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ドイツの社会保障制度

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ドイツの社会保障制度
49
論
説
ドイツの社会保障制度
改革と現実
正
井 章
はじめに
A.ドイツの憲法(基本法)
Ⅰ.序
説
Ⅱ.国家構造の基本原理
Ⅲ.基本権
B .社会保障制度
Ⅰ.序
説
Ⅱ.社会法典の構造―概観
Ⅲ.社会保険制度
C .労働市場と社会保障制度の改革―いわゆるハルツ改革
Ⅰ.序
説
Ⅱ.ハルツ委員会の報告書
Ⅲ.ハルツⅣ法
Ⅳ.ハルツⅣ法に関する連邦憲法裁判所の判決
D.
困の実態とドイツ人の意識
Ⅰ.ドイツにおける
困
Ⅱ.ドイツ人の意識―ハイトメイヤーの調査と評価
Ⅲ.ハイトメイヤーの評価について
おわりに
筰
50
早法 86巻4号(2011)
はじめに
ドイツは、第二次世界大戦による荒廃の中から復興を遂げて経済大国と
なった(日本も同様である)。そして現在、ドイツは、少子化・高齢化、失
業者・
困者の増加、国・自治体の財政赤字の増大に直面している(日本
もまた同じ状況にある)
。これらの問題を解決・克服するために、ドイツ政
府は多くの改革を進めている。本稿は、それらのうち、社会保障制度の改
革について紹介する。以下では、まず、序論として、ドイツの憲法(基本
法)が定める国家構造の基本的枠組みを概観する(A.
)
。次に、社会保障
制度の内容を紹介し(B.)、続いて、同制度の改革の動きとそれに関連す
る連邦憲法裁判所の判決に論及する(C.)。最後に、ドイツにおける
困
の実態とドイツ人の意識について、実態調査にもとづく見解を紹介する
(1)
(D.)。
日本では、現在、2009年9月に 生した民主党政権の下で、税制と社会
(2)
保障制度の「一体改革」が進められている。少子化・高齢化による人口減
少社会の到来を 慮して、日本の進路をどのように定めるべきかというこ
とが、政治家のみならず、国民全体に問われている。ドイツの社会保障制
度改革を 察することは、これから日本が採用すべき政策・措置に大いに
参 となると える。
(1) 筆者(正井)は、2010年度前期の法学研究科における「法と社会」というテー
マの下でのオムニバス形式の講義の一つとして、ドイツの法制度の基本的な枠組み
と社会保障制度の改革などについて概説した。時間の制約や対象範囲が広いことな
どから、それらの一部
について説明するにとどめざるをえなかった。以下では、
その後の動向を踏まえて少し詳しく論じることにする。
(2) 参照、朝日新聞2011年1月15日5面、など。
ドイツの社会保障制度(正井)
51
A.ドイツの憲法(基本法)
Ⅰ.序
説
(1)ドイツは、第一次世界大戦の後、カール・マルクス(Karl M arx,
1818―1883)の社会主義的思想にもとづく革命が成功しそうな騒然とした
囲気の中、民主主義的思想にもとづくヴァイマル共和国(Weimarer Republik)が成立した。しかし、その体制も、初めは巨額の賠償金の負担に
苦しみ、1929年11月以降は世界恐慌の荒波を受けたことによって、14年と
いう短期間に崩壊し、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889―1945)に
指導されたナチス(国民社会主義ドイツ労働者党=NSDAP)による独裁を
経験することになった。
(2)第二次世界大戦後、ドイツは戦勝国(英米仏ソ)によって
治され、その後、「東西の冷戦」により、
「西」と「東」に
割統
断された。
1949年5月23日に成立した「西」のドイツ連邦共和国(Bundesrepublik
Deutschland)は、ドイツの歴
上、ヴァイマル共和国に次ぐ、二番目の
議会制民主主義体制を採用した。全州(Lander)の議会の代表から成る代
議員会議(1948年 9 月 1 日 設 置)は、新 し い 憲 法 で あ る 基 本 法(Grund(3)
gesetz)(1949年5月8日採択、同年5月23日
布、5月24日 施行)の中に、
(3) Grundgesetz fur die Bundesrepublik Deutschland vom 23.M ai 1949(BGBl.
S. 1)=http://www.bundestag.de/dokumente/rechtsgrundlagen/grundgesetz/
index.html 多くの注釈書がある(http://de.wikipedia.org/wiki/Grundgesetz。最近のものとして、Schmidt-Bleibtreu/Hofmann/HopKommentar に詳しい)
fauf, Kommentar zum Grundgesetz, 12. Aufl., Koln 2011. 邦語文献として、コン
ラート・ヘッセ(初宿正典=赤坂幸一・訳)
『ドイツ憲法の基本的特質(2006、成
文堂)、初宿 正典 =高田 敏など(訳)
『ドイツ憲法集(第6版)』
(2010、信山社
出版)、クラウス・シュテルン(井上典之=鈴木秀美=宮地 基=棟居快行(監訳)
)
『ドイツ憲法(2)基本権編』
(2009、信山社出版)
、ボード・ピエロート=ベルン
ハルト・シュリンク(永田秀樹=倉田原志=
本和彦・訳『現代ドイツ基本権』
52
早法 86巻4号(2011)
(4)
ヴァイマル共和国の思想とナチスによる独裁から得た教訓とを取り入れた。
(3)ドイツ連邦共和国(以下、ドイツとする)の憲法である基本法は、
暫定的なものとして構想された。すなわち、基本法146条は、
「この基本法
は、ドイツ国民の自由な決定によって議決された憲法が発効する日に、そ
の効力を失う」としていた。同条は、1990年8月31日に調印された旧東ド
イツとの統一条約(Vertrag zwischen der Bundesrepublik Deutschland und
der Deutschen Demokratischen Republik uber die Herstellung der Einheit
(5)
「ドイツの統一と自由の達成の後、全ド
Deutschlands)4条6項に より、
イツ国民に適用されるこの基本法は、ドイツ国民による自由な決定におい
て議決された憲法(Verfassung)が発効する日に、その効力を失う」と変
された。本条は、なお将来の「憲法」制定の可能性は残しているもの
の、実質的に、本来、暫定的であったはずの基本法が、「ドイツ国民によ
(6)
る自由な決定」にもとづくものとして恒久化されたといえる。
Ⅱ.国家構造の基本原理
1.連邦主義
基本法20条1項は、「ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的な連邦国
家(demokratischer und sozialer Bundesstaat)である」とする。これによ
(2001、法律文化社)、エクハルト・シュタイン(浦田賢治・訳者代表)『ドイツ憲
法』(1993、早稲田大学比較法研究所)
、など。また、Jurgen Hartmann, in : Tatsachen uber Deutschland(http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/
home1.html(日本語の訳を参照した)。
(4) Hartmann, aaO.
(5) 同条約は、http://bundesrecht.juris.de/einigvtr/art 4.html、などから入手で
きる。
(6) 詳しくは、広渡清吾『統一ドイツの法変動』(1996、有信堂高文社)1-61頁、
297-348頁(2010年12月17日に早稲田大学比較法研究所主催により開かれた講演会
における広渡教授の報告「東西ドイツから統一ドイツへ」およびレジュメ参照)、
また、村上淳一=守矢
第7版)
』(2008、有
一=ハンス・ペーター・マルチュケ『ドイツ法入門(改訂
閣)31頁参照。
ドイツの社会保障制度(正井)
って、ドイツは連邦国家であり、統治権は、支
中央国家である連邦(Bund)とに
53
国である州(Land)と
割される。16の州は独自の国家権力
と憲法を持った国家(Staat)である。しかし、
「州の憲法秩序は、基本法
にいう連邦的、民主的、社会的な法治国家という基本原理に合致していな
(28条1項1文)
ければならない」
。また、憲法の下にある法律(Gesetz)に
ついても、州法と連邦法とが抵触するときは、
「連邦法は 州 法 を 破 る
(7)
(Bundesrecht bricht Landesrecht)
」(31条)とされている。
2.民主主義
基本法20条2項は、
「すべての国家権力は、国民(Volke)に由来する。
国家権力は、選挙および投票によって国民により、かつ立法、執行権およ
び裁判の個別の機関によって行 される」と定める。18歳に達したドイツ
人は、連邦議会の議員を、普通・直接・自由・平等および秘密の選挙によ
って選ぶ権利を有する。被選挙権も18歳から有する(基 本 法38条 1・2
項)
。州の議会および市町村の議会の各議員についても、同じ原則が適用
(8)
される。
3.法治主義
基 本 法20条 3 項 は、
「立 法 は 憲 法 秩 序 に、執 行 権 と 裁 判 所 は 法 律
(Gesetz)および法(Recht)に拘束される」とする。これは、ドイツが法
治国家であることを宣言している。「法治国家」とは、国家権力が、その
基本的特徴において、全体として長期にわたって作られてきた、変 する
ことができない客観的価値秩序および法秩序によって拘束されている国家
をいう。行政が法律によって拘束されることは、独立した裁判所が存在し
ていることによって保障される。法治国家原理は、国家のすべての行為が
(7) 詳しくは、ヘッセ・前掲注(3)139頁以下。ま た、村 上=守 矢=マ ル チ ュ
ケ・前掲注(6)32頁。
(8) 詳しくは、ヘッセ・前掲注(3)82-119頁。
54
早法 86巻4号(2011)
法律によって拘束されること、そして国家の行為は、実質的・内容的に正
義(Gerechtigkeit)を実現するものでなければならないことを表現するも
(9)
のである。
4.社会国家
前述のように、基本法20条1項は、ドイツを社会国家(Sozialstaat)で
あるとする。社会国家とは、社会的正義(soziale Gerechtigkeit)と社会的
安全(soziale Sicherheit)を目ざして努力する国のことである。国家は、
国民の自由を保障する領域と並んで、国民の生存に関わる生活の基盤もま
た保護する義務を負う。その義務に、資本主義的市場経済からの生活の危
機および不都合な結果(経済的不平等、社会的対立)を和らげる目標を達成
するための国の施設、措置および規範の全体が含まれる。社会国家の具体
的形成は、社会政策(Sozialpolitik)によって行われる。その際、社会国
家の命令(Gebot)から、直接に、法的請求権または社会的な給付規範は
(10)
引き出されえないものと解されている。
Ⅲ.基本権
(1)基本法は、最初に「基本権(Grundrechte)」に関する規定を置い
ている(1条から19条まで)。まず、1条1項は、
「人間の尊厳は不可侵で
ある。すべての国家権力は、これを尊重し、かつ保護する義務を負う」と
する。より具体的に、人格の自由、生命および身体を害されない権利(2
(9) Hartmann,aaO (Fn. 3);ヘッセ・前掲注(3)120-133頁、村上=守矢=マル
チュケ・前掲注(6)36、38頁。
(10) 詳しくは、ヘッセ・前掲注(3)120-138頁。Frank Nullmeier, Sozialstaat
in : Andersen, Uwe/Wichard Woyke (Hg.), Handworterbuch des politischen
Systems der Bundesrepublik Deutschland, 5.Aufl.,Opladen 2003=http://www.
bpb.de/wissen/07999977165127913070062348477902,1,0,Sozialstaat.html #art1。
2010年2月9日のハルツⅣについての連邦憲法裁判所の判決(後述、C.
Ⅳ.5.
)も
同じ。また、Frank Pilz, Der Sozialstaat, Bonn 2004、など参照。
ドイツの社会保障制度(正井)
55
条)
、法の下の平等(3条)、信仰および良心の自由(4条)、意見表明の自
由、知る権利および学問の自由(5条)、婚姻、家族、母および子の保護
(6条)
、集会の自由(8条)、結社の自由(9条)、移動の自由(11条)、職
業選択の自由(12条)、所有権(14条)などが基本権として保障されてい
る。
(2)上述の、連邦国家、社会国家、民主主義的統治形態といった原理
ならびに基本権は、後に基本法が改正されても、あるいは新しい憲法が制
(11)
定されても、これを侵害することは許されない。
B .社会保障制度
社会保障制度は、個人を、病気・事故・失業といった様々な生活の危機
から守ることを任務としている。社会国家としてのドイツは、そのために
(12)
社会法典(Sozialgesetzbuch, SGB)を制定し、さらに多くの法令を定めて
(13)
いる。以下では、まず、社会保障制度の歴 と最近の動向について簡単に
述べ(Ⅰ.)、次いで、社会法典の基本的構造を示し(Ⅱ.)、続いて社会保
険制度の概要を説明する(Ⅲ.)。最近の制度改革と連邦憲法裁判所の判決
については、C.
において少し詳しく論じる。
(11) 詳しくは、ピエロート=シュリンク・前掲注(3)、ヘッセ・前掲注(3)179306頁、など。
(12) 参照、http://db03.bmgs.de/Gesetze/gesetze.htm; http://www.sozialgesetzbuch-sgb.de/;http://www.sozialgesetzbuch-sgb.de/;Kittner, aaO (Fn. 19).
(13) 参照、村上=守矢=マルチュケ・前掲注(6)95-105頁によると、社会保障法
の内容は、①社会保険(Sozialversicherung)、②社会援護(Sozialversorgung)、
③ 社 会 扶 助(Sozialhilfe)に
(Sozialforderung)という
け ら れ、さ ら に 近 年、そ れ に ④ 社 会 的 助 成
野が加わった(96頁)。ドイツ連邦労働社会省(Bun-
desministerin fur Arbeit und Soziale,BAS)が発行した「社会保障概観(Soziale
」(http://www.bmas.de/portal/1040/property=pdf/
Sicherung im ̈
Uberblick)
a721 soziale sicherung gesamt.pdf)では、労働法、事業所組織、共同決定、
最低賃金といった
野についても解説されている。
56
早法 86巻4号(2011)
Ⅰ.序
説
1.歴
(1)ドイツの社会保障制度は長い伝統をもっている。19世紀末、ドイ
ツ帝国の宰相オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck, 1815―
1898)は
的 社 会 保 険 制 度 の 基 本 を 構 築 し た。1883年 に 疾 病 保 険 法
(Krankenversicherungsgesetz)
、1884年に労災保険法(Unfallversicherungs-
、1889年に廃疾・高齢保険法(Gesetz betreffend der Invaliditatsgesetz)
(14)
und Altersversicherung)が定められた。もっとも、当時これらの法律の恩
(15)
恵に浴したのは国民の10%に過ぎなかった。
(2)その後、社会保障網は拡充され、内容の充実も図られていった。
ヴァイマル共和国の時代の1927年には失業による経済的困窮に備える保険
(16)
制度が導入さ れた。最近では、1995年に介護保険(Pflegeversicherung)
が新たに加わった(後述、Ⅲ.6.)。
(14) ビスマルクは、これらの社会政策上の措置によって、一つには、当時、ドイツ
で広まりつつあった社会主義思想に労働者が染まらないようにすること、二つ目に
は、兵役義務を負う労働者の
康状態を改善することを狙ったのである。しかし、
その効果はほとんどなかった。なぜなら、労働運動は、弾圧の体験によって社会主
義者の指導に従う強固な大衆運動へと成長したからであり、またビスマルクは、社
会主義者鎮圧法(Sozialistengesetz)」
(1878年10月22日 1890年9月30日)によっ
て労働者の権利を厳しく抑圧しながら、労働者を最も苦しめている低賃金や長時間
労働を改めようとはしなかったからである(大河内一男『大河内一男著作集(第一
巻)』
(1968、青林書院新社)392-414頁、E・ヨーハン=J・ユンカー(三輪晴啓=
今村晋一郎・訳)『ドイツ文化
』
(1975、サイマル出版会)55-56頁、萱谷章「ビ
スマルク社会保険成立への系譜」東海大学政治経済学部紀要18号(1986)15-28頁
(18-21頁、27-28頁)
、http://diamond.jp/articles/-/3693(Torsten Walter)
、な
どによる。
(15) 詳しくは、萱谷・前掲注(14)
、木下秀雄『ビスマルク労働者保険法成立
(1997、有
』
閣)。
(16) Gesetz uber Arbeitsvermittlung und Arbeitslosenversicherung vom 16.Juli
1927(RGBl. I S. 187)による。
ドイツの社会保障制度(正井)
57
2.最近の動向
(1)ドイツでは、1955年から「子ども手当(Kindergeld)」が制度化さ
れている(1935年に類似の制度が導入されていた)。その法的根拠となるの
が「連邦子ども手当法(Bundeskindergeldgesetz,BKGG)」である。支給金
額は―同法の2009年改正によって―、2010年1月1日以降、第一子と第二
子については、それぞれ月額184ユーロ、第三子は、月額190ユーロ、第四
子からは月額215ユーロである(それまでは、第一子と第二子は各164ユーロ、
第三子170ユーロ、第四子から195ユーロ)
。子ども手当は、生まれてから18
歳まで支給される。さらに職業訓練(一般の高等教育を含む)を受けてい
る場合には25歳まで支給され、また、職業訓練を受けていなくて、職に就
いていない場合であって、求職者の届け出をしている者には21歳(末)ま
(17)
で支給される。
子ども手当には所得制限はなく、課税もされない。1996年から、子ども
手当と所得控除としての「子ども控除」との選択制となっている。夫婦単
位課税を選択した場合の子ども控除額は、2010年以降、子ども1人あたり
(17) 参 照、http://www.arbeitsagentur.de/zentraler-Content/Veroeffentlichungen/M erkblatt -Sammlung/M B -Kindergeld.pdf; http://www.arbeitsagentur.
de/Navigation/zentral/Formulare/Buerger/Kindergeld/Kindergeld-Nav.html;
田中耕太郎「第2部 所得保障 第7章 家族手当」古瀬徹・塩野谷祐一(編)『先進
諸国の社会保障4
ドイツ』(1999、東京大学出版会)
。
2007年初め頃までの税制上の優遇措置(子ども控除=所得控除)について、丸谷
=永合位行「ドイツにおける
配問題」海外社会保障研究159号(2007)59-75
頁(68-69頁)があり、2010年初め頃まで制度について、野辺英俊「子育て世帯に
対する手当と税制上の措置」調査と情報704号(2011)1-12頁が、日本とドイツ、
イギリス、フランス、スウェーデンの制度を比較する。
日本の「子ども手当」の立法趣旨・内容について、尼子真央「子ども手当の
と課題」立法と調査306号(2010)15-26頁、江口隆裕「『子ども手当』を
設
える
(1)―(4・完)」共済新報51巻4号―7号(2010)、同『「子ども手当」と少子化
対策』(2011、法律文化社)(フランスの制度についても解説)、小塩隆士「(経済教
室)子育て支援策の課題(上)」日本経済新聞2011年1月19日25面(的確な説明)、
大貫智子「記者の目」復興財源に浮上する子ども手当」毎日新聞2011年4月7日9
面(子ども手当を削減しようとする動きに反対。正当な主張)、など。
58
早法 86巻4号(2011)
7008ユーロである。通常、その年の所得税額の査定の際に、税務当局が、
子どもごとに、子ども手当の支給額と子ども控除を適用した場合の所得税
の減税額とを比較し、有利な方が適用される。2008年に、子ども手当が適
用された子どもの数は1466万5000人、子ども控除が適用された数は340万
(18)
人であった。
このほか、子ども付加給付(Kinderzuschlag)がある。これは、夫婦で
月額900ユーロ以下、ひとり親では同600ユーロ以下の所得(就労からの所
得、失業手当Ⅰ、医療金 Krankengeld などを合算)のときに、同居している
満25歳未満の未婚の子どもがいるときは、請求にもとづいて、子ども1
人あたり月額で最高 140ユーロが―子ども手当とともに―支給される、と
(19)
いうものである。
(2)2006年12月に成立した「両親手当および両親時間に関する法律
(Gesetz zum Elterngeld und zur Elternzeit)(BGBl. I S. 2748)
」によって、
2007年1月から「両親手当(Elterngeld)」が導入された。この制度は、親
が育児のために休職する場合に、申請にもとづき、どちらか一方の親に対
して12カ月間(ひとり親のケースでは14カ月間)、直近12カ月の平
純所得
の67%を、月額、最低で300ユーロ、最高で1800ユーロ支給するというも
のである。もう片方の親も少なくとも2カ月仕事を離れる場合、14カ月に
長される。また、最長3年まで疾病保険などの費用を国が負担する。こ
の制度は、就労していない親にも適用されるが、支給額は、月額300ユー
(20)
ロ(12カ月間)となる。
(18) 齋藤・後掲注(38)レファレンス716号68頁による。
(19) 詳しくは、http://www.arbeitsagentur.de/nn 26532/zentraler-Content/A09
-Kindergeld/A091-steuerrechtliche -Leistungen/Allgemein/Kinderzuschlag.
html
(20)
連邦家族・高齢者・女性および若者省(Bundesministeriums fur Familie,
」による現行法の解説として、Elterngeld und
Senioren, Frauen und Jugend)
Elternzeit, 10. Aufl., 2011=http://www.bmfsfj.de/bmfsfj/generator/BM FSFJ/
Service/Publikationen/publikationen,did=89272.html また、http://www.bmfs-
ドイツの社会保障制度(正井)
59
Ⅱ.社会法典の構造―概観
ドイツの「社会法(Sozialrecht)」は約800もの法令に含まれている。し
(21)
たがって、その全容を見通すことはもはやできない。社会法を編纂したも
のとしての社会法典(SGB)は、さまざまなものを含んでいる。表1のよ
うな構造となっている。
fj.de/bmfsfj/generator/BM FSFJ/familie,did=76746.html; 須田俊彦「ドイツ の
家族政策の動向」海外社会保障研究155号(2006)31-43頁、本澤巳代子=ベルン
ト・マイデル(編)『家族のための
合政策2』
(2010、信山社)、田口理穂「(私の
視点)ドイツの試行錯誤に学べ」朝日新聞2010年1月10日9面、など参照。
(21) M ichael Kittner,Arbeits-und Sozialordnung, 35.Aufl., 2010,S. 1006. 連邦労
̈ber働・社会省による概説として、Bundesministeium fur Arbeit und Soziales,U
sicht uber das Sozialrecht, Ausgabe 2010/2011(以下、BM AS で引用). 連邦労
働・社会省から、このパンフレットを含めて5つの小冊子の送付を受けた。
60
早法 86巻4号(2011)
Ⅲ.社会保険制度
1.序
説
ドイツでは 的な社会保険がきわめて重要な役割を演じている。ドイツ
国民の90%余りが社会保険に加入しており、それによって、各人が遭遇す
るかもしれない生命の危険(病気、失業、高齢、労働災害などによる)から
(22)
守られて いる。社会保険制度は、しばしば「社会網(Soziales Netz)」と
よばれる。社会保険の給付は、税金からではなく、それぞれの社会保険の
担い手(Trager)(法律上の
(23)
的> 保険組合
疾病金庫>(Krankenkasse)
、
ドイツ年金保険連合、職業組合など。これらは国家の監督を受ける)の保険料
によって調達される。社会保険の「担い手」は、国の官庁ではなく、 法
上の団体である。ドイツの社会保険には、以下の5つの種類がある。
2.失業保険(Arbeitslosenversicherung)
(1)ドイツにおけるすべての労働者は失業保険に加入する義務がある。
失業保険は、失業した人が新たな職を見つけるまでの間の生存を保障する
ものである。その法的根拠は社会法典(SGB)第3編にある。失業してお
り、かつ直近の2年において少なくとも12カ月の間、保険料を支払った者
は、失業手当(最終の手取り賃金の60%から67%まで)を受け取ることがで
きる(「失業手当Ⅰ(Arbeitslosengeld I)」)。
「失業手当Ⅰ」の資金は、
用
者と労働者とが折半して拠出した保険料(現在、名目賃金の3.0%)からま
かなわれる。この手当が支払われる期間は6カ月から24カ月の間である。
その間に職に就けなかった場合、SGB 第2編の「求職者のための基礎保
障(Grundsicherung fur Arbeitssuchende)」(「失業手当Ⅱ)(Arbeitslosen(24)
」)を申請することができる(後述、C.Ⅲ.3.)。
geld II)
(22) 参照、http://www.deutsche-sozialversicherung.de/
(23) 保険組合の現状について、後掲注(35)参照。
(24) 詳しくは、中内哲「ドイツの失業保険制度」労働法律旬報1684号(2008)29-
ドイツの社会保障制度(正井)
61
(25)
3. 的年金保険(Gesetzliche Rentenversicherung)
(1)年金保険は、高齢者ならびに就労能力がない人およびそれらの遺
族を保護するための保険である(SGB 第6編)。その資金は、賦課方式
(Umlageverfahren)にもとづいて調達される。すなわち、毎月、保険料
(2007年1月1日から賃金の19.9%)を、
用者と労働者とが折半して拠出
することによって、現在、退職している人へ経常的に年金を支払うもので
ある。保険料の支払いによって、被保険者は、自 が年金受給年齢に達し
たときに受給請求権を得るのである。この将来の年金のコストを、再び次
の 世 代 が、そ の 保 険 料 で も っ て 負 担 す る(世 代 契 約 Generationenver。
trag)
(2)年金保険において保障される者は、①すべての労働者、②見習者、
③独立した人の一定のグループ(たとえば、手工業職人、教師および家 教
師、助産婦、芸術家、評論家)
、④兵役義務者および非軍事的役務従事者、
⑤営利的な活動をしていない介護士、⑥病気休業補償金、失業保険金、老
(26)
齢者病気休業補償金、移行金(̈
、支援金(Unterhaltsgeld)
Ubergangsgeld)
(27)
といった一定のいわゆる代替給付(Entgeltersatzleistungen)の受給者、⑦
障害者作業所で活動している障害者、⑧子ども(1992年1月1日以降に生ま
れて3年まで、1991年12月31日までに生まれて1年まで)を養育している期間
中の母親または 親である。
(3)高齢者の収入を支える最も大きな柱が
的年金保険であるという
36頁、戸田典子「失業保険と生活保護の間」レファレンス2010年2月号7-31頁。
また、後掲注(59)参照。
(25) 参照、BM AS, aaO (Fn. 21), S. 114-132.
(26)
移行金」とは、障害者が労働生活へ参加することを促進するための代替給付
で あ る。詳 し く は、http://www.arbeitsagentur.de/nn 26214/Navigation/
zentral/Buerger/Behinderungen/Hilfen/Uebergangsgeld/Uebergangsgeld Nav.html
(27)
代替給付」は、病気または失業といった理由によって所得がなくなったこと
を補償するために、社会保険の担い手によって―代替として―与えられる。
62
早法 86巻4号(2011)
点は、今後も変わらないものの、これと並んで、企業年金や個人による私
的な老齢年金の重要性が高まっている。それらは、一定の要件の下に国に
(28)
よって支援されている。たとえば、
「リースター年金(Riester-Rente)」
(29)
や、自営業者のための「リュルプ年金(Rurup-Rente)」のように、税制面
での優遇措置を通じて個人が積立方式により老後に備えることを可能にす
(30)
るモデルが導入されている。
(4)年金の支給開始年齢は、2005年5月に施行された年金改革法によ
(28)
リースター年金」の名称は、連邦労働・社会秩序相として私的年金制度の導
入を提案したヴァルター・リースター(Walter Riester)による。
的年金の給付
削減を、国民の自助努力により補完する目的で、高齢者財産法 (Altersvermogensgesetz, AVmG)(BGBl. I S. 1310)(2001年6月29日に
施行)によって導入された。
布、2002年1月1日から
的年金加入者とその配偶者を対象とする。①加入者
は、拠出額に応じて政府による助成措置(助成金または所得控除)を受けることが
できる。②支給時には、助成金を含む元本全額が保障される。税制上の優遇措置に
ついては所得税法10a 条・79条以下で規制されている。2010年6月末の時点で、
1380万人がリースター年金契約を締結している。詳しくは、http://www.bmas.
de/portal/27264/;渡邊
絹子「ドイツ企業年金改革の行方」日本労働研究雑誌504
号(2002)46-58頁、同「ドイツにおける企業年金の役割と普及促進策」週刊社会
保障2603号(2010)42-47頁、齋田温子「ドイツの確定拠出型個人年金制度(リー
スター年金)の現状」資本市場クォータリー2009(秋)1-10頁、など。最近の状
況は、Spiegel Online, 3. 4. 2011=http://www.spiegel.de/wirtschaft/0,1518,
754036,00.html
(29)
リュルプ年金」の呼称は、経済学者ベルト・リュルプ(Bert Rurup)による
(参照、FAZ.NET, 13. 2. 2011(M elanie Amann)
)。これは、2005年以降、国によ
って促進された高齢者扶助(Altersvorsorge)の一つの形態である。この年金は、
年金保険契約にもとづく。これは、給付の基準と税制上の取り扱いにおいて、
的
年金と対応している。もっとも、基礎年金(Basisrente)は、賦課方式によってま
かなわれるのではなく、出資金によってまかなわれる。リュルプ年金においては、
積み立てられた保険料を、ある額において支払うことは許されず、一生、年金を支
給 さ れ る の で あ る。詳 し く は、http://www.bundesfinanzministerium.de/nn
53848/DE/Wirtschaft und Verwaltung/Steuern/Alterseinkuenfte Altersvorsorge/004.html? nnn=true
(30) 『ドイツの実情』
=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/society/
main-content-08/medical-care-for-everyone.html より引用。
ドイツの社会保障制度(正井)
63
り、次のようになった。すなわち、1947年1月1日より前に生まれた人は
65歳になると年金が支給されるが、1946年12月31日の後に生まれた人につ
いては、2012年から2029年にかけて支給開始年齢が段階的に1カ月ずつ後
にずらされ、1964年以後に生まれた人は67歳からの支給となる(SGB 第6
(31)
編235条、第2編7a 条)
。
(5)これと並行して、連邦労働・社会省は、「イニシアティブ50プラス
(32)
(Initiative 50 Plus)
」と呼ばれる施策により、高齢者の雇用環境の改善を
目指し、その施策の一部として、2007年5月1日に、
「高齢者の雇用機会
の改善に関する法律(Gesetz zur Verbesserung der Beschaftigungschancen
(33)
」が施行された。現在、55歳から64歳までの約45%が雇
alterer Menschen)
用関係にある。その背景にあるのは、とくに年金の受給開始年齢が、上述
のように2012年から引き上げられることにある。
4. 的疾病 医療> 保険(Gesetzliche Krankenversicherung)
(1)
康の保障と回復を支え、かつ病気による不都合な結果を軽減す
るための保険である(SGB 第5編)。疾病保険の担い手は
(33a)
である。ほとんどすべての国民が
康保険組合
的保険組合(88%)または私的保険組
合(12%)の保険に加入している。保険組合は、医療行為・薬・入院およ
び疾病予防のための費用を負担する。
(2)疾病保険の保険料は、労働者と
(31) 詳しくは、藤本
用者が支払う。非営利の活動に
太郎「ドイツの新連立政権の年金政策」海外社会保障研究
155号14-21頁、など。
(32) 詳 し く は、http://www.bmas.de/portal/9308/initiative 50plus beschaeftigungsfaehigkeit
und
beschaeftigungschancen
aelterer
mens-
chen verbessern.html
(33) BGBl. I, 2007 Nr. 15, S. 538. 詳しくは、http://www.bmas.de/portal/25014/
gesetz zur verbesserung der beschaeftigungschancen aelterer.html
(33a) 詳しくは、倉田
19頁以下。
『医療保険の基本構造』(1997、北海道大学図書刊行会)
64
早法 86巻4号(2011)
従事している者は保険料を支払う必要はない。疾病保険は、直近3年間の
所得が、継続して「保険義務の限度(Versicherungspflichtgrenze)」(2011
年では、月4125ユーロまたは年4万4950ユーロ)
(SGB 第5編5条1項1号・
6条1項1号)を超えない状態にある労働者の大部
にとって義務的な保
(34)
険となっている。保険料率は、2011年1月1日から賃金の15.5%(労働者
8.2%、
用者7.
3%)である(それまでは14.9%)
。2009年1月1日以降、す
べての保険料は 康基金(Gesundheitsfond)へおさめられ、そこから
康
(35)
保険組合へ 配されている。
(3)2011年1月1日から、私的な疾病保険(Private Krankenversicherung)に加入することが容易となった。すなわち、上述の所得が一度4万
4950ユーロを超えると加入できることになった(それまでは、3年継続し
て、その額を超えなければならなかった)
。しかし、その保険の選択は、し
ばしば一生の決定となる。というのは、再び 的保険に戻ることができる
のは、労働者の年間所得が、その額を下回る場合にのみ認められるのが通
例であるからである。そして、ほとんどの場合、55歳から 的保険へ戻る
(36)
ことはできない。
5. 的労災保険(Gesetzliche Unfallversicherung)
労災保険は、 用者がその労働者のために義務を負う保険である。労働
(34) http://www.pkv-financial.de/wblog/2010/01/04/versicherungspflichtgrenze-2010-krankenversicherung/による。2007年2月16日に成立した、「法律上の疾
病保険における競争の強化に関する法律(Gesetz zur Starkung des Wettbewerbs
in der gesetzlichen Krankenversicherung, GKV-WSG)」によって、社会法典の
第5編が改正されて
(35)
康基金が導入された。
康保険組合の数は、2000年には420であったが、その後、統合が進み、2010
年 1 月 に は169と な っ た(http://www.krankenkassen-blogger.de/2010/01/13/
。なお、2006年5月頃までの状況につ
anzahl-der-krankenkassen-2010/による)
いて、倉田
『社会保険の構造
析』(2010、北海道大学出版会)78-104頁。
(36) Spiegel Online, 2.3.2011による。詳しくは、水島郁子「ドイツ社会保険法にお
ける民間医療保険」阪大法学60巻2号(2010)293-320頁。
ドイツの社会保障制度(正井)
65
者は、それによって、労働による事故または職業上の病気の結果から保護
(37)
され、仕事に復帰する能力を生み出すために支援されることになる。その
法的根拠となっているのは、SGB 第7編、職業疾病規則(Berufskrankheitenverordnung, BKV)である。
6.社会介護保険(Soziale Pflegeversicherung)
介護保険(SGB 第11編)は、継続して介護を必要とする人を金銭的に支
えることを目的とする。上述のように1995年に導入された。介護保険は、
用者と労働者の同じ額の拠出による保険料(所得の1.95%)によってま
(38)
かなわれる(SGB 第11編 55条)。日本の介護保険制度では、原則として65
歳以上の被保険者(例外的に40歳以上65歳未満の被保険者)が給付の対象者
であるのに対し、ドイツの介護保険制度においては年齢による取扱いの区
別はない。現在の人口統計の傾向(出生率、移民および平 寿命)が続き、
かつ介護の必要性の概念が変
されないとすると、要介護者の数は、2007
年に225万人であったが、2030年には337万人となると予測されている。そ
こで、連邦政府は、介護保険料を2.
55%へ引き上げることを計画して
(39)
いる。
(37) 詳しくは、http://www.g-k-v.de/gkv/
(38) 最近の状況について、小
治宣「ドイツにおける介護の現状と改革のゆくえ」
週刊社会保障2625号(2011)38-43頁。また、土田武
の課題」海外社会保障研究155号22-30頁、
「介護保険の展開と新政権
本勝明「ドイツにおける介護給付と社
会参加給付との関係」海外社会保障研究155号16-25頁、齋藤純子「ドイツの介護休
業制」外国の立法242号(2009)71-86頁、など参照。
(39) Spiegel Online, 29. 3. 2011 (Katrin Elger). また、FAZ. NET, 28. 12. 2010
(Philipp Krohn); 熊谷徹『びっくり先進国ドイツ』(2004、新潮社)114-116頁参
照。
66
早法 86巻4号(2011)
C .労働市場と社会保障制度の改革―いわゆるハルツ改革
Ⅰ.序
説
ドイツの社会保障制度は、1990年の再統一による旧東ドイツ再 のため
の財政負担、低い出生率(女性が生涯に産む子どもの数は、1975年以降、平
(40)
1.3人)
、高齢者の人口比率の上昇、不況による失業者の増加と労働市場
の変化(非正規労働者の増加など)といった要因によって危機的状況に陥っ
た。さらに最近では、2008年後半以降に深刻化した金融危機・経済危機に
よる失業者の増加に伴う支出、銀行・事業会社などの救済措置のための財
政支出の増加により、社会保障制度の維持に要する国の負担は限界に達し
(41)
て いるようである。そこで、連邦政府は、以下に述べるように、とくに
(40) 2009年に、ドイツで生まれた子供の数は、66万5112人で、前年比1万7402人減
少した(FAZ. NET, 20. 11. 2010 ( Jan Grossarth))
。2004年までの出生率などに
ついて、魚住明代「ドイツの新しい家族政策」海外社会保障研究160号(2007)2232頁。
(41) 『ドイツの実情』
=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/society/
main-content-08/immigration-and-integration.html による。EU では、財政危
機に陥ったギリシャを救済するため、2010年5月2日の EU 財務相理事会におい
て、ユーロ圏構成国(16カ国)が800億ユーロ、国際通貨基金が300億ユーロ、それ
ぞれ負担することが決定された(ドイツは224億ユーロ負担(ヨーロッパ中央銀行
への出資割合による))
。そして、ドイツではギリシャ支援のための法案が、同年5
月7日に成立し、即日施行された。同法について、商事法務1901号(2010)24-25
頁(海外情報)参照。その後、ユーロ圏(2011年1月より17カ国)では、ユーロ圏
構成国の財政破たんを防ぐために、2013年7月から、それまでの「ヨーロッパ金融
安定基金(European Financial Stability Facility, EFSF)
」(一時的な基金。ドイ
ツの保証負担額1193億9000万ユーロ)に代わる「ヨーロッパ安定メカニズム(European Stability Mechanism, ESM )」という継続的な救済基金の発効を目指して
い る(http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=M EM O/10/
636)
。2011年3月25日に、EU 首脳会議が採択したユーロ安定化策によると、引受
け済み資本金(subscribed capital;gezeichnetes Kapital)は全体で7000億ユーロ
ドイツの社会保障制度(正井)
67
2000年以降、社会保障制度の改革を実施してきている。しかし、それは、
結局のところ、社会保障の水準を切り下げるものであり、これまでの制度
の恩恵を受けてきた者などからの強い反発を招き、社会裁判所などへの提
訴件数が増加している(後述Ⅲ.3.参照)。
Ⅱ.ハルツ委員会の報告書
1.序
説
(1)2002年2月、当時の連邦政府(社会民主党(SPD)と連帯90・緑の
党(Bundnis 90/ Die Grunen)との連立政権=1998年10月から2005年11月まで)
の首相ゲルハルト・シュレーダー(Gerhard Schroder)は、「労働市場の現
代的サーヴィス(Moderne Dienstleistungen am Arbeitsmarkt)」委員会を
設置し、ドイツの労働市場を効率的に形成し、そして国の労働紹介事業を
(42)
改革するための提案をするように諮問した。2002年8月に、委員会は、報
(43)
告書を政府に提出した。報告書には、さまざまな一連の措置が含まれてい
であり、そのうち800億ユーロは払込み資 本 金(paid-in capital; eingezahltes
Kapital)の形式で、残りの6200億ユーロは、請求拠出資本金(callable capital;
abrufbares Kapital)と保証の組み合わせの形式となっている。ドイツの負担割合
は、それぞれ27.146%(払込み資本金―216億8000万ユーロ、請求拠出資本金など
―1680億ユーロ)である(http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=DOC/11/3&format=HTM L&aged=0&language=EN&guiLanguage=
、などによる)。また、http://europa.
e;FAZ.NET, 26. 3. 2011(Werner Mussler)
eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=M EM O/10/636参照。
(42) 委員会は、企業経営者、労働組合代表、自治体の代表、学者など15人で構成さ
れた。委員長ペーター・ハルツ(Peter Hartz)は、当時、フォルクスワーゲン株
式会社の労務担当取締役であった。
(43) 委員長ハルツは、報告書の政策を実施すれば、当時、約400万人に達していた
失業者数を3年で(2005年8月までに)、200万人減らせるとした。参照、労働政策
研究・研修機構(労働政策研究報告書 No.69)『ドイツにおける労働市場改革』
(2006)1頁以下、5頁以下、8頁以下(野川 忍=根本 到=ハラルト・コンラッ
ト=吉田 和央)(野川)。本報告書は、
「日本の労働市場施策を構想する手立てとす
る こ と を 目 的」と し た も の で あ り、大 い に 参
と な る(http://www.jil.go.jp/
institute/reports/2006/069.htm から入手できる)(以下、『ドイツにおける労働市
68
早法 86巻4号(2011)
た(ハルツ提案(Hartz-Paket)とよばれる)。それらの措置を実施するため
に、労働市場の改革に関する個別の法律(ハルツⅠからハルツⅣまで)が制
(44)
定され、2003年から2005年までの間に段階的に施行された。ハルツⅠから
ハルツⅢまでの概要は、後述(2.3.4)のようになる(ハルツⅣについては
Ⅳ.
で少し詳しく解説)
。
(2)このような改革を進めた背景として、上述のドイツ固有の事情の
ほか、EU(ヨーロッパ連合)の政策からの影響がある。すなわち、2000年
3月、EU は、リスボンで開催された首脳会議(ヨーロッパ理事会)におい
て、2010年までに、EU を、
「より多くの、かつより良い職業と、より大
きな社会的結束を持った、持続的な経済成長を達成することができる、世
界で最も競争力があり、かつ最もダイナミックな知識集約型経済(knowl」地域にするという目標
edge-based economy;wissensbasierte Wirtschaft)
(45)
を定めた(リスボン戦略 Lisbon Strategyといわれる。2005年6月に 改定)。
これは、経済への政府の介入を減らし、市場に委ねるべきであるという新
自由主義的傾向の強い政策である。ドイツもまた、この戦略にもとづく政
(46)
策を導入する必要があった。
場改革』として引用))
。このほか、ハルツ委員会の報告書については、都倉 裕
「シュ レ ー ダ ー 政 権 の 課 題」海 外 労 働 時 報2002年11月 号(No.330)50-59頁、井
口・後掲注(59)48頁以下、などの紹介がある。
(44) 詳しくは、『ドイツにおける労働市場改革』参照。
(45)
リスボン戦略」について、詳しくは、http://ec.europa.eu/information soci-
ety/eeurope/i2010/ict and lisbon/index en.htm ; 入稲福
智「リスボン戦 略」
平成国際大学論集9号(2005)131-145頁、など参照。また、EU の社会政策につ
い て、田 中 敏「社 会 政 策 ―『欧 州 社 会 モ デ ル』の 変 革 ―」
=www.ndl.go.jp/jp/
data/publication/document/.../190-206.pdf、など。
(46) ドイツ再統一後の、福祉国家モデルから自由主義モデルへの転換について、柴
山
太郎「グローバル化の進行と EU 拡大のもとでのドイツ政治の激変(上)
(下)
」賃金と社会保障1405、1406号、近藤正基『現代ドイツ福祉国家の政治経済
学』(2009、ミネルヴァ書房)85頁以下、143頁以下。
ドイツの社会保障制度(正井)
69
2.ハルツ 法
(1)2003年1月1日に施行された本法(Erstes Gesetz fur moderne Dien(47)
)は、働く場の仲介を
stleistungen am Arbeitsmarkt (BGBl. I 2002 S. 4607)
迅速かつ継続的に実施するための枠組みを革新し、そして雇用のための橋
渡しと新しい雇用
野の 設を示した。その施策として、たとえば、①連
邦雇用機構(Bundesanstalt fur Arbeit)とその下の雇用局(Arbeitsamt)
による職業教育の促進に際しての職業教育証明書(Bildungsgutschein)制
度の導入、②期限付き労働の容易化、③失業の可能性を早期に労働者に知
らせるようにすること、がある。
(48)
(2)また、本法によって労働者派遣法が改正された(2004年1月1日施
行)
。まず、就労促進の実をあげるために、すべての連邦雇用機構に「人
材サービス・エージェンシー(Personal-Service-Agenturen, PSA)」を設
置し(運営は、雇用局または契約による民間会社)、PSA は失業者を派遣労
働者として派遣する職業仲介を行うこととされた。次に、規制緩和とし
て、同一の派遣先に再度派遣することの禁止規制の廃止や、派遣元は派遣
期間と同一期間だけに制限した派遣労働者の雇用をなし得ないといった規
制が撤廃された。これに対し、派遣労働者と派遣先の労働者の労働時間・
賃金・休暇賃金は、同一を原則とするとされた(もっとも、最初の6週間
は、派遣労働者が受給していた失業給付と同額の賃金が支払われる。場合によ
(49)
っては、労働協約でこれよりも低い水準の賃金設定を行うこともできる)
。
(47) 参 照、http://www.bmas.de/portal/15396/erstes gesetz fuer moderne dienstleistungen am arbeitsmarkt.html
(48) 正式名称は、Gesetz zur Regelung der gewerbsmaßigen Arbeitnehmeruber̈G) vom 13. Februar 1995
lassung (Arbeitnehmeruberlassungsgesetz - AU
(BGBl. I S. 158).
(49) 『ドイツにおける労働市場改革』10頁(野川)による。また、Christoph-M artin Mai, Arbeitnehmeruberlassungen, Wirtschaft und Statistik 6/2008, 469-476
参照。
70
早法 86巻4号(2011)
3.ハルツ 法
(1)本法(Zweites Gesetz fur moderne Dienstleistungen am Arbeitsmar(50)
(2003年1月1日施行)は、第一に、
「橋渡し金
kt (BGBl. I 2002 S. 4621))
(Bruckengeld)
」といわれる制度を設けた。これは、55歳以上の失業者に
対し、連邦雇用庁の職業紹介を受けない(求職活動をしない)代わりに、
従来の失業手当(Arbeitlosengeld)の半額を橋渡し金として支給するとい
うものである。期間は、最初に年金支給を受けられる時まで(最長5年)
である(この措置は2004年末で終了)。
(2)第二に、「私株式会社(Ich-AG)」という新たな自営業の形態を導
入した。これは、失業者によって設立される個人企業で、失業者の自立を
容易にしようとするものである。その存続を支えるために補助金が 付さ
れる。すなわち、失業者が自営業を営む場合、収入が月に2万5000ユーロ
を超えない範囲で、最長3年間、補助金が支給される。支給額(月額)
(51)
は、1年目が600ユーロ、2年目が360ユーロ、3年目が240ユーロである。
的疾病保険・年金保険加入の権利も与えられる。また、手工業における
起業の要件も緩和され、マイスター試験に合格していなくても、それに相
当する知識と技量を証明すればよいとされた。
(3)第三に、ミニ・ジョブ(Mini-Jobs)( 益に関係した低賃金の役務)
(52)
を導入した(2003年4月1日 施行)。これは、月の所得額が400ユーロまで
の雇用である。被用者は、年金保険および疾病保険のために保険料を支払
わねばならないが、この雇用においては、所得の10%に軽減され、課税も
(50) http://www.bmas.de/portal/15390/zweites gesetz fuer moderne dienstleistungen am arbeitsmarkt.html および『ドイツにおける労働市場改革』10
-11頁(野川)による。
(51) この補助金は、2006年7月1日までに申請した場合にのみ支払われることにな
った。同年8月1日以後、失業手当Ⅰの受給者は、補助金を申請することができ
る。これに対して、失業手当Ⅱの受給者は、もはや補助金を申請することはできな
い。
(52) 詳しくは、www.minijob-zentrale.de
ドイツの社会保障制度(正井)
71
定率 10%(最高でも年額360ユーロ)とされる。本法は、役務に、料理・掃
除・高齢者介護のほか、育児手伝い、職人仕事も含めた。
用者は、
M inijob-Zentrale der Knappschaft Bahn See に申告する義務を負う。
4.ハルツ 法
本法(Drittes Gesetz fur moderne Dienstleistungen am Arbeitsmarkt
(53)
(BGBl.I 2003S.2848))
(2004年1月1日施行)は、ドイツの国民経済の成長
の弱点を克服するという雇用政策上の目標と合致させるために、労働市場
政策を新しく構築するという目的を持つものである。具体的には、連邦雇
用機構と雇用局を、
「連邦雇用エージェンシー(Bundesagentur fur Arbeit,
(54)
」と「雇用エージェンシー(Arbeit Agentur, AA)」へと再編成した。
BA)
Ⅲ.ハルツⅣ法
1.序
説
(1)ドイツでは、上述の労働市場改革が実施される前に、雇用情勢は
悪化し、失業保険の赤字が拡大した。このため、2003年3月14日、シュレ
ーダー政権は、2003年から2005年までのドイツの社会システムおよび労働
(55)
市場改革の構想として、
「アゲンダ(Agenda)2010)
」を 表した。
(2)ア ゲ ン ダ2010に も と づ い て、い わ ゆ る ハ ル ツ Ⅳ 法 が 成 立 し た
(Viertes Gesetz fur moderne Dienstleistungen am Arbeitsmarkt)
(BGBl I.
(56)
2003, S. 2954)
(2005年1月1日から施行)
。同法の目的の一つは、失業保険
(53) 参 照、http://www.bmas.de/portal/15382/drittes gesetz fuer moderne dienstleistungen am arbeitsmarkt.html
(54) 詳しくは、『ドイツにおける労働市場改革』15-26頁(野川)。
(55) アゲンダ2010についての連邦政府によるパンフレットは、http://archiv.bundesregierung.de/artikel/81/557981/attachment/557980 0.pdf よ り、ま た、多 く
の批判的解説は、http://www.labournet.de/diskussion/arbeit/realpolitik/allg/
agenda-komm.html から、それぞれ入手できる。
(56) 参照、連邦労働・社会省のウェブサイト http://www.bmas.de/portal/9598/
72
早法 86巻4号(2011)
からの給付金(生活保護に相当する「社会扶助(Sozialhilfe)」)だけで生活
し、就労しようとしない失業者を減らすことにある。この制度が実施され
るまでは、賃金が低い仕事に就くよりも、失業保険からの給付金の方が
(57)
(手取り所得が)多くなることがあった。そこで、社会法典(SGB)に第2
(58)
編として、就労能力のある生活困窮者(erwerbsfahige Hilfsbedurftige)の
最低限の生活を保障する「求職者のための基礎保障(Grundsicherung fur
(59)
」制度を新設した(SGB 第2編19条以下)。
Arbeitssuchende)
viertes gesetz fuer moderne dienstleistungen am arbeitsmarkt.html
(57) http://www.newsdigest.de/newsde/content/view/652/79/(熊谷徹)による。
(58) Hilfsbedurftige は、「要支援者」、「要扶助者」とも邦訳される。
(59) ハルツⅣ法に関する邦語文献として、前掲の『ドイツにおける労働市場改革』
のほか、次のものがある。ブリジッテ・シュテック=ミカエル・コッセンス(編
著)(田畑洋一・監訳)
『ドイツの求職者基礎保障』
(2009、学文社)、田畑洋一「ド
イツにおける就労支援と就労機会の
出」週刊社会保障2572号(2010)46-51頁、
井口 泰「ドイツ『大連立政権』の成立と雇用政策のゆくえ」海外社会保障研究155
号45-57頁、上田真理「ドイツ最低生活保障法の行方」
合社会福祉研究 24号
(2004年)73-81頁、同「ドイツにおける失業者生活保障法の新展開」行政社会論集
(福島大学)16巻4号(2004)91-118頁、同「ドイツにおける求職者基礎保障法の
展開」行政社会論集(福島大学)21巻3号(2008)1-46頁、同「有期雇用・派遣
労働者に対する失業時所得補償に関する一
察」行政社会論集(福島大学)22巻3
号(2010)13-50頁、同「求職者に対する基礎保障と最低生活保障の
錯」社会保
障法24号(2009)123-135頁、橋本陽子「第2次シュレーダー政権の労働法・社会
保険法改革の動向」学習院大学法学会雑誌40巻2号(2005)173-318頁(200頁以
下)、佐々木 昇「ドイツの雇用問題と『ハルツ』改革」福岡大学商学論叢54巻2・
3・4号(2010)191-210頁、名古道功「ドイツ労働市場改革立法の動向―ハルツ
四法と労働市場改革法を中心に」金沢法学48巻1号(2005)29-139頁、同「ドイツ
の求職者支援制度」季刊労働法232号(2011)29-42頁、布川日佐
「ドイツにおけ
るワークフェアの展開」海外社会保障研究147号(2004)41-55頁、同「ドイツにお
ける要扶助失業者への生活保障制度改革の検討に向けて」
合社会福祉研究24号
(2004)64-72頁、同「ドイツにおける最低生活保障制度改革の実態調査報告」賃金
と社会保障 1406 号(2005)4-8頁、嶋田佳広「ドイツ社会法典第二編・第一二
編にみる2005年
的扶助法改革」賃金と社会保障 1406号(2005)9-20頁、木下秀
雄「ドイツの最低生活保障と失業保障の新たな仕組みについて」賃金と社会保障
1408号(2005)4-16頁、同「最低生活保障制度における要保護性の判断と稼働能
力活用義務」賃金と社会保障1470号(2008)25-31頁、武田
子「ドイツの社会扶
ドイツの社会保障制度(正井)
73
(2)それまでは、①失業手当の受給期間が満了した失業者を対象とす
る「失業扶助(Arbeitslosenhilfe)」(従前の所得の57%、子供がいない場合は
53%)と、②「社会扶助(Sozialhilfe)
」(日本の生活保護に当たる)、という
2つの制度が併存していた。「失業扶助」は連邦、
「社会扶助」は自治体、
がそれぞれ実施機関となり、運営費用もそれぞれが負担していた。
「失業
扶助」には支給期間の限度が設けられておらず、就労能力のある者が「社
会扶助」を受給するなど、2つの制度に明確な区 がなく、非効率で、か
(60)
つ多額の費用のかかる状態が続いていた。
(3)そ こ で、ハ ル ツ Ⅳ 法 は、
「失 業 扶 助」と「社 会 扶 助」を 統 合
(Zusammenfuhrung)し、給付の水準をそれまでの「社会扶助」の水準を
下回るようにした。すなわち、就労能力のある生活困窮者を対象とする
「失 業 手 当 Ⅱ(Arbeitslosengeld II)」お よ び「社 会 手 当(Sozialgeld)」
(SGB 第2編28条)を
設し、
「失業手当Ⅱ」の受給者に就労義務を課した
(同2条参照)
(後述、2.
および3.)
。「社会手当」を受給する資格のあるの
は、就労能力のない生活困窮者に限定され、その額も一律月347ユーロと
(61)
いう低い額に設定された。
助制度改革と自治体財政」賃金と社会保障1406号21-30頁、同「ドイツにおける社
会扶助と就労支援」医療・福祉研究18号(2009)62-71頁、同「ローカルな『
困
との闘い』の可能性」彦根論叢382号(2010)81-107頁、戸田典子「失業保険と生
活保護の間」レファレンス709号(2010)7-31頁、土田武 「ドイツにおける社会
保障改革の動向」社会福祉研究54号(2005)1-14頁、厚生労働省(編)『世界の厚
生労働(2009)―2007∼2008年』海外情勢報告(2009)43-48頁、朝日新聞2010年
3月16日29面(「ドイツの『求職者基礎保障制度』」
(清川卓
)
、など。また、社会
法典第2編の抄訳(抜粋)として、嶋田佳広・賃金と社会保障1532号(2011)3341頁。
(60) 自治体は、経済停滞による失業の増大は連邦の責任が大きいにもかかわらず、
自治体が「社会扶助」にかかる費用を全額負担し、失業者の面倒をみなければなら
ないことに強い不満を持っていた(http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2010 3/
。参照、名古・前掲注(59)
german 01.htm(労働政策研究・研修機構)による)
季刊労働法232号30頁以下。
(61) 失業手当Ⅱと失業扶助、社会扶助との比較(2004年1月1日現在)として、布
74
早法 86巻4号(2011)
(表2)ハルツ
法による社会法典(SGB)の改正
給付の種類
失業扶助
困窮者のための基礎保障
給付の名称
失業手当Ⅰ
社会扶助
失業手当Ⅱ(就労能力のある者) 高齢者・就労能力減
社会手当(就労能力のない者) 少者の所得保障
根拠規範
SGB 第3編
SGB 第2編
SGB 第12編
管轄機関
BA、AA
自治体と AA の共同組織また
自治体
は自治体単独
(出典)『ドイツにおける労働市場改革』30頁(根本)
、武田
子・彦根論叢382号89
頁、などによる。BA=Bundesagentur fur Arbeit, AA=Arbeit Agentur
2.基本的原則
(1)
「要請(Forderns)」と「支援(Forderns)」の原則
失業手当Ⅱの制度は、一方で、就労能力のある生活困窮者 要扶助者>
が支援を求める前に財産を処
することなどにより、生活の困窮を終わら
せるか、または減少させるすべての可能性を尽くす責任を負う(「要請」
の原則)
(SGB 第2編2条)としつつ、他方で、そのような可能性が尽くさ
れた場合に包括的な支援を受けることができる(「支援」の原則」)(同14条)
(62)
という
えにもとづいている。
(2)就労能力のある生活困窮者は、一般労働市場における就労活動が
当面不可能な場合、自らに提供される期待可能な(zumutbar)労働の機会
を受け入れなければならない(同2条1項3文)。そして、生活困窮者にと
っては、原則として、すべての労働が期待可能である、とされる(同10
条)
。期待可能な労働を拒否した場合、給付金が引き下げ、または打ち切
られる(同31条)。この制裁によって就労能力のある生活困窮者に就労を
川・前掲注(59)海外社会保障研究147号50頁。
(62) 参照、Kittner, aaO (Fn. 21), S. 1039f.;『ドイツにおける労働市場改革』29頁
(根本)、池田和彦「生活保護行政における『稼働能力』の解釈と問題点」筑紫女学
園大学・筑紫女学園大学短期大学部紀要3号(2008)125-138頁、布川比佐
著)『雇用政策と
的扶助の
(編
錯』(2002、御茶の水書房)、布川・前掲注(59)海
外社会保障研究147号48頁、など。なお、erwerbsfahig は、「稼働(能力のある)」
、
「稼得(能力のある)
」、
「就労可能な」とも邦訳される。
ドイツの社会保障制度(正井)
75
(63)
促しているのである。
3.失業手当 の概要
(1)
説
ハルツⅣ法により、それまでの「失業手当(Arbeitslosengeld)」は2種
類に区別されることになった。まず、
「失業手当Ⅰ(Arbeitslosengeld I)」
は、上述のように失業保険制度にもとづく給付で、給付の期間は保険加入
の期間と年齢とによって決まる。たとえば、失業前に36カ月加入していた
55歳以上の者は、失業手当Ⅰを18カ月受給することができる(58歳を超え
る者は、一定の要件を満たせば24か月受給することができる)
(上述、Ⅲ.
1.
(64)
参照)
。この期間内に就職できず、かつ次に述べる要件を満たす場合には
「失業手当Ⅱ」を受給することができる。
(2)受給の要件
失業手当Ⅱの受給を申請することができるのは、ドイツにおいて生活
し、就労能力があり、かつ困窮している15歳から65歳未満までの人である
(SGB 第2編7条1項)
。「就労能力」の有無については、病気または障害
によって、近いうちに、一般的な労働市場の通例の条件で、少なくとも1
日3時間働くことができないことはないという場合に、就労能力があると
される(同8条1項)。外国人は、雇用される資格を有している場合にのみ
就労能力を有するものとされる(同条2項)。就労能力および困窮性(Hilfsbedurftigkeit)の存否は、連邦雇用エージェンシー(Bundesagetur fur Arbeit, BA)によって決定される。自治体などの他の給付の担い手が、その
決定に不服の場合には、共同の調停機関が決定する(同44a 条・45条)。
(63) 参照、Kittner, aaO (Fn. 21), S. 1039f.;『ドイツにおける労働市場改革』29頁
(根本)、名古・前掲注(59)季刊労働法232号32-33頁、井口・前掲注(59)52頁、
など。
(64) 参照、Kittner, aaO (Fn. 21), S. 1094f.; 名古・前掲注(59)季刊労働法232号
30-31頁、『ドイツにおける労働市場改革』32頁(根本)。
早法 86巻4号(2011)
76
(3)所得および財産の算入
失業手当Ⅱは扶助の必要な人、つまり、他の所得または財産がない人に
のみ給付される。失業手当などの他の社会給付を含むすべての収入も所得
とみなされる。SGB 第2編11条は、どのような所得が計算に入れらねば
ならないか、そしてどのような支出を控除することができるかを詳しく定
めている。
2008年4月8日の「社会法典第3編および他の法律の改正に関する第7
法」(BGBl.Ⅰ681)によって、12a 条が追加された。それによると、生活
困窮者
要支援者> は、困窮
要扶助> を回避し、取り除き、少なくする
ために必要である限り、他の担い手の社会給付を請求し、そのために必要
な申請をする義務を負う(同条1文)。財産の算入において、第12条によ
り、年齢に従って段階的に、少なくとも3100ユーロから最高1万6750ユー
ロまで、控除することができる。また、算入されないものとして、同条3
項は、家財道具、共同生活に適切な自動車などを定めている。共同生活を
している人の場合、パートナーの所得・財産も 慮されねばならないとさ
れる(9条2項)。算入については、規則(Verordnung)でより詳しく定
められている。
(4)給付額
失業手当Ⅱの内容は、①就労支援のための情報提供・助言といったサー
ヴィスの給付、②生活困窮者およびその者と生計を共にする者の生活確保
のための金銭の給付(食 費 や 衣 料 費、
通 費、娯 楽 費 な ど)(基 準 給 付 金
(Regelsatz)といわれる)
、③家賃・暖房費などの実費の給付の3種類で構
(65)
成される。給付の合計額は、世帯の構成人数、子供の年齢などにより異な
(66)
る。独身の場合は、現在、基準給付金が月359ユー ロで、家賃・暖房費を
(65) 詳しくは、名古・前掲注(59)季刊労働法232号33-34頁。
(66)
失業手当Ⅱ」の額は、当初、成人の単身者で月345ユーロであった。この額
は、社会法典第2編20条4項により、
ることになっている。
的年金の支給額の変 に対応して見直され
ドイツの社会保障制度(正井)
合わせた
支給額は平
77
637ユーロとなっている。子供が2人いる4人家
(67)
族では
支給額が平 1653ユーロに上る。子供への基準給付金は、6歳以
下は215ユーロ(成人の60%)、7歳から13歳までは251ユーロ(同70%)、
(68)
14歳以上は287ユーロ(同80%)である(後述、6.参照)。
(5)受給者の数
ハルツⅣ法施行前の2004年12月末の時点で、
「失業扶助」の受給者は226
万人、
「社会扶助」の受給者は291万人であった。ハルツⅣ法の施行後の
2005年末には失業手当Ⅱの受給者が496万人(このうち220万人が失業者、残
りはそれまで「社会扶助」を受けていた人々)で、
「社会手当」の受給者が
(69)
178万人、「社会扶助」の受給者が8万人となった。その後、2008年の金融
危機・経済危機によって失業者数が増加し、失業手当Ⅱの受給者の数は
545万人となった。
(6)決定に対する異議手続き
失業手当Ⅱの申請者が、給付を決定する機関である ARGE または自治
体(これについては、後述3.参照)(以下、ARGE とする)の決定に不服が
(70)
ある場合には、異議(Widerspruch)を申し立てることがで きる。異議は
書面で申し立てるか、または ARGE において調書に記載することで行う
ことができる。異議申立ては決定の到達後1カ月内にしなければならな
い。AGRE は、異議を認めるか、または拒否する通知を発する。異議申
立てが拒否された者は、その決定が到達後、1カ月内に、社会裁判所
(Sozialgericht)へ訴えを提起することができる(弁護士に代理してもらう
必要はない)
。訴えの提起および実施の費用は発生しない。もっとも、提
訴者が弁護士に代理してもらう場合には、弁護士費用が発生する(訴 救
(67) FBC「ドイツ経済ニュース」2010年9月29日(No.816)による。なお、Der
Spiegel, 8/2011, S. 71によると、1カ月の平
受給額は840ユーロ。
(68) 詳しくは、『ドイツにおける労働市場改革』39頁以下(根本)。
(69) 詳しくは、『ドイツにおける労働市場改革』75頁以下(コンラット)。
(70) 2010年において、83万5692件の不服が申し立てられ、そのうち30万5659件が認
められた(Der Spiegel, 8/2011, S. 71による)。
78
早法 86巻4号(2011)
助の申立てができる)
。提訴した者が勝訴した場合、ARGE は弁護士費用を
負担しなければならない。社会裁判所の決定に不服があるときは、州社会
(71)
裁判所(Landessozialgericht)へ異議を申し立てることがで きる。注目さ
れるのは、社会裁判所へ訴えが提起される件数が年ごとに増加し、2010年
の1年間で22万件(ハ ル ツ Ⅳ 法 の 施 行 後、5 年 で 4 倍)に達 し た こ と で
(72)
ある。これは、法律上の規制に欠陥があること、そして法の運用が不十
(73)
であることに原因があることは明らかである、とされる。
(6)ハルツⅣ法の効果
2008年において、失業手当Ⅱの受給者の約3 の1が就労したにすぎな
い。さらに、就労した人の40%が、1年後、再び生活困窮者 要支援者>
となっている。2009年には、132万5000人が、全面的または部
的に就労
しているにもかかわらず、失業手当Ⅱを受給している(それらの人は「上
乗せ人(Aufstocker)」といわれる)
。そして、
「上乗せ人」の半数を超える
人が400ユーロ以下の仕事(ミニ・ジョブ)に就いている。さらに、ほぼ5
人に1人が、月に100ユーロを超えない額を稼ぐように注意している。100
(74)
ユーロまでであれば、給付額を減らされることはないからである。
(71) http://www.bafoeg-aktuell.de/cms/soziales/hartz-iv/bescheid-und-rechtsbehelf.html などによる。
(72) これは、2009年より2万5000件の増加。FAZ. NET, 11. 2. 2011 (Corinna
Budras/ Kerstin Schwenn);Sueddeutche.de, 18.2.2011(Charlotte Frank)、など
による。
(73) Kittner, aaO (Fn. 21), S. 1040.
(74) http://www.wiwo.de/politik-weltwirtschaft/der-aufschrei-der-hartz-ivaufstocker-429468/(Cornelia Schmergal)による。詳しくは、田畑洋一「ドイツ
社会法典第2編とニーズ共同体―上乗せ受給問題」週刊社会保障2626号(2011)40
-45頁。また、名古・前掲注(59)季刊労働法232号38頁参照。「上乗せ人」の数は、
2010年に140万人となった(2007年比13%増)フルタイムで働いていても、35万人
が失業手当Ⅱに頼らざるを得ない状態にある(Spiegel Online, 13. 5. 2011)。
ドイツの社会保障制度(正井)
79
3.実施機関をめぐる対立
(1)2003年に、シュレーダー政権が連邦議会へ提出したハルツⅣ法の
政府草案は、連邦雇用エージェンシー(BA)が求職者の基礎保障の実施
機関となり、そこに自治体の職員を受け入れて、最低生活保障給付と職業
斡旋・生活支援サーヴィスを一手に行うこととしていた。しかし、連邦参
議院(Bundesrat)において、長期失業者に対するケアは自治体が担当す
べきであると主張する野党のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と
意見が対立し、最終的に BA と自治体の2つが実施機関となった。ただ
し、
「一つの手からの援助」を実現するため、BA と自治体が、
「BA と地
方 自 治 体 社 会 事 務 所 の 労 働 共 同 組 織(Arbeitsgemeischaft von Bun」を設置し、
desagentur fur Arbeit und kommunalen Sozialamtes, ARGE)
BA が失業手当Ⅱおよび社会手当の給付と職業紹介、就労支援を実施し、
自治体が住居費・暖房費の支給と生活支援サービス(負債・依存症の相談
(75)
など)を担当することとした(運営費用もそれぞれの担当機関が 負担)
。現
在、353の ARGE があり、5万5000人の職員が、520万人の要支援者に対
(76)
応している。
(2)これと並んで、BA の業務も含め、求職者の基礎保障の事務を自
ら行 することを希望する全国69の自治体には―BA に代わる―単独での
(77)
管轄権が認められた。その期間は6年であり、2008年末までにこの方法を
(78)
継続するか否かを再検討することとして いた。ところが、次に紹介する
2007年12月の連邦憲法裁判所の判決によって、ARGE の設置の強制は憲
(75) http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2010 3/german 01.htm(労働政策研究・
研修機構)より引用。また、武田・前掲注(59)彦根論叢382号88頁以下、など参
照。
(76) Spiegel Online, 8.3.2010による。
(77) 2004年7月30日の「社会法典第2編による自治体の選択的実施機関に関する法
律」による。
(78) http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2010 3/german 01.htm(労働政策研究・
研修機構)より引用。
80
早法 86巻4号(2011)
法(基本法)に違反する、とされたことにより、立法者は、2010年末まで
(79)
に判決内容に即した新しい規制を定めなければならないことになった。
Ⅳ.ハルツⅣ法に関する連邦憲法裁判所の判決
1.2007年12月20日の判決
(1)連邦憲法裁判所は、2007年12月20日、ハルツⅣにおいて定められ
た、求職者の基礎保障の組織上の規定(SGB 第2編44b 条など)が憲法に
違 反 す る と い う 郡(Landkreise, Kreise)の 憲 法 異 議(Verfassungsbeschwerde)(基本法93条)の申立てを一部認容した。判決によると、上述の
ARGE は、自治体が自己の責任において事務を処理する権利を定める基
(80)
本法28条2項1文および2文に違反する、という。
(2)判決は、基本法の体系に基づき、連邦法の執行は連邦もしくは州
によって遂行されるものであって、連邦と州もしくは両方によって設立さ
れた第三の機関によって遂行されるものではない、とする。また、連邦と
州によって共同事務を遂行するためには特別な憲法上の委任が必要である
が、ARGE においてそのような例外措置を正当化する客観的理由は見当
たらない、としている。さらに、権限を有する行政団体は、原則的に自ら
の人材、予算、組織によって事務を遂行することを義務づけられており、
ARGE の設置はこの原則に反する、とする。
(3)判決は、立法者が求職者の基礎保障を「一つの手」によって行わ
せたいとする願望は意義のあることであるが、それは連邦が自ら行うか、
(79) 参照、BM AS, Soziale Sicherung im ̈
Uberblick, S. 41.
(80) Urteil des Bundesverfassungsgerichts vom 20.Dezember 2007-2BvR 2433/
04-2BvR 2434/04.判決全文は、http://www.bundesverfassungsgericht.de/entscheidungen/rs20071220 2bvr243304.html 判決は、8人の裁判官のうち5人による
多数意見。残りの3人は、社会法典第3編44b 条2項は憲法に違反しない、とす
る。本判決について、名古・前掲注(59)季刊労働法232号39-41頁、
http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2010 3/german 01.htm(労働政策研究・研修
機構)参照。
ドイツの社会保障制度(正井)
81
または執行全体を州に委任することによって達成できるとする。立法者に
対しては、遅くとも2010年12月31日までに新たな規定を制定するよう義務
(81)
づけ、それまでは現行の規定が適用可能なものとして残るとした。
(4)本判決により、ARGE は廃止されるものと思われた。しかし、連
邦政府は、基本法を改正することによって ARGE を存続させるという選
択をした。連邦議会および連邦参議院も改正案(基本法91e 条の追加)を可
決した。追加された91e 条は、
「①求職者の基礎保障の領域での連邦法の
実施において、連邦と州または州法にしたがって権限を有する地方自治体
市町村> および地方自治体 市町村> の団体(Gemeindeverbande)は、
原則として、共同の施設(gemeinsame Einrichtungen)において協力する。
執行の支出を含む必要な支出は連邦が負担する。ただし、法律の実施に際
して、その任務が第1項により、連邦によって引き受けられねばならない
ものに限る。②連邦は、限定された数の市町村および市町村団体が、その
申立てにもとづいて、かつ最上位の州の官庁の同意を得て、第1項による
任務を単独で引き受けることを許容することができる。③詳細は、連邦法
(82)
で定める。その連邦法は、連邦参議院の同意を必要とする」とする。
5.2010年2月9日のハルツⅣ法違憲判決
2010年2月9日、連邦憲法裁判所は、三家族からの訴え(子どものため
の現行の基準給付額は憲法に違反すると主張)について、社会法典第2編に
よる求職者の基礎保障の基準給付(Regelleistungen)も、そして満14歳ま
での子どものための社会手当(Sozialgeld)も、人間に値する最低限の生
(83)
存の保障に対する基本権を満たすものではない、とした。
(81) http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2010 3/german 01.htm(労働政策研究・
研修機構)より引用。
(82) 参照、名古・前掲注(59)季刊労働法232号40-41頁。
(83) Urteil des Ersten Senats vom 9. Februar 2010 (1 BvL 1/09, 1 BvL 3/09, 1
BvL 4/09=NJW 2010,S. 505-518(8人の裁判官全員一致).本判決についての解説
として、たとえば、Rudolf M artens, M obilitatsbedarf ― Ein verdrangtes
82
早法 86巻4号(2011)
(ⅰ)判決の要旨
(a)基本法20条1項と結びついた1条1項による人間の尊厳の最小限
の存在の保障への基本権は、すべての困窮者に、物理的な生存のために、
そして社会的、文化的および政治的生活への最小限の参加のために不可欠
な実質的要件を保障するものである。
(b)基本法1条1項から生じるこの基本権は、20条1項と結びついた
保障給付権として、1条1項からの絶対的に効力を有している請求権と並
んで、個々人の尊厳に注意を払う独自の重要性を有している。この基本権
は、それによって、自由に処
することはできず、かつ実行されねばなら
ない。しかし、それは、立法者による具体化と恒常的現実化を必要とし、
立法者は、提供すべき給付を、国家・自治体(Gemeinwesen)の、その
時々の発展の水準および現在の生活条件に合わせなければならない。その
際、立法者に具体化の余地が当然に与えられるべきである。
(c)立法者は、請求の範囲を確定するために、すべての生存に必要な費
用を透明で、かつ事理にかなった手続きにおいて、現実に即し、かつ事後
検証できるように、信頼のできる数字および論理的な 十 根拠のある>
算定手続きにもとづいて、査定しなければならない。
(d)立法者は、人間に値する最低限の生存の確保のための典型的な必
要量 需要> を、毎月の確定保険料によって保障することができる。しか
し、それを越えている、拒否することができない、日常の、ただ一回限り
でない特別の必要量 需要> のために、付加的な給付請求を認めなければ
ならない、と。
(ⅱ)本判決は、基準給付の金額については立法者が裁量権を有するこ
Thema in der Regelsatzdiskussion,WSI-M itteilungen 10/2010, 531-536;ヨハネ
ス・ミュンダー(三浦まどか・訳)
「家族と子どもの
困の緩和」賃金と社会保障
1532号(2011)4-32頁(8頁以下)、名古・前掲注(59)季刊労働法232号37-39
頁。http://www.newsdigest.de/newsde/content/view/2537/27/(熊 谷 徹)も、
本判決を簡潔に説明。
ドイツの社会保障制度(正井)
83
とを前提としつつ、
「給付金は、国民1人ひとりが生活に必要とする額を
満たさなければならない。国が必要最低限のニーズを満たすという義務を
果たしていない場合、その制度は憲法に違反する」という。そして、ハル
ツⅣ法は、基本法第1条が保障する「人間の尊厳にふさわしい、最低限の
生活を営む権利」を侵害しているとする。判決は、失業者の子どもへの給
付金について、
「成人に対する給付金の60―80%と一律に決めるだけでは、
子供の生活の現実を反映できていない」とし、上述のように、
「政府は、
市民が実際に必要とする支出にもとづき、 正で客観的な算出方法によっ
て給付金額を決めるべきである」とする。また、判決は、慢性の病気に苦
しむ失業者の医療費、夫と妻が離れた所に住んでいる場合の 通費なども
慮して、給付金の手取り額を減らさないようにしなければならないとい
う。もっとも、本判決は―合憲と判断される―具体的な給付額についてま
で明言してはいない。裁判所は、現行法を2010年末まで適用することがで
きるとし、それまでに、最低限の生存の保障に必要な給付を、憲法上の基
準値にしたがって、現実と需要に見合うように調査し、かつその結果を法
(84)
律で定めるように立法者に求めたのである。
(85)
社会団体、子ども保護団体および労働組合は、本判決を歓迎した。
(ⅲ)連邦政府の対応
(1)連邦労働・社会省は、2010年9月27日に、
「社会法典第12編28条に
よ る 規 制 の 必 要 の 調 査 に つ い て の 法 律 に 関 す る 参 事 官 草 案(Referentenentwurf zum Gesetz zur Ermittlung der Regelbedarfe nach
28 des
」を提出
Zwolften Buches Sozialgesetzbuch,Regelbedarf-Ermittlungsgesetz)
した。本法案は、より広い内容の「社会法典第2編および第12編の改正よ
る規制の必要の調査についての法律草案(Entwurf fur ein Gesetz zur Ermittlung von Regelbedarfen und zur ̈
Anderung des Zweiten und Zwolften
(84) http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2010 3/german 01.htm(労 働 政 策 研
究・研修機構)による。
(85) FAZ. NET, 9. 2. 2009などによる。
84
早法 86巻4号(2011)
(86)
」 に含められることになった。法案は、2010年
Buches Sozialgesetzbuch)
12月3日に、連邦議会において可決されたものの、連邦参議院では、多数
派を占める野党(SPD など)の反対により、同月17日に否決された。連邦
参議院は、調停委員会(Vermittelungsaususchuss)の開催を求めた(基本
法77条2項参照)
。その後、ようやく2011年2月25日に、与党と SPD との
間で合意が成立し、同日の連邦参議院は、すでに連邦議会において可決さ
(87)
れた法案に対して異議を申し立てないことを決議した(基本法78条参照)。
(2)法案の成立によって、失業手当Ⅱの受給者(約470万人)は、2011
年1月1日にさかのぼって、364ユーロに5ユーロ追加された額を受け取
ることになった(さらに2012年1月から、少なくとも3ユーロ引き上げられ
る)
。それとともに、両親が失業手当Ⅱまたは社会扶助(Sozialhilfe)、子
ども付加給付(前述、B.Ⅰ.2.)または住居費補助(Wohngeld)を受給し
ている約250万人の子どもには、
額16億ユーロの教育パッケージ(Bil-
(88)
dungspaket)が支給さ れる。しかし、左翼党(die Linke)および緑の党
は、この新しい算定額には憲法違反の疑いがあるとし、再度、連邦通常裁
(89)
判所に訴えを提起すると主張している。
7.2010年12月2日の決定
(1)約40年間、失業保険料を支払ってきた1946年生まれの男性(X と
する)が、まず、失業手当(Arbeitslosengeld)を受け取り、その後2004年
(86) 法案の内容と解説については、参照、Sofia Davilla / Patrick Esser, http://
www.aus-portal.de/gesetzgebung 18027.htm
(87) 詳 し く は、http://datenbank.jurion.de/?d:io=0be44a4dbce74150951c5d3460
c7c7be&g:cmp=1 なお、法案の成立により、3つの
野(期間労働を含む)の
120万人の労働者に最低賃金が導入されることになった。
(88) 具 体 的 内 容 に つ い て は、http://www.bmas.de/portal/50788/2011 02 25
sgb2 refom beschlossen.html ミュンダー・前掲注(83)8頁以下、名古・前
掲注(59)季刊労働法232号39頁。
(89) FAZ. NET, 25. 2. 2011、などによる。
ドイツの社会保障制度(正井)
85
末まで失業扶助(Arbeitslosenhilfe)を受けていた。ところが、ハルツ改
革によって、それらが廃止されて失業手当Ⅱが導入されたことにより、X
は失業扶助を受けられなくなった。X は、妻の所得と合わせると、失業
手当Ⅱからの受給額よりも多い所得を得ている。X は、失業扶助を受け
られないのは所有権を保障する基本法14条1項に違反するとして、社会裁
判所に訴えたが棄却された。そこで X は、連邦憲法裁判所に憲法異議を
申し立てた。
(2)本決定は、失業手当と失業扶助との間には根本的な差異があると
して、次のように判示した。すなわち、失業手当は保険の給付であり、失
業扶助はそうではない。失業扶助は、失業手当とは異なり、保険料でまか
なわれる代償ではなく、困窮の場合に税金から支給されるものである。し
たがって、2004年12月31日まで適用されていた社会法典第3編190条から
206条までの定めによる失業扶助の法律上の請求権は、基本法14条1項の
(90)
基本権としての所有権の保護に服するものではない、と。
D . 困の実態とドイツ人の意識
Ⅰ.ドイツにおける
(1)
困
困の実態について、1984年から、毎年、1万2000を超える世帯
を対象に調査してきている DIW (Deutsche Institut fur Wirtschaltsfor」によ
schung)の「社会経済パネル(Sozio-oekonomisches Panel, SOEP)
ると、ドイツで は、2008年 に、国 民 の 約14%(約1150万 人)が
困基準
(所得による)以下の生活をしている。それは、地域(旧西ドイツでは12.
9
%、旧東ドイツでは19.5%)および社会構造の特徴(就労の有無など)によ
り違いがある。1998年から2008年までの間、
困のリスクが上昇してい
(90) Beschluss des Ersten Senats vom 7. Dezember 2010(1 BvR 2628/07)
86
早法 86巻4号(2011)
る。それは、とくに子どもと若者のいる世帯に当てはまる。単身で16歳以
下の子どもを育てている人もまた、 困のリスクが平 よりも40%も高い
(91)
(これに対して、高齢者の
困のリスクは、とくに問題となるほど高くない)
。
(2)ドイツにおけるホームレス(住む家のない人)についてみると、
2007年では24万2000人であったが、2008年には22万7000人と少し減少した
(そのうち単身者は、2007年―13万9000人、2008年―13万2000人。夫婦・家族で
生活している人の割合は約41%)
。旧東ドイツ地域では、その数は約2万
7000人で、旧西ドイツ地域では約19万6000人である。もっとも、何の宿泊
施設も
用することができず、路上生活をしている人の数は約2万である
(2007年では約2万1000人)(ホームレス=路上生活者ではない)
。また、住む
家のない移住者(ドイツへの移民)の数は―1999年から2008年の間に移住
者の数が劇的に減少したことにより―、2008年には約4000人と、約96%減
少した。ホームレスの22万3000人のうち、女性の割合は、移住者を除いて
約5万6000人、子供と若者は約2万4000人、そして成人男性が約14万2000
(92)
人であった。
(3)2011年1月、ドイツのベルテルスマン財団(Bertelsmann Stiftung)
は、OECD(経済協力開発機構)加盟31カ国を対象として、
「社会的正義」
の存在について、
困の予防、教育への接近、労働市場、社会的結束およ
び平等、世代間の
平性(Generationengerechtigkeit)という5つの指標
(91) M arkus M . Grabka/ Joachim R. Fric, Weiterhin hohes Armutsrisiko in
Deutschland :Kinder und junge Erwachsene sind besonders betroffe, Wochenbericht des DIW Berlin Nr. 7/201, 2010, S. 2-11による。なお、DIW Berlin は、
ドイツの子どもの
困率を16.3%としていた。その後、データを見直した結果、
8.3%が正しいことが判明した(FAZ.NET,6.5.2011(Christian Schubert/Henri、など)。DIW は、「われわれの数字が新しい方法で改善された」の
ke RoBbach)
である、という(http://www.diw.de/de/diw-01.c.372305.de)
(92) Bundesarbeitsgemeinschaft Wohnungslosenhilfe e. V. (http://www.dersozialstaat-gehoert-allen.de/index2.html)の統計による。Gunter Wallraff,Aus
der schonen Welt, 5.Aufl., Koln 2010, S. 50は、少なくとも3万人が路上生活をし
ている、という。
ドイツの社会保障制度(正井)
87
を用いて調査した報告書を 表した。それによると、ドイツは15番目に位
置する(フランスは8位、イギリスは12位、アメリカ合州国は25位、日本は23
位)
。ドイツについては、とくに
場の
困の予防、教育への接近および労働市
野が低く評価された(ドイツでは、子どもの10.8%が
困の限界線よ
(93)
り下で生活しているとする)
。
(4) 困の問題について研究している政治学者(ケルン大学教授)のク
リストフ・ブッターヴェッゲ(Christoph Butterwegge)は、2007年のドイ
ツ児童援助協会の児童報告書(Kinderreport 2007des Deutschen Kinderhilfswerks)にもとづいて、ハルツⅣが実施されたことによって、全児童の14
%が
式に
困とみなされ、250万人を超える児童が、社会扶助(Sozial-
「児童の
hilfe)の水準の前後で生活しているとし、
困は、構造的暴力の
一つの形態であり、しばしば一生にわたる差別として作用する」という。
そして、「
乏人と金持ちに、ますますはっきりと
裂する社会では、薬
物の乱用、暴力行為および犯罪が増えることを覚悟しなければならない。
そういう社会は、社会福祉の費用を節約した 、結局、警察・司法・刑務
(94)
所のためにより多くの金を出すことになる」という。
(93) Soziale Gerechtigkeit in der OECD - Wo steht Deutschland ?
Sustainable Governance Indicators 2011=http://www.bertelsmann-stiftung.de/
cps/rde/xchg/SID-22AB14F2-F70A001D/bst/hs.xsl/nachrichten 104942.htm ド
イツにおける子どもの
困については、ミュンダー・前掲注(83)5頁以下に詳し
い。なお、注(91)で述べたように、実際には、ドイツの子どもの
困率が10.8%
よりも低いことが判明した。したがって、ドイツはより上位にランクされると
え
られる。
(94) Welt Online, 23. 12. 2007=http://www.welt.de/politik/article1489194/Forscher nennt Hartz IV Ursache fuer Kinderarmut.html 詳 し く は、Christoph
Butterwegge, Armut in einem reichen Land, Frankfurt am M ain 2009(とくに
ハルツⅣとの関係について、S. 168-181);ders., Sozialstaat im Wandel, Betrifft
Justiz, Nr. 104, 12/2010, S. 368-373. この指摘は、まさに現在の日本にそっくり当
てはまる。
88
早法 86巻4号(2011)
Ⅱ.ドイツ人の意識―ハイトメイヤーの調査と評価
ドイツ人の政治的・社会的意識について、ビーレフェルト(Bielefeld)
大学の社会学者ハイトメイヤー(Heitmeyer, Wilhelm)は、この8年間、
(95)
毎年2000人に質問をし、その回答を
析して きた。以下は、週刊誌(Der
(96)
。
Spiegel)に掲載された、彼への質問と回答である(下線は正井)
(質問)ドイツ人は、
〔経済〕危機の最中にあって、どのように感じてい
るのでしょうか。
(Heitmeyer)5人のうち4人は、最終的に、自
のような人々が、経
済危機の後始末をさせられると感じている。…100万人の労働者が短縮労
働(Kurzarbeit)となっており、仕事を失うのではないかと不安になって
いる。…しかし、われわれは、国庫の危機 国の財政危機> が襲って初め
て、危機の規模の全体を体験する。これまで、われわれは、国家の狂気の
債務負担によって破綻を阻止してきた。しかし、この債務負担は、周知の
ように、 的な家計が情け容赦なく切り詰められなければならないという
ことをもたらす。つまり、水泳プール施設は閉鎖されるであろうし、図書
館〔の利用料金〕はより高くなるであろう。また、汚水の処理料金や全日
制の託児所の料金は上昇する。最終的に、この危機は、すべての個人に及
ぶのである。人々は、今日すでに、そのことを予感しており、そして社会
の 裂がいっそう大きくなるであろう。
(質問)将来への心配は、ほんとうにそんなに大きいのですか。
(Heitmeyer)国民の多くは大変動揺している。90%を超える人が、
困者が増え、社会的に没落する人が増えると予想している。たいていの人
は、自
たちの生活水準をもはや維持することはできないということから
出発している。かつてのドイツ連邦共和国の成功の歴 を背景とすると、
それは一つのドラマである。かつて、エレヴェーターは、あらゆる危機の
(95) Wilhelm Heitmeyer (Hrsg.), Deutsche Zustande, Folge 8, Berlin, 2010.
(96) Der Spiegel,14/2010,S. 70f.〔
〕は付加、
> は言い換え(それぞれ正井)
。
ドイツの社会保障制度(正井)
89
後、再び上昇し、すべての人は、中間層も下位にある層も、一緒に引っ張
っていかれたのである。いまや、エレヴェーターは動いていないか、また
は動いていてもむしろ下の方へ動いている。そしてとくに、社会的地位の
不安(Statusangst)は、他の人をけなすことになりやすい。
(質問)それはどのような結果を伴うのですか。
(Heitmeyer)憤激(Wut)は―すべての社会階層において―、異常なほ
ど大きい。80%を超える人々が、危機の金融上 財政上> の結果に憤激し
ている。そして、人々は、政治が危機から何も学んでいないことにも怒っ
ている。人々は、政府が金融市場に対する有効な規制を実施する力を持っ
ていないことを体験している。
(質問)しかし、
〔人々の〕憤激はどこにも見当たらないのではありませ
んか。
(Heitmeyer)それは、〔人々が〕はけ口を見つけていない〔だけであ
る〕
。それが良いのかどうか、わたしは疑念を抱かざるを得ない。われわ
れは、国民における憤激に酔った無関心
アパシー> と関係させなければ
ならない。無関心は、憤激が具体的な形 対象>(Objekt)を持っていな
いということでもある。
(質問)おそらく、人々は、あなたが
えているよりも満足しているゆ
えに、ここでデモをしないのでしょう。
(Heitmeyer)そうではない。満足しているどころの話ではない人が信
じられないくらい多いのである。政治が、この風潮に気づかないと危険で
ある。なぜなら、多くの人は新しい贖罪山羊 スケープ・ゴート> を探し
ているからである。半 を超える人が、社会国家を利用しつくす人にも経
済危機の責任がある、と えている。
(質問)それは、まさにかなりばかげています。
(Heitmeyer)かつてとは異なり、とくに同性愛者、イスラム教徒また
は外国人に反対していたところで、いまでは、長期の失業者が批判される
ようになっている。47%の人々が、
「ほとんどの長期失業者は、実際に仕
90
早法 86巻4号(2011)
事を見つけようとしていない」と えている。57%の人が、長期失業者が
社会の費用で安楽な暮らしをするときは腹が立つ、と述べている。社会に
おいて、すでに長期に仕事を持っていない人々に対するほど多くの留保を
受けているグループはない。
(質問)自由民主党(FDP)は、失業を減らすために、仕事を探す刺激
を高めなければならない、と
(Heitmeyer)そのように
えています。
える人は、いかに、仕事を得る機会が地域
的に不平等に けられているか、いかに労働世界が変化しているかという
ことを知ろうとしていない。そして、長期の失業者を新しい敵対者のイメ
ージに仕立てている。ところで、人々は、まさに、かなり下の層の人々に
おいて、社会的なヒエラルヒーにおいて、さらに下にある人々から自らを
区 する必要性を見出している。全体として、61%の人が、ドイツでは、
余りにも多くの弱いグループを共同で面倒を見なければならないとし、3
人に1人が、
「経済危機の時代に、すべてに人々に同じ権利を保障するな
んてできるはずがない」という。
(質問)長期失業者に対する誹謗は、いったい誰の役に立っているので
すか。
(Heitmeyer)皮肉に聞こえるが、すべての社会は、とくに危機におい
て、人が、低く評価することができる周辺集団(社会的に疎外された集団)
(Randgruppe)
〔が存在すること〕によって安定する。そこで、長期失業
者が存在することによって、労働者が社会に順応することになる。自 が
社会から転落する危険をありありと思い浮かべる場合、もっと努力し、よ
り柔軟になり、より規律を持とうと え、そして自 が病気であると思う
場合ですら働くことになる。
(質問)ハルツⅣは、国民を萎縮させる手段であると えるのですか。
(Heitmeyer)われわれは、中間層が、ハルツⅣの導入以降、大きな不
安を持っているということを確証することができる。それは、生活を共に
している人々が、とくに役に立つかどうかに従って評価され、また低く評
ドイツの社会保障制度(正井)
91
価されるということをもたらしている。権威主義的な資本主義は、その利
用基準を、抵抗なしに社会全体にすっぽりかぶせることに成功した。
(質問)それについてあなたは何を探り当てたのですか。
(Heitmeyer)人が、今日、誰かと知り合いになろうとする場合、人は、
しばしば役に立つかどうかの計算によって導かれる。つまり、この人また
はあの人と 際することによって自 に何の役に立つのか、と問うのであ
る。ほぼ80%の人が、特定の
際が自 に何をもたらすかを理性的に 量
すると答えている。それは冷ややか〔な態度〕である。
(質問)それらは不安で、かつ経済的な社会のイメージを描写していま
す。
(Heitmeyer)すべの人がそのように
えているわけではない。しかし、
驚くほど多い。28%の人が、われわれは無能な人を顧慮しすぎているとい
う。注目されるのは、このような えが、とくに下位の層において、同じ
ように見出されるということである。社会的階層が下がれば下がるほど、
ごり押し的な
え(Ellbogenmentalitat)はそれだけ大きくなるように思
われる。その圧力は下へ順送りされる。
(質問)あなたのような「左」の社会学者は、今日すでに価値の崩壊を
嘆いているのですか。
(Heitmeyer)価値の崩壊は、私には手のつけようがない。いずれにせ
よ、過半数の人は、われわれの中核の規範が次第に腐食してきていると
えている。われわれの質問に答えてくれた人の4人に3人が、連帯、正
義、 正は、この社会においてもはや実現されえない、という。そのこと
は、社会的まとまりにとって危険であり、
裂(Desintegration)をもた
らす。これは、私にとって、今年のわれわれの調査のもっとも心配な結果
の一つである。
(質問)しかし、右の政党は、このような風潮からこれまで利益を得て
きたわけではない。その反対である。つまり、人は、全体として、政治に
背を向けているのです。
92
早法 86巻4号(2011)
(Heitmeyer)そう。多くの人は政治に失望している。それらの人々は、
民主主義は資本に対するコントロールを失い、資本はふたたび支配を獲得
し、容赦なくそれを行 している、と感じている。国民の過半数は、政治
には、大きな問題を解決することが、もはやできないと
えている。
(質問)それによって、民主主義の容認もまた一般的に消えてしまうの
ですか。
(Heitmeyer)民主主義は、危機において、選挙への参加が―連邦議会
の選挙への参加もまた―低下した。われわれは、政治的な「あきらめ」が
深刻になっていることを観察してきた。私は、それを民主主義の空疎化
(Demokratie-Entleering)と名づけている。経済危機に脅かされたと感じ
ている人の53%が、
「政治に関与することは無意味である」という。そし
て、74%は、「自
のような人々は、いずれにせよ、政府がすることに何
の影響も与えることができない」という。まったく気がつかない間に、わ
れわれの民主主義的システムが腐敗しているように思われる。
Ⅲ.ハイトメイヤーの評価について
(1)上述のハイトメイヤーの評価は、2009年6月8日から7月4日に
かけて、電話による聞き取りという方法で実施された調査にもとづいて
(97)
いる。2008年9月15日のリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)の破
たんによって、世界は、金融危機から経済危機に陥った。ドイツにおいて
も、銀行・事業会社の破たんが増え、失業者の数も2009年3月には360万
人と3年ぶりに増加し、また、2008年11月から2009年2月までの間、160
(98)
万人が短縮労働に従事した(前年の同じ期間と比べて 26倍)。そこで、連邦
政府・州政府が救済策を講じ、それによって連邦・州の財政赤字が急増し
た。ハイトメイヤーの調査は、このような深刻な経済危機の状況下で実施
(97) Heitmeyer, aaO (Fn. 95), S. 23, 42f.(実際には1746人のサンプルの
析)
(98) Spiegel Online, 31. 3. 2009=http://www.spiegel.de/wirtschaft/0,1518,
616461,00.html による。
ドイツの社会保障制度(正井)
93
された。したがって、調査対象となった人の多くが将来に対する不安か
ら、質問に対して悲観的な回答をしたということが えられる。それを差
し引いても、ドイツ人の多くが不満のはけ口(スケープゴート)を探して
いること、長期の失業者が批判されるようになっていること、そして下の
階層になるほどごり押し的
えが大きくなるという調査結果は深刻で
(99)
ある。
(2)2010年になると、政府の経済対策による効果や為替相場でのユー
ロ安などによって、ドイツの経済は―とくに輸出の好調により―活況を呈
した。失業者の数も減少し、2010年11月には、293万人となった(なお、
( )
2005年1月の時点では約500万人)
。したがって、2009年と2010年の調査で
は、人々の意識も変わるかもしれない。しかし、2010年以降、ユーロ圏
(現在、17カ国)を構成するギリシャとアイルランドおよびポルトガルの財
政危機が深刻となり、ドイツもユーロに対する信用を維持するために、救
済資金を支出しなければならなくなった。それに対して、多くの国民は、
自 たちの税金で他国の政策の失敗を繕うことに不満を持っているようで
( )
ある。
おわりに
(1)第二次大戦後、ドイツの人々は、充実した社会保障制度によって、
(99) 日本も同じような状況にあるようである。参照、朝日新聞2007年4月27日3面
(板垣哲也)。
( ) 連邦労 働・社 会 省 の ウ ェ ブ サ イ ト http://www.bmas.de/portal/49462/2010
11 30 arbeitsmarktzahlen november.html による。なお、BA の発表では、
失業者は、2010年12月には、301万人となった。11月と比較すると、8万5000人増
加したが、前年12月比では26万人減少した(http://www.spiegel.de/wirtschaft/
。
soziales/0,1518,737621,00.html による)
( ) 参照、Spiegel Online, 21. 3. 2011. また、前掲注(41)参照。政治家を含むド
イツ人の意識の変化について、朝日新聞2010年12月28日8面。
94
早法 86巻4号(2011)
日本人よりもはるかに手厚く保護されてきた。しかし、ドイツの連邦およ
( )
び地方自治体の財政赤字の急激な増大に鑑みると、これまでのような社会
保障政策を続けることは困難になっているようである。連邦政府は、学識
者、経営者および労働組合代表の意見を踏まえて、就労能力のある人には
就労を促す措置を講じるとともに、困窮者・要支援者に「痛みを伴う」改
( )
革を進めている。その政策に対して、受給者からだけでなく、政党や学識
者の一部からの反発・抵抗も強力である。連邦憲法裁判所も、部 的にで
はあるが、受給者の主張を認めている。
もっとも、他方では、両親手当の導入、子ども手当の給付額の引き上げ
という政策(野党も賛成)が実施されていることは大いに注目される。
(2)ドイツでは
困者が増加したことに伴い、日本の生活保護にあた
る基礎保障(社会扶助)のための自治体の支出は、2003年から2009年まで
の間に39億ユーロへと3倍になり、その間、受給者の数も2倍となった
(社会扶助の受給者は、現在40万人)
。基礎保障を受けている65歳を超える人
( ) ドイツの国、州、市町村の債務の合計額は、2009年末で、1兆6920億ユーロ
で、国内
生産(BIP)の70%を超える(マーストリヒト条約は60%まで許容)。
2013年末には2兆ユーロになると予想されている。また、2010年だけで、新しい債
務は国内
生産の3.5%となった(マーストリヒト条約は3%まで許容)
。FAZ.
NET, 9. 5. 2010 (Konrad M rusek)および http://www.spiegel.de/wirtschaft/
soziales/0,1518,739390,00.html による。
基本法115条(2009年改正)は、国の債務負担に対する制限を定める。もっとも、
自然の大災害(Naturkatastrophe)または国家のコントロールを離れ、かつ国家
の財政状態を著しく害する通例でない緊急事態の場合には例外を認める。なお、日
本 の 国 の 債 務 は、同 時 点 で871兆 円 で あ る(http://www.jiji.com/jc/zc?k=
201002/2010021100230&rel=y&g=pol による)。2011年のドイツの連邦予算の規
模は3058億ユーロであり、そのうち、国債発行による新しい債務負担は484億ユー
ロとなると見込まれている(連邦財務省のウェブサイト http://www.bundesfinanzministerium.de/nn 113888/DE/BM F Startseite/M ultimedia/Einfach -Erklaert/Bundeshaushalt -2011/Bundeshaushalt -2011-Alternativversion.html に よ
る)。
( ) 一連の改革についての的確な評価として、『ドイツにおける労働市場改革』9195頁(野川)。
ドイツの社会保障制度(正井)
95
の割合は、現在の2.5%が、2025年までに10%またはそれ以上になると予
( )
測されている。
(3)ハイトメイヤーは、継続的な調査により、ハルツⅣ法の施行によ
って、中間層の不安が増大していること、そして失業者・ 困者が増える
ことによって人々の意識が変化していること(贖罪山羊の探求、政治的無関
心の増加など)を明らかにし、それが社会の
裂をもたらすことを心配し
ている。ブッターヴェッゲも、上述のように、社会保障の費用を節減する
ことによって、犯罪などの増加をもたらすことになり、結局、より大きな
社会的費用を負担することになる、と警告する。
(4)日本では、自由民主党を中心とする小泉政権(2001年4月から2006
年9月まで)が、
「自己責任」
、「自助努力」の名の下に社会保障費を削減
した。また、同政権は、経済不況を克服するための手段として「規制緩
和」政策を採用した。労働法の 野においても―経済界の要求にもとづい
て―、「多様な働き方を提供する」というスローガンの下に労働市場の仕
組みが「改革」された(2004年に労働者派遣法が改正されて、製造業にも労
働者の派遣が 認 め ら れ た)
。これによって、非正規の労働者が急増した
(2001年から2006年の6年間に、正社員の数は230万人減少し、被用者全体に占
める割合は72%から67%にまで低下)
。非正規の労働者の実質賃金はきわめ
て低く、また、いつ解雇されるか らないという不安定な状態に置かれる
( )
(実際に解雇されて路頭に迷う人が急増した)
。過酷な労働からの自殺などに
よる社会的損失も大きく、かつ深刻である(ブッダーヴェッゲの発言を想起
しなければならない)
。小泉政権は、社会的安全網(社会保障制度はその中心
である)を整備するどころか、それを切断した上で労働市場の「改革」を
( )
推進したのである。
( ) Spiegel Online, 30. 12. 2010による。2010年のハルツⅣに関連する支出の
額
は493億ユーロであった(Der Spiegel, 8/2011, S. 71による)
。
( ) 参照、中野麻美『労働ダンピング』(2006、岩波書店)、橘木俊昭『格差社会』
(2006、岩波書店)など。
早法 86巻4号(2011)
96
( )
(5)日本は、少子化・高齢化による人口の 減少、巨額の債務額・財政
赤字(国債、借入金お よ び 政 府 短 期 証 券 の
( )
億円)
、
額 は2010年 末 に は919兆 円1511
富の差の拡大、失業者の増加といったドイツと同様の問題をか
かえている。さらに、日本は、上述のように、非正規労働者の急激な
( )
( )
増加、劣悪な労働条件(とくに、過労死・過労自殺、低 賃金)、水準が低い
( )
社会保障、社会的安全網の欠落といった、さらにより深刻な問題を抱えて
いる日本は、ドイツの動向・政策を参 にしつつ―その欠陥・問題点も
( )
慮しながら―、自らの進むべき道を早急に決定しなければならない。最初
( ) 参照、前掲注(99)朝日新聞2007年4月27日3面など。なお、経済危機に対処
するためのドイツの労働法制の改正については、皆川宏之「雇用危機と労働法制」
法律時報81巻12号(2009)29-33頁参照。
( ) 参照、山田昌弘『少子化社会日本』(2007、岩波書店)など。
( ) 参照、日本経済新聞2011年2月11日5面、同2月12日3面。
( )
務省が2011年2月21日発表した2010年の労働力調査(10月から12月までの平
)によると、完全失業者は317万人(前年同期比14万人減)、失業期間が1年以上
の失業者は122万人(同23万人増)。役員を除く雇用者の数は5152万人(同45万人
増)。雇用者のうち、正規の職員・従業員は3354万人(同11万人増)である。そし
て、非正規の職員・従業員は1797万人(同37万人増)で、そのうち、パートとアル
バイトは1238万人(前年比51万人増)、派遣従業員は92万人(同19万人減)、契約社
員・嘱 託 は331万 人(13万 人 増)と な っ て い る(http://www.stat.go.jp/data/
roudou/sokuhou/4hanki/dt/index.htm)。非正規の労働者の割合の高い(約34%)
ことが注目される。なお、ドイツの派遣労働者(Leiharbeiter)の数は約100万人
である。Spiegel Online, 9. 9. 2010(M artin Heller). 詳しくは、ハルトムート・ザ
イフェルト(金井幸子・訳)「ドイツにおける非典型雇用」労働法律旬報1723号
(2010)6-15頁(解題=和田 肇・16-20頁)。
( ) 実態として、朝日新聞2010年12月7日33面、など。
( ) 朝日新聞に2010年12月26日から2011年1月7日まで、11回連載された「孤族の
国(第1部)」の記事および NHK「無縁社会プロジェクト」取材班(編著)『無縁
社会』(2010、文藝春秋)などから、国・社会から見放された多くの人々の苦悩・
絶望が伝わってくる。
( ) 参照、中窪裕也「労働法制の10年とこれから」ジュリスト1414号(2011)158163頁、山口浩一郎「民法改正と労働法の現代化」季刊労働法229号(2010)2-15
頁、岩村正彦「社会保障法の10年―高齢化への対応を中心に」ジュリスト1414号
178-186頁、など。また、日本労働研究・研修機構のこれまでの研究の蓄積および
ドイツの社会保障制度(正井)
97
に言及したように、現在、日本では、税と社会保障の「一体改革」が構想
されている。そこでは、社会保障制度の拡充から出発しなければなら
( )
ない。
(2011年3月25日
提出)
(追記)
2011年1月15日、
「労働者の
困と社会法の役割―労働法と社会法の
錯―」と題するシンポジウムが、早稲田大学 GCOE(企業法制と法
造) 合研究所の主催によって開かれた(配布資料参照)。
本稿で引用した先行研究が大いに参
となる。
( ) 2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興の財源捻出のために、社会保障
費が削減されてはならない。その財源は、財産税(wealth tax ;Vermogensteuer;
impot sur la fortune)の導入、国が保有している外国債の売却のほか、軍事費
(防衛費)(毎年5兆円近く支出。防衛白書(平成22年版)資料23=http://www.
clearing.mod.go.jp/hakusho data/2010/2010/datindex.html)の削減によるべき
である。
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