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「一着の服を仕立てるように」 : プルーストの書物
真屋, 和子
一橋論叢, 132(3): 235-252
2004-09-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/15288
Right
Hitotsubashi University Repository
(61)一着の服を仕立てるように
﹁一着の服を仕立てるように﹂
Iプルーストの書物 -
I
l
l
〓U
RH川
千
プルーストは'最終巻 ﹃見出された時﹄ の中でも (私)
二、
Weavethewarp,andweavethewoof,
が書-べき作品について考えをめぐらす-だりにおいて'
(3)
竪糸を織り入れへまた緯を織り入れへ
文学において服装は'それぞれの時代の風俗へ生活環境、
服装の描写部分に考察を加えることが、ひいては作品に込
ている。これを作家自身のことばとして受け止めるならばへ
﹁一着の服を仕立てるように﹂ 書物を築-だろう、と書い
社会状況へ社会階層などを映し出す鏡としての役割を巣た
められた意味や作家の文学観、芸術観をより深-理解する
(2)
している。プルーストの﹃失われた時を求めて﹄の場合も
ことへとつながるであろう。
プ7-モード風パッチワーク
例外ではないであろう。作品を通して感じとることのでき
る作家の服装に対する考えかたや意味づけは、しかしなが
ら'一様ではない。バルザックにとって人間をつつむ服は'
その人となりをあらわしている。フロベールにおいては'
﹃失われた時を求めて﹄の構造に触れて次のように述べて
ンスでの講演﹁長いあいだへ私は早-から寝た﹂の中で'
ロラン・バルトは'一九七八年へ コレージュ・ド・フラ
時として服装の描写がそのまま登場人物の心理描写となる
いる。﹁文字通りへ ラプソディ風へ つまり (語源からも)
人の住む建物と同じくその人白身と分かち難-結びつきへ
ことがある。
235
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(62)
はt着の服のように作られる、Jjいうプルースト自身が用
断章を編み継いだものとなるのです。それにこれは、作品
(
I
V
,
6
1
0
)
いと裁縫はできないへ といつも口にしていたのだから。
るだろうへ そういう彼女は'必要な番手の糸やボタンがな
(I-,
いた比愉 (metaphore) でもあるのです。﹂ ラプソディ風
調和させながら縫いあげる婦人服仕立屋の技術との共通点
が﹁やぶれた紙片に裏打ちをして-れるだろう﹂し、傷ん
れているが'服に継ぎあてをするようにも フランソワ-ズ
パッチワークのように貼られた紙片はところどころやぶ
テキストを織りなす方法と'布の断片を差し替えへ 配置し'
を指摘した上で'バルトはそれらが単なる﹁パッチワー
だ草稿帳を指さして﹁すっかり虫食いになりました (...)
(5)
ク﹂ ではな-、断片と断片が ﹁呼応し合う﹂ 関係で成り
小説の構成のみならずへ プルーストは人物にせよ事物に
ありませんね﹂というだろう、と思いをめぐらす。
(6)
ほらこのページの端などは、もうレースというよりほかは
立っていることを強調している。
衣裳と書物の創作方法におけるこの類似は'プルースト
自身が明らかにしていることである。補足の紙きれを継ぎ
たしながら書物を築いてゆくようすをへ女中フランソワ-
せよう同様のラプソディ風創造方法によって数多-の印泉
的に大聖堂のように、などとはいうまいへ ただ単に一着の
の書物を築いてゆくだろうということなのだ、あえて野心
ここかしこに補足の紙片をピンでとめながら、私は自分
明している。﹁あのように多-の部位から選んだ肉片を加
先で、小説の創作方法を牛肉料理にたとえて次のように説
もいうべきであろう。プルースト自身、服装の比職の少し
いう素材から芸術作品を生みだすための独白の調理法とで
ズの裁縫と重ね合わせている。
服を仕立てるように。フランソワ-ズがいうところの、私
えへ あのようにそのゼリーを風味ゆたかにして'フランソ
から一つの存在をつ-りあげる。実在する複数のモデルと
のばらばらの紙きれが私の手もとにみんなそろってなかっ
ワ-ズがノルポワ氏にはめられた'あのブフ=モードのよ
パ プ ロ ト ル
たり、また私に必要なそのなかの一枚がちょうど欠けてい
うなつくりかたでやるのではないだろうか?﹂主人公の家
(7)
たりすると、フランソワ-ズには私のいらだちがよ-わか
236
(63)一着の服を仕立てるように
んへ さまざまな部位から選ばれた牛肉など'各食材が互い
が腕を揮った料理をはめたことがあった。ゼ--、にんじ
りが移っている'これはすばらしい!﹂とフランソワ-ズ
の晩餐の席で'ノルポワ氏は﹁ビーフにはにんじんのかお
かを独白の比職を用いて述べた。
キンは、芸術作品における構成とはどのようなものである
呼応し合う断片が有機的つながりをもつことになる。ラス
和でつつむ。すぐれた作品というものは'このようにして'
プはそれらすべてのエッセンスを含むが'またそれらを調
それらの作品を構成すべきかを説明する。たとえばへ絵に
楽などさまざまな芸術の分野からたとえを借りて、いかに
いかに描-べきかを教えようとするとき'建築や絵画へ音
返し読んでいた作品の一つである。ラスキンは'-ア王を
際に用いている。この本はブルース-が暗記するほどに繰
の書きかたへ 作品の構成 (composition) について論じる
(1八一九⊥九〇〇)が﹃建築と絵画﹄ の中で'文学作品
国の美術史家であり、社会思想家であるジョン・ラスキン
牛肉料理のたとえは、すでに別の機会に指摘したがへ英
とれた風味が、料理に新たなひと味をつけ加えるのである。
あまりよくない﹂とプルースト自身がつけ加えている。構
くたとえの候補としてあげられている。しかし'﹁これは
さらに続けて、﹁道を開きへ 橋を架ける﹂ ことも書物を築
あったのは、構成のしかたであることがより明確になる。
教会、服へ書物に共通する要素としてプルーストの頭に
ためのもの﹂と括弧つきで加えられている。したがってへ
かれておりへ すぐあとに ﹁これは構成(composition) の
聖堂″とはいわないまでも〟服″を仕立てるように﹂と書
最終稿におけるたとえと同じように'﹁思い上がって、〟大
章を草稿帳に残している。カイエ57の中のある断章には'
一方プルーストは'築-べき書物についてい-つかの断
(8)
に味を与え合いへ なじむことによって生みだされる調和の
おいて﹁部分と部分の調和する関係﹂が重要であることは、
造という点では共通する要素があるが'芸術という範暗か
ia,:
牛肉と野菜のシチュー料理ラグー(ragout)をつ-るの
らは外れるからであろうか。日に見える'あるいは隠され
(
=
)
に、各材料をなじませ'調和のとれた味に仕上げなければ
た秩序と調和を保ってつ-りあげられたものであることに
(2)
ならないのと同じである、と説く。にんじんや玉ねぎには
加えてへ それを芸術品として眺めへ味わうことができるか
(
S
)
牛肉の味が'牛肉には野菜の風味が移りへ通い合う。ス-
237
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(64)
どうかも大事な点であったのだろうと推察できる。
カイエ57の中の別の断章では'多くの実在するモデルか
ら一つの教会へ一人の人物を生みだす方法を'服の仕立て
についてはいうまでもないo ここでは1皿の牛肉料理を供
するつもりで'作品の中の小芋苗として、調和のとれた味
た異なる領域の比較は'単なる恩いっきによって結びつけ
テなどは ︽compote︾ と呼ばれた。したがってへ 運ばれ
で使われる。料理においても鳩や山ウズラのシチューへ パ
sition︾ という語に関していえば'さまざまな芸術の分野
語として、﹁組み立てる﹂などの意味がある。構成︽comp〇・
tir︾ には'﹁建物を築-﹂へ ﹁文章を組み立てる﹂へ 服飾用
えるべき新しいイメージ﹂ と書き加えている。動詞 ︽ba・
などの料理にたとえており、そのすぐあとには'﹁付け加
目が燃えあがらせているへ おなじようにピンクの色に映えへ
が、十一月の午後のおわりの夕もやのなかにも華やかに落
飾をほどこしているのを見た (-)しかしそうした菊の花
ても数日の寿命しかないと思われる'あざやかな色彩の装
ねておなじようにゆたかなへ (-) しかも生きた、といっ
などのへ その菊の花々が'サロンの装飾の上にも さらに重
な白さや、彼女のサモワールのように金属的光沢をした赤
クや'彼女のクレープ・デシンの部屋着とおなじ雪のよう
スワン夫人の肘掛椅子のルイ十五世絹のように薄いピン
をもつ描写の具体例を1 つあげておきたい。
られたものではないことがわかる。またへ 同じカイエの中
おなじように赤がね色に映えるあのつかのまの色調ほどは
(batir une robe) や'プフ=モード、牛肉のゼ--寄せ
にある別の断章では'﹁書物をたとえる際へ 重要﹂ と記し
かないものではな-、むしろ比較的生命の長いことに'私
わっている。いくつもの断片にみる書き直しは'プルース
いるまえになかめた夕やけの色が'中空にうすれて消えそ
は感動させられるのであった'そしてスワン夫人の家には
(2)
たうえでも建物や服だけではな-戦略も比較の対象に加
トの試行錯誤をあらわすとともに、彼自身も書きとめてい
うになりながらへ そのひとときへ花々の燃えたようなパ
(2)
るようにも書物を多面的に説明するための重要な一節で
レットにのび'移しかえられているのをへ ふたたび部屋の
なかで見出すのであった (I,585-586)
(2)
あったのだろう。
﹃失われた時を求めて﹄ の全体の構造の有機的つながり
238
(65)一着の服を仕立てるように
を配置することによって同色調の繰り返しを'また交差配
返されている。プルーストは'平行関係を保つように文章
菊の色に見出され'さらに家具やオデットの部屋着に繰り
ン家に足をふみいれる前に見た落日と同じ色調が'室内の
風景の輪郭をぼかすのにひと役かっている。主人公がスワ
部屋を飾る菊の色彩、白へ ピンクへ赤のグラデーションも
い'唆味な時が夕もやにつつまれてたゆたう。オデットの
季節は秋でも冬でもない'一日のうちの昼でも夜でもな
と。
の存在理由をそれぞれ他の部分に負うとともにへ またその
ra
おのれの存在理由を他の部分にも負わせているのである﹂
のなかには孤立したタッチは一つもな-、各部分はおのれ
トは別の箇所でいっている'﹁芸術作品というものはへ そ
材とスープの関係から生まれるものに似ている。プルース
合によるみごとな調和的空間は、ブフ-モードにおける素
を獲得できるとでもいいたげである。人物、物へ大気の融
レットに象徴される芸術作品に定着させることで、永遠性
牛肉料理と並べてたとえられる服装が 〝構図〟を問題と
列法(chiasme) によってへ 風景が融合や反射するようす
(2)
を巧みに表現しておりへ ここには内容と形式の一致がみら
にさしこみ'花々の燃えたつような色彩のうえに生命をあ
やけの色は、いまにも消え入りそうになりながら部屋の中
するかのような落日に比べれば生命が長い。燃えあがる夕
日の寿命しかない。それでも花は'一瞬のうちに完全燃焼
れた色は長-生き生きとしているだろうが、菊の色彩は数
て動的なものとなっている。肱掛椅子の布地や服に染めら
色の繰り返しによる穏やかな律動は'寿命の比較によっ
職 (comparaisOn) も含むがへ この ﹁隠喰﹂ の発見こそ
ルーストが ﹁隠喰 (metaphore)﹂というときへ 単なる比
いは隠されたもっと深い意味が見出せるはずである。プ
考えにいれるならばへ 服と書物の比較に込められた、ある
﹁大聖堂のように﹂という比職とならべられていることを
作品創作の技術的な側面があることは明白である。しかし'
着の服を仕立てるように﹂書物を築-という比職の意味に'
徴されるようにも それは空間にかかわることである。﹁1
する限りへ パッチワークというバルトの用いたことばに象
ずけに-る。夕やけの色がのびてきてとまるのは'花々の
が主人公を文学創造へと導-手がかりとなる。二つの異な
れる。
〟パレッ-″ のうえである。うつろいやはかなさをへ パ
239
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(66)
る対象に ﹁共通のエッセンスをひきだLへ それらを一つの
てなかったおそら-唯一のひと﹂なのである。このころに
スクな印象(-) スワン夫人はそうしたドレスをまだ見す
を着ることは少な-なっていた。代わりに着ているのほう
は親しい人たちをむかえるときにオデットが日本のガウン
(2)
メタファーのなかで、時の偶発性からまぬがれさせるであ
ろうとき﹂真実がはじまる、と信じるからである。服へ 大
﹁泡立つ波のような'ワット-風の絹の化粧ガウン﹂ なの
(2)
うなものだろうか。服の描写に関してもっとも充実してい
聖堂へ そして書物の間にある共通のエッセンスとはどのよ
であって、オデッ-のサロンは、﹁極東はだんだん十八世
オデッ-の日本趣味に関してつけ加えるならばへ 日本の
紀の侵略を受けて退却しっつあった﹂ のである。
(8)
ると思えるオデットの服装に注目してみたい。
なごりの香-時のパースペクティブ
文物への関心を残り香程度にしか小説の中に薫らせていな
﹃花咲く乙女たちのかげに﹄ の中で'主人公が画家エル
ココッ-(高級娼婦) であったオデットは、盛装すると
一人娘のジルベルトが十四、五歳になるころには'オ
スチールのアトリエを訪れて目にする-ス・サクリパンの
いことが'時代背景の焦点をぼかしへ作品をより普遍的な
デットは薄地のクレープデシンのガウンや'シルク・モス
肖像画は'性別へ状況すべてにおいて暖味で神秘性にみち
きと同様へガウンや部屋着を纏うときにも優雅さを追求す
リンのチュイヨダージュというプ-Iツ入りの部屋着で、
ている。興味深いのは'カイエ28の中の ︽画家︾と題され
ものにしている点で重要であろう。おそらく意図的にも時
お茶の時間に訪れた主人公を迎えることがあった。彼女の
た断章では、-ス・サク-パンの肖像画に相当する文は'
る。スワン夫人となってからも服装への気-ぼりが義務の
服装の美学に特徴的なことは'最新流行を身につけるとい
実在の画家ホイッスラー(一八三四⊥九〇三) の ︽陶磁
代背景を唆味にしていると思われる例をあげておきたい。
うよりは'過ぎ去ったものへ消えゆ-ものをすて去らない
の国の姫君︾を想起させるものであったことである。小説
ようになっていた。
ことである。﹁すでに時代おくれであったあのようなドレ
の中でエルスチールの同時代人として扱われているホイッ
(
S
3
スの思い出のなかに現在われわれがふたたび見出すロマネ
240
(67)一着の服を仕立てるように
チールによって描かれた絵はへ このホイッスラーの作品の
草稿の段階では'ジャポニスムに関心を寄せていたエルス
着物、犀風へ 団扇などを描き込んだ作品も多くみられる。
スラーは'日本美術の影響を受けたことでも知られておりへ
バルトのいう﹁時の解体﹂が意味を成さなくなる。
ら寝た﹂という半覚醒の印象から始まるこの作品におけるへ
妙に合ってしまうことになり'﹁長いあいだへ 私は早-か
きを失う。その上へ小説における時間の流れのつじっまが
かわりに、額縁にはめ込まれた絵さながらへ時代背景が動
洋の人形の置物とその人形が柄となった女性の着物とが反
られた花とその花瓶に絵付けされた花とが共鳴し合いへ 東
の女性の肖像画となっているのである。磁器の花瓶に生け
のように数本のプ--ツが流れおちているもので'装飾は
では変わりない。ワット-風ガウンは後身頃の襟元から滝
ンもワット-風ガウンもゆったりと流れるラインである点
ワット-風の絹の化粧ガウンに話を戻せば'日本のガウ
∴
﹂
、
ように犀風へ 団扇、日本の花などにとりかこまれた着物姿
射し合っていて'まさにブフ-モードに込められたプルー
少な-'繊細でしなやかな雰囲気をもっている。オデット
かえられてはいるもののへ一八七二年の日付のあるその肖
めいていて神秘性の漂う-ス・サク-パンの肖像画に書き
最終稿では、その絵はジャポニスムとは関係のない、謎
につながっているからでもあろう。かつてはオデットの腰
をつ-りだす'コルセットを着装しない二十世紀のモード
な-'体のラインや動きによって自然に波うつシルエット
が好んだ理由は、単に十八世紀への懐古の情からだけでは
(3)
ストの文学理論の実践を感じさせる描写の一つである。
像画のモデルが'ココット時代のオデットであることが明
ころの肖像画であるというのであれば、-ス・サク-パン
は少なくなっていた﹂オデットの、日本の着物を着ていた
で主人公が目にした絵が'もし﹁日本のガウンを着ること
らかにされている。したがってへエルスチールのアト-工
ているスワン夫人のさりげなさとはどのようなものだろう。
なかった。﹁どことなくエレガントな普段着﹂ を身に纏っ
なごり香を'新しい流行の風にのせて漂わせることを忘れ
のたぐいが影をひそめたころへ それでも過ぎ去った時代の
に不自然なふ-らみをあたえていたク-ノ-ンやハッスル
。∵
の肖像画に込められた'謎めいた神秘性へ暖昧性が消え
去ってしまうことになる。時代がより鮮明に映し出される
241
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(68)
クリノリンから解放された服装は'時と空間を固定する境
無理やり身体を型にはめてラインをつくるコルセットや
とってかわったモードのなかにさえ保とうとしへ また実際
界の枠からも解放されている。
スワン夫人はすたれたあるモードのなごりを、それに
にそれを保つ術を心得ていた。(-) そのスカートは'深
トに斜めにかかっていた。(-) 多少はだけた彼女のジャ
ウール地のタータンチェックのファッションが大流行した。
り入れられるようになった。その後へ 1八九〇年頃には
古-はスコッ-ランドのクラン (氏族) たちの紋章で
ケットの下にへ薄地ブラウスのぎざぎざの ﹁縁飾り﹂が、
時代はそのころであろうとおもわれるが'プルーストは毛
い赤かオレンジ色のあの地味な美しい色合いで、いまの流
着てもいないベストの'かえし襟がのぞいているように見
織物より優雅な﹁最新流行の生地﹂ に織られたチェックの
あった ﹁チェック﹂ は'赤へ 青、緑へ黄、白の原色で綴ら
えた'というのはそれより数年まえに'そんなベストの一
スカーフをオデットのために選んでいる。鳩羽のように方
行色からはずれているだけに何か特別な意味をふ-んでい
つを着ていてへ その縁にやはり軽いフ-ルがついたものを
向によって色が変わるタフタ地ゆえに色合いがやわらかく
でも広がりをみせへ第二帝政期になると女性の服装にもと
好んでいたからであった。また彼女のスカーフは-相変わ
感じられるのである。スコットランドの伝統美が流行の生
れている。タータンチェックのショールの流行はフランス
らずあの ﹁チェック﹂ [ecOssai] で一貫していたが、色合
地に織り込まれることによってあらたに息づくさまは、伝
るように見えるのだが、かつての裾かざりをしのばせる、
いはぐっとやわらかくなって (赤がピンクにヘ音が-ラ色
統を卒みつつ絶えず色調を変えるプルーストの作品そのも
幅広の黒レースが透かし彫りの欄干さながら、そのスカー
になって)へ 最新流行の生地の、玉虫色のタフタの一種か
のをおもわせる。
﹁顎ひも﹂ のことをおもわないではいられなかった。(),
顎の下で結ばれているので、いまはつけないあの帽子の
香りに、残り香は望めないであろう。新しい別のスタイル
行でかためられているとすれば'特定の時代がはなつ強い
もし文学作品に描かれる服装が'ある時代に特徴的な流
(8)
と思われたが-それがどこに-っついているのか見えずに'
608) (強調は筆者)
〟2
(69)一着の服を仕立てるように
を追い求めるのではなくへ過去のなつかしさを新しさに溶
け込ませる。オデットに 〟流行″ のはかなさと幻想よりは'
聞くのである。
﹃失われた時を求めて﹄ に'伝統や過去の偉大な文学が
プルーストの作品にオデッ-の装いと同じなごりの香を
ねられ、古典文学と卑近な日常との不調和な結合が、ユI
公に対する祖母の愛に、セヴィニエ夫人の、娘への愛が重
織り込まれていることはあらためていうまでもない。主人
き-には、千年の古き言語形式や家伝の妙法をもちだすフ
モアを生み出す場面に、ラシーヌが顔をのぞかせる。時と
〟変遷〟 の持続と厚みを身につけさせたのである。
ランソワ-ズや、グレゴリオ聖歌調の古いフランスをしの
してわれわれは、社会や社交界のある描きかたにバルザッ
ぬぐ装いの美学
きるのである。
立ちのぼるなごりの香という過去の残像を擁して未来に生
(8)
ばせる﹁パリの物売りの呼び声﹂に耳を傾けるだけでも
クを、印象表現のしかたにフロベールを感じとる。オデッ
し
じゅうぶんであろう。たとえば古着屋は﹁古着へ古着屋、
(﹂)
トの装いの場合と同様へ幾層にも重なる過去の存在への現
古-着﹂へ古-着というように二つの音節の問に沈黙を置
在からの透視は'未来の展望へとつながる。伝統と歴史の
.
くのであるが、この ﹁典礼的な休止﹂は聖歌の朗唱調を呼
深みへ 変化の兆がもつ玉虫色の奥ゆきへ 追想からほのかに
1
び起こすのである。
時空をこえて'われわれの耳にはヴェネツィアに響き渡
(﹂)
る﹁無花果へ 瓜へ 員などを売る行商人の呼び声﹂がラスキ
ンの書物から反響のように立ちのぼってくる。そしてへ 彼
が詳細に説明する ﹁ゴンドリ工の呼び声﹂ は'プルースト
保っている。別のある日へ お茶の時間に訪れた主人公を'
装いは異なっても変わらぬエレガンスをスワン夫人は
の運河の角では'ゴンド-エたちが衝突の危険をさけるた
肩で着るゆったりしたものではな-'午後の外出着のよう
の ﹁パリの物売りの呼び声﹂ へと再び誘う。ヴェネツィア
めの ﹁プレ-・エー﹂ [Premi-e] と二箇所にアクセント
に軽-体にそったラインのドレス姿で迎えてくれる。
(
S
)
のある長-引き伸ばした声に続きへ ﹁ア-・プレ--﹂
[Ah Premi] と語尾に鋭いアクセントをおいた呼び声を
243
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(70)
のドレスには'肩口の軽いふ-らみで一八三〇年型の ﹁マ
アンリ二世風の ﹁ス-ツト﹂ への連想がかよいへ 黒サテン
青いビロードのコルサージュのわずかな切込み明きに、
は十五、十六世紀へ そしてモザイクの新しい部分は十七世
の部分は十四世紀のもので'祭壇のいくつかと装飾物など
現在の生活のかげにおぼろげな過去の思い出のようなもの
写する服装に透けてみえる。彼は、ラスキンが教会に向け
教会に見出せるこのような時の重層が'プルーストの措
78)
紀のものである (-) (The Stones of Venice,II,pp.77-
(
ァ
)
ンシュ・ア・ジゴ﹂がしのばれ'反対にスカー-の軽いふ
をほのめかして'スワン夫人の人柄に歴史の'または小説
るのと同じまなざしを'服に対してそそいでいる。ラスキ
-らみに、ルイ十五世風の ﹁パニエ﹂ がしのばれ'(-)
の女主人公のような魅力をそえていた。(I,610)
ていくものへの一種の情や共感はラスキンに負うところが
込ませている。プルーストのこ.
Qような歴史感覚へ消滅し
にへ スカートや袖のふ-らみに過ぎ去った﹁時﹂をすべり
すでに使われなくなったクリノリンやハッスルの代わり
なかにときおり姿をあらわす。何世紀にもわたって内陣を
一世紀のロマネスク様式の鈍重な部分が'ゴシック様式の
レIの教会もまたこのように時代を経た教会であった。十
代﹂ のうちにある、と考えていた。ブルース-のコンプ
ばならないt と説きへ建築の最大の栄光は﹁建物の経た時
ンは過去の時代の建築を歴史的なものとして保存しなけれ
大きい。サン・マルコ聖堂について述べたラスキンの文章
ひろげ﹁柱から柱へ、小祭壇から小祭壇へ﹂と空間ととも
(
S
)
を読んでみよう。聖堂と服の違いはあるものの、プルース
に﹁時﹂を含みこめていきち コンプレ-の教会は﹁四次元
3越E
トの文と重なるものがある。
部装飾の一つにはまちがいな-手が加えられておりへ (-)
その献堂は十1世紀であるがへ しかしもっとも重要な外
う。モードとは流れ行くものであるがへ その流行にさえも
いへ しかしへ服装に時の層をみるのは彼独白の発想であろ
スキンから'聖堂に ﹁時﹂を読むことを学んだかもしれな
の空間﹂を占める建物となったのである。プルーストはラ
それは十三世紀になされている (-)。またゴシック様式
244
(71)一着の服を仕立てるように
芸術的普遍性を見出しているところがいかにもプルースト
らしい。
プルーストが'書物を編むことのたとえにフランソワ-
ズの裁縫を思いついたように'ラスキンは'大聖堂を築-
つながりが断ち切られているようすを、服の仕立てにたと
の比職を用いている。一例をあげれば'教会建築の有機的
断によって模様が台無しになっている服を目にしたときと
重なる。この聖堂の出入り口の前に立つとき'無頓着な裁
細密な彫刻で装飾された大理石が'刺繍やレースの反物に
様子にお針子たちが服を仕立てるたとえをもちだしている。
えている。﹃ヴェネツィアの石﹄ の中でトルチェッロ大聖
同じような無念さを感じるというのだろう。ラスキンはま
ラスキンはまたへ 聖堂を説明するのにしばしば服や服飾
堂について述べている-だりである。
理石の厚板から刻みだされたもので'かつてはゆたかな細
聖堂側面の入り口には二つの十字架がありへ これらは大
生活や'歴史がしるされていなければならないと説きへ前
図柄の反復や単なる装飾であってはならず'そこに物語や'
おりへ柱頭へ帯類などにほどこされる彫刻は'意味のない
た別のところでへ ゴチック建築の装飾の重要性を強調して
密彫刻が板の表面全体をおおっていたが'十字架の表面に
者の場合を、﹁取り扱いに-い服装﹂ にたとえている。
とっては'婦人服仕立屋にとっての反物のレースか刺繍の
きのようである。(-)装飾された大理石も'建築家に
りへ ちょうど模様の入ったシルク地を裁断して仕立てたと
あった線は (-)切込みによって断ち切られてしまってお
想をえたのかもしれない。しかしプルーストはさらに一歩
まなざしで教会をみていた。服装の比職はラスキンから着
に共通する芸術観である。プルーストもまたへ親しみ深い
のにも芸術性が潜むとする見かたはラスキンとプルースト
服装や料理など'日常生活の中の小さなものへ身近なも
/c3>
部分的にあとをとどめるのみとなっている。本来意匠に
ようなものとなってしまうのであり、仕立屋は必要とする
進めて、逆に服に大聖堂をみることもする。
ジャケットの ﹁胸をひらいたり'すっかりぬぎさったり﹂
スワン夫人がボワ大通りを散歩する時へ あたたかいので
部分を図柄の切れ目がどこになるかなどにはほとんどお構
いなしに切りとってしまうのだ {The Stones of Venice,
I
I
,
p
p
.
2
8
2
9
)
245
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(72)
ようなある日、主人公が手にしている彼女のジャケットの
して'主人公にそれをもたせてくれることがあった。その
たをひきだすことができる。ラスキンが教会建築について
を築-ことは'ある意味で﹁手仕事﹂ であるとする考えか
この〓即からは'服の仕立てと同じように'書物や大聖堂
(3)
なかに発見があった。
彼女のジャケットの柚の'繊細な魅力にあふれた細工、な
私が (-) うっとりとみとれたのほう私の腕にかかった
ながる。
﹁精神的な事柄 (Cosa mentale)﹂ であるという考えにつ
あり'レオナルド・ダ・ヴィンチが絵画についていった
先の仕事では決してなくへ 人間の内面の営み、魂の仕事で
語るとき'繰り返し説いていたことでもある。手仕事は指
んともいえない甘美な色合いの帯状飾りとかへ ふだんは人
したゴチック彫刻、八十尺もある手摺の裏に隠れていても
(-) 大聖堂の高層をのぼるあいだに、はじめて見つけだ
もふれなかったのに'ある芸術家がふとした旅の偶然で
げられている部分であって、それらは'これまで誰の日に
とに見える部分とおなじようにやはりていねいに仕立てあ
に対する作家の根本的姿勢が生まれる。ココット時代のオ
る。そこから 〟隠れた部分の技巧を重んじる″という芸術
まで隠されていたものを人目にふれる状態に置くことであ
身につけていることである。〟ぬぐ″ ということは、それ
と同様プルーストは、ぬぐ装いの美学とでもいうべきもの
このことがらに関連してとりわけ重要な点は'オデット
(8)
目に隠されているモーヴ色のサテンのあしらいとかのへ そ
正面大玄関の浮彫とおなじように完全な技巧がほどこされ
デットにとって﹁一目の頂点は、社交界のために着物を着
{en)
ているあのゴチック建築に似ているのであった (I,627)
大聖堂が重ねられている。これまで、服、大聖堂へ そして
ここに至ってようやく、暗示によるのではなくへ 服装に
ジャケットを着ているあいだは気づかれる見込みのなかっ
識したエレガンスを身につけている。作品の別の箇所でも'
あった。スワン夫人となってからも'衣裳をぬぐことを意
るときではな-'一人の男のために着物をぬぐとき﹂ で
書物の三つのものを結びつける共通のエッセンスとしての
た﹁無数のこまかい手仕事﹂をやわらかな素材のブラウス
(
S
)
隠された﹁時﹂を'透視するまなざしでみてきた。加えて
246
(73)一着の服を仕立てるように
に見つけるが'主人公はその手仕事を音楽にたとえて'作
るように'スワン夫人の装いのなかには'ジレ-とかへ巻
形式が重ね合わされ'そこに隠れた伝統が強-根ざしてい
おいで若者よ﹂ へのかすかな暗示にいたるまでが異体的な
曲家が細心の注意をこめて作った'聴衆の耳にはけっして
聖堂の彫刻にたとえられた服の細部は、当然、プルース
形で示されて、(-) もっと古い昔のはかのいろんな似か
き毛とかの'あのさだかではない思い出や'ときには瞬-
トの文体についてもあてはめることができるだろう。文体
よった型のおもかげをへ未完成のままに恩いうかべさせへ
届-はずはないとおもわれるオーケストラのある部分のよ
の技巧は時に隠されているが'細心に準備されていたこと
スワン夫人を何か高貴なものでつつんでいた(-) (I,
間にすたれた ﹁ソ-・タン・バルク﹂ への流行へ ﹁ついて
を知ってわれわれは驚-のである。彼の文学観がこの服装
608-609)
うだへ と感じる。
の描写の中の'ふだんは人目にふれない ﹁繊細な細工﹂ に'
ふくらみにすべり込ませている前掲の描写に続-文章は注
去った﹁時﹂を'ク-ノ-ンの代わりにへ スカートや柚の
も'そこに織り込まれていることを透かしみてきた。過ぎ
を明らかにする過程でも築かれるべき書物についての観念
われわれは'服装に時の層や大聖堂が含まれている事実
かがい知れる。
の描写に姿を借りて述べようとしたプルーストの意図がう
いうことばを目にするときへ 理想とする文体のあり方を服
あわされ﹂ とか、﹁か-れた伝統が強-根ざしている﹂ と
いてもあてはめることができる﹁さまざまの形式がかさね
衣裳を文体にたとえた貴重な〓即である。教会建築につ
﹁帯状飾り﹂ に、ひそかに縫い込まれているのである。
目に値する。
うであろうへ ﹁スワン夫人こそ一つの時代全体をあらわす
若い人たちは'彼女の衣裳を理解しようとして'こうい
の白さ (la blancheur de la pierre)﹂ という類の表現に
を感じへ ﹁白い石 (la pierre blanche)﹂ のかわりに ﹁石
嫌った関係代名詞へのプルーストの好みに十七世紀の空気
レオ・シュピッツァーが指摘するように'フロベールが
人ではないだろうか?﹂美しい文体のなかにも さまざまの
247
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(74)
繰り返し出会うとユゴーやゴンクール兄弟の影を感じる。
た-異なるさまざまな種類の芸術から比較を借りてこな-
う観念をざっとあたえるだけでも、もっとも高次でも まっ
プルーストは1九二〇年へ ジャン・ド・ピエール7-宛の
流麗な文章にラスキンを読む思いがしたりもするのである。
古い昔のさまざまな型のおもかげを思い浮かべさせるスワ
の文体や文学観について視覚的映像つきで読むことになる。
服装の描写を読みながらわれわれは同時にへ プルースト
03)
そうかとおもえば'夢想をあらわす条件法の使用にフロ
てはならないだろう﹂と。
書簡の中で'文学の根源的なありかたを説いて次のように
ン夫人は'大聖堂と同じように時代の層を身に纏っている。
(coj
ベールをおもう。時に、ラシーヌの筆のはこびを感じたり、
書いている。﹁私は'もっとも新しい現代と'もっとも格
彼女の服装のかげに、隠された伝統や時があった。〟隠す″ ち
で意識がつながっている。プルーストによって重ねられた
″重ねる″ ことと、〟ぬぐ″ 、〟はがす″ こととは深いところ
式ぼった過去の両方から借用した要素を'同じひとつの文
(
S
)
のなかに溶け込ませている何人かの作家を知っています。﹂
ト一族の貴公子ロベール・ド・サン-ルーとの間に生まれ
最終巻﹃見出された時﹄ の中で、ジルベルトとゲルマン
のばせ'行間にすべり込ませながらへ読者にさしだしてい
こうした機会となりうることがらを'ページのうしろにし
透けてみえたりへ ふとした偶然によって気づいたりする。
層は'作品を読む側からの積極的なはたらきかけによって
たl人の娘が主人公の前に現れる。﹁彼女は私の青春に似
るのがまさにブルース-の作品ではないだろうか。書物の
結び
ていた。﹂ サン-ルー嬢を見て、自分が失った年月から形
水面下に隠されているものは宝庫である。人は本を読むと
(
S
)
づくられていると感じる。そしてへ ﹁結局この時の観念は'
き自分自身を読むt と彼はいう。時を経てまた読むとき'
)
私にとって究極の価値をもつものであった﹂という確信を
新たな自分をよりゆたかに読むことになるのだろう。読者
4
得るにいたる。文学創造に﹁いまこそ着手すべきときであ
の内面にもそれだけ層の重なりが増しているだろうから。
﹁小説とは往来に沿って持ち運ばれる鏡である﹂ と ﹃赤
1
る﹂と強-感じた(私) は'とりかかろうとする仕事につ
いて次のようにいう。﹁それがどういう書物であるかとい
24ft
(75)一着の服を仕立てるように
と黒﹄ の中でいったスタンダールのように'ある一時代全
体の展開をめぐりながらへ プルーストは過ぎ去ったさまざ
まな時代の存在をも透かしてみ蹄亡る。あたかも映写機で同
時代の変遷を映しながら、Ⅹ線撮影によって過去の時の層
を浮かびあがらせるかのように、立体的、多面的に'社会
や人間へ物や事象を描いているのではないだろうか。小説
は現在の生のハーモニーに'歴史や伝統が和音を奏しなが
ら合流して、よりゆたかな響きをたてる。
(-0 John Ruskin,The Stones of Venice,t.II,1904,The
WorksofJohnRuskin,X,EditedbyE.T.CookandAlexander Wedderburn,London,Library Edition,19031912,39volumes,p.163.詩人トマス・グレイThomas
Gray(1716-1771)の叙事詩TheBard,ii,1.から'ラスキ
ンによる引用。
(2) マルセル・プルースト ﹃失われた時を求めて﹄ の出典
表示は、ジャン=イヴ・タディエ(Jean-YvesTadie) 責
任編集の新プレイヤッド版全四巻 (Marcel Proust,A la
recherche du temps perdu,Gallimard,Bibliotheque de
la Pl&ade,1987-1989,4 vo︼umes) にもとづき、巻数と
頁数のみを記す。翻訳は基本的に井上究一郎訳へ 鈴木道彦
訳を参照させていただいた。
O) IV,610.原文はunerobe(ドレス)となっているかへ
ie
mesuis
couche
一種の換職的表現と解釈して、﹁l着の服﹂と訳した.
Barthes,穴Longtemps
bonneheureサ,dansLebruissementdelalangue,Seuil,
O) Roland
1984,p.317.
0) Ibid.
(<-) IV,611.ォdentelleサ (レース) という語はt Kdentelle
de pierre︾ でゴチック建築の窓上部などに見られる石の
透かし飾りへ トレーサリーのことをいうのに用いられる。
O) IV,612.一九〇九年七月セリーヌ・コタン宛の書簡の
たことへのお礼を述べへ 自分の文章や作品をその料理にた
中で、プルーストはおいしいブフ-モードを作ってもらっ
とえている CorrespondancedeMarcelProust,texte6ta-
O
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bli,presentかet annot恥par Philip Kolb,Plon,t.IX,
ォ
>
p.139.(以下Corと略し、巻数と員数を付すo)
(
o
filles en fleursサ,Revue de Hiyoshi,Langue et Litt&ra-
(
tureFrancoises,N-35,2002,p.15.拙論﹁プルーストとラ
スキンー窓・額縁・想像力-﹂﹃ラスキン文庫たより﹄第
三八号、二〇〇三年、十三頁。
249
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(76)
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-
ing.The Works ofJohn Ruskin,Library ed.,XII,1904,
(2) John Ruskin,Lectures on Architecture and Paint-
p
.
3
8
7
.
(﹂) IV,941,EsquisseLIX,[Batirlelivre].
(2) Ibid.
(2) Ibid.
(2) Ibid.
(2)一九〇四年六月のマチュ-・ド・ノアイユ伯爵夫人宛
書簡の中で'プルーストは夫人から贈られた ﹃感嘆の面差
し﹄ について称賛しながらへ ﹁絶対的な美﹂ について次の
ように語っている。﹁そこでは色彩は互いに依存し合いへ
互いに補い合って'まるで春の日の午前中、色ガラスの
入った食堂から半ば降ろした日よけ越しに眺める庭のよう
で'庭を流れる﹁空気の泉﹂は石灰と日差しに覆われた談
.
話室にも入って-るtといった感じなのです。﹂Cor.,t.IV,
p
cherche du Temps perdu ︾,in Equinoxe,N-2,1998,
p
.
1
4
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(2) 次のような交差配列がこの〓即にみられる.
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quinedureraitque
quelquesjours
auss-roses Ou
i
aussi cuivrfis
r
[-]moinsephSmereque
de ses fauteuils
de relativement durable
><
lestyledeProust,
comme lasoie Louis XV
Maya,L'ォartcache︾ou
comme sa robe de chambre
Kazuko
encrepedeChine
Voir
KeioUniversityPress,Tokyo,2001,pp.126-129.
(﹂) II,826.
(2) IV,468.
(2) I,585.
(8) Ibid.,pp.604-605.
(So) JacquesBersanietClaudineQuemar,︽Lepeintre︾
inCahierscritiquesdelalitterature,N-3/4,1977,p.13.
II,907,EsquisseLVI,[L"artd'Elstir].
(S3) II.205.
の状態) からはじまっている。プルーストによれば、眠っ
(S3) Barthes,op.cit.,p.317.小説は主人公の眠り (半覚醒
ている人は'時間の糸、時や世界の秩序を自分の周りに巻
きつけているのだがへ その順序や配置がみだれたり'もつ
れたり'切れてしまったりするt という。バルトは'こう
250
(77)一着の服を仕立てるように
というのだが、そこには'ラシーヌ作﹃アタリ-﹄ のなか
神さまはいつかすっかりそんな人間をお罰Lになるから﹂
で'アタリ-のことしか頭にないジョアスが次のようにい
した眠りから生みだされた作品は、年代順の論理が揺さぶ
(3) ジャン=アントワIヌ・ヴァトI (1六八四⊥七二
うときのあてこすりが含まれている07﹁よこしまな人間
られた、﹁時の解体﹂という原理に立っているへ と説-。
l) ︽ラ・フィネット︾ (一七1七頃)へ 画家の晩年を飾る
e < ア , V I I I , 1 9 0 3 ,
(co) Voir John Ruskin,The Seven Lamps ofArchitec-
ModeetduCostumePalaisGalliera,1990.p.79.
(m) VoirFemmesfin de siecle1885-1895,Mus6e de la
Athalie,acteII,sc.VII,v.I
の幸せは早瀬のごと-流れ去る。﹂ (I,107,Voir Racine,
当時の流行を身につけた女性を数多く描いた画家
傑作︽ジェルサンの看板︾ (一七二〇) を参照のこと。
ジェームズ・ティソ (一八三六-一九〇二) の作品には'
ウール地のみならずシルク地タフタのタータンチェックも
登場する。過去の布地をよみがえらせた例としては'主人
W o r k s o f J o h n R u s k i n , L i b r a r y
pp.233-234.﹃建築の七灯﹄ の第六章 ﹁記憶の灯﹂ の中で
t u r e . T h e
フォルトゥこのドレスがあげられる。十五世紀の布地製法
ラスキンは、ヴィオレ・ル・デユクなど十九世紀の建築家
公の恋人であるアルベルチ-ヌが看ていたマ-アーノ・
を復活させたもので、それが'カルパッチョの絵に描かれ
ラスキンのこの本を好んで読んでいた。またへ 彼はヴィオ
レ・ル・デユクにも関心を示していた。(I,163) ラスキン
たちが行っていた修復工事を批判している。プルーストは
の建築に関する書物の中にも 時の層についての記述を見つ
ているようなヴェネツィアの古い生地であることから、
とカルパッチョ﹂ ﹃現代文学﹄ 第五十五号へ一九九七年へ
ヴェネツィアの空気を呼び起こす。吉川一義﹁プルースト
五-七頁。
けるのは難しいことではない。たとえば、サン・マルコ聖
(﹂) 1,60.なおへ ﹃失われた時を求めて﹄ の教会の生成にお
JohnRuskin,Libraryed.,XXIV,1906,p.285.
である John Ruskin,St.Mark's Rest,The Works of
が'﹁あらゆる伝統形式において完全にギ-シア的﹂なの
堂の礼拝堂のモザイクは ﹁十三世紀以前のものではない﹂
(8) III,625.
3) Ruskin,TheStonesofVenice,t.II,p.40.
(ァァ) Ibid.,p.442.
たとえばへ フランソワーズが好まし-思っていないユ
ラ-の出て行ったあとへ ﹁おべっかつかいは'人のお気に
入りになって'銭を集める術をよく心得ている。でも辛抱、
251
一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(78)
(3) IV,609.
(g) Cor.,t.XIX,p.318.
desdestyle,Gallimard,1970,pp.431,447et433.
求めて﹄ 草稿研究﹄ 平凡社、一九九三年、一三九⊥六七
けるラスキンの影響についてはへ吉田城﹃﹃失われた時を
頁を参照のこと。
ル・プルーストI﹃失われた時を求めて﹄ の開かれた世
(50 Ibid.諸芸術の関連についてはへ 牛場暁夫 ﹃マルセ
界﹄ 河出書房新社、1九九九年、二七⊥二七頁を参照
(c?) Ruskin,TheSevenLampsofArchitecture,p.230.
七灯﹄などの著書で繰り返しているように、人間の内的な
(3) cf.I,627.ラスキンが ﹃ヴェネツィアの石﹄へ ﹃建築の
(一橋大学講師)
のこと。
(3) IV,489.Voiraussilbid.,p.610.
深い部分、全的であり唯1の人間存在に対して'手や指先、
みが目に見えるかたちとなってあらわされているような状
鉛筆や絵の具が完全にしたがっているような状態、内的営
態をいう Voir Ruskin,The Stones of Venice,t.Ill,
1904,pp.201-202.Ruskin,TheSevenLampsofArchitecture,pp.214-215.
プルーストはアンドレ・ラング宛書簡の中で、︽Cosa
mentaleサ という言葉は ﹁あらゆる芸術に通用することが
できる﹂ と書いている Cor.,t.XX,p.497.Voir aussi
I,
(-) レオナルド・ダ・ヴィンチが絵画についていってい
Cor.,t.XIX,p.290et note3.小説の中でもへ ﹁幸福とは
るように'︽精神的な事柄︾ である﹂と述べているO
E
!
巴
ソ
(8) I,583.
(
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(co) LeoSpitzer,ォLeStyledeMarcelProustサdansEtu-
252
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