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日本原子力学会誌 2014.4

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日本原子力学会誌 2014.4
日本原子力学会誌 2014.4
巻頭言
1 原子力発電所の安全性を時間の次元で
白石 隆
考えると
時論
2 民俗知生成のプロセスに向けて
災害の絶えない列島に生きてきた私たちは,歴史社
会的に積み上げてきた自然知,技術知,経験知という
知を醸成し,民俗知として継承してきた。 田口洋美
解説
14 燃料デブリの臨界安全管理をどうするか
4 福島 20km 圏内帰還困難区域の設定に
誤り−科学にもとづく福島復興なしに,
−福島第一原子力発電所の廃炉に向けて
オリンピック成功なし
燃料デブリの臨界安全管理に関する技術的な検討を
行った。取り出しのための技術開発及び手順策定の際
には炉内状況の十分な調査と,総合的なリスクを低減
するという観点に立った検討が必要である。 中島 健
科学にもとづき,強制避難を抜本的に改め,帰還希
望者の生活を再建すべきだ。
高田 純
6 今こそ,エネルギー教育を
19 燃料デブリ取り出しに向けた臨界安全
における課題
−燃料デブリの性状に関する知見と検討
臨界安全管理の観点から,TMI-2 事故以降に蓄積さ
れた炉心溶融及び燃料デブリ性状についての知見を整
理し,福島第一原発内の燃料デブリ性状について検討
した。
永瀬文久
エネルギー・リテラシーの向上は持続可能な社会の
構築のために必要不可欠である。
秋津 裕
解説
29 「原子力ムラ」
の境界を越えるための
コミュニケーション
(1)
市民と専門家の間に存在する心理的境界
原子力学会員の多くは,自分たちが一般の人たちか
ら否定的にみられているとの認識をもっているが,そ
れは事実とは異なる。その思い込みや誤解こそが,学
会員自ら「原子力ムラ」の心理的境界を作っている可能
性がある。
土田昭司
24 福島沿岸海域におけるセシウム 137
収支と生態系移行
セシウム 137 を中心に海洋環境での収支と生態系
内での移行について,事故後の推移と現状を概説す
る。一部の魚種で放射能レベルの低下が予想外に遅い
ことと,海洋へ放射能流出が継続していることが課題
だ。
神田穣太
2.2 6.4
60.6
5.4
16.2
9.2
0
1.1
28.1
3.4
50.1
17.4
学会誌に関するご意見・ご要望は,学会ホームページの「目安箱」
(http://www.aesj.or.jp/publication/meyasu.html)にお寄せください。
解説
8 NEWS
34 福島事故後の原子力安全確保のための
リスク論の重要性
福島事故以降の原子力安全確保に向けて,リスク論
の具体的な展開として現在進行中の安全規制に関係し
た課題とその展望について述べる。
高田毅士
40 廃炉に向けてのリスクコミュニケー
ションとは
福島原発の事故以来,原発や放射線に対する人々の
意識が揺れ動いている。ゼロリスク志向の意識をリス
ク許容・耐容へと変えるためには,リスク分析の考え
方を導入する必要がある。
西澤真理子
●学会事故調が最終報告書を公表
●規制委が大飯破砕帯を「活動性なし」 ●海外ニュース
解説シリーズ
核燃料サイクル―フロントエンド(2)
49 多様なウラン鉱床の形成と資源の持続性
原始太陽系の形成以来 , ウランとトリウムは兄弟で
あり,ずっと長い間行動を共にしてきた。しかし地球
史の変遷で,ウランとトリウムは次第に別行動をとる
ようになり,ウランは単独で地球上のいたるところに
様々なタイプのウラン鉱床を形成した。
小林孝男
解説シリーズ
レジリエンスエンジニアリングの動向(1)
43 レジリエンスエンジニアリングの概要
と今日的意義
レジリエンスエンジニアリングは,原子力分野で実
装されてきた安全の実現法を補強する効果的な方法論
としてのポテンシャルをもつ。ここではその概要と,
この方法論が開発されてきた歴史的背景やその意味合
いについて解説する。
北村正晴
報告
解説シリーズ
世界の原子力事情(5)
62 CPD ノススメ−信頼される原子力
技術者・研究者を目指して
55 インドの原子力開発の動向
三段階の原子力開発計画を策定し,国際的な原子力
開発の流れとは一線を画しながら,独自の原子力開発
を展開してきたインド。最近は高速炉開発を含め原子
力の大幅拡大を目指している。 佐藤浩司,柳澤 務
(2)
様々な学協会が進める CPD
尾崎 章
18 From Editors
66 新刊紹介
「分析値の不確かさ 求め方と評価」
鹿野文寿
「原子力の本当の話」
瀧口克己
67 会告 日本原子力学会行動指針 パブリック
コメントのお願い
68 会報 原子力関係会議案内,主催・共催案内,
寄贈本一覧,新入会一覧,新規フェロー一覧,
フェロー賞受賞者一覧,新規シルバー・永年会員
一覧,英文論文誌 (Vol.51,No.4)
目次,主要会務,
編集後記,編集関係者一覧
後付 「第 46 回
(平成 25 年度)
日本原子力学会賞」
受賞一覧,受賞概要
談話室
61 インド訪問記
田中 淳
217
政策研究大学院大学 学長 巻 頭 言
原子力発電所の安全性を時間の次元で考えると
白石 隆(しらいし・たかし)
1972 年東京大学教養学部卒業。同大学助教授,コー
ネル大学教授,京都大学東南アジア研究センター教
授,内閣府総合科学技術会議常勤議員を経て,2011
年より現職。アジアの政治,政治史,国際関係を専
門とし,著書多数。『インドネシア - 国家と政治』
(サ
ントリー学芸賞受賞)
,『海の帝国 - アジアをどう考
えるか』(読売吉野作造賞受賞)
。
われわれがなにかものを考えるとき,そこにはいつも時間の次元が入っている。自然科学者が対象とする
時間は,ビッグバンが 138 億年前,生命の誕生が 40 億年前といわれるから,10 の 9 ∼ 10 乗である。一方,
人文・社会科学の対象とする時間ははるかに短い。ホモ・サピエンスがこの地上に現れたのは 14 ∼ 20 万年
前,これは 10 の 5 乗であるが,文明が誕生したのは 5 ∼ 6 千年前,近代文明の歴史は 300 ∼ 400 年,これ
は 10 の 2 ∼ 3 乗である。
こういう当たり前のことを言うのは,福島第一原子力発電所の事故以来,原子力発電所の安全性につい
て,わたしにはなんとも理解できない議論が横行しているからである。
たとえば,原子力規制委員会は,新安全基準において,
「重要な安全機能を有する施設は,将来活動する
可能性のある断層等の露頭がないことを確認した地盤に設置する」としている。そこで考えている時間の幅
は 12 ∼ 13 万年(後期更新世以降),そこで判断できない場合は 40 万年(中期更新世以降),つまり,10 の
5 乗である。では,これは妥当なのか。
とてもそうは思えないということは,すでに別の機会(
「地球を読む,原発の安全,硬直的な『活断層』
基準」,『読売新聞』,2013 年 3 月 31 日号)に述べた。したがって,ここでは,この時間の幅ということに
ついて,2 点,別の論点を出しておきたい。
その一つはリスク評価に関わる。ある時間の幅を設定し,その時間内に原子力発電所でどのレベルの事故
がどれほどの頻度でおこりそうかを評価すれば,その分布はべき分布になるだろう。いかなる技術システム
にも 100%の安全はありえないから,あるレベル以上のテール・リスクはとらざるをえない。それを決める
のは政治であるが,その際,一つ,ほとんど議論されない問題がある。どれほどの時間の幅でリスク評価を
するかである。時間の幅を長くとればとるほど,テール・リスクは高くなる。では,原子力発電所のリスク
評価はどの程度の時間の幅で行われるべきか。原子力発電所の耐用年数が 40 ∼ 50 年と想定されていること
からすれば,リスク評価は 100 年程度の時間の幅でやれば十分なはずである。これを 10 の 5 乗の時間でや
れば,テール・リスクはもちろんはるかに高くなる。政治がリスクをとりたがらない一つの理由はここにあ
る。
もう一つは科学技術の進歩の速度である。科学史を見ると,原子核の分裂が発見されたのは 1938 年,エ
ンリコ・フェルミが核分裂の連鎖反応に成功したのは 1942 年,その 3 年後に原子爆弾が開発され,1951 年
に実験炉が作られ,1954 年に世界最初の原子力潜水艦が進水し,同年,世界最初の原子力発電所も運転を
開始した。すべて 20 世紀,100 年以内の出来事である。では,これからの 100 年,科学技術はどうなるの
か。もちろんだれも知らない。規制委員会は,安全性の判断に際し,科学技術進歩の可能性をまったく考え
ない。しかし,ある水準の研究開発投資をすれば,それなりのリターンはある。では,どんな投資をどれく
らいの規模で行うのか。これも政治の問題である。しかし,その判断は,投資のリターンを 1 年で考える
か,10 年,50 年,100 年で考えるか,つまり,時間の幅をどう設定するかで大いに違う。
(2014 年 2 月 3 日 記)
日本原子力学会誌,Vol.56,No.4(2014)
( 1 )
218
時論(田口)
時論
民俗知生成のプロセスに向けて
田口 洋美(たぐち・ひろみ)
東北芸術工科大学教授,同大学東北文化
研究センター所長
1957 年,茨城県東海村生まれ。日本観光文化
研究所主任研究員を経て 1996 年に狩猟文化研
究所を設立。東京大学大学院新領域創成科学
研究科博士課程修了,博士(環境学)
。著作に
『越後三面山人記 - マタギの自然観に習う -』
,
『マタギ - 森と狩人の記録 -』
などがある。
原発のある日常から
をしていた。
私は,茨城県那珂郡東海村の村松宿という集落で生ま
「JCO の時は,お葬式の最中でみんな外にいたんだか
れ育った。最も原子炉や実験施設に近い集落といわれて
らね。お醤油がないんで買いに行ったら事故だって聞い
いる。生まれた年,1957 年の夏,8 月 29 日に自宅から
てきて,そんで慌ててテレビつけたんだから」
「こんなところに若い人らに住めなんていえないよね」
およそ 2 キロ離れた海浜の松林のなかにあった実験炉で
「いざとなったらみんなと一緒に逝くんだから」「そう
チェレンコフ光が輝いた。臨界実験の成功であった。科
だね,本当だ」
学技術の最先端を行く村,世界の東海村と謳いあげられ
それは諦めなのか,それとも何が起きても引き受ける
た。私の知的好奇心は,幼い頃から関わってきた原子力
という覚悟なのか。
関係者の影響の賜である。幼稚園,小学校から中学校へ
と成長するなかで,原発,原研,原燃の社宅で幾人かの
人々は,何を,どう学べば良いのか。災害に向き合う
研究者の家族や子どもたちとふれあい,洋書や英字新聞
たびに,人々は傷つき痛み,もがき苦しみ,そして学
を当たり前のように読む人々に驚いたものだ。その驚き
び,自分たちの力でできることを探し,それを地域の知
は,あこがれに変わり,知的欲求へと私を駆り立てた。
として語り伝え,共有してきた。地域の人々が,日常か
そして今,私は大学人として生き,幼なじみや親友たち
らの学びを醸成し,具体的な語りとして,また実践へと
の幾人かが原子力関連企業に勤め,日々働いている。結
高めてきたことごとを,私は「民俗知(民族知)」と呼んで
果的に私が人文社会系科学を基礎とした環境学へと進み
きたが,原発事故に対応する民俗知はまだ形成されては
学位を得たのもふるさとの影響なのかも知れない。
いない。やっとそのプロセスに入ったばかりである。
そしてこの 10 年あまりの間に父母が他界し,私は実
災害の民俗知
家を継いだ。3.11 の震災も東海村の自宅で体験した。地
震の最中,原発が危ういと思った。漏れたらどうなるの
関東地方の北部から中部,茨城県の那珂川,栃木県,
だろうか,その不安で震え,幾度となく空を見上げた。
埼玉県を貫流する利根川,荒川水系などは,近世から近
しかし,東海原発は紙一重で持ちこたえた。自宅近くの
代にかけて洪水で知られた河川であるが,この一帯には
モニタリングポストの値に変化はなかった。そして運が
アゲブネ(上舟)と呼ばれる板船が農家の母屋や物置,蔵
良いことに,私はその後も自宅に帰ることができ,親類
の軒下に下げられていた。現在でもこの洪水に備えての
や友人たちと語らう時間も持つことが許されている。
舟を所有する農家は少なくない。台風や集中豪雨などで
先日,私のゼミの学生を自宅に招き,卒論の集中指導
河川が氾濫し,低地帯の広大な面積が水没するという水
をする恒例の「自宅ゼミ」を行った。ゼミ生の 1 人は福島
害にたびたび見舞われ,これに対応した日常の備えとし
県大熊町の出身であり,ふるさとに帰れない避難者であ
て各家が舟を所有していたのである。もっともこの舟は
る。「大熊にそっくりですね」彼は私のふるさとを歩きな
水害から逃れるというものではなく,水が引くまでの期
がらそういった。彼と私は年齢こそ 35 歳も違ってはい
間,近隣との往き来を行うための連絡船として使用して
るが,その言葉の端々に原発の村に生まれ育ってきた当
いたのである。また同一地域では,食物蔵などは家屋敷
事者として共有できる感覚があった。実は震災の日,彼
以上に高く土盛りをしてその上に建てて水害の際に食糧
も大熊町の自宅にいたのである。
が枯渇することのないように備えてきた。
震災から 3 ヶ月あまり後にふるさとの一斉清掃が行わ
2005 年の暮れから 2006 年 2 月にかけて豪雪に見舞わ
れたが,その時近隣に暮らすおばさんたちがこんな会話
れた長野県下水内郡栄村秋山郷では,雪崩で国道が閉ざ
( 2 )
日本原子力学会誌,Vol.56,No.4(2014)
民俗知生成のプロセスに向けて
219
され集落が孤立するという雪害に見舞われたが,どこの
て上げるという方法は選択されてはいない。筆者はこれ
家も平然と日々を暮らした。マスコミは雪に閉ざされた
まで繰り返し述べてきたが「地域にある自然は,地域の
村としてこぞって報道したのだが,むら人当人はなぜそ
人々の生活の歴史とともにあり,その歴史の中で醸成さ
こまで慌てふためいて報道されるのか理解できなかっ
れてきた民俗知を有効に取り入れてはじめて,地域住民
た。それは家々が日常の備えとして一冬分の食糧を備蓄
のみならず現代社会の合意形成が可能となる」と考えて
していたからであるが,会社組織の雇用形態になれた
いる。
人々からすればむら人の対応が奇異にすら見えた。実
際,豪雪によって交通が途絶されて一番困ったのは,秋
原子力災害の民俗知
山郷の村の小学校に勤める教師たちであった。しかし,
3.11 の 震 災 後, 歴 史 資 料 を 中 心 と し た 文 化 財 レ ス
その教師たちもむら人の差し入れなどの協力によって食
キューや被災地の古文書の整理保存が急ピッチで進めら
べ物にはほとんど困りはしなかった。
れている。さらには歴史史料を参考にしながら地質学,
地形や地勢を見る見方も伝承され難くなった。民俗学
地震学の動態的研究に援用しようという動きも活発化し
や歴史学,地理学では「歴史の古い集落や屋敷地ほど自
ている。確かにこれまでにも歴史記述の検証可能性とい
然災害に強い」と,当たり前のようにいわれてきた。そ
う意味からもこの手法は取られては来ているが,災害史
れは当然なことで,繰り返し起こる災害をくぐり抜け,
あるいは大地の記憶を読み解くという観点から新たな知
現在も存在する集落や屋敷地は,その持続性を持って耐
見を開く,より高度な研究へと発展させていく可能性を
災性が実証されているからである。地形学や地震学,工
秘めている。近年,人文科学に対する評価は極めて低
学といった近代の知の営みがこの国で発展を遂げる以前
い。言語と思考を鍛え上げてゆく分野の衰退は,将来,
から,そこに集落や屋敷地が存在していた。これは偶然
科学全体の根本を揺るがすことになるだろう。自然科学
ではなく,過去の人々は地形や地勢を見て,生活の場の
も工学もすべては言語によって思考され鍛えられるもの
立地を選択していたのである。人口が増え,良質な宅地
である。その言語を基礎とする分野の衰退は思考の衰退
や屋敷地が選択できなくなり,条件の悪い場所にまで
をまねき,哲学の衰退をも意味する。即効性や具体性が
人々は暮らすようになった。では,どのような立地条件
顕著でないものに対しても評価主義や数値データ主義を
下に集落や屋敷地が選択され開かれてきたのか。その歴
当てはめるのは決して私たちの未来に良い影響をもたら
史的変遷を 1 万年というロングタイムスパンで動態的に
さない。なぜなら数には数に表そうとする意図や意識が
把握する研究を私が所属する東北芸術工科大学東北文化
含まれてしまうからである。
研究センターで開始している。
また一方では,原子力災害に対する民俗知の生成とい
これらは民俗知の一端に過ぎないが,人々の歩んでき
う動きも注視されるべきであろう。原子力災害の場合,
た歴史は厳しい自然といかに向き合い生き延びるか,そ
避難する人々の側の論理だけではなく,避難してきた
れを日頃からいかに心掛けるか,それが生活文化であ
人々を受け入れる,あるいは受け止める側の論理,民俗
り,この日本という災害列島に生き継いできた人々の知
知の生成も重要な鍵となる。聞くところによれば,避難
恵でもあった。近年では,自らが食糧を生産せず,消費
区域から避難した人々が自分の出身地を名乗ることも出
一方の生活をする人々が主体となり,このような生産者
来ない極めて悲しい実態があるようである。他の行政区
側の論理,民俗知的生存戦略は忘れられつつある。しか
に避難しても,避難先の住民から小言や排除的言動を受
し,災害が毎年のように繰り返しおこる列島で生き抜く
け,苦しむという構造がある。私もかつて JCO の事故
には,膨大な時間と経験のなかで醸成されてきた民間の
の際に同じような経験をしたことがある。車のナンバー
知恵が見直される必要がある。すべてを行政や企業に頼
プレートを見ただけで温泉への入浴を断られたのであ
るのではなく,自らの力でできることをするのが,本来
る。反感を持ち,排除しようという住民も弱者であり,
の人々の知恵であり生き方であった。無論,このような
また正しい放射能に関する知識を持っていない。
「∼だ
自立型の人々の生き方を崩したのは,近代以降,とくに
ろう」という印象論が住民の恐怖感や不安感を煽るので
戦後の市場偏重型の価値観であったことは語るまでもな
ある。避難した住民,それを受け入れる地域の住民,そ
い。またこれを受け入れ,「これで良し」としてきたのも
の両者の中で巻き起こるズレが互いを傷つけ合ってしま
民間であるから,どちらが良いも悪いもない。問われる
う。これを回避し,避難住民を暖かく迎え,引き受けら
のは,私たちがこれからどう生きて行くかであろう。
れる社会の民俗知の生成を求めたい。そのためには分か
人々は災害の絶えない列島に生き,歴史社会的に積み
りやすい放射能に関する知識の普及啓発が第一であろ
上げてきた自然知,技術知,経験知という知を醸成し,
う。その上での原発の有無の議論へと丁寧に進めていく
民俗知として継承してきた。この尊い知を現代という時
べきであろう。
代は評価しようとはしていない,といっては言い過ぎか
(2013 年 12 月 18 日 記)
も知れないが,目に見える形でこれを継承し,さらに育
日本原子力学会誌,Vol.56,No.4(2014)
( 3 )
220
時論(高田)
時論
福島 20km 圏内帰還困難区域の設定に誤り
科学にもとづく福島復興なしに,オリンピック成功なし
高田 純(たかだ・じゅん)
札幌医科大学 教授
広島大学大学院理学研究科物理学専攻博士課
程中退,同大原爆放射線医科学研究所助教授
を経て,2004 年から現職。理学博士。広島の
黒い雨の濃縮ウランの研究をはじめ,世界の
核災害地の放射線衛生を調査してきた。
福島第一原発の地震津波事故災害により周辺福島県民
牛たちは元気でした。人恋しくて,赤の他人の私です
の受けた線量は,外部被曝がスリーマイル島原発事故お
が,近寄ってきました。およそひと月間も屋外に放置さ
よび東海村臨界事故時の周辺住民レベル。甲状腺のヨウ
せられていましたが,急性放射線障害は見られませんで
素 131 による内部被曝線量は,チェルノブイリ事故時の
した。禿げていませんし,下痢もしていません。今も全
住民線量の 1,000 分の 1 以下と低線量。仮に放射線リス
く元気です。
クの直線仮説を採用しても,福島県民の内部被曝による
浪江町など福島第一原発(F1)周辺は,震災当時の 3
甲状腺がんの発生は 1,000 万人の小児に 1 人と推定され
月でさえ,線量率は 1 日 1mSv 以下と推定されます。実
るので,健康リスクなし。震災 2 年目の福島 20km 圏内
際,F1 の境界まで 2 日間調査した,4 月の筆者の個人
の多くの居住区の年間線量で,除染なしでも実線量は,
線量は積算で 0.10mSv でした 3)。
20 ミリシーベルト(mSv)以下。政府事故対策本部は,
20km 圏内の放射線衛生調査として,現地での個人線
実線量の 3 倍以上の過大評価をした,空間線量率から計
量評価と,体内セシウム検査を,実施しました。方法
算した 50 ミリシーベルト以上の誤った推定値で,住民
は,直読式の個人線量計を装着して,震災 2 年目 3 月の
たちの人生を破壊している。安倍政権は,今こそ,科学
2 泊 3 日,末の森の畜産農家で現地滞在型線量検査を
にもとづき,強制避難を抜本的に改め,帰還希望者の生
行ったのです。次に,和牛生産者の体内セシウムを,比
活を再建すべきだ。
較的汚染の低い二本松市内の仮設住宅で測定しました。
結果は,浪江町に 1 年居続けた場合の年間線量が,内
1.人体線量は年間 20mSv 未満だった帰還困難
区域
外被曝合わせて 17mSv と評価しました。しかし,この
私は,広島の黒い雨中の濃縮ウランの分析からはじま
と指定したのです 4)。
地域は,政府が年間 50mSv 以上と断定し帰還困難区域
り,米ソの核実験,中共の楼蘭遺跡周辺での核爆発災
本当は,人体線量が帰還できる年 20mSv 以下なのに,
害,東西シベリヤの核汚染,チェルノブイリ原子炉事故
ズサンな調査をした前民主党政権時代の空間線量によっ
災害の現地調査をしてきました。同様な科学手法で福島
て帰還できなくされています。これは政府事故対策本部
の線量を調査する,放射線衛生学と防護学の専門家です
による人災です。これを長期間強制するなら,政府の犯
1, 2)
罪になります。
。
現在も続く非科学政策は,菅直人政権に原点がありま
震災の翌 4 月 6 日に札幌を陸路出発し,福島を中心
に,東日本の放射線衛生を広範囲に調査しました。その
す。1945( 昭 和 20)年 8 月 の 広 島 長 崎 の 核 爆 発 災 害,
時の最も重要な検査が,二本松市内に避難した浪江町の
1999(平成 11)年 9 月の東海村臨界事故では,全日本の
人たちの甲状腺に蓄積した放射性ヨウ素量の検査でし
科学力で徹底した調査が行われました。その後,順調に
た。結果は,チェルノブイリ事故時の 1,000 分の 1 以下
地域は安定化し,復興しました。しかし,菅直人氏ら
と低線量でした 3)。
は,福島 20km 圏内に,私たち大学の専門科学者の調査
を動員させる指示をしないばかりか,排除したのです。
その時に,町に残してきた牛たちを見てきてほしいと
頼まれたのが縁となって,2 年半の間,浪江町の和牛畜
彼は,こうして 20km 圏内をブラックボックス化しまし
産農家のみなさんと,現地の牛を中心とした放射線衛生
た。
調査を続けています。
( 4 )
日本原子力学会誌,Vol.56,No.4(2014)
福島 20km 圏内帰還困難区域の設定に誤り
221
2.原子力問題調査特別委員会の非科学と人権
蹂躙
3.原発沿岸 40km でオリンピックマラソン
政府の誤った判断で帰還困難区域に指定されている浪
全くデタラメなのが前民主党政権時代に作られた
江町末の森の実年間線量は 2012(平成 24)年で 17mSv,
20km 圏内の避難指示区域地図です。空間線量率の測定
現在はより一層低線量になっています。この値は全く除
から推定した年間積算線量が,20mSv 以上を居住制限
染なしですから,もし政府が除染したならば,直ぐに年
区域,50mSv 以上を帰還困難区域と定めています。
間 5mSv 以下に改善できるのです。
20km 圏内,帰還できるのに,2 年 8 か月も放置して
すなわち,畑などの屋外での空間線量の計測値から作
成されたのであって,人の実線量の計測ではないので
きた政府の責任は大きい。牧畜,農業再建あってこそ,
す。屋外に,雨の日も雪の日も,真夏の暑い日も,真冬
圏内の再建です。その間,地震で傷み,風雨にさらされ
の寒い日も,屋外に 8 時間も,裸でいることになってい
た家々の破壊は進行して,とても住めるような状況では
ます。屋内は木造,学校の校舎も木造です。職場も全て
ありません。
浪江町には現在,300 頭ほどの和牛が元気に生きてい
木造です。現実離れした仮定です。
ます。3 軒の牧畜農家が懸命に牛飼いを続けています。
人は多くの時間,服を着て,屋内にいますし,動き
回っています。しかも,自分の身体でさえ,ガンマ線を
彼らは,帰還を希望しています。早急なインフラ整備を
30 ∼ 40%遮蔽しているのです。人生がかかっている個
政府に求めています 4)。
人線量の推定が,全く怪しい測定と,現実離れした仮定
家や道路を水で洗浄するほど無駄なことはない。金=
と,自己遮蔽を無視した計算により,避難をいまだに,
税金をドブに捨てるとは正に,このことを言う。沿岸を
強制させられています。
中心に,20km 圏内の瓦礫と共に,農地・放牧地の表土
原子力緊急時ではこの程度でもいいかもしれません
10cm の深さまで,剥ぎ取り,沿岸 40km を埋め立て,
が,帰還を検討するには,やってはいけないズサンな計
防波堤道路を建造するのです。セシウム土の上に 1m も
算です。この非科学的な区画割地図で,20km 圏内の
きれいな土を乗せれば,完璧にガンマ線は遮蔽できま
86,000 人の人生が分類されているのです。
す。
こんないい加減な推定で,福島県の帰還困難地域が策
人がいない山林まで除染する必要はありません。人家
定され,強制避難を命じています。政府事故対策本部が
の周りと,農地・牧畜の表土だけ,セシウムを除けば十
帰らせないとする非科学は,20km 圏内からの強制避難
分,農畜産業は再建できます。
民に対する,人権蹂躙です。
この建設は,安倍政権が目指す国土強靭化計画にぴっ
原 子 力 規 制 委 員 会 の 田 中 俊 一 委 員 長 は,IAEA や
たり当てはまるとともに,福島 20km 圏内の完全復興に
ICRP など国際的な基準に沿って,人の線量は,空間線
直結します。除染と防波堤道路の建設,そして,全戸の
量ではなく,人に装着して測る個人線量を基礎とすると
新築で,不死鳥のごとくよみがえる。浪江町,双葉町な
明言しました。にもかかわらず,2013(平成 25)年 11 月
どに,約 2 ∼ 3 万戸の新築を,福島県内の企業が請け負
14 日の衆議院原子力問題調査特別委員会では民主党の
えば,経済効果は抜群です。1 軒あたり仮に 1 千万の補
中川正治委員から,とんでもない意見が出されました。
助金を支給するなら,約 3,000 億円で住宅再建です 5)。
「やはり個人的な線量というのはそれなりに管理して,
大正時代の関東大震災で,この方法でよみがえったの
その管理の体制というのをどうしていくかということも
が横浜市。6 万戸の瓦礫を海岸に埋めて,山下公園が出
含めて,これはこれで議論をしていくということ。そし
来ました。平成の安倍政権に福島防波堤道路 40km が造
て,もう一方の,基準という部分については,これは空
れないはずはない。オリンピックで走り,世界に福島と
間線量でやっていかざるを得ないんじゃないかというふ
東北の復興を示すのです。これが日本流と力を見せつけ
うに理解をしているんです」
ましょう,安倍総理!
すなわち,人の線量は個人線量計の値とするが,国が
(平成 25 年 12 月 15 日 記)
定める強制避難区域は,デタラメな空間線量でいくと,
− 参 考 資 料 −
中川氏は言ったのです。
1)高田 純,「世界の放射線被曝地調査」
,講談社ブルーバック
ス,(2002).
2)高田 純,「シルクロードの今昔」,医療科学社,(2013).
3)高田 純,「福島 嘘と真実」,医療科学社,(2011).
4)高田 純,
「復活の牧場 報告 2013」放射線防護情報センター,
(2013).
5)放射線防護情報センター . http://rpic.jp/
その後,田中委員長から,「帰還困難区域というのは,
戻って住んでいる住民がおりませんから,実測ができま
せん」と,実線量である人体線量を調査していない自分
たち政府の無責任を棚に上げました。これでは,実線量
が年間 20mSv 以下であっても,国が定めた 3 倍以上も
高い空間線量値の規制を受けて,未来永劫帰還できなく
なるのです。これは,科学を無視した政府の犯罪です。
政府命令の福島強制避難は,強制連行と同義語です。
日本原子力学会誌,Vol.56,No.4(2014)
( 5 )
222
時論(秋津)
時論
今こそ,エネルギー教育を
秋津 裕(あきつ・ゆたか)
京都大学大学院エネルギー科学研究科
エネルギー社会・環境科学専攻 大学院生
日本女子大学家政学部児童学科卒。住友商事,
PR コンサルティング会社を経て幼稚園主任教
諭となる。 10 年から放射線教育に携わり, 13
年大学院修士課程へ進学。研究分野はエネル
ギー環境教育。
しでは喜べないのである。
東日本大震災からこの 3 月で丸 3 年が経った。被災さ
れた方々はもちろんのこと,復興に当たられている多く
私がエネルギー問題を直視したのは,2010 年に母校
の関係者におかれては片時も心休まることのなかった歳
のリカレント教育課程 ⅰ で受講した「地球環境エネル
月であったに違いない。昨年は富士山,日本食の世界遺
ギー産業講座ⅱ」であった。修了レポートで提案した『初
産登録や東京五輪・パラリンピック招致成功の嬉しい知
等教育(幼児∼小学生)における放射線理解のための学習
らせに国中がわいた。何かが少しずつ変わっていくのか
会企画』がきっかけで今日に至る。放射線の存在を知ら
なと期待を寄せる一方で,頭の片隅ではこの国はこれか
なければ原子力を含むこの国のエネルギーについて語る
らどこへ向かうのか,子ども達の世代は今後どうなるの
ことは困難と考えたからだ。対象を幼少期とした理由は
かと気掛かりなことも否めない。
二つ,ひとつ目は空気と同様に放射線があることをあり
昨年末に内容が明らかとなった IPCC 第 2 作業部会第
のままのイメージでまず知ること。ふたつ目は子どもの
5 次報告書の最終草案は,有効な対策がなければ今世紀
年齢が小さいほど保護者との距離が近いので,子どもを
末までに気温が最大 4.8℃上昇すると分析した。このシ
通じて放射線を学びそびれた世代へもこれを届けること
ナリオでは,今世紀中に二酸化炭素濃度を下降に転じさ
にある。私は前職(幼稚園教諭)の経験から,大切なこと
せる対策をとらないと,大規模な河川氾濫で被害を受け
を知るのに年齢は関係ないと思っている。エネルギーに
る人口が 3 倍に増え,海面上昇で移住を強いられる人が
ついての気づきや価値観が形成され始めるのは幼少期 3)
数億人に上り,高温や高湿によって今世紀末までに農作
であり,放射線についても小学校社会科の平和教育で学
業や屋外活動に支障が出る恐れがあると指摘している。
んだ原爆が,後の知識形成に大きく影響しそのまま成人
ここでいう対策とはエネルギー対策であり,今後私たち
となる報告 4)がある。
は低炭素社会構築に向けて様々な変革への対応を余儀な
私は震災の年に文部科学省主催の放射線出前授業の講
くされる。エネルギー選択が及ぼす影響を認識し適切な
師として全国 10 校の小学 1 ∼ 6 年生 720 人の児童に放
判断,選択,行動ができる能力,すなわち国民ひとりひ
射線を伝えたが,かつての放射線=原爆とは異なり,児
とりのエネルギー・リテラシーの向上は持続可能な社会
童は的確に放射線の姿を捉えていることが感想文から伺
の構築のために必要不可欠であり,国民の問題であるエ
い知れた。いくつか紹介しよう。「地球にもともと放射
1)
ネルギー選択 のための意思決定に重要な役割を果たす
線があったのがわかりました」
「放射線の特徴はほとんど
2)
おばけと同じだけどはかることができるからすごいと思
と考える。
しかし残念なことにエネルギー・リテラシーを育成す
いました」
(以上 2 年生)
「はじめ放射線は体に悪くてなけ
る上で,わが国の学校におけるエネルギー教育は,欧米
ればいいのになと思っていたけど,人の役に立っている
先進国からは大きく出遅れ,国の理念,位置づけ,内容
ことがわかりました」
「人の体から,食べ物から,空気に
が明確でないまま教師の裁量に委ねられてきた。原子力
も放射線があると知ってびっくりしました」
「こういうこ
災害後は,エネルギー教育を重要と考える教師でも学校
とをもっとたくさんの方々に知ってもらいたいと思いま
長や保護者,教育委員会といった周囲の理解を得られな
す」
「福島の野菜を買おうとしなかった私は『失礼なこと
いとエネルギーを扱うことすら難しいと聞く。長年原子
をやってしまった』と思いました。安全だから売ってい
力について十分な議論を尽くすことなくきてしまったわ
ⅰ
日本女子大学が立案し , 文科省の 2007 年度「社会人の学び直
しニーズ対応教育事業委託」として採択された
ⅱ
千代田テクノル㈱ , 非破壊検査㈱による寄附講座 講師は日本
原子力学会シニアネットワーク連絡会(2009 ∼ 11 年度まで 6
期開講)
が国は,エネルギーについて語りづらい資源小国となっ
た。迫り来る厳しい気候変動の解決の糸口となるエネル
ギー選択を次世代に重ねると,これから始まるビッグイ
ベントの歓喜のその先の未来像が見えてこないため手放
( 6 )
日本原子力学会誌,Vol.56,No.4(2014)
今こそ,エネルギー教育を
223
の正しい理解の和を広げることを目的として 1972 年に結
るのに」
(以上 6 年生)
子ども達は大人が想像する以上に感性が豊かで情報を
成された歴史ある市民団体だ。その敦賀支部女性部部長
持ち胸襟を開いて話しを聴く準備ができている。一期一
から,
「放射線の絵本を書いたあなたの創造力で,そも
会の出前授業はフォロー学習ができないので毎回細心の
そもなぜ放射線はあるのかについて原子核あたりから話
注意が必要だ。例えば,講師の私見を伝えるようなこと
してほしい」と勉強会講師の要請を頂いた。長年,原子
はないか,使用する言葉は適切か,数字の説明は妥当
力,放射線,日本のエネルギーの学びを重ねている方々
か,次の学びへつながるかである。そして子ども達の学
に,いかばかりのものを届けられるのかと逡巡したが,
びは大人にも気づきを与える 5)。放射線出前授業を保護
共に勉強させて頂くことをお許し頂きお引き受けした。
者参観へ開放した小学校があったように,共に知る機会
この方は「原子力の善し悪しを問う間もなく既に身近にあ
を設けることを勧めたい。
り,私たちは共に生きなければならない。難しいことば
このような私の考えに共感して頂けた原子力安全シス
かりだが少しでも知れば疑問も出てくるし専門家との対
テム研究所(INSS)は,学校教育へスライドするような
話も持てる。私たちがやめたら後には続かないから」と
放射線学習絵本製作を提案くださり,昨春『はじめまし
穏やかに語る。原子力立地として引き受けたリスクは,
ⅲ
同時に日本のエネルギーを支えている自負でもある。
て ほうしゃせん 』が完成した。絵本のねらいは「放射線
一方,エネルギーや原子力とはほとんど無縁という,
を知る」である。この絵本が出てから必ず頂く質問が「幼
児に放射線が理解できるのでしょうか」である。就学前
地域で子育て支援をしている女性達の全国ネットワーク
後の学習指導において,学びの達成を表す言葉は明確に
代表者会合に同席させて頂き,原子力,放射線,エネル
表現が異なる。幼稚園学習指導要領では理解するという
ギーについて各地の声を伺った。中には福島県や関東圏
言葉は使わない。かわりに気づく,関心を持つ,味わう
の放射能汚染から避難している方達を支援しているグ
という表現で保育が行われる。幼児にとっては何もかも
ループもいらした。しかし大半は原子力も放射線も語り
が「はじめて」の出会いだからである。例えば人と「はじ
づらく今や話題にものぼらなくなっているのが現状で,
めまして」と出会った時にその人を理解するとは言わな
西へいくほどその傾向は強い。印象的だったのは,誰も
いだろう。放射線学習も同様で,まず出会い,知ってみ
が「子ども達のためならなんでもできる」と大きく頷いて
ようという位置づけにした。
いたことだ。原発反対を声高に唱える方がいる一方で
絵本という媒体の性質とはじめて放射線に触れること
「エネルギー問題は大切だから,まず知って広い視野で
を考え,多くの説明を要する内容や,文字と絵だけでは
考える必要がある」と自身の考えを伝えてくれる方もい
理解し難い概念については全て削ぎ落とし,見開き 2 頁
らした。この方達はオピニオンリーダーとして,機会さ
に取り上げる話題はひとつとした。最も配慮したことは
えあれば子ども達のためにエネルギーについて考える準
言葉選びである。短く耳に優しい言葉と文章で,放射線
備はあると期待したい。
原子力災害によってエネルギー問題への関心が一時は
の姿をできるだけまっすぐに届けることをこの作業に込
めた。特に作者の主観が反映する形容詞や副詞は極力使
高まったが薄れるのも時間の問題である。CO2 ゼロエ
用しないように努めた。このようにしながら文科省出前
ミッションを目指したエネルギーシナリオⅳも読み解く
授業で挙げられた小学生指導ポイントを押さえ,加えて
力がなければ国民の合意形成は難しい。資源小国として
原発事故にも触れた。子ども達の世代は,原子力のリス
国全体のエネルギー・リテラシーの向上をめざすことは
クも覚悟しながら今後のエネルギー選択をしなければな
重要であり教育に近道はない。現行の学校教育の中でエ
らないと考えたからだ。絵本の各頁端には読み聞かせを
ネルギー教育を明確に位置づけ,地道に取り組むことが
する大人向けにコラムが添えられている。この解説コラ
急務であると考える。
(2014 年 1 月 3 日 記)
ムについては巻末や別刷を設けるのはどうかという意見
も頂いたが,私は子どもへの読み聞かせと大人への知識
−参考資料−
1)橋場隆 , 山下宏文 , 他 : エネルギー環境教育のあり方に関する
研究,
(12)46-64(2005).
2)J.DeWaters, S.Powers,:Establishing Measurement Criteria
for an Energy Literacy Questionnaire,
.44
(1),38-55(2013).
3)Zografakis, N.
.: Effective education for energy efficiency,
36, 3226-3232(2008).
4)西谷源展 : 放射線に対する意識と学校教育の影響.
,60(11), 1555-1563
(2004).
5)European Commission: EDUCATION ON ENERGYTeaching tomorrow’s energy consumers,
(2006)
提供の同報を重視した。放射線を学びそびれた世代へ届
4 4 4 4
4
4 4
けるためには,子どものために開いた絵本の頁の傍らに
短いコラムがあることが重要だとこだわりを持っている。
絵本をきっかけに様々な出会いがあった。昨年 12 月
にご縁を頂いた福井県原子力平和利用協議会は,原子力
ⅲ
㈱原子力安全システム研究所 社会システム研究所エネルギー
問題研究プロジェクト,(2013), 非売品.
ⅳ
京都大学グローバル COE プログラム「地球温暖化時代のエネ
ルギー科学拠点 : シナリオ策定委員会 , ゼロカーボンエネル
ギーシナリオの提案 , ニューズレター
(13),2-6(2013).
日本原子力学会誌,Vol.56,No.4(2014)
( 7 )
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