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第214号 - 嘉手納町

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第214号 - 嘉手納町
■暮企画渉外課広報係
礪集と発行
また、ビーチパーティーの昼食
は、子供たちか中心となり、そば
作りに挑戦。
父母のアドバイスで、そばやつ
者でごったかえし、場所を確保す
同ビーチも夏休みに入ると利用
日読谷村の減圧ハ知の浜で催された。
よるビーチパーティが八月二十
と育成会 ︵上原清適全長︶ 共催に
ーと。南区子供会 ︵伊礼幣全長︶
の親睦と親子のふれあいを阿ろう
ビーチパーティーを通じて全︰日
楽しい夏休みの一日を親rですご
∴杯、∵−杯とおかわりをするなど、
うずだね﹂と、親子で誹を交すなか、
だきながら ﹁おいしいね﹂、﹁じょ
を手に、出来あがったそばをいた
供たちも海からかけあがり、食器
と、いままで海水浴をしていた子
しそうなそば汁のにおいが漂よう
しばらくすると、あたりにおい
当日は、夏休みとあって八十名
機会が少ないサ供たちのためにビ
チにおいて、日頃、海水浴に行く
但)高齢運転車の交通事故防止
ゆの味つけなどに奮聞していた。
るのに閉経なため、同育成会は、
し
た
。
一方、町の手をつなぐ親の会で
余の家族連れが参加。父母が見守
ーチパーティーを催し、子供たち
モー=>二rJ ノこ蓋
ー  ̄ 丁__≡±丁’==ニーj芦=こ一 一■て一二一1
_平二二_ 一球」
.−...●__■【1−r一丑 ̄千一∴■
 ̄「一一二三き宇
、・一一 一■■■■てこチ■■■−■■■■i■■
.1−− −、
若者たちの手作りによる節.阿
YOU・遊・比謝川フェスティバル
が、L月■二卜一日八日︶、比謝川沿
いの尾良城祉公園を小心に催され、
手づくりいかだ兢酒や十供たちに
よるグッピーすくい、急流下り、
インデアンブリッジなど多様なイ
ベントに、夏休みとあって町内を
はじめ、近隣市町村から、二千窮
余の観衆がつめかけ、賑わいをみ
せていた。
−12−
前日の午後から大人が泊込みで、
テントを設置し場所を確保してい
るなか、うきぶくろやスノーケル
も、ボランティアの協力で、海水
も、去った八H辛∴Hタイガーピー
を使い水しぶきをあげて、おもい
浴や宝さがしなとのゲームに、お
。
た
おもいに海水溶を楽しむ、十供た
もいっきりはしゃいでいた。
♯ ♯ ▼車
ちの歓喜な声がひときわ浜辺にひ
びきわたっていた=写真。
ノ_▲一一一】■
テーマ●みんなで築くよりよい環境
期 間●昭和六十三年九月二十六日∼十月二日
一 一三・三d
︵尚、十月二日は区民一斉清掃日です。︶
_二二二二二 −、ゝ=一芸
≠_二二二=≠声:・一一 一一一■L
︵町役場保健衛生課︶
__一■■・・■−■ 一一J
の環境衛生週間
発行嘉 手納Ir役場
−(嘉手納町交通安全推進協離合)−
2,12、1
lI・77リ
l.ポ52
】.3翻
2.日7
Jr
】.り7n
ナIご」
955
liHti
k r・
i 西沢lヰトト計 1
若者らの手作りによる
第一回YOU・遊・
比謝川フェスティバル
成功裏に幕を閉じる
1,二151
印刷:光文堂印刷株式会社
期間 昭和63年9月11日(日)−9月20日㈹
朋 r・
(内線331)
運動の重点目標(1)県民の高齢者に対する交通安全意識の醸成
(a高齢歩行者、高齢自転者利用車の交通事故防止
1.051
l耶5
根17
71(〉
㍗吊 7m
5Mi
571
55・I
二川7 7(12
、127
叩.滞れ
扁手柄Ir宇島手柄調8番地
高齢者交通安全運動
8月1日現在の人口
ビーチパーティーで
渡旦知の海は子供達の歓喜の声
第214号
凸 区
l偏1メ.
北lメ
申lヰ
ll十
菓lメ二
℡ 09895(6)−1111
甘広報や、で令
‖朋日脚9月1日一・亜◆・..・・一・・.1・一・帥一・州・一一一・山一・・・・・・−州・一・一小一・・・・一脚一・抑一紳一・脚・一冊一卿一脚広報かでな
昭和63年9月1日
‖什和は珂卜9月川一小一脾一・・・・・一伸一り川−1州一亜一柳一亜一・紳一・・・・・一刷一・・仰・一・・伸一・・・・・・一・・・・・一亜広報かでな
広報かでな一・仙一・l帥一・仙一柳一・1仰一・・仰一・・帥一州・−亜一・l・・・−1“・・一・l川・−脚一・・・・い一・1・・・−州h■ト刷・‖/榊緋9日1日
出来はえが好評を博し、大変#ば
知人、友人らへプレゼント。その
を地域をはじめ外国のしんせきや
まりを作り、出水あがった手まり
かでカラフルな大小きまざまの手
のモ糸や生糸を材料に、色あざや
趣味を生かして、いろとりどり
ほど祉陳なおばあちゃんである。
近所や地峡の方々かびっくりする
ガネをかけないで釘に糸を適され、
のもので、日中の晴れたときはメ
ちゃんは、この様な針仕車もおて
は町内でも数少ない。ウマおばあ
高齢肴で手まり作りをしている方
う仕串を要するために、九十歳の
手先の訪日さは井からで、池原
れているおばあちゃんがいる。
その話題の人は、明治∴十二年
家へとついだ畔からミシンをふみ、
また、カマおばあちゃんも、ひ
丘‖生まれで、今年九十歳を迎か
おばあちゃんは、現在まごの池
ところは町老人クラブで、まり作
当時の爪立農林学校毎緬のほころ
原正大︵役場厚隼課長︶きんらと隼
りを仲問へ指導されていたが、高
えた嘉手納町字屋良し十番地 ︵火
漬され、剛は六時に起施し日課で
齢で中央公民館まで歩くことが山
びをつくろってあけるなど隼徒た
ある‖宅の庭清掃や草花の手入れ
水なくなり、現在は自宅で趣味と
区︶ に住む池原カマおばあちゃん
をし、苦署がびっくりするほど址
して、手まりや花作りに働けみ、
ちから人変音∵しばれていた。
腰も強く、日や耳もしっかりして
苦かりしころの老人クラブ時代を
である=写真。
おり、九卜歳の年齢を感じさせな
‖甲後に、カマおばあちゃんへ長
牌かしんでいた。
を洗濯され、のりの入った青物を帝
心のひけつをたずねると﹁食車は
いほど若く、いまでも自分で前物
けるほど、きれいずきなおばあち
腹八分に、野菜をたくさんたべた
の先非ガは、良きリーダーであり、
流かあった。与えて姐るヒ私たち
郡綾却ヒしての深い絆と確かな変
っ
た
。
か隼まれ、新しい遊びの発見かあ
に変っていたりして、大人は白か
た公園のごときは洒飲み鮭川の機
場所が、今は駐車場に変わり、ま
.町‖トビもたちでにぎやかだった
く立派な遊び場としてつくられ、
を卜けるならは、以前は他険もな
なっているように思われる。一例
どものい頼関係に溝ができ、この
てしまう。ここまでくると親と十
から親は我慢山来ずテレビを消し
の前から如くけはいがないものだ
そのちょっとが長びき、テレビ
しかけると、ちょっと持てという。
がちょっと手伝ってもらおうと話
またテレビに夢中でいる時、親
になっている原因は何なのかを与
にこだわる。本当の十育てが手薄
んで素直であったとか、過去だけ
小さい頃は頭も良く、おりこうさ
って初めて親は、あわてふためく、
うになる。また反抗期がひどくな
き、人間として個性を発揮するよ
ビもかだんだん成長し、知恵もつ
わいがるだけで満足している。.ト
された。
おかけである﹂と笑みをうかへ話
ゃんである。
カマおばあちゃんが、手まりや
花作りをはじめたのは六十.才の
頃、老人クラブの講習会で習いは
じめたのかきっかけで、現在まで
趣味として数えきれないほど作っ
てこられた。
お兄さんでもあり、今流に∴えは
ら符を正し、トビもたちに祉仝な
ことが再三おこるようになれば親
しかし、手まり作りは、針を他
金のかからない宜庭教雨でもあっ
遊び場を返えすへさである。
清環境も州Uかになり、お食を出せ
は広がりをもっていた。戦後は牛
なものではあったか、遊びの肛井
た手作りの玩日.ハは、未完成で里純
トどもの頃、別息﹁大して作り
もの牛沼をすっかり変えてしまっ
ちまち千ともたちをとらえ、.いど
テレビの普及はいちぢるしく、た
中に押し込められている。中でも
八・は‖禁の広場から追われて家の
√どもたちの遊び場か失われ、
ましてや学校に行くことさえいや
状態が続けは家にも寄りつかず、
ぶらつくようになり、このような
のあまり豪を飛び机し、‖ハ々街を
る。.トビもにとっては、ショソク
なくなり、あけくの果ては手かれ
としては、がみがみ言わざるを得
えてみたい。⋮︰⋮︵続く︶
そうした小で友たちとして、先
たような︰勅がする。
生活環境の変化:・−㌧−どもたち
ば何でもほしいものか下に入る世
ている。
お店やテパートでHうものであっ
畔附をはるかに超えているといわ
テレビを観る時間は牛問の授業
然、学力低卜につながり、登校折
無断欠席が続くようになれは、当
になり、欠席がちとなり、平気で
井芸術祭にて教育長★受賞
昭和五十五年十一月
沖ヰタイムス芸術費奨励★受★
昭和五十一年一月
爾歴
事、現在に至る。
県教育庁高等学校教育排指彊主
昭和六十一年四月
県立共和志満等学校軟論
昭和五十八年四月
中央ホ等学校教諭
昭和三十四年四月
卒業
琉球大学文理学部集術工芸科を
昭和三十四年三月
プロフィール
雷表名朝紀氏
が岬lはかな人問ヒして、たくましく
の中である。現代すたちは玩けハは
こつで収めることや、悔しくいた
て、‖分でL大して作れるものと
れている。豪に閉じこもり、テレ
︵県教育庁指導主事︶
書表名 朝 紀
子供たち︵上︶
遊び場を奪われた
成長していくわには、rl禁の中で
白山に恥けまわる環境が必要であ
る。私通がナビもの頃は上級隼に
さそわれて山や川や海などにもよ
く行ったものだ。また危険だと思
われる場所にくると址卜に注意す
るように声をかけてくれたり、畔
わることも決して忘れなかった。
M心っていないのではないでしょう
には=〟を大にして叱ったり、げん
時には、ナィフを使って木や竹を
沖縄タイムス芸術堪十大十受賞
昭和五十三年一月
一り県展運営委員及び書壬員
G沖展運営委員及び審査員
否となる。
このようなケースは、一例にす
ヒに夢中になって家族との対話が
なくなり、家族川らんの時間が破
ぎず、もっと根は深いものがある
かつ
その人きな原囚は、﹁どもたち
壊され、更には﹁どもの思考力の
ような京がする。.般的に粗は幼
切り、野原で竹とんほや烏かごや
の情報交換の場ヒして他われてい
発達に人きなマィナス面が出るの
児期には、全く躾をしない。〓ハか
こまなどの玩日.ハを作って遊んた。
〓分で作り目すこと‖仲が遊びで
た遊びを人人が軽いよごしいる所
ではないかと心配される。
○その他略
0︻H本国隙美術豪協会理嘉
あった。
に大きなマイナス面か浮きほりに
その遊びの中で別造力、空想力
環境を破壊する元凶となっていま
九月十日は全回下水道促進デー。
みんなで正しく利用しましょう。
牛ごとに行われている﹁住宅統
計調査﹂ の牛です。この調査は、
わが国の住宅と世帯の屠任状況
を明らかにするために行われる
あることから〝住宅のl封勢調査〟
ともいわれています。
新規採用職よlの六名と町長との
へ出席できなかったために行なわ
令交付式︵助役が町長代理で交付︶
凋盃の結果は、同、郁迫腑1−!、
初顔合せが、八月十日午前町長室
れたものである。新職日日も、町長
戦後強制抑留者の方がすでに亡くなっていると
きは、その方のご遺族がこれらの脚11!、支給を受
けられることになっています。
これらの椚呈、支給は、本人またはご遺族の。l写
求にもとついて行うことになっています。
該、当される方は、I■川:課から請求ノ‘類を受け取
り、必要な.t三:類を添えて提出してくたさい。
なお、請求普類は町役場厚′h課に置いてありま
調査の対象となった世昔には、
百二.十円名のなかから合格された
事はすはらしい、これからは、職
場の仲間と和を人事にし、二〃四
千二百名余の町民に誇れるような
ら古竪南小学校方面へと通じる。
稔の長さは九トノートルで、幅
︰llは十二ノートルの片側.中級で
町道と村道がつながり、生活など
に人きくこうけんするものと期待
されている。
架橋上がの調印式にのぞんだ、
し‖浜町長と山内徳信読谷村長は
﹁糾しい桧が完成すると嘉手納、
読谷の交通がいっそう性別になる。
比謝川は汀から由緒ある場所で、
その場所に櫓をかけられることは
とても#こほしい﹂ヒ、両町村長は
笑えをうかへ囲い握手を交してい
。
た
す。
月3111までとなっていますので、ご注意ください。
(6−1111(内)321)まで
やかな雰囲目刺のなかで談笑された
新職︰日も、町長を囲こみ、なご
卜さい。﹂と徽励。
職︰llとなり、化.Iiの面で頑張って
Hl等求期限は、l】綱目63年8日111から11朋Il68勺ミ3
=写真。
轡
験はむずかしかったようであるが、
町長は六名の新職︰llに対し﹁試
ていた。
感も一瞬にほぐれ、笑みがこぼれ
充へのご協力をお噺いします。
対象のなった世帯の方は、調
います。
に、再び調査日Hが回収にうかが
充票は、十月一日から七日の間
します。記入していただいた凋
査日llが、調査票をもって、訪問
都道府県知事から任命された調
九月二十三日から三十日の問に、
。
す
る資料として帖広く利用されま
整備計画などの立案の基礎とな
市区町村の住宅建設計由や環境
年償還の記名l印情)が支給されます。
希望に胸ふくらーむ
六名の新採用職員
町長と初顔合せ
と間近にひざをまじえて講を交す
で行なわれた。
今年の新職員は、去った七月に
中央公民館ホールで行なわれた町
職︰ゝl採用試験において、百三十四
名の受躾者のなかから、兄車難関
のは初めてとあって、緊張の様で
をとっはきれ、八月∵口付で町の
職Hとして新規採用された精鋭た
ありましたが、新職日日が町長室へ
入るなり、町長が顔をほころはし
ちである。
町長と斯職員との顔合せは、町
ている。
て話しかけると、いままのの緊張
慢性的な交通渋滞
この橋が完成すると、嘉手納ロ
ータリー、比謝橋を中心とした、
水管−人本線架鹿は卜午前から
手納水管・・読谷村大
午前、読谷村役場の
計内されていたが、用地買収など
国道五十八︰†線の交通混雑がかな
村長室において吉浜
で難行し肴∫が遅れていた。しか
木練の架揺工事の凋
町長、山内徳信読谷
し、その用地月収もほほ終り.本
り緩和される。
村長らが机席して行
町ではすでに、水管交番から県営
川地前にずるまでの道路も完成し、
なわれた。
架橋t事は、嘉手
供用されており、あとは、今年卜
事をまつのみである。
.日から、本格的に始まる架橋王
納町長と読谷村の合
同事業で、工や費は
九倍︰丁二百万日、
から約二 hキロメートル上流に
新しい橋は、比謝川の ﹁河‖﹂
を折半し、架桧は、
かけられ、水管から古聖、人木方
串業は両町村が費用
昭和六十六年四月完
面を結び、嘉手納の県営用地前か
おl糾い合せ卜さい。
﹁愛される町にしたいね
陣の原関になります。
町役場都市計画課
下水道﹂をテーマに
九月十日は全国下水道促進デー
わたしたちの空清や産業活軌で
す。この汚水を集めて処理し、河
下水道の果す役割を改めて考えた
下水道は、公共の財産ですので、
川や海に流す下水道は快適で豊か
いものです。また町では、これま
生じる汚水は、美しい自然や生活
な暮しを維持していくのに欠かせ
六−二三二三
で同様に水洗化改造資金二十万日
中央電気水道工事社
六−二一六七
ないものとなっていますが、下水
仲本設備
六−八五九一
限度徹︶ として、︵長期四十ケ月
㈲兼村設備工業
六−二〇ヒ二
道にティッシュペーパーや、廃油
㈲世名城設備
六−八二七四
もので、全国の約二百七十万腑
償還︶ 無利子で貸付る制度を設け
知念電気水道工事社
六−一六九四
昔を対象とする大規模な凋庵で
行われます
㈲仲本電工
六−二二五三
人−牛は、昭和二十三年以来玉
㈱比謝川電機
六−二二七五
受給していない方には、慰労金として10万円(2
嘉手納電気水道工事社
等を流すと下水道等のつまりや、
あわせて、これらの方々のうち年令恩給などを
六−九一五五
ております。
制抑留され11本に哺還した〟々に、慰労品(ノ!:状
・銀杯)が椚星されることになりました。
嘉手納文化設備
下水道処廊ポンプ場の機械等の故
戦後、ソ連またはモンコルの地域において、強
今年は住宅統計調査が
地域で強制抑留された皆様へ
成を目標に進められ
巾、.洋しくは、丹/l三.濃
励
戦後、ソ連またはモンゴJレの
印式がヒ月二十八日
を緩和しようと、嘉
水釜−大木線の架橋F
昭和66年4月完成をめざす
長が公務出張のため八月﹂日の辞
両町村民の永年の夢である
嘉手納町下水道工事指定店名
袈∴讐志学音
昭和仙隼9月IH一・日▲・一・…・−脚一・・・・・一亜一・・・・・・一・l川一亜一・伸一脚一・仙一・・・・・一・l・・・一t・抑一・・押一・州・−刷広報かでな
広報かでな−亜一伸一亜一・・・・一・伸一州一州一亜一州一柳一亜一再伸一.川脾一・・・・・・一亜一・伸一脚■昭和63年9月川
身障者の介助についての説明をう
けたあと、・.人.組のペアーになっ
て、アィマスクや車イスを他用し
庁舎前の歩道で実地に体験⋮り﹁習を
行なった日写真。
新垣いつかさん
町農協代表として
中東地区大会へ派遣
目的です。竹さんも、先年や父瞳
さんが州化かに、幸せになることか
溝動入会および親と√のつピい﹂
の言うことをよく囲いて、これか
町農協巨椎による﹁節丘回文化
実地は初めてとあって、歩くのに
か、八日六日牛前十時から剛農協
アイマスクをかけた隼徒たちも、
方向を失ない街路樹のガへ歩いた
このあと、・絨手約・届良両小⋮りい
らも頑張って卜さい﹂とあいさつ。
大会およびつどいは、投協のし
校隼の佐秀な﹁こどもの光﹂ の感
ホールで開かれた=写真。
くみを通して=ハ川の心を養うこと
想文の記車清動作験が行なわれ、
り、コーナを曲がる峠に車イスの
ど、lIq持八苦の梯予であったが、
を目的に、実践教再の.環として、
操作をまちかえて立ち往生するな
講師の指やのもと、参加者全日日か
あらかき きや、新山一いつか、糾
ールが町社会福祉協議会主催によ
回小学生ボランティアサマースク
ティア活動を﹂をテーマに、第.二
かかわらず、町内の両小学校から
とをねらいに、当日は夏休みにも
ける社会づくり﹂を進めていくこ
健常者と師昔者が﹁共に隼きてい
いやりの心を見出すことにより、
からは、かりゆし同体の ﹁翔ベフ
実地体験も午前中で終り、午後
大変さを知った﹂と感想を話された。
体験をし、初めて臼のホ自由な人の
ら、まっくらでこわかった。自分で
にアイマスクをかけて歩いてみた
は英文だけのテキストを見て、﹁私
シントン両州廿一人⋮丁を虎﹁業。
日日会線描による町内や県内の圧=道
地珍諒会長︶・巨催および町教自愛
道の実地指導が行な
本湖山先隼による≠=
をテーマに講輔の続
代目写・普通のあり方﹂
研究会も午前中は、﹁あたらしい
け、■iilホールも盛況であった。
h︰⋮校の関係者ら∴百缶余が詰めか
道愛好家をはじめ県内の小・中・
たところ、叫JHは、町内の.触∬
−−−−− 0 0 0 1
で挑戦されていた。
てのきんちゃくぶくろ作りに親十
移り、家庭にある古隼地を利用し
午後からは、親十のつどいへと
町農協代衣に決まった。
に輝き、中頭地区入会への話手納
年生の新垣いつかさんが最俊秀漁
で﹂を発表された嘉手納小⋮り上枝二
摘査の結果、﹁こどもの光を読ん
隼徒たちの発長も∴浦り終り、
ら的手が送られた。
ると、﹂⋮めかけた多くの参観省か
柄へ立ってr■l分の感想文を発表す
みきさんら卜名が、つぎつきに品
化順十、とけしまさこ、やかぴ
谷江津ト、しまぶくろ りか、加
山.再、伊波美奈√、神山土日宗、神
ト叩隼行なわれている
り、町内の小学生を対象に八月九
二十五名余の生徒をはじめ民生委
ェニックス︰刀の限り﹂ の映写を
席上、奥島教育長は開戌式に際
にもできるのかな﹂と心配そうな
席卜、金城剥l人日長は﹁農協は皆
作鰊⋮リ﹁習へ真剣に挑どんでいた。
冥地体験を終えた、嘉手納小⋮︰﹁
日、講師に大域甘信県視覚障富者
日日やボランティア、祉協職nHらあ
鑑賞し、大域先生の講をきいたあ
校六年隼の北如古勝男君は﹁美際
ボランティア・サマースクール開催
町内の小学生、身障者の気持で
アイマスクや車イスで実地体験
福祉協議会事務局長を招き、庁舎
わせて五十名余が参加された。
﹁はじめてみませんか、ボラン
前の歩道で行なわれた。
と、障黒目省体験の感想女を書いて、
ボランティア・サマースクールを
午前中は実地体験が行なわれ、
生徒たちも、体験に入る前に一階
ボランティア・サマースクール
は、実際に障害者体験をするなか
閉じた。
とあいさつ、講師のロバート・サ
ロビーで講師の大地竹信先生から、
りの推進を目的に、昭和六十三年
ンデースさんが紹介された。
で、相手の立場になって考え、思
度の婦人学級を開設、その最初の
ースさんが﹁マイ・ネム・イズ・
紹介をうけたロバート・サンデ
が、八月二日午後中央公民館の視
ロバート・サンダース﹂と英語で
婦人学級では英会話教室の開講式
聴覚教室で行なわれた。
自己紹介をしたあと=写真。にこ
やかな笑顔で受講牛山八一人にや
さしく党首を指導するなど、うち
とけた雰囲︰机のなかで授業を始め
町社会教育課では、町内の抽入
し﹁本町は、多くの外国人が住ん
表情をしていたが、サンダースさ
参加された姉人たちも、はじめ
を対象に婦人の自主性と家庭・社
でおります。英会話を勉強されて、
んの笑顔でやさしい指導に、⋮りい紐
。
た
会生活の課也を学習を適して広め、
日常生活のなかで役丑てて卜さい﹂
ロバートさんの指導で
英会話に励げむ
町内のお母さんたち
あわせて、健康で明るい家庭づく
も明るく婦人たちも、楽しそうに
英会話に取りくんでいた。
講師のロバートさんは、比問人
フランス語やスペイン語の教師資
われ、参加者も真剣
な友情で、筆を手に
・†∵丁ていねいに
圧‖きあげていた。
﹁小曲で聞かれた‖
研究会に、..rrれ余
のい日通愛好宜か参加
されたのは初めてで
あり、この人会を機
会に今後も本町で圧=
道関係の行車を催し
ていきたい﹂と川J
役の卜問弛保校長は、
迫教室﹂をテーマに、久米公雄文
愛好家を対象に、1t︰写・∬道研究
地域の吉道教膏の振興を目的に
部円弧⋮︰・∴日の講前で、同研究会を
格を付し、さらには、ロシア語や
笑みをこほし話され
一般を対象に英会話を教えている。
全日本差迫連盟が本町において同
閉じた。
会が八月巨丘‖町中央公艮鮪ホー
如入学組では、このほかに、ヨ
研究会を向くのは初めての企画で、
ギリシャ詰までも勉強されて語⋮り﹁
。
た
ガ、健嫌、レクリエーション、な
L問徳保嘉手納小甘校長が小心と
牛後は、﹁教再政やヒル写・差
ど、幅広い内容の講議がナ定され
なって差迫愛好家に呼びかけをし
ルに枕木湖山尤隼と久米公雄女鹿
書写・書道研究会を催す。
ている。
はへラベラで、現在は、沖縄市や
沖純代目写・旺‖道教再研究会 へ金
=ご,, ̄亀.露盤≧芦
省祝⋮り∴日を講伸に招き催された。
で、ペンシルバニア∴ンヨージワ
』_ ̄ ̄i逼蒜蔓:;Ii毒
宜打消市・浦添市などで、⋮リー隼や
一般や県内の書道愛好家が参加
咽‖紳91−11日−亜一朝・一・1】−1日一・・・・・一tll】1一・・・・・一・・日・・一・・・・・一亜一・・・l・−刷−り1】−亜−1・・・−亜一刷−L・・・・広報かでな
広報かでな一・・・・・一・・・・・・一州・・一・・・・・・一亜・一・・・・・一・・・・・一州一・州・−亜一・州・・一・1・・・−刷一亜一・・・小一・l・・・・−【・・一・・昭和63年9月川
たのしかったこと
おとうさんが、
すなべスポーツランドに
行こうといったので
行きました。
めいろに
ちょうせんしたら
五十二ふんかかりました。
ぶらんこみたいなのに
のったら
おにいちゃんか
つよくこいだので
こわかったです。
こんどは、
﹁あった﹂という
ぶらくの海へ
およぎに行きました。
夕かたは、
﹁へんとな﹂ の
おばあちゃんのいえに
あそぴに行きました。
その日は、
とてもつかれていたので
すぐねむったよ。
るなか盛人に挙行きれた。
じめ水賓や多くの会︰ムlか出席す
火公艮鮪大ホールにL〓浜町長をは
上ったLH■.卜。.=︵L︶十後、小
立十問牛山念と第卜回定期総会が
町相十寵如福祉会では、同会創
城えミト会長に代っていけ友れ敏﹁
会.敦で承認、役目ll改選では、化
よび蔵人歳Hr算を原賀どおり全
決算、昭和・.ハト.■.年度車業計画お
和六卜一.隼度か業糀炬日、蔵人歳Ⅲ
ひきつつき定期総会に移り、昭
表彰が行なわれたあと、﹁−卜
会に貢献された個人および川作の
はじまり、来賓のあいさつや永年、
のメロディーを全︰Hで斉昭、会日日
採択し、﹁今日の日はさようなら﹂
と、大会小目一∴および決議 ︵案︶ を
新附役︰日の紹介やあいさつのあ
きんか祈金槌に選出された。
世紀に向けて女性の生き方、千育
の幸せを願いつつ式典ならびに総
式典は、佗城会長のあいさつで
て方﹂と越して、伊波壬十附母子
会の厳を閉じた。
の生息状態で川の水質を調査しよ
生生物を採生して、その水生生物
﹁比謝川・長田川に生息する水
各自が採鉱用几ハのあみやファンシ
方法について説明をうけたあと、
師から水生生物の隼息場所や採集
参加者は、生物採集を前に、講
しいふれあい学習であった。
るr供もみられるなど、親子の楽
をすっかりわすれ水遊びをしてい
をよぶ十供や、なかには牛物採取
をおこし﹁ああ 虫がいた﹂と親
頃の交通安全指やが
は.体と少なく
の人・牛の交通死事故
るなかで、同署管内
に、ドライバーの竹
同作慨には、渡久
配り、交通ルールやマナーをよぴ
ーへ、飲み物やチラシ、リボンを
に=写真。参加者仝︰日がドライバ
させるなか、署長、副会長を先頭
い﹂とあいさつ、署日日か小を停止
マー作唯の趣旨を指専していきた
交通マナーを理解させ、人・日のサ
基軸福祉迎合会長の記念講演など
が行なわれ、式典は終√。
お手納賢察署︵波久地弄蕾署長︶
と地区交通安全協議会による交通
安全サマー作戦が、八月十五日午
後同道五十八号線泊の兼久マリー
う﹂と、県公憲粘性研究所の専門
ーカップ、ピンセットなどをもっ
また、川で採集をおえたあと、
成果をあげている。
ナー人目で展閻された。
官を講師に招き、北・巾・上区の
て、川の流れやゆるやかな場所の
公民館に輔び集合し、採集した水
全県的に変通姥亡弔故が多発す
PTA、ト供全、育成会の三岡体
右をおこし、親子で隼物採集にと
水牛生物の凋査の結果、サカマ
さんへ冷たい物やチ
に継続していくため
キガイやミズムシ、
ラシ、リボンを配り、
一方、カワゲラや
地署長や山城車.地
を理解させ車故を防
エビなどが生息す
区交通安全協会副会
の水質は、やや汚
る長川川の水質は、
長をはじめ粥︰日や符
止しょうと、
北部の川を思わせ
かけていた。
も、この日は、冷たい飲み物を配
相川作から..卜六㍍
作蝦に先きだち、渡久地署長・
ってのソフトな指導に、トライバ
るほどきれいな水
両地地区別会長は﹁日中は、∴十
ーの顔もいつもとは速い、笑顔を
また、いつもはお堅い交通指導
生研究所の講師も
度をこす拷さで、ドライバーのみ
見せるなど、好評を悼していた。
余か参加された。
太鼓判をおしてい
なさんもいねむり迎転になりかち
且
。
た
薗
もらい、チラシやリボンを配り、
だが、冷たい蝕五物で.息ついて
であると判定。衛
れた水と判定され、
息している比謝川 ∵女.地ルールやマナー
ヒルなどが主に隼
記入していた。
主催による﹁水生生物による水質
る川での実地学習に満足顔で、石
十供たちも、キャンプを思わせ
この様な状況をさら
。
た
り﹁冷たい﹂と、水の冷さに思わ
大人の賀内で川のなかへはいるな
到着。中から降りたナ伏たちは、
しばらくすると、調査地の川へ
バスに分来して、口的地に向かっ
に分かれて、日豪血中やマイクロ
一.畔比謝川と長日川の二プルーフ
鑑状し、おさらいをした後、牛後
している水生作物を、まえもって
フレットやビデオなどで川に隼息
﹁生物で凋べる川の水門﹂ のパン
あらかじめ県公悪街研が準備した
加者は中央公艮酷ホールにおいて、
の親子が参加。凋査に先だち、参
の宿題も兼ねるとあって八十名余
同凋査には、十供たちの夏休み
良川川で行なわれた。
生隼物を講師の指導で記録用紙へ
裏手納小学校2年
つはこ よしの
りくんでいた=写真。
′■\\ノ\
調査﹂が、八月二汀午後比謝川・
なの
場
ぼくの詩・わたしの詩
ず歓喜をあげていた。
冷たい飲物や、チラシ・リボン配りで
交通ルールやマナーを指導
昭和眉井9Jl川一・・・・・一・・・・・一・・・・い一・抑−1・・・・−亜・・一・・伸一州一・・・・・一冊l一・・…一・仰一・・・・・一・・・・・一・・・・・−刷一・・・・・広報かでな
広報かでな一・・・日一・・・・・一・・・・・一1・・・−州一・日・一・…・一・1・い−1川1−伸一り・・・−卿一卿一州一曲一・・・・・一・・・・・・昭和眉牛9月111
‖甘和闘牛9月llj一・・伸一州一亜・−卿−。伸一碑一・11日・一・・・・・一刷一刷一・・・・・→・㌧伸一・1・・1一・・・・・一刷一・仙一・日・・広報かでな
広報かでな一・州・一肌一・1・・・・−脚一紳一州】・・一・・・・ト一・・〟・一・u・・−1…・−仙一・・帥一・州・−州・・一・日・・−り帥一卿昭和6絆川lH
比謝川沿いの
第1回YOU
二千名余の観
﹁水にしたしみを﹂・﹁お
もいっきり 水遊び﹂を
キヤ′チフレーズに第.
回YOU・遊・比誹川フ
ェスティバルが、町商に
〃隼部、址人目hU年会、農
業hH隼部、町役場職労の
川同作共擢により、L月
卜.日比謝川桁いの屋
良地祉公園を小心に惟さ
れた▲り
フェスティハルはれ都
たちか、比謝川に溝流を′
比測川を町のいこいの場
所にと、比謝川の‖然の大
切さを町外へアヒールし
ベントである。小JHは曇り空の天
い汽時のマーラン船に、当町にゆ
また、比謝川では、汀なつかし
ようと、初めての手作りイ
帳のト、ときおり大粒の雨が降る
色の帆をなびかせて三百午前のい
かりの深い俵間食常、大川綴り、
午荊十時半、横断某を妃頭に海
にしえから二八にタイムトンネル
にもかかわらず、夏休みともあっ
将船太鼓や手つくりイカダをかつ
を通りぬけて、観衆がまちうける
野川総官の∴偉人にふんした、勝
いだ若者たちが、嘉手納小・中学
現牡の犀良城祉公園に到茄すると、
て町民をはじめ隣撲市町村からー.
校のグランドを出発、斯町通り、
広場では、迎合青年会が前ずる海
連助役、宮旦音信商工会長、金城
同道丘十八日ケ線を横断して、メー
邦船大鼓や観衆の大きな拍手か一
千名余の親丁や豪族連れなどが参
ン会場の尾良城祉公園までパレー
行を歓迎。マーラン船の三名の方
門別組合町ら∵.名が乗船され、朱
ド、町民や道行く人へフェスティ
も観衆にこたえるかのように、船
観されていた。
バルをアピールした。
つまれ、子供たちの飲帯︰な声が、
催者の大域会長二面t全昔年部長︶
の歓迎セレモニーが行なわれ、主
ひきつつき、同広場では、一行
の土産品が主催者へ手渡されると
いさつのあと、二名から、いにしえ
や野同総官役の金城組合長らのあ
いままで降り枕いていた大柿の
観衆の問から一段と柏手がわきあ
きしてよかった。hH牛たちがこの
雨も、フェスティバルのノィーンで
の歓迎あいさつのあと、依問典常
様な催しをもって大変すぼらしい、
あるいかだ胱漕になると、すっか
がった。
これからも、読谷村炎々に比調川
り鳴れあがり、二千名余の観衆が
また、n頃は、水面をおよいだ
援のなかで熱戦がくりひろけられ
ど、いかだ娩漕も観衆の笑いや声
風景があちらこちらで兄られるな
点に薫くこと自体、大変といった
前に進まず、なかにはスタート地
むらやどてにつっこみ思うように
りなどが子供たちの問でも大好評
かでも、グッピーすくいや急流ド
供たちに人ハ爪をよんでいたか、な
れたインデアンブリソシなどが﹁﹁
リや比謝川をはさみロープで作ら
内に特設されたか巾による急流ド
ちによるグッピーすくいや、公園
水辺の子供広域を中心に、′†供た
フェスティバルも城祉公園内の
多くの一般参観者がつめかけるな
ド展一小宅で紹介され、期間中は、
つかって町役場の∵椚ロビーと地
などのようすが、写蕗やパネルを
比謝川に関する歴史や自然、環境
での二週間、同祭りの一環として、
前に、L月一十九日∼..1一日ま
一方、比訓川フェスティバルを
レースに川場した参加チームは
行なわれた。
人部対抗などの各レースが次々に
だ祝酒を皮切りに、家族対抗や婦
見守るなか、比謝川では職域いか
に清流を取り戻すために頑張って
役の勝連助役は ﹁ほんとうに長生
行きたい﹂とラーマン船からあい
バンやスッポンにとっては、人間
山あいにひびきわたり、﹂日中に
上から、にこやかに手をふり、こ
三十六チームで、どのチームも、
たちの祭りに生活圏をうはわれ、
ぎわいをみせるほど、同フェステ
さつ、大川接司役の富里商工会長
疏初はカイをこぐにもなれないせ
長い一日となった。
たえていた。
いか、方向をまちかえいかだを草
り顔をのぞかしたりしている比謝
を博し、順番をまつほどに盛況で、
ど、好評を博していた。
ィバルも初めての試みとは思えな
川の主人公のバンやスッポンも、
日頃は静かな比謝川沼の屋良蛾祉
いほど、成功基に椛を閉じた。
この日は、人間の祭りにおどろい
公園も、この日は、祭り一色につ
。
た
たのか、すっかりすかたをみせず、
‖甘和闘牛9月llj一・・伸一州一亜・−卿−。伸一碑一・11日・一・・・・・一刷一刷一・・・・・→・㌧伸一・1・・1一・・・・・一刷一・仙一・日・・広報かでな
広報かでな一・州・一肌一・1・・・・−脚一紳一州】・・一・・・・ト一・・〟・一・u・・−1…・−仙一・・帥一・州・−州・・一・日・・−り帥一卿昭和6絆川lH
比謝川沿いの
第1回YOU
二千名余の観
﹁水にしたしみを﹂・﹁お
もいっきり 水遊び﹂を
キヤ′チフレーズに第.
回YOU・遊・比誹川フ
ェスティバルが、町商に
〃隼部、址人目hU年会、農
業hH隼部、町役場職労の
川同作共擢により、L月
卜.日比謝川桁いの屋
良地祉公園を小心に惟さ
れた▲り
フェスティハルはれ都
たちか、比謝川に溝流を′
比測川を町のいこいの場
所にと、比謝川の‖然の大
切さを町外へアヒールし
ベントである。小JHは曇り空の天
い汽時のマーラン船に、当町にゆ
また、比謝川では、汀なつかし
ようと、初めての手作りイ
帳のト、ときおり大粒の雨が降る
色の帆をなびかせて三百午前のい
かりの深い俵間食常、大川綴り、
午荊十時半、横断某を妃頭に海
にしえから二八にタイムトンネル
にもかかわらず、夏休みともあっ
将船太鼓や手つくりイカダをかつ
を通りぬけて、観衆がまちうける
野川総官の∴偉人にふんした、勝
いだ若者たちが、嘉手納小・中学
現牡の犀良城祉公園に到茄すると、
て町民をはじめ隣撲市町村からー.
校のグランドを出発、斯町通り、
広場では、迎合青年会が前ずる海
連助役、宮旦音信商工会長、金城
同道丘十八日ケ線を横断して、メー
邦船大鼓や観衆の大きな拍手か一
千名余の親丁や豪族連れなどが参
ン会場の尾良城祉公園までパレー
行を歓迎。マーラン船の三名の方
門別組合町ら∵.名が乗船され、朱
ド、町民や道行く人へフェスティ
も観衆にこたえるかのように、船
観されていた。
バルをアピールした。
つまれ、子供たちの飲帯︰な声が、
催者の大域会長二面t全昔年部長︶
の歓迎セレモニーが行なわれ、主
ひきつつき、同広場では、一行
の土産品が主催者へ手渡されると
いさつのあと、二名から、いにしえ
や野同総官役の金城組合長らのあ
いままで降り枕いていた大柿の
観衆の問から一段と柏手がわきあ
きしてよかった。hH牛たちがこの
雨も、フェスティバルのノィーンで
の歓迎あいさつのあと、依問典常
様な催しをもって大変すぼらしい、
あるいかだ胱漕になると、すっか
がった。
これからも、読谷村炎々に比調川
り鳴れあがり、二千名余の観衆が
また、n頃は、水面をおよいだ
援のなかで熱戦がくりひろけられ
ど、いかだ娩漕も観衆の笑いや声
風景があちらこちらで兄られるな
点に薫くこと自体、大変といった
前に進まず、なかにはスタート地
むらやどてにつっこみ思うように
りなどが子供たちの問でも大好評
かでも、グッピーすくいや急流ド
供たちに人ハ爪をよんでいたか、な
れたインデアンブリソシなどが﹁﹁
リや比謝川をはさみロープで作ら
内に特設されたか巾による急流ド
ちによるグッピーすくいや、公園
水辺の子供広域を中心に、′†供た
フェスティバルも城祉公園内の
多くの一般参観者がつめかけるな
ド展一小宅で紹介され、期間中は、
つかって町役場の∵椚ロビーと地
などのようすが、写蕗やパネルを
比謝川に関する歴史や自然、環境
での二週間、同祭りの一環として、
前に、L月一十九日∼..1一日ま
一方、比訓川フェスティバルを
レースに川場した参加チームは
行なわれた。
人部対抗などの各レースが次々に
だ祝酒を皮切りに、家族対抗や婦
見守るなか、比謝川では職域いか
に清流を取り戻すために頑張って
役の勝連助役は ﹁ほんとうに長生
行きたい﹂とラーマン船からあい
バンやスッポンにとっては、人間
山あいにひびきわたり、﹂日中に
上から、にこやかに手をふり、こ
三十六チームで、どのチームも、
たちの祭りに生活圏をうはわれ、
ぎわいをみせるほど、同フェステ
さつ、大川接司役の富里商工会長
疏初はカイをこぐにもなれないせ
長い一日となった。
たえていた。
いか、方向をまちかえいかだを草
り顔をのぞかしたりしている比謝
を博し、順番をまつほどに盛況で、
ど、好評を博していた。
ィバルも初めての試みとは思えな
川の主人公のバンやスッポンも、
日頃は静かな比謝川沼の屋良蛾祉
いほど、成功基に椛を閉じた。
この日は、人間の祭りにおどろい
公園も、この日は、祭り一色につ
。
た
たのか、すっかりすかたをみせず、
たのしかったこと
おとうさんが、
すなべスポーツランドに
行こうといったので
行きました。
めいろに
ちょうせんしたら
五十二ふんかかりました。
ぶらんこみたいなのに
のったら
おにいちゃんか
つよくこいだので
こわかったです。
こんどは、
﹁あった﹂という
ぶらくの海へ
およぎに行きました。
夕かたは、
﹁へんとな﹂ の
おばあちゃんのいえに
あそぴに行きました。
その日は、
とてもつかれていたので
すぐねむったよ。
るなか盛人に挙行きれた。
じめ水賓や多くの会︰ムlか出席す
火公艮鮪大ホールにL〓浜町長をは
上ったLH■.卜。.=︵L︶十後、小
立十問牛山念と第卜回定期総会が
町相十寵如福祉会では、同会創
城えミト会長に代っていけ友れ敏﹁
会.敦で承認、役目ll改選では、化
よび蔵人歳Hr算を原賀どおり全
決算、昭和・.ハト.■.年度車業計画お
和六卜一.隼度か業糀炬日、蔵人歳Ⅲ
ひきつつき定期総会に移り、昭
表彰が行なわれたあと、﹁−卜
会に貢献された個人および川作の
はじまり、来賓のあいさつや永年、
のメロディーを全︰Hで斉昭、会日日
採択し、﹁今日の日はさようなら﹂
と、大会小目一∴および決議 ︵案︶ を
新附役︰日の紹介やあいさつのあ
きんか祈金槌に選出された。
世紀に向けて女性の生き方、千育
の幸せを願いつつ式典ならびに総
式典は、佗城会長のあいさつで
て方﹂と越して、伊波壬十附母子
会の厳を閉じた。
の生息状態で川の水質を調査しよ
生生物を採生して、その水生生物
﹁比謝川・長田川に生息する水
各自が採鉱用几ハのあみやファンシ
方法について説明をうけたあと、
師から水生生物の隼息場所や採集
参加者は、生物採集を前に、講
しいふれあい学習であった。
るr供もみられるなど、親子の楽
をすっかりわすれ水遊びをしてい
をよぶ十供や、なかには牛物採取
をおこし﹁ああ 虫がいた﹂と親
頃の交通安全指やが
は.体と少なく
の人・牛の交通死事故
るなかで、同署管内
に、ドライバーの竹
同作慨には、渡久
配り、交通ルールやマナーをよぴ
ーへ、飲み物やチラシ、リボンを
に=写真。参加者仝︰日がドライバ
させるなか、署長、副会長を先頭
い﹂とあいさつ、署日日か小を停止
マー作唯の趣旨を指専していきた
交通マナーを理解させ、人・日のサ
基軸福祉迎合会長の記念講演など
が行なわれ、式典は終√。
お手納賢察署︵波久地弄蕾署長︶
と地区交通安全協議会による交通
安全サマー作戦が、八月十五日午
後同道五十八号線泊の兼久マリー
う﹂と、県公憲粘性研究所の専門
ーカップ、ピンセットなどをもっ
また、川で採集をおえたあと、
成果をあげている。
ナー人目で展閻された。
官を講師に招き、北・巾・上区の
て、川の流れやゆるやかな場所の
公民館に輔び集合し、採集した水
全県的に変通姥亡弔故が多発す
PTA、ト供全、育成会の三岡体
右をおこし、親子で隼物採集にと
水牛生物の凋査の結果、サカマ
さんへ冷たい物やチ
に継続していくため
キガイやミズムシ、
ラシ、リボンを配り、
一方、カワゲラや
地署長や山城車.地
を理解させ車故を防
エビなどが生息す
区交通安全協会副会
の水質は、やや汚
る長川川の水質は、
長をはじめ粥︰日や符
止しょうと、
北部の川を思わせ
かけていた。
も、この日は、冷たい飲み物を配
相川作から..卜六㍍
作蝦に先きだち、渡久地署長・
ってのソフトな指導に、トライバ
るほどきれいな水
両地地区別会長は﹁日中は、∴十
ーの顔もいつもとは速い、笑顔を
また、いつもはお堅い交通指導
生研究所の講師も
度をこす拷さで、ドライバーのみ
見せるなど、好評を悼していた。
余か参加された。
太鼓判をおしてい
なさんもいねむり迎転になりかち
且
。
た
薗
もらい、チラシやリボンを配り、
だが、冷たい蝕五物で.息ついて
であると判定。衛
れた水と判定され、
息している比謝川 ∵女.地ルールやマナー
ヒルなどが主に隼
記入していた。
主催による﹁水生生物による水質
る川での実地学習に満足顔で、石
十供たちも、キャンプを思わせ
この様な状況をさら
。
た
り﹁冷たい﹂と、水の冷さに思わ
大人の賀内で川のなかへはいるな
到着。中から降りたナ伏たちは、
しばらくすると、調査地の川へ
バスに分来して、口的地に向かっ
に分かれて、日豪血中やマイクロ
一.畔比謝川と長日川の二プルーフ
鑑状し、おさらいをした後、牛後
している水生作物を、まえもって
フレットやビデオなどで川に隼息
﹁生物で凋べる川の水門﹂ のパン
あらかじめ県公悪街研が準備した
加者は中央公艮酷ホールにおいて、
の親子が参加。凋査に先だち、参
の宿題も兼ねるとあって八十名余
同凋査には、十供たちの夏休み
良川川で行なわれた。
生隼物を講師の指導で記録用紙へ
裏手納小学校2年
つはこ よしの
りくんでいた=写真。
′■\\ノ\
調査﹂が、八月二汀午後比謝川・
なの
場
ぼくの詩・わたしの詩
ず歓喜をあげていた。
冷たい飲物や、チラシ・リボン配りで
交通ルールやマナーを指導
昭和眉井9Jl川一・・・・・一・・・・・一・・・・い一・抑−1・・・・−亜・・一・・伸一州一・・・・・一冊l一・・…一・仰一・・・・・一・・・・・一・・・・・−刷一・・・・・広報かでな
広報かでな一・・・日一・・・・・一・・・・・一1・・・−州一・日・一・…・一・1・い−1川1−伸一り・・・−卿一卿一州一曲一・・・・・一・・・・・・昭和眉牛9月111
身障者の介助についての説明をう
けたあと、・.人.組のペアーになっ
て、アィマスクや車イスを他用し
庁舎前の歩道で実地に体験⋮り﹁習を
行なった日写真。
新垣いつかさん
町農協代表として
中東地区大会へ派遣
目的です。竹さんも、先年や父瞳
さんが州化かに、幸せになることか
溝動入会および親と√のつピい﹂
の言うことをよく囲いて、これか
町農協巨椎による﹁節丘回文化
実地は初めてとあって、歩くのに
か、八日六日牛前十時から剛農協
アイマスクをかけた隼徒たちも、
方向を失ない街路樹のガへ歩いた
このあと、・絨手約・届良両小⋮りい
らも頑張って卜さい﹂とあいさつ。
大会およびつどいは、投協のし
校隼の佐秀な﹁こどもの光﹂ の感
ホールで開かれた=写真。
くみを通して=ハ川の心を養うこと
想文の記車清動作験が行なわれ、
り、コーナを曲がる峠に車イスの
ど、lIq持八苦の梯予であったが、
を目的に、実践教再の.環として、
操作をまちかえて立ち往生するな
講師の指やのもと、参加者全日日か
あらかき きや、新山一いつか、糾
ールが町社会福祉協議会主催によ
回小学生ボランティアサマースク
ティア活動を﹂をテーマに、第.二
かかわらず、町内の両小学校から
とをねらいに、当日は夏休みにも
ける社会づくり﹂を進めていくこ
健常者と師昔者が﹁共に隼きてい
いやりの心を見出すことにより、
からは、かりゆし同体の ﹁翔ベフ
実地体験も午前中で終り、午後
大変さを知った﹂と感想を話された。
体験をし、初めて臼のホ自由な人の
ら、まっくらでこわかった。自分で
にアイマスクをかけて歩いてみた
は英文だけのテキストを見て、﹁私
シントン両州廿一人⋮丁を虎﹁業。
日日会線描による町内や県内の圧=道
地珍諒会長︶・巨催および町教自愛
道の実地指導が行な
本湖山先隼による≠=
をテーマに講輔の続
代目写・普通のあり方﹂
研究会も午前中は、﹁あたらしい
け、■iilホールも盛況であった。
h︰⋮校の関係者ら∴百缶余が詰めか
道愛好家をはじめ県内の小・中・
たところ、叫JHは、町内の.触∬
−−−−− 0 0 0 1
で挑戦されていた。
てのきんちゃくぶくろ作りに親十
移り、家庭にある古隼地を利用し
午後からは、親十のつどいへと
町農協代衣に決まった。
に輝き、中頭地区入会への話手納
年生の新垣いつかさんが最俊秀漁
で﹂を発表された嘉手納小⋮り上枝二
摘査の結果、﹁こどもの光を読ん
隼徒たちの発長も∴浦り終り、
ら的手が送られた。
ると、﹂⋮めかけた多くの参観省か
柄へ立ってr■l分の感想文を発表す
みきさんら卜名が、つぎつきに品
化順十、とけしまさこ、やかぴ
谷江津ト、しまぶくろ りか、加
山.再、伊波美奈√、神山土日宗、神
ト叩隼行なわれている
り、町内の小学生を対象に八月九
二十五名余の生徒をはじめ民生委
ェニックス︰刀の限り﹂ の映写を
席上、奥島教育長は開戌式に際
にもできるのかな﹂と心配そうな
席卜、金城剥l人日長は﹁農協は皆
作鰊⋮リ﹁習へ真剣に挑どんでいた。
冥地体験を終えた、嘉手納小⋮︰﹁
日、講師に大域甘信県視覚障富者
日日やボランティア、祉協職nHらあ
鑑賞し、大域先生の講をきいたあ
校六年隼の北如古勝男君は﹁美際
ボランティア・サマースクール開催
町内の小学生、身障者の気持で
アイマスクや車イスで実地体験
福祉協議会事務局長を招き、庁舎
わせて五十名余が参加された。
﹁はじめてみませんか、ボラン
前の歩道で行なわれた。
と、障黒目省体験の感想女を書いて、
ボランティア・サマースクールを
午前中は実地体験が行なわれ、
生徒たちも、体験に入る前に一階
ボランティア・サマースクール
は、実際に障害者体験をするなか
閉じた。
とあいさつ、講師のロバート・サ
ロビーで講師の大地竹信先生から、
りの推進を目的に、昭和六十三年
ンデースさんが紹介された。
で、相手の立場になって考え、思
度の婦人学級を開設、その最初の
ースさんが﹁マイ・ネム・イズ・
紹介をうけたロバート・サンデ
が、八月二日午後中央公民館の視
ロバート・サンダース﹂と英語で
婦人学級では英会話教室の開講式
聴覚教室で行なわれた。
自己紹介をしたあと=写真。にこ
やかな笑顔で受講牛山八一人にや
さしく党首を指導するなど、うち
とけた雰囲︰机のなかで授業を始め
町社会教育課では、町内の抽入
し﹁本町は、多くの外国人が住ん
表情をしていたが、サンダースさ
参加された姉人たちも、はじめ
を対象に婦人の自主性と家庭・社
でおります。英会話を勉強されて、
んの笑顔でやさしい指導に、⋮りい紐
。
た
会生活の課也を学習を適して広め、
日常生活のなかで役丑てて卜さい﹂
ロバートさんの指導で
英会話に励げむ
町内のお母さんたち
あわせて、健康で明るい家庭づく
も明るく婦人たちも、楽しそうに
英会話に取りくんでいた。
講師のロバートさんは、比問人
フランス語やスペイン語の教師資
われ、参加者も真剣
な友情で、筆を手に
・†∵丁ていねいに
圧‖きあげていた。
﹁小曲で聞かれた‖
研究会に、..rrれ余
のい日通愛好宜か参加
されたのは初めてで
あり、この人会を機
会に今後も本町で圧=
道関係の行車を催し
ていきたい﹂と川J
役の卜問弛保校長は、
迫教室﹂をテーマに、久米公雄文
愛好家を対象に、1t︰写・∬道研究
地域の吉道教膏の振興を目的に
部円弧⋮︰・∴日の講前で、同研究会を
格を付し、さらには、ロシア語や
笑みをこほし話され
一般を対象に英会話を教えている。
全日本差迫連盟が本町において同
閉じた。
会が八月巨丘‖町中央公艮鮪ホー
如入学組では、このほかに、ヨ
研究会を向くのは初めての企画で、
ギリシャ詰までも勉強されて語⋮り﹁
。
た
ガ、健嫌、レクリエーション、な
L問徳保嘉手納小甘校長が小心と
牛後は、﹁教再政やヒル写・差
ど、幅広い内容の講議がナ定され
なって差迫愛好家に呼びかけをし
ルに枕木湖山尤隼と久米公雄女鹿
書写・書道研究会を催す。
ている。
はへラベラで、現在は、沖縄市や
沖純代目写・旺‖道教再研究会 へ金
=ご,, ̄亀.露盤≧芦
省祝⋮り∴日を講伸に招き催された。
で、ペンシルバニア∴ンヨージワ
』_ ̄ ̄i逼蒜蔓:;Ii毒
宜打消市・浦添市などで、⋮リー隼や
一般や県内の書道愛好家が参加
咽‖紳91−11日−亜一朝・一・1】−1日一・・・・・一tll】1一・・・・・一・・日・・一・・・・・一亜一・・・l・−刷−り1】−亜−1・・・−亜一刷−L・・・・広報かでな
広報かでな一・・・・・一・・・・・・一州・・一・・・・・・一亜・一・・・・・一・・・・・一州一・州・−亜一・州・・一・1・・・−刷一亜一・・・小一・l・・・・−【・・一・・昭和63年9月川
環境を破壊する元凶となっていま
九月十日は全回下水道促進デー。
みんなで正しく利用しましょう。
牛ごとに行われている﹁住宅統
計調査﹂ の牛です。この調査は、
わが国の住宅と世帯の屠任状況
を明らかにするために行われる
あることから〝住宅のl封勢調査〟
ともいわれています。
新規採用職よlの六名と町長との
へ出席できなかったために行なわ
令交付式︵助役が町長代理で交付︶
凋盃の結果は、同、郁迫腑1−!、
初顔合せが、八月十日午前町長室
れたものである。新職日日も、町長
戦後強制抑留者の方がすでに亡くなっていると
きは、その方のご遺族がこれらの脚11!、支給を受
けられることになっています。
これらの椚呈、支給は、本人またはご遺族の。l写
求にもとついて行うことになっています。
該、当される方は、I■川:課から請求ノ‘類を受け取
り、必要な.t三:類を添えて提出してくたさい。
なお、請求普類は町役場厚′h課に置いてありま
調査の対象となった世昔には、
百二.十円名のなかから合格された
事はすはらしい、これからは、職
場の仲間と和を人事にし、二〃四
千二百名余の町民に誇れるような
ら古竪南小学校方面へと通じる。
稔の長さは九トノートルで、幅
︰llは十二ノートルの片側.中級で
町道と村道がつながり、生活など
に人きくこうけんするものと期待
されている。
架橋上がの調印式にのぞんだ、
し‖浜町長と山内徳信読谷村長は
﹁糾しい桧が完成すると嘉手納、
読谷の交通がいっそう性別になる。
比謝川は汀から由緒ある場所で、
その場所に櫓をかけられることは
とても#こほしい﹂ヒ、両町村長は
笑えをうかへ囲い握手を交してい
。
た
す。
月3111までとなっていますので、ご注意ください。
(6−1111(内)321)まで
やかな雰囲目刺のなかで談笑された
新職︰日も、町長を囲こみ、なご
卜さい。﹂と徽励。
職︰llとなり、化.Iiの面で頑張って
Hl等求期限は、l】綱目63年8日111から11朋Il68勺ミ3
=写真。
轡
験はむずかしかったようであるが、
町長は六名の新職︰llに対し﹁試
ていた。
感も一瞬にほぐれ、笑みがこぼれ
充へのご協力をお噺いします。
対象のなった世帯の方は、調
います。
に、再び調査日Hが回収にうかが
充票は、十月一日から七日の間
します。記入していただいた凋
査日llが、調査票をもって、訪問
都道府県知事から任命された調
九月二十三日から三十日の問に、
。
す
る資料として帖広く利用されま
整備計画などの立案の基礎とな
市区町村の住宅建設計由や環境
年償還の記名l印情)が支給されます。
希望に胸ふくらーむ
六名の新採用職員
町長と初顔合せ
と間近にひざをまじえて講を交す
で行なわれた。
今年の新職員は、去った七月に
中央公民館ホールで行なわれた町
職︰ゝl採用試験において、百三十四
名の受躾者のなかから、兄車難関
のは初めてとあって、緊張の様で
をとっはきれ、八月∵口付で町の
職Hとして新規採用された精鋭た
ありましたが、新職日日が町長室へ
入るなり、町長が顔をほころはし
ちである。
町長と斯職員との顔合せは、町
ている。
て話しかけると、いままのの緊張
慢性的な交通渋滞
この橋が完成すると、嘉手納ロ
ータリー、比謝橋を中心とした、
水管−人本線架鹿は卜午前から
手納水管・・読谷村大
午前、読谷村役場の
計内されていたが、用地買収など
国道五十八︰†線の交通混雑がかな
村長室において吉浜
で難行し肴∫が遅れていた。しか
木練の架揺工事の凋
町長、山内徳信読谷
し、その用地月収もほほ終り.本
り緩和される。
村長らが机席して行
町ではすでに、水管交番から県営
川地前にずるまでの道路も完成し、
なわれた。
架橋t事は、嘉手
供用されており、あとは、今年卜
事をまつのみである。
.日から、本格的に始まる架橋王
納町長と読谷村の合
同事業で、工や費は
九倍︰丁二百万日、
から約二 hキロメートル上流に
新しい橋は、比謝川の ﹁河‖﹂
を折半し、架桧は、
かけられ、水管から古聖、人木方
串業は両町村が費用
昭和六十六年四月完
面を結び、嘉手納の県営用地前か
おl糾い合せ卜さい。
﹁愛される町にしたいね
陣の原関になります。
町役場都市計画課
下水道﹂をテーマに
九月十日は全国下水道促進デー
わたしたちの空清や産業活軌で
す。この汚水を集めて処理し、河
下水道の果す役割を改めて考えた
下水道は、公共の財産ですので、
川や海に流す下水道は快適で豊か
いものです。また町では、これま
生じる汚水は、美しい自然や生活
な暮しを維持していくのに欠かせ
六−二三二三
で同様に水洗化改造資金二十万日
中央電気水道工事社
六−二一六七
ないものとなっていますが、下水
仲本設備
六−八五九一
限度徹︶ として、︵長期四十ケ月
㈲兼村設備工業
六−二〇ヒ二
道にティッシュペーパーや、廃油
㈲世名城設備
六−八二七四
もので、全国の約二百七十万腑
償還︶ 無利子で貸付る制度を設け
知念電気水道工事社
六−一六九四
昔を対象とする大規模な凋庵で
行われます
㈲仲本電工
六−二二五三
人−牛は、昭和二十三年以来玉
㈱比謝川電機
六−二二七五
受給していない方には、慰労金として10万円(2
嘉手納電気水道工事社
等を流すと下水道等のつまりや、
あわせて、これらの方々のうち年令恩給などを
六−九一五五
ております。
制抑留され11本に哺還した〟々に、慰労品(ノ!:状
・銀杯)が椚星されることになりました。
嘉手納文化設備
下水道処廊ポンプ場の機械等の故
戦後、ソ連またはモンコルの地域において、強
今年は住宅統計調査が
地域で強制抑留された皆様へ
成を目標に進められ
巾、.洋しくは、丹/l三.濃
励
戦後、ソ連またはモンゴJレの
印式がヒ月二十八日
を緩和しようと、嘉
水釜−大木線の架橋F
昭和66年4月完成をめざす
長が公務出張のため八月﹂日の辞
両町村民の永年の夢である
嘉手納町下水道工事指定店名
袈∴讐志学音
昭和仙隼9月IH一・日▲・一・…・−脚一・・・・・一亜一・・・・・・一・l川一亜一・伸一脚一・仙一・・・・・一・l・・・一t・抑一・・押一・州・−刷広報かでな
広報かでな−亜一伸一亜一・・・・一・伸一州一州一亜一州一柳一亜一再伸一.川脾一・・・・・・一亜一・伸一脚■昭和63年9月川
‖什和は珂卜9月川一小一脾一・・・・・一伸一り川−1州一亜一柳一亜一・紳一・・・・・一刷一・・仰・一・・伸一・・・・・・一・・・・・一亜広報かでな
広報かでな一・仙一・l帥一・仙一柳一・1仰一・・仰一・・帥一州・−亜一・l・・・−1“・・一・l川・−脚一・・・・い一・1・・・−州h■ト刷・‖/榊緋9日1日
出来はえが好評を博し、大変#ば
知人、友人らへプレゼント。その
を地域をはじめ外国のしんせきや
まりを作り、出水あがった手まり
かでカラフルな大小きまざまの手
のモ糸や生糸を材料に、色あざや
趣味を生かして、いろとりどり
ほど祉陳なおばあちゃんである。
近所や地峡の方々かびっくりする
ガネをかけないで釘に糸を適され、
のもので、日中の晴れたときはメ
ちゃんは、この様な針仕車もおて
は町内でも数少ない。ウマおばあ
高齢肴で手まり作りをしている方
う仕串を要するために、九十歳の
手先の訪日さは井からで、池原
れているおばあちゃんがいる。
その話題の人は、明治∴十二年
家へとついだ畔からミシンをふみ、
また、カマおばあちゃんも、ひ
丘‖生まれで、今年九十歳を迎か
おばあちゃんは、現在まごの池
ところは町老人クラブで、まり作
当時の爪立農林学校毎緬のほころ
原正大︵役場厚隼課長︶きんらと隼
りを仲問へ指導されていたが、高
えた嘉手納町字屋良し十番地 ︵火
漬され、剛は六時に起施し日課で
齢で中央公民館まで歩くことが山
びをつくろってあけるなど隼徒た
ある‖宅の庭清掃や草花の手入れ
水なくなり、現在は自宅で趣味と
区︶ に住む池原カマおばあちゃん
をし、苦署がびっくりするほど址
して、手まりや花作りに働けみ、
ちから人変音∵しばれていた。
腰も強く、日や耳もしっかりして
苦かりしころの老人クラブ時代を
である=写真。
おり、九卜歳の年齢を感じさせな
‖甲後に、カマおばあちゃんへ長
牌かしんでいた。
を洗濯され、のりの入った青物を帝
心のひけつをたずねると﹁食車は
いほど若く、いまでも自分で前物
けるほど、きれいずきなおばあち
腹八分に、野菜をたくさんたべた
の先非ガは、良きリーダーであり、
流かあった。与えて姐るヒ私たち
郡綾却ヒしての深い絆と確かな変
っ
た
。
か隼まれ、新しい遊びの発見かあ
に変っていたりして、大人は白か
た公園のごときは洒飲み鮭川の機
場所が、今は駐車場に変わり、ま
.町‖トビもたちでにぎやかだった
く立派な遊び場としてつくられ、
を卜けるならは、以前は他険もな
なっているように思われる。一例
どものい頼関係に溝ができ、この
てしまう。ここまでくると親と十
から親は我慢山来ずテレビを消し
の前から如くけはいがないものだ
そのちょっとが長びき、テレビ
しかけると、ちょっと持てという。
がちょっと手伝ってもらおうと話
またテレビに夢中でいる時、親
になっている原因は何なのかを与
にこだわる。本当の十育てが手薄
んで素直であったとか、過去だけ
小さい頃は頭も良く、おりこうさ
って初めて親は、あわてふためく、
うになる。また反抗期がひどくな
き、人間として個性を発揮するよ
ビもかだんだん成長し、知恵もつ
わいがるだけで満足している。.ト
された。
おかけである﹂と笑みをうかへ話
ゃんである。
カマおばあちゃんが、手まりや
花作りをはじめたのは六十.才の
頃、老人クラブの講習会で習いは
じめたのかきっかけで、現在まで
趣味として数えきれないほど作っ
てこられた。
お兄さんでもあり、今流に∴えは
ら符を正し、トビもたちに祉仝な
ことが再三おこるようになれば親
しかし、手まり作りは、針を他
金のかからない宜庭教雨でもあっ
遊び場を返えすへさである。
清環境も州Uかになり、お食を出せ
は広がりをもっていた。戦後は牛
なものではあったか、遊びの肛井
た手作りの玩日.ハは、未完成で里純
トどもの頃、別息﹁大して作り
もの牛沼をすっかり変えてしまっ
ちまち千ともたちをとらえ、.いど
テレビの普及はいちぢるしく、た
中に押し込められている。中でも
八・は‖禁の広場から追われて家の
√どもたちの遊び場か失われ、
ましてや学校に行くことさえいや
状態が続けは家にも寄りつかず、
ぶらつくようになり、このような
のあまり豪を飛び机し、‖ハ々街を
る。.トビもにとっては、ショソク
なくなり、あけくの果ては手かれ
としては、がみがみ言わざるを得
えてみたい。⋮︰⋮︵続く︶
そうした小で友たちとして、先
たような︰勅がする。
生活環境の変化:・−㌧−どもたち
ば何でもほしいものか下に入る世
ている。
お店やテパートでHうものであっ
畔附をはるかに超えているといわ
テレビを観る時間は牛問の授業
然、学力低卜につながり、登校折
無断欠席が続くようになれは、当
になり、欠席がちとなり、平気で
井芸術祭にて教育長★受賞
昭和五十五年十一月
沖ヰタイムス芸術費奨励★受★
昭和五十一年一月
爾歴
事、現在に至る。
県教育庁高等学校教育排指彊主
昭和六十一年四月
県立共和志満等学校軟論
昭和五十八年四月
中央ホ等学校教諭
昭和三十四年四月
卒業
琉球大学文理学部集術工芸科を
昭和三十四年三月
プロフィール
雷表名朝紀氏
が岬lはかな人問ヒして、たくましく
の中である。現代すたちは玩けハは
こつで収めることや、悔しくいた
て、‖分でL大して作れるものと
れている。豪に閉じこもり、テレ
︵県教育庁指導主事︶
書表名 朝 紀
子供たち︵上︶
遊び場を奪われた
成長していくわには、rl禁の中で
白山に恥けまわる環境が必要であ
る。私通がナビもの頃は上級隼に
さそわれて山や川や海などにもよ
く行ったものだ。また危険だと思
われる場所にくると址卜に注意す
るように声をかけてくれたり、畔
わることも決して忘れなかった。
M心っていないのではないでしょう
には=〟を大にして叱ったり、げん
時には、ナィフを使って木や竹を
沖縄タイムス芸術堪十大十受賞
昭和五十三年一月
一り県展運営委員及び書壬員
G沖展運営委員及び審査員
否となる。
このようなケースは、一例にす
ヒに夢中になって家族との対話が
なくなり、家族川らんの時間が破
ぎず、もっと根は深いものがある
かつ
その人きな原囚は、﹁どもたち
壊され、更には﹁どもの思考力の
ような京がする。.般的に粗は幼
切り、野原で竹とんほや烏かごや
の情報交換の場ヒして他われてい
発達に人きなマィナス面が出るの
児期には、全く躾をしない。〓ハか
こまなどの玩日.ハを作って遊んた。
〓分で作り目すこと‖仲が遊びで
た遊びを人人が軽いよごしいる所
ではないかと心配される。
○その他略
0︻H本国隙美術豪協会理嘉
あった。
に大きなマイナス面か浮きほりに
その遊びの中で別造力、空想力
■暮企画渉外課広報係
礪集と発行
また、ビーチパーティーの昼食
は、子供たちか中心となり、そば
作りに挑戦。
父母のアドバイスで、そばやつ
者でごったかえし、場所を確保す
同ビーチも夏休みに入ると利用
日読谷村の減圧ハ知の浜で催された。
よるビーチパーティが八月二十
と育成会 ︵上原清適全長︶ 共催に
ーと。南区子供会 ︵伊礼幣全長︶
の親睦と親子のふれあいを阿ろう
ビーチパーティーを通じて全︰日
楽しい夏休みの一日を親rですご
∴杯、∵−杯とおかわりをするなど、
うずだね﹂と、親子で誹を交すなか、
だきながら ﹁おいしいね﹂、﹁じょ
を手に、出来あがったそばをいた
供たちも海からかけあがり、食器
と、いままで海水浴をしていた子
しそうなそば汁のにおいが漂よう
しばらくすると、あたりにおい
当日は、夏休みとあって八十名
機会が少ないサ供たちのためにビ
チにおいて、日頃、海水浴に行く
但)高齢運転車の交通事故防止
ゆの味つけなどに奮聞していた。
るのに閉経なため、同育成会は、
し
た
。
一方、町の手をつなぐ親の会で
余の家族連れが参加。父母が見守
ーチパーティーを催し、子供たち
モー=>二rJ ノこ蓋
ー  ̄ 丁__≡±丁’==ニーj芦=こ一 一■て一二一1
_平二二_ 一球」
.−...●__■【1−r一丑 ̄千一∴■
 ̄「一一二三き宇
、・一一 一■■■■てこチ■■■−■■■■i■■
.1−− −、
若者たちの手作りによる節.阿
YOU・遊・比謝川フェスティバル
が、L月■二卜一日八日︶、比謝川沿
いの尾良城祉公園を小心に催され、
手づくりいかだ兢酒や十供たちに
よるグッピーすくい、急流下り、
インデアンブリッジなど多様なイ
ベントに、夏休みとあって町内を
はじめ、近隣市町村から、二千窮
余の観衆がつめかけ、賑わいをみ
せていた。
−12−
前日の午後から大人が泊込みで、
テントを設置し場所を確保してい
るなか、うきぶくろやスノーケル
も、ボランティアの協力で、海水
も、去った八H辛∴Hタイガーピー
を使い水しぶきをあげて、おもい
浴や宝さがしなとのゲームに、お
。
た
おもいに海水溶を楽しむ、十供た
もいっきりはしゃいでいた。
♯ ♯ ▼車
ちの歓喜な声がひときわ浜辺にひ
びきわたっていた=写真。
ノ_▲一一一】■
テーマ●みんなで築くよりよい環境
期 間●昭和六十三年九月二十六日∼十月二日
一 一三・三d
︵尚、十月二日は区民一斉清掃日です。︶
_二二二二二 −、ゝ=一芸
≠_二二二=≠声:・一一 一一一■L
︵町役場保健衛生課︶
__一■■・・■−■ 一一J
の環境衛生週間
発行嘉 手納Ir役場
−(嘉手納町交通安全推進協離合)−
2,12、1
lI・77リ
l.ポ52
】.3翻
2.日7
Jr
】.り7n
ナIご」
955
liHti
k r・
i 西沢lヰトト計 1
若者らの手作りによる
第一回YOU・遊・
比謝川フェスティバル
成功裏に幕を閉じる
1,二151
印刷:光文堂印刷株式会社
期間 昭和63年9月11日(日)−9月20日㈹
朋 r・
(内線331)
運動の重点目標(1)県民の高齢者に対する交通安全意識の醸成
(a高齢歩行者、高齢自転者利用車の交通事故防止
1.051
l耶5
根17
71(〉
㍗吊 7m
5Mi
571
55・I
二川7 7(12
、127
叩.滞れ
扁手柄Ir宇島手柄調8番地
高齢者交通安全運動
8月1日現在の人口
ビーチパーティーで
渡旦知の海は子供達の歓喜の声
第214号
凸 区
l偏1メ.
北lメ
申lヰ
ll十
菓lメ二
℡ 09895(6)−1111
甘広報や、で令
‖朋日脚9月1日一・亜◆・..・・一・・.1・一・帥一・州・一一一・山一・・・・・・−州・一・一小一・・・・一脚一・抑一紳一・脚・一冊一卿一脚広報かでな
昭和63年9月1日
Fly UP