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ボストン公立図書館と日曜開館問題(1864-1872年)
川崎, 良孝; 川崎, 佳代子
京都大学生涯教育学・図書館情報学研究 (2009), 8: 87-134
2009-03
http://hdl.handle.net/2433/71622
Right
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Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
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年)
ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
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崎 良
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n)街
アメ リカ大都市 で最初 の公立図書館 であ るボス トン公立 図書館 は、 メイ ソ ン (
ア ダム ズ校 舎 の 2つ の部 屋 で 1
8
5
4年 3月 2
0日に開館 した 。 そ して 1
8
5
8年 に はボイル ス トン
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n)街 に新館 を建設 し、1
8
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5
年 にはコプ リ-広場 (
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) にアメ リカを代
表す る壮大 な図書館 を設置 した。一方、 ジャステ ィン ・ウィンザー (
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)の館長
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)か ら、市全域へのサー ビスを 目指 して積極 的 に分館設置 に着手す る。 アメ
時代 (
リカ最初 の分館 イース ト・ボス トン分館 (
1
8
7
1
) を皮切 りに、 サ ウス ・ボス トン分館 (
1
87
2
)
、
ロックスバ リー分館 (
1
8
7
3
)
、 さらにチ ャールスタウン、 ブライ トン (
1
8
7
4
)
、 ドーチェスター
(
1
8
7
5
)
、サ ウス ・エ ン ド、 ジャマイカ ・プ レイ ン (
1
8
7
7
) とい う具合で、 いずれ も固定施設、
専任職員、固有の蔵書 を有す る分館であ った。
ボス トン公立図書館 は1
9
世紀 のアメ リカ公立図書館界 の指導者 であ り、 その歴史上 の意義 に
は確固たるものがある。 同館の影響 は国内に留 ま らず国外 に も及んでいる。 一方、 ボス トンと
い う地であるがために、世論 を巻 き込む大 きな問題 にな った事柄があるよ うに思われる。現在
の時点か らみると、 ささやかな事柄 と思われ るか もしれないが、当時 にあ っては大 きな問題で
あ った。 そ うした事柄 には、「バ ッカスの垂女騒動」 と 「日曜開館問題 」があ り、 いずれ もボ
ス トンの宗教観や道徳観が深 く関わ る問題であ った。 いっそ う大 き くみ ると世俗化の問題であ
り、 ヴィク トリア時代 の価値観であるが、 それ らが ピュー リタンの地であるボス トンで最 も鮮
明に提示 されたとい うことで もある。
1
8
9
6
1
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9
7
)は、 コプ リ-広場 の新館建設 に際 して、図書館の中庭
「バ ッカスの盛女騒動 」(
に噴水 を置 き、 そ こにフ レデ リック ・マクモニーズ (
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)のブロンズ像
「バ ッカスの養女 」を置 くことにまつわる騒動である。 この像 をめ ぐっては広 くボス トン全体
を巻 き込む形で、道徳論争が起 こった。結局、像 は図書館 には置かれず、当時 は同 じコプ リ広場 の一角 にあ ったボス トン美術館 (
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) に収 まったのである (
例えば
0
0
年史 :栄光,挫折,再生 』
以下 を参照。 ウォル ター ・ホワイ トヒル 『ボス トン市立図書館 1
川崎良孝訳 ,日本図書館協会 ,1
9
9
9,p.1
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1
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9(
「バ ッカスの垂女騒動 とボス トンの道徳観
(
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)」) ;Wai
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いま1つが本資料紹介で扱 う 「日曜開館」問題である。 アメ リカの比較的大 きな町における
-8
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京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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8.2
00
9年
8
6
9
年 に日曜開館 を導入 した ミル ウォーキー公立図書館 は
住民 を対象 に した図書館 をみ ると、1
早期 の例であろ う。 そ して 1
87
0
年 にはフィラデル フィア商事図書鰭 (
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、
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871
年 には シンシナチ公立図書館 、1
87
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年 と1
87
3
年 にはニュー ヨーク商事図書館、 ウ-スター
(
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)公立図書館、 シカ ゴ公立 図書館 などが 日曜開館 を開始 してい る。 最終 的にボス
トン公立図書館 は1
87
3
年2
月9日、 日曜開館 の最初 の実験 と して雑誌閲覧室 を2
時か ら9時まで開
2月9日の開館 につ いて は以下 を参照 ぐ'
B.
館 し、 そののち同館での 日曜開館 は拡大 してい く (
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87
3,p.2
9
)
。 ところで、 日曜開館問題が浮上 し、市議会が好意的に検討 し
87
2
年 6月2
0日に、 W.
M.
ガス トン (
W.
M.Gas
t
on)市長 は市議会 と図書館理事会 にた
て いた1
い して 、 メ ッセ ー ジを 出 して い る (
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9
)。 この文書 は市長 として 日曜開館 に反対す る論拠 を示す こ
とで、 日曜開館への動 きを阻止 しよ うと した ものである。 その中で、市長 は過去 の動 きを簡略
にまとめている。当然なが ら、 それ は市議会や市長 にまで関係 して きた場合 に限 っている。 単
に新聞や個人が意見表明 した ものは範囲外である。
市長 の1
87
2
年文書 によると、 ボス トン公立図書館の 日曜開館問題が最初 に浮上 して きたのは
1
86
5
年である。1
8
6
5
年の場合、市議会 は日曜開館を求めたのだが、市長が拒否権を使 っている。
続 く1
8
67
年 の場合、市議会 は日曜開館 を検討す るための委員会 を設 け、 その委員会 は初めて市
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or
) に法的検討 を求 めている。 そ して市法務官 は州法違反 になるとの意
法務官 (
87
0
年 に も日曜開館が市議会の
見書 を提 出 し、委員会 はその結果 を尊重 したのである。 さ らに1
道徳的および教育的観点か ら」 日曜開館 に賛成
委員会で検討 されている。 委員会 の多数派 は 「
であると しっっ、同時に法律上 の問題があるので、 まずマサチューセ ッツ州法 の変更 について
市長が州議会 に働 きかけるように求 めた。 この市議会か らの命令 に従 って、市長 は州議会 に州
法の修正 を働 きかけたが失敗 に終 わ っている。 こうした経過 を経て、1
87
2
年 に も日曜開館が検
討 され、既述 のよ うに1
87
3
年 2月に実験的に日曜開館が開始 されたのである。
以上が ボス トン公立図書館の 日曜開館問題 に関す る公的な動 きである。 この問題 をめ ぐる動
8
67
年頃か ら本格化 し、それにともないさまざまな意見が出されている。 本稿ではそ うし
きは1
た基礎資料 を翻訳す る。 それは以下 のよ うである。
(
1
)公立 図書館 に関す る合 同常任委員会 「公立図書館 の 日曜開館 に関す る報告 」 (
1
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4年)
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(
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)市長 「公立図書館 の 日曜開館 に関す る市長 の反対」 (
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(
3)公立図書館 に関す る合同常任委員会 「
公立図書館 の閲覧室 における日曜開館 に関す る報
告」 (
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(
4)M .
フィール ド・ファウラー 『
主 の 日にボス トン公立図書館 を開館す るにあた っての抗議
-8
8-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
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7
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年)
あるいは諌言 :安息 日を覚 え、 これを聖 とせ よ』(
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.この文書 はメ トロポ リタ
ン鉄道馬車会社 (
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人で あるM.
フィー
ル ド。ファウラー (
M.Fi
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)の個人的な訴 えである。
(
5)チ ャ-ルズ 。M .
エ リス 『ボス トン公立図書館閲覧室 の 日曜午後 の開館 に関す る論争』(
1
8
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7
*) Ar
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7
.この文書 はボス トンの著名 な法律家で
エ リス (
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) による個人的な訴えである
あるチ ャールズ 。M.
。
(
6)公立図書館 に関す る合同常任委員会 「
公立図書館 の閲覧室 における日曜開館 に関す る報
告」(
1
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.
(
7
)公立図書館 に関す る合同常任委員会 「公立図書館 の 日曜開館 に関す る委員会報告 」(
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(
8
)M.
フィール ド◎フ ァウラー 『図書館 の 日曜開館 と鉄道馬車 に関す るエ ッセイ』(
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年)
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Mudge& Son.この文書 もファウラ-の個人的な訴 えである
。
(
9
)市長 「市 長 メ ッセ ー ジ :公立 図書 館 の 日曜開館 の命令 を承認 しな い理 由」 (
1
8
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2
年)
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6
7
年の状況 を示 した資料 (
3
)
(
4
)
(
5
)
(
6
)
につ いて少 し説明す ると、1
8
6
7
年5
月2
7日にボス トン市
議会 の委員会である 「
公立図書館 に関す る両院合同委員会」は、 日曜開館 をすべ きであるとの
見解 を議会 に報告 した (
資料 (
3
)
)
。 それにたい して市議会 は聴聞会の開催 と再審議 を同委員会
8
6
7
年7
月中旬 に主 に日曜開館反対者 の意見を聞 くために一連の聴聞会 を4
に求めた。 そのため1
回開催 している。 そ こでは4
0
名 を超え る反対者が意見を表明 し、 オ-ル ド。サウス教会 の牧師
ジェイコブ ・マニ ング (
Jac
obManni
ng)、市議会議長 を務 めたW.
W.
ス トー リー (
W.
W.St
、 それ に図書館理事長 ウィ リアム 。グ リーノウ (
Wi
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6
6
年か ら
or
y)
4
)
(
5
)
は聴聞会での意見
理事長) な ど、 ボス トンの有力者がいた。 フ ァウラーとェ リスの文書 (
4
)
は、聴聞会での主張 を さ
表明であ り、 それを文書 に した ものであ る。 例 えばェ リスの文書 (
8
7
2
年の 日曜開館論争 の ときにも
らに編集 して刊行 した ものである。 なお このエ リスの文書 は1
公立図書館 に関す る両院合同委員会」
再版 されてい る。 こうした聴聞会 の模様 も検討 して、「
は7
月2
7日に議会 に報告書 を提 出 し、 そ こで は聴聞会で浮上 して きた法律問題 に焦点 をあて、
日曜開館問題 を留保す るように主張 した。
9
つの文書 の内、 エ リスの文献 (
5
)は小 さな活字 の4
0
頁 に達す る文書で 日曜開館 を支持 して
いるが、訳では重要部分だけの翻訳 に留めている。エ リスの英語 は難解 というか、構造的に しっ
-8
9-
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
vol
.
8.2
009年
か りしてお らず、翻訳 は困難 を極 めた。 その他 の文書 はすべて全訳 であ る。 なお最小限必要 と
思 われ る書誌事項 などにつ いて は [
] に補記 した。
なお、利用状況 に触 れてお くと、1
87
3年 2月9日に午後 2時か ら9時 まで開館 した雑誌閲覧室 に
つ いて、館長 ジャステ ィン ・ウィンザー (
Jus
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ns
or
) は、 日曜の利用者 は過 日に利用す
る人 とは相違す ると し、 これを最 も好 ま しい特徴 と している。 また利用者 は礼儀正 しいが、週
日よ りも利用 は少 な く2
分 の1か ら4
分 の3と報告 して いる。 また分館での、
閲覧室利用が少 ない と
指 摘 して い る (
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.88,p.29)。
例 えば 『ボス トン公立図書館理事会報告』第 2
5
号 には、1
87
4
年か ら1
877
年 までの 日曜開館 の
模様 が出てお り、 それ は表 「
雑誌閲覧室 の 日曜 日の利用状況」 のよ うにな っている。
<表 >雑誌閲覧室 の 日曜 日の利用状況
最大の利用冊数 (
月)
図書館名
中央 (
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yDo
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nt
,No
,6
6
,p.L
OG.
この表か らは以下 のよ うな ことがわか る。 中央館 の場合、毎 日曜 日開館 し、平均利用冊数 は
約45
0冊 である。例 えば1
877
年 をみ ると、週 目も含 めた1日の平均利用冊数 は85
3
冊、 日曜が4
87
冊 なので、 日曜 日は平 日に比べて半分 を少 し上回 る程度 の利用 であ る。 一方、分館での雑誌閲
覧 は全体 と してみ ると年 を経 るにつれて、利用が減退 している。 なお、 ブライ トン分館で は1
8
7
4年 と1
87
5
年 には日曜開館 して いたが、1
87
6年 には開館 をやめて しま った。雑誌数 自体が少 な
いので、利用者か らみ ると利用 す る価値がなか ったのか もしれな い。 1
877
年 の分館 ごとの状況
をみてお くと、 イース ト・ボス トンは日曜が 1
05冊 に対 して、 1
年 を通 した1日平均 の利用 は97
冊、 サ ウス ・ボス トンは各 々6
0冊 と1
1
0冊、 ロ ックスバ リーが47
冊 と6
3冊、 チ ャールス タウ ン
が2
3
冊 と7
8冊 とな ってい る。 す なわち、 イース ト・ボス トンを除 いて、 日曜 日の利用冊数 は全
体 と比べて非常 に低か ったのである。
以下 に資料 の翻訳 を掲 げて い くが、 日曜開館問題 は宗教論争 の意味合 い もあ るので、理解 を
容易 にす るために、安息 日 (
Sabbat
h)、 日曜 日 (
Sunday)、主 の 日 (
Lor
df
sDay) な どの謡
が歴史的 にどのよ うに変遷 して きたのか まとめてお くことにす る。
-9
0-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題
(
1
8
6
4
1
8
7
2
年)
2
公立図書館の 日曜開館問題が とくにボス トン市 においてかまびす しく浮上 したのは、同市が、
こユ-イ ングラン ドの中で もピュー リタン色の強い都市であ ったことが大 きな理由と思われる。
1
7
世紀 に ヨーロッパか ら信仰の自由を求 めて新大陸 アメ リカに移住 したキ リス ト教徒 たちは、
自らの渡航 をモーゼによる 「出エ ジプ ト」 になぞ らえた。 そ して英国の ピュー リタン的伝統 を
持 ち込み、厳格 な形 の 日曜 日遵守 を新大陸で も守 るよ うにな った。入植地では、 日曜礼拝法が
b
l
u
el
a
w)と して知 ら
制定 されたが、 コネテ ィカ ッ トで出版 した新聞の色か ら 「
青 い律法」(
れ る。
ピュー リタンは日曜 日を安息 日と同一視 したが、 リベ ラルなキ リス ト教徒 はそれに反発 した。
アメ リカにおけるユ ダヤ人、 セブ ンスデイ派のキ リス ト教徒 は、土曜 日を安息 日として守 って
いたので、 日曜 日-安息 日一主の 日に関 して、 アメ リカで は大 きな論争が繰 り広 げ られていた。
図書館の 日曜開館問題 はそ うした宗教的背景 を抜 きに しては語 れない。 ここでは、安息 日の根
拠 となる十戒の第四の淀 と安息 日、主の 冒、 日曜 日をめ ぐってキ リス ト教会の理解 を歴史的に
概観 してみ る。
「出エ ジプ ト記」第2
0
章 に十戒が示 されている。 第四の錠 に関わ る部分 は以下である。
安息 日を覚 えて、 これを聖 なる日とせよ。
六 日間、働 いて、 あなたのすべての仕事 を しなければな らな い
0
しか し七 日目は、あなたの神、主の安息である。 あなたはどんな仕事 もしてはな らない。
-
あなた も、 あなたの息子、娘、 それにあなたの男奴隷、女奴隷、家畜、 また、 あなた
の町囲みの中にいる在留異国人 もそれ は主が六 日の うちに、天 と地 と海、 またそれ らの中にいるすべての ものを造 り、七
日目に休 まれたか らである。 それゆえ、主 は安息 日を祝福 し、 これを聖 なるもの と宣言 さ
れた。
十戒 はモ-ゼがユ ダヤの民 を引 き連れエ ジプ トを脱出 した後、 シナイ山で神か ら授 け られた
Wi
l
l
i
a
m Ba
r
c
l
a
y)によれば、 「一つの社会的、
戒律 とされている。 第 四の淀 はバ -ク レー (
人道主義的法律だ ったのであ り、別 に宗教的な規則 なので はな い
。
礼拝 などの宗教的儀式 に関
して は [
十戒 は]何 も言 われてはいないのである」 (
バ ーク レー 『十戒 :現代倫理入門』牧野
9
8
0
,p.3
5
)
。
留美子訳,新教出版社 ,1
第四の淀 は、労働か ら人を休 ませ る、最 も恵 み深 い律法 と考 え られている。創造主がすべて
の創造のわ ざを終 え られた次の 日とい うことか ら、安息 日は7日目とされていたので、土曜 日
週 を7日に区分す ること (7曜) はユ ダヤ民族 の発明で はないが、安息 日として他
であ った。1
の曜 日と区別 したのはユ ダヤ人である。
しか し、 こうした原理が規則 とな り、律法 と して形式主義 に陥 るのはよ くある。 第四の淀 は
仕事 を禁 じているので、ユダヤ人 の律法学者 は、仕事
とは何かを詳細 に検討 し、仕事 を3
9に分
\
類 した。それを注意深 く守 ったのはパ リサイ派の人であった。 こうして、労働者の権利 ・健康 。
安寧 を守 るための 日が禁止の 日とな り、人 びとを拘束す るに至 った。
安息 日の性格が変化 したのは旧約 と新約の問の時期であ ったといわれ るが、新約の時代 には、
-9
1-
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
vol
.
8.2
0
0
9
年
安息 日は シナゴーグで礼拝 しなければな らない冒とな っていた。律法学者やパ リサイ人が安息
日の禁止事項 に躍起 とな っていた頃、 キ リス トは安息 日に人を癒すなど、パ リサイ人が 「
仕事」
とみなす行 いを した。 それを答めたパ リサイ人 たちにキ リス トが 「
安息 日は人間のために設 け
られたのです。人間が安息 日のために作 られたのではあ りません」 と述べた ことをマル コは記
:2
7
)
。 この箇所 は後 の論争 の根拠 と して しば しば引用 されて
している (マル コによる福音書 2
いる。
ところが、キ リス ト者 にとって土曜 日以上 に聖 なる日が出現す る。十字架 に架 け られ死んで
葬 られたキ リス トが復活 した と言われ る日曜 日で、 これは過の第 1日目である。 これ以後、 日
t
heLo
r
d
'
sDa
y)とい う表現が文献
曜 日が教会生活で特別 な 日とな ってい った。 「
主 の 冒」(
0
年か ら9
0
年 くらいである。 もちろんユダ
と して登場す るのは、 ヨ- ネによる黙示録で、紀元8
ヤ教徒 は依然 と して土曜 日-安息 日を遵守 していた。一方で、ユ ダヤ教か ら熱心 なキ リス ト教
徒 とな ったパ ウロは、信仰者 には毎 日が聖 日とい う表現を している。
やがて安息 日よ り 「
主 の 日」が優勢 にな り、2
世紀 の聖 イグナテ ィウスや聖 エステ ィヌスは
安息 日を否定 した くらいである。 しか し、 この当時、主の 日にはすべての仕事を中止 しなけれ
世紀頃 まで修道院の尼僧 が礼拝後 に仕事 を
ばな らない とい う厳 しい指示 はなか った らしい。5
していた ことが記 されている (ヒエロニムスの書簡集)0
2
1
年 にキ リス ト教 を公認 し、主 の 日には都市 において
とはいえ、 コンス タンテ ィヌス帝が3
仕事 を休 むべ きとい う法令 を出 した こともあ り、次第 に主 の 日には仕事が禁 じられ る方向に向
81
年 のメイ コン教会会議 で は仕事 の完全中止 を定 めた。主 の 日は休息 の 日でなけれ
か った。5
ばな らな くなったのである。
こうなると、主 の 日と安息 日が混同 され るのは自然 の流れであ る。 アル ク ィヌス (
AI
c
ui
n,
7
3
5
8
0
4
) などは主 の 日に仕事 をす ることは第 四の淀 に反す ると主張 し、再 び安息 日の根拠 と
な る第 四の淀が持 ち出 され るよ うになる。 安息 日が主の 日に変わ った と トマス ◎アクィナスが
言 うとお り、週 の7日目か ら1日目に変わ ったという曜 日の移行 にす りかわ った。教会 は、かっ
てパ リサイ派が していたよ うに、主 の 日の禁止事項 を列挙 し始 めた。 これには、教会が組織化
され、礼拝が義務化 された ことと関係があるだろう。
しか し、振 り子 は再 び反対方向に振れ戻 る。 再度安息 日と主の 日を区別 しようとしたのは、
宗 教 改革 者 た ちで あ った。 ル ター (
1
4
8
3
1
5
4
6
)、 カル ヴ ァ ン (
1
5
0
9
1
5
6
4
)、 ツゲ ィ ンダ リ
(
1
4
8
4
1
5
31) などの宗教改革者 は、第 四の淀 はキ リス ト教徒 には廃棄 された もの とし、主 の 日
と安息 日の区別 を明確 に しよ うと した。
6
世紀 には再 び優勢 になる。 つま
一方、 い ったん混同 された主の 日-安息 日は根強 く残 り、1
り、 ユ ダヤ教の安息 日に関す る権威 と慣習 はそのまま主の 日に含 まれているとい う考え方であ
る。 これが法令化 され るのが ピュー リタンの時代である。 また、 この時期 に 「ウェス トミンス
ター信仰告 白」 が制定 され、厳 しい安息 日遵守主義
(
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ha
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i
a
l
i
s
m)と同調す ることにな
る。
バ ーク レーは、安息 日と主 の 日を同一視す ることは聖書的には正 しくない と述べているが、
1
7
世紀 に新大陸に移住 した人 は安息 日遵守主義 を携 えてい ったのである。 本資料紹介で紹介す
-9
2-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
4
1
8
7
2
年)
るファウラ-のエ ッセイで は、明 らか に主 の 日と安息 日の混同がみ られ る。 この頃 までには、
アメ リカで も安息 日と主の 日の区別が議論 の対象 にな ってお り、そこに休息 とレジャーの問題、
仕事 と リク リエー ションの内容 などの論争 も加わ り、 日曜問題 は紛糾 してい く. これには、宗
教問題 だ けでな く、 アメ リカの経済的、社会的な発展が大 き く関わ っているが、 ここでは、 そ
の点 は扱わない。
(
1)
公立図書館の 日曜開館 に関す る報告
ボス トン市、市文書第8
0
号 ,1
8
6
4
年
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,
ボス トン市
市議会上院
1
8
6
4
年9
月1
2日
コ ミュニテ ィの知性、道徳、そ して宗教が発展す る事柄 は、常 に市政府の育成を受 けるべ き
である。 従 って次のように命令す る。
命令 :公立図書館 を一般住民の利用のために、他のr
曜 日と同 じように午前 1
0
時か ら午後 1
0
時
まで 日曜開館すべ きである。
市議会上院
1
8
6
4
年9
月1
9日
読会 され、「
公立図書館 に関す る委員会 」 に付託す る。 委員会 は活字 に して報告す る権限を
有す る。
同意 を求 めて回す。
オーテ ィス 。ナ-クロス
(
ORTI
SNORCROS
S
)委員長
市議会下院
1
8
6
4
年1
0
月6日
同意
ジョー ジ ・
S.
へイル
-9
3-
(
GEORGES.HALE)議長
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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.
8
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0
0
9
年
ボス トン市
「
公立図書館 に関す る委員会」に付託 されて きた上記の命令 に対 して、本委員会 は検討 し、
次 のよ うに報告す る。
報告
本件 は今回に初 めて提示 された ものではない。
8
5
9
市条例 によって 「
公立図書館の全般的な管理運営」を委ね られている図書館理事会 は、1
年1
0
月1
8日に本件 を検討 し、発声投票を行 った。 その結果 「図書館理事会の意見 は図書館 の 日
曜開館 は不必要 に して不適当である」 と満場一致であ った。本委員会の知 るところでは、その
ときに問題 とされたのは閲覧室 の開館のみであ り、図書館全体 の開館 とい う考えは瞬時た りと
も浮上 しなか った。
本委員会が知 るところで は、 この問題が国内外 の都市で提起 され ると、常 に日曜開館 は拒否
されて きた。
閲覧室 だけを 日曜の午後 と夕刻 に開館す る問題 は、本委員会で も提起 され、 日曜開館全体 に
つ いて図書館理事会 と会議 を開 くと決定 した。 この会議でわか った ことは、図書館理事会 は満
場一致で1
8
5
9
年 の投票 と同 じであ ったが、 い っそ う強い語句で反対 の表明を していた。
イ ングラン ドで数年前 に公立図書館の 日曜開館が提案 されていたので、本委員会 は関連箇所
の写 しを とった。すなわち図書館経営の標準的な権威が示す文-
エ ドワー ド。エ ドワーズ氏
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5
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の 『図書館覚 え書 き』(
● ●● ●● ●●●● ●●■ ●
によると、 「
- 公立図書館 の 日曜開館 の是非- 問題 に関す る英国で
1
0
4
4a
n d1
0
4
5
)-
の ごく最近 までの議論 は、大多数 の人 にとっては不必要 な ことと思われていたようである。 英
国の教育ある思慮深 い人 の過半数 は、 日曜開館 を依然 と してキ リス ト教徒 の義務 に、例え字義
どお りではな くて も、精神面で明白に抵触 していると見な している」
。
「
少数派で もかな りの人 は、 日曜開館が少 な くとも間接的にではあるが、 いまで もぞ っとす
る悪徳 をさらに悪化 させ る一歩 になると考えている」。
「
『よい読書 に害 はない』、多 くの 『
他の公共 の場が開かれている』
、『日曜 日の余暇を単 な る
過 ごすよ りも、図書館で過 ごす方が はるかに好 ま しい』
くだ らない娯楽』や他 の平凡 な場で 『
との主張 は、単 に表面的な見方 にす ぎない。 それ らは間違 いな く本当であろうが、要点 をっ い
たことは何 の証明 もしていない」。
「
実際、図書館 の管理者や職員 に安息 日の休息が必要でないこと、 また責任者であるコ ミュ
ニティの行政機関の委員会 にとって図書館を開館す ることが公共の安全装置、つまり現在、金
持 ちが単 に意志 と楽 しみで博愛精神 を持つ ことに依存せずに、貧者 のための最高の恵 まれた権
利 を守 って い るの だ が 、 そ れ を壊 さず に済 む な ら、 ま た最 後 に、 公 立 図書 館 (
Town
●●
Li
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s
)の図書貸 出 (
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ng) とい う既 に行 って いる業務が、 図書館 を一番利用す
るは
●●●●●
ずの人 びと全員 に常 に完全 に利用で きる訳で はないとい うことが示 され るな らば、 その ときに
●
は日曜開館を再検討す る土台がで きるだろう。 それ まではっきり言 わせて もらえれば、 ほとん
どすべての場合、 日曜開館 の提案 を否定 して きた有力 な世論 は十分 に正 しいと確信す る」。
-9
4-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
4
1
87
2
年)
「
私が示 した要点 は、決 して この重要問題 の全要素 を論 じ尽 くしてはいない。 しか しこの場
では、 それで十分であろ う」
。
こうした さまざまな理 由で、本委員会 は図書館理事会 の意見、すなわち図書館 の 日曜開館 は
不必要 に して不適当 とい う意見 に完全 に同意す る。 本委員会 は命令を無期限 に延期す ることを
勧告す る。
委員会を代表 して。
G.
W.
ウォー レン (
G.
W.War
r
e
n)委員長
(
2
)
公立図書館の 日曜開館 に関す る市長 の反対
ボス トン市、市文書第 4
9
号 ,1
8
6
5
年5
月1
5日
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,
ボス トン市
市長部局
市役所
ボス トン 1
8
6
5
年5
月1
5日
ボス トン市上院 に :
貴市議会 の委員会 を源 とす る市議会の命令 は、図書館理事会 に対 して、公立図書館の閲覧室
を午後 5時か ら午後 1
0時 まで 日曜開館す る措置を講 じるよ う要請す るものであ る。 この市議会
の命令が、通常 の手続 きに沿 って私 の正式 な承認 を求 めて回 されて きた。私 には日曜開館 の措
置が賢明か どうか決 して 自明ではない。 またボス トン市 の既定の習慣 に対す る非常 に重要 な革
新 なので、公立図書館 の最 も寛大 な支援者や最善 の友である市民層 に大 きな動揺が生 じた。私
は命令 に署名せず、再検討を求めて市議会 に送 り返す。
ボス トン公立図書館 は、当市が当然 に も誇 りとす る施設 の 1
つである。公立図書館 はあ らゆ
る境遇の人 にとって、計 り知れない祝福 の源である。公立図書館 は寄付や利益 の点で、最 も楽
観的な創設者 の期待 を上回 って きた。 そ して最 もリベ ラルな経営が され、世界中のどの図書館
よ りも読者 に立派 な施設であると信 じられている。
明 らかに、 この喜ぶべ き成功の大 きな部分 は、常 に任務 について関心 を抱 いて きた有能 な図
書館理事会 のおかげである。
図書館理事会 は住民の求めを学 び、充足 させて きた。 そ して住民が必需 と して求 めるあ らゆ
る要求を満 たすために、常 に骨折 りを して きた。理事会 の知識 と経験 によって、理事会 は本件
につ いて意見を供す る十分な資格がある。
Edwa
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t[
1
7
9
4
1
8
6
5
]
)
私 の知 るところによると、図書館理事長 ユ ダ ァレッ ト ([
氏が死ぬ以前 に、 日曜開館 について理事会 の見解 が問われた。 そ して理事会 は満場一致で、安
-9
5-
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
vol
.
8
.2
0
0
9
年
息 日の図書館開館 に反対 している。 告 白す ると、理事会の判断 は私 に重要 な影響を与えた。市
政府 は長年 にわた って、理事会の図書館経営 に絶対的な信頼 を置いて きた。図書館理事会 とい
う立場 によって、理事会 は図書館 にとって最善 の事柄や奉仕対象者を知 る機会を得た。理事会
の意見が本件の解決 に重視 されるべ きと言 うのは正 しい。
つの理 由は、住民か らの要求がない点 にある今回、市議会の命令 に反対す るいま1
日曜
つの請願 も市議会 に提 出されていない。本件が付託 された 「
公立図書館 に関す
開館 を求 める1
る委員会」報告 には、 日曜開館のためのステ ップが示 されてお らず、一種の妥協を勧告 してい
る。すなわちもともと審議 されていたほぼ全 日の開館 に代えて、閲覧室を午後 と夕刻の限 られ
た時間に開館すべ きというのである。
閲覧室開館 によって、教会に行かない多 くの人が来館す ると主張 されている。 残念 なことだ
が、教会 に行かない人 は、一般的に自分の知的、道徳的な向上 に大 して関心を持たない階級で
ある。 もし主張 されていることが確かで、事実 によって検証 され るとす ると、閲覧室の収容人
数 には大 いに限界があるので、閲覧室 は真面 目な読書 に欠かせない静かで落ち着いた場ではな
くなる。閲覧室 は大混雑 して、すべての人が不愉快 になる。 したが って、かなりの数の人にとっ
ては、実際的な利益を得 ることにはな らないであろう。
これ らの反対 に加えて、市政府が 日曜開館を設定す ると先例 にな り、宗教の大義 と良 き道徳
に深甚 な影響 を及ぼす と懸念 される。
ユダヤ人の安息 日にみ られ る多 くの厳格な儀礼的行為や規律 を無視 してはいるが、 それで も
キ リス ト教 コ ミュニティとして、少な くともキ リス ト教徒の安息 日に妥当な事柄 に従 うように、
私たちの権限の行使 は制限 されている。 大都市 は人 口が密集 し、 コ ミュニティに尊厳 と徳を与
える健全な抑制を壊す傾向にある。 それ自体 は反対 しがたい行為が、公共の福祉の不誠実な適
用の事例を示す ことで、有害 になることがあ りうる。 市政府が用心すべ きは、私たちの良 き市
の特徴である性格の基準を低下 させ るような、公的な措置を取 らないことである。
州法および一般的な慣行の精神 は、主の日に不必要な労働や娯楽を行 うことに反対 している。
この規定 はすべの階級 の人の利益のためである。女性が多 いのだが、公立図書館で働 いている
人 は、他の部署で公共サー ビスに携わる人 と同 じように、7日に1日の休息 という特権を持っべ
きである。 それに懸念す るのだが、公立図書館の一部分 を数時間開館す ることが、単なる1つ
の習慣 の開始 にす ぎず、最終的には同 じ理由づ けで全部署 に拡張 されて、全 日にわた って開館
す ることになろう。 このように して、 もはや安息 日が図書館で認識 されな くなることを心配す
る。 当市の公共施設 に日曜開館 という習慣を導入することは、当市の名声を高めることにはな
らない。
こうしたい くつかの観察 とともに、私 は命令を送 り返す。私 は図書館理事会が これまで と同
じように、当市 に対 して信頼で きる図書館管理を実施 している限 りにおいて、理事会を完全 に
信頼 してお り、理事会の掌中にある権限に干渉す ることに気乗 りが しな い
。
F.
W.
リンカー ン ・ジュニア (
F.
W.LI
NCOLN,Jr.
)市長
-9
6-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
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1
8
7
2
年)
(
3)
公立図書館 の閲覧室 における日曜開館 に関す る報告
3
号 ,1
8
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年5
月2
7冒
ボス トン市、市文書第6
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1
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3
.
ボス トン市
市議会上院
1
8
6
7
年5
月2
7日
「
公立図書館 に関す る両院合同委員会」 に、公立図書館 の閲覧室 あるいは公立図書館の一部
分の 日曜開館 について、 い くつかの請願や抗議が回 って きた。本件 について慎重 な審議を行 い、
謹んで以下 の報告 を提出す る。
報告
本委員会 の知 るところによると、公立図書館 の [日曜]開館問題の論議 は1
8
5
9
年 に遡 る。 こ
つの例 を指摘す ると、市議会
の件 は住民、新聞、市議会か らさまざまな程度 の賛意 を得 た。1
の両院が 日曜開館 に賛成 し、市長 の拒否権の行使 によ ってのみ成功 しなか った。 しか しなが ら
本当の ことを述べれば、今では新聞 もコ ミュニテ ィも日曜開館の適切 さに関 して、完全 に同意
しているとい うわけではない。
本委員会 の各委員 はキ リス ト教信仰 の諸宗派 の見解 を代表 してお り、本件 を神学論争か ら取
り除 こうと努 めて きた。 また本委員会 は、 コ ミュニテ ィの道徳を維持す るもの として押 しっ け
られて きた義務感 を示す ことで、信仰告 白者の感情 を1
人 として傷っ けたいとは望んでいない。
本委員会 の知 るところによると、以下 の ことは習慣であ り、便利 さは認 め られている。 鉄道
馬車が 日曜 日にボス トン市内を走 ること。 商人用の閲覧室や独立 した閲覧室が 日曜 目の一定 の
時間帯 に開館 していること、 また [ボス トン] アセこアム (
At
he
nae
um) の図書館、 それ に
ユニオ ン 。クラブ、 テ ンプル 。クラブ、 サマセ ッ ト。クラブが 日曜 日に会員 に自由に開かれて
●●
いること。 これ らは私的団体で、 したが って市 の規制 に服 さないと解答 され るか もしれない。
それに対 しては、 それ らの利用者 は最 も実質的な市民、秩序 と社会的作法 の友であ り、多分 に
ボス トン市 の風格 と性格を形成 していると解答 してお く。
しか し一部 の人 は、図書館閲覧室 の 日曜開館-
それは請願者の求めである-
を許す こと
0
万人である。 当
で、 日曜 日の礼拝 出席者が少 な くなると懸念 している。 ボス トンの人 口は約 2
1
0か 1
1
5の教会が 日曜 日にすべて埋 まった として、約 5
万人が精一杯 である。実際、 ボス
市 の1
トン市民の大多数、特 に若者 は全 くと言 ってよいほど教会 に行かない。 そ うした若者 は下宿屋
に住み、週 日はあ くせ く働 いている。 大多数の人 は リク リエー ションとして郊外や町を探 し、
日をだ らだ らと過 ご して しまう。他 の国で は、 田園部への小
魅力的な行 き場がないために、1
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)、音楽 など、慈善家や宗教関係者 が好 む上品な場所
旅行、植物 園、水晶宮 (
-9
7…
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
vol
.
8
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0
0
9
年
があ り、民衆 を 日曜 日の悪徳や放蕩 に近寄 らないように している。
これ らの群衆 k
L
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平凡で無為の 日曜 日を過 ごさすの と、偉人や善人の思想を示す図書、雑誌、
新聞などを精読 で き、読者 に刺激 と向上 を もた らす閲覧室開館 によって、人 びとの心 に少 しで
も利益 となる誘因を提供す るのでは、 どち らが好 ま しいであろ うか。現実的な道徳 の問題 とし
て、 どち らがよいか は自明である。本委員会 は積極的に、適切 な規則の下で、閲覧室 を開 くの
がよいと判断す る。
もし市議会が本委員会 の決定 に賛成 した と して、本委員会 は公立図書館 の正規職員が 日曜 日
人か2
人の特別 な補助職員を雇用すればよ
にも追加 の仕事 をす るよ うに求めるつ もりはない。1
く、そ うした職員 は期待 され る良 い行 いのために責任感 を持 って、率先 して財産の管理 と来館
者へのサー ビスを行 うであろ う。 それに図書館 自体 も日曜開館で何 ら妨 げ られ ることはない。
図書館 の特定の図書 を調べたい読者 は、利用 したい旨を週 日に伝えてお くようにすればよい。
そ うす ると日曜 日にその来館者 に手渡すために、土曜 日に当の図書を閲覧室 に置 くことがで き
る。 こうした方法 などで、提案中の住民利用 に対す るすべての反対 に論駁で きるだろ う。 過酷
な仕事 を している学習好 きで有徳の人へのサ- ビスには、通常以上 の利点があるだろ う。 住民
利用や秩序維持、 それに礼儀正 しい振 る舞 いについて、本計画で は詳細 を示 してはいない。 そ
うした詳細 は、 出発 の前提方がよい-
日曜休館 を続 けて心 を悩 ませ るよ りも、開館 して心 を開明す る
が受入れ られなければ、意味があるとは思われない。
単なる指摘 に留 め るが、本委員会 は図書館理事会 と本件 につ いて相談 した。本委員会 の意見
は、適切 な規則 の下で、図書館の閲覧室を 日曜開館す ることが妥当であるとい うもので、 この
見解を図書館理事会 に伝え、理事会の意見を うかが うと投票で決定 した。図書館理事会か らの
時か ら午後 1
0
時
回答 も同 じよ うに満場一致で、市議会が この措置を妥当 と考え るな ら、午後 2
まで閲覧室の 日曜開館 に問題 はないとい うことであ った。本委員会 は、図書館理事会 の反応が
本委員会 の見解 と軌 を一 にす ると見な している。
本件 についての好意的な見解の下、本委員会 は以下のよ うな命令 を提示で きるのを非常 に う
れ しく患 う。 そ して市議会が賛成す ることを疑 わない。
チ ャー ル ズ
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ス ラ ック (
CHAS.W.SLACK)
トマ ス 。ガ フ ィー ル ド
エ レ ミア
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ア ル フ ォ ン ゾ 。バ ウ マ ン
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THOMASGAFFI
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ジ ャー ヴ ィス (
JOHN F.JARVI
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トマ ス 。ゴ ギ ン
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・ク ラ ンデ ー ル
(
THOMASGOGI
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(
H.BURR CRANDALL)
命令 :図書館理事会 に対 して、毎週 日曜 日の午後 2
時か ら午後 1
0時 まで、図書館の閲覧室 を
一般住民 の利用 のために、理事会が定める規則 の下 に開館す ることを要請す る。 関係す る経費
は公立図書館予算 につ けるもの とす る。
-9
8-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
41
87
2
年)
(
4)
主の日にボス トン公立図書館を開館す るにあた っての抗議 あるいは諌言
安息 日を覚え、 これを聖 とせよ
ボス トン 1
8
6
7
年6
月3日
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フ イ- ル ド ・フ ァ ウ ラ ー
ボス トン市議会へ :
Lor
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sDay) に公立図書館 の扉 を開 ける提案 に対 して、私 は謹んで抗議 いた しま
主の冒 (
3)
] を読みま した。陰
す。提案 に賛成す る [
図書館 に関す る]合同常任委員会 の報告 [
資料 (
険な論理 とは言わないまで も、確かに非常 に巧みに作成 されています。報告 に署名 された紳士
方を高 く評価 いた します。 またその方々の公式の立場上、図書館の問題だけではな く、私 たち
のコ ミュニティに広 くかつ重要な影響を与える文書 とな りま しょう。 しか し、同時にキ リス ト
教の安息 日遵守 に関 して コ ミュニテ ィを扇動す るような問題がいろいろ浮上 してまいるで しょ
う。 報告で重点的に扱われている問題 もい くつかあ ります。実際のところ、 いま有害な実践や
習慣および道徳低下の慣行 として、 キ リス ト教の コ ミュニテ ィが検討 している事柄 に、その原
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
因があるよ うに思われます。報告 によると、委員会の各委員 はキ リス ト教信仰の諸宗派の見解
●●●●●●●
●●●●●●●●
を代表 しているとのことです。報告全体 について、 この仮定や断言以上 に 「
私の気分 を傷っ け
●
た」 ものはありません。 ボス トンにおけるキ リス ト教の宗派が この断言を正 しいと認めた り、
この報告が前提 としている仮定 に同意す るな らば、大 いに驚 くべ きことです。私 は全面的に反
対です。 また教会 に対する、あるいは私が所属す る宗派への侮辱です。 それはボス トン市のす
べての福音派のキ リス ト教会の思いだ と信 じています。
報告 によると、「
鉄道馬車が 日曜 日にボス トン市内を走 ることは習慣であ り、便利 さは認 め
られている」 との ことです。鉄道馬車を利用す る人 に限 って これが正 しいと認めることは、 コ
ミュニティ全体 にとって正 しくまた有益であるとの証明にはな りません。 あるいはキ リス ト教
宗派の見解 によって認めたという証明にもな りません。
報告 によ ると、 ボス トンの約人 口2
0
万人の うち、4
分の1
弱つまり5
万人弱 しか 日曜 日に教会
実際、 ボス トン市民の大多数、特 に若者 は全 くと言 ってよいほ
に通 っていません。 さらに、「
ど教会 に行 かない」 というのです。 これは明 らかに、大多数 の市民が 日曜 日に何か非常 に悪い
「
習慣」 に耽 っていることを認 めているのです。鉄道馬車が 日曜 日にほんの一握 りの人 びとに
利用 されるのな ら、 またそ うした人 はさきほど言及 した階層の人が大半であるのな ら、「
習慣」
は公立図書館の [日曜]開館 に賛成 という推論 を正当化す ることにはな りません。 日曜 日に鉄
道馬車を走 らせ ることが、 ボス トン市の過半数のキ リス ト教徒、 または過半数の有権者 にさえ
容認 されているとは思えません。
-9
9-
京都大学
生涯教育学 。図書館情報学研究
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年
ボルティモア市で は、 リベ ラルなキ リス ト教牧師が言葉巧 みに扇動 した最近 のボス トンの例
に習 って、2
万票 の うちほんの1
,
3
0
0
票 の多数で、 日曜 日に鉄道馬車 を走 らす決定を しま した。
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0
7
2
人 と2
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0
7
1
頑 の馬 が雇われ、週 日に精一杯働 き、 さ らに日曜 日も働 いて
昨年 ボス トンでは1
いるのです。 ある人 に とって 「
便利 声」は認 め られているか もしれませんが、そのよ うな 「
習
慣」を擁護 し、賛成す るよ うなキ リス ト者 の心 は、 その もた らす害毒 およびすべてに波及する
習慣 」に対 して、公立図書館 [
の日
結果 に無知 だ といえま しょう。 私 は このよ うな 日曜 日の 「
曜開館〕問題が始 まる3
年前、 すなわち1
8
5
6
年か ら経験 も観察 もして きま した。 したが って、
人 と考え られて もあなが ち間違 いで はあ りません。 おそ らくそれ は非嫡 出だ と
その子 どもの1
言 う人 もいよ うか と思 いますが、私 は鉄道馬車が問題 の母であると思 います。その父 あるいは
父方 の創始者 につ いては何 とも言え ませんが。私 はその祖父 の1
人であ ることに責任 を感 じて
お ります。 また、ず っと以前 に私 の罪 を認 めて きま した。 いまはそのよ うな害毒 あるいは 「
習
慣」を繁殖 させた り、作 り出すのを止 める時期 と感 じます。害毒や 「
習慣」 を育成す るのでは
な く、根 こそ ぎ断つ ことによ って止 めるのです。
閲覧室 の 日曜開館 について、「コ ミュニテ ィの道徳 を維持す る者」が為替取引や他 の閲覧室
およびクラブの例 を盾 に訴え るだけでは、 この古 い ピュー リタ ンの都市 ボス トンの市政府の言
名 あ るいは数
い分 を正 当化す るには、大変貧弱 な主張だ と思わざるをえません。 もし市長や1
名の市会議員が個人的 に 日曜 日に閲覧室 を監督 して、「図書、雑誌、新 聞」を手渡すのであれ
ば、適切 とはいえない ものの、一応筋が とお っていると思 います。
日曜 日の鉄道馬車問題 に関 して、私 はボス トンの 日刊新聞紙 で噸笑 の的 とな っています。で
はなぜ彼 らは日曜 日の午後 に価値 あ る新聞を発刊 して、「
偉人や善人 の思想」 で もって、読者
に 「
刺激 と向上」を もた らさないので しょうか。 そ うした人 びとは未だに私の質問に答えてい
。
現実的な道
ません。 しか し、 おそ らく公立図書館 の [日曜] 開館 を待 ってい るので しょう 「
徳 の問題 と して」、 日曜 日に公立学校 を開 くよ う請願 したい人が、 コ ミュニテ ィに大勢 いるこ
とは明 らかです。 そ して、公立図書館開館の賛成論 よ りも、 はるかに力強い議論で応援す るで
日間、鉄道馬車 の車掌や運転手 に比べ ると半分 も精力を使 っていません。
しょう。 教師 は過の6
それでいてはるかに給料 はよいのです。 日曜 日にクラブや商人 の閲覧室 を開 く必要性 や妥当性
があるか疑問です。私 は狂信者で はあ りませんが、 [日曜]開館が神の律法 と合衆国の習慣 に
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) は日曜 日には
適合す るとは思 いません。 ニュー ヨーク為替取 引所 (
開いていません。 世界最大の ロン ドンの為替取引所 も同 じです。 そ して玄関には目立っように、
「
大地 とそれが生 み出す豊 か さは神 に属す る」 と刻 まれています。 この言葉 に私 は強 い感銘 を
覚えます。
もし、神の 「
言葉」 として神聖を信 じることがで きるな らば、公 に神 をすべての意味では認
LORDS DAY)、 あ るいは ク リスチ ャ ンの安息 日 (
CHRI
STI
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めず、 と りわ け主 の 日 (
SABBATH) を聖 な る もの と して守 らないよ うな制度、人、政府 は、 いずれ も神 の祝福 を期
待す ることはで きないのです。 それ はもともと、時の初 めよ り創造 の律法であるだけでな く、
創造主 の手 に由来す るがゆえに、身体 の、知性 の、そ して我われの性質 における道徳的仕組み
を祝福 (
BENEDI
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ON)す る行為 なのです。十戒 の他 の淀 と同 じよ うに、第四の淀 はエホ
- 100-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
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87
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年)
バ によ って、 モーセ五書 (
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h) のよ うに紙 で はな く、石板 に書 かれ ま した。石版 は
永続性 の シンボルです。 それ はキ リス トとその使徒が はっきりと認知 しています。 イエス も使
徒 たち も、福音 は律法を被 るので はな く、律法 を確立 し成就す るもの と宣言 しています。従 っ
て、 それは 「キ リス トの もとに導 く教師」 と呼ばれてお り、我われは 「キ リス トに至 る律法 の
下 」にいるとい うことです。服従 の形態 は変化す るか もしれ ませんが、美徳その ものは変わ り
ません。 それゆえ道徳的義務 は、族長時代 (
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)
、 ユ ダヤ人、 それにキ リス ト教 の制
度 の もとで も原理 において同 じです。 どのよ うな制度 の下 に人類が置かれよ うとも、 また創造
主が どのよ うな条件 を定 め ることがふ さわ しいと考えよ うとも、人 は決 して人の本質 を源 とす
つの法律 を設定 し、 それ は別 の制
る拘束義務 か ら自由になれ ません。 あ る制度 の もとに神 は1
度 の下 で神が設定 した原則 と食 い違 うと仮定す ることは、神 の変 わ らざるご性格 に降 りかか っ
て きます。 それは神性 を神 ご自身 と対極 に置 き、実質的に神の完全性 を否定す ることにな りま
す。 ユ ダヤ人の安息 日は、復活 の朝、新 しい創造 として墓か らよみがえ った救 い主 とともに、
眠 りか らさまされたのです。 その ときは福音 の救 いとい う豊か さを伴 ってです。 またユ ダヤ人
の安息 日は、ペ ンテ コステの 日、 キ リス トの栄光 の冠か ら聖霊 とともに、 キ リス ト者 の安息 日
あるいは 「
主の冒」 として、世の終わるまで教会で遵守 され るよ うに下 って きたのです。
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)発行 のパ ン
結論 として、私 はこェ- ヨーク安息 日協会 (
フ レッ トが示す、真実 に して雄弁 な感情を もう一度声 に したいと思 います。
聖 な る休息 の 日は、 キ リス トの名前 を もつ国および平等の権利 を前提 とす る共和国 に対
●●●
し、最高位の市民的価値 を有す る。 人 は聖 なる休息の 目を必要 とす る。 肉体的 に も、労働
週間の消耗 ののち自由に一息っ ける時期 と して、 また心配 による
の汚れ をぬ ぐい去 り、 1
●●●
心身の緊張を和 らげるときと して、聖 なる休息 の 日を必要 とす る。 人 は道徳的に も聖 なる
休息の 日を必要 とす る。 目を奪 う世俗性や物質主義か ら助 け出 し、霊的な関心、最後の締
●●
め くくり、永遠の命 を覚え るために、聖 な る休息の 日を必要 とす る。 労苦 も聖 なる休息 の
日を必要 とす る。休息 を分かち合 うため、資本の独裁か ら離れて信心す るために、聖 なる
●●
休息 の 日を必要 とす る。 また資本 も聖 なる休息の 日を必要 とす る。 獣 のようにな った人や
絶望 した人 による無軌道 や無秩序か ら資本 の蓄積を守 るために も、聖 なる休息 の 日を必要
●
とす る. 国 も聖 なる休息 の 日を必要 とす る。 公的秩序、静謹、徳 の守 り手 として、聖 な る
休息の 目を必要 とす る。 人間の法律 は、 どんなに形式が優れていて も、実行 において無力
となる。 法が良心 と永遠性 を土台 とし、知的な人によって 自発的 に認 め られない限 り無力
●●●
になる。 神の 日は人を豊かに し、私 たちに他者 の ことを思 い出 させて くれる。特 に共和国
において、共和国の自由は神 の下 にある神の徳 に付随 している。 神の至上 の権利 を由かっ信心深 く訓練 された民が-
自
認識す ることは、人間の権利構造 の維持 にとって、道
徳的に必須の土台 にな る.支援がなければ、人的に自由に受 け入れ られた もの と して-
国が打 ち立てた もの としてで はな く、個
宗教か らのそのよ うな支援がなければ、すべ
ての人間の自由は最終的 に朽 ち、崩壊 し、戻 ることはで きない破滅 に陥 る。
もし市議会が主の 日に公立図書館 の閲覧室 を開 けると決断すれば、 ニュー ヨーク安息 日協会
THE SABBATH) :理性、啓示、歴史の観点、文学 の概説 を添え
が最近発行 した 『
安息 日 (
-1
01-
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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8.2
0
09
年
て/ ジェイ ムズ ・ギル フイラ ン (
JAMESGI
LFI
LLAN)牧 師著 』を数百冊購入 す るよ う希
望 します。 そ して図書館利用者が使用 で きるよ う机 の上 に置 いて くだ さい。
M.
フィール ド・フ ァウラー (
M.FI
ELD FOWLER)
ボス トン 1
8
67
年6
月3日
(
5)
ボス トン市立図書館閲覧室 の 日曜午後 の開館 に関す る論争
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チ ャールズ ・M ・土 リス (
Char
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)
議長 な らびに紳士方 :
我 われの前 に提 出 されている問題 は平明かつ単純 な ことであ ります。公立図書館 に関す る合
同常任委員会 には、公立図書館 の閲覧室開館 に関 して さまざまな請願や抗議が なされて います
が、 同委員会 は 「本件 につ いて慎重 な審議 を行 い、 図書館理事会 に対 して、 日曜 日の午後 2
時
か ら午後 1
0時 まで、図書館の閲覧室 を一般住民 の利用 のために、理事会 が定 め る規則 の下 に開
館す る ことを要請 す るとい う命令 を報告 しま した」 [
資料 (
3)
]。 それ は市議会上院 を通過 し、
今 や この聴 聞会 の後、貴委員会 の報告 [
資料 (
6)
] が あ り次第、市議会 の行動 を待 っばか りに
な ってお ります。
専門の義務 を遂行す るため、 また 日曜 日の閲覧室開館 を主張す る市民の権利 を維持す るため、
そ して開館が最 も必要 な時 に、閉館 の理 由 と して主張 されている全事項 に答え るため、 ここに
参 ってお ります。皆様 のなか には簡単 な抗議書 をお持 ちで、 その中には署名が された もの もお
見受 けいた します。 プ レイキー (
Bl
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)氏 とそのお仲 間 は入念 に練 られ た文書 を提 出 され
ています。 その中 にはさまざまな神学 的な反対 などが含 まれて います。 フ ァウラー (
Fowl
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)
氏の抗議 は鉄道 と神学的な理 由によ っています。氏 は印刷 し、配布す る価値 あ りと考 え られ ま
した。氏 は控 えめで はあ りますが、確信 を もって、 また敬意 を もって、 キ リス ト教信仰 の さま
ざまな宗派 の宗派的見解が代表 されて いるとい う貴報告書 の主張が、正 しくないと言 ってお ら
れます。 さ らに 「ボス トン市 のすべての福音派 のキ リス ト教会」 は、「その報告 に全面 的 に反
対 し、 また教会 に対す る侮辱 」 とまで断言 して います。私 は多種多様 なま った く首尾一貫 しな
い、矛盾 に満 ちた、正 当化で きない理 由を提示す る、多 くの人 を知 ってお ります。
本件 は単純 な問題 で、図書館 と閲覧室 を支 え るために税金 を払 っている市民 の明 白な権利 を
主張す るだ けの ことです。市民 に とって図書 を唯一利用で きる日曜 日の午後 と夕方 に、閲覧室
で本 を利用で きないのです。 それなのに 日曜開館 は、宗教的 な自由を覆す手段、教会 と国家 を
分裂 させ る くさび、 それに教会 と国家への不安材料、 フランス革命 とい った名前か ら連想す る
-1
02-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題
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1
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2
年)
すべての恐怖の前触れだ と言われ るのです。
そ こで我 われの前 にあるものを、偏見 を交えず に簡略に調べ討議 しよ うではあ りませんか。
安息 日、 日曜 日、主の 日という語
上記 の語 に関 して 1つの言葉 を使用す ることがで きます。安息 日は我われの土曜 日にあた り
ます。 その 日を守 ることに対 して、ユ ダヤ人 およびセヴンスデイ ・バプテス トを除 き、宗教的
●●●●●●●●
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S
) は週 の初 め
な命令 はない と誰 もが認識 して います. 日曜 日、 デ ィエス ・ソ リス (
を示す昔 の言葉です。「
主 の 日」 とい うのは、次 のよ うな人が当てはめた表現 です。 つ ま り、
キ リス ト教徒 として、 ユ ダヤ人 の 日を守 らず、安息 日とは認 めないが、
1日に安息 日と同 じよ
、
うな尊厳 を与え る人 びとが普通 に使 う表現です。
一般的な聴聞会 (
省略)
証拠の性質
この問題 は一般的な考察および巷間 に流布 された事実 に依拠 しています。 またその報告 は大
変 うま く表現 しているので、私が取 った方法以外 は時間の浪費以上 に悪 いよ うに思えます。抗
0
月 まで遅 らそ うとして、3
0
人以上 の証人を呼び、証言
議者 は対極 の方法 を取 りま した。 まず 1
と反論 をさせよ うとしたのです。
しか し公平 に調査す ると、抗議者が請願者 [日曜開館の主張者] に向 けて提 出された意見通
りに、本件 を動かす ことにはな らないとわか るで しょう。 抗議者 は請慮 [日曜開館の主張] を
0
余人の証人 の内 5人が、閲
強化 し確認 する証拠をた くさん提 出す る結果 にな りま した。 まず3
覧室開館 は不便かっ実際的でないと証明す るために選ばれま した。 しか しこれ らは、 そ して こ
●●●●●●
の種 の反対 はすべて、「日曜開館 は実際的で ある」 とい う図書館理事会 の満場一致 の投票 で過
け られま した。
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年 まで館長]) の意見 も多少影響 して い
5
名以上 は、 ほぼ全員
るか もしれ ません。 とい うのは教会の委員だ ったか らです。 しか し残 り2
ジューエ ッ ト氏
がバプテス ト、 メソジス ト、 エ ビスコパ ル、 あ るいは正統派教会 の教会員、 あ るいは大多数が
牧師です。 ただ 1人ユニヴァ-サ リス トが いま したが。 2名の例外 はともか く、今 日呼ばれた
人 びとは誰 もが前 もって知 っている人で したので、 どんなに望 ま しくて も日曜開館 に反対 され
るで しょう。 この人 びとの意見が本件 を変更す ることはあ りません。 そのよ うな意見の存在 は、
●●
報告の中で十分かっ公正 に認識 されています。閲覧室が開放 され るべ きでない と示す証拠 を何
も述べていないと思 います。
神学的な反対 (
省略)
人 びとのニーズと日曜 日の閲覧室へのアクセス
ここで記 しておいた方が よいのは、 ユアー ト
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京都大学
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年
9
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9
年 にユ
議員])氏 と学識 ある仲間の報告書が示す い くつかの事柄 です [これは英国議会 に1
アー トを委員長 に設置 された 「図書館 に関す る委員会 」の報告書 を示す]。 それは本件 の案内
や助力 と して一定 の参考 になるで しょう。
「
英国の大都市 において、住民 に自由に開かれた図書館設立 を拡大す る最良の手段 について」
報告す るため、委員会が任命 されま した。委員会では日曜開館を問 う機会 はあ りませんで した。
公立図書館 の設立 の方法 を考えればよか ったのです。
その報告 によって明 らかにな ったのは、大陸で は公立図書館がで きてずいぶん長 く経っのに、
英国 にはマ ンチ ェスターのチ ェタム
(
Che
t
ha
m)図書館 を除 いて、図書館が全 くなか った こ
とです。一方、 アメ リカには1
0
0
を超す図書館があ りま した。 したが って本件 に英国 は参考 に
な りません。 しか し入念で徹底的な調査で収拾 した情報 を使用で きます。 この調査で は、 フラ
ンスやベルギーの首相 のギゾ-
(
Gui
z
o
t[
1
7
8
7
1
8
7
4
]
)、 ファン 。ドゥ 。ヴェイヤー (
Va
nd
e
We
y
e
r[
1
8
0
2
1
8
7
4
]
)などの助 けがあ り、文明世界 の図書館 や国のほとんどか ら詳細 な回答が
あ りま した。
最初 に指摘すべ きは、学習、図書、読書 は、道徳、秩序、 および宗教 を向上 させ るとい うこ
とが、文明化 したキ リス ト教世界の共通 な証言で、異議がないとい う点です。 それは明 白な事
実 なので、人名 を記す 口実 はあ りませんが、発言 の概 略 は問題 にされて きま した。 あ る人 は
「
知識 は道徳 を犠牲 に して求 め るべ きで はない」 と主張 します。法律がチェックで きないよ う
な 「
犬閑や闘鶏」、「いい加減」、「
男女 い っしょのクラブ」 は、学習、図書、読書 の影響で次第
に姿を消すで しょう。
次 に、 アメ リカで主張 されているよ うな反論 はない ことが分か りま した。無料 の画廊、美術
館、 デザイ ンスクールが提案 された とき、「それ らは適切 でない し乱用 され るか もしれない」
と言 われた りしま した。 しか し 「
大英博物館、 - ンプ トン
(
Ha
mp
t
o
n)の美術館、 国立美術
館が開館 した。乱用 はな く、開館後 には理性的な楽 しみや民衆の知的向上が見 られた」 と続 い
ています。
さ らに、 代表 的 な宣教 師が ア メ リカ に きて、 閲 覧室 に反 対 し、 フ ラ ンク リン 。ホール
(
Fr
a
nkl
i
nHa
l
l
)の科学図書館 は使用 されてお らず、 あ る階層 の読む もの は 『サ ンデー ◎ヘ
ラル ド』であると話 しま した。多 くの話 の要 旨は、閲覧室利用者 は特 に 「
悪 に向か う傾向があ
り」、 そのよ うな人 びとの証言 によ って、我 われの信仰 を強化 し、常識 さえ正当化 しよ うとす
るもので した。 そ うした人の証言 によると、人 は 「
文人 と同 じほど深 く高級 な文学の美 を享受
し感 じることがで きる。 また劇場 で文人が賞賛す るの と同 じ台詞 を賞賛で きる」
、「す ぐれた本
を読 めば、劣 った図書 よ りも良書 を好 むようになる」とい うわけです。
プ一口一二ュ (
BOULOGNE,省略)
ベルギー (
BELGI
UM,省略)
イングラン ド (
ENGLAND,省略)
-1
0
4-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
4
1
87
2
年)
ボ ス トンとアメ リカにおけるニーズ
ジューエ ッ ト氏 によると、 この図書館 で は1
,
8
0
0
冊 の図書が土曜 日に貸出され、他 の 日には6
0
0
冊 に過 ぎないとの ことです。 この数字 はボス トンでのニーズを示す、れ っきとした証拠 にな
ります。
<中略>英国議会の調査 [
1
8
4
9
年]でアメ リカ人の証言者が、我われの工場図書館、 ローウェ
、
Lowe
l
li
mpr
ov
e
me
ntCi
r
c
l
e
) 『オファリング』(
TheOf
f
e
r
i
ng) [ローウェ
ル改善サークル (
ルの町の女工 による文芸雑誌] の証言 を行 い、感銘を与えま した。 ヘ ンリー ・ステ ィーゲンス
氏 (
He
nr
ySt
e
v
e
ns[
1
81
9
1
8
8
6;アメ リカ生 まれでのちに大英博物館 につ とめた書誌学者])
歳以上 の ア メ リカ生 まれの人 を見 た ことが ない」、 一方 ド- ソ ン
は 「読 み書 きがで きない8
(
Daws
o
n[
1
8
2
1
1
8
7
6;英国の牧師で無償教育 などの主張者 ]
)氏 は 「
読 み書 きがで きない人 は英
0
0
万人以上 いる」 と述べ ま した。 さ らに英国国教会 ソサイエテ ィが ノーフォ-クにある4
国 に8
0
0人の教区を取 り上 げ、読み書 きがで きる人 は 1人 もお らず、教区の書記 は女性であ ったと記
しま した。私たちは、 ニューイ ングラン ドで、手 に入 る本が読 めない家族がいる家庭 はほとん
どないことを知 っています。すなわち我 われは もっと幅広 く無料で提供す る図書 の必要性 を感
じているのです。
<中略 >
6日間の1
2
時間労働。図書館へや って くる労働者や ビジネスマ ンの労苦。 そのため こうした
人 は絶対 に図書館 を訪問で きないのです。 M.
フイ-ル ド・ファウラーや ピーター ・T.
ホーマー
(
Pe
t
e
rT.Home
r
) に鉄道馬車 を止 め させ、 自然 の力で走 る馬車 を止 め させて、人 や動物 の
仕事 をほとん ど使わずに神学 を教 えて もらいま しょうか。 そ して 『チ ャーチ ・マ ンス リー』(
TheChu
rc
hMo
nt
hl
y) だ けを読 むよ うに命令 させ ま しょうか。言 ってお きますが、 ファウ
ラー氏 たちは鉄道会社 の公正 な取引に従事 し、従業員に もう少 し多 くの余暇 と日曜 日を与えた
方がいいと思 います。 ここにお られ る方 々はどうい った人ですか。 コ ミュニテ ィの大多数 の人
の唯一 の時間を、時間が重 くの しかか る人 に譲 り渡すよう要求す る拘束力 とはいったい何で、
その目的は何ですか。 自分 たちは他の曜 日に読書時間がた っぷ りあるか らとい って、本のため
に割 ける僅かな時間をあきらめさせよ うとす るのはどうしてですか。宗教的信条 をあなた方 の
信条 に合わせ るよ う求 めるのはどうしてですか。労働者 の感情 を傷づ けてはいけません。 問題
は我 われで はな く、彼 らの感情 にあるのです。 どうして 1人の怠惰 な、神経質 な人が家族全体
を黙 らせた り、煩わせた りしなければな らないのですか。 そのよ うな人 は仕事 をさせ、外へ出
て感覚 を癒す方が好 ま しいで しょう。 本件 は 1人の陪審員が賛成 し、 1
1
人が反対 しているとい
う事例 に相 当 します。誰が折れ るべ きで しょうか。 スコッ トラン ドの ことわざを思 い出 して く
だ さい 。「
足がぬれ るか らといって、小川 をせ き止 めてはいけない」。
8
5
4
年、特別委員会が
ホーマー氏 はロン ドンの道徳的な好例 を証拠 と して挙 げ られ ま した。1
国立施設 の 日曜開館 を勧告 しま した。1
8
5
5
年 と1
8
5
6
年 に、大英博物館 と国立美術館 の開館が提
案 されま した。1
8
6
3
年 には日曜 日の礼拝後、 ダブ リンの科学施設 の開館 を報告 しま した。
1
8
6
6
年 と1
8
6
7
年 には、 日曜 日の夕方 ロ ン ドンで有名な科学の講座が開かれま した。
1人の人間が、 [日曜 日にボス トン] アセニアムの閲覧室で41のアメ リカの定期刊行物 と6
6
-1
0
5-
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
vol
.
8
.2
0
0
9
年
の外国の定期刊行物 を利用 した り、 自分 自身 の批評 を読んだ りす ることと、 同 じ日曜 日に貧 し
い人 や多忙 な人 が2
0
0
種 もの定期刊行物 を利用 す るのを阻止す ることは、矛盾 しない ことなの
で しょうか。
日曜開館 している ヨー ロッパの他の図書館
ジューエ ッ ト氏 はこの2
0
年間の 日曜開館 を示す事実 を知 る資料 を提供 して いません。 しか し
氏 が指摘 したベルギーの大 きな図書館 に加 えて、次 のよ うな図書館が 日曜開館 していた と思 わ
れ ます。 スイスのベル ンやチ ュー リヒの町の図書館、 およびイタ リアのい くつかの図書館 です。
人 口2
万人 のベル ンの図書館 は2
万冊、人 口1
2
,
0
0
0
人 のチ ュー リヒの図書館 は1
万冊 で した。
アメ リカで 日曜開館 している図書館
ジューエ ッ ト氏が触れ た他 の資料 で、私 は偶然 に次 の ことを知 りま した。 ボス トンの アセこ
アム (
At
he
nae
um)や クラブの閲覧室 に加 えて、3つの職工徒弟協会 および シンシナチのオイオ職工学校 は、 日曜 日に 日の出か ら日の入 りまで開館 しています。 オ- イオ職工学校 は建設
費3
2,
0
0
0ドルで、3,
2
6
5
冊 の蔵書 が あ ります。 日曜閉館 の多 くの図書館 も日曜 日の読書要求 を
満 たす ために、土曜 日の夕刻 に開 いているのです。例 えば ミドルセ ックス (
Mi
ddl
e
s
e
x)職工
協会、 ナ ンタケ ッ ト (
Nant
uc
ke
t
) 。アセエアム、 ニ ューポー トの職工学校、 ニュー ヨーク 。
ソサイエテ ィ (
Ne
w Yor
kSoc
i
e
t
y)
、 その他 です。
閲覧室の特徴 と閲覧室利用の全般的必要性
閲覧室 は (
新 聞 は含 めないで)約 2
0
0
種 の定期刊行物 があ り、 あ らゆ る主要宗派 の指導的雑
誌 を揃 えている-
カ トリック、 エ ビス コパ ル、 メソデ ィス ト、 トリこ タ リア ンとユニテ リア
ン、 カル ヴィン派 とユニヴァ-サ リス ト、バプテス トとスウェーデ ンボルグ教会、 その他 です。
そ う した指導的雑誌 は、科学 と文学、 あ らゆ る社会的、道徳的、慈善的な問題、病院や軍隊 の
行 い、労働問題、雇用、世界 での慈善 を扱 ってお り-
キ リス ト教実践 のあ らゆ る側面 を取 り
上 げて います。 また閲覧室 には他所 にはないよ うな、大 きな参考蔵書があ ります。
これ らの科学、社会、道徳、宗教 の雑誌 によ って、教会、宗派、人類 について重要 な事実 や
現実 の問題 を学ぶ ことがで きる し、 キ リス ト教徒 や人間 と しての義務 を理解、準備、実行 で き
ます。 日刊新聞 によ って出来事 を知 り、 日々の問題 を理解で きます。政治雑誌 によ って政党 や
国の問題 や行 いを知 ることがで きるのです。 しか し日刊新聞や政治雑誌 は、科学、社会、道徳、
宗教 の雑誌 ほど必要 で はあ りません。 1
つの例 だ けを指摘 してお きます。続 きの部屋 で兵士 の
記念碑 を意 図 した美 しい絵画 を見て いた とき、私 は刻板 の 1
つ に、陸軍衛生病院部隊 の仕事 を
象徴 す るグループが描かれているのに気づ きま した。誰 もが理解す るで しょうが、 これだ けで
戦時中 に研究が必要 な素材 を非常 に多 く示 しているのです。
明 白な ことですが、管理者 はどの部門で も、資金 と施設が許す限 り、完全 な閲覧室 を 目指 し
ます。 その ことによ って誰 もが閲覧室 で、文献 が供す る知識や宗教-の助 けを見っ け出 し、利
用 で きるのです。直近 の国勢調査 によると、全国 に2
7
7
種 の宗教関係雑誌 、2
9
8
種 の文学関係雑
11
0
6-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
4
1
8
7
2
年)
4
種、年報 は6
種、文学関係 の季刊誌 1
2
種、年報 3
種 (
す
誌があ りま した。宗教関係 の季刊誌 は1
べてが多かれ少 なかれ宗教 の題 目を論 じている)です-
すべてで3
5
種 とな ります。 そ して政
治関係 の年刊 1種 と季刊誌 2
種 は、確か に この4
年間 は宗教関係 の事柄 も取 り上 げて きま した。
自明の ことですが、誰 ひとりとしてそ うした雑誌 をすべて買わない し、買え もしないのです。
●●●●●
民衆 は1
種 た りとも購入で きません。 しか し、時代、道徳、社会、宗教 の問題 につ いて広範 な
研究を しよ うとすれば、 また自分 の宗派 のそ うした問題 を理解 しよ うとす る場合で さえ、 これ
らの雑誌が欠かせないのです。 それに、 これ らの雑誌が閲覧室か ら持 ち出せないの も明白な こ
とです。多 くの人 は週 日の図書館開館時間 は仕事 を してお り、 日曜午後 に閲覧室が閉 じていれ
ば、人間、市民、 キ リス ト教徒 として最 も必要 とす る全資料を利用で きないのです。多 くの人
はこの唯一 の立派 な図書館か らあま りに も離れて住んでいるので、少 しで も使 えるよ うにす る
には日曜開館 しかあ りません。
日曜開館 に影響を考える人の全般的特徴
日曜開館問題がいかに深 くて大 き くて も、 これは単純 な問題、単 なる権利 の問題であ り、事
実、信仰、時代状況 を視野 に入れて検討 され るべ きです。貴委員会報告 は次の事実 を示 してい
ます。大都市 ボス トンには1
1
5の教会が あ るものの、住民の4分 の1しか収容で きません-
バ
プテス ト、 エ ビスコパ ル、 メソデ ィス ト-エ ビスコパル、 カ トリックが各 々1
2か ら1
4の教会、
0
、 メソデ ィス ト、再臨派
ユニテ リア ンが約 2
(
Se
c
o
ndAd
v
e
nt
)
、 ユ ダヤ教、 ユニヴ ァ-サ リ
つか4
つ、 それにスウェーデ ンボル グ派、 およびその他です。 また、「
実際、 ボス
ス トが各 々3
トン市民の大多数、特 に若者 は全 くと言 ってよいほど教会 に行 きません。 そ うした若者 は下宿
屋 に住 み、週 日はあ くせ く働 いている」 とい うことです。 こうした委員会報告が示す事実 に加
えて、忘れてはな らない人 たちがいます。私 たちは迷信深 く、無知で、教育 のない人間ではな
く、道徳的、知的で、信仰深 い人間です。 また儀式的、思索的ではな く、熱心、敬度、 それに
現実的です。信仰の証拠 と目的 として仕事 を重視 しています。市民的、政治的、宗教的な自由
に関す る法 を認 めているのです。 もっともそ うした法律 は忠実 に適用 されてお らず、幾度 も違
反 され、支配を許す とい う点では梼曙 します。 それで も依然 として北極星 と して視野 に留 まっ
ているのです。本件 について言えば、 日曜 日に閲覧室を閉 じるべ きで しょうか-
この問題 は
つの問題 と して、解決
社会、州、教会の関心事であるが、各人 の個人的な権利 と善 に関す る1
され るのが よいのです。すなわち、閲覧室 の利用希望者 にとって何が最善か とい うことです。
日曜 日に閲覧室 を閉 じることは、知的、道徳的、宗教的な向上 にとって必須の ものを、男女
か ら妨 げて しまうことにな ります。 この理 由のために、 日曜閉館のあ らゆる主張 は却下 され る
べ きです。
安息 日問題 は必ず しも関係 しない
したが っていわゆる安息 日問題 は、必ず しも本件 に関係す るわけではあ りません。 神 あるい
は人、市民 的あるいは宗教的、 日曜あ るいは主 の 日など、権威が何であれ、閲覧室 の利用が人
間の精神的 な善 のためであるな ら、安息 日にとって も、 日曜あるいは主 の 日にとって も善であ
-1
07-
京都大学
生涯教育学 。図書館情報学研究
vol
.
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9
年
るのです。
娯楽問題 は生 じない
日曜 日の利用 と娯楽 とい う問題 も、論議 の理 由 とはな りません。 とい うのは日曜開館 は、平
和 と静 けさ、学習 と思考 を もた らす傾向にあるか らです。 日曜開館 は宗教 とい う制度 に敵対す
るので はな く、支援 します。ですか ら、 マニ ング博士 (
Dr.Manni
ng [
Jac
obM.Manni
ng,
Ol
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hChur
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h牧師(
1
8
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an]
) の主張 の1
つ は却下 さ
れます。すなわち同博士 の立場 は、安息 日と図書館 の活用法 において、 日曜開館 は特定の宗派
の利用法 だ とい うのです。
日曜 日の閲覧室利用 は、当然かつ必然的にいわゆ る遊興 をすべて少 な くす るで しょう。 決 し
て遊興 の導入や拡大 にな りません。 また法律や法的有効性への違反 とい う問題 も生 じません。
なぜな ら、通常 の職業での労働 を行 った り、求 めた りす る権利の問題ではない し、新 たな公費
拠 出や実質的な公費支出 とい う問題で もないか らです。
請願者 は宗教および法律 の利益や履行 を拡大 し支援す るために、閲覧室 の利用を求めていま
す。
さ らに、 マニ ング博士 は、明 らかに日曜 日が安息 日でない ことを知 ってお られます。 また同
博士が奉仕す る宗派 は権威 を持 って、 日曜 日が安息 日であること、 あるいはそれがユ ダヤ人 に
由来す ることを否定 され るのです。
自由についての法 :マニ ング博士の主張 は抗議者を非難 している
ここで他 のマニ ング博士 の主張を処理 してお きます。私が示すのは閲覧室 の利用 は入間の権
利であ って、宗教 と人間性 の最高位 の利益 を進展 させ るために行使 され るとい うことです。 ま
た閲藍室 の利用 は特別 に して特異 な利用ではな く、最 も神聖 な施設 の目的や施設への影響 の点
では、何 ら敵対的、異質で、偏見的で もあ りません。 さ らに閲覧室 の利用 は道徳やキ リス ト教
に最善 の影響 を もた らします。 しか しここではマニ ング博士 の立場、すなわちボス トン市が閲
覧室 の利用 を許せば、 日曜 日につ いての特定 の思想 を宣伝す ることにな り、 したが って図書館
をセク ト化す るとい う論 を取 り上 げます。 この考 えは、 マこ ング博士がい うよ うに 「
仮定」で
あ って、「
根拠がな く、正当化で きません」
。
単純 な真実 は、 マニ ング博士が求 めるように実行す ることは、 セク ト的な目的のために実施
す ることにな ります。 自分 白身の意見 に服従 しないな ら、 そ うした入 びとが本来有 している特
権を排除す るとい うことです。
<中略 >
ユ ダヤ人が真 の安息 日で あ る土 曜 日、 す なわ ちプ ロテス タ ン トや ピュー リタ ンの半休 冒
(
hal
f
hol
i
day) に図書館 を閉め るな ら、 自分 の信条 のために図書館 をセ ク ト化 した とい うこ
とにな らないので しょうか。
すべての人が図書館を賄 っています。すべての人 に、 自分が利用で きるときに利用す る機会
を与 え るべ きです。 そ して利用 に際 して は、 自由、公平、平等でな くてはな りません。他者 の
-1
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川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
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6
4
1
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7
2
年)
信仰や晴好 に従 って、特定 の 日や季節 に誰かを禁止す ることは、 そのよ うな噂好や信仰の基準
を他者 に強いることにな ります。
マニ ング博士 の主張 は、巧妙 さや技術的な点で も何 ら補強 されてはいません。 単 に開館 しな
いことを求 めているだけなのです。閲覧室 の開館 は公共財産 と公費の支出です。 もし閲覧室の
利用があ らゆる人 の権利 だ とすれば、 この権利 は実質化 されていないことにな ります。 それに
実質的あるいは物質的な支出 も必要 としません。 新たな利用が提起 されて もいません。 示 され
るべ き事柄 は、閲覧室を利用 したい人がいるのに、 どのような道徳的あるいは法律的権利 によっ
て、 そ うした人 を閉め出す ことがで きるのか という点 なのです。貧 しい男女 は本を購入で きな
い し、 1週間まるまる働 くことを強い られています。 そ うした人 びとは日曜 日の午後 に閲覧室
にや って来 ます。 そ して閉 じられていることを知 るのです。 マこ ング氏やその同僚が扉 の前で
防いでいるのです。入 びとは、 マニ ング氏が 自分たちの検討 している主題 を論 じているのを聞
きま した。 また自分 たちの考えどお りに進む ことを願 っています。人び とはマニ ング氏 に使用
を求めない し、要求 もせず、邪魔 もしません。 どのよ うな理 由でマこ ング氏 は入 びとを排除す
るので しょうか。確かに、 マニ ング氏 は自分の信仰 にとっての利益か ら実施 しているだけです。
マニ ング氏 は図書館を 自分 の思想 の宣伝 に使 い、公立図書館をセク ト化す ることで、宗教的 自
由およびキ リス ト教的寛容 の精神 に違反 しているのです。
もしある人の信条や理論か ら、一定の 日の断食、一定の肉食 の禁止、一定 の形式 の遵守、一
定の服装 の回避が最善であると します。 その場合、すべての人 に断食、市場か らの肉の排除、
一定の形式 の要求、一定 の服装の禁止を強いることを強制で きないのではあ りませんか。
<中略>
さらに週 のいかなる冒、遇 の最初の 日である日曜 日、すべての人が主 の 日と して遵守す るこ
とに同意 している日曜 日の過 ごし方 について、 そ うした 日の最善の使用 に同意力亨
あ り、神聖 に
保っ とい う願 いがあ り、最高度 の宗教および敬度 な行 いに専心 したいとい う希望があ ります。
人を問わず、信条や噂好 を問わず、信仰の事柄か形式への愛着かを問わず、服装、儀式、遵守、
礼拝への出席を問わず、読書 の有無 を問わず、行動 を問わず、 マこ ング氏の意見を強 いる試み
は、 自由の法 に逮反 します。
何 らかの宗教的な行為 あるいは感情が、 日曜 日に最愛 の死者 の墓参 に導 き、 そ こで献花 し、
厳粛 な思 いに浸 る場合、墓地 を閉 じて、単 に腕 を組んで、墓地 を開 くつ もりはないと、人 びと
を押 しとどめることはで きないのではあ りませんか。
Common) はセク ト化 されているので しょうか。 コモ ンの使
いまや [ボス トン] コモ ン (
用 はセク ト主義 の宣伝 にな っているで しょうか。宗教 あるいは政策の観点か ら、誰かが コモ ン
の開園 は最善で はな く、 自分 たちの感情 を害す るとの理 由で、 コモ ンを閉 じ、 その使用 をすべ
ての人 に禁止すれば、 その措置 はセク ト主義の立法 に して公共財産の不条理 きわま りない使用
例 にな らないので しょうか。 コモ ンは、歩 くの も留 まるの も自由です。 しか し警官が秩序 を守
り、乱暴や混乱がないよ うに干渉す るのは、 セク ト主義 なので しょうか。 オール ド。サ ウス教
会への道だ けを開 いて他 の道 を閉 じるのは、 キ リス ト教 の自由であるで しょうか。
昔 イ ングラン ドの町か市か機関が購入 した聖書、すなわち黄金 よ りも貴重 な古 いバ ーチメ ン
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一
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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年
トで覆われた手書 きの聖書があ り、留 め金 と鎖で繋がれていると します。 この聖書を持つ図書
館が、 日曜 日だけ所定の机で閲覧が可能 とい うの と、すべての目に自由に閲覧が可能 とい うの
で は、 どち らが 自由で リベ ラルで しょうか。何 らかの信条や習慣 のために、週の最初の 日か、
日曜 日以外 のいずれかの曜 日だけに閲覧を限 るの はセク ト主義で しょうか。 またそ うした措置
が講 じられ ると、 あなたは何 と呼ぶで しょうか。
他 の事柄 で も同 じです。 しか しこの事柄 をさらに証明す る必要 はないで しょう。 日曜開館 の
請願者 は自由の法 によって権利 を要求 しています。抗議者 は、 自分 たちの特別の考えを執行す
る法規 を求 めているのです。宣伝者 であ り、 セク ト主義の束縛を築 こうと しているのほ抗議者
です。
ところで、 この論争か ら離れたところにお り、 中立的な人 に決定 させ ま しょう。 ジョン ・ス
Jo
hn St
uar
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l
l[
1
7
7
3
1
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3
6
],テ ィクナ - 。ア ン ド 。フ ィール ズ
チ ュア ー ト 。ミル (
(
Ti
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knorandFi
e
l
ds
)版 『自由論』 の1
7
3ペー ジ) は 「個人のまっとうな自由へのいま1
つの
不当な干渉の例 として、安息 日厳守 の立法がある」 と述べています。 そののち休息の利点 につ
いて、安息 日は 「ユ ダヤ人を除 いて誰 を も宗教的 に拘束す るものではない」 と記 しています。
<以下略 >
宗教および道徳の利益が 日曜開館を必要 とする
日曜 日夕刻 に閲覧室を開館すべ き積極的理 由に戻 りたいと思 います。報告では完全かつ力強
く理 由が示 されてお り、 もちろんその部分 について は省略 します。 ここで は少数 の他 の理 由を
提示す ることに します。
全体 を支配す る主 たる理 由は、 それが もし正 しいな ら、 マこ ング博士 の主張の他の部分 にた
いす る完全 な解答 になるで しょうし、一考 の価値 あるすべての反対論 を却下す ることにな りま
す。 日曜 日の夕刻の閲覧室利用 は、多 くの場合、非常 に多 くの場合 に必要です。 そ して閲覧室
の利用 を求 める個人、 それに人 びとにとって最高度 の道徳、宗教、精神的な善を確立 し促進す
るのに役立 ちます。 ジョン 。スチ ュアー ト。ミルが 1
8
6
7
年1
月の英国議会 で主張 したよ うに、
「
宗教上 の利益 につ いて述べれば、 コ ミュニテ ィの大多数の民衆 にとって唯一 の余暇の 日に、
教会だけを開 くのは望 ま しくあ りません」。 そ して ミルはい っそ う広範 な法案を望んだのです。
JohnBr
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8
8
9
;穀物法撤廃 などに尽 くした政治家]) は調査 を
ジョン 。ブライ ト (
求 め、「
労働者 は 6日間働 き、 1日が休息、礼拝、 リク リエー ションである」 と述べ ま した.
そ して 「ここか ら国 に何 らかの益が出て くるだろ う」 と考えま した。 これは、すべての信条 の
すべての書 き真実の人が同意すべ き事柄 の 1つです。
もしすべてのユ ダヤ人が法 を字義通 り厳格 に守れば、石の祭壇 にいけにえを献 げ、子羊を殺
して血 をまき散 らし、火 もお こさず、収穫 も落 ち穂拾 い もしないことにな ります。 そ して安息
日とい う制度 は、休息の 日、捕囚か らの解放 の記念、聖別化 と神聖 さのために活用 され ること
と分か るで しょう。 また字義通 りの命令 は安息 日を もっぱ らこの方向に使 うことを求 めている
●●●●●
●●●●●
となるで しょう。 もし、 どのよ うに安息 日を神聖化す るのか、「
主-の聖化」 とは何 なのかを
●●
問えば、肉体労働の禁止 とともに、最 も積極的に して最大の自由、最高位 の自己修養、 それ に
-1
1
0-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
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1
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7
2年)
人間の善のための最 も広範 な労働 といった積極的な指令を知 るであ りま しょう。 人 は神聖 にな
り、努力 して己の心 と魂を純化、拡大、神聖化す るだけでな く、祭 りや歓喜 のときには 「
貧者
に一部分を送 る」 のです。 そ して貧者を覚え、「
貧 しい者が国か ら絶えることはないであろう
か ら、 。。。貧 しい者 に、必ずあなたの手 を開かなければな らない」のです。「あなたの羊 の
群れ と打ち場 [
打穀場] と酒ぶねの うちか ら取 って、彼 にあてが ってや らなければな らない。
あなたの神、主があなたに祝福 と して与え られた ものを、彼 に与えなければな らない」 (申命
記1
5:1
4
) というわけです。ユ ダヤ人 は安息 日を宗教的諸 目的のためだけでな く、宗教教育 と
学習のために取 り置 きま した。最 も厳格 な人が最 もリベラルな精神的信条者、すなわち形式 と
儀式か ら解放 されたキ リス ト教徒 と手を携えなければな りません。 また絶対的に して不変の法
を達成せねばな らず、教訓や例 によって良 き行 いをするように命令 され、 その 日を自分や全人
類 に最高の善を行 うため、人のために作 られた日を活用 しなければな らないのです。人間の良
心の指図や要求 に従 って、 自分の魂を浄めるためな らどのようなことを行 って もよいのです.
これはすべての人が同意す るで しょう。 知識の貯蔵庫を閉ざ して しまえば、葡萄酒や池を与え
ることがで きません。 礼拝や仕事 のために心が浄め られ、拡大 され、刺激 される手段を否定す
れば、人を教会や講演会 に出席 させようと強制 して も失敗す るのです0
まちがいな く、すべての宗教が以下 の ことを求める理 由に同意 しています。「
貧者」に施 し
をす ること、「
貧者 に広 く」 手 を差 し伸べ ること、神が祝福 した貧者 に寛大 に提供す ること、
とりわけ現在 と過去の賢者や善人の知的、精神的な労働の産物 という貯蔵庫 を開 くことです。
知的生産物への自然権
Eme
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]
) はソロー (
Thor
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]
) について語 っていま
エマソン (
Wal
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n)か らケ ンブ リッジ 。カ レッジ図
す。 ソローは図書 を入手す るために、 ウォルデ ン (
書館 [
--ヴァ- ド。カ レッジ図書館] に出向 きま した。図書館員が利用を拒否 したので、学
長の もとに行 きま した。学長 は規則を説明 し、一定の距離内に居住す る同窓生だけに図書を貸
していると述べたのです。 しか しソローは最後の拠 り所を持 っていま した。知的、精神的な財
で構成 され る絶対的に正 しいコ ミュニテ ィがあ り、そうしたコ ミュニティはこの世界で不滅だ
というのです。 そ して当の図書 はソローのために保存 され、 ソローの ものであ り、 より多 くの
利用を求め、 ソローが運べ るだけの図書 とともにソローの家 に行 く、すなわちソローは永遠の
特権を主張 したのです。そ うした権利 に加えて、 日曜開館の請願者 はソローに比べると劣 りま
すが、それで もボス トン市の市民および納税者 としての絶対的な権利を持 っているのです。
ローマ法 (
省略)
中国 (
省略)
エ ジプ ト (
省略)
日曜 日の図書館利用は最古の最善の習慣 と一致する (
省略)
Th
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)に頼るべきではない (
省略)
マニング博士はセオ ドア ・パーカー (
…1
1
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京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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9
年
都市の図宰館を 日曜開館する特別の必要性
しか しなが ら、 自明 な立場 をさらに議論 し証明す ることはせず、 日曜開館が ボス トンのよう
な都市で特別の必要性があるとい うことだけを加えておきます。 日曜開館 にコス トはかか らず、
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誰 の邪魔 に もな りませ ん。 村落部 の場 合、 しば しば 日曜 日は便利 なために図書館 の 冒 (
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y)にな っています。 日曜学校 は便利 なために常 に日曜 日に開かれています。 その場
●●●●●●
合、少 々の労働が必要 な ことを示唆 された りしますが、それは取 るに足 りません し、決 して真
実で もあ りません。寺男の仕事が必要 とい うことで、教会を閉 じるであ りま しょうか。警官 は
図書館で静かに本 を読 んでいる人 よ りも、路上 を速歩で歩 く馬 や通行人 を監視 している方が、
よ りよいサー ビスを行 っていることにな らないで しょうか。村落で は他 の要因が作用 します。
人間 は 「自然 とい う、言葉で言 い表せないほどの純真 さと施 し物」 に囲 まれています。永遠 に
開かれた書物のまっただ中にお り、 そ こか ら魂 は創造 と同 じほど古 い言語で書かれた教 えを読
み解かねばな りません。 人 びとは自然 の平和、美、 よき影響か ら離れて、都市 の騒音、混乱、
罪 に移 って行 きます。 しか し都市 には、村落 に残 した ことを補償す る影響が隠 されているので
す。神 の手で造 られた都市の外界 の現象が、「
祈 りと賛美の不完全 な礼拝 を超え る交わ り」に、
」 な魂 に話 しか けるな ら、 また人間の心や魂が外界 よ りもいづそ う優れてお り、
文字通 り 「
熱心、
いっそ う生 き生 き しているな ら、 よ り高潔で神聖 な影響か ら、公立図書館を閉め出す とい うの
で しょうか。む しろ宗教 と人間性 の利益か ら、公立図書館の 日曜開館 を実施 し、 自由に 「
偉大
な精神 の謁見室、平和への聖 なる場」 に入 るよ うに勧 めるべ きで はないで しょうか。
日曜 日の図書館利用 は必須である
これ まで次の ことを示 して きま した。 日曜の夕刻 に図書館閲覧室の利用 を禁 じることは、住
民 の権利 に遵反 し、住民 の市民的、宗教的な 自由を剥奪す るとい うことです。 (
濫用 の防止 に
必要 な規則を備えて)閲覧室を利用す ることは、宗教 の大義 に真 に奉仕 します。 日曜開館 は、
最 も厳格 な宗派の公式文書が命 じ、 またあ らゆ る信条 の生命線である精神が求 める類 の .
もので
す。 ここで私 たちは思案 し、請願者 の主張す る正当な特権を、 日曜開館 の命令 を採択す ること
で、請願者 に確保 しな くてほな らないと決定で きま しょう。
日曜開館の要求 :労働者の主張
本件 の場合、明 らか に日曜開館を求め る積極的な要求、広範 な主張、 それに必要性があ りま
す。貴報告が記す事実 は若 い労働者が証明 しています。多 くの若 い労働者が公立図書館 を訪れ
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])博
て、 自分 たちの権利 をたずねます。 マイナー (
士 などに効果的な問いか けをす る人がお り、 マイナー博士 などは答えなか った し、答 え られな
い し、誰 も答え られません。 その問 い とは以下 のよ うです。 「
私 は生活 の糧 を得 るために、図
書館の開館時間に毎週働かねばな らない。 どのようにすれば私 どもは閲覧室利用の特権 を行使
で きるのか、お教えいただ きたい。 日曜が休館 な ら、図書を利用で きない」。「
仕事や家庭の用
事がない唯一の時間に図書館が閉ま っているな ら、 どのようにすれば禁帯 出図書 を利用で きる
のか、 お教えいただ きたい」。
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川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
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年)
最 も多い人
若い男女やそれ ほど若 くはない男女 の数 は、多 いので しょうか少 ないので しょうか。貴報告
によると事実 と して、すべての教会が収容で きるのはボス トンの人 口の4分 の1に も達 しないと
0
万人 の内の5
万人弱が収容で きる人数です。 この数値 を否定す る牧
い うことです。 すなわち2
師 もいます。 しか しメソデ ィス ト-エ ビスコパル教会 は出エ ジプ ト記第 2
0
章 に依拠 して長文の
Upham)牧師 は委員会 の数値 を正
[日曜開館]反対声明を提 出 しま したが、同教会のアパ ム (
2
で、各教会 には5
0
0
しい と しています。 とい うの はメソデ ィス ト-エ ビス コパ ル教会 の数 は1
名 の教会員 しかいないか らです。 そ して多 くの教会の規模 ははるかは小 さ く、 ボス トン市 のす
べての教会 の数 は、貴委員会が示 した数 よ りも少 ないか もしれません。牧師 は礼拝出席者が非
常 に少 ない ことを十分 に知 っています。午後 になると、その数が0に近 くなることはよ く知 られ
ています。 すべての教会員、 ボス トンの人 口の4
分の1
、 その4
分の1の内の 日曜礼拝 に参加す る
4
分 の1[
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分 の1
]、 その1
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分 の1
の内の夕拝 に参加す る2
分 の 1[
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分 の1
]、す なわち入 口の多
分 の1
、少 なければ3
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分 の1
が、 日曜開館 の特権 を使用 した くな く、積極的 に他者の利
くて も4
用を禁止 させよ うとしていますが、 その主張 には効果があ りません。 問題 は、他の4
分の3
の人、
3
2
名の内の3
0
名、圧倒的多数 の人 びとが、 日曜開館 を期待 していないのか、必要 と していない
●●●
のかという点 にあるのです。 日曜開館 は住民の圧倒的多数 にとって必要であ り、多 くの人 にとっ
●●●●●
て必需であ ります。 それに知識への道 を開 き、知性-の道の りを整え、人 び とに図書 を提供す
ることは欠 かせない ことです。正統派 の牧師を代表す るパ ーキ ンズ牧節 (
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年間にわた って コモ ン (
Common)で毎 日曜 日
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) は、 この3
に1
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部か ら1
,
5
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部 の トラク トを配 ってお られ ます。パ -キ ンズ牧師が述べ るよ うに、 そ う
した トラク トは受 け取 られ、熱心 に読 まれてお り、人 びとが知識や読書 に飢え、熱望 している
ことを示 しています。当初、パ ーキ ンズ牧師は日曜午後 に閲覧室を開 くことにつ いて、 トラク
ト配布 と同 じよ うに作用 し、 したが って善 なる行 いと考えてお られま した。 しか しパ -キ ンズ
が蔵書 を調べてみ ると、そ こには科学や文学の作品、 あ らゆる社会的、道徳的な問題 を扱 う作
品、1
3
種 の宗教関係 の季刊誌、 その他多 くの宗教 を扱 う作品があ りま した。 それ とともに、
、
『ア トランテ ィック』、『--パ ーズ 。マ ンス リー』、『- -パ ーズ 。ウィーク リー』 『パ ンチ』、
『ロ ン ドン 。イ ラス トレイテ ィッ ド。タイムズ』、『イ ラス トレイテ ィッ ド。ニュース』 なども
発見 し、人 びとが これ らの雑誌 を読むだ ろうと確信 したのです。 そ こでパ ーキ ンズ牧師 は閲覧
室の [日曜]開館反対を考えま した。原則 において、 目的 において、 また週 日には良 いのだが、
入 びとが2
0
0
種 [
の雑誌] か ら上記 6点 を選ぶだろうか ら、 日曜 は悪 い とい うわ けです。 そ こ
で一時的 にですがパ ーキ ンズ牧師は、新鮮 な牧草地 と純粋 な泉のかんぬ きを閉 じ、人 びとが 自
分 の手か らパ ンくずを取 り上 げ、 コップか ら一 口飲めるよ うにと考えま した. そ して 日曜開館
●●
問題 にふたをす ることを求 めま した。 その理 由は、 アガ シ (
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;博物学者]
)
か ら科学 の偉大 な真実 を学べ る、 ロングフェロー (
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;詩人])、 ローウェ
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;詩人])、 ウィッテ ィア- (
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;詩人])で賛美歌集
の事柄 を読 め る、 ス トウ夫人 (
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;小説家、奴隷廃止論者]) の実践的宗教か
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京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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ら教訓 を学べ る、 -イル (
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9;聖職者、小説家])、 ホームズ (
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4;急進的社会改革論者]) などを読 む こ
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4;医者、詩人])、 サ ムナ- (
ともで きるとい うもので した。 もっと簡単 で理 にかな った方法 は、 6種 の雑誌を取 り除 けばよ
か ったのではないか と思 います。パ ーキ ンズ牧師 は正統派教会の代表的牧師ですが、 そののち
考 えを変えま した。『
パ ンチ』の挿絵 は説教者 の役割を果たす可能性があ り、紙面で は十分 に
TheSo
ngoft
heShi
r
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s
) はパ ーキ ンズ牧 師の ト
人間性が追求 されてお り、 「シャツの歌 」(
ラク トと同 じ価値があるといわないまで も、 よ く似 た価値 を有 しているとい うわけです。 マイ
ナー博士 は労働者 を自称 していますが、若 い労働者 に図書館で 「
過 日に本 を入手」す るよ うに
と突 き放 したよ うに話 しま した。 その とき、 マイナー博士 は以下 の嘆 きを聞 く方がよか ったと
思 います。
仕事、仕事、仕事、
雄鶏がよそよそ しく鳴 いているあいだに。
そ して仕事、仕事、仕事、
空 に屋が輝 くまで。
仕事、仕事、仕事
うん ざ りす る鐘 か ら鐘 まで
仕事、仕事、仕事
服役者 の作業 の よ うに
「
週 目に本を入手せよです って。 私 は妻 と子 どもの 日々の生活の糧 を得 るために、貧弱な身
体 を消耗 させています。 そ して毎週、次のよ うに祈 っています。
『
神様、パ ンはあま りに高価で、
血 と肉 はあま りに安価であ ります』
あなたは宗教 の名を借 りて、祝 された日を使 う権利を否定 しますか。私 は1
年 に7
週以上、私
の心 と魂を休 め、新鮮 に し、拡大す る日を持 っています。 それは私 の良心が強 く求 め、命 じる
とともに、私 は神 に答えな くて ほな らないのです」。 お腹が一杯 の人 には、飢餓が何 た るか理
解 しよ うもあ りません。
日曜開館反対の主張 は、健全で も真面 目で もあ りません。 開館 に反対す る真の理 由は、開館
によ って人びとが 自分で ものを考え、読書 し、 これまでのよ うに人 びとを働かす ことがで きな
くなるか らです。 そのため知識 と真実 の殿堂 を閉 じなければな らず、 そ うすればパ ーキ ンズ牧
年間
師 は トラク トを普及で きるのです。 いったいどのよ うな権利で、パ ーキ ンズ牧師はこの3
報酬のために働 き、他の人 はそ うしてはいけないので しょうか。他 の人がで きないよ うな、 ど
のよ うな高位の善を行 っているとい うので しょうか。他の信条やい っそ う高位の信条 を持っ と
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川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
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年)
考える人 に対 して、 どうしてパ ーキ ンズ牧師は自分の信条を押 しつけるので しょうか。挿絵入
りの作品に反対 しつつ、 自分の トラク トには号毎 に挿絵を入れているではないですか。 また世
界で本当に力を有す る作品に反対 しっつ、 自分の小 さな トラク トを読む とい うわけです。 この
聴聞の部屋ではそのおか しさに笑 いの渦が起 こりま した。そ うした トラク トは良 きものであ り
ま しょうが、パ ーキ ンズ牧師が大 した手間 もかけないで人びとに提供で きる事柄 に比べると、
アザ ミの冠毛のように軽 く、空中に舞 うゴ ミはど軽いのです。求め られているのは心の糧です。
宗教の衰退、教会 に対する人 びとの無関心 については、大 きな問題 にな っています。その原因
つの原因 として、牧師が世界 についての宗教的信念 を十分 に表明 してお
は何 なので しょう。1
らず、 また最 も神聖 な仕事を不十分 に しか行 っていないということがあ ります。牧師は従来 ほ
ど聖職者の務めを果た していないのではないで しょうか。人びとは愚か者の話 しを聞 くために、
なぜ敬度深 く座 っている必要があるので しょうか。本当の罪で悩まされて もいない人に、 どう
Chadband [デ ィケ ンズの小説
して従わなければな らないので しょうか。 チ ャ ドバ ン ド牧師 (
にでて くる偽善的な聖職者]) の風刺 なので しょうか。 あるいは、誰 もが一定 の善 を行 ってい
るので、救 い主の仕事を最 も誠実 に行 っている人 は、あなたのような事業 を奨励 しな くて もよ
いとい うので しょうか。以上 のよ うに、私 は日曜閉館を主張す る人の理 由について、市民的お
よび宗教的な権利、 それにキ リス ト教徒の義務 という観点か ら、 日曜閉館で はな く、すべての
人 に無料で 日曜開館すべ きことを示 しま した。 そ して 日曜開館への反対者 を検討す るな ら、 ほ
んの少数の反対者 しかいないことがわかるであ りま しょう。
反対者はほんの少数で、最善の人や民衆 は日曜開館を求めている
1
1
5の教会の うち、 ほんの 5つ 6つの教会、 それに少数の牧師が 日曜開館 に反対 しているに
す ぎません。 ボス トンの宗教的 と自称す るごく少数部分が反対 しているだけです。そ してほぼ
例外 な く、純粋 に神学的見地か ら日曜開館 に反対 しています。 しか しいかなる原理 を土台に し
0
分の 1が己の信仰 によって全体を拘束できると主張で きるので しょうか。宗派の
て、市民の2
4分ゐ 1, それ も最大の宗派でない 4分の 1が全体を支配す るのです。 ところで真実は 「現代
は リベラルな信仰者の掌中にある」 という点 にあります。市民の圧倒的多数派 の信条によると、
日曜開館 はコ ミュニティに積極的な善を もた らします。貴報告 は、 日曜開館を真 に表明 し、多
種多様な宗派の代表者、反対派牧師よりも状況を把握 している人、 いっそ う適正 な審判者が、
公正 に組立てたものです。貴報告が示 した事柄 に加えて、 日曜開館を支持す る他の証拠があり
ます。正統派の牧師を代表す るパ ーキ ンズ氏の証言 は、私宛ての手紙で考えを修正 されま した
が、 その手紙 は次 のよ うにな って います。 「各学 区 とは言 わないまで も、 少 な くとも各 区
(
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d) に部屋 [
閲覧室] を開 くべ きである。そ こでは不幸 にも静かな家庭 の結びつ きがで き
ない人 に、静かな社交的な影響 も添えて、魂を鼓舞す る良書 を手 にす ることになる」。長年 に
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わた って20を越 え るユニテ リア ン教会 を代表す るサー ジェ ン ト牧 師 (
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) はボス トンに住 み、
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日曜 開館 に非常 に熱心 で す 。 - イ ル牧 師 (
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) はボス トン市の最 も人 口密度が高 い地区に住み、その積極的
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京都大学
生涯教育学 。図書館情報学研究
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年
な活動 は閲覧室 の [日曜]開館 を求 めている人 の欲求を、誰 よ りも実際に見て、理解 している
であ りま しょう。 私の理解す る限 り、 そ うしたへイル牧師は日曜開館支持を公 に発表 していま
、『マサチ ューセ ッツ 。テ ィーチ ャー
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) の教授で
す。 また技術学校 (
At
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on) は、 7月号 の同誌上 で 「1つの図書館 と閲覧室 の 日
ズ』の編集長 ア トキ ンソン (
曜開館 に反対す る代 わ りに、 もし私 たちが力 を持っな ら、市 の各区 (
war
d) に 1つずつ閲覧
室 を開 きたい」 と述べています。副館長 ケイペ ン (
Cape
n) も筆 を執 り、「日曜開館 を強 く支
持す る。 日曜夕刻 の開館 には最 も差 し迫 った必要性がある。 そ して 日曜開館 には教会 を開 くの
と同 じよ うに、何 の危険 も困難 もない」 と記 しています。 ジューエ ッ ト氏 によると、閲覧室 に
は道徳的に好 ま しい影響があ ります。 マイナー (
Mi
ne
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)博士 の同僚 も同 じよ うに主張 してい
ます。概 して若者や リベ ラルな見解 の人 (
取 り上 げた人 に多 くの人を加えることがで きる) は、
閲覧室 の 日曜開館 を求 めているのです。 ほんの少数が反対 しているに過 ぎません。 アセニアム
館長 プール (
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)氏 は正統派 に属 しますが、 日曜開館
の支持 を公表す る権限を私 に くだ さいま した。 プール氏 は何 の困発 も危険 もないと述べていま
す。閲覧室 は静かな読者で埋 ま り、 2週間経 てば誰 も日曜開館 について考えな くなるであろう
というのです。
抗議者の前提の危険性
これ らの抗議の根拠 を調べて きま した。 これ以上の ことを検討す るつ もりはあ りません。 日
曜開館が誰かに害を及 ぼす とは想定 され ません。単 に、 ある人 びとは他 の人 びとが共通 の善 に
なることを行 うとい うことを選択 しないだけの ことです。それは信仰 において しないのですが、
たとえそれが信仰 を促進 して もしないのです。提示 された問題 は、閲覧室および全図書館の開
館問題で も、娯楽や リク リエー シ ョンの問題で もあ りません。 図書館利用を妨害す る権利、神
の名 によって遊興 を禁 じる権利があるとの仮定 は、支持で きない し容認で きないと知識人 な ら
誰で も知 っています。神 とい うのは、彼 らが見 る神であ り、 その律法であ り、適用 しよ うと選
択 した律法の神 なのです。炎 と血 によ って議論 され、国 と教会を根底か ら揺 り動か した問題 を
提起す るものです。人間の知識や理性が信頼 で き、永続す る知恵があるとす るな らば、 その問
題 は解決 されま した。 さまざまな宗派 自身 の名称 さえ、 もし私 にそれほどの時間があれば、言
うべ き以上 の ことを示唆 しています。開館反対者 は、 自分たちが立脚 している土台、 自分 たち
が求めているものを理解 していないのです。 <中略 >
広 い見解 を もち、関係 あるもの として、 あなた方 に開いて提示 しよ うとす る問題を考えて く
●●
ださい。宗派や階級で はな く、国、社会、教会、宗教、平和、人間性 をです。 そ こで私 は抗議
●
者 自身のためにあなたがたに問いか けます。抗議者 に耳 を貸 さないで ください。 とい うのはこ
うした永続的な利益 を損 な う間 に も、抗議者 の意見 は広 ま らず、 自滅す るか らです。本当に必
要 なことがあるな ら、試練が きたはうがいいのです。昔 そ うだ ったよ うに、貧 しい女が処刑 さ
[
Ant
hony]Bur
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れ るた め通 りを喜 んで進 む ことを選 ん だ方 が い いのです。 バ ー ンズ (
St
at
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)街 を行進す るのを好んだよ うに、 またギ ャ リソ
[
1
8
3
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1
8
6
2;逃亡奴隷]) が ステー ト (
[
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9;急進的奴隷解放論者]) が首 に絞首索 をつ けて引 き回
ン (
1 11
6-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
4
1
8
7
2
年)
され るのを好んだよ うに。決 して恐れずに真理 は勝っ と信 じて。 しか し今 ここで確かに、人が
人であ り、 はっきりとロに出せば、 その必要 はないのです。法を曲げよ うとす るのは抗議者 な
のです。 くさびを打 ち込 もうとしているのは抗議者 です。世界が 目撃 したよ うな宗教的迫害が
あった時 は過 ぎ去 ったと想像 します。我われが生 きている時代、 メキ シコ戦争、 ク リミア戦争、
Pe
ac
eand
そ して ヨー ロ ッパ とア メ リカの戦 争 の前 に、 学 者 た ち は 「平和 と国際会議 」 (
Co
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sofNat
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) についてエ ッセイを書 きま した。 そ して至福千年が到来 した と恩 い
ま した。 もし到来すれば、 よい ことです。少 な くともボス トンは、その とき犯 した間違 いを後
悔 し、生 きる信仰を持 っているとい う証拠 に、本件 を挙 げま しょう。 空気 を清浄 にす るために
嵐が必要 な ら、嵐 をこさせ ま しょう。知識-の扉 を開 けて も嵐 の回避 に何 もで きないとして も、
少 な くとも試 しま しょう。 ち ょうど小 さな鉄 の避雷針が大 きな雲をはき出 し、傍の家を守 るよ
うに
。
付録 <省略 >
(
6)
公立図書館 の閲覧室 における日曜開館 に関す る報告
5
号 ,1
8
6
7
年7
月2
7日
ボス トン市、市文書第 7
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7,Bos
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yDoc
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,No.7
:
5
.
ボス トン市
市議会下院
1
8
6
7
年7
月2
7日
「
公立図書館 に関す る両院合同委員会」 は、公立図書館の閲覧室 における日曜開館 について、
請願者や抗議者 に聴聞会を開 くとの指示を添えて、報告 を再審議す るよ うに要請 された。本委
員会 は課 された任務を遂行 し、謹んで以下 の報告 を提出す る。
報告
命令 に基 づ き長時間の会議 を4
回開催 し、 そ こで は両派、 とりわけ抗議派 の意見を聞 くため
に十分 な機会 を設 けた。審議 の過程で法律問題が指摘 された。すなわち市議会 は州法 の下では
必要 (
ne
c
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公立図書館 の どの部分 も日曜開館す る権限を持 たない とい うのである。 州法 は 「
-
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y)および慈善 (
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har
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t
y)
」 を除 いて、 いかなる仕事 も日曜 日に行 うことを禁 じている。条
例 に別 して この問題 を正当に解決す るために、本委員会 はただちに市法務官 (
Ci
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ySol
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c
i
t
or
)
に相談 を行 った。市法務官 はこの問題 を徹底的に調べ、 また著名な法律家 に相談 して意見を強
化 し、本委員会の問いかけに対 して次 のような正式 の回答を して きた。
市法務官事務所
-
117 -
コー ト (
Cour
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)街4
6
番地
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
vol
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8
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0
9
年
ボス トン
1
8
6
7
年7
月2
5日
貴 「
公立図書館 に関す る合同両院委員会」か ら、以下 の問題 について照会 を受 けた。
1.「ボス トン公立図書館 あるいはその一部分 を鐘民 の利用 のために日曜開館す ることは、
安息 日の正 しい遵守 にかかわ るマサチューセ ッツ州法の字義 あるいは精神 に違反す るの
か」
。
2.「マサチ ュ-セ ッツ州法 は、必要 (
ne
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s
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y) あ るいは慈善 (
c
har
i
t
y) を除 いて、安
息 日にいかなる仕事 を行 うことも禁 じている。 公立図書館 を 日曜開館す るとい う市議会
Of
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s
)が法的 に起訴 され ることにな るの
の命令 は、州法違反 のか どで図書館職員 (
か」
。
マサチュ-セ ッツ州法第8
4
条の1
項 と2
項 は、以下 に刑罰 を科 している。いかなる 「
店、倉庫、
作業場」 を開 くこと、「
必要 および慈善 の仕事 を除 いて、何 らかの形態の労働、 ビジネス、仕
事」 を行 うこと、 それに必要 あるいは慈善 を除いて、主の 日に旅行をす ること。
こうした条項および判例 に照 らして、次のよ うな意見を回答 とす る。公立図書館 を住民 の利
用 のために日曜開館す ることはマサチューセ ッツ州法に違反す る。 公立図書館の 日曜開館 は、
必要 あるいは慈善 とい う例外の範噂 に入 らない。公立図書館 を住民の利用のために日曜開館す
る人 は、同州法が定 める刑罰 に服す ることになる。
敬具
J.
P.
ヒ- リー (
J.
P.HEALY)
行政委員 ガフィール ド (
GAFFI
ELD)殿
公立図書館 に関す る委員会
本委員会が指摘す るまで もないが、 この判断が下 された州法 は非常 に古 い法律であ り、現在
では 「
主の 日」 の一般的習慣 と して許 されている多 くの事柄 を、依然 として禁止 している。 し
か しなが ら、本委員会 はこうした現状 に意見を述べ るつ もりはな く、 それは各市民の思慮深 い
検討 に委ねたい。
0
年以上 にわた って主
公立図書館 あるいはその一部分 を 日曜開館す る件 については、すでに1
張 されて きているが、法律問題が出 されたのは今回が最初である。
本委員会 は上述 の市法務官 の判断 に照 らして、本件 について これ以上 の措置が取 られないよ
う謹んで勧告す る。
チ ャールズ 。W.
スラック (
CHAS.W.SLACK)
トマス 。ガフィール ド (
THOMASGAFFI
ELD)
ニェー トン ・タルポ ッ ト (
NEWTON TALBOT)
エ レミア 申し.
ニュー トン (
JEREMI
AH L.NEWTON)
アルフォンゾ 。バ ウマ ン (
ALFONSO BOWMAN)
ジョン ・F.
ジャーヴィス (
JOHN F.JARVI
S)
トマス ・ゴギ ン (
THOMASGOGI
N)
バー 。クランデール (
H.BURR CRANDALL)
H.
-1
1
8-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
4
1
8
7
2
年)
委員会
(
7
)
公立図書館の日曜開館 に関する委員会報告
7
号 ,1
87
0
年1
0
月3
1日
ボス トン市、市文書第9
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ボス トン市
市議会上院
1
8
7
0
年1
0
月3
1日
「
公立図書館 に関す る両院合同委員会」 は、公立図書館の 日曜開館の妥当性を検討す るよう
に求め られた。 また開館 に賛成、反対の請願が回 されて きた。前者 については、 ジェイムズ ・
Ja
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) と6
0
8
名 の署名、 チ ャールズ 。W.
スラック
フ リーマ ン 。クラーク (
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k) と2
0
0名 の署名の請願があ った。後者 については、 エ ドマ ン ド 。Kオー
Edmund K.Al
de
n) と 2
5
5名 の 署 名 、 エ ズ ラ ・フ ァー ンズ ワ - ス (
Ez
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ルデ ン (
2
5名 の署名 の請願があ った。本委員会 は本件 を慎重審議 し、謹んで以下 の
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h) と5
報告
報告を提出する。
公立図書館全体 あるいはその一部分をボス トン市民の利用のために日曜開館するという問題
について、市議会 はこれまでに数回にわた って検討 して きた。1
8
6
5
年 に市議会両院は、「図書
時か ら午後 1
0時 まで 日曜開館す る措置を講 じ
館理事会に対 して、公立図書館 の閲覧室 を午後 5
るよう要請する」命令を採択 した。 しか しこの命令 は市長 に拒否 され、市長の拒否を乗 り越え
るだけの賛成票が議会で獲得で きず失敗 した。
1
8
67
年 に も本件が、 日曜開館の賛成、反対の請願 とともに市政府 に持 ち込 まれてきた。 そ し
て 「
公立図書館 に関す る委員会」に付託 された。
時か ら午後 1
「
公立図書館 に関す る委員会」は、図書館理事会 に対 して、毎週 日曜 日の午後 2
0
時 まで、図書館の閲覧室 を一般住民の利用 のために、理事会が定 める規則の下 に開館す るこ
とを要請す る命令を報告 した。少 しの検討ののち、 この命令 は再 び委員会 に戻 され、そこでは
賛成者や反対者 との聴聞会を開 くように指示 していた。その後の聴聞会で、 まず図書館を日曜
開館する権限問題が出された。そ して市法務官の意見は、主の日の遵守 に関するマサチューセッ
ツ州法の規定 に違反す るというものであった。 この意見を受 けて、同委員会 は本件について こ
れ以上の措置を取 られないよ う勧告 し、報告 は受領 された。
日曜 日に図書館や閲覧室 を開館で きるように、州議会の各会期 に州法の修正 に取 り組 まれた
が、 これまで成功 していない。
- 119 -
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
vol
.
8
.2
0
0
9
年
以上が、本委員会 に本件が付託 されて きたときの状況である。何回かの聴聞会を開催 し、提
案中の 日曜開館 に賛成、反対の人 をすべて招 いた。 また書面や口頭で意見表明の機会を十分 に
とった。公聴会 の模様 は新聞が詳細 に報告 しているので、本委員会 に提示 された多種多様 な意
見 を この場で再現す る必要 はない。
本委員会 の委員が市法務官 に問 い合わせを行 い、以下 のよ うな回答を得 た。
「
公立図書館 の 日曜開館 の問題 に関 して、州法 に も裁判所 による最近 の判決 に も変化 は
ない。本件 についての本官の意見 は、従前の もの と相違がな く、それは1
8
67
年の 『
市文書』
第7
5
号 に示 され、刊行 されている」。
「おそ らく本官 の意見 は州議会 の今会期の動 きによって少 々裏付 け られよ う。 図書館の
日曜開館 の権限を付与す る法案が、提 出、審議 され、そ して拒否 された。州法がすでに日
曜開館 を許 しているのな ら、現在取 り組 まれているような州議会での動 きは不必要であっ
たろ う。 そ して本官が諸報告 を読む限 り、本件 に関す る討議 は、 日曜開館 は法 に違反す る
との理論 どお りに進んでいる」
。
本委員会 の多数派 の明確 な意見 は、道徳的および教育的観点か らして、住民への 日曜開館 は
大 いに利益があるとい う考えである。 しか しなが ら、 日曜開館 の合法性が問題 にされるなかで、
日曜開館 を勧告す るのは賢明であるとは思 っていない。多 くの有力市民 は、主 の 日の適正 な遵
守 に遵反す るとみなす事柄 を考慮 して、現状の変更 に強 く反対 している。 こうした強 い反対が
ために、変更を好む側 に必要 な ことは、合法性 にまつわるあ らゆる疑問を除去す ることである。
そ うでないと、変更 を好む人 び との行動 は、公立図書館 の最善 の利益を傷っ けることになる。
日曜開館支持者 も公立図書館の利益 の拡大 を願 っている。
以上 の ことか ら、本委員会 は以下 に添えている命令が採択 され るよ うに勧告 して、結論 とす
る。 州法が ボス トン市 に公立図書館 の 日曜開館 の権限を授 けるよ うに、主 の 日の遵守 にかかわ
る州法 の変更をすべ く、市長 に対 して州議会の次の会期 に取 り組 むよ うに要請す る。
委員会
F.
W.
ジェイコブズ (
F.
W.JACOBS)委員長
命令 :ボス トン公立図書館 あるいはその分館を市民の利用 のために日曜開館す る権限を得 るた
めに、市長 に対 して州議会 の次の会期 に取 り組むように要請す る。
(
8
)
図書館の 日曜開館 と鉄道馬車 に関す るエ ッセイ :質問
-立証 された主の 冒-
1
87
2
年
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ド 。フ ァ ウ ラ ー
(
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)
川 崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
86
41
87
2
年)
Lor
d'
sDay) とい うのは新約聖書 において週 の第 1日目に当て られた唯一 の語
「主 の 日」(
である。 しか し我われは、主の 日と日曜 日 (
Sunday)
、 キ リス ト教 の安息 日 (
Sabbat
h)を同
●●
義語 として使用 して きた。安息 日はヘ ブライ語である。 その意味 は休忠 (
re
st
) である。 週 の
7日目にユ ダヤ人が休息 したよ うに、 それ はユ ダヤ人 の安息 日である。 そ して安息 日とい う語
の使用 は多 くの人 びとに混乱 を生 じさせた。異教徒 の語 と しての 日曜 日と主 の 日は、 エ リザベ
ス女王の治世 まで週 の最初 の日として使われて きた。 ピュー リタ ンは自分 たちの極端 な見解 を
伝 え るために安息 日とい う言葉 を採用 した。 イ タ リア人や ローマ人 は安息 日 (
Sabbat
o)を土
曜 日だ とした。我われがい う日曜 日、すなわち週の最初 に日に対 して ロシア人が使 った用語 は
「
復活」(
Re
s
ur
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i
on)を意味 している。安息 日あるいは休息 の 日は創造 の記録 を包んだ冠で
ある。 神 は自らの似姿 に人間を造 られた。そ して休息 されたのだ。神 は目に見えない。従 って、
似姿 とい うのは可視 の相似性ではな く、精神 にある。 魂、知性、霊性、創造力、理性、 あるい
は内なる人 の ことであ る。 「
人 を造 ろ う」 (
創 世記 1
:2
6
)
。神 は聖書 の車で、複数形で4
回 こう
人の神の中に3
人の人格があるとい う神秘 を、我 われ に覚 えさせ るためである。 さ
言われた。1
●●●●
) が何 を意味す るか見てみよ う。 パ ウロはコロ
て、 つ ぎに新約聖書 に移 ろ う。 我われ に (us
●●●
サイ人-の手紙第 1
章 の中で、キ リス トは誰か と告 げ、「
御子 は、見えない神 のかたち (血 ag∂
であ り」 [コロサイ人-の手紙 1
:1
5
] と言 っている。 また、「なぜな ら、天 にあるもの、地 に
ある もの、見える もの、見えない もの、 。。・すべて御子 によ って造 られた」 [コロサイ入の手紙 1
:1
6
] か らであ ると言 い、 キ リス トの十字架上で流 された血 によ って、天 と地 のすべ
ての事物 は彼 ご自身 と和解 された と語 っている。 へブル人-の手紙第 1
章 は神 の子 と しての救
●●
神 の栄光 に輝 き、 また神の本質 の完全な現れ (
1
'
mage
)で
い主 について語 っている。 御子 は 「
あ り、その力あるみ ことばによって万物を保 ってお られます。 また、罪のきよめを成 し遂 げて、
:3] とある。 また1
0
す ぐれた高 い所 の大能者 の右の座 に着 かれ ま した」 [
- ブル人へ の手紙 1
節 で も、「
主 よ、 あなたは初 めに地 の基 を据 え られ ま した。天 も、 あなたの御手のわざです」
とな っている。 安息 日の起源 について、 また、第四の淀の道徳的義務 に関 しては、矛盾す る意
見で当惑す る。 それで、 ビラ ト (
Pi
l
at
e
)がイエスに 「真理 とは何 ですか」 [ヨハネの福音書 1
8:3
8
] と尋ねたよ うに問 いたい。明 らか に神 はアダムとその子孫 の心 に休息 の思想 と必要性
時間 は定 め られていない)、7日目に休息す る。 こ
を刻んだよ うである。 また、人 は6日働 き (
れ は宗教的義務や礼拝のためである。 それは人が毎 日の仕事 に精 出 していると実行で きない こ
とである。
人 は6日目に造 られた。 それははっきりした期間で はない。 おそ らく何千年であろう。 しか
●●●●
つ確かな ことは、次の 日あるいは7日目は人の生活 の最初 の 日であ ったに違 いない。休息の
し1
目は、神が創造を終 えた後 の最初の 目に技 を終わ られたよ うに、 その 日を休息 し、祝 し、聖 な
る日としたのだ。 アダムはエデ ンの園に置かれ、 そ こを維持管理す ることにな った。「
六 日間、
働 いて」 [
出エ ジプ ト記 2
0
:9
] とい うのは、楽園 において最初 に与 え られた命令で、義務 およ
び祝福 と してである。 普遍的な経験が示す とお り、我 われの繁栄 や幸福 は仕事 と結 びついてい
る。 我われの救 い主 とその使徒 たちは絶えず行 い [
仕事] とよき行 いの ことに言及す る。 キ リ
ス トはユ ダヤ人 に言 った。 「わたしの父 は今 に至 るまで働 いてお られ ます。 ですか らわた しも
-1
21-
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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8
.2
0
0
9
年
:1
7
]
。 ユダは、我われ は信仰 によ って救われ るが、「
行
働 いているのです」 [ヨ- ネの福音書5
いのない信仰 は、死んでいるのです」 [
ヤ コブの手紙 2
:2
6
]と言 う [これ はファウラーの誤 り
で、ユ ダで はな くヤ コブである]。従 って、神の計画の一部 と して労働 は必要であ り、休息 も
また必要である。 行 いとよき行 いは必ず しも労働を指すわけではない。我われは行動 し、動 き、
そ して体 や頑 を働かす。人生 を楽 しむためであ り、喜 びを引 き出すためである。 動 いて はいけ
ないとか、 じっと していろと言 われた ら、我われは惨 めで不幸 になるだ ろ う。 ユダヤ人の安息
日の起源 について は、 さまざまな意見があるだろ う。 大洪水以前 の人 びとが安息 日、あるいは
休息 日を どの よ うに守 ったか につ いて は、 ほとん どわか って いな い。 聖書 で メルキゼデ ク
(
Me
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hi
s
e
de
c
)とい う大祭司について記述がある メルキゼデクに対 してアブラ- ムと、 そ し
(
Le
v
i
) は十分 の- を支払 った. その ことは当時の祭司
。
てその ときはまだ生 まれていない レビ
職や礼拝 には序列があ り、 もちろん礼拝の時間が存在 した ことを示 している。彼 らには毎週の
休息 日あるいはヘ ブライ語で 「
休息」を意味す る安息 日があ ったと推測 した くな る。 モーゼに
とって、 その ことが耳新 しいことでなか ったのは明 らかである。十戒が シナイか ら与え られる
前か らその ことに言及 している。安息 日はモーゼ以前 の起源を持つ ことを示 している (
出エジ
プ ト記 1
6
:2
3
)
。 モーゼ以前 に聖書 には何 の記述 もないか ら、安息 日は存在 しない と解釈す る
(
Jud
ge
s
)の時代 の4
5
0
年 のあいだ安息 日は知 られていないと仮定で きるが、 そ
La
b
a
n)は過 について語 っている ア ッシ リア人、 エ ジプ ト人、
れは間違 っている。 ラパ ン (
曙を慣習 としていた。 (
詩編 6
8
章に
アラビア人、 フェニキア入、 そのほか偶像崇拝の民族 は、7
な らば、土師
。
よると) シナイか らイスラエル人 に与え られた律法で第四の綻 「
安息 日を覚 えて、 これを聖 な
る日とせよ」 [
出エ ジプ ト記 2
0
:8
]を広 めたのは、神 の第二格であるイエス 。キ リス トであ っ
日目が定 め られていない。 そ して、「
覚 えよ」(
r
e
me
mb
e
r
)とい
た。創造か らの順番 と して7
う語 はそれが古 い法であ ることを暗示 している。 それか らその理 由を示 して いる。 「それ は主
が六 日の うちに、天 と地 。。。を造 り」 [
出エ ジプ ト記 2
0
:1
1
]と。 しか し、 ホ レブ
(
Ho
r
e
b
)
で再 び十戒が与 え られた とき、彼 らが 「
覚 え」(
r
e
me
mb
e
r
)なければな らないのは、 エ ジプ
ト人か ら購 いあるいは救出 されたか らである。
これ は反駁 の余地がない。十戒 の中の第 四の綻 ば安息 日を制度 としていない。 しか し、ユダ
ヤ人 にはそれが十戒の中で も、ユ ダヤ人の道徳的な幸福、永遠 の幸福 を維持す るために必要な
もの と して定着 した。 しか し、 それまで人類 はそのよ うな法や捉 な しで きたとい う考えは尊大
である。 もっとも、人類 は堕落 し、 アダムの時以来おそろ しく邪 まにな って きたが。安息 日あ
るいは休息の 日は根づ いた ものであ り、 自然の法である。 そ してユダヤ人やキ リス ト教徒の心
に刻 まれている。 それを破 ることは、労働や行 い、あるいは合理的に生活を楽 しむための肉体
的、精神的な力を減少 させ る。 マホメ ッ ト教徒 は金曜 日を守 る。 ユ ダヤ人 は土曜 日、 そ してキ
リス ト教徒 は日曜 日である。1
7
9
3
年 にフランスは日曜 日を廃止 し、1
0日目を休息 日と定 めた。
その結果、悪魔 さえ耐 え られないほどひどいことにな った。
安息 日や7日に1日の休息をとるという神の計画をないが しろにす るよ うな国民が、啓蒙 され、
(
Emp
r
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sEuge
ni
e[
1
8
2
6
1
9
2
0
]
)の私設司祭顧問であ るムロワ修道院長 (
a
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6Mul
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)はこう語 っている。5
0
歳 とい
独創 的 で幸福 で、 繁栄 した ことはなか った。 ウ ジェニ ー女帝
-
122 -
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
8
6
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1
8
7
2
年)
う老齢 は当時の フランスで は安息 日を破 るための特徴 の1つである。 すべての聖職者が試 して
みた結果、7
日の うち1日を休息 に して仕事 を休む ことによ って、知性 も体 も驚 くほど元気 にな
ることを認識す るのである。 休息 しない人 は心身 ともす ぐ疲れ果て る。 明 らかに旧 ・新 イ ング
ラン ドでは、 ともにそのすぼ らしいエネルギー、活力、男 らしい性格、内省的な良識、技、人
間を動物 よ り高貴 にす るあ らゆる成功 は、 日曜 日を守 ることに負 っている。 我われの先祖 はこ
の ことを知 っていたので、 モーゼがユダヤ人 に課 したと同 じくらい厳 しい罰則 を もって、休息
日を守 らせた。偽 キ リス ト教徒や現代の噸笑者 は、 あざ笑 って 「ユ ダヤのような」法律だ と呼
ぶ。 そ してキ リス トはそれを廃止 したのだ と主張す る。 しか し休息 日を守 ることは我われの不
滅性 の証であ り、 日曜 日にニューイ ングラン ドの教会 の鐘が鳴 るのは、世俗 と宗教的な安寧 の
保証であ り安全 なのである。 新 しい発見が今 なされた。第四の淀が廃棄 されたのだ。人 び とは
神 の家 に招かれ る代 わ りに、 日曜 日に公立図書館を訪れ るよ う呼び掛 け られている。 市や町の
お偉方 は図書館 に鐘 をっ けることだろ う。 そ しておそ らく市長か行政委員がその鐘を鳴 らすだ
ろう。 それ らは教会 の ライバルになるとか、教会へ行かない人 び との逃 げ場 になるとか、 ある
いはホーム レスの人 びとの避難場 になると言 われている。
8
0
0
年前 に第 四の錠を廃止 したと言 う。 したが っ
しか し [
第四の按 の廃止論者 は]救 い主が 1
て 日曜 日あるいは安息 日とい う法律が実際あるのか どうか とい う疑問 はあるよ うだ。事実、 ユ
ダヤ人以外、 そのよ うな法律や、規定や慣習 はなか ったと [
第四の淀 の廃止論者] は言 う。 ま
た、ユ ダヤ人 たちで さえ第 四の按 を無視 し、子で もたちを安息 日に公立学校 に登校 させている
と言われている。 第 四あ るいは十戒 に型 あ るいは儀式的な ものがあ るとか、他 の9
つの淀 はキ
リス ト教徒 よ りユ ダヤ人 を拘束す るというふ りをす る人 はいない。振 り出 しに戻 り、 この点 を
検討 しよう。 人 の生活 の最初 の 日か ら7日目は、人 に とって過 の最初 の 日で、創造 の時 よ りユ
ダヤ人がェ ジブ トか ら解放 され るときまで、神が命ず るとお り聖 なるものであ った。 その年 の
初 めに安息 日は7日目と変更 された。 出エ ジプ トの 目を記念す るためである。 それは もともと
神か らの恩恵 であ った。革
便や重荷ではな く、祝福であ り特権 であ った。 またそれはアブラハ ム
のすべての子 どもに属す る。 アブラ- ムの子 とは救 い主 イエスに信仰 によって子 とされた人 の
:29を参照)。我われがキ リス ト教徒であれば、我われ はア
ことである (ガ ラテア人への手紙3
ブラ- ムの種である。 そ して約束 に したが ってアブラ- ムの後継者である。 キ リス トが安息 日
を廃止 あるいはその拘束力を減 じたとい う考えは、盗みや殺人 に対 してキ リス トが十戒を廃止
した とい うことと同 じほど愚かな考えである。 もし、 これ らが道徳的な攻撃 な ら、石版 に刻 ま
れ る前か らそ うであ ったはずである。 なぜ第 四の綻 あるいは安息 日が破 られ るのか。人 は神の
律法を破 ると、 自分 自身 を傷っ けるだけであることを忘れている。 また、十戒 は愛 と慈悲で与
え られていることを忘れている。 それは神 と宰福へ我われを導 く案内板である。神が 自 らの律
法を変えると仮定す ることは神の完全 な性質 を反映 し、文字通 り神性 を ご自分 と反対 の ところ
に置 くことになる。 キ リス トはパ リサイ的な安息 日遵守 に対 してユ ダヤ人を非難 した。弟子 た
ちにはよき行 いをす るよ う、 また神を礼拝 し、安息 日には神 の子 イエス ・キ リス トに栄光 を与
え るよ う教えた。 キ リス トは律法を被 るのではな く成就す るために来 たのだか ら。
●●●
十戒がユ ダヤ人のみに発せ られた、従 って我われを拘束 しないとす るな らば、パ ウロの ロー
- 123-
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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年
●●●
●●●
マ人 だ けに宛 てた手紙 や、 テモチ (
Ti
mot
hy) だ けに宛 てた手紙 は、我 われ に対す るもので
はないと証明 したほうがよい。 イエスは権威 あるもの として十戒を何度 も引用 した。パ ウロも
Ephe
s
us
)の異教徒 たちへ書 くときに同 じよ うに用いた。 ユ ダヤ人 の安息 日は救 い主
エペソ (
が復活 した朝 とともに [
いわば]墓か らよみがえ った。 そ して 「
主 の 冒」にな ったのである。
人 の子、安息 日の主 は、購 いが完成 した ことを知 った。 それは創造以上 に栄光 ある行 いであっ
た。 ヨ- ネの福音書第 1
章 に、 イエス 。キ リス トの神性、人間性、 そ してその働 きが記 されて
いる。「
世 の罪 を取 り除 く神 の子 羊」 [ヨ- ネの福音書 1
:2
4
]、 アブラ- ムか ら出た方である。
●●●●●●
また、大祭司であり、モーゼや他の預言者が書 き記 した御方であ り、過の初めの目に天に上が っ
葦9
,1
0
節 にあると
て行かれた。最 も著名な聖書批評家 の意見 において も、 へブル人への手紙 4
●●
お り、安息 日が過 の7日目か ら1日目に変わ った ことが明示 されている。 そ こで 「
休息」(
r
e
s
t
)
と翻 訳 され て い る語 は原 語 で 「サ バ チ モ ス」 (
Sabbat
i
mos
) で あ り、 「ア ナパ ウ シス」
(
anapaus
i
s[
r
e
c
r
e
at
i
on]
) とは異 な る語である。 それ は先行 のテキス トまた以後記載 された
4
3
章) は幻の中で預言 した。 これ らの 日が終わると、
テキス トに も使われている。 エゼキエル (
「
8日目」以後、すなわち、 キ リス ト、われ らの大祭司 は 「罪のために一つの永遠のいけにえを
ささげて後、神 の右 の座 に着」 (
- ブル人への手紙 1
0
:1
2
)かれた と 第三 の位格である聖霊
。
はペ ンテコステの時 に下 って きた。 それは週の最初の 日だ った。 ペ ンテ コステは週 の第1日目
を聖別す る新 しい形であ った。 その 日に使徒 たちは集 ま った。 キ リス トはその 日、栄光の体で
使徒 たちに会 った。 それで、初期 のキ リス ト教徒 たちはその 日に集 ま り、 ユ ダヤ人の安息 日の
代 わ りにその 日を守 った。 したが って、 キ リス トとその信徒 たちが神 の導 きによって、「
主の
冒」 あるいは休息 の 日あるいは安息 日と呼ぶよ うにな ったのは明 らかである これを疑 うこと
。
は新約聖書 の土台 と歴史全体 を疑 うことになる。聖 ヨハネは2
0
章1
9
節で次 のように積極的に主
遇 の初 めの 日 [
の夕方] の こ
張 している。 キ リス トは復活後 に弟子 たちの前 に姿を現 した。 「
とであ ったが」、弟子 たちはユ ダヤ人 たちを恐れて扉 を堅 く閉めていた。 キ リス トが手 と脇腹
平安があなたがたにあるように。--父
を見せた後、弟子 たちは喜ん だ。 さ らにキ リス トは 「
0
:1
9
,2
1
]
がわた しを遣 わ したよ うに、 わた しもあなたがたを遣 わ します」 [ヨハ ネの福音書 2
と言われた。 こう言 われた後、 キ リス トは弟子 たちに息 を吹 きか けて言 われた。「
聖霊を受 け
なさい」 [ヨ- ネの福音書 2
0
:2
2
]。 しか し揚 げ足取 りの人 は、 キ リス トは安息 日を押 しっ けな
か った し、 それを守 らないか らと言 って非難 しなか った と言 う。 キ リス トは奴隷制度 とい う罪
を非難 しなか った。 その当時、奴隷制度 は恐 ろ しい形で存在 していた。 また、異教徒の百人隊
長がイエスに自分 の奴隷 を単 に言葉でいや して くれ と頼んだ とき、 イエスはそのよ うな権威 を
有 した り行使 た りして罪 を犯 した と言 う代わ りに、百人隊長 をひど くはめたのである。「わた
しはイス ラエルの うちのだれ に も、 このよ うな信仰 を見 た ことがあ りません」 [
マ タイの福音
書8
:5] と。 姦淫の現場で と らえ られた女がキ リス トの前 に引 き出 された とき、 イエスは 「私
もあなたを罪 に定 めない」 [ヨ- ネの福音書 8:1
1
] と言 った。 キ リス トが安息 日への冒涜を承
認 した とい うことは、姦淫 を承認 した と言 うことと同 じであ る。「
安息 日は人間のために設 け
られたのです。人間が安息 日のために造 られたので はあ りません」 [
マル コの福音書 2
:2
7
]。
「
安息 日は入間のために設 け られ た」 [
マル コの福音書 2
:2
7
]が、 キ リス トは安息 日の主であ
-1
2
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川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
1
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1
8
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年)
る。 また、 こうい う意見 もある。 聖 な る事項 のなかに安息 日はない。救 い主が次のよ うに言 っ
ている。「
宮 にいる祭司たちは安息 日の神聖を冒 して も罪 にな らない」 [
マ タイの福音書 1
2
:5
]。
7日目を支持す る人 は天文学的な計算 によ って、 あるいは電報 によ って、7日目がいっか ら始 ま
りいっ終わ るのか示す ことがで きるだ ろ うか。太陽 に従 い、7日目を探す ために地球 を ぐるり
とまわ って も、家 に着 いたとき、 自分 たちはキ リス ト者が主 の 目に使 っている同 じ時間に、礼
拝 していると知 っで 樗然 とす るだろ う。 千年 は神 にとって 1
日の如 しである。 神 は第四の淀 に
●●●
おいて安息 日を聖 な るもの と した。 しか し、神 は7日目を聖 な る もの と したわけではない。 ま
●●●
た、 ユダヤ人 に7日目を覚えるよ うに言 ったわけではない。神 の意図 と意味 は明 らかに、6日間
働 き、休息 と礼拝 のため人の人生 の7
分 の1
を守 るとい うことであ った。「
7
年 目の安息年 」はユ
ダヤ人の問で は存在 した。「
7
」は聖書 では象徴的な数で、「完成」、「完全」、「適合」 などの意
7
つの捧 げ もの」、「
7
つの燭台」、「
7
つの封印」、「
7
つの ラッパ」 として用 い られて
味を持 ち、「
いる。 ノアが箱船 に人 らた後 、「
7
」 日日に洪水が地上 を覆 った とあ る。 また箱船 は 「
7
」か月
目にアララ ト (
Ar
a
r
a
t
)山に止 ま った。●●
ノアが鳩 を飛 ば したが、箱船 に戻 って きた。 そ して
「
7
」 日待 って、再 び鳩 を飛 ば した。鳩 は夕方 に戻 って きたがロにはオ リーブの葉を くわえて き
7
」 日た ってか ら鳩 を飛 ばす と、 もう戻 って こなか った。地 に降 りた ときノアが
た。 さらに 「
最初 に した ことは、主 に祭壇を築 くことで、その祭壇の上で全焼 の生 け祭 を捧 げた。 それは明
らかに神の命令で はな く行 った ことである (
神への礼拝 はノアの洪水後 とい うことを示 してい
る)。「
主 は、 そのなだめのかお りをかがれ、主 は心 の中で こう仰せ られた0『わた しは、決 し
て再 び人のゆえに、 この地 をのろ うことはす まい。人の心 の思 い計 ることは、初めか ら悪であ
るか らだ。 -
。』
」[
創世記8
:2
1
]。 イメ- ジと 「
想像力」(
i
ma
gi
na
t
i
o
n)は大変重要 な意味
分 の1は、創造主 。救 い主 を覚 え るために聖別 され る。 律法や
を持っ言葉である。人の一生の7
慣行 における1日は2
4
時間である。 しか し、 それはまた広 い意味を持 っ
。
北極での1
日は我われ
の 1日とは大 いに異 な ることを知 っている。2
4時間の うち体 のためには睡眠が必要であるが、
神 の霊 または像 は決 して眠 らず死ぬ こともない。
安息 日を聖 なるもの とす ることで、 ユ ダヤ人 は神 を礼拝 していることを認識す る。 ユダヤ人
は、偶像を礼拝す る他 のすべての国民 と非常 に異 なる。 主の 日のキ リス ト教徒 は、神のわざに
●●
対 して神 に栄光 を帰す。我われの独立記念 日 「
7
月4日」を守 るの と同 じである。 しか しもし7
月4日が 日曜 日であれば、我われ は神 の方 を優先す る。 そ して次 の 日を祝 日とす る。誰 もこれ
に異を唱えない。 ユ ダヤ人 も異教徒 も、不信心者 もキ リス ト教 も異 を唱えない。主の 日は死 に
打 ち勝 った 日、歓 び と救 いの日である。 主の 目がなければ、 キ リス ト教 はキ リス ト教でな くな
る。 我われ はキ リス トの降誕 と して ク リスマスを祝 う。 しか し、誰 もキ リス トの誕生 日を正確
に は知 らな い。 我 わ れか らそれ を隠 され たの は神 の知 恵 で あ る。 聖 ヨ- ネ はパ トモ ス島
(
Pa
t
mo
s
)で主 の 日に霊 に包 まれた。 これだけは我われ も知 っている すなわち我われは 「キ
。
リス ト教徒」 と呼ばれる新 しい体系の もとで暮 らしている。 これは 「ユダヤ人」あるいは 「モー
ゼの律法」 と対比 してそ う呼ばれ る。1
8
7
2
年 に手紙や法案を書 いている人 は、誰 もが これを認
めている。 イエス 。キ リス トは我われの購 い主である。それで、我われは7日の うち1日を守 り、
主 の名を祝 し称え る。 ボス トン市 は公立図書館を 「
主の 日」に開館す ることで、神 あるいは神
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京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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年
の子 を賛美 し栄光 を表す ことがで きるのだろ うか。 もしで きるのであれば、1
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人 しか収容で
館 を開 くかわ りに、1
,
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館を開 けばよい。 もしそれが公共 の祝福 となるな ら、
きないよ うな1
多す ぎて困 ることはない。開館擁護者 は 「
知識 を広 める」 と言 うだろ う。 それな らばなぜ市の
、
公立学校 を開 き、『ポス ト紙』 『トランスク リプ ト紙』やあ らゆ る日刊紙 を発行 しないのか。
公立図書館 と同 じように知識を普及 させ るだろう。 開館擁護者 は、他 の 日に して悪 いことを 日
曜 日にす ることは間違 っている、他の 日に して正 しいことは日曜 日に して も正 しいと主張す る。
もし、 この理屈が有効だ と して、 どうして 日曜 日に教会 の建物 の建築 を続 けないのか。擁護者
の意見 に従えば、確か にそれ は適切 な仕事 にちが いない。 そ して、貧 しい機械工 は1日余分 に
給金が入 る。 擁護者 はそれを正当化す るために、他 の妥当な理屈 を作 り出す ことがで きる。
図書館 を 日曜 日に開 くための請願 は、 それが下宿住 まいや家のない若者 の避難所 になるとい
う。 この議論が もし有効 な ら、帰 る家がない学生 にカ レッジの図書館 を 日曜 日に開 くべ きであ
る。 また、美術館 や画廊 など、そのような道徳的食べ物 を好む人 びとの趣味に合わせて開 く必
Me
t
r
opol
i
t
anRai
l
r
oadCompany) は、 とりわけ教会
要がある。 メ トロポ リタン鉄道会社 (
に行 く人 びとを乗せ るために、 日曜 日に数両の馬車 を走 らせ ることか ら始 めた。 しか し 「くさ
,
5
0
0
人 と3
千頑 の馬が ボス トンで雇わ
び」が一度打 たれ ると、「ク レバ ス」が開 く。 今で は約 1
れ、 日曜 日に鉄道馬車 を走 らせている。 人 も馬 も安息 日や休息 日はない。 それ は道徳的に大 き
な間違 いである。 コ ミュニテ ィを急速 に堕落 させ る。 また図書館 の 日曜開館を要求す る声の先
0
年かけ
駆者 にな る。 そ して 「
主の 日」 の持っ聖 なる性質 を急速 に追 い出す改革 となる。 私 は2
人である。
て この問題 を辛抱強 く調査 して きた。 また私 はメ トロポ リタン鉄道会社 の創始者 の1
ため らわずに言 うが、 それ は馬 にとって恐 ろ しいほどひどいことで、破壊的である。 馬 は昼 も
夜 も、雨の 日も照 る日も、毎年毎年終わ ることのない単調 な仕事や囲い場で働 き、死んだよう
にな って いる。 そ うした労働 によって、馬 は3
年か ら5
年 で役立 たな くなる。 車掌や御者 は第四
の淀を破 るために採用 され、 まもな く三番 目や八番 目の淀 を敬 うことも忘れて しまう。 害悪が
そ こか らあ らゆる方向に流れ出 し、広が ってい く。 他 の曜 日に馬車 に乗 る人 は、 日曜 日の仕事
0
パ ーセ ン ト余分 に払 うべ きである。 あるいは3
分 の1
乗 るのを少 な くす
の損失を補填す るため2
べ きである。 そ うすれば馬車 の所有者 は過 日3
分 の1
余計 に距離 を走 らす ことがで きるだろう。
もし馬 を 日曜 日に休 ませ ることがで きるな らだが。 日曜 日の仕事を止 める しか方法がない。多
くの良 きキ リス ト教徒や教会 に行 く人 は日曜 日に鉄道 を最展 にす るが、 おそ らく教会 に引 きつ
け られ るの と同 じくらい、教会か ら別 の所 に引 きっけ られている。 そ して、鉄道 に乗 る圧倒的
に多数の人 は、教会へ行かない。郊外の住民 は、 た くさん給料 を もらう説教者、 あふれんばか
りの会衆 を持っ素晴 らしい説教者の話 しを聞 くために、家か ら遠 くまでや って くる。 一方で、
0
自分 たちの近隣 にある貧 しい教会 は、支援や影響面で萎えてい く。 日曜乗合馬車 の必要性 は2
年前 には存在 しなか った。 この問題 に対 して表面的な調査 しか しない人 は、 日曜 日の鉄道馬車
か ら発生す る連続す る悪 とい う考えを持つに至 らな い
。
統計 によると、2
万人 と4
万頭 の馬が合衆国で働 いている。 証明済の ことだが、 日曜 日の営業
倍がかか って いる。 これは不思議 に患 え るが、簡単 に証明で きる。 人 と
に関 して は、稼 ぎの2
馬 は、機械 のよ うに、6日間働 いた疲れを癒 し良好 な状態 を保っためには、7日につ き1日を必
- 12 6
-
川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
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6
4
1
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2
年)
日で力 も能力 も最大限 に消耗 しているので、持続 の問題 になる。 鉄道馬車でかな
要 とす る。6
歳か ら働
り使役 され る馬 の平均労働時間 は、 日曜 日に休息が認 め られ、力 を補給で きれば、5
0
年 であろ う。 次の ことは経験か ら証明 され る。 つ ま り、 このよ うに使役 された馬
いたとして1
は6日間 に1
2
0マイルか ら1
4
0マイル走 る。 何年 も過重労働 で苦 しむ ことがない。 しか し、 もし
年か ら5
年 で使 えな くなる。1
週間毎 日働か
日曜 日も同 じ仕事 を続 けることを要求 されれば、3
0
0マイル以上 もたない し、力 も勇気 も維持 で きな い
され ると、馬 は週 1
。
従 って、数年 で馬 を
使 い古すか、現在 している日曜 日の仕事 をす る分の2
5パ ーセ ン トをとってお くか どち らかの問
題である。 利 己的な問題 として、経営者 は株主への利益 のため最上 の方針 について意見が分か
れ る。 もっと馬 を増 や し、御者や車掌 に給料 を払 うことは、 さ らなる摩耗 に加えて、 日曜 日の
倍 を必要 とす る。
稼 ぎの2
車掌 と御者 の道徳 が低下 し向 こう見ず になる。 す ると危険が ともない1
年 の経費が膨 れ る。
そ して これはすべて一般 の人 びとに降 りかか る。一般の人 び とが この方式の輸送機関を維持す
るため、 日曜以外 の6日間支払 いを しな くて はな らない。 日曜 日の営業 をやめれば、現在 の運
0
パ ーセ ン ト下が り、株主への配当は増え る。 これはこの問題 に慣れ親 しんだ人 びとの意
賃が2
見である。 そ して、信頼で きる、 きちん とした見積 りでは、安息 日を破 ると、 ボス トン、ニュー
ヨーク、 ブル ック リン、 フィラデル フィア、 ボルテ ィモアで 日曜 日の稼 ぎを計算 に入れて も、
1
年 に1
0
0
万 ドルの損 がでている。 驚 いた ことに、動物虐待防止協会 は4
万頑 の馬が被害 にあ っ
ている恐 ろ しい仕打 ちには目をっぶ っている. もちろん経営者 や場所が異なれば一概 には言え
ないだろう。 しか し、一般的に言 って、馬 は夜 も昼 も、雨の 日も照 る日も、毎年毎年 こき使わ
れて、ず っと苦 しみ続 けてお り、体力を減 じている。 遅かれ早かれ、死 に至 るのである。
ほかの大多数 の雇用 の場合、馬 は少 な くとも日曜 日と嵐の 日は休息 日である。 もし日曜 日の
鉄道馬車よりもひどい、良心の吋責のない使い方があるとすれば、それは戦争中であろう。 ニュー
ヨークは休息 日と して安息 日の神聖 さを奪 う首謀者であ った。 ボス トンとブル ック リンはま も
な くそれに従 った。 フィラデル フィアは何年 も闘 って きたが、州法廷の最 もひどい決定 に屈 し
[
Wi
l
l
i
am]St
r
ong)判事 は合衆国最高裁 に昇格 [
1
87
0
年] して以来、 その
た。 ス トロ ング (
決定 に反対す る意見を述べて きた。かれが王の王 [
キ リス ト〕 の前 にで るとき、頭 には冠がか
ざ られ るであろ う。 日曜 日の図書館開館賛成者 にはス トロング判事の意見を注 目させたい。
ボルテ ィモアは雄 々 しい闘 いの後 に一般投票 に服従 した。 もっともボルテ ィモアの市民 のほ
ぼ半数 は反対 したのだが。他の市 も追従 し、ついには大 きなウバス樹のように全国を覆 いだ し、
周 りの雰囲気 を毒 し、主 の 日の聖 なる性質を壊 している。
神の第四の淀 は、明 らかに我われの 「
家畜」の身体的な安寧 のため、7
分の1を 「
安息 日」 あ
るいは 「
休息 」 と して当て るよ うに指示 している。 「ユ ダヤ人 の家畜 」に しか当て はま らない
と瞬時で も考え る人がいるだろうか。 また、 キ リス トはこの制約 を取 り去 るつ もりであ った と
か、 もし地上 にいた として、 日曜 日の鉄道馬車 を奨励す るだろ うと信 じる人がいるだろ うか。
「マ タイ
日曜 日に馬 を働かす ことは、馬 を穴か ら出すかわ りに穴 に放 り込む ことに似ている [
の福音書」1
2
:1
1の羊 を馬 に言 い換えている]。馬 の筋肉を1
週 間すべて最高限度 まで働かすの
だか ら。 経験 によると、馬 は日曜 日に休 ませ るともっと仕事 をす るよ うになる。休 みな しに1
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年
年中を通 じて働 くよ りはず っとである。 安息 日は我われ世俗 の利益、 そ して永遠の利益の頼み
の綱である。 最近 にな って フィラデル フィアや シンシナチで、図書館 を [日曜]開館す ること
が悪 い結果を伴わない と主張 されている。 しか し、図書館来訪者 は他 の曜 日の常連 と同 じで、
ほとん ど新規 の来訪者 はいないと言われている。 したが って、他の曜 日に来れない階層 には益
がない とい うことを示 している。 最近開かれた市役所での聴聞会で、請願者 はたい した議論が
で きなか った。 また、 その折、 冒涜 とはいわないまで も、最 も衝撃的な背信 を表 した ものがい
た。 そ して、 そ うした請願者 に必要 なのは読書で はな く、説教であ ること、「モーゼの書が朗
:
読 され ると/
きはいっで も、彼 らの心 にはおおいが掛 か っている」 [コ リン ト人への手紙第二3
1
5
]とい うことを証明 した。パ ウロが書簡で この重要 なテーマに一度 もふれなか ったのをいぶ
か しく思 う。 今 日、聖パ ウロよ り賢明な教師がいる。 パ ウロはそ うした教師には年老 いた時代
遅れの人間であろう。 最近 に市役所で開かれた聴聞会で、引退 した商人が 日曜開館 に抗議 した。
Jos
huaBa
t
e
s
,我 われの図書館 の設立者
ジ ョシ3
.ア ・ベイ ツ (
[
1
7
8
8
1
8
6
4
]
)の古 い友人で
ある。 その商人 は、 日曜開館 はベイツ氏 の意図に反 し、 ヨーロッパの都市 のあ らゆる前例 に反
す る、 そ してボス トンおよびボス トンの青少年 の性質 を堕落 させ ると思 うと言 った。彼 自身 は
堅固なユニテ リア ンであ ると明言 した。 さ らにボス トンやニ ュー ヨークで図書館の 日曜開館を
擁護 している、敬意 を払われている傑出 した紳士 たちは、 自分 には 「バ ーベナ」やその他 のか
わいい植物 を思 い出 させ ると言 った。 そ うした植物 は香 りがな く、「
主根」がない。 この 日曜
開館運動 の反対者 は、 この5
年間安心 して市法務官が非合法 と公表す る措置を市政府が講ず る
安息 日の主」 に
ことはないだろ う信 じていた。責任 は市政府 にある。 市政府 はいっの 日か、「
対 して管理者 の責任 を釈明 しなければな らない。 この長文 エ ッセイを閉 じるにあた って、以下
の賛美歌 を添えることほどふ さわ しい終わ り方 はない。 この主 の 日を称 え る賛美歌 は、 ウェス
Wor
ds
wor
t
h)博士が書かれた もの
トミンスター寺院の奉献文で、司祭であるワ-ズワース (
である。
休息 の 日、喜 びの 冒よ、
歓喜 と光の 日
慈 しみがあ り悲 しみが癒 され
もっとも麗 しく、輝 く冒
主 よ、 いと高 さ方であ り、身 を低 くされ
王座 の御前 に脆 き、
●●●●● ●●●●● ●●●●●
謡え、聖 なるかな、聖 なるかな、聖 なるかな、 と
三位一体 の偉大 なる御神 に
創造 の 日に、
主よ
光が初めにあ った
主 よ、われ らの救 いにため
キ リス トは地 の淵 よ り蘇 り、
ー1
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川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
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年)
勝利のわが主、 あなたの上 に
天 よ り霊が降 り来 た り
いと栄えある主 の上 に
三重 の光が与 え られた
主 はわれ らを守 る港
我 らを囲み襲 う嵐か ら守 られ る方
天の御国の川が
交差す る庭園
主 は、殺伐 と した人生 の中の、
荒涼 と した砂漠 の中の、 ひんや りした泉
主 より、 ビスガの頂のよ うに
われ らは約束の地 を望み見 るのだ
主 は聖 なる天への きざは し
天使が上 り下 りす る梯子
日曜 ごとにわれ らはその きざは しを兄 いだすのだ
われ らの故郷である天 にさ らに近づ くよ うに、
日曜 日は元気回復 の 冒
それ は愛の 日
地上か ら天へ至 る
廷 りの 日
今 日、疲 れた、 くにたみの上 に
天 よ りマナが降 り注 ぐ
聖 なる会衆 に
銀色 の ラッパが吹 き鳴 らす
そ こでは福音 の光がいや増 し、
混 じりけのないまばゆい光 の筋が さ しこむのだ
生 ける水が流れ出 し
魂の渇 きを癒す流れ となる
新 たな恵 が与え られ る
この 日よ り、休息の 日に
残 りの日々は
祝福 の霊 に手 を伸ば し
-
129 -
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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9
年
聖霊 を賛美す る
父 なる神、御子 なるキ リス トを賛美す る
教会 はその声 を上 げて
御神 に、三位一体 の主を誉 め称え る
(
9)
市長 メ ッセー ジ :公立図書館の 日曜開館の命令 を承認 しない理由
ボス トン市、市文書第 6
9
号 ,1
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年6
月2
9日
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ボス トン市
市長部局
市役所
ボス トン 1
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年6
月2
0日
市議会下院 に :
貴市議会 の委員会 を源 とす る市議会の命令 は、図書館理事会 に対 して、「公立図書館 の閲覧
室 を開館 し、 日曜の午後 2
時か ら午後9
時 まで、図書 と定期刊行物 の利用を認 める」ことを要請
す るものである。 この市議会の命令が私 の正式な承認を求めて回 されて きた。
この命令 に盛 られている主題 は非常 に重要である。 この件 については高潔 な性格 と立派 な知
力の持 ち主が多様 な意見を持 っている。 この動 きは、私 たちの全史 において人 びとが大 いに反
対 して きた実践である。 また この動 きは、最終的には公立図書館の開館 よ りもはるかに重要 な
事柄 を含んでいる。 こうした動 きを開始す る前 に、本当の進歩 の道 を歩む ことになるのか、 ま
たその ことで コ ミュニテ ィの世俗的、宗教的な利益 を促進す ることになるのかを、十分 に確信
しな くて はな らない。 しか しなが ら、私 はこの分野 の問いか けをす るに際 して、事前 に重要 な
2つの検討を しな くてほな らないと思 う。 そ して1つ は決定的に重要 なので、それを無視す ると、
本件 につ いてのいかなる議論 も完全 に無意味 になる。
こう した検討 の第1の ものは、市議会 は条例で、図書館理事会 に 「
公立図書館の全般的な管
理 と統制」権 を与 えているとい う事実である。 幸運 に も理事会 を構成す る人びとは、立派な知
力、十全 な能力、それに自分 たちに課 された重要 な職責 を遂行す る積極的な意志を持 っている。
理事会 は公立図書館 の統制権 (
市議会 は条例 によ って統制権 の大部分 を委譲 した) を有 してい
る。 も し提案中の措置が合法であ り、 コ ミュニテ ィの宗教的、世俗的な本当の利益が求め られ
るものな らば、理事会 は明 らかに己の権限を行使 して、 そ うした措置を採択す るであろう。 そ
して市議会 の命令 の後 ろに隠れた り、己の正当な責任 を回避 した りす ることを願わないであろ
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川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
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年)
う。 提案中の措置が法律 に違反す るな ら、たとえ市議会が理事会 に実行を要請 して も、理事会
は採択で きない。理事会 は励 ま しもな しに、担わされているすべての職責を忠実 に遂行 してお
り、 したが ってすべての問題を正当にも理事会 に委ねてよい。 このように判断 して間違 いない
と思われ る。
私が示唆 したいま1
つの検討 は、提案 されている措置の非合法性である。 日曜開館 に関す る
私の見解が どうであろうと、法的検討だけで も抑制 とな り、私 は命令を承認 しがたい。本件 に
ついて、私 は非常 に有能で熟達 した法律家に情報を求 めた。市議会が賢明に選 び出 した法律家
で、法律問題 について市議会や私の案内役になっている。すなわち市法務官である。市法務官
の意見 によると、公立図書館を住民の利用のために日曜開館す ることは、 マサチューセ ッツ州
法 に違反す る。 私 は市法務官の意見を示 した文書の写 しを添える。
公立図書館 の 日曜開館の問題 は、州議会や これまでの市議会で も審議の対象 になって きた。
私の理解 によると、州議会では何回か州法の廃棄や修正の動 きがあったが、 いずれ も失敗に終
わ っている。州議会での審議、それに廃棄や修正の失敗か ら推測す ると、州議会 は提案 されて
いる措置を遵法 とみなすだけでな く、法の廃棄 は公共政策 に反す ると信 じているようである。
8
6
5
年 に市議会 は同 じような命令を採択 し、当時の市長が
またボス トン市 の記録 によると、1
8
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7
年 にも市議会 に持 ち込 まれ、非常 に賢明な委員会 に回 された。 この
拒否権を使 っている。1
委員会 は市法務官か らの意見を得 たのち、「
本件 について これ以上の措置が取 られないよう」
と勧告 した。私 の知 る限 りでは、法律問題が浮上 したのはこの時が最初である。 同委員会 は報
。
告で次のよ うに記入 している 「
審議 の過程で法律問題が指摘 された。すなわち市議会 は州法
必要
の下では公立図書館のどの部分 も日曜開館す る権限を持たないというのである。 州法 は 『
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』を除いて、 いかなる仕事 も日曜 日に行 うことを禁 じてい
る。条例に即 して この問題を正当に解決するために、本委員会はただちに市法務官に相談を行 っ
た。市法務官 はこの問題を徹底的に調べ、 また著名 な法律家 に相談 して意見を強化 し、本委員
。1
8
6
7
年7
月2
5日付 けの市法務官の意
会の問いか けに対 して次のような正式の回答を して きた」
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0
年 に市議会 は再 び本件を検
見には解答が ほのめか されてお り、 その写 しを添えておいた。1
討 した。 この問題 は委員会 に回されたのだが、同委員会の立派な報告の一部分 に注 目されたい。
同委員会 は、「
本委員会の委員が市法務官 に問い合わせを行 い、以下 のような回答 を得た」 と
記入 している。
「
公立図書館の日曜開館の問題 に関 して、州法に も裁判所 による最近の判決 にも変化 はな
8
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7
年の 『
市文書』第
い。本件 についての本官の判断は、従前の ものと相違がな く、それは1
7
5
号 に示 され、刊行 されている」。
「おそ らく本官の判断は州議会の今会期の動 きによって少々裏付 けられよう。 図書館の 日
曜開館の権限を付与す る法案が、提出、審議 され、そ して拒否 された。州法がすでに日曜開
館を許 しているのな ら、現在取 り組 まれているような州議会での動 きは不必要であったろう。
そ して本官が諸報告 を読む限 り、本件 に関す る討議 は、 日曜開館 は法 に逮反す るとの理論 ど
お りに進んでいる」
。
また同委員会 は次のように記入 している。
ー
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京都大学
生涯教育学 。図書館情報学研究
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0
9
年
「
本委員会の多数派 の明確 な意見 は、道徳的および教育的観点 か らして、住民への 日曜開
館 は大いに利益があるとい う考えである。 しか しなが ら、 日曜開館 の合法性が問題 にされる
なかで、 日曜開館 を勧告す るのは賢明であるとは思 っていない。多 くの有力市民 は、主 の日
の適正 な遵守 に違反す るとみなす事柄 を考慮 して、現状 の変更 に強 く反対 している。 こうし
た強い反対がために、変更 を好む側 に必要 な ことは、合法性 にまつわるあ らゆる疑問を除去
す ることである。 そ うでないと、変更 を好む人 びとの行動 は、公立図書館 の最善の利益 を傷
つ けることになる。 日曜開館支持者 も公立図書館 の利益 の拡大 を願 っている」
。
「
以上の ことか ら、本委員会 は以下 に添えている命令が採択 され るよ うに勧告 して、結論
とす る。 州法がボス トン市 に公立図書館 の 日曜開館 の権限を授 けるよ うに、主の 日の遵守 に
かかわる州法の変更 をすべ く、市長 に対 して州議会の次の会期 に取 り組むように要請す る」。
「
命令 :ボス トン公立図書館 あるいはその分館 を市民 の利用 のために日曜開館す る権限を
得 るために、市長 に対 して州議会の次の会期 に取 り組むよ うに要請 す る」。
この命令 に従 って州議会 に持 ち込 まれ、州議会 は十分 な審議 ののち、 ボス トン市への権限の
付与 を拒否 した。 ボス トン市議会 の次の動 きが現在 の命令である。 この命令 には、公立図書館
理事会 に対 して、州議会が ボス トン市 に権限の付与 を拒否 した事柄 を実行す るように要請 して
いる部分がある。
この命令が もし承認 され るな ら、当市 は少 な くとも州法 を無視 あ るいは州法 に反抗 している
よ うに思われ る立場 に置かれ る。 そ うした立場 は悪例 にな るであろ う。 またボス トン市がそ う
した立場を占めることは、圧倒的多数 の市民 にとっては不本意 な ことだ と思える。
市議会 は慎重審議で もって、 また市民の最善 の利益 を促進す るとい う真面 目な期待を もって、
命令 を採択 した。私 はその ことを知 ってお り、非常 に遺憾 ではあ るが、市議会の命令 について
公式 に承認 を与 え ることを拒否す る。「
著名 な法律家 」の判断で固 め られた市 の法律顧問の意
見、および本件 に関す るこれ までの州議会や市政府 の歴史か らして、個人的な見解や願 いはと
もか く、市長 の立場 にいる人 な ら誰 もが、本件 のよ うな命令 の承認 を正当化 しようとす ると、
大 いに当惑す る立場 にあることを知 るだろ う。 市議会 はこの ことを認識す ると思 う。
上述 の理 由か らして、命令 に含 まれ る要請 は市議会が行 うべ きで はないことであ り、 また公
立図書館理事会が受 け入れ るべ きことで もない。 このように信 じるので、私 は謹んで、承認を
せず命令 を市議会 に送 り返す。
W.
M.
ガス トン (
W.
M.GAS
TON)市長
市法務官事務所
ペ ンバー トン (
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番地
ボス トン 1
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年6
月1
4日
市長殿
貴殿か ら照会 を受 けたのは以下 の問題である。
「ボス トン公立図書館 を住民の利用のために日曜開館す ることは、 マサチューセ ッツ州法の
諸規定 に違反す るのか」。 この問題 はこれまで に も検討 した事柄で あ り、本宮 はすでに意見 を
表明 している。
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川崎 :ボス トン公立図書館 と日曜開館問題 (
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年)
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年 に、市議会 は公立図書館 を住民の利用 のために 日曜開館す ることを審議 し、「公立図
書館 に関す る合同常任委員会」 は提案中の措置についての合法性 について本官に意見を求めた。
照会 された問題 を慎重 に検討 し、同委員会 に意見を提示 した。 その写 しを添 えている。
本件 はその後 も姐上 に上 り、 ときどき再検討す る必要が生 じた ものの、本官が1
8
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年 に作成
し表明 した意見 はそのままである。
敬具
J.
P.
ヒ- リー (
I.
P.HEALY)
市長殿
市法務官事務所
コー ト (
Cour
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)街4
6番地
ボス トン 1
8
67
年7
月2
5日
貴 「
公立図書館 に関す る合同両院委員会」か ら、以下 の問題 について照会 を受 けた。
1.「ボス トン公立図書館 あ るいはその一部分 を住民 の利用 のために日曜開館す ることは、
安息 日の正 しい遵守 にかかわ るマサチューセ ッツ州法 の字義 あるいは精神 に違反す るの
か」
。
2. 「マサチ ューセ ッツ州法 は、必要 (
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y) あ るいは慈善 (
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息 日にいかなる仕事 を行 うことも禁 じている。 公立図書館 を 日曜開館す るとい う市議会
の命令 は、州法違反 のか どで図書館職員 (
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) が法的に起訴 され ることにな るの
か」
。
マサチューセ ッツ州 法 第84条の1
項 と2
項 は、以下 に刑罰 を科 している。 いかなる 「
店、倉庫、
作業場」 を開 くこと、「
必要 あ るいは慈善 の仕事 を除 いて、何 らかの形態の労働、 ビジネス、
仕事」 を行 うこと、 それに必要 あるいは慈善 を除 いて、主 の 日に旅行す ること。
こうした条項および判例 に照 らして、次のよ うな意見を回答 とす る。 公立図書館 を住民の利
用のために 日曜開館す ることはマサチューセ ッツ州法 に違反す る。 公立図書館 の日曜開館 は、
必要 あるいは慈善 とい う例外 の範噂 に入 らない。公立図書館 を住民の利用のために日曜開館す
る人 は、同州法が定 める刑罰 に服す ることになる。
敬具
J.
P.
ヒ-
リー
(
J.
P.HEALY)
行政委員ガ フィール ド (
GAFFI
ELD)殿
公立図書館 に関す る委員会
時か ら午後9
命令 :公立図書館理事会 に対 して、公立図書館 の閲覧室 を開館 し、 日曜の午後2
時 まで、図書 と定期刊行物 の利用 を認 めるよ うに要請す る。
ボス トン市
市議会下院
1
87
2
年5
月1
6日
採択,同意 を求 めて申 し込む
M.
F.
デ ィキ ンソン 。ジェニア (
M.
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NSON,Jr
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) 議長
市議会上院
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年6
月1
0日
京都大学
生涯教育学 ・図書館情報学研究
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年
同意
S.
リ トゥル (
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参考文献
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年史 :栄光、 挫折、 再生 』川 崎良孝訳
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A.
ヴェル トハイマ-協力) 日本図書館協会 ,1
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バ ーク レー、W.『十戒 :現代倫理入門』牧野留美子訳,新教 出版社 ,1
9
8
0.
川崎良孝解説 。訳 『ボス トン市立図書館 は、 いかに して生 まれたか :原典 で読む公立図書館成
立期 の思想 と実践』京都大学図書館情報研究会発行,日本図書館協会発売 ,1
9
9
9.
瀧滞信彦 『国家 と宗教 の分離』早稲 田大学 出版部 ,1
9
8
5.
なお資料 での聖書 の引用 につ いて は 『新改訂
聖書』 (いの ちの ことば社 ,2
0
0
5
) を用 いて
いる。 また訳者 の補足 は [ ]に示 している。
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