか﹂
地球のそれと特に変わりはない。
まあ目的が同じなら、同じような形に落ち着くのだろう。
﹁次の出品は、珊瑚のモンスターカードになります。もちろん、ギ
ルドで確認を済ませております。最低入札価格は千ナールからです﹂
次の出品者が現れ、モンスターカードをテーブルに置く。
またしても千ナールから百ずつ価格が上げられ、ようやく決着が
ついた。
それが何度か繰り返される。
﹁そろそろ会場にいる参加者全員が一度は入札に参加したでしょう。
ここからは本気の勝負になります﹂
ルークがささやきかけてきた。
入札単位の十倍まではオーケーだから、この価格帯だと千ナール
まで大丈夫ということになる。
千ナール上げる人はいなかったが、数百ナール上げる人は出た。
﹁それでは次の出品です。次の出品は聖槍になります。装備品につ
き、ギルド側では確認を行っておりませんのでお気をつけください﹂
いよいよ聖槍か。
司会者の紹介で出品者が登場する。
出品者に苗字はなかった。
バラダム家の人物が持ってきたわけではないらしい。
1702
誰か代わりの者が出品したのだろう。
使用人か執事だろうか。
出品者が聖槍をテーブルの上に置く。
聖槍 槍
スキル 空き 空き 空き 空き 空き
﹁おおっ﹂
思わず声が出てしまった。
1703
条件
オークション会場で聖槍を見たとき、思わず声を上げてしまった。
空きのスキルスロットが五個並んでいたからだ。
来たよ来たよ来たよ。
空きのスキルスロット五つつきの聖槍が。
五個も並ぶと壮観だ。
いや。まさかバラダム家が何か偽装したとか。
あるいはオークション会場だと空きのスキルスロットが増えて見
えるとか。
そんなわけはないよな。
鑑定のできる人間はまずいないだろうから、偽装して誰をだます
のかという話だ。
﹁それでは、聖槍の入札を開始します。最低入札価格は十五万ナー
ルです。どうぞ﹂
オークションが開始される。
最低入札価格は十五万ナールなのか。
この数字は高いのか安いのか。
会場に微妙な空気が流れた。
しばらくたつと、空気がさらに重くなる。
誰も入札しにいかない。
他の仲買人がいかないのは当然だが、コボルトのモンスターカー
1704
ドを買っていた仲買人まで、入札しようとはしなかった。
﹁高いのか?﹂
ルークに訊いてみる。
高ければ流される可能性もあるらしい。
誰も声を上げなかったら俺が行ってみるとか。
仲買人は競わない取り決めらしいが、誰も買わないのならいいの
ではないだろうか。
﹁そうではないでしょう﹂
ルークが否定した。
﹁十五万ナールです。どなたもいらっしゃいませんか﹂
﹁十五万﹂
司会者がしつこく確認し、出品者の表情が変わったころ、ようや
く一人が入札する。
ぎりぎりまでじらす作戦だったのか。
確かに、嬉々として飛びつくほど安かったら他の仲買人が誰も買
いにいかないのは変になる。
高いがしょうがないという演出か。
出品者がほっとした表情を見せた。
しかし、その後が続かない。
取り決めどおりなら、そういうことになる。
十五万ナールはそれなりに安い価格だったのだろう。
本当は俺が手を上げたいぐらいだが、我慢する。
1705
仲買人全部を敵に回すことはできない。
﹁十五万、現在十五万です。他にありませんか⋮⋮ありませんね⋮
⋮それでは、十五万ナールでの落札とさせていただきます﹂
そのまま、十五万ナールでの落札が決まった。
出品者が肩を落とす。
﹁聖槍とMP吸収のスキルがついたスタッフではどちらが高い?﹂
聖槍を抱えた出品者がステージの袖に消えるのを見届け、小声で
ルークに問いかけた。
モンスターカードの融合が十回に一回成功するとして、はさみ式
食虫植物とコボルトのモンスターカード十枚ずつの値段、それにプ
ラススタッフの価格をあわせれば、MP吸収のついたスタッフでも
十五万ナールくらいはいくのではないだろうか。
﹁もちろん普通ならば聖槍の方が高くなります﹂
﹁今回の聖槍とならどうだ﹂
﹁MP吸収のスキルがついたスタッフでしょう。今回は相当に特別
ですので﹂
﹁そうか。では頼みがある﹂
やはり十五万ナールはかなり安い値段のようだ。
それならばと思い切ってルークに持ちかける。
﹁何でしょうか﹂
﹁今の落札者に取引を持ちかけてきてほしい。MP吸収のスキルが
ついたスタッフと落札した聖槍とを交換しないかと﹂
﹁まさか。お持ちなのですか?﹂
1706
﹁用意できる﹂
はさみ式食虫植物のモンスターカードとコボルトのモンスターカ
ード、それに空きのスキルスロットがついたスタッフはすでに手元
にある。
MP吸収のスキルがついたスタッフを作ることが可能だ。
懸念としては、違う聖槍と取り替えられることだが。
まあ持っていなかったから入札したと考えるのが妥当だろう。
取り替えられていた場合には、あれは母の形見だとでも言い訳す
るしかあるまい。
﹁さようでございますか﹂
﹁俺の方はあの聖槍とMP吸収のスキルがついたスタッフとを一対
一の交換でいい。普通は聖槍の方が高いなら、それで十分利がある
だろう。向こうにどういう話を持っていくかはルークにまかせる。
手数料はそこから取ってくれ﹂
今回、聖槍は安く落札されたらしい。
例えば、聖槍プラス一万ナールでMP吸収がついたスタッフと交
換しよう、と持ちかけることも可能だろう。
その辺の裁量は、仲買人のルークにまかせる。
利益がなければルークも動かない。
﹁よろしいのですか﹂
﹁うまくできるかどうかはそちらの腕次第だ。俺の方は一対一の交
換でいい﹂
﹁なるほど。聖槍はいい武器ですが、それを今回はかなり安く入手
しました。スタッフも杖としては十分なものでしょう。もしMP吸
収のついた武器がどうしてもほしいのなら、融合に成功するかどう
1707
か分からない聖槍よりすでにスキルがついているスタッフを選びま
すか。今回の落札価格から考えて⋮⋮﹂
ルークがつぶやきながら見通しを計算する。
落札者の狙いが聖槍でなくあくまでMP吸収のついた武器にある
のなら、この取引に乗ってくるだろう。
あの聖槍には空きのスキルスロットがあるから、実は断って自分
で作ってもMP吸収のついた聖槍が手に入るが。
それは向こうには分からないはずだ。
﹁どうだ?﹂
﹁かしこまりました。それでは、後ほど話をしてまいりましょう。
落札者も仲買人です。お客様に話を通さなければならないので、返
事はすぐには出ないと思います﹂
﹁返答が来たら連絡をくれ。今日のところは帰る。オークションの
体験見学もできて参考になった。礼を言おう﹂
﹁こちらこそありがとうございます﹂
ルークと別れ、会場を出た。
受付で入札に参加した証明のパピルスを渡し、外に抜ける。
待合室の壁から家に戻った。
﹁お帰りなさいませ﹂
﹁悪い。時間をくったな﹂
﹁いえ。お気になさらず﹂
商人ギルドで思わぬ時間を取られてしまったが、気分を入れ替え
て迷宮に入る。
ハルバーの十七階層で狩を行った。
1708
探索は結構順調に進んでいる。
ハルバーの十七階層では、一番多く出てくるケトルマーメイドと
二番めに多く出てくるクラムシェルがそろって土魔法を弱点とする。
割と楽な部類に入る階層だろう。
クーラタルの十六階層ほどではないにしても。
白魔結晶ができたのでボーナススキルの割り振りは元に戻してい
た。
経験値アップ系の構成だ。
そのおかげか、この日の戦闘でついにロクサーヌが戦士Lv30
になった。
パーティージョブ設定でロクサーヌのジョブを見る。
ちゃんと騎士のジョブも取得していた。
やはり騎士は戦士Lv30が条件のようだ。
それはいいのだが。
戦士Lv30、獣戦士Lv32、村長Lv1、僧侶Lv2、村人
Lv8、農夫Lv1、剣士Lv1、探索者Lv1、薬草採取士Lv
1、商人Lv1、暗殺者Lv1、騎士Lv1。
この暗殺者というおどろおどろしいジョブは何だ?
見たことないぞ。
ロクサーヌは実は暗殺に手を染めていたとか。
ロクサーヌのことだからありえなくはないというのが怖い。
どんな猛者でも仕留めそうだ。
ロクサーヌ、恐ろしい子。
﹁えっと。何でしょう?﹂
1709
いや待て。
暗殺なら俺も寝ている盗賊を倒した。
ロクサーヌの暗殺者がこのタイミングで増えたのは、騎士と同様
に戦士Lv30が条件の一つなんだろう。
戦士Lv30の俺は暗殺者になっていないのだから、暗殺者の条
件は暗殺を行うことではない。
﹁いったん家に帰って休息するか﹂
﹁はい。分かりました﹂
あわててごまかし、一度家に帰る。
暗殺者になる条件は何だろうか。
今はそれよりも村長が先だ。
俺はアイテムボックスの中身を全部取り出した。
﹁何かあるのですか?﹂
セリーが白い目で見てくる。
いや。別に白い目ではない。
被害妄想だ。
﹁ちょっとした実験だ。なんならセリーもやってみるか?﹂
﹁アイテムボックスのアイテムを全部出せばいいのですね﹂
セリーがあっさり受諾した。
そんな簡単に引き受けるのか。
やはり白い目は被害妄想だ。
まあ別に変なことをしようというのでもないし。
1710
﹁ちょっと待ってろ﹂
芋虫のモンスターカードがあったのを思い出し、ミサンガを取り
に行く。
ときおりセリーに作らせて、空きのスキルスロットがあるものを
別に取っておいた。
物置部屋から持ってきて、モンスターカードと一緒にセリーに渡
す。
﹁融合するんですね﹂
﹁頼む。それとロクサーヌ、俺に向かって、任命と言ってみろ﹂
﹁任命ですか?﹂
﹁そうだ﹂
パーティージョブ設定でロクサーヌのジョブを騎士Lv1にして
から頼んだ。
論より証拠。
とりあえずやらせてみるのが手っ取り早いだろう。
任命と念じればスキル呪文が浮かんでくるはずだ。
﹁任命。⋮⋮え?﹂
俺に向かって任命と言ったロクサーヌの表情が変わる。
うまくいったようだ。
﹁ロクサーヌは今騎士になった。それは騎士のスキルだ﹂
﹁えっと。騎士ですか﹂
﹁村長に任命するスキルですよね﹂
当惑するロクサーヌを尻目に、セリーがあっさりとモンスターカ
1711
ード融合を成功させ、身代わりのミサンガを渡してきた。
やはりセリーは任命のスキルも知っているらしい。
﹁そうだ。ありがとう。さすがはセリーだな﹂
﹁しかし騎士になるためには戦士の修行を何年も積まなければなら
ないと思うのですが。ロクサーヌさんが戦士になってから少ししか
経っていません﹂
﹁そこはご主人様ですから﹂
﹁ご主人様、です﹂
ロクサーヌとミリアがセリーの疑問をシャットアウトする。
セリーは疑わしげな目で俺を見てくるが。
﹁いや。むしろロクサーヌだからでは﹂
﹁なるほど。ロクサーヌさんなら﹂
そこは納得するんだ。
まあ分かるけど。
﹁さすがお姉ちゃん、です﹂
﹁えっと。ご主人様を任命すればいいのですね﹂
﹁頼む﹂
﹁世界を統治する皇帝の掟?⋮⋮﹂
ロクサーヌが呪文を口にした。
うまくいかないようだ。
ブラヒム語は難しいらしい。
﹁じゃあまず俺がやってみるから、聞いてみろ﹂
﹁はい。お願いします﹂
1712
あめつち す
すめらぎ
﹁天地統べる皇の、断り攻めてしろしめせ、任命﹂
セリーに向かって任命してみる。
すめらぎ
騎士のジョブを就け、詠唱省略をはずせば、俺にも呪文が分かる。
セリーのジョブが村長Lv1になった。
あめつち す
﹁さすがはご主人様です。私もやってみますね。天地統べる皇の、
断り攻めてしろしめせ、任命﹂
ロクサーヌが俺に続く。
鑑定すると、俺のファーストジョブが村長Lv1になっていた。
やっぱり任命はファーストジョブにするのか。
探索者がファーストジョブの場合アイテムボックスを空にしてお
く必要があるようだ。
﹁おお。よくやった、ロクサーヌ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁えっと。騎士が勝手に村長を任命することは禁止されているはず
ですが。私も村長になったのですか?﹂
セリーが口を挟む。
禁止なのか。
まあ当然か。
好き勝手に任命されて村長を増殖されても困る。
﹁いや。もう村長ではない﹂
鍛冶師に戻したし。
﹁大丈夫です。内密にすれば誰にも分かりません。ミリアもいいで
1713
すね﹂
﹁内密、です﹂
ファーストジョブを村長にしなければ、ばれることはない。
あまり使えるジョブでもないように思うし、ファーストジョブに
することはないだろう。
使えないジョブなのは任命すれば誰でもなれるせいか。
﹁まあそうですけど﹂
﹁それよりセリー、暗殺者というジョブを知ってるか﹂
あきれているセリーに尋ねた。
村長より暗殺者の方が使えそうだ。
﹁かなり珍しいジョブですね。確か毒に関係しているとか。毒付与
のスキルがついた武器なんかを使うと活躍するそうです﹂
毒か。
確かに、ロクサーヌは毒で魔物を倒したことがあると言っていた。
俺はまだ毒を使ったことはない。
条件が毒なら戦士Lv30を持っている俺に暗殺者のジョブがな
いのも納得だ。
パーティージョブ設定でロクサーヌが持つ暗殺者を確認する。
暗殺者 Lv1
効果 知力小上昇 精神小上昇
スキル 状態異常確率アップ 状態異常耐性アップ
1714
状態異常がかかわるジョブだから、毒という線は有望だろう。
効果は二つだが、どちらも小上昇というのも面白い。
知力と精神が状態異常に関係するパラメーターなのか。
もちろん知力は魔法にも関係する。
知力で魔法の威力が高まることは実験で確認済みだ。
それが上がるのはおいしい。
パーティーメンバーに対して有効だから、誰かにつけさせる手は
ある。
状態異常に対する耐性アップも魅力だ。
状態異常確率アップと状態異常耐性アップの二つのスキルがある
から、状態異常確率アップの方は攻撃に関係するスキルだろうか。
毒付与のスキルがついた武器を使うと言っていたから、単独では
使えないのかもしれない。
状態異常耐性アップの方も、対応する装備品がないと駄目かもし
れないが。
防毒の硬革帽子はすでにある。
これからそろえていくとすれば、有用なジョブになるだろう。
﹁よし。実験をしよう﹂
﹁えっと。実験ですか﹂
﹁毒で魔物を倒す実験だ。セリー、ハルバーの十階層の魔物がニー
トアントだったか﹂
﹁そうです﹂
アイテムをアイテムボックスに戻し、ハルバーの十階層に移動し
た。
1715
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv43 英雄Lv40 魔法使いLv42 僧侶Lv42
錬金術師Lv33
装備 ひもろぎのロッド 硬革の帽子 アルバ 竜革のグローブ 竜革の靴 身代わりのミサンガ
ロクサーヌ ♀ 16歳
騎士Lv1
装備 エストック 鋼鉄の盾 ダマスカス鋼の額金 竜革のジャケ
ット 硬革のグローブ 柳の硬革靴 身代わりのミサンガ
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv33
装備 強権の鋼鉄槍 防毒の硬革帽子 チェインメイル 防水の皮
ミトン 硬革の靴 身代わりのミサンガ
ミリア ♀ 15歳
海女Lv32
装備 レイピア 鉄の盾 頑丈の硬革帽子 チェインメイル 硬革
のグローブ 硬革の靴 身代わりのミサンガ
ロクサーヌのジョブは騎士Lv1にしてある。
ロクサーヌは攻撃を受けることがあまりない。
暗殺者の状態異常耐性アップには出番がないだろう。
長期戦になることを想定して、俺のジョブに錬金術師もつけた。
﹁ロクサーヌは騎士になったばかりだから、気をつけるように。で
1716
は、ニートアントのたくさんいるところに案内してくれ﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌには言わずもがなの注意を与え、ニートアントを狩る。
まずは毒針を集めた。
﹁毒で魔物を倒すのに、毒持ちのニートアントでも大丈夫だろうか
?﹂
﹁大丈夫です﹂
﹁問題ありません﹂
ニートアントでもいけるのか。
経験者のロクサーヌとセリーが言うのだから大丈夫だろう。
ニートアントはスキル攻撃も持っているので、長時間の戦闘は避
けたいが。
わざわざ他の階層に移動するのもめんどくさい。
どれだけ毒針があれば成功するかも定かではない。
ハルバーの十階層にはエスケープゴートも出てくるが、逃げ出す
エスケープゴートを毒にするのは大変だ。
毒にする相手はニートアントでいい。
毒針を集める間に知力上昇のパラメーターを調整し、ニートアン
トを水魔法一発で倒せる数値を把握した。
水魔法が弱点とはいえ十階層の魔物を魔法一発で倒せるようにな
ったのか。
俺も着実に強くなってはいるようだ。
1717
暗殺者
﹁では実験を開始する。ロクサーヌはすでにやったことがあるので、
最初は俺が毒針を投げる。他の三人は攻撃しないように﹂
毒針は二十個ほど集めた。
毒針を投げつけても必ず毒になるとは限らないらしいが、これだ
けあれば十分だろう。
﹁魔法陣が浮かんだ場合にはどうしますか﹂
﹁そのときには槍でつけ﹂
セリーの質問に答える。
﹁ニートアントのスキル攻撃なら、かわしてしまえば毒になりませ
ん﹂
それはロクサーヌだけです。
セリーを見るとちゃんとうなずいたので、分かっているだろう。
現れたニートアント三匹の団体にウォーターストームを喰らわせ
た。
二匹が一撃で倒れ、一匹が残る。
近づくのを待って、生き残ったアリに毒針を投げた。
ロクサーヌは、とどめだけではなく最初から毒だけで魔物を倒し
たかもしれない。
1718
最後だけ毒で倒しても暗殺者のジョブは取得できない可能性もあ
る。
そこはやってみるしかないだろう。
僧侶のジョブは最後だけ素手で倒せば得られる。
暗殺者も同じである可能性は十分ある。
いくらなんでも最初から毒のみで倒すのはきつい。
ロクサーヌが盾をかまえ、ニートアントの前に立ちはだかった。
あれ。ロクサーヌが相手をするなら、スキル攻撃をキャンセルす
る必要はないのか。
セリーを見ると槍をかまえずに持っているので、分かっているだ
ろう。
ロクサーヌが相手をするなら最初から毒のみでもいけるな。
﹁そういえば、毒になったかどうかって、どうやったら分かるんだ
?﹂
﹁毒を受けると、魔物の色が少し青白くなります﹂
毒針を投げながら訊くと、ロクサーヌがアリの攻撃を軽くかわし
ながら答える。
薄暗い迷宮の中で、黒いニートアントが相手でも分かるのだろう
か。
失敗したか。
﹁毒、です﹂
それでも毒針を投げつけていると、ミリアが叫んだ。
と同時にアリが倒れる。
1719
﹁色が変わった?﹂
﹁はい、です﹂
ミリアには分かったようだ。
俺には分からなかった。
ニートアントはすぐに倒れたから、毒にかかって最初の一撃でH
Pがゼロになったのだろう。
そのために魔法で削ったわけだし。
ジョブ鑑定で俺のジョブを見てみる。
無事、暗殺者Lv1を取得していた。
とどめだけ毒で刺せばいいようだ。
﹁それでは、次はセリーだな﹂
﹁分かりました﹂
続いてセリーに倒させる。
俺が毒で倒したニートアントもちゃんと毒針を残した。
使った分はほぼ補充できている。
次は、ニートアント二匹とエスケープゴートの団体だ。
ある程度近寄せてから、ウォーターストームを浴びせる。
ニートアント二匹が倒れ、エスケープゴート一匹が残った。
くそ。
アリは全滅か。
逃げる山羊をウォーターボールで追撃する。
エスケープゴートも二発めで沈んだ。
毒針が補充できたのでよしとして、次へ進む。
1720
今度の相手はニートアント二匹。
うち一匹が水魔法を耐え切った。
﹁槍を﹂
﹁はい﹂
セリーから槍を受け取り、代わりに毒針を渡す。
ロクサーヌの斜め後ろから、セリーがアリに毒針を投げた。
ニートアントの攻撃は前に立つロクサーヌが軽々と避け、セリー
が後ろから毒針を投げつける。
﹁来ます﹂
言うが早いか、ロクサーヌがものすごい勢いで後ろに下がってき
た。
セリーのさらに後ろで槍と毒針を持って控えている俺のところま
で、一瞬で下がる。
すっげ。
後ろ向きなのに、背中に目がついているかのような素早さだ。
俺もあわてて下がった。
五メートルほどダッシュをして振り返ると、セリーとミリアがつ
いてきている。
ロクサーヌは途中で止まっていた。
そんなに下がらなくてよかったらしい。
ロクサーヌは経験で知っているのだろう。
ロクサーヌのところまで戻る。
その途中でニートアントが倒れた。
1721
﹁毒になっていたのか﹂
﹁はい、です。最後に投げた、です﹂
セリーが最後に投げた毒針で毒にかかっていたようだ。
セリーは条件となる戦士Lv30がないから、暗殺者は取得でき
ない。
確認できないのが難点だが、しょうがないだろう。
﹁スキル攻撃は必中だと思っていましたが、こんな避け方があるの
ですね﹂
﹁避け方というか、力業だな﹂
セリーに槍を戻す。
スキルで魔法陣を構築するのに少しは時間がかかる。
その間に射程圏外に出てしまえば、物理的に当たらないというこ
とか。
作戦と呼べるものではない。
ロクサーヌ以外には厳しいだろう。
俺が逃げられたのは予め後方にいたからだし。
﹁さすがお姉ちゃん、です。がんばる、です﹂
ロクサーヌだからと諦めるのではなく、ミリアのこの積極さが必
要なのかもしれないが。
﹁えっと。スキルが発動してからでも避けられますが、今回はセリ
ーやミリアもいるので﹂
できんのかよ。
1722
ロクサーヌの回避辞書に不可能という文字はない。
思わずセリーと視線をかわしてしまった。
﹁つ、次はミリアだな﹂
﹁はい、です﹂
まだまだ毒針は十個以上あるし、今ので二つ戻ってきたので、続
けることにする。
次の団体はニートアント四匹だった。
これなら一匹は残るだろう。
ウォーターストームを放つ。
二匹が倒れた。
近づいてくるうちの一匹をウォーターボールで片づける。
ロクサーヌが前に出て、残った一匹の進路に立ちふさがった。
ミリアが斜め後ろから手持ちの毒針を投げる。
俺も毒針を持ってミリアの後ろに控えた。
﹁ほら﹂
体は半分後ろに向けながら、ミリアに毒針を渡す。
いつでも逃げ出せるように。
ロクサーヌがニートアントの突撃を軽くいなした。
﹁毒、です﹂
さらに次の毒針を渡そうとしたのをミリアがとめる。
魔法陣が浮かぶより毒になる方が早かったか。
ニートアントの突進をロクサーヌが盾で受け止めた。
1723
色が変わっているだろうか。
俺には違いが分からないが。
青白くなっているか?
次の攻撃もロクサーヌはなんなくかわす。
アリがそのまま倒れた。
ちゃんと毒にかかっていたようだ。
これで全員暗殺者のジョブを取得できるようになった。
前衛のミリアにとっては有用なジョブだろう。
装備品がそろったら、ミリアを暗殺者にする手もありそうだ。
実験の後はハルバーの十七階層で探索を行い、夕方家に帰る。
帰ってくると、ルークからの伝言メモが残っていた。 ﹁ご主人様、ルーク氏からの伝言ですね。至急来られたしと書いて
あります﹂
聖槍のことだろう。
何かの返答があったのだろうか。
仲買人から客に連絡を取ったにしては早すぎると思うが。
相手の仲買人がふざけるなと怒ったとか。
⋮⋮。
行きたくなくなったが、憶測を重ねてもしょうがない。
至急といっているし、すぐに行くことにする。
﹁では、ちょっと商人ギルドまで行ってくる。後は頼む﹂
﹁はい。いってらっしゃいませ﹂
1724
商人ギルドの待合室に飛んだ。
ルークを呼び出すと、すぐにやってくる。
もう一人誰かが一緒だ。
武器商人Lv8。
ちょっと優男風。
見た目、いいとこのお坊ちゃんという雰囲気だ。
MP吸収のスキルがついたスタッフを武器鑑定させるつもりだろ
うか。
持ってきてないぞ。
まだ作らせてもいないし。
﹁お待ちしておりました。こちらへきていただいてよろしいですか﹂
﹁分かった﹂
会議室に行く。
イスに座ると、いつもどおりルークが正面に腰かけ、もう一人の
男はルークの横に座った。
﹁こちらが例の仲買人です﹂
﹁MP吸収のついたスタッフを提供できるというのは本当ですか?﹂
男が挨拶もそこそこに切り出してくる。
聖槍を落札した仲買人か。
オークションのときにはちゃんと見てなかった。
至急といって呼び出したし、急いでいるのだろうか。
そうまでしてほしかったことは確かなんだろう。
1725
﹁本当だ﹂
﹁では、MP吸収がついた武器の名称を答えてもらえますか﹂
男が問題を出す。
知力二倍のスキルがつくとひもろぎのロッドとか、詠唱遅延のス
キルがつくと妨害のなんとかとか、名称には決まりがある。
MP吸収にも何かあるのだろう。
まだ作ってないからもちろん俺は知らない。
持っているなら知っているはずだということだろうか。
あれ。そうか?
例えば、ハルツ公爵のところにあった決意の指輪みたいに先祖代
々伝わった装備品とか。
名前が失われていても不思議はない。
﹁作らせたものなので名前は知らない。知らなくても、そちらで信
頼できる武器商人を用意すれば問題はないだろう﹂
素直に知らないと答えた。
いや。まだ作ってはいないし、武器商人を用意する必要がないこ
とも分かってはいるわけだが。
全然素直ではない。
伝世品だということにしても知らない理由にはなるが、古いとい
うのはどうなんだろう。
値下げ交渉に使われるかもしれない。
これから作るのだから、実物を見せて新品同然だと言い張る手は
あるとしても。
1726
﹁そうですね。では、何故せっかくの武器を手放す気になったので
しょう﹂
いらないからと答えたら買い叩く理由にでもするつもりだろうか。
自分で作ったのなら何故それを手放すのかという話になる。
伝世品なら古いので安くしろという話になる。
どこかで盗むか奪ったものなら、名称を知っているだろう。
名称を知っていれば、盗品の疑いが出てくる。
先ほどのは単純な質問のように見えて、案外大変な質問だったの
か。
さすがは仲買人だ。
抜け目がない。
﹁うちには槍を使える巫女がいる。力があるので、聖槍の方が使い
勝手がいい。せっかくのチャンスだしな﹂
﹁なるほど。スタッフは今お持ちですか﹂
﹁持ってない﹂
なんとかごまかせたようだ。
﹁すぐにお持ちいただくことは可能でしょうか﹂
﹁持ってくることはできるが、客の承諾はもらえたのか?﹂
﹁実はMP吸収のついた武器を欲しているのは私の実家になります。
このたび、本家の嫡男に公女をお迎えすることになりましたので﹂
﹁それはめでたい﹂
仲買人の客は仲買人の実家だったのか。
だからいちいち相談する必要はないと。
1727
半分仲買人本人がほしかったようなものか。
調達をまかされているのかもしれない。
﹁婚儀にあたってはMP吸収のスキルがついた武器を用意すること
が決まっております。そのため、商売でつき合いのある鍛冶師に無
理をいって作らせているのですが、なかなかうまくいきません。聖
槍はいい武器ですが、MP吸収のついたスタッフとなら引き合うで
しょう。確認が取れましたら、そちらの申し出た条件で交換させて
いただきます﹂
MP吸収のついたスタッフは結納みたいなものなんだろうか。
結婚前に用意する必要があるから早めにほしいのだろう。
俺は席を立った。
﹁分かった。すぐに持ってこよう﹂
﹁お願いします﹂
待合室まで戻り、ワープする。
見送りについてこられたのが邪魔だ。
誰もいなかったら無言でワープできたのに。
ごにょごにょとフィールドウォークの呪文を口誦し、ワープで移
動した。
﹁セリー、これを融合してくれ﹂
アイテムを出しながら、夕食の準備をしていたセリーを呼ぶ。
セリーならモンスターカード融合も朝飯前だろう。
夕飯前だが。
はさみ式食虫植物のモンスターカードにコボルトのモンスターカ
ード、空きのスキルスロットがついたスタッフをテーブルの上に置
1728
いた。
﹁カードは間違いないですか﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁今日一回外に出していますが、入れ替わったりしていないですね﹂
モンスターカード融合に不安がなくなったかと思ったら、今度は
別の心配か。
浜の真砂は尽きるとも、心配事はなくならないようだ。
﹁大船に乗ったつもりでまかせてほしい﹂
﹁さっきはかなり無造作に扱っていましたが﹂
﹁問題ない。記憶力はいい方なんだ﹂
﹁⋮⋮﹂
そこは疑念の目を向けてくるところではないといいたい。
仕方なくという風にセリーがイスに座ってスタッフを手に取る。
モンスターカード融合を行った。
﹁おお。成功だ。さすがはセリーだな。いや、むしろ俺の記憶力が
さすがだ﹂
記憶力を使ったわけではないが。
だから疑わしげな目で見てくるんじゃない。
ひょっとしたら記憶力を使ったかもしれないじゃないか。
いや、むしろ使ったといっていい。
使った。
確かに使った。
私の記憶力が確かならば、記憶力を使ったはずだ。
1729
﹁ありがとうございます。違うスキルがついている可能性もありま
すが﹂
そこまで疑うか。
ロクサーヌならほめてくれたに違いない。
キッチンにいてここにいないのが残念だ。
しょうがないので自画自賛しただけで杖を受け取る。
ちゃんとMP吸収のスキルもついている。
吸精のスタッフか。
仰々しい名前のようだ。
1730
記憶力
吸精のスタッフを持って商人ギルドに飛ぶ。
仲買人の二人は待合室で待っていた。
俺が杖を手に持っているのを見て、安堵している。
こっちはこっちで俺が戻ってこないので心配していたのか。
世に心配の種は尽きまじ。
セリーに融合してもらったので、多少時間はかかっている。
MP吸収のついたスタッフを用意できないので逃げ出したとでも
思っていたのだろう。
セリーといいこいつらといい、失礼なやつらだ。
﹁悪い。ちょっと探すのに手間取ってな﹂
﹁では、部屋に戻りましょう﹂
会議室に入り、武器商人の男に吸精のスタッフを渡した。
男が武器鑑定の呪文を唱える。
﹁確かに吸精のスタッフです。間違いありません﹂
﹁そうだろう﹂
間違いのあろうはずがない。
﹁MP吸収のスキルがついた武器の名前は、吸精になります﹂
﹁吸精か。覚えた。記憶力はいい方だ﹂
1731
﹁傷もなく、状態もいいようです。取引に何の支障もありません。
それではこちらを﹂
男がさらに別の呪文を唱え、アイテムボックスを開いた。
中から聖槍を取り出す。
ちゃんと空きのスキルスロットが五個ある。
取り替えたりはしていないようだ。
﹁聖槍の確認はどうしましょうか。私とは仲買人同士なので贋物を
渡したりしない取り決めになっておりますが。もしよろしければ私
が知り合いの武器商人を呼んでまいります﹂
ルークが提案した。
俺はあれが聖槍だと鑑定で分かるが、普通は分からない。
確認をする必要があるのか。
武器商人ならここにもいるが、売り手側だ。
ではルークの知り合いなら信用できるのか。
知り合いの武器商人と売り手が結託している恐れもある。
ルークだって仲買人仲間なのだから、手を組む可能性はある。
疑えばきりがない。
﹁そこまですることはない。あの形、あの輝き。オークション会場
で見初めた聖槍に間違いはない。記憶力はいい方だ﹂
﹁問題ないというのであればよろしいですが﹂
﹁きちんと買い取るときに確認はしたのだろう?﹂
男に質問する。
バラダム家の出品者から買い取るときに武器鑑定で確認を取った
はずだ。
1732
ルークが話を持っていったのは買い取った後だから、バラダム家
とこの仲買人がつるんでいることはない。
﹁もちろんです﹂
﹁であれば問題はない﹂
聖槍を受け取った。
ちゃんと空きのスキルスロット五つつきの聖槍だ。
面倒だが呪文を唱えてアイテムボックスを開き、中に入れる。
男も自分のアイテムボックスに吸精のスタッフをしまった。
﹁堂に入った態度、恐れ入りました。私が武器鑑定したときにもま
ったく驚いておられませんでしたし、見事なものです。よい取引を
させてもらいました﹂
﹁そうか﹂
武器商人だということは分かっていたからな。
いきなり武器鑑定をしたのは驚かせようというつもりもあったの
だろうか。
﹁それでは、私はこれで﹂
男がルークとも挨拶を交わし、立ち去ろうとする。
﹁あー、その前に。はさみ式食虫植物かコボルトのモンスターカー
ドを持っていないか﹂
﹁モンスターカードですか。所持しておりますが﹂
やはりあるのか。
MP吸収のスキルをつけるには二つのモンスターカードが必要だ
1733
が、オークションにそろって出てくるとは限らない。
両方集まれば融合で使ってしまうだろうが、それまでどちらか一
枚は手元に持っているはずだ。
﹁吸精のスタッフが手に入ったのだ。それはもう必要ないのではな
いか﹂
﹁確かにそうですね﹂
﹁取引のついでに、モンスターカードを買わせてもらえないだろう
か﹂
﹁なるほど。もちろん使い道がないではありませんが、大変なのも
事実です。高値で落札したので、オークションに出すとしても逆ザ
ヤになることは覚悟しておりました﹂
男は俺に告げながらルークを見た。
ルークが﹁私ならかまいません﹂と言ってうなずく。
勝手に取引するのは客を奪うことだという解釈もできなくはない
のか。
仲買人の結束は固いようだ。
﹁どうだ﹂
﹁はさみ式食虫植物のモンスターカードは使ってしまったのであり
ませんが、コボルトのモンスターカードは予備のものを含めて二枚
所持しています。そうですね。一枚四千ナールということでよろし
ければ、お譲りいたしましょう﹂
﹁二枚とも買わせてもらおう﹂
二枚あるのか。
さらにラッキー。
﹁ありがとうございます。こちらとしても助かります。今日はもう
1734
遅いので、取引は明日の朝でいかがでしょう﹂
﹁分かった﹂
﹁それでは﹂
モンスターカードを持ち歩いてはいないらしい。
アイテムボックスに入れとけばいいのに。
取引の日取りを決め、男が部屋を出て行った。
﹁勝手に取引をして悪かったな﹂
﹁いいえ。利にさとい者であればむしろ当然のこと。何の問題もあ
りません﹂
﹁そうか﹂
二人になってから、ルークに謝っておく。
﹁彼の家は指折りの豪商として知られています。本当に確認なさら
なくてよろしかったのですか﹂
﹁必要ない﹂
﹁あの者の家の実力は相当のものだと聞いておりますが﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁さようですか。やはりさすがでございます。腕には相当の自信を
お持ちなのですね﹂
﹁まあな﹂
と言ってから気づいた。
あー。
そういう意味か。
どうも会話が噛み合っていないような気はした。
俺は鑑定で分かるから問題はないが、鑑定を持っていない普通の
1735
客ならどう動くか。
誰がどこまで信用できるか分からない状況で確認するのは大変だ。
それよりは事後報復を考える方が合理的だろう。
つまり、贋物をつかまされたら仕返しをすればいい。
月夜の晩ばかりではないということだ。
この世界に月夜はないが。
別に闇夜でなくても、俺は自由民だから決闘が使える。
だまされたなら合法的に復讐できる。
この世界ではそういう考えが普通なんだろう。
ルークがモンスターカードの贋物を持ってこないのも、報復を恐
れてのことか。
ただし、向こうの家は豪商だ。
こちらから決闘を申し入れた場合、相手は代理の者を立てること
ができる。
金持ちなら強いやつも抱えているだろう。
それなのに仕返しできるのかと。
もう大丈夫だと言ってしまったのでしょうがないが。
﹁かなりの家だとは聞いておりましたが、これからますます力をつ
けてくるのでしょう。MP吸収のスキルがついた武器はそのためだ
ったのですね﹂
﹁そのようだな﹂
どのようだが分からないが。
﹁モンスターカードの融合は前からやられていたのですか﹂
1736
ルークが訊いてくる。
そういえば、MP吸収のスキルがついた武器は作らせたと答えた
のだった。
はさみ式食虫植物のモンスターカードはルークからは買っていな
い。
ルークと取引する前に作らせていたと考えるのは穏当だろう。
取引する前からやっていたのだとすれば、長く融合を続けている
かもしれない。
長い間融合を行い、今もルークに注文を出し続けている。
それだけの腕があれば、今後の取引にも期待できる。
関心を引くのは当然か。
MP吸収のスキルがついた武器をほしがったあの男のように、特
定のスキルがついた装備品を求める客は多いだろう。
うまく俺を利用できれば、ルークには大きな利益となる。
俺にも多少の余禄は入るが。
﹁まあ融合は失敗が多くてな。なかなかうまくはいかん﹂
﹁さようですか﹂
適当にごまかした。
あまり便利に使われてもな。
依頼を百パーセント成功させるわけにはいかないし、失敗すれば
トラブルの元になる。
モンスターカードや装備品のことでルークとは今後も取引を続け
るだろうが、あくまでギブアンドテイク、持ちつ持たれつの関係が
望ましい。
1737
白魔結晶ができる前だったらよかったかもしれないが。
白魔結晶を換金した今となっては、お金に困るような事態はそう
は考えられない。
お金がないときにはうまい儲け話はなく、お金に困らなくなった
ら儲け話が出てくる。
うまくいかないものだ。
﹁とはいえ、はさみ式食虫植物のモンスターカードはこれで買いや
すくなるだろう。手に入りそうだったら狙ってみてくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
ルークには、はさみ式食虫植物のモンスターカードを注文した。
買いあさっていたところが買わなくなるのだから、値段も落ち着
くだろう。
注文を出して、家に帰る。
﹁貴族の間では、結納にスキルのついた装備品でも贈る習慣がある
のか?﹂
三人が作った夕食を取りながら、セリーに訊いてみた。
吸精のスタッフは、結納にでも使うみたいな話だった。
ハルツ公もカシアの実家に決意の指輪を贈っているし。
﹁貴族のことまではよく知りません。聞いたことはありませんが﹂
﹁MP吸収のついた武器を公女を娶るのに用意するとか言っていた﹂
﹁ああ。なるほど。そのためですか﹂
どのためなんだろうか。
セリーには分かるらしい。
1738
﹁公女ってのはどっかの令嬢のことでいいんだよな﹂
﹁貴族の令嬢ですね。魔法使いなのでしょう。MP吸収のスキルが
ついた武器は、その女性が使うのだと思います﹂
﹁嫁のためなのか﹂
結納じゃないようだ。
結婚指輪みたいな感じだろうか。
﹁力をつけてくるでしょう﹂
﹁そこまで分かるのか。さすがセリーだ﹂
ルークと同じことを言っている。
﹁ご主人様、負けていられませんね﹂
﹁まあ負けるつもりはないが﹂
ロクサーヌに返した。
﹁えっとですね。魔法使いがいるパーティーは殲滅力が高くなりま
す﹂
俺が理解していないことに気づいたのか、セリーが説明してくる。
﹁そうだな﹂
﹁逆にいえば、迷宮で活躍しようと思ったならパーティーには魔法
使いが必須です﹂
﹁そうだろう﹂
﹁しかし魔法使いは誰もがなれるものではありません。魔法使いに
なれるのは貴族や大金持ちの子どもに限られています﹂
1739
自爆玉を使うのだったか。
確かに魔法使いになるのは大変らしい。
﹁そう聞いた﹂
﹁ただし、一から魔法使いを育てようとしても、なれるのは乳幼児
だけ。一流の魔法使いまで育てるのに何十年もかかってしまってし
まいます﹂
﹁分かる分かる﹂
﹁期間を短縮する一番の方法は、魔法使いを嫁にもらうか婿に獲る
かすることです。公女を娶って、MP吸収のついた武器を求めてい
るということは、迷宮での活躍に必須な魔法使いが手に入ったとい
うことなのです﹂
なるほどね。
MP吸収のついた武器を使う魔法使いがいるなら活躍できる、と
いうことか。
﹁だから力をつけてくるというわけか﹂
﹁そういうことです﹂
﹁別に競っているつもりはないが、大丈夫だろう。代わりにもっと
いい武器を奪ってきたし。これだ﹂
アイテムボックスから聖槍を出した。
﹁槍ですか﹂
﹁槍ですね﹂
﹁槍、です﹂
﹁セリーが言っていた、魔法が強くなる槍だ﹂
セリーに聖槍を差し出す。
1740
﹁聖槍ですか? 確かに言いましたが、よく覚えていますね﹂
﹁記憶力はいい方だと言っただろう﹂
今夜はセリーの記憶力がなくなるまで責め立ててやろう、と思う
吉宗であった。
暴れん坊だけに。
﹁聖槍だとすると、かなり貴重なものだと思いますが﹂
セリーがおっかなびっくり受け取る。
﹁セリーが融合してくれた武器との交換で手に入ったからな。セリ
ーのおかげだ﹂
﹁初めて見ます。本当にあるんですね﹂
見たことなかったのか。
まあ博物館や展示会があるわけではないし、そんなものか。
俺だってテレビでしか見たことがないものはいくらでもあるだろ
う。
翌朝、迷宮に入って聖槍の使い勝手を確かめる。
昨夜のことは、俺の記憶力がなくなるまで責め立てたので覚えて
いない。
朝起きたらフィフスジョブが色魔だったので、確かに責め立てた
はずだ。
聖槍は、ひもろぎのロッドに比べればさすがに少し落ちるか。
それでもたいしたものだ。
1741
スキルのついていない状態で少し落ちるなら、知力二倍のスキル
をつければすごいことになるだろう。
﹁俺はロッドを使うし、詠唱中断のついた槍も必要だし、しまって
おくしかないというのがちょっともったいないくらいだな﹂
﹁そうですね。ミリアに使わせるのは片手剣の形が崩れそうで怖い
ですし、私が使うのも間合いが変わるのでやりにくそうです﹂
ロクサーヌやミリアに使わせるのも難しそうか。
﹁クラムシェルだけが相手のときには詠唱中断は必要ありませんが、
ケトルマーメイドやビッチバタフライがいれば必要です。持ち替え
て聖槍を投げ捨てるようなことはやりたくないです﹂
セリーに二本の槍を持たせ、使わない方は投げ捨てるという作戦
もあるとは思うが、それも大変らしい。
聖槍はおとなしくアイテムボックスにしまっておこう。
1742
防御
迷宮を出たら、ハルツ公爵のところに三枚めの鏡を売りに行く。
当面これで最後になるが、公爵は何も言ってはこなかった。
ロクサーヌのことに執着はしていないようか。
カシアに直訴する心がまえはできていたのだが。
ボーデから帰って朝食を取り、商人ギルドへと赴く。
武器商人を直接呼んでいいか分からなかったのでルークを呼び出
すと、二人して待合室に来た。
﹁お待ちしておりました。それでは、ギルド神殿にまいりましょう
か﹂
﹁ギルド神殿?﹂
﹁はい。昨日は遅かったのですが、仲買人登録がしてあれば確認の
ために使えますので﹂
武器商人の男と話す。
何ごとか、と思ったがモンスターカードの確認か。
モンスターカードは、見ただけではどの魔物のモンスターカード
か分からない。
俺は鑑定で分かるが。
普通は確認のためにギルド神殿を使うのだろう。
ギルド神殿で確認できるという話は聞いた。
昨日取引しなかったのは、モンスターカードを持っていなかった
からではなく、夕方遅くでギルド神殿が使えなかったせいか。
1743
モンスターカードの融合は失敗することがある。
もしかしたら、失敗したときにただ単に融合に失敗したのかモン
スターカードが贋物だったから失敗したのか判別できないような贋
物を作ることが可能かもしれない。
そうなれば報復は確実な抑止力とはならない。
ルークが贋物を持ってこないのは仕返しを恐れてというわけでも
ないのか。
階段を上がり、二階の奥の部屋に連れて行かれた。
ギルド神殿はここにあるらしい。
オークション会場の裏手側。
そういえば、オークションのとき奥で確認しろと言っていた。
﹁こちらです。利用料は一回百ナール。二枚ですので、二百ナール
になります。買い取る側の負担が原則です。ただし、仲買人登録を
していなければ使えませんので、ギルド神殿の操作は私がさせてい
ただきます﹂
ルークが部屋のドアを開ける。
金がかかるのか。
鑑定があるから本当はいらないが、断る理由が難しい。
ここはありがたく利用しておくしかないか。
部屋の中に白いボックスがあった。
ハルツ公爵のところにあったのと同じ、ギルド神殿だ。
﹁ギルド神殿のご利用ですか。ありがとうございます﹂
部屋に入ると、受付の村人が迎えてくる。
1744
俺は銀貨二枚を出した。
村人には三割引が効かない。
武器商人の男もモンスターカードを二枚出す。
コボルトのモンスターカードだ。
﹁吸精のスタッフをお譲りいただけましたし、ここは特別に、二枚
で五千六百ナールで結構でございます﹂
よっしゃ。
武器商人が相手ならば三割引が効く。
オークションで直接落札したわけでもないので、きっちりと有効
になった。
鑑定で分かっているので別段どうでもいいが、モンスターカード
の確認をする。
ルークがギルド神殿の上にモンスターカードを載せ、スイッチを
押すと、カードにコボルトという文字がカタカナで浮かんできた。
カタカナか。
インテリジェンスカードと同様、見る人が識別できる文字で読め
るようだ。
ハルツ公の騎士団がボーデのギルド神殿でインテリジェンスカー
ドを読んでいたのも同じことか。
多分同じ操作原理、同じメカニズムなんだろう。
どういう原理かは知らないが。
二枚めのモンスターカードもちゃんとコボルトと出る。
当然といえば当然だ。
1745
﹁確かに。いい取引をさせてもらった﹂
﹁こちらこそ、ありがとうございました﹂
武器商人の男に礼を述べ、家に帰った。
購入したばかりのコボルトのモンスターカードと、蝶のモンスタ
ーカード、ダマスカス鋼の額金をアイテムボックスから出す。
セリーに渡した。
﹁コボルトのモンスターカードが手に入った。セリー、融合を頼む﹂
﹁はい﹂
さすがに買ってきたばかりでは間違えようがない。
セリーが不安も口にせずモンスターカード融合を行う。
﹁おお。さすがセリーだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
融合はもちろんきっちり成功した。
耐風のダマスカス鋼額金 頭装備
スキル 風耐性 空き 空き 空き
空きのスキルスロットもちゃんと三つ残っている。
できた額金をロクサーヌの頭に巻いた。
﹁これはロクサーヌが着けるようにしろ﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁大丈夫だ﹂
1746
﹁ありがとうございます﹂
俺が前に出るときには防毒の硬革帽子と頑丈の硬革帽子をとっか
えひっかえ使っている。
額金は、帽子のようにかぶるのではなく、はちまきのように締め
ないといけないから、取り替えるにはめんどくさい。
融合する前と同様にロクサーヌが着けるのがいいだろう。
帽子と違ってイヌミミをカバーできないのが不安だが、どうせロ
クサーヌには魔物の攻撃がほとんど当たらないしな。
装備を整えて迷宮に入る。
入ってすぐ、ハルバー十七階層のボス部屋に到着した。
探索はかなり進んでいたらしい。
﹁ケトルマーメイドのボスはボトルマーメイドです。強力な水魔法
を放ってくるので、しっかりキャンセルすることが大事です﹂
﹁ではいつもどおり、ボスは最初三人で頼む﹂
待機部屋でセリーから説明を受け、ボス部屋に入る。
俺はお付のケトルマーメイドの相手をした。
ラッシュを連発して速攻で倒す。
途中で魔法を使ってこようとしたが、問題なくキャンセルした。
魔法陣が出る間はこちらへの攻撃が途切れるから、デュランダル
で戦っているときに魔法はむしろ大歓迎だ。
詠唱中断で確実に解除できるのは大きい。
遅れてボスの囲みに加わる。
ボトルマーメイドは頭の先がとがった人魚だった。
確かに何かのボトルっぽい。
1747
ケトルマーメイドほどひね曲がってはいないが、残念な人魚には
変わりがない。
四人で囲み、削っていく。
ロクサーヌが正面に立ち、詠唱中断のスキルがある武器を持った
俺とセリーがいれば、負ける要素は薄い。
気を抜いてはいけないが。
ボトルマーメイドが左腕を伸ばした。
ロクサーヌが首を傾けて避ける。
続いて人魚が右腕を振り回した。
ロクサーヌが肩を引いてよける。
ロクサーヌが上体を戻したところに、今度はボトルマーメイドが
上半身を倒して頭から突っ込んだ。
ヘッドバットだったのか噛み付き攻撃だったのか。
ロクサーヌがスウェーして避けたので、人魚の意図は分からない。
ボトルマーメイドの攻撃はことごとくロクサーヌが封じた。
その間に俺はきっちりとデュランダルで削る。
ボスが倒れた。
二十二階層まで、ボス戦はこんな感じで続けばありがたい。
できればその上の階層でも。
十八階層に足を踏み入れる。
﹁ハルバーの迷宮十八階層の魔物はフライトラップです﹂
﹁フライトラップは火属性が弱点で、ええっと、クラムシェルにビ
ッチバタフライが火に強いんだったか﹂
﹁そうです﹂
1748
俺の記憶力もたいしたもんだ。
しかし、一番多く出てくる魔物の弱点が火魔法で、クラムシェル
とビッチバタフライもそれなりには出てくるだろう。
この階層は少しきつめか。
二十二階層までなどと安心はしていられないようだ。
﹁じゃあロクサーヌ、この階層はちょっと大変かもしれないが、ま
かせる﹂
﹁かしこまりました﹂
ロクサーヌが案内したところには、クラムシェル、ケトルマーメ
イドとフライトラップが一匹ずついた。
貝と人魚を土魔法七発で倒した後、フライトラップはファイヤー
ボール四発でしとめる。
階層が上がって少し強くなってもいるようだ。
まあしょうがない。
﹁こんなもんか﹂
﹁そうですね。ご主人様の強さなら、何の問題もありません﹂
﹁その間耐えてくれる前衛がいてこそだけどな。クーラタルの十七
階層にも行っておくか﹂
﹁行く、です﹂
クーラタル十七階層の魔物は魚の魔物であるマーブリームなので、
ミリアがすぐに食いついた。
一度家に帰り、地図を持ってクーラタルの迷宮に入る。
迷宮の中を地図どおりに進んだ。
﹁この奥がボス部屋ですね﹂
1749
地図を見ながら、ロクサーヌが腕を伸ばす。
もうボス部屋か。
クーラタルの十七階層は、土魔法が弱点のマーブリームの他は風
魔法が弱点の魔物が多い。
あまり寄り道せずここまで来てしまった。
﹁尾頭付きが二個出るまで、この辺りで狩りまくるか﹂
﹁はい、です﹂
﹁ではマーブリームの多いところに案内しますね。こっちです﹂
ここまで尾頭付きはまだ一個も出ていない。
美味しい食事のためにボス部屋近くでマーブリームを狩る。
﹁そういえば、ロクサーヌは騎士になったのだから、ボス戦では防
御のスキルを使う手もあるな﹂
﹁防御ですか﹂
﹁ハルバーの十七階層ではスキル呪文を教える暇もなくボス部屋へ
の扉が開いてしまったが﹂
﹁ここら辺の敵では必要はないですね﹂
一応、雑魚戦ではなくボス戦なわけですが。
必要ないのは確かだ。
﹁そうだな﹂
﹁ただ、迷宮では何が起きるか分かりません。使えるようになって
おいた方がいいので、教えてもらえますか﹂
﹁分かった﹂
﹁お願いします﹂
1750
マーブリームを求めて移動しながら、僧侶をはずして騎士をつけ
る。
詠唱省略もはずして防御と唱えれば、スキル呪文が頭に浮かんで
くる。
﹁仕えし司大君に、まつろうものの身を守れ、防御﹂
ロクサーヌに聞かせながら防御のスキルを使った。
これで防御力が上がったのだろうか。
どうも実感がないのは困る。
﹁さすがご主人様です﹂
﹁ブラヒム語はすごいです﹂
﹁さすが、です﹂
ブラヒム語は、は余計だろうとセリーには言いたい。
﹁仕えし司、大君に、まつろう?﹂
﹁まつろうもの、だな﹂
ロクサーヌに教える。
蝦夷のことをまつろわぬものと呼んだという話は聞いたことがあ
る。
従わずに反抗する者という意味だったはずだ。
まつろわぬ者だと否定形だから、その肯定形であるまつろう者も
当然あるのだろう。
騎士だしな。
ロクサーヌにスキル呪文を教えた後もマーブリームを倒す。
1751
しばらく狩り続け、尾頭付きを二つ出した。
﹁はい、です﹂
ミリアが二個めの尾頭付きを持ってくる。
受け取ってアイテムボックスに入れた。
﹁よし。尾頭付きはこんなところでいいだろう。ボス部屋に行くか﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌが歩き出す。
あ。
ボス部屋の位置が分かるんだ。
俺には分からないが。
いやいや。
代わり映えのしない洞窟の中をマーブリームを求めてうろうろし
たら、絶対に分からなくなるって。
記憶力の問題ではない、はずだ。
俺としては、最初ボス部屋に行くときに通ったボス部屋一番近く
の小部屋までダンジョンウォークで移動しようと思っていたのだが。
﹁セリーはボス部屋がどっちだか把握していたか﹂
﹁分かりません﹂
大丈夫だ。
セリーも分からないと言っている。
俺の記憶力だけが悪いのではない。
﹁あ。このT字路は見覚えがあるような気もするな。まあ違ったと
1752
しても見分けはつかないが﹂
﹁先ほど、人のにおいが扉の向こうに消えていくのを感知しました。
どこかのパーティーがボス部屋に入ったのだと思います﹂
なるほど、ロクサーヌはにおいで分かったのか。
それは反則だ。
においだと曲がった先の先までは分からないと思うが。
T字路の先に四つ角がある。
﹁四つ角があってその先がT字路になっているところは確かに通っ
た。そうすると、そこを左に曲がってずっと奥に行ったところがボ
ス部屋だな﹂
﹁そうです。右に曲がるとすぐ近くにマーブリームの団体がいます
が、どうしますか﹂
﹁近くなら倒していくか﹂
行きがけの駄賃に魔物を倒した。
白身を拾って引き返す。
残念ながら尾頭付きは残さなかった。
料理人はすでにはずしているのでしょうがない。
﹁マーブリームのボスはブラックダイヤツナです。強力な突撃をし
かけてくるので注意が必要です。また水魔法も使ってきます﹂
セリーによるブリーフィングを受けながら、戻ってくる。
﹁今度は右に曲がったところにビッチバタフライとグラスビーの団
体が湧いたようです。どうしますか﹂
﹁いただくとしよう﹂
1753
ともに風魔法が弱点なので効率がいい。
もう一つ団体を倒してから、ボス部屋に進んだ。
デュランダルを出して待機部屋に入る。
待機部屋に人はいなかったが、ボス部屋への扉は閉じたままだ。
﹁さっき入ったパーティーがまだ戦っているようです﹂
﹁時間かかってるな﹂
﹁えっと。ご主人様が強すぎるのです。このくらいは普通だと思い
ます﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁そうです﹂
セリーの顔を見るとうなずかれたので、そうなんだろう。
こっちは団体を二つ倒してきているが。
1754
塩釜
扉が開いたので、ボス部屋に入った。
ボスが残ったりはしていなかったので、前のパーティーも時間は
かかったが無事ボスを倒せたらしい。
扉が閉まり、部屋の真ん中に煙が二つ集まる。
魔物が二体現れた。
煙がやけに空中に集まると思っていたら、雑魚はビッチバタフラ
イだ。
そしてボスのブラックダイヤツナも空中を泳いでいる。
マーブリームみたいに足があるわけではない。
完全に魚だ。
魚が空を泳いでいる。
魔物だしそれもありなんだろう。
﹁いつものとおり、雑魚は俺が片づける﹂
﹁仕えし司大君に、まつろうものの身を守れ、防御﹂
ロクサーヌが防御のスキル呪文を唱える。
セリーやミリアに少し遅れ、ボスに向かっていった。
俺はビッチバタフライに近づき、デュランダルを叩き込む。
ラッシュを連発して蝶を墜落させた。
ボスの囲みに加わる。
1755
ブラックダイヤツナは、軽く一メートル以上はある魚だ。
名前的にマグロらしい。
全身真っ黒で強そうだ。
名前も強そうな感じがする。
ブラックダイヤツナの突撃をロクサーヌがかわした。
結構速い。
突き刺さるように進んでいく。
俺では回避できる自信がないな。
まあロクサーヌが相手をしているので安心だ。
俺は横に回ってデュランダルを叩き込む。
マグロが尾びれを振り、後ろにいるミリアを攻撃した。
あんな手も使ってくるのか。
ミリアは半歩下がり、きっちりと攻撃を避ける。
ミリアを攻撃して隙を見せた魚にセリーが槍を突き入れた。
俺もデュランダルで斬りつける。
ブラックダイヤツナは、前後は攻撃できても横への攻撃手段はあ
まりないようだ。
あるいは尾びれが九十度曲がるかもしれないが。
注意して様子は確認しながらも、近接してデュランダルを振るう。
マグロがロクサーヌに向かって突進した。
ロクサーヌがぴくりと反応すると、突進が止まる。
ロクサーヌが息を吐きかまえなおそうとしたところに、再度突進。
フェイントまで使ってくるのか。
ロクサーヌが上体をそらして避けた。
1756
かわしながらエストックで斬り上げる。
フェイントを使ったのに完全に見切られているな。
ご愁傷様だ。
ロクサーヌにかわされて魔物が止まったところにラッシュを叩き
込む。
ブラックダイヤツナが大きく痙攣し、空中から落ちた。
そのまま床に横たわる。
確かにマグロになった。
やがて煙となって消えていく。
後にはドロップアイテムとして赤身が残った。
マーブリームは白身だったが、マグロだけに赤身なのか。
ミリアがすぐに飛びつき、少し残念そうに持ってくる。
﹁はい、です﹂
﹁赤身はだめなのか?﹂
﹁マーブリームと同様ブラックダイヤツナにもかなりまれに残る食
材があります。トロというそうです﹂
その理由をセリーが説明してくれた。
マグロだけにトロがレア食材なのか。
﹁なるほど。トロはどうやって食べるんだ﹂
﹁煮る、です。焼く、です﹂
煮てよし焼いてよしということか。
刺身はやはりないようだ。
﹁今回は尾頭付きがあるからな。明日の夕食は尾頭付きにしよう﹂
1757
﹁はい、です﹂
ミリアが明るく答える。
あっさりと騙されてくれたな。
朝三暮四の猿並みだ。
えさの量を減らすためにこれからは朝に三つ暮れに四つだと宣告
したら文句を言ったのに、それなら朝に四つ暮れに三つにしようと
言ったら喜んだという。
﹁ハルバーの迷宮なら人も少ないだろうから、ハルバーでブラック
ダイヤツナを倒すときにはトロが出るまで粘ってもいい。そのとき
にはミリアが調理してくれ﹂
﹁はい、です﹂
ミリアがさらに明るく答えた。
完全に騙されていたわけではなかったのか。
俺が話題を変えたのに乗っかっただけのようだ。
騙された振りをしてくれたらしい。
朝三暮四とか思って悪かった。
今現在俺は探索者Lv43だ。
探索者Lv44になれば、デュランダルに63、必要経験値十分
の一に31、獲得経験値十倍に31使い、詠唱短縮とキャラクター
再設定に振っても、ボーナスポイントが15あまるから、フィフス
ジョブまで取得できる。
フィフスジョブまであればボス戦でも問題なく料理人がつけられ
るだろう。
ハルバーの迷宮でブラックダイヤツナと戦うころには探索者Lv
1758
44になっているはずだ。
そのときにはミリアの要望に応えてやれる。
詠唱短縮なのでラッシュラッシュとうるさいかもしれないが。
﹁クーラタル十八階層の魔物はピッグホッグです﹂
ボス部屋を抜けて十八階層に移動すると、セリーが教えてくれた。
﹁ピッグホッグって土魔法に耐性がなかったっけ﹂
﹁そうです﹂
十七階層の魔物のマーブリームは土魔法が弱点で水魔法に耐性が
あるのに、ピッグホッグは水魔法が弱点で土魔法に耐性がある。
ちょうど真逆だ。
両方出てくれば困ったことになる。
﹁ロクサーヌ、ピッグホッグとマーブリームが両方いるところに案
内してくれ。一応一度は戦っておこう。後は、すぐにハルバーへ移
動だ﹂
﹁かしこまりました﹂
クーラタルの十八階層では、十八階層の魔物であるピッグホッグ
が一番多く、十七階層の魔物であるマーブリームが二番めに多く出
てくるだろう。
その両者の弱点と耐性が正反対ということは、クーラタルの十八
階層は結構面倒な階層だということになる。
幸い、ピッグホッグとはすでに戦ったことがある。
メテオクラッシュの効き目が悪いことも確認済みだ。
一回だけ戦ってみて、すぐにハルバーの迷宮へ行けばいいだろう。
1759
どうせ探索を行うのはハルバーの十八階層だから、クーラタルは
関係ない。
クーラタルの十八階層にはボス部屋を突破して十九階層へ抜ける
ときに来るだけでいい。
ピッグホッグは食材の豚バラ肉を残すから、ときどきは補充に来
たいが。
それくらいはしょうがない。
ロクサーヌの案内で洞窟を進んだ。
ピッグホッグ二匹を水魔法七発で倒した後、マーブリームをサン
ドボール六発で仕留める。
﹁うーん。やっぱり大変か﹂
﹁このくらいならたいしたことはありません﹂
大変といっても実際のところ俺は後ろから魔法を放っているだけ
だ。
戦闘時間が延びた分の負担は前衛陣、とりわけロクサーヌにかか
ることになる。
そのロクサーヌがいいと言っているのだからいいか。
﹁では、ハルバーに行こう﹂
クーラタルでの戦いは一度で切り上げ、ハルバーの十八階層へ移
動した。
翌日もハルバーの十八階層で探索を行う。
この日は早めに探索を終えた。
1760
料理のためだ。
﹁スープともう一品を俺とミリアで作るから、ロクサーヌとセリー
も二人で一品くらいなんか頼む﹂
﹁分かりました﹂
﹁尾頭付きを使うのでしょうから、野菜炒めがいいのではないでし
ょうか﹂
セリーはちゃんと栄養バランスも考えているらしい。
さすがだ。
﹁えらいな﹂
﹁そうですね。では私とセリーで野菜炒めを作ります﹂
﹁分かった。ミリアはこっちの手伝いを頼むな﹂
﹁はい、です﹂
ミリアが嫌な顔もせずに引き受ける。
﹁ミリアもえらいな﹂
まあマヨネーズのように重労働というわけではない。
今回は火の番だ。
家に帰ると、塩を卵と混ぜ平鍋に敷きつめた。
その塩は、コボルトソルトをミリアにミルで削ってもらったが、
さして重労働ではない。
塩の上に香草で巻いた尾頭付きを置き、さらに塩で完全に覆う。
尾頭付きの塩釜焼きだ。
平鍋には余裕があったので、尾頭付き一尾の他に豚バラ肉も入れ
1761
た。
尾頭付きのもう一尾は潮汁にする。
﹁こんな調理方法は見たことがないです。さすがご主人様です﹂
﹁私も初めて見ました﹂
﹁すごい、です﹂
塩釜焼きに三人が驚いている。
見たことはないのだろう。
日本でだってメジャーとはいえない調理方法だしな。
﹁まずは三十分ちょっと火にかける。火を止めて一時間くらい蒸ら
したら完成だ。ミリアは火の様子を見ていてくれ﹂
﹁はい、です﹂
平鍋に火をかけると、後はミリアにまかせた。
せっかくなので焼けるのを待つ間に俺は風呂を沸かす。
風呂を入れた後、尾頭付きの潮汁を作った。
ドロップアイテムの食材を使うと灰汁がほとんど出ないので楽だ。
﹁よし。そろそろいいだろう﹂
潮汁は鍋ごと食卓に持っていき、キッチンに戻ると塩釜の前で宣
言する。
割れたりせず、塩釜焼きはうまくできたようだ。
これなら美味しく焼けたのではないだろうか。
塩釜にナイフを突き立てる。
堅っ。
1762
﹁私がやります﹂
セリーが代わってくれた。
セリーがナイフを突き立てると、塩釜がぱっくりと割れる。
中からよく焼けた尾頭付きが出てきた。
﹁おおっ﹂
﹁すごい、です﹂
かなりいい焼け具合だ。
これは巧くいっただろう。
塩が鍋に焼きついて後始末が非常に大変なような気もするが、見
なかったことにする。
尾頭付きと豚バラ肉を皿に載せ、食卓に運んだ。
まずは潮汁を取り分ける。
俺から順番に四つそそいだ。
ミリアの皿には尾頭付きをたっぷり入れてやる。
﹁ほれ﹂
﹁ありがとう、です﹂
﹁では食べるか﹂
﹁はい、です﹂
尾頭付きの塩釜焼きにナイフを入れた。
バターを切るようにナイフが入っていく。
柔らかく焼けたようだ。
スプーンに載せて、一口。
ホクホクとした鯛の身が口の中で弾けた。
1763
これは旨い。
塩もほどよく効いている。
﹁旨いな。ロクサーヌもいってみろ﹂
塩釜焼きを載せた皿をロクサーヌに回し、次は潮汁に手をつける。
煮込んだ尾頭付きはしっとりと水分を含み、口の中でとろけた。
こっちも相当な旨さだ。
﹁美味しいです﹂
﹁スープも旨い。尾頭付きを入れるのは正解だったな﹂
﹁正解、です﹂
塩釜焼きがロクサーヌからセリーへと回る間、ミリアも潮汁を食
べる。
尾頭付きにかぶりついていた。
その後、回ってきた塩釜焼きにミリアが取りつく。
いや。一心不乱に取り憑いた。
﹁明日は休日だけどどうする? セリーはやっぱり図書館か? 図
書館も休みだろうか﹂
ミリアの勢いが少し落ち着くのを待って、問いかける。
明日は季節と季節の間の休日だ。
﹁お休みをいただけるのですか?﹂
﹁休日じゃないのか?﹂
﹁暦の上ではそうですが﹂
名前だけだったのか。
1764
買うときに聞いてみたが、パン屋と八百屋も明日は営業するとい
うことだった。
いや。ギルドは休みだ。
奴隷には休みなどないということだろうか。
﹁世間一般的に﹂
﹁お店なんかは普通にやっていると思います。図書館は年中無休で
す。迷宮にも休みなんてありませんし﹂
﹁それもそうか﹂
迷宮に休日があってもいいじゃないか。
芸術は爆発だ。
﹁休みになるのは、騎士団ですね。ギルドもカウンター業務などは
休みになります。農作業も休みにする人はいました﹂
﹁明日はオークションがある。参加費がかかるので俺だけだが行っ
てこようと思っている。パーティーメンバーの充実を図るのは当然
のことだからな﹂
パーティーメンバーを増やすのはどうしても言い訳がましくなっ
てしまう。
それに、三人を連れて行ってあの女は反対とか滅びればいいので
すとか言われても困る。
﹁そうですね﹂
﹁朝は迷宮に入って、その後は休みにしよう﹂
ロクサーヌがうなずくのを見て、提案した。
﹁ありがとうございます﹂
1765
﹁ありがとうございます。では、私は図書館でいいですか?﹂
﹁セリーは図書館だな﹂
図書館にどれくらいの量の蔵書があるのかは知らないが、一日二
日で読みきれるということはないだろう。
﹁私は、買い物などをしてのんびりすごしたいと思います﹂
﹁ロクサーヌもいつもどおりと。ミリアはどうする。どっか行きた
いところとかあるか﹂
﹁海、です﹂
即答かよ。
海といっても泳ぐ目的ではないだろう。
入ることは入るつもりかもしれないが。
﹁大丈夫か﹂
﹁大丈夫、です﹂
ミリアが大丈夫だと言ってもまったく安心できない。
﹁釣る以外で魚を獲ることは問題視される危険が大きいと思います﹂
セリーも俺と同意見のようだ。
﹁やっぱそうだよな。しかし、釣りがあるのか﹂
﹁はい。釣りは貴族や引退生活者の趣味として認知されています。
貴族や有力者がやるため、釣りで魚を獲ることは漁業権の例外とし
て認められています﹂
﹁海釣りもあるのだろうか﹂
﹁祖父が海に行くと言っていたので、あると思います。帝都に釣具
1766
屋があるはずです﹂
そういえばセリーの祖父は金持ちだった。
換金目的や自分で食べるために釣りをする人はいないということ
だろうか。
よく分からないが。
﹁じゃあ、ミリアは釣りでもやってみるか。釣りだ。釣り﹂
﹁はい、です。釣り、です﹂
ミリアが答える。
ミリアは釣りでいいか。
喜ぶことは喜ぶだろう。
釣りを理解しているのかどうかは、やや疑問だが。
1767
タックル
翌朝、迷宮に入った後、朝食を取ってから全員で帝都の図書館に
赴いた。
アイテムボックスの中には早朝に拾ったアイテムが詰まっている。
休みなので売りには行けない。
金貨一枚と銀貨五枚を渡し、セリーを送り出す。
中に入るまで見送ろうとしていると、受付に行ったセリーが何故
か戻ってきた。
﹁どうした。なんか忘れ物か﹂
﹁いえ。釣具屋のある場所を聞いてきました。冒険者ギルドとは反
対方向、帝宮のある方に進んで、二つめの道を入ってすぐだそうで
す﹂
﹁わざわざ聞いてきてくれたのか。ありがとう﹂
冒険者ギルドに行って尋ねてみるつもりだったが、手間が省けた。
ありがたい。
休みなので人がいないかもしれないし。
セリーが中に入るのを見送り、ロクサーヌとミリアを連れて外に
出る。
白亜の殿堂である図書館の奥には、立派な屋敷が続いていた。
立ち並ぶというほどではなく、間隔を開けて建っている。
いかにも貴族街という感じだ。
道も、石畳のこじゃれたメインストリートに変わっていた。
1768
なんか場違いな雰囲気。
この向こうに帝宮があるのか。
﹁あそこのようですね﹂
ロクサーヌが指差す。
店頭に釣竿が何本も置いてある店があった。
釣具屋だ。
竿は何かの木で作られてる。
しょぼいような感じはしないでもないが、どう見ても釣竿だ。
釣りが行われているのは間違いない。
﹁いらっしゃいませ﹂
﹁海釣りをしたいのだが、道具を一通りそろえてもらうことはでき
るか﹂
中に入って、やってきた店員に告げる。
店の中はそんなにたくさんの釣具が展示されているわけではなか
った。
狙う魚や場所によって仕掛けを換えることは、大がかりには行わ
れていないだろう。
店員のジョブは商人だし、そろえてもらうのが手っ取り早い。
﹁釣りは初めてでございますか﹂
﹁そうだ。ミリアも釣りはしたことないよな﹂
﹁ない、です﹂
興味深げに釣り道具を眺めているミリアに話しかけると、こちら
1769
にやってくる。
やはりないようだ。
﹁かしこまりました。もちろんご用意させていただきます﹂
﹁頼む﹂
店員がタックルを用意した。
竿、リール、道糸、錘、針。
浮きはないようだ。
となるとミャク釣りか。
﹁釣竿は、最初の一本はこちらがよろしいかと思います。慣れてき
たら、自分の好みも分かるでしょうし、釣り場などによっても使い
分けていきます﹂
﹁分かった﹂
﹁リールは一つ、道糸は予備を含めて二つ。錘と糸はその日の状況
や魚によって変えますので、何種類かご用意させていただきます。
これらをつないで、このような仕掛けを作ります﹂
店員が見本の仕掛けを取り出して見せてくる。
釣竿から糸が出て、糸の先に針がつく。
特に変わったことはない仕掛けだ。
﹁なるほど﹂
﹁針にえさをつけて沈めます。えさは、海辺で採れるワームや小エ
ビがよろしいでしょう。小魚を切ったものやカニでも釣れます。た
だし貝は使えません﹂
この世界の貝には毒があるのだった。
1770
﹁なるほどなるほど﹂
﹁なるほど、です﹂
﹁風が強かったり流れが強いときには重い錘を使います。完全に底
まで沈んでしまうと、どこかに引っかかったりしてトラブルの元に
なるだけです。深く沈まない程度の軽い錘を使う必要があります﹂
店員が釣り方まで説明してくれる。
俺は話半分に、ミリアは、ロクサーヌの翻訳の助けも借りて熱心
に聞き込んだ。
﹁なるほど、です﹂
﹁釣りの場合には漁業権の埒外になると聞いたが、本当か?﹂
﹁はい、そのとおりでございます。釣りはどこで行ってもよいこと
が帝国から認められています。ただし、竿は一人につき一本、針も
一個という限定がございます。複数の針をつけると禁漁の制限にか
かる場合があります﹂
﹁分かった﹂
針は一個か。
浮きもないし、針も一つなら漁場を荒らすほどの釣果になること
はないのだろう。
店員が用意した竿を手にとって見る。
三つに分かれている継ぎ竿だ。
材料は木でできているが、結構柔らかい。
しかも中通しだ。
無駄に技術が高いな。
ただしリールはしょぼい。
1771
ベイルアームとかもついていないし、キャストには使えないだろ
う。
本当に糸を巻くだけだ。
﹁そちらの釣竿は当店自慢の一品です。末永くお使いいただけると
思います﹂
﹁どうだ?﹂
釣竿の根元の一本をミリアに渡した。
一つ一メートルくらい。
三本つなげるから、全体で三メートルか。
﹁後は、釣った魚を入れておく籠と、魚を取り込むときに使うざる
もあれば便利でしょう。籠とざるはこちらにございます﹂
ミリアが釣竿の具合を確かめている間に、籠とざるを確保する。
どちらも木で器用に作られていた。
プラスチックがないから、木の加工技術が発達しているのだろう。
﹁大丈夫、です﹂
籠とざるを持って戻ると、ミリアが釣竿を渡してくる。
これでいいようだ。
﹁まあこんなところか。それでは全部もらえるか﹂
﹁ありがとうございます。ええっと。これから釣りを始めるお客様
ということですし、全部で三千五百ナールとさせていただきましょ
う。それと、釣竿を入れる袋とこちらのタックルボックスも特別に
おつけさせていただきます﹂
1772
店員が布袋と釣具を入れる箱も出してきた。
値段の方は、ぶっちゃけよく分からん。
日々の食費から考えると高いような気もするが、装備品の値段な
んかも考えればこんなものか。
少なくとも三割引はしてくれたのだろう。
﹁悪いな﹂
﹁悪い、です﹂
ミリアが俺の腕をそっと引っ張って小声で告げる。
こっちの悪いは遠慮している悪いか。
﹁大丈夫だ﹂
ネコミミに手を置いて、軽くなでた。
貴族の趣味だと聞いたから金貨が飛んでいくかとも思っていたが、
そこまではしない。
十分だろう。
釣竿とボックスはミリアに、ざるをロクサーヌに持たせて店を出
る。
俺は籠をかついだ。
﹁ありがとう、です﹂
﹁釣れるといいな﹂
﹁釣る、です﹂
ミリアの目に決意が宿っている。
釣れないからといって海に入って魚を獲ることだけはやめてほし
い。
1773
まあロクサーヌも注意を与えていたみたいだから大丈夫か。
俺の言うことは聞かなくてもロクサーヌの意見には従うはずだ。
図書館に戻り、壁から移動した。
行き先はハルツ公爵領にあるハーフェンだ。
海のある場所といったら、ここしか知らない。
ペルマスクにも海があるらしいが、俺はギルドの外に出たことが
ないし。
ハーフェンでは朝の市はやっていなかった。
休日で休みだったのか、もう終わってしまったのか。
春と夏の間の休日とは、要するに夏至のことらしい。
北のこの辺りでは市が始まるのも早いだろう。
辺りを見回す。
村長Lv3のエルフがいた。
前にあった村長だ。
近づいて話しかける。
﹁この辺りで釣りをしても大丈夫か﹂
﹁はい。釣りはどこで行うことも認められております。この先にあ
る磯などはなかなかよいポイントのようです。以前釣りに来た人が
よく釣れたと言っておりました。岩場で網を入れにくいので魚も多
くいるようです﹂
﹁この先か。行ってみよう﹂
村長に話を聞き、磯に出た。
漁場を荒らされないために変なところを教える可能性もあるが、
網を入れにくいという理由は納得できる。
魚のいないところへ誘導して好き勝手に動き回られるのも嫌だろ
1774
うから、それなりには悪くないポイントなのだろう。
磯には大きな岩礁がいくつもあった。
確かにいいポイントのようだ。
ミリアが真剣な表情で辺りをうかがう。
岩に乗り上げ、海を覗き込んだ。
﹁魚がいる、です﹂
満足げに戻ってくる。
﹁じゃあミリアはここで釣りをしているか﹂
﹁はい、です﹂
心配もあるが、せっかくの休日だから好きにさせればいいだろう。
ロクサーヌにも言って、釣り道具を全部置いた。
皮の帽子をミリアにかぶせる。
﹁一応、銀貨五枚を渡しておく。何かあったらあの村で必要なもの
を買え﹂
﹁ありがとう、です﹂
﹁午後には迎えに来る。あまり離れないようにな﹂
﹁はい、です﹂
ミリアと釣り道具を置いてその場を離れた。
磯から入った林の中の木にワープの壁を出し、家に帰る。
﹁大丈夫だろうか﹂
﹁大丈夫でしょう。あの村なら言葉の通じる獣人もいます﹂
1775
そういえばなんとか語が少し通じるんだっけ。
まあ問題はないか。
海のことに関してはミリアの方が詳しいだろうし。
﹁ロクサーヌには銀貨十枚を渡しておこう﹂
﹁えっと。私だけ、よろしいのですか﹂
﹁ロクサーヌは一番奴隷だからな。特別だ﹂
﹁はい。ありがとうございます、ご主人様﹂
ロクサーヌに銀貨十枚を渡した。
ロクサーヌの場合買い物といっても浪費するわけではない。
今回はきっとミリアの服でも買ってくるのだろう。
多めに渡しておくのが正解だ。
ロクサーヌが笑顔で受け取る。
オークションの参加費は千ナールらしいので、それならこのお金
で自分も会場に行くと言い出しかねないかとも思ったが。
言わなかったところを見ると、参加費がいくらかまでは知らない
のかもしれない。
﹁それでは行ってくる﹂
﹁はい。いってらっしゃいませ。いいパーティーメンバーがいたら、
お願いしますね﹂
ハーレムメンバーを拡充するのはロクサーヌ的にありと。
その言葉に甘えさせてもらおう。
言質は取った。
ロクサーヌに家の鍵を渡し、商人ギルドの待合室に飛ぶ。
待合室の中は結構な人でにぎわっていた。
1776
商人ギルドの待合室にこんなに人がいるのを見たのは初めてだ。
壁から出たとき人にぶつかりそうになってしまった。
いや、大丈夫だ。
ぶつかってはいない。
新しいハーレムメンバーを選べるかと心がざわついているような
気もするが、十分冷静だ。
何も失敗はしていないはずだ。
待合室の受付にいつもとは別の人がいる。
あそこで参加費を払い、中に入るらしい。
俺も前の人に続いて並んだ。
﹁参加費は千ナールだな﹂
﹁そうです﹂
﹁おう、おめえら、知ってるか。今日は魔法使いの奴隷が出るらし
いぞ﹂
参加費を出して中に入ろうとすると、誰かが声を出す。
飯場の親方みたいなむさいおっさんだ。
﹁そうなのか﹂
俺の前に中に入った人が反応を見せた。
魔法使いといわれれば気にはなるのだろう。
俗物め。
重要なのはジョブじゃない。
美人かどうかだ。
1777
﹁俺はなんとしても手に入れるぞ。白金貨の用意はできてるか。で
きてねえなら、帰るんだな﹂
おっさんがそこらじゅうに響く大声でわめいた。
そんなんで帰るやつがいるのだろうか。
案の定誰も帰ろうとはしなかったが、おっさんは満足げに引き上
げていく。
千ナールを払って中に入った。
奥に進んでみる。
いつもは会議室として使うギルドの小部屋は、出品する奴隷商人
と出品される奴隷の控え室になっているらしい。
一室に入ってみた。
﹁いらっしゃいませ。当店はこちらの竜人族の男を出品いたします﹂
中に入るとすぐに奴隷商人が話しかけてくる。
部屋には男が三人いた。
うち一人は探索者なので客だろう。
残る一人が筋骨たくましい大柄の男だ。
ジョブは竜騎士Lv1。
中二感溢るるかっけージョブだ。
竜人族の種族固有ジョブなんだろうか。
﹁そうか﹂
﹁竜人族は戦闘能力に秀でています。その力と存在感は近接戦闘に
おいてパーティーの主力となるものです。戦闘奴隷として最も優れ
ていると考えてよいでしょう﹂
1778
奴隷商人が勧めてくる。
竜人族といっても見た目は人間と違いがない。
体は一回り大きい。
戦闘には向いているのだろう。
﹁なるほど﹂
﹁竜人族の中でもこの男は特に優れた力を持っており、自信を持っ
てお勧めできます。迷宮で鍛えており、すでに竜騎士のジョブも取
得しています。即戦力として期待できるでしょう。竜人族には稀少
価値もあり、この機会に入札しないと絶対に後悔します﹂
鍛えているといっても竜騎士Lv1だ。
とりあえず取得しただけという風に思える。
この奴隷商人のお勧めはあてにはならんな。
それ以前に男はノーサンキューでお願いしたい。
適当に断って、部屋を出た。
次の部屋に行く。
この部屋の奴隷は女性二人のようだ。
二人ともイスに座っている。
前の部屋の竜人もそうだったが、別に檻に入れておくとかではな
いらしい。
まあ檻に入れないといけないようでは、買ってもすぐに逃げ出し
そうだ。
女性のうち一人は若くてそれなりに可愛い。
もう一人は美人ではあるが熟女。
オークションに出品するほどのものかどうかは微妙なラインだ。
1779
﹁こちらの女は仲のよい母娘でして﹂
奴隷商人がにやけた顔をして、ひそひそ声で話しかけてきた。
なるほど。
死ぬまでに一回でいいからどうしても親子で、ってやつか。
俺は探索者じゃなかったら絶対AV男優になる。
引退したら女子大の教授になりたい。宝の山だからな。
別にそこまでの興味はないので引き下がった。
というか、実際問題どうするんだろう。
買ってまたすぐに売り払うのだろうか。
次の部屋の奴隷は女性一人。
どうやら女性の方が多いみたいだ。
女性の方が高く売れると奴隷商人のアランも言っていたし、当然
か。
この部屋の女性は楚々としたお嬢様っぽい美人だ。
黙っていればどこぞのご令嬢に見える。
奴隷になるようにはちょっと思えない。
さすがにグレードが高い。
﹁いかがでございましょう。戦闘には向きませんが、最高級の美女
でございます﹂
確かに、一目見て荒事に向かないことは分かる。
他の客も入ってきたので入れ替わりに外に出た。
すごい美人なので後ろ髪は引かれるが。
戦えないのではしょうがない。
1780
髪を伸ばして静かに座っていれば、この世界では割とお嬢様に見
える。
どうせ本物のお嬢様ということはないだろう。
下手にしゃべって幻滅するよりは、話をせずに妄想していた方が
いい。
それに、人が売られているところというのもあまり気分のいいも
のではない。
などとフーゾクに行ったことのない学生のような感想を抱く。
気を取り直して隣の部屋に行った。
この部屋も女性一人か。
他に客はおらず、奴隷商人が一人いる。
彼女もやはり美人だ。
オークションに出品されるような奴隷は違うらしい。
大柄でたくましい感じがするので、戦闘もいけそうか。
﹁いらっしゃいませ﹂
奴隷商人が声をかけてくると、女性も立ち上がった。
でか。
ベスタ ♀ 15歳
村人Lv2
彼女を見上げる。
1781
燃えるような赤い髪をした女性だ。
1782
オークション
﹁で、でかいな﹂
立ち上がったベスタという女性は、俺よりもかなり背が高かった。
二メートルあるんじゃないだろうか。
メーター越え、だと⋮⋮。
そして胸も大きい。
服の中にスイカが入っていると言われても納得してしまうでかさ
だ。
メーター越え⋮⋮だと⋮⋮。
待て。あわてるな。
大きく感じるのは身体が大きいからだ。
全体が大きければ、パーツも大きい。
それだけのことだ。
比率で考えれば、セリーとそう変わらないのではないだろうか。
なにしろ身長に差がありすぎる。
セリーの二倍くらいあるのではないか。
さすがにそこまではないか。
しかし身長が二倍近くあるのなら、胸の大きさが二倍あったとし
ても不思議はない。
単に二倍だ。
長さが二倍だと、面積では四倍ということになる。
1783
体積だと八倍だ。
八倍⋮⋮。
﹁よろしくお願いします﹂
八倍が頭を下げた。
いや、待て。
八倍は上下に動いただけだ。
ベスタの顔はセリーより少しは大きいだろうが、倍もあるはずは
ない。
身長から考えればむしろ小さいといえる。
背が高いといろいろ変わってくるところもあるのだろう。
ベスタの手足は細長く、モデル体型だ。
単純に倍というわけではない。
ベスタの肌は淡く色づいた小麦色である。
髪は赤く、ショートカットにしている。
目も髪の毛と同じで赤い。
虹彩の大きい美しい瞳だ。
ベスタが頭を上げると、俺よりも頭一つ分以上背が高かった。
胸元がちょうど目の前にくる。
ちょっと目のやり場が。
スイカップとはこのことか。
﹁彼女はベスタと申します竜人族の女性です。ちょうど十五歳にな
り、販売できる年齢になりましたので、連れてまいりました﹂
1784
奴隷商人が横にやってきた。
オークションに出せるのは十五歳からなのか。
別にそれ以下の年齢の奴隷がほしいわけではないが。
﹁竜人族なら迷宮に入っても大丈夫そうか﹂
﹁もちろんでございます。特別に鍛えることはしておりませんが、
戦闘能力はうちでも一番でございます﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
ベスタが立ったままで告げる。
村人Lv2だし、鍛えていないというのはそのとおりなんだろう。
竜騎士Lv1みたいな、とりあえずこのジョブにしましたみたい
なものよりも気持ちがいい。
﹁迷宮に入ったことは﹂
﹁ありませんが、近くに出た魔物を倒していました。あまり痛くな
かったので問題ないと思います﹂
スローラビットはLv1でもかなりの攻撃力だったが。
まあ本人が戦えると言っているのだから大丈夫か。
﹁竜人族ということで欠点もございます。夜遅くの活動は得意では
ありません。深夜の戦闘はお避けください。食事にも注意事項がご
ざいます﹂
﹁食べられないものでもあるのか﹂
﹁好き嫌いは特にありません。どんな食事でも大丈夫です。ただ竜
人族は十日に一度くらいボレーを食べる必要があるらしいです﹂
上に質問を投げかけると、上から答えが落ちてきた。
1785
物理的に上から。
上から目線ではない。
﹁ボレーはオイスターシェルが残すアイテムです。オイスターシェ
ルを倒すか、ギルドで買う必要がございます。竜人族の、とりわけ
女性は、ボレーを食べませんと体が弱くなってしまいます﹂
奴隷商人が補足する。
欠点もきちんと説明してくるあたり、いい業者なんだろう。
﹁それくらいなら問題はないか﹂
﹁彼女は性奴隷の処女。もちろんそちらの方もお楽しみいただけま
す。十五歳ですので初年度奴隷となります。いかがでございましょ
う﹂
顔は美人で、迷宮に入ることも嫌っていない。
性格も穏やかそうだ。
ベスタはこちらの要求をすべて満たしているといえる。
﹁悪くはないな﹂
むしろほしい。
手に入れたい。
これだけの美人でこれだけの胸だしな。
ただし食いついて足元を見られるのは困る。
どうせ入札なので関係ないだろうか。
あるいは最低入札価格を引き上げることができるかもしれない。
﹁さようでございましょうとも﹂
1786
﹁ありがとうございます﹂
ベスタが礼を述べた。
お辞儀をするのはいいが、他の客にも言っているのかと思うと釈
然としないな。
客全員にお客さんだけよと言っているキャバ嬢みたいだ。
﹁落札できるかどうかは値段次第だ。他の客に媚は売るなよ﹂
納得いかないので一矢報いてやった。
奴隷商人が苦笑いしている。
﹁ええっと。きっと大丈夫だと思います﹂
大丈夫なものか。
﹁他の客には、迷宮には入りたくないとでも言っておけ﹂
次の客が入ってきたので、言い残して立ち去る。
そんなことを言われても困るだろうが。
他の部屋も回ってみた。
やはり女性の奴隷の方が圧倒的に多い。
オークションに出すだけあって、美人ぞろいだ。
それでも、ベスタとその前の部屋のお嬢様っぽい美人は頭一つ抜
けていた。
戦闘もということになれば一択だな。
そんなことを考えながら次の部屋に入る。
1787
この部屋は客でいっぱいだ。
そんなにいい奴隷なんだろうか。
前の方に進んだ。
﹁やはり参加されておりましたか﹂
前に出ると、知った男が声をかけてくる。
ベイルの奴隷商人のアランだ。
﹁そちらもな﹂
﹁今回私どもは魔法使いを出します。パーティーの戦力充実には一
番のジョブです。絶対の自信を持ってお勧めできます﹂
﹁魔法使いか﹂
そういえば受付のところでおっさんが叫んでいた。
オークションともなると魔法使いが出品されるのか。
確かに魔法使いなら一番のジョブではあるのだろう。
魔法使いはパーティーに必要だとセリーも言っていた。
まあうちには俺がいるが。
二人になれば殲滅力は二倍だ。
ほしいことはほしいかもしれない。
男でなければ。
アランの横の方に客に囲まれて男が立っている。
ジョブは魔法使いだ。
あれがアランの連れてきた奴隷だろう。
実際には男ではなく♂だが。
1788
男かよ。
﹁オークション開催寸前になって、あるところから急に売りに出さ
れました﹂
﹁魔法使いを売りに出すとは、大変だな﹂
﹁最近になって急に傾き始めました。まあ元々嫌われておりました
ところですのでしょうがありません。どうやら借金を返済するめど
がつかなかったようです﹂
バラダム家かよ。
アランは、奴隷商人は仕入れのための地盤が大切だと言っていた。
ロクサーヌとバラダム家の女は昔からの知り合いだ。
ロクサーヌを仕入れたアランならバラダム家から仕入れができて
も不思議はない。
ただし、魔法使いの男に苗字はない。
バラダム家の人間ではないようだ。
遠縁の子どもでも魔法使いにしたのだろうか。
﹁おかげで目玉が手に入ってよかっただろう﹂
﹁さすがに魔法使いが出品されることはあまりありません。ミチオ
様もいかがでございましょう。あそこにいる男がその魔法使いです﹂
オークションに魔法使いが出ることは少ないのか。
貴族や金持ちの子どもしか魔法使いにはなれないという話だしな。
男なのがもったいない。
落札して女性の魔法使いを持っている人と交換という手も考えら
れるが、持っている人を俺は知らない。
無理に魔法使いを二人そろえることはないだろう。
1789
﹁高くならなければな﹂
﹁そうですね。今回は百万ナール以上の値がついてもおかしくない
と考えております﹂
アランが胸を張った。
そのくらいはしてもおかしくないのだろう。
適当にごまかして、部屋を出る。
﹁おまえら白金貨の準備はいいか﹂
一回りして戻ってくると、おっさんはまだどなっていた。
なるほど。
あれは自分は絶対に降りるつもりがないと客全員に宣言している
のか。
それで競われなければめっけものと。
効果があるかどうかは知らない。
その程度で逃げるようなやつは最初から相手にならないかもしれ
ない。
白金貨二枚は出ないと自分で言っているようなものだし。
﹁抽選の結果で順番が決まりました。まもなくオークションを始め
ます。二階の会場へ移動してください﹂
誰かが案内した。
そろそろ始まるのか。
二階に移動する。
会場の扉にパピルスが張ってあった。
1790
順番が書いてあるらしい。
俺は文字が読めないから分からないが。
ロクサーヌからまじめに習っておけばよかった。
﹁ようし。魔法使いが出てくるのは最後の方だな。おまえら全員そ
れまでに金を使っておけよ﹂
おっさんがまだ叫んでいる。
アランが出品するのは最後の方らしい。
どうせ俺には関係ない。
会場に入った。
適当にイスに座る。
イスは、満杯とはいわないが、八割がたは埋まった。
結構な客数が来ているようだ。
﹁本日はご来場いただき、ありがとうございます。それでは、ただ
いまより奴隷商人ギルド主催のオークションを始めさせていただき
ます。出品の順番は先ほど厳正なる抽選を行い決定いたしました。
最初の出品者はどうぞ﹂
司会の男が左端に立ってオークションをスタートさせる。
ステージの上に二人の男が出てきた。
竜人族の男だ。
﹁よろしくお願いします﹂
﹁竜人族のオス、十五歳が出品対象となります。最低入札価格は十
万ナールからです。それではどうぞ﹂
奴隷商人が頭を下げると、入札が始まった。
1791
﹁二十二万﹂
誰かが入札する。
いきなり二十二万か。
最初は最低入札価格で入札し、上げるのは入札単位の十倍までじ
ゃなかったのかよ。
オークションに慣れた仲買人だけのマナーだったんだろうか。
﹁二十三万﹂
﹁二十五万﹂
﹁二十六万﹂
入札はしかし、誰もとがめることなく進んだ。
﹁二十七万﹂
﹁二十八万﹂
﹁三十万﹂
﹁三十一万﹂
なにごともなかったかのようにオークションが進む。
﹁三十二万﹂
﹁三十三万﹂
やがて入札するのは二人だけになった。
最初に入札した男と、もう一人の男だ。
﹁三十五万﹂
﹁三十六万﹂
1792
﹁三十七万﹂
﹁三十八万﹂
二人が一万ナールずつ競っていく。
すると、もう一人の男の後ろに列ができ始めた。
あれは何をしているのだろう。
近づいてみると、並んだ人たちは男の前にお金を置いている。
銀貨が男の前に積まれていった。
結構な数だ。
﹁あんなマナー違反野郎に負けるなよ﹂
誰かがそう声をかけて金を置く。
マナー違反を懲らしめるためのカンパなのか。
さすがに金貨はないが、銀貨でも百人が一人一枚出せば一万ナー
ルになる。
相手には脅威だろう。
マナー違反をするとこんな目にあうんだ。
俺も銀貨一枚を置いてイスに戻った。
﹁三十九万﹂
﹁ぐっ。さ、三十九万五千﹂
﹁この価格帯での入札単位は一万ナールからとなります。それ以下
の引き上げはできません﹂
最初に入札した男が苦し紛れに挙げた数字を司会の男が拒絶する。
マナー違反は受付自体はされるが、ルール違反だと拒まれるらし
い。
1793
入札単位のルールも知らなかったところを見ると、最初に入札し
た男はオークションの初心者なんだろう。
﹁分かった﹂
﹁三十九万、現在の価格は三十九万です。他にありませんか⋮⋮あ
りませんね⋮⋮それでは、三十九万ナールでの落札とさせていただ
きます。出品者と落札者は奥の部屋へ移動してください﹂
落札した男は銀貨を拾い集めてから席を立って移動した。
カンパはいいが大変は大変だ。
﹁竜騎士なら四十万も悪くはないが、魔法使いにも取っておきたい
しな﹂
誰かがつぶやくのが耳に入る。
特に相場より高いということはなかったらしい。
Lv1だけどな。
そして、魔法使いが後に控えているからなるべくお金は使いたく
ないと。
当然そうなるだろう。
第一希望の前に第二希望が出品されても、入札は躊躇せざるをえ
ない。
だから順番は厳正な抽選で決まるのか。
俺としてはベスタは早めに出てくれる方がありがたいわけだ。
祈りが通じたのか、ベスタは三人めの出品者だった。
ベスタと奴隷商人がステージの上に現れる。
1794
魔法使いよりもお嬢様よりも前だ。
戦闘奴隷がほしいなら魔法使いが、美人がほしいならお嬢様が控
えている。
かなりいい順番といっていいだろう。
﹁次の出品は、竜人族のメス、十五歳です。最低入札価格は二十万
ナールからです。それではどうぞ﹂
﹁二十万﹂
スタートと同時に入札した。
こういうのは勢いが大切だ。
﹁二十一万﹂
﹁三十一万﹂
入札単位は一万ナール。
その十倍の十万ナールまでは上げられる。
だから十万ナール上げる。
﹁三十二万﹂
﹁四十二万﹂
﹁四十三万﹂
﹁私の入札金額は五十三万です﹂
その後も十万ずつあげていった。
何があっても降りないという不退転の決意を示す必要がある。
白金貨も持っているから、このくらいの金額ではびくともしない。
﹁ご⋮⋮﹂
﹁五十四万﹂
1795
﹁六十四万﹂
一人降りたようだ。
それでも無視して十万ナール上げる。
﹁六十四万、現在の価格は六十四万です﹂
﹁⋮⋮﹂
五十四万で入札した男がちらりと俺の方を見た。
俺はポーカーフェイスを保つ。
﹁他にありませんか⋮⋮ありませんね⋮⋮それでは、六十四万ナー
ルでの落札とさせていただきます。出品者と落札者は奥の部屋へ移
動してください﹂
結局五十四万の男は競ってこなかった。
軟弱者め。
十万ナールずつ上げる作戦が功を奏したようだ。
ベスタの落札に成功した。
1796
ベスタ
ベスタを落札して、奥の部屋に入る。
やはりギルド神殿のある部屋だ。
﹁ありがとうございます﹂
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
奴隷商人に続いてベスタが礼を述べた。
ベスタにとってありがたいことかどうかは、疑問の余地なしとし
ないが。
いや。ありがたいことだったと思わせるようにすればいいのだ。
﹁私どもは先ほどの部屋で待っております。入札を続けられるなら、
戻っていただいてもかまいません﹂
﹁あー。一緒に行こう﹂
﹁かしこまりました﹂
他にも落札するなら、会場に戻って参加してもいいらしい。
魔法使いはともかく、お嬢様がいくらくらいかは見ておきたかっ
た気もするが。
ただ、二人も連れて帰ったらロクサーヌが何と言うか。
あっちのお嬢様はどう見ても戦闘には向かないし。
隴を得て蜀を望む。
ベスタが手に入ったのだ。
1797
それで満足しておくべきだろう。
﹁これからよろしくな﹂
﹁はい。こちらこそよろしくお願いします﹂
﹁頼む﹂
斜め上に声をかける。
ベスタはやはり美人だ。
大きな赤い瞳。
引き締まった小高い鼻。
手足は、すらりとして細長い。
上から見られることくらいどってことはない。
目の前のスイカップにもよろしくと言いたい。
会議室に向かった。
しかしベスタが近くにいると異様な威圧感があるな。
圧迫されている感じだ。
俺の後ろに立つな。
会議室に入る。
ベスタは俺の横に立った。
﹁オークションで落札した奴隷に関しましては主催したギルドより
千ナールの補填がございます。落札金額の六十四万ナールから千ナ
ールを引きまして。このたびはせっかく落札いただいたのです。特
別に四十四万七千三百ナールとさせていただきましょう﹂
おっと。
思わぬところで三割引が効いた。
1798
オークションでは駄目かもしれないと思っていたが。
まあこの奴隷商人が実際に支払ったわけではないしな。
払うのは俺だ。
三割引のスキルをしっかりつけていた俺の勝利。
﹁悪いな﹂
奴隷商人の気が変わらないうちに支払いを済ませる。
白金貨を使うまでもなかった。
インテリジェンスカードの変更を行い、例の長口上を聞いたら、
ベスタは俺のものだ。
﹁ありがとうございました。今後も何かありましたらよろしくお願
いします﹂
奴隷商人に見送られ、ベスタと二人、部屋の外に出る。
奴隷商人は会議室に残った。
﹁商人はまだなんかあるのか﹂
﹁会合があると言っていました﹂
つぶやきにベスタが答える。
まだ用事があるらしい。
オークションは奴隷商人が一堂に会する機会だ。
終わった後で親しい商人仲間と情報交換くらいしてもおかしくは
ない。
﹁とりあえず、履けると思うからこれを履け﹂
1799
硬革の靴をアイテムボックスから出した。
ベスタはやはり裸足だ。
戦闘奴隷とはいえ奴隷商人が装備品を用意することはないのだろ
う。
﹁はい。ありがとうございます。これからすぐ迷宮に入るのですか﹂
﹁行きはしないが﹂
﹁ではこの装備品は?﹂
﹁履いておけ﹂
ベスタは大柄だが、装備品には魔法がかかっているらしいので大
丈夫だろう。
セリーが履いてもぴったりだしな。
﹁はい。ありがとうございます﹂
ベスタが頭を下げて靴を履く。
けつが俺の胸の位置まできそうだ。
何?
足が長いっていいたいわけ?
浣腸でも喰らわしてやりたくなったが、我慢した。
餓鬼か、俺は。
ベスタが足が長いと実際に自慢したわけではない。
大丈夫。
俺は大人だ。
大人には大人のやり方がある。
後でたっぷりとお仕置きを。
1800
﹁では行くか﹂
﹁クーラタルには有名な迷宮があると聞きました。私なら大丈夫で
す﹂
﹁そのうち嫌でも入ってもらうことになる。それよりも、ちゃんと
ついてこいよ﹂
﹁はい﹂
ベスタをパーティーに加え、待合室に向かった。
会場に戻る手もあるかもしれないが、それはやめておく。
ベスタを連れて行くことはない。
お嬢様の入札も終わってしまったかもしれないし。
オークション自体はまだ続いているため、一階には人が少ない。
ただし待合室にはそれなりに人がいた。
全員冒険者だ。
参加費が必要だし主人だけ中に入ったということか。
冒険者といえば主人だとなんとなく思っていたが、冒険者の奴隷
や使用人もいるのだろう。
冒険者の主人が魔法使いの奴隷を持つより、魔法使いの主人が冒
険者の奴隷を持つことの方がありそうだ。
人がいるのでやめようかとも思ったが、ここで引き返すのも変に
思われる。
呪文を適当に口にして、ワープした。
待合室の壁から、家に帰る。
ベスタも続いてやってきた。
ワープの壁は頭を下げなくてもそのまま通れるようだ。
1801
﹁お。ちゃんと来たな﹂
﹁ええっと﹂
ベスタが微妙な表情をしている。
契約した後、ベスタにも俺のインテリジェンスカードを見せた。
ベスタは俺が探索者だと知っている。
考えてみれば、商人ギルドへ行ったときにワープを使ったのは考
えなしだったな。
待合室にアランでもいたらどうするつもりだったんだろう。
アランならまだごまかせるが、ベスタを連れてきた奴隷商人がい
たら落札できなくなるところだった。
まあ落札する前なら、たまたますれ違ったくらいで覚えてはいな
いか。
ワープに慣れると歩いていくのも面倒なんだよな。
迷宮の中では歩き回っているので運動不足になることはないし。
﹁ここが俺たちの家だ﹂
ちょうどそのとき、ガチャガチャと音がして玄関が開いた。
﹁ただいま帰りました﹂
ロクサーヌの声だ。
誰もいなかったのならベスタと二人しっぽりと楽しみたかった気
もするが。
最中に帰ってこられてもそれはそれで困る。
﹁おかえり﹂
1802
﹁あ。よかったです。ご主人様がいるような気がしたので、急いで
帰ってきました﹂
ロクサーヌが小走りでやってきて俺を迎える。
犬か、おまえは。
犬か。
﹁紹介しよう。彼女はベスタ。今日から仲間になる﹂
荷物を置いたロクサーヌにベスタを紹介した。
ロクサーヌは買い物から帰ってきたところらしい。
﹁背が高いですね。頼りになりそうです﹂
ロクサーヌがベスタを見上げる。
﹁はい。戦闘でも役に立ちたいと思います。よろしくお願いします﹂
﹁こちらこそよろしくお願いしますね﹂
﹁ベスタ、彼女はロクサーヌ。一番奴隷だ﹂
﹁一番奴隷ですか。すごいです﹂
すごいのだろうか。
よく分からん。
﹁俺の言うことは聞かなくてもいいけどロクサーヌの言うことはち
ゃんと聞くようにな﹂
﹁ええっと。はい﹂
﹁優しいご主人様ですので、誰も手を上げられたりしたことはあり
ませんが、だからといって増長しては駄目ですよ﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
1803
鬼軍曹が厳しくしごくなら部隊長はニコニコしていればいい。
部隊運営を円滑に行うコツだ。
ロクサーヌが厳しく接してくれるなら、俺がベスタに怒る必要は
ない。
ロクサーヌには悪役を押しつけてしまうが。
ミリアにもロクサーヌは結構言ってくれているみたいだしな。
ますますロクサーヌに頭が上がらなくなるような気はしないでも
ない。
﹁まあ仲よくやってくれ﹂
﹁はい、ご主人様﹂
﹁かしこまりました、ご主人様﹂
仲よくならなかったら、胃が痛くなる。
俺の健康のためにも平穏にやってほしい。
﹁すごく大きくて綺麗ですね。さすがはご主人様が選んだかたです﹂
﹁ロクサーヌさんもすごく素敵です﹂
﹁ありがとうございます﹂
褒めあうくらいなら大丈夫か。
第一関門突破というところだろう。
﹁あの、ご主人様って探索者ですよね﹂
一息ついたところで、ベスタがひそひそとロクサーヌに問いかけ
た。
俺には直接訊かないのか。
1804
﹁そうです﹂
﹁フィールドウォークを使ったみたいなのですが﹂
﹁ああ。⋮⋮えっと。ご主人様はご主人様というジョブだと思って
ください﹂
無茶振りを。
﹁そうなのですか﹂
﹁この程度で驚いていてはやっていけません。後、これらのことは
他言無用です。内密にお願いしますね﹂
まあその辺もロクサーヌにまかせておけばいいだろう。
ベスタが俺とロクサーヌを交互に見下ろしてくる。
俺の方を見たときにうなずいてやった。
﹁は、はい﹂
﹁それでは、必要なものをそろえた方がいいでしょうから、三人で
買い物に行きませんか﹂
﹁そうだな﹂
ロクサーヌの提案に乗る。
本音をいえば、このままベッドに直行したいところだが。
しかしお風呂に入れてからの方がいい。
セリーやミリアのいないところでというのも問題があるかもしれ
ないし。
﹁分かりました﹂
﹁ベスタは、武器は何を使う﹂
﹁器用な方ではありませんので、得意とする武器はありません。竜
1805
人族の人はたいていどんな武器でも力任せに振り回すだけだそうで
す﹂
力任せか。
実際、物理的に上からこう言われるとそうなんだろうという気が
してきてしまう。
確かに力強そうだ。
﹁どんな武器でもか﹂
﹁階層や他の装備にもよりますが、竜人族は盾と剣を使うことが多
いようです。竜人族は力が強いので、両手剣を片手で持って、片手
に盾を装備することができます。盾を装備した方が守備力が上がり
ますから。それほど力が強い方ではありませんが私にもできます﹂
﹁なるほど。剣か﹂
あら。ベスタは力が強い方ではないらしい。
まあうちのパーティーでは前衛に攻撃力はいらない。
俺が倒した方が経験値や魔結晶の面でも有利だしな。
﹁あるいは、片手剣を持ってもう片方の手に大盾という大きな盾を
持つこともできます﹂
﹁大盾というのは見たことがないな。ロクサーヌはあるか﹂
﹁竜人族のかたが特別大きな盾を持っているところなら見たことが
あります。きっとあれが大盾だったのでしょう﹂
﹁大盾は竜人族以外の人はあまり使いませんので、広く出回っては
いないと思います﹂
クーラタルの防具屋では見たことがない。
多分置いていないと思う。
セリーが作れるだろうか。
1806
聞いてみなければ分からない。
﹁竜人族の多く住む村にでも行けば手に入るか?﹂
﹁すみません。どこで手に入るか、そんな場所があるかどうかも知
りません﹂
﹁そうなのか﹂
﹁私は両親がともに奴隷でしたので﹂
ベスタの発言に、思わず視線を泳がせてロクサーヌの方を見てし
まった。
両親が奴隷だったのか。
が、ロクサーヌは別に驚いてもいないようだ。
まあロクサーヌだって奴隷なわけだし。
﹁⋮⋮あー。そうか﹂
﹁竜人族がどうやって大盾を手に入れているかは知りません﹂
ベスタの方も、気にするでもなく淡々と話を続ける。
両親が奴隷であることくらい珍しくもないということだろうか。
そうかもしれないが。
そういえば、奴隷商人は十五歳になったから連れてきたのだと説
明した。
十五歳になったから買い取ったとかではない。
両親が奴隷なら必然的に奴隷になるのだろうか。
そのくせ、ベスタは初年度奴隷だ。
納得いかん。
﹁まあしょうがない﹂
1807
﹁種族固有ジョブである竜騎士になると、片手に両手剣、片手に大
盾を持つことができるそうです。両手剣を二本持つ竜騎士もいるみ
たいです﹂
﹁二刀流か﹂
﹁はい。二刀流というそうです﹂
さすが中二感溢るるかっけージョブだ。
竜に乗るとか鉄砲を撃つとかではないらしい。
﹁防具の方はどうだ。力があるならチェインメイルで大丈夫か?﹂
﹁はい。大丈夫だと思います。それと、竜人族の女性ならプレート
メイルも装備できるそうです。プレートメイルは形が崩れたりしな
いらしいです。ただしすごく重いので竜人族以外だと女の人はあま
り使わないみたいです﹂
﹁まあ、装備に関してはセリーに聞いてみる必要もあるから、しば
らくはあるものでいいだろう﹂
﹁はい﹂
ベスタは、ちょっと首をかしげたがうなずいた。
確かにセリーと言われても分からんわな。
﹁セリーはとても物知りなドワーフです。装備品のこともよく知っ
ています。パーティーの戦い方や作戦のことなどについては、セリ
ーにまかせておけば間違いありません﹂
と思ったら、ロクサーヌが説明してくれた。
ナイスフォロー。
﹁そうなのですか﹂
﹁じゃあイスに座って、足首を出せ﹂
1808
﹁足ですか?﹂
疑問を述べはしたが、ベスタはおとなしくイスに座る。
靴を脱いで右足をイスにかけ、ズボンをめくって足首を出した。
イスに座ってもベスタは大きい。
これに抱きつくのかと思うとちょっとこっぱずかしい気はするな。
もちろん後でがっつりいかせてもらうが。
アイテムボックスから、身代わりのミサンガを出す。
スキルつきの装備品なので、物置部屋には置かずアイテムボック
スに入れていた。
予備の一個にアイテムボックス一列を使うのはもったいなかった
が。
これでまたゼロになる。
﹁セリーが作ってくれた装備品だ﹂
身代わりのミサンガをベスタの足首に巻いていく。
ベスタの足は、身体の割には特別に大きいわけではない。
足首も細くて引き締まっている。
足には鱗みたいなぶつぶつがあるが、硬くはない。
鱗があるのは下の方だけで、足首から上は普通の足と変わらない。
なめらかなおみ足だ。
色も他と一緒なので特に違和感はない。
健康的な小麦色が艶かしい。
買い物といわずこのままベッドに直行したい気分だ。
1809
ご主人様ですから
﹁作ったというのは?﹂
身代わりのミサンガを巻いていると、ベスタが上から訊いてきた。
﹁セリーは鍛冶師だからな﹂
﹁鍛冶師⋮⋮様なのですか﹂
ベスタが変なことを言い出す。
様はないだろう、様は。
﹁そうだが、様はやめておけ﹂
﹁ええっと。よろしいのですか、ロクサーヌ様﹂
ベスタがロクサーヌの顔をうかがった。
さらに斜め上を。
﹁私のこともロクサーヌと呼んでください。セリーも私たちと同じ
くご主人様の奴隷ですので﹂
うん。
それが普通の反応だ。
ここでロクサーヌが、ロクサーヌ様セリー様とお呼び、とか言い
出したら、お仕置きが必要になるところだった。
﹁奴隷、なのですか?﹂
1810
﹁そうです﹂
﹁鍛冶師で奴隷ですか。竜人族をオークションで落とすようなとこ
ろはきっとすごい場所に違いないからしっかり仕えるようにと言わ
れて来ましたが。鍛冶師の奴隷もおられるなんて﹂
そういえば、鍛冶師を手に入れるのは大変という話だった。
鍛冶師の奴隷がいるのはそれだけすごいことなんだろう。
しかもオークションで高い金を出してベスタを落札している。
ロクサーヌはそのすごいところの一番奴隷というわけだ。
それは様にもなろう。
なるか?
この世界に一点豪華主義という発想はないのだろうか。
奴隷だけがやたらに立派という。
つまりうちのことだが。
装備品だのなんだのと相応のものをそろえる必要はあるから、普
通奴隷だけというわけにはいかないか。
奴隷を使って迷宮でバリバリ活躍すれば、利益も相応に入ってく
る。
確かにロクサーヌ様にもなるのかもしれない。
﹁まあそんなに堅苦しく考えるな﹂
身代わりのミサンガを着け終わって立ち上がった。
ベスタの肩を軽くたたく。
頭をなでるには少し違和感が。
俺より大きいし。
1811
﹁はい。このミサンガは、そのセリーさんが作ってくれたから、そ
ろえているのですね﹂
﹁別にそろえているわけではないが﹂
﹁では何か由来があるのでしょうか﹂
ベスタが重ねて問いただしてきた。
﹁これといった謂れもないし。万が一の用心にな﹂
﹁そうです、か﹂
﹁それは身代わりのミサンガです﹂
首をかしげたベスタにロクサーヌが教える。
なるほど。
ただのミサンガなんか装備してもしょうがないじゃないかという
ことか。
セリーもミサンガの防御力には期待できないと言っていた。
﹁え?﹂
﹁ま、いいだろ。身を守るものだし﹂
﹁ええ? 身代わりのミサンガ、ですよね﹂
ベスタが驚いている。
﹁身代わりのミサンガだな﹂
﹁すごく貴重な装備品だと聞いたことがあるのですが。以前の主人
がなんとか手に入れようと必死になっていたのを覚えています﹂
﹁貴重といえば貴重なの、か?﹂
﹁はい。私もご主人様のところに来るまでは見たことがありません
でした。普通は奴隷が着けるような装備品ではないと思います﹂
1812
ロクサーヌの方を見ると、ロクサーヌが肯定した。
一応スキルつきの装備品だしな。
﹁だそうだ﹂
﹁そんな貴重なものを着けていただいてもよろしいのでしょうか﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁大丈夫ですか﹂
身代わりのミサンガがいくらぐらいするのか知らないが、ベスタ
より高いということはないだろう。
安い身代わりのミサンガで高いベスタが失われることを防げるの
なら、装備させた方がいい。
それが論理的だ。
もしこの世界の人が奴隷だからという理由で身代わりのミサンガ
を着けさせないのだとしたら、それは既成概念にとらわれていると
いえる。
極めて論理的だ。
セリーならきっと賛同してくれるに違いない。
高いとか安いとか奴隷に対して言うことではないから、言わない
が。
﹁大丈夫です。ご主人様ですから﹂
ロクサーヌも応援してくれる。
問題はないだろう。
﹁ではロクサーヌさんも?﹂
﹁はい。つけていただきました﹂
1813
ロクサーヌがズボンの裾をまくった。
身代わりのミサンガが見える。
綺麗な足にミサンガを巻くと、アンクレットみたいで映えるな。
やっぱりベッドに直行すべきか。
﹁じゃあちょっと待ってろ﹂
﹁はい。あの、ありがとうございます﹂
ベスタが頭を下げた。
寝室へは行かず、物置部屋に向かう。
鉄の剣を取った。
﹁一応これでも下げておけ﹂
リビングに戻り、ベスタに渡す。
俺が普段腰に差している鋼鉄の剣は、迷宮で使うことはない。
両手剣を使うなら、ベスタには鋼鉄の剣を使ってもらうことにな
る。
ただ、ベスタに鋼鉄の剣を渡してしまうと、俺は普段鉄の剣を佩
刀することになって、ベスタの方が装備がよくなる。
それはよくないだろう。
﹁はい。あの⋮⋮﹂
ベスタが不安げにロクサーヌに顔を向けた。
俺の鋼鉄の剣より格下の鉄の剣だから何の問題もないと思うが。
﹁大丈夫ですよ。ご主人様ですから﹂
1814
大丈夫らしい。
﹁じゃあ行くか﹂
買い物に出かける。
リビングの壁に向かい、ワープと念じた。
二回めだし、ベスタも問題ないだろう。
冒険者ギルドに抜ける。
﹁はい﹂
ロクサーヌとベスタもすぐについてきた。
ベスタは少し驚いた様子だったが、何も言わない。
えらい。
﹁どこから行く?﹂
﹁武器屋と防具屋に行かないのでしたら、雑貨屋から先に回って、
後で服屋へ行けばいいと思います﹂
冒険者ギルドの外でロクサーヌに聞いた。
服屋が最後なのは、服屋では思う存分時間を使うという宣言だろ
うか。
まあいいだろう。
﹁服ならこれがありますが﹂
﹁替えの服もいるだろう﹂
遠慮するベスタを説き伏せる。
﹁大丈夫です。ご主人様ですから﹂
1815
ロクサーヌは説得のしかたがおかしい。
まずは雑貨屋に行った。
こまごまとしたものを選ぶ。
その辺はロクサーヌにまかせておけば安心だ。
﹁リュックサックは、これでは小さいか﹂
﹁そうですね﹂
﹁そうですか?﹂
リュックサックは、俺たちが使っているような普通サイズのリュ
ックサックではぱっつんぱっつんという感じだった。
大柄なベスタには合わない。
﹁こっちの大きいのにしておくか﹂
﹁それがいいですね﹂
﹁はい。大丈夫だと思います﹂
大きめのサイズのリュックサックを選ぶ。
大きくてたくさん入るということはいつか負担をかける可能性が
なきにしもあらずだが。
そこは勘弁してもらおう。
結構な大きさだが、ベスタが背負うとすっきりとして見える。
セリーが背負ったら登山者かと思うところだな。
﹁これを頼む﹂
雑貨屋でリュックサックにコップにシュクレの枝などこまごまし
1816
たものを購入した。
買ったばかりのリュックサックに全部入れる。
リュックサックをベスタに背負わせた。
﹁それから、これもお願いします﹂
支払いを済ませると、ロクサーヌが店員に何か差し出す。
﹁まだなんかあったのか﹂
﹁いえ。これは私が﹂
﹁そうか﹂
お金はロクサーヌが払った。
銀貨一枚らしい。
﹁このブラシは私からのプレゼントです﹂
﹁わ。ありがとうございます﹂
﹁お金を残しておいてよかったです。今日セリーとミリアの分も買
いました﹂
ヘアブラシだったのか。
ロクサーヌが一度ベスタに見せ、ベスタのリュックサックに入れ
る。
続いて服屋に行った。
﹁彼女が着るようなサイズの服があるか﹂
﹁はい、ございます﹂
服屋の店員に尋ねると、奥に案内される。
ちゃんとあるらしい。
1817
﹁こっちか﹂
﹁こちらの服なら、かなり大きいサイズになっておりますので着ら
れると思います﹂
﹁あるのか﹂
﹁竜人族のお客様などもおられないではありませんので。どうして
も数は少なくなってしまいますが﹂
奥のコーナーが全部かどうか分からないが、それなりの数はあり
そうだ。
ドワーフ向けに大人が着る子供服があるのと同じようなものか。
竜人族の男奴隷もがっしりしていたし、竜人族というのは背が高
いのだろう。
﹁これだけあれば悪くないですね﹂
ロクサーヌが前に出てきた。
数が少ないと聞いて、ロクサーヌの目が光ったような気がする。
文字どおり全部ひっくり返すつもりか。
この世界に試着の慣習でもあったら、えらいことになるな。
﹁上下二、三着ずつくらいで頼む﹂
申し訳ないので、ちゃんと購入するということを店員にアピール
した。
買えば文句はないだろう。
﹁分かりました。ほら、ベスタも﹂
﹁そんなによろしいのですか﹂
﹁大丈夫だ﹂
1818
肩を押してベスタを送り出す。
ロクサーヌの奮闘が始まった。
ロクサーヌは、一着一着丹念に細かくチェックし、気に入るとベ
スタの身体に当てて確かめる。
﹁これなんかはどうでしょう﹂
﹁はい。いいですね﹂
﹁こっちもなかなかですか﹂
﹁わ。素敵です﹂
二人がワイワイ言いながら選んでいった。
俺はじっくりと見守る。
店員も基本は見ているだけだ。
ときおりアドバイスは送るが、遠巻きにしていた。
﹁こっちとこっちは決定として、後は、これなんかどうでしょう﹂
﹁はい。大丈夫だと思います﹂
﹁では、これをお願いできますか﹂
今回は俺が何もすることなく無事に決まったようだ。
いったん受け取って、俺が買う。
多分三割引で購入した。
服はベスタのリュックサックに詰める。
大きいサイズが早速役立った。
﹁ありがとうございます﹂
店から出るとベスタが頭を下げてくる。
1819
﹁よかったですね﹂
﹁はい。あの。この服って新品ですよね﹂
﹁そうみたいですね﹂
﹁私、新品の服なんて着せてもらったことがありません﹂
﹁大丈夫です。ご主人様ですから﹂
ロクサーヌとベスタの会話を聞きながら歩く。
服は中古で売られていることが多いみたいだしな。
新品の服を着る人は少ないのかもしれない。
雑貨屋と服屋には行ったので、後は夕食の食材だ。
﹁ベスタは、料理はできるか﹂
﹁自分が食べる分くらいの簡単な煮炊きなら大丈夫です﹂
﹁簡単な煮炊きか﹂
自分が食べる分というのはどの程度のものなんだろう。
あまり自信はないと見た方がいいか。
たまごかけご飯とか。
﹁うちでは全員の食べる分をみんなで作ります﹂
﹁全員の分をですか。習ったわけではないのでそれほど上手ではな
いと思いますが﹂
﹁まあ一品作ってもらうか﹂
﹁ええっと。ご主人様が口になされるようなものは作れません。作
れるのは、芋とくず野菜のスープとか、パンの耳の煮込みとか﹂
予想より斜め上の答えが返ってきた。
両親ともに奴隷だと、そんなものなんだろうか。
パンの耳の煮込みとか。
1820
実はちょっとうまそうな気がしないでもない。
考えてみれば、これまでがうまくいきすぎだったか。
ロクサーヌも料理はこなすし、祖父が金持ちのセリー、魚を中心
に食いしん坊万歳のミリアだ。
奴隷として売られるような娘を連れてきて料理しろといってもな。
﹁では料理のとき、ベスタは俺や他の誰かを手伝ってくれ﹂
﹁はい。それなら大丈夫だと思います﹂
﹁今日の夕食のスープはロクサーヌが頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
ミリアがどれくらい釣ってくるか分からないし、釣った魚を食べ
るのかどうかも分からないが、その他は準備しておく。
ミリアなら、釣った魚は食べるというに違いない。
魚はミリアにまかせるとして、俺は肉料理でも作るか。
兎の肉でも焼けばいいだろう。
兎の肉ならアイテムボックスに入れられる。
量をミリアの釣果によってコントロールすればいい。
その他の野菜などの食材を買い込んだ。
﹁ベスタはやっぱりたくさん食べる方か?﹂
パン屋でパンを選びながら訊いてみる。
パンは少し多めに買っておいてもいいだろう。
﹁ごくつぶしとは私は言われたことがないので、大丈夫だと思いま
す﹂
﹁そ、そうか﹂
1821
私じゃない人は言われていたのだろうか。
両親が奴隷の人はやはり少し大変なようだ。
どこに地雷が埋まっているか、分かったもんじゃないな。
ま、ごくつぶしとかごきかぶりとか言われていなければ大丈夫だ。
ゴキブリ並みの生命力なら、むしろ褒め言葉だろう。
俺だってゴキブリと言われたことは⋮⋮。
嫌なことを思い出した。
﹁このくらいあればいいでしょう﹂
ロクサーヌの進言のままにパンを購入する。
今までより一人分ちょっと増えたぐらいだ。
こんなものか。
﹁すごく柔らかくて美味しそうなパンです。あまったらいただける
のでしょうか﹂
パン屋から出ると、ベスタがロクサーヌに尋ねた。
﹁食事はみんなで一緒に取ります。遠慮せず食べてくださいね﹂
﹁わ。いいのですか﹂
﹁大丈夫です。ご主人様ですから﹂
ロクサーヌは本当に諭しているつもりがあるのだろうか。
フォローになってない気がする。
﹁迷宮に入ってもらう以上、体が資本だからな﹂
1822
逃げるように冒険者ギルドに入り、壁から家にワープした。
1823
ブレス
﹁では、俺は風呂を入れてくるから、ベスタのことは頼むな﹂
家に帰った後、さらに風呂場へと逃げる。
ベスタのことはもうロクサーヌにまかせた。
というのに、すぐに二人も追いかけてくる。
﹁ご主人様、よろしいですか﹂
﹁どうした﹂
﹁ベスタが風呂を知らないと言いましたので﹂
風呂を見に来たのか。
そのくらいなら何も問題はない。
﹁風呂を知らないのか﹂
﹁すみません。見たことがありません﹂
﹁これが風呂だ﹂
﹁あの桶にお湯を張ってつかります。王侯貴族の人などは入ること
があるそうです﹂
ロクサーヌがベスタに説明している。
貴族ぐらいしか入らないらしいから、知らなくてもしょうがない。
知らないのなら見たくもなるだろう。
﹁そうなのですか﹂
﹁ベスタも入るとなるとちょっと狭いが﹂
1824
﹁え?﹂
ベスタが固まった。
まさか、入らないとか言うつもりか。
﹁いや。入ってもらうつもりだが。風呂に入れないとか、なんかあ
るのか?﹂
﹁風呂に入るのは貴族のかたとかなのですよね﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁大丈夫です。ご主人様ですから﹂
まだ言うか。
﹁よろしいのでしょうか﹂
﹁問題ない。みんなで入るし、ちょっと狭いが﹂
﹁はい。それは大丈夫だと思います﹂
よかった。
ベスタもちゃんとみんなで風呂に入ってくれるらしい。
みんなで、というところが重要だ。
みんなでということは、俺も一緒ということである。
素晴らしい。
待ち遠しい。
今すぐ入れないのがもどかしい。
﹁では今から入れるから、少し見ていけ﹂
代わりに風呂を入れるところを見せることにする。
ウォーターウォールと念じた。
1825
風呂桶に並べた水がめの上に水が出現する。
魔法で作られた水の壁だ。
﹁わ﹂
ウォーターウォールを見て、ベスタが声を上げた。
﹁どうだ﹂
かっこいい。
あまりにかっこいい俺の姿。
ベスタも尊敬してくれるに違いない。
中二の王とは俺のことだ。
﹁すごいです﹂
ベスタが驚いている。
﹁そうだろうそうだろう﹂
﹁ご主人様ですから﹂
﹁初めて見ました。水を出せる種族の人もいるのですね﹂
あら。
なんか発想がおかしい。
﹁種族、なのか﹂
﹁違うのですか?﹂
﹁これは魔法だ﹂
﹁ですがご主人様は魔法使いではなく探索者⋮⋮あ。ご主人様とい
うジョブですか?﹂
1826
ロクサーヌが吹き込んだやつだ。
まあそれでいいか。
﹁そうです。ご主人様ですから﹂
俺が肯定するよりも前にロクサーヌが肯定しやがった。
﹁そうなのですか。すごいです﹂
﹁水を出せる種族がいるのか?﹂
水を出せる種族もいるのだろうか。
マーマンとか。
この世界ありえないわけではないのが恐ろしい。
魔物は水で攻撃してくるしな。
﹁水を出す種族は知りませんが、竜人族は火を出せます﹂
﹁え。そうなのか﹂
﹁はい﹂
さすが中二感溢るるかっけー人たちだ。
竜人だからブレスを吐けるのか。
すごそうだ。
魔法が使えるくらいでいきがっていた俺とは中二のレベルが違う。
例えるなら、中二の夏休み初日みたいな感じだ。
ひと夏の経験でこれから一皮剥けるぜ、という無駄な決意がある。
それに比べたら、俺の中二感など一学期の始業式に過ぎない。
かろうじて中二に引っかかる程度。
1827
新一年生を見下しているくらいが関の山だ。
わけが分からん。
﹁見せてもらってもいいか﹂
﹁もちろんです。あまりたいしたことはありませんが﹂
﹁火を出して水がめの水を温めることはできるか﹂
水がめを指してみる。
ことによったら、風呂を入れるのが楽になるかもしれない。
﹁温まるほどは無理だと思います﹂
﹁そうなのか﹂
﹁一応、やってみます﹂
楽になるほどは無理らしい。
ベスタが風呂場に入って、水がめの前に立った。
腰をかがめて、顔を水がめに近づける。
口から火を吹いた。
﹁おおっ﹂
すげ。
炎が水面をなめる。
﹁このくらいしかもちません。魔物や敵の注意を一瞬だけそらす技
です。長く使うことも続けて使うこともできません﹂
﹁そうなのか。でもすごいな﹂
﹁ありがとうございます﹂
火自体は数秒で消えてしまった。
1828
長時間はできないらしい。
たいまつを持って踊るファイヤーダンサーみたいな感じか。
大道芸とかには使えるかもしれない。
﹁あれ。火が出せるのなら、竜人族は全員魔法使いになれるのでは
ないか﹂
魔法を使えば、魔法使いになれる。
魔法使いでない普通の人は魔法を使えないが、竜人族ならブレス
を吐けるから全員魔法使いになれるのではないだろうか。
さっき確認したとき、ベスタは魔法使いのジョブを持っていなか
った。
火を出したことがなかったのか。
いや。魔法使いになるには村人Lv5が必要なんだろう。
あるいは、魔法を使うだけではなくて魔法でとどめを刺さないと
駄目だとかいうことも、ありえなくはない。
﹁魔法使いの魔法とは違うらしいです。竜人族でも幼いときに薬を
使わないと魔法使いになれません。魔法が使えるご主人様はすごい
です﹂
﹁違うのか﹂
何が違うというのだろう。
火を吐くのも立派な攻撃魔法ではないだろうか。
後でセリーに相談だ。
今は風呂を沸かすために水がめにファイヤーボールをぶち込む。
﹁わ。本当にすごいです﹂
1829
ベスタは、しばらく見ていたが、やがてロクサーヌと一緒にキッ
チンに帰っていった。
俺は、半分くらい風呂を入れた後でキッチンに行く。
ロクサーヌがスープを煮込んでいた。
﹁あ。迷宮ですか?﹂
﹁⋮⋮いや、ちょっと休憩﹂
﹁そうですか﹂
火種はもらいにこなかったが、すでに始めていたようだ。
考えてみればベスタが火を出せるのか。
ロクサーヌの言ったとおり迷宮に行きたかったのだが、煮込み始
めているのなら火の番に誰かを残していかなければならない。
ロクサーヌに案内してほしいのだからロクサーヌを残す手はない
し、ベスタを一人で残すのは不安だ。
別に逃げ出したりはしないと思うが、万が一ということもある。
ベスタだって、無理に逃げるつもりはなくとも、初日から明らか
にほっておかれたら魔が差すということもあるだろう。
まだ何もしていないうちに逃げられるのは嫌だ。
せめて逃亡するなら明日にしてほしい。
今はミリアも一人だが、ちゃんと魚を食べさせているので逃げ出
すことはない。
﹁ベスタ、これを洗って食べやすい大きさに切ってもらえるか﹂
とっさに方針を改め、ベスタに野菜を渡した。
今夜の夕食は天ぷらにでもすれば、ミリアが釣った魚も食べられ
るだろう。
1830
﹁かしこまりました﹂
﹁こっちのキノコは半分にしてくれ。夕食はそれを揚げる。楽しみ
にしておけよ﹂
﹁すごそうです﹂
こう言っておけば夕食までは逃亡したりすまい。
風呂場に戻って、もう少し風呂を入れる。
風呂場から黙ってクーラタルの七階層に飛び、MPを回復した。
一人だと少し時間はかかるが、問題はない。
運よく兎の肉も手に入れたから、ミリアがボウズになっても大丈
夫だ。
風呂を入れ終わって、キッチンに行く。
﹁スープができたら、一度火を落としてセリーを迎えに行くか﹂
キッチンで夕食の準備をある程度済ませ、三人で図書館に飛んだ。
図書館のロビーに出て、中ほどまで進む。
すぐにセリーが俺たちを見つけて、外に出てきた。
﹁滅びればいいのです﹂
とセリーの口が動いたような気がしたが、気のせいだ。
ブラヒム語だから唇の動きでは何を言ったのか分からない。
幻だ。
ひょっとして、口の動きだけでも翻訳されるのだろうか。
﹁セ、セリー。彼女はベスタだ。今日から仲間になる﹂
﹁滅びれば⋮⋮あ。竜人族のかたですか?﹂
1831
﹁はい。そうです。よろしくお願いします﹂
﹁そうなのですか。大丈夫です。こちらこそよろしくお願いします﹂
なんだろう。
セリーの態度が急に柔らかくなったな。
仲よくやってくれるならいいことだ。
﹁ベスタ。この酒の匂いをさせているのがセリーな﹂
﹁はい﹂
﹁預託金です﹂
セリーが金貨を渡してくる。
ジトッとした目で。
やっぱり駄目なんだろうか。
﹁な、仲よく頼むな﹂
﹁もちろんです。竜人族で胸の大きい女性に悪い人はいません﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁はい。それを見る者は滅びてしまえばいいですが、竜人族の女性
に罪はありません。竜人族は子どもを母乳で育てたりはしない種族
です。竜人族の女性の胸には空気が詰まっています。気嚢といいま
す﹂
キノウねえ。
夢と希望が詰まっていそうだが。
﹁へえ﹂
﹁胸の大きい竜人族の女性は不当な扱いをされるのです﹂
﹁そうなんだ﹂
﹁竜人族の女で胸が大きいと、無駄に空気が入っているだけだと馬
1832
鹿にされます。わ、私なら大丈夫です﹂
ベスタが引き継いで説明した。
胸が大きいと馬鹿にされる竜人族の女性に限って、胸が大きくて
もセリーはオーケーということか。
胸にコンプレックスがある者同士ということなんだろう。
﹁いいえ。ベスタには何の問題もありません。胸のことを気にする
やつらなど滅びてしまえばいいのです﹂
セリーが慰めている。
珍しい光景だ。
子どもが大人を慰めているみたいでもあるし。
セリーとベスタが並ぶと捕まった宇宙人みたいだ。
﹁では、ミリアを迎えにハーフェンに飛ぶ﹂
﹁はい﹂
深くは立ち入らず、ハーフェンの磯近くの森の木に出た。
岩礁の上にミリアがいる。
他の人も何人かそばにいた。
注目を集めているらしい。
﹁どうだ、ミリア。釣れたか﹂
﹁はい、です﹂
ミリアが嬉しそうに答える。
ちゃんと釣れたようだ。
釣れたから注目を集めているのか。
1833
着ているのものは濡れていない。
海に入ったわけでもなさそうだ。
﹁じゃあそろそろいいか﹂
﹁はい、です。あの⋮⋮﹂
﹁彼女たちに魚を分けてもいいかと言っています。取り入れるのを
手伝ってもらったようです﹂
ミリアが何か言い、ロクサーヌが通訳した。
釣った魚を他人に分けるとか。
ミリアも成長したもんだ。
﹁ミリアが釣ったのだから、もちろんかまわない﹂
﹁はい、です﹂
﹁この間作った料理、テンプーラにするつもりだから、合わなそう
な魚から分けてあげればいい﹂
﹁そうする、です﹂
ミリアが竿を引き上げ、籠のところに向かう。
やっぱり食べるつもりか。
籠にはそれなりの量の魚がいた。
ただし、大きいのから小さいのまで入っている。
キャッチアンドリリースという発想はないようだ。
﹁ミリアには魚の動きが分かるようです。すごい漁師だとこの人た
ちも言っています﹂
﹁魚の気持ちになって釣る、です﹂
ミリアが魚を分けると、周りの人がミリアを褒めたらしい。
1834
ミリアもなんか立派な釣り師っぽいことを口にしている。
まあ魚に対する執着心にはすごいものがあるのだろう。
魚をもらうと、周りの人は去っていった。
﹁ミリア、彼女はベスタ。今日から仲間になる﹂
﹁よろしくお願いします﹂
誰もいなくなってから、ミリアにベスタを紹介する。
ベスタが頭を下げた。
﹁ミリア、です﹂
﹁ベスタ、彼女がミリアだ﹂
﹁お姉ちゃん、です﹂
ミリアが胸を張る。
いや。胸を張ったのか上半身をそらせてベスタを見上げたのか。
ロクサーヌのことを姉と思えと教えたからな。
新しく入ったベスタは妹になるのだろう。
﹁はい﹂
﹁お姉ちゃんと呼ぶ、です﹂
﹁お姉ちゃん﹂
﹁ベスタ、です﹂
ミリアが手を伸ばしてベスタの頭をなでた。
届かないわけではないが、おかしな光景にしか見えない。
ミリアの方が精一杯背伸びしている微笑ましい子だ。
セリーがやったら届かないだろう。
さっき慰めていたときも頭はなでていなかったし。
1835
﹁今のところ、この五人がパーティーメンバーだ。仲間は増えてい
くこともあるだろう﹂
ベスタにもハーレム拡張宣言はしておく。
最初が肝心だ。
他の三人にも聞こえるように。
﹁はい﹂
﹁よし。じゃあ家に帰って夕食にするか﹂
ベスタがうなずいたのを見て、家に帰ることにした。
ミリアが釣り道具を片づけるのを待って、林の木からワープする。
籠はベスタが、ざるはセリーが持った。
釣り道具は物置部屋にしまわせる。
﹁置いてきた、です﹂
﹁ではミリアは魚の下ごしらえを頼む﹂
﹁はい、です﹂
魚は五人の一食分にはちょっと多いくらいの量がある。
ミリアがたくさん食べるからちょうどいいくらいか。
兎の肉を焼く必要はなさそうだ。
﹁スープを温めなおしますね。ベスタ、お願いできますか﹂
﹁はい﹂
ベスタが火を吐いて薪を燃やした。
見るとやはりすごい。
1836
﹁あれは魔法ではないらしいが、分かるか﹂
﹁竜人族は体の一部に燃えるガスを蓄えておくことができるようで
す。ガスそのものは可燃性で、竜人族でなくても火をつけられるの
で、魔法には当たりません﹂
セリーに尋ねると説明してくれる。
メタンガスか。
ガスに火をつけるのなら、確かに魔法ではないのかもしれない。
化学反応ということなんだろう。
魔法使いになれなくても不思議はないか。
どうやって着火しているのかはともかく。
﹁へえ。そうなんですか﹂
当のベスタがそんな感想でいいのかどうかもともかく。
﹁さすがはセリーだ。よく知っているな﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁セリーはテーブルで油を温めていてもらえるか﹂
﹁分かりました﹂
セリーにも仕事を頼んだ。
酔ってはいないらしいので大丈夫だろう。
ベスタにはレモンを渡す。
﹁ベスタはこれを搾ってくれ﹂
﹁はい﹂
﹁それをつけて食べるから、頼むな﹂
1837
俺は衣を作った。
その後で兎の肉を一口サイズに切る。
切ったら塩とコショウで下ごしらえしておけばいい。
魚が結構あるから、肉は少しだけ天ぷらネタにすればいいだろう。
1838
ぱふぱふ
用意したネタをテーブルに置き、全員で食卓についた。
ベスタは俺の右隣だ。
スープを順番どおりに配る。
最後にベスタの前に置いた。
﹁あ、あの。いいのでしょうか﹂
﹁大丈夫だ。では夕食を始めよう。ミリア、お勧めの魚とかあるか
?﹂
﹁ハーダッツ、です﹂
﹁じゃあ俺は最初にこれな﹂
ミリアが指差した魚の切り身に衣をつけ、鍋に投入する。
ジュワッといい音が響いた。
うまくいきそうだ。
﹁バルデアという魚だと思います﹂
セリーが教えてくれるが、地球にはいない魚なんだろう。
翻訳されないなら、ブラヒム語だろうと何だろうとぶっちゃけ関
係ない。
﹁ロクサーヌは何にする?﹂
﹁ではご主人様と同じものをお願いします﹂
﹁セリーは?﹂
﹁バルデアをお願いします﹂
1839
結構な人気だ。
二人の分も投入した。
ミリアは、聞くまでもないか。
﹁ハーダッツ、です﹂
名称が二つあるのもめんどくさいな。
﹁バルデアらしいぞ。バルデアだ﹂
﹁バルデア、です﹂
﹁バルデアですか﹂
﹁知っているのか?﹂
つぶやいたベスタに確認する。
ベスタは興味深げに天ぷらの揚がる鍋を見ていた。
﹁はい。非常に美味しい魚だと聞いたことがあります﹂
﹁じゃあベスタもいってみるか﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁大丈夫だ﹂
ロクサーヌ、セリー、ミリアの分と三枚続けて投入し、揚がって
きた俺のを取り出す。
金網はないので、適当に油をきって食いついた。
行儀は悪いが、菜箸で食べさせてもらう。
熱。
﹁ご主人様と一緒の席でご主人様と同じものを食べて、本当によろ
しいのでしょうか﹂
1840
﹁大丈夫ですよ。ご主人様ですから﹂
﹁ご主人様、ありがとうございます﹂
﹁感謝なら釣ってきたミリアに言え。確かに旨いな﹂
衣さくっと。
中の身はもちもちして旨い。
確かにいい魚だ。
﹁お姉ちゃん、ありがとうございます﹂
﹁お姉ちゃん、です﹂
ミリアが胸を張った。
ベスタの分の魚に衣をつけて鍋に投入する。
揚がってきたのを順に菜箸で取り上げ、油をきって各人の皿に置
いた。
﹁美味しいです﹂
﹁昔食べたバルデアより美味しい気がします﹂
﹁おいしい、です﹂
なかなか好評のようだ。
最後にベスタの皿に置いた。
﹁こんな美味しいものは食べたことがありません。ありがとうござ
います、ご主人様。ありがとうございます、お姉ちゃん﹂
﹁お姉ちゃん、です﹂
何がお姉ちゃんなのかよく分からん。
﹁では次はきのこをいってみるか﹂
1841
ベスタに切ってもらったきのこを衣を入れたお椀に入れる。
しいたけとは異なるが、前回このきのこはこのきのこで旨かった。
﹁私もきのこでお願いします﹂
﹁私は兎の肉をお願いします﹂
﹁バルデア、です﹂
ぶれないね、おまえらは。
﹁次は何にする?﹂
衣をつけたきのこを鍋に投入しながら、ベスタに訊く。
﹁え、選んでもよろしいのでしょうか﹂
﹁食べたことないなら、蛤などがお勧めだ﹂
﹁蛤、ですか?﹂
﹁とても美味しい食材です﹂
ロクサーヌも勧めた。
ハルバーの十八階層にはまだクラムシェルも出没するので蛤はア
イテムボックスに結構入っている。
﹁前の主人から、何かの記念日に蛤の煮汁というのを分けていただ
いたことがあります。確かに美味しいスープでした。本体も食べる
とは知りませんでした。よろしいのであれば、蛤をいただけますか﹂
それは蛤を煮た残りを与えられたのではないだろうか。
出汁が出て美味しいのかもしれないが。
蛤で出汁をとって本体は捨てるという話は聞いたことがない。
1842
﹁お姉ちゃんもご主人様に来るまで食べたなかった、です﹂
﹁そうなのですか﹂
﹁おいしい、です﹂
﹁楽しみです﹂
ミリアの発言は半分通じてない。
別にいいけど。
揚がってきたきのこを一口食べ、蛤に衣をつけて鍋に入れた。
次のきのこをロクサーヌの皿に、兎の肉をセリーの皿に載せる。
そういえば兎の肉の天ぷらは初挑戦だ。
責任を持って試食はしてみるべきだろう。
兎の肉を衣の入ったお椀に入れる。
﹁俺も次はこれを試してみるか。どうだ、セリー。うまくいってる
か﹂
﹁はい。美味しいです﹂
﹁そうか﹂
﹁私も兎の肉でお願いします﹂
そう言うと思ってすでに二つ浸けておるわ。
ミリアに魚を取り分け、兎の肉を投入する。
ベスタの皿には蛤を置いた。
﹁これは⋮⋮。確かに美味しいです。こんな美味しいものだったな
んて知りませんでした﹂
﹁よかったですね﹂
﹁はい、ロクサーヌさん﹂
1843
ベスタは蛤にも喜んでくれたようだ。
﹁セリーは何にする﹂
﹁私はこっちの野菜を﹂
﹁この魚、です﹂
この二人の注文はさすがに予想できない。
ミリアが釣ってきた魚も何種類かあるので。
﹁ベスタは何にする﹂
﹁ええっと。本当に選べるのですね。どうしましょうか。ええっと。
それでは、ご主人様と同じものをお願いします﹂
兎の肉が揚がったのを見て、ベスタが頼む。
ロクサーヌ二号のできあがりか。
﹁分かった﹂
﹁食べるものを選べるなんてすごいことです。どれもこれも美味し
いですし。確かに、私はすごいところに買っていただいたようです﹂
そこまで感激するほどのことでもないように思うが。
﹁泣くな。な﹂
﹁はい。すみません﹂
﹁ほら。パンでも食え﹂
﹁こんなに柔らかくて美味しいパンも、好きなだけ食べていいなん
て﹂
余計泣かせてしまった。
1844
失敗だ。
その後もベスタはしっかりロクサーヌ二号になってしまった。
俺と同じものしか頼まない。
好きなのを選べばいいのに。
だが選択の自由があるのもここまでだ。
﹁よし。風呂に入るか﹂
食事を終え、後片づけを済ましたら、強制イベント一直線である。
逃げ道はない。
﹁はい﹂
ロクサーヌとセリー、ミリアは手馴れた様子で服を脱ぎだした。
おおっ。
ロクサーヌがシャツをはだけると大きな山が飛び出すし、セリー
も可愛いし、ミリアも捨てがたい。
ネコミミと尻尾があると当社比十倍はよく見えるよな。
目移りしてしまう。
彼女らの主人になって本当によかったと心から思える瞬間だ。
素晴らしい。
ベスタもその大きな身体からシャツをはいだ。
バスケットボール並みの巨大な山塊が。
でかい。
ロクサーヌよりさらに大きい。
1845
大・迫・力。
け、けしからん。
許されん。
許されざるなり。
これは滅ぼされねばならない。
ならば滅ぼしましょう。
この手で。
この舌で。
塩をすり込む勢いで。
風呂場に入り、まずはロクサーヌの身体から洗う。
全身を泡まみれにして、洗い清めた。
聖なる霊峰もしっかりと。
何度洗っても素晴らしい。
﹁ロクサーヌさん、それは何ですか﹂
﹁石鹸です。これでご主人様に洗っていただくととても気持ちいい
ですよ﹂
﹁洗っていただくのですか﹂
気持ちいいのは俺の方だ。
もちろんベスタも抜かりなく洗わせてもらう所存である。
選択権はない。
風呂場の中に一人でかいのが立っているとそれだけで人口密度が
上がったような気がするが、それはそれで嬉しい。
﹁次はセリーだな﹂
1846
セリーの可愛らしい身体を洗う。
今日はロクサーヌの髪を洗う日だが、髪は後回しだ。
石鹸は髪の毛によくないと記憶しているので、頭を洗うのは三日
に一度にしている。
あまり放っておいても脂ぎってくるだろうから、それくらいが適
当だ。
セリーの小さい身体を隅々まで磨き上げた。
小柄な体躯をなでさすると、何かいけないことをしている気分に
なる。
だがそれがいい。
身体が小さいのだから胸だってここまであれば十分だ。
卑下することはないのに。
続いてはミリア。
なめ回すようにじっくりと洗い上げる。
おとなしく俺の腕の中でじっとしているミリアも可愛い。
﹁洗った、です﹂
﹁よし。最後にベスタだ﹂
﹁はい﹂
ベスタが俺の前に来た。
でか。
目の前にちょうどバスケットボールが。
まずは泡を塗りたくる。
これだけ大きいともっと柔らかいかと思ったが、結構しっかりし
ているな。
1847
想像したよりも張りがあってしなやかに指をはじき返してくる。
すごい弾力だ。
もちろん脂肪分たっぷりの肉なので硬いということもない。
洗いながら指を曲げると、半分埋まるようにめり込んでいく。
硬すぎず、柔らかすぎず。
これはたまらん。
胸ばかり洗うのも周囲の視線が怖いので、全身に泡を広げた。
大柄なベスタに絡みつくようにして、身体を洗っていく。
全身やや淡い小麦色の肌なので日焼けをしているわけではないら
しい。
片手をベスタの胸に置き、片手を伸ばして洗っていく。
ときには両手で鷲づかみにして。
おお、すごい。
何が詰まっているのか。
夢と希望が詰まっているのか。
そういえば空気が入っているのだったか。
確かキノウとか言っていた。
キノウって何だ?
機能が入る。
帰農が入る。
気嚢か。
﹁ベスタ、息を吸ってみて﹂
﹁はい﹂
﹁吐いて﹂
1848
﹁⋮⋮﹂
﹁もう一度吸って﹂
﹁⋮⋮﹂
外から丸分かりというほどではないが、手を当ててみれば確かに
分かる。
息を吸ったときに右の胸が大きくなり、息を吐くと左の胸が小さ
くなった。
確かに気嚢だ。
気嚢が入っている。
﹁あれ? 気嚢が入ってるのに、何で胸の大きい竜人族は駄目なん
だ﹂
﹁無駄に空気しか入ってないからだと思います﹂
それは理由になるのだろうか。
﹁そうなのか?﹂
﹁胸の大きい竜人族の女性に罪はありません﹂
セリーに訊いてみても、そういう理由しかないようだ。
母乳は出ないらしいから、人間の女性のように乳腺があるわけで
はない。
ただし乳首っぽいものはついている。
ある種の擬態なんだろう。
﹁気嚢が入っているから、胸の大きい女性の方が運動能力が高そう
な気がするが﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁竜人族の運動能力が高いのは、気嚢があるからだろう﹂
1849
﹁空気が入っているだけですよ﹂
セリーまでがそんなことをいってくるところを見ると、気嚢の機
能については知られていないのかもしれない。
﹁俺たちみたいな人間族は、息を吸ったとき直接肺に空気が入る。
息を吐くと肺から出て行く。実はこれだと、ちょっと効率が悪い。
気嚢が二つあると、息を吸うと右の気嚢に空気が入る。息を吐くと
きには左の気嚢から空気が出て行く。空気は右の気嚢から肺の中を
一方通行で流れて左の気嚢に抜ける。効率よく空気を取り込めるの
だ﹂
生物の時間に習った鳥の解剖図を思い出しながら説明した。
鳥の場合は左右じゃなくて肺の前後についていたと思うが。
気嚢のおかげで鳥類は呼吸能力が高い。
だから空気の薄い上空を飛べる。
﹁そんなことを知っているなんて、さすがご主人様です﹂
﹁何故効率が悪いのか、よく分かりませんが﹂
﹁すごい、です﹂
﹁そうなんですか﹂
竜人族のベスタはうなずいているのに、セリーは納得していない。
やはりセリーが難敵か。
﹁人間族などの場合、肺の中を空気が出たり入ったりするので、新
鮮じゃない空気が肺にとどまりやすいのだ﹂
﹁別に新鮮とか新鮮じゃないとか関係ないと思いますが﹂
セリーが首をかしげる。
1850
ヘモグロビンとか酸素とか二酸化炭素とか、もちろん知らないの
だろう。
どうやって説得すべきか。
﹁じゃあこう考えたらどうかな。桶の中に水を入れ、逆さまにして
出すのと、両方に穴の開いた筒の中に水を流し込むのと。筒の方が
効率よく、単位時間当たりにすればより多くの水が流れるだろう﹂
﹁それはそうかもしれませんが。むむむっ﹂
基本的に何故新鮮な空気が必要なのかが分かってないと、理解は
できないかもしれない。
セリーが悩んでいるうちに、勢いでごまかそう。
﹁竜人族の戦闘能力が優れているのは、気嚢を使った優れた呼吸の
おかげだろう。気嚢は大きい方が空気がたくさん入る。だから、胸
の大きい女性の方が運動能力が高いという解釈も成り立つ﹂
﹁そうなんですか。竜人族ですが聞いたことなかったです﹂
胸が大きいのは悪いことではないとベスタにも分からせてやった
方がいいだろう。
まったく悪いことではない。
これほど素晴らしいことはない。
﹁さすがご主人様です﹂
﹁触ってみれば気嚢があることが実感できるぞ﹂
ロクサーヌに勧めてみた。
﹁えっと。ベスタ、いいですか﹂
﹁はい、どうぞ﹂
1851
ロクサーヌが手を伸ばし、ベスタの胸に触れる。
なにやら淫靡で背徳的な雰囲気が。
美しい。
ロクサーヌのしなやかな指がベスタの張りのある肉塊にそっとそ
えられ。
やべ。
前かがみになってしまう。
﹁で、では髪を洗う前に、俺の体も洗ってもらえるか﹂
﹁分かりました。確かに、呼吸によって空気が出入りしているよう
です﹂
ロクサーヌはそのままベスタとなにしてくれていてもいいのだが。
﹁はい。ご主人様をお洗いすればいいのですか﹂
﹁そうです。こうして全員でご主人様の体を洗います﹂
﹁かしこまりました﹂
ベスタが向きなおって俺の正面でひざまずいた。
ロクサーヌが俺の肩をこすり、ベスタが身体を倒しながら近づい
てくる。
まさか。
ぱふぱふ⋮⋮だと⋮⋮。
馬鹿な。
ありえん。
ベスタ、どこでそんなテクを。
1852
﹁そ、それは﹂
﹁こうすると主人となるかたに喜んでいただけると、先輩の奴隷か
ら聞きました﹂
耳年増だった。
その先輩の奴隷はなんということを。
あ、あんた、なんちゅうもんを教えてくれたんや。
素晴らしい。
最高だ。
こんなものが滅びていいはずがない。
断じてない。
栄光のこの世に生を享けて以来、今日まで十七年間、加賀道夫の
ために絶大なるご支援をいただきまして、まことにありがとうござ
いました。
ぱふぱふは永久に不滅です。
1853
冷身
甘い陶酔境の中、恍惚感に揺られながら目覚めた。
ロクサーヌの肌と産毛が心地よい。
なめらかな手触り、程よい弾力、腕に押しつけられる確かな重み。
思わずのしかかりそうになって、自重する。
い、いかん。
そういえば色魔をつけていたのだった。
まあロクサーヌが腕の中にいれば、色魔をつけていなくても襲い
かかりそうになるだろうが。
俺が起きたことに気づいたロクサーヌが、自らキスしてきてくれ
る。
こんなことをされると誘っているようにしか思えない。
俺が命じたこととはいえ。
柔らかな唇が接触し、湿り気のある吐息がかかった。
お、落ち着こう。
落ち着け。
大丈夫だ。
すぐに今夜は来る。
昨夜は色魔をつけた。
さすがに四人相手に色魔なしでは少し大変だ。
しかし色魔をつけると、四回では物足りない。
悩ましい問題だ。
1854
もっとも、余裕があるところを見せておくことも大切だろう。
将来のために。
まだまだメンバーが増えても大丈夫だと分からせるために。
物足りないくらいがちょうどいい。
足りない分はロクサーヌの舌をねぶって補充する。
あやすように動くロクサーヌの舌に追いすがり、吸いついた。
なめ尽くす勢いで絡ませる。
心ゆくまで味わってから口を放した。
﹁おはようございます、ご主人様﹂
﹁おはよう﹂
ロクサーヌを解放し、次はセリーへ。
まだまだ愉悦は終わらない。
小さくて可愛らしいセリーの口もたっぷりと堪能して、唇を離す。
少し待つと、ロクサーヌと場所を入れ替わったミリアがキスして
きた。
部屋の中はぼんやりと薄暗いが、ミリアなら自在に動ける。
奔放に動くミリアの舌を楽しむ。
じっくり絡ませあってから、口を放した。
﹁おはよう、です﹂
﹁おはよう﹂
ミリアが終わって少し待ったが、ベスタはキスしてこない。
あれ、どこにいる。
ベッドは、二つ重ねて倍の広さにしているので、十分な大きさが
1855
ある。
ベスタが入っても余裕がある。
風呂桶の方は、ベスタも入るとさすがに狭かった。
芋を洗う状態だ。
ロクサーヌやベスタとお湯の中でべったりくっついて。
もちろんそれがいい。
ベッドの中でベスタがいるだろう辺りにゆっくりと腕を伸ばす。
まだ寝ているんだろうか。
いた。
ここだ。
﹁つめた﹂
身体に触れ、手を引っ込める。
裸で寝ているベスタの身体が冷たかった。
ひんやりとしている。
え?
生きてんの?
まさか。
死んだ?
﹁竜人族だから、朝は冷たいはずです﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁はい﹂
セリーが教えてくれる。
1856
﹁⋮⋮おはようございます、ご主人様﹂
﹁おはよう﹂
﹁すみません。朝は少し弱くて﹂
ベスタも起きたようだ。
ちゃんと生きている。
﹁身体が冷たいけど、大丈夫か﹂
﹁はい。温度が高い日は、夜の間に熱を失って冷たくなります。目
覚めればやがて温かくなるので大丈夫です。逆に温度の低い日は、
寝ている間にこごえたりしないように身体が熱くなります。朝にな
ると疲れてぐったりするほどです。竜人族は深夜早朝は弱い種族な
のです﹂
竜人族というのもなにかと大変らしい。
単に中二感溢るるかっけー人たちというわけではなかった。
ベスタが身体を起こし、俺に触れてくる。
ひんやりしたベスタの身体が心地よい。
﹁動いても大丈夫か。無理はするなよ﹂
﹁はい。少し冷たいかもしれませんが﹂
﹁それは問題ない。というより、むしろ嬉しい﹂
夏至を過ぎて気温も上がってきている。
ベスタの冷えた肌が気持ちよかった。
肌をさすって温めてやる。
夜の間に冷たくなるというベスタは、実は最高の抱き枕ではない
だろうか。
夏になってこれからさらに暑くなっていけば、ベッドで一緒に寝
1857
るのが不快になることもあるだろう。
ベスタがいれば杞憂に終わる。
しかも、気温が低い日には逆に熱を持つという。
夏は氷枕。冬は湯たんぽ。
もはや手放せないかもしれない。
ベスタが唇を重ねてきた。
俺の口が吸われ、舌が差し込まれてくる。
清涼な舌が積極的に動き回った。
熱を持った俺の口の中を隅々まで愛撫し、俺の舌に絡みつく。
四人の中でも一番の積極さだ。
先輩奴隷からこうするものだと教わったらしい。
先輩奴隷には本当にありがとうと言いたい。
唇を併せながらベスタの背中に手を回した。
大柄で抱えきれないほどだ。
だがそれがいい。
涼しげなベスタの身体を抱き寄せる。
身体が大きすぎたのでネグリジェは着ていない。
胸板の間で巨大な肉塊が。
ベスタは、舌も胸もたっぷり暴れ回ってから、離れていった。
﹁いかがでしたでしょう。こうすればいいという話でしたが﹂
﹁素晴らしい﹂
﹁ご主人様の体が温かくて気持ちいいです。まだ慣れないので巧く
ないかもしれませんが、これからがんばります﹂
1858
これ以上にまだがんばるというのか。
先々が楽しみだ。
ベスタが離れると、ミリアがシャツを着せてきてくれる。
ミリアの助けを借りて、装備を整えた。
﹁ベスタも着替えは大丈夫か﹂
﹁はい。終わりました﹂
﹁じゃあそろそろ行くぞ。ベスタもついてこいよ﹂
﹁はい﹂
寝室からハルバーの十八階層に飛ぶ。
毎朝のことだから慣れている三人に加え、ベスタもちゃんとやっ
てきた。
﹁早朝だけどベスタは動けるか﹂
﹁もう大丈夫だと思います﹂
迷宮の小部屋で、盾や帽子、魔結晶を配る。
ベスタにも木の盾や予備の黒魔結晶を渡した。
ベスタの装備品はとりあえずあまりもので勘弁してもらおう。
﹁あと、ベスタはこの鋼鉄の剣を使ってくれ﹂
﹁ご、ご主人様の剣ではありませんか。よろしいのですか﹂
﹁俺は別のを使うから﹂
﹁は、はい﹂
腰から取った鋼鉄の剣をベスタに渡す。
ベスタは、両手剣である鋼鉄の剣を右手一本で、木の盾を左手に
持った。
確かに、大柄なベスタが持つと両手剣だろうと片手で軽々と振れ
1859
そうだ。
﹁そういえばセリー、大盾って作れるか﹂
﹁竜人族が使う盾ですね。今の私では作れません。板よりももっと
強い素材が必要です。鋼鉄とかダマスカス鋼とか﹂
やはり今のセリーでは作れないようだ。
鋼鉄で作るとなると、ロクサーヌが使っている鋼鉄の盾と同等か
それ以上の品になるのだろう。
無理に手に入れることもないか。
﹁右に行くと数の少ない魔物が、左に出た方が多分大きな群れにな
ると思いますが、どうしますか﹂
﹁左でいいだろう。最初なので、ベスタはしばらく安全な位置から
見学な﹂
ロクサーヌの案内で迷宮を進む。
ロクサーヌが先頭に立ち、ミリア、ベスタと続いた。
俺の後ろからセリーが殿でついてくる。
﹁あの。ロクサーヌさんは魔物のにおいがお分かりになるのですか﹂
﹁はい。ご主人様に役立ててもらっています﹂
﹁すごいです﹂
ロクサーヌとベスタが会話していると、魔物のいる場所に到着し
た。
フライトラップが三匹に、ケトルマーメイドとクラムシェルが一
匹ずつだ。
フライトラップから倒すために、まずは火魔法をお見舞いする。
ファイヤーストームと念じた。
1860
﹁セリー、ミリア、来ました。ベスタは少し下がってください﹂
ロクサーヌの命で三人が陣を作る。
ロクサーヌが中央先頭で待ちかまえ、セリーが左、ミリアが右に
立った。
火の粉が舞う中、ベスタは一歩下がり、俺の横に来る。
﹁水が飛んでくることもあるから、気を抜かないようにな﹂
﹁はい﹂
特にロクサーヌの後ろは危険だ。
俺とベスタは、二列めでやや離れて並んだ。
火が収まったころあいを見計らい、二発めのファイヤーストーム
を念じる。
続いて三発め。
﹁来ます﹂
ロクサーヌが宣言すると、俺とベスタの間を水が飛んでいった。
やっぱり後ろにいなくて正解だ。
魔物が前線に到着して襲いかかってくる。
フライトラップが二匹にケトルマーメイドだ。
フライトラップの攻撃をロクサーヌがなんなく回避した。
かわしながらエストックで突く。
水を放ったフライトラップが遅れて前線に参入した。
クラムシェルは後ろにまわるようだ。
後ろから水を吐いてくるということだろう。
1861
案の定、倒す途中で水を吐いてきた。
ロクサーヌがきっちりとかわす。
フライトラップ二匹の攻撃を引き受けながら、後列からの攻撃も
あっさりと避けて見せるのか。
相変わらず恐ろしい。
さらに火魔法を重ね、フライトラップを焼き尽くした。
残ったクラムシェルとケトルマーメイドにロクサーヌとミリアが
一対一で対峙する。
セリーは一歩下がり、詠唱中断のスキルがついた槍でにらみを利
かせた。
サンドストームを休みなく撃ち続けて、二匹も片づける。
あまり攻撃を浴びることなく、魔物の群れを倒した。
﹁すごい。みなさんすごいです﹂
ベスタがはしゃいでいる。
﹁まあこんなもんだ﹂
﹁魔法を使うとこんなに早く魔物を倒せるのですね。私たちが戦っ
ていた弱い魔物ならともかく、もっと時間がかかるかと思いました﹂
﹁そうだな﹂
そういえば、ベスタは迷宮ではなく近くに出た魔物と戦ったと言
っていた。
﹁特にロクサーヌさんは驚異的です。すごかったです。参考にさせ
てもらいます﹂
1862
ベスタがドロップアイテムを拾いながらロクサーヌの横に行く。
あれは参考にならん。
﹁ありがとうございます﹂
﹁どうやったらあんなに動けるのでしょう﹂
﹁魔物の動きをよく見れば大丈夫です。腰を使ってバッと避けます﹂
ロクサーヌが身振りで示した。
﹁腰を使って、ですね﹂
﹁そうです。バッ、です。魔物がシュッと動いたときに、シュッ、
バッ、バッ、と﹂
﹁が、がんばります﹂
ベスタが微妙な表情でうなずく。
ベスタは常識人のようだ。
せいぜいがんばってくれたまえ。
見学は、ベスタが村人Lv5になるまで続けさせた。
早朝のうちにLv5になったのだから、たいしたものだろう。
俺が村人Lv5になるにはそれなりに時間がかかった。
条件がまったく同じではないが、十八階層の魔物は経験値が増え
ていると考えていい。
村人Lv5、農夫Lv1、探索者Lv1、薬草採取士Lv1。
ただ、ベスタが所有しているジョブは少ない。
探索者も薬草採取士も今日取得したジョブだ。
戦士や剣士が出てこないところを見ても、あんまり鍛えられてい
1863
ない。
盗賊がないのは感心だが。
﹁現状、迷宮ではこんな風に戦っている﹂
﹁はい。みなさんさすがです﹂
﹁そろそろベスタにも戦ってもらおうと思う﹂
﹁は、はい。大丈夫だと思います﹂
多少緊張しているようだが、意気込みはありそうか。
ハルバーの一階層にダンジョンウォークで移動する。
しかしここで恐れていた事態が。
一階層の魔物は魔法一発で沈んでしまった。
﹁この間行ったところだし、十階層から始めても大丈夫だろうか﹂
﹁十階層はさすがに厳しいかもしれません。一撃でやられることま
ではないと思いますが﹂
セリーに確認する。
十階層なら、この間暗殺者のジョブを得るときに行って魔法一発
で倒せるぎりぎりの数値が分かっているから楽なのだが。
さすがに十階層はないだろうか。
ミリアのときには確か八階層からだったが、ミリアには海女のス
キルである対水生強化があった。
もっとも、村人Lv5まで上げているし、今回はミリアの海女L
v33の効果である体力中上昇がプラス加算されているはずだ。
パーティーメンバーは四人より五人の方が有利である。
十階層でもいけなくはない気がするな。
一階層ずつ試していくのは大変な上、ハルバーの迷宮は二階層か
1864
ら九階層までは行ったことがない。
クーラタルに飛ぶのも少しは面倒だ。
﹁これで駄目だったら十階層も考える﹂
武器をひもろぎのロッドから鉄の剣に持ち替える。
次に出てきたチープシープは、ちゃんと魔法二発で倒れた。
さすがに知力二倍の効果は大きいのか。
ボーナスポイントを知力上昇に振って、一撃でぎりぎり倒せると
ころを探っていく。
﹁次はこっちですね﹂
﹁よし。ベスタ、次に魔物が一撃で倒れなかったら、剣で倒せ﹂
ベスタに言い含めて、魔法を放った。
こういうときにはやっぱり一撃で倒れてしまうのは、ご愛嬌だ。
その次の魔物は生き残る。
ベスタが鋼鉄の剣を振りかざして駆けていった。
大柄なだけにさすがの迫力だ。
魔物なら恐怖は感じないだろうが、対人戦なら圧倒的な戦力にな
るな。
二メートル以上ある戦士が剣を振りかぶって斬り込んでくるのは
怖い。
ベスタが上段から鋼鉄の剣を振り下ろした。
チープシープも負けじと突進するが、ベスタは盾で軽々と受け止
める。
魔物はかなり勢いよく突撃したように見えたが、片手一つで完全
に力を受け殺した。
1865
横からなぎ払い、再度の突進を盾で受けとめる。
魔物が立ち往生したところに、剣を突き立てた。
チープシープが倒れる。
﹁や、やりました﹂
パーティージョブ設定でジョブを確認した。
村人Lv5、農夫Lv1、探索者Lv1、薬草採取士Lv1、戦
士Lv1、剣士Lv1。
戦士と剣士は一度で条件がそろうのか。
1866
竜騎士
﹁えらいな。なかなかの戦いぶりだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
ベスタの戦いぶりはなかなか堂に入ったものだった。
大柄だからそう見えただけかもしれないが。
両手剣を片手で振り回されたら相手としては怖い。
まあ迷宮の外ではあるが魔物と戦ったことはあるらしいしな。
魔物が跋扈する世界だと異なるものがあるのだろう。
ひ弱な日本人とは違う。
﹁次に魔物が残ったら、今度はこの槍で倒せ﹂
﹁槍ですか?﹂
﹁いろんな武器を使ってみるテストだ﹂
﹁はい﹂
ベスタに聖槍を渡した。
というか、無理に押しつけた。
ロクサーヌも俺も戦士Lv30になったとき自動的に騎士のジョ
ブを獲得している。
騎士のジョブを得るには、槍で魔物を倒す必要があるのではない
かと思う。
騎士を目指す戦士も槍の訓練を受けるらしいし。
1867
ベスタが、鋼鉄の剣に加え、木の盾も戻してくる。
槍は両手で持つようだ。
さすがに片手では扱いにくいか。
魔法に耐えたチープシープに、ベスタが挑んでいった。
大柄なベスタが聖槍を振り回す。
すごいな。
ほんとに頭の上で回してるよ。
三国志に出てくる英傑みたいだ。
確かに、あんなのが出てきたら、げぇっ関羽、と叫んでしまいそ
うだ。
ベスタが魔物に駆け寄り、聖槍を振り下ろした。
チープシープが叩き潰される。
一撃か。
まあたまたまだろうが。
ただし、槍でとどめを刺したのにジョブは増えていない。
騎士はもちろんだが、竜騎士も駄目なのか。
﹁すごいな。次は素手で戦ってみろ﹂
﹁素手ですか﹂
﹁ちょっと大変かもしれないが﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
ドロップアイテムと聖槍を受け取って、ベスタを次の闘いに送り
出した。
ベスタが素手でチープシープに挑む。
ベスタが殴り、チープシープがお返しに体当たりした。
1868
さすがにノーダメージとはいかなかったか。
メッキをかけなおし、手当てとも念じる。
どれくらい回復すればいいか分からないので、とりあえず一回だ
け。
ベスタは次の体当たりは避け、羊の横っ腹に拳をお見舞いした。
魔物が再びタックルをかますが、ベスタはこれも避ける。
ベスタとチープシープだと、女の子が犬とじゃれあっているよう
にも見えるな。
ベスタが羊の頭を殴った。
ありゃ。じゃれあっているのではない。
犬ならペット虐待だ。
魔物が体勢を立て直し、再びベスタに突撃する。
ベスタは、攻撃を受けながらもカウンターパンチを繰り出した。
チープシープがよろけ、横倒しになる。
やはり素手だと激闘だ。
見ている分には楽だが、実際に戦っているベスタは大変だろう。
﹁よくやった。一応回復しておくから、十分だと思ったら手を上げ
ろ﹂
﹁いえ。かすった程度ですので、大丈夫だと思います﹂
あれ。俺の見間違いか?
チープシープが頭から突撃したと思ったが。
﹁まあいいのならいいが﹂
﹁それよりも回復魔法までお使いになれるのですね。すごいです﹂
1869
素手で魔物を倒して僧侶のジョブを取得したから、今はベスタに
もできる。
とりあえずメッキだけかけなおしておく。
これで素手までは終わった。
残る武器としては槌があるが、槌が関係するのは鍛冶師くらいか。
俺もそれらしいジョブは得ていないし。
鍛冶師はドワーフの種族固有ジョブだから、ベスタは取得できな
い。
﹁竜騎士になるのに必要な条件って分かるか﹂
﹁竜騎士は、竜人族の中でもひときわ勇敢な、一人で魔物に向かっ
ていった者だけが得られるジョブとされています﹂
﹁種族固有ジョブのことはあまりよく分かりません。昨日図書館で
ジョブに関する本も読んできたのですが﹂
ベスタとセリーが答える。
セリーはジョブの情報も集めてきてくれたのか。
えらい。
﹁種族固有ジョブまではしょうがない﹂
﹁すみません﹂
﹁何か面白いことでも書いてあったか﹂
﹁はい。聞いたことのない名前のジョブがありました。確か博徒と
いうそうです﹂
そんなジョブがあるのか。
見たことはないな。
どうやってなるのだろう。
1870
普通にバクチだろうか。
口にくわえた楊枝で魔物を刺し殺すとか。
どちらかというとそれでなれるのは竜騎士の方か。
竜人族の種族固有ジョブだから俺にはなれないしな。
あっしには関わりのねぇこって。
あるいは金毘羅参りでも行くのか。
死んじゃうだろう。
イベント的に。
馬鹿は死ななきゃなおらない。
﹁博徒か﹂
﹁ご存知なのですか? 博徒なんて、言葉としても初めて知りまし
たが﹂
﹁そうなのか。ベスタは知ってるか﹂
﹁知りません﹂
ベスタも知らないのか。
博徒と翻訳されているだけで、普通には知られていない単語のよ
うだ。
﹁裏稼業を歩く人たちの隠語みたいなもんかな﹂
﹁なるほど。確かに、盗賊の項目の余白に書いてありました。盗賊
と関係があるジョブなのかもしれません﹂
﹁それはただの落書きなんじゃないのか﹂
余白に書いてあることなんか信用できるのだろうか。
誰かが勝手に書いただけでは。
1871
﹁分かりません。﹃このジョブに関して真に驚くべき取得方法を私
は発見したが、この余白はそれを書くには狭すぎる﹄と書かれてい
ました﹂
フェルマーかよ。
ちゃんと書いとけよな。
後が大変なんだから。
﹁それは、ひょっとしたら大丈夫かもしれん﹂
﹁ただよく分からないのは、賞金稼ぎにも関係するようなことが書
いてあったことです。本当にいたずら書きかもしれません﹂
﹁あー。いや。そうでもないかも﹂
賞金稼ぎというのは分かる。
賞金稼ぎのスキル、生死不問だ。
対象を指定するところやその名称から見て、生死不問は魔物を一
撃で屠るスキルではないだろうか。
いまだ成功したことはないが。
おそらくなんらかの確率で成功するスキルなのだろう。
倒せるか倒せないかはギャンブルということになる。
ギャンブルであれば、博徒の世界だ。
生死不問を成功させることが博徒のジョブを取得する条件という
ことは、大いに考えられる。
﹁お分かりになるのですか﹂
﹁いや。まだ分からないが。とにかくいい情報を聞いた。ありがと
う﹂
﹁いえ﹂
1872
生死不問には成功していない。
成功する確率がレベルに関係しているというのは十分にありうる
考えだ。
何の制約も制限も条件もなくどんな魔物でもばかばか倒せたら、
生死不問は最強のスキルになってしまう。
博徒は、取得するのが結構大変なジョブなのだろう。
まず賞金稼ぎのジョブを得るのに戦士Lv30まで鍛えなくては
ならない。
その後、生死不問を成功させるまで賞金稼ぎのレベルを上げる。
盗賊のレベルも上げる必要があるのかもしれない。
戦士と賞金稼ぎに加えて盗賊のレベルも上げる。
一般に知られていないのも納得だ。
ただ、盗賊と賞金稼ぎには親和性がある。
盗賊が足を洗って賞金稼ぎとして活躍する。
賞金稼ぎが道を踏み外して盗賊に堕ちる。
どちらもありそうだ。
これまでにも博徒となる条件を満たした人はそれなりにいただろ
う。
盗賊を鍛えたことをおおっぴらにはできないだろうし、図書館の
蔵書の片隅にひっそり書いてあるのも納得か。
とりあえず目指しては見よう。
取得するのが難しいからといって、使えるジョブかどうかは分か
らないが。
それよりも今は竜騎士だ。
一人で立ち向かうということだから、最初から一人で魔物を倒す
1873
のが竜騎士のジョブを取得する条件だろうか。
俺はデュランダルを出す。
﹁ベスタ、じゃあ次はこの剣を使って最初から一人で戦ってみるか﹂
﹁はい﹂
デュランダルを使えば、一撃か悪くても二撃で終わる。
最初から一人で戦っても安全だろう。
﹁えっと。それは、いつもご主人様が使っておられる剣ですよね﹂
﹁そうだ﹂
﹁私でも使ったことがないのに﹂
ロクサーヌが小さな声でつぶやいた。
めんどくせえ。
﹁いや。両手剣だし﹂
﹁両手剣だからといって私でもまったく使えないわけではないです﹂
﹁で、ではロクサーヌが使ってみるか﹂
﹁よろしいのですか﹂
よろしいのですかもくそもあるかと言いたい。
しかしロクサーヌは目をキラキラさせて覗き込んでくる。
しょうがない。
﹁順番に実験してみるべきだろう﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌが大喜びでデュランダルを受け取った。
大事そうに抱える。
1874
喜んでくれたみたいだし、いいか。
ロクサーヌがゆっくりと剣を抜いた。
そのまま先頭で進みだす。
﹁よし。それではその剣で倒してみろ﹂
チープシープにロクサーヌをけしかけた。
ロクサーヌが魔物に駆け寄り、デュランダルを振り下ろす。
羊はもちろん一撃で倒れた。
﹁すごいです。私でも一撃で倒せました。こんなにすごい武器を持
っておられるなんて、さすがはご主人様です﹂
ロクサーヌがドロップアイテムとデュランダルを渡してくる。
あえてはいわないがむしろロクサーヌなら余裕だと思うぞ。
騎士Lv20なんだし。
﹁次は、セリーもいってみるか﹂
﹁はい﹂
﹁こっちですね﹂
セリーにデュランダルを渡すと、ロクサーヌが先導した。
やはり全員やることになるのか。
ひょっとして竜騎士以外の何かのジョブの条件になっている可能
性がなくもないから、無駄ではない、と思いたい。
それらしいジョブは俺も持っていないから、多分無駄だが。
現れた魔物をセリーが斬り裂く。
途中で騎士に転職したロクサーヌよりレベル高いし、鍛冶師は腕
1875
力中上昇の効果を持っているくらいだから、物理攻撃力が高いだろ
う。
一撃なのは当然だ。
﹁すごい剣ですね。それで、これで何かのジョブになれるのでしょ
うか﹂
﹁いや。なれないだろうな﹂
﹁そうですか。とはいえ、素晴らしい剣をお持ちのようです﹂
さすがはセリーだ。
何のためにこういう作業をさせているのか分かっているらしい。
﹁ミリアもいってみるか﹂
﹁はい、です﹂
ミリアも当然一振りで倒した。
﹁どうだった﹂
﹁すごい、です﹂
ミリアが耳を立て、興味深げに見つめながらデュランダルを返し
にくる。
剣の品評会みたいになってきているな。
俺が魔物を倒せていたのはデュランダルの性能のおかげだったと
いうことが白日の下にさらされてしまったわけだ。
まだだ。まだ分からん。
﹁ベスタも行ってみろ﹂
﹁かしこまりました﹂
1876
村人Lv5のベスタまでが魔物を一撃で倒した。
もはや疑問の余地はない。
デュランダルのおかげか。
しかし明白にはなってしまったが、ベスタは竜騎士のジョブを獲
得した。
一撃で倒すことが条件ではなくて、最初から一人で倒すのが条件
だろう。
一撃で倒せというのは竜人族に酷すぎる。
竜騎士 Lv1
効果 体力中上昇 体力小上昇 体力微上昇
スキル 二刀流 クリティカル発生 ダメージ軽減
なにやら効果にすごい偏りがあるような気がするが。
ありなんだ、それ。
さすがは中二感溢るるかっけージョブ。
スキルの方も、結構すごそうだ。
二刀流というスキルがある以上、普通の人が剣を二本持っても駄
目なのかもしれない。
それにクリティカル発生というスキルもあるのか。
俺のボーナススキルにクリティカル率上昇がある。
今まで、クリティカル率上昇をつけたときでもクリティカルが発
生したという実感はなかった。
ひょっとして、クリティカル発生がないと、単にクリティカル率
だけを上昇させても駄目なんじゃないだろうか。
1877
クリティカル率上昇は竜人族以外には死にスキルなのか。
いや。クリティカル発生を持つジョブが他にもあると信じたい。
﹁ダメージ軽減というのはどういうスキルだ﹂
大体分かるが。
﹁私ですか? 聞いたことはありませんが﹂
﹁セリーは?﹂
﹁物理ダメージ軽減と魔法ダメージ軽減のスキルならあります。た
だのダメージ軽減というスキルは知りません﹂
ベスタもセリーも知らないようだ。
パッシブスキルなのか。
常時発動型で常にダメージを軽減するのだろうか。
さすが中二感溢るるかっけージョブだ。
﹁ダメージ軽減と言ってみろ。なんともならないか﹂
﹁ダメージ軽減? ⋮⋮なりませんが﹂
ベスタのジョブを竜騎士Lv1に設定して言わせてみても、何も
起こらないらしい。
やはりパッシブスキルなんだろう。
アクティブスキルなら知られていなければおかしいしな。
﹁竜騎士というのは、どういうジョブだ﹂
﹁竜人族の中でも正義感に溢れ、主君や仲間を守る盾となるジョブ
です﹂
1878
なるほど。竜騎士の騎士とはナイトのことなのか。
﹁竜騎士は守備に秀でたジョブです。竜騎士がいるとパーティーの
安定度が増すとされています﹂
セリーも追加で説明した。
体力上昇は守備力が強くなるのだろう。
それが三つも並ぶのだ。
竜騎士というのは守備特化のジョブなのか。
ジョブの効果はパーティー全体に効いてくる。
竜騎士がいれば打たれ強くなるに違いない。
ダメージ軽減が本人だけに効果があるのかパーティー全体に効果
があるのかは分からないが。
どうせこのパーティーは俺の魔法がメインで戦うのだから、守備
特化のジョブというのもいいかもしれない。
このまま竜騎士をベスタのジョブにしてみよう。
1879
ダメージ軽減
﹁竜騎士はすべての竜人族にとって憧れのジョブです。私もいずれ
は竜騎士になってご主人様やパーティーに貢献できればと思います﹂
﹁まあベスタは今竜騎士だけどな﹂
なるべくさらっと言ってみる。
﹁え?﹂
﹁ではこのまま竜騎士でいってみるか﹂
﹁ええっと。竜騎士になるには、何年も修行をして、ギルド神殿で
認められなければなりません。私はあまり戦ったこともありません
が﹂
﹁そこは大丈夫だ。左手を出してみろ﹂
ベスタに左手を出させた。
フィフスジョブの錬金術師、は今メッキを使っているから、フォ
ースジョブの僧侶を騎士と替える。
インテリジェンスカード操作と念じた。
ベスタの左手からインテリジェンスカードが出てくる。
﹁え?﹂
﹁見てみろ﹂
論より証拠。
俺のインテリジェンスカードも見ていたし、ベスタはブラヒム語
が読めるだろう。
1880
ベスタが自分のインテリジェンスカードを見た。
﹁本当に⋮⋮竜騎士になっています﹂
﹁ちゃんとなってるだろ﹂
﹁ええっと。竜騎士⋮⋮。ええっと。インテリジェンスカード⋮⋮。
ええっと。インテリジェンスカードを扱えるのはご主人様のジョブ
で⋮⋮﹂
﹁大丈夫です、ベスタ。ご主人様ですから﹂
ロクサーヌがベスタを落ち着かせる。
迷宮で取り乱されても困るか。
﹁むしろ竜騎士になれたのはベスタの素質のおかげではないかな﹂
しかし適当に混乱させておけばそのうち慣れるだろう。
﹁いえ。そんな﹂
﹁それはともかく、次は十階層に移動する﹂
﹁毒のテストですか?﹂
﹁そうだ﹂
次は十階層に移動した。
ロクサーヌも何のために十階層に行くのかはちゃんと分かってい
るらしい。
﹁ではニートアントですね。こっちです﹂
ロクサーヌの案内でニートアントを狩り、毒針を集める。
ベスタは見学に専念させた。
毒針を十個集めた後は、十八階層に戻って見学させる。
1881
﹁竜騎士になったようですので、私も戦えます﹂
﹁えらいな。まあすぐにも戦ってもらう。もうしばらく待て﹂
﹁かしこまりました﹂
ベスタは竜騎士Lv1だしな。
あまり早く戦いに送り出すのもよくないだろう。
かといっていつまでも見学というわけにはいかない。
その辺の見極めが難しい。
早朝の狩を終えるまでに、ベスタは竜騎士Lv5までランクアッ
プした。
レベルが低いとレベルアップも早い。
これくらいが頃合いだろうか。
朝食を取ってから、クーラタルの七階層に赴く。
ちなみに、朝食を作っている最中にベスタがセリーに﹁ご主人様
はご主人様というジョブなのでしょうか﹂と小声で尋ねているのは
ばっちり聞こえた。
セリーもさぞ返答に困ったことだろう。
肯定も否定もしなかったようだが。
﹁今からは様子を見ながら、ベスタにも戦ってもらう。無理をする
必要はない。厳しいようだったら正直に言え﹂
﹁はい﹂
﹁最初は怖いだろうが、魔物の攻撃をわざと受けてみろ。迷宮で戦
う以上、攻撃を絶対に喰らわないということはありえない。魔物か
ら受けるダメージを確認しながら、少しずつ階層を上がっていく﹂
﹁はい。大丈夫だと思います﹂
1882
竜騎士にはダメージ軽減のスキルがあるから、七階層からくらい
で大丈夫だろう。
ハルバー一階層のチープシープの攻撃はなんともなかったようだ
し。
思い切ってハルバーの十階層からでもいいが、ニートアントは毒
持ちなので、最初としてはややハードルが高い。
クーラタル七階層のスローラビットあたりが適当だ。
﹁では行くぞ﹂
﹁あの。武器はこのままでよろしいのでしょうか﹂
あ、そうか。
竜騎士になったから二刀流が使えるんだった。
デュランダルを二本持たせたらとてつもない戦力になるな。
二本出せないから無理だが。
セリーあたりがそういう提案をしてきてもいいと思うが、何も言
ってこないところを見ると、主人が所有する最強の武器をほいほい
と奴隷に使わせるようなことはないのだろう。
デュランダルを出すと経験値的にもおいしくない。
﹁しばらくはそのままで。様子を見てまた考える﹂
﹁分かりました﹂
両手剣と大盾が装備できるのも二刀流スキルのおかげなんだろう
か。
大盾はまだ必要ないと思っていたが、意外に早く必要になるかも
しれない。
様子を見て、盾が必要なさそうなら両手剣二本。
盾が必要そうなら大盾を探すか。
1883
﹁大盾を二つという装備もありなんだろうか﹂
﹁はい。稀にはそういう人もいるそうです。ただあまりいないよう
です。攻撃の手数が少なくなりますので﹂
大盾二つもありといえばありなのか。
超守備力特化型だ。
回復が間に合わないほどダメージが多いときにはそういう選択肢
もありか。
﹁ロクサーヌ、スローラビットで数が少ないところに案内してくれ
るか﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌの案内で進む。
魔物が出てくると、見事にスローラビット一匹だ。
ファイヤーボールを一発だけ当てて、待ち受けた。
ベスタが前に出る。
スローラビットが近づき、ベスタに体当たりした。
ベスタは盾を横にそらして、わき腹で受ける。
攻撃を受けたのを見届け、再びファイヤーボールでとどめを刺し
た。
﹁どうだ﹂
﹁ええっと。はい。大丈夫だと思います﹂
ベスタが首をひねっている。
﹁痛かったか?﹂
1884
﹁いえ。それが全然衝撃がなくて。さっき戦ったチープシープと同
じくらい軽い攻撃でした。すみません。盾かどこかに引っかかった
のかもしれません﹂
﹁盾には当たっていないように見えたが﹂
﹁はい。盾には触れていませんでした﹂
ロクサーヌも盾では受けていないと証言する。
ロクサーヌがいうのなら確実だ。
一階層から七階層に上がったとはいえ、ジョブが村人から竜騎士
になって、ダメージ軽減のスキルもある。
そんなものなんだろう。
﹁なんにせよ、衝撃が少ないというのはいいことだ﹂
﹁はい﹂
メッキをかけているので、元々ダメージは少ないはずだしな。
﹁七階層では問題ないと判断すべきか。それとももう一度受けてみ
るか?﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
ベスタの了承を得て、ハルバーの迷宮に移動する。
﹁といっても、次は毒針を投げるだけの簡単なお仕事だ﹂
ベスタに毒針を持たせた。
ハルバーの一階層で毒を使わせる。
一階層だと一匹しか出てこないので面倒だが、しょうがない。
毒を使って倒すのは一発で倒せるかどうかぎりぎりの魔法を使っ
1885
て生き残った相手だ。
半分の確率で倒せるとして、十階層で三、四匹の団体に全体攻撃
魔法を使えば一匹くらいは残る。
だから本当は十階層の方が楽なのだが、贅沢はいえない。
十階層でニートアント相手にまた鬼ごっこをするのもな。
﹁毒針ですか﹂
﹁魔法に耐えた魔物が出てきたら使え。ロクサーヌも頼むな﹂
﹁はい﹂
ハルバーの一階層でチープシープ相手に一撃で倒せるぎりぎりの
魔法を使った。
魔法に耐えた魔物がいたので、待ち受ける。
正面でロクサーヌが相手をし、ベスタは横から毒針を投げつけた。
﹁毒、です﹂
ミリアが教えてくれる。
これは俺にも分かった。
毒を受ければ色が変わるといわれても、黒いニートアントの場合
に薄暗い迷宮内では区別がつかなかったが、白い羊なら分かる。
色が青白い感じに変わっていた。
あれが毒なのか。
毒々しいというよりは病的な感じだな。
毒を与えるわけじゃなくて毒を受けたわけだから当然か。
チープシープはすぐに倒れる。
ジョブを得るための試練はこれで終了だ。
後は、少しずつ階層を上げていきながら様子を見ればいい。
1886
﹁次は十一階層へ行って、ミノ相手に攻撃を受けてみるか。無理を
する必要はない。駄目そうだったら、そう言え﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
十一階層に移動した。
十階層のニートアントは毒持ちなので避ける。
十階層のエスケープゴートでもいいが、七階層で問題がないのだ
から、十一階層でいいだろう。
ロクサーヌがミノ一匹のところに案内する。
ベスタが魔物の攻撃を受けた。
ミノをすぐに二発めの魔法で粉砕する。
﹁どうだ﹂
﹁はい。全然大丈夫です。今回はちゃんと攻撃が当たりました。ミ
ノとは迷宮の外で戦ったことがあります。ただ、そのときの衝撃と
そんなに違わないような気もしますが﹂
今回はメッキなしでいかせてみたが、問題はないようだ。
﹁迷宮の外にいるミノと十一階層のミノでは結構違うと思いますが、
大丈夫ですか﹂
セリーが口を挟んできた。
迷宮の外のLv1の魔物と十一階層のLv11の魔物では攻撃力
も異なる。
レベルも上がっているし、ダメージ軽減の効果もあるので、こん
なもんだとは思うが。
1887
﹁まあ大丈夫だろう﹂
﹁どちらもあまり痛くなかったので、そんなに違いません﹂
あまり痛くなかったのか。
もっと上でも余裕そうだな。
﹁痛くなかったって﹂
﹁うーん。私も迷宮の外の魔物の攻撃を受けたのはだいぶ前でした
ので﹂
セリーは助けを求めるようにロクサーヌを見るが、ロクサーヌが
首をひねる。
助言を求める相手を間違っている。
ロクサーヌの場合、迷宮の外で魔物の攻撃を受けた事実があると
いうことの方が驚きだ。
﹁では、次は十三階層のピッグホッグだ﹂
十二階層のグラスビーは毒持ちなのでパス。
十三階層でピッグホッグを試させた。
﹁ええっと。さっきのミノとほとんど変わらないような。まだまだ
余裕です﹂
今回はメッキをかけていたから、そんなに違いはないだろう。
﹁ピッグホッグなのに﹂とかつぶやいているセリーは放っておこ
う。
十二階層より上で初めて出てくる魔物は低階層の魔物より強いが、
メッキで相殺される。
メッキをかけるとダメージが減ることは、魔物にメッキをかける
1888
テストで確認済みだ。
﹁次は十四階層のサラセニアか。あるいは余裕がありそうなら十六
階層でクラムシェルを相手にしてみるか﹂
﹁十六階層で大丈夫だと思います﹂
本当に余裕があるみたいだな。
十六階層へ飛ぶ。
十五階層のビッチバタフライは、麻痺があるので避けた。
﹁ロクサーヌ、十六階層のボス部屋の位置は分かるか﹂
﹁はい。確かこっちですね﹂
﹁ではボス部屋まで頼む。近くにクラムシェルがいたら案内してく
れ﹂
ロクサーヌに案内を依頼する。
見た目たいして変化のない洞窟の中なのによく覚えているもんだ。
においで分かるのかもしれないが。
﹁途中クラムシェルとビッチバタフライが群れでいますね。クラム
シェルは複数です﹂
﹁数が多いのは危険だな﹂
﹁クラムシェルしかいないのは反対側になりますし、多分複数です
ね。右にいくと、やはりクラムシェルとビッチバタフライが群れで
いますが、おそらくクラムシェルは単体です﹂
﹁そっちでいいだろう﹂
わざと攻撃を受けるなら相手は一匹がいい。
一回だけ攻撃を受けるつもりが連発を喰らって思わぬピンチにと
いうことも考えられる。
1889
単体攻撃魔法で一匹ずつ片づけるのも面倒だし。
それに十六階層とはいえ戦闘を長引かせるのもよくない。
ロクサーヌの案内にしたがって進んでいくと、クラムシェルが一
匹にビッチバタフライ二匹の団体が出た。
ブリーズストームで攻撃する。
ビッチバタフライの弱点である風属性魔法で攻撃すれば、クラム
シェル一匹が残ることになる。
さすがロクサーヌはよく分かってる。
﹁私も前に行った方がよろしいでしょうか﹂
﹁いや。ビッチバタフライが倒れるまで待て﹂
﹁分かりました﹂
ベスタを抑え、風魔法を放つ。
やる気があるのはいい傾向だろう。
ロクサーヌ、セリーとミリアが魔物と対峙した。
蝶が落ちると、今度は全員でクラムシェルを囲む。
俺もサンドボールに切り替えて攻撃した。
ベスタは、ロクサーヌと場所を替わり、正面から挑んでいく。
ベスタが鋼鉄の剣で貝殻を叩いて魔物を挑発した。
クラムシェルの貝殻がかすかに動く。
貝殻を開けてくるな。
﹁水と挟み攻撃は受けなくていいぞ﹂
予め言っておけばよかった。
クラムシェルの貝殻が開いた場合、中から水を撃ってくる攻撃と
1890
貝殻で挟み込んでくる攻撃とがある。
どちらも通常の体当たりより面倒だから、わざと受けることはな
いだろう。
﹁挟み込んできます﹂
ロクサーヌにはやはり分かるのか。
初動に違いがあるようには見えないのだが。
クラムシェルは貝殻を大きく開け、ロクサーヌが言ったとおり挟
み込もうとしてきた。
飛びつくようにしてベスタに襲いかかる。
ベスタが盾で弾いた。
すげ。
文字どおり弾き飛ばしたな。
飛ばされた貝が再度近づき、お返しに体当たり攻撃をしてくる。
ベスタが盾をずらしてわざと受けた。
まずはサンドボールを撃ち込んで魔物にとどめを刺す。
続いてベスタにメッキをかけなおし、手当てと念じた。
﹁二階層上がりましたが、大丈夫ですね。あ。回復はいいです﹂
回復をベスタが止める。
一回でいいのか。
﹁もういらないのか﹂
ダメージ軽減のスキル効果は相当大きいに違いない。
これなら十八階層でも大丈夫そうだ。
1891
牡蠣
改めてボス部屋に向かった。
途中、クラムシェルが三匹とビッチバタフライの団体に出会う。
ロクサーヌが最初に言っていたやつだ。
サンドストームで迎え撃つと、ロクサーヌを中心に前衛が陣を敷
いた。
﹁私も前に出た方がいいでしょうか﹂
﹁あー。そうだな。セリー、ベスタと場所を替わってくれ﹂
﹁はい﹂
﹁がんばります﹂
セリーとベスタが場所を入れ替わる。
別に十八階層まで見学でもよかったのだが、自分から言い出した
のだからいいだろう。
やる気があっていいことだ。
セリーは槍を持っているので、後ろからでも攻撃できる。
﹁前に出るならこれを﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
セリーが自分が装備していた頑丈の硬革帽子をベスタにかぶせた。
ベスタが頭を低くして受ける。
確かに、場所を入れ替えるなら交換した方がいい。
左から順にベスタ、ロクサーヌ、ミリアと順に並んだ。
1892
魔物を待ち受ける。
なかなか強力な前衛がそろったと考えていいだろう。
大柄なベスタが前にいると頼もしい。
しばらくしたら、ベスタを真ん中にしてみる手もあるかもしれな
い。
今は攻撃をかわせるロクサーヌが半歩前に出て魔物の注意を引き
つけているが、魔物がロクサーヌを先頭と認識するかどうかは不明
だ。
遠近法的に。
﹁来ます﹂
ロクサーヌの声が飛んだ。
クラムシェルが水を放ってくるのだろう。
あいつか。
クラムシェルが貝殻を開いている。
ちょうどいい。
さてどっちが狙われるか。
貝が水を吐いた。
ロクサーヌが上半身を少しだけ右に傾け、水を避ける。
これまでも先頭のロクサーヌが狙われることが多かった。
魔物は誰が先頭か正しく判断できるようだ。
ロクサーヌが後ろに逃した水をセリーが避ける。
セリーはロクサーヌとベスタの間から槍を突き入れようとしてい
た。
魔法をどこから放ってもいい俺の位置取りのようにロクサーヌの
1893
後ろから離れてというわけにはいかない。
このフォーメーションに思わぬ課題が。
﹁大丈夫だったか?﹂
﹁なんとかかわしたので問題ありません﹂
まあセリーにはセリーでがんばってもらうしかないだろう。
クラムシェル二匹とビッチバタフライが前衛と接する。
水を放ったクラムシェルは後列に回るようだ。
前衛が魔物の前に立ちはだかり、セリーが槍を突き、俺が魔法で
攻撃した。
サンドストームでクラムシェルを倒す。
二発めを放ってくる前に始末できた。
ベスタも前衛を無難にこなしたようだ。
ちゃんと戦えそうか。
残ったビッチバタフライも片づける。
こちらは全員で囲むので問題はない。
魔物の団体を一つ倒し、待機部屋に入った。
﹁今度はボス戦も経験してもらう。攻撃をわざと受ける必要はない。
雑魚は俺が片づけるから、ベスタはロクサーヌたちと一緒にボスを
囲め﹂
﹁分かりました﹂
待機部屋でベスタに注意を与え、ボス部屋へと移動する。
考えてみれば、ボス戦もいきなり上の階層からではなく、徐々に
経験させていくのがいいかもしれない。
現状、ボスの正面はロクサーヌが面倒を見るので、後ろから囲ん
1894
でぼこるだけだが。
お付の魔物が出てくるようになって多少は難易度も上がっている
とはいえ。
煙が集まり、魔物が現れた。
オイスターシェルとクラムシェルだ。
俺は水を撃たれてもいいように反対側に回る。
四人の戦いぶりも見ながら、デュランダルでクラムシェルを屠っ
た。
ベスタもしっかり戦えているようか。
ボスの攻撃をロクサーヌがかわした隙をつき、斬撃を決めていた。
大きいだけに目立つ。
しかも強そうだ。
クラムシェルを片づけ、俺もセリーの隣へ行って囲みに加わる。
セリーは一歩下がって後ろから槍で突いた。
全員で攻撃する。
階層のボスとはいえ、こうなると一方的だ。
オイスターシェルは攻撃さえ当てられないしな。
ロクサーヌを狙う限り。
ベスタが魔物の背後から鋼鉄の剣を叩きつけた。
ボコッと貝殻もくぼみそうな音がして、オイスターシェルが倒れ
る。
今回はベスタが倒したのか。
人数も増えたし、ボスのとどめを俺が刺すのは難しくなっていく
のだろう。
1895
﹁やったな﹂
﹁はい、ありがとうございます。今は会心の攻撃ができました。竜
騎士になると、ときおり自分で思った以上の攻撃ができることがあ
るそうです。今のがそうだったのかもしれません﹂
なるほど、クリティカルか。
竜騎士のスキルであるクリティカルが発生したのだろう。
本人には分かるらしい。
アクティブスキルでないから、クリティカルというスキルがある
ことは知られていないのかもしれない。
クリティカルだからといって派手なエフェクトがあるわけでもな
い。
大きな音がして見事な攻撃が決まったから、完全に分からないと
いうわけでもないが。
後、クリティカルが分かるとすれば攻撃を受けた側か。
分かりたくはない。
﹁そういう思った以上の攻撃って、竜騎士以外でも出せるのか?﹂
﹁聞いたことはないですね﹂
竜騎士以外でクリティカルを出せるジョブがないかとベスタに聞
いてみたが、それも知られていないようだ。
﹁セリーは?﹂
﹁はっきりとした話は。攻撃がたまにうまくいくことなら誰でもあ
るかもしれませんし﹂
﹁噂レベルでもいいが﹂
はっきりしない話ならあるのだろうか。
1896
﹁ロクサーヌさんは知っていますか?﹂
﹁知りませんが﹂
﹁獣戦士で長年修行を積むと、百獣王というジョブに就けることが
あるそうです。その百獣王になると、ときどきすごい攻撃を出せる
らしいという話を聞いたことがあります﹂
﹁そうなのですか。知らなかったです﹂
ロクサーヌも知らない狼人族のことを知っているセリーはさすが
だ。
マジぱねえっす。
しかし、獣戦士の上級職が百獣王なのか。
狼なのにいいのだろうか。
﹁さすがはセリーだ﹂
﹁本当のことかどうかは分かりませんが﹂
百獣王にもクリティカル発生のスキルがあるのだろうか。
獣戦士の上級職ということは種族固有ジョブになる。
残念ながら俺には取得できない。
しかし、竜騎士と百獣王にあるなら、他の種族固有ジョブにあっ
てもおかしくない。
色魔の上級職にもクリティカル発生のスキルがある可能性が微粒
子レベルで存在するのではないだろうか。
﹁あ。そのボレーはベスタに渡せ﹂
﹁はい、です﹂
オイスターシェルのドロップアイテムを拾ったミリアに話しかけ
1897
ると、ミリアがベスタのところに持っていった。
﹁よろしいのですか﹂
﹁必要なんだろう﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
ベスタがミリアからボレーを受け取る。
﹁お姉ちゃん、です﹂
ミリアが何故か自慢げに胸を張った。
まあ別にいいけどさ。
そして何故か俺の方をうかがうように見る。
百獣王について何かいいたいことがあるのだろうか。
﹁じゃあ十八階層に行くか﹂
﹁⋮⋮はい、です﹂
ボス部屋の外に出た。
あれ。
ミリアが心なしかうなだれたような。
あ、なるほど。
ミリアのいいたいことが分かった。
十六階層の次は十七階層でボス戦を経験させるべきだと。
ハルバーの十七階層じゃなくクーラタルの十七階層で。
ブラックダイヤツナでと。
そういうことね。
1898
﹁あー。そういえば、この間の赤身がまだアイテムボックスにある
んだよな。ミリア、明日の夕食の材料に提供するから、何か一品作
ってくれるか﹂
﹁はい、です﹂
ミリアへのフォローはこれでよしと。
しかし、ボス戦ではこれからますます俺が最後の一撃を入れるこ
とが難しくなるだろう。
俺が倒せること前提でハルバーではトロが残るまでなどと約束し
てしまったが、大丈夫なんだろうか。
トロが出るまでブラックダイヤツナを倒し続けるのが大変になり
そうだ。
実際問題どうするのだろう。
料理人のレア食材ドロップ率アップは、俺がとどめを刺さなくて
も有効なんだろうか。
あるいは全員料理人にして挑むか。
探索者Lv30まで上げないといけないし大変だが。
パーティー全員が料理人だとレア食材のドロップ率が五倍になる
とか。
ないか。
ドロップ率五倍はないにしても、とどめを刺さなくても有効かど
うかは確認しておきたい。
来るべきブラックダイヤツナ戦に備えて。
﹁セリー、オイスターシェルは牡蠣も残すんだよな﹂
﹁はい﹂
﹁ベスタが加入した祝いということで、今夜の夕食に牡蠣料理など
どうだ﹂
1899
提案してみる。
さっきは料理人をつけずにオイスターシェルに臨んだ。
目的はボレーだったし。
料理人をつけて、どれくらいで牡蠣が残るか試してみるのもいい
だろう。
﹁牡蠣は高いので、売却するか主人だけが食べるのが一般的です。
食されてもいいと思います﹂
﹁いや。もちろん全員で食べるが。ベスタも、食べたいよな?﹂
セリーが変なことを言い出したのでベスタに援護射撃を求める。
ミリアに援護を求めても魚以外では危険だ。
﹁ええっと。はい、いただけるのであれば﹂
ベスタはちゃんと空気の読める子だ。
えらい。
ダンジョンウォークで移動した。
小部屋から待機部屋まで進み、ボス部屋に入るとき料理人をつけ
る。
錬金術師は残し、僧侶をはずした。
万が一の時には僧侶があった方がいいが、戦いぶりを見る限りそ
れほど心配はないだろう。
今かけているメッキは錬金術師をはずしたら無駄になるかもしれ
ないし、それはもったいない。
戦闘では俺がクラムシェルの体当たりを喰らったりしたが、ご愛
嬌だ。
1900
俺ならデュランダルのHP吸収で回復できる。
今回は俺の一撃でオイスターシェルを倒した。
ボスが煙と消え、ボレーが残る。
駄目だったか。
﹁ボレーなんて別に腐らないよな﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
﹁じゃあそれはベスタが持っておけ。なくなりそうになったら、ち
ゃんと言えよ﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
何個も持たせたら確実に忘れるので、ベスタから申告してもらう
ことにする。
一個だって忘れそうだから、任せておけばいいだろう。
主人に申し出るのはやりにくいかもしれないが、やってもらうし
かない。
再度周回した。
今度はセリーが槍で倒したのに、牡蠣が残る。
煙が消えると、乳白色のプルプルした物体が残った。
牡蠣だ。
殻はつかずに中身だけなのか。
貝殻がついたらボレーとどう違うのかとなるが。
鑑定してもちゃんと牡蠣と出る。
俺が慎重に拾い上げ、アイテムボックスに入れた。
﹁これが牡蠣か。どうやって食べるんだ﹂
﹁焼くか、煮るかだと思います。私も小さいころに一度食べたかど
1901
うかなので詳しくは知りません﹂
セリーは食べたことがあるらしい。
生では食べないのだろうか。
ちょっと気持ち悪いか。
魔物のドロップアイテムだし、俺も生で試してみる気はない。
大きさは手のひらサイズだ。
牡蠣としては大きい方だろうが、特別でかいわけではない。
一人一個はほしいところだろう。
今回はセリーが倒したし、料理人のレア食材ドロップ率アップは
本人がとどめを刺さなくてもパーティー内で有効なのかもしれない。
一人一個を目指して周回を重ねてみる。
重ねてみる。
重ねてみる。
何度も周回を重ねてみた。
さらに重ねる。
大事なことなのでもう一度いうが周回を。
﹁また残りました。さすがはご主人様です﹂
﹁すごい、です﹂
﹁そうなんですか﹂
ロクサーヌやミリアは褒めてくれるが。
いやいや。五個めが出るまでに二十周以上はしたからね。
それでも悪くはないのだろうが。
レア食材ドロップ率アップがパーティー内で有効かどうかもよく
1902
分からなかった。
俺が倒したときだけ牡蠣が残ったわけでもなかったが、俺が倒し
たときの方が残りやすいような気もする。
元々オイスターシェルが牡蠣を残す確率も分からないし。
まあブラックダイヤツナと戦うときはそのときでいいだろう。
一個でいいなら二十周もすることはないはずだ。
十八階層に移動する。
十六階層では問題なかったようだし、十八階層でいい。
﹁一度攻撃を受けてみるまで、ベスタは見学な。一匹残ったら、前
に出て攻撃を受けてみろ。十八階層は毒持ちが多いから気をつける
ように﹂
﹁はい。大丈夫だと思います﹂
﹁こっちにフライトラップとクラムシェルのいる群れがありますね。
フライトラップは複数いますが、クラムシェルは単体だと思います﹂
毒持ちのフライトラップやケトルマーメイドでしょうがないかと
思ったが、ロクサーヌがあっさりとクラムシェル一匹のところを発
見した。
さすがロクサーヌだ。
まずはフライトラップ二匹をファイヤーストームで片づける。
クラムシェルは火属性魔法に強いという問題はあるが。
サンドボールを当てながら残ったクラムシェルを囲んだ。
ベスタが正面に立つ。
クラムシェルの体当たりを受けた。
メッキだけかけなおし、土魔法を放つ。
攻撃を喰らった後すぐ倒そうとしたが、一発では倒れない。
1903
ロクサーヌがベスタと場所を替わった。
さらにサンドボールを追加して、クラムシェルを屠る。
貝を始末するのにやはり多少時間がかかってしまった。
追加の攻撃は受けなかったのでよしとしよう。
﹁どうだ﹂
﹁このくらいなら問題ありません。この帽子の効果かもしれません。
まだまだ大丈夫だと思います。盾も必要ないかもしれません﹂
﹁じゃあ前に出てもよさそうか﹂
﹁はい。あ、回復はもう大丈夫です﹂
手当て一回でベスタが止める。
一応十八階層なのに盾もいらないのか。
ダメージ軽減のスキルは恐ろしいな。
メッキをかけているおかげもあるのだろうが。
1904
ミニスカ
その後も十八階層で戦った。
ベスタも問題はなさそうか。
何度か攻撃は喰らったが、弱音を吐くこともなかった。
﹁よし。少し早いが今日はこのくらいにしておくか。買い物もある
しな﹂
﹁買い物ですか?﹂
ロクサーヌが食いついてくる。
ベスタのものを買うのだが。
ロクサーヌなら自分のものじゃなくても大丈夫か。
ベスタにメイド服とエプロンを買わなければいけない。
大柄なのでメイド服が似合うかどうかは分からないが、エプロン
はありだろう。
それに寝間着も買う必要がある。
﹁まずは帝都の服屋だな﹂
﹁ベスタのネグリジェが必要ですね﹂
ロクサーヌも選ぶ気満々だ。
文句を言われるよりはいい。
﹁私のですか?﹂
﹁ベスタのものをいろいろ作る﹂
1905
﹁ありがとうございます﹂
ベスタが頭を下げた。
﹁今日は初日だからいろいろ大変な面もあっただろうが、これから
も頼むな﹂
﹁はい。迷宮の魔物はものすごく手ごわいかと思っていましたが、
このくらいなら問題ありません。大丈夫だと思います﹂
弱音を吐くどころの騒ぎじゃないな。
竜騎士のレベルが上がっていけばさらに楽になるはずだ。
恐ろしい。
帝都に移動する。
冒険者ギルドの外に出た。
ベスタもあまり周囲を見渡したりはしていない。
﹁ベスタは帝都に来たことがあるのか﹂
﹁いいえ。ありません﹂
﹁そうか﹂
﹁ついていくだけですから﹂
そういうもんなんだろうか。
服屋に赴く。
﹁ここだ﹂
﹁ええっと。すごく立派なお店なのですが﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁よろしいのでしょうか﹂
1906
ついてくるだけだろう。
中に入った。
入り口を見上げていたベスタも続いてやってくる。
﹁いつもありがとうございます。ようこそお越しくださいました﹂
いつもの男性店員が女性店員二人を引き連れて近づいてきた。
﹁この間頼んだエプロンをまた作ってもらうことはできるか﹂
﹁はい。もちろんでございます﹂
﹁今度は彼女の分を頼む﹂
ベスタの肩に手を乗せる。
俺の顔くらいの高さにあるが。
オーダーメイドだから作るのは問題ないだろう。
﹁ありがとうございます。では採寸いたしますので﹂
﹁こちらへ﹂
男性店員が目配せすると、女性店員がベスタの前に立った。
体を半分折っていかにも慇懃な姿勢だ。
手で方向を示してベスタを導く。
﹁ええっと﹂
﹁行ってこい﹂
﹁は、はい﹂
ベスタを送り出した。
というか、採寸って何をするのだろう。
別室に行くところを見ると、服まで脱がせるのだろうか。
1907
服を脱がせてメジャーを身体に巻きつける、と。
大きな双球のサイズも測らなければならない。
どうやって測るのか。
興味津々だ。
﹁昔作ってもらった侍女服も彼女の分を頼む﹂
とはいえ覗くわけにもいかないので、商談を進める。
﹁かしこまりました。使用する布は前回と一緒のものでよろしいで
しょうか﹂
﹁そうだな﹂
﹁エプロンは五日、侍女の衣装は十日ほどかかります﹂
﹁分かった﹂
十日後いっぺんに取りに来ればいいか。
と一瞬思ったが、別々に受け取るのもいいだろう。
一度に両方を着せることはないのだから。
﹁後はこれですね。さっきの彼女に合う大きさのものもありますで
しょうか﹂
ロクサーヌたちはサテン地のキャミソールのところに行っていた。
﹁こちらは既製品ですので、サイズの方はここまでになってしまい
ます﹂
﹁これですか。一応ちゃんと着れそうですね﹂
﹁肩幅などは十分だと思います﹂
1908
女性店員が答える。
セリーのも小さいやつはなかったしな。
サイズはそんなにないのだろう。
﹁そうですね﹂
﹁ただし裾が少々短いかもしれません﹂
﹁うーん。どうしましょうか﹂
﹁これ以上のサイズとなると、別注で作ることになりますが﹂
裾が短いのか。
それはそれでありだ。
ロクサーヌが悩んでいると、ベスタが戻ってきた。
ロクサーヌがベスタの身体にキャミソールを当てる。
キャミソールの裾がベスタの膝あたりに。
いい位置じゃないか。
﹁やはり短いですか﹂
﹁さすがに短いでしょう﹂
﹁みじかい、です﹂
﹁そうですね﹂
﹁とりあえず買ってみて、どうしても困るようなら作ればいいだろ
う﹂
話がまとまりそうなのであわてて口を挟んだ。
いやいや。
十分な長さですって。
﹁そうですか? もし着れないと無駄な出費になってしまいますが﹂
﹁大丈夫だ﹂
1909
少なくとも着れないということはない。
この世界にミニスカの女子高生はいない。
ミニスカのお姉さんもいないし、ミニスカのお姉様もいない。
チャンスを逃してなるものか。
﹁こちらのサイズは現在白か黒しかございませんが﹂
いいじゃないか、黒。
妖艶な感じが大柄なベスタにぴったりだ。
なんとか作らせて注文を得ようという女性店員の思惑などに踊ら
されてなるものか。
﹁ベスタは黒でいいですか?﹂
﹁よろしいのですか?﹂
﹁大丈夫です﹂
白はセリーが着ている。
ロクサーヌが中心となって、黒のキャミソールを選んだ。
選んだものをロクサーヌが持ってくる。
﹁では、これももらえるか。あと、兎の毛皮も引き取ってくれ﹂
アイテムボックスから兎の毛皮を取り出し、カウンターに置いた。
﹁あ。お客様は帝国騎士団のかたではなかったのですね﹂
男性店員がつぶやく。
俺のことをどっかの騎士団員だと思っていたようだ。
思わぬところから素性が発覚してしまった。
1910
タイミング的に兎の毛皮か。
騎士団員は店で兎の毛皮を売ってはいけないのだろうか。
いや。今までも兎の毛皮は売り払ってきた。
他の何かか。
尋ねるのもどうかと思うので、精算を済ませて店を出る。
やぶへびになっても困るし。
﹁店員はご主人様のことを帝国騎士団員だと思っていたようですね﹂
店を出るとロクサーヌが自慢げに話しかけてきた。
﹁なんでだろうな﹂
﹁ご主人様を見れば当然のことです。あの店員には見所があります﹂
ロクサーヌは誰かに騙されないかと心配になるな。
素晴らしいご主人様に是非こちらの壷を。
﹁普通の探索者は荒くれ者がほとんどです。きちんとしたマナーを
守ることができるのを見れば、帝国騎士団員だと判断してもおかし
くないでしょう﹂
まあセリーがいうのならそうなんだろう。
現代日本人として普通なら、行儀はしっかりしているということ
か。
そういうものかもしれない。
﹁ブラヒム語、です﹂
1911
なるほど。
ブラヒム語がしゃべれるというのもあるかもね。
﹁ああ。それだ﹂
﹁はい、です﹂
ブラヒム語に苦労しているミリアならではの発想だ。
ネコミミをなでて褒めておく。
続いては防具屋に向かった。
クーラタルの商人ギルドにワープしてから、歩いて移動する。
﹁プレートメイルだっけ?﹂
﹁はい。そうです﹂
防具屋に入ると、ベスタに確認してプレートメイルを探した。
鋼鉄のプレートメイル。
これか。
フルアーマーじゃなくて、肩から腰にかけてを囲む金属の筒だ。
腰の部分には、甲冑によくあるスカートみたいなひらひらがつい
ている。
別々ではなく一体型となっていた。
装備すると出来の悪いロボットみたいな感じになるんじゃないだ
ろうか。
どうやって着るのかと思ったら、横からぱっくりと二つに割れる
ようになっている。
どう見ても重そうだ。
1912
実際に手で引き上げてみる。
持てないほどではないが、重い。
これを着て迷宮を歩き回るのか。
﹁お。こっちの方が、ひらひらがよさそうだな﹂
﹁草摺ですね。あまり違いがあるようには見えませんが﹂
セリーが教えてくれた。
草摺というのか。
違いがあるとは、俺も思えない。
空きのスキルスロットが三つあるだけで。
﹁重いけど、ベスタは着れそうか?﹂
﹁そうですね。大丈夫だと思います﹂
ベスタが鋼鉄のプレートメイルを引き上げる。
おかしいな。
ベスタが持つと軽そうに見える。
竜人族が持つと補正がかかるのかもしれない。
﹁鎧はそれでいいか?﹂
﹁はい。十分です。ありがとうございます﹂
他の売り場にも移動した。
プレートメイルにあわせて鋼鉄のガントレットと鋼鉄のデミグリ
ーヴも選ぶ。
金属製の籠手と靴だ。
鋼鉄のデミグリーヴは膝の高さくらいまである脛当がついている。
空きのスキルスロットがついているものの中から、ベスタに選ば
1913
せた。
頭装備だけやめておく。
フルフェイスのものをつけさせたら完全に騎士になってしまうし
な。
頑丈の硬革帽子がもったいない。
﹁好きなのを選んだら持ってこい﹂
﹁はい﹂
ベスタに任せ、俺は先にカウンターに向かう。
重いのを持ち歩くのは嫌だ。
﹁大盾というのは、置いてないか﹂
﹁竜人族用の盾ですね。あいにくとうちでは取り扱っておりません﹂
﹁そうか。ならいい﹂
店員に訊いてみたが、大盾はやはり置いてないようだ。
ないものはしょうがない。
十八階層でもダメージは大きくないようだし、ベスタの装備は両
手剣二刀流でいいだろう。
﹁これをお願いします﹂
ベスタたちが防具を持ってきた。
セリーが鋼鉄のガントレット、ミリアが鋼鉄のデミグリーヴ、ベ
スタが鋼鉄のプレートメイルを抱えている。
一人で全部は持てないか。
結構大変だ。
金を払ってアイテムボックスに入れた。
1914
大きなプレートメイルでもアイテムボックスにはちゃんと収まる。
ありがたい。
﹁後は食材を買って帰るか。牡蠣は俺が焼くから、他の料理を頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
防具屋を出てロクサーヌたちに話した。
牡蠣を調理したことは誰もないみたいなので、俺がやるのがいい
だろう。
家に帰ると、牡蠣をよく洗い、小麦粉をまぶしてバターでソテー
する。
ベスタに搾ってもらったレモン果汁をかけたら、できあがりだ。
ベスタがやるとレモンも簡単に搾れるな。
レモンというよりちっちゃいミカンを搾っている感じだ。
これからもせいぜい手伝ってもらうことにしよう。
牡蠣のバターソテーはかなりうまくいった。
外はこんがりと焼け、中は柔らかく濃厚な味がする。
レモンの酸味がいいアクセントになっていた。
﹁さすがご主人様のお作りになる料理は最高です﹂
﹁やはり美味しいですね。確かにこんな味だったような気がします﹂
﹁おいしい、です﹂
﹁こんな美味しいものを食べさせていただいてよろしいのでしょう
か﹂
四人にも好評のようだ。
﹁ベスタ、食事が終わったら防具を着けてみろ。明日になってあわ
1915
てても困る﹂
﹁はい。分かりました﹂
牡蠣を食べながら話す。
大振りとはいえ一個しかないので、牡蠣はすぐなくなってしまっ
た。
しょうがない。
夕食の後、ベスタにプレートメイルを着用させる。
明日の朝まだ暗いうちに着ることを考えたら、一度試着させてみ
るのがいいだろう。
﹁どうだ。一人で着られるか﹂
﹁一人では難しいかもしれません﹂
﹁だろうな﹂
﹁やる、です﹂
プレートメイルを開き、ミリアが持ち上げた。
ベスタの身体に押し当てて、閉じる。
ちゃんと入ったようだ。
﹁ミリア、ありがとな﹂
﹁お姉ちゃん、です﹂
﹁ありがとうございます﹂
ベスタも礼を述べた。
続いてデミグリーヴを履く。
﹁グリーヴをはいてから着るのでした﹂
1916
ベスタがぼやいた。
ガントレットもつける。
プレートメイルをつけてから身体を曲げるのは大変なんだろう。
今日のうちにやっておいてよかった。
鋼鉄の装備品は、思ったよりスタイリッシュだ。
出来の悪いロボットとか考えて悪かった。
身体のラインも強調されることなく、引き締まっている。
フォルムが美しい。
どう見ても男装の麗人だ。
この世界では男装というわけでもないのだろうが。
オスカルと名づけたい。
﹁よく似合ってるな。重くはないか﹂
﹁少しは。でも大丈夫だと思います﹂
やはり重いのか。
そこは耐えてもらうしかない。
試着させただけで、すぐに脱がせた。
服も脱がせて、風呂場に行く。
お湯で汗を拭いた。
汗を落とした後、ネグリジェのキャミソールを着せる。
﹁どうだ、ベスタ。ちゃんと着れたか﹂
﹁はい。ええっと。少し裾が短いですが﹂
寝室に入ると、ベスタが黒いキャミソールを着ていた。
大きな胸に、キャミソールが尋常でなく持ち上げられている。
1917
まさにピラミッドか。
クフ王と名づけたい。
﹁おお。いいじゃないか﹂
﹁ありがとうございます。ですが、短くてちょっと恥ずかしいです﹂
裾は膝上辺りまである。
ミニといっても別に極端に短いわけではない。
ミニスカートなんて存在しないこの世界では膝小僧が見えるだけ
でも恥ずかしいのだろう。
ツイッギーと名づけたい。
その分こちらには悩ましい。
日本ではミニスカートの女性に何かするなんてことは考えられな
かったし。
くそ。
たまらんな。
ベッドの横に座らせる。
座るとさらに太ももまであらわに。
キャミソールの色が黒というのも、また艶かしい。
これはもう無茶苦茶にせねばなるまい。
ベスタを抱き寄せた。
膝をまさぐる。
サテン地の裾と生足が織り成すなめらかさがたまらない。
手を動かしながら、唇を求めた。
寝る前のキスの順番は、ロクサーヌが最後。
ベスタが一番最初だ。
1918
この順番に感謝しなければならない。
これを決めたときの俺にグッドジョブと言っておきたい。
1919
十九階層
昨夜は暑かったようだ。
朝起きたらベスタにへばりついていた。
冷えた身体が気持ちいい。
春過ぎて、夏来るらし。
薄暗い中、起き上がる。
ミリアは俺のシャツを取ってくれたりと大車輪だ。
多分ベスタが装備を着けるのも手伝ってやったのだろう。
ベスタが礼を述べていた。
﹁ミリア、ありがとな﹂
﹁はい、です﹂
俺も礼を言って、装備を整える。
全員の準備ができたのを確認して、ワープと念じた。
ベスタも大丈夫らしい。
迷宮に抜ける。
迷宮の中は特に暑いということはなかった。
温度は比較的一定に保たれているようだ。
ハルバーが北にあるから涼しいのかもしれないが。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv44 英雄Lv40 魔法使いLv42 僧侶Lv42
1920
賞金稼ぎLv1
装備 ひもろぎのロッド 硬革の帽子 アルバ 竜革のグローブ 竜革の靴 身代わりのミサンガ
ロクサーヌ ♀ 16歳
騎士Lv24
装備 エストック 鋼鉄の盾 耐風のダマスカス鋼額金 竜革のジ
ャケット 硬革のグローブ 柳の硬革靴 身代わりのミサンガ
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv33
装備 強権の鋼鉄槍 硬革の帽子 チェインメイル 防水の皮ミト
ン 硬革の靴 身代わりのミサンガ
ミリア ♀ 15歳
海女Lv33
装備 レイピア 鉄の盾 防毒の硬革帽子 チェインメイル 硬革
のグローブ 硬革の靴 身代わりのミサンガ
ベスタ ♀ 15歳
竜騎士Lv11
装備 鋼鉄の剣 鉄の剣 頑丈の硬革帽子 鋼鉄のプレートメイル
鋼鉄のガントレット 鋼鉄のデミグリーヴ 身代わりのミサンガ
ベスタの装備も変えたし、メッキをかけるのはやめにした。
錬金術師をはずして賞金稼ぎを育ててみることにする。
フォースジョブまでにすれば必要経験値二十分の一と獲得経験値
二十倍をつけられるが、しょうがない。
1921
僧侶ははずせない。
探索者、英雄、魔法使いは不可欠なので四つだとはずせるジョブ
がない。
料理人や戦士などをつけたい場合もあるので、当面はフィフスジ
ョブまでつけることでいいだろう。
﹁ベスタも戦えるようだし、今日からしばらくは探索を中心にしよ
う。魔物の種類とか数とかは気にしなくてもいい﹂
ロクサーヌに指示を出した。
フィフスジョブまでつける代わりに、迷宮での活動パターンを変
えてみる。
パーティーメンバーもそろってきたので、そろそろ一歩踏み出し
てもいいのではないだろうか。
俺のジョブのレベルは四十を超えたあたりからほとんど動かなく
なっている。
セリーとミリアのレベルも、三十を超えてからは動きが鈍い。
適正な階層を過ぎつつあるということだろう。
俺とセリーたちとで異なるのは俺の方が必要な経験値が十分の一
だから妥当だとして。
レベルが三十、四十ある人は、もっと上の階層で戦っているに違
いない。
上へ行けば、経験値も多くなり、レベルも上がるはずだ。
もちろんこれまでもそれを分かった上で安全重視でやってきたの
だが、もう少し積極的に動いてもいいように思う。
ボス戦ではほとんど囲むだけだし、雑魚戦では後ろから魔法を放
つだけ。
1922
前に出るときはデュランダルを出すからHP吸収でどうにでもな
る。
ロクサーヌはもちろん、ミリアもそれほど攻撃を受けてはいない。
もっと上の階層で戦うのが適正なのだろう。
だからといって一足飛びに上がっていくことはしない。
今までどおり一階層ずつ上がっていく。
そのスピードをちょっと速くしましょう、ということだ。
迷宮の壁に沿って機械的に進む。
一応ロクサーヌが先導しているが、魔物は関係ない。
魔物に合わせて進む方向を変えたり、立ち寄ったりすることはな
い。
魔物とのエンカウントは減り、数の少ない魔物との遭遇も増えた。
一匹とか、二匹とか。
フライトラップが二匹にクラムシェル一匹の組み合わせとか。
こういうのは今までロクサーヌが避けていたのかと思うと感慨深
い。
ファイヤーストームを放ちながらフライトラップが二匹にクラム
シェル一匹
の団体を待ち受ける。
クラムシェルは火属性に耐性があるので後が大変だが、数の多い
フライトラップの弱点である火魔法を使った方がいいだろう。
前衛と魔物がぶつかった。
ロクサーヌがエストック、ミリアがレイピアで突く。
ベスタも二刀で斬りつけた。
フライトラップの反撃をベスタが右の鋼鉄の剣で受け、その隙に
1923
左から鉄の剣を叩き込む。
魔物が左から攻撃してくると、今度は左の鉄の剣で受け、右から
鋼鉄の剣でなぎ払った。
二刀流だとこういう戦い方になるのか。
恐ろしいな。
相手にすれば、どうすりゃいいのよという感じだ。
魔物の攻撃をしっかり受け流すのも大変なことではあろうが。
フライトラップを火魔法で片づけ、残ったクラムシェルを囲む。
横から攻撃するとさらにすさまじいことに。
ベスタは二本の剣を交互に打ち下ろした。
太鼓でも叩いているかのようだ。
クラムシェルが苦し紛れに体を振る。
横のベスタを攻撃しようとするが、ベスタが剣で受け止めた。
受け止めるというか、斬撃で相殺した感じだ。
かといって正面のロクサーヌを攻撃しても、軽くかわされてしま
うし。
もはやクラムシェル一匹でどうにかなるものではない。
サンドボールを撃ちつけ、貝を倒す。
かたはすぐについた。
﹁長期戦になったがみんなたいしたものだな。これならもっと上の
階層へ行っても大丈夫そうか﹂
﹁はい。このくらいの相手なら何の問題もありません﹂
ロクサーヌならそうだろう。
というか、ロクサーヌが大変だと感じるような敵には、ロクサー
1924
ヌ以外全滅しそうだ。
﹁ベスタも問題なさそうだな﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
﹁たいした攻撃だった﹂
﹁ありがとうございます﹂
装備を替え、メッキもしていないので、本来ならベスタにわざと
攻撃を受けさせてみるべきかもしれないが、それはやっていない。
攻撃を受けるのは嫌なものだ。
無理強いはしない方がいいだろう。
昨日もやらせたしな。
昨日の感じからすれば、攻撃を浴びても大丈夫だと思う。
少なくとも一撃で死ぬことはない。
戦っていれば、そのうち攻撃を受けることもあるだろう。
と思っていたのに、ベスタが攻撃を受けることなく、その日のう
ちにハルバー十八階層のボス部屋に着いてしまった。
探索中心に切り替えたおかげか。
攻撃を受けなかったことは喜ぶべきだ。
デュランダルを出して、ボス部屋に入る。
ケトルマーメイドとアニマルトラップを倒した。
ボス戦では、デュランダルをベスタに渡して俺は砲台になるとい
うのが一番攻撃力のある布陣かもしれないが。
俺ならラッシュを使えるから、そこまでの差はないだろう。
ベスタを戦士にするとしても、俺の場合詠唱省略がある。
それに、デュランダルを持っていれば何かあったとき柔軟に動け
1925
る。
考えてみれば、ボス戦ではデュランダルを出すから、楽で当然な
んだよな。
デュランダルを出さずにボスと戦ったらどうなるのだろうか。
必ずしも苦戦はしないか。
ロクサーヌが回避し続ける限り。
要は勝てればいいのだ。
何も最大火力にしなければいけないわけではない。
攻撃力だけなら俺が魔法を撃ちながらデュランダルを使うという
手もある。
現状、そこまでは必要ない。
﹁ハルバー十九階層の魔物はラブシュラブです﹂
﹁火属性が弱点だっけ﹂
﹁そうです﹂
セリーの話を聞いて十九階層に入る。
十八階層のフライトラップに続いて十九階層のラブシュラブも火
魔法が弱点だ。
ハルバーの十九階層は割と戦いやすい階層だと見ていいだろう。
﹁ロクサーヌ、最初だけラブシュラブのいるところに連れて行って
くれるか﹂
﹁かしこまりました。こっちですね﹂
ロクサーヌの案内で進むと、ラブシュラブが三匹いた。
ラブシュラブだけなので、こんがりと焼き上げる。
1926
﹁まあこんなもんか。戦えなくはないか﹂
﹁さすがはご主人様です﹂
いや。戦えるかどうかの判断基準は前衛が耐えられるかどうかに
あるわけだが。
魔法による殲滅速度との兼ね合いはあるにしても。
階層が上がって、倒すのに必要な魔法の回数も増えている。
﹁少し早いが一度迷宮を出て、午後からクーラタルの十八階層も突
破しておくか﹂
﹁かしこまりました。それがいいでしょう﹂
ロクサーヌの賛同も得て、休息を取った。
ベスタもまだ攻撃されていないし。
クーラタルの十八階層に賭ける。
﹁ロクサーヌ、途中マーブリームの多いところがあったら寄るよう
にしてくれ﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌに地図を渡し、クーラタルの十八階層に入った。
賞金稼ぎLv25をはずして料理人をつける。
賞金稼ぎはさすがにすごい伸びだ。
﹁ミリア、赤身が今日だし、尾頭付きを使うのは明後日の夕食でど
うだ﹂
﹁はい、です﹂
あまり甘やかしてもいけない。
連日の魚は避けるべきだろう。
1927
クーラタル十八階層のボス部屋に向かった。
ロクサーヌの先導で進む。
マーブリームの多い団体と何度か戦った。
マーブリーム三匹ピッグホッグ二匹という団体とも当たる。
マーブリームの弱点である土属性にピッグホッグが耐性を持って
いたりするが、ドロップアイテム重視だ。
サンドストームで迎え撃っているとマーブリーム三匹とピッグホ
ッグ一匹が前に出た。
ピッグホッグ一匹は後ろに回るようだ。
ロクサーヌがエストックを突いて先制をかける。
ベスタも剣を振るった。
マーブリームが一匹ミリアに突撃するが、ミリアが盾で受け止め
る。
ピッグホッグの頭突きをベスタが鉄の剣で受け、同時に鋼鉄の剣
で払った。
中央のマーブリーム二匹はロクサーヌに攻撃を仕掛けるが、ロク
サーヌがきっちりとかわす。
左右からの同時攻撃を回避するとか。
ピッグホッグの下に黄色い魔法陣が浮かび、セリーが槍で取り消
した。
すると後ろに回ったピッグホッグの下にも魔法陣が。
﹁来ます﹂
ピッグホッグが土を吐く。
ロクサーヌがあっさりかわし、セリーも回避した。
1928
今回は問題なかったようだ。
サンドストームでマーブリーム三匹を倒す。
ウォーターストームに切り替え、残った二匹も片づけた。
多少時間はかかったが、大丈夫だ。
弱点と耐性が正反対の魔物の組み合わせても、問題なく戦える。
﹁尾頭付き、です﹂
ミリアが尾頭付きを持ってきた。
三匹のうち一匹が尾頭付きを残したらしい。
これで二個めだ。
﹁尾頭付きは今までどおり二個でいいか?﹂
﹁はい、です﹂
ミリアに訊くと元気に回答する。
返事だけはいいんだよな。
二個でいいだろうか。
ベスタも別にたくさん食べるわけでもないようだが。
取り分が減ったと恨みに思われても困る。
かといっていちいち増やしていくのも大変だ。
二個でいいか。
お姉ちゃんなんだし。
﹁二個めの尾頭付きが出たし、ここからはボス部屋まで一直線でい
い﹂
﹁分かりました﹂
1929
ロクサーヌに指示を出し、料理人もはずした。
ベスタは攻撃を受けていない。
ボス部屋までのわずかなチャンスに賭けたが、やはり受けなかっ
た。
ボス戦でも喰らっていない。
元々ボス戦ではロクサーヌ以外が攻撃を受ける可能性はあまりな
い。
雑魚を最初にしとめる俺は別にして。
ちなみにロクサーヌが攻撃を浴びる可能性はもっとない。
﹁クーラタル十九階層の魔物はロートルトロールです。毒はありま
せんが攻撃されると麻痺することがあります。風属性に耐性があり、
火魔法が弱点です﹂
ボスをさっさと倒し、セリーのブリーフィングを受けて十九階層
に移動した。
﹁一度は戦ってみよう。ロクサーヌ、案内してくれ﹂
﹁こっちですね﹂
ロクサーヌの先導で進む。
灰色で毛むくじゃらの魔物が二匹現れた。
ロートルトロールLv19だ。
猿人。というよりは爺さんの浮浪者みたいな魔物である。
毛に覆われて目がどこにあるか分かりにくい。
しかも目つきが悪い。
人のよさそうな感じは微塵もない。
魔物だ。
1930
ファイヤーストームと念じた。
ロートルトロールが大股でのそのそとやってくる。
結構でかい。
ベスタの背と同じくらいある。
前線に到達すると毛だらけの腕を振り上げ、叩き下ろしてきた。
ロクサーヌが軽くスウェーしてかわす。
もう一匹の方はミリアが対峙した。
ミリアもなんとかかわしている。
攻撃を受ける前に倒そうとファイヤーストームを重ねた。
ベスタは横に回り、二刀で斬りつける。
セリーも槍で突いた。
やがて火魔法に焼き尽くされ、ロートルトロールが倒れる。
﹁まあこんなもんか﹂
初めて戦った魔物だが、強敵というほどではない。
二十二階層までは基本的にこの程度なんだろう。
ぎりぎりの戦いになれば、レベルが1上がっただけでも苦しくな
るのだろうが。
その意味では、まだ上の階層に進む余裕はあるということか。
﹁このくらいはなんともありません。さすがはご主人様です﹂
﹁ロートルトロールでも支障はなさそうです﹂
﹁はい、です﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
ロクサーヌはともかく、セリーが支障なしと言うなら大丈夫だろ
1931
う。
﹁ベスタは今日十八階層で攻撃を受けていないが、このまま十九階
層で戦って大丈夫か﹂
﹁はい。昨日受けた感じではそこまで痛くなかったので、まだまだ
大丈夫だと思います﹂
ベスタの方も大丈夫そうか。
本人が痛くないと言っているのだからいいだろう。
痛覚の異常という可能性もありそうだが。
いや。手当てをしたときにちゃんと認識して、一回でストップを
かけてくるのだから、それはないか。
十九階層だからといって一撃でやられることはないと思う。
いざとなれば身代わりのミサンガも発動するはずだ。
このまま十九階層で戦っても大丈夫だろう。
1932
ハンバーグ
﹁そろそろ夕方くらいか。このくらいにしておくか﹂
﹁そうですね﹂
夕方までハルバーの十九階層を探索し、ロクサーヌと話して切り
上げることにした。
結局、ベスタは今日攻撃を浴びていない。
探索方法を切り替えたので数の多い団体といつも当たっているわ
けではないことが大きいのだろう。
魔物が一匹ならロクサーヌ、二匹めもミリアが正面に立つ。
三匹でも前衛が一対一で対応するから、難易度は高くない。
これまで魔物の数が多いところに案内してもらっていたが、かえ
って難易度を上げていたわけか。
たくさん倒した方が効率がいいから、しょうがない。
﹁一階層に寄って帰る。チープシープのいるところに案内してくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
帰り際、一階層によって生死不問を試した。
賞金稼ぎはLv26になっている。
成功はしなかった。
あるいは魔物を一撃で倒すスキルだという予想が間違っているの
だろうか。
しょうがないので、デュランダルで屠る。
1933
コボルトの方が弱いから、クーラタルの一階層で試してみるべき
だろうか。
あそこは人が多いから駄目か。
まあ日々試してみればいいだろう。
﹁何かの実験ですか﹂
﹁ちょっとな﹂
﹁そうですか﹂
セリーが興味ありげに訊いてきた。
また馬鹿なことをやっていると一刀両断にはしないらしい。
セリーもだんだんと馴染んできたようだな。
いいことだ。
一階層からクーラタルに帰る。
アイテムを売り払って冒険者ギルドの外に出た。
﹁今日の夕食は、まず赤身をミリアに渡すから頼むな﹂
﹁はい、です﹂
﹁俺はベスタに手伝ってもらって、肉料理を作ろうと思う﹂
﹁私ですか。分かりました﹂
赤身は一つしかないのでメインというわけにはいかない。
ミリアもたくさん食べたいだろうし。
だから俺がメインの肉料理を何か作る。
﹁では、私とセリーでスープともう一品作ります﹂
﹁野菜炒めを作ります。ロクサーヌさんはスープをお願いできます
か﹂
1934
﹁そうですね。そうしましょう﹂
ロクサーヌとセリーの担当も決まったようだ。
食材を買って、家に帰った。
﹁ベスタ、ミンチって分かるか﹂
﹁名前くらいは﹂
﹁ミンチですか﹂
ロクサーヌが微妙な顔をしている。
嫌いなんだろうか。
あれ。セリーもだな。
﹁駄目なのか?﹂
﹁いえ⋮⋮﹂
﹁ミンチは貧しく粗野な者たちが食べるものだとされています。私
の祖父も決して口にしようとはしませんでした﹂
セリーが説明した。
なんか厄介なタブーが存在するようだ。
ブタとかタコとか食べない人や地域は地球にだってある。
そういうのが多少出てくるのはしょうがないか。
﹁ご主人様もお食べになるのですよね﹂
﹁そのつもりだ﹂
﹁ご主人様なのでかまわないとは思いますが、ご主人様がミンチを
食べることは秘密にしておいた方がいいです﹂
ロクサーヌが提言してくる。
タブーとはちょっと違うか。
1935
下々の食べる料理ということなんだろう。
やんごとなき人は口にしないらしい。
まあ高級食材でないことは間違いないしな。
﹁そうか﹂
﹁では、このことも内密でお願いしますね﹂
﹁その方がいいでしょう﹂
﹁はい、です﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌが全員から承諾を取りつけた。
このこと﹁も﹂とは何だ。
このこと﹁も﹂とは。
いろいろ多いけどさ。
﹁みんなは、ミンチを使った料理でも大丈夫か?﹂
﹁私たちなら問題ありません﹂
いまさらメニューを替えるのも面倒だ。
このまま作ればいいだろう。
﹁ベスタはミンチを作れるか?﹂
﹁ええっと﹂
﹁ナイフで肉を細かく刻めば大丈夫です﹂
製法はロクサーヌが伝授してくれた。
ロクサーヌは作ったことがあるらしい。
﹁分かりました﹂
﹁ではこれをミンチにしてくれ﹂
1936
﹁はい﹂
ピッグホッグが残した豚バラ肉と買ってきたバラをベスタに渡す。
合い挽き肉を使用するのがいいだろう。
ベスタがミンチにしている間に、耳を取ったパンを牛乳でふやか
し、野菜を炒めた。
セロリみたいなやや堅めの野菜だ。
タマネギを使うのはしゃきしゃきとした歯ごたえのためだろうか
ら、多分この野菜でいい。
ついでに小麦粉も炒めておく。
﹁よし。そのくらいでいいだろう。次はそれをかき混ぜてくれ﹂
ミンチを作ってもらった後、かき混ぜさせた。
ベスタがかき混ぜているミンチに塩とコショウ、卵、野菜を入れ、
パンをちぎって投入する。
よく混ぜさせてから、形を整え、中央にくぼみを作って、五人分
焼いた。
ハンバーグだ。
焼いた後、残った肉汁に炒めた小麦粉とワインときのこ、少しの
魚醤を入れて強火で煮詰める。
ハンバーグの作り方は知っていてもソースまでは作ったことがな
かったが、
大丈夫そうか。
ソースをかけて食卓に運んだ。
スープを取り分け、ミリアが煮つけた赤身と一緒にいただく。
ハンバーグはふんわりと柔らかく、肉汁が染みていた。
1937
多めに入れたコショウがしっかり効いている。
ソースも初めて作った割になかなかだ。
﹁これは美味しいです。パンを入れるのは見たことがありませんで
した。さすがご主人様です﹂
﹁そうなのか。まあつなぎを使った方が柔らかくなるからな﹂
ロクサーヌはミンチを知っていたし、ミンチを焼く料理はあるの
だろう。
﹁確かに柔らかくて美味しいです。貧しい人が食べるものだと思っ
ていましたが、ここまで美味しいと認識を改める必要があるかもし
れません。食材アイテムをそのままミンチにしましたから、美味し
くても当然ですが﹂
そのまま焼いて食べられるような肉は、焼いて食べればいい。
ミンチにするのは、それに適さない肉ということだ。
下賎な食べ物になるのもしょうがないのか。
﹁さすが、です﹂
などと言いつつ、ミリアの標的は赤身にロックオンされている。
その赤身の煮付けも、結構な味だった。
﹁こちらに来てから美味しいものばかりいただいています。ありが
たいことです﹂
﹁手間のかかる部分はベスタにやってもらったからな﹂
﹁あのぐらいは何でもありません﹂
ミンチを作るところから自力でとなると、結構手間がかかる。
1938
単にステーキでも焼いた方が楽ではある。
ベスタも手伝ってくれるだろうし、また作ることにしよう。
生死不問は、翌日賞金稼ぎLv30まで育てて試すも不成功。
翌々日には賞金稼ぎLv32で挑んだのに成功しなかった。
やり方が間違っているのだろうか。
それとも何か条件があるのか。
相手を指定するのだから、使い方は大きく間違っていないと思う。
念じてから斬りつけるラッシュのようなスキルとも異なるし。
魔物相手には使えないとか。
それもどうなんだろう。
生死不問だから死んだ魔物が生き返るかもとやってみたが、もち
ろんそんなことはなかった。
蘇生のようなすごいスキルが簡単に手に入るはずもないか。
戦士Lv30まで育てているから、そう簡単ともいえないが。
あるいは、確率で成功するのなら、もっと数をこなさないといけ
ないのかもしれない。
チープシープを見つけてからデュランダルで斬るまでに五回くら
いは生死不問と念じているが、一度失敗した相手には二度と成功し
ないということも考えられる。
数を増やすことにして、次の日からは迷宮に出入りするたびに一
階層に寄ってみることにした。
早速効果が現れたのか、早朝ハルバーの迷宮から帰るときに生死
不問に成功する。
チープシープが崩れ落ちた。
1939
生死不問と念じただけで、ばったりと倒れる。
一撃だ。
確かに一撃で屠るスキルで間違いない。
﹁あ﹂
ロクサーヌがすぐ異変に気づいた。
﹁ようやく倒れたか﹂
﹁えっと。ご主人様がおやりになったのですか?﹂
﹁そうだ﹂
ロクサーヌの問いに答える。
今の生死不問は、二回めだった。
一度失敗した相手には成功しないということはない。
まあMPはきっちり消費しているわけだし。
となると、Lv30を超えてからでも二十回近く失敗しているの
か。
成功率は相当に低いようだ。
レベル依存とか、そういう問題ではないのかもしれない。
﹁さすが⋮⋮ご主人様です﹂
﹁今までこんな実験をしていたのですか﹂
﹁すごい、です﹂
﹁何かとんでもないことのような気がします﹂
確かに、ベスタの言うとおり生死不問はとんでもないスキルだ。
傍目から見たら、何もしていないのに魔物が勝手に倒れるのだか
ら。
1940
賞金稼ぎというよりは、暗殺者向けといっていい。
証拠が残らないからほぼノーリスクだ。
いや。これは俺の場合だけか。
普通は詠唱でばれる。
詠唱省略がある俺なら、何食わぬ顔で誰かの命を狙える。
どう考えてもドン引きだ。
﹁このことは絶対に内密にな﹂
﹁は、はい。もちろんです﹂
ロクサーヌ以外の面々もうなずいている。
俺に近づくと周りのやつがばたばた死んでいくとか。
そんなことができるのがばれたら、えらいことになる。
ジョブを確認した。
生死不問には成功したが、博徒のジョブは得ていない。
盗賊を鍛える必要があるようだ。
フィフスジョブの賞金稼ぎを盗賊に替える。
その日はハルバー十九階層のボス部屋にもたどり着いた。
尾頭付きの煮付けを食べたのは昨日だったのだが。
それは赤身を食べたので日をずらしたからか。
いずれにしてもミリアは大喜びだろう。
﹁ラブシュラブのボスはラフシュラブです。攻撃範囲が広く厄介な
魔物らしいので注意が必要です﹂
セリーの説明を聞いて、ボス部屋に入った。
1941
ラフシュラブとフライトラップが現れる。
ラフシュラブは、ラブシュラブと同じくらいの大きさの木の魔物
だ。
枝はラブシュラブより広がっている。
まずは盗賊の替わりにつけた戦士のラッシュでフライトラップを
片づけた。
ラフシュラブの囲みに加わる。
枝が広がっているので確かに大変そうだ。
ラフシュラブの枝が振られた。
ロクサーヌは軽く避けるが、俺の目の前も通る。
気をつけないと横にいても攻撃されそうだ。
ラッシュで斬りつけた。
が、反撃を喰らってしまう。
枝が厄介だ。
ラフ
大きく広がっている上に動きも激しい。
乱暴な枝である。
まあ多少の攻撃はHP吸収で回復できる。
俺はかまわず攻撃を続けた。
何度もラッシュをぶち込む。
ラフシュラブがお返しに枝を振った。
無視してデュランダルで斬りつける。
ノーガードでの叩きあいになってしまった。
デュランダルのHP吸収頼みで反撃をものともせず攻撃する。
1942
デュランダルがある以上叩きあいで負けることはない。
痛みにさえ我慢すれば。
ボスとはいえ、泣き言をいうほどではない。
ベスタの竜騎士の効果である体力上昇も効いているのだろう。
最後も俺のラッシュで片づけた。
デュランダルをぶつけると、ラフシュラブが大きく揺れる。
横倒しになって転がった。
ようやく倒せたか。
﹁素晴らしい戦いぶりでした。さすがご主人様です﹂
﹁ちょっとむきになってしまったな﹂
﹁何度も攻撃を受けていたようですが、大丈夫ですか﹂
ベスタが心配そうに尋ねてくる。
ロクサーヌと違って俺は魔物の攻撃を浴びるのがデフォだから、
問題ない。
織り込み済みである。
情けない。
﹁鍛えてあるからな。ボスとはいえ、ベスタでいえば迷宮の外の魔
物に何度か殴られたくらいのものだろう﹂
﹁それなら大丈夫ですね。さすがです﹂
大丈夫なのか。
俺ならLv1の魔物だろうが一度だって攻撃を受けたくはない。
かっこうをつけた俺がびっくりだ。
ベスタは、先日十九階層で攻撃を受けたが、なんでもないと言っ
ていた。
1943
二十階層へ行っても大丈夫だろう。
ボスが煙となって消える。
アイテムが残った。
何かのひらひらとした膜だ。
鑑定してみると削り掛けと出た。
樹皮をカンナで削ったような感じの膜である。
ミリアが拾って持ってくる。
﹁削り掛けか﹂
﹁抗麻痺丸の材料ですね﹂
セリーが教えてくれた。
薬の材料なのか。
ジョブを切り替え、削り掛けを持ったまま生薬生成と念じる。
手の中の削り掛けが抗麻痺丸に変わった。
何個かこぼれ落ちる。
あわてて拾い、アイテムボックスに入れた。
﹁え? ⋮⋮あ。ご主人様のジョブですか﹂
ベスタが驚いているが、混乱はしていないようだ。
慣れてきたな。
﹁いくつかセリーのアイテムボックスにも入れておけ﹂
﹁分かりました﹂
セリーのアイテムボックスにも抗麻痺丸を入れさせる。
1944
万が一を考えて薬は分散させておくのがいいだろう。
麻痺はそのうち自然治癒するので、これまでのところ抗麻痺丸の
世話にはなっていない。
﹁セリー、ハルバー二十階層の魔物は何だ﹂
﹁ハルバー二十階層の魔物はハットバットですね﹂
ハットバットか。
せっかく火魔法が弱点の魔物がフライトラップ、ラブシュラブと
続いたのに。
ハットバットは弱点の属性が多いくせに火魔法だけ弱点ではない。
しょうがない。
二十階層に移動した。
探索を進めながら、Lv20の魔物の強さも確かめる。
やはりLv20だとそれなりに強くなっていた。
まだ限界ではないが、一階層上がることによる厳しさは増してい
くだろう。
果たして現状のままでどこまで行けるか。
二十二階層までは大丈夫だと思うが。
ロクサーヌがハットバットの突撃を盾で受け止める。
ミリアがラブシュラブの攻撃をかわす。
ベスタも、ハットバットの突撃を剣で合わせて弾いた。
そこにブリーズストームが襲いかかる。
厳しくなるのは、後ろで魔法を放っている俺よりも主に前衛で戦
っている彼女たちだ。
俺があれこれ考えてもしょうがないだろう。
1945
俺が前に出たときにデュランダルのHP吸収が間に合わなくなる
ほどの攻撃を受けるようにならない限りは。
さすがにそこまで急激に魔物が強くなることは考えにくい。
1946
ハンバーグ︵後書き︶
四月三十日に﹃異世界迷宮でハーレムを
よろしくお願いします。
2巻﹄が発売になります。
1947
サンゴ
きりのいいところまで探索を行い、休息を取った後、クーラタル
の十九階層に移動した。
ロクサーヌに地図を渡す。
﹁ロクサーヌ、ボス部屋まで最短距離で頼む﹂
﹁マーブリームが複数いる群れがあったらどうしますか﹂
﹁無視で⋮⋮十七階層には後で寄ろう﹂
ミリアの視線が気になって、あわててつけ加えた。
尾頭付きのためには料理人をつけなければならない。
この階層ではマーブリームも少なくなるはずだ。
マーブリームを狩るのは十七階層で行えばいいだろう。
ときたま出会う魔物を蹴散らしながら、ボス部屋に向かった。
ロートルトロールのパンチは一撃が重そうだ。
攻撃を受けたら麻痺することがあるのだったか。
確かにあれを喰らったら痺れそうだ。
そのロートルトロールの殴打をロクサーヌは軽やかにかわしてい
る。
重い分溜めが大きいので、避けやすくはあるかもしれない。
ロクサーヌなら目をつぶっていてもかわしそうだ。
というか本当に避けかねんのが恐ろしい。
ミリアもなんとか盾で受けきった。
1948
ベスタはロートルトロールのパンチを剣で受け、もう一本の剣で
払う。
正面から受けたのではなく、受け流したのだと思う。
片手でやってのけるところがすごい。
三人が対峙している間に、魔物を焼きこがした。
この三人なら大丈夫そうか。
問題があるとすれば俺が前に出るときだけか。
地図を見て進むだけなので、MPが尽きる前に待機部屋に到着し
た。
﹁ロートルトロールのボスはロールトロールです。ロクサーヌさん
なら大丈夫だと思いますが、強烈な攻撃をしてくるそうです。転が
って横を攻撃するスキルも持っています。後は、雷魔法を放ってく
るので注意が必要です。雷魔法を受けると体が麻痺することがある
そうです﹂
セリーの説明だけだとやたら強そうだ。
実際にはスキルと魔法はキャンセルできるが。
魔物は雷魔法というのも使えるのか。
ボス部屋に入る。
魔物が二匹現れた。
ロールトロールとロートルトロールだ。
まずはご老体からご退場願わなくてはならない。
ロートルトロールをデュランダルで斬りつける。
腕を振り上げたのを見て、半歩下がった。
タイミングを合わせて殴打をかわす。
1949
どれくらいの頻度で麻痺するのか分からないが、攻撃を浴びない
にこしたことはない。
せいぜい注意した方がいい。
腕の動きが止まったところに、ラッシュを叩き込んだ。
ロートルトロールの動きを見ながら、攻撃していく。
次のパンチもなんとかかわした。
結構大変だ。
ロクサーヌはボスの相手があるから、ミリアかベスタにお付の魔
物の正面で対応してもらうのがいいだろうか。
それもまた情けなさすぎるか。
情けないとか言っている場合ではないかもしれないが。
俺が麻痺してしまったら大きなピンチになるだろう。
セリーが抗麻痺丸を持っているとはいえ、薬を呑ませるにもまず
は安全なところに退避させなければならない。
ボスの相手はロクサーヌがし続けるとしても、フォーメーション
が全部崩れる。
魔物の動きを慎重に見ながら、ラッシュを重ねた。
ロートルトロールが倒れる。
なんとか攻撃を受けることなくすんだ。
ほっとする暇もなく、ボスの囲みに加わる。
ボスのロールトロールは、ロートルトロールと同じく灰色毛むく
じゃらの、猫背の猿人だ。
背中が湾曲しているので背はベスタより低い。
伸ばせば分からないが。
伸びるかどうかも分からない。
1950
ロールトロールの攻撃をロクサーヌがなんでもないかのように避
けた。
次の殴打も少し身体を揺らした程度でかわす。
あの攻撃は結構怖いはずなんだけどな。
強烈に叩きつけられた腕が近くを通っただけで、かなりの風圧が
くる。
ボスならなおさらだろう。
ロクサーヌはその魔物の攻撃を相変わらずミリ単位でかわしてい
た。
恐ろしい。
まあロクサーヌが回避し続ける限り、囲んでしまえばこっちのも
のだ。
全員で囲んで、斬りつける。
俺がラッシュをぶつけ、セリーが槍で突き、ベスタも二刀を叩き
込んだ。
お。今のベスタの攻撃はクリティカルっぽい。
ロールトロールの曲がった背中に勢いよく一撃が入った。
クリティカルの発生率は、どうやらたいしたことはないようだ。
そんなに頻繁に出るわけではない。
分からなかったり見逃しているのもあるかもしれないが。
せいぜい数パーセントというところか。
レベル依存で増える可能性もあるが、そう大きくは増えないだろ
う。
ボーナススキルのクリティカル率上昇でも大きくはアップしない。
最初のクリティカル率上昇でアップするのは多分五パーセントだ。
1951
ボーナスポイントを63も使っても三十パーセントしか上昇しな
いのだから、元のクリティカル率が三十パーセントもあるとは考え
にくい。
七十パーセントということはあるかもしれない。
これなら両方足して百パーセント。
すべての攻撃をクリティカルにできる。
多分そんなことはなく、元のクリティカル発生率は最大でも五パ
ーセント以下なんだろう。
三十パーセント乗せれば、それなりには使えるようになる。
使えるといっても三十パーセント上乗せして三分の一を少し超え
る程度。
あまりクリティカルに頼った戦いはできない。
全員で攻撃し、俺もラッシュを重ねてロールトロールを屠った。
最後はセリーの槍がとどめになったようだ。
槍が突き刺さり、ロールトロールが倒れる。
﹁次からはボスについてくる魔物も二人で倒すことにしよう。ロク
サーヌとミリアにはボスを見てもらうとして、ベスタ、もう一匹の
方の正面を頼めるか﹂
﹁分かりました。大丈夫です﹂
ベスタに話をつけた。
情けないとかいう理由でピンチになったら、そっちの方が情けな
い。
安全を優先させるべきだろう。
ロールトロールが煙となって消える。
1952
後に白っぽい塊が残った。
鉄だ。
ロールトロールのドロップアイテムは鉄なのか。
﹁ありがとな﹂
﹁はい、です﹂
﹁鉄はやっぱり装備品の素材になるのか?﹂
﹁そうです。私にはまだ扱えませんが。鉄の装備品を作れるように
なるには、十年以上は鍛冶師として修業を積まなければいけません﹂
ミリアから鉄を受け取りながら、セリーの説明を聞く。
鍛冶師が作る装備品は順番に作っていかなければいけないという
のがめんどくさい。
一足飛びで作ることはできないらしい。
できたとしても、鉄一個だけではしょうがないか。
そのうち使うだろうから、物置部屋にでも入れておこう。
十年以上修業するとか言っているから多分レベルも関係するのだ
ろうが、レベルの方は問題ないはずだ。
錆びなければいいが。
﹁鉄だ、鉄﹂
﹁てつ、です﹂
ミリアにアイテムの名前を教えてから、二十階層に移動した。
魚関係ないから明日には忘れているだろう。
鉄のウロコを持った魚とかいればいいのに。
それは巻貝か。
﹁クーラタル二十階層の魔物はラブシュラブです﹂
1953
﹁ラブシュラブか。一度だけ戦ってから、十七階層へ行こう。ロク
サーヌ、ラブシュラブのいるところに、頼む﹂
﹁分かりました。向こうですね﹂
ロクサーヌの案内で一度だけラブシュラブのいる団体と戦う。
強さを確かめて、十七階層に移った。
フィフスジョブを料理人にして、マーブリームを狩る。
﹁ミリア、尾頭付きは明日フィッシュフライにしようと思うが、ど
うだ﹂
﹁はい、です﹂
相変わらずいい返事だ。
ベスタが来たからマヨネーズを作らなくていいと思っているだろ
う。
甘い。
尾頭付きを二個得て、ハルバーの二十階層に移動した。
夕方まで探索を行い、クーラタルに帰る。
﹁ご主人様、ルーク氏からのメモが入っています。サンゴのモンス
ターカードを落札したようです﹂
家に帰ると、ルークからの伝言が入っていた。
ロクサーヌが読む。
﹁サンゴか。セリー、サンゴのモンスターカードは何のスキルにな
る?﹂
﹁武器につけると石化付与、防具につけると石化防御のスキルにな
ります。コボルトのモンスターカードを一緒に融合すると、効果が
1954
アップするようです﹂
石化か。
なかなか使えるカードではないだろうか。
面白そうだ。
﹁杖につけたら魔法で石化するとか﹂
﹁それは聞いたことがありません。無理ですね﹂
﹁まあそうだろうな。受け取りに行くのは明日の朝でいいか。ベス
タはこの間と同じようにミンチを作ってくれるか﹂
﹁分かりました﹂
ベスタに豚バラ肉とバラを渡した。
やはり合い挽き肉にする。
﹁ベスタはミンチを作るから、ミリアも俺を手伝ってくれ﹂
﹁はい、です﹂
というわけで、マヨネーズはミリアにお願いした。
実際には全員で交代しながら少しずつ分担する。
ロクサーヌやセリーも料理の合間に卵をかき混ぜてくれた。
五人でやれば負担も五分の一だ。
俺も混ぜる。
最後はベスタがかき混ぜて完成した。
ベスタはかき混ぜてばかりだ。
ベスタがマヨネーズをかき混ぜている間に、俺はハンバーグと同
じように作ったミンチを小さく丸め、スライムスターチをつけて油
で揚げる。
1955
揚げた後、甘酢あんと絡めながら炒めた。
今回はハンバーグではなく中華風肉団子にしてみる。
材料はほぼ同じだが、ソースが違うので異なる味がした。
甘く絡みつくあんの中、軽く噛んだだけで肉塊が簡単に崩れる。
一口サイズというのがまたいい。
﹁これは、甘くて柔らかくて美味しいです。さすがご主人様です﹂
﹁先日のものと同じように作っていたのに、ここまで味が違うので
すか。これも美味しいです﹂
﹁すごい、です﹂
﹁この料理もありえないくらいに美味しいです﹂
四人にも好評のようだ。
もはやミンチを下賎な食べ物だと考える人は彼女たちの中にいな
いだろう。
翌日、朝食の後で商人ギルドへモンスターカードを受け取りに行
った。
ロクサーヌたちには洗濯や後片づけを頼み、例によって俺一人だ。
ルークを呼び出し、会議室に行ってサンゴのモンスターカードを
買い取る。
﹁これはコボルトのモンスターカードと一緒に使おうと思う。一枚
落札してくれ﹂
受け取ったついでに、コボルトのモンスターカードも注文した。
﹁コボルトのモンスターカードはこの前お買いになられたのでは﹂
1956
﹁予備があると便利だからな﹂
コボルトのモンスターカードは現在一枚残っている。
だから、今から帰ってすぐに融合できる。
予備があれば、モンスターカードを落札した後、コボルトのモン
スターカードを手に入れるまで待たなくていい。
これは大きい。
次回分も是非手に入れておくべきだろう。
自分たちの狩でモンスターカードが残った場合にも使える。
﹁便利なのは確かにそうでしょう﹂
﹁予備のためにもう何枚か落札してくれてもいい。買い注文を出し
ていたところがなくなったから、コボルトのモンスターカードも少
しは安くなるだろう﹂
MP吸収のスキルがついた武器を作ろうとコボルトのモンスター
カードを買いあさっていたところがこの間まで存在した。
セリーに作らせて引き渡したから、もう注文は出していないはず
だ。
﹁先日の競りで久しぶりに四千ナール台の数字が出ました。予備と
いうことで時間がかかってもいいのなら、四千九百か四千八百で落
札が狙えると思います﹂
﹁一枚めは五千ナールでいい。それが落札できたら、二枚め以降少
し下げていこう﹂
﹁かしこまりました﹂
やはり多少下がっているのか。
俺が買い占めるようなことになってもまずいが。
1957
そこら辺は落札価格との兼ね合いだ。
﹁あと、ヤギのモンスターカードが必要になった﹂
ヤギのモンスターカードの注文も出す。
階層を上げていかないとなかなかレベルが上がらないが階層が上
がれば戦闘が厳しくなるわけで、それを解決するには武器の強化が
一番手っ取り早い。
すでに聖槍は手元にあるのだから、聖槍に知力二倍のスキルをつ
ければいいだろう。
﹁聖槍に使われるのでしょうか﹂
﹁いや、それとは別件だ。ちょっとよんどころのない事情があって
な。一枚だけどうしても必要になった﹂
﹁そうですか﹂
ルークは俺が聖槍を持っているのを知っている。
というか取引に立ち会った。
ヤギのモンスターカードは、確かにルークの言うとおり聖槍に知
力二倍をつけるのに使うのだが、それを明らかにしてしまうと何枚
も買わなければいけなくなる。
実際に使うのは一枚だからたくさんは必要ない。
たまたま一発で成功したことにしてもいいが、いつもいつも一回
では怪しまれる。
一回で成功したという言い訳は他のときに使うこともあるだろう
から、今回は違う理由にする。
はっきりした理由まで教える必要はないし、適当にごまかしてお
けばいいだろう。
1958
﹁ヤギのモンスターカードには五千五百まで出そう。一枚落札して
くれ﹂
﹁かしこまりました。その値段なら遠からず落札できると思います﹂
ヤギのモンスターカードは前に五千四百で買ったんだよな。
そのときに五千四百のまま注文を続行しておけば、今ごろはもう
一枚くらい手に入っていたかもしれないが。
すんでしまったことはしょうがない。
百ナールの違いなら安いものだ。
ルークにヤギのモンスターカードの依頼も出して、商人ギルドを
後にした。
1959
サンゴ︵後書き︶
﹃異世界迷宮でハーレムを
よろしくお願いします。
2巻﹄が本日発売になりました。
1960
石化
﹁石化をつけた武器は将来ミリアに使わせるつもりだが、ミリアの
レイピアに石化をつけるべきだろうか。それとも、エストックにつ
けるべきだろうか﹂
家に帰ると、全員を呼んで諮る。
一応、みんなの考えも聞いた方がいいだろう。
ことによったら今ロクサーヌが使っているエストックをミリアに
渡す事態になるかもしれない。
﹁状態異常付与のついた武器は竜騎士に二本持たせるとよいという
説もありますが、やはり信じてはおられないのですね﹂
セリーが意見を述べてきた。
﹁そうなのか?﹂
﹁状態異常といっても、確実に相手を状態異常にできるわけではあ
りません。二本持って手数が増えれば、それだけ可能性が増すとい
う考えもあります﹂
﹁そうなのですか﹂
ベスタも知らなかったみたいだ。
﹁竜騎士の二刀流を使うのか。剣を二本持つと効果が二倍になると
か?﹂
﹁いえ。そこがよく分かりません。二本持ったからといって効果が
1961
倍になったという確実な報告はないようです﹂
駄目じゃん。
効果があるのだろうか。
二刀流といっても別に二本の剣で同時に攻撃するわけではない。
二つのスキルで効果が重ならないのなら、意味はない。
石化付与が五十パーセントの確率で敵を石化できるとして、石化
付与のついた剣を竜騎士が二本持てば百パーセント石化できるよう
になるとか。
そんなことはなさそうだよな。
スキル効果が重複するなら、一本の剣に石化付与を二つつければ
いいし。
だから、やはり俺が信じてないと言ってきたのか。
セリーも信じてはいないのだろう。
ただの俗説ということか。
二刀流で石化付与の剣を二本持ったら、強そうな気はするよな。
なんとなく。
なんとなくというだけではないだろうか。
﹁駄目そうだな﹂
﹁魔物の横や後ろからなら、二本で同時に攻撃することもできます。
トータルでは戦闘で魔物を状態異常にできる確率を上げることがで
きるでしょう。また、例えば石化付与の剣と毒付与の剣を二本持っ
て攻撃することもできます﹂
それは一本の剣に石化付与と毒付与のスキルを両方つければ同じ
じゃね。
1962
と言おうとして分かった。
この世界では一つの装備品に複数のスキルをつけることはあまり
ない。
一つの武器に一つのスキルという前提での話なんだろう。
それなら、剣を二本持てる竜騎士が有利というのも分からなくは
ない。
﹁それは一つの剣にスキルを一個しかつけない場合だな﹂
﹁いえ。あ。そうですが⋮⋮﹂
セリーが押し黙る。
俺が一つの装備品に複数のスキルをつける方針であることを思い
出したのだろう。
一本の剣に複数のスキルを集約するなら、竜騎士が有利とは限ら
ない。
一回の攻撃で複数のスキルを発動できる。
同じスキルを複数つけて有効かどうかは分からないが、違うスキ
ルなら複数つけても有効だ。
デュランダルのHP吸収とMP吸収は両方同時に発現している。
﹁やはり、石化付与の武器はまずミリアに使わせたい﹂
﹁はい、です﹂
ミリアはやる気のようだ。
いつも返事だけはいいが。
状態異常を起こせる武器があるのなら、暗殺者のスキルである状
態異常確率アップが有効になるだろう。
1963
誰かのジョブを暗殺者にするならミリアがいい。
暗殺者には状態異常耐性アップのスキルもあるから、回避がメイ
ンのロクサーヌにつけて効果の上がるジョブとはいいがたい。
ベスタを暗殺者にすると二刀流のある竜騎士が使えなくなる。
﹁よく分かりませんが、そういうことでしたら石化のスキルはエス
トックにつけるべきでしょう。スキルはなるべくよい武器につけた
方が効果的です﹂
ロクサーヌが意見を述べながらエストックを差し出してきた。
エストックをミリアが使うのならばロクサーヌはランクの落ちる
レイピアを使うことになる。
﹁悪いな﹂
﹁問題ありません﹂
ロクサーヌの場合、あまり装備面でのこだわりはないようだ。
順番にはうるさいのに。
どういう構成にするのがいいかパーティー全体の効率を考えてく
れる。
ありがたいことだ。
いずれエストックよりもいい武器を手に入れて報いてやろう。
エストックがまたすぐ手に入る可能性もないわけではないしな。
効果の高いスキルをつけるのはなるべくいい装備品にした方がい
い。
ロクサーヌから受け取ったエストックをセリーに渡す。
買ってきたサンゴのモンスターカードと手持ちのコボルトのモン
スターカードも出した。
1964
セリーの方へと差し出す。
﹁コボルトのモンスターカードも使ってスキルを強化するのなら、
なるべくいい武器に融合するのがいいでしょう﹂
セリーも賛成してくれるらしい。
両手剣でなく片手剣につけるのは、複数のスキルをつけることを
承諾したと考えていいな。
ありがたいことだ。
﹁あの。融合するところを見させてもらってもいいですか﹂
セリーの手に武器とモンスターカードが渡ると、ベスタが申し出
てきた。
﹁別にいいよな?﹂
﹁はい﹂
﹁大丈夫だ﹂
セリーに確認してから答える。
いちいち言ってこなくても別に追い出したりはしない。
今までもそうだったし。
﹁では、融合します﹂
セリーがスキル呪文を唱え、モンスターカードを融合した。
セリーの手元が輝く。
硬直のエストック 片手剣
1965
スキル 石化添加 空き 空き 空き
やがて光が収まると、融合も完了していた。
硬直のエストックというのか。
スキルは、石化付与じゃなく石化添加だ。
コボルトのモンスターカードも使ったからだろう。
﹁おお。さすがセリーだ。成功したな﹂
﹁成功したのですか?﹂
﹁そうだ﹂
硬直のエストックを持って、ベスタにも見せる。
﹁すごいです﹂
﹁セリーはすごいですから﹂
ロクサーヌもセリーを褒めた。
当のセリーはやや微妙な表情をしている。
俺が選んだ装備品には融合できることを分かっているからだろう。
﹁では、この剣は最初はロクサーヌが持て。ミリアはしばらく見学
な﹂
﹁よろしいのですか﹂
﹁はい、です﹂
硬直のエストックをロクサーヌに渡す。
暗殺者にするには戦士をLv30まで育てなければならない。
戦士Lv1で戦わせるのは不安もあるから、最初は見学がいいだ
ろう。
1966
家からハルバーの二十階層にワープした。
ミリアのジョブを海女Lv33から戦士Lv1に替える。
﹁セリーとミリアはしばらく位置を替わってくれ﹂
﹁分かりました﹂
﹁はい、です﹂
﹁しかし後ろに下げてまで見学させる意味があるのですか?﹂
セリーが鋭く突っ込んできた。
確かに、見学させるのは戦士Lv1にするからだ。
硬直のエストックはロクサーヌが使うとしても、ジョブを替えな
いならレイピアで戦わせればいい。
﹁たまには後ろから広い視点で戦闘を見ることも大切だろう。ミリ
ア、槍を使えるか?﹂
﹁使う、です﹂
適当にごまかし、ミリアに聖槍を渡す。
﹁まあそうかもしれませんが﹂
セリーはミリアと帽子を交換すると、曖昧にうなずいた。
ミリアが暗殺者になれば、その防毒の硬革帽子の効力もアップす
るだろう。
無理に話を決着させ、探索を開始する。
石化添加の効果が出るのは、案外時間がかかった。
魔物が石化したのは四つめの団体のときだ。
ロクサーヌが斬りつけたハットバットが床に落ちる。
1967
﹁あ﹂
﹁落ちた、です﹂
ロクサーヌとミリアが同時に声を出した。
ミリアはロクサーヌの戦いぶりをしっかりと見学していたらしい。
あれは参考にならんだろうに。
ハットバットは床に転がって動かない。
石化しているようだ。
﹁石化するとどうなるんだ?﹂
﹁石のように固くなって通常の物理攻撃に対しては強くなります。
魔法に対しては弱くなるようです。倒せばアイテムも手に入ります﹂
ロクサーヌと場所を替わり後ろに下がってきたセリーに聞いた。
石化させて終わりではなく倒さないといけないのか。
魔法使いのいないパーティーでは石化の使い勝手は微妙だろう。
ファイヤーストームで焼き払う。
確かに床に落ちたハットバットも燃えていた。
倒さないといけないにしても、こちらが攻撃を受けなくなること
は大きい。
ありがたいスキルではある。
ただし、石化する確率はたいしたことはない。
ロクサーヌは数十回は攻撃している。
確率数パーセントというところだろう。
ベスタのクリティカルが出る確率とどっこいどっこいだ。
1968
ラブシュラブ二匹を焼き上げた。
続いて動かないハットバットにブリーズボールを叩き込んでいく。
はずすような距離でもないが、動かないので必中だ。
﹁石化するとこんな風になるんですね﹂
﹁麻痺と違って石化してしまえば自然に回復することはないそうで
す﹂
﹁白い、です﹂
﹁そうなんですか﹂
みんなも興味深げにハットバットを見て、槍でつついたりしてい
る。
というか、ハットバットはこれでも石化して白くなったのか。
よく分からん。
﹁ロクサーヌ、もう一匹ぐらいいってみるか﹂
ハットバットを始末してから、ロクサーヌに訊いた。
﹁いえ。私なら十分です。ありがとうございました﹂
﹁ならセリーがやってみるか﹂
﹁私は片手剣を使ったことがありませんので﹂
セリーは使ってみなくてもいいらしい。
好奇心が強いからやってみたいと言うかと思ったが、そうでもな
いようだ。
﹁じゃ、やっぱりロクサーヌだ。石化する率はあまりよくないよう
だが、確認のためだ﹂
﹁えっと。実験ですか﹂
1969
﹁そうだ﹂
﹁分かりました﹂
本当は確認のためではない。
確率ならミリアの戦士で嫌というほど試せるのだし。
ただ、その戦士は今Lv3でしかない。
もう少し上げておきたい。
ロクサーヌのジョブを暗殺者にして試してみる手もあるが、そこ
まですることもないだろう。
暗殺者Lv1になるので多少は危険もある。
ジョブの効果はレベル依存でパーティーメンバー全員に効いてく
るから、複数のメンバーを低レベルにすることは避けたい。
ベスタの竜騎士もまだLv24だし。
硬直のエストックをロクサーヌに持たせて狩を続ける。
二匹めに石化したのも、やはりハットバットだった。
ハットバットは動きが厄介でロクサーヌが相手をすることが多い
から、当然か。
ハットバットが石化して墜落する。
ラブシュラブが一匹残った。
ファイヤーストームに切り替えて攻撃していく。
ロクサーヌとベスタがラブシュラブを囲んだ。
セリーとミリアは遠目から槍で突く。
動きが厄介なハットバットから先に倒そうと、さっきまでブリー
ズストームを使っていた。
厄介な魔物だからロクサーヌが相手をし、その厄介な魔物から倒
そうと弱点魔法を使っているのに、石化したら無駄になってしまう。
1970
ロクサーヌと硬直のエストックとの相性はあまりよくないようだ。
そこまでは考えなかったが、ミリアにしといてよかった。
俺は一歩後ろから魔法を放つ。
火魔法に切り替えたのに、ハットバットが先に煙と化した。
石化によって魔法に対して弱くなった結果だろう。
残ったラブシュラブもファイヤーボールで仕留める。
﹁状態異常付与のついた武器は戦う相手の選択が難しいですね﹂
セリーもやはり硬直のエストックの持つ欠点に気づいたようだ。
欠点とまではいえないか。
贅沢な悩みというところだ。
﹁竜騎士に二本持たせると効果的だというのも、案外そのとおりだ
ったな﹂
﹁なるほど。確かにそうかもしれません﹂
﹁そうなのですか?﹂
ベスタは分からないらしい。
必要なことなので説明しておこう。
﹁例えば、ラブシュラブが二匹とハットバットが一匹出てきたとす
る。この場合ラブシュラブの弱点である火魔法を使う。二匹いる方
を先に倒したいからな。石化したいのはハットバットだ。火魔法を
使っているのにラブシュラブを一匹だけ石化してもトータルの戦闘
時間は変わらない。後回しになるハットバットを石化できれば危険
は大きく減らせる。ここまではいいか?﹂
﹁はい﹂
1971
今回の石化は割と早かった。
それでも二十回以上はロクサーヌが攻撃している。
発動する確率はそんなに高くないのだろう。
石化するのは完全にたなぼたと考えた方がいい。
望むままに次々と石化していくようなことは無理だ。
一つの団体との戦闘で狙えるのは一匹まで。
それも石化しないことの方が多い。
一か八かを狙うのは、後回しになる魔物の方だろう。
ロクサーヌが翻訳してミリアに聞かせているのも確認しながら、
先を続ける。
﹁ハットバットが二匹とラブシュラブが一匹出てきたら、今度はハ
ットバットから先に倒す。石化したいのは何だ?﹂
﹁ラブシュラブです﹂
﹁そうだ。石化はラブシュラブを狙わなければならない。つまり、
状態異常のスキルがついた剣が二本あったなら、普通のジョブの人
が二人で一本ずつ使うよりも竜騎士が一人で二本使った方がいい。
二人が一本ずつ使えば攻撃対象が分散する。一人が使った方が石化
する相手を絞りやすい﹂
﹁あ、なるほど。確かにそうです﹂
竜騎士に状態異常のスキルがついた剣を二本持たせるというのも、
一つの局所的最適解ではあるのだろう。
暗殺者は珍しいようだし。
﹁もっとも、ミリアに使わせる方針なのは変わらない。ミリアがど
の魔物を相手にするのか。そこら辺はうまく前衛陣で対応してくれ。
相手のあることだからいつも選べるとは限らないしな﹂
1972
﹁そうですね、分かりました﹂
﹁やる、です﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
いちいち指示するのも大変だし、そこは丸投げでいい。
迷宮では生死がかかっているのだし、ミリアも覚えるだろう。
魚ではなくとも。
1973
博徒
﹁では、その剣はミリアに﹂
ロクサーヌとミリアに剣を交換させた。
ミリアからは聖槍も受け取る。
ミリアはレベルが二つ上がって戦士Lv5になった。
不安もあるがLv5ならメッキをかけておけば大丈夫だろう。
隊列を戻して探索を続ける。
ミリアも前線でがんばった。
大丈夫そうか。
まあ問題は攻撃を受けたときだが。
﹁やった、です﹂
ミリアの言葉で、フライトラップを見る。
石化添加が発動したようだ。
フライトラップが動かなくなっていた。
色も少し黄緑っぽくなったような気がしないでもない。
石化が発生することはやはりあまりない。
ミリアは前に出てから何十回と攻撃しているが、発動したのは初
めてだ。
本当に、忘れたころに、という感じだろう。
ミリアが、石化したフライトラップの奥を回り込み、ハットバッ
1974
トに攻撃をかける。
ロクサーヌが相手をしていたハットバット二匹のうちの一匹を引
き取った。
魔物が四匹から三匹になれば、前衛が一対一で対応できるからう
んと楽になる。
ハットバット二匹をブリーズストームで叩き落とす。
ロクサーヌとミリアは次にベスタが相手をしていたラブシュラブ
を囲んだ。
俺もファイヤーストームに切り替えて攻撃する。
ラブシュラブと石化したフライトラップを火の粉が襲った。
フライトラップが煙になる。
ラブシュラブが倒れる前に、フライトラップだけが燃え尽きた。
フライトラップは、横倒しになるのではなく立ったまま煙になる。
石化した魔物はこういう風に滅ぶのか。
石化したまま倒れてきても危ないしな。
魔物はなんとか石化して屠ったけども倒れてきた魔物にぶつかっ
て死亡とか、嫌すぎる。
石化すると床に落ちるハットバットでは分からなかった。
石化してまで飛び続けるのは無理な注文だ。
残ったラブシュラブをファイヤーボールで片づける。
フライトラップとラブシュラブは共に弱点が火属性なので、本来
なら同じタイミングで倒れるはずだ。
フライトラップが先に倒れたのは、石化して魔法に弱くなったか
らだろう。
確かに、石化すると魔法に弱くなるようだ。
1975
﹁よし。石化はちゃんとミリアでも発動できたな。えらいぞ﹂
﹁はい、です﹂
一声褒めて、探索を続けた。
ミリアが攻撃を受けたのは、戦士Lv8のときだ。
ハットバットが盾をかいくぐり、ミリアに激突する。
﹁大丈夫か﹂
﹁大丈夫、です﹂
手当てをかけて尋ねると、元気に答えが返ってきた。
大丈夫そうか。
手当てを間にはさんだファイヤーストームでラブシュラブ二匹を
倒す。
魔物が残り一匹になると、ミリアがハットバットの正面をロクサ
ーヌと交代し、手を上げた。
手当てはもういいようだ。
ブリーズボールで蝙蝠を攻撃する。
ミリアも横に流れて硬直のエストックで斬りつけた。
風魔法でハットバットを始末する。
今までは厄介なハットバットが一匹出てきた場合全部ロクサーヌ
が正面で相手をしていた。
石化添加のスキルがついた剣を使うことで、ハットバットを後か
ら倒す場合、これからはミリアが相手をすることになる。
ミリアにとっては負担が増える。
たまにしか発動しない石化のことは無視して、今までどおりにす
べきだろうか。
1976
別にそこまではいいか。
ハットバットは確かにちょこまかと飛び回って厄介だが、ラブシ
ュラブなら楽勝というわけでもないし。
ハットバットが三匹出てくればミリアも引き受けざるをえないか
ら、ハットバットと戦わないということもできない。
﹁ちょっと大変になったけど、頼むな﹂
﹁はい、です﹂
ミリアには激励の言葉だけを伝えて、このまま続けることにした。
その後は攻撃を受けることなく進み、戦士Lv10で錬金術師を
はずす。
いつまでもメッキをかけるわけにはいかないし、わざと攻撃を受
けさせるのも大変だ。
Lv10がいい潮時だろう。
昼に休みを取るまで、無事ミリアは攻撃を受けずに終わった。
俺の方も、錬金術師の替わりにつけた盗賊がLv30に達してい
る。
ジョブを見てみた。
探索者Lv44、英雄Lv40、魔法使いLv42、僧侶Lv4
2、盗賊Lv30、錬金術師Lv34、賞金稼ぎLv32、料理人
Lv35、薬草採取士Lv6、色魔Lv24、戦士Lv30、村長
Lv1、商人Lv27、剣士Lv2、武器商人Lv1、防具商人L
v1、村人Lv6、農夫Lv1、騎士Lv1、暗殺者Lv1、博徒
Lv1。
おお。
あった。
1977
博徒だ。
やはり盗賊Lv30が必要なんだろう。
セリーが見た本の落書きは信用できるらしい。
料理人なんかは探索者Lv30、騎士なども戦士Lv30が必要
だ。
他にも何かLv30が前提となっているジョブがあるかもしれな
い。
すでに伸ばしているジョブはLv30まで上げてもいいな。
いや。種族固有ジョブの色魔に派生職はなさそうか。
博徒 Lv1
効果 知力小上昇 器用小上昇
スキル 状態異常耐性ダウン クリティカル発生
博徒の効果は小上昇二つだ。
器用な博徒というのも、嫌な感じだが。
博徒が器用でもやることはいかさましか思い浮かばない。
スキルを見る限り、いかさまというよりは、状態異常やクリティ
カルなど確率で発生するものがメインのジョブなんだろう。
攻撃のたびにサイコロを振るジョブなのか。
博徒らしいといえば博徒らしい。
スキルの状態異常耐性ダウンというのは、アクティブスキルだっ
た。
試しに状態異常耐性ダウンと念じると、相手の指定を求められる。
1978
パッシブスキルで自分の耐性がダウンするのでなくてよかった。
状態異常に対する耐性をダウンさせる代わりに攻撃力をアップさ
せるとか。
博徒ならありそうな気はする。
肉を切らせて骨を断つ作戦だ。
あー。どうなんだろう。
一応、自分に対して状態異常耐性ダウンをかけることもできるよ
な。
そんなことはないと思うが。
おそらく、博徒は魔物の耐性をダウンさせて状態異常を狙い、ク
リティカルで攻撃力アップも図るジョブなんだろう。
確かにバクチ好きの好みそうなスキル構成ではある。
一か八かにすべてを賭けると。
昼過ぎから迷宮で博徒を試してみる。
とりあえず、ミリアが対峙する相手に状態異常耐性ダウンをかけ
てみた。
暗殺者と博徒との相性はよさそうだ。
状態異常耐性ダウンで耐性を下げ、状態異常確率アップでさらに
万全を期す。
と思ったのに、二回試してみてもどっちの魔物も石化しない。
まだミリアは暗殺者になっていないが。
元々石化の確率は低いからしょうがないのか。
状態異常耐性ダウンをかけた俺の攻撃でないと駄目なのか。
それともやはり自分に対してかけるのか。
1979
ダウンの幅がレベル依存になっているということも考えられそう
だ。
MPを消費している感じも少しあるので、無駄撃ちはやめた方が
いい。
テストは次で最後にしておくか。
探索を進めていくと、ハットバット二匹とフライトラップ一匹の
団体に出くわした。
ブリーズストームを放ちながら、ミリアの正面に来たフライトラ
ップに状態異常耐性ダウンをかける。
このフライトラップもなかなか石化しない。
今回も駄目なのか、と思っていると、八発めのブリーズストーム
でハットバット二匹が落ちた。
あれ。
いつもより早い。
二十階層では弱点魔法を使って九発かかるのに。
数え間違えたか、と思っていると、今度はフライトラップを倒す
のにファイヤーボールが五発かかった。
これは誤りではない。
﹁今、フライトラップを倒すのにかかった魔法の数がいつもより多
くありませんでしたか?﹂
セリーも突っ込んできたから、確実だろう。
﹁その代わりに、ハットバットを倒すのに使った魔法の数が少なか
ったな﹂
1980
﹁そうでしたか?﹂
ハットバットの方は、数えてはいなかったらしい。
数えとけよ、と思うが、しょうがない。
そんなもんだよな。
何が起こったのか。
状態異常耐性ダウンが効いた、ということはないだろう。
フライトラップにかけてハットバットに効くのはおかしい。
二匹同時に状態異常になるとも考えにくいし。
ハットバットの方は数え間違いだったとしても、フライトラップ
が石化したなら倒すのに必要な魔法の数は減らなければならないは
ずだ。
魔法に対する耐久力が上がるような状態異常になるとも考えにく
い。
こっちには別にそんなスキルはないし。
状態異常耐性ダウンをかけるとランダムで何かの状態異常を引き
起こすことがあるとか。
それもどうなんだろう。
耐性ダウンのスキルだしな。
それよりも考えられそうなのは、クリティカルが発生したという
ことだ。
風魔法がクリティカルになったので、風魔法を弱点とするハット
バットには大ダメージが入ったが、フライトラップの方にはそれほ
どのことはなかったと。
そちらの方がありそうに思える。
1981
魔法にもクリティカルがあるのだろうか。
いや。竜騎士も博徒も攻撃魔法は持たない。
パッシブスキルのクリティカル発生は、スキルを持つ者が行うす
べての攻撃に対して、一定の確率でクリティカルを発生させるので
はないだろうか。
物理攻撃限定ではないということだ。
﹁これからもこういうことは起こる。魔物が倒れるまでは気を抜く
な﹂
まだ魔法にクリティカルが発生したと決まったわけではないが。
セリーだけでなく全員に諭した。
セリーだけだと突っ込まれてぼろが出る恐れもある。
﹁そんなことまでおできになるのですね。さすがご主人様です﹂
﹁うまくコントロールはできないがな﹂
一度あることは二度ある。
多分大丈夫だろう。
﹁いえ。さすがです﹂
﹁すごい、です﹂
﹁そうなんですか﹂
ミリアとベスタまでがロクサーヌに騙されている。
魔法にクリティカルが発生したのだとしても、魔法にはそもそも
手応えがないから、発生したことがまるで分からない。
使い勝手のいいスキルではないな。
状態異常耐性ダウンを使うのをやめて、様子を見た。
1982
全然クリティカルが発生したような気配はない。
石化は発生した。
状態異常耐性ダウンをやめたら途端に石化しやがんの。
それだけ低い確率だということなんだろう。
ベスタも何度かクリティカルを出したようだ。
俺のクリティカルはベスタのクリティカルより確率が悪いのだろ
うか。
いや。クリティカルが二回発生しないと魔法一回分のダメージに
ならないということも考えられる。
それだと数が減って感知できるようになるのはかなり厳しいはず
だ。
何組めかの団体で、ようやくラブシュラブが八発のファイヤース
トームで燃え尽きた。
今回の相手はラブシュラブ二匹だったのでここまでだ。
﹁今のはいつもより魔法を撃つ回数が少なかったです﹂
セリーはしっかり回数を数えていたらしい。
さっきは数えてなかったのに。
疑り深い性質だな。
﹁そうなのですか。さすがご主人様です﹂
ロクサーヌを見習えと言いたい。
﹁うーん。効果は大きくはないな。とりあえずちょっと実験してみ
よう﹂
1983
﹁実験ですか?﹂
﹁いつも使えるわけではないが、今の効果を大きくする実験だ﹂
実験と聞いて食いついてきたセリーに答える。
何の実験かを説明するのは難しい。
二回めもちゃんと起こったということは、魔法でもクリティカル
が発生したと考えるのが妥当だろう。
二度あることは三度ある。
確かめる方法も、ある。
とりあえず一度デュランダルを出してMPを回復する⋮⋮ときに
ミリアの石化が発生した。
﹁やった、です﹂
ちらりと見ると、フライトラップが固まっている。
﹁えっと。よかったのでしょうか﹂
﹁もちろん。危険がそれだけ減ったのだから、歓迎だ。さすがだ、
ミリア﹂
﹁はい、です﹂
他の魔物を全部倒してからロクサーヌの疑問に答え、ミリアを褒
めた。
デュランダルを出しているときに物理防御力の上がる石化を出さ
れても厄介ではあるが。
他を片づけてから魔法で始末すればいいだけの話だ。
いや。このままデュランダルで倒す手もあるな。
1984
石化したフライトラップにラッシュを叩き込む。
ちなみに、デュランダルを出しているとき俺にクリティカルが発
生することはない。
博徒をはずして戦士をつけているので。
ジョブを付け替えられるというのもいろいろと物足りなく感じる
部分が多い。
ただの贅沢な悩みだ。
フライトラップは、何発かのラッシュで煙となった。
石化していない場合と変わりはないらしい。
﹁すごいです。さすがご主人様です﹂
﹁石化すると物理攻撃が効きにくくなるはずですが。確かにすごい
です﹂
﹁さすが、です﹂
﹁あっさり倒すなんてすごいです﹂
思ったとおりだ。
石化で魔物の防御力が上がっても、デュランダルのスキルである
防御力無視がそれを無効にするのだろう。
つまりは全部剣のおかげだ。
MPを回復して、デュランダルをはずす。
キャラクター再設定でデュランダルに回していたボーナスポイン
トをそのままクリティカル率上昇に振った。
これでクリティカル率は三十パーセント上昇。
魔法でクリティカルが発生しているなら、すぐに分かるだろう。
探索を進めながら、次の魔物を待つ。
1985
ハットバット一匹にラブシュラブ一匹、フライトラップ一匹の団
体が現れた。
ファイヤーストームをお見舞いする。
ラブシュラブとフライトラップは、火魔法七発で灰になった。
確実にクリティカル率上昇の効果が出ている。
すごい効果を感じる。今までにない何か熱い効果を。
クリティカル⋮⋮なんだろう発生している確実に、着実に、俺の
魔法に付随して。
魔法にクリティカルが発生していることは疑いない。
ハットバットもブリーズボール三発で落ちた。
風魔法にもクリティカルが乗ったのかもしれない。
クリティカル率が三十パーセント上昇すれば、三分の一くらいの
攻撃でクリティカルが発生する。
魔法を十回も撃てば何回かは確実にクリティカルになるだろう。
大体計算どおりか。
﹁もう何と言っていいか。本当に素晴らしいです。さすがご主人様
です﹂
﹁これは、本当にすごいです﹂
﹁さすが、です﹂
﹁今のはすごかったです﹂
さっきに続いてセリーまでが褒めてきた。
さすがにここまで結果が出ればな。
﹁確認できたので実験はここまでにする。また元に戻す。いつもこ
んな風になるわけではない﹂
1986
経験値アップに振りたいので、クリティカル率上昇にばかりボー
ナスポイントを振るわけにもいかない。
それが惜しいよな。
1987
ほどほど
クリティカル率上昇は、思ったより使えるスキルだ。
魔法にもクリティカルが発生するというのは大きい。
三十パーセントも上昇させたら、一回の戦闘中に何度も発生する
だろう。
それだけ戦闘時間が短くなる。
問題点はある。
クリティカル率上昇は、ボーナススキルなので、取得するにはボ
ーナスポイントを使う。
利用できるかどうかは、経験値系スキルや複数ジョブ、デュラン
ダルなどとの兼ね合いだ。
クリティカル率三十パーセント上昇を常時セットするようなこと
は、とても無理だし、そこまでの効用もないだろう。
また、クリティカル率上昇はそもそもクリティカル発生がないと
無駄なので、クリティカル発生のスキルを持つ博徒とセットで運用
しなければならない。
探索者、英雄、魔法使い、僧侶に加えて博徒を常時使用するとな
ると結構大変だ。
本当ならフォースジョブまでにして必要経験値二十分の一を早く
つけたかったのに。
必要経験値二十分の一は諦めるか。
それとも英雄をはずすか。
しかしクリティカルで攻撃力が上がっても英雄をはずして基本攻
1988
撃力が下がったのでは本末転倒だ。
ジョブの持つ効果はパーティー全体に効くから、効果の大きい英
雄ははずしにくいということもある。
いっそ探索者をはずすか。
インテリジェンスカードをチェックされたときには僧侶にでも転
職したことにするか、アイテムボックスを使わないのならチェック
のときだけ探索者になることもできる。
アイテムボックスとパーティー編成は、ロクサーヌかセリーを探
索者にすればいい。
アイテムボックスの大きさはレベル依存だから、使えるようにす
るまでが面倒だが。
まあそこまですることもないか。
探索者をはずすとボーナスポイントが少し減ってしまうし。
無理にフォースジョブまでにして必要経験値二十分の一をつけて
も、今度はクリティカル率上昇にボーナスポイントを振る余裕がな
くなってしまう。
クリティカル率上昇を使わないのなら、博徒をつける意味はあま
り大きくない。
クリティカル発生だけでは、発生率はごく小さい。
竜騎士のベスタもそれほどクリティカルは出していないようだし、
博徒も一緒なんだろう。
むしろ、この際だからシックススジョブまで取得することにして、
探索者、英雄、魔法使い、僧侶、博徒を基本セットとして運用する
のがいいか。
これなら、料理人や錬金術師をつけたい場合でも対応できる。
デュランダルを使うときに戦士と博徒の同時運用でクリティカル
1989
が出せる。
いや。戦士ではなく剣士でいってみるべきだろう。
戦士のラッシュと剣士のスラッシュは、大体同じようなスキルだ。
剣士のスキルだからスラッシュは剣専用かもしれないが、どうせ
使う武器はデュランダルだし。
戦士をつけるときにはデュランダルを出して経験値系のスキルが
軽くなっているので、戦士はここしばらくレベルの上がり具合が悪
い。
派生職が発生するLv30を目指して剣士を鍛えていく方がいい
だろう。
シックススジョブまであれば、その他の職にも手が回る。
キャラクター再設定でシックススジョブまで取得した。
フィフスジョブは博徒のまま、シックススジョブに剣士をつける。
デュランダルを出すとき頼ることになる剣士は早めに鍛えた方が
いい。
クリティカル率上昇は、三十パーセント上昇ははずしてクリティ
カル率上昇だけをつけた。
クリティカル率上昇はボーナスポイントを消費するので常に設定
できるわけではない。
欲張ってつけて、はずしたときと戦闘の難易度が大きく変わるの
は好ましいことではないだろう。
セリーから発生率の差を突っ込まれるかもしれないし。
クリティカルは発生に運の要素が大きく絡んでくるので、あまり
頼ることにはならないと思うが。
クリティカル率上昇の次はクリティカル率十パーセント上昇、そ
1990
の次はクリティカル率十五パーセント上昇だから、クリティカル率
上昇だけだと五パーセントの上昇だろう。
多くもないが、少なくもない。
1ポイントくらいならたいていは捻出できるので、これでやって
みるのがいいだろう。
とりあえずクリティカル率上昇でやってみる。
探索を行いながら、出てきた魔物の団体を倒した。
魔物に撃ち込む魔法の数は、減ったり減らなかったりというとこ
ろか。
五パーセントだとすると二十分の一。
こんなものなんだろう。
地味だ。
地味だが、役に立つ。
戦闘時間が短くなるのはありがたい。
ありがたいが、地味だ。
一発だけ減ったり減らなかったりでは、わざわざ数えたりしなけ
れば分からないだろう。
実感できるほどの効果はない。
かといって、実感できるほどの効果があった場合には運悪く発動
しなかったとき困ったことになりかねない。
それもまた困る。
ほどほどでちょうどいい感じだ。
ほどほどがいい。ほどほどが。
何事もやりすぎはよくない。
ほどほどが一番だ。
1991
MPを結構使ったので、デュランダルを出す。
シックススジョブまでつけるようになってから、デュランダルを
出す間隔は短くなった。
それまでつけていたMP回復速度三倍は地味に役立っていたらし
い。
あれもこれもとはいかないので、しょうがない。
現れたハットバットにスラッシュを喰らわせる。
魔物の動きを見ながら、突っ込んできたところに剣を合わせ、ス
ラッシュで弾いた。
飛ばされた蝙蝠が空中で体勢を整えようとしたところに再度スラ
ッシュを叩き込む。
基本的にやはりスラッシュでもラッシュでも使用感に大差はない
ようだ。
今までと同様に戦える。
次のハットバットの突撃を避け、魔物が戻ろうとしたところをス
ラッシュで斬った。
お。今のはクリティカルだ。
デュランダルが空中の蝙蝠を力強く弾き飛ばした。
ハットバットが大きくぐらつく。
スラッシュにもクリティカルが乗るらしい。
まあ魔法にも乗るくらいだからな。
クリティカル発生は、そのスキルを持つ者が行うすべての攻撃に
対して発生するかどうかのサイコロを振るのだろう。
﹁やった、です﹂
1992
ミリアが小さく叫んだ。
ミリアが相手をしていたハットバットが地面に落ちる。
クリティカルに対しての言葉ではなく、石化だったようだ。
ロクサーヌがラブシュラブ、ミリアとベスタがもう一匹のハット
バットに対していたので、誰も俺のクリティカルに気づいていない。
セリーも、デュランダルに詠唱中断があることは分かっているの
で、俺が相手をしていない魔物の方を監視していた。
ハットバットに注意を戻し、姿勢を整えた蝙蝠にスラッシュをぶ
つける。
魔物が地に落ち、煙と化した。
続いてロクサーヌが相手をしていたラブシュラブに斬りかかる。
横から叩きつけるだけなので楽勝だ。
最後に、石化したハットバットが残った。
﹁あー。これはどうすんだ?﹂
ハットバットも倒さないといけないが、小さい。
しかも地面に落ちているので、斬りにくい。
魔法で倒すべきだろうか。
﹁大変そうですね﹂
ロクサーヌも首をかしげている。
デュランダルを逆手で持ち、杖を使って地面を掘り起こすときの
ように真上から突いてみた。
MPが回復した感じがある。
これでいいのか。
1993
﹁いけそうだ。ミリアのおかげだな。さすがミリアだ﹂
﹁はい、です﹂
ミリアを笑顔で安心させ、スラッシュと念じて突いた。
途中からはめんどくさくなったので、スラッシュ抜きで突く。
リズミカルにハットバットを叩いた。
土木工事の現場みたいな感じだ。
あ。今の一撃は深く入った。
クリティカルだろう。
今度はみんな見ているが、誰も気づかない。
そんなものか。
石化したハットバットを何度も突いていると、突き抜けて地面を
叩いた。
倒せたようだ。
ハットバットが煙になる。
その後、夕方まで探索を続けた。
エプロンができあがってくる日なので、探索は少し早めに終える。
帝都でエプロンを受け取ってから、家に帰った。
今日からは、料理を手伝ってもらうときベスタもエプロン着用だ。
﹁ベスタはパン粉を作ってもらえるか﹂
﹁パン粉ですか?﹂
﹁作り方は誰かに聞いてくれ﹂
﹁分かりました﹂
1994
エプロンを着けたベスタに指示を出す。
エプロンが覆う胸元はしっとりとしてまろやかだ。
膨らみが大きいとエプロンも映える。
暴力的な迫力は緩和され、桃源郷のような和らいだ雰囲気が生み
出されていた。
艶やかな柔らかさ、優しいしなやかさが全身から匂いたっている。
ただし、大柄なだけにフリルはちょっと大味には感じる。
何ごともほどほどが一番だ。
パン粉の方は、ロクサーヌもうなずいているし大丈夫だろう。
仕事を与えた後、風呂場に行って風呂を入れる。
途中でMP回復のために降りてきたとき、すでにパン粉はできて
いた。
ベスタは誰かの手伝いで野菜を切っている。
﹁ありがとう。ちゃんとできてるな﹂
﹁はい。こっちももう終わります﹂
いろいろと便利に働いているようだ。
﹁ベスタはゆで卵を作れるか?﹂
﹁ゆで卵くらいなら大丈夫です﹂
﹁じゃあ一個作ってくれ。固めで頼む﹂
﹁分かりました﹂
ベスタに追加の依頼を出した。
﹁ロクサーヌ、迷宮でいつものように頼めるか﹂
﹁はい﹂
1995
俺はロクサーヌと一緒に迷宮に行く。
MPを回復して帰ったとき、ベスタは卵を煮ていた。
﹁お。やってるな。そのお湯を使って、野菜をゆがかせてくれ﹂
軽く野菜をゆがいてから、風呂の残りを入れる。
﹁ご主人様、ゆで卵です﹂
入れ終わったときには、卵も茹で上がっていた。
﹁ありがとう。じゃあこいつを搾ってくれ﹂
﹁はい﹂
レモンを搾ってもらう。
ゆがいた野菜をみじん切りにして、マヨネーズ、つぶしたゆで卵、
レモン果汁と併せ、塩コショウを振れば、タルタルソースのできあ
がりだ。
ミリアにカットしてもらった尾頭付きにパン粉をつけて揚げ、タ
ルタルソースを載せる。
魚はミリアに切ってもらった方がいいだろう。
﹁おいしい、です﹂
﹁これはすごいです。こんな料理は初めて食べました﹂
ミリアは当然として、ベスタにも好評のようだ。
よかった。
油ものが大丈夫なら、明日はとんかつでもいってみるか。
1996
食事の後は、全員で風呂に入る。
まずは四人を石鹸で洗い流した。
四人になったので全員の身体を俺が洗うのは時間効率が悪いよう
な気がするが、権利を放棄するつもりはない。
一日の楽しみではないか。
目的と手段を混同してはいけない。
生きるために身体を洗うのではなく、身体を洗うために生きるの
だ。
このひとときが人生の喜び。
このひとときこそが人生だ。
たっぷりと時間をかけ、全員を清め上げた。
我が生涯に一片の悔いなし。
俺の体も全員で洗ってもらってから、風呂桶に入る。
全員で入ると少し狭いが、問題はない。
﹁少しゆるめのお湯にしたけどちょうどよかったな﹂
﹁はい。気持ちいいです﹂
狭いからかロクサーヌがべったりとくっついてきた。
お湯の中でなめらかな肌に接する。
問題ない。
何の問題もない。
﹁ミリアも、気持ちいいな﹂
﹁はい、です﹂
ミリアは、例によって俺の足元の方で浮かんでいた。
1997
ベスタもその隣でお湯につかっている。
あれ?
浮かんでね?
何かが浮かんでいるような気がしたが、気にしてはいけない。
横にいるセリーのことが気がかりだ。
何ごともほどほどが一番。
ほどほどが一番である。
風呂上りにもう一度エプロンを着せた。
二着作ったエプロンの絹の方だ。
ベスタが着ると、山の頂とふもととの標高差が。
距離の開いた防衛ラインが俺を誘う。
こ、これは罠だ。
鳥もちのように俺を捕らえて放さない罠だ。
しかし罠と分かっていても、人生には行かねばならぬときがある。
いつ行くか。
今でしょ。
無防備なその隙間から手を差し込んだ。
エプロンとはこのようにして使うものだろう。
さらさらとしなやかなサテン地の布としっとりなめらかなベスタ
の肌が俺の手をはさみ込む。
たおやかな球状の肉塊がソフトに俺の指を受け止めた。
柔らかく、まろやかだ。
力を入れなくても指が埋まっていく。
1998
豊かな軟物質の間に。
愛と悦楽の間に。
指の間から果肉があふれた。
しっとりと俺の手に喜びを与えながら、指の間からにじみ出てい
く。
そしてあふれ出した果肉が優しく指に絡みつく。
素晴らしい。
ほどほどが一番だと言ったな。あれは嘘だ。
とがってこそ人生。
とがってこその喜びだ。
二三にては死ぬともあらじ、一にてを。
︵by清少納言︶
また一つ人生の真理に達してしまった俺だが、翌日からの探索も
普通に行った。
クリティカル率上昇は、多分五パーセントアップの一段階めで止
めておく。
ボーナスポイントがあまっているなら振りたいスキルもいろいろ
あるしな。
1999
石像
石化とクリティカルで、戦いは多少楽になった。
とりわけ、石化が発生すれば戦闘は半分終わったようなものだ。
気を抜いてはいけないが。
元々数匹しかいない団体の魔物のうち一匹が戦えなくなるのだ。
戦局が大きく傾く。
そこにクリティカルまで加われば鬼に金棒だ。
ロクサーヌとミリアたちはうまく連携して、後で倒す方の魔物を
ミリアが担当できるように動いている。
ただし、石化はあまり発生することはない。
クリティカル率上昇をセットしている俺のクリティカルで魔法の
数が減ることよりも少ない。
そこは、ミリアが戦士Lv30になって暗殺者のジョブを取得す
ることに期待しよう。
どちらも運頼みというのが、一つ問題点ではある。
階層の最大数である五匹の魔物が出てきたときに、石化もクリテ
ィカルも発生しなかったらどうなるか。
二十階層では問題はないが、石化とクリティカルを頼みに上まで
進んでいったときに起こったら、ピンチになるかもしれない。
クリティカル率上昇は五パーセントまでで留めておく所以である。
ボーナスポイントを使う以上、クリティカル率上昇はいつもいつ
もずっとつけられるわけではない。
2000
今はもう少し伸ばすこともできないではないが、はずしたときと
のギャップは小さい方がいいだろう。
﹁ご主人様、ルーク氏からの伝言メモが残っています。コボルトの
モンスターカードを落札したようですね﹂
﹁コボルトか。なら明日でいいか﹂
夕方、探索を終えて家に帰ってくると、ルークからのメモが残っ
ていた。
次の強化は、ヤギのモンスターカード待ちだろうか。
早く落札できればいいのに。
別に戦闘がつらくなってきているわけでもないが。
コボルトのモンスターカードはすぐに使う予定もないので、受け
取りに行くのは明日の朝にする。
夕食に取りかかった。
とんかつだ。
パン粉を作るのも肉を切るのもベスタにやってもらう。
﹁パン粉ができました﹂
﹁ありがとう。ベスタが手伝ってくれるので楽だ。ベスタがうちに
来てくれて本当によかった﹂
﹁こちらこそありがとうございます。何を作っておられるのですか
?﹂
ベスタに手伝ってもらって暇なので、俺はその間にクレープを作
ってみた。
牛乳、小麦粉、砂糖、卵を適当に混ぜる。
クレープなんか作ったことはないが、多分牛乳少し多めの柔らか
いくらいの感じでいいだろう。
2001
﹁ちょっとしたテストだ。見ておけ﹂
﹁はい﹂
生地を落とし、フライパンに薄く延ばした。
実験なので作ったのは一枚分だ。
生地を全部投入する。
フライパンの上をとろとろと流れていった。
こころもち柔らかすぎたか。
牛乳はもうちょっと少なめでいいだろう。
失敗というほどでもないが。
フライパンはきっちり温めていたので、すぐに固まっていく。
クレープ屋の店頭で焼いていたのもこんな感じだったような気も
する。
初めてなのにここまでできれば十分だろう。
後は折りたたんで⋮⋮。
あ。失敗した。
焼けたクレープをフライパンからはがそうとするとき、うまくは
がれず、くしゃくしゃになってしまった。
もっと慎重にやらないといけないのか。
あるいは、フライパンの上で折りたたんでから取り出すのがいい
か。
今日のところはテストだからこれでいい。
クレープを適当に五つに切る。
最初の一切れを口の中に入れてみた。
2002
お。クレープだ。
普通にクレープができている。
磯辺焼きは無理だが、クレープはできた。
柔らかさは似たようなもんかもしれない。
﹁試しに作ったものだ。みんなも一切れずつ食べてくれ﹂
他の四人にも勧める。
﹁ご主人様がお作りになったものなら、楽しみです﹂
ロクサーヌが真っ先に次の一切れを取った。
順番が大切らしい。
適当に切ったから、大きさも違うと思うしな。
五等分は大変だ。
﹁あくまでテストだからな。次はもう少し本格的に作る﹂
期待されてハードルが上がっても困るが。
﹁これは、すごいです。さすがご主人様です﹂
﹁柔らかくて、甘くて、美味しいです﹂
﹁すごい、です﹂
﹁美味しいです。こんなにふわふわしていて、こんなにもっちりし
ていて、こんなに美味しいものがこの世にあるなんて知りませんで
した﹂
セリーとミリア、ベスタも順番に一切れずつ取って食べた。
四人とも喜んでくれるようだ。
普通にちゃんとクレープができたしな。
2003
とりわけベスタに好評だった。
﹁ベスタはこういうの食べたことなかったのか﹂
﹁はい。こんなに美味しいものを食べられる日が来るとは思っても
みませんでした。いつもいつもありがとうございます。ご主人様に
はどれだけ感謝しても感謝しきれません﹂
ベスタには刺激が強すぎたらしい。
まだとんかつもあるのだが。
ベスタは、とんかつにも感激していたが、クレープほどではなか
ったようだ。
同じ感激では同じに感じなくなってしまうだけかもしれない。
同じ感謝では同じに感じなくなってしまったのかもしれない。
感謝は行為で見せてもらった。
ベスタははじめから積極的ではあったが、最近ではそれに加えて
徐々にねっとりとするようにもなってきたと思う。
いい傾向だ。
コボルトのモンスターカードは翌朝受け取った。
予備用で使い道はないのですぐ迷宮に入る。
入った直後、ハルバー二十階層のボス部屋に到着した。
探索は順調に進んでいたらしい。
現れたのは、ハットバットとボスのパットバットだ。
煙が集まって魔物が二匹現れる。
早速雑魚から片づけようと駆け寄った。
2004
と、ハットバットの正面にベスタが立ちふさがる。
何故邪魔をする、と思ったが、ボス戦ではそうするように言った
のだ。
忘れてた。
ありがたいが、微妙にありがたくない。
ちょこまかと飛び回るハットバットの場合、誰かが相手にしてい
るところを横からぶん殴るのも大変ではあるんだよな。
相打ち上等で正面からやりあった方が多分早く倒せる。
どうせデュランダルを持っているのだからダメージはHP吸収で
カバーできるし。
まあしょうがない。
何が出てくるか判断してから指示を出して動かすのもワンテンポ
遅れるだけだろう。
横から殴ればあまり攻撃はされないから楽ではある。
文句を言ってはいけない。
ハットバットがベスタを攻撃する。
ベスタが剣を当ててこれを受け流し、魔物は右から左に抜けた。
俺はその外側をさらに大回りで追いかけていく。
ハットバットが空中で体勢を整えたところになんとか間に合い、
スラッシュを叩き込んだ。
魔物は再度ベスタに体当たりを敢行し、俺とは反対側の左に抜け
る。
嫌な方へと動きやがる。
絶対わざとだろう。
というか、当然そう動くか。
2005
あわてて追いかけたが、スラッシュは間に合わない。
次の突撃には予め一歩踏み出し、ベスタがかわしたところにデュ
ランダルをぶち当てた。
おっと。
手ごたえがよかったので、今のはクリティカルになったらしい。
バランスを崩したハットバットが立てなおしたところにもう一撃
浴びせる。
魔物がベスタを攻撃した。
ベスタが弾き返したところにデュランダルをぶち当て、さらにも
う一発スラッシュを放つ。
ハットバットが墜落した。
ようやく倒せたか。
ハットバットに振り回され、多少時間がかかってしまった。
ここで一息入れることもできず、ボスの囲みに加わる。
ボス蝙蝠は、攻撃をすべてロクサーヌが盾で弾き返したので、そ
れほど動き回られることなく、始末した。
さすがはロクサーヌだ。
﹁途中で素晴らしい一撃が出ていました。さすがご主人様です﹂
ボスを倒すと、ロクサーヌが褒めてくれる。
﹁ありがとう﹂
﹁さすが、です﹂
﹁私のは竜騎士のジョブが持つ特性らしいですが、同じことがおで
きになられるなんてすごいです﹂
2006
そしてロクサーヌに騙される面々。
パットバット相手には、二回クリティカルが出た。
ベスタもクリティカルを出している。
それなのにミリアの石化は出なかったのか。
﹁セリー、ボスは状態異常にならないのか?﹂
﹁なったという報告はあります。ただし、頻度が大きく下がるよう
です﹂
﹁そうなのか﹂
唯一人ロクサーヌに騙されないセリーに訊くと、答えが返ってき
た。
ボスは状態異常になりにくいのか。
やはりボスだけのことはある。
というか、そういうときこそ状態異常耐性ダウンの出番ではない
だろうか。
今はシックススジョブまでつけているので、博徒と剣士を同時に
使える。
だからクリティカルも出た。
次は試してみよう。
﹁ハルバー二十一階層の魔物は、ロートルトロールです﹂
セリーの話を聞いて、二十一階層に移動する。
ロートルトロールか。
マーブリームは最後の二十二階層ということになる。
﹁午前中はこのまま二十一階層の探索をやろう。昼に休んだ後、ク
2007
ーラタルの迷宮に行く。二十階層の突破と、その後で十七階層へ行
こう。な、ミリア﹂
﹁はい、です﹂
マーブリームが最後でも、ミリアはそんなに残念そうにはしてい
ない。
どうせ次に行くことになるわけだし。
問題があるとすれば、二十二階層を突破するときか。
二十二階層の次の階層には行きたくないかもしれない。
いや。二十二階層ではトロが残るまでボスを狩るのか。
二十三階層でもマーブリームは出るしな。
うまいことできている。
先に進みたくなくなるのは二十三階層を突破するときだな。
﹁尾頭付きを二個取って、明日の夕食だ。今回はミリアに調理をま
かせる﹂
﹁はい、です﹂
ミリアを鼓舞して、迷宮を進んだ。
別に鼓舞しようがしまいが石化の確率に変わりはないだろうが。
進んでいくと、ロートルトロールが三匹とラブシュラブ一匹が現
れる。
ファイヤーストームを浴びせた。
十八階層のフライトラップと十九階層のラブシュラブはロートル
トロールと同じく火魔法が弱点だ。
マーブリームを間にはさむより、ロートルトロールは二十一階層
に出てきてくれた方がありがたい。
2008
火魔法を撃ちながら、魔物を待ち受ける。
ロートルトロールは割と大柄だが、ラブシュラブ一匹を含めた四
匹全部で最前線に並んだ。
並んで迫ってくる姿には迫力がある。
前衛陣が斬りつけると、お返しに殴りかかってきた。
威力のあるパンチだ。
ロクサーヌが軽くそらし、ミリアが避け、ベスタが剣で受け流す。
ロクサーヌは続くフライトラップの挟み込みも上半身を巧みにそ
らしてかわしている。
フライトラップが間に入ったので、ミリアもロートルトロールを
相手にするようだ。
毒持ちのフライトラップの方が厄介といえば厄介だが、ロートル
トロールの攻撃も厳しい。
石化してくれるならどちらでもありがたいところだろう。
結局、石化は発動せず、火魔法だけで四匹を同時に倒した。
魔法を放った回数は順当に増えているので、クリティカルは発生
しなかったと思う。
クリティカルが発生してなおこの回数だったという可能性もある
が。
クリティカルがあると正確な回数が計りにくいという問題点はあ
るな。
最初だけ博徒をはずすか。
別にそこまですることもないか。
クリティカルがなくても石化が発生して狂うこともあるだろうし
な。
2009
クリティカルもそんなにたくさん発生するわけではない。
最悪で一割くらい戦闘時間が延びることもある、と考えておけば
いいだろう。
次の相手は、ロートルトロール一匹にハットバット二匹だ。
ウォーターストームで迎え撃つ。
今は二匹と一匹だからいいが、一匹ずつだったらどっちを先に倒
すべきか。
麻痺攻撃があるロートルトロールが先だろうか。
ハットバットの突撃をベスタが弾いた。
ベスタもかなり慣れ、ハットバットの攻撃にも対処できるように
なってきている。
やはりロートルトロールが先だろう。
そのロートルトロールが拳を振り上げる。
こっちの重い一撃の方が大変そうだ。
と、腕を振り上げたところで、ロートルトロールの動きが突然止
まった。
﹁お﹂
﹁やった、です﹂
石化したようだ。
腕を振り上げたまま、固まっている。
二本足だと何かの石像のようにも見えるな。
振り上げた腕が恐ろしい。
今にも襲ってきそうだ。
2010
実際、襲ってきていたわけだし。
世の彫刻家が見れば口惜しがるくらいのできだろう。
ラオコーンより写実的だ。
ゴリアテを殴ろうとするトロール像。
サモトラケのトロール。
考えるご老体。
別に考えてはいないか。
どっちかというと、運慶・快慶の方が近いだろうか。
金剛トロール像。
仏像というなら、トロール苦行像か。
あれは歳をとっているわけではないが。
水魔法でハットバットを倒した後、ファイヤーボールで石像も片
づけた。
ロートルトロールはすぐに煙になる。
石化してもちゃんと火魔法が弱点というところが、いじましい。
2011
女王
ハルバーの二十一階層もなんとか戦えそうだ。
一階層ごとに少しずつ厳しくなってはいるが。
問題になるとすればやはり二十三階層からだろう。
昼すぎからは、地図を持ってクーラタルの二十階層にも赴く。
クーラタルの二十階層はラブシュラブもロートルトロールも火魔
法が弱点なので楽だ。
ピッグホッグやマーブリームにはほとんど出会うことなく、ボス
部屋まで到着した。
というか、マーブリームは出てきてさえいない。
十七階層には後で寄るから、問題はない。
ミリアも不満には思ってないだろう。
デュランダルを出し、待機部屋で待つ。
前のパーティーがいるらしく、ボス部屋への扉は閉じたままだっ
た。
﹁ちょっと混んでるみたいだな﹂
﹁薬になるからだと思います﹂
セリーが教えてくれる。
そういえばここのボスは削り掛けを残すのか。
時間帯も悪い。
昼すぎというのは人が多そうな時間だ。
2012
待っている間に、次のパーティーも待機部屋に入ってきた。
俺たちは一応ハルツ公爵の依頼で公領内の迷宮に入ることになっ
ている。
人に会うのはあまりよろしくない。
言い訳はできるが。
いざとなればミリアの魚好きのせいにしよう。
ハルバーの二十二階層にはまだ入れないのにミリアが魚をほしが
ったので。
ひっでーな、俺。
しかも階層が合ってないし。
前のパーティーの戦闘が終わったのかボス部屋の扉が開いたので、
そそくさと中に入る。
装備品が転がったりは、していなかった。
薬目当てでボスを狩るくらいなら、実力は十分なんだろう。
部屋の中央に煙が集まる。
魔物が二匹現れた。
ボスのラフシュラブとロートルトロールだ。
ベスタがロートルトロールの前に立ちふさがる。
ミリアが向かっていったラフシュラブに状態異常耐性ダウンをか
けてから、俺もロートルトロールに斬りかかった。
ベスタが魔物の腕を避けたところに、スラッシュを叩き込む。
ロートルトロールの一撃をベスタがしっかりと見てかわす間に、
横からさらにデュランダルを喰らわせた。
正面を受け持ってくれる前衛がいるとやはり楽ができる。
2013
今回は指示が役に立った。
スラッシュを連発して、ロートルトロールを倒す。
続いて、ベスタと一緒にラフシュラブを囲みに加わった。
状態異常耐性ダウンをかけても、石化は発動していないようだ。
まあそんな簡単にはいかないよな。
ボスに向かってデュランダルを振りかざす。
正面はロクサーヌが陣取って楽なのだから、今回はラフシュラブ
の攻撃を受けないことを目標にしてみよう。
魔物の動きをよく見て。
枝が動いてロクサーヌを襲った。
ロクサーヌが軽く避ける。
かわしながらレイピアで突いた。
あの動きは、俺には無理だ。
枝が暴れまわるのでなかなか隙がないんだよな。
かわすだけならまだしも、攻撃するのは難しい。
攻撃を浴びないように。
魔物の動きをよく見て。
お。
動きが止まった。
﹁やった、です﹂
あ。石化だったのか。
ラフシュラブが固まっている。
色もやや白っぽくなったような気がした。
2014
﹁おお。セリーの言ったとおり、ボスもちゃんと石化するんだな﹂
﹁そうですね。かなり稀だという話でしたが﹂
﹁さすがはミリアだな。えらいぞ﹂
﹁はい、です﹂
状態異常耐性ダウンのおかげだろうか。
とはいえ、ミリアを褒めておく。
硬直のエストックを持って戦ったのはミリアだしな。
石化したボスにはデュランダルをお見舞いした。
連続してスラッシュを打ちつける。
石化しているので反撃を喰らう可能性はゼロだ。
昔、剣道の稽古で面を連続して打ちつけたことがある。
あれとおんなじだ。
懐かしい。
怒涛の連続攻撃でボスを屠った。
多分クリティカルも出ただろうが、分からないほどの猛チャージ
だ。
ラフシュラブが煙になる。
石化した魔物が相手ならボスであってもただのサンドバッグだな。
抗麻痺丸を作ってから、二十一階層に移動した。
﹁クーラタル二十一階層の魔物は、ケトルマーメイドです﹂
﹁ケトルマーメイドか。一応、一度戦ってから、十七階層に行くか。
ロクサーヌ、ケトルマーメイドがいるところへ﹂
﹁分かりました。こっちですね﹂
2015
ロクサーヌの案内で進む。
ケトルマーメイドとは戦ったことがあるし、クリティカルと石化
があるから、一回戦っただけで強さを判断することもできない。
戦ってみるのはあくまで一応だ。
何か想定外の危険が潜んでいる可能性もある。
試してみるのも悪いことではないだろう。
一度だけ戦って、十七階層に移動した。
想定外なんていうことはほとんどないから想定外なわけで。
尾頭付きを二個取るまでマーブリームを狩って、ハルバーの迷宮
に戻る。
ハルバーの迷宮に戻ってから、状態異常耐性ダウンも試してみた。
ボスが石化したのは、状態異常耐性ダウンのおかげだろうか。 通常の魔物でもテストしてみる。
今回は石化も出たが、三匹に使って一匹だけ。
石化する元々の確率が小さいので、はっきりしたことはいえそう
にない。
長期戦になることが前提のボス戦においてなら、状態異常耐性ダ
ウンを使っておいても損はないだろう、というあたりか。
状態異常に対する耐性がダウンするなら賞金稼ぎの生死不問が効
きやすくなるかも、と思って試してみたが、三匹に対して一度も発
動しなかった。
試すのもMPを消費するので、実験は適当なところで切り上げる。
状態異常耐性ダウンは今後もボス戦で使ってみよう。
夕方まで、普通に探索を行った。
探索を終えると迷宮を出て、クーラタルの街で食材を買う。
2016
﹁今日はちょっと作ってみたいものがあるので、夕食はみんなにま
かせる。ベスタも俺を手伝わなくていい﹂
﹁分かりました﹂
まずは酒屋へ行った。
いつもは料理に使うワインしか買ったことがない酒屋だ。
ワイン以外は初めて買う。
﹁セリー、果実酒かなんかの甘いもので蒸留してある強い酒ってあ
るか?﹂
﹁あります。リキュールですね﹂
リキュールあんのか。
聞いてみるもんだな。
セリーのお勧めにしたがって、小さなかめに入ったリキュールを
買った。
次は八百屋だ。
レモンを取って、セリーに尋ねてみる。
﹁これに似たような果物で、甘いものってないか﹂
﹁ガームですね。今の季節だと難しいのでは。冬に採れる果物です﹂
夏は駄目なのか。
冬に採れる柑橘類というと、みかんのようなものがあるのかもし
れない。
あれ。
レモンの季節っていつだ?
2017
﹁これは夏に採れるのか?﹂
﹁さあ。うちの方では冬にしかありませんでしたが﹂
﹁実は二つの品種があるんですよ。秋から冬にかけて採れるものと、
少し北の方で作られる夏に採れる品種とがあります。ある程度長持
ちしますし、うちでは両方仕入れられますから、ほぼ年中途切れる
ことはありません﹂
﹁そうなんですか﹂
セリーも知らないようだったが、八百屋の店員が教えてくれた。
﹁この季節、果物はあまり多くないですね。キュピコくらいですか。
そろそろ終わりですが。もう少したてばいろいろ入ってきます﹂
店員が指差した先に、見た目ニンジンのあれがあった。
キュピコだ。
とりあえずキュピコを使うことにして、買って帰る。
家に帰ると、クレープを作って焼いた。
一人当たり一枚、ではちょっと少ないだろうから二枚。
全員分で十枚。
大変だ。
これをベスタに焼いてもらう手もあったな。
次からはそうするか。
できたクレープを再度フライパンに載せ、砂糖とリキュール、カ
ットしたキュピコを入れる。
七輪を用意して、フライパンを乗せた。
﹁えっと。それは昨日実験で作られたものですよね﹂
﹁夕食後のお楽しみだ﹂
2018
ロクサーヌに笑顔で答える。
﹁あれはとても美味しかったですし、楽しみです﹂
ここまで作って失敗する可能性もあるが。
まあ大丈夫だろう。
﹁ベスタ、火をつけてくれ﹂
﹁はい﹂
夕食の途中、ベスタに火をつけてもらった。
﹁竜人族が吐く火って食べ物に使っても問題ないか?﹂
﹁食事を温められるほど持続しませんが。毒になるという話は聞い
たことがありません﹂
﹁酒に火をつけることってできるか﹂
﹁はい。ある程度離れて吹きかければ問題ないと思います﹂
大丈夫のようだ。
これで勝つる。
夕食の終わりにかけて、クレープを温めた。
ベスタがスープの皿に匙を置くのを見て、フライパンの取っ手を
握る。
﹁よし。ではそろそろいいかな。ベスタ、フライパンの中に火をか
けてくれ﹂
準備してから頼んだ。
2019
ベスタが少し離れたところから火を吐く。
フライパンの上に一瞬火が踊った。
黄色と青色の混じった炎がぐるりと巻き上がり、すぐに消える。
フランベってやつだ。
一度やってみたかったんだよな。
﹁な、何ですか、今のは﹂
﹁お酒に火をつけるのですか﹂
﹁すごい、です﹂
﹁わ。大丈夫ですか﹂
みんなの中二心も刺激できたらしい。
デザートの女王、クレープシュゼット。
フレンチレストランでシェフがこれを作る姿は中二心を刺激する。
子どものころにテレビで見て以来、憧れていた。
﹁大丈夫だ﹂
フライパンからクレープシュゼットを皿に取り分ける。
褐色になったソースもちゃんとできている。
アルコールを火で飛ばしながらカラメルを作るという仕掛けだ。
キュピコも燃えてしまったが、酢豚に入っているパイナップルを
考えれば問題はないだろう。
見た目ニンジンだし。
皿に移して、順番に配った。
俺の次にロクサーヌの前に置いてやる。
2020
﹁ありがとうございます﹂
﹁みんなで食べよう﹂
﹁はい﹂
全員に配った後、クレープをナイフで切って口に運んだ。
温かい。
そして、そしてなめらかで柔らかい。
優しい口当たりだ。
口当たりだけでなく、味の方も素晴らしい。
美味しくできている。
カラメルソースの軽い苦味がいいアクセントになっていた。
﹁やはりクレープはあったかいのがいいな﹂
﹁これはすごいです。くれーぷというのですか。知りませんでした。
さすがご主人様です﹂
﹁私も知りませんでした。柔らかくて優しい味です﹂
﹁クレープ、です﹂
魚でなくても覚えてくれそうでなにより。
﹁これはすごいです。こんなに美味しいものをお作りになれるなん
て、すごいです。こんなに美味しいものを食べられるなんてすごい
です﹂
ベスタも美味しそうにほおばっている。
気に入ってくれたようだ。
気に入ったお礼は、たっぷりとしてもらおう。
夕食の後は色魔の出番である。
2021
四人を相手だろうが色魔があればどうということはない。
さすが色魔だ。なんともないぜ。
剣士の後は色魔を鍛えるのもいいだろう。
いや。別に深い意味はない。
ないといったらない。
色魔のスキルの精力増強がレベル依存の可能性もあるよな。
現状別に困っているわけでもないので、それが理由ではない。
一度、四人全員を相手に二ラウンドをこなし、どこまでいけるか
試してみるのもいいな。
限界を知るために。
まだまだ限界は先であることを知らしめるために。
そのときのためにも、色魔のレベルを上げておくのはいいことだ。
剣士は、そろそろLv30になるだろう。
デュランダルを出していないときにもつけているのは大きい。
まあ経験値が二十倍も違ってくるからな。
経験上、Lv30の上、Lv31になるには壁がある。
Lv40の上、Lv41になるときにも壁がある。
レベルが10ずつ上がっていくごとに難しくなるのだろう。
派生職はLv30だから、まだ割と出しやすい。
翌日、剣士はLv30に達したが、派生職はなかった。
他の条件が必要という可能性もあるが。
暗殺者だって、毒で魔物を倒さなければ、戦士Lv30だけでは
出現しない。
2022
剣士を育てたので、次は色魔を育てる。
剣士の次に色魔を育てることに深い意味は。
悶々としたりするから少し大変でもあるし。
ただ、大きなトラブルはなく、次の日には色魔がLv30に達し
た。
ルークから芋虫のモンスターカードを落札したという連絡があっ
たので、受け取って身代わりのミサンガも作っている。
これで身代わりのミサンガの予備はできた。
次はミサンガ以外のアクセサリーに芋虫のモンスターカードを融
合してみるのもいいだろう。
身代わりのスキルは使い捨てらしいので大変だが。
ミサンガは空きのスキルスロットが一つしかないので、枠がもっ
たいない。
防御力にも期待できなさそうだし。
身代わりのミサンガはこれまで一度も壊れていない。
慎重に戦っていけば、そうそう壊れることもないだろう。
ちなみに、色魔にも派生職はなかった。
種族固有ジョブに派生職はやはりなしか。
次は商人を育ててみることにする。
商人に派生職があることは分かっている。
奴隷商人だ。
商人の上級職は豪商らしいし、奴隷商人は派生職だろう。
2023
遊び人
翌朝、探索を終えると今度は商人がLv30に達していた。
やはり奴隷商人Lv1も取得している。
だったら商人から先にLv30にしとけという話だよな。
いや。色魔を先に育てたことに深い意味は。
別に少しくらい早いからといってどうということもないし。
実際、奴隷商人には効果もスキルも特別というほどのものはなか
った。
しかし何故かもう一個ジョブを取得している。
商人の派生職が他にもあったらしい。
遊び人だ。
遊び人 Lv1
効果 空き
スキル 効果設定 スキル設定 空き
商人の派生職で遊び人というのもよく分からないが。
効果とスキルの空きは、空きという効果やスキルがあるのではな
く、設定されていないので空いているのだろう。
装備品にある空きのスキルと同じだ。
遊び人は効果やスキルを設定できるらしい。
2024
スキルの中に効果設定とスキル設定があるから、それを使って自
分で設定するのだろう。
なかなか面白いジョブのようだ。
﹁そういえば、セリー、遊び人というジョブを知っているか﹂
迷宮を出て朝食の食材を買いに歩きながらセリーに尋ねた。
セリーなら知らないということはないだろう。
﹁伝説のジョブですね。実態はよく知られていませんが﹂
遊び人の金さんを知らねえだと。
﹁知られていないのか﹂
﹁大昔に、自分がそうだと言った人がいましたが、どういうジョブ
なのかはよく分かっていません﹂
知られていないらしい。
珍しいジョブのようだ。
﹁遊び人だと言った人は何も明かさなかったのか﹂
﹁勝手に、自分のジョブは遊び人だと言いふらしていただけですか
ら﹂
﹁なんか駄目そうな響きだな﹂
自分で自分を遊び人だと公言しちゃう男の人って。
﹁私も聞いたことがあります。遊び人皇太子のことですよね?﹂
ロクサーヌも知っているらしい。
2025
さすがは世に名高い遠山桜。
奉行じゃなくて皇太子なのか。
﹁皇太子なんだ﹂
﹁そうです。皇太子でしたが、廃嫡されました。歴代最低の皇太子
だとされています。何ごとにもこらえ性のない人で、いろいろなジ
ョブに就いては辞めてを繰り返していたそうです。その上、嘘と騙
りがお手の物。まさに人間のクズ。帝国のごくつぶし﹂
﹁お、おう﹂
ひどい言われようだ。
まあ皇太子がニートではな。
遊び人が世を忍ぶ仮の姿ならよかったのに。
﹁そんな人の言ったことなので、あまりまじめには捉えられていま
せん﹂
おうおうおうおう。
さっきから黙って聞いてりゃいい気になりやがって。
皇太子にも事情というものがあったのだろう。
いろいろなジョブに就いたというのがそれだ。
遊び人は商人Lv30の派生職かと思ったが、そうではないらし
い。
さまざまなジョブを得ることによって獲得できるジョブなんだろ
う。
俺の場合は奴隷商人のジョブを得たことで、その規定数に達した
と。
商人と遊び人では関係がよく分からないしな。
2026
商人Lv30で得たのは偶然の産物だ。
ひょっとして遊び人が最後のジョブなんだろうか。
と思ったが、冒険者とか神官とかまだ得ていないジョブがある。
所持できるジョブの数に上限があって、これ以上は持てないとか。
多分そんなことはないと思うが、つい余計な心配をしてしまうな。
杞憂だろう。
杞憂のはず、だ。
不安を紛らわすため、試しに遊び人をシックススジョブにすえた。
効果設定と念じてみる。
ジョブがずらずらと脳裏に浮かんできて何ごとかと思ったが、効
果は、遊び人が持っている効果の中から選ぶのではなく、他のジョ
ブが持っている効果の中から選んで設定するようだ。
面白い。
探索者、英雄、魔法使い、僧侶と並んでいるから、自分が持って
いるジョブの中から選べるのだろう。
まあ当然か。
自分でも持っていない最強のジョブの最強の効果やスキルが設定
できたら、遊び人こそが最強のジョブになってしまう。
自分が取得しているジョブ限定で好きな効果を選べると。
なんとなくだが、ならばこれからもジョブを獲得できるような気
がする。
新しいジョブを得ることが遊び人を強化することにもなるし。
遊び人の効果には、威力の高そうな英雄の知力中上昇を選んでみ
た。
魔法攻撃力が上がることを考えたら、知力上昇だろう。
2027
遊び人 Lv1
効果 知力中上昇
スキル 効果設定 スキル設定 空き
確かに設定できるようだ。
一つしか設定できないというのは、惜しいな。
一つしかないのなら、ジョブとしては英雄の方がいい。
英雄の効果八個は特別だとしても、せめて三つくらいあれば。
効果とスキルが三つか四つ設定できたら、ジョブを一つしか選択
できないロクサーヌたちには遊び人を取得させるのが最善の方策に
なるところだ。
空きの効果が二つでも、知力中上昇を二つセットできるのならい
いかもしれないが。
空きが二つあったときに知力中上昇を二つセットできるかどうか。
できなくても、知力中上昇と知力小上昇ならできるはずだ。
ベスタの竜騎士が体力中上昇、体力小上昇、体力微上昇だし。
まあ仮定の話をしてもしょうがない。
俺の場合は複数のジョブをつけられるから、何番めかのジョブと
して使う道はありだろう。
スキルの方も設定してみる。
スキル設定で探索者のアイテムボックスを選んでみた。
食材を買うときにアイテムボックスを開いて確認する。
2028
アイテムボックスは、今まであった四十四列の隣に一列だけ増え
ていた。
遊び人のアイテムボックスは、この新しくつけ加わった一列だけ
らしい。
遊び人Lv1なので、アイテムボックスの容量も一種類×一個な
んだろう。
探索者のときと同じだ。
探索者Lv44のアイテムボックスをコピーしたからといって、
四十四種類×四十四個にはならないようだ。
スキルを持つジョブのレベル依存らしい。
となると、効果の方も多分一緒か。
英雄Lv41の知力中上昇をつけても、上がる幅は遊び人Lv1
相当だろう。
それが惜しい。
いや。ジョブを二つ育てなくていいから、普通はいいことなのか。
借りてくる方のジョブを鍛えて、遊び人も育てて、となると大変
だ。
俺は複数のジョブを持てるからそこまででもないが。
スキルに料理人のアイテムボックスを設定したら、どうなるのか。
料理人と同様、三十列増えるんだろうか。
試しにやってみる。
スキル設定と念じてジョブを選ぶ⋮⋮ことができなかった。
え。
うそ。
2029
スキルを設定できるのって最初の一回だけなの?
まさか。
もう一度やってみる。
やはり選ぶことはできない。
設定できるのは一回だけのようだ。
ガーン。
油断した。
大失敗だ。
アイテムボックスなどという微妙なものを選んでしまった。
まあLv99まで育てれば使いではあるだろうが。
﹁えーっと。とりあえず早く帰って食事にするか﹂
一回だけならそう書いとけよな。
スキル設定使い捨てとか。
スキル指定権とか。
いや。装備品にある空きのスキルスロットはスキルを書き換えた
りできないのだから、それと一緒か。
能天気にできると考えている方がおかしかった。
効果の方は知力中上昇を選んでいるから、まだしも最悪の事態は
避けられている。
遊び人は、そのときに取得しているジョブの中から効果とスキル
を一つだけ選ぶことができるようだ。
いろいろなジョブの中から選べるというのは、複数のジョブを取
得することによって得られるジョブにふさわしい。
2030
使い切りだけどな。
そうなると、遊び人でジョブ取得打ち切り説もあながち否定はで
きないか。
遊び人が最後に得られるジョブなら、遊び人獲得以降に得られる
はずのジョブの効果とスキルは考えなくてもいいし。
ぬかった。
嫌なことを忘れるために朝食にする。
ここまで美味しくなかった食事は、この世界に来て初めてかもし
れない。
はあ。
そういえば、効果設定の方も一回きりだろうか。
こんなことを考えているから、食事が旨くないんだよな。
朝食の後、効果設定を試してみた。
選べる。
効果設定の方は一回きりではないようだ。
効果設定は何回でもできるのか。
二回という可能性はあるかもしれないが。
それはどうだろうな。
探索者から体力小上昇の効果を選んでみる。
どうせスキルは微妙なアイテムボックスだし、比較的どうでもい
い。
遊び人 Lv1
効果 体力小上昇
2031
スキル 効果設定 スキル設定 アイテムボックス
同じジョブから効果とスキルを選ぶのもありか。
それなら探索者の方がいいから、普通は選ばないだろうが。
効果は知力中上昇に戻すか。
効果設定と念じてジョブを選ぶ⋮⋮ことができなかった。
え。
ほんとに二回?
あわててもう一度やってみるが、選べない。
まさか。
いや。
再利用時間か。
不意にひらめいて、スキル設定と念じてみる。
こっちは選べる。
よかった。
効果設定とスキル設定は、一度使うと次に使えるようになるまで
に時間を要するらしい。
一回とか二回しか使えないわけではないようだ。
考えてみれば、設定できなくてもスキル設定というスキル自体は
なくなっていないしな。
分かりそうなもんだよな。
再利用時間か。
なるほどね。
冷却期間はどれくらいか。
2032
前に設定したのは、食材を買ってくる前だったから、長くても一
時間というところか。
頻繁に取り替えたりできないということだ。
効果をとっかえひっかえしたりはしないだろうが。
いや。デュランダルを出すときに腕力中上昇を選び、魔法を使う
ときに知力中上昇に戻すとか。
ないわけではないか。
遊び人のスキルには、魔法使いの初級火魔法を選んでおく。
現状では複数の魔法を撃つことはできない。
しかしそれは、ジョブが一つだからではないだろうか。
魔法を放った直後に手当てをしたり、アイテムボックスを開けた
まま生薬生成をしたりということはできている。
魔法とボーナス呪文も同時に使えた。
魔法使いの魔法は複数撃てなくても、魔法使いの魔法と遊び人の
魔法となら、使える可能性がある。
試してみるべきだろう。
﹁洗濯が終わりました﹂
﹁よし。早速、ハルバーの二十一階層に行くぞ﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌたちの洗濯も終わったようなので、すぐにハルバーの
迷宮に飛ぶ。
探索を進めていくと、ロートルトロールが三匹とラブシュラブが
現れた。
これは都合がいい。
2033
まず、ファイヤーストームと念じる。
続いてもう一回。
周囲を火の粉が舞った。
魔物に襲いかかる。
しまった。
これでは二回めが成功したかどうか分からん。
火が消えてから、三発めのファイヤーストームを念じる。
成功していなければ二発めだが。
火の粉が魔物に集まり、舞う量が薄くなってから四発めを放った。
すぐに周囲を火の粉が舞う。
成功だ。
連続で魔法を放つことに成功した。
成功したのはいいが、今度はいつ次の魔法を撃っていいのかが分
からんな。
四発めの炎が消える前に、三発めの魔法の次弾が使用可能になる
はずだ。
まあファイヤーストームは今までにも散々使ってきた。
いつ次の魔法が使えるか、大体の時間は体が覚えている。
適当に五発めのファイヤーストームを念じる。
火の粉が舞ったので、成功だろう。
続いて六発め、は連続では撃てないんだよな。
ずらさなきゃよかった。
多少時間を置いてから放つ。
七発めを撃つ直前に魔物が燃えながら襲ってきた。
常時燃えっぱなしだと、進軍速度も多少鈍っているだろうか。
2034
それほど違いはないだろうか。
ロートルトロールの攻撃をロクサーヌがかわす。
七発めの後、八発め。
ミリアはラブシュラブに硬直のエストックを叩き込んだ。
九発めのファイヤーストームを念じる。
魔物が燃え、十発めを放つ前に、全部倒れた。
どこかでクリティカルが発生したようだ。
ロクサーヌが驚いたような表情で俺を見ている。
﹁今回はちょっとした実験を行ってみたが、分かるか﹂
﹁はい。戦闘時間が圧倒的に短くなりました﹂
まあほぼ半分になったわけだしな。
魔物とぶつかってからの時間でいえば、もっと大幅に減っている。
ロートルトロールを火魔法十発で倒すとして、今までは七発放つ
間前衛が魔物を抑えなければなければならなかったが、ぶつかるま
でにこれまでの倍の六発撃てるなら魔物とやりあうのは四発放つ間
でいい。
その四発も実質は二発分の時間でいいから、前線の三人が魔物と
対峙する期間はぐっと短くなる。
﹁火の粉の舞い方が今までよりも派手でした。魔法、いや、魔法の
使い方でも変えられたのでしょうか﹂
セリーが感想を述べた。
だいたいあってる。
さすがだ。
火の粉が舞いっぱなしで、確かに派手な戦闘にはなった。
2035
﹁まあそんなところか。簡単に言ってしまえば、火魔法を連続で放
つことができるようになった。そのための実験だ。テストはまだ少
し続けるが、これからはこちらの使い方がメインになる﹂
﹁そんなことまでできるようになられるのですね。さすがご主人様
です﹂
﹁いえ、あの、普通は無理だと思いますが。そうでもないのでしょ
うか﹂
セリーは困惑している。
普通は無理なのか。
まあ無理だよな。
﹁すごい、です﹂
﹁そんなことまでおできになられるのですね﹂
ミリアとベスタはロクサーヌに感化されているようだ。
普通は魔法使いを二つつけることはできない。
苦労人のゴスラーは魔道士だが、魔道士と魔法使いも無理だろう。
俺なら、魔道士、魔法使い、遊び人のトリプルジョブもいけそう
だ。
魔法の三連続攻撃を、ジェットストリームアタックと名づけたい。
先々が楽しみになってきた。
2036
連続攻撃
﹁無詠唱なので、ひょっとしたらそのおかげで魔法を連続で使うこ
とができるのかもしれません﹂
セリーがロクサーヌに惑わされることなく見解を述べる。
詠唱省略はあんまり関係ないと思うが。
魔法を連続で放つにはジョブを複数持つことが肝要なだけで。
﹁まあ詠唱がない分、早くは撃てるか﹂
﹁いえ。そういうことではなくて⋮⋮﹂
セリーがロクサーヌと視線をかわした。
何かあるらしい。
﹁違うのか?﹂
﹁えっと。普通、パーティーではスキルや魔法を使うときは声をか
けあってから使います﹂
﹁私たちのパーティーで魔法やスキルを使うのはご主人様だけなの
でいいのですが、複数の人が同時に詠唱を行うと詠唱がうまくいき
ません。詠唱共鳴と言われています﹂
ロクサーヌの説明をセリーが引き継ぐ。
詠唱が重複するとよくないのか。
それでは確かに、魔法を連続で撃つどころの騒ぎではないな。
ロクサーヌが言い出したところをみると、誰でも知っていること
2037
らしい。
俺は初めて知った。
﹁そうなのか。知ってた?﹂
﹁知ってる、です﹂
﹁私も聞いたことがあるような気がします﹂
ミリアに尋ねると胸を張る。
ベスタも知っているらしい。
﹁詠唱共鳴があるので、複数のパーティーが協同して迷宮を探索す
ることは基本的にありません。一つのパーティーに魔法使いが複数
入ることもあまりありません。交代で魔法を放ったりすることはあ
るようですが﹂
﹁なるほど。さすがセリーだ﹂
そういえば、魔法はかなり威力があるのだから後衛に魔法使いを
三人そろえれば強いパーティーができるはずなのに、今までそんな
パーティーは見たことがない。
単に魔法使いが少ないというだけでなく、別の理由があったのか。
二人以上が同時に魔法を撃とうと詠唱するとうまくいかないと。
MPの問題もあるから、交互に使うことはありとして。
﹁迷宮に入る者なら常識中の常識です﹂
﹁そ、そうか。普通は詠唱が邪魔をして魔法を連続では撃てないが、
俺なら関係ないと﹂
セリーの冷たい目線から顔をそらし、一人で納得した。
﹁さすがご主人様です﹂
2038
ロクサーヌが温かく迎えてくれる。
心の友よ。
いや。心の妻と呼びたい。
﹁まだ実験段階だがな。もう少しテストを続ける﹂
その場を取り繕い、遊び人のテストを続けた。
ロートルトロール二匹が次に出てきた魔物だ。
この相手なら問題ない。
ファイヤーストームを二発ずつ重ね撃ちする。
九発めを放った後、少し様子を見た。
魔物は倒れなかったので、十発めを撃つ。
再びロートルトロールが燃え、煙になった。
クリティカルが出たかどうか分からないので、最後が微妙に使い
にくいな。 クリティカルが出ていれば、十発めは無駄になってし
まうし。
魔物がいないときに全体攻撃魔法を念じるとMPだけを消費して
無駄撃ちになる。
魔物が倒れるのを確認しながら使った方がいい。
クリティカルが大量に発生したら七発で倒れて八発めが無駄にな
ることもありうるが。
現状そこまで考慮することもないだろう。
七発で倒れるようなことはまずほとんどないはずだ。
次の団体は、ロートルトロール三匹にハットバットが一匹だった。
遊び人をつけてから初めて対するハットバット。
2039
遊び人のスキルは、頻繁に取り替えられないのが困りものだよな。
ハットバットに対しても火魔法を使うしかない。
そんなことよりも枠が一つしかないのが問題か。
四つとはいわないが、せめて二つスキルを設定できれば。
二つあれば、その階層と一つ下の階層の魔物の弱点属性魔法を設
定できる。
ハットバットは火魔法に耐性があるわけではないのが救いだ。
二発ずつファイヤーストームを重ねていく。
この先はどうするか。
あれ?
あー。いろいろめんどくさいことになってきているな。
ロートルトロールが倒れた後も遊び人は火魔法を使うしかない。
つまり、ロートルトロールが倒れる前から魔法使いで水魔法を使
えば、全体として見ればハットバットを早く倒せる。
今回は三匹いるから、ロートルトロール最優先でいいだろうが。
せめて九発めはどうするか。
クリティカルが発生している可能性もある。
クリティカルが発生していれば九発で倒れるから、九発めと十発
めが両方火魔法である必要はない。
ただし、どっちかは遊び人なので火魔法しか撃てない。
その前に、魔法使いが放った火魔法か遊び人が放った火魔法かは
区別されているのだろうか。
どうなんだろう。
九発めはウォーターストームと念じた。
2040
続けて、十発めのファイヤーストームを念じる。
霧と火の粉が周囲を舞った。
両方使うとえらいことになるな。
遊び人に水魔法はセットしていないので、これは魔法使いの水魔
法だ。
普通にうまくいったらしい。
魔物は、水と火で熱湯地獄だろう。
熱湯地獄の中、ロートルトロールが倒れた。
クリティカルが出ていたのかどうか。
考えてみれば、九発でロートルトロールが倒れるのならハットバ
ット一匹しか残らないから、十発めは単体攻撃魔法でよかったのか。
まあそのくらいのMP使用量の違いは誤差の範囲だろう。
むしろ、七発めや五発めもウォーターストームでいくべきだった
だろうか。
ハットバットとロートルトロールが出てきたら、風魔法と火魔法
を交互に使うことが全部の魔物を最短で倒す道になる。
それとも、魔物の数が減れば前衛は楽になるから、優先して数を
削るべきだろうか。
今回はロートルトロールが三匹だから数を優先でいいとして、一
匹一匹くらいならどうするか。
ハットバット二匹とロートルトロール一匹ならどうするか。
遊び人は火魔法しか使えないから、ハットバットを先に倒すこと
は大変だ。
というか無理なのか。
遊び人は火魔法を使うしかない。
2041
水魔法と火魔法を交互に使えば、ハットバットとロートルトロー
ルは同時に倒れる。
少ないロートルトロールでも先に倒してまず数を減らすべきなん
だろうか。
いろいろと考えることが多いな。
一匹残ったハットバットにブリーズボールを放つ。
続いて十二発めのファイヤーボールを。
げ。頭上で火の球が踊った。
ブリーズボールとファイヤーボールは干渉しあうようだ。
干渉なのか共鳴なのか。
炎が盛んに揺らめきながら、ハットバットに向かっていった。
大丈夫なんだろうか。
あるいは、逆に相乗効果があるとか。
土魔法と火魔法で溶岩地獄とか。
いけそうな気がする。
その場合、弱点魔法や耐性はどうなるのだろうか。
水魔法か火魔法かに耐性があるだけで、熱湯地獄は防げるとか。
駄目じゃん。
ただでさえ分かりにくいのに、さらにこんがらがるな。
シンプルにいこう。シンプルに。
攻撃魔法は少し間をおいて別々に放った方がいい。
クリティカルを考えればいつ倒せるのか分からないし。
というか、クリティカルが出なかったとして、いつ倒せるんだ?
あー。めんどくさい。
2042
ブリーズボールとファイヤーボールを交互にぶつける。
蝙蝠が風に揺れ、続いて火の球がぶつかった。
次のブリーズボールで、ハットバットが墜落する。
ここまでか。
別々に使って正解だ。
﹁単体攻撃魔法も連続でお使いできるのですね﹂
﹁いろいろ面倒で大変だがな﹂
火魔法しか連続で使えないことは、スルーしてくれるらしい。
セリーの心遣いに感謝しておく。
次の相手は、ハットバット二匹とロートルトロールだった。
げ。まだ考えがまとまっていないのに。
思わずウォーターストームを放つ。
いかん。
ハットバットが二匹だったので、いつもどおりつい水魔法を使っ
てしまった。
水魔法でよかったのだろうか。
二発めに火魔法を使う。
まあいいや。
魔物が三匹なら前衛の三人と一対一だ。
一匹だけを減らすメリットはそれほどないだろう。
ハットバットを倒すのが遅れれば戦闘時間が延びるから、デメリ
ットも大きくなる。
本当のところどうすればいいのかは、よく分からん。
2043
﹁やった、です﹂
それに、こういうこともあるんだよな。
ロートルトロールが石化した。
熟考してロートルトロールを先に倒した方がいいという結論が出
たとしても、すべてが無になりかねない。
考えるのは無駄だな。
適当でいいや、適当で。
適当にいこう。
ウォーターストームとファイヤーストームを交互に撃っていく。
ロートルトロールが先に煙になった。
石化すると魔法に弱くなるから、先に倒れるのは当然だ。
続いて、ハットバットも落ちる。
クリティカルが出ていたのかどうか。
いや。もう深く考えるのはよそう。
その後は深く考えず、適当に戦っていった。
適当が一番だ。
実験は、少しだけ行う。
ハットバットが出てきたときに、一発めにファイヤーストーム、
二発めにウォーターストームと念じた。
火の粉は出たが霧は発生しない。
水魔法はうまくいかなかっただろう。
すぐにファイヤーストームと念じると、火の粉が舞う。
こっちは成功だ。
2044
多分、一発めの火魔法は魔法使いの火魔法が発動したのではない
だろうか。
二発めにウォーターストームを撃とうとしても、遊び人には水魔
法がなく、魔法使いは火魔法を使ってしまっているので発動しなか
ったと。
そこでファイヤーストームと念じれば、今度は使っていない遊び
人の火魔法が発動する。
次のウォーターストームは成功したから、一発めに魔法使いの火
魔法が発動したことは間違いない。
魔法使いの魔法から先に発動するのは、ジョブの順番が関係して
いるのだろうか。
戦闘が終わった後、試しに、サードジョブを遊び人に、シックス
スジョブを魔法使いにしてみる。
次の団体はロートルトロールとラブシュラブの組み合わせだった
ので火魔法のみで沈め、その次の団体にハットバットが出てきたと
き、水魔法を使った。
火魔法水魔法の順番で、ちゃんと霧と火の粉が舞う。
水魔法火魔法の順番でもうまくいった。
あれ、と思ったが、遊び人には水魔法はない。
最初の水魔法は魔法使いの水魔法が発動し、次の火魔法はまだ発
動していない遊び人の魔法が炸裂したのか。
理屈にかなっている。
やはり先につけているジョブから順に発動していくのだろう。
魔法使いと遊び人の順番は、遊び人を先にした方がいいというこ
とだな。
2045
後は深く考えずに魔物を狩っていく。
多少は無駄も出たかもしれないが、しょうがない。
遊び人の効果は、英雄の効果の知力中上昇に戻した。
レベルが低いうちはそれほどの効果はないだろうが。
魔法職が二つ使えるというのは大きい。
探索もサクサク進む。
もはやこの階層では敵なしと考えていいのではないだろうか。
好事魔多しというから気をつけなければいけないが。
遊び人にも馴染んだころ、二十一階層のボス部屋が見つかった。
入った小部屋には前と後ろにしか扉がない。
待機部屋だ。
﹁待機部屋か﹂
﹁はい、です﹂
ミリアはやる気だ。
二十二階層に抜ければマーブリームだしな。
デュランダルを用意して、遊び人をはずす。
遊び人に代えて戦士をつけた。
Lv30まで育てたからもう剣士にする必要はない。
遊び人のスキルをラッシュに変更する手もあるが、ボス戦の時間
くらいでは元に戻せないだろう。
魔法職が二つになったのだから、デュランダルを出さずにこれか
らは魔法で戦う手もあるな。
どうすべきか。
2046
ボス戦でも魔法で戦った方がいいだろうか。
まあ急に戦い方を変えるのもよくない。
今回はデュランダルでいいだろう。
そうはいっても相手はボスだし。
どうせ次の二十二階層ではボスと何度も戦うことになる。
その中で、一度魔法で戦ってみればいいだろう。
あるいはより慎重を期すなら、下の階層から戦ってみるのもいい。
ボス部屋への扉が開いたので、デュランダルを持って中に入った。
煙が集まって、魔物が二匹現れる。
ロートルトロールとロールトロールだ。
ベスタがロートルトロールの方へ、他の三人がボスに向かった。
俺はボスに状態異常耐性ダウンをかけてから、ロートルトロール
に斬りかかる。
横の安全な位置から、ロートルトロールを、その後ロールトロー
ルも倒した。
今回石化は出なかったが、俺は魔物を後ろから襲っているだけだ
から、ほぼ安泰だ。
これなら固定砲台になってもいけそうか。
ロクサーヌはもちろん、ベスタもちゃんと魔物を相手に戦えてい
る。
ボス以外のもう一匹の方は、その階層に出てくる魔物だから、常
に戦っている相手だしな。
迷宮の洞窟で戦うときと違って、ボス部屋では接触するまでの待
ち時間がないから、戦闘する時間は長くなるが。
2047
まあそれは二十二階層のボス部屋で考えればいい。
今は二十二階層へ足を踏み入れるだけで十分だ。
﹁二十二階層の魔物は、マーブリームか?﹂
﹁はい。ハルバーの迷宮二十二階層の魔物はマーブリームになりま
す﹂
セリーに確認を取る。
やはりマーブリームか。
料理人をどうするかが問題だな。
探索者、英雄、遊び人、魔法使い、僧侶、博徒と六つもジョブを
使っているのに、まだ足りなくなるのか。
贅沢に慣れると人はどんどん駄目になっていくようだ。
2048
滝への道
﹁クーラタルの迷宮へは明日の朝に入ろう。今日はこのままハルバ
ーの二十二階層で戦う。ロクサーヌ、頼む﹂
﹁分かりました﹂
二十二階層に移動した。
料理人はつけずに戦うことにする。
数をこなせば、尾頭付きはなんとでもなるだろう。
遊び人のスキルには魔法使いの初級土魔法をつける。
ハルバーの二十二階層では、マーブリームの弱点属性である土魔
法をセットするのがいい。
土魔法ならハットバットにも使えるし。
というのに、二十二階層で最初に遭遇したのはロートルトロール
二匹だった。
そういうもんだよな。
一発めにファイヤーストームと念じ、続いてサンドストームと念
じる。
火の粉と土が舞った。
今回は火と土だが、全体攻撃魔法はあまり干渉とかないようだ。
魔物を溶岩地獄に突き落とせたのでよしとする。
土が溶けてはいないので、溶岩地獄というより砂風呂だが。
気持ちよさそうだな。
2049
駄目じゃねえか。
魔法を連発してロートルトロールを倒す。
砂風呂でもちゃんと倒れた。
問題はないだろう。
﹁⋮⋮﹂
セリーがいぶかしげに俺の方を見ている。
ロートルトロール相手に土魔法を使ったしな。
そういえば火魔法を連続して撃てるようになったと説明したのだ
ったか。
﹁二十一階層では火魔法だったが、ハルバーの二十二階層では土魔
法を連続して使えるようにした方がいいだろう﹂
﹁なるほど、そういうことでしたか。そんなことまでおできになる
のですね﹂
セリーが俺の説明に納得し、感服したようにうなづいた。
最初の説明の仕方をミスったような気がしないでもないが、結果
オーライだ。
﹁さすがご主人様です﹂
ロクサーヌの方は、いうまでもない。
﹁すごい、です﹂
﹁そうなんですか﹂
こっちの二人もロクサーヌにつられている。
2050
意味が分かっているのかどうかは、分からん。
次に出てきたマーブリーム一匹とロートルトロール二匹の団体に
も火魔法と土魔法の連続攻撃をお見舞いした。
土魔法を連続してマーブリームを先に倒した方がいいかどうかは、
よく分からないので考えないことにする。
あれこれ考えても石化が出れば結局無駄になるしな。
魔法が魔物に襲いかかる。
﹁来ます﹂
げ。お返しにマーブリームが水魔法を撃ってきやがった。
やはり先に倒すべきだったか。
まあ間に合わなかっただろうが。
ロクサーヌがきっちりかわす。
水は俺の横を飛んでいった。
ロクサーヌより後ろにいるこっちはひやひやものだ。
魔法を放ちながら魔物を待ち受ける。
ロートルトロール二匹を先頭に突っ込んできた。
﹁××××××××××﹂
﹁ロートルトロールは私とベスタで。ミリアは右を﹂
﹁はい﹂
﹁分かりました﹂
ミリアが何か尋ね、ロクサーヌの指示で前衛陣がフォーメーショ
ンを組む。
ロートルトロールにはロクサーヌとベスタが対応した。
2051
ミリアは、水魔法を使って遅れているマーブリームの相手をする
ようだ。
ここでマーブリームを石化させても、遊び人は土魔法しか撃てな
いから、ロートルトロールを先に倒すことはできない。
かといって、ロートルトロールは二匹だから、片方だけ石化して
もあまりうまみはない。
ミリアが戦うのは、何が相手でもいいわけだ。
今回は石化が発動することはなく、魔法で三匹を倒した。
マーブリームの弱点の土魔法とロートルトロールの弱点の火魔法
を使ったので三匹が同時に倒れる。
連続で魔法が使えるようになって、戦闘時間が短くなったから、
石化はあまり発動しなくなった。
しょうがない。
﹁白身、です﹂
ミリアがドロップアイテムの白身を持ってきた。
料理人をつけていないので、尾頭付きが残ることも少ない。
こっちもしょうがないだろう。
ミリアは別に白身でも嬉しそうだし。
贅沢にならないのは偉い。
白身のてんぷらを死ぬほど食べさせてやろう。
﹁せっかくマーブリームのいる階層に来たんだから、今日の夕食は
白身三昧にするか﹂
﹁はい、です﹂
﹁もちろん尾頭付きも食べる。尾頭付きは、一日置いてあさってで
2052
どうだ﹂
﹁おお。はい、です﹂
こうしておけば、尾頭付きのドロップが少ないと不満に思うこと
もないだろう。
夕方まで探索を行い、尾頭付きも二個以上出た。
やはり、料理人がなくても数をこなせば大丈夫だ。
帰りには帝都に寄って、服を受け取る。
今日はメイド服ができる日だ。
帝都の冒険者ギルドにワープして、服屋まで移動した。
﹁いらっしゃいませ。服は出来上がっております。少々お待ちくだ
さい﹂
店に入ると男性店員がすぐに対応する。
別に預かり証のようなものはもらっていない。
客のことはきっちりと覚えているらしい。
さすがは帝都の高級店というところか。
カウンターまで進んだ。
店員が入っていくときにちらりと見えたが、奥にはたくさんの衣
装が置かれている。
あれが全部注文の服で、店員は誰が頼んだものかいちいち覚えて
いるのだろうか。
尊敬してしまうな。
俺だったら無理だ。
どっかにメモくらいはあるのかもしれないが。
2053
店員が服を一着持って戻ってくる。
メイド服っぽいので、間違いはないだろう。
あれ。
奥に、打掛っぽい衣装があるな。
前あわせの白い服だ。
妙に和風っぽい。
白無垢みたいな。
この世界にもそんなのがあるのだろうか。
いや。ガウンなのか。
バスローブみたいなものかもしれない。
別に振袖にはなってないしな。
﹁あれはガウンか?﹂
﹁どうでしょうか﹂
指差して聞いてみるが、ロクサーヌも知らないようだ。
﹁えっと。あれは﹂
﹁お。セリーは知ってるのか﹂
セリーは知っているらしい。
さすがセリーだ。
﹁神官ギルドで巫女になろうとする志願者に貸し出される衣装です。
巫女服の一部をアレンジしたものだとか﹂
2054
巫女服だったのか。
ならば和風っぽくても当然だ。
そうか?
﹁あちらは、さる家のご息女が巫女を志すので作った衣装でござい
ます﹂
男性店員がメイド服を持ってきがてら説明した。
巫女用であっているのか。
そういえば、セリーは巫女になろうとしたことがあったんだよな。
巫女のジョブはレベルが足りず取得できなかったので、あまりい
い思い出ではないだろう。
﹁やはりそうか﹂
﹁当店で仕立てさせていただければ、絹を使った柔らかな着心地の、
本人の体に合った衣装をご用意できます。神官や巫女になる修行は、
滝に打たれる荒行でございますから。スタイリッシュで、機能性、
ファッション性に優れた一品となります。頼まれるかたも結構いら
っしゃいます。いかがでしょう﹂
﹁まあ機会があればな﹂
巫女のジョブを獲得するために行われるのは、滝行だ。
滝行用の白装束なのか。
あれを着て滝つぼに入る。
白いし、絹だし、そんなに厚くもないだろう。
薄手の絹の白い服を着て水につかればどうなるか。
⋮⋮ありだな。
﹁ギルドでの滝修行は男女別で行われます。それに、下もちゃんと
2055
着込みますから、問題ありません﹂
店員がそっと告げる。
おまえはエスパーか。
この店員、できる。
﹁近いうちにまた来るかもな﹂
﹁お待ちしております﹂
メイド服を受け取って、店を後にした。
服もあるので、一度家に帰る。
帝都の冒険者ギルドから家にワープした。
﹁では着替えますね﹂
家に帰ると、すぐにロクサーヌが服を脱ごうとする。
待て待て待て。
落ち着け、ロクサーヌ。
ロクサーヌが服を脱げば素晴らしいものがこぼれ出てくるのは分
かっているから。
まだ夕食の食材も買ってない。
確かに、今まではメイド服を手に入れるたびにがっついてきたか
もしれないけども。
俺が悪かった。
﹁いや。食事の後、身体を拭いてからでいい﹂
﹁そうですか﹂
なんとか落ち着かせ、食材を買いに出かける。
2056
その後、夕食にした。
今日はてんぷらにして、ミリアに白身をいやというほど食べさせ
る。
ここ数日は比較的過ごしやすいが、これからは暑くなるだろう。
暑い日にてんぷらは作りたくない。
今季最後のてんぷらかもしれない。
﹁巫女になるのに修行する滝は、どこの滝でもいいのか?﹂
食事しながら、セリーに訊いてみた。
思い出すのは嫌かもしれないが。
しょうがない。
必要なことだ。
﹁ギルドによって決まった場所はあるでしょうが、特にどういう滝
でなければという条件があるとは聞いていません﹂
﹁そうなのか。問題は滝がどこにあるか、だが﹂
﹁滝行をなさるのでしょうか?﹂
﹁そうだな﹂
いずれはやらなければならないだろう。
特にあのような衣装を見た後では。
いや。ジョブを得るのも必要なことだ。
﹁知ってる、です﹂
ミリアが知っているらしい。
食いねえ、食いねえ、白身食いねえ。
2057
﹁ミリアは滝があるところを知っているのか﹂
﹁釣り、です﹂
滝つぼで釣りをしたことでもあるのだろう。
魚好きだからな。
食いねえ、食いねえ、白身食いねえ。
﹁ミリアは以前にも釣りをしたことがあったのか﹂
﹁このあいだ初めてした、です﹂
微妙に話が通じない。
この間とはいつだ。
﹁××××××××××﹂
﹁××××××××××﹂
﹁先日休みをいただいて釣りをしたとき、近くに滝があるという話
を聞いたそうです﹂
﹁はい、です﹂
ロクサーヌがミリアから話を聞いて通訳してくれた。
釣りというのはあの釣りのことか。
ベスタがうちに来た日のことだ。
﹁あの港の近くに滝があるのか﹂
﹁少し前までギルドが修行場として使っていた滝があるそうです﹂
﹁川魚、釣れる、です﹂
なるほど。
ミリアの情報収集はそのためか。
まあ結果よければすべてよし。
2058
食いねえ、食いねえ、白身食いねえ。
﹁修行場として使っていたのならさらに大丈夫か。なんで使わなく
なったかが問題だが﹂
﹁危ない、です﹂
﹁魔物が出るようになって使われなくなったのでしょう。よくある
ことです﹂
今度はセリーが解説してくれた。
近くに迷宮が住み着けば魔物が出るようになる。
それで危険になって使われなくなったと。
この世界、やはりいろいろ大変なようだ。
よくあることらしい。
普通は危なくても、俺たちくらいなら大丈夫だろうか。
﹁それなら使えそうかな。一度見てみないと分からないが﹂
﹁見る、です﹂
釣りに行くのではないが。
まあいいか。
ミリアには白身のてんぷらを揚げてやった。
食いねえ、食いねえ、白身食いねえ。
江戸っ子だってね。
神田の生まれよ。
夕食はてんぷらを楽しみ、夕食後はメイド服を楽しむ。
食いねえ、食いねえ。
ちなみに、ベスタも含めて、メイド服を着た全員を一人ずつ寝室
2059
に運んだ。
なんで寝室で着替えないのかと思ったら、こういうことだったの
ね。
ロクサーヌがリビングでいきなり着替えようとしたのもこのため
か。
もちろん、嫌な顔など微塵もせず、内心の不安などおくびにも出
さず、全員を運ぶ。
ベスタも両手で抱きかかえ、問題なく運べた。
毎日迷宮に入って鍛えているからな。
特に重いということもなかった。
腰にくることもない。
その後の腰使いも絶好調だ。
毎日鍛えているからな。
翌朝、地図を持ってクーラタルの迷宮に入り、二十一階層を突破
する。
二十一階層の魔物であるケトルマーメイドは土属性が弱点なので、
遊び人のスキルは変えなくていい。
状態異常耐性ダウンをかけたのに石化は発動しなかったが、ボス
は無事に倒した。
これでボス戦での石化は二回連続発動せず。
最初に運がよかっただけだろうか。
﹁クーラタル二十二階層の魔物はクラムシェルです﹂
﹁クラムシェルが残っていたのか。一応一回だけ戦ってみてから、
ハルバーに行くか。ロクサーヌ、クラムシェルのいるところに案内
2060
してくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
一度だけクラムシェルのいる団体と戦って、ハルバーの迷宮にワ
ープする。
クラムシェルとはハルバーの迷宮で戦っているし、二十二階層の
魔物の強さもハルバーの迷宮で確認済みだから、問題はなかった。
ケトルマーメイドもクラムシェルもそろって土魔法が弱点なので、
クーラタルの二十二階層は戦いやすい階層だろう。
2061
イアリング
朝食を取った後、帝都に移動する。
冒険者ギルドの壁にワープし、外に出た。
﹁服屋へ行って、昨日見たような服を作ってもらおう﹂
﹁巫女のですね﹂
全員に告げると、ロクサーヌが代表して反応する。
﹁わ、私は⋮⋮﹂
セリーはすでに巫女のジョブを持っているから、いらないんだよ
な。
しかしセリーだけなしというわけにもいかない。
﹁大丈夫だ。セリーは滝行をしたことがあるのだし、いろいろ教え
てくれ﹂
﹁は、はい﹂
納得させて、店に入った。
いつもの男性店員がすぐに迎える。
﹁いらっしゃいませ﹂
﹁昨日の巫女を志願する者の服、あれを四人に作ってもらうことに
した﹂
﹁ありがとうございます。寸法などは分かっておりますが、確認の
2062
ために軽くチェックをさせてください﹂
﹁頼む﹂
四人が奥へと連れて行かれた。
個人情報はばっちり押さえられているようだ。
この店なら貴族令嬢のスリーサイズとかも全部知っているに違い
ない。
宝の山だな。
﹁仕立て上がりに五日ほどお時間を頂戴いたしますが、よろしいで
しょうか﹂
﹁分かった﹂
﹁布地は絹を使いますので、一着千五百ナールほどになります。四
着で、昨日お勧めしたばかりの商品をご購入いただけるのですし、
特別サービスで四千二百ナールとさせていただきましょう﹂
千五百ナールは高いのか安いのか。
なんかよく分からなくなってきたな。
金銭感覚が麻痺しつつある。
円ではなくナールなので、ないといえば最初からないが。
衣装を頼んだ後は、迷宮に入って探索した。
探索は順調だ。
いや。堅調かどうか、本当のところはボス部屋に到達してみない
と分からない。
軽快に進んではいる。
遊び人のジョブを獲得したことで、魔法を今までの二倍の速度で
放てるようになり、戦闘時間も一気に短くなった。
これで順調じゃないというのなら、何が順調なのか、という感じ
2063
だよな。
文句のあろうはずがない。
昼に休息を取り、午後も迷宮に入った。
﹁そろそろ夕方近いですね﹂
﹁よし。じゃあ帰って実験するか﹂
ロクサーヌが時間を告げたので、探索を終了する。
遊び人のスキルは、再設定できるようになるまでに時間がかかる
ので、簡単に試すことができない。
一日の終わりにテストしてみるのがいいだろう。
最後にテストするなら、遊び人のスキルをどういじっても問題は
ない。
﹁実験ですか? 風呂を入れるのでは﹂
ロクサーヌには、風呂を入れるから早めに終えると言っておいた。
﹁まあ風呂を入れる実験だ﹂
﹁連続で使えるようになったからですね﹂
セリーは俺が何の実験をするか大体分かるらしい。
単に魔法が連続で使えるようになったから試してみるだけだしな。
風呂を入れる時間が短くなるだろう。
﹁風呂、です﹂
﹁はい。楽しみですね﹂
ミリアとベスタは、純粋に喜んでくれているようだ。
2064
夕食の食材を買い、家まで戻ってくる。
家に帰ると、玄関の下にメモがはさんであった。
仲買人のルークからか。
﹁ご主人様、ルーク氏からの伝言です。ヤギのモンスターカードを
落札したそうです。五千五百ナールですね﹂
﹁お。ヤギか﹂
ヤギのモンスターカードは知力二倍のスキルになる。
現状でも割と順調なのに、さらなる強化になるな。
次の二十三階層からはもう一段上の魔物が出てくるだろうから、
強くなっておくにこしたことはない。
﹁知力上昇ですね﹂
﹁そういえば、アクセサリーにもつけることができるんだっけ?﹂
﹁そうです﹂
つぶやいたセリーに確認する。
知力二倍のスキルはアクセサリーにつけることもできる。
アクセサリーにつける手もあるのではないだろうか。
今は順調に戦えているので、強化は喫緊の課題ではない。
身代わりのミサンガは予備まで作ったので、次はぜひ他のアクセ
サリーに手を伸ばしてみたい。
アクセサリーと武器の両方に知力二倍をつけて知力四倍にするこ
とは無理らしいが、ひょっとしたらできるかもしれないし。
アクセサリーにつければ、ボス戦でデュランダルを出して戦いな
がら魔法を使う作戦も視野に入れられるだろう。
﹁いずれにしても受け取りに行くのは明日か。あ、いや。セリーも
2065
一緒に今来てくれ﹂
﹁はい﹂
﹁ちょっと行ってくる﹂
﹁はい。いってらっしゃいませ﹂
ロクサーヌたちを家に残し、セリーと二人で商人ギルドにワープ
した。
知力二倍のスキルをつけようにも、コボルトのモンスターカード
がない。
ルークに頼んではいるが、まだ落札したという連絡はなかった。
﹁コボルトのモンスターカードの落札価格を見てもらえるか﹂
﹁分かりました﹂
商人ギルドの待合室で、セリーに落札価格を調べてもらう。
待合室にはオークションの結果が載ったノートが置いてある。
セリーがパピルスのノートをめくった。
﹁どうだ?﹂
﹁ヤギのモンスターカードが今日五千五百で落札されていますね。
コボルトのモンスターカードは、昨日が五千二百。その前は、ええ
っと、ありました。四日前で五千二百になっています﹂
ヤギのモンスターカードはきっちり五千五百のようだ。
発注どおりの金額でしか落札しないらしい。
コボルトのモンスターカードは、前回も前々回も五千二百か。
なんか嫌な予感がするな。
前にMP吸収のスキルがついた武器をほしがっていたところが五
千二百で買いあさっていた。
2066
誰かがまた買い注文を出しているのだろうか。
同じくらいコボルトのモンスターカードを欲していれば、同じく
らいの値段になるだろうし。
可能性はある。
その日はすぐ家に帰った。
風呂を入れなければならない。
遊び人のスキルには初級火魔法をつけ、風呂桶の上にウォーター
ウォールとファイヤーウォールを連続で出してみる。
﹁あちっ﹂
風呂桶に落ちた水に手をつけてみると、普通に熱かった。
成功だ。
思ったよりうまくいった。
ちゃんと熱湯地獄になっている。
ウォーターウォールとファイヤーウォールでお湯を作り出してい
く。
水を作るのと温めるのを同時にこなすので、かなり楽になるな。
これならもっと頻繁に風呂に入ってもいい。
ただし、使用するMPの量は減っていないので途中で回復が必要
なのは変わらない。
むしろファイヤーウォールになって効率は悪くなったかもしれな
い。
入れはじめてすぐに、MP回復のためにロクサーヌを連れて迷宮
に行った。
壁魔法は大体の場所を指定するだけなので、二つの魔法の出現位
2067
置をきっちり合わせられないんだよな。
ときどき結構ずれたりする。
訓練すればもう少しうまくなるだろうか。
もう一つ失敗したのは、遊び人のスキルを火魔法にしたことだ。
水魔法にしておくべきだった。
結構な熱湯になるので、水で薄める必要がある。
そのためにウォーターウォールの方が使用回数が多い。
まあしょうがない。
こんなにうまくいくとは思ってなかった。
次から水魔法にすればいいだろう。
食事の後、全員で風呂に入る。
身体を洗ってからお湯につかった。
風呂桶の中でロクサーヌを抱き寄せる。
セリーももっとこっちへ来なさい。
両手でロクサーヌとセリーを抱えた。
足元には、ミリアとベスタ。
お花畑の中にいるようだ。
ミリアは楽しそうに浮かんでいた。
ベスタも⋮⋮浮かんでいる。
やはりお風呂から実験してみることにしてよかった。
正義は勝つ。
遊び人のスキルとしては、クリティカル発生やレア食材ドロップ
率アップも試してみたくはある。
2068
遊び人と、博徒や料理人とつけて重複するかどうか。
ただ、それはすぐに必要というわけでもない。
重複したところで確率が十倍になる、なんてことはないだろうし。
あと試すとすれば、色魔の精力増強が重複するかどうかか。
精力増強が重複すると、禁欲攻撃の威力が上がるだろうか。
禁欲攻撃の威力が溜まった性欲に比例するとして、精力増強を二
つつけると二倍の速さで溜まるとか。
あまり試したくはない。
性欲を溜めるのも大変なので。
現状、精力増強は一つで困っていない。
無理に試すこともないだろう。
風呂を上がってからも、もちろん一つで困ることはなかった。
翌日、朝食の後で商人ギルドへ行く。
ルークを呼び出し、会議室に入った。
﹁聖槍を交換した仲買人のことを覚えておいででしょうか﹂
ルークがヤギのモンスターカードを取り出す。
ちゃんとヤギのモンスターカードだ。
まあしっかり落札していたしな。
﹁本家の嫁に貴族の娘を迎えたとかいう男だな﹂
﹁実は今回競りかけられそうになったのですが、引いてくれました。
その代わり、もしヤギのモンスターカードで知力二倍のスキルの融
合に成功したら、譲っていただきたいそうです﹂
2069
﹁知力二倍か﹂
﹁何かお約束がありそうでしたので、無理かもしれないとは伝えた
のですが﹂
ヤギのモンスターカードは一枚だけ発注した。
その言い訳に適当なことを述べたんだっけ。
なんと言ってごまかしたのか、もう覚えてない。
﹁あー。うん﹂
﹁もしくは、あまっているコボルトのモンスターカードがあれば買
い戻したいと﹂
﹁うーん﹂
あの仲買人からコボルトのモンスターカードを二枚買っている。
あまっていたら買い戻したいというのは分かる。
しかし使ってしまって俺の手元にはない。
ないと断ってもいいものだろうか。
意地悪していると取られかねないのでは。
﹁あの仲買人はすでにコボルトのモンスターカードの入札も再開し
ました。現在ご注文もいただいておりますが、五千ナールではしば
らく落札は難しいかと思います﹂
コボルトのモンスターカードを五千二百で落札したのはあの仲買
人らしい。
それなら値段も一緒になるはずだ。
﹁コボルトのモンスターカードか﹂
﹁MP吸収のスキルがついた武器を約束どおり入手し、時期も早く
2070
種類もスタッフだったことから、相手方の貴族の覚えもめでたかっ
たようです。それで、他に魔法使いの使える武器が手に入るような
らという話になったそうで﹂
貴族にゆすられているのか。
強欲な貴族というべきか、それくらいでないと貴族はやっていけ
ないというべきか。
せっかく魔法使いにした子女を仲買人の一族に渡すくらいだ。
貴族といっても苦しいのかもしれない。
﹁今回は、MP吸収じゃなくてもいいのか﹂
﹁はい﹂
﹁スタッフじゃなくても?﹂
﹁魔法使いの使える武器であれば、ということのようです。相手は
貴族ですので、あまり貧弱なものでも困りますが。ですから、知力
上昇でなく知力二倍であれば、とのことです﹂
さて、どうするか。
仲買人が武器を調達するまで、コボルトのモンスターカードの値
段は上がったままだろう。
その他、魔法使いの武器に有効なカードも全滅だ。
ヤギのモンスターカードはもういいが、はさみ式食虫植物のモン
スターカードが入手しづらくなるのも痛い。
コボルトのモンスターカードも、もうありませんでは変な解釈を
される恐れがある。
ゼロ回答は避けたい。
﹁俺の手元にひもろぎのロッドがある﹂
﹁お持ちなのですか?﹂
2071
﹁そうだな。コボルトのモンスターカードを一枚以上つけてくれる
なら、売ってもいい﹂
ヤギのモンスターカードは今買ったから、コボルトのモンスター
カードがあれば知力二倍のスキルをつけることはすぐにできる。
﹁ひもろぎのロッドですか﹂
﹁あと、今回他に用意できたモンスターカードがあったら、安く譲
ってくれるとうれしい﹂
﹁魔法使い用の武器ですが﹂
﹁はさみ式食虫植物とか、有用なのもあるしな﹂
一瞬あせったが、大丈夫だろう。
﹁なるほど。巫女もいらしたのでしたね﹂
大丈夫のようだ。
﹁ひもろぎのロッドについては、特に恩を売るつもりはない。相場
に少し色をつけたくらいの値段であれば、こちらとしては十分だ﹂
﹁分かりました。ではその旨を伝えましょう﹂
アクセサリーに知力二倍のスキルをつけてひもろぎのロッドと効
果が重複するか試すことはできなくなるが、しょうがない。
元々駄目だっていう話だし。
ルークと話をつけ、帰る。
その後、防具屋でアクセサリーを見てみた。
防具屋に並んでいる中では、イアリングが最高品質のアクセサリ
ーのようだ。
2072
空きのスキルスロットが一番多いもので三つある。
イアリングか。
俺が着けても大丈夫だろうか。
別にイアリングをする男は軟弱だとか思っているわけではない。
しかし、日本にいるときの俺がイアリングなんかしたら、絶対に
鼻で笑われただろう。
笑われることもなく無視されたかもしれないが。
﹁イアリングを俺が着けても問題ないか?﹂
﹁もちろん問題はありませんが?﹂
﹁や、やはりいいアクセサリーの方が防御力が大きいか﹂
﹁アクセサリーは主に魔法に対する防御を上げてくれます。よい装
備品の方がもちろん防御力も大きいでしょう﹂
セリーに尋ねると不思議そうに教えてくれた。
魔法防御力が上がるのか。
それはま、イアリングに物理的な防御力はないわな。
そこら辺りは魔法でなんとかしてくれるのかとも思ったが、そう
でもないらしい。
ちゃんと効果があるならイアリングでもいい。
ピアスでないだけましと考えるべきか。
装備品だから、この世界ではアクセサリーは女性が着けるものと
いう考えもないのだろう。
ロクサーヌたちはキラキラした目でイアリングや指輪を選んでい
るが。
ロクサーヌが商品を選ぶときはいつもあんなものか。
2073
か?
﹁これなんかキラキラしてていいですね﹂
﹁きれい、です﹂
﹁それは可愛いと思います﹂
三人の選ぶ基準がおかしい。
しかし、幸いなことに空きのスキルスロットが三つある。
一つはあれでいいだろう。
﹁これなんてどうだ﹂
﹁うーん。そうですねえ﹂
﹁こっちは﹂
﹁それは悪くないかもしれません﹂
もう一つ、空きのスキルスロットが三つあるイアリングをロクサ
ーヌの賛同を得て選ぶ。
二つ買うのは三割引のためだ。
他のとどこが違うのか、俺にはよく分からん。
2074
トロ
夕方、遊び人のスキルの実験を行った。
今回試すのはクリティカル発生だ。
博徒のクリティカル発生とスキルは重複するだろうか。
重複するのなら、発生率が二倍になるだろうか。
クリティカル率上昇のボーナススキルはどう作用するのだろう。
片方にしか乗らないのか、両方に乗るのか。
いろいろと疑問は多い。
魔法を連続で使えても、MPはその分消費してしまう。
クリティカルなら、同じ一回分のMP使用量でダメージを大きく
できるだろう。
確認はしていないのでクリティカル発生時にMP使用量が増えて
いる可能性もあるが。
ただ、普通の物理攻撃でもクリティカルは発生し、MPは使用し
ないので、魔法だからといってMP使用量が増えることはないと思
う。
遊び人のスキルに魔法をつけて魔法を増やすよりも、遊び人のス
キルにクリティカルをつけてダメージを増やした方が得かもしれな
い。
理屈の上ではそういう可能性がある。
いろいろ試してみるべきだろう。
スキル設定で遊び人のスキルに博徒のクリティカル発生をつけた。
2075
﹁今日も最後に実験を行う。魔法が連続で使えなくなるので、戦闘
時間は長くなるが﹂
﹁問題ありません﹂
﹁魔物の数が多いところに案内してもらえるか﹂
﹁分かりました。こっちですね﹂
ロクサーヌの案内で進む。
さすがロクサーヌは心強い。
現れたマーブリームの団体にサンドストームをぶち込んだ。
全体土魔法を単発で放ちながら、時間をかけて魔物を倒す。
実験が不首尾に終わったことは、すぐに分かった。
失敗だ。
やる前に気づくべきだった。
クリティカルが発生したかどうかは、魔物を倒すのに使った魔法
の数でしか判定できない。
するとどうなるか。
クリティカルの発生率が二倍になったとしても、魔法の数は一発
か二発しか減らない。
八発で倒れるものが七発で倒れるようになったとしても、一回二
回の試行では誤差の範囲にまぎれてしまうだろう。
何百回も試行を行って統計を取れば有意な差が出てくるだろうが。
そこまではやる気がない。
﹁あー。よし、クーラタルの迷宮に移動するか﹂
﹁何か分かったのでしょうか?﹂
実験とは常に失敗するものだ。
2076
真に偉大な科学者とは、失敗した実験から何かを学ぶことができ
る者のことをいうのだよ、セリー君。
今回の実験で分かったことといえば、たとえクリティカルの発生
率が二倍になったとしてもMP使用量はそんなに減らないというこ
とだな。
クリティカルの発生率が二倍になったとして減らせる魔法の回数
はせいぜいが一、二発だ。
それなら、遊び人のスキルには素直に魔法をつけた方がよい。
それが分かったのだから、むしろ実験は成功したといえるのでは
なかろうか。
成功だ。
成功なんだよ。
大成功といっていい。
﹁尾頭付き、です﹂
ミリアが尾頭付きを持ってきた。
マーブリームのうちの一匹が尾頭付きを残したようだ。
これだけでも成功といえるだろう。
結局、クリティカル発生が重複するかどうかはクーラタルの十一
階層で調べた。
十一階層の魔物は、デュランダルを使っても一撃で倒すことはで
きない。
クリティカルが発生すれば、一撃で倒せる。
分かってしまえば簡単なことだ。
これなら一回の攻撃ごとにクリティカルが発生したかどうか判断
2077
できる。
最初から十一階層で調べるべきだった。
十一階層で一撃で倒せた魔物は半分くらいか。
そんなに数をこなしたわけではないが、クリティカル発生のスキ
ルは遊び人と博徒で重複すると考えていいだろう。
クリティカル率上昇も多分両方に乗ると考えていいのではないだ
ろうか。
遊び人のスキルは、結構いろいろな可能性があるな。
使い方によってはかなりのことができそうだ。
空きスキルが一つしかないというのは本当に惜しい。
実験を終えて家に帰る。
家の玄関にルークからのメモが入っていた。
今日のうちに向こうと話をしたのだろう。
﹁ご主人様、ルーク氏からの伝言です。一度来てほしいと書かれて
います﹂
﹁まあそんなところだろうな﹂
呼び出した理由は、書いてなくても分かる。
急ぐことでもないし、明日の朝でいいだろう。
などとのんびりしていたら、翌朝、ついにハルバーの迷宮二十二
階層のボス部屋に達した。
強化は間に合わなかったか。
イアリングは買っただけで着けていないし、コボルトのモンスタ
ーカードもない。
2078
現有戦力での戦いになるが、問題はないだろう。
ひもろぎのロッドもまだ手放してはいないし。
﹁やる、です﹂
若干一名やる気だし。
料理人はつけず、遊び人を戦士に替えて戦う。
何度戦ってもトロが残らなかったら、料理人はそのときに考えよ
う。
料理人のスキルを遊び人につけて重複するかどうかは試していな
いが、最悪その可能性に賭ける手もある。
﹁頼むぞ﹂
待機部屋からボス部屋に移動した。
ボスのブラックダイヤツナに状態異常耐性ダウンをかけてから、
マーブリームに挑む。
マーブリームの正面はベスタが取るので、俺はこそこそと後ろか
らデュランダルで斬りつけた。
卑怯ではない。
作戦だ。
魔物の攻撃は正面のベスタに集中するので、俺は安泰だろう。
尻尾の動きに注意していれば安心だ。
マーブリームをラッシュで叩いていると、後ろで音がした。
﹁やった、です﹂
何ごとかと思ったら、ブラックダイヤツナが石化して床に落ちた
2079
のか。
マーブリームを倒す前に石化したらしい。
石化する確率に本人のやる気が関係するのかと疑いたくなるな。
偶然だろうが。
﹁そちらへ行きます﹂
ロクサーヌたちも合流し、全員でマーブリームを囲む。
俺たち全員に囲まれてしまっては、マーブリームに勝てるチャン
スはない。
あっさりと倒した。
俺は、戦士を料理人につけ替えてから、石化したブラックダイヤ
ツナのところに行く。
マーブリームは白身しか残さなかった。
ブラックダイヤツナはどうか。
ボスマグロの真上からデュランダルを押し当てる。
石化していると本当にマグロだな。
動きゃしない。
そんなのの相手は嫌だ。
小刻みにピストンしてそのマグロを突いた。
何度も上下させ、激しく突く。
強く。激しく。
情熱のほとばしるままに。
ええか。
ええのんか。
2080
やはりマグロは駄目だな。
答えやしない。
ピストン運動は相手とのコミュニケーションだ。
魔法を使う手もあるが、遊び人を戻すと料理人をどうするかとい
う問題が発生する。
デュランダルで倒すのがいいだろう。
あ。攻撃を受ける心配はないのだから、僧侶をはずすこともでき
たか。
まあいいや。
石化した相手ならデュランダルを使った方が早く倒せる。
どうせ何周もするのだし。
ブラックダイヤツナが煙になり、デュランダルが床を叩いた。
倒したか。
煙が消えて、アイテムが残る。
﹁トロ、です﹂
ミリアが叫んで素早く飛びついた。
今までに見たどの魔物の動きよりも速そうだ。
トロを残す確率にミリアのやる気が関係するのかと疑いたくなる
な。
偶然ではなく、料理人をつけたおかげもあるが。
ミリアが白身とトロを持ってくる。
一人で両方持たなくても。
確かにトロが残ったようだ。
2081
そういえば、ミリアにトロのブラヒム語を教えただろうか。
いつの間にか覚えていた。
さすがに魚関連の言葉は覚えるのが早い。
﹁トロは明日の夕食にしよう。調理はミリアにまかせる。やはり二
個あった方がいいよな﹂
﹁はい、です﹂
元から何周もするつもりだったし、一回戦うだけでは覚悟が無駄
になる。
もう一つトロが残るまで、粘ってみるのがいいだろう。
ボスと魔法で戦うこともやってみたいし。
﹁ハルバーの二十三階層の魔物はなんだ?﹂
ボス部屋から出て、セリーに質問した。
ブラックダイヤツナとの戦いを繰り返すとしても、一度二十三階
層に抜けた方がいい。
﹁シザーリザードです。火魔法に耐性があり、火魔法を放ってきま
す。弱点は土属性です。まれにですが、革を残すことがあります﹂
﹁革か﹂
﹁装備品の素材ですね。後、二十三階層から上の魔物は全体攻撃魔
法を使ってくることがあります。回避できませんから、大変です。
一撃で死ぬことはない、と思いたいです﹂
セリーが不気味なご託宣を告げる。
全体攻撃魔法か。
こっちが使うファイヤーストームなども必中だし、魔物が使うの
もそうなんだろう。
2082
﹁大丈夫か?﹂
﹁ご主人様なら問題のあるはずがありません﹂
﹁私はまだ迷宮に入るようになって少ししか経っていません。普通
の庶民でこんなに早く二十三階層に入ったという話は聞いたことが
ありませんので、少し心配です。竜騎士がいるパーティーは安定度
が増すといわれていますが、ベスタもこの間から迷宮に入るように
なったばかりですし﹂
セリーが不安の理由を述べる。
普通の人の場合、二十三階層に上がるまでには何年も修行するの
だろう。
あまり早すぎるのも心配になるようだ。
なにしろ俺たちには獲得経験値二十倍の恩恵がある。
ベスタも迷宮に入るようになってまだ半月だ。
それでも竜騎士Lv29に達している。
﹁まあ戦ってみなければ始まらないだろう。最悪の場合でも、身代
わりのミサンガがある。運がよければ身代わりになってくれるはず
だ﹂
﹁そ、そうですね。身代わりのミサンガがありました﹂
身代わりのミサンガを盾にセリーを説得した。
セリーが自分で作った装備品だしな。
俺の勘では、そこまで危険があるとも思えない。
二十二階層と二十三階層の間でそんなに違いがあるなら、もっと
声高に注意されるだろう。
セリーだけでなく、ギルドなどでも警戒を呼びかけるはずだ。
2083
あるいは、二十二階層と二十三階層の死亡率の差が叫ばれてもい
い。
二十二階層の魔物の打撃は、致命的ということもなかった。
一階層上がっただけで一撃で死ぬほどになるとは思えない。
物理的な攻撃と全体攻撃魔法との違いはあるとしても。
そうでなければ、二十三階層は死屍累々ということになるだろう。
これは、デュランダルを出してMPを回復するときにちょくちょ
く攻撃を浴びている俺だから分かることだ。
悪かったな。
﹁みんなもいいか?﹂
﹁もちろんご主人様についていきます﹂
﹁はい、です﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
三人は大丈夫そうだ。
迷宮に入るようになって半月のベスタは、もう少し危機意識を持
ってもいいと思うが。
ただ、ベスタも二十二階層で魔物の打撃を浴びたことがあった。
あのときもケロッとしていたよな。
手当て一回でもういらないと言われたのだ。
レベルも上がって順当に強くなっているのだろう。
﹁じゃあ行くぞ﹂
﹁はい﹂
二十二階層を抜けて、二十三階層に移る。
2084
二十三階層といっても、今までどおりの入り口の小部屋だ。
後ろに黒い壁があって、三方向に洞窟が伸びている。
﹁ロクサーヌ、シザーリザードのにおいが分かるか﹂
﹁遭遇したことはありませんが、かいだことのないにおいがありま
す。多分それですね﹂
﹁近くに戦えそうなのがいるか? 数の少ないところで﹂
﹁近くにはなさそうですね。かいだことのないにおいだけの群れも
ありますが、数は少し多そうです﹂
さすがロクサーヌは役に立つ。
全体攻撃魔法を使ってくるようだし、最初から数の多いところは
危険だろう。
シザーリザード五匹の団体で全部がいきなり全体攻撃魔法を撃っ
てくるとか。
目も当てられん。
あれ。
そういえば、魔法の詠唱は重複すると駄目らしいが、魔物はどう
なるのだろう。
魔物の場合、詠唱ではなく魔法陣だから関係ないのか。
スキルを連発されてセリーのキャンセルが間に合わなかったこと
もあったし。
汚いな魔物さすがきたない。
とにかく、いきなり五匹は避けるべきだ。
寿命がストレスでマッハになってしまう。
﹁じゃあ二十二階層に戻ってボス戦を繰り返すか﹂
﹁はい、です﹂
2085
二十二階層に戻り、ブラックダイヤツナを倒した。
今回は石化も発生せず、トロも残らない。
料理人もつけられなかったし、しょうがない。
﹁ロクサーヌ、シザーリザードの数が少なくて戦えそうなところが
近くにあるか?﹂
ボスを倒して再び二十三階層に入り、ロクサーヌに訊く。
﹁いえ。先ほどと同じですね。誰も通った人はいないようです。近
くに数の少なそうなところはありません﹂
あー。
どこかのパーティーが通って場を乱さないと、魔物の配置は同じ
なのか。
誰かが倒せば、違った組み合わせで湧くだろうが。
ハルバーの迷宮自体人が多くなさそうだし、二十三階層ともなれ
ばなおさらだ。
あるいは、時間がたてば魔物も移動していくだろうが、そんなに
時間もかかっていない。
もう少し時間を使って、様子を見るか。
2086
シザーリザード
二十二階層でボス戦を続けることにした。
ボス部屋近くの小部屋にダンジョンウォークで移動し、ボス部屋
へと向かう。
﹁次のボス戦では俺は魔法で戦ってみようと思う。ボスに対して魔
法で戦えるかどうかのテストだ﹂
﹁分かりました。ご主人様なら全然問題ないと思います﹂
﹁ボスが強いといっても、マーブリームを短い戦闘時間で倒してい
ます。問題はないでしょう。ブラックダイヤツナも、マーブリーム
と同様、水魔法に耐性があって土属性が弱点です﹂
セリーが問題ないというのなら大丈夫か。
一安心だな。
﹁陣形はどうしましょうか﹂
ロクサーヌが質問してきた。
フォーメーションの問題もあるのか。
魔法で倒すなら、こっちから攻め込まずに待ち受ける手もある。
そんなに時間は稼げないだろうが。
﹁今までどおりでいいだろう。ブラックダイヤツナをロクサーヌ、
セリー、ミリアで囲んでくれ。ベスタはもう一匹の魔物を頼む﹂
﹁分かりました﹂
2087
ボス部屋もそこまで広くはない。
無理に陣形を変えることはないだろう。
﹁ベスタにはこの剣を貸しておこう。最初はあくまでテストだしな﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
待機部屋でベスタにデュランダルを渡した。
ベスタはラッシュを使えないが、大幅な戦力ダウンにはならない
はずだ。
俺が魔法を使うから、全体ではむしろアップしているくらいだろ
う。
しかしそうすると時間はあまりかからないのか。
二十三階層の配置換え待ちなのに。
まあ駄目ならまた何周かすればいい。
すぐに扉が開いたのでボス部屋に突入する。
人が少ないのがいいことか悪いことか。
煙が集まり、魔物がお出ましになった。
ブラックダイヤツナと、今回はロートルトロールだ。
魔法で戦おうというのに弱点属性の異なる魔物は不利だが、しょ
うがない。
俺は入り口の扉付近に立ったまま、サンドストームを連発する。
ボスの方が強いのだから、ボスの弱点属性を使うべきだろう。
最初にサンドストームを二回念じた後、ブラックダイヤツナに状
態異常耐性ダウンをかけた。
ロクサーヌ、セリー、ミリアがボスに群がる。
2088
ベスタはロートルトロールにデュランダルをぶちかました。
ロートルトロールが腕を振り上げる。
ベスタは、落ち着いて身構えた。
叩きつけられたパンチを避け、魔物の腕を二本の両手剣で挟み撃
ちにする。
同じところを両側からでなく、上下に段差をつけていた。
えげつないな。
同じところじゃない方が痛いはずだ。
魔物にとってどうかは分からない。
しかし人なら腕の骨が逝ってる。
人の骨くらいならデュランダルは断ち切るだろうが。
ブラックダイヤツナに対しては、正面にロクサーヌ、背後にミリ
アが回って攻撃した。
セリーは横から槍を突き入れる。
俺も土魔法を重ねていった。
ブラックダイヤツナの下に一瞬魔法陣が浮かぶ。
セリーがすぐにキャンセルさせた。
このフォーメーションにも弱点があるな。
ボス戦では基本的に、部屋を広く使い、魔物を引き離すようにし
ている。
二匹の魔物に一人を集中攻撃されてはたまらない。
ボスとお付の魔物を引き離すので、セリーが両方を見ることはで
きない。
今までは俺がデュランダルでもう一匹の魔物を抑えていた。
2089
今回もベスタがデュランダルを持っている。
ボスの方が魔法もスキルも強力だろうとはいえ、もう一方の魔物
を野放しにしていいわけではない。
詠唱中断のスキルがついた武器が二本いる。
魔法を使って戦うとしても、結局デュランダルをしまうことはで
きないのか。
それなら俺がデュランダルを持ってラッシュで戦ってもたいした
違いはない。
遠くから魔法を撃つ方が俺としては安全ではあるものの。
ロートルトロールが倒れた。
魔法ではなくベスタがデュランダルでとどめを刺したようだ。
デュランダルをベスタに渡すと、ますます俺がとどめを刺せなく
なるという欠点もあるな。
俺はセリーの横に移動し、斜め後ろからブラックダイヤツナにサ
ンドボールを撃ち込む。
ベスタは反対側に回って向こうから剣で攻撃した。
全員で囲み、ボスを倒す。
最期はやはりベスタがデュランダルでしとめた。
マグロが床に転がり、煙になる。
赤身が残った。
再び周回することが決定したが、しょうがない。
魔法で倒せたとしても料理人はつけていない。
﹁赤身、です﹂
ミリアが赤身だけを持ってくる。
2090
ロートルトロールのドロップに興味はないようだ。
﹁それなりの長期戦にはなったが、魔法でも戦えないことはないか。
ただ、次からはまたこれまでどおりに戦う。トロが残るまでボス戦
は続けるぞ﹂
どうせデュランダルを出さないといけないのなら、魔法で戦う意
味は少ない。
次は今までどおり戦えばいいだろう。
﹁はい、です﹂
赤身を受け取り、アイテムボックスにしまった。
﹁魔法でも戦えることが検証できてよかったと思います。二十三階
層からはボスの他に魔物が二匹出てくるそうですし﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁はい﹂
セリーが進言してくる。
二十三階層の魔物からは全体攻撃魔法も使ってくるらしいのに、
さらにボス戦でも数が増えるのか。
いろいろ大変だ。
迷宮だって、生きているらしいし、簡単にやられたくはないだろ
う。
かといって、人を餌にしているのに、一階層からガチガチに固め
たのでは誰も来なくなってしまう。
一階層は簡単に。
階層が進むにしたがって難しくしてガードを固くする。
2091
うまくできてやがる。
まあ人の方もそれに合わせて徐々に強くなっていけるのだからお
互い様だ。
﹁ボス戦で敵が三匹になるのなら、魔法で戦った方がいいかもしれ
ないな﹂
﹁そうですね﹂
﹁ただ、フォーメーションを考えないといけないが﹂
詠唱中断のスキルがついた武器は、デュランダルとセリーの持つ
槍の二本しかない。
魔物が三匹なら一対一の対応はできない。
﹁槍ならある程度の間合いが取れるので、私が二匹を見ることもで
きると思います﹂
﹁そうか。そのときには頼むな﹂
セリーがやってくれるらしい。
頼もしい限りだ。
セリーは戦闘でも結構役に立つんだよな。
俺がますます駄目に思えてくるじゃないか。
﹁向こうに行けばマーブリームとの団体がいます。マーブリームの
方がにおいが強いので、数は少ないはずです﹂
二十三階層に抜けると、ロクサーヌがにおいを確認した。
状況に変化があったらしい。
﹁さすがロクサーヌだ。よし。ではそっちに行ってみるか﹂
2092
ロクサーヌの案内で進む。
いずれにしても戦わなければいけないなら、早めがいいだろう。
道中、博徒をはずして錬金術師をつけた。
全員にメッキを施す。
万が一の用心だ。
﹁魔物に出会ったとき、これまでのように待ち受けるのではなく、
走って近づいた方がいいと思います﹂
﹁ん? ああ、そうか﹂
﹁これがありますから﹂
セリーが強権の鋼鉄槍を示してアドバイスしてきた。
敵が全体攻撃魔法を撃とうとしても、槍の届く範囲ならばキャン
セルさせることができる。
そのためにはこちらからも近づいた方がいいということか。
思った以上に役立つ武器だ。
﹁分かった。ただし、一発は受けてみるつもりだから、よほど早く
なければキャンセルしないでくれ﹂
﹁分かりました﹂
いつまでもおびえているわけにはいかないし、一度は全体攻撃魔
法を受けてみなければならない。
セリーにはその旨の指示を出す。
受けるなら駆け寄らなくてもいいのでは、と思ったが、待ってい
る間に二発めを撃ってくる可能性もある。
その前に接近しておいた方がいい。
2093
魔物が現れた。
マーブリーム二匹とシザーリザード一匹だ。
さすがはロクサーヌ。
望みどおりの組み合わせだ。
四人が走り出す。
俺はサンドストームを連発した。
シザーリザードもマーブリームと同じく土魔法が弱点なので、遊
び人のスキルを変える必要はない。
シザーリザードは、はさみを持ったトカゲだ。
手がザリガニのようなはさみになっている。
ただし、体はトカゲ。
顔は爬虫類で尻尾も生えている。
尻尾のせいか、全体にザリガニっぽい。
フォッフォッフォッフォッ、と笑い出しそうには見えない。
ザリガニだしな。
土ぼこりが舞う中、俺も小走りに近寄る。
薄れたので次の魔法を放とうとするが、走りながらではうまくい
かなかった。
詠唱省略で念じるだけといっても、ある程度は精神統一が必要だ。
剣を振り回しながら魔法を撃つことも難しいから、それと同じで
ある。
立ち止まって次の魔法を使う。
ロクサーヌたちは一足早く魔物と対峙した。
﹁ミリアがあれを﹂
2094
﹁はい﹂
シザーリザードにはミリアがあたるようだ。
最初の敵だからロクサーヌが行くかと思ったが、石化に賭けるら
しい。
ミリアの斜め後ろにセリーが控える。
攻撃はしないようだ。
一発めは受けると言ったからな。
トカゲが魔法を撃とうとしたタイミングで槍を突いて、キャンセ
ルしてしまう可能性もある。
シザーリザードがはさみを振り下ろした。
ミリアが盾で受ける。
受け止めた後、硬直のエストックで突き刺した。
石化はしなかったようだ。
﹁来ます﹂
俺が前線にたどり着く前に、ロクサーヌの警告が飛ぶ。
マーブリームの足元に魔法陣が浮かんでいた。
マーブリームかよ。
セリーがさっくりと槍を突いて、キャンセルさせる。
走らせておいて正解だ。
待ち受けていたら間に合わなかっただろう。
単体の水魔法ならロクサーヌがあっさりかわすだけかもしれない
が。
前衛に追いついて、ベスタの後ろについた。
2095
ロクサーヌの後ろは危険だ。
土魔法を放っていく。
マーブリーム二匹が倒れた。
マーブリームもシザーリザードも土魔法が弱点のはずだ。
同時に倒れないのは、その分シザーリザードが強くなっていると
いうことだろう。
サンドボールに切り替えてトカゲに撃ち込んでいく。
土球をかなりの数ぶち込んで、シザーリザードを倒した。
二十三階層からの魔物は相当強くなっているようだ。
ただし、倒れるまでの間シザーリザードは魔法を使ってこなかっ
た。
使わないのか。
まあこんなもんか。
一回の戦闘でバカスカ撃たれたら、二十三階層の難易度はとんで
もないことになっている。
全体攻撃魔法を使ってくることがあるという注意にとどまってい
るのは、それくらいの頻度ということだろう。
﹁二十三階層からの魔物はこちらからも近づかないといけない上に
強くなっているから戦闘時間が延びて大変だな。大丈夫そうか?﹂
﹁動きそのものは特別たいしたことはありませんでした。問題あり
ません﹂
ロクサーヌならそうだろう。
シザーリザード一匹になってからはミリアと正面を換わっていた
が、まったく寄せつけなかったし。
2096
﹁問題は全体攻撃魔法ですね﹂
﹁そうだな﹂
セリーはよく分かっている。
﹁石化させる、です﹂
﹁頼むぞ﹂
﹁はい、です﹂
今回は石化しなかったが、戦闘時間が長引けばミリアの石化が効
果を発揮することも多くなるだろう。
﹁大丈夫だと思います﹂
ベスタまでが頼もしい。
﹁ロクサーヌ、近くにシザーリザードと楽に戦えそうな団体がいる
か? いなければ二十二階層に戻るが﹂
﹁こっちですね﹂
ロクサーヌの案内で進む。
せっかくメッキをかけたのだ。
全体攻撃魔法を受けるまで戦ってみたい。
ボス戦に戻って錬金術師をはずし料理人や戦士をつけたら、メッ
キがはがれてしまう。
次の魔物はシザーリザード二匹だった。
ロクサーヌとベスタが走りより、正面に立つ。
ミリアは遊撃に回るようだ。
2097
いつの間にかベスタが主力に格上げになったのか。
まああの体格だしな。
後ろから見ていても頼もしく感じる。
ベスタが両手剣二本でシザーリザードのはさみを弾き返した。
弾かれてトカゲの姿勢が崩れる。
その隙を逃さず、剣を叩き込んだ。
ミリアも横から硬直のエストックで突く。
ロクサーヌは相変わらずトカゲの攻撃をすんでのところでかわし
ていた。
後ろから見ていると一瞬当たったかと思うような間隙しかない。
それでも当たることはない。
後ろではセリーが槍を持って監視していた。
こうして見るとうちのパーティーもかなり安定感があるな。
結局、全体攻撃魔法を受ける前に倒せた。
シザーリザードLv23はあまり全体攻撃魔法を使ってくること
はないのだろうか。
一度受けてみたいのだが。
次のシザーリザードとマーブリーム一匹ずつの組み合わせは、シ
ザーリザードにミリアの石化が発動してケリ。
続いてその次はシザーリザード一匹だったので、全員で囲み、全
体攻撃魔法を使ってくる前に倒した。
さらにその次のシザーリザード、マーブリーム、ハットバット各
一匹の団体も、シザーリザードが石化して。
駄目じゃねえか。
2098
トロを求めて
﹁なかなか全体攻撃魔法を撃ってこないな。仕方がないから、シザ
ーリザードの多いところに案内してもらえるか﹂
﹁そうですね。その方がいいでしょう﹂
ロクサーヌへの指示を変更する。
このままではMPが先に尽きる。
石化したシザーリザードをデュランダルを出して片づけたりもし
ているが。
ロクサーヌの案内で進んだ。
導いたところに、シザーリザードが四匹いる。
げ。
いきなり難易度上げすぎでは。
四人が走り出した。
俺はその場でサンドストームを念じる。
魔法を二発発動させてから、追いかけた。
シザーリザードもこちらに接近する。
魔物と前衛陣が相対した。
トカゲ四匹が所狭しと並ぶ。
後ろに回るやつはいないようだ。
後ろに回れば確実に魔法を使ってきそうだが、連発されるのも怖
い。
2099
シザーリザードがそろってはさみを振り下ろした。
ロクサーヌがかわし、ミリアが盾で受け、ベスタは剣で弾く。
特にロクサーヌはトカゲ二匹の攻撃を器用にかわしていた。
攻撃を当てられないシザーリザードの方がかわいそうになってく
るな。
四匹いるせいか、セリーも槍で攻撃する。
セリーが追いついたので魔法を連発で喰らうことはない。
俺はサンドストームを二発ずつ重ね撃った。
着実にシザーリザードを削っていく。
﹁来ます﹂
﹁やった、です﹂
ロクサーヌとミリアが同時に叫んだ。
一匹のシザーリザードの足元に赤い魔法陣が浮かんでいる。
もう一匹のシザーリザードが固まったまま動かなくなった。
いよいよ魔法のお目見えか。
魔法陣が消え、トカゲが火の球を吐き出す。
単体攻撃魔法かよ。
シザーリザードの魔法は、必ずしも全体攻撃魔法だけというわけ
ではないようだ。
ロクサーヌがあっさり避け⋮⋮ずに、火の球を受けた。
なんで?
﹁あまりたいしたことはないようです、ねっと﹂
わざと受けたらしい。
2100
続くシザーリザードの攻撃は、軽くかわしている。
魔法を重ねていくと、石化したトカゲが煙になった。
遅れて、他のシザーリザードも倒れる。
﹁大丈夫だったか?﹂
﹁問題ありません。この程度なら手当ても必要ないくらいです﹂
手当てをしながら尋ねると、ロクサーヌが答えた。
大丈夫なのか。
魔法使いの場合、単体攻撃魔法と全体攻撃魔法に威力の違いはな
いと思う。
魔物も一緒なんだろうか。
単体攻撃魔法をロクサーヌがわざと受けてくれたが、どう判断す
ればいいものか。
魔物だから何種類か魔法を持っている可能性もある。
今までの魔物はそんなことはなかったが。
シザーリザードは、少なくとも単体攻撃魔法と全体攻撃魔法の二
種類は持っている。
﹁はい、です﹂
ミリアが革を持ってきた。
革が残ったのは初めてだ。
ここまで倒して一個か。
レア食材ではないから、料理人をつけても増えないだろう。
﹁革だ、革﹂
﹁革、です﹂
2101
魚の皮ではないから、明日には忘れているに違いない。
﹁これで次の装備品が作れるな﹂
﹁そ、そうですね。普通は鍛冶師になってから何年もかかるそうで
すが﹂
﹁セリーなら問題ないだろう。駄目なら駄目なときだ﹂
﹁はい﹂
セリーを安心させてやる。
それよりも不安なのはシザーリザードの魔法だ。
常識人のセリーの意見を聞いた方がいい。
﹁問題はシザーリザードの魔法だが、大丈夫だと思うか?﹂
﹁少なくとも一撃でやられる心配はなくなったと見ていいと思いま
す。最悪のケースを想定しても何発かは耐えられるでしょう。そん
なに頻繁に魔法を使ってくることもないようです。これで戦えるめ
どが立ちました﹂
セリーはロクサーヌによる評価に信を置いているようだ。
セリーが大丈夫というのなら大丈夫か。
全体攻撃魔法は、必中で、全部の敵に攻撃できる。
その上で威力まで高いとなったら、反則だよな。
単体攻撃魔法と全体攻撃魔法の威力に大差はないと考えてもいい
だろう。
おまけに、シザーリザードはなかなか全体攻撃魔法を使ってこな
いしな。
いつまでも待ち続けるわけにはいかない。
2102
二十三階層はオッケーということにしておこう。
﹁じゃあ二十二階層に戻るか﹂
﹁はい、です﹂
全体攻撃魔法を待つまでもないと決めたらだらだらしてもしょう
がない。
二十二階層ボス部屋近くの小部屋にダンジョンウォークで移動し、
ボス部屋を目指した。
途中、錬金術師をはずして博徒をつける。
ブラックダイヤツナに対しては、博徒の状態異常耐性ダウンをか
け、石化に成功したら料理人をつけてから倒す手が有効だ。
ボス戦はMPを回復しがてらデュランダルで戦った。
マーブリームはベスタが、ブラックダイヤツナはセリーがとどめ
を刺す。
トロは残らなかった。
もう一周か。
﹁発生した場所で戦う場合、槍を届かせるのは難しいですね。ロク
サーヌさんとベスタは、少し魔物を引きつけるようにしてもらえま
すか﹂
﹁分かりました。そうしましょう﹂
﹁はい。できると思います﹂
セリーは二匹に対して詠唱中断を行う予行演習をしていたようだ。
周回することも無駄ではないな。
二十三階層からのボス戦ではベスタはデュランダルを持つことに
なるだろう。
2103
セリーが見なければいけない二匹を担当するのはロクサーヌとミ
リアになる。
練習を行うなら、ロクサーヌとミリアにやらせた方がいいが。
しかしミリアにはブラックダイヤツナを石化する大切な役目があ
る。
まだ暗殺者になっていないので硬直のエストックをロクサーヌに
持たせてもいいが、役目は固定した方がいいだろう。
交代させることはない。
次のボス戦では、現れた魔物にすぐに斬りかからず、少し近づけ
て受けた。
ロクサーヌがブラックダイヤツナの、ベスタがロートルトロール
の正面に立って待ち受ける。
セリーが二人の後ろに立った。
俺とミリアは、魔物が近づいてから散開して後ろに回る。
今回は俺がデュランダルでロートルトロールにとどめを刺した。
経験値的に少しおいしい、はずだ。
﹁やった、です﹂
直後にミリアの石化も発動した。
ブラックダイヤツナがマグロになっている。
料理人をつけて倒すが、残ったのは赤身だ。
もう一周か。
﹁大体、今ぐらいの位置なら大丈夫です。ロクサーヌさん、頼みま
すね﹂
﹁はい﹂
2104
﹁二十三階層が三匹出てくるなら、セリーが監視する魔物の相手は
ロクサーヌとミリアになるぞ﹂
﹁待ち受ける間隔だけですから、ロクサーヌさんにまかせておけば
問題ありません﹂
一応忠告したが、問題はないようだ。
これで周回する意義はトロだけか。
﹁大体感じはつかめたので大丈夫でしょう。ミリアも、いいですね﹂
﹁はい、です﹂
﹁じゃあもう一度移動するか﹂
トロを求めて再度ボス戦を行う。
次のブラックダイヤツナは、石化せずにセリーが倒した。
魔物が床に落ちて横になる。
﹁やった、です﹂
あれ?
石化が発動したのか。
と思ったが、マグロは煙になる。
ミリアが小走りで壁の方に移動した。
﹁どうした﹂
﹁魔結晶、です﹂
魔結晶ができていたらしい。
赤身はほっておいて魔結晶を取りにいくのか。
赤身よりも魚貯金の方が重要らしい。
2105
まあ魔結晶はミリアが見つけないことにはなかなか見つからない
からな。
赤身はミリアでなくても誰かが拾う。
赤身だったのでもう一周することが決定した。
ミリアが笑顔で黒魔結晶を渡してくるので﹁よくやった﹂とだけ
褒めておく。
別に今までだって魔結晶を見つけたら翌日の食事は魚とか決まっ
ていたわけではない。
というか明日の夕食はトロだ。
そのためにも、トロを求めて周回を重ねる。
あまりに出ないようなら遊び人のスキルに料理人のレア食材ドロ
ップ率アップをセットすることも考えた方がいいだろう。
クリティカル発生が重なったのだから、レア食材ドロップ率アッ
プも重なる公算が大きい。
遊び人のスキルを変えると戻すのに時間が必要だという問題もあ
るが、手間取るようならタイムアップで朝食時間にかかるし。
結局、トロが出たのは次の次にミリアの石化が発動したときだっ
た。
マグロを突き殺すと、煙となってトロが残る。
料理人をつけているおかげだろう。
料理人のレア食材ドロップ率アップは役に立つ。
﹁よし。これで明日の夕食は万全だな﹂
﹁はい、です﹂
ボス戦の周回も終わった。
ミリアには名残惜しいだろうが、トロを手に入れて今は嬉しそう
2106
だ。
トロを受け取り、アイテムボックスに入れる。
﹁まだ時間は大丈夫か?﹂
﹁そうですね。もう日が昇ったころだと思います﹂
﹁じゃあここまでにしておくか﹂
﹁分かりました﹂
ロクサーヌに時間を尋ね、探索を終了した。
遊び人のスキルは、変えても変えなくても一緒だったか。
まあしょうがない。
変えておけばテストになったかもしれないが、一回二回の試行で
はレア食材ドロップ率アップの効果が重なるかどうかは判断できな
いしな。
元々むちゃくちゃ大きくアップするわけでもない。
わざわざ実験してみるほどのことでもないだろう。
迷宮から冒険者ギルドの壁にワープする。
食材を買って帰り、朝食を取った。
﹁革は一個しかないが、次の装備を作れるか?﹂
食事の終わりかけ、セリーに尋ねる。
﹁は、はい。次の装備品は革のミトンになります。革が一個と、皮
が一個必要です﹂
﹁二種類の素材を使うのか﹂
﹁そうです﹂
2107
重ね合わせるのか、それとも必要なところを革で補強するのか。
外側を革で内側を皮にするのかもしれない。
あるいは、手に着ける装備品だから、甲の部分が革で、手のひら
の部分が皮とか。
﹁皮もあるから、食べ終わったらそれを作ってみろ﹂
﹁は、はい﹂
﹁本格的に二十三階層を探索するようになれば革もいっぱい手に入
るだろう。次の装備品は夕方だな﹂
﹁ええっと。は、はい﹂
セリーは心配なようだが、俺は何も心配していない。
鍛冶師もLv34まで上がってきているし。
セリーは今までも新しい装備品を作るたびごとに心配してきた。
少しは学習してもいいのではないだろうか。
﹁これまでも問題なかったろう﹂
﹁革の装備品を作れるようになれば、鍛冶師としては見習い卒業で
す。作れるのは十年以上鍛冶師の経験を積んだドワーフばかりです﹂
﹁セリーなら大丈夫だろう。それに、できなければ少したってから
再チャレンジすればいい﹂
﹁そ、そうですね﹂
セリーが納得する。
再チャレンジといっても、鍛冶師Lv35になったときにやらせ
るとすればそんなに時間はかからない。
少なくとも年単位で時間がかかることはない。
そのときがまた大変だな。
できれば一発で成功してほしい。
2108
そんなセリーだが、あっさりと革のミトンの作製を成功させた。
防具製造を終えると、セリーの手に革のミトンが残る。
思ったとおり問題はないようだ。
﹁さすがはセリーだ。やはり心配するまでもなかったな﹂
﹁で、できました﹂
セリーが革のミトンを渡してきた。
緊張したのかぐったりしている。
﹁すごいです、セリー﹂
﹁さすが、です﹂
﹁すごいと思います﹂
食事の片づけにいかず残っていた三人もセリーを褒めた。
﹁では、俺は商人ギルドに行ってくるから、後を頼む﹂
﹁はい。いってらっしゃいませ﹂
少し様子を見たが、セリーも別にMPの使いすぎではないようだ。
後をロクサーヌにまかせ、商人ギルドにワープする。
待合室でルークを呼び出すと、仲買人はすぐにやってきた。
この間の武器商人の男も一緒だ。
話はちゃんと通ったらしい。
﹁ひもろぎのロッドをお持ちだとか﹂
会議室に移ると、挨拶ももどかしいとばかりに切り出してくる。
2109
﹁あるぞ。これだ﹂
﹁拝見させていただきます﹂
アイテムボックスからひもろぎのロッドを出して渡すと、すぐに
武器鑑定を行った。
﹁どうですか﹂
﹁はい。間違いございません﹂
ルークに訊かれて答えている。
間違いのあろうはずはない。
﹁ひもろぎのロッドでもいいのか?﹂
﹁もちろん十分でございます。よくこれだけの品を。いろいろとお
持ちなのですね﹂
武器商人が興味深げに探りを入れてきた。
吸精のスタッフに続いてひもろぎのロッドを渡したからな。
打出の小槌みたいに思われても困るが、セリーもいるしある程度
は得意先になってくれてもいい。
その辺の兼ね合いが難しい。
﹁迷宮に入ってやっていこうと思えば、このくらいはな﹂
﹁それにしても、でございます。人間族のかたですよね。まだかな
りお若く見えますが﹂
﹁いろいろあってな。俺は遠くから来た。それより、取引の話だが﹂
やや強引に話を打ち切る。
あまりべらべら話すことではない。
2110
適当なことを言って後で辻褄があわなくなっても困るし。
遠くから来た、といえば問題が少ないだろう。
ロクサーヌたちにも、俺はカッシームより遠くから来たといって
あるから、矛盾はない。
ベイルの近くの村の出身、とか言うと、かえって危ない。
この世界、地方の若者が憧れで都会に出るような社会ではない。
故郷を出て遠くに移動するのは、相応の事情があった、というこ
とだ。
探索者になるだけならわざわざクーラタルまで来なくていいし、
近くに迷宮が生まれて廃村になるようなことも普通にあるらしい。
俺の事情までは穿鑿してこないだろう。
2111
敗北
﹁コボルトのモンスターカードでございましたね。こちらにあるの
は二枚。まだ他のモンスターカードは手に入れておりません﹂
﹁そうか﹂
武器商人の男が取引の話に応じ、モンスターカードを出してきた。
コボルトのモンスターカードが二枚だ。
他のモンスターカードもあったらと注文を出しておいたのだが、
持っていないらしい。
ないというのなら多分本当にないのだろう。
ここで俺に安く買い叩かれるのは癪かもしれないが、持っていて
もしょうがない。
融合に成功するかどうか分からないし。
﹁それと、今回のために用意したスタッフがございます。もしよろ
しければ安くお譲りいたしますが、いかがでしょうか﹂
武器商人が続いて杖を取り出す。
スタッフだ。
いらなくなったので一緒に売ってしまえということか。
今回のために用意した、かどうかは疑問だな。
聖槍を買う前から杖は用意してあったはずだし。
やはり仲買人は油断ならん。
2112
﹁悪いがスタッフは間に合っている﹂
﹁さようでございますか。やはりいろいろお持ちなのですね﹂
﹁前回手に入れた聖槍もあるしな﹂
武器商人が持ち出したスタッフに空きのスキルスロットはなかっ
た。
あれにモンスターカードを融合しようとすれば、失敗するだろう。
引き取ってやる必要はない。
﹁こんなのもあるのですが﹂
武器商人はスタッフを引っ込め、別の杖を取り出す。
ダマスカスステッキというらしい。
縞模様のついたステッキだ。
これには空きのスキルスロットが一つついている。
﹁ダマスカスステッキか﹂
﹁お分かりになられるのですか。さすがでございます。そのとおり、
ダマスカスステッキでございます﹂
﹁ステッキ系の武器は足りてない。そのステッキなら、引き取って
もいい﹂
ダマスカスステッキというのだから、名称的にダマスカス鋼でで
きたステッキではないだろうか。
ダマスカス鋼の武器で空きのスキルスロットがあるものは貴重だ。
武器屋でも簡単には手に入らないし、買っておいてもいいだろう。
いらなければ何か適当なモンスターカードを融合してうっぱらっ
てもいい。
ダマスカスステッキという武器は武器屋でも見たことがないので、
2113
危ないかもしれないが。
この武器商人が勝手に作ったとか。
あるいは縞模様を描いて外見だけ似せているとか。
いや。鑑定でダマスカスステッキと出たのだから、贋物というこ
とはない。
﹁ありがとうございます。それと﹂
﹁まだあるのか﹂
武器商人はダマスカスステッキをテーブルに置く。
続いて、アイテムボックスからもう一枚モンスターカードを出し
た。
ハイコボルト?
﹁実は、必ずしも今回のためにというわけでもございませんが、機
会があってハイコボルトのモンスターカードを所持しております。
いかがでございましょう。ハイコボルトのモンスターカードにダマ
スカスステッキとコボルトのモンスターカードを二枚おつけします。
これらとひもろぎのロッドとを等価ということで交換いたしません
か﹂
武器商人が提案してくる。
ハイコボルトのモンスターカードについては、知っていて当然と
いう扱いなんだろうか。
俺は初めて聞いたが。
分からん。
どうすればいいのか。
セリーも連れてくればよかった。
2114
﹁ハイコボルトか﹂
とりあえずうなずいて、ルークを見る。
この場で助言を得られるとすれば、ルークだ。
﹁モンスターカードの融合をなされているのなら、悪い取引ではな
いと思います。ハイコボルトのモンスターカードは、めったなこと
ではオークションに出品されません。相場以上の価値があるでしょ
う。私も初めて見ました﹂
初めて見たと言っている割に、驚いた様子はない。
ルークと武器商人の間では予め話し合いがすんでいるという感じ
か。
相場以上の価値があると主張するところを見ると、相場としては
ひもろぎのロッドより安いと考えておくのが妥当だろう。
ハイコボルトのモンスターカードが何のスキルになるかは分から
ない。
ただ、めったに出品されないということなら、手に入れておいた
方がいいか。
俺なら無駄になることはない。
﹁うーん﹂
﹁さすがにこれだけでは条件が悪すぎましたでしょうか。では、こ
れらに加えて、三千ナールではいかがでしょう﹂
俺が考え込むと、武器商人はあわてて条件を引き上げてきた。
﹁うーん﹂
﹁相場としてこのくらいが妥当かと存じますが﹂
2115
というか、最初の条件なら三千ナールはぼるつもりだったのか。
性質悪いな。
﹁うーん﹂
﹁では、五千ナールではいかがでしょう﹂
さらに条件を引き上げてくる。
相場として三千ナールが妥当なら、相場に少し色をつけた五千ナ
ールは最初の提案としてあってよかったくらいではないだろうか。
引っ張ってこれか。
﹁別にダマスカスステッキも必要というわけでもないしな﹂
﹁それでは、六千ナールでは﹂
﹁うーん﹂
﹁ではいくらならよろしいのでしょう﹂
﹁いくらといわれてもな。ひもろぎのロッドがほしいのは俺ではな
いし﹂
この取引は流すべきではないだろうか。
三割アップもおそらく効かないだろう。
というか、有効になるとすれば、売却価格の三割アップが効くの
だろうか、三割値引きが効力を発揮するのだろうか。
ひもろぎのロッドを売るつもりで来たので三割アップしかつけて
いない。
﹁分かりました。モンスターカード三枚とダマスカスステッキに加
えて、一万ナールをお出しいたしましょう。それと、ギルド神殿の
利用料に、そちらが用意する武器商人の鑑定料も負担させていただ
きます。これなら文句はございませんでしょう﹂
2116
最後は俺が怒られてしまった。
逆ギレかよ。
なんか納得いかない感じだ。
やはり流すか。
﹁最初に、相場に少し色をつけたくらいでいいとおっしゃっておら
れたので、このくらいなら十分かと思います﹂
ルークが割り込んでくる。
確かに、金に困っているわけでもないので、がめつくする必要は
ない。
ハイコボルトのモンスターカードもダマスカスステッキも手に入
れておいた方がいいだろうし。
しょうがないか。
﹁まあやむをえないか。その条件でいいだろう。武器商人の鑑定は
必要ない。ダマスカスステッキなのは間違いない﹂
取引をまとめた。
モンスターカードとダマスカスステッキ、金貨一枚を受け取る。
三割アップは効かなかったようだ。
全部アイテムボックスに入れる。
その後で、ギルド神殿に赴いた。
モンスターカードをチェックする。
鑑定があるから必要はないが、チェックなしというわけにもいか
ない。
どうせ利用料は向こう持ちだ。
2117
﹁今回の取引はどうだったのだろう﹂
武器商人と別れ、待合室に向かいながらルークに尋ねた。
﹁悪い取引ではないと思いますよ﹂
﹁最後が少しすっきりしなかったが﹂
﹁彼も商人ですから、利のない取引はしないでしょう。別に怒って
はいないと思います﹂
逆ギレさえも演技ということだろうか。
仲買人恐るべし。
というか、武器商人が逆ギレしてルークがなだめ役というのは、
考えてみれば完全にヤクザか悪徳商法の手口だよな。
あるいは警察が自供を引き出すためのテクニックだ。
つまり、ヤクザも警察も同じということだな。
俺なんかでは太刀打ちできそうもない。
がんばればもっといけたのだろうか。
まあ相場に少し色をつけたというのは嘘ではないだろう。
しょうがない。
今日のところはこれくらいで勘弁しといてやろう。
﹁予備まで手に入ったので、コボルトのモンスターカードの注文は
いったん取り消す。もっと安く手に入るようなら落札してくれても
いいが﹂
﹁分かりました﹂
コボルトのモンスターカードの注文を取り消して、家に帰る。
モンスターカードを取り出し、イアリングも準備した。
2118
﹁セリー、モンスターカードの融合、いけるか?﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
革のミトンを作ってぐったりしていたのはやはりMPの使いすぎ
ではなかったようだ。
というか、MPの使いすぎだったら融合ができなくなるところだ
ったのか。
危なかった。
回復薬を使うとか、手はあるが。
﹁ハイコボルトのモンスターカードというのを知ってるか?﹂
﹁コボルトの最上位種が残すモンスターカードですね﹂
セリーはハイコボルトのモンスターカードについて知っているら
しい。
﹁やっぱり他のモンスターカードと一緒に融合するのか?﹂
﹁そのようです。ただし、通常のモンスターカードと一緒に融合す
るとコボルトのモンスターカードと一緒に融合したときより強力な
スキルになる、という説もありますが、確実な成功例はないようで
す﹂
﹁ないのか﹂
思わず突っ込んでしまった。
ひょっとしてカスをつかまされたのではないだろうか。
﹁コボルト以外の魔物も最上位種は別のモンスターカードを残すと
されています。こちらの最上位種のモンスターカードとハイコボル
トのモンスターカードを一緒に融合した場合には成功例が報告され
2119
ています﹂
﹁そういう使い方をするのか﹂
﹁逆に、最上位種のモンスターカードだけで融合に成功したという
例もあまりありません。最上位種のモンスターカードの融合にはハ
イコボルトのモンスターカードを一緒に融合する必要がある、とい
う意見もあります﹂
使用条件があるわけか。
確かに最上位種がカスカードを残すとは考えにくい。
条件が合えば、強力なモンスターカードなのだろう。
ハイコボルトのモンスターカードは他の最上位種のモンスターカ
ードと一緒に使うと。
つまり、ハイコボルトのモンスターカードを使うためには、他の
最上位種のモンスターカードを手に入れなければならない。
あの武器商人からしてみれば、ていのいい厄介払いだ。
今回はやられっぱなしのような気がする。
﹁まあ最上位種のモンスターカードもいつかは手に入れることがあ
るだろう﹂
﹁ええっと。最上位種のモンスターカードを融合することは鍛冶師
ではできないのではないかという説があります﹂
セリーが申し訳なさそうに伝えてきた。
﹁駄目なのか?﹂
せきがん
﹁鍛冶師では融合に成功した確実な例がありません。最上位種のモ
ンスターカードを融合できたのは、鍛冶師より上級職である隻眼と
いうジョブに就けた者たちだけです﹂
﹁隻眼か﹂
2120
﹁本来は目をやられてしまうほどの回数鍛冶を行った者に対する称
号だとされています。それほどの長い時間鍛冶を行った者だけが得
られるジョブです﹂
隻眼とはなんかかっこいいな。
竜騎士もびっくりだ。
確かに、鍛冶師のスキルを使うときには手元が光る。
あれを毎回見続けていたら目も悪くなりそうだ。
﹁あれは目に悪そうだもんな﹂
﹁実際にはジョブが隻眼になっても視力を失ったりはしないそうで
すが﹂
しないのかよ。
まあジョブが変わったくらいで目が見えなくなったのでは大変だ。
ジョブを元に戻せば視力も元に戻るのかという話だよな。
﹁今回はヤギのモンスターカードとコボルトのモンスターカードを
イアリングに融合してくれ﹂
﹁はい﹂
イアリングとモンスターカードをセリーに渡した。
ハイコボルトのモンスターカードは、使わない方がいいだろう。
多分失敗すると考えた方がいい。
普通のモンスターカードと一緒に融合できるかどうか分からない
上に、鍛冶師のセリーに扱えるかどうかも分からない。
リスクが大きすぎる。
ひもろぎのロッドはすでに手放してしまったのだから、知力二倍
のスキルを確実に手に入れることが先決だ。
2121
セリーがモンスターカードを融合した。
手元が光り、ひもろぎのイアリングが残る。
ちゃんと知力二倍のスキルもついていた。
﹁成功だ。さすがセリーだな﹂
﹁ありがとうございます﹂
セリーからひもろぎのイアリングを受け取る。
左耳につけてみた。
鑑定してみるが、やはり有効にはならない。
身代わりのミサンガをはずさないと駄目か。
アクセサリー装備は、最初につけた一個だけしか有効にならない
らしい。
イアリングを両方の耳につけても、二つ有効にはならないだろう。
身代わりのミサンガをはずし、イアリングを着けなおす。
身代わりのミサンガをはずすのは怖いが。
まあ俺は後衛職だ。
後ろで魔法を撃っているだけならそこまで危なくはないだろう。
身代わりのミサンガが発動したことは今まで一度もないし。
MPを回復するためにデュランダルを持って前に出るときが心配
か。
そのときには身代わりのミサンガを着けなおした方がいいかもし
れない。
めんどくさい。
めんどくさいが、身代わりのミサンガを着けておけばよかったと
後悔する羽目には陥りたくない。
2122
身代わりのミサンガがあればよかったと後悔するということは、
身代わりのミサンガではなく俺がその攻撃を受けたということだ。
それはまずい。
あかねさす 紫野行き あの世行き
面倒故に 我着けめやも
ひもろぎのイアリングには空きのスキルスロットがまだ二つある。
早く芋虫のモンスターカードを手に入れて融合するべきだろう。
2123
聖槍
ハルバーの迷宮二十三階層に入った。
聖槍とひもろぎのイアリングをテストしてみる。
いきなりシザーリザード相手は怖いような気もするが、聖槍は前
にも試したことがある。
問題はないだろう。
試してみると、やはり今までより早く魔物を倒せた。
しっかり強くなっている。
聖槍そのものはひもろぎのロッドより弱かったから、ひもろぎの
イアリングの知力二倍がちゃんと効いている。
大丈夫だ。
聖槍だといい点がもう一つあった。
セリーがやっているように、槍なら二列めから攻撃が届く。
ミリアかベスタの斜め後ろから魔物を攻撃することもできた。
ロクサーヌの後ろは危険すぎるとして。
聖槍を持てば魔法を使う合間合間に攻撃ができる。
今はまだ突いたり叩いたりするだけだが、慣れていけば斬ったり
なぎ払ったりすることもできるようになるだろう。
MP吸収のスキルでもつければだいぶ楽になるな。
﹁この先にいる魔物はマーブリームだけのようです﹂
﹁お。そうか。さすがロクサーヌだ。次はちょっと実験してみるか
ら、倒すのに多少時間がかかる﹂
2124
ロクサーヌがアドバイスをくれたので、聖槍をしまいダマスカス
ステッキを取り出した。
ダマスカスステッキを試すのは、さすがにシザーリザード相手で
はない方がいいだろう。
魔物が現れる。
マーブリーム二匹だ。
サンドストームを二回念じた。
念じた後で走り出そう、としたら、誰も動かない。
何故だ。
いや、そうか。
マーブリームしかいないのだから、こっちから近づく必要はない。
ロクサーヌがわざわざ進言してきたのはそのためか。
ダマスカスステッキを手に入れたことは教えていないし、マーブ
リーム相手に試すとも言ってないからな。
走り出さないように、敵はマーブリームだけだと教えたのか。
動いたときに聖槍を放り投げるのが嫌でアイテムボックスにしま
ったのだが、この場で迎え撃つならしまうことはなかった。
ミリアもベスタもよく走り出さなかったものだ。
セリーはともかく。
二人ともすましているが、きっと内心では驚いているに違いない。
気づかなかったのが俺だけということはないはずだ。
俺も何ごともなかったかのような顔で魔法を放っていく。
魔法を撃ってから移動する魔法使いでよかった。
下手をしたら一人だけ走り出して恥をかくところだった。
2125
マーブリームを倒す。
ダマスカスステッキの強さは、ロッドよりも上でスタッフよりは
下というところか。
アクセサリーにつけた知力二倍はもちろん有効になっているはず
だ。
聖槍より弱いからメインで使うことはないが、予備としては十分
だろう。
武器を聖槍に戻して、探索を続ける。
シザーリザード四匹にロートルトロール一匹が現れた。
大所帯だ。
今度は四人がすぐに駆け出す。
ちゃんと分かっているのか。
不可解だ。
俺はその場でサンドストームを二度念じてから、追いかけた。
ロートルトロールを先に倒すなら弱点は火属性だが、シザーリザ
ードは火魔法に耐性があるので使えない。
耐性がなかったとしても、ロートルトロールを優先して倒すべき
かどうかは相変わらず判断が難しい。
今の場合、ロートルトロールを一匹減らしてもあまり意味はない、
かもしれない。
二十二階層までの魔物に比べたらシザーリザードはかなり強くな
っている。
シザーリザードを倒すのを遅らせることはないだろう。
ロクサーヌたちが魔物に対峙した。
2126
ロートルトロールを挟んでシザーリザード三匹が横に並び、迎え
撃つ。
﹁来ます﹂
後ろに回ったシザーリザードの足元に魔法陣が浮かんだ。
ロクサーヌの警告の後、周囲に火の粉が舞う。
全体攻撃魔法だ。
魔物の全体攻撃魔法もファイヤーストームと変わらないらしい。
一瞬、体全体がカッと熱くなった。
胸が締めつけられ、節々が痛む。
足の指がもがれそうだ。
肌がちりちりと焼け、痛覚神経が悲鳴を漏らした。
三匹のシザーリザードが隙を逃さず攻めかかる。
ロクサーヌが身体を揺らして避け、ミリアが大きく足を引き、ベ
スタが剣で弾いた。
今のがよくかわせるもんだな。
俺なら確実に喰らっていた。
それでも、痛かったのは一瞬だ。
すぐに熱さはやみ、痛みも引く。
服やリュックサックに燃え移ることもないようだ。
体だけが熱せられたのかもしれない。
ロートルトロールが遅れて大きく腕を振った。
ロクサーヌが何ごともなかったかのようにかわす。
俺はお返しにサンドストームをぶち込んだ。
セリーは、連発されないように槍をかまえて魔物をにらみつける。
2127
シザーリザードの全体攻撃魔法に致命的なまでの威力はないよう
だ。
これなら一発二発で死ぬことはない。
サンドストームを連発し、次を浴びる前に魔物を倒した。
﹁これが全体攻撃魔法か﹂
それでも、さすがに二桁は耐えられる自信がない。
連発されると結構大変かもしれない。
﹁単体の魔法より威力があるような気がしますが、気のせいでしょ
うか﹂
ロクサーヌがシザーリザードの単体攻撃魔法を受けたときにはメ
ッキをかけていた。
いずれにせよ威力の正確な測定はできない。
測るとしたら、何発浴びたら死ぬか、くらいだ。
測りたくない。
﹁分かりませんが、耐えられないほどではないですね。きついこと
はきついですがしょうがありません。何発かは耐えられそうですか
ら問題ないでしょう﹂
セリーは頼もしいことをおっしゃる。
﹁はい、です﹂
﹁革もあったのか﹂
全員に順次手当てをかけていると、ミリアが革を持ってきた。
2128
革のブラヒム語は、すでに忘れているらしい。
﹁そうですね。これくらいならたいしたことはないと思います。あ、
手当てはもう必要ありません﹂
ベスタにいたっては手当て一回で断ってくる。
たくましすぎだろう。
竜騎士だから堅いのだろうか。
﹁危なそうじゃなくても、ダメージが残ってそうなら言え﹂
﹁はい。大丈夫です。ありがとうございます﹂
別に遠慮しているわけでもないようか。
俺なら大丈夫と思ってから念のためにさらにもう一度自分に手当
てしてしまうが。
この差は何だろう。
覚悟の違いだろうか。
必要ないそうなので手当てを終え、探索を再開する。
全体攻撃を喰らったとき、全員に手当てをかけるのは面倒だな。
戦闘中に手当てが必要なくらいダメージを受けたら、間に合わな
くなる恐れもある。
全体手当てができる神官の早期取得が望まれる。
あるいはセリーのジョブを巫女にするか。
セリーを巫女もいいが、鍛冶師のレベルを伸ばしていきたい感じ
もするんだよな。
これからもいろいろ新しい装備品を作ってもらうことを考えると。
ミリアは暗殺者だし、ベスタには竜騎士があっているだろう。
2129
となると、消去法で残るのはロクサーヌか。
ロクサーヌならどんなジョブでもこなしてしまいそうではある。
まあそれはもっと厳しくなってからでいいだろう。
その日は、夕方まで探索を行い、風呂を入れて一日の活動を終え
た。
ロクサーヌやセリーたちには夕食の後片づけや鍛冶も残っている
が。
遊び人のスキルに初級水魔法をセットすれば風呂を入れるのも楽
になったし、今日は少し温度も高かったようだ。
風呂でさっぱりするのがいいだろう。
汗も少しはかいたはずだ。
迷宮の中はそれほど暑くはないとはいえ。
寝汗とか。
朝方はベスタにひっついているとひんやりした感じもあるとはい
え。
とにかく、風呂に入って一日を終える。
風呂に入った後、少し運動もしたが、終える。
色魔をつければ疲れることもない。
腰の運動など、あってないようなものだ。
翌朝、地図を持ってクーラタルの二十二階層に入った。
さすがに二十二階層までくると早朝に入る必要はないかもしれな
いが、混んでたりしたら嫌だし。
﹁ミリアのジョブだが、石化の剣を生かすため、暗殺者にしようと
思う﹂
2130
二十二階層の入り口で、全員に告げる。
昨日ついにミリアのジョブが戦士Lv30に達した。
暗殺者と騎士もちゃんと取得している。
黙って変えるのも悪いような気がするので、宣言した。
いっても暗殺者だしな。
嫌がらないだろうか。
﹁はい﹂
﹁確かに、毒付与なんかがあるといいそうです﹂
﹁はい、です﹂
ジョブの名前は暗殺者だが、別に嫌われているわけでもないよう
か。
取り越し苦労だったようだ。
まあLv1になるという問題もある。
﹁新しいジョブに就くので、慣れるまで少しの間、ミリアは後列に
回した方がいいだろうか﹂
﹁必要ないと思います﹂
﹁ギルド神殿でジョブを変更した場合でもパーティーを組んでいる
のなら奴隷にそんな配慮はしません。必要ないのでは﹂
﹁だいじょうぶ、です﹂
ロクサーヌ、セリー、ミリアが大丈夫だと言い張った。
パーティーの中にいれば他のパーティーメンバーが持つジョブの
効果がその人に及ぶ。
Lv1になったからといって極端に弱体化はしないのだろう。
2131
﹁うーん。問題ないのか﹂
﹁いつまで後列にいればいいか分かりませんし、二十三階層より上
の階層の魔物には全体攻撃魔法があるので、後列だからといって安
心はできません﹂
セリーのいうことは、この世界では合理的なんだろう。
俺には獲得経験値二十倍があるし、レベルを見て判断することも
できるが。
ミリアが後列にいるのは多分クーラタルの二十二階層にいる間く
らいだ。
﹁分かった。だが、しばらくはくれぐれも慎重にな﹂
﹁はい、です﹂
﹁ベスタは硬直のエストックを試してみたくないか?﹂
﹁ええっと。そうですね、興味はあります﹂
﹁なら、魔物の数が少ないときには、ミリアは武器をベスタと交換
して後列に回ってくれ。二匹以下ならそれで問題ないだろう﹂
妥協案を出す。
ミリアのジョブを暗殺者にするのは魔物が二匹以下のときにすれ
ばいいだろう。
パーティージョブ設定でそれはどうにでもなる。
魔物が三匹以上のとき戦士Lv30のままにしていても分からな
いはずだ。
﹁はい、です﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁では、途中魔物の少なそうなところがあったら積極的に回ってく
れ﹂
2132
ロクサーヌに地図を渡し、案内してもらった。
魔物が二匹以下のときには、ロクサーヌとベスタが相手をする。
ミリアのジョブを暗殺者にして、後列に回らせた。
二匹だから横から攻撃させてもいいが、安全のため下がらせる。
ミリアの暗殺者のレベルは順調に上がっていった。
後はベスタの石化待ちだ。
ベスタが魔物を石化させたのは二十二階層をある程度進んだとき
だった。
﹁できました﹂
﹁やった、です﹂
クラムシェルが石化している。
ロクサーヌが相手をしているクラムシェルとともに土魔法で始末
した。
﹁これでベスタも硬直のエストックの威力を感じただろう﹂
﹁はい。すごい武器だと思います﹂
﹁次からはミリアが専用で使ってくれ。ジョブを変えたばかりだか
ら、あまり無理はしないようにな﹂
﹁はい、です﹂
暗殺者はLv5まで進んでいる。
前列で戦わせても大丈夫だろう。
﹁ではボス部屋まで頼む。魔物の少ないところにはもう回らなくて
いい﹂
指示を変更し、ロクサーヌの先導で進んだ。
2133
途中何度か戦ったが、ミリアの石化がいきなり増えたということ
はないようか。
それはそれでいい。
というか、むしろその方がいいのかもしれない。
暗殺者のスキルには状態異常確率アップがある。
暗殺者になっていきなり石化の確率が上がったら、そのスキルが
効いたということだ。
いきなりは上がらなかったとしても、状態異常確率アップのスキ
ルが効いていないということでは、必ずしもない。
暗殺者になってもいきなりは石化の確率が上がらないのなら、状
態異常確率アップは暗殺者のレベル依存になっている可能性がある。
ミリアはこのまま暗殺者で使っていくつもりだ。
レベルもすぐに上がるだろう。
状態異常確率アップはレベル依存であった方が、最終的には確率
がアップするかもしれない。
レベルが上がるのを楽しみにしておこう。
オイスターシェルに対してはミリアの石化が発動した。
暗殺者のおかげ、かどうか。
博徒の状態異常耐性ダウンとの相性はいいのかもしれない。
しかしオイスターシェルは元々貝殻なので石化してもよく分から
んな。
動かないだけで。
料理人はつけずに、デュランダルをしまって魔法で片づける。
狙いどおり、オイスターシェルは牡蠣を残さなかった。
残されても一個だけでは困る。
2134
残したボレーはベスタに渡す。
ベスタにボレーが必要なことを考えると、クーラタルの二十二階
層はこれからもまだ世話になるな。
人の多い夕方にどれくらいボス部屋が混雑するか、確かめておい
てもよかったかもしれない。
2135
グミスライム
﹁クーラタル二十三階層の魔物は、グミスライムです。火魔法と風
魔法と水魔法が弱点で、耐性のある属性はありません。土属性の全
体攻撃魔法を使ってきますが、土属性に耐性があるわけでもないよ
うです﹂
二十三階層に移動した。
セリーからブリーフィングを受ける。
﹁グミスライムか。懐かしいな﹂
﹁戦ったことがおありならご存知だと思いますが、剣や槍で攻撃し
てもなかなかダメージは通りません。人に取りついた場合、魔法以
外で下手に攻撃すると取りつかれた人がダメージを受けてしまいま
す﹂
﹁溶かしてしまうのだったか﹂
﹁完全に取りつくとそうなります。消化される前に倒さなければい
けません﹂
改めて聞くと厄介そうな魔物だ。
二十三階層に出てくるならLv23だから、強くなっているだろ
うし。
﹁一階層の魔物じゃなくても地上に出ることがあるんだな﹂
﹁一階層の魔物が地上に現れるのは人里近くの迷宮ですね。周りに
人も多くいますから、出現位置からさほど動かず、積極的に人を襲
ってくることもあまりありません。人が少ないところの迷宮では十
2136
二階層の魔物が外に出てきます。さらに奥地にある迷宮では、二十
三階層の魔物が地上に現れます。餌を求めて長い距離を移動し、積
極的に人を襲います﹂
そんなことになっているのか。
迷宮ができて人が住めなくなるのは分かるが、じゃあ人が住めな
くなったところに残った迷宮は何を餌にするのか、ということだよ
な。
残った迷宮はより強い魔物を地上に送り出し、移動して人を襲わ
せると。
ベイルの近くにいたグミスライムも、どこか遠くから来たのだろ
う。
珍しくはない感じだったから、ルートでも決まっているのだろう
か。
迷惑な話だ。
﹁様子を見るために一回か二回、戦ってみよう。ロクサーヌ、分か
るか?﹂
﹁多分こっちです﹂
グミスライムの弱点に合わせて遊び人のスキルを変えたいが、設
定後はしばらく変更できなくなる。
遊び人のスキルは初級土魔法のままでいいだろう。
クーラタル二十二階層の魔物であるクラムシェルもクーラタル二
十一階層の魔物であるケトルマーメイドも弱点は土魔法だ。
朝食までここで狩を続ける手もあるが、クーラタルの二十三階層
はあまりいい狩場ではない。
グミスライムは、弱点属性が多いのに、土魔法だけが弱点ではな
2137
い。
一回か二回試しに戦って、さっさとハルバーの迷宮に移動するの
がいいだろう。
初めての魔物には全力で当たるべきかもしれないが、グミスライ
ム自体とは戦ったことがあるし、Lv23の魔物はシザーリザード
で経験している。
問題ないはずだ。
ロクサーヌが案内したところに、グミスライムLv23が三匹い
た。
懐かしいゲル状の魔物だ。
他の魔物もいないし、三匹なら前衛陣全員が対戦できる。
さすがロクサーヌだ。
四人がすぐに走り出した。
俺は土魔法と火魔法の溶岩地獄を念じてから、追いかける。
前衛がぶつかるまで、グミスライムは全体攻撃魔法を使ってこな
かった。
グミスライム三匹と前衛陣の三人が対峙する。
魔物の体当たりをロクサーヌが軽く避けた。
ベスタが二本の剣をグミスライムに叩き込む。
﹁確かにあまり効いてない感じです﹂
﹁私とベスタはあまり攻撃せず、防御と回避に専念した方がいいで
しょう﹂
﹁そうですね。そう思います﹂
ロクサーヌの意見にベスタがうなずいた。
ロクサーヌなら回避に専念しなくても回避できそうだが。
2138
ミリアは硬直のエストックがあるので攻撃してもらった方がいい。
ダメージがそれほど通らなくてもスキルは通るだろう。
途中、左側のグミスライムの下に魔法陣が浮かぶ。
全体攻撃魔法を使おうとしたのかどうかは、セリーがキャンセル
したので分からない。
真ん中のグミスライムがぶるぶると大きく揺れ、ロクサーヌに襲
いかかった。
ロクサーヌがスウェーしてかわす。
﹁やった、です﹂
右側のグミスライムには石化が発動した。
スライムが固まっている。
攻撃の途中で固まったためか、重力に逆らった変な形だ。
やはり石化添加のスキルはきっちり通るらしい。
ミリアは石化した魔物の後ろを回り、真ん中のグミスライムを攻
撃した。
俺は魔法でグミスライムを破壊する。
石化したグミスライムに続き、他の二匹も倒した。
戦闘時間はシザーリザードより長くかかったが、遊び人のスキル
が土魔法なのでしょうがない。
上の階層へ進めばこれくらいが標準になるということでもある。
シザーリザードとグミスライムが両方出てきたら、どっちかはこ
れくらいの時間でしか倒せない。
﹁ロクサーヌさん、グミスライムが取りつこうとしていませんでし
たか?﹂
2139
﹁そのようです。取りつかれないように気をつけなければいけませ
ん﹂
戦闘終了後にセリーがロクサーヌに問いかけている。
さっき、大きく揺れていたのがそれなんだろう。
ああやって取りつくのか。
﹁まあでも最初に経験できてよかった。クーラタルの二十三階層は
これくらいでいいか﹂
﹁そうですね。大丈夫だと思います﹂
ロクサーヌが周囲のにおいを確認してから言った。
近くに戦いやすい魔物がいたら寄っていこうということか。
抜け目がない。
ロクサーヌはスライムスターチを拾い上げて、俺に渡す。
﹁グミスライムとも戦えるようです﹂
セリーが太鼓判をおすなら安心だ。
﹁スターチ、です﹂
ミリアとベスタもスライムスターチを持ってきた。
てんぷらやから揚げにするとき使ったから、名前を覚えているの
だろう。
魚が絡むと強い。
三個残ったところを見ると、スライムスターチはレアドロップで
はないようだ。
アイテムボックスに入れ、ハルバーの二十三階層に移動する。
2140
朝食まで探索を行い、その後も迷宮に入った。
シザーリザードを相手に戦っていく。
シザーリザードは土属性が弱点だ。
二十二階層の魔物であるマーブリームも弱点は土属性だから、ハ
ルバーの二十三階層は割と戦いやすい階層といえる。
二十三階層からは魔物が強くなっているから、これはありがたい。
比較的スムーズに上の階層に適応していけるだろう。
シザーリザードは強くなったが、俺の方も聖槍とひもろぎのイア
リングで強化した。
問題なく戦えている。
二十三階層では申し分ない。
もう少し上の階層へ行っても俺たちのパーティーは通用するだろ
う。
レベルも再び上がり始めた。
夕方近く、俺は探索者Lv46になった。
探索者の場合、アイテムボックスを使っていればレベルが上がっ
たことは分かりやすい。
探索者Lv45に上がったのは数日前で、その前は長いこと探索
者Lv44だった。
探索者Lv45だった期間は短い。
シザーリザードは強くなっている分、経験値も多いのだろう。
そうでなければ、探索者Lv46になるには探索者Lv45にな
る以上の時間がかかるはずだ。
毎日レベルが上がるというようなことはもう期待できないが、し
ばらくはレベルが上がりやすいだろう。
2141
Lv40になってからは俺のレベルが上がりにくくなり、ロクサ
ーヌたちはLv30から上がりにくくなったから、次の壁はLv5
0にくるのではないかと思う。
それならそれでいい。
冒険者は探索者Lv50が条件のはずだから、探索者Lv50で
ストップしても冒険者にはなれる。
ロクサーヌたちも昨日と今日でレベルが上がっている。
ロクサーヌは獣戦士Lv32、セリーは鍛冶師Lv35、ミリア
は暗殺者Lv21、ベスタは竜騎士Lv30だ。
ロクサーヌは騎士Lv33になったので、こっそり獣戦士Lv3
2につけ替えた。
替えてからはまだ上がっていない。
セリーも鍛冶師Lv35になったので、鍛冶の心配はますますな
くなっただろう。
もし新しい革の装備品の製作に失敗していたら、すぐに再チャレ
ンジとなるところだった。
成功してよかった。
ミリアの暗殺者は、まだまだレベルが低いので上がって当然。
夕方くらいには、心なしか石化の発生が多くなったような気がす
る。
気のせいかどうか。
ベスタは、Lv30まで上がったから完全に一人前と見ていいだ
ろう。
そうでなくても頼もしく前衛をこなしているし。
大柄なベスタが前衛で二刀を振り回す姿は後ろから見ていると安
心感がある。
2142
魔物が現れ、四人が駆け出した。
シザーリザードとマーブリームが一匹ずつだ。
土魔法を二回念じて、追いかける。
ロクサーヌとベスタが魔物と対峙した。
ミリアは横に回ってシザーリザードを攻撃する。
同時にセリーもたどり着いたので、全体攻撃魔法を受けることは
ない。
俺も魔法を放ちながら追いついた。
聖槍をマーブリームに突き立てる。
セリーの邪魔にならないようにベスタの斜め後ろから突いた。
聖槍の攻撃で魔法の回数を減らすほどのダメージを与えられるか
どうかは疑問だ。
魔法の合間にときおり攻撃するだけだし。
しかしやらないよりはやった方がいい。
訓練としても必要だろう。
﹁やった、です﹂
途中にはシザーリザードも石化した。
はさみを振り上げたまま固まっている。
やはりミリアの石化は発動しやすくなっているか。
全員の攻撃がマーブリームに集中する。
サンドボールでマーブリームを倒した。
聖槍をアイテムボックスにしまい、キャラクター再設定でデュラ
ンダルを出す。
2143
ちょうどMPが減っていたところだ。
俺一人でシザーリザードを攻撃した。
デュランダルの連続攻撃でトカゲを屠る。
動かないので問題なく倒した。
﹁ロクサーヌ、次は剣で戦うので魔物の少ないところへ﹂
ひもろぎのイアリングをはずし、身代わりのミサンガを取り出す。
面倒だが安全第一だ。
何かあったときに後悔はしたくない。
シックススジョブにして、戦士もつけた。
﹁えっと。私が巻きます﹂
﹁そうか。じゃあ手首につけてくれ﹂
ミサンガを足首に巻こうとするとロクサーヌがやると言ってきた
ので頼む。
身代わりのミサンガを持った右手を出し、渡してそのまま巻いて
もらった。
﹁ご主人様のお役に立ててうれしいです﹂
﹁ロクサーヌにはいつも役立ってもらっている。ありがとう﹂
﹁いえ。こちらこそありがとうございます﹂
ロクサーヌは、周囲のにおいを確認しながら巻きつける。
巻き終わるとすぐに先導した。
ついていくと、前と同じくシザーリザードとマーブリーム一匹ず
つの団体だ。
全員が走り出す。
2144
ベスタがマーブリームの正面に立った。
俺はマーブリームにラッシュを一発叩き込んで、そのまま横を抜
ける。
迷宮の洞窟で前衛四人だと狭い。
前衛三人に加えて俺がデュランダルを持って参加すれば、ベスタ
が二刀を振り回すことは無理だろう。
だから魔物の少ないところに案内してもらっている。
誰かに聖槍を持たせて下がらせてもいいが、ロクサーヌを前列か
らはずすのはもったいない。
ミリアには硬直のエストックがある。
ベスタも、竜騎士Lv30までなれば前衛がいいだろう。
ロクサーヌがいるのだから魔物の少ないところに案内してもらえ
ばそれですむ話だ。
魔物が少なければ俺が攻撃を浴びることも少ないしな。
相手が二匹なら、ボス戦と同様、後ろから安全に戦える。
最初にマーブリームを、続いてシザーリザードを仕留めた。
もう一つ魔物の団体をいただいてから、デュランダルをはずす。
シザーリザードともなれば一匹からかなりのMPを吸収できる。
数は少なくてもそう何度も戦う必要はない。
﹁じゃあはずしてもらえるか﹂
﹁えっと。はずすのはセリーが﹂
﹁じゃあセリー、頼めるか﹂
﹁はい﹂
これも順番なのか。
2145
右手を出し、セリーに身代わりのミサンガをはずしてもらった。
それからひもろぎのイアリングを装備する。
やはり面倒だ。
MPを回復したので、本日最後の探索を行った。
全体攻撃魔法も受けてしまう。
後列に回ったシザーリザードが放ったので、セリーの槍は届かな
かった。
全体攻撃魔法はこちらが危うくなるほどではないが、地味に痛い
な。
もっと頻繁に使ってくるかダメージが大きければ対策が必要にな
るし、もっとダメージがなければ無視できるのに。
ピンチになるほどではないが、無視できるほど軽いわけでもなく。
嫌がらせに近い。
連発されなければ問題はないので、先に魔物を倒す。
マーブリームが消えると後ろにいたシザーリザードも前に出てき
た。
これで連発されることはない。
マーブリーム、石化したシザーリザードと倒し、ロートルトロー
ルと魔法を放ったシザーリザードが最後に煙になる。
アイテムを集めながら、全員に手当てをした。
ベスタはやはり手当てを受ける回数が少ない。
ダメージに対する感度が鈍いのだろうか。
いちいち全員の手当てをするのは面倒だが、これはしょうがない。
大変なので、自分に念のためもう一回手当てするのはやめた。
いい傾向だろう。
2146
それに、手当てについては多少の目算もある。
明日は頼んでいた服ができる日だ。
すぐに修行をすればいいだろう。
滝が俺を待っている。
2147
滝
夕食にはミリア特製のトロの煮つけととんかつを食べる。
トロはどうせミリアがたくさん食べたがるだろうからと、俺はと
んかつを揚げた。
少し暑いが、そこは我慢だ。
てんぷらほど長時間揚げ続けるわけではない。
﹁これがトロか。さすがに旨いな﹂
ミリアが煮つけたトロは、口に入れるとほぐれるようにとろけた。
柔らかい。
脂がのっていて、コクがある。
濃厚で、しつこくない味わいだ。
こってりしているのは、味つけのせいもあるのだろう。
一切れほど切り取り、すぐにロクサーヌに回した。
﹁美味しいですね﹂
﹁これはすごいです﹂
ロクサーヌとセリーもとっとと皿を回す。
次にとんかつを食べた。
ソースはないので、とんかつはレモン果汁でさっぱりといただく。
と思っていたら、トロの煮汁が意外に合った。
試しにつけてみて正解だ。
2148
ちょっと味噌カツ風。
味噌ではないが。
魚醤を使っていたから近いものはあるかもしれない。
﹁ミリア、煮汁だけもらっていいか﹂
﹁はい、です﹂
﹁私ももらっていいですか?﹂
ミリアの抱えている皿から煮汁をもらうと、ロクサーヌも興味を
示した。
B級グルメといえばB級グルメだから薦めはしなかったのだが。
セリーはレモンの搾り汁のみでいいらしい。
﹁へえ。私も煮汁をもらっていいですか﹂
﹁トロも食べる、です﹂
ベスタが煮汁をもらおうとすると、ミリアが皿ごと差し出す。
俺には勧めないのに。
﹁はい。ありがとうございます﹂
﹁お姉ちゃん、です﹂
先輩としてちゃんと面倒は見るということか。
確かに、俺には勧めるまでもない。
俺は遠慮するような立場ではないし。
トロの煮つけの煮汁ととんかつの組み合わせは新しい発見だった。
いつかまたやろう。
翌日、朝食の後で帝都の服屋に赴く。
2149
﹁いらっしゃいませ。注文いただいた品も出来上がっております﹂
すぐに出迎えた男性店員に案内されて、服を受け取った。
真っ白な絹の上掛けだ。
ちなみに、セリーの服も皆と同じ値段である。
ベスタの分も特別料金は請求されなかったので、しょうがないだ
ろう。
﹁セリー、その服は現地で着替えればいいのか?﹂
﹁はい。それでいいと思います﹂
﹁神官ギルドで着替えてから、行くことになると思います﹂
男性店員がアドバイスをくれる。
神官ギルドに行くわけでないことは、さすがの男性店員も分から
なかったようだ。
この場でセリーに尋ねたのはちょっと不用意だったか。
それ以前に、仲間のうち四人が巫女を目指すパーティーというの
もどうなんだろう。
全員が巫女になれるわけではないから、修行だけは全員にさせて
みるということもおかしくはないか。
﹁分かった﹂
﹁またのご利用をお待ちしております﹂
服は四人がおのおのリュックサックに入れ、店を出た。
帝都の冒険者ギルドから、ハーフェンに飛ぶ。
朝市が開かれているとミリアがうるさそうなので、釣りをやって
いた辺りの林に出た。
2150
﹁ミリア、滝のある場所が分かるか?﹂
﹁こっち、です﹂
ミリアが自信満々に歩き出す。
意外にはっきりと知っているらしい。
魚のいる場所に関する情報に漏れはないということか。
分からなければ行ったことのある冒険者を探してフィールドウォ
ークで連れて行ってもらうことも考えていたが、必要なさそうだ。
﹁では行ってみるか﹂
﹁そうですね﹂
﹁は、はい﹂
﹁経験しているのはセリーだけだから、教えてくれると助かる﹂
セリーを促して、後をついていった。
﹁行く、です﹂
﹁楽しみです﹂
ミリアの先導で進む。
滝の辺りには魔物が出るということなので、デュランダルも用意
した。
全員でミリアについていく。
林の中の道を進んだ。
やがて道は細くなり、けもの道となる。
ギルドが使わなくなればわざわざ滝へ行く人間もいないだろうか
ら、仕方がない。
2151
林は深くなって森となるが、進んだ。
けもの道どころか道らしい道がなくなるが、進む。
デュランダルが草刈鎌になってしまったが、進む。
道なき道を進む。
俺たちの前に道はない。
俺たちの後ろに道ができるほどやわな森でもない。
ああ、自然よ。
ミリアよ。
本当に滝のある場所を知っているのか。
知っているとしたら何故知っている。
釣りをしながらこんなところまでは絶対にこないだろう。
問いただしたいのはやまやまだが、信頼していないととられるの
も困るので、黙ってついていった。
他の三人も文句を言わずに歩いている。
やはり滝に行ったことのある冒険者を探すべきだったろうか。
やがて森の向こう側が少し開けた。
﹁××××××××××﹂
﹁川があるようです﹂
広くはないが、小川というほど狭くはない川が流れている。
滝があるのだから普通は川があるはずだ。
ミリアは川の音でも頼りにしたのだろうか。
﹁川だ、川﹂
﹁川、です﹂
2152
﹁この川の上流に滝があるようですね﹂
﹁じゃあ行ってみるか﹂
その後は、川岸の多少歩きやすいところを進んだ。
川がある以上滝もあるのだろうし、足取りも軽い。
川を覗き込むミリアを置き気味にして進む。
なんかいるな。
と思ったら、ハチだ。
グラスビーだ。
森の向こうにグラスビーがいた。
黄色と黒の警戒色なので森の中、遠くからでもよく分かる。
グラスビーLv1が俺たちの方に向かってきた。
ここのグラスビーは積極的に人を襲うようだ。
ハーフェンからは結構歩いたから近くに迷宮があるのか。
それとも通り道になっているのか。
﹁来ます﹂
﹁大丈夫だ﹂
ロクサーヌを抑え、一歩前に出る。
草刈鎌と化していたデュランダルで迎え撃った。
斬りつけるとハチが落ちる。
一撃だ。
﹁さすがご主人様です﹂
﹁グラスビーが出るようです。ギルドが滝を放棄したのはそのため
でしょう﹂
2153
セリーの言うとおり、グラスビーのせいで修行場を放棄したのだ
ろう。
巫女の修行をするのは若くてレベルの低い人が多いはずだ。
危険なことはさせられない。
修行中に死人でも出たら大問題だ。
さらに進んでいくと、川の上流に滝があった。
さらさらと水の流れ落ちる音がする。
大瀑布というほどではないが、結構な大きさの滝だ。
幅十メートル以上にわたって流れ落ちていた。
段差も三メートル近くある。
水の量もそれなりだ。
﹁結構大きな滝だな﹂
﹁そうですね﹂
ロクサーヌがうなずいた。
﹁神官ギルドが使っていたくらいですから﹂
確かにセリーの言うとおりか。
小さい滝ではギルドの修行場としては使いにくいだろう。
﹁すごい、です﹂
﹁立派な滝だと思います﹂
この大きさならベスタも問題ない。
2154
﹁では、そこの滝の裏側ででも着替えてくれ﹂
﹁えっと。はい﹂
﹁誰も見てはいないだろう。俺は周りの様子を見てくる﹂
四人を送り出して、俺は周囲を見回った。
着替えを見ていたいのはやまやまだが。
別に家でならいつでも見られる。
誰かが警戒をしていなければならない。
デュランダルを持って周囲を巡回した。
森の中の滝は涼しい。
ここまで歩いてきたので暑かったが、滝近くはちょうどいいくら
いだ。
ひんやりした空気が漂っている。
逆に夏でよかった。
ジョブを得るためとはいえ、寒行はやりたくない。
寒かったらえらい目にあうところだった。
滝の周囲を歩いてグラスビーを片づける。
何匹かはいた。
大量に出てくるわけではないが、通り道か何かになっているよう
だ。
警戒は必要だろう。
何匹か片づけると、ロクサーヌたちが滝の裏側から出てくる。
白装束だ。
四人がおそろいの白い服を着ていた。
着物のようにきっちりしているわけではないので、妙に艶かしい。
2155
下着の上に一枚羽織っただけだし。
ロクサーヌやベスタなどは胸のあわせめにたるみが。
美味しそうだ。
腕や肩のところは少し肌が透けている。
ワイシャツからブラのラインが見える女子高生みたいな感じ。
ブラはないのでラインも見えないが。
下につけているのはかぼちゃパンツくらいだろう。
思わず飛びかかりたくなってしまうが、ここに来た目的を考える
とそうもいかない。
我慢だ。我慢。
﹁滝行というのは、滝に入って頭から打たれればいいのか?﹂
﹁はい。そうすることによって邪念を打ち破り、神との合一をなす
修行だそうです。神との合一によって、聖なる力を得、仲間の傷を
癒すスキルを獲得します﹂
セリーからやり方を教えてもらう。
神秘主義的な説明は、どうでもいい。
﹁見本を見せてもらえるか﹂
﹁は、はい。私は巫女にはなれませんでしたが﹂
﹁大丈夫だ。やり方だけ見せてもらえればいい﹂
﹁ええっと。あの。そうだ、滝の上に一人立って、見張っていまし
た﹂
セリーを送り出そうとするが、踏ん切りがつかないようだ。
大丈夫なのに。
2156
﹁では、私が見てきます﹂
ロクサーヌが移動すると、セリーも覚悟したのか滝つぼに入った。
水に濡れた白装束が肌に張りつく。
思ったとおり白い薄手の絹はよく透けて。
おおっ。
いや、いかん。
目的を忘れてはいけない。
俺も服を脱いだ。
これは目的のためだ。
セリーが滝に打たれる。
頭から白い水しぶきを弾き飛ばし、水流に耐えた。
水温の方は、この季節なら問題ないだろう。
ロクサーヌとベスタはセリーと周囲の状況とを交互に確認して注
意を払っている。
俺もセリーばかり見ず、周囲に警戒を払った。
どうせ滝の中ではよく見えないし。
﹁魚、です﹂
若干一名は違うところを注視しているようだ。
やがて、セリーが滝から出てきた。
水を滴らせている。
水に濡れた白装束が肌に張りついて。
いかんいかん。
目的を忘れるな。
2157
﹁こんな感じです﹂
﹁そうか。次は俺が行ってみよう。ベスタ、剣を渡しておく。魔物
が出たら頼む﹂
デュランダルをベスタに渡して後を頼む。
なるべく女性陣は見ないようにして、滝つぼに入った。
目的が第一だ。
邪念にとらわれてはいけない。
滝つぼは深いところでも一メートルくらいか。
もっと深いところもあるかもしれないが、浅瀬を選んで滝の下に
入る。
結構流れは強い。
水がかかった。
これは大変だ。
水を浴びると、勢いで揺らいでしまう。
水流に持っていかれないよう、体の軸を滝と平行にした。
姿勢を正し、垂直に立つ。
頭の上から水を受けた。
水が落ちる。
水が落ちる水が落ちる。
水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ち
る水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ち
る水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ち
る水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ち
る水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ちる水が落ち
る水が落ちる。
2158
なんも考えられねえ。
頭の上に水が落ちた。
頭の中は水が落ちるでいっぱいだ。
それ以外のことは入り込むゆとりもない。
しばらく耐え、滝からはずれた。
ジョブ設定でジョブを見てみる。
神官 Lv1
効果 MP小上昇 知力微上昇
スキル 全体手当て
これか。
神官のジョブを得ていた。
滝に打たれることは確かに修行だ。
何も考えられなくなる。
精神統一するのにふさわしい修行方法だろう。
神官や巫女のジョブを得るには精神の一統を果たす必要があるら
しい。
神官の効果とスキルはセリーの巫女と一緒だ。
神官と巫女は同じジョブなんだろう。
男なら神官、女性は巫女という名称になるようだ。
﹁どうでしたか?﹂
﹁これが滝行か。確かにすさまじいな。セリーも巫女のジョブを得
2159
たようだ﹂
﹁本当ですか?﹂
﹁嘘を言ってどうする﹂
必ずしも嘘ではない。
セリーが巫女のジョブを得ていることは事実だ。
今得たのではないというだけで。
﹁ありがとうございます﹂
セリーも喜んでいるみたいだからいいだろう。
﹁では、上へ行ってロクサーヌと交代してくれるか﹂
﹁分かりました﹂
セリーを見送る。
背中に張りついた白装束が艶かしい。
もう俺の目的は達した。
じっくり見ることができる。
﹁ミリアとベスタは滝行だ。やり方は分かっただろう﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
﹁はい、です﹂
ミリアは首をかしげていたが、滝を指差すとうなずいて滝に入っ
た。
ベスタは俺にデュランダルを渡し、滝に入る。
紐で閉じただけの上着に覆われたスイカの存在感がすごい。
ロクサーヌも滝の上から降りてきた。
2160
﹁ロクサーヌも滝行な﹂
﹁はい。分かりました﹂
降りてくるときに胸元が激しく揺れていた。
薄着のせいか揺れがすさまじい。
破壊力もすさまじい。
滝よりもすさまじいくらいだ。
2161
神官
ミリアとベスタに続いて、ロクサーヌも滝に打たれだした。
白装束の三人が並ぶ姿はなかなかに艶っぽい。
水しぶきでよく見えないとはいえ。
最初に滝から出てきたのはミリアだ。
濡れた髪が美しい。
濡れた服から透ける肌も美しい。
が、巫女のジョブは獲得していなかった。
大体出てくるのが早い。
俺でさえ、もっと長く滝に打たれていたような気がする。
﹁もう一回﹂
やり直させる。
ミリアが滝の下に入った。
次に出てきたのもミリアだ。
一番最後に入って一番最初に出てくるとか。
﹁たいへん、です﹂
﹁ちゃんと精神を統一してみろ﹂
﹁する、です﹂
もう一度送り出した。
大丈夫なんだろうか。
2162
最悪、ミリアは巫女のジョブなしか。
別にそれでもいいが。
次に出てきたのはベスタだ。
白装束の下に息づく胸が。
胸が。
濡れた薄手の絹が胸の前面にぴったりと張りついている。
大きな果実を優しく包んでいた。
淡い小麦色の肌が白装束の下にくっきりと映っている。
肌の色が濃い方が、白い上着に映えるのだろうか。
﹁何かよく分からないけど集中できたように思います﹂
確かに集中はできたのだろう。
巫女のジョブも獲得している。
俺は集中できないが。
いや、むしろ集中しているというべきか。
﹁そうか。ベスタはもう滝行の必要はないぞ。巫女のジョブを取得
している﹂
パーティーメンバーのジョブが分かるというのは実に便利だ。
巫女を獲得すればすぐに分かる。
﹁ありがとうございます。魔物です﹂
ベスタが指差した。
俺はベスタの方しか見ていなかったが、ベスタは警戒していたよ
うだ。
2163
助かった。
デュランダルを持って襲いかかり、グラスビーを斬り捨てる。
装備品どころか服も着ていないが、一撃だからいいだろう。
靴はさっき履いた。
夏なので水に濡れていてもちょうどいいくらいだ。
ハチを倒して戻る。
ベスタが周囲を、俺がベスタやロクサーヌたちを見た。
﹁もう一度だ﹂
出てきたミリアを再び滝に戻す。
ちゃんと集中しているのだろうか。
ロクサーヌはなかなか出てこない。
パーティージョブ設定で見ても巫女のジョブを得ていない。
苦労しているようだ。
俺やベスタはすぐに巫女のジョブを獲得した。
向き不向きがあるのだろうか。
﹁ベスタは滝に打たれたとき、どうだった﹂
﹁気持ちよくリラックスして、意識がゆったりと遠のく感じでした﹂
そうだったか?
気持ちいいとか。
あれはあくまで滝だ。
打たせ湯じゃない。
2164
竜騎士はこんなところまで打たれ強いのだろうか。
俺より身長が高いから、滝の勢いが弱いとか。
それはないだろうと思うが。
ベスタのことだからきっと何も考えてないに違いない。
普段から何も考えていない人の方が早く巫女を取得できるという
ことはあるのかもしれない。
俺も神官のジョブを得たのは早い方だった。
俺も何も考えていないということか。
いや。セリーも巫女のジョブを取得している。
大丈夫だと思いたい。
﹁難しいです﹂
ロクサーヌが一度出てきた。
水に濡れて白装束が肌に張りついている。
ロクサーヌの白い肌にもよく合っていた。
白い絹の下にはさくらんぼさんが。
俺の意識などは完全にその一点に集中している。
これだけで神官のジョブを得られそうだ。
﹁滝に打たれていると、意識が水の流れだけに向かないか﹂
﹁うーん。水があっちにもこっちにもあって﹂
あっちにもこっちにもというのが分からん。
人の認知はそこまで分解能がよくないはずだ。
ロクサーヌは知覚が過敏すぎるのではないだろうか。
魔物の動きを捉えて回避するにはいいが、精神を統一するには不
2165
向きと。
﹁水全体を一つの流れとして捉えてみろ﹂
﹁やってみます﹂
適当なアドバイスを与えてロクサーヌを送り出す。
代わりにミリアが出てきた。
ミリアは集中力がなさすぎだ。
濡れた姿を見ることができて俺はいいが。
ミリアを戻してしばらくすると、ロクサーヌが出てくる。
巫女のジョブを得ていた。
﹁おお。やったな。巫女のジョブを獲得している﹂
﹁はい。ありがとうございます。なんとなく一つの流れというのが
分かった気がします﹂
分かるのか。
俺は自分で言って分からないが。
分かるものなんだろうか。
まあさくらんぼさんも喜んでいるようだからいいだろう。
﹁ミリアはどうしたもんかな﹂
﹁一つの流れが分かればいいのですが﹂
ミリアが出てくるが、巫女のジョブは取得していない。
ロクサーヌは自分が分かったからといって無茶振りしすぎだ。
﹁ミリア、魚を取るとき、人の姿があると魚は逃げるだろう﹂
﹁はい、です﹂
2166
﹁魚に逃げられないように、存在感を消すんだ。そのためには、滝
に打たれて、滝と一つになる。滝に溶け込んだとき、魚が逃げなく
なる﹂
﹁分かった、です﹂
俺も無茶を言って送り出す。
アドバイスできるとしたらこのくらいだ。
ミリアは、今度は割と長い時間滝に打たれてから、出てきた。
巫女のジョブも取得している。
﹁よし。ミリアもよくやった﹂
﹁魚、獲れる、です﹂
やはり魚をえさにしないと駄目なのか。
﹁これで全員ジョブを得られたな。よくやった﹂
セリーを呼び戻してから、全員に告げた。
﹁ありがとうございます﹂
﹁今回は取得できてよかったです﹂
﹁獲った、です﹂
﹁よかったと思います﹂
セリーが巫女のジョブを得たのは今回ではないが、いいだろう。
水に濡れた白装束の美女が四人並ぶと壮観だ。
セリーの服はやや乾いているとはいえ。
眼福眼福。
﹁今後も通常は今までどおり俺が回復役を務める。ただし、これか
2167
ら迷宮の上の階層に進んでいけば、戦闘が激しくなって俺だけでは
回復が厳しくなる事態も考えられる。そのときに備えて、みんなに
も巫女を経験してもらうことがあるかもしれない。回復役が複数い
れば安心だしな﹂
﹁はい。やってみたいです﹂
ロクサーヌはやはり前向きだ。
ロクサーヌを巫女にしてもいいだろう。
﹁元々巫女になろうとしたこともあったので、巫女のジョブは魅力
です。ただ、次の装備品を作っていくことを考えると、鍛冶師の経
験も積んでおきたいのですが﹂
﹁セリーは鍛冶師、ミリアは暗殺者のジョブをメインでいくつもり
だ﹂
﹁はい﹂
﹁やる、です﹂
そのやるは暗殺者をやるでいいのだろうか。
伝わっているのかどうか微妙に不安だ。
﹁私なら巫女でもいいと思います﹂
﹁ベスタの場合も二刀流との兼ね合いがあるからな。今のところは
竜騎士をメインで行こうと考えている﹂
﹁はい﹂
やはり巫女にするならロクサーヌか。
現状Lv10くらいまでならあっという間に育つ。
いろいろと試してみればいいだろう。
﹁よし。ではいったん家に帰るか﹂
2168
家に帰ることにする。
このまま川遊びをしても面白そうだが、ヘリコバクター・ピロリ
とかいるかもしれないし。
それに他の理由もある。
﹁この衣装も一回だけではもったいないですね﹂
﹁うまく乾いたら、寝間着として使えるだろう﹂
﹁そうですね﹂
ロクサーヌと話しながら、滝の裏に入った。
全員が荷物を持ったのを確認し、ワープで家に帰る。
家に帰った後、神官を試さずに色魔を役立てたのは当然といえよ
う。
我慢にも限度というものがある。
その後、短い時間だが迷宮に入った。
神官も試してみる。
僧侶をはずして神官をつけたが、出番はなかった。
時間が短すぎたか。
翌朝になって、初めて神官のスキルを使った。
シザーリザードに全体攻撃魔法を撃たれたので、全体手当てを使
ってみる。
﹁ちゃんと回復できているか?﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
魔物を倒した後で確認した。
ちゃんと全員回復できているようだ。
2169
全体手当ては攻撃魔法の合間に一度で全員を回復できるから、便
利は便利だな。
大体の感覚でしか分からないが、回復量は僧侶の手当てより少な
めといったところか。
あるいは変わらないか。
神官はまだレベルが低いから、その関係もあるのかもしれない。
MP使用量は、多い。
それはしょうがない。
回復量がそれほど違わないのにパーティーメンバー全員を一度に
回復できて消費MPまで変わらないとなったら、僧侶を選択する人
はいなくなる。
MP効率が下がるのはやむをえない。
その後も、朝食や休憩をはさんで夕方までシザーリザードの相手
をした。
一日迷宮に入ると、やはり何回かは全体攻撃魔法を浴びてしまう。
特に、魔物がたくさんいてシザーリザードが後列に回った場合が
厄介だ。
向こうも魔法を使わなければこちらを攻撃できないし、セリーの
槍も届かないのでしょうがない。
しかし、連発されても全体手当てがあれば安心だ。
二十三階層ではほぼ何の懸念もない。
上の階層へ行っても大丈夫だろう。
﹁ご主人様、ルーク氏から伝言です。芋虫のモンスターカードを落
札したようです﹂
2170
夕方、食材を買って家に帰ってくると、ルークからのメモが残っ
ていた。
芋虫のモンスターカードを落札したらしい。
ひもろぎのイアリングにつければ、デュランダルで戦うときにい
ちいちアクセサリーを取り替える手間が省けるな。
これで現時点で迷宮二十三階層に入ることの懸案がすべて解決さ
れる。
﹁まだ間に合うか。商人ギルドへ行ってくる。みんなは夕食の準備
を頼む﹂
﹁はい。分かりました。いってらっしゃいませ﹂
善は急げだ。
早く手に入れた方がいい。
風呂を入れるために少し早めに帰ってきたこともあり、商人ギル
ドに行くことにした。
ここのところ暑くなったし、遊び人のスキルで楽になったので、
風呂は毎日のように入れている。
昨日は滝に打たれたので見送ったが、お湯でくつろぐのは別物だ
ろう。
商人ギルドでルークを呼び出す。
ルークはすぐにやってきた。
会議室に行き、芋虫のモンスターカードを購入する。
ちゃんと本物のカードだ。
これをひもろぎのイアリングに融合させると、身代わりのミサン
ガの予備が二つになる。
そろそろ十分だろうか。
2171
芋虫のモンスターカードの発注を取り消すべきか。
あるいは予備として一枚くらいはモンスターカードで持っておく
か。
ただ、発注を取り消すとしてもそれは次回でいい。
今回買ったモンスターカードの融合が成功したといえば、理由に
なる。
何度か購入したし、そろそろ成功したと言い出してもいい頃合だ
ろう。
﹁それと、ハルツ公の騎士団から、是非一度顔を出すようにとのこ
とです﹂
ルークがモンスターカードの他にことづけを伝えてきた。
ハルツ公からの呼び出しか。
鏡が減ってきたのかもしれない。
﹁分かった。明日にでも行ってみよう﹂
﹁お願いいたします﹂
いずれにしても呼ばれた以上は行かないわけにいかない。
伝言を聞いて、家に帰った。
夕食の後、ひもろぎのイアリングと芋虫のモンスターカードを出
してセリーに渡す。
﹁これを融合してもらえるか﹂
﹁今日手に入れた芋虫のモンスターカードですよね。イアリングで
いいのですか。身代わりのスキルは発動すると装備品が壊れてしま
いますが﹂
2172
身代わりは、発動したときに身代わりになって装備品が壊れるの
で、安いミサンガにつけるのが一般的という話だった。
スキルをつけた装備品を一緒に壊してしまうのはもったいない。
しかし、装備品もたくさんは着けられないから、せっかくの枠を
身代わりのミサンガで費やすのは惜しい。
今まで一度も発動したことはないし、かまわないだろう。
﹁壊れることはしょうがない﹂
﹁そういえばこの前はヤギのモンスターカードをイアリングに融合
しました﹂
﹁それがこれだな﹂
﹁えっ⋮⋮﹂
セリーが固まった。
﹁大丈夫だ﹂
﹁ええっと。融合に失敗すると、せっかくついたスキルも失われて
しまいますが﹂
﹁問題ない﹂
スキルがついているかどうかは鑑定しないと分からないのだから、
わざわざ言わなくてもよかったか。
プレッシャーを与えてしまった。
まあ空きのスキルスロットがあれば、ちゃんと融合できるだろう。
﹁は、はい。では、融合します﹂
何度かなだめると、ようやくセリーがひもろぎのイアリングとモ
ンスターカードを手に持った。
2173
スキル呪文を唱えると、手元が光る。
光が消え、ひもろぎのイアリングが残った。
ひもろぎのイアリング アクセサリー
スキル 知力二倍 身代わり 空き
スキルが二つついても、名称はひもろぎのイアリングで変わらな
いのか。
空きのスキルスロットもちゃんと一つ残っている。
﹁おお。できているじゃないか。さすがセリーだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
空きのスキルスロットが複数あれば、やはり複数のスキルをつけ
ることができるらしい。
セリーにはこれからさらに活躍の場が広がるだろう。
2174
巫女
翌日、朝食の後でボーデの城にワープした。
アルバとひもろぎのイアリングはちゃんとはずしている。
聖槍もアイテムボックスの中だ。
冒険者向きでない装備は駄目だし、豪華な装備を着けることもな
い。
﹁団長らは奥にいます﹂
ロビーに出ると受付の騎士団員が手で指し示した。
相変わらず勝手に行けということらしい。
奥に進み、執務室のドアをノックする。
﹁入れ﹂
﹁ミチオです﹂
﹁おお。ミチオ殿か。よく来られた。ゴスラーもおっつけ参るだろ
う﹂
﹁はい﹂
中に入った。
公爵が一人で執務机のイスに座っている。
今日はゴスラーはいないらしい。
緩衝役のゴスラーがいないのは嫌なのだが。
﹁ゴスラーが来る前にこちらの用件もすませておこう。一度ミチオ
殿のパーティーを招いて食事をしたいと考えておるが、いかがか﹂
2175
あちゃ。
そういえば公爵はロクサーヌに目をつけていた。
まだ諦めてなかったのか。
﹁あー﹂
﹁ゴスラーが褒めていたパーティーメンバーにも会ってみたいしな﹂
あちゃあ。
完全にロックオンされているようだ。
もう逃げられないじゃないですか、やだー。
阿茶の局も茶阿の局も徳川家康の側室だが、ロクサーヌを差し出
すわけにはいかない。
﹁食事の作法など分かりませんが﹂
﹁作法など謁見の場でなければ問題にならぬ﹂
逆にいえば謁見の場では問題と。
﹁パーティーメンバーは奴隷ですが﹂
﹁かまわぬ。当家でも奴隷は抱えておるしな﹂
問題にならないのか。
公爵と奴隷が一緒に食事をしていいのだろうか。
当の公爵がいいと言うのだからしょうがないが。
﹁さようですか﹂
﹁ミチオ殿にはいろいろと世話になっておる。パーティーメンバー
を招いて食事するくらいは当然のことだろう﹂
﹁はあ﹂
2176
正論といえば正論だ。
断りにくい。
助けて、ゴスラえもん。
﹁今宵の夕餉などはいかがか﹂
早すぎだろう。
相変わらずせっかちだ。
﹁準備などもあるので﹂
﹁そのまま普段着で来てもらえば問題ない。何の準備もいらぬ﹂
﹁そうは申しましても﹂
﹁では、明日、は会食の予定があるので無理だが、明後日ではどう
じゃ﹂
二日延ばすことに成功した。
先送りだ。
先送りしていいことがあるかどうかは分からないが。
悪くなることはないだろう。
ポックリ逝くとか。
公爵も迷宮に入るので可能性はある。
俺の方が危なそうだ。
﹁ええっと﹂
﹁いや、明後日ではカシアの予定がどうだったか。確か伯爵夫人と
の会食が。それは三日後だったか。うむ。明後日なら問題ない﹂
公爵がつぶやく。
2177
カシアも食事に参加するのか。
こっちは五人だから向こうも公爵一人ということはないのだろう。
夫婦でもてなすものかもしれない。
カシアと一緒に食事するのなら断ることはない。
むしろ一緒に食事したい。
食事するくらいなら問題はないし、なんとかなるはずだ。
正妻の前でロクサーヌを求めたりはしないだろう。
﹁それほどまでに誘われるのであれば﹂
﹁受けてくれるか﹂
﹁失礼します﹂
食事の誘いを受けると、ドアが開いてゴスラーが入ってきた。
遅いよ。
公爵の無理難題は聞いた後だ。
﹁ゴスラー。ミチオ殿が食事の招待を受けてくださった。明後日の
夕方じゃ﹂
﹁⋮⋮お忘れですか。明後日は私が帝都に参ります﹂
﹁おお。そうだった。余としたことが。三日後ではカシアに予定が
あるし、その次は余の都合が悪いし。ミチオ殿、やはり今日の夕食
では﹂
公爵の無理難題は終わってなかった。
明後日はゴスラーに用があるらしい。
ゴスラーも食事に参加するようだ。
いてくれた方がいい。
﹁それなら何日か後でも﹂
2178
﹁しかし﹂
﹁私の予定の方をなんとかしましょう。向こうには無理を言います
が、明日でも大丈夫でしょう。私は明日帝都に参ります。ミチオ殿
との食事は明後日で問題ありません﹂
ゴスラーが妥協する。
今回もゴスラーに試練が与えられたようだ。
やはり苦労人だ。
君はいい友人だったが、君の甥っ子がいけないのだよ。
﹁そうか。悪いな﹂
軽いな、公爵。
﹁申し訳なく﹂
一応俺も頭を下げておこう。
俺は全然悪くないと思うが。
﹁いえいえ。ミチオ殿はお気になさらず。たいした用件でもありま
せんので﹂
﹁ではミチオ殿、明後日の夕食ということで頼む﹂
﹁分かりました﹂
﹁それではミチオ殿、あちらの席へ﹂
﹁はい﹂
ゴスラーに促されて、客用のソファーに座った。
ゴスラーも対面に座る。
﹁実はペルマスクの鏡のことなのですが、領内ではやはり入手が難
2179
しいのか、贈り物として相当の好評を得ております。また領内の特
産品であるタルエムの枠で飾るため、領外からの評価も上々です﹂
﹁それはよかった﹂
﹁売ってくれないかという話もいくつかきております。当家として
はあくまで贈答用と考えているのですが、断るのが難しい相手もお
りまして﹂
そんな相手がいるのか。
公爵家といえど大変らしい。
まあ無下にはしにくい手合いというのはどこにでもいるのだろう。
﹁なるほど﹂
﹁販売を行うとなれば、数も増えますし、確かな仕入れルートを確
保しなければなりません。緊急に入手したい場合も出てくるでしょ
う。そこで相談なのですが、当家でも独自に冒険者を用意してペル
マスクまで行けるようにしたいと考えております。冒険者を何人か
そろえれば、おそらくはペルマスクまで行くことも可能でしょう﹂
﹁できるだろうな﹂
ゴスラーも律儀だ。
俺に黙ってやっても分からないだろうに。
筋は通しておこうということか。
﹁返事は今すぐでなくても結構です。許可してくださるかどうか、
明後日参られたときにでもお教えください﹂
﹁明後日でいいのか﹂
﹁ミチオ殿には世話になっておきながら申し訳ないと思っています。
明後日はパーティーメンバーにも持たせて何枚でもペルマスクの鏡
をお持ちください。すべて引き取らせていただきます﹂
2180
俺から鏡を買うのはそれで最後ということか。
公爵家が自分たちで調達できるようになれば、俺は邪魔でしかな
い。
わざわざ高い金を出して俺から買う必要はない。
公爵家としても体面がある。
本格的に鏡を扱うとなれば、どこの馬の骨とも分からない冒険者
から仕入れている、では話にならない。
俺の方もいちいち呼び出されたのでは困るし。
鏡の行商も終わりか。
別にそれで困るわけでもなし。
かまわないといえばかまわないだろう。
話を聞き、ボーデの城を辞した。
家に帰って、セリーに少し鍛冶をさせる。
ロクサーヌは洗濯、ミリアは朝食の後片づけ、ベスタは掃除中だ。
﹁ロクサーヌ、家事は大変じゃないか﹂
洗濯物を干すロクサーヌに尋ねた。
この問題は今はっきりさせておいた方がいい。
﹁いえ、大丈夫です﹂
﹁俺たちが迷宮に入っている間に家事をやってくれる人を雇うこと
も考えているが﹂
人を雇うといっても、要は奴隷を増やすということになる。
家事をやってくれる美人の奴隷だ。
綺麗なメイドを雇えるならそうしてもいい。
2181
それはロクサーヌも分かっているだろう。
これからもどんどん奴隷を増やすなら、金を稼ぐ手立てはたくさ
んあった方がいい。
公爵のところに鏡を売れなくなるなら、他を考える必要がある。
あるいは今までどおり続けさせてくれとゴスラーに頼み込むこと
もできる。
奴隷をあまり増やさないなら、鏡の仕事はなくなってもいい。
迷宮からの収益も増えてきているので、問題はない。
ここのところはギルドでアイテムを売却するとき三割アップと併
せて金貨が手に入ることもある。
白金貨も手つかずで残っているし。
﹁いいえ。本当に大丈夫です。分担すれば手間ではありません﹂
﹁そうか﹂
﹁ご主人様に迷惑をかけるようなことはいたしません。私たちです
べてきっちりとこなします﹂
思いっきり拒絶されてしまった。
ロクサーヌにそのつもりはないということだ。
際限なく奴隷を増やすことは駄目らしい。
俺としても、無理にというほどではない。
パーティーメンバーは六人まで。
ここまではロクサーヌにもいやはないはずだ。
残る枠はあと一つか。
慎重に使うべきだろう。
﹁セリーはどう思う﹂
2182
﹁現状で困っていないのですから、人を雇う必要はないでしょう﹂
冷徹に反論されてしまった。
つまり困っているのなら雇ってもよいと。
﹁ミリアはどうだ。迷宮に入っている間に食事を作ってくれる人を
雇えば、美味しい魚料理が﹂
﹁私が作る、です﹂
ミリアにも拒否された。
魚をえさにしても駄目とは。
﹁ベスタは?﹂
﹁雇わなくても大丈夫だと思います﹂
こいつはこういうやつだ。
全員が反対なら、それを押し切ってまでというつもりはない。
これからは俺が指を使ってホコリが残っているかどうかチェック
するのか。
そして、ロクサーヌさん、掃除ができてませんわよ、と。
掃除ができないなら新しいお手伝いさんをと。
そうやって奴隷を増やしていくのか。
胸が熱くなるな。
洗濯と掃除が終わるのを待って、迷宮に入る。
﹁ロクサーヌのジョブを巫女にしようと思う。ロクサーヌのことだ
から心配はしていないが、最初は少し慎重に動いてくれ﹂
2183
迷宮に入るとすぐ、ロクサーヌのジョブを巫女に変更した。
ミリアの暗殺者はLv29だ。
Lv30になってからと思っていたが、そうもいっていられない。
最後のチャンスかもしれないし、ペルマスクには行っておくべき
だろう。
ワープの消費MPは、移動人数なのか搬送重量なのか扉を開けて
いる時間なのかによって、増加する。
前回ペルマスクへ行ったときにはミリアが増えて大変だった。
ベスタがいる今回はおそらくもっと切迫した事態になる。
レベルは上に行くほど上がりにくくなっているので、前回と今回
でそれほど上がっていないはずだ。
俺のMP量は多分そんなに増えていない。
その増えていないMP量でベスタまで運ぶことになる。
できることからやっておくべきだろう。
とりあえずできることとしては、ロクサーヌのジョブを巫女にす
ることがある。
巫女の効果にはMP小上昇がある。
効果はパーティーメンバーにも及ぶから、俺のMPが少しは増え
る。
他のメンバーも巫女にしたいくらいだが、全員を巫女Lv1にす
るとパーティーが弱体化してしまう。
ジョブ効果の効力はレベル依存で上がっていくから、ワープする
ときだけ低いレベルでつけてもしょうがない。
今ロクサーヌのジョブを巫女Lv1にしておければ、一日二日で
Lv20以上まですぐに上がるだろう。
2184
後は、遊び人の効果をMP中上昇に設定するのもありだ。
それで俺自身のMPもちゃんと増える。
設定するのは行く直前でいい。
問題になるのは、鏡を持ち帰るため途中の迷宮で回復できない帰
りだ。
﹁巫女ですか。ありがとうございます﹂
ロクサーヌは巫女にやる気を出している。
いいことだろう。
俺に錬金術師のジョブをつけたし、ロクサーヌにメッキをかけた。
巫女は取得したばかりでLv1なので、何かあってはいけない。
はふり まじな
﹁一応、全体手当ての呪文を教えておく﹂
﹁はい﹂
﹁あやまちあらば安らけく、巫女の祝の呪いの﹂
﹁えっと。あやまちあらば安らけく、巫女の祝の呪いの﹂
神官も巫女もスキルは同じだから、スキル呪文も同じだろう。
詠唱省略をはずして念ずれば全体手当てのスキル呪文は頭に浮か
んでくる。
それをロクサーヌに教えた。
ロクサーヌの頭にも同様に浮かんでくるはずだが。
そこはブラヒム語を何故か自在に使いこなせる俺の出番だ。
﹁戦闘中に使うのは難しいかもしれないが﹂
﹁そうですね。回避しながらでは難しいかもしれません。試してみ
ます﹂
2185
俺なんかは走りながら念じるだけでも困難を感じるからな。
ただ、魔物を前にしてもラッシュやオーバーホエルミングは使え
る。
スキルによって使いやすさに多少の違いはあるのかもしれない。
使えるかどうかは試してもらうしかないだろう。
シザーリザード二匹が現れた。
最初は慎重にと言ったのをちゃんと聞いてもらえたらしい。
四人が走り出す。
﹁最初だからミリアとベスタで相手を頼む﹂
﹁いえ、大丈夫です﹂
断られた。
ロクサーヌが先頭で突っ込んでいく。
﹁ええっと﹂
﹁ベスタはそっちを頼みます﹂
﹁分かりました﹂
前衛陣は俺よりロクサーヌの支配下にあるようだ。
ロクサーヌとベスタがシザーリザードの正面に立った。
ミリアは横から硬直のエストックを打ち込んでいく。
﹁あやまちあらば⋮⋮﹂
ロクサーヌがスキル呪文を途中まで口にした。
そこへシザーリザードがはさみを振り下ろす。
ロクサーヌは呪文を中断し、魔物の攻撃を避けた。
回避しながらの詠唱はやはり難しいらしい。
2186
﹁安らけくです﹂
﹁ありがとう、セリー。あやまちあらば安らけく、巫女の祝の呪い
の﹂
分からなかったのか。
攻撃を回避するために中断したのではないらしい。
ロクサーヌがスキル呪文を口にする。
シザーリザードの次の攻撃を軽くかわしながら。
﹁やった、です﹂
ロクサーヌの前のシザーリザードが石化した。
残った一匹を全員で囲み、始末する。
﹁魔物相手に戦っているときでも全体手当てが使えそうです。少な
くとも一匹が相手なら問題ありません﹂
﹁それは何よりだ﹂
﹁巫女のジョブを得るときに滝行をしました。それもよかったので
しょう﹂
セリーが口をはさんできた。
なるほど。
巫女のジョブを持っているということは、ある程度精神統一がで
きるということだ。
うまくできている。
﹁魔物の攻撃全体を一つの流れとして捉えれば、何匹を相手にして
いても大丈夫かもしれません﹂
2187
さすがにそれは無理だと思うが。
少なくとも普通の人には。
ロクサーヌは変な能力に目覚めてしまったのかもしれない。
2188
全体手当て
次にロクサーヌが案内したところには、シザーリザード二匹、マ
ーブリーム二匹、ロートルトロール一匹の団体がいた。
最初は慎重に、と言ったら、本当に最初だけなのな。
二回めからはおかまいなしか。
あるいは、最初にシザーリザード二匹が相手だったのも偶然だっ
たのかもしれない。
四人が走り出す。
サンドストームを二回念じてから俺も続いた。
俺も神官のジョブを得るくらいには精神統一の修行を行ったはず
だが、魔法が撃ちやすくなった感じはない。
魔物の攻撃を避けながら呪文を詠唱するなどできる気がしない。
走りながら念じるだけでも難しい。
立ち止まっては魔法を念じ、駆け出す。
前衛の三人が魔物と対した。
セリーがその後ろに控える。
シザーリザードは二匹とも前に出てきているので、これで全体攻
撃魔法を撃たれる可能性はかなり小さくなった。
キャンセルが間に合わずに発動されることも少しは考えられるが、
連発される恐れはまずない。
シザーリザードが二匹だけというのもよかったのだろう。
シザーリザードが五匹いたらセリーの槍の射程圏内に入る前に全
2189
体攻撃魔法を使われていたかもしれない。
しかも、五匹いれば何匹かは後ろに回る。
二列めに回られればかなりの確率で全体攻撃魔法を放ってくる。
シザーリザードが後ろからこちらを攻撃するには魔法を使うしか
ないし。
そう考えると、一つ二つ階層を上がるだけで結構大変になるな。
二十三階層の場合、全体攻撃魔法を使ってくるのはシザーリザー
ドだけだ。
二十二階層の魔物のマーブリームや二十一階層の魔物のロートル
トロールもかなり出てくる。
二十四階層へ上がれば二十四階層の魔物とシザーリザードが全体
攻撃魔法を撃ってくることになる。
二十五階層へ行けば二十五階層の魔物と二十四階層の魔物に加え
てシザーリザードが全体攻撃魔法を使う。
かなり全体攻撃魔法を浴びることを覚悟しなければならない。
上に進むのは大変そうだ。
いっそのこと、二十三階層で探索をストップするのも手か。
別にどうしても上の階層に行かなければいけない理由があるので
もない。
お金に関しても、二十三階層で結構稼げる。
奴隷を次々に買い替えていくようなことでもしなければ十分だ。
強さに関しても、ロクサーヌに因縁を吹っかけてきた相手を倒せ
るほどにはすでに強くなった。
二十三階層でLv50までは問題ないだろうから、冒険者のジョ
ブもそのうち獲得できる。
二十三階層のままで困ることはないだろう。
2190
大体、なんで俺は上の階層に進もうとしているのか。
そこに山があるから、というのは確かに名言だ。
真実を含んでいる。
今俺が上の階層に行こうとしているのは、そこに迷宮があるから
だ。
好奇心や向上心とは少し異なる、そこにあるのだから行ってみた
いという気持ちが、俺を迷宮探索に向かわせている。
しかし上の階層が大変なら上がっていくのをやめてもいい。
行かなければいけない理由があるのではない。
何も問題がないのなら上の階層に進んだ方がいいことは事実だ。
単純に上の階層の方がより金を稼げる。
上の階層の方がより強く、より早く強くなれることも依然として
真実である。
チャンスがあるなら上がっていった方がいいだろう。
それでも、慎重に進んだ方がいい。
無理をする必要はない。
上の階層に行けばリスクは確実に増大する。
現階層で余裕を持って戦えているかどうか冷静に判断してから、
上の階層に進むべきだろう。
ロクサーヌが先頭で突っ込み、シザーリザードの正面に立ちはだ
かった。
もう一匹のシザーリザードの前にミリアが張りつく。
ベスタはロートルトロールの相手をするらしい。
巫女Lv1のロクサーヌはともかく、ミリアがシザーリザードの
2191
相手をするのは妥当な判断だ。
使用する魔法属性の関係でロートルトロールも最後まで残るが、
ロートルトロールよりシザーリザードの方が攻撃力がある。
強い魔物から石化していってもらった方がいい。
トカゲのはさみが振り下ろされた。
ロクサーヌが軽くかわしながら、マーブリームをレイピアで突く。
前列に来たマーブリームまで引き受けるつもりなのか。
シザーリザードとマーブリームがほぼ同時にロクサーヌに攻撃を
しかけた。
ロクサーヌが二匹の攻撃を器用に回避する。
あそこまで完璧だと文句も言えない。
﹁やった、です﹂
ミリアの前のシザーリザードが石化した。
これで前列は一対一だ。
と思ったのに、ミリアは石化したシザーリザードの横を抜けて前
に進む。
二列めのマーブリームを攻撃するらしい。
﹁来ます﹂
そのマーブリームの足元に魔法陣が浮かんだ。
マーブリームなら全体攻撃魔法はない。
とりあえずロクサーヌの後ろからは離れる。
ロクサーヌの後ろは危険だ。
マーブリームが水を吐いた。
2192
水は、ロクサーヌの方へは行かず、ミリアを襲う。
攻撃するために近づきすぎたようだ。
近すぎて避けることができず、ミリアが水を浴びた。
﹁大丈夫か?﹂
﹁はい﹂
一応声をかけるが、大丈夫そうか。
マーブリームの魔法の一発くらい、今のミリアなら問題ないだろ
う。
﹁私が全体手当てを使ってもいいですか﹂
ロクサーヌが聞いてきた。
﹁そうだな。試しに使ってみろ﹂
﹁はい。あやまちあらば安らけく、巫女の祝の呪いの、全体手当て﹂
ロクサーヌがあっさりと全体手当てを使う。
ロクサーヌはシザーリザードとマーブリームの攻撃を回避しなが
ら、呪文を唱えた。
二匹に攻撃されても全然問題ないらしい。
ダメージを受けたのはミリアしかいないから全体手当ては無駄が
多いが、あくまでテストだ。
ロクサーヌの全体手当ては一回だけにさせて、まずマーブリーム
を倒す。
続いて石化したシザーリザード。
シザーリザードとロートルトロールが最後に煙になった。
2193
﹁魔物二匹が相手でも大丈夫そうだな﹂
﹁そうですね。魔物の攻撃を一つの流れとして捉えれば、問題あり
ません。私に才能があれば、もっと簡単なのですが﹂
ロクサーヌが答える。
MPの方が大丈夫ではないようだ。
さすがに巫女Lv1ではなんとか使えるというレベルだったか。
魔物を倒して、ロクサーヌは巫女Lv2になっている。
それでもレベルが上がったときにMPが回復したりはしないはず
だ。
俺のときはずっとそうだった。
﹁最初は大変かもしれないが、ロクサーヌなら慣れてくれば大丈夫
だ﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
ロクサーヌに才能がないというのなら才能のあるやつは誰もいな
い。
というか、変な能力に目覚めてしまったようだし。
﹁MPの方は大丈夫か?﹂
﹁スキルを使う魔力のことですよね。少しきついかもしれません﹂
﹁回復職はMPの管理が一番重要な仕事になる。いざというときに
使えませんでは困るからな。全体手当ては、無理のない範囲で使っ
ていってくれ﹂
﹁分かりました﹂
とりあえずロクサーヌには強壮丸を一つ飲ませた。
俺は僧侶をつけてミリアに手当てをかける。
2194
ミリアを回復して、探索を再開した。
ロクサーヌの巫女のレベルは、すぐに上がっていった。
順調だ。
魔物との戦闘のたびに、とはいわないが、それに近い感じがある。
ロクサーヌが巫女Lv5になったとき、俺の錬金術師をはずした。
メッキももういらないだろう。
元々あまり心配はしていなかったが、ここまでロクサーヌは攻撃
を受けていない。
やはりロクサーヌに懸念は不要のようだ。
全体攻撃魔法もなかなか喰らわなかった。
運がよかったのか、ミリアの石化のおかげか。
ミリアも暗殺者Lv30になって、石化の発動が増えてきた。
一つの戦闘で一匹は石化している。
ミリアはたいがいシザーリザードを相手にするので、石化するの
もシザーリザードだ。
石化してしまえば全体攻撃魔法は撃てない。
ミリア自身はきっとマーブリームの相手がしたいのではないかと
思う。
文句も言わずトカゲと戦ってくれているのはありがたいことだ。
シザーリザードとマーブリームでは一段強さが違うので、石化す
るならシザーリザードの方がいい。
もっとも、相手をしたいと本当に思っているかどうかは分からな
い。
2195
マーブリームのいる階層には入りたがったが。
あれは単にドロップアイテムが目当てだったかもしれない。
そう考える方が順当そうだ。
夕方まで探索を行った。
少し早めに切り上げ、風呂を入れる。
全員で風呂に入り出てくると、ロクサーヌたちはいつものキャミ
ソールではなく白装束を着だした。
滝行で使った衣装だ。
﹁白装束か﹂
﹁はい。うまく乾いてくれましたので、寝間着として使ってみよう
かと思います﹂
型崩れしたりシミができたりすることなく、乾いたようだ。
寝間着として再利用してくれるならそれにこしたことはない。
結構高かったし。
もったいない。
とはいえ、薄暗い寝室で使われても微妙かもしれない。
透けるわけでもないし。
肌触りなら絹のネグリジェも一緒だろう。
そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
白装束はいい。
素晴らしくいい。
寝間着としていい。
いい。
2196
いい。
これはいい。
前合わせの服の懐からそっと手を差し入れる。
この征服感。
この背徳感。
ひっそりと閉じられた白い衣装をはだけさせる。
この悩ましさ。
このしどけなさ。
薄地の絹の下で自在に手を泳ぎまわらせる。
このなめらかさ。
この柔らかさ。
絹の下でありえないほどの重量感をこの手に。
果実をこの手に。
丘をこの手に。
山をこの手につかむ。
今なら色魔も必要ない。
戦え。
戦うのだ。
獣だ。
おまえは獣になるのだ。
立て。
立つんだ。
白く燃え尽きるまで。
2197
昼になってきつく暑くなったころ、白き灰がちの体でボーデに赴
いた。
もちろん今夜も戦う所存だ。
ボーデでは城ではなく冒険者ギルドに出て、コハク商の事務所に
入る。
﹁いらっしゃいませ﹂
中に進むと、ネコミミのおっさん商人が迎えた。
おっさんも元気でいるらしい。
鏡の仕事がなくなると、コハクの方も店じまいにせざるをえない
な。
ペルマスクへは、セリーにうまく言っておいてもらおう。
﹁コハクの原石をまた融通してもらえるか﹂
﹁はい。すぐにご用意できます﹂
﹁それと、彼女に合うコハクのネックレスがあったらほしい﹂
﹁かしこまりました﹂
ベスタを横に立たせると、おっさん商人は頭を下げて奥に入って
いく。
﹁ネックレス、ですか?﹂
﹁ベスタもパーティーの中でよくやってくれるからな。褒美だ。ロ
クサーヌたちもみんな持っている﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
普段着でいいと言っていたが、ハルツ公の夕食会に出るのならネ
2198
ックレスくらいはしてもいいだろう。
ベスタだけなしというわけにもいかない。
奥に進んでイスに座った。
おっさん商人が出てくる。
﹁コハクの原石は八個ほどございます﹂
﹁全部もらおう﹂
﹁それと、そちらのお客様に合うネックレスですが、このようなも
のはいかがでございしょう﹂
商人がコハクのネックレスを出してきた。
粒の大きいコハクが数珠繋ぎになったネックレスだ。
かなりよさそうな品には見える。
﹁悪くなさそうだな﹂
﹁綺麗です﹂
ロクサーヌも認めている。
﹁大粒のコハクがそろった出来のよいネックレスでございます。色
合いは、コハクとしてはやや薄い面もございますが、こちらのお客
様にはかえってお似合いになられるかと﹂
淡い小麦色のベスタの肌にはこのくらいのコハクがいいのか。
そういうものかもしれない。
﹁そうだな﹂
﹁はい。綺麗ですね﹂
﹁ええっと﹂
2199
ネックレスをベスタに近づけた。
ベスタの肌とちょうど同じくらいの濃さか。
それもまた映えるだろう。
ロクサーヌもうなずいた。
﹁こちらといたしましても手放すのが惜しいくらいの品物ですが、
特別のお客様でございますので。五万ナールでいかがでしょう﹂
コハク商なのに手放すが惜しいも何もないもんだ。
まあ悪い品ではないのだろう。
問題は値段か。
五万ナールだとロクサーヌのネックレスと同額だ。
﹁綺麗でいいネックレスです﹂
﹁似合っていると思います﹂
﹁きれい、です﹂
三人とも気にした様子はないようか。
三人が文句を言わなければ問題はない。
﹁ベスタはこれでいいか?﹂
﹁よろしいのでしょうか。かなり高いものですが﹂
﹁大丈夫だ。じゃあこのネックレスにしよう﹂
﹁は、はい。ありがとうございます﹂
ネックレスを一度商人に戻す。
おっさんがネックレスをタルエムの小箱に入れた。
三割引で原石とネックレスを購入する。
﹁一度家に帰るが、それまでベスタが持て﹂
2200
﹁はい﹂
小箱はベスタに渡した。
原石は俺が持つ。
﹁ペルマスクに行かれるのでしたら私が持ちますが﹂
﹁いや。行くのは明日だ﹂
セリーに持たせてもいいが、俺のリュックサックに入れた。
ペルマスクへ行くのは明日にする予定だ。
それまでロクサーヌの巫女のレベルを上げておきたい。
ぎりぎりまで上げるのがいいだろう。
2201
二十四階層
翌朝、ハルバー二十三階層のボス部屋に到達した。
迷宮というのは上の階層に行くほど広くなるらしい。
二十三階層からは魔物が強くなるだけでなく面積も広がっており、
ボス部屋を見つけるのにやや時間がかかってしまった。
ハルバーの二十三階層は出てくる魔物の多くが土魔法を弱点とす
る。
探索は順調に進んだはずだ。
これでも早い方だったのかもしれない。
﹁シザーリザードのボスはマザーリザードです。シザーリザード同
様、土魔法が弱点で火魔法に耐性があります。マザーリザードの特
徴は、なんといっても魔物を産み出すことです。魔法でもスキル攻
撃でもないので詠唱中断では防げません。魔物が増えると形勢が一
気に傾きかねないので注意が必要です。また、二十三階層からはボ
スは二匹の魔物を従えて出てきます﹂
セリーからブリーフィングを受ける。
なにやら恐ろしい敵のようだ。
詠唱中断も効かないのか。
まあ確かに、詠唱中断でなんでもかんでも防げたら楽勝すぎる。
﹁ブラックダイヤツナで試したときのように、魔物を引きつける。
詠唱中断が使えないのならそれでいいだろう。初めてなので、ボス
の正面はロクサーヌが頼む﹂
2202
﹁分かりました﹂
本当はマザーリザードにはミリアをぶつけたいところだが。
詠唱中断が効かないとなると、頼みはミリアの石化だ。
しかし初めての敵だし、こちらの最大戦力であるロクサーヌでい
くべきだろう。
ロクサーヌの巫女はLv25まで成長しているので問題はない。
石化だって二十三階層のボスにどこまで通じるか分からないし。
硬直のエストックをロクサーヌに持たせる手もあるが、暗殺者の
スキル構成を考えればミリアが使った方がいい。
こうなるのだったらロクサーヌを暗殺者にしてミリアを巫女にす
べきだったか。
いまさらしょうがないが。
﹁ベスタもこれを﹂
﹁はい﹂
デュランダルを出し、ベスタに渡した。
全員でボス部屋に突入する。
煙が集まり、魔物が三匹出現した。
中央のでかいのがマザーリザード、他の二匹は両方ともマーブリ
ームか。
シザーリザードが出てくる可能性もあったのだからマーブリーム
二匹というのは幸運だ。
いや、人間万事塞翁が馬。
幸運かどうかは分からないか。
弱い相手であることは確かだが油断は禁物だ。
2203
サンドストームを二発放ち、ミリアが相手をするマーブリームに
状態異常耐性ダウンをかける。
マザーリザードはシザーリザードと同じ二足歩行のトカゲだ。
はさみはない。
現れてすぐに土魔法の洗礼を浴び、嫌そうにこっちを睥睨した。
マザーリザードの足元に赤い魔法陣が浮かぶ。
げ。
魔法だ。
引きつける作戦なので仕方がない。
出現と同時に動いていたら間にあったかもしれないが。
詠唱中断のついた武器を早くそろえるべきか。
しかし詠唱中断があっても、マザーリザードが魔物を産むことは
防げないんだよな。
﹁来ます﹂
火の粉が舞い、体が熱くなった。
胸が苦しくなり、節々が痛みを訴える。
せめて体を縮こまらせて、苦痛に耐えた。
シザーリザードの全体攻撃魔法より威力があるようだ。
さすがボスだけのことはある。
魔法を喰らっている間にマーブリームが接近し、攻撃をしかける。
ミリアが避け、ベスタが弾いた。
よく避けられるもんだ。
2204
マザーリザードもやってきて、ロクサーヌに頭突きを見舞う。
もちろんこれが当たるロクサーヌではない。
通常攻撃なら何の心配もいらない。
﹁やった、です﹂
ミリアが硬直のエストックを突き入れると、マーブリームが石化
した。
早い。
ミリアは石化したマーブリームの横を通ってマザーリザードの後
ろに回る。
俺もマザーリザードに状態異常耐性ダウンをかけた。
﹁あやまちあらば安らけく、巫女の祝の呪いの、全体手当て﹂
ロクサーヌがボスの攻撃を避けつつ全体手当てを唱える。
セリーの射程圏内に入ったので連発されることはないだろうし、
どうしても必要ということはないが、回復してくれるならありがた
い。
MPの管理も含めて、使用の判断はロクサーヌにまかせている。
﹁やった、です﹂
しばらくすると、マザーリザードが石化した。
こちらも早かったな。
暗殺者と状態異常耐性ダウンの相性はかなりいいようだ。
これで動けるのはマーブリーム一匹だ。
四人が魚人を囲む。
2205
マーブリームはすぐに倒れた。
最後はベスタの斬り込みで、横になる。
ベスタの受け持ったマーブリームが石化したマーブリームよりも
早く煙になったのは、デュランダルでも攻撃したおかげだろう。
状態異常耐性ダウンをかけなかったせいか、ミリアが完封するこ
とにはならなかった。
﹁ベスタ、剣をくれ﹂
﹁はい﹂
後は石化した魔物だけなので、ベスタからデュランダルを返して
もらう。
最初にマザーリザードを、次にマーブリームを始末した。
マザーリザードが魔物を産み出すところも見たかったが、無理に
経験することはない。
あ、尾頭付きだ。
﹁尾頭付き、です﹂
﹁明日の夕食だな﹂
﹁はい、です﹂
ミリアが飛びついて持ってくる。
階層を突破した記念にトロとか言い出さなくてよかった。
尾頭付きならアイテムボックスにいっぱいある。
﹁セリー、このまま二十四階層に行って大丈夫だと思うか﹂
﹁もちろんです。問題はないでしょう﹂
一応セリーに確認すると、力強い返事が返ってくる。
セリーの判断でも問題ないのか。
2206
他の三人に対しては、聞くだけ無駄だろう。
﹁ご主人様なら問題のあろうはずがありません﹂
﹁やる、です﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
だからおまえら三人には聞いてないっつの。
まあセリーが反対しないのなら行ってみるべきか。
行って駄目そうなら引き上げるという手もある。
さすがに一階層上がったくらいですぐ全滅にまではならないはず
だ。
いざとなったらアイテムボックスの回復薬を全部使うとかすれば、
乗り切れるだろう。
﹁では二十四階層に行くか﹂
﹁ハルバー二十四階層の魔物はサイクロプスです。弱点は風魔法で、
火魔法に耐性があります。火魔法も使ってきますが、接近戦での威
力の乗った物理攻撃が脅威とされています﹂
セリーが説明した。
弱点は風魔法か。
遊び人のスキルは、初級風魔法にするのがいいだろう。
二十三階層に逃げ戻ってくる可能性もあるとはいえ、万全の体制
で挑んだ方がいい。
遊び人のスキルを取り替えて、二十四階層に足を踏み入れる。
﹁サイクロプスのいるところで、魔物の少ないところに案内してく
れるか﹂
2207
﹁はい。分かりました﹂
﹁くれぐれも最初は慎重にな﹂
ロクサーヌに指示を出した。
﹁こっちの方が近いから右ですね﹂
ロクサーヌが右へと誘導する。
近いからという理由はやめてほしかった。
大丈夫なんだろうか。
今までも最初は慎重にやってくれていたから問題はないだろうが。
しばらく進むと、サイクロプス三匹が現れた。
赤茶けた肌の一つ目の巨人だ。
顔の真ん中にある目がでかい。
あれがサイクロプスか。
四人が走り出し、俺がブリーズストームを二回念じる。
風が吹くと、サイクロプスは立ち止まり、目を閉じた。
しばしそのままの姿勢でたたずむ。
そして目を開けると、きょろきょろと顔を動かして周囲を確認し
た。
あー。確かに分かりやすい弱点だな。
目が大きいのはいいことばかりではないようだ。
そうすると風魔法は二度いっぺんに使わず、時間差を置いて一発
ずつ放った方がいいか。
次からは時間をずらしてブリーズストームを放つ。
遊び人の風魔法と魔法使いの風魔法を交互に。
2208
風が吹くたびにサイクロプスの動きが止まった。
その間に四人が魔物のところにたどり着く。
剣と槍をぶち込んだ。
サイクロプスはベスタより一回り大きい。
やはり巨人だ。
俺もブリーズストームを撃ちながら近づく。
風魔法二発を交互に放つと、サイクロプスにはこちらを攻撃する
余裕がなかなかない。
たまに腕を振り下ろしても、ロクサーヌにかわされてしまう。
﹁やった、です﹂
さらに一匹が撃沈と。
サイクロプス三匹を倒した。
煙が消えると金属の塊が残る。
銅だ。
三匹なら問題なしか。
あるいは問題か。
ドロップアイテムは魔物の体の一部が残ったものだ。
体の一部が金属でできているのは反則という気がしないでもない。
﹁銅か。こんなのを剣で斬りつけて大丈夫だったか﹂
﹁はい。問題ありません。サイクロプスが相手でも大丈夫ですね﹂
まあロクサーヌならそう言うだろう。
ミリアの石化もちゃんと発動したしな。
石化はスキルだから少し違うかもしれないが。
2209
﹁サイクロプスと戦えるかどうかは、五匹を相手にしてから判断し
た方がいいと思います。すぐにも戦ってみましょう。銅は装備品の
素材ですね。革よりも数を必要とすることが多く、扱いにくい素材
です。がんばります﹂
セリーがなんか前向きだ。
開眼したのだろうか。
あるいはどうにでもなれと開き直ったのかもしれないが。
﹁サイクロプス五匹ですか﹂
﹁サイクロプスとシザーリザードで五匹のところでもいい﹂
﹁それならこっちです﹂
もう少し様子を見てからという気もするが、様子を見たからどう
だということもないだろう。
やる気ならやる気のあるうちにやった方がいい。
ロクサーヌが案内する。
サイクロプス三匹とシザーリザード二匹の団体が現れた。
﹁さすがだな﹂
そういえば三匹と二匹の組み合わせなら分かりやすいといってい
たか。
四人が駆け出して向かう。
俺もブリーズストームを一度念じてから追いかけた。
﹁来ます﹂
シザーリザードの足元に赤い魔法陣が浮かぶ。
2210
周囲を火の粉が舞った。
火魔法が俺たちを襲う。
やはり五匹だと全体攻撃魔法を受けることも増えるか。
ロクサーヌが立ち止まり、全体手当てを使った。
走りながらと魔物の攻撃を回避しながらでは難易度が違うらしい。
魔物の攻撃をかわしながらなら使えても、走りながらの全体手当
ては難しいようだ。
ミリアとベスタが替わって先頭に立ち、魔物に向かっていく。
シザーリザードの前にベスタが立ちふさがった。
全体攻撃魔法を使ったシザーリザードはまだ後ろ。
風魔法のたびに立ち止まるサイクロプスはさらにその後ろだ。
魔物はかなりばらけたな。
とはいえ、こちらが散開する手はない。
詠唱中断のスキルがついた武器を持っているのはセリーだけだ。
ベスタとミリア、セリーがシザーリザードを囲むように相手をす
る。
少し遅れて到着したロクサーヌは、同様に遅れてやってきたシザ
ーリザードの前に立った。
﹁やった、です﹂
﹁来ます﹂
シザーリザードが石化すると同時に、後ろのサイクロプスの足元
に魔法陣ができる。
サイクロプスは風魔法で行動を阻害できていいが、他の魔物と同
時に出てきたときは厄介だな。
2211
シザーリザードと一緒に行動していればセリーの槍が届いたのに。
折りよくブリーズストームを発動させるが、魔法陣は消えない。
キャンセルの機能はないようだ。
サイクロプスが火を吐いた。
単体攻撃魔法か。
ロクサーヌが難なく回避する。
単体攻撃魔法でロクサーヌを狙ってくれるなら問題ない。
シザーリザードと戦っている間にロクサーヌは先頭の位置に戻っ
ていた。
目を閉じていても、サイクロプスの魔法はちゃんと狙えるらしい。
その方がいい。
狙えない場合、こちらが風魔法を撃つことによってサイクロプス
に全体攻撃魔法を使わせることになりかねない。
弱点を突くことで危険な攻撃を誘発することになったら困る。
サイクロプスがようやく前線に到着した。
前に出てくるのは一匹だけだ。
一匹と、さっき火を吐いた一匹は後ろに回るらしい。
風魔法で一つ目巨人の行動を遅らせると二列めに回られることに
なるのか。
それは結局、全体攻撃魔法を誘発しているのと変わらないな。
ただしこの階層では。
全部の魔物が全体攻撃魔法を放ってくるようになれば、関係はな
い。
後ろに回ったサイクロプスは、倒すまでに一度だけ全体攻撃魔法
2212
を撃ってきた。
二匹で一度だから多くはないだろう。
風魔法による行動の阻害は結構効いているようだ。
﹁やった、です﹂
ロクサーヌが全体手当てをして、サイクロプスが倒れると、ほぼ
同時にミリアが残ったシザーリザードを石化する。
シザーリザードは二匹ともミリアが無力化してくれたことになる。
﹁おお。さすがミリアだ﹂
﹁はい、です﹂
デュランダルを出し、石化した二匹を片づけた。
その間に、ロクサーヌがもう一度全体手当てをしてくれる。
デュランダルのHP吸収があるので俺には必要ないが。
﹁MPは問題ないか﹂
﹁はい。一昨日はあまりたくさん使える気がしませんでしたが、今
はまだまだ何回でも使えそうです。不思議です。慣れたのでしょう
か﹂
一昨日は巫女Lv1から始めたのに、今は巫女Lv25だからな。
たくさん使えるようにはなっただろう。
全体攻撃魔法を浴びてもロクサーヌが回復してくれるし、戦闘が
長引けばミリアの石化がある。
二十四階層でも戦っていけそうだ。
2213
潮時
昼近く、ロクサーヌはさらにレベルが上がって巫女Lv26にな
った。
コハクのネックレスと原石を持ち出してペルマスクに向かう。
夕方まで粘ってもLv27になれるかどうかは分からないし、ぎ
りぎりすぎるのもよくない。
この辺が潮時だろう。
﹁セリー、鏡を四枚頼むな﹂
﹁はい﹂
帝国の一番端にあるザビルの迷宮でMPを回復した後、セリーに
コハクの原石と鏡の購入資金を渡した。
﹁それと、この仕事はなくなるかもしれない。ペルマスクの方へは
うまく言っておいてくれ﹂
﹁なくなるのですか?﹂
﹁まだ詳細まで決まったわけではないが、多分そうなるだろう﹂
﹁分かりました﹂
ザビルで準備を整え、ペルマスクまでワープする。
思ったとおりきつい。
ただし、準備の中には回復薬を口に含んでおくことも含む。
無能な俺なりの工夫だ。
﹁わ。すごい。白くて綺麗な街だと思います﹂
2214
ペルマスクが初めてのベスタは無邪気に喜んでいた。
俺はすぐに薬を飲んで回復を図る。
なんとか大丈夫か。
四人を送り出し、ハルバーの迷宮まで移動した。
一人だし迷宮伝いにMPを回復しながらなので、このワープは問
題ない。
ハルバーの十八階層でフライトラップを倒し、MP回復薬を補充
する。
本当はボスのアニマルトラップから強壮剤を作りたいが、無理は
しない。
十八階層のボス戦では二対一の戦いになる。
ロクサーヌだけでも連れてくれば楽勝だと思うが。
そこまですることもないだろう。
強壮丸だけだがたっぷりと作って、ペルマスクに戻った。
ペルマスクの冒険者ギルドに出て回復薬を飲みながら待っている
と、ロクサーヌたちもすぐにやってくる。
鏡も一人一枚持っていた。
ペルマスクからザビルの迷宮に飛ぶ。
ここは途中の中継地点がないのがつらい。
というか、ザビルがペルマスクへの中継所になるわけで。
﹁親方の奥さんには、次はいつになるか分からないと言っておきま
した。親方の奥さんとしても、あまりコハクのネックレスを広めた
くはないようです。みんなが持っていても困るからでしょう。向こ
うとしてもちょうどよかったと考えているのではないでしょうか﹂
2215
﹁そうか。ありがとな﹂
ペルマスクの方へはセリーがうまく説明してくれたらしい。
さすがセリー。
役立たずな俺には過ぎたパーティーメンバーだ。
コハクのネックレスも誰もが持てば希少価値がなくなる。
すでに持っている親方の奥さんとしても渡りに船だったのだろう。
ハルツ公の冒険者がどういう風に動くのかは分からないが。
ザビルからは、一度にクーラタルまで戻るのでなく、途中に町を
はさんだ。
一気にではなく小刻みに飛べば、MPの減少も少なくてすむ。
薬でMPを回復しつつ、家まで帰った。
別に変な薬ではないので、依存症はない、と思う。
時間はあるので、一度荷物を家に置いて、ハルバーの迷宮に入っ
た。
公爵から何時に来いという話は聞いていない。
夕食を一緒にというだけで。
約束の時間があったとしても時計もないし。
こういうのはいつぐらいに訪ねればいいものなんだろうか。
向こうにも準備があるから、あんまり早く行くのは駄目だという
話は聞いたことがある。
ボーデはクーラタルより北にあるので、日没も遅いかもしれない。
考えるより常識人のセリーに聞くべきか。
﹁今日はハルツ公より夕食の招待を受けている。後で鏡を持って全
員で行こう﹂
2216
探索の途中でロクサーヌたちに話した。
﹁鏡ですか。分かりました﹂
﹁鏡の取引が今回で最後になるみたいだからな。そのお礼というか、
詫びだ﹂
﹁では私たちは適当にすませます﹂
ロクサーヌは勘違いしているようだ。
﹁いや。招待されているのは全員だ﹂
﹁私たちもですか。よろしいのですか?﹂
﹁向こうが来いと言うのだし﹂
というか、公爵の目当てはロクサーヌだし。
﹁ハルツ公というのは、貴族様ですよね﹂
﹁そうだ﹂
﹁貴族でも奴隷を持つことがあるそうです。奴隷と一緒に食事をす
るのは禁忌ではないのかもしれません﹂
ロクサーヌの疑問をセリーが解説してくれる。
さすが常識人。
説明が公爵と一緒だ。
﹁いつぐらいに行ったらいいと思う?﹂
﹁夕方、少し早いくらいの時間がいいと思います。貴族だと、当人
はそれほど忙しくないでしょう﹂
それもそうか。
2217
準備するのはハルツ公爵本人ではなく使用人だ。
セリーの言うことはいちいち説得力があるな。
セリーに相談して正解だ。
﹁分かった。では少し早めに行ってみよう﹂
﹁大丈夫でしょうか﹂
俺もロクサーヌと同様心配は心配だ。
少し違う意味で。
﹁決意と気合があれば大丈夫だろう。気合だ﹂
﹁気合ですか﹂
﹁ロクサーヌは絶対に手放さない﹂
﹁えっと。はい。ありがとうございます﹂
大丈夫だ。
覚悟があれば公爵も無茶は押し通せまい。
恐るるに足らず。
迷宮を出た後、一度冒険者ギルドに寄ってアイテムを売却した。
家に帰って準備する。
鏡とネックレスを用意した。
﹁普段着でいいと言われたが、ネックレスくらいはしてもいいだろ
う﹂
﹁よろしいのでしょうか﹂
﹁はい。問題はないでしょう﹂
常識人のセリーが問題ないというのなら安心だ。
俺もアイテムボックスの中身を全部取り出して準備する。
2218
ひもろぎのイアリングははずして身代わりのミサンガを着けた。
ファーストジョブを遊び人に設定する。
探索者は、結局Lv48までしか育たなかった。
冒険者まであと一歩、いや、あと二歩というところだ。
多分されないとは思うが、インテリジェンスカードのチェックで
もされたら困る。
鏡を持って行くので、ボーデの冒険者ギルドに出るのもつらい。
冒険者ギルドから城まで鏡を持って歩くのは大変だ。
ボーデの城に直接ワープするなら、探索者になっているといって
ごまかすことはできない。
そこで遊び人の出番となる。
遊び人なら、冒険者でないのにフィールドウォークが使えてもな
んら問題がない。
冒険者のジョブを所有している遊び人はフィールドウォークを遊
び人のスキルに設定できるはずだ。
遊び人そのものが知られていないという懸念はあっても、実際で
きるのだからトラブルにはなりにくい。
少なくとも探索者がフィールドウォークを使うよりよっぽどいい。
遊び人なら他にもいろいろ言い訳になる。
魔法が使えても不思議はないし。
もちろん、こちらからばらすつもりはない。
あくまでも保険だ。
何かあったときの保険である。
保険が不要だったら、何も問題が起きなかったことを喜べばいい
のだ。
2219
準備を整えて、ボーデの城にワープした。
四人にはネックレスをさせ、鏡を持たせる。
俺は剣を持たずに出た。
何故持たないのかというと、会食のとき剣をはずす恐れがあるか
らだ。
はずした剣はどうするか。
冒険者なら、アイテムボックスに入れる。
冒険者でない遊び人の俺がアイテムボックスに入れるのはおかし
い。
遊び人の空きスキルはまだ一個から増えていない。
それならば最初から剣を持たないのがいい。
石橋は叩いてから渡る。
念には念を入れ、慎重に行動すべきだ。
リスクコントロールはかくありたい。
﹁すぐに団長を呼んでまいります。少々お待ちください﹂
ボーデの城に着いて勝手に中に入ろうとしたら、止められた。
あれ。
いつもと違う。
会食に招待されたので扱いが違うのだろうか。
いや。今日は俺一人じゃないからか。
知っている人間が連れてきたとはいえ、氏素性の分からない者を
すぐ公爵に会わせるわけにはいかない。
リスクマネジメントの初歩だ。
2220
﹁ミチオ殿、よくみえられました。こちらへおいでください﹂
ゴスラーがやってくる。
さすがに腰の軽い公爵でも今日は出てこないようだ。
騎士団の危機管理もなかなかのものらしい。
公爵は案内された大きな部屋にいた。
他に騎士団員っぽい人も控えている。
綺麗な板張りの何もない部屋だ。
﹁ミチオ殿、よくまいられた﹂
﹁本日はお招きにあずかりまして﹂
﹁よいよい。堅苦しい挨拶は抜きじゃ﹂
﹁は﹂
やはり公爵は公爵か。
﹁彼女らがミチオ殿の?﹂
﹁はい。パーティーメンバーのロクサーヌ、セリー、ミリア、ベス
タです﹂
四人が公爵に向かって頭を下げた。
﹁余がハルツ公爵じゃ﹂
﹁はい。よろしくお願いします﹂
ロクサーヌが代表して挨拶する。
﹁ふむ。ミチオ殿は四人しか連れてこなかったのか﹂
﹁パーティーメンバーなので﹂
2221
﹁親でも兄弟でも知り合いでも連れてくるものじゃ﹂
﹁あー。なるほど﹂
いぶかしんでいる公爵に話すと、公爵がその理由を説明した。
実際に一緒に戦っているパーティーメンバーでなくても六人そろ
えて来ればよかったということか。
せっかくの会食なのだし、普通はそうするのだろう。
一緒に迷宮に入っているメンバーかどうかなんて分からないだろ
うし。
しかし俺には連れてくるような人間がいない。
変なメンバーを連れてきて変な行動でも取られたらたまらない。
﹁やはり遠くの出ということか﹂
公爵がつぶやいた。
何故俺が遠くから来たことを知っているのか、と思ったが、ルー
クか。
あまり変な探りは入れるなとルークの前で俺の出身は遠方だと言
ったのだ。
それが公爵の耳に入ったらしい。
壁に耳あり障子に目あり。
情報が早い。
それで本日の誘いになったと。
公爵には、俺と地元の領主騎士団との関係を匂わせておいた。
変に誘われるのも嫌だったし。
しかし遠くの出身だというのなら、地元とのつながりは怪しい。
ゴタゴタがあって出てきたのなら関係も切れるだろう。
2222
公爵の狙いはロクサーヌではないのかもしれない。
あちらを立てればこちらが立たず。
うまくいかないものだ。
﹁まずは鏡をお渡しください﹂
微妙な空気を読んだのか、ゴスラーが割って入った。
さすがは苦労人。
ゴスラーがいてくれてよかった。
四人が鏡を壁に立てかけて置く。
﹁この四枚だ﹂
﹁確かに。お代は色をつけて後でお渡しします。それと今後のこと
ですが﹂
﹁鏡については、継続させるのも難しいし、潮時だと思っている。
こちらもよい臨時収入になった。いろいろと世話になったな﹂
鏡の行商に関してはあっさりと引き下がっておいた。
ごねたところでいいことがあるとも思えないし。
最終的に権力でも振りかざされたら、公爵に対して勝ち目はない。
別に必要不可欠な利権でもない。
﹁余の騎士団に入って運搬の仕事に携わってくれたら一挙両得なの
じゃが﹂
公爵はそんなことを狙っていたのか。
なんとか続けさせてくれと交渉したら、ではうちに入れと。
俺は鏡の仕事を続けられるし、公爵は自領の正規騎士団員を使っ
て鏡を仕入れることになる。
2223
一石二鳥の解決策だ。
﹁それほどの仕事でもないでしょう﹂
﹁であるか﹂
簡単に引き下がったところを見ると、別に本気でもなさそうだが。
公爵の騎士団に入るというのも、悪い選択ではないかもしれない。
先々まで食いっぱぐれる心配はなくなる。
少なくとも公爵の目の黒いうちは。
ただ、公爵の騎士団にはエルフが多い。
エルフは人間族をあまりよく思っていないという。
公爵や騎士団の上の方にはそういう雰囲気は微塵もないが、下へ
行けば分からない。
正式に騎士団の団員となれば、多くのエルフと交流するだろう。
嫌な目にあうことも出てくるに違いない。
そんな人間関係の苦労をしょいこむことはない。
また、迷宮に入ることは危険を伴う。
騎士団の命令で入ればリスクが増える。
もちろん考慮はしてもらえるだろうが、時には無理な命令もある
かもしれない。
なるべくならフリーハンドでいた方がいい。
自由裁量の余地はできる限り残しておくべきだろう。
それに、戦闘ではいろいろと隠さなければならないことも多いし。
﹁分かりました﹂
2224
ゴスラーもあっさり引き下がった。
﹁して、ゴスラーが立会人を務めたというのは?﹂
﹁確か彼女ですね﹂
やはり公爵の本命はこっちか。
ゴスラーもロクサーヌのことを忘れてないし。
ついに来た。
﹁彼女がロクサーヌです﹂
﹁隙のない身のこなし。さすがに強そうじゃ﹂
改めて公爵にロクサーヌを紹介すると、お褒めの言葉が返ってく
る。
そうなんだろうか。
強いと思って見るから、強く見えるのでは。
ハーロー効果ってやつだ。
﹁はい。見事なかまえです﹂
ゴスラーまでが騙されている。
ゴスラーはロクサーヌの戦いを見ているが。
というか、別に立ってるだけじゃね?
﹁余の攻撃では当てられないかもしれん﹂
﹁彼女の強さは特筆すべきものです﹂
そういうものなんだろうか。
分かるのだろうか。
2225
﹁そちはどうじゃ﹂
﹁は。恐れながら、一度手合わせさせていただければと﹂
﹁ミチオ殿、いかがか。この者は余の騎士団でも最も腕が立つ。一
度彼女との手合わせを願いたいが﹂
公爵が騎士団員の一人と話し、その男がロクサーヌとの手合わせ
を求めた。
男のジョブは公爵と同じ聖騎士だ。
多分ゴスラーのパーティーにいた聖騎士だろう。
ハルツ公騎士団の最精鋭といったところか。
﹁いえいえ。とても相手になるとは﹂
﹁訓練用の木剣を使わせるし、危険なことはない﹂
﹁ご主人様、私も手合わせしてみたいです﹂
おまえもか、ロクサーヌ。
どうやら手合わせは避けられないようだ。
2226
流される
騎士団員によって鏡が片づけられ、木剣が何本か用意された。
ここでやるのか。
確かに何もない広い部屋ではあるが。
公爵はロクサーヌに試合をさせるためにこの部屋で俺たちを迎え
たということだろうか。
抜け目がない。
初めからそのつもりだったんじゃねえか。
ロクサーヌも腰のレイピアとネックレスをはずし、セリーに預け
ている。
完全にやる気だ。
﹁無理して怪我などしないようにな﹂
しょうがないので許可を出した。
本人がやると言っている以上、止める理由がない。
﹁はい。ありがとうございます﹂
ロクサーヌが木剣を選ぶ。
片手剣だ。
木の盾も騎士団の方で用意してくれた。
盾を準備してくれるのはありがたい。
2227
アイテムボックスからロクサーヌの盾を出さないですむ。
せっかくアイテムボックスを使わないようにしているのに、水の
泡になるところだった。
ロクサーヌと聖騎士が部屋の中央に向かった。
距離をおいて向かい合う。
﹁では﹂
聖騎士が一声合図をして駆け寄った。
両手で持った木剣を振り下ろす。
聖騎士の方は両手剣を使うらしい。
ロクサーヌが剣を合わせて受け流した。
間髪をいれずに次の一撃が飛んでくる。
ロクサーヌはわずかに上半身をそらせてかわした。
その後も聖騎士による怒とうの攻撃が続く。
聖騎士が剣を振り回した。
右から左へ、左から右へ、右上から左下へ。
左上から右下に斬り下ろし、そのまま反転して右下からなで上げ
る。
結構早く、それ以上に力強い攻撃だ。
ロクサーヌはそのすべてを最小限の動きでかわした。
かわす、かわす、空振りさせる。
肩や腰、ときには足を使い、ミリ単位の正確さで剣の軌道からそ
れる。
ロクサーヌも剣を突き出すが、聖騎士が弾いた。
2228
弾いた隙をついて聖騎士が大きく踏み込む。
胴をなで斬りにした。
ロクサーヌは測ったかのように同じだけ下がってかわす。
聖騎士の剣が空を切った。
﹁それまで﹂
公爵の声がかかる。
ここまでか。
俺は安堵の息を吐いた。
試合時間はあまり長くなかったと思う。
緊張で短く感じたのかもしれないが。
聖騎士の攻撃を完璧にかわしきったから、ロクサーヌの実力は分
かっただろう。
とりあえず怪我がなくてよかった。
﹁ありがとうございました﹂
﹁ありがとうございました﹂
二人が後ろに下がり、剣を収める。
ロクサーヌはすぐにこちらにやってきた。
﹁ロクサーヌ、よくやったな﹂
﹁はい。ご主人様に恥をかかせずにすみました﹂
別に負けてくれてもよかったのだが。
公爵に目をつけられるくらいなら。
﹁やはり強かったな﹂
2229
﹁は。届きませんでした﹂
引き上げてきた聖騎士は公爵と話している。
﹁さすがでした。完璧に見切っていたようです。やはりこういうの
は自分の目で見ませんと﹂
ゴスラーが声をかけてきた。
原因はおまえか。
﹁ミチオ殿、よいパーティーメンバーをお持ちだ﹂
﹁自慢のメンバーです﹂
﹁さすがはミチオ殿のパーティーメンバーということか﹂
公爵が俺の方にやってくる。
いよいよか。
﹁閣下、そろそろ﹂
﹁うむ。そろそろ食事の準備も整うころだろう。参られよ﹂
何か言われるかと思ったが、ゴスラーが声をかけると、公爵も同
意し、先に部屋を出ていった。
ロクサーヌがほしいとか言い出さないようだ。
よかった。
これもゴスラーのおかげだろうか。
俺たちも公爵の後に続く。
廊下を進み、公爵が扉を開けさせると、ホールのような広い部屋
が現れた。
部屋の真ん中にでかいテーブルが置かれている。
2230
テーブルの上にはいくつもの料理がところせましと並んでいた。
部屋に入ってすぐのところに、カシアとその両脇に二人の女性が
控えている。
夕食会のせいか今まで会ったときよりも少しめかしこんでいるよ
うだ。
美しい。
﹁お待ちしておりました。ようこそおいでくださいました﹂
俺たちが入っていくと、カシアが頭を下げた。
明るい水色のドレスを着ている。
よく似合っていた。
カシアなら何を着ても似合いそうだが。
ローブ・デコルテみたいな露出のあるものではないが、そういう
のが正装というわけでもないのだろう。 両脇の二人も、ほぼ同様のドレスだ。
カシアを引き立てるかのようにシックな紺のドレスとエンジのド
レス。
二人も美人のエルフだが、カシアの美しさは一つ抜けている感じ
がする。
﹁ミチオ殿のパーティーメンバー、ロクサーヌ、セリー、ミリア、
ベスタじゃ﹂
公爵が名前を言った。
あら。
すげえな、公爵。
さっきので覚えたのか。
2231
ロクサーヌはともかく、他の三人は一回しか名前を言っていない
はずだ。
実は鑑定でも持っているのだろうか。
田中角栄という人は、すべての国会議員の顔と名前と選挙区と当
選回数、またキャリア官僚の入省年次を記憶していたという。
覚えておけば、当選回数が何回ならそろそろ大臣、省に入ったの
が何年ならそろそろ局長、次官レースは誰と誰がライバル、という
のがすぐに分かる。
それと似たようなものか。
人の名前を覚えるのも、貴族に必要な能力なのかもしれない。
公爵が続いてカシアと両脇の二人を俺たちに紹介する。
﹁余の妻のカシア﹂と強調したように思えたのは気のせいだろう。
両脇の二人のうちの一人はゴスラーの奥さんらしい。
﹁剣をお預かりいたします﹂
城の使用人らしき人が声をかけてきた。
俺以外の四人が渡す。
預けるのだったら、俺も持ってくるべきだったか。
別にどうでもいいか。
ゴスラーも剣を渡した。
公爵は、テーブルの向こうに回り、護衛の人に剣を預けている。
﹁ミチオ殿も皆も、座られるがよい。まずは食事にいたそう﹂
公爵がイスに座った。
2232
テーブルの向こう側の左端のイスだ。
イスは片側に六個ある。
パーティーメンバー用ということだろう。
ということは多分、俺は公爵の向かい側に座るべきだ。
公爵の対面に座る。
俺の隣にロクサーヌ、以下セリー、ミリア、ベスタと並んだ。
向こう側は、公爵の隣にカシア。
その隣にゴスラー、ゴスラーの奥さんと並んだから、俺の判断で
あっているだろう。
セリーも何も言ってこないし。
﹁お飲み物はお酒にいたしますか﹂
使用人が恭しく聞いてくる。
﹁ハーブティーか何かがあれば﹂
﹁かしこまりました﹂
酒はまずい。
酔って変なことでも言い出したら大変だ。
城の使用人は全員に飲み物を尋ねていく。
こっちはセリー以外は酒にしないようだ。
﹁それでは、ミチオ殿とそのパーティーメンバーを招いての饗宴を
始めたい。よくいらしてくれた。今日は存分に食べ、楽しんでもら
いたい﹂
公爵の挨拶で夕食会が始まった。
2233
料理は、随時運ばれてもくるが、最初に置かれてあったものがメ
インのようだ。
できたてアツアツのものより、スタート時における見た目の豪華
さ重視ということだろうか。
魚料理もあるのでミリアも安心だ。
ロクサーヌは、向かい合ったカシアと無難な世間話をしている。
コハクのネックレスがどうとか。
これなら問題なくすみそうか。
﹁今はどの辺りで戦っていらっしゃるのでしょう﹂
﹁はい。ハルバーにある迷宮の二十四階層です﹂
﹁それはなかなかでいらっしゃいますわね。私どもも負けてはいら
れません﹂
などと、機密情報なのか機密ではない情報なのかはダダ漏れだっ
たりするわけだが。
まあそのくらいはしょうがない。
内密にと申し渡したことはロクサーヌも口にしていない。
俺も話題を選びながら公爵と会話した。
なるべく無難な話題を。
気を使いながら料理も食べていく。
﹁これは?﹂
カエルの解剖標本みたいな料理があった。
そのまま焼いただけの。
﹁今日のために用意したつぐみの丸焼きじゃ﹂
2234
﹁おもてなし用の高級料理ですね。最高級の食材とされています﹂
公爵が答え、ロクサーヌが教えてくれる。
両生類じゃなくて鳥類だったのか。
ゴスラーはナイフも使わずに手で持ってかぶりついていた。
丸かじりするものなのか。
俺も食らいつく。
魚醤のタレを使った焼き鳥という感じだ。
柔らかい肉が口の中でほぐれた。
なかなかの味だ。
ただしあまり食いではない。
骨ばっかりで。
本当に丸焼きだ。
つぐみの丸焼きはすぐに食べ終えた。
その後も食事が続く。
最初は警戒したが、普通に食事会か。
公爵には、少なくとも今日すぐにどうこうという思惑はなさそう
だ。
﹁ミチオ殿、少しよろしいか﹂
テーブルの上の料理も減ったころ、公爵が立ち上がった。
手にコップだけを持っている。
俺もハーブティーの入ったコップを持って立ち上がった。
横の方に連れて行かれる。
﹁何でしょう﹂
2235
﹁ミチオ殿は帝国解放会というのを知っておられるか﹂
﹁いいえ﹂
何かの怪しい地下組織みたいな名前だ。
公爵も声を落としている。
聞かれたらまずい組織なんだろうか。
﹁迷宮に入って戦う者の相互扶助を目的とした団体じゃ。迷宮や魔
物からの解放を目指しておる﹂
﹁なるほど﹂
それで解放会か。
帝国からの解放を目指す組織というわけではないようだ。
﹁皇帝に直属する帝国騎士団の母体ともいえる。その帝国解放会に
いずれミチオ殿を招請したいと考えておる﹂
﹁帝国解放会ですか﹂
﹁迷宮に入って功を立てようとするならば、入っておいて間違いが
ない。パーティーメンバーの実力も見させてもらった。ミチオ殿な
らば、余も自信を持って推薦できる﹂
ロクサーヌに試合をさせたのはそのためだったのか。
ロクサーヌがいれば推薦しても恥はかかないと。
確かにロクサーヌだし。
﹁実力がいるのですか?﹂
﹁迷宮で戦う者の相互扶助が目的じゃ。戦えない者を入れても仕方
あるまい﹂
﹁それはそうですね﹂
﹁帝国解放会に入れば様々な援助を受けられる。任意だが入ってい
2236
る迷宮を伝えれば、迷宮を倒したときすんなりと承認を得られやす
い。帝国解放会では装備品の売買も行っている。また迷宮に関する
情報などを得ることもできよう﹂
公爵が推してきた。
いろいろとメリットはあるようだ。
そうでなければ誰も入らないだろう。
装備品の売買というのは魅力かもしれない。
武器屋にはオリハルコンの剣などは置いてない。
オークションでは空きのスキルスロットの確認が難しいし。
﹁装備品の売買ですか﹂
﹁売買には多少の制限もあるがな。入会したことでデメリットが生
ずることはない。義務や禁則事項もほとんどない。すべての人々の
解放を目指しているので異種族に対する差別が禁止されているが、
これはミチオ殿なら問題はあるまい。その他には、会で得た情報や
メンバーについての守秘義務が課せられることくらいか﹂
禁則事項があるのか。
守秘義務くらいはしょうがない。
﹁それくらいなら﹂
﹁そうであろう﹂
﹁しかし何故?﹂
何か落とし穴がありそうで怖い。
問題は、公爵が何故俺を推薦しようとするのかだ。
﹁ミチオ殿ほどの力があるならば遅かれ早かれ入会することになる。
2237
推薦者になるのは当然のことじゃ。ミチオ殿ならば、いずれ迷宮を
倒して貴族に列せられることにもなろう。パーティーメンバーの実
力から申しても﹂
﹁貴族ですか﹂
早いうちにつばをつけておこうということだろうか。
この世界では迷宮を倒せば貴族になれる。
公爵としては、俺に迷宮を倒す力があると判断したわけだ。
ロクサーヌの試合を見ただけで。
いや。力というよりは可能性か。
万が一にもなることがあるかもしれない。
多少の助力ならしておいて損はないということだろう。
﹁しかしミチオ殿が二十四階層で戦っておられるというのはちょう
どよかった。帝国解放会の入会試験は、余の推薦があれば二十三階
層で受けられる。十、十一階層辺りで戦っておると聞いておったの
だが﹂
ロクサーヌが今は二十四階層で戦っているとばらしたのはまずか
ったか。
ゴスラーに会ったときには十階層と十一階層に送ってもらった。
その情報も抜かりなく把握しているらしい。
﹁あれはまあ様子見も兼ねて﹂
﹁なんにせよ好都合じゃ。申請は余の方から出しておこう﹂
﹁入会試験というのは?﹂
﹁二十三階層のボス部屋を突破する実力があるかどうか、確認する
だけじゃ。二十四階層で戦っているなら問題はあるまい﹂
2238
公爵はどんどんと勝手に話を進めていく。
大丈夫なんだろうか。
流されるままではまずいような気がする。
かといって、断るべき理由もない。
﹁うーん﹂
﹁何も難しく考えることはない。すぐに申請しても話が通るまで十
日近くかかるであろう。ミチオ殿には十日後にまた来ていただきた
い﹂
あと十日あれば、俺は冒険者のジョブを取得できる。
それなら問題はないか。
いや。本当に問題ないのだろうか?
2239
潅木
ハルツ公爵に変な会への入会をゴリ押しされてしまった。
入会試験があるから、まだ決まったわけではないが。
公爵が勧める会だから、悪い組織ではないと思う。
壷を売りつけられたりはしないだろう。
﹁セリー、帝国解放会というのを知っているか﹂
食事を終えて家に帰ってから、セリーに訊いてみた。
﹁名前だけは聞いたことがあります。迷宮で戦う人たちの中でも実
力者だけが加入できる団体だそうです。ただし、ある種の秘密結社
で、誰が会員なのかも明らかにされません。会員が狙われるのを防
ぐためと言われています﹂
あら。
そういえば公爵はメンバーについて守秘義務があると言っていた。
公爵がメンバーだと洩らしてはいけないということだ。
推薦するというのだから、多分公爵も会員なのだろう。
しかし、公爵は自分がメンバーだと明言はしなかった。
会員でない俺に対して守秘義務を守ったということか。
当然、俺が会員になることも黙っていなければいけないというこ
とになる。
ロクサーヌたちに対しても明かしてはいけないのだろうか。
2240
そこまで確認しなかった。
セリーに相談したいのに相談できない。
これは困る。
被害者が他人に助けを求めることを防ぐプロの手口じゃないか。
入会試験があるのに、どうするのだろう。
俺一人で挑むのだろうか。
パーティーで戦うのと比べて難易度が跳ね上がるから、そんなこ
とはないと思うが。
あるいは試験官とパーティーを組んで戦うとか。
いざとなったら、そこでわざとボロボロの戦いをして試験に落ち
るという手もあるな。
推薦してくれた公爵の手前、それはまずいだろうか。
﹁そ、そうなのか。まあ今日はもう遅い。体だけ拭いて、寝よう﹂
尋ねるのもまずかったかもしれないので、話題を変えた。
ちょっと露骨だったかもしれないが、大丈夫だろう。
セリーには酒も入っている。
風呂は、沸かしていないしこれから入れるのも大変なので、今日
はなしにする。
お湯だけを作った。
全員の身体を拭いていく。
もちろん拭くのは俺の役目だ。
風呂に入るときに彼女たちの身体を洗うのも俺の役目である。
何があろうとも不変の職務ということだな。
2241
石鹸を泡立ててロクサーヌから順番に綺麗にしていった。
﹁今日はお疲れだったな。試合は大丈夫だったか﹂
﹁はい。あの程度では手合わせのうちにも入りません。こちらの力
を見るだけが目的だったので手加減してくれたのでしょう﹂
どうだかね。
ロクサーヌの言葉は頼もしい限りだが。
肌のつやも胸の張りもいつもどおりの素晴しさなので、疲れては
いないだろう。
﹁食事の方はどうだった﹂
﹁公爵夫人は同性の私から見ても美しいかたでしたが、ナイフの使
い方や食べ方がいちいち洗練されていてため息が出るほどでした﹂
﹁そうか﹂
﹁それに、臆することなく迷宮に入って戦っておられるようです。
憧れてしまいます﹂
ロクサーヌから見てもやはりカシアは美人なのか。
こいつとはうまい酒が飲めそうだ。
﹁強くはありませんが、口当たりの柔らかい美味しいお酒でした﹂
とは、セリーの感想である。
酒のにおいはしないから、セリーも大量に飲んではいないようだ。
それでも、少しは酔っているのかピンクに色づいた肌が色っぽい。
いつもより余計になで回してしまった。
﹁さすが貴族ともなると上等の酒を飲んでいるのか﹂
﹁その分大変なようです。騎士団長様もご苦労がおありのようでし
2242
た﹂
そういえばセリーの席はゴスラーの前だった。
いろいろ話が合ったのかもしれない。
別に俺は苦労をかけていないと思うが。
﹁魚、おいしい、です﹂
セリーはきっと魚ばかり食べたがるこの人の世話で苦労したのだ
ろう。
魚のようにぴちぴちなミリアの肌を拭く。
俺が身体を洗うとき、ミリアはおとなしくじっとしている。
それがまたいい。
﹁ベスタはどうだった﹂
﹁少し緊張したけどよかったです。今日は白くて美しい町にも行き
ましたし、ご主人様に購入していただいてから驚くことばかりです﹂
﹁楽しめたならよかった﹂
﹁はい。綺麗なコハクのネックレスも着けたので、別人のように見
えたと思います﹂
ベスタの胸なら別人と間違いようがない。
手のひらに収まりきらない肉塊をゆっくりゆっくりともみ洗った。
翌朝、地図を持ってクーラタルの迷宮に入る。
無事二十三階層を突破した。
ボス戦では状態異常耐性ダウンを使うのでミリアの石化が冴えま
くる。
今回も世話になった。
2243
クーラタル二十四階層の魔物はタルタートルだ。
弱点が土魔法というタイミングの悪いやつである。
二十三階層のグミスライムは、火魔法と水魔法と風魔法が弱点な
のに、土魔法だけが弱点ではない。
連携というものを考えてほしい。
迷宮にしてみれば連携を考えて違う弱点属性にしているのかもし
れないが。
組み合わせが悪いので、クーラタルの二十四階層は少し戦っただ
けで引き上げた。
夕方まで、ハルバーの二十四階層で探索を行う。
﹁ご主人様、ルーク氏からの伝言です。人魚のモンスターカードを
落札したようです﹂
家に帰ると、ロクサーヌが告げてきた。
ルークからの伝言が入っていたようだ。
人魚のモンスターカードは前にも落札したことがあった。
防水の皮ミトンを作ったときだ。
あまり人気がないのだろうか。
多分たまたまだろうが。
﹁セリー、人魚は水属性だったか﹂
﹁そうです﹂
﹁取りに行くのは明日でいいか﹂
昨日入らなかったので、今日は風呂に入りたい。
時間がないわけではないが、商人ギルドへ行くのは明日でいいだ
2244
ろう。
﹁明日行かれるときに、潅木のモンスターカードの落札も頼んでお
くとよいと思います﹂
﹁潅木?﹂
﹁はい。潅木のモンスターカードは武器に融合すると麻痺の効果を
与えることができます。石化のスキルと麻痺のスキルが重なって発
動するかどうかは分かりませんが、二刀流で二本持って戦うことは
行われているようです。暗殺者のミリアに石化は大きな武器となっ
ています。麻痺のスキルをつければ、さらに役立つに違いありませ
ん﹂
セリーがアドバイスをくれた。
ミリアのエストックに麻痺の効果まで持たせるわけか。
うまくいけば状態異常にする確率が倍くらいになるかもしれない。
﹁分かった。ありがとう。頼んでおこう﹂
ついでにいえば、スキルがついている硬直のエストックにさらに
モンスターカードを融合させることはもはやなんでもないというこ
とだな。 いい傾向だ。
翌朝、朝食の後で商人ギルドへ赴いた。
ルークを呼び出して、人魚のモンスターカードを購入する。
﹁こちらが人魚のモンスターカードです﹂
ルークはちゃんと本物を渡してきた。
2245
今のところ詐欺を働く気はないようだ。
﹁確かに。これはコボルトのモンスターカードと一緒に使いたい。
予備がなくなるので、コボルトのモンスターカードの入札を頼める
か﹂
﹁分かりました。値段については、以前と変わらないと思います﹂
﹁それでは五千までで頼む﹂
﹁承りました﹂
五千ナールまでというとルークは確実に五千ナールで落札してく
るが、それはもうしょうがない。
それよりも早めに入手したい。
﹁それと、潅木のモンスターカードを試してみたい。多少高くなっ
てもかまわない。頼めるか﹂
﹁潅木ですか。かしこまりました﹂
潅木のモンスターカードも頼んでおく。
ボス戦なんかはミリア頼みのところもあるから、強化できるなら
しておいた方がいい。
これもやはり早い方がいいだろう。
ちょうど帝国解放会の入会試験がボス戦だ。
俺が魔法を使えない可能性もある。
試験官がモニターするなら、魔法は使えない。
それまでにはなんとかしたい。
モニターされる場合、エストックに石化のスキルと麻痺のスキル
が両方ついていることがばれてしまうが。
そのくらいはしょうがないだろう。
2246
魔法もなしデュランダルもなしでボス戦を戦うわけにはいかない
から、どのみちデュランダルはばれる。
聖剣だけだとかえってデュランダルに目をつけられかねない。
デュランダルに加えて複数のスキルがついた武器があれば、試験
官の注意が分散されるだろう。
エストックにモンスターカードを二回融合することは、無茶かも
しれないが不可能ではない。
デュランダルがばれることに比べたら、スキルが二つついたエス
トックがばれることなどたいした問題ではない。
さらには聖槍とセリーが使っている詠唱中断のスキルがついた槍
もある。
俺たちのパーティーはいい装備品のおかげで戦えているというこ
とにしておけばいいだろう。
ただし、聖槍は僧侶や巫女が使う武器だ。
俺が使うのはおかしいかもしれない。
ロクサーヌに持たせるかセリーに持たせるか。
モニターされるというのは結構厄介だな。
﹁そういえば前回購入した芋虫のモンスターカードだがな、融合に
成功した。今後、芋虫のモンスターカードを落札するのは安く手に
入るときだけでいい﹂
﹁それはおめでとうございます。融合に成功した装備品を売却なさ
るおつもりはございませんでしょうか﹂
﹁そのうち予備ができたらな﹂
﹁分かりました﹂
一方で芋虫のモンスターカードの落札は止めさせた。
2247
欲をいえばまだまだほしいが、市場を混乱させるのもよくないだ
ろう。
人魚のモンスターカードを手に入れて家に帰る。
まだ融合はさせない。
コボルトのモンスターカードは一枚しかないので、無理をするこ
とはないだろう。
この方針が正しいと分かったのは、二日後の夕方だ。
家に帰るとルークからのメモが入っていた。
﹁ご主人様、ルーク氏からの伝言です。潅木のモンスターカードを
落札したとあります。値段は六千九百ナールですね﹂
ロクサーヌがメモを読む。
早速潅木のモンスターカードを落札したらしい。
潅木のモンスターカードの融合にはコボルトのモンスターカード
を使うつもりだ。
残しておいて正解だ。
﹁ただちょっと高いか﹂
早いことは早かったが、その分高い。
多少高くてもいいと言ったらぎりぎりまで上げてきた感じだ。
なんとか六千ナール台に抑えました、というところに作為がうか
がえる。
スーパーの値付けにおけるロッキュッパみたいな。
﹁麻痺のスキルは、石化と違い自然に解けてしまいますが、発動し
やすいそうです。武器につけるスキルとしては使い勝手がよく人気
2248
があります。その分高いのかもしれません﹂
セリーが教えてくれた。
﹁発動しやすいのか﹂
﹁ボス戦では確率が下がるみたいですが﹂
駄目じゃねえか。
ボス戦でこそ役立てたいのに。
﹁その辺はミリア次第だな。頼むぞ、ミリア﹂
﹁はい、です﹂
ボス戦では状態異常耐性ダウンという強い味方がいる。
なんとかなるだろう。
潅木のモンスターカードは、翌朝受け取りに行った。
ルークを呼び出すと、潅木のモンスターカードの他にコボルトの
モンスターカードも出してくる。
あわてて三割引のスキルをセットした。
﹁昨日は運良くコボルトのモンスターカードも落札できました。五
千ナールになります﹂
やはり五千ナールちょうどか。
﹁コボルトのモンスターカードは使ってしまうので、次も五千まで
で頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
2249
﹁潅木のモンスターカードは思ったより高いようだな。次に落札す
るのはもっと安く手に入るときでいい﹂
潅木のモンスターカードは高かったので、それを逆手にとって落
札にストップをかけた。
セリーが百パーセントモンスターカードの融合に成功できること
は言わない方がいいので、ちょうどよかっただろう。
金貨一枚と銀貨二十六枚を払って、商人ギルドを出る。
落札手数料だけは二回分で三割引が効くので、合計してその値段
だ。
家に帰り、ミリアとセリーを呼んだ。
モンスターカードを二枚取り出す。
﹁ミリア、硬直のエストックを貸してくれ﹂
﹁はい、です﹂
﹁セリーに渡してくれ。セリーはエストックにこのカードを融合な﹂
﹁は、はい﹂
セリーがやや緊張気味に応えた。
自分から言い出したくせに。
ミリアの方は、素直に硬直のエストックをセリーに渡す。
壊れることなど微塵も心配していないみたいだ。
その可能性を知らないだけかもしれないが。
セリーが一つ大きく息をはいた。
エストックとモンスターカードを持って呪文を唱える。
手元が光った。
2250
硬直のエストック 片手剣
スキル 石化添加 麻痺添加 空き 空き
﹁おお。さすがセリーだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁やった、です﹂
もちろん失敗などするはずもなく。
きちんと成功した。
2251
麻痺
新たに麻痺添加のスキルが加わった硬直のエストックを携えて迷
宮に入る。
今までどおりミリアに持たせて、ハルバーの二十四階層を探索し
た。
最初に現れたのは、マーブリームが二匹にサイクロプスとシザー
リザードが各一匹という団体だ。
ブリーズストームとサンドストームを連続して放つ。
この魔物の組み合わせなら土魔法を使うのがいいのだが、遊び人
のスキルには初級風魔法をセットしてある。
サンドストーム二発は撃てない。
駆け出した四人は、全体攻撃魔法を撃たれる前に魔物に接近した。
魔物三匹が横に並ぶ。
風魔法で行動を妨害しているので、サイクロプスはまだ後ろだ。
ただし、トカゲが真ん中に来てしまった。
真ん中にシザーリザードでその左右にマーブリームが立ちはだか
る。
本来ならトカゲを石化したいところだが。
﹁ミリアが左を、ベスタは右です﹂
﹁はい﹂
﹁分かりました﹂
2252
真ん中は複数の魔物から狙われるので、ロクサーヌの担当だ。
魔物が三匹以上いるときは中をロクサーヌにするように言ってあ
る。
ロクサーヌの指示は間違っていない。
今回ミリアは左に回った。
ミリアが真ん中でも大丈夫かもしれないが、無理をすることはな
い。
左に行ったのは、サイクロプスがやや左側に寄っているからだろ
う。
サイクロプスとマーブリームなら、サイクロプスを石化するのが
いい。
ミリアが硬直のエストックを突き入れる。
ミリアの前のマーブリームは、すぐに動かなくなった。
一撃か。
たまたまなのかスキル増強のおかげなのか。
﹁白くない、です﹂
ミリアによれば、石化すると魔物は白くなるのだったか。
つまり、白くないこのマーブリームは、動かなくなったといって
も石化ではなく麻痺だ。
俺には色まではよく分からない。
ミリアは、マーブリームが動かなくなった後、隣のシザーリザー
ドにちょっかいをかけた。
横に回ることはしないので、少しやりにくそうだ。
二、三回攻撃したころ、サイクロプスがやってくる。
トカゲの動きを止めることはできなかった。
2253
ミリアは自分の位置に戻ってサイクロプスを相手取る。
何発か魔法を放つ間相手をすると、今度はサイクロプスが動かな
くなった。
﹁ミリア、麻痺か?﹂
﹁白くない、です﹂
ミリアに確認すると、こっちも麻痺らしい。
麻痺の方が出やすいのか。
ミリアは横に動いてシザーリザードを攻撃しようとした。
﹁動きます﹂
ロクサーヌの警告が飛ぶ。
ミリアの前でマーブリームが動き始めた。
何ごともなかったかのような攻撃をミリアがかわす。
﹁白い、です﹂
動き始めたマーブリームの動きが再び固まった。
白いというから今回は石化らしい。
石化のスキルと麻痺のスキルは一本の剣につけてもちゃんと両方
発動するようだ。
一つの団体に対して三回も石化が発動したことは数えるほどしか
ない。
麻痺のスキルもたいしたものだろう。
麻痺単独のときにどのくらい発動するかは分からないとはいえ。
2254
﹁ミリア、交代しましょう﹂
ロクサーヌの指示で、ロクサーヌとミリアがシザーリザードの正
面を換わる。
トカゲの左に石化したマーブリーム、さらにその隣も固まったサ
イクロプスだから、ミリアが挟撃される恐れはない。
ロクサーヌはシザーリザードを攻撃しつつ、サイクロプスが動き
始めるとそちらの正面に回った。
ロクサーヌがサイクロプスにレイピアを突きつける。
サイクロプスの攻撃はロクサーヌが問題なく避けた。
ミリアはトカゲのはさみを避けつつ硬直のエストックを突き入れ
る。
シザーリザードの動きが止まった。
ミリアが何も言わないところを見ると、麻痺だろうか。
ミリアは横に動いてサイクロプスにちょっかいをかけにいく。
と思ったら、シザーリザードはすぐに動き始めた。
めまぐるしいな。
麻痺は確かに発動しやすいみたいだが、自然に解けるのが面倒だ。
石化したマーブリームが魔法で煙になった。
シザーリザードとサイクロプスの間の障害がなくなって、ミリア
が真ん中になる。
ただし、ベスタが相手をしていたマーブリームもすぐに後を追っ
た。
これで残る魔物は二匹だ。
﹁やった、です﹂
2255
﹁石化か?﹂
﹁はい、です﹂
シザーリザードが石化したらしい。
残るは一匹。
俺は、ブリーズボールに切り替えてサイクロプスだけを攻撃した。
途中サイクロプスはミリアのおかげで一度止まり、再び動き始め
たところで倒れる。
サイクロプスを始末した後、デュランダルを出してトカゲを片づ
けた。
﹁麻痺は、発動はしやすいみたいだが、めんどくさいな﹂
﹁このくらいはなんでもありません﹂
﹁確かに、何度も魔物の動きが止まっては動いていました﹂
ロクサーヌにはなんでもないのかもしれないし、後ろから見てい
るセリーにはどうでもいいのかもしれないが。
﹁だいじょうぶ、です﹂
﹁問題ないと思います﹂
ミリアやベスタもいいというのならいいだろう。
﹁ミリアは、動きが止まったのが石化か麻痺か分かるんだよな﹂
﹁分かる、です﹂
﹁麻痺のときは報告はいらない。これからは石化したときだけ報告
してくれ﹂
﹁そうする、です﹂
2256
魔物の動きが止まったのが石化なのか麻痺なのか俺には分かりに
くいので、伝えてくれるように言っておく。
意外なところに盲点が。
石化だと思っていたのにただの麻痺で動きだされてはたまらない
し、麻痺だと勘違いして余計な力を割きたくもない。
次の団体は、サイクロプスが二匹にシザーリザードが二匹だった。
俺が風魔法を念じるのと同時に四人が走り出す。
二匹二匹だから風魔法でいい。
ブリーズストームを放ちながら、俺も追いかけた。
四人が魔物のところにたどり着く途中で火の粉が舞う。
敵の全体攻撃魔法を喰らってしまった。
四匹も全体攻撃魔法を使える魔物がいるのだから、一発くらいは
しょうがない。
二発めが来ませんように。
ロクサーヌが立ち止まって全体手当てを使う。
一度では足りないだろうから、俺も使っておいた。
パーティー内では同じスキルを同時に使えないらしいが、その理
由は本当に詠唱が共鳴するからのようだ。
詠唱省略のおかげでスキル呪文を詠唱しない俺には関係ないらし
い。
前に試してみたところちゃんと使えた。
ミリアとベスタがシザーリザード一匹を囲む。
二発めを撃たれる前にセリーも追いついた。
セリーは少し後ろで槍をかまえている。
2257
全体攻撃魔法を使ったもう一匹のトカゲがやってくるころ、シザ
ーリザードの動きが止まった。
ミリアは何も言わないので麻痺のようだ。
もう一匹のトカゲは追いついたロクサーヌが相手をする。
セリーとベスタは固まったシザーリザードを攻撃した。
もう一匹のトカゲがはさみを振り下ろす。
ロクサーヌがしっかりと見切り、はさみを避けた。
その隙にミリアが硬直のエストックを見舞う。
あ。また止まった。
シザーリザードの動きが二匹ともストップした。
﹁私は前に進みます。できればセリーも﹂
動きの止まった二匹の間をロクサーヌが無造作に抜け出る。
麻痺だと回復することもあるのに怖くないのだろうか。
ベスタなども二本の剣で好き放題斬りまくっているが。
﹁はい﹂
セリーは、慎重にトカゲが動かないことを確認しながら、間では
なく横を抜けた。
動かない二匹のシザーリザードをミリアとベスタが攻撃する。
俺も追いついて風魔法を放つ合間に聖槍で突いた。
このくらい離れていれば動きだしたらすぐ分かる。
反撃を気にせず攻撃した。
ロクサーヌがサイクロプスのところに到着する。
2258
風魔法に邪魔されているサイクロプスはあまり進んでいないよう
だ。
少し遅れてセリーもたどり着いた。
二人がサイクロプスの前に並ぶ。
これで全体攻撃魔法の心配はあまりなくなった。
麻痺から回復したシザーリザードが使ってくる可能性はあるが。
セリーはサイクロプスの方に行ってしまったが、ロクサーヌの判
断は正しい。
動かない魔物は魔法を使えない。
ベスタが相手をしているトカゲが一度動き始めたが、ミリアが斬
り込んで再度動きを止める。
この麻痺も早かった。
麻痺のスキルは、やはり結構発動するようだ。
もちろんミリアが暗殺者だからということもある。
かなり使えるスキルだろう。
自然に回復するので使い勝手がいいとはいえないが。
﹁やった、です﹂
ようやく石化が発動した。
硬直のエストックに麻痺のスキルが追加されたが、石化のペース
自体は変わっていないと思う。
一つの団体との戦闘で一回から二回というところ。
麻痺の発動回数は最低でもその二倍はある。
麻痺の発動確率は石化の二倍以上と見ていいんじゃないだろうか。
2259
﹁ベスタも前へ﹂
﹁分かりました﹂
一匹石化したので、ベスタを送り出した。
ミリアは麻痺している方のトカゲに襲いかかる。
サイクロプスのところまでは少し距離があるし、風魔法を使って
いるからシザーリザードを石化した方がいいだろう。
ベスタが小走りに駆けた。
そのまま突っ込んで、風魔法にひるんでいるサイクロプスに左右
から両手剣を叩き込む。
セリーは一歩下がり、槍で二匹のサイクロプスを監視した。
これでさらに安全性アップだ。
俺は、麻痺している方のシザーリザードを聖槍で突きながら、風
魔法を重ねる。
麻痺の方は比較的簡単に発動するが、石化はそれなりだ。
結局、もう一匹のトカゲが石化する前にサイクロプス二匹は倒れ
た。
﹁やった、です﹂
サイクロプスが倒れて三人が走って戻ってくるが、こっちへ来る
前にシザーリザードが石化する。
石化したトカゲが二匹並んだ。
三人が完全に戻っていたら徒労になるところだったが、まだ途中
だったから大丈夫だろう。
ベスタは再びサイクロプスのところへ行き、銅を拾って戻ってき
た。
2260
俺はデュランダルを出して石化した魔物を始末する。
トカゲが順に煙になった。
石化すればノーリスクでMPを吸収できるのが楽でいい。
硬直のエストックに麻痺が加わって、戦闘は楽になった。
石化のスキルと麻痺のスキルを一本の武器に両方つけたが、二つ
ともちゃんと発動するようだ。
単純に麻痺の分がプラスされたと考えていいだろう。
石化も大体今までどおりの頻度で発動している。
麻痺のスキルが加わって石化の発動率が下がったとしても、ごく
わずかだ。
体感できるほどの差はない。
逆に、麻痺した魔物には石化が発動しやすくなるということもな
いらしい。
麻痺は自然に解けるし、前衛陣の動きは少し大変になったが。
そのくらいは容赦してもらおう。
最後に倒したシザーリザードの煙が消えると、カードが残った。
モンスターカードだ。
﹁お。カードだ﹂
﹁シザーリザードの仲間が残すのは、トカゲのモンスターカードで
すね。融合すると装備品に火属性のスキルや耐性をつけられます﹂
﹁人魚のモンスターカードみたいにか﹂
﹁そうです。あれと同じです﹂
セリーの言うとおり、鑑定してみても確かにトカゲのモンスター
カードだった。
2261
人魚のモンスターカードは装備品に水属性をつける。
蝶のモンスターカードは装備品に風属性をつける。
それらの火属性版がトカゲのモンスターカードということらしい。
コボルトのモンスターカードは一枚ある。
手元には、人魚のモンスターカードとトカゲのモンスターカード
がある。
トカゲのモンスターカードを融合すべきだろうか。
サイクロプスやシザーリザードは現在進行形で火属性の全体攻撃
魔法を放ってくる。
そのダメージを減らせる。
ただし、火属性の全体攻撃魔法を撃たれてもハルバーの二十四階
層ではしっかり戦えている。
それよりも将来の困難に備えるべきだろうか。
クーラタル二十四階層のタルタートルは水属性の全体攻撃魔法を
使う。
クーラタルの二十四階層に挑むときには人魚のモンスターカード
を融合しようと考えていた。
﹁ロクサーヌ、どっちがいいと思う﹂
﹁そうですね。今使われている火属性に対する耐性をつけるのがい
いと思います﹂
トカゲのモンスターカードにしても人魚のモンスターカードにし
ても、耐風のダマスカス鋼額金に融合するから、恩恵を受けるのは
ロクサーヌ一人だ。
考えていることを話してロクサーヌにどちらがいいか尋ねてみる
と、火属性という答えが返ってきた。
2262
ロクサーヌなら、サイクロプスやシザーリザードの全体攻撃魔法
はたいしたことがないので水属性をつけた方がいいと答えると思っ
たが。
タルタートルもたいしたことはないという判断だろうか。
なるほど、恐ろしい。
﹁二十四階層を突破する前に、もう一枚コボルトのモンスターカー
ドを入手できるかもしれません﹂
セリーの言うような可能性もある。
トカゲのモンスターカードを融合するのがいいだろう。
2263
中級職
その後も戦闘を続けた。
やはり麻痺は石化の倍くらい発動する。
おそらく、暗殺者でなくてもそれなりには使いやすいスキルだろ
う。
ロクサーヌやベスタの武器にもつけたかった。
潅木のモンスターカードの落札を断ったのは失敗だったか。
まあいまさらしょうがない。
再び頼むのも変だし。
夕食の後、セリーにトカゲのモンスターカードを融合してもらう。
まだ少し緊張はあるようだが、問題なく成功した。
耐風のダマスカス鋼額金という名称はやはり変わらない。
名前は最初にスキルをつけたときのものが有効になるようだ。
ダマスカス鋼の額金にはこれで耐風と耐火のスキルがついた。
人魚のモンスターカードは持っている。
四属性そろい踏みまであと少しだな。
﹁ロクサーヌ、額金の具合はどうだ﹂
﹁はい。ダメージは確実に減りました。はっきりどのくらいかとは
表現しかねますが﹂
翌日、全体攻撃魔法を喰らった後でロクサーヌに調子を訊いてみ
た。
2264
火属性に対する耐性が上がって、ダメージが少なくなっているよ
うだ。
ロクサーヌ一人だけとはいえ。
石化した魔物が残ったときにMPを回復できるので、俺がデュラ
ンダルを持って前に出ることはあまりなくなった。
元々、俺が硬革の帽子を装備しているのは前に出るときにミリア
がしている防毒の硬革帽子やベスタの頑丈の硬革帽子と取り替える
ためだ。
前に出ないのなら、俺の頭装備は耐風のダマスカス鋼額金にする
手もある。
安全のためにはそうした方がいいかもしれないし、ロクサーヌも
言えばそうすべきだと応じるだろうが、これは黙っていた方がいい。
装備品を取り上げるようなまねはあまりよくない。
装備は変えずにそのまま探索を行った。
ハルバーの二十四階層ではちゃんと戦えているからいいだろう。
麻痺が出るようになってさらに楽にもなったし。
その翌日、ついに探索者がLv50に達した。
ジョブ設定で見てみると、冒険者のジョブも獲得している。
冒険者 Lv1
効果 体力中上昇 精神小上昇 器用微上昇
スキル アイテムボックス操作 パーティー編成 フィールドウォ
ーク
2265
ついに上級職の登場か。
ここまで長かった。
いや。長いといえば長く、短いといえば短いが。
この世界の人たちはもっと苦労して冒険者になっているはずだか
ら、不服は言うまい。
これでインテリジェンスカードのチェックに恐れる必要はなくな
った。
俺も大手を振ってこの世界で生きていける。
入会試験だろうが何だろうがドンとこいだ。
冒険者取得の条件は、探索者Lv50で間違いないらしい。
他にも何かあるかもしれないが、それは達成していたのだろう。
他人のフィールドウォークで移動したことがあるとか。
冒険者の効果はかなりいいものになっている。
スキルはしょぼい。
探索者と変わりはない。
探索者 Lv50
効果 体力小上昇
スキル アイテムボックス操作 パーティー編成 ダンジョンウォ
ーク
探索者の方はこんな感じだ。
Lv50になったからといってスキルや効果が増えたりはしてい
ない。
ただし、冒険者との効果の違いは結構大きい。
2266
パーティーメンバー全員が上級職なら、かなり違ってくるだろう。
シックススジョブまで増やし、冒険者をつけた。
冒険者は、普段は使用せず、インテリジェンスカードのチェック
がありそうなときだけ設定するという手もあるが、効果の大きさを
考えれば普通に育てた方がいいだろう。
ファーストジョブのレベルはボーナスポイントに直結するので、
探索者Lv50をはずして冒険者Lv1にする手はない。
遊び人、英雄、魔法使い、神官ははずせないので、冒険者を足す
にはジョブの数を増やすしかない。
本当なら探索者もファーストジョブから動かしたいが。
ファーストジョブでない探索者のアイテムボックスにアイテムを
入れておけば、インテリジェンスカードのチェックをされるとき自
由に冒険者をファーストジョブにつけられる。
ただし、英雄や遊び人は探索者と比べてレベルが低い。
遊び人はともかく英雄をファーストジョブにするのは不安もある
し。
魔法使いなら探索者とそれほど差はないが、魔法使いをファース
トジョブにするのは遊び人の魔法スキルの運用上困る。
複数のジョブが持っている魔法スキルは、若い方のジョブから発
動する。
一つしかスキルを持てない遊び人を先に、四つの属性魔法を持っ
ている魔法使いを後に設定するのが運用上有効だ。
結局、今のところはファーストジョブを探索者にしたまま、つけ
られるジョブを一つ増やして冒険者を足すのがもっとも問題がない。
ファーストジョブが探索者なのはこれまでと変わらないわけだし。
ジョブを増やすには必要経験値二十分の一を諦めなければならな
2267
いが、それくらいはしょうがない。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv50 英雄Lv46 遊び人Lv41 魔法使いLv4
9 神官Lv39 冒険者Lv1
装備 聖槍 硬革の帽子 アルバ 竜革のグローブ 竜革の靴 ひ
もろぎのイアリング
冒険者のアイテムボックスは、聞いたとおり五十種類×五十個だ
った。
レベルにかかわらず固定だろう。
アイテムボックスの大きさが固定なのは料理人なんかもそうなっ
ている。
セリーの鍛冶師もそうだ。
フィールドウォークが迷宮内で使えないかどうかは、確かめては
みたいが今やることでもない。
多分失敗するのに、セリーの目が怖い。
そのうち試せばいいだろう。
冒険者をつけて探索していると、二十四階層のボス部屋に到着し
た。
ようやくか。
今回も時間は多少かかっている。
やはり二十三階層からは少し広くなっているらしい。
﹁ここのボス戦からは戦い方を少し変えよう。俺が魔法を使うのは
2268
変わらないが、引いて待ち受けずに、最初から積極的に攻める。ボ
スをロクサーヌが、他の二匹をミリアとベスタで頼む。セリーはボ
スを中心に見てくれ﹂
待機部屋で指示を出した。
待ち受けるとその間に全体攻撃魔法を浴びることもある。
というか実際にあった。
冒険者をはずして博徒もつける。
どうせボス戦ではミリアの剣の状態異常に頼った戦いになる。
麻痺のスキルも増えたことだし、一匹はミリアにまかせればいい
だろう。
ミリアが相手をする魔物が動きを止められる前に放つ全体攻撃魔
法の数と、待ち受けている間に撃たれる全体攻撃魔法の数とに、お
そらくそれほどの差はないと見た。
﹁分かりました﹂
﹁サイクロプスのボスはシルバーサイクロプスです。耐性などはサ
イクロプスと変わりがありません﹂
﹁やる、です﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
ベスタにデュランダルを渡し、ボス部屋に突入する。
魔物が三匹現れた。
巨人が三匹か。
サイクロプスが二匹と、真ん中の魔物がシルバーサイクロプスだ。
シルバーサイクロプスは、サイクロプスより少し大きいが、それ
ほど違いはない。
色は赤くなく、グレーだ。
2269
シルバーといえばシルバーなのか。
風魔法を一発放ち、ミリアが向かった先のサイクロプスに状態異
常耐性ダウンをかけた。
風魔法が発動し、サイクロプスが立ち止まって目を閉じる。
シルバーサイクロプスの方はびくともしない。
ボスは耐性が上がっているようだ。
シルバーサイクロプスが二、三歩進み、こぶしを振り下ろした。
ロクサーヌが難なく避け、レイピアを突き入れる。
ボスが繰り出すカウンター気味の裏拳も、わずかに首をそらすこ
とでかわした。
安定しているな。 セリーと俺は、二発めの風魔法でサイクロプスがひるんだ隙にボ
スの後ろに回る。
ロクサーヌが相手をしているボスに、嫌がらせのように槍を突き
込んだ。
ある程度距離を取っているし、俺が攻撃される恐れは少ない。
安全地帯から風魔法を放ち、合間に槍で突く。
﹁やった、です﹂
早くもサイクロプスが石化した。
麻痺ではなく石化したのは、ボス戦では麻痺の発動が少なくなる
ということだろうか。
石化したのはサイクロプスであってボスではないが。
たまたまか。
ボスのシルバーサイクロプスにも状態異常耐性ダウンをかける。
2270
ミリアが横から攻撃した。
﹁セリー、場所を換わるか?﹂
﹁そうですね﹂
セリーに声をかけて場所を移動する。
セリーは、ボスの斜め後ろ、石化したサイクロプスの側にいた。
サイクロプスが全体攻撃魔法を使ってきたときに対処するためだ。
石化した魔物が全体攻撃魔法を放つことはもうないから、ベスタ
が相手をしているサイクロプスの側に移った方がいい。
ベスタはデュランダルを持っているから、基本的にはベスタがキ
ャンセルできる。
それに、ボスとサイクロプスの間は少し距離があるから、セリー
の槍は間に合わないかもしれない。
それでも万が一ということもあるから、近くにいてもらった方が
いい。
何かあったときに選択肢を広く取れる。
あ、固まった。
セリーの後ろを通り風魔法を一発放ってボスの斜め後ろに戻って
くると、シルバーサイクロプスが固まっていた。
ミリアは何も言わずに攻撃を続けているから、麻痺だ。
ボスの方ではちゃんと麻痺が出たか。
セリーが少し移動してサイクロプスを槍で突く。
ロクサーヌとミリアはボスを攻撃した。
ミリアが移動しないのはちょうど反対側にいて大変だからだと思
うが、ボスには状態異常耐性ダウンをかけているのだから、このま
ま続けるのが正解だ。
2271
﹁やった、です﹂
シルバーサイクロプスは再起動することなく、しばらくして石化
した。
ロクサーヌとミリアが残ったサイクロプスを攻撃に行く。
俺もブリーズボールに切り替えて攻撃に加わった。
このサイクロプスは状態異常耐性ダウンをかけるまでもないだろ
う。
あと一匹でミリアが完封だが、そこまですることもない。
結局、このサイクロプスは麻痺も石化もすることなく、ベスタが
デュランダルで倒した。
やはり状態異常耐性ダウンの効果は大きいのだろうか。
ベスタからデュランダルを返してもらって、残りの二匹を片づけ
る。
ボスから始末した。
連続攻撃でボスが倒れ、煙になる。
煙が消えると、小さなアイテムが残った。
モンスターカードか、と思ったが、銀貨だ。
最初からあったのだろうか。
前のパーティーの落し物か何かか。
﹁銀貨か?﹂
﹁はい。シルバーサイクロプスは銀貨を残すことがあるそうです﹂
セリーが説明する。
銀貨を残すからシルバーサイクロプスなのか。
2272
体のどこかが銀でできているのだろう。
魔物がお金を持っているわけではない。
シルバーサイクロプスが残す銀を人が銀貨として利用しているだ
けか。
いや。鑑定でも銀貨と出るから銀貨なのか。
魔物が銀貨を残すと強さによっては乱獲されそうだ。
インフレになったりしないのだろうか。
ボスだからそこまで乱獲されることもないか。
あるいはいつか壊れるとか。
アイテムボックスに入れていない銀貨がいつのまにか消えていた
りしたら嫌だ。
陽子崩壊みたいなものだな。
半減期とかあるに違いない。
ドロップアイテムだから銀貨はアイテムボックスに入るのか。
アイテムボックスに入れておけば消えたりすまい、と期待してお
こう。
石化したサイクロプスも始末して、ボス戦は終了した。
今回はボスもずっと麻痺していたし、麻痺のスキルが加わって楽
になった。
やはりボス戦ではミリアの活躍が光る。
﹁ミリアが二匹石化してくれたので楽だった。これからもよろしく
な﹂
﹁はい、です﹂
2273
ネコミミをなでたいのに迷宮では防具が邪魔だ。
ボス部屋を後にして二十五階層へ移動する。
﹁セリー、ハルバー二十五階層の魔物は何だ?﹂
﹁グミスライムです﹂
﹁グミスライムなのか。風魔法も弱点だったよな﹂
﹁そうです﹂
グミスライムは弱点属性が多く、サイクロプスと同じく風魔法が
使える。
遊び人のスキルは変えなくていい。
そのまま二十五階層を探索した。
魔物を倒しながら進んでいく。
二十五階層では戦闘時間がさらに延びてしまったが、戦えないこ
とはなさそうか。
戦闘時間が延びたら延びたで、ミリアの剣の状態異常が出やすく
なる。
麻痺もあるし、魔物の攻撃を受けることは戦闘時間に比例して増
えるわけではなかった。
二十五階層ではまだなんとかなるだろう。
ただし、もっと上の階層に行けば分からない。
何か強化ポイントを探しておいた方がいいかもしれない。
全員に状態異常のスキルがついた武器を持たせるとか。
などと考えながらその日の狩を終えると、今度は魔法使いがLv
50に達していた。
魔道士のジョブも獲得している。
ゴスラーの就いていたジョブだ。
2274
魔道士 Lv1
効果 知力中上昇 MP小上昇 精神微上昇 体力微上昇
スキル 中級火魔法 中級水魔法 中級風魔法 中級土魔法 下級
氷魔法 下級雷魔法
やはり上のジョブになると効果がいい。
そして、スキルは中級魔法になるようだ。
魔道士は魔法使いの上級職だと思っていたが、中級職であったら
しい。
2275
ノンホモ
魔道士のジョブを獲得した。
しかし、スキルの名称は相変わらず中級火魔法とか中級水魔法と
かで、実際に使える魔法の名前が分からない。
不親切な。
﹁セリー、魔道士が使う魔法がどういうのとかって分かるか﹂
困ったときのセリー頼み。
冒険者ギルドから出た後、買い物をしながら訊いてみた。
﹁ええっと。はい。確か、バーン、アクア、ウインド、ダート、ア
イス、サンダーの六種類のはずです﹂
知ってるのか。
さすが雷電、いやセリーだ。
﹁ありがとう。魔道士の上にさらにジョブがあるか?﹂
﹁あるという説もあります。そこまでいくと伝説ですね﹂
﹁そのジョブが使う魔法とかは﹂
﹁さすがにそこまでは分かりません﹂
伝説というくらいだから、そうなんだろう。
中級魔法があるのだから、上級魔法を使えるジョブがあることは
多分間違いない。
それが本当の上級職か。
2276
魔法までは分からないようだ。
上級職を得られたとしても魔法を探すのに一苦労だな。
風魔法に関しては、ブリーズ、ウインドときているから、トルネ
ード辺りでどうだろうか。
他は分からん。
そのときにいろいろ試すしかない。
﹁アイス、サンダーが氷魔法と雷魔法だな﹂
﹁そうです。どちらも特別な魔法ですね。氷魔法は、魔物の弱点が
水属性でも土属性でも効果があるようです。逆に、水属性と土属性
の二つの耐性を持っていないと、ダメージを減らすことはできませ
ん﹂
氷魔法は水と土両方の性質を併せ持つようだ。
固体が土の特性ということか。
魔物はいろいろの組み合わせで出てくるから、有効な場合もある
のだろう。
弱点にはならなくても、耐性も両方持っていないといけないなら
使える敵は多い。
﹁なるほど﹂
﹁雷は、弱点とする魔物がいない代わりに耐性を持つ魔物もいない
という特殊な属性です。また、雷魔法を浴びると麻痺状態になって
しまうことがあります。その点でも優秀な魔法です﹂
雷魔法は特に俺にとって有用な魔法かもしれない。
何故かというと、俺には遊び人と複数ジョブがある。
遊び人のスキルに雷魔法をセットすれば、雷魔法を一度に二発撃
てる。
2277
単純計算で倍近い魔物を麻痺させることができるのではないだろ
うか。
もしならなければ一発ずつ交互に放てばいい。 さらにいえば、暗殺者の状態異常確率アップと組み合わせること
もできるかもしれない。
これは明日が楽しみだ。
ただし、ジョブをどうするかは問題だ。
今現在冒険者を育てている段階で、他のジョブをセットする余裕
はない。
暗殺者や博徒まではとても手が回らない。
遊び人、魔道士、魔法使いと並べれば、おそらくは魔法を三発連
続で放てるだろう。
素晴らしい。
魅力的だ。
そのためには、冒険者を諦める、探索者を諦める、神官を諦める、
英雄を諦める、いろいろ考えなければならない。
魔法使いは雷魔法を使えない。
遊び人に雷魔法を設定するなら、魔法使いをファーストジョブに
しても運用上問題がない。
探索者を諦めるのが現実的だろうか。
探索者と魔法使いは現在ともにLv50だ。
Lv30、Lv40でもレベルが上がりにくくなったから、Lv
50もやはりそうなんだろう。
探索者と魔法使いのレベル差が開くことはあまりあるまい。
探索者の方が早くLv51に達するだろうが、ボーナスポイント
2278
1ポイントの差がそこまで致命的ということもないし。
問題があるとすればインテリジェンスカードのチェックか。
探索者をはずすなら、アイテムは冒険者のアイテムボックスに入
れることになる。
チェックのときに冒険者をファーストジョブにすることはできな
い。
探索者をファーストジョブにつけることはできるので、単純に今
と変わらないだけだが。
冒険者でなければ、魔法使いでも探索者でもあまり大差ないよう
な気はしないでもない。
いつチェックを受けても冒険者だと胸を張れる日は来るのだろう
か。
﹁使えるのは、ボール、ストーム、ウォールで変わりないか?﹂
﹁確か三つだと聞いています﹂
そこは変化なしか。
買い物を終え、冒険者ギルドから家までワープで帰った。
クーラタルの家には遮蔽セメントが使われているので、フィール
ドウォークは使えないはずだ。
迷宮から直接移動するのも多分ワープでなければいけない。
ワープとフィールドウォークの使い比べは、今のところまだ何も
やっていなかった。
魔道士のジョブも得たことだし、いろいろ試してみるべきか。
まずは、風呂を入れるため風呂場にこもる。
風呂はいつも一人で入れているので、ここなら好きに実験できる。
2279
アクアウォールと念じた。
水の壁ができる。
ウォーターウォールより一回りは大きいだろうか。
大きいだけではなく、厚い。
量にすれば結構違うだろう。
その分、MP消費も少し多い、ような気がする。
感覚でしか分からないので、明確ではないが。
多いといわれれば多いだろう。
魔法が解け、水が風呂桶に落ちた。
湯船に直接溜めたのではさすがにはっきり分かるほど量に違いは
ない。
水がめに溜めれば比較できなくもないが、そこまですることもな
いか。
遊び人のスキルに中級水魔法を設定し、今度はアクアウォールと
バーンウォールを同時に作った。
業火の壁の中で水が煮え立つ。
バーンウォールもファイヤーウォールより一回り強化されている
ようだ。
使い勝手は、初級魔法と中級魔法で変わらない。
次はアイスウォールを試した。
湯船の上に氷の壁ができる。
氷魔法に関しても使い方は同じようだ。
時間がたつと、氷の壁はそのまま落下した。
一度垂直に湯船に落ちた後、横に倒れる。
2280
風呂桶のふちに当たるが、割れずに滑ってお湯に浮かんだ。
せっかくさっきバーンウォールで温めたお湯が。
テストなのでしょうがない。
氷の板は、まだ水の少ない湯船の中でもしっかりと浮き、少しず
つ融けていっているようだ。
氷魔法で作られるのは、ちゃんと水の固体らしい。
ウォーターウォールで作った水は飲んでいるし、アイスウォール
の氷も大丈夫だろう。
デュランダルを出し、氷を砕いた。
アイスピック代わりに使われる聖剣。
しかしここはゼロから作られるデュランダルを使うのがいいだろ
う。
衛生的に考えて。
ひとかけら口に含んでみる。
冷たい。
氷だ。
気持ちいい。
風呂場の中はまだ暑くなっていないが、夏場だし氷が爽快だった。
これはなかなか素晴らしい。
いい魔法が手に入った。
﹁迷宮ですか?﹂
デュランダルを持ったままキッチンに行くと、ロクサーヌが迎え
た。
2281
風呂を沸かす途中で迷宮に行きMPを回復するのはいつものこと
だ。
﹁いや。今は涼をおすそ分けだ。全員、風呂場へ来い﹂
﹁涼、ですか﹂
戸惑うみんなを尻目に、コップ代わりの小さな桶を取り出す。
早くしないと全部融ける。
融けたら作ればいいだけだが。
コップを持って戻ると、氷は、多少薄くはなっていたが残ってい
た。
薄くなっていたおかげか、デュランダルで突くとざくざくと砕け
る。
コップで氷をすくった。
﹁これが涼だ。手を出してみろ﹂
風呂場に集まったみんなに手を出させる。
コップから手のひらに氷のかけらを載せてやった。
﹁冷たいです﹂
﹁これって、ひょっとして氷ですか?﹂
﹁××××××××××﹂
﹁確かに涼だと思います﹂
夏場だしやはり好評だ。
氷が苦手というようなこともないらしい。
ミリアは何を言っているのか分からんが。
率先して口に入れ、食べられることを教えてやる。
2282
﹁氷が水に浮いています。本当だったのですね﹂
セリーが風呂桶を覗き込んだ。
そういえばそんなことを教えたこともあったな。
信じてなかったのか。
﹁言ったとおりだろう﹂
﹁これは氷魔法ですか?﹂
﹁そうだ﹂
﹁魔道士のジョブを取得なされたのでしょうか﹂
セリーは無駄に鋭いな。
信じてなかったくせに。
氷はちゃんと水に浮くっちゅうねん。
﹁そういうことになるな﹂
﹁さすがご主人様です﹂
﹁ですが、魔道士など上位のジョブを得るには十年以上も研鑽しな
いといけないそうです。ドープ薬ではうまくいかないそうですし﹂
﹁ご主人様なら当然のことです﹂
セリーに出会う前に十年単位で修行していた可能性について思い
当たってもいいのではないだろうか。
もちろんそんな鍛錬はしていないが。
ロクサーヌのこの素直さを見習ってほしいものだ。
そしてドープ薬ではうまくいかないと。
ドープ薬で強化しても必ずしも強くはなれないそうだから、ドー
プ薬でレベルアップしてもステータス上昇はないか、少ないのでは
2283
ないかと思う。
もし魔道士を取得する条件にステータス値が含まれていれば、ド
ープ薬でレベルを上げてもジョブは得られない。
大量に使ってしまうと悲惨なことになりそうだ。
﹁すごい、です﹂
﹁素晴らしいと思います﹂
ミリアとベスタも褒めてくれた。
ミリアにはネコミミをたっぷりなでて返しておく。
後で氷菓でも作ってやろう。
とりあえず四人を外に出し、風呂を入れた。
試しにサンダーウォールも使ってみる。
風呂場で出してもしょうがないが、やってみたいよな。
白く閃光を放つ壁ができた。
これが雷魔法か。
風呂場ではフィールドウォークの実験も行う。
フィールドウォークと念じても、黒い壁は現れなかった。
遮蔽セメントを使っていると、発動さえしないらしい。
途中、ロクサーヌを連れて迷宮にも入る。
中級魔法を使っても、風呂を入れるのにMPの回復は必要だった。
MP効率が改善されてはいないようだ。
ただし魔道士はまだLv1だ。
レベルが上がれば楽になるだろう。
効果が結構違うし。
2284
﹁ロクサーヌ、これからちょっと実験してみる﹂
﹁はい﹂
ロクサーヌに断ってから、迷宮内でフィールドウォークも使って
みる。
黒い壁は現れなかった。
迷宮の中では、フィールドウォークは発動さえしないらしい。
遮蔽セメントが使われている風呂場の壁で試したときと同じだ。
迷宮には遮蔽セメントと同じ効果があるのだろうか。
いや。ダンジョンウォークは使えるのだから、関係ないか。
どうせ黒い壁も出ないなら、わざわざ実験だと宣言することもな
かった。
セリーのいる前でもよかったな。
実験だと言ってしまったが、ロクサーヌには実験したことさえ分
からないだろう。
何も言わずに、一度クーラタルの冒険者ギルドにワープする。
そこから、ベイルの町近くの森にフィールドウォークで移動した。
懐かしい。
ここなら人目もない。
家の壁を思い浮かべて、フィールドウォークと念じた。
黒い壁が現れる。
が、中に入ることはできなかった。
フィールドウォークの使える場所から使えない場所に移動しよう
とすると、こういう失敗になるのか。
2285
今度はワープを使い家まで帰った。
フィールドウォークもワープも使い方はほぼ同じだ。
MP効率については、違いがあるのかもしれないが、よく分から
なかった。
﹁うーん。なるほど﹂
﹁何かお分かりになられたのでしょうか。さすがご主人様です﹂
全然たいしたことではなかったが。
解散して風呂を入れる。
風呂を入れた後で、氷菓も作ってみた。
失敗だ。
氷菓子にも失敗した。
アイスクリームを作ろうとしたのに、変なシャーベットもどきみ
たいなものにしかならない。
アイスクリームは作れなかった。
アイスクリームはだめなのだろうか。
まあアイスクリームを実際に自分で作ったことはないしな。
細かい作り方までは知らない。
氷に塩を入れて温度を下げ、ぐるぐるとかき混ぜながら冷やして
やればいい、というのは間違っていないと思うが。
それに、砂糖も少し足りなかった。
もっと入れないといけないらしい。
﹁冷たくて美味しいです﹂
﹁これは味わったことのない感覚です﹂
﹁すごい、です﹂
2286
﹁わ。冷たいです﹂
それでも四人には好評みたいだ。
アイスクリームと考えなければ、悪くはないのか。
シャーベットならかき混ぜる手間はいらなかったが。
アイスクリームというくらいだから、牛乳に砂糖を入れて冷やす
だけでなく、生クリームを加えないといけないのではないだろうか。
この世界にも生クリームはある。
というか、牛乳を一晩放置しておくと、生クリームの上澄みがで
きる。
この世界の牛乳は少しおかしい。
さすがは異世界だ。
日本の牛乳とは違う。
最初に見たときは腐ったのかと思った。
その代わり生クリームの量は取れない。
ほんのちょっとしか浮かんでこない。
一度クレープで生クリームを巻いてみたかったのだが、そこまで
の量は取れないと思って諦めていた。
ただ、アイスクリームのためならやってみるのもいいだろう。
今度牛乳を大量に買ってみよう。
2287
すっぽん
夜寝るとき、氷を桶に入れベッドの横に置いてみる。
思ったほど涼しくはならなかった。
心もちひんやりしたかな、という程度だ。
こちらもうまくいかなかった。
人間冷却器であるベスタの肌の方がよほど涼しい。
氷でクーラーは難しいようだ。
もっとも、桶の上を渡ってきた風は冷たい。
発想自体は間違っていない。
一晩中誰かにうちわで扇がせるか。
そういうわけにもいかないが。
この世界の金持ちお大尽様なら、そのくらいのことはやっていそ
うだ。
その仕事だけをさせるなら、夜に働かせて昼に寝かせればいいの
だし。
俺も専用の侍女を購入するか。
夏に買って秋には処分とか、鬼畜すぎる。
あるいは、もっと大量に氷を作って寝室を埋め尽くすほどにする
か。
氷はもちろん融けてしまう。
そっちの処理の方が大変そうだ。
2288
氷魔法はものを冷やす魔法ではない。
氷を作るだけだ。
暑さ対策に利用するには、いろいろと関門があるようだ。
昨日より少しだけ涼しい中で目覚め、迷宮に入った。
魔法使いをファーストジョブにして、探索者ははずし魔道士をつ
けている。
昨夜氷を作ったとき、遊び人のスキルは下級氷魔法にした。
クーラタルの二十四階層では氷魔法が有効だろう。
グミスライムは水属性、タルタートルは土属性が弱点だ。
タルタートルは耐性が水属性なので、氷魔法がどう影響するかは
ちょっと分からない。
弱点になるのか、相殺されるのか。
水と土両方の耐性はないので、耐性が有効にはならないはずだ。
氷魔法がだめなら、次は雷魔法を試してみよう。
下級氷魔法を遊び人にセットしたのは昨夜なので、今なら自由に
変えられる。
ハルバーの二十五階層へ行けば、グミスライムとサイクロプスが
出るので風属性が有効になる。
そのときまで変えずにおいて中級風魔法をセットすることもでき
る。
ロクサーヌに地図を渡してクーラタルの二十四階層を進むと、タ
ルタートルとグミスライムの団体に出くわした。
ちょうどいい。
アイスストームと二回念じる。
魔法使いのジョブもつけているが、氷魔法二発にとどめた。
2289
グミスライムとタルタートルで違いを見るためだ。
雪が舞う中、四人が走り出す。
アイスストームだと雪になるのか。
俺も追いかけながら、氷魔法を重ねていく。
四人が魔物のところにたどり着いた。
今回は全体攻撃魔法を撃たれていない。
幸先のいいスタートだ。
魔物は、全部同時に倒れた。
四人が魔物のところに着いて間もないうちに。
水属性に耐性があっても、氷魔法はちゃんとタルタートルの弱点
として作用するようだ。
そして倒れるのが早い。
下級氷魔法は初級魔法よりも威力がある。
こんなに早く魔物が倒れたのは低階層以来のことだ。
戦闘時間が一気に短くなってしまった。
﹁これはなかなかだな﹂
俺はまだ魔物のところにたどり着いてさえいない。
走って四人に合流する。
﹁さすがご主人様です﹂
﹁魔道士の魔法はやはり威力があるようです﹂
﹁早い、です﹂
﹁こんなにすごいとは思いませんでした﹂
女の子が早いとか言うんじゃありません。
2290
ドロップアイテムを受け取った。
次に出くわしたタルタートル、グミスライム、クラムシェルの団
体には、魔法使いの初級土魔法を加えた三連発をお見舞いする。
雪の中に少し土ぼこりが混じった感じだ。
アイスストームの雪を見てしまうと、サンドストームの砂嵐が土
ぼこりに感じられてしまうという。
贅沢は敵だ。
二回めの三連発で、クラムシェルが煙になった。
やはり早い。
低階層の魔物なら楽勝だ。
三回めの三連発で、タルタートルが横になる。
こちらも早い。
サンドストームをまぜている分、さっきよりも早かった。
魔法使いの初級魔法であっても、使えばちゃんと効果があがる。
グミスライムが倒れないのは、土属性の弱点の差だ。
それなら、残ったグミスライムはおそらくバーンボールかアクア
ボールかウインドボール一発でしとめられる。
初級魔法一発で沈むかどうかは分からない。
ただし、撃つ隙間がない。
ロクサーヌが正面に立って魔物の相手をし、三人が魔物を囲み、
俺はまだ後方にいる。
この位置から魔物だけを単体攻撃魔法で狙うのは難しい。
グミスライム一匹しか残っていないが、全体攻撃魔法にすべきか。
と思っていると、魔物の動きが止まった。
2291
麻痺だ。
これはチャンス。
﹁全員待避﹂
一声かけ、バーンボールと念じた。
この機会を無駄にはすまい。
頭上に火の球ができる。
バーンボールは、ファイヤーボールと同じくらいの大きさの火の
球だった。
サイズにあまり変化はない。
ただし少し熱い感じはする。
色は普通のオレンジ色なので、何万度もあるわけではないが。
バーンボールがグミスライムに向かって飛んでいった。
かなりの速度で向かっていく。
ファイヤーボールよりスピードは上だ。
テニスのボールよりも速いくらいか。
テニスといっても高校の授業でやった軟式テニスとの比較だ。
しかも自分で壁打ちしたときの。
授業では俺はほとんど壁打ちだけをしていた。
ほっとけ。
これだけ速ければ遠くにいても避けられにくいだろう。
バーンボールがロクサーヌたちの横を通り、グミスライムに激突
する。
グミスライムが倒れた。
やはり残り一撃だったか。
2292
撃てる魔法の数が増え、種類も増えている。
無駄撃ちのないように計算するのが面倒になったな。
それはまあしょうがない。
﹁はい、です﹂
走って合流すると、ミリアがスライムスターチを渡してきた。
戦闘終了までに俺が合流できないのも面倒だ。
俺のところまで戻らせる手もあるが、それもどうかね。
﹁多少問題がなくもないが、大丈夫そうか﹂
﹁ご主人様のおかげで私たちは楽ができます﹂
﹁ロクサーヌのおかげで俺が楽できていることの方が多いがな﹂
走って魔物に近づくことには変わりがないのだから、ロクサーヌ
たちはあまり楽にはなっていない。
戦闘時間は短くなったが。
魔物に走って近づくのは全体攻撃魔法をキャンセルするためだか
ら、少しでも可能性があるなら近づいた方がいい。
他の魔法も試したいが、雷魔法は二十五階層へ行ってからでいい
だろう。
それ以外の属性は魔物の組み合わせによっては使える。
ボス部屋に向かって進んだ。
途中でMPも回復する。
戦闘時間が短くなったのはいいが、ミリアの石化の出番もほとん
どなくなってしまったのはちょっと痛い。
動かなくなった魔物から安定してMPを吸収することができなく
2293
なった。
石化した魔物が残らないなら、動いている魔物にデュランダルで
突撃するしかない。
タルタートルとグミスライム二匹ずつの団体に突貫する。
三人で並んで三匹の魔物を相手にした。
全体攻撃魔法を一度使ってきたので、タルタートルが一匹まだ後
ろだ。
こっちも全体手当てを使ったロクサーヌが後ろにいる。
グミスライムにデュランダルをぶち込んだ。
反撃の体当たりをなんとか避け、お返しに一撃。
ジョブに戦士をつけるほどの余裕はないので、ラッシュは使えな
い。
アイテムボックスを使っているから冒険者もはずせないし。
俺がグミスライムを処理する前に、ミリアがタルタートルを麻痺
させた。
麻痺した魔物を攻撃すれば反撃を受けることはないので俺が攻撃
したいが、そっちはミリアやベスタにまかせた方がいい。
俺なら反撃を喰らってもすぐにデュランダルで回復できる。
痛いけど。
﹁やった、です﹂
ミリアがもう一匹のグミスライムを石化した。
少し戦闘が長くなればすぐにこれが出るのもありがたい。
前線の三匹のうち二匹の動きを止めたことになる。
2294
﹁ミリアは奥の魔物を﹂
ロクサーヌの指示で、ミリアは遅れてやってきたタルタートルの
方へ向かった。
二列めに回った魔物は魔法を使ってくることが多いので、本当な
ら俺が相手をしたいところだが。
全体攻撃魔法を使おうとしてもデュランダルでキャンセルできる。
このグミスライムを片づけたらすぐに向かうのに。
﹁やった、です﹂
最初から相手をしていたグミスライムをようやく倒すと、ほぼ同
時に奥のタルタートルをミリアが石化させた。
さすがミリアだ。
素晴らしい。
戦闘時間が短くなって石化が出なくなったのでMP回復のために
デュランダルを持って前に出ないといけなくなったが、一匹ずつち
まちま戦って戦闘時間が長くなるとミリアの状態異常が発動するの
で、あまり問題はないか。
麻痺したタルタートルを全員で囲んで倒す。
ミリアが石化させる前に始末した。
石化した二匹は俺一人で片づける。
この調子でいけるなら大丈夫だろう。
ボス部屋に着く前、タルタートル三匹の団体に出くわしたときに
ダートストームも使ってみた。
ダートストーム、サンドストーム、アイスストームの三連コンボ
だ。
雪まじりの砂が舞う。
2295
魔物は、二度の三連発の後、ダートストーム一発で倒れた。
アイスストーム、アイスストーム、サンドストームの三連コンボ
より早い。
魔物の弱点をつけば、アイスストームよりダートストームの方が
威力があるようだ。
まあそれも当然か。
弱点属性を突いたのに中級土魔法より下級氷魔法の方が威力があ
ったら、氷魔法は土魔法の完全上位互換になってしまう。
消費MPが違うという可能性もあるが。
普通に考えれば、土属性が弱点の魔物には、下級氷魔法よりも中
級土魔法をピンポイントで使った方が効果的だろう。
グミスライム単独の団体には遭遇しなかったので、水属性につい
て確かめてはいない。
多分水属性でも事情は同じだろう。
ボス戦前にもMPを補充し、デュランダルを出したまま待機部屋
に入った。
待機部屋でセリーからブリーフィングを受ける。
﹁タルタートルのボスはトータルタートルです。タルタートルと同
じく、水属性に耐性があり土属性が弱点です。トータルタートルは
噛みつき攻撃が得意なので気をつけてください。一度噛みついたら
雷魔法で攻撃されるまで離さないと言われています﹂
それなんてすっぽん。
食いついたら離さない恐ろしい敵のようだ。
デュランダルをベスタに渡し、俺のジョブも整えた。
2296
ボス戦ではミリアの状態異常に頼るから、博徒をつけた方がいい。
アイテムボックスを使っているので冒険者ははずせない。
セブンスジョブを取得し、博徒を追加する。
七個まで全部ジョブをつけたのは初めてだ。
結構多いと思っていたが、これでも足りなくなりそうだな。
常識的には、初級魔法しか使えない魔法使いが次のリストラ候補
だろう。
ボス部屋に入ると、煙が集まり、魔物が三匹現れた。
二匹はタルタートルとグミスライム、中央がトータルタートルか。
タルタートルは樽のような膨らんだ円筒形の体をしているが、ト
ータルタートルの体は平べったい普通の形をしている。
亀だ。
ただし、甲羅は草で覆われている。
ワニのような頭、ゾウのような足、魚のような尻尾、草で覆われ
た甲羅、部分部分はあまり亀に見えない。
しかし全体として見ると、亀だ。
トータルで亀なのか。
ダートストーム、サンドストーム、アイスストームの三連コンボ
を放ち、ミリアが向かった先のグミスライムに状態異常耐性ダウン
をかけた。
トータルタートルとタルタートルは弱点属性が同じだから、ミリ
アが残りのグミスライムを受け持つのは正解だ。
ロクサーヌとセリーはボスのところへ、ベスタもタルタートルの
ところへと走る。
俺も少し遠回りしてボスの裏に潜り込んだ。
2297
魔法の合間に聖槍で突く。
甲羅の部分を攻撃して有効かどうか分からないので、主として足
を狙った。
ゾウというかゾウガメというか、トータルタートルの足はぶっと
い肉の柱だ。
尻尾は警戒しなければならないが、この足で俺のところまで蹴り
が飛んでくることはないだろう。
槍で突くので多少距離は開けている。
頭の方は噛みついたら離れないらしいが、そっちはロクサーヌが
担当だ。 ロクサーヌなら安心だろう。
﹁やった、です﹂
尻尾を警戒していると、ミリアがグミスライムを石化させた。
ほぼ同時に、ベスタがタルタートルを撃破する。
魔法攻撃力が上がったのでこちらも早い。
俺がとどめを刺すことはできなかったが。
﹁さすがだな。その調子で次はボスも頼む﹂
トータルタートルに状態異常耐性ダウンをかけた。
ダートボール、アイスボール、サンドボールをボスに向かって次
々に撃ち込んでいく。
﹁やった、です﹂
ボスもすぐに石化した。
やはりボス戦ではミリアの活躍が光る。
2298
完勝だ。
ベスタからデュランダルを返してもらって、ボスとグミスライム
を片づけた。
ボスが倒れ、煙となって消えると、甲羅っぽいものが残る。
鑑定してみるとソフトシェルというらしい。
トータルタートルはドロップアイテムまですっぽんなのか。
﹁ソフトシェルか﹂
﹁柔化丸の材料ですね﹂
セリーが教えてくれた。
柔らかい甲羅だから石化の薬になるのか。
安直のような気はしないでもない。
2299
雷
薬草採取士をつけて柔化丸を作ってから、二十五階層に向かう。
薬草採取士にもLv50で取得できる中級職があるのだろうか。
しかしLv50までとなると育てるのも大変だ。
あれこれ試すのは、もっと上の階層へ行って楽にレベルアップで
きるようになってからでいいだろう。
﹁セリー、クーラタル二十五階層の魔物は何だ﹂
﹁ブラックフロッグです。水魔法に耐性があり、全体攻撃魔法を含
め水魔法を好んで放ってきます。弱点は火属性です。表面がぬるぬ
るしていて、うまく斬りつけないと攻撃を弾いてしまうそうです﹂
フロッグ
カエルか。
弱点は火魔法らしい。
しかし、今遊び人のスキルを中級火魔法にセットする手はない。
ハルバーの二十五階層に行けば風魔法が有効になる。
一、二回戦ってみる程度なら遊び人のスキルはこのまま氷魔法で
押し切るべきか。
ブラックフロッグは、水属性に耐性があっても土属性にはないの
で、氷魔法は使える。
グミスライム、タルタートルと一緒に出てくるなら氷魔法が最適
解になるし。
﹁ロクサーヌ、ブラックフロッグのいそうなところへ頼む﹂
﹁分かりました﹂
2300
数の少ないところを条件に加えてもいいが、ロクサーヌも分かっ
ているだろう。
ロクサーヌの先導で進んだ。
魔物の団体と出会う。
ブラックフロッグ三匹とタルタートル一匹の団体だった。
分かってねえじゃねえか。
いや。ブラックフロッグが三匹いれば前衛陣三人が全員相手にで
きることになる。
分かっているというべきなんだろうか。
ブラックフロッグの方が数が多いので、バーンストーム、アイス
ストーム、ファイヤーストームの三連発でいく。
火と氷を一緒に使って大丈夫かどうかは、試してみるよりほかは
ない。
相殺されたりして。
ブラックフロッグは、名前のとおり黒いカエルだった。
結構でかいので気持ち悪い。
巻物を口にくわえたら上に乗れそうだ。
背中は黒いが、腹は白い。
必ずしも保護色にはなっていない。
全身が黒くなるか這ったまま進んできたら、ミリア以外には厳し
い戦いになるところだった。
ロクサーヌ、ミリア、ベスタが相手をする。
彼女らが攻撃を浴びることもなく、ブラックフロッグ三匹は倒れ
た。
2301
戦闘時間が短くなったのでそこは問題ない。
火魔法と氷魔法を同時に使っても、大丈夫なようだ。
残ったタルタートルをダートボール、サンドボールとアイスボー
ルで片づける。
単体魔法は一発ずつ撃っていったが、結局三発かかってしまった。
サンドボールが必要だったかどうかは分からない。
ダートボールとサンドボールで倒れるかと思ったが、倒れなかっ
た。
ダートボールとアイスボールだったら倒れたかもしれない。
この辺の最適化は、面倒だが戦いながらだな。
﹁ブラックフロッグとも戦ってみたし、ハルバーの迷宮に移っても
いいか?﹂
﹁そうですね。大丈夫だと思います﹂
ロクサーヌに確認を取って、ハルバーの二十五階層に移動する。
遊び人のスキルは、氷魔法のままでまだ変えない。
グミスライムとサイクロプスには風魔法が有効だが、一度使って
みてからの方がいいだろう。
雷魔法という選択肢もあるし。
最初は、ロクサーヌにどの魔物を探してもらうべきか。
風魔法を試したいのだからグミスライムとサイクロプスの組み合
わせにすべきか。
しかしサイクロプスが相手では氷魔法がもったいない。
グミスライムとシザーリザードの組み合わせを探してもらうべき
か。
2302
グミスライムとシザーリザードなら氷魔法も効く。
まあ何でもいいか。
出たとこ勝負で十分だろう。
考えることを放棄して、何も指示を出さずに探索した。
最初に出会ったのは、グミスライムが二匹、サイクロプスとシザ
ーリザードが各一匹の団体だ。
魔物の種類が多いといろいろ試せていい。
出たとこ勝負で十分だったようだ。
グミスライムなら風魔法でも氷魔法でも有効になる。
ウインドストーム、アイスストーム、ブリーズストームの三連打
を放った。
中級風魔法と氷魔法を使うなら、グミスライムが最初に倒れるは
ずだ。
魔法使いの初級魔法はグミスライムとサイクロプスに共通して有
効なブリーズストームにすべきだろう。
グミスライムは土属性のみ弱点ではない。
魔法の種類が多くなったので、魔物の種類が多くなると選択が大
変になるな。
そこはしっかり考えてやるしかない。
セリーに笑われない程度には。
こんな主人で困ったものだと思われては問題だろう。
吹雪の中、グミスライムは三回めの三連発で煙になった。
次はウインドストーム一発を使ってみる。
サイクロプスが倒れた。
サイクロプスはここで終わりか。
2303
残ったシザーリザードにはアイスボールを撃ち込む。
トカゲはまだ倒れなかった。
次にサンドボールを撃って始末する。
シザーリザードLv25を倒すには、中級風魔法四発+下級氷魔
法四発+初級風魔法三発+初級土魔法一発か。
これらの方程式を解けば、最適な魔法の組み合わせを弾き出せる
のだろうか。
むちゃくちゃ大変そうだな。
さらにはまだ使っていない雷魔法とかもあるのに。
こうなるとセリーにだって解けまい。
もう適当でいいだろう。
魔法一発で魔物を倒せる階層に行けば各種魔法の威力の違いを計
ることはできるが、そこまですることもない。
Lv25の魔物でどうかということも関係してくるのだし。
戦闘を重ねていけば、経験によって自然と分かるはずだ。
そして、慣れたころ二十六階層に移動すると。
やってられへんで。
次に出くわしたのは、グミスライムが二匹にサイクロプスの団体
だ。
サンダーストーム、アイスストーム、ブリーズストームを試して
みる。
初めてのサンダーストームだ。
粉雪が吹きつける中、ちかちかと何かが光った気がした。
閃光とか、そんなにはっきりしたものではない。
2304
軽く光ったかな、という程度だ。
雷だからそれでいいだろう。
感電でもしたら困る。
一回めの三連発でグミスライムが一匹動かなくなった。
麻痺だ。
ミリアはまだ魔物のところに到着していないので、雷魔法で与え
た麻痺で間違いない。
結構麻痺するものなんだろうか。
残ったグミスライムがこちらに来る。
ロクサーヌが正面で迎え撃った。
ミリアとベスタが横から囲む。
風魔法に妨害されたサイクロプスが遅れてやってくると、ミリア
がその相手をした。
アイスストームがグミスライムに有効、ブリーズストームはグミ
スライムにもサイクロプスにも有効だから、このメンバーの中では
サイクロプスが最後まで残る。
硬直のエストックを持つミリアがサイクロプスの相手をするのは
正解だ。
ただし、ミリアがサイクロプスを相手に選んだのは、グミスライ
ムが二匹でサイクロプスが一匹の団体だったからだろう。
二匹と一匹の組み合わせなら、数の多い方から片づけている。
魔法の属性をきっちり理解して、方程式を解いたわけではあるま
い。
サイクロプスが前線にやってきた直後、二回めの三連発を放つ。
今回は麻痺が出なかった。
2305
と思ったら、サイクロプスの動きが止まった。
これはミリアの攻撃が効いたのだろう。
三回めの三連発でも麻痺は出ない。
煙になった魔物もいなかった。
やはりグミスライムやサイクロプス相手には中級風魔法の方が有
効だ。
おそらく、雷魔法も氷魔法と同様、ピンポイントで弱点をつくな
ら中級魔法の方が威力が上なんだろう。
次はウインドストームを使ってみる。
グミスライム二匹が倒れた。
グミスライムはここまでか。
サイクロプスが残ると、ロクサーヌの指示で四人が正面を空けて
くれる。
よく分かってらっしゃる。
ブリーズボールを放った。
サイクロプスは倒れない。
﹁やった、です﹂
倒れなかったが、ミリアが石化を発動させた。
サイクロプスは麻痺していて反撃の恐れがないので、横からやた
らと攻撃したのがよかったのだろう。
デュランダルを出しながら四人のところへ走る。
サイクロプスがどこで倒れるか確認もしたかったが、石化したの
ではしょうがない。
石化すると魔法に弱くなる。
2306
方程式が複雑になる。
﹁今のが雷魔法ですか?﹂
﹁そうだ﹂
セリーの質問に答えながら、サイクロプスにデュランダルを叩き
つけた。
石化したサイクロプスが一撃で倒れる。
かなりダメージが蓄積していたようだ。
﹁雷魔法に氷魔法、風魔法も使っているように感じましたが﹂
﹁使ったな﹂
﹁⋮⋮﹂
セリーが絶句した。
三種類の属性を同時に使ったのは初めてだったかもしれない。
魔道士のジョブを得たから使える魔法も一つ増えたのだ。
とは教えないが。
それだけではすまないだろうし、いろいろ面倒なことになりそう
で。
雷魔法は、三回撃って麻痺が一度か。
試行回数が少ないのでまだ何ともいえないが、それなりという感
じだろうか。
魔物の数が増えれば、もう少し出るかもしれない。
あるいは、遊び人のスキルにもセットすれば二倍撃てる。
ただし、グミスライムやサイクロプス相手には中級風魔法の方が
いい。
倒すのに必要な魔法の数が元々多くないので大きな差ではないが、
2307
少しは異なる。
戦闘時間に違いが出るのなら、中級風魔法を使うべきだろう。
ハルバーの二十五階層ではグミスライムとサイクロプスが出てく
ることが多い。
中級風魔法より雷魔法の方がいいのは、ハルバーの二十五階層で
はシザーリザードがメインで出てきた場合のみだ。
そういう団体はあまり多くない。
出てくる魔物の弱点と耐性の組み合わせがもっと混沌としている
階層なら、遊び人のスキルは下級雷魔法にすべきなのだろう。
遊び人のスキルは中級風魔法にすべきか。
スキル設定と念じて、遊び人のスキルを中級風魔法にする。
次に遭遇したグミスライムとサイクロプス二匹ずつの団体は、風
魔法のみで屠った。
ウインドストーム、ウインドストーム、ブリーズストームの三連
発だ。
正確には、二度の三連発の後ウインドストーム一撃で終わる。
サイクロプスなどはほとんど何もできずに終了した。
やはり風魔法が弱点の魔物に風魔法をピンポイントで使うのは強
い。
ハルバーの二十五階層では一抹の不安もなく戦えるだろう。
魔物は選ばず、探索メインで迷宮を進んでいく。
問題があるとすれば、早く倒してしまう分、ミリアの石化が出な
いことくらいか。
贅沢な悩みだ。
あるいは、シザーリザードが一匹二匹紛れ込んだ場合か。
2308
そのときはそのときでミリアが無力化してしまうが。
夕方近くまで何の問題もなく探索を行った。
グミスライム、サイクロプス、シザーリザードの組み合わせの団
体にも出会う。
まずは、風魔法でグミスライムとサイクロプスを片づけた。
魔物が一匹だけになると、ロクサーヌとミリアが横に開き、シザ
ーリザードへのラインを通してくれる。
シザーリザードはまだ動きが止まっていない。
ここはサンダーボールを使ってみるべきだろう。
麻痺でシザーリザードの動きが止まるかもしれない。
雷属性の単体攻撃魔法はまだ使ったことがない。
初めてのチャンスだ。
俺はサンダーボールと念じた。
頭上に明るい光の球ができる。
ボールに雷光がまとわりついていた。
おおっ。
なんかかっこいい。
いかにもという感じだ。
魔王とか、重要な悪役の登場シーンの背景にありそうな小道具。
稲妻がきらめく雷の球だ。
くっくっくっ。
ヤマトの諸君。
私の名はゴア。
2309
サンダーボールが飛んでいく。
トカゲに命中するが、倒すことも麻痺させることもできなかった。
失敗か。
今の攻撃を受けきるとは敵ながらたいしたものだ。
続いて魔法使いでサンドボールを放つが、シザーリザードはこれ
も耐え切る。
合間に走って近づいた。
次に三連打を浴びせれば。
今度こそはあの雷の球で。
サンダーボールで倒す。
﹁やった、です﹂
あら。
トカゲの動きが止まった。
何を石化なんかしちゃったりなんかしてくれちゃったりなんかす
るわけ。
まあ別に石化したからといって魔法で倒したとしても何の問題も
ないが。
しかし最後の一匹が石化した以上は、デュランダルで倒して安全
にMPを回復したいというのも事実。
ミリアの石化がこんなに残念だったことは初めてだ。
2310
エステル男爵
狩を終え、牛乳を大量に買って家に帰ると、ルークからの伝言が
来ていた。
その日はどちらも放っておく。
夕食は尾頭付きの唐揚げを、主としてミリアが、楽しみ、風呂に
入った後、氷を大量に作って寝た。
桶五つ分の氷でベッドを囲むと、少しは涼しい。
部屋の温度も一、二度は下がったのではないだろうか。
たかが一、二度。されど一、二度。
結構暑くなった真夏の夜に少しでも涼しくなるのは大きい。
その上で人間冷却器もいるわけだし。
桶五つなら、一人が一つずつ運べば用意も処理も難しくない。
ロクサーヌたちも嬉々として風呂場から桶を運んでいた。
今まで全員でひっついて寝ていたのは少し暑かったようだ。
もちろんやめるつもりはない。
桶は、敷いた布の上に置く。
でないと濡れてしまう。
濡れてしまうなんて、いけない桶だ。
別に解けた水が漏れているわけではないと思うが。
翌朝、ルークからコボルトのモンスターカードを手に入れた。
耐風のダマスカス鋼額金、人魚のモンスターカードと一緒にセリ
ーに手渡す。
2311
﹁⋮⋮これにはすでに複数のスキルがついているのでは?﹂
﹁大丈夫だ﹂
自分が融合したからか、しっかりと覚えているらしい。
セリーの目が泳いでいた。
だからといって許すはずもなく。
﹁で、できました﹂
﹁さすがセリーだ﹂
疲れたようにテーブルに頭を伏せるセリーから額金を受け取った。
耐風、耐火、耐水のスキルがついたが、名称は変わらない。
そういうものらしい。
夕方まで迷宮に入り、帰ってから生クリームを採取する。
生クリームで思い出したが、何年か前にアイスクリームを手作り
しているところをテレビで見たことがある。
確かに生クリームを使っていた。
卵黄も入れていたような気がする。
卵の風味がどうとか言っていたような記憶があるので、多分間違
いではないだろう。
あと、火にもかけていたような気がする。
よく分からないが牛乳を一日置いて使っているのだし、火は通し
ておいていい。
風呂を入れた後、生クリーム、牛乳、卵黄、砂糖を火にかけなが
らゆっくり混ぜる。
混ぜた後、火からおろし、容器を塩入りの氷で冷やしながら、ベ
2312
スタに攪拌してもらった。
今回は二回めなので、ベスタを使っても何の問題もない。
分量はだいたい大丈夫だし、失敗してもシャーベットができるは
ずだ。
その隣で俺は低脂肪乳をたっぷりと使ったシチューを作る。
具には卵白も入れた。
低脂肪乳はシチューだけではとても使い切れないがしょうがない。
犠牲になったのだ。
﹁ええっと。なんかうまく固まらないんですが﹂
ベスタが報告してくる。
見ると、かなりアイスクリームっぽくなっていた。
﹁おお。これでいいんだ。うまくできたな。成功だ﹂
﹁これでいいんですか?﹂
﹁結構なめらかだろう。もう少しかき混ぜたら、後は氷で冷やして
おけばいい﹂
﹁はい。分かりました﹂
ただ、妙に黄色いな。
卵黄を入れすぎただろうか。
少し心配だが、卵だし味が変なことにはならないだろう。
夕食の後でデザートとして食べてみる。
木の匙ですくって、口の中に入れた。
なめらかで柔らかく、舌の上でゆっくりと融けていく。
旨い。
2313
アイスクリームだ。
というか、こんな美味しいアイスは日本でも食べたことがない。
濃厚でクリーミーかつ優しい味だ。
これがアイスというなら日本で食べていたものは何だったのか。
天然素材がよかったのか、手作りがよかったのか、それとも手間
ひまをかけたことがよかったのだろうか。
ここまでなめらかにできたのはベスタがしっかりかき混ぜてくれ
たおかげだとして。
﹁ご主人様、これはすごく美味しいです﹂
﹁甘くて、冷たくて、口の中で融けていきます。すごいです﹂
﹁すごい、です﹂
﹁柔らかくて本当にすごいと思います﹂
すごいと思うじゃなくて実際にすごいんだよ。
四人にもかなり好評のようだ。
﹁こんなにうまくできたのはベスタがよくかき混ぜてくれたからだ
な。ありがとう﹂
﹁いえ﹂
﹁次に作るときにも頼むな﹂
﹁はい。いつでもおまかせください﹂
ベスタには礼を言っておいた。
また作ることにも前向きだから、本当に美味しかったのだろう。
翌日にはゼリーを作ってみる。
朝食を作るときに、水、なんだかよく分からない果物、コボルト
2314
スクロース、コーラルゼラチンを鍋に入れ、火にかけた。
桶の中に氷を敷いて、その上で一日かけて冷やす。
昼と夕方で二回氷を取り替え、冷たくなったところを夕食の後で
いただいた。
ひんやりプルプルの柔らかデザートだ。
アイスクリームと違って大量に作れるところもいい。
﹁昨日のも美味しかったですが、こちらもすごいです﹂
﹁そうですね。昨日のよりあっさりしていて、のど越しもすっきり
しています﹂
﹁おいしい、です﹂
﹁こんなお料理を毎日いただいていいのでしょうか﹂
冷やす環境さえ用意できれば、ゼリーは簡単で失敗のないデザー
トだ。
この世界の果物は酸っぱいばかりであまり甘いものにあたったた
めしがないが、ゼリーなら砂糖で煮込むので問題がない。
パイナップルだとうまく固まらないそうだが、この果物はちゃん
と固まった。
冷やすだけで放っておけばいいし。
アイスクリームほどの低温も必要ない。
簡単で手軽にできる。
氷さえあれば。
氷があるといろいろ使えて便利だな。
アイスクリームじゃなくてフローズンヨーグルトという手もある。
あれは低脂肪・低カロリーを謳っていたので、生クリームを使っ
てはいないだろう。
2315
﹁ヨーグルト⋮⋮もあるよな﹂
よかった。
ちゃんとブラヒム語に翻訳された。
四人に訊いてみる。
﹁冬になれば出回ると思います﹂
﹁冬なのか﹂
﹁そうですね﹂
ロクサーヌが答えた。
この世界ではヨーグルトは季節ものだったらしい。
道理で見たことがないわけだ。
冬ではフローズンヨーグルトにすることもないか。
﹁牧場へ買いつけにでも行けば、売ってくれるかもしれませんが﹂
セリーが教えてくれる。
どこかにはあるということか。
まあわざわざ探してまでというほどでもない。
﹁そこまですることもないか﹂
﹁基本的に、夏は牛乳がありますから、そちらを使うことがほとん
どです。ヨーグルトが出回るのは牛乳がなくなる冬近くになってか
らです﹂
﹁そうなの?﹂
﹁そうなんですか﹂
ロクサーヌもヨーグルトが冬に出回る理由を知らなかったみたい
2316
だが、俺とロクサーヌでは多分驚いたポイントが違うと思う。
牛乳は冬になるとなくなるのか。
牛乳まで季節ものだったとは。
﹁牛は、春に子牛を産んで、出産後は半年くらい乳を出します。搾
った生乳が出回るのは春先から秋口までで、冬の間は作っておいた
ヨーグルトに切り替わります。この辺りではヨーグルトは冬の食べ
物ですね﹂
確かに、牛だって出産しないと牛乳は出ない。
春に子どもを産んで、半年は牛乳が出る。
それ以外の季節では生乳は手に入らないと。
ヨーグルトは発酵乳だし、長期保存が可能なんだろう。
﹁それは知らなかった。さすがセリーだ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁すごい、です﹂
セリーの目は、こんなことも知らないのかという冷たい目ではな
い。
ロクサーヌの他にミリアも知らなかったみたいだし、広く知られ
たことではないのだろう。
ミリアはすごいと言っているが、魚の話ではないから多分口だけ
だ。
﹁ベスタは知ってた?﹂
﹁前の主人が牛も持っていたので、牛乳を搾る仕事が半年ありまし
た。牛乳を飲めるのでいい仕事でした。うちではチーズを作ってい
ましたが﹂
2317
牛を飼っていれば当然知っている話か。
ベスタがあるのは牛乳のおかげらしい。
やはり乳製品か。
乳製品なのか。
﹁牛乳ですか⋮⋮﹂
セリーもつぶやいている。
その日の夜は牛乳の恩恵をたっぷりと愛でた。
夜が明けたら、ハルツ公爵のところへ行く日だ。
早朝の狩の後、ジョブを整えて、ボーデの城に赴く。
﹁団長らが奥の執務室でお待ちです﹂
受付に行くと、勝手に行けとばかりに中に通された。
俺一人だと扱いがぞんざいだ。
ぞんざいというべきか、気を許してるというべきか。
勝手知ったる他人の城の中に入っていく。
執務室以外はよく分からないが。
すぐに執務室に着き、扉をノックした。
﹁入れ﹂
ゴスラーの声だ。
今日はちゃんといるらしい。
﹁ミチオです﹂
﹁おお。ミチオ殿か。待っておった﹂
2318
中に入ると、公爵が迎える。
公爵とゴスラーの他、今日はもう一人いた。
大きなイヌミミの聖騎士、♂だ。
背も高く、りりしい。
﹁ほう。そのほうがサボー・バラダムを倒したという男か﹂
いきなり俺に話しかけてくる。
垂れたイヌミミが頭を覆っていた。
ぱっと見、ちょっとイヌミミとは分かりにくい。
セントバーナードみたいだ。
﹁ええっと﹂
﹁決闘でミチオ殿が倒した相手です﹂
突然のことにまごついていると、ゴスラーが教えてくれる。
決闘のときの相手か。
確かにバラダム家の人だった。
﹁あれは、粗暴な男ではあったが、実力の方は我と同じ狼人族の中
でもそれなりであったはず。サボー・バラダムを倒すほどであれば、
おそらく問題はあるまい﹂
﹁あの男がミチオ殿によって倒されたことは間違いありません。私
が立ち会いました﹂
問題あるまいとか言っているのは、帝国解放会の関係者だからだ
ろう。
あるいはこの男が試験官なのか。
﹁ミチオ殿、彼の名前はエステル。帝国解放会への入会試験を行っ
2319
てくれる﹂
公爵が紹介する。
やっぱり試験官のようだ。
﹁エステルだ﹂
﹁ミチオです﹂
﹁一応彼の普段の役職は﹂
﹁いや、よい。解放会では世俗のポストなど関係のないことだ﹂
さらなる紹介を男が断った。
俺は鑑定で分かるが、彼はエステル男爵エステル・エステルリッ
ツ・アンエステラだ。
ややこしいな。
親もエステルとかつけなきゃいいのに。
﹁まあエステルがそう言うのであれば﹂
﹁ミチオも我のことはエステルでよい。敬語も不要だ。我もミチオ
と呼ばせてもらう﹂
﹁はい﹂
貴族と紹介されたのではないから、普通に接してかまわないだろ
う。
貴族だし偉いポストについているのだろうが。
﹁一応説明させてもらうと、帝国解放会は帝国の迷宮からの解放を
目指して戦う者たちの扶助組織だ。もし会員となれば、迷宮からの
解放を目指して日々戦い、切磋琢磨しなければならない。主要な義
務といえるのはこれだけだ﹂
2320
エステルが説明した。
本当にあまり義務や拘束はないみたいだ。
入会そのものはあまり問題はないか。
迷宮にはこれからも入り続けるしな。
切磋琢磨はともかく。
﹁主要でない義務とは?﹂
﹁ミチオはブロッケンからの紹介で特例入会となるので、入会後二
十年以内に四十五階層の突破試験を受けてもらわなければならない。
帝国解放会の正規会員は四十五階層以上で戦えることが本来の条件
だ﹂
ブロッケンというのはハルツ公爵のことだ。
この人は本当に爵位とかに気を使わないらしい。
﹁四十五階層か﹂
﹁突破できるようになったら、試験は前倒しでいつでも受けられる。
二十年たって四十五階層を突破できなくても退会処分になるだけな
ので、あまり心配することはない﹂
﹁まあ心配はしていない﹂
一年で一階層くらいだから、そう無理難題ということでもないの
だろう。
迷宮の上の方に進もうとする者にとっては。
一年で一階層なら四十五歳のとき四十五階層までしか進めないこ
とになる。
﹁禁止行為としては、他種族に対する差別は禁止している。帝国解
放会はすべての人たちの解放を目指すのだから、これは守っていた
2321
だきたい﹂
﹁承知している﹂
﹁もう一つ、帝国解放会の内部で知りえたことを外に漏らすことも
禁止だ。とりわけ誰が会員であるとかの情報を外部のものには決し
て話さないように。自分が会員であると公言してもいけない。これ
は、迷宮を倒そうと戦う人に迷宮側からの反撃を防ぐためである。
考えすぎとの意見もあろうが、暗殺などの卑怯な手段を使ってこな
いとも限らない﹂
秘密結社みたいになっているのはそういう理由だったのか。
考えすぎだと思うが。
しかし絶対にないといいきれるわけでもない。
﹁外部というのは、具体的にどこまでが外部になるんだ。パーティ
ーメンバーには話さないといけないことも出てくると思うが﹂
﹁通常はパーティーの代表者だけが入会する。代表者が入れば、他
のパーティーメンバーを守秘義務で拘束することは難しくないだろ
う﹂
ロクサーヌたちに対して秘密にすることはなかったようだ。
そういえば、ゴスラーもこの場所にいるってことはゴスラーも会
員なのか。
2322
入会試験
﹁そうなると入会試験はパーティーメンバー全員で行うのか?﹂
ハルツ公爵に引き合わされた試験官のエステル男爵と話を続ける。
﹁普通はそうだ。もっとも、特定のパーティーメンバーをはずして
他のメンバーだけで試験を受けることもできる。こちらとしてはそ
れでもかまわないが﹂
﹁いや。全員で受ける﹂
あわてて否定した。
別に知られたくない人がいるという意味で質問したのではない。
パーティーメンバーを減らして迷宮に挑むのは大変だろう。
﹁騎士団に所属するなどしてパーティーメンバーが固定でない場合
にその事情が斟酌されることもあるが、基本的に試験は普段一緒に
戦っているパーティーで受けてもらう。自前のパーティーメンバー
を用意できないようでは入会の資格はない﹂
﹁そのときだけ助っ人を頼むとか﹂
﹁それは認められない﹂
﹁うーん。そうか﹂
いくらでも不正はできそうだ。
﹁試験での不正はあまり考えられていない。帝国解放会は迷宮に入
って戦う意志を持たない人間が入会しても何の役にも立たない組織
2323
だ。無理に入ってもしょうがない﹂
俺の顔色を見て取ったのか、エステルが追加で説明した。
帝国解放会では自分が会員であると吹聴することもできない。
見栄や世間体で会員になる人はいないのだろう。
だったら試験するなよという気もするが、実力の足りないやつば
かりに入ってこられても困るか。
﹁入会試験はどうやって行う?﹂
﹁どのような戦闘をしているか、戦いぶりをまず少しだけ見せても
らう。試験会場はクーラタルにある迷宮の二十三階層だ。その後で
ボス部屋に行く。戦い方があまりにひどいと判断した場合にはボス
部屋へ行く前に失格となることもありうる。無理にボスと戦わせて
もしょうがない。ボス部屋に入っていくのを見送ったら、我らは二
十四階層へ先に回る。二十四階層で無事合流できたら、合格だ﹂
ボス部屋には一つのパーティーしか入れないから、ボス戦は見学
しないようだ。
エステル男爵が俺たちのパーティーに入ってということもないら
しい。
まあ試験で推薦者もいるとはいえ、後ろからバッサリということ
も考えられるしな。
一人でパーティーの中に入って迷宮へ行くのは無用心だろう。
入会したくないならここでまともに戦わない手もあるが、それは
難しい。
手を抜いてピンチを招き、命を危険にさらしては元も子もない。
推薦者である公爵の面子をつぶすこともできないし、帝国解放会
も変な組織ではなさそうだ。
まじめに戦うべきか。
2324
﹁試験はいつやるんだ﹂
﹁そちらの都合がよければ、すぐにでも﹂
﹁こっちはそれでいい﹂
戦いぶりを見学するそうなので魔法は使えないが、デュランダル
を出したときにいつもやっていることだ。
特に演習をする必要はない。
ボス戦は見学なしなので自由に戦える。
﹁クーラタルにある迷宮に来れるか。もっといえば二十三階層の入
り口に﹂
﹁二十三階層の入り口で大丈夫だ。クーラタルの迷宮もときには行
くようにしているからな﹂
﹁では二十三階層の入り口の小部屋でこの後すぐに待ち合わせよう﹂
﹁分かった﹂
俺はハルツ公領内の迷宮に入ることになっているので、クーラタ
ルの二十三階層に行ったことがあるのは本当はまずいかもしれない。
だからといって、行ったことがないと嘘をつくのもどうか。
クーラタルの迷宮で誰にも会わなかったということはない。
公爵やゴスラーに情報がいけばかえって不信感を抱かれる。
実際にもちゃんとボーデにある迷宮で探索を行っている。
無理に隠すことはないだろう。
入会試験のせいで余計なことまでばれてしまった。
多分、俺がクーラタルの二十三階層に行ったことがなかったら、
入り口で待ち合わせて案内してくれるのだろう。
それもめんどくさい。
2325
入場料を取られるし。
二十三階層の入り口で待ち合わせればタダだ。
いや。迷宮入り口から入った場合、階層入り口の小部屋には常設
の黒い壁から出る。
ワープやダンジョンウォークで移動した場合には小部屋に黒い壁
を作ってそこから出る。
エステル男爵が先に待っていれば、俺がどうやって移動したかが
少し分かってしまう。
入り口から入場料を払って入るのが無難か。
﹁では先に行って待っている。ブロッケン、行ってくる﹂
﹁ああ。行ってこい﹂
エステル男爵がハルツ公爵に挨拶して外へ出た。
早い。
先に行かれた。
﹁では﹂
﹁ミチオ殿なら問題はあるまいが、がんばられよ﹂
﹁落ち着いて受けてきてください﹂
俺も公爵とゴスラーに一礼して追いかける。
執務室の外に出たとき、もうエステル男爵の姿は見えなかった。
急げば先にクーラタルの二十三階層に行けるだろうか。
確実に先行できるわけではないから危険か。
そんなに高いわけでもないし、リスクを避けられるなら入場料く
らい払っておけばいいか。
二十二階層のボスを倒して上がれば常設の黒い壁から二十三階層
2326
に入れるが、そこまですることもないだろう。
試験の後でクーラタルの騎士団に挨拶するとか。
エステルがクーラタルの騎士団から話を聞くとか。
可能性としてないわけではない。
男爵だし役職もあるみたいだし。
入場料は払うことにして、ゆっくり落ち着いてボーデの城から家
に帰る。
用ができたからと、掃除をしているロクサーヌたちを適当なとこ
ろで切り上げさせた。
﹁帝国解放会なるものにハルツ公爵が推薦してくれるそうだ。迷宮
で戦う人の相互扶助を目的とした団体らしい﹂
四人を前に話を切り出す。
ゆっくりでいいなら家で説明してから行けば十分だろう。
﹁帝国解放会?﹂
﹁実力者のみが入会を許される団体ですよね。すごいことです﹂
﹁そうなのですか﹂
ロクサーヌとセリーが話す。
セリーも少しは俺のことを見直しただろうか。
いや、見直すとはなんだ。見直すとは。
セリーは元から俺のことをすごいと思っていたに違いない。
間違いない。
﹁そうらしいな﹂
2327
﹁さすがご主人様です﹂
しかし公爵は実際にはロクサーヌの戦いしか見ていない。
ロクサーヌを見たから、推薦する気になったのではないだろうか。
本当は俺よりロクサーヌを推薦したかったとか。
ロクサーヌならさもあらん。
﹁帝国解放会では守秘義務が課せられるそうだ。会内部で知りえた
こと、誰が会員か、また俺が会員となることなども一切秘密となる。
無用な情報を出して狙われることを避ける意味合いがあるらしいが﹂
﹁用意周到ですばらしいことです﹂
﹁いまさら内密にすることが一つや二つ増えたところで問題ありま
せん﹂
ロクサーヌは秘密主義に賛成らしい。
そしてセリーよ。
見直したのではなかったのか。
﹁ひみつ、です﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
ミリアが言葉を覚えてしまうほどにあれこれ秘密にしていること
は確かだが。
﹁これからクーラタルの二十三階層へ行って、戦いぶりを見てもら
う。会員としてやっていけるだけの実力があるかどうか、判断する
そうだ。魔法は使わないので、魔法なしでの戦いになる。剣はベス
タに渡す﹂
﹁分かりました﹂
2328
デュランダルはベスタに持たせて俺は後ろから聖槍を使えばいい
だろう。
俺の入会試験でそれはどうかという気もするが、かまうまい。
入会を断られてもそれはそれだ。
﹁二十三階層はすでに突破しているのだから神経質になることはな
い。いつもやっていることだし、問題はないだろう﹂
﹁もちろんです﹂
もちろんロクサーヌなら大丈夫だろう。
というか、ロクサーヌが不安を覚えるような戦闘は俺がやりたく
ない。
﹁今回は入場料を払って入る。まずは冒険者ギルドに行くぞ﹂
家を出て、冒険者ギルドにワープした。
冒険者ギルドから迷宮の入り口までは歩く。
買い物で常に歩いている程度の距離だから問題はない。
クーラタルの迷宮にワープして一度外に出てから入りなおすのは
怪しいだろう。
﹁迷宮の攻略地図もいかがっすかー﹂
騎士団の詰め所では相変わらず攻略地図を売っていた。
商売熱心なことで。
あ。
地図忘れた。
﹁二十三階層のルートを覚えているか?﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
2329
小声でロクサーヌに尋ねると、大丈夫らしい。
やはり迷宮に関しては抜かりがないようだ。
﹁では入場料を五人分﹂
銀貨五枚を出してペラペラのチケットを五枚受け取る。
せめて三割引が効いてくれればよかったのに。
入り口から入って二十三階層に行くと、エステル男爵はすでにい
た。
男爵を含めて六人いる。
エステルのパーティーだろうか。
聖騎士である男爵の他、冒険者、探索者、魔道士、百獣王、禰宜
というすごい顔ぶれだ。
結構レベルも高い。
百獣王というのは獣戦士の上位ジョブだったっけ。
実際に見るのは初めてだ。
禰宜は神官の上だろう。
こっちも初めて見た。
女三人、男三人で前衛後衛のバランスも取れたパーティーだ。
かなりのベテランぞろいだろう。
さすが試験官を務めるだけのことはあるというところか。
﹁お、ミチオか。よろしく頼む﹂
入り口に到着すると、エステル男爵がすぐに声をかけてきた。
2330
﹁こちらこそ﹂
﹁そちらがミチオのパーティーか﹂
﹁はい﹂
﹁我も長い間上の階層で戦ってきているので、ミチオたちに何かア
ドバイスできることもあるかもしれない。それを望むなら、ここか
らボス部屋まで何度も魔物と戦いながらゆっくりと進む。あるいは
望まないなら、我らはこの先のボス部屋に一番近い小部屋で待って
おく。どっちがよい﹂
選べるのか。
もちろんなるべく見られない方がいい。
この世界の他のパーティーがどういう戦いをしているか知らない
ので役に立つアドバイスをもらえる可能性もあるが、普段は魔法メ
インで戦っているのだし。
﹁どうせ装備に依存した戦いをしているし、先に行って待ってても
らえるか﹂
﹁装備か。分かった﹂
同行を断ると、男爵があっさりとうなずいた。
適当に思いついた言い訳だが、あれでよかったらしい。
実際、装備が変われば戦い方も変わってくる。
魔法を使わない以上、デュランダルとミリアの硬直のエストック、
セリーが持つ詠唱中断のついた槍に頼った戦いになるし。
﹁頼む﹂
﹁手の内を明かしたくないというのは誰でも考えることだ。遠慮は
いらない﹂
他のパーティーも大同小異なのか。
2331
戦い方を開示したくないというのは、どこの世界でも同じなんだ
ろう。
男爵はあっさりうなずいた理由を説明し、パーティーの探索者に
指示を出した。
探索者がダンジョンウォークの呪文を唱える。
黒い壁が出ると六人が入っていった。
探索者がパーティーメンバーにいたのは、このためだったのだろ
うか。
臨時のメンバーなのか。
レベルが高かったから、そうではないかもしれないが。
﹁では俺たちも行くか。魔法なしで戦ってみよう。ロクサーヌ、案
内してくれ﹂
﹁分かりました﹂
﹁ベスタはこれを﹂
﹁はい﹂
俺たちも後を追うことにする。
見られていることはないと思うが気持ち悪いので魔法はやめてお
いた。
ベスタにデュランダルを渡すし、練習だと思えばちょうどいい。
待ち合わせ場所の小部屋に俺もダンジョンウォークで移動するこ
とができるが、それもやらない。
俺が冒険者だという話は公爵から伝わっているだろう。
セリーを探索者にするか、探索者だということにしておけばすむ
が、そこまですることもない。
あまり嘘を重ねるのはよくないだろう。
2332
俺もちゃんとファーストジョブを冒険者にしている。
冒険者がファーストジョブなのでボーナスポイントが少しきつい
が、博徒までつけたセブンスジョブ体制だ。
遊び人、魔道士、魔法使いの魔法系三ジョブも、ボス戦では魔法
を使うのではずしていない。
遊び人のスキルは中級風魔法のままでいい。
ロクサーヌの案内で、待ち合わせ場所まで進んだ。
途中の魔物は問題なくベスタが屠っている。
﹁来たか。さっき確認したが、この先、ボス部屋までの間に魔物が
いるようだ。我もすぐ後ろから見させてもらう。グミスライムでな
かった場合にはもう一度戦ってもらうかもしれないが、行ってくれ﹂
小部屋に着くと、エステル男爵から指示が出た。
俺たちが先に出て、ボス部屋に向かう。
﹁グミスライムとクラムシェルですね。多分一匹ずつだと思います﹂
小部屋を出るとロクサーヌが小声で教えてくれた。
エステル男爵は魔物がいるとしか分からなかったのに、ロクサー
ヌは種類と数が分かるのか。
やはりロクサーヌはすごいとしかいいようがないな。
﹁ありがとう。さすがだな。グミスライムの方をロクサーヌとミリ
アで頼む﹂
﹁分かりました﹂
こちらも小声で返すと、ロクサーヌがミリアに何やらささやく。
グミスライムを相手にすることを話したのだろう。
2333
魔物が出てきた。
ロクサーヌの判断どおり、グミスライムとクラムシェル一匹ずつ
だ。
四人はすぐに走り出す。
俺はグミスライムに状態異常耐性ダウンをかけてから走り出した。
せっかく博徒までつけているのだし使わない手はない。
直接効果の見えるスキルでもないし。
﹁やった、です﹂
グミスライムが石化したのは、ベスタがクラムシェルを倒すのよ
り早かった。
ちょっと早すぎただろうか。
まあしょうがない。
ベスタがクラムシェルと石化したグミスライムを片づける。
石化した魔物にダメージを通せるデュランダルの性能が男爵に分
かってしまうが、それもまたしょうがないだろう。
グミスライムが煙になると、後ろにいたエステル男爵がこっちに
やってきた。
﹁魔物を殲滅するスピードも悪くない。文句のつけようがない戦闘
だ﹂
﹁よかった﹂
合格に一歩近づいたようだ。
2334
ロッジ
﹁後はボス戦だな。ボス部屋までに魔物がいれば戦ってもらうが﹂
エステル男爵が言い残して、後ろに帰っていく。
﹁ボス部屋まで魔物はいないようです﹂
男爵がいなくなると、ロクサーヌが小声で教えてくれた。
差を見せつけてくれる。
もっとも、男爵も魔物はいないと分かっていたかもしれないが。
ロクサーヌの先導でボス部屋へと向かった。
魔物とは遭遇せず待機部屋に入る。
ロクサーヌのいうとおりか。
待機部屋にも誰もいなかった。
﹁待っている間に小部屋を通ったパーティーは一つだけだ。扉はす
ぐに開くだろう。ミチオたちが中に入ったら、我らは上で待つ﹂
待機部屋に入るとエステル男爵が告げる。
ボス部屋で戦えるのは一つのパーティーだけだ。
何はばかることなく魔法を使える。
ボス部屋への扉もすぐに開いた。
﹁では﹂
2335
男爵に目礼すると、俺はボス部屋へと突入する。
冒険者風装備にしているためアルバとひもろぎのイアリングをし
ていないが、装着する時間はない。
まあなくても大丈夫だろう。
デュランダルはベスタが持っているし、俺も聖槍を装備している。
こんなことになるのだったら知力二倍のスキルはアクセサリーで
はなく聖槍につけるべきだったか。
似たような状況になることはほとんどないだろうし、しょうがな
いか。
煙が集まり、魔物が姿を見せた。
魔法も詠唱省略も制限なく使って、魔物を倒す。
アルバとひもろぎのイアリングがなくても、ボス戦はつつがなく
終わった。
ミリアの石化のおかげだ。
ボスとグミスライムはミリアが石化させた。
クラムシェルも最後はベスタが倒したし。
俺の装備品の影響はほとんどなかっただろう。
石化した二匹は、ベスタからデュランダルを受け取って俺が片づ
ける。
入会審査にはボス戦の戦闘時間も見られているかもしれない。
わざと不合格になるなら思いっきり時間をかける手もあるが、そ
こまですることもないか。
多少ゆっくりめに魔物を倒し、二十四階層に上がった。
﹁やはり早いな﹂
2336
それでも早かったらしい。
﹁そうか﹂
﹁ここでは誰か来るかもしれん。一度外へ出たら、帝都にあるロッ
ジへ向かう。我のパーティーの冒険者を入れて、先に行ってくれ﹂
﹁分かった﹂
エステル男爵に移動を促される。
確かに入り口の小部屋では誰が来るか分かったものではない。
入会の話をするのだろうし、誰かに聞かれてはまずい。
男爵が持っている山荘にでも行くのだろうか。
男爵たちが黒い壁から外に出ていった。
ベスタからデュランダルを受け取って消した後、俺たちも後を追
う。
迷宮の外に出ると、探索者がパーティー編成の呪文を唱えていた。
冒険者をはずすのだろう。
男爵のパーティーには冒険者と探索者がいるからこれができる。
探索者の後、俺もパーティー編成の呪文を唱えて冒険者をパーテ
ィーに入れた。
エステル男爵はそんな俺たちを置いてつかつかと騎士団の詰め所
に入っていく。
あわてて追いかけると、男爵は何かのエンブレムを詰め所の騎士
に見せていた。
俺が借りているハルツ公爵家のエンブレムと同じようなものだろ
うか。
2337
﹁移動できる壁を借りたい﹂
﹁はっ。もちろんであります、閣下﹂
エンブレムを見た詰め所の騎士が恭しく応答する。
公爵家のエンブレムより威力がありそうな。
まあなんといっても男爵本人だしな。
入場料を払っておいて正解だ。
﹁では、ミチオたちは先に﹂
騎士が詰め所の奥の部屋まで案内すると、エステル男爵が俺たち
に向きなおった。
こっちが先に行っている間に、俺たちが迷宮の入り口から入った
かどうか確認するのだろうか。
疑念を持っていなければわざわざそんなことは聞かないか。
向こうのパーティーの冒険者は現在俺のパーティーにいるのだか
ら、男爵は移動できない。
冒険者がフィールドウォークの呪文を唱え、部屋に黒い壁を出す。
冒険者に続いて俺たちも黒い壁に入った。
﹁これはラルフ様、ようこそお越しくださいました﹂
俺たちが出たのは、どこかの建物の広いロビーだ。
移動してきた俺たちをすぐに老紳士が迎える。
黒いズボン、黒いジャケットの白髪混じりの男性だ。
名前はセバスチャン。
五十歳代の冒険者である。
ちなみにラルフというのは男爵パーティーの冒険者の名前だ。
2338
﹁世話になります﹂
﹁お役目ご苦労様でございます﹂
﹁私は他のメンバーを迎えに行ってきます。しばし彼らのことを頼
みます﹂
﹁承りました﹂
﹁では﹂
男爵パーティーの冒険者が老紳士にうなずき、その後で俺を見た。
あ。パーティーからはずすのか。
老紳士と冒険者の会話を黙って見ている場合ではなかった。
俺はあわてて冒険者をパーティーからはずす。
パーティからはずれると、冒険者は入ってきた壁から出て行った。
俺たちと老紳士が残される。
老紳士というか、いかにも執事という感じの男性だ。
名前もセバスチャンだし。
物腰柔らかく、慇懃で隙がない。
体全体が礼儀でできていそうな雰囲気だ。
エステル男爵家の執事なんだろうか。
その割には男爵パーティーの冒険者にも敬語を使っていたが。
﹁ようこそいらっしゃいました。まずはお名前をお聞かせ願えます
か。苗字をお持ちの場合は苗字まで。爵位と継嫡家名は結構でござ
います﹂
老紳士が俺に頭を下げた。
加賀っていうのは苗字だよな。
家名とは違うのだろうか。
2339
よく分からん。
﹁あー。ミチオ・カガだ﹂
﹁ミチオ様でございますね﹂
ミチオ・カガでよかったのだろうか。
なんとでもなるか。
﹁それでは、そちらのお嬢様も﹂
﹁ロクサーヌです﹂
﹁ロクサーヌ様でございますね﹂
﹁えっと⋮⋮。あの、私は﹂
ロクサーヌ様と呼ばれてロクサーヌが戸惑っている。
やたら丁寧なんだよな。
ザ・バトラーという感じだ。
﹁当会では世俗の役職や身分などは何の影響も持ちません。くれぐ
れもそのおつもりでお願いいたします﹂
﹁は、はい﹂
セバスチャンがロクサーヌを説き伏せた。
当会といっているのは帝国解放会のことだろう。
男爵の別荘じゃなくて帝国解放会の建物だったのか。
﹁それでは﹂
﹁セ、セリーです﹂
﹁セリー様でございますね﹂
老紳士の眼光がセリーを捉え、名乗らせる。
2340
丁寧なだけじゃなくて、実は実力者なんだろうか。
﹁ミリア、です﹂
﹁ミリア様でございますね﹂
﹁ベスタです﹂
﹁ベスタ様でございますね﹂
ミリアとベスタにも名乗らせた。
というか、俺からベスタまで、ロクサーヌが把握しているだろう
俺たちのパーティーの順位どおりに名乗らせている。
出てきた順番とか並んでいる順番とかではない。
一応俺が真ん中にはいるが、隣のロクサーヌは分かるとしても少
し離れたところにいるセリーはもう分からないだろう。
これってすごくね。
分かるのだろうか。
不思議だ。
さすがはセバスチャンというべきか。
不思議に思っていると、男爵たちのパーティーも遅れてやってき
た。
﹁エステル様、お待ちしておりました﹂
老紳士が真っ先に頭を下げる。
頭を下げる角度もすごい。
ほぼ直角。九十度。
丁寧だ。
﹁ミチオたちの名前は聞いたか?﹂
2341
﹁はい。おうかがいいたしました﹂
﹁ミチオは第一位階の会員になる。そのつもりでな﹂
﹁かしこまりました﹂
エステルとセバスチャンが会話した。
俺は第一位階の会員になるようだ。
帝国解放会の建物に案内したくらいだし、試験は合格なんだろう。
新人で第一位階だから、一位が一番下っ端なのか。
四十五階層を突破しないと正規会員にはなれなかったはずだしな。
第一位階はプライベートというところだ。
へ、兵隊さんの位でいうと二等兵なんだな、と山下画伯風にいえ
ばそうなる。
﹁部屋を用意してくれ。それとハーブティーを﹂
﹁かしこまりました。こちらにお越しください﹂
セバスチャンが丁寧に体を引き、俺たちを誘導する。
彼が案内した部屋に、エステル男爵が入った。
広くて豪華な会議室だ。
細長いテーブルの真ん中に男爵が陣取る。
﹁ミチオたちも座ってくれ﹂
﹁はい﹂
俺も部屋に入り、男爵の対面に座った。
イスが柔らかい。
高級品だ。
テーブルの片側には六個イスがあるので、ロクサーヌたちも俺の
2342
横に座る。
向こうはエステル男爵一人だ。
部屋には冒険者と百獣王がついてきたが、二人ともエステルの後
ろに控えて立った。
警護なんだろう。
﹁察しはついていると思うが、試験については合格だ。ブロッケン
の推薦どおり、申し分のない実力と認める。現状ではやや武器に頼
っている面もあるが、ミチオならば近い将来迷宮を倒すほどの者に
なろう。問題はあるまい﹂
﹁はい﹂
﹁嫌だったら答えなくてもいいが、魔物の動きを止めた彼女は暗殺
者か?﹂
ミリアのことはばっちりばれたらしい。
石化が早すぎたのだろう。
別に隠してもしょうがないか。
﹁そうだ﹂
﹁暗殺者は敵を状態異常にしやすいというが、それにしても素晴ら
しい働きだった。敵をすばやく状態異常にするには単に暗殺者にな
るだけではだめで経験を積まないといけないらしいから、相当鍛え
ているのだろう﹂
﹁そうなのか﹂
暗殺者の状態異常確率アップは、やはりレベル依存でアップ率が
大きくなるのだろう。
この先もう少し楽になることが期待できるな。
もっとも、ミリアが石化を男爵に見せたのは一回だけだ。
2343
たまたまということも考えられるのではないだろうか。
多分、ボス部屋での戦闘時間も考慮して、俺たちに二十三階層以
上で戦っている実力があると判断したのだろう。
そう評価してから俺たちの戦闘を鑑みれば、ミリアの石化がかな
りのウェイトを占めていると判定できるはずだ。
﹁その間、魔物の攻撃を寄せつけなかったそちらの彼女の動きもよ
かった﹂
男爵が視線でロクサーヌの方を示した。
ロクサーヌの動きは公爵も褒めたからな。
当然だろう。
﹁彼女のことは得がたいパーティーメンバーだと思っている﹂
﹁会員以外にはあまり知られていないことだが、迷宮の最後のボス
はこちらの装備品を破壊する能力を持っている。攻撃を盾で受けた
り剣で弾いたりしただけでも、盾や剣が壊れてしまうことがある。
魔物の攻撃を回避する利は極めて大きい﹂
﹁装備品を破壊するのか﹂
ラスボスにそんな力があったとは。
一筋縄ではいかないらしい。
﹁ブロッケンがミチオを推薦してきたのも道理だ﹂
男爵が独りでうなずいている。
迷宮を倒すには、避けて避けて避けまくらなければならないと。
ロクサーヌならそれが可能だ。
公爵が俺を推薦したのは、本当にロクサーヌの動きを見ただけで
判断したのかもしれない。
2344
﹁剣で弾いても剣が壊れるくらいなのに、攻撃しても大丈夫なので
すか﹂
セリーが尋ねた。
なるほど、当然そうなるか。
魔物の攻撃を剣で弾くのも、こちらの剣が魔物に弾かれるのも、
たいした違いはない。
﹁攻撃がきっちりと胴体にヒットすれば問題はない。注意深く背後
から狙うなどする必要はあるが。もしくは魔法で攻撃するかだ。安
い剣や盾を大量に持ち込んで使い捨てにするパーティーも多い﹂
壊されることを前提に戦略を組むのか。
ラスボスは大変だ。
﹁お待たせいたしました。ハーブティーでございます﹂
話が一段落したところで、セバスチャンがハーブティーを持って
きた。
男爵の俺に対する評価は特にないようだ。
まあ後ろから槍で突いてただけだしな。
別の人がワゴンを押してセバスチャンの後ろに続いている。
セバスチャンはティーポットを持ち上げるとワゴンの上のカップ
にハーブティーを注ぎ、俺たちの前に置いた。
ティーポットの位置が高い。
高いところからこぼすことなく一気にハーブティーが注がれる。
洗練された、流れるような動きだ。
2345
男爵を含めて全部で六杯。
警備の人にはないらしい。
﹁では﹂
エステル男爵がカップを持って俺たちにも促し、ハーブティーに
口をつけた。
俺も飲んでみる。
やや甘酸っぱい感じのさわやかなハーブティーだ。
﹁これは美味しいですね﹂
﹁ありがとうございます﹂
セリーが感想を述べてセバスチャンに頭を下げられた。
﹁このロッジは会員であれば誰でも利用できる。後で説明を受けて
おいてくれ。ただし、通常の飲食にはお金が必要だ。かなり上の階
層へ行くようになれば問題はないだろうが、普通の冒険者には高い。
あまり散財はしないことだ﹂
結構お高いハーブティーだったらしい。
これは誰が払うんだろうか。
通常はとか言ったから入会して最初の一杯は無料なんだろうか。
などと考えてしまうのは小市民なのか。
﹁気をつけよう﹂
﹁五日後に入会の儀礼を行う。昼ごろここへ来てくれ。第一位階の
入会だし、簡単なものだ。身一つで来ればいい。ミチオ以外のパー
ティーメンバーが一緒でもいいが、儀式には立ち会えない﹂
﹁分かった﹂
2346
入会するのをいまさら嫌とは言わないが、入会式まであるようだ。
2347
売店
﹁ロッジでは会員同士、世俗の役職や身分にとらわれることなく振
舞う。そこは忘れないでほしい。ときの皇帝陛下が解放会の会員で
あった時代もあるが、ロッジではあくまで対等だ。皇帝が会員にな
ろうとしても、実力がなければ断らなければならない。帝国解放会
の実力を維持していくためには是非とも必要なことなのだ﹂
エステル男爵がもっと恐ろしいことをのたまう。
普段から態度のでかそうな男爵に言われることではないかもしれ
ないが。
皇帝が会員だったこともあるのか。
たとえ皇帝でも実力が足りなければ会員にはなれないと。
話しぶりから見て、今上帝は会員ではないのだろう。
実力が足りないと判断されたのだろうか。
会員でない方がいい。
俺の精神的に。
皇帝だから公爵だからとどんどん入会を認めていけば、やがて帝
国解放会の内情はぐだぐだになっていくだろう。
実力者の団体であることを保つためには規律が必要だ。
皇帝ならあの甘い入会試験くらいどうにでもなりそうな気もする
が。
いや。そのためにこそ内部では対等なのか。
わざわざ入会して平民ごときに生意気な口を利かれたくはない。
2348
対等にしておけば役職や身分が高いだけの者は入会してこないと。
いろいろ考えられているらしい。
﹁なるほど﹂
﹁ブロッケンの方へは我が連絡を入れておく。入会儀礼のある五日
後までは、推薦者とはあまり会わない方がいいだろう﹂
﹁そうか﹂
公爵へ謝礼しに行く必要はないようだ。
﹁我の方からはこんなところか。その他の説明は、書記から受けて
くれ。セバスチャン、後を頼む﹂
男爵がセバスチャンを呼び寄せた。
セバスチャンは執事ではなくて書記なんだろうか。
﹁かしこまりました﹂
﹁彼が総書記のセバスチャンだ。細かい話は彼に聞いてくれ﹂
総書記だった。
書記だとそうでもないのに、総書記というとぐっと偉そうな気が
する。
﹁分かった﹂
﹁では﹂
男爵がカップを飲み干して立ち上がった。
俺が立とうとするのを手振りで抑え、部屋を出て行く。
その直前には男爵パーティーの冒険者がアイテムボックスを開け
てセバスチャンに料金を払っていた。
2349
ハーブティーはただではなく、男爵のおごりだったようだ。
あるいは冒険者が払ったのは男爵の分だけで、俺たちの分は後で
セバスチャンから請求されるかもしれない。
いずれにしてもアイテムボックスを開けたということは多分銀貨
で支払ったのだろう。
いくら払ったかまでは見えなかったが、複数枚出したと思う。
六杯で銀貨二枚だとしてもいい値段だな。
男爵が飲んだ一杯分だったとしたらとんでもない額だ。
本当に破産しかねない。
ここはぼったくりバーかといいたくなる。
﹁それではミチオ様、よろしければ当ロッジの説明をさせていただ
きます﹂
ぼったくりバーのマスターが頭を下げた。
いや。セバスチャン総書記だ。
﹁頼む﹂
﹁こちらへお越しくださいますか﹂
﹁分かった﹂
俺もカップに残ったハーブティーを飲み干してから立ち上がる。
高いのでもったいない。
ロクサーヌたちも全員ハーブティーを飲み干して席を立った。
﹁こちらの部屋は打ち合わせやパーティー同士の親睦などにお使い
いただけます。同様の部屋は二階にもございますので、遠慮せずご
用命ください。ご利用に当たっては飲食物のご注文をお願いしてお
2350
ります﹂
セバスチャンが歩きながら説明する。
部屋の利用料は取らないが、飲み物代に上乗せということだろう
か。
だから高いわけね。
そういえばエステルは会費について触れなかった。
会費がないとするとその分も利用料に上乗せなんだろう。
﹁何かのときには頼む﹂
﹁基本的に当ロッジのある場所は非公開となっております。外へつ
ながる扉もありますが、業者や私ども書記の専用通用口です。緊急
の場合を除き、会員様にはご利用いただけません。用件のあるとき
にはロビーの壁にフィールドウォークでいらしてください﹂
﹁そうか﹂
帝都にあるロッジだと男爵からは聞いてしまったが。
会員以外には非公開ということだろうか。
あるいは、帝都のどこにあるかは秘密ということか。
帝都といっても広いだろうし。
帝都帝都といってもいささか広うござんす。
ワープにしてもフィールドウォークにしても移動距離に応じて消
費MPが変わる。
どこら辺にあるかくらいは分かってしまうだろう。
﹁二階には大会議場、三階には資料室などがございます﹂
セバスチャンがロッジの中を先導し、階段の前で説明した。
2351
一階だけでも結構広いのに、三階まであるのか。
﹁資料室ですか﹂
﹁はい、セリー様。会員様方の活動報告やメモ、迷宮を攻略した会
員様が遺した攻略方法なども収集されております﹂
﹁それを見ることができるのは正規会員だけでしょうか﹂
セリーが食いついた。
見たいんですね、分かります。
﹁会員のパーティーメンバーのかたも会員に準じた扱いを受けます。
会員であるミチオ様の委任があれば、セリー様も資料室に入ること
が可能でございます﹂
﹁分かりました﹂
メモや攻略方法に何か役立つものがあるかもしれない。
そのうちセリーを行かせてみるのもいいだろう。
﹁この奥の部屋が、店舗となっております﹂
セバスチャンが一つの部屋に入る。
みやげ物でも売っているのだろうか、と思ったが違った。
槍や鎧などがいくつか置いてある。
そういえば公爵が帝国解放会では装備品の売買を行っていると言
っていた。
﹁装備品か﹂
﹁はい。数は多くございませんが、オリハルコンなどで作られた強
力なものや、スキルのついた装備品を扱っております﹂
2352
確かに、槍はオリハルコンの槍だ。
オリハルコンの剣があったのだからオリハルコンの槍もあるのだ
ろう。
俺はオリハルコンの槍の前に行き、穂先を見上げる。
﹁いい槍のようだ﹂
﹁ここでの装備品の売買にはお金の他にポイントも使用いたします。
強力な装備やスキルのついた装備品をお売りいただいた場合、その
装備品に応じたポイントを会員のかたにつけさせていただきます。
当会からものを購入なさるとき、お金の他にそのポイントを消費し
ます﹂
ポイントがあるので売った分しか買えないということか。
ここでものを買うためにはその前にものを売らなければならない
と。
武器屋に売っているような武器を買ってきてそのまま売却しても
当然駄目なんだろう。
オリハルコンの武器はクーラタルの武器屋に売ってなかったし。
オリハルコンの槍のような強力な装備品かスキルのついた装備品
でなければいけない。
俺なら、セリーもいるしモンスターカード融合に失敗することは
ない。
スキルのついた装備品を売ることはできる。
そうやってポイントを貯めて強力な武器を買うと。
別にこのオリハルコンの槍がほしいわけではない。
空きのスキルスロットもないし。
しかしこうして実物をチェックできるなら、鑑定で空きのスキル
2353
スロットを確認できる。
出物があったときのために準備はしておかなければならない。
問題は、商品の回転率がどのくらいかということか。
置いてある装備品の数は多くない。
槍も一本しかない。
オリハルコンの槍なんかは供給も少ないだろう。
帝国解放会の店舗とはいえ、誰が持ち込むのか、ということだよ
な。
公爵や男爵なら金は持っているだろうし迷宮の上の階層で戦って
いる人も同様だから、売りたい人よりも買いたい人の方が圧倒的に
多いことは想定できる。
売らなければ買えないというシステムは、よくできているな。
﹁結構売れるのか?﹂
﹁会の事業でなければ商売として成り立つほどではないでしょう。
個々の装備品については、すぐに売れる場合もございますし、ある
程度長く留まる場合もございます﹂
それはそうか。
ある程度は頻繁に来て自分の目で確かめる必要がありそうだ。
槍以外の他のものも数は少ない。
複数あるのは身代わりのミサンガだけか。
台の上に身代わりのミサンガが三つ置かれていた。
﹁身代わりのミサンガか﹂
﹁よくお分かりでございます。身代わりのミサンガは本来買い取り
をするような品ではございませんが、消耗品ということで扱わせて
2354
いただいております﹂
﹁よく出るのか?﹂
﹁常備在庫がございますので、ときどき購入なさるお客様がおられ
ます。ポイントも消費いたしますので、緊急でなければクーラタル
のオークションで手に入れられることが多いでしょうが﹂
オークションで入手できる品にポイントを使うことはないか。
オークションではいつ出品されるか分からないので、緊急の場合
のみ買うと。
予備がないのに壊れてしまったときとか。
﹁なるほど﹂
﹁値付けについては、こちらの方で適切な値段をつけさせていただ
いております。一般的に、買い取る値段はオークションでの売値よ
りも大幅に安くなっております﹂
オークションで売った方が得ということか。
まあそれはそうだろう。
ここで売ればポイントも手に入る。
逆に、オークションで手に入れた品をここで売る人もいるのかも
しれない。
金銭的には損をするが、ポイントは獲得できる。
お金をポイントに換えるようなものだ。
﹁身代わりのミサンガなら俺も予備があるが、一つ売るとポイント
はどのくらいもらえるんだ?﹂
﹁一ポイントでございます﹂
﹁身代わりのミサンガの買取金額を聞かせてもらってもいいか﹂
﹁一万ナールとなっております﹂
2355
やっすいな。
オークションの落札価格は、ここでの買取価格に払ってもいいポ
イント分の値段を足した金額まで上昇することになる。
一ポイントに一万ナール出す気があるなら、オークションの入札
に二万ナールまでぶっこめる。
オークションの方が高くなるのは当然だ。
身代わりのミサンガが二万ナールということはないし、ここで扱
うような装備品なら、オークションで数万ナールから、あるいはも
っとするだろう。
十万ナールで競り落とし半値で売ったとして、五万ナールの損失。
ぼったくりだ。
﹁さっきのはオリハルコンの槍だろう﹂
﹁さすがによくお分かりでございます﹂
﹁オリハルコンの槍を買うのに必要なポイントは﹂
﹁三ポイントとなっております﹂
オリハルコンクラスの装備品を入手するには身代わりのミサンガ
を三個売る必要があるわけか。
さらに購入金額が別途かかる。
結構大変だ。
芋虫のモンスターカードは続けて頼んでおけばよかった。
今からでも頼めなくはないが。
迷宮でミスして身代わりのミサンガが切れてしまったとか言って。
その情報もすぐに公爵に届けられる。
知られてもいいような、知られてたらまずいような。
2356
微妙な感じだ。
﹁大盾があるようですね﹂
ロクサーヌが盾を指差した。
﹁大盾か﹂
﹁大盾ですか﹂
ベスタが食いつく。
大盾を使うのは竜人族だからな。
﹁前に竜人族の人が同じような大きさの盾を持っているのを見たこ
とがあります。あれが多分大盾でしょう﹂
ロクサーヌのいうとおり大盾だ。
頑強のダマスカス鋼大盾というのが置いてあった。
頑丈の硬革帽子というのなら持っている。
あれを作ったときにはコボルトのモンスターカードをつけなかっ
たと思うから、頑丈よりもいいスキルなんだろう。
﹁頑強のダマスカス鋼大盾でございます﹂
俺は鑑定で分かるが、セバスチャンはここに置いてある商品を全
部覚えているのだろうか。
たいしたもんだ。
近づいて見てみる。
台の上に寝かせて置いてあったので分からなかったが、かなりで
かいな。
2357
人一人くらいは余裕で隠せる。
これで守られたら物理攻撃が通じないのではないだろうか。
魔法で攻撃するか。
あるいは盾ごと吹き飛ばすか。
その分、持つのは大変だろう。
これを片手で持つとか、さすが竜人族は中二病のカッケー人たち
だ。
守るだけなら、竜人族じゃない人が持ってもいいような気がする。
迷宮にわざわざ狩に行って守るだけとか意味不明だから持たない
のだろうけど。
魔法使いが使うとか。
杖代わりの大盾とかあったらよかったのに。
あったら俺が使いたい。
僧侶や神官が使うとか。
六人しかいないパーティーで攻撃の人数を減らすのは微妙すぎる
か。
これだけ大きいと、振り回して魔物を軽くあしらうことは難しい
だろうし。
仮に守備に専念させるにしても、単純に後衛に回せばいいだけだ。
四、五枚並べてローマ軍団のように盾で壁を作るとか。
二十三階層以上の迷宮の魔物相手では全体攻撃魔法を誘発するだ
けか。
かえって被害が大きそうだ。
﹁ダマスカス鋼の大盾か﹂
﹁会員様や会員のパーティーメンバーに竜人族のかたも多くおられ
2358
ます。そのため当店舗でも大盾を扱うことが結構ございます﹂
大盾はここで手に入れることができるようだ。
もっとも、ベスタには今のところ守備面の不安はない。
両手剣二本のままでいいだろう。
2359
鯉
施設の説明を受け、ロッジを後にした。
ロッジの店舗はこれからもちょくちょく立ち寄ることにしたい。
ポイントを獲得できる目処が立ってからだが。
﹁セリー、魔法の威力が上がる大盾なんかはないよな﹂
ハルバーの迷宮に移動しつつ、一応訊いてみる。
﹁うーんと。ヤギのモンスターカードを融合すれば﹂
ひもろぎの大盾か。
知力二倍はすでにイアリングにつけているから意味はない。
二つあっても四倍にはならないそうだし。
﹁それしかないか﹂
﹁聞いたことはありません。盾は、アクセサリーと同様、武器にし
かつかないモンスターカードも防具にしかつかないモンスターカー
ドも融合できます﹂
﹁攻撃力上昇をつけることもできるのか﹂
﹁盾につけた場合は、融合した盾で直接攻撃しないといけないみた
いですが﹂
駄目じゃねえか。
知力上昇の方ならいいんだろうか。
竜人族なら、盾と杖を装備して。
2360
いや、知力上昇を盾と杖につけても両方有効にはならないから駄
目か。
﹁いろいろ厳しいようだな﹂
帝国解放会への入会も決まったことだし、その後は気合を入れて
迷宮を探索した。
グミスライムやサイクロプスを中級風魔法などでなぎ倒していく。
魔道士のレベルが上がったせいかより早く倒せるようになったの
で、この階層ではもはや何の問題もない。
属性の違うシザーリザードはちょっと大変だが、ミリアがなんと
かするし。
ミリアが石化した魔物はなるべくデュランダルで片づけた。
石化した魔物相手なら安全にMPを回復できる。
わざわざ正面から攻撃することもないので、無難に横から斬りつ
けた。
シザーリザードが倒れ、煙となる。
﹁はい、です﹂
今回は革が残り、ミリアが拾って渡してくれた。
俺がデュランダルで倒した魔物のドロップアイテムまで拾ってく
れる必要はあまりないが。
ロクサーヌとベスタはサイクロプスのドロップアイテムを拾いに
行っている。
サイクロプスは風魔法に妨害されて前線にたどり着く前に倒れた
ので、拾いに行ってくれるのはありがたい。
﹁やりました、ご主人様。モンスターカードです﹂
2361
そのロクサーヌがモンスターカードを拾って戻ってきた。
サイクロプスの一匹がモンスターカードを残していたようだ。
ロクサーヌからカードを受け取る。
鑑定でもちゃんとサイクロプスのモンスターカードになっていた。
﹁サイクロプスのモンスターカードか﹂
﹁武器かアクセサリーにつければ攻撃力上昇、コボルトのモンスタ
ーカードと一緒に融合すれば攻撃力二倍のスキルになりますね﹂
すかさずセリーが教えてくれる。
攻撃力二倍か。
攻撃力が上がるのは歓迎だ。
ただし、現状この階層で攻撃力が足りないということはない。
どうしても必要というものでもないか。
基本的に魔法とデュランダル主体で戦っているので、あまり出番
はないよな。
俺の聖槍かひもろぎのイアリングにつけるか。
特に必要というわけでもないのにもったいないような気はする。
カードのまま持っておくか。
それもまたもったいない。
手元に残しておけば必要になったときに必要な装備品に融合でき
るメリットはあるが。
たとえわずかでも攻撃力を上げておくことが悪かろうはずはない。
現状に不安はないにしても何かにつけておくべきだろう。
融合した武器はいずれロッジの販売店に売ることもできる。
2362
次の装備の肥やしになってくれればいい。
売ることを考えるなら、すでに詠唱中断がついているセリーの槍
につけるのはもったいない。
ミリアの硬直のエストックはもっとない。
﹁レイピアか、鋼鉄の剣につけておくか﹂
消去法でいけばそのあたりになる。
レイピアにしておくか。
ロクサーヌ優先の方が無難ではある。
﹁レイピアより鋼鉄の剣につけるのがいいと思います。ボス戦で役
に立ちます﹂
ロクサーヌが進言してきた。
確かに、ボス戦ではデュランダルを渡したベスタに一匹受け持っ
てもらっている。
魔法でも同時に攻撃しているからあまり差は出ないと思うが、鋼
鉄の剣を強化した方がいいかもしれない。
鋼鉄の剣につければデュランダルが持つ攻撃力五倍のスキルと両
方有効になるかどうかのテストもできる。
そもそも、二刀流で戦ったときにデュランダルの攻撃力五倍が鋼
鉄の剣に効いているのかどうかも分かっていないが。
調べられなくはないだろうがそこまでやるのも大変だ。
﹁そうだな。鋼鉄の剣にしておこう﹂
ロクサーヌがいいというのなら鋼鉄の剣でいいだろう。
2363
何かのときに売却する候補だから、また取り上げることもあるだ
ろうし。
夕方、探索を終えてからセリーに融合してもらう。
﹁できました﹂
セリーがあっさり融合した。
今回は複数めのスキルでもないし、もはや余裕だ。
激情の鋼鉄剣 両手剣
スキル 攻撃力二倍 空き 空き
セリーから剣をもらって、軽く振ってみる。
攻撃力二倍だと激情の剣になるのか。
﹁さすがセリーだ。なかなかいい剣になったのではないか﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁この剣はベスタに預ける﹂
﹁はい。スキルのついた武器を使わせていただけるようになるとは
思いませんでした﹂
ベスタに渡すと、押しいただくように受け取った。
感激しているらしい。
ちょっとまずいかも。
﹁あー。その剣はいずれ今朝の店で売ることになるだろう。そのと
きには﹂
﹁分かりました﹂
2364
一応釘を刺しておいた。
ロッジの店で売るときは何かを買うときだから、嫌とは言わない
だろう。
加賀道夫 男 17歳
魔法使いLv50 英雄Lv47 遊び人Lv44 魔道士Lv3
7 神官Lv43 冒険者Lv38
装備 聖槍 硬革の帽子 アルバ 竜革のグローブ 竜革の靴 ひ
もろぎのイアリング
ロクサーヌ ♀ 16歳
巫女Lv34
装備 レイピア 鋼鉄の盾 耐風のダマスカス鋼額金 竜革のジャ
ケット 硬革のグローブ 柳の硬革靴 身代わりのミサンガ
セリー ♀ 16歳
鍛冶師Lv38
装備 強権の鋼鉄槍 硬革の帽子 チェインメイル 防水の皮ミト
ン 硬革の靴 身代わりのミサンガ
ミリア ♀ 15歳
暗殺者Lv35
装備 硬直のエストック 鉄の盾 防毒の硬革帽子 チェインメイ
ル 硬革のグローブ 硬革の靴 身代わりのミサンガ
ベスタ ♀ 15歳
竜騎士Lv35
装備 激情の鋼鉄剣 鉄の剣 頑丈の硬革帽子 鋼鉄のプレートメ
2365
イル 鋼鉄のガントレット 鋼鉄のデミグリーヴ 身代わりのミサ
ンガ
翌日から強くなった武器で探索を行う。
強くなったという実感は、ほとんどなかった。
攻撃の主力は魔法とデュランダルなのでしょうがない。
デュランダルと激情の鋼鉄剣の二刀流を試すのはボス部屋に入る
ときでいいし。
そのボス部屋にはさらに次の日にたどり着いた。
二十三階層から上はやはり時間がかかっている。
てこずったわけではないし、魔道士のレベルが上がった効果は出
ているだろう。
ボス部屋に出てきたのは、ボスの他はグミスライムとサイクロプ
スが一匹ずつだ。
風魔法を念じ、ミリアが向かったグミスライムに状態異常耐性ダ
ウンをかける。
ベスタがサイクロプスを倒したのは、ミリアがグミスライムを石
化させ、ボスも同様に石化させたころだった。
ベスタが魔物を倒す時間としてはあまり変化なしか。
デュランダルの攻撃力五倍と激情の鋼鉄剣の攻撃力二倍が合わさ
って攻撃力十倍になっている、ということはないだろう。
威力の圧倒的なデュランダルの攻撃力がさらに倍になれば、それ
と分かるほどの違いが出ると思う。
全部ラッシュを使って攻撃したのと同様になるわけだし。
やはり攻撃力五倍と攻撃力二倍の両方のスキルが有効にはならな
2366
いようだ。
残る懸念は、スキルなしの鋼鉄の剣のときにはデュランダルの攻
撃力五倍が鋼鉄の剣に効いていたがスキルをつけたら攻撃力二倍が
有効になってしまったという可能性だな。
スキルを融合したのにかえって弱体化してしまったことになる。
それもどうなんだろう。
鋼鉄の剣に攻撃力五倍が効いていたかどうか分からないし、有効
だったとしたら攻撃力二倍のスキルをつけても五倍の方が活性化さ
れたままではないだろうか。
それに、たとえ五倍から二倍になったとしても体感できるほどの
違いはなかった。
ボス戦以外ではデュランダルとの二刀流にならないから、失敗だ
ったというほどの損失でもない。
﹁剣を強化したが、はっきりとした違いはなかったか﹂
﹁そうですね。ご主人様の魔法が圧倒的ですので﹂
﹁鋼鉄の剣の攻撃力が二倍になったくらいではたいした差は出ない
ようです﹂
﹁はい、です﹂
﹁違いはなかったと思います﹂
みんなにも聞いてみるが、やはり違いは感じなかったようだ。
ベスタからデュランダルを受け取って、石化した魔物を倒す。
﹁セリー、二十六階層の魔物は何だ﹂
﹁ハルバーの迷宮二十六階層の魔物はケープカープです﹂
﹁××××××××××﹂
﹁コイですよ、コイ﹂
2367
ミリアが突然叫んだので何ごとかと思ったが、魚なのか。
ロクサーヌがブラヒム語を教えている。
カープだからコイなんだろう。
﹁コイ、です﹂
﹁ケープカープも食材を残すのか?﹂
﹁残しません﹂
セリーに訊いたが否定された。
アライとか残してもよさそうなのに。
ミリアの狙いは食材ではなかったらしい。
単に魚相手だとテンションが上がるようだ。
﹁残さないのか﹂
﹁食材を残すのはもっと上位のコイですね。この迷宮だと五十九階
層になります。五十九階層まで成長すれば、ですが﹂
﹁そこまで分かるのか?﹂
迷宮は五十階層まで成長すると、入り口を開けて人を招き入れる
ようになる。
ハルバーの迷宮の入り口が見つかってどのくらいかは知らないが、
迷宮の成長には時間がかかるらしいので、五十九階層まで大きくは
なっていないだろう。
公爵の騎士団が迷宮を倒そうと入っているのだし。
それなのにまだ到達していない階層の魔物まで分かってしまうの
か。
﹁ええっと。ボスは三十三階層上の階層の魔物として出てくること
はご存知⋮⋮ないようですね﹂
2368
セリーが俺の顔色を見て納得した。
知らなくて悪かったな。
この世界では常識なのかもしれないが。
なるほど、そういう風になっているのか。
一階層から十一階層、十二階層から二十二階層、二十三階層から
三十三階層まではどの魔物が出てくるかランダムだが、三十四階層
より上では繰り返しになっていると。
一階層のボスが三十四階層、二階層のボスが三十五階層。
二十六階層のボスは五十九階層の魔物となる。
二十六階層の魔物が分かった時点で五十九階層の魔物も確定する
わけだ。
五十九階層にも当然ボスはいるだろうが、そいつが食材をドロッ
プすると。
先の長い話だ。
五十九階層のボスドロップともなると、結構貴重だろう。
﹁クーラタルの迷宮なら一階層ボスのコボルトケンプファーが三十
四階層の魔物で、二十六階層のボスが五十九階層の魔物になってい
るのか﹂
﹁そうです。ちなみにクーラタル二十六階層の魔物もケープカープ
です﹂
同じなのか。
まあそういうこともあるだろう。
十一分の一の確率だ。
特に珍しくはない。
﹁へえ。そうなんですか﹂
2369
ベスタがうなずいている。
ハルバーとクーラタルの二十六階層の魔物が同じであることに感
心したのではないだろう。
ベスタも知らなかったということは、ボスが三十三階層上の階層
の魔物になることはこの世界の常識ではないということだ。
俺の勝訴が確定した。
﹁ケープカープは、四属性の魔法を使いこなしてくる魔物です。中
でも水魔法が得意で、水魔法に耐性があります。不得手なのは火属
性で、弱点も火魔法です﹂
弱点は火属性か。
グミスライムにも火魔法は有効なので、遊び人のスキルは中級火
魔法がいいだろう。
ただし、サイクロプスは火属性に耐性がある。
二十六階層でもサイクロプスは出てくるはずだ。
﹁サイクロプスが来たら、ミリアが頼む﹂
﹁はい、です﹂
遊び人のスキルを変更して二十六階層へと上がった。
ロクサーヌの先導で進むと、魚が三匹現れる。
ケープカープだ。
ブラックダイヤツナと同様、空中を泳いでいた。
ブラックダイヤツナよりは一回り小さい。
それでも一メートル近くあるだろう。
ブラックダイヤツナほど真っ黒でもないが、背中の部分が黒褐色
になっている。
2370
ケープカープというから首にケープでも巻いているのかと思った
が、そんなこともないらしい。
普通にコイだ。
やや細長くて、ソウギョみたいな感じ。
とりわけ口先はカマスのようにとがっている。
ケープ
ケープというのはマントではなくて岬のことだったのか。
喜望峰がある場所にできた町はケープタウン。
フロリダ半島にあるのがケープ・カナベラルだ。
口が岬のように細長いからケープカープなんだろう。
2371
登竜門
火魔法を連発してケープカープを倒す。
魔道士のレベルも上がっているので、問題なく倒せた。
ミリアの状態異常にすら世話になっていない。
この分なら二十六階層でも問題なく戦えるだろう。
墜落したコイがアイテムを残し煙となって消える。
残ったのは肝が二つに、寄生ワームだ。
げ。
寄生虫が残るのか。
﹁こっちは肝か。食材ではないのか﹂
﹁肝を魔物に投げつけると、魔物がドライブドラゴンに変わること
があるそうです﹂
セリーが教えてくれた。
コイだけにドラゴンに変化するのか。
竜門という川を登ったコイは竜になるとか何とか。
鯉の滝登りだ。
この世界のコイもドラゴンになるのだろうか。
気にするだけ無駄か。
所詮魔物だ。
空中を泳いでいるくらいだし。
﹁魔物をドラゴンにすると、強くなったりしないか?﹂
2372
﹁ボス以上の上位の魔物に対して使用します。ただし、あまりに強
すぎる魔物はなかなかドライブドラゴンにならないそうです。魔物
の強さによってドライブドラゴンへのなりやすさが異なります﹂
ボスなんかの強い魔物をドライブドラゴンにすれば弱くなるわけ
か。
もちろんドライブドラゴンにもボスがいてより上位のドラゴンが
いるだろう。
そいつをドライブドラゴンに変化させれば確実に弱体化する。
﹁そういう風に使うのか﹂
﹁後は、ドライブドラゴンをどうしても倒したいときとか﹂
﹁ドライブドラゴンを倒したいときなんてあるのか?﹂
﹁ドライブドラゴンが残す竜皮は、プリプリしていて美味しいのだ
そうです。肌が美しくなるとされています。またスープに入れて煮
込めば味がワンランクもツーランクもアップすると言われています﹂
ドラゴンのドロップを鶏皮みたいに言いやがって。
美肌効果があるかどうか怪しい限りだ。
ただ、スープが旨くなるということは出汁は取れるのだろう。
試してみるべきかもしれない。
﹁はい、です﹂
ミリアが寄生ワームを持ってきた。
考えないようにしていたのに。
寄生ワームは、ミミズっぽい虫だ。
動いてはいないようだが、生きているのだろうか。
魔物が消えて寄生虫が残るというのはよく分からん。
2373
その前に魔物につく寄生虫というのが意味不明だ。
寄生虫も魔物なんだろうか。
ケープカープは川魚だから寄生虫が多いのだろうか。
﹁手で持っても大丈夫か?﹂
セリーに確認する。
手から人間の体内に入ってくることは多分ないだろうが。
﹁土に触れさせなければ問題ありません。寄生ワームは、土に触れ
るともぐっていき、そこで死ぬと言われています。寄生ワームをま
いた畑は収穫量が増えるとされ、農家によく売れるそうです﹂
肥料なのか。
あるいは本当にミミズみたいな生き物なのかもしれない。
寄生虫のくせに益虫なのか。
﹁それなら最初から畑に住めという話だよな﹂
﹁アイテムボックスに入れておかないと、長くは生きられないよう
です。畑の中で十日以上生き延びている寄生ワームが見つかった例
はありません﹂
幼生と成体で生育環境が異なるのかもしれない。
魔物の体内で成長し、土の中で生殖するとか。
畑の中で羽化して成虫になるので十日たつともう見つからないと
いう可能性もある。
畑で普通に見られる蜂とか蛾とかの幼虫が寄生ワームということ
もあるかもしれない。
生物というのはたくましいものだ。
2374
人間は迷宮に圧迫されているのに、逆に魔物に寄生する生き物も
いるのか。
末恐ろしい。
いや。寄生ワームを残したケープカープは肝を残さなかった。
魔物が一個だけアイテムを残すとしたら、寄生ワームも魔物なの
ではないだろうか。
あるいは、寄生ワームはケープカープの肝を食べるのか。
食べられてなくなったので、魔物はアイテムを残せず、寄生ワー
ムがドロップすると。
肝は、魔物が消えた後でも残る実体のある部位なのだから、食べ
る生物がいたとしても不思議はない。
この説が正しければ、寄生ワームに寄生されていたケープカープ
がモンスターカードを残すとき、寄生ワームとモンスターカードの
二つのアイテムがドロップするはずだ。
我ながら完璧な理論。
﹁ケープカープがモンスターカードを残すとき、寄生ワームも一緒
に残ったという話はないか?﹂
﹁聞いたことはないですね﹂
セリーが否定した。
俺の理論は時代の先を行きすぎて、まだ検証されたことがないよ
うだ。
しょうがない。
ウェーゲナーといいコペルニクスといい、時代の先端を歩む者は
理解されないのだ。
ミリアから寄生ワームを受け取って、アイテムボックスに入れる。
2375
あれ。アイテムボックスに入るのだから、寄生ワームもドロップ
アイテムか。
アイテムボックスに入れられるのは装備品と魔物が残したアイテ
ムだけだ。
俺の説は駄目じゃねえか。
まあ考えてもしょうがない。
所詮は魔物だ。
その後、二十六階層で探索した。
二十六階層でも戦えるようだ。
全体攻撃魔法も喰らったが、ロクサーヌと二人で問題なく回復す
る。
ケープカープの全体攻撃魔法は、得意属性の水魔法が中心で、風
魔法も使ってきた。
得意属性だからといって威力が高いということはないらしい。
風魔法やグミスライムの土魔法とダメージは大差なかった。
得意というのは使うのが得意ということのようだ。
土魔法と弱点属性の火魔法はまだ浴びていないが、こちらも多分
違いはないだろう。
苦手というのはきっと使うのが苦手に違いない。
今まで使ってきてないし。
ケープカープが残したアイテムは、肝の方が多かった。
ただ、寄生ワームがレアドロップというほどではない。
川魚は寄生されていることが多いようだ。
肝の使い道については、迷宮を出て朝食を取りながら相談する。
2376
﹁やはり一度肝を使って魔物をドライブドラゴンにしてみるべきだ
よな﹂
魔物をドライブドラゴンにすることで得られるジョブがあるかも
しれない。
あるいは竜を倒すとドラゴンスレイヤーになれるとか。
オラ、ワクワクしてきたぞ。
﹁そうですね。戦ってみるのがいいでしょう﹂
﹁ドライブドラゴンも他の迷宮では二十三階層以降に出てくる可能
性がありますから、倒せない相手ではないはずです﹂
﹁やる、です﹂
﹁大丈夫だと思います﹂
今回は肝を使うことが目的でドラゴンと戦うことがメインではな
い。
結果的に戦うことにはなるとしても。
こいつらは妙に戦闘的だ。
﹁ケープカープをドラゴンにするか。いや、もっと低い階層の魔物
にすべきか。迷宮の外にいる魔物とか﹂
何も好きこのんでLv26のケープカープをドラゴンにすること
はない。
ドラゴンにする相手は選べるのだから、Lv1の魔物で試してみ
るべきだろう。
肝を使ったときにドライブドラゴンのレベルがどうなるかは分か
らないが。
2377
ミリアが石化した魔物に肝を使う手もあるが、石化した魔物相手
では失敗しそうだ。
肝が無駄になりそうな気がする。
成功して石化が解けても嫌だし。
﹁ドライブドラゴンは、迷宮の中にいるときの大きさと外に湧いた
ときの大きさが異なるそうです。最初は迷宮の中の魔物をドライブ
ドラゴンにすべきでしょう﹂
セリーが答えた。
大きさが違うのか。
迷宮はそこまで広くないから、ドラゴンといっても大きさは限ら
れる。
ドライブドラゴンが何十メートルもあったら迷宮にはいられない。
外に出ると大きくなって厄介になるのだろう。
セリーの言うとおり、迷宮の中にいる魔物をドライブドラゴンに
した方がいい。
﹁そうすると迷宮一階層の魔物が無難か﹂
﹁ドライブドラゴンは二十三階層から三十三階層の間に出てくる魔
物の中でダントツに強いとされています。一階層で試すのがいいで
しょう。弱い魔物が相手だと肝を投げたときに成功する確率も高ま
るようです。一階層の魔物がコボルトなら確実にドライブドラゴン
にできるとか﹂
﹁それなら一挙両得だな。クーラタルは混むので使えないだろうが﹂
﹁ドライブドラゴンはクーラタル三十三階層の魔物ですが、三十四
階層のコボルトケンプファーより強いのではないかと言われていま
す﹂
2378
一階層のボスより強いと。
逆にいえば、一階層のボスより少し強いという程度の力しかない。
今の俺たちならなんとでもできるだろう。
早朝の狩で肝は十分集めたので、朝食後は一番にハルバーの迷宮
一階層に赴いた。
ハルバーの迷宮一階層の魔物はナイーブオリーブだ。
﹁肝は俺が投げる。ドライブドラゴンになるまでは、ミリアは攻撃
を控えてくれ﹂
﹁はい、です﹂
﹁ドライブドラゴンは、突進することが多いので、横や後ろからな
ら比較的安全に攻撃できるようです。また四属性すべての魔法を駆
使し、四つの属性すべてに耐性があります。弱点となる属性はあり
ません。雷魔法を使うのがいいと思います﹂
そういうことは早く教えてくれ、セリー。
食事中に教えてくれたら、そのとき遊び人のスキルに下級雷魔法
をセットし、試験の後で中級火魔法に戻せたのに。
まあ遊び人のスキルに設定不能時間があるとか、その他の細かい
ことは明かしていないのでしょうがない。
そのくらいのマイナスは甘受すべきだろう。
セリーなら気がついてもよさそうだが、そんな場面はなかったか。
鑑定とか複数ジョブとかキャラクター再設定とか、一つ明らかに
するとどこまでもつながっていきそうなんだよな。
話したところで、ロクサーヌたちに余計な荷物を背負わせるだけ
だと思う。
俺が墓場まで持っていけばすむ話だ。
2379
どのみちデュランダルを使って俺が倒せばあまり関係はない。
新たなるジョブ、ドラゴンスレイヤーのためにも。
デュランダルを出して、ロクサーヌの先導で進む。
現れたナイーブオリーブに小走りで近づいた。
逃げられない距離まで接近して、肝を投げつける。
ナイーブオリーブに肝が当たると、一瞬魔物が煙になり、形を変
えた。
煙がドラゴンの形となってから、再び魔物に戻る。
こうやって変化するのか。
ナイーブオリーブと同じ緑の魔物が現れた。
ドライブドラゴンLv1だ。
大きな爪のある四足と翼を持った細長いヘビ型のドラゴン。
全長はそれでも三メートルくらいあるだろうか。
かなりでかい。
普通に恐ろしい。
迫力がある。
ドライブドラゴンは、空中に浮かんでいた。
口を開けて牙をむき出しにする。
そのまま正面に立つロクサーヌに突っ込んだ。
ロクサーヌが上半身を倒してかわす。
さすがのロクサーヌも余裕を見て大きく避けた、と思ったら爪の
ついた前足がロクサーヌのすぐ脇から出てきた。
あれをかわしたのか。
2380
ドラゴンが上体を戻し、再び突進する。
今度は、ロクサーヌが首だけを動かして避けた。
竜の頭は先ほどよりは前に出てこない。
と思ったら、前足をロクサーヌが盾で止めていた。
前足の小指とかが盾で止められたら痛そうだな。
それだけで魔物を倒せそうだ。
まあ正面はロクサーヌにまかせておけば問題はない。
俺は横に回って、安全地帯から攻撃する。
デュランダル一振りでは倒れなかった。
ナイーブオリーブではなくドライブドラゴン相当の体力があるよ
うだ。
Lv1でよかったというべきだろう。
横からもう一太刀浴びせる。
同時にドライブドラゴンの動きが止まった。
反対側から攻撃しているミリアが麻痺させたらしい。
これはチャンスとデュランダルを連続で叩き込む。
竜が倒れた。
これだけでかいと倒したとき誰かが下にいた場合が厄介だな。
今回は麻痺していたから問題はないが。
時間も多少かかった。
一階層ボス並みの力はあるようだ。
ドライブドラゴンが煙となって消える。
竜皮が残った。
見た目も鶏皮みたいな竜皮だ。
2381
白っぽくてつぶつぶまでついている。
あれは毛穴じゃないんだろうか。
竜だから鱗がついているのかもしれないが。
﹁はい、です﹂
ミリアが拾い上げた。
しまった。
俺が拾うべきだったか。
パーティージョブ設定で見てみるが、俺もミリアも新しいジョブ
は獲得していない。
肝で魔物をドライブドラゴンにしたりドラゴンを倒したり竜皮を
拾ったりすることで得られるジョブはないようだ。
登竜門には合格しなかった。
その他の条件が足りていない可能性もあるが。
ロクサーヌたち全員にやらせる必要はないだろう。
﹁この竜皮は今日のスープに使うとして、明日の夕食も尾頭付きと
竜皮のスープにしてみるか?﹂
﹁やる、です﹂
竜皮を受け取りながら尋ねると、ミリアが返してくる。
や
このやるは、料理を作るという意味のやるだろう。
竜を殺る、の意味ではないと思いたい。
2382
竜皮
﹁じゃあ、次はロクサーヌだな。魔物の正面には俺が行くから、肝
は二つ渡しておく﹂
﹁はい﹂
ドラゴン狩を続ける。
ロクサーヌに肝を渡し、先導してもらった。
二つ渡したのは失敗したときのためだ。
俺が魔物の正面に立つなら、アイテムボックスから出すのは難し
い。
ロクサーヌは肝を投げるから、ロクサーヌの代わりに誰かが魔物
の正面を引き受けなければならない。
俺には肝をアイテムボックスから出して渡すという役目があるの
でそれを言い訳にしてドラゴンの正面に立たない手もあるが、戦わ
ないのはまずいような気がする。
一度は対峙しておいた方がいい。
せっかくLv1のドライブドラゴンと戦えるチャンスだし。
サイクロプスもなかなか怖いし、一撃の強さならロートルトロー
ルも負けてないだろうが、やはりドラゴンは恐ろしい。
大きな体と爪の生えた手足、牙をむき出しにした口は相当の迫力
がある。
もっと上に行ってから初めて相手をするより、ここで正面に立つ
ことを経験しておいた方がいい。
2383
上の階層でいきなりドライブドラゴンの正面に立たざるをえなく
なって何匹もの竜に囲まれたら、パニックになりそうだ。
MPを回復するためにデュランダルを出して魔物の正面で戦うこ
とはこれからもある。
Lv1一匹を相手に慣れておくべきだろう。
ナイーブオリーブが現れたので走って近づく。
途中でロクサーヌを抜き、魔物の正面に立った。
ナイーブオリーブLv1程度ならあまり怖さもない。
慢心してはいけないが。
油断せず魔物の動きを監視していると、ロクサーヌが横から肝を
投げた。
ナイーブオリーブが煙となり、煙がドラゴンの形に変わる。
成功のようだ。
変化している間にロクサーヌに正面を替わってもらうこともでき
たかもしれないが、それはやらないでおく。
全員で囲んだ。
ここまで陣形ができれば必勝パターンだ。
俺が正面でなければ。
煙がドライブドラゴンになる。
動き出す前に先制攻撃を加えた。
こちらが先にデュランダルを振ったのに、カウンター気味に竜が
突進してくる。
よろけるように大きく左に倒れ、なんとか回避した。
ぎりぎりだ。
ドラゴンが上半身を戻す。
2384
デュランダルをかまえなおして、竜と対峙した。
隙がない。
二発めを打ち込めるような隙がなかった。
うかつに攻撃すればカウンターの餌食になりそうだ。
ドラゴンを見ながら、攻撃のタイミングを計る。
いずれにしても攻撃しなければ始まらない。
いくしかない。
デュランダルを動かそうとすると、ドライブドラゴンと目が合っ
た。
睨まれちゃったよ。
目だけで動きを封じられた。
いけばカウンターでやられる。
とても飛び込めたもんじゃない。
背中に変な汗が流れた。
じりじりと嫌な時間がすぎていく。
ドラゴンが口を開き、牙を出した。
今度は向こうの攻撃か。
来る。
両足に力を入れ、いつでも動けるようにしておく。
右か、左か。
と思ったが、来なかった。
あら。
麻痺だ。
ミリアが麻痺させたらしい。
2385
動けないならこちらのものだ。
デュランダルを叩きつける。
麻痺している間に連続攻撃で竜を退治した。
ドラゴンも動かなければわら人形に等しい。
しかし、これでは上の階層へ行ってデュランダルでMPを回復す
るときが大変そうだ。
それが分かっただけでも戦っておいてよかっただろう。
足元にドロップしたので、竜皮をさっさと拾っておく。
竜皮を拾ってもジョブは得られなかった。
さすがに竜皮を拾って取得できるようなジョブはなさそうか。
ロクサーヌにも新たなジョブはない。
﹁残った肝はセリーに渡しておけ。次はセリーな﹂
﹁はい﹂
今度はセリーに肝を投げさせて、魔物をドライブドラゴンに変化
させた。
竜の正面はロクサーヌだ。
横からだと楽にドラゴンを攻撃できた。
ロクサーヌは、竜の攻撃をかわしながら、ときおりレイピアを突
き立てている。
うまく攻撃を誘発して、後の先を取る感じだろうか。
俺には無理だな。
セリーもやはりジョブは取得しなかった。
ドラゴンに関するジョブはなさそうか。
2386
可能性があるとすれば、竜人族のベスタか。
それだと竜人族の種族固有ジョブになってしまいそうだから、違
うかもしれないが。
﹁どうせだから全員いっとくか。次はミリアだな。それと、ベスタ
にこれを渡しておく﹂
﹁はい、です﹂
﹁はい﹂
ベスタにデュランダルを渡す。
次はミリアが肝を投げ、ベスタがドラゴンを仕留めた。
ミリアもベスタも新規のジョブは獲得しなかったので、竜に関す
るジョブはないと結論づけてもいいだろう。
それでも、ベスタにも肝は投げさせる。
ここまできたのだからみんなにやらせた方がいいだろう。
ベスタも肝を投げてナイーブオリーブをドライブドラゴンにした。
魔物をドラゴンにすることは全員一度で成功している。
ナイーブオリーブLv1をドライブドラゴンに変化させるのは簡
単なようだ。
コボルトLv1なら百パーセント成功するらしいし、このくらい
でなければ上位の魔物をドライブドラゴンにして弱体化させること
は難しいのだろう。
﹁やった、です﹂
ベスタが変化させたドライブドラゴンはミリアが石化させた。
そういえば、ミリアが魔物をドラゴンに変化させたのには暗殺者
の状態異常確率アップが効いていた可能性もあるか。
2387
魔物にとってドラゴンになることが状態異常にあたるのかどうか
は知らない。
さすがにちょっと違うか。
﹁せっかくだし、こいつはロクサーヌが倒してみるか?﹂
﹁はい﹂
デュランダルを渡し、石化したドライブドラゴンをロクサーヌに
倒させる。
竜に関するジョブはなさそうだが、最後に念のため。
ジョブは誰も取得しなかった。
やはり竜に関するジョブはない。
竜皮だけをゲットして、二十六階層に戻る。
それからは二十六階層で探索を行った。
ケープカープやグミスライムを火魔法で倒していく。
火属性に耐性のあるサイクロプスとシザーリザードがちょっと面
倒だが、二十六階層なら出てくるのは一、二匹だし、戦闘が長引け
ばミリアが無力化してくれる。
ましてやケープカープ二匹の団体など。
バーンストーム二発とファイヤーストームの三連打があれば敵で
はない。
﹁来ます﹂
二回めの三連打を念じたとき、ロクサーヌの警告が飛んだ。
片方のケープカープの下に赤い魔法陣ができている。
俺の火魔法の火の粉が舞う中、さらに火が追加された。
一瞬体が熱くなり、締めつけられるような衝撃が来る。
2388
火属性の全体攻撃魔法だ。
ケープカープの火魔法は初めて受けた。
熱くなったのは一瞬だけで、たいした威力はないようだ。
水魔法や風魔法や土魔法の方がダメージがあったと思う。
俺の火魔法と相殺されたのだろうか。
しかし相殺されてこちらにダメージが来るということは、俺の三
発の魔法がすべて無効になったということだ。
さすがにそれはないんじゃないだろうか。
ケープカープ二匹は、いつもどおりの魔法回数で倒れた。
やはり相殺はないか。
﹁ケープカープの火魔法は水魔法よりダメージが小さかったか?﹂
みんなの意見も聞いてみる。
﹁そうですね。小さかったかもしれません﹂
﹁水魔法とそんなに変わったとは思いませんでしたが﹂
あー。ロクサーヌとセリーには耐水と防水の装備があるんだよな。
ロクサーヌは耐火装備もしているから、比較上は一緒かもしれな
いが。
あてにはならないだろう。
﹁そうか﹂
﹁ケープカープが使う火魔法の威力が小さいという話はありません
でした。ただ、あまり使ってこないようですし、はっきり判別する
のは難しいでしょう。そのために書かれてなかったのかもしれませ
2389
ん﹂
受けた感じだけで火魔法が弱いと断定はできないだろうしな。
セリーの調べた本に書いてなかったとしてもしょうがない。
ケープカープが使用する魔法は、得意の水属性が多い。
苦手の火魔法は今回が初めてだし、かなり少ないだろう。
少なければ調べることはさらに難しくなる。
威力が小さいならもっとどんどん使ってきてほしいが。
﹁ちいさい、です﹂
﹁水魔法も火魔法もどちらもたいした威力はないと思います﹂
役に立ちそうなのはミリアの意見だけか。
火魔法はともかく、水魔法はそれなりだったと思うがね、ベスタ
君。
ミリアも小さいと感じたのなら、やはり他の属性より威力は小さ
いだろう。
となると、ケープカープが苦手とする属性だから破壊力が小さい
ということか。
得意の水属性で威力が上がることはなかったが、不得手の火属性
は駄目らしい。
弱点属性だし、そういうこともあるのだろう。
それ以降は火魔法を浴びることなく、一日の探索を終えた。
夕食にはロクサーヌが竜皮のポトフを作ってくれる。
食べたことのない食材だけに期待を持って食べてみた。
﹁これは、なんというか、あれだな﹂
2390
﹁何でしょうか?﹂
鶏皮だ。
確かに旨くはあるけども。
竜皮はほとんど鶏皮のような味がした。
よくいえば極上品の鶏皮だ。
極上品の鶏皮というのは食べたことがないが。
プリプリとして柔らかく、噛むとしっとりした脂が舌の上に広が
る。
蜜のように甘くはないが、甘いといっていい感じの味わいだった。
﹁さすがはドラゴンという感じか﹂
﹁はい。美味しいですね﹂
旨いことは旨いのだし、作ってくれたロクサーヌにぶしつけなこ
とは言えない。
なんにせよほめておく。
﹁スープも、コクがあって深みが出ているな﹂
﹁そのようです﹂
スープの方は、出汁が出たのだろう。
軽く煮込んだだけの今までのポトフより確実に美味しい。
﹁スープの味がアップするというのは本当のようです﹂
﹁あした、です﹂
﹁美味しいと思います﹂
ミリアの興味はすでに明日作る尾頭付きと竜皮のスープに移って
2391
いるようだ。
出汁も取れる竜皮は、鶏皮と鶏がらを足したような食材だ。
鶏肋といえば、捨てるには惜しいが執着してもたいした利益はな
いものとして、曹操がつぶやいたこの言葉を楊修が勝手に解釈して
利益のない戦場からの撤退準備をし後に処刑されたことで有名だが、
竜皮を捨てる人はいないだろう。
ただし、竜皮の美肌効果については特に確認できなかった。
風呂でじっとりとなで回しながら見てみたが。
風呂を出てからもなめ回すようにベッドでまさぐってみたが。
みんなの肌は、いつもと同程度になめらかで、柔らかく、しっと
りとしていた。
美肌効果などなくても、四人の肌は十分に美しい。
艶といい張りといいきめ細やかさといい最高だ。
もっとも、食べてから効果が肌に出るにはある程度日数がかかる
かもしれない。
これからも毎日観察は続けなければならない。
具体的には、なで回し、なめ回し、ねっとりと検分する必要があ
る。
科学のためには仕方がない。
翌朝、地図を持ってクーラタルの迷宮に入った。
﹁ブラックフロッグのボスは、フロックフロッグです。耐性のある
属性と弱点はブラックフロッグと同じです。ボスとして強い方では
ありませんが、ときおり強烈な一撃を繰り出してきます。なめてか
かって殺される人も多いといいます。十分気をつけてください﹂
2392
セリーが注意を促してくる。
まぐれ当たりの出る魔物のようだ。
十分に気を引き締めて、ボスと戦った。
まぐれが出なければ強い魔物ではないらしい。
難なく倒せた。
主にミリアのおかげで。
ミリアは、タルタートルを瞬く間に石化させ、フロックフロッグ
を初撃で戦闘不能にしている。
これは石化ではなく麻痺だったが、ボスが再起動を果たす前に石
化もさせた。
状態異常耐性ダウンの助けもあったとはいえ、たいしたものだろ
う。
フロック
状態異常が発動したのはミリアの実力だ。
まぐれではない。
﹁ミリアのおかげで楽に倒せたな。さすがだ﹂
﹁上がる、です﹂
クーラタル二十六階層の魔物はハルバーと同じくケープカープだ。
そのために張り切ったのか。
がんばったから石化が発動するものでもないだろうが。
大体ケープカープならハルバーでも相手にしている。
いや。一刻も早くハルバーの迷宮に戻ろうということか。
ミリアの要求どおり、二十六階層は一度戦っただけでハルバーに
移動した。
クーラタルの二十六階層は、ケープカープ、ブラックフロッグと
2393
火魔法が弱点の魔物が多いから、特に問題になるようなことはない
だろう。
なお、その日の夜も四人の肌に特に変化は見られなかった。
竜皮と尾頭付きのスープのかなりの部分を平らげたミリアにして
も変化はない。
いつものようにきめ細やかで美しい。
ネコミミをいじり倒しながら観察したので間違いない。
他の三人も同様だ。
その翌日も変化はなさそうか。
大体、これ以上肌が綺麗になるというのもあまり想像はできない。
竜皮の美肌効果については、怪しいものだろう。
2394
竜皮︵後書き︶
﹃異世界迷宮でハーレムを 三巻﹄が発売になりました。
よろしくお願いいたします。
2395
リバティー
﹁明日は帝国解放会の入会式があるから、早朝だけ迷宮に行って、
後は休みにしよう﹂
夕食のとき、明日の予定を話した。
エステル男爵から言われた入会儀礼の日取りは明日だ。
入会儀礼には俺以外の四人は立ち会えないから、休みにするのが
いいだろう。
﹁ありがとうございます。お休みをいただけるのですね﹂
﹁そうだ。ロクサーヌは何がしたい?﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
﹁休みとは、どういうことでしょう?﹂
ロクサーヌが考え込むと、ベスタが質問してきた。
そういえばベスタが来てからは初めての休日か。
﹁明日は、朝食前は迷宮に入るが、その後は自由に過ごしていい﹂
﹁そんなことを。よろしいのですか﹂
﹁たまにはリフレッシュすることも必要だろう﹂
﹁ありがとうございます﹂
ベスタが頭を下げる。
﹁半日だが好きなことをしてくれ﹂
﹁好きなことですか﹂
2396
ロクサーヌに続いてベスタも思案顔になった。
急に休みと言われても戸惑うのだろう。
どこかの二人と違って。
﹁セリーは、図書館か解放会の資料室か?﹂
﹁はい。せっかくですので資料室に行ってみたいと思います﹂
﹁ミリアは、釣りだよな﹂
﹁はい、です﹂
この二人については、ほとんど聞くまでもない。
ミリアの顔が輝いていた。
釣る気だ。
﹁私は、買い物でもしてのんびり過ごしたいと思います。本当はど
こかの迷宮にでも行きたいのですが﹂
やりたいことが同じという点ではロクサーヌも似たようなものか。
なんで休みだというのにロクサーヌは迷宮に入りたがるのだろう。
迷宮に行くのを休んでこその休みだろうに。
﹁入会式は昼からだ。午前中少しなら一緒に迷宮に入ってもいい﹂
﹁本当ですか?﹂
﹁大丈夫だ。どこかでボス狩りでもするか。今の俺とロクサーヌな
ら、多少上の階層でも行けるだろう﹂
二十二階層より下なら、ボス部屋に出てくる魔物は二匹だ。
ロクサーヌが一匹の相手をしている間に俺がもう一匹を片づけれ
ばいい。
ミリアから硬直のエストックを借りる手もある。
2397
もちろん俺はデュランダルを使う。
ロクサーヌの目的が鍛錬だろうとしても。
経験値的にはデュランダルを出さず魔法で戦った方がいいが、そ
こまでこだわることもない。
どうせそんなに経験値を稼げはしないはずだ。
﹁ブラックダイヤツナ、です﹂
﹁ハルバーの二十二階層ならブラックダイヤツナだが、そこまで行
けるかどうかは分からんな。クーラタルの十七階層ならなんとかな
るかもしれないが﹂
ミリアが進言してくるが、ブラックダイヤツナを相手にできるか
どうかは分からない。
ボス部屋に出てくる魔物は二匹だが、ボス部屋以外では普通に多
数の魔物を相手にしなければならない。
二十二階層で二人はきついかもしれない。
ボス部屋や待機部屋に直接ワープするのはまずい。
試したことはないので行けるかどうかも分からない。
階層の途中にある小部屋からボス部屋までは歩いていくことにな
る。
ロクサーヌがいるから途中の魔物は回避することも可能だが、相
手をしなければならない場合もあるだろう。
二人なのであまり上の階層には行きたくない。
﹁そうですね。クーラタルの十七階層くらいなら鍛錬にいいかもし
れません﹂
﹁赤身かトロが残ったら、お土産に持ってきてやろう﹂
2398
﹁んん。釣り⋮⋮。んん。ブラックダイヤツナ⋮⋮﹂
ミリアが悩みだした。
土産にすると言ったのに聞いてない。
ブラックダイヤツナを相手にするならミリアも行きたいというこ
とだろうか。
休みより魚の魔物の方がいいのだろうか。
それなら、ケープカープの出る階層を探索している現在、休みよ
りも迷宮に入っていた方がいいということだろうか。
それはまた別か。
ケープカープは食材を残さないし。
自分の手で食材を獲るというのは、一つの楽しみではある。
観光の地引網とかやな漁みたいな感じだろう。
魔物相手では危険もあるが。
﹁ミリアも一緒にどうですか?﹂
﹁どうせ日の出時間からはできないのだし、少し迷宮に入ってから
釣りに行くくらいでもいいんじゃないか﹂
﹁いく、です﹂
ロクサーヌと俺の勧めに、ミリアが食いついた。
何が悲しくて迷宮探索を休む日に迷宮に行きたがるのか。
まあ本人がしたいというのだからいいだろう。
これで結論が出ていないのはベスタだけだ。
ベスタは首をひねっている。
まだ決まっていないようだ。
2399
﹁ベスタはどっか行ってみたいところとか、ないか﹂
﹁行ってみたいところですか﹂
﹁もしくは、昔行けなかったところとか、もう一度行ってもいいと
思ったところとか﹂
﹁昔行きたかったところなら。いや。なんでもないです﹂
ベスタが意見を引っ込めた。
なんだろう。
行きたいところがあったなら、そこでいいのではないだろうか。
あ、そうか。
亡くなった祖父の家とかか。
昔は行きたかったが、今は行けない、もしくは行きたくないとこ
ろとか。
﹁あー。なんかやなこと思い出させちゃったか﹂
﹁いえ。そんなことはありません﹂
﹁それなら昔行きたかったところでも﹂
﹁あの。本当に大丈夫です。今は行きたいとも思っていませんので﹂
ちょっと気になるが、大丈夫だというならいいのだろうか。
あまり深く尋ねるわけにも。
﹁ひょっとして、ステーラですか?﹂
俺が引き下がろうと思っているのに、セリーがズバリと切り込ん
だ。
空気読め。
﹁い、今はまったく行きたいとは思ってもいません﹂
2400
ベスタが手を振って行きたくないと否定する。
﹁ステーラ?﹂
﹁ステーラにある神殿は奴隷を買い取ってくれます。お金を持って
いる人なら自分で自分を買い取ってもらうことができます。そうす
れば解放奴隷になれます。お金を持っていない人でも、神殿に逃げ
込めば他の人が自分を売るために支払ったお金や寄付金浄財を使い
神殿が奴隷として購入してくれることがあるそうです﹂
セリーが教えてくれた。
なるほど。そんな場所があるのか。
中世にあった聖的な避難所、アジールってやつだ。
駆け込み寺みたいなものだろう。
﹁ですから今はまったく﹂
ベスタがあわてて否定するわけだ。
ステーラに行きたいということは、俺から解放されたいというこ
とを意味する。
奴隷になることが決まっていた昔はステーラに行きたかったと。
ステーラに行けば、奴隷から解放されることができる。
いや、身分的には神殿が所有する奴隷ということになるのだろう
か。
税金的にもその方が得だ。
﹁逃げるとは考えていないので、気にするな﹂
﹁はい。とてもよい主人に購入していただいたと感謝しています。
いつまでもこのまま働かせていただきたいです﹂
2401
﹁頼むな﹂
今まで休日はみんなを自由にさせていたが、よかったのだろうか。
少なくともセリーは知っていたわけだし。
ただ、奴隷側としてもある程度は逃げた後に稼ぐ算段がないと駄
目だろう。
うまく逃げおおせたとしても、自立する手段がなければ奴隷か盗
賊に逆戻りだ。
ロクサーヌくらいなら迷宮に入ってやっていけそうだが。
ロクサーヌが逃げることは考えにくい。
セリーも鍛冶師でなんとかなるか。
しかし逃げるつもりならステーラのことを俺に教えたりしないだ
ろう。
﹁わ、私も一緒に迷宮に行きたいと思います﹂
﹁いや。あんまり大勢で行ってもしょうがない。ベスタは休んでい
ろ。クーラタルか帝都をのんびりと観光してくるといい﹂
﹁それなら、午前中は家かクーラタルにいてください。昼過ぎから
私と一緒に帝都に行きましょう﹂
ロクサーヌがベスタに提案する。
﹁はい。そうしようと思います﹂
ベスタが受け、全員の予定が決まった。
今のところ、ベスタには特にやりたいことはないようだ。
そのうちに何か見つけてくれればいい。
2402
次の日は朝から暑かった。
今年一番の暑さかもしれない。
ベッドを囲んで置いてある桶の上の空気が微塵も冷たくなかった
ので、氷は全部解けたのだろう。
こんな日はあまり暑くない迷宮の中で一日過ごしたかった。
愚痴ってもしょうがないことだが。
早朝は迷宮に入り、パンや食材を買った後、家に戻る。
朝なのでまだそれほどでもないが、クーラタルの街中も陽射しが
きつかった。
﹁今日は暑くなりそうだな﹂
﹁はい。ミリアにはしっかり言い聞かせてますので、大丈夫でしょ
う﹂
確かに、こんな暑い日に海に釣りに行ったら入りたくなりそうだ。
ロクサーヌもミリアの行動パターンはしっかりお見通しらしい。
ちなみに、この世界に海水浴というのはないようだ。
外に出るのは魔物がいて危険だろうし。
﹁休みなのでお金を渡そう。今回からは多少増額して、銀貨十枚に
しようと思う﹂
朝食の後でお金をみんなに渡す。
セリーが行くロッジは高いみたいだし、小遣いも増やすべきだろ
う。
ロクサーヌとセリーだけというわけにもいかないだろうから、全
員平等に増やす。
2403
﹁ありがとうございます﹂
最初にロクサーヌに銀貨十枚を渡すと、喜んで受け取ってくれた。
何ごとも順番が大切である。
﹁ロクサーヌはいろいろ必要なものも買ってきてくれたしな。今回
は自分のものを買ってくるといい﹂
﹁はい﹂
全員平等にしたが不満はないようだ。
﹁ロッジは高いみたいだからセリーには足りないかもしれないが﹂
﹁ありがとうございます。大丈夫です﹂
セリーは銀貨をアイテムボックスにしまった。
鍛冶師のアイテムボックスは同じアイテムが十個入るのでちょう
ど一列分だ。
ロッジにはどうせ入会儀礼で俺も行く。
いざとなればなんとかなるだろう。
﹁釣り道具で必要なものは基本的にはこのお金でまかなってくれ。
釣具屋は迷宮に入った後で連れて行ってやる﹂
﹁はい、です。ありがとう、です﹂
厳密にいえば、ミリアが釣った魚を食べたりするのだから、その
分は俺が買い取ってしかるべきではあるよな。
ミリアもそんなことは要求してこないが。
そのうち新しい釣竿でも買ってあげよう。
﹁ベスタにも渡しておく。自由に使っていいぞ﹂
2404
﹁こんなにたくさん。ほんとによろしいのでしょうか﹂
﹁好きに使え﹂
﹁ありがとうございます。こんなに自分のお金を持ったのは初めて
です﹂
奴隷の衣食住は所有者が責任を持って用意する。
ベスタがお金を持つような必要はこれまでなかったのだろう。
﹁では、とりあえず先にセリーをロッジに送ってくる。セリーもい
いか﹂
﹁すみません。少し待ってもらえますか﹂
セリーが他の部屋に消えた。
どうしたのかと様子をうかがうと、パピルスと筆記具を用意して
いるらしい。
あれも確かセリーが自分の小遣いで買ったんだよな。
全部が全部呑み代に消えているわけではない。
﹁ベスタも、外に出るならもう行っていいぞ。それとも、冒険者ギ
ルドまで送っていこうか?﹂
﹁いえ。大丈夫です。歩いて出かけようと思います﹂
ベスタは歩いて出るようだ。
そういえば、冒険者ギルドと家との間はほとんどワープを使って
いる。
ベスタに道が分かるだろうか。
通りに出たら一本道だから大丈夫か。
﹁お待たせしました﹂
﹁じゃあ行くか﹂
2405
﹁いってらっしゃいませ﹂
セリーが戻ってきたので、三人に見送られロッジへとワープする。
ロッジではすぐにセバスチャンが迎えてくれた。
﹁これは、ミチオ様、セリー様。ようこそおいでくださいました﹂
下げる頭の角度も深い。
名前もよく覚えているものだが、今日俺が来ることは分かってい
るか。
﹁セリーに資料室を閲覧させたいが、大丈夫か﹂
﹁かしこまりました。係りの者を呼びますので、少々お待ちいただ
けますか﹂
セバスチャンが奥にいる男に何か合図を送り、その人が早足で去
る。
走ってはいないが、かなり速い。
あっという間にいなくなった。
﹁何か必要なものはあるか?﹂
﹁いいえ。特にはございません。羊皮紙や筆記具、軽食なども、ご
用命いただければこちらでご準備いたします﹂
羊皮紙ときたよ。
銀貨十枚で足りるのだろうか。
﹁筆記具は持ってきているのですが﹂
﹁もちろん、それをお使いいただいて結構でございます﹂
2406
セリーが尋ねると、持ち込みはオッケーのようだ。
良心的だな。
立ち去った男が女性を一人連れてきた。
やはり速い。
女性の方は小走りになっている。
﹁こちらのセリー様が資料室をお使いになられる。ご案内を﹂
セバスチャンがその女性に命じた。
女性がセリーに向かって頭を下げる。
﹁かしこまりました。それではセリー様、こちらへお越しください﹂
﹁もしなんかあったら呼べ﹂
﹁はい﹂
セリーを送り出した。
女性は一転してゆっくりと先導する。
セリーが後ろをついていった。
﹁今日は入会儀礼があるから、また後から来る﹂
﹁かしこまりました。お待ちしております﹂
セバスチャンにはまた来る旨を告げ、家に帰る。
パーティーは組んだままなので、別れるとセリーがどの方向にい
るか大体分かるようになった。
ロッジのある場所は非公開だと言っていたが、丸分かりじゃねえ
か。
2407
皇帝
ロッジからワープで家のリビングに出る。
家に戻ると、ミリアがテーブルの上に釣り道具を広げていた。
確認準備に怠りはないようだ。
﹁使えそうか?﹂
﹁はい、です﹂
まあそんなに長い間放っておいたわけでもない。
すぐに使えなくなるものでもないだろう。
ロクサーヌはミリアの横でゆったりと座っているが、ベスタはい
ないので出かけたようだ。
﹁ベスタはもう出たか﹂
﹁はい。鍵も持たせています。昼前に家に帰ってくるか、もしくは
冒険者ギルドで合流するように伝えました。それでよかったでしょ
うか﹂
﹁それでいい﹂
パーティーは組んだままなので、待ち合わせは難しくない。
パーティーメンバーのいる方向が分かるというのは大変便利だ。
迷宮でパーティーが別れたとき一緒になれる機能なんだろうか。
バラバラにされたことはないが、今後そういうことも起こりうる
のだろうか。
釣り道具は家に置いたまま、ロクサーヌ、ミリアと三人で迷宮に
2408
赴く。
クーラタルの十七階層だ。
ロクサーヌ、セリー、ミリアの三人で前衛を務めていたこともあ
ったのだし、問題はないだろう。
﹁それではボス部屋まで行きますね﹂
﹁魔物の数が多いところはなるべく避けてくれ。ボス戦に集中した
方がいいだろう﹂
道中の魔物を避けるように指示を出してから、理由もつけたした。
かえって白々しくなっただろうか。
怯懦の虫に取りつかれていることがバレバレだ。
﹁分かりました﹂
ロクサーヌはスルーしてくれるらしい。
先頭に立って案内する。
三人で五匹の魔物を相手にしても十七階層なら問題なく勝てるだ
ろうが、多分何発か攻撃は受ける。
主に俺が。
魔物の数の多いところは避けるべきだろう。
そもそも、階層の魔物は避けてボス狩りに行くとか。
世も末だな。
途中、数の少ない魔物を蹴散らしながら進んだ。
三匹までなら問題ない。
ボス戦は繰り返す予定だから、数の多い団体があったら掃除して
おかないと次の周回でまた出会うだけのような気もするが。
2409
ちなみに、ミリアが石化させた魔物はいつもとは逆に魔法で始末
している。
今回はデュランダルメインで戦っているので、特にMPを回復す
る必要はない。
その分、魔道士と遊び人ははずした。
ファーストジョブ用に残した魔法使いの初級魔法でちまちまと倒
してく。
入会式に出るときはファーストジョブを冒険者に変更する予定だ。
インテリジェンスカードのチェックをされてもいいように。
ブラックダイヤツナは、石化しなかったのでデュランダルで倒し
た。
ボス戦でいつも使っている状態異常耐性ダウンはやはり偉大なの
か。
状態異常耐性ダウンを使わなかったせいか、ボスは倒しきるまで
石化しなかった。
マグロの正面に立ちはだかり攻撃を苦もなくかわし続けるロクサ
ーヌを横目に見ながら、もう一匹を片づけ、ボスはミリアと一緒に
斜め後ろから攻撃する。
鍛錬とは何だったのか。
ボスが相手なのにロクサーヌには練習にもならない。
ストレス発散くらいにしかなっていない気がする。
そのくらいでなければ休みの日にわざわざ来たりしないのだろう。
最初のボスは赤身を残した。
ドロップアイテムのために、料理人をつけたというのに。
ぎりぎりのボスではないし博徒までは必要ない。
2410
﹁赤身、です﹂
赤身でもミリアは嬉しそうだ。
ブラヒム語までばっちり覚えたのか。
﹁今日の夕食は魚三昧だろう。赤身を使って俺も一品作ろう。魚三
昧になるかどうかは、釣果次第だが﹂
﹁ご主人様の作る料理は美味しいので楽しみです﹂
﹁釣る、です﹂
赤身をアイテムボックスに入れて二周めに挑む。
二匹めのボスはミリアが石化させた。
状態異常耐性ダウンがなくてもボスもちゃんと石化するようだ。
残したのは赤身だったが。
三匹めのボスは石化もせずトロも残さず。
四匹めのボスが、石化はしなかったがトロを残した。
ボスは石化しにくいようだ。
﹁トロは明後日の夕食ということでどうだ﹂
﹁あさって、です﹂
提案にミリアも納得してくれる。
今日も魚だしな。
明後日で文句はないだろう。
迷宮には結局、トロを四つ確保するまで滞在した。
魚食材は一回の料理で二つずつ使っているから、二回分だ。
明後日の分ともう一回分もあれば十分だろう。
2411
アイテムボックスに入れておけば腐らないとはいえ。
﹁ちょっと早いかもしれないが、このくらいまでにしておくか﹂
﹁分かりました﹂
﹁はい、です﹂
ミリアも不満はなさそうか。
この後は釣りだしな。
﹁ロクサーヌたちはどうする? すぐ帝都に行ってそこで別れても
いいし、一度ミリアを釣り場まで送ってから帝都に行くときに一緒
でもいい﹂
帝都には、釣具屋に行くときとミリアを釣り場に送った後でロッ
ジに行くときとで二回訪れることになる。
どのタイミングでロクサーヌとベスタを帝都に送るべきか。
﹁釣り場まで一緒に行きます。荷物もあるでしょうし﹂
﹁荷物は俺とミリアでなんとかなるだろう。な?﹂
﹁なる、です﹂
ミリアを見ると回答が返ってくる。
﹁よろしいのですか?﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁ではお言葉に甘えさせていただきます。ベスタも家の方に戻って
いるみたいなので、すぐ帝都に行きます﹂
﹁分かった﹂
クーラタルの迷宮十七階層のボス部屋を出たところにある小部屋
2412
から家にワープした。
﹁お帰りなさいませ﹂
家では帰っていたベスタが迎えてくれる。
﹁ただいま﹂
﹁大丈夫でしたか?﹂
﹁休みの日に危険なことはしたくないからな。それより、すぐに帝
都に行けるか?﹂
﹁はい﹂
ベスタを加えて、四人で帝都に移動した。
場所は図書館の内壁だ。
釣具屋へはここが近い。
﹁向こうへ行くと冒険者ギルドがある。繁華街は冒険者ギルドのあ
る方だから、帰るときは冒険者ギルドで待ち合わせよう﹂
図書館の外に出てから、腕を伸ばして場所を指示する。
釣具屋とは反対側だ。
セリーがいるのは釣具屋の方向。
図書館から向こうの上品な地区だ。
帝国解放会のロッジは帝宮の方にあるらしい。
いい場所にありやがる。
﹁分かりました﹂
﹁よい休日をな﹂
﹁ありがとうございます。では、行ってまいります﹂
2413
﹁いってきます﹂
ロクサーヌとベスタを送り出した。
別れた後、ミリアと二人で釣具屋に入る。
ミリアは、ロクサーヌほど買い物に時間はかけず釣り針だけを買
った。
この後の釣りが楽しみなようだ。
いや。店員と釣り道具談義をしようにも通訳のロクサーヌがいな
いからかもしれない。
ブラヒム語は結構話せるようになってきているが、専門分野はま
た勝手が違うだろう。
専門用語だとロクサーヌが訳せるかどうか問題だが。
釣り針をいくつか買ったのは、大きさの異なる針で違う魚を狙っ
てみるのか。
予備ということもあるのかもしれない。
壊れたり根がかりしたりするだろうし。
﹁こちらの針は一個二十ナール、こちらにあるのが三十ナールにな
ります﹂
﹁これでいいか?﹂
﹁はい、です﹂
ミリアからいったん針を受け取って、俺が店員に差し出す。
﹁二十ナールの針が四個に三十ナールの針が二個ですね。先日お勧
めのセットを購入していただいたお客様ですから、今回は特別サー
ビスで九十八ナールで結構です﹂
2414
ミリアだけ買い物が三割引だが、食べる魚を買い取らなければい
けない分と相殺ということでいいだろう。
ミリアが取り出した銀貨一枚を払い、つりの銅貨二枚をミリアに
戻した。
釣り針の値段は、高いような気もするが、一般的なものではなく
貴族の趣味らしいのでこんなものかもしれない。
釣具屋を出て図書館から家に戻り、釣り道具を持ってハーフェン
の磯にワープする。
ハーフェンは北にあるのでクーラタルより少し暑くなさそうか。
海に入れない温度ではないが、ロクサーヌも注意したみたいだし
入らないだろう。
﹁では迎えに来るまでこの辺りでな﹂
﹁はい、です﹂
あまり移動しないようには伝えて、帝都のロッジに移動した。
ロッジのロビーに出る。
ロビーでは、長い廊下の端の方に人が集まっていた。
何かあったのだろうか。
その中からセバスチャンが出てきて俺を迎える。
﹁お待ちしておりました、ミチオ様。エステル様は、すでに見えら
れましたが、現在所用ではずしております﹂
﹁そうか﹂
﹁すぐに戻られると思います﹂
﹁あれは何で集まってるんだ?﹂
人が集まっているところを目線で示し、質問した。
2415
今朝ほどはセバスチャンの後ろにいた人も人波の中にいる。
職員の朝礼、時間的に昼礼みたいなものだろうか。
セリーはいないが、セリーを資料室に連れて行った女性はいる。
﹁ミチオ様もいかがでしょう。エステル様もまもなくあそこからま
いられると思います﹂
俺も参加させられた。
セバスチャンに連れられて人が集まっている方に向かう。
﹁おなりになられました﹂
途中で誰かから声がかかった。
セバスチャンが走り出す。
あっという間に集まっている人の先頭に立った。
誰か来るのだろう。
廊下の向こう側の扉がゆっくりと開いていく。
そういえば職員の通用口があるとか言っていたな。
会員は使えないという話だったが、エステルもそこから来るのだ
ろうか。
扉は、観音開きになっていて、ロッジの外側に向かって両側に徐
々に動いた。
日本式の玄関だ。
この世界の玄関は、何故か全部内側に向かって開くようになって
いる。
クーラタルにある我が家もそうだ。
外に向かって開く日本タイプの玄関は珍しい。
2416
初めて見た。
扉が開いていくと、セバスチャン以下全員がそろって頭を下げる。
あ。
出遅れた。
まあ、職員の専用口だからいいだろう。
総書記のセバスチャンより偉い人でも来るのだろうか。
帝国解放会主席とか。
それはやばそうな雰囲気。
扉の向こうにもズラリと人が並んでいた。
やはり偉い人なのか。
扉の近くに、エステル男爵とハルツ公爵もいる。
扉のこっち側で頭を下げていないのは俺だけだ。
まずいだろうか。
しかしいまさら変換できない。
雰囲気だけに。
人ごみの中からエステル男爵とハルツ公爵の二人がこちらにやっ
てきた。
なんだ。来るのはこの二人か。
驚かせやがって。
﹁セバスチャン、委細問題ないな﹂
﹁はい、エステル様﹂
﹁では﹂
エステルがセバスチャンと言葉をかわし、扉の前で立ち止まる。
2417
ハルツ公爵と二手に別れて扉の両側に進み、振り返ると中央に向
かって頭を下げた。
二人が頭を下げると、向こう側の人波から三人の男が出てくる。
先頭に立っているのは頭の薄いいかついおっさんだが、まあこれ
はいい。
一応伯爵らしいが、公爵までが頭を下げる相手ではないだろう。
そのおっさんの後ろに、もう一人いた。
皇帝ガイウス・プリンセプス・アンインペラ 男 39歳
冒険者Lv41
装備 オリハルコンの剣 聖銀のメッシュウェア 身代わりのミサ
ンガ
皇帝だそうです。
偉い人です。
公爵も頭を下げます。
俺はどうすればいいのだろうか。
皇帝ということは鑑定で分かっただけだから、あわてて頭を下げ
るのは違うような気がする。
かといって突っ立ったままでいいのか。
空気読めばよかった。
空気読め。
俺は後ろのほうにいるので大丈夫、だと思いたい。
三人がロッジの中に入ると、エステル男爵とハルツ公爵も続いて
2418
中に入り、扉が閉められる。
セバスチャンが皇帝の前に進み出て迎えた。
皇帝といっても着ているのはカジュアルっぽいチュニックだ。
鑑定で出た聖銀のメッシュウェアというのは、服の下にでも着け
ているのだろう。
﹁ガイウス様。この場ではガイウス様で失礼させていただきます﹂
﹁苦しゅうない。解放会の決まりはよく理解しているつもりだ﹂
﹁わたくしめの代にてガイウス様のご入会を賜ること、歓喜に耐え
ません。まことに喜ばしい限りです﹂
﹁これからよろしく頼む﹂
皇帝とセバスチャンが会話する。
入会するということはまだ会員ではないということだ。
確かに、現皇帝は会員じゃないというような話は聞いた。
間違ってはいない。
時と場所の指定まではしていない。
そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい。
﹁お。ミチオも来ていたか﹂
エステル男爵が俺を見つけて話しかけてくる。
文句の一つも言いたくなるが、それは飲み込んだ。
﹁⋮⋮はい。ついさっき﹂
﹁ちょうどよかった。騒がせたかもしれんが不審がるな﹂
﹁はあ﹂
不審には思っていない。
2419
皇帝だと分かっているので。
﹁会では世俗の役職など関係のないことだ﹂
皇帝を紹介するつもりもないらしい。
紹介されたところでどうするのかという話だが。
皇帝だとは知らないふりをしておけばいいのだろうか。
﹁この者は?﹂
しかし、俺とエステルが話しているのを見て、皇帝が割り込んで
きた。
おかしい。
絡んでくるなという空気が出ていなかっただろうか。
空気読め。
﹁本日入会儀礼を行う予定のミチオです﹂
﹁ミチオです﹂
さすがのエステル男爵も敬語だ。
俺も空気を
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