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記者会見は資源 ・ 食糧問題が焦点

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記者会見は資源 ・ 食糧問題が焦点
日本 記 者 ク ラ ブ 会 報
励ラ
ヂ齟 松 浦 氏 (
驫 )に 授 賞 決 定
ブ 賞 の 第 一回 授 賞 者 が 松 浦 直 治 長 崎
と 見 送 り に な っ て い た 日 太・
記者 クラ
昨年 は残 へ
,
心な が ら 授 賞 該 当 者 な し
と をと く に お伝 えし ておき た い ︹
次
考委 冂
只会 で も 絶 賛 の 声 が 高 か った こ
生 涯と 業 績 は現役 記者 の模 範 と 、選
四 八 年 の 記 者 生 活 を 送 った 松 浦 氏 の
発行
1974年
東 京 都 千 代 田区 内 幸 町 一ノ 一ノ 一
帝 国 ホ テ ル東 館
[
T㎜
社 団 法 人 日本 記 者 ク ラ ブ 発 行
電轟 旦 蔭 ∼
∼限線髪
今 後 日 米 間 の大 き な 課 題 に な り そ う
るべ き ﹂ と述 べたが、 食 糧 問 題 は、
今 後 、 自 給 体 制 の強 化 第 = ﹂つ と め
孫︹
相 は ﹁日本 の 農 政 、 食 糧 政 策 は 、
み せ た 。 翌 18 日 の夕 食 会 で 倉 石 忠 雄
は 、 日 本 側 の 要 求 と ス レ違 う 姿 勢 を
保 障 や 政 府冖
によ る備 蓄 保 有 に つ い て
た も の の 、 輸 出 睨 制 を し な い と いう
メ リ ヵ の 力 に期 待 し て よ い と 強 調 し
今 後 む ず か し さ の増 す 食 橿 問 題 は ア
に対 し フ ル生 産 で 供 給 を 行 う ﹂ と 、
バ ヅ ツ 長 官 は、 ﹁日 本 の 食 糧 需 要
ギ 、 ニ ュー スだ ね を 提 供 し た 。
と は 無 関 係 。 ソ連 独 自 の も の ﹂ ・
二7
に 対 し ﹁こ の 計 画 は 日 本 の 技 術 協 力
5月10日
だ。
へ8 口 )、 バ
記 者 会 見 は ﹁建 設 業 協 会 世 界 連 盟
創 立 総 会 (東 京 )﹂ 代 表
デ ラ ・メ キ シ コ 観 光 局 次 官 (9 凵 )
ハ ー バ ー ド 大 学 コ ー ヱ ン 教 授 へ16 日 )
・
二、 こ れ ま た 多 彩 o ソ ウ ル に 金 大 中
氏 を 訪 ねたば かり の コ ー エ ン 教 授
が 、 同 氏 の危 険 な 近 況 を 伝 え る と と
も に 、 ﹁口 本 政 府 は ハ ー バ ー ド に 寄
付 を し てく れ た こ と が あ る が 、 そ こ
に 入学 を許 され て いる金 大中 氏 の生
命 を 救 う こと に つ い て も 尽 力 し 、 大
学 の た め に 貢 献 し て ほ し い﹂ と 語 っ
た の が 印 象 的 だ った c
(日 本 ア 一
7ブ 記 者 会 代 表 )
9 口 に は ア ラ ブ 四 か 国 を 回 った 岩
汞信吉氏
が 同 地 の 新 聞 事 情 に つ い て 、 22 [ に
は 川 村 喜 一早 大 助 教 授 が み ご と な ス
ラ イ ド で ﹁ エジ プ ト ・ ル ク ソ ー ル 新
遺 跡 発 見 ﹂ に つ い て 、 26 口 に ぱ 石 原
慎 太 郎 代 議 士が 自 民 党 若 手 政 治 家 の
一人 こし て ﹁自 民 党 の 現 状 と 政 界 の
将 来 一に つ い て そ れ ぞ れ 講 演 し た
が 、 いず れ も 盛 況 だ った 。
基 本会 員
正 会 員
二 八名
一四 四 社
七 六 七名
口本 記者 ク ラブ会 員 数
(4 月
- 日現 在 )
員
一
一
一
.
準
会
.
(1)
記 者 会 見 は 資源 ・食 糧 問 題 が焦 点
新 聞 論 説 室 顧 問 に決 定 、 五 月 八 口 の
べ ■ジ 参 照 )。
はな い か と 懸 念 す る 日 本 の 一部 の声
て は 、 軍 事 的 に中 国 を 刺 激 す る の で
ゆ る シベ リ ア第 二鉄道 の建 設 に関 し
力 を積 極 的 に要請 し て いたが 、 いわ
は、 シ ベ リ ア 開 発 に対 す る 日 本 の協
わ り が な い。 ト 卩ヤ ノ ソ ス キ ー 大 便
重 要 性 を ま し て き て いる 事 情 に は 変
いえ 、 依 然 広 い意 味 で の資 源 問 題 が
に ﹁石 油 ﹂ か ら 話 題 は 遠 の い た と ば
を招 いた 昼食 会が注 口 の的 。 さす が
務 長 官 と 、 米 ソ両 国 か ら 大 型 デ ス ト
ス キ ー ソ 連 大 使 、 17 口 に バ ッ ツ 米 農
四 月 の 会 合 は、 5 日 に ト ロ ヤ ノ 7
通 常 総 会 席 上 で 表 彰 さ れ た 。 筆 一本
員
≠}玉乞 合 ゴf麺
盃
冒
ソ_・乱 乙髫 一 大 使
ヤ ノ
ト ロ
!【:ゐLら
第51号
昭 和49年5月10日
1第51号
パ ノ ツ 農 傍 」乏'1∵
ペ ン で マ ユ を つ む い だ 48 年
治
転 機が焼 け て役 立 たぬ ので、平 版 刷
り 、 タ ブ ロイ ド 判 な が ら、 終 戦 の 日
にと に か く 、 新 聞 を 作 った こ と が 印
象的 でした 。
世 相 に “文 化 〃 を 注 入 す る こ と に ヒ
直
大 正 十 五年 四 月 ↓日 、 大 阪 朝 日新
タ向 き 。 社 史 編 修 室 に 入 って 、 朝 日
浦
こ の た び の受 賞 は 、 ま っ た く 思 い
聞 社 (現 在 の 朝 日 新 聞 大 阪 本 社 ) に
の創 設 者 の 伝 記 ﹃村 山 竜 平 伝 ﹄ ﹃上
松
田 向 先 か ら 朝 日 新 聞 に帰 っ て 三 年
が け な か っ た こ と で、 ま だ 実 感 の切
練 習 生 とし て 入社 し て から、社 会部
野 理 一伝 ﹄ と 史 伝 の筆 を と る こと に
足らず の学鼎
云部 長 時 代 は、 退 廃 し た
なる も のも なく、 ま し て や受 賞 に つ
の記 者 生活十 二年 、 はじ め の二、 三
が 、 今 の 私 の い つわ り の 鉦州い心 境 だ
感 銘 を 深 く し て いる と い う こ と だ け
た だ 多 く の 方 々の ご 厚 意 に 対 し て、
ら 、 よ う や く ユ ニー クな ニ ュー ス の
ム シャラに過 ご し ま した。中 ご ろ か
抜 か れ ま い、 抜 か れ ま い の 一心 で ガ
年 は 、 た だ 他 社 の べ テ ラ ソた ち に、
る 時 、 今 は 亡 き 上 野 精 一社 主 の ﹁と
朝 日 を 辞 し て 長 崎 新 聞 に迎 え ら れ
るよう にな り ま した。
な り 、 明 治 史 の 研 究 に強 く 心 ひ か れ
会 員 の異 動
松本
杉田
金指
宮川
都築
花田
孝信
克夫
亮毅
正雄
公雄
信
徳行
〃
〃
〃
〃
外 報部 次 長
経済 部
経済 部 次 長
H本 経済新 聞袿 政 治 部
信 越放送報道部 長
〃
(
正会員 入会 )
鈴木
晃久
読 売 新聞社英字 新 聞部 次 長
西 日本新聞社編 集 局 長
稲田
逵二
東 北 放送東京攴 祉
兼編集 部 長
兼編 集 委員
神 戸新聞東京支 社 編集 部 長
大鐘
⋮
石ぜ
予日⋮
轍一
果宀
以D
文凪
性次長
罧人
一一
尸 克夫
星野
新 潟 日撮東京支社 報 道 部 長
服道制 作 部 長
光男
琉 球新 報東京支社 報 道部 長
相馬
数也
東京 放 送報道局 二 講⋮ ス部
山 形 新聞東京﹂
文社 編 集 部 長
島袋
洋
名古 屋 タイ ムズ 理事 ・袿 長
茂
池田
了
育森 テ レビ常務 取締 役
早坂
中山
良造
共 同 通信社海外部 長
阿保
北 陸 放送 報道 局長
仁井 田益雄
佐 々木 遣人
ラ ジ オ関東編成 局 次長
(
準 会員 入 会)
弘
副 屯幹
日本経済新 聞取締 役 ・主 幹
〃
(2)
い て の抱 負 な ど と い う も の も な く 、
と申 す外 はあ りま せん。
に か く 、 あ ん た は 朝 日 と いう 桑 の葉
と に つと め 、 気 象 記 事 で は新 し いジ
た だ 、 これ を機 会 に わ が 過 ぎ こし
方 、 四 十 八 年 の道 程 を ざ っと 振 り 返
ャ ソ ルを 開 拓 し た と 、 ア メリ カ の あ
ば な 絹 糸 を つ く り 出 す こと を 忘 れ ん
い に、 郷 里 の 長 崎 で マ ユか ら 、 り っ
る 新 聞 が 認 め て く れ た こ と も あ一
りま
れ ぬ よ う に と 心 が け て、 バ カ の 一 つ
よ う に ナ ﹂ と い う 、 はな む け の お こ
整 理部 の五年 ほど は戦 時中 で、 山
覚 え み た い に コ ラ ム 一筋 に専 念 す る
す。 学芸部 の三年 間 は文 楽 およ び上
積 す る デ タ ラ メな 現 地 報 告 を 削 る こ
よ う にな っ て 、 十 二 年 半 が 過 ぎ ま し
と ば に 感 激 し 、 こ れ だ け は 一日 も 忘
と ば か り で過 ご し た 気 が し ま す 。 決
たg
河本
泰雄
故 上 野 祉 主 の あ の お こ とば が 、 私
武山
通允
新 聞 に 出 向 し た 時 は、 あ の八 月 十 五
訓 にな っ た と 、 今 も 信 じ て いま す 。
尾関
の後 半 生 に と り 、 何 よ り も貴 い処 生
要 領 を ま と め 、 ほ か に ポ ツダ ム宣 言
(昭 和 四 九 年 五 月 記 )
(
役 職変 更)
受 諾 に っいて の解 説な ど を書き 、輪
日 の 玉音放送 を 聞 いて、 即座 にそ の
戦 非 常 措 置 で 一県 一紙 と な り、 伊 畆
勞
方 歌 舞伎 の研究 に熱 中 しま した。
っ て み ま す と 、 や は り 多 少 の感 慨 が
わ き 起 こ ら ぬ わげ で は あ .
り ません9
を食 べ て 育 っ た オ カ イ コさ ん や さ か
世 界 を 自 然 科 学 の中 か ら 発 掘 す る こ
執筆 中の松浦民
第51号
伯圓
昭 和49年5月
第51号
昭 和49年5月10日
ま さ にク ラブ賞 の趣 旨 に
生 きたジ ャー ナリ スト
昨 年 暮 れ 、 クラ ブ か ら 候 禰 推 薦 の
依 頼 に接 した とき、そ の趣 旨書 き を
読 ん で す ぐ ピ ンとき た のが 松 浦 論 説
室 顧 問 の こ と だ った。 む し ろ 、 前 年
の募 集 に気 が つかな か っ た の で 、 一
年 遅 れ た か と、 残 念 で な ら な い p そ
れ ほ ど 松 浦 氏 は こ の賞 の 趣 旨 そ の も
の の業 績 の 持 ち 主 な の で あ る 。
と い った わ け で 、 自 信 を 持 っ て推
薦 は し た が 、 選 考 委 員 会 が 全 員 一致
で理 事 会 への 簿 申 を 決 め ら れ 、 本 賞
初 の栄 誉 が 与 え ら れ る と の 知 ら せを
あ.
っ た 個 人 に贈 ら れ る と い う 本 賞
って 最 高 の 栄 誉 で あ る 。
は 、 文 字 ど お りジ み
,ー ナ リ スト に と
松 浦顧 問 は、そ の略 歴が 示す とお
り、 実﹁
に 四 九 年 の キ ャ リ ァを も っ冖
鮫
古 参 の 押現 役 μ 記 者 で あ る 。 現 在 も
執 筆 中 の本 紙 コラ ムが 、 そ の 博 識 と
選考 経過
三 月 二 五 日 (月 )、 ク ラ ブ 別 室 に お い て
燕川
進
洸
通信
大原
白川
日本 経済新聞 出版局 長
〃
出 版.
筍英文H
経編集長 兼英 文 部 艮
共 同 通信社渉外 部 長
(庄所 変 更 )
全 員 出 席 のも と に開 催 の昭 和 四 九 年 度 日
本 記 者 ク ラブ 當船越考 禾π昌隅
ムムは、 反 町.
理事
東 京 都 中 央 区 八重 洲 一の 五 の .=
野田経済 研究 所
地域 社会 の・
τピ ニオ ソ ・リ ー ダ ー と し て
h
仕も ・
なお 毎 日 、 コ ラ ム に健 筮}を ふ る い 、
俊 雄 (〃) 青 木 克 之 (〃) 大 輝 精 一(〃)
尾賀 芳 照 (信 越 放 ) 堤 潭 夫 (日 経 ) 竹 谷
青木 秀 (西 口 本 ) 北 尾 陽 之 介 (神 .
卩新 )
(正 会 員 退 会 )
〒囮
(N H K ) を 委 員 長 に互 選 の のち 、 そ れ
ま で に推 薦 のあ った 候 補 四件 に つ い て 審
貢 献 し て いる 事 績 二み一
、 ま き に本 賞 設 定
物部正
議 し た 結 果 、 松 浦 氏 が 七 〇 歳 を こえ た 現
の 趣 旨 に合 致 す る 、 と 意 見 の 一致 を み 、
報 ) 平 間 昭 夫 (稟 北 放 ) 山 内 正 男 (新 潟
士 評 に よ って常 に読 者 の 絶 賛 を 博
同 氏 を 授 賞 候 補 と し て 理 事 会 へ推 薦 す る
球 新 報 ) 田 畑 光 汞 (東 京 放 ) 亀 山 饅
日報 ) 相 馬 健 一 (山 形 新 ) 石野 朝 季 (琉
(名
広 靖 (口 本 海 T V) 安 遣 隆義 (〃) 長 谷
本 弘 (ラ ジ す 関 東 ) 益井 康 一 (〃) 蒔 田
古 屋 タ イ ム ズ ) 横 山 実 (青森 テ レ ビ ) 河
で あ る こと 、 に も か か わ らず 、 み ず か ら
川 鉦 三 (広 島 ホ ー ム T V) 吉 岡 正 典 (〃)
生 涯 の 喜 び と し て お ら れ る であ ろう
今 回 の 受 賞 を 、 受 嘗ハ
者 はも ちろん
く の人 び と が 認 め る と こ ろ で あ る。
発 に大 き く 貢 献 し て い る こ と ば、 多
し 、 県 畏 の社 会 的 ・文 化 的 知 識 の 啓
二と を 決 定 し た 。 同 委.
員会 は、四月 二 四
日 開 催 の理 事 会 に こ の決 定 を 答 申 し た 。
(岩 手 日
が 、 こ と し 九 月 に創 刊 八 五 周 年 を 迎
他 の候補 との比較 で は、松 浦氏が高 齢
(
読 売 新 ) 村 田 源 一郎
え る わ が 社 に と っ て も 、 そ れ は錦 上
花 を 添 え る 栄 誉 で あ る と 、 私 は受 け
執 筆 活 動 を 現 在 も つづ け て お り 、 推 薦 が
受 け 、 さ す が に嬉 し く 、 心 か ら謝 意
と め て いるQ (
推薦 者 11小 島安 信長崎
(〃) 三 枝 直 丈
を表 し た い。仕事 を通 じ て ジ ャー ナ
(〃) 川 西 平 信
そ の執 筆 活 動 に つ い て な さ れ て い る こ
(〃)
第 4回 企 画 委 員会
(〃)増 田 重 之
羽田点
新 聞 社代 表 取締役社 長)
的 地 位 の向 上 に関 す る 功 績 の顕彰 に お か
昭 和 49年 4 月 15 日 (月 )
史 編 集 室 主 査、 三 三年 五 月 定 年 後 も 嘱 託
な く 、 ジ ャー ナ リ ス ト の職 業倫 理 、 社 ム買
と 、 本 賞 の目 的 が 特 ダ ネ 取 材 の顕 彰 で は
リ ス ト の 社 会 的 地 位 の向 上 に 功 績 の
受 賞 者 略歴
同 候 補 の事 績 が 出 色 で あ る、 と いう 判 断
冂冖
本 記幽
着ク ラ ブ 別 室餌
れ て いる こと 、 な ど の 諸 点 か ら、 と く に
昭 和 三六年 九月長崎 新 聞 入社 、主筆 。
に つな が った 。 松 浦 氏 へ の授 賞 (表 彰 状
ク ラ ブ ゲ ス ト を 検冖
討 した 結 果 、 参 院 選
と し て 社 史 編 修 室 に勤 務 。
一五年 三 月 長 崎 高 商 卒 業 ま で 同 市 在 住 g
同 三 七 年 一月 同 社代 表 取 締 役 社 長 。 同 年
お よ び 副賞 一〇 万 円 の 贈 呈 ) は、 理 事 会
明 治 三 六 年 五月 長 崎 市 に生 ま れ 、 大 正
大 正 一五 年 四 月 大 阪 朝 日 新 聞 入 社 。 社
七 月 社 長 を 辞 任 、 主 筆 に復 帰 。 四 六年 ↓
を前 に各 党 党 首 、 物 価 ・イ ソ フ レ問 題 で
昭 和 二〇 年 三月 伊 勢 新 聞 に出 向 、 編 集
会、 学芸 、 連 絡、整理各 部勤 務 。
の 承 認 を 経 た のち 、 さ る 五 月 八 日 の昭 和
襪 出赳 夫 蔵 相 の ほ か、 奥 野 誠 亮 文 相 、 飛
れ た。
鳥 旧 一雄 横 浜 市 市 長 な どが 候 補 に あ げ ら
四九 年度定 期総会 の瞻 上 、行 われた。
件 の概要 は本紙前 号 に紙 報)
(な お、 選 考 委 員 会 の構 成 お よ び候 補 四
ま で朝 刊 コラ ム ﹁水 や 空 ﹂ を 執 筆 。 ﹃長
る著 書 も 発表。
崎 の歴 史 ﹄ ﹃杉 享 二伝 ﹄ な ど 長 崎 に関 す
O 月 主 筆 を 辞 任 、 論 説 室 顧 問 と し て現 在
局次長 。 同年 九月編集局 長 。
同 年 一〇 月 朝 日大 阪 本 社 復 帰 、 一 一月
学 芸 部 長 と な る 。 二四 年 三 月 大 阪 本 社 社
(3)
事
一、 会
業
合
報
告
祉 団 法 人 日 本 記 者 ク ラ ブ は昭 和 娼年 12 月 1 日 か ら 4
9
年 3 月 31 日 ま で の 間 に 、 つぎ の よう な 諸 行 事 を 行 いま
し た 。 行 事 の総 回 数 は 34 回 で 、う ち総 会 、懇 親 会 な ど の
ク ラ ブ 記 念 行 事 が 1 回 (参 加 者 平 均 ー 以 下 同 じ 虹 一二
五名 )、 昼 食 会 11 回 (八 四 名 )、 夕 食 会 3 回 (四 四 名 )、
記 者 会 見 5回 (三 四 名 )、 講 演 会 5回 (二 八 名 ) の ほ
名
会
口
付
参 加者
一二 五 名
三入名
一二六適
二七 七名 娼号
四 二名 ・
コ
五 八名 一
一〇 二名
参 加 者 数 記録
口
付
昭 和 50 年
1 月 11 日
か、 映 画 試 写 会 7 回 、 趣 味 の会 (ゴ ル フ 、 囲 碁 ) 2回
(一四 名 ) で し た 。
事
ク ラブ記 念行事
行
食
名
12 月 11 日
昭 和 49年
パ.
12月 10 日
アブダ ビ 国務 相
シリア外 相
ス
ト
新年 互 礼会員 懇親 会
昼
ゲ
ハダ ー ム
チ ャ ー チ
宮本 顕 治日本 共産 党委 員 長
井 上 四 郎 ア ジ ア開 発 銀 行 総
裁
1 月 18 口
福 田赳夫 大蔵 大臣
チ ャ タ ウ ェー丱
央産竃果開一
発相
-月 册 日
12 月 25 日
.
昭和
49 年
1月 9 日
アブ 一
ア ッサ ラ ムO A P E C
議 長 、 ヤ ー7 二 ・サ ウ ジ ア ラ
ハテ ム ・エジ プ ト 副 首 相
佐 々木 礁 日 本 銀 行 総 裁
2月 お日
2 月 16 日 .
2 月 15 日
四七 名
四 一名
五 二名
五 七 名 49 号
ビ ア石油相
オ ルトリEC委員 長
3月 8日
50 号
参 加 者 記録
竹 入義勝 公明党委 員 長
付
四 五名
会
名
日
3 月 28 日
食
ト
ア ジ ェンデ 前 チ リ 大 統 領 夫
人
タ
ス
四 二名
ゲ
グ セ イ ン駐 日 ク エー ト 大 使 昭 和 49 年
(大 阪)
一 1月3
0日
五七名
参加者
記録
50 号
参 加 者 記録
2月 6日
三 木 武 夫 副総 理
見
付
三四名
会
名
﹁日
︼ 3 月 14 日
者
ス
ト
長 谷 川 酸 労働 大 臣
記
ゲ
二 一名
四 一名
1 月 22 日
四九名
-月 5日
ア ルジ ャジー⋮
昭和 四年
ス ザ ン ヌ ・グ イ ー フ ア パ
ス通信社 調査研究 部 長
2月1
8日
マー リ ック
ラ編集 局畏
大 木 正吾総評事 務 局 長
付
四〇名
二〇名
目
3 月 16 日
3 月 12 日
会
イ ァ γ ・L ・マク ハー グ 教
授
演
江 崎玲於奈博 士
講
名
三 ︻名 ⑱ 号
ト
2 月 21 日
ス
脇 村 義太郎博 士
3 月 18 日
ゲ
鈴 木 秀雄大蔵省 顧 問
二〇 名 50 号
二 三 名 51 号
一四 名
二五名
3 月 27 日
3 月 29 日
3月 嬲 日
久 住 忠男軍事評 論 家
ポ ー ル ・スポ ング 博 士
ド ナ ルド ・カ ー英 国 中 央 情
報 局 海外部長
映
題
画
黒 い砂漠
写
会
一〇 〇名
試
参加者 記録
二〇名
六〇名
名
蘿鼬
昭 和 49 年
- 月 25 日
三Q名
一〇 〇名
2月 7日
二 五名
12 月 24 日
2 月 21 日
日本 沈 没
戒厳令
3月1
8日
華 麗 な る 一族
日本 百年
3 月 27 日
二 五名
暗 黒 街 の 二人
三銃 士
二、会報の発 行
毎 月 一同 (10 日 ) ﹃日 本 記 者 ク ラ ブ 会 報 ﹄ を 発 行 、
ク ラブ 行 蛮 の案 内 、 会 議 決 定 事 項 、 会 員 異 動 な ど の事
務 連 絡 の ほ か、 記 者 会 見 、 講 演 会 の 記 録 を 収 録 し て 会
員 の参 考 に供 し て いる o ま た 紙 面 に は 会 員 の随 想 、 ク
ラ ブ に 対 す る 要 望 な ど も 掲 載 し、 会 員 相 互 の懇 親 の場
と も な って いる 。
三、会員名簿 の作成
昭 和 48年 12 月 1 日 と 昭 和 49年 3 月 1 日 現 在 で会 員 名
簿 (付 脯定 款 ・役 員 名 簿 ) を 二同 作 成 し 、 会 員 に配 布
し たQ
四 、 そ の他
昭 和 49年 1 月 19 日 を 締 切 り に、 第 1 回 日 本 記 者 ク ラ
ブ 賞 候 補 を 募 集 、 応 募 四 件 に つ いて 3 月 25 日選 考 委 員
し て 理 事 会 に推 薦 す る 二と を 決 定 し た 。
会 を 開 いた 結 果 、 長 崎 新 聞 松 浦 直 治 顧 問 を 授 賞 候 補 と
(4)
第51号
昭 和49年5月10日
第51号
昭 和49年5月10日
一業
務
会
一、 総 会 、 理 事
総
報
告
・監 事 会 、 委 員 会
臨 時 総 会 (昭 和 49 年 2 月 6 日)
出 席 基 本 会 員 四 四 社 、 委 任 基 本 会 員 六 三社 、 計 一〇
し て の入 会 を 承 認
第 2 回 理 事 会 (昭 和 49 年 3 月 7 日)
昭 和 49 年 5月 8 日 (水 ) 午 後 4時 か ら 定 期 総 会 を 開
催 す る件を決定
池 浦 正 彦 氏 の準 会 員 と し て の 入会 を 承 認
借 室 料 の改 定 の件 は 理 事 長 、 総 務 委 員 長 に 一任 とす
事
会
る こと を 決 め た
監
第 4 回 監 事 会 (昭 和 49 年 -月 % 日)
昭 和 48 年 1∼ 11 月 の 会 計 監 査 を行 い、 任 意 聞 体 日 本
会
七 社 を も って成 立 、 ① .
昭 和 49年 度 補 正 予 算 ・
②プ レス
付
嬲 譚
日
〃
(昭 和 姐 年 3月 15 日)
西 二社 七八六名
; 名
基本 会員 数 正 会員数 準 会員 数 入会 退 会
二 、 会員 の 異 動 状 況
〃3
第 2 回 企 画 委 員 会 (昭 和 弗 年 2月 13 日 )
新 企 闘 委 員 長 に松 本 幸 輝 久 委 員 を 互 選
堀 田 ﹁郎 会 員 か ら 出[
田 裕 会 員 への 委 員 の交 替 を 了 承
第 1 回 企 画 委 員 会 (昭 和 49年 -月 9 日 )
一九 七 四 年 用 ﹁予 想 ア ンヶ i 卜﹂ の 設 問 を 決 定
第 48 回 企 画 委 員 会 (昭 和 48年 12 月 7 日 )
も 検 討 を 行 って い る 。 (詳 細 は会 報 の 記 録 参 照 )
企 画 、 決 定 す る ほ か 、 ゲ スト選 考 の基 準 な ど に つ いて
企 画 委 員 会 は 毎 月 、 月 初 め に閘 か れ 、 ク ラ ブ 行 事 を
員
記 者 ク ラ ブ の決 算 案 を 承 認 し た
会
定 款 28 条 2㈹ に よ り 委 員 会 規 則 を 制 定
企 画 委
ビ ル移 転 のた め の特 別 会 費 徴 収 の 件 ④ 役 員 交 替 の 件
事
を いず れ も 原 案 通 り 可 決 し た。
理
昭 和 49年 度 補 正 予 算 案 を承 認
第 1 回 理 事 会 (昭 和 49 年 1 月 10 日)
①
プ レ スビ ル移 転 の た め の 特 別 会 費 徴 収 の 件 お よ び堀
田 一郎 理 事 から 大 沢 行 夫 会 員 への 理 事 交 替 の件 を承
②
準 会員 申 し 込 み の 要 件 と し て マ ス コ ミ研 究 者 、
認 、 2 月 の臨 時 総 会 に は か る こと と し た
③
会 費 基 準 を 改 定 し 、 正 会 員 が 基 本 会 員 で あ る社
国 連 広 報 セ ソ タ ー の 職 員 を 認 め る内 規 制 定
④
を 離 れ た た め 雌 会 員 に身 分 を 変 史 す る 場 合 、 入 会 金
北 陸 放 送、 秋 田 放 送 、 秋 田 テ レビ 、 テ レビ 神 奈
を 免 除 す る こと を 決 定
④
川 、 防 長 新 聞社 の 基 本 会 員 と し て の 入 会 を 承 認
大 村 主 計 、 土 肥 良 造 、 肥 後 政 夫 、奥 村 孝 一、 内 川 芳
美 、 字 野 尚 志 、 細 川 隆 一郎 、 岩 立 一郎 氏 の準 会 員 と
覊
一四 六 社
一四 六 社
西 六社
七七三名
七 七 二名
七七六名
二七名
二六名
二五名
三名
二名
譚
2 月 1日
二名
3 月 1日
三 、別 室 の利 用 状 況
.
一
昭 和 48年 12 月 41 回 、 昭 和 49年 1月 41 回 、 2 月 37回 、
3月 52 回
原 杯 は 安 成 会 員 ・渡 辺 杯 は 坂 田 会 員 に
ゴ ル フ同 好 会 の 第 九 回 大 会 は、 三 月 二 十 九 口 、
埼 玉 県 久 濔 カ ァ ト リ ー ・ク ラ ブ で 開 か れ た 。 当 凵
は 無 風 快 晴 、 前 々 日 の 大 雪 も コー ス に は 名 残 り さ
え と ど めな い好 条 件 に恵 ま れ、 参 加 十 三 選 手 が 一
ラ ウ ンド 十 八 ホ ー ル ス の ス ト ロ! グ プ レ : で 覇 を
(取 り 切 り) と、 ﹁渡 辺 理 事 長 杯 ﹂
競 った 。今 回 は 過 去 八 回 の優 勝 者 に よ る ﹁原 理 事
長 杯 一の争 奪 戦
を め ぐ る順位 戦 (持 ち 回 り)が 重 複 し て 行 わ れ た
た め 、 な ご や か な ふ ん いき の中 に も 真 剣 勝 負 の気
迫 が み なぎ って 、 戦 前 の ル ー ル打 ち 合 わ せ にも 、
こ れ ま で にな く 長 い時 閻 が かけ ら れ た 。
順 位 戦 は ベ スト ・グ 卩スを記 録 し た 坂 田 二郎 会
}員 が 優 勝 、 大 理 石 の ﹁渡 辺 理事 長 杯 一を 手 にす る
の大 カ ップ に思 わ ず 頬 を ゆ る め て い た 。
れ な い﹂ を 繰 り 返 し て いた が 、 帰 路 の車 中 、 七 宝
で 勝 利 。 同 会 員 は 表 彰 式 の席 上 さ か ん に ﹁信 じ ら
を 守 った安 成 元 三 郎 会 員 が 有 資 格 者 中 最 高 の成 績
一方 、 [
.
原 理 事 長 杯 ﹂ 争 奪 戦 は 終 止 マイ ペ ー ス
{最 初 の人 とな った 。
一
(5)
九 七 二年 三月 二 十 七 日 (水 )
世 界 戦 略 の 現 段 階
住
忠
男
当 然 の こ と で す が 、 こう し た 世 界 戦 略 の現 状 に対 す
久
私 の 主 た る 研 究 は、 口 本 の安 全 保 障 を 中 心 に、 世 界
第 二 は 、 地 域 的 な 軍 事 戦 略 Ilー中 東 戦 争 、 中 ソ 国 培{
紛 争 、 イ ンド 洋 問 題 、 など と いう 種 類 のも の で す 。 こ
の戦 略 は 、 核 戦 略 に比 較 し て 低 い レ ベ ルに はあ り ま す
が 、 そ の持 って い る意 義 は 必 ず し も 小 さ いと は い え ま
せ ん。 こ の 地 域 的 軍 事 政 策 に対 抗 す る裏 の考 え は 、 国
連 の平 和 維 持 機 能 を積 櫨 的 に支 持 、 激 励す る と い う 思
潮 であ り ま す 。 従 来 は 〃ク ラ イ シ ス ・マネ ー ジ メ ン
ト” と いう 考 え 方 で し た が 、 発 生 し て から で は間 に 合
わ な い の で 、 コ ソ フリ ク トが 起 こ る の を事 前 に コ ン ト
・ー ル し よ う 、 と いう 考 え 方 が 強 く な って き て い る わ
第 三 は、 資 源 戦 略 )資 源 政 策 ・資 源 外 交 と い う も の
け です 。
が 、 世 界 戦 略 の スベ ク ト ルの な か へ入 って き た 、 と 私
る認 識 の甘 さ を 是 正 、 克 服 す る に は、 まず 現 状 を 正 し
は 見 な し て い ま す 。 従 来 、 経 済 戦 略 と いわ れ て ぎ た も
戦 略 の現 状 を 対象 として いるわけ ですが、 な かでも 最
で今 日 は、 ま ず 、 世 界 戦 略 の現 状 に つ いて お話 し、 結
く 、 よ り 深 刻 に 理 解 す る こと が 肝 要 と 考 え ま す 。 そ こ
び と し て、 私 の 考 え て いる 日本 の 世 界 戦 略 に つい て 触
す な わ ち 、 全 地 球的 人 道 主
は ﹁パ ワ ー ・ リ ア リ ズ ム ﹂ で あ り 、 裏 は ﹁プ ラ ネ タ リ
裏 両 面 を も った 政 策 のも と に進 め ら れ て お り ま す 。 麦
げ る こと が で き な いわ け で す 。
階 で は、 具 体 的 な ヶ : スが 他 に な い の で、 これ し か 挙
好 意 的 に 理 解 し て いる わけ で す 。 い ず れ に せ よ、 現 段
ー ・ピ ュー マ 一
一ズ ム の側 に 分 類 さ る べ き も の と 、 私 は
考 え 方 は 、 パ ワ ー ・リ ア リ ズ ム で は な く 、 プ ラ ネ タ リ
ン ジ ャー構 想 で す 。 キ ソシ ソ ジ 助
、ー 構 想 のも と も と の
す 。 た だ ひ と つ具 体 的 に提 示 さ れ て いる のが 、 キ ッ シ
二れ に対 す る 裏 の 考 え 方 と い う の は、 ま だ 星 雲 状 態 で
の が 、 こ う い う か た ち で果 約 さ れ た と いう 認 識 で す 。
プ ラ ネ タ リ ー ・ヒ ュ ー マ ニズ 厶
パ ワ ー ・り ア リ ズ 厶 と
れ さ せ て いた だ き た いと 思 いま す 。
私 は戦 略 思想 と呼 ん で い ま す
の考 え 方 に、 主 た る 関 心 を 持 って い る わ け で
近 は、 戦 略 の 原 則 がー
す。
こ こ数 年 間 、 国 際 会 議 な ど を 通 じ 、 各 国 の専 門 家 の
方 々 と 意 見 を 交 換 す る機 会 を 持 ち ま し た が 、 そ 二 で 次
の よ う な 日 本 への不 満 、 批 判 を 聞 か さ れ る こと が し ば
しば であ り ます。
如 し て い る の で は な いか 。 と り わ け 世 界 戦 略 の現 状 に
ー ・ヒ ュー マ ニズ ム ﹂ 1
第 四 の ス ペ ク ト ルと し て は 、 勢 力 圏 の維 持 ・拡 大 戦
表
ついて認 識 が 甘すぎ る のではな いか。も う日本 も、 従
義 と で も 呼 ぶ べ き も の です 。 こ の表 裏 で現 在 、 世 界 戦
現 在 の世 界 戦 略 は 、 二 つの 相 反 す る と いう かー
来 と 異 な り 、 独 自 の 政策 を も つ べ き で は な い か、 経 済
略 が 展 開 さ れ て いる 、 と い う のが 私 の基 本 的 な 状 況 の
日本 の政 治 ・外 交 は 、 世 界 の 現 寞 に対 す る認 識 が 欠
政 策 と か 、 金 融 政 策 と いう よ う な 、 部 分 的 、 断 片 的 な
ステ ム” と 呼 ん で います c こ の新 国 際 シ ステ ム は 、 一
略 が 挙 げ ら れ ま す 。 イ ンド 洋 な ど で そ れ は 顕 著 で す
九 七 二年 の ニク ソ ン訪 中 の頃 か ら 具 体 化 さ れ 、 す で に
と ら え 方 で す 。 ま た、 私 は、 現 在 の 世 界 戦 略を 、 次 の
表 の パ ワ ー ・リ アリ ズ ムを 構 成 す る 第 一の要 因 は核
幾 多 の先 例 が つく られ てき ま し た 。 そ し て シ ス テ ム は
も ので な く、 総合的 な世界政 策 、 世界戦 略を持 た な く
戦 略 であ り 、 そ の裏 は当 然 の こ と な が ら 核 軍 縮 で す 。
定 着 し た か に見 え ま し た が 、 先 の 中 東 十 月戦 争 あ た り
て は な ら な い。 ま った く 日 本 は 何 を 考 え て い る か わ か
ヨー ロ ッパ の人 達 は も っと も 痛 烈 に、 米 国 の 人 達 は
申 す ま でも な く 、 核 軍 縮 の現 在 の中 心 的 課 題 は ﹁安 定
が 、 これ に対 す る 裏 の考 え 方 を 、 私 は ウ新 し い国 際 シ
懇 切 丁 寧 に、 ソ連 の 人達 は皮 肉 い っば いに 、 そ し て 東
し た抑 止 力 を い か に維 持 す る か ﹂ にあ る わけ で す 。
四 つ の ス ペ ク ト ル に整 理 し て 把 握 し て お り ます 。
南 ア ジ ア の人 の場 合 は感 情 的 に、 こ の よ う な 批 判 を 口
らな い⋮ ⋮。
にす る わ け で す 。
(6)
第51号
昭 和49年5月10日
第51号
昭 和49年5月10日
以 上 四 つ の スペ ク ト ルに つ い て の認 識 、 判 断 、 ま た
る の です 。 攻 撃 目 標 に つ いて 選 択 の自 由 を 確 保 す る、
ても 攻 撃 し う る 能 力 を 柔 軟 に保 持 す る 、 と 言 明 し て い
軍 事 塞 地 を 第 一の 目 標 と し、 必 要 に応 じ て都 市 に対 し
し、 シ ュレジ ンジ ャー長 官 は、 新 た に、 建 前 と し て は
を 持 た な い の で 、 これ を ヨー ロ ブバ に配 備 し て も 、 戦
と も あ り ま せ ん。 ま た 、 本 国 を 脅 かす ほ ど の 弾 道 距 離
必 要 が あ り ま せ ん.
. し た が って 、 冖挙 に破 壊 さ れ る こ
器 の よ う に、 ど 二 に 設 置 し てあ る か を は っき り さ せ る
術 核 兵 器 は、 多 数 分 散 き せ る こと が 可 能 で、 戦 略 核 丘ハ
か ら、 進 展 の 速 度 が に ぶ って き た よ う で す 。
これ に対 す る 対 応 の 仕 方 、 これ ら 全 体 を ひ っく る め て
と いう のが 説 明 の 骨 子 と な って い る わ け で す 9
焦 点 を絞 って 話 を 進 め た いと 思 いま す 。 第 三 の資 源 と
ト ルのう ち 、 第 一の核 戦 略 と 第 二 の 地 域 的 軍 事 戦 略 に
た 。 これ に 比 べ 、 新 し い戦 略 で は バ ラ エテ ィに富 ん だ
め に攻 撃 す る、 と いう と こ ろ に 重 点 が お かれ て いま し
従 来 、 都 会 を ね ら い、 大 量 殺 人 、 大 量 報 復 を 行 う た
す 。 従 来 も 、 部 分 的 に は こ の よう な 考 え が 述 べ ら れ る
る、 と いう よ う な 説 明 を ムー ラ ー は行 って いる わ け で
ことが でき るー
態 を 招 かず に 、 ソ連 の 圧 倒 的 通 常 軍 の 政 勢 を 抑 止 す る
略 的 に脅 威 を ワ え て 不 要 に緊 張 を 拡 大 す る、 と い う 事
時 間 の 関 係 も あ り ま す の で 、 次 に こ の四 つの スペ ク
私 は ウ世 界 戦 略 ウ と 呼 称 す る わ け で す 。
第 四 の勢 力 圏 の 問 題 に つ いて は、 結 び の 日本 の と る べ
攻 撃 法 が 可 能 にな る わけ です 。 都 会 に対 す る攻 撃 は最
こ と も あ り ま し た が 、 核 戦 争 を 誘 発 す る欣 険 が .
、ぎ い
ウ と い う の は 高 性 能 ・高 コ ス ト 、
ウ卩 ー ウ は 低
“ ハイ ・ 卩 ー 二 一ン セ プ ト ” の 採 用 で す 。
そ う いう 点 で は も っと も 効 果 的 であ
き 世 界戦 略 の 中 で 、 含 め て お話 し た いと 思 いま す 。
後 の手 段 と し て 残 し、 そ の前 に軍 事 目 標 に対 し て 限 定
と 、 否 定 的 な 評 価 を く だ さ れ る 風 潮 が 強 か った よ う で
米 国 の 新 し い核 戦略
択 の柔 軟 性 に 対 し 、 大 き な 考 慮 を 払 って い る わ け で
的 な 攻 撃 を 行 う と いう わ け で 、 攻 撃 の多 様 性 と 目 標 選
最 近 、 ア メ レ カ 国 務 省 が 都 合 の よ いデ ー タを 公 開 し
ク ハイ
第 三 は、
す 。
第 .一は 、 戦 術 核 兵 器 の使 用 に関 す る方 針 を 明 確 に し
す。
核 の挑戦 が 顕 著 に 表 わ れ て おり ま す Q 戦 略戦 力 を 比 較
たと い う 点 で 、 本 年 の国 防 長 官 の 年 次 報 告 、 な ら び に
て く れ ま し た が 、 そ れ によ る と 、 ソ連 の米 国 に対 す る
し て み る と 、 I C B M の発 射 台 で は ソ連 のほ う が 五 〇
性 能 ・低 コ ス ト を 意 味 し ま す 。 こ れ ら 二 つ の 性 挌 を 備
え た 軍 備 を 組 み 合 わ せ る こと に よ っ て 、 結 果 的 に 比 較
こ れ に 関 係 し て 出 さ れ た ムー ラ ー 統 合 参 謀 本 部 長 の
﹃ミリ タ リ ー ・ボ ス チ ャー﹄ 報 告 は 、 注 目 す べ き も の
パー セ ソ ト の優 位 、 潜 水 艦 の ミ サ イ ル で は ほ ぼ 同 等 、
重 爆 で は米 国 が 優 位 、 核 弾 頭 の 数 で は 米 国 が 七 、 九 四
的 安 い コ ス ト で 、 あ ら ゆ る 状 態 に対 応 L 得 る戦 力 を 整
原.
r力
です 。 と く に ム ー ラ ー の報 告 は 、 そ こ に いた る 背 景 、
た と えば 、 衆 国 の第 一線 の大 型 攻 撃 空 糧 -
利 害 得 失 に つ い て も 述 べ て お り 、 た い へん 興味 あ る も
の です 。
〇 発 、 ソ連 が 二 、 六 〇 〇 発 と いう 対 比 に な って いま
と 、 これ ら
爆 撃 機 、I C B M 、
備 し よ う 、 と いう 考 え 方 です Q
すq米 ソの攻 撃 用戦 略兵器 の数潜 水 艦 から 発 射 す る ミ サ イ ルな ど の 数 1
す と、 だ い た い次 の 三点 に ま と め る こ と が でき る か と
近 の シ ュレ ジ ンジ ャ ー国 防 長 官 の発 表 な ど を 整 理 し ま
こう し た ソ連 の 挑 戦 に対 す る 米 国 の反 応 です が 、 最
これ は、 大 々的 に 報 道 さ れ ま し た 。 当 時 、 通 常 戦 力 と
れ 、 ﹁使 用 し な い﹂ と 答 え た こと が あ り ま す 。 当 時 、
ら 、 米 戦 略 空 軍 は戦 略 核 兵 器 を 使 用 す る か﹂ と 質 問 さ
攻 撃 を 受 け 、 英 仏 海 峡 に追 い落 と さ れ る こ と に な った
お いて ﹁も し N A T O軍 が 通 常 戦 力 だ け で ソ連 軍 か ら
る よ う に 考 え ら れ て い ま す 。 これ と 大 型 空 母 を 組 み 合
千 ト ン程 度 で 、 垂 直 離 着 陸 機 と ヘリ コプ タ ー を 積 載 す
と いう も のが 考 え ら れ て い る わ け です Q これ は 一万 四
隙 を 補 う た め 、 現 在 クシ ー ・ コ ン ト ロー ル ・シ ップ ウ
んD な により も小 回りが 利き ま せん。 そ こで、 この間
の 全 海 面 を カ パ ー す る こと が でき る わ け で は あ り ま せ
を も って し て も 地 球 上
思 います 。
核 兵 器 と は 、 こ の よ う に 二者 択 一的 ド ク ト リ ンの も と
わ せ る こと に よ り 、 ソ連 の海 軍 力 の挑 戦 に対 応 し よ う
空 母四 隻、超 大型 空母 八隻1
第 一は、 戦 略 上 の 目 標 の変 更 。 従 来 I C B M や 潜 水
に お か れ る し か な い と、 私 ど も は 理 解 し て い ま し た 。
と いう の が 基 本 的 な 考 え 方 で す 。 こ の種 の考 え 方 は 、
か つ て ハ ロウ ニー と いう 戦 略 空 軍 指 令 官 が 米 議 会 に
艦 か ら発 射 さ れ る ミ サ イ ル は、 第 一義 的 に、 大 都 市 と
し か し、 現 在 は、 そ の よう な 場 合 に は ﹁戦 術 核 兵 器 ﹂
ミ サ イ ル、 爆 撃 機 の分 野 で も し だ い に取 り 入 れ ら れ て
の発 射 機 、 発 射 台 の 数 を 総 合 す る と 、 米 ソ ほぼ 同 数 と
工業 地帯 に向 け ら れ て お り 、 マ ク ナ マ ラ の言 に よ れ ば
を 使 用 す る 、 と い う こと を 明 確 に し て い る ので す 。 戦
い う と こ ろ です ひ
約 二百 か 所 の攻 撃 目 標 が 設 定 さ れ て い ま し た 。 し か
(7)
す 。 こ れ は、 ひ と つに は 、 口 本 、 西 独 な ど 、 非 孩 保 有
負 担 を 軽 減 す る た め に、 核 軍 縮 も 進 めら れ つ つあ り ま
を 回 避 し て 、 核 軍 備 の増 大 が も た ら す 社 会 的 、 経 済 的
一方 、 ソ連 の挑 戦 を 外 交 的 に か わ し、 核 戦 争 の 危 機
総 隻 数 が 四 一あ れ ば 、 約 三 〇 隻 は 常 時 配 備 に つ く こ と
った 前 進 基 地 を 保 有 し て い る こと も 有 利 な 条 件 で す 。
二組 い る こ と と 、 グ 一
ノ ム、 ホ ー り I p ッホ 、 ロタ と い
保 有 隻 数 の 三 分 の 二が 常 時 、 配 備 可 能 で す 。 乗 務 員 が
数 で 、 米 国 が かな り 上 回 って い ま す 。 米 国 の場 合 は、
ウオ ン ・ステ ー シ ョンウ 、 す な わ ち 、 配 備 に つ け る
挙 げ た よ う に 、 米 国 が 優 位 で す 。 SL B M の ほ う は、
お り ま し た 。 I C B M の核 弾 頭 の 数 で は、 先 に 数 字 を
す。
ま た 、 米 ソ の総 ベ ヒ ク ル 数 は現 在 、 ほぼ 同 等 な わ け で
満 た す の に は、 これ が い ち ば ん 簡 単 な 方 法 ・
なのです 。
に ソ連 よ り劣 勢 で は いけ な い、 と いう 米 議 会 の条 伴 を
れぞ れ の 特 徴 を 生 か す 方 法 と いう べ き で し ・{う 。 数 的
法 です 。 要 す る に、 現 状 固 定 で あ り 、 要 約 す れ 1
ー、 そ
の 中 の配 分 は 米 ソそ れ ぞ れ の都 合 にま か せ る と いう 方
IC B M、 SLB Mを合 わ せて、あ る上限を 決 め、 そ
一つ は、 総 ベ ヒク ル 数 の 上 限 、 す な わ ち 、 爆 撃 機 、
こ よ う と し て お りま す 。
先進 国 の不満 をなだめ る ジ ニスチ渤
、1 と し て の 意 義 も
が 可 能 であ り 、 ただ ち に 戦 闘 行 為 に移 る こ と が で ぎ ま
き ま せ ん。 三 分 の ↓と いう と 、 こ の前 の 攻 撃 用 戦 略 兵
一方 、 ソ連 は約 三 分 の 一し か 配 備 に つけ る 二 ・
二が で
な さ れ て いま す 。 来 年 は お そ ら く 実 戦 配 備 に つけ ら れ
I R V の 大 量 実 験 を し 、 ほ ぼ 実 験 段 階 は完 ∼ し た と 攻
よ う と し て いる よ う で す 。 ソ連 は こ と し 一∼ 二月 に M
核 軍縮 の現状 と今 後 の 見通し
あ り ま す 。 現 在 休 会 中 で す が 、 SA LT H は 二う し て
す。
た ま た ま こ の二 ∼ 三 か 月 の 間 二、 米 国 の 軍 縮 局 の幹
器 暫 定 協 定 にも とづ き 最 大 に撮 有 でき る約 六 〇 隻 を 前
る で し ょう 。 そ こで 米 国 は 、 技 術 的 に は ﹁ス 卩ー ・ウ
ま た 、 M - R V (多 弾 頭 ミ サ イ ル) の制 限 提 案 を L
進 め ら れ て いる わ け です 。
部 や ソ連 の こ の方 而 で の 専 門 家 双 方 と 議 論 す る 機 会 を
提 に し た 場 合 、 二れ を す べ て 整 備 し た と し て も 二 〇 隻
頭 の重 量 です 。 そ の中 に は、 親 弾 頭 の内 部 に は い る ハ
て い る よ う です 。 私 は ﹁ス 卩ー ・ウ ェー ト .
一を ﹁打 ち
上 げ 重 量 ﹂ と訳 し て い ま す 。 す な わ ち、 、
・
・サ イ ル核 弾
ェー ト ﹂ と い う か た ち で重 壇 制 限 を し よ う 、 と 提 案 し
持 ち ま し たが 、現 在 の米 ソ の核 戦 力 の比 較 は、 米 国 が
程 度 し か 第 ﹁線 に配 置 で き な い わ け です 。 そ の 結 果 、
も ち ろ ん爆 繋 機 に つ いて は 米 国 の ほう が 優 れ て いま
ゼ弾-
米 ソ の 対 比 は 、 大 ざ っぱ に み て、 三 対 二 と な り ま す 。
す り こ う い う こと か ら事 実 上 、 米 国 が 有 利 だ と い え る
そ こ で 昨 年 十 冖月 に ソ連 が 提 案 し た と 俵 え ら れ て い
術 は 、 ミ ニチ ュアラ イ ズ す る 点 で米 国 に劣 って い る の
る機 構 の 重 量 も 含 ま れ る わ け で す 。 し か し 、 ソ連 の 技
水爆 の材料 はも ち ろ ん、 多方向発 射 を指 令 す
わけ です。
る の が 、 ミ サ イ ル潜 水 艦 海 外 基 地 の全 廃 と いう こ と で
で、 こ の ス ロー ・ウ ェー ト の制 限 案 を ソ連 が 呑 む と い
いず れ にし ても 、 S A L T 旧 は 、 私 ど も が 期 待 す る
す 。 空 母 の海 外 進 出 禁 止 、 海 外 駐 留 軍 撤 退 な ど も つけ
よ う な 完 全 な も の は でき ず 、 中 途 半 端 な 成 果 に終 わ る
う 二 と は 、 な かな か む ず か し いと 思 わ れ ま す Q
ァ ム 、 卩タ な ど の米 前 進 越 地 の消 滅 にあ る こ と ば いう
の で は な い で し ょう か。 そ し て、 二れ を 政 治 的 成 功 と
加 え て 提 案 が あ った よ う で す が 、 いち ば ん の 狙 いが グ
コ ン隻 数 の ハγデ ィキ ャ ップ 要 因 を 除 去 し よ う と す る
ま で も あ り ま せ ん 。 ミ サ イ ル潜 水 艦 の オ ン ・ ス テ ー シ
ょb
つQ
え 方 で あ り 、 そう せ ざ る を 得 な いと いう のが 実 情 で し
し て 宣 伝 し よ う と いう のが 、 米 ソ両 国 首 脳 の慕 本 的 考
こ れ に対 し米 国 は 、 い ろ いろ 研 究 し た よ う で す が 、
も の だ 、 と いわ れ る わ け で す 。
次 の 二 つ の提 案 で 対 応 し て い く の で は な い か 、 と 思 わ
れ ま す。
(8)
事 実 上 優 位 で あ る と いう 点 で は 双 方 の認 識 も 一致 し て
写其 中央 が久 住氏
第51号
昭 和49年5月10目
節51号
昭 和43年5月10口
し 、 そ の か わ り 完 慮 な き ま で に た た く、 と いう 考 え 方
が 骨 子 と な って いま す 。 も ち ろ ん 、 これ を 実 際 に 移 す
し 、 ま た 、 そ の事 実 を 相 互 に 匳 界 に公 表 す る と いう の
ド 洋 に集 中 す る と、 米 ソ の 軍事 的 パ ラ ソ スが 崩 れ る の
これ は 、 ス エズ 運 河 の 再 開 に 伴 い、 ソ連 の艦 艇 が イ ソ
つぎ に イ ンド 洋 の 問 題 に触 れ て み た いと 思 い ま す G
地 域 的 な軍事 戦略
最 近 の シ ュレ ジ ンジ ャ ー 国 防 長 官 の報 告 、 あ る い は
た め に は 、 相 手 国 も 同 じ 政 策 を と る こと が 条 件 と な り
です。 こ の ような攻撃を な しう る能 力を 配 備、 保 存
イ ク レー 軍 縮 局 長 の発 言 を み て 感 じ る こと で す が 、 こ
ま す 。 私 が 昨 年 十 二月 に ソ連 へ い った おり 、 こ の 議 論
米 国 におけ る最近 の核 戦略 思想
こ 二∼ 三 年 間 、 米 国 の雑 誌 、 著 書 に発 裏 さ れ た 学 者 達
ソ連 の ス エズ 利 用 か ら 得 ら れ る、 距 離 的 、 時 間 的 、
の新 し い戦 略 理 論 を 、 か れ ら は 大 胆 に取 り 入 れ る よ う
を 向 こ う の専 門 家 にぶ つけ て み た と こ ろ、 学 者 と し て
で は な い か、 と い う懸 念 か ら 発 し て いま す 。
にな って い ま す 。
ま た 、 先 に触 れ た シ ュ レジ ンジ ャー 長官 の攻 撃 目 標
を 回 って イ ソド 洋 の中 心 (北 緯 ○ 度 ・東 経 六〇 度 と 仮
拠 地 セ パ ス ト ボ ー ルか ら ジ ブ ラ ル タ ルを 通 り 、 喜 望 峰
リ ット は か な り 大 き いも の が あ り ま す 。 黒 海 沿 岸 の根
に 関 す る ド ク ト リ ソ変 .史 も 、 こ の イ ク レー の論 文 の 第
定 ) ま で く る と す る と 、 こ れ は 全 長 二万 七 千 キ 謬 にな
は賛 成 だ 、 と いう 返 事 が え ら れ ま し た o
を 、 私 は 核 戦 略 の ウア カ デ ミ ック ・ト リ オ” と 呼 ん で
を適用 し た こ と
キ ッシ ソ ジ ヤー、シ ュレ ジ ソ ジ →1、イ ク レ! の 三 人
いま す が 、 こ の 三人 こそ 、 現 在 の米 国 の核 戦 略 展 開 の
一項 -
戦 術 核 兵 器 を ヨー ロ ッパ で 使 う と いう 政 策 も 、 最 近
ト、 八 日 間 で到 着 でき る こ と に な り ま す . ウ ラ シ 才 ス
キ ロ に短 縮 さ 幽
孔、 七パ ス ト ポ ー ル か ・
り 平 均 一八 ノ 噌
大 量 報 復 のド グ マ の 除 去 1
立役 者 で す 。 キ ヅシ ンジ ャ ー 、 シ よレジ ソ ジ ャー は、
を 意 味 し て い る わ け です 。
の 米 国 の 学 者 の戦 略 理 論 か ら 出 て き た も の です 。 こ の
ト ック か ら イ ソド洋 ま で は 一万 一、 ﹁○ ○ キ ロ、 十 八
り ま す G と ころ が 、 ス エズ を 利 用 す る と 、 五 、 六〇 〇
す で に よ く 知 られ て い る と お り です 。 イ ク レー は 、 昨
ミ ナ ー のデ ィ レ ク タ ーを し て いた 学 者 で す 。 咋 年 ↓月
戦 略 論 を も っと も強 力 に推 進 し た のが 、 ウ 野 ル ス テ ソ
/ ット の 戦 略 スピ ー ド で約 十 五 日 間 か か り ま す 。 従
年 ま で 、 ラ ンド ・コーポ レ ー シ ョン にお い て核 軍 縮 セ
の ﹃フ ォー リ γ ・ア フ ェア ー ズ ﹄ 誌 に、 特 異 な 核 戦 略
タ ー と いう 学 者 で す。 こ こ で 、 か れが 昨 年 五月 、 ヨ ー
と いう のが 第 ︻の論 点 で す 。 第 二 は、 スピ ー ド の ド グ
数 百 万 の人 口を ︻つ に し た 従 来 の核 戦 略 を 廃 棄 し よ う
第 一の ド グ 呵
、は、 大 量 殺 人 、 大 量報 復 。 要 す る に、
り 、 核 戦 争 と 通 常 戦争 の間 に 橋 を か け る必 要 が あ る
す 。 問 題 は 、 そ の 中 間 でど の よ う な 選 択 を す る か で あ
か ら の世 界 平 和 は と う て い維 持 で き な い、 と し て い ま
単 純 二 者 択 一的 で 中 間 の対 策 の な い考 え方 で は 、 こ れ
これ に ょ る と 、 核 戦 争 か 、 通 常 戦 争 かと いう よ う な
一七 隻 、 大 砲 を 積 載 し た 巡 洋 艦 = 二隻 、 、
・
・サ イ ル積 載
よ う に な って い ます 。 ヘリ 空 母 二隻 、 ミサ イ ル巡 洋 艦
近 の ム ー ラ i 米 統 合 参 謀 本 部 長 の 報 告 によ る と 、 次 の
ソ連 海 軍 の編 成 は、 米 国 の そ れ と 異 な り ま す が 、 最
来 、 ソ連 の 水 上 燃艇 は 、 ウ ラ ジ オ ス ト ヴク か ら イ ンド
マを 取 り のぞ こう と いう も の 。 こ れ ま で の核 戦 略 は 、
こ の橋 が 防 火線 にな る 、 と か れ は いう わ け で す 。
卩 ッ パ で 開 催 さ れ た米 欧 の 戦 略 的 テ ー 一
、を 討 議 す る 会
相 手 が 発 射 す る か しな い問 に 、 間 髪 を いれ ず に 反 撃 す
ー
駆 逐 艦 四 三隻 、 大 砲 積 載 の 駆 逐 艦 三 六 隻 、 護 衛 艦 一〇
洋 へ い う て いた の です が 、 い ま ま で の聒 分 の時 間 で黒
る と い う も の であ り 、 非 常 な 危 険 が 存 す る わ け で す 。
そ れ が 防 火 線 に な り う る か ど う か は、 全面 的 核 戦 争 と
四隻 、 合 計 二 一五隻 。 潜 水 艦 は 約 二 五 〇 隻 、 そ の う ち
議 に提 出 し た ペ ー パー の内 容 を 若 干 紹 介 し て み た い と
論 を 発 表 、 これ が 認 め ら れ て 軍 縮 局 長 に 登 用 さ れ た と
いう のが 、 か れ の経 歴 で す 。
か れ の核 戦 略 論 と いう の は 、 簡 単 に いえ ば 、 核 戦 略
また、 当然 兵 器整備 のた め の無 理無駄 もあり、 コスト
通 常 戦 争 と の中 間 の選 択 を 、 い か にデ リ ケ ー ト に 、 柔
の半 分 以 上 は デ ィー ゼ ル推 進 力 、 残 り 一 一〇 ∼ = 一
〇
海 か ら いけ る こ と にな る わ け で す 。 単 に時 間 的 に 半 分
も 高 く つき ま す 。 こう し た こ と を 防 ぐ た め 、 イ ク レ ー
軟 に 操 作 す る か にか か って い る 、 と も かれ は い って お
隻 が 原 子 力 潜 水 艦 と いう 二 と に な り ま す Q こ の ほ か 、
思 います 。
は次 の よ う に提 案 し て い ま す 。 す な わ ち、 地 下 数 千 フ
り ま す 。 そ し て、 そ の カ ギ に な る のが 戦 術 核 兵 器 の 使
現 在 ク リ ル と いう 大 型 空 母 を 建 造 中 です 。 ク リ ル と い
の 二 つ の ド グ マを 取 り の ぞ こ う と いう も の です 。
ィー ト の と こ ろ に ミ サ イ ル基 地 を つく り、 相 手 が 攻 撃
用 方 法 で あ る 、 と説 く わ け で す 。
他 す べ て の点 で有 利 にな る こ と を 意 味 し ま す Q
にな る と いう こ と でな く 、 メ ン テ ナ ン ス、 補 給 、 そ の
し て も 、 即 座 に で はな く 、 数 週 間 か数 か 月 後 に 反 撃
(9)
機 二 五 機 、 ヘリ コプ タ ー 三 六機 を積 め る 能 力 を 持 つと
島 に配 備 さ れ る わ け で は な いと 思 いま す 。 垂 直 離 着 陸
四 万 ト ン の空 母 にな る はず で す が 、 か な ら ず し も 、 千
う の は 千 島 と いう 意 味 です 。 ソ連 最 大 の 、 三万 な いし
至 な ので 、 ソ連 海 軍 力 の強 化 の影 響 が 重 視 さ れ ま す 。
が 、 い っそ う 国 際 的 に 大 き な 問 題 に発 展 す る こと が 必
ま す し 、 今 後 、 海 洋 資 源 開 発 、 海 洋 利 用 爽 績 のあ り 方
海 洋 問 題 に関 し て は 、 近 く第 三 次 海 洋 法 会 議 も 開 かれ
る 発 言 力 の強 化 と い う 理 由 も 考 え ら れ ま す 。 と り わ け
を え な いと いう の が 、 イ ソド の立 場 の よ う で す 。
に 、 米 国 のデ ィ エゴ ・ガ ル シ ア幕 地強 化 に反 対 せざ る
ソ連 の海 軍 基 地 提 供 要 求 を 今 後 も 拒 否 し て いく た め
し 、 これ は、 兵 器 の 進 歩 に よ り 、 か な ら ず・
しも 現 実.
的
に は当 た ら な い見 方 と な り ま し た。 や は り 、 軍 事 的 に
整 備 し ょう として いる のだ、 と いわ れ ま ,
し た。しか
洋 へ来 る前 に ソ連 は先 手 を 打 って こ の方 面 で海 軍 力 を
アま で 届 く と いう 事 実 に対 応 し て、 ポ ラ リ スが イ ソド
的 に は 、 米 ポ ラ リ ス 潜 水 艦 の ヤ リ先 が ソ連 の中 央 アジ
ソ連 のイ ンド 洋 進 出 の 狙 い で すが 、 か つ て は、 軍 事
る こと を 計 画 し 、 国 防 省 は議 会 に予 算 を 要 求 し て いま
充 な ど 、 費 用 三 、 二 三 〇 万 ド ルを かけ て 墓 地 を 強 化 す
う と し て いま す 。 こ の ほ か、 貯 油 施 設 、 港 湾 施 設 の拡
が あ り ま す が 、 これ を 三 、 六〇 〇 メ ー ト ル に 延 長 し よ
洋 上 の大 環 礁 で す 。 現 在 二、 四〇 〇 メ ー ト ル の滑 走 路
ア は 、 米 第 七 艦 隊 全 部 が 入港 でき る ほ ど 大 き いイ ソド
の強 化 で 対 処 す る と い う こ と です 。 デ ィ エ.
コ ・ガ ル シ
機 動 部 隊 三 隊 の 配 備 、 第 二 にデ ィ エゴ ・ガ ル シ ア基 地
次 報 告 に よ る と 、 第 一に 西太 平 洋 ・イ ン ド 洋 へ の空 毋
これ に対 し 米 国 は 、 シ ュレジ ソジ 函
、ー 国 防 長 官 の年
と 私 は考 え ま す 。
の 姿 勢 、 態 度 を 明 白 にす る 必 要 が あ る の で は な い か、
は な いで し ・
{う か 。 そ し て 、 二れ に対 す る 日 本 レ一
して
で 始 ま った “新 し い国 際 シ ス テ ムケ を 再 評 価 す べ き で
前 に し て、 まず 私 ど も は、 一九 七 二年 の ニク ソ ン訪 中
る の で は な いか 、 と 懸 念 さ れ て いる 最 近 の 国 際 情 勢 を
地 域 的 紛 争 に よ り 、 世 界 が 再 び 冷 戦 時 代 に 逆 戻 りす
新 しい国 際 シ ス テム の原則
い わ れ て いま す 。 こ れ が イ ンド 洋 へも って い か れ る か
は 、 米 国 の全 世 界 的 な 制 海 権 保 持 へ の 挑 戦 であ り 、 イ
ど う か わ か り ま せ ん。 太 平 洋 の よ う な 気 も し ま す 。
ンド 洋 沿 岸 諸 国 に軍 事 的 援 助 を 推 進 す る 上 で の布 石 、
す。
側 の プ ラネ タ リ ー 。 ヒ 、
論ー マ ニズ ム の 動 き を 考 察 し て
これ ら 米 ソ の パ ワ ー ・リ アリ ズ ム の 動 き に 対 す る裏
露 骨 な 例 と し て 米 華 相 瓦 防 衛 条 約 11台 湾 と の防 衛 条 約
た 秘 け つ の 一つ で す 。 既 存 の安 全 保 障 体 制 のも っとも
せ る と いう こと で す 。 こ れ は 米 国 が 米 中 交 渉 に成 功 し
し か し 私 は、 外 交 的 な 目 的 が いち ば ん の狙 い にな っ
す る た め 、 イ ソド 洋 沿 岸 諸 国 と 諸 外 国 が 協 議 に入 る こ
イ ンド 洋 を 世 界 各 国 の 船 舶が 自 由 に航 行 で き る よう に
国 の軍事的拡張 、 核 兵 器配備、 軍事 演習 等 を 防止し、
な ど に は触 れず 、 東 欧 と 西 欧 が 知 ら ん 顔 し て 別 の話 を
の 場 合 で も、 N A T O 条 約 だ と か ワ ル シ ャ ワ条 約 機 構
て のけ て いる わ け で す 。 最 近 の全 欧 安 保 協 力 会 議 など
し く 大 使 の いな い 大 使 館 を 交 換 す る と い う 曲 芸 を や っ
て いる と 思 い ま す 。 す な わ ち 、 軍 縮 外 交 に お け る取 引
し て いる の で す 。
が あ げ ら れ ま す が 、 こ れ を そ のま ま残 し 、 そ の上 に新
き 材 料 と し て の 狙 い で す 。 遠 隔 地 へ の海 軍 派 遣 を や め
と を 要 請 し たも の で す 。 し か し 、協 議 は進 ま ず 、宣 言 だ
一昨 年 、 私 ど も が ﹁ア ジ ア の平 和 京 都 会 議 一を 持 っ
す で に 一九 七 一年 十 二 月十 六 日 、 ﹁イ ソド 洋 平 和 ゾ
み ま し ょう 。
な く 、 そ の 上 に柔 軟 構 造 の 相 互 依 存 関 係 の ア ミを か ぶ
第 一の、
原⋮
則は 、 既 存 の安 全保 障 体 制 を 破 壊 す る 二と
す る 必 要が あ り ま す Q
そ れ に は、 ま ず 、 新 し い国 際 シ ス テ ム の醸 則 を 把 握
海 外 基 地 獲 得 を実 現 す る た め の準 備 工 作 で あ る 、 と 考
え る べ き で し ょう 。
政 治 的 に は、 イ ンド な ど 親 ソ政 権 の擁 護 、 逆 に反 ソ
政 権 への 圧 力 の意 義 を も ち ま す 。 ま た 、 中 国 の勢 力 が
イ ソド 洋 沿 岸 地 域 に 及 ぶ のを 阻 止 す る こ と に つな が り
よ う と いう ブ レジ ネ フ提 案 、 あ る い は海 外 基 地 を 全 廃
け に 終 わ って い る の が 実 情 です 。 こ れ に 対 し イ ソド 、
って 重 要 であ る 、 と い う 議 長 報 告 が で き た わ け です
た お り、 日 米 安 保 を 維 持 す る こと が ア ジ ア の 平 和 に と
ー γ宣 言 ﹂ が 国 連 で 決 議 さ れ て いま す 。 内 容 は 、 超 大
し よ う と いう ソ連 の伝 統 的 な軍 縮 政 策 を 実 現 す る た め
ィ エゴ ・ガ ル シ ア の 甚 地 拡 張 強 化 に反 対 し て いま す 。
イ ンド ネ シ ア は こ の 平 和 ゾ : ン宣 言 を タ テ に と り 、 デ
ます 。
に は、 実 質 的 な取 引 き 材 料 が 必 要 で あ る と ソ連 も 悟 っ
の危 険 、 石 油 資 源 問 題 の 紛 糾 を め ぐ る 発 言 力 の強 化 も
て い ます 。
最 近 、 豪 州 の 労 働 党 内 閣 も 同趣 旨 の抗 議 声 明 を 発 友 し
の 団 長 も ウ飼 人 的 意 見 だ ク レこ て 、 日 米 安 保 を 維 持 す
が 、 昨 年 の ﹁日 ソ専 門 家 会 議 一 (東 京 ) に お い て ソ連
た の で は な い で し ょ う か 、 ま た 産 油 地 域 で の軍 事 紛 争
狙 い の ひ と つ でし ょう 。 あ る い は 、 海 洋 諸 問 題 に対 す
)
(
io
第51号
昭 和49年5月10日
第51号
昭 和49年5月10日
p ッパ 諸 国 の最 近 の国 際 協 定 、 あ る いは共 同 宣 言 に 、
事 実 で す 。 し か し、 日 本 に は “妓 術 ” と いう 持 ち 駒 が
ヤ か し ま す 。 た し か に 代 金 だ け で済 む 問 題 て な い のが
あ り ま す 。 産 業 技 術 ・工 業 技 術 は立 派 な代 償 た り う る
る こ と は 極 東 の平 和 の た め に 必要 だ、 と い う 意 見 を 述
第 五 は 利 益 を 主張 す る だ け で な く 、責 任 を 果 た す と
も の で す 。 こ の技 術 の 使 い方 を 上 手 に や れ ば 、 資.
源確
こ の傾 向 が 顕著 です 。
い う こ と で す 。 常 識 的 な こ と で す が 、 二れ で な け れ ば
保 は 容 易 に な る はず で す 。
べ ま し た 。 ソ連 の人 の “個 人 的 意 見 ウ と い う の が ど の
新 し い国 際 シ ステ ム に 対 し 積 極 的 な 役 劉 り は 果 た せ ま
程 度 個 人 的 なも の か は 、 み な さ ん も よ く ご 承 知 か と思
いま す 。 周 恩来 が 日 米 安 保 に つ いて ど う い った か も み
せ ん。
第 三 は、 地 球 環 境 の 維 持 ・公 害 防 止 の た め 、 日 本 が
ム の第 一の原 則 を 理 解 し た 上 で の発 言 で す Q
全 面 的 に協 力 し、 貢 献 を す べ ぎ だ と いう 二 と です 。
思 いま す 。 世 界 戦 略 も 先 取 り を し な け れ ば な り ま せ
ま た 国 境 観 念 が薄 れ つ つあ る 、 と いう と ころ にあ る と
現 在 の 世 界 の特 徴 は 、 変 化 が き わ め て 急 激 であ り 、
こ う し た 原 則 のも と に、 目 本 はど の よ う な 世 界 戦 略
国 ウ で す 。 多 く の費 重 な 体 験 を 持 って い る わ け で す 。
ん 。 幸 か 不 幸 か、 口 本 は 公 害 問 題 で は 世 界 の 、
.
先進
今 度 、 国 連 大 学が 口 本 に 創 設 さ れ る こと に な り 、 付 漓
を た て る べ き かが 問 題 と な り ま す 。 私 の奪 門 の 分 野 か
私 の 考える 日本 の世 界 戦 略
な さ ん ご 承 知 のと お り で す Q す べ て 新 し い国 際 シ ステ
第 二 の原 則 は、 外 交 交 渉 の 焦 点 を 共通 の利 益 の 追 求
に置 く 、 と いう こと で す 。 イ デ オ ロギ ー だ と か 宗 教 だ
と か、 従 来 の いき が が か り や 同 盟 関 係 な ど で は な く 、
共 通 の利 益 探 求 を第 一に す る と いう 熊度 で す 。
第 一は 、 咳 戦 争 の徹 底 し た 防 止 に つ い て 全 面 的 な 努
ら申 し ま す と、 次 の 三 つが 考 え ら れ ます 。
力 を す る と いう こと。 こ れ は 、 これ ま でも ず っと 日 本
研 究 所 の 一つと し て、 〃地 球 環 境 の絡 持 ウ を 研 究 す る
第 三 は 、 多 数 国参 加 の 原 則 で す 。 特定 の国 を 除 外 す
が 叫 び 続 け てき たわ け で す が 、 従 来 は 日本 が こ ん な 二
る や り 方 は 、新 し い国 際⋮シ ス テ ム に はな じ み ま せ ん G
ロギ ー 的 な 進 歩 で は な く 、 そ れ ぞ れ の国 々 の 新 し い社
と を い って も 話 にな ら な い と いう のが 実 陦 で し た 。 し
第 四 は 進 歩的 な政 策 を 採 用 す ると いう こ と 。 イ デ +.
会 、 経 済 の 開発 、 さ ら に は 資 源 、 地 球 環境 ﹂
の維 掎 と い
か し 経 済 、 技 術 大国 と い わ れ る よ う にな った 現 在 、 世
界 に対 し 相 応 の責 任 を 果 た す と いう意 味 か ら も 、 口 本
考 に 供 す る と いう こと にな れ ば 、 日本 は 人 類 に対 し て
止 の た め に研 究 を 進 め 、 そ の 結 果 を全 世 界 に公 表 、 参
問 .題 の 導 門 家 に集 って も ら い、 地 球環 境 維 持 と 公 害 防
あ げ て実 現 き せ る ぺき も の と ぢ え ます 。 世 界 中 の 環 魔
機 関 が 併 設 さ れ る と いう 囃 が あ り ま す 。 こ れ は 全 力 を
った よ う な 国際 間題 を 含 め 、 プ ラネ タ ーー 1 ・ ヒ ュー マ
ニズ ム (全 地 球 的人 道 主 義 ) の 観 点 から 前 向 き の 政 策
が こ の 面 に お いて い っそ う 強 い主 張 をす る 必 要 が 増 大
何 が し か の費 任 を 製 た し た と い う こと にな る て し ょ
を と る 、 と いう こと で す 。 昨 年 八 月 の 日 米 首 脳 会 談 の
う D 積 極 的 に取 り組 む べ ぎ 政 策 か と 考 え ま す 。 これ は
して います 。
現 実 的 に は、 極 東 の 安 全 の た め に抑 止 効 果 が あ る も
た 存 在 を 保 つた め、 具 体 的 な 政 策 を多 数 立 案 、 実 施 し
に 、 急 激 に変 容 す る世 界 情 勢 、 世 界 戦 略 の中 で 安 定 し
一つ の 例 で す が 、 この ほ か 日 本 独 自 の基 本 構 想 の も と
も 、 こ ま かな 技 術 的 問 題 や 〃原 子 力 鎖 国 を に な る 、 な
て い く こ と が 必要 に な っ て い る わけ です 。
集 したも のです。)
︹本 稿 は 二 月 .一十 七 日 .水 ・
. クラブ ルー
ーム 西.
行 わ れ た 講 演 を 訂 務 局 が偶
ど と いう 説 に はと ら わ れ ず 、 世 界 中 に開 放 し 、 そ れ に
な い こ と は承 知 し て い る だ ろ う に ⋮ ⋮﹂ と 外 国 人 は ヒ
だ け も ら お う とす る の は虫 が よ い。 お金 で 済 む 世 界 で
第 二 は 資 源 戦 略 です 。 ﹁日 本 が 犠 牲 を 払 わ ず に資 源
ます。
則 を 、 核 や 原 子 力 の問 題 に も 採 用 す ぺき で あ る と 考 え
よ り 逆 に 利 益 を 得 る と いう 、 日 本 経 済 が や って き た 原
す 。 同 時 に、 核 防 止 条 約 の 批 准 など の 問 .題 に つ いて
の は廃 棄 し て は なら な い、 と いう 立 場 を と る べ ぎ で
コミ ュ ニ ケ にも 、昨 年 十 二 月 の 日 ソ共同 コミ ュ ニケ に
アメリ カ の 権 力 集団
も 、 こ う し た概 念 が 反 映 し て お り ま す。 と り わ け ヨー
韻 の韶
東京12t 、ン スル組道局長 国 保 徳 丸 著
大 づ め迫 る ニク ソ ン 弾 劾 の背 景 を、 ア メ リ カ の
政 治 ・経 済 ・言 論 各 界 の 全 体 的 構 造 物 と し て と ら
え 、 著 者 が 滞 米 三年 間 の 取 材 資 料 を公 開 、 大 胆 に
ノス を いれ た本 書 は 、 現 代 の ア メリ ヵ を 知 る う え
で貴 重 な 資 料 と いえ よ う 。
(恒 友 出 版 ・A 5判 四 八 六 ぺ ー ジ ・一、 ○ ○ ○ 円 )
(11)
第 1 回 監 事 会
昭 和 49年 4月 24 日 (水)
日本 記 者 ク ラ ブ 別 室
昭 和 娼 年 12 月 1 日 ∼ 49 年 3 月 3
1日 の会計 監 査 を 行
出席者
山 田 陽 一、 赤 城 蕃 。 事 務 局 駐春 原 、 佐 谷 日
い、 決 算 案 を 承 認 し た o
本 新聞協 会会計 屯管。
第 3 回理 事 会
昭 和 49 年 4 月 24 日 (水)
日本記 者 ク ラブ⋮
別室
一、 日本 記 者 ク ラブ 賞 授 賞 者 決 定 の 件
理事長指名 により構 成さ れた ク ラブ賞 選考 委員会 の
選 考 経 過 な ら び に 結 果 に つき 、 反 町 理 事 (同 委 員 長 )
次
直 治) ほ か
”決 ま る
事 業、業務報告
12
4
3
2
ー
か ら 報 告 、 選 考 委 員 会 の答 申 ど お り 長 崎 新 聞 社 論 説 室
目
ウ第 一回 日 本 記 者 ク ラ ブ 賞
ク ラブ 賞 を 受 賞 し て (松 浦
会 員 の異 動 、 企 画 委 鞭 告
理 事 ・監 事 会 報 告
6
(昭 和 48年 11 月 ∼ 49 年 3月 )
(講 演 記 録 ) ﹃世 界 戦 略 の現 段 階 ﹄ 久 住 忠 男
理事 長 ー渡 辺 誠 毅 。 理事 ー原 四 郎 、 武 山 泰 雄 、 石 黒
英 一、 大 沢 行 夫 、 酒 井 新 二、 藤 本 有 典 、 江 尻 進 、 反 町
顧 問 松 浦 直 治 氏 に 第 一回 日本 記 者 ク ラ ブ 賞 授 賞 を 決 定
し た。
(橋 本 博 代 理)。 監 事 ー 山 田 陽 一、 赤
正 喜 、 松 本 幸 輝 久 、 吉 村 克 巳、 泉 毅 一、 杉 山 一男 、 前
田 雄 二、 大 賀 智
二、 昭 和 犯 年 度 予 算 に特 別 会 費 を 追 加 計 上 の件
昭 和 49 年 4 月 か ら 積 立 を開 始 す る 移 転 準 備 に関 す る
城 蕃 。 委 任 11 小 松 秀 吉 、 山 下 順 太 郎 、 政 光 修 一。 事 務
準 会員
一名 (河 本 弘 氏 )
(ラ ジ オ閼 東、 日 本 海瞠テ レビ ジ コソ)
7 日 (火 ) 午 前 10 時
日本 記 者 ク ラ ブ 通 常 総会
迎賓 館 見 学 会
会 員 懇 親 会 (メキ シ
福田 赳 夫 蔵相昼食会
ア ン ド レ ・マ ル ロー 氏
省 海 洋 法 本部長) クラ ブ ルー ム
28 日 (火 ) 午 後 2 時 ∼ 4時
﹁世 界 海 洋 法 会 議 と
日 本 の 立 場 ﹂ 杉 原 真 一暮 謹 冒 (外 務
24 日 (金 ) 正 午 ∼ 午 後 2時 東 郷 丈 彦 外 務 事 務 次
官 昼 食 会 帝 国 ホ テ ル 2 階 ウ孔 雀 南 ウ
23 日 (木 ) 正 午 ∼ 午 後 2時 成 田 知 己 社 会 党 委 員
5昌昼 食 会 沖
常国 ホ テ ル 2 階⋮ウ孔 雀 南 ?
20 日 (月 ) 午 後 2 時 ∼ 4時 ﹁世 界 の 異 常 気 象 とそ
の 影 響 ﹂ 和 達 清 夫 憎町士
ク ラ ブ ルー ム
階 “蘭 ウ
15 日 (水 ) 午 後 1
2 時 30分 ∼ 2時 30 分
シ ャープ
カ ナ ダ 外 相 昼 食 会 帝 国 ホ テ ル本 館 2
記 者 会 見 (ク ラ ブ ・ル ー ム)
午 後 4 時 30分
ー4 日 (火 ) 午 後 - 時 ﹁イ ル カ の 日 ﹂ 試 写 会 日 本
ヘ ラ ル ド (電 話 五 七 三 - 一 一六 六)
帝 国 ホ テ ル2階⋮ウ牡 丹 ウ
9 日 (木 ) 正 午 ∼ 午 後 2時
コのタ ベ) クラブ ルー ム
午 後 5 時 ∼ 7時
帝 国 ホ テ ル本 館 4階 ウ松 ”
8 日 (水) 午 後 4 時
五月 の行 事
特 別 会 費 の予 算 書 繰 入れ を つぎ の よ う に 決 定 、 追 加 議
三、 五 二入 万円
三、 五 二八 万円
二 四〇 万円
三、 二 八 八 万 円
(年 額 )
局 ー春 原 、 桂 。
二 七 四万円
(月 額 )
題 と して 第 2 回 通 常 総 会 で承 認 を 求 め る こと に した 。
︹収 入 の部 ︺
特 別会費
計
一括 払 い
︹支 出 の部 ︺
特 別 会費 積 立 金
二五名
二社
一八 名
三 、 会員 入 退 会 の 件 (3 月 7 日 ∼ 4 月 24 日 )
︹入 会 ︺
正会員
︹退 会︺
基 本 会員
正会員
四 、 昭和 娼 年 度 決 算 案 承 認 の件
昭和 娼年 12 月 1 日 ∼ 49 年 3 月 31 日 の決 算 案 (52 号 参
照 ) に つい て 事 務 局 か ら 説 明、 承 認 さ れ た 。
五 、 理事 交 替 の 件
時事 通 信 祉 藤 本 有 典 理事 か ら辞 任 の 申 し 出 が あ った
の で これ を 了 承 、 後 任 理事 に同 社 の 小 林 淳 宏 会 員 を推
薦 、 第 2回 通 常 総 会 に、 追 加 議 題 と し て 承 認 を求 め る
こ と に した 。
六 、報 告
ク ラブ ル ー ム の 借 室 料 改 定 に関 す る 件 に つき 理 事 長
か ら報 告 、 了 承 さ れ た 。
(12)
第51号
伯日
昭 和49年5月
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